平成 26 年度大学連携による新たな教育プログラム開発・実施

平成 26 年度大学連携による新たな教育プログラム開発・実施事業(広島県補助事業)
「国際経営における人材の育成と備後企業の取り組み」
海外研修(ベトナム)レポート
12 月 13 日(土)
ベトナム入国
12 月 13 日(土)から 12 月 18 日(木)まで、平成 26 年度大学連携による新たな教育プログラム開発・
実施事業の海外研修をベトナムで実施した。参加者は、連携大学の学生 26 名、連携大学引率教員 4
名の総勢 30 名である。福山駅を 5 時 20 分にリムジンバスで出発し、松永駅および MATE 栗原店(尾
道)経由で参加者を拾った。MATE 栗原店前には昨年参加された藤原さんが見送りに来られていた。
広島空港では雪が降っていたが、積もってはいなかった。予定時刻の 7 時には広島空港で全員が揃
った。
搭乗手続きに入る前に結団式を行った。結団式に際して、代表校の福山大学尾田教授から、本海
外研修の趣旨および要望が以下のとおり述べられた。すなわち、広島県東部 4 大学が連携して経営
の国際化の理論および備後企業の取り組みに関する 15 コマの講義を実施した後に、実際に海外研
修を通して講義内容に対する理解を深める点にあること、本研修が広島県のグローバル人材育成事
業の一環であること、研修成果をより効果的にするために各自の取組テーマを明確化しておくこと、
全員が無事に帰国するため一人一人が団体活動の心構えに則り行動するようにということである。
その後、参加者全員が自己紹介を行い、研修の抱負を述べて、結団式を終えた。
台湾での乗り継ぎを経て、18 時にベトナム・ホーチ
ミンへ到着した。ベトナム時間は日本と 2 時間の時差
がある。現地ガイドはフクさんという男性である。バ
スに乗りレストランに向かうと、バイクの多さに圧倒
される。交差点ではバイクの流れが渦のように見える。
たくさんのバイクが車の間を縫うように走るため、日
本人には危険に感じられるが、研修中に事故を目撃し
たことはなかった。ガイドのフクさんの説明によれば、
ヘルメット着用および 3 人乗り以上の禁止ということ
が義務付けられているそうであるが、3 人、4 人乗りが
当たり前のように見られた。
バス内では日本円からベトナム通貨のドンへ両替した。ドンは大変な通貨である。第一に単位が
大きすぎることである。ベトナム通貨のドンはインフレ通貨で、100 円は約 20000 ドンという単位
の大きさである。第二に硬貨は無く、50 万ドンから各種の紙幣があり、その種類の多さだけでも慣
れるには時間がかかる。第三に使い残したドンを日本に持ち帰っても両替することが出来ないため
に、現地で使い切るしかないという状況である。学生はこのような体験を、身を持ってするだけで
も有意義であると言える。
レストランでの食事には、各自が飲み物を注文し、レストランを出る前に清算をするのが慣習で
ある。総勢 30 名であるから、この注文と支払をするだけでもかなりの時間を要する。これはベト
ナムを旅行するコストと割り切るべきことである。
12 月 14 日(日)
文化研修(クチ地下トンネル・ホーチミン市内)
クチはホーチミン市から北西方 60 キロに位置する地域の地名である。ベトナム戦争当時のクチ
では、圧倒的な兵器力格差のあるアメリカに対して、ベトナム人がトンネルを掘り、それを利用す
ることで神出鬼没のゲリラ戦を挑んだのである。したがって、クチはベトナム戦争時における激戦
地帯であり、米軍により枯葉剤が散布された地域でもあるが、現在は除染されて可住となっている。
実際のトンネルを見る前に、当時の戦争フィルム映像の資料を見た。そこではトンネルが地下三層
に掘られ縦横無尽に利用されていた様子が分かる。その後、ジャングルの中でトンネルに入り、内
部がどのような状況であるかを体験することができる。ただし内部は狭くて、しかも暗いためにき
つい体験である。
トンネルから出ると、蒸かしたタロイモと竹のお茶が振る舞われた。素朴な味である。その他に、
トンネル内での生活が紹介され、米汁を薄く伸ばしてライスペーパーを実際に作って見せていた。
クチのトンネル視察を終えて、ホーチミン市へと帰り、午
後は市内視察を行った。サイゴン大聖堂、中央郵便局、ベ
ンタイン市場の次にドンコイ通りを見学した。ドンコイ通
りはサイゴン川の近くにある高級な店舗が並ぶ繁華街であ
る。ベトナムは旧フランス植民地であったため、ホーチミ
ン市内には当時に建設された建物が残っている。サイゴン
大聖堂およびその隣にある中央郵便局もそうした建築の一
つである。その後に行ったベンタイン市場は、建物の内部
に多数の店舗が入っている庶民的な市場であるが、治安面
の悪さも強調されている。自由時間を取り買い物をしたが、
