Title 所得の地域分析と国内人口移動 - HERMES-IR

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所得の地域分析と国内人口移動 : デモグラフィの見地か
ら、グラント初版発行三百年を記念して
舘, 稔
一橋大学研究年報. 経済学研究, 7: 179-246
1963-03-31
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
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http://hdl.handle.net/10086/9383
Right
Hitotsubashi University Repository
所得の地域分布と国内人口移動
第三節
第二節
第一節
所得の地域分布と人口移動の経済的ポテンシャル
人口移動の経済的ポテンシャルと実際人口移動
人口分布の不均等
人口移動の経済的動因と機能
一七九
稔
デモグラフィの見地から、グラント初版発行三百年を記念して1
舘
第一章 序 説
第二章 人口移動に関する法則の発展
第一節二つの古典法則
第二節 三つの先駆的近代法則
第三節 近代的諸問題
第四節 結 語
第四節
経済成長と人口移動の経済的ポテンシャル
所得の地域分布と国内人口移動
第五節
第三章 所得水準の地域格差と人口移動
ぴ
一橋大学研究年報 経済学研究 7
第六節 人口再生産力の地域格差と人口移動の経済的ポテンシャル
第七節 結 語
第一章序
一八○
なく、﹁人口分布の法則﹂といわれてきたものや特に法則として取り扱いうるものはこれらをすべて含むものとする。
人口移動に関する法則の範囲は、これを広義に解し、これまで﹁人口移動の法則﹂と呼ばれてきたものばかりでは
性、あるいは、統計規則性というほどの意味と解される。
ろいろ﹁法則﹂と呼ばれてきたものがある。この揚合の﹁法則﹂とは、人口という人間の集団現象における集団規則
︵4︶
﹁人口学﹂の一分科を形式人口学協8ヨ巴3ヨoαq霊℃げ﹃ということができる。形式人口学においては、これまでい
人口現象自体の秩序を分析する方法とその適用を研究することを分野とする形式学、あるいは、方法学としての
︵3︶
ける人口地域移動に関する﹁法則﹂三百年の発展のあとをグラントまでさかのぽってみよう。
︵2︶
のうち、今日、世界で、人口の地域移動に関する問題が注目を集めている事実にかえりみ、まず、デモグラフィにお
古典の常として、グラントの著書もデモグラフィの広範な領域にわたっていろいろの重要な課題を含んでいる。そ
たずさわるものとしては、今年、一九六二年はこの不朽の名著出現の三百年を記念したい年である。
C・H・ハルによれば、﹁デモグラフィ﹂の祖、グラント︵08げ巴昌ぢぎO冨§ρ獣8∼翼︶著﹁死亡表の自然的お
︵1︶
よび政治的諸観察﹂の初版が発行されたのは、一六六二年の一月二十五日と二月五日との間であった。人ロの研究に
説
︵5︶
人口現象の秩序は、人口発展段階説やこれに関する批判が物語る.ことく、社会の歴史的発展段階に相対応する。そ
して、人口移動に関する法則の多くは経験法則であるから、その大部分は歴史的相対的法則であるとみられる。
形式人口学においては、人口の集団秩序を捕えることがその窮極の目的の一つであるから、人口移動に関する法則
の発展は、この課題に関する形式人口学の研究の発展を集約するものといっても過言ではない。また、こうした意味
での法則は、実体人口学はいうまでもなく、広く関連をもつ個別科学によって実体的に説明されなければならない幾
多の重要な課題を提示するものであるし、事実、多くの実体学的説明の理論を伴っている。
こうした見地から、第二章においては、グラント以来、人口移動に関する法則三百年の発展のあとをたどろうとす
る。しかし、発展といっても、以下に掲げる法則の全部の原典を集めて逐一吟味し、その歴史的関連を考究するため
にはなお多くの時間と労力とを必要とするのであって、ここでは人口移動に関する法則の真の意味での歴史的発展を
たどるというよりもむしろクロノ・ジカルなカタ・グを作ったに過ぎない結果に終っている。しかし、少なくともわ
たくしの知る限り、こうした文献はこれまでほとんどないようにみられるので、極力簡単に一章を設けて取りまとめ
てみた。
第三章においては、近年、わたくしが試みてきた、日本における人口移動と経済要因と人口要因との地域分布との
関連に関する形式人口学的な一つの規則性についての研究結果の概要をとりまとめてみた。それは巨視的、長期的な、
またきわめて端緒的なものであって、わたくしは、これを必ずしも、人口移動の法則とせん称しようとするものでは
ない。ただ、この研究の動機が、人口移動に関する法則をさかのぼった結果、後に述べるグラントの法則とペティの
所得の地域分布と国内人口移動 一八一
一橋大学研究年報 経済学研究 7 ﹂八二
法則とを関係付けて、新しい日本の事実について何らかの経験的規則性が見出されるかいないかを試みようとしたこ
とにあったからである。また、それは人口移動の要因、ことに経済的要因について結論を提示しないまでも、人口移
動の動因や機能について、人口学と経済学とが協同することができる一つの好課題を示唆するものとみられるからで
ある。
o協竃・旨p一芽二琴↓①肩oげ呂ξξo巷鼠ぼ一。冨の声臣“O鎖目げユ凝①暮昌Φd巨く①邑釘ギ①のω一。。。汐<o一■HH︸や呂ざ
︵−︶ρ昌国三一︵&,y↓﹃①浮8。巨。≦葺ぎ鵯o出ω貯≦竃壁目旧9な3鴨9段&島跨Φ○σωΦ辱&o霧一・b9匹一一ω
くo一.一植唱や図巳く 1 図 図 図 く 臨
︵2︶ 人口移動にはその産業間、社会階層間、世代間、地域間などいろいろの移動が考えられる。この稿では人口移動を人口地
域移動に限定し、以下、特に必要のない限りこれを単に人口移動という。一国内における入口地域移動は国内人口移動といわ
れている。
︵3︶ ﹁人口秩序﹂と﹁人口原理﹂とを分けて、人口秩序の探求の上に人口原理の確立を説かれる南亮三郎教授がある。
南亮三郎﹃人口学総論−人口原理の研究﹄一九六〇年、前編第一章。
︵4︶ 形式人口学に対して実体人口学弩宮5暮貯①山①ヨo讐蟄℃け︾が対応される。
稔上掲 書 五 六 〇 1 五 七 三 頁 。
舘 稔﹃形式人口学ー人口現象の分析方法﹄一九六〇年、二一−二九頁。
︵5︶舘
第二章 人口移動に関する法則の発展
第一節二つの古典法則
︵1︶
人口移動に関する法則の歴史は、十七世紀後半のイギリス政治算術にさかのぽるとみられる。近代形式人口学は、
十九世紀第4、四半期に始まるのであるが、この期間に、若干の先駆的な近代法則が現われている。多彩な一連の法
︵2︶
則が次々に現われてきたのは二十世紀になってからである。イギリス政治算術は、人口移動に関する二つの重要な法
則を発見した。その一つは、グラントの﹁都市人口増加の法則﹂であり、いま一つは﹁ペティの法則﹂である。
︵一︶ グラントの都市人口増加の法則︵一六六二年︶
グラントはその著﹁自然的政治的諸観察﹂において、都市人口増加の基本的事実をはじめて計量的に明らかにした。
すなわち、たとえ大都市人口の自然増加はマイナスであっても、大都市人口は地方からの人口流入によって増加する
という経験的規則性である。もっともかれは、これを法則とはいっていないし、当時のロンドンについての観察であ
︵3︶
って、必ずしも大都市一般に拡張しているわけではない。また、その後大都市人口の自然増加は必ずしもマイナスで
はなくなった。それにもかかわらず、それは都市と農村とにおける人口移動の集団規則性についての重大なる発見で
あり、かれ以後の政治算術家はしばしぱこの事実を大都市一般に拡張し、古典形式人口学においては、もはや、大都
所得の地域分布と国内人口移動 一八三
一橋大学研究年報 経済学研究 7 一八四
市人口増加の基本的法則として動かすべからざるものとなり、今日に至るまで、あらゆる事実による検証に耐え、現
在では都市人口増加の科学的常識とさえなっている。この規則性の偉大な発見者の名を冠して、これを﹁グラントの
都市人口増加の法則﹂というも必ずしも不当ではあるまい。
︵二︶ ペティの法則︵一六九〇年︶
︵4︶
コーリン・G・クラークが名づけた﹁ペティの法則﹂がある。すなわち、ペティ︵ωぼ≦一一鼠B評け9ま鴇∼。。回︶に
よれば、農業よりも製造業による方が、さらに製造業よりも商業による方が、利得がはるかに多い。こうして経済進
歩に伴って労働人口が農業から製造工業へ、さらに製造工業から商業およびサービス業へ移動するということである。
もとより、この法則は、人口産業間移動を主眼とするものであって人口地域移動自体の法則ではないが、その経済的
動因を乏しい材料をもって計量的に述べたものとして重要である。
︵1︶ 舘 稔 上掲書 二九頁。
︵2︶ 舘 稔﹁所得と人口との地域分布からみた人口大都市集中のポテンシャル﹂都市問題 第五一巻第五号 一九六〇年五
月。
︵3︶○■胃国巳一︵a■yoや9f<〇一’月づやまざまO∼鴇押oけρ︹久留間鮫造訳 グラント死亡表に関する自然的及政治
的諸観察統計学古典選集 第三巻︵W︶ 一九四一年 一五七、一六四−一六六頁など。︺
︵4︶ 大川一司、小原敬士、高橋長太郎、山田雄三訳編﹃コーリン・クラーク経済進歩の諸条件 下巻﹄一九五五年 三七四−
三七五頁。
曳
ρ昌田三一︵&。 y o や
9一‘くo一,H︸℃b■Nいρ卜∂頓O︸
一刷 一九五五年 四四、 四九、六四ー六五頁。︺
第二節三つの先駆的近代法則
N籍∼卜∂ひoo・︹大内兵衛、松川七郎訳 ペティ著政治算術 岩波文庫 第
近代形式人口学の成立期、十九世紀の第4、四半期に、三つの先駆的な近代法則が現われた。 ケリーの社会物理学
的法則とラヴェンスタインの距離法則とビュヘルの補償法則とがすなわちそれである。
ケリーの社会物理学的法則︵一八五八年︶
所得の地域分布と国内人口移動 一八五
されてきた。いずれにしても、かれの理論の基礎は社会物理学的均衡理論であって、出生減退理論は、こうした立揚
ケリーの人口理論、ことに出生減退理論はあまりにも有名であるが、かれの人口都市集中理論は、あまりにも閑却
︵3︶
学﹂の代表者の一人である。
人として人口理論史上知られている。なおまたかれは、社会現象の物理学的説明を強調する十九世紀の﹁社会物理
げΦ濤9窪。8一。。81這8︶を受け継ぐ生物学的人口理論、南亮三郎教授のいわゆる﹁神経組織発達説﹂の代表者の一
︵2︶
ケリーは、アメリカ経済学を最初に体系化した人として、経済学上の﹁楽観論者﹂として、またスペンサi︵国巽,
旨潟−一〇。這︶にさかのぼるとみられる。
近代形式人口学における人口都市集中に関する法則の歴史は、おそらく、アメリカのケリー︵国Φ葭︸、o﹃帰一㊤。o帥賊.罫
︵1︶
(一
一橋大学研究年報 経済学研究 7 一八六
に立って、スペンサーの理論を援用したものであり、かれの人口都市集中理論は、分子間引力の物理学上の法則の適
用の一つにほかならなかった。
ケリーによれば、人間最大の欲求は社会結合、霧乙・8笹葺8を作ることであって、こうして、人間は社会の分子であ
る。社会の分子としての人間は、他の人間をお互いに引きつけようとする。人間社会におけるこの引力の作用は、分
子間引力の大法則の一つにほかならない。﹁与えられた空間に集まる人間の数が多ければ多いほど、そこに働く吸引
︵4︶
力は大きい。他の物質世界のいたるところにおけると同様、ここ、人間世界においても、引力は質量に正比例し、距
離に反比例する。﹂﹁しからば、なぜ人類は地球上の一点に集中しないのであろうか?﹂と自問し、こう自答している。
﹁地球を包含するみ.ごとな系︵太陽系−舘︶の秩序を保っている同一の単純にして普遍的な法則が存在するからであ
る。﹂と。・
要するに、ケリーの都市人口分布の法則は、分子間引力、あるいは、一七七三年のラグランジュ︵いい鍔讐聾窒
嵩まー一。。一い︶の重力の法則の援用であり、系の理論である。こうして、今日、後に述べるスチュアートによって代表さ
︵6︶
れている人口移動の物理学的ポテンシャル理論は、ケリーにさかのぼるということができる。
︵二︶ ラヴェンスタインの法則︵一八八五年︶
近代形式人口学における人口移動法則として最も先駆的であり、今日にいたるまで、人口移動の研究に基本的資料
︵6︶
と課題とを提供したものは、ラヴェンスタイン︵眞ρ刃薯窪器ぎ︶の研究である。最近における﹁空間経済学の麗8
①。99艮9﹂の研究者、アイサード︵≦包一9H鍔巨︶が﹁ラヴェンスタインは、距離との関係において移動人口を統計
