障害者の命を守るために

1 月 11日O.A.
阪神・淡路大震災から20年
障害者の命を守るために
スタジオ出演
◆玉木幸則(たまき・ゆきのり)
・・・
「バリバラ」コメンテーター / 脳性まひ
水谷 真(みずたに・まこと)
・・・ 社会福祉法人「AJU 自立の家」職員
高野 清(たかの・きよし) ・・・
「垂水地域自立支援センター」防災部会長
はるな: ハーイ!バリアフリーバラエティー「バリバラR(アール)」の時間です。
パーソナリティの、はるな愛です。よろしくピース!「バリバラR」は、Eテレで放送している
障害者情報バラエティー「バリバラ」のラジオバージョンです。
今日はですね、障害者の防災をテーマにお送りします。今月17日で阪神淡路大震災から20年
になります。死者6400人を超える大災害で多くの障害のある人たちも亡くなりました。
またそのあとも、4年前の東日本大震災や台風による土砂災害など数々の災害に見舞われました。
今日は、支援を必要とする障害のある人たちの命をどう守ればいいのか、皆さんと一緒に考えて
いきたいと思います。
スタジオには E テレ「バリバラ」でおなじみの玉木幸則さんにお越しいただいています。
玉木さん、お願いします。
玉木:
よろしくおねがいします。
はるな: そしてもうお一方です。名古屋の社会福祉法人「AJU 自立の家」職員の水谷真さんにお越しい
ただきました。よろしくお願いします。
水谷:
よろしくおねがいします。
はるな: 水谷さんは、被災した障害者の支援や聞き取り調査もしてこられたということですけれども、防
災を考えるにあたってどんなことが大事と思われました?
水谷:
障害当事者と呼ばれる人たちを含めて、被災して一番困っている人の視点がもう尐し盛り込まれ
るような仕掛けが必要だなと感じております。
はるな: 水谷さんは全国各地の取り組みにもお詳しいということで、後ほどじっくりとお伺いします。
まずは、玉木さんに阪神淡路大震災の当時のことをちょっとおうかがいしたいんですけども。
玉木さん自身も、被災されたんですよね。
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玉木:
そうそう。あの当時2階建ての木造アパートの1階部分に住んでたんやけど、2階がちょうど僕
の上にどーんと乗ってきた感じ。
はるな: 2階が崩れて、1階に落ちてきたってこと?
玉木:
そうそう。だから生き埋めになってたの。「助けてください」って声を出してたら、2時間後く
らいに、ようやく周りの人が集まってくれて掘り起こしてくれたんです。奇跡的にほんまに僕助
かったんです。実はあの、隣には大学生が住んでたんやけど、即死やって。
はるな: えー。
玉木:
彼と僕とは5-6メートルしか寝てる場所は変わってないんですけど。結局ベッドで寝てたり、
あとは2階の柱とかが僕の横に落ちてくれたからたまたま助かったって感じかなって思います。
阪神淡路大震災はやっぱり障害のある人も多く亡くなったり、災害を通して逆に社会から切り離
されていったりっていうような、状況もあったんじゃないかなって思います。
はるな: 避難所とかでもね。
玉木:
そうですね。
玉木:
はい。震災当日の夕方に、近くの中学校の体育館に避難したんだけど・・・愛ちゃんやったら、
避難してきてどこに場所とる?
はるな: どこに場所…そうですねあったかい真ん中なのかな。
玉木:
と、思うでしょ?
はるな: はい。
玉木:
実はね、違ってて、まだその時は余震っていうのが頻繁に起きてたから、あれが怖いから、みん
なすぐ出られるように、入口の近くから埋まっていくんですよ。
はるな: ちょっとの余震でも逃げられるように、入口から・・・
玉木:
僕が行った時には、もう奥の方しか空いてなかった。しかも整理されてないから、人の段ボール
とか毛布の間をぬって行かないと・・
はるな: 玉木さん歩きにくいもんね。
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玉木:
だから気、遣うわけ。一回座るとおしっこもぎりぎりまで我慢しようとか、そういう意識が働い
たっていうのは覚えてる。
はるな: そうなんだ。やっぱりなんかその時皆さんが声かけたりとか?
