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日本統計学会誌
第 44 巻, 第 1 号, 2014 年 9 月
75 頁 ∼ 95 頁
特 集
日本におけるフィリップス曲線モデルの構造変化と
将来予測の安定性について
山本 庸平∗
On Structural Change and Forecasting Performance Stability of Japanese
Phillips Curve Models
Yohei Yamamoto∗
本稿では,日本におけるフィリップス曲線モデルの構造変化とそれを用いたインフレ率の将来
予測の安定性につき統計的分析を行った.日本のインフレ率のデータは 1970 年代以降 2013 年
までに 3 回の平均変化を経験しており,それらの平均変化の影響を外生的なものとして扱うと,
失業率あるいは産出ギャップを用いた線形フィリップス曲線の傾きの係数には有意に構造変化が
認められない場合が多かった.しかしながら,人々のインフレ率に対する期待を合理的期待形成
の仮定に基づいて取り込むと,フィリップス曲線モデルの係数にはより多くの場合に構造変化が
みられた.また,将来においてもこのような平均変化が外生的に発生する可能性を考慮すると,
例えば 1982 年以降のようにインフレ率やフィリップス曲線が安定していた期間のデータのみで
計測したモデルを用いた将来予測の精度は,推定期間におけるモデルのあてはまりに比べて有意
に悪化する所謂「予測の悪化」が起こりうることも示唆された.
This paper statistically investigates structural change in the Japanese Phillips curve models
and their forecasting performance stability. I find that there are three significant mean shifts
in Japanese inflation data from 1970 to 2013. By considering them as exogenous effects, I did
not find significant structural change in the Phillips curve slope coefficients in most cases of
various real economic activity measures. However, if the model includes inflation expectation
in the manner of rational expectation, the coefficients are found to be less stable. I also find
evidence of so-called forecast beakdown in inflation forecasts if I use the Phillips curve model
estimated by the data after 1982 in which the coefficients are deemed to be stable, together
with inflation data with the mean shifts to account for possible exogenous mean shifts in the
future.
キーワード: 複数構造変化,予測の悪化,フィリップス曲線
1.
はじめに
本稿の目的は二つある.一つめは,標準的なインフレ率のモデルであるフィリップス
曲線 (Phillips (1958)) のバリエーションを日本のマクロ経済データを用いて推定する際の
∗
一橋大学大学院経済学研究科:〒 186-8601 東京都国立市中 2-1 (E-mail: [email protected]).
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モデル・パラメータの構造変化を分析する.二つめは,かかる構造変化を踏まえて推定し
たモデルを用いて,将来のインフレ率を予測する際の精度の安定性について統計的検証を
行う.具体的には,計量経済学におけるパラメータの構造変化や将来予測の安定性分析の
最近の成果である Bai and Perron (1998, 2003) および Giacomini and Rossi (2009) の手
法を適用する.前者は線形モデルにおいて係数の複数構造変化を推定および検定する手法
を提案しているが,後述のように,数多ある構造変化検定の中でこの手法を用いる利点は,
単にパラメータの構造変化の有無を検定するのみならず,複数の変化点を一致性をもって
推定できることにある.一方,後者は個別の係数についてではなく,あるモデルを用いた
将来予測の精度が過去のデータを用いた推定のあてはまりに比べて安定的か否かを検定す
る手法を提案している.
そのために,まず 1963 年第 4 四半期から 2013 年第 3 四半期までの GDP デフレータお
よび 1970 年第 1 四半期から 2013 年第 3 四半期までの消費者物価指数を用いたインフレ率
データの統計的母数である平均,分散および自己回帰係数における変化の有無を調べたう
えで,インフレ率と実質経済活動の間に短期的な正の関係があるとするフィリップス曲線
のモデルを取り上げる.よく知られるように,このような長期データを扱う際には時間を
通じたパラメータの安定性は統計的推論を用いた経済分析に極めて大きな影響を及ぼす.
さらに,かかる分析を行う上で用いる時系列データの平均やトレンドに大きな外生的変化
が存在する場合,そのようなデータを用いて行う統計的推論は歪んだものになることが懸
念される.例えば,用いるデータの平均が変化していることで自己回帰係数の推定量に上
方バイアスや構造変化が生じたり,2 つの変数に外生的なトレンドがそれぞれ存在するため
にこれらの間に見せかけの相関が生じることなどが主な例である.このため,用いるデー
タの平均や分散の変化を考慮しつつ,上記の 2 つの分析を行う.
主要先進国では 1980 年代以降今日まで,またかつて高いインフレ率に悩まされた南米や
東欧の国々も含めても 1990 年代以降は共通して低インフレ率の時代を経験している.こ
のような状況の下で,インフレ率と実体経済の関係,あるいは経済変数を用いたインフレ
率の予測がどの程度有効なのかは,日本のみならず世界的に重要な問題であるといえよう.
