卒業論文講評と要旨(PDF版);pdf

後藤吉彦ゼミ卒業論文講評
現代文化研究を中心とするゼミナール
担当
2014 年度、現代文化研究ゼミからは、13
後藤
吉彦
ティーを「物語消費」論をつかい読み解く。
名の卒業論文が提出された。
大貫拓海「ゴミアート――なんでもアート
村上隆一「ICT 技術の発展が創造した人々
になるフィールド」は、現代における「アー
のコミュニケーション空間」は、もはやリア
ト」と市場のかかわりを、廃棄されたゴミが
ルな現実社会とバーチャルなネット空間が
高額な「アート」として売買される例を挙げ
“地続き”となった現在、SNS のおよぼす肯
つつ、検討する。
定的、そして否定的な影響について考察す
金子健志「行商人たちの苦悩――路上販売
る。
を阻む市民の意識」は、東京のオフィス街の
中村日香理「現代において『人のつながり』
路上弁当販売へのフィールドワークをおこ
は希薄化していない――つながり方の変容
ない、路上販売者の排除の実態やその背景
を追う」は、対面的な人間関係を前提とした
に迫る。
旧来の「つながり」観ではとらえられない、
城風有里「『贅沢』の物語を消費する――
新しく多様な「つながり」のあり方が現代で
なぜデパ地下スイーツは人を惹きつけるか」
はあらわれていること、そしてそれを考慮
は、日本独自の文化とされる「デパ地下」の
しない「つながり希薄化」言説の問題点を指
ポピュラリティーを、消費者の観点から分析
摘する。
し、そこに消費者みずから紡ぎ出す物語の力
殿川晃輔「動画投稿サイトに秘められた、
をみる。
楽曲を大衆化させる力」は、趣味や志向によ
立崎衣織「現代社会におけるファッション
って“たこつぼ化”する現代にあって、い
――ファッションは人生を豊かにする」は、
かにすれば一般に共有される音楽が可能に
今や誰もが日常的にかかわる「ファッショ
なるかを考察する。
ン」について、服を着るという社会的行為の
福田宏美「“ティーン No.1 雑誌”の隠さ
次元にたちかえって、その意味を考える。
れた秘密――雑誌『Seventeen』の特徴から
佐藤良輔「ビデオゲームにおける『リアリ
みた赤文字系雑誌との違い」は、数あるファ
ティ』――ビデオゲームという虚構のリア
ッション雑誌の研究でも、これまで看過さ
ル」は、ジャンルや技術開発の枠を超えて、
れてきた“ティーン No.1 雑誌”
「ビデオゲーム」の核心的な性質は何かと問
『Seventeen』の誌面を分析し、そのなかに
い、それが「あいまいなリアリティ」である
注目すべき少女雑誌文化の特徴を発見す
ことを論証する。
る。
田村佳奈「テレビドラマが与える影響――
藤宮拓馬「東京ディズニーリゾートが愛さ
『ゲゲゲの女房』のドラマ巡り」は、テレビ
れ続ける理由――物語消費論を通してテー
ドラマのオーディエンスが、草の根ツーリズ
マパーク化した空間と比較する」は、その
ムを創作することや、それが地域活性に結び
「テーマパーク化」手法が都市空間のいたる
つくなどの事例をあげ、受動的な視聴にとど
ところで模倣されるなかにあって、なおも
まらないテレビドラマの影響力を分析する。
一際、人びとを惹き付け続けるディズニー
壬生のどか「ミニシアターの重要性」は、
ランド/ディズニーリゾートのポピュラリ
ミニシアター関係者へのインタビュー調査
1
後藤ゼミ
などをふまえ、ミニシアターがインターアク
ティヴなコミュニケーションの現場や、映画
文化の継承、地域活性の役割を担っている事
実に、光をあて、その意義を論じる。
佐藤絵里菜「考えることを放棄した世界―
―ディストピア化への警鐘」は、アニメ
『PSYCHO-PASS』の分析と批評的な読解をお
こない、作品が内包する現代の日本社会への
警鐘について考察をめぐらせる。
以上が、今年度に提出された 13 名の論文
である。独創的な視点であったり、研究対象
が現在進行形であったため、どの学生も先行
研究が乏しく、五里霧中で試行錯誤しながら
の研究となった。だが、その難題に立ち向か
い、論文を完成させたことに、拍手を送りた
い。そして、この経験を卒業後の人生の糧に
してほしい、そう願っている。
