基礎能力試験

(判断推理)
【No.
13】
赤亜青亜緑亜白亜黄のઇ種類の玉があり亜色によって重さが異なることが分かっている。
上皿天秤を使って重さを比較したところ亜次のような結果となった。このとき亜確実にいえるのは
どれか。
○
左の皿に白色の玉を一つ亜右の皿に青色と緑色の玉を一つずつ載せたところ亜左の皿の方が
重かった。
○
左の皿に青色亜緑色の玉を一つずつ亜右の皿に黄色の玉を一つ載せたところ亜左右の皿が釣
り合った。
○
左の皿に青色の玉を二つ亜右の皿に赤色と緑色の玉を一つずつ載せたところ亜左右の皿が釣
り合った。
○
左の皿に青色の玉を二つ亜右の皿に緑色の玉二つと黄色の玉を一つ載せたところ亜左右の皿
が釣り合った。
1唖黄色の玉の重さは亜緑色の玉の重さのઆ倍である。
2唖赤色の玉の重さは亜緑色の玉の重さのઈ倍である。
3唖赤色の玉が઄番目に重い。
4唖白色の玉の重さは亜緑色の玉と黄色の玉を足した重さよりも重い。
5唖青色の玉と緑色の玉と黄色の玉を足した重さは亜赤色の玉二つ分の重さと等しい。
【正答 1】
(数的処理)
【No.
20】
A亜B亜Cのઅ人が亜たすきをつないで図のようなコースを走った。スタートしてから
ゴールするまでに要する時間が最も短くなるようにたすきをつなぐ地点を決めたとき亜要する時間
はいくらか。
ただし亜平坦な道亜上り坂亜下り坂におけるA亜B亜Cそれぞれの走る速さは表に示すとおりで
あり亜走る順番はA亜B亜Cの順で亜同一人物が઄回以上走ることはできないものとする。
スタート地点
ゴール地点
平坦な道
(5 km)
上り坂(4 km)
下り坂
(3 km)
平坦な道(5 km)
平坦な道
km/h„
上り坂
km/h„
下り坂
km/h„
A
10
આ
13
B
ઊ
ઇ
15
C
ઉ
આ
16
下り坂
(2 km)
1唖઄時間 12 分
2唖઄時間 15 分
3唖઄時間 20 分
4唖઄時間 21 分
5唖઄時間 24 分
【正答 2】
(資料解釈)
【No. 24】 図は
であり
A∼E国について
一人当たり GDP及び公的教育支出の GDP比を示したもの
かっこ内の数値は各国の GDPの値を示している。この図からいえることとして最も妥当
なのはどれか。
一人当たり GDP(
ドル)
4
8,0
00
E国(1
40,
108億ドル)
4
6,0
00
D国(2
7,
990億ドル)
4
4,0
00
4
2,0
00
C国(25
,93
1億ドル)
4
0,0
00
B国(3
0,3
24億ドル)
3
8,0
00
3
6,0
00
3
4,0
00
A国(4
3,
830億ドル)
32,00
0
30,00
0
3
.
0 3
.
2 3
.
4 3
.
6 3
.
8 4
.
0 4
.
2 4
.
4 4
.
6 4
.
8 5
.
0 5
.
2 5
.
4 5
.
6 5
.
8
公的教育支出の GDP比(%)
1.一人当たり公的教育支出が2番目に多いのはE国である。
2.公的教育支出が2番目に多いのはB国である。
3.公的教育支出が2番目に多いのはC国である。
4.人口が2番目に多いのはA国である。
5.人口が2番目に多いのはD国である。
【正答 4】
(時 事)
【No. 27】 中東・アフリカ諸国の近年の動きに関する記述として最も妥当なのはどれか。
1.エジプトでは
2
011年1月に
長期政権を維持してきたムバラク大統領の退陣を求めるデモ
が全土で発生した。同大統領は軍による武力弾圧を行ったがデモは拡大し
より同大統領は失脚し
国外に亡命した。一時的に軍部が全権を掌握していたが
エジプト全土で総選挙が実施され
2.チュニジアでは
軍部のクーデターに
同年のうちに
軍部から政党政府へ政権が移管された。
フランスからの独立以降
国王による統治が行われてきたが
2
0
11年初め
のエジプトの混乱を受けて首都チュニスから反政府デモが広がった。これにより国王は国外に亡
命し
王政は崩壊した。王政崩壊後はベン・アリ暫定首相を中心に新体制づくりが進められてい
る。
3.リビアでは
し
2
011年 2月に
カダフィ革命指導者の退陣を求めるデモが首都トリポリで発生
全土に波及した。同指導者による反政府派への激しい武力行使に対し
の介入を求めたが
その後
反政府派は国際社会
国連安全保障理事会のリビアへの介入決議は米国等の反対により否決された。
武力により反政府側は制圧された。
4.スーダンでは
南部と北部の間で内戦が続いていたが
(CPA)に基づき
2
01
0年に総選挙が実施されるなど和平プロセスが進められた。その後
年1月の南部スーダンの独立を問う住民投票の結果を受け
和国として独立し
5.シリアでは
2
00
5年に成立した南北包括和平合意
2
01
1
7月に南部スーダンが南スーダン共
国連に加盟した。
学生が首都サヌアでアサド大統領に対し
抗議デモを起こし
これが全土に広
まった。同大統領は次期大統領選挙への不出馬を表明したがデモは収まらず
2
011年6月の反
体制派による大統領府への砲撃により同大統領は負傷し
療養先のサウジアラビアで 2
01
1年内
での退陣を表明した。
【正答 4】
(自 然)
【No.
