「家で看取る」2例目

はじめに
「がん患者を自宅で看取った家族の記録」をホームページ上で公開します。
当 診 療 所が 訪 問 診 療 を す る な かで 一 緒 に か か わ っ た複 数 の 訪 問看 護 師 の 記 録 ― 訪 問看 護 師 の
目を通して綴った、がんを患い自宅療養され、自宅で亡くなった方とその家族の記録―を編集し
たものです。今後、十家族ほど紹介する予定です。
当、横濱髙島診療所は「がん緩和医療」を専門に行っている診療所です。外来でのがん疼痛治
療から、自宅への訪問診療での在宅ホスピスまで対応しています。他の在宅療養支援診療所と異
なり、訪問診療を依頼された場合でもまずご家族に診療所に受診していただき、お話を伺うこと
にしています。そこでよく問題に思うのは、
「在宅療養することになったが、今後どうなっていく
のか全く想像つかない」と不安に思われているご家族が多いと言う事です。近年、8割以上の人
が自宅以外でなくなっています。したがって家族として「家で看取る」ことは勿論、死の過程に
立ち会う事自体を経験したことがない人がほとんどということになります。
この記録を出した理由はまさにそこにあります。一概に「がん」といっても症状はさまざまな
ので、書かれてある内容とまったく同じ過程をたどるわけではありません。ただ、この記録を読
んで「がんを抱えて自宅で過ごすこと」、
「最後まで自宅で過ごすこと」の大まかなイメージをつ
けてもらえればと願っています。終末期の病状の進み方、何を気にすべきか、何が自然なのか
・
・
・
を理解してもらえれば幸いです。
繰り返しますが、本文は訪問看護師の記録を編集したものです。個人・団体が特定できないよ
うにする目的で―可能な限り趣旨を変えないよう配慮したうえで―編集しています。また一般の
方にも読みやすくするために、薬剤の名称や医療物品などの専門用語の使用も可能なかぎり避け、
比較的わかりやすい言葉に置き換えて記載しました。
家族の死は悲しいことですが、忌まれるだけのものではないと感じてもらえれば、と願います。
平成二七年一月三十一日
小原 健
横濱髙島診療所
診療所長
―
家で看取る
二例目
オノ サトシ (仮名)さん
十二指腸乳頭部癌再発。
妻と二人暮らし。
歳
娘さんが三人、いずれも近隣に在住。
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76
家で 看取る[二例目]……オノ サトシさん/76歳
オノさんは近くの病院に抗がん剤治療のため外来通院していたが、通院困難となり、
訪問診療および訪問看護の依頼となった。
訪問初日
患者はベッドに臥床している。今日は午前中ずっと起きていたので少し疲れ、二〇分
ほど前にベッドに横になったところだという。
食欲なし。嘔吐はないが、苦しくて入っていかない。動くと息切れがしてすごく疲れ
る。排便四日なし。腸蠕動音良。腹部緊満なし。時々、ガスと一緒に少し粘液状のもの
がでて下着を汚すことがある。
夜は眠れるが四、五時間で目が覚める。一度目が覚めるとなかなか寝付けない。
足背に軽度の浮腫あり。
室内は歩行器使用。車いすは屋外用。
奥さんに対してオノさんは、
「迷惑かけている。食欲もなくなって痩せた気がする。疲れているようだ」「これ以上
迷惑はかけられないので入院したほうがいいのかなと思っている」「昨日は家にずっと
いたい、と思っていたが、お互いのためには入院のほうがいいのかな、とも思う」「で
もまた明日になったら変わるかも」と話していた。
妻とふたり暮らし。これまでは入浴の時以外は身体的な介護は必要なかった。娘さん
は、
「(母は)父が食事をとらないので一緒になって食べないようだ。気分が落ちている感
じ」と心配している。
娘さんたちは協力することは可能とのこと。今も日中は様子を見にきたりしている。
今後介護量が増えるようであれば協力は必要で、そのつもりでいるようだ。緩和ケア病
棟の予約を取るつもりではいるとのこと。
「今は何もしないでいるよりも、少しでも栄養をとりたい。高カロリー輸液をやっても
らいたい」とオノさんは希望されていた。ご家族も同意されている。輸液の管理につい
ては奥さんだけでは負担が大きいので娘さんにも協力依頼をする。
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家で 看取る[二例目]……オノ サトシさん/76歳
訪問開始から二日目(医師同席)
オノさんは居間でくつろいでいたようだが、診察で臥床する都合、場所を移して診察
