Document 621727

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130カ 国 以 上
二お い
て 60万 名 以 上 の 人 々
が 13,000強 の ロ ー タ
リー ク ラ ブ に所 属 し
て い る .国 際 ロ ー タ
まこ れ ら ロ ー
リ ー とこ
ラ ブの連 合
ク
タ リー
体 であ る
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.
ロ ー タ リー ク ラ ブ は
地域社 会の実業 界 お
よび専 門職 業 界 の 代
表 的 な人々に よつ て
構 成 さ れ て お り ,毎
週 昼 食 または 夕食 を
共 に しな が ら会 合 し
てい る
他 人 に 対 す る思 い や
り と助 力 を 奉 仕 の 理
想 と して 、 ロー タ リ
ー は 友 情 を 拡 め ,地
域 社 会改善の事業 に
加 わ り ,実 業 界 お よ
び専 門職 業 界 に お け
る道 徳 水 準 を 高 め 国
際 理 解 と友 好 そ し て
平 和 を増 進 す る実 際
的 手 段 を提 供 す る も
の であ る
_
最 初 の ロ ー タ リー ク
ラ ブ は 1905年 ア メ リ
カ .イ リ ノ イ 州 ,シ
カ ゴに おいて結成 さ
れ た .ロ ー タ リ ー と
い う名 称 は 当 初 会 合
場 所 を輪 番 に 変 え て
い た と こ ろ か らつ ι
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ら れ た もの で あ る
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NEWS FROM ROTARY INTERNATIONAL
THE OFFICIAL PUBLICAT10N OF THE 350,352′
360, 361,365`368`369′
370′
353′
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DISTRICTS OF ROTARY INTERNATICNAL
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エバンス トン便 り……………………●
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ガ パ ナ ー の 買… … … … … … … … … … … … … … … … … 46
椎 茸 について … … … … … … … … … … …農学博士 森 喜作 4
夏から冬へ………………………… 田 館 伊部政次郎 3
国際 ロー タ リーの確立 忘れ得ぬロータリアン・8… ………………… 8
友
愛
の 広
場 ……… …… …… …… …… …… …… …… ……・11
「 杞憂」 を読 んで
プー タ ンヘ ヨー ド剤 を贈 る
京都・ 北山杉
北 山杉 の 故郷 は周 山街道 にそ った山映 中
川 で ,清 滝川 をは さむ斜面 に ,幹 を技打
ち され て ,丁 度傘 の 様 に上方だけ こん も
りと茂 ってい る 杉 は 日本 の 特産 で秋 田
北部 ,高 知の魚梁瀬 な どの天然林が知 ら
れ てい るが .北 山杉 は,宮 崎 の 弁 甲丸大 ,
東京 の 足場丸太 とな らび ,日 丸大 として
名高 い。紺 がす りに タスキの女性が赤砂
で丸太 を磨 く風景 は ここな らではの もの
だ.
カ メラ
山下 喜 久 雄
Our Covcr of Thir Monlh rhow! c€oor!
lnown or Kitoyomosugi growing thicl
qt Kilqyomo in Kyoto. Anong mqny
ador paoducing oaco! of lhi! nolion
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norfhcrn porl of Alifo Prcf, Klfoyoho
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of ilr ccdcrs good for'urc in interior
dqcorolionr.
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米 山記念饉建設 について
海 外旅行10の 教副
学 生交 換が取 りもつ 縁
女 子社 員だ け の 銀 行
韓国 IC旅 行団 の 訪 日
照顧 脚下
職業奉仕 の人 柏崎 植木豊太君
八 幡
薗 沢
沼津北
京 都
浜 松東
松 山東
熊 本
和歌 山東
松本兼 二 郎
河井 元 京
遠藤永太 郎
西村大治郎
加藤 恒七
二 宮 源兵
樋 口 欣一
岡 道 固
ロー タ リア ン誌・ 9月 号予告 ¨¨¨¨¨・
・¨…………
・・……・…¨¨¨
・33
・…………………………・ロータリアンtよ り。
・
・34
孤 独 と友 情 と社会 と・
新
RC誕
生… … … … … … … … … … … … …
38
ロー タ リー分布図・ 告知板 ………・
・¨¨……・・……・ …………¨¨………42
イ ン タ ー アク トこ くちばん・ ……………………………・……………………45
近代科学への職業奉仕 沖り‖とt共 冽く…………………………………29
サ ー ビス・ ニ ュー ス
………………………………49
ロータリー美術館・毛 利博 物館 … ¨… …… …… …… …76
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FIFCE
第358区 交換研究派遣団報告………東京北 浦田成蔵…64
第365区 交換研究派遣団報告………大阪北 奥村龍三…65
ロ ー タ リー間 答 …… …… …… …… … … … … … 57
●‐タ リ‐・ フンダ"フ オ "グ ルについて 熊本増永茂巳君に関く…61
健康の頁・動脈硬化の治療 ……成人病センター 戸山靖―…
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ロー
……………
タ リー俳ち
夢…………………
THE ROTARY‐ NO‐ TOMO
SEP, 1967 VOL。 15 No.9
・
69
……・
談 話 室 …… … … … … … … … … … ・70
この頃思 うこ と…………………………… …… …… 水 戸 大田 浩…82
か ら冬 ヘ
函館 伊 部 政 次 郎
8月 も半 ばを過 ぎる と,北 海道 には秋 を飛び越
えて冬 の気配 が ひそか に,か す か に忍 び寄 って来
る。 そ して私 は一抹 の淋 しさ と孤 独 を感 じなが ら
心 の安 らぎを覚 え る.1ヒ 海道 に暮す様 にな って約
ドシ ドシ会 員 に選 んで差 支 な い と信ず る。
社会生活 の成 立 と発展 には協調 と親 睦が基礎条
件 で あ る こ とを充分 知 つてい る人達 の間 に も,色
々の面 でた えず抗争 が起 って社会 を不安 に して い
30年 ,第 2の 故郷 とな って了 った現在 では,涼 し
い夏 の北海道 よ りきび しい冬 の この土 地が却 って
るのが現状 で あ る.そ の原因は “自我 "と “他我"
との衝突であ る.競 争 の激 しい現社会 に於 いて は
好 きに な って了 った.30年 前 には粗 雑 で素朴 で茫
漠 として い た北海道 の風物 も,近 頃 では大変 内地
或 る程度 の利害損失 の衝突 も,人 と人 との抗争 も
避 け られ な い現 象 で あ る.ロ ータ リーの “超我 の
奉仕 "を 評 してそれ は実 現出来 ないユ ー トビアの
化 して札幌 まで の所謂道南 地区は殆 ん ど内地 と違
わな くな り,北 海道独特 の風景 は僅 か に道北 ,道
東 地区 にのみ残 され る様 にな った。 最近北海道 ヘ
の観光客 が頭打 の傾向 だ とい われ るが ,そ れ はあ
なが ち過去 の不況 の故 ばか りで はな くて ,北 海道
特有 の風物が次第 に失 われ つつ あ るこ とに,内 地
の人 々が失望 を感ず る様 にな ったか らではあ るま
夢物語 だ と批評す る人 もあ る.然 し私 は或 る意味
で は夢物語 か も知れ ぬが ,ロ ータ リア ンが常 にそ
の夢物語 の理 想 に少 しず つで も近 づ こ うとた えず
努力精進 す る こ とは実 に尊 い こ とで あ って ,ロ ー
タ リア ンが誇 りとす べ きで あ る と信 じて い る
ロー タ リーを評 して大人 の幼稚園 とい う人 もあ
.
いか と思 ってい る
るが ,私 は この批 評誠 に結構 と喜 んで うけ入れ て
広漠 な土 地 に人 口はまだ 550万 足 らず で あ るが
ロー タ リー人 口は 1万 人 当 り6.03人 で 内地 の各地
区 に比 して第 一 位 で あ る.こ の点 は北 海道 の ロー
い る。 1週 間 に 1回 僅 かな時間 と雖 も利害関係
権 力関係 を忘れ て集 ま る こ とは心 の安 らぎを得 る
.
タ リーは大 いに発展 してい る と誇 って もよい
ロー タ リア ンの量 と質 とい う問題 が屡 々話 題 に
.
な る.ロ ータ リーは絶 えず 永久 に発展すべ きで あ
るこ とは論 を倹 たな い事 であ るが ,人 の少 な い土
地 で量 と質 との調 和 を保 ちつつ ,た えず発展 せ し
めて行 くこ とは中 々骨 の折れ る こ とで あ る。 ロー
タ リア ンの質 とは何 を意味す るか.従 来 ともす る
とその都市 の大会社 ,大 商店 を業種 の代表 と見倣
してそれ か ら会 員 を選ぶ傾向 があ った。 ロ ッジ会
,
こ と,従 って相互 の親睦 を少 しず つで も増進す る
こ とは限 りな い価 l●
Lと 意 義 があ る と思 ってい る。
私 も市井 の世俗人 の一人 で あ り,時 には人 と対立
し腹 も立 つ こ とが あ るが ,私 はそ の都度対立 した
人 ,ま たは腹 を立 てた相手 の心 境 に思 い を致 して
考 え直 して見 る と殆 ん どの場合私 の腹立 ち,対 立
感 が消 えて了 う。 私 を評 して ,不 愉快 な顔 を見 せ
た こ との な い好 々爺 と人 は い うが , これ はけ っし
て年 の故 ばか りで な くロータ リー精神 に よって
,
長 もい われ る様 に “TO get personally involved in
Rotary"の 趣 旨 に添 うな らば会 員 を選ぶ場合会社
常 に相手 の立場 に立 って 物事 を考 え直す修養 を し
てい るか らで あ る.ロ ータ リー歴 30年 近 くな って
少 しは ロータ リーの真髄 を理 解 出来 た ので はな い
商店 の規模 の大小 よ りもむ しろ,た とえ小規 模 で
あ って も,会 員 として ロータ リーの理 想 を充分理
か と喜 んで い る.ロ ータ リーの道 は遠 くて呆 て し
がな い.遅 々 として いて も歩 ,一 歩 ,不 断 の努力
解 し,自 らが ロー タ リーに没頭 出来 る人 で あれ ば
ロ ー タ リー の 友 -9月 号
を忘れ な い様 に と考 えて い る.
ルサ ー)
ぃスト
3
茸
に つ い て
徳川家康 が,名 護屋 で茶会 を開 いて 貿易商
貿易品の第 :号
作
神屋
宗湛 を招 い た時 の献立 に もあ り,当 時 の盛儀 ,盛
椎茸 は 日本書記 や今昔物語 な どによ る と,古 く
か ら食 用 とな ってお りま した。
曹 洞宗 の開祖
一
ユロ
森
農学博士
道元 禅師 (1200∼ 1253)が 記 した
『 永年元 禅清記』 に今 か ら 700余 年前,慶 元 府 (中
宴 の懐石料理 には,必 ず椎茸 が使 われ てお りま し
た。
薬としても貴重な椎茸
国浙江 省寧波)の 船 の 中 で 日本 の商人 と椎茸 の取
引 を した一 説が載 ってお ります。
椎茸 は貿 易品 としての創始第一号で もあ り,ま
椎茸が単 な る嗜好品 では な く薬効 が あ る とい う
記録 は,今 か ら 600余 年 前 の中国,明 の時代 の医
家
呉瑞 とい う人 が『 椎茸 は気 を益 し,飢 えず
,
た昔 の文明文 化 を 日本 に導 入 した の も椎茸 で あ っ
風 を治 し,血 を破 る』 と書 いて あ るの を見 て も判
た とも言 えるで し ょう
ります
.
.
ポル トガル ,ォ ラ ンダ の商人 が ョーロ ッパ ゃ支
椎茸 は,古 く支那 では不老長寿 の妙 薬 として貴
那 の商品 と椎茸 を物 々交換 して,そ の椎茸 を支那
重が られ て いま した。 す なわ ち精気 を益 し,中 風
に売 り込 む三 角貿易 で あ りま した.そ の当時 は鉄
の予防 と治療 の薬 として今 もって脳溢血や肝臓病
砲や火薬 が盛 ん 1/c交 易 され ,殊 に藩制時代 に は椎
や糖尿病 の漢方薬 の中 に椎茸 が刻 んで入 ってお り
茸栽 培 を隠密裡 に直営 で行 い,ま たは専売制 を布
いて集 荷 し,専 ら火器の入手 に力 を入 れ た の で
ます。
す。
最近 の東北大学 の金 田博士 ,カ ル ホル ニャ大学
のパ ブ リックヘル スのエマ ー ノ ン博士 の動 物実験
現在 ,椎 茸 が茶 の三 倍 を遥 か に上 回 る 700万 弗
によれ ば,椎 茸 は血 漿 中 の コ レス トロール を低下
余 の輸 出額があ り,農 産物中輸 出 の王 座 を占めて
い るのは 由あ るか な と言 えま し ょう。 また椎茸 が
させ るの に不思 議 な成分 を持 ってい る と報告 して
お ります。 そ してその成分 は水 溶性 で あ るので 乾
高 級食品 で あ ったので藩 の財政 を豊か にす るため
椎茸 を水 に浸 した時 に出 る茶 褐色 の水 の 中 に含 ま
専売 制 を布 い た り,輸 送税 を課 した りす る程 の重
れ て い る との こ とで す。 で すか ら椎 茸 を浸 した水
要産 業 で あ ったので す
は捨てな いで調理 に加 え るか ,煮 沸 して飲 む よ う
高級 の食品 としての記録 は,秀 吉 が衆楽 第 に後
陽成天皇 の行幸 を仰 い だ時 の献立 に もあ り,ま た
に しなけれ ばな りませ ん
.
4
.
厚生 省林野庁 の技官 と民間 の農学 ,工 学 ,医 学
THE ROTARY_NO― TOMO
椎茸菌糸のH結 婚
の20数 名 の権 威あ る学者 に よって結成 され た椎茸
研究会 で は,看 護婦 さん によ る人 体実験 を行 い
しま うこ とが判 りま した
2週 間 の間 に血 漿 中 の コ レス トロール を平均 17%
米糠 よ りも胚芽 米 よ りも ビタ ミン Blの 含有量 の
程度低 下 させ た と報告 してお ります
肉食 を多 く取 る欧米人 は コレス トロール に よる
多 い,す なわ ち 100g中 ビタ ミン Blを
成人病 (動 脈硬化 ,高 血圧 ,心 臓病 )に 日夜悩 ま
され て い るの で ,彼 等 には椎茸 は欠 くべ か らぎる
とで し ょう
,
.
食 品 とな りま した.ま た,我 国 に於 て も食 生活 が
向上 して成人病 が多 くな りつつ あ るので ,他 山の
石 とせず ,椎 茸 の常 用 をお 奨 め い た します。
また椎茸 の 菌櫂 (ひ だ)の 部分 に 30 cmの 距離
に 3ビ トンの紫外線 を数分 当てれ ば,椎 茸 中 の エ
ル ゴステ ロール が ビタ ミン D21/c変 り椎茸 の僅 か
lgの 中 に 4001U国 際単位 (成 人 一人 当 りの 日
光浴 の一 日の必要量 )の ビタ ミン D2が あ るこ と
.
これ か らの乾椎茸 は乾燥方法 を改良 しますので
上 含 まれ て い る乾 椎茸 が売 り出 され るの も近 い こ
.
四つの性の異なった胞子
椎茸 には人 間 に男女 の性別 があ るよ うに,そ の
胞 子 には 雌雄があ って,人 間 とは違 って四 つの性
即 ち四極性 とな ってお ります
椎茸 の傘 の裏側 には綺 麗 な放射状 の沢 山 の菌櫂
あ って,そ のひだの両 側 に胆子基 とい
(ひ だ)カ ミ
う無 数 の小 さな棒状 の ものが 附 きます.そ して そ
の先端 に四つの柄が出来 ,そ の先 に四つ の性 の異
が分析 に よって立証 され ま した
スモ ッグの多 い工 業都市 , ビル 生活 を余儀 な く
った胞子 が附 きます。
され る大都市 の人 達や ,パ キ ス タ ンの よ うに 日射
以上 に達す るので す。
.
の強 烈 な地方 で , 日中厚 い土 壁 の家 の中 にい る人
達 ,生 れ 出 る幼児 の拘悽病 の予 防 の ための妊産婦
等 には,椎 茸 はまた欠 くこ との出来 な い食品 で あ
ります
.
また数 ヵ月前 の報告 で すが ,椎 茸 の 中 にはチア
ミナーゼ とい う酵素 があ って ,生 椎茸 の 中 には沢
山 の ビタ ミン BIを 含 んで い るので す が,乾 椎茸
に乾燥す る時 の温度 (20℃ ∼30℃ )で 破壊 され て
ロ ー タ リー の 友 -9月 号
37 mg以
そ して一 つの椎茸 か ら飛 び出す胞 子 の数 は一億
そ の胞子 の飛 び出す構 造 や仕組 に至 っては造物
主 ,神 の偉大 さを痛感 させ られ ます
.
椎茸 胞子 を滑走 させ空 中 に舞 い上 らせ るため の
傘 の流線型 の構 造 は,少 しの風 で も,ひ だ の中 の
胞子 を傘 の上面 の上 昇気流 に乗 せ る作 用 をいた し
ます。
そ して そ の胞子 を山風 に乗 せ ,山 風は この胞 子
を更 に季節風 まで も運 び上 げ るので す
.
5
時 には台風 に よ らな くて も,春 の中緯度季節風
せ てや る と,何 千万 の胞 子 の 内で , とんで もな い
は九州 の椎茸胞子 を遠 く中国 の福州 ,桂 林 ,昆 明
ところの二 つの胞子 が発芽 して,平 行 に並んで ラ
ンデ ブー を始め,遥 か に胞子 群か ら離れ た誰 もい
まで も運 ぶ こ とが 出来 るので す。
椎茸 の生長 をつ か さ どる生 長点 はひだ の中 に あ
な い所 で H状 に結合 い た します。
って,ひ だは必 ず 垂 直 に正 し く下 るよ う に 保 た
れ ,ま た流線 型 を した傘 は,正 し く水平 に保 たれ
るので す
菌学 では H結 婚 といい ますが ,は や り言葉 の エ
ッチは この辺 か ら出 た のか も知れ ません。
(写 真参照)
.
ひだの中 の一 組 の胞 子は四 つ の性別 に少 しづ つ
丁度 ,夏 の盆踊 りで た くさん の男女 が踊 って い
遅れ て完 熟 します。 そ して飛 び出す時期 は別 々で
る中か ら,気 の合 った男女 が手 を と り合 って森の
暗 が リヘ 走 り去 る風景 と,あ ま りに も似て い るの
決 して雌雄 が一諸 には飛 び出 しませ ん
.
風が吹 きます と,そ の 風 の方向 と一 致 したひだ
(沢 山 の放射状 に並んだひだがあ ります が)の 中
の胞子 だけが飛 び出 します が,そ の一 群 の胞子 は
雌だけか或 い は雄 だけな ので す。
で す か ら一 つ の茸 または一 群落 の茸 同志 の胞子
は結 婚出来 な い仕 組 にな ってお ります。
椎茸 も近 親結婚 を避 け種族維持 の原則 を守 って
い るので す
.
ランデブ"す る椎茸
で ,交 配中 ,何 か軽 い嫉 妬 の よ うな もの を覚 えま
す
.
椎茸の原産地
終 りに,私 の学 位論文 の大要 を述 べ て見 ま し ょ
う
.
菌類 には異 品種間 に拮抗現象 が見 られ ます
茸 類 も菌類 の仲間 で す か ら,青 徽 が 出す ,抗 生
物質 が肺 炎菌 を殺す よ うに措抗現象が当然見 られ
ます。
また面 白 い こ とには,椎 茸 も人 間 と同 じよ うに
そ して同 じ椎茸 同志で も長 い世代 を経 た,す な
好 き嫌 いが あ り,生 意気 に ラ ンデ ブー もす るので
わ ち群馬県 の椎茸 と静 岡県 の椎茸 とを同 じ培 養基
す。
中 に対侍培養 (一 つ の器 の 中 に二つの 菌 を培養す
群馬県 の小野上村 で 発見 した秋 出 の地方品種 は
多産 系過 ぎて形 が小 さい欠点が あ ります。
る こ と)を します と,そ の接触す る菌叢 の間 には
明 らか に措抗現 象 が見 られ ます
.
また,千 葉県 の鋸 山附近 の 地方品種 は,春 出 で
そ こで 日本全 国各県 を踏査 して沢 山 の地方品種
大 き く厚 肉ですが,数 が少 な い欠点があ ります。
の 菌糸 を集 め ,そ れ ぞれ を対侍培養 して得 た措抗
そ こで ,こ の二つ の品種 を交 配 して春秋出で ,し
現 象 を地理 的 に調 べ
か も大 型で 多産 系 の優良品種 を作 ろ う と,丹 念 に
マ イ ク ロマ ニ プレーター顕 微鏡下 で ,両 品種 の雌
ば)そ れ らの拮抗現象 の少 な い方向 が ,地 球 上 始
(も し原産地か らの椎茸胞子
々
が 谷風 ,山 風 で 徐 に分布 した と仮定 す る な ら
雄 の胞子 の一組 を一 箇 づつ取 出 してか け合 せ を し
めて椎茸 が 誕生 した原産 地 の方向 で あ り,措 抗現
て も,な か なか思 うよ うには発芽 して くれず ,ま
゛ ゛
た発芽 して も くず くず して結合 を一向 に して くれ
象 の全 くな い地点 こそが ,そ の原産 地 で あ る との
ません
相手 が気 に入 らな いのか ,フ ァース ト・ イ ン プ
レ ッシ ョンが悪 か ったのか,結 婚 を拒否 いた しま
す
結論 を得 ま した
.
そ こで実験 の結果 に も とづいて ,そ の 原産地方
向 を尋ねて見 ます と,九 州 の南端 の鹿児島 に当 り
ま した
.
しか し,な お胞 子 の飛散す る時期 の 3月 及 び10
.
そ こで ,集 団見合や集団 結婚 の よ うに,両 品種
月 に常 風 の方向が南 か ら吹 いてい るので ,船 で南
の沢 山 の胞子 を一 つ の寒天培 養基 に落 して発芽 さ
の 島 々を尋ねて見 ます と,奄 美大島 の 湯湾岳 に原
6
THE ROTARY‐ NO‐ TOMO
筆者紹介 明治41年 生,昭 和10年 京大農学部
卒,同 年森食用菌輩研究所 を設立 して椎茸の
研究 に専従,今 日に至 る この間,椎 茸の純
粋培養菌の発明,人 工我培 の成功など多 くの
静 かで快 適 な
お部 屋 を /
業績 を残す.現 在,森 産業 KK社 長, 日本椎
茸農業協同組合連合会会長,桐 生RC会 員
産 地 と思 われ る地方品種 を発見 い た しま した。
この 原産地 の椎茸胞子 が 台風 に吹 き飛 ば され
,
日本 列島 ,韓 国,台 湾,中 国等 の 各地 に広 く分布
した こ とが想定 され たのです。
そ こで ,再 び台風が奄美大 島 の湯湾 岳の胞子 を
比較 的新 しい年代 に 日本 列島各地 に落 した と思 わ
れ る地方品種 を探 し歩 きま した
.
そ して,岐 阜県 の三和村 に夏で も良 く芽 を発生
させ る地方品種 を
ルームサーモスタ ッ ト
室内温度口節器
T473形
.
静 岡県 の井川村 に傘 の色 の明 るい綺 麗な椎茸 ,
しか も,そ の収量 の抜 群 に多 い地方品種 を
.
群馬県 の小野上村 に,秋 だけ発生 す る地方品 種
を
.
熊本県 の人 吉市 の 東方 の 山中 に,中 国の北江 の
椎茸 に酷似 した傘 の 白色の地方品種 を
北海道登別 の カルル ス温泉 で秋 だけ発生す る地
方品種等 を発見す る こ とが出来 ま した
.
そ して ,そ の いずれ の地 方品種 も,奄 美大島 の
湯 湾岳 の 菌叢 との間 に,拮 抗現象 が極 めて少 な い
山武 ハ ネ ウエ ル の ルー ムサ ーモ ス タ ッ トは
お部屋 の温 度 を コ ン トロー ル して、 いつ も
静 かで さわや か な雰 囲気 をつ くり出 しま九
ファンコイルユニ ントや イ ンダクシ ョンユ ニ ッ ト
の 中 に小形電動弁 (V4043、 V4044)を 組 み込 ヘ
サ ーモス タッ ト (T473形 )と 結線 すれば、直 ちに
冷暖房 の 自動運転 がで きますか ら、経済 的で、健
康 的です。
山武 ハ ネ ウエ ルは総合オー トメーシ ョンの
トップメーカー と して産業 か ら家庭 まで広
く活躍 して い ます。 自動化 の ことな ら何 で
もお問 い合 わせ ください。
こ とを実験 し,奄 美大 島が地球上 は じめて,椎 茸
の生 えた原産地 で あ るこ とを実 証 出来 たの で あ り
ます
.
椎茸 の原産 地 を発見 したお陰 で ,色 々の品種が
発見 また改良 され ,今 日では一年 中春夏秋冬 いか
な る季節 で も,椎 茸 が 発生す る品種 ,す なわ ち春
ロンデルベンセット ウェザーセクレタリー ラウンドサーモメータ
山武ハ ネウエルの卓 上温温度計はハ イセ ンスの贈物・記
念品 として最適 です。
出,夏 出 ,秋 出 ,春 秋 出,冬 期 促成 用品種が出来
ま した
そ して,現 在 で は四季 を通 じ, どこの八百屋 の
店頭 に も,生 椎茸 が,人 類 の健康 と幸福 とを約 束
す る如 くに,並 べ られ るよ うに な りま した。
ロ ー タ リー の 友 -9月 号
本社 東京都千代田区丸 ノ内 2-6 ●211-7261
支店 。営業所 大阪・名古屋 。広島・小倉・札幌
8
忘れ得 ぬ 口…タ リアン
国際 ロータ リーの確立
宮
脇
冨
1905年 2月 23日 の夜 , ロー タ リーが, ガス
。ロー アの事務所 内 に生 れ てか ら,数 日の 後
にシカ ゴRCが 出来,次 で16の クラブが ア メ
定 しなけれ ば,国 際 ロー タ リーヘ の加 盟は許
され な い ことに決 った ので あ る また, クラ
リカ全 国 にわた って出来 た1910年 に,合 衆 国
の全 国 ロー タ リー連 合会 な るものが結成せ ら
た.な お,商 業取引 上 の標準 的 な規制が採用
せ られ , ロー タ リーの職業奉仕 の 指針 を提示
れ るに至 ったので あ るが,そ の 後 ロー タ リー
クラブは年 々拡 が り,地 球 の表裏至 る処 に結
す るに至 った.理 事会 は ロータ リーの 徽章 を
統 一 し,且 つ その保護 に関す る規定 を設 け る
成 せ られ るよ うに なって,1922年 に な っ て
国際 ロー タ リーが確立 され たのであ る。
ことを決定 し,成 案 を得 て1923∼ 24年 度 の理
事会 が ,現 在 われ われ が使用 して い る歯車の
豪州及 び ニ ュージー ラ ン ドに ロー タ リーが
徽章 を正式 に制定 した
ブ ラジル , ノル ウェー及 びオ ラ ンダに初 め
出来 たのは1921年 で, メル ボー ン とウエ リン
トンの両 市 1/Cお いて倉1立 され た。 此 の年 ロー
ブの細則 も推奨細則 に則 して造 る ことに な っ
て ロー タ リー クラブが出来 たの は,1922年 で
あ った
.
タ リー クラブの 数 は総数 1,000に 及ん だが
この 1,000番 目に出来 た クラブは英 国 の ヨー
1923年 は我 国 にお いて関東 の大震災 の あ っ
ク市 で あ った。 此 の年初め て 国際大会 が 米大
陸 を離れ て,ス コ ッ トラ ン ドのエ ジ ンバ ラ市
た年であ るが ,国 際 ロー タ リーは逸早 く加盟
クラブに呼 びか け,共 々に東京 RCに 数千弗
此 の 大会 にお いて,国 際 親善 と
の 慰間金 を送 った.此 の年新 た に ロー タ リー
,
に開 かれ た
平和 に関す る綱領 が採 用せ られ た
1922年 に な って, ロー タ リーは南 ア フ リカ
連 邦 に進 出 し,フ ラ ンス, メキ シ ヨ,デ ンマ
有名 な
23-34決 議案はその 所産 で あ る.ベ ル ギ ー
イタ リア及びチ リーに も,1ヒ の年初 めて ロー
ー ク等 に もク ラブが 出来 たので あ る
タ リー クラブが出来 た。
1922年 は ロー タ リーに とっては,一 新紀元
を画 した年 ともい える.国 際 ロー タ リーの定
1924年 に な って ス ウ ィス,バ ー ミューダ
トリエ ス ト等 に も ロー タ リーが進 出 し, ロー
款及 び細則 は全面 的に改正 され 確定 した こ
れ まで クラブの定款や細則 は区 々で あ った の
タ リア ンの数 は遂 に10,000台 に乗 る に 至 っ
.
の 社会奉仕 の 基本方針が定め られ た
,
,
た
で これ を統 一 す るため,標 準 クラブ定款や推
1925年 には,国 際 ロータ リーの 支局 が ス ウ
奨 クラブ細則 を造 って,爾 来新 たに造 るクラ
ブは この標準 クラブ定款 に準拠 して定款 を制
ィスの チ ュー リッヒに置かれ るに至 った.チ
ェ コス ロバ キア,ォ ース トリア,ハ ンガ リア
THE ROTARY_NO‐
TOMO
慾
C.C. =,re-
G
R'M ^-7'72
ボ ル トガル , ガテ マ ラ等 に ロ ー タ リー クラ ブ
が 出 来 たが ,チ ェ コ及 び ハ ン ガ リア等 の クラ
ブ は ,第
2次 大 戦 の際 RIか
ら鵬t退 し,今 日
なお 復帰 して い な い
2,000番 目の ロ ー タ リー クラ ブ が ,ア ラ ス
カ の ケチ カ ン に結 成 せ られ た。 ま た,青 少 年
奉 仕 と して , ロー ク リーの ス ポ ンサ ー に よ る
ボ ー イ ス カ ウ トが 初 め て 誕 生 した
.
此 の期 間 の 国際 ロー タ リー会 長 は, ク ロ ー
フ ォー ド・ シ ー・ マ ッカ ロー, レー モ ン ド・
エ ム・ ヘ ー ブ ンス,ガ イ・ ガ ンデ カ ー,エ
ガンデカー
D・
A
アダ ムス
タ リー財団名誉管理 委 員 ,そ の 他多数委員会
の委員 又 は委 員長 として奉仕 して い る。 彼 は
1934年 に 日本 に来訪 し,北 海道 にまで その歩
をの ば した。
彼 はカナダ国立外科 医大学 及び ア メ リカ外
科 医大学 の評議員,サ ンダ ーベ ー医 mi会 会長
なお 彼 は フ ォー トウイ リア ム市
参事会 員 ,フ ォー トウイ リア ム商業会議所 会
頭 ,及 び西北 オ ンタ リオ連 合商業会議所会頭
をつ とめた
を もつ とめた。
ベ
レ ッ ト・ ダ ブ ルュ ー・ ヒル ,及 び ドナル ド・
エ ー・ ア ダ ム ス等 で あ った
.
レ モンド・エム・ へ"ブ ンス
「
1922-23年 度 国際 ロー タ リー会長 レーモ ン
クローフ ォー ド・ シ"。 マ ッカロ"
ド・エ ム・ ヘ ーブ ンスは,RI会 長 としては
早死 の方 で,会 長 をやめ てか ら10年 余 りで死
ク ロー フ ォー ド・ シ ー・ マ ッカ ロー は ,カ
ナダ IJオ ン タ リオ州 フ ォ ー ト・ ウイ リア ムで
去 した
喉 科 専 門 医 として 開 業 して い た 彼 は
オ ン ク リオ 州 ガナ ノ クに生 れ ,オ ン タ リオ州
耳鼻
│バ
彼 は米 合衆国 ミズ リ州 の 出身 で あ っ
て,カ ンサ スシテ ィー にお いてゼ ー・ デ ィー
・ ヘ ーブ ンスEp昂 1会 社 を経営 し,そ の社長 と
キ ン グ ス トン にお け る ク ィー ンス大学 を卒 業
して彼 の最後 の 日であ る1934年 12月 2日 まで
つ とめた。
し,後 に ニ ュー ヨー ク,ボ ス トン)ロ ン ドン
パ リー.フ ラ イ ブル グ, ウイ ー ン,及 び ベ ル
彼 はカ ンサ スシテ ィRCの 会 員 として20年
以上活躍 し,そ の会 長 もつ とめた
リンの 諸 大学 の大学 しtに 学 ん だ。
マ ッカ ロ ー 博士 の ロ ー タ リー歴 は,1916年
国際 ロー タ リーにお いて は,そ の会長 とし
て活動 し,I刊 会長 ,各 種委 員会 の委員及 び委
に 出 来 た フ ォー ト・ ウ イ リア ム RCの 倉1立 会
員 で あ り,そ の 会 1(を つ とめ た Fbl際 ロー タ
員長 をつ とめた。 また,職 業奉仕 で 大 切な労
使関係委 it会 の委 員長 をつ とめ ,そ の 1報 告 を
1920年 の ア トラ ンチ ックシテ ィーの大会 で 報
,
リー にお い て は ,1921-22年 度 の 会 長 を つ と
め たが ,そ の 他 副会 長 ,地 区 ガバ ナ ー,ロ ー
ロ ー ク リー の 文-9「 l号
告 して い る.此 の報告 は ロー タ リーの根本的
奉仕 で あ る,職 業奉仕 の発展 に寄与す る とこ
ろ大 で あ った。
彼 の ロ ータ リー歴 は,シ ョー ニ ー RCの 倉1
立会 員 で あ ってその会 長 をつ とめた。 後 にオ
クラホ マ シテ ィRCの 会 員 とな り,ボ ル ノ ン
RCの 名誉会 員 で あ る。 国際 ロー タ リーにお
ガイ・ガンデカ
「
1923-24年 度 の 国際 ロータ リー会長 ,ガ イ
い て tlt,会 長 ,副 会長 ,理 事 ,地 区 ガ バ ナ
ー,及 び各種委 員会 の委員長及 び委員 として
・ ガ ンデカ ーは,米 国 ペ ンシルバ ニア州 フ ィ
奉仕 した
ラデル フ ィアにお け るクグラー洋食店 の社長
彼 は, ウォータ トン グレシ ア国 際平和圏協
会理事 ,サ ンシ ャイ ン誌顧間であ り,Toward
で あ り支配人 で あ った。 彼 は同州 ラ ンカ ス タ
ーに生れ ,ニ ュー ヨー ク州 ゼ ネバ に あ る コー
ネル 大学 ,及 び ベ ンシル バ ニ ア州立大学 にお
.
the Sun及 び Light Accross the Valleyの
著者 で あ る。
い て法 律学 を修 め,1902年 に弁護 士会 に入会
した
.
