竜に生まれまして - タテ書き小説ネット

竜に生まれまして
雷帝
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︻小説タイトル︼
竜に生まれまして
︻Nコード︼
N5244BY
︻作者名︼
雷帝
︻あらすじ︼
これはある竜の誕生から生まれる物語
竜が生まれ、育ち⋮⋮
そして竜の中でも一際強大な力を得た彼の内に宿っていたのは⋮⋮
※
この物語はかつてこちらで投稿していた﹁飛竜になりました!﹂を
完全オリジナルとして全面書き直しを行ったものです
1
第一話:誕生
まどろみの心地良い眠りが覚めつつある。
うっすらと何かの記憶が自分の中にあるが、どこか霞がかかった
ようにはっきりした記憶がない。ただ、誰かに何かを言われたよう
な⋮⋮。
起きようとして何か邪魔なものが自分を包んでいるのに気がつい
た。
ぐい、と体を伸ばせばそれが敗れてゆくのが分かる。そうして自
分はそのまま勢いに任せて体を起こし⋮⋮。
目を開いて最初に見たのは髭面の男でした。
後に大きくなってからこの時の事を思い返すと色々と思う所があ
る。
すり込み、なんてものがなくて良かったな、というのはまだ真面
目な方。
石を片手に振り上げていた事から自分が入っていた卵を割るつも
りだったんだろうな、とか色々とだ。
とはいえ、この時はそんな事考える余裕なんてなかった。
何せ、目が開いて最初に見たものが血走ったギラギラした目、痩
せこけた髭面、振り上げた石⋮⋮もう、ね。自分を食うつもり満々、
いや、自分が直前まで入っていた卵を割るつもりだったんだろうっ
ていう空気を全身から発散させていた。
相手もまさか正に割ろうとしていた卵から自分が出てきたのに驚
きはしたんだろう。けれど⋮⋮。
次の瞬間には食うものが卵の中身だろうが、肉だろうが関係ない
って思ったのか一瞬の呆けたような表情が鬼気迫るものになって石
を握る腕に力が入ったのが分かった。
2
だから、後はもう必死だった。
そりゃあ俺だって生まれてすぐに死にたくないから、必死だよ。
とはいえ、こっちは卵からでかかった所。まだ手足とも卵の中で
翼もろくに出てない。出てるのは頭だけだが、噛み付こうにも届き
そうにない。
だから︱︱。
殆ど無意識のままに、喉の奥からこみあげるものを吐き出すよう
に叩き付けた。
︱︱燃え盛る焔の玉を。
無我夢中だからこそ良かったのだろう。きちんと発動したそれは
ファイアブレス、と称されるものだった。
もちろん大人のそれに比べれば子供だましみたいなものだったが、
それでも人一人相手なら十分な威力を持つそれは誘導されるでもな
く、ただ闇雲に吐き出されただけだったが距離が距離だった上に逃
がすまいと身を乗り出していた男は避ける間もなく直撃を食らった。
それでも通常の火なら一瞬で消えて終わっていただろう︱︱普通
の火なら。
確かに直撃した瞬間は熱いだろうし火傷もするだろうが、それで
も衣類や髪に燃え移ったりしない限り、或いは余程運が悪くない限
り致命傷レベルにはならない。 しかし、仮にもそこは魔法的な要素を持つファイアブレス、とい
うべきか。焔は直撃するや男の上半身を包み込むように轟然と燃え
盛った。さすがに男もこれには耐えられず、悲鳴を上げてもがく、
もがくが地面に転がって転がり回っても火は消えない。
この時は知る由もなかった事だが、竜の火は竜自身の意志によっ
て左右される。
もし、この時竜である彼が助けたいと思っていたなら、火は消え
ていたはずだ。燃える為の燃料たる魔力の供給が途絶えるのだから
3
当然だ。
だが、さすがに生まれたばかりとはいえ、殺意満々で自分を食う
気だった相手にそんな気持ちになれるはずもなく、というかそんな
余裕もなくただ動かなくなるまでじーっと睨みつけ続けていた。
ようやっと動かなくなっても、しばらくの間はじっと卵を壁に見
立てるように首だけ出して男を睨んでいたがしばらく待っても動く
様子が見えない事にようやくほっと力を抜いた瞬間。
﹃ふうん、火は持ってるんだね、なかなかちゃんと使いこなして
るじゃないか﹄
そんな声がかけられた。
ただし空気を振るわせる音としてではなく、頭の中に直接。
それでも混乱に陥らなかったのはその声に特に理由もなく安心感
を抱いたからか。
視線を向ければ、何時からそこにいたのか巨大な白い姿があった。
正確にはそこにいたのは純白に青みのかかった長い毛に覆われた
巨大な犬のような姿をした、けれど頭から四本の鋭い角が左右二本
ずつ後方に向けて生えた、そう、その姿を見て自分は素直に呼びか
けていた。誰に教えられるでもなく、それが正しいのだと理解して。
﹁かあちゃん﹂
自分のその声に口元を歪ませ、けれど間違いなく微笑んだと分か
る母竜はちらり、と自分の横に視線を向けた。
釣られて視線を向ければ、そこには自分の兄弟姉妹となるのであ
ろう卵が三つ。
それらには皹などは見られず、未だ割れる様子は生まれる兆候は
ない。 4
﹃どうやら一足先に生まれたみたいだね。ふむ⋮⋮﹄
そう呟きながら何やら母竜は考えていたようだったが、すぐに﹁
ま、いいか﹂とばかりに死体となった男へと視線を向ける。
その途端に男の体は瞬時に水蒸気を上げてカラカラに干乾び、次
の瞬間には渦巻いた風が粉々に砕いて、外へと運び出していった。
ここでようやく自分は落ち着いて周囲を見る余裕が出来たのが、
おそらく洞窟の中のようだった。
黒い岩に囲まれた洞窟内に母竜のものか羽毛のような柔らかな毛
が洞窟の一角に敷かれ、そこに整然と卵が並べられていた。
母竜が自分を置いてくるりと外へと足を向けたのを見て、慌てて
卵から体を引っ張り出し、てとてとと後を追いかける。
サイズが圧倒的に違いすぎるからそのままなら置いて行かれたで
あろうが、即座に気付いた母竜が足を止めた為に足元へと駆けつけ
る事が出来た。 ﹃一緒に行きたいのかい?﹄
母竜の問いかけにこくこくと頷く。
何しろ生まれてすぐに殺されかけたばかりだ。
実際には母竜が傍に何時の間にやらいたのだから、もしあそこで
何も出来なくても殺されたりする事はなかっただろうとは理解出来
るが、それとこれとは別の話。やっぱり、怖かったものは怖かった
し、残った所で誰かが傍にいる訳でもない。卵は何時かは自分の弟
妹となるとしても、今は単なる物に過ぎない。
幸い、というべきか。母竜は自分がついていく事に難色を示した
りはしなかった。すぐに自分の周囲に優しく渦巻く風を感じ、体が
浮かび上がる。怖いとか何かを考えるまでもなく、ぽふり、と柔ら
かい感触が自分の体を包み込んだ。どうやら背中に降ろされたらし
い、と理解してふかふかの母竜の羽毛に埋もれるようにして少し体
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を揺すり、収まりの良い位置を探る。
我が子が落ち着いたのを見計らい、母竜は洞窟の外へと歩き出す。
外へと出ると、激しい嵐が吹き荒れていた。きょろきょろと周囲
を見回す我が子に首を巡らして視線を向け一言。
﹃ふむ、どうやら風と水も持ってるようだねえ﹄
母竜のその言葉に自分は首を傾げる。
風と水も?
﹃気付かないのかい?この強風と雨の中、風に飛ばされそうにも
なってないし、雨に濡れてもいないだろう?﹄
言われてみて気がついた。
てっきり母竜が何かしてるのかとも思っていたが、自分の小さな
体を本来ならば持って行くに足るだろう暴風は穏やかに、激しく打
ち付ける雨は自身を塗らして体を冷やす様子は全くない。おそらく
はこれが風と水の属性をも持つという現われなのだろう。
そう理解して、初めて見る外の光景を自分は首をきょろきょろと
回して眺めるのだった。
◆
よしよし、と母は思う。この地を選んだ事は間違いではなかった
と。
ここは絶海の中に浮かぶ火山島だ。
風の通り道であるこの島は強風が常に吹き荒れ、四属性の要素を
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併せ持つ貴重な場所の一つだ。
火山であるから当然火の要素を持ち、海の中にあるから周囲は水
の要素に満ち満ちている。絶海の中に屹立し、揺ぎ無く経ち続ける
故に土の要素も強まり、常に吹き荒れる強風が風の要素を運んでく
る。また、場所が場所故に外敵の存在もない。正に竜の子育てには
持って来いの島であると言える。
それだけに母竜としては先程の人の子の存在を不審に思っていた。
⋮⋮竜という存在は卵の時に周囲の要素を取り込み、己の属性と
して持って生まれてくる。
この生まれ持った属性だけは如何に成長しても変わらない為に、
竜の親はなるべく多くの要素を持つ地を探し、そこで産卵し、子育
てする。
もちろん、要素があるから必ず全要素を持って生まれてくるとい
う訳ではなく、大抵はこれだけ強い要素を揃えても属性は二つ程度。
運が悪ければ一つ、運が良ければ三つ、稀に全属性を持って生まれ
てくるというだけの事ではあるが、矢張り要素は多い方が良い。
人はこれに光だの闇だのといった要素を加えているようだが、実
際には雷が風に、氷が水に含まれるように、光は火に、闇は大地に
属する。
火山ならば火と土の属性を持つし、反面草原などならば土の要素
しか存在しない。だが、総じて複数の属性を有する地というのは過
酷な地でもある。
普通の動物達は近寄らない過酷な地。
竜種であっても下位でしかないものでは生存すら困難な程、結果
として、大抵そうした地は竜王達の産卵地となるのだ。
もちろん、母としては別に属性が一つだろうが二つだろうが可愛
い我が子に変わりはない。
それに、属性が多ければイコール強いという訳でもない。
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属性が多いという事は引き出しが多い事へと繋がるが、同時に使
いこなすのにそれだけ苦労するという事でもある。竜が年を食えば
竜王と呼ばれる強大な別格の種として分類される。母竜自身もその
竜王の一角だが、彼女自身の属性は風と水の二属性だ。
父親である竜王に至っては風属性のみ。それでも竜王となってい
る時点で、竜王となるに属性の多い少ないだけでは言えないという
事が分かるだろう。
それでも、母としては矢張り選択肢が多い方が良いと考えてしま
うし、どうせならその機会ぐらいは与えてやりたいと思う。使いこ
なせれば、という面はあれど属性が多い方が対処はしやすく、それ
らは特に幼少時の時にその便利さは発揮されるからだ。すなわち、
成竜となれる確率がその分高くなりやすい。
そんな事を考えながら歩みを進めていく。
その足取りに迷いはない。
当然と言えば当然、彼女にとっては既に異常、異質なものがどこ
にあるかは把握済だからだ。そして、そう時間が過ぎるでもなく、
彼女の視界に予想通りのものが姿を見せる。 ﹃⋮⋮やはり難破船の類でしたか﹄
そこにあったのは壊れた帆船。かなりの大型だ。
大洋に浮かぶ小島である以上、ここに人がいるという事は船が流
れ着いたとは予想していた。もちろん、海に投げ出されて一人だけ
が偶然この島に打ち上げられた、という可能性もあるが残念ながら
この島の周囲は荒々しい岩礁。生身ではまず間違いなく岩に叩きつ
けられ、命はない。となれば、船ごと流れ着いた可能性が高い。
だが、この島は狙って辿り着けるような島ではない。それどころ
か、人はこの島の近辺を避けるような航路を取っている事を彼女は
知っている。
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当然と言えば当然の話、そこがどうしても通らねばならない或い
は何らかの重要な要素を持つ海の要所、というなら危険を冒してで
も通りもするだろうし確保しようともするだろうが、生憎この島は
海の孤島であり、水の補給などを行う為の場所としても甚だ不適格
な島だ。おまけに常に周囲は暴風と呼べるレベルの風が吹き荒れ、
海はその風に煽られて大きく逆巻く危険極まりない場所、そんな島
に好き好んで近づく船などあるはずもない。
必然的に、この島に近づきすぎたか、或いは別の地で嵐に巻き込
まれて漂流したか⋮⋮運悪くこの島に流れ着いた、それも岩礁をす
り抜け、最後に島にぶつかっても形が残るような大型の船がごく稀
に流れ着く事になる訳だ。おそらく、あの男はこの船の生存者の一
人だったのだろう。
船の漂着自体は島を離れていた母竜が戻ってきた時点で気付いて
いたが、気にしていなかった。
これまた仕方がない。海流の関係なのか、壊れた船の残骸はこの
一隻だけではなく、他にも何隻か流れ着いて未だその躯を海岸に晒
している。大体、彼女は人が生きているかどうかなど、彼女の邪魔
をしないならいちいち気にかけたりはしない。今回とて、男が自身
の巣に入り込んでくるような真似をしていなければ放置していただ
ろう。
そこに生命の反応があると知っていたとしても。
母竜は崩壊しかけた難破船に視線を向ける。
かなり頑丈そうな船だ、岸へと辿り着くまでに余りよろしくない
当たり所があったにも関わらず持ち堪えたのはそのお陰だろう。
もっとも、その理由を考えると余り気持ちの良いものではないだ
ろう、人であれば。
この船は所謂奴隷船であった。
一口に奴隷と言っても一度海上に出てしまえば脱出も事実上不可
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能な人だけであればそこまで頑丈に作る必要もないだろうが、この
船は比較的高い知能を持つ魔物、その中でも水中を動く種族や空を
舞う種族をも運べるように、そして彼らが脱出出来ないよう頑強な
檻とそれを運べるだけの船体を保有していた訳だ。
そうした種族と共存するような地域もあり、そうした地域でこう
した行為は重罪な反面、そうした種族を飼う事に興味を持つ好事家
らもまた存在する。
そして、取引が禁じられているからこそ高く売れ、高く売れるか
らこそそれの取引を狙う者もまた存在する。
当然、そんな船は正規の航路は取れない。奴隷商売を容認する国
家というのはこの世界では案外少ない。人魚などと敵対した場合の
漁業への悪影響などを考えれば当然なのだが⋮⋮それだけにまとも
な寄港が出来る場所は限られ、通常の安全な航路以外を通ろうとし
てこのような躯を晒す事になる訳だ。
︵さて⋮⋮︶
母竜は心の声を極力絞って声をかける。
﹃そこに隠れてるの、出てきな﹄
母竜が声を絞ったのは竜王の精神によって放たれる心声は人の精
神には強すぎるからだ。
少しの間を置いて、恐る恐る、という感じで一人の少女が姿を見
せる。
︵奴隷の方か︶
首と足に鉄環が嵌められているが、足の鎖の先に木切れがこびり
ついた留め金がある。
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どうやら、難破した際の衝撃で運良く鎖の取り付け部が破損した
らしい⋮⋮お陰で動く事が出来、助かったのだろう。⋮⋮船の中の
他の奴隷達、怪我で死ねた者はまだ良い。身動き出来ないまま或い
は檻の中で、或いは繋がれたまま飢え、渇き死んでいった者達とは
異なっていたのだろうから。⋮⋮竜の感覚で船の中に人と人外問わ
ず骸はあれど最早生者はいない事を感じ取っていた。
けれど、母竜にとって、重要な事はそこではない。
さて、この少女をどうすべきか、と少し考える。
別段、竜は血に飢えた種族ではないし、目障りだからと殺すのも
なんだ。自身は食事など要らぬし、この少女を食う気もしない。我
が子達とて同じ事。幼き頃は自らの乳を与え、乳離れする頃には自
らの属性の魔力を吸収し、食物など殆ど必要ではなくなるはずだ。
故にあっさりと決断を下す。
﹃よいですか。私達の所には関わらぬ事です。巣に近づかぬ限り
この島でお前がどう生きようが﹄
知らぬ。
そう告げようとした。
非情なようでいて、実の所甘い判断でもある。
この島には複数の船が流れ着いている。長期の航海を前提として
いる為に保存食をかなりの量搭載し、今回打ち上げられたこの船以
外の船にも食べられるようなものが未だ残っている。
それらと合わせれば、食いつないでゆく事は出来るだろう。
住む所に関しても、子育ての為の巣として選んだ洞窟以外にも火
山島故に溶岩が流れた後の空洞、洞窟には事欠かない。
そう、この島で生き延びるだけならば漂着物を元に生きていく事
も出来るはずだ⋮⋮ただし、この島からの脱出は絶望的だが。漂着
する、という事からも分かるように風も海の流れも島へと集束する
力の方が強い。まともな船の建造技術も設備もない状態で抜け出せ
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る程甘い環境ではない。まあ、自殺する気なら話は別だが、それな
らもっと楽な方法が他にあるだろう。
しかし、そんな母竜の言葉が止まったのは我が子が何時の間にや
ら自らの背から降りて、少女を見詰めている事に気づいたからだ。 すぐにトコトコと近づいてゆく。
それに少女は少し怯えたような様子を見せた。
無理もない話だ。この世界の本物の竜という種族は人にとっては
災害に等しい。子供とはいえ、サイズ的には既に普通の犬サイズで
あり、ましてや傍には巨体を誇る母親がいるのだ。怯えても当然と
言えよう。それでも逃げないのはただ単に体が弱っているからに過
ぎない。
母の方からすれば、何に興味を持ったのかと敢えて我が子を見守
っていたのだが⋮⋮その後の反応は母竜と少女双方の予想外の行動
に出た。
︵⋮⋮懐いている、というべきなのかしら?︶
母は困惑した思考を巡らす。
我が子はその少女に心地良さそうに擦り寄っている。その様子を
見て不機嫌そうと見る者はいまい。 その様子を見て、改めて少女を見やる。今度は少し本気でしっか
りと。
⋮⋮成る程、この子はどうやら根源の欠片を持っているらしい。
根源の欠片、なんて言うと大げさに聞こえるかもしれないが、実
際には魔法を扱える者ならば誰もが所持している。逆に言えば、持
たない者には魔法は扱えないという事であり、竜ならば目の前の少
女よりずっと大きいものを目の前で少女に懐いている生まれたばか
りの我が子でさえ所持している。
そして、竜は成長するに連れて世界から欠片を取り込み、強大に
なってゆくに連れて欠片もまた巨大になってゆくが、人は最初に持
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つそれ以上は欠片は成長しない。取り込む為の器官とでも呼ぶべき
ものがないのだから仕方がない。魚は水の中から必要な酸素を取り
出す鰓を持っているが、持たない人は水の中にい続ければ呼吸が出
来なくなりおぼれる。それと同じだ。
まだ断言は出来ないが、その欠片に属性は宿る。
してみると、この少女は我が子と同じ属性をその欠片に宿してい
る可能性が高い。そこら辺は魔法を取得させてみれば分かるだろう。
自分自身は人の魔法なぞ全く知らないから無理だが。
さて、しかし、そうするとこの少女をどうすべきか。
⋮⋮折角我が子が懐いているのだから子育ての手伝いでもさせる
か。
そう考えると悪い考えでもない気がしてきた。 長男たる我が子の属性からして最低でも三色以上の属性を持つ欠
片を宿している可能性が高く、であればこれから生まれてくる我が
子達も殆どは嫌いはしないだろう。万色とも言われる四色を宿して
いれば尚良い。 もちろん、自分だけでも子育ては出来る自信はあるが、何しろこ
の巨体だ。細かい事は矢張りしづらく、能力を用いる事になる。
﹃ふむ⋮⋮我が子が懐いているようですし、お前に機会を与えま
しょう。これから私の子育てを手伝いなさい。さすればお前の食事
などは用意してあげましょう。もし⋮﹄
きちんと勤め上げたならば人の領域まで送ってやっても良い。
なに、そう長い話ではない。我ら竜族の子育ての期間は短い。精
々三年程度でしかない。野生動物として見るならば長く、人のそれ
から見ると極めて短い、その程度でしかない。間違ってもお前が老
婆となったりするような事はない。
そう告げ、軽く力を放ち鉄環を砕く。
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必死に頷く少女に最早視線を向ける事はなく、我が子に慈愛の視
線を向けた母竜であった。
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第一話:誕生︵後書き︶
はじめての方は、はじめまして
これまで拝見されてきた方には、いつもありがとうございます
今回の作品はかつてこちらに投稿していた﹁飛竜になりました!﹂
という作品を全面的に書き直した作品です
元々の作品が某狩りゲームを元にし、他の作品にちょっかいをかけ
る、という二次創作であった為に一からの新作となっています
前はある程度成長し、強くなってからの場面でしたが今回は誕生編、
幼竜編、成竜編、と小さい頃からその成長と共に書き進めていく予
定です
最初の頃は絶対的強者というには程遠い為やきもきする場面もある
かと思いますがお付き合いの程、よろしくお願いします
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第二話:いい日旅立ち︵前書き︶
さくっと旅立ち
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第二話:いい日旅立ち
良かった良かった。
幼竜である彼は自分の横にちょこんと座る人の少女を見て思う。
彼は生まれながらにして知能があった、何故か知識があった。
だからこそ、少女がこのまま放置された場合、どうなるかも想像
がついた。
他に誰もいない絶海の孤島でただ一人。
数年後には竜も去り、本当に孤独なまま食べ物にした所で難破し
た船の食物を漁るしかなく、海草や魚を取ろうにも常に荒れている
ようなこの海域の海では波にさらわれる危険が極めて高い。かとい
って、火山島であるこの島には食べられるような植物が生えている
訳でもなく、鳥も暴風吹き荒れる島には全く近づかない。
そんな島では屈強な男でも長く生きられない。
もし、あのまま放置されていれば間違いなく少女はそう遠からず
他の難破船の乗員と同じ運命を辿っていただろう。
そして、知らなかったならともかく、知ってしまった以上、自分
が少女の事を気にしてしまうのは自覚していた。
あの子大丈夫かな。
元気にしてるかな。
そして、やがて姿を消せば気に病んでしまうだろう、と。
それなら、最初から傍にいてもらった方が良い。幸い、母竜は少
女の事を全く気にしていなかった為に彼のおねだりにも簡単に許可
を出した。
そう、母竜は人の少女という存在に全くといって良い程に興味を
持っていなかった。さすがに今は多少は意識してくれているだろう
が、元々は犬猫どころか道端に転がる石程度の認識だっただろう。
犬猫ならば子供が拾ってきたら﹁捨ててきなさい!﹂という言葉も
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ありえるが、子供が小さな綺麗な小石を拾ってきたからとてそう言
う親はいない。その程度だったのだ、母竜にとっては。
だからこそ、我が子が興味を持った相手に対しても﹁まあ、いい
か﹂とすんなり承認したのだ。
普段は掃除などをしている少女が今彼の傍で大人しくしているの
は勉強中だからだ、彼と妹の二体が。
子供達は全部で五体いるが、残り三体は遊んでいる。
別に他の子供達である幼竜が少女に懐いていない訳ではない。 ただ、その⋮⋮彼らは彼と妹の一人程頭が良くない。
何が言いたいかというと、やりすぎてしまうのだ。
彼ら竜にとっては兄弟姉妹同士でやるような軽いじゃれあいでも、
そこに人の少女が巻き込まれたらただではすまない。しかし、勉強
の最中はどうしても目が行き届かない部分がある為、この時間帯は
こうやって傍にいるようにしている訳だ。
生まれた幼竜は彼を含め、全部で五体。
次男は水竜。
青い鱗を持つ水属性の竜だ。
三男は氷竜。
真っ白な長い毛並みを持つ水属性の中でも雪や氷に特化した⋮⋮
属性持ちの竜としては弱い部類に入る。
あくまで属性持ちとしては、であり、大半の属性を持たない竜に
比べれば相当強いのだが。
長女は赤みがかかった黒い岩のような竜。
溶岩竜とも呼称される火と土の属性持ちだ。
最後の末っ子が今、彼と並んで勉強を受けている妹、金色に輝く
美しい毛並みを持つ竜だ。
この色は火と風の属性持ちの証らしい。火が水に変わると銀色に
なり、母竜の色となる。今は太陽が出ていない上に母竜自体がある
程度年を食っている為にそこまでではないが、生え変わった折に陽
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光の下に佇めば燦然と輝く、らしい。彼もまだ見た事はないし、多
分見る機会もないと思うが。
彼は四属性全てを有する万色と呼ばれる珍しい部類に入るが、こ
のように竜王が産む地を厳選して生んだ所でそれでも属性は一つか
二つ程度なのが当り前だ。
これが通常の草原などで子育てをする竜ともなれば属性を持つ事
すら稀。
竜王クラスの知性を持つ竜と異なり、そうした竜は大抵知性を持
たぬ故に属性を子供に持たせようと考える事もなく、自分達が今暮
らす地で子育てを行い、そして無属性の知性なき竜として且つ草食
竜として穏やかな日々を過ごす。
いや⋮⋮知性を持つ竜自体が実は珍しい。
竜王ともなればまず高い知性を持つが、事実五体の兄弟姉妹の中
で知性と呼べるものを有するのは彼と末の妹だけだった。二体が勉
強をしている横で、他の三体が遊んでいるのは別に三体をどうでも
良いと思っているからではなく、彼らが母竜の勉強を理解する知性
を持たないからだ。
そう、きっと母は彼以上に理解している。
自分の子供の内、向こうで遊ぶ三体はおそらく長生き出来ないで
あろうと⋮⋮。
そう、たとえ竜であっても自然で生きる以上、生存競争からは逃
れられない。
そして、大人の竜ならばともかく、子供の頃は竜を上回る魔獣な
ど幾らでもいる。いや、子供の頃の竜とはこの世界に数多存在する
魔獣の一体に過ぎないとも言える。
それだけに、知性の有無は生存競争の結果に大きな違いを生む。
本能だけでは駄目なのだ。属性とて知性がなければ生かしきるの
は困難。
例えば、属性はブレス攻撃の内容に大きな影響を与えるが、次男
19
の水属性の子の場合、二種類のブレスを用いる事が出来る。ただ水
を吐き出す事による水弾のようなブレスと、圧縮して噴出すウォー
ターカッターとでも呼ぶべきブレスだ。
前者は斬れ味のようなものは存在しないが、大量の水を放射する
為に薙ぎ払う事が出来、また溜めも短い。
後者は威力で言えば前者を上回るが圧縮に時間がかかる分、溜め
に要する時間が長くかかり、またブレスを吐きながら剣のように振
り回す事が未だ出来ない分、攻撃範囲が狭い。
当然ながら、状況に応じて両者を使い分けねばならないのだが、
知性がないという事は状況に応じてどちらを用いるかを考える事が
出来ないという事。無論、経験を積んでいけば、本能でも使いこな
せるようになるであろうし、今は知性のない動物同然の彼らとて年
経れば知性を得る。
だが、そこまで到達出来るのは本当に一握りの竜でしかない。大
半の竜はその前に死ぬ。
だからこそ、今、母は知性を生まれながらにして有している二体
の我が子に熱心に教育を行っている訳だ。少女が傍にいる事とて、
長男である彼がお気に入りの少女の安全を気にして気を散らす事を
嫌っての事。それが分かる故に二体とも真剣だ。
尚、末妹の知性はそこまで高い訳ではなく、人間換算で言えば小
学生程度のレベル。
それでも真剣に聞いているのは母の真剣な思いを感じ取っている
から⋮⋮ではなく、一番懐いている大好きなお兄ちゃんがいるから、
な気が多分にする。まあ、高い知性を持つ故にきちんと妹の事も考
えて行動してくれる兄と、動物程度の知性しか持たない故に妹にも
全力でじゃれついてくる兄姉ではどちらに懐く事になるかは当然と
いえば当然かもしれない。
竜の肉体でも、同じ竜に叩かれたら痛いのである。
﹃そうそう、焦らずゆっくりね﹄
20
などと彼が考えている余裕があるのも、今は妹が母の見守る中、
己の力を使うべく頑張っているからだ。
彼自身は既に火、土、水、風を発現させた。無我夢中ではあった
が、生まれてすぐに火のブレスを吐く事になったのが良かったらし
く属性の力を通す通り道のようなものが既に出来上がっていた。
火が既に通り道が出来上がっており、他の属性も最初の根源部分
を把握すれば後は通るコースは同じだ。
母に言われるままに火をすんなりと扱い、他は最初に属性を把握
し、引っ張り出すのに苦労したがそこが出来れば後は同じだ。感覚
を掴んだ彼は無事他の属性に関してもその使用に成功していた。⋮
⋮まだまだ実用に耐えるレベルとは程遠いものではあったが。
まあ、マッチの火、水鉄砲の水、小石に扇風機だったとしても使
えると使えないでは大きな差がある。
末妹はというと⋮⋮こちらはなまじ考える頭があるだけに苦心惨
憺していた。
﹁うー、でてこないー﹂
だめだー、とでも言いたげに末妹がぼやきながらも、また一生懸
命力を入れている。
口を開けて一生懸命ブレスを吐こうとしているが矢張り最初の感
覚を掴むのに苦心しているようだ、と彼は思う。 こうしてみると、状況はともかく必死故に最初の道筋を無我夢中
の間につける事の出来た自分は幸運であったと思う。
︵いや、だからこそ母さんギリギリまで待ったんだろーな︶
彼はそう内心で呟く。
今だから分かる。 21
あの時、母竜が自分の目の前に飢えた男がいるという状況にあり
ながらすぐに排除しなかった理由が⋮⋮。この最初の感覚を掴むの
が難しいと理解しているだけに、本能、無我夢中、必死、何でもい
いが咄嗟に属性を一つでも使えれば後が一気に楽になると判断して
いたのだろう。 お陰で既に属性の活発化、というか使い方の応用を考える彼に対
して末妹は未だ初めて力を使うのに苦心惨憺している。
初めて補助輪のない自転車に乗る時、縄跳びの二重跳び、何でも
良いが何事も最初が肝心。一度コツを掴めば、何故あんなのに苦労
したのか、と言いたくなるぐらいにあっさりと出来るようになった
りする反面、出来るまでが大変なのだ。
一度ブレスを放てれば、属性をそれ以外で扱う事も一気に楽にな
る。
ただ、母竜も驚いた事だが、彼は応用を早々に巧みに使い始めて
いた。
﹃どうやったらそういう事思い浮かぶのかねえ?﹄
母竜も少し呆れていたが、同時に多少思い当たる節もあるようだ
った。
﹃⋮⋮もしかしたら﹄
まあ、それも自然の有り様ね、と呟いていたので大して気にする
事でもないのだろう。
それにそんな事が気にならない程、応用は面白い、と彼は感じて
いた。
少女が手元が暗くてやりづらそうだったので、光を集めて輝かせ
てみたり、或いはその光の揺らぎを揃えてみたら流木に穴が開いた。
ちょっと邪魔な岩に大地から伸びる黒いものに干渉したら軽くな
22
った。
普通の火や水、風や土。それらに比べて扱いは難しくとも、上手
く使えれば面白い使い方が出来る事に彼は夢中だった。お陰で母と
の訓練以外の自主訓練では大抵こうした応用分野を練習している状
態だ。基本は大事という事で母竜との勉強を行う際は強制的に属性
の基本的な扱い方の練習をさせられている訳だが⋮⋮。
﹁うまくいかない﹂
しょぼんと落ち込む末妹を人の少女と共に慰める。というか、少
女がブラッシングをしてあげている隣で慰める。
こうした毛を持つ体をこういう時は羨ましく感じる彼だった。
彼の体は鱗とも異なり、敢えて言うなら赤みがかかった水晶塊で
覆われているような形状をしている。これはこれで綺麗だし、毛並
みに比べて防御力は明らかに上回るのだが矢張り目の前で凄く気持
ち良さそうにしているのを見ると﹁いいな﹂と思ってしまう訳だ。
末妹自身が落ち込む理由は分かっている。
属性によるブレス、これが未だ使えないのが彼女だけだからだ。
彼が使えるのは前述の通りだが、他の兄姉も既にブレスは使える
ようになっていた。ここら辺は何も考えずに本能でやっている方が
楽らしい、と向こうのじゃれあいの流れ弾で飛来した水弾をぺしっ、
と叩き落としながら彼はぼんやりと考えていた。
⋮⋮この頃になると彼と末妹、他の三弟妹という形にはっきり別
れて動いていた。
考えて動く二体と、好き勝手に動く三体。
どうしても好みも遊びも異なってくるし、喧嘩するような事をし
ても何故そんな事を、と考えてしまう二体に対して、何が悪いのか
理解出来ない、ただ怒られてるとしか理解出来ない三体。遊び一つ
にしてもアレコレと考えた遊びを母が提供してくれる二体と一人に
対して⋮⋮といった具合だ。
23
動物の場合、何が楽しいのか分からないけど楽しそう、といった
事をやっている事がある。
ペットがやっている分には微笑ましくみていられる分もあるだろ
うが⋮⋮兄弟姉妹がやっているとなると矢張り感じる事も違ってく
る。
また本能のままに動く故に自由に動けるようになるに連れて、動
きが変わっていた。
或いは別れは存外早いかもしれない。そう感じる日々が増えつつ
あった。
⋮⋮。
果たして生まれて一年程経ったある日。
長女の姿が消えた。
溶岩竜たる彼女はある日大地に潜り込み、そのまま帰ってこなか
った。
おそらく、地底深くの溶岩の流れに乗ったままいずこかに流され
て、戻れなかったのだろう。
地底の奥深くを流れる溶岩流は想像以上に流れが複雑で、加えて
地上が見れない為にともすれば居場所が分からなくなる事は同じく
土と火の属性を有している彼には理解出来ていた。理解出来ていた
からこそ彼自身は事前に危険と察して戻ったが、おそらく長女は戻
れなかったのだろう。
これが彼ならば海底から海へと出て、そこから空へと舞い上がっ
てここへと戻ってこれる可能性がゼロではなかったが、彼女は土と
火の二属性持ち。 溶岩の中は好き勝手に動き回れても、海は殆ど動けない。 なまじここが島である故に、周囲が海で囲まれている故に一度溶
岩の流れに乗ってしまえば彼女にはもうどうしようもない事は想像
がついた。
24
母竜も風と水の属性持ち故に大地の奥深くには干渉出来ない、出
来るのはどこかで元気に育っている事を願うだけだった。
⋮⋮そして更に一年少々の時が経った時、次男が旅立った。
幸い、というべきなのはこちらは当人の意思で見送られて旅立っ
た、という事だろう。
動物の乳離れ、独立は早い。
無論、大抵の場合はそれは成長も早く、大抵の場合は寿命もそこ
まで長くない事を意味するのだが、次男の場合も自然と海へと向か
い独り泳ぎだす事を母竜へと示した。そして、母竜もまたそれを抑
えるような真似はしなかった。
幾度も島の方を振り返りながら荒れる海、けれど水属性の竜たる
次男には何ら悪影響を与えない中を進み、やがて海へと潜り、姿を
消した。
立地上、もし、このまま成長する事が出来、竜王となって知恵を
身につければ海竜と呼称される事になるのだろう。
そして⋮⋮。
﹁じゃあ、お兄ちゃん⋮⋮私は東に行ってみるね﹂
﹁俺はあの子の故郷ってのが西にあるらしいから、そっちからだ
な﹂
次男が旅立ってから更に一年少々、生まれてから三年半程過ぎた
頃、二体もまた巣立ちの時を迎えた。
三男の氷竜は母が北の地へと連れて行くそうだ。
元々母竜の住居はその地方であり、おそらく当面は母竜の縄張り
の一角で北の地の常識を学びながら力を蓄える事になるのだろう。
そういう意味では母竜の下に残る最後の子であるとも言えた。
二体はといえば、相談の末、別方向へと旅立つ事を決めた。
25
末妹は東を目指すと決めた。
一つには東の人々は竜との共存を図る傾向が他の地より高く、ま
た彼女のような金色の竜は太陽の化身として崇められるとも言う。
末妹が知性を持つ竜である事もあり、余程の事がなければ安住の地
を見出す事が出来るだろう。
西は東に比べればその点では大分劣るが、彼がその地を目指す事
を選んだのは少女の事だ。
折角なので仲良くなった少女を故郷へと連れて行く事にしたのだ。
それからしばらくは一緒にいる事にしている。これは彼女の親戚
もあてになるような相手がいない事から戻ってもそのままでは伝手
もない以上、物乞いにでも身を落とすしかない、という事があった。
冒険者になるにしても、彼女は魔法こそ多少使えるようになったが、
剣などは全く使えないし、魔法にした所で独学に近い。危険な冒険
者稼業を選んだ所で長生きは出来まい。
それが分かるだけに、当面は一緒にいるつもりだった。
﹃寂しくなるねえ﹄
しみじみと母竜が呟いた。
何時か来る事であるとは理解していてもそう感じるのは共通の事
のようだ。
﹃まあ、長い生だ、また何時かどこかで会う事もあるかもしれな
い。元気でやるんだよ﹄
どこかしんみりとした口調でそう告げる。
確かに竜の生自体は長い、極めて長い。
竜王級ともなれば数百年はザラで、最長寿の竜ともなれば数千年
の齢を重ねた竜もいると言われる。そのくせ、それだけの年月を生
きても肉体面は衰えを見せないというのだから、この世界に竜の事
26
をよく知る研究者でもいれば竜の本質は精神にある、ある種の精神
生命体だと判断したかもしれない。
だが、そんな事は今を生きる竜達当人には関係のない話だ。
ばさり、と翼を広げ、まず母竜がその背に三男を載せて飛び立っ
た。
氷竜である三男は自力でこの荒れ狂う風の壁を通り抜けるのは危
険だからだ。
その姿を見送って、続いて末妹が飛び立つ。
こちらは風による悪影響を受けない故に安定した勢いでぐんぐん
進んでゆく。
雲へと姿が隠れる直前、最後にこちらに視線を向け、彼女もその
姿が見えなくなった。
﹁さてこっちも行くか。落ちないよう気をつけろ﹂
﹁はっ、はい!﹂
一応難破船から持ち出した鎖やロープを利用して固定しているし、
風を操って保護してはいるがさすがに鞍のようなものはない。
万が一という事もある以上、気をつけるにこした事はない。
最終確認を終えた後、彼もまた島を飛び立つ。
最後に火山島である生まれ落ちた地に視線を落とし⋮⋮速度を上
げ、一気に離脱した。
目指すは大陸西部、レオーネ王国である。
27
第二話:いい日旅立ち︵後書き︶
次回は少女視点による幕間、少女の名前や何故奴隷となったかなどを
それが終わった後、人の世界に降り立っての幼竜編を予定していま
す
28
幕間:少女視点︵前書き︶
次回からは﹁派手にいくぜ!﹂
29
幕間:少女視点
これで終わりかな。
ふとそう思った。
思えば、自分は悪運だけは強かった。大きな不幸不運は一度なら
ず体験してきたが、その中でも幸いを得てきた⋮⋮そう言えるよう
な人生だった。
⋮⋮けれど、どうやらその悪運も尽きたようだ。
最初の不幸は八つにもうじきなろうかという頃だった
中堅と呼べる規模の、けれど若手のやり手と言われていた、らし
い商人であった父と、おっとりした母に可愛がられていた私だった
が、ある日大きな仕入れの為に自ら隣国に出た父は上手く商いをこ
なしての帰りに盗賊に襲われ帰らぬ人となった。
悪い事に父はこの仕入れの為にまとまったお金を借りていた。本
当ならば、盗賊に襲われさえしなければ問題のない金額のはずだっ
たが、当然ながら、仕入れた商品をそっくり盗賊によって奪われた
以上借金を返す当てはなくなった。
この知らせが届くや、途端に店には借金取りが押し寄せた。
付き合いのあった店でも距離を置く店が相次いだ。その掌の返し
っぷりは潔い程。
無論、全てが全てそうした人ばかりではない。さすがに金額が金
額であったのでお金は無理だったが、それでも間に入って苦労して
くれた人もいた。
お陰で本当の意味での人間不信にならなかった事は感謝している
が、結果だけ述べるならば、店は潰れ、母は愛する夫を突然失った
ショックに慣れぬ仕事による疲労、責め立てる借金取り達の言葉に
よる心労からか、ある朝を最後に二度と起きてくる事はなかった。
30
こうなると、娘である自分に残る責任が圧し掛かってくる。
それでもまだ連中はまともだったのだろう、母の葬儀の金ぐらい
は残してくれたのだから。
ただし、その代わりといっては何だが、私は借金のかたに奴隷と
して売られた。
⋮⋮本当に連中は借金取りとしてはまともだった事を知るのはも
う少し後の話なのだが。この国で一般に奴隷商と呼ばれる者にも良
い者と悪い者がいるという事を知るのももう少し後の事。
隷属の腕輪を嵌められた自分を買い取ったのはさる貴族。
まだ幼い娘の世話をする為の同年代の少女が幾人か欲しかった、
という事らしい。ただ、世話をするだけならばそれまで雇っていた
メイド達で十分だろうが、その貴族が求めたのはプライベートでは
娘の友人となりうる相手だったらしい。
貴族という立場上、どうしても外で町の子同様に遊ぶのは難しい。
かといって、貴族の子同士の付き合いというのは非常に堅苦しく、
しかも毎日会うという事はまず不可能。
常に傍に控えているのは自分よりずっと年上の女性ばかり、かと
いって親である自分達もずっと傍についていてやれない、という状
況を何とかしてやりたかったらしい。貴族としては優しい親だった
と言えるだろう。
無論、その後は大変だった。
何せ、自分もメイドの仕事なんてやった事がない。商人の娘がど
うとか云々以前の、まだ八歳になる前の子供がそんな仕事を完璧に
こなせるかどうかという問題だ。これは私以外の同じく買われた娘
達も同様で、一人親がメイドであったという事からきちんとこの年
齢でも仕事をこなしてみせる者がいたが、そんなのは例外中の例外。
殆どは見習い以前の問題だった。
もっとも、貴族家の方も最初から完璧など想定していなかった。
じっくり教育を行い、将来娘が社交界に出る頃までに互いに友人
31
関係を築いてもらえれば、そう考えていたのだ。その頃になれば貴
族同士の付き合いも多くなるが故に嫌な思いをする機会も増えるだ
ろう、そんな時に不満や相談に乗れる者が育っていれば、そう考え
ていたのだ。
そう難しい話ではないはずだった。令嬢自身も高慢な性格ではな
く、新たに迎え入れた少女達に穏やかな態度で接し、何時しか彼女
達は友人としての関係を築き上げていたのだ。このままの日が続け
ばいい、令嬢は大人となり、自分達はそれを支える。
⋮⋮そのささやかな願いは叶わなかった。
今年初めの事、貴族の令嬢が体調を崩した。
最初は軽い風邪かと思われたそれは一気に悪化し、気付けば危険
な状態に陥っていた。
⋮⋮この世界の子供が成人まで生きるのは難しい。
魔物という現実的且つ物理的な脅威があるのもそうだが、病気や
怪我というのが大きい。アルコールなどによる消毒の効果は分かっ
ていても、何故それが有効となるのか理解出来ていない、といった
状況だ。
結果として、一般的な平民だけでなく、貴族社会においても子供
の死亡率は高い。昔の王家や貴族が側室という形で複数の女性と関
係を持っていたのもそこに理由があり、より確実に男子の跡継ぎを
得る為、そして多くの子を得る事で多少病気や怪我で亡くなる者が
出ても家が断絶する危険を減らす為だ。
そうした意味合いでは彼女一人の為にそこまで多額の金をつぎ込
む必要な全くなかったとも言える。
だが、初めての子であり、たった一人の女の子である彼女の為に、
その貴族は大金をつぎ込んだ。そして、それは無駄に終わった。
令嬢が亡くなったのである。
問題はその後、少女達を見ると亡くなった娘を思い出すという事
で再び彼女達は売られる事になってしまったのだ。
それだけならまだ良かった。
32
だが、奴隷商にも良い奴隷商と悪い奴隷商がいると言われるよう
に、今回は彼女達は後者の方にあたってしまった。
結果から言おう、彼女達は殆どが劣悪な環境へと送られ、なまじ
それまでが良い環境だっただけに心を壊してしまったり、果ては自
殺する者も現れる事になる。
そんな中、少女は外国に売られる事になり、船に載せられ⋮⋮そ
して船は嵐に巻き込まれた。
激しい嵐で船はマストはへし折れ、舵は破損し、ただ漂うだけの
状況に陥った。
次第に食料も水も底が見えだし、まず切り捨てられたのは奴隷達。
大半は食べる物もろくに与えられず、飢えて死んでいったが、こ
こでも彼女の悪運ぶりは発揮された。
最初の嵐の際、彼女を柱に繋ぐ鎖を固定していた留め金が壊れて
いたのだ。
長年使われていた留め金が腐食していたのか、或いは単なる偶然
か、それは分からないがそのお陰で他の奴隷達と異なり動く事が出
来た。いちいち鉄格子の檻など設置していては費用がかかるとばか
りに押し込められて、留め金で固定されていた為に彼女は案外あっ
さりと部屋から逃走する事が出来た。要は彼女は他の奴隷達を見捨
てて、自分だけが助かる道を選んだのだ。
助ける余裕がなかった、そう言ってしまえば気楽だろうが⋮⋮。
いずれにせよ船員達はもう奴隷になど構っている者はおらず、体
力の消耗を防ぐ為に動き回る事を減らしていたという幸運も味方し
て何とか僅かばかりながら食料を確保。間もなく再び嵐に巻き込ま
れた事で水の補給が為された事もあり、後はどこかに流れ着く事を
祈るだけ、だった。
事態が急変したのはそれから間もなく。
﹃おい、この嵐って⋮⋮﹄ 33
﹃まさか、あの島か!?﹄
一際騒がしくなった後、急に慌しくなった。
この時は知る由もなかったが、あの嵐の島の事は潮の流れ故に一
度入ったら二度と戻れぬ島として船乗りの間では有名だった。
その前兆となるのが上空渦巻く嵐の兆候。
救命ボートという小船で逃げ出すのは危険だが、同時にあの島が
見えるという事は小船で到達出来る距離に人の住む地があるという
証でもあった。それ故に﹁二度と抜け出せない島に入るよりは﹂と
彼らは命がけの脱出を試みたのである。
静まり返った船の中、隠れていた場所から抜け出した少女は船員
の一人とばったりと出くわした。
本来なら、そこで終わり。
男は奴隷商に雇われていた護衛の一人だったのだが、船乗りでな
かったが故に危機感が薄かった。つまり、島の事を詳しく知らず、
船員達がそこまで怖れる理由も分からなかったのだ。だからこそ、
忘れ物に気付いて短時間だからと誰にも言わず部屋に戻るような真
似もしたのだろう。
そして、置いて行かれた。
彼が再び甲板に上がった時、救命ボートは全て出払った後で彼が
船を離れる手段は最早存在しなかった。
だから、だろう。
少女に手を出さず、食料を二人で分け合ったのは。
結局の所彼も一人置いていかれて寂しかったのだろう。
⋮⋮その事を嵐の中、二人で耐えている時に聞く事が出来た。そ
う、遠くを波に弄ばれながら必死に逃げ救命ボートが次々と襲い来
る巨大な波によって転覆し、波間に浮かぶ頭が一つまた一つと消え
うせ、誰かがこの船に生きて戻って来る事は最早ありえないという
事実と共に。
34
そうして二人で生き延びて数日。
激しい衝撃と共に船は波に弄ばれる動きを停止させた。
最初の衝撃の時、遂に私達は船も終わりかと思ったものだが、何
時まで経っても動き出さない船にもしかしたら座礁したのかもしれ
ない、と彼が呟き、様子を見に二人で出た。私も出たのはもしかし
たら船が沈みだしている危険もあったからだ。いや、一人で死体が
多数転がる︵既に生き残っている奴隷達もいなくなっていた︶船に
取り残されるのが怖かったのもあっただろう。
そうして、船外に出た私達が見たのは横向きに岩に突き刺さるよ
うにして座礁した船と、その目の前に広がる噴煙を上げる島だった。
﹁⋮⋮野鳥や何か動物がいるかもしれん。様子を見てくる﹂
そう言って、男は一人様子を探りに島の奥へと歩いていった。
私もついていきたかったが、それには一つ問題があった。
あの船に放り込まれれていた私には靴が与えられていなかった。
そして、船内では靴がなくても何とかなった。
もちろん、革靴と呼べる類のものはあったが、それらはいずれも
大人の男性用のものであり私に合うようなサイズのものは存在して
いなかった。
そして、島は、少なくとも海岸に関してはごつごつの岩だらけ。
頑丈な革靴を履いている彼はともかく、私があそこを歩くのはこの
ままでは難しいであろう事は傍目にも明らかだった。それ故に彼が
探っている間に私は靴を手直しする事にした。
幸い、というべきか、靴が傷む可能性はあるからか簡単な補修の
道具ぐらいはあったし、裁縫の技術などもメイド時代に仕込まれて
いた。
そうして、作業をしながら待っていた時、私の脳裏に声が響いた。
その声は逆らうなど考えさせない程の重圧に満ちたもので⋮⋮外へ
と出た私はそこで出会ったのだ。
35
そう、竜に。
そして、私の今を決めた運命とでも呼ぶべき出会いでもあった。
竜、人が彼らと交わる事は少なくとも私の知る限りは殆どない。
私が知るのはほんの僅かな事。
一般に竜と呼ばれるものにも下位と上位の存在がいる事、下位は
比較的強い動物レベルからもっと強いものまで様々ではあるが大な
り小なりの犠牲を覚悟すれば人に何とかできるレベルだが、上位の
竜やそれに殉じる存在となればまず人に太刀打ち出来るレベルでは
ないという事。
ただ、私にとってはどちらでも大差ない。
きちんと訓練を積んだ兵士や冒険者であっても犠牲を覚悟しなけ
ればならない相手、そんな相手に単なる商人の家の出であるメイド
が太刀打ち出来る訳がなく、下位だろうが上位だろうが自分を殺せ
る力を持っているという現実には変わりはない。
ただ、一つ気付いた事を言うならば、目の前の竜はどう見ても下
位の竜と呼べる相手ではなかった。
淡い銀色にも見える白い毛並みを持つ四足歩行しているのに頭が
かなり大きなこの船の甲板よりも上にあるような威厳すら漂わせる
竜が下位などと信じたくもないし、こんな相手に街で見かけた兵士
が多少束になったぐらいで敵うとも思えなかった。
事実、後に知った事だが相手は竜王、上位を更に上回る最高位に
近い竜だった。
でも、その時はもう自分の悪運もこれまでか、とそう思ったもの
だった。
⋮⋮幸いな事に竜王は当初、自分達に関わらないなら見逃そう、
そう言おうとしていた。
今から考えれば、ある種の絶望ではあっただろう。
36
誰もいない島で一人生きるという事がどれ程辛い事か⋮⋮きっと
あの後待っていたのは話相手もおらず、周囲が荒れ狂う海故に新鮮
な魚なども滅多な事では期待出来ず難破した船から食べれる物を漁
りただ生きるだけの日々だったはずだ。何時かは心が折れ、自ら死
を選んでいた事だろう。
そんな運命が変わったのは横から掛けられた声、いや、鳴き声、
だろうか?
﹁きゅい?﹂
当時の私に竜の声など分かるはずもなく、彼もまた生まれたてで
人の言葉を知るはずもなく⋮⋮そんな鳴き声に振り向いた私は⋮⋮
硬直した。
太陽の光を遮られた空の下でさえ内からの輝きを宿すような赤く
半ば透き通った結晶でその身を覆った小柄な竜。
恐怖ではなく、魅入られた事で私は動けなかった。
見た瞬間に、その美しさは私の目を釘付けにし、魅了したのだ。
お互いに見詰めあう私に何か思う所があったのか、竜王は私が世
話を手伝うならば、という話へと方向を変え⋮⋮私は頷いたのだっ
た。
どうやら私の悪運はまだ尽きていなかったらしい。
そう思えたのはもうしばらく経っての事だったが、それから私を
待っていたのは何とも困惑し、一時は命の危機にさえ晒された日々
だった。
別に殺されそうになった訳ではない。
相手は甘えて、或いはふざけてじゃれついてきただけの話なのだ
と相手のどこか甘えたような声や態度から分かるようにはなってい
た、が⋮⋮同じ人の子供ならともかく、相手は子供であってさえ既
37
に大型の牛や馬に匹敵するようなサイズになっていた。そんな相手
がふざけて体当たりしてきたらどうなるだろうか?
答えは大怪我をする。
下手をすれば死ぬ。
頑丈さ、硬さで言えば岩にも匹敵する相手が馬車や馬並の速度で
突っ込んでくるのだ。当たり所が悪ければ本気で死ぬ。ましてや地
面はゴツゴツした岩だらけでショックを和らげてくれるような場所
ではないのだから尚更の話。
実際、ギリギリで長女と次男の行動に気付いた母竜が空気のクッ
ションを私と彼らの間に、更に吹き飛んだ私を受け止めるべく地面
にも展開してくれていなければどうなっていた事か。
これでも同じ竜の兄弟姉妹同士ならば精々が所当たり所が悪けれ
ば﹁いたっ﹂と顔をしかめるだろう、ぐらい。これで子供同士のじ
ゃれあい程度というのだからどれだけ竜と人との間に差があるか分
かるだろう。
自然とその後は私はその辺りを理解してくれる長男と末妹のどち
らかの傍にいるようになった。
母竜の傍が一見すると最も安全なように思えるかもしれないが、
彼女の巨体では当人の感覚で軽く当たっただけでもこちらが吹き飛
びかねなかったのだ。
結果として自然と私は二体とは仲が良くなると同時に、他の三体
とは距離を置くようになっていった。
竜の世話自体はそう難しい話ではない。実の所、ご飯の世話にし
たって私がするような事はない。竜の子供達は初期は母竜の乳を飲
み、やがて間もなく彼らは何も食べなくなっていった。これはずう
っと後の話だが、彼から聞いた所によると息吹を通じて自然の属性
を取り込む事で空腹を感じなくなっていくのだという。だから、属
性を持つ竜は自分の属性のある領域で暮らす。氷竜が北の地に住ま
うのはそこならば特に獲物を必要とせず生きられるからであり、水
38
竜らが水のある領域で暮らすのも同じ理由。風竜などが広範囲で暮
らすのは風というどこにでもある属性を持つ故、これは火竜もまた
同じ事で、彼らの場合は陽の光を己の属性として取り込んでいる。
この為、火竜は夜は寝ている事が多いが、星や月の光でもある程度
満たす事は可能だし、一月やそこらで空腹になる訳でもないので別
に行動不能になる訳ではない。
その一方で属性を持たない大半の竜は他のもので腹を満たす必要
があるからそれぞれの育った地に応じて草や肉を喰らうという訳だ。
その言葉を聞いた時には﹁道理で全属性を持つという彼が︵味が
好みという嗜好品以外︶何も食べない訳だ﹂と思ったものだ。
結果として私が求められたのは掃除だった。
しかし、食事をしなくなるに連れて彼らは排泄自体しなくなって
いってしまったので基本は鱗や竜毛を払い、寝床を整えるという殆
どベッドメイク程度の仕事が主だったのだが⋮⋮。
たまに行う仕事で大変だったのはブラッシングだ。元々はこの毛
並みなら、と思い末っ子である女の子にしてあげた所凄く気持ち良
さそうにしているのを見てして欲しくなったらしい。気持ちが良い
と行う事になったのだが⋮⋮何分母親竜はあの巨体だ、長時間かか
る大仕事だった。
まあ、私の食事を調達してきてくれるのは母竜である竜王様なの
だからその辺は仕事と思って頑張った。毎日要求されるのならとも
かく、たまに、であったし。普段は暇なので逆に﹁本当にこれでい
いのだろうか﹂と不安になる事もあった私としてはむしろやりがい
があったとも言える。
そんなある日、子竜の一体の姿が見えなくなった。
一番体が大きくて、強面だった聞いてた限りは女の子の竜が⋮⋮。
溶岩の中に潜り込んで、流されたのだろうと聞いた。
人の場合は探すだろうが、竜は探さない。これもまた独り立ちと
看做すらしい⋮⋮。最近は接する機会が殆どなかったとはいえ、私
39
などは大丈夫なのかとしばらく心配していたものだけれど⋮⋮そし
て、更に一年が過ぎる頃には更に一体が巣立ちした。
だから最後の頃は仲の良い二体だけでなく、一体だけとなった事
もあって氷の竜という子とも割合また一緒にいるようになっていた。
一時は二体と三体に分かれていたのだけど、三体のグループは一
体だけになっちゃったものね⋮⋮。
最後の頃は三体がよく一緒に猫団子ならぬ竜団子になっていた。
或いは近い内の別れを察していたのかもしれない。
﹁⋮⋮行っちゃったね﹂
そして今日、彼らもまた巣立ちを迎える。
白い子だけはお母さんが遥か北方へと連れて行くそうで一緒に飛
び立っていったけれど、金色の女の子は自分で飛び立って行った。 ﹃準備はいいかい?﹄
﹁⋮⋮うん、大丈夫﹂
彼の確認の声に体を固定する鎖とロープを確認する。
大丈夫だとは思うが、念の為にこうして今、彼の体に私の体を固
定している。これから私は始めて空を飛ぶ。
初めて出会った時は大型犬ぐらいだった彼は三年少々で随分と大
きくなった。今ではようやっと巣立ちの時だというのにちょっとし
た小屋程度の大きさがあり、私ぐらいなら問題なく乗せて飛ぶ事が
出来る。
人の世界にこれから私は戻る。
幸い、というか彼は当分の間私と一緒に来てくれるそうだ。私の
故郷では少なくとも竜は畏れられてはいたが、人が従える竜はそれ
なりの数が存在していた。もっとも私が遠目に見た竜はいずれも下
位と呼ばれる動物のような火も吐けない竜だったし、私の場合は竜
40
を従えているのではなく心配して来てくれるだけなんだけど⋮⋮。
そして飛び立つ。
来る時はあれだけ大きな船に乗っていてさえ今にも壊れそうな揺
れ具合に恐怖しか感じなかった嵐。
けれども彼と共にある限り、自然は彼も私も傷つけようとはしな
い。激しい風も叩きつける雨も私の体には届かず、飛び立った後私
は島を落ち着いて見る事が出来た。
ああ、あれは私がこの島に来た時の船⋮⋮その残骸だ。
三年の間荒れ狂う海の晒されていた船はもう一部の大きなパーツ
が残っているだけで、バラバラになり流されてしまった。
あれから流れ着いた船もあるけれど、生きている人で辿り着けた
人は誰もいなかった。
そんな島だけれど、私にとっては命を救われた島でもあった。そ
して⋮⋮さようなら。
声に出さず、別れを告げ、そして彼が一気に速度を上げて離脱す
る時はもう島を振り返ったりはしなかった。
そしてこれが、私の、キアラ・テンペスタの始まりだった。
41
幕間:少女視点︵後書き︶
良い奴隷商人と悪い奴隷商人?と思われるかもしれませんが、この
国の奴隷商の内情故です、そこら辺は次回か次々回にて
今回で誕生編相当部分は終了、次回から幼竜編⋮⋮といっても既に
結構というかかなりデカイですが彼の活躍も始まります
某戦隊の決め台詞じゃありませんが派手にいくぜ!
42
第三話:裏のお仕事︵前書き︶
赤切れになると、キーボード打つ時痛いですね
ハンドクリームがかかせません⋮⋮
※読みづらいという指摘があったので修正してみました
43
第三話:裏のお仕事
街から程近く、程遠い。
逆に言えば中途半端な距離にある場所、海に面したその入り江は
そんな場所にあった。
海側から見れば崖に入った深い切れ込みにも見えるそこはそれな
りの幅があり、時代が時代ならばちょっとした見物になるぐらいの
光景ではあったがこんな時代にのんびりと海を遊覧という仕事があ
るはずもなく、そんな変わったといえる趣味を持つだけの道楽者も
そう多くはないし、わざわざ見に行くならもっと見物な光景は世の
中に幾らでもある。その程度の谷だった。
この谷、奥へ進むと海岸のような砂地があり、そこからは次第に
緩やかな坂となって崖の上へと続いている。
この為にある連中にとっては非常に格好の場所となっていた。無
論、後ろ暗い者達の取引場所、隠し港として、だ。
今そこに、新たに船が一隻、夕暮れに合わせてひっそりと入り込
んでいた。
﹁やれやれ、面倒な時代になりましたね﹂
﹁まったくですな﹂
砂浜に設けられた臨時の桟橋。現代でもドラム缶を浮体として上
に板を渡したものを簡易な桟橋としているものがあるが、同じよう
なものが展開されていた。もっともこちらは浮体として丸太を用い
ている為に持ち運びという面ではずっと重たいのだが、必要な時に
展開出来、片付ける事が出来るという面では十分だ。普段は崖に掘
られた洞穴に仕舞われている。
そこで今、会談しているのは二人の男。
一人はにこやかな人当たりの良さそうなまだ若い男性。
44
もう一人は中年の小太りのどこにでもいそうな男。
両者共怪しげな雰囲気は持たない。しかし、ここで取引などやっ
ている時点で彼らがごく普通の取引の為にここにいるという事はあ
りえない。
﹁先代の頃はもっと楽だったらしいですね﹂
﹁せやな、ま、昔は昔や。今更嘆いた所でどうにもならへん﹂
﹁そうですね。今は今です、で商品は?﹂
﹁こっちや﹂
示した方向には鎖で繋がれ、どこか虚ろな目をした人間亜人達が
いた⋮⋮。
実はレオーネ王国においては、現在こうした奴隷の扱いは違法で
ある。だが、奴隷商と呼ばれる人々は存在する。
どういう事かといえば、この国の奴隷商というのは今で言う職業
斡旋所みたいな役割を果たしているのだが、そうなったのは割と最
近の話なのだ。
お金がない、働きたいという人物はどこにでもいる。
だが、現代日本とは違い、誰でも面接だけで雇う訳にはいかない。
お金のない人間を下手に雇って一番手っ取り早い金の入手手段であ
る持ち逃げ、盗みをされたりしたら大変だからだ。結果、雇用で最
も多いのはどこからか信用のある場所、人物からの紹介を受けて、
というコネによる斡旋が圧倒的に幅を利かせていた訳だが、そんな
折ある知恵者が考えたのが奴隷商が扱う隷属の首輪と呼ばれる魔道
具を用いた雇用である。
隷属の首輪、これをつけている限り、主を裏切る事は出来なくな
る。
そこでこれを身に着け、その上で仲介を行い、雇ってもらう。
雇用側は隷属の首輪を相手がつけている為に裏切られる心配なく、
45
雇えるという訳だ。その上で将来的に﹁これなら大丈夫﹂と雇用側
が判断すれば首輪を外せば良い。
実は少女を最初に買った貴族も娘の社交界デビュー時に首輪外す
予定で準備をしていた。無論、態度に問題がある場合や特に守秘義
務が必要な仕事の場合は敢えて外さないというケースもある。
これによって雇用側は安定した裏切られない労働力の供給を得ら
れるというメリットがあり、雇用を求める側は誰かの推薦という紹
介がなくとも雇用が得られるというメリットがあった。首輪という
のは見た目が悪いので形状は間もなく腕輪へと変わり、需要が生じ
た事でこうした奴隷用に隷属の内容の変わったものも生まれた。犯
罪を命じられた場合や、強引な伽を命じられた場合には抵抗出来る
ように、だ。
こうなってくると奴隷の売買によるメリットは低下する。
また、奴隷売買と雇用、両者の支払いを一括と分割払いと考える
なら分割を選ぶ者も出る。
それに雇った者の仕事への積極性もだ。奴隷は命令されるまで動
かないという者も多く、また命令された以上の事は行わない、一部
の例外を除けば重要な職務を任せられないといった弊害もあったが、
雇用という形態となればむしろ雇われた側が積極的に働いて給与の
向上や待遇の向上、最終的には隷属の腕輪からの解放を目指す事に
なる。
王国としても金を持たない奴隷や仕事を持たない、持てない事に
よる治安の不安定化よりも仕事を持と、金を持つ者が増える方が治
安、税制双方に有利であると現実に数字として出てきた事で考える
ようになり、数年前、奴隷制は廃止された。現在も奴隷商という名
が残ってはいるが、これはまだ正式に廃止が決定されて数年しか経
っていないという部分が大きい。
だが、施行されて数年、仕事内容が変わりだしてからなら既に十
年以上の年月が過ぎていながら未だ悪いイメージが付きまとってい
る理由の最大の原因は裏の奴隷商とでもいうべき存在達の為だ。
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そう、確かに真っ当な雇用を考える者は奴隷制の廃止を支持出来
た。
しかし、真っ当でない者⋮⋮真っ当でない使い方をする者達にと
って奴隷制の廃止は納得のいかないものであった。
そして、需要があれば、供給を図る者は出る。
と同時に表で禁止されていればいる程、必然的に取引額は大きく
なる。元となる商品がその気になれば比較的安く手に入る、となれ
ば尚更、闇の奴隷商としての取引を行おうと考える者は出る。どん
なに社会が発展してもスラムで暮らす者はおり、そうした場所で暮
らす人の数は国でさえ正確には把握しておらず、そんな場所では孤
児が一人二人消えてもそう気にする者はいない。
ここに更に領主が絡んでくるような場合であれば、権力と結びつ
いた故の方法、罪を着せて刑罰ゆえに昔の奴隷と扱いが大差ない犯
罪奴隷へと落とす事もある。
かくして闇取引はなくならず、現実に基づいた噂、或いはかろう
じて生きて帰って来た者の口から語られる話が奴隷商という言葉か
ら後ろ暗いイメージを消させない。そして、今ここにいる彼らはそ
んな闇の奴隷商と呼ばれる者達だった。
﹁じゃあ、商品の確認をさせてもらいますよ﹂
﹁ええ、どう⋮⋮﹂
さて、とばかりに奴隷に向かって歩き出そうとした船主たる若者
は中年男が不自然に言葉を切った事を不審に思い、奴隷から取引相
手である中年男へと視線を戻した。
当の中年男は、というと唖然とした様子で船の方へと視線を向け
ている。
﹁どうかしましたか、うちの船になにか﹂
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あったのか、と若者も尋ねつつ後ろを振り向いて⋮⋮同じく唖然
とした様子で固まった。
自分達のボス二人が会話を止めて同じ方向を見ているという事で
一人また一人と﹁一体何が﹂と同じ方向へと視線を向けては固まり、
また別の者がその様子に気付いて、と次々と船の方へと視線を向け
る。船に乗っていた者達は自分達の方へと視線が集まっているのに
気付いて、はて後ろに何かあったかと更に後方へと視線を向けて⋮
⋮やはり同じように固まった。
ふわり、と。
空中に岩が浮いていた。
ただちょっとした岩が浮いていただけならば、そこまでの驚きは
なかっただろう。簡単な魔法ではないが、魔法にはそれを可能とす
るものもあるからだ。
だが、彼らが固まった理由として、まず一つ目だが、その岩は巨
大だった。
この入り江は船が安全に入って身を隠す事が出来る。つまり、谷
幅の方が船のそれより大きい。その谷を埋める程の巨大な岩であっ
た。 もう一つはその岩が空中から滲み出すように出現しつつあった事
だ。
先程まではあんな岩は存在しなかった!という以前の問題だった。
何せ今も尚、岩の上半分は見えておらず、下半分が見えている状態
⋮⋮から音も立てずに次第に下へと岩が降りてくるに連れて全体像
が見えてくる。 固まっている連中の中でも冷静な者は頭の中では
ゆっくり降りてきているのは大波を起こさない為だろうか、ぐらい
考えたりしていたのだが、それでも余りと言えば余りな光景に思考
が追いつかず、行動に移せぬままに時間は過ぎる。
彼らが再起動したのは大岩が完全に船の後方、谷を塞いだ後の事
48
だった。
﹁⋮⋮はっ、しまった!これでは出れません!﹂
﹁⋮⋮あ、そ、そうや、呆けとったらあかん!﹂
呆然とする一同で一足早く我に返ったのはそれぞれのリーダー格
の二人だった。状況的には既に手遅れだが、それでもこの状況の中、
それぞれの配下をまとめて、指示を下せただけたいしたものだろう。
ひとまず荷物をまとめるよう若者が指示を下し、中年男はそれを
手伝うよう指示を下す。それと同時に用心棒や傭兵といった戦える
者には海の反対側、谷から上る道を警戒するよう指示を下す。両者
共、これが偶然に起きた出来事だとは欠片も考えておらず、何者か
による工作だと判断した。であるならば海側の出口を塞いだ以上、
反対からも何か仕掛けてくると判断したのだ。 そう考えるならば、片方の勢力だけでさっさと逃げようとしても
今更無駄。各個撃破の対象となる可能性が高く、それならば協力し
て突破した方が良いと判断した訳だ。
﹁と、考えるんでしょうね。まあ、もう遅いんだけど⋮⋮﹂
女性の声が響いたのはそんな彼ら全員が動き出した直後だった。
ぎょっとして彼らは一斉に声がしてきた方向を向いた。
⋮⋮何時の間にそこにいたのか、一人の女性が奴隷達の傍にいた。
顔はどこか派手な獣のような仮面に覆われて見る事は出来ず、その
服装もまた意図的にだぼついた服を着込んだ上にマントを羽織って
いる為に体型も良く分からない。かろうじてくぐもった声ではある
が、声から女性だろうと推測出来るぐらいだ。
﹁馬鹿な⋮⋮﹂
﹁い、何時の間にそこにいたんや!?﹂
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若者と中年男二人が驚愕の声を上げる。 当然だろう、そちらに隠れる場所などない。ないからこそ奴隷達
を集めていたのだ。
いや⋮⋮。
﹁そうか、上から降りてきたな?﹂
すぐに気付いた中年男が苛立たしげに言った。
確かにそれしか道はなかった。魔法は万能ではない。自由自在に
空を飛ぶとなると相当な大魔法使いでもなければ無理だが、高所か
ら飛び降りて落下速度を緩め、安全に着地するぐらいの魔法ならば
それなりの腕の魔法使いならば使いこなす。
おそらくは同じ魔法を使ったのだろう、と判断した中年男はニヤ
リと笑った。
﹁奴隷どもを助けようとしたか?だが、そこに立ったのは間違い
だったな。奴隷共!﹃そいつを捕えろ﹄!!﹂
隷属の腕輪を嵌められた者は事前に腕輪によって定められた管理
者に抵抗出来ない。
現在は前述の通り腕輪は雇われた者が犯罪を犯したりしないとい
う保証の為に持ちいられるものであり、加えて昨今は改良が為され
て犯罪行為を命じられた場合は嵌められた側も抵抗出来るようにな
ってきているが、今、ここにいる奴隷達に用いられているのは旧来
の絶対服従の為のもの。それを外すには特定の鍵を用いなければ不
可能⋮⋮のはずだった。
だというのに、中年男が命じた瞬間、その声を鍵としたかのよう
に⋮⋮。
50
かちん、かちん、がちゃり。
次々と音がして、奴隷達に嵌められていた腕輪が外れ、落ちた。
思わず﹁はっ?﹂と間の抜けた声を中年男が上げる。いや、中年
男だけではなく、若者も彼らの部下達も一様に唖然としていた。
当然だ。ありえないはずの光景なのだから⋮⋮そんな簡単に外れ
るようならこんなものわざわざ使ったりしない。大量生産品とはい
え魔道具である以上、決して安い品ではないのだから。
﹁ば、馬鹿な!!それは絶対外せないはずだ!!﹂
﹁ああ、うん、そうだね⋮⋮︵人には、ね︶﹂
確かに外せない、ただし人の常識の範囲では⋮⋮という但し書き
がつく。
無論、既に誰か分かっているであろうが女性はわざわざ口にした
りはしない。
しかし、自分達が何もしていない以上、女性もしくはその仲間が
何かしたのが確実な事ぐらいは分かる。何をしたのかと警戒するが
故に動けない彼らだったが⋮⋮。
﹁で、素直に降伏してくれないかな?﹂
女性の降伏勧告には若者は苦笑し、中年男は鼻で笑った。
そんな彼らの背後に控える男達の中から若者の合図を受けて一際
凄味を漂わせた男が歩み出る。
﹁生憎そういう訳にはいかんのじゃ﹂
そう語る男からは血の匂いが漂うようだった。
男が出てきた事で、他の者もようやく兄貴に続けとばかりに武器
51
を抜く。
それを制して、男は雇い主に確認する。
﹁殺しちまっていいんでしょう?﹂
﹁構いませんよ。まあ、背景を聞く為に余裕があれば生かしてお
いてくれると有難いですが⋮⋮﹂
﹁努力はしやしょう﹂
ずい、と男は更に三歩程大股で歩を進め、立ち止まる。
﹁お前さん魔法使いなんじゃろう?﹂
﹁さあ?どうだかね﹂
素直に答えるとは思っていなかった男はその返答にも何か言うで
もなく剣を構える。
無論、男自身は相手が凄腕の魔法使いと判断して動いている。あ
れだけ魔法使いとしか思えない事をやってくれたのだ、当然そう判
断する。男が立ち止まった距離もそれを如実に物語っていた。同じ
剣士と思えば、もっと無造作に間を詰めている。だが、しかし⋮⋮。
﹁お前さん、仲間は出てこないのかい?薄情だねえ⋮⋮﹂
どこか挑発気味に声を掛ける。
もちろん、これで動揺を誘う気などなく、僅かな会話、態度から
でも相手の手の内を引っ張り出す為、それと同時に下っ端達に﹁仲
間がいるかも﹂という事を気付かせて警戒させる為だ。
彼自身の経験から考えても、さすがに一人でこの場にやって来る
など無謀極まりない。よしんば彼女が一人で軍隊に匹敵するような
世界有数の魔法使いだとしても、無理して一人で来るよりは仲間を
連れて来た方が安全性が増すのは間違いない。
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︵まずは様子見に一撃︶
男の勘が警戒を呼びかける一線、相手の間合いの内へと踏み入り、
駆け出す。
砂浜であろうとも鍛えられた男の足はしっかりと砂を噛み、一気
に距離を詰めながら、その鋭い眼差しで僅かな相手の動きをも見逃
すまいとしながら駆けるが未だ攻撃はない。
︵どういう事だ?︶
不審を感じる。もしや、魔法使いは別に隠れていて、こいつは剣
士なのか?そうも考えるが相手の挙動は素人ではないが、剣士のそ
れではないと判断する。
疑念はあるが、いずれにせよ攻撃しなくては始まらない、そう判
断し、剣を振るのに合わせるように女もまた腕を振る。ただし、無
手のままだが、同時に砂がざっと音を立てて動く。
︵詠唱破棄か!?︶
詠唱破棄、その名の通り魔法の呪文を唱える事なく魔法を発動さ
せる技術だが、その最大の欠点は射程の短縮化にある。
魔法の威力こそ大して変わらないが、射程は大幅に短くなり、結
果として下手に火炎系や冷凍系の広範囲に影響をもたらす魔法を使
えば自分すら巻き込んでしまう。
反面、射程が短くても構わない自分を巻き込む心配のない魔法を
用いての攻撃や、自身に強化魔法をかける分には問題なく、またそ
うした戦いを専門とする者もいる。詠唱破棄を前提とした近接魔法
戦闘技能者⋮⋮。
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﹁てめえ、魔闘士か!!﹂
だとしたら魔法使いでありながらこれだけ接近を許した事も頷け
るというもの。
もっとも言われた当の女性からすればただ単にあの生活の中では
詠唱破棄を鍛えるしかなかったとも言う。いきなりじゃれついてく
る子達をいなすにはいちいち詠唱なんかしてる暇なんてなかったの
だ。⋮⋮お陰で避けも上手くなり、結果として魔闘士と呼ばれるス
タイルと同じ戦闘方法となっていたお陰で冒険者となるのには苦労
しなかった。
砂が盾となって剣を弾く。
咄嗟に飛び退いた男の着地寸前にその足元の地面が凹む。
男の視界からは死角で起きたそれには対応出来ず、がくん、とバ
ランスを崩した男に横向きにギロチンと化した砂の刃が飛来する。
﹁うおおおおおっ!!﹂
声を張り上げ、無理やりに男は攻撃を回避するべく跳ねた、その
つもりだった。
本来ならばかろうじてその体の下を砂の刃が通り過ぎる、はずだ
った。
だが、砂浜からは鎖のように男の体に砂が伸び、巻きついいた。
砂でありながら鉄の鎖にも勝る頑強さで男の動きを停止させたそれ
が男の挙動を決定的に遅らせた。回避が間に合わない事を悟り、真
っ二つに断ち割られる寸前の男は驚愕、ではなくどこかほっとした
僅かな微笑を浮かべ、鮮血と共に転がった。
ふう、と溜息をつく女性に拍手が送られる。
﹁いや、たいしたものです。さすが瞬間的な強さにおいては最強
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と謳われるクラスは伊達ではないという事ですか。彼も今いるうち
の手駒では最高クラスの剣士だったのですがねえ﹂
若者がにこやかな笑みを浮かべたまま、手を叩いていた。
その様子には最高の手駒を失ったといえど、怯える様子も何もな
い。
一つには当人が言った通り、瞬間的な強さにおいては魔闘士は極
めて強力な反面攻防全てに魔力を使う為に持続力に欠ける、ここに
いる全員を倒すのは難しいという事もあるだろう。或いは⋮⋮。
﹁どちらにせよ君が私達を捕えても無駄だとは思いますよ﹂
﹁そうやのう。どこのどいつか知らへんがこのままで済むと思う
んやないで?﹂
﹁あ、やっぱりここの権力と結びついてるんだ﹂
若者と中年男が自分達の言葉に女性が返した反応に僅かに笑みを
浮かべる。
そう、これこそが若者が落ち着いていた最大の理由、彼らは自分
達が本当の意味では捕まらない事を理解していた。
レオーネ王国にも貴族がいて、領主がいる。彼らは実質的に司法
を握るこの地方の領主と結びつく事で法の網をすり抜けてきた。
こうした事が起きる原因の一つには現王の中央集権を目論む行動
に対して旧来の貴族が反発しているという事もある。それはいきな
り自分達の権利を剥奪しようという動きに出られたら反発が出るの
は当然だろう。最初は司法権でも次は徴税権などにも手を出してく
るかもしれない、となれば尚更だ。何事も一つの事で引けば、次を
押してくる原因となる。引いてはならない時、というのは間違いな
くある。現王が奴隷の禁止という政策を打ち出したのは確かに財政
面などの点も大きかったが、こうした貴族との対立により平民から
の支持を得る必要があったという面があるのは否めない。
55
結果、貴族の中には意図的に奴隷の解放や取引に対して悪意を持
って行動する者も出ている。
領民に対しては善政を敷いている者もいるのでここら辺は非常に
ややこしく、暗闘も激しい。王都のような大規模な奴隷取引の市場
などが存在していた大都市ならばともかく、地方領主の領民となる
と奴隷とはろくに縁がないという事も珍しくなく、﹁自分達には関
係のない話﹂、と領主が奴隷制度に関して無視していても領民の反
発はなきに等しい、という事もそれに拍車をかけていた。そして、
この地方の領主もそうした王に反発する貴族の一人だった、という
訳だ。
それが領主の配下の者にも影響を与え、結果的にこのように闇の
奴隷商も賄賂と引き換えに役人からの目こぼしを受ける原因となっ
ている。
﹁やっぱりね⋮⋮だから、ああいう依頼になったと⋮⋮ねえ、最
後通告だけど大人しく降参しない?私の友達、もうさっさと片付け
ようって言い出してるのよ﹂
﹁ほう、矢張りお仲間がいましたか⋮⋮その自信はそのお仲間を
信頼しているから、ですかね?﹂
﹁ええ、貴方達の返答次第では即効で終わらせる事が出来るのよ﹂
若者と女性が言葉を交わす。
その言葉に中年男と顔を見合わせて二人して苦笑すると⋮⋮。
﹁お断り︵です/や︶﹂
﹁そう、じゃあ、仕方ないわね⋮⋮﹂ その言葉が終わるか終わらないかの次の瞬間、奴隷商人達は光が
見えたような気がした。
けれども、︵なんだ?︶と脳裏に浮かぶ時間も許される事なく、
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彼ら全員の頭が綺麗さっぱり焼滅していた。
﹁御免なさいね。実の所はどのみち始末するよう言われてたの﹂
どさりどさりと次々と死体となって転がる彼らにどことなく申し
訳なさそうに女性は告げた。
ついで、とばかりにちらり、と確認すれば奴隷達は全員完全に熟
睡している。
どうやら頼んでおいた通り上手くやってくれたようだ、とキアラ
はほっと安堵の溜息をついたのだった。
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第三話:裏のお仕事︵後書き︶
次回で裏事情などを
基本、幼竜編は人の世界の人の視点などから
成竜編は竜である彼の視点から世界を回って、この世界での竜達の
生活と触れあいを
その次の竜王編で以前投稿していた本編のような縄張りを決めての
お話という順番を予定しています
58
第四話:始末顛末︵前書き︶
今回はちょいと短め
前回の裏話などです
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第四話:始末顛末
王都。
その一角にある通り、繁華街に程近いがその喧騒からは離れたそ
この裏通り。
近くでありながら、裏に回ると一気に静かになる民家と思しき、
けれどもそれなりに大きな家が立ち並ぶ閑静な住宅街と呼べる、そ
んな場所。その家の一軒からキアラは出て来た。一見すれば極普通
の住宅にしか見えないそこから冒険者と思われる姿が出て来た事は
別に違和感を感じさせるものではない。というのも冒険者と言って
も色々な職種があるからだ。
下位の竜を狩る事を専門にするような連中や護衛を専門とする連
中もいれば、荒事とは無縁は代々街の何でも屋としての立場を確立
しているような者達もいる。或いは薬などの為にちょっと危険な場
所に生えている薬草や鉱石の採取、獣の素材を求める者だっている
し、中には街から街へと手紙や荷物の配達を専門に請け負う者達ま
でいる。冒険者が普通の家から出てくる事はおかしな事ではないの
だ。
もっとも、キアラは屋根の修理だの届け物だのといった仕事でこ
の家を訪れた訳ではない。彼女が仕事の終了を告げに来たのは他の
家を訪れる冒険者と同じだが、彼女の仕事はもっときな臭く、表に
出せない類の仕事である。
そう、先日の﹁お仕事﹂の件だ。
﹁いや、お世話になりました、無事保護出来たそうですよ﹂
﹁そうですか、それは良かった﹂
キアラが話しているのは一人の老人。
好々爺に見えるが、その実キアラも所属する事になった組織の長
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であり、人を殺す事を命じる立場でもある。もっとも、冒険者をし
ていれば犯罪者を殺める事は決して少なくはない。犯罪者とて捕ま
りたくはない、彼らの中には捕まれば問答無用で死刑!という者だ
って多い、というかそういう者でなければわざわざ高い金を払って
まで冒険者に殺傷許可つきの追跡・捕縛など依頼されたりはしない
し、盗賊団のような相手となれば冒険者より数が多い事が多く、そ
うなれば手加減などしている余裕もない。
そんな体験をして、手が止まってしまう、或いはトラウマを抱え
てしまい冒険者を辞める者も毎年出ており、冒険者を続ける上での
壁の一つとも言われる。
ただし、それらがあくまで﹃殺害も許可される﹄依頼であるのに
対して、老人が命じるのは﹃必ず殺す﹄依頼である点が異なる。
目の前の老人こそが、闇奴隷商人の抹殺を図る組織の長なのだ。
現在の王国で、最も闇の奴隷商人達を嫌い、憎んでいるというの
はどんな人々であろうか?