となった。廊下をゆっくりと歩行器を使ってくるも息切れし苦しそうである。服用薬に
重複が見られるため、医師により調整・減量された。
訪問開始から三日目(医師同席)
今日は実家の兄弟が会いにきたので、
「一緒に車いすで屋上に上がったりしたので疲れた」と話していた。
話好きで、息苦しくなると言いながらも、よく話をされる。
「今日は午前中に緩和ケア病棟に三番目の娘が電話をして、外来受診を申し込んんでく
れた」
先 端を心臓 近くの中心静
脈に位 置させるカテーテル
)挿入を依頼することとなった。
高 カ ロ リ ー 輸 液 の た め 、あ さ っ て 外 来 通 院 し て い た 病 院 に 中 心 静 脈 カ テ ー テ ル
(
訪問開始から五日目
オノさんは寝室で臥床して看護師の訪問を待っていた。クーラーの風などで唇の周り
かさ ぶた
が荒れてしまうとのこと。下唇に右下に瘡蓋があった。それから排便が十日間ないそう
だ。下剤を使ったが効果がないという。腸蠕動音は微音。腹部の張りはない。摘便を試
みるが、泥 状 便でなかなか掻き出せない。患者 夫 妻と相 談して浣腸 を使用 する。注入
後、五分程度我慢することができ、泥状便に続き普通便の排泄があった。全体としても
中等量の排泄となった。
「すっきりしましたよ」とオノさんも不快感が取れ、満足していた。
陰洗施行。肛門右側に褥瘡三か所あり。軟膏塗布する。
明日午前、中心静脈カテーテル挿入のため病院受診となる。
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家で 看取る[二例目]……オノ サトシさん/76歳
訪問開始から六日目(医師同席)
首の右側の静脈より中心静脈カテーテルが挿入されている。オノさんは、
「外来で待っている間はベッドに横になっていたので、それほど疲れなかった」と話し
ていた。
娘さんと奥さんに輸液セット接続方法について説明し、その場で娘さんに実施しても
らった。
訪問開始から七日目
昨日夕方、オノさんは立ち上がって歩こうとした途中で、足が前に出ず、言葉も出な
くなってしまった。妻に伝えたくても「ああーううー」という状態だった。しばらくし
たら、少しずつ言葉が出るようになった。意識が朦朧とする感じはなかった。歩行は少
し足が震えていたがなんとかできた。その後 も夜に長 女がいるときに同じように言 葉
が出なくなったそうだ。少しずつまた言葉が出てくるようになった。だがその二回だけ
で、それ以降はそのようなことはなかった。
夜中はよく眠れている。
食事はまだ味覚障害あるものの、少しずつ口にできるようになってきた。重湯よりも
少し粒が多いものや野菜スープなどを好まれる。
右下肢の浮腫は持続。これは昨日と変化なし。
昨日は排便なし。腸蠕動音良好。昨 夜は下剤を飲まれた。明け方四時過ぎに便意あ
り。泥状便が三回に分けてあり。それ以外も下着に付着している。下剤を調整してみる
よう話す。
三女のご夫婦より、次回医師診察時の帰りに、
「父には内緒で予後についてどれくらいか教えてほしい」という話があった。
彼女が後継者であり、今後いろいろと手続等をする必要あるためとのこと。
緊急訪問看護
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家で 看取る[二例目]……オノ サトシさん/76歳
オノさんご本人様から入電。
「夕方娘が点滴の袋を交換してから、落ちが悪いんです。全部開けてもポタ、ポタ、と
しか落ちない……。いま娘たちは買い物にでかけていて、心配で電話しました」
完全に落ちないわけではないようなので、
「娘さんが帰宅するまで様子をみて、もう一度ご連絡ください」と伝えた。
その後、娘さんから入電。やはり夕方から滴下不良、とのこと。それに、カテーテル
の挿入部からじわじわと出血している、とのことで緊急訪問を依頼される。
輸 液ルートに問 題はなかった。生理食 塩水にてルート内 を押し流 すと、点 滴の滴下
は良好となった。カテーテル刺入部に出血が見られたため、消毒し、ガーゼ保護に変え
る。消毒時は新たな出血はみられない。今日は午後から弟さんが見舞いに来られ、夕方
からテレビを視たので顏を右に向けるしぐさが多かったそうだ。
訪問開始から九日目(医師同席)
発 音が正しく
オノさんは先日起こった構音障害( 出 来ない症 状)を気にして往診医師に質問していた。そ
の後、医師が三女に対して患者の予後についての説明を玄関の外でした。
