2 瓦 樽 6AAO・6MB区〈内裏北外線〉からは, 多量の瓦が出土した。最も多散を占めるのは丸瓦 ・ 平瓦であり,これについで軒瓦が3 3 9 9点、ある。軒瓦の出土倒体散を試みに 6ABO 区のそれと比 )と,単位商町あたり 3. 5 倍の出土畳である。 互の幽土量 較 す る ( Ta b .3 匝 この世か若干の鬼瓦 ・岡戸瓦 斗瓦, 特殊なものとして ,三事鬼瓦 ・緑軸平瓦があり,また b ! Jがあ否。 出土倒体数 , 面続 1 あたりの出土倒体数 内裏北外郭 3 3 9 9 1 回 a 1 8 推定大 I~ 職 ' 6 5 150' 5 T a b . 3 内裏北外郭大腿職地峡出土軒瓦散の比絞 瓦 ・地額の大半は,調査地域の広範囲にわたる整地土から出土 Lた。とくに集中的に出土し傘 たのは,東区 中区東学 (6AAB区U地区 -6AAO区 C.D.G地区〕と, 箇区 (6ABllIKA~ C地区).そして調査地域の荷辺にそった部分,すなわち,内裏北外郭を限る東・西 ・附 3面の 築地ぞいの部牙である。また) 6AAOIKG地区におも、て, 2 1 2 6と l 5E2 1 2 8の周聞を方形にめぐる s o その南面時中央部から 南斑 . tQ502110及びその周辺の盤地土から集中的に出土して いることは注目すぺき点であった。それらの中には多量に臨i 誕百式瓦が合まれていた。なお, 事 各地点におけ答軒瓦の出土状況とについて別表 4を歩間されたい。 A 軒 瓦 ( PL.41-43,F ig.24-31・ 4 8 ) 軒瓦 3 3 9 9個体のうちわけは,軒丸瓦が 1 8 0 4個体. 3 1型式 7 0薗,軒平瓦が 1 5 9 5 制体 2 5型 式. 5 0唖である。乙れらの型式円多〈は,すでに報告ずみであるから記述を省略 l .新山内型 式のみをとりあげる。また。いわゆ。瞳間宮式の瓦につ いては, 市南 l 吋(朱僧門)・官西南防両* 地域で多量に出土しており,その報告の際にまとめてとりあっかフ ζ ととし,ここではたんに 型式名をあげるにとどめた。その他の詳細については別車 2.3 の軒瓦分割愛を多閉されたい。 軒 丸 瓦 (PL. 4 1.4 2,Fi g .24-26 ) 軒丸瓦 3 1型 式 7 0舗のうち,新出のものは 1 8型式 3 0租である。目下,これらを列挙するロ 凹1 2~図式 6 0 1 2( PL . 4 1-, 1 F i g .2 りは中央に疎点がある 3 1 1 1聞文軒丸瓦であって!軒平瓦 6 5 7 2と 組 を 事 }I J できる。今回 , 新に出土した 6 0 1 2 -Bf ふ 悶棋 を内側からかぞ な している。 A-Eの 5岨に制 ; えて第 i・描 2圏韓の間隔が,串 2 出 3幽線の間隔よりひろむ、。 6 0 1 2 の傾倒は,平輯市左京 D ω1 8型 式 一条三坊 ・長岡宮跡 ・唐招提寺 ・片岡王寺 ・久米寺ほかで出土してい否。 6 0 1 8-C( PL.41-2, 。 ここで煩例とは ,1 ,,1 箔のもの 同視とは砲 Z できないがその可能性を 6つもの,および,悶 穏ではないが酷似するもののl1l称である. 2 ) 曲 1 2については. r 努良国立文化財研究所11< 準資料 n J ( 以下. p r 基補資料 "Jと省略)1 i 制 4 4 年度発相3 閉まま続袈 1 (京都府 r J '忠誠文化財発 拠閣盆僚級 J19初年) p 1 .6* " 照 。 h 信組提寺 I U土例は,場井孝次 『 古瓦集英』 ( 19 市7 年) p.4 7 .pl .2 十 一1 1 9,岡田茂弘「屋瓦 の調凶' f J c r 唐招提青年総合飼査機要J, r~持良国 2参照.>l間宮出土例".小山修一 小体 j h l 立文化財研究所年怖 J I 961~f-) p . 16. f i g少ー2. 沢 吉本拠俊吉図怠ニ 浪只般「長闘宮噛昭和 村仁「瓦J(' 唐鮒提守' J1,r 奈良大大守大観j 60 FiR '. 2 4 軒丸瓦G O I 2.6 0 1 8.61 35.6225 F ig.2 4 ) もE閤文軒丸瓦である。しかし, 6 01 2 型式をふ〈む他の重岡文とはやや異っており , l ' mに む しろ, 珠文録蓮華文軒丸瓦から文描を醇り消し, 回線のみをのこした帯状であっ て, r あた る部分は, わずかながら 段突出し てお り,また弁匹に相当す あ部分をか こむ圏棉は, 太 線と , その内側に接する細線との 2線からなっている。外躍が直立縁ではなく,斜縁をなして いる点、も 6 1 3 5型 式 p E E 国士軒丸瓦一般とはちがも 、 , 聾 奉 文 蔚 丸 瓦 に 共 通 す る 特 世 で あ る 。 . 6135( PL.4 13.4,F ig.2 4 )は線鋭的文珠文轄の 1 1弁逝都文軒丸瓦である。中房は小さし花 弁を細線によって揖どり Lており j 担形の問弁がある。 A - Cの 3種にわけ奇ことができ v 今 2弁であ るのに対して, Bは 1 3弁であり, 阿は,このうち A . sの 2種が出土している。 Aが 1 ま た 蓮 子 珠 文 ・餌歯文の世も すべて迫っている 。 6 1出は製作手法上 1 否。