無論、彼らによって無理やりに奴隷にされた人々であるのは間違
いないであろうが、それ以外となるとどうだろうか?
王?庶民?或いは貴族?
実は正解は同じ、けれども真っ当な奴隷商人達である。
彼らにしてみれば長年の苦労が実り、ようやっと表の世界で認め
られようとしているというのに、それを邪魔するのが彼ら、闇商人
だ。現在の奴隷商人と呼ばれる職業斡旋所を経営している者の中に
は元奴隷、という者もおり、そうした人々は特に彼らを忌み嫌って
いた。そもそも最初に現在の斡旋業を始めた奴隷商自身が解放奴隷
であった、という話は有名な話であったりする。
結果として、そうした解放奴隷やそうでなくとも現在のやり方に
賛同している者、そうした者達が集まって作り上げた組織が何時の
頃からか存在していた。
勘違いしないで欲しいのは、彼らがやっているのはあくまで違法
61
だという事。
もし、法に反して旧来の奴隷商をやってる連中がいたとしても、
皆殺し前提ではなく、本来は捕えて司法に引き渡すのが法。捕える
際の結果としての殺害はやむをえないとしても降伏した後の皆殺し
は違法だ。
まあ、本当に皆殺しにしてしまえばそれを証明する者もいない訳
だが、だからこそ闇の奴隷商はある程度の抵抗はしても最後はまだ
十分に余裕を残した内に降伏する。追い詰めて死に物狂いの抵抗を
されたいか、そうほのめかしている訳だ。その上で活動している場
所の貴族と繋がり、司法の裁きを逃れ、また同じ事を繰り返す。
だからこそ、それに対抗し、闇から闇へと葬る、という組織が生
まれたとも言える。
﹁ま、急な仕事、お疲れさんでした。こっちはお礼です、些少で
すが⋮﹂
﹁はい﹂
些少と言いつつ、ずっしりと重い袋を受け取りながらキアラは内
心で︵他にも仕事請け負ってるんじゃ?︶と思ってはいるが、口に
はしない。
世の中、知らない方がいい事だってあるのだ。
実際問題として、今回の仕事は大変だった。
大本の原因は人手不足だが、今回は組織が取引を察知した段階で
すぐに動かせる現地の人員には十分な戦力がなかった。彼らにはそ
れなりの諜報網こそあったものの、戦力という面ではチンピラ相手
の荒事なら十分、という程度の力しかなく、護衛として来ているで
あろう傭兵を相手にするには到底戦力としては数えられなかった。
そして、組織はその性質上、普通の冒険者ギルドに依頼を出す訳に
もいかない。
そこで動く事になったのがキアラ。彼女ならば迅速に現場まで移
62
動する事が出来、戦力としても十分過ぎる。
彼女が壊滅という名の皆殺しをやった上で、後は現地の﹁たまた
まそこにいた﹂正規奴隷商の手先が﹁金で揉めた末、殺し合いをや
らかして相打ちとなった﹂闇奴隷商達を発見し、無事だった奴隷達
を保護する、という形になっている。領主は大丈夫なのか?と思う
かもしれないが、別に領主とその配下は闇奴隷商達に義理がある訳
ではない。領主自身は国王への反発の為だし、領主の配下に至って
は単なる金の付き合いだ。全滅した、となったのであれば後は彼ら
の残された船に残された財産を︵必要な情報を抜いた上で︶提供し
てやればいいだけの話。
場所を通報すれば、回収が行われ、何しろ全滅しているのだから
返せという連中もいない。向こうも薄々察してはいるだろうが、知
らん振りするであろう事は疑いない。幾ら金で繋がっていたとして
も彼らも国の方針に反しているという後ろ暗い面を重々理解してお
り、わざわざ奴隷の引渡しまで要求して王家に対して公然と反旗を
翻した、という口実を与える気はないのだから。
露骨ではあっても公然とした動きを示さぬ限り、王家も動かない
⋮⋮今はまだ。
﹁まあ、またお願いする事があるかもしれませんが⋮⋮﹂
﹁いえ、都合が合えばこちらとしても人助けですから﹂
キアラは自身が出て来た家から程近い家屋へと到着する。
王都内部に家を持つ、というのは実は大変だ。
何せ、この世界にはモンスターという現実の脅威が存在している。
襲撃されづらい、或いは襲撃が長年起きていない土地を選んでいる
とはいえ都が発展し、土地が選ばれた時代から何十年何百年と経っ
た後も襲撃がないとは断言出来ない。当時はあった大河の流れが変
わってしまうかもしれないし、或いは下位竜達の生息域に病気の発
生などの異変が起きて大移動が起きるかもしれない。
63
それらを防ぐ為に王都の周囲、いや都市と呼べるレベルのものに
は自然を利用したものか人工のものかはさておき、がっちりした城
壁と防御施設が築かれている。必然的に内部は限られた空間となり、
拡張する事は難しくなる。
もちろん、城壁の外でもいいからとばかりに住む者は出る。 しかし、そうした都市外に暮らす人々は普段はいいだろうが、万
が一が起きた時真っ先に被害に遭う事になる。家や財産が被害に遭
う事だってあるし、場合によっては命まで失う事になる。が、それ
でも王都となればただ金を積めば敷地が得られるという訳でもなく、
コネや何らかの条件が不可欠。
そうした意味ではキアラは案外簡単に王都内部に家を得る事が出
来た。というのも⋮⋮。
﹁ただいまー﹂
﹃おかえりー﹄
いわずと知れた竜のお陰である。
一応、国に登録が必要なのでキアラと相談の結果、あの育った島
のイメージから嵐を意味する﹃テンペスタ﹄という名前を今は名乗
っている。
実は竜持ち、というのは非常に各国で優遇されている。戦力とい
う意味もあるが、知恵ある竜がいるとなると下位竜などのモンスタ
ーが襲撃対象とする可能性が大幅に下がるという実利が大きい。
野生の獣は竜の気配を感じて、避ける。
同じく野生の下位竜も知恵ある竜の気配を敏感に感じ取って避け
る。
そして、同じ知恵ある上位竜は怒らせるような事を仕出かさない
限り、わざわざ人の都を襲ったりしない。
野生の獣や下位竜はあくまで得る物があるから襲うのであって、
危険を感知すれば素直に避ける。長らく暮らせばその地には竜の気
64
配が宿り縄張りと認識した彼ら下位竜は知恵ある竜自身がいなくな
っても長期に渡り襲撃を避ける。だからこそ、竜持ち、ドラゴンラ
イダーは優遇される⋮⋮。
﹁疲れました﹂
﹃あはは、やっぱりね﹄
傍から見れば、愚痴るキアラを冷静に無言のまま佇む竜が穏やか
に聞いている、ように見えるだろう。
けれども当のキアラの頭の中にはテンペストのどこか楽しげな、
からかい混じりの声が聞こえている。
﹃ま、面倒なのもあるけど、ついてけないのも本当だからねー﹄
﹁それはそうだよね﹂
心理的なものではなく、物理的に。
今のテンペスタはあれからそう成長している感じではないが、元
々がちょいとした小屋サイズだった。それが多少成長すれば小さめ
の家サイズにはなる。そんなの連れて街中を歩ける訳がなく、また
秘密にしておくべき組織のアジトに一緒に行ける訳がない。さすが
に目立ちすぎる。
誤魔化す方法はある。というより、今回の仕事にもおおいに活用
している。
テンペストは全属性を持つがその中でも矢張り一番最初に用いた
火属性を最も得意としている。
ただし、彼が普通の竜と比べ変わっているのは普通は火と言えば
赤く燃える焔をイメージするであろうはずが、光を操作したり、白
や青い焔を用いる事にある。どうも、彼の知識にはこの世界では異
質なものがあるらしい、とはテンペスタの母からの言葉だったが⋮
⋮。
65
今回もその力が活躍した。
大地の束縛の力を緩めて巨大な岩を浮かせ、それを光をちょちょ
いと弄って隠した︵当竜談︶。
それをゆっくり降ろして、入り江を塞いだ後、念の為にキアラが
怪我しないよう支援しながら、奴隷達を大地に属する闇の力で眠ら
せ、最後にレーザーで捕捉する全員を撃ち抜いた、という訳だ。
頼りすぎなのはキアラも理解している。
きっと自分だけでもそれなりに冒険者としてやっていく事は出来
ただろう。それでも今ほど簡単に生活の確保は出来なかったはずだ。
王都にとっても知恵ある竜の存在は何とか長期に渡って居続けて
欲しいからだろう、竜の食費と称した保証金︵実際はテンペスタは
多少の品をあくまで嗜好品として食べる程度なので殆ど残る︶も出
ているし、王都内部での家屋など﹁何時かは﹂と目指す目標だった
はずだ。
︵何で自分にここまで付き合ってくれるんだろう?︶
時に、そう不思議に思う事もある。
下位竜の中には馬などと同様に調教によって乗り物や荷運びに使
われる種もいる。しかし、それはあくまで動物を調教するのと同じ
事でテンペスタのような知恵ある竜にそんな事は出来る訳がない。
当然、人と共にある竜の数は極めて限られる。大抵の場合は竜王級
の竜が古に何らかの理由で人と契約を結び、竜ならではの寛大且つ
気の長い感覚で契約を結んだ子孫にも付き合ってくれている、とい
った形だ。
ちなみに大抵の場合、最後は勘違いした子孫が竜王に呆れられて
見捨てられる事になる。
以前に一度聞いてみた所、テンペスタ曰く﹁気紛れ﹂だそうだ。
もっともそこには同時に﹁人の一生ぐらい付き合ってもたいした時
間じゃない﹂という事もあるらしい。⋮⋮ここら辺は人と竜の感性
66
の違いとしか言いようがあるまい。
︵まあ、いいか︶
これまでのテンペスタの反応からきっと今の状況が﹁彼の好意﹂
なんだと忘れなければ⋮⋮きっと。
︵きっと他の人みたいにいなくなったりはしない⋮⋮︶
そう思い、キアラはテンペスタの体に寄りかかるように体を預け
る。
全属性を持つテンペスタの傍は地面は柔らかく草が生え、外は底
冷えする寒さだというのに暖かく、結晶のような見た目でも優しく
柔らかく受け止めてくれる。ただ、こうやって傍にいてくれる事が、
テンペスタと一緒に何もせずにぼうっとしているのがキアラにとっ
ては何よりの休息。
この後は体が鈍ったりしないように行う訓練や食事の時間がある
訳だが⋮⋮。
︵少しぐらいはいいよね︶
キアラは頭の片隅でそう思いながら、この穏やかな時を過ごして
いた。
そんなキアラの姿をテンペスタ当竜はといえば、落ち着いた視線
で見ていた。
実の所、彼がキアラに寄り添っているのはそう難しい話ではなく、
単に自分の﹁初めての友達﹂だから、という理由からだったりする。
人はあれこれと理由を考える。
けれど、テンペスタにはそんな事は関係ない。単独でも生きてい
ける彼は駆け引きなど興味はない。というより、竜王級は大抵そう
67
だ。だからこそ、真摯な思いにはきちんと対応するし、逆に下種な
思いには報いを与える。
素直にキアラが親愛の情を、友人としての思いを向けてくるから
こそ、テンペスタは彼女を友と思い力を貸す。
これがもし、彼女が彼の助力を受ける事を当然と思い、傲慢とな
れば⋮⋮その時は⋮⋮。
うとうとしだしたキアラの周りを力を用いて快適な状況に保ちつ
つ、自らの力の制御の練習を繰り返す。
昨今テンペスタが気に入っているのが光の操作だ。
﹃お前には異界の知識が流入している﹄ そう告げたのは母竜だった。
この世界のそれとは異質な知識、時折人にも現れ、けれども大抵
の場合は活かす事が出来ず消えてゆく。
竜であれば興味を持つ者は殆どおらず、知恵ある竜でなければ理
解すら不可能。仮に興味を持つ知恵ある竜があっても殆ど活用され
る事はない⋮⋮竜はそんなものがなくとも困らないからだ。もし、
目の前に一生遊んでも困らない程の財宝があればどうだろう?もし、
そこに追加でこの世界としては異様に高性能な馬車を与えられても、
自分の移動以外にそれの仕組みを調べて活用しようとわざわざ考え
る者はどれ程いるだろうか?
人であっても一日を生きるのに汲々としているような者にとって
はそんな知識を得ても構う余裕はあるまい。
そもそもこの世界の魔法が存在しない世界の知識を渡されても、
困る、という事もあるかもしれない。
けれど、テンペスタにとって、この知識は面白い遊び道具であっ
た。そのまま活用する事は道具などが必要であろうし、他にも色々
な不具合、人であれば到底魔力が足りないといった問題も竜ならで
はの力ずくで解決出来てしまう。
68
と、同時に彼には一つの疑問があった。
︵この知識はどのような世界から来たのだろう?そして、何故流
れてきたのだろう?︶
人としては普通、竜としては異質。
そんな思考に捕らわれるテンペスタは今日もその力を弄る。
︵うん?︶
と、その前に気がついた。
﹃キアラ﹄
﹁⋮⋮ん?﹂
﹃お客さんのようだよ﹄
半分眠りの世界に落ちかけていたキアラにテンペスタは声をかけ
る。
気付けば誰かが家の前にやって来ていた。
家自体は広いが、この家に使用人などはいない。そもそも家が広
いのはあくまで巨体を誇る竜がいるからであり、テンペスタが基本
食事が必要ないと知らなかった為にそれなりに大きめの倉庫が設け
られており、人としての居住区としての部分はそう大きくはない。
ごく普通の一般家庭より少し大きいぐらいだ。
メイドとして一通りの事は出来る訓練を受けていたお陰で、掃除
から食事の支度まで一通りの事は出来る。
結果として稼ぎの割に人がいないという訳だ。さすがに竜のいる
家に忍び込む泥棒もいない。いや、初期にはそんな不届き者もいた
のだが、テンペスタがそんなのに容赦する訳もなく、貴族の密偵だ
ろうが単なる泥棒だろうが全部まとめて処理してしまった為にさす
69
がに手を出す者もいなくなった。
まあ、そうはいってもさすがに仕事で出かける時は留守番として
の人を雇うぐらいはするのだが。こうした留守番役の仕事は駆け出
しの冒険者にとっては宿代の節約に危険を冒さずに財布が潤うと案
外美味しい仕事だったりする、と同時に成功したと言える先輩冒険
者達から後輩への援助という面もある。
﹁うーん、誰かな?﹂
﹃同じ冒険者みたいだね、ふむ、前に見た事があるような﹄
その言葉に首を傾げながらもキアラは仕方ない、とばかりに立ち
上がり、表へと向かうのだった。
70
第四話:始末顛末︵後書き︶
次の更新はチョコチョコ進めてたワールドネイションになる予定です
その次がまた竜予定
次回は冒険者のお仕事の場面です
71
第五話:事件の発端︵前書き︶
今月前半は忙しかった⋮前半二週間余で休みが一日ってのは辛い
後半は時間の余裕という名の休みが取れるようになるのでさくっと
上げていきたいです
72
第五話:事件の発端
冒険者達にはクラスと呼称される分類がある。
とはいえ、それらは元々冒険者の黎明期に彼ら自身の間で自然発
生的に生まれたもので、ゲームのシステムのように﹁貴方は戦士で
す﹂﹁貴方は魔法使いです﹂とご丁寧に記されるようなものではな
い。
普段からチームを組んでいる者同士ならば、お互いのチームにお
ける役割をきちんと理解している。仲間がどんな技術を持ち、どん
な戦い方を得意とし、何を苦手としているかも理解しており、だか
らこそ互いに連携を取る事も出来る。
だが、初めて組んだ者同士ではそうはいかない。
全てを何時ものチームでこなせるのなら話は別だが、そういう訳
にもいかない。世の中、幾つかのチームが組んで大規模な護衛をこ
なすケースもあるし、何時ものメンバーが病気や怪我でしばらく抜
ける事になったりして一時的にチームがバラバラになり、臨時で組
んだチームで仕事を請け負う場合もある。
そんな時にある程度お互いの役割に見当がつくかどうか、という
のは非常に重要だ。
かくして、自然発生したこれらの自己紹介としてのクラス分けは
ギルドの成立により更に細分化され、今では極当り前に定着してい
る。
そんなクラスとは別につけられるのが称号。
これらは職業としてのクラスとは異なり、ある種の特殊能力や何
かを成し遂げた事を象徴するという意味合いがある。例えばキアラ
の場合、竜と共にあるという事を特殊スキルとして解釈し、﹁ドラ
ゴンライダー﹂という称号を有しているという事になる。で、ある
為⋮⋮。
73
名前:キアラ・テンペスタ
クラス:魔闘士/上級
称号:ドラゴンライダー
というのが彼女の冒険者としてのおおまかな区分となる。
これにメイドとしての経験などが本人が希望するならば追加条項
として記載され、依頼が行われる際の判断基準として用いられる事
になる。
そんな称号の中でキアラのような例外を除いて尊敬を集める称号
を﹁竜狩り﹂という。
これはその名の通り、下位ではあるが竜を狩った事がある、とい
う事を示すもの。それも大人しい草食竜ではなく、凶暴な肉食竜を
相手どって勝利した者のみに与えられる称号である。下位とはいえ
竜は竜、それが飢えや怪我をさせられた怒り、或いは我が子を盗ま
れたなどそれぞれ理由は異なるとはいえ殺意を持って襲い掛かって
くるのだ。大型の竜ともなれば下位竜でさえ鉄並の強度の鱗に覆わ
れ、その体当たりは岩をも砕く。そもそも下位と上位の境目は知性
があるかどうかであって、力の差ではない。
この為、火山を縄張りとする古強者の下位の火炎竜ともなると駆
け出しの竜王では勝てない程だ。
故に竜を狩る者。﹁竜狩り﹂は冒険者にとって憧れの称号なので
ある。
そんな﹁竜狩り﹂の称号をパーティで保有するのが﹁黄金の鎖﹂
と呼ばれる一同である。そのチームの一人、クラス重戦士を持つバ
ンジャマンはそのクラスが示す通り、重装甲と大型の盾を持つタン
カーと呼ばれる仲間達の前に立ち、敵の攻撃を受け止める役割を担
っている。筋力と防御を強化するエンチャントを自らに施し、巨大
な竜の突撃も受け止めるのではなく受け流す事で味方へのダメージ
を防ぐ超一流の前衛だ。
74
その彼は今、兜を脱ぎ酷く穏やかな表情で景色を眺めていた。
そこへ同じ﹁黄金の鎖﹂に所属するアルベールが飲み物を持って
やって来た。
﹁よう、どうだ、一つ﹂
﹁頂こう﹂
アルベールよりカップを受け取る。
暖かな香茶の良い香りが鼻をくすぐり、バンジャマンは顔を綻ば
せる。
軽く口に含み、味わう。ほのかな甘みが舌をくすぐり、心を落ち
着かせる。
﹁ふむ、いいな﹂
﹁だろう?最近のお気に入りなんだよ﹂
アルベールも笑って言う。
穏やかな空気が彼らの周囲に流れていた。
﹁全く⋮⋮人の力なんてちっぽけなものだな﹂
﹁ああ、まったくだ﹂
そう言って、どちらともなく二人は笑った。
﹁⋮⋮あ、あのー先輩がた?﹂
そんな二人におずおずと声をかける者がいた。
こちらもがっちりとした防具で身を固め、その姿には身の丈に合
わない防具を身につけている新人のような空気は皆無。﹁黄金の鎖﹂
の二人には及ばないにせよ彼もまた歴戦の冒険者とでもいうべき空
75
気を漂わせている⋮⋮のだろう、普段であれば。
残念ながら、現在はどこか恐る恐る、といった困っているような
空気を全身から漂わせていたが⋮⋮。
そして、その声にも﹁黄金の鎖﹂の二人は全く反応しなかった。
それを見て声をかけた人物は今一度声を掛けようとするが⋮⋮おそ
らく彼の仲間なのだろう、別の魔法使いと思われる杖を持った軽装
の人物が彼の肩を軽く叩いて、首を横に振った。
その表情は沈痛なものであり、まるで﹁そっとしておいてやれ﹂、
そう言いたげな雰囲気が漂っていた。
男もまた理解していたのだろう、深い溜息をついて視線を前に向
けた。
実を言えば、男以外にもここには大勢の冒険者達がいた。そのい
ずれもが駆け出しとは一線を画す歴戦の強者というべき空気を持っ
た連中、有名な者も多いのだが皆どこか疲れたような空気を漂わせ
ていた。
男のようにまだ動ける者は良い方で、﹁黄金の鎖﹂の二人のよう
に現実逃避した者、顎が外れたような呆然とした顔を隠せないでい
る者など様々だ。
﹁⋮⋮ここって戦場だよな﹂
﹁少し違うな⋮⋮戦場となるはずだった場所、だ﹂
男のどこか溜息混じりの呟きに仲間の魔法使いはそう答えた。
その言葉に一瞬詰まった後、﹁そうだな﹂と認めた後、彼は再び
視線を前へと向けて言った。
﹁どうしてこうなった﹂
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
76
彼らがここへと到着するおおよそ十日程前の事。
その日、丘陵地帯に位置する都市セーメは特に変わらぬ日を迎え
ていた、はずだった。
このセーメという都市、その歴史は元々はこの丘陵地よりやや南
の平原に設けられた開拓村に始まる。
しかし、当初は安全地帯と考えられていたその地は後に判明した
事であるが、巨大な下位竜の生息地域であった。当初判明していな
かったのはその下位竜が基本的に大人しい種族であり、通常は水中
での生活を好んでいた事にある。
だが、一定の年月、それも十年とかそういう年月の後に子育ての
為に地上に上がってくる。
この時は子育ての時期の動物には良くある事だが気が立っており、
通常は大人しいその竜も十年に一度の産卵と子育てのこの時期だけ
は周囲に動く相手に対しても積極的に攻撃を仕掛けてくる。
そして、ちょっとした城程もあるそんな竜の番が複数、というそ
の場所は人が生活基盤を置くには余りに危険と言わざるをえなかっ
た。
結果、大型ゆえに起伏のある土地に入り込むのを嫌っているのを
早々に見抜いた村人達が逃げ込んだ先がこの丘陵地帯であり、当初
は一時的なものかと思い退避先として暮らしていた訳だがその内何
度もやって来るのだと判明した頃には既にこの地には小規模な町が
出来上がっていた。
結果、彼らは完全にこの地に根を降ろして生活する道を選び、丘
陵地帯である事を利用した果樹栽培を行っていた。
現在ではこの地は豊かな果樹園が広がっている訳だが⋮⋮。
﹁⋮⋮?おい、ありゃあなんだ?﹂
77
その日もまた何時もと同じ日がやって来る。
そう思いながら彼らはそれぞれの仕事に励んでいた。
セーメの果樹園は一年を通して何らかの果樹が実り、収穫される。
そうして干し果実などへと加工され、或いは一部の保存の効くもの
はそのまま、また或いは魔法によって保存されたまま各地へと出荷
される。無論、最後の方になると魔法を用いた保存によって新鮮な
瑞々しい果実を楽しむ事が出来るが、その分お値段も相応のものに
なり、ある程度以上の裕福なものでなければまず手に入らない。
これらの出荷によって財政的にも豊かなセーメの街は果実という
魔法を使わねば長期保存も、他の街へと持って行って売る事も出来
ない品ゆえに盗賊が狙う事も少ない。果実泥棒などした所でセーメ
の街で売れば足がつくし、かといって他の街まで持って行って捌く
となるとそれ専門の魔法とルートが必要になる。割りに合わないの
だ。
故に、城壁も然程高いものは設置されていないのだが⋮⋮。
﹁お、おい、ありゃあ⋮⋮﹂
﹁竜だ!﹂
それが役目を果たす時が来た事に最初に気がついたのは果樹園で
働いていた者達だった。
しかし、もしこの時見えた竜が下位竜メガロアルクであれば、そ
こまでの騒動にはならなかっただろう。この地へと逃れた原因であ
るその竜は現在も時折姿を見る事が出来るが、前述の通り子育ての
時を除けば普段は極めて大人しい、それこそ人が足元まで行って、
その巨大な足に触っても特に騒ぐ事のない竜だからだ。
だが、その日は違っていた。
この日、セーメを襲った竜は二種類。
地上より群が、空より一体が。
明らかに異なる竜種。地上の群が草食竜で、空からの竜に追われ
78
て、というのであればそう珍しいものではない。
だが、それらは違う。
空からは火竜ウルフラムが。
地上からは暴食竜ガルジャドが迫っていた。
いずれも下位種。 だが、火竜ウルフラムは赤く染まった鱗と四肢を持ち、背中に翼
の生えた蜥蜴という一般に竜と言われて一番にイメージされるタイ
プの竜だ。
基本、下位竜は生まれと属性によって似たり寄ったりの姿を持つ。
故に、こうして種族と竜族以外からは認識されて名称をつけられた
りする訳だ。竜王となると姿が一気に千差万別となる事から一説に
は知性があるかどうかが姿の分れ目であるという推測もある。下位
竜はどれもが知性的には多少賢い動物レベルと大差ない為に似たよ
のみ
うな姿となるのであろう、と。
ウルフラムは火属性を持つ下位竜種の総称のような竜であり、火
山を基本的な住処とするこの竜は獰猛な竜種として知られている。
そして、ガルジャドも怖れられている竜の一つだ。
外見は大型の蜥蜴、ただし全長が最低で二メートル、最大級のボ
ス級となると十メートルに達するこの竜の最大の特徴は極端な雑食
性。
それこそ生きたままの人だろうが、岩だろうが何でも食う。とり
あえず口に入れ、強力な消化液で溶かし、溶けなかったものは排泄
する。
結果、この竜の群が通った後には莫大な排泄物の中に消化しきれ
なかった石ころや鉄などが転がっているという事になり、しかもこ
の排泄物、酷い悪臭を放つ上に危険な疫病まで時にもたらす為に単
純に人を襲い喰らう竜より余程怖れられていると言える。
そんな竜の群がおよそ百。
百とはいえ、一度この竜が暴走を始めると弱いものから死んでい
79
き、その死体をまた別のガルジャドが喰らい⋮⋮という連鎖の中生
き残った強者達、最小のものでもその全長は優に五メートルを越え
る。そんな群が突っ込んでくるのだから恐ろしいとしか言いようが
ない。
当然、こんな様子を見た住人達は急ぎ街へと戻り、武器を使える
者は武器を持って城壁へと走り、冒険者も壁へと駆けつけた。
だが⋮⋮。
﹁なあ、こんな壁で大丈夫なのか⋮⋮?﹂
誰かが呟いたその声に周囲は押し黙る。それは誰もが抱いていた
危惧だったからだ。 セーメの街はこれまで安全な街だった。
一つにはすぐ傍に下位竜メガロアルクの縄張りだった事だ。
この巨大な竜は普段は大人しい、確かに普段は人が触った程度で
は気にも止めないし、素手で登るならばその背へと登る事すら出来
る。
だが、一旦怒らせるとその巨体故に極めて危険な竜となり、分厚
い岩のような皮膚は生半可な攻撃を通さない。仮に攻撃が通ったと
しても下手な城より巨大な巨体故か、とにかくタフでしぶとく、大
抵の毒も病気も効かない。下位竜の中ではかなり強い部類に入るの
だ、実は。 そんな竜の縄張りにそうそう入り込む竜はいない。
上位竜はわざわざ喧嘩を売る必要を感じず、下位竜の殆どは自ら
より強い竜の気配を察知して近づかない。
結果、このセーメの街は竜種に長らく襲われる事もなく、城壁も
初期に築かれた低いもののみ。
王都や危険が予想される地域の街に配備されるような対竜用の大
型装備もなく、冒険者もまたこの辺りで危険な仕事というのは少な
80
いので引き受ける仕事の大半は果樹運搬時の護衛に果樹泥棒対策の
夜番だの、薬草などの採取が大半。何らかの危険種の討伐といった
仕事は殆どなく、必然的にそんな仕事を生業とする冒険者は他の街
へと流れ、ごく稀にそんな仕事が発生した時は他の街へと連絡し、
解決可能な冒険者に来てもらうという状態。常時街にいる冒険者に
荒事に慣れた者はごく少数だ。
そんな者もこの街にいるのは引退した、だの生まれ故郷がここで
偶に帰って来る、或いは旅の途中立ち寄ったというものばかり。
救いはたまたまいた彼らにさっさと逃げる者がいなかった事だが、
そんな者の中でも竜の危険性を熟知している更に少数の者達は共通
の危惧を抱いていた。
︵もたんかもしれん︶
同士討ちを誘発出来れば、或いはせめて暴食竜ガルジャドの群の
進行方向をセーメから逸らす事が出来れば被害は出ても守りきれる
かもしれない。
暴食竜は人も喰らうが、果樹であっても差別なく喰らう。
つまり、果樹園のある丘の一つに誘導すればそのまま彼らは果樹
を食い散らかし、そのまま更に先へと突進してゆく。わざわざ戻っ
てくる事などまずないので、そうすれば果樹園一つの損失程度でそ
ちらは切り抜ける事が出来る。まあ、火竜ウルフラムでもある程度
の被害は出るだろうが、セーメの街が滅ぶ、という事はあるまい。
被害を受けた果樹園の持ち主に関しては見舞い金や賠償金の問題
が生じるだろうが⋮⋮それは領主の仕事であり、生き残ってからの
仕事だ。今はそんな事を考えている余裕はない。問題は⋮⋮。
︵⋮⋮逸らす、にしてもどうやって、だ?︶
それが熟練冒険者達の頭を悩ませていた。
81
現在のコースは最悪な事に街を直撃するコース。
城壁は街が豊かだからだろう、手入れ自体はきちんとされていた
為に崩れているといった事はないが元より三メートル程度の高さの
城壁。暴食竜は四足歩行である為に全長五メートルといっても全高
はもっと低い。低いのだが⋮⋮大型のものならば楽に乗り越えてし
まうだろう。
となれば、まず第一撃を受け止めなければならないのだが⋮⋮。
生憎、それが出来そうな人材は不足しているのがありありと分か
る。
結論。
︵もたねえな、こいつは︶
ある者は自分達が生き残る事を優先する事を決意する。
薄情という事なかれ。
勝ち目のない戦いにそれでも身を置いているだけ彼らは好人物の
類に入るのだ。
生き延びて、この事を他へと知らせる。全滅してしまえば、知ら
せる者が減り、もし生き残ったとしても旅もろくにした事のない者
であれば、他の街へとどう向かえばいいのかも分からないだろう。
最悪、最寄の街ではなく最も遠い街へと続く街道を選んでしまう可
能性だってある。この世界はまだ一般の家庭で当り前のように詳細
な地図が見れるような世界ではないのだ。
おおまかに記された地形図に大雑把な線、大抵ちら、とでも見る
可能性があるのはその程度のものでしかない。道とて特筆する程整
備されている訳ではなく、獣道のような山道もあるし、水場の位置
もご丁寧に表示がある訳でもない。
すなわち、どの道をどう行けば良いのか知る者でなければ最悪別
の街へと向かう途上のどこかで誰にも知られる事なく姿を消す、と
いう事もありえるのだ。彼らが間違っている訳ではない、という事
82
も理解してもらえるだろう。
その一方、ここで死ぬ事を覚悟する者もいる。
前者が現役の比較的若い者なのに対し、こちらは老いた者。
かつては最前線で武器を振るっていた戦士だった初老の男、魔法
使いの老婆らがいる。彼らは冒険者を引退し、この街に定住してい
る者達だ。
定住し、家族を迎え⋮⋮或いは我が子が、或いは孫がいる者達。
彼らは家族を逃がす時間を稼ぐ為に命を捨てる覚悟を決めた。
同じように、この街出身故にそうした覚悟を決めた者達がいる。
既に街から一時離れる、という名目での避難は開始されている。
全員が逃げ出すのは不可能だろうが⋮⋮少しでも長く時間を稼ぐ、
そうすれば逃げ出せる者の数はそれだけ増えるはずだ。
一つだけはっきりしている事があった。
それは誰もがセーメという街の防衛が不可能である事を理解して
いるという事。彼ら冒険者達だけではない。兵士も僅かな騎士も、
或いは民間の有志も⋮⋮けれども彼らは立ち向かう。助からないと
アレを見た瞬間に理解した者も多いだろう、それだけの迫力が、死
を理解させるだけの力が竜の群にはあった。
﹁来るぞ⋮⋮!﹂
けれども。
例え足がガクガクと震えていても。
例え歯がカチカチと鳴っていても。
例え震える体が鎧をカチャカチャと鳴らしていても。
それでも逃げる者はいなかった。
いや、セーメの街全体で逃げる者は大勢いるのだ。けれども、彼
らは覚悟してここに来た。
83
低い城壁へと群の先端が辿り着く。
暴食竜ガルジャドの体が城壁へと足を掛け、踊りあがろうとする
瞬間を狙い、冒険者の一人がその鼻先をしたたかに叩きつけ、悲鳴
を上げ竜が落ちる。
それが開戦の合図となったのだった。 セーメの街、陥落。
死者は街の住人全体の六割に達し、城壁にて戦った者で生き残っ
たのは僅かに冒険者四名であった。
84
第五話:事件の発端︵後書き︶
︻ドラゴンファイルNo.1︼
火竜ウルフラム
脅威度:D
討伐危険度:B
・火属性のみを持ち
・翼によって空を飛ぶ
以上の二点の特徴を持つ下位竜の総称。
元々火属性である為に火山地帯など火属性の活発な土地を好む為、
人の生活圏と重なる地域が限られており国という単位で見た時脅威
度は低い
むしろ、ウルフラムが巣を作った場合、平穏に見えてそこは火属性
が活発という事を意味する為に早めの避難が勧告される事もある
時に人の住む街を襲撃する事もあるが、執拗なものではない。ただ
し、唯一の例外として子供や卵を浚われた、殺された場合は執拗に
攻撃を行う
この為、街が崩壊するといった話は大抵人が先に手を出したケース
である
反面、積極的に討伐を行う際は火山地帯に主に生息し、空を飛ぶと
いう性質上極めて討伐は危険で困難
しかし、もしも狩る事が出来た場合巨万の富を得られるという事も
あり、一攫千金を狙う無謀な者が挑むケースが稀に存在する
獰猛で危険な種だが、同種に対してはかなり緩やかながら共同生活
を営む事もある事が確認されており、一つの火山に五つの番が確認
された事もある
次回も竜更新予定
85
⋮⋮ワールドネイションも早くプロローグ改定完成させねば!
86
第六話:動き出す者達︵前書き︶
当初予定よりアップが遅れた⋮⋮
87
第六話:動き出す者達
冒険者ギルド王都本部の一室に大勢の冒険者が集められていた。
ギルドに大勢の、複数のチームにより構成される集団が集められ
るという事自体は決しておかしな話ではない。王都は交易も活発且
つ大規模ゆえに複数のチームによる護衛部隊が結成されるという事
がそれなりの頻度である。
また新人達の教育も積極的に行われている為に、研修の為に新人
達が集められる事も多い。冒険者、といっても新人達は最初にこう
した研修が義務付けられ、それにかかる費用はギルドに納められる
ベテラン達の会費によって補われる。一見すれば余計な経費がかか
っているようだが、ギルドとしても新人が知識も経験もなしにこの
世界に飛び込んだ挙句ゴロゴロ死なれては結果として未来のベテラ
ンを失う事へと繋がるからだ。こうした事情から一週間に一度はこ
うした大勢の冒険者が集まる事があると言っていい。
ただ、今回のケースが常と異なるのはここにいる全員が一流、ベ
テランと呼べるだけの腕を持っている者達である事にある。
有名なチームもいれば最近名前が売れてきたソロもいる。
一つだけはっきりしているのは、これだけの面子をギルドが召集
した、それが必要な事態が発生した、という事だった。
﹁何があったんだろうな?﹂
﹁さあな、大事なのは間違いないが⋮⋮﹂
彼らもまだ事情を把握していないのだろう、知り合い同士でひそ
ひそと会話を交わしている。
無論、それだけではなく。
﹁はじめまして、君がキアラ嬢だね。名前は聞いている﹂
88
﹁こちらこそお会い出来て光栄です﹂
と、キアラのように最近名前が売れてきた者へと声を掛ける者、
或いはその逆。
別に一匹狼を気取る冒険者がいない訳ではないが、彼らとてこう
した場は大切にする。一人で集められる情報には限界があるし、一
人で出来る仕事も限られている。顔見知りとなっていれば美味しい
仕事と見えて、実は危険な仕事、という仕事を請けようとした際に
忠告を受ける事も出来る。例外がない訳ではないが、嫌われ者はこ
うした業界ではまず長生き出来ないのだ。 各自が思い思いに過ごしている中、ギルド職員が入ってきた。
と、同時にさすが、といおうかピタリと口を噤み、各自が手近な
席へと座る。既に雑談を交わすどこか緩んだ雰囲気などは欠片もな
く、全員が全員表情こそ各自異なるが鋭い視線は共通している。誰
もが自分達がこれだけの数呼ばれた、という事の意味を理解してい
るからだ。
﹁⋮⋮皆、迅速に集まってくれた事、まずは礼を言う﹂
その数人の中の一人、既に老境に入ってはいるが、今尚ピンと背
筋の伸びた人物、ギルドマスターが語りだす。老いて長期間の野営
など体力的に辛くなったと引退こそしたものの、単純な剣の強さは
今も尚最強格の一人と言われるサムライでもある。
その彼の語る内容に全員の顔が険しくなっていった。
セーメの街はその特産物故に知名度は高い。安全度が高い事もあ
り、駆け出しの頃あそこの護衛役を引き受けた経験のある者もいる。
そのセーメの街が壊滅。死傷者多数。
﹁火竜ウルフラムと暴食竜ガルジャドか⋮⋮﹂
﹁ウルフラムは性質からして、ガルジャドに卵でも喰われたか?﹂
89
﹁⋮⋮或いは番が喰われた可能性もあるな。一匹だけと言うし﹂
ウルフラムは獰猛ではあるが基本的には淡白だ。
なので、縄張りに侵入してうろうろしていれば襲われるが、すぐ
に逃げ出せば基本、放置される。
え?喰われたりしないの?
そう思う者もいるかもしれない。
答えは、しない。
元々属性持ちの竜は豊富な属性のある地では、自らの属性に関係
する自然のエネルギーを吸収して生きる事が出来、物理的な食事を
殆ど必要としない。ウルフラムならば火属性の活発な地に住めば、
それだけで何も喰わずに生きていけるのだ。
人の味を好む竜ならば、嗜好品として襲い喰らう事もあるがウル
フラムは人を捕食対象としては見ていないようで人の側からちょっ
かいを出さなければ意外と共存出来るのだ。縄張り自体も広大な狩
場などが不要な事もあって、然程広くない。
だが、このウルフラムが唯一縄張りを出て、執拗に追うのが⋮⋮
番を殺されたり卵を破壊乃至奪われた時だ。
これが起きると如何に匂いを消し、姿を消しても必ず犯人を正確
に突き止め、自らか相手かいずれかが倒れるその時まで執拗に追っ
てくる。
追ってきたとなると卵か番かいずれかが襲われた可能性が高いが、
卵だけならば二匹いないとおかしい。
よって、番も攻撃を受けた可能性が高い訳だ。
﹁となると、現状ではガルジャドとやりあいながら、常にウルフ
ラムの火球に警戒しないといけない訳か⋮⋮﹂
誰かが呟いた言葉に皆が顔をしかめた。
それはそうだろう。ただでさえ群との戦いというのは危険だ。一
90
方向だけでなく、複数の方向から攻撃が仕掛けられるとなると危険
度は一気に増す。
だからこそソロの冒険者は珍しい。こちらも集団となり、相手が
複数であってもなるだけ一対一で戦える環境を整え、或いは一対一
が無理でも互いに警戒しあえるようにして少しでも危険を減らすよ
うにしなければ長く生きる事はより困難になる。実際、この場にい
るソロ冒険者はいずれもキアラのように人外の相棒がいる者や、ソ
ロ同士で組んだり他の冒険者パーティの応援専門、諸事情により一
時的にパーティが解散中な為にソロで簡単な依頼を引き受けるに留
めている者などばかりだ。
そして、ただでさえ空からの攻撃というのは回避しづらい。
人の意識というものは前後左右に比べ、上下からというのは意識
を向けにくいのだ。 ﹁なのでキアラ嬢、貴殿にはウルフラムを抑えてもらいたい⋮⋮
可能かな?﹂
だからこそ、ギルドマスターがわざわざキアラにそう告げる。
一斉に視線が集中する中、キアラも頷いた。
飛行の魔法がない訳ではない。ない訳ではないが、この世界の魔
法使いは同時に複数の魔法を用いる事が出来ない。つまり、飛んで
いる間は他の魔法が使えないので弓や剣で戦うしかない訳だ。しか
も踏ん張りが効かない為に剣などの白兵戦武器は実際は加速して体
当たり気味に剣を相手にぶつけるしかない。
当然、余程加速して当てないと火竜ウルフラムの鱗は貫けない。
そして、通用する程加速するとなると衝撃で剣を手放さないように
するには相当な筋力が必要となり⋮⋮魔法の勉強をしながらそれを
可能にするだけの筋力トレーニングをするぐらいなら弓を使うが、
いずれにせよ空を飛ぶ竜を同じように空を飛びながら戦うというの
はそれだけ難しい。それぐらいなら、今回は幸い同じ竜の乗り手が
91
いるのだから、そちらに任せた方が良いと考えるのは当然だろう。
﹁抑えられるか?﹂
﹁⋮⋮ウルフラムがどの程度の強さかによるけれど⋮⋮今回は大
丈夫だと思う﹂
そうか、と尋ねた冒険者もキアラの言葉に頷かざるをえなかった。
一口に火竜ウルフラムと言ってもその強さはピンキリだ。
上は竜王級から下はやっと巣立ちしたばかりの幼竜までと同じウ
ルフラムでも上と下では雲泥の差がある。
しかし、キアラの判断も根拠のない事ではない。
もし、最強クラスのウルフラムであれば、ガルジャドでは太刀打
ち出来ない。少なくともその数はもっと少なく、生き残っているの
は十メートル級以上の大物のみとなっているはずだ。
逆に言えば、幾ら攻撃を控えていたとしても五メートル級程度が
生き残れたのだから、何とかなるとキアラは判断した訳だ。
﹁他に疑問や反論のある者は﹂
そうギルドマスターが言って見回すが、手を挙げる者も口を開く
者もいない。
それを確認して頷くと、今度はギルドマスターは地図を広げさせ
た。
﹁では、次へ進もう、現在のガルジャドの群の進路だが⋮⋮﹂
暴食竜ガルジャドの群はセーメの街での戦闘で多少数を減らした
ものの、尚八十余の数を維持し、しかもそのサイズは順調に大きく
なっている。脅威としては尚健在、どころか更に増大しつつある。
ガルジャドの成長速度というのは竜として見ても異常であり、だ
92
からこそ結果として手遅れとなりやすい。
その群の進路はセーメの街を壊滅に追い込んだ後、現在は海方向
へと進行中である。これでそのまま海に突っ込んで溺れて全滅、或
いはそのまま泳いで何処かへ行ってしまうというなら国としては良
いのかもしれないが、結局それは余所で被害が発生するというだけ
の事。出来れば片をつけておきたい所だ。
そして、ガルジャドは泳ぎは苦手だが、それだけに海に出れば進
行方向を変更ぐらいはする。そうなると⋮⋮。
﹁どちらの方向に進むかが問題だったが偵察隊の確認では⋮⋮﹂
せめて人の少ない地域へと向かってくれれば良かったのだが⋮⋮
残念ながらその願いは叶わず、ガルジャドの進路は再び国内へと向
かった。
或いは餌のより豊富な地域へと本能で察し、動いたのかもしれな
い。
人がいない地域というのはいる地域に比べて自然が豊かか、或い
は荒野かのいずれかだが今回は反対側は荒野故に開拓が為されてい
ない地域だった。確かにそれではより豊かな方向へと向かったのは
こちらとしては困るが、ガルジャドにとっては当然の事だろう。
﹁⋮⋮もっとも近くの街へと到達するまではおよそ五日後と推定
されている﹂
だが、続けられたその言葉にはざわり、とざわめきが起きる。
﹁⋮⋮ここから俺達が出発して、到着可能なのは?﹂
﹁最低三日だな﹂
既に想定されていたのだろう、冒険者の一人の言葉にギルドマス
93
ターは即答する。
その言葉に全員が一斉に立ち上がり、チーム毎にまとまり、リー
ダーが仲間との軽い会話の後に詳しい事情を確認する為に前へと進
み、残りのメンバーは準備の為に部屋を出てゆく。
ギルドのメンバーもそれを咎めたりはせず、簡潔に必要事項を述
べていく。
急げば三日、と言っているのはギルドマスターの事故、彼らの準
備の時間も含めて述べている事をベテランは察していたが、それで
も早く動いた方がいい。
人というものは数日間の急ぎの旅をしてすぐに戦える程、頑丈で
はない。ましてや相手は竜。
早めに到着して、前日はしっかり休息を取り、戦いに臨む必要が
ある。
﹁おお、そうじゃ。すまぬが、キアラ嬢には先行をお願いしたい
のだが⋮⋮﹂
﹁了解です﹂
ガルジャドの襲撃先となった街は既に警告は為されているが不安
と混乱が発生している事は疑いない。
国も冒険者ギルドへの応援要請だけでなく、主に騎士から為る増
援部隊の派遣は決めているが、国は図体が大きいだけに決定や準備
にも時間がかかり、間に合うかは厳しい所だ。
それだけに冒険者達だけでも間に合う事を事前に連絡しておいた
方がいい。
その為に、空を飛ぶという圧倒的に高速の伝達手段を持つキアラ
は一足先に飛び立つ事になったのである。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
94
さて、かくして飛び立ったキアラとテンペスタであるが偵察隊が
用いたような低レベルの飛竜とは比べ物にならない速度で飛行して
いた。
竜王と下位竜、最大の違いは知性の有無であるが、その両者には
魔法においても明確な差がある⋮⋮何故だろうか?
実はその答えとは⋮⋮暇だからだ。
何だそりゃ!とは言わないで欲しい。
例えば、今回の事件の片割れである火竜ウルフラムを例に考えて
みよう。
彼らは攻撃された場合の執拗さを発揮するなどの一部除き動物的
な知能しかない。 そして、属性持ちの竜は基本、属性の強い地では食物も必要とし
ない。
必然的に特に争う必要もなく、マンションの如く同じ火山に複数
の家族が相互不干渉を保ったまま共存する事になる。
稀に入り込んできた別種の竜を追い払ったりするが、相手だって
火山なんて地域に住む気で入り込んできた可能性は低い。火山とい
うのはその性質上、草も生えず暑く、時には熱すぎ、場合によって
は噴火や溶岩の危険もある。場所によっては硫黄が噴出し、一般的
な動物にとっては毒にしかならない火山性ガスの溜まりに入り込め
ば死ぬ。
そんな過酷な地に平然と住めるのは火属性持ちの竜程度。
普通の動物はおろか、普通の下位竜もそんな所に好き好んで暮ら
したいとは思わない。
結果、火竜ウルフラムという竜は日がな特にする事もなく、腹が
減る事もなく、のんびり寝て、番といちゃいちゃして、偶に体を動
95
かす程度で過ごせる生活をしている訳だ。
⋮⋮動物ならそれでいい。
けれど、人並の頭を持っていたらどうだろうか?
毎日毎日する事もない、空腹を抱えるでもなしに、ゴロゴロする
しかない日々。
働いて疲れているなら偶にはそんな日もいいだろう。
だが⋮⋮そんな生活が一年中どころかずーっと続くとなると話は
変わってくる。
考えてみて欲しい。何か特にする事もなく、本などの暇潰しが可
能なものも何もない。遊びに行く友人などもなく、食事の楽しみも
呑みに行く楽しみもない。する事といえば寝る事、番とやる事ぐら
いで竜王級であれば普段は番すらいない事も多い。
数年単位で眠る種もいるが、眠りを必要としない種すらいる。
結果、竜王のような知恵ある竜は自然と暇潰しを兼ねて人の真似
事をしたり、魔法を弄ったりする事になる。
で、結局長々と何が言いたいかというと、テンペスタもまたそう
した状況からは逃れられなかった、という事だ。いや、むしろなま
じ王都という面白そうな事がいたる所に転がっている場所だけに、
それに加われないというのは寂しいというのがあったようだ。
﹃人に変身する魔法とかないのか?﹄と思うかもしれないし、確
かに変身魔法自体は存在する。が、この世界どういう訳か変身魔法
に関してはサイズを変える事に成功した試しがない。人が竜に変身
しても人サイズの竜になり、竜が人に変身しても巨人にしかなれな
い。無論、戦闘力は全く変わらない見た目だけの魔法なので人なら
まだ別人への変装で⋮⋮と思うかもしれないが、この魔法、ただで
さえ悪い魔法の中でも燃費が特に悪い。 それぐらいならまだ幻影を作り出す魔法で、細かい制御をし続け
る方が可能性があるとされているが⋮⋮こちらも対象の動きに合わ
せていちいち修正しないといけないので実用レベルのものではない。
96
話を戻すが、とにかくそうした諸事情の結果、テンペスタもまた
魔法弄りに精を出し⋮⋮。
﹁⋮⋮また速くなってない?﹂
﹃飛行に魔法を応用してみた﹄
と、下位の飛竜より遥かに高速で飛行が可能な改良された魔法を
併用して飛行していた。
それでいて、きっちり乗っているキアラも保護されているのだか
ら、竜の規格外という奴をキアラはつくづく実感していた。自身が
魔闘士という魔法を用いて白兵戦を行う術者であるだけに魔法とい
うものの燃費の悪さも、その改良というのがどれ程難しいのかも重
々理解しているからだ。
魔法を長時間持続させるというのは難しく、魔法を新たに生み出
す、或いは改良するとなれば人であればそれこそ国家の設立した大
規模研究所レベルに一流と呼べるだけの魔法使いを何十人も集めて
十年単位の研究が必要だ。
もっとも⋮⋮。
︵まあ、今更だよね︶
人にとっては一生をかけるだけの研究素材。
竜にしてみれば粘土細工の如し。
そこら辺の人と竜の違いという奴を思い知らされているキアラに
とっては悩むような話ではなかったが⋮⋮。
﹁この分なら余裕を持って到着出来⋮⋮たね﹂
というより、早すぎる。
馬車で街道を飛ばして三日。 97
王都近郊の都市ゆえに整備された街道を全速で飛ばすとして一日
に馬車の場合百から百五十キロ程度、最大で二百に満たない程度。
三日で四百から五百キロ。
ただし、これは街道を走った距離であり、道は都市間を一直線に
結んでいる訳ではない為、空を真っ直ぐに飛ぶ事が出来ればより短
くなる、とはいえ⋮⋮。
﹁さすがに一時間は早すぎると思うんだ⋮⋮﹂
別に早くてダメという訳ではない。
事実、キアラの到着に一時﹁竜が来た!﹂とパニックがおきかけ
たようだが、すぐにそれは歓声へと変わった。
緊急事項として発表された竜の群の襲撃予報。
王都近郊の街であり、セーメよりは防壁や道具も揃ってはいるが
守りきれるのか、という不安は誰もが持っていた。
そこへ訪れた増援部隊の連絡⋮⋮例えそれが限られた人数ではあ
っても不安に苛まれていた人々には嬉しい連絡だったのだ。
再び王都へと戻ろうとしたキアラとテンペスタだったが、その時
ふとキアラが呟くように言った。
﹁セーメの街、生存者とかいないか確認してから帰ろうか。思っ
てたより時間大きく余っちゃったし﹂
﹃いいよー﹄
思えば、それが後のアレが起きた原因、その始まりだった。
98
第六話:動き出す者達︵後書き︶
︻ドラゴンファイルNo.2︼
暴食竜ガルジャド
脅威度:B
討伐危険度:E∼Cまで
発生すると極めて高い危険度誇る竜の群。
この為、発見されると迅速な討伐隊が組まれる程。
群発生初期の個々が小さい間は討伐の危険度も低い
しかし、巨大な種となると、全身鎧を着ている成人男性でも丸呑み
にしてしまう事が可能となり、一気に危険度が増す
溶解液故に鎧を着込んでいても中身は無事では済まず、また大きな
動きの出来ない体内に加え岩でも鉄でも呑み込む体内は極めて強靭
性が強く、剣を動かしても内部からはまず脱出不可能。故に飲み込
まれた人は外部からの救助が間に合わなければまず助からず、助か
っても瀕死の重傷を負う事が少なくない。
しかし、その怖れられる最大の理由はこの竜の暴走と、その通過後
にしばしば発生する大規模な疫病の発生の為。
竜による襲撃を受けた直後に発生する為に国としては下手な上位竜
よりも怖れる竜である。
この竜の発生の原因は人族の間では未だ不明だが、その実態は属性
を持たないが故に食事を行い自然に満ちる魔力を取り込むしかない
通常種の下位竜の群が飢えによって変異したもの
これによって如何なる物質からも食事として取り込む事によってそ
の物質に含まれる魔力を取り込む事が可能となっている。呑み込ま
れた岩などが溶けるのはこの為
しかし、同時に属性竜同様の巨体化の要素も得てしまった為に常に
食事を必要とするようになってしまっており、やがては必要量に食
99
事が追いつかなくなり、自壊の道を辿る竜である
当初は昨日にはアップ予定だったんですけれどね⋮⋮
予定がずれてしまいました!