︵7︶
的に分析したおそらく最初の人であろう。﹂といっているのは正しい。
一八七六年、衛生統計の父といわれるファール︵≦三置ヨ評芦冨9−G。ω︶が、イギリス人口調査による出生地人口
︵8︶
の分析を行い、人口移動にはなんら決定的な法則がないとしたことに対し、一八八五年、ラヴェンスタインは、一八
七一年と八一年とのイギリス人口調査における出生地人口を詳細に分析し、人口移動には幾多の法則、ことに人口移
動量と移動距離との関係についての法則があることを実証し、さらに、一八八九年の第二論文において、イギリスを
含む約二十ヵ国の事実を分析してかれの移動法則を論証した。
︵9︶
ラヴェンスタインの人口移動法則の大要はかれ自身がまとめているところによると次の七つである。
︵1︶ 移動者の大部分は短距離を移動するにすぎない。こうして、移動者を吸引する商工業の大中心に向かう
﹁人口移動の流れ﹂が現われ、人口分布の全面的変動が生じる。
︵2︶ 移動範囲は限られているが、国の全面に広がっている人口移動については、その当然の結果として、人口
吸引の過程は次のような形で進行する。すなわち、急激に成長する都市を直接取り巻いている農村の住民は都市に
群がって流入する。こうして生じた農村人口のあき間は、さらにいっそう遠方の地方からの流入によって満たされ
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ち ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ち ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ち ヤ
る。こうして、急激に成長する都市の一つの吸引力がついには、国の最も僻遠な片すみにいたるまで波及する。そ
の結果、ある人口吸引の中心地において調査される流入人口は、それらの移動者を送り出した人口との距離に対し
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ち ヤ て反比例的に減少する。しかし、ときとして、交通機関の発達が距離の不利益を相殺することもある︵傍点−舘︶。
所得の地域分布と国内人口移動 一八七
︵3︶ 人口分散の過程は人口吸引の過程の逆であって、人口吸引の過程と同様の形を表わす。
ヤ
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︵4︶ 人口移動のそれぞれの主流昌践昌窪畦o暮は、これを補う反対流o窪暮96霞器筥を生じる。
︵5︶ 長距離を移動する移動者は、一般に、好んで商工業の大中心の一つに向かう。
︵6︶ 都市で生まれたものは農村のそれよりも移動性が低い。
︵7︶ 女子は男子よりも移動性が高い。
これらのうち最も重要なものは︵2︶の傍点をほどこした都市における流入人口はその出生地との距離に対して反
比例的に減少するという人口移動の距離法則である。
これらの法則のほか、ラヴェンスタインは人口移動に関する多くの重要な課題を提示し、重要な概念規定をも試み
ている。わたくしの気づいた二、三の点を掲げて結ぴとすれば次の.ことくである。
︵1︶ かれの研究は、人口移動に法則なしとするファールの見解に対する有力な実証的反論であった。﹁法則﹂
を人口現象の秩序、すなわち、規則性と解するかぎり、かれの試みは確かに成功であって、形式人口学上の人口移
動法則の礎石を築いたものといってよいであろう。
︵2︶ かれの法則説明の理論は、経済学のみならず広く社会学の分野にもわたっているが、少なくとも、かれは、
︵m︶
人口移動の主動因は経済的要因であって、商工業の中心地における労働力需要にほかならないとし、当時、客観的
に成熟しつつあった近代人口移動の特徴を明確に捕えたものとみられる。
︵n︶
︵3︶ 人口移動の距離法則を提示するに当たって、周到にも、かれは移動距離を主眼として移動人口の形態分類
を試みている。すなわち︵A︶同一の市8謹一または教区冨器げ︵最小行政区画︶内部の移動人口を地域内移動
て定住地に至る段階移動旨蒔β該8耳再お霧︵D︶長距離移動者︵E︶一時的移動者8巳9声曙巨蒔舅暮ωと
︵E︶
者昌。一8巴目蒔旨暮︵B︶短距離移動者跨曾ヱo目昌曙日蒔声暮の︵C︶職を求めて教区から教区へ転転移動し
︵U︶
しては、学生の就学移動や旅行者から受刑者、航海業者、軍隊に属するもの、出稼に至るまで含まれている。この
分類はかならずしも明確十分ではないが、人口移動の形態分類としては先駆的なものの一つである。
︵4︶ また、かれは、人口移動の主流に対する反対流が﹁補償的8目需塁暮o曙﹂に存在することを明確に認識
したおそらく最初の人であろう。しかし、かれは﹁この反対流は強い揚合もあれば弱い揚合もあって、文字どおり
︵ 1 3 ︶
︵h︶
補償する揚合はきわめて少数である﹂とし、人口移動の主流と反対流との間に明確な関係を見出す仕事は、次に述
ぺるビュッヘルにまたなければならなかった。なお、ラヴェンスタインが反対流を生じる理由について、都市に移
動したものが希望を裏切られるとか、その能力がなかったということで出生地に帰るのではなく、経済上の利害関
係による﹁出生地人口の交換..臼。9凝Φ、、亀冨江お﹂と解したことは問題である。当時のイギリスの社会的経済
的背景に注意しなければならないが、二十世紀の研究は﹁経済的交換説﹂よりもむしろ﹁社会的経済的淘汰説﹂に
傾いているとみられるが、ここでは、これ以上この間題に触れないこととする。
︵5︶ なおまたかれは、流出人口の定着先を分析して、﹁郡8旨受が吸収しうる流入人口の数は、非常に多く
の部分、その人口の大きさに依存する。それはあたかも、大きな海綿が小さいものよりもいっそう多くの水を吸収
︵ 1 5 ︶
するがごとくである。﹂といっているのは重要である。わたくしは、この命題は、一見、素朴単純であるとみられ
るが、深い意義をもつものとして﹁ラヴェンスタインの海綿説﹂と名づけてよいと考える。
所得の地域分布と国内人口移動 r 一八九
一橋大学研究年報 経済学研究 7 一九〇
︵三 ︶ ビ ュ ソ ヘ ル の 補 償 法 則 ︵ 一 八 八 七 年 ︶
ラヴェンスタインが指摘した人口移動の主流と反対流との関係を、ドイツ出生地人口の材料によって実証したもの
は﹁一定の都市への流入人口が大きければ大きいほど、その都市出生人口の流出は大きい。﹂という規則性、いわば
︵16︶
に、ドイツ歴史学派に属するビュッヘル︵国包蓉畠聲一・。ミー一8。︶の﹁人口移動の補償法則﹂がある。ビュッヘル
︵17︶
﹁人口流入流出の補償法則﹂を提示した。ソ・iキンとチンママンはこの法則は人口移動の流れは反対流を伴うとい
︵18︶
うだけの意味しかもたないもので、印象論的な法則にすぎないとし、深く追及しようとはしなかワた。しかし、かれ
らの批判にもかかわらず、この単純な規則性は、人口移動研究上、少なからぬ重要な意味をもっている。日本の事実
について、かつてわれわれが確かめたところによると、特定地域.乞からの流出人口を略、.乞地域への流入人口を砺と
︵19︶
すれば、一般に、§目匡q魎という明らかな関係が認められる。この関係は、形式人口学上、多くの揚合、純移動量
として与えられている人口移動統計材料を流入と流出とに分解推計を行う揚合に有用である。また、この法則は、人
口移動に関する社会的経済的淘汰作用についての重要な課題を﹁法則﹂として提出しているところに意義が認められ
る。
︵−︶国試ユ目の08浅ロ騨鼠○舘一①ρ国冒ヨ窪塁p即ぎ。琶①の。協閃彗騨一己旨慧の○。一〇一〇讐︸降ヨa。§ωo。菖の。一窪8
のoユ。のa一け&身国o≦p置≦●○段β2①毛鴫o詩一8Pつ軌。。斜■
︵2︶ 南亮三郎 上掲書 二〇三頁以下。なお、美濃口時次郎﹃人ロ理論の研究﹄一九四九年 一五三ー一五八、三〇二−三〇
九頁。
︵3︶国醇旨ω。3匠po・算窪b。箏ぐω。g。一。管毘弓け8号即2①乏畷。蒔聾含■。鼠。昌一8。。もや嵩ーま,
︵4︶蛮ρ9お網㌔旨。苞。。。。隔の。。芭のg雪8︸<。一・H︵。轟募ご・。軌。。︶㍉Φ℃H算ら窪&。一旨匿一。。NN︸署おー参
08σq冨b匡。巴閃Φ幕ヨ<。一乙刈ン。・N﹂巳団一。㌻︹H8旨邑ぎいいの℃窪ひq一。霊呂ppu毒8ロ︵①eb馨。αQ卒
︵5︶いPωけ。墨昌..国琶三。巴暴紳げ弩呂8一同巳。。。8昌8旨一夷ぎ縁窪げ隻9峯且Φρ巳一酵置日。出℃8巳蟄江。昌、、・
旨一。︾壼甘の一ωあ①一①g&因①&ざ撃9窪8Φ巳首o一ωし。軌ρ罵■い奪−鴇一,︺
︵6︶国・ρ寄く魯ω鼠p、.臣巴p誤。出巨αq轟一8、、﹂窪彗ag豪ω韓一ωぎ巴ω。。一①¢く。一。図ビく白㌔葺月冒器
一。。。。頓も℃・辱1§る且..日け①す誤・胤巨α舜糞δpωΦ8且b8R、、こ。目巨。協爵Φ沁。琶望騨け一旨。巴の8一①9<。一。
目押評詳HHこぎo一。。o。o一℃や球一1ωo勢
︵7︶≦H。。弩9い。婁言きα§。。−。。9。量﹄凶窪gゆ=富。q邑暮夷8一&鼻旨=。舞一。p募鱒Φ∼§の﹂甲
︵1 0 ︶
︵9︶
︵1 1 ︶
距離の客観的基準は与えられていない。
国。Q・菊暑Φ塁鼠poや簿’弘。。。。頓もや一。。一1一。。避
国9寄奉更Φ芦。や。一け﹃口。。。。uも℃■一℃。。Φけp
国■9国薯。塁け巴p8●。F一。。。。怠窓﹂。o。IGP
国■9国零Φ一曇①一poやo一け‘一〇。。。甜唱■一〇。刈ー一c。P
︵1 2 ︶
︵13︶
所得の地域分布と国内人口移動
一九一
≦評p、.弓ぽげ算9樹8の。=冨℃Φo慧①帥民 昼誤。協巨讐&。ロ、、08讐避窪B一浮鵯N首。︸一。。ま︵お鼻﹂8営
注塁ρ霞&Φも且ξびき弩賃。εβb。鼠鷲葺こ2象吋。罠一8。もぴぎ
︵8︶
国, ρ因薯Φ畠鼠p8。。一け■v一。。。。怠り一廼︶。
一橋大学研究年報 経済学研究 7 一九二
︵14︶ 国■○●閃帥くoβω器一Poや9け‘一〇〇〇〇怠や一〇〇丼
︵15︶ 国。ρ閑のくoロ暮o一Poや9f一〇〇Go怠や一〇〇℃・
︵16︶ この節注︵1︶の文献にょれぱ、原論文は次のごとくであるが、乙れを見る機会を得ないので、.一.︸では上掲︵1︶の要
囚,窪。げ。ツ..N自の藝の爵α。二目。曇壽呂。旨誕魯。けρ、.遍。一§ぼ葺隔ぼω。享①幕蓋gΦω舜一ω爵扇山・Nω・
約と批判にょる。
一〇〇〇〇ざのの●一−鴇,
︵17︶ 国ω08田βゆbqρρ§目一目雪目ゆPoや9け‘やωoo避
︵18︶ りの08匿5ゆロ山ρρN一目目o賊ヨ牌Poサ9け‘bや$“軌oo命
︵19︶舘 稔・小山美紗子﹁国内人ロ移動の補償法則について﹂都市問題、第五二巻第一一号、↑九六一年ヂ一一月。
第三節 近代的諸法則
十九世紀第4、四半期以後における近代形式人口学に関係ある人口移動に関する諸法則を近代的諸法則と仮称する。
以下、クロノロジカルにその発展のあとを概観しよう。なお、ここでは﹁人口分布法則﹂と﹁人口移動法則﹂との両
者を取扱うこととする。この区分は、人口分布形態の分析から出発するか人口移動の分析から出発するかによる区分
であるが、結局、両法則は、人口移動の説明として説明さるべきものと考えるからである。
︵一︶ アウエルバソハの順位法則︵一九一三年︶
かつて、ソーンダイク︵軍い↓ぎ旨費冨︶は、後に述べるツィソフの法則を紹介して﹁この発見はまさにケトレの
人間身長が正規分布をなすという発見に比肩するものとしてよいであろう。﹂と述べた。これに対してロトカ︵とぼ−
︵1︶
a冒巨霧U簿5口。。。Q。1這轟ゆ︶は、この法則の基礎はつとにアウエルバッハによって見出されていることを指摘した。
こうして、都市人口分布の法則を定式化しようと試みた最初の人はアウエルバソハ︵頴騨︾琴吾p9︶であるとされ
ている。のみならず、わたくしは、人口分布法則の多くのものが、この﹁順位法則冨莫虫器㎏巳Φ﹂との関連におい
︵2︶
て説明されるのであって、この意味で、アウエルバソハの法則は人口分布法則の重要な基礎をなすものであると考え
︵3︶
る。
かれは、ドイツを始めイギリス、合衆国、フランス、オーストリア・ハンガリi、ロシア欧州部について、都市の
人口を、大きいものから小さいものへの順位をつけて並べた揚合、都市人口の大きさと順位番号との積はほぽ一定と
なることを見出した。そして、かれは都市人口の順位に対して人口をとり、これを作図して直角双曲線状の曲線を得、
また都市人口と順位番号との積を作図してほぼ直線を得た。また、これを都市人口の実数にとった揚合、これを﹁人
