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Title
手形理論と手形抗弁 〔三完〕
Author(s)
今泉, 恵子
Citation
経営と経済, 70(4), pp.125-154; 1991
Issue Date
1991-03
URL
http://hdl.handle.net/10069/28457
Right
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経営と経済第70巻第4号1991年3月
手形理論と手形抗弁〔三完〕
今泉恵子
一.序
二.新抗弁論(非包括説)の見解
(一)ヘーファーメール説
(二)カナリス説
(三)利益状況の評価の視点からの17条包括説批判
(四)小括(以上第68巻第4号)
三.17条包括説の見解および抗弁論争の検討
(一)抗弁制限(排除)の根拠について
(二)フーバーの手形抗弁論とその基礎
(三)有価証券論争−その検討と抗弁論争における意義
(四)抗弁の性質論とそこでのAbstraktionsprinzipの意義
(五)有効性抗弁事例をめぐる利益状況−17条包括説の評価視点
(六)手形抗弁論争の総合的評価(以上第69巻第4号)
四.我が国における非包括説(権利移転行為有国論)の検討
(一)問題状況の類似性
(二)鈴木二段階行為論を前提とする権利移転行為有因論
(三)理論の特異性とそれを形成する利益評価視点等に対する疑問
五.小括と展望(以上本号)
四.我が国における非包括説(権利移転行為有因論)の検討
(−)問題状況の類似性
[1] 我が国でも,手形行為者に一定の帰責事由がある限り,証券内容
への信頼が保護されるという結論については,ほぼ異論がないが,このこと
1
2
6
経営と経済
をどのように法律構成していくかに関しては,二つのアプローチ方法が対立
しているといわれている。この指摘によれば,第ーの方法とは,手形行為
概念を一般の法律行為概念からかけ離れたものとせず,かっそれにもかかわ
らず望ましい結論を導くために,手形行為に対する民法の意思表示規定の適
用を個別的に修正・排除したり,あるいは,手形関係の設定・変更につき契
約説や単独行為説をとりながら,交付欠歓の場合には外観理論で補充して構
成していこうとする立場である。これに対して,第二の方法とは,手形行
為は,手形たることを認識し,または認識すべくして署名することにより有
効に成立すると考える形式行為説などのように,手形行為概念の外延を拡大
して,全体を手形行為論の中で処理していこうとする立場である,と。
そして,手形抗弁論としての「我が国の非包括説」というよりは,第二の
アプローチ方法をとる手形行為論として位置づけられているのが,鈴木三段
階行為論を前提として有力に主張されている,権利移転行為有因論(以下,
本稿では単に有因論と呼ぶことにする)である。
有因論は,レヒツシャイン理論によらずに,手形行為論を『創造説と契約
説』との折衷により再構築しようと試みるものであり, しかも,伝統的無因
論に否定的でもある。この点だけに着目すると,我が国の有因論とドイツで
包括説と呼ばれるフーパ一説とは軌をーにしている, との見解に陥り易い。
[2]
しかし,我が国の有因論は,本稿冒頭で述べたように, 1
7条の適
用領域に含まれるべき相対的抗弁の範囲を,
ドイツ新抗弁論(非包括説)に
もまして狭く捉えている。ここで果たして,我が国の非包括説に与する論者
によっても,次の問題が意識されることになる。即ち, I
新抗弁論は,伝統
的な無因性理論を前提に展開されており,その限りでは,我が国で争われて
いる伝統的無因論と権利移転行為有因論その他の有因論との対立とは関わり
がない。しかし,有因論をとる場合に,手形抗弁の分類や有効性抗弁の問題
がどのような影響を受けるのかは,それ自体検討すべき問題である J, と
。
そこで,本章では,まず,鈴木二段階行為論を前提として主張されている,
有因論を概観する。次いで,そこで採用されている有図的構成の「特異性」
を明らかにしつつ,その特異性を形成している,思考の連関および利益状況
手形理論と手形抗弁〔三完〕
1
2
7
の評価視点について,これまでのドイツ抗弁論争の評価を踏まえながら,若
干の検討を加えることにしよう。
注
(
16
8
) 浜田(道)注
(
9
4
) 前掲論文←1
3
2
8頁以下を参照。
(
16
9
) たとえば,竹田「意思表示の寝庇と手形抗弁」商法の理論と解釈 653-671頁,伊沢
2
7-135頁,大隅・改訂手形法小切手法講義3
1頁等がそうである。詳
・手形法小切手法 1
7
巻7
.
8
.
9合 併 号 9
7
頁以下を参照。
しくは,菊池雄介「手形金額に関する錯誤」法学新報 8
(
17
0
) 契約説としては,河本「有価証券におけるレヒツシャイン」神戸法学雑誌
2巻 4号 7
2
5
頁,田辺(光) r
手形債務の存在に対する人的抗弁」民商 6
7巻 2号 1
8
8
.
2
0
2頁,蓮井・手
形法小切手法判例百選(新増) 2
8
7頁等があり,発行説としては,石井・手形法小切手
法 30 頁,大隅注 ~o) 前掲書 89.100.175頁,今井注(94)前掲講座 110頁がある。
(
17
1
) たとえば,鈴木注 (
2
)前掲書 1
3
8頁,平出「手形行為と意思表示の環庇」手形法小切
6頁,服部「手形行為と民法」法学 2
7巻 2号 1
4
8頁等がある。
手法講座 l巻9
(
1
7
2
) 福瀧注 (
7
)前掲論文 4
6
9頁注 2
0は,我が国では,交付欠訣・寝庇等につき,それらを
抗弁排除の問題として観念すること自体,従来必ずしも一般的ではなかったとされる。
(
17
3
) 庄子「手形抗弁の四分類」法学 4
7巻 6号 1
6
1頁
。
(ニ)鈴木ニ段階行為論を前提とする権利移転行為有国論
[1]
有因論の礎をなしているのは,周知のように,鈴木二段階行為論
であるが,これは, I
有価証券が権利を表象する一個の財貨と認められるこ
とを徹底すれば,すでに証券の作成自体によって振出人の義務,即ち,自己
自身に対する権利が成立し,その成立した手形上の権利が手形証券に結合さ
,との考え方が基調となっている。
れると解すべきである J
鈴木理論によれば,まず,手形行為の第一段階をなし,それ自体で以て手
形上の権利を成立させる単独行為としての手形債務負担行為(署名行為)は,
手形たることを
いわゆる形式行為であって,それが有効であるためには, w
認識しまたは認識すべくして署名する意思』があることで足りる。
この署名行為により既に存在するに至った権利は,次に,手形行為の第二
段階をなし,手形上の権利の移転を目的とする当事者間の交付契約(権利移
1
2
8
経営と経済
転行為)により移転され為。但し,権利の成立の場合とは異なり,権利の有
効な移転には,この交付契約が,一般私法上の意思表示規定等に照らして有
効なものであることが必要とされている。
しかも,以上の二段階行為論を前提とする有因論のもとでは,債務負担行
為によって成立する権利は,原因関係とは別個の無図的なものであるが,こ
のような抽象性は,権利移動行為には妥当しないものと解されている)。
[2J
かかる有因論のもとでは,種々の手形抗弁は次のように取り扱わ
れる。まず,物的抗弁とされるのは,
r
証券から明らかな抗弁』と,フーパ一
説における『署名の有効性に対する抗弁~ (これは,カナリス説では『帰責
可能性抗弁』に当たる)を生ぜしめる事由(無能力,偽造等)である。
なお,上述のように,
r
意思表示の最庇』は,手形債務負担行為の成立自
体には影響を与えないため,物的抗弁とはならない。
次に,人的抗弁は,無権利の抗弁と狭義の人的抗弁とに分けられている。
そして,いわゆる善意取得規定(16条 2項)の適用により制限されるのが,
権利の「有効な存在」を前提として,純粋にその「所在」を問題とするとこ
ろの,
w
無権利の抗弁』と呼ばれるものである。たとえば,意思表示に関す
る規定の適用を受けると解されている,権利移転行為が欠ける場合は勿論,
さらに,これに意思表示の蔵庇がある場合のように,新抗弁論にいうところ
の『有効性抗弁』グループに属する抗弁が,この類型に属する。
しかも,鈴木理論では,手形行為者が署名により債務を負担する側面と,
彼がそれにより有するに至った(自己自身に対する)権利を移転する側面と
の「両面性」が,手形引受や手形保証であると,手形振出や手形裏書である
とを問わず,すべての子形仔為につき一律に想定されている。
つまり,そこでは,新抗弁論にいう暇庇ある手形債務負担(権利の存在に
関わる寝庇)の問題が,手形上の権利の寝庇ある処分・移転(権利の所在に
関わる寝庇)の問題に置換される結果,新抗弁論が指向していた,手形処分
における理庇と手形債務負担における同質のそれとの平等な取扱は,理論上
当然に実現されている。従って,新抗弁論によって,
ドイツ 1
7条包括適用説
に対する批判の論拠とされていた評価矛盾,即ち,包括説のもとでは,手形
手形理論と手形抗弁〔三完〕
1
2
9
