硫化ナトリウムを用いた化学合成生態系生物の飼育方法

硫化ナトリウムを用いた化学合成生態系生物の飼育方法
○根本 卓・杉村 誠・北嶋 円(新江ノ島水族館)
,井上広滋・今井さくら(東京大学大学院大気海
洋研究所),三宅裕志・吉成麻有(北里大学)
・加藤千秋(海洋研究開発機構)
,小糸智子(日本大学)
新江ノ島水族館ではこれまで深海の化学合成生態系に属する生物の飼育を試みてきた。その中でも
捕食に頼る生物は比較的長期間飼育可能な場合があり、例えばフジツボの仲間であるハツシマレパス
Ashinkailepas seepiophilia では、伊豆小笠原弧の明神海丘で行った調査航海 NT04-06(2004 年)で
採集し飼育している個体の育期間が 10 年 6 カ月に及び、また NT08-24 航海(2008 年)で相模湾初島沖の
湧水域から採集したチョウジャゲンゲ属の一種も 6 年間の飼育に成功し産卵も観察している。一方、
体に化学合成細菌を持つ種においてはその栄養摂取の特異性から長期間の飼育が難しく、その殆どは
数日から長い種でも 2 年以内に死亡飼育方法が見出されていないのが現状である。その中において。
NT09-05 航海(2009 年)で日光海山より採集されたサツマハオリムシ Lamellibrachia satsuma では 5
年 8 カ月間の長期間の飼育に成功している。本種は消化器系が存在せず共生菌が硫化水素から作り出
すエネルギーを糧として生きる特殊な生態を持つため、飼育環境下ではその栄養源となる硫化水素を
供給すべく硫化ナトリウム水溶液の添加を行っている。5 年を越える生存期間を鑑みると硫化ナトリウ
ム水溶液の添加による硫化水素供給が有効に作用している可能性が高い。また、サツマハオリムシの
体内(栄養体)から、本種の共生細菌であるγプロテオバクテリアに属する菌が確認され、また同時
に水槽内からはεプロテオバクテリアに属するイオウ酸化細菌 SOx の存在も確認されている。これら
の事からこの飼育システムが化学合成細菌やそれを共生させている生物の飼育に有効である可能性を
示唆している。将来的にはこのシステムを他種へ応用して行きたいと考えている。
ここでは、これまで硫化ナトリウムを用いた飼育方法で得られた知見を紹介する。検討すべき課題
は多く、様々な分野の方々から助言を頂ければ幸いである。
【硫化ナトリウムを用いた飼育方法】
1. 硫化ナトリウム水溶液の作成
溶媒に水道水を用いる方法
基本は硫化ナトリウム九水和物 500gを水道水 25L で溶かしたもの用いる。これを薬液タンクに入
れ密閉し電磁定量ポンプを用いて水槽へ添加する。最も手軽な方法だが添加日数に比例し飼育水槽
内の塩分の低下が生じるため生物への悪影響が懸念される。塩分低下を防ぐためには小まめな飼育
水の交換が必要になり、手間がかかる上に日々水槽内の環境に変化が生じてしまう。水槽内の環境
によって激しい白濁が生じる場合がある
溶媒に海水を用いる方法
硫化ナトリウム水溶液添加による水槽内の塩分低下を防ぐため、水道水の代わりに海水を用いる
方法である。作成した溶液は激しく白濁するが一晩静置すると白濁は沈殿し上澄みは無色透明と
なる。沈殿物を蛍光 X 線分析した結果 Mg,Si,S,Ca,Sr が含まれていることがわかった。海水中の
元素が硫黄酸化物となり沈殿していると考えられる。上澄みには十分な量の硫化物濃度が残って
いるので水槽の白濁を防ぐ意味から上澄みを取り出し薬液タンクに入れ使用する。
2. 硫化ナトリウム水溶液の添加方法
水槽内の硫化物濃度を任意に設定し、溶液の濃度からモル計算によりおおよその添加量を求め、
電磁定量ポンプにて添加を行う。水槽内では添加直後から硫化物濃度が減少するので、目標の濃
度に達するために添加は可能な限り短時間で行う。添加後、分光光度計を用いて水槽内の硫化物
濃度を測定し設定値との誤差を修正する。水槽内の硫化物濃度を一定に維持することは難しく、
現在は硫化物濃度が減少しほぼ添加前の状態に戻るタイミングで再添加を行っている。減少に要
する時間は水槽の水温により異なり、例えば 13℃では減少に 1 時間程要し、4℃では 3 時間程要す
る。
3. 水槽内の硫化物濃度の維持
水槽内の硫化物濃度は継時的に減少する。その原因は酸化や揮発などいくつかあると思われるが、
水槽内での細菌による消費が最も多く、細菌が存在しない環境では添加後 60 分後での減少量が約
6.2%であるところ、バクテリアの存在する環境下では 91%の減少が見られバクテリアの非存在下
と比較し 10 倍程となった。
化学合成細菌を体内に共生させている種の飼育では、添加した硫化物を効率よく消費してもら
うため、水槽内や濾過槽に生息するバクテリアによる消費を避けたい。減少速度は水槽や濾過槽
の掃除により減少させることができるが、紫外線殺菌灯を飼育水槽内に設置し飼育水を殺菌する
方法が簡単で効果的である。13℃でハオリムシ類を飼育する水槽では紫外線殺菌灯を用いない場
合は硫化物濃度が添加後 15 分で約2%まで減少するが、紫外線殺菌灯を用いると減少量は約 84%
までに抑える事が可能である。
4.水槽内の白濁
硫化ナトリウムの添加を継続的に行うと激しい白濁が生じる場合がある。
白濁の要因は 2 つあり、
硫黄酸化物の発生とバクテリアの増殖である。精査はできていないが前者は飼育水の pH が影響し
ていると思われる。通常 pH8.0 前後となっている飼育水の pH を CO2 添加により 7.0 前後まで下げ
ると白濁が減少する。また pH7.0 前後の飼育水が白濁する場合もあるが、この場合は化学合成細
菌の増殖が原因と思われる。その際、硫化物添加後に急激な硫化物濃度の減少が見られる。紫外
線殺菌灯を水槽内に設置することで白濁は解消し硫化物濃度の減少も抑えられる。
現在、これらの飼育方法が硫黄酸化細菌を共生させている生物に対し有効に作用し、化学合成細菌の
維持や増殖に効果があるかを検討しているが、化学的な解析が不十分であり現在取り組んでいるとこ
ろである。現在、飼育方法の開発は主にサツマハオリムシを用いて行っているが、同様に硫黄酸化細
菌を内部共生菌として持つシチヨウシンカイヒバリガイ Bathymodiolus septemdierum や外部に共生菌
を持つゴエモンコシオリエビ Shinkaia crosnieri などに応用し、その効果の測定と更なる技術開発を
行っていきたい。