口の絶対集中象oぎ8ぎ8囚o醤。暮β江9α曾零&評R巷αq﹂、都市人口を総人口に対する比率でとった揚合、これ
︵4︶
を﹁人口の特殊集中象Φ巷Φ臥勢島Φ囚9器暮↓暮一8α霞留<■﹂と名ずけた。
いま、都市人口の順位をR、順位第R番の都市人口を姦、翌を常数とすれば、アウエルバッハの法則は次のごとく
書くことができる。
肉、淘月ミ ︵一︶
所得の地域分布と国内人口移動 7;し ﹄ 一九三
あるい は 、
一橋大学研究年報 経済学研究
一九四
般化、ツィソフの法則を論じるに当たって、コンドン︵国・qoo&。巳の常用語の出現度数の分布に対する適用例や
明であるとされた。また、篠崎吉郎は生物生態学におけるアウエルバソハ法則を検討するため多数の事例について検
︵9︶
証し、﹁これらの法則性は、広くある種の偶然による一特性と考えてよいのではあるまいか﹂と結論された。
’
順位法則に新しく意義を与えたものにスチュワートQ&ロP幹睾碧け︶がある。かれは、アウエルバッハ法則の一
︵8︶
かつて、滝口良景は、日本人の姓の分布についてアウエルバソハの直線と同一のものを得られたが、その原理は不
だいに原点から遠ざかり、ますます直線に接近し、その傾斜もーに近づいてくる傾向が認められることが注意をひく。
サアドはツィッフの資料によって合衆国について、第一回の人口調査一七九〇年以降一九三〇年に至るまで毎一〇年
︵7︶
の人口二、五〇〇以上の地域社会について、アウエルバッハの直線の比較図を掲げているが、年次の経過とともにし
市についてわたくしが試みた結果によるとその値は9・。o。前後で、・トカのρ3よりもはるかに小さい。なお、アイ
ロトカは一九二〇年合衆国人口調査による都市人口を最大なるものから一五をとって考察した結果、アウエルバッ
︵5︶
ハの直線の傾斜は、アウエルバッハの法則が要求するようにーではなくて、o■8であることを見出した。そして、か
︵6︶
れは、この経験式にどれだけの意義を認めるかは疑問であるとした。日本の国勢調査年次における人口二〇万以上都
と仮称する。︶となり、傾斜はーである。
すなわち、都市人口の大きさと順位との関係は全対数図において右下がりの直線︵これを﹁アウエルバッハの直線﹂
一〇映ヤ肉同一〇αq旨−一〇の謁 ︵一、︶
7
・トカの研究業績発表度数の分布に対する適用例を掲げ、この法則が都市人口分布に適用されるばかりでなく、広い
適用範囲をもつことを指摘し、さらに物理学における熱力学的平衡状態にある気体の分子間エネルギーのボルツマン
︵10︶
分布が類似性を示すとして、順位法則の意義を競争状態にある要素間の均衡を表わすものと解した。
︵二︶ ヤングの距離法則︵一九二〇年ころ︶
︵11︶
ソ・ーキンとツインママンは、ヤング︵中ρ鴫oε茜︶の法則を引用している。それは、都市への流入人口、κ、
は都市の人口吸引力、Fに正比例し、距離Pの平方に逆比例するというのであって、一種の人口移動に関する距離法
則であるが、その後あまり適用例をみない。
ミ”因・肉\b国
ここでKは常数。
︵三︶ パ レ ト i 法 則 の 適 用
︵12︶
一九二八年、サイバンテ︵客の巴鼠暮。︶は、人口都市集中度の計量にパレトi法則︵一八九五年︶を適用した。一九
三六年、シンガー︵円系幹茜R︶は、近代化の程度と人ロ都市化は相対応するものとし、人口地域分布の型は所得
の個人分布の型に類似するとし、パレトー常数によって人口都市集中度の測定を試みた。一九五四年、G・R・アレ
︵13︶
ン︵ρ界ま目自︶はパレトi法則を四四ヵ国に適用し満足すべき結果を得たという。なお、その他にも適用例がある。
︵M︶ ︵め︶
パレトi法則は順位法則の特別な揚合であるとみられるが、アィサアドがこれらの研究は順位法則を支持するものと
い っ ているのは正しい 。
︵16︶
所得の地域分布と国内人口移動 − 、 一九五
一橋大学研究年報 経済学研究 7 一九六
︵四︶ 吉村信吉の熱伝導、拡散のアナ・ジーによる法則︵一九三〇年︶
わたくしは、かつて、人口移動を物理学的運動と理解することを前提とすれば、拡散や熱伝導の法則のアナロジー
によって説明される可能性を暗示した。ところが、東京教育大学安田三郎は、すでに吉村信吉︵一九〇七−四五年︶の
︵17︶
︵18︶ ︵19︶
研究があることを指摘された。この研究は、実証方法について論争を伴ったが、確かに、日本における人口移動法則
についての重要な貢献として注目すべきものであって、これを要約すれば次のごとくである。
まず、簡単のために一次元的に考え、任意の地点に座標原点をとり、原点から距離詔の地点の人口密度を%とし、
瓢を揚所の関数とみれぱ、その揚所における%の傾度はαミ§である。いま人口移動率を乃とすれぱ、この揚所に
おいて単位面積を通じ時間砒の人口移動量は、
α蓉
ー鳶 魯
α 鷺
また、8+魯の点の移動量は、
−窟穿竿艶︵鳶申︶α昔
一方砒時問にこの揚所における増加人口は、
艶︵鳶般︶島&幹
であるから、空間肋に入りこむ移動量は両式の差であって、
9
3身良
であって両者は相等しいはずであるからこれらを等置すれば、
蝦−艶︵卸般︶
所得の地域分布と国内人口移動 一九七
け流れる。平坦部においては人口移動もこれに類似する。直線の崖を境として台地と低地とがある揚合における人口
解が得られる。熱が一つの熱源から等しい伝導率をもつ平面を各方向に拡がる揚合には各方面に一様な速さで等量だ
これが人口移動の基本微分方程式であるが、%を温度とみれば、熱伝導の式と一致し、比較的簡単な条件については
①§
鍾 導 網 ぐ ●
①昏
これをヴェクトル記号で書けば、
蜷−八雛+鋸︶・
次に二次元空間を考え、、9方向の成分を添加して、
象 山緊
闘ー鳶−
山§ 儀§
ここになはのとむとの関数であるが、いま、常数であるとすれば、
一橋大学研究年報 経済学研究 7 一九八
移動は、伝導度を異にする二枚の板の間に直線の熱源をおいたとき傾度%の方向は熱源に対し垂直であるのと類似す
る。
吉村信吉は、以上の理論を、親村と子村との地理的分布によって実証した。藤原咲平︵一八八四−一九五〇年︶は、
この理論に大いに共感され、普通人口密度の代わりに地域の容量を考慮し、容量で人口を割ったものを﹁人口温度﹂
と名付け、類似の式を誘導し、容量を一定とすれば吉村の揚合と全く同一となることを付論された。そしてこの研究
︵20︶
を人文地理・経済地理学上に将に開けんとする新生面とされた。
︵五︶ ジブラ法則︵一九三一年︶
ジブラ︵界9ぼ暮︶は、X軸に所得を、y軸に所得別人口をとった﹁所得ピラミソド﹂は非対称的であるが、X軸
を対数にとれば正規分布に近づくことを見いだし、都市人口の分布にもこれを適用したが、その後あまり多くの適用
例をみない。
︵別︶
︵22︶
一九六〇年、鈴木啓祐はこれを一九四九年から五四年の間の都道府県別人口密度指数︵全国平均密度基準︶と合衆
国の密度指数に適用された。なお、わたくしは岡崎陽一と日本の都市人口分布についてジブラ法則の適用を試みたが、
あまりよい結果は得られなかった。
︵23︶
︵六︶ クリスターラーの法則︵一九三一二年︶
クリスターラー︵≦a§oぼ韓巴σ︶は、南ドイッの事実に基ずき、空間経済学的見地から中心都市を取り巻く地
︵盟︶
域の人ロに関するいろいろな秩序を明らかにした。そのうち、ここでの課題と関連して重要なのは、三階層都市分布
の法則と階層別都市分布の間隔法則とである。
︵%︶
︵−︶ ベリーとガリソンの要約表現によると、クリスターラーは、人口Xをもつ一つの中心都市を仮定し、これ
を取り囲む地域の経済的社会的同質性を仮定すれば、中心都市を除いた第一順位の都市は閑、Qの人口をもつ三個
の都市であり、第二順位の都市は映、。の人口をもつ九個の都市であり、第三順位の都市は因、NMの人口をもつ二七
個の都市である⋮⋮というのである。クリスターラーはこの記述を数式をもって表わすとか、あるいは、これを一
般化していないけれども、ベリーとガリソンとは、結局、これは後述のアウエルバッハ”ッィッフの順位法則の一
つの特別簡単な揚合であることを証明し、クリスターラーのこの都市体統を﹁因Uいの網状組織﹂と呼んでいる。
︵2︶ クリスターラーは、集落階層を市揚町冒畦蓉o客、区街︾旨諾o詳、郡街国お密鼠騨、県市閃①N一詩ωω鼠響、
州市Ω窪。。鼠騨、地区中心ギo︿ぎ甥3騨およぴ地方中心いき身寅騨の七階層に区分し、集落階層を一つ上るごと
にその相互間の間隔はく呵倍づつ拡大していることを見いだした。堀川侃の研究によれば、一八九三年、カール・
ビュッヘルの中世末期のドイツの都市間隔に関する研究、一九一七年、M・ジェファースンの合衆国におけるそれ
などをクリスターラーの先駆的研究として、一九三九年のレーシュ︵︾茜岳け58F這81&︶のアイオワ州につい
︵26︶
ての研究をはじめ、この種の多くの研究例を挙げられている。
︵七︶ ジェファースンの最大都市の法則︵一九三九年︶
都市地理学者、ジェファースン︵目p詩甘浮誘8︶は、四五ヵ国について考察した結果、﹁最大都市の法則↓ぽポ≦
9跨。員巨暮Φ。一蔓﹂に到達した。すなわち、﹁一国の一流都市一。毬ぎの9蔓︵最大都市℃旨鍔審。一蔓と同意と解され
所得の地域分布と国内人口移動 一九九
一橋大学研究年報 経済学研究 7 二〇〇
︵27︶
る1舘︶は常に不均衡に巨大であって、とくによく国民の能力や感情を表現する。﹂と。これは順位法則を取り扱う揚
合に常に問題となる第一位都市が第二位以下の都市に対して不均衡に巨大な事実を指摘するものである。
︵八︶ ストウファの機会法則︵一九四〇年︶
ポーリン・ヤング︵評巳ぎ<・<窪茜︶によると、一九四〇年以来、人口移動や人口分布に関する社会生態学的原理
の表現に数理的方法の適用が行われるようになってきた。先駆的な研究として、これらの研究は特定の制約があり、
不適当なところもあるが、それらは方法上の重要な貢献である。この種の研究の最初にあげられなければならないの
︵28︶
がストウファ︵留ヨ臣一距幹窪庸窪︶の研究である。
彼の命題は、人口移動と距離との間には、一応、必然的な関係の存在を前提としないで、﹁ある与えられた距離を
移動する人口は、その距離にある機会o竈興9巳幕ωの数に正比例し、その間に介在する機会旨a冒。巳轟82学
9巳鼠ωの数に逆比例する﹂ということである。いま、ある中心について丞の幅をもつ同心円帯を仮定し、幽に移動
する人口を吻、丞中にある機会数を血、中心から距離sに至る間に介在する累積機会数をのとする。ただし、機会は
雇用機会で表現され、距離は、空間単位、時間単位、費用単位など何で計られてもよい。すると、
﹂恥 鷺 ﹂Q
にヒ ミ R 野
︵29︶
で、これがストウファの法則である。かれは、この仮説をクリーブランド市からの都市間人口移動の材料で検証し、
︵30︶
M・L・ブライトおよぴD・S・トーマス、E・C・イズベルなどがこれを追試した。
P・ヤングは、適切な材料に乏しいことと、仮定に修正の余地があることとによって、検証結果は決定的であると
はいいがたいと批判している。
︵31︶
︵九︶ ツィッフの順位法則︵一九四一年︶
都市人口の分布について﹁順位と人口の大きさの法則冨爵血器跨一。﹂︵順位法則︶を強調したものにツィッフ
︵Q8茜o匹轟の一廻曽嘗︶がある。Rを順位、人口の大きさからいって第E番目の都市人口を、姦、遅とπとを常数
︵32︶
とすれば次の式がツィッフの法則である。
肉お㌧謁月ミ
この式は上述のアウエルバッハの式のEに指数πを添加したものであって、アウエルバッハの式の一般化であると
もい え る 。 ま た 、 R 個 の 都 市 の 総 人 口 を 瓦 と す れ ば 、
♪−碁+㍗卵+−−+池
所得の地域分布と国内人口移動 二〇一
費を最小にしようと努力する産業立地のために、原料の所在が分散多様である揚合には、人口は多数の小地域社会に
合化のカ88Φ9β巳ゆ臼鉱曾﹂と﹁分散化のカ8樽89良く霞のβ8寓8﹂とが働くとし、分散化のカは、原料輸送
ツィッフはこの法則をおもに人間の経済行動の理論によって説明した。すなわち、かれは、都市人口の分布に﹁統
︵34︶
イッフは、パレトー法則を適用した上述のシンガーと類似の結果に到達した。
となるから、ツィッフの法則は調和級数法則である。また、パレトー法則はこの法則の一つの特別な揚合であり、ツ
︵33︶
一橋大学研究年報 経済学研究 7 二〇二
分散多様化する傾向にあることをいい、統合化のカとは生産物の最終消費者への輸送の困難を最小ならしめる努力に
よる傾向をいう。この二つの相反するカは経済的に均衡する。分散化のカが強い揚合には、人口は小都市に分散する
︵35︶