す なわち瓦当部は首都(,瓦当部上端近くに丸瓦部 を接合 Lており j 古い特置をとどめてい また丸瓦部門聞には小 牟 さな方形絡子叩目士をとどめてい否。 6135 の頚倒は,世隆寺 ・西大寺にあ 包括 型 式 2 。 6225(l ' L . 4 1 -5~7 , Fi g .2 4 .4 8 )は,大きな中耳をもっ凸輯歯主閤線韓の檀弁 8弁蓮華主軒 Z( 四 川 であるが, その挫 A - C・Lの 4唖 丸瓦である。こ の型式につ いてはす でに相告ず の存在が凹らかになった。 A -s'Cが,而佳の償援 ・凸鋸歯文句散の多出によるものである " のに対して, 6225-Lは而佳がひじように大き L、 ( 径 2 6 . 3cm)ことを特色としてい る。ただ し ・ この瓦の丸瓦部は,ふつうの大きさの丸瓦を用いてい るため ,棚田からみ苔と瓦当上端から丸 瓦部にかけての反りがいちじるししあたかも , 後世の 蕗原宮式 i韮あ ごと〈である。 6273-A--E. 6275-A--0, 6278-A. 6279-A・s.6281-Aの 5型 式 1 4績は,いずれも藤際 のみが外縁に凸甜歯文をもちし、, 宮式にぞ〈す"担弁 8弁 車部文軒丸 瓦 で あ る 明 支 2)06273 他は すへて線鋸歯士を めぐらして い る。上記の型 式 勧 の う ち . 6281-Bを除〈すべては新型ホ 式 ・王者岨にぞ〈しているが,これらについては次の機会に肱括的にあっかうことにした L。 、 位担 型 式 " 6282-I ( PL.12-8. F ig .2 5 ) は,薗介 8弁蓮華文軒丸瓦である。 6282-B ・D. . . .I Iと問機 t 己 中 房 の 車 干 の うち,中心の蓮子が開聞の桂子より 大き しまた, I 山弁がのびて界組ふうに 蓮弁をかこんでいる。蓮子は1+8である。外区の閏線が太〈ないこと ,員長弁の耳現が目硬いこ とも他極との遣いである。 η 関0 1型 式 6 301 -B (PL 9,F i g お)はいわゆ M 興稿寺式」の軒丸瓦である。すでに報告した C と 拍 第1 2t r.1 9 6 9 年) p . 4 4 . fig.4 3-1 を@照され たい.また月岡玉守(~ I i < J I C 寺,北 J : ! ; l . ; ! 底 部 王 寺 l 万太郎 『 人和 l 代寺 町王寺〉の出土例は ,係 予' 9 3 2 { ドpl .5 9,~削'[7 ,石岡茂作 院 . h! : . l1 代寺院 『飛1.~ 時 wの研究J(J936)p1 . 1 67- JI 参 ~.1. 岡尼寺 Ut 1.\!!t耶;t:tlI;)~村大宇品開字 l己守) } i 1 1 1 4 ) 6 2 2 5 については 『 平厳宮線告 1Jp .1 0.5 8 別爽 1 .r 平波宮報告 OJp .5 9.12 2別表 3, 円ー ‘h n . o .r 晶 子 長官報告 I JPL.IB,p.87j l J o p .3 3.1 7 0男四 2,PL. 1 H, 阿波宮報告~lJ 『 識別資料 [J瓦緬 lを劃照のこと . 5 ) 6225 L は , 大正1J:.r.~の制堂院保存工事の際に r 大和上代、 寺 院日 p 1 .6 3 . 疏瓦 1 1 2例出土しており,疏JtEとよんでいる.上山 1 2 参照。 久米、年出土例は , r木和 i 代、寺院~t:J i l ' 3 ; , ! ; 維 符 JCf 史蹟約ヨ車線岱 j第 三平「平厳宮院t 2,1 9 2 6{ 1 . : )p . 5 1.p ! .1 8,このうち i例は古形 土例は, ι 平 臨F左京ー条三幼 I I土 pl .3 1 ,疏T . i5t t l J 円'.武官報告 、 I Jp.3 3,p.1 6 ゆ5 )1W2. 6 .47~JF10 PL.4 例は, 3 ) 6 13 5の法俺守出土例は,岡野点「瓦J ( r 考古学 勝 尾 監J,1 9 2 8 )f i g4 4 20沢村仁「瓦 JCf 法険舟』 5 cn 1 , 品であって ,全炎 37.3cm,玉縁の制 1 ζ れは6225A~C の丸正部に等しい寸法であ<. r J . ! i$ fi料皿 』疋綱 3 . 6 ) 6282A. B .D- Fについては , r 平以宮報 I .r 奈良プ、大守大観 r r e1 巻. 1 9 7 2午 )p. l 0 8, f ig 告1 1Jp .5 9 .1 2 2.1 2 35.lIJ~会 3 , PL.3 6 .3 7, S十 一1 10 i 時大寺山土例は西大守政品中にある. 6282G.Hについては。 62 r 平篠宮報告r.'Jp • Fi g.25 軒九五 6 2 8 2.6301.6 3 0 7 h 寧 63 m 同様,韓眠術士珠士睦直弁 8弁蓮華文軒丸瓦であ るが,興補寺創建に匝用した Aと〈らぺて, B'Cの面置はひとまわり小さし、。 B ・Cの前世・弁'11'1:・珠士置はあい等しむ、が j 草子散と線 輯歯文の教が遣し勺 Bの理子教が 1+5+9であるのに対して , Cでは 1+5+10, Bの鋸歯 文教が 3 0であるのに Cでは 3 3であ否。今回出土の Bの瓦当裏面には A と回線,布 aj f !がある。 