彼 の ロー タ リー歴 は, フ ィラデル フ ィア R
C創 立会 員 で,そ の会長 を もつ とめた.国 際
ロー タ リーで は,会 長 ,副 会長 ,理 事及 び各
種委 員会 に奉仕 して い る.彼 は特 に,今 日エ
バ ンス トンに あ る国際 ロー タ リーの本拠建 築
物建設委員会 の委 員長 として活動 し功績 をの
こした
ドナル ド・ 工"・ アダムス
1925-26年 度国際 ロー タ リー会 長 , ドナル
ド・ エ ー・ アダ ムスは コンネ クチカ ッ ト州ギ
ル フ ォー ド及 び ニ ューヘ ープ ンにお いて,彼
の 名 を付 した保険会 社 を造 った。 彼 は ウイス
コンシ ン州 ウイ ン ゾール に生れ , ミネ ソタ州
社会人 としての彼 は,米 国 レス トラ ン ト協
の ノース フ ィール ドに あ るカ ール トン大学 を
卒 業 し,後 に ニ ューヘ ープンのエ ール 大学法
会 の結成 を援助 し,同 協会 の営 業規律 の草 案
を造 った。 彼 はまた,他 の商 業組合 の結成 を
学 部 に学 び,ニ ュー ョー ク市 に移 って一 時弁
護士 を開業 して い た。 彼 は再 び ニ ューヘ ーブ
奨励 し,各 種 の 業務規 律 を造 って い る
彼 は フ ィラデル フ ィア商業会 議所 の理 事
ンに帰 ってエ ール 大学法学 部教 授 とな り,17
.
.
,
及 び全 米商業会 議所 において, レス トラ ン ト
業者 の代 表者 として永 くつ とめ,そ の農 業委
員会 の委員 として活躍 した。 1960年 8月 26日
年間 その職 に あ った。
アダ ムス は1917年 ニ ューヘ ー ブンに出来 た
ロー タ リー クラブの創立会 員 で,そ の会長 を
彼 はその一生 をお えた
つ とめてい る.国 際 ロータ リーで は会 長 ,副
会長 ,地 区 ガバ ナー,諸 種委員会 委員及 び委
エベレット
・ タブルユー・ ヒル
員長 として奉仕 した。 彼 は国際連 合 の諸会 合
にォ ブザ ーバ ー として出席 ,国 際 ロータ リー
.
ッ ト・ ダ ブルユ ー・ ヒル は米 合衆国 カ ンサ ス
州 ラ ッセル に生れ ,ベ ンシル バ ニア大学 ワー
を代 表 した
彼 は ニ ユーヘ ーブ ン及 びギル フ ォー ド商業
会 議所 の会頭 ,及 び商業,教 会 そ の他の社会
的諸会 の理 事 ,ニ ューヘ ーブ ン市 参事会 員
トン商業財政学 部 に学 び,後 にオ クラホ マ州
シ ョー ニ ーに移 り冷凍製氷会 社 を設立 した
ギル フ ォー ド財務委員会 委員等 をつ とめた
彼 はサ ウス ダ コタ州の ヤ ン ク トン大学 よ り名
1932年 事業界 か ら引退 した後 は,モ ンタナ州
の ポル ノ ンに近 い フ ラ ッ トヘ ッ ド湖 畔 に居 を
構 え,専 ら著述 の こ とに たず さわ って い る。
誉博 士 の学位 を授与せ られ ,ま たカ ール トン
大学 同窓会成功 賞 を貰 った。
.
1924-25年 度 の 国際 ロータ リー会長 エ ベ レ
.
,
.
(パ ス トガパナー)
│
70
THE ROTARY― NO‐ TOMO
ヽ
鰤
「杞 憂 」を 読
で
ん
八
幡
松 本 兼
二 郎
「友」7月 号「友愛 の広場」 に寄 せ られ た直木 パ ス トガバ ナ ー
友愛の広場
の「 杞憂」 と題す る一文 は,考 え させ られ る多 くの示唆 を含ん
でお ります。 私 は繰 り返 し拝読 して静 か に思考 を重ね ま した。
そ して,幸 に して直木 さんが 自ら題せ られ た女口く,直 木 さん の
憂 え られ る所 は,本 当 に杞憂 に過 ぎな いで あろ う と云 う,私 な
りの結論 に達 しま した ので, ここに 愚見 を発表 させ て頂 きた い
と思 い ます
.
社会 奉仕 に対す る ロータ リーの基本的考 え方 は直木 さん の云
われ る通 りで , これ について は何人 も異論 は無 い と思 います
.
ロータ リー クラブが地域 社会 に根 をお ろ して,会 員 の個人生活
,
職業生活 ,社 会生活 のす べ て を通 じて その 地域社会 の福祉 に寄
与 貢献す る こ とを本 旨 とす る と云 う点 1/Cつ いて も同様 だ と思 い
ます 本年度 の国際 ロータ リー会 長 ル サー・ ホ ッチ ス も「 ロー
タ リア ンが国際 的視野 に立 って物 を考 え,国 際奉仕 を心掛 け
,
世界社会 奉仕 に力 を入れ るのは望 ま しい こ とであ り大 変結構 な
こ とではあ るが, ロー タ リーの基本 は今 も昔 も変 らず ,地 域単
位 の奉仕 活動 で あ る と云 う根本理 念 を忘れ ては な らな い 一」
と強調 してお ります.世 界社会奉仕 の構想 を最初 に取 り上 げた
時 に も, この基本理念 は決 して忘れ去 られ た訳 では なか った と
思 い ます .に も拘 らず ,こ れ が ロータ リーの一 つ の プ ロ グラム
として採択 され た と云 うのは, この構想 が ロータ リーの「 地域
単 位」 と云 う根本理念 と決 して矛盾 しな い こ とを確認 したか ら
だ と思 い ます
一 つ の地域社会 が独力 で やれ な い こ とを,或 いはそ の国 の政
ロー タ リー の 友 -9月 号
治 が貧困 で あ るため に与 えて貰 え な い 助 力
を,そ の地域 の ロータ リー クラブの呼 びか け
う一 項 が あ ります。 これ はそれ に よって受 入
狽1の 実際 の状況 を明 らか に して援助 が有効適
に応 えて一― 或 いはそ の よ うな呼 びか けが な
切 に行 われ るこ とを確 保す る と同時 に,受 入
くともその よ うな事実 の存在 を知 った時 に一
― 他 の地域 の ロー タ リー クラブ (或 いは ロー
タ リー地 区)力 ゞ
助 力 の手 を さしのべ る … … こ
,地 方政府 ,そ の他 の機 関 の与 え る
と
援助 競合重複す る こ とのない よ うにす る配
慮 か ら出た もの だ と考 えます。
れ が世界社会 奉仕 の考 え方 だ と思 い ます.こ
れ が ロータ リーの社会奉仕 の 恭本観念 と矛盾
次 に,故 井坂孝氏 の言葉 として引用 され た
「 ロータ リーは決 して人 間一切 の行 動 を律す
す る とは考 え られ ませ ん.な ぜ な ら,ロ ータ
リー クラブが独力で地域的 に充分 な援 助 をす
る もので はな い,職 業 に関す るもの だけで あ
lllの 政府
る」 (傍 線 は筆者 )と 云 うの は,私 には納得
で きかね ます.ロ ー タ リア ンの奉仕 は,そ の
る力 が 足 りな い場合 に,他 の地域の ロー タ リ
ー クラブが余 力 を以 て これ を助 け る と云 う道
「 個人 生活 ,職 業生活 ,社 会生活 の あ らゆ る
が 開 けた こ とは,基 本理念 (地 域 に基礎 を置
くと云 う)の 補強 で あ って, これ をそ こな う
面 を通 じて」行 われ なけれ ばな らな い もの と
私 は承知 してお ります 云 いか えれ ば, ロー
もので は決 してな い と考 え るか らです.ロ ー
タ リー以 外 の他 の機 関 が既 に何 か や って い る
場 合 に は, ロータ リーの世界社会奉仕 はそれ
タ リア ンに とって ロー タ リーの理念 ,即 ち奉
仕 の理念 は,生 活 のす べ ての面 を通 じて 自ら
に倶1面 か ら援助 協力す る形 を取 るべ きで あ っ
て, これ と競合 して奉仕 を重複 さ せ る こ と
は,常 に RIが 厳 に 戒め てい る ところで す
.
従 って, もし競合や重複が起 るこ とがあ る と
すれ ば,そ れ は この プ ロ グラム 自体 の責 めで
はな くて,実 施面 にお け る運 用が RIの 方針
を律す べ き基本理 念 で あ って決 して職 業 に関
す る事柄だけでは な い と考 えます.マ ック ロ
フ リン元
RI会 長 の云 った“You are ROtary"
と云 う言葉 には多 くの合意 が あ る と思 います
が ,「 ロー タ リア ンに とって ロー タ リーは生
活 その もので あ る」 と云 う意味 も含 まれ てい
る と思 い ます。 され ば こそ彼 は更 に 続 け て
に惇 る ところか ら起 るのだ と思 い ます。 (同
じこ とは,地 l_t社 会奉仕 だけに つ いて も云 え
Live it(Live ROtary)''
“
ます )
ブ運 動 のよ うな重要 な こ とが ,国 際 ロー タ リ
ー の コンベ ンシ ョンで論議 せ られ 決議 され た
直木 さんが具体 的 に言及 され た文盲 をな く
と云 ったのです
次 に「 世界社会奉仕 や イ ンターア ク トクラ
.
す こ とや極 貧や飢餓 をな くす こ とに対す る ロ
ー タ リーの本仕 は,私 の知 る限 りで は, ロー
と云 う こ とを知 らな いJと 云 われ る 点 で す
が ,イ ンタ ー ア ク トも世界社会 奉仕 も,国 際
タ リーの寄 与 は対 象国 の政 府 や対象地域 の地
奉仕 と社会 奉仕 との組 合せ とも云 うべ き一 つ
の奉仕 の プ ロ グラムで あ って,そ の性格 上
方政府 そ の他 の 公共機 関 の施策 に側面 か ら協
力す る と云 う範囲 を出 てい ませ ん.こ れ は例
えば水害 や台風 被害 の場合 ,国 や地方政 府 の
施 策が必 らず あ るに も拘 らず ,ロ ー タ リーが
他 の機関や個人 と並行 して 援助 の手 を さしの
べ て も,い っ こ う差 支 えが な いの と些 か も異
る ところはな い と思 い ます.RIの 「 世界社
会 奉仕 委員会」 の ク レー グ委員長 か ら理 事会
に提出 され た報告 の 中 に,「 世界社会奉仕 を
行 な う場合,援 助 を与 える側のみ な らず, こ
れ を受 け る側 にお いて も,出 来得れ ば ロー タ
リー クラ ブの手 を経 るこ とが望 ま しい」 と云
72
,
立法化 を必要 とす る性質 の ものでは な い と私
は考 えます 。 この よ うな,奉 仕 の具体 的企画
を一 々立法化 しな けれ ばな らな い とした ら ロ
ータ リーの奉仕 は煩雑 にな って, クラブ も地
区 も中央事務局 もそ の煩 に堪 えな くな る と思
い ます.(
全 国民 の意思 に基 いて定 め られ た憲法 と法
律 の枠 の中 で,執 行運営 の機 能 を,同 じく全
国民 の意思 に基 いて選 ばれ た執行機 関 (政 府)
に全面 的 に委 ね るのが ,民 主主 義 の政治形態
で ,民 主主義 に立 脚す るロー タ リー も,こ れ
THE ROTARY― NO‐ TOMO
黎
と同様 の形態 を採 って い る と思 い ます.即 ち
コンベ ンシ ョンで全 ロー タ リー クラ ブの意思
に よ って決定 され た定 款細則 の定 め る ところ
に従 って,全 ロー タ リー クラ ブの意思 に よっ
て選 ばれ た理 事会 が ,最 高 の 執行 機 関 と し
て,執 行運営 の衝 に当 る と云 うのがたてま え
問題 は
どこまで を枠 に織 り込 まなけれ ばな らな いか
どこか ら先 は枠 の 中 で 自由裁 量 を許 され る範
で あ る こ とは 申す ま で もあ りません
囲 に入れ て よいか と云 う判定 の 問題 にな りま
す この点 について は,既 に 申 し述 べ た よ う
に, インター ア ク トや世界社会 奉仕 は後者 の
範疇 に入 るべ き もの と私 は考 えます
しか しなが ら,民 主主義 に立脚す る女口何 な
る市1度 にお いて もそ うで あ るよ うに, ロー タ
.
リーでな され る決定 にお いて も,反 対意見皆
無 の場合 は寧 ろ少 な いので あ って ,多 くの場
合最終 決定 に賛成 しな い少数意見 があ るのが
常 で あ ります。 しか も民 主主義 は常 に これ ら
の反 対意見 (少 数意見)を 尊重 しなけれ ばな
らな い こ とを要求 してお ります。 さ りとて
賛 成 も反対 も共 に採択す る道 があ り得 な い以
,
福 島喜 二 次伝
日本人 で 最 初 に ロ ー タ リア ンに
な った人 は三 井 物産 グ ラ ス出張 所
長 時代 の 福 島 さん で あ る。 そ の こ
ろ,大 正 七年 の元 旦 ,米 山 さん が
ダ ラ ス を訪 ね て 来 られ た ときの手
記 が 巻 頭 にのせ られ て い る これ
が 日本 ロ ー タ リー 発 火点 の 日で あ
る。
福 島 さん は ,ロ ー タ リーばか り
で な く,ま れ にみ るそ の 俊 才 と人
格 とに よ って 激動 期 の 日本 一― 関
東 大 震 災 。日華 事 変 。日米 親 善等
一 ― に偉 大 な奉仕 を さ さげ て 来 ら
れ た方 な の だ。
(有 田 ロー タ リー ク ラ プ 。非 売 品 )
信 念 に生 き る
上 ,反 対意見 を尊重す る方法 は結局運営 の面
にお いて常 に反対意見 の存在 を念頭 にお いて
事 に当 る以外 にはな い こ とにな ります
従 って直木 さんが最後 に書 いてお られ る
「世界社会奉仕 とイ ンター ア ク トクラブ, こ
,
編
権
有 田 蒲 原
完二
東京南 落 合
八 洲 電機 会 長 の 自叙 伝
著
.
真 の 実 業家 とい う もの は ,決 し
て 慾 張 りで は な く,信 念 に 生 き る
の二 つ は これ か らのや り方如1何 で ,或 いは将
来 の ロータ リー発展 に危険 を もた らす禍 根 に
人 な の だ , とい う こ とを教 え られ
な りは しな いか と私は心配す る云 々」 と云 う
一 節 は, ロータ リア ンがす べ て耳 を傾 けなけ
80年 間 一 貫 して ,裸 をお それ ぬ
れ ばな らな い ところだ と思 い ます_私 自身
,
る
そ の 男 ら し さの 前 に ,逆 境 は順 境
信念に生 きる
に 姿 をか え,多 くの 先
現在 の や り方 について直木 さん の よ うな不安
感 は持 ってお りません が ,11木 さんの云 われ
輩 や友 人 は ,落 合 さん
るよ うな心配 の点 につ いて は,少 な くとも運
営 の面 にお いて深 い戒心 を もって行 動 しなけ
す こ とに な ったの で あ
れ ばな らな い こ とを痛感致 します
尚 ,本 稿 は, ロー タ リア ン として の私 の個
美 し く楽 しい人 生 絵
.
人 的見lf17で あ って,R Ittl■ としての意見 で
はな い こ とを念 のため 申 し添 えます。
る
巻 であ る
.
(東 京 ・ 日本 工 業 新 聞 社 ・
Y250)
)RI理
事会 の決定 は, コンベ ンシ ョ
ンにお いて,立 法 又は決議 を採択す るこ とに
(追 記
の ため に喜 ん で力 をか
ロ ー タ リー の 友 -9月 号
東京 長 瀬 富 郎
「友」帳 販
73
よって,廃 棄又は制約す るこ とがで きる と記
憶 します。 (唯 今出張中 の旅先 で 本稿 を 認 め
て い ます ので,手 続要 覧 を調 べ て これ を確認
す るこ とが 出来 ませんが, もし私 の記 憶 に誤
りがあれ ば御 叱正 をお願 い致 します )
(パ
ス トガパ ナ ー)
あ る王 国,ネ パ ール ,シ ッキム,ブ ータ ンの
一 つ で あ り,ネ パ ール と異 リシ ッキム ととも
に イ ン ドに宗 主権 が あ り,外 国 と直接 の外交
関係 はあ りません
大 きさは九州 と同 じ位 で人 口は約95万人
首都 はテ イ ン プに あ り,住 民 の大 部分 は米麦
,
の農業 ,牛 豚 の牧畜 を生業 とし,ほ か に金物
ブー タ ンヘヨー ド剤 を贈 る
細 工 ,漆 器 ,竹 製品 ,織 物等若 干の家 内工 業
"世 界社会奉仕"の 一環として
が あ るけれ ども地 方的需要 を充す程度 で あ り
藤 沢
河
井
元
京
当 クラブでは1966-67年 度 の “世界社会 奉
仕 に参加す る こ と"の 活動 として ブー タ ンヘ
ます 仏教 国で国技 は弓術 , 日本人 に似た風
貌 国民性 を もっていて 日本 に対 し親近感 を持
って い る との こ とです
.
ヨー ド斉1を 送 る計 画 をた て ま した。 この計画
ゴイダー病 とは 甲状腺 の はれ る病 気 で世界
各地 の 山岳地帯 に,ア ル プス山系 , ヒマ ラヤ
策定 よ り実現 まで 1年 がか りで ,そ の第 1回
分 は去 る 6月 下旬 藤沢 を発送 し,ブ ー タ ン国
山系, ピレネ山系,ア ンデ ス山系 ,ニ ュージ
ー ラ ン ド,中 国,蒙 古等 にあ り,我 国 では長
王 宛贈 呈致す こ とにな りま した。 以 下 その仕
野 ,群 馬,山 梨 ,新 潟等 の県 に罹病者 が あ る
事 の 内容 につ きお知 らせ致 します
由で す
ス イスでは現在 ,法 律 で ヨー ド斉りを飲 料水
に少 し混入す るこ とを定 めて飲 んで い るため
.
.
企画の発端
元 国連大使,前 イ ン ド兼 ネパ ール 大使 の松
平康東博士は プー タ ンの故 ドル ジ首相 と親交
が あ り, イ ン ド駐在 当時 は国際 関係 の ため プ
ータン国へ の人 国は非常 に困難 な時であ った
が,外 国 の外交 官 として 始め て 同国 を訪問 し
た文 を1965年 4月 14日 付 の 日本経済新聞夕刊
に寄 せ られ ,そ の 文中 ブー タ ン国民の大 半が
ヨー ド不足 によ り首 に瘤 がで きる“ゴ イダ ー''
とい う病 気 に罹 って い るので, 日本 か らヨー
ドを含む薬品 を同国民 に送 る方法 はない もの
で あ ろ うか と提案 され て いた これ に基 いて
昨年 7月 藤沢 RCは 日本 で多 くとれ るヨー ド
を ブータン国民 に送 る こ とを“世界社会奉仕 "
の仕 事 として計 画 したわけで す
.
松平博士のサジェッション
1966年 10月 12日 ,藤 沢 RC例 会 に松平 博 士
を迎 え, ブー タ ンにつ いての卓話 を聞 きま し
た。 そ の中 に 日経紙が広 く読 まれ て い るけれ
この病 気が次第 に減 少 して い る との こ とで あ
ります
何れ にせ よ この病気 の 根絶 は相当の
時間 を要す る との こ とであ ります.ブ ー タ ン
国民 の 約80%が この ゴ イダ ー病 にかか ってい
る実情 です。
ブータンとの連絡
ブー タ ンは RI第 325地 区 に属 して い ます
が未 だ RCは な い よ うで す 第 359地 区 の 白
山源三郎直 前 ガバ ナーが公式 訪間 され た時 に
相談致 しま した ところ,外 務省 を通 じたル ー
トを とるよ うに との指図 を受 けた ので,こ れ
を実行 す る こ とに しま した。 外務省 では前 イ
ン ド兼 ネパ ール 大使 の松平康東博士 の 指導 に
よ り,藤 沢 RCが ブー タ ン国 に医薬品 を贈呈
す る計 画 をた て た こ とについて その趣 旨に賛
同 され ,先 ず イ ン ド政府 の諒解 を得 て ブー タ
ども, 日本 か らブー タ ンヘ ョー ド剤 を送 る企
画 が未 だな い との こ とで,当 クラブは一層 こ
ン王 国 に藤沢 クラブの 意思 の伝達 を願 い ま し
た。 その間,椎 名外務大臣,在 イ ン ド伊関大
使 には並 々な らぬ ご尽力 を賜 り,ま た特 にア
の実現 に力 を入れ るこ とにな ったので す
ジア局 長小川平四郎氏 ,南 西 ア ジア課 の武藤
.
ブ"タ ン国とゴイダ"病
ブー タ ン国は イ ン ドの 北 ヒマ ラヤ山系中 に
74
事務官 のお 世話 で ブー タ ン と連絡 が出来 た次
第 です
.
THE ROTARY‐ NO‐ TOMO
撃
一
ヨ"ド 剤の選択について
贈呈 ヨー ド却1に つい ては会 員 の藤沢太郎君
(武 田薬品 工 業湘南 工 場長 )に 相談 した結果
,
日本薬局方収載 の ヨ ウ化 カ リウム錠 とヨ ウ化
カ リウム丸 が よい との こ とで ,取 り敢 えず第
1回 分 の贈 呈薬品 について は会 員医師 の統一
日野 中
村
男
直
に)私 の健康法
1飲 食 とも 8分 目に とどめ る.2.早 寝
早起 きを励行 す る.3.身 体 に無 理 な負担
をか けぬ.4.殊 に60歳 以 後は半 日仕 事 と
意見 で ヨ ウ化 カ リウム丸 を送 る こ とに した・
理事会 は第 1回 分 として30万 粒 の 線 を 出 し
ゆ)私 の敬愛す る人物
た.こ の 薬品 の 見積入手 包装等 は会 員 の大島
完之君 (医 薬品配布)の 手 をか り,輸 送手続
1.特 定 な人 物 を指定 せぬ,し たが って
昔 か らの著 名人 とは限 らぬ.2縁 の下 の
は 日本 通運 にお願 い しま した
以上の ほか に ヨー ドを含む海草類 を送 る こ
力持 ちに甘んず る人 .3.些 細 な事 で も勇
気 を もって 断行 で きる人 .4.物 事 ひ とつ
とを検討 したが,“ の り"や “こんぶ "の 形状 で
は輸送中 の問題 が あ り,包 装技術 の難 しさや
づつ結末 をつ け る人
.
し後は休養す る
.
(ビ ル デ イ ング 管 理
容量 の面 で 難点 があ った。 この 問題 を解決す
るため ノル ウェイの ク リスチ ャ ンス ン地方 の
暖流 と寒流 とに もまれ た複雑 な海岸 で とれ る
ミネラル に富 んだ優秀 な海草 を と りよせ て粉
栃 木 小松崎
,
イ‘ヱ
Mr T」 agarか ら贈呈薬品 を受 け る旨 の書面
を受 取 り, 6月 下旬発送 の手続 を とった次第
.
あとがな
今回 の この企ては クラブ全会 員 の力 をお借
りしま した また ガバ ナ ー をは じめ沢山の方
々.又 遠 く北米 の 医者 の方 の ご意見 も頂 きお
癸
︶
(パ ス トサ ー ビ ス・ 硝 子繊 維 製 造 )
,‘ ︲多
く,ブ ー タ ン とわ が国 との 親善関係 の芽生 え
ともなれ ば大変 よろ こば しい と思 い ます。
ヽ讐
て,次 の段 階 に進 みた い と思 い ます この 企
て は単 に RIの 世界社会奉仕 の 目標 だけでな
ん 子のぢ集
タ ン国 ■:HN/1.Jigme DorJ ⅥぬngChuk the
︻
一
一
1‘ L
藤 沢 RC→ 外務省→ イ ン ド政府→ ブー タ ン
国 と数回文書 の や りと りが行 われ た後 ,ブ ー
世話 にな りま した.皆 様 方 の ご協力 を深 く感
謝 して居 ります.第 1回 の 贈呈 の ヨ ウ化 カ リ
ウム丸 の ブー タ ンに於 ての手 ごた え を 待 っ
.
.
.
です
―
儀
雲 巌道 士 の 直筆 を復製 した ものです
は次 の機会 に譲 りました
ブータンからの反響
King of Bhutanの チ ー フセ ク レ タ リ ー の
'72歳 )
栃木 クラブ会員の座右訓
私達 の会員共通 の座右訓 があ ります
一
こな 2 ︶
とが嗜ず→,
クヽ
い
ある。
一
夢の
り
オニ瑠てみば洛ヽ
あぶ ´
オμんヤ たたばな ら狛‘
末化 し, これ を糖 衣錠 として薬品 とい うよ り
栄養滝1と して送 る研究 もや りま したが,こ れ
.
共感下 さい ま した方 は,お 申出 下 さい
(木 材 小 売 )
ロ ー ク リー の 友 -9月 号
75
米山家代々の長屋門
して 記 念館 とす る こ とは ど うか との 案 が 出 さ
れ た。 そ こで 佐 久 間 パ ス トガバ ナ ー にお 願 い
して 打 診 して戴 い た 所 ,米 山氏 として は「 日
本 の ロ ー タ リー ク ラブ を倉」
立 したの は 父 だ け
の 功 績 で は な い。 他 の 有 力者 の 協力 の 結果 に
よ る もので 父の た め に計 画 して も ら うの は本
意 で な い が 地元 の 方 々 の 熱 意 に対 して一 度 現
米 山記念館 建設 にっぃて
地 に行 き状 況 を見 た上 で 有 志 の 方 々のお 話 を
伺 い ま し ょぅ」 との 御返 事 を得 たの で あ る
.
5月 23日
沼津
Jヒ
遠
藤
永 太 郎
米 山記念館建設運動 の起 った発端 は, 日本
ロータ リーの倉1始 者米 山梅吉氏 が晩年 を送 ら
,米 山桂三 氏 沼津 北 ク ラブの 例会
に 出席 され 「 父 を語 る」 と云 う題 で 感 銘 深 い
■
ユ話 を述 べ て 下 さ った あ と近 隣 クラ ブ有 志 10
名程 で 懇 談 の機 会 を得 た
米 山氏 に 対 し「 米
山梅 古 氏 だ けが創立 者 とは思 わ な い が 少 くと
も代 表者 で あ り,記 念館 には 協 力者 の記 念 品
れ た所謂米山別荘 (静 岡県駿東部長泉町 にあ
り約 1,000坪 のJL地 に60坪 の木造 2階 建 )力 ゞ
等 も陳 列 出来 れ ば 幸 と思 う」 と説 明 した処
某土地会社 の所 有 に移 って切売 りされ だ した
こ とに始 る.こ れ を知 った地元 ロー タ リア ン
趣 旨 を諒解 せ られ 快 く地 所 の一 部 を提供 され
る との意 向 を も らされ た lHし 別 荘 は 殆 ん ど
有志 の 間 に この 由緒 あ る家屋 敷 を何 とか して
入手 して ロー タ リア ンの 為 に有効 な保存 の方
腐 朽 して 余 命短 く移 築 は無理 で あ ろ う せ め
て 米 山家代 々 の長屋 門 を記 念 に 残 して も らえ
法 を考 えた い と云 う強 い意 向が持 上 って来 た
ばク
喜しい との こ とで , これ を も とに具 体 案 を
ので あ る。 只 この内,建 物 とJll也 最少 限 350
坪 とを入手 す るのに も千数 百万円 の資金 を要
作 って ,更 め て ご相 談願 う こ と と してお 別 れ
した 尚 そ の際 米 山梅 吉 氏 の遺 i『 l等 に就 て は
す るので広 範 llllに 亘 る募金 の必要 もあ り,東
京 方面 の先輩,パ ス トガバ ナー等 に相談 した
念館 へ 提 供す る 旨 の有 難 いお 話 が あ った
処 これ は良 い事 では あ るが 広 く各 RCに 募金
を呼 びか け る性 格 の もので はない。 地元 クラ
ブ有志 の範囲 とし,他 方面 か ら自発的 に応 援
,
火 災 で 大 部分 焼 失 した が 残 って い る もの は記
其 後有 志 が 会 合 して 協 議 の紺i果 別 荘 を移築
す る計 画 は取 りJLめ , この集 りを「 米 山記 念
館 建設 準 備 会」 とLrKめ 近 代 的 な鉄 筋 コ ン ク リ
して下 さる有志の力 を借 りるのは結構 で し ょ
ー トの記 念 館 を建 設 し,出 入 口には 11述 の長
う との こ とで あ った。
そ こで 静岡 クラブの幅 パ ス トガバ ナー を中
屋 問 を原 形 の ま ま補 修 して 使 丹│す る方 針 を決
心 に地元 クラブ (沼 津北 ,沼 ,卜 ,三 島 ,伊 豆
長 岡)の 有志 が 協議 した結果 「 米山別邸保 存
会 (仮 称)」 として趣意書 を作 成 し,自 山 ガバ
ナ ーの賛 同 を得 て静岡県東部 11ク ラブに呼 び
か け, これ を伝 え聞 い た各方面 か らの 御 協力
現 在 の資 金 で は長 屋 間 の 修理 ,敷 地 内
の造 園 を 含め約 12坪 の 記 念館 て 約 450万 円 と
めた
な り,維 持 管理 費等 は 今 後 の拠 金 に待 つ こ と
とな る
去 る 6月 20日 川
JI躍 され た 359地 区 協議 会 で
の 会 長 部 会 の‖i上 ,幅 バ ス トガバ ナ ーか らこ
もあ って約 450万 円の募金 が 確実 とな った
併 し前 途 尚遠 いので l■J議 を重ねて来 たが lTJ
で も この こ と を説 明 され ,か な りの 賛 同 を得
々米山家墓 地 の近 くに梅 吉氏御子虐、
米 山桂三
られ た と承 って い る
の 実 状 を説 りJさ れ ,更 に 7月 ガバ ナ ー 協議 会
さて こ こで この運 動 が
氏 (東 京南 RC会 員 ,慶 大教授)の 所有す る
米 山家先 祖代 々の地所があ るこ とに気付 き こ
本 誌 上 で 紹 介 され ,全 国 の 有 志 各位 か らご支
の一 部 を使用 させ て戴 けれ ば これ に別荘 を移
け で な く更 に これ を拡 大 して 「 日本 ロ ー タ リ
76
援 を い た だ くこ とを考 慮すれ ば 当 初の 構 想 だ
THE ROTARY― Ntt TttMO
事
一
―図書館」 的性格 を兼 ねては どうか との意 向
も出 いて る。
日本 には ロータ リーの本部 は無 いので ,こ
の 記 念館 が「記 録 の本部」 的役 割 を呆 す こ と
が 出来れ ば皆様 のお役 に も立 つ もの と考 え る
の で あ る.特 に この地 は東海道新幹線三 島駅
(43年 秋完成予定 )よ り至近 の距離 に あ り
東 名高速道路 が 開通す れ ば東京 か ら約 1時 間
,
で行 くこ とが出来 る
英
昭
は)私 の愛読書または特に感銘 した本
宮崎康平著「 まぼろ しの邪馬台国」
畿 内説 ,北 九州説 の論争 の さなか に
,
一 つ の波紋 を投 じた書物 で あ る。 これ に
よ って学 問的決定 はで きな いに して も
,
近来 の力作 で あ り,盲 目の著者 の異常 な
努力 には敬 服 の ほか はな い
.
この構 想 を実現す るため には建 物 を拡大す
る必要 もあ り,事 務 員等 そ の後 の運営 に経 費
を要す るので 目下F■ l係 者 で検討中であ る
米山記念館建設準備会の概要
発起人
亀
大和高田 藪
鮎正 太 郎 (静 岡)保 志遠平 (沼 津)
瀬 川篤 (三 島)松 本 重造 (伊 豆 長 岡)
9)私 の好きな花
「 ぼけ」
自分 が少 しぼけて い るせ いか ,最 も好
きな花 で あ る.寒 に耐 えて清雅 な花 をつ
け る枝 もいい し愛 き ようばか りの葉 がま
(土 地開発 68歳
た何 ともい えな い
)
小林完 (沼 津北)
沼津北 RC(幹 事
事務局
募金 目標
其他
条
逸
平
(1)私 の座右訓
日々の生活 に仕事 に,な せ ばな る,を
金額 1,600万 円
締 切 昭和 42年 12月
募金 は 1口 1万 円 とす るが 口数 自由 と
し,何 名 か共 同で 1口 も結構
振込 口座
柴 田 北
遠藤永太郎 )
駿河銀行大手 町支店
沼津 北 RC口 座
(石 油 配 布 )
モ ッ トーに してお ります と,自 然 と迷 わ
ず に事 が は こびます。 今 な らな くとも
,
必ず で きるよ うな 自信 が わ くので 不思議
で す。
9)私 の好きなたべ もの
海外 旅行 10の 教 訓
京都
西
村
大 治 郎
私 は今般 ニ ースに於 て 開 かれ た コンベ ンシ
ョンに出席牙 々世界一周 の旅行団 に参加 しま
した 5月 17日 に発 ち,僅 か26日 の間 に欧米
゛
8ヵ 国 をか けめ くってま い りま した
「 ふ きの とう」
2月 頃 よ り日当 りの よい 山 に出初 めま
が
す ,ゆ でてお ひた しに したほ ろにが さ
と,新 鮮 な緑 の色,食 欲 は増進 し,お 酒
も進 み,胃 の薬 ともな る,な ん ともい わ
頓貸地主 53歳
れ な い味 で す.
)
小浜 上
.
しか し旅行 中屡 々痛感 い た しま し た こ と
で,今 後海外旅行 をな さる方 々にあ るい は参
考 とな ろ うか と, ここに記 させ て頂 きます。
1.事 前準備はできる限 り周到に
実 は私 は出 発直 前まで 色 々な仕 事 の関係 上
耕
―
(1)私 の健康法
山村 に育 ち学生時代 ,壮 年期 を通 じ
スポー ツを楽 しみ,知 らず知 らず の うち
,
に,強 健な る体力 を得 た るもの と思考 す
食生活 につ いて は細心 の注意 を払 う
.