から、小都市の数がそれだけ多くなる。統合化のカが大きければ、人口は大都市に集中する。統合化のカが大きくな
れぱ、かれの式における胚が大となり、分散化のカが大きければ小となる。
ベリーとガリソンは、この説明では順位法則の説明として不十分であるが、順位法則に注意を促した貢献を認めて
︵36︶
いる。しかし、かれらは、上述のJ・9・スチュアートの理論づけについては何ごとも触れていない。
︵37︶
︵38︶
なおまたツィッフは﹁、㌔卜・萄の仮説﹂を用いているが、ツィッフの順位法則よりむしろこの仮説を採るものもあ
る。これはすでに述べたケリーの法則の数式としての表現であり、後に述べるスチュアートの﹁人口学的エネルギ
ー﹂の概念である。
︶ ラシェヴスキーの法則︵一九四三年︶
として、醤口宰と仮定する。人口の大きさ翫の都市の人口一人当たり生産性を勉とし、脱の大きさの総ての都市の人
凝”︾︵茎いき︶一宰ー>︵き”き︶
における経済的生産性、働を都市におけるそれとすれば、一般に、
農村人口とは、都市と農村とにおける経済的機会の水準に関連する。いま、瓦を農村人口、境を都市人口、簿を農村
布を中心課題の一つとした。かれの理論は、農村と都市とにおける経済的機会を基礎とする。すなわち、都市人口と
︵39︶
人間関係の一般的数学的理論を展開しようとしたラシェヴスキー︵客に霧冨おξ︶は人口分布や都市の大きさの分
(一
口の合計を魏、帆”ど評⋮−詳誉11誉n⋮⋮旺穿とすれば、 い
嘘”、︵§一き︶臼
こうして、総べての都市の大きさは決定される。そして、都市の大きさにおける均衡は各都市の人口一人当たり生産
性が相等しくなったときに成立する。かれは、このような見地から、いろいろの考察を試みた結果、かれの理論の一
つの特別な揚合として順位法則が成立するという結論に達した。
︵一一︶ スチュワァートの法則︵一九四七年︶
スチュワァートは注−oの主論文で次の四つの分布法則を論じている。すなわち、
︵1︶ 上述のごとく、アウエルバッハ”ツィッフの法則を熱力学のボルツマン分布のアナロジイによって、競争
状態にある要素間の均衡を表わすという新しい説明を試みた。
︵2︶ 都市の数、oと総人口に対する都市人口の比率︵都市人口率︶、%、との間に、合衆国の事実に基き、
§ ” 良 < O
という経験法則を見いだした。そして順位法則が競争状態にある都市間の均衡を現わすとすれば、%と0とのこの関
︵釦︶
係は競争状態にある都市生活と農村生活との間の均衡の存在を物語るものと意味づけた。
︵3︶ 一七七三年・ラグランジは、既量糀、距離4、にある一遊星の重力の作用は§薗で測られることを見い
だした。一八二八年、グリーンは、電荷θ、の作用と距離、磁極Pの作用と距離との間にそれぞれ、。言蛤鳶という
同様の関係が存在することを見いだした。一九三九年、スチュワァートは、人口N、と距離4との間に、
所得の地域分布と国内人口移動 二〇三
き“
一橋大学研究年報 経済学研究
二〇四
︵4︶ また、スチュワァートは、任意の点における農村人口密度を恥、任意の点において総人口から受けるポテ
た。日本では森田優三が、一九五五年の材料を用いてこの方法を適用し結果を検討された。
、 ︵毅︶
味し、上述のスチュワァートのNを所得水準に人口を乗じたものをもって置きかえ人口の経済的ポテンシャルを求め
なお、後に、一九五八年、スチュワァートは、ワーンツとの共著の論文において、人口の大きさに経済的質量を加
所などがある。
︵43︶
︵招︶
年次順に掲げれば、浜英彦、鏡味完二、森田優三、堀川侃、藤沢繁樹、山澄元、松商学園短期大学信州産業調査研究
日本においても、スチュワァートのポテンシャル理論については多数の研究例や適用例がある。おもなものを発表
ロッパ、南米、アフリカ、インド、中国、日本について、それぞれ適当な単位地域を仮定して人口学的作用力を計算
︵組︶
し、これを等値線図として作図して表現した。
を考え、これを﹁人口学的エネルギi留目o瞬ε匡。窪①薦鴇S一暮霞。鼠凝。﹂と名ずけた。そして、合衆国、ヨー
≧一.ー
“
霜鱒
珊との間に、
は﹁人口学的作用力号日o讐趨匡。ぎ陣ロ窪8﹂と名ずけた。そして、ある一つの人口瓦、と4の距離にある他の人口
を類推し、これを﹁重力のポテンシャル﹂﹁静.電気のポテンシャル﹂などにかんがみ、﹁人口のポテンシャル﹂あるい
7
ンシャルを玲、乃を常数として次の関係を提示する。
∪淘口鳶墨
したがって・陽のポテンシャルをもつ任意の小地域且の農村人口を君とすれば、
単11鳶網榊卜
特定の全地域の農村人口は、
、哩羽導財閏脳匡
これがかれの﹁農村人口密度の法則﹂である。
スチ.一ワートのこれら四つの経験法則は、別個のものであるが、その理論は、物理学的均衡理論であり、系の理論
︵菊︶
であって、かれは、これらの個別の法則を相互に誘導し得る可能性を信じている。
︵二一︶ コーリン・クラークの都市人口密度の法則︵一九五一年︶
C・クラーク︵Ooぎ9p詩︶によれば、極力小さい単位地域を採ってみると、ほとんど総べての都市について、時
代のいかんを問わず、都心からの距離が遠くなるにしたがって人口密度が低下する。その関係は指数関数であって、
写を常住人口密度、の を 都 心 か ら の 距 離 と す れ ぱ 、
璽旺ぎ﹃度
で表わされる。ゐの値は都市により時代によって異なるが、都心に向かって人口がいかに密集しているかの尺度であ
る。都市の発達にともなって、6の絶対値は次第に小さくなってゆく。かれは、その理由をおもに交通機関の発達に
所得の地域分布と国内人口移動 二〇五
一橋大学研究年報 経済学研究 7 二〇六
よって説明している。また、指数関数によって求められるある都市の総人口の理論値P、は、
㌔“N莉﹂騨−卜,
となるが、実際人口よりもやや過大となって現われる。それは、一つには都市の発達につれて、都心部の実際人口密
度が次第に理論値よりも小さくなる傾向があることと都市の発達が水域や山岳によって部分的にさまたげられるから
であるとしている。かれは、アジアで九個、オセアニアで六個、イギリスで六個、ヨーロッパ大陸で八個、合衆国で
二四個、計五三個の大都市について実証している。一九五〇年の日本については名古屋、岡山、大阪およぴ東京につ
いて計算しているが、ことに岡山の結果には疑問がある。
︵46︶
わたくしは、浜英彦らとの協同研究において、東京都千代田、中央区の境界線の中央に中心をとり、半径一〇㎞幅
の同心円を二〇〇㎞まで描き、中心から三浦、房総両半島の中間海上を抜ける直線を基準線とし、一八度を単位角度
とする放射線で二〇のセクターを区分し、東海道線、中央線、上・信越線、東北本線、常盤線、総武線および房総線
の主要鉄道幹線を含む七個のセクターにまとめて考察し、それぞれのセクターについて第一ベルトから第三ないし第
九ベルトまで人口密度と都心からの距離との間に指数関数が適合することを認めた。なお、式中五とゐとの間に極め
︵47︶
て高い順相関が見いだされること、すなわち、﹁高さと傾斜の法則注凶算ω色o需昼≦﹂が存在することを見いだした。
︵48︶
鈴木啓祐は、植物生態学の見地から、クラークと同様の分布様式が植物群落内にも認められることを示し、また、
社会生態学の見地から、地点oにおいては人口吸引力とこれと相反する﹁人口反発力﹂とが働くとし、地点oからの
の距離にある人口密度をρ、融+翁の距離にある人口密度を∪+自∪とし、面とωとの関係を、αb口怒b魯︵乃は常
数︶とおき、数理的に得られる種々の人口分布の様式を示し、そのうちの一つがクラークの法則に一致することを見
いだされた。
︵49︶
︵一三︶ サイモンのストカスティック・モデルの理論︵一九五五年︶
H.A.サイモン︵国①&Φ詳︾ω葭目︶は経験的順位法則を確率モデルによって説明しようと試みた。すなわち、
かれは都市の大きさの分布は次の特徴をもつ分布の一種に属すると考える。︵−︶J字型もしくは極度の非対称分布
であって次の関数型で近似される。
、︵帆︶韮︵奨疇︶緊
でα、δおよび乃は常数。しかし、ゐはーにきわめて近いのでこれを無視することができる。すると、人ロ・名を
所得の地域分布と国内人口移動 二〇七
はそれほど有力なものであるとは考えられていない。こうした仮定に基づいて、サイモンは次の理論式を導いた。
さの人口に達していなかった都市に第︵弾+一︶人目の人が現われる一定の確率をαとする。ただし、この二つの仮定
市の中に現われる確率は、含、︵斜㌍︶︺に比例すると仮定する。また、これまで総人口が乃であったときに特定の大き
いま、特定の大きさの人口以上をもつ都市の総人口をあとする。すると第︵轡+一︶人目の人がづという大きさの都
づけ、確率過程の理論によって再構成し、都市の大きさに適用する出発点とした。
いレけ
く三。︶が生物学上の属の分布を表現するのに使ったものと一致するところから、サイモンはこれをユールの分布と名
>い︶\︵一︶ロミい、また>ω︶ミ§︶ロ一鳶。ただし、3目図、︵帖︶。これらの特徴をもつ関数は、一九二四年、ユール︵9q
ヨ
もつ都市の数は、9鳳で近似される。︵2︶ド︿導︿?︵3︶この関数は.3の小さい値までこれを表現する。たとえば、
.一
一橋大学研究年報 経済学研究 7 二〇八
食旺ギミ ︵一︶
、︵一︶”詳鳶−食 ︵N︶
、︵軋︶鳶︵帖1一︶目︵一18・︵帆1一︶、一+︵一ー霞︶鰍 ︵ω︶
ここで、乃は特定の大きさ以上の隔個の都市の総人口、、︵嬉︶は人口乞をもつ都市の数とする。都市の大きさによるそ
上三つの式は次のごとく単純になる。
の理論分布はこれらの式を逐次適用することによって計算され得る。しかし、一般にαの値は非常に小さいから、以
35十
10−15
20−25
15−20
25−30
30−35
(一
︶ 丹下健三の出生地人口の距離法則︵一九五九年︶
者は比較的よい近似を示している。
︵50︶
さについて求められた理論値と実際値とを比較したものが上の表であって両
式才と﹂と4とによって人口五、○○○以上のワシントン州の都市の大き
壽旺ぎー、︵ξ︶ ︵斜︶
に換算される。いま、物を大きさ.乞以上の都市の数とし、、︵もを人口.乞
3212未布6
満の都市の総数とすれば、
、︵帖︶緊︵帖1一︶“︵帆ー一︶、︵一十嫡︶ ︵い、︶
812976、5
︵帆︶の分布、すなわち、大きさ.乞の都市の数の分布は、順位法則による分
014U99
6
、︵一︶”崇鳶 ︵N、︶
36
36
16
5−10
B632ーユ5
千人
実際値
理論値
実際値
理論値
階 級
累積都市数(γ乞)
都市の数∫(乞)
都市の人口
内労働者出生地︵市郡別︶の圏構造を構成分析して、﹁この分布は確率分布N”一1。、尋。・、に近いが然し確率分布でも
丹下健三は、一九二四年の第一回労働統計実地調査結果により、静岡市について労働者出生地︵地方別︶およぴ管
まだ充分に把えることができずさらにそれを一般化した下記の式に適合することが確かめられた。
恥 ” ︼ ■ 1 ① 1 ﹄ 憶
ここに、Z:.圏別人口の累計値の自市︵又は自府県︶総人口に対する割合。τ−距離、単位は資料整理の関係から
一〇〇聖箪位と考えている.五、K−各都市︵又は府県︶に特有の艶﹂
この式を数理的に解析検討の上、これを全国各都市およぴ各府県に適用された。
︵一五︶ 鈴木啓祐の人口吸引力曲線︵一九六〇年︶
﹁人口吸引力﹂とし、
鈴木啓祐は、時刻τにおける総人口P、の増加率に対する部分人口7、の増加率の比佑、を部分人口︵地域︶の
R、、 ㌧
霞嚇”ー・ー
包㌧ ㌧、
総人口密度を以、部分人ロ密度を夙とし、ηをτにおける﹁人口集中度﹂といい、
繋口b、曳b鴨
霞”、︵只︶を﹁人口吸引力曲線﹂とし、一九四九−五四年各年の都道府県別人口に適用して、経験的に次の半対数放物
線を導 か れ た 。
所得の地域分布と国内人ロ移動 二〇九
一橋大学研究年報 経済学研究 7 二一〇
皐旺孕︵一〇〇qマ︶国十“︵一〇㎎繋︶十♀
ここで叫、㍍および侮は時刻τにおける常数。また、氏は日本、合衆国、フランス、オランダ、ドイツおよぴイギリ
スにこの曲線を適用して三種の型を分かち、日本についてその決定要因を分析し、観察地域の分割様式によって曲線
︵甜︶
の形態が受ける影響を論ぜられた。
︶ 西川俊作の﹁応募方程式﹂︵一九六一年︶
3㌦“、︵§、§紬ざ一念︶
考慮して次のごとく拡張を試みられた。
ここで秘は≧︵ρq︶の分布に従う確率変数。なお以上の経済的要因のほかに、地域間移動の決定に参与する要因を
一〇αq罰㌔ー9十9︵9、§︶+?さ+§
とする。そして、この関係は経験的に、次の半対数線型で近似できるとし、これを﹁応募方程式﹂と呼ばれた。
或口>§、§き︶.
