平成26年12月 東南アジアのムスリム観光客の福岡誘致に向けて

東南アジアのムスリム観光客の福岡誘致に向けて
バンコク事務所
東
幸治
経済成長による中間層の増大、訪日短期滞在ビザの免除等により、今後増加
が予想される東南アジアからの訪日ムスリム観光客。福岡県を快適に旅行して
もらうためには、食事や礼拝などの宗教上の習慣に配慮するなど、受け入れの
ための環境を早急に整える必要がある。
1.東南アジアのイスラム市場
表1 世界のムスリム人口
世界のイスラム教徒の人口は、現在 16 億
ムスリム人口(千人)
人口比(%)
アジア・太洋州
1,005,507
62.1
人を超えると推定されており、世界の4人
中東・北アフリカ
321,869
19.9
1
サブサハラ・アフリカ
242,544
15.0
に1人はムスリム と言われている(表1)。
欧州
44,138
2.7
アメリカ大陸
5,256
0.3
イスラム教と言えば中東のイメージが強い
計
1,619,314
100.0
出典:ピュー・リサーチ・センター(2010 年)
が、地域別の分布をみるとアジア・大洋州
が最多で、ムスリムの 62.1%を占める 10
表2 東南アジア各国のムスリム人口及び経済成長率
ムスリム人口
人口比
GDP成長率
億 551 万人が存在する。東南アジアだけで
(千人)
(%)
(%)
インドネシア
204,847
88.1
6.23
も 2 億 3,391 万人ものムスリムが存在し、
マレーシア
17,139
61.4
5.64
フィリピン
4,737
5.1
6.81
世界最大のムスリム人口を有するインドネ
タイ
3,952
5.8
6.43
ミャンマー
1,900
3.8
6.30
シアのほか、イスラム教を国教とするマレ
シンガポール
721
14.9
1.32
240
1.6
7.26
ーシアにも多くのムスリムがいる(表2)。 カンボジア
ブルネイ
211
51.9
0.95
ベトナム
160
0.2
5.25
近年、東南アジア諸国の経済成長は著しく、
ラオス
1
0.1%以下
7.93
計
233,908
-
-
中間層が増加していることから、イスラム
出典:(ムスリム人口、人口比)ピュー・リサーチ・センター(2010 年)
市場に世界中から大きな注目が集まってい
(GDP 成長率)国連貿易開発会議(UNCTAD)(2012年)
る。特に、今後着実な増加が予想される訪
日ムスリム観光客については、政府や自治体が誘致のための環境整備に取り組
み始めている。
2.訪日観光客へのビザ免除措置
日本政府は、観光立国の推進体制を強化するため、2008 年に観光庁を設立し
た。2013 年には長年の悲願であった訪日観光客 1,000 万人を達成し、今後は
2020 年の東京オリンピックに向けて 2,000 万人を目指すこととしている。
1
イスラム教徒を指す。
1
その取組みの中で訪日ビザの要件が緩和され、2013 年 7 月にはタイ、マレー
シアの訪日短期滞在ビザが免除された。ビザ免除の影響は非常に大きく、免除
前後1年間の訪日観光客数を比較すると、タイ、マレーシアで大きな伸び率を
示している一方、インドネシアの伸び率は小さいままである(表3)。しかし、
2014 年 12 月には新たにインドネシアでも訪日短期滞在ビザが免除されたため、
今後はタイ、マレーシアと同様に、訪日観光客が大幅に増加することが予想さ
れる。それでは、ムスリムが多いマレーシアおよびインドネシアの訪日旅行の
表3 訪日外客数の推移
傾向はどのようになっているのであ
2012年7月~2013年6月
2013年7月~2014年6月
ろうか。現地旅行会社へのヒアリン
人数
前年同期比
人数
前年同期比
(人)
(%)
(人)
(%)
グ結果を以下にまとめた。
タイ
330,261
52.6
582,416
76.4
マレーシア
140,330
28.5
インドネシア
123,237
52.0
出典:日本政府観光局(JNTO)
221,242
146,897
57.7
19.2
[マレーシア]
・人気の渡航先は、東京、大阪、北海道、名古屋。特に大阪、名古屋は格安
航空(LCC)の「エアアジアX」の影響が大きい。
・桜、雪、紅葉など、季節に関連するものが好まれている。
・九州では別府の人気が高い。マレー系のムスリムは温泉には入らないが、
湯煙の風景が好まれている。
・食事、写真、買い物は重要な要素。特に買い物に対する関心は非常に高い。
・歴史にはあまり興味がなく、博物館に連れて行っても魅力を感じない。
・個人旅行者も増えており、JR の Japan Rail Pass もよく売れている。
・LCC の影響で、中華系に加えてマレー系の訪日旅行者も増えている。
[インドネシア]
・桜、都市観光、伝統文化、テーマパーク、雪が訪日旅行の5大動機。
・東京、富士山、京都、大阪などを巡るゴールデンルートが人気。九州は直
行便がないのがネック。
・訪日旅行者は中華系とそれ以外で6:4の割合。家族5~6人で行くケース
が多い。
・団体旅行がほとんどだが、今後はホテルと空港送迎付のパッケージツアー
などの人気が出てくると思う。
・旅行のピークは、3~4月の桜シーズン、6~7月のスクールホリデー、
レバラン休暇2(毎年変動)、12~1 月のスクールホリデーの4回。
・訪日旅行に関する情報量はまだ少ない。旅行会社を通して情報を入手する
人は少なく、ウェブやブログなどが主な情報源。
タイの場合は、ゴールデンルートや北海道を訪ずれたことのある旅行者が次
に九州を旅行するという波が今まさに来ているところであるが、マレーシアの
2
