W 1966−67年度の目標 新RI会長のプロフィル 新ガバナー・新会長・幹事紹介 兼 ¢ 44 7 J φ / ダ ,1 ・”ダ ● /ム 俸 t ’コー; 4 ﹂ ・1 ・ ダ 1 ︰/ kj 一 ;11 jZ `レ『 ゝ、、 ¢ メ ロー タ リー とは 大会 ‐ 約 130ブ リ国 ι こお い て 々が 12,000]菫 0)ロ ー‐タ リ ー クラ ブ に所 属 して い る 国 際 ロー タ リ ー とこ ま こ れ ら ロ ーータ リー ク ラ ブ の 連 合 体 であ る 50万 名 以 上 の 人 ロー タ リー ク ラ プ は 地域社会の実業界 お よび専 門職 業 界 の 代 表 的な人々によっ て 構 成 さ れ て お り .毎 週 昼食 また は 夕食 を 共 に しな が ら会 合 し てい る 他 人 に 対 す る思 い や り と助 力 を 奉 仕 の 理 想 と して、 ロー タ リ ー は 友 情 を 拡 め ,地 域 社 会改善 の事 業 に 加 わ り ,実 業 界 お よ び専門職 業 界 に お け る道 徳 水 準 を 高 め 国 際 理 解 と友 好 そ し て 平 和 を増 進 す る実 際 的 手 段 を提 供 す る も の であ る ll・ II人 │二 ` ち ││11」 ヽ │ '=│く E際 協議会 li 11キ itF i:│ ′― l■ た11′ ン‖ fJ′ ■ t」 ′′ │ `│― L∫ (J it∴ ′´ Iit l lく li“ ―レ '1壁 。,/′ ′ ′ ′′を││111キ i午 L==│ lく lし :│こ │く I Ftl● ´女 ■ 1 ラ 民 II II,1、 Jく │: ぃ │││「 │11 ―´ 多忙 な人 一′ (ry.1を 11ヽ │:t ″1亡 な も 411[ 女こ ′ ■ 可 : │[サ r、 ′ i llllロ ー タ レ : │:ヽ 1ド ば1111」 上J[1 1 11 ■、 ││」 新 RI会 長 ′ ││ ・ 1 / 「 ││ │: │ ,′ 1 -ケ │11 ,' ― で :之 │ lく l rtl `シ 、 │く 、│.((11′ I、 ′ │,、 1 1」 ヽ ,t‐ ,│`‐ │, よ う こそ ジフ ラ ,し タル ー ン ノ /夕 :成 tit l![ ■│ / ′,1 ,,: ,, │ :: : ホ ー ,し ・ ハ リスの 記念 碑 け 夕 ´ 力_,′ `一 :ン │ :│ 」:ろ 3111() │ │‖ l ilヽ・ ソi¬ t ili lj ll ツ,,に ■ ■ iれ ,11_, 七 こ ろ 1_'II:ウ ´ ′ た こ i, J ` │ ͡ │′ 、, ― I「 1111■ 最 初 の ロ ー タ リー ク ラ ブ は 1905年 ア メ リ カ 、 イ リ ノ イ 州 .シ カ ゴに おいて結成 さ れ た _ロ ー タ リ ー と い う名 称 は 当 初 会 合 場 所 を輪 番 に変 え て い た と ころ か らつ ι ナ ら れ た もの で あ る NEV/S FPOM ROTARY INTLRNATIONAL 計 “ OF「 IC AL PUBL CAT O卜 1 0F THE 360 362 353 355 368 359 365 368 369 370 D STRICTS OF ROTARY INTERNAl ONAL … … i966∼ 67年 度の 目標 … … … …… 生命 の起源 と石油 の成因 ……… …… …阪大総長 赤堀四郎… 7月 とい う月 新ガバナ "の 横顔 第 350区 れる そ して 残 雪 が 厳 し い高 山 の冬 を う つ たえ ,冷 たい天涯か らの風が身 をひ き じめて くれ る 地平 は夏 とい うの に ,こ こではいまだ冬 の気配 で ある.穂 高 小屋 も,ま だ,雪 の 中だ カメラ・ 山下喜久雄 東京 北 . . 北村 ガバナ ー 難波 ガバナー 古瀬 ガパナ ー 吉村 ガバ ナー . . ロータリアン誌・ 7月 号予告 リチ ャ ー ド 表 紙 ・ レイ ア ウ ト . 第 369区 第 370区 00r Cover of This Mon,h shows a vlow from KG70SCWO‐ Y。『 : in JoPcn Alps. The sheer precipices of M: Okυ _H。 ,oko ond Mio Moe_Holoko preson,wOnderful views when climbers come up l。 :he iop of Ml. Ko「 osowO. 岡田ガパナL. 村井 ガバナー 兼子 ガパ ナ ー 後藤 ガバナー 松方 ガバ ナー 白山ガバ ナー 岡田ガバナー 第 352区 第 353区 第 355区 第 358区 第 359区 第 360区 第 365区 第 368区 潤 沢 岳 か らの 眺 め つ く 潤 沢 を の ば りつ め ,ガ ラ場 に 一 月、 と,右 前 面 に 奥 穂 が ,左 に 前 穂 の 岩 稜 が そ そ りた ち ,登 は ん の 疲 れ を い や し て く L.エ … …… 委員長 湯浅恭三 … … … パストガパナー 嵯峨 長 … 10 パストガパナー 佐藤武夫 …‖ パストガバナー 安斎 徹 …12 パストガパナー 渡辺覚造… 13 パストガパナー 湯浅恭三 … 14 パストガバナー タp瀬 省吾 … 15 パストガパナー 神野太郎 … 16 パストガバナー 岡島美行… 17 パストガパナー 今田 恵 … 18 パストガバナー 竹原二郎 … 19 パストガバナー 増永茂巳…20 … … … … …………… ・… … 25 バ ンス 国際 ロー タ リー会 長 の プ ロフ ィル ロー タ リー 分 布 図 ・ 告 知 板 ― ― ー ― … 30 グ ラビヤ 近 代 科 学 へ の 職 業 奉 仕・ 泡 の 科 学 … …… … … … 21 サ ー ビス・ ニ ュ ー ス ……… …… ロータリー美術館 。大阪市立 博物館 …… ……… … …76 …… 61 河野田 思 ロー タ リー間 答 … …… … …… … 新 昭 和 41年 7月 第 14巻 第 THE ROTARY‐ NO‐ TOMO JULY 1966 Vol 14 No 7 7号 会 長 .幹 事 紹 介 … … …… … ……… ……… … 69 33 健康の頁・ 膵臓癌 …………国立がんセンクー 石井兼央 70 ロータ リー俳壇 …… …… …… …… …… …… … 73 談 話 室一 … …… …… … … … … … … … 74 ¨¨……………… … … … 郡山 1山 ノ井総雄-82 子 の心親が知る E ssAY 7月 とい う月 一 葉 ロ 一 一 一 罐導串の 咳矮員長 湯浅 恭三 7月 といえば盛 夏,身 心共 にだ る くな る季 節 . もっ ともこの頃 は冷房 の あ る住宅 に住み,冷 房 の あ る車 で,冷 房 の きいた会社 に出かけ る人 々が 多 いので,季 節感 を しみ じみ と味 わ う人が少 くな っ てい るので はな いで あ ろ うか .都 会 に住 む多 くの 人 々に段 々 と季 節 に対す る感 覚 が鈍 って くるの は 機 械文 明が発達 した宇宙時代 としては止 むを得 な い とい うので あろ うか .私 は この よ うな時代 で あ 多 いの を見 て,嬉 しく心強 く思 ってい る.ロ ー タ リーのつ どい も心 の ゆ と りを養 う一 つの よすが と 考 え る ことはい けな いで あろ うか 。 また この よ う な ことの た めに「 ロー タ リーの友」 力ゞ 少 しで も役 立 つ な ら幸で あ る 7月 は ロー タ リー暦年 の初 の月 で あ る。そ して るか ら尚更 努 めて 自然 に親 しみ,せ めて季節 の移 総 ての ものが新 し くなる.国 際 ロー タ リーの役員 も, 各 ロー タ リー・ クラ ブの会長や役員 もす べ て り変 りを 目に見,心 に感 じて,生 きてい る楽 しみ を味 わ い た い 変 る。そ して 各 クラブは新会長 の もとに,新 しい 一 年 の活動が始 ま る 61年 目を迎 えた ロー タ リー 7月 は文月 とよばれ ,七 夕 の月 で もあ る.七 夕 が年 々歳 々新 しい空 気 を生み出す一因は, ロー タ リー機構 の 1年 を周 期 とす る回転 にあ ると思 う . は牽 牛,繊 女 の古事 を想 い出 させ るが,ま た色 紙 に筆 で文 字 を書 いて笹 に飾 るゆか しい風習 もあ る ロー タ リア ンは皆 それ ぞれ の職 業 の現役であ る . 京都 の北 II・ 神社 で は毎年 7月 7日 に,北 野御手洗 祭 とい う古 くか らの儀式 があ る.神 前 に「御手水 唯 現役 とい うばか りで な く,そ の職 業 の尖端 をゆ く活動家 で あ る .毎 週 の例会や多 くの会合 に出席 し,多 くの クラブ活動 に委員 と して活 動 され るの を献 じ,松 風 のlllに 梶 の葉 をそえ て供す 。七夕 に は本 当に御苦労 様 で あ り,時 間 も充分 ない とい う 御歌 を詠ぜ られ ん料 な り」 と案内記 に出 てい る いずれ に して も七夕 は風流 な行事で あ る。 しか し 苦情 ももっ ともで あ る.し か し ロー タ リーのつ と め を立派 にや って い る方 々が 多 い ことはあ りが た この頃 の よ うに高層俎築 が林 立 し, 自動車 がひ し め きあ い, ボール ペ ン企盛 の時代 に な ると,空 を い ことで あ る . '暇 もな く,た まに空 を見 て も星 もみ えず とか 筆 硯 とか い うもの とは縁 意 な り,七 夕 さえ あお く , も忘れ勝 ちであ る 生活 は忙 しく激 しく慌 しい。 昔 の文人墨客 の よ うな生活 は出来 ない として も せ めて 自然 を楽 しみ 趣味 を楽 しむ時 を持 つ くらい , 私が「 ロー タ リーの友」 の委員長 とな って 1年 専 門委員 を始 め として 各地区 のガ バ ナーや「 ロー タ リー の友」委員 の方 々の御援助 と御助言 を得 て 「 ロー タ リーの友」 の 内容,体 裁 の改善 に努 めて い る 来 るべ き一年 は更 に一層 の努力 をなす べ き の心 と時間 の ゆ と りがほ しい もので あ る。「 ロー タ リーの友」力ゞ 古美術 と俳 句 の た めの数 ペ ージ を ことを,編 集 に関係 あ る もの一 同は固 く決心 して い る 全 国 の ロー タ リア ン諸氏 の御指導 と御援助 を, ロー タ リー年度 の初 めにあた り,改 めてお願 持 って い る ことに賛意 を表 され る ロー タ リア ンの い致 します ロ ー タ リ ー の 友 -7プ l号 (民 事 弁 護 士 ) 3 ラジオ演説 の草稿 をね るエバ ンス国際 ロータリー新会長 A Pho,o:By Cour,esy of Pub‖ c Rel● ■ons Depl,RI Better World Through Rotory THE ROTARY_NO_TOMO 1966∼ 67年 度 の 目標 解説 パストガバナー 宮 1966∼ 67年 度 の国際 ロー タ リー会長、 リチ ャー ド・ エル・ エバ ンスの施政 目標 は, ロー タ リーの 力 で この世界 を今 よ リー層優れ た ものに しよ うと す るのにあ るよ うで あ ります .提 示 され た題 目は 3_ロ 4 う'と で も申す ことがで きま し ょう。いずれ にい た しま して も,我 々 ロー タ リア ンは本仕 の精神 を ー タ リーの 友 好 を享 受 す る こと 地 域 社 会 が必 要 とす る事 を見 出 し奉 仕 す る こと A Betterヽ Vorld ThrOugh Rotary とい うので あ ります .こ れ は標語的 に `ロ ー タ リーで, よ り よい世 界 を' とで も申 しますか,あ るい は解説的 に `ロ ー タ リーの力 で よ りよい世界 を造 りま し ょ 各 自の事業乃至専門職業 を よ り良 くす る こ と 6 青少年へ 奉仕す ること。 発揮 して, この 世界 を明 る く住 み よい平和 な もの 7.広 報 を効 果的 に推進す る こと に しよ うと呼 びか けた もの と思 い ます エバ ンス会長 llt,そ の 目標 を達成す るために 8.ロ , われ われ に10カ 条 の実行案 を示 してお ります 富 脇 ー タ リーの国際性 を強調す る こと . そ の詳細 は,い ずれ RI文 献事務所 にお いて ,1`訳 の 9 世界的社会奉仕 に参加す ること 上 ,皆 さん のお手元 に達す る ことと思 い ますが その大要 は次 の よ うな もので あ ります 10 ロー タ リー財団 を支援す る こと 1 , 新会員 をふ やす ことに よって ロー タ リーを 分か ち合 うこと . 2 新 クラブを結成す る ことに よって ロー タ リ ー を分か ち合 うこと 以上 の通 りで あ りま して, これ まで常 に強調 さ れ て いた事柄 のみであ り,別 に新 味 はな い よ うに 見 えます けれ ども, もしわれ われ が 真剣 に これ ら と取 り組 んだな らば,ほ ん と うに良 い ロー タ リア ン とな り, ロー タ リーの力 で よ り良 い世界が生れ て来 る と思われ ます ロー タ リー の 友 -7月 号 . . 生 命 の起源 と石油 の成 因 石;由 と人類 の 不思議な巡 り合わせ 理学博士 阪大総長 赤 堀 四 郎 る小 動物 について さえ,湧 くとい う言葉 が使 われ 生物の進化論 生命 の起源 と石 油 の成 因, この二つ の問題 を並 ていた位 で すか ら,人 間 の観察 が如 何 に粗雑 であ べ る ことは,一 見 おか しな ことの よ うに思 われ る ったかがわか るわ けです で し ょうが,実 は この二 つの ことは,大 いに関係 今 か ら 120年 程 前, フ ラ ンスの学 者 パ スツール は, スープ を一度沸 と うさせ ,外 か ら絶 対 にパ ク のあ る ことな ので あ ります 。 この地球上 には実 に多種多様 の生物が棲ん でい . テ リアの種が入 らな い よ うに してお くと,何 日経 ます _同 じ生物で も人間 と魚 で は大変 な違 い方 で って も,そ のスープ は腐 らな い とい うことをた し すが,大 と桜 を比 べ て も, まるで異 った生 き方 を かめ ま した.そ こでパ ス ツール は「 生物 は必ず生 してい ます .地 球上 には どうして これ程多種多様 この問題 は 物か ら」 とは っ き りいい切 りま した。 現在 の よ う に罐詰 工 業 が発達 した の は, このパ ス ツール の研 ダー ウ ィ ンの進化論 に よって或 る程度説明 され ま 究結果 に基 いて い るわけです .今 で こそ,生 物が つ ま り, この地球上 のあ らゆ る生物 は,最 初 無生物 か ら自然 発生す る と考 える人 はな くな って な生物界が成立 したので し ょうか ? す 1/r棲 んで いた最 い ますが, こ うした科学的 な 自然認識 が確立 され の方 向 に分科 し,」 _つ 進化 して来 た とい うので あ ります 。 しか し, ダー ウ ィ ンは,最 初 の原始的生 人間 の科学文化 が如 何 に新 しい もので あ るか を思 も原始的 な生物か ら20余 億年 を費 して,何 回 とな く変異 と淘汰 を繰 り返 え して種 々 物 は どうして 発生 したか とい うことにつ いて は全 く触 れ てお りませ ん この問題 は,科 学者 に とっ て実 口 己介極 まる問 題 なので あ ります た のが ,lliか 百年余前 の ことで あ った と思 うと , わ ざるを得 ません . 原始生物の誕生 こ うして, この地球上 では, も う新 しく生物 の 発生す る可 能性 はな い とい うことに な ります。 そ . 宗教 の教 義 は別 として も, 今か ら 120∼ 30年 前 うす ると,ダ ー ウ ィ ンのい う,最 初 の原始生物 は まで は多 くの科学者 で さえ も,生 物 は 自然発生 し ど うして発生 したか とい うことが,ま す ますわか j 得 る と考 えてい ま した 特 に,生 の肉や果物 を室 の 中 に放 ってお くと,必 ず腐 って来 る そ の腐 っ らな くな ります そ こで或 る学者 は,原 始生物 は この地球上 に発 生 した ので はな く, どこか地球外 た もの を拡大鏡 で 見 る と多数 の微生物 が 見 える の天体 の上 で発生 し,胞 子 の よ うな形 で宇宙 を飛 それで そ の微生物 は,肉 や呆物 1/C自 然 に湧 いた の んで地球 に来 た の だ ろ うとい うことを考 えま した だ と考 えてい ま した.ボ ー フラの よ うな 目に見 え しか し, これ で はほん と うの意味 での問題 の解決 6 「 HE ROTARY‐ NO_TOMO に はな りませ ん .何 故 な らそ の地球外 の天体 では 化合物 もで きる可能性があ ります .10年 程 雨j,米 ど うして原始生物 がで きたか とい う問題 は,依 然 国 の ミラー とい う学者 は, メタ ンとア ンモ ニア と と して残 るか らであ ります 水蒸気 の混 合瓦 斯 に,長 時間電気 放電 をか け,で . ヘ ッケル とい う学者 は,次 の よ うに言 っていま す.「 われ われ はまだ生物 の 自然発生 をた しか め得 きた もの を調べ た ところが, い ろ い ろ のア ミノ酸 が 生成 した ことを証 明 しま した.ま た ノ連 のパ ブ な い けれ ども,原 始生物が,か つて無機物か ら自 ロフスカャ とパ シ ンス キ ー は,電 気放電 の代 りに 然 発生 した と考 え るのは, 自然哲学的思考 の論理 的帰結 で あ る」 と。 これ はパ ス ツールの言 った こ 紫外線照射 を行 な って,や は り同 じよ うな結 果 を ととむ じゅんす る よ うですが, この点は次 の よ う この よ うに石 油系統 の物質 か ら生体成分が 自然 に考 えた ら どうか と思 い ます .パ ス ツール は滅 菌 にで きる可能性があ るとす るな らば, その よ うな した ものには,決 して新 しく微生物 は発生 しない 化学変化が, この地球上 で 何億年 もの永 い問,繰 ことを示 したけれ ども,今 まで人 間 の行 な った実 j生 能 り返 え して行 なわれ てい る中に,遂 に 自己 ド 験 では,せ いぜ い数年 間か,或 い は数十年間 の こ 力 の あ る原始生物が誕生 した とい うこと も考 え得 とであ って,何 百万年 も,何 千万年 もの永 い問 る ことで あ りま し ょう ですか ら「 原始生物 は石 自然発生 が全 く起 きなか った とい う実験的証明 は 油か ら生れ た」 とい う表現 も,満 更間違 いで はな な いので す 。 しか し,生 命 の 自然発生 とい うこと いのです , は,そ れが起 きる として も,何 億年 とい うとてつ 得 てい ます。 . 無機成因説と有機成因説 もな い永 い時間 を要 した ことに違 い ないのですか そ こで,石 油 の成 因 の問題 に入 りますが,石 油 ら,ほ か の一般 の 自然科学的問題 と異 って,数 十 の成 因 に関 しては従来 二つの対立 した学説があ り 年位 の観察結果 か ら,数 億年 とい うよ うな永 い時 ます HΠ ち一 つ は無機成因説で,今 一つ は生物成 間 の問題 は,断 定的結論 は下 し得 な い。つ ま り何 因説,或 い は有機成 因説 と言われ るものです 億年 とい うよ うな永 い年月 の問題 として な ら,ヘ 無機成 因説 は, フ ラ ンスのモ アサ ンや ソ連 の メ ッケル の よ うな考 え方 を して もよいので はな いか ンデ レフの唱 えた学説 で,石 油 は地殻 の 中でで き と,私 は今 そん な風 に考 えてい ます た金属炭 化物 に,水 が作用 してで きた もので あ る . とい う説があ ります .鋼 鉄 の 中 には鉄 の炭素化合 最初に発生した原始生物は何か この地球上 で 何十 億年 か前 に原始生物 が発生 し 物 を含んで い ますが ,鋼 鉄線 を稀塩酸 に溶 かす と , た もの とす る と,先 ず どん な物質か らで きて きた 石油臭 いにお いが しますが,あ れ は小量 のイi油 に で し ょう ? ですか ら,生 物以前 に先ず炭 近 い炭化水素 がで きるか らです。 また, カル シ ウ ムカ ー バ イ ドに水 を働かせ るとア セ チ レンを発生 素化合物 が地 球 上 に相 当量 あ った と考 え ぎるを得 しますが,ア セ チ レン もや は リー 種 の炭化水素で ません .土 星や木星 の大気 には,多 量 の メタ ンと あ ります ア ンモニアが あ る ことが 分光学的 に知 られ てい ま 説 は この よ うな事実 に基 いてい るわけです 生物体 を構成 してい る物質 は殆 ど総 て炭素化合物 で す モ アサ ン, ベル テ ロー, メンテ レフの す .メ タ /が あ るとすれ ば,他 の石油系統 の炭化 生物成 因説 は, ソ連 のゼ リンス キ ーや ドイ ツの また,隕 石 の 中 に パ 石油 系 の高分子物質 であ る ラフ ィ ン様 の物 質 が の成光 であ る コレステ ロール を乾溜す ると,石 油 水素 の存在 も考 え られ ます , トライ ブスが唱 えた もので,ゼ リンス キーは動物 発見 され た とい う報告 もあ ります .炭 化水素 とア ンモニアがあ って,そ れが永 く太陽光 線 に照射 さ の螢 白 に よ く似 た螢光 を出す液体がで きる こと れ て い ると,い ろい ろの有機化合物,即 ち蛋白 質 極 く小量 ではあ るが,エ チオポル フ ィ リンとい う の成分 で あ るア ミノ酸や核酸 の成分 で あ る含窒 素 物質を発見 して, これ こそ石油が生物起源 の有力 ロー タ リー の 女 -7月 号 , また トライ ブス は,ル ーマニア産 の石油 の 中か ら 7 エ チオポル フ ィ リンは 仰 いで い ます.い ま石 油資源 が 枯渇 した とした ら ど うして も動物 の血 の成分 で あ るヘ ミンとt/hう 色 人間 の諸活動 は,た ちまち窒息状態 に陥 る ことは 素 が分 解 してで き もた の としか考 え られ な い物質 必 至であ ります 。戦前 はエ ネル ギー源や合成原料 で あ ります の大部分 を石炭 に 仰 いで いた ものが,現 在 は どし な証拠 であ る としま した こ うい う事実 が発見 され たた め に,1920年 代 か どし石 油 に置 き換 え られ て きてお ります .自 動車 ら1940年 代 へ か けて は,石 油 の成 因 に関 しては 用 ガ ソ リンや火力発電 の燃料 の よ うな,大 量 の消 生 物成 因説が断然 l ■ 勢 で あ りました 。またそ の頃 は,発 見 され てい る石油鉱脈 の推定 埋蔵量 は比較 費は勿論 で すが,戦 前,石 炭 タール の分溜物 に 仰 いでい た ベ ンゼ ン, トル エ ン等 も,現 在 で は殆 ど 的少 く.石 油 の寿命 は約20年 位 で あ ろ うと言 われ 石 油化学 の産物に とって代 られ ま した.ま た,合 てい ま した.と ころが そ の後, もう30年 近 くも石 成繊維 や プ ラスチ ックス,合 成 ゴム等 も石 油か ら 油 を採掘 し続 け てい るに もかかわ らず ,最 近 では 多量 につ くられ るよ うに な りま した。従 って現代 石油 の寿命 は40年 以上 だろ うと言 われ るよ うにな 人 に とって llt,石 油 が資源 として何年続 くか とい りま した。 うことは,極 めて重大問題 な ので あ ります , . 石油 の成 因が従来 の学説 の よ うに,生 物起源 の 石油は年 々新しくできる 石油 の寿命 とい うの は, そ の ときの推 定埋蔵量 もので あ るとすれ ば,そ れ程無限 に続 くとい うこ を毎年 の採掘量 で割 った数ですか ら,寿 命 が20年 とは考 え られ ません.数 十年後 には枯渇す るであ も伸 びた とい うことは,推 定埋蔵量 の伸 び率 が ろ うとい うこと も当然考 えね ばな りません.し か 採 掘量 の伸 び率 よ りも遥 かに大であ るとい うこと し,石 油が無機的 にで きた もので あ って,ひ ょっ を示 して い るのです。 しか も,最 近発見 され る新 とす ると,現 在 で も地殻 の 中で新 し くで きつつ あ しい石油 の鉱脈 には,地 下数千米 とい う,非 常 に深 るの だ とす ると,吾 々 は心配せず に石 油を どしど い層 て発見 され た ものが多 いので あ ります .