Title Jus ad remとその発展的消滅 : 特定物債権の保護 - HERMES-IR

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Jus ad remとその発展的消滅 : 特定物債権の保護強化の
一断面
好美, 清光
一橋大学研究年報. 法学研究, 3: 179-432
1961-03-31
Departmental Bulletin Paper
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http://hdl.handle.net/10086/10116
Right
Hitotsubashi University Repository
甘ω
巴おヨとその発展的消滅
ー特定物債権の保護強化の一断面1
序 説
卍’
第一章
中世 ド イ ツ 法 冒 助 陣 山 器 目 の 前 史
ロンバルド封建法書とその学説による進展
第二章
第三章
コメンタトーレンの法形成物
中世教会法︵学︶
第四章
第五章
プ・イセン一般州法︵一七九四年︶Il現実の法の勝利
早期ドイツ普通法学上の学説の対立
プロイセン所有権取得法︵一七八二年︶ー後期ドイツ普通法学の勝利
第六章
第八章
ドイッ民法典︵一九〇〇年︶の下での法形成
第七章
第九章
ー特定物債権の保護強化の再現
第一〇章 結語ーわれわれの間題によせて
甘¢& お目とその発展的消滅
好美清光
一七九
一橋大学研究年報 法学研究
本研究の意義
第一章序
して割註にす る 。
一八○
* たんなる文献の引用は、 紙面節約のため数回以上引用するものについては、本稿末尾の略記表にしたがい、原則と
3
ーレ法の規制に服するものであった。これに反し、特有の訴権体系をとるローマ法、とりわけその法学提要冒豊ε−
の圧倒的支配に服する以前のドイッ法によれぱ、物をめぐる法律関係は、行為自体をめぐるそれとは異なり、ゲヴェ
であろう。そして、とくに特定物債権が問題とされるそもそもの原因は、次のことにあるのではないか。・ーマ法学
確には表明されない揚合もあるが諸学説も主として考慮していたのは、債権のうちでもとりわけ特定物債権について
ところで、しかしながら、債権の相対効をめぐる従来のわれわれの論議を顧みるとき、実際上問題となり、また明
の議論を進めていく。これが、従来のわが国の解釈論の一般的な在り方であった。
ツでは債権は実際上も相対的にのみ機能している、という理解を前提とし、これを批難しあるいは支持してわれわれ
一 後期ドイツ普通法学の伝統を受けて物権と債権を絶対権・相対権とするドイツ民法学の概念規定を捉えて、ドイ
説
住8窪に範をとったドイツ普通法学においては、すべての権利は物権か債権かの二者択一的なものとされ、したがっ
て、債権なるものの中に、物権取得ないし物の利用を目的とするものも、債権者の行為それ自体を究極の目的とする
ものも組み込まれてしまった。もちろんこのことは、あながち批難されるべきではなかった。いな、それは、もろも
ろの中世的土地所有規範の解体と資本”賃労働の成立とにも即応する、抽象的絶対的な近代的所有権の成立と、個人
の法主体性の確立とを意味するものではあった。同時にまた、そのことが、自由競争の確保にも通じた。これは、し
ばしば指摘されるとおりである。しかし、それにもかかわらず、後期ドイツ普通法学に特徴的な概念の一般化が、彼
らによって債権とされた諸権利を、ローマ法の対人訴権に相応する債務者の行為のみを要求する対人的相対的な権利
としての把握をもって無差別的劃一的に律しようとしたこと、したがってまた、それが、不動産賃借権など個々の権
利について部分的修正を受けたとはいえ、基本的にはドイツや日本の近代法典に踏襲されたごと、そもそもそこに、
やはり無理があったのではないか。のちにみるように、その後の立法、判例による債権者保護、債権の相対的把握の
修正が、とりわけ特定物債権に顕著な事実は、この間の事情を裏書するといえないであろうか。
だとすれば、同じく債権とされながら種々の内容をもつ諸権利を、いくつかの個別的類型に定型化し、そのもつ近
代的意義を顧慮しつつ、しかもそれぞれにつき異なった考慮と理論を追求することなくしては、われわれの問題の大
きな進展は望みえない・といえるのではないか。
︵1︶
本稿は、債権のうち、とりわけ特定物債権に限定して、近代法の権利体系の形成・確立との関連の中で、その保護
の歴史的変遷過程の考察を進めようとするものであるが、それは、本稿の主題たる︽甘の器3目︾﹃物への権利﹄が、
甘の劉3目とその発展的消滅 ’ 一八一
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沿革的に主として特定物をめぐる法律関係であったことにもよるが、それよりも、現在の問題の解明の在り方につい
ての以上述べてきた考慮に裏付けられているのである。さらにしかし、特定物債権とはいえ、甘ω&お日の変遷の
検討を手掛りとしようとする本稿にとっては、対抗力を付与された不動産賃借権や仮登記された物権移転を求める債
権的請求権等のように、明文規定をもち、かつ、たとえぱ前者については賃借権の﹁対抗﹂の意義やその物権性への
︵2︶
接近の考慮から、後者については物権に特徴的な登記制度の利用という観点から、それぞれに独自の考察を要する諸
制度それ自体の検討は、ここでの範囲から一応はずし、物権取得のための債権であれ物利用を目的とする債権であれ、
それらが特定物債権一般としてかかわるかぎりでおのずとここでの問題となりうる。
さて、このように本稿の問題を限定していうとき、はじめにふれたドイツ民法の下での特定物債権は、決して、従
来一般に理解されてきたように、ローマ法n後期普通法学の段階にとどまってはいなかったのである。すなわち、す
でに一九〇六年以降、判例により、その第三者に対する関係は、八二三条一項の﹁権利﹂侵害を否定しつつも、良俗
違反の財産侵害による不法行為を規定する八二六条と、損害賠償の方法は原状回復を原則とするとの二四九条とを結
合して、したがって相対権概念の維持を一応可能ならしめつつも、不法行為法の構成の下に、実際上は、揚合によっ
ては、債権者は第三者に対して、債務者へのみならず直接自己への引渡をも請求しうる、という保護を与えられてき
ていたのである。このことは、すでにライヒスゲリヒトの判例の分析を通して指摘しておいた︵斑蓼斜郭顧剛断騨⋮奎、︶。
実際、のちに詳細にみるように、特有の訴権体系をとった・ーマ法、その註釈に従事したグ・サトーレン︵90誘暮9
冨P註釈学派︶、および、イタリー風︵旨3H鼠ぎ霧︶された・iマ法の継受後のドイツの諸学者のうち実務にさほ
どの影響力をもちえなかったローマ法的思弁的な体系樹立家たちを別として、︵特定物︶債権の債務者のみにかかわる
相対権としての把握が、実際上ドイツの全土で貫徹されえたのは、古ゲルマン法以来のながい法史上、登記に親しみ
ヤ ヤ ヤ
うる不動産権については一八七二年プロイセン所有権取得法からドイツ民法典発効直後の二〇世紀初頭までのほんの
数十年、登記に親しまない不動産権およぴ動産権については、実にドイツ民法典発効のときからさらに短期間にすぎ
なかったことを見落してはならない。たんなるローマ法の沿革を別とすれば、特定物債権への相対効の絶対的貫徹と
ヤ ヤ ヤ
いうことは、現実には、一つの歴史的な意味しか持ちえなかったのである。しかし、わが積極説すらも、﹁債権の性
質上﹂という理由で、第三者に対しては債務者への引渡を要求しうるのみと解するのに、ライヒスゲリヒトの急進ぶ
り︵?︶は何を意味するのであろうか。
ところで、ここでわれわれにとって注目すべきことは、右の判例による保護強化をドイツの学者が支持・引用する
とき、彼らはこの現象から直ちに、本稿の主題たる甘ω匿8箏という権利をーそれに直結させるか否かは別としてー
︵3︶
想起している、という事実である。そしてこのことは、継受法国として歴史的に重厚な蓄積に欠けるわが国でこそさ
ほど意識されていないが、彼らにとってはまことに理由のあることなのである。
もっとも、甘の&お目という用語それ自体は、各時代各法において多様に用いられており、その一義的な規定は
不可能である。細かな差異を度外視して、一応の分類をすればこうである。第一に、古典期ローマ法のoげ一蒔暮8や
グ・サトーレンの8ぎぎ需歪o轟葺は、契約当事者間においても金銭賠償しか認められなかったのに反し、特定物
にっいての契約において、その後、物それ自体への強制履行が承認されたことに着目して、甘ω酵3ではないが﹁物
冒の毬8旨とその発展的消滅 一八三
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への権利﹂ではある、と観念されて甘の匿旨ヨと呼ばれた。これがこの用語の起源である。そのかぎりでは、われ
われの特定物債権と類似のものである。オーストリー民法典もこれに属するといえよう。第二には、ア︸れが不当に拡
大されて、冒ωぎ8と対立する一般的な呼称、すなわち債権一般を意味するものとして用いられた。早期のドイツ
普通法学の体系樹立家たちは一般にそうである。第三に、第一で述ぺた特定物についての権利につき、それが第三者、
とりわけ二重契約における第二取得者に対して、一定の要件の下にその物の引渡を要求しうる点に着目される揚合も
ある。現在のドイッの諸学者の観念、およぴ彼らによって理解されるプ・イセン一般州法の冒ω器同。ヨ︵口閃。。騨
s畦留90︶は、一般にこれである。第四に、第三の揚合の観念がさらに拡大されて、いかなる法形式であれ、︵特定
物︶債権につきその第三者に対する効力の承認されるすぺての揚合を、広い意味で.︾の用語で観念しようとするもの
も、現在の学者にはある︵ご罫§ω・9ミ蔚§ぎ3男o匡理自単ψお卑︶。最後に、第五として、所有権を甘のぼ↓Φ
と記号づけるのと対照して、より弱い物権、たとえぱ。。9氏9計ロ象ぼ琴9ωなどを呼称した揚合もある。古い時代の
フランス私法学がそうである。
したがって、本稿は、現在の民法学の関心から問題をしぽり、主として第三の点に光を当てることを目的とし、そ
の他はこの目的に関係するかぎりで姐上にのぼせるほかないが、このように、甘ω器器目を、絶対的物権でも純粋
の相対的債権でもなく、いわばその中間的なものとして、一定の揚合に一定の第三者、とりわけ二重契約における第
二取得者に対してもその効力を貫徹しうる権利として把えるとき、これは、すぐれて非・ーマ法的晒ドイッ法的実質
が・。ーマ法的法思考と混同・融合する過程のなかで成立し、ながくドイツの実務を支配したのち、一七九四年プロ
︵4︶
イセン一般州法に定着したが、その後、歴史的な理由はあるが、物権と債権を体系的に分類し、ついには両者を峻別
して債権を相対権として把握した後期ドイツ普通法学の圧倒的支配の下に、すでに一言した一八七二年所有権取得法
とドイツ民法典で抹殺された制度である。だとすれば、一度は勝利を占めたドイツ普通法学の成果を基本的には踏襲
しているドィッ民法典の下で、それにもかかわらず、ほどなく債権の相対権的把握が実際上破綻を示してくるとき、
ドイツの学者が、正にこれによって抹殺されたかつての自国法の制度甘。。呂8ヨを想起するのは、彼らにとっては
当然の成り行きといわなければなるまい。実際、およそ物権・債権という民法典の基本体系それ自体の再検討をしよ
うとするドイツの学者にとって、甘ω&8eを想起することなくして事を運ぶということは、おそらく考えられな
いことである。
︵5︶
二 以上のあらましからでも、ほぽ次のことが明らかとなろう。
あたかも、近代的所有権の明確な把握のためには占有権やゲヴェーレ法がその具体的な手掛りを与えうるように、
冒ωaお目の究明は、それとその消長において裏腹の関係に立つ物権・債権という権利の二大分類の形成・確立の
過程とその功罪、およぴ、これと密接にからむものとして、甘の&8日がもともと物権の二重譲渡をめぐる権利関
係であったことから物権変動理論の変遷とその限界、さらには一般的に特定物についての二重契約をめぐる問題の解
明に、恰好の具体的な手掛りを与えうるものである。そしてこれらのことはまた、特定物債権における相対権的把握
の現代において持つべき意義・限界の解明を通して、ひいては、一般第三者に対する関係でも何らかの示唆を与えう
るかもしれない。
智のp自おヨとその発展的消減 一八五
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これらの諸問題の解明のための一つの踏石として、それらとの関連を十分に考慮しつつまず冒ω毘8ヨを究明し
てみること、それが、さしあたりの本稿の目的である。犯しているかもしれない誤りや思考不足については、諸家の
きぴしい.こ教示を得たいと思うとともに、各位のご参考になりうれば幸いである。
︵1︶ 好美・後掲論文︵一橋大学研究年報・法学研究2︶は、不完全なものではあったが、この点をも意識して具体的な検討を
したものであり、同﹁賃借権に基く妨害排除﹂︵ジユリストニ○○号・判例百選︶で、本文と同旨を、結論的にではあるが述
ぺておいた。
︵2︶ 前註1の拙稿参照。
プ
︵3︶ たとえば、寒息︸ψ一一一い︸嗣ざ9鼻ミ︸切o山oロ器oげダ一800︸¢ざoo︸嶺ooい国昌声−い︸ψ甜oo鈎陣Q 肉題ミ”ψまご︻ミ昏oぎ﹃−
¢旨曾ミッタイス・私法一五六頁。
︵4︶ ﹁物権と債権の竣跡﹂という用語は、世上かなりいい加減に使われている。私は、日本民法典やオーストリー民法典のよ
うに物権と債権の体系的分類は一応なされているが、物権取得が8ロ跨たる債権と結合されている段階では、用語の素朴な
意味からも、次に述べるドイツ民法典との差異をあいまいならしめることからも、まだこの用語を用いるのは適当ではない、
と考える。無因的物権契約理論をとり、物権を8墓pたる債権から切り離してしまった後期ドイツ普通法学やドイツ民法典
の次元ではじめて、﹁峻別﹂されているというわけである。
︵5︶ たとえぱ、ナチ時代の民法改革運動に際して書かれたとの一事をもって、不当にも無視されがちなものに属するであろう
藻昏罫恥3蜀o&o旨昌堕のお卑一トo罫ミ・¢一Rの論文など。なお、このような好意的評価については、モぎ§ぎ﹃・ψい一ひF
︾謹昌■駅参照。
二 考察の範囲
ヤの費自特。ヨとその発展的消滅 一八七
が厳格に存在する。このことは、その後、クリングミュラーによって、その法源研究を通して、詳細に論証されてい︵祝。
対人的請求権の相対的物権化の現象は、・ーマ法の法源には全く見出すことはできず、対人訴権と対物訴権との対照
がそこで使用されたわけでもない。そのほかには、債権の効力が事情によっては第三者の法域へ干渉する、いわゆる
殊の性質によるものであり、われわれの冒ω&お目の起源となりうるものでもなければ、甘の&8Bという用語
求権の相対的物権化﹂の現象があり、したがって、・iマ法では物権と債権との対照がつねに架橋しがたいものとし
︵6︶
て存在したというのは正しくない、と主張する。しかし、この効力は、遺言や相続のからむ信託遺贈という制度の特
られる。そしてルドヴィヒ.、、、ツタイスは、この点をとらえて、そこでは甘ω器お日に完全に相応する﹁対人的請
その後期に至って、信託遺贈段虫8臣巨誘ロβの揚合には、プ・イセン州法の甘の&8ヨと類似の法形成物がみ
口iマ法に固有の対人訴権と対物訴権の対照が、劃然として存在していた筈だからである。もっとも、口iマ法でも
まず、ローマ法が一ロω区お日の起源とみなされるべきでないことは、異論はあるまい。そこでは、周知のように、
から、少しでも免れうる手掛りを与えうるであろう。 ・
を概観しておくことが、われわれ現行法の研究者が歴史的考察をする際ややもすれば陥りがちな一方的な断定や誤り
一 法史学的研究状況の概観 これについては、本制度についての一九世紀中葉以降のドイツの法史学的研究状況
しからば、甘、曽自同①ヨの歴史的究明のためには、どの時代のどの法をとり上げるべきか。
へ
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甘の&おヨの法史学的研究上、多くの論争を呼んだのは、その起源は、中世の教会立法ないし教会法学者の学説
に由来するのか、同時代の封建法学者のそれにかという点であり、これに関連して、それはゲルマン法の基礎の上に
ゴ
生じたものか、あるいはたんなるスコラ的思弁の所産かについても議論がある。さらに、ともかくも.︶のようにして
生じた理論が・その後の市騒へ聾込窪は・ゲルマン的法思輩、教会輩煮封建肇重表・←法学者
の学問がいかように作用し合ったのか、という点も議論の分れるところである。そしてまた、ア︼の点の認識いかんが、
その後の市民法上の甘の器おヨに対する後期普通法学者の態度決定に一つの影響を与えている、とみられるふしも
ヤ ヤ ヤ
ある。
まず、一八四三年に、ブラッケンフニフトは、﹃契約による物権の基礎づけについて﹄なる論文で、甘㏄&博曾一を
も検討し、その起源を、・iマ法の所有権譲渡契約︵9呂三〇︶とは異なる、古ドイツ法の譲渡契約ーそれから、の
ちに裁判上のアウフラッスンクが発展したところのーに求め、ただ、甘ω&叢口という用語は教会法に由来する、と主
張した︵辱§趣§ぎ§¢器Rげ鐸旨卑︶。プロイセン州法等の冒の鼠お巨に批判的な、ローマ法的後期普通法学者
ウンガー・フェルスターらは・さらに徹底して、用語のみならず実質も教会法に起源をもつと理解し、その不当な誤
れる一般化・拡大が市民法上の冒の&3日を招来したのだ、と批難する︵qξミ㍉諭象oト一一目u ミ憧肋“馬−﹂あ8F
︾⋮・﹂o︶。しかし、これらの主張は、教会法に優先を帰する点では同じ立揚をとる後述のグロスによってさえも、
﹁初期の、明らかにこの問題の詳細な研究なくして発言された見解﹂と評価される程度のものでしかなかった︵q、。,
防漁φ N o o N ︶ o
ザラッケンフェフトから約二・年後、天六六窪、チ夫麦は、才蓋慧その著舅実執行と債権﹄で法
睾的研究をで警く、当時しぱしぱ学者によ蕃定蕊てきていた早期普通肇と当時窺行肇るプ。イセと
般州法の“仁、餌山同。、一、をとりあげ、これを擁護した。彼は、特定物債権の執行方法が金銭賠償から現実執行に変化し
たことに着目して、これは対物的な権利になったのだとし、そのことによって、冒ω盆お目が一定の第三者に対して
も効力を持つことの理論的根拠づけを試み、さらには、一般に、ドイツ普通法としても妥当させるべく、その要件・
効果の検討をしたのである︵曽導ミミ⑰♪謝峯ーお︶。
一ロ、節q博。目それ自体をとりあげて、その起源の法源およぴ学説史的研究に本格的にとりくんだ最初のもので、そ
の後いくつかの部分的な修正を受けてきているとはいえ、もっとも基本的なものとして今日でも見落すことの許され
ないのは、ブリュネックの﹃いわゆる﹂霧&8日の起源について、この理論の歴史への一寄与﹄︵一八六九年︶であ
る。彼は、本研究がチーバースの前掲書に刺戟されたものであることを冒頭に述べているが、まず前述ブラッケンフ
ェフトの研究にふれ、彼の見解が従来ほとんど顧みられなかったのは、コメンタトーレン︵OO目昌曾翁8おP註解学
派、後期註釈学派︶およぴその後の普通法学者の甘ω区冨日の起源を、直捜P純粋ゲルマン法に求めたことにあると
批判し、甘の陣自巳。目一の究明の仕方は次のようであらねばならないと主張する。それはこうである。甘ω&冨誉を解
明するには、ローマ法とゲルマン法が混同・融合したイタリー、とりわけロンバルドに眼を向けなければならない。
そこでは、最初に、・ンバルド封建法書犀げユ8鼠o旨日についての封建法学者の解釈のなかで甘ω&8ヨが生じ、
ついで、それと、ローマ法を上部イタリーの現実社会に適合せしめるべく加工したコメンタトーレンの理論との相互
甘㏄讐α↓。.一一とその発展的消減 一八九
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影響のなかで・両学派2§富一象−もっとも、コメンタトーレンは.一の用語を用いなかっ奈i完成されたので
ある。これに反し、純粋のドイツ法は、ただ、甘ω鑑お旨が本来ゲルマン的性格のものであることの認識のために、
および、コメンタトーレンによる・ーマ法の加工作業のよりよき理解のために、検討されるぺき筋合いのものにすぎ
ない︵切誉馨①鼻ψ5ーご︶。こうして彼は、豊富な第一次資料を駆使して、右の諸法ならびに諸学説を検討している。
もっとも・彼の研究は・コメンタトーレンの段階で終わっている。彼によれば、その後の近代法典にまで定着した
曲塁器お目の理論は、本質的にはこの段階で終了し完成されている、というのである︵ψ一。N︶。さらに彼は、教会
法︵学︶における蓄弩きの形成発健3ても、全然欝していない.ただ、教会法2仁、騨自.Φ日とレー
ン法ならびに市民法のそれとの相互関係についてだけ、教会法の甘ω区話旨もその起源をゲルマンの観念にもつと
のやや強引な主張をし、さらに、脳霧器器ヨの用語法の優先は封建法学者に帰せられるべきであり、かつ、教会法
の冒の琶お日がその後の市民法のそれに影響を及ぼしたことは証明されていない、と一一一一口っているだけである︵ψ一N
︾β目、♪頓Nい︶。
この、市民法上の冒の呂3目は封建法学者の学説に由来するもので、ゲルマン法的基礎に立つとのブリュネック
の主張は・その後・枚挙にいとまのないほど多くのゲルマン法学者やローマ法的市民法学者の体系誰目やモノグラフィ
ロ
ーに引用され、従われてきている。ドイツの学者のみならず、フランスの学者によってもそうである。さらには、こ
の立揚は、一応反対に廻ると予想される教会法学者からも支持者を見出した。まず、ヒンシウスは、現在に至るまで
のもっとも劃期的と評されるその著﹃ドイツにおけるカトリックおよびプロテスタント教会法﹄︵全六巻、一八六九1
九七年︶で、ブリュネックを引用.支持し、さらに、﹁教会法学者の学説と立法は、より早い封建法学者の学説に依拠
して、いわゆる冒のぼ8と甘ω&8巨の理論を発展させ、必要な規制を行なった﹂と主張したが︵薗ぎり簿帖竈︸
HどψひωN卑︶、ブリュネックの主張は、その次の時代の教会法学の代表者と目されるウルリソヒ・シュトッ︵贈、およ
びシュトソツの著書の基礎の上に立つ最近のファイネにも受けつがれている。 ﹁
︵11︶
ついでゲルマン法学者ホイスラーは、このプリュネックーヒンシウスの主張に反対し、・ーマ法的パンデクテン
法学の洗礼を強く受けた立揚から、甘の&8畦のドイッ法との関連を全く拒否する。彼は、ドイッ法にも対物権●
対人権の区別は存在し、いわゆる相対的対物権を生ずべき要素は現実には存在せず、甘。。&お日は・ーマ法とドイ
ツ法の誤解から生じた内的真実なき空論的技巧品であった、と批難するのである。そして、甘ω&器ヨという用語
は、教会法とレーン法において、相互に無関係に、それぞれの個々の現象を通じて形成されたものである、と主張す
る︵寒鍔蝋ミ矯H︸ψいまR︶。
ブリュネソクを含めて、従来の諸学者によっては本格的な究明をされることなく残されてきた教会法学における
甘ω&同Φ菖の学説史を、驚くぺK豊富な資料によって解明したのは、グロス︵Qま跨︶の大著﹃聖職禄の上への権利、
同時に甘ω&冨謹の起源の研究への一寄与﹄︵一八八七年、三三四頁︶であった。そこで彼は、教会法における甘の
&器日の形成.発展を克明に跡づけているが、ホイスラーにしたがって甘。。&3目のゲルマン的性格を否定し、
その用語の使用の優先については、これを教会法に帰し、教会法から、封建法学、およぴそれを媒介してであれ直接
にであれ、その後の市民法学にその本質的なものが受けつがれ、のちにその細目が変容させられたのだ、と主張する。
甘醜p匹3旨とその発展的消滅 一九一
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︵聡︶
なお、最近ギルマンが、グロスと同じ立揚から、その起源を再びとりあげているといわれる。
ついでギールケは、ブリュネックおよぴチーバースの文献を引用するだけで、甘ω区8日の用語の優先問題には立
ち入らず、前述ホイスラーの主張に反対して、封建法学者およぴ教会法学者の概念の基礎にはゲルマン法の観念が存
する、と強調し、甘の器8目を、彼のいわゆるドイツ法において生成しつつある物権として把握される物を求める
債権、の一般的視点から理解している︵9①碁㊦月ψ$M卑﹄$曾。芦︾β目・ざ。。︶。
その後の法史学的研究の諸論文は、一言にしていえば、ブリュネックとグ・スによってなされた基本的な研究を、
その後なされたインテルポラチオ研究の成果をとり入れ、あるいはみずからもすることによって、部分的に修正して
いく、という形をとっている。こうして、一九一一年ヘイマンは、多くのインテルポラチオ研究の上に立って、甘ω
呂器日の用語は封建法学者によって最初に用いられたが、その頃教会法学においても徐々に形成されつつあり、両
者はそれぞれ独立にこの理論ならびに用語を形成した、と主張する︵寒寒§§︶。このヘイマンの主張は、その後、
︵13︶
ヒユプナー、プラニッツなどの著名な私法史の体系書によって引用され、その叙述にとり入れられている。
ところで、ブリュネックからヘイマンに至るまで、以上みた従来の諸学説はすべて、封建法学においてはこの用語
は、一二〇〇年代の終り頃ヤコブス・デ・ラヴァニスQ89霧留図男弩置誌一。占ー旨8︶によって、その著﹃封建
法大要﹄︽のβヨヨ缶留獄民δ︾ではじめて用いられた、と考えてきた。しかるに最近一九五〇年に、フランスの雑誌
で、ヤコブス・デ・ラヴァニスよりも前に、おそらく一二五〇年より以前にナポリの一法律家によって記述されてお
り、したがって、旨ω区冷日の用語の優先の封建法学者に帰せられるべきことは、従来より一層強く主張されうる、
︵U︶
との見解が現われ、翌一九五一年にはドイツでも、コーシヤカーが、それとやや類似の見解をとり、それがヴェーゼン
︵掲︶
ベルクの私法史の体系書にもとり入れられるに至っていることが、注目される。この二つの論文を直接に参照・検討
する機会をえないのは遺憾であるが、われわれの目的からすれば、たんなる用語法の優先問題や、その若干の時期的
ズレそれ自体はさしたる意味はなく、その実質の究明こそが問題であるから、この点は一.応注意しておけば足りよう。
二 本考察の範囲 以上のかの地の研究状況の概観から、おのずとわれわれの考察すべき範囲は明らかとなる。
まず、甘ω&お目という、・ーマ法の見知らぬ本制度の基礎に存すると主張される中世ドイツ法を一瞥しておく
ことが、右の主張の検討、および、封建法学者ならぴにコメンタトーレンによる甘の器おヨの形成過程の理解のた
めに、有用であろう︵第二章︶。ついで、イタリーのレーン法、とりわけロンバルド封建法書ζぼ=。且o旨目と、そ
の学説による発展過程で生まれた甘ω&器Bの形成を︵第三章︶、つづいて、それとの相互影響のなかで生じたとさ
れる、コメンタトーレンによる・ーマ法のイターリ化︵目8同鼠ぎ霧︶の過程での法形成物を︵第四章︶、検討しなけ
ればならない。次に、ドイツの早期普通法学を見る前に、中世教会法における甘ω&器ヨの形成と、それの他の諸
法との関係、とりわけ、その後の市民法上の甘ω匿旨目への影響について、一応の見通しをつけておくことが必要
であろう︵第五章︶。ついで、プ・イセン一般州法の冒ω&器ヨ︵目因8騨麟自留畠①︶の位置づけを知るために、
ローマ法継受後のドイツの早期普通法学説を検討しなければならない。しかしこの時代については、われわれの参照
しうる資料はきわめて少ない。グルフット︵孚§ぎ“︶、ホフマンヘ肉養壽蚕9馨§詳︶、チーバース︵§魯ミS︶、ステ
チンクおよびランズベルク︵の罰§無言vωけぼ鼠夷占§野富ミ︶等の諸著書の簡単な諸学説に関する記述をも参照
置ω費α8目とその発展的消滅 一九三
一橋大学研究年報 法学研究 3 , 一九四
して、それを、ヴィアソカー︵モ蔚§導ミ︶、コーシャカi︵困9罫轟箋︶、デェーリンク︵b簿飛き矯︶などの諸著書をた
よりに位置づけ、そのもつ意味をさぐるにとどめるほかはない。これに関連して、ここで啓蒙期自然法学説について
も一瞥しておく必要がある。周知のように、一般的に、啓蒙期自然法学とプ・イセン州法との関係については、従来
論じられてきたところであるが、正にプロイセン州法の冒の呂8導︵隠国Φo匡国畦ω8訂︶に対する啓蒙期自然法
学説の影響を、従来もなかったわけではないが、とりわけヴィアッカーが最近強調しているからである︵奪価§ぎ3ω
一β一。。高る8︶︵第六章︶。それから、甘の&冨日についての、一七九四年プ・イセン一般州法と一八七二年プロイセ
ン所有権取得法との対照的な規定を、変貌する普通法学説の大勢と社会経済的事情とも関連させて考察し︵第七、八
章︶、さらにそれにつづくドイツ民法典の下での債権の保護強化の複活の諸現象を検討し︵第九章︶、最後に、結ぴと
して、以上の検討を通して得られる、われわれの今後の志向の在り方を考えてみたい︵第一〇章︶。
︵6︶卜鼠§矯韓§貴家巨ω畠窃ギ貯葺9嘗募碧・竃すN魯望。匡Φ鼠昼いΦ督酋H口8。。払。。。。’なお、原田﹁・ー
マ法﹂︵昭三〇年版︶一五二頁、三六六頁以下参照。
︵7︶雪因§§醤3H羨&3目四男Q悶。貸浮壁呂轟轟︵一8恥yω﹄一島ぴ。ω■N一。Pさ。。い,
なお、エルンスト.レヴィーは、本文に述ぺたことは、後期め・ーマ卑族法においても全く同様である、という。肉還象
トミ撃巧o診8目節けく巳頓跨一幽ヨ↓げoず期o出層o℃Φ旨どb匡一帥α①甘巨♪一3ど℃,舘P
︵8︶ ﹁市民法﹂とか﹁市民法学﹂という用語も、人によって広狭さまざまに用いられている。中世ドイッ法、教会法︵学︶、
封建法︵学︶等をも検討する本稿にとっては、それらと区別するための用語として、コメンタトーレン、ドイツ普通法学、近
代諸民法典などを含むものとして、かなり常識的に用いるにすぎない。
︵9︶ 山蕊跨§ド伽舘oは、参考文献としてブリュネックの前掲書を冒頭にかかげ、さ嫡ミ漁臨95鵯ロ塁目8一岳跳吋聲ど
菊o︿自oぼけ段ロ葺δ昌島Φ匹霧α8#ωα①一ヤ四ロ菖ρβ津ρ“H<︵一30y℃℃■一〇〇〇ーNONについての、ヵo︿ρ①げ一ω8艮ρ匡oα①島8津
h旨B巴。。9騨雷ロαq①♪む鋒”やNNωにおける∼■Q9ミqミ馬§の要約的紹介は、チーバースとブリュネックのみを、従来の学
説の代表として引用・紹介している。
︵−o︶S﹃§勲§。。”匹8ぽ畦Φ。馨ぼ国・一言。且o段−因○匡9ω浮2。一〇忌&①︸ひ︾&ひ︵一8高yψ。。&け﹄●︵寒璽ミ§♂ψ
一一ひ刈による。︶なお、ヒンシウス、シュトッツの地位・評価については、b暮試鳶闇ψ器ざ8♪&℃をみよ。
︵n︶韻■陣穿§①、困岩匡一昌①因o。緊茜oψ。匡o拝ρ跨昌9菖巳おo山霧囚ぎけ。p器。耳ωく8q圧9ω葺貫白①冒茸臣、
H ︵一〇ωO︶噂ω’NNU ︾口N口。bの’
︵12︶孚藁&ぎ9§︸凶日牢cげ一〇目<o巨qお冥巷αqαoの貯の注3β︾8三く隔酵国騨昌〇一粧魯窃匹3げ①目①。拝切P二い
︵這Qい︶︵肉9昌“勲PO、による︶
︵13︶調愛昏謹30旨区N凝①αoω麟o暮乙。昌窪勺ユ揖鉾8げ貫頓距ロP︵一〇いo︶あ、一No。ご角・蝕麟註貫O旨巳昌αQoα。のαo暮。。−
昌窪ギぞ彗器昌葺這お一ψ禽・教会法学者フアイネ︵問Φぎo︶の前掲書も、これを引用している。なお、アイスフェルトが、
のデイスセルタチオンで、よき概観を与えているといわれるが︵切蓉§褻−ψ一掌︾昌旨・一9詳器き零騨の﹄曽︶、参照しえ
旨ω粋自話目とその発展的消滅 一九五
しえない。§馬鴇忌 ミ 箏 ψ 8 刈 に よ る 。 ︶
︵15︶ 蚕跨恥忌ミ9¢器剛∴映o鴇ぎ欝ンの︾日げ9器匡8置ざH<︵這蟄︶”︾3寓<○ユo旨巴三︸図く目ぐ潮ψ零O︵直接には参照
︵14︶ 前註︵9︶の藁9憶器の見解。
ないo肉身醤蜀∬ゆ虫貫健のoNβ同○霧oげ一〇げδα霧ごの蟄q8B一囚一〇一胃U一器■︸一89
一橋大学研究年報 法学研究
第二章中世ドイッ法
っO
−甘の”山8ヨの前史1
考察の範囲
一九六
すでにふれたように、純粋のドイツ法は、われわれの問題とは次の点で間接的にかかわりを持ちうるにすぎない。
すなわち、中世ドイツの法形成物を予備知識どして持つことにより、二一一世紀以降の封建法学者が考察の対象とした
・ンバルド・レーン法、ないし一四、五世紀のコメンタトーレンがローマ法を加工して新たな法形成物を創造した際
に考慮した上部イタリーの諸法のドイツ法的性格を確認することができれば、彼らの甘ω&括巨の形成過程をより
よく理解できるかもしれないし、さらには、いわゆる継受後、一六、七世紀以降のドイツの諸学説の基本的立揚、背
景を知る手掛りとなりうるかもしれない、という意味で。したがって、ここでの検討は、それに必要なかぎりで、そ
の基本的な姿を一瞥し、簡単にそのもつ意味をさぐっておけば足りる。
その際、ドイツの法源のなかでは、まずいわゆる部族法の時代のそれを検討すべきであろう。そこでは、まだいわ
ゆる裁判上のアゥフラッスンクではなく、裁判外の譲渡契約がなされていたので、ローマ法の加工者たちが、・ーマ
法のoげ一蒔註oと右の譲渡契約とを混同・融合することの可能な形態が保持されていたと考えられるからである。さ
らにしかし、のちのドイツ市民法における学説を理解する手掛りとなりうるかもしれないので、その後のドイツ法に
おける譲渡契約の推移をも一瞥しておく。これについては、とりわけ北ドイツの法源を検討する。というのは、たま
たま中世ザクセン法の法源を研究したラーバントの財産法訴権についての著作を参照しうるという、私の個人的事情
にもよるが、さらに、一連のドイツ市民法学者が一霧鋒8日を支持した背景を知る手掛りとしては、その地理的環
境上、またザクセン.シュピーゲル︵=二五−三五年︶の権威に頼って、のちのちまでも・ーマ法に抵抗し、その浸
透を受けることの少なかった右の地方における推移を見れば一応足りるのではないか、と考えられるからでもある。
次に、ドイツのレーン法についての諸法書も無視することはできまい。たしかに、ロンバルド・レーン法、とりわ
け馴げユ♂民○凄ヨを解釈した封建法学者の甘の&3ヨの形成過程と、ドイツ・レーン法の法形成物との直掛び
結びつきは論証されてはいないし、また存在もしないと考えられる。しかし、それにもかかわらず、両者において、
基本的に類似の性格の法形成物が見られるならぱ、冒の呂器旨はドイツの法観念と矛盾しない、いな、共通の基礎
の上に成立した、との推測を可能ならしめるであろうし、さらには、それにもかかわらず、両者にいくらかの差異、
変容が確認されるとすれば、それはそれで、その持つ意味を探る手掛りとなりうるであろうからである。
︵1︶
ニ ドイツ法の譲渡契約
一 中世初期 古ドイツ法では、土地の売買行為の要素としての契約と引渡行為とは、封鎖的農業共同体の成員間
において、しかも同じ村落構成員を証人に立てて、一体としての一種の荘厳な儀式行為として、その土地自体の上で
なされなけれぱならなかった。その後、上部イタリーの・iマ卑俗法で形成された私証書の交付による所有権移転
冒の呂8日とその発展的消滅 一九七
一橋大学研究年報 法学研究 3 一九八
茸器庄o℃巽。跨鼠目が、教会の影響の下に導入され、交易の範囲が拡がるや、右の一体化した行為は分解されてく
る︵く管専§鼻ψ這C。こうして、中世の初期には、マルクルフ︵目跨o巳団︶法律文例集︵司9日巴乙。騨ヨヨ置夷︶や、
諸書式︵男9巨巳胃o︶、諸証書においても、多くの揚合、裁判外の譲渡契約を意味する終ポ︵旨一自讐︶、およぴその
ラテン語訳珪匿三〇ー・ーマ法の占有移転を意味するヰ&三〇とは異なるーと、現実のゲヴェーレの移転を意味する
︵2︶
霞呂詳弩5話設9壁とぱ、区別されて用いられている︵切蕊§8鰹ψ軍1一。。︶。実際、ルードヴィヒ敬慶帝︵■琶£αq
q畦牢o聲・5。。軍1。。8︶の八一九年勅令第六条をはじめとして多くの法源は、譲渡されるべき物の存するグラーフシ
ャフト以外の揚所で、契約器智の締結されうることを認めている︵奪§鼻¢さ。。却切惹§恥鼻ψ冥訪昌日﹄︶。
われわれの問題は、この、まだ現実のゲヴェーレを取得せず、たんなるの巴やにもとづく買主の権利の具体的な内
容にある。それは、ほぼ次のようなものであった。
1 契約相手方たる前主に対しては、その物の引渡を請求することができ、彼がこれを拒否するときは、裁判所に
よる現実執行の方法でこれを強制することができた。
2 第三者に対する関係は、二つの揚合に分けられる。
㈲同一前主から、同一物につきその後ω巴陣により権利を取得した第二譲受人に対しては、たとえ彼が現実のゲ
ヴェーレ︵お昌9β︶を取得しているときでも、同様にその引渡を強制することができた。ただ、右の第二譲受人が、
取消されることなく一年間その占有を継続したときにのみ、第一譲受人は第二譲受人に対して、その権利を失った。
回 しかし、同一前主に由来しないその他の第三者に対しては、器ポのみにもとづく取得者は、何らの権利をも主
張しえず、前主による前主自身の権利行使を求めるほかはなかった。ちなみに、右の取得者が同一前主に由来しない
第三者に対して自己の権利を主張しうるためには、たんなるの巴卑のみならず、さらには現実のゲヴェーレの取得
レ8畠宕O①≦①8に高まっていることを要した︵bd蕊§§塾あ﹂o。ーNo。︶。
く霧聾ロ壁をもってしても足りず、彼の現実のゲヴェーレが、特定期間取消されることなく継続してレヒテ・ゲヴェi
︵3︶
︵4︶
なお、2㈲の原則は、不動産にかぎらず、動産についてもみられないではない。とりわけ、北ドイツ法においてこ
のことが動産について行われていたことを、アーミラは明確に報告している︵﹂§蓉福−ψu鋒臣︶。
二・その後の推移 次に問題を二重譲渡の揚合にしぼって、北ドイツ法につき、その後の推移をみておこう。
︵5︶
ラ㌧ハントは、彼の﹃中世ザクセン法源による財産法訴権﹄︵一八六九年︶で、そこでも先にみたと同じく、不動産
の第一契約者は第二契約者に対して、たとえ後者が現実のゲヴェーレを取得していてもそれがレヒテ・ゲヴェーレに
高まっていないかぎり、その物の引渡を請求しうる、という原則が妥当していたことを報告する。そして彼は、この
原則が、再売買権A先買権、売買、質入れ、授封、等々の種々の揚合に妥当していたことを、多くの判決や都市法な
︵6︶
どの諸法源を引用して述べている。
しかしその後、たとえば一四九七年ハンブルク都市法などにみられるように、都市帳簿制度が生じ、裁判上のアゥ
フラッスンクや所有権移転登記がこれに記載されるようになった諸都市では、右の原則は行われなくなり、契約の先
︵7︶
後や占有取得の有無にかかわらず、右の都市帳簿へ記載された者が優先することになった。つまり、商業都市におい
ては、これと対照的な封鎖的共同体による自然経済を基盤にもつラント法上のゲヴェーレ的規制は消失せざるをえず、
︺匿”山8ヨとその発展的消滅 一九九
一橋大学研究年報 法学研究 3 二〇〇
徴税ないし監督的機能を帯ぴたとはいえ、都市帳簿制度による劃一的規制により、同時に取引の需要にも応えたもの
と思われる。
他方、一六世紀の中頃に至っても、すでに当時侵透しつつあった・iマ法、およびそれによって支配的となった物
権と債権の区別を一応知るようにみえながら、それにもかかわらず、第二取得者に譲渡され引渡がなされていても、
︵8︶
第一買主ないし第一債権者が優先する、と規定している法源もみられる。純粋ドイツ法からの脱皮をまだ遂げていな
いものと理解すべきであろう。また、いくつかの都市法によれば、第一債権者は、債務者による第二の不動産の処分
行為を取消すことができる。ラーバントによれば、売主は、第一契約によりその物の自由な処分権能を制約されてい
るから、というのである。なお、これが、ローマ法のいわゆるパウリアーナ訴権︵8試ob鎧一㌶壁︶とは全く異なる
︵9︶
ものであることは、いうまでもない。ここでは、譲渡者のα〇一募も第二買主の3一憂も、さらには譲渡者の無資力
についての買主の認識も、要求されてはいないのである︵卜&§鼻ψN濯R︶。
︵1︶ 中世ドイツ法における物権変動一般については、わが国でも、栗生﹁ゲルマン古法のスケッチ﹂︵法の変動・所収︶一六〇
ー九頁、川島﹁所有権の現実性﹂︵近代社会と法︶一八九頁以下、石田喜久夫﹁売買における所有権の移転時期についてー
その二、ゲルマン法ー﹂︵阪大法学二二号所収︶などがあるが、これらは、甘の&8巨の関連する主たる揚合である二重
譲渡の法律関係については、註できわめて簡単にふれているにすぎない。
以下の叙述は、ブリュネック︵切蕊§§騨︶、ラーバント︵卜&9醤織︶の詳細な法源研究をした前掲著作に主としてより、これ
を、他の諸文献によって補充したものである。
︵2︶ なお、器旦ぼお幹一ε3については、さしあたり、ゾーム著、久保・世良訳﹁フランク法と・ーマ法﹂三六−七八頁、
およぴ、訳者註二九をみよo
︵3︶ だからと云って、たんなる現実のゲヴェーレの取得が、何らの意味も持たなかったわけではない。詳論の余裕はないが、
第一に、証明に関して利益を与えたし、第二に、現実のゲヴェーレを取得していることにより、前主が同一物を第二譲受人に
譲渡し後者のレヒテ.ゲヴェーレの取得により自己の権利を失う、という危険はもはやなくなるし、第三に、二重譲渡の際に、
前主がいずれに先に譲渡鶏蜀したかを想い出せず、当事者もこれを立証しえないときは、現実のゲヴェーレを取得している
ものが優先したし、第四に、それぞれ異なった前主から権利を取得した当事者間においては、彼らのうちのいずれがよりよい
権利富器S霧園8まをもつかを証明しえない揚合には、現実のゲヴェーレを取得しているものが優先した︵切愚き鳶魯”ψ
NひINoo︶。
︵4︶ これにつき、そしてその理由づけについてのギールケ、ゾームをはじめとする多くの諸学説を、駒醤3蟄ψ&中が検討
している。
︵5︶ ここでの叙述は、主として、卜&§8ψま刈−獣による。そして乙れは、その後の体系書、たとえぱ、ooεき辞口H”の.一器
︾昌員一ご9零ぎ馳員ψひ$︾昌5Nなどで、同旨の記述のために、しかもまっ先に引用されている。
︵6︶ もっとも、そのうち、再売買権と先買権とについては、勲&貫口押ψ一訟は、結論的にはラーバントと同旨を本文で述
ぺながら、その︾昌旨■一いにおいて、少くともラーバントの文献では、これらの権利について実証する法源は示されていない、
と云っている。
︵7︶ 卜SR3Sψ曽斜は、閏一匡窃げ9目9深暮簿Φ昌>↓ρoo刈︵b仁富昌RH<,︾bつや賠oo︶︾ω三名p孟R因9窪賂﹄肖艶ヨげβ時槻曾
の鼠︵一貸<・三ミ・ρ口押ピ︷葦dユげげ9竃8げ9器βZ8・一〇潮ψち一を挙げている。
㎞霧陣自8目とその発展的消滅 二〇一
一橋大学研究年報 法学研究 3 二〇二
︵8︶ 卜息§蚤”Oo。bo製に引用されている良o■讐嶺窪臼言o、Rω鼠昌富Pく・一綬ρ︾詳嵩︵≦鉱oげく目ψ曽N︶⋮⋮信けq蓉一一
農&≦Φ巳αq㊦コ首匡伍go韓o囚ぎ中。特&g山o㎏o富8αq一窪げ蒔①サ§αqΦ8巨①け留¢五器の即8げ肉09げ呂一ごgo詳Φぎ①巳
きqR日霞器ヰo“N轟①ω8一一けβ呂。ぼ鴨時ぎ目9名跨ρ伍魯<o旨護島畦き匿げ雪β&一︶①壁一8昌
︵9︶ 凋8菖震○旨■8など。なお、不動産の質入れは、一ヶ月以内なら取消すことができた︵ωぎ三震○巳’8Fの5q質く■
一命Qouロ一ρωρ目費㎎自Oげロ牌の霞国8﹃叶など︵卜&9§鼻ψミ斜h︶。
︵10︶
、
三 ドイツ・レーン法の授封契約
レーン法における授封契約冒語ω§葦一曾巷囎も、先にみた譲渡契約の巴僧嘗註置oと同様に、一つの︵象徴的
な︶契約であり、封の具体的な割当行為とは一応区別される。両者は必ずしも同時になされる必要はなく、法源も、
︵11︶
後者を割当︵田昌譲o誌目αQ︶として留ヨ8巽雷江oと表現し、封の設定行為そのものとは区別している︵囎源か歌雛.ビ暢
窮転ビ螺げけ。,一Φ、の︶。
ところで、右の授封契約によってー具体的割当なくして1家士に取得される権利も、先にみた鶏﹃と類似の効
力をもつ。
− 前主、すなわち封主に対しては、その封を現実に割当てることを要求することができ、彼が拒否するときは、
その意思にかかわらず、みずから取立て、封主による自発的な割当と同じ結果を生ずることができた︵拶諄㈱躯誕蝿因乱。。㎞
に。︶︵警ま奪−さ愚&い ψ 書 ︶ 。
2 第三者に対する関係は、ここでも二つの揚合に分けられる。
ω同一封主に由来する第二受封者に対する関係では、そのいずれもゲヴェーレの割当てを受けていないときには、
契約の早い第一受封者が権利を主張することができた︵膿鵠岬離輩げ臨奮幻.。げけ。け.︶︵警専鼠畢因蔑蕊$華ψ奪一︾けβ総︶.
このより早い授封契約が優先するという原則は、両当事者がたんに授封契約のみならず、ともにそれにもとづくゲヴ
エーレをも有する揚合にも、いずれがより早くゲヴェーレを取得し、ないしは割当てられたかを確認しえない揚合に
は、妥当した︵甑襲臨叶輪鶴誤腿誕酵酔㍗聖。事︶。
しかし、第二受封者が契約のみならず、すでに封を現実に割当てられている揚合に、現実の割当なき第一受封者は
授封契約が早かったということだけで優先しえたか、という問題については、ラーバントによれぱ、ザクセン・レー
ン法はどこにも規定していない、といわれる︵卜&§鼻ψ卜。遷︶。この場合には、おそらく、ブリュネソク、シュレー
ダinクンスベルク、さらにはハインリッヒ・ミッタイスが主張するように、授封契約はあとでも、占有を取得して
︵皿︶
いる第二受封者がーレヒテ.ゲヴェーレを要することなく直ちにー優先したところもあるであろう。しかし、少なく
とも、一四世紀に北ドイツで著述されたレーン訴訟法書田9緩8蒔ピ9目9窪によれぱ、右の揚合、第二受封者が
︵13︶
たんなるゲヴェーレを取得しているにすぎないのであれば、第一受封者が優先し︵S惚︶、第二受封者は、彼のゲヴ
f,レが取消されることなく一年と一日継続してレヒテ・ゲヴェーレになったときにのみーそのときは、たとえ封主
から告げられるなどして第一の授封契約を知っていてもー、保護される︵N。惚︶と述べられており、先にみたテント法と
同す扱いがみられる︵卜息§鼻ψミ曾園遷ミ§爵ωレまo。ご。
甘ω帥己器日とその発展的消滅 二〇三
一橋大学研究年報 法学研究 3 二〇四
以上のレーン法上の規制は、先にみたラント法上のそれとほぼ同じであるが、ただ、封建制の下での授封という特
質上、若干の違いはみられる。すなわち、両当事者がともに同一封主に由来するこの揚合には、その訴訟滋、右の封
︵h︶
主自身がその長であるレーン集会︵匿ゴ旨9︶で行われたので、その主宰者たる封主自身がその訴訟に一方当事者を
代表して登揚する、ということは原則としてありえず、ただ、他の方法では一方の権利が他方よりもよりよい権利
げ霧器お巴謂。馨であることが証明されず、授封契約の有無、およぴその先後についての封主自身の知識が、結局は決
め手になるほかはない揚合にのみ、宣誓の下に登揚することがありえた︵即.鶴雄ー。げ昌..︶。
@ 次に、両当事者が同一封主に由来しない揚合には、ωの揚合と異なり、より上位のラント裁判所で審理される
のであるが、ここでも、先にみた墨富の揚合と同じことが妥当する。すなわち、受封者たる家士の独自的な権利主
張は、たんなる授封契約を根拠としては認められず、彼がゲヴェーレを取得し、しかもそれが一年と一日の継続によ
リレヒテ●ゲヴェーレに高まったときにのみ、可能であった。この要件をみたさないかぎり、彼の封主による封主自
身の権利行使に依存するほかはなかった。
︵15︶
そのほかに、両当事者が異なった封主を有し、したがって、より上位のラント法裁判所で、ともにそれぞれの封主
によって代表されるべき揚合には︵<鷺亀§勢・い9畦o。耳ψ鰺ひ卑︶、その封主間でのよりよい権利げ霧。。R霧因9辟
が優先した︵㎎。臨幹ゆ慮幅け︶。 この揚合、一方の家士の封主だけが出頭して自己の家士を代表する揚合には、他方の、い
わば自己の封主に見捨てられた家士は、レーンを失い︵鋳.鞭、、.︶、自己の封主に対する損害賠償の請求で甘んずるほか
はなかった︵雅罪舶醤毘.一㎜駕.︶.
︵10︶ 以下のレーン法についての叙述は、主として、ブリュネック︵切蕊き慧鼻︸ψ旨ー鴇︶により、これを、ラーバント︵い申
昏§画︶、シュレーダー”クンスペルク︵の罫&警?肉母昌きミ喰︶、ヘイマン︵霞&馨9§ド︶などによって補充・要約したものである。
なお、ザクサン.レーン法については、金沢﹁ザクセン・シ.一ピーゲル・続﹂早稲田法学別冊第九巻の邦訳がある。
︵11︶ なお、レーン法における授封契約の具体的な諸相については、さしあたり、ミツタイス・法制史一二二頁以下、ゾーム・
︵12︶雨蕊§S鳶ψ器F︾ロヨ,汐留専鼠cら下肉爲蕊ぴミ翁ψ食一≧巨﹄N ミ鉢§硫層討巨8。算¢頓o一い
一三三頁訳者註三七をみよq
なお、ブリュネックはそこで、ザクセン・レーン法の鴇㈱ωをも引用しているが、蚕&≒器§声ψに$︾臣一Nは、本条
︵B︶ ミッタイス・法制史三一八頁参照。
はレヒテ・ゲヴェーレを要しないという趣旨までを含むものではない、と反論して、ラ㌧ハントと同じ理解を示している。
︵14︶ もっとも、封主は裁判長として訴訟指揮を行うのであって、判決自体は、封臣からなる判決発見人団によって作成された
︵世良﹁封建制社会の法的構造﹂六五頁︶。なお、ラント裁判所は、家士の間の封をめぐる係争には、次の揚合にのみ関与した、
すなわち、両当事者に、訴訟中、自力救済を避けるために、係争物の占有取得行為を禁ずるかぎりで︵切蔦§謹鼻ψ︾ロ曇
一頓︶。
︵15︶ なお、封建制に特有なものとして、封主が出頭して自己の家士を代表すぺき揚合、これをしないときには、家士は自己の
封主の上級主君︵○げ。り幕睦弓︶に請願して、封主に右の実行を命じさせることができ、封主がこの命令にしたがわなかった場
護される、ということがありえた︵b目養§壽簿︸堕ま︶。
二〇五
合には、封主のその物についての権利は失われ、家士はその上級主君からその物を授与され、彼の権利によって第三者から保
冒の&お琶とその発展的消滅
一橋大学研究年報 法学研究
四 総
3
二〇六
⑪§鮮ψNまR︶。さらに第二に、これに関連して、甘ω器崔昌にかぎらずひろく物権変動につき、いかにして所有権
されているが、すでに一八六九年ラーバントが、中世ザクセン法の法源を検討した際に、適切にも警告している︵客−
右にみたかぎりでの中世ドイツ法にとっては無縁のものだからである。このようなことは、最近ではわが国でも意識
要がある。これは、・iマ法の学問的加工により一九世紀パンデクテン法学のかちとった成果であって、少くとも、
まず、ここでわれわれは、第一に、今日の形態での物権と債権とへの権利の分類という思惟方法から解放される必
握することはできない。
わが国にも、このような傾向に属するもののあることは、当然であろう。しかし、これによっては、ことの実相を把
ンデクテン法学を通しての説明のために、せっかく掲げる資料までが、その利用価値を損なわれている︵恕言§§︶。
︵18︶
ックの所説を要約し、さらにひろく所有権取得一般の歴史的検討をしているフランツ・ホフマンにおいては、そのパ
ねに物権契約と呼び、それによって生ずる権利は相対的物権である、と強調している。甘ω区お目につきブリュネ
もとづいてはじめて本格的に検討したブリュネックですらも、この例にもれず、中世ドイツ法の譲渡契約ω巴”をつ
︵17︶
入れて理解しようとして、腐心している。すぐれて非・iマ法的な実質をもつ旨。。&8目を、豊富な第一次資料に
︵16︶
パンデクテン法学の洗礼を受けた一九世紀以降のドイッの法史学者の多くは、これを・ーマ法的な権利の分類にくみ
一 ところで、右にみた、ー現実のゲヴェーレの移転なき1譲渡ないし授封契約、およぴその複雑な諸効力につき、
括
は取得されるか、という抽象的な形での問題の提起の仕方自体も、放棄されなければなるまい。当時のドイツには、
質的に他から区別された今日の意味での抽象的絶対的な所有権概念自体がすでに存在しないのであるから、このよう
な形での間題の設定には、法源は答えようがない。譲渡契約は物権契約か債権契約か、それだけで所有権は取得され
るのかしないのか、という問題の提起の仕方で出発する歴史的研究が、この時代については、先にみた複雑な法律関
係に直面して適確な解答を見出しえず、無理押しのみが目立つのは当然の成り行きである。法源はつねに、具体的な
問題を論じるだけである。たとえば、すでにみたように、いかなる行為のどの段階から売買や授封は有効なのか・つ
まりそれは、どの段階で誰が誰をどのように訴えうるようになるということなのか、二重譲渡の揚合には、各当事者
はどの段階でどうなるのか、等々という形で。
ハリロ
すなわち、結論をいえば、このような規制を支え、成り立たしめているものは、近代法とは異質的な、古ないし中
世ドイツの社会経済的機構そのものの法的反映であるゲヴェーレ法そのものにほかならない。つまり、土地所有につ
き、質的ではなく量的な権利の強弱の問題として、譲渡契約によりすでに取得している観念的ゲヴェーレと、相手方
の現実的ゲヴェーレないしはレヒテ・ゲヴェーレとの間で、よりよい権利げ。器R霧幻9窪を持つ者が・相手方のゲ
ヴェーレの権原は弱いとして、引渡を要求するのである。法源がこの揚合の引渡訴権のために、こ鵯≦R①ぼ8ぎ眺.
