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Title
Author(s)
「大名評判記」の基礎的研究
若尾,
小関,
小川,
佐藤,
政希; 野本, 禎司; 望月, 良親; 黒須, あずみ;
悠一郎; 小田, 真裕; 湯川, 真人; 田添, 郁多;
和也; 杉, 岳志; 矢森, 小映子; 新井, 麻衣子;
宏之; 綱川, 歩美; 鈴木, 愛; 加藤, 純子
Citation
Issue Date
Type
2006-03
Research Paper
Text Version publisher
URL
http://hdl.handle.net/10086/16639
Right
Hitotsubashi University Repository
そこで本稿では、新しい史料を中心に、大名を評価した基準、ひ
いては大名に要求された基準を明確にし、評者側の意図に迫りたい。
こちらも細かく見ていく必要がある。
︻各論︼
班の共同作業の都合上、﹃武家勧忍記︵・︶﹄を中心にとりあげる。
の位置から
綱川歩美
一 ﹃武家勧旧記﹄という﹁大名評判記﹂
︵1︶﹃武家勧忍記﹄の成立年代について
元禄三年前後の記述とされる﹃土芥憲雛記﹄をはさんで、﹃武家勧
懲記﹄が延宝三年、﹃諌懲後正記﹄が元禄一四年頃であるということ
はすでに明らかになった。しかし﹃武家勧忍記﹄については、上記
三点よりも前の時代であるというだけで明確ではない。そこでまず
は列記された大名名から、内容の年代を策定したい。
一瞥してほとんどの大名が、幕藩体制下で領知を与えられた初代
もしくは二代目ということが分かる。このことから、他の三栄より
も早い時期に作られたものであることは確実である。
次に、いくつか基準となりそうな大名を取り出してみる。まず作
成の下限から考えてみよう。尾張徳川家義直と光義、紀伊徳川家の
頼宣と光貞、水戸徳川家の頼房と光囲がそれぞれ、 一つの大名家の
なかに併記されている。このうち紀伊と水戸に関しては、﹁国の政道
任セサル故﹂とあって家督は前者にあることが分かる。紀伊家は寛
文五年に、水戸家は寛文元年に継いでいるので、すくなくとも寛文
元年以前となる。また、徳川綱重、綱吉についても、所領が定まっ
ていないことからも寛文元年以前は確実である。
では、上限はどこまで遡れるだろうか。徳川綱重を﹁征夷大将軍
家綱公御舎弟﹂と記しているので、家光の死去後、家綱の治世であ
るから慶安四年以降は確定できる。さらに真田家から絞ってみる。
真田信政は万治元年に六三歳で死去している。本書の家督は息子の
信房︵のちに幸道︶になっている。わずか二歳で世襲した信房に対
して、評者は幼稚のため評価に及ばないとしている。ということは、
﹁大名評判記﹂とはなにか
﹃武家勧忍記﹄
はじめに
﹁大名評判記﹂と銘打たれた﹃土芥窟離記﹄の”謎”は解けるど
ころか、さらに難解な課題を我々に提示してきている。今年度の共
同研究では、新たな﹁大名評判記﹂が発掘された。これらは研究の
範囲を格段に広げるとともに、更なる研究の触手をのばすことを要
求している。新史料﹃諫懲後正記﹄﹃武家勧懲記﹄また、﹃武家勧学
記﹄は、いずれも﹃土芥冠群鳥﹄と同じく、大名の概略につづき﹁評
文﹂を付している。この﹁逸文﹂が﹁大名評判記﹂というカテゴリ
ーとして一応括ることができる。
それにしても、大名を評価するというのはいったいどのようなこ
とだろうか。評価という体裁をとる以上、評価される側の大名は殿