存することを認め、
規則性を認め、また、ブ県からゼ県への労働力人口の移動量舜、は。乞県以外の諸県における賃金率の平均一吻、にも依
都道府県別労働力人口の流出量は流出県の所得水準駒と逆相関し、その流入量は流入県の賃金率耽、と順相関する
のごとくである。
労働力人口移動の微視的研究と定式化についての最近の研究として西川俊作の﹁応募方程式﹂がある。その要は次
(一
ここで、ψは4、研による変位パラメタで、︾は.∼県の応募者が.乞県の就業機会に対して抱く親近性、み、は乞県の
企業の・2県出身者に対する選好である。すなわち、
尽”5“︵ご謹醸︶
︵53︶
以上の応募方程式を戦前戦後の日本の事実に適用し、仮説の検証を行い、おおむね妥当であり、かつ、広い適用範
囲をもつことを指摘された。
︵1︶ ︾●一■UO爵欝..↓冨賦≦o隔弩げ程。900暮↓諄一2、、︸の909ρ<〇一。o♪2ρNa鈎︾自触一軌弘翠一”七■ま轟■
︵2︶〇三梓&2器o錫↓富uΦ§巳昌§欝p民oo霧Φ程①9。の○団りε三菩9⇒。呂9り。℃巳畳9幹且一220■一ざ29<
鴫o爵一3甜や一訓昌■
︵3︶①・σq﹃甲い劉国震蔓節且≦■い9畦一8p..2冨旨暮①o巷ポ尽ぎ塁o協葺げき塗昌−欝Φ邑&9の三℃ω、、︸︾茎巴の
o剛爵o︾器8﹃該○ロ鼠︾目o詠露目08αQ蜜℃富β<〇一,8︾客o■ど竃畦。一獣oo、
︵4︶コ︸藷答㊤9㌦.u器O①器9α醇odΦ&一冨旨轟る。犀9N窪g豊oβ、、︾︾ら9R巨器霧目窪①一一琶σq①p亀冨ぼαq‘一頃巴ぴ匡こ
一〇一い︸ののーヨi9ロ・↓陣げ巴一や
︵5︶︸いいo蒔欝固o唐①算ωo臨bξ堕8一田o一〇讐︸野一け巨03一〇聲慮﹄oひ18ド
︵6︶︾■い■○芽碧oや鼻■し8怠やいq蟄呂一〇芦やまや
︵7︶≦Hの鴛90やoFやω9霊の﹄、
︵8︶ 滝口良景﹁邦人姓氏の統計学的研究﹂民族衛生 第一一巻第四号 一九四三年九月。
所得の地域分布と国内人口移動 二一一
一橋大学研究年報 経済学研究 7 一二二
︵9︶ 篠崎吉郎﹁等比級数則に関する諸問題﹂生理生態 第六巻第二号 一九五一年八月、一三九ー一四一頁。
︵−o︶いPの3︵跨“oや。芦13鷲一暮&ぼいい9①躊一①↓弩α○,∪・∪巨。き︵のeも,雛一。
︵11︶ ”ω03犀ぎ費昌αρρ§一目一一9目㊤Poや9ダや$N昌原著は次にょるとされているが、これを見る機会を得ないので、
ここでは上掲書にょる。qωOo醤巴国図需ユ旨○嘗の鼠試oP国巳一9一P客ρ鳶9
︵12︶客のa鼠旨ρ暇.冨8誇窪ぼ鼠9。α。一一魯も8。一鶴一8①、、u竃。樗曾く・一・︿HH︾zo﹄”7np嵩o一8。。︸唇﹄いIop
︵13︶国■1<■腔鑛9へ.↓げ①.8ξσ。伍霧︶。℃巳鋒。霧、■︾冒冨一一Φ一8評曇o、の寛≦、、↓ぎ国8ぎ巨。︸。瑛塁一︸<〇一、
図■くH︾29一〇〇ρ︸βけΦ一89唱b■N巽INa●
︵14︶ 切。いいωo⇒﹃即ロα≦,い■O鷺↓一ωoPoや9叶■︼やoo轟F
O。カ●2一①p.、↓ぽ.8弩げ①自Φω唱8巳&o塁、る︷ξ爵霞毯a協一ω..”ω巳一。げぎo断爵。○蔦o旨d巳くΦ邑な一臣窪暮①
ohω5鉱ω菖8︾くo一。一9竃算イ旨βけ①這頓♪bワ一NOー一〇QP
︵15︶ 堀川侃﹁人口分布の分析尺度﹂人文地理 第一二巻第五号 一九六〇年一月、四頁。
︵16︶ ≦。Hω鷺貸o℃■9け.︾や鴇員
︵17︶舘 稔﹁近代形式人口学の発展﹂人口間題研究第七九号 一九六〇年六月、三八頁。
︵18︶ 安田三郎﹁社会調査における数学的方法の諸問題﹂︵未発表論文︶ 一九五〇年。
︵19︶ 吉村信吉﹁地名による人口移動の一考察︵第一報︶﹂地理学評論 第六巻第二号 一九三〇年二月、六一−七六頁。
︵20︶ 藤原咲平﹁吉村氏地名による人口移動の一考察を読みて﹂同上誌 第五巻第三号 一九三〇年三月、五五ー五八頁。
︵21︶ 界のま冨ρU陣冒ひσq巴ゆaωひ8営oヨ5βのρ90■一矧帥ユω一3ど℃や田OIN旨︸悼oo9
高橋長太郎﹃所得分布の変動様式﹄一橋大学経済研究叢書5 一九五五年。
︵22︶ 鈴木啓祐﹁わが国の人口密度に見られるギブラート分布﹂およぴ﹁アメリカ合衆国の人口密度に見られるギプラート分
布﹂医学と生物学 第五七巻第一号およぴ第五号 一九六〇年一〇月五日、二七−二九頁およぴ第五号、同年一二月五日、 一
八九−一九一頁。
︵23︶ 舘 稔﹁首都を中心としてみた人口都市集中に関する“法則“﹂東京市政調査会首都研究所人口研究委員会報告2︵謄
写︶一九六二年、一二ー二五頁。
︵24︶≦○ぼ一ω琶一99①N①暮審一①昌○簿Φ言のまq。葺。。。匿弩ρ。ぎ。痔08巨ω。ぼの8範冨嘗一の畠①d馨R警。言夷砕げR
&①OΦ紹欝ヨ欝巴のぎ津山。同く03邑g轟β泣国暮且。匹琶四q母聾①巳β夷窪巨け琢置苗。げ窪男§霊自①p︸Φ壁這いい■
︵26︶ 堀川侃 上掲論文 五−七頁。ちなみに、この文献に掲げている多くの研究例中、J・A・バーネスおよぴA・H・・ビ
︵25︶国●︸■い閃Rq帥鼠宅■■ー○醇旨oPoや。Fやo。9
ンスンは、中心地の分布が正六角形システム︵ハチの巣型︶にょる揚合、Dを中心間距離、且を中心地所在の正六角形の面積、
πを中心地の数とすれば、b“一一・一<﹂誉であるとしているが︵い︸切pコ一Φ。。節昌α︾・甲卿oげぎ8P.、︾諾≦ヨ①9&3↓
跨Φ8冥8Φ暮暮δ口亀e8Φ議a霊旨一b8三暮δ昌、悔︾08⑫βb三〇巴園o≦ヨ<〇一ーωρ一雲ρbや一零1一鴇■︶この式は、
形式人口学では、一八五〇年の初期、イギリスで現われた﹁接近度冥〇五一三蔓﹂のそれと全く同様である︵舘 稔 上掲 形
︵27︶ド一Φ験誘op、.↓冨﹃名o崩爵①冥目暮。94、.”08鴨巷三。巴閑Φ︿凶。ヨく〇一る。一29ρ>冥二一。郵や鵠一、
式人口学 四五二頁参照︶。
︵28︶り<,<o巨αq︸の9。暮Soのo。巨の貰く①器き自因①器弩。Fき冒零03&98跨o富。凝3§ρ8昌。8計誉Φ鶴02
陣昌山p塁一鴇冨○胤ωooす一のεらΦ即90こぎ自&’浮α℃ユ馨“乞o≦畷○詩一〇Uρや&O■
︵29︶ ψ︾■ω8g融R一..一簿o笥Φ昌ぎ吸8℃o﹃9三菖o切”p夢8qお置は一一αqヨoσ三曙帥昌α巳の什§8、、”︾ヨo艮8昌の090一〇触B一
所得の地域分布と国内人口移動 二一三
橋 大
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経
学 研
一
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究
7
二一四
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︵37︶
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ω一8竃96αqβ唱げのR冨即2ρρ国8巨首αQ8P一£N・原著を見る機会をもたないので、ここではベリーおよぴガリソン上掲
論文八七頁にょる。
︵40︶ いPω3譲騨昌oや9f↓8二馨︸℃やい旨ー器い・
︵41︶ ︸Pの$毛跨“oや9∬器℃旨卦℃や3Nーまo。。かれのポテンシャルの概念は、一九三九年ごろから形成されはじめ、大
学に各地から集まる学生の数や一九四〇年ニュー・ヨークで開催の世界見本市への参加者の分布などにこの概念を適用した。
これらについては一九四〇年から一九五八年まで、数個の論文がある。
︵42︶ 浜英彦﹁∪雲さ讐8三〇﹃P琶ロ8の理論とその日本における適用について﹂人口問題研究 第七二号 一九五三年五月。
鏡味完二﹁人口の等ポテンシャル地図について﹂地理 第三巻第一一号 一九五八年一一月。森田優三﹁人口の地理的分布と
ポテンシャルー目本人口のポテンシャル地図﹂一橋論叢 第四二巻第五号 一九五九年一一月。堀川侃 上掲論文。糸魚川祐
三郎・山田忠宏﹃長野県の人ロポテンシャル線図−長野県の人口に関する研究︵共の一︶﹄松商学園短期大学信州産業調査研
究所報告 第八輯 一九六〇年七月。藤沢繁樹・山澄元﹁人ロポテンシャルについての一考察﹂人文地理 第一三巻第一号
一九六一年二月。岸本実﹁人口地理学の展望﹂人文地理第一三巻第五号 一九六一年一〇月。山田忠宏﹃畏野県工業に関す
る二、三の統計的分析ー工業ポテンシャルの分布、工業の業種別比重、工業立地﹄上掲信州産業調査研究所報告 第一三輯
一九六一年一一月。
︵43︶いPω富語旨卑民≦臣聾≦帥旨貫..野R。鳴。。q賞bξ碧民の。。巨の。一窪8、.︸08鳴ε野a因。くδチ<。一﹂。。︸
29斜卜℃臨一一800︸唱やまVI一Go轟、
所得の地域分布と国内人口移動 二一五
一橋大学研究年報 経済学研究 7 一二六
︵覗︶ 森田優三︵42︶所掲論文。
︵45︶ いP翰9く畦實○や9帥こおbユ暮︾や鴇一.
︵46︶O・Ω帥詩㌦.d号§b8巳豊8山窪の三霧、、迄o=3,0Pぼ沁o岩一の9冴ぎ巴のo。一①9一3一矯ゆ民.、q吾弩℃o讐馨一2
叢 第三九巻第三号 一九五八年。︶
号臣三霧、、”弓巷R29軌ρb冨器暮&8昌①8爵ω窪玖8990Hの劇G鴇・︵森田優三﹁第三〇回国際統計会議﹂一橋論
︵47︶舘 稔・浜英彦﹁首都圏人口の圏構造﹂都市間題第五二巻第一〇号 一九六一年一〇月。厚生省人口問題研究所﹃大
都市地域における人口の圏構造︵1︶ー東京都を中心とする大都市地域における一九五〇年、一九五五年およぴ一九六〇年、
面積、人口、人ロ密度およぴ一九五〇i一九六〇年人口増加率﹄人口問題研究所資料第一四二号 一九六一年。舘 稔﹁大都
市地域における人口の圏構造︵1︶ー東京都を中心とする大都市地域﹂日本統計学会会報 一九六一年度一九六二年。
︵48︶ 鈴木啓祐﹁式Oほ臥も聴によって示される植物群落内の植物の分布様式﹂医学と生物学 第六〇巻第四号 一九六一年八
月二〇日。
︵49︶ 鈴木啓祐﹁Oo一ぎΩ貰犀の都市人口密度の法則と数理的にえられるいくつかの人口分布様式−人口分布の社会生態学的一
考察﹂同上誌 第五九巻第五号 一九六一年六月一五日。
︵50︶ m︾・望90P、.○ロ魯〇一器のo出葵o≦象ω三げロ菖o昌協自ロo江○霧、、︸匹o目Φ鼠5︸くo一。鳶弘O頓怠bや£Uー章9︵8bユ暮&
器国・︾■の一目oP竃o山o﹃亀竃魯P20毛畷9犀一3ざoげ卑讐。Oー︶ここでは、おもに甲いい﹂WR藁蟄昌自≦ドいOaユ8P
︵51︶ 丹下健三﹃第一篇人口移住の地域構成ーとくに人ロの大都市集中現象について﹄︵謄写︶ 一九五九年二月 四三−四四頁。
Oウ9f唱やO。圃IO。Oトの要約による。
︵52︶ 鈴木啓祐﹁人口集中度と人ロ吸引力との関係について﹂﹁人口吸引力曲線による人口変動の地域的差異の類型化﹂﹁わが国
の人口吸引力曲線の形の決定要因について﹂﹁観察地域の分割様式が人口吸引力曲線の形態に及ぽす影響について﹂およぴ
﹁わが国の人口吸引力曲線の形の決定要因についての再考察﹂医学と生物学 第五五巻第二号 第四号 第五号 第五六巻第
二号およぴ第四号 一九六〇年四月二〇日 五月二〇日 六月五日 七月二〇日およぴ八月二〇日。
︵53︶ 小尾恵一郎・西川俊作﹃応募方程式にょる労働市揚の分析−戦前紡績業における地域間労働移動﹄慶応義塾大学産業研究
所シリーズ 輪、二六 一九六一−二年。西川俊作﹃紡績労働の地域間応募・就業機構﹄同上シリーズ 恥、二七 一九六一
ー二年。﹁地域間労働移動について﹂経済研究 第一三巻第一号 一九六二年一月。﹁県別の労働力流出入と賃金.所得﹂三田
学会雑誌 第五五巻第五号 一九六二年五月、およぴ﹁地域間労働移動と労働市場﹂目本統計学会会報 一九六一年度 一九
六二年八月。
第四節結
所得の地域分布と国内人口移動 二一七
発達はむしろ今後の課題であるとみられる。︵一︶巨視的法則と︵二︶微視的法則とに分けられるが、その大部分は
以上の諸法則は、︵一︶経験法則と︵二︶理論法則とに分けられるが、その大部分は経験法則であって理論法則の
てこの章の結ぴとしよう。
定の系譜をもち、数多くの課題を提示している。ここでは、形式人口学上、気づかれる二、三のおもな事項を指摘し
過ぎないのであって、完全なものではない。これらの法則は、種種の基準によって分類されるし、またおのずから特
︵1︶
以上は、わたくしの視界に入った限りにおける形式人口学上のおもな人口移動法則をクロノロジカルに列記したに
韮
貝口
一橋大学研究年報 経済学研究 7 一二八
巨視的法則であり、微視的法則の発達もまた今後に期待されよう。︵一︶人口移動法則と︵二︶人口移動の結果とし
てみた人口分布法則との二つの型を分けることもできる。︵一︶物理学的法則の援用と︵二︶所得の個人分布に関す
る経済学的法則の援用にも分けられるし、︵一︶距離法則︵二︶順位法則︵三︶物理学的ポテンシャルの法則等、対
象となっている規則性の形態や説明の原理によってこれを分けることもできる。
人口移動法則においては、ラヴェンスタインの詳細な分析に始まり、人口移動量と距離との関係に関する人口移動
の距離法則が重要な地位を占めている。人口分布法則においては、ケリーに始まってスチュワートに至る物理学的ポ
テンシャルの法則と、いま一つは、アウエルバッハに始まる都市人口順位法則である。上述のベリーとガリソンは、
ツィッフ、クリスターラi、ラシェヴスキーおよびサイモンを順位法則の列に並べて論じている。なおまた、都市の
内面における人口分布についてはクラークの人口密度法則がある。
これらの法則を概観して、最もめだっている考え方は、人口移動は一つの運動であって、人口集積の形式それ自体
が運動の顕在的もしくは潜在的な力であるということである。したがって、運動に対する抵抗、質量と距離など物理
学的ポテンシャルや均衡、熱伝導、拡散などの物理学的法則や理論の援用ということである。
また、都市人口分布の順位法則に関連して、特定の瞬間における都市人口分布の序列は、相異る成長段階にある都
市の人口の序列であると考えれば、成長法則としての・ジスティックの適用も可能であろう。かつて、パール︵容鴇−
目o民窄琶ン。。おー一£。︶は都市人口の成長に・ジスティソクの適用を試みたが、個別の都市人口についての適用を主
︵2︶
とし、都市人口の集団、あるいは、都市人口の系についての考察を行っていないようである。
わたくしの考察によれば、世界の大都市と日本の都市とを小さいものから大きなものへの順位に並べた揚合、ほぽ
︵3︶
ロジスティックの累積的循環が認められるようである。
わたくしは、人口移動ないしは人口分布について、こうした物理学や生物学の法則や理論の援用を否定するもので
はない。しかし、具体的に社会生活を営む人間を集団としてみた人口の移動や分布については、これらの法則の背後
に社会的経済的秩序が存在し、その関連が考究されることが、さらに重要であると考える。上述の.ことく、スチュワ
アートがその物理学的ポテンシャルの理論に、ワーンツとの共著の論文において人口の大きさに所得水準の加重を試
みたことは、このような見地から確かに一つの進歩である。しかし、これが課題についてのただ一つの仕方であると
はいえない。
人口移動については、社会学や経済学の領域において数えきれないほど多くの研究がある。その課題の取り上げ方
もいろいろであるが、形式人口学的な人口移動や分布の秩序についての社会学や経済学の協働はむしろきわめて少数
である。そこで、わたくしは、一つの試みとして、人口移動の動因とそれと不可分の関係にあるその機能との面から
人口移動の形式人口学的秩序を説明するという仕方を選らぼうとするのである。こうした課題の取り上げ方は、人口
移動法則三百年の歴史にかえりみれば、結局、遠く二つの古典法則、グラントの法則とペティの法則との関連にさか
西川俊作は、イギリスにおける労働力移動の距離法則についての実証的研究として次の文献を示教された。わたくしはこ
のぼるものといえるであろう。
︵−︶
所得の地域分布と国内人口移動 一二九
一橋大学研究年報 経済学研究 7 二二〇
の文献を全く見落していたし、また通読していないのでここでは省略する。串フ蜀犀o≦Φ斜匂・窯p霧畠⇔犀鈴昌α界因〇三亭
