l… … ………i .・f…………l.・。・l。.jd

■
…
………i ・f…………l.・
l
・l。.jd
…
.
。
・・¶・...=..
ロ ー タ リー の
根
本 的
特
色
1.ロ ー タ リー は 世 界 中 の 人
々 の Fanに 奉 仕 の 理 想 に 基
づ 〈理 解 ,善 意 お よ び手
オ
・ 的 関係 の 発展 、 奨励 お
よ び 育 成 に 関 ‐ を持 つて
いる
新年度 去 る 7月 1日 付 を もって ロー タリーの新年度がは じま り, ノー タ リ
ー運営 の 各 レベ レル に新役 員が 就任 しま した 国際 ロー タ リーの 会1:│〔 │ま アメ
しズW ペ ッテ ンギ
リカ,コ ネクチ カ ッ ト州, グ リー ンウイ ンチ出身 のチ ぅ一ノ
ル 氏 が就 任 し,
RI理 事会 に
1ま
新理事が入 り, 各地 区,各 クラブ 1,そ れ ぞれ 新
役員 を迎 え てお ります
ー タ ラ ブ の 中 で個 人 的 お
ロー タ リー に生 き よう これか全 1吐 界55万 3000名 の会 員に対 してペ ノテンギ
ル RI会 長 が!8げ た本年度の 日標であ ります この 日標 の解説 が ボ ,ッ トllの
パ ンフレ ッ トで刊行 され ,す でに 各 クラブ会長 に送付 され ました 新会長 の
考
え と計画 につ いての概要 が ロー タ リアン誌 7月 号10ア (以 下 に掲 Illき ,Lて お りま
よ び 集 団 的 に ,特 に 個 人
すか らごらん下 さい
.
2ロ
ー タ リー は ,ロ ー タ リ
に 重 き を お く奉 仕 の 理 越
の 実 行 を 奨 励 す る 目的 の
た め ,繁 が っ た職 業 人 の
世 界 的 友 好 団 体 で あ る。
3ロ
ー タ リー
この大会 の状況報 riと 写 真が20頁 にわ た って 8:J号 ロー タ リ
また1964年 国際 協議会 の報 告お よび新 RI役 員
の写真 も1呵 月号 に掲 載 されてお ります
7ラ フ は ,個
人の戦 業活動の状態 とそ
の 職 場 に 関 f系 を オ
キつ 獄 業
分 類 に 基礎 をお い て会 員
,1.
を選 ´
4夫 友 が 絶 え
トロン ト大会
ア ン誌 に掲載 され てお ります
ざ る 友 1青 へ 向
っ て の 第 一 歩 と して発 展
して 行 け る よ うに 、 フラ
・
フ例 会 へ の 出席 規 定 に は
夕 くと も 会 員資格 継 続 の
ための最イ
氏限 度 を決 め る
こ と が 要 求 され て い る 。
5ロ
ー タ リー タ ラ フ は 、 そ
の 会 員 に 彼等の個 人 生活
お よ び戴 業 活 動 に お け る
高 い 道 健 基 準 を 実 行 し、
か つ 例 示 す る こ との 記 裁
大会議事録
今月 中に1964年 大会 の議事録 が刊行 され るう●
定 で十
二れは約
400頁 に わた って,大 会 にお け る諸演説 ,規 則変更お よび新設 , H務 総長 お よ
び財務局長報告 ,RI役 員の 写真 な どを収録 した ものです
各 'ラ ブ li l詢
料 ,余 部注文 の場合 は 1部 につ き 2ド ル で 中央事務局か ら大手 で きます
`11
チ ュー リッヒ事務局移転 国際 ロー タ リーのチ ュー リッヒ事 務「うは 511中 旬
か ら下記 の新・ll務 所 lCお いて業務 を行 な ってお ります
Kreuzstrasse 36, Zurich 8, Switzerland
インタ“ア ク ト・ ブ ーム イ ンタ ー ア ク トは「¬下 1日 1ク ラブの割 合で1憎 加
してお ります 現在 の イ ンターア ク ト・ クラブ総数 は341tlに お いて せ
100ク ラブ
この クラブは 中高校生 を メンバ ー として,地 元 の ロー タリー クラ
ブの スポ ンサ ーに よ り設立 され るものであ り,本 仕 と国際理解 の増進 を目的 と
であ ります
す る もので あ ります
こ そ の 欲 求 を発 展 させ る
共
機 桧ざを 1是 イ
す
る。
6ロ
ー タ リア ンの 宗 教 お ょ
び 政 治 的 信 念 は 彼 等 自身
に 属 し て ぃ る もの と 考 え
ら れ て ヽヽる 。 ロ ー タ リ ア
ンι
ま彼 の 信 イ
`Pう
る
こ
宗教 ι
え 実 で 、 lltの 祖 国 に 恙 節
て あ るべ き こ とが 期 イ
寺さ
れ て ヽヽる
研究会 ロー タ リーの 276の 地 区 において地 │ス 研究会が行 な わ れ ま した
これ は以 前地 区情報拡大 講習会 の 名称 で呼 ばれ ていた もので あ ります この研
究会 には RI会 長 の任命 した 2∼ 4名 の カウンセ ラーが参加 して カバ十 一 を補
佐 しま した
なお この研究会 は 内部お よび外部拡大 の強調 と ロー タリー 情報の
強化 を 目的 とした もので あ ります
今後 の大会 1965年 は 5月 30∼ 6月 3日 ニ ュー ジャージー州 ,ア トランチ ッ
ク・ シチーにお いて,1966年 は 6月 12∼ 16日 ,コ ロラ ド州 ,デ ンパ ーにお いて
1967年 は 5′ 122∼ 25日 ,フ ラ ンスの ニースにて それ ぞれ行 なわれ る予定 とな っ
,
てお ります 1968年 は メ キシ コの メキシ コ・ シチ ーが 大会開催地 に予定 されて
お ります。
NEwS FROM ROTARY:NTERNAT10NAL
ES SAヽ
8
□
月 ともなれば
チクリと I卜 塀
彗 むの
8月 ともなれ ば,毎 年 わた しに とって忘れ られ
な い心 の痛 み を感 じさせ る季節 で あ る
それ は
,
尚
木
東
エ
ハ
横 浜 東 RC
が走 るたびに
鈴が チ ャラチ ャラ と鳴 っていた。
そ こに 1人 の可愛 ら しい青 い眼 で ブ ロン ドのお
1931年 か ら今 日まで 毎年繰 り返 され る思 い出で あ
り追憶 はその都度心 にチ ク リとささるのだ
嬢 ち ゃんが 人形 をだ いて わた しをふ しぎそ うに眺
め るので あ る その まな ざ しはなつ か しそ うに微
わた しは1928年 か ら32年 まで フランスの ス コ ラ
笑 んで いた 大 切に いたわ る よ うにだ いてい る人
形は.そ の限 はつぶれて髪 の毛 は半 分 も抜 け落 ち
・ カ ン トル ーム とい うi4・ 楽学校 にいたので学生 と
して最後 の ヴ ァカ ンス を愉 しもうとい うこ とにな
り、 1931年 8月 に仲間 の 4人 とかた らって ス イス
ヘ と旅立 った。
「 どうせ旅 をす るか らには室 内 ア ン
サ ンブル を作 ってバ イ トで 稼 ぎなが ら遊 ぼ うじ や
ないか Jと い うこ とになった ので あ る
わた したち 4人 の仲間 は今 日で い う遠慮 を知 ら
ぬ ビーート族 で あ り,い つ もピー ピー して い るボ ヘ
ミア ンで あ り,20歳 前後 の それ ぞれ の青春 を惜 し
み な く発散 して いた い わゆ るアル ト・ ハ イデルベ
ル ヒの時代 で もあ った
ス イ スの旅 は まず ジ ュネ ーブ湖畔 にあるグラ ン
ド・ ホテル の仕事 にあ りつ いた そ こで 予定 の約
2週 間 を過 してか ら,次 に レマ ン湖畔 にあ るモ ン
た、 はげち ょろの見す ば ら しい人形であ った
わた しは娘 さん に話 しかけた 「 お じさんが
日本 へ 帰 った ら、 きれ い なお ベベ を着 た可愛 いい
,
日本 のお人 形 さん を送 ってあげま しょうね J
「 ほん と ?嬉 しいわ !き っ とね !J彼 女は とび L
って喜んだ そ してわた しの 手 を烈 し く握 ってみ
ど り色 の深 い眸 でわた しを見 つ め,「 ほん とねJと
念 を押 した ので ある 8月 の太陽が燦 々 と牧場 に
ふ りそそ いで い た それ か ら,わ た しが モ ン トル
ー に滞在 して いた約 1カ 月 の問,毎 日の よ うに彼
女 に逢 った 彼女は「 お人形 さん を忘 れ な い で
ね」 とその度 に くり返す ので あ った
ベ テ ィー とい う名
7/tし
のア ドレスは いつ
に
たまま彼女
前だけ を記憶
わた しは1932年 に力I国 した
トル ーのホテル・ ヾネルバ と既 に交渉ずみ で あ っ
´
たの
た わた し達 はジ ュネ ーブ を夜 ,船 で 出発 し
の まにか忘れ去 って しまい.遂 に 日本 の人形 を送
で,モ ン トル ーが どん な ところで あ るか分 らず、
翌 朝部屋 の カーテ ンをあけ て始 めて
「 あ っ !Jと 迎、
る こ とが出来 なか った ウソとい うこ とを全 く知
らな いス イ スの あ どけな い娘 さん の心 に「 日本人
をのん だ ので ある それ は まるで天 lの よ うな景
観 で あ り,人 間 が想像 し得 る最 も美 しい風景 の パ
のお じち ゃん は うそつ きだ Jと 思 わせ た ので あ ろ
うこ とを想像す る と,や り切れ な い思 いで あ る
14・
ノラマが視界 い っぱ いに拡 が り拡 ってい るのだ
眼 の下 には紺碧 の レマ ン湖 が あ り,中 世紀 の シヨ
ン城が湖水 に つ き出 ている 遠 くに鋭 い歯形 のダ
ン・ ドウ 。ミデイの輝や く連山 わた しは感動 で
■、
るえが止 ま らなか った。
わた しは こん な 8月 の ある 日の午 後,丘 へ 散歩
に出 か けた
2
牧場 の斜面 で草 を食 んで い る羊の群
.
そ の当時 7、
8歳 で あ った彼女 も今 日で は40歳
に もな ろ うとす る大 マ ダ ムに成長 して い る筈 で あ
る
わた しは、 スイ スのお嬢 ち ゃん に ウソを言 っ
た とい う心 の疵 が,毎 年 8月 がや って くる とチ ク
リと痛 む ので ある
「 ベ テ ィー よ,か ん べん して くだ さい。 わた しは
こん な に後悔 して い るので す
!J
(作 曲家
THE ROTARY_NO_TOMO
)
THE OFFiCIAL PUBLICATION OF THE 350,352,355,358,359′
↓60,365,368,369′ 370D!STRICTS OF ROTARY INTERNAT10NAL
諄
.…
エ パ シス ト ン便 り
… …… … … … … …… … … … …… …
…・ …・…・ …・ …
ガパナ ーの ペー ジ …・ …
1
…・ …・ …・ … … 29
日 本 語 の 美 し さ ……………… 文学博士 金田一 京助 … 4
8月 ともなればチクリと心痛むの記 …横浜東 高木東六 … 2
友
の
愛
広
…… … … … … … … … ・・8
場
直居
入 り易 く逮 し難 い 。― タ リア ン 湯河原 RC
藤 江 格・ 友情
重雄・ 徴章 と方陣 久日米 東 RC
の 味 呉 東 RC
賀谷 倭登
ロー タ リア ン誌 8月 号 紹介・・ …・ …・…・ …
浄土平 よ り望 む吾妻小富 」
吾妻小富士 は磐梯火 山群 の一 つ 小規
模 な幼年期 の円錐火山 で,名 の通 り小形
の 富士 山 である.浄 土平 か ら望 む霧 中に
火 口 をのぞかせ た吾妻 小富士 は,今 に も
目を醒 しそ うである。立 ち こめ る霧 は ,
心 な い 訪間者 に よ り破壊 きれ てゆ くこの
辺 りの風 景 を,ひ と時 昔の姿にか えそ う
としてい るか の よ うであ った
…・ …・ … ・…
… 17
:
明 日の 重 役 を 交換 す る
新潟地震 と口"タ リ… …………………………………22
新RC調 吐 ・・…・…・…・…・…・…・…・…・…・…・…・24
ロータリー分布図,告知板…・…・…Ⅲ…・…・…・…・…・……26
グ
Our Cover o, this month shows Ml.
Azum● Lofuii seen from Jodo Doir● in
Bondci, FuLushim● Prefecture.As no‐
med of,er Mi Fuli′ This mOunt● inr e3‐
ombles ii in s'ソ !o, though sm● ‖●r in
3COi●・ A misth o■ ●ing or● und the mo・
unt●
:n make3● mysleri● u3SCO腱
………………………・18
ン
ピ
・
ヽ
近代科学の職業奉仕・漢
`書
・13
テ レプリ ンター…・… … …・
日―タ リー・ サ ービス・ ニュース ……………………39
ロータリー美術館・金 沢
成 巽 閣 ・…………………… 66
.
ロータリー問答 ……………………………………………………51
・ 国際大会略報
トロン ト
.…
…………………………………………55
健康の頁・巻の薬草について……富山大薬学部長志甫伝逸…58
昭和 39年 8月 第 12巻 第
8号
THE ROTARY・ NO‐ TOMO
AUG.1964 VOL.12 No.8
ロー タ リー俳 壇 ・……………………………………………………・61
談 話 室 ………………………………………………・63
車中偶感
.…
………… ………………・青森 EEm哲 郎 …
“
文 学
博 士
全口_怠 勲
1
日本語 の性格 は,論 理的 よ りも,む しろ倫理的
例 えば,英 語 な ど,単 数・ 複数 をやか ま
し く区別 して言 い分 け るのに, 日本語 は,「 ひ と」
であ る
は, 1人 で も「 ひ と」, 2人 で も「 ひ と」,lo人 で
も,100人 で も,「 10人 のひ とが 」
「 10o人 のひ と
が 」 と言 って,少 しもさ しつ かえない。
もっ と も,特 に多数 の人 を言 い あ らわそ うとす
れ ば,決 してその方法 が欠 け てはい な い 「人 々」
「人 た ち」
「人 ど も」 と言 える.但 し,2人 以上 の時
に必 ず そ う言わ なけれ ばな らな い とい うさだめに
な っているので は ない.全 く自由なので,そ れで
日本語 には「数 」 (ナ ンバ ー)が 無 い といぇ るので
あ る.動 詞 に して も同様 ,「 居 る」 は, 1人 で も
「 い る」, 2人 で も
「 い る」,10人 で も100人 で も
「い
る」であ って,``is"だ の “are" だ のの よ うな
言 い分 けが な い
.
に対 しては,自 分 の親 。兄弟 には, これ をつ けず
に,「 (わ た しの)父 が 」
「 (わ た しの)母 が 」 の よ
うに言 って「 さん」 づ け に言わな いのが,相 手 の
人 に対す る礼で ある。 相手 も,親 しい身 内で あ っ
た ら, さん づけで少 しもか まわな い
もひ とつ敬意 を表 わす接頭辞 の「お 」がある
.
「お とうさま」
「 おか あ さま」「お にい さま」「おね
え様 」 の類 で,一 段上 の敬称形 とな る
動詞 の敬語形 も,二 段 もし くは三段 の段階があ
る
.
書 く―― 書 かれ る 。お 書 きに な る 。お 書 き遊 ば
す
読 む一― 読 まれ る 。お読み に なる 。お読み遊 ば
す
この類 llt単 純 で,規 則的 で あ るが, 日常 使 い こな
され る頻出 語は変格 で,形 が複雑 で あ る
.
あそばす
為さる。
´る一―夕れる。
。
い
一
れ
る
お
で
になる。いらっしゃ
―
Fる
Fら
る 。い らせ られ る
その代 り日本語 には,尊 敬感情 を細 か く言 い分
け る敬語法 の形 が厳存す る.例 えば, とうさん 。
かあ さん 。にい さん 。ねえ さん の よ うに 目上 には
「 さん」 または「 さま」 をつ け る.た だ し,他 人
イ
行 く一― 行 か れ る 。お いで に な る 。い らっ しゃ
る 。い らせ られ る
来 る一― 来 られ る 。お いで に な る 。い らっ しゃ
る 。い らせ られ る
THE ROTARY‐ NO‐ TOMo
以上 は尊敬 を表 わす形であ るが,次 に恭謙 を表
わす 形 が存在す る
す る一― い たす
言 って,そ こに起居 す る女性 の ことに用 い た ので
あ る。 (後 世 , う ち の 女房だ の八百屋 の 女房,車
た べ る一一 いただ く
行 く 。来 る一
一 まい る
更 に進んで,丁 寧形 とで も呼ぶ べ き形 があ る
「 ご」
相手 を尊敬す るために,自 分 の ことへ「 お」
.
「 ご無 沙
をつ け る形であ る.「 お見舞」
「 お 返事 」
の
ご
汰 」「 無礼」 類
.
それだか ら,客 へ 出す我 が茶 を
「 お茶」,菓 子 を
「 お英子」,馳 走 も「 ご馳走」
食事 関係 は特 に,丁 寧 形が 普通化 し て ,「 お 」
「 ご」が 取れ な くな って しま って い る語 もあ る
.
.
「 おかず 」
「 お つ け」「 ごはん」な ど
幼稚園や小学校 で は,相 手 がいた いけな い子供
.
「 お昼」はまだ
た ちゆえ, ツ イや さ し く「 お休み」
しも,「 お教室」
「 お授業」まで行
「 お べ ん き ょう」
く
.
丁 寧形 には,こ うい う敬 称 か ら来 た もの ばか り
で な く,謙 称 か ら来 た語尾 が あ る。
昔 ,「 さぶ らふ」は「 居 り」 の謙称動詞 だ ったが
「 さふ らふ (候 )」 とな り,「 そ ろ」 とな り,「 ・ …
で ,そ ろ」か ら「 ……です 」 が 出来 て,「 で あ る」
「 だ Jに あた る丁寧形が生れ た
今 一 つの古典時代 の謙称「 ま い らす 」がや は り
.
補助動市1化 して,「 見 ま い らす」の よ うに言 ったの
が「 見 ま らす 」「見 ま ッす」を経 て,今 日の「 見 ま
「も
す 」 とい う丁 毎 形 を生 じた。 (「 ます」の代 りに
うす 」 とい う方言 は,謙 称動 iil「 申す 」 の助動詞
化 で あ る).
「だ」
「 であ る」で済む所 を,対 話体 にお いて
こ うい う同義 の丁 寧形「 で す」「 ます」を発達 させ
,
てい る 日本語 は,凡 そ どんな文明国 に も未開国 に
゛
もた くいな い美 しさで あ る
2
国語 の性格 として 第 2に あげた きは,「 科学的」
よ りは「芸術的」な ことで あ る。「厳密 に」よ りは
,あ か らさ
「 軽妙 に」
「 示唆的 に」,「 精確 に」よ りは
まに 言わず に,了 解 にゆだね る傾 向 であ る。
`
その人 を直接 に言わず に, くる りを言 って その
中 の人 を了解 させ る例 は,「 女房」が まず それであ
ロ ー タ リー の 友 -8り 1号
る。 もと宮 中の婦人 の部屋 の ことだ ったが,そ う
屋 の 女房 にまで 広 が って 単 に「妻女 Jの 意 にな っ
ヽ
た.)
「 殿」もその例 で,そ の
/tt物 の
中 の人 を言 うので
ある
.
.Jヒ の方
甚 しきは,方 向だけで表 わす
「 北 の方」
即 ち北堂 に住 まわれ る高貴 の 夫人 の義.後 には
,
「北 の方 」 とい って も,あ か らさま過 ぎ,「 北」を
省略 して 単 に「 お 方」と言 って 夫人 を持 した.(こ
れ も「 女房 J同 様 ,一 般 の「 妻」 にな り,方 言 で
は今 で も「 あそ この家 のおか た」は,そ の家 の妻
の ことで あ る.)
「 お ちち」,手 を「 おてて」
小児 語 は, よ く乳 を
の流 に反復す る。 この流儀 に「おかた」の「 か」
を反復 した のが「 おかか」で母 の ことになる.そ
れ を,「 うちのかか あ」な ど,亭 主 がわが 要 を言 っ
て,「 かか あ」とぃ う言葉 が 出来 た が,一 方,「 お
かあ さん Jが そ うして母 の敬語 に な った。
几 そ代 名詞 が,や は り,ぢ か に指 して は失 礼 と
方 向だ けで ,「 あなた」だ の「 こなた」だ の 言 う
.
一 体 ,敬 称語尾 の「様 」だ って, も と,「 あ り
さま」 の「 さま」で,「 横 さま」
「 逆 さま」 の「 さ
ま」が,東 ざま (東 方 ),北 ざま (北 方)の 用法か
ら,「 方 向」 を意味 して用 い られた のが元 で ,「 殿
さまま い る」
「 奥 さままい る」の よ うな用法か ら
。
と うさま かあ さま 。とうさん 。かあ さん の よう
,
な敬称語尾 に な った。
反対 にまで言 って しまって い る 例 は,愛 人 を
「をiし い子J(に は旅 )な ど
「憂 き人 J,可 愛 い子 を
.
「宿」
うそ にまで な るの は、要が夫 を,「 宅 」だ の
だ の,「 内」だ の な らわか るが,子 供 が 言 う「 とう
さん」をそ の まままね て,「 とうさん」と呼 びかけ
た り,夫 が妻 を「 か あ さん Jと 言 った りす る。
国語 のか よ うに,厳 密 には いわず ,示 唆的,暗
L格 が和歌
示的 に表 現 して,余 情 を言月 に託 す る
「
い
の
・ 俳句 の よ うな短 表 現 文学 を41み 出 した一一
古 池や かは づ飛 び込 む水 の音
芭蕉
や さ し く聞 いて くれ る要 のおか げで昼 の悔 しさ も
シン とな るほ ど寂 しい情景 の深 さ
.
ほろほろ と山吹 散 るや滝 の 音
芭蕉
この滝 の 音、 山吹 の散 る音 に消 され て ちっ ともさ
わが し くれ ヽ
歌人 も, もとよ り国語 の芸術的性格 を遺憾 な く
発揮 して,三 十一 音で さなが ら一 luiの 絵 を見 る よ
うな描写 を して い る
桜咲 く比良 の 山風吹 くままに花 にな りゆ く志
賀の浦波
藤原良経
花 さそふ比良 の山風吹 きにけ り漕 ぎゆ く舟 の
あ と見ゆるまで
宮 内 卿
時 として一 首が 文法 _Lの 主語 。述語 を無視 した
た だ一 分節 の表現 も珍 ら し くな い
,
.
さつば り
.
うき人 に手 を打 たれ たる砧か な
蕪村
いて
い
の
ごめん
に
ごめん
,
なさ
あ痛 ッ 声 驚
なさ ,
い と,わ び られ て、痛 くもな さそ うな場面 で あ る
鳴 く猫 に赤ん 目 した る手毬か な
可愛 い小娘 の躍動す る描写
一茶
.
ふ ん どしに団 扇 さ した る事 主 か な
人柄が躍女口す る写生
蕪村
.
4
第 4に は語itの 美 しさで ある。 国民 が花 の国 に
生 まれ て,四 季 ,花 をめでて暮 ら して い るか らで
うら うらとの どけ き春 の心 よ り匂 ひ出でた る
あ ろ うが,美 しい こ とを「花 の よ う」 とたたえて
加茂真淵
へ
・
lm‐ り
来 て寝 ての 後 さ 花 見つつ ゆ られ て舟 に
新婚 の若夫婦 を「花嫁 J「 花聟」と言 い,艶 な の を
「花 やかJ.立 派 なの を「花 々 しい」.は で な の を
あ る心 ltlか な
香川景樹
の
のふ
のひ
る寝思 はせ て在 りしと
うたたね き
「花 形」 これ を「花 」 とだけ も言 って「一座 の花」
「 級 中 の花 J「 一 家 の花」
一 体,「 花」のつ く語 の多 い こと,花 売 り 。花 づ
山 ざ くらば な
ころに在 る枕か な
大 隈 言道
.
く り 。花守 は職 業 ,花 び ら 。花ぶ さは,そ の もの
ゆえ当然 だが,花 器 に して も花 ざし 。花 いけ 。花
3
第 3に ,国 語 の助 詞 の はた らきと,そ の持 ち味
の 微妙 さを挙 げた い.同 じことで も
「そ うで な い」
だ て 。花 がめ・ 花 籠・ 等 々。 そ の他 の物 に花車・
花笠・ 花 相撲 。花 い くさ 。花合わせ 。花電車 。花
「 そ うで はな いJ「 そ うで もな い」はみんな味が違
うので あ る
が たみ・ 花 が つ お・ 花 い ろ・ 花 の山・ 花 の都・ 花
の宴 。花 の 日・ 花 か ざ り 。花 だ よ り 。花 見・ 花火
泣 きつつ もよい方 を取 る形身分 け 柳樽
この も一 つが 付 いて,人 情 の機微 を穿 つ。
・ 花 札・ 花 が るた 。花 づ くし 。花 の姿・ 花 のお も
わ 。花 ざか り 。花 ふぶ き 。花 や ぐ 。花 も実 もあ る
.
こ うい う微妙 な味 をば俳人 が遺憾 な く利す る。
殊 に「や 」 の用法 の はた らき.初 五 を「や」 と止
めて,あ とは実 に勝手 な ことを言 う一―
夏草や 兵 どもが夢 の跡
名月や池 をめ ぐりて夜 もす が ら
芭蕉
芭蕉
蕪村
条 五条 の橋 の下
'Ч
こ
うした と言わ
「か な」に至 っては, どうした,
春水や
ず にわか らせ る巧み さ
木 の もとに汁 もなます も桜 か な
.
芭蕉
蕪村
″
わが 事 と鱈 の逃 げ し根芹 か な
文草
虚子
遠 山 に 日の あた りた る枯野 か な
ヽ
々
の
饉 十 七音, さなが ら一 篇 イ 説 に なるの は一―
6
な」 (纏 頭 )と 言 う。 また芝居 の「花 み ち」 もあ
る 茶道 にな らぶ花道 の 「 いけ花 」 もあ り,「 お
花」 の稽古 は,今 や外人 にまで学 ばれて い る盛況
ノ
ど。
また,ひ かえめな, 日本人 の感情をあらわす
否定形の美 しい形容詞 の形 しいことに気がつ く
,
四五人 に月 落 ちかか る踊 か な
春 の海 日ね もす の た りのた りか な
負 くま じき角力 を寝 物語か な
人・ 話 に花 が咲 く 。ひ と花咲かせ る 。彼 に花 を も
たす 等 々, こ うして,芸 人 に取 らす褒美 を も「 は
蕪村
.
