ローカルページ January 2015 預言者の優先順位─新年を迎えて ─アジア北地域会長会年頭メッセージ─ 多 くの人は,年の初めに新しい目 白し,悔い改めて,自分が変わることを決 「第 3 の 優 先 順 位:教 会 の兄 弟(定 員 標を作り,その目標に向かって 心することです。そして,主の贖いの力に 会) ・姉妹の愛を強める 」ためにはどのよ 1年間,努力をしようとします。 より清められ,主の愛と御霊の促しを受け うな改心が必要でしょうか? この点につい これは,福音の中における「真の改心」並 て,信仰をもって自分のなすべきことを最 て聖典から引用します。「互いに傷つけ合 びに「霊的な自立」を成し遂げるために 善を尽くして行うことです。このように自 う心を持たず,平和に暮らし,あらゆる人 は,とてもすばらしい習慣であると思いま 主的に行うとき,わたしたちと主との関係 にその人が当然受けるべきものを与えたい す。「昨年できなかったことをできるよう は強められます。なぜならそこに,主を身 と思うようにな〔り〕 ,…… 飢えていたり,着 にしたい!」または「今年,このようになり 近に感じ,主の愛と贖いの力を感じるから たい!」という目標は,自分の心を変える です。(モーサヤ 4:12 参照) る物がなかったりするのをほうってはおか 〔ず〕 ,神の律法に背くのも,互いに戦うの 「真の改心」,預言者の 勧告する「霊的自 「第 2 の優先順位:自分の家族を強め も,争い合うのもほうってはおかない…… 立」につながっていきます。今までの良く る 」ためにはどのような改心が必要でしょ (モーサヤ 4:13 - 14 参照) 」また, 「自分 ない行いや足りない部分を悔い改める決 うか? それは,夫婦・親子が皆, 「第一の 自身でも,助けを必要としている人を助け, 心をし,主への祈りを通して主の御霊の促 優先順位:自分と主との関係を強」められ 乏しい人に自分の持ち物を与え……,物乞 しを受け,自分の心と行動が 変わるとき るようにすることではないでしょうか。そ いがあなたに請い願うのに応じないで,追 に, 「真の改心」ができます。これはキリス うなるためにはまず,毎日,家族で祈り,家 い払って死なせるようなことをしない……。 み たま あがな (モーサヤ4:16 参照) 」さらに, 「あなたが トの贖 いの力によります。しかしながら, わたしたち不完全な人間は,天父のみもと に行くまで,この「真の改心」を何回も何 真の改心を遂げる年に たは,神の羊の群れに入って……重荷が軽 くなるように,互いに重荷を負い合うことを 望み,また,悲しむ者とともに悲しみ,慰め 回もするように求められています。 族で聖典を読み,毎週家庭の夕べを行う の要る者を慰めることを望み,また神に贖 今,わたしたちに求められている「真の ことです。さらに,夫婦・親子がキリスト われ,第一の復活にあずかる人々とともに 改心」の鍵は,十二使徒のクエンティン・ のような慈愛で結ばれ,主の御霊の導きを 数えられて永遠の命を得られるように…… L・クック長 老が数年前にこの地域を訪 受けている必要があります。愛のないとこ 望んでいる。 (モーサヤ 18:8 - 9 参照) 」 問した際に勧告された「預言者の優先順 ろ,また罪のあるところに主の御霊はとど *** 位」を毎日の生活の中で実 践することに まらないからです。 (教義と聖約 121:37, わたしたちが,これら第 1 から第 3 の優 あると思います。「預 言 者の 優 先 順 位」 41 - 42 参 照)特に夫 婦は,主の望まれ 先順位を,喜んで,御霊の導きを受けて, の第 1 は「自分と主との関 係を強くする るような,昇栄する夫婦を目指す必要があ 自主的に行うとき,預言者の勧告する「霊 こと」。第 2 は, 「自分の家族を強めるこ ります。互いに愛し合い,完全に献身し合 的自立」ができるようになります。信仰を と」。第 3 は, 「教会の兄弟(定員会) ・姉 う夫婦です。 (教義と聖約 42:22 ,手引き もって祈り,主に喜んで従うとき,物質的に 妹の愛を強めること」。「その後に,職業 第 2 部 1.3.1 参照)このような両親を見て も,多くの主の祝福と助けが与えられます と社会の中での義務を果たすことが続き 育つ子供たちは, 「将来,自分も両親のよ (モーサヤ 2:41 参照)。わたしたちは,新 ます」とクック長老は言われました。 うな夫婦になりたい」と思うことでしょう。 年において,このような主のビジョンに近 *** 「第 1 の優先順位:自分と主との関係を すぐに完璧にはできなくとも,キリストの づくことができるように,皆さんと皆さんの さらに強める 」ためにはどのような改心が 贖いの力に希望をもって,信仰を使って, 家族の中に,さらに新たな変化(改心)が 必要でしょうか? それは,毎日,聖典を読 日々,改心し,努力することが大切ではな あり,生活の中に主の愛と喜びがあふれる み,祈りを通して主に自分の罪や弱さを告 いでしょうか。 ように願っています。◆ アジア北地域会長会 あおやぎこういち 青柳弘一 マイケル・T・リングウッド スコット・D・ホワイティング 2 0 1 5 年 1 月 号 1 日本福岡神殿の金城正之会長が急逝される き ん じょう ま さ ゆ き ─「愛すること,助け合うこと,一致すること」を体現した生涯 20 14 年 9 月4日午前 2 時 10分,福岡神 し,金城会長の思いとは裏腹に体力は落ち続 殿会長の金 城正之兄弟が福岡市 け,酸素吸入が頻繁になり,あっという間に 内の病院で家 族に見守られなが ら逝去された。享年 69 ,神殿会長としての召 24 時間酸素を補わなければならなくなった。 「それで神殿の年末の休館に合わせて暖かく なるまで療養してもらうことにしました 」と文 し半ばでのことだった。 子姉妹は語る。神殿で奉仕する文子姉妹と *** 金 城会長は 1944 年(昭和 19 年) に沖縄県 離れて沖縄の自宅に帰り,2014 年 3 月まで休 那覇市首 里 に生まれた。1970年に広島地方 養を取った。「『療養生活で長く生きることも 検 察庁検事に任官し,その 2 年後に文 子 姉 大切だけれど,自分は主の召しを全うして燃 妹と結婚。1975 年に那覇地方検察庁へ転勤 え尽きたい』と何度も言っていました。その しゅ り ふみ こ した。1981 年,宣教師の戸別訪問によって福 覚悟が兄弟にはあって,酸素吸入をしながら 音を知り,同年 7 月,首里ワードにおいて3人 (の状 態で)6月に神殿へ戻りました。」会員 の娘を連れて夫婦でバプテスマを受けた。 さまざまな地方へ転勤する中で,ビショッ プリック顧問や支部会長,インスティテュート たちは酸素ボンベを引っ張って歩く金城会長 を目にするようになる。それから入院するま での約3か月,金 城会長はひるむことなく奉 教師,伝道主任,大祭司グループリーダー,日本那覇ステーク会長 仕を続けた。「きちんきちんと最後までやり通す人ですから,少し などの職を果たし,2012 年 11月に日本福岡神殿会長に召される。 くらい風邪気味でも, 『大丈夫だ 』と朝早くから面接をして,訓練 当時,金城会長は沖縄でたった1人の那覇公証人として勤務し 集会をしてと全てこなすわけですね。たまには酸素が外れたまま ており,後任に引き継ぎを終えるまでの数か 2 時間も気づかずにいて,周囲の人が『これ 月間は,月曜から水曜までの3日間を沖縄で はもう奇跡ですね 』と驚くくらいでした 」と 公証人として働き,木曜から土曜までの3日 文子姉妹は振り返る。 「神殿会長会第一顧問 間を福岡神殿会長として神殿で 奉 仕した。 の白石会長ご夫妻,第二顧問の赤木会長ご 全ての時間を神殿奉仕に使えるようになって 夫妻は, 『わたしたちは金城会長の船に乗っ からは精力的にワードや支部を訪問し「あな たので,最後まで金城会長とともに頑張りま たの居場所は神殿ですよ」と多くの会員に呼 す』と言われ,わたしたち夫婦を支えて助け びかけた。 てくださいました。また神殿ワーカーの皆さ ん,会員の 皆さんが助けてくださいました。 「主の召しを全うして燃え尽きたい」 心から感謝しています。」 2013 年 8 月に入った頃,文子姉妹は金 城 会長 の 体 力の 低下を感じるようになった。 2 励まされた会員たち 召しを受ける段階で間質性肺炎を疑われて 金 城会長は,7 月 28日に入 院 する直 前ま いたことが文子姉妹の心をよぎる。「少し休 でいつもと変わらない奉仕を神殿で続けた。 んでほしい。」文子姉妹の心配をよそに金 城 この,全てを主にささげて奉仕する姿が多く 会長は,疲れを知らない若者のように働く。 の会員や指導者の心を打つ。 11 月に入って金 城会長は風 邪を引き,こ 「これから伝道に出る若い会員たちが,面 じらせてしまった。これが引き金になって自 接と按 手 任 命を受 けるために福 岡 神 殿に 宅と神殿に酸素ボンベを置くようになる。奉 入ったときに,酸素吸入をしながら頑張って 仕中に酸素が必要となる局面が出てきたも いる金城会長の姿を見て涙を流し,このよう のの,障害を物ともせず,酸素ボンベを引っ に言っていました。 