誉褒疑にさらされる。そして評者が何をもつて判断を下しているか
という理想や意思が反映していると考えられる。作者も評者も不明
という↓連の﹁大名評判記﹂を解く鍵が、これらの﹁評価基準﹂に
秘められていると考える。﹁紋切り型の儒学道徳︵、︶﹂とされている
が、改めて精緻に把握する必要がある。
また、ほぼ石高順に大名を羅列した体裁は、すでに指摘されてい
るように大名の比較的認識を前提としているとされる︵・︶。これは﹁大
名評判記﹂を読む側に照準をあわせたものであるが、 一方でその作
成者側の視点が希薄である。何のための評価なのか、なぜ作られた
のかという、作者の含意と初発の動機を時代的背景と重ねながら、
一
餅
20
信房世襲から遠くない時期、万治元年以降である。以上のことから、
﹃武家勧工記﹄の成立年代は万治元年以降、寛文元年以前、つまり
万治年間︵三年間︶であると推測される。
次に構成の問題であるが、先述の通り大名の氏名・妻子・続柄・
領知の概況・家老名・大名個人の性格・資質につづき、﹁愚子義日﹂
と三文が付されている。作者・評者について興味深いのが、評者は
前文を﹁本文﹂と呼び、場合によっては﹁如何本文之作有ノ心得計
カタシ﹂というように、異見しているのである。これは、前文と評
文とで書き手が異なることを意味している。踏み込んで言えば、大
名個人のデータが評者に示され、それらについて﹁評価﹂を下した
ことになるのではないだろうか。
また、この評者は﹁教戒ノ巻ニモ日記二略ス﹂と、冒頭に度々振
り返っていることから、﹁教法ノ巻﹂も評者の作と考えることが出来
不忘ト云リ。﹂︵﹁教法ノ巻﹂︶
﹁乱レタルニハ武ヲ以テ鎮ムヘシ、文ナクンハアルヘカラス、静
ナラバ文ヲ以テ治ムヘシ、武ナクンハ有ヘカラス。故二古往治国
ノ良将ハ文ヲ先ニシテ武ヲ不忘、乱国ノ良将二二ヲ先ニシテ文ヲ
鳥居に関しては﹁学テ仁道ヲ不正トキハ不学二劣﹂ると述べる。
トハ云カタシ﹂
﹁文武両道甚勝レタリトモ奢戸長シ、国家之政道モ法二背カバ善
久の例を引いてみる。
このように、支配の観点から文武の学問が必要とされかなり重要
な基準になっているが、それがすべてではない。矛盾するようだが、
文武両道の大名に対して﹁不学二劣﹂るとされる場合がある。︵11
4鳥居忠春︶なぜこのような評価になるのかというと、16島津光
している。
とはいっても、近世大名の置かれた位置は治の時代であり、﹁文ヲ
先ニシ武ヲ後ニスル事﹂︵50水野勝貞︶と文道の優位が説かれてい
る。また、武道に関しても、いわゆる﹁血気ノ勇﹂として﹁文ノ道
ノ不知﹂︵45久松定重︶ためと断じ、主将の器の勇ではないと否定
はならないという。なぜならば、﹁治ハ乱ノ前、乱ハ治ノ前﹂という
ように、油断を誠めるためである。
国家の治乱によって、二つの学問を使い分け、かつ一方を忘れて
めるかということを、道理や学問によって提示し、それが﹁評価﹂
の重要な基準になっている。﹁天下国家ノ安全ヲ行フ﹂という点で、
文武の学問は別ではなく表裏一体である。
もう少しことばを拾って補うと、﹁古往聖賢ノ教法ヲ学ハレ、其地
意ヲ旨トシ、心身ヲ正順ニシテ天下国家之安全ナラン事ヲ欲セサル
ヘシ﹂︵﹁教法ノ巻﹂︶という。つまりは﹃大学﹄の八条目に代表さ
れる、正意から平天下という儒学徳目の実践を促している。文は﹁事
物ノ道理﹂を明らかにし﹁国政ヲ行﹂い、武は武備によって﹁乱騒
ヲ治メ﹂るための心学なのである、一国の治者としていかに国を治
光之︶
る。
では、実際に﹃武家芝桜記﹄の評者はどのような基準で大名を判