のoP^.のε&①ωぢ旨o目oび臣蔓o臨鼠げo畦、、℃○義o匡国。80一三〇bεoβ乞8■どN卑昌α♪一80018■
︵2︶ρひq■塑b。跨どω9象oωぎ国ロ目習臣o一〇αqど切騨三ヨ03一8♪贈。ひ象茜
︵3︶ 国連﹁人口年鑑﹂によって、一九五〇年頃、世界の人口三〇〇万以上の大都市一五をとって試みた結果、約八五〇万を上
限とする適合度良好な単純ロジスティックを得た。また、日本について一九五〇年国勢調査結果によって人口三万以上の市町
をとり・人口の小さいものから大きなものへの順位に並べ、三万から約三万七千の間にロジスティソクの第一循環を、次に約
三万七千から一一万余の間に第二循環を見いだし、それ以上の市については双曲線状ロジスティソク︵コ・ロスジティック︶
を得た。
第三章 所得水準の地域格差と人口移動
第一節 人口移動の経済的動因と機能
︵1︶
かつて国連人口部は、人口移動に働く社会的、経済的諸要因に関する多くの研究結果を概観した後、﹁一般に、多
くの著者は人口移動の最も重要な動因として経済的要因を強調してきた。﹂と結論している。人口移動の経済的要因
にも種種のものがある。その中で地域の経済的諸条件を最も集約的に表わすものは地域の人口の最も広い意味での生
活水準である。そこで、人口は生活水準の相対的に低い地域から相対的に高い地域へ向かって移動すると仮定する。
すなわち、人口移動の経済的機能は生活水準の地域分布あるいは生活水準の地域格差に対する人口分布の均衡運動で
あると仮定する。
この仮定は、決して新しいものではなくして人口理論史の中に、顕在的あるいは潜在的に広く流れてきたものであ
る。かつて、南亮三郎は、人口原理の民族史的応用、すなわち、民族移動と闘争の歴史的説明の原理という見地から、
その系譜をT・R・マルサス︵↓ぎ旨器因。訂濤冒巴け言ω﹃原理﹄第六版一八二六年︶、ウイータースハイム︵国倉p島く目
婁一9R昌o一旨一八八○/八一年︶、リユーメリン︵O霧ぢくくo昌口P目巴冒”一八八二年︶、ラッツエル︵句ユ&ユ魯因諄8一︶ 一
一九三二年︶にたどっていられる。また、社会学の見地からは、高田保馬の人口移動についての﹁勢力意志説﹂があ
八八二年︶、オッペンハイマi︵牢鍵§○℃℃魯竃一旨R一九二三年︶、キューリソシア兄弟︵︾一①奉昌α巽舜国障鴨ロ囚巳謎昌9
︵2︶
る。すなわち、﹁マルサスは⋮⋮移動の原動力を生命維持の要求にもとめ、この要求をおさえるものとして生活資料
にたいする人口過剰を考えている。−⋮これに対して⋮⋮移動の原動力をなすものはたんなる生命存続の要求である
︵3︶
よりも、勢力意志、すなわち高い生活と高い地位との要求である⋮⋮﹂。
上述の仮定、すなわち、人口移動の経済的機能が生活水準地域格差の均衡運動であるとすれば、地積に対する人口
分布の不均等度、いわぱ人口分布の﹁自然的不均等度﹂に比べて、生活水準に対する人口分布の不均等度、いわば
﹁経済的不均等度﹂の方が低いはずである。また、人口移動がまったく起こらなかったと仮定した揚合の経済的不均
等度と実際人口分布の経済的不均等度と比較することによって、人口移動の生活水準均衡効果を大略計量することも
所得の地域分布と国内人ロ移動 二二一
できる。
一橋大学 研 究 年 報 経 済 学 研 究
ただし、Pは全国人口、7は国民所得である。
ざ 、
”1・ll一 ︵α︶
ン 同
∩置︵︾、ーン︶、蝕
相対ポテンシャルζは、
恥“ン、1蝕 ︵U︶
二二二
の時間における均等人口分布の仮定による・乞県の理論人口を鰐、その実際人口を鑑とすれば、絶対ポテンシャルZは、
シャルを表わすものとみることができる。そこで、均等分布の理論人口と実際人口との開差を﹁絶対ポテンシャル﹂
︵5︶
とすれば、絶対ポテンシャルの実際人口に対する比率を﹁相対ポテンシャル﹂ということができる。すなわち、特定
続けるであろう。均等分布の理論人口と実際人口との開差は、以上の仮定からみて、人口移動の一種の経済的ポテン
︵4︶
ると予想される種種の抵抗を受けつつ﹁最小抵抗の法則﹂にしたがって均等人口分布に限りなく近づくように運動を
ある。均等人口分布は、ここでの仮定によれば、人口移動の停止線であり、実際人口の移動は、地域によって相異な
が一様に相等しくなるような人口地域分布、すなわち、生活水準の地域分布に対する均等人口分布が実現した状態で
人口移動の経済的機能が生活水準地域格差均等運動であるとすれば、その究極の状態は、各地域における生活水準
7
︵1︶ q2こoやo#‘UΦ9紬5一昌”β駐90‘や一ωP
︵2︶ 南亮三郎﹃人口原理の研究−人口学建設への一構想﹄一九四三年 二四九頁以下、およぴ上掲﹃人口学総論﹄二三五頁以
下。
︵3︶ 高田保馬﹁人口︵民族︶移動の理論﹂南亮三郎編 人口大事典 一九五七年 =二−一二二頁Q
︵4︶ この仮定については、なお、理論的論証の余地を残している。
水準の地籍差を合一当た菟鋳分配所箏指標とした︶を、二肇︵畿︶の極度の轟モデ芝よって分析し・数理
南亮進およぴ小野旭は、次の論文において、わたくしの人口移動の所得格差均謝条件︵後述のごとくわたくしは広義の生活
モの巣理論農開された.Σは注目をひく。夏進.小野旭﹁労働移動と賃籍孝その理論的仮説の再吟味﹂︵謄写︶濡
的収敏条件と発散条件とを指摘された。なお、所得格差理論は従来の価格理論の範疇にあるものとし、人口移動についてのク
大董論欝藩羅告恥、2、一九六二年四月.また、桀籍は、次の文献において、わたくしの均等合分布農討
し、﹁幾的限界覆均等の法則﹂を提唱し、わたくしの均等合分布をその一つの特別窮合であること藷証された・鈴
木啓祐﹁地域的限界所得均等の法則ならぴに”均等人口分布︵舘稔︶〃にっいて﹂医学と生物学 第五八巻第三号 一九六一
年二月五日 一一一−一=二頁。ちなみに、鈴木啓祐は錦織理一郎との共著の論文において、地域的限界所得均等の法則につ
二二三
いて、各地域における物価や生計費にょる所得の修正の必要を指摘された。錦織理一郎・鈴木啓祐﹁修正された“地域的限界
所得均等の法則〃﹂同上誌.第五八巻第四号 一九六一年二月二〇日 一三〇1=二三頁。
︵5︶舘 稔﹁国内人口移動の機能﹂舘稔編﹃日本の人口移動﹄形成選書一九六一年一四六頁以下。
所得の地域分布と国内人口移動
一橋大学研究年報 経済学研究
第二節 人口分布の不均等
二二四
人口地域分布の不均等度を計量するには種種の方法があるが、ここでは、何らの分布法則をも予定しないローレン
7
ツ曲線によって、戦後の日本における人口地域分布の自然的および経済的不均等度を計量比較しよう。
λ1
一
23.5
1960
7.0
22.4
7.7
21.6
1955
12.1
1950
8.9
一
1959
%
1948
%
21.3
(2)
(1)
年 次
λ。』
きている。
映して、人口分布の自然的不均等度は比較的大きく、明らかに拡大して
一九六〇年の二三・五%にいたっている。こうして、人口都市集中を反
−の欄ωである。ろの値は一九四八年の一二・三%から絶えず拡大して、
から大きいものへの順に累積し、閉面積み、を求めて表示したものが表
理府統計局推計都道府県別人口と面積とをとり、人口密度の小さいもの
国勢調査年次については国勢調査報告、国勢調査間年次については総
線の閉面積(λ)
を除いては経済企画庁編の資料がある、これらを適当に補整し、日本の経済が、一応、戦後の混乱期を脱して比較的
府県の全部について分配所得をとることができるのは一九五七i九年のわずか三力年次に限られている。しかし、経
レ
済企画庁総合開発局が国民経済研究協会に委託推計した一九四八i五四年の都道府県別所得があり、その後少数の県
布の・ーレンツ曲線の閉面積、あ、を求めたものが表−の欄㈲である。経済企画庁編﹃国民所得白書﹄によって、都道
指
数
と
し
て
実
質
分
配
所
得
の
都 次に 、 地 域 の 広 い 意 味 で の 生 活 水 準 を 表 わ す
道 府 県 分 布 を と り、これに対する人口分
表1。人口分布の自然
的および経済的
不均等度を表わ
す・一レンツ曲
正常な成長を開始したとみられる一九五〇年を基準として、経済企画庁編﹃経済白書﹄が用いる全国物価指数によっ
て実質所得に換算し、人口一当たり実質分配所得の大なるもの小なるものへ累積して求めたものが表1の為である。
ハ ロ
あの値は年次によってかなり変動し、その幅は一九五五年の七%から五〇年の一二傷にわたっている。しかし、ると
比べると、一九五〇年以外、麗はゐの三分の一にすぎない。すなわち、人口分布の経済的不均等度は自然的不均等度
に比べてはるかに小さく、それは、すでに、人口移動の経済的機能が、所得の地域分布に対する人口分布の均衡運動
にあることを暗示している。
した蜴合の都道府県別封鎖人口を計算し、都道府県別実質所得に対するこの封鎖人口分布の・iレンツ曲線の閉面積・
ゆ.、た、人口移動の経済的機能が所得の地域格差均衡運動であるとみるならぱ、人口移動が全く起らなかったと仮定
6.6
%
25.7
14.6
33.7
%
12.1
7.0
8.8
8.9
10.2
8.9
11.9
を妨げていた一九四八ー五〇年の間においても、人口移動が所得分布の不均等をあ
表2でみると、六大都市への入市制限、住宅不足、食料入手困難などが人口移動
%
12.7
肋”︵溜、1淘卜。︶鳶障
え。 ■
移動の所得均衡効果をεとすれば、
所得分布に対する均衡効果を、概略、計量することができる。すなわち、いま人口
ε
庵、を求め、実際人口について求め為とこれを比較することによって、人口移動の
表2、人口移動の所得
均衡効果
1948−50
1950−55
1955−59
1950−59
所得の地域分布と国内人口移動 二二五
や住宅や食料難が緩和され、反動的人口大都市集中が現われたが、所得均衡効果は
の七%近く緩和したことになる。また一九五〇i五五年の間には、入市制限の解除
年 次
一橋大学研究年報 経済学研究 7 二二六
二六%近くに上った。一九五〇1五九年の九年間を通じてみると、人口移動の所得均衡効果は三四%に達している。
この事実もまた人口移動の機能が所得地域格差の均衡運動にあることを証明するものの一つであるといえよう。
ヨロ
︵1︶ 経済企画庁総合開発局﹃戦後︵昭和二三ー二九年︶推計都道府県別分配所得推計結果﹄︵謄写︶ 一九五八年。
︵2︶ 舘 稔﹃一九四八−一九五九年推計都道府県別分配所得︵暫定︶﹄︵謄写︶改訂 一九六二年一一月。前節注︵4︶所掲の
錦織・鈴木の論文のとおり、地域別物価格差の補整が必要であることはいうまでもないが、現在の地域別物価指数の適用につ
いては少なからぬ問題があるので、ここでは一応、全国物価の補整のみを行って地域別所得を実質化した。
︵3︶ 舘 稔﹁戦後わが国における人口と所得の地域分布の変動﹂人口問題研究所年報 第四号 一九五九年。舘 稔.小山美
紗子﹁わが国国内人口移動のポテンシャルー人口の地域分布と所得のそれとの関係からみて﹂同上年報 第五号 一九六〇年。
第三節 人口移動の経済的ポテンシャルと実際人口移動
わたくしは、上掲式5と6とによって、都道府県別人口移動のポテンシャルを計算した。簡単のために、その結果
を一九五〇ー五四年と一九五五−五九年との二つの期間の平均として取りまとめたものが表3である。
都道府県別にみると、一九五〇1五四年においては、各地域の回復発展の速度は、その戦争被害の程度と復興の社
会的経済的政治的諸事情の相異とによって、まだいちじるしく異っていた。農村に疏開した大都市人口の復帰も終っ
てはいなかった。戦後一九五〇年までに六百万を越える海外からの引揚者の多くの部分が農村に帰り、一時、農村的
表3.都道府県間人口移動のポテンシャル
1950∼54年平均
口
ンシャノレ 一7『ンシ 口
口
(1)一(2)
口
1,681
1,321
17352
2,077
2,052
1,551
17154
1,609
11 埼 玉
12 千 葉
2,071
2,196
1,877
2,167
14,261
7,042
7,219
4,751
4,909
1,002
1,411
±11,458 ±12.6
一158
一409
一468
一411
一346
一331
一542
一499
一314
一381
一299
一412
一3.2
一29、O
一17.3
977
1,445
一35.2
1,334
1,745
一27.5
1,002
1,348
一24.1
1,017
1,348
一28.7
1,552
2,094
一43.6
1,571
2ン070
一27.9
1226
1,540
一28.3
1β27
1,608
1ン828
2,240
14715
8,674
6,041
69.6
37.O 3,963
3,091
872
28.2
1,985
2,463
974
1,022
一15.8
864
969
_17.4
655
754
一36.5
58尋
797
一25.3
12669
2,003
一32.4
12351
1,595
一15。0
2,621
2,692
一478
一48
一105
一99
一213
一334
一244
_71
14.8 4,724
3,939
785
1,211
1,485
_274
一99
一5,7
一13.4
102.5
2018 ン
10 群 馬
一477
一654
一591
一363
一326
一596
一895
一433
一455
一125
一290
一36.1
ヤノレ
︵8︶ %
1,384
140
︵71
4,483
1,321
E91,119 91,119
3.1
1 北海道 4ン623
844
2 青 森
730
3 岩 手
1ρ90
4 宮 城
958
5 秋 田
6 山 形 1,026
7 福 島 1,481
8 茨 城 1,157
9 栃 木 12118
±12ン680 ±14.8
テンシ
(71/(6)
16︶
85ア789
151
85,789
︵41 %
(2〉
ンシャノレ
(5)一(6)
ヤノレ
(3)/〔2)
︵3︶
総 数
13 東 京
2,317
一32.4
一23.6
一25.7
一24.6
一25.9
一24.1
一20.4
一23、7
一12,9
一18.4
14 神奈川
3,661
2,673
988
15 新 潟
2,565
2,462
103
16 富 山
1,028
1,018
10
17 石 川
807
959
18 福 井
636
752
19 山 梨
514
809
20 長 野
1,527
2,045
21 岐 阜
1,218
1,569
22静 岡
27160
2,542
23 愛 知
4,084
3,559
525
24 三 重
25 滋 賀
1,121
1,477
一356
881
858
23
750
849
26 京 都
27 大 阪
2,173
1,871
302
16.1 2,141
1ン965
176
6,602
4ア207
2,395
56.9 7,397
4,934
2,463
49.9
28 兵 庫
4,244
3ン462
782
22.6 4,646
3,732
914
24.5
29 奈 良
689
770
699
773
30 和歌山
619
990 −371 −37.5 897 1,007
一152
一116
一295
一518
一351
一382
4.2
1.0
七
理論人 実際人 絶対ポテ 相対ポ 理論人 実際人 絶対ポテ 相対ポ
11︶
所得の地域分布と国内人口移動
地 域
1955∼59年平均
一24,1
2.7
一81 一105
一19.4
一4.7
一10.8
一13.1
一26.7
一16.7
一15.3
一2.6
19.9
一18.5
一11,7
9.0
一74 一96
一110 一10.9
1955∼59 年平均
1950∼54年平均
理論人 実際人 絶対ポテ 相対ポ 理論人 実際人 絶対ボテ 相対ポ
口
口
口
ンシヤノレ テンシ
ンシヤノレ テンシ 口
(1)一(2)
〔5)一(6)
ヤノレ
一33.4
458
613
一324.