という表現を用いるのを常としている、と言われるのは︵卜&§鼻¢曽。︶、正にこのことに照応しよう。物権・債権
という・ーマ法的な近代法の権利ないし訴権の観念をもち込むことを強く拒否したラーバントが、北ドイツ法におけ
る種たの権利の二重処分についてのほぼ共通の規制につき、契約をすることにより譲渡人はその不動産の他への処分
旨のρ自磯o.昌とその発展的消滅 、 二〇七
一橋大学研究年報 法学研究 3 二〇八
を第一契約者のために制約されることになり、それにもかかわらず第二の処分によりこの制限を侵害するから、被害
者である第一契約者はこの処分を取消し、占有者にその物の返還を請求しうるのだ、という簡単な原則にもとづくと
主張し︵卜&§魯ψミひPげ$ミ。。︶、さらには、ラーバントの著者を参照・引用しているギールケが、ゲヴェーレに
着眼して、ドイツ法では物を求める債権は生成しつつある物権であり、それ自体、物との関係をもつ、とのわれわれ
にも周知の把握の下に、そのことから二重譲渡の揚合の第一契約者の優先の現象を説明するのも︵象。憶鳶。㍉目あ.ひo。。団.︶、
物権・債権という用語法は一応気になるが、同じ現象を外面的に説明するか内面的に把握するかの違いがあるだけで、
帰するところは、先に述べたことと同趣旨であろう。
本稿の目的からは、右のことを明確に認識しておけば、一応足りる。ゲヴェーレ、およぴそれを支える社会経済的
基礎の一般論については、すでにわが国でも分析がなされている現在、さらに.︸.︼で立ち入る必要はあるまい。こ.︶
では、通常の譲渡契約とレーン法上の授封契約とが、ほぼ類似の規制をしていることについて、簡単に補足しておく
にとどめよう。
建制とかレーン法というとき、そこでの授封をめぐる封主と封臣、ないし封臣相互の規制は、階層的、権力秩
このことは、次の事情によると思われる。
のみよく理解しうる点もあるが・その大筋においては、ラント法上の譲渡契約の法的規制とほぼ類似のものであった、
ない。しかるに事実は、たしかに、裁判管轄などとも関連する細かい点では封建制機構の特質に由来すると把握して
序的な組織を基盤として、通常の譲渡契約とは全く異質的なものであらねばならない、と考えるむきがあるかもしれ
一一
︵艶︶
封建制という用語は多様に用いられているが、さしあたり、われわれの問題として法制史的にみれば、封臣の側で
託身︵8旨目窪鼠岳o︶と忠勤義務を誓約することにより成立する家士制︵<暫撃臣鼠け︶という人的要素と、封主の側
で封を授与することを内容とする恩給制︵田話評芭≦霧雲︶という物的要素との結合からなる、というのがオーソド
ックスな把握の仕方である。しかしながら、この封主と封臣との関係は、決して盲目的身分的隷属関係ではなく、封
の設定契約を媒介とする自由人の自由人に対する主従関係であり、両者の双務的な誠実義務関係であった。つまり、
ヤ ヤ ヤ ヤ
封臣は、封主に対して誠実義務を負うと同時に、封主の側での誠実義務の遵守をも要求することができたのである。
その意味で、両者の関係億、一面では支配・服従関係であったが、他面では対等関係であった。もっとも、家士制と
恩給制との結びつきは、国により、時代により同一ではない。フランスでは、一〇、一一世紀に封建制が強度に確立
され、国王は封建的ヒエラルヒーの頂点に立ち、封建制を通しての国家統一が行われえた。しかし、ドイツーおよ
ぴイタリiIでは、貴族がみずから開拓した土地は最高封主たる国王とはかかわりなき開拓者たる彼自身の私有地
︵︾一一&︶とみなされたことや王権の衰徴もあって、封建制による国王の国家統一は行われえず、封建化は不徹底の
ままで、権力は分散していた。そこで、あまたのレーン法が生じ、かつそれはそれと並んで存する荘園法、ラント法
等とともに、一個人のすべてをではなく、個人の生活関係における、それぞれの一側面を規制しうるものどしてとど
まったにすぎない。こうして、封臣は同時に数人の封主をもつことが可能であった︵Uo竈巴奉器臣蘇け︶のみならず、
他人の封臣となることは何ら不名誉ではなく、むしろ、封を取得することが富を獲得する一つの手段ですらあった。
このような事情であったから、授封をめぐる法律関係が、ラント法上の譲渡契約のそれと類似のものに接近す、⇔のほ、
岩ω帥匹8Bとその発展的消滅 一.一〇九
一橋大学研究年報 法学研究 3 一二〇
見易い道理である。なるほど、封をめぐる争いは、原則として封主を長とするレーン集会で裁判されたが・しかしな
がらそのときですらも、判決は、問題の受封者と同輩の封臣からなる判決発見人団によって評議・作成されるのであ
ったから、これとても結局は、封主と封臣間の右の関係の影響を免れることはできなかったし、レーン法上の規制の
ラント法上の規制への接近を妨げうるものではなかった。こうしてドイツでは、フランスとは対照的に、レーン法の
っな
公法的機能は衰退し、私法的機能が強く作用した。レーン法は私法化し、封臣権は強化され、法制史家のいわゆる物
権化<。目&コ笹一畠ロ昌のを生じた。封主の死亡︵閏①旨曾壁εや封臣の死亡︵冒き畦巴一︶にかかわらず、封が実際上
世襲される授封強制、封主は家士が勤務・誠実義務に違反する揚合にのみ封を取り上げることができ、かつ、それ以
ハれロ
上のいかなる制裁も課することはできないこと、したがってまた、家士は封を返還しさえすればいつでも勤務・誠実
義務から免れうるものであり、家士は、勤務するがゆえに封を取得するのではなく、封を取得するから勤務するにす
ぬロ
ぎない、という観念の発生などは、その現われである。先にみたレーン法上の授封契約のラント法上の譲渡契約との
類似の規制は、このようなレーン法の私法化、封臣権の物権化、封の私法的財産化、という現象の一環として把握す
レ
るとき、よくその意味を把握しうるものであろう。
ともあれ、われわれの甘ω鑑冨誉の形成、その直接の起源は、このゲヴェーレ法のローマ法的私法化への変質ま
で、さらに待たなければならない。
︵16︶ たとえぱ、ゾームは、ドイツ法における譲渡契約ω巴国は物権契約であり、これだけで所有権が取得される、とし︵蜀
向。ぎ為励節β=昌磐ロ象Φ触喜β轟≦Φ富仁・。M含邑、ハインリソ芽ミずイ姦、喜楊権的彊契約で蓼・
ぎ<①ω菖けξの附加により所有権取得は完成される、と表現する︵ミッタイス・私法一七八頁以下︶。これに反し、シュトッベ
は、第三者に対しても効力のある債権だとし︵qQε寒。”一Fψ一鵠h︾ロ導置︶、アーミラは、売買契約自体は物権的にでは
なく、債権的に作用すると述ぺつつ、これにいわゆる状態債務的な説明を附加してつじつまを合わせようとしている︵﹄ミミ3
一︸¢伽顕︶。さらにはホイスラーは、ゲヴェーレはローマ法の物権であり、しからざるも砂は債権であって、中世のドイッ法
にとって相対的物権などというものは実在せず、すぺては右のいずれかに分類されるべきだ、とさえ極論する︵騨鋸N3押
吻Nゆ刈N︶。
︵17︶本章の叙述も、多くをプリュネックに負うが、彼の着色された歪みは注意深く修正しつつ、検討を進めたつもりである。
︵18︶ たとえば、石田︵喜︶・前掲論文。
︵19︶ 第一、第二の点、およぴ第三として、引渡主義とのみ公信主義ないしレヒツ・シャインはつながるとの観念の否定は、一
九四〇年にプラントが所有権取得理論を検討した際に強調している︵駒養§鼻ψ&R︶。
︵20︶ 上原﹁封建制概念の多様性﹂︵思想昭和二五年二月号︶、同﹁封建制度研究における一傾向﹂︵独逸中世史研究.所収︶一
一〇頁以下、世良﹁封建制社会の法的構造﹂九頁以下、増田﹁西洋中世世界の成立﹂八章など参照。
︵班︶ これについては、世良﹁封建制成立史序説﹂︵昭二三年︶がある。
︵22︶ 以上については、歳嬉謙9漁いoげβ冨oけご¢蟄ooIUωご警昌9冨︸U醇ω鼠暮山①ωげoげoロ目凶蓉巴巴8房︸≦巴ヨoJ“距βP
︵一〇器︶ψ霧曾ミソタイス・法制史一〇六頁以下、二〇八頁以下、二四七頁以下、世良﹁封建制社会の法的構造﹂第二節。
︵23︶ ラーバントは、かれの中世ザクセン法源の研究にあたり、レーン法の法源とその他の諸法のそれとを全く区別する乙とな
ならないが、ともかくも、封建法上のインヴェスティトゥル︹授封契約︺は、フランクの土地所有法によって形成された一つ
く検討しているほどであり、さらに、ゾームは、一般的に彼がフランク法の影響を強調しすぎる点は慎重に吟味されなければ
甘の騨自3日とその発展的消滅 三一一
一橋大学研究年報 法学研究 3
の法律行為の一適用例にすぎなかった、とさえ主張している ︵ゾーム・三五ー六頁︶。
第三章 ・ンバルド封建法書とその学説による進展
ま え が き
二一二
ここでわれわれは、眼を上部イタリーに転じて、ロンバルド・レーン法、とりわけロンパルド封建法書臣ぼ=窪−
3三目と、その学説による冒の匿3葺の形成を検討しなけれぱならない。しかしその前に、ロンバルド法の一般
的性格、およぴ=ぼ=。鼠o控旨の成立について一瞥しておくことが、あとの考察のために必要であろう。
ゲルマン人の中ではもっとも法律的理解力にすぐれた部族であったと評される旧ンバルド人は、五六八年にイタJ
iへ侵入し建国した。彼らはそこで、ドイツ地方と異なり・ーマに近いという地理的環境、および彼らの征服後も・
ーマ人を荘民とする荘園内では・iマ法が適用されたこと、ゲルマン法に対するロ﹂マ法の学問的な高さなどから、
本来のゲルマン的特徴を保持しつつも、徐≧にローマ法の影響をうけ、両法を混同融合させて独自の法を作っていっ
た。このような・ンバルドの特殊の情勢は、その後七七四年のフランク王国のロンバルド征服、それにつづくドイツ
皇帝のイタリー君臨によっても脅かされることなく、のちのちまで続いている。そしてこのような学間的伝統こそが、
ロンバルドにおけるローマ法やレーン法についてのグロサトーレン、コメンタトーレンを勃興させる基盤ともなった
のである。
︵1︶
ところで、ここで・ンバルド封建法書ピ一げユδ且o旨ヨについて述ぺれぱ、ー1
前章末尾でドイツ・レーン法について述べた君主権の弱化・封臣権の強化.そのレーン権の物権化、という現象の
一環として、ドイツ国法コンラートニ世︵囚目鴎帥山耳さ巽ーε$︶は、一〇三七年に、レーンの不可奪性、相続可能性、
封主による受封者の同意なき譲渡の禁止などの親封臣的なレーン立法の発布を余儀なくされ、その後も、一二二六年
の。タール三世︵ぎ浮胃目ロ一撃−一一鴇︶の立法などが続いた。これらのレーン立法を、二世紀末以来、・ンバル
ドの法学者は、ローマ法的な解釈技術を用い、さらにはミラノのレーン慣習法をも顧慮して、次々に註釈を加えてい
︵2︶
った。これらの諸註釈を一三世を通じて集成したもの、それが、われわれの検討する=ぼ一3&o窪目である。そし
てこれは、長い間、中世レーン法の古典的な記述とみなされ、研究されただけでなく、註釈学者の手を経ただけに、
ローマ法大全Oo壱富宣岳9≦冴を補足するものとみなされ、のちに、その新勅法乞○︿〇一一器の末尾に附加され、
いわゆる・ーマ法の包括的継受の際にドイツにも公式に継受された。もちろんそれ以前にも、事実上ドイツに何らか
︵3︶
の影響を及ぽしていたであろうことは、考えられることである。このような作成の経緯からして、=げ.伸8且。.ロ目
が、前章でみたドイツの諸レーン法に比し、かなり・ーマ法的色彩に染まった著作になっているであろうことは、容
易に理解しうるところである。
︵1︶ ミ龍9匙ミ”㈱鳶蹴跨罫騨§の頓9栗生﹁中世イタリイにおけるローマ法の運命﹂︵法の変動.所収︶、三戸﹁90器暮9雪,
国①器b菖8法理論﹂︵法哲学講座第二巻・所収︶、船田﹁羅馬法﹂︹一八五︺以下、同﹁法律思想史﹂一二七頁以下、ミッタ.イ
ス・法制史一三〇頁。
甘o。芦山3目とその発展的消滅 二一三
︵2︶
︵3︶
頁、
卜罫ミ9§声の目臣o↓臼$巨≦ざ峯β昌㎎山霧いP昌讐び跨白ω畠窪■①ゴ員8げ房にその成立史が詳しいQ
一橋大学研究年報 法学研究 3 二一四
ミミ塞3UΦゴ昌8騨−の,$℃R、8轟自こ魯諺匙$一段露救幹蟹ρ8∫ミッタイス・法制史二〇九頁以下、 同・私法二〇
ゾーム・一三八頁訳者註四七。
ロンバルド封建法書糧びユ囲窪曾葺目
︵4×5︶
一一・蜀ま⑰頴﹁授封契約︵8民oぎく霧§賃暫︶がなされたのち、占有︵写器3巴o︶を移転する前に、主君が
ることを承認した。
− そこで彼らは、前王すなわち授封者に対しては、ドイツ諸法におけると同様に、封それ自身の交付を強制しう
それと同様に、物それ自体を追求しうる一定の効力を適つ、という前提から出発したことはいうまでもない。
一 まず臣σ.一8民o謹日の編纂者らが、授封契約旨語隆9挙にもとづく家士の権利を、前章でみたドイツ諸法の
レ的規制の付与しうる枠を遙かに越える強い効力を認めている。
iマ法の法技術を用いることにより、授封契約置お鋒葺壁によって受封者に付与される権利に、先にみたゲヴェー
︵7︶
を如実に読みとることができる。しかも=ぼ=窪3旨Bの編纂者らは、彼らによって公然と法源性を承認された・
き、はたせるかな、われわれはそこに、ドイツ・レーン法のゲヴェーレ的規制からの脱皮と、そのローマ法的着色と
=げ二け猛o旨糞における︵象徴的︶授封契約ぎくoω葺β壁1ここでのご語甕ε審は、もはや古ドイッ法における現
︵6︶
実のゲヴェーレの割当を意味するそれではなく、むしろ象徴的な授封契約募一①旨鑛を意味する に関する諸規定をみると
二
後悔すれば、彼は家士に利益︵損害一艮段霧器︶を償うことによって解放されるかが問題とされた。解答は次の
通りである。前述の︹”損害賠償の︺判決によるのを差し控えて、主君は、彼が授封した封の占有を引渡す
︵8︶
︵言註巽①︶ことを強制される、と。﹂
この命題は、明らかに、債務者の意思のみにかかわりをもつローマ法の債権o亘一撃ぎ概念とは矛眉する。・ーマ
法の一フラグメントによれば、譲渡の意思表示をしたのち、その引渡前に債務者が後悔し引渡を拒絶すれば、債権者
ソ
は、金銭賠償はともかく、もはや償務者から引渡を強制してその所有権を取得することはできなかったのである。さ
れば.一そ、ア一こでも、主君は授封契約をした家士に対して損害を賠償することにより、占有の引渡から解放されえな
いかが、問題とされたのであろう。そして、1現実のゲヴェーレが占有℃8器裟oと、引渡がぼ鼠①冨というふうに。ー
マ法的な用語で表現されるようにはなっているが 結局は、先にみたドイツのラント法およぴレーン法と同様に、その
引渡が強制されることに決着しているわけである。
2 第三者に対する関係は、先にみたように、ドイツのラント法およぴレーン法では、ゲヴェーレの規制に鵡とづ
く特有のものであった。そのような物権でも債権でもない複雑な効力をもつ中間的な︵?︶権利は、ゲヴェーレ法と
は異質的な基礎に立つローマ法の見知らぬものである。そこで、その、一定の揚合に第三者に対して効力をもつ面に
着目した犀ぼ=窪3旨菖の編纂者は、これを・ーマ法の構成で註釈したとき、ず心で⑪第三者に対して絶対的効力
をもつお一くぼ象8鉱oに準じた対物訴権である、と構成せざるを得なかった。
戸﹁o。ゆ一﹁しかし、恩給地︵σ窪39§︶として適法に授封された︵ぎ話昌鼠。︶物につき、家士は、かだ
冒ひ区8ヨとその発展的消滅 一=五
一橋大学研究年報 法学研究 3 二一六
か翰所有権者伽やテP、か心で0占有者に対し︵包。奉蕊b8ω箆窪富︶、その返還を請求し、かつ、もし彼がそ
の物につき他人から訴求されるときは、抗弁︵留澄拐δ︶を用いることができる。﹂
もし彼ら編纂者が、・ーマ法の原則を貫徹しようとしただけであれば、・iマ法の譲渡契約では引渡︵け目魯鎌餓。︶に
よって所有権者となり、そのときにはじめて≦注8緯δ︵返還請求︶を認められたのであるから、それ以前のたんな
る契約の段階に相応する授封契約にもとづく家士の権利には、むしろ註&一B§は拒否されるべきであった。しか
ヤ
しそれでは、授封契約だけで一定の第三者に対する請求を認める当時の土着の慣習法に即応しない。編纂者が、﹁あ
だが翰所有権者⑪おテP返還請求する﹂︵言蕊蓉蓉3旨旨霧・・⋮§毯賊く旨象88︶﹂と表現したのは、その腐心の現わ
れと解すべきであろうか。しかしながら、ともかくも、現実の占有移転を受けていない、たんなる授封契約にもとづ
く家士の権利に物権訴権に準ずぺきもの邑く冒象。魯δ暮臣の︵?︶を認めることは、ローマ法の譲渡契約の効力を
のみならず・ゲヴェーレ法にもとずきいわば相対的にのみ対物的な効力を認めるにすぎない・ンバルド法の現実をも
遙かに越えることであった。そこで、のちにみるように、その後このような把握に反対して、同じ=げ擁一団Φ鼠o吋β目
のなかでも、その特別の章︵○巷一9一即目蓉壁o民ぎ胃壁︶では、これだけでは債権だとの見解も現われる結果となった
のであ る 。
二 それはのちにみるとして、ともかくも、このような・ーマ法的私法的構成のみによっては、授封契約の規制を完
全にカバーしつくすことはできない。そこには、先にみたドイツのレーン法にも存在したような、ドイツ国王のレー
ン立法が考慮した封建制社会に特有な法規制もやはり必要とされた筈である。また、土着の封慣習法も、このような
純私法的規制につきるものではなかったであろう。
そこで、家士と第三者との恩給地をめぐる紛争につき、家士に独自の訴訟追行権を承認した員コ&とは対照的
に、一一五六年のフリードリッヒ・バルバロッサのラント平和令から採り入れられた月劉ミ㈱o。は、封主を裁判
︵10︶
所へ招喚し、彼の証言によって裁決すぺきことを規定している。また、犀げ鼠3鼠o旨日には、ミラノの封慣習法も
記述されている。戸男睾吻一によれば、ミラノでは、同一主君に由来する二人の同輩の家士の間の訴訟では、封主
たる主君によってその者に授封すると保証され、かつ故意なくして︵巴器ヰ窪号︶占有している家士が、特に相手方
︵n︶、
家士が前者の占有の無効であることの特別の事情を証明しえないかぎり、勝訴する、というのである。ア︼れらの諸規
定は、明らかに、授封契約にもとづく家士の権利に対物訴権を承認する前掲口﹄●G。脅とは矛盾する。さらに、た
んなる授封契約によってワ1マ法的な対物訴権が付与されるとの見解が、必ずしも当時のすべての封建法学者に滲透
し支持されていたわけではなかったことを、前掲員コト。α㈱頃も明らかにする。すなわち、そこでは、結論的に
は否定されたけれども、授封契約だけの段階では封主は封の引渡の現実執行から免れうるのではないか、という反対
の見解が一応問題とされているのである。
三 これを要するに、■5ユ♂且o旨日においては、非ローマ法的“ゲヴェーレ的規制に支えられた対象を・iマ法
的立場から把握することにより、授封契約のみにもとづく家士の権利は、封主に対して引渡を強制しうるのみならず、
すぺての第三者に対しても、器一三民89δ類似の訴権によって保護される、という見解が優勢を占めたが、これに
反対する見解も若干現われており、また、非私法的”封建制秩序に特有の規制も記述され、いずれかに徹底し論理的
冒のp山器ヨとその発展的消減 一二七
一橋大学研究年報 法学研究 3 一二八
に割り切れることなき状態を示していた、ということがいえる。このことは、しかしながら、当時の封建法学者の・
ーマ法に対する知識の程度、したがって論理一貫せる概念の明確な把握の欠如を想うとき、やむをえない結果だった
︵m︶
と考えられるのみならず、そもそもその対象が、ほんらい非・ーマ法的、さらには部分的には非私法的なレーン立法
と封慣習法であってみれば、むしろ当然の成り行をであった、’といわなけれぱなるまい。
︵4︶ テクストとしては、前註︵2︶所掲のカール・レーマンの文献の口H・Ooロ誰09自ぼ霧h窪自o旨ヨを利用し、なお、ドイ
ツ語訳O§あ罫&調鳶−望§恥獣9U器8G霧一賃δ9≦冴︸く月邦訳・法学論叢六二巻五号、六三巻一、二、三号をも参照
文は必ずしもこれに従っていない。
した。もちろん、本研究を通して得た私の理解によれぱ、右の諸訳には適訳だとは考えられない部分もあるので、以下の引用
︵5︶ 以下の本章の叙述は、主として駒蕊詳§匙いψ総1ひ一による。煩をさけるため、特に必要のないかぎり、ここでもその
いちいちのぺージは掲げない。
︵6︶ HH噂国N℃け﹁たしかに、ぼくoの菖ε雷と名づけられるのは、本来は占有︵b8器器δ︶のことである。しかし、それから
転じて、授封︵置く窃試9βB︶をなすと云って、封主から槍ないし他のいかなる物にせよ有体物が差し与えられる揚合、その
こ と が 、 ぼ く ① の 菖 一 ロ 擁 騨 と 呼 ぱ れ る の で あ る 。 ﹂
︵7︶ Hど閂一℃P﹁その審理がしぱしぱがれねれに委ねられる訴訟のうぢ、あるものは確かに・ーマ法により︵冒8因o目蟄旨o︶、
他のものは反対にロンパルド法により、さらに他のものは、王国の慣習法によって裁判される。⋮⋮封に関する裁判において
は、ローマ法︵自β島︶はわれわれの法とは矛盾するのが常である。しかし、・ーマ人法︵一罐Φω男oヨ塁器︶の権威は決して
軽視すぺきものではない。ただ、慣習︵ロ雲目蟄暮目9霧︶を越えるほどのカはもたない、というだけである。しかしながら、
封の慣習の見知らぬ事件が生じたときには、厳絡な法律家は、書かれたる法︵一賃ωR首蜜︶を、濫用なく︵呂呂器o巴田亭
三騨︶、用いることができるものとする。﹂
この・ーマ法の・ンバルド.レーン法における法源としての承認は、ローマ法の著しい進出として注目すぺきである。ロン
パルド人のイタリー侵入の当初は、・ーマ法は荘園内において・ーマ人にのみ事実上黙認されたにすきなかった。・ンバルド
王リウトプラント︵獣窪な旨ロ9葺い−冨ω︶に至ってはじめて、親族・相続事件にかぎって、ローマ人に属人的に・ーマ法の
適用を正式に承認し、フランク王国に至って、同じくローマ人にかぎって属人的にローマ法の適用がすべての事件に承認され
た︵栗生.前掲、三戸.前掲︶。しかるに今や、非ローマ人にも、しかもレーン法についても、・ーマ法の適用が肯定された
のである。しかも、慣習を破るぺきでないとの規定にもかかわらず、慣習が明確に確立されていない揚合には、封についても
ローマ法が守られるべきものであった︵蚕ミ包ミ矯H一ψおさa︶ことを想え。
︵8︶ なお、本条は、次の規定の後段と矛盾するものではない、HH一男刈㈱一﹁ところで、授封契約がなされ、ついで忠勤契約が
行われると、主君は、授封者に空位の占有︵︿8轟℃○ω。。霧巴o︶を得しめるぺく、あらゆる方法で強制される。もし彼がそれ
を遅延すれぱ、彼はすぺての利益︵賠償9葺鼠。。︶を支払うものとする。﹂けだし、後者でいう支払うぺき利益︵ロ琶詳器︶と
は、いわゆる填補賠償的なものではなく、物の引渡義務の存在は当然に前提されて、いわゆる遅延賠償を意味するにすぎない、
と解されるからである︵騨鋸騨3押¢総N︾昌目ひ︶。
︵9︶ピαU﹂oα8暮・$・軌﹁ある人が私に、贈与として、彼の石切揚から石材を採掘することを承諾しているときには・その
石材が採掘されるや否や、それは私の所有物となる。また、彼は、その運搬を妨げて、私からそれについての私の所有権を剥
、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 ︵ 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、
奪するア︼ともできない。けだし、それは、いわぱ引渡しによって私の所有物になっているからである。⋮⋮しかしながら、か
る人がそれを取ることを彼のために承諾するよう、私からその権利を買い、あるいは賃借したが、彼がそれを取る前に私が後
甘の簿α冨ヨとその発展的消滅 一二九
一橋大学研究年報 法学研究 3 ニニO
悔いだいぎP愉・ひ⑪石枠脚秒⑪酔替物ひかい少が串かつ︹これに反し︺彼が採掘したのちに、私が後悔しても、私は彼の行為
を徹回することはできない。けだし、それがその所有者の意思に添って採掘されたと、’。には、いわば引渡がなされたのだ、と
解されるからである。この石材において妥当することは、伐採された樹木において︹後悔が︺生じたときにも、正当である。﹂
︵10︶ 本文所掲の目・男・参については、法学論叢六三巻二号27頁を、目H・雪鴇⑳ocについては、同12頁以下、とりわけ14頁
を、さしあたり参照されよ。
︵11︶ 芦コ睾㎝一については、必ずしも意味の明確な訳文とは云えないが、さしあたり前掲法学論叢22頁をみよ。
︵12︶ たとえば、このことは、Uぎ昌牢β3艮日の編纂された時代に属する一一三六年に生存していたアリプラント︵﹄蕊始醤昌亀︶
のロンパルダ︵Uo日げ胃q即︶についてのコメンタールからもうかがえる。すなわち、・ンバルド法の第三章第八節﹁授与され
る恩給と土地について﹂の彼の註釈で︵呂♂叩ピ緯茜oげ﹂一σ昌H︸菖壁<H戸号び窪89冨9け霞H諺訂ぎ50註ω︶、彼はい
う、﹁恩給は授封契約によって取得される。その結果、主君は鼠お︵所有権ならぴに占有を移転すること︶の債務を負う。,
⋮﹂︵O垢二9㎏び窪呂oε日ぼく窃江ε轟︸暮o匡蒔彗墓。。津3日一昌塁陣α魯猛に旨、⋮←と。すなわち、封は授封契約のみ
によって取得されると云いながら、それにもかかわらず、主君はそれを移転すぺき債務を負う、と付言することは矛盾である
との認識、つまり、物を直接支配する対物権と、物とは直接のかかわりはなく、人の行為を要求しうるにすぎない対人権、と
いうローマ法的な権利概念の明確な論理一貫した認識は、まだここにはない、と解すべきであろう︵鳶蕊醤還鼻、ψ章抄ψ占
診昌目。ρN︶。
三 学説による甘ω&お巨の形成
次にわれわれは、右の犀げユ8琶○鐸旨における授封契約にもとづく家士の権利の、その後の封建法学者の解釈作
業による加工・発展をみなければならない。その際、甘ω器3巨の検討をねらいとするわれわれにとっては、=ぼ一
8鼠o置首における種々の局面のうち、主として、そのすぐれて私法的な面︵本章二の︻︶の変遷に注目すれば足りる。
[ 臣ぼ篤o民o旨目の規制の緩和 すでにみたように、たんなる授封契約にもとづく家士の権利に8一くぎ良。暮δ
を承認した獣耳一8&o建営の支配的見解は、ゲヴェーレ的規制にもとづくロンバルドの封慣習法を越えるものであ
ったし、さらには・iマ法の譲渡契約の原則にも合致しないものであった。されば、すでに犀ぼ=。民o崖目の編纂
当時から、このような強い効力を認める把握に反対する少数の立揚のあったことがうかがわれたが、その後、この後
者の立揚が、・!マ法に精通するにしたがって、臣ぼ一8且o旨唐を研究したその後のグ・サトーレシとコメンタト
ーレンの共通の意見︵8旨巨葺旨o甘巳○︶となり、一六世紀に至ってドゥアレヌス︵∪轟お昌島︸嵩$1嶺$︶その他に
ホ
よって論駁されるまで、 支 配 し た 。
* グ・サト;レンの理論 こ.︸で、その後の諸学説、および、次章で検討するコメンタトーレンによる市民法上の法形成物の
理解のために、主としてランズベルクの﹃アックルシウスの註釈と彼の所有権理論﹄︵一八八三年︶︵卜§覧魯ミ箏幹o。国1一8︶
によって、権利の分類についてのグロサトーレンの理論を概観しておこう。
権利から訴権を推論するようになったわれわれの観念とは反対に、グロサトーレンは、つねに・ーマ法源に密着して、訴権
から出発するという態度をとった。そこで彼らは、・ーマ法源の訴権を分類することから、権利の分類を作り上げた。すべて
の訴権は一、一同。目一かぎ℃Rの。轟目かであるので、すべての権利もまた同様であらねばならない、としたのである。すなわ
ち、彼らは、ロ。試。はその根撫8β鴇、彼らのいわゆる﹁訴権の母﹂旨暮98¢8冨を持たねばならないと考え・8琴ぎ
一塁pq目。昌一とその発展的消滅 二二一
一橋大学研究年報 法学研究 3 二二二
需窃8p旨においては、その基礎にあるoげ一凝彗ざが誉彗雪8菖○巳のであり、帥9δぎ話一昌においては、甘・写器が
それである、と把握した。そこで、8窪oぼ需誘o塁旨は、特定人に向けられる訴権であるから、o巨焚暮δ︵艮冒のぎb段−
8塁目︶は、特定人に対し、鼠8混8Rρ言。。葺島8等の行為を要求する権利である、と把握された。他方、卑。菖oぎ8目
は、物に伴われる︵お旨。88巨言ε目︶ものであり、物そのもののそのときの所持者に向けられる訴権であるから、冒の冒
器は、直接に物に向けられた権利である、と把握された。周知のように、物権を総括する一一、、ぎ..という用語は・ーマ法
源の見知らぬものであるが、これは、グ・サトーレンによって、右のようにしてはじめて案出されたものである。それに反し、
旨の貯需岳o塁巨という表現は、冒の首冨と対照するものとしてグ・サトーレンによって用いられたわけではない。なるほ
ど、︺ξやお箪置ー聴誘目巳昼とか、。。霞三賞の↓臼冴ー需お曾呂δという表現はグ・サトーレンに見出されるが、甘ωぎ
需誘o壁旨という表現は用いられていない。というのは、この後者を表現するためには、これを完全にカバーしうるo玄蒔pけ、o
という用語が、すでに・ーマ法源自体に存在しており、それを用いれば足りたからである。なお、両者の中間的なものとして
の8ぎ巨器目ωR甘βΦという概念は、まだグ・サトーレンには知られていず、その後、コメンタトーレンによってはじめ
て挿入されたものである。
さらに、両者の中間的なものである、より早い権利がよりおそく成立した甘ωぼおに一定の条件の下に対抗しうるのを
名づける甘a器器巨という表現も、グ・サトーレンには存しない。のみならず、︺塗a蔓βという特別のカテゴリーに接
近するような特殊の債権の把握は、勢蜘卦か見出されない︵なお、ブリュネックの見解に対するランズベルクの反論について
は、のちにふれる︶。
次に、対人権と対物権との対照を曇らせるものとして、さらに、対人権にもとづく現実執行勾①巴窪9暮幽自が問題となる。
まず、﹁なされる債務﹂︵o匡㎡葺δ壁9窪3︶や﹁賠償債務﹂︵oげ,肩器ω5昌象︶については問題とならない。所有権等を移転
する﹁与える債務﹂と、﹁回復債務﹂︵oげ﹂聾象芦8鋒ε①且一︶とを包含する﹁引渡債務﹂︵oげ・球鼠窪岳︶については、グ
・サトーレンの問に議論がなかったわけではない。古典期・iマ法においては、金銭判決の原則に一貫したため、o匡蒔暮δ
に現実執行を認めるア︼とは問題となりえないが、ユ帝法においては、売買などにより所有権を移転するような﹁与える債務﹂
︵o¢飢彗島︶についてのみは、特に承認されている︵原田・・ーマ法・一六二、四四一、四〇八頁︶。しかるにグロサトーレン
においては、マルチーヌス︵目貧けぼ拐︶らは積極に解しているが、大多数のもの、たとえば、プルガールス︵ゆ巳鵯窪葺に象︶、
ヨハネス︵一〇げ粋昌bΦの︶、バッシアーヌス︵団帥のωすロロの︶、アーツオ︵︾Nρ↓一80り︶、フゴリアーヌス︵閏ロひQ9すけロω︶は、これに
¢一も︶。グロサトーレンの最大の巨星であり、その集大成家であるアックルシウス︵︾8葺囚岳し一〇。NI旨$&﹂まO︶にっ
反対している。この点は、正当にも、すでにチーバースがその著﹃現実執行と債権﹄︵一八六六年︶で指摘している︵§魯ミ罫
いては、しかしながら、チーバースは、これを選択的なものとしていると解し︵§さミミま葬︶、プリュネソクも、積極説だ
¢謡︾ロ芦一〇。︶。しかし、その引用文中の、ωa8博o匡o・⋮:以下の文は、本来のアックルシウスの註釈にはなく、これは、
として、アックルシウスの註釈Ω一・︾讐ε噌&一p叩一℃”PαΦ8“o目冨9く窪P這弘を引用している︵bo誌醤醤鼻
コメンタトーレンの巨星バルトールス︵ω畦8ぎ即冨峯1一ω鴇︶による、ないしは彼の文献からの説明のための付加物であり、
したがってバルトールス以後に妥当するにすぎない。そしてアソクルシウスは、自己の立揚を明示的には述ぺていないが、積
極説をとるマルチーヌスを反論する諸事情を熱心に挙げ、消極説をとるブルガールスに対して提出された異議を論駁すること
に努めていることからして、彼も消極説をとると解すぺきである。
と跨江oぎ需誘o轟壁のそれと同様に、するどく貫徹しており、両者の対照を曇らせる諸現象を導入することをしなかった。
これを要するに、グ・サトーレン、およぴアックルシウスの註釈は、旨ω首おと〇三蒔暮δとの分類を、蓉江oぎ8ヨ
最後に、所有権譲渡契約について一瞥すれば、アックルシウスの註釈は、二つの要素を区別している。取得者と従来の所有
甘ωp山おヨとその発展的消滅 ・ 二二三
一橋大学研究年報 法学研究 3 ニニ四
者との意思の合致と、占有移転、すなわち現実の引渡とである。前者は、所有権取得の遠因として、﹁それに続いて占有引渡が
じ分類を認めている。これは、可能性と現実性、遠因︵8霧pお巳p鼠︶と近因︵op臣勲鷲o姓目εという、当時一般的にな
生ずる原因﹂。毒旨二︶8導亀2器一け声象江o器ρ三ε円と呼ばれ、後者は、近因として#&三〇と呼ばれるゆア、ツオも同
っていたアリストテレスに由来するスコラ哲学的な分類の観念と関連するものであり、さらには、のちに非常に重要な原則と
なった所有権取得の葵巳臣︵権原︶と目a奮︵方式︶との区別の発端であり、ドイツ私法学を跡づける際に検討するアーペ
ル︵ぢ匿§トリ旦三〇。α1頴ま︶によって、ドイツの法律学にも持ち込まれたものである。
さて、たんなる授封契約にもとづく家士の権利に言一く言9B葺oを認める見解に反対して、これを緩和しようとし
た学説は、その根拠を、まず=ぼ=o民o旨目の第二巻第二章前文に、しかもその歪曲せる解釈に求めた。そこでは
次のように述べられている。
一押7N胃。冒く窪菖言冨胃o冒一〇ρ巳伍Φ臣饒9g巳℃○ω器隆o 暮臣ぞo匿ひo巨旨ao象9g↓ぎ奉・菖言冨
ρ奏邑・冨器く①一巴一鼠8弓。お§昌β。臣げ。な。鼠αQ一9欝仙。巨ぎ協Φ琶ぢ①言く。。。§ロ壁ヨ霧Φ目区一8巨9,
﹁たしかに、的お昌9唇と名づけられるのは、本来は︵憾き憶蕊恥︶、占有︵bo拐霧臨o︶のことである。しかし、
それから転じて︵き竈帆8︶、ぎく8江窪壁をなすと言って封主から槍ないし他のいかなるものにせよ有体物が差
し与えられる揚合、そのことが、冒毒鋒葺3と呼ばれるのである。⋮⋮﹂
この趣旨は、首く霧江9雷という用語は、本来の意味では、封︵地︶につきゲヴェーレを有することを記号づけるた
めに用いられていたものであったがーゲヴェーレのことを、ここでは・ーマ法的に占有宕器窃巴○と表現しー−、いるー、そ
れから転義して、その後、封主が右のような象徴的な方法で家士に封の授与行為をする、その行為自体を冒く霧聾弩鈴
と呼ぶようになっている、という用語の説明である。このように、アイヒホルン︵囚・男田。冨o芦ぐ。。一1一。。蜜︶がお
そらくはじめて、正当に指摘している。
︵13︶
しかるに、当時の封建法学者は、授封契約の効力を緩和するために、右の文中の冥o肩一〇︵本来は︶と呂臣貯o︵転
じて︶という用語を利用して、これを強引にも次のように解釈した。すなわち、本規定は、曹授封契約ぎ語昌9雷に
つき二つの種類を区別している。一つは、授封行為と同時に占有をも家士に引渡す揚合であり、いま一つは、占有移
転を伴わないたんなる︵象徴的︶契約である。前者をぎお昌段冨肩o鷺す、後者を冒語隆9量呂房一奉と言う・
と。もっとも、そのほかに、のちには、先に一言したその後の所有権取得理論、葺巨岳口日a臣理論を想起させる
見解、すなわち、ぎく霧葺畦帥呂麩一奉は、家士の権利の菖け巳島︵権原︶であり、ぼぎ隆昌冨冥OR壁は、1それ
だけでは封の上への物権を設定するに足りない事実的行為としての 占有引渡︵一冨島ぎ℃8器裟o巳ω︶である、と理解し
たものも現われた。ともかくも、そのいずれの立揚をとるにせよ、いわゆる営お畳讐β呂霧一毒だけでは・iマ法
︵瓦︶
的な対物訴権を生ずるものではない、という点では一致している。こうして彼らは、ζぼ一3&o昌目のこれに反す
る諸規定、たと、κば、授封を受けた家士︵昔く留葺器く霧巴一塁︶はあたかも所有権者のようにすべての占有者に返還
請求することができる、との前掲戸コo。㈱一︵本章二の一2︶を、そこでのぎ語隆9露は言話馨一9β冥o肩壁を・
すなわち授封契約のみならず占有引渡をも受けていることを前提しているのだ、と解釈した。その結果、彼らは、二
重譲渡に関するローマ法源、一頓ρ号8一≦邑,潮おをも参照して、二重授封の揚合、契約の先後を澗わず、ま
︵15︶
甘.巽.一巳。ヨとその発展的消滅 ニヒ五、
、 一橋大学研究年報 法学研究 3 二二六
た第二受封者が第一契約の存在を認識していたか否かを問わず、先に占有をも取得したもの、すなわち的諾隆葺↓”
嘆o冥笹を受けた受封者が優先する、と解したのである。このような見解は、かなり初期の封建法学者にすでに現わ
れている。
︵16︶
このようにして、犀げユ8鼠○旨旨の編纂当時はともかく、その後の中世の封建法学者の学説にとっては、一馨窃菖,
9冨診ロ巴奉だけでは、・ーマ法的な一臣冒8を生ずるものではないということは、多くのものによって疑いの
余地のないものとされた。しからば、それはいかなる権利を家士に付与するか。
二 甘ω鑑お日とは まず、封建法学者は、この首お隆葺舅魯臣一βにもとづく家士の権利は、封主に対し封
の占有割当を請求し、強制しうるものであると定義した。このことは、結論的にみれば、先にみたドイツのラント
︵17︶
法・レーン法の規制や、犀ぼ一8且o暑旨の規定と一致するものであり、また、おそらく上部イタリーの封慣習法と
も合致するものにすぎなかったろう。しかし、法律学的にみれば、この現実執行の承認という現象は、先にみた・ー
マ法についてのグ・サトーレンの研究を通して︵本章三の一*参照︶、・ーマ法に精通してきた中世封建法学者をして、
現実執行図Φ巴臼8暮§・を生じない・ーマ法の債権と対比して、独自の特殊性をもつ権利と意識させ、また他の債
権より効力の強い権利と感じさせる重要な契機であった。そしてそのことが、われわれの問題たる一一一。。&同Φ目と
いう概念の形成を導き出したのである。
それはこうである。なるほど、ドイツ法的な土着の意識をももつ中世封建法学者も、抽象理論的には・ーマ法の
一霧言8とoげ一蒔暮δとの分類を知ってはいた。しかし、封主に対する現実執行の承認という現象に直面したとき、
すでに検討してきたことから明らかなように、これはもともと、ローマ法の見知らぬゲルマン法の規制にその共通の
基盤をもつものであったから、当事者による占有移転霞&葺oが同時に物権の移転を意味するとの・ーマ法的観念、
したがって、債務者に代って裁判官によってなされる物の引渡の現実執行も同様であるとの、○窪撃菖oと甘のぎ冨
という権利概念の抽象的・質的な根本的対照・差異からこれを理解するという仕方は、彼らのとるところではなかっ
た。むしろ、彼ら封建法学者は、沿革、実態をなすドイツ法的観念から出発し、あたかも、当事者による物の引渡を
質的にそれ以前と異なった物権の付与を意味するのではなく、従来の権利を量的に高め強化するにすぎない事実的色
彩の強い出来ごととして観念したように、裁判官による現実執行の方途での物の引渡をも、このような事実的色彩の
強い出来事として観念した。そこで彼らは、占有引渡なきぼく霧鼻ロ蜜3島一奉から生ずる権利も、占有を具備した
ぎく窃蜂一一β属o鷺皆から生ずる権利と同様に、物にかかわる権利であり、ただ両者は、いわば同じ物権の段階的量
的差異を有するものだと観念した。つまり、ぼく窃蜂畦卑呂塁一奉から生ずる権利は、首く霧葺弩鱒H︶8R昼から生ず
る権利よりも、より弱いものであり、当事者による、あるいは裁判所の現実執行による占有︵口現実的ゲヴェーレ︶の
引渡は、それ以前に部分的にではあれー観念的ゲヴェーレにもとづき1物とかかわりをもっている権利を、完全な
権利へ、つまりローマ法的に表現すれば、冒ωぼ3へ高め、完成する行為である、と観念したのである。アルディ
︵18︶
ツォネ、および後述のヤコブス・デ・ラヴァニスは、この観念を明白に表現している。そして正にこの点に藩眼して、
ぎお昌葺β筈ロ巴奉にもとづく権利を、ローマ法的な用語に準じて記号づけるために案出されたもの、それが、甘の
鑑おβという用語なのである。
冒ω”α器旨とその発展的消滅 二二七
一橋大学研究年報 法学研究 3 二二八
ところで、従来の学説は、この用語の案出者を、フランス人、ヤコブス・デ・ラヴァニス︵冒8σ臣階刀帥奉三ωレ曽。
占1一N8︶だとしてきた。彼の﹃封建法大要﹄︵曽ヨ目拶︵ざ措琶δyにおける記述なるものが、コメンタトーレンの巨
匠の一人バルドゥス︵ω巴魯ω匿dげ巴山量嵩曽ー峯o。︶の封建法の註解で引用され、伝えられているからである。遺憾
ながら、ヤコブス・デ・ラヴァニスの﹃封建法大要﹄の作成の年代は明らかでない。しかし、ほぼ二一七〇年代から
ホ
八○年代の始めの頃と思われる。
* ヤコブス・デ・ラヴァニス︵冒8げ島号閃薯p巳ω︶は、一二一〇年からご二五年の間に生まれ、一二七三、四年には上
部イタリーに近い南フランスのトゥールーズで・ーマ法の教授をしており、同所およぴオルレアンでご一八O年前後も教授の
地位についている。しかしその後、・ーマ聖庁控訴院︵閃09︶の判事︵>巨ぎ同︶となり、さらに=一九〇年にはヴェルダン
の司教︵田ω畠9︶となり、一二九六年・ーマヘの途上、フローレンスで死亡していることが知られている。彼が・ーマ聖庁控
訴院判事になった以後にこの本が書かれたということは、考えられない。その職務の性質からしても、年令的にみてもそうで
ある。他方、彼はトゥールーズにおける教授の時代に、法律学者としての輝かしい名声を獲得している。彼の業績は、・ーマ
法について学説彙纂・法学提要・勅法彙纂の註解をなし、フランスにおける・ーマ法学史に一時期を劃し、さらには、法律の
理論をも展開しているすぐれた法律用語の辞書を作り、そして、われわれの当面の問題である封建法の要約を書いたことにあ
る。彼の学風は、上部イタリのアックルシウス後の学者たちがなお形式論理を重んじていたのに対し、これらグ・サトーレン
の業蹟を十分に利用しつつも現実祉会に適合する解釈に努めることにあり、その後のイタリーにおけるコメンタトーレンの先
駆的役割をはたし、すでにみたバルドゥスがそうであるように、彼らによってその著書は大いに参照されたのである。その名
声椎、上部イタリーのボ・ーニアの法学生がきそって彼の法学提要の註解書を求めた、といわれるほどである。このようにみ
てくると、彼の封建法大要は、二一七〇年代から八○年代始めの教授の時代に書かれたものと、一応推測すぺきものであろう。
︵19︶
ところが、最近、前述したように、フランスでもドイツでも、すでに一二五〇年より前に、したがってヤコブス・
デ・ラヴァニスより前に、この用語がナポリの一法律家によって用いられているとの主張がなされているようであ
るが︵第一章二の一およぴ同所註9、14、15︶、遺憾ながら、直接参照して引用されている資料を検討することができな
い。しかしながら、この点の法史学的な詮索はわれわれの直接に意図するところではないし、また、本稿の目的か
らすれば、その大勢に影響するものとも思われないので、この点は一言指摘しておくにとどめ、前述のバルドゥスに
よって、彼の現代封建法註解の﹁真の、口頭の授封契約による新形式について﹂なる個所で︵蟹断瞭﹁、眺鵠塘鴇蛎贈雛。。詫甜
罐ぐ輪襲輔し引用され、伝えられているヤコブス・デ・ラヴァニスの記述をみよう。バルドゥスは言う。
﹁ある人々が次のように述べていることに注意せよ。すなわち、それによって封が取得される︵8ρ巳ユ︶授封
契約は︵首語昌言審︶、本来は︵冥o駿一。︶、完全な授封契約で以て︵b震需匡9鼠基ぎく霧鼻q雷誉︶授封すること
による、すなわち、引渡されたる占有による︵℃8の窃巴89壁&鼠︶、と。しかしながら、偉大なヤコプス・デ・
ラヴァニス︵魯巨ぎ匿冒8げ臣留国薯暫巳ω︶は、彼の大要︵弩旨巨餌︶の、いかなる方法でそして誰に封は取得
されるか︵05け目&冴富且・跨2﹄けρ巳σ・︶という標題で次のように述べている。すなわち、﹃しかしながら、
私は、たしかに次のように信じている、すなわち、前述のように、 当ロω一奉旨く霧蜂霞§と呼ぱれるところの、
口頭の授封契約と杖の授与とによってさえも、占有の引渡前にすらも、封は取得される、と︵霧器82巨9彗︶。
けだし、受封者に占有を引渡すことを、封主は絶対に強制されるからである⋮⋮︵戸コN智︹本章二註︵8︶
岩ω&おヨとその発展的消滅 ■ r ︸ 卜 二二九
一橋大学研究年報 法学研究 3 二三〇 、へ ん
所掲参照︺︶。なるほど、自己への占有引渡前には、受封者は、甘皿をぎ3には持たないものとされるが、し
かし、甘のを豊器ヨには持つのである。何故ならば、授封契約︵旨く霧馨畦暫︶をすることは、それを占有
︵20︶
の引渡しによって完成する︵需注8器︶ことよりも、より効力が弱い︵巨旨霧①誓︶からである。:⋮﹄と。﹂
こうして、甘の&8目という用語は、ぎ語昌巨β魯嘉一奉から生ずる、封主に対する現実執行の可能な権利とし
︵飢︶
ての記号づけに、その後封建法学者によって用いられていく。
三 ところで、右の甘ω匙冨白と名づけられた営く雷鼠葺冨号塁一奉から生ずる権利は、第三者に対してはいかな
る効力をもつものとされたか。これについては、われわれにとって、むしろ次章でみるコメンタトーレンの市民法理
論としての法形成物こそがより重要であろうから、ここでは簡単にみておくにとどめる。
− 両当事者がともに同一封主から授封された揚合、ー
ω 両当事者がともに封の占有を取得していず、ぎく霧試9旨呂臣一話 のみにもとづく揚合には、前章でドイツ法
についてみたように、より早く授封契約を受けたものが優先する、とされた︵卑§ま鼻ψ象F︾β5旨︶。
回 一方は呂琴貯Φに授封されているにすぎず、他方は封主から引渡を受け、あるいは現実執行により占有を取
得している揚合については変遷がある。
早期の封建法学者は、犀ぼ=。鼠○εヨの邑三邑8簿δを承認する規定への反動でもあったろうが、今度は逆に、
現実の封慣習法よりも弱められた効力を、・ーマ法源に適合させて承認した。すなわち、授封契約の時期的前後やよ
り早い契約の存在の認識の有無にかかわらず、現実の占有を取得したもの、いわゆる旨く霧§仁β冥8ユやを受けた
者を絶対的に優先させたのである。このことはすでにみておいた︵本章三の甲およぴ同所註15、16︶。
ところが、比較的おそい時代の封建法学者は、次章で詳細にみるように、コメンタトーレンが当時の都市法などを
参照して創造した市民法上の法形成物をとり入れて、例外的に次の二つの揚合には、最初に魯臣貯Φに授封されたも
のが、占有をも取得している第二受封者に対し封の引渡を請求︵お<o臼3︶しうることを承認した。その一は、第二
取得者が第一の︵象徴的︶授封契約の存在を認識している揚合︵目巴四まρ蓉ぞδであり、その二は、右の認識の
有無を問わず、第一契約者は有償の権原︵蜂巳ロ白目段8偉目︶にもとずき、第二取得者は無償の︵一蓉β鉱く日ロ︶権原
︵肥︶
に もとづく揚合である 。
2 相手方当事者が同一封主から授封されたのでない揚合には、当初は、これもローマ法源に適合させて、いかな
る保護も承認されなかった。先にみたように、ドイツ法では、間接的ではあれ前主ないし封主による彼ら自身の権利
行使による保護が与えられていたし、=びユ8且o葺日では、やや極端に走りすぎたとはいえ、ともかくもローマ法
的な対物訴権さえ承認されたのに、これでは保護に欠けすぎる。されば封建法学者も、間もなく救済策を講じるべく
腐心した。
第一に、ヤコブス.デ.アルディツォネや、アンドレアス・デ・イセルニァなどは、封主が第三者と授封契約をす
るア︶となく、したがって権原を保持しているのに、その封物の占有だけが第三者の手中にある揚合、封主は第三者か
らそれを取戻して占有を回復することができるし、また受封者のために取戻す義務を負うので、この封主の権原を媒
介して受封者に占有を割当てることを認め、ーそれによって彼のために甘。。ぼ器を創造しー、そのことによって彼
蓄費a窪とその発展的消滅 曇=
一橋大学研究年報 法学研究 3 二三二
に第三占有者に対する引渡請求の対物訴権を肯定しようと努めた。その際彼らは、・ーマ法の種々の箇条、とりわけ、
︵聡︶
取引行為とは何ら関係のない嫁資の設定による夫の権利に関する一﹂9じ号疑且039躊卜。毬を歪曲、誤解し、そ
れによって、右の救済策を正当化しようとした︵<箪切蕊§8鳶・ψ鴇卑詳ψ総1。︾昌旨﹄N︶。
第二に、アンドレアス・デ・イセルニアをはじめ多くのものは、これも事情を全く異にする信託遺贈に関する法源
を転用して、受封者は封主のもつ器一く首象Bぎの譲渡を求め、それによって保護されうる、と逃げ路を作った。つ
︵盟︶
まり、封主が封の占有を過失なく喪失した揚合には、右の訴権の譲渡を義務づけられる、というのである︵<管奪旨・
還暮矯ω,$F︾昌日。b⊃O︶。
︵13︶宍囲望q寒ミ却望巳①一ε夷ぼ島器留9ω畠①即一奉昨8洋旨客国ぼω。匡蕊α。ωb昌Φ糞8匡ρ象葺一韻Φpω︾菖,
︵一〇。N℃︶ゆ8U︾ロヨ■①︵初版は一八二三年︶
︵14︶ 竃倉二冒臣留O弩菖ωピ暫¢山魯巴の︵一伊匂匡︶︵その個所は、切良昌§塾あ・云︾ロヨ・♪ψo。O︾昌旨8に引用されている。︶
︵15︶ ピ猛○、α①蛙<,9お﹁非常にしばしぱ、二人の人に全体的に土地が適法に︵冒器︶売られる︵象簿田三けξ︶が、その
場合には、明らかに、最初に引渡された︵叶壁象ξ旨oωけ︶者がその所有権を主張するにつき優先するのが正当である。﹂
︵16︶ たとえば、ヤコブス・デ・アルディツォネ︵﹄§&竃騒﹄蕊蝋8ま︶は、彼の封建法大要︵の#目ヨ騨罐β3旨β旨翼1
一N8︶においてのみならず、それより前に、臣ぼ一富呂oヨ旨の補遺として収録されているバラテリゥスの特別の章の三条
︵O⇔口昌鼠国答賞oaぼ跨貯ω鞍暮霞は・戸ω︵↓罫<一ρ亭︶1本条がアルディツォネの仕事の一部であること後述1で、
いう、﹁恩給︵閃魯呂oビ5︶というのは、引渡を伴った授封契約︵ぎくo幹一葺旨8ヨ霞p&氏8①︶のことだ、と理解される。
そこで、もしある人が、最初に授封されたがまだ物を引渡されていないときには、のちに引渡を伴った授封契約をなされた者
優先する、どみなされる﹂と。さらに、アルディツォネは、同じくい一びユ8離q9β菖の補遺として収録されている彼の特
の章の四三条︵O帥嘗菖一即O蓉邑8&ぎ轟置冒8玄号︾目島置9おF&︶で、これに対応して云う、﹁授封︵ぎく畠菖三醤︶を
1§轟と。p。匡目ξ旨ω凝R︵一望1一ω。。・Qy田吋け蒙暮穿§︵一塞ムひ。・y監ρ一差け舅。︵§。1一欝yq一コ。塁
冒の⇒山擁Φ、冨とその発展的消滅 二三三
穿房︵一養よ駿︶︾&憲ωO邑︵一§1奮N︶など︵ごご爵§鳶払まムぎヨも︶。
(一
ロ。陰一ψ︵頴一巨y︸ゆのo、一α①三即︸昌。︵軍密ー嶺Gyこれにつづく一六、七世紀のドイツの法律家のうちでは、国R5<三8冒の
世紀の学者では、切巴α塁留dげ巴山匿︵雛ミー一80y︾昌融Φ器留房雪註陣︵ρおざー一Q訟y尾勢ユぼ霧自①O貧舞δU勢仁血中
甘げpP旨。の望即一一。ロの︵。。一80y一蟄。。σま3︾a試o器︵仁ヨ這轟Oy冒8げ墓3”蟄く暫昌ω︵一N一〇占1§8yその後の一四、五
︵17︶ プリュネックは、多くの文献を挙げているが、ここでは目ぽしい名前だけを拾い上げておこう。比較的古い学者では、
一〇〇︸一〇。︶。
畦帥什。同芦”﹂を引用している点につき、年代的にみて、説明に苦しんでいるようである︵鳴誉苺§寒・の・ま>昌目担ψ統︾昌資
巨暫。ρの自&⇒↓帥8擁臨の︶から出ていると考え、アルディツォネの著、の毒募雪辱替が、すでに前掲・郵舞§昼零
一による︶。古い研究︵いpω唱Φ賓目Φのの︶によるプリュネックは、本規定がバルトロマエウス・デ・バラテリウス︵切ρ暮げo一9
頴誇筈Φ財望議韓問卑巨一憂§ρ○醇貫む一。の㍉。鉾ψ曽 ただし、寅&§§ドψ導3。φ讐一身導
、
ネの仕事の一部であることは、ゼッケルが指摘している︵緊貯匙魯Oロ巴一旨昌号Nβ目δBぎaお畠目U魯艮・8耳言
ところで、O”や臼貸きa■園鷺舞霞一詰昌ωは、≦一窪窪国答βぐ勢鳴筥窪巽ヨヨざ旨鯨H8として、それゆえ、アルディツ
れる︵切憶麟き38鰹ψ象︾ロ巨甲這︶。
アルディツォネと同じことは、アンドレアス・デ・イセルニア︵匡醤辱昏恥譜身o§器8嵩δ﹂嵩密︶も述べている、と云わ
承諾するのより、占有︵唱o器霧巴o︶を与える方が、より効力が強い︵目a霧の警︶﹂と。
一橋大学研究年報 法学研究 3 二三四
︵18︶ じ一びユ8岱αo匿ヨに収録されている○即b詳巳蟄o図貫き旨ぼ跨昼冒8菖山Φ︾励山一80ロρ戸占﹁授封を承諾するア︼とより
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
も、占有を与えることが、より効力が強い。﹂︵卜魯ミ§詳¢一S︶さらに、パルドゥスによって引用されているヤコブス.
デニフヴアニス︵智8げ霧留閑暫く卑巨の︶の畠一面、﹁授封契約をすることは、占有の引渡によってそれを完成する.一とよりも、よ
り効力が弱い︵目ぎ霧Φ警旨︿窃江葺壁目団跨Rρρ仁9巨$旨℃8器誘一〇巳眈酔β象菖8Φ㌧箋、普鶏㊤︶。﹂︵自馬鯉蓉麟§↓ダ¢一鴇9
切﹃§醤βcbO鰹ψUO>匿B,一N︾一令による︶
︵四︶ ヤコプス・デ・ラヴァニスの生涯と業蹟一般については、蜜ミQ昌撃Q霧o匡o匡oq皇み目一零冨旨勾8げ誘一5目一言①一包$ひ
<■ψひ8中−船田﹁羅馬法﹂︹二〇二︺、本稿の目的との関連では、曳遷ミ9§ド¢一くρ昌Q。一茸切﹃風§醤騨”ψ旨地F毎旨目・
一9
︵20︶ 国遷ミ9§ざψ一旨9bO蕊§醤ミ鰹幹81蟄︾巨一冥の引用による。本文所掲の訳文では、﹁甘ωを器旨旨に,⋮;﹂と離し
たが、原文では、甘ロ昌o一一ぽ倉訂暮冒円ρ置&9貫ヨ窪甘ロ区話ヨと、甘の曽山おヨはつながっている。なお、原文の末
尾には、教会法の法源、oーい図斜旨︸ρU図ρ卜。♪図<一ρFρ一が引用されているが、のちに教会法の冒ω簿島お.目pと
封建法におけるそれとの優先問題に言及する際にふれる。
︵21︶ ブリュネックは、その後の封建法学における使用として、宣8げ拐︾写貧09一銃目跨け冒臣■旨自窪。。ゆω・竃帥注一帥ΦGωα①
︾Bなどと並んで、ドイツの私法学者としても著名な旨賓旨置oq段悔︾鼠目聾毎語の文献の参照をも指示している。切、§醤,
莞さ︸¢蟄︾旨日’一轟野
︵22︶ ブリュネック︵、ぐ鵠3きS鳶ψ加O>三劉8︶は、因o器営二舅ご目芦詳ヨ’℃ゲ3コ>ユヨゴOo警賃δの文献を挙げている。そこ
に引用されている目p二3コ馨9の原文は、正に本文に述べたと同旨を記している。本文で挿入したラテン語は、彼の右の
原文からとって、適当に挾んだものである。
︵23︶ 一、まU号注⇒3&5げ舘ふ﹁ティティウスが善意かつ長期問占有すれば自分のものとして取得することのできた土地
を、妻が彼女のものとして家資を設定し、したがって夫は、これの返還を︹ティティゥスに︺請求することができたのに、そ
れをしないで放置していたときには、彼はその危険を負担する⋮⋮。﹂つまり、ここで、受封者を嫁資設定した女の夫と同様に
みなし、受封者に第三占有者に対する返還訴権を右の夫と同様、承認するという操作をしたのである。
︵餌︶ 一㍉O冒・O魯ざ酋9ゆP呂﹁アントニヌス帝は次の勅令を発した。すなわち、何物をも遺言によって受け取っていな
強制されることはありえない。⋮⋮﹂
い受遺者は、彼が信託遺贈を与えるぺき人に、彼の訴権を譲渡することができ、そして︹そうすれば︺その︹物の︺支払いを
四 総
ヨo。&おヨとその発展的消滅 二三五
・ーマ法的な表現、冒ω&き彗と名づけられるものとなった。二重授封の場合の第二取得者の優先要件としての
結果的にはドイツ法と同一の、封主に対する現実執行の承認も、彼らにとっては甘。。ぎ3と接近するものとして、
と決して一致するものではなく、それからの脱皮を遂げつつ、・ーマ法を融合した独創的な法形成物となっている。
妥当なものを作り上げていっている。これはもはや、ブリュネックが主張するような、ドイツの譲渡契約や授封契約
マ法の諸法源の歪曲・誤解や、コメンタトーレンの法形成物をもとり込んで、徐々に取引社会にも適合すべき独自の
物は、はじめは・iマ法の対物訴権の承認や、対人権としての把握などぎこちない構成もみられたが、ついには・ー
=げユ8&o凄言を編纂した・ンバルド法学者、さらには、犀ぼ=o&2日を註釈・註解した封建法学者の法形成
括
一橋大学研究年報 法学研究 3 二三六
彼の一年と一日の占有継続によるレヒテ・グヴェーレの具備などという、すぐれてドイツ的なゲヴェーレ法的規制は、
ここではもはや消失している。原則としては・ーマ法的な占有取得者の優先を承認し、それにもかかわらず、対人訴
権と対物訴権という・iマ法的分類による対人権の保護の不備を補うべく、市民法についてのコメンタトーレンによ
る法形成物をとり入れて、ドイツ法もローマ法も知らなかった第二取得者の悪意や、有償取得者と無償取得者という
モメントを考慮して、妥当な解決を図るべく例外を設けている。同一封主に由来しない第三者に対する関係も、・ー
マ法のoげ凝蝕oでは足りず、種々の強弁を用いて・ーマ法源によって権威づけながら、封主に取戻権限のあること
を前提として、その保護を図ることが考慮されてきている。
このような封建法に関する私法化した学説の形成・発展をみるとき、われわれは、わが民法における債権者代位権
の特定物債権保護への拡大の現象を連想し、さらには、詐害行為取消権の二重譲渡への拡大、あるいは、それに代る
ものとして信義則の挿入などを示唆されるが、これらの点の示唆は、次章でみるコメンタトーレンの市民法としての
法形成物の検討において、より多く得ることができるかもしれないし、また、得べきであろう。
第四章 コメンタトーレンの法形成物
コメンタトーレンの法形成
ローマ法の継受後のドイツに直接的な影響を及ぼしたのは、上部イタリーの各地で活躍したコメンタトーレンa。,
、
目、昌Φ.一ぢけ。.。P註解学派、後期註釈学派︶の法形成物であった。彼らは、一一世紀以来ボローニアの法学校に集った法
学者ら、グロサトーレンが、その後期には実際面への適用を全然顧慮しなかったとはいえないにしてもすぐれて純粋
ローマ法の註釈に従事しその実用的効力に欠けたのと対照的に、先にヤコブス・デ・ラヴァニスに関して一言した南
フランスの学風の影響や︵第三章三の二*参照︶、傑出した法律家バルトールス︵切設ε一岳3の貰99旨蕊口Q一い1嵩鴇︶
の登揚等により、ローマ法の現実への適応に努めた。彼らにとっては、もはやローマ法は、法体系の構築のための、
もっとも重要ではあるが一つの要素にすぎ。ず、慣習法、都市法から教会法までも考慮された。そこでは、前章でみた
ζげ目陣㌦。鼠。吋q目やそれについての学説も参照されている。このようにして、彼らは、基本的にはドイツ法と共通の
基盤から出発したロンバルド法思想を、・ーマ法源の誤解や歪曲を通して・ーマ法に組み入れ、そのイタリー化︵旨8
H鼠賦。信こ。︶をもたらし、それによって、創造力豊かな新たな法を作り出し、・ーマ法の現実への適応可能性を実現し
たのである。ここでわれわれが検討するコメンタトーレンの法形成物も、ー先にみた・ンバルド・レーン法における
一ロ¢簿自触Φ旨がローマ法やコメンタトーレンの影響をも受けたものであったと同様にー、このような相互影響のなかで作り
出されたものである。いな、・ーマ法についてのグ・サトーレンやコメンタトーレンの多くは、同時にまた、・ンバ
ルギ.レーン法を解釈した封建法学者その人でもあった。たとえぱ、アックルシウスがそうであるし、すでにみたヤ
コプス.デ.ラヴァニスや、コメンタトーレンの巨匠の一人バルドゥス︵切巴q塁号d痒一血銃ご鴇ー冥8︶がそうであ
﹃ったし、いちいち前章では引用することはしなかったがコメンタトーレンの一人ヤーソン・デ・マイノ︵蜜8ロ号
冒卑︾昌P軍象−嶺這︶もそうである。
甘o。。山円。Bとその発展的消滅 二三七
一橋大学研究年報 法学研究 3 二三八
ともかくも、このようなコメンタトーレンによる新たな法創造は、一五・六世紀に至るとイタリーでは終焉を告げ、
︵1︶
アルプスを越えてドイツヘ継受され、次章でわれわれがみるであろうドイツの普通法を形成することになる。
なお、以下の検討は、とくに断わらないかぎり、コメンタトーレンの法形成物について、しかも豊富な第一次資料
にもとづき研究している唯一のものと思われるブリュネックの著書による︵肉蕊§。。鳶富の・ω・91一。刈︶。煩をさけるた
め、第一次資料の引用その他、特に必要のないかぎり、ここでもそのいちいちの引用ははぶく。
︵1︶ コメンタトーレンについての一般論は、︸ミ昏鼻§㈱∋歯8魯暴§ψo。N庸こ栗生.前掲、船田﹁羅馬法﹂︹一九五︺以
下、同﹁法律思想史 ﹂ ︵ 昭 三 四 年 版 ︶ 一 八 四 頁 以 下 な ど 。
二 契約相手方に対する現実執行の承認
願 グロサトーレンが、権利の分類、債権○げ一蒔魯δへの現実執行の否定、その相対的効力の厳守等において、徹底
してローマ法に密着した態度をとっていたことについては、すでにみておいた︵第三章三の一*参照︶。
しかしながら、他方、このようなローマ法的学説法は別として、ドイツ法と・ーマ法とが遭遇し交錯した地方では、
ドイツ法の先にみた特殊の効力をもつ契約︵畦区往o︶と、・ーマ法のo玄蒔鉢δとの混同・融合が生じてきていた。
この現象は、両者がともに譲渡契約にもとづくものであるかぎり、占有移転前の行為であるという表面上の類似性の
ゆえに、現代のように法概念の厳格な規定とするどい区別を知らない当時においては、見易い理である。ブリュネッ
クは、マルクルフの法律例文集や諸勅令を引用して、ローマ法のくΦ&匠o︵売却︶や窪旨o︿窪象江o︵売買︶と、ド
イツ法のの巴碧零a註o︵譲渡契約︶との同一視、同意義的使用を論証している︵朝蕊§恥鼻ψ$ー3︶。ところで、先
にみたように、ドイツ法の譲渡契約は、すでに現実のゲヴェーレの取得なくして売主をこれに拘束し、もはやその物
は第三者に完全には譲渡されえないのみならず、買主は売主に対して現実執行によってその引渡を強制しうる効力を
もつものであったが、このようなものがローマ法の〇三蒔彗δへ導入される媒介をなしたものは、ドイツ法と共通の
土着法の意識と・iマ法の素養とをあわせもった法律家たちによって、かなり早くから学問的加工を受けた・ンバル
ド法であった。そして、このような両者の融合した諸法の基盤の上に、コメンタトーレンは、ー不可能であれば損害
︵2︶
賠償によるほかないが、可能なかぎり1古典期ローマ法およびグロサトーレンにおいては否定されていた特定物債権へ
の現実執行を確認・許容するに至った。その際、授封契約︵ぼ語畏9壁︶によって家士は封主に封の占有︵隠雷Φ隆9
を引渡す︵9&R①︶ことを強制しうるとの、iすでに・ーマ法的な着色をある程度は受けているー前述臣ぼ一8琶?