例えば,Cecchetti and Debelle (2006) は先進 17 カ国の 1980 年代以降のインフレ率データ
を分析した結果,多くの国で複数の平均変化が起こっており,それらを考慮すると,インフ
レ率データの自己回帰係数は考慮しない場合に比べて遥かに小さな値になることを指摘し
ている.また,米国のインフレ率動学の安定性を検証した論文は数多いが,例えば Stock
and Watson (2007) やインフレ率を含む金融政策ベクトル自己回帰モデルの安定性を検証
した Cogley and Sargent (2005) を含む多くの研究では,平均の変化に加えて,1980 年代
半ば以降インフレ率の分散の低下が顕著にみられることを指摘している.欧州においては,
1980 年代初頭から半ばにかけてインフレ率の平均の低下およびフィリップス曲線の傾き低
フィリップス曲線の構造変化
77
下(平坦化)が起こっていることが Musso et al. (2009) 等により指摘されている.日本に
おけるフィリップス曲線の推定や安定性の検証はこれまでにもマクロ経済モデルの実証分
析の文脈を中心に数多く行われており1) ,本稿ではそれらの先行研究を踏まえた上で,より
統計的分析に焦点をあてる.
本分析の結果,日本のインフレ率には 1970 年代半ば,1980 年代初頭,1990 年代半ばに
3 回の平均の低下が認められた.また,誘導形のフィリップス曲線モデルを用いる限り,傾
きの構造変化は統計的には有意とならないケースが多かった.しかしながら,合理的期待
形成という形で人々のインフレ期待を取り込んだモデルに拡張すると,より頻繁にモデル
の係数に構造変化がみられる可能性があることも示唆された.最後に,インフレ率に平均
の変化が外生的に発生する状況では,過去の安定的な期間のデータを用いて推定されたモ
デルのあてはまりがよかったとしても,将来予測にそのまま外挿することで精度が有意に
悪化する所謂「予測の悪化 (forecast breakdown)」が起こりうることも示唆された.
本稿の構成は次のようである.第 2 節では Bai and Perron (1998, 2003) による複数構造
変化の分析手法と Giacomini and Rossi (2009) による将来予測の安定性についての検定手
法を纏める.第 3 節では使用するデータとモデルを説明する.第 4 節は構造変化の検定と
将来予測の安定性の検定結果を説明する.第 5 節は結論である.
検定統計量
2.
2.1
複数構造変化検定
モデル・パラメータの構造変化を推論する手法は,計量経済学の理論および実証分析に
おいて古くから最も注目されてきた分野の一つである2) .その発展経緯の中で,Quandt
(1958, 1960) は,変化の時点をあらかじめ特定することなく構造変化の有無を検定するた
めの SupF 検定統計量を提案した.Bai and Perron (1998, 2003) はこれを発展させ,構造
変化の回数も時点も未知である対立仮説に対する検定法を提示した.
第 t 期の観測データ(t = 1, . . . , T )を yt および xt(q × 1 ベクトル)
,誤差項を ut とす
ると,構造変化が t = T1 , . . . , Tm に m 回ある線形回帰モデルは行列表記を用いて,

 

 

y1
X1
0
β1
u1

 

 

 ..  
  ..   .. 
..
(2.1)
 . =
 .  +  . ,
.

 

 

ym+1
0
Xm+1
βm+1
um+1
と表すことができる(T0 = 1 かつ Tm+1 = T とする).ここで,yj = [yTj−1 +1 , . . . , yTj ],
¯ = diag(X1 , . . . , Xm+1 ),
Xj = [xTj−1 +1 , . . . , xTj ],uj = [uTj−1 +1 , . . . , uTj ] である.また,X
1)
2)
例えば,福田・慶田 (2001),敦賀・武藤 (2008),De Veirman (2009) などを参照した.
Perron (2006) は構造変化検定の発展の経緯と最近の理論的な研究の進捗を纏めている.
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0
¯ + u と表すことができる3) .
δ = [β10 , . . . , βm+1
]0 とすると,(2.1)は y = Xδ
Bai and Perron (1998, 2003) の主要な結果は次の二つにまとめることができる.一つめ
は,構造変化の数 m を所与とした場合の変化点 (T1 , . . . , Tm ) の推定に関するものである.
T 個ある標本を 1 < T1 < · · · < Tm < T で分けられる m + 1 個のレジーム毎に計算した最
小二乗法による残差二乗和を ST (T1 , . . . , Tm ) とする4) と,構造変化点の推定量,
(Tˆ1 , . . . , Tˆm ) = arg min ST (T1 , . . . , Tm ),
T1 ,...,Tm
(2.2)
の標本数 T に対する割合 (Tˆ1 /T, . . . , Tˆm /T ) が,標準的な仮定のもとで真の値の一致推定
量となることを示し,変化点の信頼区間を計算するための漸近分布を導出した.
二つめは,構造変化の有無および回数の検定である.まず,構造変化の有無を検定する
ために,対立仮説に未知の回数(最大で M 回)の変化を想定する UDmax 検定統計量を提
案した.UDmax 検定は,実際に複数の変化がある場合に,一回の変化を対立仮説とする
SupF 検定より高い検出力がもたらされる可能性が高い.UDmax 検定統計量は,次のよう
に定義される.
UDmaxM,q = max
sup
1≤m≤M (λ1 ,...,λm )∈Λ
FT (λ1 , . . . , λm ; q).