一35.4
680
923
_9.5
1,412
1,691
一13,6
1,924
2,172
12.2 1,411
1,625
32 島 根
592
916
33 岡 山
1,519
1,679
34 広 島
1,826
2」113
一160
一287
35 山 口
1,763
1,572
191
36 徳 島
540
877
787
943
38 愛 媛
955
1,530
489
875
3,707
850
960
42 長 崎
1,446
17700
43 熊 本
44 大 分
17410
1,844
980
1,259
45 宮 崎
654
1ヌ106
630
869
_16.5
866
941
一37,6
1,241
1,539
一44。1
681
880
一110
_254
_434
一279
_452
一11,5
725
970
一14,9
1ン364
1,770
一23.5
1ン336
1ン905
1,021
1,273
743
1,148
2
897
β45
4,165
一40.9
,111
一154
一232
一279
_248
一214
一239
一75
一298
一199
一25、2
一25.1
一16.5
一11.4
一13.2
_245
一406
一569
一252
一405
916
,027
7
一27.5
一8.O
_19,4
一22,6
207
3,958
1
一22.2
︻一48,6 1
3,709
41 佐 賀
一38.5
0.1
39 高 知
40 福 岡
一337
一156
一575
一386
±11,458 ±12.6
5.2
37 香 川
︵8︶ %
17︶
︵4︶ %
︵31
一202
402
6 鹿児島
91,119
±14.8
31 烏 取
48
91,119
1±12,680
85,789
85,789
(61
(5}
160尋
総 数
(2)
ヤノレ
17)/(6)
(31/(2)
(1)
一橋大学研究年報 経済学研究
地 域
一25.3
_22.9
_29.9
_19.8
一35.3
45.2
二二八
な県の人口は急激に増加した。しかし、
一九五〇年三月末までは大都市の入市
制限が行われていたし、上述のような
阻害要因が人口の都市再集中を抑制し
ていたゆ
この間についてみると、均等人口分
布の仮定による理論人口が実際人口を
越え、人口移動のポテンシャルが正の
値を示し、人口受容のポテンシャルを
もつ地域は、東京、大阪、神奈川、兵
摩、京都および愛知の六大都市を含む
都府県と山口、新潟、北海道、滋賀、
富山および福岡の一二県に過ぎなかっ
た。そのうち東京の人口受容のポテン
シャルがきわだって大きく、実際人口
をはるかに越えて、その一〇二%に上
っている。大阪がこれについでいるが、相対ポテンシャルは五七%で、東京に比べて大差をみせている。大阪につい
で神奈川の三七%、兵庫の二三%、京都の一六%、愛知の一五%の順であるが、新潟以下の県の人口受容のポテンシ
ャルは非常に小さく、むしろ実際人口の現状維持とみられる。
以上の一二都道府県を除いた三四県は人口排出のポテンシャルをみせているが、その最大は鹿児島の負の四九%か
ら最小の埼玉の負の六%にひろがっている。一般に、東北、南九州、四国および山陰の極めて農村的な地方に人口排
出のポテンシャルが大きい。こうして、均等人口分布が実現されるためには、東京以下二一都道府県は約二一七万、
︵1︶
全国総人口の約一五%に当たる人口を、それ以外の三四県から受け入れる計算になる。
一九五五ー五九年間においては、各地域における戦争による特殊事情は次第に解消し、工業化地方も農業的地方も
それぞれ急速な経済発展を現わし、所得を拡大した。人口大都市集中の制約も次第に緩和された。
この間についてみると、人口移動のポテンシャルが正の値を示す地域は、六大都市を含む都府県と鉱工業が回復発
展した福岡との七県に過ぎなくなっている。前の期間に一二を数えたこの種の地域のうち七都府県が残って他の五県
は脱落して人口排出のポテンシャルをもつにいたった。こうして人口排出のポテンシャルをもつ県は三九県に上った
が、そのうち排出のポテンシャルが高い地域は、依然として、東北、南九州、四国および山陰の工業化が遅れている
地域である。この期間においては、前の期間に比べて、戦争の特殊事情が希薄となり、比較的発達の遅れている地域
︵2︶
においては所得の増加がいちじるしく、県相互間の所得の地域格差は幾分縮小したとみられる。しかし、上記の七都
府県に人口もいちじるしく集中したが、所得もよりいっそう集中したものとみられる。
所得の地域分布と国内人口移動 二二九
図1.1950−54年平均都道府県別人口移動の相対ポテンシャル
と1950−55年実際人口純移動率との関係
写Il十
oQQ
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牟』 ω
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一
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一橋大学研究年報 経済学研究
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一〇轟
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o
①
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o
o
一●ω
oさ
一
る
㍉
二三〇
人口移動の機
能が所得の地域
格差均等化運動
であるとすれば、
各地域における
︵3︶
実際人口の純移
動率︵社会増加
率︶、あるいは、
人口増加率は人
口移動のポテン
シャルに相対応
するはずである。
図−は、X軸
に一九五〇ー五
四年平均の都道
府県別人口移動
轟o
分 ム
一1 闘
十 1
も●もハ
布 o
と ●畠
口ω
o o
o o
国 .ω ロ
●ω
一
令 ω
》 o
の
o
内 お器 ●邸 o
お器
N十
●へ》
o口↑令①QO8
藁 ■ 邸o
人 刈 .㎝.←
’σ「 ●←
刈
鑑饗喫、集
慧 き
一●邸 一
●_
o
ω
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o
●
塙σ》●一
,
o︻N
臨斜
⋮δ
N
吋
1 『
卜, 碁 ① QD 噛 一』
o トユ
Q ①
孝』.
o
噛 }
』 ①
ゆ
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邸o
●N,
卜﹂●CP
一
●r卜
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亭
o
qo
●卜」
①
o
吐ω●
刈O雷
o
刈
㌧
三一=
の相対ポテンシャル︹表3欄㈲︺をとり、r軸に一九五〇1五五年の実際人口の純移動率をとり、両者の関係を図示
域 ●。
したものである。図中の点につけた番号は表3の都道府県番号である。また、図にはのに対するΨの回帰直線を描き
の uマ
1
o
地 ム
入れた。この図でみると人口移動の相対ポテンシャルに対する実際人口の純移動率は良好な対応関係を示し、単純相
得
関係数は正のO・八六を示している。図中、山口、富山、滋賀および新潟四県が人口受容のポテンシャルをもちなが
口移動の相対ポテンシャルと
1955−60年実際人口純移動率
所 との関係
ら実際人口の流出超過をみせていることが注意をひく。これらの県が次の期間に、転換して、人口排出のポテンシャ
文 器
図2.1955−59年平均都道府県別人
一橋大学研究年報 経済学研究 7 二三ニ
ルを示すにいたったことはすでに一言したところである。
︵4︶
この間における人口移動の相対ポテンシャルに対する実際人口の増加率の対応関係もやや良好であって、次のごと
き結果を得た。
健n9ひO斜いoo十9一鼻ゆOO融
橿欝益蜜験欝︸﹃”十〇●遷oo
さらに、人口移動の中核をなす男子労働力人口の純移動率と人口移動の相対ポテンシャルとの関係をみると図−に
︵5︶
きわめて類似し、両者の間に次のような結果を得た。
璽”lO●≒80十〇。 N a o o α 嬉
﹃“十〇。oQ鼻℃
図2は、X軸に一九五五ー五九年平均の都道府県別人口移動の相対ポテンシャル︹表3の欄⑧︺をとり、Y軸に一
九五五−六〇年の実際人口の純移動率をとり両者の関係を図示したものである。図2でみると、人口移動の相対ポテ
ンシャルに対する実際人口の純移動率は極めて良好な対応関係をみせ、単純相関係数は正のO・九二四に上っている。
図中、福岡が人口受容のポテンシャルをもちながら実際人口の流出超過をみせたことと、埼玉と千葉が人口排出のポ
テンシャルをもちながら実際人口の流入超過をみせたことが注意をひく。埼玉と千葉とが流入超過をみせたことは、
東京の外延的膨脹によるものとみられる。
この間における人口移動の相対ポテンシャルに対する実際人口増加率の対応関係も良好であって次の.ことき結果を
得た。
健目弁茸頓ooN十ρN8NO8
噛n十〇■QOQQ斜
さらに、人口移動の相対ポテンシャルに対する男子労働力人口の純移動率の関係について次のごとき結果を得た。
︵5︶
璽旺IOトOoO℃一十〇●鴇台ぎ
﹃”十〇もωoo
︵ 1 ︶ 一九五〇1五四年、年平均都道府県間人口移動量は約五〇万である。
︵ 舘 稔上掲年報第四号論文。
2︶
︵ 3︶
舘 稔上掲形式人口学七四七頁。
︵
4 ︶ 舘 稔・小山美紗子﹁国内人口移動のポテンシャルと実際人口の移動﹂人口問題研究所年報 第六号 一九六一年。
︵ 舘 稔・岡崎陽一﹁地域間に見る労働力移動の類型﹂東洋経済別冊夏季号恥、3 一九六一年六月。なお、これを新
5︶
・・計測と若干の考察﹂人口問題研究所年報 第七号 一九九二年。
しい資料によって改算したものが次の資料であって、ここでは改算結果によっている。岡崎陽一﹁男子労働力人口の地域移動
第四節所得の地域分布と人口移動の経済的ポテンシャル
上述の式6のように、人口移動の経済的相対ポテンシャルを決定する要因は、全国実際人口、国民所得、人口地域
所得の地域分布と国内人口移動 二三三
一橋大学研究年報 経済学研究 7 二三四
分布および所得の地域分布の四つの要因である。これを要約すれば、結局、地域別人口一当たり分配所得と人口一当
たり国民所得とに帰せられる。ここでは、まず、人口移動の経済的相対ポテンシャルと人口一当たり実質分配所得の
地域分布との関係について考察しよう。
一九五五i五九年について、都道府県別人口一当たり実質分配所得を¢にとり、人口移動の相対的ポテンシャルを
穿にとって、両者の関係について、
壁”一〇90爲鳶十一■望oo嵩聴
糠識霊麗婁蝉︸3騨旺十〇bB
を得た。
一九五〇1五四年について、同様の方法で次のごとき結果を得た。
璽Hー一〇〇.&い遷十卜⊃μ器℃oo融
ン凹“十〇bゆoo
以上は、方法上、当然の結果であるといってもよいかも知れない。
これと関連して、ここで考えられることは、第一次産業の労働の生産性は第二次およぴ第三次産業のそれに比べて
非常に低いということであって︵表4︶、所得の地域分布は、地域の産業構造、ことに第一次産業の比重の地域分布
と相対応するものと推定されるということである。
そこで、一九五五年国勢調査による都道府県別第一次産業就業人口の就業人口総数に対する割合、すなわち、第一
表4.産業大区分別労働生産性比較
を得、
141
148
1,430
10,668
134
141
3.384
35,493
95
100
17,224
55
%
10億円
1955年度
千人
千円
第1次
第2次
第3次
1,520
16,169
2,061
9,228
94
223
130
3,159
13,945
227
132
全産業
6ン739
39,342
171
100
所得の地域分布と国内人口移動
璽”刈oobOOいひー一ヤ呂O軌融
これに準じ一九五〇ー五四年について、
”IO●℃斜U
54
7,601
全産業
51
1,075
年度
879
第1次
第2次
第3次
〔4)
(11/(2}(31
産業区分
1950
3)の指数
講産1鰍口 生産性
り.
21は国勢調査による14歳以上就業人ロ.