行為の類型如何により,その質において等しき寝庇が等しからざる取扱を受
けてしまうという事態は,少なくとも鈴木理論では生じない。
無権利の抗弁』は,以上のものに留まらず, w
手形債務の弁済等に
但し, w
よる消滅の抗弁j],さらには,原因関係の無効・消滅等, w
原因関係上の抗弁』
に属する殆どの抗弁もまた,この類型に属せしめられている。
それ故,人的・相対的抗弁のうち, 1
7条の適用領域に留まるのは,手形外
の法律関係から生ずる『狭義の人的抗弁』だけである。この抗弁事例は,手
形行為自体については債務負担の面にも権利移転の面にも暇庇がなく, しか
も,原因関係の存続を前提として,それに延期的抗弁(同時履行や支払猶予
の抗弁)が付着しているにすぎない場合等,極めて少ない場合に限られる。
注
(
17
4
) 鈴木注 (
8
)
前掲講座
l巻 1頁以下,特に 6
,
9-16頁。尚,鈴木注(
2
)前掲書 1
4
2頁以下,
同「隠れた取立委任裏書と人的抗弁」鈴木=大隅商法演習1lI1
4
0頁をも参照。
(
17
5
) 但し,引受に関しては,権利は,手形を一方的に手放すことによって当然に所持人
に帰属し,譲渡契約は必要でないとされる(鈴木注 (
2
)前掲書 1
4
4頁)。なお,鈴木理論
に先立ち,エックハルト流の創造説により,第二段階の権利移転を債権譲渡契約ではな
く,物権契約と解する見解(田中(耕) ・手形法小切手法概論 3
2
0頁以下)もあった。
(
17
6
) 鈴木同前 1
3
9,1
4
5頁
。
(
1
7
7
) 鈴木・商法研究
1 (昭和 5
6,有斐閣) 3
0
0頁,前田注(
8
)
前掲論文 8
8
7頁以下,同「手
2
)一手形行為の性質」月刊法学教室 9号 3
1頁以下,竹内注(
8
)
前掲演習 1
5
6
-7頁
,
形行為(
8号 2
7頁以下,渋谷(光)注 (
8
)前掲演
庄子「無権利の抗弁と抗弁制限」ロースクール 1
1
1頁以下,小西注(
8
)前掲論文 1
8頁以下等を参照。
習商法(手形小切手) 1
(
17
8
) 林注 (
2
)前掲論文 8
6頁参照。しかし,引受・保証について,権利移転行為の存在を否
定する見解(前田注 (
1
1
)前掲書 3
5,372-7頁)に対しては,新抗弁論の批判が妥当しよ
う(なお,本分中の手形抗弁の分類法は,前田同書 1
8
3頁以下に従った)。
尤も,鈴木教授は,かつては,注 (
2
)前掲書 2
5
6頁注 3
7において,所持人の意思によら
ない占有喪失は,善意取得の問題であるが,これに対し,自らの意思に基づいて手形行
為をないその意味において債務者に責めある場合(預けておいた手形がその意に反し
て処分されたような場合)は,通説は善意取得の問題と考えているが,人的抗弁の制限
の問題にすぎぬのではないか,と解されていた時期もある。
(
17
9
) 鈴木注(
8
)前掲講座1.1
4頁
。
1
3
0
経営と経済
(三)理論の特異性とそれを形成する利益評価視点等に対する疑問
[1]
まず,有因論の前提となっている二段階行為論の適否に関しては,
周知のように見解が分かれている。一方で,信用の社会化手段たる手形の機
能を重視しそれに即応した形で,法律行為論的構成を機能的に構築してい
くことこそが現代の法律学の課題である, とする立場からは,鈴木二段階行
為論は積極的に評価されている。即ち,手形法律関係を法律行為と善意取得
という伝統的概念のみで説明しうる同理論は,殊に,法理論を簡明化して通
常人に対する法の認識・伝達をも容易にしうるという点で,前述の第ーのア
プローチ方法をとる理論構成に比べ,より積極的な意義を有する, と
。
しかしながら,もう一方では,鈴木理論の意義について懐疑的な見解も存
在する。たとえば, I
交付欠歓の場合の法律関係を表見理論によって処理し
ようとすれば, I
F外観を信頼したものに対する,外観作出につき帰責事由あ
る者の債務負担』というような,伝統的な法律行為論の枠の外にあり,その
具体的内容についても未だ十分な検討がなされていない,理論を導入しなけ
ればならず,法理論は簡明なものとはいい難いものとなる。しかし,反面か
I自己の自己に対する権利を成立させる法律行為』という法律構
らいえば, F
成は,伝統的な定義が『権利』および『法律行為』と L、ぅ概念で捉えてきた
ものとは実質的に異質のものを『権利』および『法律行為』の概念に包含さ
せることによって概念の内包を不明確にし,法律論の体系的整理をあいまい
にしているのではなかろうか J,という論評もなされている。
後者の見解により疑問とされているところの,手形の作成・署名の段階で
生ずる,債務者が同時に自己に対する債権者でもあるような「主観的権利」
とL、ぅ概念については,たとえば,次のような説明もありえよう。
1.たとえ原始的には権利の積極厨と消極厨とに f
一致・混同J があって,
将来においてしか,債務者と債権者とが一体ではない,いわゆる古典的-伝
統的な形態をとる主観的権利が生じないとはいえ,この混同そのものは,自
己自身に対する現時の蒜求権が(証券の作成・署名により)すでに妥当する
ごとを妨げ石理由とはなるわけではな L
。
、 2
. しかも,このような形での手
形上の『権利』の発生は,たとえば,土地所有者に対し,自己の土地への仮
手形理論と手形抗弁〔三完〕
1
3
1
登記可能な地上権の設定のみならず,その地代の増額請求権をも認めるべき
場合や,一人会社の設立の場合と同様に,実務上も要請されているところで
ある。
3
. それ故,以上の場合のように. {O己白身との合意Jが詳容され
合意J は必要ではな L、。ぞれに代え
るべき取引上の要蒜があ石ときには.r
E
/己自身に対する契約類似の請求権を設定する旨の,一方的な決断の
て,f
表明 [Kundgabe]jj が序在すると認められるなら It'~
それで足りるf
と
。
署名行為それ自体Jが,たとえ純然たる事実行為ではないとし
しかし, w
ても,それを自己に対する権利を即座に成立させる『法律行為』として位置
づけていく,鈴木理論には,
w
私的自治概念の稀釈化』という,フーパ一説
におけるのと同質と危険性が見受けられる。(前述三局 [3J 参照)。
むろん,このような危険性を重視することが,果たして,
r
単なるイデオ
ロギー的な概念区別」の偏重ではない, といえるのかどうかを慎重に検討し
てみることも,必要ではあろう。但し,少なくとも,鈴木理論の簡明性は,
それだけでは,同理論が,レヒツシャイン理論その他の有価証券理論よりも
適切であると判断するに十分な理由とはなりえまい。
しかも,たとえ,鈴木理論が最適な理論構成であると仮定するにしても,
それを基礎にして展開されている有因論は,円滑かっ確実な手形取引が阻害
される要因を極めて多く含んでいるが故に,妥当なものとはいえないのでは
ないか,と考える。
[2J まず,物権行為の無因性に親しんでいるところでさえ,手形行為
の無因性に批判的な見解があることに鑑みると,次のような趣旨の主張がな
されるのは至極当然である, とも思われる。つまり,まして,物権および一
般債権譲渡につき無図的枠組みを設けていない我が国では当然に,物権行為
に準ずる手形債権の移転・譲渡行為について,その無因性を認めるべき根拠
はない。手形法は善意取得の規定を完備しているのであるから,むしろ,物
権および一般債権譲渡の場合以上に,有因性論が妥当である, と
。
(83)
ところが,特殊ドイツ的な「無図的所有権譲渡」という出損行為類型に親
しんでおらず,手形交付を有図的な法律行為と捉えている,オーストリアの
オストハイムですら,原因関係の無効・消滅の抗弁が 17条の規制領域に含ま
1
3
2
経営と経済
れることを当然視している(前述三帥[1]参照)。それ故,以上のような
主張は,我が国の有因論がこの種の抗弁に対し, 1
7条の適用を否定するため
の理由づけとしては説得力をもたない,といえよう。
6条 2項を援用する見解に
しかも,直接には,寝庇ある交付契約の抗弁に 1
対する論評としてではあるが,オストハイムは次のように述べている。
1
1
6条 2項の手形返還請求権の基礎として,かりに所有権を放棄するとす
れば,唯一残るのは不当利得返還請求権しかない。しかし,この請求権は,
最庇ある交付契約の事例に留まらず,明らかに,法律上の原因なき取得のす
べての事例,なかんづく,原因行為に欠依・暇庇がある,すべての事例にす
7条の適
らも介入すべきことになろう。このどうしても避けがたい結論は, 1
用領域を大部分において侵犯することになろうが,未だ何人たりとも,この
結論を引きだしてはこなかったのである J,と[下線は引用者による]。
オストハイムのように,手形所有権を手形法上の制度概念として認めるべ
きか否かは暫くおくとしても,以上のような彼の叙述は,図らずも,有因論
の妥当性をではなく,むしろ,その結論における(前人未到ともいうべき)
特異性をこそ示唆した形となっている。
[3J
さらに, w
手形供与の目的の不到達ないしはその条件の不発生』
に基づく抗弁の取扱につき,鈴木説とフーパ一説とを比較してみると,我が