『わたしが 伝道で試 練に 張りながら笑顔で皆を迎え送りする。口癖の 遭ったときには,金 城会長のことを思い出し 『愛すること,助け合うこと,一致すること 』 て頑張っていきたいと思います。』大きな問題 をモットーに愛にあふれた神殿を保つ。しか を抱えた方も『元気な金城会長もよかったけ リ ア ホ ナ 2012年,金城ご夫妻は新神殿会長セミナーのため ソルトレーク・シティーを訪問した。 (上写真)ウィリアム・R・ワーカー長老(左)と ダリン・H・オークス長老(右)とともに れど,こんなになって頑張る会長から力をも 6番目のお孫さんを抱く金城兄弟 らえます。頑張れます』と言っていました。 重い病気を抱えた人たちは『何もかも順調 福岡で息を引き取った後 初めて沖縄に戻ってきたとき で幸せな人にはわたしたちの苦しみを伝え 孫が作った幕に迎えられた ても分からない。でも金 城会長はこんな状 がずっと毎日付き添っているのは,なかなか 見たことはありません』とおっしゃられて,先 生や看護師さんの態度がどんどん変わってき て,最後の最後まで大事に細やかにやってく れました 」と文子姉妹は感謝 する。温かい み 態で頑張っているのでわたしたちの気持ち 看護と治療の中で,家族に看取られながら金 を本当に分かってくれる』とおっしゃるんで 城会長は末期を迎えた。 まつ ご す。」金城会長の隣で文子姉妹は多くの会員 *** ひつぎ の言葉を聞いた。 棺 に収められた金 城会長は多くの会員に 「九州のステーク会長さんたち指 導 者も 見守られながら福岡を後にし,沖縄の多くの (金城会長が )休んでいる神殿会長室にやってきてはひざまずいて 会員に迎えられて自宅に戻った。自宅には,長らくお休みをして 手を握り, 『金城会長に会うだけで力を頂いています。生き方が変 いた会員や,金城会長にお世話になったという会員が多く集まっ わりました。頑張れます』と言われるんです。そういった方たちの た。「告別式は沖縄那覇ステークセンターで行いました。全ての 姿を見るたびに,神様がおっしゃった『神を愛し,隣人を愛しなさ 準備を多くの教会員たちが心からの奉仕で行ってくださいました。 い』 という戒め,愛して思いやって助けることがいかに大切かを(学 また,たくさんの心温まるお手紙も頂きました。多くの方々の助け びました)。たくさんの教義を覚えることよりも,相手に尽くすこと により,神様の愛と御霊をあふれるほどに感じ,悲しみよりも感謝 が神様の求められていることかなと学びました。」 の気持ちで満たされました。この愛と親切がどれほどわたしたち 家族を力強く勇気づけ,支えとなったことか。愛と思いやりの助 心臓の鼓動の続く限り けが一番だと。皆様を通して神様の御心を感じることができまし 入院後も少しずつ体調は悪化し,8 月 28日に容態が危ないと 感じた文子姉妹は,沖縄に住む3人の娘に電話をする。入院して みず え た 」と文子姉妹は述懐する。 た しろ こう ぞう 告別式で,地域七十人の田 代 浩 三 長 老はこう弔辞を述べた。 いることすら知らなかった長女のみゆき姉妹,次女の瑞 枝 姉妹, 「福岡神殿に参入すると,愛する金城会長とメイトロンが愛に満ち 三女の正 代 姉妹はそれぞれの家族(2歳から小学生の孫8人と た優しい笑顔でわたしたちを温かく迎えてくださいました。その 夫)とともに翌 29 日,父親のもとに集合した。「(3家族)14 人み お顔が今もはっきりと浮かびます。金 城会長は病気が悪化され んなが(病室に) 来て,そのとき父は意識が朦朧としていたんです ても酸素ボンベをおつけになられてご奉仕されました。そのお姿 けれど,孫たちが声をかけて歌を歌って,夫たちが頭に手を置い から,ニール・A・マックスウェル長老のお言葉(が浮かびます。) まさ よ もう ろう て祝福をした直後に目を開けて『あぁ!』と全員を確認したんで す」と長女のみゆき姉妹は語る。 それから毎日,孫たちは病室を訪れ賛美歌を歌って聞かせた。 金城会長は話すことはできなかったものの目で喜びを表現し,手を 握り指でさすることで愛を示し 『心臓の鼓動の続く限り,その鼓動している時間の幾らかは人に 手を差し伸べるために用いるべきです。また肺に息のある限り, その息の幾分かは,しかるべき賞賛と必要な励ましを人に送るた めに用いるべきです。』 まことにそのようであられました。」 た。 文子姉 妹も,金 城 会長 の そばを片時も離れることはな 人々に手を差し伸べ,強い影響を及ぼす かった。 送られてきた手紙やメール 「その様 子を見てい の中に一人の姉妹の手紙が たある看護 師さんが, あった。 金 城 会 長 が 『家 族,夫 婦 のあり 宮 古島で 支 部 会 長を 方を学ばせてもら していた頃から知っ いました。 孫 たち ている姉 妹 だ。 彼 が毎日おじいちゃん 女が独身の頃,金 と言って毎日お見舞 城 会長は伝 道に出 いに来 たり,奥さん るための 手助けを 3人の娘夫婦, 8人の孫たちに囲まれて 2 0 1 5 年 1 月 号 3 金城会長ご夫妻と福岡神殿会長会 左が白石ご夫妻 右が赤木ご夫妻 より,自らの魂に救いを得,その後その人を知るすべての人々に手 を差し伸べて,強い影響を及ぼすのです。ヨシュア 24:31」 文字の形も大小まばらで行も乱れている。苦しい息の下,金城 会長の思いが聖句でつづられていた。その思いを受け継ぎ,これ した。精神面だけでなく経済的にも困っている彼女に,文子姉妹 まで金城会長が手を差し伸べてきた独り身の兄弟姉妹に対して, にも本人にも言わず,金銭的な援助をした。彼女が後に, 「伝道資 「これからはわたしたちが兄弟の代わりに,その人たちに目を向け 金を援助してくれたのは金城兄弟ではないですか」と問いかけた て,ただ思いやるのではなくて形(に表すこと) で,兄弟の気持ち とき,金城会長は, 「姉妹,それは足長おじさんがやったと思った を形作っていこうと計画を立てています」と文子姉妹は話す。 方がいいですよ」とかわした。結婚して子供が生まれ,彼女が幼 い子供を抱えて独り身になってからは家族のように寄り添った。 長年の公務での功労により,2014 年 11月に天皇陛下より,叙位 叙勲・従四位瑞宝小綬章を授与された金城兄弟。そうした全てが 子供たちは大きくなっても金城会長の誘いに応えていつも集まっ 思い出につながっていく。 「困ったときには神様に祈りながら,ここ た。子供たちにとって金城会長は父親代わり,おじいちゃん代わ (遺影の前) で主人に話したりすると必ず助けがあるんですよ。わ りだった。きょうだいのうち二人が伝道に行き,一人は教会の大 たしだけじゃなくて家族みんなに。そして心を打つ経験がいっぱ 学に進学した。姉妹の手紙には, 「金城ご夫妻の助けがなければ いあって,本当にいつも(わたしたちの)そばにいて,神様と主人 子供たちは順調に育ってはいません。わたしも心を病んだかもし が見守っていてくれているなって感じます。」 れません」とあった。感謝の詰まった手紙やメールが金城家には 「今,苦しかった病苦から解放されて元気で 伝道している,神様のもとにいる,ということが 今も届く。 いろいろな形で伝えられます。神様とともにわ *** 金城会長は 35 年余にわたり日記をつけていた。入院直前あた たしたちを守っているし頑張っているから,わ りから書くことが難しくなり,日付だけのページが続く。その中で たしたちも胸を張って会えるように,自分たち 7月 23日の日記を文子姉妹は「わたしたちへの遺言です」と言う。 の生き方を見直して頑張りたいですね。」すが 「 7月23日(水)あなた方が立ち直った時は,兄弟たちを力づけ すがしい表情で語る文子姉妹の後ろで,遺影 てやりなさい。ルカ 22:32 。まことに改心した人は,贖罪の力に の金城会長の満面の笑顔が輝いていた。◆ 日本福岡神殿会長会を再組織 と旅行。これまでに南米,北米,ハワイ,イタ 金 城 会 長 のご逝 去に伴い,日本 福 岡 神 リアなどを旅した。好きな聖句は第 2 ニー 殿 会長 会が 再組 織された。新たな神 ファイ 25:23『わたしたちが自分の行える 殿会長に,これまで神殿会長会第一顧問で ことをすべて行った後に,神の恵みによって あった白石靖行会長,メイトロンに白石てる 救われることを知っているからである。 』 しら いし やす ゆき こ 子姉妹が召された。第一顧問に,これまで第 英子メイトロン補佐は 1944 年に鹿児島 二顧問であった赤木英夫会長,メイトロン補 県霧島市に生まれる。文化女子短期大学で 佐に赤木千里姉妹が召された。※1 生活芸術学科を専攻,室内装飾の制作から あか ぎ ひで お ち さと ながとも ゆたか ディスプレーまで幅広く学ぶ。1972 年に2 また新たな第二顧問に長友 裕 兄弟,メイ えい こ トロン補佐として長友英子姉妹が召された。 長友 裕会長,英子メイトロン補佐の紹介 くし ま 長 友 会 長 は 1952 年 宮 崎 県 串 間 市 に 生 まれる。1972 年に自ら教 会の門を叩いて 人の宣教師の訪問を受けて改宗する。 頭 5 年,校 長を11年 務める。