癌特有の糖代謝に関わるスプライシング異常

 上原記念生命科学財団研究報告集, 27 (2013)
112. 癌特有の糖代謝に関わるスプライシング異常
田沼 延公
* 宮城県立がんセンター研究所
薬物療法学部 がん医科学講座
Key words:代謝,発がん,Pkm,スプライシング
緒 言
近年,がん形質やがん幹細胞性維持における代謝の重要性が明らかになってきた.がんにおける代謝的特徴は数多く
存在するが,中でも,その根幹をなすのが,解糖系の亢進である.がんにおける嫌気的解糖系の構成的亢進は,ワール
ブルグ効果と称され,他経路の改変とともに,代謝再プログラム化を腫瘍細胞にもたらす.最近の研究から,腫瘍細胞
の増殖や,抗酸化ストレス耐性獲得における代謝再プログラム化の意義が明らかにされつつある.がん化に伴う代謝再
プログラム化において,中心的役割を果たすイベントの一つが,解糖系律速酵素の一つ,ピルビン酸キナーゼ M
(pyruvate kinase M:PKM)のアイソザイム変換である.PKM には,M1 および M2 が存在し,これら二つのアイソ
フォームは,選択的スプライシングによって作り分けられている.これらの発現は,発生や分化,発がんに伴ってダイ
ナミックに変換する(PKM スイッチ).例えば,分化・成熟細胞では M1 を多く発現するのに対し,未分化・増殖細胞
と,そして,ほぼ全ての腫瘍細胞は M2 型を特異的に発現している.がん細胞における M2 型 PKM の特異的発現が,
ワールブルグ効果形成に必須であり,そのような代謝改変を介して,低酸素環境への適応性を高めていることが明らか
にされている 1).また,酸化による M2 活性抑制を介した,細胞内 reactive oxygen species(ROS)のホメオスタシス
も明らかになった 2).このように,がんにおける PKM の意義に関する知見は急速に蓄積しつつあるものの,それら研
究のほぼ全ては,既にがん化した細胞株を用いたものであり,発生や発がん過程における PKM スイッチの意義は明ら
かではない.その解明には,正常(がん化していない)細胞を用いた解析が不可欠であり,本課題では,PKM スイッ
チを不可能としたマウス・細胞モデルを開発することで,当該問題点の克服に注力した.
方法および結果
1.遺伝子ターゲティングの手法を用い,PKM の選択的スプライシングを M1 型に固定し,細胞のスプライシング制
御の如何に関わらず,M1 を発現し続けるよう施したマウス embryonic stem cell(ESC)を作製した(図 1 A).元来,
ESC における PKM は,M2 が,圧倒的優位な発現アイソフォームとなっている.しかし,M1-knock-in(KI)-ESC
(M1-KI ESC)では,期待通り,M2 発現が半減し,代わりに M1 発現が回復していた(図 1 B).このとき,M1 と M2
を合わせた PKM タンパク総量にはほぼ変化が無い,という点は重要である.細胞の PK 活性を測定すると,親株は,
M2 型の活性を示した.即ち,親株の PK 活性はもともと低く,fructose-1,6-bis-phosphate(FBP)添加によって,大
きく上昇した.一方で,M1-KI ESC は,FBP の有無に関わらず,高い PK 活性を示した(図 1 C).このような活性パ
ターンは,M1 に典型的なものである.KI 変異をヘテロにもつ M1-ESC が,ほぼ完全に M1 型の活性を示すことは予
想外であった.PKM の多量体形成について解析を行うと,M1 と M2 がヘテロ複合体を形成し,その複合体は,M1 型
の性質を示すことが明らかとなった 3).
*現所属:宮城県立がんセンター研究所 がん薬物療法研究部
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図 1. ノックインによる Pkm スイッチの固定化.
(A) Pkm ノックインの模式図.野生型アリル(WT)からは M1 と M2,2つのアイソフォームが生じるのに
対し,ノックインアリル(M1-KI および M2-KI)からはいずれかのアイソフォームしか生じない.(B)野生型
およびヘテロ M1 ノックイン ES 細胞における PKM アイソフォームの発現を,ウエスタンブロット法にて調べ
た.(C)野生型およびヘテロ M1 ノックイン ES 細胞抽出液のピルビン酸キナーゼ活性を,FBP 存在下および
非存在下にて測定した.
