渓流魚の生息場所の造成・復元技術の開発 山梨県水産

渓流魚の生息場所の造成・復元技術の開発
山梨県水産技術センター
要旨
渓流魚の産卵場所の造成・復元技術の開発に資するため、富士川水系小武川の砂防堰堤
直下に整備された人工産卵河川における産卵状況について調査したところ、イワナ 21 箇
所、アマゴ 3 箇所、種不明 1 箇所、計 25 箇所の産卵床が確認され、平成 20(2008)年、
平成 21(2009)年の調査結果に比べ大幅に増加した。一方、隣接する本流の調査区間で
は、産卵床は全く確認されず、本流の尐ない産卵適地の実態があらためて確認された。こ
れらのことから、人工産卵河川は、イワナ、アマゴの繁殖成功度を高める上で有効に機能
しているものと推察された。
稚魚の生息場所の造成・復元技術の開発に資するため、人工産卵河川及び小武川の小支
流において稚魚の分布調査を行った。潜水目視により稚魚が確認された点と淵内の任意の
点の環境を判別分析によって解析したところ、稚魚の有無を判別するための変数として、
水深、流速、枝葉の有無が選択された。この結果を受け、水深が浅く、流速が遅く、枝葉
が堆積しやすい環境を造成し、造成前後で比較したところ、生息適地面積は 4 倍以上に増
加した。
目的
イワナ、アマゴが生息する渓流域では、1970 年代以降、砂防ダム等の河川横断工作物の
設置基数が著しく増加しており、渓流漁場の荒廃が進んでいる(遠藤ら, 2006)。
砂防ダム等の設置により生息域が分断された結果、最上流域に取り残された個体群では、
局所的な絶滅も起こっている(Morita et al, 2002; 遠藤ら, 2006; Tsuboi et al, 2010)。
また、産卵期においては、砂防ダム等の直下における数尐ない産卵適地を巡り、複数の
産卵親魚による重複産卵が生じ、産着卵の生残率が低下することが指摘されている(中村,
1999b; 中村ら, 2008)。
近年、重複産卵を低減し、人工産卵場や人工産卵河川を造成することが生息環境の改善
策の一つとして注目されている(中村, 1999b; 中村ら, 2008; 中村ら, 2009)。
そこで、本研究では、砂防堰堤で分断され、産卵環境が悪化した河川に造成した人工産
卵河川において、産卵親魚の遡上状況、産卵状況をモニタリングすることで産卵環境の造
成・復元技術の開発に資する。
さらに、自然の小支流及び人工産卵河川における稚魚の生息環境を定量化し、その結果
をもとに造成した稚魚の生息場所及び改良を加えた人工産卵河川において、稚魚の分布状
況をモニタリングすることで、稚魚の生息場所造成・復元技術の開発に資する。
105
1 産卵環境の復元
渓流魚の産卵環境の造成・復元技術の開発に資するため、富士川水系小武川の砂防堰堤
直下に整備された人工産卵河川における産卵状況について調査した。
方法
人工産卵河川の概要
調査の対象とした人工産卵河川は、平成 19
(2007)年 10 月下旪~11 月下旪にかけて、
地元建設業者、地元漁協、国土交通省関東地
方整備局富士川砂防事務所、山梨県水産技術
センターの協働により、富士川支流の小武川
に造成したものである(図 1,2)。整備にあ
たっては、岐阜県の蒲田川における先進事例
(中村ら, 2008)を参考とし、小武川第二砂
防堰堤直下右岸の渓畔林に、堰堤の水抜暗渠
から常時流出していた浸透水を導水し、人工
産卵場 10 カ所を備えた全長 74m の人工産卵
河川を造成した(図 2)。
図1
図2
人工産卵河川の諸元
106
小武川の位置
(1) 親魚生息区間における親魚の資源量推定
平成 22(2010)年 10 月 4 日から 5 日にかけて、親魚生息区間 645m の 47%にあたる
303m の区間(図 3)において、電気ショッカー(LR-20 型, SMITH-ROOT)を用いた標