(2.3)
なお,構造変化点がデータ期間の端点になったり複数の変化点が近接すると検定に用いる
係数の推定が不正確になるため,変化点は例えば = 0.1 などの値を取るトリミング・パラ
メータ > 0 に対して Λ = {(λ1 , . . . , λm ); |λj+1 − λj | ≥ , λ1 ≥ , λm ≤ 1 − } で定義さ
れる集合の中で考察される.FT (λ1 , . . . , λm ; q) は,(T1 , . . . , Tm ) = ([λ1 T ], . . . , [λm T ]) を
変化点とする構造変化を検定する次の F 検定統計量である.
{
}
)
(
ˆ 0 H(X
¯ 0 X)
¯ −1 H 0 −1 H δˆ
T − (m + 1)q (H δ)
.
FT (λ1 , . . . , λm ; q) =
mq
ST (T1 , . . . , Tm )
(2.4)
ただし,H は Hδ = [(β1 − β2 )0 , . . . , (βm − βm+1 )0 ]0 であるような mq × (m + 1)q の制約行
列,δˆ は δ の最小二乗推定量である.
さらに,構造変化の回数を検定により特定するために,帰無仮説を l 回の変化,対立仮
説を l + 1 回の変化とした以下の逐次検定統計量 SupFT (l + 1|l) を提案した5) .
SupFT (l + 1|l)
3)
4)
5)
このモデルに標準的な係数の線形制約行列である R を用いた Rδ = 0 を加えることで,係数のうち幾つかに
は構造変化がないというモデルを取り扱うことができる (Perron and Qu (2006)).
実際に m 個の変化点の全ての可能な組み合わせにつき計算すると膨大な時間がかかるため,ST (T1 , . . . , Tm )
の計算には Bai and Perron (2003) で説明されるダイナミック・プログラミングに基づく最適化の手法を用
いている.
l = 0 の場合は,SupF 検定に一致する.
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フィリップス曲線の構造変化
{
= ST (Tˆ1 , . . . , Tˆl ) − min
}/
ˆ
ˆ
ˆ
ˆ
inf ST (T1 , . . . , Tj−1 , η, Tj , . . . , Tl )
σ
ˆ2
1≤j≤l+1 τ ∈Λj,
(2.5)
なお,ST (Tˆ1 , . . . , Tˆj−1 , τ, Tˆj , . . . , Tˆl ) は Tˆj−1 + 1 を左端,Tˆj を右端とするレジームの中に
新たな構造変化点 η を加えて計算された残差二乗和を表す.この残差二乗和は j = 1 であ
れば ST (η, Tˆ1 , . . . , Tˆl ) を,j = l + 1 であれば ST (Tˆ1 , . . . , Tˆl , η) を表すものとする.また,
{
}
Λj, は > 0 に対して Λj, = η; Tˆj−1 + (Tˆj − Tˆj−1 ) ≤ η ≤ Tˆj − (Tˆj − Tˆj−1 ) で定義さ
れる集合であり,σ
ˆ 2 は σ 2 の一致推定量である.逐次検定を用いて構造変化の回数を決め
るには,0 回対 1 回の仮説検定からスタートし,帰無仮説が棄却されれば次は 1 回対 2 回
の検定を行うというように順次検定を行っていき,l 回対 l + 1 回ではじめて棄却されなく
なったとき,l を構造変化の回数であるとする6) .
2.2
「予測の悪化」検定
かかるモデルを推定し,被説明変数 y についての将来予測を行うと考える.この場合,
将来においてモデル・パラメータに構造変化があるのであれば,モデルを推定した際のあ
てはまりに比べ,将来予測の精度は大きく悪化すると懸念される.しかしながら,もし構
造変化が無いとしても,そのモデルの中に予測に寄与しない説明変数(予測因子)が多く
用いられている場合,過去のデータを用いて推定した場合のモデルのあてはまりが良好で
あっても,将来における予測の精度は著しく悪化する.また,モデルの関数形そのものが
不安定である場合,個別パラメータの構造変化が有意でなくとも,予測精度は悪化する可
能性がある.また,パラメータに構造変化があったとしてもその程度が小さければ将来予
測の精度は安定的である可能性も否定できない.
このように,あるモデルが過去のデータを用いた推定では良好なあてはまりを示すもの
の,それを用いて行った将来予測が大きく悪化する問題は「予測の悪化」と呼ばれ,モデ
ルの構造変化とは相互に関連しているものの,独立した問題として取り扱うことができる.
Giacomini and Rossi (2009) は,実際にこの問題を疑似外挿期間の手法 (pseudo out-ofsample procedure) を用いて検定する手法を提案した.疑似外挿期間の手法とは,利用可能
なデータ期間を計測期間(in-sample:n0 期間)と外挿期間(out-of-sample:n1 期間)に
分けることで疑似的な「将来」を作り出し,あるモデルの将来予測の精度を評価する手法
である7) .いま,第 t 期における τ 期先の実現値を予測する次の線形モデルを考える.
yt+τ = x0t β + ut+τ .
(2.6)
6)
本稿では詳しく取り上げないものの,構造変化の回数を情報量基準を用いて選択する手法もある.Kurozumi
and Tuvaandorj (2011) は,これまでに提案された情報量規準にバイアス修正を行うことにより,その性質
を大幅に改善できることを示している.
7)
τ 期先の将来を予測する場合は,T = n0 + n1 + τ − 1 が成立する.