こ の し使 って よい わけです。 , よ うな深 い層 には,か つて生物が棲息 した とい う 原子力発電法 が進歩 して,発 電 コス トが火 力発 よ うな痕跡 の全 くな い層 もあ るのです 。そ うい う 電 以下 に な る時代が くれ ば,電 力用石 油は不用 と 新 しい事実 か ら,先 年物故 され た米 国 の有名 な石 な るわけですが, 自動車用 ガ ソ リンまで,原 子力 油化学者 エ グ ロフや ノ連 の ク ロポ トキ ンな どは 石 油 は地殻 の 中で無機的 にで きた ものであ る。 た に置 き換 え られ る日は,ま だ大分遠 い先 の話 で し とえ石 油 の 中に微量 の生物成分が発見 され ていて も石油 は地層 の 中を移動 し得 るものであ るか ら 要 な もので あ ります。 これ を再 び石 炭 に戻す とい うよ うな ことは,大 変不便だ し,ま た生産 コス ト で きてか ら後 で,生 物 の死骸 の成分 を溶か して含 も高 くな る こと間違 いあ りません , , んで い る とい うこと もあ り得 ると言 ってい ます。 今 か ら12∼ 3年 前 と思 い ますが, 日本化学会 の招 へ いで,エ グ ロフ博士 が来 日され ,東 京や大阪等 で石 油化学 工 業 に就 いて講演 され ま したが,大 阪 での講演会 の後 の晩 さん会 の席 上,エ グ ロフ博士 は「石 油は現在,人 間 が採 掘す る量 以上 に,年 々 新 しくで きつつ あ るか も知れ な い」 とし ょう談 ま じ りに言 っていま した 。 ょう.ま た,合 成原料 として の石油 は,絶 対 に必 . 食卓に石油製品食料 人間が多量 に消費す る含炭 素 物質 として は食料 があ ります 。 これ は今 の ところ殆 ど全部 を,農 畜 産物 と木産物 に仰 いでい るのです が, グル タ ミン 酸や コハ ク酸 の よ うな調味料 は,既 に一 部石油製 品 に置 き換 え られ てい ます . また,飲 料 として人間が多量 に消費す る炭 素化 あ りま 合物 にアル コール (エ チル アル コール)力 ゞ 現在, この地球上 で,人 類 は,そ の生活活動 を す .エ チル アル コール は,適 当量飲 めば充分人間 支 えてい る食料 以外 のエ ネ ル ギ ーの大部 を石油に の栄養源 に な るので すか ら,食 料 の一種 と考 えて 8 THE ROTARY‐ NO‐ TOMO │。 │ 筆者紹介 化学者 ,有 機化学専攻, とくに蛋 白および酸素の研究 で著名 明治33年 生,大 正14年 東北大学卒,名 大講師を経 て昭和13年 阪大教授 となる 28年 に「蛋白模型物質 の研 究Jと 題 し朝 日科学奨励金を受与,著 書 には 「有機化学 の進歩」 など多数,大 阪 RC会 員 差支 えあ りません.ア ル コール の な い人生 な ど意 味 がな い と極言す る人 も相当あ るで し よう.こ の アル コール が,戦 前 までは全部醗酵製 品 で,澱 粉 或 いは糖分 か ら酵母 の力 に よってで きるもので あ ります。 ところが このアル コール も,最 近 では石 油製品 の瓦斯 の一 つ エ チ レンか ら,化 学的 に多量 に合成 され るよ うにな り, この方 が醗 酵 アル コー ル よ り生産 コス トが低 くな りま した .こ の石油か らつ くる合成 アル コール は税制 の関係 で,飲 料用 に用 い ることは許 され てい ませんが,醗 酵 アル コ ール と全 く同 じ物質 で あ って,同 じよ うに栄養源 に な る ことは間違 いあ りません 。また醗酵 工業 の 原料 としては石油 の原油 がそ の まま用 い得 ること もあ るし,或 い はエ チル アル コール のほか,酢 酸 や プ ロピレング リコール,エ チ レ ング リコール な ども用 い得 る ことがわか って きま した.従 って石 油 の食料 化は,直 接 合成化 学的 に利用す る道 の ほ か に, 中間 に微生物 の働 きを借 りてや る方法 も可 能性 がで きて きま した 現在,世 界 の人 口の急激 な増加 に伴 い,世 界的 な食料不足が 目に見 えて来 てい るわけで,石 油 を 人為的 に食べ られ るものに変 えるとい う仕事 は , 科学者 1/Cと って も産業 人 に とって も,大 いにや り 甲斐 の あ る仕事ではな いで し ょうか .そ れ に して も石 油 が 無機的 にで きた もので あ り, また現在で もで きつつ あ るとい う,た しか な証拠 で も捉 える ことがで きれ ば,益 々張 り合 いの あ る仕事 にな り ます . 何十 億年 か 前 に,石 油か ら生れ た生物が,長 い 年 月を要 して人間 にまで進化 し, また今,頭 脳 の 働 きで科学技術 を倉1造 し,再 び石 油 を命 の糧 とし て利用す るに至 った ことは,不 思議 な廻 り合わせ で はあ りませんか . ロ ー タ リー の 友 -7月 号 1性 界のお客様 に規 しまれて88年 … 級・ の 宮 下 富古屋ホテル 富 士 ・ 箱 根 国 立 公 園 ′' i . , F .: 0,つ 1「 ● 椎 ■ 1/1 ● 声 ′Jり 1地 1 〔 ●′ ]口 1口 │ ● モ オ良・ ¬1'こ “ 富 士 屋 リ ゾ ー ト '塁 IF ( 21 2211 1,「 千 1■ i 「名l fl(2ヽ 221 1(1根 , '■ 補 │に ′3,63 ‐3 =it ,1 1■ ホ 、 11 8 1■ ,1:■ 11=17り ■│■ な, 1 `山 ● 予 fiけ ‐束■t(572)625 '「 6‐ ′ ,ち 2603・ 1ド'r(4)85 (2521336 野球・ スキー・登山などス ボー ツの好 きなガパナーは,毎 年 2 回は家族づれで日帰 りの山のぼ りをするとのこと,家 庭 で も良 き父親であ る 会 うほ どに魅せ られる さて小生 ,同 君 と二 人 だけ の時 は “正雄 さん" と呼ぶ .ナ ン トこの“正雄 さん"は 北 海道 ボーイ ス 第 35tl区 ガバナー カ ウ トの草分 け,旭 川 RC元 会長荒滝賞氏 の薫 陶 岡 田 正 雄君 を受 けた スカ ウ ト出身 ,ノ ンプ ロ野球 の支部長 家族 と共 に大雪 山 に スキ ーに行 った りとい うスポ , 直前ガパナー 嵯 峨 星 ー ツマ ンと思 えば,囲 碁 四段,マ ージ ャ ン強 し , 会 うたび毎 に,益 々好 きにな る人 が,岡 田正雄 そ して クラシ ック音楽 を愛好 し, ケ ー ンズ派 の経 新 ガバ ナー 済学書,仏 教書 をひ もと くとい う多彩 な生活 の断 御承知 の とお り,人 には皆「 な くて七癖 」 この ゛ 中で一癖 くらいは,お 互 いに永 くつ きあ っていて もどうも鼻 につ い た り気 にな った りす ることがあ 面 を持 つ人 で あ る この46歳 の ガ バナ ー,仲 々 ど うして癖 を見せ る ない 癖 だ らけ の小生 の方が,何 か「 これでいい のか なあ」 と余計 な心配 をす る . ことほ ど,い い人 で あ る 閑話休 7EE . 御 母堂夫佐子様御健在 ,家 庭裁判所調停委員 東本願寺大谷婦人会理事 をお 勤 めに な られ ,夫 人 , 美恵子 さまは前ガ ール スカ ウ ト北 海道副 支部 長 お一人 の長男重行君は,今 春 一橋 大学 に進学 ,信 , 子 さん,依 子 さんが高校 中学 に在学 とい う家族構 成 もって“正雄 さん"の 背景 がわか る ″ ポ ール 但 し彼46歳 の若 さを もって “お つ む 力ゞ . 北 7毎 道 の屋根 ,大 雪連峰か ら流れ る石 狩川 の水 は清 い 。その河畔 の街,旭 川 は北 海道屈指 の酒造 ハ リスの それ に似 よ うと して い る ことが唯 一つ 気 地 .昭 和 15年 現在 の小樟商大 の 前身 ,小 樟高等商 好 漢,更 に 自重 ,御 家族共 々の御健 康 と御 幸福 を祈 る次 第 で あ る (妄 言多謝 ) 業学校 を卒業 した 岡田君 は,直 ちに家業であ る酒 造業 に従 事 小樽 ,札 幌 にあ る「 北 の誉」 を名 の る一連 の酒屋 さん は皆親威 .応 召,敗 戦復 興 と辛 酸 をな め る 昭和26年 ,旭 川 ロー タ リー クラブに入会 .昭 和 にかか る点であ る Hi! 岡田正雄君 大正 8年 9月 10日 生,昭 和26年 5月 旭川 RC入 会,会 長,社 会奉仕委員長などを歴任,昭 和15年 小樟高等商 業学校卒,昭 和26年 北海木材株式会社・旭川物産株式 30年 ,31年 幹事,昭 和37年 には会長,同 年秋 の旭 会社取締役社長,27年 旭川北の誉酒造株式会社社長に 川 に於 け る地 区大会 には大会幹事 をつ とめ,益 々 同君 の ロー タ リー歴 に磨 きが かか る 就任以来,数 社の取締役 を兼任,他 に北海道酒造組合 70 JI THE ROTARY‐ NO― TOMO 27年 間 の ロータ リー生活か ら得 られた豊富な体験が,自 宅での この写真からもにしみで るよ う である.二 人 のお孫 さんに囲ま れ るガバナー夫妻 武 夫 . なが ら進取 の気象 に富 まれ た先代 は,明 治40年 頃 盛 岡には じめて設立 され た幼稚園 に,源 一君 を入 園 させ られ た ので あ ります 。バ ブテ ス ト教会 の宣 教 IIniタ ッピ ング夫人 が,間 もな くこの経営 に参加 され ,キ リス ト教 の教 えにそ うて園 を運営 され ま したか ら,感 じやす い幼年時代 を, この幼稚園 で お くられ た村井 さんが,将 来奉仕 を理想 とす る ロ ー タ リー クラブに入 会 され ,そ の道 に励げ まれ る よ うに な ったの も故 な しと しな い よ うに考 え られ ます . 少年時代 に ス ケ ー ト,青 年時代 にオー トパ イ そ の後 ゴル フをや られ ま したが,今 で も毎 日ゴル , フ をや らぬ と身体 の具合 が悪 い と云 われ る程 の ス ボー ツマ ンで あ ります 30歳 位 の時 に父君 に別れ られ ,大 分御苦労 をな す った よ うに伺 ってお りますが , この御苦労が現 在 の村井 さん の人間形成 に大 いに役立 った よ うに ロー タ リー の 友 -7月 号 す メ さ ラ ラ 亘 と 帰 一井 ク ク に 験 新 新 ら盛 岡 に移 られ た数あ る村 井家 の 内 の一つで す その御家業 は代 々薬種業 と存 じます.旧 家 で あ り 呻 一 ﹁ ・ ,い 動 す 回 ま 6 R 在 で り と う た に 現 人 あ こ よ れ 村井源 一ガ バ ナ ー は,盛 岡市 の旧家村井家 の当 主です .村 井家 は近江 の大溝出身 で,当 時大溝 か 岡 立 せ る 月 ・3 で る の ら も 盛 設 さ け 6 た は ン れ こ 得 に 藤 棟銑轍備狩れ妨げ場ナ瞑稲 議昴夕 拠限劇効け , ・揚嘘樋れ 村 盛 に を 付 続 お 口表 あ 活 て 生っ 神燎動盤酪帯て つ盛服贅一持 ヾ iス ト ノ ガ′ ナー 佐 業 5 の の 会 会 残 熱 特 名 り を 1 実 軍 一曜 例 で 番 の の 夕 識 , 村 井 源 ―君 5 1 口続 翌 存 , た.い 脅 し ま れ れ め さ ら た 第 352区 ガバ ナ ー 木 で 一 一 立 立 一智 青年躍れ牡は夕り , 口糾 ′株瑠獄る 繊ヾ , ・し ン 時 に 当 員 . す 年, 帖 ま 4 . れ 和 わ 昭 C 思 R 新 クラブ結成 の名人 多忙な毎 日を送 っていられ る兼 子 ガバ ナー夫妻が, 自宅でお孫 さんを相手にくつ ろがれ るひと とき の と円満 な人格 とは断然衆 目の 焦点 を集 め,福 島 温厚叡智の紳士 県 の 中部経営者協会 の会長や 日経 連 の理事,生 産 性東北地方本部 の理事,県 の地方労働委員 とい っ 第 353区 ガバナー 兼 子 俊 ―君 直前 ガパ ナ ー 安 斎 徹 東北 6県 は,歴 代 ガ バ ナ ーが クラブの拡 大 に奉 た よ うな社会的奉仕 に彼 の専門的学業手腕 を活用 して いるので あ る ロー タ リーヘ の熱意 は東京 の 国際大会 のみ な らず ,態 々1961年 の トロン ト大会 に出席 した ことで も察知 され るで あろ う.と ころ 仕 これつ とめ たので あ りま し ょう.忽 ち クラブは が この夫君 にふ さわ しい令闇 は,実 業家松葉喜助 90を 数 うるに至 ったため, と うと う 6県 が 3県 宛 氏 の御息女 て郡山 市の社会教育委員 ,図 書館委員 児童会館運営審議会 の委員 ,東 部婦人会 々長 とい に三分 して新 らしい地区 を創 らなけれ ばな らない った多用 な仕事 に孜 々 として奉仕 され御両人 の間 よ うに な り, 1昨 年 の地区大会で秋 田,山 形 ,福 島 の 3県 は第 353区 として新地区 を設立す る ことに 1/Cは そ こで新地 区 の ガバ ナーを選出 しなけれ ば な らな いので,先 輩 ガ バ ナ ー達 は大へ ん苦労 をな 兼子 ガ バ ナーの趣味 は ゴル フに集 中 され てい る が,大 の読書家 で あ り,相 手 があ る時 は囲碁 もや さった よ うす, そ の時 も候補 に挙 げ られ た のが兼 子 俊一君であ った らしい。彼 は明治42年 生れ で東 大 の経済学部 を卒業 したパ リパ リの東京 っ子 で は 女 は三沢 博 士 の令息 と結婚 され ,長 男 は東大理学 部 に在学 中 の 山,全 く壮年 の活動的ガ バ ナー を得 あ るが,温 厚叡 智 の棋範 的紳士型 を備 えてい る た ことは,老 骨無為 の まま新地区 の初代 をつ とめ 昭和 14年 4月 郡 山 に来 られ ,20年 5月 に東北 工 業株式会社 を創 立 して工 業写真 の感光紙製造 を開 て 各位 に御迷惑 をおかけ した私 の短 を償 って下 さ 決定 . 始 され た 。現 在 で は複写器 の製造 か ら販売 もや ら れ てお り,去 る34年 か ら高石地 内 にダ ンボール紙 器 の広大 な工 場 を建設 された . 郡山 RCが 昭和25年 の10月 に復帰創立 され た翌 々27年 の入会で理事委員 の 各部 Fり は申す に及 ばず 副会長,会 長 を歴任 し ロー タ リーの細 かい規定 に まで精通 しきってい る.何 事 に も熱 中的勉強家 な 72 レジ ャー な どとい う凋時が な い . る.御 家族 は娘 さんが 4人 に息子 さんが 2人 ,長 る ことが楽 しみであ る . 兼子俊―君 HJj治 42年 2月 10日 生,昭 和′年郡山 RC入 会,会 長 , 各奉仕部門 の委員反,特 別代表などを歴任 昭和 8年 東京大学経済学部卒,14年 東北工業株式会社を倉」 設 , 取締役社長 として現在 に至 る 他 に福島県中部経営者 協会会長, 日経連常任理事, 日本生産性東北地方本部 理事,福 島県労働委員会委員などをつ とめる . 「HE ROTARYoNO_TOMO 茨城県岩井町の 自邸で庭の手入れを し て一服す るガバナー(中 央 )と 長男医学 博士武一郎夫妻 とお孫 さんの慶一君 生粋の新聞人 きをな していま した . 第 355区 ガバナー 昭和22年 2月 郷関 に還 って茨城新門社 の経営 に 当 り,地 方文化 の 発展 に功績 を上 げ てい ま した。中 後 藤 武 男君 央 で も日本新 聞界 を代 表 して欧米 諸 国に開かれ る ` ノ ストガパナ¨ 渡 辺 覚 造 国際新 聞会議 に 日本代表 として12回 の多 きにわた って出席 してお ります 。恐 ら く職業 を通 じて の こ 後藤氏 は生 粋 のジ ャーナ リス トであ り,近 年茨 城県 の生んだ新 聞記者 で は,故 伊藤正徳氏 に次 い で新 聞界 へ 送 ってい る代表的言 論人 であ ります れ ら多大 の奉仕 が 認 め られ て,昭 和40年 11月 秋 の 大正 5年 に慶応義塾大学政治科 を卒業 して, 日 後藤氏が筆 一 筋 の奉仕 の外 に ロー タ リア ンとし て公衆衛生 の強化,福 祉事業 の発展 の た めの社会 . 本 一 を誇称 した 「 時事新報」の政 治部 に入 社 して 新聞歴 を ス ター トさせ てい ます 大正 8年 4月 に , は ワシ ン トン特 iFR員 に抜 て きされ ,第 1回 国際労 luJ会 議 を報道 し,大 正 10年 3月 には皇太子殿下 の 叙勲 に勲二等旭 日中綬章 を授 け られ た ことと思 い ます 。 奉仕 に貢献 したために厚生 省 か ら藍綬褒章 ,紺 綬 褒章等 の名誉 を受 け られ てい る ことを も特記 して よいので あ ります 。 欧州外遊 に随伴 し, さらに同年 10月 の ワシ ン トン 軍縮会議 の報道 に当 り日英 同盟廃棄 , 日・ 英 。米 明治26年 7月 生れ で あ り,73歳 とい う年齢 だが 青年 の意気旺盛 で あ る こと も羨 ま しい限 りです ・ 仏 4国 太平洋条約 の調印正文 を ス クープ して世 猿島郡岩井町 の 自宅 に時 々小閑 を求 めて帰 り,汗 み どろにな って庭樹庭石 の手 入れ に熱 中 し,1200 界 の新聞界 を衝 動 させ た のが 後藤氏 の青年記者時 代 であ りま した .帰 国 して時事新報社 の編集局次 長兼政治部 長 とな って,同 郷 同僚 の伊藤正徳氏 と ともに同社 の名声 をたか めてい ま した .昭 和 8年 に同社 の取締役 とな り社長武藤 山治氏 の凶死 に責 任 を感 じて10年 2月 に退社す るまで,実 に20数 年 . 余坪 の庭園 を隣人 に開放 して憩 いの場 に提 供 して い ます .親 しまれ る郷 土人 で もあ ります . 後藤武男君 明治26年 7月 26日 生,昭 和26年 2月 水戸 RC創 立会員 を時事新報社 と運 命 を ともに した人物です 。 しか 会長,国 際奉仕委員長, 355地 区青少年交換委員長 な どを歴任 大正 5年 慶応義塾大学政治科卒,時 事新報 し新 聞社 を去 って直 ちに上 智,明 治,慶 応 の諸大 学 でジ ャーナ リズム担 当 の講師 として教 壇 に立 っ てい ま したが,中 央言論界 で社会評論社 して重 社政治部入社,以 後同社取締役,文 部大臣秘書官′茨 城新聞社取締役社長,茨 城放送取締役会長, 日本原子 力産業会議相談役 など多数の団体役員をつ とめる ロー タ リー の 友 -7月 号 写真はガパ ナー夫 妻を中心 にそのご家族,広 範囲に活躍 され ているガバナーにとってご家 族 と一緒に撮 られたのは珍らしい . 多彩な国際人 の盛 況 の原動 力 の一人 で あ ると存 じます 。更 に又 民芸 の方面 で も蘊 蓄な , そ の指導者 であ り又 後 第 358区 ガバ ナ ー 援者であ る とい うよ うに,行 くと ころ として可 な 松 方 三 郎君 らぎる もの はな い三 郎 さんです 日本 の ロー タ リーの驚異的 発展 は我第 358地 区 , . く ′ ストガパナー 湯 浅 三 恭 「 二郎 さん」と皆 が呼 んで親 しくして い る松方三 郎 さんが,い よい よ第 358地 区 の ガバ ナ ー として 地 区内 のお世話 を して い ただ く ことに な り,御 本 人 には御苦労様 で す が,地 区 の一 同は力強 く感 じ 大 きな期待 を もってお ります .御 存知 の とお り三 16さ ん は,故 松方 正義侯爵 の13男 ,明 治32年 生 に於 て もその例 に洩れず,90に 余 るクラ ブをお 此 話す るガ バ ナーの責任 は大変 な もので,公 式訪問 をは じめ,各 種 の会合 にガ バナ ー として の出席 を 求 め られ,又 一方 RIや 外 国を含 めての他地 区 の ガ バ ナ ー との交渉 な ど,数 えれ ば限 りな い多 くの 仕事 を持 ったガバ ナ ー は肉体的 に も相 当な精力 を あ とで も述 べ るよ うに同氏 の経歴 と御活躍 は亥年 要求 され ます .現 在 の 日本 が国 と して世界 ,殊 にア ジアの諸 国 の間 におけ る地位 か らみ て も,我 国 の 生れ に応 わ しい とも言 えます 京都大学経済学部 を卒業 してか ら永 ら く満鉄 に勤 め,満 洲1で 大 いに ロー タ リー クラブの 世界 にお け る地位か らみ て も 東京 を含んで い る第 358地 区 の ガ バ ナーの仕 事 は 活躍 し,叉 その後 同盟通信 に入 り,又 満洲 国通信 社 の理 事長,更 に終戦後 は同盟通信,共 同通信 に 多 く責任 は重大であ ります 。 この よ うな ときにわ れ われ の松方 二郎 さん を地区ガ バ ナ ーに得 た こと お いて広範 囲 の活躍 を され ま した は第 358地 区 のみ な らず 日本 の ロー タ リーのため に誠 に慶賀 に堪 えませ ん 。松方 三 郎新 ガ バ ナーの , 日本山岳会会長 として も我 国山岳会 の最高峰で あ り, 日本 の山 々 は勿論,外 国 の 山 々 も有名 な所 は大体 二郎 さん の足跡 を残 して い る筈 で す 。今 で も一夏 に 4∼ 5回 は富士 山 の山頂 まで小 さい リュ ックサ ックを背負 って散 歩 に出か け る とい う精力 ぶ りです ││ │ 松方二郎君 明治32年 8月 1日 生,戦 前戦中は上海,新 京 RC会 員 昭和25年 東京 RC入 会,会 長,ロ ータリーの友副委員長 . 一方,有 名な松方 コレ クシ ョンの責任者 として ヨー ロ ッパ 絵画 に造詣深 く,又 日本 の版画 のお世 話役 として, 日本版 画 が 世界的 に観 賞 され る今 日 74 御健 康 を祈 り,御 活躍 を期待 してお ります 。 :[[:i[lξ [i[[[][鮮 [I[][ │ 議会, 日本山岳会など多数の団体役員をつ とめる THE ROTARY_NO_TOMO 横浜市金沢区六浦の関東学院大 学内にあるご自宅の庭先で家族 揃 っての和やかな記念写真・ 方 面 か ら引張 り凧であ る ことは,同 学院 に,一 部 の大学 にお いて半 ば柴動化 して い る学生運動 の皆 温厚だが志は強 い 無 な ことに よって も証 され る。同学院 は校 訓 と し て「人 になれ ,奉 仕 せ よ」 を モ ッ トー として い る 第 359区 ガバ ナ ー 白 山 源 三 郎君 ` ノ ストガパナー 柳 瀬 省 が, ロー タ リア ンで あ る我 々に とって一脈 相通ず 吾 る ものがあ り立派 で あ る 私 が 1954-55年 度 ,い わゆ る ロー タ リー50周 年 の 記念 の年, レー キプ ラシ ッ ドに集 まった,ガ バ ナ ー ノ ミユー 220名 の職業分類 を調べ た ところ , 教 育 が23名 で全体 の 1割 余 を占め,次 が医学 の20 名 で 1割 ,法 律関係 17名 であ った .教 育関係 に従 事す るガ バ ナーが最 も多か ったが, はか らず も当 359地 区 において は直前ガバ ナ ーの鯨 正 太 郎 君 同君 のホ ビー は京都人 として造詣 の深 い点茶 で あろ う.学 園 の一 隅 に京都 か ら呼 び寄 せ た建築家 と庭師 に よって,法 に叶 った茶室 と庭が設 け られ てい る.茶 室 も庭 も御 自慢 の もの らしいが, 自分 には よ く分 らな いが,鐘 前 ガ バ ナ ーが,書 道 の墨 が,静 岡大学 の法律 の先生 で あ り,次 いで新 ガバ につ いて,蘊 蓄 を傾 け られ 蒐集家 で あ る点か ら見 て御両 人共 ,中 々高尚 な趣味 の持主 で あ る 白山君 はま ことに温厚 な好紳士 で,人 の世話 も ナ ー として迎 えた,自 山君 が 関東学院大学 の学長 よ くや る し,仲 間 の評判 もよい .お とな しい性質 か ら,現 在 は,学 院長 の重職 にあ る教 育界 のベテ ラ ンで,当 地 区は二代続 いて教 育家 をガ バ ナー と だが芯 は強 い 。それ は数年 前同君 が神奈川県 の教 して指導 を受 け る ことに な った ことは,当 地区 3 千 の ロー タ リア ンの等 しく喜 びで あ る と考 え る。 白山君は京都市 の出身 で,京 都第 二商業 か ら直 . 育委員長 を依嘱 され てい た時,当 時間題 にな った 教 員 の勤務評 定 に付 て神奈川方式 を各方面 の反対 を押 し切 って強行 した話 が 今 で も残 ってい る . 白山君 よ, 自重 して大 に活躍 していただ きた い に神戸高商 に入 学 ,卒 業後,向 学心盛 んで,再 び 京都帝大経済学部 に入 り, 3年 の課程 を了 えて実 業界 に身 を投 ぜん としたが,当 時経済界不況 の た め果 さず ,結 局関東学院 に教 鞭 を と り子弟 の訓育 に身 を挺 し,爾 来 40年 ,今 日は前学院長坂 田氏 の 後任 として,下 は幼稚園 よ り,上 は大学院 に至 る まで学院 の総帥 としてお られ る。