昔 からであって,古 典からすでに見 え る 所 の
「あいな し」「わ りな し」を初 め として
「 お もな しJ
「な さけな く」
「 こころな く」「あ じけな く」
「 せつ
「かた じけ な し」
な しJ「 はかなし」「お じなし」
い
「 もったいなしJ「 たあ なし」等 々
「奥ゆか しい」などい うの も日本
「 名残 り惜 しい」
THE ROTARY_NO TOMO
人的 な感情。「 じとや か」と「 や さしい 」 とは, 日
本婦人 の ため にあ る よ うな語 , しか しまた、 その
中 に,「 けなげJ「 あ つばれ Jと 感 ぜ しめ る勇気 も
欠 け てはいない。
「寂 しJ「 佗 し」の語幹 を,名 詞 に用 い る「 さび」
.こ うい う言葉 にな っては、到底外国語
と
「わび」
1/cは 訳 しよ うの な い犯t得 の美 で あ る 強 いて 言え
は,「 さび」は,お よそ, きらびやか な表面的 な美
を排除 した深 い美意識 「 わびJは 、お よそ 人の求
め る完全 を求 めず ,不 完全 に満 足 して安住 す るけ
だか い境地。 いずれ も我 々国民 の造 り上げ た精 神
rt fヒ
の粋 をあ らわす最高 の語 であ る
.
5
最後 に付 け加 えてお きた い ことは発 音で あ る。
昔 は, │サ 音の数 も色 々あ った ので あるが、 平安 1明
以来 ,中 騨1的 な不明瞭 な もの を陶汰 して,ア イウ
エ オの五母 音 に整り1し 、 音節 は、 母音の 雨Iの 子 音
の数 を,た だ 一つ 許す のみ、 母の後 には一 子 音を
1,許 さな い開 占節 で あ って, しか も、 母音 の 諾調
が 盛ん で なだ らか に,あ る外人 は、 日本語 の談 し
を聞 いて まるで 音楽的 で, さなが ら歌 を聞 いてい
が、 英語 。独
めた の は,ア クセ
るよ
ェょ
2だ 卓褒
逸 語 のカ ア クセ ン トで はな く,高 低 ア クセ ン トで
あるか らであ る
゛
高低 も,ほ ぼ三段 くらいの変 化,上・ 中・ 下 が
ヽりみだれ て,語 に よって一 定 して進行す るか ら
全 く音楽的性質 を有す るので あ る.歌 の よ うに聞
かれ た所 以で あ る
もっ とも,そ れ は,東 国 よ りは西 ケ 殊 に京都
地 万の発音 にそ の代表的 な ものが観取 され て、 欠
点 といえば,や や単調 に失す る憾 み もあ るが,近
頃 聞 く東京発 音 には,高 い所 をやや力 を加 える結
果、 力 のア クセ ン トの気味 が加わわ って,そ の結
果 .そ の直後 の Iサ 音が無 声化 して音節構造 が 複雑
化 して来 るけは いが 見 える。 いわゆ るキ ビキ ビ し
た発音 に受 け取れ る所以 で あ る
これ に よって,い くらか, これ までの単調 を救
い,耳 に快 いい きい き した発音 に段 々な って 行 き
つつ あ るので はあるまいか
│
感1靡「孵 宗
.
これ を もって「 日本 語 の美 しさ」 の 結 び と な
5, .
17-タ リー の 女 -8月 号
7
瘍
′
κノ
らタ
,ン
鳥取
尾 崎 悌 之助
入り
易く
達し
難ぃロー タ リアン
壁 に突きあた った初心者 の感慨
皿
湯河原RC直
居
重
雄
も ともと初心者 のわ た しが, ロー タリーにつ いて語 る資格 の ない
ことはい うまで もな い。 また初心者 の くせ に,早 くも行 くさきの里
OPIN10N
に突 きあた るな どとい った ら,先 司:諸 賢 は笑 lL千 番の こ とと思われ
るにちが いあ るまい。 だが,ロ ー タ リーに人 │し て 3イ「1の あ いだ,す
│口
こしばか リロー ク リーに関す る文献 を読ん でみ た り、 また役員等 の
オ リエ ンテーシ ョン ともい うべ き地 区協議会 の よ うな集会 に参加 し
た りな どして,ち か ごろで は不敏 のわ た しに も, ロー タ リア ンの あ
りか たが どうや ら こ うや らわか りか け て くる と, ロー タリア ン とは
真 に入 り易 くして達 し難 い もので ある と、 しみ じみ 考え るよ うに な
つた
周年 `⊃ よ うに、 ロー タ リア ン として 人 │す る こ とはわ りあ いに容
易 で あ る そ して ロー タ リーの綱領 及び そめ他 の ttttな ど も,1文 字
の 表現 では、 さほ と辮 解 な ものが な く、 何 ノ
、に 1)ひ とまずJ411解 しや
│‖
す い ように思 われ る しか るに達 し曹[い 所以 は,綱 領 の精ネ│の 絶 え
まな い実 Itと 、 さ │,に ダ イナ ミックな活動 のり
1統 に よ り, しだ いに
「超 我 の本イI:Jを 穐Iみ か さね,洗 練 され た ロー タ リア ンに成長 して
ヽ
い く至難 なイ∫
し俗 の人間 には,な
動 の過程 で ある.そ して,こ れ はノ
か なかむつ 力ヽしにヽことだ。
11:│[1に い ってわた しの場 合,そ もそ もは じめは さほ どの深 い考 え
D好 心 も 手伝 って入会 したわ
もな く、 111わ れ るままに,い ささか し
14テ
そ して │1本 人 には,た やす くな じみ に くい.liう なれ ば
ら幼
さなが
稚園 の児 童み た いlC,ひ とか どのお となが,大 きな声 で
ロー タ リー ツンクを斉叫│し た り,お 手手 をつ な いだ り,ま たは スマ
けで ある
イル ボ ッ クスに財布 の底 をはた いた り,あ るいは特 に小柄 のわた し
THE ROTARY_NO TOMO
に は最 もふ さわ し くな い,道 化役者 の よ うに見え
る欅 がけの姿 で , クラブ奉仕 の役 を勤 め るな どと
゛
い った よ うなた く
いの,万 事 ア メ リカ流儀 の ロー
ー
リ
タ
風俗や環境 に も, ど うにか ひ ととお り適応
べ き宝石入 りの パ ッジの こ とな どは, し ょせん末
節 の問題 で ,入 り易 く達 し難 い ロー タ リーの偉大
な先達 には,な には ともあれ素直 に満膝 の敬意 を
表 した い とい うのがい まのわた しの本 音で ある
.
し習熟 して きたつ も りで ある
こ うして 3年 (小 田原 1年 。湯河原 2年 )ほ ど
.
徽 章 と方 陣
の 月 日は,半 ば無 我夢 中で,ま たた く ま に 過 ぎ
去 って しまった。 しか し石 の上 に も 3年 の ことわ
ざ の とお り, もはや初`b者 のハ ンデ ィキ ャ ップを
返 Lし なけれ ばな らない ときが来 た よ うだ。 そ し
て 本来 の使命 を,い
ます こし積極 的 に果 してゆ こ
壁 の正 体 は,わ た しの心 の底 に潜在 して い る さま
ざまの欲望や妄念 で ある。 つ ま り煩悩 が, ロー タ
リーの「超我 の奉仕 」 の精神 と,火 花 を散 ら して
競 合す るので あ る。 いわゆ る善男善 女 のひた む き
な信仰 の態度 と異 な り,生 得 へ そ曲が りのわた し
は 行動 に移 る前 に,先 ず い ろい ろ思 議 し,得 心 の
い くまで紆余 曲折 を経 なけれ ばな らない.だ が
,
結 論 としては,勇 敢 に心 の障 壁 を突破 し,「 超我 の
奉 仕 」 を目指 して前進 しな くて はな るまい と覚悟
して い る
.
余談 になるけれ ども,去 る 4月 25・ 6日 にわた
っ て行 われ た 1964年 第 358区 地区協議会 の ク ラ
ブ奉仕部会 の席上 で「 ガバ ナ ーに対す る先生 とい
見出す ことがで きる.更 に進 ん で,24の 輸 歯を使
って方陣 を作 ってみ た
.
恭 恭 恭 幸 1言暑
:
繰
て
あ
恭
恭幸恭
ITけ
横
し,質 疑 を行 って いた どこか の クラブの ロー タ
リア ンがあ った。 たまたま同席 して いたわた しは
縦
ア ンの なか には,わ た しよ りはるかに上手が あ る
もの と,つ くづ く感心 しなが ら成行 を見守 って い
,
ろrc,か つ慎みぶ か く答辮 をされ ていた 質問 に
立 った直言居 士の勇気 は大 い に賞す べ し.同 時 に
:長 老 の宮 V/Jパ
ス トガバ ナ ーの謙虚 な応答 もまた善
哉 !善 哉 !何 れ もそれ で こそ ロー タ リー と,ほ ほ
え ま し く感 じた次第 で あ る。 だが,卑 見 としては
先 生 とい う敬 称 や栄誉 の ささやか な象徴 ともい う
″ ― タ リー の 友
8月
号
格
,
,起
た .す る と, リーダ ーの官脇 パ ス トガバ ナーが
思 い な しか,や や てれ くさそ うに, しか しねん ご
江
徽章 だ と思 い込 ん で いたが,公 式 な意味 はな い ら
しい それ は ともか く,動 的 な調和美 をその 中 に
う敬称 の可否 」や,「 ダイヤモ ン ドや ル ビー をち
りばめた ロー タ リーバ ッジ」等 につ いて 問題 を提
か ねがねお よそへ そ曲が りの点 で は,人 後 に落 ち
な いつ も りで あ ったが ,世 の なか,い や ロー タ リ
藤
ロー タ リーの精 神 を シ ンボ ライズ した ものが
恭幸 恭囃恭
うと思 い立 つ と,図 らず もその前途 に,大 きな壁
が厳 し く立 ちはだ か って い る よ うに見 える。 その
久 留 米 東 RC
斜
6+10+18+2+24=60
3+22+9+11+15=60
14+16+23+7=60
20+8+12-■ 19+ 1 =60
17+4+21+5+13=60
6+3+14-卜 20-卜 17==60
10+22+16+8+4=60
18+9+12+21=60
2+11+23+19+5=60
24+15+7+1 +13=二 60
6+22+19+13=60
3+16+12+5+24=60
14+8+21+2+15=60
20+4+18+11+7=60
17+10+9+23+1=60
24-卜
11-+8+17=・ 60
15-卜
23+12+4+6=60
9
7+19+21+10+3=60
1+5+18+22+14=60
13+2+9+16+20=60
の京都が あるので ある。 私 は ロー ク リーの友 の長
谷 川如是閑先生 の 日本文化 の世界性 の 文中に「 個
人 の性格 で もそれ を正 し く指摘す るのは,‐ 自分 自
身 で あ るよ りはむ しろ周囲の人 々なので 日本文明
和 が60に な る変 形完 全 五 方 陣 が 成 立 す る
.
胸 の 歯 車 バ ッジに ,感 激 的 な解 釈 を更 に一 つ 付
け加 え て 頂 きた い
.
分 が 己れ を知 る ことで ある, とす る と今 の 日本 人
にはい ささかその 自己発見 の意識 が即 ち自覚 が 足
友 情 の味
販
RC賀
の独 自の性格 も西洋人 に よって見出 され た よ うな
わけであ る.も し近代 の人間発 見 とは要す るに 自
谷
倭
登
りな い よ うで もあ る 例 えば平安時代 か らの 日本
画 の線 の もつ近代感覚 な どもフ ラ ンス人がそれ を
アール スーボ ーな どとい ったので 日本人 自身初 め
4月 17日 夜 行寝台車 にて春爛漫 のびわ湖 と京都
て そん な ものか と思 った よ うなわけで ある」 との
遊 覧 の旅 に 出た.花 曇 りの朝 で あ ったが,び わ湖
畔 は昔 の古 里 の淳 朴 な田園風景 で あ り現代 の鉄筋
コ ン ク リー ト建 の見慣れ た 目には こよな く愛着 を
一 節 が あるが味合 うべ き箇所 で ある.東 山 の晩鐘
感 じる.芽 をふ い た柳 が湖水 に姿 を うつ し春風 に
そ よそ よ とゆれて,比 叡 の裾 の大津 ,堅 田あた り
何 ん とも不 釣合 いで IPtな いか と思 う
入洛 の 目的 はllI園 の都踊 と先斗町 のT烏 川踊 の見
の菜 の花 の美 しさ,蓮 華 の花 の香 ,一 本一 草 に至
るまで ジ ャパ ンな らでは の景色 で あ る。
翌 日思 い出 をの こ して京 へ と入 った.か ねて私
学及び 日本庭園 の研究 で御所 の拝観 で あ った。 御
承知 の女口く都踊 は井上流家元井上八千代師 の指導
は洋式 なホ テル は好 まな いので純 日本式 のお茶屋
風 の旅館 を愛 し,京 都 で は 2軒 程泊 りつ け の宿 を
ねば春 の気分 が しな い。 毎年上洛 して20年 も良 く
もつ づけ て通 った もので ある ダ ンゴの 串 の皿 を
持 って居たが,旧 来 の商法 の家 は続 かな いので あ
ろ う 2軒 と も廃業 して しま った。 そ こで クラブの
数 えれ ば歴 史 の古 さが うかがわれ る.そ の くせ 今
日まで な じみ の芸妓 が一人 もな い とはな さけな い
Nさ んに相談 して祗 園町 の B茶 屋 を紹介 して もら
こ とで ある。 伝統 の良 さを保持 し, 日本 を代表 す
る美 しい踊 は これが唯一 の もので あろ う.T島 川踊
った。 茶屋 の女将 は42.3才 の肥満型 の女性 で将 に
も日本屋根 の緑茂 る山 々の間 よ リコダ マ して こそ
詩情 が 湧 き出 るので あ る。 ビル街 で き く鐘 の音 は
.
に な る格調 高 き踊 で あ り,毎 年 小生 は この踊 を見
貫録充分 で あ る.他 人行儀 の ない 旧知 の間柄 の如
きキサ クな人で 気持良 くもて な して くれ た これ
ばれ て楽 しま して くれ た
も ロー タ リーの友情 の発露 で あ り友情 の有 難 さが
身 に しみて感 じられ た.妻 同伴 のお茶屋泊 りには
今度特 に記憶 に残 った こ とは、 御所 の見学 で 日
本民族 の優秀 さを自分 の膚 で感 じ取 った こ とで あ
不似 いの ところ もあるが、 京都祗園花街 の夜 は ま
る
た格別であ り,吉 井勇先Jlの 「 かにか くに祗園 は
こひ し寝 る時 も枕 の した を水 の流 るる」の歌 (筆
者所蔵 )が ふ と思 い浮ん で来 た
京 のllI園 に しか
は古 さの 中 に新鮮 な味 を した先斗町 の昔 が充 分偲
.
京都 の春 を満喫す る中 に 日程 も終 り帰路 につ
くこ とにな った.帰 るにあた って茶屋 の女将 の出
した物が振 る って い る.な ん と永楽屋 の椎茸 の佃
煮 を二折 出 して,一 折 は必ず紹介 の Nさ んに届け
な い味 で あ る。 私 が常 に念願 す る こ とは京都 の京
て くれ との ことで あ った。 確 かに約束 して帰 るや
都 らしさ,京 都 の古 さで何時 まで もそ うあ って欲
しい。 この水 の流れ 、垂れ た柳 .紅 葉 の本 ,石 の
約束 を履 行 したが受取 ったNさ ん もさす が に感激
の態 で あ った。 後 に解 った事だ が,Nさ んはそれ
姿 ,ふ き清 め られ た格子戸 ,ま た よし 贅 の す だ
れ .京 都 の町家 に ビニール の簾 れ は イヤ気 が さし
よ リー 週間後会社 の慰 安旅行 で入洛 の節 .B茶 屋
の女将 を訪れ て 旧交 をあたため られ た由,全 くロ
て な らぬ.ど うか京都人 よ新時代 の感覚 を誤算 し
な いで欲 しい.釣 合 の とれ た新 らしさを考 え、 い
ー タ リア ンら しき椎茸 の贈物 が と りもつ ほほえま
つ まで も京都 らしさを保持 して くれて こそ新時代
70
しき友情発露 の一 と駒で あ った よ うな気が した。
夢 では ない,真 実 のお 話
.
TH[ROTAマ Y_NO‐ TOMO
目 ―タリアング芳詢
τ友 」 専 F号 委 員
田
増
(東 京 RC)
彦
義
鼈 か に生 きる心 の 柱
企 業 三 角 論
資T告 8套 督 矢野 ―郎著
壽景11腎
田園 調布 とい う郊外 (?)住 宅地 は矢野 さん の御
代 が 作 られ た ものだが,矢 野 さんはその始め か
ら40余 年 の住人,ほ ん との草分 け の古株 だ.そ こ
:七
の 小学校 の卒業式 に招かれ て,か わ いい卒業 上 に
話 した人生 ]‖ 話 をま とめたのが このパ ンフレ ッ ト
で あ る。 しみ じみ とした言葉 に,子 供 の前 で話 し
て い る矢野 さん の楽 しそ うな顔 が うかぶ .こ の話
(麟
`
人 読本 の時間 に放送 され た ./FN業 内
11産 性本部 の人Fl関 係視察 チ ームの
教育論、 と′
NHKの
/1‐
l・ l」
長 として渡米 され た ときに視察先 に配布 したバ ン
フレ ッ ト `日本 に於け る人間関係、 の二つ を合せ
た小冊子 企業三角論 とい うのは,機 械 を作 り
人をつ くり,富 を作 る とい う三 つの ことが調和 の
,
とれ た正三角形 に なる よ うに とい う著者 の信念
をきい た小学生 た ちの感想文36篇 が 集 め て あ る
が ,子 供 の受取 り方 も面 白 い.(社 会教育協会 Y80)
(日
」l腔 の構造 か らは じま って,蓄 膿症 の原因,症
1た .療 法 な どが 詳述 され,蓄 膿 になやむ人 は是非
`
御 一読 蓄膿 に関係 な い者 には附録 の 神経質 の
人々へ の警告 、 の方 が参考 に なる.や さし く親切
に、 実 例 をあげなが ら神経質 の人 のIMみ と心 労 に
対 して とるべ き態度 を教 える
.
(鳳 1::堂
il,店
い出.度 々の外遊 のE口 象
登山か ら鯛焼 きの 話 ま
と くに巻末 の写真集 `
欧米 カメ
で面 白 く読 め る
ラあ るき、は素 H背 しい
.
ヽ 150)
`法
自動 車
東京都港 区芝
TEL 452-
占4
■1台
東京
横浜
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常広 JL,こ 盛岡 秋 Hl■ 口形 J011111奇
静 同・ 名古 屋 ・ ´
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東京
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山 全│は 1れ
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文 社 印刷
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ヤナセ・不ットワ ク
旭
檀那方 の漫遊 スナ ップ と
は ちが つて, くろ うとのJ:派 な写真集だ
株 式会社
l舅1路
.
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著者 が選暦 を記念 して止1版 した 随筆集.総 アー
トの豪華 本.Jヽ 倉正恒翁 をは じめ とす る人間 の思
世界の一流車 を売る…
売li
盟
斎藤 武幸著
繁鳥請認k賃
発県犠隊 1彎 警貫 西端 膜―著
t ri出 張 Pr:札 幌
本 DIA連
仕 事 のな か か ら
蓄 膿 症 は 治 る
特
後藤安太郎著
'1:都
‖ i間 口1瞥 ll il l松
1,お
11徳 島 高1野 鹿」
ι
`1
使 った ガ ス代
1億 7千 万 円
料 理 を つく っ た り 、 フ ロを わ か
し た り 、ガ ス は 大 変 便 利 な も の 。
︲万
︱︱ 全 国 で は 4
世 帯 も の家 庭
5
が 利 用 し て いま す 。 こ の が ス代
は 一日 、 ざ っ と 1 億 7 千 万 円 c
0 億 円 も の お 企 が奥 さ ん
ひと月 5
のさ いふから支 払 われ る ので魂
ソ ロバ ン で は 、 と て も 処 理 で き
ま ♯一ん 。 も ち ろ ん 、 々■ η ス 会 社
は事 務 機 械 を フ ルに利 用 し て い
︱
8年 度 推 定 ︶
ま す c ︵日本 オ ス︱
′会 3
ー
現 代 の企 業 が扱 う 枚 字 は、 ま す
ま す 肝 大 な も の に な って ゆ き ま
枚、 会 計
す。 レジスター、加算 ¨
'(・
0 機種以
機 、 電 子 計 算 機 な ど 、0
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上 に入 ぶNC R製 品 が、全 国 の
本年 で創立 80周 年 をLiEえ ま した
日本ナ ショナ ル 全銭登録機株式会社
′
′
也
lt llk‖ ‖
,こ
企 業 の中 で事 務 処 理 や 明 日 への
指 針 を 示す資 料作 成 のた め に、
今 日 も 活 躍 し て いま す c
NICIR
モベ科装 ¨
漢字 テ レプ リン ター
新 聞 の 報 道 は ,正 確 か つ 迅 速 で な け れ ば な らな
い .支 局 に 集 ま つた 原 稿 が 漠 字 の ま ヽ電 報 と同 じ
速 さで本 社 に 届 き ,同 時 に 活 字 が 鋳 造 され 15字 に
組 まれ る と した ら これ ほ ど理 想 的 な こ とは な い
2544文 字 が 組 み込 まれ l分 間 に 300字 の さん矛し能
.
欧 文 の 場合 ,A B C28文 字 の 大 ,小 文 字 と数 字 記
号 類 を含 め て も百 数 十 字 に過 ぎな い が ,和 文 の 場
合 は 漢 字 ,ひ らが な 等 数 千 字 に及 ぷ .こ の 複 雑 な
文 字 を如何 に能 率 化 す るか 。
これ に つ い て ,通 信機 器 の研 究 に生 涯 を か け
心
苦 の 末 ,遂 に 漢 字 テ レプ リ ン ター を完 成 した 答
村 KK新 興 製 作 所 社 長 谷村 貞 治 君 (花 巻 R9初
代 会 長 ,現 名誉 会 員 )は “余 りに字 数 が 多 い の で
不 可 能 だ と思 つて い た が ,科 学 技 術 が発 達 す るに
つ れ て 可 能 性 を見 出 し,昭 和 27年 か ら 自社 の 技 術
陣 を動 員 して研 究 を続 け た 末 ,や つ と完 成 した "
と語 つて い る
“
鍵 盤 さん孔 機 "に は 192個 の 文 字 キ ー が あ つて
,
.
文 字 の 配 列 に一 番 苦 心
した と皓 る 谷 村 貞 治 君
Rtn' Teiii Yomuro of
Honomoki, President of
Yomuro ShinkoSeisoku-
sho Co., ltd.,
hos
developed on epochmoking Chinese Chorocter Teleprinter.lntroduced ore Rtn.Yomouro
ond his Teleprinter.
力 が あ る .具 体 的 な回 路 の 順 序 は ,例 え ば あ る支
局 か ら本 社 へ 原 稿 を送 る場 合 ,原 稿 を鍵 盤 さん孔
機 で打 つ と文 字 の 符 号 がテ ー プ に さん 孔 され て送
信 機 に 移 り,有 線 を使 用 して本社 の 受 信機 に 入 る
そ こで ,再 び テ ー プ に さん矛しされ ,翻 訳 機 が テ ー
プ の 符 号 を読 み 取 つて 1分 間 に 130字 の 速 さで 印
字 して い く .ま た この テ ー プ を文 選 ・ 鋳 造 ・ 植 字
の 作 業 を lつ の 機 械 で 行 うモ ノ タ イ プ に運 動 す れ
ば ,新 開 発 行 は 著 し くス ピー ド・ ア ウプ され る こ
とに な る 。画期 的 な この 機 械 は更 に 広 く応 用 され
る で あ ろ うが ,そ の 開発 が 今 後 の 課 題 で あ る
また花 巻 RCの 谷村 恒 治君 は 同製 作 所 の 常務 取
締 役 ,親 子 2代 に亘 つて通 信機 器 の 近 代 化 に努 力
され て い る 。来 る東 京 オ リ ン ピ ック で の 世 界 記 録
′
が ,こ の 漢 字 テ レ プ リ ン ター に よ って 競 技 場 か ら
い ち早 く報 道 され る 日 も間 近 い
.
.
.
LЪ
撮影
薔 拒●ア
ー
=ド
● 椰 僣 中 r・
,t=■ 絆1攀 榊 ●
“
1
,■ ■
黒川清司
Y26,000
お 光
ra-rt)7yA
=-r-
l|t ,n
AE l41 ,
^
今 月 は
ロ ー タ リア ン の み な さ ま方 が 贈 り 員
曽 ら 才tる
カ ップ を と りあ げ て み ま し た 。
新 し い デ ザ イ ン に 配 さ れ た 輝 くエ ン プ レ ム は
5
F .C'riif'Sili'1bt*l
ロ ー タ リア シ
で し ょ う。
`わ
栄 誉 を 永 遠 に 伝 え るこ と
」
レクのアン持 ♂刻制 針
Previewing The Rotarian
for August
1964
出予算 の 大幅増額 が認 め られ た こ とが 目 立 ち ま
TOronto:Trends for Tomorrow
ヽトロント大会の模様
す
これ に よる と ロー タ リー財団 は従来 の奨学生事
カナダの トロン トにお いて,72カ 国 か ら15,956名
業 の他 に,優 秀 な青年 にIli業 お よび技 術 を研修 さ
せ るために外国 に派遣す る こ と,交 換地区間 で 行
の 参加者 を得 て盛大 に行なわれ ま した
な う青年実業 人お よび技能者 の旅行費用 を支給す
第55回 F14際 ロー タ リー大会 は 去 る 6月 7∼ 11日
.
る こ とがで きる よ うにな ります
この大会 にお いて カ ール・ ミラー RI会 長 (当
ロー タ リーは これ まで 説 くことに時間
時 )は
'「
を と り,実 行 にかけ る うらみ が あ る」 と私 は諸君
にnFfぇ て きたが,今 年度 (1963-64年 度)は ロー
.
Up the Path Of Leadership
∼レークプラシッド国際協議会
大会 に先立 って 5月 27日 ,国 際協議会 が例 年 の
よ うに ニ ュー ヨー ク州 ,レ ー クプラシ ッ ドにて行
タ ッーの歴 史 に実践 の年 として永 く記録 され る こ
とになるで あ ろ う"と 述 べ,更 に そ の提 唱 した国
際交換計画 の成果 につ いて報告 し聴 衆 lC多 大 の感
なわれ ま した
銘 を与 えま した
この大会 の模様 な らび に大会 を迎 えた トロン ト
市の 状況 な どが21頁 以下 に詳 し く紹介 されて い ま
この協議会 にはガバ ナ ー ノ ミニ ー 272名 をは じ
め として合計 887名 が参 加 し 6月 4日 まで の 9日
間 にわた って ロー タ リー地区運営 の ため熱心 なFJF
す
究 討議 を行 な い ま した。 この協議会 の模様 が多数
の写真 とともに40頁 以下 に紹 介 されてお ります
.
.
.
.