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日本統計学会誌 第44巻 第1号 2014
まず,(2.6) を利用可能なデータ期間 T のうち計測期間を用いて推定し,次に推定された
モデルと第 t 期以前の xt を用いて第 t + τ 期の y の予測値を計算する(これを yˆt+τ とす
る)
.次に,第 t + τ 期における予測精度を評価するために,実際に実現された yt+τ と予測
値 yˆt+τ を用いて損失(例えば 2 次の損失関数であれば Lt+τ = (yt+τ − yˆt+τ )2 )を計算をす
る.なお,損失は第 t + τ 期が計測期間に含まれていても外挿期間に含まれていても計算
をすることができる.
Giacomini and Rossi (2009) の「予測の悪化」検定 (forecast breakdown test) は,外挿期間
で計算された損失 (out–of-sample loss)の平均が,計測期間で計算された損失 (in-sample loss)
の平均と等しいことを検定するものである.具体的には,外挿期間の損失のうち計測期間の
∑n0 −τ
T −τ
Ls+τ
損失の平均値から逸脱する部分を「サプライズ損失」{SLt+τ }t=n0 = Lt+τ − n01−τ s=1
と定義したうえで,所与の n0 について以下の検定統計量を用いる.
(
)/
−1/2 ∑T −τ
GRn0 = n1
σ
ˆ.
t=n0 SLt+τ
ここで,σ
ˆ はサプライズ損失の標本平均の標準誤差である.この検定統計量は,予測の精
度が安定的であるという帰無仮説
(
)
∑T −τ
H0 : E n−1
SL
t+τ = 0,
1
t=n0
の下で漸近的に標準正規分布に従う.
なお,第 t + τ 期の損失 Lt+τ を計算する際の計測期間の設定方法は,t の値にかかわら
ず 1 ≤ t ≤ n0 のデータで推定したモデルを用いて予測を行う「固定手法 (fixed scheme)」,
第 t + τ 期の予測には第 t − n0 + 1 期から第 t 期までのデータで推定したモデルを用いる
「移動手法 (rolling scheme)」
,また t + τ 期の予測には第 1 期から第 t 期までのデータで推
定したモデルを用いる「逐次手法 (recursive scheme)」が代表的である.理論的には,それ
らのいずれの手法を用いてもこの検定統計量の漸近的な帰無分布は同一である.しかしな
がら,対立仮説の下ではこのような手法の違いや計測期間の長さ n0 の選択を変えることに
より,検定統計量の棄却力に影響を及ぼす可能性は否定できないため,疑似外挿期間の方
法を変えた場合に検定結果が異なる場合,結果は幅を持って解釈する必要があろう.
データとモデル
3.
3.1
データ
インフレ率のデータは GDP デフレータおよび消費者物価指数(全国,生鮮食品除く:
CPI)の対前期比上昇率を年率換算したものを用いる.GDP デフレータは 1963 年第 4 四
半期から,CPI は 1970 年第 1 四半期からそれぞれ 2013 年第 3 四半期までの長期系列を用
フィリップス曲線の構造変化
81
(季節調整済対前期比年率)
図1
日本のインフレ率の推移.
いる8) .図 1 は GDP デフレータと CPI でみたインフレ率を示したものであり,データ期
間を通じて両系列ともに平均や分散が大きく変化している様子がみてとれる.
このようにデータに低周期での大きな平均や分散の変化がある場合,よく知られるよう
にそれらを用いた統計的推論は歪んだものになる懸念がある.そこで,まずインフレ率の
平均について構造変化を検定した結果が表 1 である.モデルは,インフレ率 πt を定数項の
みに回帰する
πt = µ + ut ,
(3.1)
で ut は平均ゼロの誤差項であるとする.上述の複数構造変化検定を用いて µ の変化を検定
した結果,GDP デフレータおよび CPI のいずれも UDmax 検定は 1%水準で有意であり,
平均 µ に構造変化があることが強く示唆された.さらに構造変化の回数をみるために逐次
検定を行うと,いずれの系列も SupF(3|2) まで 1%水準で有意であるものの、SupF(4|3) 検
定では帰無仮説は棄却されなかった.つまり,この期間の日本の GDP デフレータと CPI
上昇率には三回の平均の構造変化を考慮することが望ましいことがわかる.次に,それら
の構造変化点を推定すると,一回めの変化はいずれも 1970 年代半ば(GDP デフレータは
1974 年第 1 四半期,CPI は 1977 年第 2 四半期) で,第一次石油危機後の原油価格沈静化
8)
GDP デフレータについては,1979 年第 4 四半期までは 1990 年基準のインプリシット・デフレータを用い,
1980 年第 1 四半期以降は公表系列を用いる.公表系列については 1994 年第 1 四半期までは 2000 年基準,
それ以降は 2005 年基準を用いる.CPI については,季節調整済系列は 1994 年 1 月までしか遡及して公表
されていないため,原系列を X-12ARIMA を用いて季節調整を行い,各 3 ヶ月の指数を平均したものを四半
期系列とした.
82
日本統計学会誌 第44巻 第1号 2014
表1
表2
インフレ率平均の構造変化検定.
インフレ率の分散の構造変化検定.