ヨヨの員男﹄α㈱δ︵第一一一章一一の−−所掲︶が、彼らに決定的な影響をおよぼしていることがうかがえる。バルドゥ
スは、右の規定の封の占有の引渡跨鑑①8と、ローマ法の〇三蒔暮δにおける鼠β9&Φおとをパラレルなものと
して比較しており、同じくコメンタトーレンの一人、クリストポルス・ポルクス︵Oぼ諺ε犀8霧勺03塁︶も、売買に
おける現実執行の許容のために、バルドゥス、ヤーソン・デ・マイノなどの文献とともに、右の員閂卜。ひゆ諾をも
引用しているのである︵くoq一bd註§象鰹ψ謎芦>昌目■鉾¢¶oF︾ロ旨器︶。
二 ところで、・ーマ法的市民法学者として、〇三蒔鋒ざのうち、とりわけ譲渡ないし引渡債務︵o¢魯”鼻球&Φマ
良︶についてはじめて現実執行を承認したコメタト;レンにとって、これらの債権の法的性格、および現実執行の承
甘ω銭8ヨとその発展的消滅 曽 ﹄ 、 二三九
一橋大学研究年報 法学研究 3 二四〇
認される範囲いかんが、問題とならざるをえない。
バルトールス、バルドゥスなどのコメンタトーレンは、特定物債権に現実執行を承認する前提として、債務者がそ
の物を占有していること、およぴ、譲渡契約による揚合には所有権をも有することを要件とし、これらの具備しない
かぎり金銭賠償を求めうるのみとした。そして債務者のこの要件を、ド。巨鼠巽βq窪9お巷﹂き島︵引渡ないし譲渡
権能︶と名づけた︵<管切蕊§象鰹ψミ︾”5這︶。そしてこれはまた、封建法学者 その多くは、前述のように同時
に市民法学者でもあるがーによって、=訂一8且o置ヨの前述月男毬㈱嵩の解釈にあたって設定された要件でも
あった︵<算切誉§。鼻ψ獣1。。。︶。この売買契約にもとづくoげ一蒔暮す山讐象の現実執行につき、債務者の側での所
ヤ ヤ
有権の具備を要求するということは、正に近代法における物権移転の要件と類似の要請であり、彼らコメンタトーレ
ンが、現実執行をたんなるoげ一蒔暮δ法上のものとして把握したのではなく、したがってoげ一一αq暮δα碧岳を通常の
oげ一蒔象一〇としてではなく、物的効力をもつ権利として意識していたことをうかがわせるに足りよう。
この現実執行の許容の前提とされるドo巳鼠のαき島冨ωやけ冨α聲良についての、コメンタトーレンの把握をいま
少し詳しく述べれぱ、1
ω 前主が、第三者に対する譲渡契約にもとづき占有の引渡とともに物権をも喪失したときは、現実執行の可能性は
原則として消滅する。この点については問題はない。その例外については、のちに第三者に対する関係を検討する際
に述 べ る 。
回 これに反し、前主がその物についての物権を移転することなく、たんに占有のみを事実上第三者に移した揚合に
は問題である。この揚合に譲受契約者はいかなる現実執行をもなしえないとすれば、契約者の権利の効力は、強制執
行の際に前主がその物を暫時第三者に事実上保管を委託することを要するだけで、全く前主の意思次第ということに
なるからである。このことは、すでに早くから意識されており、封建法学者の一人ヨハネス.ブランクスは、封主は
その物を、ぎく霧§畦蟄呂霧ゆ毒により授封された家士に、その物がふたたぴ封主の占有に帰する揚合のために保証
︵B奉冨︶しなければならない、としたのであるが、バルドゥスは、これをさらに越えて、債権者はその物を第三者
︵3︶
から取り戻しうると解している。この点の詳細は、むしろ次の第三者に対する関係の検討にゆずるべきであろう︵本
章三の二1︶o
ホ
* 特定物債権への現実執行の許容 特定物債権への現実執行の許容は、古典期・ーマ法的な物権と債権とのするどい分類を曇
らせ、後者を物権へ接近させるものとして意識され、そのことが、特定物債権への第三者に対しても効力のある冒ω巳旨旨
の承認と結びつく可能性をもつ、とされた。したがって、以下簡単に、特定物債権への現実執行の許容の過程を一瞥しておき
たい。
まず、・ーマ法とドイツ法とが融合して現実執行が承認されているいくつかの法︵一実8旨彗帥名芭讐爵o旨畦二賃8旨,
睾”O瑳一魯巴碧o営ε巨①︾①讐3一︶では、現実執行は、純粋の債権にもとづく裁判官による物権の移転としてではなく、ド
イツ法の影響によって、すでに物的効力のある権原にもとづくゲヴェーレの割当と観念されていたようである︵学昏箋8鰹㊤
ぎR︶。グ・サトーレンにおいては、圧倒的見解によれば否定されていたこと︵第三章三の一*参照︶、コメンタトーレンにお
その後、フランスにおいてもドイツにおいても、学説上は議論がなかったわけではない。しかしながら、ドイツの実務は、
いては肯定されるに至ったことについてはすでに述べた。
︶臣&器Bとその発展的消滅 二四一
一橋大学研究年報 法学研究 3 二四二
かかる学説上の論争に煩らわされず、何らの困難にも遭遇せず、一貫して現実執行を認めてきている。少くとも、カルプツォ
フ︵9弓8く︶は、そのように明言している︵原文は§&ミ夢ψ一軽≧三一■ωに引用されている︶。諸特別法、たとえば、
一五五二年およぴ一六一〇年のヴュルテムベルク・ラント法、一六六二年のザクセン訴訟法などをはじめとするその後のすぺ
ての訴訟法も、この実務と一致しており、その後、後期普通法学者の一人であるジンテニス︵ωぢ3三の︶が、ユ帝法の真の内
容を証明し、その命題こそ﹁法の論理と立法哲学﹂の観点から支持しうる唯一のものだとして反対した外は、もはや、ローマ
法にふたたぴ立ちかえるべきかなどということは議論にすらのぼらなくなった。一九世紀においては、この現象を、債権は債
あろうフェルスター︵国α拐8擁︶などのように、現実執行の際には裁判官が債務者の意思を代理し補完するのだ、との強弁もな
務者の意思を把握するとのローマ法的理解に適合せしめるべく、ヴェッツェル︵≦9器εや、のちにさらに具体的にみるで
されたが、現在では、この点の問題は無視されて、その経済的実際的目的からして、現実執行が略っとも簡単かつ合目的汝で
ある、ということで問題は片付けられてしまうようにさえなっているわけである。このことは、債権への現実執行の実際的要
請によるものであることは言うまでもないが、法的側面では、系譜的には、・ーマ法とドイツ法との融合から、形式上はロー
マ法的な物権・債権の区別をとりながらも、その内容には、特定物債権については、ドイツの法理念が盛り込まれて、古典期
ローマ法源によっては支えることの困難な法命題が、もはや自明なものとして形成され、通用しているわけである︵鱒魯ミ登
ω■嵩Ol一〇〇い︶。
︵2︶ ブリュネックは、いわぼ物権的効力をもつロンバルド法の贈与契約と、○互蒔暮δである・ーマ法のそれとの融合過程を
論証している︵駒壕暗§駕暮︸ω・まーざ︶。
︵3︶ ヨハネス・プランクス︵ぢゴ鷺三霧国習o島︶は云う。﹁上述の揚合にいかなる方法で封は取得されるかは、次の通りであ
る。もし、真に︹主君が︺故意でも過失でもなくして︵昌oo9一︵︶話oo三一、帥︶占有することを止めた−.:乏きに結、その物が
彼の権限℃o器o︹H鼠〇三㌶ω訂與幽o昌岳︺に帰するであろうときは、主君は譲渡されるべき物を保証︵Bくoお︶しなけ私ぱな
らない、と思われる。﹂︵切、尽§象査ψo。“詳︾昌旨■拐の引用による︶ここで故意または過失なき占有喪失とは、事実上の
占有移転のことであり、反対に、故意または過失ある占有喪失とは、たんなる占有移砿のみならず、物権をも譲渡することと
同義と思われる。同じく封建法学者アンドレアス・デ・イセルニア︵︾けαお號留誘R巳卑︶も、譲渡を伴った占有喪失と、
たんなる占有喪失とを分類し、後者、すなわち、﹁主君が他人に譲渡したのではなくして、偶然に占有を失った揚合︵の一昌o口
#p象良け巴一一山o目ぼ臣器α8。己答8↓9p思誘Φ務δPo︶﹂を、﹁過失なき﹂︵巴篇o巳饗︶占有とする︵原文は駒蕊§慧さ”
¢oo斜拝︾ロ旨薗8︶D
三 第三者に対する保護
たんなる譲渡契約にもとづく債権者が、それだけで、第三者に対し物の引渡を要求しうるという現象は、対物訴権
と対人訴権の区別をとるローマ法の見知らぬものであったし、先にみたように、甘ω営8とoげ一蒔暮δというロー
マ法的な権利の分類を徹底して・ーマ法に密着したグ・サトーレンにおいても、見出すことはできない。しかし、こ
れでは権利の保護は十分ではないと意識されたのであろう、法の現実への妥当な適合可能性を意図するコメンタトー
レンは、すでに、種々の揚合に種麦の方法で、債権者の保謹を考慮している。しかもそこでは、現在フランスでとら
れている詐害行為取消権の特定物債権の保護のための拡大・類推と類似の現象がすでにみられるし、われわれの債権
︸
者代位権の特定物債権保護のための拡大と同じ機能の現象もみられるのは、示唆深い。彼らにとっては、ローマ法は
甘の勢山話目とその発展的消滅 二四三
ぐ
一橋大学研究年報 法学研究 3 二四四
もはや絶対的な権威をもつものではない。現実の妥当な規律こそが、至上目的なのである。彼らの法形成は、一言に
していえば、上部イタリーの現実の諸法を考慮し、これを取引活動に適合するよう修正し、ローマ法源の誤解・歪曲
によってそれを正当化し権威づけ、市民法上も通用する新らしい法を実質上創造した、と評することができよう。
一 両当事者が同一前主に由来する揚合
− 両当事者がともにまだ引渡を受けていない揚合は、先にみたドイツ・レーン法や配ぼ一富鼠o歪目についての
学説によるぼく霧氏ε壁善葛一奉理論と同様に︵第二章三2④、第三章三の三−Gり︶、より早い契約が、その後になされた
第二契約を排除して、前主から現実執行により物を取得することができる、と解された。第二契約は、その揚合、前
主に対する損害賠償で甘んずるほかはない。しかし、本質的にローマ法の制約を抜け出すことのできないコメンタト
ーレンは、ドイツ・レーン法やぎ畠隆葺雷呂基貯o理論におけると異なって、これをローマ法源によって正当化し
なければならない。そこで、ヤーソン・デ・マイノは、冨一くぼe8試oの註解にあたり、請負契約についてのフラグ
︵4︶
メントでそれを根拠づけている。請負契約については、ウルピアーヌスから出たドト。ひu﹂⑦一8界一PNが次のよう
にいう、﹁同時に二つの請負契約がなされている揚合には、最初の注文者に、まず︵き借︶履行されるのが至当である
︵8薯Φ巳守留蓼幕ユ︶﹂と。つまり、本条は、請負人が複数の請負契約をしている揚合には、契約の早かった順で︵次
次︶仕事をしろ、ということであって、ここで問題の、一方に履行すれば他方にはもはや履行できなくなる特定物の
所有権移転などとは、全く性質の異なったものである。むしろ、ローマ法源に忠実ならんとすれば、同じくウルピア
ーヌスの一・軍q留8界8壁曾鼻をこそ、参照すべきであったろう。すなわち﹁:−先んじて獲得する者︵08亨
冨旨芭がよりよい地位に立つのが、より正当である。それゆえ、引渡されるのは︵α&9畦︶、最初に請求する︵謁5
者ではなく、最初に︹勝訴︺判決を得る者である︵&器暮窪鼠ヨ需暑窪δ。したがって、その後に訴えるであろう
︵≦8葺︶者は、訴権︵き岳o器ヨ︶を拒否されると思われる﹂と。つまり、二重売買では、契約や請求の前後ではな
く、売主に対する勝訴判決を先に獲得した者が優先する、というわけである。要するに、特定物につき契約の先後で
決定するという先の命題は、○げ一蒔暮δの性質に反しローマ法からは理解できないものであって、現実の法を先の一
見類似のローマ法の一つのフラグメントにより粉飾し、正当化しようとしたにすぎない、と解すべきであろう。
2 一方は契約だけで、他方はそのほかに引渡をも受けている揚合には、先にみた封建法学説と同様に、ド一軌ρ
3詰一三民﹂︾鵠にしたがい︵第三章三の一およぴ同所註15参照︶、契約の先後を問わず、引渡を受けた者が優先すると
された。これが原則である。
︵5︶
しかし、コメンタトーレンは、これに二つの例外を設けた。第一は、引渡をも受けた第二取得者が、引渡を受けた
ときに第一契約の存在を知っていた揚合であり、第二は、第一契約は有償にもとづくものであるのに、第二の取得は
無償の権原にもとづく揚合である。後者の揚合は、無償取得者が第一契約を認識していたか否かを問わない。これら
の場合、第一契約者は、第二取得者に対しその物の引渡を要求することができる、としたのである。
この命題を最初に主張したのは、バルドゥスであろう。彼は、ローマ法を註解して次のように言う︵駒&§於&ρ
ニケ≦一ー馨﹂①お<oρげ一ω﹄轟o言呼窪PRoP急。戸ω毒け︵誤︶容一げ弓■8■一︶Q
﹁貴方が私にある物︵8ヨ︶を売ったが、まだ引渡す前に、貴方が私を害して︵ぎぼき号ヨ︶その物を︵①p臼︶
冒の&8旨とその発展的消滅 二四五
一橋大学研究年報 法学研究 5 二四六
ティティウスに売りかつ引渡した、という事情の下では、特殊の結論が付与されると思われる。けだし、︹こ
の揚合︺8一く首象8江oとプブリキアーナ訴権︵軍5ま置壁︶においては、請求者はティティウスであるが、
それに反し、彼︹ティティウス︺が詐害に関与した︵冨益o首零εとすれば、私が引渡を要求するであろう
から︵きき寒ぎ︶。しかし、もし彼に贈与されていたならば、彼が詐害に関与しなかったときでさえも、彼は
引渡を要求される︵冨く8葬霞︶。﹂︵肉蕊醤ま鼻の・8︾暮・﹂。の引用による︶
ところで、バルドゥスのこの命題は、右に引用したその註解の対象の原文から明らかなように、﹁債権者の詐害の
下に譲渡された物の返還要求について﹂述べているO&震︵勅法彙纂︶の七・七五によって支えられている。その五
は 次 のように述べる。
H﹄ρ留富く9。ぽの倉器℃Rぼ塁PR&霊ざ凝。﹁宣告された判決にしたがい一定の期間内に履行するこ
となく、また、差押えられ競売される財産によっては︵げ○巳ω陪誘8駐一ε営2①&弩器蔚︶保全もされない
者に対しては、その債権者は、詐害を知りながら協働した︵零δ霧ぼき8旨8ヨ冨雷丘一︶買主、および、
その認識なくしても無償の権原にもとづき︵賃ξR葺オo岳ε一〇︶占有する者に対する事実訴権︵彗詠oヨ
富。言目︶によって保護される、という権利はよく知られている。﹂
これは、周知のいわゆる8ぎ評巳一き暫に関する一フラグメントである。いうまでもなく、ここでの問題は、債務
者に対する金銭の請求であり、債務者のもとに現存する財産の競売による売得金だけではその弁済に足りない揚合に
はじめて、第三者に対し請求しうるのである。それも、狙いは、特定物債権の給付の目的物それ自体ではなく、金銭
的な財産価値の保全が問題である。しかるにバルドゥスは、これを前述のように特定物債権それ自体の保護のために
転用し、しかも丁寧に、この揚合には債務者の無資力という要件の審査は必要とされない、と断わっている︵bu麟ミ貸
葬勲ρ旨9N・ー︿oqド山誌§。鼻幹3︾ロ聲ま︶。そして、このバルドゥスの命題によって設定された訴権は、︽零諏o
﹃富9唱目器ぎ9ε二亀﹃廃罷事実訴権、取戻事実訴権﹄と呼ぱれて、その後のコメンタトーレンの文献に受け継
がれていったばかりでなく、すでにみておいたように、一六世紀には、封建法学者の授封契約に関する理論にもとり
入れられ、そこでも通用させられたのである︵第三章三の三−㈲︶。
しかし、われわれは、右の命題を、純粋にバルドゥス自身の発想にかかるものだと考えてはなるまい。彼もまた、
時代の子の筈である。これとほぼ同じ原則は、当時すでに二一−四世紀に作られたピサの都市法︵ω鼠ε響・︶に宣明
されているのである。ただ彼は、このような現実の規制を妥当なものとして、ローマ法源によって権威づけることに
︵6︶
よって、市民法上一般的に通用させようと努めたと解すべきであろう。もっとも、第二取得者の第一契約についての
認識がその効力を左右するという観念自体は、古くから存在している。・ζハルド法に属する・タール一世︵ぎ島畦
ヤ ヤ ヤ ヤ
一る応。ω1。。器︶の一勅令は、ある人が詐害的方法で二重譲渡したときには、第二取得者は、第一契約を知らずにその物
の現実のゲヴェーレを取得し、一年間取消されずに保持するときは、第一契約者に優先する、と規定しているといわ
れるし︵肉議詳還。鳶ψ8︶、アルベルトス︵︾一σ霞9ω︶も、・ンバルダ︵Uoヨげ畦鼠︶のコメンタールで、﹁善意の買主﹂
o誉冥9げ窪器臣Φという要件を立てている︵<管専乱§恥鼻︾ψ80。さらに、先にみたように臣ぼ一協o鼠o霊営に
おいても、そのH鮒鴇㈱一は、のぎΦぼ窪3と規定して同じ思想をうかがわせるものがある︵第三章二の二︶。しかし
甘の区ぎヨとその発展的消滅 二四七
一橋大学研究年報 法学研究 3 二四八
このことから、甘ω器8ヨのゲルマン的起源を強調するブリュネックのように、後者とバルドゥスとをただちに同
一視してはなるまい。むしろわれわれは、同じ善意悪意という要件でも、後者とは異質的なバルドゥスの近代性をこ
そ、そこに読みとるべきであろう。というのはこうである。中世ドイツ法では第二取得者の現実のゲヴェーレが一年
と一日の継続によりレヒテ・ゲヴェーレに高まったときは、その善意悪意を問わず第二取得者は第一契約者に対抗し
えたことは、すでにみた。しかるに、右のロタール一世の揚合は、統治者としての立揚から、さらにそれに第二取得
︵7︶
者の善意という要件をも附加して、かえって二重処分というものに反情を示し、第二取得を窮屈ならしめているので
ある。員男巽㈱一は、先にみたように、ミラノの封慣習として封主がいずれに授封するかを改めて保証するという、
=ぼ陣δ邑o凄目のなかでもすぐれて公法的な関連での問題である。しかるにバルドゥスにおいては、レヒテ.ゲヴ
ニーレというドイツ法的規制は消滅し、かつ、oび一蒔暮δと冒。。ぼ器の区別を知り、したがって第二契約者であれ
物の引渡を受けたものが優先するという・ーマ法源︵一・嶺ρ血。賊。陣≦匿﹂ふN 第三章註15︶に適合したグ・サトー
レンの理論や、それと同じ立揚に立つ封建法学説の洗礼を受け、原則的にはそれを是認しながら、それにもかかわら
ず、第二取得者が悪意であるか、第一契約者が有償であるのに反し第二取得者が無償であるかの揚合には、具体的妥
当性からみて第二取得者を保護する必要はあるまい、とされたのである。だから、バルドゥスにおける善意等の要件
の挿入は、純私法的であるばかりでなく、先に述ぺた諸揚合とは全く異なった次元ではじめて問題となりうるものな
のである。8ぎ評岳匡匿を転用するか否かは別として、少くとも彼の間題意識は、現在われわれが現行法の物権変
動理論などで問題としているものと共通のものがあるといえよう。
二 相手方が同一前主に由来しない揚合も、さらに二つに分けられる。
− 相手方が係争物を占有しているが、何らの本権をも証明しえない揚合。ここには、売主が買主の執行を免れる
ために、その所有権は保留しつつ第三者に占有のみを移した揚合と、第三者が侵奪その他これに類する事情により占
有を取得した揚合とを包含する。このような揚合の契約者の保護を考慮して、すでに封建法学者が、封物がふたたぴ
封主の手許に帰る揚合を予想して、封主は家士に保証すべしと解したことは先にみた︵本章二の二@︶。そこで一言ふ
れておいたが、この譲渡権能︵貯。巳鼠の零&窪象︶は前主にありながら、前主が意図して、あるいはその意思によら
ずに、占有のみを一時失った場合の債権者の保護についても、バルドゥスが考慮している。彼は、いわゆる8ぎ
評巳す塁についての前述の註解に引き続いて、その8﹂として次のように言う。
﹁もし所有権と占有とを持つ者が、債権者を害して︵ぼ呼き留昌RΦ往ε暑ヨ︶占有のみを移転したならぱ、
いかにして︹占有を︺所有者自身に確保するかを検討しよう。私は、債権者は通常の権利によって︵甘80学
象冨ユo︶保護される、と主張する。けだし、債務者に対してなされた判決により、特別の救済策︵3ヨ&ご日
①尊βo鼠ぎ跨旨目︶である器<8彗9壁︹”8試oぼドo盲営8ε8叶9冨−本節一2参照︺によって訴えられる
ことを要せず、かの者︵白魯︶の占有への執行が命じられるであろうから。ー所有権︵冥o肩δ鼠の︶は、牽引
力により︵①図≦象球蓼寓奉︶掠奪者︵冥器&︶から占有を取りあげるところの差押によって、取得されるこ
とができる。﹂︵原文は駒蕊§還騨”ψooわいによる︶
つまり、債務者が本権は有しながら、第三者に占有のみを移転したか、あるいは、結局はバルドゥスも認めている
一霧器冨旨とその発展的消滅 二四九
一橋大学研究年報 法学研究 3 二五〇
ように、第三者によって掠奪されたかの揚合には、債権者は、債務者に対する判決にもとづき、その執行の段階で右
の第三者からその占有を取りあげることができ、それによって所有権を取得することができる、というのである。こ
の命題は、おそらくローマ法の原則によっては正当化することはできまい。また、前述の83評三貯壁の特定物
債権保護のための転用によっても、とりわけ第三者が事実上の掠奪者である揚合などは、同様であろう。
ところで、ブリュネックは、前主の媒介により間接に主張されうるドイツ法の規制を想起するとき︵第二章二の一2
㈲、同章三2@参照︶、この現象は容易に理解しうると主張して、ここでもそのゲルマン的起源を強調している︵山、§,
毫鼻ψ。。ひ︶。しかし、そこでは前主自身に対し前主自身の権利行使を求めえただけであって、債権者が、みずからの
前主に対する判決により、独自的に第三者から執行しうるというここでの揚合とは、その法律構成も効力も異なる。
結局は、ローマ法的な債権としての把握だけでは保護が十分でないことに苦慮した結果が、このようなローマ法とも
またドイツ法とも一致しない命題を主張せざるをえなかった所以であろう。しかも、先にみた二重譲渡の揚合の保護
が、フランスにおける現行法の解釈としての騨9δ評巳§峯の特定狗債権保護への類推と類似の現象であったと同
様に、ここでは、債務者が第三占有者に対して物の引渡請求権を有する揚合に、債権者が債粉者に対する引渡請求権
を媒介として第三者に対して請求しうる点、実体法上の権利として構成するか、執行段階での技術的手段として構成
するかの違いはあっても、実質上、機能的にみれぱ、われわれの債権者代位権の特定物債権休護のための拡大と同じ
揚合についての保謹をも、すでに図っていることが注目されるべきである。ちなみに、このバルドゥスによって設定
︵8︶
されたと同じ原則は、一八五四年に改正されたプ・イセンの強制執行法にも登揚していることも.注目されてよい。
している揚合には、契約者の保護という考慮のみから以上の議論を無条件に通用させることの許されないのは、明ら
2 これに反し、第三者が、原始的な、あるいは他の者からの承継的な取得権限を有し、それにもとづき物を占有
かである。この揚合は、第一に、前主が処分権能をもたない他人の物について譲渡契約をしたときには、純粋の物権
の設定行為の運命と同様に、契約相手方は第三者に対してその引渡を請求しうべき筋合いはない。第二に、前主の
︵以前の︶権利が第三者の権利と抵触する揚合には、その事情いかんによって、契約者の権利は、あるいは第三者に
︵9︶
主張しえず、あるいは追求しうることになる。
︵4︶ 一ゆ8ロα。竃魯層、一。︾ゆ島一・一軌ρ山①堕・ダρお昌ρ累﹁しかしまた、一つのものが、異なった時期に二人の人に売られた
が、彼らのいずれにも引渡されてなく、そして両者が競合していたならぱ、それによって両者は唯一の権原︵?︶︵。。oξヨユ・
9㎏︶。﹂︵原文は、切蔦§薫息讐の陰oooo>昌ヨ●軍による︶
9ぎ、目︶を持つが、最初に売られた者が、請負契約︵一・8Rぢ中δ9︶においてもたれるものにより、優先されるε3巴零
︵5︶ ヤーソン.デ.マイノ、パルドゥスがそうである︵文献はb﹂註謁謹騨・ψ8︾昌鐸ま︶。ただし・ヤーソン・デ・マイノ
は、教皇インノケンチウス三世の一勅令︵ρ旨匿3陣勺需≠ρ鵠︶を引用して、これに一つの例外を設ける。すなわち・
第一契約者が、その物の他人への二重処分を禁ずる旨裁判所へ申請すれば、それに反してなされた第二処分は第一契約者に主
張しえず、彼によって取り消されうる、というのである。これを彼はε℃①一一彗δと名づけるが、同様の処分禁止の原則は・
一九世紀に至っても、あちア︸ちの実務で見られることを、プリュネックは報じている︵じoミ昌ま暮矯ψ8みF︾昌5総ー8︶,
︵6︶ 当該個所の原文は、動∪魁黛誉鳶Uδ象昌ひq自oげo囚ポ鴨q①ω8ロ畠oげ窪丙8耳辞い冒隆い一〇〇鴇−oo﹄8−89およぴ、こ
れから引用されたbご達§醤S鳶ψ3︾昌ヨ・おに所収。
冒の帥血﹃0、一一とその発展的消滅 二五一
一橋大学研究年報 法学研究 5 二五二
︵7︶ このような二重処分に対する反情は、とくに刑事法においては処々にみられる。パウルスから出たローマ法の一フラグメ
ント・一﹄一U﹂謁・09碁3壁量轟oo﹂Oも云う、﹁二人の人に全体的に同じ物を別々の契約で売却した者は、詐欺の罰︵℃。,
窪勢3一巴︶に処せられる。このことを神と崇められたるハドリァヌスも規定する。.一れに、裁判官を買収した者も属する。
だが、後者は、彼から彼の財産を取り上げられることなく、より寛大に罰されるのを常とする﹂と。また、・ンバルド法にお
いても、一四世紀のイタリーの都市法のいくつかにおいても、二重譲渡をした売主は追放の罰︵ωけ↓㊤囲Φ留の切卑昌ロ。の︶に処せ
られる、とされている︵切︾母3ま暮噂ψS︶。
︵8︶ プ・イセンの、一八五四年三月二〇日の﹁民事における執行⋮⋮についての規定の若干の変更に関する﹂法律︵︸︾①δ↓Φ、
自oロ山oぎ蒔o︾げ陣β3旨コ閃①づ山雪<o誘oぼ罵富一一φげo↓:⋮良①国蓉o再6目ご一9≦一路。げ。一一、.︶の一八条によれば、﹁執行債務
者の所有に属するが、第三者の占有ないし保管にかかる物ないし金銭への執行がなされるぺきときは、執行債権者の申請によ
り、第三占有者ないし保管者は、固有の代理により︵げ虫①蒔窪R奉暮諺葺一茜︶、当該の物ないし金銭を、執行債務者に交付
するのではなく、裁判所に引渡すぺく指示されるものとする﹂と規定されている︵切蕊昌ま客一ψoo凱︾一一一一一乙O︶。
︵9︶ ボ・ーニアのの3959≦一すにこの規制が見出される、といわれる。詳細は、b蕊ミ罠Qぎψ80F︾昌旨鵠︸¢ooN
︾ロ幹呂参照。
四 要
の揚合には、原則として・ーマ法の法源に適合して引渡を受けた者を優先させたが、第二取得者が悪意であるか、第
コメンタトーレンは、契約相手方に対する現実執行を承認した。のみならず、第三者に対する関係では、二重譲渡
約
︸契約者は有償の権限にもとづき、第二取得者は無償の権限にもとづくかの揚合には、第一契約を優先させた。二重
譲渡以外の揚合には、具体的妥当性を考慮しつつ債権者の保護をはからんとして、あるいは契約相手方に対する訴権
を媒介して執行段階で第三者に引渡を請求しうるとし、あるいはかかる請求権を否定するなど・カズイステイークな
彼らの研究方法の所産ではあろうが、キメの細かい考慮が行き届いている。その結論や分類の仕方も甚だ示唆に富む
ものであり、大綱においてさほどの不都合もみられない。その理由づけとなったものは、あるいは・ーマ法源ーし
かも多くの揚合はその歪曲ないし誤解ーであり、あるいは当時の諸都市法の踏襲であったが、そのような法源による理
由づけないし粉飾の有無を問わず、一貫してこれらを支えているものは、・iマ法源に制約されたグ・サトーレンと
は対照的な、具体的妥当性を求める彼らの基本的態度であった、といえよう。
ブリュネソクは、しばしば、右のコメンタトーレンの立てた諸命題のゲルマン的起源を強調している。このことは、
歴史的な事実の流れの中でみるとき、たしかに当っている面もある。しかしながら、法律学的にみるとき、両者は、
ローマ法的原則とは一致しないという点では共通する点があるとしても、その相互の間では、部分的には共通する点
がないではないが、その大筋においては、次元を異にする異質的な性格のものとなっていることを見落してはならな
い。このことは、すでに折にふれて述べておいたが、そもそも、物権・債権という権利の分類そのものを知らない古
ないし中世ドイツ法と、︺目、一昌巳oとoげ一蒔暮δという・ーマ法的な権利の分類を設定したグロサトーレンの洗礼を
受け、それを出発点として新たな法を創造していったコメンタトーレンとを同一の次元で捉えようとすること自体、
すでに不当だと言わなければなるまい。両者のこの違いはまた、同時に、所有権概念の確立の強弱とも関連している。
冒o。費自H。一昌とその発展的消減 二五三
一橋大学研究年報 法学研究 3 二五四
絶対的な所有権概念を知らず、当事者ごとに相対的に決するほかなかったドイッ法においては、たとえば二重処分の
揚合、第二取得者が一年と一日の現実的ゲヴェーレの継続によりそれがレヒテ.ゲヴェーレに高まるまでは、第一契
約者が絶対的に優先した。このようなレヒテ・ゲヴェーレなどの取引社会に適合しない法観念は、しかしながら、・
ーマ法に密着したグ・サトーレンはもちろん、現実をも顧慮したコメンタトーレンにおいても消失し、そこでは、契
約の先後を問わず引渡によって所有権を取得したものが優先する、という・ーマ法的規制が登揚している。コメンタ
トーレンにおいて、さらにこれに、第二取得者の善意ないし有償という要件が・ーマ法源の歪曲を通じて挿入され、
占有を取得しない第一契約者が優先することのありえたことも、右に述べたドイツ法との基本的な質的差異はあくま
でも前提としつつ、それにもかかわらず生ずる逆の方向での実際的弊害を是正しようと考慮したものにほかならず、
もはや古ないし中世ドイッ法−そこでも稀には善意が問題とされている揚合があるが、それでもなおーと共通の次元で
の問題ではありえない。
最後に、甘ω呂8目という用語について一言しておく。すでに、封建法に関するヤコブス.デ.ラヴァニスの記
述を引用して、この用語を熟知しているバルドゥスも、これを市民法自体のために用いることはせず、バルトールス、
リロ
ヤーソン・デゆマイノおよぴその他の一四、五世紀のコメンタトーレンも同様である、といわれる。その後、ア︸の用
語は、一六世紀に至ってはじめて、封建法学者ローゼンタール︵閃o器旨げ巴︶によって買主の権利のために用いられ、
その後、のちにみるように、債権を記号づけるために用いられたのである︵切究蔑§恥。翌¢。。一︾β、昌・誤︶。むしろ、バル
ドゥス以後のコメンタトーレンは、契約相手方に対する現実執行の面に着眼した特別の記号づけはせず、二重処分に
淳る、慧ないし無償権原にもとづく第最響に対する笙契約者の優先を、いわゆる慧こ註き笛来
する︽蟄。菖。一ロ協p。けβ営↓のく。。鈴け。ユp︾﹃廃罷事実訴権﹄だと強弁してきたのである。このことは、おそらく、基本的に
はローマ法学者であるコメンタトーレンとしては、甘の営おと○げ一蒔暮δという、・iマ法源に即応してグ・サト
ーレンによってたてられた権利の二大分類に真正面から抵触することを避け、形式上は・ーマ法源に適合すると強弁
しつつ、側面から実質上それを修正しようとの配慮にもとづいたものだと考えるほかはあるまい。
︵m︶バルドウスの釜であり、かつライバル馨あるコンター占あ巨星ハルトルス︵浮喜牲島き胤。昌募
一呂ω1一い鴇︶は、一・い︸ゆ♪Uムど応∂についての彼の註解において、所有権・地上権などを、﹁それ自身によって得られる権利﹂
︵︺ロ特簿﹄。p①ωρ、、叶鈴。ρρ一ω一け帥℃①弓のΦ︶とし、義と対比して、﹁他人の完全議利叢得する鐙たる難﹂︵一基﹄き
ω道ロけ。跨β腔p①艶。ρ巳ω一瓜。巨。・騨一け。↓ごの一β吋﹃需昧9εを区別しているが、これを甘の区器ヨという用語で呼ぶことはせず・
時の経過により﹁完全な権利﹂︵一一一の℃Φ巳団Φ。ξ巨︶、すなわち所有権に変ずるところの︸あ奉甲3旨ぼ艮β賃ρβo夕き寓oす昌p
。。、昌℃Φ試δ..︵プブリキアーナ訴権を資格づけるところの準所有権︶、と述べている︵国毫蓑§ド.鈴卜DM.︾昌5翠︶。
次に、
二五五・
ローマ法の包括的継受後のドイツ市民法を検討するのが、
〆
第五章 中世教会法︵学︶
且丁
足)
ンタトーレンの法形成物をみたわれわれは、
背
甘の&言ヨとその発展的消滅
’コ
一橋大学研究年報 法学研究 3 二五六
一応の順序であろう。
しかし、先にみておいたように、従来一派の教会法学者ならぴに私法学者により、われわれの甘ω蝕3日の起源
として、中世教会法︵学︶が挙げられてきている以上︵第一章一一︶、教会法における甘ω器希目の具体的内容、その、
封建法学者ならぴにコメンタトーレンにおける法形成物さらにはその後の市民法学の冒の器3目との関係を無視し
ては、われわれの考察は片手落ちのものとならざるをえない。このような意味で、ここで、教会法における甘ω呂
冨目を検討しておかなければならない。
一 あたかも封建制において、授封関係がそのもっとも重要な法律関係の一つであったように、教会組織においては、
聖職ならびにこれと結合された聖職禄の授与の問題ほど、実際上聖職者層によってもっとも関心をもたれ、したがっ
てまた、教会法学者によって研究の対象とされた法律関係はなかったであろう。ここでの甘ω器器日は、正にこの
聖職叙任と結合された聖職禄の授与をめぐる法律関係である。
聖職禄の授与関係は、教会の権力組織の整備・拡大にともなって、ほぽ九世紀には持続的な形態をとり、一〇世紀、
一一世紀には、一層の安定と普及とを示しているといわれる。しかし、当時はまだ、その法律学的な研究はなされて
はいない。それが法律学上の研究対象とされたのは、一二世紀後半になってからである。というのはこうである。す
でにみたように、当時、イタリーのボローニア大学においては、ローマ法についてのグロサトーレンの勃興にょり、
法律学は著しい躍進をとげていた。その影響が、すでに頂点に達しつつあった教皇権の世界的拡大と教会の権力組織
の整備とあいまって、教会法学をも興隆させ、教会の現実の諸制度が・ーマ法学の手法によって研究対象とされた。
こうして、教会法は、地域的制約を脱して世界法となり、教会法学は、従来の理念的信仰的なものから、すぐれて法
律学的体系的なものとなり、ついには、姉の私法学をも顔色なからしめるほどのものとなった。正にこのような教会
法学の勃興とともに、聖職叙任およぴ聖職禄授与をめぐる法律関係は、教会法学における恰好の研究対象とされ、そ
の中で、教会法学における甘の&冨営が、徐々に形成されていったのである。
ホ
* 教会法における諸法源、およぴ、必要なかぎりでその引用方法を述ぺておく。
ω Uooお窪ヨの声訟巷一グラチアヌス︵○声菖程臣︶が、一二世紀中葉に、講義案として、従来の諸法令などを編纂し、
これに簡単な註解を付したもの。シュルテによって、教会法学を正当に独自的に著述した最初のものと讃えられている。なお、
UoRo9旨○β試陣巳というのは、正式の名称ではなく、のちの人のつけた呼称である。
@ ■一げ雪円蓉壁 教皇グレゴリウス九世︵O器讐艮葛H〆旨ミー一N茸︶が、一二三四年に、右のグラチアヌス法令集以後
に発布された歴代教皇の教皇令を集大成し、揚合によっては修正して、作成・発布した法典。
その引用方法は、たとえば、第二編第一二章﹁占有と本権との係争について﹂の第二条なら、。﹄図留8ロ紹宕器8甲
o巨ω9鷲o肩苓5即ρ一Nとする。図とは、U♂R国答βの略。
の 臣げRω霞9の 教皇ボニフアチウス八世︵ω○巳h暮ごψ<口押誌零ー蕊8︶が、一二九八年に、右のグレゴリウス九世
思げ臼国首壁よりも一層ひどい。目げ9留蓉霧︵第六書︶との名称は、Uき霞国尊第の第五編につづく、その追加物と考え
のζげR国曇壁以後に発布された歴代の諸教皇令を集成・編纂して、法典として発布したもの。従来の教皇令の改鼠は、
られたことによる。本法典については、さらにのちに説くであろう。
その引用方法は、たとえぱ、第二編第九章﹁自白について﹂の第二条なら、。﹄号8蔑窃器言<H。︸b。”Oとする。
甘o。ゆα3旨とその発展的消滅 一.一五七
一橋大学研究年報 法学研究 3 、 二五八
<H。とは、いうまでもなく、UまRの貫9のを意味する。
なおその後、クレメンス五世︵ΩΦ目魯。。<−一ω81一い軍︶によっても、法典が作られたが、われわれの検討の範囲を外れる
ので略する︵右の引用方法の例は、便宜上、栗生﹁教会法の法源﹂︵法の変動・所収︶によった︶。
二 教会法学における甘ω践8Bの形成を検討する前に、その母胎をなす聖職叙任およぴ聖職禄授与の方法を、一
通り理解しておかなければならない。しかしその在り方は、俗界権力と教会権力との間の、あるいは高位聖職者と下
位聖職者ないし俗人の教会保護権者︵U践目冒霞8︶との間の力関係に媒介されて、種々の動揺の中で歴史的に形成
されたものであり、かつ、その態様・形式は複雑に交叉しているため、これを一義的に整理することは不可能である。
われわれの問題の検討に必要なかぎりで、一応の説明をしておくにとどめるほかはない。
よってなされた。これを、鷲o氏巴o、広義では一塁葺暮δあるいは8一一暮δと言う。ところで、この聖職叙任行為は、聖職候補
− e 聖職叙任は、特定の聖職位が空位となった揚合、適法な資格者に対し、当該聖職位を自己の管轄下にもつ高位聖職者に
者の選出と、その者への聖職の移譲とに分けられる。この両行為は、分たれることなく一人の高位聖職者の権限に属することもあ
ったが︵鷺o≦巴o覧窪おこ房℃槽o<邑8δ覧Φ塁ρ完全叙任権︶、多くの揚合、各々独立の権能として、1ある場合には対抗関
係にすら立つ 別異の関係者に分属した︵鷺oくζo旨首岳鳳窪器こ塁鷲o<芭o巳ω巨目ω覧Φ壁ρ不完全叙任権︶。
⇔ これをやや詳しく述べれば、
i 上位聖職者の叙任については、まず選出行為は、一定の手続にしたがい適法な教会の機関の選挙Φ一Φ。二〇によって行われ、
これにもとづき、次に高位聖職者、とりわけ教皇の認可8昌時ヨ葺δによって、聖職者としての権能が付与される。これが原則で
ある。もっとも、教皇権と世俗権との対抗関係いかんによっては、右の選挙〇一Φ9δに代って、しばしば第三者、とりわけ楓王
︵げp、、︹一.㏄け。目励這よ^、て裏繋碧ロ。日一旨け一・され、それにもとご蟄童職委瞥雲↑§をすること誌ξ
叙任行為を、架ら謬ごれる.︼となく全く独立になしう蕩合︵8藝・淳①書・憂P畠聖職叙任︶と・第三謙指
”h下塾磐の樫は、司教またはこれ高籔上の高籔職書よ・て行紀た︵8量・垂襲任︶ご鷲は・司整
甘。跨q.。ヨとその発展的消滅 二五九
e司教職の選出は、特定の司教座の欠位が生じたのち所定期間内に、定足数の選議者、すなわち司教座聖堂参事会募馨
に、さらに、司教叙任の典型的な例をとりあげて、具体的にみておこう。
2右の一応の図式奮晶らか奮うに、聖職樫の方綾か奮羅多様であるが、冨&きの整づけの理解の誌
補者の当該聖職禄に対する期待権・法的地位が、われわれの検討すべき甘の器器日で効記。
以上のうち、聖職者の選出ないし指定行為とその認可ないし羅行為とが別異の震君属す蕩合・薯のみ蔓け垂漢
特型獲薯H。<一の一。︵。負。。一一騨江。︶貫け§喜§という︵§砺“ぎ旨智。㌔琶§転曼
す蕩合︵目Φ.Φ擁く跨け一。︶、である.⋮m例外的に、第三者が完全議任権著す霧合もあった.蕊髪晃霧合と区別して・
一。け陣.、、、、を行使して、みずから叙任行為をする揚合﹄n董が、聖職授与の権限を留保していて・それ旨とづきみず奮推挙
i爵聖職樫の震黍適法猛任行為をするこ皇怠・たとき、萎の勢鰻上参澄の聖職者が・馨聾。二き
㊧右の通墓灘任の麓者︵。.α、、、p↓一βω§け3耗って、より高位の叢者童襲任をす重ξあったQす霧ち・
以上の聖職叙任の方法が、通常聖職叙任胃o<邑o︵o鼻8=讐δ︶o&ヨ貴冨である。
限︵、5一ωω一。。跨β。p一。暫・布教辞令︶を付与するだけである︵一霧馨暮δ鐘8鼠鍔げ一一黄権能授与︶。
が、その聖堂区に関して司教と同じ権限をゑことがあ・た.こ霧合には、司教は、彼らによ・淫書れ薯量職行使の権
一βω叶、叶βけ一。..一一節什沖く”という.例外的に、司教に代って、司教座窒黎︵き匿ぎ量や主任司祭︵讐量辱言一菖
定αΦ、一四ppδ陣.にもとづいてなされる揚合︵.。一一四け圃・§一一星不畠耀樫︶と奮った・後者の揚合の轟の樫行磐
.)
一橋大学研究年報 法学研究 3 二六〇
①一Φ9δ によって行われた。これは、過半数の多数決により、教会法所定の司教適格を具備する人のなかから選ばれなければならな
かった。選挙の結果は、司教座聖堂参事会が作成する選挙調書に記入され、選挙人はこれに拘束され、もはや変更することは許さ
れぱならなかった。これを承諾することにより、被選挙人は、ローマ教皇庁に対し司教職の認可8旨㎏日暮δを、したがってまた、
れなかった。ついで司教座聖堂参事会は、被選挙人に対し所定期間内に諾否を照会し、被選挙人は所定期間内にその回答をしなけ
これと不可分の聖職禄田旨旨旨旨の移譲を求めることができた。しかし、彼はまだ、この段階では、現実に司教職ないし聖職禄
を取得し、その管理権を行使することはできなかった。この段階での被選挙人の聖職禄に対する法的地位・権利が、冒ω&8目で
ある。
⇔ 他方、司教座聖堂参事会は、前述選挙調書を所定期間内に・iマ教皇庁に送付する。それにもとづき、・ーマ教皇庁︵イタ
リー以外の地では教皇大公使︶は、司教資格行状調査︵H三自旨暮等層oN9の︶を行う。この調査結果にもとづき、・iマ教皇庁の
教区聖省︵8護露鵯試08霧醇9一巴芭は、前述選挙調書を再検討する。特別の欠格事由がなければ、教皇主宰の下に行われる枢
機卿会議︵8霧巨Sご日︶が司教選定の教皇告示︵鷺器8巳路菖o︶を発し、教皇は教書により認可。8隷B諄δを与えた。
聖職候補者は、この認可を受けてはじめて、司教としての聖職を現実に行使することができ、また、これと不可分の聖職禄の現
実的な管理・収益権を取得した。これが、前述の冒ω呂器ヨに対応する教会法学上の冒ψ言おである。もっとも、右の司教
は、下位聖職者である司祭の資格を付与する叙品式︵≦9冨︶を行う権限だけは、教皇の認可では足りず、教皇に留保されている
司教への叙階式、いわゆる聖別︵8臣08江o︶をみずから受けてはじめて、取得することができた︵肉菩き恥ミ︸ψ鴇o¢。
以下、われわれは、教会法学における甘の器冨旨なるものの効力、法的性格、さらにはその用語法を検討しなけ
ればならない。もっとも、本制度は、先に一言したように、徐汝に歴史的に形成され変遷をとげてきている法概念で
あるから、本検討も、正確を期するためには、まずその学説史的な展開を具体的に跡づけ、最後にその持つ意味を考
える 、 と い う 行 き 方 を と ら ざ る を え な い 。
ヤ ヤ
︵1︶ われわれの問題を理解する予備知識として、わが国の文献としては、教会法一般については、権威あるシュルテの﹁カノ
ン法の法源と文献の歴史﹂︵一八七五ー八○年︶︵の簿蕊&︶に主としてよっている栗生﹁教会法の法源﹂︵法の変動・所収︶、お
よぴ、主としてシュルテ、フリードベルク︵肉置㊥き零喰︶、ヒンシウス ︵韓き跨奮霧︶によった吉田道也﹁中世教会裁判所の民
事裁判権について﹂︵法政研究一七巻一八三頁以下︶が参照されるべきである。一般的な思想に重点をおいたものとしては、
阿南成一﹁教会法﹂︵法哲学講座二巻所収︶がみられる。
われわれの検討と密接に関連する聖職者の叙任についての個別的な研究としては、吉田道也教授の制度史的な面からの﹁古
カトリシスム時代の司教叙任について﹂︵国家学会雑誌五八号四i八号︶、およぴ、問題意識はやや異なるが、町田実秀教授の
﹁多数決原理の研究﹂︵昭三三年︶のなかの﹁教皇ならぴに司教の選挙方法の変遷⋮⋮﹂︵九一−一七五頁︶が参照されるべき
甘・り費山8日とその発展的消減 二六一
での全資料を整理し体系づけることに没頭された結果、まだ、聖職禄の授与という個別問題については、特に深い検
一二世紀中葉のグラチアヌスの法令集︵U9お9旨Oβ鼠星正式には、09一8&貯象の8a程けご旨。彗8β目︶は、当時ま
一 一二世紀、とりわけフグキオ シュルテにより、教会法学をはじめて正当に独自的に著述したと讃えられた、
二 冒 ω 区 お 目 の 形 成 ・ 発 展
︵ 3 ︶
︵2︶ 冒のa8旨の生ずる諸揚合については、国ぎ鷺蕊鋸いHH℃ψaωー轟︾け巨薗ooをみよ。
である。
も
一橋大学研究年報 法学研究 3 二六二
討はしていないといわれる︵警ざ§ト曹。び鐸¢蹟︶。しかし、グラチァヌスの法令集についてのその後の論述、た
とえば、そのもっとも古いものの一つである一一五九年以前に書かれた・ーランドス︵因。声注臣1のちの教皇アレキ
サンダ⊥二世、一一五九i一一八一︶の幹目目卑、一一七一年までに書かれたヨハネス・ファヴェンティヌス︵甘匡口賠ω
田<。旨首葛︶のωμ目目騨、およぴ、とりわけ、前期教会法学者中の最高峰フグキオ︵国茜目且o︶の、一二世教会法学
の集大成でその最高の水準を示すと評される誓日ヨ鱒においては、聖職禄の授与についての法律関係が、かなり詳
︵4︶
しく論じられている。
フグキオは、聖職禄ないしその取得権︵甘の首警目げ窪臨90盆日乙にのbR9且曾巳︵o窪ぼ窪α一︶屈3窪鼠筥︶につ
いて、それは聖的性格のもので、したがって、教化的考慮と聖職にもとづくもので︵βぎ器ぼ旨9ぎ巳ω90籏&
かくも聖物の処分権を取得する﹂。そして、このまだ現実の一環ではない一霧は、その次になされるべき高位聖職者
︵7︶
の認可によって﹁現実に聖物自体の管理・処分をする完全な権能﹂に移行する、と。ここですでに、選挙の結果を承
︵6︶ 、 、 、
選挙の結果を承諾すれば、それだけで、彼は﹁現実の処分権、すなわち、現実にかの権利の執行をではないが、とも
誉霧︶を取得するか、というここでの問題について、次のように説く。教皇の選出を別とすれば、﹁たんなる選挙だ
︵5︶
けでは、すなわち被選挙人がそれに承諾する前には、決して権利は被選挙人によって取得されない﹂。しかし、彼が
ら、聖職候補者は、聖職禄の上への権利、すなわちその管理処分権︵冒ω象ε2聲象9匿茸一巳診壁民一諾ωΦ8一霧壁甲
その特殊の性格を正当に把握している。そして、選挙、推挙、認可など、前述の聖職叙任の複雑な方式のどの段階か
。8霧壁鋒且︶、相続や売買、質入れなどは許されず、また、聖職︵o曲o置貸紹。旨臣︶とともに消滅するものであると、
0
諾した被選挙人の聖職禄に対する関係が、高位聖職者の認可の有無によって現実の権利とまだ現実化していない権利
とに分類されているのがみられるが、その際、彼は、それが聖的性格のものであることを指摘しながらも、ローマ法
の霧亀霊。εω︵用益権︶をしばしば引合いに出すなどして、おそらくはグ・サトーレンによって研究されている・ー
マ法を考慮しているのがうかがえる︵q巷郵ψ睾ー旨轟︶。
二 一三世紀の教会法学者たち、とりわけインノケンチウス四世 この一二世紀の教会法学の業蹟を、;一世紀の
前半に一層深化し厳密に規定したのは、ゴフレドス・デ・トラノ︵Oo申a霧3臼、旨唇︶、ロフレドス・エピパニイ
︵閑o穿&塁国℃首鼠巳︶、および、とりわけ、シニバルドス・フリスクス︵の一巳夢匡霧国誌o墓︶1のちの教皇インノ
ケンチウス四世︵ぎ88旨誉ω一ざ這&1一b。忠︶i以下この名称で呼ぶーであった。
彼らに特徴的なことは、一言にしていえば、それ以前の諸学者が、聖職禄についての権利を﹁聖物の管理処分権﹂
として、したがって、どちらかといえば、聖職にもとづくその他の種々の権能と同様に、いわば公法的性格の、聖職
に化体した教会管理の構成要素として把握する傾向がかなり残っていたのとは対照的に、・ーマ法についてのグ・サ
トーレンの影響を強く受けて、これを私法的観点に持ち込み、私法的概念によって厳密に規定し構成しようとしたこ
とである。すなわち、ゴフレドス・デ・トラノは、ボ・iニアでアーツオ︵︾8︶の下で勉強した人であり、彼の
誓Bヨ帥︵一N台−這&︶は、それ以前の教会法学者をのみならず、アーツオ、ブルガールス ︵閃巳鵯盆ω︶、バソシアー
ヌス︵甘巨国霧巴き霧︶、マルチーヌス︵零鶏↑ぎ霧︶等麦の著名な・ーマ法のグ・サトーレンをも引用しているといわ
れるが︵oQ罫蕊貧戸鷲Nぎω・︾琶・ぴ︶、そこで彼は、前述フグキオのいわゆる﹁現実の聖物の管理処分権﹂を、グロサ
冒ω&お目とその発展的消滅 二六三
一橋大学研究年報 法学研究 3 二六四
トーレンにより案出された甘ωぎ器の用語を想起させる甘のぼ冥器び雲鼠乙臣営①。9①巴器、さらには冒のぎ3
とさえも名づけ、聖職候補者は、高位聖職者の認可を受けない段階ではかかる権利をもたない、と説くのである。同
じくボ・ーニアで学んだロフレドスも、彼の﹃教会法書﹄︽臣富霞富甘おo聾○巳8︾︵旨a︶︵1<管の。計心ト謙。﹂︻・
惚ざどで、一岳ぎ99霧置という用語を使っている︵孚。吻吻・ψ一誤1一呂︶。
この方向での把握をもっとも顕著に、かつ詳細に説いたのは、前述の教皇インノケンチウス四世である。インノケ
ンチウス四世は、彼の﹃五教皇令書についての註釈﹄谷o目旨窪鼠臣p警需二ま8ωρ菖呂琴∪身お鼠一ご葺︾︵一Nま︶︵ー
1<σqピ警ぎ§月総い旨レ︶で、8穿江o︵聖職任命︶、ないし。8爵B鋒o︵認可︶により最終的叙任行為をも受けた
聖職候補者の聖職禄への権利を、甘臼に目一霧︵完全な権利︶として、つねに一臣ぼ冥器げΦ&蟄︸冒の注99霧旦あ
るいは甘。。ぎ冨と表現し、その訴権を、ローマ法にならって、i希一≦け象。騨試。に相応する18ぎ2卑巴08,
隔88ユ蟄と名づけ、さらに、善意かつ正当権限を有する受禄者は、非所有者に対しては、聖職禄を求めるプブリキア
ーナ訴権︵bβげ浮す壁呂08冨ωす目︶をもつ、と説く。これに対し、たんに、選挙、推挙︵b冨霧曾鼠ぎ︶、およぴ指
定︵留ω蒔轟ぎ︶を受けたにすぎない聖職候補者の権利は、け臼器甘ω︵不完全な権利︶として、甘巴昌↓oとは対照的
に、甘の器冨8乱目目ピ窪呂9躍β甘の区霊目冒9魯鼠目︵制約されるべき聖職禄︵物︶への権利︶と名づけられ
る。そしてそれは、権限を有する高位聖職者に対して認可を請求し、選挙人団に対してその選挙結果の変更を禁止し、
第二被叙任者に対しても訴権をもち、さらには無権原の一般第三占有者に対しても教会裁判所に占有訴訟を提起しう
る権利だとされている。この甘ω帥畠需8鼠ロ日び窪80ご日などの名称は、かのロンバルド封建法書ピεユ断①琶。.ロB
についてのヤコブス・デ・ラヴァニスの旨ω匿8三を想起させるものがあるが、注意すぺきは、インノケンチウ
ス四世は、右のような諸効力を認めながら、それにもかかわらず、この権利は対人訴権だ、と強弁していることであ
る。すなわち、彼は、最終的な叙任行為を受けた第二被叙任者に対する第一聖職候補者の訴権は、﹁聖職禄を自分の
ものである﹂︵践器げ曾鼠日の壁ヨ霧器︶と主張することによってではなく、﹁聖職禄を自分に義務づけられている﹂
︵肩器げ聲鼠目匹画富げR一︶と主張することによって訴求しうる対人訴権︵需30壁冴8江o︶だと述べるのである。
しかし、右の訴えの理由づけはどうであれ、第二被叙任者に訴求しうるというア一と自体、もはや・iマ法の卑。該。
ことを別としても、聖職の執行、聖職禄の管理・収益という点で現実性を欠如しているとはいえ、あえていえば、潜
℃Φ誘9巴一ωと一致しうるものではない。むしろ、この権利の実相は、それが本来私法的な基盤に生じたものではない
在的な物権というべきだろう。そこで、それの8ぎ需窃9巴駿であることの積極的な理由づけをなしえない彼は、
︵8︶
8ぎぼお巨でも混合物でもない8江oは需誘9巴冨である、と逃げるだけである︵Q﹃。恥角・の﹂呂1一お︶。
三 前同、ベルナルドス・コンポステラヌス このインノケンチウス四世に代表される学問的体系的構成は、つぎ
に、彼の助任司祭︵o巷亀き︶ベルナルドス・コンポステラヌス︵零ヨ胃含ωOo旨2馨色程霧甘ロ一9︶によって、前
述教皇グレゴリウス九世の一二三四年法典匡げR国答壁︵本章一の一*@︶についての、彼の未完に終った註釈書︵一二
六〇年以前︶︵く管o。罫婆“目鷲o︶において、同じく・iマ法的私法的構成によってではあるが、一層発展させられた。
彼は、インノケンチウス四世のいわゆる甘の匿需$巳偉目げ窪&。旨ヨにつき、これをグ・サトーレンの物権法体
系に完全にくみ入れるとまでは明言しないとはいえ、インノケンチウス四世においては甘巴βR器げ窪3にのみ認
噛霧pα器目とその発展的消滅 二六五
一橋大学研究年報 法学研究 3 二六六
められた8ぎ2霧一8巨窃ω8一魯と同様の、すべての人に追求しうる8ま霧ω9貯をこれに承認し、実質上インノ
ケンチウス四世とは反対に、その物権的把握に接近している。すなわち言う。口頭契約︵ω↑首巳駐o︶にもとづく権原
で訴える方法は需駐8巴置零江oである。そしてその権原においては私はいかなる甘。。をも持たない。﹁しかし、こ
こでは︹“インノケンチウス四世のいわゆる冒の&鷺$旨ロ巨幕蓉籔ご誉︺、実際には、8蔦98は。の形式で私は訴える
︵9︶
のである。それは、物を追跡し誰にでも到るものである﹂と。そこで、彼はさらに言う。いわゆる甘ω&需宕注∈昌
げ雪島。旨ヨをもつ者は、﹁彼自身に義務づけられ彼自身に譲渡されうるほかは何ものでもない、という権利を、その
物︵すなわち聖職禄︶につき持つのである﹂。したがって、その権利者は、﹁その聖職禄を、それは彼自身に義務づけ
られているので、それが占有者から取り上げられ、彼自身に引渡されるよう、占有している誰に対してでも、訴え、な
いしその他のいかなる方法でもとることができる。﹂だから、物の方からいうと、ある人の甘ω&8旨需5け鼠目の
︵10︶
対象になっている﹁聖職禄は、他人に譲渡されることのできないよう制約されている﹂ものになる、と。そして彼は、
このインノケンチウス四世のいわゆる甘ω&需8呂βヨび窪鑑。ご旨を、より簡約して、つねに、一器区窟魯雪審舅
ないし甘の胆傷富器旨冒目と名づけている︵qさ留ψ一おー一蜜︶。
このようにして、一二六〇年までに、ベルナルドス・コンポステラヌスは、実質上、のちの教会法学者の冒の&
蔓コと同様の観念を把握している。その用語法も、冒の&菖ヨなる用語にいま一歩というところである。
しかし、ここで注意すべきは、彼のこのような功績にもかかわらず、彼の見解は当時決して他の教会法学者に直ち
に受け入れられ滲透していたのではなかった、ということである。このことは、たとえぱ、同じくグレゴリウス九世
のζげ雪国磐壁についての、その後数年して一二六三年にでたベルナルドス・パルメンシス︵劇R冨&塁︾鶏日雪鴇
3ぎ§器︶の﹃標準註釈書﹄︽象8鋸oaぎ鶏置︾︵くの一・警ぎ§目紹・。︶が、概していえば、なお、かのインノケン
チウス四世の立揚にしたがっていたことや︵騨璽ミ§ざ¢旨認︶、次にみるように、教会法学において最初に甘の区
.○巨なる用語を用いたデュランティスが、それによって全く別のことを観念していた、という混乱からも明らかであ
る。
四 前同、デュランティス その後、右にみたインノケンチゥス四世やベルナルドス・コンポステラヌスの法的構
成と著しく異なる見解を唱えたのは、デュランティス︵Uβ目即暮量旨鴇−旨8︶︵︿範じQqぎ騨﹂H㈱累︶である。彼は、一
二七六年までに完成した著名な﹃教会訴訟法鑑﹄︽9Φ窪置ε一且§巴⑦︾の、﹁訴権ないし請願について﹂︵留8ぎ冨
。Φ信bΦ鼻一。⇒Φ︶を論じている第二篇第一節のなかの、ー裁判外のf﹁聖職禄の請願について﹂︵留需葺一8ま臣
げ雪呂90讐旨︶のみ扱っている第四条で、教会法学者としてはじめて甘の器お目なる用語を用い、次のような説明
を加えている。﹁その者のために︹教皇によって︺︹請願に対する︺答書を付与された者は、司教座聖堂参事会に対し
て、その物を司教座聖堂参事会員ならびに助修士に取り戻すよう求めることができる。だが、かかる答書にもとづい
ては、その者に、8ぎは付与されず、したがって、一垢﹃器は付与されず、︹甘巴豊3目が付与される⋮己
と。ところで、そこで引用されている同書の賦げ﹂︿●冒拝03冥器σoけ︵一蒔巳什■㈱一をみると、その権限者は、
営o且け9戒告吏、需8ヨ営9絞首吏、賃9暮9執行吏だとされている。しかも、ここでいう甘ω銭8日とは、﹁わ
れわれに義務づけられている手続で実現される甘ω﹂、すなわち、ただ、請願にもとづく職権による執行︵銭o臣9§
置の区お目とその発展的消滅 二六七
一橋大学研究年報 法学研究 3 二六八
賃①窪8募一日甘oβ民βヨ︶を求めうるにすぎないものだ、というのである︵q﹃。硫吻”ψ一蜜i一睾︶。
ここで注意すべき点は、二つある。その一は、権利主体として、インノケンチウス四世やベルナルドス.コンポス
テラヌスが、彼らの一蕊呂︵需帯民ロ目︶び魯8。旨唐につき考慮していたものは、司教その他の聖職者であって、デ
ュランテイスの冒ω&お旨におけるように戒告吏や絞首吏を予想していたのではなかった、というア一とであり、そ
の二は、その権利の法的性格につき、インノケンチウス四世やベルナルドス・コンポステラヌスも、裁判外の請願手
続による聖職授与についても述べてはいるが、彼らはそれを、裁判上の訴権としての甘。。&︵需8呂仁臼︶げ窪Φ浮ご、目
からは注意深く区別し取り除いているのに対し、デュランテイスにおいては、冒ω器お目の下に、裁判外の、教会
の行政機構上の請願に対する聖寵σg賞江曽にもとづく救済ーのみーが考えられており、したがって、彼のいわゆ
る裁判上の訴権による甘ωぎおには、固有の甘。。ぎおのみならず、それ以前のいわゆる甘の鑑︵℃Φけ。昌ロ日︶
げ魯&。旨旨をも含めて理解されている、ということである︵孚。郵ψ霊・。埜¢一統︶。したがって、デュランテイスは、
一二七六年までに教会法学においてはじめて一岳&8日なる用語を用いているとはいえ、それは、それ以前ないし
それ以後の、われわれの問題とする冒ω&器旨では決してなく、したがって、彼においては、われわれのいわゆる
甘ω器8目の明確な認識ぽまだ存在していなかった、といわざるをえない。
しかしこのことは、必ずしも彼を責めるべき理由にはなるまい。彼の教会法学において占める学問的地位、およぴ、
従来の法源・学説を驚くぺきほどに蒐集・整理しているといわれる本書の性格からして、それにもかかわらず彼がこ
のような理解の仕方をしていたということは、むしろ、当時はまだ、教会法学における冒の匿器Bの理解が、決し
て争われざるものとして学説上確立されていたわけではなかった、ということを示すものとこそ考えるぺきであろう。
実際、彼がわれわれの冒の器冨旨を冒の旨おの用語に包合させたり、廿ω&器巨の主体者を戒告吏その他のも
のと考えている点は論外だとしても、少くとも、甘の&器日の概念を、インノケンチウス四世などの訴求可能なそ
れのみならず、請願による裁判外の聖寵にもとづく救済手続をも含めて広く理解する、という現象は、のちにみるよ
うに、その後の教会立法や学説において、むしろ一般的なものとなっているのである。
ともかくも、こうして、教会立法においては、両者を含めた意味での㎞霧&8営の理論ならびに用語が、ボニフ
ア
チ
ウ
ス
八
世
の
一
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年
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着
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の
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み
︵ら
1れ
1る
︶。
典 臣 げ 角 留 曇 塁 で 、 十 分 に 貫 徹 さ れ 、 定
五 甘ω&8目の形成時期と、その実質的意義 このようにみてくれぱ、グ・スの執拗なまでの反対意見にもか
かわらず、われわれは、その後臣げR留簿臣のインテルポラチオ研究をしたヘイマンとともに、教会法学者におい
︵皿︶
て甘ω&8βの理論ならぴに用語がほぼ固まり、それがローマ教皇庁の実務に定着していったのは、デュランテイ
スののち=げR留答島の編纂されるまでの時期、すなわち、一二七六年から一二九〇年代の中頃までの間であった、
と推測することが一応できよう。甘ω&8日の理論ならぴに用語の形成が教会組織においてもった意義とも関連す
るので、このことを、いま少し詳しくみておこう。
臣げ忠留蓉臣で、甘ω陣自お旨の理論が現われている諸規定は、ρ鯉墨§一〇。も担83b域器ぴ・9良oq昌旨
くH。Q博♪ ρ潮oo号8ま窃鉾b3害■ぎ<H。ρVである。ところで、い一びRω賃9ωは、前に一言したように︵本章
一の一*の︶、ボニファチゥス八世︵一二九四−一三〇三︶の下に、歴代教皇令を集成し、これに編者の意図にしたがい
﹄ま&冨巨とその発展的消滅 二六九
一橋大学研究年報 法学研究 3 、 二七〇
︵13︶
大胆な改鼠を加え、いわば一個の法典として編纂されて一二九八年に発布されたものであるが、前掲諸規定のうち、
まず、ρN留冥器す9山酋一﹂昌<H。い・斜は、クレメンス四世︵○一弩自巴∼旨al旨総︶の教皇令に由来するもの
で、しかも一二六五年八月二七日の日付がある。このことが、グ・スの反対意見の一つの支えとなっている。しかし
ながら、ヘイマンによれば、本条の由来した本来のクレメンス四世の一二六五年の教皇令は、ローマ教皇庁の所蔵す
るクレメンス四世の教皇令の記録簿によれぱ、決して甘の&器目という用語は使用していず、甘ωぼ首路となっ
ており、したがって、これは、臣げRω露9ωの編纂のときに改鼠されたと考えられるべきものである。次に、ρ。
留89霧ω■層器σ﹂㌔は、さらに早くアレキサンダi四世︵ヒΦ釜且RHダ旨箕ー旨ひ一︶の一二五五年四月五日の教
皇令からの抜葦であるが、これも原文では甘の置な8となっているものを改鼠してできたものである。そのほかの
諸規定のうち、ρo。留8馨.肩器すρNと、ρ鴇︸83冥器び﹂玉の一一丁条は、ボニファチウス八世自身が一二
︵K︶
九五年四月八日に発した教皇令にもとづく。最後にρ旨︸旨しo。号鷲器げーQ’轟が残るが、特別の証拠がない以上、
これらもボニファチウス八世に由来する、と考えるほかはあるまい。したがって、以上のことから次のことがいえる。
二一五五年アレキサンダi四世の時代や、一二六五年クレメンス四世の時代には、まだ甘の註器ヨの理論は知られ
てもいなければ用いられてもいない。同様のことは、一二七六年までに完成している前述のデュランテイスの著書で
もそうであった。しかるにボニファチウス八世の一二九五年四月には、甘の&3白の理論ならぴに用語は、・iマ
教皇庁の実務で利用されるに至っており、しかも、臣げR望蓉臣の編纂者は、この理論を矛眉なく貫徹させるべく、
それ以前のこれに抵触する諸教皇令に改鼠を加えることまで、あえてしているわけである。
ところで、教会法学上、聖職叙任ないしそれと不可分の聖職禄授与をめぐって甘。。&8ヨの理論ならびに用語が
形成されたのは、ローマ法学の影響に負うところが大であることはすでにみてきたが、しかしながら、・iマ教皇庁
の実務における、したがって教会立法における甘の&お日の右にみたような定着・貰徹は、決してたんなる学問的
関心のみによって支えられたものではなかった。それは、同時に、すぐれて実際的な、聖職叙任についての教皇の権
限の拡大.確保という・ーマ教皇庁の政策と、緊密な関係をもっていたのである。これについては、まず、=げR
の臼9のの前述諸規定が、ρ一ざ一〇。3肩器¢ω玉を除いては、すべて教皇による聖職叙任に関する規定であったこ
とが注目されるが、ここでは、右に述べたことを典型的に示す例として、ρ卜。8冥器げ■9象凶P斜“すなわち、
臣げ9ωΦ曇島の編纂者によるクレメンス四世の一二六五年八月二十七日教皇令の改鼠までの経緯をみておこう。
クレメンス四世の右の教皇令は、教会法史上劃期的な、教皇の聖職叙任権についての根本規定であった。それは、
一二世紀以来、種凌の力関係のなかで漸次かちとられ強化されてきた教皇による聖職者の任命権の長い発展の完成と
して、空位となった教区の聖職禄を一般的に教皇が留保 ︵畦霧R奉5︶することを宣明し、同時に、一般的な教皇の
叙任権を確立したものである。その主な形式はこうである。︵下位︶聖職候補者の指定︵留ω蒔壁ぎ︶は教皇がし、そ
れにもとづいて教区司教︵Oa冒畦一語︶は聖職委嘱︵冒昌9ぎ8一冨鉱奉︶のみをする︵なお、本章一の二−⇔u参照︶。
つまり、この揚合、教皇による指定︵山窃蒔壁試○︶により、その後の理論にしたがえば、被指定者は冒ω&お日を
取得するわけである。なお、そのほかに、教皇が独立して直ちにいわゆる甘のぼ8を取得させうる聖職任命︵8亭
窪誘臣︶や、先にみた裁判外の請願に対して聖寵︵09β叶す︶によってなされる聖職授与の方法も規定された。ともかく
冒ωp自話旨とその発展的消滅 二七一
一橋大学研究年報 法学研究 3 二七二
も、本教皇令によって、クンメンス四世は、教会組織の中央集権的権力秩序の確立のために−結果的には、その後、
教会の財政的目的のために濫用されることにもなったがー、教皇の叙任権の拡大強化を図っており、その一環として、
教皇が教区司教による下位聖職者の叙任行為へ関与し、聖職候補者を教皇自らが指定することを適法なものとしては
じめて法定するなど、すべてのその後の教皇による叙任権の発展の法的基礎を創ったのである。.一のことから明らか
なように、いわゆる甘の亀お日の理論は、実質上、教皇権の強化に著しい役割を果たし、.︶れと密接に関連する制
度であったのである。したがって、もしこの用語が当時知られていたならば、かつて法律専門家としてフランス王の
枢密顧間官をしていたほどのクレメンス四世が、これを喜んで利用しなかった筈はない。しかるに前述のように、ア一
の用語は一三世紀の末頃になって・ーマ教皇庁の実務に定着し、一二九〇年代の後半UびRω貫昌。・の編纂のときに、
編纂者がこの用語を利用して従来の教皇令に改鼠を加え、その法律関係を明確にしたのである。これが、グ・スの見
解を修正したヘイマンの主張の骨子である︵寒健ミ§ドψ二蕊ー旨・。一︶。
このようにして、=げ段ω貫9ωに定着した冒の&お旨なる用語法は、それに続く一四世紀以降の教会立法や諸
文献に、次々と伝えられていくのである。
︵3︶ 以下の検討は、グロスの、第一次資料を豊富に引用し、三〇〇頁を越える﹃聖職禄の上への権利、同時に甘。。塑山吋。旨の
研究への一寄与﹄︵一八八七年︶︵qき霧︶の詳細な学説史的研究に主としてより、これを、その後の法史学的研究の成果と自
ら蒐集した第一次資料によるインテルポラチオ研究の結果により修正したヘイマンの論文﹁嘘の銭お旨の歴史のために﹄
︵一九一一年︶︵嵐遷§§謁︶を考慮し、さらに、シュルテの﹃カノン法の法源と文献の歴史﹄︵一八七五年︶︵の。勘蕊幹価︶などに
り補ったものであるα
甘ω”山冨ヨとその発展的消滅 二七三
の部分を引用して、教会法学における冒ω節αお目は、前述インノケンチウス四世に帰せられるぺきで、その後一般的に普
︽>O唱P同彗仁ωの仁℃o同器首〇一帥げ8αO自9aごヨ︾︵ごO斜−鴇旨り︶のなかのO、一〇〇、qΦ℃彗節Φげ■曾α蒔5緯昌<H。矯ρ轟の説
︵12︶ グロスは、司教座聖堂助祭︵︾8巨鎌8霞塁︶グイド・デ・パイシオ︵O巳3匿国避已o︶によるごげ霞の與9ωの註釈
の唇段88三雷浮匿g昌δび窪鑑。塁ヨρ巳げ諾甘2・自。誘gρ奉。ωぎ旨﹃βぎg器器巨・⋮−・、、
︵n︶ その諸条文はのちに掲げるであろうが、たとえぱ、ρo。山08蓉・筒器¢ぎ<H。い㍉ こOo一一暮ご昌畠⋮:簿89窃巴oコ震
とびo一一島。ご日島①。言B①ωけしg”2&一一gづoの珠。o味o畦一巴5昼..