6 30 4製 式 " 6304-L ( PL .4 1-1 0,F ig.4 8)は , 6225-Lと問機,而佳が大きな 〈復原信 2 4 .2em )軒丸瓦で * c ある。 6304-A・ と同じく韓据歯文珠文輯の直弁 8弁迎撃士軒丸瓦であって, 突出する中房 に 草 子 1 +6を配し,問弁がのびて界線ふうに雄弁をかこむことも A 'CとEらな b。 、 図 。7型 式 " ' 日 07-8 (P L .4 2-1 1,Fig.25)は線鋸悔文珠士緑の誼:弁 8弁蓮華文軒丸瓦である。中珂は弁 区よりも すこし突出している。 韮弁には起世があり, I 日 l 弁はなし、。 Aでは弁の問がはなれてい 吾のに対して Bでは附あヲ芥があい接 Lており,単弁との区別も 不 明瞭であ る 。 * H) 6 3 0 8型 式 回 08( P L .4 2-1 2 .1 3 ,F i g.2u)は線館副首士珠士韓の 8弁蓮務士軒丸瓦であ る。中毘が弁区よ りもやや突出している。この型式の存在はすでに指摘したが,その後. A - E'Nの 6租にわ " ' けられることが明らかになった。今回は A 'sが多輩出土し,少量ながら N唖 も出土 した。 A'B両種町商罷 ・蓮子盈 ・弁量 ・珠文置 ・輯術文散はそ札ぞれ等し b、。しかし Aの方が中田 の突出も,遮弁の起伏もやや大き(.そして撞子と亜:弁との位置関係に世妙な塾通があ答。. 6 30 8には, A ' B両面ともに l 木自の方向にそ って型にひびがはいり,この闘が正当面i にもあ らわれているものがあ る。傷のあるものにはひびが比較的小さいものから時〈大きいものまで 3 0 8の瓦当部側面に「北」の調印を押したも のの多いことを指摘 各段陪のものがあ る。さき に6 " ' した。これは日 08-Bに胆ってみとめられる。 6308Nは,元6 担。とよんだものの改弥であ 00 NはA ・Bと〈らべて中房が小さし蓮弁は翻せまし輯歯士は小さ〈密である。 6 3 1 1製 式 い各方、中房が弁区よりも l 段低い点が遭って い る。1i 3 11A~D 4瞳のう ち 1 日3 である。 E l i型 式 ‘ ' 6 3 1 1( PL .4 2 ー .1 4,F i g .26) は線鋸歯文珠士総の薗弁 8弁蓮華文軒丸瓦である。 6308に似て I I Iまl 而 怪 文 様 構 成 が Aのそれと 一散する。 Bが今日の新例 しかし蓮弁の起伏は. sの方が大き い。なお , 6311-A'Bの瓦当裂而には布 Uをとどめ Q ものがある占で 6 30 8と共通す否。 日1 3と日 1 4とは, とも に小型の線鋭備 排 土 器 復 弁 4弁蓮華文軒丸瓦である。白川 PL.42 ー ・ 2 1 曲 別 炎 2,PL. 30 ê"~照。『基準資料 I sJ瓦緬 1.2~oo.ゆ 7 ) 由 。 1Cについては, A純である. 1 平厳官発槻調査報告¥1Jp .3 4 7 1,} J I , 表 2歩照. 4 9 .1 1 平銭官報告 sJp 曲 '"別表 3,PL.3 8,(向問販に 6 3 0 1Aとあるの は 6301Cと約正〉劃開 .1 平城官報告、 ,1 Jp. 3 4 p . 17 1別表 2, I ' L .4 6, F 器削資料 sj正編 2怠照. 1 2 ) r 平銭符報告 J VJp .2Hi**. I 首脳提守政品. 1 3 ) r 平成官報告IaJp.26'87別表 .PL.18 l め 6 3 0 0の長岡宮 1 ¥ 1土例は , n ¥J I !' , ,文化研究畑 議 ¥'1,中〈奈文研影男帯号 1 4 1)にある. r 興福寺食味宛似削査線告J (1奈良国立文化 旅情守〈京郎府相当た!市上方 向-1.太字新在家)1 ¥ 1 財研究所学線 Ju f7I I U .1 9 6 5 . ' 刊 の軒丸瓦奴 1 型式 ( p .1 7,PL. 21.2わである. 土例につい τは!悶' J ' 亜久 「平伏2 建都酬の右 枇 8) 9) 白血 L 1ま唐鮒提寺山土として同時に所蔵され てい.. 6持品 Aについては. 1 平総官報告 sJ P曲 1 2 3別表3,PL .3 8, 6 3似 Cについては , f 平成広報告lPiJp . 2 7.8 7} ] 1 由 , .PL . 1 8 参照. 1 0 ) 6 3 0 7Aについては ,1 形成下電報告目 Jp .田 1 2 3, ¥ j 'I J ; t (3 ,PL.3 8怠照. 1 1 ) p .2 1 69別殺2,PL.3 0で報告した.同示したものは 64 630~ に つ いて は , pド減官報告 rl'J と共'"土克に就いて J ( 1 綜合山託研究), 1 夢 綴 諭 詑』第 1 8冊.1 9 3 81 1 ',p .2 2 7,問中氏付,. ; t O -5)多 照 o r~tj加資料 1 J瓦jQ' . 1 5 )6 3l 1Al !r 平 按 H報告 1 Jp .1 1 . 5 8 刻表I , C は『 平裁下王者i 告 'Jp曲 1 2 3} j 1 J : n3 ,PL.3 7 参照. 63 11 の井上寺(~衣鈍施脊, 大阪府認可河内部道 明 、 ¥ . 同 府 〉出土例につい ては ,藤沢ー失r 縦刈泉 1 1 . ¥1 古瓦の研究 J ( 1 仏教考 J # 諭浪 j, r 考山 下) p 学 評" 'J貸 す 3絹 . 