「早ければ半月から二か月で、三か月は難しいかもしれないので、手続きがいろいろと
あるならば、もう動き出してもいいでしょう」
彼女によると一部はもう始めているとのことだった。
訪問開始から十二日目
じょくそう
両下肢に浮腫が進んでいる。また安静時にはないが、体動後に息苦しさがあると。医
師に相談。点滴を減量することになった。
全身清拭、陰洗、更衣施行したが肛門右側の褥瘡(床ずれ)が四か所あり、全体的に
赤味を帯びている。軟膏塗布後、テープ保護した。早い段階で褥瘡対策としてのマット
交換が望まれる。患者は昼間用ベッド(診察時の物)と就寝時のベッドが別であった。
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家で 看取る[二例目]……オノ サトシさん/76歳
就寝時の方はマットレスの上に和式布団を敷いているとのことなので褥瘡の悪化の原因
はこのあたりにもあるかもしれない。
駐車場にて三女が在宅療養継続か緩和ケア病棟入棟かで揺れている心情を吐露され
た。
「 父 も 本 当 は 最 期 まで 家 に 居 たいのでしょうし…… 。かといって、痛 がったり 、苦 し
がったりしたら、どうしていいかわからないし……」
在宅でも苦しまないで済む方法はあること、在宅には在宅のメリット・デメリットが
あり、緩和ケア病棟にもそれはあることを伝えた。どの家族も悩むところなので、よく
本人と家族で話し合うようにということ、どちらの答えを出しても当方は寄り添うとい
うことを伝えた。
訪問開始から十四日目(医師同席)
下肢浮腫が増悪したため、のため、輸液一時中止となる。また昨日、オノさんは薬の
内服を拒否した。「飲むのが億劫」だという。医師より内服薬が調整された。
今日の午前中は殆ど話をしなかったとのこと。今は時折笑顔もみられる。医師の問い
かけには普通に答えるが、オノさんご本人から話される内容は意味不明のことがある。
いつもとは明らかに違う。医師は三女に、
「脳梗塞などの可能性も、なくはない」と話した。
明日、緩和ケア病棟のための外来受診予定。
「母はこのまま家で看取ってもいいかなと思っているようです」と彼女は言った。
深夜、三女から、
「リビングでくつろいでいて寝室のほうへ移動しようとしたら、立てなくなってしまっ
た」という入電があった。
けいれんやしびれ、意識状態の低下はない。発語はあるが昼間と同じような感じで意
思疎通が困難。とりあえず、ご家族でベッドまで抱えて寝かしてもらう。今後、意識障
害や痙攣発作など起こりうることを説明した。適宜頓用薬を使用するよう伝えた。
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家で 看取る[二例目]……オノ サトシさん/76歳
訪問開始から十五日目
駐車場から自宅へ向かう途中、三女が患者の状態について話した。
「殆ど口をきかないんです」
褥瘡用マット、ベッド柵は装着済み。ベッド上で休んでいるが、看護師の声掛けに視
線は反応するものの発語がみられない。ケア中、上半身の清拭をしようとした際、
「上着を脱がせますね」と看護師が声掛けすると、
「上着を脱がせますね」と患者が繰り返す。
が、看 護 師が脱衣しようとすると患者が脱がせまいと抵 抗したため、ケアを中 断し
た。
別室にて三女に、
「 もうトイレへの移 動は困 難 な状 況にあり、ポータブルトイレか床 上排 泄になるだろ
う」と説明した。
「父の性格からして最後の最後までオムツでするとは思えない。たとえ使わなくてもい
いのでポータブルトイレが好いです」と彼女は答えたので、ケアマネージャーへ手配し
た。
その間、オノさんは妻と、
「本当に自分はこのままここで最期を迎えていいのか?」という会話になったらしい。
オノさんが三女の夫を呼べ、と言っているとのことで、急遽、三女の夫がベッドサイ
ドにやってきた。そこで患者、妻、三女、三女の夫のあいだで話し合いがもたれた。看
護師は後ろから見守った。ほとんどは家族の言葉を患者が繰り返すだけだが、家族の声
のかけ方によっては正常な会話に聞こえる部分もあった。三女の夫が、
「僕たちはあなたの子どもなんです。どうぞ、たくさんわがままを言ってください。お
義父さんは他人に気を使いすぎるんです。僕たち頑張りますから、最期までここにいて
ください」と言った。
妻と義理の息子さんは涙ながらの会話であった。患者と家族の思いが一致し、在宅で
の看取りを選択したようだ。