に伴うものと考えられる.二回めの変化は 1980 年代初頭(GDP デフレータは 1980 年第
4 四半期,CPI は 1981 年第 4 四半期)であり,第二次石油危機後の収束に加えてその後の
1980 年代を通じて円高による輸入品の値下がりを経験した時期にあたる.三回めの変化は
1990 年代の半ば(GDP デフレータは 1994 年第 2 四半期,CPI は 1993 年第 3 四半期)に推
定される.この 1990 年代の一段のインフレ率低下については多くの議論があるものの,外
生要因としては一段の円高に加え国内における流通合理化や情報関連の技術進歩といった
ものが考えられよう.なお,一回めの変化点の 90% 信頼区間はいずれも 70 年代に収まっ
ており比較的正確に推定されているといえる.これに対して三回めの変化点は 90 年代半ば
に点推定されているものの,90%信頼区間をみると GDP デフレータを用いた場合は 1990
年代全てを包含しており,CPI を用いた場合はさらに広いため,1990 年代半ばに推定され
た三回めの構造変化の時期については幅をもって特定する必要があろう.
次に,インフレ率の分散に構造変化があるかを次の簡単な手法によりみてみる.まず,上
83
フィリップス曲線の構造変化
表3
インフレ率の自己回帰係数の構造変化検定.
表4
インフレ率データの基本統計量.
で推定された時点における平均の変化を考慮するために,レジーム毎に 1 をとる定数項ダ
ミー(Djt は第 j レジームで 1 をそれ以外では 0 を取るダミー変数)を含んだ回帰式
πt = µ1 D1t + µ2 D2t + µ3 D3t + µ4 D4t + ut ,
(3.2)
を用いて,最小二乗残差を計算する.次に、残差を 2 乗した系列の平均についての構造変
化を複数構造変化の手法を用いて検定した結果が表 2 である.これをみると,いずれの系
列においても 1970 年代半ばにおける平均変化とほぼ同じ時期に有意な構造変化が認められ
た.つまり,第 1 レジームから第 2 レジームは,平均と分散の両方の低下が起こっており,
第 2 レジーム以降今日まではインフレ率の分散は安定的に推移しているとみられる.最後
に,インフレ率の一階の自己回帰(AR1) 係数の構造変化を確認するために,平均の調整を
行うモデル
πt = µ1 D1t + µ2 D2t + µ3 D3t + µ4 D4t + απt−1 + ut ,
(3.3)
で α についての構造変化を検定したところ,表 3 のように構造変化検定は全てにおいて
10%水準でも有意ではなく,変化は認められなかった9) .
9)
なお,それぞれの検定を行うにあたり,誤差項の分散がレジーム毎に異なることを許容した標準誤差を用い
ている.
84
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図2
完全失業率(水準)の推移.
表 4 は,以上で推定された構造変化を考慮して計算したインフレ率データの母数である
標本平均と標本分散,また最小二乗推定による一階の自己回帰係数推定値をまとめたもの
である.インフレ率の標本平均は第 1 レジーム(1970 年代半ば以前)では年率 8∼10%の
高い値であったものの,1970 年代半ばから 1980 年代初頭までの第 2 レジームでは 5%前
後となり,1980 年代初頭からの第 3 レジームでは 1%代の低インフレ率となった.さらに,
1990 年代半ば以降の第 4 レジームでは CPI でみるとほぼゼロ,GDP デフレータでみると
マイナスとなっている.次に,標本分散をみると 1970 年代半ば以降の平均の第 1 レジーム
の後に大きく低下したことがわかる.しかしながら,1980 年代半ば以降にインフレ率の分
散が大きく低下した米国とは異なり,日本のインフレ率の分散は 1970 年代半ば以降は安定
的に推移している.また,自己回帰係数をみると概ね 0.5 から 0.6 の値を取っている.
3.2
線形フィリップス曲線モデル
次に,線形フィリップス曲線のモデルを考える.出発点は誘導形モデル,
πt = µ + απt−1 + βxt + ut ,
(3.4)
を用いて,実質経済活動の指標である xt の係数 β における構造変化を検定する10) .実質
経済活動の指標にどのような代理変数を用いるかは幅広い議論の対象であるものの,ここ
では完全失業率(水準あるいは階差)あるいは産出ギャップを用いた場合を考察する.完
全失業率の推移は図 2(水準)および図 3(変化)に示されている.産出ギャップについて
は,簡略のため実質 GDP(対数値)から Hodrick and Prescott (1997) フィルターにより
10)
実際には,このモデルに過去 n 期のインフレ率の差分を含んだモデル
P
πt = µ + απt−1 + n
k=1 ψk ∆πt−k + βxt + ut ,
が用いられることが多い.例えば,O’Reilly and Whelan (2005) を参照.
フィリップス曲線の構造変化
図3
図4
85
完全失業率(変化)の推移.
産出ギャップの推移.
トレンド成分を除いた系列(以降では HP と記載する) および Baxter and King (1999) に
よるバンド・パス・フィルターにより抽出した景気循環成分(以降では BK と記載する) を
用いた11) .両系列は図 4 に図示されている.なお,完全失業率を用いた場合,β の符号は
負になることが予想され,産出ギャップを用いた場合は正になることが予想される.