忙殺 され て充分 事 前 の準備 , と くに訪間す る
国 な り都 市の研究 を しません で したが, これ
は大変 な失敗 で あ った と存 じます。 と くに観
9)私 の敬愛す る人物
光 が 目的 の団体旅行 とい うので一切旅行 社 を
信頼 いた し,一 切 のスケ ジュール を検討す る
る。
ロ ー タ リー の 友 -9月 号
中
福 沢諭吉先生 の 7訓 を常 に心 に銘 し
明 るい 日々を送 るこ とに常 に 努 め て い
,
(林
業 47歳
)
77
こ とな く案 内 され るままについ て歩 きま した
が ,ス ケ ジュール 自体 に問題が あ り,内 容 が
の例 に洩れず カ ラー を30本近 くとって参 りま
した.そ の結果 は,全 くつ ま らぬ写真 ばか り
貧弱 で 肝心 の所 が 見せ て貰 えず残念 で あ りま
した。 しか しこれ は旅行 社 のみ を非難 で きな
で した.そ れ は技術 上 の 拙 さとい うよ りも
いので,費 用 の点 か らやむ を得 な い点 もあ っ
,
計 画性 の欠如 に あ ります
.
たか と思 い ますが,し か しもっ と充分 事 前 に
単 な る風景写真 で あれ ば, どこで もカ ラー
ス ライ ドを売 って い ます ので,こ れ を買 った
研究 してお けば もっと充実 した旅行が出来 た
方が失敗 もな く経 済的 で す.忙 しい 日程 の 中
もの を疲労 ばか り残 りこ りご りい た しま した
でカ メラをやた らに写す時間があれ ば,ゆ っ
く り風物 を鑑賞 し心 の中 に しっか りや きつ け
る方 が賢明 で はなか ったか,そ んな後 悔 が し
2.ホ テルだけは快適であること
団体旅行 と云 えば何 もか も御仕着せ で贅沢
は い えな い もので あ りますが ,せ めてホテル
だ けは快適 で あ ってほ しい もので す。 そ のホ
テル が大 へ ん粗末 で切 角 の旅 の楽 しさが大分
失 われ た こと も今 回 の旅行 の大 き な 教 訓 で
す と くに ジュネ ーブ,ニ ース,パ リのホテ
ル は御粗末 な限 りで,現 地 の 日本人 があ きれ
か え るよ うな ところで した。 これ も充分事前
にチ ェ ックしてお けば よか ったで し ょうが
,
これか ら旅行 され る方 は,ホ テル が どの程度
の ものか 充分念 を押 しておかれ る必要 が あ り
ます。 覚悟 の上 で の安 ホテル で あれ ば よろ し
いが,一 応 は一流 ホテル を夢み るために,裏
切 られ た ときの シ ョ ックは大 きい もので す。
3.添 乗員の資質をチェックせょ
団体旅行 の場合 ,旅 行 社 か ら必ず 1∼ 2名
の 添乗 員 が同行 しますが,そ の人 とな りに よ
き りにいた します
.
5.買 物の苦労は沢山
旅行 につ きものの上産 物 で,こ ん な に苦 労
した ことはあ りません。 なけな しの 金子 をは
た いて 買 った,あ ちこちに義理立 て のお土産
も帰 ってみ ると何で も東京で揃 ってい るわけ
です 何の ため に重 い 目を して持 って帰 った
のか,全 く口惜 しい次第 で す.親 切 な商人 が
旅行 中 カタ ロ グを送 って来 てお り,外 国旅行
の上産 は何で も御注文 次第 お送 りし′
ます とい
う口上 です.存 外喜 ばれ たの は スーパ ーマー
ケ ッ トあた りで,一 寸 い け るぞ と買 った台所
゛
道具 くらいで すか ら,い ろい ろ と神経 を使 う
よ りも,そ の商人 に前 もって注文 して 義理 さ
ば きの土産 物は整 えてお くこ ととします
.
6.忘 れものは遠慮な く届けるにしかず
って旅行 が 快適 とな るか どうか大 へ ん影 響 が
家 内が トリノのホテル で コー トを置 き忘れ
'そ のホテル ヘ
ま した。 ニ ースヘ 着 いてす く
連
ろ と厄 介 に な りま したが率直 に云 って力 量 も
人 柄 も団 員 のす べ て を満 足 させ るものでは あ
絡 して頂 い たのですが不得要領 で す っか りあ
き らめて い ま した ところ,帰 って数 日後 この
コー トが 届け られ ,大 変 な喜 びを体験 いた し
あ ります.私 達 の場合 2人 同行 され ,い ろい
りませ んで した。 これ は ニ ース大会 に 300名
を超 え る参加者 があ り,相 当数の旅行 団 が 同
じ時期 に出発 したため,い か に有力 な旅行 社
ま した あ きらめ た り遠慮 した りせ ず に必ず
届 けてお くと,外 国では失せ もの は必 ず 出 て
と云 え ども人 材 の配置 に苦労 した もの と存 じ
くるとい う教 訓 を得 ま した
ます。 今後団体旅行 をす る場 合,語 学 能力 は
勿論 の こと,旅 行先 の事情 に精通す ると共 に
.
7.荷 物はなるべ く少 く
出発前 , ヨー ロ ッパ は寒 い とお どろか され
謙遜 で真 面 目で親切 な人 間 で あ る こ とを添乗
毛の もの を含めて 随分 沢山 の衣 類 を持 って 出
員 とな る方 に望みた く存 じます
か けま したが,何 ら必要 あ りませ んで した。
とにか く荷物 は 日増 しに多 くな り重 くな り
.
4.写 真は計画的にとること
,
日本人 の旅行者 といえば,必 ず とい って ょ
い程 カ メラをぶ らさげ,至 るところで パ チノく
チ と りま くって い るもので あ ります.私 もそ
78
そのため に又一 つ トラ ン クを買 うな ど,全 く
ム グな こ とで した。 これか らは小 さな トラ ン
クを一 つ ぶ らさげて 出 か けま し ょう
.
THE ROTARY― NO― TOMO
事
一
8.両 替にも頭を使え
8ヵ 国を廻 り,国 毎 に貨幣 が ことな るのに
は閉 口いた しま したが,こ の両 替 もその時 ば
糸魚川 谷
(0
った りなや り方 を しま したので ,帰 るときに
は小銭 ばか り相 当額残 って しま い ま した。 こ
れ ばか りはお土産 に もな らず とん だ散財 を し
た ものだ と後 悔 してお ります
口
正
夫
私 の座右訓
明 治天 皇 御 製
なす こ との
な くてお わ らば
よわ い をた もつ
よに長 き
か い や なか らむ
学 生 時代 か ら座 右 の銘 も幾 度 か 移 り変
.
って 来 ま した。
9.病 気だけは絶対にせぬ様
2年 前友 人 か ら貰 った書
私 自身は健康 で終 始 しま したが ,同 行 の 柏
原孫左衛門氏 が病 気 にな られ ,マ ドリッ ドで
が ,前 記 の 明 治 天 皇 御 製 で す 。 64歳 の私
2日 間休養 され ま した。 そ の際 に私 ども夫婦
が 看病 にあた りま したが ,英 語 の 通 じぬ土地
で大 へ ん苦 労 しま した 御本人 もさぞか し心
細 い思 い を され た と思 い ます 奥 さま の大 ヘ
2)私 の好 きなたべ もの
ん な御働 らきで ,幸 いに も快方 に向われ 安楽
椅子 で 飛行機 に乗 り降 りされ つつ ニ ュー ヨー
は毎 日 これ を愛 誦 して い ます
.
l・
「 酸 い もの」
子供 の時 か ら酸 い ものが 好 きです・ こ
れ が栄 養 的 に良 いか 悪 いか わか りませ ん
とにか く体 が酸 い もの を要 求 す るので
す
(カ
.
ーバ イ ド製 造
64歳 )
クにつ かれ ま したが ,病 気 だけは絶対 にかか
らぬ よ う旅行 中 は勿論 ,事 前 に充分 注意す る
ことが大切 だ と痛感 しま した
.
10.同 行者に学ぶ
1 谷
糸魚サ
正
吉
(1)私 の愛読書または特に感銘した本
神経 の鈍 い方 か ,余 り感 激 しな いのか
ず いぶ ん愉快 な こ ともあ った半面 ,不 愉快
な ことも少 な くな く若 い私 は毎 日の如 く腹 を
立 ててお りま したが ,同 行 の佐治老人 が83才
記 憶 にの こる もの はあ りませ ん 乱読 よ
りむ しろ雑読 とい う方 です。 手 近 に あれ
ば何 で も一 寸読 む 歩 いた大 が棒 にあた
の高令 に拘 らず ,旅 行 中毎朝 5時 起 床,散 歩
をつづ け られ ,極 めて元 気 でか つ感謝 してお
った とい う形 ,興 湧 けば夜中 で も読 む
随筆 もの によ く手 の出 る私 で す。
られ た のには敬 服 いた しま した この外 ,至
る ところで 画帳 を開 いて寸暇 の間 もスケ ッチ
υ)私 の好きな花
「 桜 の花」
を楽 しんでお られ た白根 さん御夫婦 ,海 外生
活50年 を こえ るに も拘 らず ,平 然 として稚拙
な案内人 の説明 をききつつサ イ トシー イ ン グ
の行 を共 に され た増 田御夫妻 な ど, ロータ リ
何千何万 とい う花 の集 団 1枝 も遅れ
じと一斉 に立 上 って本一杯 に咲 き渡 る美
ア ン として真 に尊敬 すべ き方 々がお られ た こ
とは私 に とって非常 な倖 せであ りま した 私
は このたび の旅行 で 何 よ りも人 間的 に色 々 と
学 ぶ ことの 出来 た ことを喜ぶ もので あ ります
が ,そ れ は同行者 の人 た ちがす べ て立派 な ロ
.
しさ見 事 さ.さ くらの花 が一番好 きです
(病 院
小 浜 大
64歳
下
博
(1)私 の座右訓
人 の ため に な る こ とをす る。
少 しで も人 に 喜 ん て 頂 くこ とが 出来 た
ータ リア ンで あ り,又 よき御夫婦 が揃 ってお
られ た ことに よるもの で あ ります。 も し叶 え
時 程 ,気 持 の よ い こ とは あ りませ ん
12)私 の好 きな食べ もの
られ るな らば生涯 これ らの人 た ちの御厚誼 を
得 ,ま た処世上 の御指導 を頂 くと共 に, もう
一度 これ らの方 々 と海外旅行 を共 に した い も
せん
のであ ります
.
口 ‐ タ リー の 友 -9月 号
)
.
特 に 好 き とか嫌 い とか の 食 物 は あ りま
.
(漆 工 芸
66歳 )
(絹 縮 緬 販 売 )
79
濠州交換学生 1行 を
パーベキ ューに招待
ル を取 って置 いて慾 しい と言 うと, とんで も
な いお 11の 宿 は引 き受 け手 が多 過 ぎるので 困
って い る と言 う次第.南 濠洲 の仕 事 を済せ て
7月 8日 にタ ウ ンズヴ ィル 空港 に着 き,11日
午 後 2時 過 ぎ其 の空港 を離れ るまで の経験 は
文字通 り,竜 宮 で夢 の待遇 を受 けた浦島太郎
もか くや と思 われ るもの,あ れ よあれ よ と言
学生交換が取 りもつ縁
ll喘 東
浜松 3RCは
第 255地 区
カロ 藤
う間 に過 ぎた夢 とも思 え る 4日 .国 賓 は大 袈
裟 で も少 な くも市 の賓客扱 い,最 高 の言葉 で
恒
七
,昨 年本誌 に報告 した よ うに
(濠 洲 クウ ィンズラン ドと北濠 )
との学生 交換 の話 し合 いに従 い,浜 松地域 か
ら 9名 の高 校生 (内 女子 1名 )を 彼地 に 4週
に亘 って送 った のに次 いで,本 年 1月 ,タ ウ
接せ られ ,最 も温 か い ロー タ リーの心で遇 せ
られ ,気 が つ く限 りの もてな しを して呉れ る
ので,し まいに はなにか重大 な罪 で も犯 して
で もい るよ うな錯覚 を感ず るほ ど
.
最後 の 日,丁 度 タ ウ ンズ ヴ ィル クラブの例
会 ,15分 程 を頂 き「世界60余 万 ロー タ リア ン
の中 で私 こそ ロー タ リーの恩恵 を最高 に享受
ンズ ヴ ィル か ら14名 (内 女子 5名 )の 学生 を受
け入れ た。 この濠洲学 生 の接待 は静 岡県 内各
思 いで あ った。 テ レ ビ, ラジォ,新 聞 に何回
クラブの協力 (特 に静 岡,箱 根 ,熱 海 の各 ク
ラブ)や 白山 ガバ ナー等 の熱 心 な協力 で,先
も取 り上 げ られ これ も本 当 に派手 な こ とで あ
った。 11日 タ ウ ンズヴ ィル 空 港 で搭乗 直前
ず は完全 に近 い程 に良 く行 なわれ た.特 に噛
パ ス トガバ ナ ー (尤 も鮨 パ ス トガバ ナ ーが こ
の学生交換 の生み の親 だが)或 いは浜松 の 3
クラ ブに亘 る11名 のホス トフ ァ ミリーに な っ
た ロー タ リア ン並 に其 の家族 の方 々の献身的
サ ー ビスは全 くす べ ての小旅行 ,会 合等 を水
した もの」 と感想 を述 べ たが ,謝 辞 に窮 した
,
一 新聞社 は電話 で 5分 余 の イ ンタ ビュー を し
て来 た よ うな次第.ブ リスベ ンヘ の機 中, こ
の夢心地 の 4日 を省 りみ つつ 深 くロータ リア
ン として の幸福 をかみ しめた.他 の ロー タ リ
ア ンの方 々に 申訳 な い よ うな心情 に悩 ま され
つ つ 。
(工
業意D
も洩 らさぬ完全 な ものに した。 美 事 な成功 裡
に14名 の濠州学生 は, 1月 24日 名残 を惜 しみ
つつ羽 田を後 に した.こ の往復 の交換 に 3ク
ラブの交換学 生委員長 を務 め させ て頂 いた筆
者 は, この 5月 の ニー スの大会 を契機 に,序
で にタ ウ ンズ ヴ ィル まで 御礼や ら今後 の計 画
や ら,話 しに行 くこ とに した。 尤 も本心 は 4
週 間可愛 いが った彼地 の学生 の顔 を見た いの
が主 な事 だ ったか も知れぬ
パ リを振 り出 しに,欧 米 ,南 太 平洋 の旅 を
.
終 えて シ ドユ ーに着 くまで ,既 に50余 日を費
し少 々計画 よ り遅れ て いた.早 速 シ ドニ ー ょ
リタ ウ ンズ ヴ ィル 交換 委員長格 のハ ン ト君 に
電話 して タ ウ ンズ ヴ ィル 3泊 4日 の予定 だ と
言 う と, とんで もな い最低 1週 間は居て慾 し
い と語気 を強 めて言 う仕 末,ホ テル かモ ーテ
20
女子社員だけの銀行
松山東
―
宮
源
兵
「 春や昔 十五万石 の 城下 か な」 とい ぅ
正 岡子規 の句や「 春風や ふね伊与 に よ りて
道 後 の湯」 とい う柳原極堂 の句 で 名 のあ る松
山 に, ロータ リア ンが経営 してい る女子 社員
だけ の銀行 が あ る。 それ は松 山東 クラブの初
代会長 ,三 品尚起氏が経 営 され て い る東 邦相
互 銀行松 山市一万 出張所 (所 員 12名 )で あ る。
筆者 は, この こ とに非 常 に興味 をおぼ え,社
長 の諒解 を得 て一 万出張所 を職場訪問 し,同
出張所 の特徴 をつぶ さに知 るこ とが出来 た。
同出張 所 は,三 品社長 の倉1案 によ るもので
THE ROTARY‐ NO― TOMO
一
一
一
あ って,世 界 で最初 の女子社員 だけ の銀行 で
あ る と言 われ て い る.そ の後 ロン ドン とタ イ
のバ ンコ ックに一 つず つ 出来 たそ うで あ る
.
「 女子社員 だけ の銀行 を創立 したね らい は
どうい う点 に あ ったか」 とい う問 いに対 して
社長 も出張所長 も ともに,そ れ は「女性 の社
会 的地位 の向上」 とい う こ とと,「 社会 にお
け る女子 の グル ー プ活動 のテ ス ト」 とい う答
えであ った。 社長 の創案は見事 に適 中 して
日野 秋
銀行 がなぜ 信用 をえ るよ うにな ったか とい う
祐
雅
(J 私 の座右訓
任 運 無作 (に んぬ ん む さ)水 は流 れ に
逆わず。
9)私 の好きなたべもの
うどん,そ ば,殊 に手打ち,手 製汁
.
(仏 教
,
開店後 1年 をまたな いで,市 民 の信用 を得 て
事務多忙 を生ず るよ うにな った.女 子社員 の
山
宿 毛 池
内
71歳 )
泰
夫
(1)私 の愛読書または特 に感銘 した本
「奥 のにそみ ち画冊」
自分 が俳句
,
理 由は,女 子行 員 が 事務処理 について親切 丁
寧 で あ り,話 しやす い とい う こ とにつ き るよ
俳 画 ,水 墨画 ,南 画 ,文 人 画 を好 むせ い
か,特 に感銘 い た しま した。
うで あ る
社長 の は じめの予想 では,婦 人 客 が多 い だ
(a 私の好きな花
.
ろ う とい う こ とで あ ったが,案 外男子客 が多
「 寒 蘭」 春蘭 は全 国到 る所 にあ る
ものですが,寒 蘭 は極 く稀 で す。 清楚 の
い との こ とであ る.そ うで あ るか ら,預 金や
貸 し出 しの取 り引 きも年 を追 うて急激 に増加
中 に そ の気品高 く,そ の香 りは人 を魅 し
(信 用業 63歳
脱俗 の感 があ ります.
)
す る との こ とで あ る。
しか し,女 子銀行 には,女 子 だけで成 し遂
甘木 藤
井
督
造
げ られ な い面 もあ る。 それ は,宿 直 と警備 の
面 で あ る.宿 直 は,本 店 の男子行 員 の助 けを
は)私 の座右訓
私 の健康は私 の正 しき心 に因 って保 ち
か りなけれ ばな らな い.従 って女子銀行 は
本店 の所在 地か,可 成 り大 きな支 店 の あ る都
得る
市 に しか設 置す るこ とが出来 な い とい う制l約
伊勢蝦 の さしみ ,鰻 のか ば焼等 々何 に
もが結構 で あ りますが,私 は上 自米 の御
,
が あ る.同 出張所 の警備 の面 は,幸 に向 い側
に松 山東警 察署 があ るので,直 接 1/c非 常 ベル
の連絡 が出来 るよ うにな って い る との こ とで
ある
.
121 私の好 きなたべ もの
飯 に香 の物 ,京 都 の 4枚 漬 を熱 い濃 い御
茶 で 戴 く御茶 漬 の一 杯が本当 にお い しい
と思 い ます.
同出張所 の現状 を考 え る と,一 ロー タ リア
ンの創案 によ る銀行 だけあ って, ロータ リー
精神 に則 した こ とが多 い と思 うので あ る.す
なわ ち, クラブ協議会 の指針 にな っ て い る
「 ぃか に,い つ, どこで」 とい うlllJら きの場
所 と場 合 とに よって「 いか に」親 切 に,丁 寧
に,正 直 に働 くか とい うこ と,例 会 の指針 に
(繊
宇和島 石
維販売
丸
85歳 )
良
久
(1)私 の健康法
私 は未 だ若 いので 特 に健康法 とい った
ものの必要 を感 じてお りませ んが,自 分
の体力 の限界 を知 り,無 理 を しな い よ う
に して い ます
な って い る「友情 を こめて」 とい う こ と,ま
(21 私の敬愛する人物
た「 四 つテ ス トJの いずれ の11条 に もか な っ
た行動 が, この女子銀行 にお いてい となまれ
特定 の人 物 はあ りませ んが ,一 見地味
で つ ま らな い職業 に も誇 りと自信 を持 っ
てい る こ とを知 る こ とが出来 た ので あ る
て昂然 と人 生 を歩 む人 を尊敬 します
(女 子 大 学 )
0-タ
リー の 友 -9月 号
.
(ギ l綿
製造
41歳 )
27
故
今村荒男君 ヘ
RI事 務総長 か ら弔辞
民 間使節 の役割 を果 した。 一 行 の 内,団 長 の
張氏 (青 山学 院昭和 2年 卒)を 除 くと, 日本語
は一人 もで きな いので , 日本 の高 校生 とは英
先 般逝去 され た今村荒 男元 ガバ ナー を悼 んで
去 る 7月 10日 付 で,ジ ョージ・ ミー ンズRI事 務総
,
長 よ り大 阪 RC幹 事宛 に弔辞 が寄 せ られ ま した。
語 で 話す とい う按梅 で あ ったが,各 地 の クラ
ブや ICと の接触 を通 じて,片 コ トの 日本語
今村荒 男 パ ス トガバ ナーが逝去 され た こ とを知
り大 変悲 し く思 い ます.ホ ッジ ス RI会 長 お よび
協会 , 3ク ラブ合 同 の レセ プシ ョンに招 かれ
同夜 は マ リス ト高 校 の ICの ミーテ ィン グを
R I tt fi会 を代 表 して ここに貴殴 な らび に貴 クラ
もった の ち,同 校 の学 生寮 に宿 泊 して ,印 象
深 い一 夜 をす ご したのであ る。 また東京 では
も覚 え,「 荒城 の月」 な どは 合唱 で きるほ ど
に な った.熊 本 で は吉村 ガバ ナー, 日韓親善
ブ会 員 に心か らお悔み を申上 げます
今村会 員 が ロー タ リーのため に献 身的 に奉仕 さ
.
松方 ガバ ナ ーのお 世話 で 2泊 ,京 都 ,大 阪 を
れ た こ とは,同 君 が そ の クラブ,地 域社会 な らび
に国際 ロータ リーlC対 して行 な った,輝 や か しい
経 て,24日 神戸 港 よ り帰 国 の途 につ い た
この訪 日旅行 は,韓 国 の若 い高 校生 の新鮮
奉仕 の実績 に は っき り示 され てお ります。
全世界 の ロータ リア ンは この優れ た人 物 を失 な
な限 に,九 州 の 風土 と人 情 を通 して未 知 の国
った こ とを悲 しむ もので あ り,そ の心か らの哀悼
な巨大都市 東京 ,古 い歴史 をほ こる京都 な ど
.
日本 の原型 を焼付 け,つ いで,ダ イナ ミック
に驚 きの 目を陛 らした こ とは,そ の後寄 せ ら
の意 を,貴 殴 が,今 村家 の ご家族 な らび に友 人 各
位 に伝 えて下 さるよ うに念 じて い るもの と,私 は
れ た手 紙 な どか ら読み とられ ,わ が国の現 状
を理 解 して もらうのに大 いに効果 が あ った と
確 信 い た します。
RI事 務総長 ジ ヨー ジ
R・
思 う。
ミー ンズ
(書 籍配布・370区 直前青少年交換委員長
)
照 顧脚 下
韓国 IC旅 行団の訪 日
熊本
樋
口 欣
和歌山東
―
達i
固
ニース大会 に 出席 後,西 ベル リンのアムパ
サ ダ ーホテル で の 夕食 後 の散歩 に クル フュル
370区 は隣 国375区 との間 に, イ ンターア ク
トクラブの学生旅行団 を相互 に短期 に派遣 し
て,交 歓親善 と国際理解 の実 をあげ るべ く交
に行 った。 ホテル か らしば ら くの所 に,カ イ
ゼル・ ヴ ィル ヘル ム記念教会 があ る。 そ の 旧
換計画 をね って きたが ,ま ず韓 国側 の ICを
わが 370区 に受 入れ る こ とにな った
教会 は戦災で破壊 され たが,市 民 の要 望 で
広島 の ドームの よ うな無 残 な姿 の まま記念 に
去 る 1月 13日 ,張 龍河氏 (ノ ウル 南 RC会
員・ パ ス トガバ ナ ー)を 団長 とす る高 校生 8
残 され て居 る。 そ の隣 りに太 い柱 を立てた よ
うな新教会 が高 くそび えて い る.頂 きに十字
名は,関 西 汽船「 なにわ丸」で小倉港 に無事到
着休 む間 もな く九州一周旅行 の途 につい た。
架 が あ るだけで, とて も教会 とは思 えぬ建 物
で あ る.こ の ま こ とに奇 観 な新 旧教会 の あ る
ところか らクル フュル ステ ンダムの商店街 と
.
即 ち,ま ず博多 の韓 国総領 事館 に入 国 の挨
拶 をす ませ たのち,福 岡 4ク ラブ主 催 の西南
学院高 校 ICと の交 歓会 に臨み ,つ いで長崎
。熊本・ 鹿児島・ 宮崎 。大分 。別府 と 5泊 6
日の ス ケジュール を元 気 に消化 して,立 派 に
22
岡
ステ ンダ ムの有 名 な シ ョウ・ ウイ ン ドー を見
,
な る 各商店 のシ ョウ・ ウイ ン ドーの外 1/C,
歩道 の車道 よ りの所 に な らべ られ た ガ ラス張
りの陳列台 も名物 で あ る.商 品 は きれ いに陳
列 され ,一 つ一つ にハ ッキ リと定 価 が示 され
,
THE ROTARY― NO― TOMO
美 し く照 明 され てい るので ,そ れ を の ぞ いて
まわ るのは楽 しい夜 の 1枚 歩 で もあ り,買 物 の
予定 をたて るのに も好 都合 で あ る。 わた しは
買物 の予定 がで きた ので ,そ こか ら 2
‖十バ スに乗 った ところ,liIPイ 所 が 3つ 4つ で
ホテ ル近 くまで苦 もな く帰れ た。
りl
llの
Jデ
日1']食 後 ,咋 夜 の経験 か ら安心 して,き
あわせ た 2階 バ スに乗 りこんだ.車 掌 が キ ッ
フを りに来 たが,下 車す る停留所 名 が わか
正 確 さに
ビ ッ ク リ………
あな たの 時計 は何 時 ですか
?。
腕時計 は、置時計 は、 掛時計 は
い った い どれが正確 です か 。
こんな と き、 これ だけは と、信
bl」
らな い
会 話 に苦 心 して い る間 に フ ト気 づ く
ス
と,パ は横道 にそれ てい る.系 統 の ちが っ
た バ スに乗 った らしい ‖ て下 車 ,ふ りか
`い
に 前述 の教会 が 見
え ってみ る と,か な り遠 く
あれ が 目じるし とひ と安心。 そ こで教
へ
の
会 方 も どれ ば よか った のに,教 会 が あ の
える
方 角な らば, この方向 へ行 け ば クル フュル ス
テ ンダムヘ 出 られ るにちが い な い と近道 を と
頼 で きる時計 が 1台 欲 しい もの
そ こで文 字時計 〈キャ
です 。
ス ロン》 をお すすめ します 。
(キ ャ ス ロン)は 電気 の周 波数
に同調 して回 わ る特殊 なモー タ
ー に秘密 が あ り、絶 対 正確 です
ったのが大 間違 い あ ち らへ まわ り, こち ら
へ まが った りして居 るうちに方角が全然 わか
らな くな って しま った。 で もあ の教会 が 目じ
るしだ と前 方 をみ わた したが,高 い教会 も見
えな くな って しま って い る.終 に途方 に くれ
て道行 く人 に尋ね てみ た.す る と笑 って曰 く
「 あなた の うしろ」 と
.
ふ りか え ってみ る と,な ん と燈 台 下 く ら
.教
し
会 を背 に して立 って い た。 そ こで 心 に
浮 ん だ のが「照顧脚下」 この ごろ禅寺 な どに
ゆ くと,玄 関や男子 トイ レな どに よ くみ られ
る文句。 けれ どもその本来 の意味 は「下足 を
li潔
そろえよ」 とか「足 も とをハ
に」 とか い う
ので はな く,「 今 , この現在1を か え りみ よ」
本格派の文字時計
とい う こ とであ る.い ま [1己 の立 ってお る と
デラ ックス な文字 時計
ころを忘れ て,向 うばか り│]]題 に して い るか
ら,迷 うて しま って い た ので あ る.今 この現
在 の3LIHl地 は過去 の必然 をにな うて居 るが
それ と 時 に将来 へ の当為 をは らんで居 る。
,
IH」
402
Y8.400
チ ー クの豪華 な文字時計
キャスロン 501
¥5.500
悧
″躙
=
と反 省 した こ とで あ った
キ ャス ロ ン
4
8H
って も「照顧 脚下」 をお こた ってはな るまい
ゴージ ャ ス な文字掛 時計
式 島
林 貞立
ここで わた しは,わ れ われ の本仕活動 にあた
「 ¥4.800
9
<
仲
ぃ
﹄
4
6
.
・
.
¥7.500
﹁
J幽伏
釧疎
一 歩があや まちな く,力 づ よ く´
、
〕
み出せ る
7¥6.800
キヤスロン 301
現代の文字 時計
.
キヤスロン 401
齢鵬
今 の この立場 をノ`ッキ リとか え りみ る こ とに
よって,こ れ か ら,ま さになす べ き方向 へ の
キヤスロン lol
.
ロ ー タ リー の 友 -9月 号
23
職 業 奉 仕 の人
柏崎 植 木 豊 大 君
柏171R Cの 会員植木豊太君は,新 潟県下の有力な土木建築業者であ り,民 間公共 の諸工事を手広 く請負 って活躍 され
てい るが,そ の誠実な工事内容は定評があ り,関 係者の賞ptlを 受けている そこで,“ 職業を通 じて社会 に奉仕する"
というロータ リーの職業奉仕の見地か ら, 同君 の事業 とその人柄 について,柏 崎 の会員の方 々に伺 ってみた
山田龍雄 昔 は土建 業者 の社会 的地位 は,ひ と 口
に土 方 とい う言葉 で片付 け られ ていた わ け で す
で はな いか.皆 さん のお気持 は有 難 いが,堂 々 と
一 般入札 に して下 さい。 私 も堂 々 と見積 って入札
が,植 木 さんは昭和 9年 に家 業 を継 いで か ら,一
し落札す る自信があ る と云 う。 私共 は大 いに恐縮
貫 して土 建業 の信用 と社会 的地位 を高 め る ことを
目標 として進 んで来 られ た と思 う。 当時 い ろ い ろ
し,結 局植木 さん の ご希望通 りに一 般 入 札 に し
た。 そ の結果 植木 さんが 落札 し,実 に立派 な公舎
とや くざみ た い な ボ スが いて 業界 を牛 耳 って いた
よ うで すが, この連 中 も植 木 さん には手 出 しが出
を作 って くれ ま したが ,あ の時 は明 か に損 を され
た ので はな いか と思 って います。
来 なか った.こ れ は別 に植 木 さんが強 いか らとい
関
うわけで はな く,そ の人 柄 に手 出 しがで きなか っ
普通 の人 な ら出 来 るだけ損 を少 な くしよ う とす る
た ので す よ.植 木 さんが 自分 を厳 し く律 して い る
か ら,人 も自然 とそれ に従 うよ うに な るとい うわ
けで す
.
高橋 そ う,非 常 に 自分 に厳 しい方 ですね.そ の
点 で 私 も植木 さんか ら教 え られ た こと が あ りま
す.以 前私が公 安委員長 を して いた頃, 自治体警
察 の署長 公舎 をつ くる ことにな った際 ,植 木 さん
に相談 してみ よ う とい うことに な った.そ こで 図
面 を作 って もって い った ら, もう一 間 8畳 の部屋
があ るとよい と云 う.私 共 が予算 の都合 もあ り
,
建築 制l限 令 の関係 もあ るので,こ れ 以上 大 き くは
・ ●きな い と云 った ら,植 木 さんが怒 って,建 築制
限令 は一応 の基準 を示 す もので, も う一 間 なけれ
ば公舎 としての役 をな さな い.事 情 を説明すれ ば
役所 も分 って くれ るはず だ と云 われ た そ こで役
所 へ行 って説明 した ら,な るほ どその通 りだ と分
って くれ ,予 算 も増 や して くれ た。 また建 斯 1限
令 の点 も拡大解釈 して くれ た.こ れ で公舎 の建 築
が 本決 りとな ったので ,私 共 としては行 き掛 り上
24
下 請 が 安値落札 して工 事 が終 る と,そ れで は損す
るだろ う と云 って,割 増 を くれ る。 人 情 に も厚 い
人 です
.
高橋 昭和 33年 に黄綬褒章 を授与 さ れ た時 ,社
員 一 同が胸像をつ くった。 ところが植木 さんは
,
自分 の生存中は建 ててはいかぬ と云 って建 て させ
な いんですね.「 人 間 の評価 は死 後 に定 ま る.生
きてい るうちはまだ ど うい うことが あ る か 分 ら
ぬ」 とい う考 えを もって い られ るわけですね
.
山田良平 さきほ ど高 橋 さんが云 われ た署 長 公 舎
の建築 の こと,あ の ことが植木 さん の真骨頂 をよ
く表 わ しています よ
西川 植 木 さんは ロー タ リーの理念 に合 せて行動
.
して い る とい うので はな く,行 為 が そ の まま ロー
タ リーの理 想 に合致 して い るので あ り,ま た職 業
奉仕 そ の もので あ るとい う感 じですね
.