。88露g門く①一 呂 δ 臣 & 塗 お ① & o ︸ 、 、
も冨げ①民⋮も信ヨの一一︶三豊餌。≦糞震Φ速θ。。・∼2&菩卑唇ω釜。農。冨夷Φ鼠。三ε霧婁。一,∼呂①§霞。寓ま
︵−o︶乙墓ぎげ。サ区①pヨ︵釜ピ嘆39鼠・菖一5βa。馨讐三㊤σ量g旨巳戸暴三一げ弓。け婁。9・幽①a−、、
︵9︶︸︸・・巨。箆暮窪お巴一§護。&爵鼠一。。蕊霧且ρβ9Φ日℃﹃・ωβ巳けξ呂β①§β呂ま需暑。巳辞⋮、.
︵8︶も。誘o塁ぎ。。。け踏g一p2&霞8℃暮。計ρ巳帥β。。ぎ8β諾。旨一の鼠。ω¢、.
︵7︶︸も一。轟bo塞鼠器匹邑巳ωけ旨註一︸9象巷8。巳一山Φ器ゴωΦ。。一①雅なωo帥。ε・、、
四〇け信●こ
︵6︶と冨&且霧冨巳ζ。の①8一①路駐。器8昌ω8葺ξも8帥。昌ヨ呂巨一旨冨区一レ9。蓉§喜弩善ロど自一の嘗
︵5︶も図昌鼠曽の一。&9ρω亀,碧げ㊦ρ冨ヨ。一①。盲ω8ロ器暮跨﹄三盲日︸βω蓼ρ庄暮自。一。。8・、、
一一〇〇︶。なお、フグキオ、およぴその文献については、oっ罫§貴ご伽鶏・
︵4︶ たとえぱ、フグキオのこれに関する論述は、グ・スによる原文の引用だけでも、一九頁にわたっている︵恥こ郵ψ50ー
一橋大学研究年報 法学研究 3 二七四
及してきたのだ、と主張する。なるほど、グイド・デ・バイシオはそこで、インノケンチゥス四世を指示し、さらに、その後
の普及を示すために、■管零の粛葺ののなかから、ρρ旨︸お植賂α①嘆器すoけ自蒔戸言<H。甜♪ ρ甜oo山08目9¢
唱門器げ・ぎ<H。ρ刈の六ヶ条を引用している︵Q琶貿ψまひ中︶。たしかに、グイド・デ・バイシオは、中世教会法学の最大
の巨星ヨハネス・アンドレアエ︵甘げ器昌窃︾昌騨$少紳5轟o。︶︵<頓ピじっ罫蕊3目吻象︶のボローニアにおける師であり、該
博な知識の持主として著名な教会法学者であったことからして︵の簿蕊貧口㈱お︶、インノケンチウス四世から約半世紀後、
一三〇〇年代の初め頃に、グイド・デ・パイシオおよび彼の同時代の学者が、一般にそのように考えていたであろうことは否
定しえまい。しかし、すでにみたように、8寓oab9窪αβヨげ窪臨oご巨を器菖o需誘雲巴誌だと規定したインノケン
チウス四世︵二一四五年︶においては、その後の教会法学者の冒のρα3日 の観念は、まだ十分には発展させられていると
はいえないし、その後のデュランティスの旨ω&器巨の用語法︵一二七六年以前︶もそうであった。のみならず、前述
ζげR留斡霧の諸規定についての、その後のインテルポラチオ研究の結果によれぱ、むしろ、これらの諸規定は、グイド・
デ.バイシオやグロスの主張を否定するためにこそ、用いられるぺきものだと考えられる。これについては、次に検討する。
︵B︶■一げ臼ω臼菖ωは、グラチアヌス法令集︵∪ΦRΦε目の審江9昌目お18り︶、および、グレゴリオス九世の下に編纂・発
布されたUまR国尊冨︵旨累︶の後をうけて、ボニファチチウス八世︵一二九四−一三〇三︶の下に臣げ雪国曇壁以後の
歴代の教皇令を集成・編纂し、一二九八年に、バリー大学、ボローニア大学等に送付手続をとって発布したものである。その
材料は、なかんずく、Qお磐ユ農H図︵一器刈ー旨台yぎぎ89ごのH<︵一繋い1旨蜜y≧Φ養匿RHく︵に象−旨臼yΩo西Φ9
巨げ雪のΦ曇臣は、これらのたんなる寄せ集めではない。編者の意図に適合するよう諸教皇令に甚だしい改鼠を加え、いわぱ、
H︿︵一ト。濫ー誌総yO8鴨ユ塁図︵お謀1一N試︶およぴ、切o巨碑江塁<H目自身の教皇令が主なものとなっている。しかし、
ボニファチウス八世の法典としての意味をもつものとして発布されたものである︵oo簿蕊貴目伽ざ、醤“寒。心樽ψ一奪V。
︵越︶ その事情はこうである。ボニファチウス八世は、彼が教皇に選出された直後、その治世のはじめにあたり、まだナポリに
いた一二九四年一二月二七日に、その前任者ヶレスティヌス五世︵OO巴田些一島<︸旨旨︶の聖職授与の方針を徹回し、選挙
や指定を受けた資格者は、廿ωぎおをではなく、冒。・匿お目を取得しうるにすぎない、との趣旨の指令を発したのである。
その原文は遺憾ながら消失して現存しないといわれるが、ともかくも、この指令の趣旨を、翌一二九五年四月に正式に確認し
たのが、本文所掲の三ヶ条の由来する教皇令なのである。
ぼ3と冒ω区器ヨの区別、冒の餌山羅目の生ずる諸場合が詳しく述べられている。
なお、そのうちρooα①09さ・℃露o﹃o。−団については、頃ぎ器蕊§ヌ目ψ訟い1轟︾臣昌ooが説明している。そこでは・冒o。
三 その後の推移とその持つ意味
教会法における甘ω銭器ヨの、レーン法ならぴに市民法におけるそれとの相互関係が問題となりうるのは、ほぼ
右の時代までであろう。この頃までには封建法学者においても甘ω器器ヨなる用語が用いられていることは、すで
にみたところであり、さらには、その後は、それぞれが独立の学問体系として推移・発展していることについては、
ほとんど異論がないからである。したがって、われわれの目的からすれぱ、教会法自体における旨ω&8日の歴史
的検討は、こ.一で打ちきっても一応はよいであろう。しかし、教会法における冒ω&お菖の特殊開教会的性格の明
確な認識のためには、それが先にみた私法的構成を脱皮していくその後の推移の検討が恰好の手掛りを与えうる。そ
のような意味で、補足的に、いま少しその後の発展を概観し、しかるのちに、その持つ意味を纏めておこう︵以下は、
冒ω費α3目とその発展的消滅 二七五
一橋大学研究年報 法学研究 3 二七六
主として、Qき跨︾ψ旨いー圏b﹂︾堕ミ轟i拐一による︶。
閣 その後の推移 その後の教会諸立法においても、甘ω&田日は、=げ段ω臼9のにおけると同様に、裁判上の訴
権としてのそれのみならず、インノケンチウス四世やベルナルドス.コンポステラヌスのいわゆる旨覧99δo田畠
甘良。寅すなわち裁判外の請願にもとづくそれをも含めて、しばらくは用いられている。しかし、学説のなかには、
すでにみた一三世紀の諸説のローマ法的私法的構成の枠内で進展している有力な見解もみられないではない。たとえ
ば、ある学者は、ρ軌留8蓉・鷺器げ・冒<H。ω㌔にもとり入れられた、前述ベルナルドス.コンポステラヌスに
よって表明された次の見解、すなわち、いわゆる甘の呂お旨の設定されている﹁聖職禄は他人に譲渡されるア一との
できないよう制約されている﹂︵げ撃3。定e⇒幣。9旨窃け﹂旦2&昌自陪隆け8鼠R艮毘蕃艮︶、の分析を通して、
一霧呂8目も甘ω言おと同様にその対象物を直接に把握するものであり、一は﹁生成しつつあるもの﹂︵臼︸ρ舞Φ
ωd暮ぎ浮ユ︶、他はすでに﹁完成せるもの﹂︵崖欝ρ信器ω偉馨旨需感88窃器︶と解している。もちろん、このよう
な把握は、聖職禄について何らかの請求をなしうるすべての揚合に適用されうべきものではない。そこで、さらにそ
の後の学説には、右の命題の適用されうる揚合としからざる揚合とを区別する努力をしたものが出た。そして一五世
紀初頭には、請願に対し行政的方途で聖寵︵鴨暮貯︶によって叙任する揚合をこれから除外し、冒ω呂同。ヨの用語を、
かつてのベルナルドス・コンポステラヌスらのように厳密な意味で使用した者もあった。
ところで、一般的にいって、一四、五世紀以降の教会法学は、一三世紀の隆盛時代に樹立された財宝を喰いつぶし
ていくだけで、そこにはもはや新しい理念や独創性はほとんど見られなくなった、といわれる。、、、ラノ生れでフラン
スで活躍したアルキアートス︵︾一〇置目ρ軍8ー蹟鴇︶、ドイツ人ツァジウス︵N器冒。。ンま一−賦濫︶、フランス人クーヤキ
ウス︵O良8一葺嶺8ー蹟8︶、およびドネルス︵∪9亀葺嶺ミーび旨︶などによって推進された一五、六世紀の私法学
の大きな発展も、教会法学者の側には何の影響も及ぼすことなぐ通り過ぎただけであった︵の。ぎ黛。︸月ψ轟認許一員ψ
い&︶。教会法学における甘ω冒おが、いぜんとして、インノケンチウス四世の把握の踏襲にすぎなかったことなど
は、その一つの現われであろう。しかし、それにもかかわらず、冒ω器8日の理論に関しては、その実質への顧慮
と実際的必要性とに駆られて、教会独自の基盤の上で、一つの新らしい発展がみられる。古いローマ法的私法的構成
からの脱皮と現実適合的な面の強調とが、それである。すなわち、!
その後の教会法学者は、甘ω鑑3巨の性質決定の要点は、訴権か請願に対する行政的救済か、ではなくして、そ
の資格者に対して、権限ある高位聖職者が聖職︵禄︶授与のためになお必要とされる行為をすべき義務を負担するこ
とにある、と理解し、したがって、訴権としてのそれと、請願に対する聖寵による聖職授与とを区別しつつも、甘ω
&おヨなる概念をもって、結局はこの両者の揚合をともに理解する、という態度を再びとっている。その次には、
教会法学者の文献でも、権限ある高位聖職者に対し叙任を訴求する厳密な意味の訴権としての冒ω&器日は、従来
からの伝統のゆえに附随的に記述されているとはいえ、この揚合、組織法上のより高位の聖職者による移審権甘の
ヤ ヤ
留ぎ一暮δ巳。。にもとづく甘の冒8の付与の説明が、前面に押し出されてきている︵本章一の二−曾参照︶。そしてつ
いには、訴権としての甘ω&お日の記述は、漸次消滅してしまうのである。
二 その意義 この現象は、選挙ないし指名を受けた聖職候補者、すなわち、︺霧&蚕昌の資格者の地位の私法
冒ω帥α詰ヨとその発展的消滅 二七七
一橋大学研究年報 法学研究 3 ,, 二七八
的把握が軽視ないし放棄され、特殊な、教会組織のなかのいわば公法的な地位としての把握に移行したことを意味す
る。そしてこのことはまた、ローマ法的私法的構成を、それとは現実の基盤を全く異にする特殊な教会の権力組織に
利用した.︸と自体が、はじめから無理を含んでおり、長くは維持されうるものではなかったことを意味するものにほ
かなるまい。実際、高位聖職者に対し聖職候補者が認可︵08印巨暮一〇口匿簿暮一〇︶を求める点を考えてみても、その
権限を有する高位聖職者を教会裁判所に招喚させ、判決・執行という方法でそれを強制するという、私法的構成の必
然的にもたらす結果は、決して、聖職候補者の高位聖職者に対する教会における一般的な関係にふさわしいものでは
右
の
山
口
同
位
聖
職
者
に
認
可
を
請
願
し
、
あ
る
い
は
、
右
の
聖
職
者
を
監
督
す
ヤべ
き
よ
ヤり高位の聖職者に監督権の発動
あ り え な い 。
や移審権の行使による認可を請願し、その職権の発動を喚起するに、しくはないのである。
このように、教会法上の冒ω&冨昂を、聖職任命手続の一段階にある聖職候補者の当該聖職禄に対する地位とい
う、すぐれて公法的な教会組織法上の制度として明確に観念することによってはじめて、われわれの私法的観念によ
っては理解の困難な、すでにみた、種々の現象・効果を容易に納得することができよう。たとえば、選挙ないし指定
を受けた聖職候補者に対する叙任権限を有する高位聖職者による資格審査の問題、選挙人団や指名権限者、さらには
教皇その他の叙任権限を有する高位聖職者によるその後の”変更の禁止”、第一聖職候補者の地位を侵害して行われ
”制約された聖職禄”︵げ窪臨。誉葺島99ヨ︶との理論、等々がそれである。同じことは、甘の&同Φ日の第三者に対
る第二叙任の、その被叙任者の善意・悪意や占有取得の有無を問わない絶対的無効、したがってそこで構成された
する保護についても言える。第一、聖職禄は無権限占有という事態の生じやすい私法的取引対象物ではないし、さら
に、このような事態が生じても、ある聖職位が空位となったときから新聖職者の任命までの間の当該聖職禄の保管・
監督は、制度上それらを管轄する高位聖職者の権限であると同時に義務に属する事項であったから、あえて甘の&
お菖の資格者がその段階でみずから訴権を行使するまでもなく、右の高位聖職者の権限一義務の発動を促せば足りた
し、またその方がより実効的でもあったろう。また、右の第三者も聖職被叙任者であるという二重叙任は、私法的取
引におけると異なって、教会組織が整備すれぱ本来は生じうべきものでもないのである。
以上を要するに、教会法における曲霧&おヨの保謹・貫徹は、実は、甘ω&話ヨそれ自身とは独立した、自己の
管轄下の聖職禄が適法に管理されるべく、すなわち、その適法な担い手によって保持・運営されるべく監督すべき高
トレ ガヨ
位聖職者の広汎にして一般的な組織法上の職務義務の中にこそ、その本質的な支えを有するのである。それにより、
右の高位聖職者は、自己に固有の最終的な叙任行為をするのみならず、その実行と有効性とを妨げる第三者の当該聖
職禄に対する侵害や借取等の障害を除去すべき義務をも負うのである。しかも、この職務義務の誠実な履行は、権力
ヤ ヤ
秩序的な教会機構の制度的構造によって、すなわち、右の聖職者を監督すべきより上級の聖職者の職務上の権限ロ義
務である監督規制によって担保されているわけである。したがって、甘の区8ヨの資格者は、あえて訴訟によるま
でもなく、請願によってそれらの職権の発動を促せば足りるし、かつ、その方が実効的でもあるわけである。このよ
うにみてくれぱ、甘ω器お日において、ローマ法についてのグ・サトーレンの影響を強く受けたかつての私法的構
成による訴権的要素が消滅し、かつてはいわば私生児的扱いを受けた裁判外の聖寵による叙任を求める請願手続が、
結局はそれにとって代って前面に登揚してきたことは、容易に理解しうる必然的な推移であったわけである。
冒ω&お旨とその発展的消滅 二七九
一橋大学研究年報 法学研究 3 二八〇
三 用語法 最後に、その用語法について一言しておこう。
右のように甘ω鑑お目の内容の私法的構成が、実質上消滅してしまったのであれば、元来、ローマ法的市民法の
ためにグロサトーレンにより創造された冒のぎ8なる用語との比較・関連において作られた甘の呂おヨなる用語
自体も、放棄されるのがより徹底していたし、筋も通っていたかも知れない。このことは、ア一の用語が、それと並立
した封建法学者の冒の匿お目やコメンタトーレンの法形成物、さらにはその後の市民法における甘の暫伍励。Bを想
起させ、それと混乱させる恐れのあることを考えれば、なおさらのことである。同じことは、相続可能性や処分可能
性が原則として否定され、その管理・収益が権利であると同時に義務でもある教会法学上のいわゆる甘、ぎ擁。につ
いてもいえよう。
だが、実際には、これは杞憂にすぎなかったようである。甘ω呂冨ヨなる用語はその後も学説.立法によって維
持されてきたが、それにもかかわらず、二、三の文献を除けば、右の混乱は生じてはいない、といわれる。教会法学
と市民法学とのかつての緊密な関係は、もはやこの時代にもなると全く消滅し、両者はそれぞれに固有の立揚で、そ
れぞれに固有の対象を考察するようになっていたからである。つまり、このようにして、教会法学における甘、国山
お旨は、全く非私法的なものとなり、この用語も、教会組織に特有のその実質を表現するための教会法学に独自の単
なる約束と化してしまっているわけである。だとすれば、このようなものとしての教会法学上の一霧凹山.。目は、も
はや特殊日中世的な産物だというのはあたらず、教会機構そのものが大同小異である以上、少くとも教会組織の内部
に関するかぎり・失権の期間等に若干の変更はあっても、選挙人団や授権行為を行うべ皇口岡位聖職者に対し変更禁止
︵b︶たとえば、国喜塁準ぎ巨旦ピ魯ぎ竃①2︵ぎ雪H。。募葺○け・一一ム山。のO。山。図H一一目一砿。m一昌。昌一。も>轟
の制約を課する点など、現行法︵oa臼ざ憂oき〇三8一εN︶上も存在する制度だといわなければならない。実際、現
︵婚︶
在の教会法学者も、現行法の叙任制度の説明において、なお.︶の用語を利用しているのである。
︵一〇$y一切α‘ψNS臣←げo幹ω・いOや
四 教会法︵学︶上の冒ω&お巨の、その他の諸法におけるそれとの相互関係
われわれはすでに、甘ω区器目は、その実質において非・ーマ法的性格のものであること、しかし.︶の用語は、
ゲルマン法と共通の基盤に立つ・ンバルド封建法書についての封建法学者の実質上も私法化しつつあった理論のなか
で、ご二世紀の中葉ないし七、八O年代に、ローマ法の法律構成を借り、それとの比較のなかで形成されている.︼と、
そして封建法学説は・ーマ法のコメンタトーレンの法形成にも影響を与え、また逆に、その細目についてはコメンタ
トーレンが後期の封建法学説にも影響を与えていることをみておいた。そして、次章でみるであろうその後のドイツ
市民法における法形成物が、右のコメンタトーレンの影響を受けているであろうことは、容易に予想しうると.︼ろで
ある。しからば、本章で検討した教会法における冒ω銭8ヨは、これらの諸法といかなる関係に立つか。この点に
ついては、この用語の優先争いからその後の市民法への影響にいたるまで、多くの学説の対立.紛糾のあるア︶とを、
すでにはじめに一瞥しておいた︵第一章二の一参照︶。この点は、それぞれの立揚の代表者と目されるぺき、ブリュネ
ック・グゴスおよびヘイマンの主張を中心として、検討すぺきであろう。
冒ω⇔α3目とその発展的消滅 二八一
一橋大学研究年報 法学研究 3 二八ニ
プリュネックは、ロンバルド封建法書臣ぼ一富且o霊日についての封建法学説に、甘ω呂お目の起源を求め、か
つその非・ーマ法内旺ゲルマン的起源を精力的に強調しているが、そのことから彼が、深い学説史的研究も何らの論
証もすることなく、ひいては、教会法の甘ω銭器巨もゲルマン的起源のものである、と主.張する点は︵bo碁§①塾
ω・旨︾昌き♪¢総い︶、すでにみた教会法学の学説史的展開からして極端な主張といわざるをえない。この点はギール
ケも同様である︵漣ミ貫員ψ密o︾け巨㍉︶。むしろ、ブリュネソクののち教会法における甘の&叢昌の学説史の詳
細な研究をしたグロスの主張するように、教会法学における甘の鋒お目の用語ならびに理論は、ゲルマン法の観念
や封建法学者の用語の借用によるのではなく、教会組織という特殊の基盤のいわば公法的︵?︶関係を、・ーマ法的
思考方法により説明すべく教会法学者が独創的に徐々に形成していったものと考えるべきである。このことを、その
萌芽的形態から完成、さらには変遷に至るまで具体的に論証したのは、グロスの功績である。基本的にはブリュネッ
クに従いつつ、さらに、何らの論証もなくして、﹁教会法学者の学説と立法とは、より早い封建法学者の学説に依拠
して、いわゆる甘ω旨8と冒の&8目の理論を発展させ、必要な規制を行った﹂と附言する教会法学者ヒンシゥ
スの主張も︵彊毫。ミ昼口あ﹄8︶、その後にでた右のグ・スの研究の前には何らの説得力ももちえない。
しかしまた、グ・スが、教会法の研究に熱中しその擁護に急なあまり、彼の著書の二年前に出たばかりのホイスラ
ーの﹃ドイツ私法提要﹄︵き器奪㍉あ﹂ま鉾げ舞の乙。。鼻︶に無批判的に飛びつき、一般に甘ωa3ヨのドイツ法と
の関連を全く拒否し、次のように主張するのは不当であろう。すなわち、ヤコブス・デ・ラヴァニスとその後の封建
法学者はこの表現と内容とを教会法からとり入れ、ただその対象の差異にしたがいその効力に若干の修正を加えただ
けである。したがってまた、その後の市民法における甘の&器臼も、それが直接にかあるいは封建法学者を媒介し
てかは別として、教会法学に由来する。だから、市民法における甘の区蚕βの起源は、教会という公法的な関係の
ものを私法的観点に持ち込み、私法的に構成しようとした顛倒せる努力の中にある︵孚。惨ψ卜⊃。。。。中︶、と。グ・スの
この主張は、二つの誤れる前提にもとづくと思われる。第一は、グ・スがホイスラーに従って甘ω鑑器匿のゲルマ
ン的起源を全く拒否し、したがって封建法学者や市民法学者が冒ω器器目を形成するには、他の法からそっくり転
用するか、独創的に案出するほかない、と考えたことである。周知のように、ドイツの私法史の体系書の多くは、あ
る程度パンデクテン法学的思考方法で着色されてはいるが、その影響をもっとも強く示すホイスラーの極端な主張目
体︵第一章一互参照︶、私の知るかぎリグ・スのほかには支持者を見出しえな客ので脅・享ツ法では︵羨的︶
契約が一定の第三者に対しても貫徹されえたことは、われわれがすでにみたところである︵第二章︶。もちろん、だか
らといって、封建法学者の一偉。。㊤山擁.ヨやコメンタトーレンの法形成物が古ないし中世ドイツ法と直結するというの
ではない。このことは、すでにしてきた私の検討の態度から明らかであろう。彼の誤りの第二は、冒ω註8臼なる
用語の使用の優先を教会法に帰している点である。それは、彼が、グイド・デ・バイシオにしたがい・教会法におけ
る甘。餌自.。目の創始者をインノケンチウス四世とみなすからである。しかし、ヘイマンの研究によれば、教会法に
おいて一ロ切暫α..目の定着しているのは一二九五年に至って認めうるにすぎない。これらの点はすでに検討しておい
た︵本章二の五およぴ同所註12︶。他方、ヤコブス・デ・ラヴァニスは、その﹃封建法大要﹄を二一七〇年代から八○年
代にかけて書いたとみられ、一二九五年にはすでに八O才か八五才であり、翌一二九六年には、ぼげ段齢曇島の発
︸βω9α噌。一一一とその発展的消滅 二八三
一橋大学研究年報 法学研究 3 二八四
布︵一二九八年︶もまたずに死亡しているのである︵第三章三の二および同所*参照︶。しかも彼は、一仁。。餌盛噌①.昌なる用
語を冒話鋒9壁替霧一奉にもとづく家士の権利に使用するのを正当化するために、ア︶れと同一もしくは類似の表現
を含む教会法のいかなる箇条をも引用してはいない。すなわち、彼によって引用されている教会法の諸規定は︵第三
章註20参照×グレゴリウス九世のζげ霞国蓉壁︵旨軍︶に収録されているもので、それらは、授封契約は占有の引渡
よりは効力が弱い、という彼の命題を支えうるものにすぎず︵bd蕊§①鼻ψ鵠︶、ある規定の如きは一ロ、暫q擁。巨の承
認にはむしろ不利益なものすらある︵憩讐§謡ψ旨cQ=・︶。その後の封建法学者もまた、一仁.暫α㎏Φ営の用語を使用す
るにつき、教会法を引用しているものはない︵く吟b⇒蕊§慧罫”幹頓一>昌旨峯p・なお、第三章註21︶。したがって、封建法
学の甘の&おBに対する教会法学の影響は存在しない、と考えるべきであろう。このことは、最近の学説が封建法
学においてはこの用語が一二五〇年より以前に使用されている、と主張していることを想うとき、一層強く一一一貢いえよ
う。また、バルドゥスをも含めてその後の市民法の法形成物への教会法の影響も、グロスは種々の臆測を述べるだけ
で証明されえていない。授封契約においても聖職禄授与においても、一方は私法化の傾向にあり、他方は本質的に教
会の権力秩序のなかでのいわば公法的な地位であったという違いはあっても、少くとも当時の学者のとったローマ法
的観点からすれば、︵象徴的︶受封契約者ないし選挙・指名をうけた聖職候補者の地位から、そのいわば物権に接近
した現象が存することは否定しえない。しかもこれは、純粋の冒の診おではありえず、冒巴ロおと○び凝費謡。とへ
の・ーマ法的な権利の分類に適合しえない。さればこそ、すでにみたように、封建法学説でも教会法学説でも、ある
いは債権だとしあるいは物権だとして動揺を重ねたのである。そしてこの矛盾の学説による妥協.調和への努力の行
きついたもの、それが、ここでの甘⑦鑑器ヨという名称である。このようにして類似の事情の下に、甘の&器巨
なる名称が、両法において、グ・サトーレンにより・iマ法学が勃興したほぼ同じ時期に、それぞれ独自的に形成さ
れていった、と考えることは背理ではないし、また特に証明されないかぎり、とりあえず、このように考えておくほ
かはあるまい。これがまた、基本的にはヘイマンの結論でもあり、それより早く、両法の関係についてのホイスラー
の見解でもあった。
以上で、教会法における一臣器8ヨの検討を終えよう。しかしその結果は、教会法の甘の器8日は、レーン法、
コメンタトーレンの法形成物、さらにはおそらくその後の市民法学の甘の器屋誉とあまり関係のないものだ、とい
うことを確認する結果になってしまった。本稿の本来の目的からすれば、無意味な研究をしたということになりかね
ない。私自身も、いささか拍子抜けの感がないではない。しかし、従来ドイツにおいても争われ、いわんや教会法に
も起源を求める一、二のドイツの体系的概説書にもとづく漢然たる理解しかなされていないわが現状では、教会法の
甘の銭巳oBの形成過程やそのもつ意味を知ることはもちろんであるが、それがその後の市民法の甘の&冨目と関
係がない、少くとも、ローマ法的後期普通法学者ウンガi、フエルスターなどのように、はじめから関係ありと前提
して偏見をもってその後の市民法の㎞霧註お菖にのぞむことは行きすぎである、ということの一応のメドをつけえ
たということ、このことは、本稿の目的にとっても大いに意味のあることであろう。
そア︶で以下、前章でみたコメンタトーレンにつづく、・ーマ法の継受後のドイツの私法学の検討へ移ることにしよ
うo
冒ω”α話目とその発展的消滅 二八五
一橋大学研究年報 法学研究
二八六
に問題はかぎられる。なお、この時期の後半には、いわゆる啓蒙期自然法学が勃興する。ドイツの学者のいわゆる理
っていくつかの型に分類し、それぞれの学説の持つ意味を読みとるべく努めるほかはない。それも、二重売買の場合
少ない。ここでは、簡単な引用や結論のみを掲げた不完全な諸文献の記述をも参照して、それらを他の補助文献によ
から一八世紀までの諸学説を検討しなければならない。ただ、この時期については参照しうる第一次資料はきわめて
以下、一七九四年プロイセン一般州法の甘ω器8ヨ︵目幻9辟国霞留。富︶の位置づけを知るために、一六世紀
のとお り で あ る 。
・;マ法的体系学は、後期封建法学説やコメンタトーレンの示唆ある法創造物を否定してしまっていることは、周知
もとり入れられたであろうことは、容易に考えられるところである。そしてまた、近代に至ってドイツで起った純粋
ーレンの法形成物と類似するものをもっていたこと、等を想うとき、おそらくコメンタトーレンの先にみた法形成物
つものとされていたこと、さらには、先にみたように、古ないし中世のドイツ法が、少くとも結論的にはコメンタト
︵1︶
ルトールス、バルドゥスらの理論がイタリーにおいてのみならずドイツにおいても、皇帝の勅法と匹敵する権威をも
く、註釈付きの、それもコメンタトーレンによって加工されたそれであったこと、コメンタトーレンの巨匠たち、バ
器巨がドイツでいかなる取扱いを受けたかを知る資料はない。しかし、継受された・ーマ法が、純粋・ーマ法ではな
一五世紀以降、・ーマ法はアルプスを越えてドイツヘ継受された。遺憾ながら、その当初に、われわれの 甘のa
第六章 早期ドイッ普通法学上の学説の対立 、 ,、﹁
3
性法の時代である。われわれのさしあたり検討すべき市民法学者にも、この影響を受けたものが少くない。ドイツの
主として法思想を中心とする体系書が、自然法学者の叙述をその間に介在させるゆえんである。︵たとえば、ミ①§ぎ3
ψ一器R︶。しかし、少くとも、われわれの検討すべき個別的な制度に関するかぎり、現実を規律すべき市民法学者は、
一般的な学風として自然法学者の影響を受けたと否とを問わず、おのずから彼らとは法律構成も結論も異なっている。
したがって、ここでは、自然法学説の影響には留意しつつも、まず市民法学説を一八世紀まで一通り眺め、自然法学
説には最後に触れることにしたい。
︵1︶ 彼らの理論は、矯bo昌琶ぎま一ロω拭9β旨ρ自粋菖噂ユpo6β目oo畠江ε二〇b窃.、である︵因3罫息ミ”ψ呂9︶。なお、
§馬§㌍ミ”ψ驚卑参照。
陶 一六世紀ー人文主義的体系家と実際家との対立
一 人文主義者アーペル ドイツでも、エハ世紀に入ると、従来のイタリーやフランスからの雇われ教師と並んで、
ようやくドイツ生れの法律学者が台頭してくる。その一時期を劃したものは人文主義者ツアジウス︵d魯三。臣浮巴量
区91一訟u︶であるが、われわれの問題にとっては、その弟子アーペル︵冒訂暮︾℃9峯。。αー一器ひ︶に注目しなければ
ならない。
当時のドイツの法律実務は、すでにコメンタトーレンによって始められた目oの一冨一一。ロω︵イタリー風︶、すなわち、
・ーマ法の現実への順応過程が維持され進行していた。しかし、これと並んで、当時ようやくドイツにも勃興した人
甘のρ幽括ヨとその発展的消滅 二八七
一橋大学研究年報 法学研究 3 二八八
文主養の一般的な風潮のなかで、従来の、歴史的非体系的なOo弓με霞院の素材の順序に従う註釈的な目。の一蜜一一。信、
の方法に反対して、体系的綜合的に、理性と法制度の本質から思惟された新しい分類が企てられるべきだとの方法論
上の新しい思潮が起った。人文主義者であり、最初のドイツの体系家であるアーペルこそは、その師ツアジゥスも拒
レ
否せざるをえないほどにドイツの現実をも無視して、このことを強力に主張した代表者であった。彼の、一五三五年
公刊された﹃法律学に適合せる、弁証法的理性﹄︽客。跨o象8象a8§霧↓蝕o註一自一8疑匿ロ薗騨目陣。。。目、β。α卑鼠︾
︵客ρ旨げ。茜︶と、その死後一五四〇年に出版された﹃ユスチニアヌス帝の法学提要全四巻への対話による入門﹄︽H、暫,
艮壁曼巳・β鈴§毎。巴曇琶。昌きq富琶豊H琶。翼霧︾が、それである.
彼自身によってその﹃弁証法﹄の末尾に掲げられた権利のシェーマは、次の通りである。
一般を意味するものにすぎなかった。さればこそまた彼は、後世の人から、物権と債権の分類の創始者とされている。
約相手方に対する現実執行の承認に着目したものでもなかった、ということである。それは、物権と対比された債権
三者に対する効力に着目したものでも、封建法学におけるヤコブス・デ・ラヴァニスのようにとくに特定物につき契
て市民法学に登揚したわけである。しかし、注意しなければならないことは、この用語は、彼においては、権利の第
用いられることなく無視されていたものである。それが、今やここに、しかも法の体系的分類の仕方として、はじめ
学や教会法学においてはその註釈に際し用いられてきていたが、市民法学においては、コメンタトーレンにょっても
分類を、はじめてドイツの法体系の基礎にすえたのである。甘ω呂冷日という用語は、すでにみたように、封建法
1 このような立揚から彼は、﹃弁証法﹄で、甘ω冒おと甘の区冨目という、その後近代法にまで至る権利の
αq
甘基鷺&①注即訂8鼠け
H。 臼唱の一冨門90ロ一ロのω℃①900
一● 山O旨一旨一目目P
ゆ︶ Oβ一ロω℃曽鴎けΦω
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一。 口即仁賊臼凱oo︸
冒のp伍おヨとその発展的消滅
群婁轡舜野eσ伊鱒封黛ゆ
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卑針諮層田瞬欝一
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皿舞︵蕗旨︶s
却e螢F
冒の置おβ臼益聾露欝δ禅餅
ω。
ド
Nー
p一.一八九
グ・サトーレンやコメンタトーレンの権威を全く無視して、 原典へ帰れ! 註釈から自由になり純粋・﹂マ法を求
っている。
︵3︶
0げ一茜彗oと置き換えられてしま
ε霧節旨旨︵所有権およぴこれと関連するもの︶と書き換え ら れ
、甘、&お日は
そして、次の﹃入門﹄においては、右の権利のシェーマーの実質はそのままであるが、甘ω置8は3ヨ冒建旨9
N。 O一く一ζ幹
目
一橋大学研究年報 法学研究 3 二九〇
めよ: との人文主義一般に共通の努力を法学の分野で誰よりもし、かつ体系の樹立を求めた人文主義者アーペルに
とって、現実に適合させるべくローマ法を歪曲したコメンタトーレンの法形成物の中に、 ”純粋〃ローマ法を認めえ
︵4︶
ず、われわれの意味での甘の呂8目の効力を拒否したのは当然であろう。そして、かつてはレーン法や教会法で認
められていた契約相手方に対する現実執行が、その後・ーマ法学者によっても承認されるようになるや、彼らがこの
用語を、特定物債権の意味か、あるいは、特定物債権とその他の債権とを特に区別しないことを欲する者がー不当
にも1債権一般かの意味で用いるようになるのは当然であろう。その後のドイツの・ーマ法的体系家たちにおいて
は、この両種の用法、とくに後者のそれが支配的となっていく。そしてしたがって、物それ自体に執行しうるという
ヤ ヤ
特定物債権のその他の債権と異なる特殊性も見失われ、債権一般のみが観念されるようになっていく。そしてアーペ
ルこそ、1後にはoげ凝典すと置き代えたがfその発端であったわけである。
2 次に、右の権利の二大分類と密接に関連して、彼はまた、所有権取得理論におけるいわゆる蜂巳霧11目&毯
︵権原と方式︶理論のドイツにおける創始者ともみなされている。彼は、契約と所有権の取得方式との混同を戒めて、
次のように主張する。所有権の原因︵。器器a巨巳一︶は、その取得方式︵旨&瑳跨ρ巳話民一︶である。契約︵8艮冨−
。εの︶は、所有権のではなくして、債権の原因︵。窪鶏o巨蒔導δ巳ω︶である。債権︵oげ一蒔当o︶と所有権の取得方式
︵目a葛跨程ぢ窪&︶との間には、契約︵8馨β。露ω︶がときとして引渡の原因︵。雲鋸球匿蕪9置︶であるという以上
のつながりはない。だから、引渡︵霞鑑置○︶が所有権取得の近因︵。雲墨鷲o巳一冨︶であり、契約︵8誉富o葺の︶は
その遠因︵8霧跨おヨ○釘︶である、と。つまり、契約によっては債権が生じ、それに引渡が加わって所有権が取得
される、というわけである.こうして彼は、蜂巳霧なる用語をこそ用いなかったが、実質上、その後の蜂痒塁陸
目鼠島理論を、堅苦しいまでのスコラ的方法で作り上げたのである。ただ、この理論は、彼においては、契約によ
る承継取得にかぎられていた︵の職ミ、き喚狽ある。段・︶。そしてこれが、その後不当にも所有権取得一般に拡大されると
いう動揺を経て、プ・イセン一般州法やオーストリー民法典に定着し、サヴィニーによって止揚されるまで三〇〇年
間もドイツの法律学を支配したのである。
︸ 葺E臣日B&臣︵権原と方式︶理論 われわれ2奮&8ヨ理論の消長と密接に関連するので、ここで所有権譲渡の亭
什巳拐擁畦o&。。理論について、概観しておく。われわれはすでに、ドイッの譲渡契約のpポや、諸レーン法における授封契約
ぎく。の江9声、および教会法における選挙によって取得された地位冒の呂8旨は、占有割当<oの菖9冨−留目o霧9彗す言甲
ω窃巴oや最終的叙任行為8=碧δによって取得された権利・地位に対し、質的にではなく、量的に、その潜在的なものと考
えられ、それに占有移転が加わることによって、完全な権利︵冒ω営3︶に分映ぎかかものと考えられていることを、みてお
いた︵第二−五章︶。これが、その後の葺三墓”旨a塁理論の基盤である。
世を通じて一般的であったスコラ的思考方法の法律学への応用であり、いま一つは、・ーマ法源による理由づけである。スコ
しかし、その学問的形成には、二つの要素の協働がさらに指摘されねばならない。一つは、アリストテレスに由来して、中
ラ的思考方法というのは、われわれに関するふぎりでいえぱ、可能性と現実性、遠因o程鑓︵。露9①霧︶8目oβと近因
8仁蟹︵o臼o冨霧︶零寅、.βpという分類方法である。すでにわれわれは、ランズベルクの著書により、グロサトーレンの最後
の巨匠アックルシウスが、彼のローマ法の註釈で、契約当事者の意思の合致と占有引渡という二つの要素を分類し、前者を遠
因。き。。費話旨o鼠、後者を近因。窪紹鷺寅冒坦としていることを、みておいた︵第三章三の一*︶。このことは、しかし﹁す
冒の即師8旨とその発展的消滅 二九一
一橋大学研究年報 法学研究3 二,九と
でにその一世代前のアーツオ︵︾NP↓旨8り︶によってもなされている。アルベルト︵︾一げ①㎏什90㎏‘に31お。。o︶が﹁句。門噂一一
は・それによって一般性が現実性に変えられる可能性を補完するものである﹂と述ぺているのも、同じ傾向の現象に属する。
そして、アーツオ、アックルシウスらの用法は、その後コメンタトーレンの巨星バルトールスによって繰りかえされ、本文に
述べたアーペルは、このバルトールスを引用して、導きの星としているのである。さらに、ア︾の蜂ロ一信ψ”白。山ロの理論の名称
と晶連するが・右2と5いては、・−マ法禦引合い岳汽る.その=言雇レ声共b帥β一に・,︶はいう、﹁たん
なる︵旨費︶引渡4&aoだけでは決して所有権は移転せず、売買その他、何らかの正当な原因冒のけ騨。㊤ロ、騨が先行し、
そのために引渡が行われることによって、これを生ずる﹂と︵なお、dぢ鼠巳︷畦国の幹図H図ごの騨ご目8も同旨︶。と.一
ろが、のちの人は、右の﹁正当原因﹂冒の5翁§旨と、所有権譲渡︵訂器三〇︶理論とは何のかかわりもない使用取得信、β。暫営。
におけるいわゆる正当権原冒ψ葺の§蕊竃とを混同し、引渡︵霞&三〇︶による所有権取得には、その正当権原︵§蕊§恥︶を
要する・としたQこれが、菖言一ロの口旨&岳理論の蜂巳霧なる名称の起源である。実際、たとえば、のちにもふれるであろ
∪・ト一レを・その甘。。鼠。睾臣を甘ω9ω試9一島とおき代えるだけで、文字通り模写している、毛いわれる。そしてまた、
うブルンネマン︵田巨冨日蟄目︶の9βぼb彗“︵まδ︶ψ睾。は、所有権取得に関する説明に際し、前掲一・ω一℃目.
正にこのことが、寓9一臣皿旨a塁理論を、その後、不当にも、無主物先占08毒諄ごなどを含む所有権取得一般に拡大適用
する、という現象を惹起した契機の一つともなったのである。ともかくも、こうして、この理論は、サヴィ.一−が、右の契約
らロ
は物権契約である、と主張して、独自的にして無因的な物権契約理論を提唱するまで続くのである。
3 このようにして、人文主義者であり体系家であるアーペルは、われわれの問題に関して、後世の普通法学説に
大きな影響を与えた物権と債権の分類を提唱したのであるが、彼の試みは、当時は決して説得力をもちうるものでは
なかった。一六世紀は、コメンタトーレンによって目oωH3ぎ岳︵イタリi風︶された・ーマ法をそのエピゴーネン
が講じているイタリーの大学を訪れたドイツの法律家の数が頂点に達した時代であったから、アーペルの.一の人文主
義的方向がドイツで一般的に通用したり、いわんや支配的になるというア︶とは、はじめから問題になりえないし、ま
た・なによりも、当時のドイツの法律家に課せられた、ドイツの現実の法をローマ法で説明し両者を融合させるとい
う現実的実践的課題に対しても無力であったから、﹁パンデクテンの現代的慣用﹂の実践的な法律家たちによって圧倒
されてしまうのは、むしろ当然の運命であった︵<αQ一・き恥暮寒§ψ一這F︾けβひ︶。
二 実際家ガイル ︸六世紀も後半に入ると、学問も実務も異国法に対しやや自由な立揚をとりはじめる。、それは、
きわめて慎重に、緩慢にではあるが、明らかに、ローマ法の現代的慣用の萌芽ともいうべきものであった。帝室裁判
所の大家たち・とりわけ、ミュンジンガー︵︸8。匡B冒旨ω一韻段‘閃旨鼠①。ぎ蹟軍ー蹟。。。。︶、ガイル︵︾昌自時。跨ωO帥葺
の
一旨ひi蹟。。圃︶による帝室裁判所の判例の研究は、その現われである。また、当時は、裁判の抵触する揚合も少なくなか
った。つまり、地方によっても異なるし、また、上級裁判所は継受されたローマ法を適用したが、下級裁判所の裁判
官は博識の教養とラテン語の知識なくしても可能な土着の法慣習によるほかはなかった、という揚合も多かった。こ
のような事情の下に、ガイルは、ラテン語による帝室裁判所の判例の研究をドイッ語へ醗訳し、さらには裁判官のた
めの講義用の要約をも作成した。このようにして、彼らの学風は、先にみた人文主義者アーペルとは対照的なもので
︵6︶
あるが、それゆえにまた、彼らの著作の実務への影響は、絶大なものがあった。
ところで、われわれのいわゆる冒の&8目については、ミュンジンガーの態度は知りえないが、ガイルは、彼の
冒o。皿q器Bとその発展的消滅 、 二九三
一橋大学研究年報 法学研究 3 . 二九四
判例研究の著作、﹃とくに帝室裁判所の訴訟手続ならぴに事案の判決に関する実際的観察の二巻の書﹄︽牢8膏貧ε昌
。げ¢。署聾・慧旨鼠目践冥。8ω弩目一且一鼠旨目冥器ω貫言巨℃Φ壁房8ヨR帥ρρ轟日8に鋸旨ヨ山。。巨g。慧Φ註,
︵7︶
諾暮ご日一旨ユ&o︾︵国9昌し鴇。。︶で、先に詳しくみたバルドゥスを引用して︽8岳o旨鼠09日おく8暮oユ彰︵廃罷
事実訴権︶と称して、第二取得者が悪意の揚合は第一買主が優先する、との立場をとっている︵鍔統戸昌︶。このこ
とはまた、先に臆測しておいたように、ローマ法の継受により、われわれの問題についても、先にみたコメンタトー
レンの法形成物がドイツの裁判所にとり入れられていたことを示すものにほかならない。実際、その後一八世紀まで、
実務に密清した諸著作者たちは、右の命題を維持しつづけるのである。
︵2︶象ぎミoD、N。。9N。。刈し刈曾§ざ暮ミ︸ψ。。。中←惣き§ミHる﹄。。刈R
O
︵3︶ 以上は、曽軋§N慧騨卸幹N翼いによるQなお、同じ趣旨は、、馬饗蕊嘆§饗3ψ9
︵4︶ 切馨§鼻ψ蟄β■︾け旨嶺は、アーペルがグロサトーレンやコメンタトーレンの註釈を、いかに軽視し批判していたか
の諸具体例を示している。
︵5︶菖9一霧・目a富理論についての右の説明は、主として、詳細な資料を掲げるホフマン︵国§§§§︶の﹃所有権取得の権原
と方式、およぴ所有権移転の正当原因についての理論﹄︵一八七三年︶による。なお、、9聴§壕§鷺3¢N中は、サヴィニー
理論の位置づけのために、それに至る1主としてドイツ市民法学の1試σ三臣11琶oq臣理論のよき概観を与えている。簡
単には、卑§鼠♪ψ8も触れているが、近時、ミ価§富3¢路F︾昌芦8も、スコラ的分類方法の本理論への影響にふ
れている。
︵6︶導ミ鳶る﹄。。担$潮畠N葛畿ミN黛鳴レ¢斜。。置‘おuPミ蝋§ぎ3¢。ピ
︵7︶ 私は、一五九二年版と一七一二年版とを参照しえたσなお、§&ミ夢ψ8一︾旨β↑
二 一七世紀i・ーマ法の現代的慣用の時代
國 法律学の一般的様相 一六世紀の末から一七世紀にかけて、伝統的方法と並んで新しい法律学の方法が起った。
,従来、人はドイツの法を語ることはほとんどできなかった。いまや、この時期にもなると、継受されたローマ法のド
イツの法制度への帰化と加工がはじまる。かってのコメンタトーレンによる目8H琶8葛にも比すべきヨ8の段目’
弩ざ霧︵ゲルマン風︶ともいうべきものである。法律学はスコラ的思考方法からも解放されはじめた。そしてまた、
このような方向への推進を、コンリンク︵国R邑き9畦ぎ堕ま81ま。。一︶が理論的にも決定的ならしめた。彼は、その
﹃ゲルマン法の起源について﹄︽∪Φ○ユ咀屋甘身的Rヨ即巳9︾︵ま畠︶において、ユ帝法のドイツで遵守されるべきこ
とはロタールニ世によリライヒ法で規定されている、との従来の伝説を打破し、むしろそれは、一五世紀以来、大学、
裁判所を通じて事実上ドイツに侵透したにすぎないことを論証し、そのことによって、ドイツの慣習法に・ーマ法に
比肩する地位を与えるという基本的変革を惹起した。こうして、・iマ法とドイツ法思想とを融合し、現実の需要と
の一致を図る動きが大勢を占める。いわゆる﹃パンデクテンの現代的慣用﹄︽塁島旨&Φ彗葛評且9鼠露目︾である。
そしてこれは、一七世紀を通じてドイツの全法思想を支配し、一八世紀前半ライザi︵■醸器聴︶をもって終る。裁判、
実務も、一六世紀におけるような分裂は徐々に除去され、ローマ法と承認されたドイツ法との結合により一つの全体
に融合されていく。実務においては、もはや、Oo弓霧甘募もドイツの慣習もそれ自体としては最高の権威をもたず、
︺器跨α旨9とその発展的消滅 二九五
一橋大学研究年報 法学研究 3 二九六
これらを融合させた現代的慣用の著名な法律家の個々の見解が、それ自身として妥当していく。ア︸うして、一般的に、
カルプツォフ︵・馨§︶、メーヴィウス︵§身ω︶、シュトリーク︵鋒琶、ブルンネマン︵野琶昌。β一卑β昌︶らの理
レ
論が、ほとんど今日信じられないほどの輝かしい流通力を持ったのである。
したがってこの時代には、学説上も、一六世紀にお,アる人文主義者と実際家におけるような基本的な敵対関係は生
じなかった、ということが一応は言える。しかしそれにもかかわらず、われわれの間題を通してみるとき、ロのロの旨・,
号旨霧評邑99旨旨の徒のなかにも二つの立揚がある。一つは、すぐれて実際的な立揚であり、他は、それととも
に理論的体系樹立をも志す立揚である。
二 実際家カルプツォフ・メーヴィウス 前世紀にミュンジンガーとガイルによって行われた判例研究という課題
を本世紀に果たした一連の法律家の最たるものは、カルプツォフ︵ゆ魯。島。け○勢擁づ.。<︸誤31一ひひひ︶である。彼は、創造
的精神の持主としてよりは、むしろ、卓絶した実際的業績のゆえに、バルトールスを除けば比肩しうるものなしとさ
れるほどのヨ;・ソパ的名声を得、彼の説くところは、その後一〇〇余年も実務に支配的な影響を及ぼしたといわれ
る︵<撃翰黛駐墨員ψ繍中︸ミ専き鴨あ﹄D。阜︶。この方向で、それに次ぐ業績を示したのが、メーヴィウス︵U鈴く答
冒①≦舜ま$1まN。︶である︵<αq一駿蕊獣ε㍉Hし旨Rい導鳶き箪ψホωも8︶。彼らは、判例に含まれる対立的な傾向を
巧みに調和させ、それを一つの統一的全体に纏め上げ、これに・iマ法を加工しその同化を促進したのである︵b匙,
註醤騨の・NOい中︶。
このようにして・われわれの問題についていえば、カルプツォフは、主としてザクセンの法領域についての﹃ロー
マ腫ザクセン的裁判所法律学﹄︽冒募℃蜜留旨鼠8お霧駐8目きo−鶏巻巳8︾︵閃目器ド讐濤し禽o。︶において︵冒。8界輿
α8旨︶、また、メーヴィウスは、北ドイツについての﹃ヴイスマールの裁判所の諸判決﹄︽U。。葱自窪惹の目鴛す邑ω
鼠げ琶巴導︵一ひ黛ー︶において︵<Hし琶、いずれも、悪意第二取得者に対する第一契約者の優先、引渡請求を肯定し
ている。
︵9︶
しかしながら、この点では積極説をとっている。
次にみるシュトゥルーヴェの影響を強く受けているといわれるプルンネマン ︵甘匿目ω益巨Φヨ簿目し8。。1ま認︶も、
︵ 1 0 ︶
以上のことからわれわれは、これらをたんなるイタリーのコメンタトーレンの理論の盲襲と理解してはなるまい。
むしろ、実務においては、継受された・ーマ法が前世紀から引き続き維持されており、しかも、コメンタトーレンの
権威を必ずしも絶対的とはせず、これをドイツの現実と融合せしめようと努めたカルプツォフ、メーヴィウスらも、
それにもかかわらず、この問題では、具体的妥当性からみても継受された実務の現状を結局は支持すべきだ、との立
揚をとったものと考えるぺきであろう。
三 体系家シュトゥルーヴェ シュトゥルーヴェ︵08韻︾鼠目聾控くρま這1ま8︶もまた、前世紀の人文主義者
とは異なり、基本的にはカルプツォフ、メーヴィウスらと同じ意味で働いたが、それにもかかわらず、後者がすぐれ
て実際的な観点から問題をとらえたのに対し、彼は、どちらかといえぼ理論的体系的な方向に傾いていたといわれる。
彼は、前述のコンリンクの論証を通して、コメンタトーレンによって変容されて継受された・ーマ法なるものが、
そのドイツ法としての通用につき何ら皇帝の権威によって根拠づけられたものではないことを知り、それに捉われな
甘。。琶器ヨとその発展的消滅 二九七
一橋大学研究年報 法学研究 3 二九八
いみずからの体系の樹立を志向する。そしてその手掛りをユスチニアヌス帝の法学提要H塁蜂客一9霧に求め、これ
に新解釈をつけた。すなわち、その後のパンデクテン教科書にも影響を及ぼした彼の大著、﹃普通市民法統合論﹄、す
なわちのちの﹃パンデクテンの順序による法律学統合論﹄︽ω岩鼠顧日暫廿旨9≦房β艮く9件oo旨鼠αqヨ蟄甘冴℃毎−
号暮一器器o琶身日o&ぎo目b目山8鼠旨日︾︵一ao。ーま。。ω︶によれぱ、それはこうである。法規にかかわる人間の行為
は、人または人の法的地位に関する﹁人の法﹂甘のもΦ誘○冨暑ヨか、人の物ないし財産との関係についての﹁物の法﹂
甘賃Φ讐B甘の。ぎ帥8日かのいずれかである。後者、すなわち物の法は、さらに、冒ω冒おと甘ω器8目とに
分けられる。原因行為からは廿ω&冨目が生じ、これに占有移転という方式ヨ&霧が加わることによって、それ
は一霧首3へと完成される。もっとも、甘ω呂8目も物についての法、すなわち財産権である以上、それは、・
ーマ法の基本観念とは対照的に、ー冒の壁おと同様1その権利者自身から分離されて、したがって、いわゆる債
権譲渡や債務の引受の可能な権利として把えられる、と。しかしながら、彼においては、一臣&お日は以上のこと
︵11︶
を意味するにすぎず、それ以上に悪意第三者に対する効力などは否定されている。
つまり、彼の権利のシニ4マは、債権譲渡等を承認した点は新らしいものではあったが、われわれの問題にかぎっ
ていえば、結局は、すでにほぼ一三〇年前アーペルによってたてられ、さらに彼自身によってoげ凝毘oと書きかえ
られて以来、長く忘れ去られていたそれにほかならないのである。そして、甘ωa器ヨをこのような○げ一蒔呂oの
意昧に用いて、それを甘ω旨おと対照させるという用法は、次の一八世紀の体系家たちによって一般的なものとさ
れていく。
四 要約 しかしながら、一七世紀には、右の体系樹立の努力は、もはや一六世紀におけるような熱心さでは持続
せず、一般的潮流としては、カルプツォフなどの現代的慣用の分析的カズィスティークな方法が大勢を占め・判例の
蒐集・研究が高く評価されていた︵象専き箏の﹄凄︶。
︵8︶蜜↓国尊・q軌§箱・員幹§ま軌1一・。・。一寒看払賠軌鉾ω。い塾§§ミ払旨ωp・お胤■旧奪§婁望三︾ξh
︵9︶ カルプツォフについては直接参照しえなかったが、メーヴィウスについては、そのフランクフルトで出された二版︵一六
七五年︶、﹃ヴィス了圭国裁判所の糞藷判決﹄︽盲一巴窪。募き巨喜毒一酵巷を・島舅≦馨量︾の本
︵m︶閃円β昌昌Φ臼帥昌旨喜一一一一βΦ一一けp目一仁ω一昌ρに言藷鐸二ぎε畳Φ8醇葺︵§ζ章一器儀§三注︽ゴデク
文所掲箇所を参照した。なお、b。究苺“ミ騨U①ぼF押ψ台O︾づβ斜︸§&ミ夢¢8一︾口茸分Q号§ぎ斜ψひ8勾戸
テン五十巻の註解︾の、コーデソクスの返還講求権に関する第一五条の註解︵熱&§詳¢8一≧一β轟︶。すなわち、二重譲
渡においては最初に引渡されたものが優先する︵前掲第三章註15参照︶、の註解で、この例外を認めているわけである。
︵11︶ 以上については、硫臓蕊飛き箏月ψ嵩い一&Rげ窪,一鶏h一勺践饗蕊壕禽聴きψ一ρ一ごq養罫鼻ψひ8によるQ
なお、ブルンネマンの一般的紹介は、硫畿ミN鳶曾鍔幹一R卑︸b働専き喚”ψ総9
三 一八世紀i自然法思想の浸透
律学の諸相 一八世紀に入ると、ドイツの法律学はかなり複雑な様相を呈してくる。一方では、一八世紀に
甘のpα.oヨとその発展的消滅 二九九
う。しかし他方、オランダのグロチウス︵の8ロ匿︶、イギリスのホッブス ︵閏oげσo巴、そして法の一般的体系化をな
はまだ前世紀から引き続いて現代的慣用の実際的分析的方法が行われている。裁判実務ももっぱらこの立揚にしたが
一 一橋大学研究年報 法学研究 3
三〇〇
しとげたドイツのプよンズフ︵簿旨h︶奮の啓蒙習然法学者が輩出し活躍したのは、すでに、前世紀、
一七世紀のことであったし二八世紀突ると−マジウス︵旨きω琶、クリスティアン。ヴォルフ︵9↓一.≦。量
が霧する・し奈って二八世糧活躍し薯名窪隼者は、何らかの意味で右の自然法学説の洗礼を受けてい
る。し か し 、 そ の 発 現 形 態 は 同 一 で は な か っ た 。
まず、一八世紀前半の現代的慣用の代表者ライザi︵需務雪︶ですらも、自然法学説の影響をかなり強く受けては
いる・しかし彼髪いては・孟は・程的塾という面姦収裏、したが.て、法の論理的体系化がで箕くし
て・実際的鐘的檀判断が、それゆえに、衡平、具体的妥当性が強調されている.そ粛果、彼においては、。マ
ニステンであ農奮理思った7マ塗りはむし令イツ法森賛裏ることになる.だから、彼においては、
自然法学説、いわゆる理性法の影響は、現代的慣用の方法による個別研究と矛眉するものではなかった。
しかるに・ライずとほ筒時代の人ハイうキゥス︵臣き琶髪いては、全く逆の方向に作用している.