1987 年から 教会においてはこれまでインスティテュー 1990 年の 3 年間,アルゼンチンのブエノス ト教師,支部 扶 助協会 会長,地 方部 扶 助協 きょうべん アイレスにある日本人学校で教鞭を執る。 教会の召しとしては伝道主任,支部会長, 会 会長,地方部若い女性会長などの召しを 果たしてきた。趣味は読書,旅行,お菓子作 改 宗し,1976 年 に 英 子 姉 妹 と市 民 結 婚。 地 方 部 会 長,高 等 評 議 員,大 祭司グル ープ り。好きな聖句は箴言3:27『あなたの手 1979 年にハワイ神殿で結び固められる。 リー ダー,伝 道 部 会 長 会 顧 問,夫 婦宣 教 師 に善をなす力があるならば,それをなすべき などの責任を果たしてきた。 趣味はゴルフ 人になすことをさし控えてはならない。 』◆ 鹿 児 島 大 学 教 育 学 部 を 卒 業 後,36 年 4 にわたって小 学 校 に 勤 務。 教 諭 20 年,教 リ ア ホ ナ ※1─白石ご夫妻,赤木ご夫妻の紹介は2013年1月号リアホナ ローカルページ,2-3参照 門戸を開く Open! the Gate 5 (地域広報部) あらゆる人を教会に迎え入れる 献血プロジェクト しょうへい ─さいたまステークセンターに献血車を招聘 ア ジア北地域会長会からの提案 力の下,浦和のさいた を受け,去る 10 月 25 日にさい まステークセンターに たまステークで「献 血プロジェ 献血車を招き,教会の クト」が行われた。日本赤十字 社との協 建 物を献 血会 場とし て活用してもらう。多目的ホールには,受 「来年以降は献血プロジェクトを希望する 付,献 血前の審査(血圧・脈拍測定や電 ステークや地方部へ,全国広報評議会が 子画面による問診,献 血カードの発行な 試験的に実施して得られた各地の運営ノ ど )のブースが設けられ,医師,看護師が ウハウや改善点などの情報を提供してい 待機している。献血希望者は一連の順路 く予定です。地域会長会が願っているよ を通り,献 血 適性が 確 認されると,駐車 うに,奉仕の日という形で,アジア北地域 場に停められた献血車に入って採血に臨 内の日本,韓国,グアム,ミクロネシアでも むことになる。献 血終了後はホールに戻 可能な限り同じ日に実施していく方向に る。赤十字から提供された飲料を受け取 なると思います。教会員だけがモルモン ・ り,しばし休憩して教会を後にする。 ヘルピングハンズの奉仕活動に参加する 教会員たちが友人知人と誘い合って参 のではなく,会員が奉仕活動に友人を招 加したり,ボーイスカウト・カブスカウトの いたり,地元の広報ディレクターがオピニ 隊員が駅前で献血を呼びかけたりして,献 オンリーダーとなっている方々を招くこと 血会場は活況を呈した。この日,来場した が広報としての目的の一つになっていきま のは 145 人,うち 11 人は教会員でない方 す。」いわば教会が,社会に貢献する奉仕 であった。献血受付人数は 117 人,そのう 活動の拠点として地域の人々に知られる ち 200ml が 24 人,400ml が 69 人,合計 ことを目指している。 93 人が献 血した。 24 人は審査の結果, 献血を見合わせた人々である。献血セン ター側では通常,献 血を見合わせる人が 教会の雰囲気を感じていただく機会 アジア北地域の広報活動の神権アドバ 2 割前後出ることは織り込み済みであり, イザーであるスコット・D・ホワイティング この日は受付数 110 人,採血数 80 人を目 長老は次のように語る。 標としていた。 「わたしがハワイ州とカリフォルニア州 今回,さいたまステークではステーク広 西海岸で地域七十人の責任を受けていた 報ディレクターがステークの指 導 者をサ とき,それぞれ のワードやステークが 中 ポートしながら,この献 血プロジェクトを 心となって献血のプロジェクトを行いまし 準備した。全国広報評議会が中心となっ た。青少年が教会の近隣へ献血の日時を て取り組んでいる企画であり,今 年度は 告 知するチラシを配 布し,会員たちも献 試験的に幾つかのステークに依 頼して実 血に協力してもらうために友人や家族を 施している。教会側としては,会場を提供 積極的に教会堂へ招きました。多くの献 し教会員が献血することはもとより,モル 血を集めることも大切なことですが,献血 モン・ヘルピングハンズ活動として地域の をする方々に教会堂の中へ足を運んでも 人々に献 血を呼びかけたり,来場者の誘 らい,教会と教会員の雰囲気を感じてい 導や案内に当たったりすることも,大切な ただき,教会が地域社会へ奉仕するセン 奉仕の機会と捉えている。 ター的な役割も担っていると知っていただ これは将 来的には「奉 仕の日」として くことに重点を置きました。まずは,教会 全 国で一 斉に行うことを構想している。 堂の中を見ていただくこと。それが大切 アジア北地域 広報部ではこう説明する。 だと思いました。」 2 0 1 5 年 1 月 号 5 まずは,教会堂の中を見ていただくこと, 教会が,地域社会へ奉仕するセンター的な役割も 担っていると知っていただくこと, それが大切です。 うしたビジョンの下に計画が進められて いる。名古屋東ステークでも 11 月 22 日 さいたまステークセンターのホール。舞台前に献血の審査を待つ人の列があり,右に向かって受付,血圧・脈拍測定,電子画面での問 に献 血プロジェクトが 試 験 実施され,献 診,血液検査……と続く。左手奥のモニターでは日本赤十字社の献血啓蒙ビデオが流された。 血 受 付 数 59 人,採 血 数 50 人(全 員 が その後も,ハワイ州やカリフォルニア州 社会に定着している。現在では献血だけ で行われたモルモン ・ ヘルピングハンズの ではなく,奉仕の内容は多岐にわたるが, 活動は, 「モルモン ・ ヘルピングハンズの 毎回約 7 万人の人々がボランティア活動 日」または「奉仕の日」という名称で地元 に参加する。そのうちの約 1 万 5,000 人 に浸 透し,4 月の第 4 土曜日に一 斉に活 は教会員ではない。 動が行われることが年中行事として地域 日本ではまだ試験段階ではあるが,こ 各国大使と人道支援について語り合う 400ml 献血)を記録した。◆ urx2.nu/eCPd ★関連する動画ニュース LDS Local Plus+がご視聴いただけます ゲストを歓迎するリングウッド会長(右) ─アジア北地域会長会がフレンドシップ・ディナーを主催 各 国大使 館の大使と大使 夫 人を招いて 務 副 大 臣も出 席し,教 会 が 行ってきた 人 の夕食会が11月4日に開催された。ア 道支援活動や国際貢献を賞賛するスピー ジア北地域会長会が主催者となり,ゲストを チを英語で披露した。各国のオピニオン 迎えた。 リーダーとの良好な関係が築かれ,教会が 36人の大使館関係者が集う中,アジア北 継続して行っているさまざまな取り組みに 地域会長会からはマイケル・T・リングウッ 関心が持たれることは,教会員と教会に対 ド長老,青柳弘一長老,スコット・D・ホワイ する正しい理解へとつながっていく。アジ ティング長老が出席した。既に教会の代表 ア北地域の広報活動を担当するホワイティ 者と面識のある大使もいれば,広報部から招 ング長老は壇上に立ち, 「わたしたちの教 待を受け初めてこの夕食会へ出席する大使 ホワイティング長老と中山副大臣 もいた。地域会長会が各大使と懇談する際 には,それぞれの国で教会が実施している人 道支援活動や教会のさまざまな活動につい て紹介する資料が渡された。会場内には,人 道支援をはじめとする教会のさまざまな社 会貢献活動を紹介するディスプレーが設置 された。 フレンドシップディナーと名付けられたこ 中山外務副大臣のスピーチ 会については,さまざまな人道支援活動,そ の夕食 会は,3 月に開催された大使 夫 人と して,教会員によるモルモン・ヘルピングハ の昼食 会,6 月に開催された他宗教の代表 ンズというボランティア活動のことが広く知 者との夕食会に続き,広報部が支援する重要 られています。今後もわたしたちがお手伝い なイベントとなっている。 できることがあれば,いつでも声をかけてく なかやまやすひで 大使館関係者が集うことから,中山泰秀外 ださい 」と出席者へ呼びかけた。◆ ゲストと談笑する青柳長老 bit.ly/127ufd2 ★関連する動画ニュース LDS Local Plus+がご視聴いただけます 6 リ ア ホ ナ ◉ 心を向ける, 心を変える 孫娘の視点でとらえ直す,家族の肖像 ─ 小冊子『わたしの家族』で再新された家族のきずな 大阪ステーク阿倍野ワード 坂本ご家族 毎 晩 9 時になると,大阪ステーク あと 1 か月というせっぱ 詰まった状況の 阿倍野ワードの坂本家ではテレ 中で,坂 本 家族は資料を持ち寄り,作業 ビを消し,各々の仕事や勉強の に取りかかった。 さ あや 坂本ご家族が発表したプレゼンテーションより抜粋 手を止めて,両親と三女の早 彩 姉妹の家 族 3 人がリビングに集まる。一日の生活 不具合が気にならなくなりました の中で感じた霊的な経 験を全員が順番 しかし,登録しているのにログインでき に話していくのだ。家族の祈りを含めて ない。