Days of Decision∼ トロント大会で採択された議案
この大会 で 行 なわれ た規定審議 会 にお いて39の
議 案 と 8件 の決議案 が審議 され ま したが この うち
本 会議 で採 択 された もの は16件 とな ってお ります
The Great PortOf London∼ 偉大なロンドン港
海 岸か ら何 マ イル も離 れた内陸地 にあ りなが ら
ロン ドン港 は 世界有数 の大貿易港 として繁栄 して
お ります
注 目され ていた会 員制度 の簡素化 に関す る議案
は否決 され ま したが,一 定 の条件 に達 した会員が
シ ニア・ ア クチ プに 自動的 に移行す る案 (64-29)
は採択 され ま した
また この大会 で ロー タ リー財 団 の 事業範L4Jを 拡
大す る こ とが認 め られ,そ れ に ともな って財団支
ロー タ リー の 女 -8月 号
この 内陸地 に港 がつ くられ, ローマ時代 よ り今
日まで一 員 して発展 して きた理 由,そ して また こ
の港 の将 来 な どにつ いて イギ リス有数 の ジ ャー ナ
, ロン ドンカIま ス:沼
リス ト, Trevor H0110wayカ ミ
地 で あ った時代 に さか のぼ って 興味深 く解説 して
お ります 11∼ 15頁
77
1964年 8月 号 ロータ リアン誌 より要約
明 日 の 重 役 を 交 換 す る
Swapping Tomorrow's Executives
By Andrew Ifamilton
筆者ハ ミル トン氏は元 米れ軍情報将校で,み l在 カルフオ
ルニア大学広Йせ
部長であ り,サ ターデー・ イブニ ングポス
ト紙, リー ダスーダイジェス ト, ネーシ ョンズビジネス誌
などに しば しば寄稿 してお ります
ア メ リカ、 コ ネ クチカ ッ トリ
11, トリニチ ー・ コ
ローエ君 は 2年 前jの 夏,
レ ッジの学生 ,デ イッ ク・
デ ンマー クの繊 毯会社 で 働 いた こ とがあ ります
.
そ の夏 の あ る週末 に彼 は 100ド ル で 買 った使 い古
しの イギ リス製 モー リス を駆 って コペ ンハ ー ゲ ン
に出かけ ま した
昨夏.フ ラ ンスの リオ ンの ある鉄鋼会社 の会計部
で 働 きま したが,そ の時 の こ とを次 の よ うに語 っ
てお ります “僕は共 産主義者 をふ くむ多 くの 人
々 とア メ リカの 自由企業 精1度 について 話合 った。
多分 そ の うちの幾人 かの人の考 え方 を変 える こと
がで きたか も知れ な い″
1日 中市 内 を見物 して歩 い たあ と,草 を駐 めて
この 3人 の学生 は国際経済・ 商科学生協会
お いた場所 に戻 って くる と、 た くさん の人が集 っ
(AssOciation lnternationale des Etudiants en Sci‐
て そ の車 を不思議 そ うにみ つめてい ます
ences Economiques et Commerciales―
そ の群衆 の なかか ら一人 の警官 が 進 み 出 て き
て,¨ この車 は捨てたん じゃな いんですか'と 不審
I― 工 君 にた づ ね ま した ローエ君 が ¨と
そ うに ●
んで もな い"と 云 い ます と,警 官 は “はあ, い ま
学 生 の代表的 な例 です
.
AIESEC)
を利用 して毎 夏外国 で働 いてい る約 350人 の米人
まで 私は ア メ リカ人 とは皆お金持 だ と思 って いた
′
んですが、 これか らは考 え方 を変 たな ぐち ゃね
'
_
学生 が 発起 し、 自主運営 して い るこの団 体は過
去 14年 間,明 日の重役 とも云 うべ き38カ 国 の学生
20.000名 以上 に言 語,習 憔 商慣行 の異 なる国 々
で働 く機会 を与 えて きま した
.
と云 ったそ うです
コ ロン ビア大学 のア ラ ン・ ボ ス トロム君 は昨年
この事 業 の ため に学生 お よび諸会社 が拠出 した
金額 は 1,000万 ドル以上 に達 してお り,学 生 の運
の 夏 2カ 月間 コ ロンビヤ、 ボ ゴ タ市 の ある会社 で
¨
働 きま した そ して帰国 した とき同君は 僕 が最
営す る もの としては世界最大 の国際交換事業 とな
ってお ります
も深 い印象を受けたのは「 中南米 には米国市場拡
″
張 の大 きな可能性がある」 とい うことだ と云 っ
てお ります
米人学生 が海外 で lyJぃ てぃ るの と同 じよ うに
諸外国 の学 t約 350名 が 米国 で夏 期就職 して い ま
,
す
カ ル フ ォル ニ ア大 学 の ケ ン・ ウ ッ ド君 もや は り
.
オ ラ ング のア ムステル ダ ムの学生 ,ボ ネウイ ッ
THE ROTARY_NO‐ TOMO
'8
名 の欧州人学生が この協会 にカロ
入 し,や がてAIE
卜君は ニ ュー ヨー クの イ クイ タブル生命保険 会社
に雇 われ ま した.彼 は ニュ ー ヨー クは汚 ない街だ
SECは 全世界 に進出 して い きま した。
と思 ってや って来 た ので す が, 2カ 月間 ここで 働
いて い る うち に, この街 が ヨー ロ ッパの大抵 の街
AIESECの 支部 は38カ 国 の 245の 大学 に
存在 し,約 4.000名 の学生 が毎夏仕事 を交換 して
と同 じように清潔 で ある ことを知 り、 また市民 が
働 いてお ります
海外 で あ った米人 よ りももっ と友好的で あ る こと
に気 付 いた と云 っでい ます
.
パ リの学生 ,ゲ イル ー君 もニ ュー ヨー クのある
会社 で働 き,学 校 で習 った会計学 の知識 を世界 で
最 も進 んだ組織 の なかで実地 に活 用す る機 会 を も
つ こ とが出来 た との べて い ます
ス イ スの ヘ メル君 とオ ラ ンダの ギ ンベル君 は イ
リノイ州,エ バ ンス トンの Rust‐ Oleum社 に夏期
就職 しま した.こ
フ ァーガノン氏 は “彼等 が若 いア メ リカ人 ととも
に働 き,我 々の生活ぶ りを知 る機会 を もった こ と
の 2人 を受 け入れ た同社 々長 の
は勿 論,仕 事 自体 か ら も大分得 る と ころがあ った
はずであ る"と 云 ってお ります
大小 200以 上 の会社 が この学生夏 期交換就 職事
業 を支持 してお り, これ らの会社 の なか には IB
ヽ1,パ ンア メ リカ ン,フ ォー ド,バ ン ク・ オ ブ・
ア メ リカ, コダ ックなどの一 流会社 も多数 ふ くま
れ て い ます
.
現在
AIESECの 米国支部は AIESEC‐ US と呼 ばれ
て いますが,第 1番 目の米国支 部 は1957年 , コ ロ
ンビア大学 に誕生 し, この年 は 8名 の米入学生 が
同数 の欧州人学生 と仕事 を交換 して い ます
い まア メ リカにはAIESECの 支部 が 50あ り、 ほ
とん どの主要商科系学校 に行 きわた ってお り 更
に年 々 8な い し10位 づつ増加 して い ます 会員 は
大学院 もし くは学部高学年生 で,女 子学 生 も加 入
して い ます 会員年齢は22∼ 3歳 位 です
_
AIESECの 本部 は ス イ スの ジ ュネープに あ りま
す が 各地域 ,各 国 に委員会 が あ って国際的 に緊密
な連絡 を とって活動 して い ます 。
事業 を維持す るため,AIESECは 学生 を雇用す
る国際的大会 社 か ら 100ド ル,国 内 の一 般加入会
社 か らは50ド ルの 費用 を と り,ま た学生会員か ら
は25ド ル を徴収 してお ります
.
AIEsEC‐ USの 本部事務局は New York市 の51
AIESECは 1949年 , フランス, ドイ ツ,ベ ル ギ
ー.オ ラ ンダ,ス エ デ ン,ノ ル ウェー,デ ンマ
ー クの学生代表 が ス トックホル ムで 会合 した とき
.
発起 された もので あ ります
East 42nd Streetに あ り,年 間 2万 5000ド ルの予
算 で 運営 され てお り,政 府 か らは 1セ ン トの補助
‐
金 も受 け てお りませ ん.し か し米 国 々務省 では こ
のAIESEC_Usを 国際交換事業 団体 と指定 して半
官半民団 体 として取扱 い,外 国人学生 の入国 に対
これ ら学生 の 目的 とす る と ころは、 ヨー ロ ッパ
が以前 の よ うに 自力 で 立上 るの を助 け る こ とにあ
して短 期 ビザ を発行す る資格 を与 え てい ます
り,彼 等 の考 えは当時 ヨー ロ ッパ共 同市場 の基盤
をつ くる こ とに努力 して い た欧州 の政治家 の それ
AIESEC‐ USの 正規有給 役員 は会 長 と事務局長
だけで,昨 年 の会長 は24歳 の ボ ス トン大学生 ジエ
カブス君 ,今 年 は21歳 のエ ール大生 チ ュー ター君
と多 くの点 で共通 した ものが あ ります
.
で あ ります.
この団体 が発足 して迎 えた初 めての夏 ,89名 の
欧 州人学生 が,各 自の国 にお いて夏期就職 口 を確
保 し,そ れ を他国 の学生 と交換 して働 きま した
このア イデアは急速 に普 及 し,1957年 には1,700
ロー タ リーの友 -8月 号
・
毎年春 に,38カ 国 のAIESEC代 表 が夏 期就職 交
換 を打 合せ るため会 合す る こ とにな ってお り;今
年 の打 合せ会 は 3月 に プ リス トン大学 にお いて開
かれ ま した
.
79
就職先 との往復 費用 は学生 が 負担す る ことに な
ってお り, この費用 を安 _ヒ リにす るため,
AIES
ル を払 い こんで空路 欧州 へ立 ちま した
.
週間 か ら 6カ 月位で,報 酬 はア メ リカの場 合週給
60∼ 80ド ル.欧 州 の場合は これ よ りやや安 い よ う
仕事 をは じめ る 日まで 約 2週 間半 の 余裕 があ っ
た ので,ラ ベ ンナ に行 く自
1に ロン ドン,ル クセ ン
ブル グ,ポ ロナ な どを見 て歩 き,ま た ユ ニオ ン・
バ ン クか ら もら った紹介 状 を頼 りに, これ らの街
々の銀行 を訪 づね 役員 に会 って欧州 の経 済 につ い
です
て 話 を聞 きま した
ECが 飛行機 をチ ャー ター し、 また就職期間 中 の
各種保険 を低費 で 斡旋 して い ます
就職期間 は 8
.
.
では ここで 初 めてAIESECを 通 じて外国で働 き
帰 国 した米人学生 ハ ップ君 の例 を紹介 してみ ま し
ラベ ンナに着 くと, カサ 。 ド・ リスパル ミヨー
銀行 の国際部長 ス トロ ッチ ー氏 が`む か ら歓迎 して
くれ、“この街は イ タ リーの石油化学 ,ゴ ム,石 油
ょう
.
昨年 の夏彼 の両親が欧州旅行 をす る ことに なっ
精 製 の 中心地 で あ り, ミラノに次 いで イタ リーで
最 も急速 に発展 して い る工 業地帯 です 。 だか ら景
た とき,同 君 も一 緒 に行 きた い と思 ったのがそ も
そ ものは じめです ところが彼 自身 の貯金 は 2∼
気 もよ く,仕 事 も忙 しいで す よ''と 話 して くれ ま
した
.
300ド ル しか なか ったので, 一緒 に連れ てい って
この銀行 にお け るハ ップの 月給 は 7万 リラ (11
0ド ル =39,600円 )で す, この うちか ら素 人下宿
くれ とい うわけ にはい きませ ん。
そ うした時 ,彼 は商法 の教授 ウォー ター博 士が
授業 中 にAIESECに つ いて話 して くれ た こ とを思
い だ し,教 授 を訪 づねてみ ま した
.
の部屋代 に lヵ 月20ド ル,食 事代 に60ド ル を払 う
ので, 1カ 月約 30ド ル が小遣 い とな ります。
彼 は国 際部 で働 くこ とにな り,国 際通貨 と公 債 の
事務処理 をす る こ とにな りま した。 ス トロ ッチ ー
“そ ぅ,AIESECに 入れ ば, ヨー ロ ッパヘ 行 か
して くれ るか も知れ な い。 ともか く申込手続 をし
氏 の云 った通 り仕事 は忙 し く,毎 日一生懸 命働 き
ま した。 イタ リー語 しか 使えな いので ,下 手 だ っ
てみ な さい"教 授 は こ う云 って くれ ま した
た イ タ リー語 の会話 もだんだん上手 に なって きま
.
した。
ハ ップ君 は前年 の夏 ロスア ンゼル スのユ ニオ ン
・ バ ン クで働 いた ことが あるた め,銀 行業務 に経
験 があ る こ と,そ して スペ イ ン語 とイタ リー語 も
週末 には北 部 イタ リーー 帯 を見 て まわ りま した
ス トロ ッチ ー氏 の家族 と一 緒 に ドロ ミテヘ スキ ー
少 し話せ る ことを申込 書 に書 き入れ ま した。 また
ユ ニオ ン・ バ ンクの役員 に会 って,そ の銀行が今
に行 った こ とは い まで も楽 しい思 い出 です .ま た
フ ローレンスの美術館 ,セ ン ト・ ピー ター寺院
年 の夏 ,外 国人学生 を 1人 使 って くれ るよ う頼み
こみ承 諾 を得 ま した。
ローマ の コ ロシア ムな ど も訪 づね ま した
,
.
この よ うに夏休み を外国 で 働 いたハ ップ君 は
,
それか ら数週 間経 ったあ る 日,同 大学 の AIEs
EC支 部か ら“ イク リーの ラベ ンナに あるキ ャサ
“これ まで僕 は大学 を 卒 業 した ら何 に なろ うか と
ま よっていたが, この仕事 を してみて は じめて決
・ デ・ リスパル ミヨー銀行 で働 いて み ないか"と
心 が つ いた 僕 は国際 金融 の分野 へ進 もうと思 う
ョー ロ ッパ はダ ィナ ミッ クな ところで あ り,我 々
い う電 話 がかか って きま した
.
フベ ンナはア ドリア海沿岸 にあ り,ベ ニ スの南
75マ イル の ところにあ る街です
ア メ リカ人 は この市場 に進出 して シエ ア を確保 し
彼 はそ こで 働 くこ とを承知 し,往 復旅費 450ド
この夏期国際学生交換就職 は雇用者側 に とって
.
20
なけれ ばな らな い"と 語 っています
.
THE ROTARY_NO_TOMO
少な くとも次の六つの利点があ ります
.
4 AIESECの 学生 の生活態度が 非常 に良 いの
で職場 の ものに良 い影響 を与 えます 。 また
学生 の仕事ぶ りは非常 に真面 目であ り,時
として は業務 の改善 に役立 つ ヒン トを与 え
各種奉仕 クラブ,教 会 ,婦 人団体 な どか ら
講演 を依頼 され , この面 か ら も良 い影響 が
て くれ る こと もある
あ ります
自国 の学生 も外国 へ 出 かけて働 くのだか
ら,外 国人学生 を雇 ったか ら とい つて,国
内 の求職者 を圧迫す る こ とにはな らな い
海外 で 働 いたAIESECの 学生 は海外 の事情
に詳 しいので,卒 業後 そ の 知識 が非常 に役
立 つ.こ のため国際的 な 大 銀 行,石 油会
社 ,航 空 会社 ,海 運会社 ,貿 易会社 な どで
AIESECに 加入 していた学生 を正 規採用 し
ています 。
5
産業 ,経 済,商 業 の知識 の国際交流 に役立
ちます
6
海外市場 の研究 調査 に役立 ちます.例 えば
ア メ リカの会社 がデ ンマー ク人 の学生 を使
って,デ ンマー ク市場 の調査 ,消 費者 の傾
向な どを調 べ させ る とい うよ うな こと も出
来 ます
AIESEC‐ US創 立以来 の顧間 で あるサ ウスダ コ
タ州 の カ ール・ ム ン ト氏 は米国上院 の公聴 会 で
AIESECの 急速 な発展ぶ りと国際理解 の増進 に果
,
3
帰国 した学生 はそれ まで 彼 がlJ」 い た会社 の
私設代表 の役割 をつ とめて くれ る よ うに な
り,そ の会社 の PRに 役立 つ とともに,雇
して きた役割 を説明 し,更 に多 くの大学 が この運
動 に参加 し,ま た よ り多 くの会社 が この運動 を支
用者側 の国際理解 を深 めます
持す る よ う望ん でお ります
.
世界 に伸 び ゆ く
.
エハ ラの技 術 /
各種産業機械・プラントのトップメーカー
5,000馬 カ ドレッ ジ ャ 。ポ ンプ
●― タ リー の 友 -8月 号
荏原製作所
本社
東 京都大 田区羽 田旭町
27
新 潟 地 震 と
ロ ー タ リニ
今 回 の新潟地震 の被害状況 は新聞 , ラジオ等 に
よって 詳 し く報道 され ています が,被 災地 の 口‐
タ リア ン諸君お よびその ご家族 の安否 は どうであ
ろ うか。 そ して また全国 の ロー タ リア ンが この地
震 の被災者 に対 して どの よ うに援助 の手 を差 しの
べて い るであろ うか。 この点 について「友 」が 6
月 末 日までに知 り得 た範囲の こ とを ご紹介 した い
と思 い ます
.
新潟 国体 を迎 えるために街全 体 を折角美 し く
装 い上 げた矢先に この 災害 に あ った の は ま こ とに
痛 ま しい限 りで あ る
市 内 には現 在新潟,新 潟南 1新 潟東 の 3ク ラブ
が あ り、 ロー タ リア ン数 は合計 189名 ですが,震
動 が強烈 で あ ったためにほ とん ど全会員 の事業所
自宅 が大 な り小な り被害 を受 け て い る
殊 に被害 のひ どか った河 日付近 お よび埋立 地帯
が工 場地域 で あ るため, この地域 に工場 を もたれ
る会員が多 く,損 害 の ほ どが思 いや られ る
依然 として大部 分の水道 と下水道 が使 用不能 の
曇
球
こ
彙
甚
言
こ
運
覧
532貸 唇
讐
憲
集
堂
魂
ぐ
壽
優
ころがあるほど
でなこと
毒に堪えない
補キ軍づ
.
それで も会員 。家族 の方 々に死傷者が一名 もなか
った とい うこ とは不幸中の幸 いであ った。
村上 旧市街は概 して大 きな被害はなかったよ
うで あるが,郊 外 の岩船地区 と農村地帯は相当ひ
どい損害 を受けて いる.会 員関係 では村山良 之丈
前会長,宮 尾隆吉 .富 樫又太郎会員の事業所が相
当の被害を受けた その他自宅の壁土が崩れだり
した ところが 少 なか らず あ る.会員 。家族 に死傷
│
者 はな い
鶴岡
ここ も旧市街地 は概 して大 きな被害 はな
か った よ うであ るが,周 辺 の農村地帯 の被害 が ひ
どいュ 会員関係 で は佐藤 伊和治 ,今 問壮太郎,手
THE ROTARY_NO TOMO
イ零
塚 林蔵 の 儲/3iが 大きな被1イ を受 けた よ うで ある
会 員 。家 族 に 死傷者はな い
よる と市内 3ク ラフか ,各 地 の 会員 i者 君 よ りいた
だ い た見舞 の 合計額 は 6月 末現在 で約 400万 円
に達 して い `≧
る との こ と
酒田 !IJ周 辺地域 の被11子 が ひ とい 会貝関係 で
《
ま中村太助 .′ ‖'原 修三 ,万 谷 伊有衛 F」 の 計君が大
きな被1年 を受けたので, クラブではこの 3 fIに 見
舞金を贈ったほか、 の災11千 対策本部に3万 円を
11∫
拠出 して い る
この クラブ も■ い 会員 。家族 に死
また国際 ロー タ リー理事 会 も第 355区 の ガバ ナ
ーで あ った 小野康平君 か ら新潟地震 に 対す る援助
要請電報 を受 けて,日 下援助 方法 の 具体化 を急 い
でお ります ロー タ リア ン誌 8月 け も新潟地震被
傷 者 はな い
lJの 手 を さ
災者 のため全世界 の ロー タ リア ンが1妥 」
rFえ
べ
しの る よ う「 てお ります
一 方,全 ・各地区 の クラブでは地震被災地 の災
害対策 本部,新 聞社 ,ロ ー タリー クラブに続 々 と
なお また,7月 1日 よ り任 期 につ いた 10地 区新
ガ バ ナー も就任打 合せ 会 の∵1頭 彼災者援助 の ため
見舞金 を螂1っ てお ります
新潟市 在住 の lll本 」
「1郎 パ ス トガバ +― の報 告 に
各 クラブの一 段 の 協力 を呼 びかけ る旨 を,た 定 しま
l■
した
幣
.、
勧
■歌 1県 の御 坊 RCで は
Lttβ セ災 者 ,1夕 千金 とし
新潟 士
2,000円 宛 合
て会
=l
10万 1日
を集めて LIII利 γ
'11名
会長, 11喜 大 々 l会 長 ,大
1lJ[ワ ]会 夕1の 3名 が小 池1)
会員 の1是 供 した lllに 乗 って
まるば る新潟 │∫ 内 3ク ラブ
イ
を言ケね その 牡舞 金 を
「 減
した なお 見舞 金 とともに
杞州 /f封 じ悔 2rl,ィ「‖も贈
つた
‐
│=五
懺
毅男
斜 里 。白 樺 と 斜 里 岳
第 350区 ・Jヒ :il道
男 llt・
例会 日
本
会員 数
例 会場
斜
ユl 館
事務所
会長
燿
昭 ■139年 1月 10日
認
承
承
認
例会 日
23名
斜 ■l口 1商 工 会 内
ヽ 狩野
赤本
幹り
力
= RC
塩沢六 日町 RC
昭 和 38年 3月 28日
例 会場
事 務所
日本 鉱 業 KK船 り1製 油 所 内
沢 本 元 !∵
幹
F
昭 和 3:年 11月 29日
承 認
例会 日
26名
本 会員数
日鉱 ク ラ ブ
会長
市j 五 社
第 355区 。新潟り
│:
区・ 秋 田県
里 RC
斜
1判
中根 喜治
ral会
場
lll務
所
会長
本
会員 数
30名
人 た帯│′ 銀 行 六 日町 支 店
人 光 Hl互 銀 行 六 ロロ∫支 店 内
豊 l.文 :郎 幹 II 平 賀 馨
'(一
会長・ 幹事 の抱負
会長・ 幹事 の抱負
誕生 して半歳 ,赤 ん坊であ るだけ
会長・ 幹 事の抱負
結成 以来 1年 有半 , ロー タ リーの
ぶI沢 町 ,六 日町の合併 クラブなの
田舎 には都
良 さ,面 白 さもわか り,会 員一 同張
で,ま ず会 貝の融 和 と親 睦 に主眼 を
会 と違 った面 倒 な問題が沢山あ るが
り切ってい る 残念 なが ら出席 率 は
置 いてい る.農 村 の純朴 な精 神 に加
幸 い会員 は地域 の指導 者,中 堅 の大
上の方 ではない。本年 は何 とか して
えて,ロ ー タ リーの 本イ│:の 精神 を添
半 を網羅 して い るので,会 員の心 の
全 国平均 に まで漕 きつ けた い と思 っ
え,明 るい平和 な地域 社会 を作 りた
中 に ロー タ リー精神 を二 つ子 の魂 と
てい る。
に明 日が楽 しみで あ る
してや どらせ ,わ が ク ラブをして
い・ 積 Ji数 メー トル に も及ぶ豪雪地
それ と会員 の 獲得 に大 いに力 を入
帯 であ り,冬 季 の 交通は不 自由なの
幸 福 な町 づ くりの推 進力 ,母 胎 た ら
れ て奉仕 の実 力 をつ けたい と念願 し
しめた い
てい る
で出席 率 の点 で苦慮 している 本 年
度 は会員 の 自党 を促 した い
,
.
.
秘境・ 知床半島
男性美を誇る男鹿半島
北海道 の 東北端 ,知 り
末半,ル の 人 口
男鹿半島は単調 な 日本海
越後米 と塩沢お召
に突
関東地方 の レク リェー シ ョ ンの場
に あ り,人 口 1万 8,5(X)人 ,主 な農
'F線 の半
入す る東西約28粁 ,南 北約20粁
となってい る
産物 は ビー ト,澱 1/J,馬 鈴 警等 ,水
島 で,海 と沖1に 囲 まれ , も とは 日本
沢 ,石 11,晰 I原 高原 , また夏 の登 山
産物 は鮭 ,鱒 が主体であ る。
海 に浮 ぶ 島 で あったが ,東 北 と西南
には,谷 川,lf場 ,越 後三山 を有 し
に砂嘴 が 発■ して陸 と海 とを連 られ
てい る
たため 1塞 されて 半
り,春 夏秋 冬を通 しての観光地であ
国立公じ1候 補地 の秘 lt,知 床半島
は,千 島火 山脈 をイ与F菱 に走 らせ ,そ
li夢
│ザ
となった もの
ス キー場 で有 名な湯
六 日‖I,湯 沢には温 泉 もあ
であ る.雄 人な景観 ,史 蹟 ,風 俗等
る.IJ
lC洗 われ た断 J:を 連ね ,座 ‖I_25粁 は
異色あ る数 々の観 光資源 に恵 まれ
あ り, それ を産す る農 村 で成 171っ て
突 端 に近 づ くに したがい次第に狭 く
秋 田市 よ り約4沐 Fの 地理的好条 件 を
な ってい る
有 して い る
の 海岸線
llDl)粁
はオホ ー ツ クの 荒 lll
変化 に富 んだ景観 とと
もに,原 始 の 香 りI冑 iい 学 術資料 に恵
,
I間
とはい た,越 後米が著名で
い る町 で あ る
婦 人の あ こがれ埓[沢 お召は工 業画
ヽ郎潟 の潮 来情緒 ,雄 大
茫洋 た るノ
で重要 な約1別 りを果 している
まれ ,自 然 保護地域 に´ きわ しい所
な眺望 の寒 風山,千 古斧 をメ、
れ ない
で あ る.こ れ に 加lえ ぼ う人 な未開発
真 山,本 山 の 秋 │}1杉 の林 相美 と断 け
しも開通 し
最近 は三lll山 にの トンネ′
資源 を内蔵す る千 11の 秘境 であ り
美 ,ま た樹斧 を以 って奇巧 をつ くし
東京か ら埼 11,1羊 薫jを 通 り自動 車 で
流水 をは じめ気象学的 に ヽ1寺 日iを 有
し,ま た北方 文化 に忘れ る ことので
た奇岩,11石 .男 性美 をめ る男鹿 半
当地 に 来 る こと もで きるよ うにな り
島は早 春か
きない考古学 の宝 卜
11で あ る
り,冬 は男鹿 :11泉 郷 で旅情 を楽 しま
j、
,
(釧 路 よ り
分
)
"│‖
1本 線 で 約 2時 間 20
:
'3晩
秋 の頃 ま で が 島 巡
せ る,匹 季を1」 しての観光地 であ る
(秋 田か ら船 川線 で約 1時 間
)
この 口‖
出
の小都
」
│∫
もい よい よ文化 の
脚光 をあび始めて きた
(Jl里 1か
ら高 1奇 線 ,Jl越 線 で約 3時
間30分 )
Birth Of
酬
i
第 355区 。茨城県
みつ かい どう
郷大
塩沢六 日町・ 霊峰八 海 山を望 む
区・ 福 井県
里
ラRC
水海道 RC
・
承 認
例会 口
認
例会 日
承
昭 和 39年 1月 28日
水
会員数
34名
金
会員 数
宇野治郎兵衛
28名
幹事
会 長 の 抱 負
二代 にわた り会長 に推薦 されまし
ように して,で きるだけ クラブの機
能を早 く理解 させたい。 また会員相
た ことは身に余 る光栄 と感謝致 して
なる 1時 間 を過 ごさせ るようにした
い か くして ロー タ リー情報 を徹底
させ,地 域社会への奉仕 に貢献せね
お ります
28名 の会員を40名 程度までに増加
.