2
2014 年度 卒業論文要旨
ICT 技術の発展が創造した人々の
コミュニケーション空間
現代において「人のつながり」は
希薄化していない
-つながり方の変容を追う-
HS22-0010G
村上
隆一
HS22-0152C
1876 年 にベルが電 話を 世界で初めて実 用化して以
中村
日香理
「無縁社会」という言葉の流行に見られるように、
来、離れた場所でもつながり、電話を介して同じ時間
現代社会において、
「人と人とのつながり、すなわち人
を共有することが可能になった。その後、通信サービ
間関係が希薄化、弱体化していることへの危機感、不
スは驚くほどの速さで発展し、ポケベルを経て携帯電
安(本論文では「つながり希薄化」論とする)」という
話が大衆化したことで、音声ではなく文字によるコミ
意識が高まっている。実際に、『平成 19 年度国民生活
ュニケーションが普及した。このメール機能の広まり
白書』の中では、約 6 割の人びとが「地域や家族など
から、我々のコミュニケーションにコンピュータが介
の人間関係が難しくなった」と回答している。また、
在するようになった。急速に技術が発展し、インター
筆者が阪神淡路大震災の被災者を対象としてインタビ
ネットやモバイル端末の進化により、定額制と常時接
ュー調査を行った際も、「今(新興住宅街)に比べて、
続が可能になると社会のユビキタス化が進む。それに
昔(長屋)は近所同士の交流が盛んだった」と、
「つな
後押しされる形で、元々切り離されていたオフライン
がり希薄化」を感じさせるような発言が見受けられた。
の世界(リアルな世界)とオンラインの世界(ネット
しかし、現代において本当に「つながりの希薄化」
の世界)がつながり、同じ趣味・嗜好をもつ人と交流
は起こっているのか。筆者は本論文の中で「つながり
できたり、知りたいことについて情報を得られたり、
希薄化」に対し、1.社会に浸透している「つながり希
友人との絆を深めたりと、人と人とを、人と社会とを
薄化」論は「自らと近しい間柄に限定された範囲」で
より広く結びつけてくれた。一方で 2 つの世界がつな
あること、2.新しいものを追うなかで古いものの良さ
がることで生まれたコミュニケーションの格差にも目
を強調する(「過去」と「現在」をの対比を強調する)
を向けなければならない。2 つの世界がつながったこ
「懐古主義」的な考えが見られること、3.「つながり=
とでオンラインの世界でもオフラインの世界と同様に
ポジティブなもの」としてとらえられていること、と
コミュニケーションに社交性を求められるようになる。
いう 3 点を根拠に「『つながり』に関するこの見方は偏
SNS は、社交性に富んでいる人がコミュニケーション
っており、絶対的なものではない」と批判的に検証を
の幅をより広げるためのツールとしては大きな役割を
行った。
果たすが、社交性が欠けている人はそれほど恩恵を受
特に、現代社会では、
「つながり」のネガティブな面
けられない。ここの間には SNS によってコミュニケー
が顕になっている。例えば、インターネットの普及に
ションの面において格差ができた。SNS が誕生し、広
よって、時間や場所を問わず、常に誰かと「つながる」
く普及するまでは存在しえなかった問題だ。つながる
ことができるようになった。その環境が当たり前とな
ことを突き詰めるあまり、取り残したものが見えなく
った現代では、逆に人と「つながらない」こと、
「ぼっ
なっていたのである。一般的に広く知られている SNS
ち」という状態が恐怖の対象となっている。
のメリットの裏に隠れたデメリットを見過ごしてはな
このことから、人びとの「つながり」は希薄化する
らないのである。
どころか、むしろ人びとを束縛し続ける「濃いもの」
となって、私たちの生活のなかに存在していると言え
る。
3
後藤ゼミ
動画投稿サイトに秘められた、
楽曲を大衆化させる力
“ティーン No.1 雑誌”の隠れた秘密
―雑誌『Seventeen』の特徴からみた
赤文字系雑誌との違い―
HS23-0005F 殿川 晃輔
HS23-0013F
福田
宏美