100
第七話:最初の生存者︵前書き︶
今頃気付いた事
なろう大賞10万字以上に今月末までに到達せんとあかんのか⋮⋮
現在55000ぐらい
⋮⋮あと一月足らずで今の倍近く⋮⋮?︵汗
101
第七話:最初の生存者
ギルドはキアラとテンペスタによる連絡にかかる時間として丸一
日を取っていた。
無論通常用いられる下位の飛竜でも到着だけなら一日もかからな
いし、より上位の竜であるテンペスタがそれより早く着けるのは確
信していたが、当然ながら長距離を移動すれば疲労が溜まるのはど
んな生物とて変わらない。
長距離を飛行した後はしばらくゆっくり休み、それからまた飛ぶ。
もし、時間的に夜になりそうならば翌朝出立する。それが通常の
下位の飛竜を用いる場合のやり方であり、今回テンペスタにもその
ルールが適用された訳だ。
何しろ、無理をする意味がない。
ギルドの長達もさすがにキアラとテンペスタだけで火竜一体に暴
食竜の群を同時に相手させる気は毛頭なく、送り込む部隊と連携し
ての迎撃戦を考えていた。その為にも、下手に無理をさせて計算が
狂ってしまう方が困るのだ。
ただ、想定外だったのはテンペスタの飛行速度だっただろう。
この世界の魔法とは属性の操作にその根幹がある。属性を精霊と
言い換えれば分かり易いかもしれないが、竜の場合、魔法を使用す
る場合には自らの持つ属性によって直接自然の属性へと干渉し、魔
法を発動させている。
これに対して、人が魔法を使用する場合、人は属性を持たないの
で魔力で持って属性に間接的且つ強引に干渉する事になる。
根本的にそれぞれの持つ魔力量に差があるのに加えて魔法を用い
る際の消費量も持続性も段違いだ。前者が殆ど魔力を用いないのに
対して、後者のやり方は極めて無駄が多い。
この事が一般どころか専門家にも知られていないのは一重にこれ
まで人と共存した竜が語らなかった為だ。
102
知性がない竜は言うに及ばず、人と契約や約定を結んだ竜王など
も敢えて語る事はなかった。⋮⋮魔法発動の理論を研究している変
わり者の竜王など世界中探しても殆どいない、というのも大きいが。
テンペスタもそうだが、竜自身にとっても実益のある魔法の改良と
いうものに手を出すのが一般的で、何故魔法が発動するのか、人と
の違いは何なのか、といった事に手を出す竜はさすがにそうそうい
るものではないのだ。
結果として、テンペスタは己の持つ風の属性を用いて魔法を使用
し、その補助によってギルド側の想定よりはるかに早く到着した。
しかも、全く疲労していないというおまけつきだ。だからこそ、
キアラもセーメの街へと寄り道をする気になった訳だが⋮⋮。
﹁⋮⋮酷い、ね﹂
﹃確かに暴食竜というのが通るとこんなになるんだねえ﹄
反応は多少異なる。
上空から見下ろしたセーメの街は荒れ果てていた。
この街がほんの少し前、十日程前までは穏やかで美しい街並みが
広がり、大勢の人で賑わっていたなど誰が信じられるだろうか。
暴食竜と思われる死骸は確かに存在している。
だが、いずれも早くも腐りきっていた⋮⋮。
通常の竜種はこのような事はない。例え下位の竜種であっても元
々魔力に満ちた存在、肉でさえ放置状態でも一月は食用に足る。⋮
⋮美味いかどうかはさておき。
だが、歪んだ成長を果たした暴食竜の場合、その肉体を強引に﹃
食事﹄によって補充した魔力で補っている。その為に、死亡によっ
て魔力の補充が切れた途端に肉体の維持が不可能となり、極端に魔
力の不足した肉体は異常な速度で骨まで腐敗する。
それは土地も同じであり、魔力をガルジャドによって食い尽くさ
れた土地も腐敗してしまう。
103
故に⋮⋮。
﹁匂いが酷いね﹂
﹃少し待って﹄
上空にもその腐敗臭が漂ってくる。
思わず顔をしかめたキアラだが、それもテンペスタが魔法を用い
たのだろう、すぐに消えた。
﹁⋮⋮便利だよね﹂
﹃?そうだね﹄
キアラ自身は長時間持続型の魔法をこうもあっさりと用いる事に
対しての呟きだったが、テンペスタは当然の事を何故言うのだろう
?と不思議そうな声で答えた。キアラの呟きももっともで、人であ
ればこのような場合は魔法ではなく、香草などを仕込んだ口元を覆
うタイプの仮面などで対応するのが普通だ。
とはいえ、そこら辺の事情は今更の事と飲み込んで、キアラはテ
ンペスタに高度を落としてくれるよう頼む。 着地する気はないし、テンペスタにもその気はないだろう。
竜はその飛行において下位の竜であっても無意識の内に己の属性
を利用する。ただ翼だけで飛行するには竜の肉体は大きすぎ、重す
ぎるからだ。
その中でも最も飛行に向いているのは実は風と地だ。
風は分かるとして、地は疑問に思う人もいるだろうが、重力もそ
の属性に属していると言えばわかってもらえるだろう。結果として
現在、テンペスタはその硬質感を漂わせる翼を羽ばたかせる事もな
く、無論音もなくその高度を下げていた。
﹁誰かいますかー!﹂
104
テンペスタの力によって拡声されたキアラの声が街に響く。それ
を幾度か繰り返しながら街中を移動する。
﹁⋮⋮どう?﹂
﹃都合四名って所だね﹄
目立つ所にいる者はさすがに既に拾われているだろう。
動ける者は既に脱出しているだろう。
大きな怪我をしていた者は既に何日も過ぎた今、この中で生き残
れるとは到底思えない。
従って、キアラは現在街中に残っているとしたら軽い怪我であっ
ても足などを怪我した事で動けないか、或いは地下室などに隠れた
はいいが瓦礫などで閉じ込められているか、もしくはそれ以外か、
いずれにせよ今更自分が声を掛けただけで出てくるようなら、それ
が可能なぐらいなら既に何らかの反応を見せているだろうと判断し
ていた。その為、自分は声を出すに留め、探知はテンペスタに任せ
ていた。
そして、テンペスタは音を集めると同時に熱を探り、自分が感知
する事が出来た対象をキアラに伝えた訳だ。
﹁よしっ、じゃ順番に助けていきましょう!⋮⋮乗せられるよね
?﹂
﹃了解、まあ、大丈夫だと思うよ﹄
重さよりむしろスペースの問題でちょっと心配そうなキアラだっ
たが、こればかりは助けてみなければ分からない。
全員横にするしかない、というのでなければ何とかなるだろう。
横になるにしても、小さな子供だけというならテンペスタの背に
乗せる事も可能かもしれないが、大柄な成人男性ばかり、となった
105
らさすがに厳しい。とはいえ、テンペスタに大人の男性や小柄な子
供かどうかまで判断して、というのは無理な話だ。根本的にサイズ
が違いすぎる。テンペスタから見れば、大人も子供もサイズ的には
似たり寄ったりだ。
﹁で、一番近いのはどこ?﹂
﹃こっち﹄
上記に加えて健康状態も判断できない。
故に順番に行く事にしたキアラだった。 最初に到達した場所は⋮⋮崩れた家屋だった。
﹃この建物の地下に二人﹄
﹁ふうん、じゃあ地下室に閉じ込められてるって所かな﹂
幸い崩れただけで食い荒らされてはいないようだった。
テンペスタ曰く﹃火の属性がちょっと強め﹄らしいので、おそら
く火竜ウルフラムの火炎弾辺りが炸裂し、それが原因で岩を積み上
げただけの建物が崩壊したのだろう、とキアラは推測した。結果、
地下室から出れなくなったのであろうが、おそらくはウルフラムの
攻撃が為された事でガルジャドが嫌がったのであろうから、結果か
ら見れば良かったというべきだろう。
他の竜の属性に染まった魔力はガルジャドは嫌がるからだ。まあ、
それでも食うものがなければ食うのだが、他に食うものがある時に
わざわざ嫌いなものを食べる気にはなれなかったという事か。 ﹁どけられる?﹂
﹃任せて﹄
ふわり、と今では瓦礫と化した家を構成する石くれが宙に浮く。
106
それらが風に押されるようにゆっくりと移動し、少し離れた場所
に積み重なるようにして再び地へと落ちる。
間もなく⋮⋮。
﹁あれかな?﹂
そう呟いたキアラが地上へと降り立つ。
この辺りはガルジャドが近づかなかった為に地面も瓦礫はあるも
のの、汚染されてはいない。
テンペスタが覗き込むように首を伸ばして見ている前でキアラは
軽く手で落し蓋と思われる木の板を払い、ノックする。
﹁誰かいる?救助に来たの、開けるわよ!﹂
こうして声を掛けるのはキアラの苦い思い出故だ。
彼女が冒険者となって間もない頃の事、既に戦いに関しては一端
の腕を認められていた彼女が請け負った仕事が盗賊団の退治だった。
ある裏街道一帯を縄張りとしていたその盗賊団に浚われた人々か
らの救出依頼を受け、テンペスタのお陰でさくっと全員捕縛した、
そこまでは良かった。
捕らわれていた人々を救出するべく、閉じ込められている建物へ
と向かった時の事。
気軽に鍵を開け、扉を開けて入ろうとした時、その時使っていた
マントがドアの脇にあった藪に引っかかった為に⋮⋮命拾いした。
彼女が進みかけて、マントが引っ張られた為に足を止めた次の瞬
間、そのまま進んでいれば自身の頭があった辺りを勢い良く棒が通
り過ぎていった⋮⋮。
そう、中にいた者の内の一人が、このままでは⋮!と思い定めて
一か八かの脱出計画を考えていたのだ。
そんな事を考えていたのも時折、盗賊団の連中が一人二人やって
107
来ては女性を連れ去ったりしていたからだというのは後に知った事。
つまり、キアラが声を掛けずに入りかけた為に盗賊と勘違いされ、
危うく助けに来た相手に殺されかけた訳だ。
おまけに、この後﹁失敗した!﹂と思った連中が死に物狂いで襲
い掛かってくる始末⋮⋮。
幾らキアラが詠唱破棄を前提とした魔闘士であるとはいえ、相手
は救出対象。これが盗賊なら遠慮なく魔法を使っていただろうが、
あんな混乱状況で下手に魔法を使おうものなら怪我人が出るのは確
実。
結局、手を出すに出せず、﹃なんかにぎやか?﹄と、テンペスタ
が顔を出すまで揉みくちゃになっていた。あそこでキアラが怪我ら
しい怪我をせずに済んだのは運と、後は彼らが捕らわれていた間に
体が弱っていたからにすぎない。 それ以後、キアラはこうして救助の際も声掛けは徹底するように
している。さすがに冗談抜きで命の危機に晒されて、二度も同じよ
うな体験をしたいとは思わない。
しばし待っても返事は返ってこなかったが、その間にぱっと罠を
念の為だが確認する。ないとは思うが、念の為だ。
そうして、そっと落し戸を開く⋮⋮。
﹁誰かいる?﹂
そっと声をかける。中は予想通り暗く、一旦下がると手頃な木切
れに火をつけようとして。
ボッ、と瞬時に火が着いた。
どうやら傍らのテンペスタがちら、と視線を向けて対応してくれ
たらしいので﹁ありがとう﹂と礼を言い、再び戻る。
落し戸の中を改めて覗きながらゆっくりと入る。
くるり、と火を回せば⋮⋮一瞬見えた人の足。
108
﹁そこにいるの?﹂
そちらへ火を向ければ、そこには⋮⋮二人の子供。
片方は十代前半、もう片方はまだ十にもなっていないだろうか⋮
⋮。
﹁お、お姉ちゃん、だ、れ?﹂
かすれた声で年長と思われる少女が声を発する。すぐに咳き込ん
だ所を見ると、喉が乾いているのか、と気付き慌てて駆け寄る。
⋮⋮考えてみれば、何日もここで隠れていたのだ。おそらく食料
庫代わりに使われていたと思われる場所故、食べ物はあったのだろ
うが、さすがに水まではなかったのだろう。
水分の多い果物などを齧ってもたせたのかもしれないが、それと
て限界がある⋮⋮。
駆け寄ったキアラは水筒からゆっくりと二人の口元に水を零す。
かさかさに乾いた唇を水が湿らすと殆ど条件反射のように口が動
いて水を飲み込む。 少し垂らし、また垂らす。
幾度か繰り返した頃、ようやく少女の意識がはっきりしてきたよ
うだった。
﹁大丈夫?﹂
﹁は、い⋮⋮﹂
どうやら、幸いな事に二人共命には別状はなさそうだった。
﹁⋮⋮あれ?お姉ちゃん、誰?﹂
おそらく姉妹なのだろう、よく似た顔立ちの妹の方から先程の姉
109
と同じ質問を投げかけられて、思わず苦笑が浮かぶキアラだった。
助けに来た、という事を告げ、どうやら妹の方は体力がまだ残っ
ているらしく自力で歩けるようなので姉の方を抱き上げる。
⋮⋮おそらく、僅かにあった水などは妹に与えていたのだろう。
キアラとて女性だが、冒険者は体力が資本である。幾らドラゴン
ライダーとはいえ、少し全力疾走した程度で息切れを起こしていて
はまともに戦えない。最後に物を言うのは矢張り体力、という事で
キアラとてそれなりに鍛えており、少女一人を抱えるぐらい軽いも
のだ。 ただ⋮⋮。
﹃大丈夫?﹄
地下室から出るなり、ひょい、と顔を近づけてきたテンペスタの
顔を見た姉は⋮⋮。
﹁⋮⋮きゅう﹂
と短い声を出して気を失ってしまった。
それを見たキアラは内心で﹁しまった⋮⋮﹂と頭を抱えていた。
よく考えてみれば、竜に襲われて壊滅した街なのだ、ここは。
キアラにはテンペスタが心配そうな顔を浮かべているのも分かる
し、声も聞こえた。
だが、それはキアラの心がテンペスタと通じているから、の話。
普通の人間から見れば、厳つい巨大な竜が唸り声を上げて目の前に
鎮座意しているのだ。気を張っていたなら彼女ももう少し気丈な反
応を返せたかもしれないが、ようやく助けが来た、という事で張り
詰めていた緊張の糸が解け、外の太陽の光の下で最初に見たのがテ
ンペスタの、竜の顔だ。気絶も当然の話だろう。
妹の方が﹁わー!すっごーい!おおきー!!﹂と目を輝かせてテ
110
ンペスタの顔を触っている方が珍しい反応だと言えるだろう。
﹃どうしたんだろ?﹄
﹁うん、まあ、さすがに驚いたんじゃない?﹂
分かってなさそうなテンペスタに乾いた笑いで返すしかないキア
ラだった。
111
第七話:最初の生存者︵後書き︶
︻ドラゴンファイルNo.3︼
飛竜ウォーキス
・脅威度:G
・討伐難易度:G
貴重ではあるが、比較的人族の勢力圏でも見られる下位の飛竜。
きちんとした調教を行えば人を乗せて運んでくれる為、貴重な連絡
手段として各国の王家などの直属の組織が保有している事が多い。
残念ながらサイズの関係上、人一人+α程度の荷物を乗せて飛行す
るのが精々なので大量運搬手段としては用いられる事はない。
見た目は皮膜状の翼の生えた羊、といった外見で基本草食性。
見た目こそ羊に似ているが実際にはその全身を覆う毛状のそれは鱗
が変質したもので手触りは割と硬質。
かつてはその外見から竜ではなく、魔獣の一種であると考えられて
いた。
区切りを優先して先アップ
うーん、早くテンペスタにもアバレさせてあげたいんだが⋮⋮今し
ばらくお待ち下さい
112
第八話:竜の怒り、それは利己的な︵前書き︶
次でド派手に暴れられそう
113
第八話:竜の怒り、それは利己的な
二人目の救出対象は男性だった。
結婚を機に引退して雑貨屋を経営していた、という元・冒険者で
あったとかで彼も城壁での戦いに参加していたのだそうだ。
が、衆寡敵せず、暴食竜ガルジャドに食われる寸前バランスを崩
して城壁の向こうへと落ちた。
その痛みと直後に崩れた瓦礫がぶち当たって意識を失い、気付い
た時には全て終わった後だった、との事だった。どうやら、ちょう
ど城壁の影となる位置に落ちた為に、そしてガルジャドがいちいち
戻ってくる、という事をしなかった為に彼の上を上をと次々乗り越
えていき、結果として気を失った彼は食われずにすんだらしい。
もっとも、足を瓦礫に砕かれて身動きがとれず、何とか折れた槍
を添え木代わりに、服を裂いて固定し、這いずって奇跡的に無事な
井戸を見つける事が出来たものの、それ以上動けなかったそうだ。
﹁いやあ、助かったぜ。このまま腹減ったままおっ死んぢまうか
と思ってたからよお⋮⋮﹂
とりあえず冒険者用の携帯型流動食を分けてもらった男は苦笑し
ながらそう言った。
この携帯型流動食は冒険者用に工夫された食料で、逃走中などで
のんびり食事をしている時間がない、けれど腹に何か入れる必要が
ある!といった場合を想定して開発されたものだ。
実は冒険者がそんな状況に陥る事は決して珍しい事ではない。
火が焚けない、といった状況になる事もあるし、かつてはそんな
時には干し肉などを齧るしかなかった。
だがしかし、それでは口寂しさは紛らわせる事が出来ても、腹が
膨れた実感はない。それに、干し肉というのは固いので、そのまま
114
飲み込むのにも向いていない。腹を満たす、という事には余り向い
ているとは言えない食品ばかりだった。
そこで、ギルドが料理人と協力して新たに開発したのがこれで、
野菜を細かく刻み、形がなくなるまで長時間煮込んだスープを冷ま
したものを密封。煮沸消毒して販売、といった感じだ。これなら栓
を取っ払えば急ぎ流し込む事が出来るし、湯を沸かしてその中に放
り込めば立派な献立の一つともなる。味にもバリエーションをつけ、
今ではすっかり冒険者に愛用されている品だ。とはいえ、基本的に
一度仕事に持っていったら次回は新しいものを仕入れていく事を推
奨されてはいるのだが⋮⋮。
という訳で、キアラも幾つか準備している。今回はその中から提
供した訳だ。
﹁⋮⋮なあ﹂
﹁はい?﹂
﹁⋮⋮救助されたのはあいつらだけ、か?﹂
ちょいちょい、と呼ばれて近づいたキアラは男に小声でそう尋ね
られた。
﹁⋮⋮はい﹂
﹁⋮⋮そうかい﹂
男が声を潜めた理由はキアラもわかっている。
あの少女達は建物の残骸の下に閉じ込められていた。
とはいえ、石を積み上げて作られた建物だ、巨大な塊があるでも
なし、ただ石をどけるだけなのだから人海戦術で十分救助活動が可
能だ。 しかし、あの少女達に助けは来なかった。それは既に彼女らに確
認している。
115
父親だけ、というのならばまだ可能性がないでもない。防衛に既
に向かっていたなどの理由で母親がそこに子供達を隠したという事
を知らなかった、という事もあるし、防衛戦を行いつつそのまま後
退した、怪我を負って後送された、といった可能性もあるからだ。
しかし⋮⋮姉妹を地下室へと隠したのは母親だったという。
もし、母親が生き残っていれば、当然姉妹の事は伝えられただろ
う、しかし、救助が来なかったという事は⋮⋮。
﹁脱出上手くいかなかったんですか?﹂
キアラもセーメの街の脱出がどの程度の成功を収めたのか詳細は
知らない。
だが、相当な被害が出た事は知っている。
原因は退避までの時間が絶望的に足らなかった為。
無論防衛戦に関わった者達は皆必死に戦ったのだろうが、街の防
御施設には甚だ難があり、戦える者の数は圧倒的に足りず、人の不
足を支える絶対的な強者も存在しなかった。これに加えて、街の住
人も長い平穏な時に慣れ、竜からの避難という事態に対応出来なか
った。
災害一つとっても、その災害に慣れている者達なら﹁この災害の
時にはこういう対応をすればいい﹂﹁災害の後、こんな事が起こる
危険があるからこういう対応をしよう﹂﹁災害の被害がこれだけだ
から、まずこれから対応しよう﹂という事を自然と認識出来、焦り
も少ない。事が起きた後の復興も経験のない地域に比べて圧倒的に
早い。
これに対して、そのような災害への経験が全くなければ対応は鈍
くなる。
そう、セーメの街の住人はいざ竜の接近が告げられ、避難が呼び
かけられた時、何を持ってどこに逃げればいいのか、それが全く分
からなかったのだ。そして、避難誘導を行うべき兵士達が総出で防
116
衛線に張り付いた事もそれに拍車をかけた。⋮⋮まあ、この街の場
合、兵士も果たして誘導がまともに出来たかは怪しいし、そうしな
ければならない状況だったのも確かなのだが。
﹁⋮⋮ってな次第でな。まあ、うちはかみさんも元・冒険者だか
らさっさと荷造りして子供連れて脱出したはずなんだが⋮⋮﹂
そうした避難の仕方を理解している者が声をかけたお陰で何とか
彼らについていって逃げ出せた者が街全体の一〇パーセント程。 そうした動きを見て、どうしたらいいか分からなかったのでとり
あえずついていった結果、助かった者が更に追加で二〇パーセント。
助かった者の割合の内、残る一〇パーセントに当る人々は実際に
竜の襲撃が始まった時点でまだ街に残っていて、逃げ惑った末に運
良く生き残った者達だった。逆に言えば竜が街に襲い掛かった時点
でまだセーメの住人の内、七〇パーセントがまだ街に残っていて、
その内八十五パーセントが死亡したという事になる。
まあ、そこまでの詳細は後の調査でも分からなかった訳だが、街
の防衛にあたっていた彼からすれば絶望的な程に避難の手際が悪か
ったという記憶ぐらいはあった。姉妹が地下室に隠された事から、
最早街の外への避難が不可能な段階になっていた可能性が高い、つ
まり逃げ損ねた、という事だ。
せめて一緒に地下室に入っていれば、とも思うかもしれないが、
あそこは構造上鍵などを閉める事は出来なかった。母親はだから、
おそらく蓋が跳ね飛ばされないよう重石を載せるなり何なりの対策
を外から行ったのではないだろうか。⋮⋮当然そうなれば逃げるの
は更に遅れる。
瓦礫がどけられた時に遺体は見つからなかったから、一旦蓋をし
た後で外へ出るなりしたのだろうがそこで亡くなったのだろう。
﹁まあ、最悪これも何かの縁だ、うちで引き取るぐらいはするさ﹂
117
﹁⋮⋮大丈夫なんですか?﹂
男の言葉にキアラは心配そうな顔になる。
この世界、そこまで孤児に優しい世界ではない。成人前に親の庇
護を失った子供の末路は大概ろくなものじゃない。
ましてやこの男性も店を失ったばかりのはずだが⋮⋮。
﹁なに、こっちの店は支店だからな﹂
⋮⋮話を聞けば、雑貨屋というから勘違いしていたが、実は王都
のそれなりに大きな商人だったようだ。こちらにあったのは支店な
のだが、元々彼も奥さんもこの街の出身、休暇と里帰りを兼ねてこ
の街へとやって来て、今回の災禍に出くわしたらしい。無論、王都
最大の、なんて訳ではないが姉妹二人ぐらい店の従業員として雇用
する形で引き取るぐらいは問題ないそうだ。
見捨てるのも寝覚めが悪い、という事もあるだろうし、同じ竜の
襲撃で生き残った者同士、という事もあるだろう。と、同時にこれ
は元・冒険者という経歴も影響していたかもしれない。
冒険者、というのは仲間を見捨てるのは最低の行為だとされてい
る。
最も、そこには少数で動く以上、頼れるのは仲間と同じ冒険者だ
け、という厳しい現実がある。街中ならまだ顔見知りもいるだろう
が、一度野外へと出れば近くにいて何かがあった時に見知らぬ誰か
の助けを期待するのは偶然以外にはなく、そして商人などと異なり
冒険者はその仕事が危険を冒すのが前提となる事も多々あるからだ。
だからこそ冒険者は仲間同士助け合う、という倫理観を構築せざ
るをえず、それを破った者への制裁も厳しいものがある。引退した
今も彼の根底にはその観念が根付いているのだろう。
そんな会話をしながら、テンペスタの発見した最後の一人の下へ
118
と向かっていた。
その方角は⋮⋮。
﹁ありゃ、この方向って事は果樹園か?﹂
﹁果樹園、ですか?﹂
男がそう呟いた。
街から外れる方向へと向かっている。
そうなると⋮⋮。
﹁そちらへ逃げ出した、って事でしょうか?﹂
﹁かもな﹂
街からの脱出ルートとして用いられた街道、王都方面のそれとは
全く別の方角にその果樹園はあった。
だから彼らも当然のように、竜に追われて逃げた先がそちらだっ
たと思ったのだが⋮⋮。
﹁ありゃ、あの爺さんは⋮⋮﹂
姿を確認した時点で男が呟いた。
﹁ご存知なのですか?﹂
﹁ああ﹂
竜の接近には気付いたはずだ。何せこちらは姿を隠しようのない
大空を飛行しているのだし、魔法で姿を隠している訳でもない。
これが姉妹や男のように逃げようもない状況ならともかく、老人
は見た所普通に動き回っているし、こちらに視線も向けた。
気付いていないという事はありえず、逃げられないという事でも
119
ないであろうに、老人は逃げるでもなくただ淡々と果樹園の世話を
している、ように見える。
上空から見る果樹園の状況は決して良くない、いやはっきり言っ
てしまえば悪い。こちらにも暴食竜の一部が暴れたのだろう、それ
に広大な果樹園の内、老人一人で世話が出来る範囲など限られてい
る。果樹栽培というのは、いや農業全般に言える事だが簡単なもの
ではない。ましてや、この世界には機械化、なんてものはなく、ま
た魔法で世話をするのは非効率的、そもそも人の魔法は瞬間的に属
性へと干渉して短時間のみの発動がもっとも効率が良い事と竜とい
う分かり易い脅威が存在する為に攻撃魔法が発展しており、便利系
の術というのは余り存在しない。
故に、丘陵地帯の果樹園となれば必要ならば水を桶に入れて運び、
多数ついた実から出来の良い一部を残して取り除き、虫にやられな
いよう確認を行い、とやる事は多々ある。
当然、人手が必要となり、老人一人では広大な果樹園と言っても
その一部しか世話のしようがないのだ。 敵意がない事を示す為にもゆっくりと降下するテンペスタと、そ
の背に乗った一同の姿に老人も気付いたのだろう、立ち止まってこ
ちらが降りてくるのを待っていた。 ﹁おおい!ゲルト爺さん!!﹂
﹁?⋮⋮ジャコモか、お前さん無事じゃったか﹂
少し離れた所から男が声をかける。
老人は一瞬気付かなかったようだが、すぐに声などから誰か分か
ったようだ。知り合いなのに酷くないか?と思うかもしれないが、
王都でもそれなりの規模の商人というならば普段はこざっぱりした
姿をしていたのだろう。それが今は激しい戦闘を行った後、怪我を
して這いずり回り、何日も水と僅かな携帯食で生き延びてきた後な
のだ。
120
匂いと汚れの酷さに顔をしかめた︵気付いたのはキアラだけだっ
たが︶テンペスタによってざっと魔法による洗濯消臭が為されたも
のの、それでも鎧や衣類は戦闘でボロボロ。顔は痩せこけ、髪はぼ
さぼさ、髭は伸び放題。さすがにこれでは普段が小奇麗な程、相手
が誰だか分かるまい。
無愛想にも見える老人だったが、知り合いの無事は喜ばしい話だ
ったのだろう、顔がほころんでいた。
﹁おうよ、いや、戦いこそ生き延びたけど怪我して置いてかれち
まってな。水飲んでしのいでたが、もうダメかと思ったぜ﹂
そう言って笑う豪快なおっさん、といった様子のジャコモと呼ば
れた男の様子を老人は黙って見ていたが、しばらくして顔を緩ませ
て言った。
﹁ふむ、普段のすまし顔に比べると随分と違うの。そちらが素か
?﹂
﹁あ?ああ、そうだな。普段は商人だからなあ。きっちりした顔
してねえと顔をしかめる奴らも多いから、何時の間にやらあれがこ
びりついちまったぜ﹂
冒険者も必要な時はある程度の儀礼を示すが、普段はそんなもの
は必要ない。
だから大体こんなものだが、あの戦いとその後の救助までの時間
の為に、商売に成功する為に抑え込まれていたかつての彼が顔を覗
かせた、といった所だったのだろう。
﹁けど、良かったぜ。爺さんも無事だったようでよ。⋮⋮避難し
なかったのか?﹂
121
爺さんなら避難生活を送る金だって十分あっただろうによ、そう
告げるジャコモだった。
事実、この老人はこの街が出来た頃から代々住んでいる家系で、
結構な広さの果樹園を経営していた。
裕福な人物であり、だからこそジャコモとも顔見知りだった訳だ
が、そんな経歴故に十分な金を持っていたはずだった。無論、家財
などは失っただろうが、老人も王都に屋敷を有している。はっきり
言ってしませば、残りの余生を遊んで暮らすぐらいの蓄えはセーメ
の街から離れても十分にあるはずだった。 そう言われた老人は⋮⋮。
﹁避難か⋮⋮そんなものする気はない﹂
﹁はあ!?﹂
きっぱりと言い切った。
﹁おいおい、ゲルト爺さん、今この街は壊滅状態なんだ。たった
一人でどうすんだ?﹂
﹁生きていくだけなら問題ない﹂
キアラの目の前で説得するジャコモと、断固としてそれを断り残
ると言い続けるゲルト老人のやり取りが繰り返されていた。
姉妹はといえば⋮⋮姉は呆気に取られ、妹はといえば最初は﹁喧
嘩してるの?﹂とキアラに聞いてきたりもしたが、キアラが時間を
かけてそういう訳ではない事を理解してもらってからは黙って二人
の激しい口論を見ていた。
﹁ああ、もう⋮⋮おい、嬢ちゃん、お前さんからも何か言ってや
ってくれねえか?爺さんもいい年なんだ、若い時分ならともかく、
この年で一人でなんて無茶だぜ!﹂
122
遂に自分だけでは説得出来ないと諦めたのか、ジャコモがキアラ
へと声をかけてきた。
﹁うーん、と言っても⋮⋮ええと、ゲルドさん、ちょっとお聞き
してもいいですか?﹂
﹁なんじゃね?﹂
﹁何故残ろうと思われるんですか?﹂
それがキアラの疑問だった。
話を聞いていればゲルドが最初からこの地へと残る事を決めてい
た事は分かった。
それはいい、いや、良くないが災厄が近づいた時、﹁どうせなら
生まれ育ったこの地で死にたい﹂という老人はどこの街や村にもい
る。見知らぬ土地で果てるぐらいなら⋮⋮、傍からすれば﹁そうい
う訳にもいかない﹂以上迷惑かもしれないが、同時に﹁若い者に迷
惑をかけたくない﹂という気持ちも⋮⋮いや、話が逸れた。
キアラが気になるのは、ゲルドにそれ以外の何かを感じるものが
あったからだ。
前述のような老人にはどこか生き疲れたような、死を覚悟した者
特有の気配がある。
だが、ゲルドからはそれを感じない、むしろ⋮⋮何か目的がある
ように感じられる。目的ある者特有の何かを感じる。
そう告げると、ゲルドはしばし黙っていたが、やがて近くの果樹
へと歩いていった。
﹁この木はの、この街の特産品の一つが生る﹂
軽くぽんぽんとその幹を叩きながら、そう呟くようにゲルドは言
う。
123
﹁じゃが、この木とて最初からあった訳ではない﹂
人の食べる物、というのは試行錯誤の歴史の積み重ねだ。
より甘い果実、より美味い野菜、得る事が出来れば、そうした植
物の種同士をかけあわせ、より美味を追う。
﹁これらが生まれるまで、生み出すまでこの街の住人は大変苦労
したんじゃ。じゃが⋮⋮所詮は人が作り出した歪なもの。放置して
しまってはやがて失われてしまう⋮⋮﹂
セーメという街の特産品、それは街を支える根幹だ。
この木々が残っていれば、何時かセーメの街の住人達が戻ってき
た時にかつての味を復活させる為におおいに役立つ。 だからこそ、自分はここに残る、そう語る。
何時か、この街が復興するその時の為に⋮⋮。
そう言われて、ジョコモも苦い顔になった。一度失われたものを
取り戻すには大変な苦労が必要だ。ましてや、植物の改良となれば
ただ家を建て直す、他から移住者を求める、というだけでは済まな
い。確かにこれが完全に失われてしまってはセーメの街の復興はか
なり厳しいものになると言わざるをえまい。 それが分かる、分かってしまった為にジョコモも難しい顔になっ
たのだった。
﹁むう⋮⋮確かに、そりゃ⋮⋮﹂
しばし、考えていたジョコモだったが少しして顔を上げるとキア
ラに向き直った。
﹁仕方ねえ。俺も元々はこの街の出身だ、そういう事言われたら
124
見過ごせねえよ⋮⋮すまねえが、帰る前に隣街に寄ってもらえねえ
か?﹂
﹁いいですけど⋮⋮何を?﹂
﹁ああ、うちのかみさんは隣街へ脱出したはずだからな。王都へ
戻ってるかもしれねえが、まだいたらそっちへは手紙を、後は⋮⋮
避難した連中で爺さんを手伝ってもいいと思える連中だな⋮⋮事情
を知りゃ動く奴らはいるだろ﹂
果樹はセーメの住人達にとっちゃ自分達で育て上げた誇りだから
な。
そう言って胸を張ったジャコモを見て、ゲルド老人も少し笑顔を
見せた。
まあ、王都へと帰る途中に寄り道するぐらいは問題ないだろう、
そう判断したキアラはそれを了承した。今から出ても、夜までには
十分戻れるし、そもそもテンペスタは夜の飛行も全く問題としない。
彼にとっては夜の闇もまた己の属性であり、視界を遮る事はない、
らしいからだ。
ここまでは良かった。
後にキアラは振り返って思う、思えばこの時さっさと離陸してい
ればまだ事は本来の流れ通りに進んでいたのではないか、と⋮⋮。
事態が変わる原因となったのはこの直後の一言だった。
﹁しかし、今年はロンギの実もガオレンもどれだけ出来るやら⋮
⋮﹂
﹁え、ロンギとガオレンがどうかしたんですか?﹂
どちらも比較的一般的な果物だ。
だが⋮⋮。
﹁⋮⋮その最大の産地がこの有様、っていうかこの国のロンギも
125
ガオレンも殆どここで育てられてたからなあ⋮⋮﹂ ﹁正確には他の地でもロンギの実もガオレンの実も育てられては
おる⋮⋮じゃが、一般にロンギだガオレンだと言われておるのはこ
こで改良されたものなんじゃよ﹂
﹁ここのに慣れて他のを食ったら、すっぱいだけだの、小粒にす
ぎるだの文句が出るだろうぜ﹂
成る程、そう思った所でキアラはふと寒気がした。
﹃そっか⋮⋮﹄
﹁⋮⋮テンペスタ?﹂
周囲は感じていない。
今、テンペスタは明らかに怒っている。けれど、周囲の人は誰も
気付いていない、テンペスタの背に乗っている姉妹でさえ平然とし
ている⋮⋮。
つまり、きちんと制御は出来ている⋮⋮これは⋮⋮テンペスタと
繋がっている私だけが感じ取っている?
そう理解出来た故にキアラも小声で呟くに留めた。
﹃許せないね!﹄
何がだろう?
そう思ったキアラへの解答はすぐに与えられた。
﹃僕の好物をダメにするなんて!!!!それじゃなに!?しばら
く僕の好物、お預け!?﹄
﹁はっ?⋮⋮ああ、いえ、何でもないです﹂
思わず声が洩れたらしい。
126
話していたゲルトとジョコモ、姉妹から一斉に注目を浴びて慌て
て誤魔化す。
⋮⋮そういえば、テンペスタはロンギの実の甘さもガオレンの少
し酸味のある味も大好きだったと今更ながらに思い出す。
そういえば⋮⋮とふとキアラは余計な事を思い出してしまう。
﹁ここってシイナやゲルパに関しても一大産地だったような⋮⋮﹂
﹁おお、そうじゃよ?﹂
ゲルド老人の返答にますますテンペスタの怒りが高まるのを感じ
取って、キアラは内心冷や汗をかいていた。
⋮⋮これまでは目立たないように彼には抑えてもらっていた。
何せ、彼女とテンペスタが裏で引き受けている依頼は少し格好良
い言い方をすれば﹁法で裁ききれぬ悪を討つ!﹂という事になる訳
だし、間違っている事をしているつもりはないが、どう言い訳した
所で法には反しているのが実情だ。 けれど⋮⋮ここまで怒っているテンペスタを抑えきれるかは⋮⋮
果たして疑問だった。
︻食い物の恨みは恐ろしい︼
キアラの脳裏に浮かんだのはそんな言葉だった⋮⋮。
127
第八話:竜の怒り、それは利己的な︵後書き︶
テンペスタの怒った理由はこういう至極単純なものでした
⋮⋮というか、まだ子供なので感情的になりやすいのです、竜とし
てはですが
地震大国日本では地震への対応は誰でも身につけてるけど、海外で
は大混乱に陥る人も多いそうですからね
災害への経験豊富かどうかで対応やその後が違ってくるのは当然です
もっとも、海外で日本人、地震が起きた時に平然としていて建物か
ら逃げなかった為に後で﹁日本とは違うんだぞ!早く逃げないと危
ないだろう!!﹂と怒られたという話もあるそうですが
128
第九話:火竜沈静
冒険者達の集団に少数の騎士。
暴食竜ガルジャドの群を防ぐ防衛線を構築するのは合計で三百に
満たない彼らによって構築されていた。
いささかならず少ないように思えるかもしれないが、これは仕方
のない面もある。
彼らがいるのは守るべき対象となる都市より少し南部に下った場
所にある小さな湖の畔。ガルジャドの進行ルート上にこの湖が存在
し、彼らは水を嫌う事から⋮⋮いや、或いはただ単に面倒なだけか
もしれないが、湖と遭遇した時点で左右いずれかへと進路を変える
であろう事が予想された。
どちらへ進むかはわからないが、左へと進めば当面人の住まう都
市はない。ならば、右の迎撃しやすい位置に陣取って、という訳だ。
無論、左に都市がないとはいえ地図にさえないような小さな開拓村
ぐらいはあるかもしれないが、その程度は必要な犠牲と割り切られ
ている。
現在の位置は向かって右に湖、左は崖。
魔法によって即席の防壁が構築され、緊張感を高めながら皆が待
機していた。
⋮⋮飛竜による偵察網が前方には築かれている。彼らとて必死だ。
何せ、火竜ウルフラムが未だガルジャドの群の近辺を飛んでいる。
もし、運悪く遭遇すれば、そして機嫌の悪い火竜から攻撃を受けた
ら⋮⋮それこそ飛竜如きでは到底太刀打ち出来ない。
それでも必要な事だ。
火竜と暴食竜の内、必要な事は暴食竜を止める事、最善は全て倒
す事。それが出来れば火竜は自然と去る、はずだ。少なくとも、人
の側から手を出さない限り、彼らが人の地に手を出してきたという
記録はない。手を出した相手、より正確にはそれなりの怪我を負わ
129
せたりした相手には容赦ないが、これとてどうやっているのか分か
らないが正確に相手を突き止めているらしく巻き添え以上の被害は
出ていない。見た目より遥かに大人しい竜なのだ。
﹃まあ、僕は別に飛んでてもいいんだけどねー﹄
﹁ま、まあ、あの人達凄く張り切ってたし⋮⋮﹂
というのがキアラとテンペストの本音なのだが。
とはいえ、テンペスタはともかく、キアラは疲労が溜まるので飛
竜乗り達が悲壮感と共に見張りを引き受けたのは間違いではない。
ただ⋮⋮。
﹃あ、来た﹄
﹁え?﹂
﹃火の力が近づいてる、間違いないと思うよ﹄
テンペスタが気付く方が見張りからの連絡が届くより早かった。 もっとも、今回に関して言えば飛竜乗り達を責めるのは気の毒だ
ろう。
彼らは伝令と見張りとしての腕を鍛えており、優れた見張り役と
して普段は機能するのだが生憎雲までは見通せない。そして、今日
は晴れてこそいたものの、雲自体はかなり多かった。視界に頼る以
上、雲や夜の闇に遮られてはどうしてもその精度は落ちる。
では地上は、と言えば何もない草原や荒地ならまだしも、大地は
予想以上に起伏に満ちている。幾ら大型竜サイズの群といえど、数
千頭の群からなる巨大な草食獣の群と比較しても空から見れば相当
に小さく、発見はその分困難になる。せめて乾燥していれば盛大に
土埃も上がるだろうが、この近辺は湖がある事からも分かるように
大地も湿っている。
これに対して、テンペスタは属性を感じ取っている。
130
殆ど属性を持たない相手ならともかく、火竜クラスの属性ともな
れば相当遠くからでも感知可能だ。
﹁分かった。⋮⋮うちの竜が火竜の気配を感知したわ、先に上が
るわよ!﹂
そう周囲に声を掛けた事で、一気に周囲は騒然となる。まあ、い
よいよ戦闘が近づいた、という事なのだから当然なのだが。
監視中の飛竜へと念話も飛んでいるようだ。
この念話、基本はキアラとテンペスタの間に通じてるものと同じ
だが、同じなだけあって事前に定められた波長でしか通じない。そ
れによって混線を防いでいる訳だが、結果として一対一、騎士隊長
と飛竜隊の隊長を繋いだ場合、改めて別の人物に繋ぎ直して連絡と
いう事が出来ない。おまけに連絡可能なのは一回だけで交信可能時
間も短いし、使うまで新たに対象を設定する事も出来ない。そして、
ある意味最悪な欠点が使用しないままに交信相手が死亡した場合、
二度と対象を設定出来ないという点にある。この為、王城にもこの
念話魔法が使えなくなった人物というのは案外いて、そうした苦い
経験から準備に手間暇かかるが、それを防ぐ安全の為にも、こうし
てさっさと使ってしまう。
キアラとテンペスタの間で常時接続出来ているのは、もうテンペ
スタが竜だから、としか言いようがないが彼の念話が他に通じない
のも同じ理由からで、もしキアラと繋いだままキアラが亡くなった
場合、テンペスタも二度と他の人物と念話を接続出来ない可能性が
あった。
まあ、もしそうなっても普通に言語は通じるので竜同士ならそう
問題はないだろうが⋮⋮。
飛竜が駆けて、その勢いを借りて飛び立つのに対し、テンペスタ
の飛翔はずっと鮮やかだ。
131
助走など必要なしに、垂直に翼さえ動かさずに舞い上がり、その
まま一定高度に達した時点でスムーズに最高速度へ一気に加速、火
竜へと向かっていった。
その鉱物のような美しい鱗と相まって、思わず、といった感じで
騎士達も冒険者達も見惚れた程だった。
そして、これが後に﹃晶竜王﹄、そう呼称されるテンペスタがそ
の力だけでなく、美しさでも認識された初の機会でもあった。
﹁飛竜隊は無事退避出来てるかしら⋮⋮﹂
﹃火竜の動きに変更ないから、大丈夫だと思うよー﹄
攻撃するなら火属性が活発化し、動きにも大きな変動があるはず
だ、とキアラの懸念に気楽な口調でテンペスタが答える。
それもそうか、とキアラが納得し進む事しばし。
やがて、キアラの視界にも空を舞う赤い何かが見えた。
﹁あれ?﹂
﹃そうだね、結構大きい﹄
﹁ええ⋮⋮﹂
一口に火竜ウルフラム、と言ってもピンキリだ。
ようやっと独り立ちしたばかりの火竜と今が盛りの火竜、老齢で
体力こそ衰えたものの属性の力の使い方に関して熟知した火竜⋮⋮。
そして、最も危険な竜とは老竜であると言われている。
例え、肉体的な能力は衰えたとしても、竜という存在の最も恐ろ
しいのは魔法的な能力であるという事だ。
﹁老竜かしら⋮⋮﹂
132
だからキアラの声に少し不安げな声が混じっていたのも当然だ。
竜は基本的には年経るごとに巨大になってゆく。最初から大きい
という事はあっても、その逆はない。
それ故に、比較的巨体の竜という事でそう懸念した訳だ。
﹃うーん、さすがにそこまでは分かんない﹄
幼竜という事はないだろうが、成竜なのかそれとも老竜なのかで
対応はまるで異なるのが竜というものだ。
とはいえ⋮⋮。
﹃むしろ今なら老竜の方が有難いけどねー﹄
﹁そうなの?﹂
﹃ここは火山みたいに火の属性が満ちてる場所じゃないからね。
陽の光で補充は出来るだろうけど、飛行だけじゃなく攻撃も行うと
なると厳しいと思うよ﹄
だからこそ、なかなか狙った奴仕留め切れずにここまで来てるん
だろうし。
確かにテンペスタに言われてみれば、納得出来る。
属性の扱いに長けてはいるものの、同時に巨体となった火竜の老
体は大量の火の属性を必要とする。
万物是我属性たるテンペスタならばあらゆる場所にて必要量の属
性を得られるものの、他の竜はそうはいかない。老竜は己の属性を
得られる地域から遠く離れるならば短期決戦をどうしたって強いら
れるのだ。すなわち、火山地帯から遠く離れたこの地域にまで飛来
可能な時点で老竜である可能性は極めて低いと言える。
まあ、老竜であればそもそも己の敵となった暴食竜ガルジャドを
とっくに殲滅している可能性が高いとも言えるが⋮⋮。
133
﹁でも、油断は禁物だよね﹂
﹃うん、それにやってみたい事あるしねー﹄
﹁えっ?﹂
突然にそんな事を言い出したテンペスタに思わずキアラは疑問の
声を上げた。
﹁何がしたいの?﹂
﹃ん、とりあえず⋮⋮あの火竜殺さない方向で行くよー﹄
﹁え、えええ!?﹂
そう言うなり、テンペスタが一気に加速し、火竜へと距離を詰め
る。
いや、それ自体は構わない。
だが、その後が問題だ。火竜を殺さない、というのはいい。だが、
それは本来、結果として殺せなかった、というだけの話でおそらく
火竜と戦ったらそれにかかりきりになるだろう、そう他の者は予想
していた。テンペスタは確かに体こそ大きいものの未だ生まれて数
年の幼竜であり、相手は最低でも成竜の火竜。暴食竜ガルジャドを
火山地帯から遠く離れたこの地まで執拗に追跡してきた所を見ると、
番か卵かいずれかを失った可能性が高く、となれば最低でも数十年
の月日を生きている個体。
通常、年経た竜ほど危険と看做されている事から、今回の依頼主
達や同じ冒険者達が﹁火竜と止めて、暴食竜討伐の邪魔をさせない
ようにしてくれれば儲けもの﹂と考えたのは当然の話だ。
キアラもテンペスタを通常の下位竜と同じような感覚で捕えてい
るつもりはなかったのだが、それでもまさか怒っているはずのテン
ペスタがそんな事を言い出した事には困惑していた。
﹁⋮⋮怒ってるんじゃなかったの?﹂
134
﹃怒ってるよ?﹄
﹁そうよねえ⋮⋮てっきり火竜も吹き飛ばしちゃうのかと思った
んだけど﹂
﹃え?だって、僕だって大好きなものあいつらにやられちゃった
から怒ってるんだよ?火竜だって同じなんだし、あっちにまで怒っ
たりしないよ﹄
その念話の内容にはさすがに絶句したキアラだった。
さすがに好物の果物と、番を同列に置いて話すとは思わなかった
からだ。
﹁さ、さすがに生き物と果物を同じにするのはどうかなあ?﹂
だから、思わずそう突っ込んだのだが⋮⋮。
﹃え?どっちも生きてるじゃない。だから暴食竜だって食べるの
はいいんだよ。僕だって火竜だってそれに対して怒ってるのは自分
が怒ったっていう我侭なんだから﹄
﹁果物、も?﹂
﹃植物も動物もだよ﹄
もしかして、とキアラは思う。
自分は根本的な所で勘違いをしているのではないか、と。 ボタンの掛け違い、そんな思いが頭に浮かんだが、事態はそれが
形となる前に動いた。テンペスタが体を傾けた直後、キアラの傍を
火球が通り過ぎていった事によって。
直撃したら人なんて丸焼け確実、としか言いようのない気配を漂
わせる攻撃に、直前まで考えていた事も吹っ飛び、慌てて前方へと
意識を集中する。幾ら戦うのはテンペスタで、キアラは基本乗って
るだけ、とは言うもののボケッとしているのはさすがに拙いだろう。
135
テンペスタも避ける際、自分の体はきっちり避けられるよう考えて
いるし、多少余裕を持って動いてくれるものの、ギリギリでの回避
となった場合はキアラもある程度体を捻ったり、魔法で防御しない
といけない。
どうせ見てるだけだと余所見なんかしてれば、死なないまでも大
怪我する可能性ぐらいはあるのが現実だったりする。
﹃うん、上手くいった。このまま続けていくよ!﹄
﹁わ、分かった⋮⋮って何が上手くいったの!?﹂
﹃え?見てなかったの?あいつの体に爪立てたんだけど﹄
⋮⋮どうやらキアラがちょいと余計な事を考えている間にテンペ
スタは火竜を怒らせるような事を仕出かしていたようだった。
ただし、爪で引っ掻くのが目的なのではなく、相手の属性を打ち
消す事が狙いだという。
竜にとって属性とは自身を動かす燃料であり、自身を支える骨格
だ。全ての基本であるそれを一定以上に奪われたりしたら、竜は飛
翔もまともに出来ず、再び火竜ならば陽光を浴びて必要なレベルに
まで火属性を吸収するか他の竜によって火属性を放ってもらうまで
大人しくせざるをえなくなる。
今回の場合、それがテンペスタの狙いのようだ。 他竜の属性を奪うなど出来るのか、と問われれば、上位竜同士で
は難しいらしい。
今回はテンペスタが上位、火竜は下位、という知性の有無に加え
て相手が弱っていたから出来る事らしい。
﹃さすがに元気一杯の時だったら無理だね、これはーっと﹄
そうテンペスタは軽い口調でそう付け加えた。
さすがに火竜の側も危機感を覚えたのだろう。動物並の知性、と
136
はいえそれだけに本能に基づく警戒や危機の感知には忠実だ。己の
力となっている属性が消えていくような感覚に怖気を感じ取ったか、
首を回して火球を連射してくる。
竜の吐く火球がただの火球という事はありえない。
下位竜ゆえにそこまで複雑な魔法術式が組み込まれている訳では
ないが、長く生きる内に自然と改良されたそれらは僅かに曲り、テ
ンペスタを追う。
先程の火球をギリギリで回避したのもこれが理由か、とキアラは
その動きを見て察する。
極めて高度な術式となれば速度も追尾性能も遥かに高くなり、そ
れこそ迎撃として魔法を放ったり、欺瞞の為の幻術を用いたりする
事になるがこれはそこまでの追尾性はない。
それでも僅かでも追尾機能を持つのは厄介だ。おそらく、テンペ
スタも最初はその動きからただの火球と思い回避した所、追尾して
きた為にあのギリギリの回避となったのだろう。だから今回は大き
めに回避行動を取る⋮⋮という事はしない。
むしろ、高速で突っ込み直前に僅かに捻って回避を行う。
こちらの動きを察知して迫った際に爆発する、といった機能はな
いと察したゆえの対応だ。精密な追尾能力のない火球はそのまま傍
を通り過ぎて去ってゆく。
そのまま加速して一気に突っ込むテンペスタ。
かなり軽減されるとはいえ、キアラはあくまで余剰。さすがにテ
ンペスタも自身の体と同じという訳にはいかない。こればかりは経
験の世界だ。故に、テンペスタが激しい機動を行えば、キアラの体
には負担がかかってしまう。
はっきり言ってしまえば今回の戦闘に関してキアラはお邪魔虫だ。
戦闘に関しても感知に関しても経験が不足しているとはいえ上位
竜であるテンペスタの方が上。
︵それでも⋮⋮︶
137
今回に関して言うならば、別にキアラを乗せずに飛んでも良かっ
た。
おそらく、その方がテンペスタにとっても楽なはずだ。だから⋮
⋮。
︵どんなに私の力が足りなくても、それでも彼のパートナーなん
だから⋮⋮っ!!︶
これはキアラの意地。
それを承知の上で、けれどテンペスタは喜んで彼女を乗せてくれ
た。彼女の我侭も認めてくれた。
それなのに、ここで怪我なぞ負う訳にはいかない。そして⋮⋮。
︵ただ、足手まといなだけでは終わらない、終わってたまるもの
ですか!!︶
文字通り風を切り裂き進むテンペスタは火竜ウルフラムとすれ違
った刹那、即座に鋭角機動を取って、一気に火竜の背後を取る。
だが、そのまま迫った瞬間の事だった。
轟!
そんな音が聞こえたような気がした。
火竜の翼の根元付近から一気に炎が激しく噴出し、加速する。
﹃うわっとっと﹄
﹁きゃっ!?﹂
テンペスタもキアラも思わず驚きの声を上げて空中で停止、はせ
138
ずそのまま垂直に上昇する事で後方へと伸びた炎を回避する。
別に火属性を持つテンペスタはこの程度の炎でどうこうなったり
はしないが、こればかりは驚きによる反射のようなものだ。
一方、火竜の方は炎を後方へと伸ばしながら、一気に加速、その
ままテンペスタを引き離しにかかる。
﹁っと、逃げられちゃう!﹂
﹃逃がしはしないよ!!﹄
だが、テンペスタは完全に崩れた体勢のまま空中に急停止、その
静止状態から一気に加速する。
﹁一体何があったの?﹂
﹃うーん、多分﹄
大気に干渉、火属性の根源の力たる加速でもって大気を圧縮し、
その際に大気を構成する成分それぞれへの加速度を変える事によっ
て高密度の酸素の塊を形成し、そこへ火種を放り込む。僅かな埃が
周囲の高濃度酸素によって爆発的な燃焼を発生させ、その爆発を一
方向に束ねて放出する事で加速する。
これを極短時間に連続して行う事で自身を加速させている。
そこまで詳細にテンペスタも把握した訳ではない、語彙も足りな
い。
彼に分かったのは大気の圧縮と爆発、その爆発による加速、その
程度だ。
﹁⋮⋮火属性だけで、そんなの出来るの?﹂
聞いたキアラも説明役のテンペスタ自身が彼女に話しながら自分
の考えを纏めているような状況で、理解出来たとは言いづらい。
139
だが、一つ。
火のみの属性を持つはずの火竜ウルフラムがこのような能力を持
っているなど今回の討伐前に参加者全員に配布されたギルド資料で
も読んだ覚えがなかった。もっとも、これに関してはただ単に人相
手では使う機会がなかっただけ、或いは単なる火による攻撃として
認識されていた可能性もある。何しろ、見た目だけ言うならば炎が
噴出す攻撃と取れなくもないからだ。
﹃出来なくはないよ、人と同じだもん﹄
そう、人は魔力でもって属性に干渉し、魔法を使う。
眼前の竜が使っているのもそれと同じ。
大気への干渉を行い、圧縮を行っている。元々竜の持つ魔力は人
のそれを大きく上回る、そこへ火属性の持つ力も加える事で長時間
は無理にせよある程度の連続使用を可能にしている。 もっとも、キアラとテンペスタが知る由もない事だが普通は下位
竜である火竜にはこのような事はできないし、やらない。
では、何故、この火竜はこのような事を行うようになったのか⋮
⋮。 つがい
それは、この火竜が火竜としても大柄であった事に原因がある。
一方、この火竜の番となった雌竜は小柄だった。⋮⋮通常より小
柄な竜であったからこそ、卵を抱き巣から離れるのが遅れた結果、
暴食竜の餌食となってしまった訳だが、人がそうであるように一般
つがい
的に同じような体力ならば小柄な方が大柄な方より小回りが利き、
素早い。
無論、大柄な方はその分筋力が高い訳だが、この火竜は彼の番と
つがい
同じように飛びたかった。
番に加減してもらって一緒に飛ぶのではなく、彼女に全力で飛ん
でもらい、その横を自らも飛びたかった。
野生動物であっても必要ならば道具を扱う事があるように、必要
140
と感じたからこそこの火竜もまた自らの魔法を構築し、用いた。
つがい
そうして、ようやく共に空を同じ速さで飛ぶ事が出来、卵が生ま
れ⋮⋮直後に全てを失った。
その怒りのままに暴食竜の群を追い続け、一体、また一体と番を、
卵を喰らった個体を仕留めてきた訳だが⋮⋮。
︵邪魔をするな!!︶
そんな思いを込めた咆哮も無視して、火竜たる彼が懸命に編み出
した速さもあっさりとテンペスタは追いつく。
余りに機動性と速さが違う。
火竜が逃れる為に速度を保ったまま旋回しようとしたならばどう
してもその速度故に大回りになってしまう。
それを、火竜を上回る速度を出しながら、鋭角に曲がってついて
くるのだ。これでは逃れようがない。しかも⋮⋮。
ボッ、ボボッ!!
そんな音を立てて、急激に火竜から伸びる炎が小さくなってゆく。
それと共に速度が落ちる。
テンペスタも何故あれ程の速さが出るのか、その原理や仕組みを
理解している訳ではないが、それでも大気へと干渉している事ぐら
いは風の属性を持つテンペスタには理解可能で、魔力で属性に干渉
する火竜側より属性を持ち属性へと直接干渉するテンペスタの方が
遥かに効率良く、且つ強く干渉可能だ。
それに下位と上位の竜の差が加わって⋮⋮。
ぐおおおおおおお!!!
ズン!と。
141
上方からテンペスタが火竜ウルフラムへと襲い掛かり、その背を
両手両足を使って掴む。
火竜ウルフラムの中に荒れ狂う火の属性。
そこへテンペスタが己の属性である四属性をフルに用いて干渉す
る。
同じ火属性でもって荒れ狂う火を宥め、そこへ水属性を持って静
める。
風属性で干渉する事で大気がねっとりと火竜の翼へと絡みつき、
地属性によって大地の空を舞うものを引きずり落とさんとする力を
強め、ウルフラムはもがきつつも次第に飛行能力を奪われてゆく。
﹃まあ、少しの間だけ大人しくしていてよ、すぐに仇は討たせて
あげるからさ﹄
そんなテンペスタの囁きと共に⋮⋮遂に火竜は地へと降り立った。
こうなると野生故か大人しく動きを止めた、かのように見えたが
⋮⋮。
﹁諦めてない、よね?﹂
﹃うん、今日は天気がいいからねー、陽の光が放っておいてもあ
いつの中の属性を回復させちゃう﹄
だからその前に片をつける。
あいつらには遠慮する必要はないし、そんな声と共にテンペスタ
は遂に暴食竜の群にその牙を剥く︱︱。
142
第九話:火竜沈静︵後書き︶
︻ドラゴンファイルNo.4︼
巨竜メガロアルク
・脅威度:F
・討伐難易度:B
近年まで属性を持たない下位竜と思われていたが、最近になって水
のブレスを用いる姿が確認された事から水属性を持つ事が判明した竜
基本大人しい竜で、子育ての時以外は殆どを水中で過ごす
巨竜の名が示す通りの巨体であり、成竜はちょっとした砦程のサイ
ズを持ち、その足は城の塔にも匹敵する。その巨体故のパワーと耐
久力は脅威の一言
また普段は大人しいとの評価に違わず、溺れそうになった船乗りが
助けられたといった話も古来より聞かれる
討伐難易度の高さは地上に上がっている時が少なく、水中にいる時
は討伐が困難である事
数少ない地上に上がっている時は子育ての時が多い為下手に近づく
事も危険である事などがその原因である
今回、火竜とテンペスタの機動の差ですが⋮⋮
火竜:第二次世界大戦頃の初期のジェット機
テンペスタ:UFOみたいなカクカクっとした現代の戦闘機でも不
可能な動き
だと思って頂ければ
143
第十話:竜の力︵前書き︶
今回はちょっと長めです
144
第十話:竜の力
暴食竜ガルジャドの群はテンペスタと火竜が激突している間に既
に冒険者と接敵していた。
﹁⋮⋮でかいな﹂
誰かがそう呟いた。
セーメの街を襲った時に十分な魔力を得たのか、更なる巨体を得
ている竜も複数いた。その分、数は若干減っているのだがガルジャ
ドという竜が図体がでかい程危険度が増すという事を考慮すれば、
まったくもってありがたくない話だ。
と、同時に冒険者達は知らぬ話だが、ガルジャド達の暴走の終わ
りも着実に近づきつつあった。
もっとも、ガルジャド達の命が尽きる前に、間違いなく冒険者や
騎士達の背後にある街は大打撃を受ける事になるだろうが⋮⋮。
﹁火竜は足止めされてる⋮⋮今の内に何とかこいつらを片付ける
か、せめて進路を逸らすんだ!﹂
﹁﹁﹁﹁﹁おう!﹂﹂﹂﹂﹂ 騎士隊長が怒鳴るように叫んだ声に一斉に応じる声が返る。
別に倒す必要はない、進路を逸らせればそれで時間が稼げる⋮⋮
ただ問題は逸らすつもりでやってどうにかなるような相手ではない、
という事だ。それこそ倒すつもりで全力で戦って、結果として進路
を逸らす事が出来ました、となる可能性ならそれなりに存在してい
る。
その最大の原因は⋮⋮。
145
﹁くそ、ここまで進んで来たのに何であんだけの数がいんだよ﹂
誰かが洩らしたその言葉が全てを語っている。
そう、未だガルジャドの群は八十に迫る数を維持し続けていた。
通常、長い距離を走破してきた暴食竜というのは大抵の場合、も
っと数が少ない。人はガルジャド同士が共食いしているのだと考え
ているが、実際には巨大化した体が必要とするだけの属性を取り込
み損ねた個体が次々と崩壊していっただけの話だ。
例え、属性が進路上に少なくても、個体の数が減れば群が必要と
する属性も自然と減少し、結果としてより巨大且つ少数のガルジャ
ドが行進を続ける、最後の瞬間まで⋮⋮。
それが通常のガルジャドの暴走だ。
ところが、今回は人の側にとっては運悪く、ガルジャドにとって
は運良くセーメの街を襲う事が出来た。これによって十分な量の属
性を得る事の出来たガルジャドの群は確かにセーメの街で損害を出
しはしたものの、途中で崩壊する個体の数は最小限に抑えられた結
果、未だ十分すぎる数が残る原因となった。もし、これでこの後方
の街が崩壊するような事態に陥れば、ガルジャドはその暴走をより
長い期間続ける事になるだろう。
﹁ぼやくな、今更言っても始まらん﹂
﹁⋮⋮そうだな、やるしかない﹂
各人がそう自分に言い聞かせるように或いは呟き、或いは答え、
動き出す。
今回の防衛線は最初から滅茶苦茶だ。
場所こそ選んだものの、防壁は頑丈ではあっても急造品、巨大な
都市にはつきものの長距離攻撃可能な弩弓なども存在しない。
用意された兵器は質こそ一級品だが、いずれも冒険者達の持ち物。
騎士達もまたある程度は装備を持ち込んではいるが、大型の兵器
146
はごく僅か⋮⋮。
で、あるのに誰一人悲壮な顔をしている者はいない。
﹁ようし、魔法使い連中、先制攻撃頼むぜ!﹂
﹁了解だ﹂
どのみち大変なら悲壮な、辛い顔をしていればますます勝利は遠
ざかる、勝利の女神を微笑ませるのは勝利を確信する気持ちだと言
わんばかりに誰もが不敵な表情を浮かべ、武器を構える。そもそも
覚悟が完了していないような奴はここにいない。
魔法の詠唱が始まる。
﹃猛々しき炎よ、燃え上がれ。我が力となりて∼﹄
火の属性に干渉し、差し出すように前に出された右の掌に赤々と
した炎を巻き起こす初老の男がいる。
﹃天空に漂いし雷よ、一時我が手に集いて∼﹄
風の属性に干渉し、拍手を打つように合わされた両手に紫電を纏
わりつかせる若い女性がいる。
﹃水に宿りし大いなる精霊よ、我に槍を与え給え、凍てつきし其
は雨となりて∼﹄
水の属性に干渉し、湖に向かって滔々と招くように語り掛ける中
年のがっしりした男性がいる。
﹃我らを支えし偉大なる大地よ、立たれよ。立ち上がりて大いな
る牙となり∼﹄
ふっくらとした肝っ玉母さんといった見た目の女性がいる。
魔法使いは前衛の戦士と異なり、単純な体力による事なく使う事
147
が出来、熟練によって魔法の威力や練度が向上する為それなりの高
齢の者でもこうして活躍している者がいる。
さて、彼らが魔法を使う際に、そして竜が体に宿す属性とは何か。
ある者は魔力であると言う。
ある者は属性とは意志持つ精霊だと主張する。
またある者は万物を構成する最も根源の存在であると述べる。
いずれの理屈でも魔法は働き、それ故にやり方は幾種類も存在し
ている。⋮⋮などと言った所で、結局、冒険者にとっては使えるか
どうかが大事なのであって、理論を捏ね繰りまわすのは暇を持て余
してるけど、下手に冒険者になる訳にもいかない学問好きの貴族の
道楽だったり、或いは王家や貴族お抱えの学者に要求されるものだ
ったり、引退した魔法使い達の老後の楽しみだったりする。
そして、この場にいる者達は今、この瞬間に最も求められている
ものを持っていた。すなわち。
力こそパワー。
要は大きく育ったガルジャドに痛打を与えられるだけの威力を持
った魔法を使える事だ。
無論、闇雲に放てばお互いの威力を打ち消しあってしまう。
事前にそれぞれの得意とする魔法を語り、相談していた彼らは互
いに視線を交わし、各自の準備が整った事を示す為に頷くと事前の
打ち合わせに沿って、魔法を放った。
﹁大地の牙!!﹂
まず放たれたのは地属性魔法。
地面から幾本もの円錐が飛び出す。この円錐一つ一つが岩で出来
ている為に通常の相手ならば真下からの貫通攻撃として十分な威力
を持つのだが⋮⋮今回は相手が竜という事やガルジャドは腹も硬く
148
はないが柔軟で、岩ぐらいでは貫通出来ない。
それでも、一本一本が五メートル近い巨大な円錐が何本も立てば、
自然とガルジャドの動きは一時的に停止する。 そこを狙って、次の一撃が放たれた。
﹁氷雨の陣!!﹂
水面が盛り上がり、一瞬、美しい少女の姿を象ったかと思うと、
次の瞬間には弾けて、何本もの槍となって降り注ぐ。
幾本もの氷の槍がその前の魔法で動きの止まったガルジャドに正
確に突き刺さった!が⋮⋮。
今回相手の数が多かった為に一体辺りに降り注いだ数、サイズ共
に十分ではなかった。当たり所が良くて絶命したものもいたが、そ
の数は片手で数えられる程⋮⋮だが、それで問題はない。何故なら
⋮⋮。
﹁紫電の天網!﹂
雷が放たれる。
十分な威力の雷だが、これでもこの魔法だけならばガルジャドを
倒すには不十分。
竜の外皮はそれだけ頑丈だからだ。
だが、今は突き刺さった氷の槍が存在する。水自体は純水であれ
ば電気を通さないが、湖の水を用いた故に不純物を含んだ氷は伝導
物質となりガルジャドの内側へと直接雷を誘導する。魔法の性質自
体にそうした性質を有する事もあり、増幅して体内へと直接叩き込
まれた雷はガルジャドを絶命させてゆく。
﹁爆炎の剣!﹂
149
最後に炎の魔法が放たれる。
数は絞られたそれらは大剣のような形状となってガルジャドの中
でも弱った個体に的確に着弾、トドメを刺す。
この最後に狙い済ました一撃で更にガルジャドの数は減少する、
しかし⋮⋮。
﹁⋮⋮まだ足りないねえ﹂
誰よりも魔法使い達がそれを理解していた。
いずれも人の用いる魔法としては高位魔法と呼べるだけの一撃だ
った。これだけの一撃を放てる魔法使いは王都クラスでも限られて
いる。
けれども、それでも足りない。
足止めを行い、次の魔法への道筋を構築し、その次で仕留め、そ
れから逃れた個体へ追い討ちを行う。
これで通常ならば下位竜の群程度ならば悪くて半壊、上手くいけ
ば全滅寸前の状況へと追い込める。高位魔法の類は人の魔法使いに
は連発など出来るものではなく、現に今回の魔法を用いた面々もか
なりの消耗状態に陥り、次弾が放てるのは今回の魔法使いの内最も
高位とされる地属性魔法の使い手である女性のみ。その女性とて次
を放つにはしばしの回復時間が必要だ。 それでも簡単な魔法ならとばかりに他の三名は支援系統の魔法を
仲間に放つ。
女性のみは用いない、もしかすれば彼女だけは回復に専念すれば
途中で大規模魔法をもう一度放てる可能性があるからだ。
それでも⋮⋮。
﹁減ったように見えねえ﹂
誰かがぼそりと呟いた言葉が全てを表していた。
150
八十の大型の下位竜より成る群で十数体をしとめたとて、未だ六
十以上の個体が残っている。
正直、冒険者の誰もが想定外だった。
群の規模も、魔法でここまで削りきれない事も、何もかも。それ
でも⋮⋮やるしかない。
そこへ、大地の牙を抜け出した先鋒が早くも突っ込んできた。
救いは群の全体に放たれた地属性魔法がちょうど良い障害物とな
り、群後方程抜け出すのに未だ四苦八苦しており、群が全体で突っ
込まずバラバラに動いている、という事か。だが、それも今の内だ
け、バラバラに突っ込んでくる個体を手早く始末していかねば⋮⋮
やがて後方から次々と拘束を抜け出した個体が押し寄せて⋮⋮。
その後の結末は容易に想像出来る。
だが、それでも彼らは立ち向かう。
﹁前衛、前へ!!﹂
﹁﹁﹁﹁おう!!﹂﹂﹂﹂
今回の指揮を執る騎士隊長の声に応じて、騎士と冒険者の中でも
体力自慢の面々が前へと出る。
彼らが持つのは特大の盾。
その反面、身にまとう鎧は軽装のものとなっている。
ガルジャドは通常のこのサイズの竜種としては珍しく、ブレスの
ような飛び道具を用いない。ガルジャドの恐ろしさはその巨体を生
かした体力と呑み込みの二点。
馬鹿ゆえに何も考えず呑み込みを仕掛けてくるガルジャドの攻撃
を防ぐ為に、この盾は用意されたものだ。人サイズならば呑み込み
が可能でも、人の身の丈を更に上回る巨大な盾はガルジャドが呑み
込むのをより困難にする。
そして、下手に動きを阻害する重い鎧を身につけた所でガルジャ
ド相手ではデメリットの方が大きい。
151
ブレスを放たないから盾を貫通して、とか、盾の横から防ぎきれ
なかった炎や毒が、といった事もない。それならば素早く移動して
盾を必要な場所に展開する、といった方法を取った方が良いと判断
し、要所を抑えた今回の軽鎧装備となったのだった。
﹁来るぞ!﹂
第一波が突っ込んでくる、数は三体。
いずれも比較的小柄なガルジャドだ。それでも既に全長は七メー
トルに達している。全長七メートルの巨体が速度を上げて突っ込ん
でくる姿は大迫力であり、まともに受ければ人では押し潰されると
いう事を実感させてくれるだろう⋮⋮。
そう、まともに受ければ。
逆に言えば、まともに受けなければいい。
もっとも、通常ならそんな事を言う場合、盾で受け流すとか回避
するといった手段が一番に上がるのだが、今回はそれはなしだ。何
せ、盾を持たない面々が後方にいて、魔法使いは一部例外を除き近
接戦闘に関しては素人同然だ。魔法と剣、どっちも学んで一流に!
なんて夢を抱く奴はどこにでもいるが、そんな事が出来るのはごく
僅かな超天才だけ、大抵の場合どっちも中途半端な三流、良くて二
流といった結果しか生まない。そりゃあ同時に、全く異なる二つの
分野で一流と呼ばれるだけの技量を身につけようなんて難しいに決
まっている。
泳ぎで世界で指折りでも、槍投げで同じ事が出来るかどうかはま
た別問題、そういう事だ。
とりあえず言える事はこの場にそんな奴はおらず、魔法使いとし
ては優秀でも、近接職としては二流以下。そんな所にガルジャドが
行ったりしたら、即効で食われてお終いだ。したがって、今回前衛
の盾持ち達に求められているのは彼らを受け止める事⋮⋮。
よって、逃げるという手段はありえない。それを可能とするのが
152
⋮⋮。
﹁筋力強化!!﹂ という魔法だ。
自身へと干渉する魔法は比較的難易度が低い。火、土、風、水と
いった漠然としたものではなく、肉体という各個たる存在があり、
重いものを持ち上げたりするというのもイメージしやすいからだろ
う。これが火の場合、火事の炎をイメージしても大規模すぎれば魔
力が足りずに発動せず、発動しても燃える物がないせいであっとい
う間に消えてしまったりする。
自分自身の肉体は最もイメージしやすく、強化もしやすいのだ。
まあ、だからといって﹁それなら魔法使いが自分の肉体強化した
ら強いんじゃ?﹂と思うかもしれないが、彼らの場合は強い、って
漠然としたイメージは持てても、剣とか振って戦う自分がイメージ
出来ない為にこれまた魔力が無駄に散ってしまう訳だ⋮⋮。
一つだけはっきりしているのは⋮⋮。
ガアン!!
そんな轟音と共に盾持ち達はガルジャドの突撃を受け止めた、と
いう事だった。
﹁今だ、やれ!!﹂
その瞬間、命令が飛ぶより早く武器を持った者達も動いている。
盾にぶつかり暴れるガルジャド達は危険だ。だが、その危険の先
にこそ、活路はある。
ズン!と踏み降ろされる脚、けれどもそこに人影はない。
更にその先へと剣の切れ味を増す魔法をかけながら、一歩前へ!
153
瞬間、更に筋力も強化し、二重発動させた事によって魔法が僅か
な時間の後切れてしまうが、その一瞬の時間を生かして刃を突き立
て、即座に離れる。
そして、また次の者が⋮⋮。
相手が巨体故に一撃一撃は相手の息の根を止めるには足りない、
だが彼らの狙いは直接トドメを刺す事ではなく⋮⋮。
﹁!離れろ!!﹂
一人の声と共に傷口から鼻を突く匂いの液体が噴出す。
幾度となく攻撃した一撃が遂に胃を破壊したのだ。
噴出した強烈な溶解液が周囲に撒き散らされ⋮⋮それはガルジャ
ドをも溶かす。
急速に内側から一体のガルジャドが崩壊していった。
だが、全てがそう上手くいく訳でもない。
﹁うあああああああああ!?﹂
別の一体でまた胃を突き破った。 だが、僅かに離脱が遅れたのだろう、或いは噴出しが予想以上に
強かったか、溶解液を浴びた冒険者の一人が地面を転げ回る。
白煙を上げながら転げ回る彼に仲間が駆け寄る。
﹁今、助けてやるからな!おい、誰か水ぶっかけろ!!﹂
﹁分かった、ま﹂
待て、と言いかけて、言葉が止まった。
溶解液を手っ取り早く軽減するには水で洗い流すぐらいしかない
のだが、その為に動こうとした直後⋮⋮ぐしゃり、と。
同じく溶解液を浴びたお仲間、とも言えるガルジャドの足の下に
154
その姿は消えた。
いや、消えたというには語弊がある、そこまでガルジャドの足は
巨大ではない、が⋮⋮それでもその重量を載せるように叩きつけら
れたのだ。⋮⋮そんな結果など決まっている。腹に叩きつけられた
為だろう、男は足の範囲外にあった口から血と内臓を吐き出して絶
命した。
一瞬、手が止まった者もいた。
だが、それでも、遺体となった仲間或いは知り合いを回収するよ
うな真似はせず、次を倒しに向かう。
無論、せめて遺体の回収ぐらいは行いたい。次々とガルジャドが
襲い来て、暴れるこの場所に残しておけば戦いが終わった頃には遺
体は激しく損壊し、最悪大地と入り混じったぐちゃぐちゃのミンチ
となって最早見分ける事など不可能な状態に陥っている可能性すら
ある。
けれども、ここで遺体の回収に動けばどうなるか。
一口に遺体の回収といっても、ただこの場から引きずればいい、
というものではない。自力で歩けるなら、水をかけるだけで済むな
らともかく、遺体となっては最早動ける訳もなく、そしてここにい
る戦力に余剰はないのだから当然回収した当人が巻き込まれない安
全地帯まで引きずっていくか背負っていくかしなければならない。
つまり、既に一欠けた戦力が、更にまとまった時間、もう一戦力が
消えるという事。それは当然、他の者に負担をかけ、そこから連鎖
的に被害が広がりかねない。
だからこそ、今回の乱戦において遺体の回収は許されない。
感情を理性と知性で抑え付け、再び戦場に足を向ける。嘆くのも、
喚くのも全てが終わった後でいい。今はただ、一撃を突き立てるの
み⋮⋮。
けれども、そうして犠牲を払いながら維持していた戦場が崩壊を
始めるまでそう長くはかからなかった。
155
きっかけは僅かな遅れ。
遅れとも気付かぬ極微量の疲れが招く僅かな遅延がほんの少しだ
け一体のガルジャドを仕留めるのに余計な時間をかからせた。
その遅れは次を倒す際に引き継がれ、と同時にまた微量の遅れが
発生する。
それらはやがて、防衛側に一度に襲い掛かるガルジャドの数を増
やす。二十を仕留める頃には最早劣勢は隠しきれないものとなって
いた。既に大型の盾によって防ぎ、そこを攻撃役が突く、といった
協力体制は崩壊寸前、盾はべこべこにへこみ、けれども新たな盾を
取りに向かう余裕もない。
剣役もまた密集するガルジャド相手では下手に飛び込めない。一
体の攻撃を回避しても、隣の一体に蹴り飛ばされ、食いつかれ、尻
尾で吹き飛ばされる。
魔法使いと合わせて四十程度、通常の群ならば既に終わっている
はずの数を倒したのは彼らの腕が優れていた証だっただろう。けれ
ど戦いは勝たねば、意味はない。
﹁畜生⋮⋮ッ!﹂
誰が叫んだのか、そんな声が今、正に崩壊せんとした防衛線に響
いた瞬間︱︱ガルジャドの動きが止まった。
﹁えっ?﹂
そんな声が一人の騎士の声から洩れた。
盾役を務めていた彼は遂にその盾を破壊され、吹き飛ばされ、そ
こへ彼を追うようにして迫ったガルジャドの一体に今正に食われる
瞬間だった。
手を伸ばせば鼻先に触れる事が出来る程の至近距離に、ガルジャ
156
ドの大口が開いている。
次の瞬間には彼を丸呑みする事が出来る、そしてその後に彼に待
っているのは確実な死、だったはず。その死が眼前にて停止してい
た。
そして、それは彼だけではなく、戦場のいたる所で発生していた。
押し潰されそうになっていた冒険者の上でガルジャドが不自然な
姿勢のままバタバタと暴れ、けれども冒険者に届かない位置で足が
体が動いていた。
時間が停止した訳ではない。その証拠に⋮⋮溶解液が噴出して、
避け損ねた別の者が地面で暴れている。
その抑えきれない悲鳴に慌てて周囲の者が不審を感じつつも救出
する。
﹁なに、が?﹂
そう呟いた者達とは別に、何が起きたかをはっきりと理解してい
た者達もいる。前衛達とは別、後方にいた魔法使い達だ。
彼らにははっきりとその瞬間を目にする事が出来た。
空から伸びてきた何本もの漆黒の鎖、それがガルジャド達に命中
した瞬間も、その途端にガルジャド達の動きに異常が生じた事も。
彼らには今尚空に浮かぶ雲から伸びるその鎖が、まるで暴れる犬か
ら伸びる首輪と鎖のように見えた。
そして、待つ程の時をかけるでもなく、その鎖の持ち手が姿を現
す。
雲の中から悠然と姿を現すのは紅水晶にも似た硬質な結晶体を身
にまとう一体の竜。
雲に空いた穴から降り注ぐ陽の光を受けて、結晶がキラキラと輝
く光景は幻想的な光景であり、ガルジャドとは全く異なる存在であ
る事を誰もが一目で理解させるものだった。
ガルジャドの動きが停止したからこそ生まれた戦場の空白。
157
結果、誰もが新たに登場した竜へとその視線を吸い寄せられてい
た。いや、頭ではドラゴンライダーたるキアラの乗る竜である事は
理解しているが、そこには確かにそうした理屈を超えたなにか、敢
えて呼ぶならば威厳とでも言うべきものを、まだ生まれて数年でし
かないはずのテンペスタが持っていたのだ。
そして、視線を吸い寄せられた直後に事態は急変する。
﹁え?﹂
その声を上げたのは誰だったか。
或いは自分自身が上げた声だったのかもしれない、と後である冒
険者は考えたそうだが、間の抜けたそんな声が洩れたのは突如ガル
ジャドがまとめて空を舞ったからだ。
もちろん、ガルジャドには空を飛ぶ力などありはしない。飛ばさ
れた事は明白なのだが⋮⋮その動きは余りにも軽かった。そう、ま
るで巨体のガルジャド達が重さがないように宙を舞ったからだ。
さすがに、その光景には唖然とした一同だったが、更に驚愕は続
いた。
﹁⋮⋮なんだよ、あれ﹂
テンペスタの周囲に光球が浮かぶ。
それらは次第に光が強くなって︱︱放たれた瞬間は誰も見る事が
出来なかった。輝いた瞬間の強い光に、思わず誰もが目を瞑り、手
で目を隠し、顔を逸らした。いきなりの閃光は人々にその瞬間から
目を逸らさせるには十分すぎた。そして、彼らが再び目を開けた時、
ガルジャドの群は壊滅していた⋮⋮。
そう、ここでようやくテンペスタが両手から漆黒の鎖を放ち、右
に握っていた鎖に比べて、左に握られていた鎖は本数が極端に少な
かった事、右には今も尚暴れるガルジャド二体が鎖に繋がれている
158
事に冒険者や騎士は気づく事が出来たのだ⋮⋮。
︵何をするつもりなのか?︶
そう思った者は多い。
だから彼らはその姿を追い続け、そしてその後に起きた事も見続
ける事になった。
いや、自分達が必死に戦い、それでも敵わず敗れ去ろうとしてい
た寸前の状況が一瞬で大逆転勝利に終わった事に頭が未だついてい
っていなかった、というのが正しいかもしれない。
そうして、そんな光景を見続けていた者達の一人は間もなく、ズ
ン、と傍らの石の上に腰を下ろした。
強張った指で握り締め、ガルジャドの体液に塗れた愛用の武具の
手入れを始めだす。
そんな態度を取る者達は一人ではなく、騎士も冒険者も⋮⋮共通
しているのはいずれも歴戦の猛者だという事だった。
﹁先輩?﹂
そんな姿を見て、新進気鋭、そう呼ばれる裏を返せばベテランと
呼ぶにはまだ経験の足りない者達が呆然と声をかける。 だが、そんな声を気にする様子もなく、何人ものベテラン達が或
いは武具の手入れを、或いは防具を外し、くつろいだ様子を見せて
いた。 そんな内の一人に、﹁黄金の鎖﹂と呼ばれる﹁竜狩り﹂の栄誉を
持つ熟練の冒険者パーティの一人、バンジャマンがいた。
兜を脱ぎ酷く穏やかな表情で眼前の光景を眺める彼の下へ仲間の
一人がやって来る。
﹁アルベールか﹂
159
﹁おう、どうだ、一つ﹂
同じ﹁黄金の鎖﹂属する一人アルベールがカップを両手にやって
来た。
アルベールよりカップを受け取る。
暖かな香茶の良い香りが鼻をくすぐり、バンジャマンは顔を綻ば
せる。僅かに酒を混ぜたと思われるそれはささくれだった気持ちを
確かに緩ませる効果があった。
軽く口に含み、味わう。ほのかな甘みと暖かさが舌をくすぐり、
心を落ち着かせる。
﹁ふむ、いいな﹂
﹁だろう?最近のお気に入りなんだよ﹂
バンジャマンの思わず洩れたといった様子の呟きにアルベールも
笑って答える。
穏やかな空気が彼らの周囲に流れていた。
﹁全く⋮⋮人の力なんてちっぽけなものだな﹂
﹁ああ、まったくだ﹂
そう言って、どちらともなく二人は笑った。
﹁⋮⋮あ、あのー先輩がた?﹂
そんな二人におずおずと声をかける者がいた。
熟練の﹁黄金の鎖﹂の二人には及ばないにせよ同じく歴戦の冒険
者といった雰囲気を普段は漂わせている彼は残念ながら、現在はど
こか恐る恐る、といった困っているような空気を全身から漂わせて
いた。
160
そして、その声にも﹁黄金の鎖﹂の二人は全く反応しなかった。
それを見て声をかけた人物は今一度声を掛けようとするが⋮⋮おそ
らく声を掛けた男の仲間なのだろう、何時の間にかそこにいた別の
魔法使いと思われる杖を持った軽装の人物が彼の肩を軽く叩いて、
首を横に振った。
その表情は沈痛なものであり、まるで﹁そっとしておいてやれ﹂、
そう言いたげな雰囲気が漂っていた。
男もまた理解していたのだろう、深い溜息をついて視線を前に向
けた。
﹁⋮⋮ここって戦場だよな﹂
﹁少し違うな⋮⋮戦場だった場所、だ﹂
男のどこか溜息混じりの呟きに仲間の魔法使いはそう答えた。
もう、終わった事だ。
そう言いたげな、その言葉に一瞬詰まった後、﹁そうだな﹂と認
めた後、彼は再び視線を前へと向けて言った。
﹁どうしてこうなった﹂
その声にはどこか哀愁を込めた響きがあった。
最早人が絡む要因を失った眼前の光景にどこか悲しげな視線を向
けつつ、そこに佇んでいた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
キアラが見た時、戦線は崩壊寸前だった。
急ぎテンペスタに声を掛けた眼前で、事態は急転する。
161
﹁⋮⋮えーっと、何?あれ﹂
テンペスタの両前肢から伸びた多数の黒い鎖、それがガルジャド
達に繋がれていた。
これでまだ懸命にテンペスタが踏ん張っている!というのならば
分かるのだが、明らかにテンペスタは力を篭めている様子はない。
﹃んー?これ?﹄
それどころか軽く上げて見せ、それだけでガルジャドの群は引き
ずられるように後退する。
そんなキアラでも信じられない光景を眼下に見下ろしながらテン
ペスタが説明するには、これは元々は支援の為に作った魔法なのだ
という。
地属性の魔法であり、大地の束縛を軽減し、重量を殆どゼロとす
る魔法。 これによって河を渡る際に水面を歩いたり、崖を登る際の危険を
軽減する事が出来る。一旦かけたら終わり、何時魔法の持続時間が
切れるか、という不安をなくす為に作られたのがあの鎖のような繋
がりであり、繋がりがある限り魔法を対象に安定して発動し続ける
事が出来るのだとか。成る程、重さが殆どゼロ、となれば眼前の光
景も頷ける。ガルジャド達の破壊力もその巨体とそれに伴う重量あ
っての話だ。手に持てる程度でも鉄球をぶつけられれば痛いし、逆
に同じサイズの球体でも殆ど重さのない中身が空気の風船ならそこ
までの痛みを感じたりはしないだろう。
そもそも、いきなり重量がゼロになれば慣れるまではまともに体
を動かす事も出来まい。
そして、重量と慣性、その双方がゼロならば軽く引っ張っただけ
でも抵抗すら出来ず引っ張られてしまう、という訳だ。ガルジャド
162
達はなまじ暴れている為に殆ど地に足がついておらず、空中に漂っ
ているような状況では踏ん張って抵抗出来る訳がない。
﹁⋮⋮それでこれからどうするの?﹂
しかし、見ていても仕方ない、とキアラが尋ねたのだが⋮⋮。
﹃え?とりあえず火竜にあげるの以外は片付けちゃうよー?﹄
そんな酷く軽い、まるでそこらに転がっている紙屑を片付けると
いった口調だった。
キアラが﹁え?﹂と呆気に取られたような声を上げる中、テンペ
スタは鎖を引っ張ると同時に風属性を用いた魔法にて上空へと吹き
上げる風を巻き起こし、ガルジャド達を空へと巻き上げる。
更に︱︱テンペスタの周囲に光が凝る。
火属性の魔法、雲に風穴を開け、そこから降り注ぐ陽の光を存分
に活用した一撃。一つ、二つ、三つ、四つ⋮⋮十分な光と熱を溜め
込んだ球体が次々と構築されてゆく。
﹃発射ー﹄
キアラの脳裏に響くテンペスタの声は気の抜けた声だ。
だが、傍目にはどうだろうか⋮⋮。
地上では実際には眩しすぎて見えなかった訳だが、自動的に光量
補正でもかけていたのかキアラの目にはその瞬間がはっきりと見え
た⋮⋮次々と弾けるようにして放たれる光球から放たれる矢が一撃
でガルジャドの体に風穴を開けてゆく。一撃、二撃と喰らう内に頭
が、胴体が、尻尾が抉られ、しかも命中したからとて光の矢は消え
る事なくそのまま直進し、その背後にいる別のガルジャドに命中し、
そのまま更に直進⋮⋮一発の光の矢が複数のガルジャドを貫き、削
163
り、消滅させてゆく。
これこそが竜と人の魔法の差だと言わんばかりの攻撃が終わった
時、ガルジャドの群は僅かな例外、右手に分けて握られた鎖に繋が
る二体を除き綺麗さっぱり消滅していた。
﹁⋮⋮⋮え、ええっと、そっちの二体はどうするの?﹂
さすがに呆気に取られる中、それでもキアラがそう尋ねる事が出
来たのは慣れ故か。
﹃これ?こうするのー﹄
だが、その後テンペスタが取った行動に関してはさすがに予想外
だった。
くるりと体の向きを変えたテンペスタはその全身を発光させてゆ
く。
キアラからは周囲が光のドームに包まれてゆくように感じたが、
地上からは光の球体と化していくように見えていただろう。陽の光
を集める中で上空に漂う雲は切れ切れとなり、晴天が露わとなり、
光の集束は更に早まってゆく。やがて︱︱光が放たれた。
地上にてうずくまる火竜ウルフラムへと。
﹁え⋮⋮っ?﹂
キアラの驚きの声と共に、テンペスタの右前肢が振るわれ、その
手に握られた鎖へと繋がっていた残る二体のガルジャドが放り出さ
れる。
一瞬、火竜への攻撃かと思ったが、それにしては地上に焼け焦げ
た様子もなく、ウルフラムはじっと光に晒されていたが苦しむ様子
もない。それどころか、間もなく⋮⋮。
164
﹁飛んだ⋮⋮﹂
﹃火属性を返したからねーもう大丈夫!!﹄
﹁っていいの!?それ!!﹂
まさかの返答に仰天した声をキアラは上げた。
もう、この短時間だけで何度驚いたか分からない。
だが、ウルフラムとテンペスタとガルジャドを交互に見やるキア
ラを余所に、飛び立った火竜ウルフラムはしばしテンペスタをじっ
と見ていたが、すぐに興味を失い、地上へと向かう。
﹁あれ⋮⋮?﹂
﹃大丈夫だって言ったでしょ?あれが火竜さんが狙ってたヤツだ
もの﹄
あの多数のガルジャドの中、どうやらテンペスタは正確に火竜ウ
ルフラムが狙っていた個体を見分けていたようだった。
当竜によれば、あの二体の中には未だ火属性の力が燻っているか
ら見分けが簡単についた、という。自然の属性ならば片端から消化、
同化してしまう暴食竜ガルジャドの中で消化しきれず今尚属性が残
っているのは竜の持っていた属性であるのだと⋮⋮。
そんな話を聞きながら見る火竜ウルフラムと暴食竜ガルジャドの
戦いはもう戦いとは呼べない、一方的な蹂躙だった。
二体のガルジャドは群の中でも特に大型の個体だった。
﹃ウルフラムの卵と番?を食べたんだから当然ー﹄
とは、テンペスタの言葉だが、所詮ガルジャドは身動きの制限さ
れた洞穴だからこそ襲撃出来、卵を番が守ろうと地上を離れなかっ
たからこそ襲えたのだろう。それが良く分かる光景が眼前では繰り
165
広げられていた。
空から襲う火竜ウルフラムに対して、暴食竜ガルジャドは吼え、
口をガチガチと鳴らすものの何も出来ていない。
火球の攻撃によって次第に体力を削られ、弱っていくだけ⋮⋮ウ
ルフラムも通常ならば火属性の限られるこの地であれだけ連発すれ
ば陽の光で回復する以上に消耗が激しくなりそうなものだが、そこ
はテンペスタが時折集束させた火属性の力を放出し、与える事で補
われている。
その光景と﹁いけーそこだーやっちゃえー!﹂と煽る脳裏に響く
声にキアラは﹁本当に怒ってたんだなあ⋮⋮﹂とどこか遠い光景の
ように達観した気持ちで眺めていたのだった。
そうして、間もなく息絶えた二体のガルジャドに向けて高らかに
咆哮した火竜ウルフラムは翼を翻し、飛び去っていったのだった。
﹁これで⋮⋮終わったのかな?﹂
﹃うん、終わったと思うよー?﹄
そして事実、これが暴食竜ガルジャドの群の暴走による一連の事
件の終結となったのだった。
166
第十話:竜の力︵後書き︶
やっと仕上がりました
次回は幼竜編の〆のお話となります
もしかしたら、エピローグ含めた二話を上げて、成竜編へと突入予
定です
167
第十一話:一つの終わり︵前書き︶
何とか上がった
ちょっと最初の方は説明部分というか⋮⋮申し訳ないです
168
第十一話:一つの終わり
⋮⋮夢を見ていた。
自身が最も輝いていたと思える、そんな時間の事を。
何故、あの時の事を今思い出したのだろう?