何事もなく視察することが出来た。後日、同市場での値段
交渉は提示額の 1/3 から始めるとよいというアドバイスを
受けた。
12 月 15 日(月)
現地研修(Wonderful Saigon Electrics・佐藤産業株式会社)
株式会社サンエスのベトナム電子工場は、携帯電話のカメラ部分を製造する工場であり、ここで、
基盤にワイヤーを張るなどの数工程の加工を行っている。この工場で最も重要な点は、作業現場の
ホコリを除去することである。人体もホコリを発散するため、現地の作業員が防塵服を着用して作
業している様子を見学した。WSE(Wonderful Saigon Electrics)の社名の由来であるが、ワンダフ
ルは社長が海外子会社に付けることを要望されたそうである。次のサイゴンは現ホーチミン市の旧
名である。Electrics について、本当は Electronics の間違いであったが、気付いた時には後の祭
りだったため、そのまま使われ続けているとお聞きした。
本 工 場 は 、 ホ ー チ ミ ン か ら 約 30 キ ロ 北 方 の ビ ン ズ オ ン に あ る VSIP(Vietnam Singapore
Industrial Park)内にある。VSIP はベトナムとシンガポール両政府出資により作られた工業団地で
ある。ビンズオンには、イオン 2 号店が 11 月にオープンし、日本人が住みやすい環境になりつつ
あるそうで、現在 60 名ほどの日本人コミュニティーがあるということである。自然発生的に異業
種交流会が形成され、それが個別の進出企業にとって大きく効果的に作用しているのではないかと
感じた。
午後からは、同じくビンズオンの佐藤産業株式会社を訪問した。近江商人の売り手よし、買い手
よし、世間よしの「三方よし」から、従業員の墓が会社内にあるということに感銘を受けられた社
長が、従業員よしを追加され、
「四方よし」を実践されている企業である。ゴムの木は 5 年目から
樹液が 20 年間採取でき、その後は伐採され廃棄されていたそうであるが、その伐採されたゴムの
木を家具製造に利用されているそうである。東南アジアの住居は壁から水が出て来るので、家具の
背後などに防水の工夫が必要であるという説明が行われた。同社は 25 歳の女性がターゲットであ
り、このニッチ市場を攻めているそうである。日本国内へはニトリ、島忠などへ卸しているが、通
販にも注力されているとのことである。タイには販売支店があり、ビルの内装にも進出され、アセ
アン市場全体への展開を戦略的に行う体制を構築中である。
12 月 16 日(火)
現地研修(JETRO・AGS・WSG・イオンモールタンフーセラドン)
日本貿易振興機構 JETRO では、ベトナムという国およびその経済の概況について説明をお聞きし
た。面積、人口、経済規模を北部・中部・南部の三分割で説明する資料に基づきブリーフィングを
受けた。ベトナム経済の問題点の一つがインフレであり、ドルや金への資本逃避があることである。
価値が低下し続けた結果、現状のように通貨単位が大きくなっているという。2011 年にはインフレ
抑制政策へと舵を切る大きなマクロ政策の転換が行われたという紹介があった。
ベトナム進出をサポートする AGS(株)によるブリーフィングでは、脇村美緒さんと 3 名のベト
ナム人女性に来て頂き、ベトナム、海外で働くこと等の紹介をして頂いた。ベトナムは親日的であ
り、日本人というだけで尊敬の対象となること、ベトナム人の手先は器用、勤勉、平均年齢が 28
歳と若いこと、ネット好きでクリスマスの飾り付けのところで記念写真を撮るのが娯楽であること、
拝金主義であること等、興味深い紹介をしてもらった。また、海外で働くことでは、あり得ないト
ラブルが日常茶飯事であり、何でも屋になる必要があることなどが説明された。
WSG(Wonderful Saigon Garment)は丸紅と株式会社サンエスの合弁会社である。丸紅から西田社
長が来られて経営されている。ベトナム政府が決める賃金上昇が 20~30%である。日本人が駐在す
ると 1 ケ月に 100 万円かかる。このお金でベトナム人を雇用すると現在は 30 人雇用できるという
ことである。したがって、ベトナム人で全てを回せるようにまで追求したのがこの工場である。日
本人は社長を含めて 2 名だけである。操業を維持するには、経費を如何に削減して生産高を高める
かということに尽きるということを強調されていた。生産目標を年間 60 万枚から 70 万枚へとプラ
ス 10 万枚の数値目標を設定されているそうである。
その後訪問したイオンのベトナム 1 号店は、2014 年 1 月にタンフーセラドンにオープンした郊外