構造変化の分析に先立ち,インフレ率の平均変化が統計的推論に与える影響をみるため
に,図 5 では GDP デフレータでみたインフレ率を横軸,完全失業率(水準あるいは変化)
を縦軸にプロットしている.また,図 6 では同様に GDP デフレータでみたインフレ率を
横軸,産出ギャップを縦軸にプロットしている.いずれも,左図は平均調整を行っていな
いデータを用い,右図はインフレ率の平均が変化する各レジームにおいてインフレ率およ
び失業率あるいは産出ギャップの平均を調整した後のデータを用いている.これらをみる
11)
広く行われているように,Hodrick and Prescott フィルターのパラメータは λ = 1600 を用い,Baxter and
King フィルターは周期 ω = [π/16, π/2] を抽出した.
86
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図5
完全失業率とインフレ率.
と,総じて平均を調整しない左図ではインフレ率と失業率(産出ギャップ)に明確な右下
がり(右上がり)の関係がみられる一方で,平均を調整した右図ではそれらの関係が左図
ほど明らかではないことがわかる.このように,インフレ率の分散や自己相関係数のみな
らず,フィリップス曲線の傾き係数を推定する際にもインフレ率の平均の大きな変化があ
ることにより線形モデルの推定結果が大きく影響される懸念がある12) .このことから,本
稿では各レジームでの平均を調整した系列を用いた構造変化の検定結果を報告する.
最近の研究では,経済主体の最適化行動とより整合的な形で経済モデルを構築し,人々
の期待を合理的期待形成の仮定に基づいて取り込んだフォワード・ルッキング型と呼ばれ
るものやインフレ率の期待と過去の値を両方加えたハイブリッド型と呼ばれるフィリップ
ス曲線モデルが用いられることがある.代表的な論文である Gali and Gertler (1999) に従
12)
このように低周波成分を取り除いた変数の線形関係における構造変化を推定および検定する手法に Yamamoto
and Perron (2013) がある.
フィリップス曲線の構造変化
図6
87
産出ギャップとインフレ率.
うと,モデルは
πt = µ + απt−1 + βxt + γE(πt+1 |Ωt ) + ut ,
(3.5)
となる.ここで E(πt+1 |Ωt ) は第 t 期における第 t + 1 期の期待インフレ率であり,Ωt は第
t 期において経済主体が利用できる情報集合である.また,xt は企業の実質限界費用の代
理変数が用いられるため,本稿では先行研究にならって単位労働費用を名目 GDP で除し
た系列を用いる.なお,このように定義された期待 E(πt+1 |Ωt ) は観測不能であるため,第
t 期の期待誤差
πt+1 − E(πt+1 |Ωt ) = et+1 ,
(3.6)
は Ωt に含まれる変数とは無相関であると仮定することで,実際に実現されたインフレ率
πt+1 を第 t 期において経済主体が入手可能な経済変数に射影した代理変数を事後的に用い
て(3.5)の係数を一致性をもって推定することができる.
88
日本統計学会誌 第44巻 第1号 2014
表5
誘導形フィリップス曲線の構造変化検定.
検定結果
4.
4.1
構造変化
本節では前節で導入した線形フィリップス曲線モデルについて,傾き係数の構造変化検
定と構造変化点の推定を行う.その際に,インフレ率の母数を推定するときと同様に,先
にみた 3 回のタイミングで定数項に平均変化があることを許容した上で β の構造変化を検
定する13) .具体的には,モデル(3.4)および(3.5)に代わり,
πt = µ1 D1t + µ2 D2t + µ3 D3t + µ4 D4t µ + απt−1 + βxt + ut ,
(4.1)
および
πt = µ1 D1t + µ2 D2t + µ3 D3t + µ4 D4t µ + απt−1 + βxt + γE(πt+1 |Ωt ) + ut ,
(4.2)
を用いて,(4.1) では β における(4.2)では β および γ における構造変化を検定する14) .
ラグ項 πt−1 の係数については表 3 で平均の変化を考慮すると構造変化が認められなかった
ことから,この係数には構造変化はないものとして分析を行う.
まず,(3.4) 式の傾き係数 β の構造変化を検定した結果を表 5 に示している.実質経済活
動の指標として完全失業率(水準あるいは変化)を用いた場合をみると,平均の調整を行っ
た系列を用いた場合には SupF 検定も UDmax 検定も 10%水準で有意でなく,係数は安定
的であると考えることができる.なお,GDP デフレータに対して失業率の差分を用いた場
合,SupF(2|1) 検定は 1%水準で有意であるという結果が得られ,この係数に 1 回の構造変
13)
14)
例えば,モデル (3.4) の µ および β 対する構造変化検定を行うと,それが棄却された場合,どちらの係数に
構造変化があったのか,あるいは両方の係数に構造変化があったのかを特定化することができないため,本
稿ではこのような 2 段階での検定を行うことで β の構造変化の有無を特定する.
なお,査読者より,πt の 3 回の平均変化が xt の変化を反映したものではないかという重要な指摘を頂いた.
この点について,xt の変化による πt の変化をコントロールした上で πt の平均変化を検定したところ,構造
変化の回数と時期につき表 1 とほぼ同様の結果を得た.このことから,上述の時期におけるインフレ率の平
均変化を定数項の変化として扱うことは妥当であると考えられる.
フィリップス曲線の構造変化
表6
89
誘導形フィリップス曲線の推定結果.