早彩姉妹の ID では,生者である祖 5 分から10 分の小さな時間。長女の亜 彩 母の情報が入力できず亡くなった先祖まで 姉妹が片言で話し始めてからずっと続け さかのぼれない。他にもシステム上のさま てきた家族の聖典勉強が,姉たちの結婚 ざまな不具合が続出した。 「毎回,問題が などをきっかけにこの形に変わってから 山のようにありました。でも,壁にぶつか 1 年以上がたっていた。その毎晩の家族 ることがあってもとりあえず入力していきま の集まりの中で出てきた会話, 「系図もし した。内容を埋めていくにも結構時間が ないといけない。じゃあ,この時間にやろ かかるんです。やることはいっぱいあるん うか」─自然な流れの中で“ファミリー ですよね 」と眞澄姉妹。家族歴史相談員 ツリーの夕べ ”は始まった。早彩姉妹は や家族歴史宣教師の助けも大きかった。 あ あや 小冊子,両親はオンライン版での『わたし の家族』の完成を目指した。 そのうち,不思議な心の変化が訪れる。 「 7 回目くらいから不具合が全然気になら なくなりました。問題があって当たり前。 ビショップの勧告で始まった いつか必ず解決するだろうと。問題があ 「ずっとビショップの勧告が気になって ることが分かってよかったとも思うように いました。」父親の坂 本 正 孝 兄弟は,当時 なりました。」楽観的に取り組めるように さか もと まさ たか のせき立てられた胸の内を明かす。 じゅう ぶん なった。やがて, 「 7 時頃からでも,誰かが 2013 年末の什分の一の面接の際,坂本 『やろうか』 と声をかけたら始めていまし 家の一人一人にも『わたしの家族』が手渡 た。気がついたら 1 時間くらいはすぐに された。2014 年初めの聖餐会ではビショッ たっていましたね。」ファミリーツリーの夕 プから, 「今年はファミリーツリー,これで行 べは 20 回を超えた。この業を妨げる力は きます」との力強いビジョンを聴いた。坂 影をひそめ,全員が目標をやり遂げること の家庭の夕べでやろうとか思っていたらと 本家では系図は既に提出し,儀式も行って ができた。毎日が家庭の夕べのようだっ てもできなかった。家族一緒に根を詰め いる。しかし, 『わたしの家族』には,半年 たという。「我が家の場合,1 週間に 1 回 てやったのがよかったのかもしれません せいさん を過ぎてもまだ,家族誰もがほとんど手つ かずの状態だった。正孝兄弟は家長とし ね 」と正孝兄弟は振り返る。 8 月 31日に行われた『ファミリーツリー て,これではいけないと思った。同じ頃, の集い』では,完成した『わたしの家族』 母親の眞澄姉妹も,総大会や中央扶助協 を基に家族の発表を行った。集会後には 会集会で語られた家族歴史に関する勧 早彩姉妹と正孝兄弟がパワーポイントを 告に心を動かされていたという。 使って,なぜファミリーツリーが進まないの ま すみ 阿 倍 野 ワード で は ほど なくして, か,どうしたらよいのかを考察した短いプ 「ファミリーツリーの集い」が計画され レゼンテーションを行った。「うまくい た。安息日の 3 時間プログラムの全て かないことがあって当たり前,家族 歴 を,ファミリーツリーに関する話やレッ 史相談員に尋ねよう,青少年時代だ スンで埋め尽くすというものだ。坂本 けでなく生涯にわたってサタン 家にも発 表の割り当てが与えられた。 の影響力から守られる,という 坂本ご家族 前列左端が早彩姉妹 2 0 1 5 年 1 月 号 7 ◉ 心を向ける, 心を変える 早彩姉妹(2列目右端)と両親, 父方,母方両家の祖父母が集った写真 坂本家の「家族歴史の夕べ」を記録したノート。突き当たった疑問の軌跡が読み取れる 神様の祝福を知ることが大事」と結んだ。 まで聞いてくれてすごくうれし 早彩姉妹は「教会のプログラムで,誰かの かった。振り返って昔を思い 助けを必要としないプログラムは何もない 出せたことも,その話を言葉に と思います。できないと思ったとき,自分 して早彩に話 せたことも,本 の力では続けられないと思ったときに,家 当にうれしかった。」あまりに 族歴史相談員がいます。障害があって当 も意外な祖母の言葉だった。 たり前だけど,神様の戒めにはちゃんと道 あかし が備えられています」と証する。 自分でつかんだおばあちゃん像 話せたことがうれしかった ガティブに捉える人かな。そ 「祖母はどちらかというとネ 早彩姉 妹の父方と母方の 祖 父はすで の代わりに,いろいろなことに に他界しているが,両家の祖母は健在だ。 よく気がつく人。気を回して, 「おばあちゃんについては父と母から話を 先々のことを読むことができ 聴いていたけれど,今のうちに話を聴い る人だと感じています。」早彩 ておこうと思いました。」坂本家は親族と 姉妹は,両親から聞いたまま のきずなを大切にしている。母方の祖母 ではない,自分で捉えた祖母 は隣の市に住んでおり,早彩姉妹は2か月 の肖像を『わたしの 家 族』に に1回は祖母に会っていた。それでも,き こう記した。 「おばあちゃんに ちんと対面して話を聴く機会はこれまで は,よく怒られた気がする。目 にはなかった。今回,祖母から人生のス 上の人との接し方や色々なマ トーリーを聴いてみて, 「母から聴いた話 ナーを教えてくれた。そして と重なっている部分もありましたが,やは 年齢があがると,よくほめてく り直接経験した人から,その人の言葉で れるようになった。 『あんたは 聞くことができてよかった。祖母は昔を がんばりやさんや』そんな言 思い出して話しながら, 『つらかった経験 葉を一番言ってくれたのは,お も,ちょっとは良い経験だったかな。』そう ばあちゃんだと思う。よく気が 思ったのではないかなと感じました 」と早 つき,よく教えてくれる。誕生 彩姉妹は語る。 日カードを絶対欠かさず毎年 早彩姉妹の母(眞澄姉妹) も,これまで 8 くれるのもおばあちゃんだけ。 何度か祖母に昔のことを尋ねてみたこと こんなに丁寧に人と接するこ はあるが,祖母は戦争一色だった当時を とができるのは,丁寧に生き 思い出すのを嫌がり,ほとんど話してくれ ているからかもしれない。」 なかったという。話し始めても,不快さが その言葉を聴いて,眞澄姉 募り途中で怒り出すこともあった。爆風 妹 の 眼 か ら 涙 が あ ふ れ た。 にあおられ手をつないで逃げた経験が, 「丁寧に生きている……ああ 語ることで生々しくよみがえる。次第に母 そうだな,と思います。」自分 も,祖母から昔の話をあえて聴こうとはし の母親が娘にどう映っている なくなっていた。 のか,内心不安だった。 「母は しかし,孫との話を終えた数日後,祖母 本当に厳しいんですよね。ひ は眞澄姉妹に電話で心中をこう打ち明け 孫にまで 怒る。だから,娘 が た。「早彩がわたしの青春時代や昔のこ 書 いてくれたのを見て,母を と,とうに亡くなった母親(曾祖母) のこと そんな風に思っていてくれた, リ ア ホ ナ 早彩姉妹が独自の視点でつづった『わたしの家族』は,ご両親にとっても大きな価値があった 娘や孫の世代が, 母親の眞澄姉妹と母方の祖父母 先祖について思いをはせたり, 言葉でまとめることで, 自分自身が分かってくる。 母方の祖母と早彩姉妹 わたしが 気づかな か った 良さにも気 づいてくれた,その ことを知ってものす ごくうれしいです。」 娘 がもたらした 慰 めが胸を満たした。 *** ファミリーツリーの夕べ 病 気のために入 院して手 術を受けたときも,臨 床 妹は語った。 「娘 が『わたしの家族』 を仕 る。きっと自分の思いはいろいろあると 心理士をめざして厳しい勉強に取 上げたときには感 動しました。ここなん 思うけれどね。」感謝の念 が込 み上げて り組んでいたときも,早彩姉妹の だ! と思いました。娘や孫の世代が,先 くる。秘められていた祖母の思いが,孫 気持ちや努力に気づいて,よくほめ 祖について思いをはせたり,言葉でまとめ 娘の記録を手がかりにひもとかれていく。 てくれた祖母。あの優しさや厳し ることで,自分自身が分かってくる。わた 89 歳にして,子 供や孫や友 達 が 絶えず いまでのしつけも,自分の将来を考 しも家族 歴史を通して,子供時 代はあま 訪れるという忙しい祖母。その人望は, えて丁寧に関わってくれていたとい り恵まれない家庭環 境だったけれど,そ 「持って生まれたものかと思っていたけれ うことなのだ。はっとする気づき。 の中でも精いっぱいのもの,親として与え ども,努力の結果なのかもしれない」と考 早彩姉妹もまた丁寧に祖母の人生 られる最高のものを子供にささげてくれ 察する早彩姉妹。祖母の奥底にある気高 を聞き取り,記録することで,自分 ていたこと,その愛に気づくことができま い特質を見いだしていく娘の言葉に,襟を でおばあちゃん像をつかんだ。 「こ した。」眞澄姉妹はオンライン版の『わた 正して聞き入る父の姿があった。 れまでも祖母はこんな人だな,と しの家族』 に,変化していく母親への思い いうのはなんとなくあったけれど, を更新していこうと思っている。 素直に従うことが大事 娘から聞く先祖の心 ビショップから,青少年が自分の ID とパ 『わたしの 家 族』に書くためには 言葉で表現しないといけない。