1 9 4 11 .2 1 3 5, f ig. 2ß ~m, 砂 I 四日田 !l E9 加由 主主正~j 9Z" . a! . ! I ,0) 日 , F i g.2 6)は,中房に大きな半球状の草子を l個もつ。 6313A-D 4唖のうち, 0が新睡で ある。 Dの蓮弁 f i . A- Cのそれ とは奥なって , W組で四まれているなかで,それぞれ分離し ており, また弁端は とが っている。 6 314(PL .4 2-1 6 .1 7F i g .2 6 )は A-Oに制 別でき, 1 の うち C 'Oの河掴が新出である。まず珠文散を比較すると , A16個 となうている。そして B1 9個 .C1 6個 cの面径は Aのそれよりひとまわり小さも、。また, この 014個 Aの車弁は先端がと * がり , C町弁端は円 L 。 、 Dの蓮華文は担 1f'弁のうち i弁が分離せず, あい瞳している。 " 軒 平 瓦 ( PL.4 3,Fi g .2 7-30) 軒平瓦は 25 型 式5 C租あ り,うち 1 1型式 1 7 睡が軒附であ 答 。 筒7 2型 出7 28 (PL .4 3-1 ,F ig .2 7 )は 2重閏文軒平瓦であ って 式 j 軒丸瓦 6 0 12と組みをなして い る 。 開倒は慾世宮跡 ・長岡宮跡 ー東大寺 唐 招 提 寺 ・秋時寺にある。 6641A • C. 6 6 4 2 .6 臼 3A・s.C.6臼 6C は藤原宮式の軒平瓦(~ 表的であ勺て . 1M3型 蔵原宮式 • 品、ずれ も園行唐草主軒平瓦であ り, また 6 6 4 6 1 品、わゆる査車忍冬文をかぎっている。 式t 6655( F Ig. 2 7)は均整唐草文軒 平瓦であって , 円区の文様帯のみで外区文様帯は会 b、。しか 随時型式 l,小破片のた め全体の文傑構成は切らかで はな b 。 、 6663(PL 叫 舗飽 型 式 2 ,F ig .2 7 )は 2亜函線縁均亜眉1 ,'1文軒平瓦である。中心飾り の左右に 唐 辛 文 事 の単位を 3つずつもち いる点は,以下にあっかう 6 6 6 4・6685.6 6 8 9と同様である。中心筋りの 花頭の基部は,平行する 2本町巌線からなっており , その基部上端は,同区と上外区を画す る 、 的 ' " 1 界線に接続している。 A -19亜のうち A- Oは報告ずみである。今回とりあげる Gは, A - Fに比較し てひとまわり小さ b、。また, A . . . . . . . F油 、b、ずれも曲線顎をもつのに対して , Gのみ は盟顎をもっている。なお,今回検出した 6663Aには,瓦当部門下面に「北J ,個而に 「弁 J • 刻 印 2 湿 の 調印 が あ る も の が 冊 ず つ あ o. r j tJは, 1 6 ) 6 31 3 1: ) ;,r 平城宮抑-! j Jp . 11.58~服にか かげた . Bについては 平城吉報告 o Jp曲 '"別 却.PL.40,A.Cの区別については 門 就官報告mJp . 2 6 ' 8 7別表 .PL.17.18参照 a 1 7 ) 6314A' sについては 平厳官報告 f t 'Jp Z 1 匝2 . PL .3 0劃照. 21.69 1 8) 6 5 7 2の惣波宮跡1 1 1上例は,帯谷ヨ完了て ー八木 久栄「短波宮b1:t s I 6.1 7 .18.21. 3 1次究御調 難滋宮祉の研究』研究予要信組告 交u:土造物J r 引0年)p .1 0 8,pl . 9田多昭い同報告で 第6,, はこれを白7 2Cとよんでいる.な お , 熊波宮の 報告で もちいている軒瓦型式範の番号は !奈 良国立文化財研究所常線 f 平成宮報告』の用例 とかならずしも 致し生い. J ミ問符 1 e土例につ いては r 長岡 H r h l 国 者' 44 年度発術調 1 r.概要」 〈 剛1 抱) pl .6 ,f j g . 1 8~附.防犯提寺山土 例に ついては ,i f J 井iI"次「古花集 : ! / I ; ;Jpl .3 1 -1 田. P 臼.秩篠守山土例については r 歓篠寺一 r r 鉄線寺境内発tij!~f.t娘缶』 襟良県文化財調怨恨 p . 27 ~障問圃 但し , 寺蔵品 であり, 寺駿内での I U 土地点はホ切であ る. r ぷ地資料 n J瓦倒2,r 平級官報告 ¥ lJp.3 r , 1 7 2別 } ; ( . 3,P L.4 6. 告書第 15~ , 1971 1f-, 66 63088の刻印と 同 じ調印であ答。 1 9) 祭良1 1 年代の草子平正の均艶庇哨文の中心部は, : & : < ! . i ] ( 渦文状の庇字文とそ の巾に L、れた飾り とか ら成り立っ ているものが多 L、こ ζ では ,前者 を中心嘩,後者を花煩とよぴわけ,同おをll)称 して中 G舗りとよんだ.花捌の表現は各種各磁 であ 6が,従来,花頭形とよんできた形試の場 合は,縦方向の上半を).部 ,,つに分岐したり , ひろがったり する下半下簡を治部とよぶこと ' l 5 ; " ; 寝 泊 部 ができる a そし て,花政の表現には, i とも左右の線からなり, 鮪;.]