したい と努力致 し, もって地域社会
の産業 の発展 に力を致 し,広 く産業
を通 じての奉仕 を致 したい と念願 し
てお ります
渓谷美の真名峡
ばな らない と考 えている。
豊 富 な 史 蹟
農業が主で 4千 余戸,商 業 これに
次 ぎ商店数 900戸 ,工 業は年 々長足
に進歩 し工場数 135に 達 してい る
江戸時代 よ り隅田川,江 戸川,利
.
根川お よび鬼怒川を運河 によって横
につ なぎ舟運 lCよ る交通が発達 して
いたので昔か ら農産物の江戸への搬
出が盛んであった
観光は鬼怒川の西の台地は石器時
.
筑波鉄道常総線 で約 1時 間30分 )
西 脇餞 兵 衛
27名
幹事
相上
実
会長 。幹事の抱負
`
今 日,社 会の各方面 で 人造 り、
が高唱 されねばな らぬのは,道 徳 や
情操の方面 が看過 されたか らとみ ら
れ る こうした世相 にあきた らず し
て兵庫県の西端 に奉仕 の理想の下に
友愛 と理解を基調 とするクラブが11
れた この小 さい善意 の燈火は消ゆ
る ことな く,次 第 に社会を益 して行
昔は上井利忠公の城下町 として発達
した.小 京都 とも呼 ばれ碁盤割の町
制が敷かれてい る.ナ イロン,人 絹
赤松円心の本城白旗山や,児 島高徳
が隠岐に流 され給 う後醍醐天皇をお
迎えするため潜入 した,船 坂峠 の古
織物の生産地で織物王国福井の名は
大野の代名詞 と言って も過 言ではな
跡等がある・ その後数百年の永 い封
建時代 には格別の事件 も,特 記する
ほ どの産業 も興 らず,深 沈たる眠 り
い.山 紫水明の地で真名峡,九 頭竜
峡 があ り,関 西方面の観客が絶え間
ない 渓谷美を誇 る真名峡は,九 頭
名な累 (か さね)の 遺跡,家 康の孫
女千姫の墓のある関東十八檀林の一
ば大願が成就す る一言明神がある
(上 野か ら常磐線取手 を経 て,常 総
会長
会員 数
自旗山,船 坂峠の古跡
当クラブの所在地,上 郡町 には
奥越電源開発事業は,150億 円の
さらに 日
赤 佐 信 用 金 rr・
赤 佐信用 金 庫 内
金
くと思 う。
竜川の支流真名川に沿って12粁 湖 っ
たF/rに あ り,特 に紅葉が美 しい
つの天樹院弘経寺 がある
例 会場
福井か ら約40粁 ,奥 越の中心地で
四方山に囲 まれた高原の町である。
代 より開け大和朝廷の古墳群があ り
また芝居や小説,清 元 ,新 内等 で有
本三大天神の一つの菅原天神,巨 刹
安楽寺 の元三大師,一 言お願 いすれ
昭 和 38年 6月 27日
事務所
島 田義万
会長・ 幹事の抱負
まず会 員は例会 には必ず出席す る
71の 接触の機会 を多 くして親密 の度
を深めて,和 気あいあいの中 に貴重
認
例会 日
承
福 井 銀 行 大 野 支店
事 務 Fyr 福 井 銀 行 大 野 支 店 内
会長
郡 RC
上
昭 和 38年 10月 4日
例会場
諏 訪 町公 民 館
事 務 所 常陽 銀 行 水海 道 支店 内
会 長 石 塚 崚 幹 事 山 中 ・8‐
例会 場
New RC
mi
水 海 道・ 鬼 怒 川 の 鮭 取 り
.
巨費を投ず る国内有数のダム建設 と
な り,本 年 より着工 する
無形文化財指定 のかん こ踊は市街
.
地 より打波川を24粁 湖 った打波に伝
わる踊 である
.
(福 井か ら越美北線 または京福電鉄
で約 1時 間)
,
の中に沈んでいた観 のある土地 であ
って,近 代産業 に も観光 に も余 り恵
まれない国鉄山陽線 に沿 う小邑であ
る
.
当クラブ会員は27名 で,兵 庫県赤
穂郡,佐 用郡 を区域 としているが
,
佐用郡は遠隔の地 にして例会場 より
遠 いため,同 郡 よ りの会員は極 めて
少 い.将 来 は佐用郡か らも相当数 の
会員を獲得 したい
(姫 路か ら山陽本線で
幣
勺40う ))
世界の ロー タリー
125カ 国 及 び地球 に わ た り
6月 25日 現在 RC総 数 11,799 R C
ロー タリア ン概 数
553,000名
1963年 7月 1日 以降 の新 RC
261R C
広広広広
東南
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下
松 江〓 /
総 〓 ′
′
・/´白馬
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島
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358区
99R C 4∂ 9θ 名 ".6θ %
RC 4,234名 9422%
θ6θ 区
θ65区 67R
“ C &イ θθ名 95θ 6%
352区
θ55区
64RC a6郎
名 9θ 25%
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θ68区 ∂∂RC a958名
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計 6θ 6R C 2z947名
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52R C aイ θθ名 9θ 61%
露 RC a 214名 9162%
350区
5月 平均
出 lll卒
日本 の ロー タ リー
気 仙沼
√ 沖縄 亜製 八重出群島
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中 一晶 ︱
● 京 L E ケ合
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中京 面 上
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東京武蔵 野
東 京 江吏
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北
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‖例 会
中 標 津
I
泉
日 変 更‖
彿 350区
北海道 )
木曜 日
月曜 日
悌 355区
新潟県 )
(第
355区
新潟 県 )
会員 数
承認
福岡県)
5月
瀦 名 例会日 火曜 日 例会場 明治生命館
臨沢六 日町
横浜港北
(第
359区
│1県
神奈り
事務所
中島町77 明治生命館 9階
峰
(第
368区
徳島県 )
‖新
福岡城西
会
田
370区
370区
作
(第
369区
会員数
30名
事務
P7r
英 田郡 美 作 町 林 野
会
長
中山正治郎
原
会員 数
5月
18日
承認
例会 日
(第
33名
368区
例会 日
岡山県)
火 曜 日
5月 28日 承認
と き わ
例会 場
幹 事 竹 内 進
6月 3日 承認
兵庫 県 )
土 曜 日
例会場
神戸銀行支店
)
28名
比婆郡 東城 町
事 務所
会 長 増原
会員数
28名
水曜 日
例会 日
例会場
三 楽荘
海道)
水 曜 日
6月
例 会場
洵
10日
事務所
田
東八 代 都 石 和 町 窪 中 島
(第 358区
会員数 31名
事務所
鎌倉大 船
事 務所
幹 事 小松 栄夫
5月
埼玉卿
25日
久二
埼 玉 銀 行 戸 田 支 店 内
幹 事 吉田
憲治
│1県 )
神奈り
5月 28日 発会
例会日 本曜 日 例会場 横浜銀行支店
鎌 倉 市 大 船 町 103-3
横 浜 銀 行 大 船 支 店 内
幹 事 松 本
尚
彿 358区 千葉県)
6月 13日 発会
会員数 31名 例会日 本曜 日 例会場千葉相互銀行支店
事務所 市原市三井 千葉銀行市原支店内
原
会 長 宮原 長門
28
田
(第
365区
大阪府)
武
生
(第
365区
福井県)
坂
出
(第
江
別 (第
海道)4条 6丁 目北洋相互銀行支店内
福島県)万 世町14 福島米肥 KK内
(第
352区
352区
青 森 県 )湊 町 本 町
彿
352区
福 島 県 )福 島 市 飯 坂 市 西 俺 ノ 町
田
(第
352区
宮 城 県 )角 田 字 町
山
(第 352区
山形県 )鶴 霊町712
南
(第 352区
宮城卿
戸
飯
坂
角
台
Jヒ
"0区
(第
八
上
“
足利銀行支店
│1県 )
368区 香′
紅葉屋旅館
‖事 務 所 変 更 ‖
福 島 ヨヒ
(第
塩 沢 六 日町
(第
旭
那
覇
西
(第
相
模
原
(第
裏五番丁
9駒
井 酒 店 内
243高
花 水 館 内
山 医 院 内
月 岡 ホ テ ル内
仙 台 ホ テ ル 6階 610号 室
新 潟 県 )南
355区
幹 事 小倉由太郎
魚 沼 郡 六 日町
358区
千葉県)
大光相互銀行六 日町支店内
口の832旭 信用金庫本店内
魏
沖
下泉町2の 16沖 縄配電 ビル内
区
縄)
神 奈 り1県 )
359区
下九沢1120 日本電気 KK
相模原事業所内
躯
松
東
=}い津
熱海866の 1熱 海商工会議所内
帥
(第
359区
静 岡県 )
連尺町70 足立楽器店内
(第
360区
二重 県)
丸之 内
百 五 ビル 内
相互商事株式会社内
発会
例会日 月曜 日 例会場 埼玉銀行支店
会 長 小山 常正
市
吹田信用金庫片山支店
武生商工会館
吹
浜
(第 359区
会員数 29名
千葉銀行支店
鳥羽国際 ホテル
0区
モ ナ コ会 館
小 松 遊 覧 農 場 内
北 足 立 郡 戸 田 町 上 戸 田 1122
会 長 岩崎
二重県)
(第
例会日 金曜 日 例会場 小松遊覧農場
会 長 瀬田 義一
戸
栃木県)
千葉県)
羽
5月 21日 発会
(H3beE ilrruR)
会員数 30名
358区
"5区
承認
事務所 空知郡栗沢町 栗沢町教育委員会事務局内
会 長 武蔵 清一
幹 事 小山 利雄
‖仮 ク ラ ブ ‖
E____A
月 曜 日
更‖
ll(第 352区 福島嚇 宮先町31 須賀川信用金庫内
須 賀 り
幹 事 保 沢
1ヒ
)
(第
(第
鳥
仙
東 城 商工 会 内
由一
(第 350区
沢
栗
例会 日
磯
柏
美 作 商 工 会 内
事務所 神戸銀行柏原支店内
幹 事 八木 祝三
会 長 竹下 一雄
6月 10日 承認
∞
9区
広
島
県
城
彿
東
会員 数
黒
山陽館
幹 事 膳所 美光
石田 友逸
長
柏
大分県)
例会日 金曜 日 例会場
水曜 日
土 曜 日
‖例 会 場 変
幹 事 白水 博愛
大分銀行豆田支店内
事務所
美
(第
26名
会員 数
会
14日
吉田 申次
長
日
(第
ク ラ ブ‖
高
山 (第 360区 岐阜県) 左京町149久 金医院内
武
生 (第
北
条 (第 368区 兵庫県
365区
福井県
)
吾妻町 武生冷蔵株式会社内
加西郡 北 条 町横 尾
)
藤部 メ リヤス (株 )内
鴨
島 (第 368区 徳島県
松
竹
山 (第 368区 愛媛県 一番町 伊予鉄会館 3階
│1県
出 (第 368区 香り
港町 紅葉屋旅館内
田 (第 370区 大分県 古町 加藤石油 (株 )内
新
南
)
│1島 町 学
麻 植郡 ′
105矢
田 医 院 内
)
坂
)
)
1会
潟
(第
355区
長
新潟 県
)
変
更‖
猿子辰雄
に代り
味方恭 一
就任
THE ROTARY_NO_TOMO
―
ぺ
≠ 十一の
/1`
=と
レー ク・プラシッドの印象
蠣 511区 ガバナー
寿
原
九
日F
ミラ ー・ レー クとい う名称 にふ さわ しい美
しい湖 に面 して,古 びた、 しか し景色 に よ く
マ ッチ した クラブ・ ハ ウスで,世 界 120数 カ
通信 に よ り写真 の交換等 に よって凡その様
子 は理解 して いて も,現 実 にその地方 に旅 を
国か ら集 ま った Governor Nomineeが , 9
日間 に亘 って先輩 の指導 を受 けた 日本 か ら
し,そ の土 地 の ロー タ リア ンに会 うこ とが ど
ん な に親 しみ と理解 を深 め る こ とか 。… 1ヒ
の参加者 は 10地 区 GOvernor Nominee lo名
それ に Rl.理 事 の東 ケ崎 さん,そ の他 それ
海道 に住む私 には遠 く米国南部 の風物 と,そ
して暖か く迎 えて下 さった人達 の こ とが間近
ぞれ の ご家族 を含 め る と19名 で あ った。
勉強 は和やかな雰囲気 の 中 に も相当厳 し く
か に感 ぜ られ ,脳 裏 にい きい き と浮 ん で くる
,
クラブ を訪ねた
.
ので あ る
.
能率的 に,参 加者 を して ロー タ リーの 目的 を
深 くかみ しめ, 自 ら実践 して,広 く世界 に浸
日本の美 しい国土を守 りましょう
透 せ しめん とす る意欲 をか きた て るに充分で
あ った また毎 日,勉 強後 の家族 を含 めての
レー クプラ シ ッ ドで ロー タ リーの勉強 を無
事 にお え,特 別列車 で トロン ト市 に向 う途 中
交歓は楽 し く,殊 に 日本娘 の和服姿 は注 目の
ナイヤガ ラ瀑布 を見物す る こ とが で きた
焦点 になった
い ま静 か に当時 の模様 をふ り返 ってみ る と
ロー タ リーのかか げる理想 の もとに集 った こ
かねて,そ の壮大 な景観 につ いて問 いて は
いたが,あ ま りに も観光施設 が完 備 され てお
り, 自然 の美 しさが失 われ てい る感 じで あ っ
の人達 は,国 境 もなけれ ば言 葉や習慣 の違 い
も感ず る こ とな く,RI会 長 ペ ツテ ンギル氏
無論 ,初 めて この瀑布 を発見 した人 は
大 自然 の 中の この瀑布 の壮観 に心 を打 たれ た
を指揮者 として の美 しい 交響楽 とで も言 い ま
こ とと思 う それ に反 して, レー クフラ シ ッ
ドでは美 しい湖 7召 ,渓 流、 そ して森が,な ん
しょうか
やが てそれ は全世界 に静 か に流れ
て行 くこ とで あ りま しょう
マツチ ド・デス トリクト訪問
トロン ト大会直後 ,で きるだけ早 く帰宅 し
て その任務 につ くよ う指示 されて いたが,折
角 の機会 と思 って マ ツチ ド・ デ ス トリク トで
あ るGeorgiaり ヽ
‖のア トラ ン タ 。ロー タ リー ク
ラブの例会 に出席 し, また私 の ホ ーム クラブ
小 諄の マ ツチ ド・ クラブであ る グ リフイ ン・
ロー タ リー の 友 -8月 号
た
,
ら傷め られ る こ とな く自然 の まま に保存 され
てお り, その美 しさに魅せ られた
ひるが え って 日本 を思 うに, 世界 に比類 な
き美 しさを持 ってい るが,心 な き観光 客 に よ
って傷 つ け られ つつ ある ことを残念 に思 う
秋 にはオ リンピ ッ クが東京 で開 かれ ,多 数
‐
の外国人 の来 」
Jも 期待 されて い る時 ,公 衆道
つ
いて
の
日本 の ロー タ リア ンは真剣
に
向上
徳
.
に この問題 を と りあげるべ きでは なか ろ うか
29
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際 交換
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こに も 国
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あわただ しいア メ リカの旅行 中,ニ ュー ヨ
ー クの一 夜有名 な ロ ックフェラーセ ン ター に
的技術 の粋 を集 め,重 い金糸 と絹 とで織 り出
された金爛 緞子 で 巾85フ ィー ト,高 さ45フ ィ
あ るRadio C■ y Mudc H」 で 観劇す る機会
を得 た この ロ ッ クフ ェラーセ ン ターは1922
ー ト,重 さ 2ト ンに達 し,京 都 の西陣職人 が
機械 を使用せず全部手で織 られ た も の で あ
∼1939年 にか け て12.5エ ー カーの広大 な土地
るJこ の アナ ウ ンスが終 る と, この広大 のホ
ール を立錐 の余地 もな い ほ どに埋 め尽 した大
に建設 され た能率 と科学 の総合的,典 型的設
計 は,所 謂近代 ア メ リカ ニズムの表 現 として
観衆 か ら万雷 の よ うな拍手 が起 り,私 は周囲
の沢 山 の人か ら握手 を求 め ら れ た.続 い て
有名 な建築物 の集団 で,文 化 と科学 の粋 を こ
ら した16の ビル が 建 ち並ん でい る。 その 中 に
Music Hall symphony orchestraの 演 奏が
は世 界最大 の テレ ビ豪1場 として知 られ ,ま た
屋 内 アイスシ ョーで有名 な3000人 を収容出来
始 ま り その曲 も音楽 に縁 の な い私 で も記憶
の あ る懐 か しい「 お蝶 夫人 」の一 節 で思 わず
るCenter Theatreが あ り、更 に広大 で収 容人
員 6200人 ,世 界最大 を誇 って い るのが この
目が しらの熱 くなるを覚 え, 日本人 で あ る こ
との誇 りと幸福 とを しみ じみ と感 じた
Radio City Must Hallで ぁ る 先ず この 豪
東京 とニ ュー ヨー クとが 姉妹都市であ る こ
華眩 ゆいばか りの劇場 が一 等席 も二 等席 もな
とも,ま た「 桜花 緞帳」 が 贈 られ た こ とも知
く全部均一で,入 場料 も大衆的、 極 めて低 廉
で ある ことに驚 か された
らなか った私 は,こ のf岡 然 の出来 事 に 感 激
し, ミラー RI会 長 の国際交換 プ ログラムが
ステ ー ジに 日本色豊か な満開 の桜花 を図案化
ここに も実 って い る よ うな錯覚 に陥 った ロ
ー タ リーの この プ ログラムは実施後僅か 1年
した絢爛 目を奪 うばか りの大緞帳 が場 内 を圧
して いた ことで ある やが て静 か な グラン ド
で,既 に世界 各地 に於 て驚異的実績 を挙 げて
い るが, もとよ り独 リロー タ リア ンの独 占す
オ ル ガ ンの 前奏 に続 いて,次 ぎの よ うにアナ
べ きもので な く,各 方面 に広 く拡大 されて こ
ウス され私 の疑間は漸 く解消 した
「 この序奏曲 の間初 めて公開 され る大緞帳 は
そ い よい よその意義 を生 じる もので, ロー タ
リー外 で もこの計画 が着 々 と実 りつつ あ る こ
日本 に於 て 今 日まで に繊 られた ものの 中で最
大 の もので ,姉 妹都市提携 プ ログラム として
東京市民 か らニ ュー ヨー ク市民 に贈 られた も
とは「 世界 中の総 ての人が平和 と調和 の うち
に暮 し得 る 日の来 る こ と」 を目標 とす る ロー
タ リーの理想が一歩一歩 進展 しつつ あ るこ と
ので, ここRadiO City Music Hallに 保管 し
今 日初めて公 開す る もので あ る.こ の「 桜花
を如実 に証明す る もので あ る。全 ロー タ リア
ンは結束 して更 に一 層 の勇気 を もって邁進 し
緞帳 」 と呼 ばれ る幕 は,友 邦 日本 の誇 る伝統
なけれ ばな らない と覚悟 を新たに した。
入場 して更 に驚 い
た ことは この豪壮 な大 ホ ール の 正面 の広大 な
.
30
THE ROTARY_NO‐ TOMO
ロ ー タ リー 庭 園
ρ
第 355区 ガ パ ナ ー
五 郎
吉 野
当地区 の本年 度 の地区大会 は 9月 27∼ 28日
群馬音楽 セ ンター を会場 と して 行 われ るが
桜 の 名所 に なるで あ ろ う 何 と愉快 な こ とで
はないか と思 う 私 は しば ら く前 に私が 高崎
この左 lll広 場 に高崎 クラブ寄贈 の ロー タ リー
庭園 が 出来上 った 私 は会合 の帰 りに ロー タ
リー庭園 の前 に立 って ハ ニ ワの像 を中心 に し
の共 同給食 の協 同組合 の理事長 を して い る こ
とか ら伊勢 崎 の 中小企業福祉 セ ン ターをたず
,
た緑 の植木 を しみ じみ と見 なが ら静 か な感激
を覚 え感 lFIに ふ け ったのであ る この美 しい
玄関 の右倶1の 小 さい庭 に四 つのテ ス ト
の碑 が あるでは な いか !私 は思 わず立 ち どま
って ロー タ リーの精神 が この周囲 に底 流 とし
庭園 が高崎 クラブ10周 年記 念 として,60名 の
ロー タ リア ンか ら高崎市民 に ブレゼ ン トされ
て流れ てお る こ とを感 じたのであ る こ うし
た記念事業 は 日本 中の ロー タ リー クラブのあ
た ので あ る 地区大会 の とき参加 され る会員
のみ な さん 1/cこ の庭園 を見 て いただ くのが楽
る と ころで何 かの形で計画 され実行 され てお
ねた
高崎南 クラブでは創立記念 に観
る.こ うした事業 は機会 を捉 えては計画 し実
施す べ きで あ る と考 える.ロ ー タ リア ンで あ
音 山 に桜 の本 の植樹 を行 った その後 ,今 年
にな ってア フターサ ー ビスの手入 れ を 市 当
局,観 光協会 と協力 して行 った ところが90%
事業 で も、思わず心 のつ なが る感激 を覚 える
体験 が あるのだ また私 は非 ロー タ リア ンが
健在 で施肥除草 を行 い,な お 貝 ガラ虫 の消毒
が必 要 なので あ った こ うした根気 よ く手入
こ うした形 に表現 され た奉仕 の実行 を見 て
何 を感 じるだ ろ うか ?我 々が想像 して い る以
れ をすれ ば僅 か な費用 でいつ か全山桜 の 名所
上 に感 じてお るので はな いか と思 う。
ロー タ リー運動 , ロー タ リーの奉仕 は形に
しみ で ある
に なる とい う説明 で あ る
私が高崎南 クラブの会員 と して当時 この桜
の植樹 につ いて「非常 に よい計画だけれ ど日
本人 は公衆道徳 の低 い人 が いて掘 って持 ち返
って しま う 協会 で も 1万 本 か ら植 えたが余
り残 らな い」 とい う意見 を述 べ たが,私 の意
見 と反対 に根気 よ く手入れすれ ば育 つ ものだ
し,戦 後 の虚脱状態 の無道徳時代 よ りい くら
か 日本人 も道徳的 に向上 した もの ら しい とい
うこ とを感 じた_そ うして変 らない愛情 を も
って 自然 に対すれ ば高崎 の観音 山 も自衣観音
と並ん で全 山桜 の花 でおお われ, 日本有数 の
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ロー タ リー の 友 -8月 号
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る私 が他 クラブの新 ら しい,例 え小 さな記念
,
表現 され た上記 の ロー タ リー公園,植 樹 とか
が一 面 にお いて大 いに必要 で 出来 るだけすす
め らるべ きもので あろ う 又 他 の一 面 として
形 に表現 され な い精 神的 な,内 面的 な,内 省
的 な,自 然 に泌み 出 て 行 くロー タ リー精 神 の
発揚 があ る と思 う この二つの行 き方は楯 の
表 と裏 の よ うに両方併行す る必要 があるので
はな いか と思 う 又 この楯 の両面 が相 ともに
揃 って こそ ロー タ リー運動 は力強 く社会 に浸
透 し, 日本 の世 の 中を少 しず つで もよ くして
行 くもの と確信致 します
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37
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東 京 の空 の下
隅 田 川 は匂 ぅ
滉 58区 ガバナー
私 の所属す る東京東 RCの バ ナ ーは,濃 緑
の地色 に淡 白銀 の 川 を下 に斜 めに現 わ し,自
い鳥 が 3, 4羽 群れ飛ん でい る構 図 で あ る
ネ
申 守
源
―
自F
足利時代 の結崎十郎 の作「 隅田川」は,梅 若
九 とその母 の哀 話 を観世 の能 として謡 いつ ぎ
舞 いついで今 日に至 って い る この よ うな床
し くて哀 し くもあ る水 の心 を,隅 田川 の歴史
自分 の クラブの もの なが ら仲 々上品 な色合
図柄 で あ る と思 ってい る 会員 の岩 田 ガ ラス
の 中 に溶 か しこんだのは,あ の なつ か しい江
の岩 田久利氏 の作品 のほ どはあ る 蓋 し東京
東 RCの テ リ トリーがその倉J立 の時 には,隅
戸文化で あ る 芭蕉 も隅田川畔深川三股 に住
んで,「 奥 の細道 」 も隅 田川 の千住 か ら始 ま
田川 で区切 られ たそれ以東 の所謂江東 5区 で
あ った ので,隅 田川 の境 な る ものが,我 々の
って い る。 また 日本芸術 の世界的遺産 とも云
,
クラブに とって非常 に重要 な意義 を持 って い
た.事 実今 で も、 我 々の東 クラブ乃至 その子
クラブで あ る江北 , 江東 の 両 クラブ も 含 め
て,隅 田川 は依 然夫 々の境界線 で あ る。
える板画,錦 絵 や
世 話物 の芝居,長 唄,清
元 ,小 唄 そ の他色 々の粋 で淵洒 で絢爛 た る芸
術 は例 外 な しに隅 田川畔 に興 って い る 隅田
川 はそ うい った文化 のエ ネル ギ ー を育 て る力
を持 って いた ので あ った
そ の隅田川 は現在一 体 ど うで あ ろ う だれ
が
も 奥 い とい う 臭 いだけで はな い,川 か ら
発散す る悪 いガ スで金具 は 錆 び,商 売 ,商 品
IL それ はパ リーのセ ーヌで
外国 で の隅田り
あ り, ロン ドンのテ ムズで あ り, ドイ ツの ラ
イ ンで あ り, ウィー ンの ドナ ウで あるが,今
は ダ メに な るばか りか病人 まで 出た りす る
実際 よ くこん な匂 い を一 日中か いで い られ る
度何十年振 りか で, それ等 の川が依然牧歌的
で さえあ って, さまで汚れ てい な いの を見 て
なあ と,此 方 が感心す る位で あ る 7, 8年
前 か ら、 ささやか なが ら東 クラブで都や区 の
日本 の隅 田川 は本 当 に これ で いいのか と改め
て反 省 し直 したのであ る
各機 関,新 聞社等 に, これが浄化 の必要 を説
き,注 意 と要望 を絶 えず繰返 えす と共 に,沿
今 迄は隅田川 の東岸 で 東 クラブ を中心 とし
た社会奉仕運動 として世 に訴 え続 け て きたが
岸 の大 工 場 に も呼 びかけて,漸 く与論化 しか
け て きた よ うだが、 ただ それ だけで益 々川 の
今 度は川 の西岸地区,そ れ は ロー タ リーで云
えば東京第三分区 の区域 に 当 るので, その応
水 は黒 く臭 くな ってrfく ばか りで一 向 に キ レ
イにな らな い 隅 田川 の水 と同様,政 治 も文
援 を得 て東西両岸 か ら声 をあわせ て隅田川 の
浄化、 復元一一 人 きな 日本文化財 の保護―一
化 も或 い は人 の心 まで も腐 って しまったのか
な と浩tう こ とさえあ る
を叫 びた い もので あ る。 私 は隅 田川 が 音 の姿
にかえ る 日をいつ まで も諦め な い 隅 田川 は
隅 田川 の 名は、 在原業平 の作 として,都 鳥
永劫 に東京 の空 の下 を,美 し く粋 に流れ つづ
け て もらいた いので あ る
l
.
.