同校 卒業生 が 各 ロー タ リー の 友 -7月 号 各奉仕委員,特 別代表,地 区青少年交換委昌などを歴 任 大正13年 京都大学経済学部卒,昭 和 2年 関東学院 高等商業部教授,29年 関東学院大学長,40年 関東学院 長に就任, この問オ リンピック役員 として ロサ ンゼル ス,ベ ル リン, ローマに渡航 75 自宅 の庭 に揃 ったガパ ナーとご 家族 たち 岡田医院は本文 にも あるように医家 一色 とい う。可 愛 いいお孫 さんもきっと医科を 志望 され ることだろ う のであ る 優れ た行政手腕 . また, 日常生活 に於 け る岡 田君 は,時 間励行 約束厳守 とい う厳 しい一面 を もつ と共 に,人 間的 , 第 360区 ガバナー 岡 田 良 介君 直前ガパナー ネ 申野 太 郎 温情 に も厚 く, よ く他人 の面倒 をみ る人 C公 私 にわた って,心 暖 ま る多 くのエ ピノー ドの持 ち主 で もあ る . 岡 田良 介君 は,石 川県 金沢 ロー タ リー クラブの シ ニアア クテ ィブ会員 で あ る。元 のIJi業 分類 は外 科医 とな ってい るが,岡 田君 の経歴 をみ ると単 な る外科 医 で はない .元 金沢医科大学病 理学教室 の 助教授 で あ ったが, そ の後外科医 として開業 して 岡田君 の祖父 は旧加賀藩時代 の有名 な医家 で 今 日,良 介君 一家 も令夫人 が医家 出,令 息 も外科 医 ,令 息夫 人 も医家 出 とい う医家 一色 の家系 で あ , る こと も珍 らしい .岡 田君 の趣味 は多方面 にわた って い るが,昨 今 は囲碁 と撞球 とつ りに余暇 を楽 か らは,市 や県 の医師会長や公安委員長 としてす ゛ くれ た行政手腕 を発揮 し,県 下 の信望 をあ つめ た しんでお られ る 潔 白な性格か ら所信 を直言 してはばか らず,右 顧 左 べ んす る ことの ない行政手 腕 は名公安委員長 久 しく待望 して い たわが地区内 の北陸路 か ら 初 めて 岡 田君が,ガ バ ナー として登場 した .ホ ス トクラ ブ金沢 ロー タ リー クラブは,31年 の ロー タ リー年輪 を持 つ クラ ス しか も,筋 金入 りの岡 田 , 名医師会長 として高 く評価 され てい る。特 に県医 師会長 と して十 余年間, り1続 き今 日まで活 動 を続 けてお られ る ことは注 目され る。そ の間幾多 の功 績 を残 され てい る . . , ガ バ ナ ーの来 るべ き年度 は,今 まで とは ちが った 新風 がお こるに ちが い な い, と大 いに期待 して い る . 石川県 は,戦 itか ら日本一 の結 核県 として知 ら れ ていたが,岡 田君 は,医 師会長 に就 任す るや 県市 各方面 を総 動員 して肺結 核 の撲滅 に尽力 し 岡田良介君 , , 自 らは,そ の経営す る病 院 の病棟 の一部 を開放 し て,小 中学校 の結核教職員 を収容 して治療 にあた るな ど,公 私 にわた って大活躍 を した つい に今 日の石川 県 は,か つて の汚名 を返上す るに至 った 76 明治31年 4月 13日 生,昭 和万年金沢 R CIC入 会,会 長 各委員長,分 区代理など歴任 大正 12年 金沢医学専門 学校卒,同 年金沢大学病理学教室 に入 り研究,昭 和 4 年金沢医科大学助教授, 6年 同附属病院外科教室にて 研究, 8年 金沢市で開業,以 後金沢市公安委員,石 川 県医・l会 々長, 日本医師会監事など兼任,現 在 に至 る THE ROTARY_NO_TOMO 夫妻力 i,っ て午年生 まれ の北村 ガ バ ナー は,世 界各国 の■;を 蒐 め られ てい る 唐三彩 の 馬 か ら Tl, , 青鋼 ,ガ ラ ス,木 彫,わ らなど 珍 ら しい‖jで 賑わ って い る 細 心 に して放胆 締役頭 llX及 び会長 を歴任 され ま した。 北村 さん の書かれ た『 在欧 20年 ,思 い出す まま 第 365区 ガバ ナ ー に』 ,『 第 2次 大戦 とスイ スの 中立』 とい う著書 北 村 孝 治 郎君 で,欧 州 各地 での広 い御見間 と数多 い国際金融 の 場面 な どでの御活躍 な ど,更 に戦争末期 のス イス で の和平 工 作 に尽 され た祖 国愛 の ことな ど読 ませ サー 岡 直前ガッ 島 美 行 llT年 秋,京 都 での連合地区大会 で RI会 長代理 の ペ ッテ ンギル さん は『 ロー タ リー は愛 と理 解 の 1つ を豊富 に提供 で きる。だか ら私達 ロー タ リア ンは,全 人類が平和 と調 和 の うち に生活が で き 何 の差別 もな い H上 界 を創 る夢 をみ る視 野 の あ る人 , 間 とな り,私 達 のあ らゆ る面 で, ロー タ リー を実 践 しよ うではないか』 と述 べ,洵 に意味 の深 ぃ言 葉 で 私共 の記憶 に鮮やか に残 って い る こ うした高 い見地 と広 い視野 か ら, 当地区 の御 指 導 をお願 いす るのに,北 村 さん は ま ことにふ さ わ しいお人 柄 と.永 い年月 にわた る国際的経験 を お もちに な ってお られ,本 当 に私 どもに と り, こ υ)上 もない幸わせ と思 ってお ります . 第 2次 大戦 前か ら終戦後迄独逸 や ス イ スに駐在 さ れ ,当 時我国 に と り非常 に大 切だ った国際金融 。 為替な どの重大任務 に当 られ,バ ーセルの国際決 済銀行理事 も勤 め られ ま したが,戦 後追放 の ため lE金 の取締役 を辞せ られ, 一時 弁護 Lを され たが ここに御紹 の い る こと ことに 介す 余白 な をま 遺殷 思 い ます が,本 当に今 日の ロー タ リーの大 切な仕・ を御担 l千 任 して頂 くのに願 って もな い方 だ と信 じます 北村 さん に ご く親 しい方 々は, そ のお人 柄 につ いて,和 l心 に して/J■ 胆,見 透 しを誤 らないで,常 に合 目的的 に活動 され る方 とい ってお られ ますが 私 はそ の上 に,実 に友情 に篤 い,心 か ら尊敬 申上 げ る方 とい うことをつけ加 えてお きます 今年 は午年 で飛躍 の年,北 村 さん御 夫婦 も次女 もともに午 年生れ との こと, 当地区 も北 村 さんに あやか り, そ の御力 に よって, さらに一段 と飛 躍 す るよ う念願 す ると共 に,北 村 さん の御健勝 を御 祈 りして欄筆 します 村 治 長 正 護 監 年 北 明 会 浜 弁 行 0 4 北村 さんは 東京帝大 (独 法科 )卒 業後,横 浜正金 銀行 に入 られ,永 ら くの汗J外 生活 を送 られ,殊 に て頂 いて,一 入 の感 に打 たれ ま した そ のあ と迎 え られ て滋賀銀行 の経営 に当 られ ,取 ロー タ リー の 友 -7月 号 77 閑静な三田の屋敷町の 自宅で照 子夫人 との二人暮 し,写 真は蒐 集 されたや きものに見入 るガパ ナー夫妻 悠揚迫らず静寂内に蔵す 高 か らしめ た 。 また内外 の社会学界 にお いての活 躍 はそれ らにお いて重要 な役 目を呆 してい られ る 第 368区 ガバナー ことを見 て も明 らかで あ る そ の教 育界 ,学 界 に お け る功績 に よって藍綬褒章 を授 け られ てい る。 わ た しは長 く交わ って い るが, この よ うな花 々 難 波 紋 吉君 パス lガ パ ナ ー 今 田 恵 しい活躍 を して い られ る ことは,今 度履歴書 を見 るまで知 らなか った。それ ほ ど静 かで温厚 な紳士 年来 の友 人, 同 じ西宮 ロー タ リーの会員 で あ る 難波紋 吉君 が,新 年度 の第 368区 ガ バ ナー とな り わた しが紹 介 の ことば を述べ る ことは,誠 に嬉 し で あ る 悠揚迫 らず,静 寂 内 に蔵 し, ばんや りし てい るよ うで着 々 と事 を片 づ けて 行 かれ る点 は い ことで あ る 地 区内 の ロー タ リア ンは申す まで もな く, 日本全 国 の ロー タ リア ンの方 々の暖 かい そ の堂 々た る体 躯 と相倹 って大人 の風格 があ る 再度 の留学,数 次 の外遊,国 際諸団体 との関係 御交情 と力強 い御支援 とを,先 ず もって心か ら御 願 い致 します な どで明 らか な よ うに,教 養 あ る国際 人 で あ る 今は三 田 の屋敷町 とい う静か な ところに夫人照 同君 は 日本 の洋学界殊 に医学 の 先覚緒方洪庵先 生 を生んだ岡山県足守 の出身,わ れ われ と同 じ時 子さん と,た だ 二人 静 か に暮 し,近 くに新 たに出 来 た私 の関係 して い る関西学院が つ くった ゴル フ 場 で時 々ゴルフを楽 しんで い られ るそ うで あ る。 わた しは,第 368区 が よいガ バ ナーを得 た こと 代 で あ るか ら, 同地で尋常 4年 ,高 等 2年 を終 っ て,京 都 に出,同 志社 の 中学 か ら大学 を経 て, コ ロンビア大学 に学 び,社 会学者 キデ ィングスの下 に同大学院 で マス ター 。オ ブ・ア ー ツの学位 を得 , 母校 に帰 って,社 会学 と社会政策 とを教 え,戦 後 は初 めてわが国 に導 入 され た文化人類学 の研究 と 教 授 に今 日まで携 ってい られ る 同志社大学 ばか りで な く京都大学,関 西学院大学,大 阪大学,神 戸女学院 大学, 甲南大学 その他 い くつか の大学 で 講義 をせ られ てい る そ の間学校 行政 の面 に もい ろ い ろの要職 を兼 ね,昭 和28年 か ら40年 3月 まで は神戸女学 院 の院長兼大学長 として, その盛 名 を 78 , . . を喜 ぶ と共 に、 自分 自身 の経験 か ら同君 の生涯 に とって も この 1年 が人生最良 の年 で あ る ことを疑 わず ,ま たそ うあ る ことを心か ら祈 るもので あ る。 難波紋吉君 明治30年 4月 15日 ′ L,昭 和 "年 西官 RC入 会,会 長,R I財 団委員,国 際青少年交換委員の他,各 委員会委員を 歴任 大正 10年 同志社大学法学部政治科卒,H召 有13イ H可 志社大学教授,26年 ハーバー ド大学社会関係学部llI究 教授,以 後村戸女学院大学長,日 本社会学会理事,私 立 大学連盟理事などをつ とめ,現 在甲南大学大tF院 教授 THE ROTARY_NO‐ TOMO 4人 の可愛 らしいお係 さんに取 り囲 ま れたガバナーご夫妻 と長男 ご夫妻,お 係 さんを見つめるガバナーの衣情は幸 福その ものである 頼 り甲斐ある好紳士 呑んでお られ る風貌 は,御 健 康 の 象徴 とI「 lす べ き か,楽 しそ うであ りま して,下 戸 の 私共か ら見れ 第 369区 ガバ ナ ー ばお 羨 しい次 第 であ ります。 古 瀬 庸君 御趣味 の 方は,ノ iい 時代か ら俳 4Jに 御趣味 があ ったそ うです 。 それ に長唄 の稽 古 には月謝 を相当 ガ′ サー 竹 蘭竹 原 二 郎 369区 ガ バ ナーの古瀬庸 さん を御紹 介致 します 古瀬 さんは松江市大正町 401番 地 に御住 いで,明 治23年 3月 18日 生 で職業分類 は眼科医 で あ り,古 瀬限科医院 の院長 を務 めてお られ ます . ロー タ リー歴 は,1955年 10月 松江 RCに 入会 1958-59年 理事,社 会奉仕 委員長,1959-60年 会 , 積 まれ た よ うに聞 いてお りますが,紳 士 の隠 し芸 の方 は僅 か な修練 で,技 能 は天才的であ る ことの 天狗連 が 多 い 1吐 の 中です か ら, これ は興信 所 で聞 いて貰わ ない と判 りませんが,古 頗 さん の場合 は 宴盛 ん に なれ ば勧 進帳 が飛 び出す位 です か ら相当 の もので しょぅが, lHTし ろ長 いので 聞 く方が くた びれ ます 長,1960-61年 国際奉仕 委員長 を務 め られ ,爾 来 各委員 を歴任 して ロー タ リーに貢献せ られ た 職 長男 と御 三男は何れ も御父 さん 同様 の限布1医 を務 歴 としては,大 正 6年 東京帝 国大学 医学科 を卒業 めてお られ,御 二男 は京大 の 法学士で 島根県庁 に 大正 7年 同大学眼 科副手 ,大 正 8年 一大正 11年 松 山赤十字病院眼 科医長 を務 め,大 正 11年 8月 松江 市で眼 科蜃 を開業 せ られ現 在 に至 ります 尚 その 御勤務 で あ り,御 子女 の御 2人 の方 は何れ も御結 婚済み と聞 いてお ります 。以上 の よ うな御家庭で あ り,御 人格であ ります ので,ガ バ ナー御就任後 間島根県 医師会副会長,昭 和22年 -26年 松′11市 議 は国際 ロー タ リーのため,副 目すべ き奉仕活動が 会議長,昭 和29年 -31年 島根県公安委員長 の要職 展開せ られ る ことと楽 しみ に期待 してお ります を務 め られ ま した。 御性質 は,品 厚篤実 な紳 Jfで あ りますが,llt格 は 雲 州藩 の古武士 の面影があ りま して,頼 もしく頼 り甲斐 の あ る御方 だ とお察 ししてお ります .晩 西t はプF干 召 し上 りに な らん と御馳走 が喉 を通 らぬ御 様子 で,傍 か ら見ていて も如何 に もお い しそ うに ロー タ リー の 友 -7月 号 御子供 さんは男 3人 ,女 2人 の よぃ配合 で,御 古瀬 庸君 イ 3月 ワl治 盤「 RC入 会,会 長 大正 6年 東京帝ll大 学医FI大 18日 ι L,日 召和30年 松江 各委員会委員など歴任 , 学1大 学科卒, 7年 同附属病院副千,同 眼科教室副手 8年 松山赤 卜字病院限科医長,11年 松江「 にて眼科開 , 業,以 来松江市議会議長,島 棋県公安委員長を経て 現在は松汀:市 選挙管Jll委 員会委員をつ とめる , 79 例会を気楽 な気持ちで エ ンジョ イするようにと言 うガバナーは 家庭内で も同 じこと,楽 しい雰 囲気 にあふれ る吉村家 のご家族 ロー タ リー を楽 しく 昭和 14年 熊本 ロー タ リー クラブが創 立 され るや 君 は最年少 の チ ャー ター メンバ ー として参加 し 第 370区 ガバナー 爾来 ロー タ リーの発展 に尽 した君 の功績 は,菅 に ホーム クラブ内 に止 らず,今 日迄熊本県 内 に創 立 , 吉 村 常 助君 巳 され た八 つの クラ ブの 内 5ク ラ ブは正 に吉村特 別 代表 に よ り結成 され た もので,爾 余 の 3ク ラ ブ も 吉村 ガ バ ナー は学生時代 を凄 い秀才 で通 した人 で,友 人仲間で は彼 は多分将来 象牙 の塔 に学 究 と また悉 く君 の指導 に待 って誕生 した の を見 て も 如何 に君が多忙 の 日常 を ロー タ リーの進展 に割愛 な るだ ろ うと噂 したそ うだが,現 実 はその閲歴 の 示 す通 り大学 での専攻 とは几 そ縁遠 い父祖 の家業 奉仕 したかを知 るに充分であ る 概 て君が 日本 の ロー タ リー を説 く時,常 に強調 す るの は 『 ロー タ リー を楽 しく』と言 うことで あ る ヾ ′ ストガパナー 増 茂 永 を継 いで,街 頭 に出 て今 日家業 の酒造業界 に於 け る君 の活躍 と令 名 は全 国 に知 られ てい る . 君 は東京大学 工 学部 の建築科 を昭和 6年 に卒業 し,一 時文部省 に職 を奉 じた の だが,家 業 に従 事 していた唯 一人 の令兄 の早世 に遭 って これ を辞 し 郷 里熊本 に帰 って酒造業 の古 い暖 簾 を守 らね ばな らぬ羽 目とな り,爾 来専 門 の建築学 は寧 ろ趣味 の 道楽 とな った訳 で あ る 『 君子 は器 な らず』と言 う文句 があ るそ うだが , 恐 らく君 もその君子 の一人でで もあ ろ うか,君 が 年来 の専攻 を樋 ち家業 に入 って既 に30余 年,そ の 間 の酒造界 に於 け る事跡 は勿論 の事 ,其 の他請 わ れ て携 つた団体や協会 等 の数 は随分多 きに及ぶ の だが,全 く行 く所 として可 な らぎるな く,直 ちに 鉛 々の頭角 を現わ し指導的地位 に推 され て は常 に 縦横 明快 の朱配 を以 て統率す るので あ った 。 唯君 の徹底的合理主義 は天賦 の明敏 と性格 の烈 しさに よ り,事 に処 して は芍 も忽諸 にせず,其 の 根元 を窮 めね ば惜 か な い と言 うのが 自 ら来 る君 の 持 前で あ る.今 や君 も齢耳従 に達 したが,そ の 明 哲洞観 の鋭 さと追究徹底 の厳 さはり も衰 えず 'か ので あ る 動 もすれ ば相手 に圧 迫感 さえ も与 える , 20 , . 即 ち今少 しく『 毎週 の例会 に して も気楽 な気持 ち で エ ンジ ョイす るよ うに運営 した ら』 と説 き, ま た『 日本 の ロー タ リー は もっと若返 るべ きで はな いか .そ れ は若 い会員 を殖や して平均年齢 を低下 す るだけを意味 しない .そ れ よ りも年長 ロー タ リ ア ン達 が若 い会員 に負 けない よ うに夢 を持 ち,理 想 を求 め,若 い気持 を失 わず,更 に張切 る事が必 要 で はないか 。その事 は単 に ロー タ リー に活気 を 与 え るだけで な く,其 会員 自身 を若返 らせ その事 業活動 を活発 にす るであ ろ う。年寄 りの ロタキチ が うん と殖 えて欲 しい。そ して精 々 ロー タ リー を 楽 しんで欲 しい .ロ タキチは年 寄 りで あ る程 た の もしく又人 を楽 し くす る』 と説 き来 る君 は是れ ま た ロタキチ以外 では無 さそ うで あ る . 吉村常助君 明治39年 7月 211日 生,昭 和 14年 熊本 RC創 立会員,会 長,特 別代表,分 区代理 などを歴任 ,36年 地区大会委 員長 をつ とめる 昭和 6年 東京帝国大学工学部卒, 8年 酒造業吉村合名 会社業務執行社員,続 いて代表社員,38年 組織変更 に . より瑞鷹酒造株 式会社取締役社長,現 在 に至 る . THE ROTARY_NO‐ TOMO To replace conventional breakwaters, expelme nts are being kept up by Kyushu University to or prevent ocean waves by a jet of co air blown off from a submerged per. forated pipe The experrments are bringing mo re successful results on the performance of pneumatic breakwater than those made in ove. break mpressed rseas countrtes 〓 ぃ 一 椰 `泡 畳酵事 r .、 =“ 1 ♂ ● ■澁 f は 上 昇 水 流 とな っ て 海 面 で 左 右 に 別 れ る 多 孔管 30m ::::::::■ `レ ■ ::!::::II菌 ■ ::三 :■ ::::::::::三 l:i::::::‖ │:││::::‖ ::::I:::│:│:::::::│:│::::‖ i :::::: :::!‖ ′ :it 20 25 30 40 50m 4 長 崎 県 伊 王 島 に お け る空 気防波 堤 1 サ ク シ ョン ホ ー ス 2 3吋 鉄管 3 ゴム ホ ー ス ¨ "は わ れ わ れ の 生 活 の 中 で い ろ い ろ 利 用 され て 泡 お り ,追 求 す る と 各 々 興 味 深 い 問 題 が 提 起 さ れ る “空 気 防 波 提 "は こ の 中 の 一 つ で あ る .こ の 泡 の 防 . 波 堤 は ,い わ ゆ る 防 波 堤 が 集 か れ る こ と に よ り海 岸 の 景 観 そ の 他 が 損 わ れ る こ と か ら 、 自然 の 風 物 を 守 る こ と が で き ,自 然 を 愛 好 す る 人 々 に 夢 を 実 現 さ せ る た め の 一 段 階 と い え よ う.図 の よ う に 空 気 の 泡 を 海 底 か ら放 出 し て 上 昇 水 流 を 作 り 、 波 を この 研 究 は 長 崎 大 学 の 消 そ う と い う構 想 で あ る 栗原道 徳教 授 を中心 に九大海 洋 災害実験 所 で早 く き , r ノ ・ ・ ヘ ‐ 瞥 1 r ・ メ :I■ ′ ザ 奪. 4 ア ン カ ー 用 方 塊 5 ドラ ム 缶 6 筏 か ら 着 手 さ れ .現 地 で の 実 験 成 果 も 請 外 国 よ り高 そ の 具 体 化 に よ り海 難 救 助 能率 をあげてい る 水 上 機 の 着 水 ,港 湾 で の 油 火 災 の 拡 大 防 止 .流 れ の カ ー テ ン を 作 つ て 沖 綱 の 代 り に す る な どの 応 用 , が 考 え ら れ る。 ま た 医 学 方 面 で は 気 泡 浴 が あ り , 九 大 温 泉 治 療 学 研 究 所 長 の 八 日 秋 教 授 (別 府 RC) は “入 浴 中 に 気 泡 噴 流 を 全 身 に 受 け る と 、 超 短 波 を か け た の と 同 じ状 態 に な り ,身 体 の 深 部 に 滲 透 して 局 所 の 血 の め ぐ りを よ くす る 従 つ て 弛 緩 性 ¨ 麻 痺 な ど に 顕 著 な 治 療 成 績 を あ げ て い る と語 る ① 五 つ 道 具 …… …・¥2′ 色 (黒 ・ メこき さ 茶 200 ) :0 5× 6.5Cm ・ ・… … ¥l,200 ② 五 つ 道 具・ 色 (黒・ 茶 。紺 。赤・ 緑・ 薄 茶 ) 大 き さ :0× 6 5Cn o′ Jヽ ・¥:′ 200 入 ………… 銭 色 (黒・ 茶 。紺・ 赤・ 緑 ) 大 き さ H× 6 Cm ④ メ モ ケ ー ス … … … ¥l′ 400 色 (黒・ 茶・ 紺 。赤・ 緑・ 薄 茶 大 き さ 12.5× 850m ) (R I認 口 ∫ ) 今 月 の ロ ー タ リア ン 用 品 ご紹 介 Fl]光 で は ロ そ うよ う つ ね に 新 し い t]― タ リ ア ン 用 品 の 開 発 び に カ タ ロ クタ) J占 の ご 注 丈 剰F規 製 r4:な ご 希 望 は 不u光 ロ ー タ リ ア ン ス コ ー ナ ー (3階 宛 ご ‐ 報 く だ さ ヽヽ タ リ ア ン の み な さ ま の ご期 待 に 掲 載商 ) に つ とめ て お り ま す ク ラ ブ と し て の ご希 望 ` ぜ ひお聞 かせ賜 わ あ な た さ まの ア イテ ィア な と り ま ■よ う お 待 ナリ111し rり 東京都 r■ AIA 央 Iズ 銀 り 11げ て お り ま ケ Ⅲ 光 東 京 銀 'lI 4グ )2 TEL(562)2111 ロー タ リア ン誌 7月 号 予告 Previewing The Rotarian for July 1966 A Better WOrld ThrOugh Rotary It's A Wonderful WOrldful of Service ∼ボール・ハリス賞受賞事業の紹介 ∼ ローク リーを通 してよりよき世界を RIで は先頃 ,全 世界 の 各 ロー タ リー地区 よ り “各 自の地域社会 そ してまた1世 界 は無数 の問題 を 抱 え てい る。私達 はす べ ての人 の ために,あ らゆ ハ リスの理想 に最 も適 う事業 を行 な って い る クラ る ことを してや る ことは出来 ない。 しか し身近 に い る,あ るいは外国 にい る誰 れか の た めに,何 か ブを 1ク ラブ宛選 んで表彰す る計画 をた て,各 地 区 ガ バ ナーにその推選 を依頼 しま した .こ の ほ ど そ の授 賞 クラブの選考 を終 つ た ので 151ク ラ ブの を してや る ことは出 来 る" 入選 を発表 しま した ・ ェバ ンス新 RI会 長 は, ロー タ リ リチ ャー ド ア ン誌 7月 号 に表 題 の就任 メ ッセージを寄 せ ,そ の冒頭 にお いて前記 の よ うに のべ てお ります . RI大 会が故郷 の ソール ト・ レー ク・ シテ ィにて行 なわれ た時 ボーイ ス カ ウ トの メッセ ンジ ャー 。