合成化学とケミカルバイオロジー: 中枢神経系受容体に作用する小分子の開発を例に 及川雅人(横浜市立大学) 有機合成化学は将来のライフサイエンス研究にどのように貢献してゆけるのだろうか。 答えのひとつはケミカルバイオロジー的な展開に見出すことができる。細胞や個体の機能 に影響を及ぼす小分子化合物は、フォワード ケミカルジェネティクス的なアプローチによ って、標的とする生体高分子の機能解明に迫るための強力な研究ツールとなりうるからで ある。こうした展開は、数十万にも及ぶ細胞内の化学反応を網羅的に理解するにはまだ不 十分かもしれないが、それでもそのスピードにおいて現在のところ最も優れたアプローチ のひとつと考えられている。 そうしたケミカルバイオロジー研究に役立つ化合物はどのように見出すことができる かと言うと、これまで一般的にはバクテリアや動植物の二次代謝産物、すなわち天然物か ら供給されてきた。天然物の中には効果が特異的で極めて強力な生理活性を有するものが あり、FK-506 やサリチル酸のように細胞から個体レベルに至るまで生物システムを幅広く 理解する上で重要な役割を果たしてきた化合物は少なくない。しかしながら、ケミカルバ イオロジー研究の現場においては、それほどまでに強力な化合物は必ずしも必要ではなく、 効果が特異的であったり、あるいは分子標的との結合が特異的であれば十分である場合が 多い。役に立つ化合物を合成化学的に供給する戦略について、我々の研究を、グルタメー ト系天然物および類縁体の合成を交えながら紹介したい。 グルタミン酸受容体 (GluR) は中枢神経系に存在して、記憶や学習など脳の高次機能に おいて重要な役割を果たしていると考えられている。しかしながら GluR は 20 種以上にも 及ぶ多くのファミリータンパク質がヘテロメリックに会合した、構造的に極めて多様なイ オンチャネルであるため、その機能を理解するためにはタンパク質のサブタイプ選択的な リガンドが必要である。これまでにさまざまな GluR リガンドが開発されてきており、我々 NH2 HO2C O HO2C H H アナログ 合成展開 R OH O ダイシハーベイン (R = -NHMe) ネオダイシハーベイン A (R = -OH) NH2 HO2C O HO2C NH2 H HO2 C H O KA receptor antagonist AMPA and KA receptors agonist (selective to KA receptor) Fig. 1 O HO 2C H H OH OH O OH AMPA and KA receptors agonist (selective to AMPA receptor) も海洋天然物ダイシハーベインおよび類縁体の合成を行って構造活性相関の解析を進め、 サブタイプ選択的リガンドの開発に成功している (Fig. 1)[1]。こうした化合物はダイシハー ベインや既存の GluR リガンドとは別のケミカルスペース(元素とそれらの数・組み合わせ から単純な計算によって導かれる分子に満たされた三次元空間)を埋めるものとして期待 されている。 このようなアプローチとは別 H N HO2C に、我々は人工グルタミン酸化合 HO2 C 物の合成も進めている。考え方と ハイブリッド 合成展開 カイニン酸 しては、ダイシハーベインとカイ HO2C H H N HO 2C ニン酸とをハイブリッド化したも NH2 HO2 C のを多様性指向型有機合成法を基 O HO 2C 軸とする戦略により数種類合成す るというものである (Fig. 2)。幸い、 H H R O H H H X OH O structural diversity ハイブリッド化合物 ダイシハーベイン (R = -NHMe) ネオダイシハーベイン A (R = -OH) 複雑な骨格を一挙に与えるタンデ Fig. 2 ム型 Ugi/Diels-Alder 反応に、一般 に反応性が低いと言われる酢酸ビニルを用いるドミノメタセシス反応を組み合わせる合成 法を開発して、12 種の人工グルタミン酸類縁体を得ることができた (Schemes 1–3)[2]。 O NC CHO Ugi reaction MeOH HN NH2 O 50 °C CO2H I 68% MeO Di els-Ald er reaction H O N O I H OMe OH OH HN O H / NaH, DMF, -40 °C H O N H I or O OMe NHNs HN O H O H N O X H NHNs / Cs2CO 3, DMF 50 °C 1) PhSH, Cs2CO3 2) TFAA, TEA 65% Scheme 1 X= X= X= X= -O- : 73% -OCH 2- : 49% -N(Ns)- : 100% -N(Ns)CH 2- : 76% X = -N(TFA)CH 2- OMe Mes Bn HN O O N N Mes Cl Ru Cl 0.5-10 mol% O H PMB H O O AcO OAc N Bn HN PMB N [Ru] H X H O H OAc [Ru] Bn HN HN H O O PMB X H H PMB N O AcO O O H Bn O N AcO H X O H X = O, OCH2 N(NS), N(TFA)CH2 H H X Scheme 2 H H N HO2 C 9-11 steps HO2C HO2C H H O H Bn H O AcO PMB N O O H