の歌 の 出 る平安 期 の「 伊勢物 語 Jに 始 ま り
,
32
THE ROTARγ NO_丁 OMO
ロー タ リー
ソング
第
359区 ガ バ ナ ー
笹
立ロ
眩
誠
この こ とに就 ては,以 前 ロー タ リーの友 で
催 された座談会 で意見 を述 べ た こ ともあ るの
多 くの クラブで は歌 の伴奏 に レコー ドを御
使用 に な って い ますが、 ここで 会場監督,或
で,多 少重複 の嫌 いはあ ります が,私 として
は これが ロー タ リーの行事 の 中で も重要 な も
い は ソング リー ダ ーに御願 いす る こ とは、 そ
の 音量 を比較的 に大 きめにな さって戴 きた い
ので ある と思 い ます ので,再 び愚 見を申上 げ
ロー タ リア ンの 方 々は どうい うも
のか、歌 となる と気が小 さ くて,も しレ コー ド
て皆様 の御批判 を受 けた い と思 うのです。
ことで す
の 音が小 さ く,御 自分 の声が周囲 に聞 き取 ら
ロー タ リーの例会 に,歌 を うた うこ とを提
案 したのは、所謂第五 ロー タ リア ン として知
られ る Harry Rugglesで ,そ の提案 は他 の
会 員 に喜 んで迎 え られ,今 日に至 って い るの
です もっ ともlt界 の ロー タ リー クラブの 中
で は,歌 な どを うた うの は何か 自分達 の威厳
を損す る と思 うた めか, この習慣 の ない もの
もあ ります
.
さて ある クラブの例会 に出席 してみ ます。
そ して も しノ ン グが 美 し く揃 って,元 気 よ く
歌 われ るの を聞 きます と, この クラブは うま
くilli営 されて い るら しい と感 じられ ます と
ころが反対 に,皆 様 が,厭 だけれ ど仕方 な い
とい った態度 で 日の 中で モ ゴモ ゴや ってす ま
せ て しま うよ うで は, ど うもこの クラブはま
とまってい ない な とい う感 じを受 けます
_
勿論 ロー タ リア ンの皆様 の大 多数 は唱歌 の
専門家 ではい らっ しゃらな いのですか ら,音
れ てい るな と気 が つ くと忽 ち声 を小 さ くして
しまわれ るのです 不思議 に憶病 で い らっ し
ゃるので , 自信 をお持 ち に な らな いので しょ
うが, これ は少 しも気 にす る ことは あ りませ
ん Evanstonで 発行 して い る歌集 の序文 1/cも
“これ等 の歌 は決 して音楽 の才能 を持 つ 人 々
独唱家 の ため の もので lltな く,普 通 の方 々
,
,
即 ち良 い声、 普通 の声,え た いの判 らない 声
又 は 自分 の 歌 には節 が無 い と諦 めてい る人 々
'と 示 して い ます
の ため の もので す′
.
レ コー ドが鳴 り
又 もう一 つの禁物 は,一 日´
歌 が始 ま った ら,た とえ回転が少 し速や過 ぎ
て も,又 お そ過 ぎて も, これ を修 正 しない こ
これ をや ります と皆様 の歌 は 大混乱
を呈 します 誠 に種 々の 声が出 て来 て何 の こ
とです
とや ら半Jら な くな ります
.
皆様 どうかお歌 い下 さい これ は友愛 の情
を現す 一 つの有 力 な手段 なので す 子供 くさ
程が乱れた り,調 子 が外れて いた りして も
これ は仕方 あ りません.重 要 な ことは喜ん で
歌 い,共 に楽 しん で い るのだ とい う気持 なの
い な どとい う気持 は さら りと捨 てて, しば し
の間 にせ よ,若 い心 に帰 ろ うで はあ りません
です
か
,
.
ロー タ リー の 友 -8月 号
.
33
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警
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藝
虹
洟
橋
第
安 野
360区 ガ パ ナ ー
譲 次
私 は先 日の旅行 で久 し振 り (約 25年 振 り)
にナ イヤガ ラの滝 を見物 しま した そ の壮大
瀑 音 を轟 ろか して居た頃 のナ イヤガ ラ (語 源
は偉大 の水 の轟 きと云 う土人 の言葉)ら しい
さ,そ の凄 ま じさ,は 矢張 り滝 と云 う字 を使
素晴 しさは,大 分影 が うす くな って居 るの に
は い ささか失望 した次 第 で す。 同行 の寿原 ガ
うよ り瀑布 と云 う字 を使 った方 が実感 が出 る
素晴 しさであ りま した ナ イヤガ ラで の朝食
会 の席上 ミラー会長は,私 は新婚旅行 で ナ イ
ヤガラ見物 に来 て以来今度 が 2度 日で す.と
云 う演説 を して居 られ ま したが,世 の 中 には
想像 して居 るよ りも素晴 しか った り,大 きか
バ ナー もこの点 はま った く同感で ,此 処 にひ
きか えて レー クプラシ ッ ドの木 々の緑や湖水
の美 しさが なつ か し と云 って居 られ ま した
が,私 もなま じっか25年 前 の ナイヤガ ラ を知
t/・
った りす る場 合 は比 較的す くない よ うであ り
って居 た為 に,俗 化 をなげか なけれ ば ならな
い事 が幸 い なのか不幸 なのか一寸複雑 な気持
ますが,最 近広告技術 の進歩 に と もな って ま
で した
す ます この傾 向 は強 くな って来 ま した。 然 し
グラ ン ドキ ャニオ ンや ナ イヤガ ラはま った く
で この世 の俗化 を防 ぐ事が出来 た らそれ こそ
想像 の外 にはみ 出す代物 だ と思 い ます 20年
以_Lも あれだけ の エ ネル ギ ー をたた きつ けた
そ して寿原 さん と, ロー タ リーの力
で あ ろ うと話 し合
“LIVE ROTARY″
ったので すが,そ の時 ,私 は フ トその朝 ナ イ
ら もう少 し何 とか変化 が あ って もよさそ うに
ヤガラでの歓迎朝食会 の時 に市長 (で あ った
と思 い ます )の 挨拶 の 中 に「 民衆 の与論 は常
思 うが少 しも見た 日には変化 が な い 矢張 り
自然 の偉大 さと頑 丈さを私 は改 ためて感心 し
に政治 に先行 して居 る この世 の 中 を よ くす
るの も悪 くす るの も皆様 の意思 に よるので あ
た もので あ ります が, ミラー会長 もき っと新
るか ら, この ロー タ リー クラブの理想 を もっ
て進 めば世 の政治 は これ に従 い 1比 界 の平和 も
きっと保 たれ るで しょう」 と云 う意味 の言葉
婚旅行 の時 と現在 の御 自身 とを比 較 され, 自
然 の強 さを感 じて居 られ るので はないか等 と
ひそか に思 った りしま した
.
さて 目を瀑布 か ら離 して周囲 を見 る と, こ
が あ った事 を思 い出 し, この言葉 は確 か に一
面 の真実 を物語 る ものでは あ るので す が,理
れ は まった くい けません.世 界 中の観光地 が
想 と現実 のギ ャ ップを結ぶかけ橋 を私 達 は ど
うしてかけた らば よいのか,遠 くア メ リカ と
大な り小 な り左様 で あ る よ うに,先 ず大 きな
カナグ を結ぶ RAINBOW
発電所 がす ぐ下流 に白 い四角 い姿 をあた りか
まわず さら して居 る し,道 路添 いには何 とか
を眺 め なが ら私 は考 えるので した。理想 と現
塔 とか,何 とか モ ーテル とかが立 ち並 び,昔
の あ の しっ と りと した 自然 の 中 に ゴ ウゴ ウと
{ r-:G:i-
ffi<rjr:y.@^*r:LqF
34
E
BRIDGE
実 とを結ぶ橋 は永久 に七色 の虹 のか け橋 で あ
って よいのだ ろ うか と
:j.-r!!-!.ffi.E,
THE ROTARY_NO‐ TOMO
レー キ プ ラ シッドの思 ぃ出
第
49年ぶ りに渡米 の機会 を与 え られ ,皆 様 の
御 後援 を感謝 しつつ,羽 田 を飛 びた ったのは
5月 1日 で あ りま した ホ ノルル, ロスア ン
365区 ガ ′ヾナ ー
堀
内
清
りま した
.
大集会 は毎 日午前 と午後 に各 1回 あ り,そ
の開会前 には必ず あ の東京大会 の時 の唱歌指
ゼル ス,サ ンタ フ ィ, シカ ゴ を経 てボス トン
に着 いた の は 5月 15日 ,長 男 ミノルの宅 に一
導者 ジ ェンキ ン さんが指導 して 2.3の 歌 を
楽 し く合 唱す るので あ りま した
週間滞在 , さらに ニ ュー ヨー クを経 て レーキ
プラシ ッ ドに赴 き, 5月 27日 か ら 6月 4日 ま
で 9日 間国際 ロー タ リー協議 会 に出席 して ロ
最初 に 自己紹 介 を してお互 の親 しさを加 え
司会者 はデ スカ ッシ ョン形式 で 話 を進 めつつ
ー タ リー教育 を受 けて参 りま した
一 方的 な講議 で な く,お 互が経 験 を語 り実情
世界52ヵ 国 か ら総出席者 は 888名 ,内 ガバ
ナ ー ノ ミニー 272名 ,国 際 ロー タ リー現並び
た
.
に前役員 224名 , これ らの 同伴家族 392名 と
云 う大集会 で あ りま した。 日本 か らは東 ケ崎
理事 ,ガ バ ナ ー ノ ミニー10名 ,同 伴家族 8名
合計 19名 の出席 者で あ りま した。 なお ア メ リ
カ 547名 ,英 国 41名 , カナダ 34名 ,ブ
ラジル 27名 ,オ ース トラ リア 23名 , 日本
小集会は大体 30名 位 が 単位 で あ りま して
,
,
を報告 しつつ教育 を受 け るや り方で あ りま し
こ うして毎 日10時 間程 も話 を きいた り話
した りは相当重荷 で あ りま した.私 の ような
老人 にはい ささか こた えま したが, ともか く
9日 間 の勉強 を無事 に終 え, さらに ロチ ェス
ター,パ ソフ ァ ロー,ナ イヤガラ を経 て トロン
トの国際大会 に出席 , 4年 前 の東京 大会 を思
い出 しつつ世界大会気分 を味 い ま した そ の
,ス エ ーデ ン 14名 ,フ ラ
ンス 14名 , ドイ ツ 13名 (10位 まで)力 ゞ
多
後 シカ ゴ を経 て 予定 を少 し変更 して 6月 14日
午前 9時 50分 シカ ゴ空港で見送 りの ミノル に
数 出席国 で あ りま した
す べての集会場 には 各 自の姓 名,地 区番号
別かれ,夜 な し2日 を経 て 6月 15日 午 後 8時
15分 羽 田 に無事帰着 しま した。
lヵ 月半 の滞米 中 ロー タ リー例会 にはパ サ
19名 ,印 度 14名
.
,
国別 な どの大 き く書かれ た名札 が立 て られ
欠席者は SAAが 毎回調査 して記入 され ま し
,
た。 また席次 は毎回変更 され,集 会毎 に新 し
い隣人 を持 ち親 しい友情 の交換 が 行われ , ロ
デナ, シカ ゴ,ニ ュー トン,ボ ス トンの各 ク
ラブに出席 ,い づれ も各 々特長 あ る例会 に多
ー タ リー ら しい空気 に満 た され た ので あ りま
くの貴 い経験 を味 い ま した。 す べての クラブ
で会長 自 ら私 を紹 介 され ,イ ンカ ン ミングガ
した
なお国際 ロー タ リーの 役員並び lacガ バ
ナー ノ ミユーの写真入名簿 が作 成 され ,各 自
バ ナ ーで ある と重 く待遇 され,バ ナ ー を交換
しまた国際委員 の手厚 い歓待 を うけた好意 は
の略歴現職等 が記入 され ,出 席 者 は 各 自 これ
にサ イ ンを貰 い,記 念 の しる しとした ので あ
忘れ る事がで きませ ん ロー タ リー友情 の実
践 を身 に強 く受 け て帰 って参 ま りした。
*
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r!,4r.d!."-'rs.i-,r.r.r'-
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ロー タ リー の 友 -8月 号
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「ロ ー タ リー の友」雑 感
麒
第
7月 2日 の ロー タ リーの友委員会 は大変有
意義 だ った。 同誌 が世界的 に も大変す ぐれた
雑誌 で あ る こ と,内 容及 び発 行部数 ともに
,
同種雑誌 中の上位 にあ る こ とは,先 輩 各位
また事務 局 の方 々の一 方 な らぬ御努力 の結晶
,
と して我 々は深 く感謝 の意 を表す べ き もの と
考える
少 し意外 に思 ったのは,人 件費 の少 な い こ
とで ある 事務 当局 の方 々が, ロー タ リー精
もう少 し何 とか な らぬ
ものか と思 う
.
郵送料 の問題 は会計的 には重要 で はあ る も
=′Fl
滝
単 に観念的 に形式的 に維持 して年 に一 度や 二
度 の簡単 な会合 で事足 りた よ うな処 置は ど う
か と思 い ます
言り1か 過激 にす ぎ失ネL非 礼 の段 は 屯々お詑
び いた しますが,一 度考 え直 しては「
女 同です
か この問題 はガバ ナ ー 自身 の問題 ですが
独 リガバ ナーだ けで な く委 員の方 々,専 門委
,
員 の方 々、 諸先 11,並 び に事務 当力↓の 方 々 も
含 めて一 度検討 して は と思 い ます
越直 前 ガバナ
神 に徹 して居 られ るか ら こそで はある と思 う
が,事 業 は人で あ る
368区 ガ パ ナ ー
"ヘ
越 さん,貴 下 の御 人格 と御努力 と ロー タ リ
ーヘ の御熱情 にはホ トホ ト敬 服 にllltえ ません
貴下 に初 めてお 日にかか ったのはまだ半年程
前 の こ とです.ガ バ ナ ーの仕事 の重要性が少
「 ロー タ リーの友 」が発 行 された事 由な り来
歴 は誠 に御尤 な こ とと思 い, また今 日まで の
しず つ判 って くる につれ,貴 下 の ロー タ リア
ン としての意欲 と御精 進 の程 にはつ くづ く頭
が下 ります .私 ご ときものが代 々の ガバ ナ ー
御方針 な り御苦労 に対 しては敬 意 を表す もの
です が,地 区 が年 々増加 し状勢 も余程変 って
の皆 さん の後継 者 として,果 して その重責 を
勤 め うるか ど うか と心配 してい る次 第 です
来た今 日,最 初 の考 え方通 りで 何時 まで もよ
いの だ ろ うか と思 う
貴下 が この 1年 間第 368区 の隅 々まで を巡
せ
同 られ そのす べての ロー タ リー クラブが
余 りに も型 には まった編集 には一寸 ギモ ン
を持 ちます 全国各地 の ロー タ リア ン よ りの
そ して会 員 の方 々が貴下 の御精進 と御努力 と
御指導 を直 々 に身 を以 て接せ られた のです
のの今直 ぐ解決 はつ くま い と思 う
.
,
投稿 はそれ tldそ れで よろ しいが,編 集部 が積
その方 々の感謝 と敬意 のお気 持 は到底十分 に
極的 に地方 へ 出かけて,各 地 の事情 を報告
時 には批判す る位 にや っては どうですか 勿
筆 にす る ことがで きぬ ことを申 し訳 な く思 い
ます .唯 厚 く御礼 申 し上 げる とと もに御健康
論 それは仲 々む つ か しい ことで もあ り,御 批
判 もあ る と思 い ますが,「 ロー タ リーの友」
をお祈 りす る次第 で す。 ど うか この 1年 間私
の よき先輩 として御指導 と御助言 を下 さる よ
は ガバ ナ ーの主催す べ き ものだ とい うこ とを
うお願 い 申 し上げます
,
'..]-rt5rsrat,a.t:4a
36
.{ci.h-rr
e.j,rr-n,
.
srs
THE ROTARY_NO_TOMO
777
第
369区 ガ パ ナ ー
岡
正
旭
昨年 の暮 の こ と,大 型 の 分厚 い一つの郵便
物 が届 い た 職業柄薬 のサ ンプル だ ろ う位 に
ド
る家族 も、逸 る自分 の心 を も抑 えてその 青イ
゛
の一
部始終 を
は駅 か ら真直 く私方 を ilJね て
思 って差出人 も確 かめ ないで 封 を開 い た
には普通 の便箋 にlFか れ た数枚 の手紙 が あ っ
た ので,科 i怪 訂 に思 い なが ら読む程 に,驚 き
話 して くれた ので あ る 其後私 の怠慢 か ら青
年 との交流 は ll絶 えていたが, この度 レー ク
プラシ ッ ドか ら帰 って 3'芝 驚 い た.家 族 の 話
と感激 に手 が震 え改 めて差 IJl人 を確 かめ封筒
の 中 を覗 き込 んだ。北海道芽室 クラブのバ ナ
に よれば頂 度私 の渡米留守 中 に思 いが け な く
t空 便 で沢
Jヒ 海道 か ら美 しいスズ ラ ンの花 が力
中
ー,週 報 ,家 族 の写真 まで 添 え られ ていた
手紙 の 内容 は「正 岡 と云 う州:は 余 リザ ラに有
.
る姓 では な い。 ロー タ リーの 名簿 を見 た ら全
国 で 3人 あ る そ の 中で あなた と私 は名 の文
字 は違 うが読み 方 は同 じ「 アキ ラJだ 。 見知
らない まま に も親 しみ を覚 え木永 く友交 を続
けた い と思 って手紙 を認 めた」 と云 う事 で あ
る.前 ミラー会長 の「個人対 4国 人 Jの 提 唱 を
誠 に巧 み な思 い付 きに よって実践 され ,而 も
‐‐
文面 の偶 々か ら溢れ出 る氏 の 口 タ リーに対
す る情熱 は強 く私 の胸 を打 つ ものが あ った
明 けて 1月 1日 返 事 を送 って友交 を約 した
本年 3月 の或 る 日,突 然 一 面識 もない一 自
.
.
衛隊 員 の来訪 を受 けた.差 し出 された名刺 は
芽室 クラブ正岡氏 の伝言 を含む紹介 状 で あ る
隊 員 の語 る と ころに よれ ば 1週 間 の体暇 を得
て帯広 か らの帰郷 の途次,北 海道 か らあ る用
件で大 阪迄来 る正 岡氏 と偶 々汽車 で 隣 り合せ
l・
山送 り届 け られ た.失 礼 なが ら名itを 忘 れ て
いた家族達 に, 自衛隊 と云 う微 か な記憶 か ら
か つて私 が夕 飩 の食 11で 話 し伝 えた正岡氏 と
隊 員 との事 を思 い出 した と云 う 感 ittし た家
族 は スズ ラ ンの花 そ の ままに清 く美 しく香 り
高 い青年 の好意 とそれ を受 けた者 の喜 び とを
1人 で も多 くの人 々 に分 ちた い と 云 う想、い
で ,早 速 スズ ラ ンの花 に贈 り届 け られた山来
を書 き添 て入 院忠者 の病床 を 1人 1人 見御rっ
た との事 で あ る.大 自然 の懐 に抱 かれて 季節
の到来 と共 に美 し く咲 き誇 る花 の女口く,11:岡
氏 のメ
キい た種 は温 い青 年 の胸 d」 t々 と41き 続
け て今 立派 な ロー タ リーの花 を咲 かせ ,miも
それ は多 くの 人 々 と分 ち合 う機会 を も与 えて
くれ た ので あ る.ス ズ ラ ンが根 を張 り株 を増
や し遅 し く生 き続 け て,誇 る1lfな く求 む る と
ころな く,来 る年 も来 る年 も清 く美 しい花 を
咲 かせ る よ うに ロー タ リーが 1人 で も多 くの
た.初 めあ りきた りの話 か ら彼 が広 島 の人 で
[奇
ある こ とが半1り ,話 は正 岡氏 と私 の 縁 に よ
る友交 に及 び遂 には ロー タ リー談義 にまで発
人 々の心 に根 を下 し,折 にふれ ││ケ にふれ 香 り
高 い花 を咲かせ つつ 限 りな く充 らゆ くJlfを 願
うもので あ る.ペ ッテ ィ ンギル 会長 の提 11さ
展 した ら しい ■1岡 氏 の話 は」L気 に燃 える青
年 の心 を強 く捕 えた 久 々の再会 を待 ちわび
れた ロー タ リーに生 きる道 は案外身近 か に開
け てい るので はなか ろ うか
ロー タ リー の 友 -8月 号
.
37
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rai.*-ri
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失 敗 も
ま
た楽 し
から
ずや
第 370区 ガ パ ナ ー
トロン ト国際年次 大会 での プログラムは順
調 に進 行 し, 6月 9日 の午後 は, ミラー会長
提吐│の 地 区対地区 を主 軸 と して 世L界 を十数 部
に区分 して,友 好関係 ltFl進 の 委員会 が 開催せ
られ た。 私共 の第 370区 は英 の 110区 と共 に
ロー ド・ シン コ ウホテル で あ る。
参加者は夫
人 を合せ て約 400名 ,委 員長 は英 の練達 の名
士 ジヤ ツ ク・ プライス氏
ローヤル ヨー クホテルの玄 関 を出 よ うとし
.
た時 ,突 然私は 一大変事 の見舞 を受 けた。 自
然現 象 と して天か ら私 に大要請が あ った ので
ある
しまった とは思 ったが放置出来 な い
.
室 に飛ん で昇 り自然現 象 に対処 して会場 に馳
付 けたが,既 に名 司会 者 プ ライス さんの下 lrc
佳境 に入 って い るの で,後 方 の格子 に腰 を落
ちつ け て御意見ll聴 とのん び りと構 えて い る
と, 一番最後 に な って 日本 の 370区 の ノ ミニ
ーが顔 を見せ てい る と皆 さん に伝 え,私 に
呼
びかけて演壇 に立 つ て一 言述 べ よとの要請
エエ まま よと度胸 を決めて演‖」に立 ち
「淑
女並 びに ロー タ リア ンの皆 さん 私 は遅参 し
て誠 に中訳 が な い 私 は誠 に下 手 な英 語だが
一 つの ニユ ース を皆 さん にお伝 え したい。 先
般 日本 を出発す る直11に 愉快 な期 報 を 問 い
た。 370区 の某 クラブが 英文 の手紙 を英 の 1lo
区 の某 クラブ宛 に出 した と ころ, しば ら くし
,
て英 の クラブか ら返事 を頂 いた
その手紙 た
るや 非常 に立 派 な 日本文 で, しか も誠 に美事
な筆跡 で あ った との ニユ ース
私 は この朗報 を耳 に して非常 に喜 び又 安心
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38
src.silrlF'-futcl*
町
田
秀 実
した一 人 で ある。 とい うの は英 語 に弱 い私共
日本人が無 l■■を して下 手 な英文 の T― 紙 を書 く
必 要 が な くなった と思 うか らであ る 言葉 の
不 自由が親善 lll係 増進 の一 大障 1誓 となってい
る現 状 か ら見 て,何 ん とい う喜 ば しい こ とで
はないで しよ ぅか
皆 さん如何ですか 」 とい
うと万 IIの 拍 T・ と共 に笑 いが どっ と上 る
更 に「 私 は英 HO区 の ロツ ク・ ノ ミニー と
は先般 レー クプラ シツ ドで親 し く相 語 り又 食
事 も共 に したが, ロツ クさん は仕 事 の都合で
当地 には来 てお られ な い。 私 は英 110区 の紳
士 と是非握手 した いが,誰 かお 見 えになつ て
い ませんか Jと あた りを見 回わす と足下 か ら
「 オ レが ここにぃ るJと プライ ス さんがぬ っ
くと立 ち私 の手 を握 り,僕 は 110区 のパ ス ト
ガバ ナ ーだ ょ と附け加 えた 会場 は再び拍 手
と笑 い で賑 か な もの となって しま った
′
大詢│「 の 中 に演壇 を降 りる と,数 十名 の紳
士淑 女が 私 の周 lyllを と りまき握 手攻 め 曰 く
「お 11の ス ピーチが モス トチ ャー ミングだ っ
た」 と 思 わぬ 珍劇 の一 幕 で委員会 は閉 ぢら
れたが ,‐
H‐ くらったのは私 で あ る
下手 な言
の
葉 何処が魅 力 なんだ ろ う ?.私 は今 で もあ
の時 の皆 さん の受取 り方が 半J然 としな い.度
度胸 の 裏 の 見えない「:葉 が,期 せ
胸か な ?
ず して皆 さん に通 じたのか しら が 考 えて見
る とお 集 りの皆 さん は, 1を 聞 いて 100を 覚
る世界 の名 士 抽iい では な ぃか 子供 の片 言が
却 つてお 気 に召 した のだ ろ う。
失敗 もまた楽 しか らず ゃ で ある。
lr*brr-.rF*r:gs.r-a,-.-rg.*-,r-ri'rr.+r,,tu
THE ROTARY‐ NO_TOMO
いマ
ス賀ス
ー■ げス・
タウ
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嗅
第 358区 で は 昨 年 プ ラ
ジ ル ,パ ラ ナ 州 の 災 書
に 際 し ,見 舞 金 135万
6,300円 を 相 手 地 区 463
区 の ク エ ンザ ー ガ パ ナ
ー に送 つた が , この ほ
ど同 ガ パ ナ ー よ り 463
区 と 358区 と を 永 久 に
結 び つ け る た め の 1己 念
と して リ オ ・ ネ グ ロ市
に 孤 児 院 を建 設 す る 大
道 動 が 展 開 され て い る
の を幸 に こ れ に寄 進 す
る こ と に 決 定 し た "旨
の 来 倍 が あ った 。
パス ト″ サ ー 永 沼政 久
`・
Gov'Orlondo C. Kuanzcr of
D-463, Porono. Broeil with
which our D'358 is motched,
rcciprocotcs lhe courtc:y
of thc Rotorionr
of
D'358
vho modc o volunlorydonorion of Y | 356,300ro thc
vicfimr of tho forcrt firc
brokc out in Porono,by informing thc thcn Gov. Moro
hico Nogonumo of 0.356
thot thc donofion wor oppro
priotcd for thc conrtruction
of on orphonog bcing plonncd in mcmory of tho cvcr.
lorting fricndrhip' brtwern
th! two Diriricts,
RCは 3粁 離 れ た 夜 問 高 校 に 通 う 看 護 婦 見 習 生
RC=枝 二 郎 君 (神 姫 パ ス 社 長
の 助 力 で 通 学 パ ス を 実 現 した
北条 RC 正 中平 八 郎
北条
30名 の た め 姫 路 南
)
Hoio RC providos o schobl bus for 30 student nurses of the
community ottending o night high scml,which ho been mode
possible rhrough good-will of Rtn. Soeguso of Himeli-Sovth
ヽス 、
F‐ rギ
13
盤4
一
一
一
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一
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一
一
一
一
一
一
一
一
一
一
け
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国 旗 掲 揚 運 動 を 進 め る沼 津 RCは 沼 津
駅 前 広 場 に 国 旗 掲 揚 台 を こ の ほ ど完 成
沼津 RC 遠藤恕夫
し た
Promoiing o "Notionol Flog Hoisting" drive,
Numozu RC erects o flog stqnd in front of
ihe locol stoiion.
