教科書 p.498 The bromonium ion can be trapped by other nucleophiles の記述に関して 『次の反応を行った時の主生成物は何か?』という命題は有機化学の醍醐味でもあるし、必須の 演習である。さらに進んで、『この分子を主生成物として(収率よく)得るにはどのような反応を行 うべきか?』が解けるようにならないと、役に立たない。しかし命題の条件があやふやで(あるい は間違っていて) 『次の反応を行った時の主生成物は何か?』をうまく考えられないようでは困る。 p.498 の 2~3 行目に “For example, bromination of cyclopentene in water as solvent gives vicinal bromoalcohol (common name bromohydrin).[たとえば、水を溶媒としてシクロペンテンの臭素 化を行うと隣接(vicinal)ブロモアルコール(汎用名ブロモヒドリン)を生じる]という記述があり、下式が示さ れている。この反応式は「目的通り理想的に進むとこのようになる」ことを示しているのだが、青 字部分の記述と併せて読むと、誤りに近い。 Bromoalcohol (Bromohydrin) Synthesis Br Br2,H2O,0℃ + Br ・Br − Br + OH2 OH − OH2 ・Br 必ず trans-(anti-)付加 + HBr (注1)cyclopent-1-ene は殆ど水に溶けない。正確なデータが無いが、10−5 mol/L 以下であろう。 (注2)臭素も水に溶けにくく(0.21mol/L at 25℃)、一部、HBr+HOBr を生じる(それぞれ 1.15 ×10−3 mol/L)。したがって臭素水は強酸性。 (注3)水に cyclopent-1-ene と臭素を加えて振り混ぜると、cyclopent-1-ene+臭素の有機相と水 相に液-液分離する。 先ず、 (注3)のように液-液分離してしまったときの有機相について考える。この有機相の主成 分は cyclopent-1-ene と臭素であり、水は有機相中へはわずかに溶けこんでいる程度である。そう だとすると、cyclopent-1-ene に Br2 が付加する反応が主になり、trans-1,2-dibromocyclopentane が主生成物になるはずである。水は少量しか存在しないので、想定した bromohydrin を与える反 応はわずかしか起きないであろう。 次に、液-液分離した水相について考える。十分な量の臭素が加えられたとすると、当初、この 水相には飽和濃度の 0.21mol/L の Br2,1.15×10−3 mol/L の HBr(=H+),1.15×10−3 mol/L の HOBr を含み、そして 10−5 mol/L 程度以下の cyclopent-1-ene が含まれる。想定した bromohydrin を与 える反応も起きるだろうが、二重結合への HBr 付加による 1-bromocyclopentane の生成、二重結 合への H+攻撃に引き続く OH2 の付加による cyclopentan-1-ol の生成、二重結合と HOBr の反応 によるエポキシ化合物の生成、そのエポキシ化合物の開環付加物など、種々考えられる。いずれに しろ、出発の cyclopent-1-ene の濃度が極めて低いので、どの生成物も微量である。 Bromohydrin を効率よく合成するには、水、アルケン、臭素化試薬の三者をよく溶解し、反応 が均一相で進行する溶媒を選ぶ必要がある。一般的には、DMSO:CH3-S(=O)-CH3 (dimethyl sulfoxide) や DME:CH3OCH2CH2OCH3 (dimethoxyethane) など、水と混和する(miscible)有 機溶媒が用いられる。なお、混和とは「任意の割合で混じりあう」ことであり、単なる混合や溶解 のときは溶解限度がある。たとえば、液-液分離すると通常思われている CHCl3 には、水が 2%く らい溶解する(均一に溶けている) 。逆に水中にも CHCl3 が数%溶け込んでいる。 このときの臭素化剤には、毒性が強く取り扱いにくい臭素ではなく、 N-ブロモコハク酸イミド (NBS:N-bromosuccinimide) Br などを用いる。 N NBS O=C C=O N-臭素化コハク酸イミド H2C CH2 典型的には、20~50%程度まで水を加えてある DMSO に 10−3~1 mol/L 程度となるようにアルケ ンを溶解して 0~5℃に冷却し、固体粉末の NBS を少量ずつ加えていと、目的の bromohydrin が 主生成物として得られる。このとき、NBS は含水 DMSO に溶解する(したがって反応は均一系で 進む)のだが、NBS が反応した結果副生するコハク酸イミド(NBS の Br を H に置換した分子) は溶解しにくく沈殿となって系外に去るので、反応が進みやすい。 この方法であると目的の bromohydrin が主生成物になるが、なおかつ、ジブロモ体や HBr 付加 体などの副成を完全に防ぐことはできない。 現在は NBS 以外にも種々のハロゲン化試薬(X2 の代替として使用できる試薬)が種々考案され ており、興味があれば次の URL を参照のこと: http://www.tcichemicals.com/eshop/ja/jp/category_index/00208/ http://www.tcichemicals.com/ja/jp/support-download/brochure/R5105.pdf#search=%27%E8%87%AD%E7%B4%A0%E5%8C%96%E8%A9%A6%E 8%96%AC%27 臭素の水に対する溶解度は前頁のとおりであるが、塩素であると Cl2+H2O ⇄ HOCl+H++Cl−な る平衡はもっと起こりやすく、25℃の水に飽和させると、水中の濃度は[Cl2]=0.062 mol/L, [H+](=[HCl])=0.030 mol/L,[HOCl]=0.030 mol/L となる。したがって、Cl2 水を用いたクロロヒ ドリン化反応は失敗する(HCl 付加によるモノクロル体生成と H+・OH2 付加によるアルコール生 成が優先する)。上記 URL 掲載の塩素化試薬を利用した含水 DMSO 中の反応を行う必要がある。 ヨウ素を 25℃の水に飽和させると、水中の濃度は、[I2]=1.3×10−3 mol/L,[H+](=[HI])=6.4× 10−6 mol/L,[HOI]= 6.4×10−6 mol/L となる。したがって HI 付加などは起こりにくいので、ヨー ドヒドリン化反応が優先する(ただし、いずれにしろアルケンが水に溶けないので効率が悪い)。 このように、反応時の相状態(均一溶液系、不均一固-液系、不均一液-液分離系、など)、反応条 件(物質濃度、物質濃度比、温度、圧力、反応時間、など)、加える順序、などによって反応の様 相や主生成物の種類・収率が変化する。たとえば、A+B→C+D のように化学反応式を書いた時に、 ①A に B を加えるのか、②B に A を加えるのか、③A と B を同時に等量ずつ加えるのか、定かで ない。次の例は、青で示した PN(o-phthalonitrile)の合成を目的にしているが、①と②の違いが明 瞭に表れており、加える順序の違いだけであるのに収率は 5%と 95%である。なぜこのような違 いを生じるのか、有機化学の学習が進めば理解できる。 ① DMF(溶媒) + SOCl2 –R = –H or –SO2Cl CONH2 滴下 C≡N CO 40℃ 反応 4 時間 , N−R CONH2 C≡N CO PDAm(o-phthalic diamide) PN 5% 副生成物 95% ② DMF(溶媒) + PDAm C≡N 少しずつ加える 副生成物は痕跡程度 SOCl2 40℃ 反応 4 時間 C≡N PN 95%
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