人 「わたしの中の(家族歴史の)始まりは, に伝わる形にしないといけないか 父方の祖母は 89 歳。自宅から歩いて スワードを持っているかどうか確かめるよ ら,自分の中でまとめ直す作業が 10 分の所に住んでいる。早彩姉妹も眞 うに,と言われたことでした。 」早彩姉妹 あって, どういう言葉が当てはまる 澄姉妹もこれまで一度も祖母が怒ったと はワード若い女性会長会顧問の召しを受 かを考えました。そうやってイメー ころを見たことがない。だから最初,早彩 けている。まずは指導者の自分が ID を ジが固まってきて,わたしのおばあ 姉妹は,ほのぼのとしたぼんやりした人か 持っているか確認することから始まった。 お ば ちゃん像ができました。」祖母を誇 なと思った。が,父や伯 母 から,昔はすご 「わたしの場合,父母がこれまで調べてき らしく思う気持ちが膨らんでいく。 く厳しい人だったと聞いた。 「さぞ穏やか た積み重ねがあったので,システムの問題 「おばあちゃん像をはっきりさせる な人なのだろうと思っていたが,実はすご 以外は全然苦労しませんでした。 『わたし ことによって,わたしもこのように く厳しい人だったとか。ということは,気 の家族』 を書き進めている中盤くらいから, 思われたいな,と思いました。自分 がつかない性格ではなく,気がつかないよ この後自分がなすべきことは何だろう, こ もその時代になったときに,これま うに見せているということなのだろうか。」 れをどうやって青少年に伝えていこうかと で何をやったかを言えるかな。祖 祖母の意図を読み取って,早彩姉妹はこう 考えるようになりました。 」さまざまな事情 母のように子孫にきちんと伝えられ 記した。眞澄姉妹も同意する。 「意思があ で思うように進められない青少年をサポー るようになりたいと思います。」 るよね。全部含めて受け止めている。」 トすること,これが自分のするべきことだ 娘の言葉を一言も聞き漏らすま 正孝兄弟は記憶をたぐりつつしみじみ と感じた。 「自分は何も特別なことはして いと耳を凝らす眞澄姉妹。その思 と語った。 「いつからだったかなあ。結婚 いない。青少年にはそんなにたいした作業 いは自身の子供時代にさかのぼっ したらまったく怒らなくなった。わたしの じゃないよ,と言いたいんですよね。家族 ていく。少しの沈黙の後,眞澄姉 あるがままを受け入れようとしてくれてい 歴史相談員も助けてくれる。まずは言われ 2 0 1 5 年 1 月 号 9 子供たちが先祖を知ることが大事。 子孫のために記録を残すのではなく 子孫に引き継いでいくことに 意味がある。 たことをやってみようよ,ということ が子供たちのためになるんだと。ず かな。 」 いぶん考えが変わりました。 」 早彩姉妹も証する。 「 『わたしの家 「そのとおりなんです。ビショッ プの言うことを素直にやるのが本当に大 には分からない。しかし,主は初めからす 族』に集中して取り組んでいるとき,自分 事なんですよ。」父親の正孝兄弟が間髪を べてのことを御存じである。」 ( 1 ニーファイ は守られている,誘惑から遠ざけられてい 入れずに言葉を挟む。 「 40年前に教会に 9:5 - 6) ると感じました。 」今,早彩姉妹の関心は青 入ったとき,ビショップから先祖の探求の 眞澄姉妹は実は当初, 「誰かが触るとや ために戸籍謄本を取るようにと言われまし やこしくなるので,自分が入力した家族歴 坂本 家族は, 『わたしの家族』に取り組 た。素直に謄本をいっぱい取ったのでよ 史にあまり触ってほしくないとの思いがあ んだことで,家族間での尊敬や理解が深 かった。今回も,ビショップに言われたこ りました」という。彼女もまた心の変化を まり,自分が大きな家族の一員であるとの とをやったので,何か意味があると思って 経験した。 「 『わたしの家族』 をやって,視 自覚と誇りも強まったと実感している。坂 います。」作業の途中で,これまでどうして 点が変わってきました。子供たちが先祖を 本家に生まれてきたことへの感謝,自分が も見いだせなかった先祖の名前が分かる 知ることが大事。子孫のために(記録を) なすべきことへの洞察,子孫が 発する言 という奇跡も経験した。「さて,主はある 残すのではなく,子孫に引き継いでいくこ 葉の重み─穏やかで楽しい語らいの中 賢明な目的のために,わたしにこの版を造 とに意味がある。こつこつと自分でやって に,家族 歴史がもたらす計り知れない影 るように命じられたが,その目的はわたし いた作業だけど,それを開放していくこと 響力の一端を見た思いがした。◆ ★「わたしのおじいちゃん・おばあちゃん 」の人生を記憶に留める─ 少年とその先祖の救いに向けられている。 リアホナ・ライターコンクール:実録記事の作品を募集します ル ポ ル タ ー ジ ュ リアホナの記事を執筆する才能あるライターの発掘と,青少年の家族歴史活動を奨励するため,記事のコンクールを開催します 成人部門(19歳以上) 応募要項 あなたの周りの誰か(きょうだい,両親,祖父母や親しい会員な ど )から話を聴き,人の心に訴えて信仰を鼓舞するような人生経 あかし 締切:2015 年 3 月 1 日 応募:以下のメールアドレスにお送りください。 験や体験談・証を記録した,印象的なルポルタージュ(実録記事) を書いてください。ご自分の経験は記さないでください。 [email protected] (担当:岡田) *タイトル,筆者名,所属ユニット,住所,年齢,職業,電話番号を明記 郵送の場合:〒 106-0047 東京都港区南麻布 5-10-30 青少年部門(中学生・高校生) あなたの両親や祖父母から,信仰を鼓舞するような人生経験や リアホナ編集室宛(ルポコンテスト原稿在中,と明記してください) 結果発表:リアホナ 2015 年 6 月号ローカルページ誌上 体験談を聴いて記録する印象的なルポルタージュを書いてくださ (選考過程や結果についてのお問い合わせには応じられません) い。冊子『わたしの家族』やアプリ「Family Search-思い出 -」 *郵送の場合の原稿は返却いたしません。コピーを取ってご応募くだ に記録することをイメージして聞き書きしてください。 さい。作品は未発表のものに限り,応募は1人1作品までとします。 執筆上の注意 賞 ★実録記事(ルポルタージュ)とは,取材によって得た事実や証言,証 優秀賞:リアホナローカルページへの掲載,ほか副賞 拠を基に,一切の虚構を排して書かれる記事です。 特別賞:リアホナローカルページへの掲載,ほか副賞 ★事実関係に誤りがないかどうか,筆者の推測,憶測で書かれた部分 はないかをよく吟味してください。応募前に,出来上がった原稿を取 材先に読んでもらって確認するとよいでしょう。 ★文体は不問。最少字数は 1,000 字,上限を 2,000 字とします。 佳作:日本公式ウェブサイトへの掲載,ほか副賞 *成人部門優秀賞受賞者にはリアホナ編集室から専属ライター契約の オファーをさせていただきます。 *掲載時に,原稿を編集室にて若干,編集する場合があります。 *選外の作品でも,プロのライターが取材・加筆して 掲載させていただく場合があります。 10 リ ア ホ ナ ● お問い合わせ:(メール)[email protected] (電話)03-3440-2666 日本社会に根を下ろして16年 ─一つの区切りを迎えたブリガム・ヤング大学ハワイ校 全国高校生英語スピーチコンテスト 2 014年11月1日(土),東京都武蔵野市 の武蔵野ステークセンター(吉祥寺) に て,ブリガム・ヤング大学ハワイ校 第16回全 国高校 生英語スピーチコンテストが開催さ れた。全国各地区予選を勝ち抜いた12人が 日頃の練習の成果と英語力を競い合った。そ ぜ ぜ よし なが の結果,滋賀県立膳 所 高等学校2年の吉 永 きよ り 汐 里 さん(関西第1地区)が優勝し,全国の けい めい 頂点に輝いた。準優勝は啓 明 学園高等学校 もり かい と さ とう かつ 来賓の元フォード・ジャパン CEO 佐 藤 勝 れた。この大会の出場者に授与される証書 彦 氏は大 会の終わりに,社 会を支える最前 ( Certificate)を提出して,大学の推薦入試 2年の森 海 渡さん(関東第2地区),第3位 せい りょう せん か すみ は青 稜 高等学校1年の銭 華純さん(関東第 1地区)がそれぞれ選ばれた。 ひこ 線で働く企業人にも家族の重要性を強調し で合格する生徒(関東地区)も出ている。 優勝した吉永さんはスピーチの冒頭に「わ ていることを話した。「ここ数年この会に参 テレビ局,ラジオ局,新聞社等と共催する たしには心の奥に大 切にしまっている言葉 加させていただきましたが,内容が年々優れ 地区もあり,記事が新聞に掲載され,テレビ・ があります。それは『無 償の愛』です」と語 てきている。わたしの高校時代,これだけ真 ラジオの放 送に入 賞者が出演するなど,社 りかけた。 「親は子供に無償の愛を与えるも 剣に家族について考えたことがあったでしょ 会的な影響力も大きくなった。また,文部科 のなの。将来あなたの子供にわたしから受 うか。