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家で 看取る[二例目]……オノ サトシさん/76歳
訪問開始から十六日目
深夜、三女から電話が入った。
「暫くトイレに座っていたが、何も出なかった。今、ベッドに戻って休んでくれていま
す。とうとう今日は何も飲まず食べずでした。薬も飲んではくれません。母もこの状況
をとても心配しています」
看護師は、
「 現在の状 況では点 滴 を 再 開しても、たぶん身 体に有 効に吸収させることは難しいで
しょう。むしろ、浮腫・胸水・腹水の増悪の方が懸念されます。状況からして、食物や
飲料を、もう体も欲していないことが考えられます。このことからすれば、食べない、
飲まないことは、お父様の苦しさにはつながらないと言えると思います。それでも場合
によってはお父様の方から欲しいものをおっしゃるかもしれません。そうしたら、少量
でよいので、それを用意してあげてください」と回答した。
「そう、聞いて安心しました」と、電話を終えた。
訪問開始から十七日目
訪問前、患家に電話をし、昨晩の様子を尋ねる。
「 昨 日の電 話から二時 間 入 眠できたんです が、す ぐに覚 醒してしまいます 。足のマッ
サージをすると機嫌がよくなってポータブルトイレへ移動しました。特に嫌がることも
なく、排泄できました。そのあと、お腹がすいたようで、味噌汁をスプーン三杯飲みま
した。でも、そこで『これ以上飲むなと電波が言っている』というので中断しました。
薬も試しましたが、同じ理由で拒否しました。明け方にようやく再入眠でました」と娘
さんは答えた。
医師同席
訪問するとオノさんはベッド上で相撲観戦のようだ。テレビの放送内容までおうむ返
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家で 看取る[二例目]……オノ サトシさん/76歳
ししている。患者の次女や長女など他にも血縁者が集まっている様子だった。看護師が
声掛けをすると、やはりおうむ返しをする。往診医師に対してもおうむ返しだが、声が
聞きとりにくかったのか、
「テレビ消して」と、自ら発した。
医師より家族に病状説明がなされた。
「現在の『おうむ返し』の原因は、脳転移や脳梗塞などの脳の障害がもとで、さらに中
心静脈栄養が影響していると考えられます」
また、むくみも出現しているため、すでに水分や栄養などを体が受け付けなくなって
いることが説明された。ご家族も事前に覚悟していたのか動揺はみられなかった。ただ
「昨晩のように不穏状態では家族がまいってしまう」とのこと。医師より薬に頼るか、
薬を使わず家族で交代で見守るかの選択肢が示された。家族は前者を選択した。本日よ
り鎮静剤の夜間投与が開始されることとなった。
ベッドに戻るとオノさん本人は入眠している。昨晩眠れていないのが影響しているの
かもしれない。全身清拭、陰洗、褥瘡処置を施行した。おうむ返しはあるものの抵抗は
なく、スムースにケアできた。
訪問開始から十八日目
患 家へ電 話 。薬 剤の注 入開 始 時には何のトラブルもなかったこと、二時 間 後に「ト
イレ」と起きだしたこと、家族介助でベッドサイドのポータブルトイレへ移動させたこ
と、介助があれば移動動作に危険はなく排泄できたこと、その後は再入眠できたこと、
明け方に鎮静剤の投与は中止したこと、その後、覚醒も良好でいま自分で歯磨きをして
いること等を伺った。奥さんは、
「先生のお薬のおかげでたいへん助かりました。ありがとうございます」とおっしゃっ
ていた。
訪問開始から十九日目
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家で 看取る[二例目]……オノ サトシさん/76歳
おそ
晩くまでいたらしい。
三女によると、昨日オノさんはリビングに
「ベッドに入り、間髪を入れずに鎮静剤開始したら、コテっと寝息をたてたのでびっく
りした」そうだ。
明け方の投与は中止した。オノさんは二、三時間は「ボーっとしていた」そうだ。
看護師が訪問すると、エアマット交換、レイアウト変更が終了し、新しい景色に患者
はキョロキョロしていた。
「こんにちは」と、看護師が挨拶すると、
「こんにちは」と、オノさんは応じた。
会話はほとんど成立した。奥さんと三女に「意識レベル」は改善したが、依然厳しい
状況に変わりはないことを説明した。
訪問開始から二十一日目(医師同席)
オノさんはリビングで食事を終えたところだった。今日は自分で寝室から、
「おーい、ごはんの時間」と食事を催促したそうだ。
