伝統と革新が交錯する街「北京」

第2787号
2015年(平成27年)
2月28日(土曜日)
第3種郵便物認可
天壇
北京国家スタジアム
明清代の皇帝が天に対して祭祀を行った祭壇。五穀豊穣の祈りを捧げた。明の永楽年(



年)
に建造され、敷地面積は約


平方㍍。



年、世界文化遺産に登録された。
(井岡今日子氏撮影)
立
っ
て
い
る
。
仏
教
(
ラ
マ
教
)
の
仏
塔
が
り
、
白
塔
と
い
う
チ
ベ
ッ
ト
う
人
工
湖
に
瓊
華
島
が
あ
す
る
宮
廷
庭
園
。
北
海
と
い
北
京
市
の
中
心
部
に
位
置
写
真
家
井
岡
今
日
子
氏
に
聞
く
通称「鳥の巣」。北京オリンピック公園の中にある。年北京五輪大会の開閉会式、陸上競技、男
子サッカー決勝戦などが行われた場所。収容人数は9万1千人。
(井岡今日子氏撮影)
魅
力
を
紹
介
す
る
。
北
海
公
園
文
化
遺
産
に
登
録
さ
れ
た
。
が
で
き
て
か
ら
で
す
」
婦
と
な
り
、
自
由
に
な
る
時
間
始
め
た
の
は
日
本
に
来
て
、
主
た
だ
、
本
格
的
に
写
真
を
撮
り
事
務
職
と
し
て
入
り
ま
し
た
。
卒
業
し
、
中
国
撮
影
家
協
会
に
や
横
丁
で
す
。
北
京
の
中
心
部
、
が
出
ま
す
。
多
彩
な
人
間
関
係
、
ポ
ッ
ト
と
し
て
観
光
客
に
も
大
の
で
、
日
本
語
で
言
え
ば
路
地
「
胡
同
は
北
京
に
特
有
な
も
ず
つ
発
展
し
て
き
ま
し
た
。
実
明
と
清
の
時
代
に
か
け
て
少
し
で
す
。
元
の
時
代
に
形
成
し
、
武
家
屋
敷
の
よ
う
な
イ
メ
ー
ジ
ま
す
。
江
戸
城
下
の
町
人
街
や
紫
禁
城
の
す
ぐ
北
と
南
に
あ
り
屋
建
築
で
あ
る
四
合
院
も
多
辺
に
住
宅
が
建
つ
、
伝
統
的
家
「
四
角
い
中
庭
を
囲
ん
で
四
づ
い
て
い
ま
す
」
が
い
ま
で
も
庶
民
の
生
活
に
息
素
朴
な
生
活
の
場
、
胡
同
文
化
理国齢本真P日京北 変
。際基写家Aま師京い 人
文金真交)で範生お 気
化会協流勤中学まか が
芸理会協務国院れ・ あ
術事会会。撮卒。き り
交、員副現影業1ょ ま
流北、理在家。9う す
中京日事、協8こ 」
心視本長日会年7 総百宋、中(の年中
経欣慶日写C来北国
時
代
が
古
け
れ
ば
し
れ
だ
け
味
く
て
新
し
い
ト
レ
ン
デ
ィ
ー
ス
身
近
に
あ
り
ま
し
た
。
学
校
を
ー
ト
ン
)
を
選
ん
だ
の
で
す
か
。
「 胡
同 胡
は 同
ワ の
イ 魅
ン 力
の と
よ は
う 。
に
、
京 お
市 店
中 も
心 増
部 え
の て
、 き
文 ま
字 し
通 た
り 。
古 北
の
宮
殿
遺
構
。
1
9
8
7
年
、
世
界
故
宮
(
東
北
角
楼
)
面
積
は
約