もともと実務とはかかわりのない墓学的関心を喜人文主彗で典雅法学の一派と目される彼にタ%、理性法
論のうちと名け論理と体萎覆する数嵩方禁と欠れえ、・←馨公式化に志す賛と馨.その次の
世代のネッテルブラッー︵髪。喜山け︶もほ喬攣ある.あようにして、天世紀には、カズイスティークな現
代的慣用からの脱皮が表面化し奨務とはかかむ竃珪い概禽著集洗練蕊、抽象的な法律体系の樹立への
努力が、それなりの多くの収穫を示すようになる。
れロ
しかしまた・ネッテルブラソト高時代の人で、彼と同じくクリスティアン・ヴォルフの弟子であるダルエス︵∪鉾、
.︶は、それにもかかわらず、後期理性法の経験的実際的流れを代表するいわゆる歴史的自然法学徒として振舞い、
︺島呂お目とその発展的消滅 三〇一
はじめ教授でのちに判事に転身したヴェルンヘル︵旨。げp、一、一鵬簿一跨窃彗写巴冨旨ダ巧。旨け8ま胡ー旨お︶も、この方
︵晦︶
がら、前世紀の実際家たちと同様、問題は積極に解されている。
の経済﹄︽○。。。け。邑蟄甘風。。呂ロ誰目ぎ島Φヨβヨ88ヨ&暮一︾︵冨首N一斡鴇旨︶であったが、そこでは、当然のことな
りかつ練達の判事でもあったベルガi︵︸。げ卑ロロ国。一昌㎏一。げ固一。賊<・田お貫ま鴇1ぐお︶の﹃今日の慣用に適合せる法
− ベルガー、ヴェルンヘル のちにみるライザーの著作とならんで、裁判所で長く用いられたのは、教授であ
りわけライザーを見ておこう。
をおく︵b寒憶帆鳶”ψω嶺い︶。一八世紀におけるこの方向での著作者としては、ベルガー、ヴェルンヘル、そして、と
請に適合させる課題を促進するほとんど唯一のものとなったからである。実務もしたがって、この立揚の著作に重き
主目的は大学における講義用と考えられ、したがって他面、カズイスティークな研究が、伝来的な法素材を時代の要
と現われる概念的体系的教科書は、もはや従来ほどには実務における法の発展と密接した関係をもたなくなり、その
献が、とりわけ実務において特別の意義を帯ぴてきている。学間の世界における現代的慣用が消滅してからは、次々
二 現代的慣用の実際家たち 一八世紀の中葉以降には、前世紀に引き続くカズイスティークな現代的慣用の諸文
しよう。
以下われわれは、この三つの流れに分けて、それぞれがわれわれの間題につきいかなる立揚をとっているかを検討
したがってまたドイツの現実の法への顧慮を怠たらず体系樹立と具体的妥当性との調和を心懸ける結果となっている。
目〕
一橋大学研究年報 法学研究 3 三〇二
向で輝かしい業績をあげた一人である。彼は、自然法に関する多くの著作とともに、判例を研究した多数の著書を発
︽の。一〇9きo富R奉江8霧協曾。葛霧︾︵昌一。ー︶において、同じく積極説をとる。
表して、すでに教授時代からとくに実際の法律問題に傾倒していた人であるが、その著﹃裁判の精選された諸観察﹄
おロ
2 ライザー 現代的慣用の一八世紀における最大にして最後の人として見落せないのは、ライザー︵︾一一讐.けぼ
写場3ま。。い1旨緯︶である。彼は、当時台頭していた体系的概念的法発見とは対照的に、理性的倫理と具体的妥当性
を重んじ、そのすぐれて実際的な観点から、法律学と実際問題との関連の最も明白に認識される判例の、具体的事案
の特殊性を顧慮した個別研究に没頭し、かたわら、判例の整備.公刊をも配慮した人である。
﹃パンデクテンに関する諸考察、全二巻﹄︽冒。&$ぎ器ωゆ伍評旨8鼠ω一旨臨図H︾︵いΦ6N茜旨旨1お︶は、ア︶の
ような観点による彼の個別研究の収録であり、その後、長期にわたって実務において重要な参考著作として利用され
ロロ
たものである。そこで彼は、積極説をとって次のように主張する。
おレ
﹁自己に引渡された物がすでに他人に約束されていることを知る者にとっては、その引渡は役に立たない。﹂その
理由は、﹁⋮⋮すでに物を他の人に約束していながら、再び約束する売主は、すなわち、疑いもなく、詐害的手段で
︵博器自巳①旨R︶振舞うのである。それゆえに、新たにこれに介入し︵目くδ、しかもそれから利益︵ξ。窪旨︶を
得んと努める者は、実際、詐害に加担して不当な利益を生ずるものである。﹂
として、詐害訴権を構成する︵崔2&置ビレρ鷲・β器ゆ一一ゆ目のdα①.目。巳①象δ。鴨β巨。。ロω窪旨βヨ①のε、というのである
︵巷Φ。ト茸旨﹄・なお巷。。﹄呂芦斜︶。こうして、一般的に衡平、具体的妥当性を重んじる彼も、本制度については、
︵19︶
冒の&8ヨとその発展的消滅 ﹄ 三〇三
特徴的な学問と実務との分裂・隔離、概念的・構成的法律学は、1自然法学者ヴォルフを一応別とすれぱー彼ら、ハ
ゴー︵O墓3︿国轟Pく翁1一〇。童︶によって推進され、そしてさらに歴史学派によって一層促進されたドイツ法律学に
よぴ次にみるネッテルプラットをもって、ドイツの法律学は新しい時代に入るのである。すなわち、次の時代にフー
的なほぽ同時代の人ライザーの現代的慣用をも批難しているといわれるが、こうして、ほぽ一八世紀の中頃に、彼お
したがってヴォルフの弟子ネッテルブラットらの方向の一派である。このような立揚から彼は、右にみたこれと対照
は、ほぽ同時の人クリスティアン・ブォルフによって発展させられた論理演繹的な論証的方法と基本的には異ならず、
接的には経験的自然法学者トマジウスの弟子ではあったが、彼のとった公理にもとづく方法舞δヨ暮諺。冨尾Φ跨○留
学との結合は、彼をして、﹁現代的慣用﹂の基本的観点から離れて、純粋・ーマ法の公式化へと駆りたてた。彼は、直
った法制史的研究を、一八世紀に至って再び復活させた重要な代表者であったが、このような傾向にある彼と自然法
は、かつての人文主義時代に盛んだったにもかかわらず、その後一七世紀の現代的慣用の時代に完全に消滅してしま
ー ハイネッキウス 古事学的関心をもつ人文主義者ハイネソキウス︵冒鼠909岳3国巴器。9諾㍉総一−旨占︶
いのは、ハイネソキウスであり、ついで、ネッテルブラットであろう。
デカルトーヴォルフの影響による論理と体系を重視する数学的方法であった。その第一に挙げられなければならな
三 論理演縄的な体系家たち 第二の、しかも現代的慣用とは対照的にその後益々勢力を獲得していった潮流は、
のである。
コメンタトーレン以来続いているいわゆる廃罷事実訴権器試oぼド09日8︿8暮oユ蟄を妥当なものとして支持する
一
ζネッキウス、ネッテルプラットにはじまるのである。
一橋大学研究年報 法学研究 3 三〇四
︵20︶
こうして、ハイネソキウスは、一七二五年にアムステルダムで初版の出された﹃自然法およぴ万民法要綱﹄︽田ΦB−
窪寅甘旨塁葺旨Φ9鴨暮ごヨ︾で、所有権譲渡につき可能性︵陪裟げ罠鼠ω︶としての契約と、現実性︵8盲鉱淳器︶
としての引渡とを分類し、それは、洋巳屋”ヨ&臣理論を普通法の文献においてフーゴーまで効果的に定着させると
いう意義を獲得したのであるが︵肉§§讐§喚§ψま︶、甘の&お旨なる用語は、一六、七世紀の・;マ法的体系家
アーペル、シュトゥルーヴェらと同様に、oげ一蒔蝕oと同意義に用いられているにすぎない︵嵐9蓉§・ω・8︶。
2 ネッテルブラット ハイネッキウスより一世代のちの人、ネッテルブラット︵U卑巳。一29琶三&ε謹。1一お一︶
は、名実ともにクリスティアン・ヴォルフの弟子であり、その論証的、幾何学方法を窮屈なまでに極端に押し進めた
人である。このような立揚から彼も、甘ωぼ8でない権利は廿の&3目である、として、後者をoげ一蒔卑δと同
︵21︶
︵22︶
意義に用いている。そしてこのような用法はまた、古典的人文主義的ないわゆる典雅法学派に属する当時の諸学者に
とっても、一般的なものであった。
︵23︶
3 要 約 このようにして、一八世紀においては、体系樹立を目指す研究が台頭し、いまや冒の&器目は、
物権甘ωぼ3と対比される償権oげ凝慧〇一般を意味するものとして観念され、その昔日の第三者に対する効力は
もちろん、特定物債権の現実執行の面に着目した用語としての意識をすら含まないものとなってしまった。冒ω&
8日のこのような広い記号づけは、プフタの理解によれば、債権oげ一蒔暮δは一般に、与える︵盆お︶債務もなす
︵貯8器︶債務も、人の行為を要求するものであり、それが任意に履行されなかったときは金銭賠償に転じうるもので
あるから、結局、なす債務も、物権におけるように特定物それ自体︵の器匡呂貯崔q偉目︶をではないが、物の金銭に
よる額を、したがって物の価値︵留9≦R爵︶を把握しうるという意味で物とかかわりうるからだ、という。プフタ
は、早期普通法学における甘の区8日の債権一般どしての用法を、右の理由から非難されるべきではなかった、と
︵盟︶
主張する。しかし、このような用語法は妥当とは考えられない。第一、なす債務においては、債務者が任意に履行す
れば、債権は決して価値的側面でも物とかかわりをもつことはありえないし、第二に、与える債務は、任意の履行の
段階でもその強制履行の段階でも、なす債務と異なり、特定物それ自体を目指すものだからである。与える債務にお
いても金銭賠償が認められるということは、右の基本的性格を何ら否定する理由にはなりえない。物権が、悪意の侵
害者に対して金銭賠償を求めうるからといって、物を把握することを止めるものではないのと同じことである。した
がって、甘の&8日なる記号づけは、特定物債権については一応可能であるが、なす債務はそれによっては十分に
︵%︶
捉えられない筈である。このことは、すでにウンガー、チーバースなども指摘している。さらに重要なことは、与え
る債務もなす債務も包含して冒の&8目と記号づけることは、与える債務のその他の債務との差異、特質を見失わ
せる危険がある、ということである。このことは、決してたんなる杞憂ではなく、その後の学説史が実証している。
それはともかく、こうして、次にみるダルエスは、両者を区別しようと努力しているのである。
四 “歴史的”自然法学者ダルエス 本稿の目的にとって、決して見落すことの許されないのは、ダルエス︵ぢ苧
畠ぎΦ8茜U帥ユ聲ぐ三1ぐ旨︶である。先にみたネッテルブラットとほぽ同時代の人ダルェスは、プ・イセン一般
州法典の編纂者スアレツ︵望霞雷︶の師であり、かつ、ネッテルブラソトと同じくクリスティアン・ブォルフ学徒でも
︺臣呂希ヨとその発展的消滅 三〇五
一橋大学研究年報 法学研究 3 三〇六
ある。しかし彼は、現実にドイツで妥当しうる法典たらしむるぺく﹃ローマ”ゲルマン的私法学提要﹄︽H口駐9ぼ8窪
甘昌省旨留艮一器冥一奉鼠Φ呂日程o−の實ヨ鈴艮o器︾︵甘冨レ翠o。︶を著したことからもうかがえるように、ネッテルブラ
ットとは対照的に、実際的・理性的だからという理由でドイツの現実の法をも顧慮する途を歩んだ、後期理性法の経
験的・実際的な流れを代表する”歴史的”自然法学者であった︵ミ農暮§ψ這鳶・︶。
したがって、彼においては、現実を無視したたんなる・ーマ法的体系学ではなく、さればといってかつての現代的
慣用の学者たちのように非体系的カズィスティークな現実解釈でもなく、両者を調和・止揚した主張が現われている。
︵26︶
− まず所有権取得理論についてみると、彼は、その﹃普通法律学提要﹄︽冒昌葺5器の甘冴胃民。旨一器毒貯段−
$房︾︵昌き︶において、甘の冒おの取得の遠因と近因︵。程詔8営o旦胃○凶誉国︶とを区別し、それは、取得権原と
取得方式︵葺巳匿”目a塁8程ヰΦけ良︶であるとして葺巳葛”巨a霧理論をとり、これをー不当にもー原始取
得と承継取得との両者に認め、それぞれにつき検討しているが、右の取得方式は契約ではなく、葺巳霧に附加され
るべき事実壁。9目だとして、かなり権原鼻巳墓に重きをおいている︵紹9蹄︶。
2 このことと密接に関連して、彼は、権利を物権甘。。器紀o と債権甘の需誘8巴①とに分ける。しかしさらに、
︵
債権甘ω需誘2巴oを、与えること︵&鼠民眞目︶を義務づけるものと、なすこと︵&鼠9雪身巨︶を義務づける
ものと に 分 け 、 そ れ を 次 の よ う に 名 づ け る 。 す な わ ち 、
︵留︶
﹁誰であろうと他人にわれわれが与えることのできるのは、行為か物かである。それゆえに、われわれは、その二
9つの冒の需拐8亀。を次のように把握することができる。その一億、他人が行為︵鼠9仁日︶をわれわれになすべき
︵28︶
要求権で、︺臣b醇8壁♂言若9δと呼ばれ、他は、他人が物を実際にわれわれに交付する︵鷲器誓簿︶よう要求
する権利︵甘の言幹巳き島︶で、U塁器冨目と名づけられる。﹂
すなわち、彼の権利の分類はこうである。
そして彼は、この甘ω&器巳に、悪意第二取得者に対する物の引渡訴権を承認するのである︵卑§蟄ψ器︶。つ
まり、彼は、・ーマ法的体系にしたがい、財産権を物権と債権とに一応わけるが、債権のなかで唱特定物債権につい
ては、その物との関係を重視してその他の債権と区別し、これを特に冒ω&希臼と呼ぶ。ここに甘の&冨目とい
う用語は、その不当な拡大から特定物債権の記号づけへと制限され、かつ、従来は非体系的カズイスティークに、・
ーマ法の支配の下に8ぎ旧き匿壁に由来する8ぎぎ鼠。9目3ぎ。緯曾壁と強弁されて認められてきた悪意第二
取得者に対する引渡訴権が、権利の体系的分類の中にその位置づけを与えられたのである。このダルゴ又のいわば権
利の三分類法ともいうべきものこそが、次にわれわれの見るプロイセン一般州法︵一七九四年︶の採用したそれにほか
ならない。
︵12︶の試暮Nぼ叩卜R蔑急恥ミいH口どψ8ひ蹄⋮§震匙§¢ド翫い・ ’ン
︵13︶ ∪職専計9ψ8ごミぎ§卍ミい¢一8h∴肉8。ぎ尋ミ、ψ旨Pさ。ミ.
甘の騨師器Bとその発展的消滅 三〇七
︵18︶
︵19︶
︵20︶
︵21︶
一橋大学研究年報 法学研究 3 三〇八
NO一 ︾昌ヨ薗 轟一
。一 切O憶§Oミ9§昌、
ω菖βけ臥けの1卜9醤亀硫⑪oヨ9HHH一︸幹一刈O臣● b⑪ン﹃鰍§箏ψいOoo”いN一■切ミ馬9馬導恥3の・一〇♪一・Oα塙・い因o防oンR趣恥3ψ一NOlb︾斜y
の鉱昌けN一け㎎1卜9鵠脳恥甲恥﹃9HHH一“の’NOooo庸引b噺訓噛帆詣9の。い一ρ轟NQoいミ価9◎導“3ω・一〇鼻・
ρき寓窃話8一島富一Φぎ昌①聾良o詳貰凶葛器器き︵§&ミ夢ψ一昌︾昌目Nの引用による︶
目一5。g8巨ρ暮。げ凝註。一巨虜℃。邑。霧ω一εΦ塞聾Φ巨一げg巴ごβ冥器ωΦ旨菅§Φ巨一げ。3一島島①§,
寒§§鼠貸の翼■①一弩●盲一丘,国山”く●︵一刈。。ω︶㈱一。。︵鷲ひ一︶”侮§葺くΦ8蓄け&Φω凶眉の写器2&。ω譲け。の,
け↓ロ筥
け08ヨ噌
ψ三︾ロ旨。N︶、ドイツ生れではあるが右の学派に属せしめられるぺきヴェステンペルク︵名①ω8βげΦ茜︶の
たとえば、すでに一七世紀、オランダの典雅法学派の代表者フーバー︵d罵ざげ国ロげRいままー一ひ駅︶がそうであったが
︵向肺帖さ妹恥軋3鳴︸HH︸
ψ Qbo︶もそうである。
ンデクテンの順序による法の諸原理﹄︽℃ユ蓉6寅甘ユのωΦ窪昌自仁日oaぎo目bのロα①o鼠葺旨︾︵ぐ睾︶ψoo頓︵国督9§鐸
﹃パ
︵23︶
︵22︶
なお、Q建oぎひの。OOい協←∪馬ミ&§﹃箏UΦ]目びーH︸の■おO>β目、避
睡
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O
Φ
一
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ωのO のO一け㌦︵
こ 6 目 p 自
O け 唱 巳 O 山 O
同 o ヨ ρ β 費 Φ
一 け 口 賊 ゆ 一 頃
弓 O 一 昌 一 の の
私は、一七七二−五年ハーレ版︵索引を含めて全一二巻︶の第七巻︵一七七二年︶を利用した。
︵∬︶以上一は・ω茸N凝き§寒塁目一払§∋b菱ミの。録塁占ひ⋮ミ§尊払まhによる.
一び箆■
︵16︶ ヴェルンヘルについては、b簿試3箏ψ鰺9まoo。本制度については、Q建。ぎ躰あふ8問旨←褻魯9﹃夢ま峯
切O﹃慧蓉9詰3層Hど の●NNω男口。
︵15︶ ペルガーについての一般論は、b鼻註ミ“ω﹄頃ふ誤・本制度についての彼の立揚については、§&ミ夢ψ
︵14︶ たとえば、さしあたり、卜bu・の罫ミ象遷・ψ鴇oo中 の掲げる諸著作の目次をみよ。
︵24︶
9勾勺§詳登0畦の毯α雪ぎω葺ロ銘oロΦP■o首N蒔一目ど“︾ロ中一〇。Uざ冨声“。。鵯oQoび。︿,︾切ロ匹9拝ω●oo9︾ロ箏や
︵26︶
bミ特や田Φ目窪鼠甘ユの9丘犀ω鷲オ蟄江信巳<o窃巴厨︵一P冒ωゆ﹂葺一ε■自巳く■y㈱♪軌讐丼
私は・その七版︵一七七六年︶を参照することができた。
・S饗3押の■摯9褻&ミ鄭鳶ψ一認い
︵27︶
騨魯ミ“ダの・一コ>昌巨・一の引用による。ただ、チーパースは、U胃一①o。・H霧鉱““ρ巳く・国9︿H・︵一試轟︶励ooO一Ioo8と
︵25︶
︵28︶
ニーのω鴇富βH●ψ鴇N︾旨日■σは、この分類につき、ダルエスの冒ωけこ醇びや鷺貯’︹﹃ローマ”ゲルマン的私法学
して、
本文所掲の文章を掲げるが、︵私の見た七版︵一七七六年︶の︶該当箇所にはこのような文章も内容もない。他方、サ
ヴィ
提要﹄y㎝呂を引用している。
四 啓蒙期自然法学説
プ・イセン州法の検討に入る前に、啓蒙期自然法学に詣けるその取扱いを、一瞥しておきたい。啓蒙期自然法学が
近代法律学および近代諸法典、とりわけプ・イセン一般州法の編纂に大きな影響を及ぼしていることは周知のところ
であるが、とくに甘ω&8日につき、従来もなかったわけではないが︵たとえば、国。誉§ざψ鵠︶、最近ヴィアッ
カーが、プロイセン州法の甘の匿お目やドイツ民法における不法行為法を通ずる保護の起源を、啓蒙期自然法学説
の二重譲渡理論に求めるべきことを、しばしぱ強調しているからである︵§馬§ぎき¢旨いるβ鉾oい︶。
一 グロチウス 近代自然法学の始祖オランダのグロチウス︵国嵩oO8菖5凱o。Qーま轟u︶は、自然法による国際法
甘ω”山器目とその発展的消滅 三〇九
一橋大学研究年報 法学研究 3 三一G
の基礎づけを企てたが、その一般命題のために、所有権理論にもいくらか論及している。
︵29︶
ぞの主著﹃戦争と平和の法について﹄︽Uo甘屋び巴罫器饗含︾︵一ひ誠︶において、彼は、自然法上、所有権は、・
ーマの万民法におけると異なり、特別の合意のないかぎり、譲渡人の譲渡の意思表示と譲受人の譲受の意思表示だけ
で移転しへ引渡は必要ではない、と意思至上主義をとる︵戸ひ。。響・。。紹辛巡伽賦︶。したがって、二重譲渡において
トラデイチオ
は、引渡の有無を問わず、このような意思を含む契約が優先することになる。すなわち、﹁も㌧物が二度売却された
ときは、その二つの売却の﹂ち、引渡によるのであれその他によるのであれδそれ自身に即時の所有権移転を含んで
いたものが有効である﹂と。売主は自然法上の所有権を、したがって処分権能を失うのであるから、彼の立揚からは
当然であろう。彼の表現によれば、それぼよって売主の物への﹁道徳的権能壁。巳霧菖曾巴諺が失われる﹂からで
ある。もっとも、彼の合意主義を、ヴィアソカーのように、われわれのいわゆる債権契約としての売買契約と考える
ことは︵ミ昏。ぎ3¢旨。︶、必ずしもあたらない。このことは、右に引用した譲渡ないし譲受の意思表示という表現か
らもうかがえるが、さらに彼は右の引用文に緯けてわざかざ断か,臥.でい呑、﹁このことは、たんなる約束によっては
生じないρロ&け8旨b窪8冨ヨ胃O巨器壁諾旨﹂と。
︵30︶
ニ ホッブス ﹁万人の万人に対する戦い﹂という基本命題を掲げて、自然法による主権理論の基礎づけを試みた
ペ
イギリス人ホッブス︵↓ぎ旨器国。ま聲呂。。。。ーまご︶の主張は、右の基本命題の当時の形而上学的理想主義との余りに
も鋭い対立のゆえに、その目的としたことは世の容れるところとはならなかったが、それにもかかわらず、その基礎
づけの手段として用いられた自然状態における意思表示と契約の理論は、その抗拒すべからざる論理性のゆえに、そ
の後の法律学に、ことにプーヘンドルフを通じて長く影響を及ぼした、といわれる︵ミ器暮§ψ旨o。い︶。
︵31︶
一六四六年パリーで序文の書かれたその著、﹃市民にういての哲学要綱﹄︽田。ヨ。巨卑嘗まω8匡β留9語︾の﹁契
約に関する自然法について﹂論じる第二章で、彼は次のように説く。ある人と第一の契約により作為、不作為義務を
負った者は、それと抵触する第二の契約を締結することは許されない。﹁けだじ、・先の契約により自己の権利を他人
に移転してしまった者は、もはやその行為をし、あるいは、しない権利をもたないからである。﹂後の契約によって
は権利は移転せず、そしてその約束は権利なくしてなされたものである。したがって彼ば、第一の契約にのみ拘束さ
れ、それを侵害することは許されない︵8や月㈱旨︶。ただし、ヴィアッカーによれば、これは、われわれのいわゆ
る二重契約ではなく、ホッブスにおいては、支配者と臣下との契約により従来の服従契約を変更することは許されな
い、とのねらいをもったものにすぎなかった、という︵強ミ§ぎきの﹂ご︶。
’
三 プーヘンドルフ 従来の自然法理論と異なり、道徳的神学を自然法の領域から排除し、後者を自然的社会倫理
の自律的体系として確立し、従来の倫理的思想的財宝を普遍妥当な形に整理し体系化することによって、その後の自
然法的諸法典編纂をはじめ私法学に、大きなかつ直接的な影響を及ぼしたプーヘンドルフ︵のp目諾一坤馬o鼠o芦ま8ー
一ひ零︶こそ、われわれが注目しなければならない人であろう︵ミ普§ぎきω﹂o。。車︶。
︵32︶
彼の八編にわけられた主著﹃自然法と万民法について﹄︽∪①甘8冨9冨Φ9鴨暮冒ヨ︾︵一ひ認︶は、まず第一編は
彼の体系の前提となる基本概念と方法論の叙述にあてられ、第二編は、三章までは自然法の基本理論を、残りの三章
とその後の諸編はこの理論の人間関係への適用にあてられている。すなわち、われわれの問題にかぎっていえば、第
冒ω卑山お目とその発展的消滅 三一一
一橋大学研究年報 法学研究 3 三一二
三編が契約の一般理論、第四編がその後のプ・イセン州法にみられるように所有権取得の手段としての契約とこれに
接合して所有権 相続権を含めてi、第五編が交換、売買など各種の具体的契約態様、となっている。
まず第四編第九章においては、﹁所有権移転一般について﹂∪①畦弩診善o濤3巨艮旨ひqΦ話おが説かれている。
彼は、・ーマ法や当時支配的な引渡を必要とするとの§巳富”目a葛理論を一瞥したのち︵㈱頓︶、それにもかかわら
ず、自然法上の所有権につき次のように説く。所有権は、物がある人に帰属し彼の処分に服するという純粋に道徳的
性質β聾鼠ω営Ro臼o壁房のものと、現実に物を利用しうる物理的権能ドS憲のb身巴8をも有する道徳的性質の
ものとに分けられる︵㈱ひ︶。前者においては引渡なくして契約のみによって所有権は移転し、後者においては契約の
ほかに引渡をも必要とする。しかし、後者においても、人がその所有権を純粋に物理的権能壁。巳蕩替器一8のも
のとみてその道徳的権能壁o巳霧巨o審冴を無視するということをしないかぎり、引渡前には譲渡人に何か不完全
な所有権が残存すると解する必要はない。けだし、契約の締結または権利の移転ののちには、その物は直ちにその他
人に帰属しはじめ、そしてその他人の意のままになりはじめ、譲渡人はもはやその物につきその人に占有を得させる
こと以外には何らの行為をも法律上正当になしえないからである、と︵㈱。。︶。
このようにして彼も、ある程度現実をも顧慮して引渡主義に一歩足を踏み入れつつあるとはいえ、結局は、グ・チ
ウスと同様合意主義に属す惹。したがって、彼においてもまた、二重譲渡の場合、引渡なくしても第一契約者が優先
する、ということになるのは当然である。ところで、先に挙げたヴィアソカーは、のちの市民法学上の冒の&器目
の起源を彼らに求め、そしてそれは所有権取得の合意主義に由来するのだと強調しており、また、諸学者の間で右の
合意とは物権契約か債権契約かについて議論があるが、このことは、少くともプーヘンドルフにとっては決定的な意
味を持たない、と考えられる。それは、彼の契約︵一般︶理論で明らかとなる。
特定物のみならず、他人の行為を目的とするものをも含めて契約一般を論じる第三編第七章で、彼は先に述べたと
同様の結論をとる。しかもその際、ホップスを想起させる服従契約をも引合いに出していることが注目される。すな
わち言う。﹁他人に権利が取得されている私の物ないし行為につき、私は、たまたまその他人が彼の権利を放棄するに
あらざれば、︹それをさらに︺第三者に有効に約束する︵肩o巨9RΦ︶ことはできない。けだし、約束または契約によ
り︵鷲o巨ω器簿暮冨。勢︶自己の権利をすでに他人に譲渡したならば︵け壁霧9扉︶、それだけですでに、何人ももは
や、第三者に移転︵8託o睡Φ︶しうるがごとき性質の権利を有しないからである。⋮⋮そしてかかる場合には、あと
の契約ははじめのそれによって無効とされる。いな、むしろ、より早い契約と抵触するので、よりおそい契約は何ら
の効力をも生じることはできないのである。そこで、臣下らが、︹彼らにょって︺なされた忠勤契約を害して︵首博程−
留日臣巴壁o鼠︶、彼らの間で、あるいは他の人となすところのすべての契約︵冨。蜜︶は無効である。⋮⋮これは、
﹃日付の早い方が権利を取得する﹄という周知のことにもとづく。もちろん、ただ時間だけでは、それ自身いかなる
権利も授けはしない。しかし、より早い者は当該の物につきすでに権利を取得しているのであり、そのことが、その
後の者がその同一物につき権利を取得しうるであろうことを阻止するのである﹂、と。このような観点の下に、プー
ヘンドルフは、本来の主人以外のものとさらに労務の提供契約をする奴隷の揚合を挙げ、第一契約に対する関係では
第二契約は効力はなく、後者は契約者間の損害賠償によって解決されるべきだ、と附言するのである︵㈱二︶。
怯霧&8ヨとその発展的消滅 三一三
一橋大学研究年報 法学研究ポ 三一四
四 クリスティアン・ブォルフ 当時の自然法学者のなかでは特異な存在で経験的現実主義の立揚をとったトマジ
ゥス︵0ぼ一毘き↓ぎ彗霧置ωし訟頓1一認。。︶には、ここではふれないことにする。トマジウスによってゆがめられた、従
来の理性法の合理主義的主流を再ぴ取り戻したのは、プーヘンドルフの精神的影響を強く受けているクリスティア
ン.ヴォルフ︵Oぼ聾一き≦o員まご1昌象︶であった。彼は、自然法の諸命題を、帰納的経験的方法を排除し、公理
から幾何学的論理的に演繹するいわゆる論証的方法で導き出すことによって、一つの体系を作り上げた。その構図は、
プ。イセン州法の体系に影響を与えたのみならず、彼は、右の方法論によって、すでにみた彼の弟子ネッテルブラッ
トがそうであるように、その後のパンデクテン法学者のいわゆる概念的法律学、ないし構成的法律学の始祖ともされ
ている︵﹃帆昏鼻ミ讐¢這一R︶Q
ところで、われわれの問題についてみれば、彼もまた、プーヘンドルフと同様、所有権譲渡の合意主義、二重契約
︵一般︶における第一契約の絶対的優先を主張する。
その主著﹃科学的方法により考察された自然法﹄谷塁壁ε壁o昌o跨&088暮旨B需ヰ審。9言目︾︵旨81畠︶の
すぐれた抜華で、彼自身によるドイツ語版﹃自然法およぴ国際法提要﹄︽浮琶房簿国留ω轟9同崇民く9身。目.Φ。び磁︾
︵ぐ望︶によれば、その体系はこうである。第一章は﹁自然法一般について。自らに対する、他人に対する、および
神に対する義務について﹂と題する自然法における諸基礎概念、第二章は﹁所有権とそれから生ずる権利義務につい
て﹂と題する、契約その他を所有権を中心として構成してプーヘンドルフやのちのプ・イセン州法を想起させる章、
第三章は﹁支配︹家族・国家など︺とそれから生ずる権利義務﹂、第四章は﹁国際法について﹂となっている。ア一.一では、
F主として第二章が問題となり、さらに、第一章における彼の基本的立揚が一応考慮されなければならない。
まず所有権取得理論についてみょう。彼は、おそらく当時の普通法学説の影響によるのであろうが・原始取得であ
る無主物先占についても、権原け犀一一蜀ωは法規が根拠であり、取得方式日&霧8ρ鼠8け象は占有であるとして、先
にみたいわゆる葎ロ]一一の”B。費の理論の不当に拡大された立揚をとっている︵吻暗軌︶。しかしそれにもかかわらず、
﹁承継取得の方式﹂︵目。創葛8ρ巳8且一αR貯9︿霧︶については、特別の考慮を要するものがある︵ゆいご︶とする・
それをまとめるとこうである。彼は、自然法上、所有権とは所有者が物を意のままにする権利である、と規定するの
であるが︵㈱一.軌︶、そのことから、いつ、誰に、いかなる方式で譲渡するかはもっぱら所有者の自由である・嘉論
する︵㈱。峯︶。したがって、所有者の譲渡の意思と譲受人の譲受の意思があれば、それで十分なわけである。ただ、
その意思が一一、︸口葉なりその他の行為なりによって表朋されることを要するだけである︵㈱ω一ひーい一〇。︶。したがってまた、
占有の引渡︵q。げ。茜帥び.蓉.卑象ぎ︶は、所有権移転の要件ではなく、所有権は占有すべき権利を伴うものだから、む
しろ..所有権が移転されたのちに、その結果として生じる義務にすぎない、ということ髪る︵竃。︶・望の承継
取得に関する議論は、その大筋において、グロチウスープーヘンドルフのそれにほかならない。もっとも・ヴォル
フは、所有権その他、物を利用する物自身への権利を国①。騨ぎ①首雪留9Φこ器一p冨︵㈱ω睾︶と名付け、これと
対比して、他人がわれわれに給付すべく義務づけられ、その他人の給付によって完全な権利となることに対しわれわ
れが持っている権利として、男o。窪鎧①ぎ貧貯畠o乙葛区おBなる表現を用いている︵㈱Q翫卑︶。ここに・ヴォ
ルフにおいて、冒。さきな美禦、自然輩壱、現われているわけで艶・奮そのほかに・契聖磐つ
U仁o。帥山↓。ヨとその発展的消滅 三一五
一橋大学研究年報 法学研究 3 三一六
いての節で︵目刈︶、対物的約束属9巨匿○目霧房、対人的約束肩o巨ω巴o需誘o壁詳、それから生ずる対物的権利冒の
器亀のと対人的権利甘の唱R零壁ざなどの区別をもとっている︵㈱8。ー8N︶。しかし、それにもかかわらず、彼の物
権移転の合意という所有権取得理論は、プーヘンドルフにおけると同様、必ずしも二重譲渡におけるわれわれの問題
にとって決定的な意味をもつとも考えられない。
すなわち、自然法の基礎理論を論じる第一章の第三節﹁人間の権利義務一般について﹂において、彼は、自然法上、
﹁何人たりとも自ら引受けた義務を免れることはできず、また、そのことから生じた権利は、何人からもその意思に
反して奪われることはできない﹂との命題を強調しており︵㈱さ。︶、同じことを、第二章第七節で、約束<。同。℃.。,
。匿P属oヨ奮δの一般的定義︵㎝鴇。︶につづいて、﹁それゆえに、約束者は彼が約束した者に完全に拘束される﹂
と説くのであるが︵ゆ総。︶、正にこのことの論理必然的な結果として、﹁人がわれわれに約束した物を、さらに他の人
に約束するときは、のちの約束がではなく、はじめの約束が有効である﹂、という命題が、一般論として導き出されて
いるのである︵㈱蕊一︶。
ただ、所有権取得についての合意主義と云っても、すでにグ・チウス以来、その表白、認識可能性はある程度要求
されてきていることが注意されなければならず、また、意思のこの表明された認識可能性の漸次の強調が、やがては
引渡主義へも通じとるであろうが、以上の検討から、ここではさしあたり、次のように要約することが許されるであ
ろう。
五 要 約 自然法学者たちにとって、自然法上の所有権は、占有と関連する物理的可能性としての所有権と対
置され、具体的事象と遊離した抽象的な道徳的性質のものと観念される。これに彼らの意思理論︵≦崖窪絶轟日魯︶が
結合されて、所有権は契約当事者の所有権移転それ自体についての意思の合致によって、しかしそれだけで、完全に
譲渡される、との命題が、何らの抵抗も感ずることなく立てられている。これは、所有権移転自体についての合意と
いう面を強調すれば、のちのいわゆる物権契約の系譜をここに見出す結果になるし︵穿§蟄¢象︶、契約だけで所有
権が移転する、という面をみれば、フランス民法典や日本民法典と結びつけられる可能性を持つ︵ミ恥§趣§ψ旨。︶。
しかし、所有権取得の成立要件としてであれ、対抗要件としてであれ、公示による第二取得者の保護・取引の安全へ
の考慮、ないしは公信の原則によるそれが欠け、かつ、第一契約者が絶対的に優先するここでの議論は、現実の取引
を規制すべき市民法学説や現在の諸法典とは次元を異にする。先にみたグ・チウスの主張が、その後間もなくドイツ
にも伝わり、すでに一七世紀から一八世紀のはじめまでに、占有移転をも必要とするとの蜂巳臣−目&臣理論をとる
ドイツの市民法学者によって多くの論議を呼んだが、圧倒的多数の学説と実務とは、権利の確実性︵勾①。騨鐘畠①跨o菖
を理由にこれを拒否したといわれるのは︵、§§媒養遷§ψ一ω︶、まことに当然のことである。このことは、所有権取
得にかぎられない。一般的に、債務者の自由意思と︵のみ︶かかわりを持ち、競合償権者の存在とその自由競争の肯
定という、近代的取引社会に即応する債権者平等の原則は、彼ら自然法学説においては否定され、ここでも第一契約
が優先するのである。契約は守らるべし冨。鼠害馨器讐き壁という啓蒙期自然法学の法諺の、二重契約における発
現形態は、まさにこのような結果を招来している。ここでは、表明された意思などと説いてはいるが結局は・︵第二の︶
取引安全は無視され、債務者の第︸契約者に対する︵内部的な︶背信のみが責められ、考慮されている。もちろんそこ
甘切帥αH。.βとその発展的消減 三一七
一橋大学研究年報 法学研究 3 三一八
では・第二契約者の善意や悪意の問題となる余地はない。ヴォルフにおいては、とくに特定物債権は甘。胆飢..日と
記号づけられているが、その第三者関係も右に述べたことの一適用例にほかならない。それは、すでにみた早期普通
法の諸学説のいずれとも異なり、また、次にみるプ・イセン州法の甘ω&詰旨とも、わずかにその底流をなす道徳
的精神的ムードに共通性を見出しえないでもないが、その法律構成は、要件においても効果においても全く別物であ
り、そのままの形では、とうてい、現実社会を規制すべき法として取り入れることのできないものなのである。われ
われの問題にかぎっていえば、彼らのその後の法形成への影響は、むしろ、先にみておいた、その弟子たちを媒介し
て、法の体系樹立と論理演繹的ないわゆる論証的思考方法にあった、といえよう。
ここでわれわれは、再び元に戻って、先にみた市民法諸学説のプ・イセン州法への展開を検討しなければならない。
︵29︶ 私は、一六五一年アムステルダム版を利用した。なお、ドイツ語訳、邦訳をも参照した。
︵50︶ つまり、所有権移転自体についての合意が問題なのである。ブラントは、ヴィアッカーとは逆に、.︼れは物権契約だと解
している。また、彼は、のちにみるオーストリーの自然法学者マルチー二が、抽象的物権契約理論︵?︶を肯定するようにな
った機縁は、グ・チウスらの主張であった、という︵田弩鼻一㈱ひψ鴇ご。なお、川島﹁所有権法の理論﹂二二三頁註八。
︵31︶ 私は、本文の原典を参照しえた。なお、ドイツ語訳、英訳もある。
︵32︶ 私は、い客国Φ旨旨ωによって註記されて、一七〇六年にフランクフルト・アム・マインで出された︵新︶版を利用した。
︵33︶ もっとも、彼は、いかにも自然法学者らしく、自然法上は、強制力によりえない、不完全にしか義務づけられない好意に
よる給付︵臣3霧象窪9︶もこれに含まれる、と説く。
第七章 プ・イセン一般州法︵一七九四年︶
1現実の法の勝利f
プロイセン一般州法の地位
諸領邦の分裂と、したがってまたその多様な諸法を前にして、プ・イセン王フリードリッヒ●ヴィルヘルム一世
︵司㎏一Φα㎏一。げ≦、旨Φ巨H弘総。。ー旨β在位一Σい18︶がその国家統一と統一的立法を意図したのは、すでに一七一三年で
あったが、迂余曲折ののち立法事業が完成したのは、ほぼ一世紀後、一七九四年プロイセン一般州法においてであっ
た。したがってまた、本法典の編纂事業が本格的になされたのは、一応、一七八O年スアレツ︵op二〇。畦一9の奉器N
一Nまー一ご。。︶がこれに取り組んでからだといえる︵ミ。§ぎ3ω﹄8中︶。
しからば、この時期に編纂された州法が、われわれの問題についていかなる立法をなしえたか。この点については・
すでに検討してきたところから、おのずと問題点は明らかとなる。
− まず法典の体系については、それがフリードリッヒ大王︵司ユ①母一畠伍震08ρ旨旨1ぐ。。9在位旨81。。ひ︶の意
図する纂主藷墨簾の全袈畢あら倉なら窺ったことを別と鷺ヤ私塗の詫究の問警薯って
いえば、一応二つの立揚がありうる。
第一は、ローマの法学提要に由来するアーペル、ドネルス、オランダの典雅法学者ら、ローマ法的体系家たちの樹
㎞、、の&特①.昌とその発展的護 三尻
一橋大学研究年報 法学研究 3 三二〇
立してきた伝来の普通法の三分類法、すなわち、人事法、物権法、債務法のシェーマである。すでに当時、立法にお
いても、クライットマイル︵囚邑9巨蔓き旨81旨8︶によって作られたバイエルンの一七五六年マクシ、、、リアン民法
典︵Oa賃目環一目注き畠訂く跨言葛9≦包、オーストリーのマリア・テレジアの民法典︵Ω己Φ因↓げ①﹃①の一卑窪ω甘同一ω
o一<一房︶の一七六六年第一草案は、この立揚に従っている︵卑§蟄¢$Rβ・︾昌B﹄・︶。いな、プ・イセンにおいて
も、結局は発効はしなかったが、これらより早く、スアレツの前にコクツェーイ︵ω騨目β①一タ98①劉ま這1く綾︶の
立案したフリードリッヒ法典草案︵即a①9号ωOo壱岳一畦駐牢匡R一〇置旦旨お︸一N旨︶もそうである。
第二は・クリスティアン・ヴォルからさらにプーヘンドルフに遡る普遍法的な体系的自然法学説のシェーマである。
そこでは、債権は物権と独立した体系的構造をもたず、所有権の取得を原始取得と承継取得とに分け、これを中心と
して、機能的観点の下に、その手段的従属的なものとして債権と相続がそれに接合している。
スァレツらの編纂した確定法は、従来の立揚を捨て、結局は第二の自然法学説の体系に従っている。この点には、
本稿では深入りしない。
ロ
2 物権取得法については、グロチウス←プーヘンドルフ←ヴォルフの所有権移転についての合意主義と、古くか
らの伝統的な﹁権原と方式理論﹂いわゆる鼻巳霧11旨&蕊理論との選択が一応問題となろう。後期普通法学とドイ
ツ民法典におけるような形での物権契約理論は、まだこの段階では問題となるまい。
3 右に密接に関連して、われわれの意味での甘の&お旨の採否が問題となる。すでに検討してきたことからも
うかがえるように・冒ω呂3ヨの第二取得者に対する効力の承認は、葺巳霧Hヨa島理論と密接に関連するもので
あった。原因行為によって権原鼻巳蕃が基礎づけられ、それに引渡行為ヨ&臣が附加されることによって物権が
取得されるとして、両者が一連のものとして把えられるところに、第一契約者の葺巳島が、旨a富をも具備した第
二取得者に一定の条件の下に対抗しうるつながりが見出せるからである。とはいえ、この可能性の存在から、当然に、
簿巳島”旨&霧理論をとる以上甘ωa器旨のかかる効力をも承認すぺし、との帰結が論理必然的にでてくるもので
ないことは、いうまでもない。すでにみたように、現に、所有権取得については馨巳ロω目目&塁理論をとることに
ほとんど異論のない早期普通法学説も、それにもかかわらず、ローマ法的体系化に傾くか、現実適合的な態度をとる
かによって、われわれの間題については立場が分れていた。ことは、多分に政策的な問題である。
以下、2、3について、プロイセン州法の立揚を検討しよう。
︵1︶ プロイセン一般州法の制定の一般的精神的基礎については、最近のものとして、コンラートの学会報告と諸学者の討議を
収める、鵠R壁臣9日畳豆①ひq霧凝窪O旨巳一お窪号罫厨窪号魯寓&q8寡ま同畠肩窪駿昌魯浮9①・
︿9一旨O♪む総がある。それ以前の文献も豊富に引用されている。
︵2︶ 従来の通説的立場は、スアレツは、ダルエスを通じてクリスティアン・ヴォルフ学徒であるから、ヴォルフ←プーヘンド
ルフの体系に従った、と解する。、しかし、ティーメはこれに異議を挾む。すなわち、ティーメも右のことを全然否定するわけ
ではないが、それにもかかわらず、次のように主張する。スアレツの文献や手記をみると、そこには、ヴォルフやヴォルフ学
徒ネッテルブラット、ダルエスなどからの引用はほとんどなく、むしろ彼は、現代的慣用︵塁5巨ao目塁︶の諸法律家、
たとえぱ、ライザー、シュトリューク、コクツェーイなどによって自己の議論を支えている。つまり、.彼は、プーヘンドルフ、
ヴォルフの、概念から演繹するいわゆる論証的方法を学生時代に学んだが、法典編纂の時代にはそれから完全に脱却しており、
甘ω呂3旨とその発展的消滅 三二一
学問的にも法政策上も時代とともにあり、むしろ事実から出発する態度をとっている。このことが、彼をして、伝来の・ーマ
一橋大学研究年報 法学研究 3 三二二
法的体系家たちのインスティトゥーチオーネン︵法学提要︶のシェーマと、そして正当にも、訴権体系を捨てさせたのであり、
そして結局は、ヴォルフ、プーヘンドルフのシェーマを採用させることに、より一層大きく関係したのである・と。↓圧o巨P
ψω翫卑びΦω■ま9ま伊轟O一h
なお、切壕§蟄国蒔Φロけρ目の①目≦Φ旨偉ロ山>qω鼠ま昌αq8畠謹“■①首N亘這εの巻末に、啓蒙期自然法以降一九一一年スイ
ス債務法に至るまでの諸法典の体系の一覧表が付されている。
二 物権取得法
聞 プロイセン一般州法は、物権の承継取得に関するかぎり、物権と債権とを体系的に区別して分類することなく、
債権を物権取得の手段としてそれと接合して規定する。そして、この特定物債権を甘ω器8ヨのドイツ語訳勾Φ。耳
国以↓の勢。げ。と名づけ、それが権原目富一だとして、§巳屋”日&臣理論を採用している。すなわち、ー
﹁所有権取得一般、およぴ特にその直接の方式﹂なる標題をもつ第一編第九章は、所有権取得を、無主物先占など
占有獲得を必要とするだけの﹁直接取得﹂と、前所有者の占有交付と新所有者のその受領とを必要とする﹁間接取得﹂
とに分類することと並んで︵㈱斜1ひ︶、取得の方式と権原との用語法を説明する。
一ゆゆ一﹁所有権を取得する外的諸行為を、種々の取得方式︵国暑震ぎ夷緯“誉&自ω8ρ三8&一︶と規定する。﹂
一ゆゆトo﹁右の外的諸行為が所有権を取得するカをもつ法定原因︵碧器欝ぎぼO笙巳︶を、所有権の権原目芭という。﹂
そして、特別の定めのないかぎり︵伽高︶、所有権取得には占有の取得を要する︵伽ω︶、とする。
.一の区別は、所有権取得にかぎられず、物権一般に通じて言えることであるひすなわち、第一編第二章によれば・
その第一二三条で債権℃震器筥罰の一般的定義をし、それに続いて、とくに特定物債権につき、
同卜oゆ一漣﹁かかる債権が特定物の引渡︵03窪︶または譲渡︵Oo白助ぼ信けαq︶を対象にもつとき、それを閑㊦o算国自ω駕ぎ
と、甘の&8日の規定をしたのち、所有権取得の権原と方式について、
という。﹂
ハヨレ
一トo㎝一ω一﹁物権︵園。。辟帥昌。言Φω鈴。げ①︶を取得する行為︵国き巳ロ轟︶または事件︵切紹3窪ぽδを取得方式︵日冬宰
げ信旨磯蜜詳︶という。﹂
一N⑰一〇。鱒﹁右の行為または事件が、右の権利︹”物権︺を取得するカをもつ法定原因を権原︵↓一富一︶という。﹂
と規定する。なおここで、それに続く物権︵一般︶取得の内容をもみておくと、
一N⑰一〇〇〇〇﹁他人の物について物権を取得するには、取得者に先行の因①o犀N瑳oo琴ぽの存在することを要する。﹂
ベルゼ ノリツヘス
一鱒⑰一〇。ら﹁取得方式の附加により物権を生ずる右の債権︵象霧霧需議α巳8冨因9拝︶を、この物権の権原︵目芭︶という・﹂
一鵠⑰一〇。㎝﹁債権的沁o。耳N葭ω8ぽをもつ者に、この権利にもとづきその物の占有が移転されるときは、それにより
その物につき物権が生ずる。﹂
右のことは、所有権についても全く同様である。﹁所有権の間接取得について﹂なる標題をもつ第一編第一〇章は
規定する。
する。﹂
一一〇ゆ一﹁物の所有権の間接取得は、それに必要な権原︵目宕一︶のほかに、その現実の引渡︵&詩ぎ訂d3の茜昌o︶を要
甘§きとその葦的護 ‘ , 三⋮
一橋大学研究年報 法学研究 3 三二四
一一〇伽鱒﹁所有権の間接取得のための右の権原︵艮3一︶は、意思表示、法規、判決︵3&艮9㊦国噌犀自昌9δω︶により基礎
づけられる。﹂
もっとも、例外として、占有によらず登記で物権となる抵当権を予想して、一国ゆ一●。①﹁その対象である物の占有と
結合しない権利は、特別の法規で付与されている場合にのみ、物権の性質をもつ︵臼霊8諭。。︶﹂と断わり書きがある。
以上によれば、州法の物権取得のシェーマは、ほぼ次のようになる。
まず物権取得は、原始取得と承継取得とに分けられる。そして両者を通じて、権原と方式を要するとの拡大された
簿巳臣n目a臣理論が採用されている。先にみたように、蜂匡霧”日&ロω理論をはじめてドイツに定着させた一六
世紀のアーペルにおいては、これは契約にもとづく承継取得にかぎられたのであるが、その後不当にも、物権取得一
般に拡大されるなどの動揺を重ねてきたものであるが、ダルエスもとった後者の立揚が州法には採用され︵ミ盗。塊レ
ψ一8詳︾β旨旨参照︶、その後の学者によって批難されることになるのである。
次に債権は、特定物債権とその他の債権とに分けられ、とくに前者は、甘の&器旨のドイツ語訳国Φ畠9葺の8ぽ
と名づけられる。そして承継取得においては、この因oo犀国9の8富が権原↓算9蜂巳霧 であり、これに方式
日a霧たる占有移転が附加されて物権となる。この、冒ω&器日を債権のうち1正当にもーとりわけ特定物債
権にかぎる用法は、ここでも正にダルエスのそれにほかならない。以上に関するかぎり、不動産につき目&霧を登
︵4︶
記とした点を別とすれぱ、一八一一年オーストリー民法典も同様である。
二 以上につき、念のため二つの点を注意しておこう。
第一は、法規は特定物債権閃o。騨N畦ω8冨を対人権b曾8旨刃と性格づけ、債権の一種と規定しているが、
それにもかかわらず・それが物権取得の手段艮琶であるかぎり、ーそしてまた、物権法定主義をとらない州法に
おいては・ゲヴェーレ法と類似して引渡によりすべて物権となるのであるがーこれを、一九世紀パンデクテン法
学的な思考方法により、物権とするどく対比された純粋債権と理解してはなるまい、ということである。この権原
目琶は、引渡により物権に移転する、物権と分離しえない単一関係として把握されているのである。さればこそ、
人への権利としては規定されず、とくに特定物債権のみは、早期の観念にしたがい﹁物への権利﹂閃.o窪窪.の魯9。
と表現されているのである。もちろん、のちにみるように、次の世紀、一九世紀後半のパンデクテン法学者らが、こ
れを彼らの思考方法によりいかに把握したかは別問題である。また、このようにかなり物権に接近した特殊の性格の
ものとして把えてこそ、次にみるその第三者に対する効力の規定も、さほどの抵抗なく理解することができるであろ
︾つo
第二は、右と密接に関連することであるが、このような性質の閑9窪N霞留畠Φが物権因。o馨”匡良。の騨9①に
強まるための方式目a葛たる占有引渡は、サヴィニi以後現在に至るまで論議されているように、それ自身に物権
移転の意思表示を含む物権契約であるなどという、債権契約かしからざれば物権契約かというような契約的性格のも
のとしては把えられてはいない、ということである。早期普通法学説は、これを﹁事実﹂賄堕。昌旨と呼んできた。し
かし、そのことからまた、法典編纂者がこれを、法律行為とは区別された事実↓即緩8冨と把握したとあえて理解し
ようとするのも・性急にすぎよう。そもそも、﹁法律行為か事実行為か﹂というわれわれになじみの問題の提起の仕方
甘・節αお旨とその発展的消滅 三二五
一橋大学研究年報 法学研究 3 三二六
自体、彼らとはかかわりのないのちの時代の所産であろうからである。法典は、このような問題には何らの関心も示
してはいない︵前掲一N㈱一ω頓㍉一〇伽一参照︶。このことからもわれわれは、第一に述べた閑Φo巨N醇ω8冨の特殊
の地位を、さらに確認することができよう。
じる。そしてまた、この点の知識が、のちに検討しなければならない一八七二年プ・イセン所有権取得法の理解に必
以上は、動産、不動産を通じていえることである。そのほかに、不動産については登記との関係で複雑な問題が生
ホ
要なのであるが、この点は、紛糾をさけるために、本章の末尾で一瞥することにしたい。
︵3︶ なお、債権の定義をした本条に続いて、 HN㈱一舘ー嵩Oに、物権︵α営叩甲o俳菊・ゆ窪象Φの讐oげΦ︶を整理して規定
するように、物権取得理論を説くための布石としての意味をもたされているのである。
しているが、それらは、今日の体系的分類のもとにおける債権・物権と同様に評価されるべきものではなく、本文で次に説明
︵4︶ オーストリーにおける所有権取得理論を、その編纂の過程をもあわせて一瞥しておこう。
一七六六年マリア.テレジアの民法典︵Oa賃一.げ震窃鼠ロ霧︶第一草案は、売買、交換等のような適法な原因にもとづき引
渡がなされることによって所有権は移転する、として、実質上瓜9一塁睦旨&臣理論をとった。
ところが、一七八六年ホルテン︵国o博窪︶とケッセ︵囚o。。。。Φ︶による草案第一部、いわゆるヨゼフ法典︵冒紹℃圧巨8げ9
0①o。9Nび仁畠︶を経て、マルチー二︵竃弩菖巳︶の一七九六年草案、いわゆる西ガリツィーエン法典︵≦Φω品巴獣8ぽω09?
一.げ琴げ︶に至ると、やや異なる。自然法学者マルチー二は、従来の草案のとる・ーマ法的三分類法、すなわち、人事法、物権
法、債務法のシェーマに従いつつも、﹁引渡による所有権取得について﹂と題する第二編第六章で、所有権取得の権原目富一
として、売買その他を要するとの従来の。き鶏理論を捨て、所有権移転それ自体についての合意を要するとの自然法学説を
とり入れ、サヴィニーより半世紀前、ドイツ民法典より一世紀前に、実質上、物権契約理論を規定している、といわれる︵以
上の詳細は、条文をも掲げる肉、9畿ひψ$中参照︶。もっとも、これは意思主義の所産であって、これを後期普通法学説や
ドィッ民法典のそれ と 同 一 視 す る の は 性 急 に す ぎ よ う 。
かわる。こうして、一八一一年オーストリー民法典︵ABGB︶は、次の構成をとる。その体系は、IALRと異なりー
しかし、一七九七年、法制審議会の議長がマルチー二からッァイラi︵NΦ一一一Rし凝一−一〇。卜﹂o。︶に更迭されるや、事態は再ぴ
・ーマの法学提要に由来する普通法学説の三分類法、すなわち、﹁人に関する法﹂く8山oヨ評携o諾目8巨Φ︵H↓虫一︶と﹁物
に関する法﹂︿。昌α。目ωρ。げΦ昌励①。馨①︵目↓Φ一一︶とをまず分け、後者をさらに、﹁物権﹂<自α窪αぼ笹凶昌窪国8犀oロ︵目
↓Φ障一︾げεと﹁債権﹂<。昌q。旨蹄冨α巳δげ窪留9窪↓9耳窪︵目↓o自卜。︾げεとにわけて、物権・債権の分類を、そ
の体系上もとる。所有権取得については、﹁取得の法律上の要件﹂と題して、㈱おO﹁権原↓一8一と法定の取得方式国賊名Rσ亭
昌㎎鶏暮なくしては、いかなる所有権も取得されえない﹂と規定して、プ・イセン州法と同様に、不当にも江け巳墓日ヨoαロの
理論を、承継取得にかぎらず、所有権取得一般に拡大して採用している︵なお、㈱爵軌︶。それに続いて、とりわけ、すでにあ
る人の所有物となっているものの取得、すなわち、所有権の間接取碍につき、その権原↓濤巴は、契約、終意処分・判決・法
規であり︵吻おρ台恥︶、方式、一一。α信のは、動産については原則として引渡︵ゆおα簿︶、不動産については登記︵㈱&一︶だと
し、これと類似の規定を、用益権や担保権についてもおいている︵㈱茸OI蟄・畠OI一︶。そして、権原↓一5一とされている・
三二七
登記や引渡を伴わないたんなる契約にもとづく債権は、1そしてそれのみが 正当にも、これもALRと同様に、ヵ9耳
Nξ留。冨と呼ぱれる︵吻§玉ε。
冒ωp伍おヨとその発展的消滅
一橋大学研究年報 法学研究
三一一八
典編纂における問題 所有権取得につき、薄巨臣“旨a霧理論を選択すること自体には、さほど困難はなか
一一一因8巨国霞ω蓼匿の第三者に対する効力の承認
3
も同じく図Φ。窪讐巳の8ぼと名づける一八一一年オーストリー民法典も、この点については否定的立場を示してい
的旨れを否定してい艶・先壕たように物叢得理麹害州法とほとん高藩盛とり、特定物債権を.一れ
鼻ψ象︾けヨ・旨︶。州法よりはのちのものではあるが、同じくオーストリーのマルチー二の一七九六年草案も、明示
系的分類、をとったこととも関係したのであろうか、とくに売買契約等にこのような効力を付与してはいない︵bご噛、§,
かかわらず、・ーマの法学提要ーアーペルに遡る早期普通法学のインスティトゥチオーネン体系、物権と債権の体
他方、立法例としては、オーストリーの一七六六年テレジア民法典第一草案は、蜂巳にの目旨。含。理論を採用したにも
は想像に難くない。そしてまた、ダルエスは、積極説をとりつつ、これを体系的分類に組入れたのであった。しかし
件にこれを肯定しつづけてきていた。彼らの実務にもつ影響力を考えるとき、実務も後者をとっていたであろうこと
よリコメンタトーレンの創造した廃罷事実訴権ゆ9δ旨貯09B話εB8ユ騨を受けついで、第二取得者の悪意を要
に密着し現実適合的な立揚をとる﹁現代的慣用﹂の諸学者は、ローマ法のいわゆる8江。b即β自卑昌節の誤解.歪曲に
実務とはかかわりのない人文主義的な、あるいは論理演繹的なローマ法的体系家たちはこれを否定してきたし、実務
取得者に対する効力を承認するか否かの問題は、当時、立法政策上、かなり困難な点であった。すでにみたように、
った・しかしさらに・その権原艮邑たる契約にもとづく特定物償権因8誉凶畦留呂Φに、悪意を条件にぞの第二
一 ︵6︶
る。
州法の編纂のときにも、当然議論があった。・しかも、ここで注目すぺきことは、法典編纂の主宰者であり民法部門
の責任者であるスアレツは、むしろかかる効力の承認には反対であった、ということである。自己の主張を多数決で
ベルゼドノリツヘス
否決された彼は、法律顧問らの改訂お丘臨o目o艮8旨目で言う。﹁二人の人が同一物への対人的閃①。匡N畦の8富
をもち、そしてその一人に、占有移転その他適法な方法により取得される冒ω冨亀のがさらに加わるときは、その者
がより強いことは争いの余地がない。何がゆえに、ある人が他の人の甘の器8日を知っていることが、対人的男Φ−
。窪N自ω暮富が物権︵象轟。刃︶の取得によって強まるのを妨げるのか、についてのいかなる独自的な法律的根拠
も挙げられてはいない。甲が自分の時計を乙と丙とに質入することを約束していた。丙は乙に時計についての自分の
閑。。窪N葺の8富を知らせてあった。それにもかかわらず乙は、債務者に引渡を要求し、それを受取った。このよう
な揚合を考えてみよう。そのとき、乙は丙に賠償を義務づけられるべきであろうか?﹂と。そしてさらに、﹁民衆男偉,
︵7︶
げ一一窪日もきっとそれに馴れているだろう﹂という理由をも付した。
ここで二つのことが指摘できょう。すなわち、スアレツは、ヴォルフ学徒ダルエスの弟子ではあったが、それにも
かかわらず、第一に、理論上は、彼らの立揚を越えて、純粋の・iマ法的門近代法的な物権・債権理論を強く意識し
ていた、ということであり、第二に、実際上、彼の考慮にあったのは、債務者の第一契約者に対する背信を重視して
第一契約者の絶対的貫徹を期したグロチウス、プーヘンドルフ、ヴォルフなどの自然法学説とは全く逆に、取引にお
ける第二の競合債権者の自由競争の承認という、すぐれて近代的な志向であった、ということである。
甘の&器旨とその発展的消滅 三二九
一橋大学研究年報 法学研究 3 三三〇
それにもかかわらず、スアレツの立揚は州法では貫徹されえなかった。実務から浮き上った・ーマ法的体系学をで
はなく、カズイスティークではあっても、健全な自然理性、国情、現実に通用している判例や地方法を顧慮すべき上
からの要請と、それに即応する多くの立法関与者の心情が、結局はここでも勝を制した、と解するほかはないであろ
う。それにしても、州法の閃Φo匡N畦留。冨の第三者に対する効力の承認は、すでにその制定のときからスアレツ
のような有力者の反対の中に問題を残しつつ出発した制度であったことは、注目すべきである。
二 法典の構成 こうして、州法は次のように規定する。
まず所有権について。﹁所有権の間接取得について﹂と題する第一編第一〇章は次の四つの部分に分けられる。8
﹁間接取得一般について﹂︵㈱一中︶、目﹁特に不動産所有権の間接取得について﹂︵客中︶、国﹁特に動産所有権の間接
取得について﹂︵㈱N一中︶、そして最後に、四﹁善意の欠如は所有権取得を妨げる﹂︵㈱Nξ・︶である。われわれの国。o窪
国葺留畠Φの第三者に対する効力の承認は、この㈲に善意取得制度と並んで規定されている。まず、その第二四条
﹁自己の権原艮邑の由来せる者︹前主︺が真の所有者でないことを知る者は、引渡により所有権を取得することは
できない﹂に引き続いて、われわれの問題につき規定する。
一一〇⑰謡﹁引渡のときに、それより早く成立した他人の権原︵良邑︶︹の存在︺を知る者もまた、その者の不
利益においてより早くなされた引渡を主張することはできない。﹂
その条文の排列上、明らかに﹁所有権﹂の間接取得のみに関する右の規定は、さらに、﹁他人の所有物への物権な
らびに対人権一般について﹂と題する第一編第一九章で、一般的に補充される。すなわち、まず因8算N自留呂①
の原則的な効力について規定したのち、例外として次σようにいう。
︵ 8 ︶
一一㊤⑰㎝﹁しかし、右の占有取得者は、すでにその占有取得のときにその物につき取得された他人の対人権
︹の存在︺を知っていたときは、右の引渡によって生じた自己の物権を後者に対し主張丁ることはできない。﹂
一一頓⑰①﹁むしろ、両者のうちのいずれに占有の移譲により物権は付与されるべきか、という問題は、彼らの
間では、ただ、彼ら双方の対人的国oo窪国畦留魯Φの事情︵閃①8富崩窪冨5により決定されねばならない。﹂
三 法的性格 われわれは先に、占有移転により物権となる権原康琶としての因①。騨讐憎ω8冨は、形式上は
対人権とされているが、現代のわれわれの観念する純粋の債権と考えるべきではあるまい、と述べておいた。ところ
でさらに、国o。まN霞留。ぽの右のような第二取得者に対する効力を、いかに理解すべきであろうか。
1 これについては、その他の諸効力の確認もかねて、まず、一九世紀後半の諸学説をみておこう。
チーバースは、その﹃現実執行と債権﹄︵一八六六年︶において、特定物債権が物それ自体への現実執行を承認され
ていることに着目して、その特殊の性質を強調し、そのことから、その第三者に対する効力を基礎づけようとする。
それはこうである。古典期・iマ法では、債権〇三蒔彗δは特定物債権もその他の債権も、金銭賠償によって債務者
の行為を間接的に強制しうるものにすぎなかった。したがってそこでは、債権は債務者の行為を要求する権利だとい
ヤ ヤ
うことが完全に妥当した。つまり、債務者は、罰金や債務拘留に耐え抜いて、第三者に自らの意思・行為により再譲
渡する自由をいぜんとして持ちうるわけである。しかるに今や、特定物債権は、債務者の意思を無視して、有無をい
わさず物自体を強制的に差押え取上げることのできる権利となっている。すなわち、かつての行為を要求する債権は、
甘ω呂お目とその発展的消滅 三三一
扁大学研葦報法学研究5 三三二
いまや二つ雰嚢る﹄つは、債務者の肉体的精神的活動の不可委純粋のなす︵断帥.。・.︶債務であり、他は、債
務者の行為は裂的嚢竃つにすぎず、その妻志向は物そ琶体の支配嵩けられるあである.後者はいまや、
意思への権利寄げ§穿亀一一亘意思への執行旨邑⋮・団§馨Φ昌ではなく、物への執富図Φ.一一け一。ロ
暫焦象Φの8ぽをなしうるものとなっているのである。これはもはや、ローマ法的な債権。σ一蒔即江。の定義とは矛眉
するものである。すなわち、それは、物への力関係をもつから物権閃9げ紳臼鼠象①の騨号①”良ロ堕界となっているの
である。ただ、本来の物権はすべての人に対して主張されうるがゆえに絶対的物権であるに対し、これは、特定の人
に対してのみ主張義うるか畠対的物権菩け言長旨影&である、という違いがあるだけである。だから、
州法の穿寄霧器は£とえ債肇基礎髪ってぢ、その内容は彊露または引渡け・餌αΦ.Φにすぎな
いとしても・相対的物権である・ヴィントシヤイト・乞頂点とする蓼説は賃借権農務者の意思を媒介するから債権
だというが、債務者の媒介意思の無意味となっているここで、そのようなことがいえるであろうか。債務者の意思を
裁判所が補充しているのであり意思茱警なっているのでは奮、との予想える反論は、擬制にすぎない.
