﹁蜜蜂物語 ﹂

•
ン、ド、グィ
マ
ノ
レ
•
•
内
多
毅
,
﹁蜜蜂物語 ﹂ に つ い て
グ
〉
マンドグィルという人について
、
彼 が 二 十 八 才 で 、彼女が二十五才のときである。
一七三二 l 三年の 一月二十一日に 、
ヵ
:
チ l。
アサイドの
電
ころをみても、可成り名士あっかいをうけていたものと思える。
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JFO問
。
吋
ロ
叱
ブランクリン
という居酒屋で一晩会談していると
三一ニ︿五一九)
(マンドグィルの方が、 フ ラ ン ク リ ン よ り 三 十 六 才 の 年
•
長である。)
マンド、グ ィルの ﹁蜜蜂物語﹂につい て
•
ロ ン ド ン に 来 往 し て い た 当 時 ロ円・ど05 の紹介で 、
彼 の 死 を 報 じ た こ と か ら 推 察 で き る よ う に 、相当に 知名の人物となっていたのであろう。叉ベンジゴミン
国
RWロミ で 死 去 し た 時 に hoshNS同emsS句 、
。
旬
、
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、
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句
、。
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さとなどが、
マンドグィルのロンドン時代についての記録は極めて乏しいのであるが、
彼
切
。
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十
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念
日
で
洗
礼
を
受
け
て
い
る
そして一六八五
年十月に-フイデン大学に入学を許可されている。医学を志して入学したのであったが
、
この大学に在学中に哲学の講義を
聴講したりもしたようである o
一
一
六
九
一
年
に
医
学
博
士
の
学
位
を
得
て
か
ら
は
、
神
経
と消化器の専門医として立つことになった。
マ ン ド グ ィ ル は 故 国 を 離 れ て 、 ハリーやロ l
、
マ
な
ど
を
旅
行
し
て
か
ら
ロ
ン
ド
ン
に
あ
ら
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れ
た
が
ロンドンがひどく気にい
つい滞在がながびくうちに 、
、
一
六
九
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九
年
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二
月
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女
性
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のゆと結婚をした。
り
も
マンド グ ィルの﹁蜜蜂物語﹂につ いて
ピ常者。長 としての﹁蜜蜂物語﹂
三四
)
(五二O
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。¥忌ぬ・切町内的の基幹とも 一口うべき部分の 斗日
同
ゅ
の25Eロ阿国吉久 が 初 め て 公 に さ れ る の は 一 七O五年 、彼の三十
一
品
山
守
五才のときである。そして﹁蜜蜂物語﹂の第二部が公にされるのが一七二九年の志十九才の時である。彼が 斗
・
ロ
ロm 臣認可 執 筆 以 前 に 何 年 を 費 し た か わ 問 わ な いにしても 、 一七O 五 年 か ら 一 七 二 九 年 ま で の 間 だ け で も 二 十 四年間をこ
の 書 物 に か け て い る こ と は 、彼 の 最 大 の 労 作 で あ っ た こ と を 示 し て い る 。 さ ら に ま た 一 七 三 二 年 に は 、 数カ所文章を 改 め
P丸山のゆ噌
がつけられた。 この序文は
一七三二年といえぼ 、彼の残年の
ていると ころがある。 こ の 修 文 の な か に は 、同じ 頁 の な か の 同 じ 語 の 繰 り か え し を 別 の 言 葉 に 改 め て い る と ころがある。
こ れ に よ っ て も 如 何 に 丹 誠 を こ め て 、 この書物の完成を念願したかが窺えるのである。
﹁第一部﹂の最初に 斗Z
前 年 で あ る 。 ま さ に 円以何者。長 たるにふさわ し い努力のしかたであったと言えるのであろう。
円
。
片
山 nR について
三、 ゆ
著者在世中の最後の版であった第六版(一七三二年﹀
こな の で あ る 。 そ れ と 同 じ ように 、人 聞 を して玄白
仲
間
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ω 寸 た ら し め る も の は 、 人 目につきゃ
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o己弘﹀ロg
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片山三日02ESE-osE23 人 間をして 、社
す い 友 情 、 敬 度 、 愛 情 と い う よ う な も の で は な く て 、 実は 、 人間の
が
、
内
件
。 ロミ
会 に 適 応 せ し め て い る の で あ り 、 ここに幸福な繁栄した社会の成立が、考えられるというのである。 これ は ω宮
E
B
ω
ω ロハ同宮昨日
色丹江虫お
も の は 、 骨 や 筋 肉 や 神 経 な ど で は な い 、 ま し て 美 し い肌 の皮膚ではない 。 それ は素人たちが見逃しがちの J B
て 自 然 に 、 社 会 の 構 造 を 人 体 の そ れ に 比 較 す る こ と に な る 。 即 ち 、 人 間 と い う 一 つ の 機 繊 を 、 よ り 直 接 的 に動かしている
もともと一七一 四年に書かれたものらしい。 こ の序文には どう いう こと が 書 いてあるか。
医 者 で あ っ た マ ン ド グ ィ ル 、 そ し て オ ラ ン タ 医 学 の メ ッ カ と も 言 う べ き ラ イ テ ン 大 学 に 学 ん だ マ ン ド グ ィ ル には、極め
の
司
.