じたのであろうか。以下に大名に付された評文と﹁教法ノ巻﹂に表
されたものから見ていくことにする。
︵2︶﹃武家勧忍記﹄の評価基準
合計一七〇名に及ぶ大名の評文は︵、︶、﹁誉レ﹂の有無、﹁善将﹂﹁愚
将﹂といった語句で無断されている。﹁評価基準﹂であろう具体的な
語句を抜き出し、 一覧にしたのが表1である。最も言及が多く、重
要な判断基準となっているのが、﹁文武﹂の学問の有無である。たと
えば、40酒井忠直は﹁将トシテ文武両道ヲ学事最可也﹂というよ
うに、領主としての嗜みとされている。この点は、﹁教法ノ巻﹂でも
冒頭から﹁天下国家之司タル人常々可肝心心門文武両道之事﹂と箇
条書きされ、評者の理想とするところであった。
﹁主将﹂として、つまりは大名として﹁文武﹂の学問が必要とされ
るのは、その中身にある。評者は、文武を次のように定義している。
﹁叢雲人民愛スルノ本、武ハ国家之政道ヲ謀ルノ本工﹂︵18黒田
研
一
21
つまりは、実際の政治に学んだことが活かされなければ意味がない
ということであろう。
また、7徳川重重の平文にあるように、学んで理に拘泥しすぎると、
却って妨げとなるともいう。それは﹁賢二勝ル人ハ潔白行二理ヲツ
ケテ法ヲ破﹂るため悪事が道理をもってまかり通ってしまうことを
危惧するからである。
文武之道ヲ不知人ハ理二叶事アレトモカナラス大道ノ理二不当シ
テ⋮之大道ト云ハ是文字書籍ノ物々ヨリ出ルナレハ不叶三三︵4
1阿部利重︶
過ぎることを牽制しながらも、﹁文武﹂を学び道理を弁えることが
大名に要求される。
君子ノ徳ハタトヘハ風、小人ノ即処草ノ如シ。草二風ヲ加レ丁霊ナ
ビキ伏モノ也。其コトク上二有人善ヲ好三吟民ナビキ化シテ従フナ
リ︵70藤井忠国︶
右にいうように、大名と家臣万民は風と草の関係に例えられる。
支配者の徳如何で、支配される側の徳化を左右するのである。﹁将ハ
国之民芸、将能制勝則国家安定﹂︵29佐竹義隆︶といわれるように、
国家の存亡は大名個人にかかっているのである。
点を取り上げてみた。評者の視点から見る限り、﹃武家勧忍記﹄は、
大名を評価するという次元には留まらず、大名理想像を作り上げ、
提示しているように思われる。文武の学問が﹁国家安定﹂︵29佐竹
義隆︶や、﹁家民ヲ憐ミタル﹂︵34本多政勝︶といった、領民や家
臣の統率による治国を最終目的に順当に達するための手段として語
られている。その意味で本書は、統治学、 一種の大名帝王学の書と
いう見方ができるかもしれない。
二 ﹃貞観紫藍理解﹄という書籍
前節において、﹁評価﹂される大名の理想像を評者の基準にそって
見てきた。ここで一つの疑問が浮かぶ。﹃武家勧二心﹄をはじめとし
て、﹁大名評判記﹂には当然ながら大名の﹁評価﹂しかされない。し
かし、この﹁評判記﹂を一種の帝王学の書として考えるとき、別の
次元でそれを必要とした人物がいる。大名諸侯の君にあたる将軍そ
の人である。
近世社会において、世俗的権力の頂点にいた将軍であるが﹁大名
評判記﹂のなかには現れない。大名を﹁評価﹂したものであるから
当然といえばそうなのだが、大名が個別に﹁評価﹂され理想的なあ
り方を宣揚されるのと同じように、将軍の統治学のモデルがあって
は﹃貞観政二二解︵・。︶﹄、作者は林出山である。
慶安四年置十巻本の︸書が作成され幕府へ献上されている。書名
以蔵家塾
貞観政要諺解全部十巻、先考辛卯早秋、応阿部豊後守忠秋之求以
作之被備、 幕府之英覧其後、先考因若狭羽林之請写一部而寄之、
明暦丁野鼠春之災家本焚亡、黒月講論当面羽林之本写之補其所亡