国の有因論に固有の性格がより顕著なものとなる。一体に,両説は,先のオ
ストハイム説とは違って,統一手形法は『手形所有権概念』を認めていない
と解する点においても,共通している。
まず,鈴木説によると,この種の抗弁は,フーパ一説にいう『実質的権限
の欠歓の抗弁』に当たり,これには 1
7条の適用はない。即ち,
1
権利移転行
為も,もちろん原因関係それ自体とは違うものであるが,原因関係上の目的
を達するために手形上の権利を移転するのであるから,その理由がなくなれ
ば手形上の権利が復帰すると考えても何ら差しっかえない。手形上の権利は
手形の交付によって移転するのが手形証券の本質上当然だとされているが,
それは手形の交付を受けない限り積極的に権利を行使しえないだけのことで
あって,消極的に権利を喪失するためには,必ずしも手形を交付しないでも
手形理論と手形抗弁〔三完〕
1
3
3
よい。所持人が手形上の権利を失うことと,他人が手形上の権利を取得する
こととは,必ずしも相関関係でなければならぬものではない。
・・・条件付
裏書は,債務負担の面では無条件のものと見倣されるが(手形法 1
2条),権
利移転の面まではこれと同様に考える必要はない」)' と説かれている。
他方,手形受領者との関係では権利移転行為のみならず,債務負担行為ま
でもが有図的なものと捉えられている,フーパ一説においても,
r
手形が担
保目的でのみ引受けられる場合,振出人および手形受取人は,担保を要する
事態が発生する場合にしか,手形に基づいて支払人に訴求し,または,手形
を流通に置く権限を有しない。
・・・かかる条件は,交付契約に付加されう
るj, と説かれている。しかしながら,この叙述には,直ちに,新抗弁論に
対する次のような論評が続いている。「それ故,支配説によれば,四囲の事
情から当該手形が担保手形ではないかと割酌せざるをえない,手形の第三取
得者は,手形交付を左右しているところの条件が発生したのかどうかを引受
人に照会せねばなるま」い。「しかし,このような照会義務が手形取引を麻
薄させてしまうことを理由に連邦裁判所は,
・・・交付契約に付加された条
件が満たされていない旨の抗弁につき,この抗弁の第三取得者に対する対抗
7条に定める要件ものとでしか認めなかった j,と。
を,妥当にも, 1
このフーパーの論評は,手形交付の目的・原因との関連において合意され
る『特約・条件に基づく抗弁』の制限に際して, 1
7条の適用領域を大幅に狭
める,有因論のような見解に対するものとしては的確であるといえるのでは
なかろうか(但し,それは,新抗弁論評としては疑問の余地がある)。
[4] 以上に加えて,さらに,鈴木二段階行為論を前提とした有因論の
もとで想定されている,
r
権利の帰属(所在)の変動」と L、う事象は,そも
そも,手形権利移動行為を有図的なものと考える同理論とは異質のものでは
ないのか,という趣旨の批評も既になされている。たとえば,手形の裏書人
Aから原因債務の弁済を受けた Xが,手形を返還せずに振出人 Yに手形金を
請求しているという事例は,裏書の権利移動行為に暇庇がある場合の典型で
あるが,これとの関連において木内教授は,およそ次の点を指摘されていた。
即ち,原因債務が弁済等により消滅するという場合,少なくとも権利移転
1
3
4
経営と経済
行為の時点では原因関係は有効に存在し,従って,処分行為=権利移転行為
は原因を有し,有効に成立した権利移転行為によって権利は確定的に Xに移
転し,後に原因関係が消滅したからといって, Xへの権利移転の効果はもは
や覆らないのではないか。この場合に手形上の権利を Xから A に復帰せしめ
るとすれば,それは,もはや権利移転行為が有図的であるからではなく,原
因関係上,事前あるいは事後的に,原因関係消滅の場合には手形を返還する
旨の特約がなされているときに,特に改めて Xから Aへの権利移転行為をな
さなくともその効果が生ずる, ということに尽きるのではないか,と。
以上のコメントは,たとえば,原因債務が免除により消滅する場合につい
ての,次のような前田教授の見解に鳴矢する。前田説においては,免除が,
IAに対して,単に手形債務を免除するに留まらず,手形上の権利を移転す
る趣旨のものであるときは, Aが手形上の権利者となり,他方,単に Aに対
して手形金の請求をしない趣旨に留まり, AにXが有する手形上の権利を移
転する趣旨を含まないときは,手形上の権利は Xに留まる」。
この見解からすれば,弁済や相殺についても,手形上の権利が復帰的に変
動するか否かは,当事者間の意思を解釈して決定されることになろう。
果たしてその通りならば,原因貸務の弁済-危除により無図的手形債権の
所在が変動す石のは, I
所期の」手形行為の目的を支えている特定の原因関
係の存否に対して,権利移転行為が有因であることの結果であるというより
は,およそ権利の所在の変動を Lて,子形授受の当事者向で,事前ないしは
事後的に取り決められた,手形約定(手形供与目的についての合意j の解釈
に係ら Lめると Lづ意味での,有国的梓成の結果である,と考えられる。
[5] 以上の,比較法的考祭や,有因的構成と手形債権変動との関連に
ついての考察は,次のような我が国の有因論の『特異性』を示している。
1.手形債権は,手形署名のみにより,直接当事者との間においても,証券
表示内容と完全に一致する,無図的な権利として発生する。
2
. しかし手形授受の直接当事者間において,その授受(手形権利移転行
為)の基礎をなしている実質関係に,無効,取消,事後的な消滅といった
事由が生じると,同理論の必然的な結果と Lてであれ,あるいは,実際に
手形理論と手形抗弁〔三完〕
1
3
5
は前述 Lたよラ j
ご,当事者間の合,宮如何によるのであれ,そのいずれにせ
よ,この手形債権の所在に復帰的な変動が生じる。
3
. しかも,手形債権の所在の復帰的変動という効果は,直接の当事者間の
関係を超えて第三者にも波及していくので,これにより影響を被るべき,
第三取得者や(たとえば主たる)手形債務者の利害は,専ら,形式的資格
に対する信頼の保護の枠内で調整される。それ故,これら第三者は,権利
の所在の変動を来すべき抗弁事由を知らないことにつき重過失があれば,
保護されな L
。
、
ところで,出指行為の個別的類型の枠組みを,有因・無因のいずれとして
構成するかということ自体は,たとえば,物権や一般債権の譲渡行為につい
て,各国の法体系ごとにその構成が区々であることからも明らかなように,
いずれの構成が当事者の意思に合致するかによって根拠づけられるのではな
く,むしろ法秩序の決定するところであるとの指摘がなされている。
但し,手形行為について各国の法秩序や学説に一致が見られないことを認
手形流通の促進」を目指していた,統一手形法の立法者は,
識しつつも, I
1
7条の規定を設けることによって,逆に,手形取引の直接の当事者間におけ
る手形関係をいかに構成すべきかという問題(と記 lおよび 2の特異性の是
非)に拘泥する危険の方を,避ける道を選んだ。
つまり,同法の立法過程において,少なくとも考慮されていたと考えられ
るのは,直接の当事者間の手形関係が有因・無因のいずれとして構成される
にもせよ,手形署名者は,当該手形関係に直接に関わった者との間で任意に
取り決められた,手形授受の意義・目的に関する合意(原因)の推移,およ
び,この原因に起因する手形行為の暇庇に対しては責任がある, ということ
である。換言すれば,当該の手形関係に直接に関与しない第三者は,前者間
での債権の返還請求権を認識していることを理由としては, 1
7条の定める要
件が満たされる限りで抗弁の対抗を受けることはありえても,債権の取得自
体を妨げられるという形での不利益を被るべきではないということ(上記 3
の特異性の否定)である。さもなくば,手形債権を取得しようとする者は,
自己の関与しない前者間の実質関係の調査までもを強いられよう。
1
3
6
経営と経済
以上に鑑みると,ここで再び,オストハイム説およびフーパ一説を参照す
7
るまでもなく,少なくとも,上記 3の特異性をもっ有因性理論一一まさに 1
条が規制対象に予定していた「原因関係に基づく抗弁」の殆どを, 1
6条 2項
の適用領域に含ませる理論構成ーは,明らかに統一手形法理念に惇る形で
手形流通を阻害するものである, との評価を免れえないのではなかろうか。
しかも,かかる評価を招くのであれば,信用の在会化手段と Lての子形の
本了する権利の即時的な寿生J を認めて
疏通佐を確保するために「自己白身にJ
まで,手形貸務負担行為を以て「形式的・無図的行為J と梓成すること(上
記 1の持異性の強調)に,結局のとごろ,一体いかほどの実益があ Qのか,
という疑問すらも否めまい。
だからこそ,第三取得者との関係で生じる以上のような結論の不都合さを
回避するために,論者により政策的な救済措置が施されることがあるにもか
かわらず,かかる有因論の妥当性は,果たして,手形行為を二段階に分ける
考察方法自体には与する立場からも疑問視されているのである。
[6J
むろん,周知の通り,有因論が成立した背景には,たとえば,①.