万
平
方
㍍
で
世
界
最
大
政
務
の
携
わ
り
、
起
居
し
た
。
敷
地
っ の 子 展 3
か
魅 氏 の 月
け
力 に カ 2
は 写 を 北 メ 日
。 真 聞 京 ラ か
を い 市 マ ら
撮 た の ン 開
り 。 下 、 か
町 井 れ
始
、 岡 る
め
胡 今 写
た
き
同 日 真
東
京
中
国
文
化
セ
ン
タ
ー
で
人
と
も
な 帰
ぜ 化
被 し
写 て
体 い
に ま
胡 す
同
( 」
本
メ
ー
カ
ー
の
技
術
者
で
、
2
人
は
カ
メ
ラ
も
作
っ
て
い
る
日
人
留
学
生
の
主
人
と
結
婚
。
主
そ
こ
で
知
り
合
っ
た
同
じ
中
国
い
ま
し
た
」
く
さ
ん
あ
り
、
水
源
と
な
っ
て
代
、
胡
同
地
区
に
は
井
戸
が
た
語
で
『
井
戸
』
で
す
。
元
の
時
「
胡
同
の
語
源
は
モ
ン
ゴ
ル
の 育 は
っ 私
で
た は
す
か な の 、
。 ぜ で こ
胡 す の
同 」 胡
と
同
呼
で
ば
生
れ
ま
る
れ
や
シ
ョ
ッ
プ
と
し
て
営
業
す
る
を
変
え
て
、
現
代
風
の
カ
フ
ェ
い
る
胡
同
の
建
物
の
内
装
だ
け
す を 四 北 あ と 繁 面 く
「 」 垣 合 京 わ ま 華 影 、
1
間 院 で た だ 街 を 古
0
見 の 、 だ 胡 の し き
0
る 穏 悠 し 同 一 の 良
年
こ や 久 い が 歩 ば き
か の 近 残 裏 せ 時
以
と な 時 代 っ 通 て 代
上
が 日 が 化 て り い の
も
で 常 流 が お に ま 北
経
き 生 れ 進 り 入 す 京
っ
ま 活 る む 、 る 。 の
て
い
こ
ろ
か
ら
カ
メ
ラ
や
写
真
が
「
両
親
が
写
真
家
で
、
小
さ
フ
「

年
に
日
本
に
留
学
し
、
て
い
ま
す
ね
。
日
本
国
籍
を
取
得
さ
れ
め
、

年
が
か
り
で
完
成
。
皇
帝
が
年
(
1
4
0
6
年
)
か
ら
建
造
を
始
紫
禁
城
と
も
い
う
。
明
の
永
楽
4
天安門
故宮
(紫禁城)
の正門。
楼上で毛沢東が中華人民共和国の建国宣言を行った。
天安門広場は、幅


㍍、長さ


㍍、面積万平方㍍で世界最大の広場。
産
に
登
録
さ
れ
た
。
庶
民
の
生
活
に
息
づ
く
胡
同
文
化
界
文
化
遺
産
に
登
録
さ
れ
た
。
△鼓楼から▽鋳鐘胡同
か
ら
な
り
、
仏
香
閣
、
仁
寿
伝
、
諧
趣
園
な
ど
区
に
位
置
す
る
庭
園
公
園
。
万
寿
山
と
昆
明
湖
北
京
市
の
中
心
部
か
ら
約

