<英語コンサルタントになるまでの歩み> pg. 1 <英語コンサルタントになるまでの歩み> <英語コンサルタントになるまでの歩み> イングリッシュ 代表 for リーダー 田形まこ 目次 私の人生哲学 ........................................................ 私の使命 ............................................................ 英語コンサルタント【STEP1】の目標 .............................. 略歴 ................................................................ 3 3 3 4 高校時代 ~アメリカ留学~ .......................................... 5 大学時代 ~アメリカ留学のリベンジ~ ............................... 11 大学を卒業。そして海外での就職 ..................................... 14 日本に帰国。弁護士を目指して慶応法科大学院に入学 ................... 17 法科大学院を休学。自分探しへ ....................................... 21 英語コンサルタントとして独立 ....................................... 25 最後に ............................................................. 28 特典『田形まこの英語コンサル~無料体験~』 ......................... 29 pg. 2 <英語コンサルタントになるまでの歩み> 私の人生哲学 私のたった一つの人生哲学は行動です。 行動あるのみです。これが全てです。 行動しない事は無を意味し、それは死んでいるのと同じです。 私の使命 日本人が世界に羽ばたいていくことを支援する事 女性の地位を日本だけでなく海外でも向上させる事 英語コンサルタント【STEP1】の目標 3ヶ月~6 ヶ月で英単語 2,000 を 右脳で記憶し自由自在に使えるようにする。 pg. 3 <英語コンサルタントになるまでの歩み> <略歴> English for Leaders 代表 田形まこ 1985年5月生まれ 石川県出身 高校時代に一年間の米国留学後、米国ネブラスカ州立大 学に入学。 在学中に、オックスフォード大学の短期留学, フランス 留学を果たす。 アフリカの小学校への支援学生団体を立ち上げ、アフリ カザンビアにてボランティア活動なども行う。 大学卒業後は、アメリカのNYマンハッタンにて、魚卸業 者として働く。 NYの中心で車をぶっ飛ばしつつ、魚を売りさばいたと いう異色の経験を持つ。 特技は本マグロとめばちマグロを瞬時に見分ける事。 TOEIC:975点、TOEFL:630点(ペーパーベース) 現在、帰国子女支援や日本人の英会話力強化のための活 動をしております。 pg. 4 <英語コンサルタントになるまでの歩み> <高校時代 ~アメリカ留学~> 私の高校は、北陸の優等生たちが集まっており、すぐに 落ちこぼれたような気がしました。 友達関係は、明るい性格からか、最初はうまく友達関係 を作れるが後が続かず、友達同士でのランチタイムが億 劫であったこともあります。とにかく、逃げたいという 気持ちが強かったです。 17才の時にアメリカ1年留学を決めたのも、そのよう な日常から抜け出したい思いからです。 自由を求めて、17才の時にアメリカのユタ州で1年間 の留学をしました。 優等生たちには確かに勉強では負けているが、何か違う ところで、自分を発揮したいという思いがあったからで す。自分の言いたい事を言い、他人の目を気にせずにや りたいことを存分にしようと思ったからです。 アメリカに行けば、そのような呪縛から解き放たれると pg. 5 <英語コンサルタントになるまでの歩み> いう幻想を抱いていました。 そして、アメリカに留学。 ユタ州の砂漠にぽつんとたつログハウスにすむホストフ ァミリーの一家へ。田舎であったため、留学生の存在自 体が珍しく、私を含め学校内でアジア人はたった三人で した。 最初は注目を集めますが、英語能力不足と、なによりコ ミュニケーション不足によって、みるみる孤立していき ます。 一人で昼食を食べたり、一人で教室移動をし、気がつけ ば透明人間のように、だれの目からも見えない存在にな っていました。どうすればいいのかわからず、苦悩し続 けます。 極めつけは、ホストファザーからの言葉。 pg. 6 <英語コンサルタントになるまでの歩み> 「君みたいな留学生なら、もう留学生受け入れはやめるよ。 