テレビやインターネットはこれまで多くのヒット曲
本論は、ティーンと呼ばれる 10 代後半の女の子向け
を生んできた。テレビが大きな影響力を持っていた時
ファッション誌『Seventeen』の記事を分析し、男性に
代はテレビの音楽番組等から多くのヒット曲が生まれ
うけるかどうかを判断基準にした「赤文字系雑誌」と
ていた。かつて、大衆にとっての娯楽といえばテレビ
の違う特徴をもつことを明らかにした。
であり、テレビから流れてくる音楽は大衆が共有でき
第 1 章では、先行研究を参照しつつ、ファッション
る音楽であったためである。
誌が女性の生き方や世界の「導き手」として影響を与
しかし、インターネットが普及して以降はテレビの
えていることを示した。
「ファッションの教科書として
影響力が減少する一方で、インターネットの影響力は
の雑誌」は、生き方に結びつくような服装を提示して
増大した。インターネットコンテンツの中でも特に動
きたのだ。
画投稿サイトは、音楽を媒介するコンテンツとして機
第 2 章では、
「モテ記事」について、男性の評価を重
能している。動画投稿サイトでは、聴きたい楽曲を検
視する「赤文字系雑誌」の『JJ』、そして『Seventeen』
索すれば大抵の楽曲を聴くことが出来るため、動画投
の分析をした。赤文字系雑誌で頻出する「モテ」は、
稿サイトは大衆がアクセス出来る音楽の数がテレビよ
男性の目線を気にした「コビ」を表す。その一方、一
りも多いといえる。そのため、大衆の趣向のたこつぼ
般的に赤文字系雑誌に含められて考えられている
化が進み、楽曲が大衆化されにくい環境となってしま
『Seventeen』では「モテ」」を手段として使うことや、
った。
同性の評価を重視し男性からだけでなく、同性の女性
しかし、今日においても大衆が共有出来る音楽は生
からもモテて人気者になることを示唆していた。これ
まれている。本論文では、インターネット普及以降に
が『Seventeen』の「モテ」の特徴である。
大衆化された楽曲の一例として 4 人組ヴィジュアル系
第 3 章では、読者にメッセージを伝えるメディアの
エアバンドのゴールデンボンバーの代表曲「女々しく
役割をもつ「モデル」について考察した。今のファッ
て」
(2009)にスポットを当てている。この楽曲は動画
ション誌において「モデル」はキャラクター化されて
投稿サイトの力により大衆化されたと考えられる。多
いるが、『Seventeen』においての「ST モデル」は読者
くのアーティストが動画投稿サイトを利用しプロモー
によって選ばれ承認を得た「読者の代表の理想像」と
ションを行っている。しかし、単純に動画を投稿する
して登場する。そうした「モデル」のあり方も
だけでは楽曲を大衆化することは難しい。世間でどん
『Seventeen』の特徴である。
なことが話題になっているかという点を顧みず、アー
結論として、これまで赤文字系雑誌とみなされてき
ティスト目線で自分たちの音楽を投稿しているからで
た『Seventeen』には、「モテ」の意味にも「モデル」
ある。本論文では「女々しくて」が大衆化された流れ
の表現にも独自の特徴があり、読者が受け取る情報に
に触れたうえで、彼らは大衆が興味を持っている話題
他の女性誌との違いがあることを論じた。
『Seventeen』
と自らの音楽を絡めた動画を配信したことが「女々し
は「本当の自分」をコントロールし「モテる自分」を
くて」が大衆化された大きな要因となったと論じてい
プロデュースする女性を読者に提示しているのだ。こ
る。
のような特徴により他との差異化が図られ、
「ティーン
No.1 雑誌」を掲げてティーンの女の子に指示され続け
ているのである。
4
2014 年度 卒業論文要旨
東京ディズニーリゾートが愛され続ける理由
ゴミアート
―物語消費論を通して「テーマパーク化した空間」と
― なんでもアートになるフィールド ―
比較する―
HS23-0027E
藤宮
拓馬
HS23-0028C
大貫
拓海
東京ディズニーリゾートといえば言わずと知れた有
アート作品に驚愕な値段がつくことは珍しくない。
名テーマパークである。東京ディズニーリゾートは「非