ふと、そんな事を考えて。
ああ、そうか、とふと気がついた。あれが自分にとって大変では
あったけれど一番輝いていた頃だったのだ、と気付いてキアラはす
っかり皺だらけになって自分の手をかざした。さすがにあれだけの
大騒動は滅多に起こるものではなく、あれだけの数が関わったあれ
だけの大騒動は結局一回きりだった。
︵あれが自分の立ち位置が変わる事になった原因とも言えるのよ
ねえ︶
過去に想いを馳せながら、連合王国名誉貴族キアラ・テンペスタ
伯爵は笑みを浮かべた。
思えば、あの後は大変だった。
まず、冒険者達からは感謝、される事はなかった。
いや、感謝の言葉を述べた者がいなかった訳ではない。だが、騎
士も冒険者も仲間を少なからず失っており、冒険者を引退せざるを
えない程の怪我を負った者も多かった。
生き残ったけれど引退を余儀なくされた者、仲間を失った者が出
れば、それまで艱難辛苦を共にした仲間達とのパーティも当然解散
となる。それを覚悟の上で参加したのは確かだが、ああもあっさり
とテンペスタがガルジャドの群を片付けてしまえば、こう思う者が
出るのはむしろ当然だ、すなわち⋮⋮。
169
﹃何故、最初からやってくれなかった?﹄
最初からテンペスタが動いていれば、自分達は冒険者を引退する
ような怪我を負う事はなかった。
最初からテンペスタが動いていれば、自分達は仲間を失うような
事にはならなかった。
言葉に出さずとも、キアラに対して好意的な態度を示す者がごく
一部であったのは仕方のない事だと言えよう。むしろ、キアラに対
して面と向かって罵るような真似をする者が騎士からも冒険者から
も一人として出なかっただけ彼らは優れた自制心を持っていると評
価されるべきだったろう。
そして、問題はその後も山積みだった。
キアラ自身はあの時、報酬の大半を辞退する事でテンペスタが突
出した功績を立てた、という事実を隠蔽する事に成功した。
これに関しては揉めるかと思ったが、案外すんなりと決まった。
別に、冒険者が強欲だったとか、騎士が功績を横取りしようと図
ったといった事が理由ではない。いや、全くいない訳ではなかろう
が、それぞれが恥を忍んでそれを受け入れた大きな理由があった。
例えば騎士であれば﹁犬死に﹂を避けるという事。遺族に対して
殆ど活躍出来ず、防衛線を突破されそうな所をたった一体の冒険者
の駆る竜が撃破しました、では遺族が納得いかない。というより、
遺された家族が蔑まれる危険すらあった。何も出来ずに死にました、
という評価となる事を或いは怖れ、或いは命がけで戦った部下がそ
のような評価を周囲から下される事を怖れた。
冒険者の場合はそうした名誉、という事は関係なかった、こちら
は純粋に金の問題が大きい。
冒険者という職業は危険が大きい分稼げるのは確かだが、現役の
頃から大金持ちという人物は案外少ない。
前衛なら武器や防具の手入れ、必要なら買い替えが必要となる。
これが相当な出費となる。何せ、自分の命を預ける道具だ。金を惜
170
しんで、肝心な時にダメになっては泣くに泣けない。故に手入れを
きちんと行い、時に買い換えるが、下っ端の頃は単純に金がない。
上に上がれば稼ぐ金は増えるが、その分良い武器や防具に身を包む
ようになる為やっぱりお金が消える。
後衛なら後衛で各種の魔法の触媒、魔法書や研究の為の薬草など
でこちらはこちらで金が飛ぶ。
結果として、一部の冒険者以外は案外、現役の頃は金が溜まって
いなかったりする。もちろん、命がけの仕事も多い為にぱっと使っ
ているというケースもあるし、早くから結婚を意識しているような
者は堅実に貯蓄していたりする訳だが⋮⋮。
そうなると、問題となるのは後に残された者達だ。
今回は国と冒険者協会からの正式要請である為に、この一件で死
んだ場合はそれぞれの組織からの後援が受けられる。そうだからこ
そ、これだけの人数が動員出来た訳だ。
だが⋮⋮もし、一体の竜が殆どを片付けてしまったとなったら⋮
⋮命がけでやった事でも評価はどうしても下がる。
﹁一体であんだけ出来たのに、お前らは何やってんだ﹂
現場を知らないが、権限は握っているような者はどこにだってい
るからだ。
もちろん、実際にここで戦った者達はどれだけガルジャドの群と
の戦いが大変だったのか、その一体の竜がどれだけ常識外れの行為
をしてのけたのか良く理解出来ている。
しかし、現場を知らない者からすれば、﹁竜数十体を、たった一
体の竜があっさり片付けた﹂という部分にしか目がいかない可能性
は高かった。
だからこそ、生き残った者達は内心で思う事は色々あっただろう
が、キアラの提案をあっさりと飲んだ訳だ。
ガルジャドの群の遺体はろくに残っていなかったが、元々ガルジ
171
ャドという竜は死んだら早々に腐り落ちる。不自然な成長を次から
次へと取り込む属性から転じた魔力で誤魔化しているのだから、肝
心の支える属性が取り込めなくなったらそうなってしまうのは当然
な上、素材としても元々の下位竜の素材が変質したものでしかも、
どの下位竜がガルジャドへと変わったのかが分からないから加工も
極めて困難⋮⋮。この為、ガルジャドに関しては素材の採取なども
行わず、さっさと焼却してしまうのが幸いした。
結果から言えば、そのお陰で王国も冒険者協会も遺族や引退を余
儀なくされた者達へと丁寧な対応を行った。下手に命がけで戦った
者達につまらない対応を行えば、次から命がけで戦う者がいなくな
ってしまうのだからそれ自体は当然なのだが、もし、テンペスタ一
体が片付けた事実を知っていればそれを理由に対応が異なっていた
可能性は高い。
それは誰もが理解しているから、共犯意識とあいまって皆口が堅
くなる。
黙って受け取っていれば、後になる程話せなくなる。
結果として、テンペスタの大活躍を隠す事に成功し、キアラ自身
もそれまでの組織の仕事を続ける事に成功した。
︵その組織も⋮⋮︶
今では奴隷商という言葉自体が存在しない。
より正確には奴隷商という言葉自体は残っているが、それは完全
に犯罪者としての呼び名であり、現在、嘗ての組織の元締めをして
いた彼らは仲介商と呼称され、ギルドを結成している。
かつては奴隷の首輪を流用していたのも、今では完全に独自技術
を用いた腕輪となっている。
ここに至るまでに彼らは大変な苦労をし、その結果裏で生み出さ
れた始末を行うギルドは現在も存続し、世界の裏で活動している、
172
らしい。
伝聞なのは、さすがに今ではキアラも現役を引退して久しいから
だ。それでも突然役人が急死して、その役人が裏で行っていた犯罪
が明らかになるなど活動しているらしい、と思われる話は時折耳に
する。
実を言えば、キアラがその裏ギルドを離れる事になったのは予定
よりは随分と早かったのは事実だ。
原因は当時は上手く誤魔化せたものの、生き残り達が昇進した事
が原因だった。
無論、優遇されても途中で止まってしまった者もいたが、元より
実力を見込まれて参加した者達だ。中には結構なえらいさんになっ
た者がいる。例えば騎士団長、例えば冒険者ギルドの相談役、など
がそうだが、彼らは当然キアラとテンペスタの力を知っているから、
面倒な仕事や厄介な仕事に対しての切り札として活用するようにな
った。
利用する、という訳ではない。純粋に実力を知っているからこそ、
大勢を動かせない厄介な仕事、純粋に相手が強そうで下手に人を向
かわせられない仕事、ただひたすらに相手が強い仕事といった案件
に対してお願いをしてくるようになっただけだ。
キアラとしても、事情を聞けば納得せざるをえないような案件が
多く、引き受けざるをえなかった。
表向きにならない、とはいえ、逆に言えばそんな仕事だからこそ
金はたくさん出る。
表向きにならない、とはいえ、上層部にはそんな仕事を片付けて
いけばどうしても知られる事になる。
金を持ち、上層部が目をかけるような人材となれば当然目立つ。 結果として、裏の仕事を引き受けられるような状況ではなくなっ
た、というか元締めらが頼むのは危険と考えた、というのが正しい。
ある厄介な国家間の仕事を片付けたお陰で、貴族位を若い頃に授
173
けられた事でその状況は決定的となった。
特にこの仕事、片付けるまでは表沙汰に出来なかったが、片付い
た後は両国間の都合で大々的に公表された事も大きかった。さすが
にそんな両国の国民が拍手喝采するような状況で、国民達の前で貴
族位を与える旨を宣言され、その上で﹁あ、私貴族位なんていりま
せん﹂とやれる程、キアラの神経は図太くなかった、というべきか。
ここで言う名誉貴族とは一代限りの貴族であり、領地を持たない
貴族でもある。
通常の貴族位が家に、ひいては一族に与えられるものであり、土
地を領有し、そこを統治する地方行政官でもあるのに対し、名誉貴
族はあくまで功績に対して個人に与えられるものであり、土地の代
わりに国から金銭を年金という形で支給される立場を得る、という
ものだ。
それでもその気になれば、名誉貴族は結構政治に関与する事も出
来るのだが、キアラはそれに興味がなかった。
なかったからこそ、その後も仕事を引き受けて動き⋮⋮名誉騎士
号だった爵位は今では伯爵位となっていた。
まあ、あの仕事の結果が、現在の三大国の一つと呼ばれる連合王
国の成立に繋がったのだから当然と言えば当然か。仕事の大きさを
考えれば、ガルジャド事件を上回る程の大きな仕事だと言っても過
言ではないが、それでもキアラにとってガルジャドの一件程の印象
が残っていないのは結局の所、敵対者がテンペスタにとっていとも
あっさりと片付けられすぎた、という事に尽きるだろう。
空を移動するテンペスタとキアラを殺す事など不可能。
大軍を用意しようが、空を飛ぶ竜を敵に回すのはどんな馬鹿でも
やらない。
となれば、逃げ場のない地上で、特に乗り手であるキアラに仕掛
けるしかない訳だが完璧にテンペスタが守ってくれたお陰で全く脅
威を感じなかった。
どうもその時、朝起きた時の周囲の状況からして夜間には暗殺者
174
がひっきりなしに訪れていたらしいが、そのいずれもが装備だの服
だのだけ残して綺麗さっぱり足取りを断つ事になったらしい。そん
な事が相次げば、どこの暗殺者やギルドだって引き受ける奴はいな
くなる。彼らはあくまで仕事でやってるのであって、成功する確率
のない、或いは限りなくゼロに近い不可能事への挑戦に燃えている
訳ではないのだから。
結局、キアラ自身の感覚からすれば、あっちへ行ってこっちへ行
ってをやってる内に仕事が終わっていた、という印象だった為にむ
しろその後の貴族位への任命の方が印象に残っているぐらいだ。
︵結局テンペスタがいてこその話なのよね⋮⋮︶
おそらく、いや間違いなくテンペスタがいなければ自分はあの時
に死んでいただろうし、そもそもあの仕事自体に関わる事はなかっ
ただろう。
視線を中庭という名のテンペスタの住処へと向ける。
初めてこの屋敷に来た時、そこは低い草に覆われただけのただの
野原だった。
それが今では、立派な自然の森だ。
テンペスタの力を身近で何十年も土地が受けている為か、王都の
ど真ん中でありながら人跡未踏の奥地に生える霊草まで生えている、
らしい。そんな森と化しながら、テンペスタは自由に移動する。い
や⋮⋮テンペスタが移動すればそれに合わせて木々が動く、という
べきか。
今も、体を動かすのも億劫になりつつある故に目だけを動かして
みれば、そこにテンペスタの巨体が、あの事件の時と変わらぬまま
にそこにある。
⋮⋮今なら分かる。何故、テンペスタがずっと自分の傍にいてく
れたのか⋮⋮きっと彼は寂しかったのだ。
幼い頃から、いや⋮⋮生まれたその瞬間から、テンペスタは精神
175
こそ幼くとも、高い知性を有していた。
そこに異界の知識が加わった事で、幼竜でありながら竜王であり、
また極めて高度な魔法をも駆使する事を可能にしたのだとキアラは
判断している。
彼女も一度だけ他の竜王と出会い、少し話をした事があったが、
新たな魔法、魔法を改造する、という概念自体は早々に辿り着けた
としても、﹁ではどうするか﹂﹁どのような魔法とするのか﹂とい
う点で大抵の竜王は壁にぶち当たるのだという。
これは単純なイメージの問題だ。
年経た知性ある竜王ならば様々な試行錯誤と、世界を見てきた事
による知識によってイメージを組み立て、魔法を完成させる事が出
来る。
だが、本来、いかに知性を最初期から有していようとも、溶岩を
知らぬ竜に溶岩というものを連想し、それを用いた魔法を駆使する
事は出来ない。雷というものを見た事はあっても、その理屈を知っ
ている訳ではなければ電気というものを利用した魔法を組み立てる
事も出来ない。
キアラが思い出した、あの事件の実質的な終わりの時。
ガルジャドの群を止めたあの魔法とて同じ事だ。
理屈は分かる、だが、どうやったら大地の束縛を解き放つという
事を連想出来るのか⋮⋮とうとうキアラには理解する事は出来なか
った。重力、という概念自体が存在しない為だ。
これをテンペスタは異界の知識で補ってしまった。
結果、彼女はあれ以後も訳が分からないテンペスタの魔法を幾つ
も見る事になった。しかし⋮⋮。
︵それでもあの子は⋮⋮テンペスタは︶
子供だった、のだと。
キアラはそう思うのだ。
176
高い知性を有していたからこそ、寂しさというものをきちんと理
解し、と同時に母竜との別れも、すがった所で母竜が残ってくれる
訳ではないのだと理解していた。だからこそ、テンペスタはキアラ
を、唯一傍にいてくれる相手と共にある事を望んだのだとキアラは
考えている。
きっとテンペスタにとって自分は姉の代わりであり、母の代わり
であったのだと思う。
果たして、自分はその役割を務める事は出来たのだろうか⋮⋮?
そんな事を考えるキアラの視線の端でテンペスタが首を持ち上げ
るのが見えた。何やら不快げな気配も伝わってきた事でキアラにも
事情を察する事が出来た。
﹁ああ、また来たのね﹂
もっとも、不快感を漂わせるテンペスタに対して、キアラにして
みれば最早苦笑の種にしかなりえない。
それに彼らの気持ちも分からないでもない。待つ程もなく、執事
の老人が来客を告げた。
昔は何事も全て自分でやっていたが、貴族位を与えられた頃から
屋敷にも人が増えていった。﹃人を雇って、仕事を与えるのも貴族
含めた金のある者の役割の内﹄、そう言われたのは何時の誰にだっ
たか。面倒な、と思いつつも仲介ギルドを通じて人を雇った覚えが
ある。ギルドのトップと繋がりがある上、向こうもキアラに感謝し
ていた。お陰で、良い人材が即効で回されてきた事を覚えている。
執事の老人はそうした雇われた中でも一番の古株だ。
ある没落してしまった名門貴族に長く仕えていた執事の家系、と
いう話で若いながらもみっちりと仕込まれていた彼のお陰でキアラ
としても随分と助けられたものだ。何せ、キアラには貴族の嗜みな
ど何もなかった訳だし、何も知らなかった。彼がいなければ、きっ
と半ば強制的に参加となったパーティなどの貴族の集まりで恥をか
177
いていた事だろう。
まあ、キアラ自身がそれを気にするような神経を持っていたかは
さておき⋮⋮。
話を戻すが、そんな彼はどこか困ったような憤るような雰囲気を
漂わせていた。長い付き合いだからこそ分かる僅かなそれで予想が
当った事を確信して苦笑を浮かべてしまう。
﹁何時もの方々ですか?﹂
﹁は⋮⋮如何致しましょうか﹂
﹁断る訳にもいかないでしょう?通してあげてくださいな﹂
その指示を受け、﹁かしこまりました﹂と完璧な礼と共に去ろう
とする彼にキアラは声を掛ける。
﹁ああ、それと⋮⋮例の事ですが、頼みましたよ。⋮⋮もう間も
なくのようですから﹂
﹁⋮⋮はっ⋮⋮﹂
心苦しい案件だが、彼に頼むしかない。
そう、こればかりは⋮⋮自分ではどうにもならぬ事だから⋮⋮。
深く椅子に体を預けながら、首だけをテンペスタに向ける。テン
ペスタもまたキアラに視線を向けていた。そこに宿るのは⋮⋮。
﹁そんな目をしないで﹂
苦笑しつつそう呟く。
長らく付き合ってくれたテンペスタには悪いが、こればかりはど
うしようもない話なのだ。そう、後少しだけ⋮⋮。
それが終われば⋮⋮。
想いを馳せるキアラの弱った耳に賑やかな声が聞こえる。
178
今の自分の耳にも聞こえるとは相も変わらずというべきか、それ
ともそれだけ焦っていると判断すべきなのか⋮⋮。
おそらく後者であろうという予測は立つ。立つのだが⋮⋮これば
かりはどうしようもない。ヒントは与えているのだが、気付く気配
がまるでない。根本的な所で勘違いしている限り、彼らの願いが果
たされる事などありえないというのに⋮⋮。おそらく、最後の最後
まで彼らが気づく事はないだろう、そんな確信をどこかで抱きなが
らキアラは静かに彼らがやって来るのを待つ⋮⋮程なくして、五人
程の男達が執事に案内されて姿を見せた。
﹁いらっしゃい、こんな格好で失礼しますよ﹂
にこやかな笑顔でそう伝えると、彼らは口々に﹁いえ、お構いな
く﹂や﹁こちらこそ失礼致します﹂などと丁寧な礼をしてくる。そ
こには侮りや、蔑みの色など存在せず、彼ら自身もまた育ちの良い
貴族の若者達である事も彼らがただの貴族のボンボンではない腕の
持ち主である事も分かる。きっと、恵まれた環境で持って生まれた
才に奢る事なく鍛錬に励んだのだろう。騎士や魔法使いといった差
こそあれ、そう感じさせるだけの身ごなしを彼らのいずれもが備え
ていた。 最初の頃は酷い者もいた。
それこそ一番最初に来た者など⋮⋮。
﹁お前が、英雄とやらか!喜べ、我が貴様のペットを引き取って
飼ってやろう!!﹂
などといきなり入り込んで来たものだった。
次の瞬間にはテンペスタに屋敷の外へと吹き飛ばされたのだけれ
ど。
手加減はしてもらえたらしく怪我などはしていなかったが、どん
179
なに外で喚いても中に声が響くような事も、敷地内へと入る事も出
来なかった。
後ですっ飛んできた連合王国の役人によると、名門公爵家の馬鹿
息子だったらしい。嫡子ではなく、末子であり、末っ子だからこそ
可愛がられていたらしいが⋮⋮元々各種の動物を飼う事に熱心だっ
たのが甘やかされまくったお陰で、我侭に育った所へキアラの竜の
事を知り、押しかけた、という事らしい。
もっとも、これはさすがに例外だったが、以後病身となったキア
ラの下へは次々と訪問客が訪れる事になった。
原因は分かっている、長らく王国の王都を守護し続けた︵という
事になっている︶テンペスタの乗り手が老いて、亡くなろうとする
事に国の上層部が警戒心を抱いた為だ。
竜の住む地には他の竜は入り込まない。
ならば、ドラゴンライダーが亡くなった後、今この王都を住処と
しているテンペスタはどうするのか?飛び去ってしまうのではない
か?そうなった時、果たして何時まで王都は他の竜から避けられた
ままでいられるのだろうか?
なまじ、国が発展して王都が相当に拡大した為に、過去に竜の被
害を受けた土地にまで広がってしまったのも災いした。
そうなると連合王国が考える事は⋮⋮キアラの後継者の誕生だ。
それも、何時かふらっと王国から出て行ってしまう可能性のある
そこらの冒険者などではなく、代々竜を引き継ぎうる国に忠誠を尽
くしている者が望ましい。 実に勝手な話ではあるが、国の上層部にしてみれば大真面目な話
だ。幸いなのは、嫌でもそうした世界に詳しくなったキアラが、そ
うした事情を理解していた事、テンペスタが気に食わない奴はさっ
さと家の外に叩きだしてはいたものの、基本的には我関せずで放置
していた事か。
彼らはそうやってどんどんテンペスタの﹁二度と来るな﹂で削ら
れていった最後の五人なのだ。要はきちんと礼節を守れて、人を見
180
下さないような奴じゃないともうこの屋敷に入る事すら不可能にな
ったとも言う。
﹁キアラ様、どうでしょうか﹂
一人がいきなり脈絡のない事を言い出すが、実の所もう何度目か
の話故に、何が言いたいのかは分かっている。
﹁何度も言ったはずですが?﹂
だから、キアラからも返されるのはこれだけだ。
それだけで、五人は誰もが顔を見合わせて、困ったような表情を
浮かべた。
キアラはこれまでに幾度も説明を繰り返した。
その中で﹁私が命じてどうこうなる相手ではない﹂﹁テンペスタ
は自分を気に入って一緒にいてくれるだけだ﹂と何度も説明したの
だが、そこら辺がどうしても彼らには理解出来ないらしい。まあ、
人を乗せる竜などという存在自体が極めて限られている上、それら
はいずれも下位竜。明らかにテンペスタが通常の下位竜とは違う相
手とは言っても、実感が湧かないのだろう。
それにテンペスタに気に入ってもらうように行動しようにも、何
時来ても彼らにテンペスタは全く反応しない。延々と寝た振りをし
てまともに身動きすらしようとしないし、かといって近づいても空
気の壁に阻まれまともに近づく事すら出来ない。
中には通常の下位の竜種が好むような肉を持ってきた者もいるが、
これも失敗に終わっている。
属性を持った竜は通常の食物連鎖から外れた明らかに生態系とい
う観点からは異質な存在なのだが、それでも好みの味というのはあ
るし、純粋に楽しむ為に何かを食べる、という事はある。或いはそ
れが頭にあったのだろうが⋮⋮残念、テンペスタが好むのは果物の
181
類だ。とはいえ、見た目が見た目でゴツイのも確かだから、果物と
いう考えに至らなかったのは仕方ないのかもしれない。
つまり、彼らは未だテンペスタと仲良くなる手掛かりすら掴めず
にいるのだ。
⋮⋮それ故に、彼らはキアラに仲良くなるきっかけとしてのテン
ペスタとの仲介をお願いしている訳だが⋮⋮今の所全敗、という訳
だ。
もっとも⋮⋮キアラ自身は⋮⋮。
﹁⋮⋮まことに失礼ですが、キアラ様自身のお命自体がもうない
はずです﹂
﹁その通りですよ﹂
事実見た目からしてその通りなのだからキアラもあっさり肯定す
る。
今のキアラは老いて痩せ細り、最早まともに立って歩く事すら困
難。当然、もうテンペスタに乗って空を飛ぶなど不可能だ。⋮⋮と
いうより、今、テンペスタと共に空を翔るという真似をすればその
時こそ彼女の命の火が消えるだろう。ただ飛ぶ、それにすら彼女の
体は耐えられない所にまで来ている。
だからこそ、彼らも焦る。
﹁⋮⋮この国にとってテンペスタ殿は欠かす事が出来ないのです﹂
﹁そうです、だからこそキアラ様がお亡くなりになる前にせめて
テンペスタ殿に残って頂けるようお願いしたいのです﹂
﹁我らが選ばれずとも良いのです、何とか王都へとこのまま残っ
て頂けるだけでも⋮⋮﹂
﹁そうです!テンペスタ殿に是非、守護竜となって頂きたいので
す﹂
182
口々に熱心に語る。
彼らは悪意などない。それでも、彼らの言葉は⋮⋮キアラにもテ
ンペスタにも届かない。
理由は単純、彼らとでは立ち位置が違うのだ。彼らはあくまで国
の観点から物事を見ている。だが⋮⋮キアラは⋮⋮守護竜などとい
う言葉を聞いても、ただテンペスタを縛り付けるだけにしか聞こえ
ない。だからこそ胸の内を吐き出すような溜息をついた。
ただ、当人にとってはそうでも傍では違っていたようだ。一つに
は今のキアラの溜息というものが彼女自身にとっては深いものでも、
周囲からは軽く息をついた、ぐらいにしか見えないからだろう。
﹁キアラ様、了承して頂けるのでしょうか?﹂
﹁⋮⋮テンペスタ﹂
一人の熱の篭った声に応じる事なく、キアラはテンペスタへと視
線を向け、かすれた声を出す。
念話の方が楽なのだが、呼びかける時ぐらいはそうするのが彼へ
の礼儀だと思ったからだ。
テンペスタは、といえばキアラの声は囁くような小さな声であっ
たが、寝たふりからすんなりと体を起こす。そんな様子もまた、キ
アラにテンペスタが従っているという印象を助長しているのかもし
れないが、彼女はそんな事をもう気にしてはいない。
さすがにこれ以上は辛いので念話に切り替える。周囲の者達は彼
女が遂にテンペスタを説得してくれるのかと熱い視線を向けている
が⋮⋮キアラにそんなつもりは毛頭ない。
︵長い事ありがとう、テンペスタ︶
﹃別に気にしてはいないさ﹄
昔は子供のような口調であったテンペスタも大人の口調となった。
183
まあ、人がまだ若い頃から老いて死ぬぐらいの時が過ぎたのだから、
当然だろう。竜にとっても数十年という年月は子供から抜け出すに
は十分な年月だったという事だ。
︵もう、いいのよ︶
﹃⋮⋮いや、自分は﹄
︵⋮⋮気付いてないと思われてたなら心外ね。⋮⋮抑えていたの
でしょう?本当の意味で大人となる事を︶
﹃⋮⋮⋮⋮⋮﹄
成竜となった竜は人の傍らにあってはいけない。
あるとすればそれはすなわち守護竜となった時のみ。しかし、そ
れはもうキアラと共にある竜としてではない。あくまで国と共にあ
る竜となる事であり、キアラよりも国を重視しなくてはならない。
⋮⋮人一人に構うのは幼竜である時まで、それが知恵ある竜、竜王
達が自分達の与える影響を考え、定めた事だからだ。
⋮⋮成竜となれば、振るう力の影響は幼竜のそれより更に強大な
ものとなる。
守りたい個人の為に力をふるったつもりが、却って守りたい相手
を迫害へと導きかねないのが成竜の力なのだ。
︵そう、前に会った竜王さんに言われたものね︶
﹃⋮⋮知っていたのか﹄
テンペスタは自分にだけこっそり話されたと思っていたようだが、
そんな訳がない。
キアラが知らない事をいい事に、テンペスタが成竜となってから
も傍にいようとする可能性を考慮していたのだろう。キアラ自身に
もきちんと伝えていたのだ。﹃もし、あ奴が駄々をこねるようなら、
きっちりと説得してやってくれ﹄と⋮⋮。
184
︵だからお願い。最期に貴方の大人となった姿を見せて︶
﹃最期などと⋮⋮﹄
︵自分の体の事ぐらい把握しています。それに⋮⋮貴方も理解し
ているのでしょう?︶
﹃⋮⋮⋮⋮⋮﹄
沈黙がすなわち答えだった。
︵だからお願い、そして︱︱︶
キアラの人生最後の願い、それを聞いたテンペスタは首のみを伸
ばしていた姿勢を起こした。
何事かと驚きの目を見張る五人に構う事なく、キアラは忠実な執
事の方へと視線を向ける。長い付き合いの彼はそれで理解したらし
く、少し寂しそうな目を笑みを浮かべると深々と彼女に向けて礼を
した。
それを確認して、再びキアラはテンペスタに視線を戻す。それを
合図にしたかのように︱︱。
パキリ、パキリ、と⋮⋮テンペスタの体に皹が入ってゆく。
さすがに驚き騒ぎ出す若者達を余所に、キアラはその姿を魂に焼
き付けんとばかりに視線を逸らさず見詰め続けている。
何かの鉱物結晶を思わせるテンペスタの鱗と体、その全てにゆっ
くりと皹が入り、結果として紅がかった体が白っぽく染まった、そ
の次の瞬間。
カシャン、と。
澄んだ高い音と共に内側から更に紅味の増した結晶が突き破って、
一気に成長してゆく。
185
引き絞られた弓が一気に跳ね返るように、結晶もまた巨大に成長
してゆく。
その崩壊は瞬く間に全身へと広がり︱︱全てが終わった時、細か
な、体に残る結晶を振り解きながら立ち上がったテンペスタの体は
更なる巨体、成竜となっていた。
余裕のあったはずの中庭ギリギリのサイズにまで成長したテンペ
スタが視線を向けると、キアラが横になった寝椅子と共に宙に浮か
ぶ。
驚愕で固まる五人には目もくれず、キアラへと視線を合わせ、キ
アラもまたテンペスタへ視線を合わせ⋮⋮。
﹁ありがと、う﹂
その言葉を最期に力を使い果たしたように目を閉じた。
それが英雄と謳われたキアラの最期だった。
そうして、テンペスタはそのまま空へと飛び立つ。
音も無く、風も無く、翼を動かしもせず垂直に一気に駆け上る。
いや、それはもう飛び立つというものではない。幼竜の頃はまだ目
で追えたその姿は、飛び立った次の瞬間には遥かな上空にあった。
そのまま王国や王都には目もくれず、一気に進む。
やがて、成竜となってもそれなりの時の後、到着したのは一つの
島。⋮⋮テンペスタが生まれ、キアラと出会った⋮⋮あの島。
︻初めて出会った島に葬って欲しい︼
それが彼女の最期の願いだった。
彼女にとっても全てが再び動き出した島。
父も母も失い、やっと運良く得たと思った友達も全て失い、絶望
していた彼女の時が再び動き出した、あの島。
父はいずこで死んだかも分からず、母も亡くなった後はいずこか
186
の無縁仏を集めた墓に他のとまとめて葬られた。友達となった貴族
の少女がどこに葬られたかも知らない、おそらくは貴族の持つ一族
が入る墓であろうとは思うが、彼女には縁の無い場所だ。
だからこそ、彼女は眠る地にここを選んだ。
到着したテンペスタはぐるりと島全体に意識を飛ばすが、小さな
生命は、生きた人はいない。
それを確認すると滑るように生まれたあの洞窟のあった場所へと
移動した。
活発な活火山だ、かつて洞窟のあったそこはもう崩れ落ち、埋ま
っていたが⋮⋮テンペスタが軽く魔法を行使すればそこには道が開
ける。
自らの砕けた幼竜の鱗の欠片を用いて作り上げた棺にキアラを納
め、そっと地面に置き⋮⋮最後にじっと見詰めた後、滑るように前
を向いたまま後退してゆく。それに合わせ、一度開いた道もまた閉
じていった。
そうして、テンペスタは空へと舞う。 187
第十一話:一つの終わり︵後書き︶
これにて幼竜編はあと幕間部分を書いて終了です
この結末自体は書き始めた時点で予定していたのでやっと書けた、
という感じですね⋮⋮
幼竜編幕間の後、成竜編へと移ります
早く竜人戦争とかそっちも書きたいけど⋮⋮何時になるやら
188
幕間劇︵前書き︶
その後と、短編とも言えない未来の為の短編一本です
189
幕間劇
◆◆◆幕間その1◇◇◇
テンペスタが飛び立った後のキアラの屋敷では取り残される形と
なった五人がしばし呆然としていた。
間もなく我に返った一人が周囲を見回し佇む執事の姿を見つけ、
尋ねた。
﹁テンペスタ殿は帰って来られるのかね?﹂
キアラの事は聞かない。
キアラの天命が最早尽きる寸前であった事は既に周知の話だった。
如何に傍に竜がいようとも⋮⋮寿命という終わりからは逃れられ
ない。だからこそ、この連合王国の上層部は焦っていたし、ここに
いる五人も毎日、はテンペスタが怒るので三日おきに来訪していた
のだから。
しかし⋮⋮。
﹁いえ、その予定は御座いません﹂
執事から返って来た言葉はある者にとっては予想外であり、また
ある者にとっては予想通りであった。
もう少し正確に述べるならば、政治に関与している立場の者にと
っては予想通りであり、軍人の立場にある者や未だ正式な成人を迎
えていない者にとっては予想外であった、という事だ。
﹁どういう事だ!?﹂
190
だから、その予想外だった人物三人の内の一人、近衛隊中隊長を
勤める男が思わず、といった様子で叫んだ。
これでもここに残る五人の一人である事から分かるように、普段
は沈着冷静、部下からも慕われる将来を嘱望されている伯爵家の次
男坊なのだ。
けれども、そんな彼に命じられた任務、新たなドラゴンライダー
となる事、が不可能になる、という話を突然聞かされてはさすがに
冷静ではいられなかったようだが⋮⋮。
﹁どうもこうも、今述べました通り、テンペスタ様はこの地に戻
るご予定は御座いません﹂
今後は世界各地を回られるとの事ですので、最低百年、おそらく
は数百年もすればまた戻ってこられる事もあるかもしれません。
そう続けた執事の言葉に呻き声を上げる。
そんな面々だったが、二人程驚いても、悩んでもいないように見
受けられる者がいるのに気がついた。
﹁冷静だな。⋮⋮貴公らは予測していたのか?この結末を﹂
﹁⋮⋮可能性の一つとしては、ね﹂
無論、その両者とて失望感がないという訳ではない。守護竜をテ
ンペスタが引き受けてくれる可能性はないではない、そう思ってい
たからだ。
︱︱テンペスタと話す事が出来ていれば、だが。そうすれば説得
する自信はあった。テンペスタは確かに生まれて数十年になる竜と
してはまだ幼くとも、人として見るならば十分長い時を生きてきた
竜だ。しかし、その生の大半をキアラと共に駆けた彼は同時に政治
や交渉といった世界とは無縁に生きてきた。
だからこそ、きちんと誠意を持って話をする事が出来れば自身が
191
ドラゴンライダーとなる事は無理でも守護竜となってくれる可能性
はあると思っていた。
︱︱守護竜。
それは歴史の中に存在する国を守護する竜だ。
いずれも成体となった竜がその役割を果たし、国全体に加護をも
たらす。
そのいずれもが最後は人の側の欲によって竜に見限られてしまう
のが何とも救いが無いが、確かに存在していたのは間違いない。
だが、その願いも潰えた。最悪のケースからは程遠いが、良い結
末であったとは到底言えない。尚、最悪というのは、テンペスタを
激怒させて連合王国自体が崩壊に追い込まれるようなケースだ。さ
すがにそんな事を口にしたりはしないし、そこまで考えているのは
本当に片手で数えられるぐらいだが⋮⋮何しろ、下手にそんな予測
が洩れた時点で﹁そんな可能性があるなら、事前に処分してしまえ
ば!﹂などと考えた馬鹿が暴走して手を出した挙句、それが原因で
相手を怒らせてしまう可能性すらある。
﹁⋮⋮そういえば皆さんはどうするおつもりなんですか?﹂
別の一人がそう執事に尋ねた。彼も同じく政治畑出身だが、最初
に答えた彼が外交を主な仕事の場としているのに対して、こちらは
所謂書類仕事が主だ。
軍人二名に、軍とは関係のない政治家から二名、更にそれ以外一
名という選出時点で上層部がキアラ同様の使い方以外も考慮に入れ
ていた事が分かる。
そんな書類仕事を行っている彼にとっては、突然、屋敷の主がい
なくなった今、この屋敷の管理をどうするか、というのは実は何気
に重要な事だった。何せ、この屋敷、案外王宮に近い。しかも広い。
こんな場所を放置したり、余りよろしくない貴族の手に入るのは
良い話ではなかった。さすがに場所が場所だけに商人が手に入れて、
192
外国の手の者が高い金を出して買い取る、などという事はないだろ
うが⋮⋮もし、執事らがこの屋敷を譲られたりしているなら買い取
る事も考慮しなくてはならない。王宮に近い場所を与えられる、と
いうのは﹁お前を信頼している﹂という国からの証でもあるのだし、
貴族街のど真ん中に貴族ではない者が入手するというのは執事達に
とっても良い結果を生まないだろう、と考えての事だ。
﹁私どもは隠居を予定しております﹂
ただ、その言葉は少し予想外だった。
﹁隠居、ですか?﹂
﹁しかし、若い者もいるだろう?全員が全員隠居する訳ではある
まい﹂
この屋敷は広い。
広いという事はきちんとした状態に保つにはそれなりの人手が必
要だという事になる。
広い庭を掃除し、樹木を手入れする。屋敷の中を整え、来訪者を
貴族として恥ずかしくないよう迎え、もてなす。そうした人員を支
えるにもまた人が必要⋮⋮と、広けりゃいいってものじゃないとい
う典型的な例と言えよう。掃除をした事があれば、自分の家を掃除
するという事が一人だけではどれだけ大変かも分かるはずだ。
﹁いえ、既にこの屋敷に残っているのは私を含め四名、いずれも
年寄りで御座います故﹂ それだけにその返答はさすがに全員呆気に取られた。
聞けば、キアラ名誉伯爵は自身の死が近づいているのを悟った後、
徐々に人手を減らしていったのだという。十分な金を渡し、仲介ギ
193
ルドを介して新しい仕事を探した上で、だ。今では残っているのは
﹁今更新しい家で働く気にはなれない﹂という老人達ばかり。ここ
の庭の手入れに情熱を燃やしてきた庭師、ここまで五人を案内して
きたメイド長、全員に料理を提供する料理人、それにこの執事のみ
だという。掃除は、といえばテンペスタがちょっと風や水属性の魔
法を用いて片付けていたという。
面倒な掃除などの手間を省く事が出来れば、メイド長の仕事だっ
て主に執事と協力してキアラの身の回りの世話ぐらいだ。それにし
たってテンペスタが手伝ってくれるのだから力仕事は不要。 かくして、人数はここまで減らしており、キアラ自身の資産も殆
ど片付いている状態。キアラ自身の資産として残っていたのはこの
屋敷を除けば名誉伯爵として毎年決められた額が給付される年金ぐ
らい。執事らも長年仕えてきた主人の最期を看取るつもりで仕事を
続けてきたが、隠居して余生を過ごすには十分過ぎる程の金を既に
与えられているという事だった。
﹁なんとまあ、綺麗に身辺を片付けていかれたものだな⋮⋮﹂
﹁それではこの屋敷はどなたかが管理されるのですか?﹂
﹁いえ、この屋敷に関しては⋮⋮﹂
執事がここで一通の書状を取り出した。封?にはキアラ名誉伯爵
の家紋。
﹁国へと返還される旨をお聞きしております。こちらはその権利
書と御遺志を記した遺書に御座います﹂
﹁内容を把握しているのか?﹂
﹁代筆致しましたのは私で御座いますので﹂ なる程、それは遺書の内容を知っているはずだ。
194
﹁どうぞ中をご覧下さい﹂
﹁いや、それは﹂
﹁そちらは皆様に読んで頂く為のもので御座います。大事な事も
記してあるからと⋮⋮それと﹂
王に差し上げるものは別途ご用意させて頂いておりますので。
そう言われて、互いに視線を交し合った後、一人が代表する形で
受け取る。
開いて中を読むに連れて、どこか面白そうな顔になった。
﹁なんと書いてあったのだ?﹂
興味津々な周囲に促される形で語られた話だが、一つは簡単なお
願い。庭師の老人に庭の手入れを望む間はそのまま任せて欲しいと
の事。
これはむしろこちらからお願いしたい所だから問題はない。
⋮⋮重要な話にも繋がるのだが、むしろ彼の庭の手入れ技術を習
得出来るよう王宮の庭師から選出して送り込まねばならない。彼も
また老人である以上、何時動けなくなるか分からない。その前に技
術を教えてもらわねばならない。
そう、教えてもらう、だ。
単なる庭ならそんな必要はない。王宮は当然のようにこの国でも
第一級の庭がある。外国から来た者も見るのだから、ある意味国の
顔の一つ。
手入れをするのは当然国でも一流の腕を持った者達であり、普通
は幾らキアラ名誉伯爵とはいえ成り上がりの伯爵家に雇われる程度
の庭師が敵う所ではない。
しかし、ここの庭は例外だ。もう少し正確に述べるならば、中庭
が、というべきか⋮⋮。
この屋敷は何十年に渡り、テンペスタが住み着いていた。その寝
195
床となっていたのが中庭だった。
結果、中庭にはテンペスタの魔力が、竜としての力が染み付いて
いる。
更にこれはキアラも予測していなかった為に書かれておらず、こ
の場にいる誰も気付かなかったが、テンペスタは成竜となった時、
鱗と呼ぶべきか外皮と呼ぶべきかは分からないがそれを大量に落し
た。その一部分はキアラの棺として生まれ変わったが、テンペスタ
にしてみればそれ以外の地面に落ちたものはどうでもいいので放置
していた。この為、中庭に落ちた大量の粉塵と化した鱗はより強く
大地に竜の力を刻み込んでいた。
ドラゴンズガーデン
結果、この中庭はある種の特殊な場と化していた。
﹃竜の庭園﹄
竜の塒の中には時にこう呼ばれる場所が存在する。
土地そのものが変質し、ある種の霊的な土地と化した場所。
そこでは普通は街中では取れない希少な薬草などの植物が生え、
更に極稀に特に強い魔力に晒され続けた時に誕生すると言われる魔
法金属すら狭い領域に出現する。そんな一つ見つければ大金持ち確
ドラゴンズガーデン
定とも言われる場所にこの中庭は変貌しているという。
無論、こうした﹃竜の庭園﹄が他に存在しない訳ではないし、魔
法金属が手に入らない訳でもない。ただし、一般に知られている場
所はいずれも人里から離れ、危険な場所にある為にそう簡単に行け
るような場所ではないだけだ。そういう意味合いでも、王都のど真
ん中に存在する価値は計り知れないものがある。
加えて全属性を持つテンペスタの力が存分に発揮された結果、元
々は体力の落ちたキアラの為に掘られた温泉が湧いており、その温
泉に入れば軽い怪我程度なら癒される⋮⋮。
更にそれは竜が﹁ここは俺の縄張り!﹂と主張した証であるから、
そこを放棄しない限りは竜の力は途絶える事なく、仮に途絶えたと
196
しても⋮⋮。
﹁まあ、私達が寿命を迎える間ぐらいは問題ないでしょうね﹂
そんな場所の管理方法を知る者など世界を探してもそういる訳が
なく、逆に言えばその方法を間違いなく知っている庭師の老人から
は可能な限りの情報を得なくてはならない。
どうやらキアラ名誉伯爵は十分すぎる程の遺産を連合王国にも遺
してくれたようだった。
⋮⋮これならば上層部も胸を撫で下ろすだろう。
テンペスタ自身は飛び去り、切り札としての戦力はいなくなって
しまったが、きちんと屋敷を手入れし、思い出を崩す事なく維持す
れば王都を他の竜から守るお守り、としては立派に作用するはずだ。
そして、その管理費はと言えば庭から得られるものだけでお釣りが
来る、というか魔法金属の希少性などを考えればそんじょそこらの
伯爵領丸ごとより価値があるはずだ。
︵もっとも何時までもつかは知りませんが⋮⋮︶
自分達が生きている間はいい。
だが⋮⋮人の生とは短いもの。
伝説における守護竜がそうであったように⋮⋮その時に生きてい
る者がいなくなる頃には﹁何故﹂なのか、それが歪められている可
能性は高い。王家の権威を高める為と称して﹁竜から献上された﹂
などという話へと変えられたりする事になるのだろう、そう思う。
そして、何時か当初は表向きの名目だったはずの話が、真実として
伝えられるようになって⋮⋮。
︵いえ⋮⋮︶
197
それは今の自分が考える事ではない。
所詮、自分とてあと百年も生きる事は出来まい。であれば、自分
の代で出来る事をするだけの事⋮⋮。
後に彼の懸念は的中する。
僅か二百年程の後の事、連合王国は大々的に﹁竜より献上された﹂
庭園の改修を宣言した。
儀式、という東方で行われている形を組み込む事で少しでも敬意
を忘れないように一部のみを採取する、という形で行われていたの
だが、何時しか年に一度庭園の全てを採り尽すようになり、それで
も足りないとばかりにこの拡大は行われる事になったのだった。
周囲を囲む屋敷を取り壊し、庭を潰して、より﹁竜の庭園﹂を広
域に広げられるように改築。けれど、間もなく竜の力の流入が停止
し、やがて﹁竜の庭園﹂は崩壊を迎える事になる⋮⋮。
皮肉な事に庭園が枯れ果てるのと時を同じくして、繁栄していた
連合王国自体も衰退を始め、それから間もなく内乱の戦火の中に王
国は消え去った。
けれども今も往時の姿を見る事が出来る。
この時の五名の一人、ただ一人役職ではなく純粋に訪れていた一
人がいた。
竜の成竜への再誕、そしてその飛翔に魅せられた一人の少年。
自らの脳裏に焼きついたその光景を誰かに伝えたい、残したいと
ドラゴンズガーデン
願い、その想いからやがて高名な画家となった彼の遺した絵画⋮⋮
それが今も尚君臨する彼の竜がかつて築いた﹃竜の庭園﹄、その姿
を今に伝えている。
◆◆◆幕間その2◇◇◇
198
其れはどこにでもあり、どこにもいなかった。
意志はあれど、余りに漠然としたそれは各個たる意識ではなかっ
た。
絶大なる力を持ちながら、それを揮うという意識を持たぬそれは
ただ漠然とそこにあった。
永遠のまどろみの中にある、とも言えるそれにとって小さな者達
が騒ごうとどうという事はなかったが⋮⋮時折ちょっかいをかけて
くるのが僅かにわずらわしかった。
ある時、ふと思いついて、少しだけ壁を開き、器の一つに流れを
傾けてみた。 ⋮⋮僅かな思いつきは上手くいったようで、心地良い暖かさがち
ょっかいをかけてくる力を覆うようになった。
これで良い。
それは僅かな自意識を放棄し、再びまどろみの、永きに渡るたゆ
たいを続けることにした。
時折、僅かにそれがすわりが悪いような、そんな印象から体を揺
する事はあれど⋮⋮それはそこにあり続ける。 そう、世界の始原よりずっと⋮⋮。 199
幕間劇︵後書き︶
これにて幼竜編を閉じ、次回から成竜編です
題して﹁大嵐竜王﹂、よろしくです
200
第十二話:大嵐龍王︵前書き︶
ワールドネイションより先に区切りが良い所まで書けたので先にア
ップ
今回はちょっと短め
早くワールドネイションも仕上げねば
201
第十二話:大嵐龍王
島を飛び立ったテンペスタはそのまま一気に加速⋮⋮したりはし
なかった。
周囲を確認した際、彼の知覚は確かに人の気配を島から感じる事
はなかった。新たに流れ着いたと思われる船の残骸はあれど、生き
た人間の存在は一つたりとも存在しなかったが、それはイコールで
生命の気配を感じなかったという訳ではない。
小さな生命は多数いた。
けれど、それらを圧する巨大な気配が一つ。
それがテンペスタから飛び去るという選択肢を消した理由。
単なる巨大な気配というのならば分かる。一度だけだがキアラと
テンペスタはテンペスタの母以外の竜王と出会った事があった。
それは元々は冒険者として受けた依頼での出来事だった。
開拓村から順調に拡大して現在では街と呼ばれる規模となったあ
る地において、ある時ある場所から急に森に入れなくなった、原因
を探って可能ならば解決を、というものだった。彼らは森を切り開
いて農地を開発していった街としては更に農地を広げる為に森を切
り開きたかったのだ。
到着したそこで待っていたのは極めて強力な幻による結界。
真っ直ぐ歩いているつもりでも幻によって進行方向をずらされ、
気付けば森の外へと出ている有様。では、とばかりに森の入り口近
辺の木々を切り倒そうとしても幻によって距離感を狂わされて空振
りするぐらいなら可愛いもの、果ては自分の足に向かって斧を打ち
込む者すらいる有様だった。
その森の深奥で出会ったのが一体の竜王。
地と風の属性を持つ遥か古来より生き続ける偉大な竜王だった。
202
話を聞いてみれば何の事はない、開拓村の初代との契約に基づい
ての行動、ただそれだけだった。
開拓村が現在の街の規模になるまで百年以上の月日が過ぎていた。
かつて、﹁ここまでは人の領域として、ここから先は獣の領域﹂
と定めた境界線、ほんの百年余の間に人の間ではそれは忘れ去られ、
街へと規模が拡大するにつれて加速度的に拡大した農地は遂にかつ
て約定を交わした境界線に達していたのだった。
竜王との契約は人と人が交わす国家間条約と同じものと国家から
は認識され、扱われる。何故なら国としても竜王とやりあうなどし
たくはなく、また竜王というのは約束を守る。逆にこちらが約束を
破れば竜王も好き勝手に動けるようになるという事であり、その場
合まず間違いなく人の側が逃げ出す羽目に陥る。これもまた人が長
年の間に学んだ知恵だった。
何が言いたいかと言えば、竜王と正式に結ばれた契約である限り、
国はこの街の拡大に手を貸してはくれない、という事だ。無論、貴
族だの騎士団だのも同じ事。傭兵団なんて竜王に喧嘩売るなんて話
を聞いた時点で即効逃げ出す。
何故そんな事を言うかといえば、実は街の領主含めた有力者達が
﹁何とか竜王を排除できないか﹂と企みを巡らせていた為だ。
街の領主達は森に入れなくなると同時に原因を実地だけでなく文
献でも探り、その結果竜王との契約を既に発見していた。だが、そ
れに従えばこれ以上街は拡大出来ないという事になる。反対側は既
存の領地と既に接しており、領地を拡大するには森を切り開き、更
にその先の山にあるとされる鉱物資源を得るしかなかったからだ。
そこでそれを隠し、何も知らぬ振りをして冒険者を雇っていた訳
だ。これはなまじ強大な竜王の領域であった為に他の竜が近寄らず、
竜王の下で暮らすような竜は竜王の引いた境界線に近寄ろうとしな
かった為に長らく彼らが竜というものの強大さを知らず、平穏に慣
れていた事が大きかった、らしい。結果として知らないからこそ、
竜を単なる蜥蜴ではないか、と侮り、けれどまともに依頼を出せば
203
竜という名だけで依頼金が高まる事を知って、隠蔽して依頼を行う
という姑息な真似をしていたのだった。
本来ならば、﹁契約は破られた﹂と看做されてとっくに竜王の怒
りを買っていてもおかしくない状況だった。その時の一件を企んだ
領主達は事態を甘く見ていたようだが、もしそうなっていればこの
街そのものが住人ごと地上から消えていただろう。
幸いだったのは、相手が長く、本当に長く生きた穏やかな竜王だ
った事だ。
竜王には明確な寿命はない。ないのだが、自然と共に長く生きる
事でやがては彼らは自然そのものとなってゆく。
やがては肉体に宿る意志そのものが自然と一体化し、自我に相当
する部分が実質的な消滅を迎える。それが竜王の死だ。
それはすなわち、長く生きた竜王程、気が長いものが多い、とい
う事でもある。⋮⋮まあ、長く生きてても短気なのだっている、ら
しいのだが。
とにかく、その気長な性格に加えて、相手を脅威と思っていなか
った事が幸いして契約を破ったと看做されていなかったのだった。
テンペスタ達が会えたのも、知恵ある竜の気配に気付いた向こうが
招いてくれたからこそ、だった。あの時はテンペスタも経験豊富な
竜王の老練な技術の織り成す技に見惚れたものだった。なにせ、招
かれた時、竜王のすぐ前に着陸しながら彼の竜王が幻術を解くまで
目の前にいる事に微塵も感じさせなかったのだから⋮⋮。テンペス
タが魔法というものに嵌ったのはその出会いがきっかけだったと言
っても過言ではない。
結果から言えば、テンペスタの報告によってこの竜王との契約の
詳細が明らかになった。
領主にはその記録は残っていなかったのか?と調査が入ったのだ
が⋮⋮ここで企みがばれた結果、この領主は王国上層部の怒りを買
い、更に周辺の貴族達からも怒りを買い、領主とその取り巻きは処
刑の上、お家取り潰しとなってしまう訳だが⋮⋮。
204
その時の記憶がテンペスタに訴える。
この気配が竜王のものである事、そして⋮⋮。
︵あの竜王より大きい⋮⋮な︶
老練な竜王は巨大な力の塊であり、母よりも巨大な存在だった。
だが、今感じる気配は⋮⋮それより更に大きい。
よく考えてみれば、この地は不思議な土地ではあった。常に嵐に
閉ざされて続ける島、荒天が多いとかそういうレベルではなく常に、
だ。僅かに波が穏やかになる瞬間すらなく、暴風が吹き荒れ続ける。
それも一年二年ではなく何年も何年も⋮⋮そう、テンペスタが生ま
れてから数十年、一日たりとも止む事なく⋮⋮。
しかし、竜王の巣であったならば納得がいく。
そう判断しつつ、どこか惹かれるその気配に会うべく嵐の只中へ
と突っ込んだテンペスタだったが⋮⋮。
﹃っ!?いきなりかっ!!﹄
突入するなり、風による一撃が飛来した。
それを咄嗟に体を捻って回避する。通常の鳥には無理な回避、そ
もそもこの暴風吹き荒れる嵐の中を鳥が飛べるかはさておき、風の
属性を持つテンペスタをしてかろうじての回避となったのは別段、
嵐で体の動きが鈍ったからではない。緊急回避を行う段になって気
付いた事だが⋮⋮余りにも自然に嵐の風の中に竜の力が混じってい
たからだ。
他の竜の力が混じっていたが故に、相手からの攻撃はそれに紛れ
て近くに来るまで気付けず、おまけに回避時に咄嗟に風の属性を使
おうとした為に回避行動にも支障が出た結果だった。
この時点で既に違和感はあった。
205
だが、そんな思考を許さぬとばかりに連続した攻撃が襲い来る。
回避。
その回避した先に更に一撃。
それも回避、した先に出現する一撃。先の先に放たれた先読みの
一手。
追い込まれた、そう理解した瞬間に直撃が来る。
﹃う!﹄
ゴン!と殴れられたような重み。
まただ、とテンペスタの中で違和感が強まる。
︵何故本気を出してこない?︶
それだ。
これだけ一体化する程にこの地の風を支配し、その支配下に置き、
共にあるのならば、テンペスタが風の属性を利用しようとした所で
妨害は容易だったはず。
そしてそれは攻撃も同じだ。
攻撃も本気ならばもっと分かりにくいはず。最初の把握が遅れた
原因が竜の力が周囲に満ちていたからであったように、それを利用
すればもっと楽にこちらへと攻撃を命中させる事が出来たはず。そ
の後の先読みの一撃にしても間違いなくもっと攻撃力が上の一撃を
叩き込む事も出来たはず⋮⋮もし、そうしていれば、今頃テンペス
タは落ちていたかもしれない。
となると⋮⋮。
︵追い払えればいい、別に撃墜する意志はない、そういう事か?︶
だが、試しにとばかりにテンペスタが嵐の外へ抜けようとすれば
206
再び一撃が襲って来る。
⋮⋮巧妙な事に大気そのものを操作し、外縁部からの攻撃でテン
ペスタを内側へと押さえ込む。まるで嵐の中から出さぬ、とばかり
に⋮⋮属性を持たない場合は論外として、属性を持つ竜であったと
しても火や地の属性しか持たぬ竜であれば、やがては疲労と空腹か
ら墜落もするだろう。
だが、テンペスタは全属性を持つ竜。当然、その中には風と水も
含まれ、この嵐の中であっても必要なだけ取り込む事の出来る属性
が体力と疲労を回復し、飛び続ける事を可能とする。
同じ風の属性を持つ相手がそれに気付いていないとも思えない。
︵分からん︶ 一体何がしたい。
風以外の属性を用いる事で回避を容易にした。
とはいえ、探知は未だ紛らわしい状態が続いている為に難しい。
どうしても直前の探知になってしまう。 反撃は、しない。
小さい頃なら苛立ちに任せて行ったかもしれないが、今それを行
っても無駄な事は十分理解出来るぐらいには大人になったつもりだ。
だから、今は探知と回避に専念する。
﹃⋮⋮力の集中する場所、おそらくはこの地の竜王がいると思わ
れる場所に誘導するでもなく、かといって追い払うでもなく、けれ
ども弄ぶにしては何かが違う⋮⋮﹄
弄ぶつもりならば、﹁当っても構わぬ﹂﹁死んだらそれまでよ﹂
ぐらいのつもりで攻撃を放ってきてもおかしくない。
だが、この相手はそうではない。
きっちりと回避ギリギリ、攻撃を受けても本当の意味でダメージ
207
にならないようきっちり計算されている。実に手がこんでいるとい
うか、手間がかかっているというか⋮⋮。
﹃むう⋮⋮どう思う、キア⋮⋮﹄
そう名前を呼びかけて⋮⋮。
﹃そうだった﹄
首だけ捻って見た自身の背中に人影はなく。
﹃⋮⋮もう、いないんだったな﹄
それが嫌でも現実をテンペスタに思い出させた。
思わず、といった風情で思い出に浸りかけたテンペスタを直撃し
た一撃が現実に引き戻した。
と、同時にテンペスタを一気に不機嫌にさせる。
︵思い出に浸る時間すら与えられんか!︶
むかっとしたのが一つ。
相手の力の質が見えてきたのが一つ。
⋮⋮おそらく、本当の意味での切り札、こちらに大怪我を負わせ
るような、下手すれば命を奪うような攻撃はまだまだ隠されている
のだろうが⋮⋮それは使う気がないのだろう。
それならば、強引に突破してしまうのが良い。とはいえ、このま
まではそれも無理だ。実に巧妙且つ先程みたいな事がない限り感心
しているぐらいの精密さで、強引に突破しようとすると飛行の向き
を変えられてしまうのだ。しかし⋮⋮。
飛行するテンペスタの周囲の雨の動きが変わった。
208
これまで風任せに動いていた叩きつけるような雨は急速にテンペ
スタの周囲へと集ってゆく。
そう、飛行しながらテンペスタの周囲へと集う水が巨大な球体を
形成してゆくのだ。
そうはさせじ、とばかりに風の属性を用いての雷が放たれるが⋮
⋮。
実の所、水自体は電気を通す訳ではない。所謂純水、正確には超
純水と呼ばれる徹底的に不純物を取り除かれた水は雷をその表面で
弾き、内部へと通さない。
テンペスタが現在行っているのは、相手の力があくまで風の属性
に基づいたものであるという認識の下での行動だ。水の属性を用い
て雨を構成する水分を集める。一滴一滴は少なくともこれだけの嵐
であれば十分過ぎる水分が集まる。そもそもここは海上、必要なら
低空へと降りれば必要量は集まる。
無論、それだけでは不純物が大量に混じる事になるが、地の属性
を用いてそうした不純物は弾き、水のみを集めてゆく。
みるみる間に半径百メートルを超える水の球体が形成され、その
まま一気に加速する。
ガボン、ガボンと音を立てて風の一撃が水球を打ち付けるが、そ
れらには先程までのテンペスタの体を直接打つ事によって為しえた
精密な方向制御は行われていない。それがますますテンペスタに確
信を抱かせる。
︵やはり、慣れていない︶
雨水を通して、ならば可能なのだろう。
だが、竜の力によって集められた水球を突破しての手加減は余り
経験がない、と判断する。場所柄、水竜が紛れ込んで来たりする可
能性はあるのにそれ、という事はそうした相手を対象とした手加減
を普段は行っていない、テンペスタに対して行っているのが特別な
209
のだ、という事を確信させるには十分だった。
殺すつもりで放つ場合は強めの攻撃を放てばいいだけだが、大き
な怪我はさせないよう細心の注意を払っての攻撃では相手の防御と
こちらの攻撃の度合いを見極めて放たねばならない。
︵確かめさせてもらうぞ、正体を!!︶
しかし、それでもその内相手は何らかの手段を思いつくかもしれ
ない。
何しろ、テンペスタは所詮竜としてはまだまだ若輩者でしかない。
異界の知識、というデータバンクを持つ事で経験の不足を補っては
いるものの、この世界と異界はまた異なる世界。それ故に細かな点
から大きな点に至るまで幾つもの違いがあり、結果として異界の知
識が役立たない部分、こちらの世界独特の現象を用いた攻撃手段な
どもある為に経験豊富な竜王の動きを想定する事は容易な事ではな
い。
そもそも、現状においてさえテンペスタは未だ相手の姿を捕捉す
る事さえ出来ていないのに、相手はテンペスタを完璧に捕え、攻撃
ドラゴンズガーデン
をかけてきているのだ。如何にここにいる時間において向こうの方
が圧倒的に長く、おそらくはこの地が空中に生じた︻竜の庭園︼で
あるとはいえ、既にその時点で生死をかけた勝負、という意味では
敗北しているのだ。
超純水による水球を纏ったまま加速し、更に地属性の力を用いて
進行方向へと﹁墜ちて行く﹂事によって更なる加速をかける。
そして次の瞬間。
︵抜けた!!︶
圧倒的な力の気配を感じる方向へと進んでいった時、ある瞬間に
テンペスタはそれを感じた。
210
⋮⋮そこは静謐な空間。
ドラゴンズガーデン
おそらく、いや、間違いなくこここそがこの地を支配する竜王の
︻竜の庭園︼。
その外側の嵐吹き荒れる地とは打って変わって、淡い光に包まれ
た巨大な球状空間⋮⋮そう、直径は1キロはあるであろうその空間。
最初に突入した時、テンペスタはその球体表面に幾本もの紐が走っ
ているように
見えた。
だが、違う⋮⋮。
その広大な球体表面に這うように伸びているのは体だった。
⋮⋮恐ろしく長大な竜の体。蛇を思わせる長い胴体が巨大な球体
表面に這うように縦横無尽に走り、頭部が球体中央に天空から垂れ
下がるような形であった。
いや、頭部を含めた中央にとぐろを巻いているような部分だけで
も通常の竜王に匹敵するであろう恐ろしく巨大な竜王だった。 ドラゴンズガーデン
体表面に纏っていた水も気付けば消えていた。
おそらく、彼の竜王の︻竜の庭園︼内部へと入った事で、より微
細な力を揮う事が出来るようになり、結果どうやったか分からない
内に水を取り除かれてしまったのだろう、そうテンペスタは推測し
た。
思わず、といった感じで空中で急停止したテンペスタ。
そこへ声がかかる。
﹁ようこそ、我が領域へ﹂
それだけの言葉であったが、荘厳かつ重厚。
そうとしか言いようのない響きであり、長く生きた竜のみが持つ
威厳に満ち溢れていた。
が⋮⋮その直後。
211
﹁そして、はじめまして!パパだよ、息子よ!!﹂
正に一転。
そう言える程に明るく楽しそうな声へと変わった。
先程までは顰め面というか、重々しい表情をしていた、と同じ竜
だからこそ分かった表情をしていたのだが、それが一気にでれっと
した笑顔に変わる。
正に、﹃職場では険しい顔をした謹厳実直な老人が、孫を前にで
れでれとなった﹄というのが相応しい変貌ぶりだった。
その余りの変化と、掛けられた言葉の意味が咄嗟に理解出来ず、
タイランリュ
唖然としていたテンペスタはたっぷりと時間が過ぎてから⋮⋮。
﹃⋮⋮⋮は?﹄
そんな間の抜けた声を洩らしたのだった。
ウオウ
そして、これが⋮⋮父であり、最古の竜王の一体である﹁大嵐龍
王﹂その人、ではないその龍との出会いだった。
212
第十二話:大嵐龍王︵後書き︶
誤字修正しました
⋮質量は慣性質量と重力質量⋮⋮むう、とりあえずは少し修正した
のでこれがご勘弁を
今回より成竜編
ここまでサクサク書き進める事が出来たので、先にアップ
ワールドネイションも一部てこずりながらも進んでおりますのでも
うしばらくお待ち下さい
213
第十三話:龍王の思惑︵前書き︶
龍と竜、これは竜の姿だとお考え下さい
龍表記の場合は東洋風の蛇のような長い胴を持つ龍、竜表記の場合
は西洋風の蜥蜴のような竜となります
また、竜王の場合は基本竜王で表記します。龍王表記は⋮⋮竜の中
でも特別な相手のみです
※誤字修正
214
第十三話:龍王の思惑
大嵐龍王は現在存在する最古の竜王の一体である。
少なくとも当の本竜が認識している限りの範囲では自身と同程度
の時を過ごし、尚存在する竜はいない。もし、いるとすれば風の属
性の届かない水の奥深くか大地の地下深くだろう。それも人からす
れば気の遠くなるような長い長い時間、一度たりとも風に触れる事
のない竜という事になる。それでもいないとは言えないのが竜の竜
たる所以なのだが、とにかく人が接する可能性のある竜としては最
古の存在の一体と言ってよい。
その当竜だが、かつては東方に住んでいた竜だった。
元々、竜の姿に関しては東方と西方で綺麗に分かれていた。これ
は一番最初の始原の竜がそのような姿をしていたのだと竜王達は考
えている。
もっとも遥か古来に東方から西方へ、西方から東方へと若い竜王
が好奇心から互いに行き来した結果、現在では魂が混ざり合い、竜
から龍が生まれる事も、龍から竜が生まれる事も普通に起きる。事
実、テンペスタの場合も母は竜であり、父が龍であった訳だし、水
竜であった次男は東方風の蛇のような長い胴体を持つ龍であった。
大嵐龍王は長く東方大陸にいたが、ある時この地へと流れてきた。
流れてきた、というのは比喩ではない、文字通りの意味だ。
既にその当時の時点で自然と半ば一体化しつつあった大嵐龍王は
風に流されるままにこの地へと辿り着いたのだ。
風が渦を巻くこの地に流れ着いた大嵐龍王はこの地を終の住処と
定め、ただ泰然と過ごしていた、はずだった。
﹁しかし、母さんに出会って気持ちは変わった!﹂
﹃はあ﹄
215
テンペスタは内心何で両親の惚気をこんな所で聞かされにゃなら
んのだ、と思わないでもなかったが、思えばこれから特にどこに行
ってどうこうしようという予定がある訳でもない旅路であった事も
あり、これも人の言う所の親孝行という奴だろうとのんびり構えて
聞いていた。
それに、父龍の話も決して退屈な訳ではなく、若い頃のまだ活発
に動いていた頃の話は実に興味深いものだった。
動かなくなった頃の話はつまらないのでは?と思うかもしれない
が、そちらに関しては父龍自身が殆ど記憶にないのでさらっと流し
ていた。
しかし、話す内容の殆どが母竜との惚気なのはどうかと思うのだ
が。
曰くあの毛並みが素晴らしい。
曰く純白の輝きに惚れた。
曰く⋮⋮。
テンペスタからすれば﹃いや、そもそも竜の女性と出会った経験
自体が少ない自分に言わないで下さい﹄というのが本音なのだが、
テンペスタは空気の読める子なので黙っていた。
とはいえ⋮⋮なまじどちらも飲食が不要なお陰で終わりが見えな
いのは辛いとしか言いようがない。
まあ、それでも竜らしい所があると言えば、この場から遥か彼方
の北方大陸に住む母竜を見初めた事、ここから動かずに風の属性を
用いて口説いた事、口説き落とすまで二百五十年程かかった、とい
った所だろうか。最後の一つに至っては当人ならぬ当竜曰く﹁僅か
二百五十年で口説き落としたのだぞ﹂と自慢していたから、これで
も短い方なのだろう、当竜にとっては。
もっとも⋮⋮。
216
﹁竜というのは滅多に子を作らぬからな﹂
というのが大きいらしい。正確には﹁竜王は﹂というのが正しい
のだが。
これは自然界を考えれば当然の話かもしれない。
最低でも人の数倍から十倍は長く生き、滅多な事では死なない属
性竜がポコポコ生まれていたら、それこそ今頃この世界は竜で溢れ
かえっている事だろう。事実、火竜ウルフラムも番を得てからはそ
の番を生涯変えない竜であるが、彼らとて十年から五十年の間に一
個の卵を生むのみだったりする。母竜王のまとめて五個というのは
実は相当な例外なのだ。
もっともこれに関しては大嵐龍王の精気が多すぎた、という事も
ある。
下位竜はともかく、上位竜の子孫を残す作業は通常の交尾とは異
なる。
それは父竜が精気を凝縮し、それを受け取った母竜が自らの精気
を注ぎ込み、卵の形へと変える。よって正確には卵のような形状を
しているだけで実質は別物なのだが、ここは分かりやすいように卵
で通しておく。
通常は双方にそこまでの差がない為に誕生する卵は一個なのだが、
大嵐龍王の持つ気は膨大であり、大嵐龍王自身にとっては僅かなそ
れであっても母竜王をして五個の卵を作るに至った訳だ。
とはいえ、子が生まれたと言っても、大嵐龍王自身は子供という
ものにそこまで意識を払っていなかったらしい。
より正確には如何に母竜王に惚れたとはいえ、元々が既に相当枯
れた状態にあった龍王だ。母竜王以外へとその興味を向けるという
意識自体が相当薄かった。
とはいえ、母竜王を見続けていれば、どうしたって子供も目に入
る。
217
やがて、子供達が巣立ちの日を迎え、母竜王も我が子の一体を連
れて北方大陸へと戻っていった。
テンペスタ自身は初めてその後の母の状況を聞いた訳だが、基本、
以前の生活とは変わらないらしい。しばらく不在だった為に勘違い
した竜が王を名乗ってはいたようだが⋮⋮。
﹃それって大丈夫だったのか?﹄
﹁心配いらん。所詮経験不足の若僧だ﹂
一応、万が一の事があったら、と大嵐龍王も監視はしていたし、
一応﹃手を貸そうか?﹄と声は掛けていたようだが、きっぱり断ら
れたらしい。
⋮⋮遥か彼方の北方大陸まで当り前のように目が届いて、声が掛
けられるというのは突っ込まない事にした。
それはさておき、結果は可哀想な程にボコボコにされたらしい。
背に氷竜の我が子を背負ったまま、悠然と一歩も動く事なく、完
封してのけたらしい。
﹃母さん完封したのか﹄
﹁おお、あれは見惚れるぐらいの見事なやられ役であったな﹂
相手も仮にも王を名乗るもの。
元々は他から流れてきたらしい。
﹃流れてくるってあるのか?﹄
﹁今のお前が正にそうだ﹂
言われてみれば、と納得するテンペスタ。
実の所、成竜となった事でテンペスタもまた竜王と呼ばれる資格
を得ている。竜王となりうる上位竜と下位竜の差は知性の有無。幼
218
き頃より知性を有していたテンペスタであったが、これまでは幼竜
であった為に上位竜ではあっても竜王とはなりえなかった。
それが成竜となった事で、その資格を得た。
竜は全てが全てではないが、属性竜の場合通常の食物連鎖から外
れているという事もあり、長生きする竜が多い。そして、長く生き
れば知性を得る竜が出る。
そうなれば、その地域を縄張りとしている竜王と争って、その縄
張りを奪うか、或いは新たな自身の縄張りを得る為に移動するかの
いずれかだ。
ドラゴンズガーデン
共存する事はないのか?と問われたならば、それはない、としか
言いようがない。
通常の属性竜は共存可能だ。
ドラゴンズガーデン
では何故竜王は共存出来ないかというと⋮⋮これは︻竜の庭園︼
の存在が理由だ。
長く生きる竜の塒はやがて︻竜の庭園︼となる訳だが、これが竜
ドラゴンズガーデン
ドラゴン
王の縄張り内だと少々話が違ってくる。すなわち、縄張り内の︻竜
の庭園︼は一つだけしか存在しえない、という事らしい。
ズガーデン
はっきり言うならば、通常テンペスタのような若い竜が︻竜の庭
園︼を形成する事はありえない。
下位竜は属性持ちであっても、ただ属性を吸収するのみで、快適
に属性を制御する意志がない。
したがって、上位竜のみの特権ではあるが、例え知性があっても
幼竜は通常そこまでの実力がない為に親の保護下にあるか、或いは
ドラゴンズガーデン
他の竜王の支配領域で住まわせてもらうか、或いは世界を巡ってい
るかのいずれかになる。当然、いずれの条件下でも︻竜の庭園︼が
形成される事はない。
あの国のキアラの屋敷におけるテンペスタのそれは﹁テンペスタ
が生まれて間もない頃から知性を有していた﹂﹁そこが他の竜の生
息地と被らない場所だった﹂といった複数要因が重なった稀な偶然
である。
219
﹁そしていざ竜王となっても、既に好条件の場所は専有している
竜王がいるのが普通だ﹂
その場所を奪おうとすれば当然、その地の竜王と争いになる訳だ。
そして、まず成り立ての竜王が負ける。
だからこそ、成り立ての竜王は最初は属性的には余り適していな
い、代わりに他の竜王の縄張りではない場所に居を構え、長い長い
ドラゴンズガーデン
時間をかけてその土地を自らに合うように変えていく。その過程で
︻竜の庭園︼というその竜に最も適した地へと変貌を遂げる。
そんな竜王の前に、たまたま出産でその地を離れた竜王の土地が
あったらどうなるか?そりゃあ手も出るというものである。
古株の竜王が長年住んでいたような場所なのだから立地的には最
高。
その流れの竜王からすれば、前の竜王が何らかの理由で消えたか、
移住したかと判断したのだろう。⋮⋮やっと落ち着いて住める場所
を見つけたと思って、何年か住んでた所に元の家主が帰ってきたと
いうのは運が悪いとしか言えまい。
そして、最大でも三年程度の時間では、何百年もかけて最適化さ
れた母竜の地を改善する事も出来ず、結果として圧倒的格上に相手
のホームグラウンドで挑む事になった訳だ。
幼い我が子を庇っていたとはいえ、それでは母竜に負ける要素は
あるまい。
﹁まあ、機会があれば行ってみてもいいだろう。人には無理だろ
うが、お前には関係あるまい﹂
何でもただでさえ寒い北方大陸なのに、その中でも更に北の地に
そこはあるという。
一年を通してその大半が雪と氷に閉ざされ、極寒の風が吹き荒れ
220
るという。
大地の恵みも殆どなく、頭上はほぼ分厚い雲に覆われた僅かな動
植物のみが存在する水系統か風系統の属性竜以外にとっては悪夢の
ような大地。そこが母竜の住処だという。まあ、水と風の属性竜で
ある母竜にとってはそここそが最も住みやすいのだろう。
母竜以外はテンペスタの弟妹の一体である氷竜を除けば、竜すら
殆ど住んでいない。
そんな地を父たる大嵐龍王はちょくちょく覗き、母竜と話してい
たという。
﹁その過程で我が子への関心も強まったのだよ﹂
そう大嵐龍王は語った。
まだ知性のない子供のままとも言える氷竜は母に他の兄姉妹より
も甘えられる期間は長かった。
一応独り立ちした後も、母竜は比較的近くへと置いていたという。
母竜の縄張りに住む生命は少ない。
だが、いない訳ではなく、そんな連中はいずれも強者である。過
酷な環境で生き延びるにはそれなりの強さが必要で、と同時に頭が
悪いから母竜が脅した所で氷竜である三男が彼らの狩りの範囲に入
り込めばあっさり殺されるだろう。
必然的に我が子に干渉しがちになり、そんな光景をしょっちゅう
見ていた大嵐龍王は﹁自分も我が子に何かしてやるべきかな?﹂と
思ったという。
が、ここで問題となるのがやって来る可能性があるかどうか、だ。
水竜と溶岩竜は論外。
両者とも空は余り好まず、空を飛ぶ事は出来てもそうするかどう
かはまた別問題だ。出てくるにしても、こんな嵐の空を飛ぼうと考
えるかどうかとなると⋮⋮甚だ怪しい。大嵐龍王の気配を感じた所
221
でさっさと水なり大地の底なりに帰ってしまう可能性の方が圧倒的
に高いであろう。
そうなると、残るは長男と末っ子。
そして、末っ子は東方へと飛び去り⋮⋮。
﹁海渡って、東方大陸まで行ってしまったよ﹂
﹃⋮⋮何でまた﹄
中央大陸、そう呼称される大陸は他の大陸より一際巨大だ。
西方から東方へと渡るだけでも十分な距離があるし、文化も異な
るはずなのだが⋮⋮。
﹁東方料理に嵌ったようだぞ!!﹂
﹃⋮⋮俺並に思い切り人と交わってるの!?﹄
﹁うむ、けしかけた甲斐があった﹂
﹃親父の仕業かよ!!﹄
普通なら竜が来たとて捧げ物には余り興味を持つ事はないはずだ
し、食す機会もないはずだが、そこは元々東方では神のように崇め
られていたという大嵐龍王。今でも儀式を行っての雨乞いぐらいな
ら応じている事もあり、縁のある竜が訪れる、という事をそうした
祭事を扱う所に伝えれればもてなしぐらいは軽かったという。
別に大嵐龍王自身は末っ子が料理に嵌るとかは期待していなかっ
たらしい。
そもそも、声をかけたきっかけも、東方の社、そこからの声は比
較的聞こえるようにしているらしいが、黄金に輝く竜を最近見かけ
るという声を聞いた為に﹁我が子である﹂とだけ伝えたらしい。
しかし、社側からすれば神竜様の御子様という事で酒⋮⋮はさす
がに拙かろうという事で料理をもって招いたらしい。知性ある竜で
ある末っ子は人の反応から﹁自分にくれるみたい﹂という事を理解
222
して好奇心から食べたらしいのだが⋮⋮。
﹃それで嵌った、と﹄
﹁うむ﹂
おまけに何とか自分で作ろうとした結果、魔法まで組み上げてし
まったらしい。
いや、何してんだよ我が妹よ、という気持ちになったテンペスタ
だったが、よくよく考えてみれば自らとて竜としては相当な変わり
者な事に気づいた為に黙っていた。
そうして、更に料理を追及しにとうとう東方大陸まで飛んでいっ
たのだとか⋮⋮。
人と交わるのは制限されているのでは、と前の竜王に聞いた事を
思い出して問いかけてみたが返って来た答えは⋮⋮﹃構わん!俺が
許す!!﹄だった。
﹁人の言う上位竜とやらに入っていたお前とあの子がこうまで変
り種となるのは想定外だったぞ﹂ ﹃⋮⋮まあ、そうだろうね﹄
そんな事予想出来るはずがない。
同意したテンペスタだった。
﹁まあ、そんな訳で多分我が子でここに来る可能性があるのはお
前だけでな﹂
﹃ああ、うん、だろうね﹄
﹁折角だから勉強してゆくと良い﹂
﹃⋮⋮勉強?﹄
何をかと思えば、これまで大嵐龍王が長い竜生で知った事や他の
223
大陸の事、力の使い方に関して色々教えてくれるという。
その力であちらこちらに視点を飛ばしているお陰で、修正もリア
ルタイムだ。
﹁母さんも三男竜が上位竜になったら色々教えてあげたいと楽し
みにしていたからな⋮⋮﹂
﹃へえ⋮⋮﹄
考えてみたが、今のテンペスタはこの世界の事などろくに知らな
い。
確かに王国に長年住み着いて、連合王国の側の情報に関しては色
々と機密も知ってはいるが、他の国や大陸の事までは分からない。
中央大陸において連合王国がどのような立ち位置にあるのかも知ら
ない。
大体、テンペスタは自分自身の力がどの程度のものなのかも、比
較対象がろくにいなかった為分からない。
﹃そうだね⋮⋮それじゃ教えてもらうよ﹄
﹁うむ!楽しみにしているがいい!!﹂
この後の父龍による知識はテンペスタを長く支える事になる。
異界の知識こそあれど、この世界の事に関してはまだまだ殆ど知
らなかったテンペスタにとって、この世界を知る父の教えは非常に
新鮮なものだった。 飯も要らず、睡眠も不要な両者だ。
話を聞き、体を動かし、魔法を議論し、アドバイスを受け⋮⋮な
どとやっている内に瞬く間に月日は過ぎていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
224
そうして、遂に再びテンペスタが旅立つ日がやって来た。
﹃では行ってきます﹄
﹁うむ、良き旅である事を祈っておるぞ﹂
その言葉を最後にテンペスタは身を翻す。
⋮⋮声を届けようと思えば、世界の大抵の場所に声を届ける事の
出来る父竜であるし、必要なら姿を見る事も出来る。
何時でも会おうと思えば会えるのだと思えば、別れもさばさばし
たものだ。
その内心では⋮⋮。
︵にしても⋮⋮えらいテンションが高くなったかと思えば、落ち
着いた老成した感じにもなるし。古き竜って皆ああなのかな?それ
ともうちの父親が変わってるだけなんだろか︶
そんな事を考えながら、テンペスタは嵐の中へと飛び出す。
前はこの嵐の中へ飛び込んだ際は出る事を拒まれる形になった訳
だが、今回はそのような事もない。真っ直ぐ突き進み、切り開いて
飛んでゆく。
やがて、陽の光の下へと飛び出したテンペスタは一つ羽ばたきを
行うと﹁まずは折角だから母さんにも挨拶するか﹂と考え、一路北
へと進路を取ったのだった。
さて、その一方、残った父はと言えば⋮⋮。
﹁⋮⋮行ったか﹂
飛び去る我が子を目ではなく、属性を通じて向けながら、静かに
225
大嵐龍王は感じていた。
その気配は我が子と話していた折のテンションの高い様子は微塵
もない。
﹁何とか、間に合ったな﹂
気付いていた。
自分にも他の竜王同様、自然と一体化する時間が近づきつつある
事を⋮⋮。
テンペスタはほんの数年程度に思っていたようだが、実はこの地
で過ごした時間は既に二十年余に達していた。太陽などの時間を感
じる手段がないこの場所では時間の感覚は大幅にずれてしまう。そ
れだけに必要最低限の知識の譲渡だけでも終わるかどうかは不安だ
った。
事実、感情をかきたてねば、自身の気持ちすら奮い立たせる事が
出来なかった。
母竜に惚れたのは事実ではあるが、と同時にあれだけ情熱的に口
説いたのは自分自身の終わりが近づきつつある事を無意識にも感じ
ていたのだろうと判断している。終わりが近づきつつあるからこそ、
子孫を残すという本能が刺激されたのであろう、と⋮⋮。
無理に奮い立たせたせいで、妙に感情が高ぶっていたように見え
ていたかもしれぬな、と僅かに苦笑する。
現時点で既に知性を持つ上位竜となりえている二体の我が子には
人と接する事を推奨した。
長らく、本当に長い事、竜王達はそれを守り続けてきた。
最大の原因は人と竜はまだしも、竜王とでは力が違いすぎるのだ。
竜王にとって戯れであっても、人にはそれは災害であり災厄だ。小
石がぶつかるなら精々がとこ﹁痛い﹂で済むが、見上げるような巨
岩がぶつかれば声を上げるすら余裕なく押し潰されてしまう。それ
226
を避ける為に竜王は人との接触を禁じてきた。
だが⋮⋮。
︵⋮⋮竜を殺すのは退屈だ︶
大嵐龍王はそう思う。
余りにも竜の生活は動きがない
せめて食事が必要ならばまた話は変わるだろう。
その食事を得るのにただうろつけば良いというのでなければ、ま
た違ってくるだろう。
生憎、竜、正確には属性竜には何も必要がない。
人は衣食住を必要とするが、竜に衣は不要だ。
食も同じく。属性竜は何も食わずとも、自然から属性を吸収し、
それで補う事が出来る為に食べる物を探して歩き回る事も、栽培す
る為に畑を耕す事も、或いは金銭でそれを求める為に働く必要もな
い。何らかの嗜好品として食べる事はあっても必要だから食べるの
ではない。逆に言えば、飽きれば食べる必要もない。
そして最後の住に関しても言うまでもない。
︵人と接し続ければ、或いは︶
人は竜からすれば恐ろしく早く生き、そして消えてゆく。 裏を返せば、それは極めて変化に富んでいるという事だ。竜から
すればほんの僅かな時間、その時間で彼らは何かを作り出し、それ
を受け継ぎ、その内の大部分はやがて消え去り、しかし幾つかは残
り後の世へと更に受け継がれてゆく。
その変化は竜にとって大きな刺激となるのではないだろうか、そ
う思うのだ。
だからこそ、息子と娘には少々お節介をした。
幸い、息子は人と接する事をその生来より当り前のように感じて
227
おり、娘はといえばこちらも興味を持ってくれたようだ。
その後を見ている限り、彼女が選んだのはただ単に食事にだけで
はなく、むしろ何かを作り出す事のようだった。今はあれこれと興
味を持つままに手を出しているようだが、そのままその興味を深め
て欲しいものだと大嵐龍王は思う。
︵人は増えた⋮⋮︶
かつて竜王達が人と接するのを避けた理由、今ではその後に生ま
れた新規の竜王の殆どが知らぬ事だが、まだまだ人という種自体の
数が少なかった。
だからこそ、竜王達は自分達が数も少なく脆いのに、積極的に自
分達の領域にも踏み込んでくるこの種族を誤って滅ぼしてしまうの
ではないかと考えたのだ。
だが、今はかつてとは違う。
人は国を作り、互いに連携し、今や大地でおおいに繁栄している。
なれば、もうそこまで﹁関わるな﹂という制約は不要だろうと思う
のだ。
距離を置く事しかしなかった自分達とはまた異なる関係を我が子
達は築いてくれるのではないか?