•
の 説 く と こ ろ と は 正 反 対 で あ る し 、 ま ず 常 識的
な
人
間
の
考
え
に
反
し
て
、
読
者
の
心
胆
を
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や
か
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に 十 分 な 言 葉 である o
一七一 四年 に執筆 した とすると 、 アン女 王 の 治 世 の 最 後 の
年
、
、
王
位
継
承
を
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て
の
問
題
が
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き
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王朝にハノグァ l
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。
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か
ら
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イ ッグへの動きが急角度に政治の方向を変えてい
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ロm 出守、 を公 にし た一七O 五年は 、
った年である 斗げゅの2
、
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王
が
一
七
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勢
力
を
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集 中 の 時 期 で 、 この動きはやがて一七一 R
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年
の
政
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グ
が
野
党
に
退
い
て
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リーが政権を握ることになった
、
へともりあげら れ ていく時期であった。 一七
、
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五
年
と
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七
一
四
年
と
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グ
ィ
ル
の
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も
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分
ち
が
っ
て
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であろうと想像されるつ マンデグィルは 、
、
か
ね
て
か
ら
提
唱
し
た
思
想
風
土
の
突
現
近
し
と
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か
り
に
この政治上の変貌を楽し
み の 気 持 で 打 ち 眺 め な が ら ﹁ 序 文﹂ の 筆 を 執 っ た の で は な い か と 考 え ら れ る
。
マンドグィルは 、
こ
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に
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に
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意
に
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れ
た
と
述
べ
再版の機会があればこの
)と不可分離のものであったのだということを示すことにあった
詩 の 真 意 を 読 者 に 知 ら せ よ う と い う 気 持 に な っ た と 述 べ 、こ の 寓 意 詩 の 主 な 意 図 は 次 の よ う だ と 説 明 を す る 。 即 ち 、之江
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、
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、
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、
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、
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え
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のだと。
、
マンドグィルは 、 この こと を 示 す た め に 、
ま
ず
表
か
ら
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徳
は
う
ま
く
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る
と
繁
栄
と
幸
福
と
に
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仕
させることが可能
な こと を 述 べ て か ら 、 つぎには裏から 、 主一
人徳のみになると国家社会はどのように衰微するかを述べようとしている 。
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三五
(五一一一)
唱
マ
マンドグィルは こ
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O口﹀任命者白日目司 という表 現が生れたほど、 ひどいもの
印
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ン ド グ ィ ル の ﹁ 悪 徳 ﹂ の 意 味 す る も の に ついて は、 説 明 を 要 す る の で あ る が 、 この ことは後述する
J o阿
m
片
足
の こと を 説 明 す るのに 、 次 の よ う な 例 を あ げ るの である。
十 八 世 紀 にお け る ロ ン ド ン の 街 路 の 不 潔 な こと は、
マンドグィルの ﹁
蜜蜂物語﹂に ついて
•
e
マンドグィルの﹁蜜蜂物語﹂について
一
一
一
六
(五二二)
であったことは 、
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今
更
と
り
た
て
て
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う
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い
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こ
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る
誰しも街が清潔になることは一言半勾のす︿勾のつけ
ょうがないように考えるのであるか 、