たとえ、作品の素材が無価値なものであったとしても
日常」というコンセプトに沿って、浦安の埋め立て地
例外ではない。本稿では、ヴィック・ムニーズという
に夢のような空間を展開させた。
アーティストが制作したゴミアートに注目し、なぜ、
しかし、このような空間作りはもはやテーマパーク
ゴミが高額な値段で売買されるアートになるのかを論
だけのものではなくなっている。
「 監獄」、
「 小学校」、
「昭
じている。
和」などのコンセプトを持った独特の空間を演出する
アートに対して、
“よく分からない”という印象が一
居酒屋。クリスマスやハロウィーンになれば駅前や軒
般的に広がり、何でもアートになりえるフィールドが
並みの店頭、さらには住宅地のような場所にまで見ら
出来ているのは自明のことであるが、この現象は、歴
れるイルミネーションや飾り付け。非日常的な空間は
史の流れの上に成り立っている。キリスト教が全盛期
様々な場所で展開されているのである。そのような「テ
を迎えていた 20 世紀以前では、神を中心に絵画やオブ
ーマパーク化した空間」にあふれた現状にあっても、
ジェなどの創作物を作ることが基本であったため、こ
なぜ「東京ディズニーリゾート」が、人々を惹きつけ
のような現象は考えられなかった。だが、神を中心と
てやまないのか。そこで私は数多の「テーマパーク化
する制度が崩れた 20 世紀、マルセル・デュシャンとい
した空間」にはない、
「東京ディズニーリゾート」だけ
う人物が男性用便器を横に置いただけの“よく分から
の特異性というものに注目し、それを物語消費論を参
ない”作品を制作し注目を浴びた。このアートを先駆
照しつつ考察する。
けとし、コンセプチュアルアートと呼ばれる作品に込
全体の流れとして第 1 章で「東京ディズニーリゾー
められる思考を重視するアートが生まれていくように
ト」の空間作りに使われている、テーマパーク手法に
なる。
ついて述べる。第 2 章ではテーマパーク手法が、テー
現代では、様々なアートが制作されているが、作品
マパーク以外の空間で用いられて生まれた「テーマパ
一つ一つを評価することは容易ではない。そのため、
ーク化した空間」について述べる。第 3 章では考察に
アートを評価する機構は、一度認めたアートの制作者
使用する「物語消費論」について説明する。第 4 章で
に価値を置くようになった。認められたアーティスト
物語消費論を通して、東京ディズニーリゾートでは元
の名前には価値が出るようになり、作品に書いてある
となる大きな物語を拡大する性質を持つ複製(情報)
サインがその作品の価値を保障する。やがて、そのサ
が生み出されていることを解き明かす。消費者の生み
インはお札と同じような性質を帯び、高額な物と交換
出す複製が、物語を拡大させていく特異性が、東京デ
できる保障の意味を持つようになったのである。
ィズニーリゾートが人々を惹きつけ続ける理由である。
結論として、ヴィック・ムニーズのゴミアートは、
アートフィールドの広がりによってゴミを素材として
用いることができるようになったことが分かった。ま
た、アーティスト自体に価値があったためアートと認
められ、高額な値段がつくようになったことが明らか
となった。
5
後藤ゼミ
「贅沢」の物語を消費する
行商人たちの苦悩
-なぜデパ地下スイーツは人を惹きつけるか-
―路上販売を阻む市民の意識―
HS23-0033J
金子
健志
HS23-0054K
私は東京都中央区でのフィールドワークを通して、
城風
有里
本論文の目的は,一般的に「デパ地下」と呼ばれる,
弁当の路上販売には法規制外の販売のやりにくさがあ
百貨店の食品売り場,特にスイーツの売り場の空間が,
るのではと感じた。行商人たちは合法的に路上で弁当
何故現在に至るまで人々を惹きつけてやまないのかを
を販売している。しかし話しかけてきた私に閉鎖的な
消費者の視点から明らかにすることである.そのため,
対応をとり、何かに警戒しているようだった。私はい
売り手視点で論じられることの多いデパ地下を,
「物語
ったいそれが何なのかを考察した。
消費」論を用いて分析した.