化を考慮した場合より 2 回の構造変化を考慮した場合の回帰モデルのあてはまりがよいこ
とを示す.しかしながら,そもそも 1 回の構造変化を検定する SupF 検定が有意でないた
め,これだけでは構造変化の存在を示唆するものとはいえない.次に,実質経済活動の指
標に産出ギャップを用いた場合の構造変化検定の結果をみると,多くのケースで有意では
なく,フィリップス曲線の傾き係数は安定していると考えられる.より具体的には,産出
ギャップ(HP) を用いたケースでは GDP デフレータ,CPI ともに 1970 年代半ばに構造変
化がみられ,そのうち GDP デフレータでは 1980 年第 1 四半期でも変化がみられる.産出
ギャップ(BK)を用いた場合には有意な構造変化はみられない.
このように傾きの係数は概ね安定しているものの,産出ギャップ(HP)を用いると 1980
年代初頭に構造変化がみられることから,全期間および 1982 年以降のデータを用いた場合
につき係数を最小二乗法で推定した結果が表 6 である.失業率を用いた場合,水準を用い
るか差分を用いるかで β の推定値がやや異なるものの,いずれのケースにおいても有意に
負の値をとっている.また,産出ギャップ (HP あるいは BK) を用いた場合の傾き係数に
ついては計測期間を変えるとやや異なるものの,いずれも想定通り正に有意の値をとって
おり,安定的な結果が得られている.ラグ項の係数 α の推定値は CPI を用いて 1982 年以
90
日本統計学会誌 第44巻 第1号 2014
表7
ハイブリッド型フィリップス曲線の構造変化検定.
降のデータで推定した場合を除いて,いずれのケースでも有意ではなかった.
最後に,経済主体のインフレ期待を明示的に取り込んだハイブリッド型モデル(3.5)を
考察する.これまでと同様に,3 回の平均変化を定数項ダミー変数により考慮し,ラグ項
の係数 α には構造変化が無いとする.その上で,実質経済活動指標については実質限界費
用 (MC) と産出ギャップ (HP あるいは BK) を用いて係数 β および γ について構造変化の
検定を行った.なお,前節で指摘するようにこのモデルにおいては第 t + 1 期の予測誤差と
実現されたインフレ率 πt+1 は定義上相関しているため,係数そのものを推定する際には第
t + 1 期の予測誤差と相関しない第 t 期以前の経済変数を操作変数に用いることで一致性を
確保することができる.このように,操作変数を用いて推定するモデルの係数に対しても
複数構造変化検定が標準的な漸近的性質を持つことは Perron and Yamamoto (2014) で簡
潔に証明されている.しかしながら,関心が「係数そのもの」ではなく係数の「構造変化」
にある場合,敢えてこのような操作変数を使用せずに最小二乗法を用いた係数推定量を用
いて構造変化検定を行う方が,多くの場合より高い棄却力を得ることができることも示さ
れている (Perron and Yamamoto (2013)).本稿ではこの結果に基づき,敢えて最小二乗
法を用いた複数構造変化検定を行う.表 7 をみると,GDP デフレータを用いた場合,それ
ぞれのケースについて SupF 検定が 1%水準で有意となり,1970 年代半ばから 1980 年代前
半にかけて構造変化がみられることがわかる.さらに,HP フィルターを用いた場合には
逐次検定の SupF(2|1) 検定も有意となっており,1974 年第 3 四半期と 1985 年第 3 四半期
に 2 回の構造変化がみられると結論される.CPI を用いると,構造変化検定は棄却されな
いケースが多いものの,実質限界費用を用いたモデルでは UDmax 検定が 1%水準で有意
となっていることから,この場合においても係数が不安定であることが示唆される15) .
15)
なお,本稿では構造変化分析という主題から大きく逸脱することを避けるため,係数の識別の問題や操作変数
の選択の問題などを考慮した係数の推定は行わない.日本のデータを用いて計測を試みたものとしては,敦
賀・武藤 (2008) を参照されたい.
フィリップス曲線の構造変化
4.2
91
将来予測の安定性
最後に,誘導形フィリップス曲線モデルを用いた将来予測の安定性検定を行う.ここで
は基本モデル (3.4) にラグ変数を加えた,
πt+τ = µ + βxt +
∑L
l=0 αl πt−l
+ et+τ ,
を用いる.このモデルは,πt にインフレ率の差分ではなくインフレ率そのものを用いている
ことを除けば Giacomini and Rossi (2009) で用いられたフィリップス曲線モデルと等しい.
ラグの長さは L = 1 および 4 を考慮した.具体的には,τ 期先(τ = 1, 4 四半期)のインフ
レ率を予測したうえで,第 t + τ 期の予測精度を二次形式の損失関数 Lt+τ = (πt+τ − π
ˆt+τ )2
で評価し,Giacomini and Rossi (2009) 検定を用いて将来予測が安定的であるかを否かを
検定した.データ期間は,全期間および係数 β が安定的であるとみられる 1982 年第 1 四
半期以降を考慮した.直感的には,前者は 1970 年代の高インフレ期のデータも含めてモデ
ルを推定した場合の将来予測,後者はインフレ率およびフィリップス曲線の傾きが安定し
ていると考えられる 1982 年以降のデータを用いてモデルを予測した場合の将来予測の精度
の安定性を検定していると考えて差し支えないであろう.なお,疑似外挿期間の構築にあ
たっては固定,移動,逐次手法をそれぞれ用い,目安として 1990 年代半ばにみられる第 3
回めの平均変化(GDP デフレータでは 1994 年第 2 四半期,CPI では 1993 年第 3 四半期)
以降を外挿期間になるように n0 を設定した.実質経済活動指標 xt については,構造変化
分析と同様に失業率 (水準および変化) および産出ギャップ(HP および BK)を用い,検
定は予測が悪化した場合に棄却される片側(右側)検定の結果を表 8 に示した(表 8-1 は
全期間のデータを用いた検定,表 8-2 は 1982 年以降のデータを用いた検定である.)
