Title Author(s) Citation Issue Date Type 分権時代の地方自治(3) 薄井, 一成 一橋法学, 4(1): 1-35 2005-03 Departmental Bulletin Paper Text Version publisher URL http://hdl.handle.net/10086/8684 Right Hitotsubashi University Repository (1) 分権時代の地方自治(3) 薄 )l一 成':' I 序 Ⅱ 近代地方自治の源流 Ⅲ 立憲民主主義とドイツの地方自治(以上3巻2号) Ⅳ 現代ドイツにおける分権的秩序づくり V アメリカ地方法人観の変遷 1 独立革命以前-植民地時代のアメリカ地方法人と地方行政 2 独立革命と地方法人(以上3巻3号) 3 公法人と私法人一公法人としての地方法人 4 革新主義と地方法人 Ⅵ 現代アメリカにおける地方法人法 1 地方法人と州の立法府-ホームルール制度の変遷(以上本号) 2 地方法人と州の行政機関 3 地方法人における意思決定 4 秩序作りの方法を模索する国アメリカ Ⅶ 分権時代の地方自治-結びに代えて 3 公法人と私法人一公法人としての地方法人 (1)ダートマス大学事件は、植民地時代にインディアンのキリスト教教育を目 的として設立されたダートマス大学法人に、連邦最高裁判所が州からの自律的な 法的地位を認めた事件であった。すなわち、多数意見において、ダートマス大学 は、市民と政府の契約により、より正確には「寄付者、理事と国王を原当事者と する契約」51)により設立された法人として位置づけられ、独立後に国王の地位を 継承した州政府は、契約の当事者として契約内容の一方的な変更を禁じられると 解された。 敷街すれば、ダートマス大学のような大学法人は、 「慈善心に富んだ、または、 F一橋法学』 (一橋大学大学院法学研究科)第4巻第1号2005年3月ISSN 1347-4388 ※ -橋大学大学院法学研究科講師 51) Dartmouth College v. Woodward, 17 U.S. ( 4 Wheaton), 518, 643-毛44 (1819). (2)一橋法学 第4巻 第1号 2005年3月 公共心豊かな複数の個人が、 -慈善心に富んだ目的を宣言し、政府が必要な道具 を与えてくれることを条件として、この目的の成就のために必要な金銭を差し出 すことを申し出る。そして、この提案が検討され、彼等によりもたらされる利益 が政府(thepublic)により与えられる能力の対価として十分であると認められ るとき、法人が設立される」52)というふうに、その設立過程は法的に組み立てら れた。そして、この市民と政府の双方に利益をもたらす契約により設立される大 学は、 「州は-契約上の債務を損なわせる法律を制定一できない」とする合衆国 憲法(第1編第10節第1項)により、一方的な契約内容の変更から保護されると 解されたのであった53)。 一方、本稿において重要であったことは、第1節においても確認したとおり、 植民地時代にこの双務契約的な関係は植民地政府と地方法人との間にも成立して おり54)、この論理に従えば地方法人も自律的な法的地位を認められえたという事 実であった。ところが、この事件において補足意見をあらわしたストウリは、意 外にも、地方法人の自律的な法的地位を原則として否定する立場から、法人全体 を自律した法的地位をそなえる「私法人」と州政府に従属する「公法人」とに区 別して、地方法人を原則として「公法人」に振り分ける理論の起源をつくったの であった55)。すなわち、それが「公法人」と「私法人」の二分論であった。 そもそも、ストウリによれば、各法人は、資本の出所を異にしており、その点 に着目すると、政府により単独に出資される「公法人」と私人の財産供出行為に 52) 17U.S. (4Wheaton),518,637-638. 53)本判決の解説として、田中・前掲注1)264-268頁,寺尾美子「判研」英米判例百選 (第三版) 18頁(1996)c なお、合衆国憲法1編10節1項は正確には次のとおり。 「各州は条約、同盟もしくは連合を締結し、捕獲免許状を付与し、貨幣を鋳造し、 信用証券を発行し、金銀貨幣以外のものをもって債務弁済の法定手段とし、私権 剥奪法、遡及処罰法もしくは契約上の債務を損なうような法律を制定し、または 貴族の称号を授与することはできない」 (宮沢俊義編『世界憲法集[第四版]』 41 頁(岩波書店、 1983 c 54)第1節(1X2),J. C. Teaford,supra note 10,at 6 ; H.Hartog,supra note 9, at 195196. 55)この事実を指摘する論考として、 G.E.Frug,supranote8,at1102-1104 ; R.Kent Newmyer, Justice Joseph Story's Doctrine of "Public and Private Corporations " and the Rise of the American Business Corporation, 25 Depaul L. Rev. 825, 832, 838 (1976). 2 薄井一成・分権時代の地方自治(3)3 基づいて設立される「私法人」とに分類できると解された。たとえば、銀行にか んする次の記述はこれをよくあらわしており、「銀行は、政府によりそれ自身の ために設立され、専ら政府により資本を保有される場合、-公法人となる.一方、 同じく政府により設立される銀行でも、-私人により資本を保有される場合には、 私法人となる」と解された56)。 そして、肝心の地方法人は、私人の出指に支えられる場合「その私的な財産を (政府により)任意に取り上げることを許されない(括弧内は筆者)」57)ものの、 そもそも「公法人とは、タウン、シティ、パリッシュ、カウンティのように、公 的・政治的なE]的のためにのみ存する法人として一般に考えられる (deemed)」58)ものであるとも指摘されており、通常、シティをはじめとする地方 法人が、私人の出指に支えられず「多くの点においてもっぱら公的な政治目的の ためのみに存在し」、そのために「立法府の統制に服する法人」として位置づけ られることも肯定されたのであっ+-59) />-。 ここに、私人の出指に支えられる私法人と、通常そうではない地方法人とを区 別して、前者にかぎり自律した法的地位を与えようとするストウリが、私人の財 産権の保護に重きを置いたことは明らかであった。そして、そのことはまた、こ の資本主義の形成期においてストウリが、資本主義の確立に不可欠とはいえない 地方法人に自律的な法的地位を与えることを見送りつつも、新たな経済体制の確 立に不可欠な営利法人にはそうした法的地位を与えることにより、その活動の活 性化を企図したことを意味していた㈱)。そして、この資本主義の確立という現実 の要請を追記する立場は、その後のアメリカ社会にますます深く浸透し、具体的 56) 17U.S. (4 Wheaton),669. 57) 17U.S. (4Wheaton),( この点につき、参照、寺尾美子「地方自治体の 「公」 「私」二重の性格の法理」石井紫郎/樋口範雄編r外から見た日本法』 131132、 136-137頁(東京大学出版会、 1995)。 58) 17U.S. (4 Wheaton),668. 59) 17U.S. (4 Wheaton),694. 60)これらの点を指摘する文献として、 R.K.Newmyer,supra,note55,at832-841 I Morton J. Horwitz, The History of'the Public/Private Distinction, 130 U. Pa. L. Rev. 1423, 1425 (1982) ; G. E. Prug, supra note 8, at 1099-1104 ; H. Hartog, supra note 9, at 261 ; Joan C. Williams, The Develop?γぼ柁t of the Public/Private Distinc- tion inAmericanLaw, 64 Tex. L. Rev. 225, 238-241 (1985). 3 (4)一橋法学第4巻第1号2005年3月 には次のような法現象となってあらわれたのであった。 (2)まず、営利法人は、19世紀の中葉に多くの州においてその設立方法を次の 通りに修正されたOすなわち、この法人は、従来、他の法人と同様に個刺の チャーターをもとに州政府により特許的に設立されたものの、この頃から、予め 制定された一般法の要件を満たしさえすれば自由に設立できる法主体-と変化し た(特許設立主義から準則主義へ¥61} /。しかも、この自由に設立されはじめた法 人は、まもなく州政府により特権的に与えられる権利能力の枠組みからも解放さ れた。すなわち、19世紀の後半になると、営利法人は、ウルトラ・ヴァイレスの 法理(能力外の法理)に実質的に拘束されなくなり、州政府の授権なしに活動す る権限をもつことを認められはじめた。実際、1894年に刊行された会社法の概説 書は、このことを指して次のように述べていた。 「裁判所はより柔軟な態度をとるようになっており、50年前ならば能力外とさ れた行為の多くが今では能力内と判示されるようになっている。裁判所は徐々に 通常の会社の黙示的な権能を拡張しており、株主と債権者が異議を唱えない限り 今や個人ができるほとんどすべてを行うことを許すようになっている」62)。 そして、その後営利法人は、これらの権限について自然人に匹敵する法的な保 護さえも享受することを認められはじめた63)。すなわち、営利法人はここに人権 享有主体性を認められたのであり、会社が「人」として平等保護条項の適用を受 けるか否かを争点とした1886年のサンタ・クララ判決において、連邦最高裁判所 は次のように述べていた。 「当裁判所は、州に対し、その法域内のどの人にであれ、法の平等な保護を否 定することを禁ずる合衆国憲法第14修正の条項が、これらの会社に適用されるか 否かについて弁論を開くことを望まない。われわれは全員一致で適用があるとい う考えである」64)0 61)並木俊守『アメリカ会社法』 3頁(東洋経済新報社、 1970),モートン・J・ホウイツツ(樋口範雄訳) F現代アメリカ法の歴史j 95頁(弘文堂、 1996)c 62) 1 William W. Cook, A Treatise on Stock and Stockholders, Bonds, Mortgages, and General Corporation Law, 97ト973 ( 3 rd. ed. 1894). 63)ダートマス大学事件以降のこうした私法人理論の展開につき、寺尾・前掲注57) 132-133頁。 4 薄井一成・分権時代の地方自治(3) ( 5 こうして、営利法人は、 19世紀の末までに、あたかも自然の実在となり、 (∋原 則として自由に設立され、 ②自由に活動しうるものとして、 ③それらの自由を自 然人の基本権に匹敵する法的な保護の下におかれることとなった。そして、それ は、営利法人が州の創造物たる属性をほぼ一掃されることを意味した。ところが、 注目に値することに、同じ頃、地方法人は、 「州の創造物」としての法的地位を 判例により確立され65)、次のような言明をされたのであった。 「シティが地方法人であること、別言すれば、政府の目的を実現するために、 政府により創設される公法人であることに疑いはない。シティは、政府の目的を 細部にわたり遂行させるために主権により制度化される本質的に廃止可能な機関 にとどまる。シティに与えられる権限は既得権として保護されうるものではない。 シティの設立チャーターは、いかなる意味においても州と地方法人の契約にはあ たらず、立法府は、シティの領土や機能を拡大したり縮小したりすることを許さ れる。また、立法府は、シティの内部構成を修正したりシティの存在そのものを 消滅させたりすることも許される。すなわち、これらの点は立法府の自由な裁量 のもとにあり、シティは立法府の完全な統制に服する」 (ペンシルヴェニア州最 高裁判所判決(1870年))66)。 こうして立法府の完全な統制の下におかれた地方法人は、連邦最高裁判所にお いても、地方法人の合併プロセスに関係住民の同意の手続をおかない州法が適正 64) SantaClarav. SouthernPacificRailroad, 118U. S.394,396 (1886).カリフォルニア 州により個人とは異なる財産税を課された鉄道会社が、合衆国憲法第14修正の平 等保護条項違反を主張して提起した事案。裁判所は、上記のとおりに判示して、 鉄道会社に対する平等保護条項の適用を認めた。なお、本判決とウルトラ・ヴァ イレス法理にかんする判例の詳細は、ホ-ウイツツ・前掲注61) 80頁以下を参照 のこと。 65) G. E. Frug, supra note 8, at 1082, 1099-1109 ; H. Hartog, supra note 9, at 206, 220221,259-264 ;小滝敏之Fアメリカの地方自治』 133-134頁(第一法規、 2004)c植 民地時代に私的な団体としての属性を色濃くもったニューヨークシティも、この 頃、繰り返し公法人と位置づけられるようになった。