昨日まである企業の研修会を開いて 学省をはじめとする行政や企業の後援も受 け取ったものをあげてちょうだい 」と母親に いました。彼らが海外に行ったときの家族 け,日本社会との深い関わりの中で運営され 言われ,自分の心が大きく変化するさまを表 のきずなの重要性,父親の役割,夫の役割な てきた。これまで来賓として来場された,学 情豊かにスピーチした。吉永さんは副賞とし ど,そのような話し合いをしていました。 」 校関係者,教育長,行政職員,議員,市長,米 て,世界各国の大使夫 人が集まる来年春の 2014 年 の 大 会 を もって,16 年 間 続 い 国大使館・領事館職員など多くのオピニオ 食事会に招待され,スピーチを披露する機会 た,各地区予選 大 会から選出された全国の ンリーダーの方々にも全国各地で高い評価 が贈られた。司会者に受賞後の感想を日本 代表者が競う形でのコンテストは一旦終了 を頂いた。この大会における教会員の長年 語で求められると, 「家族という美しいテー する。これまでの大会を通じて高校関係者 の奉仕は,出場者とその家族や学校関係者 マでスピーチをする決心をしました。皆同 からは, 「この大会の地区大会に出られただ に喜びをもたらし,また奉仕したスタッフ自 じような経験をしていると思いますが,真剣 けでも誇りにしている」 (東京都の私立高校 身の喜びともなってきた。 に,また深く家族を愛するということは難し 教師)と言われるほどの大会に成長した。ま 来年以降は新たな形の大会運営となるも いと思います。それでもこの問題を全力で た, 「このように全国の地区大会を開催する のの,家族の大 切さを伝えるこの大 会の影 解決できるようにしたいと思っています」と スピーチコンテストは数が少なく権 威があ 響力には,全国の高校生や学校関係者から る」 (埼 玉 県 の 私 立 高 校 教 師)とも 評 価 さ 引き続き期待が寄せられている。◆ りゅうちょう 流 暢な英語で語った。 ◉ 優勝スピーチ(日本語訳) Paying It Forward(無償の愛を受け継いで) 吉永 汐里さん わ たしには心の奥に大切にしまっ 両親もわたしも賛成し,兄たちを応援しまし ている言葉があります。「無償 た。しかし,わたしはすぐに寂しくなってし の愛」です。今までは考えても まいました。ある日,耐えられなくなったわ みませんでしたが,わたしはつい最近体験 たしはつぶやきました。「お兄さんたちが したことから,その言葉の本当の意味を学 恋しい。いますぐに会いたい。 」母は頷き言 びました。今なら,多くの人にとってそれが いました。「わたしもよ。 」その声は弱々し 大切なものであると分かるのです。 く,顔色もよくありませんでした。母はいつ 3 年前,わたしの二人の兄は大学に通う ために引っ越し,一人暮らしを始めました。 も気丈にふるまう人だったので,わたしは そのとき本当に驚きました。母は掃除も炊 2 0 1 5 年 1 月 号 11 事も仕事もこなし,不満を言ったり弱さを見 せたりすることさえなかったのです。 このあと,時折母は疲れ切った顔をする ようになりました。わたしは,母が歳ととも に,精神的にも身体的にも弱くなっている 左から,準優勝の森 海渡さん,優勝の吉永汐里さん,第3位の銭 華純さん のだと気づきました。 わたしは,これより以前に,将来につい ど,母のために決断をしました。わたしは な風に思ってくれているなら,将来あなた て考え,志望大学を決めていました。その 母のもとに行き,よく考えて家から通える大 の子供に,あなたがわたしから受け取った 大学は,兄二人と同じように家から遠いと 学を受験することにしたと言いました。母 ものをあげてちょうだい。それで十分よ。 」 ころにありました。この進路について相談 と一緒にいて,病気になったら看病をし,心 わたしは胸がいっぱいになり,母の愛が したとき,母は良い決断だと言ってくれてい 細い思いをさせないようにしたいのだと。 ました。しかし,わたしは,自分が本当に しかし,それはだめと母は言いました。 どれだけ深いものなのか悟りました。 いまも,わたしは母のためにできること 正しい選択をしているのかと迷い始めまし そして,わたしのために夢をあきらめない はすべてしたいと思っています。でも,本 た。わたしの父は仕事で忙しく,出張にも でと続けました。 当のわたしの「恩返し」は将来の子供の よく行きました。しかし母の心遣いのおか わたしは,これまでたくさんのものを母 ために取ってあるのです。母が惜しみな げで,わたしは寂しさを感じたことがあり から貰ってきたこと,そして恩返しがしたい い愛情を注いでくれたから,わたしは将来 ませんでした。わたしはそのことに本当に と思っていることを精いっぱい話しました。 同じことができるでしょう。本当の家族と 感謝をし,母を大切に思っていました。だ 母は優しく微笑みました。「そんなこと は,ただの血縁関係ではなく,絶つことの から,わたしは恩返しをする時が来たのだ 必要ないわ。親は子供に無償の愛を与え できないきずなを持った人たちなのです。 と感じました。 るものなの。わたしに恩返しをしようなん そして,そのきずなが,無償の愛を次の世 て思わなくて良いのよ。でも,本当にそん 代へと受け継いで行くのです。◆ 志望大学には本当に行きたかったけれ ◉ ヒューマンストーリー 主に背中を押され,人生の行程を走る たかはしけん と ─箱根駅伝のアスリートから専任宣教師へ 神戸伝道部 髙橋賢人長老 新 春の風物詩として知られる箱根 「上り」を目指したい 大 会 に 出 場。 ス 駅 伝。 毎 年,1 月 2 日から 3 日 生後まもなく,賢人兄弟は新生児肝炎の ポ ーツは 得 意 で にか け て行 われ る,関 東 地 区 ため生死の境をさまよった。黄疸の程度を はなかったが一所 選出 20 大学 対 抗の駅 伝 競技会である。 表す数値が正常値の 300 倍もあり,医師か 懸 命 練 習し,市 の 東京・大手町から箱根・芦ノ湖までの往 らは「とても助からない。諦めてください」 大会で区間賞を取っ 復 217.1km で 10 人の選手がたすきをつ と宣告されたという。家族や会員の祈りと た。 少人 数,しかも 小 なぐ。現在,神戸伝道部で働く専任宣教 断食により一命をとりとめたものの,3 歳ま 差でやっとつかんだ 師の髙橋賢人長 老(会 津若松支部出身) では「あ~」としかしゃべれず,小学 6 年生 結 果 だ が,少 は か つ て,大 東 文 化 大 学 から 2008 年, での垂直跳びは 10 cm。運動神経が抜群 し自分 2010 年の箱 根 駅伝に出場し,卒業 後は の兄の義 人 兄弟とよく比較された。 よし と 実業団の選手としても活躍した。アスリー 転機は中学 3 年のときだった。 「おまえ トとしての葛藤や経験を経て,専任宣教師 の兄は駅伝で活躍したから,多分おまえ となるまでの軌跡を追った。 もやれるだろう」との理由で誘われ,駅伝 12 リ ア ホ ナ 髙橋賢人長老 髙橋長老を支え続けた家族 賢人兄弟は6人きょうだいの3番目である。 後列左から2人目が賢人兄弟, 左から3人目が兄の義人兄弟, 後列右から2人目が姉のリベカ姉妹。 に自信が 持てた 気がした。 さらに先 生 は,陸上部に進んで箱根 駅伝を目指して みないかと勧めるが,賢人兄 弟は「興味 ないです」と即答する。彼の夢は2歳上 の兄の通う高校に入学し,同じチームメン バーとしてバスケットボールで全国大会に 「大東大に進めば,駅伝に集中しないとい かというとそうではない。教会や陸上を 行くことだった。しかし,兄の考えは違っ けない。寮に入って 24 時間管理されるの 辞 めたいと思ったこともない。 「い つも た。「賢人は体も小さいし,自分と一緒に で,休学するわけにもいかない。」伝道は 笑っていました。 とにかく笑っていた。 プレーするとしても 1 年しかできない。少 早くても 22 歳かな,と思った。 怒っても何も生まれませんから。先 輩, 理解してくださいねって。」 しだけでも成績を出せた陸上でチャレン ジするのもいいと思うよ。」自分の後を追 たま もの うのではなく,自分の賜 物 を見いだして, それを伸ばすようにと勧めた。 びりから2番目からの出発 「自分のやりたいことをやっているんだ 賢 人 兄 弟 は,チ ーム54人中 びりか ら 2 番目のタイムで入部した。得意なはずの から,喜びをもってやりなさい。」父からも 教わっていた。家族の存在は大きかった。 高校での陸上の成績は,地区では上位 「上り」のタイムも名門校では並以下だっ だったものの,県では歯が立たなかった。 た。寮では毎月誕生日の人を酒で祝う慣 これで陸上生活も終わりかなと思っていた 例があることを知り,賢人兄弟は,自分は 大学 2 年の夏合宿のときだった。練習 矢先,部活の先生から「賢人は上りが強い 教会員なので酒は飲めない,と先輩たち メニューを軽くこなすことができ,自分の から,箱根駅伝を目指してみないか」と言 の前で話した。これをきっかけに,いじめ 力が 一段階上がったと感じた。 「自分 が われる。箱根駅伝は 5,000m の自己ベスト や中傷が加速する。 