そんな想像を大嵐龍王は楽しむのだった。
228
第十三話:龍王の思惑︵後書き︶
という訳でテンションえらい高いのは強引に気持ちを高めて⋮⋮結
果として、躁状態にあった為でした
竜を退屈が殺すとしてますが、人も変わり映えのしない日々が続く
と結構あっさりと⋮⋮
私の祖母もなあ⋮⋮あれだけ元気だったのが、怪我が原因で老人ホ
ームに入って間もなくボケました
この間会いに行ったら、何とか自分の子供の事は覚えてましたが、
それ以外となると孫の自分の事すら覚えてませんでしたよ⋮⋮
229
外伝:黄金竜のある一日1︵前書き︶
ワールド書いてたのに、こっちの方が一応の完成をみてしまったの
で先に投稿
※ドラゴンズファイルを追加
230
外伝:黄金竜のある一日1
彼女は自身が特別な存在だとは思っていなかった。
知恵ある竜として生を受けたのは確かだ。
父は強大な力を誇る龍王であったし、母もまた古き竜王であった。
二つの属性を有し、世界全体で見れば、紛れもなく生まれながら
にして将来の竜王を約束された強大なる竜であった事は疑いない。
けれども、竜であれ、子供である事に変わりはない。
そして、確かに四体の兄姉の内、三体は自分と違い知恵を持たぬ
竜として生を受けていたが、長男は自身と同じく知恵を持ち、また
妹である彼女よりも上手く力を扱う事が出来、彼女より多い四つ全
ての属性をその身に宿していた。
身近に自分を更に上回る竜の中の天才とも言える兄がいたからこ
そ、彼女は傲慢になる事なく無邪気でいられた。
そんな彼女達の傍らには一人の人族がいた。
時折島に打ち寄せられる彼らの船の一つにいた少女であったとい
う。
キアラというその少女に時折ブラッシングをしてもらうのが彼女
は好きだった。分厚い鱗の代わりに母譲りの黄金に輝く毛並みを持
つ彼女は丁寧に梳ってもらうのが心地良かった。こればかりは母に
してもらうのも難しかった。
また、兄が羨ましそうに見ているのにささやかな優越感を感じて
みたりもした。
まあ、小さい子の﹁いいでしょー!﹂というべきものであったが、
何せ長男である兄は毛並みを持たず、結晶のような頑丈な鱗を有し
ていた。さすがにこれではブラッシングは不可能だ。⋮⋮デッキブ
ラシのような固いブラシでゴシゴシこするなら可能かもしれないが。
とはいえ、後のテンペスタはそれを求める事はしなかった。
231
可能ではあっただろうが、少女にそれを求めるのは酷だと理解し
ていたからでもあるし、果たして鱗をこすってもらって気持ちよく
なれるのか自信が持てなかったというのもある。事実、後にキアラ
が亡くなるその時までテンペスタがそれを求める事はなかった。
ただ、それでもキアラは兄のものだと彼女自身は認識していた。
だからこそ、彼らが巣立つ時、兄がキアラと共に行くという事に
ごねたりしなかったのだ。
そんな彼女が東方へ行く事を決めたのは特に理由はない。
共に旅立つ兄がキアラの故郷である西方へ向かうと言うので、﹁
じゃあ自分は反対へ行ってみる!﹂と決めた、ただそれだけの話だ。
そんな理由であったから、どこへ行こうという目的も理由も特に
なかった。
結果、東へ向かったと言っても真っ直ぐ向かったのではなく、子
供の好奇心の向くままにあっちへふらふら、こっちへふらふら、と
いうのが正しい。無論、その過程で他の竜の縄張りに入り込む事も
多々あったが、別に竜王も含めて住み着いて、というのでなければ
立ち寄った子供に目くじら立てたりはしない。
だからこそ、気ままに旅していた彼女がそれを聞く事になったの
はまったくの偶然からだった。
︵あれ?︶
人族の集団がより少数の人族を追いかけていた。
幸い彼女はまだ人族の見分けがつくし、彼らについての知識を多
少なりとも持っていた。キアラという存在が傍にいたからこそ、人
というものに興味を持っていた為だ。
だから、追われている二人が子供といっていい年齢である事も、
追っている側が大人である事も理解出来た。
232
︵あー、大人が子供苛めるなんていけないんだ!︶
彼らの事情なんて知らない。
彼女自身がここまで竜王に出くわした際、彼らは可愛がってくれ
た。
それ故に、純粋に義憤から彼女は手を出す事にしたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
はっはっはっはっ。
苦しい。
けれど、必死に少年は幼い妹の手を引いて走っていた。
後方からは複数の大人達が追ってくる。
これが同じ村の大人達ならここまで一生懸命逃げたりしなかった
だろう。だが、追ってくるのは揃いの武器と鎧を身につけた明らか
に兵士、と呼ばれる者達だった。その大多数は簡素な槍と短剣、皮
鎧であったが先頭に立って追ってきているのは明らかに立派な鎧を
着込んでいた。
村にやって来た彼らが村長に話を聞いている時はこんな事になる
とは思わなかった。
だが、自分と妹を見た兵士の一人が声を上げ、指差した。
それからずっと追われている。
いや、分かっている。きっと彼らは自分達が、妹が抱えている子
龍を見て追ってきているのだと⋮⋮。こう言ってはなんだが、少年
とて自分達にそれ以外に追われるような価値などない事ぐらい理解
していた。というより、﹁待ちなさい!その抱えているものを渡し
なさい!!﹂と言われれば嫌でも分かる。
しかし、この子龍は彼らの友達だった。
233
村から少し離れた所に大人達が﹁主様がいるから近寄ってはいけ
ない﹂と言う場所がある。
とはいえ、子供というものは﹁いけない﹂と言われているからこ
そ、ついやってしまいたくなるものだ。大人が近づかない事もあっ
て、子供達の隠れ場所みたいな事になっていた。もちろん、主様が
いる場所へは入り込まない。何しろ、そこは中心に近づけば近づく
程地面はぬかるんで泥地と化す。泥が独特の臭気を持つ事もあり、
下手に入り込めば即大人にばれて大目玉を食らう事になる。
だから、子供達はその周辺で遊んでいたのだが⋮⋮最近の事だ、
そこでこの子龍に出会ったのは。
彼らの秘密基地の近くにいたそれが龍である事を、実は彼らは知
らなかった。先程から子龍と言っているが、子供達は動物の子供だ
と思っている。龍、竜という言葉やその意味は知っていても、本物
の竜を見た事がある者は限られており、どんな姿をしているかを知
る者もまた限られている。殆どの人は生涯、その姿を見る事なく一
生を終えるのだ。
だからこそ、この子供達も気づかず⋮⋮ただ、普通に動物の子供
と思い接し⋮⋮何時か仲良くなった。
それこそ、最初の頃は遠くにいて、近づくとぱっと逃げてしまう
程度だったが、次第に距離を縮めてしばらく前からは撫でても大丈
夫になった。
そして三日程前の事、何時ものように﹁じゃあね﹂と別れようと
して、トコトコとついてくる子龍に﹁ダメだよ、お母さんとこに帰
らないと﹂と言ってみたものの、首を傾げてやっぱりついてくるの
で結局家へと連れて帰ってきたのだった。
そうして⋮⋮今日のこの追跡劇へと続く。
子龍の事を知る子供達同士で連携して、慣れた地形という事で善
戦はしたものの⋮⋮所詮は子供と鍛えられた大人の足だ。
間もなく追い詰められる事となってしまった。
234
﹁ふう⋮⋮まったく、結構手間取ってしまいましたね﹂
先頭に立つ騎士風の男はやれやれ、と言いたげな様子だった。
まあ、彼にしてみれば余計な手間をかけさせられた、といった所
だろう。とはいえ、そこまで手間がかかった訳でもないからか、怒
っているような様子は見られない。後方の兵士の一部が﹁手間を取
らせて⋮⋮﹂と少し不機嫌になっているようにも見えるが大多数は
苦笑程度だ。
﹁さ、その子を渡して下さい﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
少女の方はその言葉にきゅっと子龍を抱きしめる。
ちょっと苦しかったのか、子龍が鳴き声を上げて抗議して、慌て
て力を緩めたりしている。
そんな様子に騎士もまた苦笑すると、一歩前へ出ようとして⋮⋮
凍りついた。
彼だけではない。後ろの兵士達もまた一斉に顔が強張っていた。
その様子に騎士兵士を睨んでいた少年も﹁あれ?﹂と言いたげな
様子になったが彼らの視線が自分達の背後、より正確には背後の少
し上へと向いているのに気付いて⋮⋮振り返った。
振り返ったその視線の先、最初に見えたのは綺麗な毛皮だった。
キラキラと陽の光を浴びて輝くその毛はサラサラで撫でたら気持
ち良さそうであり、同時に綺麗だった。
︵わ、すげえ︶
そんな素直な感情が浮かんだ直後⋮⋮違和感に気付いた。
村にも動物はいるが、目の前が毛皮のみ、というのは見た事がな
235
い。普通は脚や頭が見えているはずだ⋮⋮だが⋮⋮まるで壁のよう
に今は黄金色に輝くその毛皮しか見えない。だからふと視線を上げ
て⋮⋮さすがに驚きであんぐりと口を開いた。
もっとも、少年以上に驚愕したのは騎士や兵士達だった。
何せ、突然少年達の背後に音もなく竜が舞い降りたからだ。
それも今彼らが追っていたような少女の腕に抱かれるような小さ
な龍ではなく、見上げるような巨体だ。竜でないなどとは考えない、
こんな相手が竜以外にいるはずがないからだ。
その全身は柔らかそうな毛に覆われている。
だが、見た目通りにただ柔らかいだけではないだろうとは思う。
事実、彼女の外皮は見かけこそ柔らかそうで、さすがにテンペスタ
のそれには劣るものの高い衝撃吸収性と耐刃耐魔法を併せ持ち、人
が剣を振った程度では通しはしない。
その性質上、槍とはやや相性が悪いがそれでも皮膚を貫くのはま
ず不可能だ。
だが、何よりその姿を印象づけるのはその色。
﹁⋮⋮黄金の、竜﹂
兵士の一人が思わず、といった様子で呟いたようにその体は黄金
色に輝いていた。
⋮⋮そんな竜に睨まれていればさすがに騎士だの兵士だの呼ばれ
ていても、一歩引く。
拙い。
騎士はさすがにただ怯えているだけではなく、何とか事情を説明
しようとするが圧迫感に口が動かない。
直後⋮⋮。
﹁え、ええ、えええええ!?﹂﹁うわ、うわああああああ!!!﹂
236
悲鳴を上げて、彼らは遠くへとぶっ飛ばされていったのだった。
急展開にぽかーんとしていた少年だったが、物怖じしなかったの
はその妹の方だった。
何時の間にやら子龍を抱えたまま、黄金竜の前に立って、子龍共
々その姿を見上げていた。
さすがに少年も焦ったが、声を上げずにあわあわと慌てている前
で、頭を下げた黄金竜の頭をそっと手を伸ばした少女は撫でる。そ
れに気持ち良さそうに目を細めて声を上げるその様子に少女もまた
笑顔になって撫で続ける。
そんな様子から少年も恐る恐る近づいてそっと手を伸ばす。
ちらり、と少年に黄金竜は視線を向けるが睨んだとかそういう感
じではなく、そのまま伸ばした手に柔らかい最高の感触が伝わる。
﹁あ、すっげえ気持ちいいな﹂
﹁うん!﹂
二人の撫でるのは少女の抱いた子龍が﹁自分も撫でて!﹂と言い
たげに抗議の声を上げるまで続くのだった。
﹃きゅー!﹄
という声と共に子龍が少女の頬を鼻先でつつく。
それで我に返ったのか﹁ごめんねー?﹂と言いつつ、少女が子龍
をそっと撫でると気持ち良さげに子龍が目を細めた。
ほんわかした空気漂う中、子供達が話しかけてくるのだが、彼女
は困っていた。
何しろ、言葉が通じない。
兄であるテンペスタがキアラに対して行っていたように思念で繋
ぐという手はあるのだが、あれはあれで面倒だ。何より、解除する
のが自分の好きなようには出来ないのが嫌だった。
237
とはいえ、少年少女もまた彼女から離れようとはしない。
こちらも分かる、先程追いかけられたばかりなのだ。もし、離れ
たらまた追われるのではないか、と考えるのは当然の事だ。そんな
事はない、と伝えようにも⋮⋮。
そこまで考えた所でふと気がついた。
︵そういえば、声というのは︶
空気の振動だよね?
そう気付いてからは早かった。
意気揚々と彼女は自らの持つ二つの属性の一つ、風を操り⋮⋮。
﹃NえみE、#Oこ%L?﹄
見事に変な音になった。
あれれ?と首を捻りつつ、再チャレンジ。
﹃るEKKい、$NE︵﹄
やっぱり失敗した。
とはいえ、思わず、といった様子で少年少女が噴出し、笑う。
その笑い声に少しほっとすると共に、見てろーといい、これまた
意味が通じないながらも何時しか困惑した空気も硬くなった雰囲気
も忘れ、皆が自然と笑顔になっていた。
一生懸命に声を出そうとするのは伝わったのだろう、彼らは笑い
ながら、或いは子供達から指摘されながら言葉を形作っていったの
だった。
﹃あいうえばー﹄
﹁あー惜しい!最後一個ずれたー!﹂
238
子供達の声にきゅー!きゅー!と子龍も楽しげに鳴き声を上げる。
彼女もまた楽しそうに、大気を操り、少しずつ振動を操るコツを
掴み、声を作り上げてゆく。
ちょっと弄るのを失敗した事で音程がえらく高くなったかと思う
と、逆に渋い男性の声になったりして、また笑い声が響く。
けれども、そんな時間も瞬く間に過ぎる⋮⋮。
﹁⋮⋮あっ﹂
少年がふと気付いたように声を上げる。
気付けば太陽は傾き、沈みかけていた。
楽しい時は終わり、彼らは家に帰らねばならない。
﹃おくっていってあげるよ、のる?﹄
﹁﹁うん!﹂﹂
ゆっくりならば何とか好みの声を作れるまでになった黄金竜は二
人を乗せ、村へと向かう。
短時間ながら空の旅を楽しみ、そして子龍を連れ、再び舞う。
﹁﹁またねー!!﹂﹂
﹃また、ね﹄
﹃きゅー!!﹄
そんな子供達はこの後、親に目一杯怒られる事になるのだった。
もちろん、子龍の方も⋮⋮。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
239
さて、騎士達は一体何故、あの場にいたのだろうか?
少しその辺りの事情を語ろうと思う。
﹁⋮⋮失態であったな﹂
﹁⋮⋮はっ﹂
騎士からの報告に指揮官は重い溜息を吐いた。
中央からは多少離れたこの地にはある砦がある。そこでは深刻な
顔で騎士達が話をしていた。
﹁とはいえ、仕方あるまい⋮⋮まさか、他の竜が来るとは想定外
だ﹂
他の者も黙って頷いた。
黄金に輝く竜、それも風の魔法で吹き飛ばされたとなると間違い
なく属性竜であると判断すべきだろう。それは彼らが深刻な顔を突
き合わせている理由を更に上回る脅威になりかねないからだ⋮⋮。
この地方に腐毒龍リティオ、そう呼ばれる下位竜がいる。
見た目は青みのかかった鱗に銀色の輝きを纏った美しい蛇体の竜
であるが、その実、その銀は強烈極まりない液体毒という竜である。
住処に入り込んだりした相手には獰猛ではあるが、反面滅多な事
では住処から出てくる事はない。
が、もし何らかの理由で出て来た時、その被害は甚大なものとな
り、小国レベルであればただ移動しただけで崩壊・滅亡を招きかね
ない竜である。
そんな竜ゆえに監視の為にこうして砦が設けられているのだが⋮
⋮先だって縄張りの外、山頂に設けられた監視拠点から連絡が入り
腐毒龍が動き出した事が判明した。
240
当然、砦は一気に臨戦態勢へと突入した。
王都へと緊急の伝令が走ると共に、何故動き出したのかを探る為
に各自が動き出した。腐毒竜リティオは滅多な事では住処から出て
くる事はない。逆に言えば、滅多な事が起きたという事であり、ま
ず疑われたのは住処に何か異常が発生したのではないか、という事
であったがこちらはすぐに否定された。
住処は相変わらず人の侵入を阻む沼地であり、奥からは大地の毒
が僅かながら流れ出すのも変わらなかった。
では、侵入者か、とも疑われたが、これは腐毒龍の動きから否定
された。
腐毒龍の動きが酷く遅かったからだ。
もし、これが何者かの侵入が起きたのならば、あのようなゆった
りした動きではすまない。迅速に襲い掛かり、とどめを刺すべく動
く。
原因を探るにしても相手が相手だ、﹁何をしているんですか?﹂
と尋ねる訳にもいかないし、そもそも言葉が通じない。
しかし、相手を動物と考えるなら可能性は幾つかに絞られる。
一つは食事。
そして、もう一つが子供を捜している、という可能性だ。
そして、可能性としては後者の可能性が高い、と判断された。既
に監視拠点ではその望遠の魔法によって子育てが確認されていたか
らだ。何せ、子供が生まれたとなれば当然、将来大人になった腐毒
龍が新たな居住地を求めて親の元を離れて動き出す事を意味する。
こうした情報はそれこそ最重要の情報だ。
無論、殺したりすれば怒り狂った腐毒龍が暴れ出す可能性がある
ので、もうこれに関しては将来の被害を減らすべく今から十年以上
先の事ではあるが、対応を練っておくしかない。
その幼子が抜け出した。
ここで問題なのは腐毒龍は子供の頃は毒を排出しない。
241
成竜となって初めて、毒を放出するようになる。
つまり、下手に他の猛獣に襲われたりしたら⋮⋮防ぎようがない
のだ。おまけに他の竜と比べても小さい。
幸いというべきか、腐毒龍リティオの子供は本当の意味で身の危
険を感じると何らかの匂いを放出するとされ、それを感知した親は
一気に殺気立つ。
逆に言えば、のんびり動いている腐毒龍の親の様子からして、子
龍は危機感を抱いてはいないのだろう。
だが、それでも、親が人の生活圏に出てくれば、それだけで悪影
響が出る。土地が毒に犯され、木々は枯れ、耕作にも適さない土地
へと変貌してしまうのだ。
だからこそ、彼らは急ぎ子龍を探し出し、住処へと帰そうとした。
緊迫した探索の中、ある村で彼らは子龍を抱く子供達を発見し、
回収を図った訳だが⋮⋮まさかの事態が発生した訳だ。
﹁⋮⋮村人達には説明してあるのだな?﹂
﹁はい、子供達が戻り次第、ちゃんと親の所に帰すよう伝えるよ
うには⋮⋮﹂
﹁そうか⋮⋮ならば後は時間との勝負であろう﹂
子供が親の所に何時戻るか、だ。
その前に子龍を親の所に帰そうとするならそれはそれで良し。
連れて村に戻ったとしても、親の側からちゃんと﹁お母さんの所
に帰してあげなさい﹂と説得してくれれば良い。
⋮⋮幸い子供の事だ、そこまで遅くなる事はあるまい。問題は⋮
⋮。
﹁腐毒龍がここまで来るのが早いか、子龍が帰るのが早いか⋮⋮
賭けだな﹂
242
着実に腐毒龍はこの砦へと接近しつつある、という事だった。
⋮⋮結論から言えば、ギリギリで間に合った。
いよいよその巨体が目視出来る距離に迫り、騎士や兵士が決死の
覚悟を決めた時⋮⋮天空から黄金の竜が舞い降りた。
夕日を浴びて輝くその姿は美しく、誰もが思わず見惚れた程だっ
た。
腐毒龍はしばらくその姿を見詰めていたが、黄金竜の手から降り
立った我が子が駆け寄ると静かに我が子を背に載せて住処へと戻っ
て行ったのだった。
⋮⋮もちろん、今回の一件は所詮先送りにほかならず、後年この
子龍が移動を開始した際に大騒動になるのだが⋮⋮それはまた別の
話。
243
外伝:黄金竜のある一日1︵後書き︶
︻ドラゴンファイルNo.5︼
腐毒竜リティオ
・脅威度:E/時期によりA
・討伐難易度:A
住処に入り込まなければ危険度は低い
また、鉱毒などの毒を含んだ沼沢地という人が近寄らない地域を住
処とする為に住処に一般人が入り込む事もまずない事から人の側か
ら干渉しない限り、まず暴れる心配のない大人しい龍と言っていい
見た目は銀色に輝く鱗を持つ美しい蛇体の龍だが、その輝きは体表
に分泌される液体毒によるもの
この液体毒が曲者であり、移動の際に大地に染み込み、土を殺す
危険を感じたとかではなく常に分泌されている事、長期間分解され
ずに残り続ける事から移動した跡はその周辺含めて立ち入り禁止に
指定される程。この為、偶々通り道となった小国が滅びたという記
録も存在する
普段は滅多な事では外に出てこず、移動はまず巣立ちか住処への侵
入者への追撃
この為に馬鹿な冒険者などが入り込まないよう砦を築く国もあり、
また巣立ちの際は誘導を行う事で被害を最小限にしようとする動き
もある
では、何故冒険者が入り込むのか
原因はこの龍の体はその全身が何らかの薬として加工可能である為。
いずれも強力な薬となる為、一攫千金を狙う冒険者が侵入するが、
まず帰って来る事はない
幼少期は毒を分泌せず、捕獲しても薬の素材とは出来ない為、成長
の過程で毒を体内に取り込み、変質するのだと考えられている
戦闘においては猛毒の毒ガスをブレスとして吐き出す他、全身これ
244
毒の塊のような龍であり、人はかすり傷でもあの世行き確定とさえ
言われる
という訳で⋮⋮
声というものが空気振動である以上、実は精神による思念会話より
もこちらの方が普通に会話出来たり
テンペスタはなまじキアラがいた為に不自由感じず、だから考えが
至らなかった次第です
まあ、こんな手法がなければ大嵐龍王が遠く離れた巫女さんとかに
声届けたり出来ない訳でして⋮⋮無論、テンペスタにも教育期間中
に教えています
245
第十四話:予定外の災厄︵前書き︶
腰痛めて落ち着いて書けない状態が続いて⋮⋮整体行ってきました
﹁あー少しずれてるね﹂、腕のいい先生は凄いですね。すぱっと治
りました
⋮⋮何がずれてたかは聞かなかったけど
とりあえず復活したので短めながらまずはアップです
246
第十四話:予定外の災厄
下方から無数の散弾が飛来する。
それだけならば問題はない。散弾と称したが、所詮石礫でしかな
いそれでは本来、鱗を貫く事など出来はしない。
だが、それに竜の力が篭っているとしたら話は別だ。
竜王の力によって編まれた魔法という形で放たれた一撃はテンペ
スタの鱗を貫くに十分な破壊力を有している。
︵どうしてこうなった!?︶
内心でそう思いながらも動きは止めない。
絶え間なく飛来する攻撃はテンペスタに動きを止める事を許さな
い。
反撃を抑え、迎撃のみに徹している為に追い込まれつつある事は
理解している。反撃すれば、もう少しマシな状況となるであろう事
も⋮⋮だが。
︵ここで反撃したら行き着くとこまで行くしかなくなる⋮⋮!︶
しかし、竜王の領域圏外へと逃げ出す訳にもいかない。
今の竜王は頭に血が上っているような状態だ。
彼女の領域の範囲内なら当人ならぬ当竜の責任範囲だし、通常は
追ってこないが⋮⋮我を忘れている現状ではそれも怪しい。
姿が見えていればまだ色々とやりようがあるのだが、現在は相手
は大地に潜ってしまっている。属性のない場所に潜られた場合、探
す事は出来ないがテンペスタは全属性を持つ竜だ。大地に潜ろうが
探す事は出来る、出来るのだが⋮⋮さすがに竜王級の相手の攻撃を
回避しながらでは無理だ。
247
大体、少し前までは友好的な関係を築けていたのだ。
この地の竜王は穏やかな竜王であり、テンペスタもこの地に留ま
る気はなかった。あくまで母の地に向かう途上で別の竜王の気配を
感じた事から立ち寄っただけの話。突然訪れたテンペスタに対して
も警戒を示すでもなく、のんびりとくつろいだ姿勢を崩さなかった
竜王はテンペスタの挨拶にもにこやかに応じてくれた。
二、三日の後、再び飛び立つ予定だったというのに⋮⋮。
﹁なんでこんな目にあわにゃならんのだ!!﹂
思わず叫ぶテンペスタだった。
まあ、気持ちは分からないでもないが傍から見れば分からないと
思うので少しその辺の事情を示すとしよう。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
父たる大嵐龍王の下での修行を終えたテンペスタはゆったりと空
を舞っていた。
もし、テンペスタがキアラと暮らしていた屋敷に戻れば思ってい
た以上の時間が過ぎていた事を知っただろうが、もうテンペスタに
あそこに戻る意思はなかった。テンペスタがあの王都にいたのはあ
くまでキアラがいたからこそ。生まれて間もない頃から常に傍にい
た彼女がいればこそ、だった。
その彼女がいない今、あそこに戻る気はなかった。⋮⋮何よりも
キアラの事を思い出してしまうから。
恋人とかそういう関係ではなかったにせよ、間違いなく彼女はテ
ンペスタにとっての親友であり、相棒だったのだ。
進路は北。
248
まずは父から教えられた母の暮らす場所に顔ぐらいは出すつもり
だった。今の時点では特に何をする、という目的もないのだ。そん
な寄り道をした所で構うまい、そう思っての事であった。
そんな旅だから、焦る事もなく進んで幾日か。
ある日、テンペスタは強い力を感じたのだった。
﹁⋮⋮地の属性?それも結構強いな﹂
それ以外にもかなり強めの属性を感じる、こちらは水だろうか?
﹁⋮⋮⋮﹂
少し考え、何の気なしにテンペスタは飛ぶ方向を変更する。
感じる気配の強さからして、相手は片方は竜王級。どんな相手か
興味を持ったのだ。
人が歩くならともかく、竜王が飛べばそこまでは然程時間もかか
らない。山あり森あり河ありの道なき道と、空を飛ぶのではそもそ
も比べようがないとも言うが、間もなくテンペスタは相手の気配が
濃厚になってくるのを感知した。
﹁ここら辺か?﹂
テンペスタは翼を有してはいるが、翼で飛行している訳ではない。
その為、垂直にけれどゆっくりと大地へと着地した。地の属性の
力から感じる気配は土の中。動きからして、既にこちらの気配を感
知し、向かっていると判断し、静かに動かず待つ。ここで下手な動
きをする事は相手に無駄に警戒感を抱かせる事になる。
とはいえ、然程待つ事もなく、相手が姿を現す。
⋮⋮その姿は重厚なもの。
テンペスタの母の白く長い毛並みに包まれた優美な姿でもなく、
249
父の長い蛇体のようなけれど威厳ある姿でもなく、無論テンペスタ
の赤みがかった結晶に包まれた姿とも異なる、けれどもそれもまた
長く生きた存在のみが漂わせる威厳のようなものを感じさせる姿。
見た目的には岩の塊、というべきだろうか?
体表面に苔を思わせる緑色を這わせているが、これまで大地に潜
っていたはずなのに体表のみならずそれにも破損や汚れが見られな
い所を見ると苔に似た何か別種のもの、おそらくは目の前の竜王の
体組織の一部と判断した方が良いだろうが、テンペスタより尚巨大
な全高三十メートルを超える、けれど長さ的には尻尾が短い為に十
メートル余の直立した岩塊というべき姿の竜王だった。しかし⋮⋮。
﹁このような地に竜王とは珍しいですね、何用です?﹂
その目は穏やかな色を湛え、声もまた柔らかい女性のものであっ
た。
もちろん、こちらはテンペスタと異なりわざわざ人の言語を操る
意味合いもない為だろう、彼女が喋っているのは竜の言語であり、
もしこの声を人が聞いた所で竜の唸り声にしか聞こえなかっただろ
う。見た目と相まって、或いは突然現れた他の竜に警戒しているよ
うに見えたかもしれない。
けれども、テンペスタはもちろん勘違いしたりはしない。
﹁どうもはじめまして。母の住む地である北方へ赴く途上、別の
竜王の気配を感じふと足を伸ばした次第です﹂
﹁ふむ、何かしらの思惑あっての事ではない、と?﹂
小首を傾げて確認するかのような問いにテンペスタも頷いて肯定
を示す。
ねぐら
実際、竜王同士がこうして出くわす事は珍しい。
一旦、塒を決めた竜王が余り移動をしないというのもあるが、矢
250
張り最大の理由は竜王の数自体が世界の広大さに比べて圧倒的に少
ない、というのが原因だろう。
﹁少ししたら、また北方へと向かうつもりです﹂
﹁ふむ、この地で騒ぎを起こすつもりがないのならば構わない、
ゆっくりしていきなさい﹂
ズズ、と僅かな音と振動と共に大地の竜王は再び地の中へと姿を
消した。
実際にはその場から殆ど動いていない事をテンペスタは察しては
いた。幾らこちらが素直に答えたからといって馬鹿正直に﹁はいそ
うですか﹂と納得した訳ではない、という事だろう。それは当然だ
とテンペスタ自身も思う。
というより⋮⋮この程度なら可愛いものだ。
人の間で暮らしていた頃、人族の謀略は難解で複雑なものが幾つ
もあった。
テンペスタ自身からすれば然程でもなかったが、それは彼が竜で
あったからだという事ぐらいは理解している。
上位竜であったからこそ、普通なら死地となるであろう状況でも
粉砕して突破する事が出来、その立場故に毒殺などが図られる事も
なかった。誰だって、王都を守る要であり、王国の重要戦力と看做
されていた相手を直接どうこうしようという腹はなかった訳だ。敵
対国なら可能性はあったかもしれないが、下手に手を出して怒らせ
た場合何が起きるか分からない、という部分もあった。
けれども、それは知らない、理解出来ないという事ではない。
長年王都にいれば、ましてやキアラが貴族に祭り上げられてから
はそういう事を知る機会も増えた。
二度程、キアラが暗殺の危機に晒され、その内一度は仕組んだ貴
族丸ごとテンペスタが襲撃を掛けて跡形もなく抹殺した事があった
ぐらいだ。余り良い手ではなかったが、その時はギリギリの事態で
251
あり、僅かな躊躇も許されなかった。結果として証拠諸共全て焼滅
する事になったが⋮⋮それは逆に言えば誰が行ったかの証人も全て
消えたという事でもあった。
その結果として、国からの、それに連なる貴族達からの追及はな
かった。
手を出したのは向こうが先、という事実が立ちはだかる原因であ
れば彼らは無視しただろうが、改めて竜という存在の脅威を認識し
た、とあってはそうもいかない。と、同時に王国としてはその戦力
の巨大さとそれを敵に回す危険さを理解し、あっさりと貴族を抑え
る側に回った。まあ、それでも、キアラが亡くなる前にはその当時
を知らない馬鹿貴族の子弟が馬鹿な事を言ってきた訳だが⋮⋮強引
な手段が、圧倒的というも愚かしい力こそが彼らをキアラの死まで
その後大人しくさせる原因となった事は確かだ。
それに比べれば、大地の竜王の姿は隠したけれど、変な事をしな
いように見張っている、という程度の行動は可愛いものだ。
︵それに変な行動を取る気もないしな⋮⋮︶
そう考え、テンペスタは再び空へと浮かび上がる。
彼はここで騒動を起こす気はない。ここに立ち寄ったのはあくま
で、本当に気紛れにすぎないからだ。
休息すら実は必要ない。しかし⋮⋮。
︵この辺りの風景って珍しいな︶
王国内で活動していたテンペスタにとっては山岳地帯であるこの
近辺の風景はなかなかに興味をそそられるものだった。
大地の奥で竜王が後をついてきているのを感じてはいるが、すぐ
に気にするのをやめた。
連合王国はその立地の主だった部分を平地と森が占めている。
252
一方、この近辺は山岳地帯であり、雄大な渓谷が存在する。
低空で、そうした谷間を超低速でゆっくりと飛行しながら風景を
楽しむ。
豊かな自然に支えられた動物達も数多く目にする。そうした動物
達は竜の存在に一瞬目を向けるものの、逃げるものはおらず、すぐ
に食事なりに戻る。別に侮っている訳ではない。野生動物というも
のは獲物を襲うのはあくまで腹を満たす為。満腹ならば肉食獣とて
草食獣を襲ったりはしない。
そして、長年この地で暮らす動物達は竜という存在が自分達を狙
って襲って来るような相手ではない事を熟知していた。
無論、怒らせたりすれば、下手なちょっかいをかければ一瞬で叩
き潰される事も理解しているから無闇と近寄ったりもしてこないが、
空を悠然と飛んでいる竜を見て泡を食って逃げ出したりするものは
いなかった。ここら辺、野生動物達は同じ竜でも自分達を襲って来
る属性なしの竜と、自分達を襲ってこない属性持ちの竜とをきちん
と認識し、区別している。
のんびりと光景を楽しむテンペスタであったが、やがて最初に感
知したもう一つの属性を持つ相手の気配が近づいている事に気がつ
いた。いや、正確に言うならばテンペスタの方が近づいている訳だ
が⋮⋮。
﹁こっちは水か﹂
そのまま進路を変更。
遠くに相当巨大な湖が見えたが、気配自体はそちらとは異なる位
置から放たれている。
何故かと一瞬思いもしたが⋮⋮よくよく調べてみれば︵視界では
水平線の彼方となる為見えない︶、湖の対岸にはどうやら人族のか
なりの大きさの都市が存在し、湖にも漁師の船が出ているようだっ
た。不用意な接触を避ける為か、それとも騒々しいと感じているの
253
か分からないが、どうやら気配はその湖へと流れ込むそれなりの大
きさの河、長い年限をかけて渓谷を削ったその流れの途上に存在す
る結構な大きさの滝近辺から感じられるようだった。
滝自体はかなりの大きさで⋮⋮。
︵これなら竜や龍の一体ぐらい問題ないか︶
正に大瀑布というに相応しい景観は一見の価値がある光景だった。
もっとも、人からすれば湖側から至るにしても竜がいると分かっ
ている場所へ、しかも小さな滝を幾つも越えて人跡未踏の地へと踏
み込んでこねばならない。湖も広大であり、敢えて危険を冒してこ
こまで来ずとも漁をするには問題はない。 そうした事もあり、人がこの雄大な光景を目にするのはまだまだ
先の話だろう。
今はテンペスタがゆったり独占して見れる、という事で悠然と水
面へと舞い降りる。
僅かな波紋すら起こさず、水面へと降り立ったテンペスタはまず
迫力ある大瀑布を至近で見物する。⋮⋮人が小船でその距離まで近
づけば、間違いなくひっくり返るであろう程の至近距離。落差で五
十メートル余の大瀑布をこの距離で眺められるのは水の属性を持つ
竜の特権とも言える。
しばし、眺めていると近づく気配を感じた。
水中から感じる気配は幼く⋮⋮こちらを伺う姿も明らかに気付か
れている事に気づいていない。
そう、その仕草はまるで猫か犬がおそるおそるこちらを伺ってい
るようなそんな雰囲気があった。
敢えて気付かない振りをして水面に立っていれば、段々と水中か
ら距離を詰めてくるのが分かった。その気配も先程までの大地の竜
王と異なり、気配は駄々漏れ、テンペスタからすれば足音を立てて
254
近づいてきているようなものだった。
苦笑しつつ、すぐ傍まで来た時やっと気がついた、といった様子
を装ってそちらへと視線を向ける。
びくり、と怯えた様子を見せるその相手は美しい相手だった。
まるで透き通った水そのものを固めたような蒼い姿を持つ龍であ
り、けれども未だ知性を持たぬ下位龍である事も確かだった。
一瞬、びくり、としたが逃げる事はなく、じっとこちらを見詰め
てきている。
なんで龍がここまで怯えているんだ?と思わないでもなかったが
⋮⋮よくよく考えてみれば、属性龍である以上、食物として何かを
襲う必要もなく、飢える不安もない。
襲撃をかける可能性はと思ったが、わざわざ属性龍を襲うような
相手がそうそういるはずもない。
同じ属性竜ならばそもそも襲う必要がなく、属性がない竜なら幾
ら子供といってもよほど長く生きた個体でもない限り返り討ち。無
論、普通の動物でも同じ事だ。
まあ、最大の原因は属性竜が他者を襲わないからというのが大き
いにせよ、大地の竜王の支配地でも特にいじめられたりも何もなく
生きてきたのだろう。水と地という両者の属性がまったく異なる属
性であった事も良い方向に働いたのかもしれない。
結果として、水の属性龍が怯えている原因とは⋮⋮。
︵自分の縄張りに知らない相手がいるから警戒してるだけか︶
それでも好奇心に駆られて、ちょこちょこと姿を見せては近づい
てくる。
実に可愛い。
やがて、テンペスタがじっとしていたのが功を奏したのか⋮⋮す
ぐ傍に姿を現した。
つぶらな瞳は相手を疑う様子もなく⋮⋮実に素直な目を向けてき
255
ている。
何となくそっと撫でてやる。
まあ、人相手、通常の動物相手では元の手が手だからそっと、と
言っても限界があるのだが、同じ竜ならば問題はない。事実、心地
良さげに目を細めている。
かまって!かまって!
そんな声が聞こえてきそうな程になつかれ、何十年ぶりかの弟相
手のような感覚でテンペスタも相手をする。
まだまだ数メートル程度のサイズの相手は時折、テンペスタの背
中を這い上がり、また駆け下りる。
子供故に全力で遊び、そして全力で遊ぶゆえに⋮⋮。
﹁ほら、もう戻って寝なさい﹂
﹁きゅ∼⋮⋮﹂
まだ遊びたいのにー。
そんな雰囲気ではあるが、ふとすればこっくりこっくりと船を漕
ぎ、一瞬意識が飛んでいたりしている。
そんな幼子の様子に苦笑しながら促すと、名残惜しげにそれでも
するり、と水中へと戻っていった。
ふらふらと動く様子を確認していたが、間もなくどうやら無事に
寝床に戻って潜り込んだと見て、テンペスタも踵を返した。
水上から地上へと戻ったテンペスタだったが、そこで妙な気配に
気付く。
﹁うん?﹂
大地の竜王、その気配が彼を引き寄せている。
いや、これはテンペスタを呼んでいるのだろうか?
はて、何かあったのだろうか、そう疑念を抱きつつもテンペスタ
256
は向かった。何か困った事があるなら手伝うぐらいは⋮⋮そう考え
ての事だったが⋮⋮。
﹁⋮⋮楽しそうでしたね﹂
テンペスタが到着してすぐ、そう呟いた大地の竜王。
その姿を見た瞬間、テンペスタの背に言い知れぬ悪寒が走った。
恐怖などとは違う、脅威ともまた違う。
何とも言えない冷たさが走りながら、テンペスタは⋮⋮。
﹁何をでしょうか⋮⋮﹂
そう恐る恐る呟くように尋ねる。
﹁⋮⋮楽しそうに遊んでましたね﹂
﹁⋮⋮あの水龍の子供ですか?﹂
もしかして、大地の竜王の子供だったのだろうか?
だが、それにしてもおかしい。
脅した、危害を加えたというなら分かるが、テンペスタはただじ
ゃれつかれたので、遊んでやっていただけの事。いじめたり、怪我
をさせたりはさせていないし、水龍も存分に楽しんで帰って行った
はずだ⋮⋮そんな風に考えていたテンペスタだったが⋮⋮。
直後、それが間違いであったと悟ると同時に、面倒な災厄に唐突
に突っ込む事になったのだった⋮⋮。 257
第十四話:予定外の災厄︵後書き︶
腰のお陰で寝付けなかったのも、睡眠薬飲んで思い切り寝て、体調
復活です
また改めて書いていきますので、改めてよろしくお願いします
258
第十五話:事件のそれは始まり
﹁君もあの子を狙っているの?そうなのね?﹂
﹁いや、俺はノーマルだから﹂
﹁ダメよ、あの子は私のもの。そうね、邪魔者は排除しないとい
けないの﹂
﹁いや、だからこっちの言葉聞けよ﹂
﹁死んで、というか死ね﹂
﹁だから話聞けええっ!!!﹂
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
などという僅かなやり取りの後即座に地に消えた竜王に慌てて空
に舞い上がったのは正解だった。
直後真下から大地が槍のように襲い掛かってきたからだ。
まるで蛇のようにのたうちながら、空のテンペスタへと伸びてき
たが、至近距離からならともかく空へと舞い上がって距離があれば
どうとでもなる。
とはいえ、破壊しても余計な力を使うだけ、と見たテンペスタは
その隙間をすり抜ける。その際に同じ地の属性を用いて、槍へと干
渉する。もちろん、相手の方が先に力を及ぼしている、すなわち武
器として握っている状態である上に扱い慣れているという事もあり、
259
それを改めて掌握し、奪うという事は出来ないが動きを制限し、逸
らす事ぐらいは出来る。
そして、それで十分だった。
近くを通る瞬間、大地の槍から礫が飛び出そうとしたようだが、
それらは勢いがなく、そのまま力なく落ちてゆく。
その様子を見る事もなく、内心でテンペスタは相手を罵っていた。
︵幾ら何でも短絡的すぎるだろう!!⋮⋮いや︶
だが、すぐに違和感に気付く。
︵短絡的に、すぎる?︶
殆ど一つしか見えていないかのような行動。
こちらの声すら届かない異様な態度。
異界の知識にある所の﹃ヤンデレ﹄とかいうのに通じなくもない
が、そんな言葉で片付けられない何かを感じるのだ。
︵そういえば⋮⋮︶
ふと、テンペスタは考える。
︵親父もえらい長い事お袋口説いてたんだよな︶
大嵐龍王が母竜王を口説き落とすのにかかった時間は二百五十年
余。
幾ら気長な竜とはいえ⋮⋮さすがに長すぎると思う。
これまでは﹁親父もお袋も気の長い事で﹂ぐらいにしか思ってい
なかったが、もしかして何か理由があるのかもしれない。
下方から襲い掛かる攻撃を回避しながらテンペスタはそう考えた。
260
︵攻撃が荒い、が⋮⋮︶
こうして考える余裕があるのも相手からの攻撃が荒いからだ。
攻撃こそ﹁これでもか!これでもかッ!!﹂とばかりに放たれて
はいるが、それはヒステリーを起こした女性が手当たり次第に手近
な物を投げつけているようなもの、冷静に距離を置けば回避に問題
はない。
問題はこのままこの地を離れる訳にはいかない、という事だ。
︵今、この我を忘れた状態で放置したら⋮⋮︶
その時は巻き込まれる者が出る事になるだろう。
最悪、あの水龍まで巻き添えを食らう事になりかねない。
少なくともある程度落ち着いて⋮⋮ヒステリーでも癇癪でもいい
が、冷静な攻撃が可能になるまでは留まるべきだった。
そうやって相手の区別がつくレベルになったら一旦脱出して、後
で遠くから声を届ける事で和解を図る、それがテンペスタの狙いだ
った。
何しろ、竜王という存在は単純な﹁ただ強い奴﹂というものでは
ない。
確かに母竜は長い事本来の住処を留守にしていたが、それはあく
まで子育てという例外であり、地元にはきちんと﹁印﹂を残してい
た。だからこそ、母竜の留守の間に通常の魔獣が暴れたりする事は
なかった。別の竜王が入り込んだのはただ単に相手が経験不足だっ
ただけの話だ。他の竜王は理解していたからこそ、未干渉だった。
ここら辺は縄張りを定めれば、近隣の竜王がきっちり教えにかか
るのだが⋮⋮。
無論、テンペスタの場合は父龍王から教わった知識の一つだった
が、竜王がいなくなると安定した力を求めた魔獣が、下位竜が動き
261
出す。所詮知性という分野では動物である彼らは互いにその整えら
れた地の力を奪い合い、相争う。⋮⋮彼らには利用する術がなくと
も、だ。
殆ど快適な寝床を奪い合う程度の感覚でしかない。
しかし、それでも周辺は多大な迷惑を蒙る事になる。だからこそ、
ある程度落ち着いてから離れようとテンペスタは考えた訳だ。
実の所、テンペスタの考えは竜王の根源とも言うべき部分に関わ
る事だった。
感情の波が殆どなく、自然とほぼ一体化した年経た竜王の精神は
それだけに殆ど唯一、子孫を残す事にも関係する恋愛感情を抱いた
対象が関わってきた時、大きく揺れ動く。
良い方向に働けばいいが、悪い方向に働けば⋮⋮こうなる。
通常殆ど動かないだけに制御の必要性を失った、それ故に抑えき
れない感情が一挙に理性と知性を塗り潰し、行動を支配する。 普段からそれが動く事に慣れていれば、備える。
その地が地震のよく起きる地であれば、その地に生きる民は心構
えをし、地震に関して知識を持っているだろう。
よく氾濫を起こす河川があれば、雨が降れば警戒し、避難する場
所の確保も行うだろう。
だが、逆であればどうだろうか?
その地が滅多に地震の起きた記録がなく、年寄りですら大地の動
いた経験などなかったら、その地に生きる者は地震を警戒し、その
脅威を考えるだろうか?
穏やかな河川であり、これまで溢れる事なく流れ続けている記憶
しかなければ、それが溢れ、濁流となって襲い来る事を考えたりす
るだろうか?
竜王の感情もまた然り。
通常、制御の必要性がない程に枯れ果てている為に何時しかそれ
が時に暴走するものだと、それが自らにも宿っているのだと体が忘
262
れてしまっている。
だからこそ、一旦暴走すると止めようがない。
⋮⋮とはいえ、そんな事まではテンペスタに分かるはずもない。
それに、分かった所で今のこの状況では余り意味が無い。
しかも⋮⋮。
︵段々冷静になってきたみたいだが⋮⋮その分!!︶
礫、と呼ぶには大きすぎる鋼の砲弾が襲い掛かってくる。
一見単調に見えたその陰に潜んだ本命が直後に至近距離から牙を
剥く。
砲弾の後半分、そこが突如弾け飛び、テンペスタの体を撃つ。
破片のみではあるが、磁力による反発によって予想以上に加速さ
れた破片はテンペスタの鱗を穿とうとし⋮⋮弾き返された。
直前で回避は不可能と看做したテンペスタが咄嗟に防御を固めた
お陰だった。
︵あぶない、油断していたか︶
元より硬さ、という点では破片よりテンペスタの鱗の方が上。
おまけに、テンペスタ側は自身の体だ。これで負ける訳がない。
むしろ、問題はじょじょにだが、攻撃が巧妙となっている事にあ
る。
︵⋮⋮これできちんと話聞いてくれたらな︶
攻撃は冷静になっていっているというのに、未だ声は届かず。
連射してきた小粒のものは無視し、力の篭められた大型のものを
余裕を持って回避、するはずだった。
263
油断だったのだろう。
じょじょに巧妙さが増しつつあるとはいえ、大地の竜王が放つ攻
撃はいずれも大地から放たれていた。
そして、土、金属、植物といった違いはあれど、それらには常に
共通点が存在していた。
⋮⋮そう、いずれも実体を持つ攻撃だったのだ。
だからこそ、一際高速かつ大型の金属塊が迫ってきた時も多少の
警戒はあれど意識は形を持つものに対して向けられていて⋮⋮。
﹁なにっ!?﹂
突然に襲い掛かった重力場に対応しきれなかった。
しかも、全身にではなく片方の翼に重点的に干渉してきた攻撃に
は。
ガクン、と意図せずして翼を引っ張られたような状態となったテ
ンペスタの姿勢制御が崩れ、傾く。
無論、通常の鳥とは異なる飛び方をしている為にこれで即墜落!
という事にはならない。
もし、これが通常の飛行時であれば問題なく姿勢を立て直す事も
出来ただろう。
だが、戦闘時、ましてや敵となった相手からの攻撃が至近に迫っ
ている状況でこれは、致命的だった。
﹁があっ!!!???﹂
生まれて初めて感じる激痛。
痛い、というより熱い!
かろうじて身を捻った為に本当の意味での直撃は何とか回避した
ものの飛来した一撃は結晶質の鱗を削り落として肉を抉り、そのま
ま翼へと直進。翼膜部分を引き裂き、上空へと抜けた。
264
﹁くそ⋮⋮!!﹂
こっちが反撃しないと思っていい気になりやがって!!
一瞬、激昂しかけるが、ここで怒ってはここまでの我慢が水の泡。
ましてや自身も全力で反撃を開始すればどちらかが死ぬまで止ま
らなくなるだろう。そして、その時にはあの幼い水龍も巻き添えと
なって滅ぶに違いない。
別に、邪推されたようにあの水龍の子に特別な感情など持っては
いないが⋮⋮。
﹁⋮⋮巻き添えにしたら可哀想だよな、くそ﹂
大切に思っているなら、せめてもう少し冷静になれよ⋮⋮!