︵1︶﹃貞観平芝諺解﹄の成立
もよいのではないだろうか。
シモ不違、諸民ヲ愛スル事水魚ノコトク可心得也。︵﹁教法ノ巻﹂︶
案スルニ主将トシテハ塩剥諸民ヲ我子ノ如クニ愛スヘシ。恵クム
コト薄ウシテ是ヲ憐ム事ナケレ文民ノ恨ミ出来リ終焉罐トナル事
多シ。君子ハ徳ヲ以テ政ヲ執行三二民ノ恨ムル事ナシ。必ス恨ミ
ヲフクミアタヲナス者ニハ猶々恵ミヲ施シ是ヲ愛スヘシ。其恩別
シテ厚ク成テ其儲トナル民却テ政道ノタスケトナル事多キ者ナリ。
荷子日君舟也臣者水也世辞載舟水則覆舟、此心ヲ以テ君臣ノ道少
とされている。
明暦丁酉七月 春斎
また、﹁君子﹂が徳をもって憐れみ政治を行うときは、家臣も諸民
も恨む事なく、国家は収まり・やすいとする。君臣関係は﹃荷子﹄の
船と水に、君民関係は﹃論語﹄の魚と水にたとえられ、心得るべき
以上、大名を判じる基準として評者が最も重視している文武の観
一
レ
21
右は、寛文九年に刊行された同書に付された、林春斎の賊文であ
る。これによれば、雪山が阿部忠秋に頼まれて、﹃貞観政要諺語﹄を
作成、献上したという。忠秋といえば、先代家光の時代から老中職
にあり、幕府中枢にいた人物である。勿論、﹃武家勧忍記﹄にも登場
している。では、幕府首脳がこの時期、羅山に作成させた﹃貞観政
要 諺 解 ﹄ と は なにか。
﹃貞観政平野解﹄は、﹁諺解﹂の名が示すとおり和訳した漢籍である。
もとは唐の時代、太宗の政治に関する言行録として、呉競が綴った
﹃貞観政要﹄十巻四〇編である。太宗は階王朝の後、中国を一統し、
三百年にわたる唐朝の始祖とされる人物である。この治世を貞観と
いい、道徳政治が行われた理想的な時代として﹁貞観の治﹂と呼ば
れる。太宗や家臣らの言行や問答を収めた、政治の実践書とされる
︵6︶o
日本ニチモ古ヨリ帝王此書ヲ読テ君臣ノ間ヲト、ノへ治乱安危ノ
戒トシ、政ヲ行フノ助トシタマフ事旧記二見タリ
野山も﹃諺解﹄の冒頭で述べているように、日本には七世紀ごろ
渡来し、以後知識人の必読書とされていたらしい。家康もその愛読
者で、慶長五年には伏見版として出版している。
出版された﹃諺解﹄は漢文を崩し、漢字に仮名をつけ、語句の説
明も挟んでいる。献上された﹃諺解﹄と刊本である本書が同一であ
った確証はないが、原田種成氏も指摘されるとおり慶安四年の将軍
代替わりに際して、家門に進呈されたことを考えると、刊本は原本
をそのまま用いている可能性が高い︵,︶。また、上記の引用で羅山が
﹁帝王﹂の書であるといっていることからも、﹃唾石﹄が新将軍家綱
の手本として期待された可能性は高い。
︵ 2 ︶ ﹃ 貞 観政要﹄﹃貞観政要手解﹄の 内 容
では、古今の﹁帝王﹂が﹁政ヲ行フノ助﹂とした﹃貞観政要﹄の
﹃諺解﹄はどのような内容をもつものであろうか。
唐ノ太宗即位ノ後群臣ヲアツメテ、草創ト守文トイツレカ難ヤト
勅問アリ。草創ハ乱ヲ治テ初テ天下ヲ取コトナリ、守野尻治レル
時二乱レサルヤウニ守リ治ル事ナリ。此ニツハ何レカ大事ナルヤ
トノ事也。
ヲ取バカタキ事ナレハ、草創ヲ難ト申スヘシ。
房玄齢ト云ル大臣奏シケルハ、天下大二乱テ諸国ノ大将我モく
帝王トナラント争フ所ヲ、弓矢ヲ以テ身命ヲ惜マス戦ヒ勝テ天下
此時魏徴奏シケルハ、昔ヨリ天下ヲ取テ後政アシケレ出営テ天下
ヲ失フ者多シ、道ヲ知テ政ヲヨクシ永ク天下ヲ守り治ムルハ大事
ナレハ白文ヲ難シトスヘシト申ス。
太宗此両人ノ申ストコロヲ聞テ、今ステニ天下治レリ、乱レサル
ヤウニ群臣ト相謀リ政道ヲ正スヘシ。然レ白竜徴力申ストコロニ
シタカハント勅セラル。