28】
恒星に関する記述として最も妥当なのはどれか。
1唖恒星は地球からはるか遠方にあり亜地球で得られる情報は亜恒星が発する可視光領域の電磁波
に限られている。恒星の明るさを表す単位には等級が用いられており亜これは亜肉眼で判別でき
る限界の明るさのものをઈ等級とし亜明るさが 10 倍になるごとにઃ等級下げるものである。
2唖恒星の色の違いは亜表面温度が異なることによって生じる。恒星が発する光は様々な波長のも
のが混ざったものであるが亜表面温度が高い恒星ほど波長の短い光を強く出している。波長が短
い光は紫から青亜長い光は赤であるため亜表面温度が高い恒星は青白く輝いて見える。
3唖地球が公転運動をしているため亜恒星は天球上を公転の半分の周期で楕円運動しているように
見える。その長軸の角距離を年周視差といい亜地球から恒星までの距離はこれに比例するため亜
年周視差で恒星までの距離を表すことができる。年周視差[秒]を 3.26 で割った値を光年として
いる。
4唖全ての恒星は地球から遠ざかっている。遠ざかる物体が発する波は亜ドップラー効果によって
波長が短くなることから亜恒星の観測光は本来のものより青色側にシフトしている。青色側への
偏移の比率による計算から亜恒星は一律に約 100 km/s の後退速度をもっていることが分かって
いる。
5唖光の明るさは距離に反比例するので亜本来は同じ明るさの恒星でも亜恒星までの距離が઄倍に
なると亜半分の明るさに見えてしまう。それを補正するため亜見かけの等級から距離の対数の値
を引いたものを絶対等級という。太陽の絶対等級は 4.9 等で亜他の恒星と比べ非常に明るい。
【正答 2】
(人 文)
【No.
29 】 東南アジアにおける欧米諸国の植民地政策に関する記述として最も妥当なのはどれか。
1
.フィリピンは
16世紀後半からスペインに領有されていた。スペインは
ラに運び中国産の絹織物や陶磁器などをアメリカ大陸に運ぶなど
展開した。1
9世紀末の米西戦争に乗じて
ン共和国を樹立したが
2.ベトナムでは
ると
マニラを拠点にアジア貿易を
フィリピン独立運動の指導者アギナルドはフィリピ
アメリカ合衆国はこれを認めずフィリピンを植民地とした。
19世紀初頭
福暎がフランスの援助を得て
清がベトナムへの宗主権を主張して派兵したため
清との戦争になった。戦況は当初フランスに有利であったが
ンスが手を引いたため
3.タイは
メキシコ銀をマニ
朝をたてた。1
9世紀半ばにな
朝の後ろ盾となっていたフランスと
アフリカ分割に力を傾注するフラ
ベトナムは清の属国となった。
フランスからの軍事介入を受け
1
8世紀末にカンボジア
領インドシナ連邦に編入された。フランスは
ヒーやサトウキビの強制栽培制度を導入したが
ラオスとともにフランス
本国の財政の立て直しのためにタイの農村でコー
飢饉が頻発したことから次第にタイの国力は衰
退していった。
4.インドネシアでは
1
7世紀初頭にイギリスがジャワ島のバタヴィアを根拠地にし
易の実権を握った。さらにイギリスは
殺害されたことに反発し
アンボイナ事件においてイギリス商館員がオランダ人に
オランダをインドネシアから締め出しジャワ島の大半を支配下とした。
5.マレー半島とミャンマーには
ラッカ
シンガポールを入手し
18世紀末にイギリスが進出した。イギリスは
マレー半島全体に支配地域を広げ
また,東インド会社をインドからシンガポールに移転させ
持ち込むようになり
香辛料貿
ペナン
マ
マレー連合州を結成した。
マレー半島で生産したアヘンを清に
アヘン戦争の原因をつくった。
【正答 1】