ラマダン(断食月)が明けたことを祝う休日
2
場合は、ゴールデンルートの次に北海道に行く旅行者が増えている段階で、九
州への波はタイの一周遅れになると思われる。また、訪日短期滞在ビザが免除
されて間もなく、所得水準が両国に比べてまだ低いインドネシアには、訪日旅
行ブームはまだ来ておらず、東京・大阪以外に日本の都市を知らない旅行者も
多いとのこと。九州を訪れるインドネシア人が増えるのは、タイの二周遅れ、
マレーシアの一周遅れになると思われる。しかし、ここ数年のうちに九州を訪
問するムスリム観光客が増加することは確実と予想されるため、受け入れのた
めの環境整備は今すぐにでも始めなければ間に合わない課題と言える。
3.ムスリム観光客誘致に向けた環境整備
ムスリム観光客が海外旅行において最も懸念することは、イスラムの信仰を
守りながら旅行できるかということである。特に「食事」と「礼拝」には配慮
が必要になる。
食事に関しては、ハラル料理を提供できることが最も望ましいが、どこまで
なら許容できるかは個人差が大きい。マレーシアとインドネシアを比較した場
合、一般的にインドネシアの方が寛容とされている。マレーシアの旅行会社に
よると、ムスリムだけのグループの場合は必ずハラル食品でなければならない
が、中華系と混合のツアーの場合は比較的リベラルなムスリムが多いため、ポ
ークフリー(豚肉および豚肉由来のものを使わない料理)でも大丈夫で、特に
シーフードの天ぷらや焼き魚が好まれるとのこと。
インドネシアの場合も、ハラル食品でなくてもポークフリーなら大丈夫なケ
ースが多いそうである。ただ、いずれの国の方も刺身はまだ食べ慣れていない
ため、あまり好まれないそうである。
礼拝に関しては、旅先では1日5回のお祈りの簡素化が許されるそうである
が、礼拝所自体が少ないことが旅行しにくい要因となっているため、その環境
を整えることは必要であろう。インドネシアから福岡に修学旅行生を派遣して
いる元九州大学留学生によると、生徒の親からの要請もあり、金曜日にはモス
クでの礼拝を予めスケジュールに入れるよう配慮を行っているそうである。
宿泊施設については、キブラ(メッカの方向を示す矢印)、祈祷用マット、
コーランの設置を求める声が多い。また、九州には温泉宿も多いが、人前で裸
になることが禁じられているムスリムの場合は、貸切風呂でないと入浴が難し
いかもしれない。女性の場合はさらに厳しく、身内以外との入浴は貸切風呂で
も許されないとのことである。
また、マレーシアのムスリム対応ホテルでは、イスラムのコンプライアンス
に従って、プールでは女性専用の時間を設け、チェックアウト後はイスラム式
の清掃を行っている。レストランではアルコールの提供は行っておらず、ハラ
ル食材のチェックに加え、仕入先の確認も行っている。一方で、ホテル外から
3
豚肉製品やアルコールを持ち込むことは認めており、ノンムスリムの宿泊客も
歓迎している。このような柔軟な対応は、ムスリム観光客の受け入れに際して
参考になると思われる。
4.本県へのムスリム観光客誘致に向けて
最後に、本県へのムスリム観光客の誘致に向けて、私見ではあるが何点か指
摘したい。
まず、レストランについては、ハラル認証を取得することがもちろん望まし
いが、他の訪日旅行者とのバランスを勘案すると、ムスリム観光客のためだけ
にコストと手間をかけるのではなく、当面はムスリムフレンドリー3な環境を整
えることを目指すのが現実的な選択肢であると思う。そのような環境整備を通
じて、ムスリム観光客が増え、県内でもハラルが身近なものとなり、自然発生
的にハラル認証取得を目指す企業が増えることが、さらにムスリム観光客の誘
致につながるという好循環に結びつくことを長期的には期待したい。
宿泊施設については、キブラ、祈祷用マット、コーランの設置などは、それ
ほどコストをかけずに準備ができるため、ムスリム観光客の増加を狙って設置
するムスリムフレンドリーな施設が増えることが望まれる。
また、マレーシア、インドネシアでは、福岡との間に直行便がないため不便
だという声をよく耳にした。マレーシアの旅行会社からは、「九州は各県の街
の景色が違って面白いため、人気が出る旅行先だと思うが、直行便がないのが
ネックである」という意見があった。過去に直行便があった頃は、マレーシア
からの修学旅行のアレンジを行っていたが、現在は実施していないそうである。
採算性の問題で直行便は廃止になったのかもしれないが、他の日本路線は現在、
マレーシア人の予約が増えて日本人が予約できないほどに需要が増えているた
め、今後、福岡直行便の再就航を期待したい。
マレーシアのハラル産業開発公社(HDC)では、現在地近くのハラルレスト
ランを検索できるスマートフォン用のアプリを開発している。本県でもムスリ
ムフレンドリーなレストランを検索できるようになれば、食事への配慮が大切
なムスリム観光客にとっての利便性が格段に向上すると思われる。
現在、ハラル食品やムスリム観光客の誘致に注目が集まっており、一種のブ
ームのようになっている。これを一過性のものとして終わらせず、国籍や宗教
の違いを受け入れ、その背景にある文化を理解した上で、ムスリムを始め外国
人が旅行しやすい環境を整備することが、アジアとともに発展する本県が目指
すべき方向性ではないだろうか。
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ハラル認証は取得してはいないが、ムスリム向けに配慮した製品やサービス
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