サレハ唐ノ世二十代三百年二及マテ相続セルハ太宗ノ政ヲ子孫ノ
帝王ヨク守ル故ナリ。
﹃貞観政要﹄の最も有名な部分、草創と守文についての議論であ
る。房玄齢と魏徴という二人の大臣がそれぞれ、政権の獲得と持続
について太宗に答え、今は治の時代であるので持続を重視すべきと
した。
下線部は、﹃貞観枢要﹄本文にはないところで茶山が付け加えたも
のである。初めの部分は、語句の説明であり、理解しやすいように
したものであろう。先述のように、若年の将軍が読むことを想定し
ているように思える。 ↓四声の下線部は、難山の意見であり、草創
よりも守文に重きを置いた太宗の判断が受け継がれたことによって、
三百年にわたる唐朝が実現したとしている。羅山にとっても政権維
持こそが現実的課題としてあったことは想像に難くない。また別の
ところで﹃諺解﹄は次のように言う。
昔ノ聖人ノ君、我身ニトリテ政ヲナス。彗星二倭何トイヘル賢人
アリ。楚王コレラ召テ、国ヲ治ルコトヲトフ。倦黒身ヲ治ル道ヲ
以テ対フ。王カサネテ国ヲ治ルコト如何トトフ。虐何対ケルハ、
正治マル時ハ国ヲサマル、身ミタル、時ハ国治ラスト申ス
島
一
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これも﹃貞観政要﹄本文をそのまま下した部分であるが、治国の
基本は君主自身の修養であるという。﹃熔解﹄は本文を受けて、安定
した政権運営は、君主の心に収敏する。
王罪状ケルハ、古ノ帝王政ヲスルニ、キヨクシツカナルヲ用ヒ、
天下万民ノ心ヲ以テ君ノ心トス、少モ私アラス。近代ハ専ラ万人
ヲソコナヒテ上ノヨクヲホシヒマ、ニス。又用ル所ノ大臣善人ニ
アラス。漢ノ世ノ宰相ハ能学問セリ。君無憂シキコトアツテ是ヲ
トフ五月各本文ヲ考ヘテ、其政ヲ決定ス。是ニヨツテ人人礼義ヲ
シリ、太平ノ政行ハル。近代ハ文ヲ軽ンシ、武ヲ重ンス。武ハ法
度ヲキヒシクスル二二、.政コマカニハシカクナリテ文道ヲトロヘ
テ風俗ヲホキニヤフルト申ス。太宗此味ヲヨミシテ百官ノ中学問
アツテ政ノ大抵ヲシル者ヲメシ、官位ヲアケテ択ヒツ首鼠ル
別の大臣、三三が太宗に言上した箇所である。王桂は過去と今を
比較して、政治の乱れを指摘する。王たるものは私心のない心でも
って政治にあたり、学問のあるものを臣下とすべきであるという。
﹁太平ノ政﹂は人々が﹁礼義﹂を知り、﹁風俗﹂の乱れを抑止するこ
ある。﹁明君﹂﹁暗君﹂の違いは、﹁賢人﹂の登用、または理の通っ
た諌言を受け入れるか否かによる。君主と家臣との意思疎通が容易
であり、それによってよりよい政治が達成されるものとされている
のである。政治運営は、君主一人の心持ちと同時に、ともに政治を
支える家臣の選択と健全な君臣関係にあるといってよい。これに羅
山は、﹁暗君﹂では国家は長続きしないと付しているのである。
たものなのである。
以上、﹃貞観政六経解﹄の内容をかいつまんで紹介した。勿論、内
容はこれだけに留まるものではないが、君主としていかにあるべき
か、という点に着目したとき、これらのことが主眼となっているこ
とは言える。また、羅山が﹃諺解﹄に付した一文からは、治国の綱
領として﹃貞観政要﹄が認識されていたことがうかがえるであろう。
まさに﹃貞観政要昏昏﹄は帝王学の書として、慶安四年に起草され
三 ﹃貞観政要諺解﹄と﹃武家勧忍記﹄
さて、﹃武家勧忍記﹄の大名理想論と﹃貞観政要諺解﹄の君主論を
みてきたが、類似する点があることに気づく。先述したように﹃貞
観謡講﹄は、近世以前から知識人階層の認知を得ていたから、直接