このような立論を基礎に、彼は、その第三者に対する効力に議論を発展させる。物自体への現実執行の否定された
・ーマ法では、第一契約を認識して二重譲渡を受けた第二取得者も、信義上は好ましくないとしても、決して債務者
の§毘関与した権利塁暑とはみな義え奮.たとえ彼叢得しなかったとしても、笙契約者がはたして
物を取得しえ奈否かは・霧者の意思次第黍らである.そこでは、第最得者の取得窯が懸では奮、債務
者の・篁契約蒼給付すまいとの意思難が、本質的な点である.しかるに現実執行の承認されている.︼.︸では、
馬
債務者の意思は本質的ではなく、第二取得者の取得によってはじめて、第一契約者の権利侵害が可能となる。したが
ってここでは、第二契約者による他人の権利の認識ある侵害は3ぼωとなる。αo一岳によって権利を取得することは
できないのである。こうして彼は、州法の右にみた諸規定を、のちにみるレンツの主張するように特別の”道徳的原
則”や”公平という耐えがたい暴政”ではなく、契約だけで現実執行をなしうることからくる当然の結論にすぎない、
と主張するのである。
ついで彼は、州法にかぎらず、普通法としても妥当させるべき国8騨国母の8冨の検討に入る。われわれに関連
することを拾い上げると、日特定物を対象にもつこと。口質権︵国き母9辟︶以外は特定物に関するすぺての契約に
可能なこと。国抵触する幻Φ。騨N畦ω8冨の存在の認識の時点については、州法では争われているが、第二の契約
締結当時を標準とすぺきである。その後の引渡の時ではない。︵bミ&ミ箏冨ぼげ﹂・ψ潟一も同旨︶㈲悪意第三者の
取得する権利は、それにもかかわらず絶対的物権であり、ただ第一の国①。馨国畦の8ぽを自らに対して貫徹させな
けれぱならない、というだけである。だから、その貫徹までは、第二取得者はこれを善意の第三者に完全な所有権者
として取消し得ざる譲渡をすることができる。国第一の幻8耳国畦ω8ぽから生ずる第二取得者に対する訴権は、
対物訴権である。買主訴権︵8ぎΦ菖εでもなく、両当事者間に何の債権的関係もない以上債権的訴権でもないか
らである。つまり、器一くぎ象8試o器一暮貯夢8鳶9ω9貯8一諄一毒とでもいうことになるであろう。もっとも、この
非ローマ法的性質のものをあえて・iマ法の体系に組み入れようとする必要はない。因物が第三者により売主から盗
まれ、.あるいは殿損されるときは、閑Φ。耳N弩ω8ぽの権利者は、自己固有の盗みの返還請求権8ロ象&o協畦菖奉
甘の蟄山㎏。巨とその発展的消滅 三三三
一橋大学研究年報 法学研究 3 三三四
や損害賠償請求権8江○一Φ讐ω>ρ巳一一器をもたない。売主が第三者に対して所有権者でありつづけるし、菊o。窪国自
留&oは二重契約による権利侵害に対してのみ作用するのである。因破産の揚合は、売主からの取戻権を有せず、た
だ清算手続に加入しうるだけである、等々︵軸§ミ夢ψ鴇。IN猛︶。彼の主張に全面的に従うことはできないとしても、
ここには、きわめて注目すべき卓見がある。しかし、彼の主張は、当時のローマ法的普通法学の体系家たちにとって、
サヴィニi学徒として、州法を後期普通法学の立揚から加工したフェルスターは、・ーマ法的債権概念を維持しよ
受け入れられる筈もなかった。
うとして次のように主張する。菊Φ99彗の8ぽは債権としてのみ作用する。チーバースは現実執行の問題を云云す
るが、しかし、特定物債権者は直ちにその物を獲得する権利をもつのではない。現実執行は、そうではなくて、裁判
官、執行吏が物を差押えて交付することによって、はじめて、債権者は取得しうるにすぎないものである。債務者の
交付の意思を、裁判官が補充するのである。これを擬制と批難すべきではない。法規は強制執行法においては補充さ
れた意思を、しばしぱ債務者の意思とみなしているのである。強制執行の段階は例外的なものである。それから、権
利の性質を推論することはできない。そこには、既判力ある判決という重要なモメントが介在している。それによっ
て当事者双方の法律関係は、それ以後債務者は欲しなければならない、いなむしろ彼の意思は考慮にのぽらない、と
いうふうに変えられてしまうのである。これがもし、相対的にであれ物権だとしたら、債務者破産の揚合にも物権と
して通用しなくてはなるまい、と︵国.箋§下肉8帖竃義・ψ旨。。﹂員ψ象・︶。両者の議論は、われわれの自然債務をめぐ
る論議を想起させるものがあるが、それはともかく、フ.一ルスターにおいては、当時の普通法学説に従い・ーマ法的
債権慨念をすべての債権に劃一的に妥当せしめようとの配慮が強く働いていることは否定しえない。
他方、フックスは、チーバースが現実執行に着目したこと、および州法の男①。犀N瑛ω8ぽを物への﹁直接支配
性﹂をもつとした.︸とには賛成した。ただ、物権性のメルクマールは物の直接支配性にではなく、万人に対する﹁絶
対性﹂にあるとの概念墾の立禁ら、結論的にはチーバムの物権としての把醤反対菱・シ・トッ註・認識
ある第二取得者に対してのみ主張しうるという理由で、債権、しかも第三者に対して効力ある債権、と規定し︵ぎ§・
同戸ψ一ま︶、デレンブルクも、それが・ーマ法の見知らぬドイツ法の観念にもとづく法形成物であることを認めつつ
も、第二取得者に対してのみ、しかも認識を条件として主張しうるものであること、およぴ、債務者破産の揚合に他
の債権者に対するいかなる優先権も存しないことを理由として、対人訴権だと主張する︵詳馨窃ミ笹需ぼ¢Hψ爵。︶。
これらの主張には、異議を挾みうる余地は大いにあろう。しかしそのことを検討するのは、ここでの目的ではない。
それについてここで注意すべきは、彼らの把握には、州法より後の時代の後期普通法学による色づけがなされている、
ということである。それは、一九世紀後半の普通法学全盛時代における実用法学の進展として、それなりの意味をも
ちえたであろう。しかし、こ.︶でのさしあたりの問題は、彼らの主張からうかがえる国Φo馨国弩の8ぽの諸効力と、
先にみた法典の構成とから、州法の制定当時のありのままの姿を確認しておくことである。
2 法規は、第二占有取得者は、﹁より早くなされた引渡を主張することはできない﹂犀き昌⋮q訂韻筈。三93ミや
。詳§・§︵H一〇ゆ田︶、﹁物権を主張することはできない﹂蚕昌昌−虫&器言霧α弩畠9⑦6竃茜呂○魯駐3呂Φロ窪qぎ−
αq一一畠窪園8耳霧鳴αQ曾−三。鐸縛野§§︵一G窟︶と規定する。この妃ミ防魯§。q§や巴9制&帆§§というあいまい
︺一一ω卑含q。β一とその発展的消滅 , 三三五
一橋大学研究年報 法学研究 3 三三六
な表現は、ライザーの9声良ぎ巴9昌弩&題辞ρ葺器日β器巴畦区津麩亀臨貯目属o菖δの跨目霧8。。。霊︵第六章三
の一7およぴ同所註18参照︶を想起させるものがあるが、コメンタトーレンや現代的慣用の法律家たちはこれを鎖9δ
ぎ壁。言ヨおく8緯曾蜜と名づけるだけで、一応は債権とするのではあろうが、その法的性格を詳細には検討していな
い。州法の法形成物も、右の表現自体からは必ずしも明らかでない。しかし少なくとも、債権の特殊のカテ、コリーと
していること、物権取得につき薄巳疹“日a霧理論を採用していることからして、占有を取得していない第一契約
者の因o。窪国彗留昌Φはわれわれの観念する物権ではありえず、それは1前述のように純粋のではないにせよ1
一応債権であることは疑いない。 ﹁対人的﹂という条文の表現、第二取得者以外の一般第三者に対しては何らの主張
もしえないこと、および破産におけるその取扱も、このことを裏書する。
しからば、第二占有取得者は物権を取得するか。右にみた諸学説はこれを肯定する。物権と債権の体系的区別を固
守する後期普通法学の立揚からは、当然の構成であろう。しかし法典自体の構成は、必ずしもそうではない。所有権
に関する前掲Hε留軌は、第二占有取得者は物権取得の方式旨a臣たる﹁引渡﹂dσ①韻魯Φ自体を主張できない、
と規定する。したがって、引渡の上にのみ可能な物権取得者であることの主張もなしえないことになろう。しかもそ
れは、﹁善意の欠如は所有権取得を妨げる﹂一規定として、完全な無権利者からの善意取得の規定と並んでおかれてい
る。っまり、スァレツの物権・債権についてのローマ法的理論の貫徹に反対した多数の立法関与者の意識は、まだ中
世ドイツ法的な観念を脱却しきってはいず、物権と債権は質的には区別されていず、量的段階的な間題であり、第一
契約ピよりすでに物自体についての処分制限が課せられ、これを侵してなされる第二取得の性格は、完全な無権利者
からの善意取得ともたんなる量的差異にすぎない、と把握されていたと理解すべきであろう。このような理解はまた、
物権一般についての前掲H一。紹獅ひとも矛盾しない。そこでは﹁引渡﹂をではなく、﹁引渡によって生じた物権﹂
を主張しえない︵㈱ω︶、と表現しているが、少くとも両者間では、引渡や物権取得は問題とならず、それ以前の双方
の園Φ。窪国畦ω蓼冨の次元で決定すぺきものとされているのである︵㈱ひ︶。これを要するに、法典の規定ならぴに構
成によれば、悪意の第二取得者の取得しうる権利は、第一契約者に対しては物権ではなく、せいぜい、いわゆる関係
的所有権的なものを認めうる余地が考えられうるだけである。逆にいえば、第一契約者の有する菊o昌9畦留9①は、
悪意の第二取得者の物権取得それ自体を否定しうる、という構成なのである。
以上の州法の構成の明確な認識は、物権と債権を峻別したドイツ民法典の下における法形成との比較にあたって、
きわめて重要なものとなろう。現に、すでに一九世紀中葉、州法におけるフェルスターのように、オーストリー民法
典を後期普通学の立揚で検討しそこえ高めたパンデクテン法学者ウンガーは、﹃オーストリー一般私法体系﹄︵第一巻一
八五六年︶において、次のように主張しているのである。債権は債務者のみに対する要求権であり、債務者以外の第
三者には何の効力もない。だから、第三者による債権侵害ということはありえないし、二重売買の揚合、物が第二買
主に引渡されその者が所有権者となれぱ、第一買主は無権利者となった債務者に対する損害賠償を請求しうるだけで
ある。その際、第二買主の善意や悪意は問題とならない。いな、むしろ第一買主と第二買主との抵触というア︼と自体、
起りえないのである、と︵簿Qミ讐H一ψ象謡・ひ撃︶Q
ホホ
それはのちのこととして、さしあたりわれわれは、州法に続く学説と立法との進展を、跡づけなければならない。
冒の呂おヨとその発展的消滅 三三七
一橋大学研究年報 法学研究 3 三三八
︵5︶ マルチー二の一七九六年草案第二編第六章第九条﹁所有権者が、右の動産を二人の人に、しかも第一のものには引渡なく、
第二のものにはしかし引渡を伴って、譲渡したときは、現実の所持者がつねに︵aδ目毘︶優先︵<8豊の︶する。しかし、両
者のいずれも現実の引渡を取得していなけれぱ、第一取得者が彼の優先権︵<o畦Φo馨︶を主張すべきである。つねにしかし、
右の所有権者は、彼が約束を守らなかったものに対し責を負う。﹂︵bO、§鼻¢総hによる︶
︵6︶ ABGB第四三〇条﹁所有権者が、同一動産を二人の異なった人に、一方には引渡を伴い、他方にはそれを伴わずに譲渡
したときは、その物は、最初に引渡を受けた者に帰属する。ただし、所有権者は侵害された側に責を負う。﹂本条の所有権者
国戯窪呂筥胃という表現は、その後学説により、譲渡人<①蝕ロ詔参ツd3①茜o富↓の意味に解すぺし、とされている。なお、
シュスター︵ω&βのけ震︶、ニッペル︵2首℃9︶は、本条は第二取得者が、第一の債権を知らなかったときにのみ適用される、
と主張して悪意者を除こうとしたが、オーストリーの支配的学説は、かかる見解を批難する︵国。誉9醤ざ¢軍参照︶。不動産
については、先に登記したものが優先する、との同旨の規定がある︵㈱茸O︶。なお、この制度についてではないが、有償取得
者の無償取得者に対する優越が処々にみえるのは︵㈱鴇ρゆまNなど︶、中世理論の名残りと公平の観念の混溝の所産であろ
うか。
︵7︶Q霧鉢§卜§“ooξ象窪巷α囚馨涛Φp冒OΦび一9自8肩。島一ω9。pa巨の99ロ&幽。葺ω。げ窪閑。。窪のる邑駿乏巴︵一
一〇〇恥ざ幹8い︵Qミ鼻鼻ψひ8による︶
︵8︶ H一℃伽N﹁他人の物への対人権︵b巽8巳8げΦ幻8げ審慧Φぎ實坤Φ筥α窪貯。ぎ︶は、その物がなお対人的義務負担者に
占有されているかぎりでのみ、その物への効力を有する。﹂
H一〇㎝い﹁ある人にたんなる対人権の属した物が第三者に譲渡され、かつ後者が前占有者の対人的義務を引受けなかったとき
億、その対人的権限者は、原則として、彼の債務者に対してのみ損害賠償を請求することができる。﹂
伽“﹁それゆえ、二人以上の者が同一物につきその占有者から対人権を取得したときは、たしかに、自已の対人権を占有
甘のやαお日とその発展的消滅 三三九
啓蒙主義的専制国家の警察的後見的機能を果たすぺき、菖9一島についての﹁実質的審査主義﹂に服するものであり、かつ不
権で登記すぺき﹁強制的名義更正﹂義務である︵図さ㈱旨1一分一ぞ言浮爵魯oa・‘旨o。甜↓霊Nゆお︶。しかも登記手続は、
この両者の分裂を弥縫せんとするものが、引渡による新所有権者の﹁登記強制主義﹂であり、その遅滞の揚合、裁判官が職
するものは、善意取得により保護されるにすぎない、とするのである。
すなわち、法自ら、自然的所有権者と市民的所有権者との分裂を予想し、その揚合は前者が真の所有者であり、後者と契約を
真の所有権者でないア︼とを知っている揚合には、後者︹真の所有権者︺の不利益において、権利を取得することはできない。﹂
かも法は、必ずしも後者を優先させているわけではない。H5㈱ち ﹁登記済占有者と該不動産につき契約した者が、前者が
所有権﹂轟呂島昌①田鴨暮9目と、登記による﹁市民的所有権﹂σ辞鴨注昌①鯉鴨暮ビ目との二種の所有権が生ずる。し
その所有権を抵当登記簿に登記しなければならない。﹂ここに、州法においては、いわゆる引渡によって取得される﹁自然的
抵当権の設定をする揚合には、結局所有権の登記が必要となるからである。H一〇留﹁土地に関し裁判上の処分をする者は、
る。﹂この登記制度を実際上必要とするのは、その前提として、引渡によって所有権は取得されるが、引渡とはかかわりのない
ヤ も ヤ
﹁抵当登記簿に登記された占有者は、該不動産につき第三者と締結されたすべての契約において、その所有権者とみなされ
て取得された︵H一〇㈱一︶。これが原則である。しかるに州法は、これと並んで、登記による所有権取得を規定する。H5伽刈
先にみたように、所有権は、動産、不動産を間わず、原因。器器としてのユ9一岳にもとづき、引渡がなされることによっ
* プロイセン一般州法における登記と引渡との二重所有権
︵9︶輿、§穿一U器≦Φの害αRUぎαQ嵩。拝o一“一。。。。Pω㍉O鵠■Σ●
移転により物権にした者が、他の者を排除する。﹂
一
一橋大学研究年報 法学研究 3 三四〇
正の登記が行われれば登記官吏は賠償義務を負わされたので、登記手続は著しく遅滞した︵ア︾の点は、すでにわが国でもしば
しば紹介されている︶。
以上が、ほぼ一七九四年州法制定当時の姿である。ここでさらに、一八七二年所有権取得法に至るまでの法状態を一瞥して
おこう。
しかし、すでに一八〇五年には、強制的名義更正はいったん廃止された。﹁国家の利益それ自身は、登記名義の更正の絶対
的強制を資格づけうるには、あまりにかけ離れている﹂というのである。しかしそれもわずか五年で、一八一〇年には再ぴ復
活された。それでは占有名義の更正は期待しえず、公共の福祉とよき秩序とは強制的名義更正の再導入を必要とする、という
のである。ついで、一八二一年四月⋮二日法を経て、ついに、一八三一年一〇月三一日政令で、最終的に廃止された。占有者
または権利者によって要求されないかぎり、国家が介入するのは余計なことであり、裁判所の登記への関与は、占有者、抵当
権者、その他の権利者の申請のある揚合に限られれば足る、というのである。これは、いうまでもなく、州法の後見的監督的
その分裂を激化し、しかも結果的には、登記主義の後退と引渡主義の貫徹という逆行的傾向を惹起してしまったア︼とを見落し
規制に対し、経済的自由主義の勝利を意味するが、しかしながら、二種類の所有権を存置したままでの登記強制主義の廃止は、
てはならない。すなわち、1
右の数次にわたる法の改廃にもまれつつ、最高法院判例は、前記一八三一年政令ののちにも、前掲H一〇伽一︸目一〇伽ざ=o
惚oの諸関係につき、ある部は引渡により所有権は取得されるとし、他の部は登記によるとして動揺し、結局、連合部判決で、
引渡による、と確定した。﹁自然占有している所有権者のみが、その不動産をさらに譲渡することができる。けだし、彼のみ
が、それを右取得者に引渡しうるから。これに反し、引渡を受けず登記のみの所有権者は、そのために占有が必要とされない
かぎりで、その不動産に負担を負わせるすぺての他の契約を、善意の第三者と取消されることなく締結しうる﹂にすぎない、
というのである。結局、二つの所有権が二人の人に分裂しているときは、登記による所有権は、抵当権の善意取得を認容する
根拠となりうるにすぎない、とされたのである。したがってまた、支配的な判例の立揚は、登記による所有権は、それだけで
は所有権訴権をもたず、真の所有権者からの引渡による取得の証明をも要求する、という態度をとっていた。
このような弊害の除去の方法は二つある。ボルネマンは、当時︵一八三四年︶、次のように主張した。﹁個人の無制限の自由
を支持する者は、上述の政令︹一八三一年の︺に満腔の賛意を表するであろう。だが、一八〇五年から一八一〇年まで、そし
て現在なめている経験は、州法と抵当権令︹一七八三年の︺の規定の回復を要請するものがある﹂、と言って、種々の弊害の実
例を挙げたのち、国家は、その国民︵ゆ位茜9︶が必要な洞察を得るまで、彼らの利益のために関与すぺきである、と︵窪馨−
①§§♂戸ψ80田ご。他方、このような州法のもっとも有力な代表者の、いわば後向きの弥縫策の主張に抗して、パンデ
権取得の廃止により、登記一本主義をとること、そして州法のそれにまつわる種々のカズイステイークをも整除することを意
クテン学者は、当時高まった自由主義思潮と結ぴついて、二つの所有権という分裂の根本的解決、すなわち、引渡による所有
図した。それが、正にのちにみる一八七二年プ・イセン所有権取得法制定の大きな理由の一つであったのである。︵以上は、
主として駒﹃§蟄の・o。刈中”零ご切画“3ψ8卑︸眠§還噂ψ8卑脚切ミ蓉醤9醤爵ψN鴇Rによる。なお、寒魯ミ9§ド目紳
ψNま内●︶
** フランスにおける冒ω鯵山3日
その法史学的な起源の研究状況については、先に簡単にふれておいた。結局、ドイツにおけると異ならない。
しかし、フランスにおいては、冒の&3ヨという用語は特殊の発展を遂げている。まず、レーン法における冒の&器召
の用語の案出者と目されてきたヤコブス・デ・ラヴァニス冒8げ臣留幻騨奉巳ωと彼の学派は、前述のように、南フランス
のトゥールーズに拠をかまえたのであり、教会法学におけるこの用語の最初の使用者デュランテイスuξ暫暮銃およぴ、右の
甘ω&8目とその発展的消滅 三四一
一橋大学研究年報 法学研究 3 三四二
用語を最初に教会立法に定着させた=げ9の鼠9のの編纂者の一人もアランス人であったことが注目されるが︵寒璽ミ§鏡の
一一〇。q︶、ヴィオレは、この用語は教会法学者からでてフランス法にとり入れられた、と主張している︵凝。§鉢一臼幹9H。身
母o詳9≦一呼卑月巴ω︸這O鈎¢誘Oなお、野田﹁フランス法概論﹂上1一七三頁も︶。もっとも、ブリソードは、前に検討し
たブリュネック、ホイスラー、ランズベルクの諸著書を引用し、この用語の案出者は教会法学者ではなく、それより早くヤコ
プス・デ・ラヴァニスによる、としているから、そのフランス法についての影響も、ヴィオレと同じ立揚をとるかは問題であ
る︵切試恥旨&︸㈱卜D葛︶。おそらく、ドイツにおけると同様、議論のありうるところであろう。
ところで、一四、五世紀のフランスの慣習法では、甘ω呂お日という用語は、所有権を冒の嘗おと呼ぶことに対応して、
他物権としての用益権霧鼠H菖けなど、より弱い物権母9葺診=嘗爾δ霞を意味するものとして用いられている︵切蕊跨ミ8
一玄“ミミ無し三貸参照︶。
一八世紀から一九世紀はじめにかけては、この用語は市民法学者によってしばしば用いられている。しかしそれは、ドイツ
の学者やオーストリー民法典にみられるように、特定物債権を意味するものにすぎなかった、といわれる︵ミ隠﹃尊,切§ぎε璽
eどP。ひひざ切試防旨&し玄山・︶。実際、ポチーエは一八〇七年に次のように述べている。﹁取引における物につき二つの種類
の権利が考えられる。すなわち、一霧ぎおと呼ばれるところの、われわれがある物の中にもつ権利と、一臣区お目と呼ば
れるところの、われわれが物につきもつ権利である。⋮⋮甘ω&8巨は、その物︹の中︺にではなくして、その物に関して
われわれが、契約者に対してわれわれにその物を給付する〇三蒔暮一8をもつ権利である。それは、oげ一蒔暮一9を生ずるも
のであり、oげ凝暮一8の契約者ないしその相続人に対してわれわれがもっている8ぎ需拐8鉱。に存するにすぎない。﹂
︵ぎ§舞↓βま含昏。一け身αo目p巨①自。駿εユひけρ霊器”︵一。。・N︶け。一︶
そして現在では、特定物債権についてもこの表現は用いられなくなり、古い文献に認めうるにすぎなくなった、といわれる
わけである︵肉膏ミ㍗鳴§蜘§饗3一謡自、︶。
最後に一言注意しておくと、ドイツ法系の学者は、しばしばフランス民法二四一条を引用して、フランス民法典も、動産
については、プロイセン州法におけるような第二取得者に対しても効力のある甘の&8目を採用している、あるいはその思
想をとり入れている、と主張している︵勲&翼一戸ψ一器︾β旨﹂卸象恥蕃辞月ψ密o︾昌500唄曇§ド幹践︶。動産
については所有権と占有との区別が必ずしも明確ではなく、したがって引渡主義がとられていたと主張されうる余地のあるフ
ランス古法の名残りとしての歴史的な理解としては、一応共通点もないではない。しかし現在では、所有権取得につき引渡主
意だけで完全な所有権を取得し︵一ニニ八条︶、したがって第二取得者は無権利者から占有を取得することになるから、一一
義をとるプロイセン州法と異なり、一般的な理解によれぱ、フランス民法においては、ドイツでいわゆる葺巳臣にあたる合
四一条は、二二七九条の特別規定として、二重譲渡における善意取得制度を規定して、取引の安全を図ろうとするものだと解
されるに至っている︵詣膏ミ㍗bd。蕊§鷺3壁鯨昌。・認$露ヨ康ミ§§軸還”ρρβ。。。旨N9ω・︶。その現在の法律構成は、ド
イツにおけると全然異なるものであることを見落してはならない。
第八章 プ・イセン所有権取得法︵天七二年︶
ー後期ドイツ普通法学の勝利1
一九世紀に入ると、事態は逆転する。普通法学全盛時代となり、州法の立揚は圧倒される。
州法の悲劇は、学問的にみるときは、ボルネマン︵項出ぎぎぎ匹o旨き・一ぢ。QI一〇。摯︶の研究︵文献略記表参照︶に続
いて、その独自の体系の創造に志したものがその後一人も出なかったことであろう。プ・イセンにより新設されたべ
冒¢暫自お旨とその発展的消滅 三四三
一橋大学研究年報 法学研究 3 三四四
ルリン大学ではじめて州法の講義をもったサヴィニーは、﹁一般州法は、周知のように全然新しい法を形成せず、ただ
古い法の上に築かれただけである。それは、たんに実務写鶏δのために作られただけであって、学間↓ぽoユ。にと
っては何の意味も持つべきではなかった﹂と批難して、それを内面的にではなく、・ーマ法︵的普通法︶との比較に
おいて説いただけであったし︵§蔚壽︸ψ占一︶、その後プ・イセン私法の体系書を書いたフェルスタi、デレンブル
クも、周知のように、あくまでも普通法学の立揚で州法を検討したにすぎない。こうして、州法は、実務家的著作の
なかにはその擁護者も見出されるが、歴史法学の台頭、明快なパンデクテン体系学の完成という後期普通法学の進出
の前に色あせたものとなっていく。加うるに、市民社会の成立、自由という時代思潮、経済的自由放任主義も、警察
的後見的な啓蒙専制主義の基礎に立つ州法の土台そのものをゆるがし、抽象的概念的なパンデクテン法学と結びつく
ものであった。さらには、州法制定当時からの固有の領土には州法が適用されたが、たとえば、一八一五年併合され
たラインラントにはフランス民法典Oo留含≦一が適用され続けたし、また、ハンノーヴァi、メクレンブルク等々
︵1︶
のかなり広大な地域には、特別法で排除されないかぎり普通法が通用したという法の分裂の状勢も、その統一のため
に、支配的となった普通法学説による立法に味方した。
以下、一八七二年プロイセン所有権取得法︵U霧冥窪臼8富O①器9ρげR号け田αq撃葺霧曾≦①吾言α象Φ良ロ、
富国巴霧9轟αRO旨呂の岳o冨く﹄、竃践一〇。認︶による閑039畦の8富の廃止の位置づけを知るために、ま
かるのちに所有権取得法を検討し、さらにそこに残された問題をたずねることにしよう。
ず、右の所有権取得法の理論的基礎づけをした一九世紀ドイツ普通法学の成果と、その社会経済的基礎を一瞥し、し
ひq
︵1︶
に、
嫡誉ミ魯ψ8Q。て・・ッタイス法制史三五七ー八頁。なお、笥瀬短§驚菖国δ8巳厨oげR
一九〇〇年までのドイツ諸領邦の法の分裂が地図で示されている。
パンデクテン法学の完成
のoげβ一−︾二器︸軌O︾偉中ψ一〇刈
一 サヴィニー前史 一九世紀に入ると、ローマ法、啓蒙期自然法学説の影響の下に、先にみた前世紀のネッテル
プラット等によって推進されてきた私法の体系化、いわゆるパンデクテン体系が完成されてくる。
のちに途はわかれたとはいえ、サヴィニーにより自己の若き時代の精神的教師と讃えられた歴史学派の先駆者フー
ゴー︵の臣げき国轟ρ嵩摯1一。。章︶は、四版以降では自ら廃棄したとはいえ、すでに一七八九年﹃現代・iマ法提要﹄
︵2︶
谷霧蜂暮一8留ω区暮貫雪8巨ω畠窪国09貫︾で、物権と債権を分類した新しいシェーマを示している。さらに、
サヴィニーと友情ある音信を交わしていたハイゼ︵o.。円磯︾.8崔国。一の①﹂蔦。。1一・。置︶は、これらの基礎の上に、一八
〇七年、そのパンデクテン講義案︽の旨民ほ腕①言霧ω器富ヨのα霧のΦ日。冒魯9≦一89諾昌日切o一慧く9評&①犀魯−
︿o艮霧ロ凝窪︾で、﹁総則﹂︵︾一蒔①ヨ色冨訂ぼ窪︶、﹁物権﹂︵U冒唯ざぎ幻8匡o︶、﹁債権﹂︵く自α魯○呂αq暮一9魯︶、
﹁親族﹂︵臣轟一一9もR8巳一&o男8窪Φ︶、﹁相続﹂︵∪霧甲訂8艮︶という、ドイツ民法典や日本民法典にもとり入れ
︵3︶
られた五つの体系的分類をはじめてとり、ドイツ・パンデクテン体系の一応の完成を示している。
しかし、それにもかかわらず、物権取得につき、物権が。窪紹と直結されている蜂巳霧韮ヨ&島理論をとる彼
らにおいては、まだ物権と債権とは峻別されているとはいえない。すなわち、フーゴーは、プ・イセン州法やオース
ヤ ヤ
オωロ山8旨とその発展的消滅 三四五
一橋大学研究年報 法学研究 3 三四六
トリー民法典にその立法的表現を見出した、承継取得にかぎらず不当にも原始取得にも拡大された簿三霧”旨&霧
理論を、いかにしても是認しえない概念の混鴻だと批難するけれども、そのドイツにおける創始者、一六世紀のアー
ペルと同様、契約にもとずく承継取得のためにはこの理論を踏襲しているし︵く喀富欝蕊養§きψ舘︶、ハイゼもま
︵4︶
た、所有権譲渡契約↓壁臼寓oの要件として、正当原因冒ω鼠。程器を問題としているからである。
ニ サヴィニーの抽象的物権契約理論 フーゴi、ハイゼに続くのがサヴィニー︵男ユ①象畠9二く’の器蒔昌︾嵩む
︵5︶
ー一・。ひ一︶である。したがって、サヴィニーの果たすべき使命は、フーゴーの後を承けてこれを一層発展させ、承継取
得についても従来の意味での蜂巳霧旺旨a霧理論を克服し、物権取得を債権契約による§巳冨乙霧鼠。窪鍔から
切り離し、物権行為と債権行為とを各々独自の領域だとする方向にほかならない。そしてそのことこそ、すでにみて
きたところから明らかなように、同時にまた、物権と債権を分類するパンデクテン体系の最後の仕上げを意味するも
のなのである。
フェルゲントレーガーによって収録されているグリム兄弟やブルッハルデイの手記によれば、サヴィニーは、マー
ルブルク大学における一八〇二ー三年の講義では、先に述べたフーゴーの立揚をそのまま踏襲している︵寒蓄§憶§Q§
ψNひ詳︾ロヨ﹂︶。一八〇三−四年の講義でも、所有権移転の正当原因甘ω鼠。窪紹鉾匙三8訪は債権関係○呂讐−
3諾暑R匡一9一ωだとしており、のちに彼によってしばしば引合いに出される贈与の例などがすでにここで挙げられ
てはいるが、さほどの進展を示しているとはいえない︵¢N刈ー8︶。ベルリン大学における一八一五ー六年の講義では、
顕著な進展がみられる。彼は贈与の例を挙げて説く。﹁ここには何らの債権関係もない。たんなる事実上の引渡であ
る。⋮⋮そこでいまやわれわれは、冒ω鼠。程ωpとは、引渡↓β&江9とともに所有権を移転するとの所有者の意図
だ、と名づける。−・−人はかの︹債権︺関係を甘の鼠。き蟹と認めてきたが、それは大きな誤解である。﹂こうして
彼は、一六世紀の典雅法学者ドネルス︵国一.磯。U。.一Φ一一ロの・一軌N刈ー一$一︶の註釈を引用して、﹁われわれの理論は法源にも
全く適合する﹂と強調する︵ψ81軍︶。そしてそれは、。窪蟹理論についての若干の混乱にみがきをかけて、すで
に一八二七年の講義では、債権契約は動機にすぎず、せいぜい表示されるべき譲渡意思の認識手段たりうるのみとし
て、のちの﹃体系﹄や﹃債務法﹄におけると基本的には同様の完成した姿を示している︵ω・象中︶・
こうして彼は﹃体系﹄で結論する。﹁譲渡契約↓雷α庄8はかくて真の契約である。けだし、契約概念のすべての
メルクマールがそこに認められるからである。というのは、それは双方の側からの占有と所有との現在の移転に向け
られた意思表示を含み、当事者の法律関係はそれによって新たに規定されるからである。この意思表示は、それだけ
では所有権移転↓巳、良鼠。昌のために十分ではなく、占有の現実の取得が外的行為として加わらねばならないという
ことは、その基礎にある契約の本質を損なうものではない﹂︵琢器ヨ狐芦ψω旨︶。このような前提の下に彼は、その
具体的適用の揚である錯誤理論の検討へと入っていくのである︵ψ鵠ひーミρび$¢い象い︶。こうして彼は、数世紀に
わたる試練を経てきた伝統的な↑一叶巳霧門旨&霧理論を克服し、債権契約の無効・取消は物権契約の無効・取消を生
じないとの物権契約の無因的構成を完成し、あとは不当利得の問題として処理すべし、とするのである︵○σ一黄註9①ー
ロ咳。畠け、HH.ψNひ一協.︶。資本主義の先進国イギリス法もフランス法もそれなくしてすませてきた、この彼の無因的物権
契約的理論は、その後、ードイツでのみー・ーマ法源への適合性も疑わしいにもかかわらず、ベール、デレンブ
軸.、、pα聴①Bとその発展的譲 缶七
一橋大学研究年報 法学研究 3 三四八
ルク・ヴィントシャイトなどによって一致して支持され、彼の意図した錯誤の揚合を越えて急速に拡大され一般化さ
れていくのであるが︵寒嘗愚壕§饗39意中︶、この現象は、もともとサヴィニーに取引安全への考慮が全然なかった
とは言わないまでも︵<oq一あ場εβ目あ・ω巽ご、直接的には、すぐれて論理的法律学的な、ドイソに特徴的な物権と
債権を体系的に分類し峻別するという、パンデクテン法学の抽象的完結的な体系樹立への志向そのものに基づくもの
であった、とみなけれぱなるまい。
三 廿ω匿8旨の運命 このようにして物権と債権を体系的に分類し、ついには、無因的物権契約理論を案出し
て葺巳臣”巨&岳理論を克服し、物権と債権を峻別したパンデクテン法学者らが、一応は債権でありながら実質は
物権の繭芽的性格のものであり、第二取得者の認識を条件にその物権取得を妨げる、かの一仁、帥島.。日︵閑。&げ国ロ賊
の8冨︶にいかなる態度をとったかは、もはや明らかであろう。
所有権取得につき、まだフーゴーと同じく暮巳霧目旨&霧理論をとっていたパンデクテン学者グリュック︵Oびけ
世紀までの現代的慣用の諸学者とは対照的に・ーマ法源に制約される彼の﹃現代ローマ法体系﹄では、債権のうちと
レ
雪2言F鴇象1一。。呂︶も、すでにこのような例外を設けることには反対していたのであるが、サヴィニーに至ると、前
ヤ ヤ ヤ ヤ
くに物権取得ないし物の利用を目的とするそれは、物権との自然的接近が存する、として、わずかにその註で、ダル
エスの著書とプ。イセン州替規箏挙げて、特定物債権はとくに蓄§貫寄げ§多.げ。と名づけら葵、
とふれているだけであり︵の書二ψい刈N⋮︾・・旨、・︵げ︶︶、プフタおよびアルンツのパンデクテン教科書に霧︶ては、
その註でご霧旨おと対照的に債権一般の記号づけとして、甘ω匿器旨という用語を表示しているにすぎず、そ
して最後に、多くのパンデクテン学者とともに、普通法学の最高峰ヴィントシャィトに右いては、そのパンデクテン
教科書では完全に無視されてしまっているのである。このようなパンデクテン学者の支配的な空気の中では、先にみ
たチーバースが何を叫ぽうと︵第七章三の三−︶、もはや普通法学者がこれを聴く耳を持つ筈もない。
このようにして、物権取得につき鼻巳拐H目a島理論をとっていた段階では、まだ政策的な問題としては生存の
余地の残されていたわれわれの意味での甘の匿霊日は、無因的物権契約理論を導入して物権と債権を峻別し、パン
デクテン体系を極端なまでに貫徹した後期普通法学においては、理論上、完全にその生存の息の根を止められてしま
ったのである。もはや彼らにおいては、冒の註8日を承認することは、彼らのよって立つ学問体系それ自体の自殺
行為にほかならなかったのである。
以上のことの立法的表現こそが、一八七二年プロイセン所有権取得法にほかならない。
︵2︶憩ざミ斡の﹄o。一.$曾零9蔑♂の,ひ9
の罫き9﹃や¢$頓の掲げる、フーゴーのい①ごげロoげ山9り跨昌39聲o山忠山窃げΦ暮蒔虫一8目・ヵooげ貫ωトロP一〇〇8︵本
文に掲げるのと同一物であろうか︶のシェーマは、H︾濤雲<oロb①お9雲 ︵騨︶bげ協訂oぽb段8蓉け︵σ︶H珪び江8ぽ
諄馨諾三H・≧§︿8響ぽ某暫︶b身跨。富の8富・︵げ︶冒塁評。富幹げ窪目レ﹃§くg評邑巷鵯・︵帥︶
国受巴零げ①缶胆昌巳ロロ閃oけ︵げ︶︸ロ注誓諺o匡①田跨ロα置ロ吸①昌となっているQ
︵3︶ 私は、その三版︵一八二三年︶を利用することができた。なお、ハイゼのこの分類の沿革等については、の魯Sミ鮮¢軌田
蹄が詳しく検討している。
甘のpαお日とその発展的消滅 三四九
一橋大学研究年報 法学研究 3 三五〇
︵4︶ すなわち、第二編﹁物権﹂第二章﹁所有権について﹂の皿﹁所有権の取得﹂において、B﹁双方行為による取得﹂のー
﹁所有権譲渡契約↓壁象ごo﹂は、a﹁その要件﹂として、α﹁人について<9山巽田目ω9魯﹂β﹁正当原因についてく自
山竃冒の蜜o雲鶏﹂7﹁占有引渡についてくoけ伍震国窃詳昌σR9お一菖騎﹂を挙げている︵国實鴇’ψ命︶。
︵5︶しぱしぱ引用してきた強壁§誉§窪雀博g・琶くあ豊署為臣5鋒巳。3Φ目頓きα9の一。げ吋。レ書N茜
一8一は、サヴィニー前史からサヴィニーののちまでの所有権譲渡理論についてのよき概観を与えている。本節も、これに負
うところが大きい。なお、わが国でも、これをも参照した原島助教授や石田喜久夫助教授の一連の無因的物権契約理論それ自
体についての研究がある。無用の重複はさけたいと思う。ただ、それらの研究が、いずれも、無因的物権契約理論の一八七二
年所有権取得法への定着にも触れながら、同法草案、議会における討議の議事録、速記録など、第一次資料をーわれわれの
入手しうるかぎりでーおそらくもっとも豊富に引用している肉養詞褻”国蒔o暮仁日ω雪巧霞α一5q>霧3島oげひq①8げ鉱“U虫,
℃巴四Gさの、審議における複雑な経過のヴィヴィッド癒叙述を参照していないのは惜しまれる。
︵6︶Q§鼻き馨巨喜。田一翼g巨σq自窪評注貰露︵国壁お窪︸S。3一臣﹂¶ψ慧・︵Q装。ミ石・釜による︶
彼の所有権取得理論については、肉9饗ミ養ε§幹鴇”撃薗
︵7︶9等㌧§葺評&。一︽§レ9農︸き中︵一。。凱い︶む§茜;ン因呂。鼻伽慧ぎ幹9卑い臥憶蕊身・いΦぼ,
言9伍Φ増評巨①g①p竃酵。冨ロ﹄︾島。︵一。Q宏︶㎝b。N︾ロ旨勢
二 取 得 法 制 定 の 実 際 的 背 景
ところで、このようなドイツに特徴的なパンデクテン法学のすぐれて抽象的完結的な体系樹立への志向の所産が、
プ・イセン所有権取得法という現実の法規へ定着するに至るためには、これを可能かつ必要ならしめるプロイセンに
特有の諸事情がさらに求められなければならない。その一は、州法制定後の社会経済的諸事情の変化であり、その二
は、.一れに即応しえない州法の規制の不備である。ここでは、前者について述べておく。
その社会経済的背景については、所有権取得法の主題たる抵当権や無因的物権契約理論の導入の観点から、ドイ
甘のp自8旨とその発展的消滅 三五一
他方では、土地所有貴族は農民からの土地買収でその規模を拡大し、やがて後者は封建貴族的農業資本家日ユンカー
主義の導入をますます促進した。一方では、農民は解放条件の苛酷なためその保有地を貴族領に併合されて没落し、
経営経済的考慮から発したものであったから、農民追立へと結ぴつくものであり、土地所有の動化と農業への自由
バウエルソじレぼゲン
、所有貴族の金融の障害と、農業労働者の人格的関係が労働価値を減少せしめているという、土地所有貴族のすぐれて
〇七年一〇月九日の農民解放令以後、農民解放がはじまる。しかしこれも、人道的見地からというよりは、土地
バ ウ ニ ル ソ ベ フ ラ イ ウ ソ ク
と、これに破れた土地貴族の没落という、農業経営の資本主義化を促進することとなった。一九世紀に入ると、一八
金融組合を創設してその救済を企てたが、右の金融は、同時に、経営の合理化と土地買収に成功した土地貴族の台頭
ト ン ヤ フ ト
荒廃した経済事情の下に、土地貴族も高利の抵当債務にあえぎ、フリードリッヒ大王は、一七六九年以降各地にf慰
多額の資本を必要とし、一七五〇年抵当権令等が制定されてきていた。しかし、七年戦争︵一七五六−六三年︶による
すでに一八世紀中葉以降、農業経営の営利化にともない、封建的土地所有貴族は経営の合理化と土地買収のために
グしン ヘ ル
義をもつにすぎない。ここでは、われわれの議論の展開に必要なかぎりで、それらを簡単に要約しておけば足りよう。
︵8︶
ツでのみならず、すでにわが国でも検討されている。菊Φ。馨国畦留9Φの廃止は、本法の目的にとっては、附随的意
一
一橋大学研究年報 法学研究 3
三五一一
へと転身していく・葛には・盤蟹羅果身分的秩序は襲はじめ、土地所有の制限も緩和され、都市の新興ブ
ルジョアジ走旧貴族所有地を獲得すること寄能と奮、進出してくる.このことは、新しい時代への転身最
り残真かつての特欝地位の翌ていくのを憂える没董地貴族、および、貴族的農養黍に留保されている
半封建的特権により抑圧●叢蕊る小盤にとって等酷なことであるが、時代の流れは抗すべくもなく、信用の
授受に共通の利華ゑ勝利煮賛都市ブルジ・ア・イと叢的肇蒙家に担究て、不動産金融の嚢と取引
の畠が高調義ていく・一九世紀羨半に入ると、ドイッエ業資奎義の発唇よるその昊搭用嚢の輩、,
農地等の不動産金融は彊し垂.塩轟馨暑藷呈来たし、一般抵議の整健よる私的金融の促進が要蓼
れてくる茄うるに二八四八輩命とこ琵続く緊的讐的華情の変化、都市ブルジ.アジあ勢力の奮と
農業資本家のそれの後退は・かつての・鑑へのブルジ・ア的資本の過度の流入の阻止による土地貴族の地位の低下
を防ごうとしたプ。イセ菌家の後見的睡皿欝肇の廃止と、すぐれて資奎義的合理的な抵当権法と土地取得法の
整備を羅する・こ藍対処せをしたのが、天七二年プ・イセン所有叢得法と、同日付不動肇記法である.
天六九年憂理暑は2の間の事情羨のよ之述べる.﹁土地所有者は、彼が新たな合理的農業経営の需要
を満たし・肇誉をー非窪しばし笙じるようにt商工企業と結合喜ようと欲するとき、従来より一層大
なる経営資本を必要とする・しかる甕本は、株式会社という多数の工業経窮よ菌導々のゆえに、むしろ他の
方面に有利に馨義るという状獲ある.﹂また、﹁杢地所有壷本薯との社会的奮蓬律的蔑係は、.
今世紀の二〇年代以降漸盗f、六〇年代以降録箋展し、顕著憂化し﹂た.﹁土地所有者とその土地とは,.
農業立法によって人的制限と残存する負担とから解放され、﹂、土地の閉鎖性は、−⋮分割と併合、その大きさと同一
︵9︶
人への帰属関係の頻繁な変更、とに屈服しはじめた﹂と。 、
このような背景とその肯定的評価の立揚から、一八七二年所有権取得法は制定されたのであるが、ここでさらに、
﹄臣帥α希ヨとその発展的消滅 三五三
旨家匿β一。。這1一。。お︶を参事官として司法省へ招聰し、本法の作成を委嘱した。リッペは、没落土地所有貴族を代
︵n︶
表する古い伝統に固執する保守主義者であり、地方法主義者であった。これに反し、ハンノーヴァーの人、レオンハ
︵o。旨p巳︾3罵≦旨竃一巨幕9げ設9一〇。蹟1一。。。。o︶をすえた。レオンハルトはさらに、・一八六八年、フェルスタi︵写甲
一八六七年一二月、当時の司法大臣リッペ伯︵毎鑑羅80置N旨=唱ρド。。蹟1一。。。。。︶を罷免し、後任にレオンハルト
このような経緯ののちに、ドイツの統一を上から成就しブルジョアジーの経済的要求を満たしたかのビスマルクは.
それは、さほど進歩的ではないとして拒否されている︵穿§蟄ψεε。
薯弩hΦ旨窃O霧09霧郎げΦ■α器頃巻o爵爵窪≦霧窪曽pαの首臼国嵩o浮Φ冨8&自お︶とその理由書を公表したが、
され、一八六三年には改革事業を促進すべき政令が発布されている。そして政府は、一八六四年に抵当権法草案︵国亭
土地台帳との結合、および確認形式の簡易化﹂を要請するものであった。一八六二年には衆議院でも類似の法案が出
の除去による手続の簡易化、手数料の軽減、抵当証書の移転の容易化とその無記名証券への接近、⋮⋮抵当登記簿の
すでに一八五七年、貴族院に一つの提案が行われている。それは、﹁取引を無用に煩わしくする障害と形式拘泥と
とを指摘しておきたい。
本法の動向に決定的な意義をもったものとして見落すことの許されないのは、一八六七、八年の一連の人事であるこ
一一
一橋大学研究年報 法学研究 3 三五四
ルトは、普通法の教育を受け、一八三五年から六五年まで普通法をとるハンノーヴァーの官吏、司法省参事官、司法
大臣などを経た人で、かつ、一八四七年公刊したその著﹃土地所有権の法律関係についての理論﹄谷ΦぼΦ︿8α雪
幻⑦&寵3旨弩9霧9即旨O暑民Φ蒔。艮ξβω・一εード8︾でサヴィニーの﹃体系﹄を引用して無因的物権契約理論
を支持している人であり︵U簿試鳶・ψ占9切ミ銭斜ψ承︶、フェルスターは、一八四一−二年サヴィニーの講義を聞き、
一八五八年から司法省入りをする一八六八年まで一〇年間、彼の本立法事業の手本となったメクレンブルクの抵当権
法︵<αq一・き魯§§爵ロ鯉¢Nお中︶を近くにみるグライフスヴァルトの普通法をとる控訴院の判事をしており、一八
六五年から公刊された彼の著名な﹃ドイツ普通法に基づく現代プ・イセン普通私法の理論と実務﹄とは、その骨組み
をサヴィニーの﹃体系﹄に真似たほどの完全なサヴィニーの心酔者である︵<σq一奪§鼻ψ8∂。こうして彼は、ブ
ラントによって引用されている議会の討議をみるとき、支配的勢力の信用需要と不動産の動化への欲求、自由という
時代思潮に支えられて、本法において普通法理論貫徹のための並々ならぬ意欲と執着を示し、ついにはそれに成功す
るのである。
︵8︶ 轄謄§93ド目どψ一ーま︸翠ー一〇ρ目ρψ8軌内←映§§︸鋭野○、 鈴木禄弥﹁ラントシャフトに関する一考察﹂法
協七〇巻四号、七一巻二号、同﹁ドイツ抵当権法と資本主義の発達﹂法律時報二八巻一一号、原島﹁無因性確立の意義につい
て﹂法政研究二四巻一号。なお、一般的背景としては、林健太郎﹁近代ドイツの政治と社会﹂。
︵9︶u一Φ冥Φ島蓉げ。ロoΦ畏N。暮慧見Φ菩Rの墜&Φ一鴨昌9日毒α頃壱。甚。ぎコ§馨一善の;︷o馨ΦpげΦβ二ωσq。鴨げ雪
<。§累一一屯一畠Φ昌冒ω江N、猛墓§ごβa①注三G。§ψ舘︵箋恥§“¢ω。。・V
︵m︶ 映富ぎま㌧の,斜O︸ 切憶§﹃鼠“ψ一〇ひ詳︾ロ目,N一︸bミト醤ぎ箏ψ斜一評ひ轟■
三 所有権取得法
日 本法の制定については、最初は、従来の経緯にかんがみ、すでに一八六八年以降新フォルポンメルン ︵2Φ薯9−
℃。目日。噂昌︶とリューゲン︵幻凝oコ︶地方で特別法により実施されていた抵当権の債権関係からの分離︵<og一寒魯ミ§爵
悶。目σ、。げ同一けけ、HHN”ψNひ一︶のみが強調されたのであるが、併合による新領土の法の分裂に対処すぺき政治的考慮や、
フェルスターの登揚により、州法の所有権に関する規制の不備からして、改革は、抵当立法をこえてひろく不動産の
所有権取得法にまで及ぽされるべきだとされた︵切ミ鼠♪ψ8ご。
抵当権法についてはここではふれない︵<賢寅。駄。り醤§ド目卜。・ρN訟卑︶。われわれにとっては、三つの改正点が注目
されるべきである。
く支持し難い不健全な法律状態﹂だから、これを登記一本にしぽる。
第一は、すでにみておいた州法の、引渡と登記とによる二つの所有権の対立という状態は︵第七章末尾*参照︶、﹁全
第二は、州法の登記手続における実質的審査主義は、手続の遅滞を招き取引の迅速性を害しているから、無因的物
権契約理論を導入することにより物権移転を原因行為から遮断し、それによって従来の原因行為にまで及ぶ実質的審
査主義を廃除する。
第三に、右の登記された権利につき、州法の国。。辟凶ξ留。ぽを廃止する。
甘。費自擁。目とその発展的消滅 三五五
一橋大学研究年報 法学研究 3 三五六
の考えられる取得方式白&霧8ρ巳お昌良である⋮⋮。この取得方式のための権原艮琶は、所有権譲渡の表示の
まず第て二点について。 理由書は、実質的審査主義等の弊害を述べためち、﹁︹登記が︺不動産にお、ては唯一
アゥフランスソク
なかで示される従来の所有権者の意思である。この意思が、ある特定の種類の譲渡契約、たとえぼ売買、交換、贈与
にもとづくかどうかは、引渡︵臼雷象ぎ昌︶におけると同様、どうでも構わない。けだし、後者においても、原因8,
ロ鍔は・売買などではなくして、売買契約の締結において表明される所有権譲渡の意思だからである﹂、と述ぺてい
る︵く嗅bご﹃§昼ψ30。これは、引渡を登記と置き代えただけで、サヴィニー理論の焼直し、彼の8ロ舞ヨき一,
謄ω鼠臣にほかならない。
議会の討議はしかし、紛糾を重ねている。一度は、貴族院第八委員会で否決されき貴族院本会議でも、同じぐ本質
的な修正を受けた程である。本法の実際的なねらいである社会経済的な利害の対立はもちろん、フランスやイギリス
にもみられる西欧に共通の公証人の社会経済的地位が危うくされるという後向きの議論、抵抗がここでもみられるが、
それと同時に、調和の困難な州法体系と普通法体系というあい容れない立脚点にたつ州法主義者と普通法主義者が激
突したのである。このことは、一八七二年二月五日、意見の一致をみるに至らなかった貴族院第八委員会の委員長、
高等法院長官︵摩ぴ琶巴ε鈷霧匡Φ暮︶ゴスラi︵<●Oo臼9︶も、本会議への上程にあたり、審議の困難性の理由とし
て報告している。不動産登記法草案につき、州法主義者が、﹁形式主義と、所有権移転の物権的側面と債権的側面と
の純粋理論的分離﹂とは、﹁非現実的な無内容な骨董品﹂だと批難すれば、フェルスターは、裁判所の実質的審査主
義にもとづく書類を﹁反古紙集﹂竃詩巳曽ε参即目目ぎお窪と嘲笑して、普通法理論の勃興を称賛してやりかえすので
︵n︶
ある。委員会や本会議における討議、貴族院と衆議院の反目、そして諸委員の態度変更等をここで紹介する余裕はな
い。しかし、本法での無因的物権契約理論の採用を、実質的審査主義の廃除のためにはあたかも論理必然的に不可欠
であったかの如くそのことのみを強調し、かつ、それだけではカバーしえないその背景としての、ドイツに特徴的な
パンデクテン体系学との関連を見落しているわが従来の諸学説にかんがみるとき、次のことだけは指摘しておかねば
ならない。それは、所有権取得法への無因的物権契約理論の定着は、先に述ぺたプロイセンの事情の下でその実際的
意義を担いえたことはもちろんであるが、しかしそれとともに、いなそれを越えて、フェルスターら当局者の普通法
理論貫徹のためのすぐれて学問的体系学的な欲求の結果でもあった、ということである。本稿の範囲外に属する抵当
︵12︶
権についてはここでは問わない。所有権取得にがぎって言えばこうである。すでに一八六九年草案以降、善意取得制
︵13︶
度は別個に規定されていたから、所有権取得法への無因的物権契約理論の導入には、取引の安全、流通の保護という
機能は負わされていない。フェルスターは、討議でこのことを明言している。それは、すでにわが国でも正当に指摘
されているとおり、登記手続の実質的審査主義の廃除、どいヶ機能を担わされただけなのである。しかし、そうだと
すれば、無因的物権契約理論をとらなくても、物権取得の方式を登記一本にした上、わが国がそうであるように、登
記官吏に実質的審査義務なしと規定すれば、それだけでも事は足りたのではなかろうか。前に一言した新フォルポン
︵U︶
メルンおよぴリューゲン地方抵当権法は、はじめはそれで解決しようとしていたといわれる。また、リッペは、州法
︵15︶
との継続性を破壊することなく、二つの所有権等々の先に述べた諸弊害を是正する積極的提案をもしたのである。し
かし、普通法学の構成の貫徹を期するフェルスターは、これに答えるに、プロイセン一般州法は今日では法律学︹後
甘ω”山希言とその発展的消滅. 三五七
一橋大学研究年報 法学研究 3 三五八
だ﹁解釈﹂がなされうるのみである、と明快な体系的構成をもつ普通法学者としての立揚を露骨に示しただけであり
期普通法学ー好美註︺によって克服されてしまっており、州法のゆえにプロイセンでは﹁構成﹂は放棄されており、た
ヤ ヤ
︵穿§蟄碧9︶、そしてこれに、分裂した諸領邦の法の統一のためには︹普通法理論にょる︺本法を不可欠ならしめる
と附加し、さらには、魅力的な登記手数料の軽減を示唆したのである。
ヤ ヤ
このようにして、無因的物権契約理論は、その創始者サヴィニーらにとっては、・iマ法と同じく引渡主義を前提
として、その完結的なパンデクテン体系学樹立のためのすぐれて思弁的な所産であったが、今やフェルスターの普通
法理論貫徹のための並々ならぬ執着の下に、特殊“プ・イセン的事情の下での登記手続の実質的審査主義の廃除とい
ヤ ヤ
う、その創始者にとってはおそらく思いもかけなかった口実の下に、そしてまたそのような機能を担わされて、プ・
イセン所有権取得法に定着したのである。このパンデクテン体系学と無因的物権契約理論の導入との不可分の関係は、
︵ 1 6 ︶
右の体系を完全な姿でとり入れたドイツ民法典の編纂に際し、より明白となろう。ドイツ民法典第一草案理由書によ
れぱ、そこでは、決して従来わが国でいわれているように、無因的物権契約理論は登記の実質的審査主義の廃止との
関連でのみ説かれているのではなく、その全体系の構成との関連でこそ、よりしばしば述べられている。
二 第三に、園。。馨国弩留9Φの廃止について。われわれはすでに、純粋の物権と債権との中間的な甘ω呂器目は、
無因的物権契約理論の導入により鼻巳塁”ヨ&霧理論を抹殺し、物権と債権を峻別した普通法学説では、理論上も
とりえなくなったこと、そして、そのことこそまた、同時に、後期パンデクテン体系の最後の仕上げを意味するもの
でもあったこと、をその学説史的展開の中でみておいた。
それに加えるに、この時代になると、州法の立法関与者の多数を支配した一八世紀的な倫理観に代って、経済的自
由思想が強調されてくる。この観点からの州法のヵΦ。匡国霞の8﹃批判の最たるものは、チーバースの主張に関連
して一言しておいた一八四七年レンツのしたそれであろう。﹁他人がより早い物への権原艮邑N畦留o臣を持って
いることを知りながら、私の権原艮邑が方式巨a葛によって物権に高まるよう私が配慮するとき、これは法的効
力を付与されることを許されるぺきではないということ、このことは、法的思考にとって説明しがたいことに違いな
い。実際、対人権は対人権にのみ対立したのである。何がゆえに一体、私は、注意深くあってはならないのか、私の
よき権利を物権性という衝立によって防禦することができないのか?⋮⋮これについての州法の諸規定は、公平とい
つ い た て
う耐えがたい暴政である。⋮⋮信義げo鍔盈霧というこの公平の暴政は、州法の成立した時代の精神ともっとも内
面的に関連する⋮⋮。州法の時代、啓蒙主義の、 ”偽啓蒙”︵ご︾ロ爵匡ユ。匡、、︶の時代⋮・ほ、すぐれて道徳の時代
であった、ー人間をよき息子、よき市民、よき夫、よき父にするあの内容に充ちた道義︵の一莚一昌ぎ5ではなくし
︵17︶
て、人間はそこでは死ぬほどに退屈に悩まされるであろうあのうすっぺらな貧血した道徳︵目oβ一︶の時代﹂と。サ
ヴィニー学徒フェルスターが、普通法理論を貫徹しようとした本法でこれを廃止すべく意図したのは当然であるが、
彼は、司法省入りをする前にすでに、その﹃プ・イセン私法﹄で、正にレンツと同じ意味でもこれを批難している。
﹁道徳のこの法領域への干渉は不当である。⋮:より早く自己の対人権が物権となるよう配慮する者は、決して不公
平や不道徳を犯しているのではない。自己の園o。窪国霞の8ぽを物権にするのを怠る者が、その不利益を負うぺき
であろう﹂と。
︵18︶
冒砿pα8召とその発展的消滅 二ー 響 ﹄ 三五九
一橋大学研究年報 法学研究 3 三六〇
貴族院におけるフェルスターの提案理由も、右とほぽ同旨である。そしてア︶れに、州法のカズイスティークも指摘
されたことは、もちろんである。委員会の多数は、しかし、これに反対した。すなわち、問題は、怠慢に対する注意
ねレ
深さの優先ではなく、狡猜と不誠実が信義誠実に勝つべきかどうかなのだ、と反論したのである。そして修正決議を
付して本会議へ送られた。貴族院でのフェルスターの弁護論は、甘ω註お日の廃止に関するかぎり、﹁空論的隔着﹂
おロ
3騨〇二鼠器の豆謂&8巨霞巴と名づけられうるものだったという。多数の議員から、あけすけにそう批難された。
ぞして、むしろこれこそは、﹁わがプロイセンの国民的法意識に根ざす﹂原則だと主張された。ア︶の見解に同調した諸
有力者のなかにデレンブルクも見出されるのは興味深い。こうして貴族院では本質的な修正を蒙ったのである。貴族
院と政治的にも対立していた衆議院では、結局、﹁全く学間的に﹂原案が復活された。その委員会では、﹁決して不誠
実旨a鈴ま8が間題ではない。州法の学問的︹目普通法学−好美註︺に維持しがたい実定規定の除去だけが問題﹂な
のである、とされたのである。再ぴ貴族院に回付されたとき、リッペはいぜんとして反対したが、政府代表フェルス
ターの、この点が容れられなければ本法全体が御破算にならねばならぬ、との脅しに、他はすぺて態度を変更せざる
をえなかったのである︵卑§鼻の・一宝中︶。本法全体が駄目になる、とは、先に述べたように、普通法体系の自殺行
為だということにほかなるまい。ここにもわれわれは、彼の無因的物権契約理論の導入による物権と債権の峻別とい
う後期普通法学のシェーマの貫徹への並汝ならぬ執着を読みとることができる。
こうして、法は規定する。まず所有権につき、
第四条﹁不動産の取得者が、ある他人のために該不動産のアウフラッスンクを求める権利を基礎づけるより早
い法律行為を認識していても、その所有権取得は妨げられない。﹂その他の物権につき、第一五条同旨。
そして、これに代るものとして、一七八三年プロイセン抵当権令では物権にのみ認められた﹁仮登記﹂を︵ド↓霊
、、、 ︵飢︶
㈱㈱鵠汐認ρ賠o。︸駆。B︶、アウフラッスンクを求める債権的請求権のためにも拡大した。所有権につき、
第八条﹁仮登記はアウフラッスンクもしくは所有権移転登記を求める権利の保全のために裁判所︵︸.。国.駒同一、
o味曾︶を通じて、もしくは登記済所有権者の同意を得てのみ登記され、裁判所の嘱託もしくは自己のために仮
登記がなされた人の申請によってのみ抹消することができる。﹂その他の物権につき第一六条同旨。
なお、動産ならぴに所有権取得法によっても占有移転が物権取得の要件とされている地役権、賃借権等については
あロ
︵一二条二項︶・本法施行後も、州法の閃oo犀N畦の8ぽが通用していることに、一言注意しておく。
︵11︶ これについては、肉養醤褻︸ψミー一8に詳しい。なお、肉密畢。一ψ畠−章も若干ふれている。
ドイツにおける公証人制度の沿革については、切醤§蟄ψ嵩R 本法案審議における抵抗については、脳.憶り。ま。あヒoQ、類
似の現象につき、フランス法については、星野﹁不動産物権公示制度の沿革の概観﹂︵フランス民法の一五〇年佳所収︶三三七
ラ
頁、イギリス法については、幾代﹁英法における不動産取引法と登記制度﹂法協六八巻七号七九〇頁。
︵12︶ 一八六九年草案第八条﹁登記が不適法になされていたときでも、第三者により有償かつ登記簿の真正につき善意で取得さ
れた権利は、効力を有する。﹂︵山嘗3ω■oo中に草案全文が収録されている。︶
︵13︶ 貴族院において、貴族院議員・前司法大臣リッペが、無因的物権契約理論によれば、原因行為の欠如する揚合、前所有者
は相手方に対する不当利得返還請求権をもつだけで、所有権それ自体は移転するから、それが再譲渡されてしまえぱ、もはや
前所有者はその土地に追求することはできなくなる、本法案は、彼から彼が従来の立法により持っていた実質的かつ効果的な
冒の&器三とその発展的消減、 三六一
一橋大学研究年報 法学研究 3 三六二
権利保護を全く奪っている、と攻撃したのに対し、政府代表フェルスターは、その内容には立入る二となく、それは反論を要
しない、そのようなことは余りにも空想と誇張の領域に属するからである、と述ぺるだけで、かえって、法の統一とそれの新
しい領邦への導入とは、︹普通法理論をとるー好美註︺本法の採用を不可欠ならしめる、との、州法主義者を納得せしめえ
︵糾︶Q。の①・凶げ。け同Φ中①&巳Φ国一旨ξ琶の§毎巷α昌身旦鼻宰窪。げ。旨窪2①衰。§B馨ヨ仁呂響讐<’N一・
ないいつもの政治的言辞を繰り返すのである︵切養§鼻の﹂8による︶。
冒餌層N一〇QひQQ・
本法は、すでに前任者リッペの時代から作られたものであり、その五〇条は﹁抵当官吏は当事者によってなされた行為の適
法性を審査する義務を負わない﹂と規定する。もっとも、五六条は、無因的物権契約の思想を含んでいるといわれるが、ブラ
ントは、これはレオンハルトの時代になって挿入されたものであろう、という。ともかくも本法は、レオンハルト、フェルス
ターが司法省入りをした直後に、フェルスター自らが述ぺるように全く性急に発布されたのであるが、普通法理論を完全な姿
でとっていないせいか彼らの好むところとならず、所有権取得法草案が、それ以前のものとはほとんど共通点をもたない全く
新しいものである、という鳴物入りで、提案されたのである︵buミ§鼻幹8F︾昌夢ひ︶。
︵15︶ ﹁抵当権登記簿に登記された不動産の自由意思による譲渡の場合には、書換︵d旨ω畠おぎβ目頓︶は、譲渡契約、すなわち、
譲渡人の同意と書換を求める取得者の申請にもとづき行われる。占有移転の証明をそれは要しない。﹂﹁善意で不動産を登記済
所有者から取得し、かつ自己のために書換をした者は、その権利を、より早い未登記所有者によって取消されえない。抵当権
もしくは負担も同様である。﹂︵切養き騨”ψ80ε
︵16︶ 所有権取得法第一条﹁自由意思による譲渡の揚合には、土地所有権は、アウフラッスンクに基づいてなされる不動産登記
簿への所有権移転登記によってのみ取得される。﹂
第二条﹁不潔のアウフラッスンクは、口頭で、かつ同時に権限あ豊記官吏の前でなえる登記済所有権者の叢響の登
不動肇巽第四案﹁藷判謹、すでになされたアウフラッスンク、登聾しくは繕の羅の漢性諺式および内容
記に同意するとの申述、および新取得者の登記を申請するとの申述によってなされる。﹂
につき審査する義務を負う。ア︸の審査の結果、申請された登記もしくは抹消につき障害の存することが明らかとなったときま、
登記判事は申講者にその旨を通知しなければならない。
は抹消を拒否する理由とはならない。﹂
すでになされたアウフラソスンク、登記もしくは抹消の同意の基礎になっている法律行為の理疵は、申請された登記もしく
︵∬︶卜.§畿女β象Φロ一一昌爵擁葵①昌ぎ。。げ一&。藁塁箒・㍉α巨の。一・き邑婁の。ぎヵ。。葺Q雲ωき吾G・轟刈
ρ℃Nい︵Q装Oン9“ひO頓いによる︶
︵B︶凄博防“恥憶暮①.弓一Φ・ロαb↓帥図一のαΦωけΦβ¢讐遷竃ぎ琶げ葺︵運三・・3善頓ただし・私は・所蕩
取得法の制定が改訂の動機をなし奎版︵天七三年︶以降を薫し・廷にとどまるQ引用文は“§ミぴひ。。Qによる・
︵19︶ §恥㌣醤魚壕・U一。℃↓Φ仁舜O厭β口αげρ。げ点ロ自︸な℃o跨o犀2閃Φ器訂o︿oヨq。家a一〇。認器げωけ冒彗oユ筥一〇P一〇。認︸幹pた■
︹登記に老薯叢得という︺だけでは、まだ最後的には明確にされない.というのは・この形象の難讐書せる他の
︵切壕§““あ.ド。恥に引用されている︶肇、ヘーデマンは、所有叢窪に存豊記主警関連して・﹁も碧ん﹄勇式
要件が、登覆外な℃以漣、なお挿入されるか否かについては、それ︹諾主蓉は述ぺなかっ奈らであワ。Qしかし・
正にここでも、パンデクテン学説のするどい精神は、清掃的に作用した﹂と述ぺて・その例乞て・登記霧の実質的審査主
︵2。ζ..詳“鷺・薙・。も、欝婁翔して、この点に言﹁プ・イセンの立馨隻配した饗は薩乎たるもの︵§一、o
義の廃除、原因から無因の形式的審査主義を挙げている︵轄魯§§ざ口ρ¢80。︶。
㌦ロの&﹃Φ.一、とその発馬譲 三杢
一橋大学研究年報 法学研究 3
8匡お窪α︶ではなかった﹂と述ぺている。
︵21︶ 諸条文は、本文に掲げるもののほか、さ滋長国押ψO鴇に網羅的に挙げられている。
ω一b恥諺9富悔いoげ同﹃
三六四
︵22︶ その法律関係はしかし、かなり複雑で問題がある。詳細は、b魯暮§ミ・互げ目αq・菌目ど¢b。這︾昌唐.