ボーィ として 次 いで会長 は,47年 以 前第 10回 , 大会 を手伝 い, ロー タ リー とい うものに初 めて接 した時 の思 い出 を披露 してお ります そ して後年 _ 7月 号 ロー タ リア ン誌 で は, この うちか ら代 表 的 な 9ク ラ ブを選 んで, 8頁 にわ た って,入 選対 象 とな ったその事業 の内容 を写真入 りで紹介 して お ります この なか には孤児院 を巣立 って も,帰 え るべ き家 の な い孤児 達 の た めに,家 の代 りとな る 宿 泊寮 を建設 した広 島東南 RCも 入 っています . そ の ほか,近 代的設備 を備 えた消防署 を建設 し た メキ シコの クラブ,身 障者 の社会復帰援助 の た めの会社 を設立 した ニ ュー ジー ラ ン ドの クラブ 会長 が ロー タ リーに入会で きた の は, この時 の大 会 に参加 したあ る ロー タ リア ンの推 せん に よる も ので あ る とのべ て,倉 1始 者 ハ リス以外 の会員 はす 生活困窮家庭 の青少年 の た めの職業訓1練 所 を設 け た ブラジル の クラブな ど,い ずれ も真 に意 義あ る べ て誰れ か の推 せ ん に よって会 員 とな ることが出 そ して世 に誇 り得 る ロー タ リー の 1千 業 が紹介 され 来 た ので あ るか ら,皆 さん も新会員 を推せ ん して ロー タ リー を分 ち合 うよ うに努力 して欲 しい と要 てい ます 望 してお ります この メ ツセージの なかで,会 長 は新会員増加 を . ふ くむ10項 目の 目標 を掲 げ て,本 年度 はそ の実現 に努力 を重ね て くれ るよ う要請 してお ります _ なお宮脇冨 パ ス トガ バ ナーに よる新会長 の ター ゲ ッ トの解説 も,本 誌 4∼ 5頁 に掲載 され てお り ます ので, ご併読 下 さるよ うお願 い します ロー タ リー の 友 -7月 号 , . り “ロー タ リー って何 をす る クラブです か とぃ ぅ 質問 を よ く受 けます 。 しか し抽 象的 な説 明で は相 手 を よ く納得 させ ることが出来ず困 って しま うこ とがあ ります 。 この よ うな場合 これ らの真 に意義 あ る実績 を引用 して説 明 されれ ば,相 手 の人 に ロ ー タ リーに対す る認識 を新 に して もら うのに大 い lC役 立 つ と,ロ ー タ リア ン誌 は示唆 してお ります 27∼ 35頁 25 リチ ャー ド L.エ バ ンス 国際 ロー タ リー新会長 のプ ロフィル Richard L. Evans: A Heart. By G, Homer Durham A 筆者のホーマー・ デ ュラム氏は リチ ャー ドの 長年の友人で,政 治rFの 教授を してお ります ユ タ大学 の出身で,1953年 にユタ大学 の副学 長,1960年 にはア リブナ州立大学の学長を務 めたことがあ ります またノール ト・ レー ク シテ ィのテレビ放送Fう で時事解説を担」1し て いたこともあ ります ア リゾナ州テ ンペRC の会員 Voice 1966年 7月 号ロータリアン誌より要約 新会長 リチ ャー ドL エ バ ンス (Rた hard L Evans)は 寡黙 な人 で あ ります .リ チ ャー ドの兄 で あ るデ ー ビ ッ ドは弟 を評 して “労働者 で あ り , す が, リチ ャー ドのホーム クラブで の講演 よ り質 の高 い もの を聞 い た ことが あ りませ ん 。それ でい て この クラブの雰 囲気 は和 気議 々 として い ます 。 著述家,完 全 主義 者 で あ り,そ して 自己 の信念 に 邁進 す る男 で あ る"と 云 ってい ます . ユ タ州 の ソール ト・ レー ク・ シテ ィに ノール ト ・ レー ク・ タバ ナ クル・ コーア・ ア ン ド・ オル ガ 彼 の父 のジ ョン・ アル ドリッジ・ ェバ ンス (JO hn Alldridge Evans)は ,ア メ リカ西部 で最 も古 い新聞 の一つで あ る,ザ 。ソール ト・ レー ク oシ テ ィ・ デザ ー ト・ ニ ュース紙 の総支配人 を してい ま した .母 の フ ロー レンス・ ネ ス レンは代 々 メノ ン (Salt Lake Tabernacle and Organ)と レ 、う放 送 局があ ります リチ ャー ドは この放送局 で ミュ ージ ック・ ア ン ド・ ザ・ ス ボー クン・ ワー ヅ ジス トの牧師 を して い た英国人 の家庭 に生 まれ た 人です 。彼女 は豊 かな才能 を もった素晴 らしい 女 (Muslc and the Spoken Words)の 番組 の製作 性 で した。 , 台本作成 ,放 送 を36年 間 にわた って続 けてい ます。 これ は週 間放送 ですが, CBS放 送 を通 じて,全 国 に流 され てお り,全 国放送番組 としてはア メ リ カで 最 も古 い歴 史 を もってお ります . ` リチ ャー ドのホーム クラフは ノール ト・ レー ク ・ シテ ィ・ クラブですが,私 は この クラ ブの例会 に出席 す るの を大 きな楽 しみ に してい ます 彼 は 1949年 に同 クラブの会長 を した ことが あ ります . この クラ ブの役員 は伝統的 に秀れ た表現 能力 を も ち,例 会 の進 行 ぶ りは定評が あ ります 彼 はその独 自の能力 に よって, この伝統 を受 け . 継 ぎ,そ れ を更 に高 めてい ます .私 は世 界 各地 で 数多 くの クラブ例会 に出席 した ことが あ り,大 学 の学長 と して相当 の判断力 を もって い るつ も りで 26 リチ ャー ドの祖父 で あ る,デ ー ビ ッ ド・ ゥー レ イ 。エバ ンス (David W001ey Evans)は , 独学 ではあ りま したが,学 1出 」 のあ る,洗 練 され た人 で 新門編集者 として, ブレヤム・ ヤ ン グ (BHgham Young,1801∼ 77年 ,米 国 のモル モ ン教 の 指 導 者)の 教 えを, ノール ト・ レー ク・ タバ ナ クル紙 や米 国,英 国 の諸出版 物 に掲 載 して 世に広 めた人 で あ ります . リチ ャー ドの先祖 は代 々イギ リス人で1850年 代 の初 期 に,モ ル モ ン教 の先駆者 として,ユ タ州 に 移住 して きま した .一 族 が ソール ト・ レー クに移 住 して くる途 中,曽 祖母 が亡 くな りま した .後 に 残 され た のが, その周、 子 のデ ー ビ ッ ドと 5人 の弟 THE ROTARY.NO― TOMO リジ ャ ー ドの 制[2に あ た る このデ ー ビ ッ 妹です バ エ ド・ ン スは、 │サ 親 を 亡 く した 5人 の 弟 妹 tD面 ったの です 才Tく して 米亡人 とな った母 親 の フ ロ ー しン スに は,1拒 か な収 入 しか あ りませ ん で した 倒 をみ .や が て 速 記者、 新 聞 記 者、 格」集者 、 音楽 家 、 教「llな ど一 連 の 知 的 職 業 に 就 いて い ます ま が Frrl司 た る信念 .深 い愛 情 , た彼 は数 ヵlヨ 語 の 会話 能 力 を も って い た と伝 え ら 女 Hj妹 は ノFく して 人4Lの 現実 と取 組 む こと を習 った れ て い ます の で あ ります 19()6年 3月 23に │, リチ ャ ー ドは どこの 地域 社 会 に もあ る.堅 実 な家 庭 に 生 まれ ま した 令 名あ る Iに また豊 か な才 智 を もって い ま した 。 そ して リチ 1-ド とそ の兄 弟 遺 伝 と環 境 か ら リチ ャー ドは,文 学 を愛 好 す る ′ よ うに な り、 そ して また若 い り〔 か ら働 く必 要 に迫 実 業家 を父 に もつ ,典 型的 なア メ リカ人 家 庭 で す ま られ た ことに よ って、 常 に 目的 を もって 多 忙 で 両 親 と 9人 の 子 供 か らな る, この家 庭 は, あ る 市 あ る こ との必 要 さを体 得 した の で あ ります 。 故 さえ なか った ら,比 較 的 俗 福 な暮 しを送 る こ と力ぶ で きた は ず で した と ころ力ゞリチ ャ ー ドカゞ 電 l千 生 まれ て 2ヵ 月余 りしか経 た な い うち に,父 親 の ジ ョン・ エ バ ン スが 市電 ll故 の た め死 亡 して しま 彼 が ロー タ リー につ いて r/」 め て 「 ‖象を も った の は、 1919年 国際 ロー タ リー の 大 会 が ソー ル ト 。レ ー ク・ シテ ィにお いて 開 かれ た時 で す エバンス新会長夫 奏 (Hl夕 │ノ [1)と そのご家族 夫要には 4人 の 令息があ り, うち長男の リチ ャー ド」r若 (後 列 riよ り2人 日)と 3男 のステフェン君(前 刃lイ i端 )は 結婚 され てお ります ͡ リチ 1- ドはそ の時 13歳 で, ボー イ スカ ウ トの メッセ ンジ ャーボー イとして大会 を手伝 って い ま した。その 際 に会 った ロー タ リア ンの印 象か ら,彼 もいつか は ロー タ リア ンに なろ うと強 く思 った そ うです 。 リチ ャー ドはまた少年時代 の友 人であ り,近 所 に 住 んで い た,R Hゥ ェル ズが1944∼ 45年 に RI 会長 を務 めた ことを誇 りに して い ます 強 い学究心,熱 心な努力,そ して豊 かな才 能 に よって, リチ ャー ドは英語学 (1931年 ユ タ大学学 パ滞在 中 の豊 かな経験が大 いに役立 ってい るよ う です . ヨー ロ ッパ か ら帰 国後 ,彼 は再 びユ タ大学 で学 究生活 に もど り,や がて, ラジオ,テ レ ビ関係 の 仕 事 に入 りま した 以来今 日まで36年 間 にわた っ て, この分 野 で の仕事 を続 け ています 。その間 100 万部以上 の発行部数を もつ 国際的家 庭雑 誌 を編集 し,あ るい は数多 くの著 書 をあ らわ した こと もあ り,ま た い ろい ろな意 味 で,地 域社会,州 ,教 会 士 )と 経済学 (1932年 ユ タ大学 修士)の 学位 を取 得 しま した .母 校 のユ タ大学 では, リチ ャー ドが に奉仕 してお ります 放送事業 に よって,無 数 の人 々に影響 を与 え,人 々の間 に普遍的 な理解達成へ の希望 を新 た に しつ づ けた功績 に よ り,名 誉法学博 士 の学位 を贈 って い ままで に出版 され た彼 の著書 は11冊 に及 んで い ます その なか には ``Faith in the Future(将 来へ の信念)",``The Everlasting things(永 遠 な い ます る もの)''``ThOugllts for 100 Days(100日 考 )な どがあ ります 彼 は先 祖 の母 国であ るイギ リス を愛 しています 1926∼ 29年 に イギ リス と ヨー ロ ッパ に滞在 した こ とがあ ります が, これ は彼 の教 育 に大 きな影響 を 与 え てい ます .こ の滞在 中彼 は編集関係 の仕事 に 従 事 し,ま た著名 な学者 ,教 育者 ,思 想家 の下 で 勉 強 したため,言 語 を使用す る際 の 智恵 と論理 に つ いて,大 いに得 る ところがあ った よ うです . 間 の思 _ これ らの著作 は,ア メ リカ各地 の新門 に よって 広 く紹介 され ,ま た彼 の書 い た記事 は, リー ダ ー ス・ ダイ ジェス ト,エ ンサ イ クロピデア・ プ リタ ニカ (大 英百科辞 典)な どの刊行物 に掲載 され て い ます . . この時 は毎 日が独 自の研究 ,学 問,仕 事,旅 行 著作 の連続 で あ りま した これ らの学者 の うちに 現代 にお いて は, と りわけ,賢 明な判断力,分 別,決 断力 な どが必 要 とされ て い ます リチ ャー は,ア メ リカの故郷 , ノール ト・ レー ク・ シテ ィ ドは これ らの資質 を豊か に備 えてお ります 。そ し て真面 目な性格 で あ りなが ら,ユ ーモア を よ く解 よ り来 ていた科学者 が 2人 お りま した .1人 は地 質学者 であ り,ユ タ大学 の元学長 を され た ジェー ムス E.タ ル メージ博士 で, も う 1人 はハ ーバ ー トとゲ ッチ ング ン大学 を出た ジ ョンA ウイ ッ ト Lは 優れ た化学 者 ノー博 士です .ウ イ ッ トノー博 二 で あ り, タル メージ博 士 の後任 として,ユ タ大学 し,余 り物事 に こだわ りませ ん 彼 はまた その人生 を教 会人 として貫 いてい ます リチ ャー ドは モル モ ン教 12人 会 (``The QuOrum 学 長 を務 め られ た人 であ ります 。 Of Twelve''of The Church of JeSus Christ of Latter‐ day Saints)の メ ンバ ーであ り,ま た宗教 両博士 と もヨー ロ ッパ生 まれ で あ り, タル メー ジ 博士 はエ ジ ンバ ラ王室 協会 は じめ,幾 つか の英 関係 の高等学問研究 で は米 国最 大 とい われ る, ビ リア ム・ヤ ング大学 (Brigham Young University) の評議 員 を約 14年 間務 めてお ります .な お またユ 国王室協会 の特別会員 で もあ りま した この よ う な人 々の下で働 い た ことは, リチ ャー ドに とって タ大学 の理 事 も15年 間務 めてお ります 。 その ほた ラジオ,テ レビ放送 ,宣 伝・ 広告業 大 きな教 育 とな り,合 理的,宗 教 的経験 を深 め る ことにな った ので あ ります 彼 の言葉使 い は非 常 に洗練 され てい ますが, これ もや は、 り, ヨー ロ ッ 牧畜,銀 行 な どの諸事業会社 の重役 も兼 ね てお り 28 ます ロー タ リー歴 としては, クラブ会長,地 区 ガ パ THE ROTARY― NO‐ TOMO ナー RI理 事 な どを歴 任 して い る ことが あ げ ら れ ま し ょう 最後 に とってお きの, リチ ャー ドの家族 につ い て紹介 しま しよ う 彼 は1933年 , ユ タ州 ケイ ス ビ ル 出身 の ア リス・ ノー ンレイ(Alice Thornley)嬢 と結婚 しま した。彼 女 は美 しい声 の持主 として またバ イオ リンの 名手 として,ア メ リカ西部 の上 , 流 社会 に知 られ てい ます ギ フ ト用 品 の こ とは お まか せ 下 さ い ◆ 話彫 刻 ギ ャラ リー を 展 綱時 募 ‰雖11愧 ◆美 術 彫 刻 像 〈 胸イ 象・ レリーフ〉ステ レオ写真 に よリー流作家 により製作 します . 息子 は 4人 お り,い ずれ も20代 か ら30代 まで の 青年 です 。長男 の リチ ャー ド・ ジ ニア と次 男 の ジ ョンは有能 な弁護士 として活 躍 してお ります .3 ◆ギ フ トセ ン タ ー 贈答品 記合品 PR用 品/企 画 制作 販売 (シ ョールーム 23「 皆リ 男 の ステ フェ ンは ま もな く商学 と会計学 の学位 を 得 る ことに な ってい ますが,現 在す でに実 業家 と して世 に出ています 末 っ子 の ウイ リアムは まだ 大学へ 入 ったばか りで す 息子達 は,い ずれ も才能 あ リス ポー ツ好 きで リチ ャー ドは この息子達 と一緒 に過す ことを楽 し , 株式会社 さ み に して い るl‐■かは,余 り道楽 はな い よ うです しか し家 か ら 1時 間 ばか りの ところにあ る,標 高 新宿区角筈 2-82 . く ら き TEL(342)5251代 考 え事をす るのに とて も役 立 って い るよ うです . 点 よ りは るか に大 きい ことをか た く信 じて い ます さて ここで, リチ ャー ドが全 │IL界 の ロー タ リア ンに 向 って云 い た い ことが あ った とした ら,彼 は きっと次 の よ うに云 うで しよ う 36年 間 ラジオを 中 禅 寺 湖 は レジ ャ ー天 国 ってい ます 。会長 はまた人間 の もつ共通点 は相異 御 予約 は⋮ ⋮ H光全 谷 ホ テ ル 会長 は人類 の永遠性 と永遠 の摂理 の もと にお け る 各個 人 の意義 につ いてFFr固 た る信念 を も ホ ンダ レ ン タ カ ー ス テ ー シ ョン ー タ リーの本質 な らびにその役割 を よ く認識 して い ます T E L =光 ︵ 川 ︶ 〇 五 五 〇 ︱ 一一 企 谷東 京 出 張 所 、二 五 六 一︶ 一〇 五 人 ・三 I ′ T EL ︵ リチ ャー ド夫妻 に とって,幸 せ な ことは,全 陛 界 中 に多数 の ロー タ リーの友人 を もっている こと で す これ らの友人 との友情 を通 して,夫 妻 は ロ =光 国t 公関 . い る ことは出来 ませ ん .し か し気分 転換 や重要 な 日光金 谷 ホ に住 む兄 デ ー ビ ッ ドの家族 とと もに, ここへ 来 て 乗馬 や狩猟 を楽 しむ ことが あ ります そ うしば し ば来 る ことは出来 ません し,来 た として も,長 く 初夏 の日光 と 約3,600米 の ウイ ンタ山系 (Uintah mOuntains)の ふ も とに,山 荘 を もってい ます 時 々家族 や近 く 通 じて聴 llt者 に呼 びかけて きた よ うに、“今 日も そ して いつ まで も平和 であ ります よ うに "と , ロ タ ー リー の 友 -7り 1号 29 同器 C所 在地 日本 にお 世 界 の ロ ー タ リー 131カ 国及 び地域 にわた り 4月 25日 現 在 RC総 数 12 363 RC ロー タリア ン概数 590,000名 65年 7月 以後 の 新 RC RC 2“ 日本 の ロ ー タ リー 5月 ガパナースレクーより 4月 350区 61RC 2,9“ 名 352区 48R C l,976名 第 353区 52R C 2,104名 平均 出席 率 第 9041% 第 91.83% 第 355区 75R C 3,2"名 RC 4,573名 第 358区 第 359区 62R “ C 2,98名 第 360区 82R C 4,188名 第 365区 69R C 3,908名 第 368区 65R C 2,887名 第 369区 52RC 2,414名 第 370区 73R C 3,238名 計 725R C 34,401名 9347% 9411% 9318% 9527% 9389% 9571% 9129% 9361% 93四 % 口,J● ●呂P↓ ξゐ│'1・ ,│¬ IOJ● t'・ Ⅲ i卜 ぶ:Ⅲ し月 1/ヽ 福岡 /1■ で ll同 宮崎 動 ,,ス 鳥取 ` L句 京都 竜 it,電 ]1ノ ° ,II:伴 tit メ こ [│● 鹿 児島 穀鵬鵬 柿 針I野 島根 岡 山 i: ● ● 電 ■ :│:IEう o _ヽ .‐ 「 ロ 下) ot ● 山 ︲ 下トー、 ■ Xil 0 1¬ \ .二 、 浜 福 岡 岩手 ● 彎課 田 纂州 戸・ ・ ^ 曰 秋 岩手 霊同 ● 盛岡上 た `● 通野● 岩0宮 0 本iR O 宮 古● 宮 古東 山 大 JO● " 奎石 ● 釜 六 皓 晨● ―■,二 t,墜 日● =吾 弓′0 山形 0三 ‐ :]l。 ・ : ;=● ●:島 RI「 1■ o ■ 10 ヽ!号 二 玉・:IIJ… 11轟 持 ° .│ 1.。 疇 ピ ● す ● ●嗜 F● 同 1昴 相 胡 千葉 二♂ 燕鑑 二 重 督:: ●ろ 00彗`層 市 ぎ=山 梨二│││ I原● ・ 〓 二月● 増嗅 ・ ●¨ ● ¬ ヽ 40● 富 士富 G ・ 品 ‘ 5= ア :1日 ■ t ・ t il口 挙│・ ●雪コ i=:谷 ● 春一ス■ ● 菖o = = , ギj ● ︱′ 大 和 ● 訃 ヽL t 1,Fこ [: 。 、 口 11著 言。 本 否 ち 1庁 ■・ ¨ ﹂ ¨ 細 ′ 1、 ]己 ° 福島 下更 ■ ヽ日可〕 ● ′ '易 1 0 日 立 o 那 ﹁^ ●L 0,1星 愛知 ′ 1111,:守 山 瞑 ら 争 ,i年 夏 ● ` ● r]ド 十 き .コ [Fを ● 名 IL宇 雨 ,「 里予 f記 ‐10 一¨● 一 ■ 吼● ■輩● ´ ¨車 ミ阜 こ ● 滋賀 ■■ o 司 1./ 。 .'丼 』 ダ ltl■ -llr' ●■ ■ 5 ″FL I ′洲 一 ﹁岡● ¨0 ■ ﹂喧ワ ●γ 岐阜 0 一一 ● ● り ● L ● 、■ 11.。 0 重 L‖ =i ilttil tiつ . .|,r.. .・ :群 馬 原 l.,、 口/ ﹃ 響 ¨ ︺一 企 レ ・ ψ 叫 一 ﹁ 岬 一 一 一 晉 . , 瓦橋 ■ う '(嗜 11:1 ●L]● ■ ■0 F川 富山 宮 城 .。 :lli 描 1:■ 新潟 ■爺● 生ら● 0 11:ノ 事務所 十 和 田 商 工 会 内 秋 田県鹿 角 郡 十 和 田町 会 長 大里俊夫 珠 事務所 岩 手 県 上閉 伊 郡 大槌 町 会 長 昆 平 30名 会員数 21名 レ ス トラ ン ク ー ル 例 会場 会員数 30名 幹 事 上里金助 事務所 千 葉 市 本 千 葉 町 35 。沖縄 3月 31日 承認 ) 例会日 水曜 日 例会場 井上会館 会 長 伊佐真一 野 (第 会員数 32名 名古屋港 豊 (第 4月 16日 承認 会員数 21名 青 森 市 浪 打 494 会 佐 々木 芳 三 助 南 橋 (第 5月 11日 承認 352区 。青 森 卿 例会 日 水 曜 日 奥 村 工 務 店 内 幹 事 豊 橋 市 花 田 町 石 塚 42 豊 橋 貿 易 商 工 館 内 一 幹 事 福 田博吉 ク 仮 ラ ブ ) (第 会員数 25名 例会 日 火 曜 日 ー 5月 352区 ・岩手県 盛 岡 西 例 会場 ― 4月 7日 発会 幹 事 21日 発会 山 三 浦 (第 川 (第 360区 ・ 岐 阜 熙 盛 岡 津 (第 4` 島武雄 例 会 場 変 更 ) ヨヒ(第 352区 ・岩手県) 田 (第 352区 ・岩手県) 札幌幌南 ― 北海道経済 セ ンター 350区 ・北海道 1県 359区 ・神奈り 川徳 5階 食堂 興産相互銀 行山田支店 )三 浦商工 会議所新館 エ ツ ノ ホ ー ル ) ) レス トラン天ケ瀬 水島国際ホテル ー ー 例 会 日 変 更 ―― 田 (第 352区 ・岩手県) 山 水曜 日―→ 月曜 日 ・ 塩沢六 日町 (第 355区 新潟県) 月曜 日一→ 木曜 日 ― 事 務 所 変 更 ― ― 一 治 (第 365区 ・京都府 倉 敷 南 (第 369区 ・岡山県 宇 5月 12日 承認 例会日 月曜 日 例会場 豊橋商工会議所 会 長 福井童 二 ) 360区 ・愛知県 会 長 伊藤 仁 一 中 衛 奥 村 360区 ・ 愛 知 県 ) 会員数 21名 事務所 市民会館食堂 例 会場 (株 )内 幹 事 嶋津武敏 例会日 金曜 日 例会場 中 日パ レス 事務所 名古屋市中村区堀内町4の 1 ホテル ニ ューナ ゴヤ 内 例会日 木曜 日 例会場 埼玉銀行与野支店 事務所 長 (第 京 成 ホ テル 例 会場 千 葉 日産 自動 車 会員数 26名 事務所 埼玉県与野市下落合1039 埼玉銀行与野支店内 会 長 井原弥一郎 幹 事 古橋新三 青 森 ヨし東 水 曜 日 会 長 森 田勝彦 幹 事 嘉手納徳盛 358区 ・埼玉県) 幹 事 柳沢昭三 4月 20日 発会 ) 宮 古 港 湾 荷 役 運 送 (株 )内 「沢 旅 館 〃 例 会場 柳 沢 旅 館 内 会 長 京野正樹 事務所 沖縄宜野湾市字普天間197 宜野湾 RC 与 5月 14日 発会 火 曜 日 新 千 葉 ∝ 358区 ・千葉県 例会 日 石 巻 東 (第 352区 ・ 宮 城 県 )石 巻 市立 町 1丁 目 5番 17号 り│1徳 デ パ ー ト 石 巻 商 工 会 議 所 内 く― 卜内 │1徳 デノ 事務所 盛岡市中ノ橋通り1丁 ロ リ 会 長 若林衛夫 幹 事 佐 々木敏郎 二 浦 (第 359区 ・ 神 奈 川 県 )三 711市 三 1,2丁 目22番 16号 角 (第 353区 ・秋田県) 5月 7日 発会 会員数 25名 例会日 本曜 日 例会場 秋田銀行毛馬内支店 米 子 (第 369区 ・鳥取卿 興 L(第 352区 ・ 岩 手 県 )中 ノ 橋 通 り 1丁 ロ リ│1徳 デ パ ー ト 内 鹿 三 lm‐ 商工 会議 P/「 内 加茂町2の 16 以ぐ子商 ]l`ヽ 議フ7内 国 際 ロ ー タ リー在 日財 務 代 行 者 が 変 わ りま した 連 絡 事 務 所 … 東京都千代田区有楽町 1の 12 三井銀行本店内 国際 ロータリー在 日財務代行者 佐藤喜一郎 取 引 銀 行 三井銀行本店 東京都千代田区有楽町 1の 12 三菱銀行本店 東京都千代田区丸の内 5 国際 ロータリー在 日財務代行者 佐藤喜一郎 銀行振込 口座名 32 発会 幹 事 矢鋪良吉 秋 田 県 湯 沢 市 大 町 281 例会 日 11日 国銀行珠洲1支 店 353区 ・ 秋 田 県 ) 事務所 例会 日 水 曜 日 lT.358区 (第 幹 事 山崎門一郎 会 長 石原雅太郎 宜 野 湾 南 30名 3月 29日 承認 沖縄 平良市西里 13 事 務所 沢 湯 Jヒ 珠 洲 1市 商 工 会 内 会員数 政次郎 5月 例会日 木曜 日 例会場 岩 手 銀 行 大 槌 支 店 内 (第 358区 ・沖脚 良 会 員数 ) 会 長 若木伸二郎 1日 承認 12月 例会日 水曜 日 例会場 岩手銀行大槌支店 幹 事 高橋 達 1県 360区 ・石り 1県 珠 洲 市 飯 田 町 石り 事務所 352区 ・ 岩 手 県 ) (第 槌 会員数 24名 (第 会員数 27名 vr7 大 洲 THE ROTARY_NO_TOMO 第 350区 岡 田 ガバ ナ ー 正 雄 柿崎 網 走幹事 赤 平 幹 事 土屋 修 治 藤 田安 男 'ビ ιl Ч `=1に メ (♭ ι′ ィ 支4亀 仁 集規 捌鮎 厚 岸 会 12 菫笏 Lり j │「 ll lン モ 加藤伊二郎 」、 ル虎り │「 憑菫豊莉靱賦削訛 幹 事 厚 '世 大 谷 乾一郎 旭 'I幹 事 高桑耕 作 旭 幹 事 '西 植 田利 昌 芦 別 幹事 鈴 木 英一 足寄 幹事 渡 辺 昭 業深幹事 業帆 幹事 刻ヽ日 正 治 久 山 美徳 伊 達 幹 事 池 田 実 │ 遠 軽会 長 江 差会長 深 川会長 箱崎 甚郎 田島逸郎 ヨLlll誠 一 会 長 'I別 泉 重陽 岩 内会 長 ,幹 遠軽幹 ′ 江差幹事 大 沢 義 '一 山 中謙 治 吉 田正 男 北 見会 長 北 見 東会 長 L士 帆 会 長 深 岩 内幹事 _上 士 幌 幹事 山崎 正 治 北 見幹事 北 見 束幹事 田巻 寅 三 庄 司正 栗 〃く会長 重 栗 ″く幹 事 黒島 充 靱輻 趙浙餞 畿蒻 森 会長 室蘭会 長 長佐古精一 栗 林 忠 平 森 幹事 菊地忠義 イ 蘭 東会 Tl」 iて う に ,1: 雪 1蘭 東幹Jヽ 室蘭 幹事 II瀬 敏 ,台 上遠野 手 り 中標 it会 長 五 十 嵐 勲 束会 長 口,館 東 論 事 イヽ林 清 博 熊 ll l館 下田喜久三 四倉 太 郎 森 岡 川 西 勝戸昭二 函 館 会 長 一 ¨ 崚 一 一 ¨ ¨ ¨ ¨ 一 一 ・I別 幹 事 石黒潤平 富 良 野 会長 中湧別 会 長 一 戸秀 麿 中湧 別幹事 手塚 一 岩 見 ″く会 長 勝 .li f呆 両角寛治 夕1路 北 幹 事 高橋脩二 荒木 政 司 函館北幹■│ 市 川芳夫 │`1'll′ をイt,、 蒻 佐久lin■ ll ●1,宏 幹 ││ 名畑暢夫 ■kり ,`=1( ■松束治郎 芽イ i幹 事 中 川芳吉 紋り 」幹■ 高橋 健一 :向 帯 l_北 会 長 佐藤誌之助 石 田清 治 佐直庄太郎 高野 芳 太郎 帝広北幹事 川上 直 平 4L武 幹 事 高 橋 貞光 3 第 区 第 352区 贔 刻ヽ 博 会 武 藤 一 興 1そ 秋 野 武 夫 ■魅 小 │● 南会 長 瀬 戸 国 男 光量 貪 興 割:喘 卜 小樽 幹 ヽ 小 博 南 幹 1' 宮 田俊彦 西 郡 克俊 デfり 1豊 治 下 し ,■ ,■ │"`tiく ・戸 IEl強 調 量纂 札 lι 束幹 事 「■J l口 ‐ I=号 ittK ●ヨ J`=lt ,tlll lバ 1卜 "兄 椿 原春 雄 清 水 会 t本 半 it i郎 留 月 斉 藤幹正 占 がヽ 長 "会 留 幹事 留り1幹 事 舅 栞 妻テ日 青 石 川健 治 '2■ 小 し ,鼎 ,'ト 坂 本 忠 田 中義 人 弟 r■ 1`,良 中野 和 好 r.