約束手形が甲から乙に振出された後,乙から丙へと裏書譲渡された場合にお
いて,丙が,ごの裏書の原因関係につき無効・消滅等の事由があるにもかか
わらず,甲に手形金を請求することは不当であると考えられるときに,この
請求を,手形債権の復帰的な変動-丙は主たる債務者甲との関係でも無権
利者であると構成する方法ーを通して否認しようとの狙いがあった。
もっとも,有因論のもとでも,原因関係における無効・取消事由の存否自
体が,手形債権の復帰的変動の有無の基準となっているわけではない。事例
①のような場合には, (
1
),取消権や解除権が,乙によって現実に行使され
たのか否か, (
2
),丙が乙にすでに反対給付をしていた場合には,乙が丙に
対して原状回復義務を履行したのか否か, (
3
),丙による権利の譲渡・行使
が,免除,弁済等の趣旨に反するのか否か,という基準に照らして,丙の請
1
)
(
3
)の基準それ自体が,そのまま,
求の当否が判断されている。そして, (
手形債権の復帰的変動の基準とされているようである。
それ故, I
所期の」権利移転行為が有因であることと,有因論による上記
手形理論と手形抗弁〔三完〕
1
3
7
(
1
)
"
(
3
)の利益調整基準それ自体との間に,強いて因果関係を認めようとす
2
)
(
3
)にいう事情を, I
所期の」権利移転行為の原因
れば,その前提として, (
が変更されたものとして捉えるか,あるいは, I
新たな」権利移転行為が新
原因によって発生したものとして捉えることが,必要であろう。
[7] 以上の点はともかく,事例①のような場合を処理するために有因
論が提唱する, (
1
)
(
3
)の判断基準に照らした「利益調整の適否」を吟味す
るに当たっては,同様の事例状況に関する新抗弁論ならびにオストハイム説
の調整方法を,有因論のそれと対比してみることが啓発的であると思われる。
まず,対第三者関係における『手形の抽象性』という観念を通じて,丙を
原則として権利者と構成したうえで,上記①のような事例状況につき,被裏
書人の手形金請求の不当性を『権利濫用』の見地から例外的に是正する方策
を模索しているのが,新抗弁論である。その際,この抽象性には,暇庇ある
原因関係の利得調整を,最庇が直接に生じた当事者間の関係ごとに局限する
ことを通じて,手形による円滑かっ確実な取引を促進し,延いては,即時的
な決済への接近に奉仕するという,積極的な機能があったわけである。
つまり,その機能とは,第一に,乙丙聞の原因関係の寝庇に基づく利得の
調整に際して,乙による手形返還請求に対して丙の有する抗弁を保障し,さ
らには,乙の返還請求権を,それによって清算されるべき債務関係とは牽連
性のない反対債権で相殺する利益をも,丙に認容することである。第二に,
甲丙聞の訴訟において,丙が,甲による,乙の(丙に対する)抗弁の援用か
ら保護されうるものとすること(第三者の権利に基づく抗弁の禁止)である。
第三に,甲の方が,原因関係上自らが相手方として選抜した乙の無資力・破
産のリスクを負担すべきものとすることである(前述三村[4]参照)。
ところで,直接の当事者間における手形関係を有因的に構成していく立場
と,以上の新抗弁論の利益調整のあり方とは,対第三者関係に関する限り,
決して対立するものではない。このことを示すのが,交付行為の有因的理解
を前提とするにもかかわらず,新抗弁論と同様に,事例①と基本的には同質
の寝庇に関わる事例の処理につき,第三者の権利に基づく抗弁を禁止すると
いう形での利益調整を妥当と解する,次のオストハイムの見解である。
1
3
8
経営と経済
因みに,オストハイムが想定した事例とは,製造業者 Aの得意先 Yにより
引受けられていた自己指図式為替手形が,将来の原料注文を見込んで,その
代金支払を担保する目的で, Aから通常の譲渡裏書の方法により製造原料の
供給業者 Bへと譲渡された。ところが,その後, A B聞の取引は不成立に終
り
,
Aが Bに対して手形の返還を請求していたにもかかわらず, Bは,該手
形を銀行 Xに対してさらに裏書譲渡した,というものである。
オストハイム説によれば,手形債務者に対して所持人の形式的資格の調査
のみを要求するに留まる,
4
0条 3項からのみならず
7条で規制されている
「手形債務の独立性の原則」からもまた,手形債務者には,他の手形債務者
が手形所持人に対して提起すべき抗弁までもを認識する義務はないものとさ
れている。つまり, XY間の手形金請求訴訟において妥当な結論とされてい
るのは, A B間の事情につき, Xが悪意であることを Yが認識していたにせ
よ
, Y自らが, A B聞の事情を認識していたにせよ, YはXに対して支払を
なすべきである,
との結論である。即ち,所持人 Xに対する関係においては
抗弁を認識する必要のない Yが,第三者 Aの権利に由来する抗弁を主張する
ことは許されないのであって,たとえ, Aが抗弁を有しているとしても,そ
の抗弁は Yには帰属しない, と説かれている。
以上の新抗弁論やオストハイム説を全面的に支持しうるかについては,議
論の余地も多いが,有因論では,上記 (
1
)
(
3
)の評価基準でカバーできる部
分を除くと, ~手形関係の独自(個別)性』から生じる利益調整の機能はす
べて否定されている。しかも,そこでは,手形権利移転行為に関する有因・
無因の枠組決定が,オストハイムの見解が示すように,暇庇ある権利移転の
復帰的巻戻しにのみならず,主たる債務者の地位にも関わる,利益衝量の帰
結であることが見落とされてはいないだろうか。
この観点から見ていくと,事案処理のあり方としては,基本的には, ~手
形関係の個別性』を前提としたうえで,場合によっては丙による当該の請求
権行使それ自体が『権利濫用』であることを理由として,甲が丙に対して直
接に抗弁することも許されると解する方が,より適切ではないかと考える。
蓋し,権利濫用論による処理には,有因論者が提唱する上記(1)(
3
)の評価
手形理論と手形抗弁〔三完〕
1
3
9
基準のみならず,事例①のような場合に無因性を貫くことによって支払をな
す債務者の利益が害されるか否か,という点をも考慮にいれた,次のような,
より弾力的な利益衝量の可能性が開かれている,と考えられるからである。
まず,有因論によっても強調されているように,事例①において,甲の抗
弁の許容性を判断する場合の,第一義の評価視点は,一方の当事者である丙
が,いわゆ石
f
後者の抗弁Jの対抗を危れ石につき,公序良俗、に反 Lない,
!
F
かである。この基準(権利濫用の
正当な対抗利益を存 Lて八、な Lリ の か i
存在の有無)は,同時に,手形関係の抽象性の,上記第一ないし第三の機能
を重視するものでもある。従って,乙丙聞の裏書の原因関係における環庇を
理由として甲が丙の請求を拒む場合に往々にして見受けられる事例状況,即
ち,②甲乙聞の法律関係においても,甲が乙の手形金支払請求を拒みうる何
らかの事由を有している場合(いわゆる有因論の表現法では,二重無権の場
合)においても,まず,この基準こそが顧慮されるべきであろう。
しかし上述の観点からは,さらに,自己署名のある証券の内容に従って
丙に対し手形金を速やかに支払うという,他方の当事者たる甲にとっての利
益に鑑みたうえで,それにもかかわらず依然、として,この甲が,自ら直接に
丙に対し乙丙聞の原因関係の蔵庇を明らかにして『権利濫用の抗弁』を主
張していくことにつき固有の利益を有しているか否か,を問いうる。
そして,この第二の評価視点を顧慮しうることによって,オストハイムが
強調した通り,証券の形式的な調査義務だけを負い,請求者の実質的権限の
有無のそれまでは負わない,手形債務者甲の『訴訟土の立証責任の問題』に
ついても,適切な解答が得られるのではないかと思われる。
因みに,有因論のように,丙を「無権利者」として取り扱う構成をとる場
合には,甲が,乙丙聞の原因関係上の事情について認識しており, しかも,
乙から証拠資料を与えられた結果,丙がし、わゆる無権利者であることを容易
に証明して丙の支払請求を拒みうるにもかかわらず,故意または重過失によ
り支払ったときには,甲は免責され得ないと解されている。
これに対して,甲の支払利益を顧慮する場合には,有因論のもとでは必然
的に出てくる,
r
振出人の抗弁義務および支払免責」の有無の問題とは一応
1
4
0
経営と経済
切り離して,事案を処理することも可能である。蓋し,甲自身ではなく,唯
一,乙にとってのみ利益となるような訴訟における甲は,次の I
'
"
'
'
i
l
lの条件
が満たされる限りでのみ,丙の請求が権利濫用に当たる旨の主張を,自己が
丙に対して直接に有する抗弁として『対抗することも詐される~,というこ
とに留めることができるからである。この場合に,抗弁が許容されうる条件
とは
1.丙が権利を濫用しているという,現実に証明の容易な,現存の証
拠があり,かっ, l
l
. 元来,丙との関係で抗弁を有している乙が,甲が丙と
の訴訟において敗訴する危険に備えて担保を提供しており,
しかも, i
l
l
.甲
が敗訴によって自己の名声を侵害される恐れがないことである。
0条 3項における『悪意』の趣旨に関し
むろん,支払免責を定めた手形法 4
ては,私見では至当と思われる次のような見解もある。即ち,たとえ,引受
人 Yが,勝訴する確実な証明手段を有していたとしても, yが,真の権利者
Aに,その事情を告げると共に, A自らがその権利を防御しなければ,所持
人 Bに支払う旨を通知したにもかかわらず,
Aが,自らの労を惜しんで訴訟
参加してこない場合には, yは,このような Aのために争わなくても悪意で
はない,と。但し前述のように,いわゆる後者の抗弁の対抗につき,有因
論がこのような解釈をとっているわけではない, と解せられる。
いずれにせよ,有因論の理論構成それ自体には,以上のような手形債務者
の支払利益という評価視点が欠落している, といえるのではなかろうか。
[8J 結局,これまでに得られた抗弁論争の評価を踏まえると,我が国
の有因論には,論旨一貫性についてのみならず,実際の適用レベルにおける
利益評価の視点についても,新抗弁論にもまして再考されるべき点が少なく
ないと思われる。特に,手形の第三取得者にとってのみならず,とりわけ手
形により信用を受けようと欲する手形債務者にとっても最優先課題である,
「手形取引の円滑-確実化」に逆行するような手形抗弁の取扱がなされてい
ることは,否定し難い。
1
4
1
手形理論と手形抗弁〔三完〕
注
(
18
0
) 浜田(道)注~4)前掲論文(ー)
3
3
6頁参照。同 3
5
0頁では,振出により受取人に対し
て債務を負担するという通常人の素朴な意思を,署名によって自己自身に対し債務を負
担するという権利存在面における意思と,このようにして発生した債権を交付により受
取人に移転するという権利所在面における意思との二方向に分解することは,意思の過
度の擬制にあたらず,このような考察方法の必要があって伝統的単一的な法律行為論的
構成では分析し得ない状況もある,
5
2,326-7頁,同「手形
と説かれる。さらに,同 3
J 名大法政論集 8
9巻 3
0
1頁では,第二段階の行為を発行説
行為論に関する覚え書(二完 )
と結びつけると共に,そこにも形式行為性・無因性を徹底する構成が提唱されている。
(
18
1
) 上柳「手形の無因性についての覚え書」手形法小切手法論集 3
9
4頁
。
(
18
2
) 直接に有価証券理論のレベルにおいてではないが,
1
u
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.1
9
8
3,S
S
.1
3ー 1
8
. がこのような構成の可能
性を示唆する。
(
18
3
) 小西勝「原因関係の消滅・無効」判例タイムズ 1
5
0号 2
6頁以下,前田注(
8
)
前掲論文9
0
1
頁を参照。
(
184)
O
s
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i
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.a
.0
.,S
.3
6
l
f
.