玉木:
いや全く。全く。そんでそれをもう仕方がないと思ってて、当時は自分の命はとりあえず自分で
守ってきてるわけやから、だからその周りの人のこと見る余裕なんかたぶんなかったと思う。で
もね、あの時の災害は家潰れてない人も来てるわけですよ、怖いから。で、僕は、パジャマ一枚
で出てきてるわけで、近くの人に毛布だけもらって段ボール敷いてそこにいた。家潰れてない人
は・・家にカップラーメンとか置いてるでしょ?
はるな: 家に?そうです、カップラーメン置いてますよ。
玉木:
あんなんも持ってきて食べてはるんですよ。で、僕なんか「ああ、ええにおいしてるなあ」とか
思いながら、
「ああ、もうこの匂いでおなかいっぱいにしようかな」とかやってた。結構シビア
な世界で、
(当日の)夜に最初のおにぎりが届いた。まず子どもから配る、いうて、それは正し
かった。で、残ったら「早い者勝ち」って。ほなもう、みんなぱーって行くから、みんなが行っ
てる姿を見ると、僕らはとりあえず今回は当たらんなって思って。もう諦めて。ふと見たらさっ
きラーメン食べてた人が、おにぎりも食べとった。客観的にみると、
「あんたらさっき食うてた
から、食ってない人から先食べてもうたらどう?」って…
はるな: さっきラーメン食べてたからね、ほかの人にね、食べてない人におにぎり食べてもらったら?っ
て。そういう気持ちってないのかなって思ったってこと?
玉木:
うん。でもそれが僕はもう最初からあきらめてるから、当たらないやろなと
はるな: それは何で玉木さんは諦めてしまう気持ちになったの?
玉木:
あのね、テレビとかマスコミなんかは避難所のつながりはすごい助け合いがあったりって報道し
たでしょ。でもねあれは、震災後10日とか2週間とかたってある程度落ち着いてきて、そこに
どんな人がおるかなっていうことが分かり始めたころにつながりはできるわけで。その震災当日
とか次の日なんか、自分が逃げるんで一生懸命で、自分のことがいっぱいいっぱいやか
ら、だから人のことなんか考える余裕すらなかったっていうことと、それからほんまに怖い経験
やからみんな極限に追い込まれてると思うねん。そういう時にやっぱりね、自分もそうやけど周
りにどんな人がおってみんなどういう状況なんかなっていうことを、やっぱり見ていくっていう
ことを考えなあかんのちがうかな。
はるな: そっか。水谷さんは被災地の障害者の支援に長年取り組んでらっしゃるということですけど、阪
神大震災以降もいろんな災害がありましたよね。避難所の状況って変わってきたんですか。
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水谷:
一言で言うと変わった部分と変わってない部分と大きく分かれます。避難所の中の状況に関して
言えば、ほとんど変わっていない。弱い人は我慢せざるを得ない。声を出せないで、SOS が出
せないでいる人がほんとに多かったのは残念ですが、そういう現実です。
東日本(大震災)の話で言いますと、災害時要援護者って呼ばれる人たちの中には、とても重度
な人たちも含まれていて。
はるな: 災害時要援護者?どういう意味なんですか。
水谷:
10年前、2004年の福島新潟豪雤のときそれをきっかけにできた言葉ですね。
災害の時に自分で避難ができない高齢者や障害者や乳幼児や妊産婦や外国人。こういった人たち
を国が「要援護者」という言い方で支援しましょう、ということが言われ始めた。それから支援
というものが注目されるようにはなったんですが、残念ながら東日本大震災の時にもある車いす
の重度の女性は2週間、避難所の中で横になることができないで24時間車いすに乗ったまま過