2.M1-KI ESC から,定法に従って,M1-KI キメラマウス,そして,ヘテロおよびほぼ M1-KI マウスを作製した.マ
ウス組織における PKM の発現を調べると,期待通り,ヘテロ,ホモの順に M2 発現が減少し,代わりに M1 発現が増
加していた.ホモ M1-KI マウスでは,M2 の発現がほぼ完全に無くなっていることが確認できた(図 2 A).予想に反
し,ヘテロおよびホモ M1-KI マウスは,ほぼ正常に出生・発育し,雌雄ともに繁殖可能であった(図 2 B).ところで,
生殖細胞系列伝播が確認できたことからも確認できるように,M1-KI ESC は,通常の培養条件下では,多分化能を保
持したまま増殖可能であり,増殖速度にも,親株との間で有意な差異はみとめられなかった.しかし,フィーダーフリ
ー培養を行ったところ,明らかな表現型異常が現れた(図 2 C,D).M1-KI ESC では,親株よりも細胞増殖が遅かっ
た.また,未分化性を失い易く,leukemia inhibitory factor(LIF)存在下での培養に関わらず,自発的に分化した細
胞の出現頻度が,親株よりも有意に高いことが分かった.すなわち,M1-KI ESC では,その自己複製能が減弱してい
ることが明らかになった.
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図 2. M1-KI マウス・ESC の性状解析.
(A) M1 ノックインおよび対照マウス脾臓における PKM アイソフォームの発現をウエスタンブロット法によ
り調べた.
(B)ヘテロ M1 ノックインマウス同士の交配による産仔の,離乳時における各遺伝子型の分布.
(C)
ヘテロ M1-KI ESC のアルカリホスファターゼ染色像.(D)フィーダーフリー培養時の増殖曲線.
3.M1-KI に続いて,同様に,M2 型発現カセットを内在性 Pkm アリルに挿入した ESC(M2-KI ESC)を樹立した.
この M2-KI ESC を用いたマウス作製にも取り組み,高キメラ率のキメラマウスを複数得ることができた.
4. M1-KI マウスから mouse embryonic fibroblast(MEF)を採取し,その不死化実験を行った.ヘテロ・ホモ M1-KI
MEF および対照に,Simian vacuolating virus 40(SV40)ラージ T 抗原を導入したところ,いずれの MEF も不死化
することができ,その効率にも大きな違いはみとめられなかった.しかし,継代による不死化を試みたところ,ある種
の培養条件では,ホモ M1-KI MEF は,他 MEF と比べて,より長期の培養期間を要することが分かった(図 3).
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図 3. 継代による M1-KI MEF の不死化所要日数.
ヘテロ・ホモ M1-KI MEF を単離し,継代による不死化実験を行った.不死化に要した日数をグラフに示した.
考 察
本課題では,発生や分化,発がんに伴う PKM スイッチを不可能としたマウス・細胞モデルの開発に取り組んだ.そ
の解析は,まだ緒に就いたばかりであり,引き続き,より詳細な解析が必須であるが,M1/M2-KI ESC および KI マウ
ス由来細胞は,発生や発がんプロセス等における PKM スイッチの意義を解明するにあたり,極めて有力な解析系とし
て活用されると考えられる.少なくとも,in vitro における KI ESC,あるいは KI マウス由来細胞の解析では,生化学
的および生物学的異常がみとめられたことは,PKM スイッチの重要性を十分にうかがわせるものである.特に,ホモ
KI マウスが繁殖可能であったことから,他遺伝子改変マウスとの交配も行いやすく,今後,個体レベルでの“がん代
謝研究”等への貢献を強く期待できる.
共同研究者
本研究の共同研究者は,宮城県立がんセンター研究所がん薬物療法研究部の坂本良美,島 礼,野村美有樹,奈良女子
大学大学院人間科学研究科の渡邊利雄,国下悠理,岸本綾子,松本祥子,京都大学再生医学研究所付属動物実験施設の
近藤 玄である.最後に,本研究に御支援を賜りました上原記念生命科学財団に深く感謝いたします.
文 献
1) Christofk, H. R., Vander Heiden, M. G., Harris, M. H., Ramanathan, A., Gerszten, R. E., Wei, R., Fleming, M.
D., Schreiber, S. L. & Cantley, L. C. : The M2 splice isoform of pyruvate kinase is important for cancer
metabolism and tumour growth. Nature, 452 : 230-233, 2008.
2) Anastasiou, D., Poulogiannis, G., Asara, J. M., Boxer, M. B., Jiang, J. K., Shen, M., Bellinger, G., Sasaki, A. T.,
Locasale, J. W., Auld, D. S., Thomas, C. J., Vander Heiden, M. G. & Cantley, L. C. : Inhibition of pyruvate
kinase M2 by reactive oxygen species contributes to cellular antioxidant responses. Science, 334 :
1278-1283, 2011.
3) 田沼延公:発がんにおける PKM スイッチ─意義と分子機構. 実験医学増刊 がんと代謝, 曽我朋義, 江角浩安
編, 羊土社, 東京, 30 : 42-47, 2012.
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