その際、最後まで「私的な 財産」と解されて州政府の介入を免れたニューヨークシティのフェリーの管理権 が、その性格を見直され、州政府により任意に剥奪されうる公の財産と解された ことは、それを象徴する出来事であった(フェリーの運行管理権をめぐる裁判例 の変遷につき、 H.Hartog,supranote9,at240-258.ニューヨーク州の判決が、他 州の裁判例の動向に大きな影響を及ぼしたことことにつき、 see, H.Hartog,supra note 9, at224. )c 5 (6)一橋法学 第4巻 第1号 2005年3月 手続条項に反するか否かを争点とした事案において、次のように述べられていた。 「地方法人は、 -・政府の権限を遂行させるために便宜的に創設される州の政治 的な下部機構である。州は、 -この法人の領土の全部又は一部を任意に他の地方 団体と併合したり、チャーターを撤回したり、法人そのものを廃止したりするこ とを許される」67)。 ちなみに、こうして州政府の創造物とされた地方法人は、ウルトラ・ヴァイレ スの法理にかんしても、営利法人とは対照的な厳格な適用の下におかれていた。 すなわち、わが国にも紹介されるデイロンズ・ルール68)は、このことをよくあら わす法理であり、アイオワ州の裁判官デイロンにより提唱されたこの判例法は、 地方法人の権限を、 ①州政府により明示的に付与された権限、 ②その明示された 権限に必然的に内包される権限、 ③政府により宣言された法人の目的の実現に欠 くべからざる権限に限定して69)、地方法人が、州政府から与えられた権限にその 権利能力を限定されることを明言していた。そして、こうした姿勢は、他の判例 法においても共有されており、たとえば、 (∋ 「私的な日的」による地方債の発行 を禁止して、鉄道誘致を「私的な目的」に分類するアイオワ州等の判例法は、鉄 道誘致の隆盛という当時の社会情勢を前にして、地方法人が鉄道誘致の黙示的な 権限をもつことを否定するものであり70)、また、 (む歴史的に地方法人に配分され 66) Philadelphiav. Fox,64Pa. 169,180 (1870).フィラデルフィア市に慈善目的のため に信託され、市により管理されてきた遺言財産を州の委員会に管理させようとし た州法が、合衆国憲法の契約保護条項に抵触しないと判示された事案0 67) Hunterv. CityofPittsburgh,207U. S. 161, 178-179 (1907).ちなみに、合衆国憲法 の定める連邦制度は、主権国家としての権限を原則として州にとどめ、合衆国憲 法に定められた権限のみを連邦に付与するものであり(1 JamesBrycb,The American Commonwealth, 282 (ALiberty Classics ed. 1995) ) 、合衆国憲法に地方自 治に関する規定は一切盛り込まれていなかった(この点につき、参照、小滝・前 掲注65) 131頁)0 68)デイロンズ・ルールにつき、参照、村上義弘「アメリカの条例」公法研究35号218 -220頁(1973)、渋谷・前掲注8) 286-287頁、小滝・前掲注65) 134頁。 69) 1DILLON,supranote21,at448-450.デイロンが裁判長を務めていたアイオワ州 の州最高裁判所の判決として、 See, Merriamv. Moody's Executors, 25Iowa 163, 170 (1868). 70) Joan C. Williams, The Constitutional Vulnerability of American Local Govern〝lent, 1986Wis. L. Rev.83,94-95.ウィリアムズによれば、この判例法もデイロン により形成されたものである(Ibid.)c 6 薄井一成・分権時代の地方自治(3) ( 7 ) てこなかった各種の権限を、主権無答責の特権の射程外とするニューヨーク州等 の判例法は、より一般的に地方法人の黙示的な権限を否定して、その実験的な試 みを抑制するものであった71)。こうして、地方法人は、州政府により設立され州 政府により与えられた権限の枠内においてのみ活動しうる「公法人」としての法 的地位を確立されたのであった。 (3)ところで、こうした法人二分論の下にある19世紀のアメリカは、無限に広 がるかのような「辺境」の地をもっており、人々は自由放任の世界において失敗 しても新天地に移住をすれば-からやり直すことができtzT 。実際、先述のデイ ロンズ・ルールをあらわした裁判官デイロンも、 「伝統的で保守的な学派のリー ダー」として知られるとおり73)、この自由放任と財産権擁護の立場から、 「公法 人と私法人」の二分論に与していた74)。しかも、彼等にとって、自由放任の世界 に生じる黄低隈の政府的な介入の必要は、州政府により満たされうるものであ り75)、地方法人は必ずしも必要な公共主体でもなかった。地方法人は、むしろ 「財産所有者の富を強欲で抑制のきかない公の領域へと権力的かつ窓意的に引き 入れるもの」と映っており76)、デイロンの手による地方法人法の概説書は、この ことを指して次のように説いていた。 「集合法人において-、多数者の行為や意思は法人全体の行為や意思とみなさ れ、少数者は自らの同意なしに又はその意に反して多数者の行為や意思に拘束さ れる。 -このような義務があらゆる対象に及ぶとすれば、市民は法人のメンバー になることにより最も価値ある人権や自由を奪われることになる」77)。 ところが、この国において、こうした自由放任思想に対する信仰は、 19世紀の 末に崩壊の兆しを見せはじめた。すなわち、この頃までにアメリカは、国土全体 71) H. Hartog, supra note 9, at 225-蝣234 ; J. C. Williams, supra note 60, at 226. 72)古矢旬Fアメリカニズム』 1-52頁(東京大学出版会、 2002)c 73) Arnold M. Paul, Conservative Crisis and the Rule of Law, 81 (1960). 74)デイロンの経歴とその財産権擁護の立場につき、参照、ホ-ウイツツ・前掲注 61) 28-29頁; J. C. Williams,supra note 70, at91-92 ; A. M. Paul,supra note 73, at78-81,柴田直子「アメリカにおける地方政府の出訴資格」神奈川法学36巻1号 174-177頁 2003 c 75)この点につき、 see, JC. Williams,supra note 70,at99-100. 76) H. Hartog,supra note 9, at261. 77) 1 Dillon,supra note21, at451. 7 (8)一橋法学 第4巻 第1号 2005年3月 に市場のネットワークを張り巡らせ、牧歌的な農村社会から都市型社会へと変貌 を遂げており、この国に特有の資源としての「辺境」の地も失ってい/i- 。実際、 1850年から1900年にかけて、アメリカの都市人口は総人口の5%から19%へと増 加し、人口10万人を数える都市は6から38へと増えるとともに、シカゴ市にい たっては、その人口を3万人から170万人へと急増させていた79)。そして、都市 に集中した人々は、私的な利益を剥き出しにする資本主義の社会において、しば しば公正な富の分配を受けられなくなり、公共主体の積極的な介入を要求しはじ めた80)。なるほど、新興の工業都市デトロイトが、 20世紀初頭の10年間に80の事 務を新たに引き受けたことは81)、神の見えざる手に対する信仰の基礎が崩れたこ とをよく物語っており82)、今日の代表的な法制史学者ホ-ウイツツ83)は、この歴 史を振り返って次のように述べていた。 「19世紀の末にかけて、アメリカの社会思想家たちは「われわれは例外だとす る信念の危機」と呼ばれるものに見舞われた。すなわち、アメリカ合衆国は神の 導きのもとでヨーロッパの苦しみを何とか逃れることができるはずであるとする、 昔からの信念を根底から揺さぶられることになった。 - (敷桁すれば)人間の手 に入らない自己連動的な市場制度が「見えざる手に導かれて」正当な富の分配を 実現するという命題が、現実の不平等の増加によって挑戦を受けていた(括弧内 78)志郁晃佑「革新主義的統合の形成」関西アメリカ史研究会編著『アメリカの歴史 下』 17頁(柳原書店、 1982)c この時期に生じた企業-の資本集中の現象につき、 参照、ホ-ウイツツ・前掲注61) 頁以下、リチャード.ホ-フスタッタ- (清 水知久ほか訳) 『アメリカ現代史一改革の時代-』 202-204頁(みすず書房、 1967) 都市への人口集中の現象につき、参照、ホ-フスタッタ-.同書157-159頁、 J.C. Teaford, supra note 10, at ll ; T. H. Reed, supra note 10, at 52 ', W. Anderson & E. W. Weidner, supra note 10, at 345「346. 79) Jon C. Teaford, the Tw甘ntieth-CenturyAmerican City, 1 ( 2 nd. ed. 1993). 80)ホ-フスタツタ- ・前掲注78 157-166頁。 81) 1934年の時点での事務総数は306であり、そのうちの80が1910年から20年にかけて 新設された事務であった(T.H.Reed,supranotelO,at52)< ちなみに、デトロイ ト市の人口は、この10年間に、 465,766人から993,678人へと二倍以上に増えてい た(W. Anderson & E. W. Weidner, supra note 10, at 346) 。 82)連邦政府も、この時期を境に経済社会-の介入の度合いを強め、社会・労働政策 の分野における諸種の改革をおしすすめた(志郁・前掲注78)13、 27-28頁)。この 動向の先駆けとなったのは、 1887年の州際通商委員会の設立であった(参照、橋 本公亘r米国行政法研究』 49-52頁(有信堂、 1958)c 83)ホ-ウイツツ・前掲注61) 377頁。 ♂ 薄井一成・分権時代の地方自治(3) 9 は筆者)」8i>。 ちなみに、こうした都市化の現象は、農村から移住する「黒人」労働者と、東 欧と南欧から流入する「移民」労働者に支えられたため85)、アメリカ社会は、同 時に多様な利益や価値観を共存させるという社会統合の問題も突きつけられた86)。 たとえば、プロテスタント系の旧住民とローマ・カトリック系の新住民とが、禁 酒法の制定に至る対立を示したことは、このことを象徴的にあらわしていた。そ して、こうした積極国家化を要請する社会変動が、 19世紀から20世紀にかけての 世紀の転換期に、地方法人の存在意義に見直しを迫る要因となったのであった。 (4)ところで、その考察に先立ち、これに先行する1870年代に「地方の統治権 は絶対的な権利であり、州により剥奪されうるものではない」87)という見解が、 幾人かの論者により説かれていたことは、言及しておかなければならないであろ う.すなわち、その理論とは「地方の固有権論(thedoctrineofaninherentright oflocalself-government)」といわれるものであり、デイロンと並ぶ当時の代表的 な法律家であったミシガン州の裁判官トーマス・クーリイ鎚'により主唱登れたも のであった。すなわち、クーリイも、当時の地方法人法は、 「州政府が地方政府 を任意に創出しそれに法人としての生命を与える」という理論に席巻されている ことを認めていた。しかしながら、他方において、彼は、 (力「地方政府システム が、人々の入植時から停止・廃止されることなく」 「中央権力と同時に又はそれ に先行して普遍的に存在してきた」歴史的な事実を伴うこと、そしてまた、 ② 「集権化された政府は、たとえ自由な選挙システムを備えても、 -常に専制的と なりうる」ことを理由として、 「人間の自由の保障は地方政府システムに依存す る」という命題を打ち立てて、 「地方の統治権は、絶対的な権利」として「立法 府に黙示の制約を課している」という結論をひき出した。 84)ホーウイツツ・前掲注61) 81頁. 85)ホ-フスタッター・前掲注78) 157-166頁。 J. C. Teaford, supra note 79, at 2. 87) People onthe relationofLe Royv. Hurlbut,24Mich.44, 108 (1871).ミシガン州議 会が、デトロイト市の水道委員会と下水道委員会を廃止して、公共事業委員会を 設立したことの合憲性を争点とした事案。 88)ホ-ウイツツ・前掲注61) 7-36頁。 89) 24Mich. 44, 98-100. 9 (10)一橋法学 第4巻 第1号 2005年3月 しかし、このクーリの見解は、判例と学説の大勢を変えるには至らなかった。 すなわち、いくつかの州の最高裁判所は、いったんこの見解を受け入れたものの、 それらの裁判所もまもなく判例を修正して従前の見解に立ち返り90)、 1911年に デイロンにより著された地方法人法の概説書によれば、その見解は「大部分の先 例(greatweightofauthority)により完全に否定されている」91'と評価されるに 至っていた。結局のところ、地方法人がその存在意義を見直される契機をえたの は先述のとおり世紀の転換期以降であり、クーリの見解は一歩先を進みすぎてい た。アメリカの地方法人法は、 19世紀の末から20世紀の初頭にかけて社会のさま ざまな分野に変事を生じさせた革新主義の時代(ProgressiveEra)に、ようやく その変革の一つとして転機を経験したのであった。 