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山田方谷
こ
う
ほ
だ
ま
や
く山田方谷の名を挙げます。
あります。そんなとき、私はよ
山 藩 を 攻 め よ う とし ま す が 、
軍でし た 。そのた め 官 軍 は 松
き 松 山 藩 は 幕 府 側 、つま り 賊
徳川幕府
藩主の板倉勝靜は
ぼ しん
えき
の老中ですから、戊辰の役のと
た。
的な大きさこそが方 谷の魅 力
業 績 も さ ること な が ら 、人 間
い、話してみたいと思います 。
し、いろいろな話を聞いてみた
を 吸いな が ら 、人 物 全 体に 接
てみたいと思います。同じ空気
スリップできるなら、ぜひ会っ
小ヶ倉めぐり
景色もいい、人もいい
材した、小ヶ倉中学校
年の的野龍之介です。取
材がんばりました!
小ヶ倉 小 学 校の裏に
八幡神社があります。入
ほこら
り口の階段を上るとかわ
いらしい鳥居と 祠 があ
ります。ここは桜の名所
で知られていて、高 台か
らの港の景 色は船が見
られてオススメです。
八幡神社から2、 分
歩くと中国風のカラフル
日にお地 蔵 様に鯨
おしらせ
募
集
ぜひ来てみてください!
とってもよか所やけん、
ださいました。小ヶ倉は
情 報を親 切に教 えてく
道を歩いていると近所
の方々が地元ならではの
りを開催します。
の切り身をお供えし、祭
月
を取っていたことから1
す 。小ヶ倉の人は昔 、鯨
は鯨が大 好 きなようで
きます。ここのお地蔵様
な彫刻のある地蔵堂につ
3
「 尊 敬 す る 歴 史 上 の 人 物
は?」
と聞かれることがたまに
山 田 方 谷 は 、その 偉 大 さほ
どには知られていませんが、今
方 谷 の 指 示 のも と 、松 山 藩 は
で、それに触れてみたい気がし
出かけて
見る・知る
まちの
オススメ
スポット
講演・講座
2
市広報広聴課の職場
体 験で小ヶ倉 地 区を取
から二百 年ほど前に今の岡 山
戦火にまみれることもなく、明
新しい発 展 を 見 せていき まし
被爆者援護
桜と海が一望できる
たか はし
県高梁市
(備中松山藩)
に生ま
ます。
長 崎には多くの歴 史 上の人
物 が 訪 れまし た 。残 念 な が ら
治への移 行 を 迎 えること がで
山 田 方 谷 は 来 ていま せ ん が 、
きました。
その後、方谷は、新政府から
の仕事の誘いを断り、学問の道
大 河ドラマ
「 花 燃ゆ」
の登 場 人
を見事に立て直した人です。
に戻り、多くの若者達を育て、
物 も 、多 く がこのま ち を 舞 台
れ 、幕 末 の 難 しい時 代に 藩 政
一生を終えました。
に 活 躍 し ま し た 。長 崎にいる
た 。世 界 遺 産 候 補の産 業 革 命
そして、それは決して過去の
話では あ り ま せ ん 。未 来 の 長
福祉・税
もよおし
* * *
* * *
どんな 気 持 ちで長 崎での時 間
だ け 近 く な れる 気 が し ま す 。
をしていたそうで、塾 生 が
「う
を 過 ご し たのだ ろ う か 、と 想
と 、そ ういう 人 物 た ち と 少 し
る さ く て 仕 方 ない 」と 訴 え る
像力が動き出します。
ま し た 。2 人 は 夜 中 まで議 論
と 、あ の二 人 の 議 論 は 面 白い
いるこ
方 谷 が 江 戸で学んで
しょうざん
ろ、同じ 塾に佐 久 間 象 山 がい
ぞ 、と 師の佐 藤 一 斎 は 止 める
長崎は出会いのまち。人、文
化 、学 術 、産 業 、宗 教 …いろい
ラ イ バル同 士 だった よ うです
の 志 を 持 ち 続 け 、藩 校であ る
方 谷 と 象 山 は 、塾 の 中では
「有終館」
の学 頭(校 長)
になり 「 竜 虎 」と 呼 ばれ一目 置 かれた
遺 産 や 教 会 群 も 、ま さに西 洋
いっ さ い
方 谷 は 貧 しい家に 育 ち 、若
い時に父 母 を 亡 くすという 不
こともなかったそうです。
ま し た 。そ の 後 、藩 主 の 板 倉
が 、塾 頭 を 務 め たのは 方 谷で
谷に分 が あったのだ ろ う と 思
かつきよ
勝 靜に請われて藩の財 政を受
います。
う
世界でも稀有な物語です。
と東 洋の出 会いが生み出した
取り役を務めるようになりま
け
的 な 魅 力では 、6 歳 年 上 の 方
し た 。人 を ま とめる 力 や 人 間
す 。そして方 谷 のも とで、
「貧
子育て
崎 も 世 界との出 会いの舞 台で
乏 板 倉 」と 呼 ばれ た 藩 は 見 事
ご意見・
プレゼント
健
康
ありたいものです。
長崎市民
生活情報
も し 方 谷 が 今 、生 きていた
ら、あるいは江戸時代にタイム
かじ
さ せ る と 、や がて 藩 全 体 の 舵
け持つようになり、それを成功
ろなものがこのまちで出会い、
幸 を 乗 り 越 え な が ら 、学 問へ
小倉魚禾筆 山田方谷像 高梁方谷会蔵/高梁市歴史美術館寄託
に立ち直り、安定していきまし
市
政
19
田上市長の
特
集
13
く
今月のテーマ
∼自らの思いを皆さんに語るコラム∼