ごした。何でかっていったら、トイレの心配があるから。80歳超える高齢のお母さんが介助す
るの大変だからって思いやって自分が車いす乗ったままでいよう、と。で、それもみんなが寝静
まってから夜中に2、3回、お母さんに連れて行ってもらう。それもお母さんに気の毒だからっ
て水分控えて脱水症状になるし、おしっこ我慢して膀胱炎になるし・・・。
はるな: 体壊れちゃう…
水谷:
そうなんですよ。で、ご本人も「うちは家族がまだ無事だったからわがまま言えないわ」って声
を出せないっていう。そういう重度の方だけではなくて、逆にあの、見た目にはわからない、知
的障害の人や発達障害の人たちも、みんなは風呂入って着替えも出来てるんだけど、その知的障
害の家族だけは1ヶ月間着替えもできないでいた、とかね。周りから見てわかる障害者だけじゃ
なくて見た目にわからない人たちも実は多く避難所にはいらっしゃって、気付かれないで本当に
困難な状況におかれてるということもわかってきました。
はるな: なるほどね。みんなも大変な思いしてるから自分のことを言えないっていう状況もあるってこと
ですね。玉木さん、障害のある人たちが避難所で生活できないっていう状況、どうして改善され
ないんですかね。
玉木:
うーん、なかなか難しい問題やと思うんやけど、一般的に避難所っていうのは、近くの学校であ
ったり公民館であったりそこで重度の車いすの障害者の人が一定期間生活できることまで想定
してるかっていうとしてないわけやから。だからとりあえず一次避難所っていうんやけど、ここ
に集まってくれたらいいよって。そのあとに、実は早い段階で二次的避難所、福祉避難所って呼
ばれてるんやけど・・・。
はるな: 二次的避難所、福祉避難所?
玉木:
福祉避難所。そこに適切につないでいくっていうことがすごい大事かなって思う。
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はるな: 水谷さん、その福祉避難所っていう、そういう制度があるんですか?
水谷:
そうですね。これもあの阪神淡路大震災の後に、国が要援護者の支援とか障害者の対応っていう
のに注目してできた制度で、厚生労働省が2008年にガイドラインを作って、こういう風に設
置しなさい、運営しなさいってことを示しています。
はるな: 東日本大震災の時はどうだったんですか?
水谷:
あらかじめ協定があって取り決められた避難所がいくつか開設しました。それが開設するのはも
う本当に1週間たってからとかで、なかなか機能しなかったという問題あります。だから制度と
しては福祉避難所があっても、ほとんど機能してなかったっていうのが私の印象ですよね。
で一番の大きな問題は、福祉避難所を支えるマンパワーが決定的に丌足してたって問題があるん
ですね。障害者のために国のガイドラインでは「10人に1人の相談等に当たる人を配置しなさ
い」って決められてるんですが、実際にはそんな派遣がすぐには実現しません。となると既存の
施設の職員が、もう被災して半分も出てこれないような状況の中で地域の障害者・高齢者を受け
入れて2倍くらいの人たちを支えないといけない。ということは、本当にもうパンク状態で。
はるな: その方も被災されてるし、ってことですね。でも国が決めた規定でぱっと動けないっていうのが、
何のために決めたんだろうって思いますけどね。
水谷:
福祉避難所を開設した施設も、最初からその制度があるなんて知らないで、後で福祉避難所の制
度があるってことがわかって・・というくらい、現場の人たちもそんなに福祉避難所の存在を知
らない。
はるな: 浸透してなかったんだ。
水谷:
そうなんです。
はるな: 今はもう浸透してますかね?