紋でえがb、た形状 6663 砧 6 4 ) と!縦の i鰍からな り のもの ( 左右 と下方に別の知総を付加して創部をあ勺わ 5 届田〉とがある .かりに前者を す 6の〈届' 脱線構成後者を単線櫛喰とよぴわけてお きた い.まれには , 茎部が,~線 , 繍怖が伎線からな るものもある ( 6 6 9 1) . 2 0 ) 届6 'の C'Dについては 『 平総官報告, J p.IO.58別表 I ,A-D の師別については 『 平 以官報告 n Jp. 61' 124 ~IJ1~3 , P L .41 1 ; 陀。 r ~rvl資 料 1 Jl U 1 i lli > cJ 1 J . l . .^ .C.Fについて は f 平織寓拠告~ Jp . 3 5 .1 7 2J jI J J : . !3,PL. 5 1. 8 512 . 8 . S 5 5 5. A さ 単 一te 謹 巡 察 要4 4 《 ζ 666H S66H 日 E Fi g .2 7 ( [ f ギJ i .657 2.6 6 5 ' : ; “ 63 PL.4 3-3-6,F i g .2 8.2 9) は,珠文輯町均盛山革主軒平瓦 である。 A 66臼 ( ・C 'D ' r .o 6偶 4型 式 の 13 極に細別 でき , J .L.M .Nが新曲である。(l6G 1町中心飾り の花聞のJfj状 i ふ 極矧によ 中む飾り の 花頭の形状 って拠伝っ ている。 これ を 大 別 す る と 基 部土地が左右にひらき,かつ内匡と 上外区 を両す 21 ) 6 664Fについては 『 平威 主f 柑告 1jp .1 1 H.I. Kについては 『 平域宵繍符 NJp 目 70 58 別茨1,A .C .D .Iの区別についてはやギ ~JW3 , 抜 高 純 告 UJ p .6 1 . 1 2 0 1 周波 3 ,PL.41'H, G 宵械情 ¥ 1Jp .3 5.1 7 2別 友3, PL .5 1~OO. PL.3 2; i :J f t o C .Hについて は,I平嶋 67 る界線に接していないもの (A.C .G .J. K .L .M) と n 器部が平行する艇の直線から 1 1 1り,かつ基端が上の界線に接していないもの (H.I .0), LlI器部が平行する直線からなり, 基部土地が上の界線に接しているもの (D .F'N)との 3者にわけられる ( F i g .2 8 )。なお,今 cとともに,凸面の置 Hがいずれも繍定,すなわち,平瓦部 回とりあげる J.L.M .Nは. E辺に平行して走っている。 内 司 院 あB 包 ゆωA 包号窃l q a F i g .2 8 軒平疋6品 4 の中心舗 6 6 8 5型 式 6685( PL . 43-7.3,F唱団〉は珠文語の均盤唐Z 江主小型軒平正であ る 。 花碩は,縦 1線の基 部 ι 下方および左右とに短〈突附 Lた端部とから成っており , 通十字形をなしている。そ の基部上端ば内区と上外区とをわける界線に接続している。 A -Dの 4唖のフち , A 'B両種 ~) については,報告ずみである。今固とりあげる C輯は,他と〈らへて ,J E 草士の各単位が長手 になっている。また. A.R'D種が段顎をもつのに対して Cのみは曲線顎をもっている。これ 傘 は.66 田と同じ形状の花閣をもっ 6682に 段顎をもつものと曲線開をもつものがある5ことに 比 p 較でき答。また ,6685Aに l点のみ曲線顎をもつものが出土 Lた。なお. 6 曲 5Dには,建物の 隅切瓦隅に m~ 、た隅切瓦がある。平瓦部の一隅を,その対角線上で切りおとしたものであって , 右隅 をおと Lたもの (PL. 43-8)と左隅をおとしたものとがともにある ( F i g .31 )0 切り帯しは , 焼成能におこなっており !切断而は丹念な打ち欠きで制強してい答。 同8 9型 式 6689(PL .4 3-9.1 0 .F ig.3 0 )は孫士縁均整唐草文軒平瓦である。文相附庇 ι 段顎をもっ点も • 6664 に共通しているが,中心飾りの花頭の]移状がことなってい~ 0 6 689には A - Cの 3輔があ E頭は縦 1線の革剖と下方と左右に分敵した端部とから成 り!今回は A .sが出土している。 i っている o Aでは,基部上端は,上の界線。こ控紐していな b、 が Bでは控献してい る 。 なお,平 瓦部門町の布目をすりけした桂に ヘラで rmJ と曾いた 6のがあ否〈日g.34-5)06田9の釦倒 e 1 ~) は,奈 l 退県毛匝廃寺 ・法起寺にある。 6 7 1 9型 式 6719(PL.4 与一 1 1 )は葉支障均整唐草主軒平正である。中心筋りの花頭は中央町珠点と , そ の左右に加えた三葉形の短融からなって b、ること , また,中心飾りの花顕の形状 ι その左右 にT ! i 草文の単位文を 5回ずつもちいていることも 6 7 2 1に共通する。しかし外匹に珠文がな〈葉 ' " 文としている点がちがって b崎。期間は,三重県住者臣監遺跡と羽 l 歌山県道成等学にある o 22) 砧 8 5sは.r 平紋官報告 r rJp .6 1. 1 2 4肘 1 ' - r 3,PL.4 2,凪B5の A.Bの区別は . 