「 /」 ●. 長 谷 幸 雄 藤井 信造 苫小 牧 幹 事 "{冷 ヽ里予 二ヽ 朝 倉 治 郎 「午 Fヽ 東 笙キ1( 青 森 北 東 会 Fc ヴ 」 ミ佐々木芳之助 占森 幹 青森 沼 田 吉 ':蔵 Jし 東幹 事 奥村 衛 薄∴ │し 011,十 111 LI允 │,t 杉 ,会 ]ヾ 博 力Π糸 内繁 一 113贄 lt it `=1く 1山 1く l柴 `全 リト 1lL午 メ モ 竹 内 耕 日I力 束造 ││ 1専 倉 本 PI日 ― 栄 't l十 `'Jト 米 台謙一 ,市 河 会 幹 1く る、 Ii会 長 "1内 高津政 lll河 企 1く tコ │卜 大針光吉 品 俊 キF食 官山 喜 夫 社 内幹事 田渕大七 余「 幹事 渡部 忠 ― Jを││三 ′ ,て ′ヽり 彙 会 ,( 小笠原啓蔵 冨」rtl兼 ,台 六Ⅲ 束幹 ト H芳 彰 小瀬川古蔵 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藤 井 ,青 佐藤民「二郎 柴田与太郎 越後英 郎 亀 宮 内 申↑'F・ 水 戸 良一 ^官 本 田 幹 1' 古 村 量 中,F 」難 惣 l● 松 幹 り 布川孝太郎 平 吉 太 郎 = 田代 栄 次 鈴 木 幹 雄 市ヒイに,,1' 佐藤義太郎 塚 本 義 夫 ,、 Arl,1, 秋元甲子男 ∩ 大 缶ヽ」ヒ会 長 中 田 直 敏 大 会長 小 名浜 会 1て 杉田勇之助 水 山 プヽ 'F 大 捨■北 幹 事 布袋屋順造 油国会lt ll「 ら′ り 嗜卜〒宇 菅 原 権 吉 り ヽ河 江 会 It 且 量蜃 メ (‖ 1● IJ」 照 井 文雄 近藤 国弥 中村周次 田 幹 1' 玄´ 弓 讐′ 卜,台 '酉 ,口 i:会 長 r]・ I会 長 ユ‖ル会 高 田徹五 大 谷恭 一 桜 井 弘佑 白 rnf幹 1' 益 田森 治 1モ タ :t'会 11 望 月 FIl治 `ヽ 莉鰤 利 !も 菅野 幹事 真 須 賀 川幹 ト 吉 田藤 司 天童 会長 佐 藤権 七 に 軒 ',; 嘱巣韓 │ト 鈴 木 喬 司 月ヽ林 茂 野 川 天童 幹事 清 鶴 岡会 長 早坂源四郎 鶴 岡幹 事 笹 原 桂 一 熱 滑 、 山形西 会長 横手 南会 佐々木仁一 山形西 幹 事 1を 土 田寅古 横 手 幹事 五十嵐康祐 内藤幸之介 横 千南幹Ⅲ 亀 谷吉 広 義 ぃ 一 ¨ ¨ ¨ 一 会 長 一 ︻ へ M 卿 ﹄ 平 伊藤親雄 新 井 幹事 小 林 浩 足 刑j幹 事 I休 一 郎 小 日立 会 長 山 谷軍治 野 口陽 一 五 泉幹事 日立 幹 事 久 同 佐 人 間 貫人 長 次 性 術 村 村 幸 垂 也 摘 飯 日立 南 会 長 湯 沢会 長 正 大 内 日立 南 幹 事 山自 崎 崎 鳴 藤岡幹事 濡 満 常陸 大 田会 長 多賀野 耕 造 常陸 大 口 幹事 茜 野 野 純 諭 _藤 西 一 今市 会 長 伊 勢崎 会 長 熊谷 忠 夫 窪 田 濤 二郎 今市 幹事 伊 勢崎 幹事 上 剰 藤 篤 佳 司 苦 藤井 利│二書 斎 藤 会 ピ 針 所 誅 品 F苗 留 暑桑 発 ユ E為 鼎 摯 革 喬 雉 だ 穐 緊 驚 ≦ 石 同幹事 石塚 栄 一 糸魚 川幹事 加 茂 幹事 永野平八郎 長谷り 信一 」 米 沢西 会 長 足利西 幹事 源 田一 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IL口 高 音 勘崎南 会 長 柴山大五郎 高田 幹事 高崎 幹 事 高崎 南 幹 事 三 箇 善雄 ノ Jヽ 林 一 雄 田 オす酉 蔵 田沼会長 館 林 会 長 小 林 重 男 佐 ,頼 英 三 田 沼幹事 館林 幹事 栃木 幹 事 新 井清 平 高木貞一郎 若菜 栃 木 西 幹事 佐 出口粂次郎 第 358区 ″ バ ナ ー 杞ヽ プテ I三 量心 │1本 豪 平 辛斤丼=房 蔵 h イ支イ 系 1( 「 `ヽ ′ 卜 11勝 夫 rマ li‖ ■ li‖ li葡 会 長 '会 池田多 喜司 小城銀治郎 │ │こ ィ=に 藤 │■ i:"歳 '(刹 神 「 "`=巖 清 u 会長 朝置 会 長 11婦 国 司 1こ 尾喜 郎 千葉 会 長 川 国 十 j生 パ軋餞 鶉隋量 跛量鯰 孫 r中 ↑ 卜 Jll ll雅 雄 憑量 良Б 鏃 │,こ 幹 ll │・ 旭 幹 ll霞 1卜 幹事 千 栞 幹 11 幾崎 飯島六兵衛 綿 谷康 彦 石 章 A 主 !争 市 中 島 り 伊 藤定 大 卜 ""γ 荒 ナ 松 T,j 嶋 野 忠 治 本多野 竹 松 松崎 喬 鎌 合 国松 F]倉 好 文 '青 駐 t浦 市 幹事 「 1l llI中 1多 宗郎 i三 手塚ネ イ 't輪 盆蛯 tFt本 11, li4k ll り 秩 父幹事 千 合幹 '郎 宮前金三郎 寺沢利一 llt市 ∵lil,mた ∵ ヒ全 甘誓■郎蒲 称 当嘉 』 島5 『事 嶋 ケ 谷会 長 に松 会長 “ 双木卯之助 熊キ仙太郎 千 人庭論 lr i ∩ ″イ 鬱 八 王 子 幹 事 1(劇 小贔 け 臥 中 由桐 ″ 省 三 久│ヽ 片ノ l lt,ヒ 幹事 平 良 会 長 石原雅太郎 りま 東 杉ヽ 幹 ■ ' 野 口 虎男 吉 島 力 良 ` 軋毀 手 十 ri東 会 1そ 片 “島 令 三 ■■1“ ■■「 富 西 会 長 高 IFI 耕 「心、 量:変 r.東 幹 事 森文 太 郎 i rlさ j[贅 f呆 ■,1ト 坂 正 雄 ■庄 会 長 `原 会 長 ■,川 会 長 松本 英嘉 浜 田 金 平 岸本 義一 笏豊 本 庄幹事 高橋 専 蔵 市 原幹事 関 萬 夫 FJナ │:会 長 大浜 英 昌 イ‖見会長 吉 田光 三 大 兼理 増 大 島 信一 市川幹事 高木 勝衛 “ 3 第 区 盟隕吻 柏 会 長 岡野 正雄 柏 幹事 勝 田一 男 春 日部 会 長 君塚 鉄 卜│1 吉 ′ ,1ヽ `車 奥『 ヤ芳 雄 ユ∵ 量 勝 浦会 長 会 長 岡 田正三 勝 浦幹 事 小 島幸雄 榎 本 平 作 川越 幹事 間坂 宏 1総 川 口 幹 事 口14ゞ jttE農「 幹 ヽ 川内和 一郎 発蹴爵:藉 堪 を 顆 鷺頌 里魃釉 礫 熊 谷 会 長 武 蔵 会長 小此木忠七 武井 熊谷幹事 茂 原幹事 太 田 原栄 武 藤建 治 男ヽLLl日 召雄 成 口会 長 'I会 長 こ 一 特 螂 ヽ ″ 劃 立 名取 武 夫 大 多喜 幹 事 中村 茂 大 原 幹事 越 谷幹 事 外 間 宏 郡 覇画会 長 習 志 長 武 蔵 幹事 青 梅 幹事 コザ 幹 事 │II崎 正 雄 習志 野 幹事 井ケ田三男 前 田光 変 大 富 会長 平岡久左衛 門 小 貫 雛 一 峠 一 驀 呻 一 い 成 田幹事 高田定吉 コザ 会 長 安 座 間廉 'f会 安 里源秀 真栄田世勲 オト ,こ ?台 武 青 梅 会 長 諸 岡謙 一 郡 覇 東 会長 越 谷会 長 桃 木 俊 平 均 大 富幹 事 月 トォ寸嘉 日 召 小峰 正富 松 沢良― 大 富 西 会 長 森 川 理 佐 原会長 飯 島勝三 大 富 西 幹事 佐藤 狭 山 会長 岸 狭 鼎 善 八 lJ幹 事 松 本 寿 正 草加 会 長 清 水 啓二郎 草 カロ幹 事 月ヽ沢 貞 助 草 輔畠ζ 製 繁轟聾 真纂墓 l頂 鼎 1鷲 理 群 所 ″く幹 事 嘱轟 謁台本 橋 俊 男 東 京 幹事 東 京 東幹事 土 屋 計雄 石川勝四郎 曹輩∬電 営痛齢 第 359区 ″バ ナ ー 白 山 源 二 郎 東京銀 座 会 長 東 京 羽 口l会 長 伊 藤隆 男 近 藤英 明 東 京 池袋 会 長 三 吉 勉 鐙:難 東 京城 西 会 反 東 京城 東 会長 東 京 神 口1会 長 イヽ国 政 雄 渡 辺 達三 伊 藤道 夫 1「 野 湾 会 長 伊 佐真 一 申 凸 豊 東 京 羽 口1幹 事 東 京池袋 幹事 飾会長 東 京 梅沢“潤三郎 望 今 西 幹 Ⅲ `(城 東 京 数 東 幹 事 月 ・ ■ 三一 東 京江東 会 長 平 沢好 男 野坂 相 如 Jl北 幹 事 塩 原 オ羊三 溝 「 1周 次 杉 原斐 夫 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山田忠右衛門 二 宅 正 人 き ,り ヽ 「車 神 内 覗 Iり ∫ 豊 鳥読 :│● 栃波幹事 II田 哲 曹 り 郎 ,台 一 ﹂ 中 一 高 岡幹事 不破 鑑 砺 波 会 長 加藤健三郎 神田七次郎 ″バナ ー オ寸孝 韓 蹄 斜 無 ¨ 一 一 ︼ ︼ ︼ ︻ 一 一 ¨ ¨ ¨ ¨ 一 ¨ ¨ ¨ ¨ 酬 醜 諺 原 i山 t会 長 鳥羽 会 長 古 田― 郎 365区 L ll軒 幹 事 関 田嘉 吉 会 1( 栗 I11正 一 枚 方 会 長 輪島 幹事 1会 長 福 知 1幹 市 地 ケ 事 ′ ` Iて 横 手 美英 市 施 幹 事 手〒オ寸れ青 i 橋本 田 中 `=1( 常 llll 橋 本 幹 嘔 溝端 秀 夫 枚 岡 会 長 永井 本一 八木常二郎 Fl l[F参 ,人 天野昭吉 福 贅 山 口稜 彦 I口 中 幹 事 丸江 博 枚 方 幹事 6 第 区 和 泉会 長 泉大 市 ・ 71[ 横 岡 1' 和 泉幹 :「 [日 会 長 東 大 i十 幹 1' 京者 「東 京キ 「 会 1々 1( 松 永清 夫 ”資 囃 一 莉珈躙 ′ 単 千口I口 早,手 京イ 「 幹 1' 小 合十古 中 田 新 三 半 II`=に 宮 il:会 守 口会 1■ it ′J li l. ′ 々 義 卜 1幹 1ヽ 西垣 丞市 宮 i十 ● 幹 い 土 肥 良 け イ ‖]口 巧(十 1[=│,い 京都 北 幹事 ト 中 野 康 ワう 小谷和一虫 部 智勝 油会 長 1え 浜 長 ,ト F― ― 1:,i本 ソⅢ J' "j幹 文 男 角田 只 塚 Ⅲ,事 海端 良雄 ′ ギ iイ 〒 -1'( 1■ 森 :11・ :: i‖ 京都商 幹事 i兵 幹 II誠 小 浜会長 逸 奈 良幹事 柿 原 舞鶴 幹事 兵田 序歩蔵 引、ツ 奈良会長 前 事 北 川 義朗 、,也 /」 会長 西木藤Pη 郎 野間野徳治 橋本徳治郎 王置小一郎 角ォ 本f麦 久 峯 料 原 会 11 会 長 中川九右衛門 中 島 佐 一 │“ 叫i卓 卜'「 1l l泰 輔 "か 軒 '卜 "r内 長 野 幹 事 松 村 季 夫 吉 年 晃 ■1嘔 べ `=1, `,長 `=兵 Lt 日 1本 十 ,た ■ ∫IIl i二 1束 │{Fオ l ,i■ ヽ東 京 十 「 北 会 長 `ヽ 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幹 り; i竜「],芸 雄 ,「 秋堀︸ ドロ ´ 大道安次郎 新 井 茂 三 :メ モ り← 会 長 松 田 ― 男 1■ 田 幸 春 海 呉 東 会 ,表 1ミ Jl男 t八 呉東,,1, 松 本 和 幸 ワ 11島 幹 事 ll 打 た C'i 嵐 年 ■1島 全 1' 武「Il 博 1■ 口島 幹 事 森川 茂 `i li r」 く ■さす`=,. ¬│オ tI[ ll‖ 脇町幹事 "ヽ il幹 事 大 畑駒治 清 水 正 池光 充 昇 益 I11幹 ■ II:十 1リ リ ケj 九 ││1lll歳 ヽコ 南 幹 リト “ 島 ナ 光 福 「 松 水 幹 '1ト 平 岡基作 テ 111敬 ― 水1鳴 計次i卜 長 岡 逸樹 刹漑聾 徳 永茂 夫 河田 怖 │(郎 下 山 吉郎 9 第 0 第 区 第 370区 区 カバ ナ ー デ事 本寸 牛訂 Jlt ll南 岡 褻鰻陽 会 長 長次 Fう :1会 長 帷朴 長 岡 間対 長 門会 長 天 野 俊雄 姫 井良 二 幹事 岡 t』 南幹事 T勝 藤本 ■ 上 田励 作 隠 岐 西 郷 会 長 尾 i宣 会 長 別 府 会 長 大 田 正春 日暮 喜 八 間 1西 幹 事 Fョ 岐 西 IPS幹 事 藤 井 英雄 勝 部昭三 尾 i直 幹 事 甘 木幹事 有 田幹事 別 府 幹 事 青木 力雄 古 賀秀実 山本 哲 郎 藤 沢正 雄 松本亀雄 鶴 ゞ贅 │へ L 大 竹 会 長 境 皓 会 晨 上杉 隆好 南 家恭 一 大 竹 幹 事 境 路 幹 争 亨〒オす 「 キF牛 上 原寿治 中 島 貪響 ド爬 幹 事 松 「Π朝 ― 無 ヽ Iく 領 十日出要之進 長 `■ 村 江 正 民 継 い 齢 控帥 │み ヽ 管 鳥 。 年 ξ鼻 ■ 人・ It会 長 下 関 東 会 長 トト 東 幹 千 林 孝 介 人 全 富 ll幹 事 ││1 正 霊丁颯 ︲ ︲ ︱木 東 戦 会 長 下 関 会 長 西 尾栄 治 中 井 鹿嘉 東 らヽ幹 ●‐ 清 水 英 男 ヽ坪くJヒ 17 ││1根 信`■ 行 ,:制 `会 長 学 部 幹事 日野 巌 :m:〔 ●会 1( ナ 植 木 総 水 `=1. ]it雄 4、 田博 三 学 部 西 幹事 近藤義久 【幹事 豊 前会 長 J ll■ 佐 藤 別lrF北 幹事 黒 木 健 夫 筑 後 会 「癸 蛯田 貞 市 [て 下 川 順 一 猛 豊 前幹事 渡 辺 直 美 福 岡 会 長 出光 弘 幅 ILl,If=Jこ 元村八洲士 ^ 盟 ヾ ヽ lr.幹 事 中 尾 喬 ― l・ l〔 車,事 谷 二郎 靡隋 饉 冬量 輻瞼農最魃 国 古 省 三 り 北会長 児玉 房 雄 角 利 ‐ 人 i両 ホロ入 1 嗜i幹 ヽ 竹原 巌 l19,I幹 松井 ■ 久 光量 魃 llH岡 西 福迫 │.・ ・卜 操 16岡 城 西幹事 中井 隆 福 江 幹 ■ 松 尾政之 :ド ・ht公 プF円 糸■ 男 .・ 、ゃ` ',・ 1く I、 11 1t lll1 1■ ∩ ヤ liル キ L[1lt,故 古 本 Jタ リ 誉 が │││ル 'Ⅲ l 中 │」 益 次 り │: 11`オ f虫 │` 十 : ´ fと i山 支ILム 「 jl,,ti=1、 イ ふオ 「 1う メ fi ´ Zを イ )イ ` = 1 JI I サ ( 1喬 イ 、 F[ 1ハ 1世 i ′ . = │ ′ Lll,1. 鉄之助 ル ( │イ「,よ 夫 清 永 宇 蔵 サ│,,t,1 1 サ│‖ 奇 ブ t に ■│´ + 島支里1本 盾うそ μ 泉 !l l, ソ し、 メこク、fhtヽ 三 ど l: た錦 Ⅲ 安 生(■ : 膳 所 美う 七 │ │1多 喜i± 「‖ll]事こ虫 ◎ 拭 、 「i '│.イ サ 聾蔓 二 ム Fliィ く,き 材tイ )秀 「 │ ││li 本村清 ィ 0し 4、 Ⅲlll ll 、 」 '(ク 終ゝ 1...゛ 壕 僣 │‖ :ザ 坂 ]│ス 1「 卜趾鞣 褻t亀 』‐ 走 ヽ藤 ∼ り £令木 従 道 、 凩 ` ぶイ 」 、 呂11111. 山 日 本 島 燻事 L 魃聰 ′ ヽt,,li 」 大 塚 t.1た ,● '、 ,,Jり ,ダ 「;∫ l夕 = t tt 1:T「 瓢 トリ 鱚》魃 虫颯濶濶 靱豊x筵 豊 大 牟 国会長 佐世 保 会 長 佐賀西会長 佐 賀会 長 宮 村 勝 夫 田中丸善次郎 中 尾泰 三 大 村 幹事 佐賀幹 事 大 牟 田幹事 内田 松尾久賀 柿原書治 佐賀西幹事 行 清水 透 佐世 保 南会 長 川内 会長 島原会長 竹国会長 円 田誠一 安井英三 栗原忠夫 後藤 弘介 島原幹事 竹 rH幹 事 佐世 保南幹事 勾幹 事 戸畑 会 長 津 久見会 長 浅 田潤 三 佐 伯幹事 佐世 保 幹事 内 田恵介 松尾弘司 武社 会長 田中 登 武雄 幹事 池歳 男 石 井義 彦 丸 尾 徳 重 月ヽ 竹田磋智夫 妻木徳 一 品 りll三]郡 Fヨ 杵 会長 河 野 岡」 吉 盟 盟 金氏義憲 召 今泉 〕 ′i lBI幹 事 i 牛深 会長 若 松 会長 中野数喜 中原武雄 牛深幹事 立志 徹郎 21松 幹 .ト 篠 永運式 輻 会莉 走 奎 覇郎名 裏 ダ 災栞 品m5ビ 脳 庫金 L ttf躍 3賃 八幡 幹 事 希日Ett IE〒 雪 饒 山鹿幹事 隈部昭志 り '川 冨重 幹 '卜 直 3躯 輻鰊 八代 幹 事 行 橋幹 'ト 水洗 十二郎 岡 野 道 彦 ■ 1966∼ 6711度 の新会長・ 幹事 となられた方 々は以 11の ‐ サ り こケ ■ Jllllに 掲 載 いた しました写真は 5月 20日 の締 UJり 日ま r」 , でにおj`り いただいた分です。 ■ Jlllllに IL1ltい たしました氏名は、お送 りいただいた写 真 の 喪山iに lIか れた氏 名を基 にいたしました。 したが って、企l可 会員 名簿 と異なる文字 がllt用 されて い る場 /1が あ ります。 (例 ―男→ 雄、男→ 夫なり ■ J(側 の作成 に際 し、ご協力 いただきました 各クラプの Ltt Lげ ます。 皆様 に厚 く御 卜 ′ 「友J ■当悧 のご氏 名および御 り真 に誤 りがあ りました ら j二 +務 所宛、ご 絲 ドさい。 何 もきえるノ 森田ボンプの 消火器 油・ガス・電気・木・紙・布 あ らゆ る初期火 災に 決定的な消火 力を もつ 消 火器 中の 薬 剤 は 湿 気 で固 ま らない か ぎ り 、 効 果 は 永 久 に か わ ら ず 、 と て も経 済 的 です。 容器 は透 明 で すか ら、内部 の 薬 剤 は よ く 見 え ま す の で 、 誰 で も管 理 は 容 易 で す 。 容 器 は ポ リ カ ー ボ ネ ー ト製 で 鉄 製 よ り も 弾 力 が あ り、 凹 まず 、 割 れ ず 、 腐 蝕 し ま せん。 容 器 は 軽 い の で お 子 さ ま で も 、 取 りあ つ か い は容 易 です。 デ ザ イ ン は 美 し く、 斬 新 で す か ら 、 室 の 装 飾 に もな ります 。 磯 日本 で 初 め て の 損 害 賠 償 責 任 保 険 が つ い て い ます。 消 防機 器の 総 合 メー カ ー 製造元森田ボンブ株式会記 総発売元二丼 物 産 株 式 會 祗 ロー タ リアンの 贈る 海外旅行 力` 二 大特別企 画 ★ 二― ス大会参加旅行 1967年 度 の 国際 ロー タ リー年次大会 は夢 の海浜 ニースで開催 され ます.時 期 は明年 5月 下 旬 , 南欧 の真珠 と呼 ばれ る地 中海岸 の ニースが と りわけ美 しさを増す ときてす。 RI年 次大会 に出 席す ることの ロー タ リア ン としての意義 について は 申 し上 げるまで もあ りません。 この大会出 席 を機会 に ヨー ロ ッパ の風光 と,偉 大 な文化 を訪 ね るのに,最 もふ さわ しい企画 とご案 内 を考 えました。 ロー タ リー旅行 に長 い経験 を もつ富 士海外旅行 のみが立 案 。実施 で きる理想的 な年 次大会参加出席 と云 えまし ょう。 自信 を も って皆様 の ご参加 をお すす め す る次 第 で す . A・ B 二 つの プラ ンの うちお好 み の方 をお え らび下 さい . Aプ ラン ヨー ロ ッパ 探 勝 コー ス ーー帰 路 モ ス ク ワ経 由一― 1967年 5月 10日 ∼ 6月 3日 25日 間 概算 ¥739,000 東 京―― パ リ ー ー ア ム ス テ ル ダム ー ー ロ /ド ンー ー マ ドリッ ドーー トレ ドーー ユー ス・ カ ンス・ モ ナ コーー ジ ュ ネ ー ブ (モ ンブ ラ ン・ トン ネ ル)一 ― ロー マーー ーベ ニ スーー ミュ ンヘ ンー ウ ィー ン ーー モ ス クワー ー 東京 Bプ ラン 大 会 参 加 。世 界 ― 周 ゴー ル デ ン コー ス 1967年 5月 !7日 ∼ 6月 7日 22日 間 概算 ¥760,000 ロー マ ーー ニ ー ス・ カ ン ス 。モ ナ コ ー ー ロン ド ジ ュ ネ ー フ (モ ン ブ ラ ン 。 トン ネ ル )― 東京― ン ー ア ム ス テ ル ダム ー ベ ル リ ンー ー ノくリ ー ′ド ー リ ス ボ ンーーーニ jL ヨ ク マ ドリ レ ラ ー ロサ ンゼ ル ス ー ホ ノ ル ル ー 東 京 スベ ガ ス 既に多数の会員やご家族のお申込み,お 問合せを頂載 してお り ます 現地のホテルの予約のためお早目にお申込み下さい 詳細バ ンフレットをお送 りいた します ご遠慮な くお 申出下 さい . . ★新 しい年を異国で迎える 大好評 の新春海外 旅行 千占の神秘をたたえるア /コ ール・ ワット ‐ 口 場で 『 これで 3年 目 年 を加 える17aど 好評 で す.ご 家族 づれ,お 合 と うし、気楽 で しか も最 も印象 的 な新春 の海外旅行 で す.期 間 も短 か く、費 用 も手頃 ,お 気軽 に ご参加 で きます.今 度 は特 に '日 ご要望 lC応 え て秘蹟 ア ンコール・ ツ ッ トを加 えた旅程 も作 りま した.1967年 の新春 こそ,ぜ ひ 富士海外 の新春海外旅行 で ど うぞ . A B 新 春 ハ ワ イめ ぐ り 1966イ 1112月 291Jヽ 1967イ li l月 3日 (61J問 ) レー マウ 東京 ― ― ホ ノル ′ ーー ー 7 -コ ヒ「 ナ イ ホ ーー レノ レ ー Jて ,( ノノ 新 春香 港・マ カオ・台 北旅 行 19“ 年 12月 30日 ヽ C 1967111ナ 13日 (5「J‖ ll) ―香港 ―一 大阪 東 京 ――― マ カ オーーー台北 東京 y 148,(,00 Y 284,0()0 新 春東 南 ア ジア 旅行 1966年 12月 29日 ∼ 1967年 1月 8日 (11日 間 ) ーシ 東 京― バ ン コ ッ ク ー じ ンガ ホ ー ノ フ ノ ンベ ン ー シ ェ ム リー プ (ア ンコ ―香港 一 しワ ッ ト) ーノ 台 Jヒ 協賛 エール 。フ ラ ンス 日本航空 パ ン・ アメ リカ ン航空 ー 東京 y 248,000 お申込み ,お 問合せは 富士海 外旅行 株 式 会社 。ロー タ リー旅行係 ・ 千 1ヽ「FIIス :有 楽町 2-2・ 隆和 ビノ し9階 Te1 571-4811 東万て 大阪 。