そんなやる瀬のない怒りを抑え込む。
攻撃はますます精緻に、巧妙になり、同時に多方面からの攻撃を
行ってくる。しかも、時間差まで入れてくる為最初のような何も考
えずに回避していれば、避けた先に本命の一撃が回避しようのない
タイミングで飛んでくるという事になっている。
事ここに至れば、もう属性を使わないという事も言っていられず、
迎撃には属性を用いている。
せめて、あの水龍の住処から離れて⋮⋮。
そう考えた時、ふと気がついた。
﹁待てよ⋮⋮﹂
水龍、大地の竜王⋮⋮。
それらから一つの可能性が思い浮かぶ。
﹁⋮⋮迷っている時間はないか﹂
265
反撃しないと決めた以上、このままでは追い詰められるのみ。
身を翻し、方向を変える。 進路を遮るように攻撃が飛来するがそれを打ち砕き、更に前へ。
既に、大地には気配が満ち溢れており、詳細な居場所は把握出来
ないが、それでも追ってきているのはわかる。
︵こっちの推測が当っていれば⋮⋮︶
そうして、じょじょに高度を下げてゆく。
その分攻撃の密度が上がるが、最初から防御に専念する事でこれ
らを最小限の被害に留めて行く。
︵あと少し⋮⋮︶
そして、ある瞬間。
テンペスタは一気に高度を落す。いや、それはもう墜落寸前と言
って良い。
派手な音を上げ、大地を抉り⋮⋮やがて盛大な水飛沫が上がった。
湖は巨大な波紋を描き⋮⋮そこから浮き上がるものは、ない。
どれだけの時間が経っただろうか⋮⋮水辺の地面が盛り上がり、
そこから大地の竜王が姿を見せ⋮⋮間もなく再び大地へとその身を
沈めて、そしてその場は静かになった。
⋮⋮⋮。
︵⋮⋮予想が当っていて助かったよ︶
その光景を湖の中でテンペスタは眺め、溜息をついた。
⋮⋮属性を持たない場所は探知出来ない。
これまでの攻撃から水の属性は持っていない、と踏んだのだが⋮
266
⋮どうやら当っていたようだ。おそらくは、だからこそ水龍の居場
所も把握出来ず、普段から押しかける、口説き続けた父のような真
似は出来ないのだろう。
︵しばらくは回復だな⋮⋮︶
時間を稼ぐ、という意味合いもある。
時期を見計らって、さっさとこの地を離れよう、そう決めつつま
どろむテンペスタだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
﹁⋮⋮何?対岸にて巨大な水柱、だと?﹂
その日の晩。
テンペスタが静かに水にその身を沈めている時、対岸にある港街
で一人の人族の男性が昼食の席でそんな報告を受けていた。
報告した側の男としては内心舌打ちせざるをえない。なるだけ興
味を引かないよう、持たないようにわざわざ食事の席でさりげなく
他の報告に混ぜて伝えたというのに、何故そこに興味を持つのだ、
と。無論、そのような感情を表に出すような間抜けな真似はしない。
大地の竜王の住まう地と湖を挟んで位置する都市ドーファン。
ここはエクラリエ王国王家の直轄地である。
とはいえ、王が直々に細かな点まで統治しているはずもなく、実
際は権限を与えられた統治官が任命され、都市の運営・管理を行う。
基本、王家は事前に定められた税や災害が起きた時以外は介入し
てくる事もなく、実質的には統治官が領地持ちの貴族のような役割
を担う事になる。
267
そうして長く続けば、それは既得権益となり⋮⋮現在の統治官ロ
ドルフは三代連続でこの街の統治官を務めており、彼もまたこの街
で生まれ育ち、深い愛着を抱いていた。まあ、幾ら統治官といえど、
王家から委託されているのは間違いなく、下手に搾取して権利を失
ったら元も子もない為必然的に統治に気を配らざるをえない部分は
ある。
それに、ただ貴族として立場に胡坐をかいていては、あっさりそ
の地位を失いかねない。次代への教育も極めて重要なのだ。
既得権益、というだけでなく、こうした専門的な教育を受けさせ
やすいだけの財政状況、無能や遊び人を許さない立場あってこその
地位という事を忘れてしまえば地位を失う事になり、そうなった統
治官もまた枚挙に暇がない。 数年でまた別の地へと異動というなら搾取で私腹を肥やすのもあ
りかもしれないが、真面目に統治していれば統治官としての給与だ
けでなく、街を治める事による各種の副収入で懐が潤うのだ。それ
が延々と続く上に通常の領主がやらないといけない出費は王家に丸
投げ可能、結果として、そんじょそこらの領主より財政状態は上と
言われるのは伊達ではない。
そんなロドルフにとって対岸の竜王は幼い頃より言い聞かされ、
老人からおとぎ話を聞く伝説の存在だった。
触らぬ竜に災いなし。
ドーファンにおいては竜王はどうせ対岸まで行かぬ限り出てくる
事もない。
ドーファンにおける一番の産物は湖での漁なのだから、対岸へ赴
く必要もない。
それなら敢えて触れる事もない、というのが共通認識だった。
当然、ロドルフ統治官もまたその方針で長らくやって来ており、
これまでそれで何の問題もなかった訳だが⋮⋮。
268
︵何で今日こんな時にあんな事が起きるんだ?︶
竜に文句を言っても仕方のない事と理解しているとはいえ、文句
を言いたい気分だった。
そう、現在この地にはエクラリエ王国の王子が滞在していた。
第二王子ジュール・エクラリエ。
第二王子ではあるが、第一王子が病弱な上に研究肌で、王位継承
権を返上してしまっている為に実質的には王太子として扱われてい
る人物だ。まあ、第一王子の返上には母方の家が貴族ではあるもの
の余り家柄は高くない為に王位継承に関わる騒動に巻き込まれるの
を嫌った実家がそもそものきっかけといった生臭い事情はあるもの
のお陰でエクラリエ王国としては下手な騒動もなく︵第二王子の後
はしばらく女児が続き、第三王子以下はまだ幼い︶安定している。
ジュール王子自身も優秀な人物なのだが⋮⋮問題は。
﹁面白そうな話だな、原因は何なのだ?﹂
兄譲りの好奇心にある。
第一王子が早々に継承権を放棄したお陰、という側面はあるもの
の互いに争う事なく育った第一王子と第二王子は仲が良く、結果趣
味のレベルに留まってはいるもののこうした変わった事柄に興味を
示す。⋮⋮まあ、正妃でもある第二王子の母がおっとりした良家の
お嬢様そのままの人柄で、生まれる時に第一王子の母が亡くなると
﹁夫の子供だから﹂と引き取って可愛がったのも大きいだろうが。
それだけならまだいい。
第一王子などは文官肌で外出を嫌うお陰で時折突拍子もない物が
欲しいと言い出す事はあっても自分で採りに行くという事はしない。
きちんと理由を説明して無理な事を説明すれば、素直に納得もして
くれる。
269
一方、第二王子はなまじ実力のある魔法使いである上、外出も積
極的にこなすのが面倒だ。
民衆からは民に近いと人気があるようだが、警護する側にとって
は一苦労だし、だからといって下手に遠ざければ不興を買う事にな
る。
まあ、何が言いたいかといえば⋮⋮面倒なのだ、この王子様は。
﹁ふむ、現場近くまで行ってみる事は出来るかな?﹂
﹁⋮⋮殿下、それは﹂
さすがにそれには顔をしかめざるをえない。
しかし、その反応を予想していたのかジュール王子はロドルフ統
治官の様子を気にする事もなく、笑って言った。
﹁なに、私とて対岸まで行こうというのではない﹂
内心、当り前だ!と叫びたい所だがそこはぐっと抑えるロドルフ。
この港街の住人ならば通常、対岸まで船を出す者はいない。
しかし、相手が王族となれば⋮⋮断りきれない者、或いは金目当
てに船を出す者は必ずいるだろう。或いは国の有する大型の船を用
いるという手もある。前者はすぐ行けるが小さい、後者は湖賊や魔
獣などへの対応を行う軍船であるので大型だが出航にどうしても時
間がかかる。
ただ、この王子様は引いてはくれないだろう。そもそも引く事を
基本的に許されない立場でもある。それならば⋮⋮。
﹁⋮⋮分かりました。ならば船の用意を致します。せめてそれま
でお待ち下さい﹂
﹁ふむ⋮⋮少し見に行くだけのつもりだったのだが⋮⋮いや、そ
うだな。こちらも無理を言っているのだ、すまぬな﹂
270
ならばせめて、きちんと管理出来る船で行ってもらった方が良い。
そう考えて発言したロドルフ統治官に、ジュール王子も頷いた。
その返答にも色々⋮⋮いや、これ以上は下手な事を口走ってしま
いそうだ、と考えたロドルフ統治官は黙って頭を下げた。
﹁では殿下、三日以内には準備を整えますのでお待ち下さい﹂
﹁うむ、早く頼むぞ。ああ、それと﹂
﹁何でしょうか?﹂
﹁うむ、もし、現場を見た者がおれば詳細が知りたいので﹁かし
こまりました、集めて殿下の下に届けるよう部下に命じましょう﹂
つれて﹂
途中で遮ったのは民衆に近いというより腰の軽い殿下の場合、直
々に会おうなどと言いかねないと判断しての事だったが、案の定だ
ったようだ。
さすがにこちらは王子も苦笑を浮かべていたが、﹁駄目か﹂とい
った様子でそれ以上を言う様子はなかった。実際、これに関しては
周囲の王子の警備に当る近衛からもどこかほっとしたような空気が
あった。
そのまま退室したロドルフ統治官はてきぱきと部下に指示を下し
てゆく。
︵⋮⋮面倒な事にならねば良いが︶
唐突に発生した厄介事にロドルフ統治官は深い溜息をつくのだっ
た。
︱︱そして。
結果、不幸な事にその予感は的中する事になる。
271
第十五話:事件のそれは始まり︵後書き︶
どうもお待たせしました
⋮⋮次はいい加減、ワールドネイションの冒頭をこちらの冒頭共々
修正しないと
272
第十六話:それは悲劇へと繋がる序章
﹁よいですか?くどいようですが⋮⋮﹂
﹁分かっている、対岸を眺める程度で戻ってくる﹂
三日後、軍船が出航準備を整えていた。
ジュール王子は苦笑していたが、周囲からすればロドルフ統治官
の気持ちも当然と考える者の方が圧倒的に多かった。
湖とはいえ、危険はある。
広大な湖ゆえに竜なら一飛びの距離でも、帆船ではそうはいかな
い。どんなに急いだ所で一日やそこらでは辿り着けない程広大なの
だ、この湖は。
帆船の平均的な航行速度はおおよそ五から六ノット。
時速に直すとざっと八から九キロ程度。つまり丸一日走ったとし
て移動距離は最大で二百五十キロに満たない。⋮⋮とはいえ、普通
の湖ならば横断するには十分すぎる航行距離であり、どれだけこの
湖が巨大であるかを示している。
逆に言えば、もし対岸近い位置で竜に襲われたとしても救援は間
に合わない。
今回は遠距離である為、軍船といっても小型船は使えず大型船二
隻のみ。湖賊相手ならこれで十分、というより軍船などという美味
しくない獲物なぞ狙ってくる事はありえないが、竜相手には心許な
い。
乗船するジュール王子の背を見送りながら、ロドルフ統治官は横
に立つ人物に声をかける。
﹁⋮⋮分かっていると思うが﹂
﹁はい、危険を感じる前、可能性の段階で即時撤退、ですね﹂
﹁⋮⋮⋮︵頷﹂
273
軍船の船長達だった。
淡水湖ゆえ潮気というのは少し変かもしれないが、水上で生きて
きた男達だった。
﹁お坊ちゃんには少しの冒険で勘弁してもらいましょう﹂
﹁坊ちゃんはよせ。そうした思考はつい口や行動に出る﹂ 初老の船長の言葉に、注意を受けた中年と呼ばれる年頃に差し掛
かった、けれどもまだ十分に若い船長は肩を竦めた。
﹁分かってるって、おもてなしはきちんとしますよ?﹂
﹁⋮⋮ふん﹂
今回、王子を乗せるのは若い船長の船だ。
別段深い訳はなく、老人の船の方が古く、新しい船には貴賓室が
設けられているからだ。老人の方が船の扱いに関しては上手である
為、当初は船を移るはずだったのだが長年扱い慣れた船を変わるの
を嫌い、断った結果今の船長が選ばれた。
老人曰く。
﹁俺はこの古女房で十分だ。若いもんは若いもん同士でくっつき
ゃあいい﹂
らしい。
無論、古いとは言っても手入れは行き届いており、整備も万全。
武装も新しいものへと更新されている。
最新式の船より一回り小型ではあるが、熟練の船を知り尽くした
船長と船乗りによって操られる軍船は決して最新式のそれに劣るも
のではない。
274
ただ、サイズの関係で貴賓室のような貴人を迎え入れるような設
備は有しておらず、それ故に今回ジュール王子を乗せるのは若い船
長が引き受けた訳だ。⋮⋮もっとも、これらは同時に万が一の時に
どちらが足止めに残り、どちらが先に離脱するかを意味してもいる。
﹁まあ、何にも起きないさ。これまでそうだったじゃないか、爺
さん﹂
﹁⋮⋮そうだな﹂
苦笑しながら若い船長はそう言うと自らの船へと歩き出した。王
子を待たせる訳にはいかないからだ。
老船長もロドルフ統治官をその場に残し、自らの船へと歩き出し
た。
歩きながら、ちらり、と最新式の大型船へと視線を向け、呟いた。
﹁⋮⋮何にも起きなけりゃ、な﹂
そう呟きながら、老人は左腕で右腕の肘をさする。
⋮⋮若い頃、当時湖を荒らしていた魔獣を討伐する際に負った古
傷、何か悪い事が起きる前、決まって疼いたその傷が再び痛むのを
感じながら。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
そして、その頃。
一体の龍が水底で体を起こした。
竜王の縄張りの中にある滝近辺を住処とするその龍は目が覚めた
後、退屈そうに体を伸ばした。
275
この近辺では彼の遊び相手となるものはいない。
仕方のない話だ。通常の動物では彼の気配を僅かでも感じ取った
瞬間に脱兎の如く全力で逃走してしまう。この地の自然と一体化し
た大地の竜王とは異なり、未だ動物としての気配を漂わせる彼は普
通の動物達からすれば圧倒的格上の生物。
如何に捕食される事はないとはいえ、根本的な肉体面が異なるか
ら遊ぶなど不可能だし、そもそも存在としての根幹が違いすぎる。
かといって、魔獣など長年存在する竜王の土地でいるはずもない。
故に何をするでもなく時間を過ごす水龍であったが⋮⋮ふと首を
伸ばした。
︵⋮⋮?⋮⋮!!︶
水を通じて、微かに伝わってきた感触。
覚えのあるその感覚を元に自らの記憶を探れば思い当たるのは先
だって遊んでもらった一体の竜。
既に立ち去ったかと思っていたその気配に喜び勇んだ水龍は体を
くねらせ、動き出す。
自らの感覚が示す方向へ、下流へ、そして湖へと⋮⋮。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
湖の中でテンペスタは静かに佇んでいた。
周囲の豊富な水の属性を用いて自らの体の治癒を行っていた。人
のつけた傷ならとっくに治っていたが、相手は大地の竜王、攻撃に
もその竜の力がまとわりついており、それが食い込む形で傷の治癒
を妨げていた。
276
この為、まず水の属性でもって傷口を洗い流し、それから治癒を
行っていたがこれが予想外に時間がかかっていた。
︵⋮⋮慣れていないからな︶
ここまで深手を負ったのは生まれて初めてだった。竜王級とやり
あった事自体が初めてなのだから、当然と言えば当然かもしれない。
ある意味貴重な経験ではある。⋮⋮余り体験したい事ではないの
は確実だったが。
それでも数日もかければ傷も癒える。自らの属性がなければもっ
と時間はかかるだろうが、そこはテンペスタは全属性持ちの竜。水
の中だろうがどこだろうが己の属性には不自由しない。お陰で治療
は順調に進み、本当ならば今日の内にでも出発するかと思っていた
のだが⋮⋮。
﹁なんで、こんな時に人が来るんだ﹂
大型の船が二隻、対岸の港街からやって来ていた。
単なる漁師の船なら無視して離脱していたかもしれない。
だが、これは違う。
船の大きさは小船と呼べるようなものではないし、そもそもそん
な小船でこんな遠方までやって来る事はない。この湖は魚も豊富で
あり、ここまで来ずとも真っ当な漁をしていれば獲物に困る事はな
い。となれば、当然街から近い方が新鮮な魚を持ち帰れるし、その
方が高く売れるし、家にだって早く帰れる。
とはいえ、この方面にやって来る漁船は存在している。
そうするだけの理由があるからだ。
一部の魚類は強い属性を好む。
大地の竜王とはいえ湖と接している以上、そして大地に生きる者
達にとっても水が不可欠である以上、湖にもある程度はその支配領
277
域を有している。
その整えられた流れを好む魚類⋮⋮正確には魚型の魔獣が存在し
ている。
これで何の価値もないなら人も放置していただろうが、これら魔
獣というのはいずれも人の間では高い価値がある。素材に需要があ
るのに、市場に出回る量、供給が少ないからだ。そうなれば必然的
に価格は高額になるし、高く売れるのであればそれを専門に狙う連
中もいる。ましてや、この湖の魚型の魔獣は海に比べると、そこま
で危険性の高いものは少ない。⋮⋮あくまで比較すれば、だが。
とはいえ、テンペスタが知らなかったのにはちゃんと理由がある。
魔獣を狩るのは大変であり、幾ら方法が確立しているこの湖の魔
獣でも専門に狩る者はそう多くはない。そして、一度狩れば船団で
割っても一月は暮らせる、逆に言えばそれだけ狩るのが大変な訳だ。
そして、万が一の事を考えれば一隻より二隻、二隻より三隻の方
が安全度は増すので小規模なら船団でやって来るが、その際しばら
く停泊してある程度まとまった数を狩ってから帰還する為、頻度で
言えば三ヶ月に一度といったペースだ。
⋮⋮その程度しか来ない船団にテンペスタが着水した際の大規模
な水飛沫を目撃されたのは運が悪かったとしか言いようがない。
﹃ふむ、この辺りかね?﹄
﹃確認出来ている限りではその通りですな﹄ 観察している内に甲板の上に一際立派な服装の人物が見えた。
空気と水、双方を介して声を聞く。ちょうどいい暇潰しとなるの
で。
見た限り、どう見てもその服装は船乗りのそれではない。傍らに
いる人物の服装がそれなりに立派なものではあっても船から落ちた
際に泳ぎやすいようすぐに脱げるように工夫されたものであり、ま
た動きやすさを前提としているのとは対照的だ。あれでは船が沈ん
278
だり、もしくは船から落ちたりしたら服が泳ぎを邪魔して溺れかね
ない。
逆に言えば、それが許される人物だという事。すなわち船にとっ
ては客扱い。
︵⋮⋮軍船に客として乗れるんだしなあ、それに身につけてるの
って何か高いものだよな︶
知識としては知っている。
何せ、キアラもアレコレと持っていたというか、持たざるをえな
かった。
何しろキアラは人であり、王都で暮らしている以上付き合いとい
うものがある。
純粋に仲良くなった人というのもいたし、或いは招待された以上
行かざるをえない相手というのもいた。そんな時、冒険者らしい実
用一辺倒の格好で行く訳にもいかない上に、毎回同じものを着て、
毎回同じ装飾品をつけていく訳にもいかない。そういうのは女性は
目敏く気付く。
必然的にドレスだの、装飾品だのが増えていったものだった。
必然的にテンペスタの目も肥えていった。特に初期においてキア
ラの相談役はテンペスタしかなく、テンペスタもキアラが恥をかく
のは避けようとした。となれば、テンペスタもそうした事に詳しく
ならざるをえなかった。適当に﹁似合ってるよー﹂というだけでは
よろしくないのは言うまでもなく、それに綺麗なものを調べるのは
それはそれで楽しかった。
それに従えば、連合王国の貴族が身につけていた物と比較するな
らば、それなりに上位に位置する服装とテンペスタは判断した。
︵前の国でいえば伯爵ぐらいかな?︶
279
その判断は正しい。
連合王国は大陸全土でも有数の大国であり、このエクラリエ王国
は多数の中堅規模の国家の一つである。
エクラリエも小国という程には小さくないとはいえ、年を取って
からのキアラが招かれていた頃の連合王国の宴、大陸有数の国家の
上層部の宴で王家やそれに連なるような高位の貴族達が身に着けて
いた物と比べるのは酷というものだ。
しかし、いずれにせよテンペスタにとって重要なのは乗船してい
るのが貴族でも何でも別に構わない。
キアラがいた当時ならば、多少気にしただろうが、今となっては
王族だろうが貴族だろうが干渉してこないなら別に構わなかったか
らだ。テンペスタ自身が宝石や装飾品で身を飾るような趣味もなか
ったし。
だから、だろう。
それの接近に気付きながら、その意味する所に気付くのが遅れた
のは⋮⋮。
︵ん?これは⋮⋮︶
急速に接近する水の属性の気配。
その気配にテンペスタは覚えがあった。
︵あの時の水龍か︶
一瞬、大地の竜王の事が脳裏に浮かんだが⋮⋮すぐに振り払った。
今、彼らがいるのは水中である。
大地の竜王が水の属性を持たないのは、テンペスタが水に没した
際に追撃がなかった事からも明らかだ。もし、水の属性を多少なり
とも持っていれば、間違いなくあの時の、あの竜王の状態では水中
のテンペスタに対しても何らかの攻撃を加えていただろう。水の属
280
性を持たないからこそ、水の中へと姿を消したテンペスタを追う事
が出来ず、追い払ったと見たのか倒したと判断したのかは分からな
いが追撃を行う事なく、帰還したのだろう。
それならば、水の中でなら水龍と遊んだ所で大地の竜王から見え
る事はなく、またヒステリーを起こされる事もあるまい。
そう、テンペスタは判断した。
⋮⋮そう、水龍とテンペスタだけならば、それは正しい。
そして、テンペスタはこうして下位の属性竜にじゃれつかれる、
という経験が極めて少ない。火竜などは怒り狂っていたからそんな
余裕などなかったし、暴食竜は飢えに苛まれていて食事以外の事を
考える余裕など存在しなかった。
他の下位竜との接触も多々あったが、子猫か子犬がそうであるよ
うに遊ぼうとじゃれついてくる事は⋮⋮子供の頃の弟や妹達を除け
ば経験がなかった。
そして水龍はテンペスタの方向へと距離を詰め⋮⋮その近くにあ
る見た事がない物に気付いた。
故にちょいと寄り道をして、水面に姿を現したのだ。
そう⋮⋮軍艦の傍に、だ。
水龍はただ好奇心を抱き、浮かび上がっただけである。
下位とはいえ属性を持つ龍である為にわざわざ食事をする必要は
感じず、生き物を食う気もない。
だから、首を伸ばして甲板にいた一人へとその顔を近づけたのも
純粋な好奇心からのものでしかなかった。断じて、これが美味そう
とかそういう考えで近づいたのではなく、似たり寄ったりの姿格好
をしている者達の中で二人、明らかに異なる姿をしている者達に興
味を持った。そうして、僅かに首を振った水龍は⋮⋮よりキラキラ
した目立つ方へとまず顔を近づけた。
ここで不運が幾つか重なった。
281
テンペスタは問答無用の竜への攻撃、というものから昨今長らく
離れていた。
貴族貴人に下位竜が近づくなどという事は実際には滅多にある事
ではない。長らくそんな場合は既に飼いなさらされた、そういう事
が可能な種か、もしくはテンペスタが警戒していたものだった。
だが、それは連合王国、それもテンペスタがいた最後の頃の話⋮
⋮。
エクラリエ王国はそのような経験は殆どない。
ましてや、軍船の兵士や船長達はロランド統治官より幾度も念入
りに﹁万が一の場合は﹂﹁危険が近づいた段階ではなく、可能性が
ある段階で⋮﹂と念押しされていた。
そこへピリピリと張り詰めていた警戒を行っていた近衛達が加わ
り⋮⋮。
﹃いかん!!殿下をお守りしろ!!﹄
そんな声が上がったのは当然の話だったかもしれない。
素早く駆け寄った者達が王子と龍との間に盾を持って割って入り、
王子の姿を隠すと同時に王子を素早く担ぐようにして部屋へと連れ
去る。
ついその姿を追う水龍だったが、それをジュール王子を狙ってい
る!と判断した者達は攻撃を開始するに至る。
﹃撃て!!﹄
それでもそれが船に装備されたものならそこまで大きな問題とは
ならなかっただろう。
ここの軍船に装備されている武装の大半は連射性にこそ優れてい
るものの、小型の兵装である。
理由は単純、彼らが相手どる主な相手は湖賊であり、人。船も超
282
ド級ではなく、小型の軽快なもの。
そんな相手に大型の取り回しの悪い武器など、幾ら当れば大きい
とはいえ、向いていないのは誰だってわかる。
もちろん、大型の武器が必要な相手もいるから、一定数の装備は
為されている。が⋮⋮今回の場合は、近すぎた。この為、現在接近
されている船のそれは取り回しの関係で水龍を狙う事が出来ず、か
といって随伴船の側からは狙いが外れれば、間違いなく仲間の船に
当る、という状況。この状況では下手に撃てる訳がない。
結果として、人側が選択したのは魔法であった。
﹃これだけの龍だ!通常の魔法は通じんぞ!﹄
﹃分かっている!痛手を与えようと思うな!!それ以外を狙え!
!﹄
﹃了解!!︻ショック︼!!﹄
魔法使い達が選択したのは電撃系の魔法。
これらが幾本も水龍を襲った。
⋮⋮ダメージは咄嗟に放たれた魔法であった事もあり、ほとんど
通らなかった。
だが、電撃系は痺れは感じる。本来なら、副次効果として麻痺を
もたらすのも電撃系の魔法の効果なのだが⋮⋮麻痺と呼べるまでに
は通らなかった。
それでも感じる違和感、更に電気故のピリッとした感覚を嫌い、
水龍は体を捻り、声を上げる。
それを効いている!と考えた魔法使い達は今度は時間をかけて、
複数同調による魔法行使を行う。
﹃よし、効いているぞ!!﹄
﹃同調せよ、このまま追い払え!!﹄
︻ライトニング︼
283
先程までの電撃とは異なる太い電撃の束が水龍を襲う。
当然、それに感じるピリピリとした痛みや痺れもより大きなもの
となり、水龍は暴れ⋮⋮結果として船にもその体がぶつかり、揺れ
る。
人から見れば激しい戦闘、竜からすれば⋮⋮子供に対して嫌がら
せをする集団としか見えないそれにテンペスタは呆気に取られてい
た。
属性竜の場合、縄張りから出て行けばまず追われる事はない。下
手に縄張りに入ってしまった場合、さっさと逃げ出すのが一般的な
行動だ。基本、水に生きる属性竜は穏やかな種が多く、即座に攻撃
してくる種は海に生息するごく一部。殆どは逃げ出せばしばらく興
味を持って追って来る事はあっても攻撃を仕掛けてくる事はない⋮
⋮。
が、それは水の属性竜と長年共存している地域の話。
そうした地域には生活の知恵として、水の属性竜への対応方法が
伝えられているが、この地域で竜と言えば大地の竜王。水の属性竜
への対応など知るはずもない。
加えて、王子が乗っていたのも災いした。
⋮⋮船長はとっとと逃げ出そうとしていた。彼らは魔獣でさえ危
険な存在である事を知っており、逃げながら追って来るなら足止め
の為の攻撃もやむをえない、ぐらいの感覚であったがその前に王子
を守る為に近衛が先走ってしまった。 それに加えて、互いの立場というものが邪魔をした。
近衛は基本、貴族から選出される。
一方、水軍は船長含めて平民の出身だ。船乗りの腕ばかりは貴族、
平民関係ない、という事もあるが、基本この地の軍船は統治官によ
って間接的に雇われた者達によって運営されている現地雇用形態。
今回王子から特に許されて︵近衛に水の上の事について説明出来
るような者がいなかった、というのが最大の理由だが︶船長がジュ
284
ール王子に直接話をしていたものの、基本貴族の行動を平民が咎め
る、というのは難しい。王子を守る為の行動とあれば尚更だ。 そんな動きが遅れた彼ら同様、反応の遅れたテンペスタは気付か
ぬ内に平和ボケしていた自らに怒りを感じつつ、水龍に向けて力を
飛ばす。
正確には水龍周辺の水と大気に対して、だ。
これによって電撃系魔法を防ぎ、水龍を水中へと避難させる。
とはいえ、そう簡単な話ではない。
混乱して暴れる子供を怪我をさせないよう、そっと押さえてその
場から引き剥がす、というのは案外難しい。相手とて属性竜であり、
こちらの行為に対して無意識レベルで干渉妨害をかけてくるから尚
更だ。溺れてパニックになり暴れている相手に手を伸ばしているよ
うなものだ。如何に相手が子供で、こちらが大人。加えて大人には
足がつく程度だったとしても⋮⋮てこずる。
そして、その僅かな時間が手遅れへと繋がる。
︵⋮⋮!しまった︶
人には見えないだろう。
だが、テンペスタにはここからでも分かる。 ⋮⋮湖岸の砂が盛り上がり、砂から土へ、土から岩へ、更に体を
形成してゆく⋮⋮。
︽オオオオオォォォォォ⋮⋮ン︾
人の感覚からすれば突如として響いたように感じたであろう怒り
を感じる声。
⋮⋮大地の竜王の顕現だった。
285
286
第十六話:それは悲劇へと繋がる序章︵後書き︶
どうもお久しぶりです
季節のかわりめなのが悪いのか、自分のうっかりが悪いのか体調崩
し気味です
⋮⋮いや、雨が降るんで窓閉めたら蒸し暑いからとクーラーつけた
はいいが、タイマーもセットせずにそのまま寝込んでしまった自分
が悪いんですが
最近、雨多いですね
皆さんも体調にはお気をつけ下さい⋮⋮と夏風邪引いて寝込んでし
まった身より
287
第十七話:竜王動乱
﹁まったく⋮⋮﹂
世の中思うようにいかねえな。
老船長ことエドゥアール船長は溜息と共にそう思った。
﹁おう、お前ら、至急あっちに退避命令を出せ!提案じゃねえぞ、
命令だ!!﹂
本来、彼の船が命令を出す事はない。ジュール王子が乗っている
以上、この二隻だけの小艦隊であろうと旗艦はあちらであり、随伴
艦が出来るのは提案のみだ。如何にあちらの船長や船員がベテラン
揃いのこちらに敬意を払ってくれている、と言ってもそれとこれと
は別だ。
だが、今回、エドゥアールは﹃命令﹄を出した。
理由はただ一つ、提案では間に合わないと判断したからだ。
﹁⋮⋮竜王直々のお出ましか﹂
エドゥアール船長はかつて大地の竜王の姿を見た事があった。
まだ彼が若く、無謀と勇気を勘違いしていた頃の話。彼と友人達
とで密かに対岸へと上陸した事があった。
当時の彼は魔獣狩りにようやっと連れて行ってもらえるようにな
ったばかりの新米だった。これで魔獣に苦戦したり、危険な目に遭
っていれば控えたのだろうが⋮⋮なまじ﹁珍しい事もあるもんだ﹂
とベテランが言う程に上手く狩れた為に気が大きくなっていた事は
否めない。
もちろん親や先輩となる魔獣漁師からは﹁それはしてはならない﹂
288
と言っていた。言っていたのだが⋮⋮してはならないと煩い程に言
われたからこそ、やってみたくなった訳だ。
結果から言えば、森へと踏み込んで早々に現れた竜王に静かに小
船の前へと戻されていた。
ほんの一瞬の邂逅だったが⋮⋮それだけで十分すぎた。しばらく、
全員小船の前で動けず、呆然としていた。
︵あん時は帰ってから親父達に目一杯怒鳴られたもんだったな︶
ふと懐かしく感じる。
いや、分かっている、所詮逃避だ。
あの時は竜王から感じたのはただ、ただ畏怖のみだった。
今は⋮⋮違う。
今感じるのはただ腹の底からこみあげてくる恐怖。
︵あの龍に攻撃した後で現れて、ああまで怒ってるってこたぁ⋮
つがい
⋮子供なのかもしれねえな︶ まさか大地の竜王が将来は番にと考えている個体だとは思わない。
とはいえ、もし、知っていたとしても何の役にも立たなかっただろ
うが⋮⋮。
﹁向こうはどうだ!﹂
﹁⋮⋮動き出しました!!﹂
﹁﹃了解﹄の旗が返って来てまさあ!!﹂
そうか、と答えつつも内心では﹁遅せえ!﹂という苛立ちがある。
言っても部下を萎縮させるだけだから黙ってはいるが⋮⋮。それに
怒鳴りたいのはあっちの船であって、部下達ではない。まあ、もっ
とも向こうの反応が遅かった理由も大体想像がつく。船長はこちら
289
の旗信号に気付いただろうし、すぐに準備させただろうが王子が乗
っている。その了解を得なければならない。
⋮⋮これまで大切に守られてきたお坊ちゃんだ。竜王の咆哮にび
びりはしただろうが、すぐ退避すべきって事を理解するまでに時間
がかかったのだろう。⋮⋮これまで警護の者が何とか出来ない相手
なんていなかっただろうからな。さっきの龍も追い払った訳だし。
まあ、どちらにせよ⋮⋮。
︵行動が多少早かろうが何だろうが、間に合うか怪しいもんだし
な⋮⋮︶
という事だ。
船なんてものは動き出すのに時間がかかる。
無論、魔法を駆使する事で通常の帆船より余程早く動きだせるが、
魔法に関しては相手の方が遥かに上⋮⋮そもそも。
﹁おい、岸の様子はどうだ!!﹂
﹁⋮⋮!!見えました!空から急速接近中!!﹂
これだ。
大地の竜王と呼んじゃいるが竜が空を飛ぶってのはよく知られた
話だ。大地の竜王が飛べないと考えるのは甘いだろうと思っていた
が、予想が当っても全然嬉しくない。
幸い、というか水龍は姿を消した。
おそらく雷撃を嫌がって逃げ出したんだと思うが⋮⋮。
実際は大地の竜王の出現を感知したテンペスタがこのままだと我
を忘れた大地の竜王が水龍まで巻き込んでしまうんじゃ⋮⋮と懸念
した結果、そっと押さえ込むのを断念して少々強引に水中に引きず
り込んだだけだったりする。
290
その結果として、水中で尚も暴れる水龍を怪我させないよう抑え
るのに苦心惨憺して手が離せなかった訳だが⋮⋮。
そんな事情をエドゥアール船長が知る由もない。
﹁⋮⋮若い連中は水に飛び込ませろ、ボートを降ろす時間もねえ﹂
﹁分かってる、ぐだぐだ言う奴は放り込ませてる﹂
﹁⋮⋮すまねえな﹂ 長年の付き合い、若い頃馬鹿をやった友人の一人でもある甲板長
にそう声をかける。
謝罪の言葉に甲板長は﹁死ぬのは年食った奴からでいいさ﹂、そ
う覚悟を決めた顔で笑って告げ、仕事へと戻る。
そう、これから彼らは急速に近づく大地の竜王へと攻撃をかける。
それによって、少しでも竜王の気を逸らさせる。彼らに構って、
旗艦への怒りを忘れてくれれば万々歳だ。⋮⋮片手間に彼らを吹き
飛ばして、そのまま旗艦に向かう可能性に関しては考えない。どう
せその時は自分達はあの世に旅立った後だ。
﹁引き付けて攻撃するんだ⋮⋮よし、撃て!⋮⋮なにっ!?﹂
接近した所で一斉に魔法を使える者を動員しての雷撃攻撃。
推定大地の竜王の子へと行った行動の焼き直しでより注意を引く
つもりだった。
確かに注意は引けた。
だが⋮⋮直後にふるわれた尻尾の一撃が仮にも軍船を一撃で吹き
飛ばす事になるとは思わなかっただろう。無論、軍船といった所で
所詮は木製の船であり、大きいとはいえ湖に浮かぶ船。精々、全長
で二十メートルといった所だったが、それでも一撃で木っ端微塵に
されるとは思わなかっただろう。
291
それだけ大地の竜王という存在を見誤っていたとも言えるし、関
わらないようにしていた故の無知とも言えるだろう。
一つだけはっきりしているのは僅かな、本当に僅かな足止めとも
言えない時間と引き換えに二隻の軍船の片割れが粉砕され、乗組員
は湖へと投げ出されたという現実だった。
もちろん、その中にはエドゥアール船長も含まれる。
︵がはッ⋮⋮!︶
粉砕された船の一部によって呼気が洩れそうになりながら、エド
ゥアール船長は懸命に堪えた。
自らを水に沈めた船の一部は鉄製の、おそらくは形状から弩砲の
台座の一部と思われるが、それは着実にエドゥアール船長を水底に
引きずり込もうとしている。空気を吐き出してしまう事は何として
も堪えねばならなかった。
それでも直撃を受け、船諸共木っ端微塵にされた船員よりは幸運
だったであろうが⋮⋮実の所、彼が最も幸運な一人であった事はす
ぐに判明する事になる。
懸命の奮闘によってかろうじて引っかかった服をナイフで切り裂
き、水面を目指す。
熟練の船乗りであるエドゥアールにしてギリギリだったが⋮⋮結
果から言えば、それが彼を救った。
﹁ぶはッ!⋮⋮うん?な、なんだこれは⋮⋮﹂
ぜえぜえ、と荒い息をつきながら貪るように空気を肺へと取り込
む。
ついでに近くに浮いていた板切れを掴み、ようやっと周囲を見回
す余裕の出来たエドゥアール船長は周囲を見て呆然とした口調で呟
いた。
292
離脱を図っていたはずの旗艦の姿は最早存在しない。
それはいい。いや、良くないが覚悟していた事だ。
しかし⋮⋮。
﹁⋮⋮おい!⋮⋮ッ、くそっ⋮⋮﹂
傍らに浮く見覚えのある甲板長の姿に手を伸ばしかけたエドゥア
ールは⋮⋮一瞬の躊躇の後、彼の髪の一部を手放していなかったナ
イフで切り取る。
⋮⋮最早彼が生きてはいないのは明白であったからだ。
﹁⋮⋮どういう事なんだ、こいつは﹂
周囲には多数の死体が浮かんでいた。
その大半は殆ど傷もなく⋮⋮。
エドゥアールは水に沈み、もがいていたので知る事はなかったが
大地の竜王が使ったのは蒸気雲爆発、という現象だった。
大気中に漂う水分を自らの地の属性を用いて可燃物へと変換。
更に大気中に起こした火花によって着火。大爆発を引き起こした。
結果として衝撃波に加え、一酸化炭素を大量に含む酸素バランス
の悪い大気が襲い掛かってきた事によって最初の衝撃波を逃れた者
も窒息死したような状態で死んでいた訳だ。エドゥアールは水死ギ
リギリまで水中に結果的にいた為にこれらをやり過ごす事が出来た
幸運な者の一人だった、という訳だ。
これに対して王子を含めた近衛らの一部は少しでも助かる確率を
上げる為に湖に放り出されていた。こちらもボートを降ろしている
余裕などなかったから板切れが精々だったが、大きな問題として彼
らはいずれも泳ぎを知らなかった。もっとも、これは仕方のない面
もある。 この世界の住人というのは泳げる者は限られている。何しろ、教
293
育といえば貴族や王族が跡継ぎに施す家庭教師が主体であり、彼ら
が教えるのも政治や礼儀作法、魔法などが主体。泳ぎなど水兵や漁
師、湖の近くに住んでいるなどといった人々を除けば習得していな
いのが普通だ。
そしてジュール王子もまたそうだった。彼にはのんびり泳ぐ以上
にやらねばならない運動も勉強も一杯あったからそこは仕方がない。
そんな泳げない、足のつかないような水の中にいきなり放り込ま
れた人物がどうなるか、など考えるまでもない。混乱して、もがく
姿に慌てて板を抱えて近づく近衛の姿が見えた。その辺はおそらく
故郷の川で遊んだ経験があったのかもしれない。だが、近衛の中に
は簡易とはいえ鎧を身に着けている事や自分達も泳げない事を忘れ
て飛び込んだ挙句に溺れる人数を増やしているだけの者もいる。
一つだけはっきりしているのは板切れに捕まっていても溺れるよ
うな気分になる彼らは懸命に水上に自らの頭を出し、荒い息をつい
ていただろう。
そうして⋮⋮水中に結果的に長時間潜り続ける事になってしまっ
た極一部の者だけが助かった訳だ。
竜王というのは極めて長い時間を生きている。
そうした竜の多くは魔法の改良などをある種の趣味としている事
はかつて述べた。
結果として、大抵の上位竜は独自に発展させた独自の魔法という
ものを有している。長く生きた体験から知りえた自然現象を再現し
たものや、それらを更に発展させたものもある。今回、大地の竜王
が用いたのも、そうしたものの一つ。
かつて住んでいた洞穴内で起きた現象、洞穴の壁に露出していた
石炭の粉塵が、鉱物で構築された竜王の体で起きた火花によって引
火して起きた爆発的燃焼現象。
それを元として改良を重ねて編み出された魔法。
294
大気中の水分を可燃物へと変換し、一気に広範囲を焼き払うそん
な魔法として構築されたものであり、現在の無惨な状態は大地の竜
王が狙っていた訳ではない。竜王自身はあくまで竜の吐息以上に広
範囲をまとめて攻撃出来る魔法として用いたに過ぎない。
というのも、この魔法を大地の竜王は人相手に使った事はなかっ
たからだ。
上位竜となればそもそもそんな相手に喧嘩を挑もうと考える奴自
体がろくにいない。獣なら竜王という絶対的上位者の気配を感知し
た時点でさっさと逃走するし、時折発生する馬鹿な人程度ならそこ
まで派手な魔法で周囲まで吹き飛ばす必要もない。
それだけにここまで残酷な結果をもたらす魔法だとは知らなかっ
た⋮⋮まあ、今の大地の竜王にそんな認識なんか出来はしないが。 ﹁⋮⋮?なんだ?⋮⋮!あの方向は、まさか!?﹂
大地の竜王が飛び去った方向は街の方向。
まだ怒りが治まらないという事なのか。
エドゥアール船長は咄嗟に動こうとして⋮⋮何も出来ない事に気
がついた。
船は二隻とも木っ端微塵。
周囲は死体だらけ。船員も殆ど死に、自分以外に生存者がどれだ
けいるかも分からない。
緊急連絡用の道具もない訳ではないが、おそらく船の他の備品共
々今頃は湖の底。
ましてや相手は空を飛んでいる。
これから探せば何人かはいるであろう生存者を探し、無事なボー
トを見つけ、浮いている食料などを回収して街へと向かう。
どう考えた所で、自分達が辿り着く頃には全ては終わった後だろ
う。エドゥアール船長は自分に出来る事は何もない、という事に気
づいて歯噛みするしかなかった。
295
﹁ちくしょう⋮⋮﹂
彼に出来る事は少しでも被害が減るよう祈るだけだった。
呻くようにエドゥアールは呟いた。
﹁誰でもいい、誰か大地の竜王を鎮めてくれる奴はいねえのか⋮
⋮﹂
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
実はいた。
この近辺でエドゥアール船長の切なる思いを実現可能な唯一の存
在とも言えるテンペスタはようやっと混乱し暴れる水龍を抑える事
に成功し、寝かしつけた所だった。
﹁やっと落ち着いたか﹂
小さな子供の世話は何時の時代何処の世界も大変だ。 成竜となれば殆ど睡眠を取る必要もないが、幼竜の間は成竜とな
る為に体の中身を整えるという意味合いで睡眠が必要となる。
﹁さて、とりあえず⋮⋮﹂
気付いてみれば、軍船に関しては既に終わった後だった。
お陰で、テンペスタは大地の竜王が如何なる手段を用いて彼らを
吹き飛ばしたのか見ていない。
通常ならばそれぐらいの余裕はあるのだが⋮⋮今回は水龍を傷つ
296
けないように取り押さえ、宥めて寝かしつけるという慣れない行為
に意識をとられてしまった。お陰で、他に意識を回す余裕がなくな
ってしまい、肝心な所を見逃した訳だが。
﹁?おい、まだそっちは落ち着いてないのか?﹂
勘弁してくれ。
そう言いたい。
とはいえ⋮⋮。
﹁⋮⋮とにかく行ってみるか﹂
まだなるだけ顔を合わさない方がいいだろう、そう判断するとテ
ンペスタは水中で自身の体を気泡で包み込む。
そのまま一気に加速する。
水中を動く物体は水という空気に比べ遥かに巨大な抵抗を持つ物
質によって速度を大幅に制限される。
だが、気泡で全身を包み込み、水との接点をなくす事によってそ
の抵抗を減らし、大幅に速度を上げる事が可能となる。
さすがにそれでも空を舞う大地の竜王には追いつけないが、それ
でも恐るべき速度で水中を突き進んでゆく。
これで、大地の竜王が水の音を聞く力でも持っていれば即座に感
づかれるだろう、というぐらいの騒音を水中に撒き散らしての進行
であり、湖に生きる動物達にとっては迷惑以外の何物でもなかった
が。事実、余りの速度に逃げる余裕もなく、進行方向にいた魚群が
ミンチにされたり、音を聞く事に優れた魚型の魔獣がぷっかり水面
に気絶して浮いたりする事になったりしていたのだが、テンペスタ
には些細な事だ。
そうして到着した時、街は⋮⋮既に火の海であった。
297
﹁まあ、こうなるとは予想はしてたが﹂
さて、どうするか、とテンペスタは思い悩む。
実力行使自体は問題ない。
前回と異なり、今回は大地の竜王は自身の庭園を飛び出して活動
している。
自ら庭園の外に出て来た相手とやりあった所で、それは知られた
所で他の竜王と出会った際に問題となる事はない。無論、知られた
場合、という事だが当然と言えば当然の話で、それぞれの家、それ
ぞれの国のやり方にはそれぞれの理由がある。 無論、余所に迷惑をかけなければ、といった制約はあるが、基本
的に余所の家に行って暴れるような奴を迎え入れるような家は普通
はない。
逆に言えば、外で暴れている相手を取り押さえる分には問題ない
という事だ。
もちろん、だからといってやり過ぎないよう注意はしなければな
らないが⋮⋮。
問題は現在のテンペスタに大地の竜王を止める意味がない事にあ
る。
元々、テンペスタは別に人という種族に対して好意を持っていた
のではなく、あくまで個人レベルで好意を持っていたにすぎない。
キアラの命を狙ってきた貴族だのを見ていれば、そうなっても仕
方のない話ではあるがそれだけに身も蓋もない事を言ってしまえば
⋮⋮。
﹃無関係な連中の為に何で自分が体張らんといかんのだ﹄
という事になる。
それを薄情だ!と非難するのは簡単だが、テンペスタは竜であり、
298
人ではない。
ただ、今回の場合、﹁さすがにやりすぎなんじゃ?﹂と思ってい
るから迷っているだけだ。
もっとも、次の瞬間、そんな迷いは意味をなくしてしまったのだ
が⋮⋮。
思わず、体が動いていた。
そうとしか言いようがない。
空に浮く大地の竜王に水中から飛び出したテンペスタは体当たり
をかけた。
地の属性に関してならばともかく、水と風の属性に関してはテン
ペスタの方が遥かに習熟している。感知も回避もさせる事なく、大
地の竜王を弾き飛ばしたテンペスタは空中で大地の竜王と睨みあう
形となった。
内心で自分自身に溜息をつきながら意識の一部を地上へと向ける。
﹁⋮⋮我ながら未練がましい﹂ そこにいたのは一人の少女。
﹁⋮⋮落ち着いて見れば似ている所なぞ髪の色合いと長さ程度し
かないというのに﹂
顔立ちも背格好も雰囲気も服装も髪以外は何もかもかつての相棒
とは異なるというのに、そんな僅かな類似で思わず悩んでいた事す
ら忘れて、飛び出してしまう。そんな自分に呆れてしまう。
もう彼女が亡くなって何年も過ぎているというのに、と言えばい
いのかそれともまだその程度と考えるべきなのか。
内心苦笑を浮かべ、魔法を発動させる。
299
少女の姿を確認した事で、周囲の様子にも気付いたからだ。
もう一体の竜の登場で、どの街の住人も呆然として立ち尽くして
いる。いきなり衝突音が響き渡って空を見上げてみれば、二体の竜
が対峙中、空中という遮る物のない場所故に街のどこからでもその
様子がはっきり見えているとなればそれも仕方のない事かとは思う
が、今は⋮⋮。
﹃今の内だ、早く逃げろ!!﹄ 視線を逸らす事なく、風の属性にて大気を振動させ音を作り出す。
本格的に使うのは初めての魔法だが会話を交わすならともかく、
この程度ならば問題ない。
そして、その声が響いた瞬間、魔法を使った事で大地の竜王が動
く。 竜王同士の本当の意味での戦いが始まろうとしていた。
300
第十七話:竜王動乱︵後書き︶
自由空間蒸気雲爆発⋮⋮人為的に引き起こされた者を現代の私達は
こう呼びます
燃料気化爆弾、と
この原点自体は自然現象です
テンペスタの水中移動はスーパーキャビテーション魚雷と同じです
いやあ、魔法って便利ですね
⋮⋮しかしまあ、本当ならもっと明るく﹁よし、次は半分がた書き
あがってるワールドを挙げるぜ!﹂と言いたかったけど⋮⋮酷く気
分の落ち込む話を聞かされる事になり落ち込んでおります⋮⋮
場合によっては新しい仕事を探さないといけないかも⋮⋮はい、そ
ういう事です、ええ
301
第十八話:蒔かれた種
後の時代にこのような話がある。
あの時響いたあの声。
あれで動けたからこそ自分は助かった。そう話す者は多かった。
﹃今の内だ!早く逃げろ!!﹄
街が壊滅してゆく中、二体目の竜の出現である者は呆然とし、あ
る者は思考が飛び、ある者は絶望していた。彼らに一つだけ共通し
ている事があったとしたら誰もがその足を止めていたという事だ。
だからこそ、あの時、あの声が止まった足を動かした、あの一声
のお陰で助かった、そう語る者は想像以上に多かったのである。
そして、それ故に﹁あの声を上げたのは誰だったのだろう?﹂、
そう考える者も、一言お礼をと願う者も多かった。
その結果として落ち着いた後、そうした民衆の声に押されたのと、
英雄を得る機会と判断したのとで王国はあの声の主を探したのだが、
遂にその声の主が見つかる事はなかった。いや、﹁それは自分だ﹂
と名乗り出た者だけならそれなりの数に達したのだが⋮⋮それらは
いずれもが売名行為の偽者だと判明しただけだった。
⋮⋮やがて、誰一人名乗り出る者も存在しなかった事から一つの
伝承が生まれる事になる。
﹃その旅の魔法使いは崩れ落ちる街の姿に、逃げ惑う人々の姿に
心を痛め、救助を行っていました。
ですが、竜の前に人に出来る事はたいした事ではありません。
しかし、そんな時です。もう一体の竜が現れたのは⋮⋮経験が豊
富だったが為に逸早く我に返った魔法使いは咄嗟に拡声の魔法を用
いて己の全魔力を篭めて叫びました。逃げろ!と⋮⋮。
302
その声で人々はまた足を動かし、逃げ出す事が出来ました。しか
し、声を上げた故に竜に気付かれてしまった魔法使いは⋮⋮﹄
そんな伝承。
推測に、他の人物の功績が混じり、一つの噂話となり、やがてそ
れは真実として世間一般に広がった。
大勢の人々がそれを真実と認識すれば、それが真相となり⋮⋮今
では﹁名もなき英雄﹂の伝承として残っている⋮⋮。
だが。
誰一人として、真相に辿り着く者はいなかった。
まあ、これは仕方のない話でもある。竜に襲われて逃げ惑ってい
た人々の誰が新しく現れた竜がかけてくれた声だと思うのか。
これが連合王国であれば以前に自国を守護していた竜︵と一般に
は認識されていた︶であると気付いた者もまだ残っていただろうが、
ここは連合王国からはそれなりに離れた国であり、そんな国の一般
人がもう二十年以上も前に遠方の大国を離れた竜の詳細など知る由
もない。
かくして真相は明らかになる事はなかったのだった。
もっとも当のテンペスタにしてみれば自分が将来そんな英雄に祭
り上げられるとは予想も期待もしていなかっただろうが⋮⋮。
そもそもそんな事を考えて動いた訳ではないのだから、それも当
然かもしれない。
﹃アアア!!!!失せろォォ!!!﹄
﹁くそっ、やっぱし理性が吹っ飛んでるのか!!﹂
大地の竜王の吼え声に応えるように街から無数の建造物が剥がさ
れ、上空のテンペスタへと飛来する。
幸いだったのは攻撃の隙を減らす為に剥がされた建物はテンペス
303
タの直下のものであった事と、その前のテンペスタの声で慌てて逃
げ出した結果、その建造物には人はいなかった、という事だろうか
?さすがに新たな竜の真下に逃げてくるような奴はいなかったよう
だ。
一気に加速しかけた建造物改め瓦礫は急に速度を落とした。
大地の束縛が逆へと働き、空へと落ちていこうとした瓦礫はその
矢先に静止がかけられた。
大気が高い粘性を発揮し、更に大地への干渉に更に干渉を加え、
一時的に瓦礫は上昇を妨げられる。
直後に束縛を振り切り、一気に空へと落ちてゆく、が⋮⋮既にそ
こにはテンペスタの姿はない。
元々突破される事前提だ。相手は地属性のみに特化して、何百年
を生きてきた竜王。こちらは地水火風の四属性を持ち幼竜時代を含
めてもまだ百年も生きていない若造。どっちが地の属性の扱いに長
けているかなんて分かりきっているし、今の自分ではまだどうにも
ならないだろうという事も理解していたから、さっさと移動、回避
していた。
的を捕え損ねた瓦礫はそのまま上空へと飛び去ってゆく。
だが、移動するテンペスタを追うように大地からは次々と瓦礫が
噴き上がるように空へと舞う。
さすがに対象範囲が広がれば人の側も無傷とはいかず、建造物の
みならず地面の石畳ごと巻き込まれて悲鳴を上げて空へと舞い上げ
られていく者もいるが、そこまで目を配っている余裕は今のテンペ
スタにはない。
︽実際にどうやって治める?︾
︽殺害は除去︾
︽相手の力を削るのが第一段階、水上への移動を提案する︾
︽湖の上へと誘い出せば全力の力は発揮出来ない︾
304
やはり、それかと認識。
水上へと誘い出せれば、いや水中へと引きずり込めば一気にこち
らが優位に立てる。
しかし⋮⋮。
建造物の一部を貫いて高加速で飛来する物体がある。
瓦礫は所詮瓦礫。
質量があるからこそ、テンペスタにも直撃すればそれなりのダメ
ージ、いや動きを一時停止させるだけの効果はあるがそこまでだ。
となれば⋮⋮。本命となる高い攻撃力を持つ一撃をどこかで与える
必要がある、が、そうした高い攻撃力を持つものは必然的に動きは
大きくなり、外れた時には致命的な隙を晒す事になる。
大振りな一撃が幾ら攻撃力が高くても、当らねば意味はない。
だが、裏を返せば当る状況を作ればいい。
今、瓦礫に混じって飛来する鋭い礫もまた、その状況を作る為の
攻撃。本命ではなく、フェイントに混ぜられた牽制。
すなわち。
︵本命がどこかに隠れているはずだ︶
小さいながらも竜の力の篭められた槍が飛来する。 回避。
至近を通過する槍が爆裂。
飛来する破片を迎撃。
この手は前回既に知った。
しかし⋮⋮。
︵地上の被害は拡大中、か⋮⋮こればかりは移動位置を選ぶしか
ないな︶
305
地上の建築物をこちらが動く先で動かしてくる、という事はテン
ペスタの移動する端から建築物が壊れていくという事でもある。
傍から見れば、まるでテンペスタが移動しながら街を破壊してい
っているように見えるかもしれない。
いや、事実当時の街の住人達からすればそうとしか見えず、後の
記録を見る限り二体目の竜が街を次々と破壊してゆく描写が見られ
るのもまた事実だった。これもまたテンペスタが﹁名もなき英雄﹂
の候補にも挙がらなかった理由でもある。
互いの行動を読み合い、攻撃を加える。
大地の竜王が攻撃一辺倒で、テンペスタは守勢に追いやられてい
るように見える、だろう。人の目からは。
実際は違う。
地の属性の魔法は一部を除き、基本は物質的なものを伴う攻撃だ。
質量を伴う為に、それ自体をも威力に加算する事が出来るといった
利点がある反面、物体であるが故に速度が比較的遅く、視認しやす
いという欠点もまた抱えている。
これに対して現在テンペスタが用いているのは四属性全てだ。
地の属性に関しては扱いにおいて勝てないと割り切ってはいるが、
使えない訳ではない。
物体には同じ物体を当てる。完全に破壊できずとも、直撃する軌
道を逸らす事が出来ればそれで十分。飛ぶ為の道を作り、すり抜け
る。
水と風、二つの属性を混ぜ合わせ寒波として大地の竜王へと吹き
つける。
湖の畔にあるこの街は水分はたっぷりと存在する。
熱を奪い、雹の礫となったそれらが風に煽られて大地の竜王に絡
みつく。
大地の竜王が多数の瓦礫を巻き上げた攻撃をしてくるのは視界を
塞ぐ為。いかに他の感覚でカバーしようとも視界と聴覚という感覚
の二つを遮る事は大きい。
306
大地の竜王の見えやすい攻撃とテンペスタの見えにくい攻撃とが
入り混じり、隙を伺う。
人では到底不可能なその激しいやり取りを交わす両者を見る者は
いない。大地の竜王は頭に血が昇りすぎている状態は未だ解除され
ず︱︱いや、その事は酷い目にあったテンペスタは重々承知してい
るのだが︱︱周囲の事など気にもせず攻撃を行っているし、当然そ
の相手をしているテンペスタだって周囲に気を配っている余裕なん
てない。相手が年長の竜王だという事を忘れてはいけない、という
事だ。
結果として、竜王同士の戦いの場は悲惨な事になっている。
大地の竜王が建築物を上空へと飛ばした結果、その場には建物の
基礎部や地下部分だけが残り、次の瞬間にはテンペスタに迎撃され
て砕かれた瓦礫の雨が降って来る。
中には結構な大物もある上に砕かれたものがぱらぱら降って来る
というよりは、テンペスタによって迎撃された結果、勢い良く地面
に叩きつけられると言った方が正しい。それらは容赦なく建物の基
礎部分すら打ち壊し、突き刺さってゆく。
おそらく、この地にはもう人は暮らさないだろう。
大勢の人が亡くなったというのもそうだし、瓦礫の撤去だけでも
大変なのに岩が深く突き刺さったような状況では残っている基盤の
再利用すら困難。
それよりはこの街を解体して得た建材で近場に新たに街を作った
方が良い。そうした意味でも、この街は最早滅び、消えてゆくのが
決まった街であった。
無論、そんな未来の事を両者とも気にしてなどいない。
お返しとばかりにテンペスタが風の属性を用いた一撃を放つ。
瞬時に掌握された大気が叩きつけるような風となり大地の竜王を
襲う。
307
見えないその攻撃を、風に混じる竜の力の気配で感知した大地の
竜王はこちらもまた即座にこれを迎撃⋮⋮。
その瞬間。
その迎撃が行われた瞬間、テンペスタは少しずつ溜めていた﹃そ
れ﹄を解放する。
火の属性を用いて少しずつ集めていた﹃光﹄が一気に解放される
︱︱。
﹁!?﹂
大地の竜王の目と鼻の先で眩い閃光が炸裂し、轟音が轟く。
事前遮断していたテンペスタならともかく、さすがの大地の竜王
も想定外だったのか体が揺らぐ。
いや、大地の竜王も風以外にテンペスタが何かをしている事も、
それを自分に向けて放ってきた事も理解はしていた。
しかし、同時に大地の竜王はそれに篭められた竜の力が極めて小
さなものである事を感知していた。感知してしまった。
攻撃に篭められた竜の力が大きければ大きい程、同じ竜へと与え
るダメージは大きなものとなる。しかし、篭めすぎれば今度は拡散
しやすくなってしまい、また敵にも気付かれやすくなってしまう、
自分がばてるのが早くなると良い事ばかりではないので、その辺の
匙加減が大事なのだが周囲から迫る風の槌の方が明らかに篭められ
た力は低かった。
当然だ、テンペスタがその光の玉に期待していたのは相手を打ち
のめす為のものではないのだから⋮⋮。
もし、大地の竜王が冷静な状態であれば気付いたかもしれない。
確かに篭められた力は小さかった。
308
だが、逆に言えば竜王同士の激しい戦いの最中にわざわざ力のろ
くに篭められていない何かを放ってくるのだ。普通ならば﹁何を企
んでいる?﹂と警戒して然るべきだし、テンペスタだって相手が同
じ事をしてくれば警戒する。しかし、それは今の冷静さどころか理
性さえ殆ど吹っ飛んだ状態の大地の竜王には無理な話だ。
結果、見事にテンペスタの狙い通り大地の竜王の目の前で炸裂し
た一撃は一時的に大地の竜王から視力と聴力を奪った。
混乱し、頭を振る大地の竜王がその意識を目の前にいるテンペス
タから逸らした瞬間、テンペスタが一気に加速する。
大地の竜王がその接近に気付いた時はもう遅い。そのままの勢い
でテンペスタが体当たりをかける。
実は体自体で言えば、大地の竜王の方が大きい。
だが、体当たりをかけるつもりで自分から突進した側と、相手か
ら目を逸らして、別の事に気を取られていた側とでは圧倒的に前者
が有利だった。
結果、大地の竜王は弾き飛ばされる。
﹁かッ!?﹂
そんな一瞬の呻き声を上げて、片方は自ら片方は強制的に二体の
竜王が飛ぶ。
大地の竜王もまた崩れた体勢を急ぎ立て直そうとするが⋮⋮既に
内懐に飛び込み、加速するテンペスタが邪魔でそれも出来ない。一
旦崩れた均衡は僅かな時間では取り返せぬままに、両者は激しい水
柱を上げ、湖へと突入した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
309
﹁おお⋮⋮おおおお!!﹂
二体の竜王がもつれあうようにして湖へと突っ込む時より時を少
し遡る。
一人の男が慟哭していた。
ロドルフ統治官、この街を管理する責任者である彼は普段から几
帳面なぱりっとした服装をしていたが、今はその面影もないボロボ
ロの状態である。
いや、むしろこれでも運が良かった、というべきだろう。大地の
竜王が真っ先に襲撃をかけたのはこの街の行政府。
統治官当人はジュール王子の為に虎の子の大型船二隻を出撃させ
た結果、巡回に支障を来たしている水軍の視察に出ていて不在だっ
た為に一命を取り留めたものの、行政府にて仕事をしていた文官達
はその多くが命を落とす事になった。
だが、それだけなら彼はここまで嘆く事はなかっただろう。
街として、統治官としてならば泣きたくなる損害だ。この街の事
を熟知した経験豊富な下級官吏達をまとめて失ったのだから。
もし、彼が単なる統治官として嘆くのであれば、がっくり来る事
はあっても慟哭までは至らなかっただろう。
彼が嘆いているのは人としての嘆き。
この街で生まれ育ち、この街と長年関わってきた彼には大勢の友
人がいた。
仕事場では上司と部下、という関係であっても仕事が終われば友
人としての付き合いが出来る連中が彼にはいた。
街中には立場を隠して赴けば、昔と同じく子供扱いするような食
堂のおっさんや露店のおばさんが、幼馴染の中には親の店を継いで
店主を務め、彼がこっそり飲みに行く隠れ家のような酒場があった。
街には日常があり、それは彼が生きてきた日々でもあった。
310
その全ては瓦礫と化した⋮⋮。
なまじ、行政府という組織が街の中央にあり︵初期は街の外れに
あったのだが街の規模が大きくなるにつれ街に飲み込まれていった︶
、その周辺が一等地とされていたのと、統治官の家に生まれた為に
行政府近辺がロルフ統治官にとっては近所であり、知り合いが多か
ったのが災いした。行政府が攻撃された時、その巻き添えを食らっ
たのである。
警備の者が止めるのを振り切って引き返したロドルフ統治官の目
に写ったのは破壊された日常。
既に、彼は知り合いの遺骸を一つならず目にしていた。
ある者は体の下半分が押し潰されて、目を見開いて死んでいた。
またある者は殆ど傷もなく、瓦礫の上に無造作に転がされたよう
に、けれどその目は死んだ者のそれであった。
そうして、そんな中ふらふらと途中で竜王同士の攻撃の余波で吹
き飛ばされてボロをまとったような姿になり、ついてきた警備兵の
一部を失いつつも屋敷へと辿り着いた彼が目にしたのは崩れ落ちた
屋敷の姿⋮⋮。
全員が死んだ訳ではなかった。
屋敷自体は直撃を受けた訳ではなく、行政府への攻撃の余波によ
って崩壊しただけだったからだ。
それでもその衝撃は凄まじいものだった。元々、地震などの少な
い⋮⋮いや、大地の竜王によって整えられた地、そしてその隣接す
る近辺に地震などというものは存在しない。したがって、この一帯
の家屋には地震への備えなどなく、そこへ襲い掛かった激しい衝撃
と余波は建物を倒壊させるには十分すぎた。
屋敷と呼べるだけの建物の倒壊だ。屋内にいた人々の大半は助か
らなかった。
僅かに助かったのは倒壊時に建物の外へと放り出された者や、運
良く隙間に挟まった者、建物の外、庭にいた者などだ。
311
そうした内、特に庭師など傷の浅かった者が救助にあたったのだ
が⋮⋮。
﹁何故だ⋮⋮﹂
ロドルフの家族は助からなかった。
跡継ぎとなる息子は行政府で仕事をしていたはずだったが⋮⋮行
政府自体が木っ端微塵に砕かれた状況を見ては最早奇跡以外に助か
る道があるとは思えなかった。
せめて妻と、遅くに出来た娘だけでも助かっていないかと一縷の
望みをかけて屋敷へと戻ったのだが⋮⋮。
﹁何故、何故彼女が、娘までが⋮⋮﹂
自分ならまだ諦めもつく。
如何なる理由があれど、おそらく今回の竜王の襲撃の原因となっ
たのは王子の乗った船。これまで襲撃がなく、わざわざ竜王の住処
近くまで着いた頃に前後してこのような襲撃が起きたのだから、ま
ず間違いない。その責任の一端は自分にあり、自分が吹き飛ばされ
たならまだ分かる。
息子もまだ覚悟は⋮⋮出来ていたと信じたい。
竜王を怒らせた時、行政府が襲撃されたのは納得がいく。
だが、妻と娘は覚悟などなかったはずだ。
幼馴染の妻、年を取ってから生まれた娘。二人共政治には全く関
係のない生き方をしていた。
けれど、自分が生き残り、二人は⋮⋮無事だった者によれば、動
ける者で救出活動を行う中で引っ張り出されたが、その時には既に
息をしていなかったという事だった。
﹁申し訳ありません⋮⋮﹂
312
﹁いや、お前達はよくやってくれた﹂
事実、執事や侍女らが壊滅状態の中、一番の古株で怪我の少なか
った庭師の爺さんは皆をまとめて動いてくれた。
若い者が混乱し、屋敷内にいた執事らが不在の中で一喝、無事な
者の内、一部は竜王を怖れて逃げてしまったものの、半数以上が残
って救助にあたり、周辺の倒壊家屋からの避難民の受け入れと呻き
声を元に瓦礫と化した屋敷からも救助を行い可能な限りの応急手当
を施したのはあの混乱の中では絶賛して良い話だ。
そしてそんな中、二人も見つかった、という事だった。
﹁旦那様⋮⋮﹂
﹁ここはよい。とりあえず見つかった物資だけでも集めて、皆に
配ってやって欲しい。食べ物はあるか?﹂
﹁はい、鍋もありましたので炊き出しは可能かと﹂
﹁そうか、幸い竜達はどこかへ行ったようだ⋮⋮今の内にそれら
を背負って街の外へと移動しよう﹂
戻ってくるかもしれないから、とは口にしない。
言えば戻ってくるような気がするからかもしれない。
無我夢中で動いていた者達も、ロドルフ統治官という主が戻って
きた為にその指示に従って動く姿はどこかほっとしている。ようや
っと指示を出してくれる責任者がいるからだろう。如何に緊急事態
とはいえ、屋敷の物を勝手に使っていいのか、持ち出しても良いの
か困っていた部分は確かにあったのだろう。
一通り指示を出したロドルフ統治官は二人の髪を手にし、ナイフ
で切り取る。
⋮⋮二人の遺骸を持っていく事は出来ない。
今は生き残っている者を優先しなければならないからだ。如何に
統治官の妻子といえど、例外はない。場合によってはこのまま埋葬
313
すらされる事なく、野晒しのまま朽ちてゆく事になるやもしれない。
⋮⋮他の多くの遺骸がそうであるように。或いはこの街そのものが
彼らの巨大な墓地と言えるようになるのかもしれない。
最後に妻子の姿をしっかりと自らの目に焼き付けた後、ロドルフ
統治官は背を向け、歩き出した。
彼はこの街の統治官であり、この場にいる総責任者。だからこそ、
彼には生きている者に対する責任があり、義務があった。
﹁竜どもめ⋮⋮﹂
歩き出した彼の口から押さえきれぬ感情の篭った呟きが洩れた。
誰にも聞かれる事なく空中に溶けて消え、それ以上の言葉は放た
れる事なく、だが彼の心の奥深くに響き渡った。
︵俺は⋮⋮貴様らを絶対に許さん!!︶
314
第十八話:蒔かれた種︵後書き︶
お待たせしました
暑いと気力が削られますね⋮⋮体調には気をつけないと
とりあえず、次は何とか最近更新停止している作品を上げたいもの
です
仕事?⋮⋮考えても今は仕方ないので放置です。別支店への異動で
済むかもしれないけど、その場合は通勤時間が一気に三倍になりそ
う
315
第十九話:陰謀に蠢く者達︵前書き︶
一杯ありました
店閉鎖に伴う転勤、広島土砂崩れでは﹁思い切り地元じゃねーか!﹂
とびっくり
やっと少し落ち着いてきた感じです
※誤字修正
316
第十九話:陰謀に蠢く者達
エクラリエ王国の首都ロンヌ、その北側にある王宮。ヴァイユ池の
南側に築かれた王宮は池を天然の防御施設に利用した美しく、同時
に侵入困難な要害である。
一見すれば湖を通じて容易に侵入が可能なように見えるが、その
実首都の水瓶でもある池は漁をするにも厳密な管理が為されており、
また王宮の周囲は浅い泥濘地となっている。この為に水に潜っての
接近という事が出来ず、また歩く事も出来ない為に池側から接近す
るなら底の浅い船を用いるしかないという見た目によらず不審者の
侵入は困難になっている。
まあ、万が一の脱出も困難なのはどうか、という意見がない訳で
はないが、今の所それは目をつぶった状態であり、幸い実際に起き
た場合どうなるか、という事を試さずに済んでいる。
その王宮の一室にて一人の男が深い溜息をついた。
﹁⋮⋮ふう﹂
彼の名は第一王子アロイス。
色々なものの詰まった溜息だった。
ここ一月余、エクラリエ王国上層部は大騒動だった。
アロイス自身は王位を望むつもりはなかった。
純粋に権力というものに興味が湧かなかったというのもあったが、
なまじ頭の良かった彼はバックに大きな力を持つ貴族のいない自分
が王位に就く事の弊害を良く理解していた。
だからこそ、初期から権力争い一歩引く態度を取り続け、第二王
子ジュールの王位継承を支持する立場を崩さなかった。
ところが、その王位が自分に回ってきそうなのだから、世の中何
317
が起きるか分からない。
先だっての大地の竜王の襲撃、更にその後の竜王同士と見られる
戦いは王国に大きな混乱を招いた。
まず襲撃によって街が一つ壊滅した、というだけでも大問題だが、
次期王がほぼ確定していたジュール王子の死亡がまた問題だった。
大地の竜王襲撃よりおよそ一週間後、何とか無事だったボートに
よって帰還したエドゥアール船長達の報告によって大地の竜王の襲
撃の原因が竜王の子と思われる水龍への攻撃にあった事、結果とし
て怒った大地の竜王の攻撃によってジュール王子の乗った軍船が破
壊され、その際ジュール王子が死亡した事が確認された。
この報告を受けた現王が倒れた事で更に問題は加速度的に深刻の
度合いを深める事になった。
その位で倒れるなよ、と思う者もいるかもしれないが、既に国王
も五十代、この世界では十分に老境に入っていた。
その上で、今回の竜被害を受け、数日まともな睡眠も取れないよ
うな状態で避難民や竜のその後の動きの確認などの対応を行い、疲
れていた所に跡継ぎが亡くなりました、だ。肉体的な疲労に心労ま
で合わさって倒れたのも無理はあるまいと思う。
しかし⋮⋮。
︵まさか自分にこのような感情が眠っていたとはな⋮⋮︶
自分は何かを望める環境ではなかった。
いや、このような言い方では誤解を招くか。子供らしいお願いな
らば、子供の頃ならば問題はなかっただろう。
だが、ある程度大きくなってからは下手な言動は危険だった。
⋮⋮それを自分に教え込んだのはジュールの母方の実家より送ら
れてきた家庭教師。いや、彼に悪気があった訳ではない。むしろ、
彼に対してアロイス自身は感謝している。 318
はっきり言ってしまうなら、幾ら正妃であるジュール王子の母が
可愛がってくれているとはいえ、その母方の実家にとってはアロイ
スは邪魔な存在であった事は間違いない。教師とてその意を汲んで
いたのは間違いなかろう。
ただ、幸いだったのはアロイスの母は元々その両親、アロイスの
祖父母が老境に差し掛かってから出来た子であり、また学者肌であ
った二人は世俗の事に興味がなかった。
家こそ名門だったし、伯爵位を持つ古き一族で金に困っているで
もなく、その金で研究を続けるような家だった。
この為、そんな家とわざわざ対立するような手間をジュール王子
の後ろ盾であった侯爵家は避けたのだ。余計な手を出さねば大人し
い家、そう認識されており、それは事実だった。だから、家庭教師
役となった人物もむしろ有力な政治派閥を持つ侯爵家を敵に回す事
の危険さをしっかりと教えてくれた。と、同時に何かやりたい事は
ないか、という事をアロイスから導き出し、それを指導してくれも
した。
ある意味、最初から帝王教育しか道を許されなかったジュール王
子より多くの道を示され、好きな道を行く事が許されたとも言える。
しかし、同時にジュール王子が結婚し、その子供が生まれるまで
アロイス王子自身が王位継承権を放棄を宣言しつつも、実際の処置
としては放棄は一時棚上げの状態にされていた。それはアロイスに
予備としての価値があったからでもあった。
今回の竜の襲撃もそうだが、それ以外にも些細な怪我、病気で亡
くなる事もある。
そんな時、子供がいればいいが、いなければ兄弟がそれを引き継
ぐ必要がある。
侯爵家にとって、アロイスの面倒を見ていたのはジュールが倒れ
た際の代わり、という面もあったのだろう。だから、侯爵はジュー
ルが死んだという一報が入った直後からアロイスの継承権放棄は正
式に却下された。その上で、侯爵はアロイスを次期王であると公式
319
に表明する意味で王太子とする事を提案している。
薄情な、と思うかもしれないが、それぐらい出来なければ王国最
大の派閥の領袖なぞ勤まりはしない。大体、アロイスの妻とて侯爵
の娘の一人なのだ。
すなわち娘と直系の孫が比較的好意的な関係を築いている現状、
繋がりを作っておこう、という腹だったのだろう。予備であるアロ
イスを使わないにこした事はないが、予備戦力のない戦いは負け戦
において立て直しが効かなくなる。アロイスという予備がいればこ
そ、侯爵は次期王に関して未だ他の貴族達に対して有利な立場に立
っている。
変わったのはアロイス王子の立場。予備から表へと変わっただけ
で取り巻く環境は大きく変わった。
侯爵はいい。以前から関わってきた人物だし、権勢に関しては貪
欲だが実質国を支えてきたのは彼なのも事実。アロイスが王位を望
まなかったから、という事実があるにせよアロイスを無視する事は
なく、きちんと礼儀を持って対応してきた人物だ。
問題はそれ以下の人材。
名門ではあるが、それに胡坐をかいていたような連中で、ジュー
ル王子が消えた後の侯爵の失権狙いと自分達の地位向上狙いなどの
複数が合わさっての媚の売りようが酷い。
⋮⋮現実にはとっくに侯爵がアロイスも自陣営に取り込んでいる
とは全く気付いていない。これまでアロイスに対してまともに目を
向けてこなかったからだろう。
︵まったく、媚を売ればこれまでの事を私が綺麗さっぱり忘れて
美味い汁を吸えるとでも本気で思っているのかね︶
だとしたら、どうしようもない無能だ。
いや、既に無能なのは確定しているから愚者がプラスされるだけ
か。
320
そんな風に考えていたアロイスの部屋の扉がノックされた。
﹁入れ﹂
﹁失礼致します﹂
侍従の一人が部屋へと入ってくる。
ちら、と姿を確認し、それが貴族の見習いではない事を確認する。
侍従と一口に言ってもその出自は二つに別れ、身分の低い貴族が
行儀見習いに上がってくる者と、国直属の孤児院から拾い上げられ
て育てられた者に別れる。
王宮に勤める以上、誰でもいいという訳にはいかない。まだ洗濯
女や庭師など雑事を行う者ならばともかく、王家の者の傍に仕える
人材となれば他国の者の目に触れる機会も多い。通常ならば孤児が
王家の侍従となる機会なぞない。
だが、これにはちゃんとした理由がある。
初代王没後、二代目が即位したまでは良かった。だが、その跡継
ぎ、三代目の王の座を狙っての暗闘の中、貴族出身の侍従達による
暗殺が連続した為︵主に実家の後ろ盾だった有力貴族からの圧力で
あったという推測が残されている︶、当時まだ生き残っていた初代
である建国王に忠誠を誓っていた部下達が中心となって貴族とは関
係のない、完全独立した組織としての侍従を輩出する組織を作り上
げたのだ。老齢に達していた彼らもまた次々没していったが、今度
は王家が新たな支援者となり組織を支え、やがて彼ら自身が王宮に
おける第三勢力として存在し、今に至る。
少なくとも現状、彼らは王家に忠誠を誓い、貴族の紐付きではな
い貴重な勢力だった。この後予定している事を派閥に属する貴族に
洩らされたりすると色々と厄介な事になりかねない。侯爵自身も厄
介ごとを引き起こしかねない策に顔をしかめ、表立ってはやんわり
と諫言し、裏ではあの手この手で潰しにかかってくるだろう。
321
﹁件の者が到着したとの事です﹂
﹁そうか⋮⋮﹂
待ち望んだ言葉にしばしアロイス王子は目を閉じる。
それは自らの決意を確認するかのようでもあった⋮⋮。
﹁⋮⋮分かった、すぐ行こう﹂
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ロドルフ統治官は生き残った。
しかし、それは祝福を意味するものではない。
一つの大きな街が壊滅し、多数の命が失われた。
経済にも大きな打撃を受けた。
そして、第一王位継承者であったジュール王子が死んだ。
王国にとって甚大としか言いようのない損害であり、誰かが責任
を取る必要があった。
⋮⋮そう、壊滅した街の最高責任者であり、と同時に貴族ではな
いロドルフは格好の生贄の羊だったのである。
故に保護された者達の中、彼の生存が判明した時点でロドルフ統
治官の地位には﹁元﹂がつき、彼は罪人として扱われていた。
一つだけ彼にとって幸運だったのは彼を罪人として扱う事を決め
た者達もまた今回の悲劇の責任の全てがロドルフ元統治官にあるな
どとは誰一人として考えておらず、彼もまた被害者であるという事
322
をよく理解していた、という事だろう。
無論、彼の立場上、責任を逃れる事は出来ず彼に重罰が科せられ
る事は動かしようがなかったが、ロドルフ元統治官が抵抗しなかっ
た事もあり、痛めつけられる事もなく、食事もちゃんとした物が与
えられていた。
もっとも、それに手をつけるかどうかはまた別の問題だ。
どこか茫洋とした感情の抜け落ちた顔をしたロドルフ元統治官は
ろくに出された食事に手をつけもしなかった。周囲の兵士も﹁どう
せ処刑される運命﹂と悟っているから強制的に飯を食わせようとも
しない。ただ、それでも生きていたのは﹁処刑まで死んでもらって
は困る﹂という護送責任者の命で多少強引にでもある程度は食わせ
ていたからだ。強引といっても口に入れれば飲み込んではいたから
そこまで苦労した訳でもない。
そうやって護送されてきたロドルフ元統治官はそのまま牢獄へと
運ばれた。
地下牢のような場所ではなかったとはいえ、殺風景な石がむき出
しの部屋は圧迫感があった。もっとも、今のロドルフにはそんな物
は気にもならなかっただろうが。
︵⋮⋮俺は死ぬのか︶
彼もそれが必要な事である事は理解していた。
理解していたが、それと納得出来るかはまた別の話。 前者は理性、後者は感情。
今、ロドルフの中では後者が荒れ狂っていた。⋮⋮自身が処刑さ
れる、という事に対してではなく。
︵このまま⋮⋮何も出来ずに終われ、というのか!!︶
323
という事だった。
愛する家族や仲の良い友人達を奪われ、自身の育った街を破壊さ
れ、なのに彼には復讐する機会も、再建に尽力する可能性も奪われ
てしまう。それが何より許せず、同時に悲しかった。
復讐を諦めろと言われるのは分かる。
如何に悔しくとも、相手は竜王だ。下手な手出しは更なる悲劇を
招きかねない。
﹃竜王なら個人で手を出したと理解してくれるはず﹄
というのは所詮相手頼りの希望的観測であって、保証は何もない。
国としては僅かでも可能性があるならば、それをさせる訳にはいか
ない、ロドルフ個人を抹消して芽の出ぬ内に潰す、というのはむし
ろ当然と言えるし、代わりに街の復興にというのならばそれに打ち
込む事で忘れる事が出来るかもしれない。
だが、彼にはいずれも許されない。
彼の未来は閉ざされ、全ては消え去るのみ︱︱そうなるはずだっ
た。
﹁ここかね?﹂
アロイスがその場に姿を見せる、その瞬間までは。
﹁⋮⋮殿下?﹂
どこか呆然とした口調でロドルフは言った。
それは当然だろう、ここは仮にも牢獄であり、自身は罪人である。
これが顔を知る貴族同士ならば面会という事もありえるだろうが、
自分とアロイス王子とでは全く面識はない。いや、正確にはロドル
フはアロイスの顔を知ってもいるし、ロドルフが以前の地位にいた
324
ならば何らかの形で報告に呼び出されるという事ならばありえたか
もしれない。
だが、今は⋮⋮。
今、ロドルフは統治官という貴族に準じる地位を剥奪され、処刑
を待つばかりの重罪人であり、一方アロイス王子は次期王位がほぼ
確定した状態にある。そして、ここは牢獄。間違ってもアロイス王
子がわざわざやって来る要因なぞありはしない。
が、瞬時にロドルフの目の色が変わる。
︵これはチャンスだ︶
統治官など頭の回転が早くなければやってられない。
というより、わざわざアロイス王子がここまでやって来た時点で、
そして後ろにこれといった貴族と思われる者の姿が見えない以上、
何かしらの用件があってロドルフに会いに来たという事はすぐに分
かる。
そしてそれは重罪人となった、悪い言い方をすれば使い捨て出来
るようになったロドルフだからこそ命じる事の出来る用件なのだろ
う。だが、それでも⋮⋮。
︵それでも受ければ命を永らえる可能性は得られるはずだ︶
命があれば、彼の目的を果たせる可能性はゼロではなくなる。
そんな雰囲気が変わった事を察したのだろう、アロイス王子は僅
かに頬を緩めた。
﹁ふむ、話が早くて助かるな﹂
ここ最近、立場の違いに伴い、バカの相手も必然的に多数しなけ
ればならなくなっていたからこそ、話の早い相手は彼としても助か
325
る。
僅かに頭を下げ、礼を示したロドルフの姿を確認するとアロイス
王子はここまでついてきた侍従に﹁誰も近づけぬよう﹂指示を出す。
それに侍従は黙って頭を下げ、そのまま下がる。
これが貴族の侍従であれば何だかんだと理屈をつけて下がろうと
はしない。例え、今の状況のようにアロイス王子とロドルフの間に
は鉄格子があり、ロドルフにアロイスを攻撃するような武器がない
と分かっていても大人しく下がってなどくれはしないだろう。
﹁⋮⋮さて、ロドルフだったな、今更言う必要もないだろうがお
前はこのままであれば処刑される。予定では三日後となる﹂
﹁⋮⋮承知しております﹂
それは確認作業にすぎない。
﹁だが、お前が私からの仕事を受けるのならば命は助けよう﹂
﹁それならば引き受けましょう﹂
﹁⋮⋮これまでの顔は失われる事になる。それでも引き受けるか
?﹂
﹁元より覚悟しております﹂
即座に答えたロドルフの態度に驚く様子はない。 当り前と言えば当り前の話。処刑されて死ぬか、それとも生きる
か、どちらかなのだから⋮⋮。 引き受けた以上、後は死刑囚の誰か似た者が処刑されて身代わり
とされる事になるだろう。顔を失う、というのは別に整形を行うと
いう事ではなく、これまでの立場を失うという事。それは生き残っ
たかつての知り合いらと再会する事が出来ない事も意味している。
それでも、ロドルフに躊躇う様子はなかった。
しばし、じっとロドルフの様子を確認するように見ていたアロイ
326
ス王子だったが、満足したように頷くと口を開いた。
﹁いいだろう、私が命じる事は⋮⋮﹂
それから告げられた内容は覚悟を決めていたロドルフをして驚く
べき事だった。
だが、すぐに彼の目にはギラギラとした熱意が篭り出す。
荒唐無稽な夢想とも取れなくもないが、可能性はある。問題はそ
れには長い長い時間が過ぎるであろうという事⋮⋮或いは自分の残
る生涯全てをかけて動いたとしても出来るかは分からない。だが、
それでもロドルフはその話に強い魅力を感じていた。 ﹁どうだ?﹂
﹁⋮⋮確かに面白い話です。少なくとも今すぐに動くよりは遥か
に可能性も高いでしょう﹂
出来るか?
⋮⋮潜在的な需要自体は多数存在している。
例えば⋮⋮と思い当たる連中はゴロゴロいる。いずれにせよ⋮⋮。
﹁私一人では限界がありますな﹂
﹁最初はある程度人をつけられるだろうが⋮⋮﹂
﹁ええ、ですが最終的には⋮⋮しかしそうなりますと、あの街の
住人達に接触するのが最初となりそうですな﹂
本来ならば接触する可能性なぞありえない。
だが、もし、このアロイス王子が企んでいる事を成し遂げる為な
らば⋮⋮。
﹁いいだろう、ただし情報隠蔽は分かっているだろうな?﹂
327
﹁はい﹂
ああ、楽しい。
口元に笑みが浮かびそうになる。
そうして。
ロドルフ元統治官はロンベルク第二書庫長となり、ロドルフ統治
官自身はこれ以後表舞台からは姿を消す事になるのである。
328
第十九話:陰謀に蠢く者達︵後書き︶
前書きでも書きましたが転勤がありました
実家の方の土砂崩れに関しては地元だけに﹁やっぱりか⋮﹂﹁あの
人が﹂となった話もありましたが小学校時代の同級生らは避難はあ
っても亡くなったまではいかなかった様子
ひとまず落ち着きました
引越しはなしで済んだけど、転勤の結果通勤時間が大幅に伸びた⋮
⋮その分執筆時間なんかが削られて⋮⋮はあ。
侯爵も別に思惑なしでアロイス王子を保護していた訳ではありません
最大の理由は、もしジュール王子に万が一の事があった時、次の王
となるべき人物に適当な候補がいなかった事です
王家に相応しい人物がいなければ、公爵家とかからになりますが﹁
あれじゃ毒にしかならん﹂というような人物が多かった事からアロ
イスを取り込む事を決め、また予備だからといって適当な対応をし
ていれば万が一の際に侮られる王にしかなれない、という事などか
らきちんと礼節を取っていました
孤児達の組織?と思うかもしれませんが、こちらに関してはイェニ
チェリが比較的近いかもしれません
329
第二十話:一つの豪雨は止み、種が芽吹く︵前書き︶
勤務場所が変わると通勤時間が変わります
往復で二時間、執筆と睡眠に使う時間が減りました⋮⋮
他が削れないからそっち削るしかないんですよね。地味にでかいダ
メージです
影響大きいです
330
第二十話:一つの豪雨は止み、種が芽吹く
さて、一方水中に飛び込んだテンペスタと大地の竜王はどうなっ
たのだろうか?