4 革新主義と地方法人 (1)さて、この革新主義時代に生じた要請は、既述のとおり市民社会に対する 政府の積極的な介入を通して社会に統合をもたらすことであり、それらは一見す ると特段の改革なしに既存の州政府により成し遂げられるように思われた。すな わち、州政府が公正な富の分配の実現に資する具体的な政策を策定して、州の手 足としての地方法人にそれを粛々と実施させれば、この間題は十分に対応できる ように思われた。ところが、この時代のアメリカは、州の主導によるこうした積 極的な秩序づくりの方法を成り立ちにくくする一つの要因を抱えていた。ボス政 治、マシーン・ポリティクスといわれるものがそれであり、ジヤクソニアンデモ クラシーの時代に大半の公職を政治的な選挙職としたこの国は、世紀の後半に入 ると、ボスと彼を取り巻くマシーンに多くの官職を猟官され独占されていた92)。 90)ハワードL.マクペイン(竹下譲ほか訳) 「地方自治固有種の思想(1X2)」都市問題 79巻1号91頁、 2号87頁(1988)、成田・前掲注15) 226-228頁、須貝傭- 「地方 自治の本旨」阿部照哉ほか編『地方自治大系Ⅱ』 5頁(嵯峨野書院、 1993 (初出 は1971))c 91) 1 Dillon,supra note21,at 154. 92) W.Anderson&E.W.Weidner,supranote 10,at347-349.とりわけ、ジヤクソニア ン・デモクラシーと地方法人組織の関係について、 See, JeffersonB. Fordham, LocalGovernmentLaw, 19-20 (Rev. ed. 1975)、カウンティの組織との関係につい て、 J. A. Fairlie & C. M. Kneier, supra notel", at 27-29. 10 薄井一成・分権時代の地方自治(3) (ll) 敷桁すれば、この集票マシーンは、市民社会から財産を吸い上げて、下層の市民 に分配する等の措置により、一定の範囲において都市間題や統合問題の解決に寄 与したものの93)、汚職や腐敗を省みず実力により社会を治めようとする彼等の手 法は、公共主体を私益のうごめく空間へと腐敗させ必ずしも公正な秩序を生みだ さなかった94)。結果として、ある者はマシーンとの対立に敗れて都市を追われ、 またある者は自らの意思により都市を抜け出して、郊外-と移住しはじめた。そ してここに、地方法人は彼等の理想郷を構築する制度としてアメリカ社会に着目 されはじめたのであった。 実際、たとえば、プロテスタント系の住民は、ロサンゼルス市郊外の法人未設 立の地に地方法人Monroviaを設立して、彼等の禁欲的な宗教観や道徳観に則し た空間を創出した(1887年)。また、反対に、反プロテスタント系の住民は、ク リーブランド市の郊外に地方法人NorthRandallを設立して、中心市の市域にお いて禁じられるギャンブルの解禁に成功した(1908年)。その他、この種の法人 は、宗教的な同質者とは異なる集団からも生み出されており、たとえば、アメニ ティにこだわる生活者グループは、インディアナポリス市の郊外に地方法人 WoodroffPlaceを設立して理想の景観をつくりだし(1876年)、反対に、経済的 な利益を追求する資本家PatrickCudahyは、公害の発生に頓着せず工場を操業 しうるよう、ミルウォーキー市の郊外に地方法人Cudahyを設立した(1895 午) a そして、こうした郊外化の動きは、移民の数の増大にあわせて顕著になって 93)マシーンは、移民層に就職の世話、司法的援助、金品援助等を行い、彼らのアメ リカ社会への融合に寄与した。そのために、移民らは、各種の公職選挙権を行使 してマシーンの支配を支えていた(志郎・前掲注78) 20-21頁、ホ-フスタッ タ- ・前掲注78) 157-166頁)0 94)マシーン・ポリティクスは、寄本氏によりペンシルヴェこア州の例を、中郡氏に よりカリフォルニア州の例を、それぞれ詳しく紹介されている(参照、寄本・前 掲注36) 55-92頁、中郡章『アメリカの地方自治J 6-18頁(学陽書房、 1991))c また、一般的な紹介として、参照、有賀貞/大下尚-/志郎晃佑/平野孝編『世 界歴史大系 アメリカ史2』 59-62頁[有賀貞・志郎晃佑・平野孝] (山川出販社、 1993)c 95)その他の例を含めて、 See, J.C.Teaford,supranotelO,at5-24.ちなみに、小規 模の地方法人は大規模のシティとは異なりヴィレッジと称されることが多い。 11 (12)一橋法学 第4巻 第1号 2005年3月 いった96)。たとえば、シカゴ市を包摂するイリノイ州のクックカウンティは、 1860年から90年にかけて30の地方法人の新設によりあらわにした郊外化の動きを、 後の10年間に26の地方法人の新設により一層顕在化させていた97)。したがって、 この「都市化の中での郊外化」という潮流は、多様な利益と価値観を抱えたアメ リカ社会が、積極的な政府の介入を通して一つの国民-とまとまるよりも、異な る利益や価値観に空間的な距離をおいてそれらを緩やかにまとめる手法を選択し たことを意味していた。別言すれば、地方法人は、市民同士に生じうるさまざま な対立を回避させうる制度として、その存在意義を見出されたのであった。 (2)ところで、こうした緩やかな統合の手法を支持する者たちは、まもなく既 存の地方法人法に内在する限界に直面した。すなわち、従来、立法府の創造物と 解されて、ウルトラ・ヴァイレスの法理を厳格に適用されてきた地方法人は、郊 外に理想の秩序を築こうとする者たちに十分な活動の余地を与えるものではな かっzl- 。したがって、この理論は見直され、地方法人は新たな法的地位を付与 されなければならなくなったのであった。 すなわち、まず、地方法人は、特別法(speciallaw)の制定を禁ずる州憲法の 改正により、州政府からの自律的な法的地位を強化された。ここにいう特別法と は、一つの地方法人に通用されるいわゆる地方特別法のことを指しており、従来 個別のチャーターにより設立されて、設立後も個別の法律により細部にわたって コントロールされてきた地方法人9g)は、たとえば1879年のカリフォルニア州憲法 にみられるように、そうした統制から解放されることとなった。すなわち、 「立法府は、特別法による地方法人の創設を許されない。立法府は人口を基準 96)移民の数は、 1907年に貴大債(128万5千人)を数えた(ホーフスタッタ-.前掲 注78) 159頁)0 97)他州の同様の動向を含めて、 See, J.C.Teaford,supranote 10,at 8-9 98)たとえば、 1970年までホームルール制度を採用しなかったイリノイ州において、 デイロンズ・ルールが、地方法人の活動の自由余地を大きく制約したことを詳述 するものとして、 See, BarnetHodes, LawandModern City, 33-51 (1937). 99)参照、須月・前掲注90) 15頁、弓家・前掲注12) 57頁。なお、一部の州は、 19世 紀の中葉に準則主義を採用し、地方法人の法人化について、人口要件・手続・州 による監督の制度などを盛り込む一般法人化法を定めたものの、これらの州にお いても個別のチャーターや法律による法人設立等の慣行は続いた(J. C. Teaford, supra note 10, at 7. )o 12 薄井一成・分権時代の地方自治(3) (13) として、一般法により、法人化、組織、クラス分けについて規定するものとする -。既存のシティとタウン、今後組織されるシティとタウン、および、この憲法 の下に採用されるそれらの法人のチャーターは、一般法に従い、一般法により統 制されるものとする」100)。 こうした規定が、州憲法に盛り込まれたのであった。ちなみに、この種の憲法 規定を前にして、いくつかの州議会は、一つのクラスに一つの地方法人を分類す る等の脱法的なクラス分けにより、禁じられた特別法の制定を回避しながら、従 来どおりの介入を継続しようと試みた101)。しかしながら、 1870年にニューヨーク 州において制定された808の法律のうち、 4分の1を超える212の法律が、シティ やヴィレッジにかんする地方特別法であったことに照らすとき102)、こうした憲法 規定のもつ意義は大きかった。 20世紀の初頭までに、地方特別法の制定を制限す る規定は、 4分の3を超える州憲法に盛り込まれ103)、アメリカ地方法人法の一つ の特徴となっていった。 次いで、地方法人は、ホームルール制度を取入れられ104)、自らのチャーターを 自らの手により定める権限を憲法により与えられた。その先駆けとなったのは、 全米第8の都市セントルイスシティを対象に105)、次のような権限を付与したミ 100) Const. ofCal. (1879),Art. X I sec.6. 101) Howard L. Mcbain, the Lawand the Practice op Municipal Home Rule, 123 (1916) J. B. Fordham. supra note 92, at 20 ; Michael E. Libonati, Reconstructing Local Govern脚1 19Urbanlawyer,645,646 (1987),弓 家.前掲注12) 59-61頁、須 貝・前掲注90 15-17頁、成田・前掲注15 180頁。 102) H. L. Mcbain,supranotelOl,at8.他州における特別法制定の実態につき、参照、 須貝・前掲注90) 15頁、弓家・前掲注12) 57頁、長浸政毒『地方自治」 65頁(岩 波書店、 1952)c 103)以上の点につき、 See, E. P. Oberholtzer,supra note49, at218-221,361-364 ; G. E. Frug,supra note 8, at 1116,須貝・前掲注90) 15頁。 104)ホームルール制度の紹介として、南川諦弘「ホーム・ルール・シティ」阿部照哉 ほか稀F地方自治大系I』 294頁(嵯峨野書院、 1989)、同「ホーム・ルール・シ ティにおける自主立法権について」阪大法学43巻2 ・ 3号419頁(1993)、塩野宏 「自主立法権の範囲-キャリフォーニアの場合」 1982アメリカ法1頁、村上・前掲 注68) 223-228頁、須貝・前掲注90) 21-25頁、弓家・前掲注12) 130-140頁。 105) H.L.McBAIN,supranotelOl,at5. 19世紀の中葉、人口50万人を超えたのはN.Y. C.唯一つであり、人口10万人以上の都市として、 Boston、 Philadelphia、 Cincinnati、 Baltimore、 NewOrleansが続き、その後に、 96,000人のBrooklyn、 77, 000 人のSt. Louisが続いていた. 13 (14)一橋法学 第4巻 第1号 2005年3月 ズーリ州の憲法(1875年)であり、その憲法は次のように定めていた。すなわち、 「セントルイスシティは、現在境界の外にある公園、その他の隣接する便宜的 な土地を境界に含めることができる。シティは、以下の条件に従って、その拡張 されたシティの統治(government)のために、チャーターを作ることができる。 -シティとカウンティの有権者により選出される13人の自由土地保有権者委員会 は、シティの境界の拡大と定義、カウンティ政府の再編、拡大されたシティとそ の区域に属さないセントルイスカウンティの調整、拡大されたシティの統治につ いて、カウンティの枠組案とシティのチャーター案を作成する任務をもつ。 -シ ティ議会とカウンティ裁判所は-、その枠組案をカウンティ全体の有権者に付託 し、また、そのチャーター案を拡大されたシティの有権者に付託する。枠組案と チャーター案が投票にかけられ有効投票の過半数により承認された場合、当該枠 組案はカウンティとシティの基本法(organiclaw)となり、チャーター案はシ ティの基本法となる。それらの法は、投票の60日後に既存のセントルイスチャー ターとその修正及び新たな枠組と相容れないセントルイスカウンティの特別法に 取って代わるものとする」106)。 ちなみに、ミズーリ州の憲法は人口10万人以上のシティに対しても同様の権限 を付与しており107)、 2番目に制度を採用したカリフォルニア州の憲法(1879年) が、次のような規定をおく先例となっていた。すなわち、 「人口10万人以上のすべてのシティは、その統治(government)のために、 チャーターを策定できるものとする。このチャーターは、州の憲法と法律の文言 に適合しかつそれらに服さなければならない。シティの有権者は、最低5年以上 有権者であった自由土地所有権者15名からなる委員会を一般選挙または特別選挙 において選出する。その委員会は、選挙後90日以内に、シティのチャーター案を 作成し提出する任務をもつ-。提案されたチャーター案は少なくとも20日にわた りシティ内を一般に流通する二つの日刊紙に公表され、公表後30日を超える日以 106) Const, of Mo. (1875),A比. K sec.20. (なお条文は、 H.L.McBAIN,supranote 101, at118に掲載されている). 107) Const, of Mo. (1875),A托. Ksec.16.