発言者
柏
崎 RC
柏 崎 東 RC
柏
崎 RC
柏 崎 東 RC
(敬 称 略
ABC順
勉 生 治 雄 平
話 を したわ け です。 ところが これ を聞 いた植木 さ
んは物凄 く怒 った。 これでは談 合入札 と変 りな い
って損 をす るとい う行 き方 を とる。 それ は信用 に
こだわ る とい うよ り,い い加減 な ことは した くな
い とい う気持 か ら出て い るよ うで す.か と思 うと
三
源 龍 良
= 〓一
り 橋 田 田
うとい うことに な り,公 安委 員 ,市 の土木建 築委
員,警 察署長 と一 緒 に植木 さんの宅 へ行 ってその
,
行 き方 を とるが,植 木 さんは損 をす るな ら思 い切
西 関 高 山 山
植木 さん に指名人札 したか った。 しか しそ うい う
わけに もいか ないので,形 式 だけ一般 入札 に しよ
そ う,請 負 って損 をす る こ とが分 った場 合
柏 崎 日報 記 者
THE ROTARY― NO‐ TOMO
)
医 学 的 に す ば ら し い 効 力 を発 揮 す る
家庭 温 泉 機 ジ ャ クジ
くアメ リカ製 =特 許 ●厚生省承認 (B輸 )第 i30号 〉
生 命 は 三 度 と手 に入 らな い
生 きて い る こ とはす ば ら しい こ とです。 しか し
ス ピー ドア ップ され た現 4tで は人 々 が 運 動不 足
と疲 労 の蓄 積 で し らず しらず寿 命 を縮 め て い ま
で侵 透 させ るため に 、 血 液 が拡 が つた 末綸
rll管
まで ゆ きわ た 1)身 体 全体 の新 陳 代 謝 が 活 発 にな
り、栄 は完 全 吸 収 され 、背 髄 ・ 腸 で の 造 血 カ
ri・
が増 大 して骨 ・ 血 管 ‐筋 ・ 筋 肉等 の す べ て の細
禁物 です。 手 お くれ に な っ て か らで
胞 が 、 や わ らか く若 返 ります。 また超 音 波 (泡
の 破 裂 に よ り生 ず る)に よ り体 内 が 浄 化 され拡
は 、 い くら企 を積 ん で も取 返 しが つ きませ ん。
が っ た汗 腺 か ら汗 と共 に疲 労 素 や毒 素 、余 分 な
自動 車 の 発達 に よ る運 動 不 足 は老 化 促 進 に一 層
の 拍 車 をか けて居 ります。 ジャ ク ジは老 化 にス
ロ現象 をス トッ
勺にJ卜 出 して老 イ
月割防な どが効 果 白
プ させ る医学 的 にす ば ら しい効 力 を発揮 す る青
トップ をか けて そ の上 若 返 らせ るす ば ら しい も
春 の泉 で す。
す。 若 さや 生 命 は金 で買 う こ とは出来 ませ ん。
うぬ ほ れ
│ま
の で す。 均1を とっ た か
病 気 の 予 防 と治 療
ら と い っ て あ き らめ る
こ とは あ りませ ん。 あ
● 肥 りす ぎは心 臓 を圧
迫 し、心 臓 病 冊 尿 病 。
な たの人 生 は まだ まだ
■・肝 臓・胆 石 な ど
1.5血「
こ れ か らで す。 ぜ ひ ジ
の 原 因 と な り、 1こ 生 き
吏用 して健 康
ャ ク ジ をイ
す る こ と は不 可 能 で す。
な若 さ と新 しい生 命 を
● や せ す ぎて い る人 は
あ な たの もの に して く
ノ」臓 の 機 能 が 弱 い か 疾
だ さ い。
患 が あ る ため 、 内 がつ
4ツ の 思 恵
き ませ ん。
① 水 泳一 全 身 )■ Il」 熟 睡
ジャ ク ジは身体 全体 の
② 温泉― 疲 労 回復
機 能 の l」 lき を活 発 に す
③ 蒸 し風 呂一 新 陳代 謝
る た め に 、 病 気 を消 滅
④ マ ー サ ー ジー
筋 内 の若 返 り
せ しめ病 気 に た い す る
抵 抗 力 が 増 大 し、病 気
ジャ ク ジ は家 庭 の お風 呂 の 中 に入 れ るだ けで た
が 発 生 しイ
:l滞 し悪 化 す る こ とを防 ぎます。 ガ ン
ち ま ち平 凡 なお風 呂が青春 の湧 き出 る温 泉 と化
の予 防 や小 児 マ ヒの治療 、高 血 圧 をさけ るの に
し、 の んび りと手 足 をイ
申ば しなが ら、 しか も家
族 全 体 が毎 日四 つ の恩 恵 と1司 じ効 力 を得 る こ と
健
大 きな効 力 を発 揮 します。家 族 全 体 の若 返 り、
ぜひお
め
すす しま丸
康 管 IЧ lに 病 気 の 予 防 と治療 に 、
が 出来 る、二 十 」
し紀 が生 んだ魔 法 の泉 で す。
使 用 法 が簡 単
青 春 の泉 ジ ャ クジ
,ク ジ │ま
ジネ
し く噴 射 し気 泡 と激 しい水 圧 に よ り体 全 体 をや
五20事 レの /1ヽ 型 筒 型 で 、
さ421ン 、1上 ィ
ン
お風 呂 の 中 に20事 四方 の スペ ー ス さえ ″)れ ば ど
ん なイヽさなお風 呂 で も、 なん の 設備 も工・卜の 必
わ らか く、 また激 し くマ ッサー ジ (運動 を与 え
要 もな く入 れ るだけで激 し く噴 き出す温泉 になりま丸
る )し な が ら熱 量 (普 通 入浴 の約 10倍 )を 骨 ま
定価
ジャ ク ジ はお風 呂 の 中 で お 湯 に空 気 を混 ぜ て激
ジ ャ クジ
F高
病 院 用 198,000円
ll」
家庭 用 155,000円
.tL員 が
瞥)F野 留 梁芽型斐│]奎 肇毛吉:1報 ?Я ζ主
説
がり
た します 。
明 に
参 11い
東京都中奇勇早参雰薫町橿器晶
蒼ヂ↑〒亨1を 丁貿易株式会社
‐
―
Steinway
&
Sons
ニ/tキ 春お合
オ
東京都港区麻布今井町23六 本木俳優座並 TEL(584)5251(代
)
各国特許
盛 岡勇夫 発明
(美 術銅 像 )
① 今 井
胸 像・ 立 像
レ リー フ (浮 彫肖像
)
1回 の 撮
影 で
芸 術 の 香 り高 い
生 気 │こ 満 ち た
迫 真 の 肖像
賀 寿 、功 労 、叙 勲 受 章
象
等 の御 記 念イ
(ホ
し 幌
)
高
島 屋
(東
京
高
島 屋
購
洵
屋 (東
京
)
京
)
松
)
松
坂 屋
(東
松
坂 屋
(名 古屋
大
丸 (東
京
)
)
大
丸 (大
阪
丸
物
建
橋
玉
屋
(小
創
岡
,
玉
屋
(福
玉
屋
(佐 世 側
'
)
上:こ 各嗜事静田部 にて承 ります
党暉
言
月i■ ,II:こ
始 者 ポ ー ル・ハ リス
写 真 は □ ― タ リー倉」
氏 の像
1935年
当社 にて撮 影 製作
立体写真像株式会社 藝彎饗5扉 杢多
:デ 子
屁
`
ウヮー
大きな自桃が見翡 /
そ うで す 。 大 き な 自桃 が 美 し く ひ そ や か に
も っ と も品 質 の よ
光 って い るは ず で す 。
い 白桃 を シ ェ ン の 季 節 に パ ッ ク しま した 。
お 口 に ふ くめ ば 、ほ の か な香 りも楽 じめ ます 。
K&Kの 柔 ら か く大 き な 自 桃・・… …・
口 分 フ フ≡リ ー缶 詰
発 売 元
°
S NCE 17 2
*東 京 ・
日本 橋 本 店
*相
浜 支店
I嘗
魂庶 琴 I層 岩
緊 国 分 商 店 瑠糧
み が かれ た
伝 統 の技術 が生 む
豊 か な あ ま味
栄 太 楼 の 梅 ぼ志 飴
J婁≧鷺〔
蕊I蜂 論F↑ 舗
1亡
i1 271)7781・ 7791(代 表
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東京駅店・銀座店・新宿店 。新宿駅
店・渋谷店、全国有名デハー ト栄太
楼売場 、ひかり他 急行列車内にて
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新 しい年を異国で迎える ……大好評の新春海外旅行
「
7■
li`′ :神
祀 tた たえ
「
るア )コ ー レ
「′ =ト
「 の 新 春 海 外 旅 行 も 4年 日。 今 回 は 特 に,東 南 ア ジ ア 旅行 には
毎年 ,人 気 上 ナ
,
秘境 ア /コ ール ワ ッ トの他 に別 天 1也 ボル ネ オ を加 え,一 層魅 力的 に しま した
.
ご家 族 づ れ ,お 知1合 い ど うし,気 楽 で しか も1度 も印 象 的 な海 外 旅 行 で す .刃 J間
′
も短 く,費 チ
llも 手 り〔
,気 候 は最 適 , ど うぞお 気 1亜 に富 ± 7毎 外 旅 行 の新 春 旅 行 ヘ
御 参力Π下 さ い。
A
新 春 ハ ワ イめ ぐ り
1967イ 1112月 31日
∼
1月 6日 (7日 ││り )
「
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,(ラ ― ―ホ ノル ノ
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ー ー束 万(
1968イ
i〔
B
新 春 香港・マ カオ・台 湾旅行
1968イ
111月 1日 ∼ 6日
(6[11111)
東 京―― 香港 ―― マ カ オー
ー 台 北 ―― 東 京
]F158,000
1289,000
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新 春東 南 ア ジア 旅 行
1967イ
ド12月 31日 ∼
1968年 1月 13日
(14日 間 )
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東 ヵ(― ―
ン コール フ ッ トーー バ ン コ
ーーシ ン ガオヾ一ル
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クチ ンーー ジエ ッセ ル トン
ーー香港 ―――台 北 ―――
東京
■258,00o
協賛
エール・ フ ランス
日本航空
パ ン・ アメ リカ ン航空
お申込み 。お問合せは
富 士 海 外 旅 行株 式 会社 ・ ロ ー タ リー 旅行 係
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大 阪 ・ 束 lκ 大 川 23。 ィi原 ビル Te1 202 3251
│「
The history
of
civilization may be described
sense as struggles against floods. Floods
in
still
a
pla-
gue us and the disasters seem even picking up des
pite many a countermeasure has been stepped up
for tens of
hundreds years. Shown are the studies
being made on f loods.
河 川 の 洪 水 を 空 か ら 見 る と ,洪 水 面 に は 薇 妙 な 模 様 が 見 ら れ る
造を さぐる
写 真 は 1965年
9月 の 台 風 24号 に よ る 淀 川 の 大 出 水
この パ ター ンの 意 味 を 科 学 的 に 分 析 して 決 水 の 構
.
守 口市上 空 1900米 か ら饉 直 撮 影 〈
土屋
洪水流の研 究
昭彦
,主 と し て 洪 水 に よ つ て も た ら
'可
さ れ る の で ,洪 水 の 特 性 を 知 ら な け れ ば ,適
切 な 防 災 工 事 を 行 う こ と が で き な い .洪 水 流
り!lの 災 書 は
│こ
‐
関 す る研 究 と し て
の水理実験
お
, 山間 部
`ま
に よ る洪 水 田 節 の 問 題
と して
ろダム
`二
`ナ
ム洪
水吐き
,ダ
,貯 水 池 内 の 堆 砂 や 貯 水 池 の 有 効
,流 域 全 体
利 用 を図 るた め の 予備 放 流 の 研 究
を 考 え た ダ ム 群 の 統 合 管 理 の 問 題 な どが 重 要
で あ る 。中 下 流 部 で は
,洪 水 を 安 全 に 流 下 せ
しむ る た め の 合 理 的 な 河 道 計 画 を 樹 立 す る こ
,そ の た め に は 放 水 路 に よ
,河 道 の 掘 削 や 拡 巾 に よ る疎 通
能 力 の 強 化 ,支 川 合 流 点 の 河 道 整 正 な ど ,水
とが 肝 要 で あ っ て
相 桁 や 水 円 は 川 の 流 れ を ど う変 え ●か を■ べ ●● 製 費 瞼
る洪 水 の 分 流
理 棋 型 実 験 に よ る研 究 が 盛 ん に 行 な わ れ て い
る .こ の 他
が
,流 水 と と も に 流 れ る 土 砂 の 問 題
,河 床 変 動 に 関 連 して 重 要 で あ り ,各 河 川
と も流 送 土 砂 の 観 預Jが 活 激 で あ る 。
(土 木研 究所 河 川研 究室長 )
川 の 流 れ が 人 間 の 歩 み に ほ ど こ した 思 恵 は 計
り しれ ぬ が
は分 水 路《左 )を 新餃 して饉和 す る
急角度 に湾 曲 した
,と
同 時 に 洪 水 と い う川 の 懇 りが
人 々 の 生 活 を どれ だ け お び や か し た か は
世 紀 の ノアの 洪 水
'11に
,ま
,創
た書 経 に み る菫 河 の 治
4世
,淀 川 下 流 に 堤 防 を 構 築 し た 配 紀 の
記 録 が 川 との 闘 い を 物 語 つ て い る が ,洪 水 は
今 も な お 猛 威 を し る い ,被 書 額 は 右 表 の 如 く
水 対 策 な ど太 古 か ら で あ る 。わ が 国 で も
ヽ
紀の初 め
S、
上 昇 の 傾 向 さ え示 して い る 。最 近 の 建 設 自書
に よ れ ば 予 想 さ れ る河 川 の 氾 濫 地 域 は 国 土 の
約
:5%,約 4100万 人 が 危 険 な 状 態 に お か れ て
い る と い わ れ る 。 わ が 国 に お け る近 年 の 決 水
研 究 は こ こ に 掲 載 し た 写 真 の 如 く ,建 設 省 土
,河 川 の 棋 型 や 洪 水 時 の
,電 子 測 定 装 置 な ど を 使 っ た 科 学 的
な 方 法 で ,河 川 の 特 性 と洪 水 の 構 造 を 究 明 し
つつ あ る
そ し て これ ら の 資 料 を 基 に ,建 設
の
関係
会 員 事 業 所 も協 力 して ,ダ ム .堰 ,堤
防 な どの 工 事 を 行 な っ て お り ,新 し い 施 工 方
木研 究所 や各大学 で
航 空 写真
河 床 の 状 態 を機 製 で 再 現 して ,決 水 流 に よ
法 の 開 発 に も努 め て い る の で あ る 。 こ の 治 水
対策 について
,40年 間 水 門 だ け を 研 究 製 作
続 けて きた九島水 門製作 所社長
君
し
島 同借 治 郎
(大 阪 東 )は り llは それ ぞ れ個 有 の 特 性 を も
つ て い る た め 川 の 性 状 を よ く理 解 す る こ と
近年の洪水 は
の開発
.
,上 流 地 域 で の ゴ ル フ 場 や 宅 地
,下 流 で は 遊 水 池 が 埋 立 て られ る こ と
.だ が 防 災 ,発 電 ,農 工 業 用
も一 因 で は あ る
水 な どの 線 合 開 発 計 画 の 積 極 的 な 推 進 に よ る
卜河 りllの 整 備 が 急 務 で あ る " と語 っ て い る
中′
わ れ わ れ は 自然 の 猛 威 に 打 克 つ 技 術 開 発 と関
係 者 の 努 力 に 期 待 し ,洪 水 との 闘 い に 終 止 符
を 打 つ 日 を 望 ん で い るの で あ る
.
.
水書被害ロ
5!ξ 掘習
明 治 8年 一 昭 千口m年
水 書 被 書 猥 及び水 書 被 書 率 の 推 移
水書 被 書 率
■金 額 は H召 和 40年 の 価 格 に換 算
昭︱
正
大︱
:!は 大 き さ ば か り で な く荒 狂 う こ と で も わ が
利根′
利 都U‖ 水
日 屈 │● の 川 で あ る .年 間 総 流 出 量 約
130億 立 方 米
昔 か ら泊 水・ 利 水 の 各 種 工 事 が 営 ま れ て き た が
今 日 で は この 図 の よ う に ダ ム や 颯
.
,
,水 路 の 建 設 に
よ っ て 従 来 以 上 の 大 豪 雨 で も 大 文 夫 と い う治 水 策
が 購 ぜ られ つ つ あ る
ミ
ン
垂
―
―
う
ヽ
′`
く
/ `
▲ごほ
`三
】
4J:11/^ヽζ、
紳
ヽ
、
´
―
伊♂
↑
聯
`72
今 月 の ロ ー タ リア ン用 品 ご 紹 介
RI認
可
)
ロ ーータ リ ーーク ラ ブ 及 び ク ラ ブ メ ン バ ー
特 別製 作 や新 ク ラ ブの為 の ク ラブ用具 ― 式 な ど
ご 支援 を 得 て 年 々 新 製 品 の 開 発 に
に つ い て も広 くご 用 を承 っ て お り ま す の で
まい りま した が
何
お か げ を も ち ま して
評 を lriい て ぉ り ま
+お
気 軽 に ご 用 命 の ほ ど お 待 ち 申 し上 げ ま す
記念 品 の
摯 光 ヽ11攀澤
ロータ リア ン誌
9月 号予告
Previewing The Rotarian for September 1967
`Our Aim,Mro President'.“
"
∼ホッジスRI会 長,米 大統領と会見
毎年新 RI会 長 は,ホ ワイ トハ ウスに時 の米 国大
統領 を訪 問 して挨拶す るのが恒例 とな って い るよ
うで す.ホ ッジ ス会長 も この恒例 に したが って
去 る 7月 ジ ョンソ ン大 統領 を訪問 しま した。
ホ ッジス会長 が同大 統領 と会 ったのは これ が最
,
初 では あ りません。 とい うの は,ホ ッジス氏 は19
63年 か ら 1年 間 ジ ョン ノ ン政権 の下 に あ って商務
長官 を務 めて い た関係上,当 時 は毎週 の よ うに大
統領 と会 って い たか らです
.
ます。 この Manizalesも 海抜 2,100米 の高 原都市
で,ア ンデ スの 山 々にか こまれ た風光明媚 な街 で
すが ,有 名 なのはその風光 よ りも,世 界第 2位 の
輸 出量 を誇 る コー ヒーの大 産地 で あ る ことです・
同市 に あ る Manizales RCは 会 員 32名 の小 ク
ラブなが ら,市 内の一 流 の実 業家 ,専 門ll■ 業人 を
会員 に有 し,児 童結核病院 の 開設 運営 ,学 生 の た
めの手 芸 セ ンタ ー開設 ,飛 行 場 ,道 路 の建設 発起
な どをは じめ とし,多 方面 にわた り目党 ま しい活
躍 をみせ ています.首 題 の記事 は この クラブの 活
動状況 な らび にその背景 をなす コロンビアの歴 史
今 回改 めて RI会 長 として大統領 と会見 したホ
ッジス氏 は,新 興 国 の発展 援助 のため ,そ の道 の
エ キ スパ ー トで あ る ロータ リア ンを活 用す る構 想
や風物 な どを興味深 く解 説 して い ます 。14∼ 19頁
を大統 領 に説明 し,世 界 の繁栄 に役 立 ちた い と,
その所 信 を披歴 しま した 33頁
∼精神病回復者を雇用しよう
ひ とたび精神病 にかか る と,生 涯 を鉄格子 に とざ
Rotary ln COfFee Country、 コ_ヒ ーの国のロータリー
され た病 院 で送 らね ばな らな い。 ほん の10年 前 ま
で は これ が現実 で した。 しか しい まは入院す ると
大抵 の患者 は間 もな く回復 して家 へ 帰 るこ とがで
.
関 の花 が 咲 き乱れ ,他 の どの国 よ りも多量 の プラ
テナ と世界 のエ メラル ドの95パ ーセ ン トを産出す
る国,そ して また赤道直下 にあ りなが ら,純 自 の
雪 におお われ た山 々にか こまれ , ピユ ーマ とパ ク
が 棲遭、
し,美 し くて上 謂1な ,古 くて新 らしい都会
が 散在 す る国,そ れ が コロンビアです 南米 の西
北端 に位置 し,大 平洋 とカ リビア海 に接す るこの
国は, フラ ンスの 2倍 の面 積 と 1,800万 の人 口を
″
有 して い ます.首 都 は “ア メ リカのアテ ネ と呼
ばれ るほ ど美 しいボ ゴタで,ア ンデ ス山系 の なか
海抜 約 2,600米 の ところにあ る高 原都市 で あ りま
す しか しこの国 には, も うひ と つ の “首都 ",
コー ヒー キヤ ビタル と ばれ る Manizalesが あ り
1子
ロー タ リー の 友 -9月 号
Hむ e The PIentally Restored
き るよ うにな って い ます。 精 神病 医学 の この よ う
な進歩 発展 は1960年 代 の 奇跡 とさえ呼 ばれ て い ま
す.し か しこの奇跡 は同時 にまた緊要 な社会 問題
す なわ ち,回 復患者 の社会復帰 とい う1川 題 を提起
す るに至 ってお ります.雇 用主 の多 くは精神病 に
対 す る先 入観念 か ら脱 け切れず ,回 復者 に雇用 の
間 を開 ざして い る。 一方 ,勇 気 を もって彼等 を雇
用 して い る ところでは,非 fIに 良 い結果 がでて い
る との こ とです.首 題 の記」千は この矛盾 に焦点 を
あてて,現 在先進 国 で実施 され つつ あ る療 法 お よ
び 回復者 の雇 用促進 制度 を具体的 に解 説 し,社 会
の理 解 を訴 えて います
33
孤 独 と 友 情 と社 会 と
ヘ ン リー・ ソロ"の 三つの椅子
ヘ ンリー・ ソローlld米 国の偉大な思想家,随 筆家である.ハ
ーバー ド大学 lC学 び一時教師をしたがやがて農業,測 量,執
筆,講 演などで最小限の報酬を得,簡 素 な生活をしつつ生涯
狂身を貫 いて,読 書,思 索 に専念 したと伝えられ る。なお この
記事の筆者 ロパー ト・ ボル トンは ニ ューヨーク州 シュラキュ
ースRCの 会員で,大 学のメノジス ト教会 の長老牧師である
.
偉大 な思想家 ヘ ン リー・ デ ー ビ ッ ド・ ソ ローは
今 か ら 150年 前 の1817年 7月 12日 に,米 国 マサチ
口"タ リアン誌 i967年 9月 号 より要約
Henry's Three Chalrs
By Robert
を満 すため に,ウ ォール デ ン湖 畔 に小屋 をたてた
ので あ る
.
ューセ ッツ州 コンコー ドに生 まれ た。1845年 ,28
“私 は森 のなか に入 った.な ぜ な らば人生 に とっ
才 にな った とき,彼 は ウォール デ ン湖 畔 の森 の な
て本質 的に必要 な面 のみ を直視す るため,静 か に
暮 らす こ とを願 ったか らで あ る''と ソ ローは書 い
て い る.彼 に とって倉J造 的な孤独 は人生 の不可欠
か に簡索 な小屋 を建 てて, 2年 間 その小屋 で独 り
で 暮 らした と云 われ てい る
.
孤独 な哲学者 で あ りまた 自然 主義者 で あ るソ ロ
ーは,そ の粗末 な小屋 のなか に常 に三脚 の 椅子 を
置 いてい た とい う。 あ る日その小屋 に ソ ロー を訪
な一要素 で あ ったのだ。
ね た友人 が, この こ とに気付 い た。 ノ ロー を訪ね
ばな らな い.人 間 は孤独 に な りた い と願 う と同時
て くるよ うな人 は殆 ん どな い こ とを知 って いた こ
の人 は,不 思 議 に思 って,“ ど うして三 つ も 椅 子
にまた独 りに な るこ とを恐れ る。 人生 とは “いた
ちごっ こ''の よ うな ものだ と嘆 くその一方で は
大 して重要 で もな い仕 事 を追 って次 ぎか ら次 ぎヘ
を置 いてお くのか "と たずね てみ た.こ れ に対 す
るノ ローの 答 えに は味 わ うべ きものが あ る.す な
孤独 を貫 くため には,人 間 は 自分 自身 と闘 わね
,
わ ち彼 は次の よ うに答 えたのであ る
“椅子 の一 つ は孤独のため,他 の一つ は友情 のた
と気狂 いみ た いに走 りまわ って い る.自 動車 に乗
゛
って い る ときはす くラジオ をつ けて 聞 く.ピ クニ
ックヘ行 くときは, トランジスター・ ラジオを も
め,最 後 の一 つ は社会の ために置 いて あ るのだ"
って い く。 家庭 に帰 えれ ば,急 いでテ レ ビの ス イ
と この 言葉 は私達 の 1人 1人 に訴 えか け る素晴
らしい人生哲学 の一 端 を示 唆 してい るよ うに思 わ
しる
才
ッチ をまわす.こ の よ うに私達人間 は一人 ば っち
に な る こ とを恐れ て い る。 なぜ な らば孤独 と淋 し
.
.
さを混同 し,孤 独 を豊か に利用す る方法 を知 らな
いか らで あ る
.
孤 独
今云 った よ うにソ ロ ーの第 1の 椅子 は孤独 を象
徴 す るもの として置かれて あ った。 彼 は人 生 の深
奥 を探 究す るために,誰 れ か らも侵 され邪魔 され
る こ とのな い プラ イバ シー を必要 とし,そ の 必要
34
社会 とい うものは それ 自体 ,瞑 想 的な人生 を送
ろ う とす る人 間 に とって住 み に くくで きて い るも
のだ.ラ ッセル・ ベ ーカ ーは この点 について 次 の
よ うに意味 深 い こ とを云 って い る.“ 以 前 は,例
THE ROTARY_NO‐ TOMO
えば歯 の具合 が悪 くて歯医者 に行 った時 な ど,な
るたけ痛 くな い よ うに治療 してほ しい と念 じなが
々の頂 きに登 ったの も,“ 永遠 の静 け さ"を 求 め る
ためで あ ったので あ る。
ら,生 身の人 間 の痛 さを知覚 しては,人 生 の はか
な さに思 い をはせ る こ ともあ った。 し か し 今 で
孤独 とは大 い な る空 虚 で あ る と考 えて い る人 が
は,治 療室 に音楽 が 流れ て いて,痛 み な ど感 じな
い うちに治療 が終 って しま う。 現在 このバ ックグ
ラウ ン ド音楽 方式 は全 国 に広 が って い る。 スーパ
多 い.だ が孤独 とは烈 しい 内面 的充実 を意味す る
ものなのだ。 しか しただ単 に人 々か ら離れ て独 り
ーマ ーケ ッ トに行 け ば,ス ケ ー タ ー ワル ツが人 々
の 購買心 をけ しか けて い るし,カ クテル・ パ ーテ
まれ て来 な い。 独 り静 かな時間 を もった とき,ダ
イナ ミックな創 造 力 を働 か す こ とに よっては じめ
ィに行 って も,昼 食 を食 べ に行 って も,あ るい は
エ レベ ーターや通 勤 パ スに乗 って も,何 か しら音
楽 が流 され て い る。人 々は どこへ行 って もそれ か
て孤独の意 義 が生 じるのであ る。 前国連事務総長
ダ ッグ・ ハマ ーシ ョル ドは,そ の著書 Marking
゛
の なか で ,孤 独 とい う こ との核心 をえ くって,次
ら逃れ る こ とはで きな い''と .つ ま リベ ーカーは
の よ うに表現 して い る
何物 に も邪魔 され る こ とな く,ひ っそ りと瞑想 す
る権利 を取 り戻 した い と訴 えて い るのであ る
.
昔 よ りもむ しろ現 今 のほ うが創 造 的な孤独 をつ
らぬ くこ とは困難 で あろ う。 しか し倉1造 的な孤独
をか ち とる とい う こ とは昔で も決 して容易 な こ と
で はなか ったので あ る.孤 独 は人 間 の生活 にふ と
ま ぎれ こんで くる恵み の よ うな もの とは違 う.孤
独 を貫 くため にはそれ だけの努力 が常 に必要 とさ
れ るものなので あ る。 150年 前 ノ ローが,生 ま れ
故郷 の コンコー ドにお け る世俗の楽 し み を 断 っ
て,ウ ォール デ ン湖 畔 に移 ったの は,孤 独 を求 め
るためで あ った。 2,000年 前 キ リス トが淋 しい山
ロー タ リー の 友 -9月 号
で い る とい う こ とだけで は,真 の意味 の孤 独 は生
.
“仲間 と一緒 にい るのは余 りに も大儀だ。
そ こで孤 独 を求 めた。
しか し孤独 を貫 くとい う こ とも
何ん とまた疲れ る こ とだろ う"
単 に外部的騒音 や刺激がな い とい うこ とだけで
は孤独 とは云 えな い.孤 独 は外面 的条 件 で は な
く,静 かな場 所 を見付 けてそ こにただ坐 って い る
とい うよ うな こ とで はな いので あ る。
友 情
ロー
が友情 の ために置 い た と答 えた椅
次 に,ノ
子 の意味 について考 えてみ よ う。 私達人間 に は 1
35
人 で過 す時間 が必要 で あ る と同時 に,色 ど りとか
温 か さ,あ るい は情緒 的な友 情 も必要 で あ る。 ソ
ローは友情 につ いて も私達 に教 え る多 くの事 を残
云 った時 ,私 が それ を受 け止 め なけれ ば彼 は不満
して い る。
な事 を考 えて い る こ ともあ る.人 間 の もつ宿命 的
に思 うだ ろ う.人 が 何 か い ろ い ろ と熱 心 に話 しか
け てい る とき,私 はその話 を聞 いて いず ,何 か 別
人間 は宿 命的 にす べ て淋 しい もので あ る。 ソ ロ
な淋 しさは,友 情 に よって も完全 に消 え去 るもの
ーは この 淋 しさは友情 によって もな くな るもので
で はない。 この淋 しさを消 し去 る とい うこ とは神
はな い とい う こ とを悟 った.各 人 は程度の差 こそ
の愛 以 外 の 何物 を もって して もで きな いの だ''.
あれ淋 しい思 い を心 に秘め て生 きてい る。 淋 しい
とい う この 気持 を創造 的に活用す るこ とはで きる
人 間 はひ とたび 自分 自身 の本質 を見 きわめ始め
る と,交 友 の なか にあ って も,常 に他人 とは異 な
で あ ろ うが,淋 しさその もの を完全 に追払 って し
ま う こ とはで きな いので あ る。
った要素 を持 ちつづ け,そ れ に よって 自身 を見失
な うこ とのな い よ うに して いか なけれ ばな らな い
の だ。
ノ ローの友人 の 1人 に,偉 大 な随筆家 で あ り
広 く全 国 に その 名 を知 られ た ラル フ・ ウォル ドー
。エ マ ー ソ ンが い た.当 時知 名 の士で は るば る彼
,
を訪ずねて くるもの も多 く,友 人 も競 ってエ マ ー
ソ ンの まわ りに集 ま る とい う状態 で あ り,ま た彼
の傍 には可愛 らしい夫人 が いた。 それ に もかかわ
らず エ マ ーソンの 心の なか には強 い隔絶感 が巣食
って離れ なか ったので あ る。 エ マ ーソ /は ノ ロー
とあ る晩 この こ とにつ いて話 し合 った こ とがあ っ
た。 彼 はその時 の話 の 内容 を次の よ うに一 言 に要
約 して語 って い る.“ 私達 は悲 し くな る ま で ,人
間 の もつ 永遠 の 寂 しさについ て語 り合 った"と
.
ノ ロー もまた彼 自身 の もつ 孤独感 について,心
ソ ローの交 友 に対 す る概 念 につ いて もうひ とつ
注意 してみ よ う.彼 に とって ,友 情 には 自分 と相
手 のための二つの椅子 しかなか った。 ところが私
達 の多 くは友 情 の ため に何百 もの椅子 を大 事 に し
て い る。 なぜ な らばそれ は友情 と人 気 を混 同 して
い るか らで あ る.人 々が一握 りの数 の真 の友人 の
代 りに,多 数 の 気易 い知 り合 い を持 つ こ とに満 足
してい るな らば,そ れ は悲 しい こ とと云 えよ う
.
社 会
ヘ ン リー・ ソ ローの 第 3の 崎子 は社会 を象徴 し
た もので あ る.ウ ォール デ ン湖 畔 の哲人 は,時 た
の 底 か ら訴 え るよ うな一文 を残 し て い る。 “私 は
ま少数 の友人 と会 うほ かは,ひ っそ りと独 りで 過
して いた。 しか し彼 はその時代 の社会 の 問題 と没
友 を求 めて, この大地 を叩 いた.し か し友 は現 わ
れ な い。 私が この よ うな気持 を抱 いてい るこ とを
交 渉 で あ ったわけで はな い。 あ る時彼 は選挙 税 を
納 め る こ とを拒 んだ こ とがあ る。 その よ うな税金
夢想 だ にす るもの もな いだ ろ う。 人 が私 に冗談 を
を とるな どとい う こ とは正 し くな い と考 えたか ら
THE ROTARY‐
NO TOMO
で あ る。 ノ ローは この ため投 獄 され た.獄 中 の 彼
に面会 に来 たあ る友人 が “そのなかで何 をや って
い るんだ い"と 責 め るよ うに尋ね た ところ,彼 は
“お itこ そ外 で 何 をや って い るんだ"と 切返 した
と云 う.後 に ノ ローは この 導F件 につ いて
東 ヶ崎 RI会 長エレク
ト選挙証明書
■luri41
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諷i
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llrSi)日 ■ ■lc「 1
■,1■ tu
“全市民
の なか で 私 1人 だけが義務 を果 した よ うな気が し
た''と 語 って い る。
Jlt● 11]“
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●
」
1
菫 ruthrr.llilarヽ ●fコ rrltJぃ
ュ
愚‖!]rJコ ヽtrrt、 ぎ ‖
“
1
私避 は社会 の行 な って い るこ とを強 い関 心 を も
って注 意 し,そ のl用 心 に も とづ いて行動 しなけれ
ばな らな い.芸 if家 のバ ー ン 。ジ ョー ンズが あ る
「か ひ ど く悲 しんで い る 1人 の少女 に出会 っ
中l何 」
た こ とが あ った。 少女 にそのわけをたずね る と
`
¨
誰れ かが小 鳥 を liえ る `お とし をあそ こに仕
¨
掛 けたの と泣 き じゃ くりな が ら庭 の小径の傍 に
,
“それ で ノt方 は どうしたの''と
にた
る
と
,少
女 は “お 祈 りを して い たの
ずね
更
小 烏 が一羽 もあの傍へ いか な いよ うに って'と 答
あ る茂み を指 した
,
ついてか らつ けた した “もし鳥
えた。 そ して一 J」 、
て
効 かな い よ うに って"
が近 付 いて も お とし'力 く
つい た少女 の 目に反抗 の 色 が
と そ こで また一 J」 、
き らめ き “だけ どち ょっ と11に そ こ へ 行 っ て
,
`お
とし'を め ちやめ ちやに こわ しちやったの"と
ニース大会における
東ヶ崎潔 RI会 長エ レク トの挨拶
去 る 5月 21∼ 25日 , フランスの ユースで行なわれた
国際大会 において, ご存知 の ように東ケ崎潔 71(東 京
RC)が 1968∼ 69年 度 RI会 長 に選出 されました。同
大会で この選出決定が発表 されたあ と,東 ア1崎 /・ が立
って選出受諾の挨拶 を行ないましたが, このほ どその
際 の挨拶 の草稿 を入手 しましたので,お くればせなが
り女いたします。
らここにその訳文 を」
リチ ャ ー ド・エ バ ンス会 長 な らび に ロ ー タ リア
ン諸 君
私 は只 今 皆 さん よ り与 え られ た 名誉 を謙
虚 にお受 け し,ま た この よ うな名 誉 を与 え られ た
こ とを感 謝 す る もの で あ りま す
云 った とい う
ロ ータ リーにお け る この 高 い 役職 が 意味 す る責
この 少女の行 為 こそ正 し く私達 に要求 され てい
る行 為 の基準 とな ろもので あ る 黒人 を とじこめ
て い るあの居住 区 の状態 を見 る とき,そ して また
彼等 を束縛 し,‖ l圧 して い る不正 を見 る とき,私
れ そ うにな って こそ型1然 で あ
達 の 日に │ま 涙 が あ 、
この
心
よ
る
うなじЦ を1寺 てば,人 々が `お とし
_ふ
'
にかか らな い よ うに祈 ろ心が 自然 と生 まれ て くる
はず で あ る そ して私達 自身 の もつ あ らゆ る力 を
ふ
ば って、同‖
包をはず か しめお とし入れ て い
る不 公T[な 社会 ,ヽ 構 を粉 劇Lす るため に立 11ら なけ
1)し
れ ばな らな い
任 を 自党 し,人 類 同胞 に対 す る私 達 の 奉仕 を拡 大
して い くうえ にお いて ,引 続 き努 力 して い く機 会
を与 え られ た こ とを深 く感 謝 す る もの で あ り ま
護 を得 て,私 は最善 をつ くす こ とを誓
す.ネ 11の 力Π
い ます
私 な らび に皆 さん も ご存知 の最 も優れ た この 2
人 の人 物 (注 エバ ンス直前会長 とホ ッジス会長 )
す なわ ち ロータ リーのり1土 を新 た にlllし たの みで
な く,来 るべ き年 月 に花 と咲 くで あ りま し ょう素
晴 らしき,[子 を蒔 いた, この 2人 の会長 の後 を継
ヾ
く特/111を 私が与 え られ た こ とは 押││の 摂理 によ るも
ので あ る と思 い ます
ヘ ン リー・ デ ー ビ ッ ドは創造的な孤狙!,1品 lい 友
ル ーサ ー・ ホ ッジス会長主 11`の 理 事会 に列す る
情 そ して またネt会 に 対す るlt任 を,そ れ ぞれ 象徴
す るもの として, この三つの 1午 子を持 って いたの
に当 つては,全 面 的な支持 と協ブ」を誓 うもので あ
ります。 メル シーボー クー.有 難 と う ど ざ い ま
で あ る 皆 さん も人 生 を]Lか にす るため に,何 か
それ にバ、さわ しい家具 を持 たれ る とよい と思 う
す .サ ンキ ュー
.