水谷:
ううん、全然。
はるな: 改善されてもないですか。
水谷:
被災地ではそれは有名になりましたけど、被災地じゃないところについては、これからどうやっ
て仕組みを作っていくんだって課題があります。
はるな: 玉木さん、福祉避難所ってもうちょっと改善されないと、ある意味ないですよね。
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玉木:
必ずしも全部あかんとは思ってないけど、尐なくとも、福祉避難所というものがなぜ必要なのか
ということをもう1回考えていく必要があると思う。
一方で、身近なとこでどうやって命を守っていくとか、その生き残った命をどうやってつないで
いくかってことを考えていくと、やっぱしその仕組みも大事やけど、
「人と人とのつながり」と
いうことがやっぱりベースにないと、なかなかそういう「命をつなぐ」っていうことは考えにく
いかもしれんね。
はるな: 水谷さんいかがですか。
水谷:
そうですね、東日本大震災でもこんな例があったんですね。石巻市のある小学校に、私たちが会
った中で一番重度な障害者が避難してきました。口から栄養が取れなくて胃にチューブを開けて
胃ろうっていう方法をとる、たんの吸引を定期的にやらないと呼吸も困難になるような、女の子。
地域の人たちとのつながりがあったがゆえに、たんを引く時のモーターの音、皆さんも「いいよ、
いいよ」って配慮してくれたり、暖房のない中でカーテンとか大漁旗とか多めに不えてくれて、
使ってくださいって。なぜできたかというとね、彼女の場合は、それだけ重度の障害のある子な
んですけど、小学校も中学校もお姉ちゃんたちと同じ小中学校に通って、地域の人たちも運動会
だとか地域の行事の中で普段からよく知ってるので、ほんとにあのつながりがあった。だから、
障害が重いからといって必ずしもハンデではなくて、普段からの地域とのつながりとかネットワ
ークがあるとほんとに強みになるんだな、ということを学ばされました。
はるな: はい。ということで後半ではですね、地域の取り組みについてお伝えしていきたいと思います。
♪インターミッション
はるな:はるな愛のバリバラ R、今日は阪神・淡路大震災から20年ということで、
「バリバラ」コメンテ
ーターの玉木幸則さん、障害者団体の立場で地域の防災に取り組んでおられる水谷真さんとともに
お伝えしています。
ここからはですね、各地の防災の取り組みについてお伝えしていきたいと思います。
ゲストをご紹介します。神戸市垂水区で地域自立支援協議会の防災部会長をされている、高野清さ
んです。よろしくお願いします。
高野:
よろしくお願いいたします。
はるな: 高野さんも、障害者の当事者でいらっしゃるんですよね。
高野:
そうです。若いころ会社で事敀にあいまして、右足を切断して義足で生活しております。
はるな: 高野さんは神戸の垂水区で活動されているということですが、具体的にどんな取り組みをしてい
るんですか?
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高野:
私が住んでる垂水区、神戸の西のほうなんですが、千代が丘という人口8千人くらいの小学校区
域にいるんですが、私ども障害者は、地域が主催している防災訓練に年に4回参加して、
地域に障害者の顔の見える、お互いに顔見知りになっていこうという活動を進めて。
はるな: じゃあ年に4回障害者の方とか、みんなで防災訓練をやってるってことですね。それはすごい。
高野:
そうですね、まず障害者の自宅を訪ねて、その方を一時避難所まで誘導して避難させる避難訓練。
それとか、地域で実際に行っている夏祭りやもちつき大会などに地域の子供たちや障害者たちも参
加をさせて、防災にかかわる・・・たとえば火災の時のバケツリレーとか、消防団をよんで消火器
の使い方とか・・いう訓練、そういう行事の中に防災に関する事柄を組み入れて、実施しています。
はるな: なるほど。ほかに何かしていることってあるんですか?
高野:
防災訓練、防災訓練、障害者と一緒になる、といっても、地域の人は障害者と全然なじんでなか
ったんですよね。
はるな: 障害のことも分かんないし・・・
高野:
そういうことで、障害者自身は障害者のことを教える、地域の人は障害者について学ぼう、とい
う機運が出まして、私ども障害者が各、知的とか聴覚、精神障害者の当事者を集めてですね、
地域でワークショップという言い方で、勉強会のような体験を含めて実施してきました。視覚障
害者の場合は、そのワークショップに参加している一般の人がアイマスクをつけて歩く練習とか。