識再捕法(Petersen 法, 山田・田中, 1999)によりイワナ、アマゴ親魚の資源量(個体数)
を推定し、調査区間全体に引き延ばした。
なお、平成 19(2008)年に実施した予備調査における成熟状況から、本研究でのイワ
ナ、アマゴ親魚の体サイズを全長 160mm 以上とした。
図3
親魚生息区間と採捕区間
(2)人工産卵河川への親魚の遡上
人工産卵河川に流入する水は、堰堤上流部で本流と合流する支流からの浸透水であり、
魚類の流下は無視できる。そのため、本報告では、人工産卵河川内でみられた個体は、全
て遡上魚であるとみなした。
平成 22(2010)年 10 月 10 日に人工産卵河川に遡上した親魚を捕獲するため、遡上ト
ラップ(わな)を設置した(図 4)。いったんトラップに入った個体の逸出を防ぐため、メ
ガホンを改造し開口部に設置した(図 4 右図)。
図4
遡上トラップ(左図: 全景, 右図: 遡上部分の拡大)
遡上トラップの設置以前に遡上していた個体を捕獲するため、平成 22(2010)年 10 月
10 日に、人工産卵河川内において電気ショッカーを用いた捕獲を行った。平成 22(2010)
年 10 月 11 日から 12 月 8 日まで、毎日、遡上トラップの確認、落ち葉の除去を行うとと
107
もに、人工産卵河川及び本流の水温を測定した。遡上トラップに魚が入っていた場合は、
種、性別、全長を測定、記録した後、遡上トラップ上流の人工産卵河川内に放流した。
(3)産卵状況
平成 22(2010)年 10 月 11 日から 12 月 8 日まで、毎日、人工産卵河川及び本流(人工
産卵河川と併走する区間)において、産卵床の観察を行った。新たな産卵床を発見した際、
産卵床に直径 10cm ほどの石(赤色のラッカー塗布、油性マジックで発見した日付を記入)
を置いた。
平成 22(2010)年 11 月 15 日及び 11 月 30 日に、発見日からの積算水温により、発眼
期に達したと思われる一部の産卵床を掘り返し、全ての産着卵を採取した。採取した産着
卵は発眼卵、死卵別に計数し、発眼率を算出した。
また、12 月 20 日から 21 日にかけて、石を置いた産卵床だけでなく、人工産卵河川の
全域及び本流の産卵適地とみられる場所の河床を熊手を用いて掘り返し、同様に産着卵を
採取、計数した後、発眼率を算出した。
この際、産着卵が確認された産卵床の水深(cm)、流速(cm/秒)を計測するとともに、
目視により底質の状況を記録した。
なお、各産卵床より採取した発眼卵は計数後、種判別用サンプルとして 2 粒をエタノー
ル固定して持ち帰った他、バイバードボックスに収容し、元の産卵床の位置に埋設した。
イワナのマイクロサテライトマーカーを用いた産着卵・孵化仔魚の種判別
前年同様、イワナ属の遺伝的多型解析に用いられるマイクロサテライトマーカー
Sfo290lav(Perry et al, 2005)を利用し、産着卵・孵化仔魚の種判別を行った。
DNA の抽出条件、PCR 反応条件は以下に示したとおりである。
DNA の抽出
発眼卵については、卵黄を取り除いた胚体を試料として用い、対照のイワナ、アマゴ(稚
魚及び成魚)については、いずれも脂鰭を試料として用いた。
DNA の抽出には、GenEluteTM Mammalian Genomic DNA Miniprep Kit
(SIGMA-ALDRICH)を用い、付属のプロトコルに従い DNA を抽出し、PCR 反応のテ
ンプレートとして用いた。
108
PCR 反応条件
-PCR 反応液(1 検体あたり)-
-温度条件-
DW
1.1μL
94℃
2分
Premix Taq ※
2.5μL
94℃
15 秒
F プライマー(5μM)
0.2μL
60℃
15 秒
R プライマー(5μM)
0.2μL
72℃
30 秒
抽出 DNA
1.0μL
72℃