ロー ク リー の 友 -9ブ i号
37
道
海
北
区
会員数
善
II
『
昭 和 41年 12月 5日
25名
例会 日
第 350区 ・ 北 海
金 屁日
童
鑑奪
寓
層
用
件
,`崎 正 己
幹
lF
承
道
べつ
昭 和 41年 9月 6日
認
会員数
26名
例会 日
水曜 日
事内
′
ヲ
リ ]菫 苫
室
鷲
繁
曇‖登
例会場
公民 館
Pll谷
1勺
会長
あ
頓
水 │″
冬 期 は白 鳥が や って くる夏 の ク ッチ ャ ロ湖・ 中頓 ,1
か
中
卿
鳳
山
一
豆
サ ロベ ツ海 岸 か ら 見 た 利 尻 富 士 に しず む 夕 日・ 豊 富
辻武 男
会 長 ・ 幹事 の 抱負
I上
会 長 ・ 幹事 の 抱負
クラブの特色 を挙 げ るな らば,ま ず会 員 の平均
年令が非常 に若 い とい うこ とで す.明 治生れ の人
員 の 出席率の向上 を図 る.9)会 員 の家族 に
対 して,ロ ー タ リーの楽 しさ, ロー タ リーの意義
は会 員25名 中,た だ 1人 だけで,そ の他 の会 員 も
主 に事 業主 の二 世 が多 く,ま た,幼 な い頃 か ら知
って い る者 ばか りの集 りで もあ り,行 動力があ る
を普及徹底 させ る。 (3)地 域住 民 に ロー タ リーの趣
旨 と, ロー タ リア ンの使命 を認識 させ る.(4)ク ラ
(1)会
し,団 結心 に豊 んで い る こ とです。 今後 の方針 と
ブの基礎作 りに努 力す る
以上 の四項 目を創立年度 に打 ちだ しま したが
しては会 員 を増やす こ とを考 えて い るが,そ れ も
2年 度 も同 じ方針 を もって進 む とともに,全 会員
小都市 にお いて はむ つ か し く,経 済 的な負 担 を少
くして, ロー タ リー精 神 の理 解 に あた りた い。
に ロー タ リーの精神 を徹底 させ るよ う努力 して い
天然 ガス と温 泉 に よ って
,
きた い と考 えてお ります
.
砂金採集者 の 移入 に 始まる
日本 の最 北端 の都 市は稚 内市 で あ る.そ の南側
の 日本海 に面 して隣 17Kす る町 が豊富 で あ る。 豊 富
の 名 はアイ ヌ語 で「 エ ベ コロベ ッ」 とい う「食 物
の豊 富 な川 」 の意味 か らで た もの とい う。
1925イ │:(大 正 14年 )に 石油坑 の試掘 を した とこ
ろ,深 度 800米 の ところか ら,良 質 の天 然 ガス と
温泉 が 吹 きだ し, この地 は一 躍 脚光 をあびた.以
来 その ガス量 ,湯 量 は衰 えず ,現 在 この ガスは我
国最初 の ガス ター ビンに よる発電 を行 ってお り
この外 ガラスエ 場や一般家庭 の燃 料 に広 く利用 さ
,
れ て い る。 温泉 は北海道北部 では唯 一 の もので
世界第 6位 の ラジウム含有 itを 誇 り,利 尻,礼 文
サ ロベ ツ原野 を含む一 円 が国定公園 に指定 され る
,
、
や観光 客 も年 ご とにン
ζ
え,近 年 は国民宿舎が完成
2は
ロベ
ツ原l」
した.サ
日本海 に面 した23,000ヘ ク
タール の面 積 を持 つ未 開地 で 森林 ,砂 丘 ,花 園
.
,
稚 内市 か ら天 北線 にの って,オ ホーツ ク海 沿 ぃ
に南下 す る こ と約 2時 間あま り, この 間,車 窓 か
らはオ ホーツクの 暗 い海や乳牛が草 をはむ牧 場風
景が展 開 し,や がて興 浜北線 の分 岐点で あ る浜頓
別 につ く。 この北方の ク ッチ ャ ロ湖 は夏 は若人 た
ちで に ぎわ うが,冷 い北風が吹 く晩秋 ともなれ ば
遠 くシベ リアか ら群 をな してや って くる白鳥 が羽
を休 め る憩 いの 湖 で あ る。 ここか ら汽車 は海 を後
に 内陸 に向 って針 葉
lの 生 い繁 る原生 林 の 中 に入
り,約 30分 で 中頓別 につ く。 さすが に木材 の宝 庫
駅裏 には数 々の木材 力ゞ
山積み され て い た。
l_・
砂金採集者 の 移入 によ って開 けた中頓別 は資源
の消失 で農 業 と木 14産 業 を中心 として再 出発 し
一 時 は澱 粉工 場が舌L立 したが,そ れ も時 の 流れ と
,
共 に衰 え,今 で は酷農 中心 の農 村都市 とな って い
る。 駅 か ら 4キ ロの ところには他 で は見 られ な い
湖 沼 ,泥 炭地が利 尻富士 を背景 に雄大 な大 陸的景
貝化 石 の集 積 か らな る石灰岩 をブt盤 に した鐘 7L洞
観 をみせて い た。
が 発見 され ,学 術 的 に も注 目され てい る
.
武
む
承
認
会員数
例会場
事 務所
会長
第 350区
昭 和 39年 11月 24日
32名
例会 日
火曜 日
公民 館
皿
´ ヽ
北 洋 相互銀 行 支 店 内
飯原孝喜
幹事
倉 本守
会 長 ・ 幹事 の 抱負
出席 率 が あま り良 くな いので ,当 面 の クラブの
目標 は出席率 の向上 を計 るこ とが第 一であ る
初代 ,二 代 の会長 の方針 を,そ の まま受 けつ が
.
ず , この あた りで 新方 針 を うちだ し,い か に した
ら出席 率 100%が 達成 で きるか,を 考 えた結果
,
´た。 例 え
しば ら くは厳 罰 を も ってあた る こ とに し
ば遅刻 ,欠 席 ,早 退な どには,か な らず ニ コニ コ
箱 へ また,例 会 日には電話 な どで連絡 し合 うよ
うに して い くつ も りで す。
北 海 道
ぺ
部
道
北
海
区
獅
雌
喜
叫
”
。
市 街 地 か ら は 牧 草 が きれ い に 並 ん で い る の が 見 え る 興 部
雄 武 の 漁 港・ 雄 武
承
認
会員数
例会場
昭 和40年 6月 30日
30名
例会日
本曜 日
商 工 会館
事 務・rl 商 ェ 会 館 内
会長
山 口浩
幹事
宮 田俊彦
会長 ・ 幹事 の 抱負
これ まで は委員会 の活動 が不 活 発 で , これ とい
った実績 はあ りませ んが,今 年度 は 3年 目 に 当
り,一 番大切 な時期 に さしかか った ところなので
心がま えを新 た に して ,地 域社会 にマ ッチ した も
の を取上 げてい きた い。 さい わ い一 般市民 もしだ
いに ロー タ リー とい うもの を理解 し始 め た と こ
ろ.ロ ー タ リー精神 にの っ とった小 さな親切運動
な どは,小 都市 の小 クラブに とって最 も手 近 か な
もの と考 え,ま ず これ を推進 して い くつ も りで す
オホ ロ ツ ク海 に面 した 漁業の 町
花 の 咲 か な い頃 のオホ ーツク海 の 沿岸 は単 調 で
興浜南線 の 分岐点
か つての 名 力士 ,名 寄岩 を生 んだ名寄市 か ら名
あ る。 中 で もlll武 か ら北見枝幸 にか けては鉄道 も
な く, 日に 5便 ほ どのバ スが砂 ば こ りをあげて通
寄 本線 で 約 1時 間半 ,山 岳地 をぬ け る と灰 色 を し
たオ ホーツク海 の 沿岸 にで る。 ここが興浜南線 の
りす ぎ るだけで あ る.そ して冬 の 訪れ は早 い。 つ
き さす よ うな北 風が吹 き始め る と, しだ いに沿岸
は流氷 におお われ ,見 渡す 限 り白一 色 とな る。一
分 岐点 で あ る興部 の 町だ。
大正 10年 に鉄道 が 開通 してか ら,に わか に入 殖
望千里 の氷 の 原 は,時 には鉛色 の空 の一 角 か らさ
す冬 の 陽光 に反射 して キラキラ と輝 き,ま たあ る
時 は うな りをあげて吹 き荒れ る風 と雪 とで,さ ま
ざまな形 に変化す る
者 がふ えた ところで ,現 在 人 口は 9千 あま り,海
岸 線 は単 調 な砂浜 が続 いてお り,沿 岸一 を誇 る紋
別市 のよ うな良港 はな いが,ニ シ ン,サ ケ,マ ス
ホタテ ガイな どを取 る沿岸漁 業 を営 んで い る.内
雄武 はオ ホ ーツク海 に面 した人 口 9千 ばか りの
陸側 は酪農 を主 とす る農作 地帯 で,市 街地 の後方
には小高 い丘 陵地帯 が続 いていて ,そ の丘 の上 に
漁業 の 町 で,興 浜南線 の終点 で あ る。 海岸段丘 に
゛
立並ぶ家 々の 間 か らは,す くに灰色 の/111が 眺め ら
は円錘型 につ み上 げた牧草が きれ いに並んでみ え
る。 また,随 所 に乳牛 が群 をな し,赤 い屋 根 のサ
れ ,浜 辺 では漁網 の手 入れ をす る褐 色 の 肌 を した
老人 の背 に淡 い陽光 が さして い た。 流氷 が沖 の 方
,
イ ロの あ る風景が高 く晴れ 上 った空の青 さに映 え
て い る。 そんな牧歌 的 な風景の中 に も,家 々の 窓
はすべ て二重 窓 に な って いて,や がて来 る冬間lul
,
の 自然 とのたたか いの 厳 しさを見せ つ けて,初 期
.
か ら離岸 して長 い冬 が去 る と,沿 岸 の ク ロユ リ
コケ桃 ,ハ マ ナ ス な どの草 花 が一 斉 に開花 して
色 と りど りの大 漁旗 が雄武 の 漁港 にひ るが え る
.
の 開拓者 の苦労 は想 像 しがた い ものが あ る。
流水 におお われ た冬 のオ ホー ツク海・ 中湧別
′
フ
リ
事 務所
会長
例会 日
第 352区・ 岩 手 県
水曜 日
レス トラ ン江 戸 っ 子
¨
東
例 会場
昭 和 40年 5月 24日
29名
こ
古
認
会員数
狩
宮
承
海 道
湧
%
か
中
第 350区 ・北
浄土ケ浜 の 自然美・ 宮 古東
中湧 別 産 業 会 館 内
土井重喜
認
例会場
昭 和 41年 4月 11日
22名
例 会 日 火曜 日
レス トラ ン に りた
事 務 Ftlr 岩 手 銀 行 鍬 ケ 1昨 支 店 内
我 妻嘉 人
幹事
承
会 員数
会 長・ 幹事 の 抱負
会長
氏家武志
幹事
大 浜正
会長・ 幹事 の 抱負
創立か ら 3年 目を迎 えて,ロ ー タ リー クラブ と
しての型 だけはで きたが,内 容が な いので,今 後
は内容 の ともな った クラブ作 りを 目指 した い.そ
して ロー タ リア ンの あ り方 とい うもの を行動力 を
通 して,身 を もって認識す る こ とが ,こ れ か らの
われ われ の使命 と考 えて い る。 そのために も,ま
ず情 報活動 を活 発 に して地域 的なハ ンデキ ャ ップ
を少 な くす る こ とを心掛 け,活 動 の面 で も計 画 だ
け に終 らない可能 な もの だけをや ってい きた い。
屯田兵 に よ って開かれ て
宮古市 2番 目の クラブ として発足 した.ロ ー タ
リー につ いては全員が初 めての者 ばか りで,他 ク
ラブか らの移籍者 はな い。 これ か らは ロー タ リー
の定款 ,細 則 を理解 すべ く,文 献類 を良 く読 んで
勉強 す ることを心掛 けて い きた い
.
クラブの 特色 は平均年令47才 とい う若 さで あ り
発言 は非常 に活発 で あ るこ と.そ れ だけに融和が
大切 な条件 とな る。 それ は余 り堅 くるし くな い伸
々 とした環境 を作 るこ とで解決 され る と思 う
.
繊細な 自然美 の 浄土 ヶ浜
網走 か ら湧網線 にの って,右 手 に能取湖 ,左 手
怒濤 うず ま く大 平洋 に 弓な りに突 出 した岩手 の
に網走湖 をみ なが ら汽車が オホ ー ツク海 沿 ぃに北
90キ ロの海岸線 が 国立公 園陸中海岸 で あ る。 この
上 す るこ と約 2時 間 あま り,右 手 にま るで海 の よ
うなサ ロマ湖が見 えて くる と中 湧別 は近 い。
陸 中海岸 の ほぼ中央 に宮古市 が あ る.宮 古か ら北
日本 第 4の 大 湖 で あ るサ ロマ湖 は潟湖 の多 い オ
は隆起段丘海 岸 で,そ の豪壮雄大 な さまは海 の ア
ル プス と称せ られ るほ どで,我 国第 1級 の海岸美
ホ ーツク海 沿岸 の 中 で も,最 もその規 模 が大 き く
11に よって外海 とわ け られ た,こ
長 さ26キ ロの 砂り
を誇 ってい る。 南 は 山地が海 中 に沈降 してで きた
典型 的な リヤ ス式 海岸 で,深 い入江 と突 出 した断
の 湖 の眺めは荒 凍 か つ雄大 な北海道 の 自然美 を象
LLが 鋸歯状 に交互 に現 われ る変化 に富 んだ海岸 で
徴 す るかの よ うで あ る.春 は湖 岸 を と りま く砂丘
に数 々の草花 が咲 き乱れ ,放 牧の家畜達 がの どか
に革 をはむ。 そ して野人 の よ うな赤 いサ ンゴ草 に
色 どられ る今頃 は,早 や冬の訪れ をつ げて い る
.
この地 は明 治30年 ,屯 田兵 に よって開 かれ てか
あ る 附近 には繊細 な 自然美 の浄土 ケ 浜や 日本 最
東端 に位置す る鮨 ケ崎灯台な どが あ る
.
東北本 線 の盛 岡か ら 日本 のテ ベ ッ トとょばれ る
北 上 山地 を横 断す る山 田Tinで 2時 間 あま り,天 然
の良港 で あ る宮古 湾 のお、ところに抱かれ た宮古 市
ら,国 有地 の 払下 げ につれ て急 激 に入殖者 がふ え
た とい う.現 在 ,国 道 に沿 って発達 した市 街は
すべ て酪農 を中心 とす る農 村 を背景 として成立 つ
業 な ど,そ れ に関係 した ものに代 表 され ,大 漁旗
もので ,一 歩市 街か らはずれ る とサ イ ロの あ る風
景が随所 に見 られ ,一 層 その感 を深 くす る
が ひ るが え る下で掛声 も勇 ま し く,赤 銅 色 のWlが
づ いて いた。
月、
,
.
は古 くか ら漁業の町 として栄 え,今 では県 下第
1
の 水揚量 を誇 る漁港 で あ る 産 業 もまた水産加工
沢
例会 日
本印 日
みや こ
所 行沢 _
弊辱
彗点
[資
男
髯
菫安
磯
例 会場
会 長・ 幹事 の 抱負
や して
現在 ,25名 の会 員 で す が ,も う少 し」、
゛
30名 くらいに した い.倉 1立 か ら日も浅 く,チ ャー
,
ター伝達式 の準備 な どで , これ と云 った活動 は し
て い な いが,会 員 をふやす こ とは実際 の活動 の面
で も,大 いに影響 され る こ とと思 う_小 都市 で す
か ら,大 きな活動 は埋め ませ んが , ローカル カ ラ
承 i忍
は白田
ざわ
昭 和 42年 3月 18日
25名
移
認
会 員数
県
承
県
。
二 条 ノ ロ山 に は 洋 ナ シ の 老 本 が あ る i晰 畠
山
形
区
厳
花
お
尾
第 353区 ・ 山
郷
ユ
一
回
か
か つ て の 名 残 りを と どめ る 街 道 沿 い の 古 い 民 家 ・ 尾 花 沢
会 11数
昭 和 42年 4月
35名
例会 日
130
本曜 日
例 会場
エ ビス ヤ 旅 館
事 務所
口 形 銀 rf高 品 支 口i内
会長 梅津 徳 多良
幹 事 武 li慎 一
会長 ・ 幹事 の 抱負
ロータ リー精神 を良 く理解 して ,完 全 な ロータ
リア ンに な りきるよ う努力す る こ とが ,お のず か
ら奉仕 の理 想 を実 現す るこ とに結 び つ くと思 う
そのために,ま ず ,他 クラブヘ も出来 るだけ出席
し,見 て 参考 とし,既 成 クラブ との差 を早急 に ち
ぢめ る こ と。 また,町 の人 々に ロータ リーを良 く
知 って もらうこ とも重要 な こ となので ,活 動 は身
ー を生 か して,地 域社会 に最 も適 した もの を見 つ
けだす こ とが ,我 々小 クラブに とって一 番大切 な
近 な ところか ら手 掛 け る こ とにな る と思 う。 さし
こ とと思 って い る。
あた ってはまず勉強 す ることです
.
同 じで,村 山 を中心 として , ここ尾花沢 も紅花商
洋ナ シが特産 品
福 島 か ら奥羽本 線 で 板谷峠 を こえて 山形 に入 る
と最初 に見 え る平野 が置賜盆地であ る この 盆地
人 が幅 をきかせて いた。 毎年多 くの商人 が出入 し
こ うした商人 の 中 には中央 の文人 と交 り,新 しい
は陥没 によ りで きた大 湖 が十上 った もので ,そ の
名残 りで あ る白竜湖 が赤湯温泉附近 に残 され てお
文化 を解す る風流人 も少 な くなか った 当時 の新
興俳諾師芭蕉 が尾花 沢 の紅花商人鈴木 清 風を訪れ
iFL深
たの も,こ うい う文化交 流 の背景 が あ ったか らで
あ る 芭蕉 が 間人 曽良 をつれ て尾 花沢 を訪れ たの
乾燥す る と地盤が沈 む浮 田で あ る。 この盆地 の 東
lltl,奥 羽山脈 の 麓近 くに高 畠町 があ る.か つ ては
は元録 2年 の 夏,奥 の細道行 脚 の 途中 で “凍 しさ
を我宿 に してね ま るな り"と 詠み ,山 寺 では “閑
屋代郷 といい,山 形県 と中央 との連絡 路 として最
初 に開 かれ た,三 井宿峠 を こえて七 ガ宿街道 に通
ず る要害地 として 屯田兵 が置かれ て いた。
俳 人芭蕉が訪れた と ころ
江戸時代 は町人 の時代 で あ った。 この地方 も又
か さや岩 に しみ入 る蝉 の声 "最 上川の川下 りでは
“五月雨 を集 めて早 し最上川"な どの名句 を残 し
てお り,奥 の細道 を知 る上 で,尾 花 沢は欠 かせ な
い ところで あ る
.
り,附 近 の水 田は 田下駄 をは き,田 舟 を使 うほ ど
く,泥 上 の下 は泥炭層 で ,水 を含 む とふ くれ
現在 ,附 近 は県下一 の酪農地帯 で あ る と共 に,
ミカ ンをの ぞ くほ とん どの呆実 が とれ ,特 に洋 ナ
シは特産品 で ,主 にカ ンヅ メに され てい る また
現在 は奥羽本線大 石 田駅 と尾花 沢線 で連絡 し
奥州街道 と仙台方面 へ分 岐す る街道 に沿 った丁字
出土 し,県 の
近 年 ,羽 山古墳 か ら「 まがたま」 力ゞ
重要文化 財 に指定 され ,古 代 文化財 を豊 か に秘め
型の市 街 には,か つて芭蕉 も見 たで あろ う,苔 む
した藁葺屋根が往時 の名残 りを とどめて いた。
た平和 の町 の象徴 とな り,み ちの くの大和 の 国 と
讃 え られ てい る。
,
日本における RC所 在地
攀
世 界 の ロ ー タ リー
134カ
[」
及び地域にわたり
寄
6月 29日 現在 RC総 数
12,378 RC
ロー タリアン概数
滝上
。 3」
618,000 71
1966年 7月 以後の新
RC
'湧
B」
439 R C
網走
6月 平均
7月 ガ バ ナ ー ス レク ー よ り
上 川
余 ヽJ、
出 席 率
9177%
第 350区 65R C 3,183名
9333%
第 352え α)RC 2,380名
9287%
第 353区 62R C 2,5R)名
9436%
第 355区 79R C 3,489名
9439%
第 358区 I)2R C 5,597名
94_24%
第 359区 67R C 3,213名
9414%
第 36()区 96R C 4,764名
イ,148名
9595%
第 365区 71R C
9150%
第 368区 67R C 3,(潟 8名
9381%
第 369区 53R C 2,540名
第 βη _区 __76R Q_3,427名 __J旦 J7え
計
798R C 38,379名
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社
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トの ロ ー タ リー
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岩手
例 会 場 変 更
新 ク ラフ
郡
山
西
事務所
8
1の 3の
郡 山 商 工 会 館 内
幹 事 今泉正顕
6月 15日 承認
東 傷 353区 ・福島県
)
会員数 24名
いわ
=市
例会日 土曜 日 例会場 平市民会館
平宇堂 ノ前 3の 1
東 邦 銀 行 西支 店 内
会 長 和 田成人
八
千
代
“
会員数35名 例会日金曜 日 例会場船橋信用金庫大和田支店
事 務所 千 葉県八千代市 大和 田833船 橋 信 用 金 庫 大 和 田 支 店 内
会 長 富永倫平
能
都
会員数 27名
事 務所
事 務所
能都 町商 工 会 内
坂
幹 事 佐 々木新二郎
6月 26日 承認
例会日 月曜 日 例会場 丸物百 貨店 7階
東 京 都 豊 島 区 南 池袋
会 長 荘
1の 28の
1
西 武 百 貨 店 内
寛
幹 事 八代逸 蔵
6月 28日 承認
(第 357区 ・ 埼 玉 県 )
戸
会員数 25名
事 務所
例会日 本曜 日 例会場 埼玉銀行坂戸支店
埼玉県人間郡坂戸町 仲町
埼 玉 銀 行 坂 戸支 店 内
会 長 御厨利夫
江
大
6月 28日 承認
会 員数
27名
事務所
山形県西村山郡大江町大字左沢 522の
会 長 白田
鹿
幹 事 三町正 治
353区 ・山形県)
(第
沼
東
例会日
金曜 日
例会場
若竹
1
佐
若 竹 内
(第
358区 ・ 沖縄 )
24名
沖縄 那覇市下泉町 2の 16
例会 日 金 曜 日
幹 事 尾花善次郎
6月 29日 承認
例会場 香港 ガーデ ン
沖縄配電 ビル内
会 長 新里清篤
(第
幹 事 安田哲之助
6月 29日 承認
357区 ・ 埼 玉 県 )
会 員数
30名
事 務所
埼 玉県 Jヒ 葛飾 郡幸手町 中 3の 3の
例会 日 水 曜 日
会 長 秋間泰造
″
後 彿 370区・福岡県)
戸 (第 370区 。長崎県)
平
山
栗
沢
函 館
Jヒ
例会場
4埼
樋 口軒
旅館 清山荘
―
悌 3511区 ・ 北海道 )空 知郡 栗沢町本町 67栗 沢 町 商 工 会 内
悌350区 ・北海道)駅 前拓銀ピル7階 五島軒駅 前支店内
F=(第
二
352区・ 青 森 県 )三 戸 郡 三 戸 町 大 字 二 日町 2
青森銀行三戸支店内
五 所 ′!1原 (第 352区 。青森県 )大 町37
352区 。青森県 )上 鞘 師町 18
前
(第
三
沢
悌 352区 ・ 青森県 )基 地正 門前
鳴
lL(第
2五 戸
町商 工 会 内
弘前 商工 会 議 所 内
3階
黒 田 ビル
352区 ・ 宮城県 )玉 造郡鳴 子町字湯 元
HOの
1
お じまや内
田 (第 352区 ・宮城県)角 田字町186 大槻旅館内
角
弘 前 東 悌352区・青森県)駅 前町117 弘前駅前 日活劇場内
北
上 悌352区 ・岩手県)青 柳町2の 5の 17 高橋大策方
湯
沢 悌53区 。秋田県)大 町55 月`
川長右衛門方
竜 ケ 崎 悌355区 ・茨城県)平 畑120 流通経済大学内
易R(第 355区・ 栃木 県 )塩 谷郡 氏家町大字氏家2680
氏
足利銀行氏家支店内
秋 田 東 悌353区 ・秋田県)大 町1の 3の 36 秋田専門店会内
本
荘 悌353区 ・秋田県)美 倉町 本荘市役所本荘商工会内
羽 (第 7区 ・千葉県)天 羽町湊29 重田医院内
天
“
バ ン
東 京 城
(第 358区 ・
三
東 京 都 )千 代 田 区 九 段 南 2の 2の
沢
島
悌 359区 ・ 静 岡 県 )一 番 町 15の
原
悌 359区 ・ 静 岡 県 )富 士 市 南 町
Jヒ
(第
19
4ニ チ
躙 内
田 代 グ リル 内
吉 原 市 民 会 館 内
359区 ・ 神 奈 川 県 )土 畑 8
いす ゞ自動車藤沢工場内
四日市北 悌361区・二重県)富 州原町16の 16東 海銀行富田支店内
豊
中 悌 365区 ・大阪府)岡 町6bの 4 日本生命豊中支社内
湯晟(第 368区 ・兵庫県)氷 上郡柏原町柏原12
柏
神戸銀行柏原支店内
阿
南
悌 369区 ・ 山 口県)唐 順町 3の
萩
柳
彿 368区・ 徳 島県 )富 岡町西新町
神 原歯 科 内
3
萩 信用 金 庫 内
川 彿 37は・福岡県)京町 福 岡銀行柳川支店内
戸 悌 370区 ・長崎県)大 久保町 平戸観光 ホテル 内
ド ラ イ ブ イ ン前 田
平
本
渡
悌 370区・ 熊 本県 )本 渡舟 の尾
山
鹿
悌 370区 ・ 熊 本県 )宗 方
宏
相互 タ クシー内
戸 彿 352区・ 青森県)三 戸郡五戸町 字 新町38の
玉 銀行幸 手 支 店 内
幹 事 芝
白雲閣
楽
平戸観光 ホテル
山鹿 ヘルスセンター
鹿 (第 370区 ・熊本県)
深 悌 370区・熊本県)
事 務 所 変 更
吉
事 務所
手
筑
藤
会 員数
幸
東海銀行富田支店
大社商工会館
例会日 水曜 日 例会場 鹿沼相互信用金庫
会 長 渡辺七造
添
361区 ・ 二 重 県 )
社
西
事務所 鹿沼市仲町 鹿沼相互信用金庫内
浦
(第
(第 369区 ・ 島 根 県 )
大
幹 事 公平泰行
6月 29日 承認
佛 鰤 区・ 栃木 県 )
会員数 29名
寿
弘
358区 。東 京 都 )
会員数 40名
湖水荘
353区 ・ 秋 田 県 )
五
│1県 鳳至郡 會
石り
ヒ都町
(第
352区 ・ 岩 手 県 )
悌
例会日 土曜 日 例会場 興能信用金庫本店
会 長 千間武二
東 京 板 橋
彿
幹 事 大槻道明
6月 23日 承認
361区 ・ 石 川 卿
(第
本
北
館
牛
幹 事 柏原英介
6月 19日 承認
7区 ・ 千 葉 県 )
悌
350区・ 北 海 道 )
352区 。青 森 県 )
四 日市 北
例会日 水曜 日 例会場 郡山商工会館
郡 山市 清水 台
事務所
(第
(第
大
6月 15日 承認
彿 353区 ・ 福島県 )
会 長 橋本修三
平
寄
戸
湯
会員数 35名
一福会館 ホール
レス トラ ンまつや
名
五
津 田 ガ レ ー ジ内
山鹿 ヘル スセ ンタ ー内
THE ROTARY‐ NO― TOMO
ば
ち
ク ラ ブ>
<新
田
高
高
校
(豊 後 高 田
ん
RC)
豊 後 高 田市 玉 津
高 田 高 校 内
会員数
18名
第
例会 日
1.3日
例会場 校 内書道教室
幹 事 早 田博文
会 長 野上繁美
駒大附属岩見沢高校
(岩
事 務所
岩見 沢市
2条 西 1
会員数
∞ 名
例会 日
見沢RC)
(小
青 婦 会 館 内
2 4木
第
例会場 校 内会議 室
幹 事 藤本
林RC)
会員数 29名
例会日 第 1. 3二 L
会 長 川 All正
iF
金 沢商 業 高 校
期
(金
"所
会員数 15名
例会
幹 事 今西 幸 男
金 沢 商 業 高 校 内
例会日 第 1
lj fぢ
3木
例会場 校内生徒会室
幹 事 金岩 孝
∞ 名
会 長 中川
葛飾商業高校
(東
26名
1 3土
例会場
高
校
`新
宿
例会 日
破 帳
2の 336都
第
2.4木
Ш
1鏑 所
発
Jl石
会
原
明
427.4
日本のインターア ク ト
岐 山 高 校 内
例会場 校内書道教室
T青 木勝秀
幹 到
浜南RC)
枷 Fr市 南 区 三 イド台
会員数 34名
.
校 内
例会 場
RC)
例会日 第 3土
(横
室
立 葛 飾 商 業 高 校 内
会 長 佐野公勇
関東学院高校
404教
42_5.31
発 会
幹
岐 阜 市長 良小 山 田
会員数 16名
校 内
幹 事 清原道明
島 村 一 郎
長
42 5 6
会
高 松 工 芸 高 校 内
第
京葛飾RC)
会 員数
事 務所
発
修
東 京都 葛飾
山
8
例会 日
事務所
会
RC)
高 松市 四 番 町
所
会員 数
1岐
(高 松
去 る 5月 21日 ,第 359区 の 第 1コ イ ンタ ー ア ク
トクラブ連絡協議会 が 神奈 川県″、
学会館 にお い
ホ スト
て ,参 会 者約 70名 を集 めて ‖
J‖ :さ れ た
クラブには横浜 一 商 ICが あた り,議 長 には J
ICの 大谷 均会 長 が選 ばれ ,名 議長 ぶ りを発 ド
し 次 の 協議 事項 を決定 した
“
5月 , 8月 10月
I.今 後 の地 区 協議 会
の 年間 3回 とし ホ ス"HllLは
トクラブは ICの 発足 順
とす るこ と
Ⅱ 地 区大会 は 8月 に合 同キ ャ ンプ を も って実
施 す ること
Ⅲ. イ ンタ ー ア ク トガ バ ナ ー は原則的 lCは 賛 成
で あ るが ,そ の実現 につ いて は 更 に研 究 の余
地 あ りと認 め ,今 回 は選 出 を見 送 る.但 し,地
区 内 の ICが 15に 達 した時 ,選 出す るこ と
42 3 13
発 会
5の 41
会 長 古川英三
高 松 工 芸 高 佼
校内
ll・
沢束RC)
金 沢市 小 立 野
茂
42 2 25
発 会
県 立 小 林 高 校 内
小 林 市 大 7:堤
事 務所
42 2. 11
発 会
会 長 畑田雅延
小林商業高校
41. 10 1
発 会
事 務所
発 会
42.7.17
関 場に学 じtttt交 内
例会日 第 2月
, 4土
例会場 校 内講堂
幹 事 平本芳秋
会 長 松沢文 雄
クラブ数
第
第
第
第
第
第
第
以上, 8つ の新 クラブの他に,魚 津工業高校,成 立商
業高校,八 重山農林高校 にイ ンターアクトクラブが設立
してお りますが,会 員数,そ の他は,現 在問合わせ 中で
す.次 号 にて ご紹介 いたします
また,角 田,一 関 にも設立 された模様ですが, この 2
会 員数
8
247
6
353
3
97
6
140
"19
11
559
517
321
第 3∞ 区
4
97
361区
365区
368区
369区
370区
17
495
第
第
第
第
.