ただし、当時この人口要件を満たしたシティ はセントルイスシティに限られていた(See, H.L.McBAIN,supranotelOl,at 120)c 14 薄井一成・分権時代の地方自治(3) (15) 降に一般選挙又は特別選挙においてシティの有権者に付託される。その案は、有 効投票の過半数により承認されたとき、立法府に付託され採否の判断を受ける。 立法府に修正権はない。チャーター案は、各議院の構成員の過半数により承認さ れたとき、シティのチャーターとなり・・・、既存のチャーター又はその修正及び チャーターに適合しないすべての特別法に取って代わるものとする. -」108)。 ところで、こうして当初大都市を念頭において制定されたホームルール制度は、 まもなく郊外に移住する人々に役立つ機能を付加された。すなわち、カリフォル ニア州の憲法は、 1887年と1890年に段階的に人口要件を緩和して、人口3千5育 人以上の地方法人に109)、ホームルールチャーターの制定権を付与することとし た110)。また、 3番目に制度を採用したワシントン州は、例外的に人口2万人の厳 しい要件をおいたものの1889年)、それ以降に制度を採用した、コロラド州1902 午)、オクラホマ州(1908年)、ネブラスカ州等(1912年)は、人口2千人から5 千人以上の地方法人にチャーターの制定権を与え、オレゴン州1906年)、オハ イオ州1912年)等は、それ以下の地方法人に対してもチャーターの制定権を与 えて、カリフォルニア州の制度を全国に普及させていだ11)。ちなみに、カリフォ ルニア州の憲法は、法人の作成するチャーターに立法府の拒否権を予定したもの の(参照、前掲条文の下線部)、立法府はこの権限をほとんど行使せず1ほ)、その 後に制度を採用する州は、こうした規定を憲法に盛り込むことを例外とした113)。 さて、都市の内部に異質な分子を抱えたアメリカ社会は、こうして、その衝突 108) Const. ofCal. (1879),A比. X I sec.8. (なお条文は、 H.L.McBAIN,supranote 101, at202-203に掲載されている)0 109) E. P. Oberholtzer, supra note 49, at 348. 110)実際、 1888年から1899年にかけて、次の地方法人がホームルールチャーターを制 定した。 Los Angeles, Oakland, Stockton, San Diego, Sacramento, Grass Valley, Napa, Eureka, Berkeley, San Jose, San Francisco, Vallejo, Santa Barbara (See, E. P. Oberholtzer, supra note 49, at 349. ). Ill) H. L. McBAIN,supra note 101,at 114-117. 112) H.L.McBAIN,supranote 101,at667.弓家氏によれば、州内に54のホームルール チャーターが制定された段階で、チャーターを立法府が否決した例は唯一回ある のみであった(弓家・前掲注12) 135頁)0 113) 1915年までにホームルール制度を採用した12州のうち、この種の規定をおいたの は、オクラホマ、アリゾナ、ミシガン州にとどまり、これらの州は州知事に拒否 権を与えていた(H. L. McBAIN,supra note 101, at667. )c 15 (16)一橋法学 第4巻 第1号 2005年3月 を回避する手段として「地方法人」の存在意義を再生することに成功したといえ そうである。実際、歴史学者ティーフォードは、このことを指して、当時のアメ リカ社会は「社会的、経済的、倫理的な分裂に別して、シティをいくつかの近隣 社会のまとまりに分断させる」しくみを選択し、 「きっちり編み込まれた織物よ りもパッチワークを生み出そうとしていた」と説明した114)。ちなみに、このよう に異分子間に空間的な距離をとるしくみは、大都市の内部においても事実上のし くみとして機能しており、地方法人を創設する実力を持たない者たちは、都市の 内部にコミュニティを形成してそのアイデンティティを保持しようと努めていた。 たとえば、シカゴ市は、チェコ人の住むPilsen地区、ユダヤ人の住むHalsted地 区とMaxwell地区、ギリシャ人の住むDelta地区、黒人の住むsouthState地区 といった多数のコミュニティに分断されたことを報告されていた115)。こうして、 この方法は一見すると社会に嬢やかな統合をもたらしうるかに思われた。 (3)ところが、この「同質者による秩序づくり」の方法は、他方において、異 分子を排除する思想と隣り合わせであり、法人の境界線という見えない壁を作り、 彼らの警戒心や敵対心を増幅させうるという特徴ももっていた。そして、そもそ も、交通機関の発達した産業社会において人々は、ダウンタウンをはじめとする 都市の空間において、異分子との交わりの機会をもたざるをえなくなっており116)、 同質者を集任させて彼等の衝突を回避する手法は、いかに広大な土地をもつアメ リカといえども、相当に無理のある試みとなっていた。実際、異分子同士の対立 の危険は、第一次世界大戦後の社会不安を引き金として、低所得者グループの対 立として現実化しており、 1919年の7月に、シカゴ市に住む黒人グループと新移 民層にあたる下層の白人グループとが職を求めて衝突し、黒人23名、白人15名の 死者を出す大惨事をもたらしだ17)。こうして、マシーンとの比較において、相対 的にましな秩序を生み出しうるかに思われた「同質者の集住」という方法は、そ 114) J. C. Teaford,supra note 79,at7. 115) J. C. Teaford, supra note 79, at 23-24. 116) J. C.Teaford,supra note79,at8. 117)その後も、全米各地で25を超える暴動が勃発し、 120名に及ぶ死者が同年中に記録 された(以上の点につき、 J.C.T耳aford,supranote79,at56-58.有賀ほか・前掲 注94) 185-186頁〔志郁晃佑〕、同197-199頁〔紀平英作〕)0 16 薄井一成・分権時代の地方自治(3) (17) の弱点も露呈させることとなった。 ところで、革新主義の時代は、これとは別に、ビジネスの世界におけるテイ ラーシステムやフォードシステムの成功を機に、科学に対する信仰を厚くしたこ とも特徴としていた。すなわち、そこにおいては、科学的な生産管理の手法を公 の世界に応用して公正な秩序を生み出すことに、新たな期待がかけられており"8)、 「我々は、ビジネスのやり方を修得し、その手法を地方政府の組織や事務の遂行 に応用することにより、より満足の行く結果を得られるであろう」119)という見解 が、説得力をもって語られていた。そして、その具体的なあらわれといえたのが、 地方レベルにおける「委員会制度」と「シティマネージャー制度」の導入であった。 たとえば、その先駆けとなったのは、テキサス州のガルベストン市であり、 1900年にアメリカ史上最大級の洪水を経験したこの街は、民間企業の手法をモデ ルとして委員会制度を取入れた。敷術すれば、それは、民間の取締役会を模倣す るものであり、市の権限を5名の委月からなる委員会に集中し、また、各委員に 部局の長を兼任させることにより、迅速で効率的な市の再建を企図するもので あった120)。一方、シティマネージャー制度も、科学的な管理の思想に支えられる 点において変わりはなかった。すなわち、その制度は、委員会制度が、委員相互 の権限争いに悩まされ121)、また、委員の公選制ゆえに各委員に専門家を確保しに くい難点を抱えたため122)、それらの問題を克服するために、市議会に「指名」さ れる「一人の支配人」に市の行政全般の指揮監督権を握らせる制度として登場し 118) Terrance Sandalow, The Distrust of Politics, 56N. Y. U. L. Rev. 446, 451-457 (1981) ; Peter J. Steinberger, Ideologyand the Urban Crisis, 26-29 (1985). 119) 1 Dillon,supranote21,at38. 120)以上の点につき、 see, James Weinstein, the Corporate Ideal in the Liberal State : 1900-1918, 96-97 (1968) ; W. Anderson & E. W. Weidner, supra note 10, at357359、畑博行「シティ・ガヴァメント組織の諸類型」阿部照哉ほか編『地方自治法 体系I 』 372-378頁(嵯峨野書院、 1989)c 121) J. Weinstein, supra note 120, at 97. 122)ガルベストン市の場合、 5名の委員は、州知事に指名される3名の委員と、シ ティの住民により選出される2名の委員からなった。なお、この制度を取り入れ たチャーターは、ホームルールによるものではなく、州の立法府により個別に制 定される旧式のチャーターであった。シティのリーダーたちは、 5名の委員全員 を、知事による指名制として専門家を確保しようとしたものの、州政府は、その 案を修正し2名の委員を公選制とした(以上の点につき、 W.Anderson&E.W. Weidner, supra note 10, at 358) c 17 (18)一橋法学第4巻第1号2005年3月 たものであった123)。ちなみに、この制度を採用したオハイオ州デイトン市(1913 午)の改革をリードしたJohnH.Pattersonは、この動向を受けて次のように述 べていた。すなわち、「地方の事務は、これにより共和主義者や民主主義者とい う政党色の強い者ではなく、ビジネスマネージメントと社会科学に精通した人物 により指揮されることとなるであろう」124)。こうして、専門家に対する信頼によ り地方法人の組織改革が進められたのであった。 ちなみに、科学信仰に基づく改革は、高度な専門知識を必要とする連邦と州に おいても進行した。すなわち、職業官吏の範囲を拡大する公務員制度改革や125)、 計画的な財産管理を目的とする予算制度・会計制度の改革がそれであり126)、公共 主体は、ここに、全体として一つの公益を追求するピラミッド型の官僚組織へと 変貌を遂げはじめた。そして、そのことをよくあらわしたのが、この時代に創設 され公益の一元的な管理を目的とした行政監督制度であっ-f-127) /蝣-。実際、地方行政 の分野には、欧州各国の制度を参考として128)、報告(report)、監査(inspection)、助言(advice)、同意(approval)、審査(review)、指図(order)、職員の 123) W. Anderson & E. W. Weidner, supra note 10, at 359-361 ; J. Weinstein, supra note 120,at96-101.なお、委員会制や市支配人制をとらない場合にも、執行機関に対 する指揮監督権者としての市長の地位を強化して、ピラミッド型の官僚制度を組 み込む議会-強市長制度をとることが一般的となった(W.Anderson&E.W. Weidner, supra note 10, at 356-357. ) c 124)以上の点につき、 J. Weinstein,supra note 120, at93. 125) p. J. Steinberger,supra note 118, at34. 1883年の連邦公務員法を皮切りとした連 邦における改革につき、参照、千草孝雄「グッドナウの地方自治論(二)」自治研 究65巻6号110頁(1989)。 126) 1910年の「節約と能率に関するタフト委員会(TheTa氏CommissiononEconomy andEfficiency)」を契機とするこの改革につき、参照、平田美和子『アメリカ都 市政治の展開』 208頁(勤草書房、 2001)c 127) Schuyler C. Wallace, State Administrative Supervision over Cities in the United States, 14, 37-38 (1928) ; William B. Munro, the Government of American Cities, 76 ( 4 th. ed. 1926) ; W. Anderson&E. W. Weinder, supra note 10, at 158-167,長 潰・前掲注102) 70-93頁,成田・前掲注15) 185-191頁、志郁・前掲注78) 21-28頁。 連邦レベルにも同様の傾向がみられた(橋本・前掲注82) 49-52頁)0 128) S. C.Wallace,supranote127,atll-38.ウオーラス自身は、プロイセン、フラン ス、イギリスの監督制度を検討し、プロイセンとフランスをイギリスに比べて厳 格な監督制度をとる国として、前二者ほどの強力な監督には及ばないまでも、あ る程度の監督は必要であるとしてイギリスを範にとることを推奨した {Id., at3638, 272-274) c 18 薄井一成・分権時代の地方自治(3) (19) 任免(appointment, removal) 、代行管理(substitute administration)、補助金 (grants-in-aid, subsidy)等の制度が生み出され129)、その動向を回顧的に考察し たワオーラスは、次のように述べていた。 