(
18
5
) 鈴木「手形金の請求と権利濫用」手形小切手判例百選三版 6
9頁。但し,同注 (
2
)前掲
2
0
頁では,
書2
r
原因債務者が原因関係の欠飲または寝庇を証明しても,手形上の権利自
体の効力はこれによって何等の影響を受けな L、」と述べるだけで,権利移転・所在につ
いては言及されておらず,隠れた取立委任裏書に関しでも,裏書人は委任契約を解除し
でも,
r
一旦権利が移転した以上,手形を取り戻さない限り,手形上の権利自体を再取
7
1頁)。しかしそ
得しえな L、」として,手形上の権利の当然復帰を否定されていた(同 2
の後,この場合に手形の受戻しをやかましく云わずとも,権利は当然復帰するとの発言
(同「ジュリスト銀行取引セミナー商業手形(第 4回 )J ジュリスト 2
6
3号 9
0頁)をされ
るに至った。
(
18
6
)
Huber
,a
.a
.0
.,S
.1
2
2
(
18
7
)
Vg
l
.z
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.,Baumbach-Hefermehl,W
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l
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z,1
6
.A
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l
.,W G
A
r
t
.1
7,R
d
n
.8
7
. 尚,前注 (18) をも参照のこと。
(
18
8
) 鈴木・旧説(注(
2
)前掲書 2
7
1頁)では,まさにそう説かれていた。
(
18
9
) 木内注(
7
)前掲講義 147-8頁
。
(
19
0
) 前田注 (
8
)前掲有国論 9
0
9
頁
。
(
19
1
) 木内注(
7
)前掲講義 1
4
8頁における,
r
この問題は,有因論の是非にではなく,裏書あ
るいは証券の交付なしに,手形上の権利を移転せしめることができるかどうかに関わる」
85) における鈴木旧説に照らせば正当であろう。蓋し,権利移転
との指摘は,前注 (
1
4
2
経営と経済
行為を交付契約に見る鈴木説によれば,たとえ原因関係の消滅により被裏書人は権利を
失うだけだとしても,裏書人の立場からみれば権利の再度の取得となるからである。
(
19
2
)
Vg
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1
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5
2
f
,
.
f i
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.1
7
8,上柳注 (81)前掲論文 3
9
1頁,浜田注
(
8
0
) 前掲論文(二・完) 2
5
3頁を参照。
(
19
3
)
Vg
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.8
8,1
2
6
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.8
3
,
.
f2
8
9
F
N
.4
.
(
19
4
) 有因論をとりつつ,原因関係の消滅等の事例に 1
7条を適用する見解としては,たと
えば平出「手形債権移転行為の相対的有国性」石井先生追悼・商事法の諸問題 4
2
9頁以
下を参照。二段階行為論をとるにもかかわらず,相対的であれ,そもそも有因的構成を
5
0頁以下(なお,前注 (
8
0
) をも
とること自体に否定的であるのが,浜田(道)同前 2
参照)の見解である。
(
19
5
)
この点については,前田注 (
8
)前掲論文 8
8
7
頁以下を参照。
(
19
6
) 前田同前 9
0
8,9
1
5頁以下,同注(
1
1
)
前掲書 5
3,1
8
8頁を参照。
(
19
7
) 但し,前田同前書 1
8
9頁官頭における断り書に注意のこと。
(
19
8
) 但し,取得者の善意悪意に関わりなく,手形行為独立の原則が妥当するか否かにつ
いては,むろん議論の余地がある(たとえば,上柳「手形行為の取消」新商法演習 i
l
l
4
7
頁,今井「手形行為の独立性」手形小切手判例百選三版 6
4頁を参照)。同原則の趣旨に
つき政策説による場合にも,これを,単なる善意者保護を超える,手形行為の確実性の
保護と捉えると,同原則は悪意者にも認められよう。しかし,政策説をとり,かっ同原
則を善意者保護のみに限定する場合,および,当然、説をとりつつ,悪意取得者には一般
悪意の抗弁が認められると解する場合には,同原則により利益を享受しうるのは,善意
者に限られよう。
(
19
9
)
Vg
l
.O
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.0
.,S
.3
5
9
.
(
2
0
0
) 川村・手形小切手法(平
2法研出版) 1
8
2頁参照。尤も,たとえば隠れた取立委任裏
書に関しては,それが,単に丙に取立権限を授与するに留まり,内が,乙に対する伺ら
かの債権を担保する趣旨を含まない場合には,権利濫用の抗弁を持ちだすまでもなく,
乙丙聞の取引行為の欠歓(流通の目的に奉仕しない譲渡)そのものを理由としても,甲
s
os
a
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dz
.B
.
,
は,自己の乙に対する抗弁を以て,丙に対抗しうるとの見解もある (
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0
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包
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51
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.5
3
8
)。但し,こ
の見解による場合にも,銀行と取引先との間で,取立てられた手形金を以て自己の銀行
に対する債務に充当するとの約定がある場合に,銀行による残存債務額を超える部分の
手形金額請求をどのように捉えるかに関しては問題は残る。
7条による抗弁制限の前提と称されている『保護に値する固有の利益』の存
さらに, 1
在は,それが,手形取得後に生じた事由により失われるような二重無権の事例において,
妥当な判断基準たり得るのかという問題むある。なお,手形関係の個別性による利益調
1
4
3
手形理論と手形抗弁〔三完〕
整を重視する立場では,本文①ないし②に関する判例やこれを支持する学説に関しでも,
振出人の権利濫用の抗弁を安易に認める点,特に,手形金請求を正当化する特段の事情
の存在について,主張のみならず立証の責任までを被裏書人たる請求者に負わせている
点等に疑問がないわけではない。しかし,これらの点の詳しい検討は別稿に譲らざるを
得ない。
(
2
0
1
) 一般債権の譲渡に関してではあるが,主たる債務者による,債権の譲渡人と譲受人
との法律関係に由来する抗弁の援用の可否の如何は,そもそも有因無因の基準によるの
ではなしかかる抗弁の許容が,主たる債務者の利益保護の観点から特に正当化される
Vg
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ような場合であるか否かによるとの指摘もなされている (
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2
2
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.1
3
3
)。
(
2
0
2
) 前田注(
l
l
)前掲書5
3,
267-8頁参照。
(
2
0
3
)
Vg
l
.C
a
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a
r
i
s,ZHR1
5
,
1S
.5
3
2
.但し,カナリス説では,甲が,乙に対し,融通者・
保証人等として,手形支払資金の求償権を確保しようとすれば,原則として,甲には,
"
'
i
l
lの各要件を全て充たす限りで,抗弁を対抗しておく必要が生じる,
本文で述べた I
7
)
前掲講義 1
52-163頁では,すでにこの点が指摘されていた)。
とされている(木内注(
(
2
0
4
)
Vg
l
.J
a
c
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b
i,WR
.S
.1
2
8
f
.