大垣 商 業 高校 イ ン ター ア ク トク ラ ブ社
会奉 仕 委 員 会 は 大 垣 公 園 の 清掃 を行 つ
てい る
大垣西
木村秀雄
RC
M07nberS Of 090k cOmmerc OI H gh Scho。
INTERACT conduc,s sweep ng servic of Ogokl
POrk
大 垣 西 RCは 大 垣 商 業 高 校 イ ン タ ー ア
ク ト と共 催 で 、 世 界 理 解 週 間 記 念 議 演
を行 つた
大垣西 RC 上 田栄―
Morking World Undenionding Weck. OgokiWest RC ond Ogoki Commerciol High School
INTERACT iointly sponsor o lecture meeting on
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五饉
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L tta應 膨 。
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‖VEST
鵬ム
顔世界請勝 ﹂働﹄理詳
UN.
罰ロ
松 江 南 RCは 盲 人 パ イ オ リニ ネ ト和 波 孝 ネ喜氏 を招 い て
盲 学 校 放 送 施 設 資 金募 集 の た め の パ イ オ リン リサ イ タ
)v +116r,
t:.
松江南
blind violinist
T. Wonomi
RC大
田定明
to roise fund b equtp
focilitjes.
し た
鳥取北 Rpl」 会長 奥沢 澄
Tottori.l'lorth RC donoter two orgons io o rchml for the blind:
ll rosistd the fund to buy the orgons oho by holding o violin
o
by in,iting o
階
・
・
Mofsus-South RC holds o vioftn recitol
school for fhe blind with broodcosrrng
RCは 和 波 孝 格 氏 の リサ イ タル (左 la参 照 )の
■取 北
純 益 金 で オ ル ガ ン 2台 を購 入 ,県 立 鳥 敢 盲 学 校 へ 寄 贈
recitol.
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髯牌■詰lit針
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合 ム
三 沢 RCパ ッ ヵ ス 奨 学 基 金 が 日米 協 力 で 増 え ,従 来 の
名 か ら本 年 は 4名 を 選 び ,=沢 基 地 マ ク ドナ ル ド報 道 都
長 よ り手 渡 さ れ た
三沢 RC Jヽ 鹿整 四郎
1
横 浜 戸 塚 RCは ボ ー ィ ス カ ウ トの 応 援 で ,柏 尾 川 堤
の桜 の 毛 虫 退 治 な どを行 つた
横浜戸塚 RC 臼井俊 夫
i‖ )°
一
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° Cherげ
P糟 臨需 点1:ぽ 響
l計 踏::配 ャ
∬
"∞
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熾肌1押 憮}隅 r郡 」
乱
静補椰肝
RCは
七尾
国 鉄 七 尾 駅 に 電 気 時 計 を 贈 つ た が ,こ の
ほ ど除 暮 式 を 行 つ た
七尾 RC幹 事 所 司保吉
Nonoo RC conduct! the unveiling ceromony
ilock
it donotcd io the locol
stotion.
of tha electrtc
二
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t
名 古 屋 東 RCは 交 通 安 全 月 間
に ち な ん で ,会 員 の 事 業 所 で
交 通 安 全 に 協 力 し た 46名 の 従
業 員 に感 謝 状 を お く つた
一
名古屋東 RC幹 事 梅 原武 夫
MOrk ng TrOff c sOfety Week.
NOgoyO‐ Eost reco9n zeS 46 trOfflc
sOfety m nded employees of members
ploces Of buS ness
足 利 RCの ス ポ ン サ ー で 結 成
され た足 利 高校 イ ン ター ア ク
ト ク ラ フ は ,学 国 内 の 噴 水 清
]ヽ 説 を ふ き こ ん
掃 . 盲 学校 へ ′
だ テ ー プ を贈 る等
きをみ せ て い る
Ashlk。
活 発 な動
L
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90 High SchoO INTERACT
sponsOred bソ Ash k。 9。 RC S noctOn
by cle●
ning O fountOln ln ,s school
,Opes reco「 ded
ond bソ donOャ ln9
輛th nove s,O bi nd men
祝富11籠 サイ
l
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富 山 RCの ス ボ ン サ ー で 富 山
商 業 高 校 に イ ン タ ー ア ク トク
ラ フ が 発 足 し , 4月 27日 に 結
成 式 が 行 わ れ た .第 360区 て
は 6番 目 の イ ン タ ー ア ク ト ク
ラフであ る
Toソ
omo RC orgon zes Toソ omcl COm‐
m erc● I High Sch。 。
lhe 6ヤ hln D‐ 360,
INTERACT,
ond cOnducls
the nOuqur。 l mee,ng
ヽ
`
調 ﹁
1 1 1 11颯強
,
,
白¨
い J∴ L ヽ
横 須 賀 北 RC社 会 奉 仕 委 員 会
は青 少 年 問 題 に 力 を入 れ て い
る が , こ の ほ どボ ー イ ス カ ウ
トの 一 団 を 結 成 し た
横須賀北 RC
り1端 延 幸
10肛1
、
ヽ
μ茸
「 ヽ卜織
Yo!th service-minded Commvnity
Service Conimittee of YokosukoNorth RC orgonizes o Boy Scouts
In lhe communily.
遍
伊予
=島 RCは 5月 17日 ,ボ
ー イ ス カ ウ ト第 1隊 の 結 成 式
を 行 い , ク ラ ブ よ り隊 旗 お よ
び 制 中口を 員
曽E菫 し , j敷 魔わし た
引 続 き第 4隊 ま で の 結 成 に 努
力 して い る
lyomishimo RC orgonizes
q
8oy
Scouts ond oncouroges ihe Scouts
by presanting the Scoui items. lt
is olso working hord to orgonize 4
more Scouts rn the community.
深 りI RCは ク ラ ブ 対 ク ラ プ の
よ び か け に 応 え ,ア メ リ カ の
コ ー デ ル RCと 親 交 を 深 め て
い る が , こ の 程 同 RCょ リ ク
ル ミの 罐
が 送 られ て きた
=吉
深川 RC
能登 ― 雄
Fvkogowo RC is promoting inlernoiionol fellowship with iis motcneo
0
club. Cordele. ond roceives cons
of wqlnuis from the
,
ノ
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目= 月
Morking the 30th Anniv. of the
club. Otoru Rtn.'s donote whot thev
.coll o "Rotory Wood'ltheir lmplonted white birch trees,io the crrv
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RC{ま 4月 28日 倉り立 30り司
年 88念 行 事 と し て 小 樽 市 に
全 会 員 の 手 に よ っ て植 樹 さ れ
た 自 棒 の “ロ ー タ リー の 社 ¨
を 寄 員曽 し た
小樽 RC 佐野肇 足立竹 士
′
J■ 尊
club.
-1・ 千三
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ti -1 -‐
ニ
水 口 RCは 東 南 ア ジ ア 農 業 協 同 組 合 閣 僚 会 議 の 一 行
を 歓 迎 ,陶 器 の ネ ッ ク レ ス を 贈 つ た 水 口 RC谷 口芳 太郎
M nOkuch RC welcOmes● siing A9Hcuヤ ure M nisters of AJon
nol ons ond presents neckloces Of chinowOres to the vlsitors
直 方 RCは ボ ー ィ ス カ ウ トの 助 力 で ,市 内 史 蹟 の 解
反を 製 作 , 10カ 所 に 設 置 し た 直方 RC 柴 田理 平
説本
W th the he p of ocol B。 ソscoり
cripャ
tSヽ
N。 9。 │。
RC Sets up 10 des‐
0.
ion boords Of his,。 「icOl sites in the ci,ソ
新
小 浜 RCは 国 鉄 小 浜 駅 正 面 に 電 気 時 計 を 寄 員曽 し ,市
民 の 便 宜 に供 した
小浜
吹田彰―郎
RC
Obomo RC donOtes On el● ctrlc cIock ヤ
。the loc。 l stOtOn
函館
船
RCは 4月
16日
・
毎
.第 738回 例 会
“津 車曇丸 … に て 開 催 し た
を新 造 青 函連 絡
函館 RC 大鎌 又―
Hokodote RC holds tts 738rh regulcr meeting of the club
oboord ihe newly built Tsugoru'iAomort-Hqkodoie Ferry Eoot
世 界 理 解 週 間 に 米 国 ハ ー シ ー RCキ ッ シ ュ ポ ウ 氏 が
新 井 RCを 訪 れ ,同 会 員 と種 々 懇 談 .親 善 を 深 め た
On occoslon of WOrlJ undersiond ng Week.Rャ n Kishpough of
Hershey RC in u S A vis's Aroi RC
一 色 RCは 町 の 西 北 に あ る 交 通 の 要 所 に 案 内 標 識 を
―色 RC 三 矢 隆
設 置 した
lshiki RC seis up o gutde borob on o bustling antersectian
ot the
fown.
目
臓-00H"リ
半 田 RCは 相 手 ク ラ
ブ米 国 フ ァイ ブポ イ
ン ト RCダ ル ラ ッハ
会 長 と電 話 に て 交 信
竹 内 一 二 会 長 よ リク
ラ ブ 活 動 を 紹 介 ,“ 手
に 手 つ な い で "を 歌
つ た 半田 RC浦 山長 ―
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HOndO RInヽ ぉ k wiャ h
ther m.Iched club.F ve
Ponts RC of Amer cO,
over hternotion。 │ ,ele‐
phOne
連
昨 夏 第 355区 交 換 学
生 高野 元子 が お世 皓
に な つた米 国 カル パ
ー シ テ ィ RCキ ュ ー
ン 氏 夫 姜 が 来 日 ,早
連 宇 都 宮 西 RCの 例
会 に 招 待 した
宇都宮西 RC
高野
一
耕
Mr Ond Mrs Keune of
Cu ver City RC who,● ●K
co「 e of Mに s M。 │。 k。
TOkOn。 、Dis,「 ic, 355th‐
sPonsored exchonge stu‐
len'during her s十
their city, visi,
I直 」
h臨‐
1
oソ in
her
spons。「‐
clυ b,U,sunomiyo‐
West
鹿 児 島 南 RC職 業 奉
仕 ・社 会 奉 仕 両委 員
会 で は 5月 6日
率
計 上施 設 , 鉄 道 踏 切
番 優 秀 動 続 者 0名 を
例 会 に 招 待 ,表 彰 し
た
,
鹿児島南 RC
林
繁
Ko9oshimO‐ Souヤ h RC re^
c。 9nizes
pυ b‖ c
1 0 ou,s,onding
workers by invl‐
ling themヤ o,he club's
regu10r meeting
l月 28日 承 認 さ れ た
水
道 RCは 5月 17
日 '毎 第 355区 ′
J埋 予ガ
バ ナ ー は じめ 各 パ ス
トガ バ ナ ー を 迎 え
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承 認 状 伝 i菫 」こを a捧 ィ
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士 製 鐵 の
当社 の
H形 鋼 は 、 各 種 の 特 長
と、
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カステラ13-番
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舌
電言
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デ ー タライ ター lDP
テ レライ ター ク ロサ ワ デ ー タ伝 送機
事務用電動 タイプライターの利点 を生 か し、
これにテ ープさん孔機構 とテー プ読取 機 を
と りつけ、IDP方 式 に広 く利用で きる一番
使 いやす い万能 タイプライターです。
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冶lj業 明治二十九年
W口鵬uX■ 市れデ
「 IIIIIn
業
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目房
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本
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社
横 浜 市 西 区 平 沼 口丁1の
話
神 奈 川 (44)6151番 (代 表
内貿営業所
岸通営業所
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業
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倉
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横浜市西区表高島町 6・ 電話 神奈 川(44)6155番 (代 表 )
横浜市中区海岸通 2の 7・ 電話 (20)9401(イ t表 )
松本清張 漏置講
● 朝 日新 聞社
幕 閣 に地 す べ り を 起 し 、 江 戸 市 民 を
ふ る え上 ら せ た 恐 怖 政 治 。 老 中 水 野
忠 邦 の倹 約 令 から 印藩 沼 埋 立 工 事 に
至 る諸 政 策 を 背 景 に 、 汚 職 ・賄 路 ・
派 閥 抗 争 ︱ ︱ 改 革 を め ぐ る権 謀 術 策
は 渦 を 巻 き 、 市 井 に は隠 密 が 満 ち る
⋮ ⋮ そ し て 、 や が て忠 邦 自 身 も 失 脚
す る 運 命 に立 向 う 天 保 改 革 の動 向 を
作 者 は ﹁ひ そ や か な 意 欲 ﹂ で 描 き だ
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こ と で す 。 9iO型 は 特 殊 設 計 に よ り£晟音 機 と
して の 性 能 を 落 さ ず 、 ハ イ フ ァ ィ 増 巾 器 と し
て も ご 使 用 い た だ け るの で マ イ ク ゃ ブ レ ー ヤ
ー を接 続 す れ ば 、 拡 声 装 置 に も 、 電 蓄 に も 早
*新 タ イ プ の 入 カ ミ キ サ ー が 附
い て い ま す 。12の チ ャ ン ネ ル に マ イ ク や ブ レ
変 り します。
ー ヤ ー を 一 度 に 接 続 し 、 そ れ ぞ れ 独 立 した ボ
リ ュ ー ム ッ マ ミ で 音 量 の 調 節 が で きます か ら、
バ ンク に音 楽 を 流 し 、 マ イ ク で解 説 を 入 れ る
な と効 果 的 で す 。
f〕
鶏誦晃履椛轟奔琳
問
│:二
財団奨学生の選考について教えて頂さたいと
i;「
資格,学 歴,年 齢その他
受験の時期,手 続等其他
(諏 訪 ロー タリー クラブ会
」文明)
本
'1中
[毛
]fri13T糞 [1需 縫
Υ
讐
』
」:二 漁
丁
加奨学生 制度 とであ ります.11者 は 各J山 区 か ら 2
年 毎 に 1名 の奨学生 をl性 薦す る もので あ り,後 者
は いずれ の地 区か らで もfJttllF薦 出来 るので あ り
ます が全体 で一 年 に10名 に限 られ てい る ことと
留学 lの 1:語 や その他 の 1「 情 で候補 者 に よって普
プ
奈
理
ζ
夢
f2驚 Tξ 与
17塩 漏
亀
馨
1藝_│]:菅 言
倉
島
塁
量
結成することはあまり奨励しないてしょうか
,
FT・
通選 ばれ る こ との な い国 または地域 にお けるFJF究
を志願 す る ものに与 え られ る権1度 で あ ります
そ
れ に よって資格 も多少違 ってお るのであ ります。
│百1具 島菅 可貪 省菅 償 〕 縁:l口 ふ具 f冤 停 響 1
タ リア ン と しての資格 あ る人 にその特権 を与 え
その結果 ロー タ リーの本仕 の理想 の 普及 を計 り
,
,
普通 の奨学 41i制 度 の も とでは,現 在 では,男 子
もって住み よい社会 ,平 和 な世界 を築 きあげ よ う
学生 のみが │1覇 頂資格 を有 してお りますが,追 加奨
とす るのにあ ります が,大 都市 には商業又 は取 り
の 中心 とな ってい る場帰 螢
沢 山あ ります ので,そ
の 中心地 には成 るべ くロー タ リー クラブ を結成 し
il度 の 合 には男 女学生共姿格があ ります
学生 ‖
いずれ の場合 で も,大 14卒業生 で あ るか,大 学 の
1///」
1度
上級生 で留学す る其年 の 6月 以前 に卒業見込み
の もので なけれ ばな りませ ん.独 身 で あ る ことが
│
て此 の 目的 を達成 しよ うとい うので あ ります .4ヽ
都市 とい え ど も歴然 た る商業 の 中心地 な り取引 の
ます。 年齢 は外国 に行 って勉強 を始め る学年 の初
中心が 2カ 所 以上 あれ ば その区域 に ロー タ リー ク
ラブ を結成す る こ とは何 等妨 げ る ものでは あ りま
めに満 20才 に達 して い る ことが必 要 で あ ります 。
せ ん.理 事会 もそれ を奨励 してい ます
条件 で,結
lllA・
したな らば失格す る ことに な ってい
.
以 _Lは 具体的 な資 格 で あ りますが、 その他 に選
考上考慮す る こ とは,奨 学生 の候 補 :占 は将来指導
者 とな りうる能 力 を持 つ こと,人 格者 で学究的 で
あ る こと, 善意 の使節 と しての役割 を果 しうるこ
と,留 学 に 関心 を持 ってい る こと,語 学 に通暁
l・
lFn51 21:曇 呂曇菖曇it£ 杢屁 [土 ,;1肇 理機ワ量聖寧
るとのことですが, この委員会はどのような任務と活動を行 っ
て来たのでしょうか,ま たどうして 来年度から廃止 されること
になったのでしょうか
してい る こ と,お よび健康 の持主 で あ る ことな ど
で あ ります
ロー タ リア ン 自身 とか,現 にその同 で勉強 して
い る もの,ア ルバ イ トを した り無 監督 の下 に研究
を志 して い る もの等 は資格があ りません
ロー タ リー財団奨学 生 の選考 は 各地区 の選考委
員会 に よって行われ る ことに な ってお りますが
,
答
]酪 里 1扮
磐 督 翼 言]倉 堪 墓基
の設定 した もので あ りま して,当 該地域 にお け る
ロー タ リー問題 を研究 しこれ を理事会 に勧告 した
り,そ の地域 内 にお け る異 った国 々にお け る ロー
タ リーの奉仕 を統一 し育成 かつ進展せ しめ るため
この委員会 はその推 ′
:候 補 i/が 留学す る年 の面j年
の諸種 の問題 を研究す る ことに なってい ま した。
6月 30日 以前に中央 1'務 局 に提 出 しなけれ ばな ら
な い ことに な ってお りますか ら,そ れ にF]に 合 う
なお この地域 内 で集 [‖ 的 1/C行 う社会奉仕事業 等 を
提案 し勧 告す るな どの こと も してい ま した。 然 る
よ うす べ ての 手続 が 行われ てい なけれ ばな りませ
ん.地 区 ガバ ナ ーはあ らか じめその月イ
]iで 志願 者
に本年度 のFll事 会 は最 早その存在 の必要 な しと認
めて本年 度 で これ を廃 lLす る ことを決定 したので
受 lNlの 日lRを 公示 します。
あ ります 。 その他 には理 由 を示 してお りません。
ロ ー タ リー の 支 -8月 号
57
をして,例 会 プ ログラムの計画 その他 を援助す る
ことになってお ります。
New Members(ニ ュー・メンバース)
MemoriOis io Boord of Directors(メ モリアルス・ツ"
・オブ・ディレクタース)一 ― 理事会 へ の陳情 ク
ポード
ラブまたは地 区大会 は,国 際大会 に対 し制定案 ま
たは決議案 を直接提 出す る代 りに,問 題 を国際 ロ
ー タ リー理事会 に提 起 して,理 事会 が適 当 と認 め
る決定 を行わ しめ る ことに よって, その 目的 を達
す る こ とがで きる よ うになっています
.
MO''0(モ ット") 一 標語 ―一 ロー タ リーの標語
1950年 のデ トロイ ト大会 にお いて「 超 我 の奉仕 」
(Ser宙 Ce Above Self)お よび「最 も良 く務 む る も
の は最 も多 く報 い ら る」 (He PrO■ tS Most Who
Serves Best)と い う二 つ の 樹:語 が正 式 に採 用 され
正式 に定 められた方式 とい うものはあ りません
.
ック・ネーム) 愛 称―― ロー タ リ
ア ンが仲FJを 呼ぶ のに,川 :で な く名で呼 んだ り愛
称を使 う場合が非常 に多 いのであ りますが, これ
は国または地方 の習げ1で 親愛 の情 を表現 して行わ
れ てい るに過 ぎません クラブが この習慣 を採用
Nた knOmes(ニ
するか どうかは自由であ ります.然 し此の習慣は
或場合 には,そ のクラブの存在す る「Jの 人 々の一
般習慣 と一致 しないこともあ り,料 1手 方 に不快 の
念を与える ことが ない とも限 りませんから注意 を
要 します。
ま した。
No,iono:Service(ナ ショナル・サービス)
一 新会員―一
の
に
て
の
lac当
親愛 の情 を こ
っ
は厳粛
内
新会員 入会
め且つ ロータ リーの情報を加味 して,そ の例会 の
席上で入会式を行 う例 になってお りますが,別 に
国 家へ
の奉仕一一 ロー タ リア ンはそ の所属国 の忠良 なる
国民 で,そ の国家社会 に忠実 に奉仕す べ き もの と
なってお ります が ,同 時 に, ロー タ リア ンは意志
・ ァィ)一一 国 際 ロ ー タ リ ー 会 長 指 名 委 員 会 ― 一
言論及 び会 合 の 自由,信 仰 の 自由並 に迫害 か らの
自由等 に対 しl ll人 の特権 を持 つ もので あ ります
ア メ リカ合衆国内 ロー タ リー クラブの会員中 よ り
5名 ,カ ナダ よ り 1名 ,大 ブ リテ ンお よび ア イル
ロー タ リーは国際的 な対1繊 で あ って, その役
ラ ン ドよ り 1名 ,欧 州大陸北 ア フ リカ東地 中海地
域 よ り 1名 ,イ ベ ロ・ ア メ リカ よ り 1名 ,豪 州
.
ISl際
l・
員は世界 を通 じての奉仕者 で あ るので,国 家問題
は クラブ 自体 で 決定す べ き もので あ る とい うのが
ロー タ リー運営 の基本的規定 とな ってお ります
.
国際間 の論争 に関す る問題 の討論 はお互 の意見 を
述 べ これ を参 考 にす る ことは差支 えあ りませんが
結論 を示 して団体的行動 を起す ことは遠慮す べ き
Nomino,ing Commillee for Presiden, of R.l。
(ノ ミ
ネーチング・ コ ミチ ー・ フオア・ プレシデン ト・ オブ・ アール
,
ニ ュー ジ ー ラ ン ドお よび南 ア フ リカよ り 1名 ,そ
して以上 の地域 に入 らな い地域 に所在す る クラブ
の会員 中 よ り 1名 ,合 計 11名 の委員 を もって構成
せ られ る委員会。 この 委員会 は毎年 7月 31日 以 11
に結成 せ られ,委 員長 は互選 に よって定 め る こと
で あ る とされ てい ます .国 家有事 に際 しては,そ
の国 の ロー タ リア ンは常 にその国 の忠良 なる愛 国
月31日 まで に会長指 名 に関す る提案 をなさ じめ
者 として行動す る こ とが第 1の 義務 で あ る ことを
認識 して,そ の期間 で もロー タ リー をその国内 に
毎年 1月 31日 以前 に会 合 して これ を審議 し、 会長
被推選者 を選ぶ ことに なってい ます。 その結果 は
保存す る よ うに務 む べ き もの とな ってい ます
20日 以内に各 クラブに郵 送 され ますが, クラブは
.
New C!ubs(ニ ュー・クラブス)
新 クラブーー 国
ロー
ー
クラブは
タ リ に加盟 した新
,倉 J立 後 の一
際
年間特 にその当初 の数 力月 間 は,そ の スポ ンサ ー
・ クラブ (設 立 1吐 話 クラブ)が 何 くれ とな く世話
52
にな ってい ます。 委員会 は各加盟 クラブに対 し12
,
独 自の考 えで, クラブの指 名決議 1卜 を 3月 15日 ま
で に事務総長 の手元 に必 着す る よ う提 Jlす る こ と
もで きます.3月 1511ま でに クラブに よる指 名が
なけれ ば,会 長 は指 名委員会 の指 名す る者 を会長
被指 名者 (ノ ミニー)と 宣 言す る ことに な ってい
THE ROTARY_NO TOMO
まづ■
Occup。 1:。 noI BoOk Shelf(ォ キュヽ―ショナル・ブック
Nominolion of OfFicers(ノ ミネーション・オブ・オフィ
・シェルフ)一 ― 職業用書籍棚 ―― ロー タ リー会員
が その代表 す る職 業 に関す る書籍 を,そ の所 在地
サース)一 ―役 員指名 一― 役員選挙 の前提 として
行われ る候補i者 の指 名.ロ ー タ リー クラブ役員候
の学校 に寄付 して出来 た図 書棚
補 者 の指 名 と国喋 ロー タ リー役員候補者 の指 名 と
は 自ら異 っ てお ります
0青 にe rs′ Club(ォ フィサース,ク ラブ
,
.
)
ク ラブ役員
クラブ役員 は,会 長 ,冨 J会 長 ,幹 J11,会 計 ,お よ
び会場監督 に よって構成 され ています
.
ロー タ リー クラブの役員選挙 の 1カ 月部jの 例会
にお いて、例 会 の 司会者 は候 補i者 の指 名 を クラブ
会員 に求 む る ことに なってい ます 場合 に よって
0仔 たe rs,R.l.(ォ フィサース,ア ール
・アイ)
は指 名委員会 をお いて候補者 を指 名す る こと もあ
す る こと もあ ります
り,ま た両 者 を併∫」
1,第 2及 び第 3副 会長 ,他 の理 lf,事 務総長
財務局長 ,ガ バ ナ ー,並 に大 ブ リテ ン及 びア イル
ラ ン ドにお け る国 際 ロー タ リー代表 ,会 長 ,面 1会
長 .お よび名誉会計等 に よ り構成 され てい ます
.
国際 ロー タ リーの役員指 名 には,会 長候補者 は
指 名委員会 とクラブに よ り行われ,財 務局長は R
一 国際 ロー
ー
ロー
ー
タ リ 役員―一 国際
タ リ 役員 は,会 長,第
,
I理 事会 が選挙 し,理 lI候 補者 の指名は地帯 ,地
Ottcio:Direciory(ォ フィシァル
・ディレクトリー)一 一―公
域ガ1に その採択 した手 続 に従 い行 うことに な って
式名簿―― 毎年 8月 に国際 ロー タ リー中央 11務 局
にお いて出版 し各 クラブに配布 せ られ る,全 加盟
お ります
総長 は役員 で あ ります が,そ の職務 の関係
で,規 定 の上で は別 に候補者 をた てず被選理事 に
lli務
よ りその暫定理事会 にお いて選挙 し 1月 1日 よ り
任務 につ くこ とにな っています
地区 ガバ ナ ーは地 区大会 にお いて地区 ガバ ナ ー
.
クラブの名称 とその会長 お よび幹
liの
姓名並 に住
所 例会場 お よび集会曜 日並 に時間 ,国 際 ロー タ リ
ー役員 お よび委員 の姓 名並 に住所 等 を記載 した公
式名簿 で あ ります。
選考委員会 又 は クラブ或 は両者 の推薦す る候補者
の 中か ら指 名す る こ とにな ってい ます
Otticiol LOnguoge(ォ フィシァル・ラングエジ)
ンディストリクテッド
・クラブス)
一一非 地区 クラブーー 国際 ロー タ リーの構成 せ ら
用 の こと も研究 され ま したが,結 局 中止 され ま し
.
― 公式
ロー
ー
となっ
の
タ
リ
は英語
l語
公式丹
用語一一 国際
ています.エ スペ ラ ン トの ごと き陛界共通語 の使
Non‐ districted Clubs(ノ
た
.