平原常綴 告 mJp.27,p個 別表,PL .1 9,r 基4 1 J I l i 科 目j It錨 2 怠 I~.i. 2 3 ) 6 剖 9の! t也 キ 毛 F時 中 ( 1 1 1辺 部 I l Ii f ;t t毛 68 原)H I 土例".凹野此「正 J(前例目)日. 3 併 鈍5 .ま た ,宅 防¥ 1 婚刑こついては..1四三平「毛 M t 廃寺 J(r 奈良県に鈴け 6指定史問 JW2Hs. 1928午 p.80~惨~.t. 2 4 ) r必~~L~(料 目 』疋銅 2 ~W.l. • ‘ " ' A ・ " ' F F i g .2 9 草子平瓦 届6 4 6 9 l "i g .3 0 山 軒平正 6 曲5 同 阻 軒瓦の組み合せ 軒瓦のlIi型式新曲の列挙につづいて , ここで,軒瓦型式の組み合せにふれておこコ。 “ 6 3 1 1 内灘北外郭における軒瓦各型式町出土比本師三~ 2.3 )をみると。 軒丸瓦では 6 3 1 1が, また 叫 6 4一 刈 軒平瓦では 6 6 64が,それぞれの社、悩体散の 2 8 . 5克. 3 4. 0% を占めており , ιの丙型式が町をな 定期されたことをしめしている。 す i組として t しているが, ζ の組み合せは, さきに内装内耳の拘査で僻認定 今回これを迫認することになった。ところで今闘の副査で出土した 6 6 6 4のなか 6 6 4 全体町 90% 近〈を占めている。 ζ れ は , 、 で,盈も多いのは D 'Fであって,この両者が6 引 Zう今回の 6 3 1 1のなかで A's両輔が大多散を占めることに対応す答。そして世品の上で, 6 3 11A-6664D. 6 311B-6664Fの組み合ぜが考えられる。 ζ れについで多くみられl¥のは, 6 3 1 3 6 31 4 小型軒瓦町 2組.6 3 1 3.6 3 1 4(向型式をあわぜて肝丸瓦の 1 8. 9%)と.6 6 8 5.6 6 6 6(両省あわぜて軒事 諮 問 の 四 期 と で あ っ て ,これらの怖を考えてよい。 さ き に 内 削 郭 の調査においても同様 2、 》 の対応をみとめている。いまかかげた軒瓦 6311-6664,6 3 1 3.6314-66臨 6 6 6 6は,ともに今 回の制査で山土 Lた軒丸瓦 ・軒平瓦 それぞれの総監の約 5 0%を占めており ,内耳北外明の軒瓦 を代7 1 <する型式という ζ とができる。ただし. 6311-6664 治、調韮地織の金成にわたってほほ 機に出土しているのに対して, 6 AAB [[U地区〉と西区 (6ABB区). 小型軒瓦の 4型式は東区 ( すなわち内裏北外郭の両南北築地にそった部分に集中する傾向をみとめた。 2 5 ) 内裂東外郭 (6AAC-G^^E)においては 築地 (SA42 3 0)O")LiU~ に 63 11 sと6 6 6 1Fとを 交!1におL、たものが,そのまま落下した状況で j 70 雌没していた.また ,6 31 lA-6 6 6 4D,6 31 1 8 6 6 64Fとの対必は ,こ の内'!l双外郭におけ 6 w土軒瓦の比耳障か b も考えられる. . 上 記 6型式についで出土断多いのは, 6 2 2 5( ' F) t J t 削 船 田日〈肝疋の 1 8 . 9 却のl龍一対 組である。 6225A-C'L4極のうち今回は Aが庄間的に多 L、。なお,睡眠宮式の軒瓦は 2 次的に用いたためか, 軒丸 J ' Lが総倒体のうち 6. 4 %, 軒平瓦が総削休のうち 1% とし寸不均簡 な比率でみいだ d きれている。これら藤原宮式の瓦町多〈は,中区東学部 (6AAO区G地区〉町井 司 酔 戸 SE2 1 2 8の周聞にめくらした構 SD2 1 2 6から集中的に山土した。 ‘. 吋 . 動 ~ . .. 匂 ,-'勝 j 診 珍 F i g .3 16 3 1 4 Bと組み合せ た飴85Dの間切花 今回の報告で指摘すべき重要な事実は,軒瓦散型式の絶対年代を知る手がかりをえたことで 騎瓦年代を 示す新写実 から , 神亀 6年 天平元年の木簡とともに 6311A.6 3 1 3 ある。中区東学部では,土樹 SKZlOZ C .66641 ¥ .6 6 6 6A .6 6 8 5Uの 5型式が山土し !宿位的に , この土描より新しい SK210 1から は天平勝以 2年を 下限とす る年紀木簡 とともに , 6131.6 3 01s .6304C .6663C .6 E田 A .6691A 6 7 2 1の 7型式が山土した。また. Jln~阿北聞の土城 SK820 からは, 天平 1 9年を下限 Z 8 2Ha,6 3 1 1.6313B'C,6 6G 4D・ド .6 6 6 6,6 6 8 5B' D,6694A,6 7 2 1 とする木附とともに 6 Dの 8型式が出土 し平城官の軒瓦の年代 をかな り明怖にした ことは桂論するとお りで ある。 B 道具瓦・:1l 瓦・平瓦・ i 1 tCCOLOR PL! ¥TE2,PL .4 4.F ig. 3 1・ 3 2 ) • 道具疋には!鬼瓦 4型式と l hh瓦 h f 戸瓦と があ る 。 且瓦にはまず鬼面鬼瓦が 2型式ある。