量は少ないながらも三食食べている。排便はなし。飲めるようであれば今日から下剤
を再開するよう指導した。
夜もよく眠れており、ご家族も安心して眠れているとのこと。娘さんは、
「ご飯も食べられるようになってきて、落ち着いているのでこのままよくなるんじゃな
いかって思ってしまう」と言った。
一時的にそう見えても病状はかなり厳しいと医師から説明される。
訪問開始から二十二日目
昨日オノさんは、
「ハヤシライスが食べたい」と言い、三口ほど召し上がったそうだ。
今日は、
「寒い。寒い」と言っており、タオルケットと薄い布団を合わせて三枚かけている。そ
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家で 看取る[二例目]……オノ サトシさん/76歳
れでも体をきれいにするときは、
「大丈夫」と言ってくれる。
ベッドに戻る前はリビングで過ごすこともできた様子だ。
全身清拭、陰部洗浄、褥瘡処置を施行した。背部の発赤は縮小している。臀部の褥瘡
もまだ赤味はあるが、創部の乾燥化も進み改善傾向である。エアマットの効果と思われ
る。
三女より、
「最近父が同じ景色で飽きた、と言っているので、外へ連れ出すことはできるでしょう
か?」 という質問があった。
家族がリスクを承知の上で合意できるならば、不可能ではないと返答すると、
「考えてみます」とのことだった。
訪問開始から二十三日目
患者が呼吸苦を訴えているとの電話があった。頓用薬を服用するように伝えた。三〇
分後患家に電話する。呼吸苦をまだ訴えるとのことで再び頓用薬を服用するように伝
えた。さらに三〇分後に電話すると、二度目の頓用薬は飲まなかったとのこと。甘さが
口に合わないのだという。呼吸苦は続いているとのことなので、緊急訪問することにし
た。
緊急訪問
奥さん、娘さん三人同席。オノさんは朝から調子が好く、わずかながら食事や水分の
摂取ができたそうだ。昼食後にベッドに戻ってから、
「このままでは 動 け な く なる 」とのことで、妻の介 助のもと、上 肢 と下 肢のリハビリ
テーションを床上で行ったらしい。
暫くして休んでいるうちに呼吸苦が出現したそうだ。看護師到着後も、
「苦しいですか?」と問うと、
「少しはね」と訴えた。
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家で 看取る[二例目]……オノ サトシさん/76歳
頓用の座薬を使用することにした。
念のため、直腸診するとわずかの便塊があるため取り除いた。親指大の物が二、三個
出て、黒色便である。その後、三女に指導しながら挿肛した。その後、状態が安定した
ところで退室した。
訪問開始から二十四日目
朝の目覚めは鈍かったものの、本日もリビングで朝食、昼食をわずかながら摂取でき
た。訪問するとオノさんはベッドで仰臥位で休んでおられる。
「息の苦しいのは取れましたか?」と問うと、反応が鈍いながらも、
「大丈夫です」と答えて、視線もこちらに向けた。
一段階、全身状態が下ったことを家族に説明した。今後、もし不安なことや急な変化
があれば、迷わずに連絡するように告げた。
訪問開始から二十五日目
朝、三女より電話あり。
「眉間に皺がよるようになり、『苦しい?』と問うと、うなずく」そうだ。
呼吸に休止時間があり、昨日より伸び三〇秒になった。休止後の呼吸も、
「ハカハカと苦しそう」だという。
頓用薬使用するよう指導した。三〇分後に三女に確認の電話をした。
「少しは楽になったようだ」と彼女は答えた。
呼吸状態不安定のため、緊急訪問してよいか尋ねると、
「来てください」とのことで、訪問することとなった。
緊急訪問
何 度か声 掛け をしてみたが、オノさんは声がかす れて言 葉がはっきりと出ない。唇
の動きでYES/NOがわかる程度だった。ケア中、呼吸苦が出現したため、頓用薬使
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家で 看取る[二例目]……オノ サトシさん/76歳
用した。遠方からの兄弟が到着した。唯一、甥っ子さんの声掛けに反応し、発語があっ
た。その後、説明のため家族と別室に移動する。
オノさんの弟さん、奥さん、長女、三女へ以下のことを説明した。
○呼吸苦の原因として、肺転移に起因する胸水が存在する可能性があること。
○患者が深夜「死にたい」と言った、と奥さんが話したが、それは苦しさの裏返しなの
で、できる限り息の苦しさを取り除く必要性があること。
