ARDS(急性呼吸窮迫症候群)

呼吸器・循環器疾患患者の重症化への軌跡
カンペキ理解
誤嚥性肺炎からのARDS
湘南厚木病院 看護部 看護師長/救急救命士
①嚥下機能の低下があると咳や痰,
微熱,ムセが度々見られるが,
急激な呼吸状態の変化がないと
正常の咳嗽反射ができなくなって
いることが見過ごされがちに
なるので注意する。
米国呼吸療法士(RRT)
/保健医療学修士(MHSc)
南雲秀子
東京大学医学部附属看護学校卒業後,東京大学医学部附属病院に
就職。内科病棟,救急・集中治療部に勤務した後,1996年退職。
1999年7月セントポール・テクニカルカレッジ呼吸療法科卒業。帰国後,湘南鎌倉総合
199
病院呼吸療法部に呼吸器ケア専任看護師として配属。2000年より看護師長。2008年
病院
湘南厚木病院へ転勤。現在は外来での睡眠時無呼吸症のケアを中心に業務にあたって
湘南
②呼吸困難への対処,
人工呼吸などの いる
いる。2011年昭和大学保健医療学部修士課程修了。研究課題は,手術後陽圧呼吸療法
のメタ分析。
急性期から在宅まで看護師の視点から見た呼吸ケアにかかわってきた経
のメ
治療タイミングを逃さないために,
験を基に,患者向け,看護師向けの講演を多く行っている。
験を
低酸素血症の程度は確実に
[所属]NPO法人日本呼吸ケアネットワーク副理事長,神経難病の呼吸ケアを考えるセ
[所属
ミナー講師,日本呼吸器学会呼吸ケアカンファレンス講師,日本呼吸ケア・リハビリ
ミナ
モニタリングして医師に
テーション学会
テー
報告することが大切である。
ARDS(急性呼吸窮迫症候群)の
基礎知識
障害や原因が特定できないARDSをどのよう
に診断するのかと言うと,表1に示すような診
断基準を満たしているかどうかで診断します。
ARDSとは
呼吸不全の患者がいた場合は,まず問診や各種
●ARDSの定義
検査などで一般的な原因,例えば心不全,気胸,
「症候群」と言う名前が表すとおり,ARDSは
肺炎,喘息や肺気種,間質性肺炎,肺梗塞,中
脳出血やインフルエンザなどのように障害の起
枢神経の異常などについて診断できるものがな
こっている部分やその原因をすぐに特定できる
いかを検査します。これらに当てはまらない重
単純な疾患ではありません。例えば,脳出血の
症の呼吸不全の場合にARDSを疑い,診断基準
病態は脳内の血管からの出血によって起こりま
に合わせた検討をするのです。その際の重要な
すが,ARDSの主な病態である肺胞部分の「透過
基準は,ひどい酸素化障害があること(PF比<
性亢進」という症状は先行する何らかの疾患,例
200〈P.58「低酸素のモニタリング」参照〉
)と,
えば敗 血症などによって二次的に生じます。ま
その原因が左心不全ではないことの2つです。
た,原因となる病原体が明らかであるインフル
つまり,ARDSが疑われるような患者がいた場合,
エンザなどの感染症とは異なり,ARDSの原因と
心エコーやスワンガンツカテーテルによる肺動
なり得る先行疾患は,敗血症のほかにも外傷や
脈圧測定の結果などで左心不全が否定されると,
肺炎など数や種類が多いということも特徴です。
ARDSである疑いが強くなるということです。
表1 ALI(急性肺障害)とARDS(急性呼吸窮迫症候群)の診断基準
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PF比
胸部X線写真所見
肺動脈喫入圧(左心不全の指標)
ALI
PaO2
≦300mmHg
FIO2
両側性の浸潤陰影
測定時:≦18mmHg
または左房圧上昇の所見がない
ARDS
PaO2
≦200mmHg
FIO2
両側性の浸潤陰影
測定時:≦18mmHg
または左房圧上昇の所見がない
呼吸器・循環器 達人ナース_Vol.35 No.2
表2 PF比を使った酸素化の評価
PF比
動脈血酸素分圧(PaO2):100mmHg
正常な患者で
室内気(21%)呼吸
吸入酸素濃度(FIO2):0.21
患者の状態
動脈血酸素分圧(PaO2):200mmHg
上記の正常な患者で
40%酸素吸入
吸入酸素濃度(FIO2):0.4
動脈血酸素分圧(PaO2):60mmHg
室内気(21%)呼吸で
PaO2低下の患者
200
=500mmHg
0.4
60
=285mmHg
0.21
吸入酸素濃度(FIO2):0.21
動脈血酸素分圧(PaO2):110mmHg
上記の患者に
40%酸素吸入
100
=476mmHg
0.21
吸入酸素濃度(FIO2):0.4
110
=275mmHg
0.4
PF比ほぼ同じ
PF比ほぼ同じ
※酸素療法によってPaO2が変わっても,PF比はほとんど変わらない。