つ は右 の表 には含 まれ てお りません
350区
352区
353区
355区
357区
358区
359区
第
3
88
5
114
19
613
37
1,08(ヽ
158
4,675
.
ロー タ リー の 友 -9月 号
45
Lt-htr
勇 気 が湧 ぃた
第
今年 の ニ ース大会 は 2万 人 に近 い会員 が登
録 した大集 会 で あ った.慣 例 とな って い る大
355区 ガ パ ナ ー
金
谷
正
がその 原因 で あ る様 に も思 われ るの だ
夫
国際
的 の友好関係 は吾 々の各家庭 の つ き合 いの様
会労頭 の各 国 の旗 が大 ステ ージに飾 られ る儀
な ものだ.日 本 で数年前大会 が 開 かれ た時 に
式 の 時 , 日本 の 国旗 が出 て拍手 が 湧 き 日の丸
の赤 い色彩 が スポ ッ トライ トの 中 に濃 く浮 び
は,天 皇・ 皇后両陛下 が御臨席 下 され御言葉
上 った時 には涙 が 出 る程嬉 しか った
った外 国人 に非常 な感銘 を与 えた.2万 人 を
.
5月 23日
,大 会委員長 が各 国か らの祝電 を
読み 上 げ る時 に私 は丁 度会場 の一 隅 に腰 をお
ろ し無 関心 で それ を聴 いてお った。 す るとオ
ース トリア首相,カ ナダ首相 とい う声 が耳 に
入 って きた。 急 に私 は全 神経 を集 中 して耳 を
傾 けた.名 もよ く知 って い な い新興国家 の 間
に交 って大英 帝 国首相 ,ア メ リカ大統 領 ・ フ
ラ ンス大統領等 自由陣営 に属す る国 々の首相
・ 元首 か らの祝電 が 次 々 と披露 され た.私 は
何 とか Prime A/1inister of」 apan とい う
声 が聴 かれ な いか と聴 き続 けたが遂 にその声
は聴 かれ なか った.集 った群集 の 中 1/cぼ つ ん
と取 り残 され た様 な心地が して,今 度 は淋 し
さが こみ上 げて きて涙 さえ出 て来 た。 それ に
をlDJっ た し,池 田 首相 が軽快 な演説 を して集
越 え る国際 的大会 が 日本で開 かれ るの で 日本
政府 も大 きな関心 を持 った と思 う これ は吾
々の家庭 として考 えれ ばその中の大 きな式 典
で あ るので当然であ る。 それ が他 国で催 され
ロータ リー運動 に対
た時 は如何 で あろ うか
す る理 解 が薄 い場 合 ,看 過 され るのではな い
だろ うか.そ う考 え ると 日本全体 として 又は
日本 の政 治 を して,ロ ータ リー運動 に対す る
理解 が薄 い事 が, こ う した結 果 に な る大 きな
原因 の一 つ では な いか と思 う 日本 の ロータ
リア ンは 3万 余人 の会員 に な った事 ,そ の 数
の上で大 いに 自慢す る事 もよ く解 る け れ ど
も,真 の ロータ リー運 動 の真髄 にふれ て この
3万 人 の会 員が よ りよき世界人 類 の幸福 ・ 世
各 国の こ う した人 々の 電文 は簡単 な「 大会 を
祝す」 とい う様 な ものでは な く,何 れ も ロー
界 の平和 を念願 して この活動 に従事 してお る
だろ うか。 そ して祖国 の 為 に,世 界 の為 に奉
タ リー運 動 の 世界平和 に対 しての 貢献 に感 謝
仕 の精神 を傾 けてお るだ ろ うか。
自分 が ガバ ナー としての末席 を汚す,こ の
す ると共 に将来 の 努力 と発展 を心か ら祝 う誠
意 を込 めた長文の電報 の み で あ った。 私 は そ
こで この時 の感 じを会長 ノ ミユ ーの東 ケ崎氏
1年 間 にお いて,全 力 を注 いで 会員 は勿論
,
会員外 の人 々まで に も ロータ リー精神 を浸透
に話 した。 東 ケ崎氏 は「 東京 クラ ブが外務省
によ く連絡 を とってお らなか った為で確か に
,私 に
君 の云 う通 りで あ る 」 と言 われ た カミ
させ るよ う努 力 を傾注す るん だ と 云 う 勇 気
が,こ こで心の底か ら湧 いて きた のだ これ
は 日本 の 政治が国際 的の行 事 には無関心 な事
書 く所 以 もそ こにあ る
46
が私が言 い た い事 で あ る。 あえて この一 文 を
.
THE ROTARY_NO_TOMO
ロ ー タ リー 綱 領 を
先ず身にっけて
第357区 ガパナー
│1 名 正 義
リ
私達 の地 区 は今年 か ら新設 され た第 357区
で創立第 1年 目で あ る ホ ッデ ス会長 が ロー
しっか り出来 て初 めて正 しい行動 が出来 るの
で, ロータ リー活動 も綱領 を基 盤 として内部
タ リー も長 い歴 史 の 流れ と共 にいつ とはな し
に形式化 し,惰 性 に流れ 自己満 足 に陥 って い
分析 して初 めて正 しい奉仕 活動 が出来 るので
あ る.ロ ータ リーのル ール 即 ち定款 を見 るに
13ケ 条 の 国際 ロー タ リー と14ケ 条 の ロータ リ
る傾 向が見 られ な くな い と憂慮 して居 られ た
が,私 もアシ ス タ トン ト・ ガバ ナー として ガ
バ ナ ーの公式 訪間 にお供 して, クラ ブに よっ
ー クラ ブ定款 と比 較す るに総合的連 合体 のル
ール と単位団体 のル ール としての差 違 はあ る
て は委 員会報告 も年 々歳 々過去の踏襲や他 ク
が大体 同 じで あ る.た だ ロー タ リー クラブ定
ラブの模倣 と思 われ る傾向が多 く,羅 列 的な
事業計 画が並 べ られ てい るに過 ぎな い と思 わ
款 には第 11条 に “綱領 の受諾 と定款 及び細則
の尊守 "と 云 う 1条 が特 に加 え られ て14ケ 条
れ るものがあ るの を見 て,私 は過 日の地区協
とな って い るし,第 3条 の 綱領 は全 く同一文
字 で あ る点か ら如 何 に綱領 を重視 して い るか
議会 の席 上で公式 訪間 は 7月 中 は しませんの
でゆ っ く り各 クラ ブは事 業計 画 と予 算案 をね
が わか る.私 は ロー タ リア ン精神 とは如何な
り,そ の 報告書 を公式 訪間等 の報告書 に して
立派 な奉仕 活動 を打出 して下 さい と依頼 し
るものか と新人 によ くきかれ るが,之 は綱領
に あ る.“ 尊ぶ べ き事 業 を基準 として 奉仕 の
各 クラブ独 自の プラ ンを比較 し,よ りよき も
の を参考 にす るよ う相互研究 し前進 すべ き方
針 をたてた.勿 論 ロー タ リー綱領 を基盤 とし
理想 を奨励す る ことで あ る"lllち 知 り合 を拡
め,自 分 の職業 に道徳 的 且つ 社会 的有効性 を
,
た事 業計 画 で なけれ ば な らな い。 社会生 活 を
楽 し く有 意義 に他人 に迷惑か けず に くらす に
はル ール を各人 が守 って初 めて出来 るのであ
る.国 に は憲法 あ り,ス ポー ツには夫 々競技
認 めて , 自分 の職業 を権威 あ らしめ ,こ の職
業 生 活 を基 盤 として個人生 活及 び社会生 活 を
常 に価値 あ らしめて常 に友情 と平和 の ため奉
仕す る ことと云 って先ず 綱領 の 重要性 を説 い
て初 めて平和 な楽 しい競争 と進歩 が あ るので
て い る。 ホ ッデ ス会 長 の メ ッセ ーヂ “ロー タ
リア ン として あなたの資格 を効果 的に"と 云
うことは私 は綱領 を先 ず身 につ け て 自分 の資
あ る。 日本人 は世界 で 最 も公共 心が とば しい
と云 われ て い るが,戦 後 の17歳 の少年 の無 軌
格 をつ く り効果 あ る奉仕 をす る ことと解 して
い る。 その一 つ として “あなた の職業 に成 功
道 は論ず るまで もな いが, 自然 の美 しい景勝
の 地 に別荘 をつ くって 自己満足 に陥 り公衆 の
を収 め る ことに よ り指導力 を発揮す ること"
とつ け加 えてい るが,味 の あ る言葉 で特 に私
ための美 を独 占す る人 間 も公徳心があ るとは
云 えな い。 自己の行 為 に対 して批半」
的分 析 が
達創 立 新地区 に対 して立派 なはなむけの言 葉
と感謝 して開 いて きた
規 則が あ り,社 会団体 には夫 々の規律 があ っ
ロ ー タ リー の 友 -9月 号
.
パ リヘの 直行便
ョー ロッパ の 50都 市 を直 結
ご旅 行 中 は 日本 語 で …
機 内 で は映 画 や音 楽 も楽 しめ る…
エ ール フ ラ ン ス で
ヨー ロ ッパ 旅 行 へ /
― ― 世 界 最 大 の 航 空 網 ――
・ ガレ 71ジ ン ▲
東京
大阪 名古屋 福岡
=―
(501)6331(584)│171。 (202)6326・ (541)0540・ (77)6442
第
355区 で は 第 6回 日 米 交 換 学 生 と し て 米 国 ロ サ
528区 よ り 9名 (内 女 子 6名 )の 大 学
ル ス周 辺 の 第
校生 を迎 えた
6月
29日 に 来 日 1カ 月 間 に わ た り 第 355
区 各 クラ プの 案 内 で見 学
区 よ りの 渡 米 学 生
立った
る
1行
ンゼ
。高
9名
交 歓 を行 い
(内 女 子
写 真 は 7月 21日
7月
with U
S.
A
its sixth student
exchange project
whereby a nine-member student team from District
を
528 around Los Angeles visited Japan on 29 last June The team
a one.month long goodwill tour across the District 355
and left this country on 30th July
Shown are the team
す
members
30日 第 355
7名 )と 共 に 東 京 空 港
2高 を 訪 れ 交 歓
茨城県土浦
District 355th conducts
made
of D-528 having a get-together meeting with
Tsuchiura 2nd High School
students of
_
■Ⅲ
…
‐
+ \t-!r
大 田 (第 355区
群馬県
)で 〔ま 5月
25日
創 立 !0周 年
…__._
*---
"" -\r
ar?-,ri.ar
、
T,1
寸
〕い、___:こ
Markingits
its1 10th
0thanniversary,
anniversary, Ota
of of
Marking
Ota RC
RC laid
laid atatthe
thecompound
compound
念
=己
」
と し て 同 市 大 光 院 香 竜 樺 境 内 に 、 母 子 像 を 取 りつ け 四 つ
a locJ tem口 e
の テ ス トを 刻 ん だ 黒 ミカ ゲ 石 を 使 っ た 噴 水 池 を 作 っ て 市
へ寄員
大田 深 川 澤
曽した
statue of a mother and her chi d n which“
a fine fountan pond輛 th a Ыack granite made
Four Way Test¨
is
carved,and donated it to the town
d .1 1 1 1
幸
・ ´事″
=
北 海 道 gll路
(第 350区
を 知 らせ る た め
)で は
市 民 に ロー タ リーの 意 義
市 役 所 前 広 場 に 「 四 つ の テ ス ト石 碑 」
(約 20万 円 )を 6月 1日
建 立 した
釧路
樋 口嫌 三 郎
of Rotary, Kushiro RC erected
Four.Way Test Monument costing about 9600, at the front
To make the citizens more aware
a
square
of the city hall.
静岡県
浜松
において
(第 359区
)で は
昨 秋の第
359区 年 次 大 会
開 催 地 浜 松 市 に 対 し .参 加 会 員 よ り 感 腑 拠 出
市 動 労 青 少 年 ホ ー ム に “友 愛 の
せ られ た 会 費 を も つ て
国 "(あ ず ま や と庭 園
)を 建 設
した
built a 'Friendship Garden" for working youths
of the community, appropriating the contributions from the par'
ticiDants in the district conference it hosted last fall The garden
Hamamatsu RC has
with an arbour has been donated to the town
写 真 は 6月 20日
同国 あ ず まや 前 で の 贈 呈 式
■.
坤
トー
,
各 地 区 リー ダ ー シ ッ プ・ フ ォ ー ラ ム 開 催 に 先 立 ち ,モ デ
レ ー タ ー の 議 習 会 が 7月 17∼ :9日
東 京 。帝 国 ホ テ ル で
開かれ た
中 央 事 務 局 よ リパ タ ー ソ ン 東 半 球 部 長
り
2名
日本
岡 田 正 雄 韓 園 よ り金 7k書 召 フ ィ リ ピ ン よ
ン
ドよ
り 1名 の 各 パ ス トガ バ ナ ー が 出 席 し た
イ
よ り神 野 太 郎
Ahead of the District Leadership Forum to be held in each
district, a seminar for the forum moderators was held with Mr.
Patterson of Rl Secretariat as counsellor in Tokyo on July l7
19, in which 6 moderators, two each from Japan and Phili'
ppines, and one each from Korea and India, took part
rfnn-r u-r77 F[ f,
尾西ロータ リ ーク ラブ
街 路中 ・一
■ ¨コ ︲t ・
レ 一
ロータリー並木
163本 を 植
10月
市 内の 道 路
たが
本 年 6月 現 在 数 +日 の 干 天 続 き に も か か わ ら ず 生
歩道 にアカシヤ
き 生 き と葉 を 繁 ら せ て い る
Responding
H+Edi
TOYOHASIll
愛知 県
尾 西 (第 360区 )て は l昨 年 の 西 日 本 大 会 の 決
議 “国 土 を 緑 と花 て 美 し く す る "運 動 に 呼 応 し て
昨年
630mの
10
尾 西
森
え
保 正
to the resolution which called for the promotion of
the nationwide tree and flower planting drive, adopted at the
loint annual conference of the western districts held the year
before last, Bisai RC planted some 170 trees of acacia alonc
愛知県
豊 橋 北 (第 360区 )て は 5月 16日
創 立 10周 年 記
念 に 市 ヘ プ ラ タ ナ ス 317本
は な の 本 そ の 他 450本 を 贈
つた
写真 は記 念 式 場 て
河 合 陸 郎 市 長 (左 )へ 目 録 を
贈 呈 して い る と ころ
Toyohash North RC marks t loth ann versary by donat ng sOme
320 trees includ ng platanus tO the town ShOwn are the Rotar ans
present ng the l st Of the g fts tO the town mayor
a 63O-meter long pedestrains street
0
)て は 6月 20日 植 樹 委 員 会 が 中
福 山城 跡 公 園 の 西 部 の 丘 に つ つ し
さっ き
1300本 植 樹 し た
The tree plant ng commitee of Fukuyama RC took ln t at ve n
広島県
福 山 (第 369区
心 とな り
p anting some 1 300 a2a ea and Others at the h l of Fukuyama
Castle Park
愛媛 県
図 書
69冊
新 居 浜
を
(第 368区
6月 28日
)て
は
市 立 図 書館 に 児童 用 の
に 寄 贈 した
これ は 同図 書 館 に設 け
Jに
189冊
て あ る 「新 居 浜 ロー タ リー 文庫
納 め る もの て
ど の 寄 口曽 を 加 え て 同 文 庫 は 計
と な っ た
こん
Nl hama Rin s dOnate 69 1uven e b00ks tO the cty library
These b00ks are to be placed ln the Rotary Sectlon the club
set up ln the brary Th s add t On br ngs the tota nurnber Of
the b00ks lt dOnated t0 189
二重 県
名 張 (第 36:区
)で は
7月 9日
同 ク ラ ブの 積 極
秋田県
横 手 (第 353区
)で は 、 山 内 村 松 川 小 外 山 分 校 に
的 な 援 助 に よ り 、 名 張 ボ ー イ ス カ ウ トが 誕 生 し た
ク ラ ブ で 使 用 し て い た 放 送 機 械 ― 式 を 贈 り喜 ば れ た
Nabari Boy Scouts has been organi2ed through active assistances
Yokote RC donates to a local primary school in a rerrlote corner
of the loca! Rotary CIub
of the community a set ol radio transmitting apparatus
奈 良 県 下 の 奈 良 。橿 原 ‐五 条 ・ 大 和 高 田 ・ 大 和 郡 山 の 5
ク ラ ブ (第 365区
)で は
ため の 県 立 養 穫 学 校 に
新 築 され た 県 下 肢 体 不 自 由 児 の
6月
13日 噴 水 池 を 寄 贈 し た
奈良県
五 条 (第 365区
及員他
は ,6月 :4日 の 例 会 で “町 を
,五 条 署 刑 事 課 長 .農 業 改 良 普
)で
明 る く し た 人 々 "と して
1名 並 び に 智 弁 学 日 高 校 奉 仕 ク ラ ブ を 表 彰 し た
Five RC s of Nara,Kashi wara, Go,o, Yamatotakada, and Yamato‐
Golo Rtn s recognize at its weekly meeting outstanding men and
koriyama have iointly donated a fountain pond to a newly built
a group that have rendered services to better the community
school for physica‖ y handicapped students
愛知 県
豊 田 (第 360区
ス トン ビ ル
RCと
)で は ,米 国 ノ ー ス カ
親 善 を深 め るた め
ロラ イ ナ 州
豊 田 クラ ブ会 員の
,事 業 場 お よ び 各 会 員 の ス ナ ッ プ 写 真 を 集 め 、 こ
3冊 の ア ル バ ム に 収 録 し て 6月 27日 ス トン ピ ル R
各 家庭
れを
Cへ 送 っ た
To promote frlendship with Stonev‖
国 際 親 善 を 深 め る た め 東 ロサ ン ゼ ル ス
エ レ ナ ー ・ ザ ゼ ッ タ壊
RC前
会長 の 令嬢
(23歳 )と そ の 友 人 キ ャ サ リ ン・
メ イ ビ ー 嬢 (20歳 )の 2名 が 来 日 し た の で 、 大 阪 府
堺
。堺 南 (第 365区 )両 ク ラ ブ 会 員 は ,堺 南 の 皆 見 会 員 宅 で
歓 迎 茶 会 等 を催 した
le RC in N C,U S A, Toyota
Sakal and Sakai South Rtn s entertain at Rtn Minami's home
RC sent to the former three volumes of Album which contain
Miss Eleanor Zauzeta, daughter of Past Presldent of East‐
the photos of the club members' places of business, their homes
Angeles RC and her friend Miss Kathleen Mable who visited
and fam‖ ies as well as of themselves
Osaka
Los
ひ と 雨 降 っ た あ と一
涼 風 が 高 原 を走 り ま す ノ
_
しか し、 山 沿 いの 雷 雨 は ドラ イ バ ー泣 せ 。
そ ん な と きに 心 強 い の が ス バ ル 1000で す。
突 然 の 道 路 条件 の 変化 に も ビク と も しませ ん 。
水 じぶ き をあ げ て突 走 る 豪快 さ ′
す べ りや す い 山道 に もハ ン ドル を と られ な い
一 ― 頼 も しさ
前輪 で走 り、前 輪 で舵 を とる
FF〈 前 輪 駆 動 〉の 安 全 性 はズ バ 抜 けて い ます 。
ひ と雨 降 った あ と、 山 の ホ テ ル に 車 を とめ 、
あ お ぐ景 色 は実 に 雄 大 ノ休 日の ドラ イ ブが
い つそ う楽 しくな る車― そ れ が ス バ ル 1000で す
鮮
.′
、
L姜
【
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「
F
・
●
l
″′も中 、
`■
ヽ
も
1
ヽプ
‐ ■17二 ″00o
世 界 を リ ー ドす る
,000cc・ 55馬 力・ 実 用最 高速
●東海道統
2ド ア・sTD
FF方
式
35km h ・ 0'400m-99秒 ■ デュアルラジエター方式
‐
現 金 正価
‐
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払 い を こ利 用 に な れ ば 、 毎 月
の お 支 払 い は 5000円 程 度 で
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冨 ■ 菫工
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ン
冴 えた切 れ味 この
ヤ ングエ リー トのキ ミにお くる /
==菱薔■=ソ リ
"
トップに つ けた
に ぎ りや す さ
そ りやす さを 目裸 に
もみあげ 刃
シ ンプル に ま とめ た
まタテに するだけで
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その ま
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.′
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.′
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今 日もあなたと共 に
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キ ミな ら
どち らを選 ぶ ?
≡菱電機
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中
√
パ 摯ウ
′
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"の 呼 び 名 に ふ さ わ し ぃ
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方 に お す す め し ま す 。 厳 しい
“世 界 の 時 計 "の 名 に 耳らしませ ん c
検 定 基 準 に合 格 した 高 い精 度
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の時 計 です
.セ
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キ リッ と ひ き じめ ます て
,
株 式 会 社
月日部 時 計 店
本 社
東 京 ‐9R座
回 同蘊
一
メキシヨ大会で RI理 事会の定員増加および理事の地
理的配分の改正案が提出されるとのことですが,こ の
点についてご教示下さい
RI理 事会 にお いて は,現 在 の段階 におい
て は理 事 の定 員増加 の必要 を認めな い とい
に な った よ うで あ ります か ら,理 事定 員増
案は行 われ な い もの と思 われ ます
.
理 事 の 地理 的配分 の改正 につ いて は,ユ ースの
大会 にお いてエバ ンス会長 (当 時)が ,次 の メキシ
「 峯:を
51,If[:IIツ :L喜 ?男 I″ 踏言::ぶ
I F・
ヨ大会 に改正 案 を提 出す る とい う ことを話 してお
りますか ら,恐 ら く実現 す るこ とと思 います。 然
らばその改正 案 の 内容 は と申 します と,未 だその
成文が出てお りませんか ら何ん ともい えません
その成文 の如 何は我 々 日本 の ロー タ リーに重大 な
.
影響 を及 ぼすのであ ります けれ ども,現 状勢 を察
します と,恐 ら くカ ナダ を USCB地 域の中 に包 含
し, これ を表面 よ り除 き,
USCBよ
り選出すべ
き理 事 の数 を 6名 とし,カ ナダは USCBの 1ゾ ー
ンに組 入れ るので はな いか と思 われ ます.こ れが
最 も常識 的な考 え方 で あ り,現 在 の クラブ数 とか
ロー タ リア ンの数 か ら公平 に割 当て るとな ると
`
□
llt]FI皇
兵 ヲ賃基 EEI膏 晏箕基 馨
発表 して いますが,如 何な る点 について如何 よ う
に意 見が一致 したか について は述 べ てお りません
然 し多分 ,定 款細 貝1委 員会 のalJ告 の件 につ いて両
者 の 間 に協定 が 出来 た もの と思 い ます。 委員会 の
勧告 は,国 際 ロー タ リーの定 款及 び細 員」
の改正点
と RIBIの 定款及 び細則 の改正点 を示 してお りま
す.そ の全文 は非常 に長 い もので あ りま して此 の
欄 では書 き尽す こ とは出来 ないので あ ります。 そ
の 内容 は,従 来兜角 RIBIが ,国 際 ロータ リーか
然 し, も
ら半独立 的な立場 に立 って いた もの を, RIBIと
い え ども原則 として RI定 款及 び RIBI細 則 の下
し理 事会 が計 画委 員会 の答 申を尊重 し,多 少で も
に,そ の地域 的な特 殊 的運営 を認 め る もの として
,
そ うす るのは妥 当であ ると思 われ ます
それ に合致す るよ うに立 案す るとすれ ば, これ ま
で カナダに割 当てあ った 1名 を,ア ジア地域 と南
ア メ リカ地域 ,或 はアジア地域 と
USCB地 域で
交互 に選ぶ よ うにす ることも考 え られ ますが, こ
れ はアジアに とっては結構 で あ ります けれ ども
,
公 平 な割 当の建 前 か らは実現 困好Eと 思 い ます。 何
れ に致 せ その内に改正 案が出来 て参 ると思 います
ので その結果 を見守 る必 要 が あ りま し ょぅ。
し
が時
た
刷
]1余 雷倉
:12あ 37:ワ
奮
増
幅
1答
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J:ブ こ
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〔
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で
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百
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庭
警
班
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子
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彎
:f:=1:T阜 .劣 :里 尭
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大
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で
会
後
な
ま
あ
りす
3揚
1
i「
1桑
[
.
ロ ー タ リ ー の 友 -9月 号
'何
明確 に国際 ロータ リーの 定款や細貝1及 び RIBIの
定款及 び細則 を改正 しよ う とい うもので あ ります
RIBIで は,国 際 ロー
タ リー代 表者 即 ち ROtary lnternadonJ Repre‐
運 営 の 原則 を確立 し,従 来
sentativeと 称す るものが、地 区 ガバ ナーに相 当 し
て いたのであ ります
然 るに1ヒ 度此 の Rotary
lnternatiOnal Representativeを
″ごlLし
,RIBIに
も他地 区同様 ガバ ナー をお くこととす るとい うの
で あ ります。 また人 頭分担金 も RIBIは 勝手 にそ
の額 を決めて,独 自に徴 収 し,そ の一 部分 を
RI
に納 入 して いた もので あ りま したが,原 則 として
RIBIの クラブ も他 の クラブ同様 所定 の金額 を RI
に納 入す べ き もの とし,便 宜上 RIBIに 送金 し
その一 部 を RIの 決定す る割合 を以 って RIBIに
,
交 付す る とい う こ とにな るよ うで あ ります.要 す
るに RIBIの ロー タ リー クラブ も国際 ロー タ リー
の他 の クラブ と同様 の権利 と義 務 を持 つ こ とと し
地域 内 の特殊事情 に鑑み,地 域 内の運 営 を認 め,ロ
ー タ リーの発展 を期 そ う とい ぅの にあ るよ うです
57
菫 lZ
Л
ッ キ ー ズ
曽 答 IZ・ イ
卸
御 貝
純 欧 風 銘 菓 ・ ク
E々
宗 屋 東 京 店
本社 東京都千代 田区麹町 3-l
TEL。
東京 (261)5541(大 代表)
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大谷重工業株 式会社
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本社
工場
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谷
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/東京都 墨 田 区江 東橋 3の 6
/深 JII 羽 田
尼崎
社長 安 藤 勝 弥
京・銀鳳の6(剛 用Ю価卜347安 藤 工 事株 式会社
(官 内庁御用達)
ヵステラ “)番
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電言
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長 崎 一博 多 一 広 島 ― 神 戸 ― 大 阪 一 横 浜 ― 東 京 ―札 幌
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ベ ネ シヤ ン ブ ラ イ
一
コワバ
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東京都千代田区丸の内 2の 2の 1丸 ビル
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国 ン
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ロータ リー・ワンダーフォーゲルについて
の 故 知 に学 ぶ
当 370地 区での重要 な年中行事であるロータリ
ーのワングーフォグルは,最 近非常に関心が高ま
った青少年の余暇対策のさきがけとして,増 永 さ
んが1955年 頃 `青 少年奉仕 1/C対 す る一試案'と い う
冊子で提唱なさったわけですが,そ の動機 とい う
ところからまず承 りたいと存 じます。
私 は当時 ,熊 本 RCの 会長 を してお りま し た
(1954∼ 55)が ,青 少年 問題 は 日本 ばか りで な く
,
世界 的 に も頭 を悩 ま してお る問題 で あ り,熊 本 ク
ラブで も, 3年 前 か ら青 少年奉仕 委員会 がで きて
お り,私 も真 剣 に取組 む必要 を痛感 してお りま し
た ところ,林 田熊本市長 か ら, ドイツのボ ーイス
ヵ ウ トとの交 歓 に招待 され た ときの模様 を聞 き
“ドイ ツで は国家 は勿論 ,民 間団体や組 合 な ども
,
非常 に力 をそそ いでい る。 戦後 ドイツの敏速 な経
済復興 も,種 々の要 因 の一 つ として ,こ の青少年
問題 の処理 に成功 した こ とが あげ られ るだろ う"
とい うこ とで ,ユ ースホ ステル , ドイツ語 で はユ
ー ゲ ン トヘル ベル ゲ,そ れが全 国で2,000も あ る。
サ イク リングや ヒ ッチハ イ クで容易 に 田園山林 の
自然 に接 し うる現状 を知 ったわけです
文 献 によ ると, ドイツで は19世 紀後半 に,青 年
.
達 が ギタ ー を持 って よ く山野 を歩 き回 った.こ れ
は物質 文明 の隆盛 に伴 う人 間性 の圧迫 に対 す る反
抗や不満をはらんで いて,必 ず しもいい面 ばか り
が結果 として現われたわけではない.そ れが1907
年小学校教 師 リヒアル ト・シエルマンとい う人の
ロー タ リー の 友 -9月 号
提案 で ,田 舎 の小学 校や農家 の納屋 な どに藁蒲団
を準備 し,簡 単 な宿 泊施設 を作 るよ うに した こと
か ら社会 的 に注 目され ,1910年 にはアル テ ナーの
城 に本格 的なユ ーゲ ン トヘル ベル ゲ,ユ ースホ ス
テル が建設 され た。 これがユ ースホ ステ リング成
立 の事情 で したが ,た またま “ヒ ッチハ イキ ン グ
・ ュ ー ロ ップ"と い う文章 を読み ,そ の現状 を知
って大 へ ん感 激 したわけです・ それ によ ると,宿
泊料 が安 く, 日本金 で50円 程度 ,施 設 も到 るとこ
ろ にあ る.青 年 はそ の気 に な りさえすれ ば簡単 に
ワ ンダ ー フ ォーグル ,ユ ースホ ステ リン グがで き
る。 ′ヽイデル ベル ヒが誕生 の地 だが,フ ラ ン クフ
ル トや ア ム 。マ イ ンには京都 の洛陽 ホテル 級 の施
設 があ る。 食 事 も 7∼ 80円 ,手 弁 当 で も差 支 えな
い とい うこ とで した。私 も1959年 に参 りま したが
洛陽 ホテル 程 で はな い けれ ど5∼ 600人 は泊れ る立
派 な もので,そ の頃 で も 日本 で はせ いぜ い普通 の
,
宿屋 をユ ースホ ステル の契 約 で借 りた ものが数 ヶ
所 あ る程度.早 急 に ドイツ並 にはで きな いが,シ
ェル マ ンの故 知 を学 ぶ ことに よ って可能 だ ろ う。
ただ ヒ ッチハ イ クは 日本で は無理 だ。 宿 泊 も,農
家 や小学 校 に藁布 団 とい うわけ には いか な い。 そ
こで考 えた のは,自 転車 ′ヽイキ ン グ,サ イ ク リン
グです。
そ の頃 ,東 京大森 の某高 校生 3名 が,雨 具 ,米
。
罐 詰,教 科書 な どを携帯 して,品 川 京都間 をサ
イ ク リン グした.所 要 6日 間 で,途 中 は釣 を した
67
り野宿 を した り.京 都 で は親切 なお巡 りさん の好
意 で鉄道弘 済会 の寮 ヘ ー 泊.翌 日は大阪 見物 を し
加 校32,生 徒 429名
さらに四 国 の坂出 にむか って出発.品 川 を出 てか
ら24日 目に坂出着 .旅 費 は 3人 で計 4,000円 。 こ
うい う素晴 らしい 自転車旅行 の新聞記事 を読 んだ
全 域 に拡大 し,名 称 も「 九州」 だけで よ くな り
クラブ数23で , とび とびですがほぼ全域 に存在 す
わ けで す。 折 りも折西 日本新 聞 に “青少年犯罪 白
書 "が 載 り,青 少年犯罪 の頻発 と悪質化 ,ま た時
,宿 泊延べ 日数 1,956日 ,
とい
う数字 で した。 次第 に発展 して,1659年 には九 州
,
るよ うに な り, さらに1961年 に は,山 口 県 も 加
入 し「 九州 ・ 山 ロ ロー タ リー・ ワ ング ー フ ォー ゲ
ル 」 と改称,59ク ラブが加盟 してお ります。
昨年 の1966年 は,参 加 クラブ85,参 加学 校60,
期 的 には 5月 か ら夏 までが多 い, と報告 され て い
た。 これ は学 校 の生活教育 が 中断 され る夏休 み の
生徒数 767名
解放 も原 因 だか ら,こ の若 いエ ネル ギ ーの健康 な
解放 がぜ ひ必要 だ。 宿 泊 には,1500年 の歴 史 を持
数 39,100日 とな ってお ります。
ち,わ れ われ 先 祖 の浄財 で建 て られ , 日本全 国津
々浦 々に あ るお寺 を拝借 した ら どうか,説 教 の と
き以外 は殆 ど空 いてい るし,住 宅難 の利用 に も供
されて い な い し,固 定資産税か らも免除 され て い
゛
る。 若 干 の宿泊料 を出 す ことで,夏 休 み の間 く
ら
い は利 用 させ て貰 えま いか,そ う考 えて,私 は具
体案 を練 り, クラ ブで 発表 した ところ,ご 賛成 を
得 ,コ ピイを送 りま したが,反 響 を呼 びま した。
広島 の大 会 で も大変反響が あ り,新 聞 で も大 き く
と りあげ られ た ので,こ れ な らい け る とい う確信
を持 つ ことがで きたわけです。
ギ リシヤ語でスコーレ, これが今 日のスクール
なったそうで,夏 休みの有意義な利用に
も符合するし,人 間の修養に閑暇がいかに重要な
役割を果たすかとい う,そ の新 しい試みと申せま
(学 校)と
す.そ れが軌道に乗 るまでのご苦心談をひとつ。
はた して青 年 た ちが飛 びつ いて くるだろ うか
,
ち ょっ と心 配 で した。 また実 行 され た として,事
故 がな く,経 費 も安 く,長 続 きす るだ ろ うか。 出
発 で 誤 る と一 ぺ ん に取 り返 しが つか な く な る の
で,苦 労 しま したが,長 時間練 ったため もあ って
,宿 泊延べ 日数4,260日 .1956∼ 66年
の11年 間 の合計 で は,生 徒 7,000名 ,宿 泊延 べ 日
非常に好調な発展で,当 時のパス トガバナー君
島さんの `こ の適切な試みが尻切れ トンボになら
ないように希望する' とい う言葉 も杞憂 となった
わけで大成功と申せましょう.1960年 東北でもワ
ンダーフォーグル運動が始まったそ うですが, こ
ういった他地区 との連絡,交 流は現在 ございまし
ようか
.