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ン
ド
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ル
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見
は
人
の
意
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に
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る
も
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が
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る
。
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o
たかになっているのは 、
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業
の
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る
、
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業
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立
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、
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の
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、
、
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り
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く
群
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る
人
々
の
往
来
が
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た
街路をいためていくことも当然である o
そして家畜と人間とが 、
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、
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を
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る
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と
を
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う
と
、
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し
て
ロ
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ド
ン
の
地
域
が
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く
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て
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路 の テ ム ズ の 河 岸 か ら の 距 離 が 大 と な っ て き ていることを考え ると 、hhZω 丸山口 ミ
がつくり出されるそのあとからそれを
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取りのぞいて 、 街路の清潔を保つなどいうことは 、
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、
ど
れ
ほ
ど
気
を
配
っ
て
も
ど
れ
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け
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用
を
か
け
て
も
まず出来ない相談
、
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、
マ
ン
ド
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ィ
ル
は
ロ
ン
ド
ン
の
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を
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し
く
し
た
け
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ば
ロンドンを衰微させる以外に途はないと断言を
‘
するのである。
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マンドグィルのこの発言はまことに興味ぶかい。
、
ロ
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ド
ン
の
廊
市
計
画
に
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い
て
の
問
題
に
連
関
し
て
各
人
が
発
言
す
る
と
こ
ろ に も 、 そ れ ぞ れ の 思 想 が あ ら わ れ て い る よ う に 思 わ れ る 。 デ フ ォ iは、 hs同的認、ど
誌、さ礼町内川匂(尽ゆ∞)において、
れぞれ三十択とし 、
(天川潤次郎﹁デフオクの一六九七年の商業論文﹂ l関西学院大学
ィルの面構えを想像すると、 ほほえましくさえなってくる。これらと比較して、 スクィアトはどうであったろうか。
ン
プ
J
、
ー が 考 え て い る の に 、 マンドグィルは一七一 四年において、 ロンドンの街がき たないのは当然のこととうそぶくマンドク
に は 二 哩 毎 に 番 小 屋 を お く こ と や 、 通 行 税 取 立 の こ と な ど も 考 え て い た の で あ っ た 。 二ノ九八年にすでに ここまで デフォ
﹁論巧﹂第五号五三頁) こ う い う デ フ す ! の こ と で あ る か ら 、道 路 の 管 理 、補修のこともちゃんと考えていて 、幹線道路
米 計 十 三 米 と な っ て いるのとほ ぼおなじ広さである己
道 路 中 心 と 周 辺 部 と の 勾 配 を 二 吹 ﹂ と い う の で あ っ た 。 こ れ は ﹁ 現 在 の 京 阪 国 道 の 幅 が 九 米 、歩道四
、
道路計画によると 、
、
、
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ン
ド
ン
か
ら
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は
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そ
ド ン の 交 通 量 か ら 算 出 し て 、 ロンドンを中心とする国道の極めて具体的な企画を綿密にはじいている。デフォーが考えた
ロ
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リグァ l旅行記﹂でたペ与 0 コ