「お前は 1 年でびりだ 健康だと分かるんですよね。知恵の言葉 より速いペースで 20 ㎞を完走しなければ ろう。おれの酒が飲めないのか。飲まな の祝 福もあると思います。走っても疲れ ならない。今の自分には無理だと思った。 いのならこれくらいのことはしろ。」ジュー ることのない強い体を持つ,と祝福されて スに酒を入れられたり,頭からビールをか もいましたから。」箱根駅伝予選大会のメ けられたこともあった。日曜日はできる限 ンバーに選ばれ,チーム 4 位の結果を出 り教会に行ったが,スーツ姿で出かけてい した。自分をばかにしていた先輩からは ると,私服で遊びに行く先輩からは, 「ば 「お前,本当に強くなったな」と言われた。 かじゃないの。何をやってるんだ,スーツ 続いて,全日本大学駅伝を走る機会が与 なんか 着て。」電 車の中でもばかにされ えられた。その結果,翌年の箱根駅伝で た。寮に戻ってからも笑い種。中でも,教 の 8 区(平塚~戸塚間の復 路)の選手に 会名で色々なサイトを調べての罵倒には 選ばれた。 小田原から箱根・芦ノ湖までの「山上り」往路5区 小田原 芦ノ湖 箱根(往路ゴール) ぐさ 耐え難いものがあった。 走っても疲れない体 2008 年 1 月 3 日,本 番 当日,緊 張で朝 朝 4 時に起きての食事当番や夕食の準 から地に足がつかなかった。沿道を埋め り坂 が 続く往 路 の 5 区を意味している。 備のときには,練習時間を作るのも大変 尽くす人々,湧き起こる声援,選手を四方 標高差 864m を駆け上がる 23.4 ㎞の最も だった。大会に出る選手の練習が優先さ 八方から取り囲むメディア。家族は友人 長い区間で,相当な脚力とスタミナを要求 れるので,練 習場所を譲ることもしばし たちを誘い,バスをチャーターして駆けつ される。大東文化大学は「山の大東」とも ば。どんなに練習をしても勝てない。何 けてくれた。飲み込まれそうな雰囲気の 呼ばれ,5 区の山上りが得意なチームだ。 で自分はこんなに弱いんだろう。心が砕け 中,賢人兄弟は「自分を信じなさい」とい 優勝争いの鍵を握る,大 逆転もあり得る そうだった。 「おまえが箱根駅伝を走れた う父の言葉を思い出し,自分 が 信じてい 大事な区間,そこでの可能性を語ってくれ ら,世界中の皆が走れる。おまえの後ろを る神様に心を注ぎ出した。朝起きたとき, る先 生の言 葉に, 「上りを走ってみたい」 走っていると元気が出るよ。」ばかにされ ウォーミングアップをするとき,走る直前に という思いが湧き上がってきた。一方 る状況が2年間続いた。賢人兄弟は布団 も心から祈ってから,神様に「行ってきま で,両親は賛 成してくれたものの,伝 をかぶり,隠れて何度も泣いたという。 す」という気持ちで試合に臨んだ。良い 「上り」とは,小田原から箱根までの上 道をどうするかでずいぶん葛藤した。 しかし,賢人兄弟が暗い顔をしていた "Hakone-map 01" by Σ64 - Own work. Licensed under Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0 via Wikimedia Commons - http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hakonemap_01.png#mediaviewer/File:Hakone-map_01.png 状態で走り,区間 8 位でたすきを渡した。 2 0 1 5 年 1 月 号 13 2010年箱根駅伝往路5区 「山上り」に挑む 後ろから押されて, 自分が前に進んで行く感覚をすごく感じて, 何だろうこの力,と思いました。 が,次の選手が体調不良で棄権。大東大 た数日後,父から電話があった。調子は は 40 数年続いたシード権※ 2 を失った。 どうかと問われ,賢人兄弟は言葉を濁し 3 年生になると,もっと強くなりたいと いう思いが強くなった。しかし,絶好調で た。 「まあまあかな。でも皆の調子もいい から,本 戦に出られないかもしれない。」 1 か月後の予選会に向けて練習量を増や 「け がをしたことは知っているよ。 後ろ していた 9 月,ばきっという音とともに倒 めたい気持ちを持つことはない。やれる れる。腰椎の骨折だった。本選への参加 ことをやりなさい。」賢人兄弟は父に,こ は断念,涙をのんだ。 れまでの努力と,それでも歩くこともでき ないことを話した。 「まだやれることはあ まだやれることがある るよ。」父から重ねてこの言葉を聞いたと リベンジを誓った 4 年 生。「おまえに き,心に怒りが込み上げてくる。 「やってる 山上り ( 5 区) を走ってもらいたい。」監督 よ。」そう言い放つ息子に,父は優しく諭 に言われ,賢人兄弟は走りに力強さを求 した。 「神様に祈った? それが一番にや めて特訓を重ねてきた。 ることだよ。」賢人兄弟ははっとした。 「そ 駅伝を間近に控えた 12 月10日,学校に うだった。自分は一番大事なことをやっ は多数の報道陣が集まっていた。関心の ていなかった。」電話を入れると,すぐに 焦点は「今 年の 5 区は誰か」ということ ワードの神権者が駆けつけてくれた。寮 だ。彼らの前で練習をしているとき,賢人 の前に車を止め,その中で癒やしの儀式 兄弟は左太もも(ハムストリング )に肉離 が行われた。けがをしてから初めて,祈り れを起こし,少し走った先で倒れてしまっ を通して「大丈夫」という言葉を聞いた。 た。マネージャーがタオルで隠し別の場 けい れん 所に運び込んだが,すぐに痙 攣 が始まり, 激痛で脂汗が流れ落ちた。頭が混乱し, 何が起きているか分からなかった。 背中を押されて駆け上った その 2 日後,歩けるようになった賢人兄 弟を見て周囲は驚いた。それでもトレー その 後,2 週 間の 安 静とできる限りの ナーは, 「もしかしたら走れるかもしれな 治療を試みたが,出場は絶望的に思われ いが,将来のことを考えたら絶対走っては た。 「筋肉が 切れているのだから走れな いけない」と釘を刺す。 い。 0.1%走れたとしても,100%後 遺症 しかし,監 督は意 外 な決 断を下した。 が残る。山上りは特殊区間だから走り切 「おれが 高 橋 賢人を箱 根の 5 区で 使う。 れない。」どのトレーナーも口をそろえて だ から,賢 人 は 脚 が 折 れて でも走 れ。」 断言した。 ─歴史のある大学で,しかも注目を浴び 家族や恩師や友人からは,最後の箱根 ている山上りの区間。自分の状態と大き 2010 年 1月 2 日,十分な走り込みのない 駅伝だからバスをチャーターして必ず応 すぎるリスクを承知したうえで,監督は全 状 態で,ついに夢に見た箱根 駅伝,往 路 援に行く,と言われていた。この事実をど ての責任を引き受けようとしてくれている。 5 区の檜 舞 台に立つ。「髙橋,頑 張 れ!」 う伝えればいいのか。不安と孤独の中, 賢 なぜそれほどまでの覚悟を─賢人兄弟 の声援が聞こえる。何度も祈ってスタート 人兄弟は兄に電話をする。「いろいろ試 は不思議に思った。監督は語る。 「おれは を切る。 してみたけれどだめだった。ごめん,出 おまえの 信じる道を 4 年間見てきた。お ひのき 最初は思ったより調子が良かった。が, られない。」─「 4 年間を終える最後の れはおまえを信じる。」胸が熱くなった。 最後まで,チームのために悔いのないと言 監督はずっと自分を見てくれていたのだ。 痙攣が始まった。悪夢がよみがえる─ える競技生活を送りなさい。」兄の声を聞 もう箱根駅伝本番まで 1 週間を切ってい 「どうしよう。これからまだ 10 ㎞ 以 上も き,泣きながらうなずいた。 た。 筋肉も心肺 機能も弱くなっている。 あるのに……」脱水でふらふらになり,虚 やれるところまでやろう,と思った。 脱状態であわや棄権かという状態になっ チームのサポートに回ることを覚悟し 14 リ ア ホ ナ 急な上り坂に差しかかったところで,脚の ※2─シード権:「東京箱根間往復大学駅伝に関する内規」により, 10位までにゴールした大学は,予選免除で翌年の出場権を獲得する 実業団の選手として走る 実業団から出場した8,000mレースで優勝 過ぎ,就職して 4 年目になろ い。」強い御霊を感じて鳥肌が立った。そ うとしていた。 れはかつて兄から贈られた聖句だった。 「これからの人生どうする 東日本大震災の後,義人兄弟と二人で た。 「神 様,助けてください!」賢人 兄 弟 の?」家族の心配する声に, 「自分の人生 は心の中で叫んだ。 だから自分で決める。」思い上がった息子 「伝道にでも出ようかな。」軽く口にした言 ボランティアに行ったときのことだった。 すると,後ろからぐいっと押される感覚 に父は怒った。 「謙 遜になりなさい。」賢 葉に, 「そんな気持ちで伝道に出てはいけ があった。 「後ろから押されて,自分が 前 人兄弟はその言葉に驚き,謙 遜について ない。安易な気持ちでは刈り入れをする に進んで行く感覚をすごく感じて,何だろ 考え始めたという。 「謙遜ってどんな意味 ことはできないし,刈り入れをする宣教師 うこの力,と思いました。」痙攣している足 だと思う?」