その師 iは三器地瓦 ( COLORI ' L2 1 .,P L. 44- りであっ て,大き〈欠損してはいるが,大体の形状と大きさ〈現在品 2 0 .5 < :m,現在納 1 7 .5 < :m, 彼原相 2 i l e m, 厚 さ. I c m )とはわかる。平面形はアーチ形合量し やや踊炎の阿の上に は三 f ' J 形の円 をおき,両日の j 聞には拙状のま!出がある。左右の ~g;~ は斜めにたれさがり I 必孔もこれにともなって斜めの位 .1 ' 1をとっている。歯は門歯 4紋,そして,やや聞をおい τ太い牙がある。己の鬼瓦によ〈但た > ; , 型倒 J i , 大宮寺ほかにみることがで き る。大安寺出 土 の忠正の l つ (llig.32) は , 目. ~の繍お 2 6 ) 大安守には 似た鬼瓦が 2州知あるので これを仮りに A.Bξよぴわけ る. Aは.帝五 l j p ' 博物館『天平地宝J( l 田7 年) 阻 ト 3 8,稲川 膏也錨 r 古代の瓦J<!日本の美術 J1 1 ' 1 9 7 1年 〉 f i g .2 0参照. sについて は,I天平J I1 宝j p l ))か-43 ,天沼俊一解説『三 K 会図集 .11~'km ( 19 2 1 1 刊p l .4 , 保井ガ太郎 I 南部;じ大市古瓦紋 t r ; . mJCl 928~) pl .3 3 . 3 1を怠脳. Aは , 円の 筏こは J~ , ロの績には毛状の 6 のを表現し刷の 上に鋸府立をほど こしてい O. Bではこれらの 表現をいっさ い省いており,全体の図形の悦成 . もみおとりする, A sとも¥iJ穴をもたな b、 7 1 B 町 三 ~鬼 E よぴ眉の上町低い部分に耳や文援を付加してい ない 点と,門歯司直下に半円弧の制り こみをも っ占 とで,本倒に最も近も、。現存部分には関穴がないが, これ I l,本間とよく叫た上記の聖聞 に共通することであ る 。 三事鬼瓦の胎土は灰白色で制民,就位も良 b、。淡而と側面とに柄h をか け,高面に はかけていなも、。表面の刻j器がはなはだい、抗自 の上町低い 部分 ・ 眼球 ・ ~ ・ 門 貨には主 と し て 淡 炭 色 の 造 問 馳 眉 ・眼の周囲 ・必 ・口の周囲には主に緑色の軸,胞の一部ほ かに褐色軸をかけて い る。この鬼瓦は,円型北面築地回廊 f ' i g .3 2 鬼面鬼瓦 e s c 曲O 北側の雨苦情から出土した。 W . Wi 鬼瓦大安寺 陸片であ る。上端がとが る木部j 惨を呈する耳 見回鬼瓦の師 2(PL 付 -2)は与の部分をふ〈む E は!中軸線にむかつて匝制する 2つの而から成り ,中央に 2つの縦の突t 棋を加えている。ヰの 下には 巷 毛 杭 l C のお方には,目の閥聞の軸郭線かとみられる突総がある。 ζ の地面鬼瓦の完 m次調査〉で出土している ( I ' i g3 3 ) 0 Jl!品は,内耳函外部商問問(!i 鬼身鬼瓦 ・‘ 鬼身鬼瓦 (PL.4 1-3 )は,既報告のものと同植であるロ 3個体分あり , うち l個体分はほぼ企 形〈現在高 33cm 彼奴尚 39 .5 cm,現在私i も 2.8cm,1 l l 阪 似 “6cm,/ ' fさ 6 . lcm) がわか 00 岡阪の山! と胆器 Eゃ う よ と との 2プJ所にそれぞれ釘孔(筏I .l cm)があいている。 凪風変鬼瓦 ! I i阻文JIl瓦(J >L m “ーのは,下端部を欠くが, 企体の大 きさ (滋在 i C ;2 7. 5cm, 也仇1 29.5cm,' 1 . 7 さ5cm)と図帝はわか否。凪阻は,奈良時代にふさわし〈迫力がある。顔を左 I Jに。身を正面にキ そして Bにかんしては裂箇に固定のために紐状 のι のをとりつけていることが指摘主れてい o. )E 大与丙埼跡山土例 (1 天平地宝JpL109 ' 34 ). 正倉院出土例 (1 天平地宝 Jp l .l l l- 4 6),興福寺山土例 (1 天平1 也宝 Jpl .1 1 145 ) 奈良県北1J域消当麻村b守廃寺跡出土例( 1 天平 .l lo 4J ) . 大阪府始原市国分: i H糸町 地宝Jpl 出土例 72 ( 1天平地~ J pl .l lか-42 ) . 奈良県北 日賦ll1I王寺町西安寺跡出土例 (1 天平地宝 Jp l 1 1ト 4 4 ) . 荒地瓦2 提出土例 ( ! iU !孝次 『 古瓦集 英JpL 8),も本例によ〈似てい..このうち 西安み跡荒池花鶏出土の 2例には ,やはり襲 凶t こ,粘土継を縦にとりつけ釦状にしあげてい 天平地宝 Jp l る.東大寺携堂出土の見正 (1 1 103 9,籾i 豆晋也 『 古代のl iJJl紙 〉 も本 例 に似て い.. しかし 細部の援拠は大き い. むけて両脚 で立ち j 珂興を大き〈ひろげており j 茨割はこ まか (,目・瑞 ー耳・ J 'I孔・向慨を w あらわし,屈には 4, 5条の千 をめくらし,身は菱形丹羽で覆 っている。翼の韮現は ことに世 細をきわめ,1.1部に嗣文状の飾りをつけ,これにつづいて勢よく羽がのびている.起の一部は 聞の布ブJ にみえ j その先端部は阪の周凶に大きな 閏状を なして 左右に両買の下の空間をうめ 1 1 草文は細〈鋭〈のびる聾と鶏頭状の書きこみとから成っている。