路上での弁当販売が増え始めた 1998 年頃、販売のし
全体と流れとして,第一章では先行研究を参照しな
にくさは法的なものだった。無届けでの販売や道路の
がら現在のデパ地下を説明し,第二章ではデパ地下の
不法占拠、不衛生な販売形態など問題のある行商人が
歴史や先行研究について述べた.第三章の考察では,
行政に指導、取り締まられていた。
物語消費論との関わりが深かったバブル期の「贅沢さ」
行政の規制の強化や指導、取り締りを繰り返した結
の物語をはじめ,バブル期崩壊後,消費者によってリ
果、違法な路上販売の淘汰と衛生面の改善が進んだ。
ニューアルされた「プチ贅沢」の物語,対面販売によ
現在、生き残った行商人は行政の指導や取り締まりを
る物語の消費について分析し,デパ地下のスイーツが
受けて法規制を守り、衛生面に注意して販売している。
何故人を惹きつけるか消費者の目線で論じた.
販売のしにくさは法規制ではないのだ。
その結果,バブル期から現代まで,消費者が常に新
しかし彼らに対して「不衛生」
「道路の占有」といっ
しい物語を生み出し続けていることを明らかにした.
た市民からの苦情がある。彼らは新聞等で路上販売が
それに加え,「贅沢さ」の物語が作られる要素として,
法規制を守っていないこと、衛生的に問題があること
「味に対する贅沢さ」と「空間に対する贅沢さ」があ
を知り、
「路上販売は違法で不衛生」という認識を持つ
ることを示した.また,そのふたつの「贅沢さ」が存
ようになる。加えて路上販売の「違法で不衛生」とい
在するからこそ消費者は「憧れ」を追体験し,物語を
う問題点が改善されたことを知らないため路上販売を
作ることができる.物語の材料を求め,消費者はデパ
見つけると行政に通報、苦情を伝え、行商人を取り締
地下のスイーツに魅了されていく.味と空間の「贅沢
まること要請してしまう。行商人にしてみれば合法な
さ」という点からみると,スーパーやコンビニエンス
のに市民から違法扱いされ、通報されることは弁当販
ストアで売られるスイーツと,デパ地下で売られるス
売の障害になる。
イーツの違いが説明できる.消費者は,デパ地下の空
つまり弁当の路上販売が抱える法規制以外の販売の
間において,スイーツの味,匂い,誕生した国,歴史,
しにくさとは「路上販売は違法で不衛生」というネガ
そして人などの様々な要素から物語を作り上げ,
「贅沢
ティブな認識を持った市民なのだ。
さ」を追体験しているのである.
市民の認識が変わらない理由は行商人、製造業者に
デパ地下のスイーツの物語は,世代に関係なく消費
もある。彼らは法規制を守っていること、衛生面に注
者によって生み出され,リニューアルされてきた.デ
意していることを社会にほとんど伝えていない。ゆえ
パ地下スイーツは消費者が作りだす「物語」によって,
に「路上販売は違法で不衛生」という市民の認識は変
今後も世代を超えて,普遍的に支持されていくだろう.