.
まず,全期間のデータを用いて得られた結果からみてみる.平均を調整した系列を用い
てモデルを推定し,将来予測を行う場合(表 8-1:下表),GDP デフレータを用いた場合
の予測はほぼ全てのケースで棄却されず,将来予測が安定的に行われていることがわかる.
また,CPI 上昇率を用いると,失業率の水準を用いた場合には棄却されるケースがあるも
のの,総じて GDP デフレータを用いた場合と同様に棄却されないケースが多い.このこと
から,日本のインフレ率に過去のような 3 回の平均変化がなく,将来においてもかかる変
化がなかりせば,フィリップス曲線を用いた将来予測は安定的に行われると解釈すること
ができよう.しかしながら,これは将来において発生する可能性のあるインフレ率の外生
的な平均変化を事前に予測できるということを意味しない.この観点から,より現実的に
は平均を調整しない系列を予測する場合の「予測の悪化」検定の結果をみることが有用で
あろう.まず全期間のデータを用いた場合(表 8-1:上表)
,棄却されるケースは完全失業
率の水準を用いた場合のみであり,総じて予測の悪化は発生していないことがわかる.こ
の原因としては,フィリップス曲線モデルを 1960 年代や 70 年代のデータを用いて評価し
92
日本統計学会誌 第44巻 第1号 2014
表 8-1
「予測の悪化」検定:全期間のデータを用いた場合.
フィリップス曲線の構造変化
表 8-2
「予測の悪化」検定:1982 年以降のデータを用いた場合.
93
94
日本統計学会誌 第44巻 第1号 2014
た場合,インフレ率の平均も分散も高い期間を含んでしまうことからモデルの過去のあて
はまりはさほどよくないために,将来予測においてさらに精度が悪化する可能性は小さい
ことが挙げられる.より重要な点は,インフレ率およびフィリップス曲線の傾きが安定的
であるとみられる 1982 年第 1 四半期以降のデータを用いてモデルの推定を行った場合(表
8-2:上表),GDP デフレータ上昇率では固定ウインドウで評価したほぼ全てのケースで棄
却されていることから,将来予測の精度が有意に悪化していることがわかる16) .このこと
は,例えば 1982 年以降のようにインフレ率およびフィリップス曲線の傾きが安定的であっ
た期間をそのまま外挿することで,日本の将来のインフレ率を予測することの不安定性を
示唆しており,将来のインフレ率の平均が外生的に変化する可能性を考慮すれば,1982 年
以降の安定的な時代のデータのみを用いて行われた予測の精度は,推定期間でのあてはま
りに比べて有意に悪化する「予測の悪化」が起こる懸念を示唆している.
おわりに
5.
本稿では,日本におけるフィリップス曲線モデルの構造変化とそれを用いた将来予測の
精度の安定性につき考察を行った.日本のインフレ率のデータは 1970 年代以降 3 回の平
均の変化を経験している.それらの平均変化を外生的なものとして扱うと,線形フィリッ
プス曲線の傾き係数について構造変化は有意に認められない場合が多かった.しかしなが
ら,人々のインフレ率に対する期待を合理的期待形成の仮定に基づいて取り込むと,モデ
ルの係数にはより頻繁に構造変化がみられた.また,このような平均変化が外生的に発生
する可能性を考慮すると,例えば 1982 年以降のようにインフレ率やフィリップス曲線モデ
ルが安定していたとみられる期間のデータのみで計測したモデルによる将来予測の精度は
過去のあてはまりに比べて有意に悪化する懸念があることも示唆された.
一方で,本稿の分析は非常に単純なモデルとデータのみを用いた分析に留まっており,
例えばより洗練されたインフレ・モデルおよびサーベイ・データや専門家による予測など
の情報も用いるなどの研究により,本稿で得られた結果は容易に覆される可能性は否定で
きない.しかしながら,経済分析や経済予測にあたっては,用いるモデルに構造変化が存
在するか否か,また過去のデータを用いたあてはまりがそのまま将来予測の精度として期
待できるかについて統計的な観点から検証することの重要性は論を待たないであろう.
謝辞
本稿を作成するにあたり,財団法人清明会および科研費(課題番号 25870235)の支援を
16)
なお,移動および逐次手法を用いた場合には棄却されていない.これらの疑似外挿期間の手法による結果の
違いが発生する原因については更なる検討が必要であると考えられる.
フィリップス曲線の構造変化
95
受けました.また,広島経済大学,東京大学,学習院大学のセミナー参加者の方々から大
変有益なコメントを頂きました.ここに,お礼を申し上げます.
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