君は何も話さないから」 絶望しました・・・・ 今考えれば、相手に何かしてもらいたいという欲求だけ が非常に大きくなっていたと思います。アメリカに帰る 頃には、自分の殻に完全に閉じこもってしまいました。 「二度とアメリカなどに行くものか!」 と、タカをくくるようになりました。 米国高校留学中にこんな苦い経験をした私ですが、それ を変えてくれた劇的な出会いがあります。 『タナコーン』という名前のタイ人留学生とひょんな事 から知り合いになったのです。彼の日本語は、お世辞に も完璧とはいえないものでした。 pg. 7 <英語コンサルタントになるまでの歩み> でも、彼が信じられないぐらい、日本人とのコミュニケ ーションを楽しんでいました。 そして、もっとすごいのは、周りの日本人が何より、タ ナコーンとの会話を楽しんでいることです。彼は、日本 語は最低限しか話せないのに、こんなにも上手にコミュ ニケーションが取れている。 このときに気づいたのです。 「これは、言語がしゃべれるか、しゃべれないか以前の問題 である」 と。 つまり、英語でコミュニケーションが取れるようになる には、自分の英語が出来ないという思い込みを解除しな ければならないということです。 タイ人留学生『タナコーン』との出会いは、後に私の進 pg. 8 <英語コンサルタントになるまでの歩み> 路を変える大切な出会いになりました。 アメリカでのトラウマをひきずりながらも、高校三年生 になり、進路を考えるも、 「東大=日本一」と単純に考え ていた高校生の私は、東大以外へ受験するためにわざわ ざ一生懸命勉強する意味を見いだす事が出来ずにいまし た。 しかし、東大を受けるほどの偏差値がないとわかったと ころで、日本での大学受験を断念し、アメリカ大学留学 で何かを学び日本一になってやろうと考えました。 タナコーンにあってから、トラウマを払拭して、アメリカに再 度挑戦したいという気持ち。また、今度こそアメリカ留学を満 喫するぞ!という想いがありました。 そこからは、英語の勉強を本格的に開始したのです。 高校留学のときとは違った自分を想像しながら・・・ この時期に、ある英語の勉強法を習得したおかげで渡米前 pg. 9 <英語コンサルタントになるまでの歩み> に、なんと TOEFL ペーパーベースで630点をとる事が出来ま した。 まさに、この時の飛躍的な英語力アップの秘訣が、今の 私の英語指導の基本になっています。 pg. 10 <英語コンサルタントになるまでの歩み> <大学時代 ~アメリカ留学のリベンジ~> 晴れて、米国州立ネブラスカ大学リンカーン校に入学。 経済学・国際関係学の二重専攻とフランス語学の副専攻 にしました。 そして、過去の苦い経験から脱却すべく、クラスメイト や先生に積極的に話す事を意識し、その他、課外活動に も相当、参加しました。 在学中の私自身の実績としては、GTOという、アフリ カの支援学生団体を立ち上げて、アフリカザンビアにて ボランティア活動を行ったことがあげられます。 きっかけは、アメリカの大学が、イベントごとにTシャ ツを作ってはあまりが大量に倉庫に保管されたままにな っている事に気づいたことです。 これは、もったいないと思い、Tシャツを必要としてい るところを探し始めたところ、ザンビアからの留学生か らの打診があり、1,000 枚あまりのTシャツを、他部員 pg. 11 <英語コンサルタントになるまでの歩み> 二名とアフリカに届けるに至ったのです。 何かを一から作り上げていく難しさを痛感しましたが、実際に 現地にいって、Tシャツを貰うアフリカの子供たちのう れしそうな顔を見て感激しましたし、私と仲間にとって、 一生の忘れられない大きな経験となりました。このよう にして積極的に課外活動が出来たのも、高校留学の失敗 があったからです。 『あのときの後悔は二度としたくない!』 と必死でした。 また、在学中にフランス語を副専攻しており、単位取得 のため、半年間のフランスの語学学校に留学をしました。 私の語学学校での点数は決していいものではありません でした。 しかし、帰る頃には、半年間でフランス人に太鼓判を押して もらったほど会話力が向上したのです。 pg. 12 <英語コンサルタントになるまでの歩み> ここで確信した事があります。 『外国語での会話』というものは、 「一連の基礎的文法と頻出フレーズを覚え、自分から進んで 話しかける勇気さえあれば、誰でも出来るという事」 です。 晴れて、高校時代のリベンジは果たし、私にとっての大 きな自信とつながりました。 pg. 13 <英語コンサルタントになるまでの歩み> <大学を卒業。そして海外での就職> 大学卒業間近になり、いよいよ就職。しかし、将来のビ ジョンが明確にみえず、就職活動に熱が入りませんでし た。留学当初の私は、 「英語を学び、たくさん交流するぞ!」 という熱い目標があったのですが、卒業後の事は安易に 考えていました。 「英語が出来たら何か見つかる!」 