れ た地区 に所属 せ ず ,国 際 ロー タ リー理事会 の直
接管 理下 におかれ てい る クラブ.辺 境 の地域 で し
0軒 たh:Mogoゴ
か も地区 を構成す るには余 りに も クラブ数 の少 い
処 に所在す る クラブは,正 式 のガバ ナ ー をおかず
雑誌一― 英語版 のザ・ ロー タ リア ン (The ROt缶
rian)お よび スペ イ ン語 版 の レ ビス タ・ ロタ リア
理事会 が 直接管理 してい ますが,そ の数 は現在62
で あ ります。
(Revista ROtaria)
ObieC'。 f Rotory(ォ ブゼクト・オブ・ロータリー)一
ロ ー タ リー の 綱 領 ―一 国 際 ロー タ リー定 款 第 3条
ne(ォ フィシァル・マガジン)一
機関
機 関雑 誌 は ロー タ リーの 日標 と奉仕 の理想 を ロ
ー タ リア ンに普 及す る と同時 に ロー タ リーの 国際
的特 質 を強調 して ロー タ リア ンの国際感覚 を旺盛
ラ ブ定 款 第 2条 に定 む る ロー タ リー の 綱領
国際 ロー タ リーの 計 画 はす べ て この 綱領 の 示 す 処
な ら しむ る こ とにその編集方針 をお くことに なっ
てい ます .機 関雑 誌 へ の広告 は雑 誌編集方針 に合
致す る もの を選 び誇大広告 その{也 ロー タ リー精 神
に 従 っ て 行 われ てお ります
に添 わな い うな ものは掲載 しな い ことに なってい
標 iltク
.
,
ます
,― ク リー の 友 -8月 号
.
53
「]に 守 られるところであオ ば, そこに新 しい ロー
タ リー クラブを結成す べ きもの となってお ります
1´
東 ヶ崎潔君
RI第 2副 会長に就任
去 る 6月 7∼ 11日 カナダの トロン トで 行 なわ
れた 第 55回 国際 ロー タ リー大会 で東 ヶ崎潔君
(東 京
RC)が
Ool:ine of CIossincolion(ァ ゥトライン。オブ・クラシフ
ィケーション)一_職 業分類概 要―― クラブの 職業
分類 衣作成 の指針 となるべ き参考書.職 業 分類概
1964-65年 度 RI第 2副 会長 に
選出 され,7月 1日 よ り就任 しま した。 日本 か ら
要 は職 業分類 に基 づい た ロー タ リーの原則 を明確
RI副 会長 が選出 され た の は小林雅一 fli(1958
-59年 度 RI第 1副 会長 )に ついで 2人 口で あ
に し,職 業分類 設定 の要項 を説 明 し,科 学的 に設
定 せ られ た標 準的 な分類 を網羅提示 して い ます。
ります。
しか しなが ら,世 界各国 各地 にお け る職 業 を全 部
なお東 ケ崎君 は 1966年 6月 12∼ 16ロ ア メ リ
カ, コロラ ド州,デ ンバ ーで 行 なわれ る予定 の
網羅す る ことは不可能 で あ り, また,国 情 に よ り
或 は地方 に よ り特殊 の職業 もあ ります ので, クラ
ブはそ の区域 内 の職業 界 を良 く調査研究 して,分
第 57回 国際 ロー タ リー大会 委員長 に も任命 され
てお ります。
類 の原則 に反 しない限 り独特 の職業分類 を設定 す
る こ と もあ りうるので あ ります。 なお ,概 要 の分
なお また湯浅 恭三 パ ス トガバ ナ ー (東 京 RC)
「手続委員
も1963年 12月 よ り国際 ロー タ リー議■
類表 中 に「 配布 Jと い う月l語 があ ります が, これ
は卸 売,仲 買,委 託販売 ,ブ ローカ ー,輸 JI,輸
会委員 (Member Of the Comm■ tee on Parli
amentary Rules,RI)に 就任 して い る こ と も
入等 の 言葉 を含む もの となってお ります ので, ク
併せ て ご紹介 いた します
今年度地区研究 会 のカ ウ ンセ ラー に指命 され
.
ラブで実際 にその職業分類表 を会員 に貸与す る と
i菓 を差入れ る
きに実情 に応 じて それ ぞれ適 当 の こ
てお
るのであ
よ うになっ
ります
た方 々の氏 名は次号 に紹介 の予定 で あ ります
.
.
インスチチュート)一 ― 一 日講習会―― 特別 の講習 を
Pomphlets(バ ンフレッツ) 小 冊子 ―― 職業本仕
お よび社会奉仕活動 ,会 員選考 お よび職業分類 そ
受 けた カ ウンセ ラー に よって司会 せ られ た,地 区
にお け る ロー タ リー情報 お よび拡大 の講習会 ,こ
の他 の
「者問題 に関す る色 々な印層1物 の仮綴 の小冊
子 国際 ロー タ リーの 出版物 は総 て理事会 の承 認
の講習会 は1964年 1月 の理事会 にお いて,そ のカ
ウ ンセ ラー制度 を廃止 しま したので,今 後 は ロー
を経 た ものか,理 事会 が その権限 を与え且 つ指定
され た人 に よって承認 を与 えた もので あ ります。
One‐ doγ Disirict ins,,fule(ヮ
ンデい。ディストリクト
・
タ リー情報 お よび拡大 の地区研究会 として,地 区
先 に各 クラブに配布 した ロー タ リー資料
“1964年 トロン ト大会 にお け る議案 の審議状況 と
そ の結果"に 誤 謬 の部分 が あ りま した ので謹んで
協議会 と同時 に行われ ることにな りま した。
Order of Business′
訂正
RC(ォ _ダ ー・ォブ・ビジネース
,
アール・シ‐)一 ― 口 "タ リー クラ ブ例 会順序――
開会 ,来 訪 ロー タ リア ンの紹介 ,通 信お よび告知
,
委員会報告 ,未 決事項 ,新 議事 ,講 演又 は他 の プ
ログラム,閉 会
.
OrgOnizotion of New Clubs,(ォ ーガニゼーション・ォ
ブ・ ニュ"・ クラブス)一 ―新 クラブの 結成 ―― ロー
タ リー拡大 の一 重要事業 .ロ ー タ リーが その感 化
力 を発揮す るため, ロー タ リー クラブ を結成すれ
ば必 ず成功す る と思 われ る処 には,世 界 中 どこで
もまた は何 時 で も, ロー タ リーの基本的原則 が 自
5イ
下記 の通 り訂正 いた します
.
左段 ,下 か ら12行 日に “申込者″ とあ
るの を候補者 と訂正 し,ま た11行 日に “有望会員″
1 4頁
とあ るの を有望 な正会員 とT正 いた します。
「
また 5頁 右段下 か ら10行 日に “議案 64-36"と
あ るの は議案 64-38と 訂」iい た します
.
なお また「 友 J5月 号「 ロー タ リー用語熟語解
説 J‖ 刑中52頁左段 Fか ら14∼ 15行 ││に かけて “ロ
ー タ リーの基本 方針"と あ るの は ロー タ リーの根
本的特 色の誤 りにつ きlirJ:ぃ た します
.
THE ROTARY NO TOMO
トロ ン ト 第
55回
国 際 大 会 略報
大会最終 日,壇 上 で記念撮影のポーズをするチャールズ 。ベ ッテ ンキル
(左 ),カ
ール・ ミラー新旧会長 人妻
天気 は良 し,気 候 は穏 か,環 境 は美 し く絶好 の
トロン トに1964年 の ロー タ リー国際大会 は開 かれ
ま した 6月 5日 には早 くも世界 各IJlか ら ロー タ
に な ったので あ ります
リア ンお よびその家族 が続 々 と集 って,私 達 が ト
ロン トについ た の は 5日 の夕刻 で あ ったが, ロー
l,昼 食時間 を除 き,休 み な
くして審議 を続 け,な おか つ審議未了 で,翌 7日
ヤ ル・ ヨー ク・ ホテル の登録場 には早 くも長蛇 の
は 日曜 日であ った に もかかわ らず午 前j9時 か ら12
果せ るか な審 議会 は荒れ に荒 れて,此 問 Eだ け
に 3時 間余 を費 し, しか も議案 は撤 回 とい うこと
7「
そのおか げで 6日
.
l‐
列 をりとま した
時迄寸時 の休み もな く箸議 が進 め られ, よ うや く
登録 をす ま し,ホ テルの室 に落付 いてやや暫 く
して
と, ピン ク色 のE‖ 昂1物 が室 に「Fliけ られ ま
47の 議 案全部 を審議 ,終 了 の運 び とな りま した
した 取 り上 げて 見 ます と,翌 6日 の規定審議会
の議案641に 対す る原 案支持運動 の自Jlll物 で あ り
':1:る
ま した
審議 は荒れ ま したけれ ども,そ こは ロー タ リーの
こと,議 論 は至 って紳 士的 に行 われ,議 を尽 して
採 決 に入 り,提 案者 の画 日は これ を充分 に保 ち う
る よ うに, しか も ロー タ リーの発展 に寄与 で きる
よ うな結論 を出す よ う勉 め る ことを忘れ ませんで
この よ うな ことは今迄余 りな い こ とで あ り,ま
た ロー タ リー として は好 ま しか らぎる ことで あ り
した
ます ので, これ は大変 な こ とにな った,審 議会 は
荒れ そ うだ とい う予感 が,直 ちに頭 に浮 んだ ので
6日 の晩 には大音楽会が開かれ ま したけれ ど も
審議会 が遅 くまで続 け られた ので,そ れ には欠席
あ りました
しま した
ロー タ リー の 友 -8り l号
.
55
鷲:鳳“ CIAIR‐ DIEIト
水曜 日の晩,呼 び物の余興,ア イス・ ショーが終 って会場を出る会員 。家族
7日 の 日曜 日には, どっ と集 って来 ま して, ロ
ー ヤル・ ヨー ク・ ホテル は一 時身動 き も出来 な い
程 で あ りま したが ,午 後 7時 に メー プル・ リー フ
・ ガ ーデ ンスの扉 が開 き, 8時 に大会 の開会式 が
行 われ ,大 会委員長 ,オ ンタ リオ州副知事 お よび
ミラ ー会長等 の歓迎 の辞 があ り,大 音楽会 が催 さ
れ ま したが,此 時 は この大会場 も殆 ん ど立 錐 の余
地 が な い位 の盛況 を呈 してお りま した。
第 1回 の全体会議 は 8日 ,前 日と同 じ くメー プ
ル・ リーフ・ ガーデ ンスで 行 われ ,音 楽 に 始 ま
り,数 々の歓迎 の辞 が あ り,会 長 の挨 拶 等 々 の
日本 の ロー タ リーの発展 とい うこ とが,陰 に陽 に
働 いて いた の を感 じま した。
この 日の行事 の 中で最大 なる もの は, カナダ首
相 の講演 で あ りま した.そ の他昼 には現元 国際 ロ
ー タ リー役員 の懇親会が あ り,ま た家族 の ため の
観光 ,国 際親交会 の催 し等 があ りま した 夕方 に
は トロン ト・ クラブ会員 の家庭招待 があ り,夜 の
9時 か ら12時 迄会長 の リセ プシ ョンお よび舞踏会
が催 され ま した
第 2回 全体会議 は 9日 午前 9時 に始 ま り事 務総
長 お よび財務局 長 の年次 報告があ りま した。 これ
後 ,各 国元首 または首相 か らの祝電 お よび祝辞 の
llt露 が あ りま したが,そ の中 に 日本 よ り池田首相
告案 を提 出 しま した.初 め頃 は至 って淡 々 と採決
の 祝電 があ ったので肩身 が広 く感 じま した。
され ま したが,後 半 に至 り議場 よ り意 見 が 出 る よ
についで,ベ ー ヵ ―が規定審議会 の報告 とその勧
うに な り賑やか に な りま した
此 の大会 を通 して我 々が非常 に愉快 に感 じたの
は , ミラ ー会長や ミー ンズ事務総長等 の発言 の時
には,必 らず 日本 の ロー タ リーの発展振 りとか
然 し大体皆勧告 通 り採択 され ま したが,た だ一
つ64-38議 案 が,勧 告案 の撤国 とい うの を修正通
り採択 とい うことに な りま した。 これ は,宗 教 と
1961年 東京大会 の盛況振 りが 引合 に出 された こ と
で あ りま した
い うの を宗派 と修正 した もので,色 々な宗派 を職
,
規定審議会 の際 ,ブ ラジル よ り出 された理事定
員 増加 の議案審議 に当 って も討論 の 中 に東洋殊 に
56
業分類 に入れ うる よ うにす る案 で あ ります 午 後
は クラブ運営 に関す る部 門別協議会 が あ り,夜 は
国際懇親安会 が 7カ 所 に分 れて行われ ま した
.
第 3国 全 体会議 は10日 午 119時 半 に開 かれ ,請
THE ROTARY_NO‐ TOMO
ヽ 一、一
一
一
一
ジギ麟欝
警麟輝
;濶
鰈黎
霊紺 畔
ロー ヤ ノ
し・ コー ク・ ホテル で 行 なわれ たtt定 審 議 会
演 が 1つ 、 イン ターア ク トの 活動 と発展 につ いて
の ′ヽ│し ・デ ィスカ ッシ ン等 があ りま した 午 後
は脳t業 り」協1議 会 が あ り, イン ターア ク トの バ ズセ
:′
ッウ
ン も行 われ ま した
し・ リー フ
夜 は メー ブノ
・ カーデ ンス 大会場 の 中 kの
14(付
でを剥 が しア イス
ス ケー トの レ ビューが イFわ ガ
t人 気 を呼 び ま した
第 1回 全体会議 は 11日 午 前 91130分 に 丼
1会 され
諸報 (li、 新 役 員選挙,講 演 .新 旧会長 の家 族紹介
,
旧会長 の挨拶等 が あ って オ
1会 とな りま した
た会員及び家族数 は15.956人 であ りま した
(パ ス トカバ ナー宮脇
■バ ンス トンの中 │(11務
│ミ
ヽ
l慰l■
1掛 )11
で 行 なわれ た新 年度 国際 ロー タ リー]11'会 ,有 端 は RI第 211f,Jこ に就 /1し た
■
■
││
園.
一
か
│う
集っ
冨
,崎 潔 イヤ
'〔
)
私達 が路傍 を散歩 して いてお よそ雑草 と汚 名 を
つ け られ る草 の名 を知 ろ うとしない人達が多 いの
が りに葉 を採集 し乾燥 し煎 じて神経痛 , リュウマ
テ スに良 い と云 う.ま た葉 は食 用 と して芳香が あ
で は ないか と思 う。 その雑草 は薬草で あるか もし
れ な い し,ま た雑草 の 中 に交 って薬草 が あ って も
り美味 で あ る
.
時 には
ナズナ (齊)ア ブラナ科 これ は ベ ンベ ングサ と
も称 し三 味線 のバ チの よ うな呆実 と云 う ことで 名
が ついた。 ナズナの 語 はナデル菜 だ と云 う学者
曇
が い るが ,牧 野博 rし は滞│む 薬,す なわ ち苗が地 面
に縮 って滞ん で い るか ら と云 う この全草 の水浸
エ キ スは動物実験 で 先ず血圧 を下 げ同時 に呼 ll■ 筋
毒 草 を食 し死 に至 ったで あろ うし,ま た量 を少 く
して用 い る こ とを考 え,い ろい ろな疾 病 に対 し薬
をケイ レンす る と云 う作用があ り, これ は ア セチ
ル コ リンの作月1と 全 く同様であ る こ とか ら 成分
と して用 い た のが、 昔 で はす べて薬草す なわ ち薬
の研究 の結果 ,や は リアセ チル コ リンの存在 が判
明 した。 その他 の薬効 は熱 を と り、 腎 ぞ う病 に ま
す べて雑草 とみ てい る人達 も多 い と思 う 薬草 と
名 のつ く植 物は極 めて多 く数 え られ,雑 草 と心 な
くよびす て る こ とはつつ しまねばな らない
.
人間が生 を うけ この世 に第 一 歩 を印 した時 ,己
に植 物 は存在 し植 物 に恩恵 を うけ て きた
用植物 で あ った。 この薬草 は とて も良 く効 くのだ
と云 うこ とで商 Iマ 1と して扱われ る よ うに な った も
の,す なわ ち薬草 を乾燥 して長期間保存 出来 るよ
うに した もの を支那で は漠薬 , 日本 では和漢薬 と
よぶ よ うに な った その後 18世 紀 の 中頃 には顕微
た子官 の出血 に よい と云 う
.
オギ ョウ (御 行,点 麹草)キ ク科 これ にハハ
コグサの名 を当て るの は非 で ホ ウコ グサで ある と
鋭 が現れ て漢薬・ 和漢薬 の草根木皮 の 内部形態 を
牧野 博 士 は云 う.語 源 は不明.こ の薬効 は全 草 を
去 タ ン薬 にまた気管支炎 に用 い る
解 明す る こ とが出来 ,規 格 を定 め鑑別す る こ とが
出来 る よ うにな った ここに生薬 と云 う名 が生れ
ハ コベ ラ (ハ コベ,繁 綾 )ナ デ シコ科 語源 は
不明.こ の全草 は婦人 産後 の浄血 ,催 乳 薬 とす る
生 薬学 が発展す る こ とになった
薬草 と云 うと年 の初 めに今年 も無病息災 に と云
また全 草 に塩 をまぶ して焼 き,灰 に して 歯磨粉 と
して使用 した。 同属 の大 形 の もの を ウシハ コベ と
うお芽 出た い行事 として江戸 時代 か ら七草 ガユ を
食 べ る風習が伝 っているが,今 日で は殆ん ど行 わ
れ てい な い しか し山間 の古老 た ちの間 では今 だ
称す るが, これ は利 尿薬 で あ り,ま た カナ リヤの
餌 には な らな い
に行 われ ている地方 もあ る と云われ る 春秋何れ
の 七草 もよ く人 に知 られた植 物 でみ な立派 な薬草
で ある。 個 々別 々 にそれ らの経験的 な薬効 を申述
べると
.
春 の 七 草
セ リ(芹 )セ リ科 この 語源 は,春 に な って一 せ
い に葉 をあげ始 め,セ リコセ リコ と競 ってい る よ
うだ と牧野 博 士が云 う所 か ら.土 用 の ウシの午 さ
58
.
ホ トケ ノザ キ ク科 の コオ ニ タ ビラ コで ある
その形状 で仏 さん の座ぶ とん の よ うに葉が地 に輪
生 して い る様子 か ら名付 け られ た もので , シソ科
の植 物 で はない。 この薬効 は解 熱薬 として生 の汁
は毒 ヘ ビに咬 まれた とき,ま た毒虫 に さされた と
きつ け る と良 い
スズ ナ これ は トウナで あ リカ ブの こ と
.
スズ シ ロ
グ イ コンで あ る
何れ も食慾充進 ,消 化薬 で ある
THE ROTARY_NO TOMO
FOR YOUR
僣雄
HEALTH
トツ
がく
地 方の 方言 で ある と云われ ,子 供 が Xを もて遊 び
茎 と茎 とを擦 り合せ る とギ シギ シ と音 を立 て るか
秋 の 七 草
ハ ギ (胡 枝 子)マ メ科
この根 は メマ イ, ノボ セ に よい と云 う
ら と云 う。 根 を羊蹄 根 と云 い下 シ金 でお ろ した液
汁 は皮 ill 病 に よ く効 くと云 う また黄色色素 のオ
キキ ョウ (桔 梗)キ キ ョウ科
この根 は去 タ ン薬 に
キ シメテル ア ンス ラキ ノンを含有 し緩 下薬 として
.
スキ)イ ネ科,根 を療毒 に
ナデ シ ヨ (カ ワラナデ シヨ,程 麦)ナ デ シ ヨ
オ バナ
(ス
も有効 で あ る
ス イバ タデ科
.
これ らの種子 を程麦子 と云 い利尿,通 経 ,淋 疾 な
どに用 い る
これ は酸 い葉 で あ るか ら 漢
名 は酸模.こ れ の花 は健 胃薬 に,茎 や葉 は皮膚病
に,根 は緩下 薬 に用 い られ る
ユ キ ノシタ (虎 耳 草)ユ キ ノシタ科 これ は 5
この根 は吐
血 を止 め排膿薬 として また婦人産後 の腹痛 に よい
月下 旬頃 に大 と云 う字 の よ うな白 い花 を多数 あげ
るが, この花 を上か らみ る と,丁 度葉 の上 に雪 を
クズ (葛 根)マ メ科 この根 は古来 か ら漢 方薬
の葛根湯 として有名 で 神経痛 の初 期 に,ま た カゼ
ひ きの始 めに悪寒 し,頭 痛 し,鼻 が つ ま った り
散 した よ うと云 うこ とで名 が ついた。 虎耳草 が虎
の耳 の よ うで あ る と…… この生 の葉 10枚 位 いに少
し塩 を加 え,す りつぶ して その液 汁 を 小 児 の 着
ノ ドが痛む とき,ま た催平L薬 として も良 い効果 を
(ヒ
オ ミナ エ シ (敗 醤)オ ミナエ シ科
,
(一
与 え る.そ の処方 は
日量 )葛 根8g,生 姜
4g,麻 黄4g,大 棗 4g,桂 枝 3g,芍 薬 3g, 甘草 2g,
この処方 を水 400∼ 500ccで 煎 じ半量位 い まで濃縮
しデ して 1日 3回 にわけて空腹時 に温 い もの を服
用す る
.
フジバカマ (藤 袴,蘭 草)キ ク科
この全草 は
通経 ,解 熱 ,水 lTj,吐 血 ,黄 疸 ,神 経痛 , リユ ウ
キ ツケ,ケ イ レ ン)に 用 い る と大 変良 い と云 い
また百 日セキに も同様生葉 4∼ 5枚 を しば って液
,
汁 を 1日 3回 服用す る とよい。 その他 lfj物 や オデ
キに生 の葉 を焙 って は り吸 出す の lrcょ ぃ。
オ ウ バ ヨ オ ウバ コ科 この語源 は葉が大 き く
て広 い こ とか ら,ま た い ろい ろ と方 言が あ る オ
レバ グサ, カエ ッ
バ コ, オ ン′ヾコ, オ ッノくコ, マツ
パ 等 ,支 那 の江東 で は ガ マ衣 と云われ , これ は ガ
マ テ ス等 に用 い られ る
マが 雨 が 降 って きた ら必ず この葉 の下 にか くれ雨
宿 りす る こ とか ら名が ついた この植物 の種子 は
次 に家 の 廻 りや路傍 ,あ るい は小川 の堤 の上 を
散歩 して いて 目に つ く薬草 の主 な もの は
ゲンノシ ョウ コ この語源 は現 に証 拠 が ある と
云 うこ とで,す なわ ち速座 に癒 る ことか ら名が つ
車前子 と云 いセキ止 めに, また葉 を車前草 と云 い
利尿 ,下 痢 上 に,淋 疾 ,胃 腸病 1く 緞勢 に用 い る
ヨモ ギ キ ク科 この語源 は善燃 草 の転化 か ら
また モ グサは燃草 か ら と.葉 を支葉 と云 い腹痛
い た.こ れ は下痢止 の特効薬 と申 して よい.下 痢
腰痛 ,頭 痛 ,中 風 ,痔 疾 等 に よ く,ま た生 の葉 の
を して い る時 は よ く立所 lac止 め る作用 を有 し,飲
用 して い る中に,便 泌症 の人 には緩 下作用 を呈 し
汁 を食前 に服用 し高血圧症 に よい と云 われ る。
ドクダ ミ ハ ンゲ シ ョウ科 この語源 は毒痛 み
.
.
,
て くる
を去 る と云 うこ とか ら,ま た十薬 と云 いい ろい ろ
のが あ るが何れ も効 力は同 じで ある
な薬効 がある と云 うこ とで名 が つ く。 これ は古来
か ら腫物 の吸出 しに,ま た毒下 しとして用 い られ
そ の他 胃腸病や淋疾 .子 宮病 な どに も良
い.こ の植物 の花 には紅色花 と白色花 の 2色 の も
クララ (苦 蓼 )マ メ科 この語源 は根 の液 汁 を
なめ る と目が くら くらす る と云 うことか ら クララ
と云 う名が つい た。 根 は煎 じて苦味健 胃薬 に,ま
た腎 ぞ う病 lrc,IFul虫 の駆除 に,脱 毛 の防止 1/c良 い
と云 う.茎 や葉 は細 か くきざん で 便所 の ウジ を殺
す に よ く,ま た脱 臭 に も良 い
.
ギシギ シ (羊 蹄 )タ デ科
ロー タ リー の 友 -8月 号
この語源 は古 い京都
て きたが,そ の他皮膚病 ,痔 疾 .蓄 膿症 ,梅 毒
畑虫駆除,整 腸剤 として等.そ の効 用は広 い。
,
とにか く薬用 と名 のつ くもの はす べて尊 い歴 史
を もつてい る これ らの薬草 は代 々多 くの人 々を
救 い,そ の経験的 な薬効 を受 け つ ぎ,今 日の薬草
にな って い るので あ る
.
59
斗
青
青
子
紅
耕
︶
村 九 郎
つ む じ 風 あ れ ば 随 ひ 卿 節 落 綱﹂
岡 玉 骨
院
撻
鰊
嘉
曖瑯
聾
一
河 合 英 路
沖 通 る 船 に 蜜 柑 の 香 ¨ 翔多 く
︲
︲
川千 露
︲
と ざ さ れ し 噂 の 家 の 枇 杷 熟 る綱
東 つ い女
﹂
退 目 に も 楽 し 我 家 の 鯉 ぼ
︵
鯛美 代
片 蔭 を よ う や く 得 た る計 れ なれ繭 .
