利根川(河内町・神崎町) いばらきの「山水」 47

利根川の氾濫を恐れ、同時に水の尊さを思い祀った水神社
夜の航海の安全のため金毘羅常夜灯には夜通し灯が燈った
町内には田園が広がっている
権八の渡しの道標。現在は街中にひっそりと残されている
神崎神社。社殿の右に見える大木がナンジャモンジャの木
利根川(河内町・神崎町)
いばらきの「山水」 47
本号では河内町周辺の利根川を紹介する。
江戸時代、同地は交通の要衝として栄え、当時あった藤蔵
河岸は、仙台領龍ケ崎や河内地方の年貢米、諸物資を江戸へ
輸送する拠点となっていた。幕末の最盛期には毎日3、40艘の
高瀬船が出入りし、当時往来する船を照らした金毘羅常夜燈
を今でも見ることができる。
また、渡し舟が出されていた場所が「権八の渡し」である。こ
の渡し舟に乗った僧侶が嵐にもかかわらず無事に対岸にたど
りついたという伝説があり、
「事故の起こらない渡し」として評
判だったという。
水の恵みが豊かで、平地の広がっている河内町を含むこの
一帯は、稲作が盛んな地域でもある。同地を訪れると何々新田
など、開拓の跡を地名から見ることができ、多くの人が移住して
きたことがわかる。
一方で、水害に悩まされてもいた。暴れ川として有名な利根
川は、明治時代になっても数年に一度は氾濫していた。そのた
め、河川沿いには幾つもの水神社が点在している。
対岸の千葉県側河川沿いにある神崎神社は、常陸国河内
郡と、下総国香取郡との境にあった大浦沼二つ塚に、神様が
現れた際に御創祀されたという。境内には、光圀公が参拝の
際に、
「この木は何というもんじゃろうか」と感嘆したことから、
名付けられた「ナンジャモンジャの木」があり、茨城県との繋が
りも見ることができる。
河内町周辺の利根川は、かつては水運の要所として、今で
は重要な水源として、地域に大きな存在感がある。水とともに
生きてきた歴史を感じることができる。 (伊藤)
圏央道
神崎神社
●
権八の渡しの道標
●
金毘羅常夜灯
●
408
撮影●槍崎 敏