㌔
離
れ
た
海
淀
▲
観 都
光 内
説 で
明 開
会 か
の れ
様 た
子 河
北
省
強
調
。
「
特
に
張
家
口
市
は
北
協
会
理
事
長
、
野
池
明
登
長
野
長
官
、
中
村
達
朗
日
本
旅
行
業
協
会
会
長
、
久
保
成
人
観
光
庁
俊
博
衆
院
議
員
・
全
国
旅
行
業
日
本
側
来
賓
と
し
て
、
二
階
介
な
ど
も
行
っ
た
。
程
大
使
は
「
河
北
省
は
豊
富
を
増
進
し
た
い
」
と
述
べ
た
。
で
、
両
国
の
理
解
と
相
互
信
頼
訪
中
を
推
進
す
る
な
ど
の
方
法
形
態
で
あ
り
、
今
後
も
市
民
の
る
。
観
光
は
民
間
交
流
の
重
要
性
と
潜
在
力
に
期
待
し
て
い
た 関 の
。 す 観
る 光
協 客
定 相
の 互
締 誘
結 致
― の
を 協
行 力
っ に
旅
行
社
と
キ
ャ
ラ
バ
ン
ツ
ア
ー
協
定
の
締
結
③
河
北
中
国
国
際
チ
ャ
ー
タ
ー
便
開
設
に
関
す
る
東
京
・
大
阪
―
石
家
荘
の
国
際
輝
旅
行
社
と
J
C
プ
ラ
ン
と
の
関
す
る
覚
書
の
締
結
②
河
北
康
光
資
源
に
恵
ま
れ
て
い
る
」
と
な
文
化
的
・
歴
史
的
遺
跡
、
観
あ
る
。
万
里
の
長
城
は
、
9
8
7
年
に
世
界
文
化
遺
宿
泊
、
兵
器
保
存
、
見
張
り
に
使
う
敵
楼
、
墻
台
が
花
崗
岩
で
築
か
れ
て
い
る
。
ほ
ぼ
5
0
0
㍍
お
き
に
の
高
さ
は
平
均
7
・
8
㍍
、
土
台
は
5
0
0
余
㌔
の
北
京
市
か
ら

㌔
、
万
里
の
長
城
の
一
部
。
城
壁
悠
久
の
歴
史
と
現
代
が
交
錯
す
る
北
京
の
奥
深
い
観
光
の
お
り
、
7
月
の
総
会
で
決
ま
る
。
北
京
と
カ
ザ
フ
ス
タ
ン
・
ア
ル
マ
ト
イ
の
2
都
市
が
残
っ
て
る
。
国
際
オ
リ
ン
ピ
ッ
ク
委
員
会
(
I
O
C
)
の
選
考
に
は
0
2
2
年
冬
季
五
輪
の
開
催
都
市
に
名
乗
り
を
上
げ
て
い
の
オ
リ
ン
ピ
ッ
ク
開
催
と
な
っ
た
。
そ
の
北
京
市
が
い
ま
2
2
0
0
8
年
8
月
に
は
、
北
京
五
輪
が
開
か
れ
、
中
国
初
日
本
側
二
階
衆
院
議
員
ら
出
席
光
交
流
強
化
に
河
北
省
と
の
観
あ
る
長
野
県
と
観
光
説
明
会
」
を
東
京
都
港
区
な
ど
を
対
象
と
し
た
「
河
北
省
日
本
の
旅
行
会
社
、
メ
デ
ィ
ア
立
候
補
の
河
北
省
か
ら
ら
友
好
関
係
に
1
9
8
3
年
か
式
も
実
施
。
①
代
表

人
が
来
日
し
、

日
、
海
燕
国
際
な
ど
の
旅
行
会
社
の
国
旅
、
康
輝
国
際
、
秦
皇
島
市
栗
進
路
河
北
省
観
光
局
長
と
、
ら
、
張
慶
偉
省
長
を
は
じ
め
、
よ
う
に
位
置
す
る
河
北
省
か
中
国
・
北
京
市
を
取
り
囲
む
八
達
嶺
長
城
設
予
定
の
ス
ポ
ー
ツ
施
設
の
紹
最
新
観
光
情
報
に
加
え
て
、
建
し
て
い
る
こ
と
か
ら
、
現
地
の
の
共
同
開
催
地
と
し
て
立
候
補
が
、
2
0
2
2
年
の
冬
季
五
輪
北
京
市
と
河
北
省
張
家
口
市
催
し
た
。
「
河
北
省
の
観
光
産
業
の
将
来
二
階
会
長
は
あ
い
さ
つ
で
席
代
表
が
出
席
し
た
。
国
家
観
光
局
駐
日
本
代
表
処
首
特
命
全
権
大
使
、
張
西
龍
中
国
駐
日
本
機
関
か
ら
は
、
程
永
華
県
観
光
部
長
ら
が
出
席
。
中
国
同
説
明
会
で
は
三
つ
の
調
印
る
」
と
話
し
た
。
支
持
す
る
よ
う
希
望
し
て
い
ま
た
中
国
の
冬
季
五
輪
招
致
を
人
が
河
北
省
へ
観
光
に
訪
れ
、
し
た
。
そ
の
上
で
「
日
本
の
友
準
備
を
進
め
て
い
る
」
と
指
摘
を
挙
げ
て
ス
キ
ー
競
技
の
開
催
季
五
輪
招
致
都
市
と
し
て
全
力
京
市
と
共
同
の
2
0
2
2
年
冬
ば
れ
、
都
城
と
な
っ
た
。
明
朝
・
清
朝
時
代
に
「
北
京
」
と
そ
の
後
も
金
朝
で
は
「
中
都
」
、
元
朝
で
は
「
大
都
」
と
呼
秋
戦
国
時
代
に
燕
の
都
「
薊
(
け
い
)
」
と
し
て
栄
え
た
。
竜
骨
山
腹
の
洞
窟
に
住
ん
で
い
た
と
さ
れ
る
。
1
9
8
7
年
、
世
界
祖
と
さ
れ
る
「
北
京
人
」
の
頭
蓋
骨
化
石
の
出
土
場
所
。
北
京
人
は
上
の
人
口
を
抱
え
る
世
界
有
数
の
巨
大
都
市
だ
。
古
く
は
春
北
京
市
か
ら