.なお,浜田(道)注(18
0
) 前掲論文 250-280頁における
我が国の有国論の詳細なる批判的考察は,本章での考察にとり極めて示唆に富むもので
ある。
(
2
0
5
)
さらに,前田説に代表される有国論(前田注 (
1
1
)前掲書 1
8
9頁)により,原因関係の
一部消滅につき権利の分属を認めるとすれば,完全なる権利の帰属のためには原因関係
の内容と証券内容との聞にも完全な一致が必要か,という問題も生じよう。
五.小括と展望
[1] 証券内容と合致する手形債権の支払請求を拒むべく被請求者によ
り主張されている手形抗弁が,第三取得者にとっては排除可能な,相対的・
人的な対抗力しか有しない場合,この被請求者は,手形授受の直接の相手方
に対しては免れえたはずの法律効果に,この第三取得者との関係では拘束さ
れることがある。そして,かかる手形抗弁の制限が,
r
証券に対する信頼の
保護」に根ざす法制度であることについては,大方の合意が得られている。
1
7条の適用領域に含まれるべき「相対的抗弁」の範囲をめぐる抗弁論争の
1
4
4
経営と経済
主要ポイントは,第ーには,この信頼保護を理論化する場合に,署名者のな
した「証券上の表示行為」を,どの程度において法律行為責任として捉えて
いくべきか,であり,第二には,相対的抗弁とされている抗弁のすべてが 1
7
条の規制領域に包括されるわけではないとしても,当該抗弁類型を「人的抗
弁」と「有効性抗弁」とに二分し,後者の制限に,画一的に 1
6条 2項・ 1
0条
を類推適用する新抗弁論の主張が果たして妥当か, ということであった。
[2J
第一の問題について,抗弁の制限をレヒツシャイン法理の観点か
ら見ていくのが,新抗弁論である。即ち,それを,手形の作成ないしは手形
上への署名であることを少なくとも認識しえた者の,当該行為により自らが
作り出した外観を信頼した者に対する責任として構成してし、く立場である。
これに対し, 1
7条包括説と呼ばれている,フーパ一説にあっては,抗弁排
除とは,書面行為(署名)という「法律行為」に基づく,当然の責任として
捉えられている。つまり,この後者の見解は,署名行為それ自体を法律行為
として構成するわけである。しかし,そのためには,
r
署名者が,署名に当
たって,これにより生じる法律効果を惹起しまたは閉止する可能性を法的に
承認していれば,署名行為は,手形法上の私的自治的法律行為である」とい
う具合に,私的自治概念を拡張する必要があった(前述三七会参照)。
これら二つの理論構成は,究極的には,手形金を請求される者の側に「帰
責性のある所為・容態が認められること」という,実質的には共通する責任
の発生根拠を有しているのであって,有価証券理論としては何れの構成をと
ることも等しく可能である。しかしフーパ一説における「法律行為概念の
変容ないしは稀釈化」と L、ぅ危険性を重視する,本稿の立場からは,第一の
問題点については,次のように解することが相当であると思われる。
一方的な書面行為としての手形署名は,単なる準備行為に過ぎないもので
はなく,法が,交付契約によらない法律効果を特殊手形法上の評価に基づい
て規制するための要件事実ではあっても,単独では意思表示とはいえない。
但し,手形署名と手形交付とは,段階的に複合された要件事実であって,
単なる容態レベルに留まらず,手形交付というこ段階にまで発展した手形行
為の暇庇の法的評価は,法律行為責任の問題でもある,と。無論,この見解
手形理論と手形抗弁〔三完〕
1
4
5
を,単に同様の結論が認められるべきところにイデオロギー的な概念区別を
持ち込んだものではないと評しうるかについては,なお検討を要しよう。
しかも,ウルマ一説ならびにオストハイム説が示すように, 1
7条包括説の
論者が有効性抗弁の取扱の点で新抗弁論に批判的であるからといって,ごの
批判は,フーパ一説を除けば,抗弁の対抗とその制限の問題を解明する,
r
信
頼保護理論としてのレヒツシャイン法理」の価値そのものへの否定的な評価
までもを含んでいるわけではない(前述三付同 [2J 参照)。
以上に鑑みると,手形署名それ自体を法律行為と解するにせよ,法的に重
要な容態と解するにせよ,手形抗弁の規制をレヒツシャイン法理の観点から
見ていくことに関する限りでは,新抗弁論にさほど大きな異存はない。
[3]
しかし,仮に,レヒツシャイン法理の観点から抗弁論へアプロー
チして L、く立場を否定しないとの前提に立っても,第二の問題においてその
是非が問われている,新抗弁論による画一的な「有効性抗弁」の取扱は,そ
の論者が,信頼保護の問題を,専ら,法的に信恵、性のある外観へと意識が向
かう,善意の取得者の側からのみ一律に見ていくことにより,抗弁論におけ
るレヒツシャイン理論の十全なる展開を放棄してしまった結果, といえるの
ではあるまいか。そして,この取扱に現れている,相対的抗弁をめぐる多様
な利益状況の余りにも画一的な評価方法は,具体的な結論の妥当性という検
証にも耐え難いのではないか,と考えられる。
[4J ところで,これまで新抗弁論は,主に次のような批判を受けてき
たように思われる。即ち,一つには,レヒツシャイン法理をとることと,相
対的抗弁を「人的抗弁」と「有効性抗弁」とに二分することは,そもそも何
ら直接には結びつかない(ヤコビの見解がその証左たりうる),と。
そして,いま一つには,二分類の基準を, i
両抗弁の性質の相違 J 一一後
者は,前者と違って, i
手形債務の有効な存在それ自体」に関わるが故に重
大であるということ一一に求めることは,無因主義の過大評価である, と
。
確かに,新抗弁論の二分法の背景には, (1).原因関係上の抗弁が手形授
受の直接の当事者間で対抗される場合に,この抗弁を不当利得抗弁として構
成する, i
特殊ドイツ的無因主義からの影響」がないわけではあるまい(カナ
1
4
6
経営と経済
リス説はこれを否定するが)。しかしながら,手形授受の直接の当事者間に
ついてこのような構成を疑問視する,ヘーファーメール説の存在は,新抗弁
論の「相対的抗弁の二分法」には,上記(1)のような意味での抽象性観念と
密接に関わりつつも,それとは別次元の背景があることを示唆していた。
その背景とは,手形取引保護の構造を二元的に捉える思考様式,つまり,
(
2
)
. 実質関係上の寝庇に伴う利得の調整に限っては, I
手形関係の個別(独
自)性」と L、ぅ観念を通して,単なる信頼保護を超える「手形機能の確実性
の保護」を重視することの承認であった, と考えられる。
因みに,多数当事者聞の資金・対価関係に寝庇がある場合において,これ
に関わる当事者相互の「利得の返還・調整のあり方」という観点から新抗弁
論者による「抽象性」理解を見ていくと,この観念は,手形行為の原因が欠
けている場合にも,実定法が立証責任の転換を伴う給付請求権を与えること
を理論上説明するための機能以上のものを有している。即ち,これには,手
形関係の基礎をなしている「実質関係上の抗弁Jが制限される場合に,最庇
ある原因関係の利得調整を寝庇が直接に生じた当事者聞の関係ごとに局限す
ることを通じて,取引の要請(手形の貨幣代用的機能を促進すること)に即
応できるという,積極的な側面もあったように思われる。
但し,オストハイム説やフーバ一説を以て徴すると,正確には「手形関係
の個別(独自)性」とも呼ぶべき,以上のような「手形の抽象性」は,手形
授受の直接の当事者間の手形関係を「有図的」に構成することとは,何ら対
立する観念ではない。換言すれば, I
有効性抗弁」が「原因関係上の抗弁」
と区別される必要もないわけである。それ故,二分法の,より根本的な背景
3
)
. 手形上の権利をあたかも生きた有体物である
と目されるべきものは, (
かのように観念する, I
手形法解釈方法」であうたとも考えられよう。
もっとも,新抗弁論を批判する 1
7条包括説のもとでも,有効性抗弁を含む
相対的抗弁のすべてに 1
7条が適用されているわけではなく,その中には,例
外的に, 1
7条以外の規制に服すべき類型の抗弁が存在している。たとえば,
新抗弁論と結論の点では全く等しい,ウルマ一説をはじめ,各種の抗弁事例
における「債務者の保護相当性」という観点からも抗弁規制を捉えている,
手形理論と手形抗弁〔三完〕
1
4
7
オストハイム説の結論も,未完成証券ないしは白地手形の交付の欠歓・寝庇
に関する限りでは,新抗弁論のそれに等しい。しかも,信頼保護理論として
のレヒツシャイン法理の価値自体を否定するフーパ一説にあっても, 1
7条の
適用領域に包括されているのは,あくまで証券を委ねられた者による手形の
濫用か,あるいは,その者との間の手形交付の目的に関する合意かに基づく
抗弁事例である。従って,同説にいう「書面行為に基づく法律行為責任規制
としての 1
7条」は,署名者による交付行為が全く欠散しているような抗弁事
例には,適用されていない(前述三回参照)。
このように,有効性抗弁のすべてに 1
7条を適用することから生じる厳格な
債務者責任を緩和すべく,包括説もまた独自の利益調整を施しているという
事実に照らすと,新抗弁論の是非は, I
相対的抗弁」の二分それ自体ではな
,
く どのように二分したかに関わる。そして,この点に関しては,従来より
なされてきた批判で十分かも知れない(むろん,無因主義の過大評価という
表現が流布することによって,少なくとも,対第三者関係については包括説
