水曜どうでしょう』ディレクター プロデューサー カメラマン 脚本家

現役大学生が知りたい○○○のこと。
明日の自分が好きになる方法 (Ⅱ)-5
うれしの まさみち
嬉野雅道
北海道テレビ放送株式会社 コンテンツ事業室
■ 1959 年生まれ。1996 年から始まった北海
道テレビ「水曜どうでしょう」の撮影をディレ
クターながら担当し同時に第一回ロケ直後の最
初の編集をチーフディレクターの藤村忠寿から
任され全編に渡るジャンプカット繋ぎと全面文
字タイトルという未だに続く「水曜どうでしょ
う」独特の編集スタイルを発見。2000 年には
ドラマ「四国 R-14」2003 年には芝居公演「蟹
頭十郎太」の脚本を執筆。他にドラマ「ミエル
ヒ」「幸せハッピー」の企画を担当。「悩むだけ
損」
「腹を割って話した」など著作もある。
明日の自分が好きになる方法
第5回
流れに身を任せて生きる
小林 みのり
今までの回でも語られてきたことでは
あるけれど、嬉野さんは自分の弱さと
憧れとのギャップに苦しみ、自分のこ
とを好きになれずにいた方であった。け
れど、
「自分のこと嫌いな人たぶんいな
いと思うんですよ。
」と嬉野さんはおっ
しゃった。この言葉は、嬉野さんが自
分の弱さを見つめ、それと向き合うこ
とで出した言葉なのだろう。自分の弱
さをさらけ出して、自信をもって受け
入れれば、自分の弱さも含めて自分の
ことが好きになれる、そう語ってくだ
さった。自分のことが好きな私として
は、その言葉に共感できる。自分には
欠点があるけれど、そこも含めて自分
のことを好きだと思うから。ただ、私
の言葉と嬉野さんの言葉では、その説
得性も背景も、そして何よりも重みが
全く異なる。
嬉野さんは北海道テレビで『水曜どう
でしょう。
』を作る前に、東京のテレビ
局に勤めていた。私はまず、自分の弱
さを受け入れられるようになった背景
を探るべく、嬉野さんの若いころのこ
ように思える。
「そう ( 奥さんのため ) なんだよ、実際。
とを尋ねてみた。 主体性っていうものに縁遠いんじゃな
すると、
いかな俺は。だからその結局さぁ…誰
「思い出したくない。
」
かにこう、つきとばされたりひっぱら
の一言。そりゃまあ確かに、誰だって
れたりしないと、ここからそんなに動
自分のことが好きになれなかった時代
かないんじゃないかっていう気がする、
のことは思い出したくないだろう。そ
俺っていう人間は。そういう意味で、女
のあとも、東京のころの話は、直接的に
房が北海道に、札幌に越したいって言
はっきりとは語ってくださらなかった。
うときに、反対するほど強いものを持っ
ただ、
「ずっと一人で頑張らないといけ
ていないっていうことに気づくんだよ。
ないと思っていた。そして、その限界
そうすると女房バイク乗るから、犬一
にいた。
」と教えてくださった
匹と女房と、女房の持ってるバイクと
だけだ。
で引っ越しちゃうわけ。
」
では、東京から北海道に移る
主体性というものと程遠い——私には
ことはどう考えていたのだろ
理解のできないことだった。そんな流
うか。インタビュー前、私が
されるみたいな感じで、人生における
調べた情報によると、奥さん
大切なこと、を決めちゃっていいの!? の た め、 と の こ と だ っ た が、
という怒りにも似た疑問が思い浮かん
それは本当なのだろうか?私
だ。
には、東京から北海道に移る
「この潮流に流されるって瞬間に、
『嫌
ということは、相当な覚悟や
だ嫌だ嫌だ』って思うこともあると思
理由がないとできないことの
う。けど流されるってことが必ずしも
明日の自分が好きになる方法
不本意に終わることではないってこと
で、うまいことどこかの岸にたどり着
てるっていう。
」
は、経験的に体験したかな、と思う。
」
くっていう可能性があるんだから、多
そして、その果てに藤村さんとの出会
「 だ か ら さ、 流 れ に 身 を 任 せ る し か 無
分。海流はそういうことになってるら
いがあった。
い っ て い う 状 況 が き っ と あ る と 思 う。
しいから。で、そのときに自分が行き
「俺は自分1人では多分この社会に揉ま
例えば、サーフィンやってる顔の黒い
たかった陸地じゃないかもしれないけ
れて生きていけないっていう風に諦め
友達がいるんだけどね、離岸流ってい
れども、用はそこで立ち回るってこと
てるから。そうなってくると、どこか
うのがあるんだって。すごい潮の流れ
が、多分、人生だから。立ち回る場所は、
で俺にいい環境を与えてくれるってメ
が。 そ こ に 入 っ