と兄と母が尋ねる。 「結 構で の迷惑になる。冗談でも言うのはやめな で,しかも,最も険しい 864 mの標高差を す,って控え目になるということかな ……」 さい。」兄から強くたしなめられ,この聖 駆け上がっていく。どこを走っているの と賢人兄弟。 「違うよ。主の御 心 を行うこ 句を示されたのだった。 かも分からない朦 朧 とした意識状態の中 とを謙 遜っていうんだよ」 と返され,胸が 決意は固まり,大 急ぎで申請の手続き で,その力はゴールまで賢人兄 弟を押し 痛んだ。 「ああ,自分 は全 然 主の 御 心を を済ませ,大管長会の認可を待った。高 続けた。 もう ろう み こころ 行っていない。」いつしか箱根での奇跡も 橋賢人長老は異例の 26 歳 3 か月で神戸 家族は芦ノ湖のゴールで待っていてく 忘れ,慢心していた自分。伝 道も引き延 伝道部に召された。 れた。治 療に向かう担 架で 運ばれ なが ばしてばかりいた。25歳と10か月のとき ら, 「よく頑張ったね。」涙を流しながら喜 だった。 わたしの望む称賛 ぶ家族が見えた。タイムは良くなかったも その頃,結婚してアメリカに住んでいる のの, 「この光景を見て感動した。力をも 姉のリベカ姉妹の家族が帰国した。賢人 「あなたが肝炎で死にかけたとき,お父さ らった 」などの大きな反響があった。 兄弟は心の底にある問いを投げかける。 んはひざまずいてベッドに手を置いてこう 文字どおり死力を尽くして,大学 4 年間 の競技生活は終わった。 謙遜になりなさい 大学卒業後,賢人兄弟はもう少し陸上 をやりたいと思った。まだ納得のいくタ 「お姉ちゃんは神様が本当にいると思っ ているの?」 伝 道に出る直 前,母 が 教 えてくれた。 祈ったのよ。『神様,この子を助けてくだ さい。この子がいつかあなたの福音を伝 「絶対いるよ。心で感じることができる える宣教師として奉仕するように,わたし んだよ。」姉の言 葉の強さに驚く。 「賢人 が責任をもって育てますので,どうかこの は心から求めたことがある? 神様は心を 子を助けてください』って。それであなた 見るんだよ。」 は助かったのよ。」髙橋長 老の眼から感 イムは出せていない。複数の企業からの 振り返ると,走るときは心から祈ったけ 勧誘があり,賢人兄弟は山形の某製薬会 れど,伝道や将来のことについては心から 社のユニフォームを着て走る道を選 ぶ。 祈ったことがなかった。賢人兄弟は久し 箱根駅伝を走れたらヒーローになれる ぶりに祈り,聖典を手に取った。教義と聖 と思っていた。称賛も受けたが,駅伝を 約第 4 章がぱっと開き,聖句が目に飛び 走ったことでたくさん失敗もし,道を見失 込んでくる。 「おお,神の務めに出で立とう うこともあった。でも,助けがあって新た とする人々よ,……あなたがたの心と,勢 なスタートを切れた。 「いつか日の栄えの 力と,思いと,力を尽くして神に仕えなさ 王国に行って,最後まで堪え忍びました, 「あと 2 年だけ陸 上をやりたい。 伝 道は 2 年後の 24 歳に出る」と家族に伝えた。 「何事も引き延ばさない方がいい。」母は 息子に警告した。 山形での競技生活はいろいろな面で優 い 謝の涙があふれた。どれほど家族に愛さ れ,優しく導かれてきたことだろう。 遇され,注目もされた。東北大会で と神様の前で報告できるようになり は3連 覇し,区間新記 録も出した。 たい。これがわたしの望む称賛で 個人種目でも優勝。翌年の全日本 す。」 選手権の切符も手中にあった。一方 万事に満面の笑顔で伝道に励む で,教会に行くには車で片道 1 時間 髙橋長老に,主に背中を押され,過 かかった。賢人兄弟は次第に教会 酷な「上り」を最後まで力強く駆け から足が遠のくとともに,信仰も弱く 上った,あの日の出来事が重なって なっていった。約束の期限はとうに 見えた。◆ 任地の豊岡支部にて。同僚のルイス長老と。 2 0 1 5 年 1 月 号 15 役員の異動 MTC/お知らせ 2014 年 5 月 18 日から 6 月 25 日までに管理 本部会員統計記録課に通知のあった役員 の異動(敬称略) ●上から氏名,任地(伝道地),出身ユニット,MTC 入所日 あ べ れい な 阿部 怜菜 名古屋伝道部 藤沢ステーク 厚木ワード 2014 年 6 月 3 日 プロボ MTC 入所 たか く せ い 高久 聖衣 名古屋伝道部 桐生ステーク 古河ワード 2014 年 6 月 3 日 プロボ MTC 入所 めん ざわ こう へい 面澤 洸平 東京南伝道部 松戸ステーク 水戸ワード 2014 年 6 月 3 日 プロボ MTC 入所 うえ ま けん じ かわ はら 上間 賢治 名古屋伝道部 大阪北ステーク 岡町ワード 2014 年 6 月 3 日 プロボ MTC 入所 たか はし 福岡伝道部 横浜ステーク 上大岡ワード 2014 年 6 月 3 日 プロボ MTC 入所 とも のり はし もと まこと 高橋 友規 橋本 信 東京南伝道部 青森地方部 八戸支部 2014 年 6 月 3 日 プロボ MTC 入所 やま ぐち ゆ こ 川 原 ツユ子 神戸伝道部 さいたまステーク 浦和ワード 2014 年 6 月 3 日 プロボ MTC 入所 き おお た はら だい ち 山口 由稀 東京南伝道部 長崎地方部 佐賀支部 2014 年 6 月 3 日 プロボ MTC 入所 大田原大地 仙台伝道部 札幌ステーク 厚別ワード 2014 年 6 月 24 日 プロボ MTC 入所 こ やま ゆう ま すぎ もと 小山 雄真 神戸伝道部 札幌西ステーク 藻岩ワード 2014 年 6 月 3 日 プロボ MTC 入所 神戸伝道部 町田ステーク 町田第一ワード 2014 年 6 月 3 日 プロボ MTC 入所 ふる かわ み かみ 古 川 めぐ か な 三上 可南 名古屋伝道部 長崎地方部 佐賀支部 2014 年 6 月 3 日 プロボ MTC 入所 かね こ しん ご 杉本 真悟 名古屋伝道部 青森地方部 青森支部 2014 年 6 月 3 日 プロボ MTC 入所 めい こ すが わら 金子 芽子 かつ み 菅原 克己 札幌伝道部 鹿児島地方部 谷山支部 2014 年 6 月 24 日 プロボ MTC 入所 東京伝道部 仙台ステーク 鶴岡支部 2014 年 6 月 24 日 プロボ MTC 入所 ● 日本鹿児島地方部 ふな くら ふみ あき 第二顧問:船倉文章 ● 日本釧路地方部 ひら た あつ ひと 第二顧問:平田篤人 ● 日本新潟地方部 ほり い てつ じ 会長:堀井哲二 なか がわ ひろし 第一顧問:中川浩 か とう しん いち 第二顧問:加藤真一 ● 新潟地方部長岡支部 なか がわ ひろし 会長:中川浩 ● 新潟地方部新潟支部 か とう しん いち 会長:加藤真一 ● 新潟地方部佐渡支部 いわ さき かおる 会長:岩崎薫 ● 日本名古屋東ステーク かけひ はち ろう 祝福師:筧八郎 ● 沖縄ステーク名護支部 こ が ち くに やす 会長:古我知邦安 ● 沖縄ステーク那覇第二ワード おち あい しげ き ビショップ:落合茂樹 ● 日本福岡ステーク よ な みね まさ し 第一顧問:与那嶺真史 お がた せつ お 第二顧問:緒方節男 ● 大阪ステーク東大阪ワード おお ぬま こう じ ビショップ:大沼浩二 ● 藤沢ステーク鎌倉ワード せき あき ひこ ビショップ:関彰彦 ● 日本東京ステーク せき ぐち おさむ 第二顧問:関口治 ● 沖縄ステーク那覇第一ワード たか みや ぎ さね ひで ビショップ:高宮城実英 ● 日本長崎地方部 たて いし くに ひろ 第二顧問:立石国広 ● 沖縄ステーク糸満ワード うえ はら きよし ビショップ:上原清 ● 日本長野地方部 うえ はら とも ひろ 第二顧問:植原友祐 まえ の じん どう 前 野 ジュリアーナ もえ こ 神道 萌子 ブラジル・ テレジーナ伝道部 さいたまステーク 桶川ワード 2014 年 6 月 4 日 ブラジル MTC 入所 フロリダ州・ オーランド伝道部 名古屋東ステーク 中津川支部 2014 年 6 月 17 日 プロボ MTC 入所 ベイリー,ベクター・アスカ カリフォルニア州・ オークランド/サンフランシスコ伝道部 町田ステーク 相模原ワード 2014 年 6 月 17 日 プロボ MTC 入所 ●『リアホナ』2014 年 8 月号ローカルペー ジ, 「専 任 宣 教 師」の 項,川 端 愛 美 姉 妹 の任地(伝 道地)の表記に誤りがありま した。心よりお詫びし,訂正いたします。 (編集部) いし い てつ じ ふみ え 石井 哲志 ・ 章恵 日本福岡伝道部 名古屋東ステーク豊橋ワード 2014 年 6 月 3 日着任 リ ア ア ホ ホ ナ ナ 12 リ 16 はぎ はら よし ひさ ち ず こ 萩原 義久 ・ 千鶴子 日本福岡伝道部 さいたまステーク越谷ワード 2014 年 6 月 9 日着任 誤:金沢ステーク福井ワード 正:長野地方部松本支部 ASIA NORTH AREA (JAPANESE) お 詫 びと 訂 正
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