「シティに対する州の行政監督は、ホームルール制度の導入にもかかわらず、 かなりの進展(considerableheadway)を遂げてきた。 -・今後も集権化のプロセ スは続き、自治体への行政監督が強化されるという推測は、根拠のない予言とい うわけにはいかない」130)。 (4)さて、以上のとおり、都市化にともない公正な資源の分配という問題を抱 えたアメリカ社会は、それを解決するために、二つの異なる法主体に期待をかけ たといえる。すなわち、第一に、それは「同質者の集団」であり、彼等は異質者 との接触を回避する手法により、社会に横やかな統合を生み出すことを期待され た。次いで、第二に、それは「専門家」といわれる人々であり、この者たちは社 会の現実に科学的な知識を適用することにより、公正な秩序を生み出すことを期 待された。 付言すれば、後者の立場に立つ者は、科学によりすべての問題を解決しうると 考えたわけではなかった。すなわち、科学的に処理できない問題は、人格的に高 潔な人々の政治的な判断に委ねられるべきであり、その優れた資質の持ち主は、 主として憲法制定議会の構成員に見出されると考えられた。この点をオーバーホ ルツアーの言葉を借りて説明すれば、 「10年や20年という単位で選出される憲法 制定会議は、マシーン・ポリティクスの支配を免れて、有能な法律家等により占 められたため、その構成員を優れた人格の持ち主とみる信頼は、人々の間に生き 続けていた」131)。 そして更に付言するならば、後者の立場に立つ者は、一般市民を政治の担い手 とする直接民主主義の制度や思想を低く評価していた。しかし、彼等の活躍した 革新主義の時代に、直接民主的な制度は充実化の方向を向いていた132)。すなわち、 タウンミーティングの伝統により古くから存在したいくつかの住民レフアレンダ 129) S. C. wallace, supra note 127, at39-59, 254-274. 130) S. C. Wallace, supra note 127, at 273-274. 131) E. P. Oberholtzer,supra note49, at97.以上の点につき、 Ibid, at73-99. 19 (20)一橋法学第4巻第1号2005年3月 ムは別として133)、新たなイニシアティブやレファレンダムの制度がこの特期に多 くの地方法人に取入れられていた。そして、この一見矛盾する動向は、ハーバー ド大学のウイリアム・マンロウによれば決して矛盾ではなく、次のように説明さ れていた。すなわち、「委員会制度やシティマネージャー制度は、簡素化をメ リットとする一方で、かなりの権限をわずかの人々に集中させるために非難を受 けやすく、イニシアティブ、レファレンダム、リコールは、こうした非難を弱め る手段として有効に機能した。そこで、改革派の人々は、地方組織の簡素化と同 時に、直接立法制度を安全弁として取入れる政策的な決断をした」のであった134)。 実際、イニシアティブ、レファレンダム、リコールといった直接民主的な制度は、 委員会制度やシティマネージャー制度の導入を機にそれと一体として取入れられ ることが一般的であっ-/・-135) f 。 さて、その後のアメリカ社会は、「同質者の集団」と「専門家」のいずれを主 要な秩序作りの担い手とするのであろうか。ここにおいて、やや結論を先取りし ておくならば、「同質者」による秩序作りの方法は、必ずしも明るい展望をもた なかったといえる。確かに、「同質者」に秩序作りを委ねるホームルール制度は、 革新主義の時代に、ミネソタ州(1896年)、コロラド州(1902年)、オレゴン州 (1906年)、オクラホマ州(1908年)、ミシガン州(同年)、アリゾナ州(1912年)、 オハイオ州(同年)、ネブラスカ州(同年)、テキサス州(同年)に取入れられ136)、 その後も、各州へと着実に普及していった137)。しかし、「同質者の秩序作り」の 132) Winston W. Crouch, Municipal Affairs - the Initiative and Referendum in Cities 37Am. Pol. Sci. Rev.491 (1943).直接民主制度の導入史の紹介として、生田希保美 /越野誠一『アメリカの直接参加・住民投票』 ll-19頁(自治体研究社、 1997)、 福井康佐「国民投票の研究」学習院大学大学院法学研究科法学論集3号28-31頁 (1995)c 133)法人設立チャーターの成否にかかわる住民レファレンダムが主要なものである (see, E. P. Oberholtzer, supra note 49, at 101-111, 222-240 ; J. C. Teaford, supra note 10,at 6-7.)。 134) see, W. B. Muneo,supra note 127, at241. 135) W. W. Crouch, supra note 132, at 492, J. Weinstein, supra note 120, at 106-109 ; David B. Magleby, Direct Legislation, 22 (1984). Julian N. Eule, Judicial Review of DirectDemocracy, 99Yale L.J. 1503, 1512,n. 38 (1990)に記された参考文献も参 考になる。なお、寄本氏は、当時の改革全体がエリート層による市政の実権掌握 のための運動として位置づける(寄本・前掲注36) 72-75頁)0 136) H. L. Mcbain,supra note 101, at 114-117. 20 薄井一成・分権時代の地方自治(3) (21) 方法が、異質者排除の思想と隣り合わせにあり、場合によっては、個人の自由を 不当に侵害し、また、社会の統合を妨げかねないものとして懸念されたことは、 今なお10程度の州138)がこの制度を憲法に取入れない事実によくあらわれてい-/・-139) また、そうした懸念は、より重要なことに、ホームルール制度を憲法に盛り込ん だ州においても存続しつづけた。それでは、その懸念は具体的にどのような事実 となってあらわれるのであろうか。その点を明確にする作業が、次章における最 初の課題となるであろう。そこで、以下章を変え、ホームルール制度を最初に取 入れたミズーリ州とカリフォルニア州の展開に焦点を当てながら、その作業を試 みることとする。 Ⅵ 現代アメリカにおける地方法人法 1 地方法人と州の立法府-ホームルール制度の変遷 (1)さて、 1875年のミズーリ州の憲法にかんしては、まず、次のことを確認し ておかなければならないであろう。すなわち、この州の憲法は、ホームルールの 制度化に際して、セントルイスシティにホームルールチャーターの制定権を与え る一方で、 (D州議会に一般法を用いてホームルールチャーターに修正的に介入す る権限を与え、 (参また、そうして制定された一般法にシティのホームルール 137)管見のかぎり、今日、 38の州が憲法ホームルール制度を採用している。なお、各 州の憲法につき、 See, http : //www.law.cornell.edu/statutes.html. 138)たとえば、ヴァージニア州はその一例であり、 「州議会は、一般法または特別法に より、カウンティ、シティ、タウン、その他の政府体が、何らかの州議会の権限 を行使し、何らかの州議会の機能を遂行しうることを定めることができる-・」と 州憲法に規定するにとどまる(Const,of VA.Art.VD,Sec. 3)c また、ニューハン プシャー州も、その一例であり、憲法においてホームルール制度の採否の決定権 を立法府に委ねており、 「-立法府は、一般法により、シティとタウンに一般法に 抵触しない範囲において、統治のチャーターや諸形態を採用し修正する権限を与 えることができる。 - (強調は筆者)」と規定するにとどまる(Const,ofN.H. Part I , BillofRights (Art. 39))c 139)ただし、これらの州も、 19世紀後半の地方法人法理論を、そのまま通用させない ことはあるoニュージャージー州憲法はその例であり、デイロンズ・ルールの厳 格解釈ルールを次のように修正する。 「地方統治のために設けられた地方法人又は シティにかんするこの憲法の諸規定、及び、法律は、すべてそれらに有利になる ように柔軟に(hberally)解釈されるものとするO -・」 (Const.ofN.J.A山. IV,sec. VII,ll)c 21 (22 -橋法学 第4巻 第1号 2005年3月 チャーターに優越する効力を与えることを明記した。敷街すれば、ホームルール について定める憲法の第9条は、その第25節において「本条の規定にかかわらず、 州議会は、セントルイスシティとカウンティに対して、州内の他のシティとカウ ンティに対して有するのと同様の権限をもつものとする」1)と規定して、従前と同 様の議会の介入権を明記しており、また、第23節において、シティのホームルー ル「チャーターは、常にミズーリ州の憲法と法律とに適合し、また、それらに従 うものとする-」2)と規定して、ホームルールチャーターに対する州法の一般的な 優越的効力を明記していた。 もちろん、こうしてすべての一般法をホームルールチャーターに優越させるこ とは、州の支配から地方法人を解放しようとしたホームルール制度の趣旨に反し えた。したがって、これらの規定は、その運用に際してその趣旨を問われること となったo そして、ミズーリ州の最高裁判所は、当初すべての一般法にそうした 優越的な効力を認めたものの(1878年)3)、まもなくその判例を変更して、次のよ うな判決を言い渡したoすなわち、ホームルール法人の処理する「地方の事項」 は、州の介入権の及ばない領域になるという判例法であり4),たとえば、 1895年 の最高裁判所判決は、 「(憲法第9条)第16節は、シティの内部事項を自ら統治す る権限に、州の介入権が及ばないことを定めている(括弧内は筆者、なお「内部 事項」は、判決中で「厳密な地方の関心事」と言い換えられている)」と判示し て、 「地方の事項」がホームルール法人の専管領域となることを明言Le。ここ 1) Const.of Mo.(1875),Art.K.sec.25.ミズーリ州憲法の規定(1875年)は、 Howard L. Mcbain, the Law and the Practice of Municipal Home Rule, 118-119, 121122 (1916)に掲載されている。 2) Const,of Mo. (1875),Art. K,sec.23. 3) stateexre己Halpinv.Powers,68Mo.320 (1878).不動産の財産評価(assessment)の時期につき州法に抵触しうる定めをおいたセントルイスシティのチャー ターの有効性が争われた事案。裁判所は、シティのホームルール「チャーターは ミズーリ州の憲法と法律とに適合し、また、それに従うものとすると定められて いる」と指摘し、州法の一般的な優越性を語るにとどまったO 4)以上のミズーリ州の展開につき、 see, H.L.Mcbain,supranotel,at118-171 ; Kenneth E. Vanladingham, Municipal Home Rule in the United States, 10 Wm & Maryl. Rev. 269, 284-285 (1968). 5) KansasCityv. Scarritt,29S.W. Rptr.,845,848 (1895).公園の設置と管理にかかる 州法とホームルールチャーターの優劣を争点とした事案。 22 薄井一成・分権時代の地方自治(3) (23) にホームルール制度は、最初の転機を迎えることとなった。 (2)ところで、同じ頃、カリフォルニア州の憲法も、同様の問題を抱えていた。 すなわち、この州において、ホームルール制度について規定する憲法の第11条は、 「・・・シティは、その政府のためにチャーターを制定することができる-」と規定 する一方で、その「-チャーターは、州の憲法と法律とに適合し、また、それら に従うものとする-」6)と定めており、州法がホームルールチャーターに一般的に 優越することを明記していた。しかも、この州の最高裁判所は、ミズーリ州とは 対照的に、すべての一般法に優越的な効力を認める、次のような判断を下してい た(1890年)。すなわち、 「憲法は、簡明な文言により、シティの地方の事項 (localaffairsofacity)に対する一般法の介入を認めている。したがって、 ・・・こ の立法府の権限行使を悪癖とするならば、それを矯正する手段は憲法修正であ る」7)。このように、一般的な州議会の介入権の存在が肯定されていた。 しかし、この州においても、州の憲法制定会議がまもなく憲法を修正して (1896年)、ミズーリ州と同様の結論へとたどり着いた。すなわち、新たな憲法規 定は、 「シティとタウンがこの憲法に基づいて作成し採択するチャーターは、地 方の事項を別として一般法に従い一般法の統制に服するものとする(強調は筆 者)」8)と規定して、 「地方の事項」がホームルール法人の専属管轄に属することを 明言したのであった9)。 こうして、ホームルール制度の導入直後において、二つの州はアメリカに特有 の発想へとたどり着いた。すなわち、それは、主権内主権(imperiuminimpe6) Const,ofCaJ. (1879),Art. X I.sec.8.