㌔
離
れ
た
周
口
店
鎮
竜
骨
山
に
位
置
。
人
類
の
遠
中
華
人
民
共
和
国
の
首
都
、
北
京
市
は
2
1
0
0
万
人
以
周
口
店
北
京
原
人
遺
跡
国2
際0
旅1
行5
博中
覧国
会
西
(
安
9西シ
月安ル
市ク
~)
ロ
 ー
日 ド
2
0
2
2
冬
季
五
輪
を
目
指
し
て
な
り
、
現
在
に
至
る
ま
で
中
国
の
中
心
部
だ
。
文
化
遺
産
に
登
録
さ
れ
た
。
頤
和
園
の
ホ
テ
ル
オ
ー
ク
ラ
東
京
で
開
「北京・胡同百年の印象」井岡今日子写真展
【展示期間】



年3月3日(火)~6日
(金)
【展示時間】
:~:(最終日は:
終了)
【展示場所】
東京中国文化センター
【作家との懇親交流会】



年3月3日(火):~
来賓あいさつ、軽食、交流
【主催】
中国国家観光局駐日本代表処、
日中写真家交流協会
【協力】
東京中国文化センター
【後援】
中華人 民 共 和 国 駐 日 本 国 大 使
館、
公益社団法人日中友好協会、
日中友好議員連盟、社団法人日
中協会、一般財団法人日本中国
文化交流協会、一般社団法人日
本旅行業協会、一般社団法人全
国旅行業協会、一般社団法人東
京華僑総会、日本華僑華人文学
芸術界聯合会、宋慶齢基金会日
中共同プロジェクト委員会
の
建
築
物
が
湖
畔
に
立
つ
。
1
9
9
8
年
、
世
(4)
中国でも初となる独自のテーマ性を持っ
た国際大型博覧会です。今年は9月~
日に開催されます。
世界以上の国と地域、


社が出展し3万4千人の来場が見込ま
れます。シルクロード経済圏を中心とした
国内外の業者との商談が期待できます。
開催場所は、シルクロードの起点の一
つ、西安市西安曲江国際コンベンションセ
ンター。
第1回の開催だった昨年は、9月~
日の日程で開かれた。世界の国と地域か
ら


社に上る企業が出展し、3万人が来
場した。
【出展費用】
・パッケージブース費用(1×1㍍)



㌦※9平方㍍より
(パッケージブースには、カーペット、商
談机1卓、椅子2脚、企業名プレート、ラ
イト2個、電源コンセントが含まれる)
・スペース費用(1×1㍍)


㌦※平
方㍍より
申し込み、
詳細は公式ホームページより。
http://www.srite.com.cn(中国語・英語)
【主催】
中国陝西省旅游局
【協力】
西安市旅游局、陝西省旅游協会、中国国家
観光局駐日本代表処