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、
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化
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、
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き
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る
。
こ
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に
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し
て
マンド、グィルは
まことに現実肯定的である。それだけにマンドグィルの
の
山
富
去
、
、
の
大
き
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力
的
で
あ
る
。
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になることは 、
、
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ン
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路
の
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の
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に
人
、
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に
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け
て
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て冷静な分析をすることは却ってむづかしいことであろう。 マンドグィルはそれをやっているように考えられる。十八世
紀 イギリスの発展は、 こ の マ ン ド グ ィ ル 的 現 実 主 義 の 上 に 、 お し す す め ら れ た も の で あ っ た の で あ ろ う 。 デ フ ォ ー は い か
にも、精力的で 、不 携 不 屈 の 精 神 の 持 主 で 、 イギリス民族の権化のように 一
一
口われるが 、彼は 、 な る ほ ど 精 力 を も っ て い た
一
一
EE の言葉は真実をついている。 デ フ ォ ! の 小 説 ﹁ロビンソン
が 、 生 活 力 は 乏 し か っ た と 批 判 す る Fggp F
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功しているように考えられる 。
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ロ阿国守命
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。ァ関口 5ω
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国 Oロゆ
ωぺ について
り即していたかが窺えて興味あるのであるが 、 この﹁序文﹂もこうしたマンドグイルの基本的な調子を打ち出すことに成
マ ン ド グ ィ ル を 、 スクィアトやデフォ !と 比 較 し て み る と 、 マンドグィル、が 、 如 何 に 十 八 世 紀 初 頭 の 思 想 風 土 に ぴ っ た
-摘 に 注 意 し な く て は な ら な い の で あ る 。
ーソ l﹂ は 決 し て 単 な る ﹁ 労 働 小 説 ﹂ で は な し に 、 そこには 、 人 間 の 孤 独 の 寓 意 が 托 さ れ て い る と い う 巧とS円注目。
ロの指
ク
ノ
レ
マンドグィルの ﹁蜜蜂物語﹂について
三七
/由、
五
か し そ れ で も ち ゃ ん と よ く 治 ま っ て い る 。 そ の 秘 密 は 、 こ の 国 は 制 限 王 政 と で も 門うべきで、君主主権はあるが、それは
一
一
ニ
い人口を生み出し 、 科 学 と 産 業 の 大 育 成 所 だ と い わ れ て い る 。 こ こ の 蜜 蜂 ど も は 、 気 む ら で 満 足 す る こ と を 知 ら な い 。 し
蜜 蜂 の 充 満 し た 広 い 蜜蜂 の 巣 に は 、 賛 沢 と 安 逸 の 生 活 が 享 受 さ れ て い る 。 こ こ に は 法 律 と 軍 隊 と が 完 備 し 、 お び た だ し
以 上 の よ う な ﹁ 序 文 ﹂ に つ づ い て ﹁ぶんぶん不平を鳴らす蜜蜂の巣﹂の寓意詩がはじまる。
四
猛I
B
I
マンドグィルの﹁蜜蜂物語﹂ について
三八
(五二 四)
法 律 に よ っ て 、 そ の 限 度 か き め ら れ て い る の で あ る 。 こ の 蜜 蜂 の 王 国 は 人口 、が凋密であるが 、 却ってそのことが繁栄の原
因 にな っ て い る と い う の で あ る 。 こ の こ と は 、当時のイギリスにおける急速な人口増加のことを思いおこさせるし 、経 済
史家が 、 この 時 期 に お い て 、 生 産 人 口 が 消 費人 口にかわっていくのたと いうことをも思いおこさせられるのである。当時
のロンド ンの人口は 、 推 定 で あ る が 、 大 体 五 十 万 人 、 当 時 の イ ギ リ ス 全 人 口 の約一割である。このことは 、 ロントンが繁
治 仇 し た都てあることの強い印象をあたえていたので あ る が 、今 日 の 日 本 の 全 人 口 と 東 京 の 人 口 と の 比 率 に 大 休 ひ と し い こ
とを思いあわぜると興味ぶかいものがある。
fルの傾向を一一層はっきりさせる
こういう 時 期 に お い て 、 エネルギーに乏しい 、悲 観 的 な も の な ら ば 、 マンドクィルのように 、 人 口が欄密であることが
却 っ て 繁 雫 の 原 因 に な っ て い る 、 と い う よ う な 夫 現 は な し 得 な い で あ ろ う 。 発 一円の時期と場所とが比較することを無理に
ユ
一
し て い る か も 知 れ な い け れ ど も 、 スクィフトか一拙案﹂において 、 貧民の嬰児を貴族の食用に供せよと いう提案 i lたと
を し て い る こ と と 比 較 し て み る こ と は 、 マンドク
(なお最近中共か人口十億まては産制をしないと い ったことを参照。)
えそれが皮肉の言であるにしても
ことに役だつであろう。
人 口 が 禰 留 な こ と が 却 っ て 繁 栄 の 原 因 に な っ て い る と い う こ と は 、 すでに述へたように 、 生政人 口が消費人口 に転換し
て き た こ と を 意 味 す る 。 即 ち 、封 建 的 な 自 給 自 足 の 経 済 か ら 、 資本主義的の大量生産経済への転換なのである 。自給自足
の経済では商人は不用である。 のみならず 、 利 ざやを稼ぐ商人は﹁悪人ー一とみなされたのである。パ ニヤンの﹁悪太'郎の
一生 ﹂ に は こ の こ と が は っ き り あ ら わ れ て い る 。 ところがやがて 、 消費者の慾望をかりたてて 、 商品を売りこんで いく資
ペ テ イ か ら 、 十八附紀のアダム
スミスにつながる線において 、有名な﹁分業論﹂が論じられた
木 主 義 経 済 の 段 階 に 進 ん で い く の で あ る が 、 十 八 山 紀 は こ う し た 新 ら た な 段 階 に 第 一 歩 を 踏 み 出 す 過 渡 の 時 代なのである。
十七世紀のクィリアム