PaO2が上がったか下がったかよりも,PF比がどう変化したかを見ることによって患者の酸素化の状態が分かる。
①正常
②左心不全による肺水腫の場合
間質
肺胞内
ガス交換
O2
CO2
PV
肺静脈へ
肺動脈から
PA
肺動脈圧
上昇
PA
PV
③透過性亢進による肺水腫
PA
PVの流れが
悪くなる
PV
肺静脈圧
上昇
肺胞
毛細血管
図1 肺胞と肺胞毛細血管の
模式図
血液が流れにくい
うっ滞する
➡
圧が上がるので
➡ 心原性肺水腫
水分が周りに漏れ出す
ガス交換障害の程度を評価するために,PF比
血管壁の細胞がダメージを
受けるので水分が周りに漏れ出す
➡
心不全と関係ない
肺水腫=ARDS
●肺水腫・透過性亢進
(ピーエフひ〈 P/F ratio:ピーエフ・レィショ
ここでは,肺胞の周りにある毛細血管から主
とも言う〉)という指標を使います。PはPaO2
に水分が周りの組織(間質と言う)に漏れ出す
(動脈血酸素分圧),FはFIO2(吸入酸素濃度)
力を「透過性」
,漏れ出しやすくなることを「透
のことです。正常なPF比は,動脈血酸素分圧の
過性が亢進している」と表現します。図1-①
正 常 値100mmHg /空 気 中 の 酸 素 濃 度0.21≒
は,肺胞と正常な肺胞毛細血管の模式図です。
476です。この値が小さくなればなるほど,同
肺胞と肺胞毛細血管の間にはごく薄い間質とい
じ濃度の酸素を吸入しても動脈血の酸素分圧が
う組織があり,酸素と二酸化炭素のガス交換は
上がらないということを示しているわけです
肺胞の壁細胞,間質,毛細血管細胞を通して行
(表2)。PF比はARDSの病態について考える際
われています。
に重要な指標なので覚えておいてください。
図1-②は,左心不全による肺水腫の場合で
PF比が200以上で300以下の状態をALI(急性
す。左心不全では,通常ならば肺胞毛細血管の
肺障害)と言いますが,これはARDSほど重症
下流側で血液を吸い取って全身に送り出すはず
ではないものの,のちに増悪してARDSになる
の左心房・左心室の動きが障害されています。
危険がある状態と考えてください。
そのため,肺静脈圧が上昇して毛細血管圧も上
呼吸器・循環器 達人ナース_Vol.35 No.2
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表3 肺胞毛細血管を損傷する物質の一覧
炎症性サイトカイン 白血球
ケモカイン 脂質メディエータ
ARDSに陥る原因
それでは,透過性の亢進を起こさせる原因に
ついて考えてみましょう。原因を大きく2つに
分けて説明します。1つ目は肺の中に原因(肺
への直接の損傷)がある場合,2つ目は肺以外
表4 ALI/ARDSの原因
肺への
直接の損傷
肺以外の原因による
間接的な損傷
頻度の
多いもの
頻度の
少ないもの
肺炎
誤嚥(胃内容物
の誤飲)
脂肪塞栓
敗血症
外傷・高度熱傷(ショッ
クと大量輸血を伴う場合)
有毒ガス吸入
肺移植後などの
再還流肺水腫
溺水
放射線肺障害
肺挫傷
人工心肺術後肺障害
薬物性肺障害(パラコー
ト中毒など)
急性膵炎
自己免疫疾患
輸血関連急性肺障害
に原因がある(間接的な損傷を受けた)場合で
す(表4)
。
●肺の中に原因がある場合
肺炎・肺膿瘍などがこれに相当します。肺炎
には,市中肺炎や院内肺炎などの通常肺炎の起
因菌になりやすい細菌による肺炎と,吐物やそ
の他の液体を下気道に誤飲した場合に起こる誤
嚥性肺炎の2種類があります。肺炎の場合,抗
生物質による治療で十分な効果を上げることが
できないと,肺胞や気管支に起因菌を含んだ喀
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がり,さらには肺動脈圧も上昇します。血管内
痰が詰まり,そこで起因菌が増殖します。肺膿
の圧が高くなっても肺胞の圧は変わらないため,
瘍は,初めから肺の中の限られた部分に膿がた
血管から水分が浸み出してきます。これが間質に
まるように病原菌が増殖する状態です。いずれ
たまって浮腫を起こし,さらに肺胞にまで水分が
の場合も,何らかの契機でそれらが血管内に侵
浸み出してきたような状態が心原性肺水腫です。
入した状態が敗血症であり,この時に表3の物
図1-③は,透過性亢進(ARDS)による肺水
質が血管内に入ることで透過性亢進を引き起こ
腫状態の場合です。ARDSでは全身のどこかの部
します。
位に存在する炎症の源から放出された物質(表
また,誤嚥性肺炎の場合は多量の胃液や吐物
3)によって肺胞毛細血管の壁が傷つき,それ
に含まれていた何らかの化学物質(農薬・洗剤
によって血管内の水分が漏れやすい状態になり
など)が誤飲されて広範囲の肺胞に直接到達し
ます。肺胞毛細血管内の血圧は図1-②の場合