顔の下に儲干し(後1 .9cm) .る./ がある。この鬼瓦の周躍は突出しており ,い わゆる三向韓の形状をなしている。 1 1 j g 田 県同地 J{ 平域高内誕百外郭凶M 何 回 関斗瓦 0)完形川〔民 さ白 S CI I l , 狭消削 9.Bcm,広抑制 1 0 . 5 山 I l , I ' } . さ 1.6cm)が 1個ある。 平瓦を 費 斗 瓦 蛇//1;前に半曲した,いわゆる半侠斗である。山而に細1I,凹而に布闘をとどめている。 商戸瓦は 22個体分あり,いずれる,いわゆる蟹面戸であ否。完形品が i倒ある。丸瓦の玉輯 函 戸 瓦 e 部分を切りおとし,残りを聞戸疋に 加工した長大なもの(長さ 3 4. 5cm,~,'~I4.l cm) で あ る。な m お前戸瓦には長l l i 各舗があるが,詳酬は次の機会にとりあげる。 れも王障をそなえている。ド疋は大多数が一 丸友 平亙 丸瓦 ・平瓦の Mはひじように多い。丸瓦は L、r 枚作りのもの Cあ否。桶巻作りによるもの(平均 39 c 1 .x : . ! 7 .6m,1 持 2 .& :m)と J tぺると ひ とまわ .7 < ; : .) 。凸而の鎚叩き Hは大多散が艇位,即ち長辺に平行して り小さもて平均酬明 x25on.厚d"t',jl $いる。 "官 井戸 SE2182の周四にめぐらした柵 5D2126 で附土 Lた斑 1 2 g ) は,柿巷作りのものもある。そ " n 瓦にとも令う平瓦に Lてこれには。粘土匝をもちいたもののほかに,粘七紐をもち いたものもふ〈まれている。なお,丸瓦・ 平瓦の凸而には純叩き n 圧山をもつものが大多置を山 めているが ,6135・ 師団にともなう丸瓦・ 平瓦には ,凸 I Wに栴子 ! I Iき目を とどめ るものがある。 貨準の量もかなり多 b、。これまで報告してき たものと同様, 正 方 形 口j28. 5 cn けのものと , こ ・れを学協した長方市のものとがあり,能者が大多置を占めてい否。 2 7)朱雀門官域四府間付近では ,佼斗疋 i f r i戸J{が多数出土した。次回に今回の分もあわ"報告する . 7 3 C 文字瓦 ・緑粕瓦 ・文字埼(l ' i g制 「 理I庚ロ 」 ~) 文字瓦には,訓印を押 したもの と!1l¥!lきしたものとがある。まず平瓦には出l 面に 「醒」を控 印 した ものがあり,これにはやや大型の印 (1 . 8 5xl . 85 cm)を用いた i倒 (Fi g . 34-2) と,小型 町田 (1 .6xl.6cm)を用いた 3倒 ( F i g .3 ← ー 1) とがある。丸瓦には凹面に「前日」の披印があ F ig.34 J 心地の刻印と箆省 r 矢図I東J O もの ( F i g .3 4-3 )がある。臨啓きは, !.2.3 4.5.6 平瓦の凹面に「矢図」と記したもの(日g . 3~-4)であ・ る。このほか,やはり凹而に「東」と躍曾きしたものが 2間ある〈日,. , . , 叫 が, これらはと もに , ふつフの平瓦より分が厚 < . 66田の平瓦部の可能性が大きし、 o 6689に「東」の措曾をも つもののある ζ とは先述のとおりである。 路柏平 E 揖軸平瓦は,小片〈現:(F.. ~20. 5cm ,且iE似 15 . 5c m ) で凹面に緑軸をほどこしている。酷土は 赤褐色,暁 1 1 <1 まあまりよ〈なし、。京区の陣地聞か ら検出した。 支司~ " 判院 灸方形町長事〈現在長田cm,悩 1 l.5cm,尽さ 6 .9 0 :m)で。広い面に長手に滞状の凹み【t.::. 1 6 < :m, 採さ 2. 4cm) を作ったものがある。倒面に「口」 ・「二」の 2字を毘脅している (F i g .3 0 ) 0 さらに他にも字があったかとおもわれるが匝損してい oためフしなわれている。宵内の他地点 本l 白七五一」などの見出きが見 られる。本資料 から出土した同形態の時には 「本立五布一 J r • の描 1字は 「在」かもし れな b。 、 2 8 )佐原J'l r'l'瓦惚巻作り Jr考山号線誌Jffl58~ 第 2号 1 9 7 2 年 , pp.3 0 . 29) さきに!修」の刻印をおした瓦について。 修 理職の「修J ' ごと考えた (r 平政古跡伝飛鳥阪 蓋官跡報告 J1 9 6 1午, p .l l ).今回の「理」もまた 修理の「理」 であることは疑いない。続同本記に は 村 越 ) ' ; ( 1 " 12年から宝 1 1 1にかけて修裂長官 次官の名がみえる.また, 凶峰寺東大門の発姻 i " 制定(19 7 2 年 3 .4tJ奈良県殺官主、員会奈良 四半文化財研究:19r ~町丘〉では , 天平利議~紳護 対磁の紀年木簡 ととも t , こ r 修理司 Jと記した 木簡が出土している〈西隆寺調査委員会『函隆 寺 Jp .31,図版24-3,1 9 7 6 年). r 修J . r 理』 は修理司の略記であろう.なお ,r 修J ,r 夏 目ほ 基封勝資料 VJ$ かのX字瓦については近刊の 『 照されたい。
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