伊 藤 良 水
よ き 雨 の 匂 ふ 青 葉 の 経 師ぎ り
︶ 三 沢 久 子
夏 萩 に心 ひ かる る 日が 卿けり
宝 塚 旧 検 番 の 青 す だ れ
ど の 家 も 石 段 を も ち蔦若 葉
︶
藤 鳥 岳
%酬 糀
老 妻 の 年 二
度
︶ 宮森 双 温壷
寺 修 理 今 年 の 仕 事 牌鰤 の里
五 郎
中 枷︶
い ま 一弁 開 き そ め た
菖 蒲 た へ子
ぐ み う れ て 枝 も た わ ち に口 の駅 田 峰 子
蔦 か く も 茂 り 大 原 美 術 師
蘭 英 産 織 る 家 の 前 ま で 商 草 の田
山 太T 景 川
早 乙 女 に 有 線 電 話 呼 師 ﹃ダ く
倉 じ 堀 内 青 鳴
い つ 見 て も 蝶 の 来 て ゐ る 姫 空木
貧 笞 鷺 尾 秀 郎
げ ん げ 田 を 走 る 真 昼 の ロー カ ル車
鈴 蘭 の 咲 い て 日 お も てHう ら かな
︵
神一
戸東︶ 森
バ ス ガ イ ド 別 れ の テ ー プ 東 風 に引 く
︵
姫 路︶ 斎一
ま ろ び ゆ く ゴ ル フ ボ ー ルも かげ ろ え る
︵
笠 岡︶ 東一
﹁湯 ど う ふ﹂ の旗 を 吊 す や 花 う つ ぎ
︵
笠 岡︶ 小
葉 桜 の 下 の 恩 師 の 句 碑 洗 ふ
芳
堂
︶
本 一
草
隠 れ 棲 む 山 に 米 研 ぐ 静 獅 あ 嗣一
内 田 柳 影
妻 が﹁
崚ら わ が 起 ち 電 評 ﹄貿易 し
緑 蔭 を 通 れ ば 濡 れ ぬ ほ ど の雨
三 ︶
田 恒 堂
そ よ 風 や 青 田 渡 り て 黎 の 蘭響
§ 島︶ 米 倉 明 司
み か ん咲 き オリ ーヴ が咲き 旅 た の し
︶ 米倉 沙羅女
葉 桜 や 待 ち か ね し 声 穀簾 よ り
清 水 海 タ
新 樹 中 御 雪並お わ す と おダ 滅 める
︶ 清 水 一羊 女
人 麿 の 碑 を 見 に 島赫 卸 薄 暑
大 阪 の 娘 の 許 へ
衣
殊 犠
津 島 政 子
買 ひたまる 土産 をさ
〆 て鋤 浦鶴
々木 令 山
蕗 畳 洗 ひ 五 月 の 雨 や ま ず
厳 濤
松 高 く 一葉 一葉 の 緑 かが 坂 田 虎 一
老 鴬 や 画 架 を た た み せ正 単 に火
見 稲 青
鮮
外 人 に 通 訳
つ
け
て
鯛 見
田 杏 畝
葬 ダ 枷
葉 桜 に 先 師 の句 碑 駄
葉 桜 の 道 を 登 り て
い 切 二 っ
岡 田 祥 子
母 の日 や我 に老 た る
鶴 ¨ り特
野 一
郎
五 月 晴 外 国 船 の 見 ゆ る 丘
︵
松 山︶ 酒 井 宝 川
三 眠 の 蚕 の 里 訪 へば霧 深 し
囀 り や 天 主 台 に も 人語 あ り
︵
松 山︶ 関 定
拝 謁 に 再 び 浴 し 風 薫 る
︵
松 山︶ 園 田 次 男
青 葉 若 葉 昔 な が ら の遍路 道
︵
宇 部︶ 折 出 義 毅
汽 車 の窓 かす め て蛍流 れ け り
示 倉東︶ 柳 原 控 七 郎
松 の 花 光 悦 寺 垣 右 上 り
︶
野 椋 花
せ め て見 ん 都 踊 の 影知 な魔
豊 ︶
辺 夏 人
見 降 し て 小 島 の 遁菫戸 の 駒 の 中畔
野嘉大櫨
、
っ
′
M 際 暉 ﹄ け は 駆 枷 ︵ィ 響 い
す
も
伊 押︶ 白 井 春 朗
紫¨陽 花 や 角¨板 の 響
隣 り
興 塁 満 口 紫 浪
め い め い の 石 に 構 え て 河 鹿 鳴く
大 た わ み 水 引 草 の 先 に 蝶
木 耳 の 冷 え 冷 え と 手 に 摘ま れけ り
︵
津久見︶ 溝 回 は る
ほ と と ざ す 火 伏 の 宮 は す ぐ 下に
藤 井 年 子
立 葵 咲 き の ぼ り た り 彎 いぼ る
東京 の人 にま じ はり菖 蒲見 る
︶
茶 山
端 卿
養所
後
に 星 野 立子
茅 花 咲 き 海 風 そ よ
選
慈 雨 あ り て 銀 の 色 得 し 苔 の 花 江場 春子
この句 は形容 が大げ さ のやう に思 ふかも知 れな
い。考 へ、 ま では ゆ かぬとも 雨 を銀 と表 現 したり
す る ことは事 実 に反 す る と思 はれる か も 知 れ な
い。 ︵
今 ま で私 が度 々 い ってゐた正直 な事実 を あ
り のまま に写生 す る と いふ こと︶ 併 し、銀 と形容
した ことは、 美 し い苔 の花 の ■にぎ ら ぎ ら と 雨
が、 それも待 ち にま った雨 が今降 り注 いでゐ る の
であ る。 作者 は そ の雨 粒 、雨 の糸 を本 当 に銀色 と
発見 した のであ る。 そ の上、 ど んな に苔 の花 が深
々と美 し いか と私 に見 え て来 る。 慈雨 を降 り かぶ
った苔 の花 の美 しさ に引 き つけ られ て来 る。 それ
は即 ち事 実 の写生 と いふ ことが い へる の であ る。
一、締 切 毎月二十日
投稿規定 一、投句数 五句以内
一、投稿は僣書のこと。
THE ROTARY_NO TOMO
60
本
木
山
寺
南
宇
声
子
雨
江
令
ロー タ リ ー
代
子
子
岳
生
雪
立
松
介
雨
野
両
星
子
位法
月 光
汀
衣紺 山
郎
〓一
寿
雨
斗
亭
操
九
光
︵
八 戸︶ 大 沼 波 奈 女
秋
草
本
翠
第 子屈︶ 宇 川
昆 布 舟 着 け ば 引 き 継 ぐ 馬 の 居り
︵
岩見沢︶ 加 藤
郷 土 史 の 千 人 塚 や 閑 古 鳥
︵
八 戸︶ 大 沼
白鳥 のす で に去 り た る汐 干潟
小 湊 の 汐 干 に 旅 の パ ス降 り て
幸
石
︵上 山 ︶ 岡 一
泉
水
花 にき て や が て離 れ て蝶 高 し
鶴
雄
霊自 志
草
花
︵
合 蒻 ︶ 奥 田 六 兵 衛
口J
径
67
ロー タ リー の 友 -8月 号
湯 加 減 も 上手 に妻 が新 茶 かな
禽 田︶ 小
大 欅 若 木 に 遅 れ 芽 吹 く なり
︵
前 橋︶ 岸
緑 蔭 へ曲 り 消 え た る 流 れ か な
︵
宇都官東︶ 篠¨
績 を 受 け に 立 ち た る裸 かな
︵
鹿 沼︶ 大
晴 く 河 鹿 温 泉 小 唄 と ま ぎ れ ぎる
︵
真 岡︶ 鈴
丹 念 に 銭 苔 残 し 草 む し り
︵
浦 和︶ 古
参 道 の 草 に 耕 牛 伏 し 憩 ふ
︵
浦 和︶ 中
峰 々を 田毎 にう つし田 植 かな
こ の 奥 に 四 度 の 滝 あ り 河 鹿 晴く
︵
熊 谷︶ 金
下 校 児 の つぶ ら な瞳 梅 は 実 に
︵
岩 槻︶ 士
ロ
よ し切 や捕 り し鯰も売 る茶店
霞 雀 そ こ に 鳴 き ゐ て川料 理
︵
津 島︶ 江 場 春 子
慈雨 あ り て銀 の色 得 し苔 の花
簡 崎︶ 都 築 悦 女
水 郷 の 青 声 分 け て 渡舟着 く
花 御 堂 解 い て山 僧 ひ とり な る
爾 崎︶ 杉 本 ︶m 風
蛸 艇 や 昔 な が ら の 間 魔 堂
奪 衣 婆 も 我 も 閣 魔 の視 野 の中
爾 崎︶ 大 村 菅 水
一
雇 女 に 負 け じ と 老 尼 田 を 植 ゆる
墨 染 の 尼 の 田 植 着 濯 ぎ千 す
爾 崎︶ 大 村 す ょ 子
さ し か け し 日 傘 小 さく寄 り沿 ひ ぬ
名皇
︵
岩 田 元 子
昨 日 着 し 単 衣 一と 日 のす わ りぐ せ
行 暑 ︶ 請 井 花 谷
︵
渡 り 石 い づ れ も 低 し春 の水
花 層 の 走 り て 流 れ て とどま らず
公 園 の 池 の 浮 葉 と 子供 かな
︵
各 醤 ︶ 松 浦 竹 生
霞 こ め 見 え ず な ん ね る 近 江 富士
2 古屋西︶ 野 村 一
止
雨 の 王 置 き 落 さ じ と朴青葉
写 屋西︶ 沢 田 寿 文
南 へ 旅 立 つ け さ の 更 衣
含 日市︶ 中 川 口
¨ 子
夕 立 の 風 竹 林 に 音 た て て
︵
桑 名︶ 佐 藤 益 女
紅 白 の バ ラ ベ ラ ン グを咲き のぼ る
夏 羽 織 袖 だ た み し て膝 の 上 に
︵
松 医 黒 部 草 波
田 草 取 苗 踏 む ま じ く よ ろ めきて
→ 浜︶ 村 田 眉 丈
母 の 日 や 妻 よ り 若 き 額 の母
根︶ 荻 円 光 城
,き 競 ふ
山 邸 問 美 ケ 原 に 咲
︵
彦 根︶ 荻
水 車 廻 る小 屋 の周 囲 に麦 実 る
︵
彦 根︶ 隅一
編 み あ げ し 麦 藁 帽 の光 り を り
︵
近江八幡︶ 野
松 蝉 や 鳴 く 五 本 松 松 江 道
全示 都︶ 一
二
藍 掲 き し 昔 名 残 に 土問広 く
野
花
千
靖
扇
居 冬ヽ
瀬
月
シ ョーケ ー スす こし曇 り て梅 雨 に入 る
︵
佐 原︶ 柏 本 久ヽ
魚
田 を 植 ゑ て 拓 地 し ず かな村 となり
う き 草 に 汽 艇 の 波 の 見 ゆ る かな
字 葉︶ 浅 輸 水 里
新 国 道 緑 を 貫 い て つづ ら 織 り
品
巴
本
白
村
旺
茂
和
破
武
城
部
舟
桂
貞
尾
桃
素
木
崎
水
踏
塔
本
蘭
麦籐
浮
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り
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掃
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沼
上
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り
魯
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本
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古
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僣
壇
山
田
素11器1量
111 ンタ ーホテル に泊 って いた とき, ロビーで年
晶な littLξ 馨 二重
│l fT,口 畠魯 佐二
.非
で ,お す ま い は宝 塚
に
した
常
なお方
快活
■
の次男 が 東京 の 学 校 を 卒
■ ‐ との こ と,丁 度私
`[写
■│ え,先 生の近 くに止宿 していることを申上げ
││ たところ,そ の大学には知人 も多い,そ の う
ち次男を呼んで訓陶して下さるとのこと よ
│■
■ ろしく御願いして,そ のままお別れしました
が翌 日,鎌 倉 の義姉 に会 った とき, この こ と
を話 します と,D先 4Lは ,戦 後 早 く亡 くなっ
ロ ー タ リ ー のエ ム ブ レ ム で
銚rRC
た兄 の社会学関係 の特 に親 しか った学 友 で
姉 一 家 は今 も尚先生 の御懇情 を],1い ている こ
,
今津源五郎
5月 か ら 6月 にか け て, ロー タ リーの エ ムブレ
ムの御蔭 で ,私 に二つの挿話 が 与え られ ま した
5月 の は じめ,社 用下 阪 の ため特急第一富 士 lrc
乗 りま した。私 の後 の座席 に歯車 の エ ムブ レム を
輝 か した一和IIヒ が,岳 父 と思 われ る御老人 と,御
とがわか りま した.姉 よ りは直 にJi塚 の先生
へ お 手紙 を差出 しま した.llB然 とは 申せ , ロ
ー タ リーのエ ムブレムのお蔭 で この よ うな こ
とが ござい ま した
.
さ
子忠 ら しい青年 と乗 りこんで来 られ ま した。私 は
ン
たが,あ とで食堂車で も
目礼 で挨拶 をいた しま し
し み
の つ
ま
lIR C
加古り
松井
虎太
で 拝見 い た しま した。 第一富士が 大阪 に着 くと
ある クラブのチ ャー タ ーナイ トに出席 した1時 の
こ とで あ った。定刻 が過 ぎて も開会 にな らぬ, ど
うした のか と私 語 が始 ま った.少 し騒 々 し くな っ
3人 も下車 され ま した。翌 日は, 大阪 クラブの例
てか ら司会者 の開 会 の辞 が あ り順 を追 って挨 拶が
会 日に 11り ま した ので,私 は会場 新大 阪 ホテルヘ
そ の うち にその 日の立役者 で あ るお 方 の
番 とな りその li頭 に「私 は 6分 遅刻 した ので今 日
御 一 緒 に な りま した 御老人 に対す る献立 の選定
で気 を もまれ て居 られ るの を,実 に心 ‖iま る思 い
,
参 りま した と ころ,本 日の卓話 は,東 京 クラブY
先 /11の 長 唄 の お話 とあ り,食 事 もすみ幹事報告 も
すん で ,卓 話者 Y先 生 が演 1'1に 立 たれ た の を見 ま
す と,な ん とそれ は前 │1車 中でお逢 い した紳 士で
面 白 いお話 の あ と,私 はil:式 に
4Lか
ら御 名刺 を頂 きま した その夜
し
,先
挨拶 を
宿 含 の グラ ン ドホテルヘ 帰 りま した と ころ,先 生
はあ りませんか
あ った
のお 話 はそれだけ縮 め るJと い ういか に もユ ーモ
アに富んだ一 li それで一 同はあ っけに とられた
とい うか今 まで責任 者た る ものが, ロー タ リーで
1時 間不履 行 とはけ しか らん と少 々内心不 満 で張切
っていた人 々 (私 独 りか も知れ ぬが)力 :急 に タガ
が弛んだ気持 にな り、 それ まで の堅 い雰 l■j気 が非
も同 じホテルの 同 じ フ ロア ー,然 も 2室 ばか り灘i
れ た と ころに御 Jl宿 なの を矢││り ま した 余 り奇 し
常 に な ごやか とな った ことが あ った
ロー タ リー とい うもの を考 えてみ る とその運 営
い御縁 と思 い,私 は フ ロン トの キイボ ックスヘ 御
健 祥 をいの る旨の 名刺 を托 しま した ところ,後 刻
/1か ら丁 [な お電話 を頂 いて しま い ま し
市 内 の先
は非常 にむ つ か しい 本仕 を理想 とす る 目的 の集
りとい って も余 り堅苦 し くてはいかぬ.そ れか と
言 って,放 ってお いて も別 に叱 る (?)人 もい な い
11さ を
た。 数 日の‖│[阪 中 に,私 は うるお いの あ る‖
し,例 会 はどヽ
食 を食 うだけ の一 種 の社交会 か とい
うとそれ で は困 る 一 に も二 に も奉仕 ,奉 仕 とい
与 え られ ま した
も一 つ は 6月 なか ば の ことで す
.
62
東京 の都市 セ
って, と りわけ出席 はやかま しい
ア レは しては
THE ROTARY_NO‐ TOMO
TO EDITOR
いかぬ、 コ レ もいかぬ とまるで 重箱 の 中 に入れ ら
れた よ うな気 持 が 会員 の大半 の人 の入会 当初 の感
想 じゃないか と思 う。
私 は こ う思 う, ロー タ リーの在 り方 は修養会で
もなけれ ば社交会 で もな い.換 言すれ ば堅過 ぎて
も柔らか過 ぎて もいかぬ紳士 の集 りで あ る以上
品格があ ってほ しい
も堅 くな り易 い
,
│
彫 刻 の 手 法 を加 え 、
実 物 そ の も の とか わ
そ こで冠頭 に引例 した よ うに ま
ら な い 生 々 と した 銅
雑 誌委員会
東京 クラブで「友 」誌 に就 て,下 記 の よ うなア
ンケ ー トを会員か ら採 ってみ ま した
お 知 らせ致 します
グ を お送 り致 しま す 。 .
贈 答 品
御参考迄 に
ア ンケ ー ト
企 画・制 作 ・販 売
ギ フ トセ ン タ ー 東京 新宿角筈 2-82
私 は読 んだあ と
さ くらぎ T E L 1371)3251-4
1.保 存す る
104
2.会 社 の者 が読 む 53
3.家 族 が読む
82
4.寄 贈す る
14
・¨
生 活 の中の甘 き香 り
26
捨てる
│
く立 像・胸 像 レ リー フ〉 │
御 中 越 あ り次 第 カ タ ロ
記P
東京RC
像 です
│
念瑚
「 友」についてのア ンケ ー ト
参考
1
写 真 を と り、 そ れ に
しか し品格 とい うといか に
ず緊張 を解 きほ ぐすゆ と りの あ るなに ものかが ほ
しい。 さ しみ のつ まが
5
立体写真像
立 体 的 (前 後 左 右 )に
全会員 300名 中返 信 200
1人 にて 2.3項 に亘 っての記入 あ り
勤 続 バ ッ デ の歌
鮎江 RCで は次 の楽譜 の よ うに「勤続 バ ッデの
歌 」 を発表 いた しま した ので 御紹介 いた します。
勤 続 バ ッデ の 歌
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明 治 製 膳
社長 相 馬 敏 夫
ロー タ リー の 友 -8月 号
63
Portoript by Rotrry-NcTomo
Editori.l Conoitecmrn
国
中
車
偶
層
工
「 友 」地 区 委員
藤
哲
郎
(青 森 RC)
り, ロー タ リア ン同士 の友愛精 神 を端的 に うた い
上京 途上 の特急 はつ か りに於 ての こ とで あ る
食堂車 へ 赴 く車 内 の廊下 で, ロー タ リーのバ ッジ
.
あげた ものだ と思 って い る。
ロー タ リー会員は い う迄 もな く各業種 の代表者
をつ けた 1ロ ー タ リア ン と私 はすれ 違 った 私 は
とっさに軽 く会釈 を したが,そ の ロー タ リア ンは
で あ り,み な一 国一城 の あ る じで あ るか ら,中 に
私 のパ ッジ に一 瞥 を与 えただけで胸 を張 って行 き
は 日本有数 の大 会社 の社長 もあろ うし,時 には小
過 ぎた ので あ った。
都市 の 中小企業 の代表者 もあ った りす るので,そ
さて食堂車 に入 って一 つの食卓 に私 はつい た の
で あ るが ,た またま向 い合 って坐 ったのが一 人 の
の問 ,社 会的地位 の点 で 格差 の あ った りす る こ と
は当然 の こ ととして も, ロー タ リー精 神 ,い いか
ライオ ンズ クラブ会員 で あ った
私 は軽 く会釈 し
えれ ば社 会 に奉仕す る精 神や会員相互間 の友愛精
た.す る とその人 は丁寧 に会釈 を返 しなが ら,私
に どこの ロー タ リー クラブに属す るのか と問 い た
神 に生 きよ うとす る気持 にはい ささかの相違 もな
いのでは ないか と考 える.説 法 め い た話で恐縮 で
だ し,私 が青森市 で あ る旨 を答 え る と,青 森県 の
あ るが,国 と国 との 相互理解 に基 づ く世界平和 と
い うこ と も,そ れ は畢 党す るに ロー タ リア ン個人
風光 について,特 に十和 田湖 の明眉 な風光 を賞 め
たたえ,自 分 の国 の北 海道 に もい ろ い ろ景勝地 の
同士 の友愛 とい うこ とが土台 に なる もの と考 え る
ので あ る.私 共 ロー タ リア ンが どの様 な規模 の業
あ る こ とを語 り,話 は次 ぎか ら次 へ と発展 して
私 は思 いが けぬ楽 しい食事 をす る こ とが出来 た。
,
彼 は終始 ニコニコ し,友 好的 な態度 を崩 さなか っ
種代表 で あ ろ うと,社 会的地位 に どん な隔 た りが
あ ろ うとも,お 互 いの ロー タ リア ンは「 どこで あ
たが,私 は彼 の人 柄 に敬意 を表す る と同時 に, ラ
って もや あ といお うよ」 で なけれ ばな らな い し
イオ ンズ クラブその ものに対 して も敬愛 の念 の湧
「 笑顔笑顔 で語 り合 お うよ」 で あ って欲 しい とい
うた ら, ロー タ リー精 神 の押売 りで あろ うか,同
,
きお こ るの を禁 じ得 なか った もので あ る
ロー タ リーの例会や その他 の会合 で よ く歌 を う
.
じ社会奉仕 を目的 とす る団体 とは いい なが ら,私
共 と違 う会 に属す るライオ ンズ クラブ会員 の友誼
た うが,そ の歌 の 中 に,「 どこで会 って もやあ と
いお うよ,… …遠 い時 には手 を振 りあお うよ ……」
的 な態度 に接 し,私 と同 じ ロー タ リー クラブ会 員
の冷 やか な一 瞥 に会 った私 は,車 内 の 自分 の席 に
とい うのが あ るけれ ども, この歌 は恐 ら く会員 の
誰 もが もっ とも好 む歌 の一 つで あ ろ うと思 うし
戻 りなが ら,何 か割 り切れ な い気持 に ならぎるを
私 もこの歌 は大変身 に:き みて心 の温 まる ものが あ
得 なか った
,
月
リー の 友
刊
ロ ー タ リー の 友 委 員 会 委 員
第 350区
第352区
第 355区
第 358区
第 359区
室
工
鍵
後
樋
谷 邦
藤 哲
富 清 一
藤 安 太
口宅 二
委員 長
夷
郎
郎
郎
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取 引銀行
印刷所
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東京
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)
須 賀)
8月 号
田
誠
第360区
第365区
坂 倉 又 吉
塚 本 義 隆
第 368区
斎 木 亀 治 郎 (姫
(岐
(大
第 369区
片 山 仁 儀 夫 (岡
第370区
星 野 イ
十 二
東京都千代田区丸 ノ内 3丁 目4番 地
三井銀 行丸 ノ内支 店
大 日本 印刷
パ ス トガパナー
第8号
振 替 口 座
東 京都新宿 区市 谷 加賀 町 1の 12
東 京
原 色版印刷
(鹿
(日
18620番
半 七印刷
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番1::重
副 委員長
松
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阜)専
阪)
「1委 員 平 非 常 次 郎
専門委員 増 田 義 彦
路)
専Fl委 員
横
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阪南
京)
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吉 (東 京銀座 )
山)
児 島)
石ビル7階 )
話 筆
電
主
ロータ リーの友編集事務所
)
第1港
東京 (211)7717
川 崎 覚 太
郎
頒価
110円
THE ROTARY_NO_TOMo
1
◎ 生気 に満 ちた
◎ 気塊 の浴 れ る
◎ 芸術 の香 り高 い
◎ 迫真の 肖像
賀寿、功労、謝恩等の御記合像
立体 写真 像株 式会社
東 京 都 品 川 区南 大 井
TEL
東 京
三ッ矢 サイグL
サ イ ダ ー はや っば り
川ト リ ■ス°
オ レ ン ヂ
4丁 目 12
(761)2 7 5
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説 明書進呈
ロー タリー倉」
始者ポール・ハ リス氏の像
1935年 当社にて撮影製作
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成
巽
間
につ いて
叙東RC 高
橋
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Seison.Kqku: Built by the Lord M<redo in the
fedqlisic oge, the Seison-Koku is preserved ot imporlont culiurotl property of notion, in which o
number of ort obiect3 of fhe oge is disployed.
It is locoied ot Kenroku Pork in Konozowo,
成哭閣 を美 術館 と称す るの は,や や的外れか も
知れ な いが,一 面建物 自体が国 の 重要文化財 で あ
殿 と呼 ばれ てい たので この 名 に あやか った と も伝
り,別 棟 の煎茶席三華亭 は県指定 の文化財 で あ る
え られ る 明治 3年 真竜院 が84才 で亡 くな られ
名 も明治 7年 成巽閣に改 め,数 度 にわた り建物 は
か ら, これ程 美術館 として適切 な もの も他 にない
取 り払 われ て現在 の よ うな もの とな った
か も知れ な い
別棟三華亭 は嘉永年間 これ も斉泰 が 江戸根岸 の
別邸 に築造 した もので,滋 賀県彦根城 内 に あ る楽
々亭 とと もに,現 存す る徳川期 の煎茶席 として代
.
成巽 閣 は加 賀 12代 藩主前 田斉広 の夫人 が,斉 広
の死 後落飾 して真竜院 と号 し,天 保 9年 居 を江戸
,
の本郷邸 よ り金沢 に移 した時 ,孝 養深 い13代 斉泰
が 母のため,今 の兼 六 園 の一 隅 に隠居所 として建
表的 な もので あ る。 明治30年前 田本郷邸 に,昭 和
て た ので あ る.寄 棟造 りの こけ ら葺 で一 階 には謁
見 の問 ,広 問 ,松 の問 ,蝶 の間,亀 の間 ,清 香書
年成巽閣庭園 の一 角 に再建 した もので あ る.六 畳
院 ,常 時釜 の かか ってい る清 香軒 な どが あ り,二
間 よ りなる
階 には天丼 を群 青 で塗 りつぶ した群 青 の間や網代
鞘 の間 と煎茶席 との境 の上部 の欄間 は ウニコー
ル と称す る海獣 の牙 をはめ こみ ,庭 に面す る障 子
の問 ,越 中の間 な どがあ る。
いか に も女性 の隠居所 らし くやわ らか いたた づ
まいで,幕 末時代大 名 の典型 的 な別邸 として,昭
和 13年 国宝 に指定 され ,同 25年 あ らためて重要文
5年 駒場 の本邸 に移築 し,戦 後解体 した もの を24
の煎茶席 ,四 畳 の書斎 ,六 畳 の水屋 ,四 畳 の鞘 の
は創 建時代 ギヤ マ ン と して珍重 したガ ラスが 入れ
て あ る 左倶1の 飾棚 の引違 い戸 は染付花 鳥画 の磁
製 陶板 を用 いて あ るが ,図 様 か ら見 て 中国清朝初
各部屋 ごと歴代藩主 の使用 の武具
調度類 を陳列 し一 般 の縦覧 に供 して い る
期 の作 で,磁 器陶板 として稀 に見 る大作で あ る
地袋 の戸 には孔雀 の羽 を織 り込んだ裂地 を張 って
成巽閣 tll初 め巽御殿 とい った.金沢城東南 ,即
ち辰 巳の方位 に建 て られ たか ら と も,真 竜院 が生
あ った り,引 手 に朱 玉 ,青 玉 の 透 し彫 の ものが 取
りつ け て あ るな ど, ここに も百万石大 藩 の偉容 の
家 関白鷹司家 にい た頃住 んで いた ところが,辰 巳
一 端 が うかがわれ る
化財 とな った
.
.
.
:1県 美 術館長 )
(評 議員・ 石ナ
… 撮影・ 田枝幹宏
……………………
―――――
―――……
成
巽
閣
陳列品 甲冑武具類 ,漆 器蒔絵類 ,金 銀象嵌 等金
工類 ,灰 F風 絵画類 ,衣 裳類 ,古 筆類 ,陶 磁器類
な ど古美術品
金沢市 出羽町一 番町
金沢駅下 車,市 電下
│_
石引町下 車徒歩 3分
毎 日午 前 8時 30分 ∼午後 4時 30分
休館 は年末年始 のみ
入場料 一般 80円 学 生 50円
開館
三華亭 水 屋袋 戸棚
ブノ一
岬﹂蜀
¨鰺 献 恣 軋 肇 譲
ル イン ′
ゴ ー‐
堺
言己録 を亥Uむ セ イ コ ー
国 際競技 に登場 して、数 多 くあ
公 認 言己録 を 残 す ス ト ッ プ ウ オ
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チ 。
同 じ精 密 な 技 術 が 、 腕 時 計 に も
生 か さ れ て
生 ま れ て
tヽ
ま す 。
70年 …・…・ 。
セ イ コ ー は 、 日 本 の 時 計 を
世 界 の 時 計 に 高 め ま した 。
海 外 /国 内 市 場 調 査 に … …
長 時 間 会 議 の 録 音 に……
病 院・学校 ・ 音楽 会 に……
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ヽさ い ネ ク タ イ ピ ン 型 マ イ ク
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盛
岡 ・
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福
島
静
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コ ム パ ニ ー
京 都 ・ 和 歌 山 ・
リ ミテ ッ ド
岡 山 ・ 鳥 取 ・ 松 江 ・ 高 松
熊 本 ・ 福 岡
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秋田県 森岳腺
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秋田県 八幡平村湯瀬温泉 八幡平(代 )
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秋田県 八幡平村
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大館市 大滝温泉
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宮城県 鳴子温泉
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白石市 鎌先温泉
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237∼ 8 1(241)4481∼
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熱海 市 伊 豆 山
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