型のショッピングモールである。今年の 11 月 1 日には 2 号店がホーチミン市中心部から北へ約 15km
離れたビンズオンにオープンした。我々が視察したのは 1 号店である。モール内には日本と変わら
ない品揃えの商店が多く入っていた。
12 月 17 日(水)
現地研修(JICA・振り返り・ムトー精工・テーブルスピーチ)
国際協力機構 JICA による政府開発援助 ODA をベトナムに対して実施している内容を紹介して頂
いた。交通インフラ整備事業、技術協力、有償資金協力と無償資金協力の考え方、法制度整備等の
ガバナンス強化、上下水道整備事業等への取り組みなどに関して説明を受けた。ブリーフィングの
後は活発な質疑応答が行われた。
振り返りとして、スモール・グループ・ディスカッション(SGD)を行った。①グローバル人材
に必要な条件とは何か、②自分の学んだ事の 2 つを議論して、その後報告した。①については、
「失
敗を恐れず挑戦できる人」という報告があり、これに対して「失敗はあるものだが、小さな失敗を
調整して大失敗とならないように軌道修正することが重要、実施する前に情報収集と分析から段取
りを付けて、見通しをよくして自信が持てるように十分な準備が必要である」と教員のコメントが
あった。②に関しては、「飛び込めばなんとかなる」という報告があり、これに対して教員の学びと
して「国内ではできない海外体験の重要性、特にトラブルから学びその教訓を活かすこと、海外へ
トライすることが重要、複数の教員がいるので気づきがあったこと、学生の質問が積極的に行われ
ており成長を実感している」点が述べられた。教員間で SGD は有益であったという感想があった。
ムトー精工株式会社は岐阜の金型製作企業である。ホーチミンから約 40 キロ北東のビエンホア
にある。2 つの工場に案内され、作業工程の説明を受けた。主にタブレット端末用のタッチペン作
成を詳しく解説してもらった。学生の感想として、普段何気なく使用する物がこのように複雑な構
造をしていることは想像できなかったということである。工場見学の後、質疑応答が行われたが、
学生の積極的な質問に社長以下驚かれていた。
ベトナム最後の夜の食事では、参加者全員のテーブルスピーチが行われ盛り上がった。市内の中
心部ではクリスマスのイルミネーションが点灯され、華やかな光景を見せていた。
12 月 18 日(木)
帰国・解散式
台湾で乗り継ぎ、一路広島空港へ向かう。西日本で降雪を伴う悪天候という予報が出ていたので
心配したが、無事に広島空港に到着した。広島空港で解散式を行った。代表校の福山大学尾田教授
から、参加者が集団行動を自覚して行動したために、全員無事に帰国できたことに対して労がねぎ
らわれた。その後、本研修に関するアンケート内容が紹介された。
第一に、研修目的については、次のような内容が多かった。「海外がどのようなところか、実際
に自分の身をもって体験すること。海外に対して抵抗があり、言葉の壁や、スリ、病気など怖いと
ころだと思っていた。しかしグローバル化が進む中で、まずは一度行くだけ行って、外の世界を見
てくることを目的とした。また、15 回の講義で学んだことを実際に海外進出している企業を訪問し
て確認することである」
第二に、日本とベトナムとの違いについては、
「とても大らかで人生を楽しみ続けているベトナ
ム人と、毎日何かしらに追われ続け、狭い生活をしているような日本人。貧しくても人生を楽しむ
方法はいくらでもある。日本はとても理路整然としていて、清潔でルールをきちんと守る国。ベト
ナムは全てにおいてエネルギッシュな国。衛生面で見苦しい面もあるけれど、そういったところも
含めてアジアだなと実感した。日本人であることの誇りを改めて持つことができた」
第三に、海外研修全体への感想については、
「WSG を視察した時、正直それまで、海外にいる、グ
ローバルという実感が湧いてこなかったが、とても大きな部屋に沢山のミシンとミシン工がいて、
とてもうるさい中、黙々と作業している様子を見て、今、自分達が着ている服、使っている筆記用
具、カメラ、全てこういう人たちが作っているのだと気付いた。日本で講義を受けているだけでは、
真の意味でグローバル化を理解できなかっただろう。それを学生の内に気付けたことはとても大き
いと思う。久しぶりに、人生レベルでの衝撃を受けた」
解散式は最後に、連携大学の引率教員への感謝および同行してお世話になった JTB 添乗員さんへ
の感謝の拍手をもって終了した。
グローバル人材が一朝一夕に育成できるということはないであろう。現地で働く日本人の方々に
質問して受けた回答、およびベトナムと日本に対する様々な気付きがあり、このような海外体験を
通し、思考が変化し理解が深まるというプロセスを経て、徐々にグローバル人材としての資質が形
成されるということではないだろうか。