によっても重視されている, I
手形関係の個別性の機能」までもが,あたか
も無意味であるかのように評価されるべきではなかろう)。
但し, I
抗弁性質の相違」という二分基準の背景には,上記(
1
)
(
3
)の如き
事情が相まって存在していたことが,たとえ事実ではあるにせよ,少なくと
も,レヒツシャイン法理の観点からの抗弁理論を唱える,新抗弁論にとって
の「抽象性」とは, 1
7条を包括的にではなく,限定的に適用すべきだと映じ
させるような,そのような「多様な抗弁事実関の実質的な相違」を捻出する
ための補助的手段でしかない, とのトムセンの見解もある。
このことを考え合わせると,二分法の是非を問うとすれば,それが,排除
しうるという意味で「相対的抗弁」に含められている諸々の抗弁の制限で問
題になる, I
多様な利益状況」の十分な分析を通してなされたのか否か, と
いう点に照準を当てるべきであろう(この点を包括説も重視していた)。
[5]
しかし,さらに,手形抗弁論におけるレヒツシャイン法理の具体
的展開という,本稿の考察方法からすれば,新抗弁論には,むしろ,信頼の
基礎たる「外観」と「それを作り出した者の所為」との《対応関係の分析》
1
4
8
経営と経済
が怠られていたという,より本質的な, しかも,これまで正面からは余り論
じられてこなかった問題があった, と考えられる。
すでに指摘されているように,同法理それ自体が,個々の抗弁の排除のた
めの, (
1
)
. 外観の存在, (
2
)
. 取得者の善意, (
3
)
. 不利益を被る者への帰責
可能性という,各要件の具体的内容までもを明示しうるわけではない。それ
らの具体的内容は,実定手形法の諸規定において具体化されている諸要件に
照らして確定されざるを得ず,そしてまた,各事例においても異なりうる。
まして,抗弁の排除が,結局のところ,手形債務者とその第三取得者との利
益衡量から導かれる取引保護の実現であってみれば,個々の相対的抗弁の制
限に際しては,取得者の善意の内容如何だけでなく,それにより不利益を被
る者の帰責性の様相とはいかなるものなのかということも,十分に吟味され
ねばならなかったはずである。
因みに,新抗弁論においても,有効な手形債務の存在の妨げとなる原因が
多様であることは認識されている。しかし, I
手形債務の存在それ自体に関
わる」という一点において,有効性抗弁グループに属するすべての抗弁につ
いて,一律に, 1
6条 2項・ 1
0条の善意基準が類推適用されている。つまり,
そこでは,交付契約がそもそも全く欠けているのか,あるいは交付契約に無
効等の暇庇があるのか,それとも発生した手形債務が後になって弁済等によ
り消滅したのか,さらには,これらの事由が,完成手形,未完成手形のいず
れに関するものなのかという点は,一切不問に付されている。
善意は,手形債務の存在には関わっても,有効な手形債務を発生させるに
至らなかった原因には関わらない,というわけである。
このようなヘーファーメールの観察自体は正当であろう。しかし,抗弁制
限の問題を,そのように専ら外観を信頼した第三取得者の側からのみ一律に
見ていく思考様式を,有も,論旨一貫しようというのであれば,当該抗弁が
「有効性抗弁」であるのか,それとも, I
原因関係上の抗弁」であるのかと
いうことは,元来,取得者の保護相当性にとっては無意味なはずである。
蓋し,信頼の対象たる「証券内容」からすれば,何れの抗弁も,その性質
の差異は勿論,その存在すら判明しえないが故に,レヒツシャインは,両抗
1
4
9
手形理論と手形抗弁〔三完〕
弁を通じて同等の強さで取得者に作用する。しかも,抗弁排除の要件とされ
ている,帰責可能な署名がなされたにもかかわらず,証券内容通りの手形責
任が争われるという点では,両抗弁間には径庭がないからである。
[6J
確かに,種々の相対的抗弁の制限は,証券への信頼一手形所持
人は,証券に記載されている範囲内においてはその証券内容通りの権利を有
するであろうことへの信頼ーーの保護に根ざすものではある。しかし,法解
釈上,法的に意味のある像の積極的な放射としてのレヒツシャインとは,公
平中立な観察者に対して作用を及ぼすものではなかろうか。従って,抗弁制
限の問題もまた,証券へ向けられた信頼の直接の主体である,手形取得者か
らだけでなく,他方で,信頼の基礎(対象)たる外観を作り出している債務
者の所為,ならびに,その保護相当性からも考察されるべきであろう。
この点につき,新抗弁論においては,
r
原因関係に基づく抗弁」以外の「各
種の相対的抗弁」の対抗においても吟味されるべきところの,
r
債務者の保
護相当性」ないしは「帰責性の様相」の捉え方が一面的である。つまり,そ
こでは,手形債務者が手形証券であることを認識すべくして証券の作成・署
名をなしたか否か,ということだけしか顧慮されていない。
しかし,有効性抗弁とされている諸事例について,権利内容の表示をそな
えて, しかも当該の場所にある「手形証券」と,手形債権が,証券に記載さ
れた内容をそなえて, しかも,当該の場所にあるかの如き外観を惹起した者
の「所為」との対応関係を分析してみると,次のような仮説も成り立つ。
つまり,信頼の基礎たる外観が,手形債務者による「書面行為」と「交付
行為」という,二層の基盤をそなえている事例においては,この重層性ゆえ
に
, r
書面行為」という唯一の基盤にしか支えられていない事例に比べて, r
抗
弁の対抗」をより厳格にしか認めないことが相当である, と考えられる。
蓋し,自己の抗弁が制限されるという形で手形責任を負わされる,手形行
為者の利益に鑑みて要件とされる帰責性が,当該の手形債務者による外観創
造に際して全く認められない場合には,この者に対する手形債権の存在・内
容についての善意の取得は保護されない(絶対的抗弁の場合)。しかし,こ
のことを逆にいえば,手形たることを認識しえた当該の手形債務者が,
r
二
1
5
0
経営と経済
層にも重なる信頼の基礎を創造した」とし、ぅ場合には,当該の手形債務者の
利益を配慮、して必要とされている,帰責性の様相(重層性)にまさしく照ら
して,この者の「保護相当性」は縮減される,とも解しうるからである。
[7] 以上のような,抗弁制限によって不利益を被る者による「帰責性
のある所為」が有する「構造の差異」は,その者の保護相当性を段階づける,
との仮説に従うと,相対的抗弁の取扱はおよそ次のようになる。
まず,完成手形に関していえば,手形交付はなされたが,それに意思表示
の寝庇等があった場合,いわゆる「交付契約の環庇の抗弁」には, 1
7条の善
意基準が適用される。つまり,手形取得者は, I
債務者を害することを知り
て」手形を取得したのでない限り重過失があっても,本来あるべき証券通り
の権利を取得することについて,抗弁の対抗を受けない。
6条 2項・ 1
0条の善意基準に準じて,手形取得者に抗弁事由の不
そして, 1
知につき重過失なきことが要求されるのは,信頼の基礎が一層しかそなわっ
ていない抗弁事例,即ち,署名後,証券が盗取されまたは喪失した場合等の
ように, I
交付自体が欠歓していた旨の抗弁」の対抗事例に限られる。
次に,補充を要しかっそれが可能な未完成手形証券に関しては,証券内容
が行為時には不確定である点で,完成手形の場合とは異なってくる。何らか
の権利内容を補充できるかの如き外観しか作り出していない署名者にとって
は
, リスクの予測計算の見通しが立たない。他方,存在すると想定されてい
る補充権の内容(範囲)は,それが補充されるまでは,何らの客観的な実体
をもたず,その意味では,実質的な外観要件も存在していない。
以上の理由から,①.署名者による有効な補充権限の授与はあるが,約定
に反して補充されたとの抗弁,ないしは,②.なされた補充権授与自体に無
効・取消等の寝庇があるとの抗弁については,署名者にとりリスクの予測計
算が困難であるが故に,
しかし,また同時に,それが困難であった場合に限
り,取得者にとってより厳格な 1
0条の善意基準による制限が妥当であろう。
また,①.単に署名しただけの白地証書が,署名者による法律上・事実上の
交付を伴わずに,何人かにより濫用される場合にも,取得者の善意・無重過
失を要件とするレヒツシャイン責任を署名者に認めるのが相当であろう。
手形理論と手形抗弁〔三完〕
1
5
1
但し,事例①で, 1
0条を直接に類推することには問題があると考える。蓋
し,事例①②で, 1
0条が署名者に割り当てているリスクは,同人が意識的に
補充権を与えた者の人格に委ねた信頼が濫用されるリスクだけである。これ
に対し,事例①では,署名者により何らの信任も与えられていなかった第三
者の所為が,署名者に帰責されるべきか否か,が問われているからである。
ところで,以上のような試論は,一つには, I
善意取得者に対しては制限
される」と L、ぅ意味では,同じく相対的抗弁と呼ばれている, I
請求者に実
質的権限がないとの抗弁」を規制する 1
6条 2項が,この規制により手形債権
を喪失する者に帰責的な外観の惹起があることを問わない, I
純粋のレヒツ
シャイン主義に由来する規定」であることを重視したものでもある。
この点は,善意基準の法類推に際して,一般的に,看過されがちである。
しかし,仮に,新抗弁論のように,有効性抗弁事例における利益状況の評価
に際して, I
帰責性を顧慮しな L、」信頼保護規制である 1