的な参照というようよりは、常識的な反映とみることもできる。し
かし、﹃武家勧忍記﹄は確かに﹃貞観雨音﹄の内容を引用しているの
である。例えば、19浅野光晟の﹁愚評﹂は﹁貞観政要日﹂として
本文を引用している。また、書名を出してはいないが、おそらく﹃貞
観政要﹄を受けていると思われるものに、21鍋島光茂がある。
.悪図上邪義甚シテ私欲食リ有、諸士之賢才ヲシラス、故二賢ナル
ハ退キ直人詔ヒ者ハ日々ニサカンニ近キ進ミ驕二長スル故、国家
終二乱ル如
これは先にあげた﹃諺解﹄の﹁暗君﹂を説明する文章に近い。さ
こう。
とにある。そのためには﹁文道一が必要で、﹁武﹂よりも重んじられ
なければならないというのである。どこかで聞いたような論理であ
るが、ここでは治世の政治のありかたを、学問︵ことに文道︶を主
とし、学問のある家臣の登用を君主の任としていることを抑えてお
貞観二年、太宗何ヲカ名君トシ、何ヲカ暗君トスルヤ。暗君ハヲ
ロカニクラキ蜀錦。魏徴申ケルハ、君ノ明トナル事ハ諸人ノイフ
コトヲ聞テ其ヨキヲ用ル、故二面ノ云コト上二通シテサ、ヘフサ
カルコトナシ、君臣上下ヨク通スル感官。君ノ暗キコトハ、賢人
ヲ用ヒス、ウトキ者ヲタテ、イヤシキ者ノ申スコトヲハ道理ニカ
ナフト云コトヲ聞入コトナシ、コレ皆エコノ私法。故二遠国二敵
尚書二我ヲ撫トキハ后ナリ、我ヲ虐スルトキハ灘ナリト云リ。我
トハ民ナリ、民ヲナテ養トキハコレヲ君トス、民ヲソコナヒヤフ
らに、﹃武家勧忍記﹄が﹃諺解﹄に依拠しているところを示そう。
ヲコルトイへ共コレラ退コトナシ。皆是君ノ暗フシテシラサル故
ナリ。イカンソ国家長久ナランヤ。
君主の良し悪しはいかに判断されるか、 という核心をつく問答で
翫
一
21
藤田覚氏が指摘するように、家光死後、慶安四年の由比正雪の乱
を契機に末期養子を認めるなどして、それまでの大名統制が緩和さ
れる。これを期に政治方針がそれまでの武断から文治へと転換する
とされている︵、︶。しかし、大名統制が全くなくなるということは想
像しがたい。推測するならば文治主義的な大名統制法として、﹁大名
評判記﹂というかたちをとって、﹃武家蔓忍記﹄は作成されたのでは
ないだろうか。文武両道というイデオロギー的粉飾をもって、大名
に個別領主としての自覚を促し、将軍一大名という君臣関係を遵守
させようとするものではなかったか。﹃諺解﹄の存在とあわせて考え
るとき、阿部忠秋や林家をはじめとする幕閣構成員の、家綱政権を
磐石ならんとする政治的意図を感じるのである。
はそのまえにもうひとつの古語がある。
いえよう。
ルトキハコレヲ離トス。ツ、シムヘキ事ナリ。荷卿モイヘノハ
ハ舟ナリ、 ハ水ナリ、水ヨク舟ヲノセ又ーヲクツカヘス。 二
孔子云ク、魚ハ水ヲ ヘハスナハチ死ス、水炉端ヲ フトイヘト
モ・哲モトノ水鳥。故二士舜ノ天下ヲ治ルニ日々ヲソレツ、シマス
ト云事ナシ。何ソ深ク思ヒウマクバカラサランヤ。
﹃武家勧忍記﹄で度々言及される君臣関係や君民関係において、
引用される古語は﹃附子﹄と﹃論語﹄である。先にあげたように、
﹃武家勧甲信﹄の指針ともいえる﹁教法ノ巻﹂において二つの古語
が同時に引用されているのをみた。そして、右のように﹃貞観政要﹄
でもこの古語を鳥追によって同時に語らせているのである。このこ
とからは評者が、﹃貞観政要﹄の内容を判断基準に据えていることが
そして、﹃諺解﹄が﹃貞観政要﹄を書き下した帝王学の書であり、
﹃武家勧忍記﹄に数念先行するものとして作られたことを念頭にお
くならば、﹃武家勧忍記﹄は﹃諺解﹄を単なる評価基準としてだけで