マンドグィルはこの社会の姿を次のように 拙 き山 してい
こ と は こ の 事 情 を 物 語 っ て い る 。 こ う い う 社 会 に は ど う い う 瓜 象 が あ ら わ れ る か 。 ぬ れ 下 で あ わ の 資 本 家 、 詐 欺師 、 す り 、
ポンびき 、 ば く ち う ち 、 偽金+つくり 、 占いなどの倹行である。
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、
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一大事がおきた。というのは 、 こ の 蜜 蜂 の 巣 の な か に 、 悪 徳 が こ の 国 の 王 国 繁 栄 の 源 泉 で あ る と い う 事 実 を 打 ち 忘 れ て 、
こういう具合で、 この蜜蜂の巣は 、 各人は貧、悠で倣慢であるが 、全 体 と し て は 大 い に 繁 栄 を し て い た 。 と こ ろ が こ こ に
唱
。
マ ン ド ヴ ィ ル は こ の よ う に 、 あ く ま で リ ア リ ス ト で あ る 。 彼 は 、 不 変 の 倫 理 、道 徳 律 な ど は 認 め な い 。 法 律 も 着 物 の 流
ネ ル ギ ー が み ち あ ふ れ て い た 十 八 世 紀 初 頭 の イ ギ リ ス 社 会 に お い て は 、事﹂実に即した意見ででもあったのであろう。
も
るとマンドグィルはニ一一口う。 マ ン ド グ ィ ル の 流 儀 に 従 う な ら ば 、 七大罪の ぜ包含wも 455- も h
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w も hZ2. も 丘三件。口、
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w も 、 そ れ ぞ れ に 社 会 の 繁 栄 に 一 役 を か っ て い た こ と に な る の で あ ろ う が 、 これはその社会全体にエ
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司同町内山0
は、やがて 、 ﹁ 賛 沢 品 ﹂ を 生 産 す る こ と に な っ て 工 業 を お こ し 、 貧 民 に 仕 事 を あ た え る こ と に な る の だ と マ ン ド グ ィ ル
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マ ン ド グ ィ ル に お い て 、 ﹁悪徳﹂と﹁芸人徳﹂ とは 、 ど の よ う に し て 調 和 す る の で あ る か 。 中 世 以 来 ミR
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合注目 低
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マンドグィルの﹁蜜蜂物語﹂について
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マンドグィルの﹁蜜峰物語﹂について
﹁哩偽﹂は立ち去り 、 ﹁正直﹂
っとした。そしてこの蜜妊の巣から﹁虚偽﹂
は一変した。
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上は大政治家から下は道化役者にまで及んて
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国
の
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分
こもる決心をした。やがて戦争かおこった。もう傭丘ハはいない。すべてのものは 、以死必勝の気慨で外敵に立ちむかい 、
の一をまもりつ+つけることも出来ない 。 そ こ で 最 終 的 な 拠 点 を つ く っ て 完 全 な 防 備 を ほ ど こ し 、万一の 時 にはそこに立て
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土 地 や 家 屋 の 値 段 は 下 る 一 方 。 宮 殿 も 貸 家 に な っ た 。 建 築 家 は 食 っ て い け ない。すべての人は酒を飲まな い
。 動貝、沢も 、一橋
り も 、 修 り も な く な っ た 。 海 外 か ら 珍 奇 な も の を 取 り ょ せ る こ と は な く な り 、人 々 は す べ て あ り あ わ せ で 満 足 す る よ う に
、
このように 、
各
部
分
は
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立
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。
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。
に な っ た 。 賄 賂 を と る こ と が す っ か り や ま っ た 。 こ れ と 同 時 に 外 地 へ の 派 遣 軍 、駐屯軍も廃止になった。
人 々 へ の 賃 銀 の ピ ン は ね を す る よ う な こ と は 全 く な く な っ た 。 大 臣 は じ め 官 吏 た ち は 、皆質素な俸給生活に甘んずるよう
さ げ る 。 訴 訟 で 金 を も う け よ う と い う 弁 護 士 も 商 売 に な ら ぬ か ら 荷 引 き あ げ て 行 く と い う 始 末 で 、 こうなると監獄ももう
用事がなくなり 、
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論
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す る の に 一 生 懸 命 に な っ た 。 教 会 で も 、大 主 教 が 親 し く 聖 務 を み る よ う に な り 、飢えた人々を玄関払いをしたり 、貧しい
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い た か 、 今 は 、 す へ て ﹁ 偽 善 ﹂ は か な ぐ り 捨 て ら れ た 今まではお互に利用し合おうというので愛想よくつきあっていた
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挨 拶 も し な い 。 居 酒 屋 は そ の 日 か ら ひ っ そ り か ん と 静 ま り か え り、
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、
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り
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も
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金
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と
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金をは伴引きにしましょうと一一一一口う。又借りた方からは 、貸主が忘れていたものまで返えそうと申し出る。訴訟はお互にとり
﹁偽善﹂
るえ、沈痛な気持て罪を告白するのみである o
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この蜜峰の王国には大変化がおきてきた。肉
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、
辛 じ て 戦 勝 の 栄 冠 は か ち 得 る ことが出来た 。