東区 大 1町 23・ 石原 ビル Te1 202 3251 ・ 木困 包 倉 庫 業 創業 明治二十 九年 業 ¨ 一 ¨ ¨ 取締役社長 ,〉 木 花 = 晨5 本社 横浜市西区平 沼 1丁 目40番 13号 内貿営業所 横浜市西区高島 1丁 目2番 36号・電話 (44)6155(代 表 岸通営業所 横 浜 市 中 区 海 岸 通 2の 7・ 電話 (2Cl)9401(代 表 電話 (44)6 1 5 1番 (代 表 )海 根 箱 地 立 国 の 園 公 営 経 │ 1 本 1清 羅 1静 峰 閣 照 本 小林 箱 根 仙 石 原 1箱 根 甲 子 口 箱 箱 根 根 湯 強 口 光 電 話 番 号 卸 ⑤剛1 案 内 1癸 豪案肉要殷;盟 線 『内 義良 箱根 (2)3177(代 )│ 勝俣 甲子 一 箱根 (4)8561(代 ) “ AUTO UN10N― DKW 伝 統 に 輝 く西 独 の 人 気 車 米 国 コ ン パ ク ト車 の パ イ オ ニ ヤ ロホ 自動車株式曾祗 532-12H夫 東 京 都 lι κ赤坂 溜 池 田∫30番 地 電話 代表 ) 温 者 露木高 次郎 4し ) 颯 支 店 ,t颯 市薦 条束6-1 電(24)8161 町 2-10t(4)0141 ■ ■ 支 店 新湖市 '人 可苫竹初●29t(57"`11 11台 支 店 仙台市原 ■ 浜 支 店 襴浜市中 Iζ tt I子 EJバ:ン ゴ しあ │ナ ます 4-56t(“ )3880 名古二支店 名古屋市丙区眸地■ 50■ (56)4391 大 阪支 店 大阪市lt区 會機崎■0-31t(041)5355 広 島 支 店 広 島 ● 1'広 r19 1 9■ (32)● 66 ■円支店 に国市Flヽ 山rr`=地 ノlt(23)1229 (官 内庁御用達) &$e,F 長 崎 ―博 多 ― 広 島 一 神 戸 ― 大 阪 ―横 浜 一 東 京 ―札 幌 齢 ン ラ レスト ` ャ子 社長 安 藤 勝 弥 銀自の6(剛 )剛 卜 ■ 47安 藤 工 事株 式会社 棘。 ““ 伝 統 と 倉」作 の J哀 イム 1宜 ・ 念 珠 ・ 香 具 ・ 梵 鐘 手 草月にネしま 仏 具 設 計 ・ 施 エ 勤″ 凛帯奥 豪 作的 夕 に感 謝 京都 F行 中 リミ局 巨こF勺 七 1条 i邑 \ 渕守田丁コマジ 舌 労て者 電言 「 (075)37-ft3131-6・ 8747-8・ 0:24 英国調 に ま きる 冒 "キ 調 ■ ■ 著 ●紳 士 服 地 セパ レーツ/ブ レザ ー /オ ーバ ー地 ・°こ れ が 世 界 最 大 10万 キロリノトル・ の 浮 屋根 式 原油 タ ン ク です ″ 常 に技術 開発 をお しすす め る当社 の総 力 を結 集 して建 設 した、三 菱石 油水島製 油所 の このマ ン モ ス タ ン ク 2基 は、直 径 78471メ ー トル 、高 さ 21855メ ー トル もあ り、堂 々た る偉 容 を誇 って お ります 。 ハ 米 国 ビ ッ ツ バ ー ク・ テ モ イ ン・ ス テ ー ル 社 技 術 提 携 世 界 が 認 め たり =ン ヮ 東 洋 火 熱 東 京都 江 東 区 南砂 町 8-2363■ 電 話 (644)1181大 ft表 王 耀 ‖ 王湿 精 国 際 ロ ー タ リー 年 次 大 会 お 知 ら せ ノ 1967年 は ヨ ー ロ ツ パ・ ニ ー ス で 開 催 さ れ ま す ロ ー タ リア ン 各 位 本年のデンパー大会には,多 大のご支援 とご協 力をいただきまして,あ りがとうございました 6月 11日 ,皆 様無事にご出発になりました さて,早 速ですが,来 年1967年 度の国際年次大 会 について,企 画が出来ましたので、お知らせ申 . . し上げます 来年は久 々に会場 が ヨーロッパに移 り,フ ラン スのニースで開催 され ることにな りました。 旅行 の コンサル タン ト日本交通公社で は皆様に 一刻 も早 くお知 らせ, ご案内申し上げるために準 備 を進め, ここに二"ス 大会参加旅行 を発表 させ ていただ きました . この旅行は,皆 様 ロータ リアンのための特選 ツ アーです.何 卒,前 回同様,多 数 ご参加お申込み下 さいます よう,心 からわ待ち申し上げてお ります 永 い伝統 と豊富 な経験 自信 をも ってお薦 めす る ロー タ リア ンの ための特選 ツアー 10日 から20日 間 概 算 ¥740,∞ Q一 マー デン ク,西 ドイツ,イ ギ リス, フランス Aコ "ス 5月 スイ ス, イタ リア, アラブ連合 から25日 間 概 算 ¥810,000デンマ ーク,西 ドイツ,イ ギ リス, フランス スイ ス,イ タ リア,ア メ リカ Bコ ース 5月 10日 各地 の ロータ リークラブ訪問,パ ナー交換 例会出席,そ の他特典あ り , お 問 合 せ 。お 申込 み は … … … 東 京都港 区 芝 琴 平 町 35番 地 (船 舶 振 興 ビル ) 日本交通公社 ロー タリー係 海外旅行虎の門営業所 電話 503-1371(代 表) ご一 報下 され ば早速 詳 しいパ ンフレ ッ トをお送 りいた します。 主催 田 日 本 交 通 公 社 デンバ ー大会 アンケー トによる当選者番号 協賛0日 本 航 杢 6.41.8i.i55.219.322.328.338.349.477 以上10名 様 ロ ー タ リー 財 団 研 究 グ ル ー プ 交 換 の 米 国 第 513区 Eス 1行 7名 . 5月 2日 ]]田 〔こ着 い た 君 を団長 とす る は第 358区 各 RCの を視 察 した で 案 内 `ま 2カ ミス 1行 月間 わ が 国 の 一 般 社 会 事 情 写 真 は 大 田 区 立 馬 込 保 育 園 を視 察 す る 1行 6 members of R F sponsored Group Study Exchange Teann led by Rtn Emerson Smith arrived Tokyo on 2nd May The team made study tours over District 358 and other areas shows the members visiting a nursery in Tokyo 型 」 リ 犠・ `L 一 ― ` ― Photo ヽ 珀口質西 1し RC (第 350区 オ ー ス トラ リア 第 の 1行 90名 東 京 都 )`ま . 5月 2日 265区 の 極 東 各 国 親 善 使 節 団 . を 迎 え 、歓 迎 レ セ プ シ ョ ン を 行 つ た _ 引 続 き 例 会 に 出 席 .バ ナ ー の 交 換 な ど を 行 つ た 名古 屋 RC(第 360区 愛 知 県 )は ,西 日 本 連 合 年 ,市 内 Tokyo.Seihoku RC holds bers of a reception for the 90mem' goodwill mission f rom District 265, Australia Following the reception the members attended the club' s weekly meeting Nagoya RC donated some 500 cherry tree seedlings in to 次 大 会 決 朧 の 国 土 美 化 運 動 の 一 助 と して co.operation with 5 other clubs in the city, 5RCと jo Park The donation was made in a response to"Let 's Plant More Trees" resolution adoDted at the last 共 同 し て 名 古 屋 名 城 公 園 に 桜 の 苗 500 本 を寄 贈 し、 4月 :5日 ,そ の 植 樹 式 を 行 つ た vear's Joint District Conference the Mei- R口 TAI 』園理F■ 彎ぎ 来河江 RC("53区 山形県 )は .4月 7日 の例 会 で会 員 事 業 所 の 永 年 勤 続 優 良 従 業 員 !0名 を 表 彰 し た れ も 15年 か ら 43年 いず ・ ― Sagae RC recognizes I 0 persons employed by the club members whose continued working terms range from 15 .4月 ,2日 創 立 5周 年 を 4校 、 高 校 2校 に 日 本 百 科 大 事 典 全 i3巻 (2校 )と 原 色 世 界 百 科 事 典 全 8巻 (4校 )を 贈 つ た Marking ts 5th anniversary Cero RC presents a 1 3 volume」 a panese encyclopedia each to two local senior high schools and8 volume he‖otyped encyclopedia each to four iuniOr high schoo s RC(第 365区 和 歌 山 県 )は 、 現 在 社 会 問 題 と な つ て 注 目 を 集 め て い る 献 血 運 動 を と り あ げ .5月 4日 の 海南 例 会後 、訪 れ た献 血 車 で第 1回 の 献 血 奉 仕 を行 つ た Kainan RC backs up the blood donation drive now at issue by conductng ts first blood donaton after the club s weekly r e eting ‘ 冷言 つた4 ︲′ニ フ 360区 岐 阜 県 )は 基仕 ュ の 可 ﹁ お﹂ RC(第 記 念 して 中 学 暉︼・コ FF 下呂 t0 43 years. at the club s weekly meeting ま での 永 年 動 続 者 で あ っ た dせぃ ― _ 三沢 RC(第 352区 青 森 県 )は ,全 国 RCか らの 大 火 見 舞 金 の 使 途 と し て 生 活 困 窮 者 等 に 50万 円 を 贈 り , ま た 三 沢 暑 に 本 部 を 置 き .街 頭 55カ 所 に ス ピ ー カ ー を 置 く緊 急 連 絡 用 放 送 施 設 (150万 円 )を 設 置 した Misawa RC made efficient use of the donations made by the RC's all over the country in sympathy for the recent big fire, by presenting Y 500,000 to the less fortunatepeople and by installing emergency radio facilities with all over the 55 speakers totYn. ″﹁ ´_´ 1.巧 ● 堺 南 RC(第 : 365区 大 阪 府 )は 、 4月 5日 創 立 5周 年 記 念 の ひ とつ と し て 堺 市 民 会 館 前 に 大 樺 樹 を 植 え た 写真 は堺 市長 河盛費之介氏の鍬 入れ式 であ る . 松 本 南 RC(第 360区 長 野県 )は , 4月 25日 年 を 記 念 して 、松 本 市 へ 桜 の 苗 木 500本 松本南 RC 創 立 5周 を寄 贈 した Sakai South RC marks it 5th anniversary by planting a big Marking its 5th anniversary, Matsumoto South R C donates camphor tree in front of the Citizen Center some 500 cherry tree seed‖ ngs to the city Mayo「 Kawamori planting the tree Photo shows _ 矢ケ崎 啓―郎 ′ Jヽ 山 RC (第 355区 栃 木 県 )`ま 少 年 に 希 望 を もたせ るため , 4月 7日 . 働 らく ,小 山 市 役 所 前 に 働 く少 年 の 像 を 設 立 し 、 小 山 市 に 寄 贈 し た 当 日市 内 の 小 中 学 生 の 代 表 を呼 び 表 彰 した なお ら . RC(第 350区 北 海 道 )は ,4月 12日 の 例 会 で .5人 の 働 ら き な が ら通 学 す る 高 校 生 に 奨 学 金 を 贈 っ た To encourage the working youths of the c o m m u nity . Oyama RC encourages working youths by erecting a stat‐ ue of a wo7king youth in front of the town ha‖ 浦河 働 ら き な が ら学 ぶ 青 少 年 を 助 ま す た め に and Urakawa RC recogni2eS 5 students Who attends senio「 high schools while working also by recognizing outstanding working students of the communlty ヽ _ RC(第 370区 福 岡 県 )は ,創 立 :0周 年 を 記 念 し て ,小 学 校 36校 と養 饉 学 校 1校 に 植 樹 を 行 い 八幡 . 4月 4日 、 その 献 木 式 を八 幡 小 学 校 で行 つ た Yahata RC marks its 1 0th anniversary by donating a number of tree seed‖ ngs to the loca1 36 primary sch RC(第 368区 愛 燿 県 )は 、 か ね て 伊 予 三 .同 市 教 育 委 員 会 に 働 ら き か け て 伊 予 三 島 奨 学 会 設 立 運 動 を 推 進 し て き た が .3月 25日 、 市 役 伊予二島 島市 所 を 防 れ 伊 予 三 島 奨 学 会 基 金 50万 円 を 贈 っ た 。 lyo Mishima RC pushes the Educational Commttee of the ools and conducts the donation 71e at Yahata Pr mary city to estab‖ sh a scholarship system by donating a sum School of Y 500.000 青 森 東 RC(第 352区 青 森 県 )は ,苦 し い 開 拓 地 の 実 態 を 見 聞 す べ く東 郡 菫 田 町 高 石 股 開 拓 地 を 訪 れ ,入 植 者 に 費 状 を聞 き 。 ま た衣 料 とお 菓 子 を贈 っ た Aomon East Rtn's made a visl to a p‖ 花巻 RC(第 352区 着 手 県 )は 4月 21日 、 花 拳 小 学 校 肢 体 不 自 由 児 養 饉 学 級 に テ ー プ レ コ ー ダ ー を 贈 っ た。 花春 RC . ot farm in a remote 佐 々木精 ニ Hanamaki Rtn's please physica‖ y handicapped students of corner of the communty and encourage the hard working a special class in the local primary school by presenting pioneers by presenting clothes and confectioneries a set of tape recorder 飯田 RC(第 360区 長 野 県 )は 、 5月 つたが .ま 北 条 RC(第 368区 兵 庫 県 )は 4月 17日 .カ ロ西 町 立 児 童 館 の 建 設 に 当 り ,日 旗 掲 揚 搭 を 贈 つ て 児 童 遺 に 国 4日 .311立 10周 .救 急 車 1台 と ガ イ ド ミラ ー 5基 を 贈 た ポ ー イ ス カ ウ ト餃 笛 隊 へ 楽 器 を 贈 つ た 年 を記 念 して lida RC, having recently marked its 1 0th anniversary by donating an ambulance and five guide mirrors, makes ano ther services of presenting musical instruments to the 10 ca Boy Scouts. band team . 旗 を 愛 し ま し ょ う と呼 び か け た On completion of the local Ch‖ 北条 RC 小 川惣―郎 dren Center, Hoio RC dona tes a national flag stand to make chi!dren national flag 岩谷堂 RC(第 352区 着 手 県 )は .4月 13日 ,緑 の 過 間 に ち な ん で ,向 山 公 国 の 中 の ロ ー タ リ ー ロ に 桜 月桂 樹 .玉 伊 吹 な どの 苗 ホ 70本 余 を植 樹 した . 勿来 RC(第 353区 相 島 県 )は ,4月 19日 、勿 来 公 日 に 経 の 苗 木 を植 樹 した 古 歌 に も誅 ま れ た 勿 来 間 の 桜 が 殆 ど 絶 減 し た の を 憂 い 昨 年 か ら 始 め た もの で あ る . . Observing Arbor Week, lwayado RC plants a nurber of tr‐ Nakoso Rtn 's keep planting cherry tree seedllngs in the ee seed:ings in the Rotary Carden of Saklyar● local Nakoso Park, famous for the fine cherry trees since Park the feudal age ´ 一 ― 角田 る RC(第 4カ 所 の 幼 稚 口 .保 青 所 へ 会 員 津久見 自 らの 作 業 奉 仕 に 周囲に よ り花 壇 を 設 置 し 、 草 花 の た ね を 贈 つ た Kakuda Rtn 's volunteer to lay flower‐ kindergatens and nurseries RC(椰 370区 大 分 県 )は ,滝 久 見 市 営 体 青 館 R:創 立 61周 年 を 記 念 し て ,ヒ マ ラ ヤ ス ギ 2 本 .ツ ツ ジ 50株 を 植 え た .市 営 体 青 館 は 大 分 曰 体 の ,市 内 に あ 352区 富 城 県 )は , 4月 19日 beds at . loca1 4 ポ ク シ ン グ会 場 で 協 力 し ,昨 年 2月 ,ク ラ ブは市 民運 動 の様 化 運 動 に も 熱 帯 性 植 物 の 植 樹 を 行 つ て い 0. Marking Rotary.s61st anniversary, Tsukumi RC p!ants a number of trees around the municipal gymnasium This pト anting is the addition to the tropical floras it last year planted そ れ は最 高 の 品質 に 対 す る呼 称 です。 そ して “MG"そ れ は 車 の世 界 の サ ラ ブ レ ッ ドで す .′ MG H00ス ポーッセダン デラッ タス MGミ ゼッ ト コンパーチブル モー リス クーパー “S" モー リス :100セ ダン モー リス マイナ ー!000 │・ 1,│ ‐ …… =一・ = に ` ― `‐ '∼ = ′r 4︺ 代 理 店 6731 京 :日 ′ 英 自 動 車 く581》 ー 0671 ト く458》 阪 :lD 西 オ 名 古 屋 :ユ ニバ ーサ ルモ ー ター く241)9386 東 大 礼 幌 :宮 田モ ー ター ス090051 横浜 :薬 商 モ ー タ…2309ol 広 島 :ミ ナ ミ小型 自動 車607221 日本総 代 理 店 ドッ ドウエル TEL 東 エ ン ド コンパ ニー リ ミテ ッ ド 京 く211〉 214: 一回 インターアク トを結成する場合 に必要な資料および 書類はどこに申込めば入手できるでしようか LI '`多 層【手 子 f争 サ臀 基名 :菖 晨 ロー タ リー文 献東京事務所 (東 京都千代 田区丸 ノ 内三丁 目四番地 日石 ビル '多4階 )に 請求 すれ ば送 っ て参 ります この資料 には,イ ン ターア ク トプ ロ グラムの性質 , 目的お よび業績 についての説 明書 會暑 27秀 律塚 9奮 辱 t「 が入 ってお ります .な お 注文 カー ドが この資料 の 同 中 にあ りますか ら,先 ず その資料 を良 くご研究 の 上 ,貴 地 で イ ン ターア ク トクラブ結成 の見込 が立 は新会員報告 用紙 と同様 の もので あ ります 。それ ちま したな ら, この注文 カー ドを前記文献事務所 に御送付 に なれ ば結成 に必 要 な色 々な書類 を送 っ 紙 の番号 は2207-Jで その名称 は新会員一― 資料 変更届出用紙 です 。 これ は無料 の筈 で あ ります 1薩 層 劣 菖穀 を文 献事務所 に請求 して使用 して下 さい .そ の用 . て参 ります 。 諮問委員長の任務はどのようなもの 1`lτ □ ttF卜 1土 及 び, も しあれ ば ,イ ン タ ー ア ク トガ バ ナ ー等 か 琴 腎 ク し ま 絶 庭 進 二 lttλ 昇 17チ 6「 トのプ ログラム運営 についてガ バ ナーを援助す る `上 'シ 際 青 塚 F 昼 [f:方 ふ 喜 言 修 亨 曇 拿 軋 こ 冒 色 壕 曇 肇 暮 l rn5 ::Z::〔 :i][:重 Il慧 ][II,「 ガ 劣 倉 手 λ 曇 壌 薬羹 祗 つ 曇 □ 車 昌 基 災 で あ ります か ら,当 然使用す る ことは 出来 な い こ `黒 117]を うか :世 ラ I:募 入 頭 暑 寛 7,ζ □ 喜 ヒ 看 li:窮 里 111『 ζttfプ 故 に,記 念 としてな らその ままバ ッジを保持 させ t像 1こ 涯 :11績 51 F・ 員 互言 ][ξ 鮎: :阜 │」 :軍 フ啓う 2量 暑雪勇覺 冒 f;:菫 I蒐 言 い うことは きいてい ますが, それが どなたであ っ たか覚 えがあ りません .し たが って どこで それ を 入手 出来 るか も分 りませ ん 。 しか しこの よ うな早 見表 は割 合 に簡単 に造 る ことが 出来 ます ので, ク ラブで その会員数 に応 じて,将 来 の 内部拡大 を見 越 した上で作成 され たな らいかがで し ょう。た と えば30人 内外 の クラブで した ら25人 か ら36人 まで を基準 に して50%か ら 100%の 範囲内 の もの を作 成 され たな ら,少 くとも数年間は利用 出来 ると思 い ます 。 なお皆 さん の ご便宜 の ため、 出席率 早 見 表 を 「 ロー タ リーの友」 ニ ュー ス 7月 号 に掲載 してお きま したか らご利用下 さい。「 友」 ニ ュー スは ロ ー タ リーの友 が発行 して い る もので,毎 月各 クラ ブの雑誌委員 長 に郵送 され て い ます (注 )「 友」 て良 い と思われ ます 。 Z[]]1〔 . 4月 号 の この頁 に,イ ン ター ア ク ト の 備品 に関す る間答 を掲載 い た しま した。その際 1高 司i]:,3;::[「 を EEi:i景 言 言 各 曾 あるのでしようか ロー タ リー の 友 -7月 号 ]去 , 同備品は東京銀 座 の和光 で 販売 され てい る とお答 え しま したが,大 阪 の生駒時計店 で も取扱 ってお ります ので, この 旨付記 いた します . 