わらず、行商人たちはいつまでも販売のしにくさを抱
えることになるのだ。
6
2014 年度 卒業論文要旨
『現代社会におけるファッション』
ビデオゲームにおける「リアリティ」
―ファッションは人生を豊かにする―
HS23-0067A
立崎
――ビデオゲームという虚構のリアル――
衣織
HS23-0072F 佐藤
私は、以前から服に興味・関心があったが、自分が
良輔
本稿ではビデオゲームについて、ゲームのスト
服を着るときにお洒落かどうかという観点とは別に、
ーリー内容やゲームのシステムなどゲームの内
自分と自分の周りとの関係性や社会性について何気な
容に言及するのではなく、そのゲームをプレイ
く意識したり、自分をどう演出するかを意識している
した際、違和感を覚えずにゲーム内の世界にの
ことに気づいた。そこで私は本稿において、ファッシ
めり込めるような感覚をテレビゲーム独自の「
ョンは言葉や文字同様に立派なコミュニケーションツ
リアリティ」と呼び、さらにその中からどの時
ールとして成り立っていることや、私たちの生活の中
代のビデオゲームにも共通して言えるいわば本
に当たり前に存在する社会の中での服の働きと服の持
質とも言えるようなリアリティについて分析を
つ力について、事例を挙げつつ、ファッションの持つ
行った。
「社会的意味」と「願望的意味」と「自己表現・コミ
第一章ではゲーム内の独自の「世界観」を形作
ュニケーションツール」の 3 つの要素を通して、社会
っている要素、すなわち「世界観のリアリティ
の中で生活する自分たちとファッションの関係につい
」を考察した。そして「世界観のリアリティ」
て考察した。
を分析する上でキャラクターや背景、アイテム
「セーラー服おじさん」、「ジム・ウォルフ」、「サプ
などゲーム画面上に登場する「記号」に着目し
ール」は、自分の見た目・服装によって大きく人生が
「記号」とゲームのリアリティとの関係につい
変化し、ファッションによって自分をより高め、自分
て分析した吉田寛(2013)の研究を参照しながら、最
らしい生き方をしている 3 つの例である。こうした事
終的にゲームにおけるリアリティがいくつもの
例を検討するなかで、自分と周りとの関係性・社会性
違うリアリティが混在する「あいまい」なもの
を意識し、Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場
であると言うことを突き止めた。
合)の「TPO」に、Person(人)、Social(社交)を加
第二章ではプレーヤーをゲームの世界へ引き込
えた「TPPOS」という考え方や、“ソーシャル・ファ
むような要素を「ゲーム経験のリアリティ」として
ッション”の重要性をあきらかにする。
分析した。この「ゲーム経験のリアリティ」を分析
本研究を通して、私たちが身につける服には様々な
するに当たり、先行研究として安川一(1993)のビ
意味や思いがあり、ファッションには、人の人生をも
デオゲーム経験の構造に関する論文の概要を説
大きく変えうるようなパワーを持っていることがわか
明し、ビデオゲームとプレーヤーの間に生じる
った。ファッションはまだまだ奥が深く、明らかにな
関係性の構造を確認した上で、考察として多く
っていない点が多くあるが、事例として取り上げた
のビデオゲームに共通する「ゲームの主人公が
人々のように、ファッションが生活に彩りを与え、私
画面にいる状態」と「主人公に名前を付けられ
たちの生活をより豊かなものにする可能性が大いにあ
る仕掛け」についてプレーヤーとテレビゲーム
ることを私は信じている。
の関係性から考察を行った。以上の点からビデ
オゲームにおけるリアリティはあいまいな世界
観とその世界観とプレーヤーとの独自な関係性
から生まれるものであるということがわかった。
以上が本稿の主な概要である。
7
後藤ゼミ
テレビドラマが与える影響
ミニシアターの重要性
-『ゲゲゲの女房』のドラマ巡り-
HS23-0100K
田村
佳奈
HS23-0109C
壬生
のどか
今日、テレビでは多くのテレビドラマが放送されて
ミニシアターは魅力的な場所である。街中にあるシ
いて、それぞれに視聴者(オーディエンス)がいる。
ネマコンプレックス(以下シネコン)とは全く違う、独特
オーディエンスが受動的にテレビドラマの影響を受け
の雰囲気にあふれた場所だ。しかし、現在ミニシアタ
るだけでなく、テレビドラマの影響をきっかけに行動
ーは、閉館が相次いでいる状況にある。このような厳
を起こすものは何があるのだろう。その行動のひとつ
しい状況にあるからこそ今、ミニシアターとはどうい
に、テレビドラマや映画のロケ地や作品の舞台を訪れ
うものか、私たちに何を与えてくれるものなのか、あ
る観光など、オーディエンスの能動的な行動がある。