1)経済企画庁,昭和34年度国民所得白書に
次産業就業人口割合をのにとり、一九五五i五九年平均都道府
県別人口一当たり実質分配所得を写にとれぱ、次の.ことく、両
者の間にきわめて密接な関係を認めることができる。
噌”OO、ooωひNωIOb一αoo一鷺
岳識益麗薬蝉”浮。・“IOb斜U
一九五〇1五四年についてもこれに準じて次の結果を得た。
璽“ooい■ミNSIρoo一Qo嵩琶
謹の皿igooOq
こうして、人口移動の相対ポテンシャルと産業構造の地域分
︵1︶
布との間にも対応関係が推定される。そこで、一九五五年都道
府県別第一次産業就業人口割合を詔にとり一九五五i五九年平
均人口移動の相対ポテンシャルを@にとって、
健”軌命綾旨ooー一■占℃O℃8
二三五
一橋大学研究年報 経済学研究 7 二三六
鳩一。。“IO●Qo℃O
を得た。
一九五五−五九年について、以上の諸関係を取りまとめてみると、
壕旨H十〇bOO ン。。”ーOb“軌 謹G。”iOb“軌
したがって多元相関係数は、
肉噌蕊”O●Boo
となって非常に高い。いま偏相関係数を求めると、
3トつ,。。“十〇bO一 ン。。袖”IO■Oひ①
となって、人口移動の相対ポテンシャルを直接決定する要因はほとんど全く人ロ一当たり実質分配所得の地域分布で
ある。
一九五〇ー五四年についてみると、
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ごさ。■ω”十〇■℃OO §。。■搏“十〇μ一い
となって、ここでも同様のことがいえる。
︵1︶ 実際人口移動と産業構造の地域分布との関係に関する研究がある。例えば、黒田俊夫は一九五五年都道府県別第一次産業
就業人口割合をのにとり、総理府統計局調住民登録人口移動統計にょって一九五四ー五九年転出入超過率をΨにとり次の関係
を見いだされた。
璽u罫8aOio■>象ぎ
璽uーρOQ刈国
黒田俊夫﹁最近における人口移動の動向分析﹂人口問題研究所年報 第六号 一九六一年。
第五節 経済成長と人口移動の経済的ポテンシャル
上述のごとく、人口移動の経済的ポテンシャルを決定するいま一つの要因は人口一当たり国民所得の変動である。
ここでは、この課題を少しく拡張して、経済成長と、所得水準の地域格差と人口移動の経済的ポテンシャルとの関係
を簡単に考察することとする。
経済企画庁調べの名目総生産を一九五〇年物価を基準として実質に換算し︹表5ω︺、直線傾向を除去して循環変動
を抽出し、これを標準偏差の倍率で表わし︹表5⑭︺、全国都道府県間人口移動の相対ポテンシャル︹表5⑥︺にっいて
もこれに準じて循環変動を求め︹表5凶︺、両者を重ねて図示したものが図3である。この二つの循環の間には対応関
係が認められるが、一九五三年を境としてその関係が転換していることが注目をひく。すなわち、一九五二年までは
実質総生産の循環変動と全国人口移動の相対的ポテンシャルのそれとの間には、あまり明らかな順の共変関係はみら
れなかった。ところが、一九五三年以降は、両者の間に順の共変関係が明らかに認められる。一九五三年を境とする
所得の地域分布と国内人口移動 ヒ ニ三七
関
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二三八
この両者の共変関係の転換は注目に価する事実であって、おそらく
は、深く日本経済構造の内面的変化やその地域構造の変化によるも
のと推測されるが、それは、この稿の範囲外の課題である。
次に、実質国民総生産の変動と人口一当たり実質分配所得の地域
格差の変動との関係について一言しよう。人口一当たり実質分配所
得の地域格差を単一の指標で計量することは必ずしも容易ではない
が、ここでは、その標準偏差を採り、上述の実質総生産の循環と、
これに準じて求めた都道府県別人口一当たり実質分配所得の循環
︹表5㈲︺とを重ねて示したものが図4である。ここでも一九五三
年を境とする共変関係の転換が認められる。
また次に、都道府県別人口移動の相対ポテンシャルの標準偏差の
循環︹表59と同上人口一当たり実質分配所得のそれ︹表5@との
済的ポテンシャルの地域格差に作用するものと推測される。
こうして、経済成長の変動は、都道府県別人ロ一当たり実質分配所得の地域格差を変化させ、 そして人口移動の経
きわめて密接な順の共変関係を認めることができる。
両者の循環を重ねて図示したもの が 図 5 で あ っ て 、 ここでは全期間を通じて両者の循環変動の間に
係 図3.実質総生産と全国人口移動の経済的
を ポテンシャルとの循環変動
表5,1948−58年,国民総生産と都道府県別人口1当たり実質
分配所得と同上人口移動の経済的ポテンシャル
所得の地域分布と国内入口移動
総
ァンシャノレ
年次
相対ポ
実質(1)循環(2〕
テンシ循環(4}
県別人口1当た県別人口移動相
り実質分配所得 対ポテンシャル
鷲偏循環(61
難偏循瓢
ヤル(3)
1948
10億円 σ % σ
3,386 十2,10
11.4 −1.67
1949
3,516 −1。25
1950
千円 σ % σ
7.1 −2.14
23.1 −1.98
16.8 十〇.61
11.5 十〇.08
33.0 十〇.60
3,947 −0.89
17.3 十〇.98
13.8 十1.15
34.0 十1.16
1951
4,479 十〇.28
17,0 →一1.03
14,4 十1。27
32,6 十1.15
1952
4,948 十〇,77
15.0 十〇.34
13.9 十〇.87
29.2 十1,61
1953
5ン282 十〇.12
14.9 十〇.47
13。8 十〇.69
27.7 十〇54
1954
1955
5,458 −1,57
11.3 −1.00
10.9 −0,80
21.7 −0.86
6,021 −0.44
10.4 −1.28
10.3 −1.22
18.5 −1.53
1956
6,571 十〇.44
12.5 −0.13
12.7 −0.23
21.2 −0.34
1957
7,043 +0.81
13.1 十〇.34
13.9 十〇.22
21.9 十〇.28
1958
7,294 −0.12
12.6 一←0.28
13.8 十〇.08
2Q.8 十〇.34
第六節
人口再生産力の地域格差と人口
移動の経済的ポテンシャル
これまで、一般に、文明国において、人口再生産力は、
生活水準の高い地域において低く、生活水準の低い地域
において高い。そこで、いまX軸に一九五五−五九年都
道府県別人口一当たり実質分配所得を、y軸に人口再生
ロ
産力の指標として人口動態統計報告と水島治夫都道府県
別生命表とによって厚生省人口問題研究所において計算
した一九五五年都道府県別女子人口についての純再生産
率をとって両者の関係を図示したものが図6であるが、
両者の間には明らかに対応関係を認めることができる。
上述のごとく、生活水準の地域分布は産業構造のそれ
と密接な関係をもっている。そこで、一九五五年都道府
県別第一次産業就業人口割合を謬に、上記の純再生産率
を劉にとってみると、両者の間に次のごとき明らかな対
二三九
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産 全国人口移動ポ
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橋大学研究 年 報 経 済 学 研 究
応関係 が 認 め ら れ る 。
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一 実質総生産
都道府県別人口1当たり実質所得の分散度
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図5.都道府県別人口1当たり実質分配
所得と人口移動の経済的相対ポテ
ンシャルの分散度との循環変動の
関係
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いま、純再生産率の地域分布︵濁︶と人口一当たり実質分配所得の地域分布︵濁︶との単純相関係数を短、為と第
実質総生産と都道府県別人口1当たり
実質分配所得の分散度の循環変動
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二四一
の間に対応関係が認めら
と人口再生産力のそれと
ポテンシャルの地域分布
れば、人口移動の経済的
準の地域格差があるとす
ち、重要なものに生活水
差を決定する要因のう
人口再生産力の地域格
であるとみられる。
は、生活水準の地域分布
するものは所得、あるい
の地域分布をおもに決定
となって、人口再生産力
一次産業就業人口割合の地域分布︵為︶とのそれを勉、 および濁と為とのそれを袖とすれば、
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9 一 け
所褐の.地域分布と国内人口移動
生産率との関係
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図6.1955−59年都道府県別人口1当たり
実質分配所得と1955年女子人口純再
図7。1955−59年都道府県別人口移動の相対ポテンシャルと
1955年女子人口純再生産率との関係
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歳
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一橋大学研究年報 経済学研究
●40
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0 20 30 40 50 60 70%
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y
●46
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y冨!,02119−O.00581エ
r目一〇.723
二四二
れるはずである。そこで、X軸に一九五五−五九年平
均都道府県別人口移動の相対ポテンシャルを、y軸に
上記の純再生産率をとって図示したものが図7であっ
て両者の間に明らかに対応関係を認めることができ
る。
なお、第三章、第四節において考察した諸関係と第
六節において考察したそれとの両者を結ぴ付けて次の
ような結果を得たから、付記しておくこととする。
き:⋮・一〇頴ー軌oo令判避嶺臨蟄緬普>ロ麟響e讃
藻書益津施導vヤぐ\マ
爵⋮⋮回旨>ロ一脹浮O渦璃ゆ習ヨ論
爵:⋮ら℃器搬曹磁漆弛曽醤一野煕懸湾懸>ロ麗
Φ
き⋮⋮一〇統彊蹄申>ロπ心テ^0識劃匿煕妾
とすれば、諸要因間における単純相関係数は、
ン図”十〇bOO ご。。日IOb令U ごら”1ρN一〇
浮餌”ーOb斜頓 謬 “ ” I O ヤ 一 ひ
壕。。麻旺十〇㍉ON
これらの要因間における多元相関係数と偏相関係数は、
晶●襲目O●800
3団■。。““十〇b℃一 さ鴛︷HIρOa
ご劇■器”ー90一9
多元回帰直線を求めると、
き,b3。。“”ー一〇ρ一田十一ぴBきーO、OO一き十〇■一岩き
︵顛備輩眺”O,Oひoo︶
また、実際人口移動についてみると、
き⋮⋮一〇綴1αO命嚢嵐蚤遍普>ロ識麟響樹
き.・⋮肖O象−軌o。岳億芯養感謁知普>ロ一脹浮U海矯φ謝ヨお
映G・⋮:一〇鐙岳薯峰詣緬邊碧一蹄煕撫灘懲>ロ楚吟
き⋮⋮G象岳蹄申>□符oσ^3恥醗劃爵煕楓
とすれぱ、諸要因間における単純相関係数は、
ごト・”十〇bG 壕お”1ρoooo一 ご““ーO●ひ〇一
所得の地域分布と国内人口移動
二四三
一橋大学研究年報 経済学研究 7 二四四
譲ω隅lOb斜頓 浮““ーO袖一■O
憶巽目十9NON
これらの要因間における多元相関係数と偏相関係数は、
葡噌,博。。↑閥ObNω
§P設”十〇﹄OQ 鐸o。b“”ーOレNゆ
コ轡器目十〇bNO
多元回帰直線を求めると、
図一■器“HINoo.いOQ十ρ斜一トD被bつーO■Oωoo図ω十“轟boいトさ
︵賄備翼臨”卜oレ高刈︶
︵1︶ 水島治夫﹃府県別生命表 大正一〇年−昭和三一年﹄一九六一年。
第七節結 語
以上において、わたくしは、国内人口移動の経済的機能は生活水準の地域格差に対する人口地域分布の均衡運動で
あると仮定し、戦後日本における実際人口移動の事実をもって、巨視的に、若干これを実証してきた。.︸の仮定の理
論的基礎についてはいまだ不十分な点があり、実証も決して十分ではないが、その結果を要約すればおおむね次のご
とくである。
︵−︶ 最も広い意味での地域の生活水準を表わす指標としては、人口一当たり実質分配所得をとり、人口移動の機
能が所得均衡運動であるとすれぱ、その究極の状態は、各地域︵ここでは都道府県を単位地域とした︶における人
口一当たり実質分配所得が相等しくなったと仮定した均等人口分布であると仮定した。そしてこの均等人口分布仮
定に基ずく理論人口と実際人口との開差を人口移動の経済的絶対ポテンシャルとし、絶対ポテンシャルの実際人口
に対する比率を相対ポテンシャルとした。そして、少なくとも戦後日本の実際人口移動の根底にはこうした経済的
ポテンシャルが働いていることを不十分ながら実証した。
︵2︶ その仕方は、人口移動の経済的ポテンシャルの形式的決定要因間の関係を明らかにすることであった。その
結果、人口移動の経済的ポテンシャルを直接決定する要因は人口一当たり実質分配所得の地域格差にあること、し
たがって、経済成長の変動は、人口一当たり実質分配所得の地域格差の変化を通じて人口移動の経済的ポテンシャ
ルに作用することが認められた。しかし、一九四八−五二年においては、経済成長の上昇と所得分布の地域格差、
したがって、人口移動の経済的ポテンシャルとの関係はそれほど明らかではなかったが、一九五三年以降において
は、経済成長の上昇は所得分布の地域格差を拡大し、ひいては人口移動の経済的ポテンシャルのそれを拡大し、経
済成長の下降は所得分布の地域格差を縮小し、ひいては人口移動の経済的ポテンシャルを縮小するが.ことき傾向が
明らかに認められた。産業の生産構造の地域格差︵ここでは第一次産業就業人口割合を指標とした。︶は人口移動
の経済的ポテンシャルの地域格差を直接決定する要因としては微弱であるが、所得の地域格差を決定する最も重要
所得の地域分布と国内人口移動 二四五
一橋大学研究年報 経済学研究 7 二四六
な要因の一つであ る と み ら れ る 。
︵3︶ 人口再生産力の地域格差は、おもに人口一当たり実質分配所得によって規定されるものとみられる。すなわ
ち、所得水準が低く、人口排出のポテンシャルの高い地域においては人口再生産力が高く、所得水準が高く、人口
受容のポテンシャルの高い地域においては人口再産力は低い。こうして、所碍水準の地域格差が、人口移動の経済
的ポテンシャルのそれに与える作用と人口再生産力のそれに与える作用とは逆であり、相矛盾する。この矛眉が人
口移動を促す一つの要因となっているとみられる。
以上の関係を要約して模式図としたものが図8である。
実際人口移動
人口移勤の
済的ポテン
域分 布
生活水準の
域梧差
産菜構造め地域格差
人口問題研究所小山美紗子氏、その他同研究所の同僚諸氏ならびに資
学南亮進氏、東北大学河辺宏氏、資料の集収、計算を煩わした厚生省
最後に、この稿の資料の集収を援け種々の示唆を与えられた一橋大
ヤルの
であろう。
があり、両者の均衡運動が人口移動の機能であるということができる
と人口再生産力の空間人口学的構造との矛盾に人口移動の基本的要因
人口再生産力
︵5︶ 要するに、産業、したがって、所得水準の空間経済学的構造
図8.人口移動決定の経済的要因 (
4
模式図 )
蚤 済 成 長
料の整理、作図等を援けられた福島ミツコ氏に感謝の意を表する。
』一噂冒_ ロ