と思っていたのですが、実際には見つけられませんでし た。就職活動をしても、いまいちどの会社にもピンと来 ない・・何社か受けてみましたが、最終審査までいった としても、毎回落ちます。当たり前です。私自身、熱意 がないのですから・・・ 自分がやりたい事が見つけられていないというイライラ もありましたが、就職活動は、企業名や業務内容ではな pg. 14 <英語コンサルタントになるまでの歩み> く、働く場所で選ぶ事にしました。 NY(ニューヨーク)という世界の中心で働ければ何か 見つけられるのではと思い、最初に決まった企業で働こ うと決心します。そして、NYの輸入食品会社で採用が 決まり、働く事になりました。 私の仕事は日本料理やフランス料理のお店に魚を卸す営 業でした。女性は、NY営業部門で私一人でした。 若い女性ということもあり、社内で馬鹿にされる事が多 かったと思います。 トラックの運転手や製造の人との口論はあったし、営業 マンからも誹謗がありました。お客さんへの接し方から、 交渉の仕方まで困惑する事ばかりでしたし、思うように 結果が出ない事もたくさんありました。 しかし、 「必ず見返してやる!自分はできるんだ!」 pg. 15 <英語コンサルタントになるまでの歩み> と、意気込みだけは人一倍でした。 アメリカで培った根性と粘り強さのおかげで、なんと、 食品の売り上げコンテストで売り上げ No1になること ができ、自分自身にとって大きな自信となりました。 この時の経験は、根気づよく、クライアントと向き合う事の大 切さを教えてくれました。 pg. 16 <英語コンサルタントになるまでの歩み> <日本に帰国。弁護士を目指して慶応法科大学院に入学> がむしゃらに働いた結果、仕事の達成感は得たものの、 「本当は何がしたいのか」を見つけられずにいました。 一度、自分をリセットするために、日本に戻り、お金を 貯めるため、塾の先生をしながら、法科大学院への勉強 を開始しました。なぜいきなり法科大学院かというと、 小さい頃の夢が弁護士であったからです。原点回帰しよ うと思いました。 元は、法科大学院の学費を稼ぐために始めた塾講師でし たが、子供たちの為に何が出来るかを一生懸命考えるよ うになり、教える事が楽しくなりました。 今も、教える事が好きなのは、この時の経験があったからだと 思います。 pg. 17 <英語コンサルタントになるまでの歩み> 子供達に対しては、勉強のみでなく、イベントごとに、 サプライズを用意したりして、塾に来るのが楽しくなる ような工夫を独自でしました。この子達の人生が、大き く変わる仕事なのだと考えると、身の引き締まる思いで した。 教える事は楽しくて、やりがいもあり、子供たちの点数 があがっていくのがうれしかったです。ほめて伸ばす事 がどれだけ有用かという事も分かりました。 また、打算がなく、何か与えてあげたいという気持ちで、相手 に与えていくと、自分の思った以上のものが得られる事が分 かったのです。子供達からは好かれる先生になり、他の 先生や塾長からかなり頼られる存在になりました。 塾の仕事と入学の勉強を集中してできたこともあり、 その後、はれて、慶応法科大学院に合格。本当に信じら れないぐらい嬉しい気持ちになったのを覚えています。 合格した決め手は、筆記というよりも、TOEIC の点数の pg. 18 <英語コンサルタントになるまでの歩み> 良さ、大学時代の成績の良さのおかげでした。昔がんばっ た事が、思わぬところで実を結ぶという事が分かった瞬間で もありました。 その後、大学院一厳しいと言われるゼミに入りました。 なぜなら、実績も大学院一と言ってよかったからです。 入ったからには、上位を目指してやろうと心に決めてい ました。 ゼミ内で、暴言は、当たり前であり、ゼミの終わる1年 後には、希望加入者の半分がいなくなっていたほどのゼ ミです。 その中で、体を壊すまで、必死に勉強しました。腸炎、膀胱 炎、風邪、青あざや背中に妙な痛みを覚え、体重はテス トのたびに落ち、精神的にもかなり追いつめられました。 勉強がつらすぎて、泣いた経験は初めてです。 やってもやっても、終わらない。2週間ほどほぼ寝なか ったりすると、涙がなぜか流れてくるということが起き たりします。 pg. 19 <英語コンサルタントになるまでの歩み> 自律神経失調症を患いました。 成績が悪くないだけに、周期からの期待はあったのです が、私の敗北感を周りの人にはり分かってもらえなかっ たように思います。そこが、またつらい事でもありまし た。 両親、兄弟、親族の期待を背負って、ここまできている のに弁護士の夢を諦めるのは、今までの自分の行動上考 えられない事でありました。 しかし、それでも良いと思えるほど、体は疲れきっていまし た。 pg. 20 <英語コンサルタントになるまでの歩み> <法科大学院を休学。自分探しへ> 体を壊し、大学院を休学。弁護士になるという事に熱意 をなくしてしまった私は、また大きな壁にぶち当たって いました。