もし、あの後水の中を見通せる者がいれば、その光景に愕然とし
たかもしれない。
水中に飛び込んだ時点でテンペスタは即座に大地の竜王から離れ
た。
そのまま水の属性を操り、大地の竜王を氷の内に閉じ込める。幸
い、氷の素材となる水は大量にあるので生成も楽だ。まあ、巻き込
まれて湖の生物も結構氷漬けになったりしているが、これはもう運
が悪いと思って諦めてもらうしかなかろう。それ以外にも僅かに力
を揮う。
︵⋮⋮この一手が上手くいけばいいんだが︶
この世界は別に属性に優劣はない。
相性がどうこうという事もなく、火属性は水属性に強いとか、風
属性だと火を煽るから火属性の相手に用いると却って相手の力が増
すとかそういう事もない。属性持ち同士が戦った場合に勝敗を決め
るのは幾つかの要因、戦闘経験や純粋な才能、運や恵まれた肉体、
修練度合いといった人族と同じ要素に加え、属性の扱い方の習熟度
や上手さ、場所といったものだ。
通常なら勝てないような相手でも自らの︻庭︼であれば勝てる可
能性は一気に高まるし、逆に普通なら勝てる相手の︻庭︼で戦うな
ら勝てる確率は大きく下がる。
属性の扱いに関しては大地の竜王の方が上だろう、如何に父であ
る龍王から指導を受けたとはいえ生きてきた年月は圧倒的に大地の
331
竜王がテンペストより長い。その間の積み重ねはそうそう埋まるも
のではないし、テンペスタはなまじ四属性を全て持つ為にどうして
も練習も四分割だ。事実、地の属性の扱いに関しては先程の戦いで
敵わない事を重々理解していた。
︵もっとも、地の属性しか持っていなかったらもう逃げるしかな
かっただろうけどなあ︶
同じ属性一つしか持っていなければ、その時は互いの属性に対す
る習熟度だけが勝負の鍵となる。
そうなれば⋮⋮どうなっていただろうか?少なくとも、最初の戦
闘の段階でテンペスタはボロボロになっていたであろうし、水中に
逃げ込み隠蔽という手段も取りづらかっただろう。おそらくはひた
すら逃走を図り、今頃は別の地域へと移動していただろう。
⋮⋮皮肉な事に、そうなっていれば水龍がテンペスタの気配を察
知して湖へとやって来る事もなく、結果として軍艦が水龍と遭遇す
る事も、攻撃する事もなく、当然怒り狂った大地の竜王による攻撃
を受ける事もなかったであろうし、そのまま街が襲撃を受ける事も
なかっただろう。もっとも全ては仮定の話だし、テンペスタは現実
として全属性を有していたのだから意味の無い話でもある。
さて、氷に閉じ込められた大地の竜王だが⋮⋮これで死んだりす
るようなら誰も苦労しない。
事実、今も尚、氷を破って暴れようとする動きを感じる。
だが、さすがに周囲が周囲だ。僅かではあっても大地の竜王の︻
庭︼から外れているからそちらの有利不利もない。となれば、湖の
中という水の中でなら水の属性を持つ自分が有利だ。 そう考え、氷の中に封じ続ける為に破壊されそうになる氷を更に
水の属性を使って押さえ込む。一見すれば氷で固められるのから逃
れようとしているように見えるが、その実態はテンペスタの水の属
332
性と、大地の竜王の地の属性のぶつかり合いだ。習熟度の差を大量
の水に囲まれているという場所の優位で補っている。
ともすれば浮かび上がる氷を抑え、我慢比べを続ける。
﹁このまま大人しくなってくれれば⋮⋮なにっ!?﹂
突然、一気に氷が沈み出した。
氷は比重の関係で水に沈めても浮かび上がる。複数の属性を用い
るよりは一つの属性に集中した方が良いと判断して、大気に晒され
ないように押さえ込んでいた。それはすなわち上から加重をかけて
いたという事を意味しており⋮⋮それだけに唐突な大地の竜王自身
が下方へと圧力をかけてきた事に反応が遅れた。
﹁一体何を⋮⋮しまった、そういう事かっ!!﹂
このまま沈めば何があるだろうか?
湖とはいえ、何時までも水があり続ける訳ではなく、如何に深い
湖といえど湖底がある。そう、湖の底には大地があるのだ。
テンペスタはここで自分の勘違いに気がついた。
大地の竜王にとって最も現状必要なのは地の属性を生かす場所で
あり、大地である。
そして、上へと逃れた場合、そこは空中であり風の属性の支配す
る場所と言える。上へと逃れるのは風と水という二つの属性に優位
な地形であり、地の属性を活かすのならばむしろ逆⋮⋮下、湖底ま
で沈む事こそが大地の竜王の力を活かす事が出来る。
﹁くそ、つい上へ逃げるもんだとばかり思い込んでたな﹂
水が凍り、矢と化す。
大地が隆起し、切り離され砲弾と化す。
333
場を変え、地上の都市から湖の中を舞台として荒れ狂う。
慌てて魚も魔獣も全力でこの場から離れようとして、瞬時に広が
る戦場に巻き込まれ細切れになって散っていく。
こんな戦いが水中で繰り広げられているのだ。無論水上にも影響
は出ている。
テンペスタが水を操って攻撃する際には湖の水を圧縮して用いた
方が楽な為に水面が渦を巻き、逆に大地の竜王からの攻撃が外れた
際にはそれはそのまま水面へと大きく噴き上がる。普段なら漁師の
船が巻き込まれて大変な事になっていただろう⋮⋮別に船が出てい
ない訳ではない。ただ単に既に出港していた船は街が大地の竜王の
襲撃を受けたと察した時点で街から離れる方向へ動いていたし、大
地の竜王の襲撃を受けてから慌てて出港しようとしたような輩はと
っくにテンペスタとの戦いの余波に巻き込まれて船は転覆してしま
っていた。
この期に及んで、今更転覆するような、巻き込まれるような船な
ど残っていない、ただそれだけの話だった。
戦い自体は一進一退の状況に陥っていた。
幸いだったのは互いに相手を殺す気がない、という事だっただろ
う。
現在の大地の竜王がテンペスタを攻撃しているのはあくまで怒り
で我を忘れ、自分の邪魔をする相手をどけようとした結果がヒート
アップしている状態。
テンペスタが戦っているのは大地の竜王が落ち着くまで食い止め
る為⋮⋮。
もっとも、大地の竜王はなまじテンペスタが戦える為に全く落ち
着く様子がなかったが。
こう考えて欲しい。
ある地点に辿りつこうとしたらドアがある。
これを派手に開ければ、ドアはまたしても立ちはだかる。
334
また、そしてまた⋮⋮何時しか街を壊すよりもドアを壊す事に意
識がいった。本来の目的に対して意識は逸れたが⋮⋮今度はそれに
対して頭に血が登っている状態だ。
目的の棚を壊す事から、今度はそこへ辿り着く為の障害となった
目前の扉を壊す事に集中しだしている、といった所だ。
︵やってられっか、くそ!!︶
予定以上に長々と続く戦いに終止符を落すには状況を大幅に変え
る一手が不可欠だ。
その一手は順調に接近し⋮⋮。
︵きゅい?︶
ようやく戦場は平穏を取り戻すに至った。
テンペスタが水中に飛び込んで早々に放ったのは水龍への呼び出
し。
それまでの攻撃に回していた力を全て水龍への守りに使う。
水龍自身は一瞬迷ったようだが、そこは長い付き合い。大地の竜
王の方へと進んでゆく。
﹁⋮⋮間に合ったか﹂
そんな水龍の姿にテンペスタはほっと息をついた。
やがて大地の竜王も水龍を認識したのか理性の光が目に戻ってく
る。
﹁よし、今の内にこっちはとっととおさらばさせてもらおう﹂
水と同化するように姿を隠して上昇し、そのまま静かに上空へと
335
飛び立つ。
高空へと気球のようにゆらりと上昇してゆき、一定高度に到達し
た時点で加速、離脱する。
︵⋮⋮色んな意味合いで疲れたよ︶
これでようやく終わったとテンペスタは思った。
⋮⋮現実にはこれから何百年も悩まされる相手が産声を上げたの
はそれから間もなくだったのだが⋮⋮今はそんな事は知らぬままに
空を駆けてゆくのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ロドルフはアロイス王子からの話に唸った。
﹁⋮⋮今ではなく、ですか﹂
﹁その通りだ﹂
アロイス王子の話とは﹁未来に向けた対竜組織の構築﹂という事
になる。
この世界にこと上位竜に関しては自業自得の面が多々あるとはい
え、竜に滅ぼされた、或いは竜によって大切な人を奪われた、とい
った話は事欠かない。
上位竜絡みとなると大抵の場合は物語で語られるような戒めの話
336
となる。例えば、あるお話の場合はこうだ。
﹃ある森に静かに暮らす美しい竜王がいました。
樹木を司るその竜王は森を守り、育て、人もまた其の竜王を敬い、
共存してきました。
王国は繁栄を極めたとされています。
しかし、ある時、其の国の王がある伝説を耳にします。
世界樹でもある彼の竜王の心臓こそが世界樹の実であり、それを
喰らえば不老不死を得る事が出来る、と。
周囲の止める声も聞かず、欲に駆られた王は竜王の心臓を得るべ
く、軍を送り込みます。
しかし、それは竜王の怒りを買う事となりました。
王自慢の軍隊は瞬く間に地の底へと沈み、王国もまた森にのみこ
まれ滅びる事となったのです﹄
こんな具合だ。
上記のお話ならば﹁だから必要以上に欲をかいてはいけない﹂と
いう戒めの締めへと繋がる。
しかし、もし、これが現実に起きていたとしたら⋮⋮この物語の
中に生きる人々、その中で生き残った者達で竜に対して恨みを抱い
た者はいただろう。
自分達は竜に対して敬意を持ち、共存していた。何故一緒くたに
滅ぼされなければならないのか。
そんな思いを抱く者は必ずいただろう。
確かに国王は国の代表、顔かもしれない。
確かに王が決めた事とはいえ、それに従って軍を送り込んだ国は
悪いのかもしれない。
いきなり軍を送り込まれて、命を狙われた相手が怒るのも当然か
337
もしれない。
国が誕生するずっと以前から生き続けてはいても、人の事情など
興味のない竜に人のそうした事情を把握しろ、考えろ、というのは
無茶な話かもしれない。
けれど、それでも⋮⋮。
それでもなまじ形ある相手だけに恨みを持ってしまう事だろう。
或いはそれは王に反対した廷臣かもしれない。
何も知らず、何時かを夢見て励んでいた若き行商人かもしれない。
竜王に対して敬意を払い、崇めていた猟師かもしれない。
理不尽に自分の大切なものを奪われた者達は、もし生きていれば、
国が残っていたならば愚かな選択をした王を恨み、場合によっては
反乱なりで王を倒す事によって自らを納得させる事が出来るかもし
れないが、その憎む対象となる王どころか国自体が既にこの世のも
のでなければどうだろうか⋮⋮?
そうであれば憎む相手は一人、いやこの場合は一体というべきか
もしれないが、竜王しかいない。
怒りをぶつける相手がいて、怒りを晴らす相手がいればそこで止
まれる。だが、相手がいなければ理不尽だと、八つ当たりだと理解
していようとも生きている相手にその気持ちは向かう。 アロイス王子はそう語る。
︵いや、それは私も同じか︶
ロドルフもまたそれを理解する。
もし、ジュール王子が生きていれば、彼は王子に対して怒りと憎
しみを抱いていただろう。
何故、大地の竜王が怒りを抱いたのか、それを教えられれば当然
の話だ。ジュール王子があの場に赴くなどと言わなければ、大地の
竜王の子と思われる水龍に対して攻撃が仕掛けられる事はなく、必
然的に大地の竜王が怒る事も、その後の襲撃も起こらなかったはず
338
だ。
だが、そのジュール王子がいないが為に自分は竜王を憎んでいる。
頭で理解出来ても、感情が納得出来ない。
﹁成る程。ですが私達では竜王は倒せない﹂
﹁そうだ。だから今ではなく、未来に託す﹂
竜を憎む者はいても、彼らの間に連携はないとアロイスは語る。
﹁或いはあるのかもしれん。そんな組織が既にな﹂
﹁⋮⋮成る程。それも含めての話ですか﹂
自分達が最初にそんな事を思いついたなどと自惚れるつもりはな
い。一人では到底敵わないから協力者を求め、複数で討伐を目論む、
というやり方は強者に挑む方法としては容易に思いつく方法であり、
ごく当り前に用いられてきたやり方だ。弱い国同士が強国に対抗す
る為に同盟を組む、というのも基本的にはそれと同じなのだから。
こちらから動けば、そうした組織からの接触も起こりうるだろう。
﹁今、私達が復讐として行動を起こす事は難しい﹂
その通りだろう。
大地の竜王に勝てる要素はまるでない。
その大地の竜王は湖がしばらく荒れたが現在は帰還しているらし
い。
その︻庭︼へと攻撃を仕掛けた所で⋮⋮今度は国が滅ぶ未来しか
見えてこない。
﹁だから私が動いて、組織を作り、或いは統合する⋮⋮﹂
339
未来へと願いを託し、何時か竜を打ち倒す。 ﹁果たせますかな?﹂
﹁分からんな﹂
所詮は夢かもしれない。
そもそもここで苦労して組織を作った所でそれがずっと自分達の
思いを受け継いでくれるとも限らない。
短期間で崩壊してしまうかもしれないし、そもそもの理念を忘れ
果ててしまうかもしれない。
けれどももしかしたら残って、或いは思いを引き継いだ誰かが自
分達の願いを叶えてくれるかもしれない。
﹁⋮⋮夢、ですな。馬鹿げた、雲を掴むような僅かな可能性に全
財産を賭けるような﹂
﹁その通りだ。しかし、播かない種が芽を出す事はない。それに
⋮⋮﹂
﹁今、手を出した所で雲を掴む可能性すら存在しない﹂
そう、今の人の力では、もしこの国の力全てを結集したとしても
大地の竜王一体にも勝てない。
﹁そして、それを行うというなら私がそれを行う代わりに処刑を
免除という事ですか⋮⋮﹂
﹁正確には身代わりだな。誰も処刑なしでは今更収まりはつかん
よ﹂
死刑囚の誰かがロドルフとして処刑される事になるのだろう。
そして、もしロドルフが生きていて、どんな活動をしているかを
掴んだとしても⋮⋮それだけでは有力者達が動く心配はない。夢に
340
過ぎない、だからこそ夢かと嗤う事だろう。
くっくっくっ、とロドルフから笑いが洩れる。
そうして笑いの発作を治め⋮⋮。
﹁お受けしましょう﹂
そう言った。
﹁良いのか?ここで死んだ方が楽かもしれんぞ﹂
そうかもしれない。
これまでの豊かな生活を失い、妻子を失い、友人達を失い、育っ
た街を失った。
そして、これから名前を失い、過去すらも失う事になる。或いは、
命を失った方が楽かもしれない。
王となるアロイス王子の援助は受けられるだろう。だが、これか
らの自分の仕事は各国を回り、竜によって奪われた者を探し出し、
繋がりをつけ、組織として編成してゆく事だ。自国ならばそう苦労
もしない。これから王となる人物がバックにいるのだ。そうである
以上、私以外の協力者を探し出し、国内で基本となる組織を作るの
はそう難しくはあるまい。
簡単なら何故私が生かされたのか?
そんな事は分かりきっている。王子が私、ロドルフに期待してい
るのは組織の構築だ⋮⋮民衆ではだめだ。それを支える組織、例え
ば商会などを設立してそれを運営、という事であれば私より優れた
者もいるだろう。だが、それは利益を求める為の組織であり、我々
が求めるものとは違う⋮⋮そして、生き残った役人達では下っ端に
過ぎて経験も知識も圧倒的に足りない⋮⋮。
処刑そのものはあっさり終わった。
儀式とも言える処刑自体は派手だったものの、元々私に責任があ
341
ると考えていた者は国の重鎮達にはいなかった。罪を減じる代わり
に死んだ事にして裏で何かをさせる、というのも歴史においては珍
しい事ではない。それを可能とするべく専門に動く者もいるようだ。
死刑囚から比較的私に似た者を選び出し、憔悴させる。
薬で声を出させないようにした上で、身奇麗にはしても明らかに
やつれた顔をしている男を遠目に見ただけなら余程親しい者が傍で
見ない限り私だと分かりはしないだろう。いや、そもそも処刑を見
物した大半は私の顔など知りはしない。知らないからこそ見世物と
して見る事が出来る。
これから私は他国を回る。
他国を回る以上、この国の支援をまともに受ける事は出来ない。
或いは間者と勘違いされ、旅の何処かで誰にも知られる事なく殺さ
れる事になるかもしれない。表向きせめてもの情けとして妻や子達
の眠る墓に共に眠るのは別人であり、私自身はおそらくどこかで見
取られる者もなく野垂れ死にして、骸を野に晒すか運が良ければ無
縁の人物として適当な墓に名前もなく埋葬されるといった所か。
だがそれも一興。
ほんの一年前には考えさえしなかった。
どこかで今の状況を楽しんでいる自分がいるとロドルフは自覚し
ていた。
竜に関する話を求めるだけならばそう苦労する話ではない。
しかし、そこから生き残りを探し出し、そうした人々を組織の一
員として組み込み⋮⋮役割を与える。
少し志を同じくする仲間が集まり、その中から深く同調する者が
現れる。
また或いは推測はされていた竜に恨みを持つ者達からの接触も発
生する。 かと思えば、主導権を握ろうとした者達の駆け引きのせいで、折
角構築されかけた連絡網が台無しにされてしまう事もある。
342
けれど︱︱何時か必ず。
何時か必ず自分達の思いを受け継いだ誰かが竜を打ち倒す。
その思いを抱いて再び歩き出す。
そうして彼の、ロドルフが倒れた後も彼の思いを受け継いだ者達
がまたそれを広げ︱︱やがてそれは複数の竜退治を目指す傭兵団や、
それに金を出す商人らも飲み込んで一つの﹁滅竜工房﹂と呼ばれる
竜退治とその資材を活用するべく研究を行う者、その討伐を行う為
の為の資金・資材の調達にをを専門とする集団を組み合わせた表と
裏二つの顔を持つ組織として結実していく事になる。
343
第二十話:一つの豪雨は止み、種が芽吹く︵後書き︶
実は新しい勤務場所の案外近くにヤーさんの組事務所がある事をつ
い最近知った
⋮⋮店とかに来てる人の一部はそうなんだろうか?
とりあえずトラブルにはなっていない⋮⋮次回はワンピの二次を上
げる、なんとしても!それから草原での攻略戦ヲ・・・
344
外伝:黄金竜のある一日2︵前書き︶
お待たせしました
345
外伝:黄金竜のある一日2
大陸東部に近づくと植生も変化する。
これは大陸中央部に存在する大山脈の存在が大きく、この大山脈
を迂回するか、或いは決まった山の間をすり抜ける僅かな街道が人
の用いる一般的な道となる。
無論、そうした周知のものとは異なる裏街道も存在するが、そう
した道は大きく三つに分かれる。
一つは旧街道。
かつては主要な街道の一つとして用いられていたが、より使い勝
手の良い街道の整備によって使われなくなった街道。
こうした街道は最低限の整備と見回りが行われている。山道であ
る以上、大雨による土砂崩れであったり、落石であったり突発的な
事態によって現在の主要街道が使えなくなる、という事態は常に発
生しうる為に迂回路として用いられる事があるからだ。
二つ目は文字通りの意味での裏街道。
後ろ暗い所のある連中が用いる街道であり、密輸を行う者達であ
ったり、密かに国境を越えようとする犯罪者であったりと理由は様
々だが何かしらの表沙汰になると拙い事情を抱えている連中の用い
る街道であり、こうした街道は国も見つければ取り締まる対象であ
る。
最後が裏道としての街道。
ショートカットが出来、時間短縮を図れる街道。
もちろん、それらが正規の街道として用いられないだけの理由が
あり、それらは総じて危険だからだ。
例えばある街道は近隣に魔物が住む。
ある街道は細く崩れやすい場所がある。
またある街道は急流を横切る必要がある。無論、裏道故に橋など
商人や猟師が作った簡易なものが存在する程度。
346
それらが主要な街道として用いられないのにはそれなりの理由が
ある。
そんな街道の一つを急ぐ行商人の姿があった。
いや、正確には彼らは行商人ではなく、冒険者に分類される。
冒険者と一口に言っても色々なタイプがいるが、彼らが主要な仕
事としているのは急ぎの荷物の運搬だ。
緊急を要する荷物を運ぶ仕事に対する需要、というのは常に存在
している。
彼らが運ぶ荷物の量は最大でも行商人が運ぶ馬車一台分程度でし
かない。
だが、疫病が発生した場所へと緊急に運ぶ必要のある薬であった
り、貴族の婚礼に合わせて発注されたが完成がギリギリとなってし
まった装飾品であったり、或いは親の死に目に間に合わせるべく急
ぐ旅人だったりと高額な報酬を払ってもとにかく時間最優先の仕事
は確かに存在している。
ただし、これらは誰にでも依頼される仕事ではない。
まず、信用が必須の仕事だ。預けました、持ち逃げされました、
なんて事になったら目も当てられない。
運ぶ物が特殊な物故に専門の知識が必要になる物も決して少なく
ない。
例えば、直接手で触れると脂が光沢を失わせる故に手袋着用必須
の宝石だったり、振動に気を配る必要があったり、火に近づけたら
台無しになってしまう薬だったり⋮⋮。
きちんと必要な時間を把握した上で、間に合うように運べるかを
判断するだけの力も必要だ。
この道を通って、この街から目的地まで多少の余裕を見てどれだ
け時間がかかるか、それが分からないようでは高額の報酬を支払う
意味がないし、彼ら独自のショートカットを可能とする裏道を知ら
なければ通常の街道で馬車を走らせた方が早いという事になってし
まう。危険があるなら、それらを食い破る、或いは突破するだけの
347
技量も必要になるし、時には他者による妨害行動が入ってくる事も
ある。
ここまで列挙してきた事でお分かりかと思うが、間違っても駆け
出しに許される仕事でもなければ、出来る仕事でもない。
経験を積み、信用を積み上げた実力ある熟練の冒険者にのみ許さ
れた仕事であり、そんな冒険者は数が少ない。
結果として、需要に対して供給が不足し、その結果専門ではない
冒険者に頼む事になって間に合わなかった、消息を絶たった、とい
うケースも多々ある。
﹁よし、これなら予定に十分間に合うな﹂
今、ここにいる冒険者達は専門を名乗れる、きちんとギルドから
認められた冒険者だ。
大抵のそうした冒険者は大手商会が金を出し合って抱え込んでい
る。何かそうした緊急の荷があった時に優先的に受けてもらえるよ
うにしている訳だ。
商人達は商売の安全性を高め、冒険者達にとっては緊急の荷物が
なくてもある程度の収入が約束される、という訳だ。
﹁保存の魔法切らせるなよ﹂
﹁ああ、大丈夫だ﹂
今回彼らが依頼された荷は特殊な食材。
香り高く滋養強壮に効果があるというだけでなく、ある種の薬に
も用いられる。
無論、禁制品などではないが基本的に夜に用いられる類の薬だ。
この食材の厄介な所はその効果期間の短さと採取場所。
ある魔獣の巣近辺に生える性質を持ち、その魔獣自体は大人しく、
巣の傍まで近づいてもこちらから攻撃しなければまず攻撃してこな
348
い、という魔獣なのだがそれでも魔獣は魔獣。間違って怒らせたり
したらタダでは済まないし、そもそも魔獣が人里近くに居住してい
るはずもない。
必然的にそうした魔獣の住む森近くの里の特産品となり、依頼が
あればその里まで赴いて調達し、急ぎ運ぶという事になる。更に保
存の魔法を併用する事で運搬可能な時間を引き延ばす、という訳だ。
これらは常に一定の需要がある為に定期的に依頼される仕事であ
り、彼らもその手際は慣れたものだ。
⋮⋮そんな彼らに想定外の事態が発生したのは野営を行った時の
事だった。
通い慣れた道であり、野営に向いた場所がどこにあるかを彼らは
把握している。
山賊などが出現しない訳ではないが、彼らとて熟練の冒険者に下
手に手を出しても自分達が痛い目を見る可能性が高い、割に合わな
い獲物だという事は十分理解しているからまず手を出してくる事も
ない。
無論、警戒は必要だが、そこまでの騒動は起きる事はないだろう
⋮⋮そう思っていた。
﹁⋮⋮なあ、おい⋮⋮﹂
﹁⋮⋮言いたい事は分かる、分かるんだが⋮⋮﹂
五名より為る一同のパーティの装備品の数は少ない。
荷となる食材、ある種の茸なのだが大量に必要な品ではない。一
人が背負えるだけの荷、その程度に過ぎない。
とはいえ、一人に全てを持たせるとその一人が何らかの事故で荷
を失った瞬間に仕事失敗となってしまう為、五人が分散して荷を持
ち、一人が荷を失ってもギリギリ必要量を満たせる程度の量を運ん
でいる。
349
それ以外の荷は武具防具に簡単な野営道具と食料を合わせてもた
いした量ではない。元々一気に駆けて短時間で運んでしまわなけれ
ばならない荷だ。運ばねばならない荷物は余裕を考えなくてはなら
なくても、食料などは本当に必要最低限に多少色がついた程度の量
でしかない。もっとも⋮⋮。
﹁⋮⋮準備してたってこれは想定外だろ⋮⋮﹂
竜が荷となる茸の匂いを嗅いでいるという状況は考えていなかっ
た。
せめて下位竜ならば彼らとて何らかの対処を行ったかもしれない。
﹃良い匂いがする﹄
そんな声が聞こえては上位竜と考えざるをえないではないか⋮⋮。
いや、黄金に煌くその姿を見れば、嫌でも相手が上位竜であると
納得せざるをえなかったのだが⋮⋮。
問題は自分達の荷物を嗅いでいる、という事だ。
良い匂い、というのも極めてよろしくない。彼らの荷物なぞ商品
を除けば少量の食料のみ。それもなるだけ軽量化する為に干し肉な
どの乾物中心。後は装備の手入れ道具などなので、目の前の竜が良
い匂いがするとなると他にない。
︵拙い︶
全員の心は揃った。
何とかしなければ仕事は失敗に終わってしまう。この貴重品輸送
というのはとにかく信頼が大事な仕事であり、一度の失敗が後に大
きく響く。最悪、信用を失っての廃業すら覚悟しなければならない
のがこの仕事の大きなリスクなのだ。まあ、この仕事に失敗したか
350
らといって冒険者引退とイコールではないが、安定した収入が得ら
れなくなるのは痛い。一般的な冒険者という仕事は魔獣の討伐によ
る報酬、その討伐の際に得た素材の売買、各種の護衛や採取に分類
されるが、それぞれにそれぞれの分野の専門家がいる。彼ら自身が
貴重品輸送の専門家であるように。
当然、冒険者に復帰した所で評価はこれまでより下がり、現在の
仕事を始める前に築いた実績に基づいたものとなる⋮⋮そうした意
味でも収入は減るのだ。
となれば、何とかしてこの場を乗り切るしかない。幸い、相手は
知恵ある竜だ。話は通じるはず。
﹁⋮⋮よろしいだろうか﹂
﹃なに?﹄
一瞬、目でやり取りを交わした後、リーダーの戦士と盗賊が前に
出て話しかけた。
盗賊が出たのはこの一同で通常商人との交渉役を引き受けている
のが彼だからだ。
﹁ここにあるのは私達の飯の種なのでして⋮⋮差し上げる訳には
いかないのです﹂ ここが運命の分かれ道、と全員が密かに緊張する。
もし、ここで目の前の黄金竜が怒り出せば、その時は諦めて商品
を提供するしかあるまい⋮⋮そう覚悟を決める。全ては命あっての
物種。ここで運送に失敗すれば、貴重品運搬の仕事は諦めないとい
けないかもしれないし、結果として生活もこれまでより苦しくなる
かもしれないが別に生活出来なくなる訳ではない。まとまった貯蓄
もあるし、質素に生活をするだけなら何とかなるだろう。場合によ
ってはどこかの村に引っ込んで農業なり猟師なりしながら、これま
351
での冒険者として活動してきた貯蓄を切り崩して生活という手もあ
る。
しかし、黄金竜を本気で怒らせてしまえば確実に死ぬだろう。⋮
⋮上位竜をたかだか五人程度の討伐専門でもない冒険者でどうにか
出来るなら今頃ドラゴンスレイヤーはもっと大勢生まれている。
だが、現実には上位竜を討伐したドラゴンスレイヤーなど吟遊詩
人の語る伝説の英雄譚のレベル、それも討伐よりは撃退した、とい
う話が圧倒的に多く、討伐したという伝説になると果たしてあるの
かどうか。あっても本当にあった事かは極めて疑問と専門家達が考
えるレベルでしかない。
﹃⋮⋮少しでもダメなの?﹄
全員内心で安堵の溜息を洩らした。
幸いな事に黄金竜は激怒する事なくむしろ交渉に乗ってきてくれ
たようだ。
﹁⋮⋮少しであれば何とか﹂
﹃ほんと!じゃあお願い!!﹄
黄金竜の口が開く。
人一人ぐらいあっさり噛み砕いてしまいそうな口からは、しかし、
その前に進んだリーダーの鼻に特に生臭い匂いなどは感じ取れない。
リーダー自身は少し意外に感じたが、これは別に不思議な事では
なく、そもそも属性竜という種が何かを食うという事をしないから
だ。口臭にした所で食べかすなどがそもそも存在しないならば、生
きている上で自然と生じる汚れでさえ普段口の中に何かをいれる事
がない属性竜は違和感を感じ、各自のやり方で燃やしたり、洗い流
したりしてしまう。
そんな事は知る由もないが、巨大な、如何にも鋭そうな牙が立ち
352
並ぶ光景は良い気はしない。
その中に、そっとリーダーは食材を置き、それを感知した黄金竜
は彼が下がるのを待って、かみ始めたが⋮⋮すぐにその表情が歪ん
だ。
﹃⋮⋮なんだか微妙﹄
︵︵︵︵︵そうだろうなあ⋮⋮︶︶︶︶︶
冒険者達一同もそう思う。
彼らとて好奇心に駆られて少しだけ口に入れてみた事がある。
この食材、確かに香りは良い。
匂いを嗅げば、その味わいが思い浮かぶ。
一口で口の中を豊潤な味わいが占領し、噛み締めるごとに溢れ出
す旨味が口中を蹂躙し、何時までも噛み続けていたような気持ちを
抱かせる︱︱そんな味を想像する。
が、それだけに口の中に入れた途端に感じるその味に違和感を感
じてしまうのだ。
不味いとは言わない。言わないが⋮⋮。
香りが素晴らしい、素晴らしいだけに実際に舌に感じる味わいに
顔を歪めて、こう呟く事になってしまうのだ。そう、﹁⋮⋮微妙だ﹂
、と。
だからこそ、この植物はこれまで人の領域で狙われる度合いが少
なかった。今の薬、としての使い道が発見される前までは精々が香
りづけ、という程度の使い道しかなく、それにした所で下手な食材
を使えば味の方が力負けしてしまう。
この香りを漂わせるのは本当に限られた時期でしかなく、おそら
く野生動物にその匂いで誘って口の中に入れさせ、種を遠くへと運
ばせるのだろうと推測されている。
﹃もっと美味しいと思ったのに。残念﹄
353
その言葉に内心ほっとした一同である。
一人が運ぶ量に僅かに満たない程度の量で満足してくれた、と分
かったからだ。
少しではあった。黄金竜にとってその量は少しではあったのだが、
如何せん図体が大きい、口もそれに合わせて大きい。黄金竜にとっ
ては少し味見の量が、人からすれば一人が背負えるのに近い、ぐら
いの量があったのだ。
﹃ううー、美味しそうだっただけにがっかりだよ﹄
響く声にどこか幼さを感じる一同。
もしかして、この竜、見た目は立派だし、こうして会話が成立し
ている以上上位竜である事は間違いないのだが、まだ若いのだろう
か?
そんな風に考えていたのだが。
﹃何か美味しいものってないの?﹄
ずいっと顔が近づく。
そうなると思わず全員が引いた。
さすがに竜が迫ってくると迫力がある。経験豊富な冒険者だろう
となんだろうと怖いものは怖い。
﹁え、ええと⋮⋮ここら辺ならメタルボアなら⋮⋮﹂
﹁﹁﹁﹁おい!!﹂﹂﹂﹂
﹃それなに?﹄
思わず、といった感じで答えた一人に他の全員が突っ込みをいれ
たのはメタルボアと呼ばれる魔獣が極めて危険で、同時にレアな魔
354
獣だからだ。
地の属性を有する魔獣で見た目は金属や宝石を毛皮の代わりにま
とったイノシシといった姿をしている。⋮⋮ただし、サイズ的には
巨岩と言って良いだけの、全高三メートルに達する巨体を持ってい
る。
肉は実に滋養に富み、美味しいのだがそんな相手が凄まじい勢い
で突進してくれば、巨木でも一撃でへし折られてしまう。幸いなの
は、そんな高位の魔獣故に襲撃してくる相手がいない為か、ちょっ
かいを出さねば割りと大人しいのと、割合奥地に棲息している為に
人と接触する事は滅多にないのが救い⋮⋮という魔獣なのだが。
﹃これだよね?﹄
︵︵︵︵︵はやっ!!︶︶︶︶︶
あっという間に捕まえてきた。
もっとも彼女からすれば風の属性を用いればそう見つける事は難
しくはなく、如何に地の属性を宿しているといっても別に知性を持
っている訳でも、魔法を使ってくる訳でもない。ただ単にデカくて、
やたら頑丈で再生能力を持ち、力が強くて、ちょっとやそっとの攻
撃ではその装甲で弾いてしまう⋮⋮シンプルなだけに面倒な魔獣な
のだが⋮⋮どうやら竜相手には勝ち目はなかったようだ。
さて、結果から言えば黄金竜はメタルボアの肉を気に入った。
ちょいと塩をふって焼いただけだったが︵多少の工夫をとそこら
に生えていた香草を使いはしたが︶、それで随分と美味しさが変わ
る事に驚いていた。
全ては少しずつ積み重なった偶然。
もし、黄金竜が子供達を助けていなければ、食事という概念その
ものに興味を持たなかっただろう。事実、他の上位竜達は﹁食事﹂
というものを理解はしているし、香りが良い物は良い物として理解
355
している。だが、それを口に入れようという概念がない。好奇心で
入れたとしても香草はそれ単体では美味しくはない。
かといって、竜に好き好んで近寄る魔獣などごく一部だし、竜と
て自らの庭で好き勝手しないなら放置している。
黄金竜は⋮⋮子供達が食事をする事に多少興味はあった。それが
今回の食事、というものに繋がり⋮⋮彼女の未来に大きな影響を与
える事になっていくのだった。
なお、最後にまことに勝手ながら⋮⋮毎度黄金竜と呼ぶのもあれ
なので、今後個体名としてルナと呼称させて頂く事をお断りさせて
頂く。
356
外伝:黄金竜のある一日2︵後書き︶
次回予告
テンペスタの前に現れた一体の竜
正気にして狂気を持つその竜がテンペスタの意識に大きな驚きを生
む⋮⋮
次回﹁遭遇﹂
357
第二十一話﹁双頭の竜﹂︵前書き︶
お待たせしました
358
第二十一話﹁双頭の竜﹂
唐突だが、特別、とは何だろうか?
誰かにとっての特別になりたい、とは恋人の関係を表すのに使わ
れるが、そうした意味ではなく純粋な生来の才能などによる特別。
この世界においては竜として生まれる、という事は間違いなく世
界の中でも特別な存在であると言えるだろう。だが果たして竜の中
でも特別として生まれてきたとしたら、果たしてそれは彼らにとっ
て常に幸せをもたらすものなのだろうか⋮⋮?
テンペスタがそれを見つけたのは偶然ではあるが、必然であった
と言える。
その日、テンペスタはのんびりと北方へと飛翔していた。ここま
での道程はあっちへふらふら、こっちへふらふらと正に風の流れる
まま気の向くままの漫遊記、といった所か。一応母竜と弟竜に会い
に行く予定ではあっても元々巣立てばその長い長い生涯で一度も会
わないのも普通に起きる竜の事。母竜に会いに行くのも﹁特にする
事もないから﹂という理由なのだから一直線に最高速で飛ばす事な
どやる意味もない。
結果、未だ中央大陸からすら出ていない、という状況になってい
た。
そんなある日、テンペスタがのんびりと飛行していると何かが太
陽の光を反射した事に気づいた。
﹁なんだろう?﹂
これが人の都市ならばまだ分かる。
359
だが、この辺りは人はいない。あっても精々が所開拓村程度だろ
う。そんな所に遠くからでも光を反射するものがあるとも思えない。
︵いや、もしかしたら湖や池という可能性はあるか︶
そう思いはしたものの、意識を向けてもそこからは水の属性を感
じない。
むしろ感じるのは⋮⋮。
﹁地の属性?﹂
そうなると金属か或いは何らかの結晶か。
しかし、かなりの規模の山一つが陽の光を反射して光るとなると
相当大規模なものか、そう判断していたのだが⋮⋮テンペスタがそ
こへと辿り着いた時、その眼前に広がっていたのは彼の想定してい
た如何なるものとも異なる光景だった。
いや、テンペスタの記憶には確かにそれが何か、それを意味する
言葉は存在している。
だが、それは⋮⋮。
﹁﹃機械﹄、なのか?これは﹂
羽ばたきすらせず空中に足場があるかのように停止したテンペス
タは思わず唖然とした呟きを洩らした。
そう、そこにあったのは﹃機械﹄⋮⋮。そうとしか呼べないもの。
金属の外皮に当る部分はつるりとした明らかに人工的な加工を施
されたと思しき形状と滑らかさを有し、その隙間から垣間見えるの
は或いは﹃歯車﹄であり、或いは﹃ピストン﹄であり、或いは﹃モ
ーター﹄という、少なくとも最も近い形状の物を探すならそう呼ぶ
べき何かだった。
360
テンペスタに︻異界の知識︼がなければ、それらが意味ある物で
ある事すら理解出来なかっただろう。
いや、個別にならばこの世界にも或いは同じ物を作っている者が
いるかもしれない。或いは似たような物があるかもしれない。
しかし、少なくとも体系立ってそれらを組み合わせた兵器なり道
具なりはない、はずだ。
というか、ここまで巨大且つ精巧な機械製品を作れるならばとっ
くにこの辺りには科学によって構築された文明が成立しているだろ
う。
そして、科学が一足飛びに発展する訳ではない以上、その過程で
この辺りの緑に覆われた大地は、自然に満ちた景色は失われてしま
っているだろう。
かといって、古の今は失われた文明!とするにはここは余りに綺
麗すぎる。
︵一体どういう事なんだ?︶
そう考えているテンペスタはこの﹃機械﹄のもう一つの異質さに
気付かなかった。
テンペスタは知識として機械の存在は知っていたが、それはあく
まで知識としてのもの、﹁知っている﹂だけであって実物が動いて
いるのを見た事はなかった。
︱︱だからこそそれに気付かなかった。
別段機械に詳しくない者でも、もし、多少なりとも知っていれば、
きちんと見ればそれに気付いただろう。
それでも何となしの違和感を感じて首を傾げていたテンペスタの
前で突如として、つるりとした山の一部が動き出した。いや、機械
自体は動き続いていたが、壁の一部が突如として動き出したのだ。
一瞬警戒したテンペスタだったが、その答えはすぐに示された。
山の中腹が大きく展開する⋮⋮その奥はそれが扉である事を示す
361
ようにぽっかりと通路が開き︱︱そして一体の竜がいた。
そこまではまだ想定内だった。
だが、想定外だったのは⋮⋮。
﹃ホウ﹄﹁客人か?﹂﹃ナラバ﹄﹁歓迎しよう﹂
そこにいたのは一体でありながら双頭の竜。
金属質の、いや機械のパーツを寄せ集めたような体を持つその竜
が語りかけてきた事だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
﹃マア﹄﹁くつろぐがいい﹂
﹁⋮⋮⋮はあ﹂
どことなく放けたような物言いとなってしまったのは仕方あるま
い。
眼前に用意されているのが何か分かる、分かるのだが⋮⋮。
︵何で﹃和風﹄?︶
ここは余りに異質だった。
眼前に用意されているのは自らの異界の知識に照らし合わせれば、
異界の様式の一つである事が分かる。
さすがにサイズは竜に合わせて巨大なものとなっているし、下に
敷かれているのも見た目こそ畳に見えても、その実微細な金属繊維
によって編まれている。
ちゃぶ台も表面こそ木目加工されているが、中身は完全に金属の
362
塊である事が分かる。お茶はともかく、湯呑みはただ土を焼いたも
のではなく、土そのものを変質させて生み出された頑丈なもの、壊
そうという意図を持って扱わない限り、普通に扱えば竜が握った所
で壊れる事もない。 全てが異界。
この山も、この部屋もこの世界からすれば全く異なる世界を少し
でも再現するべく作られている。
疑問を感じつつも焼き物の質感を持つ湯呑みを持ち上げ、呑む。
﹃⋮⋮﹄﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮なにか?﹂
じっと見詰める双機竜の様子にテンペスタは問いかけた。
﹃イヤ﹄﹁初めてなのだ﹂
﹁というと﹂
﹃マネイタノハ﹄﹁他にもいるが﹂﹃ユノミトチャヲ﹄﹁初見で
普通に﹂﹃ノンダノハナ﹄
どこか感慨深げな様子だった。
テンペスタはそこまで疑問に思わなかったが、これまで双機竜が
見てきた竜・龍はいずれもテンペスタとは違っていた。
双機竜は自身も旅をしていた時期があり、その際に幾度となく他
の知恵ある竜・龍と遭遇していた。
その時、彼らが悪い訳ではないが、湯呑みに苦心して再現した茶
を注いだ所で首を傾げていたからだ。そもそも知恵ある竜クラスに
飲食という概念を持つ者が少ないという事もあるが、この世界の東
方にもお茶の木に相当する植物こそあれ、こうした産物が存在して
いなかったからだ。
だから場合によっては器である湯呑みごと食われてしまう事すら
363
あった。
だが、テンペスタは違った。
確かに当初こそ首を傾げていたが、それはあくまで﹁何でここに
こんなものが?﹂という疑念であり、これが何かを聞く事もなく普
通に両前脚を用いて器を持ち上げ、お茶を呑んだ。
言葉にすればたったそれだけの事だが、それだけの事を双機竜は
その長い生で初めて見たのだった。
そんな事とは知らないテンペスタからすれば、双機竜の気持ちは
分からない。彼にしてみれば、知識に基づいた当然の事だったのだ
から⋮⋮。
﹁そうなのか?﹂
﹃アア﹄﹁初めて見る﹂
作り物めいた眼でありながら、どこか懐かしさを湛えた眼だった。
どことなく居心地の悪さを感じながら、テンペスタは思わず、と
いった風情で呟く。
﹁と言ってもな、これ××××の物で、やり方は﹂
途中でテンペスタは口を閉じた。
双機竜の眼に宿った熱情に気付かず気圧されたからだ。
︵何かおかしい⋮⋮こんな目をどっかで見たような︶
そう感じはしたものの、正体が分からない。
どこか見覚えのある光、と感じるのだが⋮⋮ただ一つだけはっき
りと感じたのは。
364
︵この光が宿っている相手を下手に刺激しない方がいい︶
という事だった。
︵どこだ、どこで何時自分はこの目を見た︶
懸命に記憶をテンペスタは探る。
困った事にこれに関してはテンペスタの経験が邪魔になる。
普通の竜ならば相手の目を見た事など限られた機会しか存在して
いない。何百年と生きた竜でも、実際に他者の目を見た回数に限れ
ば一回もない、という事だってある。何せ、竜が住処と決めたなら
人族は好んでその領域に入り込んだりはしない。相手が知恵ある竜、
上位竜となれば尚更だ。
そりゃあそうだろう。
まだ下位竜ならば守る為には戦わないといけない事だってあるし、
まだ勝ち目も見出せる。
しかし、属性を持つ知恵ある竜なんて誰も相手にしたくない。竜
殺しと称される者達でも、いや、竜殺しと呼ばれる程に竜というも
のを知っているからこそ、彼らは知恵ある竜、上位竜の縄張りには
近付こうとはしない。無茶と無謀を彼らは良く理解しているからだ。
そして、竜相手にそれが理解出来ない奴は死ぬ、必ずだ。
どうしてもその領域に入り込まなければならないにしても、節度
ある態度で行動すれば上位竜とて問答無用で殺したりはしない。ち
ょっと家で食べる分の山菜を採りに入ったとか、縄張りとなってい
る端の方で猟師が獣を狩ったぐらいじゃいちいち竜は動いたりしな
い。
動いた所で、人もバカじゃない。竜が一声聞こえる所で警告の吼
え声を上げれば即気付いて逃げ出す。
結果、ますます相手の目を見る機会はなくなる訳だ。
365
ところが、テンペスタは生まれてから人の一生に相当する時間を
人族の都の中で過ごした。
竜にとってはその長い長い竜生の一部でしかないとはいえ、数十
年という年月は決して短い訳ではない。
当然、相棒であった彼女のそれ以外にも多くの目を見る機会があ
り、その中にはただ力で潰せばいいという訳にはいかない相手とい
うのも確かにいた訳で⋮⋮。 別に相手が強いから見ない方がいいという訳ではなく、悪い人物
ではなくても下手に目を合わせると色々と面倒な人物というのは必
ずいる。美辞麗句を連ねて延々とお世辞を言われてもテンペスタに
とっては鬱陶しいだけだ。そう、キアラが寿命を迎えんとしていた
頃、彼女の屋敷に訪れていた騎士達もそうだった。 一部のバカはさておき、真っ当な頭を持っている連中は礼節をも
って、自国の英雄としてキアラを訪れていた。
そんな相手だからこそ、下手に追い出す訳にもいかず、結果とし
てキアラも無理のない範囲で面会に応じていた訳だ。
それらも含め、キアラが生きていた間にテンペスタが目を見た人
の数だけで何千何万という数に及ぶ。
そうして、竜に比べて力がない人だから刺激したって問題ないと
考えるのは早計だ。例えば子供、竜という相手の危険性が分かって
いない子供は大人が滅多な事では万が一竜を怒らせたら、と考えて
かテンペスタが顔を合わせる事はなかったが、それでも人の都にい
た時間が時間だ。結構な数との触れ合いを結果として体験する事に
なった。
人の中で暮らす、というのは間違いなくテンペスタにとって大き
な経験になったが、同時にその中で生活するにはただ力があればい
いという訳にはいかなかったのだ。
そんな数多の記憶を探るテンペスタの前で双機竜は二つの頭を駆
使してひたすらに愚痴を語る。
366
熱心に聴いていた訳ではないが、それでも竜の頭はそれを聞き取
り、理解してしまう。世の中、他人の愚痴を聞くのは大抵の場合、
心が疲れるものなのだが⋮⋮。
双機竜曰く。
﹁自分は元々この世界の住人じゃない﹂
﹁転生してこの世界に来た﹂
﹁前の世界で最後に覚えてるのは格好つけて橋の欄干に立ってみ
せたら風に煽られてバランスを崩した瞬間﹂
﹁多分、あの後谷底に落ちて死んだ﹂
﹁目が覚めて最初は喜んだよ!助かったのか、って﹂
﹁すぐに単純に助かったのとは違うって分かった。でも、転生と
か竜とかって分かってやっぱり最初は喜んだ﹂
二つの口から流れるように、いや、まくしたてていた双機竜はこ
こで始めてその口が止めた。
お陰で懸命に記憶を探っていたテンペスタも注意をそちらへと向
ける。そうして、一気に警戒を内心で跳ね上げた。
﹃ダガ﹄﹁すぐに﹂﹃ゼツボウシタ﹄
テンペスタはその姿を認識すると共に自身に違和感を感じた。
自分の中には数十年経とうが未だその記憶の全てが鮮やかに蓄積
されている。なのに、未だ自分があの目を思い出せないでいる。
⋮⋮該当する記憶を無意識に避けている?
そんな思考を宿すテンペスタの前で双機竜の独白は続く。
﹃ワタシハ﹄﹁体は竜でも﹂﹃ココロガ﹄﹁人だ﹂
だから。
367
﹃ヒトノココロデハ﹄﹁数百年一人は﹂﹃モタナイノダロウ﹄
竜の精神は強靭だ。
つがい
考えてもみて欲しい。幼少の頃僅かな時間を母といれば兄弟姉妹
で過ごし、十年と経たぬ内に独り立ちして以後は偶々、番を見つけ
るまで数十年数百年を単体で過ごす。
これが動物並の知性しかないのならまだ問題はないだろう。
しかし、竜はそうではない。テンペスタのような幼少時から知性
を持つのは極僅かとはいえいない訳ではないし、そうでなくても知
性を持った後でも百年以上の年月を普通に生きる。その間、誰と話
しをするでもなくたった一体でいずこかへと思考と考察を重ねて生
きる。テンペスタは偶々人の中で暮らしたが、もし、ただ一体で生
きたとしても別に寂しくなったといった事はなかっただろう。
今でこそ、共に過ごした彼女の事を思い出して時折懐かしさを感
じるが、だからといって会えなくて心が壊れそうになるといった事
はない。
だが、双機竜は肉体と精神のアンバランスさを抱え込んでしまっ
た。
だからこそ、少しずつ⋮⋮少しずつ。
それに気付いて、そうしてそれに気付いたからこそ連鎖的に引っ
かかっていた目の輝きも思い出したテンペスタに双機竜は語りかけ
る。
﹃オマエナラ﹄﹁分かるだろう?﹂
﹁⋮⋮﹂
同意を求められた時、だからだろう、一瞬詰まった。
そう、あの輝きは⋮⋮。
だが、その一瞬は疑念を持たせるのに十分すぎた。
368
﹃?マサカ﹄﹁違うのか?﹂
﹁ッ﹂
﹃オマエハ!!﹄﹁違うのか!?﹂
そう、あの目は⋮⋮狂人の目。
テンペスタは知る由もないが、双機竜の二つの頭は正気と狂気双
方が同居している形の現われでもあった。
普段は正気でありながら、時に猛烈な狂気に襲われる。
そう、今のように⋮⋮。
勝手に相手も自分と同じだと勘違いし、勝手に裏切られたと怒る。
そうして怒った瞬間に即座に正気から狂気へと切り換わり⋮⋮。
﹃﹁ころす﹂﹄
拙いとテンペスタが双機竜に対して防御の姿勢を取った瞬間、背
後からの一撃がテンペスタの態勢を崩す。 ﹁なっ!?﹂
双機竜の力の発動は感じなかった。
なのに何故!?
そう思いつつ、眼前の双機竜の口に光が灯る。
驚きつつも、テンペスタも体が動く。
体の結晶が幾つか同時に輝き、発せられた四つの色とりどりの光
がテンペスタの口の前へと集束。
次の瞬間放たれた両者のブレスが至近距離で激突し、大爆発を起
こした。
369
第二十一話﹁双頭の竜﹂︵後書き︶
時間がないとなかなかまとまった書く時間が取れませんね⋮⋮
別所の二次創作も明日か明後日には完成させて、あちらへ送信予定
です
あと、文中での表現ですが具体的な異界の名に関しては和風洋風ぐ
らいは読者の方に伝わりやすいかと思う、というかその方が描写し
やすいので出てきますが、具体的な国名、日本とかそういう部分に
関しては敢えてぼかしております
ご了承下さい
370
第二十二話﹁機竜暴走﹂︵前書き︶
年末は忙しいですね⋮⋮
何とか更新間に合いました
371
第二十二話﹁機竜暴走﹂
﹁ほほう、それは興味深いお話ですな﹂
テンペスタが双機竜に遭遇する数日前の事。
山から離れたある開拓村に二人組の冒険者が訪れていた。
と、言っても別段何か思惑があって訪れた訳ではなく、単なる偶
然。
元々、同じ冒険者パーティであった彼らは所謂成功したパーティ
の一員であったが、だからこそ、というべきか。解散して引退、と
いう道を選んだのだった。
元々冒険者という仕事は危険と隣り合わせであり、成功したと看
做されるパーティに対してはギルドからも退き時を見誤るな、とい
う話はうるさい程口にされるようになる。﹁引退に成功して初めて
成功者﹂と言われる程、冒険者の引退時というのは難しく、ついつ
いもう少しもう少しと現役に拘った結果、命を落としたり或いは体
の一部を失い強制引退に陥った、財産を軒並み失った、自分は助か
ったが大事な仲間を失ったという例は決して少なくない。
そうした意味合いでは彼らは幸運だったのだろう。
﹁そろそろ引退の時期も考えないとな﹂
そんな事を口にするようになった矢先に僧侶役の女性の妊娠が発
覚したのだから。
リーダーとの間の子だったが、残る二人、魔術師の男性と戦士の
女性が素直に祝福したのはどちらが早かったかの違いだと自覚して
いたからだ。そう、男と女が二人ずつで片方が出来ているパーティ
が妙な空気にならなかったのは残るもう二人も出来ていたからに他
ならない。
372
だからこそ、男同士、女同士で相談したりもしたし、仲良くやっ
てきた彼らはこれを機にすっぱりと引退する事に決めたのだった。
さて、引退するとなるとどこでどうやって余生を送るか、となる
がこちらは大体大きく分ければ選択肢は三つだ。
一つは特に大成功した者。
残る生涯を遊んで暮らせる程の財を築けた為にのんびりと街の名
士として悠々自適の生活を過ごす者。
一つは蓄えた財を用いて何か商売を始める道。
ある程度以上成功した冒険者というのは築いた人脈も多い。そう
したコネを活用する道だ。⋮⋮もっとも失敗して冒険者に復帰とい
う者も一定以上の割合で存在するのだが。
そして、最後の一つがギルドの一員となる道。
冒険者ギルドにとっても経験豊富なベテランがギルドの運営に参
加してくれるというのはありがたい。
教官役や窓口の責任者、最終的には各地方のギルド長など求めら
れる人数に全く数が追いついていないのが現状だ。
さて、この二人はと言えばこの内最後のギルドに関わる道を選ん
だ。
理由は色々とある。
まだまだ若いと思っているだけに、今から老人みたいな生活を送
るのは何か嫌だ、という事もある。
駆け出しの頃、ギルドに世話になったから今度は自分達が、とい
う事もある。
とまあ、色々あるがいずれにせよ、彼らはギルドの一員となる事
を選んだが、その際に魔術師の男性の故郷のギルドにて働く道を選
んだ。魔術師はまだ親が生きていたという事もあるし、一方女性の
方は⋮⋮故郷に対して未練が存在していなかった。
元々農民の生まれだった彼女は飢饉の年に口減らしとして人買い
373
に売られ、転売という形で奴隷商人に売り飛ばされた。
しかし、移動の途中で奴隷商人が盗賊に襲撃され、護衛共々相打
ちの形で死亡。そこへ通りがかった隊商に拾われる事となった。
これが正当な商人ならば例え奴隷商人でも問題となっただろうが、
この奴隷商人、れっきとした闇商人。当然、権利を名乗り出るバカ
がいる訳もなく、解放される事となった訳だが本来なら故郷に戻る
事も出来ず、かといって特に特技もない彼女は精々が所スラムの一
員となるのが落ちだったろう。けれど、先の隊商のがこれも縁と次
にやりたい仕事が見つかるまで雇ってくれる事となった。
その旅の中で彼女は才能があったのだろう、護衛に剣を学び、一
端の腕を持つようになった。
そうして、独り立ちした彼女は冒険者となり⋮⋮今、こうして伴
侶と共に彼の故郷へと向かっていたのだった。
そんな旅の途上、彼らが立ち寄った村で興味深い話を聞く事にな
った。
﹁輝く山ですか﹂
﹁ええ﹂ 近隣の森の奥、街道から外れた場所に天気の良い日には遠くから
も輝く山が見えるという。
だが、その山に赴く者はいない⋮⋮腕の良い猟師であってもその
山に赴いたりはしない⋮⋮生きては帰れない故に。
そんな話だったのだが⋮⋮翌朝、ごく普通に村を発った彼らはそ
のまま昨晩聞いた山の方向へと足を向けていた。
﹁多分、竜が関わってるんだろうな﹂
﹁そうよねえ﹂
374
もし、彼らが普通の旅人だったら危険を冒したりはしなかっただ
ろう。
そもそも森の奥という時点で魔獣に遭遇する危険があるからだ。
或いは普通の冒険者だったとしても、矢張り赴いたりはしなかっ
ただろう。
竜の恐ろしさを良く理解しているからだ。
⋮⋮つい先日まで熟練の現役冒険者であった彼らだからこそ、赴
いた。そんじょそこらの魔獣程度なら二人でも対応出来、そして竜
というものを知っていた故に⋮⋮そう、竜という存在は一般に思わ
れている程恐ろしく見境のない凶暴な存在ではない。
いや、下位の知性のない竜は危険だ、それは理解している。
だが、一定以上の竜、或いは下位でも属性竜はそうではない事を
彼らは理解していた。
そして、輝く山、となるとそこにいるのは間違いなく最低でも属
性竜であろう。無論、上位竜から警告を受けたり、属性竜が明らか
に威嚇している際は早々に立ち去らねば危険だ。だが、そうでない
ならば、単なる見物程度ならばそこまでの危険性はない。
⋮⋮仕事に追われていた現役の頃ならまた話は違ったかもしれな
いが、引退を決めた者故の物見遊山感覚だからこそ、彼らは足を向
けたのだった。 その結果、彼らはアレに出会う事になり⋮⋮歴史にその名を残す
事になる。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
﹁これが原因だったか!﹂
375
背後からの奇襲。その正体をテンペスタが把握したのはブレス同
士の激突で周囲が吹き飛んだ直後だった。
周囲の壁、機械と金属の集合体が解け、それらが双機竜へと絡み
付いてゆく、いや、一体化してゆく。それと共に部屋となっていた
空間は崩れてゆく。
出来た隙間から一気に加速してテンペスタは空中へと飛び出す。
大空へと飛び出したテンペスタの視界に映るのは崩れ行く山の姿
とそこから立ち上がる巨大な龍の姿⋮⋮そう、あの機械の山はそれ
自体が双機竜の体の一部だったのだろう。道理で何らかの術の気配
を感じなかった訳だ。相手は体の一部を動かして殴りつけてきただ
けだったのだろう。
そう、あの機械の山は⋮⋮。
﹁全てが体を構成するパーツ、か﹂
厄介な、と内心で呟く。
と、同時に疑念も抱く。
︵はて、これは何だ?︶
テンペスタは双機竜からの攻撃を回避しながら内心で首を傾げて
いた。
竜の体の一部、それは間違いないだろう。そうでなければ全く攻
撃が感知出来なかったという事はありえない。
もし、相手が何かの力を使っていたとする。
金属であるから地の属性の力を使っていたとして、それなら全く
感知出来ないという事は同じ地の属性を持つテンペスタにはありえ
ない話だ。反応が遅れた、という事はあるだろう。直前まで感知出
来なかったという事も相手の方が高齢の竜で、力の扱い方に習熟し
376
ていればありえる話だ。
だが、全く感知出来ないという事はありえない。
父である龍王は風の力に関しては世界でも有数の力の持ち主だろ
うとテンペスタは想像しているし、実際それは正しい。
実の所、大嵐龍王という名をつけて呼ばれているのは伊達ではな
く、東方の地では神の化身とも呼称される強大な、世界でも風の属
性の扱いに関しては最高位の龍である。そんな父龍の力であっても、
直撃したその瞬間には感知出来た。その力の達人に直前までの隠蔽
を施されれば﹁気付いた時には手遅れ﹂という事態はありえる。け
れども打ち据えられた時には金属塊にテンペスタは触れているのだ
から地の属性を使っていれば分かるはずだ。
しかし、そうなると金属の塊は一体何が変化したものなのだろう
か、矢張り⋮⋮。
︵可能性があるものとなると⋮⋮鱗、か?︶
そう考えるのが妥当だろう。
竜の体は不可思議不自然不条理の塊だ。
これが人族ならば肌の色が違う事はあるだろう、髪の質が変わっ
ている事や目の色、顔立ち、感覚の多少の鋭さや記憶力などに差異
はあれど基本となる部分、目と耳は二つで、鼻と口は一つ、手足は
二本ずつで⋮⋮といった部分には基本的には違いはない。
しかし、竜や龍は違う。
同じ両親から生まれた子供であっても、竜と龍では形状が全く異
なるし、テンペスタの弟妹であってもテンペスタの鱗が硬質の結晶
体であるのに対して最も仲の良かった黄金竜の妹はサラサラの毛並
みだった。これが成竜とも成れば更にその差は大きなものとなる。
下位竜であってもその違いは大きい。
それこそ小型のものともなれば犬や猫サイズがいる一方で山のよ
うな巨体を誇る竜もいる。
377
それらが全て同じ﹁竜﹂であり、﹁龍﹂なのだ。
果ては今回の竜がそうであるように、竜とも龍とも区別のつかな
い頭が二つある相手だっている。
けれども。
それでも生命である事に違いはない。
形状自体は﹁本当に同じなのか?これ﹂と言いたくなるかもしれ
ないが、鱗があって角や尻尾がある生命である事は間違いない。
と、なるとその中で体から離しても扱えるようになる部分など鱗
ぐらいしか思い当たるものはない。⋮⋮さすがに腕や脚を外して自
由に扱える程、生命を止めてるとは余り考えたくないとも言う。
︵いや、でもそういう武器持ってる奴もあっちの世界じゃいたは
ずだ⋮︶
そんなどうでもいい事を考えているのはどうにも相手への対応が
しづらいからだ。
何分、いいように狂ってくれている様子な為に隠蔽の度合いが低
い。
力を揮うにしても、機械なだけあって地の属性に偏っているよう
で分かりやすい。
正直、力の使い方だけなら前の大地の竜王の方が遥かに巧妙で、
やりづらかった。問題は⋮⋮相手が大きすぎる事だ。
山と思える程の巨大なパーツの集合体がばらけ、竜から龍を構築
した瞬間、それは巨大としか言いようがない相手となった。
全長で言えばキロに達し、その長大な全身のいたる所から攻撃を
仕掛けてくる、のだが⋮⋮。
何せ、狙いが出鱈目だ。
もし、これがテンペスタに集中攻撃をかけられていたら、飽和攻
撃となって対処しきれなくなっていた可能性はあるかもしれない。
378
けれどもてんでんばらばらに照準が定まっている状況ではまだ対処
は⋮⋮。
﹁ええい、下手に狙いが定まっていないから対応しづらいぞ!!﹂
そう、狙いがいい加減な癖に数が多い為に意外などこかから飛ん
できた砲撃がいきなり命中コースだったりする。
確かにひっきりなしに攻撃が飛来するというのも厳しいが、これ
はこれでまたかなり厳しかったりする。
﹁死﹂﹃ネ!﹄
﹁貴様がな!﹂
ここに至ってはこれを放置しておく訳にはいかない。テンペスタ
は覚悟を決める。
これまでテンペスタは同じ竜ないし龍相手に本当の意味で戦うと
いう事はなかった。
過去に殺し合いという意味での戦いを行ったのはいずれも下位竜
のみ。上位竜とは大地の竜王と交戦はしたものの、暴走する相手を
倒すまでは考えても滅ぼすという考えは皆無だった。それはあくま
で相手が暴走していたと言っても一時的な暴走であり、基本話せば
分かる相手だったからだ。
だが、今回は違う。
今、暴れている双機竜が正気だとは思えない。
頭に血が昇っているだけ?そう思えればどれ程楽だったか。
心が伝わってくる。そう言えばいいのだろうか?狂気としか形容
のしようのない気配が双機竜からはひっきりなしに襲ってくる。
こんなものを放置していたらどうなるだろうか?一度暴走を開始
したこの巨大な竜がどこかで冷静になり止まるその瞬間までにどれ
程の被害が生まれる事になるのだろうか?もしかしたら早々に冷静
379
になってくれるのかもしれないが、そんな希望的観測に頼る訳にも
いかない。
逆にもし、延々暴れ続けた場合は⋮⋮人の国が一つ二つ滅びる程
度ではすめば良い方だろう。
だから、覚悟を決めて攻撃する。相手を葬り去る為に。
⋮⋮どこか狂気の心の中からそれを望む心も伝わってきたから。
ブレスを叩きつける。
相手からの攻撃を防ぐ。
その繰り返しだが、手ごたえがない。
原因は分かりきっている。単純に相手が大きすぎるのだ。
元々、相手もれっきとした竜、普通の魔獣だの自然だのを相手に
する時とは異なり、抵抗される。地の属性に特化しているだけに金
属製の体に巡らされた力は膨大で、テンペスタのブレスといえどち
ょっとやそっとでは穴も開かない。
もちろん、しっかりと溜め込めば問題はない。胴体であれ貫通可
能だ。問題は⋮⋮。
︵どこが弱点だ?︶
そんな事を考えなければならない、という点にある。
何せ、頭をぶち抜いても平然と動いてくる。
もしかしたら双頭を同時に破壊しなければならないのかとも思う
が、そうなるとタイミングが大変だ。今のテンペスタのブレスで双
機竜相手では複数に分散させた場合、貫通出来るか怪しい。それぐ
らい相手の外皮と溜め込まれた地の属性の力の組み合わせは頑丈だ。
しかし⋮⋮。
︵無敵の存在などというものはありえん︶
380
そう、全てにおいて完璧などという事はありえない。
どこかに弱点はある、はずだ。
そう思って視界を下げた時だった。
ジャカッ、と。
装甲がスライドして幾つもの眼のようなものが双機竜の体に現れ
る。
なんだ?
そう思った次の瞬間。
全身から光の刃が放たれた。
一つだけテンペスタにとって想定外だったのはその攻撃が地の属
性の攻撃ではなかった事だ。
だから地の属性の力を防ぐつもりで展開していたテンペスタの防
御を︱︱全身から放たれたレーザー光の内二つが貫いた。 381
第二十二話﹁機竜暴走﹂︵後書き︶
明日大晦日に何とかワンピースの書き直し版も上げれるといいんだ
けど⋮⋮
何とか年内に更新出来ました
382
覚醒︵前書き︶
ようやっと仕事が落ち着いたので物書き⋮⋮
以前の感覚を取り戻す、というか間があいたせいで書く感じが
383
覚醒
瞬間感じた鋭い痛みにテンペスタは即座にそれらを管理する別意
識を構築し、双機竜を睨む。
幸い、というべきだろうか。直撃した二箇所の内、片方は翼膜部
分、ここは薄い為に瞬時に貫通し、再生が既に始まっている。
もう一箇所は胴体部分。
もし、ここに命中した一撃がまともに直撃していればテンペスタ
といえど、動きに支障が出ていたかもしれない。だが、幸いという
べきか、ここでテンペスタの鱗でもある結晶体がその防御効果を存
分に発揮してくれたお陰で、そこまで深刻な怪我となる事はなかっ
た。
テンペスタの全身に生えている結晶体は決して見た目だけのもの
ではない。いや、竜の鱗とは元々がそうであるというべきか。
双機竜の鱗︵推定︶が今、眼前で山を構築する状態から竜を構築
する形態へと変化したように、テンペスタの鱗にも独自の性質があ
る。それは自身の属性を蓄積するというもの。これだけ聞けば﹁何
かあった時に力を溜める電池か?﹂と思うかもしれないが、そうで
はない。
爆発反応装甲、リアクティブアーマーというものをご存知だろう
か?
テンペスタの鱗はそれに近い性質を持つ。すなわち、結晶に蓄え
られた力が他からの攻撃、干渉を受けた際に力を放出して相殺する
というものだ。
これの利点は自動防御という点。すなわち、例えテンペスタが気
付いていなかった不意打ちによる攻撃であろうとも対応してくれる
という事。
384
これ以外にも一部を砕いて他者に渡す事で蓄えられたその力を使
わせる事などが出来るのだが、無論、万能などではなく、所詮は体
を覆う鱗の一つであり、一定以上の属性という名の力が加われば砕
け、その奥へと力を通してしまうし、蓄えた力とて体から離してし
まえば少しずつ属性を放出し、やがては土塊となってしまう。
だが、竜の本体はその程度の減少でも十分。テンペスタという竜
の肉体自身の強度が属性を消され、純粋な単なる力と化した相手か
らの攻撃に耐えうるのだ。
竜の翼という部分においてはさすがに防ぎきれなかった為に貫か
れたが、胴体への直撃に関しては鱗に皹こそ入ったものの粉砕とい
うレベルにまでは至っていない。
︵⋮⋮再充填︶
力を再び意識して流し込む事でそれは再生を果たす。意識して流
せば、その程度は容易い。
今回の場合は純粋に地の属性の力で偶然に生まれたレーザー発振
機を元に構築されたいわば科学的技術を用いて量産されたレーザー
砲だったのだろう。正直な事を言えば、竜の操るレーザーに相当す
る攻撃と比べれば効率は悪いと感じたし、威力も含めだ。
だが、本来レーザーに相当する攻撃は火の属性に関わる力。
つまり、地の属性に特化したと思われる相手が普通使ってくるよ
うな力ではない。それだけに意表を突かれた。
それでもこれだけならば問題はない。これだけならば⋮⋮。
﹁今度はなんだ?﹂
剥がれ落ちた双機竜の鱗の欠片、とでも呼ぶべきものが飛来する。
多数が飛び、テンペスタに襲い掛かる。
対空砲火はテンペスタを掠めた瞬間、爆発を起こす。
385
だが、それらはいずれもテンペスタから離れた所で爆発する。影
響を与える事はない。
テンペスタから放たれる地の属性による陰がそこにテンペスタが
いるのだと錯覚させ、飛来する鱗を爆破させる。効果なしと見たの
か、すぐに飛来する鱗の雨は停止した。
その攻撃の停止した一瞬の隙をつき。
﹁喰らうがいい!﹂
反撃の一手を放つ。
プラズマ化した高熱の球体が複数周囲に出現し、即効で叩きつけ
られる。
﹁⋮⋮全てとはいかんか﹂
熱核融合のエネルギーだ、正確にはその一部ではあるが純粋な金
属であれば一瞬で融解を超え、蒸発していただろう。もし、双機竜
が単なる金属の塊であれば、そうした兵器の類であれば今頃テンペ
スタの見下ろす眼下にあるのは歪な溶けて固まった金属の塊、とい
うのが精々だったはずだ。 だが、健在。
一部に溶けたと思われる痕跡こそあったものの、すぐに修復され
てしまう。
テンペスタが放ったそれにも、防御した双機竜の側も属性の力を
用いた力だ。それならば属性相殺が可能となる。⋮⋮要は竜同士の
力と力のぶつかり合いという事であり、双機竜の防御の力がテンペ
スタの力に対して一部屈したものの、致命的な損傷を受ける程では
なかった、という事になる。
﹁大きすぎるのだな﹂
386
良くも悪くもそれに尽きる。
大きすぎるから細かい所まで行き届かず、防御が甘い所が存在す
る。
大きすぎるからその持つ属性の力も巨大なものとなり、それ故に
倒しきれない。
巨大な船と同じだ。
小回りは効かないが、巨大故に小型船なら転覆してしまうような
荒海にも耐える事が出来る。
︵さて、どうするか︶
今も双機竜側からは時折レーザーを撃ってきてはいるが、種の割
れた手品は恐ろしくはない。
いや、これが純粋な属性の力ならば脅威にもなるのだろうが、こ
のレーザーはいわば地の属性からすれば間接的なものとなる。上位
の竜や龍同士の戦いでは属性の力こそが相手へと打撃を与える大き
な要因となる。これは属性こそが彼らのエネルギーの源だからだ。
だからこそ、属性同士をぶつける事で消耗を果たせば身動きが出来
なくなり、最終的には生命活動にすら支障を来たす事になる。 逆に言えば、属性の篭っていない攻撃であれば属性の消耗は抑え
気味なものとなる。間接的な方法で本来火の属性を持つ竜が操るレ
ーザーの攻撃を果たしたと言っても、本来は地の属性のみ持ってい
ると思われる双機竜の攻撃としては直接地の属性をぶつけられるよ
りもテンペスタの消耗は少ないのだ。
無論、全く属性が篭められていない訳ではないので奇襲となれば
先のような事態が発生する訳だが⋮⋮分かっていれば防御も容易い。
﹁⋮⋮落ち着く様子もないな。矢張り仕留めるしかないか。しか
し⋮⋮﹂
387
そんな事は長く生きている竜ならば理解しているはずだ。
なのに、未だ攻撃方法を変えようとしない。意地になっているの
とも違う。
何を考えている?