劇㎝一〇。ど、専象零−問ミ量吻﹂HHあまひを参照されよ。
四 残された問題
こうして、フェルスターの異常な努力により、後期普通法学説は、当時のプ・イセンの社会経済的諸事情に支えら
れて・プ。イセン所有権取得法に定着した。クライネは、﹁冒ω器蚕昌はブルジョア階級の利益に即応することはで
きなかった。ブルジョアジーにとって好ましい規制は、彼らの商品を彼らがもっとも大きな利得を得ることができる
者に売却することを許す規制である。⋮⋮より大きい利得の獲得のために契約の信義に違反することは、資本主義的
生産方法の基礎の上に立つ支配階級の内部では、正当なことなのである。かくして、多くの声が一偉。跨α畦。旨の廃止
を要求したことが理解される﹂、と説く︵困9き︾¢賂h2・幹。。。︶。マルクス主義者としての彼の一一一一口辞はやや刺戟的で
はあるが、パンデクテンの抽象的完結的な体系学が、資本制社会における経済的優者に優先的利益を与える一九世紀
的な自由競争、経済的自由放任主義と結びつきうるものであったことを本制度において確認しているという意味で、
彼の主張は基本的に正当だとしなければなるまい。
だが・この余りにも割り切った体系学の貫徹は、新たな問題を惹起する。すでにみた州法主義者の反論には再びふ
れない。しかし、同じ憂慮の声は、すでに審議の過程で、前向きの姿勢をとる者からも現われている。
われわれはこれを、サヴィニーの無因的物権契約理論を発展・拡大させたべールの一八六九年一月二三日の衆議院
における討論に聞こう。べールが、所有権取得法草案の基本的立場に賛成し、したがって国8匡N旨の8区につい
ても、﹁私はこの原則の支持しえないことを承認する。だから、それが廃止されることに同意する﹂、と述べるのは当
然である︵切簿きψお︶。しかしそれにもかかわらず、実務家としてたえず実際を顧慮し、のちの利益法学によって彼
らの先駆者とみなされただけあって︵U寒蕊彗の﹂畠︶、彼は、草案の基本的立揚を手放しで称賛してはいない。衆議
院で討論に立った彼は、﹁本草案の起草者がその原則の論理必然の結果だと信じた﹂実質的審査主義の廃止に関連し
ても、﹁私は、本法案がこのまま日の目を見れぱ、それは取引の束縛からの有益な解放としてよりは、むしろ、すべて
の可能なペテンや詐欺師を自由にしたのだと思われはすまいかを恐れる。われわれは、そのようなことはできるだけ
避けなければならない。しかり、本草案はその本質的な補充のために、より広汎な法律を、とりわけ詐欺的譲渡に対
する非常にエネルギッシュな法律⋮−を必要としはすまいかを疑う﹂︵切寒き¢章に所収︶、と述べるのであるが、車
案が登記を決定的なものとしてその第一契約者による取消を排除してしまったことについて、﹁私は、第三取得者はい
かなる者も保護されるべきだということを、正義の要請だと認めるわけにはいかない。私の考えはこうである。ただ
誠実な取得者︵ぎ髭臣o卑矩①3R︶を保護する必要があるだけである。これに反し、不誠実な︵旨巴即まΦ︶取得
や、結局はこれと同一視されうるような関係は、取消から免れるぺきではない﹂、と主張するのである︵ψ畠︶。
しかし、所有権取得法はこれを解決することはできなかった。いな、普通怯理論のシェーマの貫徹に心を奪われて
甘の&お目とその発展的消滅 三六五
一橋大学研究年報 法学研究 3 . 三六六
いるフェルスターにとっては、その解決の意図すらなかったにちがいない。
その後、判決には、所有権取得法成立後は第三者がより早い権原を認識していても、州法の口o。窪Nξの8富の
ような物権的な保護はもちろん、債権的請求権としての金銭賠償義務も生じない、とのライヒス・ゲリヒト第六部の
一八八九年三月二五日判決︵O盆9膨窪繋図図図昌どψ逡o。中‘2け命︶や、無因的物権契約理論と登記主義とをと
る所有権取得法の下では、物権契約と登記とがなされるかぎり、第二取得者は、彼が債務者の第一契約者に対する詐
害的意図を熟知してこれに協働しても、所有権を適法に取得し、不法行為責任も生じない、との立揚を宣明するライ
ヒス・ゲリヒト第五部の一八九一年六月三日判決︵○聲昌詔酵,.図図図く︸ψ二〇二ひ2円﹂8︶等がでたが、パンデ
クテン学者としてはもっとも実際的考慮にすぐれたデレンブルクは、これらを見て、﹁判決は、近代法の原則に照らせ
ばかかる結果を容認することは避けられなかった﹂とするが、これは、﹁“不動産詐欺” ︵O旨星ω艮畠茜き器お一︶の
ゆゆしき特許状だ﹂と憂えるのである︵U馬§鯉ミ笹写ぼダHあ﹂8︾昌幹曾謄昌①§む母㌍ヵ﹂員ψ醇。一︶。そのほ
かに、州法主義の立揚に立つ実務家からの実際上の弊害を訴える声は、ドイツ民法典制定当時まで鳴り止まない。
しからば、州法への逆行によってではなく、前向きの姿勢でドイツではいかなる解決がとられうるか。それが、次
の時代の課題である。
第九章 ドイッ民法典︵死oo年︶の下での法形成
ー特定物債権の保護強化の再現1
第一草案
一 第一草案は、一八六三年ザクセン民法典︵切津茜R一・の霧①言玄一魯臣巳自霧因α巳讐鼠&の8駐窪く﹄﹂陣窪遭お訟・︶
にすでに先例のある総則から相続までの五編の体系をはじめとして、後期パンデクテン法学の成果をとり入れ、あわ
せて、一八七二年プロイセン所有権取得法をも参考とした。
理由書では、物権と債権の体系的分類と、その峻別の立揚から、プロイセン一般州法とフランス民法典の構成が批
難される。﹁古い諸法典、とりわけプ・イセン一般州法とフランス民法典とは、しばしぱ債権法的規定と物権法的規定
とを混湧している。それらは、いずれの権利にも、間接的にではあるが物権にも、存在する対人的方向から出発し、.
債権をただ物権の取得ないし変更のための手段としてのみ取扱っている。かかる方法は概念的対照に適合せず、権利
関係の本質の洞察を困難にし、それゆえ法規の正当な適用を危うくする。﹂︵墨§蛋日わ一︶ そこで、権利の概念的
対照を明確にし、法規の正当な適用を確保するには、物権と債権を体系的に分類し、さらには、それぞれの権利を生
ぜしめる物権行為と債権行為とを各々独立のものとし、前者は抽象的な契約として、後者の無効・取消は前者の効力
に影響を及ぼさない、とされなければならない︵H¢這ざ目ψい弘目ψo︶。
一羨pq器自とその発展的消滅 ﹃ ’ 三六七
一橋大学研究年報 法学研究 3 三六八
この物権と債権の体系的峻別の基本的立揚から、プロイセン一般州法の物権取得の﹁権原と方式﹂§巳塗”誉a塁
理論、およびこれと密接に関連する甘ω&器ヨの第三者に対する効力の批難されるのも、当然である。
﹁プ・イセン一般州法によれば、特定物に関する対人権はいずれも、その物が権利者に引渡され、ないしはその権
利が抵当登記簿に登記されることにより、物権となりうる。これは、かつて広く流布したこ男8窪N葭ω跨富..の理
論と関連する。それによれば、物権取得には二つの要素が考えられる。幻Φ。詳も薮留畠①.、を基礎づける取得のた
めの権原︵臼一琶︶と、この権利を閑Φ&∼逼蔦象Φω8ぼ.、︵冒ω巨8︶に移転させる取得方式︵浮≦Φ旨§鵯胃け︶
とである。普通法の今日の学問では、この理論はもはや全然支持されていない。近時の立法は、不動産に関してはプ
・イセンの立法もまた︵一八七二年五月五日所有権取得法四条、一五条︶、それを排斥している。実際、一般州法の立揚は
支持しうるものではない。けだし、それは対物権と対人権との対照の誤認にもとづくものであり、それゆえに、物権
法領域と債権法領域との境界をあいまいならしめる結果となるからである。物権取得のためのその権原︵艮琶︶は、
それ自身、物権譲渡を求める対人的請求権にほかならないのである。それゆえ、それは物権法には属しない。物権法
は、その独立性を保つために、物権取得を自己の領域に存する視点によって規制しなければならない。﹂︵目ψい︶
他方、これと対照して、﹁債権関係によっては、疑いもなく、それにもとづく当事者間の対人的権利関係、すなわち、
債権者が債務者に対し給付を求める対人的請求権、その給付を実現すべき債務者の対人的義務が基礎づけられるだけ
である。債権関係の効力それ自体は、債権者ならぴに債務者その人をこえるものではない。債権者の対人権は、同時
に、債務者の給付によって彼になされるべき権利の第三者による取得を妨げない。たとえこの第三者が、その取得の
ときに、かの対人権を知っていたとしてもそうである︵冒ω鑑お目はない︶。いわんや、その債権者の対人権の存在
により、同一物の給付を求める他の債権者の対人権の実現が、その債務者ないし第三者の側から妨げられたり、影響
されたりすることはない。﹂︵HH¢卜⊇ご
二 こうして、第一草案は、物権法と債権法とを体系的に分類し、さらには、両法域を自己完結的に劃然ならしめる
ために、物権行為を債権行為から独立的で無因的なものとする無因的物権契約理論を導入し、そのことによって、物
権は物の上への直接支配権、債権は債務者の行為のみを要求しうる相対的対人権、という周知の権利概念の対照的把
握を理論上も必然的なものとして確立し、もってパンデクテン体系を純粋・極端な形で貫徹しようとしたのである。
償権の物とは切り離された債務者の行為への要求権としての対人的相対権としての形成は、実にこのようにして、
パンデクテン体系を背景にもつことはもちろんであるが、さらに、これを完全な形に高めたドイツに特徴的な独自的
かつ無因的な物権契約理論の導入と不可分の相互関係の中で、論理必然的なものとしてのその最後の完成をなしとげ
たのである。その際、プロイセン一般州法と異なり物権法定主義をとるドイツ民法典の体系の下で、物権へ移行する
ことなき債権のカテゴリーに入れられた賃借権等をも、一九世紀パンデクテン法学に特徴的な概念の一般化が、たん
なる対人的相対権として把握したことは、もちろんである。そして、ここに同時にまた、償権のうち雇傭契約など
﹁なす債務﹂とは異なる、物の支配・利用を究極目的とする特定物債権の物との特殊関係も完全に捨象され無視され
て、ただ、物権と対比された債務者の行為への権利としての債権一般の概念規定のみが、あたかも超歴史的な真理か
ヤ ヤ
のように通用することとなったのであり、そしてまた、そのゆえに、多、の後の紛糾の原因ともなったのである。
冒ω卑山話旨とその発展的消滅 三六九
一橋大学研究年報 法学研究 3 三七〇
ここではもはや、一応は債権でありながら引渡だけで直ちに物権となりえ、かつ、引渡を受けた第二取得者の悪意
を条件にその物権取得自体を否定して、その引渡を要求しうるというーパンデクテン学者からすればその基本体系
に真正面から抵触する1甘聰器8旨の受け入れられる余地は、全くなかったわけである。ここに、プ・イセン州
法の男。99畦留9①は、すでに所有権取得法で廃止されていた登記に親しみうる不動産権についてのみならず、そ
の他の不動産ならびに動産権についても、すぺて廃止された。ここでは、右の所有権取得法さえも因Φ昌欝薮ω8ぽ
の代償物として拡大・案出して採用した物権譲渡を求める債権的請求権の﹁仮登記﹂すらも、体系の純粋性、債権の
ヤ ヤ ヤ
相対効を犯すものとして、譲渡禁止仮処分の登記もしくは仮差押による損害賠償請求権の保全でその正当な必要性は
充たされるとの強弁の下に、拒否されている︵日ψ。。鴇R︶。
なお、無因的物権契約理論が、右にみたその体系構成の大前提とされていることのほかに、これと関連することで
あるが、煩雑と遅滞を惹起する登記手続の原因行為にまで及ぶ実質的審査主義の廃除という技術的な意味づけをも、
すでにみた所有権取得法を踏襲して与えられていることは、いうまでもない。しかし、これが、この目的のために論
理的に不可欠なものではなかったことは、先に述ぺたとおりであり、ドイツ民法典以外に物権取得の無因的構成をと
る法典の存しないことは、このことを有力に物語る。しかも、ここでは、かかる無因的構成の招来するかも知れない
物権変動と債権的原因関係との不一致の防止という問題は、﹁私法の立法の考慮すべき限界外に属することだ﹂と突
き放されている︵目一¢一ま埜一〇〇Mい︶。
二 批
冒の粒α厩o旨とその発展的消滅 , 三七一
ものへと転換させたのだ、と︵訓鳴私酬賄備灘肋理論、︶。
というドイッの伝統的な制度を巧みに利用して、これを、内部関係“外部倒係としての近代的な公示の機能を有する
である。そしてまた、物権の成立要件としての登記や引渡も、監督的徴税的機能をもった都市帳簿や古くからの引渡
に、物権移転行為が償権契約からさらに独立的存在として把握されるようになった、そのような段階に相応するもの
民法典の次元をさらにこえて、信用契約が普遍的形態となり、契約とその履行たる物権移転が事実上分離するととも
者間の契約”債権関係が物の現実支配から独立のものとして把握されるようになったフランス民法典︵詠醗外不︶や日本
い。すなわち、その構成は、古い時代の現実的支配としての所有権が観念的所有権へと移行したことに相応して当事
もしれない。われわれは同時に、すでに指摘されている・その構成のもつ近代的な意義をも無視することは許されま
一 独自的無因的物権契約理論 ー ドイツの物権変動理論について、私はこれまで、少し批判的に述べてきたか
︸フ。
えまい。のちの検討のためにも、かなり純粋な普通法体系をみたここで、この点に少し立入って問題を指摘しておこ
ような偉大なパンデクテン学者の圧倒的優位の下に編纂された第一草案は、このことを見失っていた、と評さざるを
体系なるものは現実のために存するのであって、現実が体系のために犠牲にされてはなるまい。ヴィントシャイトの
パンデクテン体系学のこの立法的表現は、その体系的整合性において、まことに見事ではある。しかし、法律学の
判
一橋大学研究年報 法学研究 3 三七二
それにもかかわらず、しかしながら、やはり問題は残されている。ドイツでは、第三者の取引の安全は公信の原則
によって保護されるべきものとされ、また現にされており、したがって本理論の主として機能するのは契約当事者間
においてであってみれば、物権的合意を債権契約から独立の行為として把握するのは理解できるとしてもーもっと
も、それを不可欠とすることはあるまい。特に動産売買においてはそうである﹂さらには、これを絶対的に無因だとして、
原因関係と物権移転との分裂・対立までを放置する理由はない。現に、ドイツ民法典にならって、公信の原則のみな
らず、物権移転につきいわゆる形式主義を採ったスイス民法は、それにもかかわらず、その無因的構成を採用するこ
とは、していない︵駄噛、恥繋曝威雛韓輻幕の竪環とっ瓢甦貼﹂︵羅誕欝終脂︶。
2 さらに、第二物権取得者との関係での第一︵債権的︶売買契約者の保護の問題も、原因関係とは無関係だとす
る無因的物権契約理論や次にみる債権の相対権的把握の立揚から、かつて所有権取得法につきべールやデレンブルク
が憂えた場合についても無視することは、実際上の取引倫理に合致しうるものではあるまい。
二 債権の相対効 − なるほど、物権と債権との後期普通法学的な把握は、すでに指摘されているとおり、封建
的土地所有規範の解体を通じての私的所有権およぴ個人の法主体性の確立という、近代的意義を持ちうるものではあ
った。サヴィニーの、物の直接支配としての物権と対比された債務者の行為を要求する権利としての債権の定義も、
彼が次のように言うとき、このような近代的意識に支えられている。物に対すると同様、他人に対する﹁支配が絶対
的なものだとすれば、それにより他人には自由と人格の観念は消滅させられよう。われわれは人格者を支配せず物を
支配する。われわれの権利が人間の上への所有権であるとすれば、それは、実際・iマの奴隷関係のようなものであ
る。:−われわれが他の人格者を支配するについて、彼の自由を破壊することなく存する特別の法律関係を考えよう
とするならば、それは、⋮⋮所有権とは異なった、他の人格者を全体としてではなく、その人の個別的行為に関する
ものでなければならない。その行為は、そのとき、行為者の自由から生じてわれわれの意思に従わされるものと観念
される。他の人絡者の個別的行為への支配のかかる関係を、われわれは債権○げ一黄碧一8と名づける﹂、と︵硫§膏き︸
ω蜜9Φ目︸一ψいいooい︶。
このことは、右に説かれているかぎりでは全く正当である。しかし、右の議論から直ちに、債権はすべて、七かも
その履行においてまでも右のようであらねばならぬかのように、債務者の﹁行為への権利﹂、﹁意思への権利﹂と規定
し、一般化することで事足れりとする後期普通法学的な把握では、﹁なす債務﹂についてはともかく、特定物債権につ
いては、古典期・iマ法のための﹁ローマ法体系﹂としては妥当しえても、近代法のためにはそれでは把握し尽せな
ヤ ヤ ヤ ヤ
いものが残るのではないか。
2 ここでわれわれは、概念の一般化により・iマ法的体系学樹立を志した後期普通法学の圧倒的支配の下に、不
当にも無視されてしまった・かの一八六六年のチーバースの主張に、果たして聴くべきものは全然なかったかを、今
一度想起したい︵第七章三の三−参照︶。そのとき、われわれの問題にとって、やはり債権は二つに分けて考察される
ぺきであろう。
第一は、その履行につき債務者の意思、肉体的・精神的活働の不可欠な﹁なす債務﹂である。ここでは、債務者の
意思活働を絶対的に尊重しなければならず、これを否定することは、正にサヴィニーのいわゆる自由と人格の剥奪で
甘の&冨目とその発展的消滅 三七三
一橋大学研究年報 法学研究 3 三七四
あり、・ーマの奴隷関係に通じよう。したがってまた、ここでは、二重契約者に対する関係でも、たとえその者がい
かに背信的競争者であっても、正に債務者の人格尊重ということの反射的結果として、債務者の自由な選択による履
行を、したがって第二契約の貫徹を、民法上の観点からは認めざるをえまい。第一契約者としては、債務者ならびに
第二契約者に対する金銭賠償で甘んずるほかはない。イギリス法における雇傭契約上の使用者の権利の規制も、物の
供給契約などとは異なり、正にこのようなものである︵期膿腿江鰍四︶。
3 第二は、物の給付を目的とする債権、とりわけ本稿の主題たる特定物債権である。ここではもはや、先の債権
の一般論は、そのままでは通用しえまい。﹁自然債務﹂をめぐって対立せるわが諸学説の基本的立揚の差異とも関連
しようが、ここでは、物の支配・利用が究極目的であり、法的にも、債務者の意思・行為による交付は、i重要で
はあるが1不可欠的な手段ではありえない。すなわち、すでにみたように、特定物債権についても物への現実執行
が承認されず、金銭判決のみを知る古典期・ーマ法や、これに密着して議論したグ・サトーレンにおいては、この揚
合も、物に対する関係は、債務者の意思、行為を要求する権利以上のものではありえなかった。しかし、近代法の下
では、一たん契約した以上、その後債務者が拒否しても、契約の目的物が債務者の占有に属するかぎり、債権者には
物自体への現実執行が承認されている。これを、サヴィニーの議論を一般化して、債務者の自由や人格の無視と解す
るのはあたらないし、よもや奴隷関係と考えるものはあるまい。﹁契約は守らるべし﹂の当然の要請であり、かつ、債
務者の人格を傷つけることなくもっとも実効的で簡便な特定物債権の実現手段にすぎない。つまり、近代法において
は、特定物債権については、その後の債務者の背信的意思は、その履行につき尊重する必要はないものと把握されて
いる。ここで顧慮されるべきものは、そうではなく、第二契約者の立揚である。第二契約者が登揚すれば、債務者の
背信的意思が貫徹されることのありうるのは、特定物債権においては、債務者のその後の自由意思を尊重すべきがゆ
えではなく、第二契約者の自由競争、債権者平等の原則を顧慮すべきことの必然的にもたらす事実上の反射的結果に
すぎない、と解すべきである。われわれは、第一の揚合と異なる特定物債権のこの基本的特質の明確な認識から、出
発しなければなるまい。
4 しかしこの揚合、チーバースの主張するように、債務者に対する現実執行の可能性から直ちに、第二契約者に
対しても、その悪意を条件にいわゆる閑Φo窪N彗ω8ぎが生ずる、と解する必然性はあるまい。ある権利をいかほ
どにいかなる方法で保護するかは、一つの法政策の問題であり、現にプロイセン一般州法と同様.物権移転に9き
鼻巳霧”旨a霧理論をとり、菖ε一臣たる特定物債権を国9窪国畦留畠①と名づけたオーストリー民法典は、それ
にもかかわらず、より・iマ法的権利体系に接近して、その第三者に対する効力を認めなかった。現在の問題として
は、第二契約者の自由競争は大前提であり、それゆえに、債権者平等の原則が立てられる。そこにまた、二重契約を
めぐる債権の相対的把握の意義がある。しかしまた、保護されるべきは、あくまでも正常な枠内での自由競争であっ
て、それを逸脱する背信的競合者までを放任し貫徹させるべき理由はない。このことは、いかなる理論構成が可能か
は別として、少くとも考え方においては、第二契約者が物権取得者である揚合も異なるまい。物権の債権に対する優
先ということも、あくまでも正常な揚合を予定した原則論的な議論にすぎず、しかも、ここでの問題は、一般第三者
に対して抽象的絶対的に作用する物権としからざる債権、という観点からというよりは、むしろ、同一前主に由来す
﹄岳陣山諾ヨとその発展的消滅 三七五
一橋大学研究年報 法学研究 3 三七六
る競合契約者相互間における相対的な優先・保謹こそが問題だからである。対人的相対権概念がア︸れらの点をカバー
しえないことが、逆に、認識だけで第一契約者を優先させる︸臣区8日の存置論者の論拠でもあった。弊害なき保
護をいかに図るか、所有権取得法以来の間題は残されている。ちなみに、不動産につき公信の原則の認められていな
いわが国では議論が紛糾しているが、この揚合、第二契約者からの特定承継人の保護の問題は、本来、公信の原則そ
の他により図られる筋合いのものであろう。
5 さらには、第二物権取得者が背信的でなく正常な取引によった揚合でも、ローマ法的相対権概念のたんなる沿
革・伝統に固執するのでなければ、一定の条件の下に、近代法上債権とされる権利を第二物権に主張させることも一
向に構わない筈である。揚合によっては、必要ですらあろう。
ことの当否は別として、すでにエールリッヒが、﹁使用ならびに用益賃貸借を・iマ法で債権として烙印した.︼とは、
イェーリングが洞察したように、ドイツにおいては存しない社会的力関係にもとづいたのであり、.︶こでは、使用な
らびに用益賃貸借は、債権よりはむしろ・ーマ的物権に近いにもかかわらず、それはなお・ーマ的圧力の下に債権に
組み入れられた。このことが、悪名高い状態を惹起した﹂と述べたように︵肉専騨鳶臣①︺仁擁一隆.。げ。U。αq蔚G一。。ψ8e、
そもそも、物の支配・利用を目的とする諸権利のうち、プ・イセン州法とは異なり、物権法定主義をとり物権と債権
を体系的に分類した近代法体系の下で、何を物権に組み入れ債権に組み入れるかも、必ずしも超歴史的な真理があっ
たわけでもあるまい。しかるに、一たん物権とされるや債権に対しては絶対的に優越し、他方、債権とされた権利は
いかなる揚合にも債務者のみに対する相対効で我慢すべきだ、ということで、現実が妥当に規律しつくせる筈はある
まい。ことは、債権のうち、いかなる権利をいかなる要件の下に第二物権取得者に対して保護すべきかの、立法政策
の問題にすぎなかった筈である。このような考え方は、体系の純化と債権の相対効の貫徹のために債権的請求権に仮
登記を拒否した第一草案理由書に対する、第二読会の多数意見の反論の一つとして、物権的請求権と債権的請求権の
区別は決して必ずしも条理によるのではなく、偶然的な揚合が多い、と述ぺられたとき、基本的には彼らの観念でも
あったろう︵く騨、きεぎ§㍉目の﹂S卑一げ$の。一零︶Q
6 一般第三者に対する保護 以上の同一前主に由来する競合契約者に対する間題と、しからざる一般第三者に対
する関係とは、明確に区別されることを要する。
特定物債権といえども、債権である以上、物につき無権利者である債務者との契約によっても成立可能な権利とし
て構成されており、そのぎりぎりの保証は、債務者を媒介してしか存在しえない。かかる権利に絶対効を付与して、
ヤ ヤ ヤ ヤ
ヤ ヤ
他人の権利を侵害することは許されない。ここに、特定物債権と抽象的絶対的な物権との基本的差異があり、特定物
債権が対人権とされることの近代的な意義がある。しかしまた、そうだとすれば、逆に、債務者が第三占有者に物の
引渡を要求しうる権原を有することの保証のあるかぎり、債権者をその保護に浴させることには、たんなる相対権と
しての沿革を別とすれば、支障はないことになろう。
三 以上のように考えてくれば、物権契約の無因的構成にせよ、それとも関係する債権の無差別的な対人的相対的把
握にせよ、それらが一定の社会経済的な意義・機能を持ちえたことは十分に承認しなければならないが、それにもか
かわらず、このようなローマ法的後期ドイツ普通法学の自己完結的体系学樹立の所産が、それだけで現実のすべてを
甘ω”αおヨとその発展的消滅 三七七
一橋大学研究年報 法学研究 3
三七八
妥当に規律しうる筋合いのものではなく、そこには、右に指摘した諸点についての修正克服、 保護強化が図られなけ
ればならない限界・宿命を宿していたと認められなければなるまい。
三 確定法以後の保護強化
はたせるかな、その後の立法・判例の動向をみるとき、すでに法典編纂の第二読会の段階から、事態は、現実の必
要性と純粋体系学の限界・弊害のゆえに、とりわけ特定物債権の保護強化、特定物債権をめぐるパンデクテン体系の
緩和・修正の時代へ入っていることを顕著に示す。われわれの制度は次にみる。ここでは、その他の特定物債権の保
レ
護強化を一瞥しておこう。
自的無因的物権契約理論 まず、当事者間の物権契約理論も、先に投じた疑問に相応して、物権的合意の債
といわれたものでしかありえなかったが︵欝鼻ψ撃。ε、その﹁無因性﹂についても、不動産と異なり︵竈誤ε、
者への通知を要しないたんなる当事者間の返還請求権の譲渡で足る︵伽。い一︶として、すでに民法典施行の年にコーラ
レ
ーによって﹁形式的には引渡体系、実質的には契約体系一と評され、ヘックによっても、引渡強制の通用は幻想だ、
渡人自身においても間接占有で足ると解されているそれでよく︵㈱。8︶、さらに、第三者の占有する揚合には、占有
1 動産 動産については、公示機能を営むとされる﹁引渡主義﹂︵紹賠一︶なるものも、占有改定で、しかも譲
は、無因性をとりながらも物権変動と原因関係との分裂・対立を防止する手段がとられつつある。
権契約からの独自性は維持されているが、その無因性はやはり破綻を生じ、一定の揚合には有因性を承認し、あるい
一 すでに確定法のときから当事者は原因行為の成立.効力を物権行為のそれの条件とすることを妨げられず、しかもこ
の有因性の許容は、明示的契約によることを要せず、個々の事案における事実認定の間題と解される程に広く認めら
れ、無因性の貫徹はきわめて不完全なものでしかない︵肉Q映§あ8。レ豆寒冬¢一曽︶。
2 不動産 ︵i︶ 不動産については、民法典制定後、立法によって原因契約と物権行為との一致・結合が図られ
てきている。
すでに一九〇〇年民法典でも、不動産所有権の譲渡は、ことの重大性にかんがみその義務負担の原因契約について
裁判所または公証人による証書作成を一応義務づけはした︵㈱ω一い︶。しかし、所有権移転自体についての物権的合意
は、右の原因契約証書作成とは管轄官庁を異にする不動産登記所でなされるべきものとされ︵溜駅同︶、かつ、物権的
合意は原因契約証妻くしξ受理え、物権的行為と登誓えあ荏、物権移転は有効となゑして︵智い︶・結
局は、原因契約証書作成の義務は底抜けとなり、無因的物権契約理論を貫徹していた。
だが、すでに一八七二年所有権取得法の審議においても、反対派から、物権契約の実質的正当性をいかに保証する
かの反論が提起されており、ドイツ民法典理由書では、先にみたように、その問題は私法の立法の考慮すべき限界外
に属することだと突き放されていたが、一九三四年になると、同年五月一四日司法省令で、物権移転の合意を受理す
る管轄官庁として公証人も追加された︵惚︶ため、原因契約と物権移転の合意とが、同一公証人によって証明される
のが一般的となった︵鳶、§鼻¢賦一︶。のみならず、右の原因契約証書が呈示されるか、同時に作成されるかしなけ
れぱ物権移転の合意は受理しないことにして︵励。︶、原因契約証書と物権的合意とを結合し、それによって両行為の
廿、p島域。目とその発展的消滅 三七九
一橋大学研究年報 法学研究 3 三八○
抵触を防止しようとするに至った。そしてこれらの規制は、一九五三年三月五日﹁民法の領域における法律統一の回
復に関する法律﹂により、民法典に規定されるに至った︵㈱鷲誤Hも誤四・︶。
︵五︶ さらに、判例も、物権契約の独自性をくずしてはいないが、その﹁無因性﹂については、原則を緩和している
ブラントは、一九四〇年に、ライヒスゲリヒトの関連する七八の判例を、従来ドイツでは意識されなかったイギリ
ス法の判決理由霊ぎ留。箆目9と傍論oげ詳曾良o$の区別その他を考慮して分析し、当時のほとんどすべての教科
書、コメンタール、さらには判例の説明に抗して、ライヒスゲリヒトの判例は、その一般論にもかかわらず、現実に
このことを、すべての揚合について言いうるかは問題かもしれない。しかし、判例は、少くとも、原因契約の目的な
は無因的物権契約理論をとっているものはない、と、当時にとってはショッキングな主張をした︵魍、§蟄ψ旨一中︶。
︵3︶
いし結果が良俗違反となる揚合、とりわけ暴利行為については、原因関係を顧慮して物権移転をも無効ならしめ、そ
の無因性をくずしている。のちに不当利得で処理されうるとはいえ、裁判所としては、実質上良俗違反の結果を惹起
ヤ ヤ ヤ
することに協力するのは、さすがに耐えられないことであったろう。ライヒスゲリヒトのコメンタールも、ブラント
︵4︶
の鋭い批判にさらされ、これを参照・引用している最近の版では、判例のこの事実を認めざるをえず、その表現に顕
︵5︶ ︵6︶
著な変化を示している。こうして、ドイツに特徴的な無因的構成は、ドイツでも多くの批難を受けている。
二 債権の相対効・− 動産 動産については、売買、賃貸借、使用貸借、寄託等の債権的占有契約にもとづく直
接却存者は、同一前主から九一三条の返還請求権の譲渡を受けて所有権等を取得した第二物権取得者に対して、自己
の前主に対する債権契約をもって抗弁することができる︵紹。。ひε。これは、実質上は債権にも物権と類似の保護を
与えるものであり、プロイセン一般州法等を想起させるが、ここでは、占有を取得した債権の特別の法定効果として
の抗弁権として構成されているわけである。なお、一〇〇七条。
2 不動産 ︵i︶ 不動産については、登記に親しむ物権の取得を目的とする働榊的請求権にも、結局は、現実の
必要性のゆえに仮登記が認められた︵㈱。。。。い卑︶︵<管等§ぎ§・目の﹂。N卑︶。
ヤ ヤ ヤ
︵”11︶ 登記に親し一一、ない不動産の利用権的債権、とりわけ賃借権は、その現実の曲脊を条件に、第二物権取得者に対
抗しうる︵窟認総一戸なお⑳鴇圃参照︶。これは正に、占有により特定物債権因。。窪N畦望9Φは物権となるとす
るプロイセン一般州法の体系を想起させるものであるが、物権法定主義をとり物権と債権を体系的に分類するここで
は、第一賃貸借関係の第二取得者への法定移転とか、さらには学説により状態債務などと構成されるわけである。
じ効力を付与しているが、登記にせよ現実占有にせよ認識可能性を要求していないことを理由に、ドイツ法の伝統に
ちなみに、一九四二年一二月一五日賃借人保護法一条四項は、現実占有を要せずたんなる賃貸借契約だけで右と同
反し弊害を惹起するとして、批難されているわけである。
マロ
これらの法的性格については、古くからドイツで議論がある。しかし、債権的請求権への仮登記の承認は、非ロー
マ法的な曲一一の”自.①日の廃止の代償物として一八七二年プ・イセン所有権取得法において案出されたものであり、賃
借権への対抗力の承認も、・iマ法的債権のカテゴリーに組み入れたことによる弊害を防止すべく、ゲルマニスト・
ギールケらの第一草案批判によって第二読会が採用せざるをえなかった制度、かつ構成であってみれぱ、純粋・iマ
ロ
法的観点からの概念規定を志す諸学説が、紛糾せざるをえなかったのは当然であろう。
甘のρα↓。目とその発展的消滅 三八一
一橋大学研究年報 法学研究 3 三八二
ここでは、思弁的パンデクテン体系学の債権の相対的把握が、現実に直面すれば必ずしも貫ぬきうるものではなく、
とりわけ特定物債権については、揚合により、現実占有にせよ仮登記にせよ、第二取得者の取引安全のための認識可
能性の具備を条件に、第二の物権に優越させて、物権に匹敵する保護を是認せざるをえない性質のものであることの
例証として、これらを確認しておけば足りる。
︵通︶ ちなみに、戦後の連邦裁判所等の判例は、戦争のため終局的放棄の意思なくして疎開した居住ならびに営業家
屋の賃借人に、その後に二重賃貸もしくは市当局の違法割当をうけた、あるいは割当廃止後の第二賃借人に対する直
接の引渡訴権を、現実の必要性を理由に︵鮪硝噺轍撒彫︶、動産の前占有者の︵本権︶訴権を規定する一〇〇七条の拡張.
適用により肯定している。立法者は不動産についてはこのような保護の必要性を予想しなかっただけであり、かかる
ハ ロ
必要性の存する以上、本条の適用による保護を動産と不動産とにおいて差別する理由はない、というのである。わが
罹災都市借地借家臨時処理法により優先権を付与された賃借権に、第二賃借人に対する本権訴権を承認することと、
同じ機能をもつ、と解すべきであろうか。
︵1︶ ドイツ民法典、ならぴにその後の判例学説による特定物債権の相対効の緩和.修正、契約当事者間における諸効力の物権
法領域と債権法領域への交錯の現実、無因的物権契約理論の破綻等については、一ミ価黛。㌣。嘆・男。擁澄巳β昌蓉ψ茸卑 卜。。︸.博一ψ
一ー象の論文や、しばしば引用してきた切養§蟄勲艶ρを参照した。以下の記述も、これらの示唆によるとア︶ろが大き.い。
︵2︶∼因き3N茎塞琶雪N§σ凝。目一諄自o曼§。劉望く。旨鴫粋αq二昌自亨①壁σq葬げ。し域畠浮のF象.一。。
︵一〇〇〇yω■ピ
︵3︶ 映騨き“ψ密ロ■︾艮野嵩頓廟罰ざ§ざ3ψω旨距P目’一刈をみよ。
︵4︶ わが国では、その基本的立揚はたんなる体系学ではないが、末川﹁物権法﹂︵昭三一年版︶八三頁は、厳密な無因性理論
をここでも維持している。
︵5︶ 枚挙にいとまのないほど各所の類似の説明に修正が加えられている。一例を挙げる。
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
笥Q因。詳o。︾偉中切①日①詩ββひQ討窪励o。圃い・ψ総は、﹁物権的合意は、その性質上、善良の風俗︵一三八条一項︶に反
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
するということはありえない︵巨o詳蒔器ぼ吋髄βロ︶。けだし、それはたんに権利変動を対象に持つだけであり、法律行為の
この内容は、いかなる事情の下においても︵信暮9富ぼ窪O唐馨診自8︶、反良俗的には現われ得ないからである︵犀即ロ昌︶。﹂
、︵切養3熱︸幹一い一より︶。
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
ところが、一〇版︵一九五四年︶の同じ箇所では︵四一頁︶、
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
﹁物権的合意は、その性質上、一般的には︵冒一巴蒔oヨo言窪ー︹挿入︺︶。善良の風俗に反しないであろう︵三〇嘗蒔器5
ヤ ヤ ヤ ヤ
妻マ自1︹修正︺︶。けだし、⋮⋮法律行為のこの内容は、原則的には︵8鴨一ヨ嵩蒔1︹修正︺︶反良俗的には現われない
であろうから︵類一aー︹修正︺︶。﹂
︵6︶ これについてのドイツの諸学説については、吾妻﹁独逸民法に於ける物権契約の抽象性﹂法協五一巻五号八五五頁以下、
同﹁物権契約概念の後退﹂一橋論叢八巻四号三六四頁。なお、我妻﹁ヘツク著無因的物権行為論﹂法協五六巻三号。
︵7︶ たとえばb蕊塾巴ひ∪一Φ<Rα冒σq賦oげ仁ロα貸o匡圃暮○ユωoげ曾因9耳ρG蟄︾ψ望’
︵8︶ フランスでも、賃借権につき類似の議論があるが、その実質は、ドイツにおけるよりもかなり弾力的であり実際的である。
、騨註9出愚ミ静け■一〇口。四ω&oけ幹い肉曹零“萌o蕊9§矯ミ矯壁い昌。﹄まご9ω∴q§苧q麟竃鉢9藍蓉■N昌⇒自。一〇〇一9ψ
︵9︶ たとえば、園Ω頃N刈ψ80。中︵一九五二年九月二五日第四部判決どU¢客霞ロσ霞堕2噛≦ 一εOψN訟い︵ベッターマ
甘ω餌α器ヨとその発展的消滅 一 ■ 三八三
一橋大学研 究 年 報
ンの批判も含めてyなお、
法学研究 3
肉o崎き9S”冒一〇qΦOげ“高︾露中
四 甘ω器8目の発展的形成物
冒︶ψN蹟い参照。
三八四
込はほとんどないと悪評を立てている。そもそもゲルマニステンすらも、この権利のドイッ的起源を恥じているよう
われることはできないものか? だが、・マニステンは、目下、閃Φ9言弩留畠Φを支持して戦ってみても成功の見
かかわらず、後者は、その物のすでに存在する債権法的かかわりを意識的に無視したことを理由に、無効として取扱
一体、われわれの法感情に合致するとでもいうのか? かかる揚合、 ”債権”と”物権行為”とのあらゆる分離にも
高値をつけてその引渡を受ける裏切りものの不信義な友人が、無条件にその所有権を取得するのだとすれば、これが
把握してはならないのか? 私がまだ画商の手許にある油絵を幸運にも手に入れたことを話すと、そこへ行ってより
だけで〃、かかる取得権原の認識はそれと抵触するすべての第三者の権利取得を妨げるという効果を伴うものとして、
﹁何がゆえに、特定物ないし特定の権利に向けられた債権︵〇三蒔彗9︶は、この対象︵の紹Φ霧鼠民︶を、 “それ
大原則﹂︵§織.鳴・HHψい︶なるものを批判したのち、刃Φo騨N珪の8冨の廃止にほこ先を向ける。
ギールケは、この点にも早速かみついた。ローマ法的対人的債権概念や、﹁物権行為の債権的原因からの独立性の
一 草案批判と確定法 − すでにみておいた第一草案ならびに理由書が発表されるや、多くの批判が現われた。
に、後期普通法学のパンデクテン体系学のもたらす弊害、その限界を克服しようとするものにほかならない。
本稿の冒頭で指摘しておいたわれわれのここで検討すべき法形成物も、機能的実質的には、以上みた諸現象と同様
(一
幅
︵⑩︶
にさえ思われる。⋮⋮理由書は、それを二つの言葉であっさり片付けている﹂と。
このようなプ・イセンーードイッ的意識はまた、法曹実務家には根強く残っている。たとえば、ポーゼン上級地方裁
判所判事マイスナーは、一八七二年プ・イセン所有権取得法による閑o。耳躍↓の8箒の廃止後の実際上の経験から
これを批判する。
﹁草案は、1その固持が明らかに体系的に不可欠なー物権と債権との対照を、ローマ法の意味でもっとも鋭く
貫徹している。⋮⋮本草案は、限定された数の物権だけを認めようとするが、プ・イセン一般州法によれば、占有な
いし登記によりいずれの権利も物権的効力を取得する。1この法観念に応じて、プ・イセン一般州法は、物権の取
得を求める債権的請求権、すなわち菊Φ。耳国畦ω8冨にも、事情によっては・−−第三者に対する絶対的効力⋮⋮を
付与する。この法原則が実質法と実際上の必要とにいかに非常に即応するものであるかは、これと反対の原則がプ・
イセン法ののちに通用してきた領域で示されている。⋮⋮プロイセン一般州法とは異なったこの原則は、実務︵ギ甲
邑ω︶において大きな弊害を惹起しており、かつ民衆︵<o詩︶における法意識︵因8げ密ぎ冨︶の強化に寄与していな
い。⋮⋮本草案は園①。匡国目ω8冨を承認するのを拒絶している。⋮⋮それを留保し、不動産物権のためにそれを
回復することが、実質法とドイツの法意識とに即応する﹂と。
︵11︶
2 しかし、多くのその他の点では功を奏したギールケらの草案批判も、その体系の基本にかかわる無因的物権契
ヤ ヤ ヤ
約理論やそれと裏腹の関係にある本制度については、容れられなかった。第二読会で、第一委員会で否定された物権
譲渡を求める債権的請求権の﹁仮登記﹂を復活させるのにすらも、消極派の、﹁プ・イセン法の領域でかかる仮登記の
甘ののqお目とその発展的消滅 三八五
一橋大学研究年報 法学研究 3 三八六
許容されたのは、同法で承認されていたーしかし、ドイツ民法典への採用の適当でない1旨ω&8日の流出物
だからである﹂との主張に対し、多数意見としては、コ霧践8目は問題とならない。それをドイツ民法典に採用
する意図は全くない。むしろ、合目的々根拠から、債権者に彼の対人的債権のために登記簿制度によって可能ならし
められる保護を与えることだけを、問題としているのである﹂と陳弁これ努めざるをえなかった空気の中では、甘ω
&お旨の復活などは、およそ考えられもしなかったことであろう︵等きぎ§目¢目ωh︶。
こうして、ドイツ民法典施行後の諸学者は、周知のように、その教科書やコメンタールで、次のように説いてきた
わけである。債権は、債務者に対して一定の行為を要求しうるにすぎない相対的権利である。それに反し、物権は、
債権的原因契約から独立かつ無因の物権的合意と、不動産においては登記、動産においては引渡とによって取得され
る。債権的売買契約にもとづいては、売主に対する所有権ならぴに占有の移転を求める対人的請求権を生ずるだけで
ある、と。しかし、じれは、あくまでも原則論にすぎなかった。
二 判例 − 法の現実は、決してこのような後期普通法学的な学説の段階に甘んじてはいなかった。いな、裁判
所としては、体系とは無縁な素朴な民衆の法意識と現実の必要性との前には、そこに止まることは許されなかった、
というぺきであろう。
ヤ ヤ
その法的性格はのちに検討しなければならないが、その意味するところの実質は、競合契約者の原因関係の顧慮に
よる無因的物権契約理論の克服、特定物償権の相対的把握の修正、つまり、保護に価いする正当な自由競争の枠を逸
ヤ ヤ ヤ
ヤ ヤ
脱した第二取得者に対する第一債権者の権利の貫徹、そしてその前握として、すでに指摘しておいた特定物債権者の、
その後の債務者の︵背信的︶意思・行為の無視の認容、と把えることができようかじ
なるほど、理由書や第二読会の議事録によれば、いわゆる債権の第三者による侵害につき、すでに法典編纂者も、
八二三条一項︵脚旺縛課批︶の﹁権利﹂侵害には絶対権のみが属するとして、償権にはこれを否定し、伝統的な絶対権・相
ヤ ヤ
対権の区別を不法行為法においても法形式上は貫ぬきつつも、あるいは過失ある保護法規違反の財産侵害として八二
三条二項︵脇陛縛藻靴︶により、あるいは故意の良俗違反の財産侵害との観点から八二六条︵鵬↑琿繰︶により、さらにはこれ
かし、先にみたように、プロイセン州法の力8騨国弩oo8駐を対人権と対物権との対照の誤認にもとづく
らの不法行為とならない揚合にも二八一条︵望蘇解︶の代償請求権により、その保護を図ることを考慮してはいた︵吻蝉一
)。
甘の&3日とその発展的消滅 三八七
代表的な判例をみよう。
物の占有、所有権、登記等の移転を請求しうるとして、第一債権の本来の目的の実現を図ったのである。いくつかの
第一特定物債権者は第二の背信的取得者に対し、同一前主たる債務者へのみならず、直接自己︵第一債権者︶へのその
とするとの二四九条とから、したがって、債権の相対権概念を法形式上はくずすことなく、不法行為法の構成の下に、
2 しかし、ライヒスゲリヒトは、故意の良俗違反の財産侵害を規定する八二六条と、損害賠償は原状回復を原則
ヤ ヤ
る。
現に、のちにみる一九二二年一月二三日の唯一の例外的判例は、理由書を引用して金銭賠償によるぺきだと解してい
あって、特定物債権について甘ω&器B類似の物の引渡による保護を与えることまでは、予想だにされてはいまい。
と非難し、債権の相対権的把握を強く固持した法典起草者にとっては、それはせいぜい金銭賠償を前提しての議論で
瀕鰍
一橋大学研究年報 法学研究 3 三八八
︵i︶ まず、引渡請求権の事案ではないが、一九〇五年の一判例が注目されるべきである。それは、八二六条と、一
般州法の沁Φ。窪国賃望9。を廃止した一八七二年プロイセン所有権取得法四条との関係を宣明し、かつ、損害賠償
は金銭賠償にかぎらないとしたものである。 “
沁ON爲”の一鴇︵一九〇五年一二月九日第五部︶
︹事案︺簡単化する。Yは、実親Zから取得した本件土地を妹Aに売却︵債権契約︶。Aはその後Xと結婚して夫婦財産制
をとり、両者が本件土地を占有する。しかるに間もなく、Aは、Xと不仲となり、そこを去ってY方へ寄宿する。Xはその後、
Yを相手どり、YがAと締結した売買契約の履行を求めて提訴。ところが、これを受けたYは、直ちに本件土地を前主かつ実
親Zに売戻し、所有権も移転。そこで、Xはあらためて、YZを相手どって提訴し、右売戻契約は、YA間の売買契約ならび
にAX間の夫婦財産制によりXに属する権利を無効化ならしめる目的で意識的協働の下になされたとして、その無効確認を求
める。他方、被告らは、土地明渡等を求めて反訴。
第一審は、原告Xの請求を認容して、反訴を棄却。控訴審は逆に、反訴を認容して、原告の請求を棄却。ライヒスゲリヒト
は三転して、第一 審 判 決 を 復 活 さ せ る 。
︹理由︺控訴審は、本件訴の法律的根拠として八二六条のみが間題となると述べながら、その適用を二つの理由から否定し
ている。﹁その第一は、一八七二年五月五日プ・イセン所有権取得法四条で述べられている原則iそれによれば不動産取得
者が譲渡請求権を基礎づける他人の法律行為がそれより先にあることを知っていても、その所有権取得を妨げない、というの
であるがーは、今日でもなお通用しており、そしてその点で、好計︵︾おユ馨︶すらも損害賠償義務を基礎づけえない、とい
うことである。第二は、本件の揚合、いずれにせよ、BGB八二六条を適用すべき事実上の前提を欠く。なぜなら、被告らは
一九〇〇年四月二五日の︹売戻︺契約を、もっぱら原告に損害を加える意図で締結したア一とは証明されていないからである。
むしろ、彼らは、その際、彼らに独自の利華⋮−において行動したのであろう。彼らはたんに原告を加害することを目的とし
たのではないから、善良の風俗違反も存しない、というのである。﹂
なるほど、﹁プ・イセン所有権取得法四条が問題となるかぎりでは、⋮⋮たんなる対人権は不動産につきそれと対立する権
利の取得を、たとえ取得者が取得の際にそれを知っていても、妨げることはできない。しかし、問題はさらに、いかほどにこ
の原則が、全く一般的な八二六条の規定により制限を蒙るか、ということにある。ライヒスゲリヒトは、すでに繰返し、次の
ように述べている。八二六条は取引生活における不誠実な加害に対処すべく規定されており、それゆえに、形式的権利の乱
用によりなされる行為も、それが他人に善良の風俗に反する方法で損害を加えた揚合には、適用されなけれぱならない、と
︵閃ON蚕ω、旨分験¢鴇N︸総ω﹄G参照︶。乱用された形式的権利が、たんなる対人権にうち勝つ不動産に対する物権で
あるという場合のために、これに一つの例外を作るぺきいかなる理由も存しない。﹂
また、﹁控訴審は、前述条文の〃故意〃 ︵<oお鋒昌魯ぎδの概念を、他人に損害を加、尽る意欲︵≦崖Φ旨。畦一。け9躍︶と理
解しているが、それは余りにも狭い把握である。むしろ、その行為が損害の結果を生ずるであろうとの認識だけで十分である。
国ON鴇ψ撃ど総の﹄三参照。﹂
﹁それゆえ、本件の揚合、被告は、彼が不動産の再取得に際し、彼の隠居分の確保を目的とするというその独自の利益を配
慮していたということによっては、八二六条にもとづく彼の責任を免れることはできなかったのである。もしその際、彼が、
彼の不動産の再取得により原告がその権利を破られるであろうことを予見し、そして、彼が彼の行為の結果を認識しながら所
有権の譲渡を受けたのであれば、かかる行為は、八二六条のその他の要件の具備するかぎり、同条で要求される善良の風俗に
反する故意の加害を 基 礎 づ け た の で あ る 。 ﹂
甘ψ銭3日とその発展的消滅 三八九
一橋大学研究年報 法学研究 3 三九〇
なお、この判決に対しては、プランクは、道徳に反する行為だとの非難を資格づけるには事実関係が十分には明ら
かにされていない、と断わりつつ、ライヒスゲリヒトは、すでに売却された物の悪意の購入は常に善良の風俗に反す
ヤ ヤ
る、ということを認容しているように思われる、との疑念を表明し︵ミ§鼻U冒・む8ψP中︶、他方、一九ニニ年
の一判例は、八二六条非該当性を述べるにあたり、傍論として、右の判決との抵触の存しないことの理由として、右
判決でいう加害の結果の認識とは﹁故意﹂の説明にすぎず、より早い他人の権利の認識の下に所有権を取得すること
が、直ちにいかなる事情の下でも善良の風俗に反する、とまで述べているのではない。そこでは、原告の権利を害す
る目的で譲渡人と取得者が共謀して協働したということのゆえに、善良の風俗違反とされたのであり、それが主張と
判断の骨子であった、と説明している︵匁ΩN一〇。ωψ舘N中一九ニニ年一〇月二〇日第七部︶。
それはともかく、こうして、二重契約につき、しかも第一契約が債権で第二契約者が登記等をも具備した場合でも、
原因関係を顧慮して良俗違反の不法行為となるとし、しかもそれは、金銭賠償にかぎらず、第一契約の実現に必要な
その他の手段のとられうることが宣明されたのである。パンデクテン学者としては実際的なデレンブルクは、右の判
決を参照してーその後の判決をみることなくー、﹁損害賠償としてはしかし、⋮⋮二四九条により原則としてその不
動産を請求することができるであろう﹂と喝破している︵導這創ミ℃む酵匁菌目あひいム︶。かの草案批判で疑問を投じ
ていたギールケも、早速デレンブルクを引用して、彼にしたがっている︵Q器暮♪目惚8ψ摯民詳︾昌目■嵩︶。そし
ヤ ヤ
てこれはまた、それより早く、多くの学説が、債権の第三者による侵害につき、八二三条一項の過失による﹁権利﹂
侵害該当性を否定するにあたり、その理由の一つとして、もしこれを肯定すればプロイセン州法の沁8騨国弩oo琴ぽ
を認める.︶とになる、いなそれより大きな効果を付与することになる、と言ったとき、すでに彼らの立揚でもあった
舞・
1︶ 原状回復については、翌一九〇六年に判決がでた。それは、右の一九〇五年判決を参照すべきことを指示し、
甘㎝ロ山3日とその発展的消滅 三九一
彼がその不動産を取得せず、したがって彼の干渉がなくその親積が土地所有者となったとすれぱ生じていたであろう状態を、
により原告の権利を無効化ならしめ、それにより原告に損害を加えた。それゆえ、BGB二四九条、八二六条により、隔は、
への配慮とを、受けていたであろう。そして被告脇、は、その土地取得に際し、このことを知っていた。そして彼は、彼の取得
応する事物の発展において、原告Xは、彼に葛により承認された地役権の登記と、その土地の上への家屋の新築に際し右権利
︹理由︺ ﹁控訴審は厳密な確証をもって次のように決定した。被告境の干渉がなければ、当然の、そして事実上の関係に相
およぴ、右地役権の登記を求めて、葛・砺の両者を相手どって提訴。第一審からライヒスゲリヒトに至るまで、原告X勝訴。
と主張して、右馬所有の隣接地にX砧間の契約にもとづく地役権を回復させ、それに必要なかぎりで砺の建物を除去すること、
建てた。Xは、隣接地の砺への所有権譲渡は、右X防間の契約を知りながら、これを無効化ならしめる意図でなされたものだ
の所有権譲渡は、磧にではなく、その息子砺になされ、馬は直ちにその土地にXの通行地役権の行使を妨げるであろう建物を
り、その隣接地をXに通行させること、およぴ、その地役権の登記に同意する債務を負った。しかるに、その後市自治体から
︹事案︺ 琉は、市自治体︵oo鼠鼻鴨目巴&︶から買ってまだ所有権譲渡︵︾豊器誓一茜︶を受けていない土地の一部をXに売
O旨&ω9璽答︵這8︶の・ξ一︵一九〇六年二月一七日第五部︶
を命じた。
八二六条、二四九条にもとづき、損害賠償たる原状回復として、かつては存しなかった状態を積極的に作出すること
(”
一橋大学研究年報 法学研究 3 三九二
回復する義務を負う、と。﹂
張するが、これは誤りである。BGB二四九条は、﹁≦一亀R冨諾琶言薦とは言っていず、賠償義務を、生ずる事情がなかった
上告理由は、この揚合は金銭賠償のみを要求しうるにすぎず、以前には全然存しなかった状態への回復は要求できないと主
ならば生じていたであろう状態への国o匿呂一ξ鑛と規定しているからである。それゆえ、損害賠償請求権者は、以前には全
然存しなかった何ものかをも、彼がそれを、加害者の妨害行為がなければ事物の通常の経過に従い取得したであろう.一とを条
件に、要求することができる。この原則もまた、ライヒスゲリヒトによって、しぱしぱ表明されてきている。﹂また、﹁BGB
八二六条は、その一般的な表現法と志向とによれぱ、形式的権利の不誠実な乱用にも適用されるものであり、それゆえに、そ
の︹八二六条の︺、その他の要件が具備するときは、対人的国。o詳N畦貯。富と物権との抵触の場合にも適用されねばなら
ない。﹂
不法行為責任としては金銭賠償のみを前提して議論しているわが国では、周知のように、債権にもとづく妨害排除
に関連して、不法行為責任・損害賠償は過去の損失の補償であり、妨害排除は現在の保護である、とのドグマが今な
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
お支配しているが、損害賠償として現状回復の肯定されているドイツでは、正に不法行為責任としての損害賠償が、
過去のみならず現在に及んでいる侵害の排除を、しかも、妨害物の除去のみならず登記移転の請求等をもなしうるも
のとして・機能していることを見落してはならない。フランスにおいても全く同様である︵斑族ル罵齢比瀕貯︶。もっとも、
この判決は・好ましからぬ・対人的勾9窪s畦留。富などという用語を用いているせいであろうか、先の一九〇五
︶ このような傾向に反する唯一の、かつ真の例外は、先に一言しておいた、伝統的な債権の相対効を強調する次
年判決とは異なり、ライヒスゲリヒトの公権的な判例集には登載されなかった。
(…
の判決である。
ヵON一8ψ章O︵一九ニニ年一月二三日第六部︶
︹事案︺ すでに紹介したことがある︵好美・一九四頁註7︶。簡単に記す。第一買主Xに売られたが、まだ引渡されていな
ってその引渡を請求。判決はこれを棄却。
い家具調度品を、第二買主Yが、そのことを知りながらより高値を提供して買取り、第一契約違反を誘致。Xは、Yを相手ど
する純粋に対人的な請求権である︵寒器国O国︶。ドイツ帝国の以前の地方法︵例えばプ・イセン一般州法ー条文略ー︶に
︹理由︺ 第一買主Xと前主との間の売買契約は、﹁売られた物の引渡と、その上への所有権取得を請求する買主の売主に対
存したような因①。算国一一殊ωp。げΦは、BGBによれば売買契約によっては基礎づけられない。﹂⋮⋮売主が他人に売却した物
を契約に違反してさらに第三者に売って引渡し、かつそれが第三者の良俗違反の不法行為によって誘致されたとすれぱ、第一
買主は、第二買主に対して八二六条にもとづき損害賠償を請求しうるが、それは、売主のなすぺき給付とそれに対する反対給
付との金銭による差額である。しかし、第一買主は、第二買主に対して、その物の自己︵第一買主︶への引渡1それは対人
的に売主のみが義務づけられる を要求することはできない。のみならず、それを売主に返還せよ そして売主はそのと
き、それを第一買主に引渡さねばならぬであろう という訴権も存しない。かかる請求権は、売主による第二契約の取消に
もとづいてのみ主張されうるであろうが、第一買主と第二貿主との間には、かかる請求権を基礎づけうる法律関係は存しない
からである。
︵短︶ この判決はしかし、間もなく、次の判決によって真正面から取り上げられ、反撃を受けた。これは、先の一九
〇六年の︵五︶判決を引用することなく、第一債権者は第二物権者に対して直接に物の引澱を請求しうるとしたもの
冒のpqお旨とその発展的消滅 三九三
一橋大学研究年報 法学研究 3 三九四
であるが、その際、債務者と第二物権取得者とを共同被告とし、第一債権者の債務者に対する残代金支払と引換えに、
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ち ヤ ヤ ヤ
被告らの連帯的引渡を求めた事案であり、かつこれを認容したものであることが注目されるぺきである。これにより、
債務者の意思の無視が何の弊害もなく認容されるわけである。ここでは、第二契約者に対する関係をみよう。
因Q凶一〇〇。ω﹄。。︵一九二四年一月二五日第二部︶
︹事案︺ これもすでに紹介した︵好美・一九五頁註−o参照︶。動産の良俗違反による第二取得者に対する第一買主の引渡請
求を認容した控訴審判決に対し、第二取得者が、右の国の凶一8ω﹄這を援用して、占有と非占有との差額補償の金銭給付
の み を 命 ず べ き だ と し て 上 告 。 上 告 棄 却 。
︹理由︺ ﹁BGB二四九条により、まず生ずぺき原状回復︵2暫葺3臣Φ議琶ξ凝︶の概念のそのような狭い理解には賛成し
えない。もちろん、物の原告への引渡によってはーそれは前に判決された場合と全く同様であるが﹂原告は売買の目的
物愈彼の売主からまだ引渡されていなかったというかぎりでは、損害惹起の事件の前に存した状態は正確には回復されまい。
しかし、⋮⋮損害賠償を義務づける事態が生じなかったならば存したであろう状態を回復すべき二四九条の規定は、たんに以
前の状況をのみならず、損害惹起の出来事がなければ経験法則上すべての蓋然性により生じたであろう事物の発展をも把握す
るものである。本件においては、原告は、Y︵売主︶とZ︵第二取得者︶との良俗違反の協働がなければ、Yとの彼の契約に
もとづきその引渡請求権をYに対し直接に貫徹することができたであろうし、そしてまた、1特別の事情の存しない揚合肯
定されるようにi実現もしていたであろう。﹂
しかし、ここで注目すべきことは、︵”11︶判決もそうであったが、右の判決は、前掲︵⋮m︶判決で問題とされた債
権の債務者に対する対人的相対権としての把握との関係については全然ふれず、もっぱら、損害賠償としての原状回
復の一般的意義の面のみから処理している、ということである。この結論ならびに態度は、その後の判例においても
変わらない。
以下は、ブラントによって収録されているゾイヘルト雑誌等に掲載された諸判決から、そのとる反良俗性の評価を
みておこう︵雨養醤鼻ψ嵩 o 。 中 ︶ 。
︵v︶ ω窪中毎8げごZ塊﹂硲の・器o︵一九二五年五月一八日第五部︶
︹事案︺ AはXに不動産を売ったのち、さらにこれを熟知しているYに売り、これに移転登記もした。Yの購入の動機はこ
うである。彼はもともとその不動産の使用賃借人で、そこで長年旅館業を営んでいる。他方、Xはその不動産を投機目的で買
い、かつ、Yと敵対していたのである。だから、Yは、Xから解約告知されてそれを失うことをおそれたのである。嘉実、Y
がその不動産を購入した日に、Xからの解約告知がなされている。判決は、Xの明渡請求を棄却して言う。
︹理由︺ 不動産所有権の移転を求める第三者の対人的請求権を認識しながら、その不動産を取得することは、直ちに善良の
風俗に反するとはいえない。そのためには特別の事情−原則として例えぱ計画的協働1が必要である。﹁本件では、だが、
Yの優先を資格づけ、もしくは支持するに足る事実状態が確認される。原告にとって投機目的で不動産を取得すること自体は、
自由である。だが彼が、その際、同時に、被告に対する敵対的意向に発し、被告により利用されているこの揚所を自ら必要と
もしないのにそア一から被告を追い出そうとの意図をもつならぱ、Xのこの振舞いは、倫理的観点から決して是認するに価いし
ない。他方、被告はその不動産を奪われると、長年そこで営んできた営業の継続を妨げられ、将来不安定な経済状態に投げ出
され る で あ ろ う 。 ﹂
’
つまり、こ.一では、プ・イセン州法の因Φ。げけN霞ω器冨と異なり、第二取得者︵本件Y︶のたんなる認識だけで機
甘ωpq励①.昌とその発展的消滅 三九五
一橋大学研究年報 法学研究 3 三九六
械的に第一買主を優先させるのではなく、両者の事実的諸関係のすべてが考慮され、一般の法意識にしたがい良俗違
反の有無という視点から弾力的に処理することが可能とされている。もっとも、いかなる程度で良俗違反ありと評価
されるかは、政策的考慮の入る余地が大きい。ドイツでは、すでにみた諸判決からもうかがえるように、﹁認識﹂にか
なり近いもので認める傾向も強いことは注目すべきである。次の判決もその一例である。
︶ の雲中︾8巨這2け圏o。ω・象N︵一九二五年六月二九日第五部︶
また・一名一8一ψ卜⊇卜。路δ︵一九三一年四月二七日第六部判決︶は、従来の多くの判例を引用して、加害者の行為の反
対する逆譲渡請求権︵肉言ぎ菖器窪一薦舞霧℃旨昌︶の存することを示唆する。
原告の加害の反良俗性を認定することは避けられない、と思料される。﹂こうして、判決は、二四九条により、被告に、原告に
り、そこで原告は大急ぎでその不動産を自分のものにしてしまった、との主張が証明されるならぱ、BGB八二六条の意味で
次のような被告の主張・すなわち・被告はその売買契約と所有権譲渡︵>島器ω毒αq︶の前日に原告に事情を詳細に説明してお
とで十分である。BGB八二六条のこの要件が本件で具備されているか否かにつき、上級地方裁判所は確定していない。だが、
しており・それにもかかわらず・被告に損害を及ぼすその不動産取得を欲し、したがって、条件付故意で行動した、というこ
︹理由︺ ﹁故意の加害の要件を充たすには、原告が、その不動産の所有権移転を求める被告の請求権の存在の可能性を予期
第て二審はYの請求を認容。しかし、ライヒスゲリヒトは原判決を破棄。
をもした。Yは、XがYの右行為を良俗違反だとして争うことを理由に、Xを相手どって、Yの所有権の確認を求める。
も受けていない。その後、Aはさらに、右の一連の売買契約を知っているYに、右不動産を売り、所有権譲渡契約と移転登記
︹事案︺ Aがその不動産をBに売り、BはさらにXに売った。しかし、BもXも所有権譲渡契約︵>自山国、。,ロ轟︶も移転登記
(.