69 国立が んセ ン タ ー そ の 発 見 と治 療 に つ い て 膵 臓 癌 石 璽 央 尋:→糞 うだlさ れ る よ うな数 後 り 曽え るの で は な い か、 と 〕 膵臓のはたらき ]亭 1臓 井 字 です が どん なは た らきを して い るか とい い ます と、 大 き く分 け て 2つ あ ります 膵臓癌の診断はむずか しい 1つ は 血液 の糖 分 (■ 1料 i)を 出節 す るホ ルモ ン を n[液 中 に送 り こん で い る 内 分 必の 11:用 です n[粕 」 り 節 ホ ルモ ン と し と くに膵 臓 │ と か 腱ヤ:11に 臓 炎な どの 膵 臓 ン)曼 性 の 低 くす る作用 Clあ る イン シ ェ リンが も 病 気 の 診 断 は、 医 学 の lll歩 した 今「1で も も っ と も 1半 │」 ては 1[湘 liを '′ っ と も強 力で イ ∫名 で す が , インシ [Lリ ン と反 支lに しモ ンで あ る グ ル カ ゴ ン な ど も 血 粕 を111く す るホ ノ し られ て い ます tヽ ずれ に しま して も1準 臓 の は た ら きカリ)る くな ります と n[料 iが ljく な り,尿 υ)「 │ へ滑 ‖が で た │)す る精 尿 llに な るわ けで す ‖ 臓 υ)も う 1つ の は た ら きは外 分泌 の 作 用 て 4た 蛋 IJ Iを 分 解 す る西F素 とム す る山F素 を大 ││ヒ , 炭 水化 4勿 や ‖ 旨肪 を分 解 に 卜二 lLl場 に 送 りだ して,食 物 の しカ リヤ:の 無 機 物 1が 含 まれ ま た11て ,夜 には 強 い ア ノ 『 :υ , むず か しい 問 題 で あ る こ とは 医 学 界 の 定 │ジ あり で も外 残 念 な こ とで す が ‐ 般 的 な li実 で す 日本`で 1可 で も熟練 した 医 自 けです ら、 そ の 診 断 の適「卜率は 11)%ヽ 10%と ノ)べ て い ます な 4‐ この よ うに診 問7 が むず か し いか といい ます と、 1つ に は lit臓 つ角7 ││を して い ます 11k 消 化 には な くて は な らな い作 サ ノ )宝 Lliに っれ るわ けです もた とえ ず 臓 は li化 山F素 て い て、 西 1ヤ 臓 の病 気 の 診 断 は 大 変 むず か しい の です が )強 い 胃 か ら くる内容 物 を中和 して 小 1易 で の 消 化 を助 け て い る こ と も大 切なは た らき k臓 の は た らきが わ る の 1つ です それ で す か ら‖ ム い こ とが 続 きます と,い ろ い ろ な 171i化 や吸 収 の障 音Jつ 位置が 胃 /1後 ノ ブ 脊柱 の it方 とい う腹ト メリリ 1 ′ し )深 い ところにあ るために、 症状がは っ き りしな い ことに よ りま寸が , さらに胃, 月 場, 月14f、 F∫ 1臓 な どの臓 器 υ)よ うな造影 斉1を 用 いて病 変をll:接 し 「 ′ っべ るヽ線検 査や 光学 系 の装 置 に よって :接 的 に )方 i去 が i比 にたた な い こ り !察 す る内視鏡 検 査な とン 争 また さら1〔 オ)る い ことには とがラ にきなリロ│で 4[llfrliの ' った はた らきを 「 1)11に しらべ る方 ,去 が な力、 )lll!││に な ってい ま した _し か しI晨 近 こと も 1つ υ は 日本 て も外 1可 で もい ろい ろの ril虻 か らの1診 断 t′ l_際 に 応 サ llさ れ つつ あ りますか ら 法が Of究 さオ ′ :で はな くな ることが 14k臓 111の 確実 なli参 円iも り 石」が お こる こ とに な ります , 膵臓癌 は増えつつある され ます ことをつ け力│え なけれ ばな りませ ん 'Ul待 は j本 人 ul全 り 高タビ亡率 υ)約 2%で ,腸 痛 や ln[病 とほ ほ 同 じ くらい υD夕 il支 で す 外 国 (由 人 )で は7ヽ 8%で す か ら, 日本 人 で は外 国 に 比 べ Jlkllili痛 膵臓癌の症状 L二 て も膵 臓 乳 ‖は少 い 病 気 で す か 最 近 1()年 痛 は約 1月 しか し ど うい うわ け の統 計 に よ ります と、 日本 人 の膵 臓 3イ 占と急 激 に 増 え つ つ あ て い ます る こ とが 注 日され こt7_lよ うな1憎 え方 は‖百 力 1と 膵 臓 凧1に の み み られ るので す が , い ずれ にせ よ,膵 臓癌 は 今 70 は「 オ タマ ジ ャクシ」 の よ うな 1影 を してお 1指 1易 の真 中 に位 :し ,1竿 1夜 り、その頭部は lilと 14た 1臓 lμ │‐ を分泌す る14k管 は11道 と合流 して 瑞 腸 右i膜 に 日を開 いて い ます 休 部は胃 の後方 を柏tに 細 長 く │´ 位 │「 li 1112 F部 iし ,り二部 は ノ ます の 1り 1臓 の そ ば に な って い この よ うな∫ 的 位 置 か ら14七 ″[部 に ‖が で γ 」 ,「 `占 THE ROTARY― NO TOMO を生重熙ノ きます と,胆 道 を圧迫 して胆 汁 が たま り,黄 疸 に は まえに のべ ま したが,膵 臓 の病変 を X線 フ ィル な る ことは理解 され る と思 い ます .膵 臓癌 の半数 以上 は頭 部 にで きます ので ,黄 疸 は,膵 臓癌 では ムの上 に うつ しだす 方法 が2,3あ ります .腹 部 回 転横断撮影 とい うの もそ の 1つ で すが, これ はち もっ とも主 な症状 に な ります ょうど人体 を膵臓 の位置 で ち ょうど輪切 りにす る と同 じよ うに,X線 で横 断 した写 真 を とるや り方 しか しここで注意 しなけれ ばな らな い ことllt,膵 頭部癌 です と遅 か れ 早 かれ 黄疸 に な るのですが,十 二指腸粘膜へ の 開 口部附近 に限 られ た癌 を の ぞ いて は,黄 疸 がで る よ うに な ると膵頭部 癌 はかな り進 んで い ること が 多 い とい うことで す .黄 疸 がで る前 に診断が つ く ことが望 ま しいわ けです 。 したが って症 状 とし て も上腹部 の頑 固 な鈍痛 とか, なん とな く食欲が な くな った とか,み ぞお ちが重 い とい うよ うな胃 の病気 の よ うな症状 の ときに,医 師 を訪 れ る こと です .こ の方法 に よって膵 臓 のかげが, X線 フ ィ ル ムに うつ しだ され ,膵 臓 の大 きさ,形 をあ る程 度知 る ことがで きます .さ らに膵臓へ 入 って ゆ く 動脈 に造影剤 を送 りこんで,血 管 の形 の変化 か ら 膵臓癌 の部位,大 きさをみ る方 法 (選 択的血 管撮 影 )も 有力 な膵臓痛診断法 の 1つ として, 日本 で もだんだん普及 しつつ あ ります .X線 検査 とは ち が って,放 射性 アイ ソ トープ を用 いて膵臓 を うつ が もっ とも大切 です 。 この よ うな症状 は,実 際 に しだす アイ ソ トープ診断法 も実用 化 され つつ あ り 胃 の病気 でお こる ことが 多 いのですが,胃 の検査 を うけ て も異常が な い, しか し症状 は よ くな らな ます い とい うよ うな ときには膵臓 の病気 を大 いに疑 う . 膵臓摘の治療 必 要 が あ ります .膵 体部や尾部 の癌 です と進行 し て も黄疸 に な る ことはほ とん どあ りませ ん .こ の 膵 臓癌 の治療 としては,今 日で も手術が もっ と も信頼 され ます 。膵臓 の体部,尾 部 の切除は, ま 場合 の主 な症状は腹痛 とか食欲不振 ,や せ る こと です 。 したが って膵臓癌 の始 めの症状は, 胃 の病 わ りとの癒着 がひ ど くなけれ ば困難 では あ りませ 気 とま ぎ らわ しい ことを強調す る ことが必 要 だ ろ とった り,胆 道や膵管 を消化管 につ なぎ合わせ る うと思 い ます 。 ことが必 要 です ので,そ の手術 はやや厄 介 ですが しか し今 日では この手術 に よる危険 は少 くな りま ん 。膵頭部癌 では膵頭部 とい っし ょに十 二 指腸 を , 膵臓癌の精密検査 症状がほか の病気 とま ぎ らわ しい上 に,簡 単 に 診断で きる方法 もな いので,膵 臓癌 を早 くみ つ け るためには,少 しで も疑 わ しい こときはで きるだ け早 く,綜 合診断 ので きる病院 で精密検査 を うけ る ことが必 要 に な ります .新 らしい精密検査 には い ろい ろあ りますが,そ の重要 な 1つ として膵 液 をで きるだけ正確 に採取 して しらべ る方 法があ り ます 。 これ には まず,膵 液 の分泌 を促進 させ る消 化管 ホル モ ン (パ ンク レオザ イ ミン, セ ク レチ ン した し,手 術 のや り方 も確立 され てい ます .し た (ま わ りの大 きな重要 な が って膵臓癌 の早 い時期 血 管 と癒着 して い ない, また肝臓 ,肺 な どに転移 して い な い時期)に 診断が つ けば,そ の手術 の結 果 もた いへ ん よ くな ります .実 際 に10年 前頃 まで は膵臓癌 の手術成績 はひ じ ょうに悪 か った ので す が ,今 日ではめ ざまし くよ くな って い ることが報 告 され てい ます 。 ま と め な ど)を 予め注射 したあ と, ゾ ンデ を用 いて膵液 の 多 い十 二 指腸液 を とって酵素,無 機物質,液 量 で あ りますが,最 近 に なって そ の確実 な診断法が を しらべ る方法 です .ま たで て きた膵液 の 中 に 癌細 胞 が あ るか ど うか を念入 りに しらべ ます .こ どん どん進歩 しつつ あ り,比 較的早 い時期 に診 断 が つ き,手 術 の成績 も向上 しつつ あ ります 。早期 の方法 に よって,膵 臓 のはた らきが よ く分 ります し,癌 細 胞がみ つ かれ ば膵臓癌 で あ る ことが 診断 発見 と早 期治療 に もっ と も大切 な ことは,胃 の病 気 の よ うな症状 の時期 に医師 を訪 れ ,少 しで も疑 わ しい ことが あれ ばな るべ く早 く綜合診断 ので き , され ます 。 つ ぎに膵臓 の直接的 な X線 検査 がで きない こと ロー タ リー の 友 -7月 号 膵臓癌 は,今 日で も診断 の むずか しい癌 の 1つ る病院 で精密検査 を うけ る ことで あ る と考 えます 77 ︵ 名古 屋南 ︶ る や 枝 垂 桜 の 限 寺 ︵ 名 古 屋 西︶ 正 ︵ 名 古 屋 西︶ 堀 尾 博 扇 古居 久二 沢 田 寿文 松浦 竹生 請井 花谷 ︵ 松 阪︶ 上野鳴金洞 蟹の戸 も 曳 き 温 泉 落 し て朧 な り 芽 柳 や 町 に 流 る る讃 仏 歌 ︵ 四日市︶ 中川 口 田子 峠 路 や余 花 に心 を ひ かれ つ つ ︵ 名古屋南︶ 鈴木 梅子 天 地 の いま 美 し く 虚 子 忌 来 る 知 浜 名 湖 に白 波 立 て る 田 植 か な 人 ︵ 安 城︶ 漆 あ り し か た ち に花 の屑 安 城 ︶ ︵ 蓮 如 忌 の読 め ぬ真 筆 拝 み け り 伊藤 八千代 網倉 和江 柏本 白雨 二晴 瀬戸 一 寺尾美津子 寺尾 重治 宮川 早首 大村すよ子 首 傾 げ 歩 く 芹 田 の鳥 か な ︵ 岡 崎︶ 大村 菅水 棚 の藤 灯 り て外 は 未 だ 暮 れ ず ︵岡 崎 ︶ 招 か れ て葺 く も 仏 縁花御 堂 ︵岡 崎 南 ︶ ︵ 横 須賀 ︶ 雨降 れ ば う す ら 寒 し よ 菖 蒲 切 る ︵ 焼 津︶ 初 鰹 さ げ て師 を 訪 ふ朝 晴 れ て ︵ 焼 津︶ 古 雛 に 灯 か げ 寂 し き夕 かな 熱 海︶ ︵ 春昼 を病 む子 と し ば し ま ど ろ め り ︵ 富士吉田︶ 落 ち て行 く 夕 日 静 か な 桜 か な 甲 府︶ ︵ 花冷 え や 独 り 歩 き に ま だ 慣 れ ず 阿部 雨声 背 に き く 雀 の 雛 は か へり た て ︵ 横 浜︶ 畠山 政吉 城 主 墓 貧 農 垣 のす み れ 草 ︵ 横 浜保 土 ケ谷 ︶ 野 仏 の お も て 流 る る春 の風 本 堂 の 裏 に 池 あ り 夷 ︵ 横 浜東 ︶ 辛 ︵ 横 浜南 ︶ 花 ︵ 東 京 銀座 ︶ 小林 清志 住川 エトナ 古橋 桂花 岩城 茂生 日塔 二斗亭 東 風 吹 き て火 の島 男 出 払 ひ ぬ ︵ 千 倉︶ 関谷 止有 敷 藁 に は や 蔓 が 伸 び 西瓜苗 ︵東 京 南 ︶ グリー ンに乗りしポー ルを 蝶 が 追 ふ ︵浦 和 ︶ 祗 王 寺 の 道 標 あ り 遅 桜 ︵ 千 葉 ︶ 越 川様 々子 山本 千代 三 柾 の 花 や 札 所 の白 障 子 ︵ 浦 和︶ 中村 素径 新 茶 買 ふ こ と も 心 に買 物 に ︵ 千 葉︶ 山本 岳南 降 り だ し て心 残 花 に残 し来 し 老の日 を 残 花 を 惜 み 居 し と ころ ︵ 八 日市 場︶ 咲 きき つて散 る も ま じ か し 夕 牡 丹 山 口依久子 接 木 す る人 院 患 者 と は見 えず ︵ 前 橋︶ 岸 善志 春 塵 と し て 小 手 毬 の花 層 も 春 宵 や 唄 へば 思 ひ 出 づ る 歌 詞 ︵ 栃 木 ︶ ︵ 自 石︶ 鈴木 晴 天 鈴木 貞 桜は や 散 り は じ め し と 書 き 送 る ︵ 宇都宮東︶ 篠原 巴石 鵜鳴 い て 林 道 日 さ す こ と も な し 2 ツ丼︶ 佐藤 鴻禾 春 暁 の 蒲 団 を 蹴 つ て往 診 す 自 石︶ 鈴木 綾園 ︵ 心 ゆ く ま で 城 山 の春 惜 む ︵ 自 石︶ 帰 朝 子 に 母 の手 料 理 木 の芽 和 残 雪 の お 釜 を 頂 よ り 眺 め ︵ 自 石︶ 鈴木三枝子 客間 よ り 茄 子 苗 床 の 見 え て 居 り 星野 ニ ユ子 仙台北︶ 山田 千女 ︵ 春 光 を 教 る 櫂 先 を 潮 垂 る る ︵ 八 戸︶ 大沼 古燈 花 馬 酔 木 く ぐ り 寛 の水 走 り 札幌南︶ 上野ただし ︵ 湯 け むり ののぼ り て 行 く や 春 の 山 ︵ 倶知安︶ 一円 黒石 春 日を呑 めば真 白 き山 な り し ︵ 倶知安︶ 一円 卓子 植 木 屋 の 一坪 テ ン ト 花 の 雨 ︵ 室 闘︶ 塩谷 芳子 大き さ に ふ り か へる 月 春 め け る ︵ 函 館︶ 阿部 善治 く ら がり の着 き た る 宿 に 木 瓜 白 し 選 後 に 柚道 に女遍 路 のひとり ゆく 鶴 我 春 樹 美 し い淋 し い絵 のやうな句 であ り ます 。 この 一 人 の女遍 路 の心を いろ いろ と想像 し て行 き ます。 た だ ひたす ら に歩 いてゆく のか、家 の ことを 思 っ てふ っと今 のわ が身 を如 何 に考 へたり し て ゐ る か、 唯 々心細 くな つて いる か⋮ ⋮等 と、 想像 出 来 て行 きます 。 この原句 の下 五字 は、 た だ ひとり、 であ った のを、 ひ とり ゆく、 と動 的 に添削 しま し た。 よく味 は って御 覧 下 さ い。 一、締 切 毎月二十日必着 投稿規定 一、投句数 五句以内 一、投稿は僣書 のこと。 THE ROTARY‐ NO‐ TOMO 72 星 野 立 子 選 鹿児島西︶ 衛藤右二郎 ︵ 春 の泥 バ スのろ の ろ と 来 て 止 ま り ︵ 小 林︶ 岩下 鳴堂 さ ら さ ら と茶 漬 掻 き こ み 機 夜 な ペ ︵ 宮崎西︶ 田崎 茶山 広々と植 田 と と のひ暮 れ ゆけ り ︵ 熊本南︶ 藤井 年子 は や 孫 の 一 年 生 や 机 置 く ︵ 大 分︶ 小手川世規 海展 ら け つ つ じ が 燃 ゆ る 信 号 所 甘 木︶ 鶴我 春樹 ︵ 拙 道 に 女 遍 路 の ひ とり ゆく ︵ 豊 前︶ 平田とき子 温 泉 煙 の 一す じ な び く 花 菜 畑 ︵ 豊 前︶ 桜井かず子 藤 房 の懸 る山 路 を バ スに揺 れ ︵ 豊 前︶ 渡辺 夏人 茶 畑 の中 な る墓 地 の読 経 かな ︵ 八 幡︶ 上野 椋花 花 冷 や残 り し酒 をあ た た めむ 広 島︶ 内田 柳影 ︵ 蔦 鳴 い て審 れ ゆ く 島 の夕 若 葉 笠 岡︶ 岡本 一草 ︵ 花 の 雨 つ い て 陶 焚 く 煙濃 く ︵ 倉 敷︶ 三宅 弓浦 杜氏 の 妻 遍 路 と な り て 立 寄 り し 境 港︶ 菅原なぎさ ︵ こ の 島 の み や げ と 云 へば 牡 丹 苗 ︵ 松 山︶ 酒井 宝川 植 樹 祭 愉 し 山 路 の 遅ざ く ら 走 り 花 の 灯 来 の し 花 見 一 つ 揺 の ら げ 客 り ︵ 松 山︶ 宿 ︵ 松 山東︶ の 雨 ら ぐ ︵ 今治南︶ ば 皆 揺 漁場 監 視 灯 の 見 ゆ 八 十 八 夜 か な ︵ 新居浜︶ 吾が 杖 の 騎 ゆ ら ゆ ら と 蜘 蝉 の 水 ︵ 新居浜︶ 入学 児 よ う や く 慣 れ て 夏 め け り ︵ 新居浜︶ 崖藤 に す れ す れ 通 る 温 泉 の バ ス 観音寺︶ ︵ 春 暁 の 又 も 軒 打 つ雨 となり 琴 平 ︶ ︵ 関 定 村上 暁峰 岡田 杏畝 深見 稲青 田中 国朗 山内 十夜 宮本美作女 井 上ちか子 富森 双温医 米倉沙羅女 米倉 明司 小汐 大里 尾根 を ゆ く 遍 路 に 朝 の 藤 か か り 高 松︶ 景山 札 ︵ 丹 頂 の 或 は 雪 に 羽 博 け る ︵ 高 松︶ 山下 一 二仏 石 段 を 且 つ 降 り 登 り 朝 桜 ︵ 小豆 島︶ 苗 市 の 人 出 に も ま れ つ つ遍 路 ︵ 小豆 島︶ ︵ 小 豆島 ︶ 石垣 に 貼 り つ き バ ス を よ け 遍 路 ︵ 豊 岡︶ ど つと着きし娘 ら にはなや ぎ 汐 干 潟 由利 五郎 通 勤 の 汽 車 着 く 駅 の桜 かな ︵ 豊 岡︶ 富森 春子 暮 れ な ん と 京 の 山 並 花 の旅 ︵ 豊 岡︶ ︵ 竜 野︶ 石原 ふさ江 大 木 の 桐 の 花 み ゆ 高 々と ︵ 篠 山︶ 西尾 野水 温泉 加減 も遠 う ぐ ひす も快 く ︵ 篠 山︶ 山本 景川 夏 近 し 噴 水 の 音 水 の 色 行き 過 ぎ て ま た も ど り 買 う 桜 餅 竜 野︶ 湖川 輝 一 ︵ 満 開 の 花 の 駅 あ り 関 ケ 原 ︵ 明 石︶ 円山美津子 山下 素水 堀川 炭舟 長 多賀女 峡 深 く 落 人 部 落 さ みだるる ︵ 明 石︶ 長 面葉愁 虚子 の句 の時雨 帳 あ り 虚 子 ま つ る ︵ 明 石︶ 修 理 な る 山 門 入 る や花 吹 雪 ︵明 石 ︶ 大 雨 の 鴨 川 踊 初 日 か な ︵ 宝 塚 ︶ 伊藤 良水 土井 敬子 観 潮 船 大 き く ゆ れ て渦 に入 る ︵ 神戸東︶ 森本 青耕 貸 馬 に 乗 つ て 砂 丘 の春 の風 ︵大 阪 ︶ 新 緑 の丹波路 を行 く牛車 かな ︵ 田 辺︶ 野瀬 鶴寿 松田きみ子 今 朝 も 亦 花 に 誘 は れ裏山 ヘ ︵ 大阪東︶ 米村 知耕 萩 焼 の さ ら の湯 呑 に新 茶 か な ︵ 大阪南︶ 酒井 規 子 沈 T の 香 る 家 と て道 案 内 ︵ 近 江 八幡 ︶ 清 ら か に 老 ひ 給 ひ た る 朝 寝 かな ︵七 尾 ︶ 松元 桃村 湖 の 色 変 り 変 り し花 曇 り ︵ 彦 根︶ 隅野 泉汀 珍 し く 雄 琴 の 晴 れ て鴨 の宿 小 浜︶ 村田 秀朗 ︵ 鎖 戸 の軋 り て は 木 瓜 花 こぼ す ︵ 金沢東︶ 古市 水破 散 る 花 を 惜 み つ つ訪 ふ 寂 光 院 暖 か し 縁 に掛 け れば 人 も来 て ︵ 高 山︶ 白川志づ女 焚 火 消 し ふ し ん 場 ひ そと蓬 の香 ^ 岐阜南︶ 満畑 冨美 御 忌 僧 の法 話 の合 を 日 向 ぼ こ ︵ 桑 名︶ 佐藤 益女 川 風 に芽 柳 も つれ 吹き上り 花 に 酔 ひ 客 に も よ ふ て老 の 日 々 73 ロー タ リー の 友 -7月 号 室 た全 ロー タ リア ンにお知 らせ した き美談 か とも存 LETTERS TO 同期生 の人生 は既 に後半期 に入 りま した 。 しかれ どもか つて一族郷党 の期待 を担 い選 ばれ た る者 の R 。 T ︲ D E 談 じます .20幾 春秋逝 くもの は既 に水 の女口く,私 等 誇 りと未来 に対す るひたぶ るな祖 国愛 に燃 えて 市 ケ谷 台 に集 い学 び し頃 の,眼 をパ ツチ リと色 白 , で 桜色 の双頬 に輝 く童顔 の黒江保彦君 の りりしさ は,殊 の外 ,私 の印象 に深 く,士 校卒業 以来 ,兵 馬盗 惚 と,終 戦 後 の公私多忙 に取紛れ,つ いぞ再会す べ き機運 を失 って,い ま彼 と幽明境 を異 に した こ とは私 に と りま して も, また悲 劇 で あ る ことを感 じます 。同君 の郷里 で あ る鹿児 島 にお け る葬儀 は 表面 は親族 葬 で あ りま したが,実 質的 には50期 生 葬 で あ り,武 人 の最後 は坊 さん の読経 よ りも,む 同期 の星 としてRCへ 感謝 宮津 しろ “海行 かば 'で との 同期生 の意見 が容れ られ , 日]1 健吉 4月 号 の「友 」 を拝 見, 目次 の友愛 の広場 を見 た とき,一 瞬 ハ ッと私 の視線 は西尾 RC田 中正太 先生 に よる “黒江 司令 の こと"の 一文 に引 きつ け 出棺 は「 海行 か ば」 の合唱で送 られ た ので あ りま す 。 … 『 せ めて空 の上 で死 なせ たか った一― と は人 情 で あ るが, しか し平生「俺 は,た とえ不可 抗力 で あ って も,絶 対 に空 で は事故 を起 さな い」 と豪語 していた彼 の心情 か らすれ ば,あ るいは こ られ ま した .切 々た るそ の愛惜 の辞 を読 む につけ て も,脈 々 として胸 うつ そ の清純 な誠 心が秘 め ら れ で よか った ので はないか と思 う ジエ ッ ト機乗 りで あ る以上「 平生在戦場」 の覚 れ,か つて 彼 と同期 の星 の一員 た りし私 は,感 激 悟 は,常 に胸 に秘 めてお られ た ことが,母 堂 や未 亡人 に も うかがわれ,わ が親族 なが ら,嗜 の深 さ 措 く能 わ ず,早 速 そ の記事 のかか げ られ てい る 「友」 を御遺族 に贈呈致 した次第であ ります 。特 に ロー タ リア ンを対 象 とす る「友 」 の編集御 当局 が世上 とか く批判 と冷視 を浴 せ られ つつ あ る旧職 業軍人一一 自衛官 に関す る記事 を堂 々 と全 日本 の . に頭 の下 る思 いが した .母 堂 も既 に76歳 ,故 人 の 分 まで親孝 行 したい と念 じたい』 とは親族代 表 と して謝辞 を述 べ られ た故人 の従兄 で あ り同期生 で あ る帖佐宗親君 の所懐 で あ ります 。 ロー タ リア ンに御 紹介賜 りま した ことに対 し士校 50期 の名 において衷 心 よ り御礼 申 し上 げます 。 以上充分 に意 を尽 し得 ませんが,西 尾 RC田 中 先生並 びに ロー タ リーの友編集御 当局 に対 し,謹 特 に黒江君が数少 き航空 出身 の 同期生 中,歴 戦 生 き残 りの一人 であ り,か つ 常 に現 自衛隊 に於 て ジエ ッ ト機 の名 パ イ ロ ッ トで あ り,名 リー ダ ーで んで感謝 の微衷 を捧げ ます 。 , 遺族 に対す る退職金 もほん の些少 に過 ぎず,見 る にみかね たあ る米軍 の将校 がか つての恩讐 の彼方 を越 えて そ の遺児 の一人 を預 り,米 国留学 の面倒 を見 る との 申出 があ った とか,そ の 国際的友情 ま アイ メント販売) 韓 国 の戦 災孤児 に援助 を あ り,か つ悲劇 の死 を とげた12月 5日 の一 ヵ月後 に行われ る定 期異動 で空将補昇進 の 内定が既 に な され て あ った ときで もあ り,本 当に残念で たま り ませ ん .現 自衛隊 の予算 は極 めて シ ビアであ り (セ 人吉 青木 竜 太郎 4月 の「友」 は,小 林元第 一 副会長 の御 肖像 が 表紙 に出 ま して,誠 に立 派 な ものに な りま した。 ポ ールハ リス さん の御 肖像 も折が ご ざい ま した ら 何 か の頁 にお 出 し頂 けば幸甚 に存 じます .小 生は 「友 」 の好 きな ところ (ガ バ ナ ーの頁 友愛 の広 場 随筆 ロー タ リー美術館 な ど)「 友」 を解体 THE ROTARY_NO_TOMO 耐t ”周 ‐ ヨ ytth豊 して,美 術館 は美 術館 だけ とい う風 に製本 して机 の脇 にか ざっていたい と思 っていま した。またそ れ 迄 はそ うして い ま したのに,昨 年 の人吉地 方大 木害 の時,た またま熊大病院 に入 院 して居 りま し たため,蔵 書 の全部 とい っし ょに水没 しま して残 念 に も流失 して しまい ま した。その後 の 「友」は毎 月大切 に ま とめて保存 してお ります .良 く読 んで い るつ も りで す けれ ど,老 年 ボケで しょうか,す ぐ忘れ て しま うのが玉 に瑕 とで も申せ ま し ょう . さて, 3月 末頃 で ご ざい ま したか,NHKの 現 代 の映 像で,韓 国 の,た しか ノ ウルで理 髪業 を営 川崎 RC創 立 15周 年記念式典が去 る4月 23日 , り‖ 崎商工会議所 でガバナー,パ ス トガバ ナー, 来賓 など多数参会 して盛大に開 催 された 写真は祝辞を述べ る柳瀬パス トガバナー む永松 とい う女 の方 のテ レビを拝 見 しま した .