Paul Edmondson - WordPress.com

41st Valli Bergamasche 2010
Parc
Ferme
Paul E dm ondson
Photo & Text : Hisashi HARUKI
ポール・エドモンドソンは、英国で最もキャリ
に終わった。32 歳。ハードなクロスカントリーレー
ル参戦を継続。2004 年には E2 クラスで、ユハ・
アの長い現役のエンデューロライダーだ。ブリ
シングで戦うには、ピークをやや過ぎた年齢となっ
サルミネンに続くランキング 2 位を獲得している。
ティッシュエンデューロ選手権で経験を積み、エ
ていた。
当時すでに 35 歳。いかに特別なライダーだった
かということが、このことだけでもわかるだろう。
ンデューロ世界選手権へのデビューは 1989 年
( 当時まだヨーロッパ選手権が最高峰のシリーズ
だが、GNCC への参戦は、ポールのキャリアに
ライダーとしての実力だけではなく、この種の
で、 翌 年 よ り 世 界 選 手 権 に 格 上 げ さ れ た )。
とって重要な転機だったと同時に、ヨーロッパの、
スポーツの発展を見据えた取組み、またプロ選手
2t125cc クラスでいきなりタイトルを獲得した。
世界のオフロードシーンに大きな変化をもたらす
としての言動という点でも、アグレッシブなライ
天才エディ、"Fast Eddy" のニックネームは、こ
ことになった。クロスカントリーレーシングのムー
ダーだ。ヨーロッパのシーンにクロスカントリー
の頃からのものだ。トライアルの素養があるのは、
ブメントだ。環境保護機運の高まりとともに、エ
レーシングの潮流をもたらしたことの功績は特に
英国、英連邦のエリートエンデューロライダーに
ンデューロの開催が難しくなり、シーン全体が疲
大きい。アグレッシブなあまり、英国協会 ACU
は珍しくないが、Fast Eddy のライディングは、
弊しつつあったところに、開催地の確保が比較的
と折り合いの悪い時期もあったが、ポールのクロ
そのベースにトライアルがあることが誰にもわか
容易で、走り応えもある、ルールも明快で、運営
スカントリーシリーズは、今では GBXC として、
るような、絶妙なバランスを感じさせる美しいも
もシンプルなクロスカントリーレーシングが持ち
協会公認の国内選手権になっているし、今年から
のだった。彼が小柄なライダーであることも、そ
込まれ、人気を集めることになる。その先鞭をつ
は新たに、Fast Eddy Extreme Series が、ブリ
の印象をより強いものにしていたのではないだろ
けたのが、ポールが自ら主催する "Fast Eddy
ティッシュエクストリーム選手権として公認のシ
うか。
Cross Country Series" だったのだ。アメリカか
リーズになった。さすがにもう世界選手権にフル
通算、5 回のワールドタイトルを獲得したポー
ら戻ったポールは、プライベートチームのオーナー
参戦ということはないが、ライダーとしてもまだ
ルは、ヨーロッパのシーンに飽き足らずアメリカ
として自ら世界選手権を走る一方、デビッド・ナ
まだ現役で、特に、エクストリーム系イベントに
に渡る。GNCC への挑戦だ。当時、イギリスにも
イトら若手ライダーを育成、さらに自分の考える
対して意欲的なのには驚かされる。生来、アグレッ
ヨーロッパにもクロスカントリーレーシングは存
理想的なレースイベントの運営に力を注いだ。デ
シブな人なのだ。
在していない。アメリカでも、まだ現在ほどの人
ビッド・ナイトはポールの指導の下に、めきめき
気になっていなかったが、ポールはプロライダー
と頭角を現し、Fast Eddy シリーズでも毎回優勝。
6 度の英国エンデューロチャンピオン、ヨーロッ
として活動する道はアメリカにあると考えたの
2004 年からは KTM ファクトリーチームに迎え
パチャンピオン 1 回、世界選手権になってからは
だった。最初は US SUZUKI で、
次にチームグリー
られ、以後の活躍についてはここで繰り返すまで
5 回のタイトル。GNCC では最高位ランキング 2
ンがポールの GNCC 参戦を後押しした。1997
もないだろう。2007 年、2008 年には GNCC
位だが、AMA ヘアスクランブルのタイトルを獲っ
年から 2001 年までの 5 年間で、タイトルにこ
でも 2 年連続タイトルを獲得。ポールの悲願を愛
ている。シックスデイズには 21 回出場して 20
そ届かなかったが、1999 年に 5 位、2000 年
弟子が達成するという結果にもなった。
回完走、そしてゴールドメダルの数は 19 個。こ
れは世界一の記録。この小柄なイギリス人は、世
にランキング 2 位 (!)。タイトルまであと一歩だっ
たが、2001 年は怪我もあって 17 位という結果
ポール自身は、2006 年まで世界選手権へのフ
界最高のエンデューロライダーの一人なのだ。