良俗性の認定につき、以前の第六部はつねに特別の事情を要求したが、第二部と第五部とは認識だけで十分だとして
いる、と述べている。判例のこの二つの傾向は、学説によっても指摘されている︵宰苧い鷲訟目H一血︶。
その法的性格.意義 本稿の冒頭に述べたように、ドイツの諸学者は、この現象から甘の器擁目を想起して
冒のゆα噴。日とその発展的消滅 三九七
その要件においてのみならず、その倫理の方向・質に本質的な差異があり、両者は全く次元を異にしていることを見
ず第二契約者の背信の不許という観点から、特にその反良俗的取得の揚合にのみ第︸契約を優先させるこことでは、
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
する第一契約者の絶対的優越を引き出す自然法学説と、自由競争、債権者平等の原則を前提とし、それにもかかわら
ヤ ヤ ヤ
観にもとづくとするが︵ミ刷・象.導.・初一刈ω・い一一︶、意塁圭義と鐸雰背信の不許という観楽ら・第二契約者に対
が可能ならしめられている。ヴィアッカーは、この法形成物を先にみた啓蒙期自然法学説のそれと直結し、同じ倫理
レ
ンや不動産詐欺、不信義な裏切り者など、正常な枠を逸脱したものを、具体的事案に応じて個々的に押えていくこと
目指した自由競争を原則的には是認しつつ、しかもその際、べールやデレングルク、さらにはギールケが憂えたペテ
なければならない、とされている︵肉謡苧いあNま目ω㍉Hご肉跨§㈱N。Nも。︶。これにより、所有権取得法の制定者も
され、しかも、高踏的な哲学体系などからではなく、生活規範の性質に即した民衆の生ける法意識によって評価され
るが、加害行為自体のみならず、その動機、目的、用いられた手段、手段と目的との相関々係等々が、綜合的に考慮
そのほかに、﹁良俗違反﹂というふるいにかけられる。そして、一般的に良俗違反の評価は、いうまでもないことであ
− すでに明らかなように、プ・イセン州法では第二取得者の﹁認識﹂だけで劃一的に処理していたが、ここでは、
いるのであるが、しからば、右の保護は、プロイセン一般州法の国①。馨国畦の8冨といかなる異同をもつものか・
一二
一橋大学研究年報 法学研究 3
三九八
落して は な ら な い 。
もっとも・反良俗性とはいえ・わが国で一般に観念えているのとは異奮、二嚢約においては、第一一契約者の
﹁認識﹂にか奮近いものでこれを肯定する傾向の強いことは、留意すべきである..︸とは多分に政策的な問題であ
ろうが・螢的伝統のないわが国では、後期ドイッ普通肇奮馨れを踏襲したドイッ民法学の完成された物権.
債権の概念規定の導入と・その絶対禦らまず出発し、こ麓からめて畠競争という掛声が強調さ墾莫のに反
し、ドイツでは・このよう禽念墾2冗成菓ら存した・衡平という観倉婁がりう畠.・げ什・μ聴の陣。げ.と共
通の意識が根強く維持されてきて萱かつ、民法典においても、物権.債権の差異は絶対的な意義をもたず、直接
占有など﹁灘可能性﹂の橋集件に纏き慧ものを物穫主張させる諸規定を多−も.ている、という違い
が・両国の葎家の意識の董星み出したのであろうか.学説も、通説は、たんなる認識のみ奮ず特別の事婆
至嚢求しているが︵たとえぱ・多−い塞目α︶、ヴィアッヤは、正に先にみた民法典の鏡定の認識可讐
と共通の観点から犬二六条も認識だけ置ち撮用裏るべし、と主張しているほどである︵一勺.−。麟.導...男..α..ββ顧、
ω、§旨曼フランスの韓出奮意識窪た、このよう議稟か言強いし、さらには葉肇は、擬制信託
。。肇喜§舞毒つ震管ってではあるが、たんなる悪意の、もしくは善意でも無償の第二取得者は保護さ
れないとして・コメンターレンの碁三p費旨Φき言と同じ結論がとえているし、アメリカ諸州の法
ハせロ
律も・悪意第二取得者を保護しないことが指摘されている。
2 その適用の範囲も一応問題となる。
州法では、因Φ。窪国畦ω8ぽは、もっぱら物権変動をめぐる制度であった。これに反し、こア一では、物権.債権と
いう権利概念は問題とならず、良俗違反の財産侵害という事実の次元に還元され評価されるため、先にみた物権変動
をめぐる第二物権に対する第一償権の保護のみならず、たとえば賃借権のような債権相互、あるいは第一賃借権と第
二物権との間にも適用可能なものとなっている。
︵、匝︶
しかし、この差異は、法体系の差異による表見的なものにすぎず、実質上は同一に帰し、いずれの立揚でも、特定
物債権はすべての揚合に保護されているものであることを、見落してはならない。すなわち、パンデクテン体系をと
るドイツ民法典とは異なり、州法では、物権法定主義はとられていず、ゲヴェーレ法と類似して、特定物を求めるす
べての権利は国Φo馨国畦ω8ぽと名づけられ、引渡を受ければすべて物権となると構成されているから、われわれ
の特定物債権の二重契約における保護の問題は、そこでは、すべて物権変動をめぐる問題にほかならなかったのであ
る。
3 もっとも重要な問題は、物権取得を目的とする債権につき、州法とドイツ民法典との間には、無因的物権契約
理論の導入により物権と債権とが分離・峻別されたという質的転換の介在していることとの関係である。州法では、
物権と債権は一連のものとして蜂巳霧“旨a岳で連結されており、それなればこそ、すでに分析したように、因①。辟
N霞留。ぽは第二取得者の物権取得それ自体を、その悪意を条件に否定するものとして構成されえたわけである。独
自的かつ無因的物権契約理論を導入し、これと表裏の関係で、物に対する直接支配としての物権と人に対する行為の
要求権としての債権との対照を確立したドィツ民法典の下では、先にみたように無因的物権契約理論も一部はくずさ
オω帥島8目とその発展的消滅 一 三九九
一橋大学研究年報 法学研究 3 四〇〇
れ、債権の相対効も法規により一部修正を受けてきているとはいえ、州法の幻①。匡N弩留。ぼの構成を、右にみた
その要件の若干の政策論的修正だけで踏襲することは、明文規定でもないかぎり、理論上不可能ではないか、という
ことである。
判例は、もっぱら損害賠償の範囲という技術的観点からのみ論じ、この点と対決していないことは先にみたとおり
であるが、学説もまた、特に右の問題意識をもって論じているものは見当らない。
この点についてはしかし、八二六条、二四九条の構成での請求権は、不法行為にもとづく損害賠償請求権であるか
ら、これは一般原則からして債権的請求権にほかならない︵穿§︸鷲β舞︶。だから、ここでは、第一契約者は、第
ヤ ヤ ヤ
二取得者の所有権取得自体を否定することはできず、その反良俗的財産侵害i﹁権利﹂侵害ではなく!を理由に、
所有権.占有・登記等の移転を求める債権的請求権を新たに取得する、という構成になるわけである。これはまた、
・、 、 ︵16︶
あたかも契約当事者間において、一方では物権移転の無因性を維持しつつ、他方では実質関係の処理を債権的請求権
としての不当利得返還請求権でするのと、軌を一にする。ちなみに、このことは、動産・不動産ともに公信の原則の
採用されているドイツではさしたる実際的差異を生じないが、一般的に言えば、第二取得者からの特定承継人が現わ
れたときに、大きな意義を持つことになろう。
4 以上のようにみてくると、この法形成物は、ゲルマニストたちの批判にも応えて、二重契約における背信的第
二︵物権ないし債権︶取得者に対する第一特定物債権の保謹強化、その保護にあたり債務者の意思・行為の無視の認容
は認められるけれども、それにもかかわらず、ここでは、法形式的には、償権の相対権概念を否定してもいなければ、
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
p ︵9
債権を対物権としたのでもなく、さらには、無因的物権契約理論とも矛盾してはいないことが明らかとなる。判例が
このことを一貫して明確に認識していたかはきわめて疑問であり、現実の必要性の前に安易にこの方途によったにす
ぎないのではないかとの疑間もあるが、それにもかかわらず、これは、﹁認識﹂か﹁反良俗性﹂かという政策論的な面
︵18︶
のみならず、その基本的な法律構成においても、決してプ・イセン一般州法の閑Φ。巨N霞留畠Φへの復帰ではなく、
一方では、後期パンデクテン法学や民法典の基本的な権利体系を是認し維持しつつ、他方では、なおかつその硬直し
た体系学のもたらす弊害・限界を是正し、そこへ妥当な取引倫理を導入すべく、それを乗り越えての発展的な法形成
物であることが、認められなければならないのである。
そして、以上のことの明確な認識こそは、同時に、右の法形成物の法律構成がドイツに特徴的なパンデクテン体系
学や物権変動の無因的構成を前提にし、それによって必然ならしめられたものであるという、正にそのことのゆえに、
必ずしもドイツとはその体系の基本的構成や意識において同一ではないフランスや日本では、実質的には同一の保護
強化のためにも、異なった方途、構成が採られうるのではないか、というわれわれの問題への示唆をも与えうるので
ある。
︵−o︶9鮮9轟“∪震浮薯彗3ぎのげξぴq。岳畠魯○。ω。gゴ。冨目伍α塁α。馨の。冨男。。冥︼﹃①嘗一鉾一。。。。。あ■一。。。h●
︵n︶∼§帆寒§u器嘆①義蓉富匙頃。暑ぎΦ寓巳旨。匡巨αα曾浮薯葺胤α①ωα①暮ω昌窪客茜。二一畠Φ口Og。言菖。ぼ
なお、ギールケによって引用されている同じ批判者として、囚一σ℃℃①ど悶琴げρい冒8ゴがある︵勲勢ρ¢這O訪目戸一︶。
<o茜一〇一〇げoロα①パユ試のoげ①ooΦヨo﹃犀ロづαqΦP一〇〇〇ρψ一&R
冒の陣山おヨとその発展的消滅 四〇一
一橋大学研究年報 法学研究 3 四〇二
︵12︶oミ§§§b①あ。富山魯・・。垂募塁℃議昌駐。び凝彗訣畠国①↓。。霊讐Φpぼ蜀男の話聾げ①穿u。三げロ黄し8ρ
ψ。。一込畏q言麿喜犀警愈ピ①巨gのし8ρψ登㌘99肉き奪ヒ一。く霞一Φ藝轟量9呂げ督幕。募霧
仁け段すロ馨o国農巳ロ昌鯨一8“ω﹂$ー8︵好美・一七七頁、一七八頁註9、10︶。
︵13︶ ヘックは、代替的商品と珍奇物につき、具体的事例を挙げて、即Φ。犀N弩の8冨と、八二六条、二四九条とによる取扱
いの差異を指摘し、後者を妥当だとする。簿。鳶P昌ド
︵14︶ フランスでは、第三者による債権侵害につき、一般に、一三八二条の壁暮①は﹁認識﹂を要し、かつそれで足ると解さ
れているが、のちにもふれるであろう債権の二重譲渡における第一譲受人の保護も同様に解されている。これに反し、特に不
ヤ ヤ
動産の二重譲渡に際して、第二取得者が騰記を具備したときは、判例は、害意を要求しているが、学説には、登記法は第三者
の安全のためであって、悪意の者にプレミアムを与えるためではないとして、前者と同様原則論に従うぺし、との主張がある
ち ヤ
︵qo塁&嬉ミ︸¢一け畠一&ー冥9卜巳ミ一口。認頓匪2なお好美二一〇三頁以下、二〇五頁註8参照︶。なお、星野.二九九頁は、
登記済第二取得者の害意が要求されているとはいえ、﹁第二の買主が第一の売買を知っていたときは、殆ど常に害意によるな
れあいがあったものと帰結される、と学者は説いている﹂と報ずる。
8霧霞β9貯Φぼ巨9については、谷口﹁不当利得の研究﹂四四五頁以下、同﹁物権行為の有因・無因﹂︵民法演習H物権.
所収︶三二−三頁、アメリカ諸州の規制については、川島﹁民法1﹂一七〇頁。
︵15︶ 二重賃貸借につき判例をも挙げる、寅・寒葭層∪器目6器誘昌暮韻9Φ9①毫9罫UoNo巨げのH一〇畠︸ひFN︾βP︵這駅y
ω。∋賃借権につき簡単にではあるが、肉跨§㈱旨ρド
︵16︶ 卜。罫3ψひ中が、プ・イセン州法との比較ではなく、自己の主張する立法論との比較において、八二六条、二四九条は
債権的請求権であることを明言する。なお、肉霧馬ヨ・ゆ8・斜参照。
︵17︶ ブラントは、州法の︺蒙銭.①ヨについても、八二六条、二四九条の法形成物についても、以上のことを分析せず、漫
然と、ドイツ法の現実では、物罹契約は有因であるのみならず、肉Φo算N自の器冨は現存している、と主張しているにとど
︵18︶ たとえぱ、前掲︵i︶判決、力QNひNψごNが、第二売戻契約の﹁無効﹂確認をするのはいかがであろう。最後に挙げた
まる︵切ミ§騨噌ψ一毅播︶。
われわれの問題によせて
しては、第二取得者Yの所有権確認の請求は、一応は認めざるをえなかったのではないか。
︵W︶判決、の窪庸︾8巨ごZ目﹄おψいU団も、逆譲渡請求権を示唆するのは一般論としては妥当であるが、具体的事案と
第一〇章結語
冒ω&冨目はすでに過去のものである。それにもかかわらず、それは歴史的には、パンデクテン体系の、したが
ってまた近代法の物権・債権というもっとも基本的な権利体系の形成・確立、および、それと関連する物権変動理論
や特定物債権の把握の変遷とからみあい、それと表裏の関係にあった制度である。これらの問題との関連を十分に考
慮しつつ、甘ω&8日を跡づけ、それらの問題の今後の発展のための一つの踏石を築くこと、それが本稿の目的で
あった。そしてそれは、さしあたり以上の検討につきる。これを要約することはあまり意味があるまい。われわれの
問,題のためには、さらに、種々の点でドイツとは対照的な構成をとるフランス民法典について現在のフランスの学者
がいかような評価をしているか、さらにはドイツ民法典の体系についての現在のドイツの学者の評価・反省も知りた
いところである。それらについては今後の検討にゆずらなければならないが、本稿の検討からでも、私なりの感想が
冒ω費α3日とその発展的消滅 四〇三
一橋大学研究年報 法学研究 3
ないではない。以上の検討に若干の補足を加えつつ、私なりにわれわれの問題の所在を指摘し、
て結びに代え、今後の問題の発展のためにご教示を得たい。
債権の相対的把握の限界
四〇四
一応の考えを呈示し
− 周知の物権.債権という近代法の権利体系は、ドイツでは、すでに一六世紀の人文主義者アーペルにはじまる
特有の訴権体系をとる・iマ法、とりわけその法学提要を範とした体系学樹立の所産として、一九世紀中葉に至って
その完成を遂げた。それは、同時に、しばしば指摘されるとおり、封建的土地所有規範の解体と、近代的所有権およ
ぴ個人の法主体性の確立、さらには自由競争の確保という、近代的意義をも担うものではあった。しかし、それにも
かかわらず、一九世紀の・ーマ法的パンデクテン体系学が、物権・債権の権利概念を明確にし、物権法領域と債権法
領域とを各々自己完結的な独立のものとすぺく、無因的物権契約理論を案出し、そのことによって、一八世紀の﹁歴
史的﹂自然法学者で現実と体系の調和を求めたダルエスや、プ・イセン一般州法およぴオーストリー民法典では意識
されていた特定物債権の物との特殊関係を完全に捨象してしまい、﹁なす債務﹂も特定物債権も等しく、ただ、﹁債務
者の行為を要求する権利﹂へと切換え把握したこと、ここにやはり、その後の問題の紛糾の原因があった。債権の、
とりわけ特定物債権の物とは切り離された純粋に債務者の行為を要求する権利としての論理必然的な確立は、このよ
うにして、無因的物権契約理論の案出によるドイツに特徴的なパンデクテン体系学の形成・貫徹と不可分の相互関係
のなかで形成されたものであったが、ドイッ民法の確定法以降の立法・判例の動向をみるとき、輝かしい一九世紀ド
イツ・パンデクテン体系学も、現実社会に適用するや、無因的物権契約理論にせよ、債権の相対的対人的把握にせよ、
たちまちにして破綻を生ぜざるをえないものであったことを如実に示している。その思弁的な体系学は、その純粋な
形では、長い法史上、一九世紀後半のドイツにおける一つの歴史的意義を持ちえたにすぎなかったのである。ドイツ
の学者が伝統的な概念規定を一応維持しえているのは、ドイツ民法典の諸規定の構造によるにすぎない。
もちろんだからといって、プ・イセン一般州法等へ帰れという、誤れる歴史主義へ陥ってはならないことは、いう
までもない。われわれの問題は、右の体系学の果たしえた近代的な積極的意義を十分に尊重しつつ、それにもかかわ
らず、それのもたらす破綻・弊害、すなわち、われわれの問題でいえば特定物債権の相対的・対人的把握の限界を洞
察し、それをも総合的に考慮して、新たな権利体系ないし保護強化の方途を見出すことでなければなるまい。
2 その際、われわれはやはり、ドイツ・パンデクテン体系学によって完全に否定され、同一視されてしまった特
定物債権の﹁なす債務﹂等との異同、償権としては特定物債権にのみ存する物それ自体との特殊関係の考慮、という
点から出発しなければなるまい。
﹁なす債務﹂においては、債務者の行為・意思はその実現に不可欠のものであり、それは、文字通り﹁債務者の行
為を要求する権利﹂である。ここでは、その人格保護の観点から、その自由意思を無視する結果は許されない。しか
四〇五
し、﹁与える債務﹂、とりわけ特定物債権においては、この点は基本的に異なる︵第九章二の二2、3︶。
二 特定物債権の特殊性
廿の&8目と そ の 発 展 的 消 滅
一橋大学研究年報 法学研究 3 四〇六
従来、パンデクテン体系学の概念の一般化のゆえに、債務者の法主体性とか、自由意思、行為などという.︼とがこ
こでも強調されたため、特定物債権の債務者との特殊関係、したがってまた、物との特殊関係が軽視されてきた。し
かし、金銭判決のみを知る古典期ローマ法ではともかく、特定物債権についても物への現実執行の承認されている現
在では、代金支払等により債務者の抗弁権を消滅させる手段のとられるかぎり、もはや右のような債務者への顧慮は
不要とされている。これは、債務者の法主体性を否定するものではなく、むしろ、契約の履行を、もっとも人格を傷
つけることなく実現する所以にほかならない。物権であれ債権であれ、近代法の下では、契約当事者間においては、
この点に基本的な差異はない。すでに一三世紀、封建法学者が旨ω呂お旨と名づけたのも、正にこの現実執行の
面に着目し、その物との特殊関係を直観したからであった。
問題は、そうではなく、第三者関係にある。これについては、さらに、二つの揚合が分けて考察されるぺきである。
第一は、第三者が同一前主に由来する二重契約者の揚合であり、第二は、その他の一般第三者の揚合である。前者に
おいては、自由競争の顧慮が問題となり、後者においては、絶対的抽象的な権利主張の問題につながるからである。
いわゆる債権にもとづく妨害排除をめぐるわが国の議論の紛糾の一つの原因は、この点を明確に区別しないことにあ
ここでは、第二契約者の自由競争が確保されなければならない。物権相互では対抗要件を具備したもの、物
三 第二契約者に対する関係
る、と考える。
1
権と債権は物権、債権相互間では平等。これを確保するものの一つが、債権の相対的・対人的把握である。閃o。窪讐㎏
留o富を採ったプロイセン一般州法から所有権取得法への変遷は、これに相応する。この揚合、第一契約締結後、債
務者によってなされた第二契約が貫徹されうるのは、債務者の︵背信的︶自由意思が尊重されるべきだからではなく、
第二取得者のこの自由競争の保謹という考慮の反射的結果だと解さなければならない。しかし、保護されるべきは、
現代の取引倫理において正常と評価される枠内での自由競争であって、これを逸脱するものまでも保護する結果とな
るドイツ普通法学やその立法的表現たる所有権取得法の立揚は、是認できない。ドイツ民法典の下での判例による保
護強化は、この弊害に対処しようとするものであり、ここに、債権の相対的把握の限界もある。以上0ことは、債権
相互間にかぎらず、物権相互、物権と債権との間にも、同様にいわれなければならない。ここでの間題は、絶対的抽
象的な物権としからざる債権の争いではなく、むしろ、同一前主に由来する同一物の支配・利用をめぐる競合契約者
間において、いずれを保護すべきか、背信的と評価される第二取得者を貫徹させることが是認されうるか、いう問題
だからである。ドィッのみならず、フランスやイギリス、そしてアメリカ諸州とも異なり︵第九章四の三−およぴ同所
註14参照︶、ひとり妥当な取引倫理の導入に努めることなく、物権の債権に対する絶対的優位や登記劃一主義に固執す
るわが国の支配的意識は、正にプ・イセン所有権取得法の段階に停滞し、その後の進展に目をつぶるものではあるま
いか。
2 その際、ドイツで不法行為法の構成がとられたのには、わが法と異なり損害賠償責任として原状回復が肯定さ
れていることのほかに、次のことが考えられる。
冒。。a3旨とその発展的消滅 四〇七
一橋大学研究年報 法学研究 3 四〇八
第一は、それにもかかわらず、法論理上はあくまでも、債権の相対権概念、法鎖的観念を固持しようとすることに
ある。ドイツの法律家の意識によれば、八二六条、二四九条による第三者に対する保護は、物権的請求権でないア︸と
はもちろんであるが、八二三条一項の﹁権利﹂侵害としての債権の第三者による侵害を理由とするものではなく、良
ヤ ヤ
俗違反の財塵侵害を理由とするから、債権の相対権概念とは抵触せず、無縁のものだと考えるのである。ア︸のことに
よって、彼らにおいては、物権・債権の伝統的な硬直した権利概念との対決を巧みにさけつつ、弾力的な処理を可能
ならしめているわけである。そして、この伝統的な相対権概念・意識を今なお支ええているものの一つは、これによ
っても妥当な結論のえられる右のドイツ民法典の諸規定の構造だと考えなければならないが、それにしても、フラン
ヤ ヤ ヤ ヤ
行義務を負わないというだけであって、そのことから、他人間にかかる契約関係の存在する事実そのものを否定する
スの法律家が、いわゆる契約の相対効︵却張能︶なるものは、第三者は他人間の契約上の効果、すなわちその債務の履
ヤ ヤ
ことはできず、債権者の契約上の権利の意識的︵8霧9窪富︶殿損は不法行為責任の大原則からして許されない、と
説くとき、彼らの意識は、ドイツの法律家に比しきわめて弾力的である︵研弊び詫罵順秘︶。わが一般的意識もまた、この
点ではフランスに近いものであろう。
第二は、第二契約者が、とりわけ物権取得者である揚合が間題となる。独自的かつ無因的物権契約理論をとるドイ
ツでは、第二取得者と前主との物権的合意自体に無効原因のないかぎり、その原因関係が第一契約者に対しいかに背
信的であろうとも、物権変動理論の枠内では、伝統的理論にしたがうかぎり処理の仕様がないのである。ちなみに、
この際、不法行為法の債権的請求権によって処理することには、動産不動産ともに公信の原則の認められているドイ
ツでは、フランスとは異なり︵曜醗脚揃翻障九︶、特に第二契約者からの特定承継人の保護という考慮は作用していない。
二 だとすれば、不法行為法の構成によることはできないとしても、ドイツ民法典第一草案にしたがいパンデクテン
体系をとりながらも、物権変動理論についてはフランス民法典と同じ構成をとり、この点で決して物権と債権を峻別
してはいないわが法の下では、第二物権取得者を絶対的に貫徹させなければならない理論上の要請は存しないことに
なろう。動産については、フランスではゲヴェーレ的構成がなされ、わが国でも、対抗要件としての引渡は事実上無
意味化して公信の原則によって補われるぺきものとなっているから、以下は、典型的な姿を示す不動産にかぎる。ま
ず、各揚合を分けてそれぞれに固有の間題点を検討し、その後に、さらに総括的に補足することにする。
− 物権相互間 二重売買につき、ドイツで、反良俗的第二扮梅取得者に対する第一特定物愉櫓者の保護として論
じられる問題は、フランスやわが法典の構成の下では、多くの揚合、物権相互間の問題となり、第一の﹁公示なき物
権﹂と第二の﹁公示ある物権﹂との﹁対抗﹂、﹁第三者﹂、の問題として現われる。つまり、登記済第二契約者が特に悪
意.害意.背信的悪意等で取得した揚合には、第一物権者にとって、第二取得者は一七七条の登記なくして対抗しえ
ない﹁第三者﹂にあたるか、あたらないか、という形で。
ここでは、ドイツにおけるような理論的困難は一応存しない、といえよう。しかし、その代り、﹁対抗﹂問題で片付
くということのゆえに、かつてわが国では、登記は取引安全のための公示方法だからそれを信頼していない者︵”悪
意者︶まで保護すべき理由はないとして、公示制度の本質、機能という面から問題が提起されたため︵徹靴撒厭諭︶、同じ
次元で、公示の劃一性の要請という反論が出されるなど︵鯵数︶、事柄の本質が見失われてきた感がある。しかし、二重
甘ω銭冨ヨとその発展的消滅 四〇九
一橋大学研究年報 法学研究 3 四一〇
契約におけるここでの問題の中心は、一応正常な取引関係を予定している﹁公示﹂、﹁対抗﹂、﹁第三者﹂や、登記を信
頼したとかしないとかいうことではなく︵舩能齢鯨鯛牲陣韻鴇ザ雄励ガ旺鷺︶、 すでに述べてきたア︶とから明らかなように、同
一前主を起点とする競合契約者間において、正常な自由競争の枠を逸脱したと評価される不信義な第二取得者が、そ
れにもかかわらず、対抗要件にすぎない登記をかくれみのにして、自己の不信義を正当化することが是認されうるか、
ということでなけれぱならない、と考える。主張されている認識・害意・背信的悪意等の要件も、正常な自由競争か
らの逸脱、不信義ということの判断の1不可欠なー具体的一基準としての意味をもつものとしてのみ理解されな
ければならない。そして、不信義な者は保護に価いしないということの、物権変動理論における既成の法概念の枠組
の中での法的結論・説明の手段が、﹁第三者﹂にはあたらない、ということなのである。だから、.一れは、どちらかと
いえば、第三者にあたらないことについて異論のない﹁不法行為者﹂に接近するカテゴリーのものとして理解される
ぺきものである。最近の判例、とりわけ下級裁のそれが、物権変動にかぎらず賃借権についても、さらには二重契約
ユロ
にかぎらず一般的に、背信的行為者の保護を拒否する傾向を示しているのも、共通の観念に立つものと解される。フ
ランスでは・ドイツと同様不法行為責任としての原状回復の方途にょる立揚と、判例のたてる﹃害意はすべてを無に
する﹄︽砕程ωoヨ⇒壁8旨仁日b§という原則により物権変動理論の枠内で処理する立揚とがあり、害意とはいえ、か
なり羅に近客ので肯定裏て臥縄・の芝詳細縁るよ直、そ逡の業観念暑にのべをとでのり、た
だ、その評価が、わが国の支配的意識よりもかなり緩やかであるにすぎない。このように把えると、わが従来の通説
むロ
の反対論拠は、説得力あるものではない、と考える。
2 債権の二重譲渡 同様のことは、特定物債権ではないが、これと類似して準物権行為ともいわれる指名債権の
二重譲渡についても、妥当しなければなるまい。
ドイツ法系では、合意主義をとり、ただ、第二譲受人は善意であれば保護されるとして、第二譲受人の善意悪意で
区別しているが︵群鰻辺給靴孟ハ姻細︶、他方、わが国やフランスでは、物権変動と一貫して、合意と対抗要件主義をとる︵即
卜黙蹴旭煉射×鮒峨搬灘粉筋猷鰍博紳隈紘肪榔卯都P妾館正識鶴諸鉱細離︶。これにつき、わが国では、物権変動理論についての通説的感覚
から、前者は主観にかかわり相対的で不安定だとされ、後者は債権の排他的帰属を公示し、画一性、安定性に富むと
称賛されている︵謙罫蔀嬬聡︶。
しかし、不動産登記のように官庁に登録簿でもあるならともかく、このような方式では債権の排他的帰属を第三者
に対して公示しうるとは言えまい。フランスでは、第三者に対する公示方法としてはきわめて不十分なものにすぎな
いことは、一般に承認されていることである。問題は、画一性、安定性の名の下に、公正証書を作成したとの一事で、
第二譲受人、譲渡人、債務者等の詐害的共謀により第一譲受人を害してまでも背信的第二譲受人を保護することが、
是認されてしかるべきか、ということである。
ドイツ法系が第二譲受人の善意悪意で区別することは先にふれたが、フランスですらも、右のような結果は決して
是認されてはいない。判例は、対抗要件を具備した第二取得者が﹁悪意﹂︵“認識︶でさえあれば、第一譲受人に主張
しえないとしており、学説もまた、対抗要件という方式は第三者の安全のためではあっても・悪意者に響肘び秤益を
与えるためではないとして、これを支持している︵く馨卜&ミヤロ。謡曾硫§§§し・一昌。一&︶。もっとも、この﹁認
宕のaお旨とその発展的消減 四一一
一橋大学研究年報 法学研究 3 四一二
識﹂、﹁悪意﹂なるものを、物権変動につき、公示は信頼保護のための制度だから云々という公示制度の機能.本質と
いう技術的な次元で把握した、かつてのわが国の議論と同一視してはならないことに、注意すぺきである。フランス
では、一般に、第三者の債務者との認識ある協働による債権侵害は不法行為となる、との原則が確立されているが、
右の揚合も、これと同様、それだけで取引倫理に反する背信だと評価され、それゆえに、それに対抗要件という上塗
りをしてみても意味がない、とされるのである。たんなる認識だけで左右することが妥当かは、わが法意識の下では
議論がありえよう。私もまたこのような評価には、いささか抵抗を感じないではない。現にフランスの判例も、不動
産の騰記については、一般的に贈与についての一〇七一条が準用され、したがって第三者の善意悪意を問わないとさ
れているため、とくに﹁害意﹂1といっても実質は﹁認識﹂にかなり近いーを要求しており、必ずしもその態度は一
貫しているとは言いきれない︵なお第九章註14参照︶。ともかくも、しかしながら、一般論として、現在の取引倫理から
是認しえない背信的行為と評価される揚合にまで、対抗要件の一事をもってこれを保護すべき理由はあるまい。
3 物権取得目的の特定物債権と物権 従来わが国では、ωの物権相互間の問題が、不法行為法による余地がなく、
もっぱら物権変動理論の枠内で公示なき物権の対抗問題として論じられたことと、実際上も、契約だけで物権を取得
するとの法の構成のゆえに物権相互間の問題として現われる揚合が多いため、ここでの問題は不問に付されている。
また、物権相互間においてすらも悪意とか害意を問題としなかった支配的空気の中では、いわんや、対人的相対的債
権を絶対的物権に主張させるということは、考えられもしないことだったのかも知れない。
しかし、正にこの揚合こそ、法的には、契約と引渡とで所有権は取得されるとの葺巳臣“旨&臣理論をとるプロ
イセン一般州法における甘。呂器9はもちろん、無因的物権契約理論の導入と物権・債権の概念的対照を確立した
ドイツ民法典の下での不法行為法による保護の典型的な揚合であった。わが法の下でも、償務者に対してその引渡や
所有権移転を請求しうる段階にあり、あるいは、自然の経過によれば所有権ならびに占有を取得しうぺき第一特定物
債権者であるかぎり、これを害する背信的第二取得者に対し、前者を保護すぺき志向は、先の諸揚合と異なるまい。
債務者に対し代金未払等のある揚合は、これをも共同被告として、債務者への代金支払と引換えに、連帯的引渡等を
パ レ
求めることにすれば、弊害はない。
しかし、第二取得者に対する関係の理論構成は、かなり困難であろう。ここではもはや、先の諸揚合のように、第
一債権者にとって第二取得者を﹁対抗﹂、﹁第三者﹂の問題として処理することは、不可能である。揚合は一応二つに
分けられる。第二取得者が公示︵”対抗︶を具備した揚合と、しからざる揚合である。しかし、すでに検討してきた
ように、物権相互聞でも、ここでの問題の核心は、﹁対抗﹂﹁第三者﹂という通常の揚合を予定した物権に特有の技術
的構成にはないと解し、かつ、特定物債権の相対的把握の歴史的役割・限界の認識の上に、その弊害なき保護強化を
図ることに積極的意味を認めるわれわれの立揚からすれば、一方では、わが法の下では物権たりとも原則として有因
でしかなく、かつ、登記は有効な権利関係の存在を前提としてのみ意味をもつものであり、他方、特定物働鞭とはい
え、現実の法律問題としては、それが権利の実際的目的の実現として物権への転換と物の利用を具体的に妨げられる
という利害の衝突の揚において現われるのであるから、債務者を顧慮する必要のないここでは、背信的︵登記済︶第
二取得者は自己の物権を主張しえず、したがって第︸契約者は、あたかも償務者に対すると同様その権利の貫徹を主
一仁ω帥α同。.一一とその発展的消滅 四一三
一橋大学研究年報 法学研究 3 四一四
張しうる・と解して2いと考える.先にみたウンガーも説く▽マ法的後期普通法学的な論謬義ぱ、債務者の
行為を要求しうるにすぎず物とはかかわ&なく、したが・てまた第二の物讐は本来抵触問題の生じうる余地のな
い筈の特定惚婁監橘.︶を、それにもかかわらず、その動的具体的実現過程を考慮して、モ七条の﹁第三者﹂に
あたると正当にも解している有力な立揚︵鰍咳痛確聴槌鯉ビ舗林私燗瑚醐醜雛鵬︶は、裂返して一そう突きつめると、右の議
論と結びつきうると考えられる。
4 その他の特定物債権と物権 だとすれば、第二取得者が取引倫理に反する背信者と評価されるかぎり、物権取
得を目的としない利用権的債権についても、同じ保護を認めてもよいのではないか。かかる債権といえども、その争
いの揚においては、物の支配・利用を奪われるという利害の対立した形で現われるし、物権の債権に対する優位.保
護ということも、正常な自由競争の枠内においてのみ、妥当視されるぺきだからである。とりわけ最近の下級裁の諸
判例がすでに墓しているように︵購灘註︶、債権が、薯等を得れば対抗力叢得しうべき不動産賃借権の揚合に
は、このことは一そう強くいわれなければなるまい。もっとも、これらの揚合の保護は、第二の物権取得を全面的に
否定する必要も・晃し之毫由裏く、あた奮対抗力叢得した賃借権高様、第覆権貴体的実程必要
な範囲で制限勃ば号る・髪詮、対抗力を取得した賃借権については、第最響の背信の有無を問わず、前
主との賃貸借関係が当然に第最響景継窺るべ慧のであるから、特にここで検討す雲.︺とはな曇馨︶.
5 最後に、特定物債権者相互間が問題となる。この際も、債務者としては、それぞれの契約の趣旨にしたがい、
いずれの債権者の要求にも応ずべき立揚にあるかぎり、契約締結後の債務者意思を考慮する必要はない。問題は、も
っぱら競合債権者間にある。伝統的債権概念からすれば、債務者以外の第三者とは何のかかわりもないとされる揚合
であろうが、そのような議論の行き詰ったところから出発すべきことは、すでに述べたとおりである。債権が相対権
とされ、債権者平等の原則が立てられるのは、正常な自由競争の確保のためであり、そして、ここではそれにつきる
あ
のであるから、第二取得者がそれを逸脱して背信的と評価される揚合には、たとえ第二取得者が引渡を受けていても
その優先は否定されるべきである、と考える。ドイツの不法行為責任としての原状回復が、このような場合をもカバ
ーすることについては先に述ぺた。フランスでも、この揚合、第一契約者に債権者平等の原則を破る一種の優先的特
権の生ずることが明言され︵警言畿ミレNも。$o︶、たとえぱ、原則としては占有を取得した者が優先する二重賃貸借
につき、第二賃借人が債務者と共謀して第一賃借権を害した揚合には、判例・学説とも、第二賃借権の優先を否定す
る︵肉§塁㍗切ミ騨姓斜旨。一ひ09GQ§&萄3eど昌。一a︶。
三 補足 以上検討してきたことは、特定物債権の相対的把握を原則的には是認しながらも、その果たす積極的役
割のかげに必然的に伴う限界をこえる揚においては、そしてそのかぎヶで、もはやかかる絶対権・相対権の把握に固
執すべき現代的意義はない、との基本的立場から、特定物債権を、正にかかる揚合をも妥当にカバーしうる権利とし
て措定することを、具体的な揚において追求してみることにあった。しかし、債権の相対権としての伝統的な権利概
念や思考方法の前では、これをして必要性によるたんなる政策論的主張として終わらしめないためには、先にみた個
麦の揚合を総合して、それらのすべてを通じる統一的原理を求めることが、さらに要請されるかもしれない。ア一れに
ついては、折にふれて述ぺてきたフランスにおける保護の観念が、・示唆を与えよう。
言ωp自冨目とその発展的消械 四一五
一橋大学研究年報 法学研究 3 四一六
ヤ ヤ ヤ
手 フランスでは、表面上、議論が非常に分れているようにみえる。
まず、前主と第二契約者との共謀による第一契約侵害については、前主については︹第一︺契約上の義務違反であ
るが、第二契約者の責任は、一三八二条の不法行為責任としての損害賠償でありうるのみだ、との主張が有力になさ
ヤ ヤ ヤ ヤ
れていることに注目すべきである。ただ、ドイツと同様不法行為責任として原状回復の肯定されているフランスでは、
債務者の契約上の鼠葺。と第二契約者の不法行為法上の貯暮Φとは、結果的には被害者である第一契約者に対して
は同じものとなり、両者は連帯責任として、所有権・登記・占有等の移転をしなければならなくなる、というのであ
る。これは正にドイツにおけると同じ扱いであるが、これにそうものとして、いくつかの判例も挙げられている。先
︵5︶
に述べた債権の二重譲渡に関する諸判決も、このようなものとして引用されている。これらの判決例をいちいち検討
する余裕はないが、債権の相対効を前提するかぎり、一応筋の通った議論ではある、といえよう。
しかし他方、すでにコメンタトーレン・バルドウスがなし、系譜的にはのちのプ・イセン一般州法の勾①。耳国ξ
留。冨にもつながりえた蓼ぎ評巳鼠蜜の拡大と同様に︵第四章三の一2︶、一一六七条の詐害行為取消権きぎ昌
評巳一窪器は﹁不正の行為にもとづく補償︵旨留旨巳鼠︶の訴権﹂だとの観念で︵蔑§ミ・↓β密訟ひ目・留母婁9註・
一一痒げジ・。総圃︶、判例により、その特定物債権保護への拡大・類推の現象の見られることが注目される。もっとも
学説は、いうまでもないことではあるが、詐害行為取消権は責任財産保全の制度だとの建前から、右の訴権は本来の
8ぼ8b帥巳一窪犀ではないと断わってはいる︵肉曹黛山寒騨き§け﹄け。ご輩︶。それはともかく、この判例による拡
大・類推によって確立された原則こそが、先に物権相互間を検討した際にふれた﹃害意はすべてを無にする﹄︽写卑易
o目β笹8畦ロ誉且畠という原則である。害意ある第二取得者は対抗問題における﹁第三者﹂にあたらないとの議論は、
二重賃借権等についても一般的に妥当するこの大原則の、物権変動理論における一現象形態にすぎないのである。し
かもさらに見落せないことは、先にみた二重契約における第二契約者の不法行為責任の根拠づけに、正にア一の暫。菖。昌
評巳一魯冨およぴそれを支配する観念としての﹁害意はすぺてを無にする﹂の原則が、持ち出されていることである
︵卜&§け。認u−口−葛§§§け﹄け。ひ。。︶。
つまり、﹁第三者﹂にあたらないというにせよ、契約それ自体での保護にせよ、あるいは不法行為法の構成によるに
せよ、それらすべてに共通の観念は、詐害的行為という反倫理的な異常事態においては、騰記とか物権とか債権とか
は決定的な意義を持たず、害意者は保護されるべきではない、との原則なのである。想えば、ドイツの不法行為法の
構成による保護も、正にこの観念の実現にほかならない。
2 これに反しわが国では、同じく詐害行為取消権を規定しながら、これを手掛りに、特定物債権のこの方向での
保護︵駄團醐厄伍至一緬一 二 ︶ が 伸 ば さ れ な か っ た の は 何 故 か 。
これについては、第一に、債権者代位権による保護強化が両者において逆の傾向にあることとともに、まず法文の
対照的な規定が挙げられよう︵卿嘱酔衛屍諌ガ知民︶。 わが法と異なり、フランス民法の規定はきわめて簡単で、それだけ
に議論を発展させる余地がある。まず、わが法では﹁裁判所に請求スルコトヲ得﹂る権利として、代位権に比し窮屈
な感を与えるが、フランスでは、少くとも明文上はかかる制約はない。さらにわが国では、﹁総債権者ノ利益ノ為メニ
其効カヲ生ス﹂︵珊紅︶とわざわざ規定しており、これが判例︵款曄闇鍬欲眺逸一〇〇記加︶でも学説でも決定的な障害とされている。
冒ω呂8日とその発展的消滅 四一七
一橋大学研究年報 法学研究 3 四一八
フランスにはこのような規定もない。のみならず、債権者代位権︵却級勉︶が債務者を代理して債務者の名において訴
えるにすぎない権利と解されているに反し、詐害訴権は、当然のことながら、﹁自己ノ名ニオイテ﹂︿窪一。自琴誉
博.。β昌。一﹀とわざわざ明定され、しかも、詐害行為を﹁攻撃スルコトヲ得﹂含窪お艮−緯鼠盤R﹀と漢然と規定し
れは、本来の詐害行為取消権ではありえない。むしろ、硬直した権利概念のもつ限界、それのもたらす弊害を矯める
して、四二四条の詐害行為取消権を支配する基本観念を類推する努力をこそ、払うべきではなかろうか。もちろんこ
りとするのではなく、むしろ逆に、四二五条は金銭的補償のみを想定したもので、特定物債権にはかかわりはないと
本稿の検討によって得られたわれわれの認識に立つならぱ、四二五条を援用して直ちにその保護を拒否して事足れ
関係の認識の欠如が、あったのではないか。
人権概念の無意識的な神聖視︵?︶が、そしてさらに、それとからんで、特定物債権の債権としての物に対する特殊
世紀的自由放任主義の次元での自由競争の過大評価と、それとからんで、それを支える継受された絶対権と相対的対
さらに第二に、わが国では、先にも述べたように、ドイツやフランスでは倫理観の導入により克服されている十九
拡大・類推は見易い理で あ ろ う 。
債権者代位権と異なり利用価値がある、とされている。これだけのおぜん立てが揃えば、その特定物債権保護への
揚合を除けぼ、詐害訴権の行使者に特権的に帰属する、と解している。そして、それなれぱこそ、詐害行為取消権は、
ロ
てあるにすぎない。そこで、解釈論としても、判例も学説も、わが法の規定や債権者代位権とは異なり、そしてまた
ヤ
沿革から離れて、自己固有の権利︵象o詳冥83︶を自己の名において訴えるのだから、それによる利益も、破産の
H、
ための信義則の運用であり、その一つの具体的指針、手掛りを詐害行為取消権の規定に見出そうとする意味をもつに
︵7︶
すぎない。先に個々的に検討したことも、この信義則の運用を、具体的な揚それ自体の中でその固有の論理の枠内で
追求しようとの試みなのである。
︵1︶ 好美﹁登記劃一主義の緩和・修正﹂手形研究︵経済法令研究会︶四九号で、物権変動ならぴに賃借権についての、ここで
問題としていることに関するわが積極諸判例を概観しておいた。なお、船橋﹁物権法﹂一八三頁、林良平﹁公示されない物権
変動の効力についての若干の問題﹂民商雑三九巻五四二ー五頁参照。
︵2︶ 肉愚畦㍗切。蕊9き饗3けるP。Na分GQ§9職ミ鳩ρ一旨。軍ρ“Nロ。89卜&§闇ロ。認軌IHHー︸牧野﹁民法の基本間題﹂
第四編二一九頁以下、星野・前掲、好美・二〇七頁、本稿第九章註14。
︵3︶ 背信的悪意者は﹁第三者﹂から除外されるべしと主張される舟橋教授から、通説への反論が出ている︵不登法七六頁以
下、前掲書一八四頁註e︶。おおむね賛成であるが、私なりにまとめておこう。
消極説も、肯定することの理論的困難を指摘するのではなく、そのもたらす弊害を問題とするようである。しかし、主観等
にかかわらしめると訴訟が面倒になるということは、理由にはならない。当事者の主観に効力のかかわらしめられている制度、
規定は、枚挙にいとまのないほどある。第一契約者の方で立証できなければ、害意等なし、とされるだけである。登記の劃一
的公示の機能という問題は、無因的物権契約理諭と登記の成立要件主義を採ればまだしも、わが法の構成の下では、登記と真
実との不合致はいくらもあることで、はじめから貫ぬかれてはいない。理想としては努力すべきだが、問題は、取引倫理に反
ということにある。第二契約者からの善意の転得者の保護の問題は、登記と真実の合致しないその他の多くの揚合とともに、
すると評価される背信的第三者を保護してまでも、もともと穴だらけの劃一的公示という理想論を、ここでのみ強調すぺきか、
甘ω四山お旨とその発展的消滅 四一九
一橋大学研究年報 法学研究 3 四二〇
公信の原則のとられていないわが法における一般論に還元され、そこで討究される必要があろう。ここでのみ否定のために持
ち出すだけでは、やや筋違いの感を免れまい︵なお、後註7︶。ちなみに、以上の反対論は、公示の信頼、善意・悪意という
︵4︶ ドイツの実際の処理の仕方はそうである。たとえぱ、第九章四の二2︵短︶判決、閑のN一〇〇。ψ総中
段階でのかつての議論を前提しての、利益衡量の結果だからではないか。
れているから、同じ取扱いがされているものと考えられる。
フランスでも、のちにみるであろうように、通常、契約相手方と第二取得者とを共同被告として連帯的責任を問う、と説か
︵5︶さ。壷昏鼠−↓邑鼠昌8言需①け℃§β奉αΦ一騨3。。℃8器匡ま。三一αひぎξ①一一①卑。8匿。言Φ一一ρ幹一⇔。二畠p■
一︼一轟♪け、卜oβ。一〇軌9恥§§蔚3壁一昌。・軍♪軍ざけ、N昌。ひ09卜&ミ矯ロ畠謹9刈誤玄の■
︵6︶墨ミ§§き︾“Nけ。皿一ω。。。。9幹為曹異−き蕊§喚§け。二£Nし&即さむq価§鼻u80器山。酵o津9≦一”“。β。二〇。即
一〇一一・
︵7︶ 二重物権譲渡に際しての背信的登記済第二契約者の特定承継人の保護にふれておく。従来消極説から、第二契約者が一七
七条の﹁第三者﹂にあたらないなら、その無権利者からの特定承継人は善意でも1公信力がないから1保護されないこと
になる、という反論がなされてきた。フランスでは、判例は第一契約者を保護し、学説は、何れを保護するのが妥当かの政策
的考慮の差異もからんで議論が分れているようである︵星野・前掲︶。不法行為法の構成によればともかく、物権変動理論の
枠内で、従来の論理の操作でいくかぎりでは、第二契約者の特定承継人の保護は困難であろう。しかし、結論的には舟橋教授
の主張と似てくるが︵不登法七七頁、前掲書一八五頁註︵一︶︶、次のように考えることは許されないものだろうか。
すでに述べたように、ここでの問題は、﹁対抗﹂﹁第三者﹂が中心ではない。正常な原則的な揚合であれば、第二取得者が登
記を具備すれば、反射的に第一契約者の物権は消滅し、第一契約者からは﹁対抗﹂﹁第三者﹂など問題となりえない事例であ
る。それにもかかわらず、未登記第一契約者を保護しようとするのは、競合契約者である第二取得者に正常な自由競争の枠を
逸脱した不信義があるという、正にそのことのゆえに、かかる者を保護して第一契約者を犠牲にしてはならない、かかる者を
して自己が物権者であると主張させてはならない、という考慮によるものである。﹁第三者﹂にあたらない、というのは、ア一の
揚合、ただそれだけのことを既成の法概念の枠組みで表現しているにすぎない。だとすれぱ、特定承継人が、彼自身において
さらに不信義ありとされる揚合は別として、しからざるかぎり、もはや右特定承継人に対する関係では、第一契約者を保護す
ぺき理由はない、と。ちなみに、これはまた、詐害行為取消権の解釈とも相応しよう。
四 一般第三者に対する保護
一般第三者に対する関係は、甘の&8日それ自体のかかわる問題ではなかった。しかし、本稿の検討からも、示
唆を得ることはできよう。
一 すでに述べたように︵第九章二の二6︶、ここでの問題は、先の二重契約の場合とは明確に区別して考察されなけれ
ばならない。ここでは、二重契約の揚合のように、債務者がそのいずれにも義務づけられている関係にある第一、第
二契約者間の相対的な保護の優劣が問題ではなく、かかる関係に立たない一般第三者に対する抽象的。絶対的な権利
主張につながりうるからである。特定物債権といえども債権である以上、物につき権原を有する債務者とのみならず、
権原なき債務者との契約によっても成立可能な権利として構成されており、したがって、物とのぎりぎりの関係は、
債務者の地位・権原を介在し、その有無に依存する権利にすぎない。ここに、とりわけ債権については、他人の権利
甘の帥含8目とその発展的消滅 四二一
一橋大学研究年報 法学研究 3 . . 四二二
への侵害を防止しなければならないとされる所以があり、そして、それを確保する手段としての意味をもつものとし
て、債権の相対的対人的把握の意義がある︵誼舳畷静ザ徽瀦瀦評購齢源硯劔蹴卜轍嚇︶。正にここに、一般第三者に対する関係での、
ヤ ヤ
特定物債権の、抽象的絶対的な物権との基本的差異がある。われわれの特定物債権の保護強化の問題も、この点の明
確な認識から出発しなければなるまい。債権が占有を取得すれば物権的請求権を承認してもよいということを、一般
命題として主張したり、債権も権利である以上不可侵性ありという抽象的演繹的方法で直ちに物権的請求権を肯定し
たり、さらには、これを前提にして故意過失等の要件を附加するだけでは問題の解決となりえないのは、物権と債権
の右の基本的差異にもとづく︵傭醸跡仁四︶。
︵8︶
しかしまた、債権の相対的把握の近代的な積極的意義が、一般第三者との関係では以上のことにつきるとすれば、
この要請に反しない限度でその保謹を強化することは、必要悪としてではなく、古典的相対権概念の限界の前向きの
修正・克服として、むしろ、積極的意義を認めるべきであろう。
二 以上の基本的観点から、われわれの問題をみるとき、次の方向が見出される。
− 債権者がすでに物の占有を取得している揚合には、占有訴権により実質上終局的保護を受けうるから、問題は
︵9︶
ない。ドイツやフランスでも、とりわけ賃借権保護に関して、占有訴権が重要な機能を果たしている。なお、債務者
が無権原者であれぱ、債権者は第三本権者の本権訴権で奪われることがありうるが、これはむしろ、債権の妥当な保
護の限 界 と し て 、 望 ま し い こ と で あ る 。
2 問題は、占有未取得の特定物債権の保護である。
こ.一では、先の二重契約の揚合とは異なり、債務者が登揚し、その第三占有者に対する権利の有無が問題とならざ
るをえない。債務者が第三者に対しマ物権的請求権であれ、たとえば契約終了による債権的請求権であれ、物の引渡
を要求しうる権利を有する揚合にのみ、債権者はその保護に浴することが正当視されうるにすぎないからである。も
っとも、この揚合でも、その保護に浴する前提としては、債務者の地位を恥翌ρ侵害しないために、履行期到来や債
務者の同時履行の抗弁権を消滅ざせる必要があり、したがって、物が債務者のもとにあれぱ直ちにその引渡を請求し
うる、したがってまた強制履行をなしうる、という関係の存することを要しよう。そしてまた、これだけの条件が具
備すれば、債権者を第三者に対し直接に保護し、その引渡を要求しうるとの方向での保謹は、先の二重契約における
と同様、むしろ積極的に推進されるべきものであろう。
な諸前提を劃定する特別の手掛りのないかぎり、ローマ法的な相対的対人的債権概念からすれば・否定されざるをえ
このような条件の下に、現在のドイツやフランスで特定物債権の保護されていることを、私は知らない。右のよう
ないのは、当然である。しかし、先にみたように、・ーマ法源に固執せず、その歪曲をもあえてして具体的妥当な保
護をカズイスティークに求めた、後期封建法学者、および、同時にその多くは右の封建法学者でもあったバルドゥス
やヤーソン.デ.マイノなどのローマ法のコメンタトーレンは、すでに一四、五世紀に、この揚合のために、前主が
その物につき処分権原を有し第三占有者は無権限者である揚合には、嫁資の設定による夫の権利に関する一,一9口
留旨且○血9磐⇔8﹄や、信託遺贈における相続人の受遺者への3一くぼ象B菖oの譲渡に関する一㍉o胃’口富
一。酋9ま■訟の歪曲、さらには、債務者に対する判決の執行段階で第三占有者から差押えうるとの理論を立てて、
嘗ω鼠3ヨとその発展的消滅 四二三
一橋大学研究年報 法学研究 3 四二四
契約者を弊害なく保護することに努めていた︵第三章三の三およぴ四、第四章三の二︶。このような保護の芽は、その後、
・iマ法的体系学の勃興により、消えてしまったわけであるが、すでにみてきた近代的債権の相対的把握の積極的意
義とその限界を考えるとき、彼らの自由な法形成には、やはり正当な直観が含まれていた、と認めざるをえない。そ
してまた、・ーマ法的物権・債権という基本的権利体系をとるわが法典の下で、それにもかかわらず、債権者代位権
に関する四二三条の文言を手掛りに、その特定物債権保謹への適用・拡大を、法規に矛眉しないと強弁しつつ承認し、
相対権概念だけでは把握しえない先に検討した保護を、解釈論として実現してきたわが判例および積極学説も、今後
︵10︶
ともに長い生命を持つであろう妥当な発展の方向を歩んでいた、と認めなければならないと考える。
3 最後に、対抗力を取得した不動産賃借権の一般第三者に対する保護について、右の議論と関連させ、これを補
足する意味で、一点だけ指摘しておこう。私はこれに、結論的には最高裁の判例と同様、物権的請求権を承認しても
よいと考えるのであるが︵群醐恥堺幣瀕賂二︶、その際、この権利と、右の債権者代位権の拡大により保護される特定物債権
れレ
︵一般︶との間には、法的にみるとき、先に検討した債権の構造に基本的差異があることを見落してはならない。
近代法の下で、基本的には債権として構成されている賃借権の﹁対抗力﹂とは、ドイッ民法典の下での諸保護強化
を一瞥したときにもふれたように︵第九章三の二2︵h︶︶、物権における対抗とは異なり、二重契約における第二契約
者の所有権取得自体を否定するものではなく、ただ、前主との賃貸借契約関係を第二取得者に承継させるにすぎない
のが原型であるが、それにもかかわらず、さらに一般第三者に対する独自の物権的妨害排除の保護をも与えてよいと
することの根拠は、右にしてきた議論との関係にかぎっていえば、次の点にある。つまり、対抗力を取得する賃借権
とは、物権と対比された。物につき無権利者でもなしうる理念型債権としての賃借権一般、債権一般ではなくして、
﹁対抗﹂の前提として、その物の所有権が賃貸人によって第三者に有効に譲渡されうる賃借権、すなわち、物の処分
権者によって締結された賃借権にかぎられる、と解される法的限定がある。したがってここでは、抽象的絶対的な独
自の物権的妨害排除を承認しても、物権と同様、一般第三者の権利を不当に害することの有りえない法的保証がある。
これに反し、その他の特定物債権は、事実上はともかく、法的にはこのような保証はない。後者においては、債権
者と債務者とを結ぶ同一性質のものとして法的には把握されるものの中から、たまたま債務者が第三占有者に対して
物の返還を請求しうる地位にある揚合と、しからざる揚合とを選り分けて、前者の揚合にのみ債権者を保護しなけれ
ばならない。しかもその揚合でも、債務者は、その物の所有権者等、本権者とはかぎらない。したがって債務者の第
三者に対する請求権は、物権的請求権にかぎらず、当事者かぎりでのみ主張しうる相対的な債権的請求権でもありう
る。つまり、債権者代位権の拡大による保謹は、理論的には、必ずしも物につき抽象的絶対的な保護としてではなく、
右の三者かぎりの相対的なものとしても現われうるのである。理念型債権として法的には把握されているものの中か
ら、これら先にみたその第三占有者に対する保護の妥当視されうる揚合のみの選別・操作を可能ならしめる法的技術、
手掛り、それが、債権者代位権の規定の拡大のもつ意味だ、と私は考える。
︵8︶ ドイッやフランスのように、不法行為責任としての原状回復によりうれぱ、具体的な﹁損害﹂が問題となるから、弊害は
生じまい。ただし、私は一般第三者に対するかかる保護の実例を知らない。占有を取得している債権者は占有訴権で保護され
ヤ ヤ
るし、未占有の揚合には、債務者との共謀的侵害“二重契約の揚合の外は、故意の債権侵害ということは、ほとんど問題とな
冒ω鶉α3旨とその発展的消滅 四二五
一橋大学研究年報 法学研究 3 四二六
らないからであろうか。
︵9︶ 好美・二七七頁以下、同所註23以下、窃曹ミ㍗切o蕊§Qミ︸¢いβ。一〇〇。錦、ミ蕊串鵠還零““呂β。、Uミ︵Ny鴇o。︸q。個誉、
q9覧帖欝§”¢Nロ。一〇〇凱︵国︶。
︹m︶ フランスで債権者代位権︵フ民一一六六条︶の規定が活用されていないのは、詐害行為取消権︵フ民一一六七条︶とは対
照的な次の事情によろう。
わが通説は、債権者代位権を﹁自己の名をもって﹂行使しうる﹁自己固有の権利﹂と解するが、フランスでは、詐害行為取
消権はそうであるが、債権者代位権は、間接訴権・代位訴権︵器江曾置費器9ρ器¢90三δ垢︶として、﹁債務者を代理﹂
して、﹁債務者の名﹂︵旨oヨ常αひま審薮︶で行使するにすぎない権利と解されている。さらにわが法では、﹁自己ノ債権ヲ保
全スル為メ﹂という拡大のための口実ともなる文言があるが、フランスではかかる用語もない。さらに、わが法では、﹁裁判
上﹂の請求が制限的に用いられているため裁判外の揚合も想定されるが、フランス法にはかかる規定もない。その結果、かえ
って沿革に忠実に債権保全の執行手続として意識され、しかも、詐害行為取消権が自己の名において自己固有の権利を行使す
るからその利益も行使者に優先的に帰属すると解されたのに反し、ここでは、債務者の名においてするのだから総償権者の利
益に帰する、と解され、それゆえに、現在ではフランスでも、実際的有用性のない制度とされている︵農§昏&︸U80霧8
母。詳。三一︸“Nロ畠翫。。。塞←蜜ミ§§㌣①﹄っロ一い。。轟①纂こ肉曹ミー切&§Qミ﹄。切嵩象Φ募・︶。
わが判例・積極学説が、債権者代位権を、解釈上一般的には、総権者の利益のために、と解しながら、特定物債権保護への
拡大を図っていることは、フランスにおける詐害行為取消権の拡大・類推よりも、はるかに大胆だった、とも云えよう。
︵11︶ 舟橋教授は、債権者代位権の拡大・類推による特定物債権保護と、対抗力ある賃借権への物権的妨害排除とをともに肯定
する私の立揚に対し、とくに前者を否定するために、未登記・未占有で対抗力なき﹁賃借権自体としては妨害排除ができない
、少し廻り道をすれぱ当然にそれができる⋮−のは不合理では嶺ろうか。本来できないはずのものがぞきる⋮ため
、...⋮それ相当の理由、⋮.たとえば債務者の無資力などの要件−−暴するもの患詫る﹂と批判える︵黎法三
五⊥ハ頁︶.しかし、この﹁少し廻り道﹂することが、実は、法的には債権の基本構造にか碧昊き姦肇ゑ・
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四三.一
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一橋大学研究年報
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法学研究 3
ハインリッヒ。ミッタイス﹁ドイッ私法概説﹂
世良・広中訳
好美﹁債権に基く妨害排除についての考察﹂一橋大学研究年報
法学研究2
四三二
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