30 秒
5μL
15℃
∞
計
×35 回
※Premix Taq(Ex Taq version, Takara)
結果および考察
(1)親魚生息区間における親魚の資源量推定
親魚生息区間における親魚の資源量推定結果を、平成 19(2007)年 11 月に行った予備
調査、平成 20(2008)年 10 月及び平成 21(2009)年 10 月に行った調査結果とともに表
1 に示した。
イワナ親魚の資源量は 139 個体で、アマゴ親魚の資源量は 63 個体で、いずれも前年に
比べやや増加していた。
表1
親魚生息区間におけるイワナ、アマゴ親魚※ の生息個体数と密度
年
種
推定方法
推定個体数(個体) 推定密度(個体/㎡)
2010
イワナ
Petersen 法
139
0.025
2009
イワナ
Petersen 法
120
0.021
2008
イワナ
Petersen 法
121
0.022
2007
イワナ
除去法(2 回採捕)
117
0.021
2010
アマゴ
Petersen 法
63
0.011
2009
アマゴ
Petersen 法
47
0.008
2008
アマゴ
Petersen 法
89
0.016
2007
アマゴ
除去法(2 回採捕)
推定不能
推定不能
※全長 160mm 以上の個体
(2)人工産卵河川への親魚の遡上
遡上トラップで親魚が初めて捕獲された日は、アマゴで 10 月 15 日、イワナで 10 月 25
日で(表 2)、両種ともに、前年とほぼ同様の結果となった。以降、11 月 23 日にイワナが
遡上したのを最後に、12 月 8 日までの調査期間中に遡上する親魚は見られなかった。
産卵期間中に遡上した親魚数は、10 月 10 日に遡上トラップを設置した時点で既に遡上
していた個体も含めると、イワナ 23 個体(オス 4, メス 12, 性別不明 7)、アマゴ 10 個体
109
(オス 4, メス 6)で、イワナは本流に生息する親魚の個体数の 16.5%、アマゴは 15.9%
に達していた。
表2
人工産卵河川において捕獲された親魚 ※
※ 遡上トラップ設置以前に遡上していた個体を含む
調査期間中における水温は、本流の平均が 8.3℃、人工産卵河川が 10.7℃で、過去の結
果と同様、人工産卵河川で高く、本流が気温の影響を受け変動しやすいのに対し、人工産
卵河川では比較的安定していた(図 5)。
110
16
14
12
10
8
6
本流(℃)
4
人工(℃)
2
0
図5
小武川本流および人工産卵河川の水温(午前 9 時)
(3)産卵状況
人工産卵河川では、平成 22(2010)年 10 月 13 日に初めて産卵床が観察され、以降、
12 月 2 日までに 42 箇所の産卵床が観察された(後の調査で偽産卵床であると判明したも
のを含む)。
一方、人工産卵河川と併走する本流の区間においては、調査期間を通じ、産卵床と思わ
れる痕跡は観察されなかった。
これらの産卵床における、産着卵の有無、産着卵数、発眼状況を確認するため、平成 22
(2010)年 11 月 15 日及び 11 月 30 日に、発眼期に達したとみられる一部の産卵床を掘
り返した。また、12 月 20 日から 21 日にかけて、人工産卵河川の全域及び本流の産卵適
地とみられる場所の河床を熊手を用いて掘り返した。
その結果、人工産卵河川で観察された 42 箇所の産卵床のうち 21 箇所で産着卵が確認さ
れ、残りの 21 箇所では確認されなかった(偽産卵床)。また、12 月 20 日から 21 日にか
けて、河床全面を掘り返した際、新たに 4 箇所の産卵床が発見された。これらを加え、人
工産卵河川における真の産卵床は計 25 箇所となり、平成 20(2008)年の 10 箇所、平成
21(2009)年の 9 箇所に比べ、大幅に増加していた(図 6)。
