三重県における生殖医療と三重大学病院における高度生殖医療センターの設立 三重大学医学部産科婦人科学教室教授 池田智明 27 人に 1 人が高度生殖医療によって出生 日本産科婦人科学会の報告によれば、2012 年(平成 24 年)の体外受精・肺移植(IVF-ET) 等の高度生殖医療(ART)による出生は 37,953 例であり、全出生児の 3.7%、出生時の 27 人に 1 人であるとのことです。1 学級に 1 人は ART による子どもがいることになります。 1999 年(平成 11 年)では、ART による子どもは 100 人に 1 人の割合ですので、少子化の 今日、いかに ART が出生数増加に寄与しているかがわかります。こういった時代の要請も あり、三重大学産婦人科は、2015 年 5 月 7 日から三重大学病院の新外来棟がオープンする のに合わせ、同年 4 月から、泌尿器科とともに、高度生殖医療センターを設立します。新 外来棟の 2 階の西側の一角に、5 診が可能な新しい産婦人科外来ができますが、その一部が 問診室、診療室、採卵室、培養室、採精室を備えたセンターとなります。 三重県における生殖医療の歴史 三重県の生殖医療は、決して他県に比べて後れを取っていません。1983 年(昭和 58 年) に東北大学でわが国初の体外受精児が出生しましたが、その 2 年後に、西山幸男先生は三 重県初の症例に成功されました。また、西修先生(現福井市西ウイミンズクリニック)、森 川文博先生、箕浦博之先生、菅谷健先生、竹内茂人先生、川戸浩明先生、澤村茂樹先生、 濱口元昭先生、井田守先生など、済生会松阪病院、鈴鹿回生病院およびご自身の病院で、 IVF-ET を中心とする高度生殖医療を実践されています。また、1991 年(平成 3 年)7 月 には、第 9 回日本受精着床学会が四日市市文化会館にて、杉山陽一教授のもとで行われて います。さらに、三重大学産科婦人科教室において、生殖内分泌領域の研究も活発であっ た時代があり、成果も学会、誌上発表もなされ、教室員の学位取得テーマにもなっていま す。 大学に高度生殖医療センターを作る5つの必要性 それでは、今、なぜ大学において高度生殖医療センターが必要でしょうか?以下に 5 項 目に分けて説明いたします。 1.三重県で唯一の生殖医療専門医の研修施設として 日本生殖医療学会は、平成 26 年に生殖医療専門医取得規定を改訂しました。その中で、 生殖医療専門医認定施設にて最低 1 年間、研修 することが挙げられています。生殖医療専 門医認定施設は、年間最低 100 周期の IVF-ET を行うこと、凍結装置などが完備している こと、倫理委員会・安全委員会を設置していることなどが条件となっていますが、現在、 三重県には専門医認定施設が無い状況です。問題は、今後、生殖医療専門医でないと、国 からの補助金を使った不妊症治療が実施できないようになる可能性があることです。現在、 国は少子化対策もあって、 「不妊に悩んでいる方」に対する方策として、補助制度を行って います。40 歳未満は年に 6 回補助、40 歳以上は年に 3 回までの補助がでます。今は、生殖 医療専門医のいる施設でなくとも補助金を使用した治療ができますが、将来的には規制を する可能性が高いのです。これは不妊クリニックを営んでおられる医師には極めて大きな 変化で、再度、専門医認定施設での研修が義務付けられる可能性があるのです。したがっ て、その受け皿として三重大学が生殖医療専門医施設となることは必要なことだと思いま す。 2.生殖内分泌学の研究機関として 大学のもう一つの役割は、生殖内分泌学研究の場としての役割です。例えば、最近の話 題として 腫瘍不妊学(oncofertilty)があります。悪性腫瘍の治療を受ける場合、強い抗癌 剤や放射線療法の副作用として生殖機能が廃絶することがありますが、その前に卵巣組織 を摘出、凍結保存するなど妊孕性を保存し、来るべき妊娠の希望に答えることが医療のオ プションとなっているのです。こういった倫理的にも複雑な問題を包含した医療は、今後 大学で行って行く必要があると考えています。また、エイジングした卵子に、自己ミトコ ンドリアを注入し、受精能力を高める治療などが可能となっています。その他にも、生殖 内分泌に関する研究は極めて多く、これらを行うことは大学の重要な役割でしょう。 3.産婦人科学における生殖内分泌学の教育機関として 産婦人科学の領域は広く、周産期学、婦人科腫瘍学の他に重要な領域が生殖内分泌学で す。三重大学産科婦人科における卒前、卒後教育でこの分野は、他の分野に比べて充実し ていないのが現状です。しかし、産婦人科専門医試験で、問題の 3 分の1は生殖内分泌領 域から出題されていますし、けっしておろそかにできません。また、この分野に興味を特 にもつ医学生も沢山います。したがって、県下で、唯一の卒前教育を行っている三重大学 で、生殖内分泌医療を行うべきと考えます。 また、卵管鏡による閉塞した卵管を通過する手技 は、東海地方でも三重大学でしか行っ ておらず、このような先進的な技術を学ぶという卒後教育機関としても大切です。 4.三重県の不妊症治療の約 3 分の 2 が他県に依存 2012 年には、わが国で 30 万余りの採卵周期(ovuum pick up :OPU)がなされています。 三重県の人口は全国の 1.5%ですので、単純計算して 4500 件の OPU が行われているもの と思います。 別の OPU 数の推定として、 三重県の出生 1 万 5 千人のうち、 ART 出生が 3%、 ART の成功率が 1 周期 10%と仮定しても、4500 件の OPU 数となります。