イトを探さなきゃ
ちゃうと人間なん
ならない、ってい
かワーって流され
うのはある。そう
ちゃうらしいのよ。
だとしてもね、タ
岸から離されるか
イミングが無かっ
ら、そういうとき
たら出会えないっ
は岸へ岸へと戻ろ
てこともある訳さ。
うとするんだって
そ こ の と こ ろ は、
さ。でも流れが強
だからね、出会いっ
すぎて絶対無理だ
ていうのは偶然な
から、横に泳ぐん
訳ですよ。
」
「 だ か ら 俺 は、 偶
ですって。そうす
ると抜けられるっ
然っていうものは、
て言ってたよ。ま
神の意志だと思っ
あそれは離岸流っ
てるわけ。サイコ
てときの場合。反
ロの目と同じです
対に潮流に押され
よ。あそこに人間
て岸がどんどん遠
の力は介在できな
くなっていくほど
いんですよ。人間
の力が介在できな
不安なことはない
じゃない。でもどんどん流されていく
俺はどこでもいいと思う。そこで立ち
いっていう、そういう力学がこの世に
間、
『岸へ岸へ岸へ』ってジタバタする
回っているうちに何かに行き着くって
はあるんですよ。そこのところを見失っ
でしょう。ジタバタすると、最終的に体
いう。結局自分が、自分だけの力では
たら、多分人類は滅亡するんじゃない
力を消耗して沈んで死ぬしかない。そ
見られなかった風景を見ることになる
かと思う。だから偶然っていう、出会
ういうときはしょうがないから、体力
訳だから。それが人生の醍醐味だと思
いっていうものもそうだけれども、流
を温存するために仰向けになって、プ
う。それは偶然の中に神の意志があるっ
れに身を任せるっていうときも、それ
カって浮いて流されていくっていう以
ていう。また言うと訳分んなくなるか
は決して積極的では無いけれども、方
外生きる道無いよね?他に選択肢がな
もしれないけども。人間の力っていう
法としては有効だと思う。俺は女房に
いってときには、それだって生きる道
ものを、みんな信じすぎてて。それで
くっついて、流れるように北海道に行っ
になるっていうことをまず覚えておく
そんな力を行使できないっていう自分
て、それは多分俺の考えでは絶対に行
と、ずいぶん楽になるかなぁと思って。
に気づこうとしないで、そこで苦しがっ
かないところ。だから何かの潮流に流
明日の自分が好きになる方法
されたヤシの実みたいな感じで北海道
ことは、どうやら私は不得意のようだ。
を生体実験するみたいな感じで、人間
に流れ着いちゃったってわけでしょ?」
きっとそれはまだ自分と向き合いきれ
というものの生体みたいなものに割と
時には流れに流されて生きてみる。多
ていないから。自分の弱さととことん
なんか、こう、自分で体験しながら、な
少嫌だと感じても、ちょっと我慢して
付き合っていないから。そして、いろ
んかこうある程度は淘汰した気がする
流されてみる。そうして生きていれば、
んな出会いを経験しきれていないから。
んだよね。自分の限界とか特性とかい
案外自分の苦しみを解放してくれるよ
嬉野さんとのインタビューは、余計な力
ろんなもの。
」
うな出会いがあるかもしれない。自分
がたくさん入っていた私たちの肩の力
を評価してくれるような、コンビにな
を抜いてくれる、そして、未来への希望、
今回の、嬉野さん流の自分の好きにな
れるような、そんな存在が見つけられ
新しい出会いへの期待を感じさせてく
る方法は皆さんにとってはどんな感想
るかもしれない。嬉野さんはそうやっ
れるものだった。
を抱いただろうか。私は、今は心の底
て生きて、自分の弱いところも含めて、
自分を嫌いじゃなくなっていったのだ
からしっくりこなくても、いつか自分
「悩み倒すって大事だよね。俺は二十代
の弱さに苦しくなったとき、嬉野さん
ろう。
悩み倒したから。それは結果的に得だっ
の言葉の数々を思い出せたら、と思う。
た ど り 着 い た 結 論 に は 共 感 で き て も、
たと思うよね。そこで自分というもの
そこまでの過程は私にはなかった発想
だ。私は、自分のことは全部自分で決
めなきゃいけないと思っていた。しっ
かり責任を持てるように、どうしてそ
の選択をしたのか論理的に説明できな
いといけないものだと思っていた。た
まには偽って論理を組み立てる方に目
が行ってしまうこともある。流される
小林みのり(こばやし みのり)
慶應義塾大学文学部 2 年
おっとりしていて、柔らかい口調で語って
くださった嬉野さん。話してくれる内容は、
とても深かった。なるべく嬉野さんの言葉
をそのまま伝えたい思い、そこを意識して
書きました。大人になることに期待が持て
る、そんなインタビューでした。