てしまうことがあります。この場合,肺胞の細
のように高くならないにもかかわらず,壁が傷
胞がそれらの物質によって炎症を起こすと間質
ついたために水分が間質へ浸み出し,最終的に
や毛細血管にもその炎症がおよび(化学性肺炎
は肺胞に至って肺水腫の状況をつくり出します。
と言います)
,透過性の亢進を引き起こします。
余談ですが,ARDSの患者は肺だけでなく,全
その結果,同じように肺水腫となります。
身の血管の透過性が亢進する状態になっており,
●肺以外に原因がある場合
重症の場合は全身の組織に本来血管の中にある
ARDSの間接的原因は多岐に及びます。最も
べき水分が逃げ出してしまうため,循環血液量
一般的な原因である敗血症であれば,その原因
が減少します。適切な補液をしないと血圧が低
となる感染源が全身のどこかにあるということ
下するだけでなく,昇圧剤などが必要になるこ
で,尿路感染や術後創感染,各種の膿瘍などが
とも多いでしょう。
考えられます。感染症以外でも,急性膵炎や自
呼吸器・循環器 達人ナース_Vol.35 No.2
己免疫疾患,輸血関連性肺障害などによって間
時,食後などに咳や痰,微熱,ムセなどが度々
接的に肺胞の周りにある肺胞毛細血管の透過性
見られますが,急激な呼吸状態の悪化がないと
亢進が起こり,ARDSを来すことがあります。
嚥下機能の低下が関連していることが見過ごさ
誤嚥によるARDSの重症化の
メカニズムと看護のポイント
~誤嚥性肺炎からARDSに進行する患者
れがちです。
このような患者では呼吸状態の悪化はゆっく
りですが,
「おかしい」と気付いた時には,すで
に肺の多くの部分が障害されているという危険
ここでは,誤嚥性肺炎を契機としたARDSにつ
があります。時間をかけて進行する肺炎で呼吸
いて,その増悪の過程と看護のポイントについ
不全が急激に進行する場合は,正常な肺組織が
て考えてみましょう。
少なくなり過ぎて,患者が頻呼吸をしてもガス
誤嚥性肺炎がARDSを引き起こす過程
交換が十分でなくなった状態や,それまで比較
●明らかな誤嚥や化学性肺炎がある場合
的良好な状態を保っていた部分に,さらなる誤
明らかな誤嚥が確認されている,つまり目撃
嚥が起こった状態などが考えられます。肺炎だ
者がいる状態での誤嚥では最も確実な情報が得
けで肺全体に一気にガス交換障害が起こること
られます。例えば,脳血管疾患などの急性期で
はあまりありませんが,誤嚥性肺炎が最初に起
脳圧亢進症状によって嘔吐した場合,誤嚥を防
こった部分などで起因菌が増殖して敗血症につ
ぐ横向きの体位を取らせるのが少し遅れたため
ながると,それによって透過性亢進が起こり,
に口腔内の吐物を肺の中に誤飲してしまった状
それまで比較的状態の良かった部分の肺のガス
態などです。また,誤嚥の現場を確認できてい
交換も障害されてARDSとなります。
ない場合でも,意識レベルが低下している状態
重症化の過程で起こる各症状と
の患者で口元などに多量の吐物が観察され,そ
予防的かかわり
の後呼吸不全から肺炎と診断された場合などで
●適切な酸素療法
は1回の誤嚥が原因となった肺炎であると推測
呼吸不全が重症化すると酸素療法が重要にな
できます。それが重症化してガス交換障害が高
ります。まず,PaO2 やSpO2 の目標を確認し,
度になると,ARDSと診断されます。
それに合わせた酸素療法を行います。表5にそ
●不顕性誤嚥による肺炎が現疾患である場合
れぞれの投与器具の利点と欠点,および目標と
加齢,急麻痺や仮性急麻痺,意識レベルの低
して提供できる酸素濃度をまとめました。必要
下などにより,嚥下機能の悪化がゆっくりと進
な酸素濃度と患者のマスク装着へのコンプライ
行することがあります。健康な咳嗽反射があれ
アンスも考えて,酸素投与器具を選択します。
ば,誤嚥が生じるたびに咳嗽によって下気道に
酸素マスクは原則的に患者が吸入する酸素濃
侵入した異物を上気道に押し戻すのですが,不
度を上昇させることによって低酸素症の治療を
顕性誤嚥では本人が意識していない状態や睡眠
するもので,陽圧呼吸療法のように吸気や呼気
中,食事中などにごくわずかの誤嚥が生じる状
に必要な筋力の補助,または機能的残気量の増
態となります。そして,それを咳嗽で排出でき
加などによる呼吸機能の改善は望めません。呼
ない状態が繰り返されると,下気道の無菌状態
吸不全が重症化すれば,酸素投与だけでは十分
が保たれなくなります。その場合は早朝や覚醒
な血中酸素濃度が保てなくなる危険があるので,
➡続きは本誌をご覧ください
呼吸器・循環器 達人ナース_Vol.35 No.2
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