現在、OUP 数 の一番多い松阪済生会病院でも年間約 400 件ですので、多く見積もっても三重県全体で 1500 件でしょう。残りの 3000 件の OPU は、名古屋や大阪の不妊専門クリニックに流出し ているものと考えられます 。すなわち、三重県では不妊治療施設が絶対的に少ないのです。 OPU や IVF-ET が数か月待ちの状態なのです。 また、わが国は、未曽有の少子高齢化がすすんでおり、出生数の増加は最も重要な国策 の一つです。三重県の鈴木英敬知事は、国の少子化対策会議のメンバーであり、全国で唯 一男性不妊症に助成をおこなっておられ、生殖医療に積極的に関わっておられます。した がって、三重県の生殖医療提供施設の絶対的不足を解決するために、大学において OPU、 IVF-ET などを行う意義があると思います。 5.一般不妊専門クリニックが行っていない分野を受け持つ役割 わが国の細胞や組織の凍結技術は世界一らしいです。受精卵凍結、精子凍結、卵子凍結 の他、卵巣凍結や未熟卵凍結なども可能となっています。これらの凍結保存は、一般不妊 専門クリニックでも行われていますが、長期的な保存責任となれば、公的な場所 がより望 まれます。 また、高血圧、糖尿病、心臓病をはじめとした合併症を持つ女性の不妊治療に関しても、 他科診療の充実した大学の役割があると思います。 さらに、TESE や夫リンパ球移植などは、決して採算がとれる診療ではありません。こう いった 不採算部門は大学病院が受け持つべき だと考えます。 IVF-JAPAN 理事長、森本義晴先生との出会い これらの生殖医療の重要性を教えていただいたのは、IVF-JAPAN 理事長の森本義晴先生 です。私が、前任地、国立循環器病研究センターに在職中に、大阪市で開かれた「多胎を 防止する会」でご一緒になったのを切っ掛けに、循環器病合併患者の生殖医療をお願いし ました。循環器病を持つ女性の中には、30 歳までに妊娠しなければ心機能が妊娠に耐えら れなくなる程に低下してしまう疾患や、移植弁が数年後に劣化してしまうため、弁移植後 早期に妊娠・出産すべき症例があります。そのような女性においては、妊娠をされるのを じっと待っているよりも、生殖補助医療によって確実に妊娠し挙児を得るというオプショ ンを作ることも、また必要ではないかと常々思っていました。もちろん、その危険性など を理解してもらった不妊施設のみにお願いするのが良いと考えていました。森本先生は快 く受けていただき、私が IVF なんばクリニックに伺い、スタッフのみなさんにこの治療の ニーズや循環器病合併症の危険性と管理法について説明し、十分なコンセンサスを得たう えで行いました。その結果、弁膜症治療後、大動脈炎症候群など、3 人の方に、お子さんを 持つという希望をかなえることができました。国循に入院しワルファリン内服からヘパリ ン点滴に切り替え、外出して IVF なんばで採卵後、国循にもどってヘパリン点滴、再度、 IVF なんばにおいて ET を行うなど、貴重な経験をさせていただきました。 高度生殖医療センターの人材確保について 前沢忠志先生は、私が三重大学に赴任した 2011 年(平成 23 年)9 月 1 日に、ちょうど 紀南病院から大学に帰って、大学院に入学したところでした。解剖学教室で研究する予定 とのことでしたが、本当は済生会松阪病院での経験から、生殖医療がしたいとの希望を聞 きました。それであればと、森本義晴先生に合わせるために IVF なんばに連れて行きまし た。その後、2 年半、IVF‐JAPN でトレーニングを積み、卵管鏡の技術などを習得しまし た。2014 年 4 月から大学で、診療の手順、患者説明書、倫理委員会、料金設定など、今回 の高度生殖医療センターの準備をしてくれいます。 2015 年 4 月には、西岡美貴子先生が IVF 大阪のトレーニングを終え、大学病院にもどってきます。 また、肺細胞士(エンブリオロジスト)は、高度生殖センターにおいて、極めて重要な 役割を担います。この人材確保においても、森本義晴先生に全面的にお世話になり、近畿 大学生物理工学部卒業の、竹内大輝君、東本誠也君を紹介してもらいました。生殖医療認 定看護師も採用することができました。 生殖医療センターの部屋割りや機材選定などは、済生会松阪病院の生殖医療センターの 立ち上げに関わられた、現、三重大学中央検査部技師長の森本誠さんに大きな役割を果た していただきました。 以上、高度生殖医療センター設立に当たって最も重要な人材の問題は、本当に人の縁や 知り合うタイミングの大切さを感じざるを得ません。ありがたいことだと思っています。 生殖医療センターのオープン化 三重大学病院における高度生殖医療センターが果たすべき、教育、研究、診療面での役 割について述べてきましたが、大学病院での診療の場は、大学で勤務をしているスタッフ のみのものでは無いと強く思います。私の専門の周産期医療で、分娩のオープンシステム というものがあります。それと同様に、生殖医療センターもオープン化すべきと考えてい ます。例えば、地域で開業されている先生方の患者さまの治療を、大学病院で、設備を使 ってご自身で行なっていただくというのはいかがでしょうか?合併症を持つ症例の採卵、 TESE が必要な症例、未熟卵培養などが対象となると思います。お支払する診療報酬やトラ ブル時の問題などあるでしょうが、努力すれば解決できるものと思っています。皆さんで 多くのアイデアをだしながら、三重県の産婦人科医全体で育てていただきたいと思ってお りますので、よろしくお願いいたします。
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