6条 2項との均衡を
配慮すべきであると解するならば,逆に,この規定を類推しうるのは,信頼
の基礎たる帰責可能な債務者の所為が一層しかない,いわゆる交付行為を欠
く場合に限るべきである, と考えることも可能であったのではなかろうか。
もっとも,この観点から見る場合,実務上はともかく,理論上は,同条の適
用領域が従来より狭くなる可能性はあろう。
さらに,以上の試論は,上述した手形署名と手形交付との発展的な段階構
造を重視し,そして,これに適応したものでもある。この点,有効性抗弁の
制限に関して新抗弁論のように,交付契約の「欠歓の抗弁」と,その「最庇
の抗弁」とを単一化し,両抗弁に対する評価の視点や排除の基準を単純に同
一化するときには,後者の制限の問題は,本来的には法律行為上の表示に基
づく責任の問題でもある, ということが看過されがちではなかろうか。
蓋し,手形行為の段階的構造から見ると,署名という唯一の信頼基盤しか
ない,前者の制限は,新抗弁論のとる有価証券理論からすれば, I
法的に重
要な容態のレベルの環庇の法的評価」に関わるだけかも知れない。しかし,
署名および交付(交付を単独行為・契約のいずれと解するかはともかく)と
いうこつの信頼基盤をもっ,後者の制限は,同理論のとる有価証券理論によ
1
5
2
るも,
経営と経済
r
手形法律行為レベルの暇庇の法的評価」に関わるからである。
しかも,証券に対する「信頼の基礎の重層構造」の有無という基準は,交
付契約の欠歓とその蔵庇の抗弁事例における手形責任の差異づけに資するの
みならず,それ以外の相対的抗弁,たとえば, 1
7条により規制されるべき,
「原因関係上の抗弁」および「手形債務の事後的消滅の抗弁Jについて,そ
こでの手形債務者の責任の由縁をも明らかにしうる。蓋し,
r
信頼の基礎の
構造」を見ると,かかる抗弁を主張する者は,手形金請求時には何らかの支
払拒絶事由を有するにせよ. r
証券表示上は最庇なき手形」の授受ないしは
その受戻しの不履行を通して,やはり,手形債権が証券記載の内容をそなえ
て
, しかも当該の場所にあるかの如き外観を作り出しているからである。
[8]
ところで,
ドイツ抗弁論争のこれまでの評価を踏まえると,相対
的抗弁の取扱につき,新抗弁論にもまして 1
7条の適用領域を狭く解する,我
が国の非包括説(権利移転行為有因論)については,次のようにいえよう。
同理論は,信用の社会化手段としての手形の流通性を確保するため,
r
自
己自身に対する権利の即時的発生」を認めてまで,手形債務負担行為=署名
行為を以て「無図的行為」と構成した。この見解の基礎をなしている,鈴木
二段階行為論に関しては,上述した,フーパ一説におけるのと同様の問題を
指摘できょう。しかも,この点を度外視して,手形理論として同説をとるこ
とが,レヒツシャイン理論その他の手形理論より適切であると仮定しでも,
権利移転行為有因論のような有因性理論には問題があると考える。
因みに,オストハイム説やフーバ一説が理解している有因論とは異なり,
同理論は,ほぼ全面的に「手形関係の独自(個別)性の機能」を否定し,無
因的に存在する「権利の所在」をして,手形取引の直接の当事者聞の合意内
容に係らしめるという特異性を有している。つまり,第三取得者は, 1
7条に
よらずとも,善意取得の規定で十分に保護され,主たる債務者には,善意の
支払による免責という保護で十分である,と解するわけである。
しかし,手形行為には,一般の物権変動ないしは債権譲渡とはパラレルに
は考察しえない側面があることは,指摘されてすでに久しい。しかも,権利
移転行為を債権譲渡行為と捉えても,債権譲渡の無因(有因)性は,寝庇あ
1
5
3
手形理論と手形抗弁〔三完〕
る債権譲渡の再度の巻戻しというより,主たる債務者の地位にも関わるもの
である。即ち,かかる特殊性をもたない物権法上の無因・有因主義ではなく
て,三者間の利益衡量の帰結であるともいえる。この観点から見ると,同理
論は,手形の第三取得者にとってのみならず,とりわけ手形によって信用を
受けようと欲する手形債務者にとっても最優先課題である, I
手形取引の円
滑・確実化」に逆行するという点において,適切とはいえないのではなかろ
うか。
[9J 最後に,手形抗弁の対抗とその制限の問題を,上述のように,証
券への信頼の主体である「手形取得者の側」からだけではなく,外観と,そ
れを作り出した者の所為との「対応関係」からも見ていくことが,仮に適切
であるとしても,それだけで問題がすべて解決するわけではない。即ち,
形債務者の所為の発展的段階構造」に注目して,
r
手
r
交付行為の存否」を以て
「抗弁対抗の難易」の区分基準と解するとしても,果たして1"、かなる場合
に交付行為(信頼の第二段階の基礎)があったと評価しうるのかに関しては,
むろん議論のあるところである。たとえば,自己の意思による交付か否か,
とL、ぅ基準の実用性に対しては,従来より異議が唱えられている。
もっとも,裁判実務において,手形の第三取得者に対して 1
6条 2項・ 1
0条
にいう「善意にして無重過失なきこと」が要求されているような,
r
相対的
抗弁」事例群の範囲は,すでに指摘されているように,鈴木理論や新抗弁論
におけるそれよりも狭く,フーバ一説や,本稿で提示された試論におけるそ
れに近い。各個の判決理由そのものを全面的に支持しうるわけではないに
せよ,裁判実務のあり方は,上記の基準の有用性の判断にとって啓発的だと
思われる。その詳細な分析・標識化は,他日を期したい。
注
(
2
0
6
)
浜田(道)注9
(4)前掲論文(ー) 3
4
7
.
3
3
7頁は,そう解されていると思われる。尚,
前述三(六) [7Jの結びの部分,および,前注 (67) をも参照。
(
2
07
)
前述三(六) [4]および四(三) [7J参照。
(
2
0
8
)
前注 (11) 参照。
(
2
0
9
)
前述三(六) [5]参照。
1
5
4
経営と経済
(
2
1
0
) 後注
(
2
1
3
) 参照。
(
2
1
1
) 前述四(三) [7]参照。
(
2
1
2
) たとえば,今井注 (9~ 前掲講座 119 頁は,従業員などに職務上保管させていたとき,
あるいは,運搬させたとき,さらには,紙袋にいれて他人に保管あるいは運搬させたと
き等に関して,任意交付という基準で処理しうるかは疑問である,
とされている。確か
に,同基準は,そのような限界事例における判断の基準としては,問題があるかも知れ
ない。しかし,少なくとも,手形を手段とした,金融の周旋や調達,ないしは債務の決
済,即ち,手形取引との関連で,周旋人や調達担当者等に任意交付がなされた場合には,
試論に L、ぅ「信頼の基礎の重層性」を認めるべきではないか,と考える。
(
2
1
3
) 判例実務の詳細な分析としては,木内「手形の原因関係と手形抗弁(本論三)j法学
1巻 8号 5
5頁以下,福瀧「交付欠歓の抗弁(ー) (二完 )J 民 商 法 雑 誌8
2巻 3号 8
0頁
新 報8
以下,
4号 3
9頁以下が,特に詳しい。判例では,手形行為における意思表示の寝庇は,
いわゆる人的抗弁として,善意者には対抗しえないものとの判断がなされている。たと
5年 2月1
0日民集 4巻 2号 2
3頁 , 最 二 小 判 昭 和 2
6年 1
0月 1
9日民集 5
え ば , 最 二 小 判 昭 和2
巻1
1号 6
1
2頁 , 東 京 高 判 昭 和 3
6
年 2月 2
8日高民集 1
4巻 3号 1
7
4頁 , 東 京 地 判 昭 和 3
7
年 3月
2
8臼判例時報 2
9
9号 3
5頁 , 東 京 高 判 昭 和 3
8年 7月 1
3日判例タイムス:
1
5
1号 7
5頁 , 最 二 小 判
4年 6月2
0日金融商事判例 1
6
7
号 8頁 , 最 一 小 昭 和 5
4年 9月 6日民集 3
3巻 5号 6
3
0頁
昭 和4
等を参照(なお,前注 (
19) に挙げた諸判例をも参照)。
そして,手形取得者に「善意・無重過失」が要求されるのは,狭義の交付欠倣の場合
6年 1
1月 1
6日民集 2
5巻 8号 1
1
7
3頁 , 東 京
にほぼ限られている。た と え ば , 最 三 小 判 昭 和 4
7
年 4月 1
4日判例時報 5
5
8号 8
2頁 , 大 坂 地 判 昭 和 5
1年 3月2
3日金融商事判例 5
0
7
高 判 昭 和4
号3
8頁 , 東 京 地 判 昭 和 5
2年 1
2月1
2日判例時報 8
7
7号 9
4頁等を参照。
因みに,学説においても,具体的な結論の点では,本稿が指向するものとほぼ等しい
78) 参 照 。 但 し , 現 在 で
見解がすでに主張されている。たとえば,鈴木旧説(前注 (
はいわゆる有国論をとら れ て い る ) , お よ び , 権 利 外 観 理 論 によ り つ つ , 恐 ら く は , 新
15) 前 掲
抗弁論と同様の手形抗弁の分類法を前提とされていると解される,河本注 (
論 文6
1
2頁 以 下 , さ ら に , 手 形 債 務 負 担 行 為 お よ び 手 形 権 利 移 転 行 為 を , 共 に , 形 式 的
法律行為と構成される,浜田(道)注 (
80) 前 掲 論 文 2
8
2頁以下等を挙げることができ
ょう。
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