ところが、 この戦いで何千匹という賓蜂が戦死をした。 そしてこの戦 争 の 問
に、 彼 等 は 徹 底 して 禁 欲 的 に な っ た の で 、安 逸 、 賛沢 を 悪 徳 だ と 考 え る よ う になり、 二度とこの悪徳におちこまないため
•
にと、悪徳にゆかりのあるこの巣から、 がらんどう になっている大きな樹の中に 、知足安分と正直との徳に祝福されなが
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ら 飛 び 去 っ た と いう のである。
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五、
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最後につけた ﹁教訓﹂ で、 マンドグィルが言うのは 、 この偉大な蜜蜂の巣を正直にせんとするのは、 馬鹿者だけのやる
四
五
ことだというのである。
マンドグィルの ﹁蜜蜂物語﹂について
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江︿。
マンドワイルの ﹁・蜜蜂物語﹂につい て
、
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こうした目的と手段との転倒を 、却って﹁自然の偽臓﹂
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四六
(五三二)
﹁自然がこのようにわれわ
スミスは彼の ﹁道徳感情論﹂のなかで 、
S Z白けロ53)と呼び、
(hh円宮内同ゅのゆ匂昨日0
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れをあざむいていることは結構なことである﹂といい 、 この ﹁向然の偽附﹂によって人間託会の繁栄がもたらされること
、
を説いているのである。
(
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台
理
作
一
山
崎
正
一
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代
社
会
思
想
史
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一
立
第
二
節
ア
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ム
ス
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十二頁)。
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た
と
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に
十八世紀
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風土がそういう段階にあったということに注意する必要があるのである。
そ し て 国 家 が 偉 大 に な る た め に は 、 悪徳が必要たという。それは恰皮空腹と食事との関係に似ているという 。
ここで注意すべきことは 、 マンドグィルは h
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て
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﹁偉大なるも
の﹂は 、 そのまま﹁幸福なるもの﹂ではない。
、
、
マ
ン
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ク
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は
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偉
大
な
る
も
の
﹂
が
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幸
福
な
る
も
の
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への手段だとまでは
考えていたのであろうが 、彼のこの詩においては 、
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そ
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以
上
の
分
析
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及
が
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マ ン ド グ ィ ル の い う イ ュgzinp刀
ロσロの σgobR悼の意味について。
に お け る 、 そ し て マ ン ド グ ィ ル に お け る 、 一つの特徴をみることが出来るであろう。
ム
ノ、
以 上 の べ て き た よ う に 、 マンドグィルは 、 ﹁蜂蜜物語﹂ におい て、 かつては凶悪とみなされていた消費の増大 、富 の 雑 作
の 汚 名 を そ そ い で 、 各人の営利と審判修とが 、 社 会 の 富 の 増 加 と な る と い う こ と を 述 べ 、 ここに禁欲的なプロテスタンティ
ズ ム か ら 解 化・して 、 新 ら た な 市 民 的 人 間 の 倫 理 を 宣 言 し て い る と い う こ と が 出 来 る 。 こ の 市 民 社 会 は 一 応 政 治 的 に は 二 ハ
第百十一ーーニ頁参照)。
この問題について考えるとき
﹁蜜蜂物語﹂ の副 題として附 加され た
(
本
八八 l 九 年 の ﹁ 名 誉 革 命 ﹂ で 安 定 し た 地 位 に す え ら れ た の で あ り 、 マ ン ド グ ィ ル は こ れ を 支 持 す る わ け で あ る が 、 ごの際 、
﹁社会思想史﹂
彼 の 、 市 民 的 人 聞 の 倫 理 の 謡 歌 は 、 ど れ ほ ど 手 ば な し で あ ろ う か 、 またどれ程の制限をつけているのであろうか。
田喜代治
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のO
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ω この真の意味を探ることが必要になってくるのであろう。
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マ ン ド グ ィ ル が こ こ で 試のべ と い っ て い る の は 勿 論 百
円ER の反対語である。 ところで彼にとって 五三口久 というのは
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、、、
ど う い う も の か と 言 う と 片足。同8585各ロゆえ ということである。彼は、 65ω ﹃ロゆえ を 全 く は な れ た 行 為 を 、 なまみの
し か し そ れ は 彼 自 身 の 同 情 心 の は け 場 を 見 出 す こ と に な る の で あ り 、 や は り ぽ 8 5各釦のぺ
人 間 が 果 し て な す こ と が 可 能 か と い う 疑 問 を も つ の で あ る 。 そ し て 普 通 の ︿ 々 が 民話35噌といっていることも、実はすべ
、
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ps谷 忠 良
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子