○今後の鎮静及び苦痛除去について。現在の間歇的のままか、二十四時間連続で行う方
法もあること。
○ 現 在 、亡くなる 前に見 られる 呼 吸になっており 、今 後 、努 力( 下 顎 )呼 吸に至るこ
と。
○下顎呼吸になったら、もう時間の単位であることが多いこと。
○ その後 、( 死 前 )喘 鳴が現 れること。ただし、死 前 喘 鳴の状 態では苦しさは感じて
いないといわれていること。
○徐々に返事をしなくなるが、会話は最期まで聞けているといわれていること。
○最後の衣装や遺影、葬儀などの準備をした方がよいこと。 女性三人は涙を流しながらの話し合いになった。結果、日中は座薬で対応し、夜間の
み間歇的な鎮静ということになった。
訪問開始から二十六日目
次女が玄関で迎えてくれた。
「昨晩は問題なく過ごせました」と彼女は言った。ただ、「座薬は父に体交などさせ負
担が大きいので使いづらい」とのこと。
状態を訊くと、朝になって覚醒後、「リビングに行きたい」「トイレ」「座らせてく
れ」など色々なことを言い、実際に介助があれば出来ているという。
オノさんに会うと、こちらの声掛けは理解できるが、返事は難しいようだった。昨晩
から起き上がるとお尻が痛くなり、それで横になると「痰でゼロゼロになり、実際に口
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家で 看取る[二例目]……オノ サトシさん/76歳
から吐き出した」こともあるという。呼吸は昨日とは変わり、多少のリズムの乱れはあ
るが休止は観察されない。痰のからみもあって、非常に浅い呼吸を繰り返していた。
全身清拭、陰洗、褥瘡処置を行った。仙骨部褥瘡は拡大こそしていないものの、出血
を伴っていた。ケアで体交を繰り返した結果、痰が排出された。吸引器にて、黄色の粘
調性の高い痰が吸引された。眉間の皺が取れ、呼吸音も清音になった。
夜、三女より電話が入った。
「 夕 方から少し呼 吸が乱 れていたんです が、ちょっと前から呼 吸が止まったみたいで
す。今もう息をしていません」
往診医に連絡し、死亡診断を依頼した。
エンゼルケア
陰洗や吸引のみ看護師と長女のご主人が施行した。奥さんや娘さんたちの選択で詰
め物はしないことになった。全身清拭は可能な限りの血縁の皆さんが参加された。なか
でも一番小さな女の子のお孫さんは泣きじゃくって、初めはおじいさんに近づけなかっ
た。それでも父親と一緒におじいさんの腕を小さな震える手で拭いていたシーンが印象
的だった。オノさんはお孫さんたちに最期の贈り物をなさったと信じたい。最期の衣装
は四国八十八ケ所霊場すべての朱印が揃ったお遍路さんの着物だった。エンゼルメーク
は、看護師はポイントだけを教えて、長女と次女がなさった。まるで穏やかに眠ってい
るようなお顔であった
亡くなって一か月後、グリーフケア
駐車 場でオノさんの弟さんご夫妻が迎えてくれ、玄関 前では長 女が迎えてくれた。
何の偶然か、今日は月命日である。他にも来客が多数あったとのこと。玄関では奥さん
が、
「 まあ、わがまま を 言って申し訳 あり ませんでした。どうしても 、看 護 師 さんにお線
香を一本あげてもらいたくて。今日が月命日なんて、夫が計らったのかしら?」と言っ
た。
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家で 看取る[二例目]……オノ サトシさん/76歳
声量も大きく、御顔の色もいい。夫の療養中にはまったく見られなかった奥さんであ
る。
祭壇は、夫が最後に使っていた部屋にあった。そこで妻は寝起きをしているという。
また、食事も祭壇に向かって、毎日夫と召し上がっているそうだ。後で娘さんから聞い
た話では、
「母はあれから食欲も回復して、今ではお父さんにあげた分も自分で後で食べちゃうん
です。太りましたよ、内緒ですけど」ということだった。
三女のご夫婦は遅れて来られた。
「早いですねぇ。もう、一か月です」と挨拶された。
代わる代わる現れるどの家族も、患者の思い出話をするが、鬱々とした雰囲気がまる
でない。誰もが、自分が精いっぱいやれることはやったのだという満足感があった。そ
して、
「最後にお父さんは自分のやりたいようにやれた。少々、苦労したけどよかった。それ
に最期は苦しまなかった。お父さんは幸せでしたよ」と、奥さんに言ってもらえた。
看護師として、過分なお言葉をたくさん頂戴した。 29
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