はなく、同じ趣旨をもつものであったのではないか。つまりは、大
孟子イヘル事アリ、 宅臣如 旧臣宅 L 宅臣如、馬臣宅
糞土ハチリアクタナリ。君ノ礼アルト礼ナキトノ不同ニヨリテ臣
下ノアイサツアル事ナリ。臣トシテハニ心ナシトイへ共君恩ノ厚
薄目ヨリテ去ト去サルトノ義︻有︼レハ、君家ル人イツクンソ下
二対シテ無礼ナランヤ。⋮喪心節義ヲ立ル事ナク、人倫ノ教ヲコ
ルコトナシ。太平長久ノ福ヲタモチカタシ、⋮
﹃孟子﹄の﹁土芥底儲﹂である。﹃土芥冠婦警﹄には﹃荷子﹄の引
用も幾つかみられるし、﹃貞観政要﹄そのものの引用もある。これも
また﹃貞観政要﹄﹃諺解﹄そして、﹃武家勧忍記﹄という系統を考え
る必要があるだろう。それは他の﹁評判記﹂も同様である。そして
さらに踏み込んでいえば、﹃武家勧忍記﹄同様、元禄三年段階での政
治的課題を視野に入れた大名統制を意図したものではなかっただろ
うか。この点は、林家や幕府首脳の動向とあわせて、さらに考察す
国臣如君臣宅如増毛、冠離ハアタカタキヲ云ナリ。
最後に﹃土芥憲儲記﹄やその他の﹁評判記﹂との関係を述べたい。
先に引用した﹃諺解﹄の﹃棋子﹄と﹃論語﹄を挙げる部分には、実
おわりに
名の帝王学の書としてである。
江戸時代を幕藩制国家論として提起した深谷克己氏は、その権力
編成を集権的と捉えた。体制を見るにあたって、その権力が将軍に
あるか大名あるかという強弱の論理ではなく、それらの組み合わせ
が体制を作り出しているという視点にたつものである。そこでは、
大名権力、﹁個別領主権﹂が体制のなかでどのように位置づけられ、
機能しているかが問題となる︵・︶。
をもっている。
これを受けるならば、﹃輩下﹄や﹃武家隠忍記﹄の作成された時期
は、上記の問題がクローズアップされるときである。﹃諺解﹄の慶安
四年は家禽治世がまさに始まろうとするときである。そこから時を
置かずして﹃武家勧忍記﹄が万治年間に作成されている。叢書がと
もに天下国家の領主のための手本として、帝王学の書と位置づけら
れるならば、﹃武家勧忍記﹄は大名統制のひとつの方法という可能性
↑
一
21
る必要がある。また、﹁評判記﹂だけでなく当時の政道書との関連も
考 慮 す べ き で あろう。
︻注︼
︵1︶金井圓﹃土芥冠雛記﹄︵新人物往来社、 一九六八年︶﹁解説﹂。
︵2︶同前。
︵3︶今回使用したのは、刈谷市立図書館村上文庫の蔵本で、全二
〇巻︵内﹁国法之巻﹂を欠く︶十二冊である。
︵4︶大名数は一七〇名であるが、ところどころ評文を欠く。十六
巻 以 降 は 全 く 評文がない。
︵5︶今回使用したのは、岡山大学池田家文庫所蔵のもので、全十
巻十冊で、明暦三年林春斎の蹟をもち、寛文九年に刊行されたもの
である。寛文九年という刊記のあとに、﹁荒川宗長﹂という名前が印
刻されている。
︵6︶﹃貞観政要﹄の中国における政治的意義は、布目潮回﹃﹁貞観
政要﹂の政治学﹄︵岩波書店、一九九七年︶を参照。
︵7︶﹃新釈漢文大系 貞観政要﹄上巻、明治書院 一九七八年、﹁解
説﹂。
︵8︶﹃近世国家・社会と天皇﹄校倉書房 一九九一年、第三部第二
章。
︵9︶﹃徳川幕閣﹄中公新書 一九六五年、第四章﹁官僚政治への移
行﹂。
匠
2
藤中
ZO
一 一
障
ω
鼻
α
O
刈
oQ
汁隅田
疎三宿画
面三島爆
三三帰国
三三罐斯
面三温細
繊智關雛団
繍三 櫛
三三三三
叶 訟、蕗
一
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