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所
謂 ﹁ 側 隠 の 心 ﹂ に し て も 、 マン F グィル
ω 同 な一
流 に 考 え る と 65
ものなのである。大きな雄豚が幼児の骨をぼりほり貧り食うのを見るときには、 誰 れ で も そ の 幼
児を救おうとするであろう。
O附
Z戸
ωggR に還元される。 人 は 白
0400片 刃 包ω
Rhな 山 門
い か に 自 己 犠 牲 的 な 行 為 も 、 突は 、 A
、
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だと 、 マンドグィルは言う。
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(五三一二)
E比ω仲代 だ と 思 い こ ん で い る が 、 ほんとうに h
己認識の不足のために 〆
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叱 な ん て も の は な い と 依 は きロ
マンドヴィルの﹁蜜蜂物語﹂について
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マンドグィルの﹁蜜蜂物語﹂について
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(五三四)
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の よ う に し て 普 通 に ︿仙のゆ唱の反対として考えられている 4
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のなかに入るべきものたというのであ
Vo こ こ に お い て 、
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の
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これは抑圧されるへきものなのである。
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ざわえの考え方は 、
のように極めて厳粛な古い考え方なのてある。
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ろ
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的なものてもなけれほ 、理想主義的なものでもない o
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的
な
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ロ
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か
ら
勝
化
し
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経済的繁栄を追及す
る市民社会の新らしい倫理てある。
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町
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の
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こ
こ
に
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のゆたかささえ感じられるのである。
同
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ここに十八世紀人としてのマンドクィルの特徴を見なくてはならぬ o
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と、極めて hoSUES
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という後半とか結びつけられていることに注意をむけなくてはならぬのである。 即ち中世的な
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丘
町
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側
面
と
十
九
世
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に
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な
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側
面
と
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こ
こ
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る
こ
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あ
る
このことは十八世紀
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と
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れ
る
こ
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も
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る
の
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あ
る
。
白うならは 、 倫 珂 と 経 済 を 、 ヤ i 又 ス 的 に 眺 め ざ る
一
一一
内
州
を得なかったところに 、
十
八
世
紀
の
基
本
的
な
性
格
が
打
ち
出
さ
れ
た
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な
い
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。
そしてボクプやスクィフトなどの一
陣営と、
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フ
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の
陣
営
と
の
聞
に
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極
化
が
生
じ
この両極の聞に、負金時代といわれる調刺が火花を散らすことになったの
、
であろう。
さ
ら
に
それならばこの倫理と経済の二元を可能にしたものは何であったか。それは十七世紀から十八世紀に
四
八
言
、
︹本論稿は
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おおむ円。ミ守句、 -Nw-同 hqぬ (HmvNPH83に大幅に負うものであることを附記しなくてはならない。︺
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内向
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思
想
で
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な
か
っ
た
か
と
考
え
る
の
で
あ
る
か
このことの追及は別の機会にゆづりたい。
な