これらの産卵床は、DNA 解析による種判別の結果、産着卵の全てが死卵であった 1 箇
所を除き、21 箇所がイワナ、3 箇所がアマゴのものであると判定された(図 8)。
人工産卵河川および本流の調査区間における産卵床の立地条件と産着卵の生残率を表 3
に示した。
産卵床の立地条件は、イワナの産卵床では、水深が 9~21cm(平均±標準偏差:14.3±
3.9cm)で、流速が 3.9~43.2cm/s(平均±標準偏差:13.4±10.7cm/s)、底質は小礫であ
った。アマゴの産卵床は、水深が 10~12cm(平均 11cm)、流速が 7.5~22.3cm/s(平均
15.0cm/s)、底質は小礫で、イワナの産卵床 2 箇所(産卵床 No.6, 7)において流速が速か
ったことを除き、いずれも鬼怒川上流におけるイワナ、ヤマメの産卵床の立地条件(中
村,1999a)の範囲内にあった。
111
また、人工産卵河川内の各産卵場(淵)における産卵床の位置は、いずれも淵尻や下流
部の淵脇に多く認められた(図 6)。
産卵床確認の際に回収された産着卵の総数は、2,716 粒で、うち 2,249 粒が発眼してお
り、発眼率は 82.8%であった。
表3
人工産卵河川および本流の調査区間における産卵床の立地条件と産着卵の生残率
本流の調査区間では、調査期間を通じ、産卵床と思われる痕跡は認められなかったもの
の、平成 20(2008)年度の調査結果により産卵適地と判定された場所や、平成 21(2009)
年の調査時に産卵床が確認された地点を中心に、調査区間全域の河床を隈なく掘り返した
が、産卵床は一切発見できなかった(図 7)。
平成 20(2008)年度の調査結果により、比較的多くの産卵適地が分布した本流の堰堤
直下には、護床ブロック上に産卵に適した粒径の小礫が堆積していたが、平成 21(2009)
年度の調査時と同様、その間隙に砂やシルトが目詰まりした状態で、掘り返した際に大量
の濁りを生じた。このことは、底質の水通しの悪さを示唆するものであるが、人工産卵河
川の産卵床では、底質を掘り起こす際に、この様な濁りが生じることはなかった。そのた
め、産卵親魚は、産卵にあたり、表面的な底質環境のみならず、水通しが良く、卵が窒息
しにくい環境を選択しているものと思われた。
その他、本流の底質は、親魚資源量調査を行った区間の全域にわたり、巨礫もしくは真
112
砂と呼ばれる花崗岩由来の砂が大量に堆積し、産卵に適した中間粒径の小礫が極端に尐な
い状況にあった。
本流では、平成 20
(2008)年に調査を開始して以来、産卵が確認されたのは平成 21
( 2009)
年のみで、3 箇所の産卵床が確認された。これらは、いずれも同一の小さな淵に集中して
確認され、うち 2 箇所が重複していた(図 7)。
これまでの調査の結果、本流の調査区間における尐ない産卵適地の実態が明らかとなっ
た一方で、人工産卵河川では調査開始以降、本流に比して多くの産卵床が確認され、今年
度の調査では 25 箇所に達した。
仮に人工産卵河川を造成しなかった場合、本流の堰堤付近では、ごく尐ない産卵適地を
巡り、さらなる産卵場所の集中や重複産卵が起こることも想定され、堰堤で分断された河
川における人工産卵河川の造成は、そこに生息するイワナやアマゴの繁殖成功度を高める
上で有効であると思われた。
今後は、人工産卵河川における稚魚の成育場所としての機能についても調査し、産卵及
び稚魚の成育場所としての人工産卵河川の造成効果について検討することとしたい。
113
図6
人工産卵河川における産卵床確認地点
114
図7
平成 20(2008)年に実施した産卵環境調査結果と本流の調査区間
115
図8
マイクロサテライトマーカーSfo290lav を用いた産着卵・ふ化仔魚の種判別結果
アマゴでは PCR 産物が認められない(産卵床 No.14,16,18)
116