そんな思いが募る。 この世界の根幹とも言える属性は四つの属性、火水地風に絞られ
る。もっとも、人などはこれに光と闇を加える事もあるし、竜自身
はと言えば上位竜でさえそこまで細かく考えていないものが大半だ。
極僅かな竜だけが興味半分で研究を行い、その域に辿り着くがそこ
で満足してしまい、それらの知識を他者に教えようなどという事は
しない。良くも悪くも竜達は繁殖という生涯に一度か二度のみ共に
過ごす時間以外は単独で完結してしまっているからだ。
実際には人が考えている内、光は火の属性に属し、闇というもの
に至っては存在しない。闇自体が明暗の言葉通り、光の強弱によっ
て生み出されるものだからだ。
それはさておき、それだけにそれぞれの属性の持つ幅は非常に大
きい。
火の属性も単なる火、炎というだけではない。それどころか光や
加熱、加速。
水の属性ならば水、氷といった基本分野から鏡、植物、減速など。
同じような現象を、別の属性を用いて行う事も出来る。例えば、
洗濯物を乾かすという現象でも、水分を加熱・蒸発させるか、或い
は水自体を布から取り除くかという違いはあっても、結果として洗
濯物は乾くといった次第だ。
そして、風の属性ならば空間、音などがあるが、地の属性はその
範囲が他と比べても非常に広い。
生物は大量の水を含有する為に水の属性に分類されるが、物質と
しての部分も存在する為に地の属性もある程度干渉可能だ。
388
これ以外にも重力などもあるのだが⋮⋮そんな地の属性に属する
力の中に磁力がある。
雨霰と放たれるレーザー。
それに混じって時折飛来する弾丸。
弾丸の速度は遅く、見えてから対処しても十分間に合っていた。
何時しか気付かず、それにテンペスタは慣れてしまっていた。 そう、何時しか双機竜の単調な攻撃に慣れてし
まっていた。
結果として、それまでとは明らかに異なるタイミング、異なる速
度で飛来した一撃に対応し損ねてしまった。
﹁!ぐ、ぶっ!!﹂
それまでの一撃とは違う。
レーザーより遥かに強烈な、属性のたっぷり篭った一撃。紛れも
ない地の属性による攻撃の証。
それはだからこそ、テンペスタの防御をあっさり突き破り、肉を
穿ち、貫通した。
幸いだったのは速度重視の為だったのか、或いは偶然か。飛来し
た鱗が杭のように鋭く細く尖ったものであり、尚且つ弾丸もまた竜
の鱗であった為だろう、極めて高い硬度だった事だ。結果として、
テンペスタ自身の鱗との激突で生じた僅かな破片が肉に食い込む形
で残ったものの、引き裂かれた肉は比較的少なく、速やかに貫通し
た為に傷口をぐしゃぐしゃにするという事もなかった。
だが、それはあくまで比較の問題。
それまで衝撃の伝播こそあったものの、テンペスタの鱗表層で停
止していた攻撃が遂にその防御を貫いた瞬間だった。 更に追い討ちをかけるように、いや、実際そうなのだろうが強烈
な攻撃が立て続けに襲い掛かってくる。
389
これまでがその攻撃の為の前振り、或いは下準備だったのだろう。
攻撃もレーザーは先程までの攻撃力を持たず、テンペスタ周囲に拡
散するようにばらまかれている。一見すればただ綺麗なだけの見せ
掛け、イルミネーションの類だが僅かながらでも属性を持っている
というのが厄介だ。微量ではあっても属性がテンペスタの周囲に集
中してばら撒かれる事によって、目晦ましの役割を果たしている。
それが及ぼす妨害の影響は微々たるものだが、その微々たる影響が
戦闘の天秤を双機竜の側へと傾ける。
しかも、双機竜の攻撃はそれだけではない。
それまでとは比べ物にならない高速で飛来する鱗の砲弾。感覚を
幻惑する拡散レーザー、それに加えて後方へと飛び去ったはずの外
れた砲弾が弧を描いて再度飛来する。こちらはさすがに速度こそ失
われてはいるものの、それでも先程まで飛来していたた鱗と同レベ
ルの速度を維持し、執拗に追ってくる。
高速で撃ち出されている鱗の砲弾。
その速度の正体は地の属性による磁力を用いた電磁砲、レールガ
ンだ。
空中展開された地の属性が磁力でもって仮想の砲身となり、鱗を
砲弾として撃ち出している。
更に、ミサイルの如く追尾してくる方だが、こちらの種は先程テ
ンペスタに直撃した鱗、その破片だ。
僅かな破片ではあるが、元々同じ竜の同じ鱗だ。格好の誘導発信
源となり、それをひたすら追い続けている。
おそらく、これこそが双機竜本来の戦い方なのだろう、狂ってい
ても戦い方はしかとその身に焼き着いているらしい。そして、隠蔽
の為の愚鈍な戦い方を脱ぎ去った熾烈な攻撃は次第にテンペスタを
追い詰めてゆく。元々、双方の持つ属性のエネルギーは圧倒的に双
機竜の方が上だ。テンペスタとて四つの属性全てから力を得られる
が為に、相当な属性の力を溜め込んでいるが双機竜は属性の種類に
390
劣る部分をその圧倒的巨体で補っている。それは最早船と空の差、
同じ輸送を主軸とするものでも、海と空では圧倒的に海を行くもの
の積載能力が勝る。それはすなわち攻撃の余裕へと繋がり、まして
や、現在テンペスタは大きな怪我を負っている。
結果として、テンペスタは急速に不利な状況へと追い込まれてい
った。
何より拙いのは現状では離脱も出来ない事だ。多数撃ち出された
大量の鱗が後方を遮断するように飛び回り、離脱を困難にしている。
︵くそっ⋮⋮!︶
迎撃しながら苛立ちが生まれる。
痛みの感覚自体は切り離しつつも、どうしても動く際に違和感を
肉体が訴えてくる。
そもそも何故このような事になったのか。
︵⋮⋮結局、あやつのせいではないか!︶
勝手に勘違いして、勝手に怒り出し⋮⋮そうして自分勝手な理由
で殺そうとしてくる。
段々とテンペスタの内にそれまでの冷静な感覚が薄れ、怒りの割
合が大きくなってゆく。
長らく、テンペスタは怒り、という感情を抱いていなかった。
幼少時は親の保護の下にあった。
巣立った後は確かにキアラと一緒にいて、憤慨する事はあった。
だが、それは誰かの為の怒りでもあった。良く言えば苦しめられる
誰かの為に怒り、共感する事が出来たという事であり、悪く言えば
結局の所他人事であって自分自身の事と思う事はなかったとも言え
る。
391
そう、テンペスタは自分自身の為に他者に対して怒りを抱いた事
はなかった。
それがこうして追い詰められた事で怒りを抱いた⋮⋮その為にこ
れまでになかった程に急速に思考が加速する。
︵結局力が足りないのだ、力が足りないからこそ奴の攻撃を止め
きれず、奴を仕留められん!︶
力を、そう思って僅かに周囲に目を向けたテンペスタは⋮⋮拍子
抜けする感覚を覚えた。
ああ、なんだ⋮⋮幾らでもあるじゃないか。
気付けば簡単な事、これまでは自身の内に自然と溜まる分で十分
だから意識すらしていなかったが、属性の力は、自らが扱う事の出
来るそれは周囲に溢れかえっていた。
太陽の光は降り注いでいる。
風は心地良く流れている。
大地の鎖は自身を下へと引き下ろそうと奮闘し続け、水は風に混
じって流れると共に眼下の大地を植物と共に覆いつくしている。
ならば、とテンペスタはそれらの力を自らの内に取り込もうとす
る。双機竜を倒すのに必要なだけの力を!
その瞬間。
轟!と世界が震えた。
392
覚醒︵後書き︶
一月の忙しい時期が終わって、ひと段落ついたのでようやっと上げ
ました⋮⋮
ちょこちょこ粗筋は仕上げていたので、何とか三つ四つぐらい連続
で上げたいですね⋮⋮という訳でなるだけ早く次を挙げれるよう書
いてます
二次の方も書き直してたのがあと少し⋮
393
外伝:黄金竜のある一日3︵前書き︶
思ったよりてこずりました
394
外伝:黄金竜のある一日3
つるつるの頭に一本だけ毛が伸びている。
そんなおっさんが街中を歩いていたらどうだろう?
相手が普通のおっさんなら思わず視線を向けてしまったり、笑っ
てしまうような人もいるかもしれない。
ただし、今現在、そんな頭を太陽の下、輝かせている人物相手に
そんな事が出来るような者は余程親しい者ぐらいだろう。
鍛え上げられた肉体、二メートルに達する巨漢、全身鎧と大型の
ハルバードで武装し、いずれの武具も一級品と見た目で分かる熟練
の冒険者と思われる髭面の人物だが、しかし今彼は生命の危機に瀕
していた。元々は頭部も兜を被っていたのだが、直前の襲撃によっ
て首ごと吹っ飛ばされるのを避けるのと引き換えに弾き飛ばされて
いた。 ﹁ふう⋮⋮ふう⋮⋮﹂
乱れた息を整える。
無論、視線は眼前の相手から逸らしたりはしない。
彼もまた熟練の冒険者でもある。今この時、それが己の死を招く
行為であると熟知している。だがそれを差し引いても。
︵⋮⋮今度ばかりは駄目かもしれんな︶
眼前には巨大な魔獣が唸り声を上げている。
見た目は山羊というべきだろう。だが、その実その危険度はこの
森、シャーテンブラの森と称される数多の魔獣が巣くう為に国でさ
え開拓を諦めて放置されている森の中でも上位に位置する魔物だ。
間違っても一人で対峙するような相手ではない。そもそもこの森の
395
魔獣達は基本、この森から出てくる事はない。伝説、伝承の類によ
れば、一国にも匹敵する規模の、この森の奥深くには獣の姿をした
強大な竜王が住んでおり、シャーテンブラの森はその竜王の縄張り
なのだと、そして魔獣達はその祖を竜王の気によって変じた獣に持
つ為にこの森を離れようとしないのだと伝えられている。
あくまで伝説の類であり、誰が確認したという話もない。そもそ
もこうした不可侵の地域がある時に、その理由として竜王の存在が
挙げられるのは良くある事でもある。
いずれにせよ、貴重な薬草などが採取可能とはいえ危険なこの森
に、彼も一人で挑みはしない。事実、ここを訪れた時は臨時のパー
ティを組んだ五名で訪れたのだった。
⋮⋮問題は。
﹁ふん、わしもやきが回ったもんじゃ﹂
吐き捨てるように彼が呟いた通り、残る四名はいずれも見た目こ
そ立派だったが、その実力はろくなものではなかった。
どうやら親が金持ちのドラ息子だったようで、金に飽かせて良い
装備を身に着け、装備の力のお陰でこれまで特に苦労する事もなく
依頼をこなしてきていたのだろう。通常の冒険者が下っ端から上へ
と上がっていく過程で嫌でも身に着ける努力の末に得られる実力と
いう奴を持ってはいなかった。
なまじここまで来る過程で出くわした魔獣相手に然程苦労する事
なく対処出来ていた事も拙かった。無論、調子に乗っている様子が
鼻につく部分はあったが、男からすれば下積みを経て実力を得てき
た者が実力をつけて上手く行くようになってきた事で調子に乗ると
いうのは割と良くあるケースで、熟練の冒険者にとっては﹁ああ、
自分達もこんな時期あったなあ﹂と生暖かく見守るのが恒例となっ
ている。そうして、今の自分達でも苦戦するような相手と再び出く
わす事で困惑し、鼻っ柱をへし折られるという訳だ。
396
このような調子に乗り出した頃には熟練の冒険者が一人二人同行
するケースは多い。最初の混乱を乗り切れば彼らもそれまで苦戦し、
それを乗り越えてきた確かな経験を思い出して戦い、そうやって再
び初心を思い出す。その最初の混乱を乗り切る為に熟練者が同行し、
やがては彼らが次の熟練者となってゆくのだが⋮⋮。
︵あやつらの行動からして⋮⋮︶
彼らは自分達が苦戦するという事自体に戸惑い、混乱し、泡を食
って逃げ出してしまった。
もし、彼らだけでこれまでやって来たとなれば、どこかで苦戦す
るような経験をしていたはずだ。冒険者組合はそこまで甘くはない。
が、あの反応からしておそらくは親の雇った護衛がこれまでは密か
についていたのだろう。そうして密かにサポートを行ってきたのだ。
では何故今回はそのサポート役がいなかったのか、という事にな
るがそれも薄々想像がつく。
今回は彼らは仕事を終えた打ち上げの場からそのままついてきた。
シャーテンブラの森へ行く同行者を探す彼に﹁なら俺達が行くさ﹂
と気軽な様子で声をかけてきたのだ。簡単な仕事だった、今からで
も次の仕事にかかれるというか前が簡単すぎて早々に終わってしま
ったからそのまま次の仕事を探しに来たのだと。
つまり、親へ報告するという過程がなかった為に、今回は護衛が
いなかったに違いない。
最もその報いは自分達の身で支払う事になってしまったようだが。
魔獣達も獣には違いない。泡を食って背を向けて逃げる相手に追撃
という名の追い討ちをかけられ、そんな状態に陥った際に助けてく
れる護衛もおらず、次々と押し倒され、命を落とす羽目に陥ったの
だ。
助けなかったのか、と言う者がいるかもしれないが、彼も彼らを
襲ったものと同じ狼系の魔獣による襲撃を受けていた。というか、
397
群に襲われ、彼は何とか自分を襲ってきた相手の撃退に成功したも
のの四人を襲う狼魔獣を追い払うだけの余裕はなかった。そうやっ
て森の中を抜け、もう少しで森から出られるという所で襲われた、
という訳だった。
﹁わしもここまでか⋮⋮だが﹂
せめてもの意地だ。道連れにしてくれよう。
その思いを篭めて睨みつける。
その覚悟を読み取ったか、魔獣もまた警戒を強める。だが、森の
強者としての誇りなのか、或いは魔獣の凶暴な本能故か逃げる様子
はない。
互いに睨み合い、それが限界に達し、動き出そうとする刹那。
﹁てい!!﹂
そんな声が響いた瞬間。
ドゴン!!!!!!!
、そんな轟音と共に男の目の前にいた相手が入れ替わった。
一瞬にして魔獣は姿を消し、代わりにそこには女性が一人。いや、
年齢的にはまだ少女と言っていいぐらいだったが、立っていた。
﹁は⋮⋮?﹂
思わず周囲を⋮⋮見回すまでもなく、魔獣はピクピクと痙攣して
少し離れた所に転がっていた。
ぶくぶくと泡を吹き、痙攣し、胴体はくの字に折れ曲がっている。
明らかに致命傷だが⋮⋮一体何をしたのか。
398
山羊に似たとはいえ魔獣は魔獣だ。頭部までの高さは四メートル
に達し、角を合わせれば更に高い。当然、その体重は数百キロどこ
ろかトンに達し、まともに直撃を喰らえば身体強化の魔法を用いて
いる冒険者であっても怪我を負うような相手だ。
せめて少女が武装していればまだ分からないでもないのだが、シ
ャーテンブラの森という危険地帯に来るには余りに身軽。というか、
武器は持たず、服装は街中を歩き回るのと大差ない。となると、も
し、少女が魔獣を何とかしたとなると、殴り飛ばしたか蹴り飛ばし
たと考えるしかないのだが、果たして人の身でそんな事が可能なの
か。
余りと言えば余りの事態に思考停止気味な男が呆然としつつも、
少女をマジマジと見詰める。
美しい少女だった。
髪は森の奥の薄暗い中にあって尚輝く黄金。まるで自ら光を放っ
ているような印象すら受ける。
肌はあくまで白く、透き通った翠の瞳が輝いている。 衣類こそ地味だが、そんな町の娘が普通に着ているような衣類を
着ていてさえ内面からの輝きは隠せず、着飾る必要すらなく実はど
こぞの貴族の令嬢と言われたら、大抵の人が納得するだろう。⋮⋮
だからこそ、シャーテンブラの森という危険地帯にいる事が違和感
を思い切り発散しているようでありながら、同時にここにいる事が
間違っていないような⋮⋮そんな二律背反な印象を併せ持っていた。
﹁⋮⋮⋮あー⋮⋮どちらさまかな?﹂
とはいえ、助かった事には変わりはない。そうしてまず間違いな
く助かったのは目の前の女性のお陰だ。あのままであれば、勝った
としてもこちらも無事では済まなかった。間違いなく相当な怪我を
負い、そんな状態ではこの森から脱出する事は出来なくなっていた
だろう。
399
そして日が沈めば、翌朝には骨も残らなかったに違いない。
そう思い、声を掛ける。恐る恐るといった調子となったのは勘弁
して欲しい。
﹁⋮⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮な、なんじゃ?﹂
少女はと言えば、てくてくと歩み寄り男の顔を無言で覗きこんで
きた。
これがハゲ頭の中年男だと喧嘩売ってるのか、と不快に思う輩も
出るだろうが、その点は美少女は得だ。男も覗き込まれてもドギマ
ギこそすれ、不快感などは抱かない。
﹁貴方、コッホさん?﹂
﹁む?た、確かにそうじゃが⋮⋮﹂
﹁暗き穴倉亭の店主さん?﹂
﹁そうじゃ﹂
どうやら少女が来たのは偶然ではなく、自分を探しに来たらしい。
はて、一体全体誰に頼まれたのかと思いきや⋮⋮。
﹁そっか!私ルナって言うんだけど!﹂
﹁あ、ああ⋮⋮﹂
﹁あれ美味しい?﹂
﹁はっ?﹂
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
400
少女が指差した物を確認し、コッホは納得したように頷いた。少
女の指差した先に転がっていたのは先程吹っ飛ばされていった、現
在は見事に昇天した魔獣。
﹁ああ、あ奴は美味い、ただちゃんと処理してやらんとなあ﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁⋮⋮食いたいのか?﹂
目を輝かせる少女に確認を取れば、こくこくと頷くその様を見て、
少し苦笑しながら解体と処理を行うべくコッホは歩き出した。彼の
後をとことことついてくる少女は先程の大型魔獣を一撃で吹っ飛ば
した光景が幻でだったんじゃないか?とコッホに思わせるぐらい年
相応というか幼い印象を受ける。
自身も子のいるコッホはその後ろに尻尾がぶんぶんと元気良く振
られているのを見た気がして⋮⋮思わず振り返ってまじまじと見た。
見間違いではなかった。
少女の後ろには金色の毛並みの尾がぶんぶんと振られていた。
とはいえ、コッホはそれを異常とは思わない。
︵成る程、獣人族だったか︶
先程までは確かに尾は存在していなかったが、獣人族ならばそれ
もありだ。
獣の要素をその身の内に持つ獣人族は亜人の一種であり、耳や尾、
爪などの身体的特徴を持ち、優れた身体能力を発揮する反面、魔法
の扱いでは人にかなり劣る。それでいて保有魔力には双方に大差が
ない事から獣人は無意識の内に身体強化に魔力を用いているとされ
る。つまり、人を上回る力を発揮する事は不思議ではない。
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それでも、あれだけの魔獣を問答無用で吹き飛ばせるかは疑問だ
が、とりあえずそれを置いておいて、コッホは魔獣の解体を始める。
魔獣と言っても別に体に害がある訳ではない。普通の獣が属性を
取り込み魔法を用いるようになっただけだ。
属性自体はどこにでもあり、そもそも水や植物にも宿っているの
だから体に悪い訳がなく、魔獣もまた同様。無論、普通の獣や木の
実がそうであるように美味い魔獣もいれば、不味い魔獣もいるが今
回の山羊型魔獣はしっかりした歯応えと豊富な肉汁が魅力の旨味の
強い肉を持っている。ただし、きちんと下ごしらえをしたら、の話
だが。
なにせ、頑強な肉体を持つ魔獣故に一般人が齧りついた所で、そ
のままでは文字通りの意味で歯が立たない。その為、しっかりと下
ごしらえをして、肉を熟成させ、柔らかくしてやる必要があるし、
そうした上で初めて味付けも意味を持つ。無論、解体の段階からき
っちり処理を出来るならそれに越した事はない。
それが分かっているから、食欲に基づいた期待全開といった様子
の少女にも指示を出しながらてきぱきと解体してゆく。
実の所、こうした技術を持っている奴はこの世界でも少ない。
何しろ魔獣の肉だ、通常の獣より遥かに強力な連中の食材など通
常は偶然仕留めた冒険者がギルドを通じて市場に出すか、依頼を受
けて狩って来たものの内、納品を受けた商会が余剰分を放出したり
する程度で通常の意味では市場に出回る事はない。
必然的に価格は高くなり、一般の店が一般の人にも手が出るよう
な価格で提供するというのはまず不可能。
コッホは自身の店でかなりの格安で魔獣の肉を提供する変わり者
だが、それが出来るのも自身で魔獣を仕留めている為に、仕入れ値
がかからないからこそ出来る事でもある。
何でそんな事をしているかと言えば、元々は店のテコ入れの為だ
った。
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生活の為に冒険者となったコッホはそちら方面で才能があったの
だろう、若くして成功した事で自らの夢を叶える機会を得た。それ
が料理人、腕の良い料理人であったといい、実際コッホにも料理の
技術を仕込んでくれた父はけれど商売下手で店を潰してしまい、借
金の支払いの為に金を稼げる仕事に就かざるをえなかった。母親は
と言えば、店を潰した時点で夫に愛想をつかして、まだ小さい息子
を残して出て行ってしまった。
借金を何とか支払い終えて、けれど間もなく長年の無理が祟って
亡くなった父の最期の言葉﹁もう一度料理を食ってもらえるように
なりたかったなあ⋮⋮﹂という願いを自分が叶えるのだと思ってい
たコッホは念願叶って店を構えたのだが、これが思ったより流行ら
なかった。
後になって考えてみれば当然だったと当時の自分を思えば苦笑し
てしまうコッホだが、なまじ金を持っていた為に店を開いた場所は
料理店を開くには良い立地⋮⋮そう、そんな良い立地故に他にも料
理を売り物にする店が幾つもあり、老舗の評判の店も一軒ならず存
在していた。そんな場所にいきなり店を構えた所で、これまで無名
だった料理店がいきなり繁盛する訳がない。これでコッホの腕がそ
れらすら圧倒する程に劇的な美味を提供出来るというなら問題なか
ったが、さすがに周囲も熟練の料理人が店を構えている中でそんな
事が言える程ではなかった。
故に、コッホは自身の店ならではの売り物を探す必要に迫られた。
そんな中で見出したのが魔獣料理だった。
実の所、魔獣の調理が可能な者は限られている。 魔獣の肉というものは普通なら美食に慣れた王侯貴族や豪商と呼
ばれる奴らが多額の金をかけ、たまにオークションで出る肉を落札
するか雇った一流冒険者に魔獣を狩らせて、超一級の料理人を雇い、
初めて口にするような代物だ。
そんなある種特別な品を加工する技術が求められる機会自体が少
ない。鍛えても使う機会がないとなれば当然と言えるのだが。
403
幸い、コッホは魔獣を調理する技術を持っていた。時にはそれし
か食えるものがないという状況も経験していたし、調理というか加
工技術があればその分魔獣の素材が高く売れたからだ。
結果、コッホの店は話題を呼んで、今ではコッホ自身の技量が上
昇した事で普通の料理も評判が高いが、未だ魔獣料理は出し続けて
いる。
それらを食べたいが為にわざわざ予約を入れてきたり、自身がし
とめる代わりに安く食わせてくれと言ってくる冒険者などもいるの
だが、しかし⋮⋮。
︵どうにもこのルナ嬢ちゃんはそれとは違う気がするんだよなあ
⋮⋮︶
彼の指示に従って解体を進めていく少女からはそんなある意味コ
ッホが知る雰囲気が感じられない。
むしろ感じるのは⋮⋮。
︵うん、そうだ、魔獣って奴を食い慣れてる感じだ︶
魔獣は強い。
熟練且つ一流の端くれには入っていると自負するコッホとて一人
では狩れるような魔獣は限られる。普段狩るのはもっと小型の魔獣
だ。
それが目の前の少女は目前の大型魔獣、コッホのような一流どこ
ろの冒険者がパーティを組んで狩るような相手に対して、確かに期
待はしているがそれは﹁食べたことのない珍しい食事﹂に対する期
待ではなく、﹁普段食べてるのがどんな味になるのかが楽しみ﹂な
のだと長年の経験と勘で察する。
そう疑念を感じながら解体していたコッホはゾクリと背中に走る
感覚に急ぎ振り向く。そこには⋮⋮。
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﹁四腕巨熊だと!?﹂
のそり。
そんな音が付きそうな仕草で現れたのは巨大な四つの︵脚と合わ
せて六本︶腕を持つ熊だ。成獣は立ち上がれば全高さは優に五メー
トルを越え、爪のによる攻撃はまともに喰らえば大木ですら一撃で
へし折れる程。加えて水の力を宿す為に簡易ながら水の魔法すら用
いてくる。攻撃魔法としては精々氷の弾丸を飛ばしてくるだけだが、
安全に遠距離から封殺するという手段が使えないというだけでも厄
介さが増す。 内心で︵どうなってんだ今日は!︶と叫ぶ。
たった今絶賛解体中の鹿型の魔獣といい、いずれもこんな森の浅
い所にいるような魔獣ではない。
しかし、これで判明した事がある。
鹿の魔獣は偶然森の浅い所に迷い出て来た所を遭遇したのではな
い。おそらく森の奥地、こうした大型の魔獣が生息する地域で何か
があったのだ。
魔獣達は属性の強い場所を好む。それはもし伝説通りならば竜王
の住まう森の最奥部に近い場所であり、その為に森の奥深くへと進
む程属性の強い地に住む事の出来る、他の者に縄張りを横取りされ
る事なく逆に排除可能な強力な魔獣が存在する。森の外縁部に近い
程、属性の強さは弱くなるので結果として外に行く程良い場所を追
われた、追われるぐらいに弱い魔獣が生息するという事になる。
四腕巨熊もこれがまだ親離れしたばかりのものならまだ分からな
いでもない。
だが、大人になったばかりの彼らは三メートル程度。大人と変わ
らぬサイズとなって巣立ってゆく通常の熊と異なり、長生きし、延
々成長し続けると言われる四腕巨熊は長く生きた個体と親離れした
ばかりの個体とでは明確にそのサイズが異なる。過去には十メート
405
ルを越えるそんじょそこらの下位竜程度なら真っ向から打ち殺せる
ような個体が存在したという記録すら残っている。
その知識と体に走る傷跡から判断するならば目の前の相手は相当
な齢を重ねてきた古強者。
反面、今ここには鹿型魔獣の肉がある。すぐにこの場を離れれば
そちらを優先するだろう、獲物は惜しいが命には代えられない。
そう考えたコッホの視界に信じられない光景が映る。
﹁!いかん!嬢ちゃん、下がるんじゃ!!﹂
ルナがてくてくと四腕巨熊に向かって歩き出したからだ。
一瞬血の気の引いたコッホだったが、続けての光景に今度は真剣
に自身の目を疑う事になった。
訝しげに﹁なんだこいつは﹂とでもいう目を向けていた四腕巨熊
が突然、ピタリと動きを止めた。
それだけならまだそこまで驚く事ではなかったかもしれないが、
直後に怯えたように巨熊が身を縮め⋮⋮。
﹁⋮⋮はッ!?﹂
突然、腹を出して寝転がった。
どう見ても圧倒的強者に対して観念した全面降伏のポーズである。
おまけに首だけ曲げてルナを見てはいるが、明らかにその目は強者
の見下すそれではなく、怯えて気弱げに垂れ、その全身がぷるぷる
と震えている。
﹁ねえ、コッホさん﹂
﹁む?な、なんじゃ?﹂
﹁この子って美味しい?﹂
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至極無造作に視線を外して、ルナはコッホへと顔を向ける。
普通、こうした熊などは目を逸らした途端に襲い掛かってきても
おかしくないのだが、全くそんな素振りを見せはしない。
﹁⋮⋮あー⋮⋮いや、肉食獣じゃし、珍味なぞと一部のもんは言
うが美食に飽いた連中のゲテモノ食いと大差ないからのう⋮⋮﹂
確かに一部の部位を珍味として持て囃す者はいる。それは確かだ。
だが、コッホからすれば所詮それは邪道だ。
そりゃあ毒があっても食いたいぐらい美味だというなら、何とか
して食おうというのも理解出来る。
だが、食えない事もない、という代物をわざわざ食おうというの
が理解出来ない。まあ、人の嗜好は人それぞれと言われれば確かに
間違ってはいないし、それを美味いというのならばコッホはそれを
否定するつもりはない。例え、その料理が見ただけで胸焼けを起こ
しそうな代物だったり、強烈な匂いで吐きそうになりそうな見た目
最悪の代物であっても、だ。
ただし、コッホ当人がそれを食いたいと思うか、自分で料理した
いと思うかはまた別問題。
﹁まあ、なんじゃ。折角美味いもんが目の前にあるんじゃし、わ
ざわざ狩ってまで食いたいと思うもんではないと思うぞ﹂
﹁そっか⋮⋮なら行っていいよ﹂
コッホの言葉にルナが頷いて、四腕巨熊に対して声をかけながら
森を指差すと、ぱっと起き上がった巨熊はルナへと視線を向け、ぺ
こりと一礼するとそそくさと森の奥へと姿を消した。
その姿を見送ったコッホは思わずといった様子でルナに声を掛け
る。
407
﹁なあ、お前さん何者なんじゃ?あんな魔獣が怯えるなんぞ余程
じゃぞ?﹂
﹁え?私はただの竜王だよ﹂
﹁成る程、竜王じゃったか、それなら﹂
あっさり帰って来た返事に相槌を打ち⋮⋮即効でルナへと視線を
向けた。
何時の間にやら小首を傾げる少女の頭には角がその姿を見せてい
た⋮⋮。
408
外伝:黄金竜のある一日3︵後書き︶
ウィンドウズアップデート
少し横になってる間にまたやられましたよ!!
設定確認すれば、﹁ダウンロードはするけどインストールするかど
うかは選択する﹂、になってるのに勝手に再起動しやがってました。
何ででしょーね
最後の手段と﹁通知はしてもダウンロードもインストールもしない﹂
に設定しましたが⋮⋮これで駄目だったらどうしよう
次の本編で、ルナちゃんの姿の変貌もその理由が明らかになる、予
定です
409
黄金竜のある一日4または竜王女の美食日記1︵前書き︶
外伝に関しては以後はタイトル変更にて
⋮⋮ところで、これ外伝と本編分けた方がいいですかね?
410
黄金竜のある一日4または竜王女の美食日記1
﹁⋮⋮竜、王?﹂
﹁らしいよ?﹂
﹁らしい、って⋮⋮どういう事じゃ?﹂
思わずといった感じで呟いたコッホに返って来たのはそんな言葉
だった。
明らかに伝聞と言いたげな、自分でも自身が竜王であるという事
を理解してなさそうな言葉に疑念を感じたコッホが聞いてみれば、
これまた素直に話してくれた。無用心な、そう思わないでもないコ
ッホではあったがよくよく考えてみれば、少女の言う事が本当なら
相手は竜王だ。そんな相手を騙くらかした所で、危険を感じさせる
ような相手なぞ人の世にはいないだろう。盗賊が武器を抜いて取り
囲んだ所で泣いて詫びを請うのは盗賊の側になるだろうし、奴隷商
人が目をつけた所で護衛と檻ごと木っ端微塵に粉砕されてボロクズ
のようになるのは奴隷商人の側だ。
そう考えるなら、警戒心を抱けという方が無理なのかもしれん、
そうコッホが考えている間に少女が話してくれた所によると、少女、
ルナ自身もこの姿となって困惑したらしい。
誰かに聞いてみるかと思ったが、兄含め身内は傍にいない。
﹁お兄さんとかおるんじゃな⋮⋮﹂
﹁話通じるのは一体だけだけどねー﹂
﹁ほう?他は駄目じゃったのか﹂
﹁巣立ちする時に頭いいお兄ちゃんは一体だけだったの﹂ それ以外の兄姉竜はいずれもまだ知性を得ていなかったから、今
会ったとしてもお互いの事が分かるか分からないという。
411
︵考えてみれば、竜の研究者でもおったら涎垂らして飛びつきそ
うな話じゃよなあ︶
と、同時に危険性にもコッホは気付く。
︵⋮⋮こんななりをしていても竜王は竜王なのは先の魔獣の件で
明らかじゃ︶
事実、鹿型魔獣は一撃で吹き飛んで絶命した。
四腕巨熊はその中でもかなり上位であろう個体が怯え、全面降伏
し、逃げ出した。
もし、バカな冒険者なりが侮ってこの少女に手を出したとしたら
⋮⋮正直、どんな事になるか想像したくもない。下手しなくても街
一つが壊滅ぐらいしかねない。
世の中、見た目で判断出来る者など極一部だ。
穏やかな好々爺がその実、世に知れた盗賊団の頭であったり、強
大な魔法使いであったり⋮⋮或いはコッホの知り合いの中には見た
目は子供ながらコッホでさえ到底敵わない剣の達人なんて奴もいる。
かと思えば見た目は強そうなごっつい男が見掛け倒しだったり⋮⋮
無論、見た目通りの事の方が多いのも確かだが侮る事はしてはなら
ない。
︵⋮⋮この子、聞かれたり、﹃竜王?﹄とか疑われて笑われたり
したら普通に証明とか言って何かしらやらかしそうじゃしなあ⋮⋮︶
竜の素材は滅多に手に入らないだけに正に一攫千金。
無論、どんな竜でもいいという訳ではなく下位竜でも高価な買取
が為される竜もいれば、安く買い叩かれるような素材しか手に入ら
ない竜もいる。だが⋮⋮属性竜は別だ。あいつらの素材が何らかの
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要因で偶然入手出来、それで作られた武具︵大抵は生え変わりで落
ちた鱗とかだ︶なんかはそれこそ大国の国宝クラスの扱いをされ、
冒険者が手に入れれば一生物の武器となる。
それだけに怖い。
真っ当な連中なら竜、それも竜王に手を出すなんて事がどんだけ
馬鹿げた事か重々理解しているが、世の中それでもトチ狂うバカが
必ずいるし、恐ろしさを知らないお貴族様が手を出す危険すらある。
それに。
︵見た目が見た目じゃからなあ⋮⋮︶
着飾らずとも分かるその美貌。
実際にはルナは人の顔の美醜など分からない。なので、この姿と
なる際に無意識がそれまで見た人々の顔の平均を割り出して構成さ
れているのだが世の中の美形美女というものはその時代の顔の平均
であるとも言われる。どうやらそれは今回は正しかったようで、そ
の外見もコッホが見る所目をつけられる要因になりそうだった。
竜王と名乗り、竜としての実力を︵多分︶示せるであろう相手。 見た目も貴族などが手出しそう、そうでなくても普通に惚れる奴
が出てもおかしくない容姿。
コッホが思うに厄介事の匂いしかしない。
本当ならばそんな相手とは関わらないのが一番なのだが、相手は
コッホ自身の命の恩人とでも言うべき相手。冒険者というのはその
立場上、冒険者同士の繋がりや恩義を重要視する。何せ、何かあっ
た時に騎士や兵士と違って国のバックアップを受ける事が出来ない
から仲間を見捨てる、或いは防恩の輩は要注意人物としてチェック
される事になる。実際、コッホも帰還したら先の逃走した冒険者達
の事に関して報告を行うつもりだ。告げ口などと思う事なかれ。何
しろ、命に関わる事、﹁何かあった時に例え一時的だろうが仲間を
見捨てて逃げるような連中﹂の情報は共有しておかねば今度こそ犠
413
牲者が出るかもしれないからだ。
だから、コッホはルナを面倒事から守る、つもりだ。
︵まあ、素直そうじゃし、大丈夫じゃろう︶
騒動になりそうなのはあくまで世間知らずっぽいからだ。我侭放
題だからではない、と思う。
﹁えっと、話戻すね?それでお兄ちゃんやお母さんはちょっとど
こにいるかわかんないから知ってそうな竜を探したの﹂ 当然だが、相手は上位竜でなくてはならない。下位竜ではそもそ
も考える頭を持っていない。
どうやって探すのかと思ったが、そこら辺は適当、辺りを飛び回
り強い属性の力探して、そこへ向かったらしい。
人にはそんな属性を感知する能力なぞないが、そこは矢張り竜と
いう事なのだろうと自身を納得させているコッホだったが、その強
い属性を持つ感知した相手というのがこのシャーテンブラの森の最
奥に住む竜王、深淵の竜王であったという。
大地と水の属性を持ち、長き齢を重ねた強大な竜王。
その相手から﹁新しき竜王の誕生か、歓迎しよう﹂と言われたら
しい。
︵伝説って本当だったんかい︶
正直コッホは伝説に聞くシャーテンブラの森最奥部の竜王の話は
眉唾だと思っていた。
もっともこれは別に彼が特別だとか彼だけだとか言う話ではなく、
むしろ冒険者としては至極当然。
このシャーテンブラの森もそうだが、諸事情により文字通りの意
414
味で人が立ち入れぬ秘境では﹁竜が住んでいる﹂という伝説が立ち
やすい。コッホ自身もそうした﹁竜が住んでいる﹂という伝承のあ
る地へと仕事で幾箇所か立ち入った事があるが、そのいずれでも竜
がそこに住んでいる事は確認出来なかった。
ある地はただ単に地元の人が希少な薬草を確保する為の深山へと
無闇と子供や余所の人間を立ち入らせない為の噂話が何時しか竜王
が奥地に住むという話になり、それが真実として伝わっていた。ま
たある時は竜はいたが、単なる下位竜であり、人の言葉を語る上位
竜などいなかった。まあ、下位であろうと属性竜だったらしいので
戦闘はなかったのは幸いだろう。下位だろうが何だろうが熟練の冒
険者、凄腕の騎士が束になってさえ竜は敵にするのは命がけの相手
だ。
そして、このシャーテンブラの森はといえば、奥へと分け入る程
の価値がないとも言える。より正確には奥へと入った所で危険と報
酬が釣り合わない、そう思われているというのが正しい。
シャーテンブラの森の奥地とは先程逃げていった四腕巨熊のよう
な危険な魔獣が多数生息する地域であり、普段人の手が入らぬが故
に希少な薬草も生えているかもしれないが、どこに生えているとい
った知識はそもそも地形が不明なのだから分かるはずもない。必然、
奥地へと到達した所で自力で群生地なりを探さなければならないと
いう事になる。それも強力な魔獣の妨害を防ぎつつ。
大体、シャーテンブラの森の奥まで入れるだけの実力を持つ冒険
者なら他に幾らでも確実に稼げる道がある。冒険者にだって生活が
ある。余程切羽詰って、一か八かの賭けに出ないといけない!とか、
シャーテンブラの森の奥へと突入する余程断り辛く、報酬の良い仕
事があったならともかく、命がけで博打に出る奴はいない。命がけ
の博打でさえ、難関ダンジョンなどのもっと良い賭け場所がある。
﹁竜王がいる﹂という伝説も誰も入らないから確かめられる事も
ない訳だ。
そうなると、自身の体験から﹁どうせ伝説って言っても実際は違
415
うんだろ﹂という事になってしまう訳だ。こんな偶然でもなければ
コッホとて真実を知る機会はなかっただろう。
﹁それでね、折角だから私ちょっと了承もらってお肉食べようと
思ったの﹂
﹁うん?﹂
何か急に方向性が変わったぞ?
まさか伝説が本当だったとは⋮⋮と初めて知った本物の竜王の住
む場所の話に、いや、目の前の少女も竜王だったか、とある種の感
慨にふけっていたコッホの耳に突然そんな言葉が耳に入ってきた。
﹁深淵の竜王さんにちゃんと許可貰って、ちょっと周囲の魔獣っ
ていうの?お肉取ったんだけどあんまり美味しくなくて﹂
そりゃあそうだろう。
魔獣の肉というのは癖があるものが多い。ちゃんとした下処理と
調理を施して初めて美味い食材となるのだ。というか⋮⋮。
︵あいつらが出て来たのおまえさんのせいかい!︶
と内心で突っ込みたくなるコッホである。
深淵の竜王の住まいはシャーテンブラの森の最奥部。
当り前だが、その周囲でとなると森の魔獣の中でも最強クラスの
連中だろう。
そんな相手でも本物の竜王相手ではどうしようもなかったようだ。
深淵の竜王が止めていればまた話は別だったのだろうが、その点を
コッホが確認してみると、竜王というのは基本無干渉なのだという。
少なくともこの地の竜王は。
長年暮らしていた為に土地にすっかり竜王の力が染み付いた﹁竜
416
ドラゴンズガーデン
の庭園﹂となっており、深淵の竜王は完璧な引きこもりと化してい
た。
例えるなら、趣味の品で周囲を埋め尽くされ、快適な環境が整え
られた部屋。食い物も飲み物も困る事はない、となればそれは出て
くる必要性を感じないだろう。大体、別に竜王と魔獣は友人でも何
でもない。竜王が住まうが故に属性が豊富、豊穣に満ちたこの地に
快適だから住み着いた獣にすぎない。それらに長年の間に属性が宿
り魔獣と化し、それぞれが縄張りという名の生息圏をこの地の主で
ある竜王が何も言わない事を良い事に勝手に主張していただけの話。
その主の許可を得て、別の竜王が動いた瞬間、彼らの勝手に定め
た秩序は瞬時に崩壊した。
人サイズになっていようとも竜王は竜王、元々のポテンシャルが
違いすぎて勝負にならない。頼りの属性も相手の方が遥かに強大な
力を操れるのだから話にならない。かくて彼らは完全武装の熟練の
騎士に、小枝を持って殴りかかるワンパク坊主の如き無謀を野生の
感覚で悟り早々に逃げ出した。救いはルナこと竜王が別に全ての獣
を狩る気など毛頭なかった事だろう、彼女は美味が再現したいので
あって獲物を大量に得る必要は皆無だったのだから⋮⋮。
しかし、最強の魔獣達が縄張りを捨てて逃げ出した結果は他の地
域にも波及した。
強力な魔獣が逃げてきた事で、それを察知した入り込まれた魔獣
が逃げ出し、それが更に周辺部の魔獣が逃げ出す結果となった上に、
一部の強力な魔獣はひたすら逃げた事で外縁部にまで到達し⋮⋮か
くて普段は安全な外縁部でも強大な魔獣が出現するという事態が発
生した訳だ。
間違いなく魔獣が外縁部まで出て来た事自体は﹁ルナのせい﹂と
いって過言ではあるまい。
もっとも、コッホ自身はそれを咎める気はない。
悪意あってのトレイン行為なら話は別だが、魔獣が追われて逃げ
417
出したというのは別段責めるような話ではない。トレインにしたっ
て敵わぬ相手から逃げ出して、結果としてそうなってしまったとい
うのならば全く責任がない訳ではないが、責めるだけではすまない。
死んでも生き返れるというならともかく、死んだらそれでお終いな
のだから⋮⋮。
﹁⋮⋮ま、まあ、それで美味しく食える方法を探したんか?﹂
﹁そうなの﹂
そうして、考えてみて焼いてみたり水で煮てみたけれど美味しく
はならなかった。
それは当然だろう、ただでさえ野生の獣だ。そもそも調味料も何
もなしに、塩さえなしに美味い料理が出来たらその方がびっくりだ。
いや、コッホ自身ならば野生のハーブを用いたり、似たような味を
出す野草を用いたりして食えるレベルにしてみせる自信はある。が、
自分でも子供の頃に、包丁さえ握った事のない時にいきなり肉を渡
されて﹁美味い料理を作って﹂と言われても偶然以外にそんな事が
出来る訳がないと断言出来る。眼前の少女もまた同じだった、とい
うだけの話だ。
そして、悩んだ挙句、魔獣の肉を美味しく食べれる方法を探して
人の街へ⋮⋮。
﹁ちょい待ってくれ﹂
﹁なに?﹂
可愛らしく小首を傾げるルナだが、コッホからすれば聞き捨てな
らない事を口にした気がする。
﹁⋮⋮行ったんか﹂
﹁?町?﹂
418
﹁そうじゃ﹂
﹁うん﹂
何か途轍もなく嫌な予感がしたコッホだった。
﹁⋮⋮すまんが、その時の事をなるだけ詳しく話してくれんか?﹂
﹁いいよ?﹂ そうして、ルナは語り出した。
⋮⋮まあ、至極当人にとっては自然に大気を操って幻を映し出す
という映像つきで説明してくれたのはコッホにとって予想外ではあ
ったが、分かりやすかったとは言っておこう。
419
黄金竜のある一日4または竜王女の美食日記1︵後書き︶
本来ならばもう少し早めに上げたかったのですが⋮⋮結局先日の休
みはずーっと風邪で寝て過ごす羽目になりました
まあ、お陰で体調は戻ったんですが⋮⋮薬飲んで、ビタミン取る為
に100%レモンと蜂蜜のお湯割り︵ホットレモン︶飲みまくって
⋮⋮昔から私は喉が痛くなった時含めて風邪引いた時は飲み物これ
ですね。自分には良く効くように感じます
次は本編投稿予定です
420
第二十四話:全ての契機、その発端︵前編︶︵前書き︶
少し解説的部分が多いです
当初は一話で決着まで納めるつもりが、予想外に長くなったので分
割しました
421
第二十四話:全ての契機、その発端︵前編︶
﹃オロカナ﹄﹁事を﹂
空を見上げ双機竜は呟く。
今、何が起きているのか、双機竜は知っている。彼自身もかつて
力を求めた時、考えた事がある事だから⋮⋮だからこそ、分かる。
今、テンペスタが行っている愚かさを。
竜は姿を変える。
この事は人の間でも結構知られてたりする。
まあ、明らかに他とは異なる姿を持つ竜王がいるんだからここら
辺は分かりやすい。竜王自身が暇潰しがてら、自分の好奇心の為に
命がけで竜王の所までやって来た人の学者の受け答えに答えてくれ
たりした事もあって、割と良く知られた話だったりする。
しかし、﹁じゃあ何故姿が変わる?﹂という点になると、こちら
は案外知られてなかったりする。
原因は至極単純、竜王自身も知らない事が多いから。
聞かれた当人ならぬ当竜が知らないのでは、それは人が知る訳が
ない。竜王が分かる事と言えば、相手が竜かどうかという事と、竜
王かどうかという事ぐらいだ。
じゃあ、どうして変化するかというと実は意志とエネルギー量な
らぬ溜め込んだ属性の量の問題、というのが正解だったりする。
属性竜は通常の下位竜などと違って、食事の必要がない。
しかし、物質的な肉体を維持するには当然、何か物質が必要だ。
ずっと動かない岩でも段々磨り減ったりしていくのに、何百年と生
きる竜がその例外な訳がない。では、あの巨体は?というと実の所
422
属性の塊、エネルギーの塊のようなものだったりする。物質がエネ
ルギー化するように、エネルギーもまた物質化する。属性もまた然
り。
物質化した属性の塊なのだから、周囲から属性を取り込めばそれ
で失われた部分を補充出来るのも当然の話。
上位竜はいずれも属性竜にしかなれず、である以上、竜王になれ
るのも属性竜のみ。 生まれた時は物質化していた竜の体は次第に属性へと置き換わっ
ていき、やがて肉体部分が完全に属性へと置き換わった時に成竜と
なる資格を得る。とはいえ、その時に﹁大人になる!﹂という意識
がなければ、﹁まだ大人にならない﹂と考えていれば変化も起きず、
成竜にならない。
この時、大人になるイメージは基本、自身の成長した姿で構築さ
れる。
そんな竜が二段階目の成長を求める機会は少ない。
属性竜だからメシに困る事はない。
竜なんだから金がどうこういう心配もない。
住んでる所を追い出される事も⋮⋮まあ、滅多な事ではあるもの
じゃない。
襲われた所で本当の意味で敵と呼べるような相手なんかまず滅多
な事じゃ出くわさない。
衣食住足りて礼節を知る、というか不満を感じなければ変わる必
要を感じないというか。
しかも、変わりたいと思っても変化に必要なだけの十分な属性が
溜まってなかったら変われない。海の広さに憧れて変わりたいと願
っても、池を作るぐらいの量しかなかったら海にはなれない。この
時大事なのは、足らない場合はそもそも変化自体が起きないという
点。
買いたい!と思った品があってもお金がなかったら買えない。
423
お金が財布にあっても、欲しいと思わなかったら買う事はない。
そういう事だ。
だが、その二つが満たされた時、姿を再構築する程に強い願いと
いう意志を示した時、竜は新たな変化を迎える。
原因はそれぞれの竜ごとに違うから、姿もまた違う。大きな体を
圧縮して、より小さな⋮⋮そう、竜の体から小さな猫や人になるな
ら上位竜でさえあれば若い竜でも、その体に溜まった年経た竜から
すれば凄く少ない量の属性でも可能だから竜王になれるけど大抵は
年経た大量の属性を溜め込んだ竜が体を作り変えて新たな竜王とな
る。 そう、通常は若き竜が強大な力を求めた所で竜王への変化いや進
化が起きる事はない。
それを達成する為には決定的なまでに体内に宿る属性が不足して
いるから。
本当なら、如何にテンペスタといえどその身に宿る歳月、それが
為し得る属性の蓄積だけはどうにもならないはずだった。
しかし、テンペスタはそれを周囲にある属性で補うという手段で
クリアした。⋮⋮過去に同じ事をした竜がいなかったかと?いなか
った訳じゃない。けれど、竜はそれをしない、しようとしない。自
然と共にある竜が周囲に存在する属性を奪うという手を思いつかな
いという点もあるが⋮⋮。
それ以上に本能的な危機感がそれを抑制する。 今、テンペスタの周囲は完全な暗黒の球状と化している。
強大な重力場が全てを呑み込む漆黒の穴と化すとされるように、
光が、大気が、大地が、無論そこにある植物も小動物でさえ吸い込
まれ分解されてゆく。全てが物質から属性へと変換され、テンペス
タを構成するものへと変質してゆく。
呑み込まれる事なく、その影響を受ける事なく存在し続けるのは
424
双機竜のみ。
他は豊かな森も次々と空に舞い、呑まれ、それどころか山さえ崩
れ、その姿を消してゆく。上空からの視点がもう一つあれば、急速
に大地がすり鉢状へと変わっていくのが見えただろう。
⋮⋮これがその弊害の一つ。
テンペスタは全ての属性を有するが故に、このような形で結実し
ているがいずれかの属性のみを持つ物がそうなった時でも大地は死
の大地と化す。
大気をそっくり呑み込まれれば周囲の生物は窒息死する。
熱を奪い尽くされれば生物だろうが植物だろうが周囲は生命活動
そのものを凍りつかせる。
水を吸い尽くされれば後に残るのは干乾びたミイラと砂の大地が。
生物にとっては大地が一番マシではと思うかもしれないが、重力
まで呑み込んでしまうので呑まれなかった連中は空高くすっ飛んで
いく事になるだろう。
結局の所、周囲から属性を吸収するという行動を竜が取った場合、
待っているのは死の大地と化した景色となるのだがそればかりでは
ない。それは竜が本能的に怖れている事態があるからだ。
﹁これで﹂﹃オワルカ﹄
どこか憐憫を込めて、双機竜は呟いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その時、テンペスタの意識は荒波に揉まれていた。
425
膨大な力が流れ込み、それが意識を押し流そうとするのを必死に
防いでいる状態だった。
属性竜は成竜となる時に完全に己の肉体を物質化した属性へと置
き換える。それによって自然と一体化し、莫大な力と長大な寿命を
得る。そうして、死した後は一時的に物質として留まるがやがては
その全てが再び属性へと還元され、消滅し、新たな自然の一部とな
る。
だが、属性で構築されているという事は欠点もある。
それこそが竜が本能で怖れている事。
如何に竜とて枯れ果て、最期を迎える事を望んだ竜ならばともか
く、自我が消え去る、死ぬ事は怖い。
そして、自然の属性を大量に取り込むという事は⋮⋮急激に拡大
する自らの内に流れ込む属性に押し流される、自然を自らに取り込
むのではなく、自らが自然に取り込まれるという事。
長い時を経て、自らの一部と化した属性ならば問題はない。
だが、そうではない、自然そのものの属性が相手であれば、押し
寄せる濁流に人の身では太刀打ち出来ぬように、山を駆け下る土砂
崩れが容易に軍勢でさえ呑み込むように、燃え盛る業火相手に逃げ
るしかないように莫大な荒々しい属性は竜の意志さえ押し流さんと
襲いかかる。
竜は自然のその絶大な溢れんばかりの力を常に本能のどこかで感
じ取っている。だからこそ、成竜は﹃普通は﹄決して自然の莫大な
力を取り込もうなどとは考えない。彼らは自然とは、属性とはそん
な自分達でさえ制御出来るようなものではないとどこかで感じ取っ
ているからだ。
︵⋮⋮⋮⋮⋮︶
本当ならテンペスタとて、年齢にしては成熟した竜の自我とてこ
の濁流の前には意味がない。大人だろうが子供だろうが自然の猛威
426
の前には無力だ。とっくの昔に抵抗の余地なく、膨大な流れ込む属
性の前に自我を押し流され、一時的な局地現象として荒れ狂った後、
再び属性はばら撒かれる。
そうして、その竜の残骸とでも呼ぶべき膨大な属性は荒れ果てた
大地を再び実り豊かな大地へと短期間の内に戻す素材となる、訳だ
が⋮⋮。
今も尚、テンペスタの自我は保たれ、膨大な力は流れ込み続けて
いた。
︵⋮⋮なんだこれ︶
自身を包み込む泡。
自我をそれが守り、押し流される事なく留まり続けている。 泡と呼称したが、それが何かをテンペスタは理解している。それ
が自らの持つ﹃異界の知識﹄そのものなのだという事は理解出来る。
それが強固な異界となりて自我を保護する防壁となっているのだと
分かる。如何に
轟々と轟音を立てて流れる濁流があろうとも、空から見ている限り
は安全なように異界という界の区切りそのものが絶対的な防壁とな
ってテンペスタの肉体へと流れ込む属性から彼の自我を保護する形
になっている。
ただの知識ではなかったのか?
そんな思いが感謝と共にテンペスタの中に疑問として生まれる。
と、同時に疑念を感じる。
︵﹃異界の知識﹄はただの知識ではない、という事か?︶
これまで単なる異世界の、この世界とは別の道を歩んだ世界の知
識だと考えていた。或いはその中に含まれた﹁転生﹂というものな
のかと。自身の前世の記憶を受け継いで、それが﹃異界の知識﹄と
427
して記憶にあるのかとそう考えていた。
だが、改めて考えるなら明らかに異質な知識を含んでいる事に今
更ながらに気づく。
︵⋮⋮いや、自分がこれまで向き合ってこなかっただけか︶
今、こうして内側から見るならば分かる。
下水道も整っていない、この世界の都市と似たり寄ったりの石や
煉瓦組みの都市がある隣には、遥か彼方の空を往く巨大な船の姿が
ある。
これだけならば﹁同じ世界でも色々あるんだな﹂と思えるかもし
れないが、種族の見た目が明らかに異なっているとなれば話は別だ。
いや、無論、片方が支配種族で片方が隷属種族だといった可能性が
ない訳ではないのだが⋮⋮何となく分かった、としか言いようがな
い。これらは違うものだ、と。
︵いや、今は考えるな︶
頭を振り、画像から視線を引き剥がす。
今はこの壁が何時までもつか、ずうっともつ保証は全くない。
何せ、これは自分の制御下にない。自分の制御の下、展開してい
るなら力の消耗具合などから﹁まだもちそう﹂或いは﹁そろそろや
ばいかも﹂といった見当ぐらいつくだろうが、自動展開している上
に力の消耗自体がどこか別の所から来ているのでは後どれぐらいも
つのかなぞ分かるはずもない。
ならば、この障壁がもっている今の内にこの状況を何とかする必
要があった。そして、それ自体は簡単な事。すなわち、双機竜に勝
利する為の新たな体を作り上げる事。
そもそも、その為に、これだけの莫大な力を集めようとしたのだ。
428
︵問題は使えるかだが⋮⋮そこも問題ないな︶
幸い、力は莫大であっても、その力自体に意志はない。
無防備に流れの真っ只中に立っていれば莫大な河の流れには飲み
込まれてしまっても、既に堤防などが整備された河であるならば望
む通りの流れを作る事が出来る。流れ込んだ属性に明確な意志があ
り、テンペスタの意志に抗おうとしたならばそれは幾ら堤防を設け
ても洪水で時にぶち破られるように、台風の暴風雨の前にはちょっ
と手を伸ばしたぐらいではどうにもならなくても、この状態ならば
テンペスタにも手が出せる。
少しずつ、少しずつ。
自らの力へと変換し、形を作ってゆく。
形が形成されてゆけば、そこに流れ込む流れが生み出され、それ
が次の形への道を容易にし、更に⋮⋮。
、
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
﹁な﹂﹃二?﹄
訝しげな声を双機竜は上げた。 莫大な力がテンペスタの生み出した漆黒の空間へと流れ込むのが
停止した。
それはいい。想定の範囲内だ。
だが、それならば、解除されねばおかしい。
そう、﹁力の流入が停止した=テンペスタの自我が崩壊した﹂な
らば、彼の体を構築していた属性もまた自然に呑みこまれるのみ。
429
大海に一滴の雫を落としたとて何も変わらぬようにテンペスタの色
などどこに残る事もなく、属性は再び自然へと帰ってゆく⋮⋮双機
竜が少し干渉してやれば、一月と経たずにこの地は双機竜が暮らし
ていた通りの山と森を再び構築する、はずだった。
だが、未だ天空には莫大な力がそこにある。すなわちそれが意味
するものは⋮⋮。
﹁制御﹂﹃シタノカ?﹄
あの莫大な力を?
かつて自らが利用出来ないかと足掻き、不可能と諦めたあの力を?
双機竜の奥底から複数の感情が浮き上がってくる。
それは一つは恐怖。
一度試みようとしただけに、眼前で起きた現象がどれ程困難、い
や不可能に近い事なのかを彼は重々理解していた。竜となってから
とんと縁がなくなったと思っていた恐怖、それが心の奥底から湧き
上がってくる。
と、同時にそれを圧するもう一つの感情が湧きあがってくる。
﹁ふざ﹂﹃ケルナッ!!﹄
あれだけ求めた。
あれだけ苦心した。
けれど、諦めざるをえなかった。
自然に満ち満ちていようとも属性はそう簡単に制御出来るような
ものではない。ないはずだったのに、若い、双機竜からすれば未だ
ようやっと卵の殻が取れたばかりのようなテンペスタがあっさりと
制御に成功し、莫大な力でその身を構築しようとしている。
ならば自分の生とは何だったのだ。
そんな思いが恐怖を圧する程の怒りを双機竜の僅かに残る人とし
430
ての残滓が生み出す。
﹁俺がっ!﹂﹃アレダケ!﹄﹁手を尽くして﹂﹃テニハイラナカ
ッタノ二!!﹄
何故お前はそう易々と手に入れている。
八つ当たりと言えばその通りだ。
才能の差、幸運、色々な言われ方があるけれど、運のいい奴はあ
っさりと欲しいものを手に入れる、或いは才能に恵まれるのに運の
悪い奴はほんの僅かな差で欲しいものを手に入れられなかったりす
る。生活に困らぬ者がいる一方で、その日の食事にも事欠く者が当
り前のように存在する。
双機竜とて竜に生まれたのだから、この世界のほぼ全てに対して
圧倒的に有利な立場にあった。
それでも⋮⋮その竜の生においてさえ、恵まれたものは易々と自
分が手に入れたかった、欲しかったのに届かなかったものをあっさ
りと手に入れるというのか!
その思いと共に組み直す。
自らの体を構成する膨大なパーツをばらけ、再び構築する。
それは巨人の姿。
巨大な腕を持つ鋼の巨人、その上半身。
口もなく鼻も耳もないが、目に相当する部分のみが爛々と輝き、
一際巨大な豪腕が怒りを示すかのようにガツン!と胸の前で拳を打
ちつける。
下半身こそないがそこは竜王。重力を制御し、浮かび上がる。
既に吸収自体は終了しており、浮かび上がる際の重力制御にも支
障はない。
半身の巨人と、未だ黒い球体として存在している竜王テンペスタ
の卵が空中で対峙した。
431
第二十四話:全ての契機、その発端︵前編︶︵後書き︶
なんで竜はテンペスタと同じ事をしないの?って疑問が出ると思い
ますが、こういう形となっています
ただ、世の中には﹁自然など我々の制御下に置ける﹂と考えて行動
する種族もまた存在する訳で⋮⋮
あ、最後で人の姿を取ったのは﹁自分の手でぶん殴ってやりたい﹂
という感情の暴走のせいです。実際は﹁竜形態:射撃モード﹂﹁巨
人形態:格闘戦モード﹂といった感じで、むしろ不利になるかも?
432
第二十六話:全ての契機、その発端︵後編︶︵前書き︶
どうもお待たせしました
後書きにして少しご連絡をば
433
第二十六話:全ての契機、その発端︵後編︶
最初に闇から広がったのは巨大な翼だった。
鉱質な輝きを放つそれが以前と異なるのは巨大さだけでなく、以
前は翼膜となっていた全てが鉱質。一つの結晶から削り出されたよ
うな翼となっていた事だった。
これが普通の鳥ならば到底動かせず、飛べないような翼。けれど
も竜、ましてや竜王には関係ない。彼らにとって翼とは飛ぶ為のも
のではなく、象徴とでも言うべきもの。風の属性を持つ竜は多くが
風の象徴として翼や羽根を持つ。
同様に水の属性は鱗を、火ならば獣毛、土なら鉱物質といった具
合だ。
あくまで比較的、なケースであり、竜王になると全く異なる姿を
有する事の方が多いのだが、それはこの際置いておこう。
ぐうっと首が伸びるように展開し、闇が胸に収納されるように消
滅する。
そこに残ったのは巨竜。
頭から尻尾までは全長八十を越え、百に迫る。その全身を鉱物結
晶のような硬質の輝きで覆い、手足はがっしりとした太いものへと
変わり、上半身のみの双機竜と相対するように屹立している。⋮⋮
もっとも、その巨体でさえ山一つを構築する程の巨体を持つ双機竜
の前では小さく見えるのだが⋮⋮。
﹁死﹂﹃ネ!!﹄
そんな現れたテンペスタに即座に双機竜は変化した巨人の豪腕を
もって殴りかかる。
拳一つをとっても上半身だけで全高さ数百メートルに達する巨人
だ。しかも、その腕は接近戦を重視している形態だからだろう、通
434
常の人と比べても太くでかい。その拳もまた巨大で直径二十メート
ルはあろうかという金属の塊が迫ってくるようなもの。
本来ならば地面に足をつけていない状態で殴りかかっても腕だけ
のテレフォンパンチとなるのがオチ。腰の入った一撃でなければ本
当の威力のある一撃とはならないが、そこは以下省略。
豪腕は猛烈な勢いで十分すぎる程の威力を持ってテンペスタに襲
い掛かった。
それに対してテンペスタは長く伸びた鉱物の塊のような尻尾を動
かし︱︱。
ガイン!!
周囲の空間に響く轟音と共に巨腕を弾き飛ばした。
﹁!﹂﹃?﹄
逸らした、などというレベルではない。
弾き飛ばした。
そう呼ぶのが正しいだろう。
跳ね飛ばされた豪腕は片腕でバンザイヲするかの如く、真上に向
かって跳ね上げられている。サイズ・質量的にはまるで合わない。
あれだけの質量の差があれば多少の技術など意味はないが、ここで
問題となるのは双方の属性の差。その量。
少し前ならば双機竜が上回っていたそれも、今は明らかにテンペ
スタが上。だからこその結果。
砕かれた鱗ならぬパーツがバラバラと拳から地面へと落ちていく。
それに注意を払う余裕もなく、慌てて態勢を立て直す双機竜だっ
たが、訝しげな様子になる。
追撃してこない?
435
テンペスタは悠然とそこに佇んでいるだけ。
いや、むしろ⋮⋮。
︵まだ︶︽カンゼンニ︾︵意識が︶︽モドッテイナイ?︾
一瞬、何をしている、と行き場のない理不尽な怒りを感じたが、
未だ夢現の状態にあると考えるべきかと考え直す。
そんなに簡単に意識が全身を統括出来るはずがない。
そうあって欲しい、そんな願望だと自覚しながら双機竜はこの体
での最大の技を放つ。それは心のどこかで﹃いちいち相手の力を探
っているような余裕はない﹄と判断した為だった、としておこう。
﹁こいつは﹂﹃イタイゾ!!﹄
振り上げられた巨大な右腕。
その一方体の前に持ってきた左腕は萎んだような印象を受ける。
片方の腕に力を集結させ、更に腕の形状を変化させる。巨大な豪
腕が一気に先端を細く集束させ、捻れ巨大なドリルとなる。
﹁ドリル﹂﹃くらっしゃあ!!﹄
高速で回転する先端。点でしかないそれを正確に小さな物に当て
るのは難しい。
無論、側面に当ろうとも高速で回転する刃に触れれば大ダメージ
を受ける事になるのは確実。というか、サイズ的に竜や龍であって
も王クラスでなければ掠めただけでも昇天しかねない。それは双機
竜自身も理解しており、元々この一撃は直撃させずともダメージを
与える事が出来るよう作った技、のはずだった。当人にかつての記
憶の憧れがあったかどうかは置いておくとして。
436
しかし、この時この瞬間。
或いは意地なのか、恐ろしい程の正確さでドリルの先端はテンペ
スタを捕えた。
しかし︱︱それでも届かない。
直撃したドリルはその先端を砕かれ、双機竜は慌てて腕を引く。
﹁そんな﹂﹃バカナ!!﹄
混乱した声を双機竜は上げる。
竜や龍の巨体には意味がある。
圧縮したから小さくても巨体以上の属性をその体の内に溜め込ん
でいるとか、力の質が違うとかそういう事はありえない。大型の船
がより多くの物を運べるように、巨体はより大量の属性を溜め込め
るようになる。その逆はありえない。
無論、魔法の使い方やその他で状況を引っくり返せる余地は十分
にあるし、図体が巨大でも属性を十分に溜め込んでいないというな
らまた話は変わる。
だが、単純なパワー勝負、真っ向からの力比べで、しかも存分に
属性を溜め込み、この土地を自らの庭園としていた双機竜が勝てな
いなど普通はありえない。しかし、現実にそれは起きている。なら
ば、何が原因でこの事態が起きているのか⋮⋮。
﹁まさ﹂﹃カ﹄
今も尚、外部から属性を取り込んでいるのか?
それなら話は変わる。
確かに先程のように大規模な属性吸収は行っていないのかもしれ
ない。
437
だが、あの闇を見ればテンペスタには火の属性がある事が分かる、
流れ込む大気は風の属性を持っていた事を示し、地の属性水の属性
を持っている事も示していた。そして、今ここには陽の光が降り注
ぎ続け、風が吹き続けている。
もし、そうならば。
膨大な自然の力が今も尚テンペスタの力となっているのなら、体
の大きさなど何の意味もない。
ゾクリ、と双機竜の心に怖気が走る。
︵そんな/馬鹿な︾
二つの頭の思いが重なる。
なら、ならばなんだったのだ、自分の努力は。
あれだけ追い求めたのに、何百年の研鑽を積み、何万回とも言え
る試行錯誤を繰り返し、それでも遂に諦めるしかないと悟った自分
は何だったのだ。
﹁そんな事﹂﹃アッテ﹄﹁﹃たまるかアアアアア!!!﹂﹄
殴る。殴る。殴る。
拳が砕け、体を構成するパーツが散っても尚も狂ったように、い
や元よりその魂を犯していた狂気に身を任せひたすらに殴り続ける。
そんな双機竜にテンペスタは緩やかに動く。
僅かに動き、次の瞬間には最高速度に達する。もし、それを傍か
ら見ていれば瞬間移動したかのように見えただろう。そして、属性
を感知する事で人などより遥かに高い感知能力を誇る竜王であって
さえ、余りに膨大な周囲に満ちる属性に瞬間、その姿を見失い。
次の瞬間、双機竜は更なる空の高みへと打ち上げられた。
急激な、且つ強制的な移動にギシギシと全身が軋む中、双機竜は
見た。自らの下方に、おそらくは一撃を加えたであろうテンペスタ
438
の姿を、そして、その口元に集結する膨大極まる力を。
﹁何故だ﹂
﹃ナゼダ﹄
絶望。
達観。
焦燥。
様々な感情が入り交ざり、呟きとなって声が洩れる。
﹁何かに﹂﹃エラバレタトデモ﹄﹁いうのか?﹂
双機竜の心に過去の思い出がよぎる。
竜となったと喜んだ事、孤独に絶望した事、もがいた事⋮⋮そし
て⋮⋮もう殆ど残っていない人であった頃の思い出。
﹁何だ﹂﹃ワタシハ﹄
下から迫る極光に視線を向ける事もなく、呟く。
﹁最後に見るのが人の頃食ってたメシなんてなさけねえ﹂
そうして双機竜は極光に呑まれ、その体の一片も残さず世界から
消滅した。
しばし、空を見上げていたテンペスタは間もなく悠然と翼を翻し、
飛び去り。
そして、世界に静けさのみが残った。
439
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
﹁ふう、もう少しかな?﹂
﹁だと思うんだけどね﹂
最後に立ち寄った村から歩く事十日余り。
魔術師である男性ことマギアスと戦士の女性ことドリーの二人組
みは思った以上に日数がかかった事に閉口⋮⋮してはいなかった。
何せ、冒険というものは基本、人里離れた場所で行う。人里近い
場所にある冒険出来る場所などとっくの昔に枯れ果てている遺跡し
かありはしない。必然的にそんな所に行商人の馬車さえ赴くはずも
なく、かといって一介の冒険者にとって馬車など管理の手間を考え
ればまず所有する事はない。例外があるとしたら商人の隊商と長期
に渡る契約を結んだ冒険者ぐらいのものだろう。人里離れた場所に
赴き、馬を繋いでたら彼らが冒険している間に魔獣に襲われて、戻
ってきたら馬車は残骸しか残っていませんでした、なんて事になり
かねない。
歩きとなれば、行って帰って来るだけで一月経ってました、なん
てザラだ。
一回の冒険では村からの依頼での討伐なら早いのでは、と思うか
もしれないがそれだって村まで徒歩で歩いていくのだからどうした
って時間がかかる。なので、十日ぐらいの野営というのは冒険者に
とっては至極当り前の事なのだ。
食事はというと、保存食と現地調達の採取。
無論、冬は保存食限定になるがこの時期ならば森の恵みは十分な
量が得られる。
﹁あの光の柱が危険なものでなければいいんだけどねえ﹂
440
ドリーがそうぼやいた。
人の足で数日かかる遠方からも見えた光の柱。あれにはさすがに
二人も進むかどうか迷った。あんな人では絶対無理な現象、どう考
えたって竜が関わっているとしか思えない。
二人で相談した結果、進む事に決めたのは幾ら視界が開けていた
場所だったとはいえ、あんな遠方から見えたとなると最低でも属性
竜だと推測出来たからだ。下位の知性なき竜であっても属性竜であ
れば、こちらから干渉しなければまず襲って来ない。
子育てなどの警戒している場合でも、まず姿を見せて威嚇してく
る。まあ、殺した所で食うでもなくポイ捨てするしかないのだから
自分でどっか行くならその方が楽なんだろう、多分。
マギアスそう言いはしたのだが、矢張り警戒してしまうのは仕方
ないだろう。それだけ属性竜というのは怒らせると怖ろしい逸話が
幾つも伝説だの伝承だので伝わっている。下位竜なんてトカゲの亜
種とは根本的に異なる。
伝説上にある竜王、以下古竜、属性竜、下位竜。
人の間に伝わる竜は大体この分類が為されている。
下位竜は人でもどうにかなる。基本は多少特殊能力を備えていて
もでかいトカゲであり、知能もない。
無論、だからといってそこらの魔獣より余程危険なのには変わり
はないが奇襲でもされない限り、討伐する手段は幾らでもある。こ
の二人も下位竜ならば幾度となく討伐した事がある。
が、そこから上はそうはいかない。
属性竜ともなれば﹁割りに合わない﹂事夥しく、ごく一部の欲に
目が眩んだバカか、一発逆転を狙う追い詰められた人間が向かい、
僅かな、本当に僅かな一握りが幸運にも鱗などを拾って帰り、そし
て圧倒的多数が帰って来ない。
古竜以上ともなれば、手を出すだけ無駄。
そして、あの光の柱は⋮⋮どう考えても属性竜以上の何かが関わ
441
っているのは間違いない。最悪、竜王が関係している可能性すらあ
る。
リスクとリターン。
双方を考えた結果、二人は進む事を決めた。
とはいえ、ふとこんな言葉が漏れる。
それは長い付き合いの二人にとっては愚痴にもならない。今のド
リーの言葉だって﹁マギアス、あんた深入りすんじゃないよ?﹂と
念を押しているだけだし、それに対してマギアスが苦笑しているの
もその事に自覚があればこそだ。
﹁空に向けて放たれていた柱⋮⋮となると可能性としては大きく
分ければ二つになるんだろう﹂
﹁ふんふん?﹂
どうせ暇だと頭の中身の整理がてらマギアスは少しでも話をまと
めようとする。
﹁場所的に言えば、金属の山の方面なのは間違いない。となると
その山は矢張り竜王の山なのだろう。人の家程度の小さいものなら
ともかく、他にそんなものを構築するような生物はまずいない﹂
﹁そうだね﹂
﹁正直に言えば、村の伝承など故半信半疑ではあったが、あの光
の柱は奇しくもあそこに何かがある、いやいるのだと示してくれた﹂
﹁少なくとも何か起きた痕跡があるだろうね﹂
﹁ああ、竜同士が争ったならか片方の遺骸⋮⋮は望み薄にしても
何かしら竜の鱗とかが落ちている可能性はある﹂
﹁ま、それ拾えたならさっさと引き上げるぐらいに考えておいた
方がいいだろうね﹂
世の中には竜と約定を結び、宝を借り受けて、見事敵を打ち倒し
442
たなんて英雄譚があるが、それが英雄譚として残るのは数が少ない
からだ。
英雄譚の陰には、無数の英雄になり損ねた者達の骸が眠っている。
彼らはそんな危険を冒す予定はない。もう正式には引退したのだ。
興味があるから少し足を伸ばした程度で、別に依頼がある訳でもな
い。
﹁けど、普段は穏やかな山の竜王が光の柱を打ち上げる、何が起
きているのか⋮⋮﹂
﹁喧嘩かね?﹂
﹁⋮⋮だとすると、竜王同士の喧嘩か?こちらを攻撃する意志が
なくてもうっかり巻き込まれただけであの世行きになりかねんぞ﹂
などと会話をしながら進んでいた彼らの眼前に急に視界が開けた。
そこは⋮⋮。
﹁⋮⋮⋮なんだい、こりゃ?﹂
﹁森が⋮⋮消えている?﹂
すり鉢状に大地が見事に抉れている。
見渡す限り、それまでが生い茂った森であったのに対して、そこ
から先、急に森の陰を見なくなっている。
何かが発生した事は分かるのだが⋮⋮。
﹁⋮⋮ここが先日の光の柱が発生した場所かな?﹂
﹁可能性としてはありそうだけどねえ⋮⋮ん?ありゃなんだい?﹂
中央部付近に何かしら小山になっているのが遠目に分かる。
とはいえ、さすがにここからでは分からぬと警戒しつつ近付いた
訳だが⋮⋮更に困惑が広がった。
443
﹁なんだ、これは﹂
わけの分からない金属の山。
それらは戦闘の中、砕け、地面に散らばった双機竜の欠片だ。人
としてはちょっとした山だが所詮は見上げれば山頂が見える程度の
小山。これだけが竜からしても山と称するぐらいの巨大竜であった
双機竜が確かにいた、その証の全てであった。
﹁ふむ、何かの道具のようだが⋮⋮こちらは何だ?﹂
﹁⋮⋮単なる玩具、じゃなさそうだけどねえ?何だろうね?﹂
とはいえ、ドリーは自分が脳筋の類だという事も理解している。
こんな研究分野は自分の役割ではなく⋮⋮。
﹁とりあえずさっさと選んで持ち帰るよ。あんまし長居しない方
がいいだろうからね﹂
﹁それもそうだね。じゃあとりあえずこれとこれと⋮⋮﹂
この時彼らは自分達が何を持ち出したかを知りはしなかった。
だが、歯車やシリンダー、カムシャフトやクランク機構。様々な
﹃機械﹄を人の世界に持ち帰り、その使い方を道楽がてら研究し、
残した事で⋮⋮人の世界に新たに魔法のみならず機械の文明が入り
込んでゆく事へと繋がってゆく。
故にマギアスを後の世の人々はこう呼ぶ、﹁魔導機械文明の祖﹂
と⋮⋮。
しかし、それがあの戦争を引き起こす事になる事を知れば彼はそ
の時生きていればどう思っただろうか⋮⋮。
444
第二十六話:全ての契機、その発端︵後編︶︵後書き︶
4月の頭ぐらいに少し整理を行います
成竜としての話が一旦終わり、本編はここから時間を百年以上すぎ
た時代となります
が、妹竜の事もあるので妹竜のお話を別の章として一つにまとめる
予定です
445
PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n5244by/
竜に生まれまして
2015年3月30日16時37分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
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