肢体障害者であれば、車いすの取り扱い方、押し方、実際に動かす場合、声掛けをして動かすと、
という経験も合わせて行いました。
はるな: いろんな障害を持っている方たちの障害の特性を皆さんに知ってもらう、語り合ってもらうって
場所だったんですね。
高野:
そうです。
はるな: ここでですね、垂水区の千代が丘地域の防災活動に参加された方々の声をご紹介したいと思いま
す。まずは知的障害のあるお子さんを持つ人、そして精神障害のある人たちが通う作業所の職員
の方のお話です。録音をお聞きください。
録音①
母親:
神戸市垂水区千代が丘地域
ワークショップ参加者インタビュー
うちの子は、知的障害を伴う自閉症なんです。簡単な言葉でわかりやすく伝えて下さいって、
そういうふうにお話しはさせていただきました。おもちつきでありますとか、こないだのワー
クショップにも本人も参加させてもらいましたし、徐々にではありますが、覚えていただけた
んではないかなと思ってます。日ごろから、顔見たら挨拶をお互いにしてもらって覚えていた
だくであるとか、とにかく知ってもらう、覚えてもらうということが一番なので、それで何か
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があったときに、頭の片隅に残しておいていただいて、
「あ、あそこにあの子がおるわ」と思っ
ていただけたらそれが一番だと思います。
職員:
精神障害の人は、災害にあったときに、避難された場所で、とにかく安心できる空間がほしい
ということ。で、安心することができたら本人も落ち着いてくるので。夏祭りとか文化祭とか
に参加させていただいている中で自然にお互いをそこで知れる機会が増えるわけですよね。お
互いを知ったらそこで丌安とか、そういうのが徐々に解消されていきますので、信頼関係はで
きてきているんじゃないかなと思いますけど。
はるな: なるほど、高野さん、こういう録音お聞きいただきましたけど…
高野:
そうですね、実際に私どもの会議の席でですね、「実は私は地域では聴覚障害者だって公言して
ないんだ」という話があったんです。やっぱり自分の事情があって言えないとか、差別されると
かいうことがあって。うちの会議に参加して回を重ねるごとにですね、地域の人にもはっきり伝
えて、意思疎通もできるようになったと。本人のためにも良かったかなと。
はるな: そうですよね。さっきの録音にありましたけどほんと信頼関係ってことですよね。ということで
続いてですね、地域の人のお話もちょっとうかがっていますので。千代が丘防災福祉コミュニテ
ィ防災長の川村喜由(きよし)さんです。録音をお聞きください。
録音② 「千代が丘防災福祉コミュニティ防災長」川村喜由さんインタビュー
川村:
やっぱりあの、地域は変わってきていると思います。私が一番感じているのは、ワークショッ
プを繰り返し行った中で、障害者の方、および我々自体が心の変化が出てきたということです。
障害者の方に対して、ただ地域にそういう方々がおられるというのは知ってましたけど、実際
のつきあいという形は一切なかったですね、
「全くわからない人たち」というのがあったんです
けど。それがやっぱりワークショップで勉強でき、実際にお会いできるようになって印象は変
わりましたですね。普段の生活の中、町で出会う、我々が行事を行う、そういうものに対して
顔を見たときに相手の方から声をかけていただける、うれしそうに手を振っていただける。こ
れが一番のうれしさだったですね。
はるな: ふーん、防災をきっかけに地域自体も変わってきたんですね。
高野:
変わってきましたね。
はるな: 心の変化という言葉がありましたもんね。この活動について玉木さんどう考えられます?
玉木:
むちゃくちゃ、ごっつい大事やと思うんですね。実は日常的なつながりがなかったら、災害が起
きた時にはもっとつながりない、なんていうのは僕の経験からもやっぱり実感としてあるわけ。
この取り組みのいいところは、
「防災訓練やりましょう」って言ったらなかなか集まらないけど、
もちつき大会のついでに、とか夏祭りのついでに、とか、そういうのも一つは大事なポイントか
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なと思って聞いてたんです。
はるな: 楽しいイベントをいれるっていうことですよね。そのイベントでまたコミュニケーションもとれ
るし。水谷さん、このように障害のある人たちも一緒になって地域ぐるみで災害に備える取り組
みを行っているところって他にもあるんですか?