君 島先生 の ご心 配 はまた私 の心配 で もあ ったの
で すが ,毎 年実施後 ,各 クラブで関係者参加 者 が
集 ま って反 省会 を行 い,さ らに全 九州 で連 合反省
会 を持 つ とい う次第 で ,毎 年欠点 を改 め なが ら今
日まで成長 す る こ とがで きたわけです
.
東北 の ワ ンダ ー フ ォーゲル は, 352区 の佐 々木
孝三郎氏 と レー クプラシ ッ ドで この運動 の話 を し
帰 国後,1956年 の私 の報告書 を同氏 に送 り参考 に
供 した こ とか ら,青 森 の 阿部竹之助氏 の熱心 な賛
成 を得 て,翌 年す ぐ発足 を見 たわけで すが,当 時
は ロータ リア ン関係 の青少年 が対 象 だ った よ ぅで
す。 発足当時 は青森 だけで したが,1962年 秋 田
,
岩手 が加 わ り,そ れ が1963年 に は中心 を仙 台 に移
して東 北六県 に発展 しま した.期 間 は私 達 が 7月
案外具 合 よ く運 びま した。 難点 は,サ ー ビス基準
20日 ∼ 8月 20日 の暑 中休 暇 を利用す る の に 対 し
が各 クラブで差異 が あ った ことで,ス ヶ ジ ュール
や コース選定 は 自主 的 に作 らせ たわけで すが これ
て,東 北 では 7月 20日 か ら 9月 20日 まで.ま た女
子 も対象 に してや ってい るよ うで す.現 在 で は参
加青年 の範囲 は一般 に まで拡 げ られ た そ うで す
が杜撰 で,強 行軍 とな って,道 中 の ゆ と りが な く
な り勝 ちであ った こ と,そ ん な程度 で した
.
計画のご苦心が実 ったわけですが,発 足から今
日までの模様や実績 について承 りたい と存じます
1956年 か ら昨年 まで11回 .初 め は “東南 九州 ロ
ータ リー・ ワ ンダ ー フ ォーグル "と 称 し熊本 ,宮
崎 ,大 分 と福 岡で は大 牟 田だけ の計 11ク ラブ.参
62
.
連 絡 はまだ報告書 の交換 程度 です
.
外国の会長 さんが来 日の折,福 岡でこの運動に
ついて増永さんが ご説明なさった,あ れはいつ頃
で したでしようか
イ ン ドの ラハ リー会長 が福 岡 へ 参 られ た ときで
.
す。 インターシテ ィ・ ミーテ ィングの歓迎会 の席
THE ROTARY―
NO_TOMO
人間 の善意 と親切 に青年 たちが感銘 した とい う
ことには,実 に明 るい暖 かい ものを感 じます.こ
の運動は参加学生 lCは 毎年変化があ ります が主催
者側は殆 ど同 じで,行 事 のマ ンネ リ化 とい うこと
も考 えられます が,そ うい う点を含めて今後の こ
上 ,国 際奉仕 につ いて松本 さん,青 少年奉仕 につ
いて私 が報告 しま した
この 370地 区のワンダフォーグルが世界大会に
.
採 りあげられ,記 録に載 りましたが ……・
1962年 ロサ ンゼル スの大会 でで した・ 記 録書 の
303頁 にあ ります .デ ス トリク トの352区 が 日本 の
の運動の問題点 につ きご感想 ご意見をひ とつ
.
マ ン ネ リ化 の心 配 ご も っ とも と存 じます が ,毎
370区 にな らって この運動 を始め た こ と,1959∼
1961年 まで の参加 クラブ,学 生数 ,宿 泊 日数 ,宿
年 の 反 省会 が そ の 防止 に役 立 って い る と 存 じ ま
泊所数 な どの成績 を報告 してお ります。
この運動で,現 在までに問題点 となったことが
らや感銘深かった事実があったと存じますが・…・
私 は この運 動 を始 め るに当 って,宿 泊者 日記 を
備 え,必 ず感 じた こと考 えた ことを率直 に書 いて
貰 う,そ れ に対 してまた別誌 に宿 舎 主 も運動 の実
際状 況 を観察 して記 入す る。 あ とで両 方 を私 が見
る, とい うこ とに しま した。 私 が意外 に さえ思 っ
た の は,ロ ー タ リー会 員 のみな らず ,知 らな い他
人 の 方 々がみな青 年 たち に親切 で ,参 加者が「 日
本 人 は こん な に親 切 だ った のか 」 と感 銘 し た こ
と。 これ は青年達 が,人 の世 の善意 に飢 えて い る
のか ,接 す る機会 が なか ったか , どち らか で し よ
うが ,例 として一 昨 々 日,今 年 の打合 せ会 の席 上
す。 私 が これ を提 唱 した当座 は西 日本新 間 の「性
犯罪 白書」 な どか ら学生青年 の惰弱 を心配 し,質
実 剛健 とい う言葉 を使 い ま した。 強 いて困苦 欠乏
に耐 え るとい うことには抵抗感 を持 たれ勝 ちで す
が一―実際 に初 め の頃 は ゴザ 枕 を使 った り,宿 泊
で
礼 も30円 か50円 。 今 日では 100円 以上 の宿 泊礼
す じゴザ枕 なん て あ りませ ん―一 時代 とともに 自
然 に,趣 旨は同 じだが困苦 欠乏 も程度 が変 って く
べ
るわけで す。 しか しそ うい うこ とよ り,注 目す
い
き ことは参加者 が 自発 的 に熱意 を持 って きて る
点 で し よう。 1964年 防府 で引率 の先生 が ,全 行 程
を終 えて の帰途 ,市 内 に入 った際 トラ ックにふれ
て 自転車 か ら落 ち,学 校 まで帰 りつ いた のに内出
血 で亡 くな る, とい う大事 故 が起 きた。 これ が今
で本渡 クラブの人 が こん な こ とを 申 し ま し た。
“本渡 は天 草島 にあ り,孤 立 して いて他 の土 地 の
人 々に接す る機会 が少 い。 ワ ンダ ーフ ォーゲル で
後 の運動 に支 障 を簡 さなけれ ば いいが と心配 し
同校 の参加生 徒 にア ンケ ー トを求 めた ところ,“ 不
測 の事故 を恐 れては,何 事 もで きな い,運 動 は続
初 めて島 の外 へ 出 て ,未 知 の人人 の親 切 を しみ じ
み感 じて帰 って来 た学生 が非常 に多 い"と・ こ う
い う ことは第 1回 以 来 の宿 泊 日記 に もた くさん書
ける
かれ ています
.
や は り観念 的 に善悪 を説 くよ り,わ れ われが ま
ず善意 と親切 を示 せ ば,そ れ に青 年が必ず感銘す
る。 これ は普通考 え られ てい る程 ,悪 い青年 ばか
りじやな い とい う ことを示 して い ます。
嘱託医 をは じめ,お 医者 さん の親切 はまた大変
,
とい う回答 があ りま した。 これ な ど非常 に
べ
味 わ う き言葉 です・
私 は,こ の運動 は ロー タ リーが先 鞭 をつ け,や
'′
がて は国家 か公共団体 に肩代 りして 貰 うつ も りで
した,し か し今 だ にその気配 が な い。 まだまだ根
気 よ く続 けね ばな らな い わけで す が,何 か 名案 が
な いで し ようか。 いいお知恵 を ご教示願 いた い も
ので す
.
いろいろご苦心談あ りがとう存 じました
.
な もので,盲 腸 炎 とか怪我 なん か ,実 に丁 寧 に診
て い ただ きま した.バ ス会 社 な ども フ ォーグル 員
の腕章 をみ る と無 料 で乗 せ て呉れ る例 もあ った程
です
,
警 察 も反省会 の席 上で「 よ く道 標 にいたず らさ
れて困 った の だが,ワ ンダ ー フ ォー グル に よって
,
道標 の大切 さを認識 し,道 標 の整理 を して くれ た
もの もあ る」 と感 心 して い ま した
ロ ー タ リー の 友 -9月 号
今月か ら各地 で ロータ リーの本領 を発揮 して
各方面 に活躍 されている方 々のお話を 連 載 し ま
す。次回 は,宮 崎の岩切章太郎氏 に職業奉仕 につ
いてのお話 を うかが う予定です
.
63
第 358区 交換 研 究派遣 団報 告
東京
Jヒ
今回,わ が 第 358区 を代表 して,米 国第 513区
)へ 交換 研究派 遣団 の団長 として団員 6名
を引 率,前 後 2カ 月間出張 して 参 りま した。 桑港
(加 州
を中心 と致 しま して南 はサ ン タクル ース ょ り北 は
ユ レカに至 る各 ロータ リー クラブ
を訪問 して親善
且研 究 の実 を挙 げま した
.
第 513区 に は,58の ロータ リー・ クラブが あ り
ま して,会 員数 も 4,700人 を越 える数字 にな って
お ります.訪 問 しま したのは40ク ラブで あ りま し
て, 2∼ 3の クラ ブが 合 同 して晩餐会 を催 して く
れ た りしま した
.
2月 27日 羽 田 を発 ち,ハ ワイで一 泊,28日 夕刻
桑港 へ着 きま した.空 港 には第 513区 のガバ ナー
ラ ンス氏 ,交 換学生 委 員長 ピア ノ ン氏 ,そ れ に
昨
年 同区か ら交換研究 団団長 として来 朝 され た ス ミ
ス氏以下 7名 な ど,総 勢40名 ちか い人 のに
達
ぎや
か な出迎 えを受 け ま し た。 直 ちに空港 レス トラ
ン トを借 切 っての旺 ん な饗応 に愉 しい 2時
間 を過
し,了 って全 員 が各 ロータ リア ンの私 宅へ分 宿す
ることに な りま した。 まず ,団 員 6名 を代 表 して
次 の 2人 に報告 させ ま し ょぅ
(木 村君 談)パ ール・ ハ ーバ _o口 _タ リー・ ク
ラ ブヘ 立寄 った とき, クラブの雰 囲気が 日本 の そ
れ とは違 うよ うな気が した。 自由か っ達 な話 しぶ
り,互 いに批 判 し合 って も洵 に,和 気 あ いぁ ぃ た
.
る ものが あ った,そ こに は何等 の「構 え」 の如 き
ものが看 られ な い.わ た し も,こ の雰 囲気 に応 え
,
余興 で くだけた ところを御 披 露 し た。 同 クラ ブ
で,バ ナ ー の代 りに,真 珠入 りのパ ール ハ ーバ _
浦 田 成 蔵
用意が あ る と告 げ られ た と きは,ち ょっとめん く
らったが,往 ってみ て 尚び っ くり, トィ レ ッ トの
こ とをバ ス・ル ーム と謂 ぅ云 ぃ方 をす るのに
,団
長以下 われ われ は気が つ か なか ったので あ る
.
殊 に,教 育制度 に は関心 を もった.教 育 へ の機
会均 等化 と教育 へ の議意 とは,自 か ら区別 して考
え るべ きだ と訓 え られ た。
以上が 団員 の印象 で す.サ クラ メン トの クラブ
ヘ 往 った とき,誕 生 日の
披露があ り,会 員 か ら寄
贈 され た品 々を, くじ引 で わ り当 て,そ の一 等 の
あた りくじが 何ん と生 きた鬼なのには驚 か され ま
した・ 一 等 に当 った罰 として そ の会員 は鬼 の
養育
の義務 を課せ られ た よ ぅで す。 又桑 港 の クラブで
は ビジターの紹介 の方法がかわ って ぃ ま した。 ビ
ジター を各 テーブル 毎 に座 らせ ,テ ー ブル・ マ ス
ターが 事 前 に御本人か ら経 歴 や趣味 を訊 いておぃ
て ,指 名 が あ る と,面 白おか し く紹介す るや り
方
で す。
胴金 の と り方 もユ ーモ アに富ん だ もので,例 え
゛
ば大低 2∼ 3弗 くらいで 済 ま され ますが,大 口に
な ると,こ れ を会長 が全 員 にはか り,全 員 が 支持
す る と,時 に は50弗 にハ ネ上 り,そ の会 員 も欣 ん
で それ をワ1受 けて ぃ るよ うです
ロ ック ヒー ドエ 場,FMcパ
ッヵ ― ドェ 場
パル プエ 場等 々い ろ い ろ案 内 され
ま した.I.B
M・ 工 場 を見学 した とき,工 員 の 8割 が
眼鏡 をか
けた婦人 た ちでぁ り,収 入 は 日本 の平均 の 5倍 と
.
,
聞か され て一 驚 しま した
.
港 の海水 をつ めたびん を贈呈 され た のに はア ッと
言 わ され た
.
(平 塚君談)浦 田団長 は50年 前 に渡米 され たわれ
われ の大先達 で あ る。 われ われ もい ろ い ろ赤 毛 と
うぶ りを発揮 したが,団 長 のユ ーモ アの あ る話 の
一つ をお伝 え したい.団 長か ら或 る会 場で風 呂の
6イ
今 回 の交 換研究 の出張 に よ りま して,わ れ われ
ロー タ リア ン間 の心 と組織 の
紐 帯 が,海 を越 え
て,い か に強 固な もので あ るか つ くづ く悟 り,団
員 と共 に大 い に勉強 に な りま した.皆 さん の御支
援 を団 員 と共 に心 よ り感 謝 してお ります
.
THE ROTARY― NO‐ TOMO
第 365区 交換 研 究派遣 団報告
大阪
Jヒ
ロ ー タ リー 財 団 の 主 催 す る Group Study
Exchange Teamの 団長 として私 は,365地 区か
ら米 国 522地 区 (加 州)に 招 かれ ,六 名 の青年実
業家 (1名 は教育家)を つれ て 60日 間 の 旅 を し
てまい りま した
.
奥
村 龍 三
場 ,教 会寺院等 で実 に多 くの もの を学 びま した。
日本 国大 の大州 で あ る加州 を今 日の繁 栄 に導 く為
めに如何 に州民 が懸命 に働 い たか,所 謂「 治水」
「で す
の大 事業 を完成 した」
ゴ
し
ーノ
1849年
ドラ ッシ ュ以 来土 地 の 開拓や開墾
.
2年 1lR I創 立 60年 を 記 念 して「 ロー タ リア
の 困難 な事業 に着 工 して着 々其効果 をあげて い る
ン誌」 力ゞ
『 ロー タ リー何処 へ行 く』 と云 うシ ンポ
ジ ユー ム を掲 載 しま したが その時 ,皆 の一 致 した
ので す.日 本 に当てはめて考 えます と恰度青森辺
の 水 を遠 く九州 まで運ぶ事 にな るので ,そ の 為め
意見 は ロー タ リー こそは,一 層 国際奉仕 に拍車 を
か け るべ きで あ るとい うので した.今 日 ROtary
to Rotary とか Rotarian to Rotarian とか WOrld
多数 のダムの建設 ,運 河やかんが いの施設 を整 備
して幾 千 エ ーカーの土 地 も一 つ のバル ブを開 く事
Community Ser宙 ceの 力説 な ど国際 的企画 の提
に よって撒水 の実 をあげ る事 とな って い ます。 そ
の結果土 地 は広汎 だ し綿 ,野 菜 ,果 物 は年 々増 産
唱が な され てい る事 は もっともな ことで あ ると思
い ます
す るし,石 油 ,石 炭 も豊富 とい うので 加州 は米 国
考 えて 見 ます とロー タ リア ン即 ちその社会 の本
当の指導 力 の あ る,ま た知識人 即 ち社会 のエ リー
移住者が東 か ら南 か ら来 るそ うで.将 来優 に 5千
.
ト60万 人 もの人 々が世界 の各地 で毎週 1回 集 って
4大 奉仕 部門中特 に国際奉仕 の 事業 につ いて熱心
に討 議 し,ま た実践 して い るとい う事
ll■
実 に大 き
な一事実 で あ りま して, これ を通 して,今 後30年
40年 後 の 世界 に貢献す るところ多大 な ものが あ る
5州 の うち一番好 景気 で,毎 日平 均 1千 人 の 国内
万人 の住民 を加州 は抱 え得 ると申 して居 ります
加州 の繁 栄 に 日本人 の 貢 献が忘れ られ な い と云
.
う事 を随分強 く開か され ま した.労 働移民 として
米 国 に来 た第 1世 の 日本人 の勤勉 な こと,そ して
2世 の教育 には実 に他 の民族 に も及 ばぬ 熱 心 さ
,
その 為 め 2世 3世 は今や米 国で社会 的に も相当 の
地位 と信用 とを与 え られ ,百 パ ーセ ン トア メ リカ
と信 じて よ い と思 い ます。
私 た ち一行 が米 国 の ロー タ リア ンの家庭 の客 と
人 とな り切 って い る事 を私共 は実 際 に観 て嬉 し く
な って60日 間過 し得 た ことは, この 企画の一番大
切 な点 で , 日本人 と米 国人 との 間 に結 ばれ た人 間
感 じま した。
この報告 の結論 として,明 記 した い事 は私共 ロ
関係即 ち友情 の友垣 こそは末 長 く続 くもの と思 い
ます.私 共 は平均一家庭 に 3日 半位 の 間 お世話 に
な りま した 1行 は 1人 1人 別 々の家庭 に招 かれ
ータ リーの 運動 は ここ数 年間 この 研究 グル ー プに
,
午 前午 後 は見学 に出 か けま したが夜 は大体 各家庭
で過す llに な って い ま したので,総 合計百数十軒
の ロー タ リア ンの家庭 に過 した事 とな ります。 そ
集 注 して見ては如何 ,他 の 国際奉仕 の事 は第 2次
的 に置 いて,来 る数年間 は この研究 グル ー プに全
世界 の ロータ リーが協力 して見 る事 を 提 案 し た
い。 それ は ロー タ リーの大切 な国際親善 と理 解 の
して 皆家 庭 の一 員 の 女
口く親切 に待遇 され 心お きな
為 め に多大 の効果 を もた らす事 を信 じて疑 わな い
か らで す.終 りに私共 一行 を受 け入れ る為 め ウ ッ
く懇談 し意 見 を交 えたので した。
プ ゥォ ース・ ガバ ナー夫妻 と委員長 ク リステ ンセ
私共 の 見学 したの は大体 120カ 所 ほ どの会社
工 場,社 会 施設 ,陸 海軍 を含む大小 の学 校,飛 行
,
ロ ー タ リー の 友 -9月 号
ン氏夫妻 が熱心 かつ緻密 な準備 を して くれ た こと
を附記 して報告 と致 します
.
65
動脈硬化 の 治療
大 阪府立 成 人病 セ ン ター
戸
テ レビな どで,動 脈硬化 とはホ ースが 固 くな っ
て,も ろ くな った状 態 とか,鉄 管 が さびで通 りに
くくな った状 態 とか に似 て い る とよ く い わ れ ま
す.た しか に動脈硬化 にな った lll管 は,ふ つ うの
血 管 と異 って,外 か らさわ る と
もろい感 じに
コ レステ ロール な
な って い ます。 これ は動脈 壁 に '1く
どの脂肪 がたま ったため に変化 してお こって来 た
か らです。 しか し一旦お こった変化 は,そ う簡単
に も どるわけではあ りませ ん 鉄管 の中 の さびな
山
靖
1)食 餌療法
しか しいずれ に して も,脂 肪 と動脈 硬化 と関係
が あ るとす ると,ま ず 動脈硬 化 を予防す るために
は脂 llJの と り方 に注意 しなけれ ばな らな いで しょ
う。 しか もそ の うち,や か ま し くいわれ て い るの
が ,動 物性月
旨l17J, ことに,牛 や豚 の脂です.こ れ
は勿 論 ,動 脈 硬化 の予防 とい う点 か らは さけ るに
こした ことはあ りません.た だ ここで 注意 しなけ
ン
れま
ら,何 かで こす って とる こ とも出 来 るか も ヒ
れ ばな らな いの は,牛 や豚 の脂身 を とらな い よう
せ んが,人 間 の あ の細 い血 管 をそ う簡単 に掃除 出
にす るあま り,赤 身 の処 も とらな い人 が あ り ま
来 るわけがあ りません です か ら一度 出来 た動脈
硬化 はそれ を元 に戻す とい うことは,血 管 で もと
りか える以外無 ll「 な ことです。
で す か らTIJttilt化 の治療 とい って も,一 度 出来
す.す き焼り
IIの 上 等 な牛 肉です と,脂 が ま じって
所 謂鹿 の子 とよばれ るものが あ りますが,こ う し
た もので なけれ ば,必 ず しも とって い けな いので
はな く,む しろ蛋 白質源 として とって よい もので
て しま った ものに対 しては 1)外 科 的 に手 11を し
て Iに 管 を と りか える とか,冠 動脈 内 を炭酸 ガス1賞
す.最 近 ,過 酸 化脂質 (脂 lt過 酸 化物)の 問題 が
と りあげ られ て くる とともに,従 来 ,魚 の月
旨方は
身寸で沈着 物 をはが しとる方 法 とが あ りますが,一
般 には 2)そ れ以 _L動 脈硬化 がすす まな い ように
よい といわれ て い た のが,時 日がた った もの は過
N脈 硬
す るしかあ りませ ん。 したが って ,む しろ■
││ず る ことが大 _L0
化 のお こ らない よ うに予防策 を言
に な って来 ます
ところが,1lJJ号 に ものべ られ てい るように
動 脈硬化 の原 因 として, コレステ ロール や中性 脂
,
酸 化脂質 が出 来 て くる危険悩:が あ り,魚 な らなん
で もよい とい うわけにゆかず ,新 鮮 な しか も不飽
和脂 1方 酸 の もの,と い う条件 が いわれ るように な
り,牛 肉 よ り魚 とい うわけ に もゆか な くな って来
ま した。
山の1旨 17Jが 重要 な関係 があ るといわれ て
肪 , そ のイ
い ますが,ま だは っき りそ の原因が つかめたわ け
また植 物油 が よい とい われ て い るものの,こ れ
′
/
な いで使 う ときの ことで ,天 ぶ らや フ ー
も加熱 し
'に
々
イな と す るため に,度 熱 して い るとや は り過
で はあ りません。 殊 に西 洋人 ほ と脂 llyを とらない
日本人 で は,な お さら この1嗣 題 は多 い よ うで す。
酸 化 1旨 I〔 が出 来 るので,植 1勿 力 だか らと簡 i11に い
う こ とも出来 ません そ うな ると リノール 酸 マ ー
ガ リン とか ,サ ラダ ドレ ッシ ン グな どで植 4勿 油 を
66
THE ROTARY― NO‐ TOMO
FOR YOUR HEALTH
治療
成人病,親 と
とるか,ま たは高 くつ きます が,新 しい植 物油 を
つ か った天ぷ ら位 しか とれ な い とい うことにな り
ます (マ ー ガ リン もふ つ うの は植 物油 とい つて も
飽和脂肪酸 の ものが主 な ので ,よ い とは い えませ
ん)し たが って月
旨肪 を制 限す るとい って もむ つか
この他 にアモ トリール とか リポ ス タ ピール ,M
DSな ど動脈硬 化治療 を 目的 として発売 され てい
るものが い くつ もあ ります.し か しいずれ に して
も人 間 に若 い時 か らの ませ て,動 脈 硬化 を予防出
来 た とい う成績 を出 して い るわけでは あ りま せ
しいわ けで,無 頓着 な の もい けませ んが,神 経質
の あま りあれ もい けない ,こ れ もい けない とい っ
ス
レ
て栄養失調 ,殊 に蛋 白質 を とらな い食事 に陥入 っ
て しまわない注意 も必要 です.'pも 黄味 に コレス
心筋硬塞や脳 血 栓 で は血液凝固 と関係 があ るので
テ ロール が多 いので い けな い とい われ ます が, と
りす ぎで な い限 り却 って栄養源 としては よい もの
検 討 して い るもの もあ ります.例 えば血小板 の粘
で す。
.
一 方 こ うした血 中 の脂質改善 の ことと同時 に
,
はな いか とい うので,そ の方面 か らの薬 の効果 を
着 性 を改善す る とか ,線 維素溶解 能 を よ くす る と
か い った ことや ,血 液 凝固能検査 で よ くな った と
以上 の ことか ら,脂 肪 ,含 水炭素 を と りす ぎな
いで,体 重 を調節 しつつ果 物 ,野 菜 や蛋 白質 を主
に とるよ うにす る とい う一般原則 をま もる ように
か い った ことを と りあげて い る薬 剤 が あ ります。
私 た ち も こ うした点か ら調 べ て いて,中 にはそ う
して下 さい.し か も こ うした考 慮 は年 とってか ら
では動脈硬化 の進行 をあ る程度 お さえるのに役立
や脳血栓 の予防 に役 立 った とい う成績 を得 るほ ど
つ か も しれ ませんが,予 防 とい う点 か らは相 当若
い時 か ら行 わな い とい けない わけで す。
した検 査 で よ くな った例 もあ りますが,心 筋硬塞
長 い期 間み ていませ ん し,こ れ らの薬剤 で もそ う
したデ ー タ ー を発表 して い るわけで は あ りま せ
ん.し か し,将 来 は こ うした面 か ら有効 な ものが
出れ ば勿論 服用 して よい と思 い ます。 ただ現在 心
筋 硬塞 の再発防止 の ため に使 われ て い る抗血液 凝
2)薬 剤療法
一 方 ,動 脈 硬化 を予防す る薬剤 としては数多 く
の ものが あ り,ま た現在 も色 々 と研究 され てい ま
固剤 は,注 意 しな い と出血 をお こし,時 に一 命 を
お とす こともあ ります ので,医 師 の充分 な監視 の
す。 この うち リノール酸 を主 に した もの (例 えば
リポテ ー ト,ア テ ロ,ベ ニオ ール な ど)は た しか
も とに服用 しなけれ ばな りませ ん し,こ れ は一般
の方 の用 い られ る薬剤 で はあ りませ ん。
なお ア ンジエ ン とい う薬剤 が可 成 り広 く用 い ら
に不飽和 脂肪酸 が動脈硬化 の血 中 の脂質代 謝異常
を正 常 にす る とい う成績 は出て い ますが,そ れ を
達成す るため には相 当大量 に とらな くてはな りま
せ ん し,た とえ血中 の脂肪酸 の構成 の異常 を よ く
したか らとい って 動脈硬化 のすす む の をお さえ る
とい えるわけで はあ りませ ん。
また蛋 白同化 ホル モ ン (例 えばア ナ ドロール
アル トロンな ど)は 少量 で も血 中 コレステ ロール
,
の値 を下 げ る ことは下 げます が,注 意 しな い と肝
臓 障害 をお こす可能性 もない わけで はな く,時 々
肝機能検査 ,特 に GPTの ような酵素 の検査 をす
る必要 があ ります し,コ レステ ロール を下 げたか
らとい って心筋硬塞や脳血栓症 を防 げ るとい う成
績 が得 られ て い ませ ん
この ほか ビタ ミンEや 活性 ビタ ミン B2が 過酸
゛
化 脂質 の体 内 にたま るの を防 くとい うので最近 用
い られ ています が, この効果 もまだ検討 中 です。
.
ロ ー タ リー の 友 -9月 号
れ るよ うに な って来 ま した.こ の薬斉1は 従来 の脂
質代謝異常 が動脈 硬化 をお こす とい う考 え方 で は
な く,む しろ ブラデ ィキ ニ ンが動脈 硬化 の発生 に
関係す る とい うので,抗 キ ニ ン剤 とい う意味 で動
脈硬化 の治療 に用 い られて います.し か しキ ニ ン
と動脈硬化 との関係 ,ま たア ンジ ニ ンが果 して一
旦 お こった動脈硬化 の改善 に どれ ほ ど役 立 つか
更 に抗 凝固作 用 の点 か ら どうか とい つた ことの検
,
討 をす る必要 が あ ります
.
いづれ に して も動脈硬化 は長 い年 月 をか けて徐
々にお こって くるもので あ り,そ れ を短時 日で 治
療 す る ことは望むべ くもな い ことで す。 また一 旦
お こって も致 命的事故 をお こす には他 の条件 が関
係 して来 ます。 従 って動脈硬化 の治療 もまた食餌
療法 も気長 に しなけれ ばな りませ ん。
表題 カ ッ ト
筋 腫 固 定器
67
日
葵
育
︵
名 古 屋南︶
︵
岡 崎 ︶
︵
岡 崎︶
つくば ひを雨降 り つ ゝ む 端 居 か な
︵
岡 崎︶
鈴木 梅子
野村 一止
松元 桃村
白 川 蘭舟
溝畑 冨美
大村 菅水
岩武 邦子
梅 雨 長 し 一碗 の 茶 の 薬 と も
︵
安 城︶ 古居 条二
昴
青 田 中 風 の通 ひ のよ き 団 地
名 古 屋 西︶
︵
つ 速 さ か な
︵
東 京 府 中︶
多摩 川 の鮎 住 む 淵 も あ れ 果 て ヽ
東京銀座︶
︵
暁 の 豪 雨 止 み た る菖 蒲 池
︵
東京銀座︶
古び た る 籐 椅 子 な れ ど 主 人 の 座
︵
東京西北︶
風 鈴 や 早 起 き 夫 婦 掃除好き
︵
浦 和︶
宿 坊 の優 曇 華 の 灯 に 所 在 な し
浦 和︶
︵
郭 公 の き こ え て 遠 し 滝 の道
の 向
皮 ぬ ぎ し 竹 の青 さ の雨 に侍 つ
︵
岡 崎︶ 大村すよ子
羅 に も み ぢ 一葉 の柄 の帯
︵
千 葉︶
会
杉本 山
品風
教
借 景 の 城 や 大 河 や 夏 座 敷
︵
岡 崎︶ 都築 悦女
若布刈 竿 引 入 れ ら る る 如 こは し
︵
岡崎南︶ 宮川 早苗
竹 落 葉 は り つ く 證 や 山雨急
︵
岐阜 南 ︶
︵
高 山︶
夏 草 の 真 直 ぐ 高 き 墓 地 の道
七 尾 ︶
︵
青鬼 灯 い と 無 雑 作 に 刈 ら れ け り
大竹 ふみ子
山 寺 の 大 か は ほ り に遅夕飩
︵
焼 津︶ 寺尾美津子
菖 蒲 園 に じ め る いろ に霧 雨 す
︵
清 水北︶
鈴木 正夫
伊藤 八千代
阿部 雨声
小串 伸を
上田正久日
網倉 和江
疲 れたる身 のお き ど こ ろ 柵 火 燃 ゆ
︵
自 石︶
思 ひ た つ 日 を 吉 日 と更 衣
︵
自 石︶
村木 貞介
市川 月光
日塔二斗亭
斎藤 エ
ハ峯
古橋 桂花
中村 素径
山本 岳南
山本 千代
関谷 止有
大越 千生子
斎藤 啓花
藤沼 辰男
山 口依久子
篠原 巴石
川島 鳴子
岸 善志
鈴木 繊園
鈴木 貞
バ ス涼 し 口 笛 吹 い て運 転 手
︵
渋 川︶ 中野 篤 二
籍 底 よ り 霧 育 て ゐ る夏 木立
︵
高 田︶ 小山 宏子
黒 揚 羽 岩 韮 の花 を 好むなり
︵
前 橋︶
風通 す 雨 戸 ま づ 繰 り 避 暑 は じ め
︵
千 葉︶
夕 飯 も 風 呂 も 早 め に 避 暑 の荘
︵
千 倉︶
月見 草 灯 に も た ら せ し 大 き さ よ
︵
印 西︶
畦 の草 刈 り 落 し て は 畦 を 塗 る
︵
小 山︶
糠味噌 の糠 のゆ る び て 梅 雨 明 く る
︵
佐 野︶
盃 に 浮 く 塵 あ り ぬ 灯 取 虫
︵
栃 木︶
焼 鮎 の小 さ き 口 を あ け ゐ た り
︵
宇都宮東︶
郭公 や け ふ も ひ と り に さ れ る 刻
︵
桐生南︶
鎌 倉 は 緑 の 町 よ 樟 若 葉
睡 蓮 の 雷 の 二 つ浮 かみ来 し
浦︶
2一
県 道 を 越 ゆ る 白 蝶 高 く舞 ひ
︵
横須賀︶
夕ぐ れ の 青 葉 の 垣 の 香 に 沿 ひ て
︵
横浜保土ケ谷︶
空 梅 雨 や 鴨 青 芝 に 上り居り
横浜戸塚︶
飛卿にて ︵
黒 牛 老 ゆ 山 法 師 咲 く深 密 に
︵
身 延︶
峙 て る 法 の石 段 ほ ととぎす
︵
甲 府 ︶
まろやかに つヽ じ の 山 の い く 重 ね
に
星 野 ニ
ユ子
白 石︶ 鈴木 五合
︵
彼 の 家 の朝 顔 見 馴 れ朝 散 歩
︵
横 手︶子野日俊 一郎
ぶど う 棚 見 事 に組 ん で園 薄 暑
︵
花 輸︶ 阿部 胡六
悉 く 満 足 を し て 河 鹿 き く
︵
八 戸︶ 大沼 古燈
流 れ入 る水音 ど こか絲 とんぼ
︵
函 館︶ 阿部 善治
ステ ンド グ ラ ス紫 紺 に透 いて梅 雨 の廊
栗 沢︶ 沖田 いし
︵
夕焼 け や ぬ る み し 水 を 菊 に や り
︵
小樟南︶ 白石 綾
陽 のかげ りあ じ さ いの つとう つろ ひ ぬ
選 後
洗鯉客 の湯浴 みを待ち料 る 岡本治山路
鯉 の洗 ひを料 る。お客様 の湯浴 みから上 つて来
られ、 く つろぐ丁度よ い時間をはか つて料 つて居
Z
つ。
斯うした材料も、品よく句 になるも のである。
大景︶ に真向 つて、 それを写生す ることも
景色 ︵
よ いことであるが、私等 の身辺 に見落 しやす い材
一、投稿 は借書 のこと。
一、締 切 毎月二十日必着
一、投句数 五句以内
料 が いつぱ いにある ことも忘れ てはならな い。
投稿規定
THE ROTARY‐ NO´ TOMO
68
星 野 立 子 選
︵
宮崎西︶ 田崎 茶山
ボ ー ト 漕 ぐ 子 に自 鳥 に緑 立 つ
︵
熊本南︶ 藤井 年子
水 替 へて ょ り の 金 魚 の 赤 さ か な
大 分︶ 小手川世規
︵
山 の駅 はや コス モ ス の 咲 き そ め し
︵
佐 賀︶田中丸真智子
寝 莫 産 売 り筑 後 な ま り も 親 し け れ
︵
福岡西︶ 田中 国朗
夏暖 簾 か け て 旧 家 の た た ず ま ひ
︵
甘 木︶ 鶴我 青樹
行 き ゆ き て万 葉 の里梅 は実 に
︵
門 司︶ 高橋 江翠
ユト リ ロ 展 見 る 痩 身 の 組 の 羽 織
︵
宇 部︶ 篠崎 和子
蜂 蜜 の母 よ り 届 き 梅 雨 に入 る
︵
広 島︶ 内田 柳影
喜雨 到 り 田 植 支 度 の 夜 に お よ ぶ
T一
次︶ 永田 竹堂
鵜 松 明 はざ ま を 染 め て 瀬 に か か る
︵
江 津︶ 能美 丹詠
翡 翠 来 て沼 の朝 需 ひ く く 垂 れ
︵
江 津︶ 能美 優子
一 日 に 一読 と 決 め 梅 雨 ご も り
倉 敷︶ 一
︵
二宅 弓浦
風吹 け ば 蓮 の 葉 か げ に 花 現 れ し
笠 岡︶ 岡本治山路
︵
洗 鯉 客 の湯 浴 み を 待 ち料 る
︵
中 村︶
︵
今 治南︶
覚 め てゐ し時 に は 着 も し 夏 ぶ と ん
本 田 桃月
岡 田 杏畝
燈 台 の 上 に 室 戸 寺 南風吹く
︵
今治南︶ 岡田 祥子
刈 と り し 蘭 草 叩 き の威 勢 よ く
︵
新居浜︶ 深見 稲青
祝 ぎご と に今 杏 や さ しき遠蛙
︵
新居浜︶ 山内 十夜
霞 簾 吊 り て離 れ の茶 室 め き
︵
坐ユ島︶ 小汐 大里
出 で入 り の鐘 一つづ つ夏 行 僧
︵
坐ユ島︶ 米倉 明司
煮干 の 香 麦 の 香 の来 る 車 窓 か な
︵
坐ュ島︶ 米倉沙羅女
麦 刈 っ て 畠 の 境 ょ く ゎ かり
︵
明 石︶ 長 虜葉愁
バチ カ ン の 前 の 広 場 の 炎 暑 か な
︵
明 石︶ 長 多賀女
夫 帰 る 報 の 着 き た り月 見草
︵
明 石︶ 堀川 炭舟
日 々 の 日 々 植 田 拡 り し
明 石︶ 山下 素水
︵
風 鈴 の音 色 賞 で つ ゝ由 緒 聞 く
︵
明 石︶ 山下ふみ子
風鈴 のとまり て暗 く豪 雨 か な
︵
西 脇︶ 藤井 真水
一 山 に 轟 く 滝 の 風 に あ り
高 砂︶ 円山美津子
︵
老 鴬 や 次 の 札 所 へ つゞく道
︵
柏 原︶ 西山小鼓子
母 の日を ベ ルリ ン に あ り 思 う こ と
︵
篠 山︶ 山本 i
示川
風 鈴 の 音 好 き たヽ に 買 は れ ゆ く
︵
豊 岡︶ 石田かおる
病 床 の 人 の 静 か に 涼 しげ に
盆ュ 岡︶ 官森 春子
夕 涼 し 橋 立 の 景 一 望 に
︵
豊 岡︶ 由利 五郎
都 心 な る狭 庭 の隈 に著 蓑 を み し
︵
豊 岡︶ 由利 妙子
鞍 馬 よ り 比 叡 を 望 む 梅 雨 の晴
︵
宝 塚︶ 今井千鶴子
木 々ゆ ら ぎ 滝 よ り 風 の涌 く 如 し
尼 崎︶ 堀内 青鳴
︵
七 月 の 海 風 匂 ふ 車 窓 か な
尼 崎︶ 沼 静子
︵
゛≧ ン ヘンの憶 ひ 出 の ま た 単 衣 着 る
大 阪︶ 伊藤 良水
︵
離 り 住 む 孫 を 想 ふ や走 馬燈
大 阪︶ 三木久美女
︵
雨 し と ゞ 心 の こ せ し舟 遊び
︵
大阪東︶ 米村 知耕
呼 び 鈴 を押 し てはづ し ぬサ ン グ ラ ス
︵
大阪北︶ 室賀 杜桂
露 天 風 呂 みや まき り し ま ほ し い ま ゝ
︵
大阪南︶ 酒井 規子
弓な り の ハイ ウ ェイ ゆ く 雲 の 峯
田 辺︶ 松田きみ子
︵
宝 前 に 干 す 天 草 と 磯 草 履
橋 本︶ 武田 弥生
︵
花 を 買 ふ間 に夕 立 の通 り 過 ぎ
︵
橿 原︶ 平石 芳史
歌 塚 に 供 ふ 色 濃 き 夏 花 かな
全
示 都︶ 三品 草秋
籐 椅 子 を置 く に 足 り た る 木 蔭 あ り
近江八幡︶ 野瀬 鶴寿
モナコにて ︵
カ ジ ノ出 し 目 に青 芝 の美 し や
︵
彦 根︶ 隅野 泉河
潟見 ゅ る 部 屋 に 泊 り て 明 け 易 き
︵
松 阪︶ 黒部 草波
雨 舞 れ て 水 輪 も ど り し水馬
︵
松 阪︶ 上野鴨金洞
朝 の雨 文 字 摺 草 に直 ぐ 晴 れ て
︵
乗 名︶ 佐藤 益女
形 代 に 厄 を は ら ひ て 寿
名古屋︶ 岩田 一
︵
九子
寝にもど る鳥 に木蔭 も白 夜 な る
名古屋南︶ 鈴木 斗魚
︵
夏 木 立 御 堂 の 闇 の 念 仏 会
ロー タ リー の 友 -9月 号
して しま った
.