HO2C H H X H H N H H H H H N 6 (74%) H H N HO2 C H H H HO 2C H H N O H O HO HO2C H H O H H N H H O H HO 2C H H H HO2 C NH H H N H H NH O H NH 8 (98%) H H N O H HO 2C H H NH HO2 C H H N O H H H NH HO HO HO H H N 4 (91%) O HO2C HO2 C NH HO2 C HO HO H 7 (100%) HO2C O H H O HO2 C H H O O H O 5 (63%) HO2C HO 2C HO 2C 3 (90%) HO2C O HO2C O 2 (100%) HO2 C H H N HO2 C H H O H O 1 (79%) HN HO 2C H H N HO HO 9 (100%) 10 (100%) 11 (97%) 12 (100%) pyran group I oxepane group II piperidine group III azepane group IV Scheme 3 これらの化合物をマウスの脳室内に投与すると、高濃度においてきわめて特徴的な抑制 型の行動変化を引き起こす化合物 5 をその中に見いだすことができた。さらに 5 は培養海 馬神経細胞の興奮性シナプス後電流 (ESPC) を顕著に抑制した。このことは、5 が興奮性の 親化合物であるダイシハーベインやカイニン酸とは異なる作用を、弱いながらも中枢神経 系にもたらすことを示しており興味深い。最近、5 がある種の GluR に対して特異的なアン タゴニスト作用を示すことが共同研究者により明らかにされた。人工グルタミン酸類縁体 5 を用いた研究はまだ始まったばかりであるが、性能向上のため合成化学的な構造改変も同 時に進めており、この化合物の今後の発展が楽しみである。 すでに述べたように、天然物の中にはきわめて強力な生理活性を示して、ケミカルバイ オロジー研究において役に立つものが多い。しかし、天然物をモチーフとする構造修飾だ けでは、多様な生物システムを理解するための化合物調達には不十分である。人工化合物 の合成を含めた多様なアプローチが合成化学者には強く求められているのである。 私はこの春に横浜市立大学に新たにラボを立ち上げたところであるが、若い学生諸君と 有機化学の話をしていて、その魅力の多さに自分ながら驚くことが少なくない。講演では ライフサイエンス研究における有機合成化学の魅力をぜひ伝えたい。 謝辞 本研究は、東北大学大学院生命科学研究科の佐々木誠研究室にて生駒実博士が中心とな って進めたものである。マウスに対する in vivo 活性試験は酒井隆一教授(北海道大学)に 実施していただいた。また、グルタミン酸受容体に対する結合活性評価と電気生理学試験 を行っていただいた島本啓子博士(サントリー生物有機科学研究所)と G. T. Swanson 博士 (Northwestern University, USA) に感謝する。 参考文献 [1] M. Shoji, K. Shiohara, M. Oikawa, R. Sakai, M. Sasaki, Tetrahedron Lett. 2005, 46, 5559‐5562; M. Sasaki, K. Tsubone, M. Shoji, M. Oikawa, K. Shimamoto, R. Sakai, Bioorg. Med. Chem. Lett. 2006, 16, 5784‐5787; M. Shoji, N. Akiyama, K. Tsubone, L. L. Lash, J. M. Sanders, G. T. Swanson, R. Sakai, K. Shimamoto, M. Oikawa, M. Sasaki, J. Org. Chem. 2006, 71, 5208‐5220; M. Sasaki, N. Akiyama, K. Tsubone, M. Shoji, M. Oikawa, R. Sakai, Tetrahedron Lett. 2007, 48, 5697‐5700; M. Sasaki, K. Tsubone, K. Aoki, N. Akiyama, M. Shoji, M. Oikawa, R. Sakai, K. Shimamoto, J. Org. Chem. 2008, 73, 264‐273. [2] M. Ikoma, M. Oikawa, M. B. Gill, G. T. Swanson, R. Sakai, K. Shimamoto, M. Sasaki, Eur. J. Org. Chem. 2008, 5215‐5220; M. Ikoma, M. Oikawa, M. Sasaki, Eur. J. Org. Chem. 2009, 72‐84; M. Oikawa, M. Ikoma, M. Sasaki, M. B. Gill, G. T. Swanson, K. Shimamoto, R. Sakai, 2009, submitted; M. Oikawa, M. Ikoma, M. Sasaki, M. B. Gill, G. T. Swanson, K. Shimamoto, R. Sakai, 2009, manuscript in preparation.
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