水谷:
名古屋もね、こういう取り組みあるんです。昭和区陶生町(とうせいちょう)っていう町内会が
ありまして、障害のある人ない人っていうのは特に関係なく町内会独自の防災台帳っていうのを
作って、全戸に「お宅に困った人いますか」って。「いざっていうときに手をあげてください」
って、配ったら、結構、障害のある人も手をあげるんですけど、それだけじゃなくて一人暮らし
で心細い若者とかね、そういうひとも一緒に手を挙げてきて。そういう人は、「あなたは支援者
の側に回りなさい」と、防災台帳で把握された若者も巻き込みながら、もう一方で、以前は元気
だったけど最近顔見なくって閉じこもってる人がいたんだな、とかね、そういう人に気づいたり、
重度の脳性まひの人でこういう人ってどうやって手伝ったらいいんだろう?っていう人も・・・
いろんな人が把握されていて、そういう人たちも一緒にできる仕掛けを町内会の中で取り組んで
る。その特徴的なのが、黄色いリボン。黄色いリボンっていうのは災害があった時に無事だった
ら玄関先にリボン掛けましょう。マンションとかだったらベランダ、外から通りから見て見える
ところにつけるって申し合わせを・・・
はるな: 「無事ですよ」って?
水谷:
そうそう。そうすると障害あるなしに関係なく、なんか一大事とか事情がある家はリボンが掲げ
られないから組長さんが見に行くとか隣の人が見に行くとかね。そうやってみんなでこう、見守
るっていう仕掛けを作っておられます。
はるな: それぞれの地域で取り組みが始まってるのはいいですし、他でまだ始まってない地域もあると思
うんですよね。どうやって知らせていけばいいんだろう?
玉木:
たぶん僕が住んでる西宮もそうなんやけども、逆にね、僕らなんか一回大きな災害やってるから
もう自分たちが生きてる間にはそういう災害はこないやろうとタカをくくってるところもある
と思う。そうじゃなくて実はいつ何時何がおこるかわからへん。そういうことも含めて、やっぱ
り、僕らがまずは考え続けることがまずは一歩かな、と思うんやけどね。
はるな: 考え続けることが、防災を意識することがまずは一歩ってこと?高野さんはどう思いますか?
高野:
皆さんがおっしゃったように地域ではやっぱり隣近所が一番大事やと。なかなか隣が縁遠くなっ
てますんでね、挨拶くらいからでも始めたいなと。
はるな: そうですよね。水谷さん、こうした取り組みを広げていくにはどうしたらいいですか?
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水谷:
これまで災害っていうのは行政、国が守ってくれるとかね、住民の人たちからすると災害はお上
とか国が守ってくれるもの、って安心感の中で、非常に地域の防災力って落ちてきてるんです。
災害対策基本法っていうのが1961年にできて、それ以降、国の責任で住民の命を守りますっ
て言われ続けてきたから、自分たちで守るってことができなくなってきている。それを逆転する
には、もう一度地域の人が自分たちで支えあう、助け合う仕組みを作る。そのためにはやっぱり
行政が支援の舞台を用意して、舞台を用意するだけで実際に助け合うのは住民の人たちであった
り、障害当事者、その家族が自分たちのために何ができるんだろうってことを今一度準備するよ
うな、そういう仕掛けづくりをこれから急がないといけないな、という風に思います。
はるな: 玉木さん、どうですか?
玉木:
やっぱりこういう活動広げていくっていう前提やね。「自分が災害にあった時にどうなんやろ
う?」っていうことを考えることからでしか始まらへん。それを考えていくと、高野さんが言わ
れたように「ほな、今日から隣のおばちゃんに挨拶していこうかな」みたいなとこの一歩がたぶ
んできると思うから。そういうのが大事かなって思うけどね。
はるな: はい。今日は、阪神・淡路大震災から20年ということで、災害時に障害者の命をどう支えるか、
ということについて考えてきましたけども、その大変な時にやっぱり人に言いづらいっていう気
持ちもあるかもしれないけども、やっぱり言ってもらってわかることもあるのでやっぱりコミュ
ニケーション、日ごろどう取っていくかということが大切っていうことがすごくわかりました。
高野さん、水谷さん、玉木さん、今日はどうもありがとうございました。
玉木・水谷・高野: ありがとうございました
はるな: さて、はるな愛の「バリバラR」
、いかがでしたか?感想やメッセージをお待ちしています。
宛先は郵便番号540-8501。NHK大阪放送局、「バリバラの係」です。メールは、番組
ホームページから送って頂けます。ホームページのアドレスは、 nhk.jp/
来週の「バリバラR」も、どうぞお楽しみに。はるな愛でした!バイバイ。
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