カリフォルニア州憲法の規定(1879年)は、 H. L. Mcbain, supra note 1, at 202-203に掲載されている。 7) Daviesv. The CityofLosAngeles, 24Pa. Rptr.,771, 773 (1890).ロサンゼルス市の 職員が、州法に従い遠路の開設と拡張にともなう負担額の決定のために財産評価 をした'assessment)事案。裁判所は、チャーターのかわりに州法に依拠した職 員の行為を適法と判断した。また、公立学校運営資金の管理にかんするサンディ エゴ市のチャーターも、州法への抵触を理由に無効と判断されている(Kennedy, v. Miller, 32Pa. Rptr., 558 (1893). )c 8) Const, of Calif. (1896).Art. X I sec. 6.この憲法規定は、 H. L. McBAIN,supra note l,at202に掲載されている。 9)以上のカリフォルニア州の展開につき、 see, H.L.McBAIN,supranotel.229251 ," Wffliam C. Jones, "Mu花icipal Affairs" in the California Constitution, 1 Calif. L. Rev. 132 (1913) ; K. E. Vanladingham,supγa note4,at285. 23 (24)一橋法学 第4巻 第1号 2005年3月 rio)モデルといわれる発想であり10)、敷桁すれば、州という主権団体の中にもう 一つの不可侵の領域(-地方の事項)をもつ主権団体(-ホームルール法人)を 構想するものであった。そして、この発想は、まもなくコロラド州やオレゴン州 等に受け入れられて、ホームルール制度の-範型として定着し たとえば、 1912年のコロラド州の憲法は、第20条の第6節において、 「-第1段に従って (ホームルールとして)定められるチヤ-タ-と条例は、地方の事項につき、シ ティ又はタウンの領土内又はその他の管轄区域内において、それに抵触するいか なる州の法律にも取って代わるものとする(括弧内と強調は筆者)」と規定して、 主権内主権モデルをとることを明記しだ2)0 (3)ところで、こうした発想の定着は、地方法人という相対的に同質の者から なる集団が、公の秩序の担い手として高く評価されることを意味した。そして、 そのことは、前章において行われた推定を覆しうる事実として注目に値した。す なわち、 「同質者による秩序作り」の方法は異質者排除の思想と隣り合わせであ るという懸念が、ここに払拭されたかのように思われた。しかしながら、当時の 10) 「主権内主権」の用語は、植民地時代のアメリカが植民地内部の事項につき植民地 議会に独占的に立法権を認めるよう本国に要求した際に用いられたことを起源と する(マイケル・イ-・リボナティ「アメリカの地方自治」法と行政7巻2号343 頁(1997))。その後、連邦最高裁判所が、セントルイスシティに道路使用料の徴 収権が存するか否かを争点とした事案において、それを肯定するためにミズーリ 州の憲法の規定を持ち出した上で、それによりホームルールの制定権を与えられ たセントルイスシティを「主権内主権」と位置づけたことから(CityofSt.Louis v. westernUnionTel. C0., 149U. S.465,468 (1893))、この用語は州政府と地方法 人の関係を指し示す言葉として用いられるようになった(KennethE.Vanladingham, Coγ乙stitutional Municipal Home Rule since the AMA (NLC ) Model, 17 Wm &MaryL.Rev.l,n. 1 (1975).)c ll)リボナティ・前掲注10) 343頁。 12) Const,ofColo (1912),Art. XX,sec.6.コロラド州憲法の規定(1912年)は、 H. L. Mcbain, supra note 1, at 552に掲載されているO なお、オレゴン州の憲法は、チャーターは「憲法と刑法」のみに従うものとして、 刑法を除く州の一般法に対するチャーターの優越性を承認した(H.L.Mcbain,supra note 1 at592)c Const,of Ore. (1906),A比. X I ,sec.2. 「立法府は、いかなる地方制度(municipality)、シティ、タウンに対しても、チャータ-と法人化法の制定、改正、取消を 行わないものとする。すべてのシティ及びタウンの法定の有権者は、オレゴン州 の憲法と刑法に従いながら、自ら、地方のチャータ-を制定し修正する権限を与 えられる」。 24 薄井一成・分権時代の地方自治(3) (25) アメリカ社会は、こうした即断を許さない事実にも彩られていた。 たとえば、ワシントン州が、ミズーリ州とカリフォルニア州の動向をにらみな がら、主権内主権モデルの採用を見送ったことは、そのことをよくあらわしてい た。敷桁すれば、この州の憲法(1889年)は、 「- (ホームルール)チャーター は、この州の憲法と法律とに適合するものとする-・ (括弧内は筆者)」13)と規定し て、チャーターに対する州法の優越的な効力を一般的に明記した。そして、この 憲法規定が、憲法制定会議により修正されることもなかった14)。 次いで、ミネソタ州は、一層明確に主権内主権モデルをとらないことを明言し た。すなわち、この州の憲法(1896年)は、 「地方の事項」にかんする立法府の 介入権を明示するとともに15)、ホームルール法人に付与する権限の範囲を予め立 法府に定めさせることとして、 「-立法府は、チャーターを制定するシティの遵 守すべき一般的な事項を、いずれかのシティの法人化に先立って定めるものとす る」16)と規定した。敷桁すれば、この州の地方法人は、近い将来、立法府の定め る一般的な枠組みに従って、一定の事項の処理権を付与されることを憲法により 保障されたものの、付与される権限の範囲は立法府の自由な裁量の下におかれて い」17)。そして、こうした主権内主権モデルから程遠い制度も、ミシガン州 (1908年)やテキサス州(1912年)に取入れられて18㌧ 20世紀の初頭にホーム ルール制度の-範型として定着したのであった。 ちなみに、こうした動向が、前章において確認した「同質者の秩序作り」に対 する懸念に支えられていたことは、いうまでもなかった。たとえば、 20世紀中葉 の代表的な地方自治法学者フォードハムは、その懸念を次のように述べていた。 「なるほど、 (憲法制定権者である)人々は、政府の権限を、その意に則して地 13) const,of Wash. (1889),A純. X I,sec.10.ワシントン州憲法の規定(1889年)は、 H. L. Mcbain. supra note 1, at 396-397に掲載されている。 14) K. E. Vanladingham, supra note 4, at 285n. 88. 15) Const,ofM:血x (1896),Art. IVsec.36. 「・・立法府は、シティの事項(affairsofcities)にかんする一般法を定めうる。この法律は、 -同一事項を規律する地方の チャーターに優越する・・・」。ミネソタ州憲法の規定(1896年)は、 H.L.Mcbain, supra note 1, at 457-458に掲載されている。 16) Const,ofMinn. (1896),A比IVsec.36.この規定にもとづき、 1899年に、ホ二ム ルールシティに対する授権法が設けられた(H.L.McBAIN,supranote 1,at465.)c 17) K. E. Vanladingham, supra note 4, at 286. 25 (26)一橋法学 第4巻 第1号 2005年3月 方団体(municipalities)と州政府とに配分する権限をもっているoそして、その 人々は、場合によっては、地方団体にあらゆる地方の自己統治権(allpowersof localself-government)を付与して、その団体を主権の中の主権(imperiumin imperio)と位置づけることも可能である(括弧内の日本語部分は筆者)」。しか し、当時のアメリカのように「旧市城の人々が、社会的にも経済的にも群れをな して境界外-と移動する」社会において、その発想は「現実に相互依存の関係に あるシティと周辺地城とを(法的に)分断し(括弧内は筆者)」、 「多くの大都市 間題を引き起こしており」、 「決して受け入れることはできない」ものとなってい る19)。こうして、フォードハムによれば、憲法にホームルール制度を取入れる場 合には、公の事項全般にかんする介入権を州議会に留めておき、地方法人間に生 じうる亀裂をいつでも修復できるようにしておかなければならないことが結論と して述べられた20)。 ちなみに、こうした懸念はフォードハムに固有のものではなく、ホームルール 制度導入直後の1911年に、すでにオーバーホルツアーにより次のように明言され ていたOすなわち、 「ホームルール制度は、高い評価を得ることに成功していな い. -・地方政府に独立性を認めることは危険であるO地方の独立性と地方のホー ムルールチャーターにより、今日、アメリカの公法全体は混乱にまきこまれてい る」。 国土全体を多くの地方法人に分割し、各法人に独自の秩序を生み出させるホ18) Const,ofMich. (1908),Art.VIsec.20,21. 「立法府は、一般法により、シティの法 人化につき定めるものとする。また、ヴィレッジの法人化につき定めるものとす る。 -」 「その一般法の下で、シティ及びヴィレッジの有権者は、そのチヤ-タを作成、採択、修正する権限をもつものとする」 (ミシガン州憲法の規定(1908 年)は、 H.L.McBAIN.supranotel,at604に掲載されている). Const,ofTex. (1912),A爪. X I sec.5.「5千人以上の住民を有するシティは. -立 法府により定められた制約に従って、チャーターを採択し、修正できるものとす る。また、当該チャーター及びそのチャーターに基づいて制定された条例は、す べて州憲法又は州の立法府により定められる一般法に抵触してはならない」 (テキ サス州憲法の規定(1912年)は、 H. L. McBAIN,supra note 1, at649-650に掲載さ れている)0 19) Jefferson B. Fordham, Home Rule Powers in Theory and Practice, 9 Ohio State L. J. 18, 21, 71 (1948) ; Jefferson B. Fordham, Home Rule-AMA Model, 44 Natl Mun. Rev. 137, 141 (1955). 20) J. B. Fordham,supra note 19, at 138-141. 26 薄井一成・分権時代の地方自治(3) (27) ムルール制度は、こうして、その導入直後から統合の危機をもたらすことを懸念 されていた21)。そして、主権内主権モデルは、一時の流行にもかかわらず、まも なく衰退の運命を辿ることとなったのであった22)。すなわち、 1924年のウィスコ ンシン州23)と1932年のユタ州24)が、例外的にそのモデルを採用したものの、他の 州がこのモデルを取り込むことはなく、 1923年のニューヨーク州25)はワシントン 州の制度を採用し、 1936年のウェストヴァージニア州26)はミネソタ州の例に倣っ ていた27)。しかも、 20世紀の中葉には、 「同質者による秩序作り」の方法そのも のが支持されなくなり、ホームルール制度自体が時代おくれとなっていた。すな 21)彼においては、 「有能な専門家」に公の秩序作りの権限を委ねることが推奨されて いた(Ellis P. Oberholtzer, the Referendum in America, 445-446, 447 (Rev. ed. 1911つ。 22) 1932年のユタ州を最後に主権内主権モデルが採用されなくなったことにつき、 see, K. E. Vanladingham. supra note 10, at 8. 23) Const,ofWis.,Art. X I sec. 3(1) 「州法に従って組織されるシティとビレッジは、 地方の事務と地方の政府について自ら決定できるものとする。ただし、この憲法 及びすべてのシティ又はすべてのビレッジに一様に影響を及ぼす州の関心事にか かわる制定法に従うものとする- (強調は筆者)」。但し、ウィスコンシンの最高 裁は、この規定にもかかわらず、立法府の介入を免れる「地方の事務」の存在を 認めることに消極的な姿勢をとりつづけた(K.E.Vanladingham,supranote4,at 287. c れ.蝣¥n た・に , ' イ は・テ 条・該 が項・シ の・す こ替・当 る代・る 24) Const,of Ut.,A比. X I sec.5.ト-法人化されたシティ又はタウンは、以下の方法に と より、自らの政府にかんするチャーターを採択す できる。 -有権者の多 数の賛成票により承認されたチャーター及びそ そこに定めら 日から当該シティの基本法となり、これに抵触 の組織及び親子 かかわる法及び既存のチャーターに優越するものとする。 -本項によりチャー ターを制定するシティは、地方の事務にかかわるすべての権限を執行する権限、 一般法と抵触しない地方の警察・衛生・その他の規制を境界内で執行する権限を もつものとする-。本項による(シテ 授与は、州内のすべての シティに一棟に通用される一般法によ ・かる規律をする立法府の 権限を制約するものではない(強調と括弧内は筆者)」。 25) Const.ofN.Y.,A托. Ksec. 2 (c).「地方政府にかんする制定法又はその他の法に より与えられた権限に加えて、 (i)すべての地方政府は、その財産、事務、政府 に関わる本憲法又は一般法の諸規定に抵触しないかぎりで、地方法を採用し修正 する権限をもつものとする-」 26) Const,ofW.Va.,Art.VIsec.39a 「立法府は、一般法により、シティ、タウン、 ヴィレッジの法人化と政府につき定めるものとする。 -その一般法の下、人口2 千人を超える埠方法人の有権者は、法人のチャーターを制定し、修正する権限を もつものとするO ・-ただし、制定時又は制定後に効力をもつ州憲法又は州の一般 法に抵触するチャーターの規定は無効となるものとする」。 27)以上の点につき、 K.. E.Vanladingham,supra note 1, at287, 289. t J I- ヽ 限・か 権・に )・項 る・事 す・の 対・州 イ り 27 (2s:一橋法学 第4巻 第1号 2005年3月 わち、ホームルール制度を憲法に採用する州の数は、 1945年の段階においても20 州に到達せず28)、他の州における地方法人は、旧来の理論の下に州の創造物と位 置づけられるにとどまっていた。 なお、以上の考察の確からしさは、その後のアメリカ社会が、主権内主権モデ ルを明確に否定する新たなモデルの提唱により、ようやく二度目のホームルール 制度の流行を迎えたことからも証明された。すなわち、その新たなモデルとは、 先述のフォードハムにより提唱されたものであり、それは、次のように規定して、 ホームルール制度を憲法に採用しながらも、公の事項全般にかんする介入権を州 議会に留保するものであった。 「ホームルールチャーターを採択する地方法人は一、制定法の否定しない事項 につき制定法の制約の枠内において、立法府が非ホームルールチャーター地方法 人に与えうるあらゆる権限を行使し、あらゆる機能を遂行しうる(強調は筆 者)」29)。 州議会に公の事項全般の介入権を留保するこの案は、アメリカの自治体連合組 織にあたるアメリカ地方協会(AmericanMunicipalAssociation (AMA)、今日の 全国都市連盟(NationalLeagueofCities (NLC)m))と、民間の市政調査機関に あたる全国地方連盟(NationalMunicipal League (NML)、今E]の全米市民連盟 (National Civic League (NCL)31)))とに容れられて(それぞれ1953年と1963年)ffl、 アメリカ社会に広く普及した。すなわち、アラスカ州(1959年)、マサチュ28)須貝修一「地方自治の本旨」阿部照哉ほか編F地方自治大系]』 33頁(嵯峨野書 院、 1993 (初出は1971))、成田頼明「地方自治の保障」宮沢俊義先生還暦記念 『日本国憲法体系第五巻統治の機構Ⅱ』 201頁(有斐閣、 1964)c なお、成田氏の 文献に挙げられるIegislativeホームルール制度は、法律の授権に基づく制度であ り憲法に根拠をもたないために(K. E. Vanladingham,supra note4, at273-274)、 ここではホームルールを採用した州に含めていないO また、この文献は、メリー ランド州のホームルール制度の採用年を1915年としているが、 1954年の誤りでは ないかと思われる(メリーランド州におけるホームルール制度の採用の歴史的経 緯につき、森田徳『アメリカの基礎自治体」 27-28頁(公職研、 1999)) 29 ) American Municipal Association , Model Constitutional Provisions for Municipal Home Rule (1953), Sec. 6. 30) 1924年に設立された地方団体連合組織。各州の都市連盟を通して、 14,000以上の 地方団体が今日この団体に加盟する(この団体の紹介として、 DonaldBorut 「The NationalLeagueofCities (全米都市連盟)」自治体国際化フォーラム1990年10月号 47頁)0 28 薄井一成・分権時代の地方自治(3) (29) セッツ州(1967年)、ペンシルヴェニア州(1968年)、ニューメキシコ州(1970 午)、サウスダコタ州(1972年)、モンタナ州(1973年)等、 50年代の末から70年 代の初頭にかけて、ホームルール制度を州憲法に盛り込んだ大部分の州は、この モデルに則して制度を取入れた。しかも、 1971年には、主権内主権モデルの先駆 けとなったミズーリ州も、このモデルへと移行した33)。結局のところ、アメリカ 社会は、主権内主権モデルを意図的に否定する発想の登場により、はじめてホー ムルール制度を社会全体に普及させることに成功したのであり、この制度の展開 が、アメリカに特有の「主権内主権」の発想を定着させたという結論を導くこと は不可能であった。 (4)ところで、フォードハムの憲法案は、これとは別に、州政府の介入に先行 して行われる地方法人の自発的な活動にかんしては、それを広く認める特徴を もっていた。そして、それは、主権内主権モデルとは別の意味において、アメリ カに独自の思想や制度を生み出しうるものとして注目に催した。 すなわち、アメリカ地方協会の憲法案(以下AMA案という)は、ホームルー ル法人に「立法府が非ホームルールチャーター地方法人に付与しうるあらゆる権 限」を行使することを認めており、また、全国地方連盟の憲法案(以下NML案 という)は、 「すべての立法権」の行使というより広範な権限を、ホームルール 律に適用される法律、若し スの カウンティ又はタウンに適 タウンのチャーターにより権限行 ・約も,・れ・否 ・制る・は・さ・を ・るう・-・用・使 y¥Z 一・仝 _ J . 刺 一.;い・4n w& 使・ウ・ラは強 行・タ・ク又日 を・は・るイ'> 限・又・すテ・な 権・イ・属ン・は の・テ・のウ・で て・ン・ンカ,り べ・ウ・り該・限 す・カ・汐当・の . I : : . M . I . . と・該・法・さ の・当・る・定 31)この団体の紹介として、千草孝雄「グッドナウの地方自治論(六) (七)」自治研 究65巻10号108頁、 11号100頁(1989)、ペイジ・E・ビゲロウ(鍛冶智也訳) 「ア メリカ合衆国における地方政府の発達(上) (下)」都市問題79巻9号75頁、 11号 101頁(1988)、弓家七郎「米国諸都市の市政腐敗と其改革」都市問題8巻2号8&89頁(1929)c 32)全国地方連盟の憲法案は次の通り。 「カウンティとシティは、一般法の定め の枠内で、立法府の し立法府のすべての機能を遂行し 調は筆者) 」 (National Municipal League, Model State Constitution ( 6 th ed. 1963). sec. 8. 02.)。 33) see, Const, of Alas.,A止. X sec. ll ; Const, of Mass.,Art. LX X X I X ofamendmerit; Const, of Pa.,Art. I X sec. 2 ; Const, ofN.Mex., Art. X sec. 6 (D) Const.ofS.D.,A比. I X sec. 2 ; Const,ofMont.,Art. X I sec. 6 ', Const,of Mo., Art. VIsec. 19 (a).なお、以上の制度の展開につき、 GeorgeD.Vaubel, Toward Principles of State Restraint upon the Exercise of Municipal Power in Home Rule, 20 Stetsonl. Rev., 5, 32-19 (1990). 29 (30)一橋法学 第4巻 第1号 2005年3月 法人に付与していた。そして、実際、それらの案は、多くの州憲法に盛りこまれ ており、たとえば、サウスダコタ州の憲法は「-ホームルールチャーターをもつ 政府体(charteredgovernmentalunit)は、チャーター若しくはこの州の憲法又 は一般法により否定されていない、いかなる立法権も行使でき、いかなる機能 (any function)も遂行できる。 - (強調は筆者)」と規定していた34)。 しかし、ここにおいても我々は、こうした独自の制度の生成が「同質者の集 団」に対する懸念により阻害されたことを確認しなければならなかった。すなわ ち、自発的な活動により利己的な方向に走ることを恐れられたホームルール法人 は、次のような制約を課されており、結局、その権限は特徴的な広がりをみせな かったのであった。 すなわち、第一に、ホームルール法人は「私法の例外(privatelawexception)」という法理により、市民間の法律関係を規律する権限をもちえないもの と解された。敷桁すればその法理は、 「家庭内関係、遺言と遺産管理、抵当、信 託、契約、不動産と動産、保険、銀行業、法人等の領域が、地方法人による規律 の対象となることはない」という20世紀初頭の実務と裁判例35)とを引き継いだも のであり、新たな制度の下におかれたホームルール法人も、この法理の下に「一 市民関係(civilrelationships)に適用される私法又は市民法(privateorcivil law)の制定を許されない」という権限の限界を、通常、憲法に明記されていた (AMA案Sec.6、 NML案sec.8.02)サ そして、その制約を裏付ける理由として 提示された事項は、ホームルール法人に対する人々の不信感を良くあらわしてい た。すなわち、その理由とは、 (立地方法人がコモンロー裁判所の管轄領域に足を 踏み入れられないという、形式的な理由とともに、 ②地方法人が公共主体として の属性において州政府や連邦政府に匹敵しうる成熱さを欠くという、実質的な理 由であった37)。 34) Const,ofS.D.,Art. I X sec. 2 35) H. L. Mcbain, supra note 1, at 673-674. 36) Aerican Municipal Association, supra note29, sec. 6 ; J. B. Fordham, supra note 19, at 142 ; NationalMunicipalLeague,supra note32, sec. 8. 02.ニュー・メキシ コ(Art.Xsec. 6D)とマサチューセッツ(Art.LXXXIX sec. 7)等の州憲法が、 この種の規定を設ける。なお、 「私法の例外」の法理につき、参照、塩野宏「自主 立法権の範囲-キャリフォーニアの場合」 1982アメリカ法18-19頁。 30 薄井一成・分権時代の地方自治(3) (31) そして、この公共主体としての成熟さの欠如は、以下のような権限の否定にも つらなった。すなわち、それは「重罪の定義・処罰の権限」と「基本権・基本的 価値の制限の権限」であり、それらの限界を分析したプリーズは、次のように述 べていた。すなわち、 「地方の多数者は、少数者に対して自らの考えを押し付け やすいものであり」、その意味において「地方の政治プロセスは、 (州政府のそれ との比較において)基本的価値を保護するために適切な制度とはいえないもので ある(括弧内は筆者)」O したがって、プリーズによれば「表現の自由、適正手続、 プライバシーの権利をはじめとする基本的な価値」は、州政府により責任をもっ て保護されなければならなかったのであり38)、ホームルール法人は、重罪の定義 や処罰の権限をもちえないことを、通常、憲法に明記され(AMA案sec.6,NML 案Sec.8.02)3 、また、基本権や基本的価値を制限する権限をもちえないことを、 「黙示の先占」という判例法(impliedpreemptiondoctrine)4により多くの州に おいて確立されたのであった41)。ちなみに、後者の場合、具体的には、性犯罪を 定義する条例42)、団結権を制限して労働組合の組織者に許可税を課す条例43)、移 転の自由を制限して犯罪者登録制度を採用する条例等44)が、黙示的に州政府によ 37)以上の点につき、 see, Gary T. Schwartz, TheLogic ofHomeRule and thePrivate LawException, 20 UCLA L. Rev. 671, 720-721, 728-729 (1973) ; Terrance Sandalow, The Limits of Municipal Power underHome Rule, 48 Min. L. Rev. 643, 671672, 674-675, 710 (1964). 38) Coleman Blease. Civil Liberties and the Califonia Law of Preemption, 17 Hastings L. J. 517, 565-566, 569 (1966). 39) American Municipal Association, supra note 29, sec. 6 ; National Municipal League, supra note 32, sec. 8. 