いったい次は、何を目標にいきればいいのだ ろうか。あまりに不透明な将来に大きな不安を覚えました。 今の私には何もない。だけど、私にしかできないことは なにか・・答えはなかなかみつからなかったのですが、 一つだけ、強い思いが芽生え始めました。 『私は非力な人間かもしれないけれど、こんな私でも、人を幸 せにできることをしよう!』 ということです。 そう思い始めてから、何か次の突破口はないかものかと、 pg. 21 <英語コンサルタントになるまでの歩み> 必死にネットで調べ始めました。活躍する起業家の講演 会をききにいってみたり、巷で流行するビジネス本を大 量に買いあさり、一日中部屋にこもって読んだり。 すると、ある日、一人のネット起業家のウェブサイトが 目に留まりました。私の様に海外留学経験があり、私の ように何かを見つけようと必死にもがいてきた人です。 私を代弁してくれているような気がしました。 彼が行っていた全国ツアーの東京セミナーは満席。私は 彼の話をなんとしても聞きたくて、名古屋でのツアーに 申し込みます。 そのセミナーでは、現在の自分でも十分誰かの役に立つ 事ができるんだという事に気付く事ができました。 「自分には何もない」というのではなく、 「自分には人に与えられる何かが既に備わってる」 pg. 22 <英語コンサルタントになるまでの歩み> そう考えられるようになったのです。 そして、今までにもっとも時間とお金を費やしたことで、自分 に備わっているものは何か?と考えました。 そう、それこそが、 『英語』 でした。 私の高校生時代から今までの人生の喜怒哀楽は、英語と ともにありました。高校時代、私がアメリカで絶望したとき も、法科大学院に受かって飛び上がって喜んだときだっ てそうです。そうか!こんな挫折ばっかりの私でも、英 語スキルを使って、人の役にたつことができる!! 日本人に英語を教え、世界に羽ばたかせる!! pg. 23 <英語コンサルタントになるまでの歩み> これこそが私のやりたい事だと気付いたのです。 こうして、選んだ道が「英語コンサルタント」というお仕事 です。 pg. 24 <英語コンサルタントになるまでの歩み> <英語コンサルタントとして独立> 英語のエキスパートとして、本格的に私の英語講師人 生はスタートしました。 現在、下は13才の留学を目指す中学生の女の子から、 海外での活躍を夢見る有名な IT 起業家の方まで、老若 男女問わず、幅広く指導しています。また、個人だけ ではなく、80人ほどの従業員を抱える企業の法人研 修も担当しています。 このように様々なクライアントを請け負っていく中で、 気付いた事があります。 それは、多くの日本人が英語を難しく考えすぎているとい う事です。 「大学受験英語を好成績で突破できる英語力があるに pg. 25 <英語コンサルタントになるまでの歩み> もかかわらず、外人の前だと何も話せなくなる。 」 「某英会話スクールに行っても、毎回先生が変わるた め、自己紹介だけしか上達しなかった。 」 「英語を独学で勉強したが続かず、習得できなかった。」 「◯◯メソッドを提唱する教材を買ってみたが、外人 と話せるようにはならなかった。」 「フレーズ集を買って読んだはいいものの、海外では 全く使えないものであった」 「中学文法をしっかり学んだが、英会話は上達しなか った」 そうやって、私のクライアントさんは、英語を挫折し てきたといいます。 pg. 26 <英語コンサルタントになるまでの歩み> このような方々が私のコンサルを受けてもらうことで、 信じられないぐらい英語ができるようになった!と言 って頂くことがあります。 しかし、私からすると、上達するのは当たり前の話で す。 一連の基礎的文法とシーン別の頻出フレーズを考えな くても口から出てくるようになること、そして、英語 を話せる自信さえつけば、英語は話せます。 『私がいたら、大丈夫!!!必ず、あなたと一緒に目標達 成をする!』 このような思いをもって、私は英語講師をしています。 pg. 27 <英語コンサルタントになるまでの歩み> <最後に> 『日本人が世界に羽ばたいていくことを支援する事』 これが、私の使命です。 英語を当たり前に使える人々を少しでも多く輩出するこ と、そして、私から英語を習得した人々が世界に触れ、 視野を広めていくこと。 日本人が、世界へリーチし、世界に影響を与えていく人 材になる事、これこそが、私の人生をかけてやっていき たいことです。 pg. 28 <英語コンサルタントになるまでの歩み> <特典>『田形まこの英語コンサル ~無料体験~』 『まこの英語コンサルタント』無料レッスン実施中! 下記URLよりお申し込みください。 http://mako-muryou-consultant.lohas-square.com pg. 29
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