女 の手 一つで, それ も独力で韓 国 の戦争孤児や親 の が,寄 附 を他 クラ ブに呼 びか けた り, 日本 中 の ク ラブや韓 国 の クラブに呼 びか け る ことは「友」 と い な い子供 を, それ も30数 名,理 髪業 を営み なが してはで きな い ことに な ってい ます ら育 ててい るその姿 を拝見 して涙 を流 しま した 永松 さんは, 日本 に来 て 各方面 に訴 えて 300万 円 . の援助 を懇願 され たのですが,終 に 目的 を達 し得 ず,お 帰 りに な ったのですが,小 生 それ を見 てい て, この人 に こそ ロー タ リー クラブは援助 の手 を さしのべ るべ きだ と存 じま した。 韓 国 の ロー タ リー クラブ会員 が 何人 居 られ るか 知 りませんが, 日本 と韓 国 の ロー タ リー クラブ会 員 が一人 100円 ず つ差 し上 げれ ば,永 松 さん の 目 的 は充分 達 せ られ るもの と私 は確信 します 。 で,各 クラブはそ の地 区内 の仕 事 をを主 に してや る ことに な ってい ます ので, この よ うな計画 を他 の クラブに呼 びかけて もなか なか実 行 が困難 で あ る とい う経験 を持 ってい ます 。 しか し結構 な こと と存 じます ので,順 序 として貴地 区 のガ バ ナーに 御相談 い ただ くのが一 番 いい と存 じます 以上私 の個人的 な意見 として御礼 に代 えて 申 し 上 げます 一人 の ロー タ リ 御検許l下 さい ま の こびで い ば望外 よろ ご すれ ざ ます 。 疎噌販売 ) シ ス タ ー ク ラ ブ の結 成 鎌倉 RCと 彰化 RC 第 359区 鎌倉 RCは 第 345区 の 中華民 国,台 湾 省彰 化県 の彰 化 RCと ,去 る 6月 の第 1例 会 日に 上 記 に対する回 答 「友」委員長 湯浅 恭三 「友」 の ことで いつ も御心配,御 教 示 を賜 りま こ とに有難 く御礼 申 し上 げます .殊 に この度 は御親 切 なお手紙 をい ただ きlal係 者 一 同感 謝 してお りま す .ロ ー タ リーの規則 とい た しま して,一 つ の地 区内 の クラブの ことで す と, そ の地区 のガ バ ナ ー の了解 , もし他地 区 の ことです と国際 ロー タ リー 会長 の了解 を得 る ことに な ってお ります 。勿論 よ い仕事はで きるだけ会 員 が積極的 にす べ き で す ロータリーの友-7月 号 その よ うな ことを考 え る方 もあ りますが,実 行 に 移 す ことが非常 に困難 な=l千 情 な ので す .御 承知 の よ うに ロー タ リーは 各 クラブが 独立 しています の . 「 友」誌上 で呼 びか け てみ て lra如 何で し ょうか 。 それ とも各 クラ ブの国際奉仕 委員会宛 に呼 びか け られ て もよろ しいか と存 じます ア ン として意見 を具 申 しま した 御提案 の よ 々 こと の お は時 うな 話 を聞 き,叉 外 国 クラブで も シス ター クラブ結成成立 の宣言 を行 な った .両 R Cは これ に よって,両 国 の親善 を更 に深 め るべ く 幾多 の計画 を実行 しつつ あ る _ 広島東南 RCと 台 中 RC 第 369区 広 島東南 RCは 第 345区 台湾 の台 中 R Cと 去 る 5月 21日 ,シ ス ター クラブを結成 した。当 日,広 島東南 RC会 長,幹 事は台 中 RCで の結成 式典 に出席 し, これ に よって将来 ,両 RCは 相協 力 して平和親善 に尽 力す るに とどま らず,技 術援 助,文 化交流 に貢献 したい と誓 いあ った。 75 口づ リ ー:美術 館 大阪市立博物館 大 阪 三 品 彰 英 OsOkO Municip● l Museum: Mclrking the 70:h clnniversclry of Oscko Cily,the museum wos estclblished on 1 0c,o ber 1960. Emphosis is ioid on ihe his,ory of lhe cily. And il disploys o number Of obieC'S on the civilizotion of Osok● ond ,he his,orico: obiec,s from Jomon Period to dclte. 当館 は大 阪市東区 の大阪城址本丸 の 旧地 に位置 し, 日本で は珍 らしい純 然 た る歴 史博 物館 で あ り ます 。建物 はか つて大阪市民 が陸軍 に師団司令部 として寄付 した もので,戦 後 は進駐軍 に接収 され ついで 国警本部 に転用 され ま したが,昭 和 35年 市 民 の要望 に こたえて郷 上 の歴 史博 物館 として再 出 発す る ことにな りま した .半 地下 1階・ 地上 3階 延べ6948平 方米 の 内部 を大改造 しま した .展 示 内 民俗芸能 の 4部 に分れ 考古・美術 工芸 。 容 は歴 史 。 , に一般化 して御土 産人形 にな りま した。技 術的 に 高級品 であ るばか りで な く,幼 児 の愛 らしさを独 自の フ ォル ムに よって気品 のあ る ものに してい ま す . ・ 文 楽か しら一― 傾城 (け いせ い) 文楽 は大阪 に発 達 した人形芝 居 で,現 在 も興行 をつづ けてい ます 。当館 は郷土 の文化財 として 200余 の「 か しら」をは じめ文楽関係 の諸資料 を収 , 学芸員 12名 が分担 し,1階 2階 は常設展 .3階 は主 と して年 間数回 の特別展 に当てて い ます 。また特 に 集 して い ます 。特 に 「 か しら」の 中 にはその古 さに おいて,ま た出来栄 えにお いて珍重すべ きものが 2階 は小 中学生 に もわ か るよ うに大 阪 の通史的展 少 くあ りませ ん 。 この傾城 の 「 か しら」 (壇 浦兜軍 記 の阿古屋 )は 初代吉 田玉造氏 旧蔵 の品で,名 作 で あ ります .傾 城 とは遊里 で最高位 の大夫職 の呼 示 を試み,2階 3階 は特定テ ー マ の もとに専 門的 な 立場 で展観 して,出 来 るだけ多 くの人 々に理 解 で きる よ うに努 めています ここに写真 紹介 を しま した の は,民 俗芸能関係 の展示資料 です び名であ ります .文 楽 の 「 か しら」は能面 とは異 り ニス チ ックな ところに庶 ーマ ヒ ュ が顕示的で 表情 民性があふれ てい ます . . ・ 小袖一一 自麻地松風村雨模様 江戸 中期 の夏小袖 で,自 麻地 に藍 で型 染 め し 一部 に匹 田手法 の貿 り染 めを交 え,そ の上 金糸な , ど五色 の色 糸 で入念 に刺繍 をほ どこした精 巧 な も ので す 。 李雲口 ]ij:⊆ │ 蠣兒 物 館 ・ 御所 人形一一 大 持 御所 人形 は数多 い 日本 の人形 の王座 を占めてい ます .最 初京都 の町 の人形師か ら宮廷や公家 に納 め られ た ところか ら大 内人形 と呼 ばれ ,江 戸時代 76 ところ 。大阪市東区馬 場町 大阪城 内 TH[ROTARY‐ NO‐ TOMO 守 ・ 夕 o . ヘ マ ・ ・ 鷲 ︺ ´I警 ︹ 糞 ︵I ´ 、事 ヽ 磐 サイ 十 予 1粍 ギ ざ 手 l〔 欝 ′ ん 崚 │ ・ 11,ご ぃ ■ ■ ■ 'ご , 、 _1, l .3∫ ∼ r.貯 r‐ 11 │′ 1麻 地松風村 ll文 様振 FII 「 く i卸 li′ 、│ │'tl i) fi :t / t 623-ffi fr ElIa>f,IY ● レイ ン用 の 脇 下 をネ ッ トに 雨 中の プ レイが さわやか に楽 しめ ます レイン・ ジャケ ット Y2.400か ら _ ′´ ●ネ今を若 々 しくデ ザ イン Yか です 芝 ′1の 市tr乍 の riに 映 えて無 . ●イ 更春Jな サ ブ ・ 7tiケ ッ ト ボールマーカー、カー │、 テ ィーの1キ 歩 きに スラ ンクス Y2.500か ら ●袖 ・ 両 サ イ ドに ス ト レ ッチ 微 妙 な か らだ の IJき を助 け ま す ら Y900か 半袖 ボ ロ シ ャツ … こ の行 枚 の 店 ・テ ー ト で カ ップ 印 と ご 指 ド さ ぃ ● ゆ った り と した 袖 ロ こなせます スイングをll lJげ ずラク ● 雨 を シ ヤ ッ ト・ ア ウ ト フー ト、ヵ hlの 部 う )を 尤 1二 i‖ `ヽ フードつきレイン・ジャケ ット │二 r午 長 袖 ポ ロ シ ャツ ー Yl 100か ら Y2.300か 饉●:萎 :撃 : 大 阪 本 店 。淀 屋 橋 1l Iん i[と ブく り リ ヤ ':11ナ │´ i、 東 京 支 店・神 田 小 川 町 1り 場 ‐山支litり lt l叫 J li場 ‐ lfrサ IIり lt ら l キ丼暑 警 丼 キキ普 警 * *キ キ 普姜 暑 丼半 暑 暑キ 帯 警 キ 丼 米 半 キ丼 丼 警 米 姜 米 丼米 催莫③ 一 回 の 撮影 で 一 ・ 生 気 に満 ちた * * * 0芸 術の香 り高 い ・ 迫真 の 肖像 * * * 功労 賀寿 _ * * 叙勲 受章 等の ご記念像 写真はロー タリー創始者 ポール・ ハ リス 氏 の像 1935年 当社 にて撮影製作 * * * * * 下 記各百貨店美術部 にお いて ご注文 を承 ってお ります * ○ 今 井 槻 * * * 東京日本橋 高 善与屋 漱 高 島 屋 * * * * * 東 京・ 銀 座 松 東 京・ 銀 座 松 坂 屋 名 古屋 松 坂 屋 屋 tf *H^tilq t n * 大 阪心斉橋 大 丸 tffi }L +h 小倉 ヨ三 屋 福 岡 玉 屋 佐世保 ヨ三 屋 * {< * * * * * * * * *._ * * __… tF tT {& t& t$ tT .re {F * * * * * tt * 立体口 写‖lけ 会社 真±像1斗株 式 下 口■o平 L, ・ * t+.rF ´ 井 ― ‐目 ‐川 .-1'・ “ ―――地 ′ 口'…品 区南′ 大― 東 都 i` 京 ・4丁 ―12番 ― `` ‐―― ― 58 ・ 16 ´ 電・ 話 東' ・ 京・ 761--27 ― 40 * ti tg * * * t+ t+ t+ * t&.t+ re * * *f+ t( Portloript by Rotsty-NeTomo Editorial Coomitteeoon 子 の心 親が 知 る 委 員 の言 葉 「 友」 地 区委員 山 ノ 井 雄 総 山) 椰 「 友」 はガバ ナ ーの機関紙 で あ り,啓 蒙機関 であ るが ,ま た,会 員 自身 の 同人誌で もあ り,対 外的 先 日,田 舎 の結婚式 に よばれ ての雑 談 中,あ る 老婦人 か ら「結婚 して一人前にな った と思 った ら 大間違 い,子 供 を もたな い と駄 目です。 子供 が成 な PR誌 で もあ る.こ の多 目的 の重点 の方 向 で編 集 も違 って こよ う.ま た委員 は地方 の ロー タ リア 長 して息子 は嫁 さんを貫 い,娘 を嫁がせ て始 めて 一人 前 です よ」とい う意味 の事 を聞 か され ま した ンが 何 を考 え何 を注文 してい るか とい う地区委員 . つ ま り家庭 の 中で,一 人前 の人間 に な るので さ 本来 の任務 を忘れぬ よ うにす る こと。 (65'8月 号) ロー タ リー運動推進 の役 目は「 友」 力ゞ そ の一 翼 え も,い ろい ろな経験 と修養 を重ね なけれ ば駄 目 だ とい うことで あ りま し ょう を引受 けねばな らぬだ ろ う。 そのため内容 も半 ば . この婦人 の言葉 の 中には,家 庭 内 のやわ らぎ と クラブ会報的 な性格 か ら脱皮す る必 要 が あろ う . 子 に対す る躾 けがに じみ出て, ロー タ リーで云 う 「 相手 の身 に な って」 とい うことで,親 の心 は子 (66'2月 号) が知 り,子 の心を親 が知 るな らば,そ こに は心温 る楽 しい家庭 が出来 るの も, もっともな事です。 現今何げな しに 目に映 るもので,理 くつ は正 し い よ うに思 われ るの だが ,主 張す るものや,権 利 や行動 の 中で,何 だか納得 しが た い ものが 多 くな ロー タ リア ンは 各地域 の代表的 な立派 な人であ った よ うに考 え られ ます り,そ の精神 は先ず家庭 に向 って発揮 され , 自分 の職 業 を通 じ地域社会 に及 ぼ し,ひ いて は全 世界 へ と発展 されね ばな らな い と考 えます。 . 人間 は動物であ る 猿 は動物であ る。 故 に人 間は猿 であ る . 今度, ロー タ リー歴 も浅 い私 に友 の地区委員 の 役柄 が まわ って来 ま した。 ロー タ リーの内容 を知 と云 った よ うな三段論法 な らば誰れ で もそれ は 間違 いで あ るとわか りますが ,案 外 この理 くつ が れ ば知 る程 ロー タ リーの偉大 さを感 じ,井 の 中 の 蛙大海 を知 った とい うよ うな気持 で あ ります。 通 っていて,行 動 に うつ した りす る青年 が居 る し 私 も うっか りと行動 をす るか もしれ ません , . 一人 よが りな「友」 の地 区委員 には な らな い よ う,諸 先輩及 び ロー タ リア ン各位 の御指導 や ら 「 友」 の使命 は次記 の通 り前委員 の方 々が見解 を 述 べ てお られ ます , 御忠告 をお願 い 中上 げ る次第であ ります 。 . 第 370区 専門委員 吉 (伊 丹) 専門委員 郎 (山 口) 夫 簾 木 南) 東京都千代田区丸の内 3丁 目4番 地 替 口 1の 12 座 東 京 原色 版 印 刷 (日 刷 行 369区 阪) 印 発 第 (大 専門委員 [ 下 藤嘲 368区 貞5(名 古屋西 ) 。 3 1 第 副 委 員長 月 月 365区 昭 和 41 三 河 森 佐 第 恭 長 360区 昭 和 41 7月 号 年 年 第 振 取 引銀 行 東 京 三 井 銀 行 丸 ノ内支 店 東 京都 新 宿 区 市 谷加 賀 町 印 刷 所 大 日本 印 刷 82 井 永 尾 田 一 湯 本 一 榎 平 富 山 右 口"タ リーの友編集事務所 パ ス トガ パ ナ ー 路 岡 山 生 京 崎 委 員長 釧 盛 秘 桐 東 川 御椰喜輝け 晏 男 雄作 行夫 峨 区 区 区 区 区 区 嵯熊 山森 森 肥 第 第 第 第 第 第 ロー タ リ ー の 友 委 員 会 委 員 第 4巻 第7号 一 浅菫好賢敏道 月刊 ロー タ リーの 友 良ド (東 京 ) 思 泰 (大 京北 阪 北 寿 (東 京東 (東 ) ) 石ビル7階 )電 話 東京 (211)7717 18620番 半 七印 刷 頒価 110円 THE ROTARY_NO‐ TOMO ) ョ ー ロ ッ パ σ)50者 5市 を 直 結 パ リヘ の 直 行 便 エ ー ル フ ラ ン スの ジ ェ ッ ト機 が 東 京 ∼ パ ソ エ ー ル フ ラ ン ス の ヨ ー ロ ン パ 詢九空 網 は パ ソ iい た し て お り ま す 。 週 71■ で 直 子」 を中′ じヽと し て 糸 従横 に ひ ろ が リ キ ャ ラ ベ ル を 'ザ ジ ェ ッ ト機 力゛ヨ ー ロ ッ パ の 50都 市 を 毎 週 北極 回 り 週 2便・ 南 回 り 週 5便 1,500使 で 糸」 ;ん で お り ま す 。 世 界最大の航空網 ロ フ「 … 騨ト 隷 東 京 大 阪 名古屋 福 岡 (501)6331。 (584)1171。 (202)6326。 (541)0540。 (77)6442 J乳闘И■Иσ 7FMFEST 全 米 で最 も人気 の 高 いポ ンテ ィア ック .ノ ポ ンテ ィア ック の イ ン タ ー ミデ ィエ ー ト“テ ンペ ス ト"は 、手 頃 な外 形 寸 法 な が ら、 ル・ サ イ ズ に 新 しいル ー フ・ ラ イ ン は よ り大 型 車 の 外 観 を形作 り、室 内 の 広 さは フ 匹 敵 します 。 ・ ボ デ ィ・ サ イ ドの彫 刻 的 な ラ イ ン は ス ポ ー ツ・ カ ー 的 な要 素 をひ め 、 フ ロ ン ト グ ・ ン は優 ドー 美 イ ウ した。 リア ン され ま イ に新 し くデ ザ リル は よ り広 く見 せ る た め よ に た 速 機 ン れ 自動 変 と優 V8エ ン ジ に カ ー ブ して空気 抵 抗 を減 ら しま す 。強 力 な い ま は ・ 、 ズの ンテ ポ ィア ック リス ム ー ズ で強 力 な加 速 力 が得 られ ます 。 フル サ イ ー と ー や車 の性 格 、構 造 、形 態 、性 能 、 そ の 他 す べ ての 点 で ア メ リカ乗 用 車 の リ ダ な り、他 車 に 多 大 な影 響 を与 え て お り ま す 。 ア メ リ カ大 型 車 の リー ダ ー“ポ ンテ ィア ック "を ぜ ひ あ な たの 車 に 日英 自動 車 の シ ョー・ ル ー ム に お立 寄 り下 さ い 。整 備 され た車 が あ な たの ご試 乗 を ,′ お待 ち して お ります 。 ポ ン テ ア ッ ク・ア カ デ イ ア ン・ トヨ ペ ッ ト MG。 モ ー リス ・ ウ ー ズ レー 日共自動 車林 J( り イド 千 イヽ 日llえ 永 i〔 ラ イ レー ・ デ ム ラー TEL (581) 6 7 │‖ IL 需亭 ﹃﹃′ ■き岬 ニロ 豊 かな食生 活 をリー ドす 鶴明 信 シユ く東 洋 一 の 規 模 を 誇 る 明 治 =L業 市 川 工 場 , の 輝 か しい 伝 統 の 成 果 て 明治 品 や卓 越 あ る =L業 す くれ た 牛 乳 ・ =L製 日本 全 国 て認 め られ した技 術 は 明 ,し 業 (よ 日 本 ,舌 躍 し て い ま す の ,し 業 産 業 の リ ー タ '台 ー と して 日本 全 国 に 26の ,し 製 品 工 場 ・ 22の 市 ,L 工 場 を も っ て い ま す よ り豊 か な よ リイ 建月辱な く ら し つ く りの た め に 士を静 売 け て に`ま す 4■ 日 も 奉 イ 明 j台 ゴ ー ル 明 ,台 コ ナ 明 j台 ド 牛 手し ミ ノし ク ア イ ス ク リー ム 明 治 ハ ター・ チ ー ス バ 明 '台 イ ゲ ン C 9月 オ…プンの 浜松シ…サイドゴル フ 写真ルボ 設 ::卜 …R・ C会 11-村 [il‖ 十 if i:J …… … 設 言I‖ Чl 「 1蓼 …… … ……/Jヽ キ′ li li… …戸 lII建 設 R oC ttil …り」HI"『 i之 助 ヽ4印 月 田{ま T言 己′ 言 羊糸 晨 Fさ い 東 海 開 発 観 光 `や 株 式 会 社 本 社・磐 田市 中泉 246 1 ― TEL磐 田 1217281-2 東 京連絡所 。東 京都 千代 田区大手 町 1 3 (産 経 会館 m分 □ 日 1 ) TEL、 270 6 9 4 0 7月 9月 メ ン バ ー 募 集 開 始 (6月 芝 張完 了後 オープン ) 世界 の一流車 を売 る… CAD:LLAC ■ BUICK ■ VAUXHALL ■ 塁 謄 鷹 :‖ :鰹 1:雪 :目 :… TEL 452-43H(大 代) ■ ヤナセ・ネットワーク vOLVO(北 ::L("″ " 欧 ) 支 店 出張 所 :札 幌・ i森 ・ 仙 台 。東 京・ 横:■・ 横 須 賀・ 静 岡 。名古 屋・ 一 宮 ・ 大 阪・ 福 岡・ 北 九 州 l・ 持約販売店 :Jl路 旭川 帯広 Jし 見 盛岡 秋田 山形 水戸 高崎 熊谷 千葉 東京 湯河原 長野 :松 本 新潟 富山 金 沢 岐41京 都 神戸 岡山 広島 J‖ 口 松山 高知 徳島 高崎 鹿児島 FmST HAME Ⅲ ‖R00‖ Ⅲ刊OⅢ ‖G― キ ヤ リア が お 役 に立 つ 季 節 で す 製 作 販 売 ※各 都 市 に於 け る冷 房 の 絶 対 必 要 な 日数 *設 計 施 工 Xや 呼 夢 口 奪 ヤ リ ア 東 洋 キ ヤ リア エ 業 株 式 東 京 都 中 央 区 日 本 橋 本 イf町 会 社 4-2 (三 井 第二 別 館 )電 話 270-9411(大 代 表 ) 幌 仙台 .東 京 名古屋 大阪 高松 広島 IE同 長崎 キし 式会社 清水建設 土目 水 康 雄 社 店 本 支 東 京 都 中 央 区 宝 町 2ノ 1 名 古 屋 。大 阪 。広 島 ・高 松 岡 。金 沢・ 仙 台 ,札 幌 福 新 し い 技 術 ・ 誠 実 な 施 エ 古 い 伝 統 i可 建設 取 締 役 会長 鹿 島守 之 助 取 締 役 社 長 渥 美 健 大 本 社 ●東 京 都 中 央 区 八 重 洲 5 3電 話 。東 京 (281)大 代 6311 支 店 ●札 幌 ・ 仙 台 ・ 横 浜 ・ 名 古 屋 ・ 大 阪 ・ 広 島 ・ 四 国・九 州 海 外 出 張 所 ● イ ン ド ネ シ ア ・ シ ン ガ ポ ー ル・ イ ン ド 東 京 三 多 摩 に お け る ロ ー タ リア ン経 営 の 不 動 産 業 者 あなたの住宅建設 用地 に (広 告 ) 会社工場 の用地 に 多 摩 の 清 流 と武 蔵 野 の み ど りに 囲 ま れ た 三 多 摩 地 区 は東 京 都 の奥 座 敷 で す タ 八 ラ ブ 王 名 所 辰 子 守 屋 次 信 岡 部 高 梅 榎 戸 米 東京武蔵野 山 本 東京武蔵野 田 中 東京府中 青 金 東京府中 堤 不 動 産 株式会社 厚 (有 二 郎 井 小 郎 )守 屋 商 会 在 八王子市 f4町 35 八王子「F中 町 1 大 陽不動産株式会社 国分 寺 市国分寺 2548 吉 榎戸産業 株 式 会 社 青梅市青梅 1213 信 吾 山本 興 業 株 式 会 社 武蔵野市古祥 キ南町 1-6-2 鎮 之 田 中興 業 株 式 会 社 武蔵野市緑町 1-5-25 吉 野 亥 之 太 郎 府中開発 株 式 会 社 府中市ri水 力丘 1-8-3 た 府中市新宿8139 井 ま 上 (有 )田 土 不 動 地 産 中不 動 産 商 会 0422(44)7251 0423 (61) 6427 0425 (4)2667 調布 J国 領 187 0424 (82)7311 ア タ ロー タ リア ン 氏 名 丸 富 ホ テ の 旅 ン 経 営 営 ル 業 所 所 在 1電 地 秋田県 森岳温泉 姫 の 湯 ホ テ ル 阿 部 郎 秋田県 八幡平村湯瀬温 孝 三 秋田県 八幡平村湯瀬温 清 大 館市 大滝温泉 湯 瀬 ホ テ ル 関 千 歳 ホ テ ル 滝 沢 渡 辺 昭 男 男lJL市 アキ タニ ュー グラン ドホテル 渡 辺 綱 彦 秋田市上手長町末丁21 号 話 番 森 岳(代 )2311 鉄 Jヒ 簿 絋鵠 館 名 柑 弄 6。 響具館 東京 案 内所 (833)0086 京案 内所 (352)1451∼ 2 東京案 内所 浦湯本 (352)1451∼ 2 秋 田 (代 ) (2)5561 ヽ)3 鳴 子 ホ テ ル 高 橋 正 夫 官城県 鳴子温泉 1島 子 横 屋 ホ テ ル 熊 谷 一 彦 宮城県 鳴子温泉 1島 ― f (rヽ )55 (イ 台案 内所 (22)4213 台案 内所 (22)3864 東京 案 内 所 ホテ ル 館 木 村 宣 金 太 夫 ホ テ ル 木 暮 金太夫 乃 小 りII 栄 竹 上 水 屋 司 三 東 京 ステ シ ョンホテ ル 大野屋築地支店 「 箱 大阪 案 内 所 東京案 内所 群馬県 伊香保温泉 (729)7430 京案内所 千葉県 鴨川海岸 東京都千代田区 丸 ノ内 2の 1 野 恵 司 東京都 中央区築地 4の 14 山 本 信 吾 i青 鈴 木 幾 蔵 甲府市 湯村温泉 事務用 2751 ニ ューグ ラン ド 野 村 光 正 横浜市中区山下町10 (68) 1841-7 明 府 根 館 津 三 昧 水市馬走256 (631)8563 (631)8908 (231)2511 大 有 国 (241)4481∼ 3 (692)7795 群馬県 水上温泉 消水 (2)3189 甲 府 (2)0361 館 蓑 島 清 夫 小田原市国府津1322 国府津 2155 荘 石 村 幸 作 神奈 川県箱根湯本256 箱根 井 の ljlボ ー リ ン グ セ ン タ ー 内 (44)7251 東 京 案 内 lJr (572)l1931∼ 2 わ721 “ ― 松 の 坂 屋 湯 本 店 富 士 屋 ホ テ ル ホ テ ル さが み や 小 川 恵 也 神奈川県箱根塔 ノ沢90 箱根 石 倉 久 四郎 神奈川県箱根強羅 1300 箱根 υ2471 松 坂 康 神奈川県箱根芦之湯46 箱根 O16511 石 村 喜 作 神奈川県箱根仙石原1284 箱根 山 口 堅 吉 神奈川県箱根宮 の下 天 野 弘 之 神奈川県湯河原623 浜 田 禎 介 (81) 3531 榛 葉 喜 量 (81) 3651 15わ 331 14お 521 (572)1265∼ 6 (631)3947 大阪案 内所 河原2121(本 2131(新 東京案 内所 (271)8540
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