02. 40)カリフォルニア州の黙示の先占理論につき、参照、塩野・前掲注36) 6-12頁、 C. Blease, supra note 38. 41) Georg D. Vaubel, Toward Principles of State Restraint upon the Exercise ofMunicipalPowerinHomeRule (3), 22 Stetson L. Rev., 643, 703-711 (1993).但し、 フアウベルによれば、アラスカ州とモンタナ州は、黙示の先占理論を取り入れて い4-いJ 42) InreLane,372P.2d897 (1962).私通を犯罪とするロサンゼルス市条例につき、 「刑法典は性行為の犯罪的側面についてきわめて広範な射程をそなえる定めを設け ており、この対象を規律する一般的な枠組みを採用する立法府の意図を表してい る」こと(Id. at899.)、そしてまた、性行為の犯罪としての処罰は「州のレベル での統一的な取扱を必要とする」こと(Id. at904.)を根拠に、この頚城を立法府 に黙示的に先占される頚城と判示した事案。 31 (32)一橋法学 第4巻 第1号 2005年3月 り先占された領域に踏み込む条例として無効の判断を下された。 最後に、こうして多くの事項を立法府に留保されたホームルール法人は、自発 的な活動権の範囲を実質的に「地方の事項」に限られるのと異ならなくなり、 メーン州(1970年)、イリノイ州(1970年)、ルイジアナ州(1974年)等、遅れて 制度を採用したいくつかの州は、この動向を肯定する立場から、ホームルール法 人の権限の範囲を「地方の事項」に限定することとした45)。すなわち、イリノイ 州の憲法は、 r-ホームルール体(homeruleunit)は、地方の統治と地方の事項 にかんするあらゆる権限を行使しあらゆる機能を遂行しうる・- (強調は筆者)」46) と規定して、ホームルール法人の権限の範囲を明確に「地方の事項」に限定し た47)。ちなみに、この州の憲法は、もちろん主権内主権モデルをとらないことも 明示しており、 「州議会は、 -ホームルール体のあらゆる権限と機能を、州の排 他的な権限と機能とすることができる(強調は筆者)」48)とも定めていたO 43) Inre Porterfield, 168P. 2d706 (1946).許可料の支払いなしに、労働組合への加入 を勧誘することを禁止する市の条例の有効性を争点とした事案。カリフォルニア 州の労働法典932条(労働者の団結や、組織・集団として交渉の自由を支援するこ とを、州の公的な政策にあたると宣言する規定)により保護される権利は、憲法 上の基本権に匹敵するもの(〟. at723)として、最高裁は、それに条件を課す条 例を違法無効と判示した。 44) Abbottv. CityofLosAngeles,349P. 2d974 (1960).有罪判決を受けたものにつき、 警察署長への登録無しに5日以上シティ内に止まることを犯罪とした条例の有効 性を争点とした事案。刑法典は「犯罪の防止や犯罪者の逮捕」の領域を先占する 意図にあること(Id.at981)、そしてまた、 「地方政府間の移動の自由を特定の 人々から奪う法律は、いかなるものにせよ州レベルの統一の扱いを必要とする」 こと(Id.at983)を理由に、最高裁はこの領域を州政府により黙示的に先占され る領域と結論づけた。 45)この点につき、 see, G. D. Vaubel,supra note33, at49-50. 46) ConstofIH,A:比. VII sec. 6 (a). 47)なお、メーン州とルイジアナ州の憲法規定は次のとおりであるo Const,of Me.,A氏.Hpt. 2 sec. 1 「すべての地方政府体の住民は、地方の事項の うち、憲法又は一般法により否定されないすべてのものにつき、自らのチャー ターを修正する権限をもつ・-」。 Const,of L乱,Art.VIpt. 1 sec. 5E 「本項にもとづいて制定されるホームルール チャーターは、政府の地方的下部機構の構造、組織、権限、機能について定める ものとする。一般法により否定されず、又、本憲法に適合するかぎりにおいて、 地方の事務を管理するために必要で適切な、すべての権限行使とすべての機能遂 行にかかわる定めをチャーターにおくことができるものとする」。 48) Constoflll,A比. VI sec. 6 (h).ただし、例外的に、課税権と土地改良事業施行権は 州政府の排他的管轄とすることを禁じられている。 32 薄井一成・分権時代の地方自治(3)(33) (5)さて、こうして、ホームルール制度の展開は締めくくりを迎えた。結局の ところ、この展開によりアメリカという国が、親地方自治的な固有の制度を確立 したという評価を下すことは難しかったといえるであろう。 実際、ホームルール法人に対する懸念が、60年代から70年代にかけても生き続 けたことは、当代-のホームルール研究として賞賛されたザンダロウの論考49)に 明確にあらわれており、彼によれば「地方のレベルは、-一つの利益に突き動か されたグループの悪意的な振舞いにさらされやすく」、また「同質者のグループ の存在により、多数者の軽率な行動に支配されやすいため」、「アメリカ社会は、 マデイソン(のフェデラリスト10)以来、地方の民主主義が、重要な価値を破壊 するかもしれないという警鐘を鳴らしつづけた(括弧内は、引用頁の別箇所から の引用)」50)のであった。ちなみに、マデイソンが、こうした懸念から、合衆国憲 法の起草者の一人として、同質者、すなわち党派(faction)の支配を受けにくい 連邦政府の代表による理性的な熟慮と討議に、重要な公の秩序作りを委ねようと したことは、いうまでもないであろう51)。結局、このような考え方が支配する限 り、アメリカ社会に地方分権の思想や制度が定着することは難しいともいえそう である。 なお、最後に付言すれば、主権内主権モデルの衰退は、同質者の集団に対する 懸念とは異なるもう一つの要因にも支えられていた。すなわち、それは、裁判官 の過重負担に対する懸念であり、主権内主権モデルにおいて「地方の事項」と 「州の事項」の線引きを委ねられる裁判官は、三権分立の原理に反して、政治的 な問題(amatterofpolicy)-の介入を強いられることを懸念されてい-^-52) /^_。実 49)この点につき、 See, G. T. Schwartz,supra note37, at690. 50) T. Sandalow, supra note 37, at 710. 51)この点の指摘として、大沢秀介『アメリカの政治と憲法J 23-27頁(芦書房、 1992c なお、フェデラリスト10の原文は、A・ハミルトン/J・ジェイ/J・マ デイソン(斎藤鼻/中野勝郎訳) 『ザ・フェデラリスト」 52-66頁(岩波書店、 1999)に翻訳されて掲載されている。 52) H. L. McBAIN, supra note 1, at672 ; T. Sandalow, supra note 37, at 687, 705.また、 フォードハムも、 「一般(的な事項)と地方(の事項)の二元的な区別を認めれば、 裁判所に政治の問題をまかせることになる」と指摘した(J.B.Fordham,supra note19,at138-139.)c 主権内主権のモデルに対するこうした批判をまとめて紹介 するものとして、 G. DVaubel,supra note33, at37-40. 33 (34)一橋法学 第4巻 第1号 2005年3月 際、ウィスコンシン州の最高裁判所は、こうした批判を意識してその種の政治判 断を回避しており、 「地方の事項という用語は、確立した法的意味を備えておら ず」、 「何を地方の事項とし、何を州の関心事とするかの判断は、相当に政策的な 考慮の側面をもっている」と判示して、 「この事項にかんする判断権は、第一次 的に立法府に属している」と結論づけていた53)。 また、カリフォルニア州の最高裁判所も54)、立法府の裁量権を尊重して、 「地 方の事項」と「州の事項」の線引きとして、地方法人の処理する事項を剥奪する 州法について、 ①州民の福祉に資する正当な目的に支えられるか否かの点と、 (む その目的が、地方法人にとってより侵害的ではない他の選びうる方法により達成 しうるか否かの点に限定して、司法審査を及ぼすにとどまっていた55)。 とはいえ、そもそも課税権が否定される等56)、三権分立の原理により説明しき 53) VanG止derv. CityofMadison,267N. W. Rptr.,25,at28,31 (1936).警察・消防職員 に支払われる給与の額等、警察・消防部局の統制が「地方の事項」に当たるか否 かを争った事案。裁判所は、引用箇所の判断を前提に、州法に定めのある当該事 項を「州の関心事」に当たると判示して、州法に抵触する地方のチャーターに無 効の判断を下した。 54)ウィスコンシン州の最高裁判例と同様に、カリフォルニア州の最高裁判所が、州 の立法府の判断に敬譲を示した裁判例として、 Abbottv. CityofLosAngeles, 3 Cal. Rptr. 158, 163 (1960), Bishop v. City ofSan Jose, 81 Cal. Rptr. 465, 469 (1969) , Baggetv. Gates, 185Cal. Rptr. 232,239 (1982).これらの裁判例の紹介と分析とし て、金井恵里可「「条例の先占」 -カリフォルニア州におけるホーム・ルールの制 度と運用を参照して(二)」六甲台論集41巻1号122-124頁(1994)c 55) Weeksv. CityofOakland, 146 Cal. Rptr. 558, 571 (1978).地方法人の所得税の課税 を制限する州法につき、税負担の不公平を防止するという正当な目的が見出され、 その目的を実現する手段として、相対的に地方法人の法的地位を侵害しない、全 面的な課税禁止の以外の手法があることを指摘され、同法は所得税の課税を全面 的に禁止するものではないという合憲的な限定解釈を引き出された。その際、裁 判所は、 「州の利益を保護する手段の射程(sweep)は、州の利益よりも広範で あってはならない」と判示した。そして、この判示事項は、後の裁判例において も肯定的に引き合いに出された(California Federal Savings and LoanAssociation v. CityofLosAngeles, 283 Cal. Rptr. 569, 583-584 (1991))。なお、これらの裁判例の 紹介と分析として、金井・前掲注54 127-131頁。 56) K. E. Vanladingham, supra note 4, at 271 ! G. D. Vaubel, supra note 33, at 34, n. 142 ; G. T. Schwartz, supra note 37, at 677 ; Rubin G. Cohn, Municipal Revenue Powers in the Conte∬t of Constitutional Home Rule, 51Nw Univ. L. Rev. 27, 41-12 (1956),村上氏も、ニューヨーク州とマサチューセッツ州の例を挙げて、この点を 指摘する(村上義弘「各国地方税制と自治体課税権-アメリカ合衆国」清永敬次 ほか編F地方自治大系Ⅲ』 40頁、 60頁注26 (嵯峨野書院, 1995))。 34 薄井一成・分権時代の地方自治(3) 35 れない制約が、多くの州の地方法人に課されたことも事実であった。すなわち、 アイオワ州の憲法は、 「地方法人は、地方の事項と統治にかんするホームルール を制定しうる・-」としながらも、 「この法人は、明示の授権のないかぎり課税権 をもたないものとする」573と規定して、その領域をホームルールの対象から除外 した。また、ハワイ州の憲法も、州の「政治的な下部機構は、自己の統治のため にチャーターを作成して制定する権限をもつ-」 (第8条第2節)としながらも、 「課税権は州に留保されるものとする・・・」 (第8条第3節¥58)と規定した。結局、 こうした制約は、放置すれば利己的に活動しかねない地方法人に対する不信感を 如実にあらわすものとして位置づけるよりほかはなかった。 こうして、およそ40の州がホームルール制度を採用した今日においても、アメ リカの地方法人は、通常すべての地方の事項について、国家法の介入を免れない こととなり、また、その自発的な活動権の範囲について、特徴的といえるほどの 拡張には成功しなかった。そして、そのことは逆にいえば、アメリカ社会が、こ こに「同質者」の代わりに「専門家」や「人格的に優れた者」を主要な秩序作り の担い手として積極国家の道を歩んできたことを推測させた。そこで、それらの 点を論証することが、次の課題となるであろう。実際、 「専門家」や「人格的に 優れた者」に対する信頼は、革新主義の時代に生じた行政監督制度や直接民主的 な制度の展開にあらわれている。そこで、以下節を変え、それら制度の展開に日 を向けることとしたい。 (以下次号) 57) Const, of la.,Art. Ill sec. 38A. 58) Const, of Haw,.,Art. II sec. 3. 35
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