生 前米 山奨学生 に選 ばれ た こ とに よ り,勉 学上
大 いに助 か った こ と,お よび池 田静徳教授 の よ き
御 指導 を受 け,教 室 の 皆様方が親切 に接 して下 さ
った こ とに感謝 して いた こ とを故人 に 代 っ て 記
し,故 人 の冥福 を祈 り,筆 を置 くこ とにす る。
LETTERS TO EDITOR
葉守仁君の略歴
京都大学水産学科博士課程 2年 在学中・ 舞鶴
RCの 推薦によ り,41年 度の米山奨学生に選 らばれた.水 産化
学専攻アコヤ貝肉 の化学成分に関する研究がある
.
伝 達式 100回 の回顧
元米 山奨学生
花 巻 佐 々木
葉 守仁君 をい たむ
米山奨学生 摩
―
久
葉君 が な くな った とい ぅ言卜
報 を受 けた。 お どろ
く心 をお さえ彼 の後輩 に とい あわせたが ,い まで
も信 じきれ な い ままに筆 を とって い る。 葉君 は前
年度 の 米山奨学生 で あ ったよ うに記 憶 して い る。
彼 とは中学 の時 3年 程 同年であ った。 その後 ,彼
精
ニ
昭和29年 8月 30日 付 で 日本 国内第 145番 目の ロ
ー タ リー クラブ と し て 加 盟承認 を受 けた当花巻
RCが ,翌 30年 5月 チ ャー タ ーナ イ トの式 典 を挙
げて よ り今 日迄13年 余 ,そ の間32年 5月 15日 野 田
RCの チ ャー タ ーナ イ トを始め とし,本 年 6月 4
日の五 戸 RCの チ ャー タ ーナ イ トで loO回 の 参加
とな り,そ の式 典 に於 て村井 ガバ ナー よ り 100回
は優 秀 な成 績 で高 校 ,大 学 とうらや ま しい程順調
に進 んだ。 高 校時代 には全 校 で も 1∼ 2を きそ う
賞 を受賞 い た しま した。
“象棋"(中 国 ゴ)手 で あ り,そ の 棋風 のす る どさ
何気な しに参列 して居 ったのですが,急 にチ ャー
は定 評 が あ った
タ ーの記録 を とる事 を思 立 ち,早 速第 1回 よ りの
各 クラブ を訪問 し,時 の会長 さんのサ イ ンを頂 い
.
来 日後,彼 との友情 の重温 は, 1年 前水産学会
の講演者 予定 名簿 に葉 とい う名 をみ い出 したので
あ る.初 めはま さか と思 った程 で あ った。 なぜ な
第 2回 目の野 田チ ャー タ ー よ り20数 回 日頃迄 は
て廻 りま したが, 4∼ 5年 を経過 して居 るため会
長 さんの御逝去 され て居 った処 が一 ケ所 あ り,こ
こは当時 の幹事 さんのサ イ ンを頂 き其他 は全 部集
らば彼が来 日し,水 産学 を専攻 してい る とは夢 に
も思 って いなか ったか らで あ る。 それ を きっか け
録す る事 が出来 ま した。
に手 紙 の や りとりが始 ま った,そ れ か ら,今 年春
の学会 に彼が上京 し京都へ の帰 りに わ ぎわ ぎ渥 美
第 1回 よ りその式典 に参列 の際 は必 ず遠野市福
泉寺 の平和観音 (こ の 像は終戦後 ,現 住職 ,招 石
半 島 の先端 にい る僕 を訪ねて くれ , 8年 目の再会
を祝 し,大 いに 2人 で 故郷 台湾 の 水産 の将来 につ
有念師 が十 余 年 の長年 月 を平和のため心血 を注 い
で 自分 自身 で41尺 の一木 観音 像 を創 り上 げた由緒
いて語 り合 ったのが つ い昨 日の よ うに思 えてな ら
な い.流 暢 な京都 べ ん を こな し「 郷 に入れ ば郷 に
従 う」 とい うのか ,い や,従 う とい ぅよ うな もの
深 い像)に 世界平和祈願 を こめ た「世界 ぜんたい
が幸福 に な らな い うちは個人 の幸福 は あ り得 な
で はな くご く自然 な形 で とけ こんで いた。 また彼
170ど 学 問 に対
言葉 を染抜 い た壁掛 け を寄贈 し,世 界 平和 のため
奉仕 活動 に精進 せ らるる事 を祈 って参 りま した。
ず ,今 後 の台 日相互理 解 の上 に も大 いに活躍 され
この行 脚 を思立 ったの は大 先 輩 で あ る今治 RCの
故飯義寿氏 に各所 で 御 目に掛 り,次 の会 う 日を楽
る こ とを期 待 して い たのに,全 くお しい人 を亡 く
しみ に 回 を重ね て居 る内 に他の会合で は味 わ い得
して情熱 を燃 や して い た留学生 も他
には少 なか ったで あ ろ う。 台湾 の 水産界のみ な ら
70
い」 と云 う花巻 が生 んだ農民詩人 宮沢賢治先生 の
THE ROTARY‐ NO― TOMO
られぬ ものが あ り,其 度毎 に知 己 を増 し,奉 仕 の
機会 を得 るよ うにな った事 を喜 んで 居 ります。
行 脚 とは云 って も私 はチ ャーターナ イ ト参列 は
行 に通 ず るものがあ るよ うに思 う.四 ツのテ ス ト
を柱 に個人 の生活 を正 す よ うに 日常 心 掛 け て 居
る.そ の 出席 には出来 る丈 け物 と時間 の無駄 を省
くよ うに し,常 に 自分 の健康 に注意 し,そ の時 に
備 え得 るよ うな健康管理 が必要 とな り,健 康保持
の私 の一 つの方法 で もあ った。16年 前高 血圧 と心
臓障害 で 倒れ よ う とした後 で ,私 が ロー タ リーに
入会 す る時 に食 生活改善 に依 って身体改造 を思立
ち,欠 席 の な い会 員 にな ろ う と努力 して来 たが,
入会 して間 もな く一 日丈止 むな く欠席 したが ,其
後 は12年間 100%以 上の実 績 を送 る事 が出来 たの
は ロータ リー を理解 す る上 に も必要 な事 で あ った
と思 う。
ロー タ リーで 出席 が厳 しい事 は会 員 との会 う機
会 を多 くす る事 に よって相互 の理解 が深 ま り,そ
の積 重ね によ り同 じ目的 に向 って働 く力が加 る事
を期待 す るか らで あ る と思 い ます。
炭販売
“
)
も う一 度 勉 強 を
熊 谷 成
沢
利
夫
創立 され た許 りの寄 居 クラブ例会 に当 クラプの
各委員長 が交替 で担 当各部門 の話 をす る事 にな つ
た.小 生 は ロー タ リーに於 け る社会奉仕 の意義
,
会 員 の奉仕 活動 へ の積極 的参加 の重要性 ,社 会奉
仕 事業計 画 の立 て方等 ,感 ず る事 ,経 験 した事 を
述 べ ,他 人 に対す る思 いや りと助 力 を奉仕 の理 想
とす る事 を強調 して話 を終 った.皆 熱 心 に うなず
き乍 ら聞 いて くれ たの で大変話 し良 か った.話 し
乍 ら感 じたので あ るが ,一 体 こ うい う話 を して い
る 自分 が充分社会奉仕 を体得 して居 るだ ろ うか と
い う事 で あ った。
ロー タ リー歴 8年 誠 に恥 しい次第 で あ る。 入会
当初 の感 激 も薄 れ て只 の ヒル メシ会 に堕 して い る
ので はなか ろ うか。 この際 奮起 一 番 ,入 会当初 の
感 激 を思 い起 し,古 い会員 も新 入会 員 の気持 に な
って勉強 し直 そ うとつ くづ く考 えた次第 で あ る
ロ ー タ リー の 友 -9月 号
② 佐賀県下 9RCの 会長幹事会 は毎月開催,去 る6月 16日 は
年次大会 の準備 と過去 1年 間の回顧を行 なった 写真は終了後
の親 陸 ゴル フ会 で の記 念撮 影
唐津 野 田
)
一
③ 去 る5月 3日 開催の第 350区 第 5分 区 インター ンテ ィ・ ゼ
ネラルフォー ラムに於 いて寸劇「 ガバナー公式訪問」が演ぜ ら
深川 西垣春―
れ好評を博 しました 写真はその一場面
3ク
ラブ合同例会
は
,青
森北束
9‖
,青 森′青森束
(r去 る2月
を開催 外IJの 例会出 l.に ついて会員の経験 を発表,討 論を し
た この初の合同例会 は会員相互の親睦理解 を深め,内 容の充
青森東 名畑 礼造
実を計 るのに 人いに役立 った
l・
.
(男 子川t'1縫
写真上 より】 ① ニースの年次大会 に和歌山県下 6ク ラプか
【
ら会員 と家族27名 が参加,一 行は帰途, ロン ドンRC例 会 lC出
席 ア ンステイ会長の歓迎 を受 けた 写真は羽田空港 lCて
和歌山 井関久楠
77
国際子 供会 の一 こま,「 内
外子供 た ちの こんに ちわ」
歌仲 間 と一 緒 に集 ま ってお喋 べ りし乍 ら笑 い乍 ら
の会食 とな った。 この ほほ えま しい光景 を見 ては
RC会 員 も父兄達 も,
コカ コー ラで乾盃 で あ る。
往 きのバ スで はシ ン ミリして い た小供 さん達 も
帰 りの特別 バ スでは思 わず ,「 幸 せ な ら手 を叩 こ
う… …」 と合唱 が 始 ま り赤 いパ ラが 咲 いた と踊 り
出す。 男Jれ の握手 も堅 く「 この 次 ぎに も,又 一 緒
にや りま し ょ うね 工」 と手 を握 り合 って いた
白 い粉 の顔 で万 才
.
仙台 5RC青 少年委員会
ロー タ リー精 神 を どうして,小 供達 に え付
植
け
るか。 生活の一部 として RC精 神 を どうした ら小
,仙 台郊外の西 花苑 に居住 の外 国人 小
供 さん を招待 して 国際小供会 を開催 した.米 国 を
始め,中 華民 国,韓 国 と仙台 5ク ラプの小供 た ち
が,皆 祖 国 の服装 をあでやか に着 飾 って集 ま り
供達 が実践出来 るか ,仲 々面 倒 な問題 を含んで い
父兄 を合 わせ て総数 160人 の大交 歓会 とな った。
西 クラブ会長 の挨拶 の時 には小供 さん達 も,未 だ
で奔 走 し,こ うい う催 し とな った。 これ で良 い な
ら,年 に 2回 位 は国際 小供会 をや ろ うとい ぅ申合
去 る 5月
,
れ な い もの だか ら,モ デ モ デ遠慮 勝 ちであ った
り‖
が, ロータ リーの歌 を うた い,手 に手 つ な いで
,
ゲ ームや ス タ ン ッをや り出す と大 変 で あ る
る.仙 台 5RCで は再 三再 四 国際 委員会 と,青 少
年委 員会 とが共 同協 議 した結果 この 国際 小供会 と
な った もの だ.殊 に西 クラブの若 い四天 王が 本気
せ も出来 た
四 つ の 誓 い を手 取 り早 く実現 し,国
際 親善 と世界平和 に一 粒の砂 礎 を注 ぐ基 にな るか
どうか,先 輩諸彦の 御指南 を待 ってい る。
.
国境 を越 え,人 種 を越 え,言 葉 を越 えて,大 歓呼
,
大舌し
舞 で あ る.歌 う毎 に賞 が貫 え,ゲ ー ム毎 に賞
品 が貰 え るの だか ら,互 いに腕 を組み ,足 並み lh i
えて,「早 く早 くッ」「シ ッヵ リシ ッヵ り」 に夢中
の 競技 で あ る,特 に 4人 組 の フオ ー クダ ンス,lo
人 組 の ボール 送 りで も,天 真 爛慢 の小供 の生地 を
丸 出 しに大 ハ シ ャギであ る。
韓 さん も米 さん も華 さん も 日さん も,片 言交 り
の 日本語 で互 いに引合 い打│し 合 い助 け合 っての活
躍 で あ る.殊 に誰 も彼 も笑 い ころげたの は粉 の な
かの飴 と り競技 で あ る。手 を使 わず に舌の先 きだ
けで粉 のなかの飴 を捜がすので あ るか ら,粉 を吹
き上 げた り, 日をパ クチ リ,パ クチ リや った り
,
顔 中 を白 い粉 だ らけに コゴ して飴 一 つ を噛み出 し
た時の顔
全 く生 きた百面 相で あ る.大 声援
大 lle朱 で あ る.お 母 さん達 が タオル 片手 にお子 さ
んの顔 を拭 い てや る筈 の ところ,お 母 さん達 が笑
,
い ころげて顔 が拭 けな いのだ。
ロー タ リア ン誌 の研 訳記 事 につぃて
大阪ヨ
ヒ 阪
田
靖
人
“友 "誌 上 の ロー タ リア ン誌 各 月 号 予告 お よび 要
約記 事有 難 く拝 読 させ て い た だ い てぉ ります が ,
「 エ バ /ス トン便 り」 だ け が一 カ月 後れ で 掲 載 さ
れ て お るの が 気 に な ります。 予 告 や要 約 と同 じに
出来 な いで し ょ うか 。
上記 ご質問へ の回答
ロータ リーの友編集部
ど精 読 い た だ き誠 に 有 難 く存 じま す ご
質 問 の 件 につ き下 記 の 通 り説 明 させ て い た だ きま
“友 "を
す .ロ ー タ リア ン誌 の 記 事 は 同誌 の 編集 部 の ご好
意 に よ り,毎 月 ゲ ラず り原 稿 を送 付 して い た だ い
て 翻 訳 転載 して お ります .と こ ろが にの グ ラず り
の 到着 が 遅 れ 勝 ちで ,予 定 通 りに 届 きませ ん
各 テーブル に別れ て親御 さん達 と,一 緒 に喰 ベ
国
際 電 報 な ど打 電 して ,早 期 入手 に 努 め て い るの で
る筈 の 御飯 で あ ったが , こ ぅも急 に仲良 しにな る
す が 仲 々思 う よ うに い か な い の が 現 状 で ご ざい ま
としっ と坐 わ ってな ど居 られ な い。 ゲーム仲間
72
,
す .グ ラ も一 度 に送 られ て くる とい うわ け で は な
THE RttTARY― NO‐ TOMO
く, 2∼ 3回 に分 けて送 られ て参 ります.な かで
も「 エバ ンス トン便 り」 のグ ラは,先 方 が統 計数
字 その他の件 で最新 を期 して い るためか ,原 稿完
成 が一 番 後 にな るよ うで,し たが って私共 の ほ う
へ はその グ ラを送 って くる月 もあ ります が ,送 っ
て来 な い月 の ほ うが多 いの が現状 で す.ご 存 知の
り
通 り …友 で は「 ェバ ンス トン便 り」 を毎 月巻頭
に掲載 してお ります ため,も しこの ゲラず り原稿
が 当方の 締切 日まで 至1着 しな い場合 は,何 か他 の
記事 を掲載 して埋め 合 わせ る とい う具 合 にい きま
せん。 この よ うなわけで “友 "と しては止 む を得
ず 1カ 月後れ の もの を掲載 して い る次 第 で ござい
ギ フ ト用 品 の こ とは
お まか せ 下 さ い
◆ 譜彫 刻 ギ ャラ リー
展示随時
堺朧
幌 │[を
◆美 術 彫 刻 像
〈
ミに
胸 像・ レリー フ〉ス テ レオ写 了
よ リー 流作家 に よ り製作 します
◆ギ フ トセ ン タ ー
贈答
記念
PR用 品/企 画
制作
販売
―ルーム 23階 リ
ます。 しか しこの場 合記 事 内容 と実際 の タイ ミン
グが一 致 しな くな る こ とがあ ります。 例 えば ロー
タ リア ン誌 7月 号 エバ ンス トン便 りの 英 文 原 稿
に “ル ーサー・ ホ ッジス は 7月 1日 か らRI会 長
に就任 します"と あ る場 合 ,“ 友 "で は これ を 8月
号 に掲 載 します関係上 ,去 る 7月 1日 よ リル ーサ
ー・ ホ ッジス RI新 会長 はその任務 に就 いてお り
ます"と い う具合 に直 して掲 載 して い る 次 第 で
ご ざい ます。 また先 に ご説明 申 し上 げたよ うに
株式会社 さ
口ii言 t`il苦
く
2-82 TEL、
ら
き
342)5251 it
,
全 般 にグ ラず り原稿 の 到着 がお くれ勝 ちの ため
,
予告記 事及 び要 約記事 の ほ うも,多 くのグ ラず り
の なかか らよい 内容 の もの,興 味 あ る記 事 を選 ん
で翻訳 転載す る とい うわけ に参 りませ ん。 翻訳 を
工 場 へ 送付 し,校 正 終 了の段 階 で, ロ
終 って印 吊‖
ータ リア ン誌 か ら記 事 内容訂正 変更 の電報が来 る
こ ともたま には あ ります。 この よ うな場合は,で
き る限 りEP刷 を止 めて訂正 す るこ とに い た してお
ります.大 変弁解 がま しい説明 で恐縮 と存 じます
が , ご諒承下 さい ます よ うお願 い いた します
.
日 光 の よ い 空 気・
清 寂 な環 境 で 二 三 日 御休
養 な され て は如何 で す か
ま
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もしで きる こ とな らば,も う少 し薄 い紙 に してい
ただけれ ば と思 い ます.携 帯 の 時 にか さば らな く
て 済み ,よ り良 いので はな いで し ょうか,ご 検 討
して い だけれ ば幸 いに存 じます。
(印 刷
)
ロー タ リー の 友 -9月 号
73
strech
twist
鼻 弯凩
S
スウィッチを入れ貴方は
乗っているだけ
.4′
エクササイクルが果します
上の運動をしたと同じ効果を
こ を 真 赤 に して 、 山 を 喰 い しば っ て ,■ llllを す る ゝ代 (1,4ヽ lt'
れ
■の う
■ llll lよ 、 若 さ と17■ ,求 を保 つ た め に JFと
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イ ンチ を 入 れ る だ
様 に お ‖‖き に な れ ば 解 り ま す )エ ク サ サ イ ク ル
け で ハ ン ドル 、 サ ドル 、 ベ ダ ル が モ ー タ ー に よ り連 系 運 動 を 始 め 、 ■,4
た び)身 千
本に合 っ た l■ 想 的 な 全 身 運 動 が 件 ら れ ま す ^
■,な た の 健 康 増 進 捜 エ ク サ サ イ ク ル は 筋 肉 を 過 し く 、山1行 キ 「 ′
iに し、
ス タ イ ル を 美 し く毎 日 の ス ト レ ス を 角ギ,lザ しま
れ │′ ′
, 15分 お 乗 り
に な る だ け … …… (■ く素 叶 ら しい 機 械 で す . `.そ
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ご 覧 に な りた い 方 は 行 の ′
三 越 本 店 運 動 具 売 場 に て好 評 発 売 中
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ニ ュ ーパ シ フ ィ ク貿易株 式会社
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来 *ヽ ,く ―
ヽ *米 来 来 ヽヽ
卜│ヽ 氷 ,ヾ うきヽき │、 :、 ふ '、 ヽ
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館
毛 利 博 物 館
毛 利 元 道
Moori Museum: Newiy opened in JOnuory this yeOr′
disPloys cl number of One clr:obleciS,pclin,ings′
it
histOric
monuscripts Ond p● e ms, ond o,hers c。 ‖ecled since Heion
up ,o Meili Ero by,he successive Mooris′
feudol lord in
ChugOku lregiOn.Among disPloyed ore mOny impor,On
cu:,urOl properties.
山陽線防 府駅 よ リバ スで 7分 ,多 々良 山の 山裾
に,瀬 戸 内海 を一望の うちに見渡す景勝の地 に毛
利邸 が あ る.同 邸 は広 さ54,600平 方米 ,建 坪3300
平方米 に及 び明治末 の建築 ,造 庭 の技術 の粋 を尽
し,か つ 自然 の美 を配 した規 模 雄大 な もの.本 邸
は書 院造 り様式 の 豪壮 な邸宅 で,正 に明治末大正
初 の頂点 をゆ く日本建 築 , 日本庭園 で あ る
博物館 は この 本邸 の建物 の一 角 を改造 して今年
1月 開館 した もので あ るが ,元 来毛利家 は学 問 の
家柄 として名 が高 い大 江氏 の 出 で,か の源頼
Jlの
智嚢 として活躍 し,鎌 倉幕府倉1設 のか げの 立役者
る。 あたか も明治維新百年 を迎 え るに当 り,維 新
を推進 した関係深 い毛利家 として これ を記念 して
以上 の資 料 を公開展示 し以て一般 の鑑 賞 と研 究 に
資 す るため,博 物館 を設 置 したわけであ る。
・ 小袖
小袖 とは絹布 を以 て,つ くった綿入れ の総称 で
大 袖 に対 してい う名称。 この小 袖 は白地紋綸子 の
派手 な もので敬親公奥 方 の所用 の 小袖 で あ る
.
・ 四季 山水画
雪舟筆
一巻
長 さ15.5米 に及ぶ 大作 で 墨画単彩で あ る。
で あ る大江 広元 か ら出て,安 芸 の 地頭領 主,戦 国
巻末 に「 文明十八年 嘉平 日天童 前第 一 座雪舟 斐
大 名 と中国 に雄飛 した.こ うい う関係 か ら平安時
代 以 後,鎌 倉室 町,徳 川明 治 と各代 の資料 を蔵 し
等楊六 十有七歳 筆受」 と自署 して い る こ とか らそ
の年紀年令等明 らかで ,山 口1/Cお いて画 いた もの
てお り,重 要資 料 としては紀貫之 の筆 と伝 え られ
で あ る。 この 画 は中国の山水風物 を題材 とし,四
る古 今和歌集 巻八 ,史 記 呂后本紀第九,短 刀当麻
画聖 とい われ る雪舟の四季山水図, これ を模写 し
季 の移 りか わ りをあ らわ して い るが,単 な る風景
画 や人 物 の 描写 のみで な く自然 を総 合的 に画 に表
た雲谷等顔 ,狩 野古信 の長巻 と,昔 よ り名高 い真
現 しよ う とし,し か も極め て た くま しい手法 を用
,
模 の三 巻 の 山水長巻 が あ り,又 雪舟 が 明 よ り帰朝
舟の 画 の最高 で あ る
.
せん とした時 ,明 の友 人 徐斑希賢が別れ を1'苫 んで
雪 舟 に贈 った送 別 詩,又 世 に名高 い元就公 が三 子
を誠 め られ た教誠状 ,元 就公 の 肖像画等 ,国 宝
,
重文 ,重 美等48点 に及ぶ 資料,そ の外大江氏関係
や,大 内時代 及 び同時代 の朝鮮関係 の資 料,或 は
争奪攻防 にあけ暮れ た戦 国の時代 相 を知 る歴史資
料 ,更 には幕末 か ら明 治維新 の革新 へ とお し進 ん
だ貴重 な維新資 料等 ,総 じて我 国 の歴 史上 の 重要
資料 で あ ると共 に文 化 の実情 にふ れ るこ との出来
る資 料一 甲冑武具調度 衣服絵画書跡漆 器 等 が あ
76
ところ・ 山 口県 防府市多 々良
THE ROTARY‐ NO‐ TOMO
く
武
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卜 ││ジ 、
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溺
_こ ニ
グ‐↓ ―キiド
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1に
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美 津濃 養 老 工場
コル フ製 造 場 の 一 部
●勝俣 敏男
(大
矛り
根 カン ソリークラフ
)
●石 井 迪 夫
(芦
屋カンツリー倶楽部
晨楽 33)
● 細 石 憲 二 (下 関 」ル フイ
)
コ ″ 界 を リー ドち 技 術 と規 模
そ Lr― 流 プ ロ の 研 究 陣
*一 流 プ ロス タッフ
■ ll・ 濃 ゴ ル フ ク ラ ブ は 、
ドバ イ ザ リ ー ス タ ッ フ の 意 見 を
■ ctヽ ま ‐
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ル フ ァ ー の 経 り尖や
1′ [プ ロ
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ス ヒ リ ン トが ′:き て い ま り
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*一 貫 工 場 か ら生 れ る
● 世 界 の 四 大 スポ ー ツ品 メーカー
フ _Lイ ス か ら グ リ ソフ ま で
「[イ lf 111デ )二 rに ,1青 、
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〔乙 11場 で
│キ
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き っ と fT旭 1グ )ク ラ
7が
わ選 び い た だ け ます
こ の 看 板 の 店 ・ テ バ ー トで
美 津 71'と ご 指 定 く だ さ い
大阪本店 東 京 支店 ,善 老工爆 大阪工場 四国工場
淀 屋 橋 II田 11‖ 町 1餃 阜 県 福 島 区 1香 ‖1県
Porarcript by Rotary-No-Tooo
Editoriol Coonitteoan
こ の 頃 思 う こ と
委員 の言葉
田
」
駆期 大
「友
この度 355地 区 よ り,最 も不得手 な こ との一 つ
で あ ります ロー タ リーの友 の委員 を命 ぜ られ ま し
的な華 々 しい通 俗的な向 う受 け のす るもの,ま た
単 に奉仕 を,物 又は金 銭 を与 え るこ との容易 さに
た.全 くの素人 で如 何な る こ とにな るものか,こ
れ を機会 に大 いに勉強 させて戴 くつ も りで居 りま
した ところ,早 速 9月 号 の委員 の言葉 の割 当が 参
置 きか えて の 自己満足 ,こ の辺 に考 え させ られ る
問題点が多 く見 られ るのではないで し ょうか.如
何 に社会 世相 の変化 とは 申せ , ロー タ リーの奉仕
りま した。 友 に関 しての意見 な り考 え方で も申述
べ るべ きで し ょ うが, この頃思 うこ とな ど申述 べ
の理 想 の根本理 念 が何処かに置 き忘れ られ そ うな
懸念 が考 え られ ます。
ロータ リーは個人 々々が そ の啓発 に 努め,そ れ
ま して責 を呆 させ て戴 きます
私共 は梢 々 もすれ ば 日頃雑用等 にお われ ま して
.
を通 じての社会 に於 け る, 自己の地位 を確認 し
「職 業 を奉仕 へ の途 と考 えよ」 と,教 えて居 りま
,
仕 事 の方 も, 日々の生 活 も,た だなん とな く惰性
で 過 して しま い ます。 ロー タ リーの こ とも何か責
す.又 自己 の為 に利益 を得 よ う とす る欲望 と,他
人 に奉仕 しよ うとす る義務感 と,そ れ に伴 う衝動
との間 に,常 に起 る相剋 を和解 させ よ う とす る人
任 あ る役 職 にで も付 いていな い場合 は,特 に,親
睦会 (昼 食会)へ の 出席 に な る様 な気分 に な って
しまいま す。 そ してたまたま炉辺会 談 とか,奉 仕
生哲学 が, ロータ リーの奉仕 の哲学 で あ る と申 し
てお ります.こ れ等 の こ とは ロー タ リア ンで あ る
の 打合 とか,何 かの行 事 の時 に, もろ もろの意 見
が 出 て,何 か割切れ な い ものが 出 て参 ります と
私達 はすでに,最 も具体 的 に,先 輩或 い は文 献等
,
これ で良 いのか と考 え させ られ ます。 この考 え さ
によって,教 え られ て居 るのであ ります.60数 年
の長 い豊 か な経験 と,そ の実績 によって基礎 づ け
られ た この考 え方 ,こ の教 えを私共 ロータ リア ン
せ られ ます点 についてみ ます と,自 分 自身 の不勉
強 に特 に多 くの原因があ るよ うに思 われ ます。 具
体 的 に奉仕 にか らんでの問題 と申 しますか ,考 え
個人 々々の 努力 によって 自覚 し,実 践す る こ とに
よって,最 も明快 に,愉 快 に奉仕 がで きるので は
方 と申 しますか ,こ こに害I切 れ な い矛盾 を感ず る
と云 うことで あ ります。 その多 くの場 合は,そ の
な いで し ょうか。 何か この辺 の ところが少 しばか
や ろ う と云 うこ との そ の姿 に,あ ま りに もとらわ
第 361区
柴
田)
第 365区
平
礼次郎 (東 京銀座)
有 保 鰊
働
文四郎 (岡
崎)
一 貞F(金 沢 東)
阪)
好 ― (大
第 _58区
第 369区
第 370区
専門委員
専問委員
富
猪
宮
河
佐
刷 行
戸)
中
伊
長
印 発
第 358区
第 359区
第 360区
月風
台)
田)
副 委 員長
1
82
路)
部 田藤 田井
池
ロー タリーの友編集事務所
水 野
伊
太
釧 仙 秋
第 355区
第 357区
嵯
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晏 平 次 浩 亮
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利 博 武
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藤 円松
第 350区
第 352区
第 353区
9月 号
湯 浅 恭 三
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第 9号
パ ス トガバ ナー
月 月
第 15巻
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り,わ か りか けて来 た様 な気が して参 り,せ いぜ
い文献等の勉強 を始めた次第です
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