らためて考えておくべきではないだろうか。
第 2 章では、そのオーディエンスの能動的な行動であ
ミニシアターはただ映画を観るだけの場ではない。
る「ロケ地巡り」と「聖地巡礼」についてまとめた。
舞台挨拶やティーチイン等で、映画を作り上げた人た
そして本稿では、ロケ地と作品に関係がある場所の
ちと直接コミュニケーションを取ることができたり、
両方を訪れる観光に「ドラマ巡り」という名称を与え
お客さん同士でコミュニケーションを取ることもある。
た。これは、テレビドラマから影響を受けたからこそ、
また、様々な映画を楽しむための様々な取り組みを行
オーディエンスが起こす行動だと言える。第 3 章では、
っているミニシアターも多いのである。これらの体験
NHK で 2010 年に放送された『ゲゲゲの女房』を例に実
は観客に、映画を深く楽しむことを教えてくれるのだ。
際に行われているドラマ巡りを紹介した。そして、テ
このような体験をするとしないとでは、生涯の映画の
レビドラマのどの部分に興味を持つかによって、同じ
関わり方に大きく影響するだろう。
テレビドラマでもドラマ巡りで訪れる場所が違うとい
また、映画館がない地域にあるミニシアターでは、
うことを示した。
その地域の映画文化を守る大切な場所としても機能し、
第 4 章では、ドラマ巡りの対象となる地域ではオー
また映画以外の地域の文化をも発信しているところが
ディエンスに観光に来てもらおうとテレビドラマを取
多いのである。そのため、地域の人々もミニシアター
り入れたまちおこしを行っていることを述べ、地域も
に対する思い入れが大きくなりやすく、ミニシアター
テレビドラマの影響を受けていることを明らかにした。
を支えていこうと様々な活動が行われることもあるの
また、ドラマ巡りの対象の地域は多くのメディアで取
だ。そしてその活動の結果が、意図せずとも地域の活
り上げられた。自らドラマ巡りをしたオーディエンス
性化へとつながることがあるのだ。
をメディアが取材したと言える。その放送を見たオー
ミニシアターが私たちに与えてくれるものは、シネ
ディエンスがドラマ巡りに訪れるという流れができて
コンで上映されていない映画をみせてくれるだけでは
いるのだ。つまり、テレビ局もテレビドラマの影響を
ないのだ。ミニシアターはただ映画を上映しているだ
受けている、ということを示した。
けの場ではなく、映画を深く楽しむ体験や映画文化の
結論として、オーディエンスだけでなく、地域やテ
楽しみ方、地域の活性化など、私たちの日々をより豊
レビ局がテレビドラマから影響を受けて、能動的に行
かにしてくれる、そしてまだまだ様々な可能性を秘め
動を起こしているということを明らかにした。テレビ
た場であるともいえる。ミニシアターが私たちに与え
ドラマは、ただオーディエンスが楽しむだけでなく、
てくれるものの大きさは計り知れないのである。
視聴後に行動を起こすきっかけになるなど様々な影響
を与えるものなのだ。
8
2014 年度 卒業論文要旨
考えることを放棄した世界
― ディストピア化への警鐘 ―
HS23-0111D 佐藤
絵里菜
もし、機械で制御された世界が来たとしたらどうな
るだろうか。行くべき学校や就職先も全て教えてくれ
る機械が現れたら、それらを便利だと思うだろうか。
アニメ『PSYCHO-PASS』はそれを具現化させた世界であ
る。シビュラシステムというシステムが人々の精神状
態、健康状態を管理、診断し、その日の行動なども示
してくれる。そして、『PSYCHO-PASS』の世界ではシビ
ュラシステムが全てである。自分はシステムに対する
市民の信頼の高さ、自己思考力の低下を感じた。そし
て、その自己思考力の低下を現代の日本人にも感じた。
アニメ『PSYCHO-PASS』を詳しく研究した上で、人々
の意識を無意識の内に支配する力について研究した。
この研究を踏まえて、現代における自己思考力の低下
を考察した。マインド・コントロールは催眠による人
格の破壊及び形成、アーキテクチャとは人々に不快感
を与えることなく、人々を思い通りに支配するものだ
ということが判明した。これにより、この二つの力を
併用することで人間の信頼を絶対的なものとすること
で人間を支配することに成功していることが分かった。
信頼を絶対的にすると人間は考えることを放棄するこ
とが分かった。しかし、
『PSYCHO-PASS』の刑事課の面々
は自分たちで考えることによって行動をしている。こ
れは逆に思考力を低下させるだけでなく、進化してい
るのではないかと考えた。
今回の研究により、私は考えることこそが必要なこ
とだと知った。また、シビュラシステムは知っていた。
考えることこそが人間に進化を齎すことを。だから、
人間は決して考えることを止めてはいけないのだ。
9