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Title
ジム・ワトソン博士とメトフォルミン
Author(s)
松山, 俊文
Citation
長崎市医師会報, 565, pp.19-24; 2014
Issue Date
2014-03
URL
http://hdl.handle.net/10069/35119
Right
© Nagasaki city medical association
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http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp
生涯教育シリーズ
ジム・ワトソン博士とメトフォルミン
長崎大学大学院医歯薬学総合研究科 新興感染症病態制御学系専攻 感染防御因子解析分野
教授 松 山 俊 文
2009年 4 月に私が医学部長を拝命した時に
Watson 博士との邂逅
掲げた目標が二つあった。一つは卒業生の定
一方、その Watson 博士について、かつて
着率の向上、そしてもう一つが基礎医学の復
ハーバード大学の生物学科の同僚であった
興である。そこで掲げていた基礎医学の生涯
Edward O. Wilson教授はthe most unpleasant
学習への貢献としてこの企画が生まれること
human being I had ever met と見做していた
になった。この企画の実現のためにお骨折り
と記している。大きな理由は当時のハーバー
された長崎市医師会の先生方、そして学内の
ド大学の中で Wilson 教授の所属する生態学
原稿集めに努力して下さっている篠原一之教
系の教授たちと分子生物学の来る時代を予見
授には重ねて厚くお礼を申し上げる。そのよ
して人員の充実を図ろうとする Watson 博士
うな経緯で始まった企画なので明日への臨床
が人事面で激しく対立したためであるが、結
に役立つ基礎医学のアップデートなもの、そ
局彼も後になって自分には Watson 博士ほど
して他では得られない話題をということで
未来を見る目がなかったとして Watson 博士
James D. Watson 博士と癌を巡る話を取り上
への見方を訂正している2)。
げることにした。James D. Watson 博士はご
このように Watson 博士は毀誉褒貶が相半
存知の通りDNAの二重らせん構造をFrancis
ばする話に事欠かない人物であるが、私は高
Crick博士と一緒に発見したことで知られる。
校時代に「二重らせん」を読んで以来生涯に
それは20世紀の生物学史上最大の発見と言わ
亘って私の高い目標として仰いできた。そし
れ、癌研究で有名な Robert Weinberg 教授な
て幸いなことに2012年になってその Watson
どは MIT の公開講座の中で Watson, Crick の
博士に偶然のことから会えることになったの
二人はこれから200年すると物理学の Isaac
である。間を取り持ってくれたのは神経解剖
Newton にも例えられるであろう、幸せにも
学の森望教授の招待で長崎に来られた
我々はそのような人物と同時代を過ごしてい
Maoyen Chi 博士であった。Maoyen 博士は
1)
るのだと評しているほどである 。
未だ40歳半ばながらすでに中国の蘇州におい
て Cold Spring Harbor Asia の CEO として活
躍している。森教授から一緒の酒席にという
ことで浜屋の路地裏にあるお総菜屋さんにお
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生涯教育シリーズ
邪魔した。そこには Maoyen 博士ともう一人
解読プロジェクトを推進した一つの理由も癌
台湾の陽明大学の Ming-Ji Fann 教授という
に対する包括的な理解を期待していたからで
方も来られて楽しい夕べを過ごした。その席
ある。
で私が高校時代から Watson 博士を師と仰い
さて、その Watson 博士の話の中で出てき
でいることを話したところ Maoyen 先生がそ
たのは、癌を予防したり治したりするのは抗
れならサインをもらってあげましょうといっ
酸化物質ではなく酸化物質だと言う世の中で
てくれた。そして翌日研究室を訪れた先生に
信じられていることと反対の話題であった。
「The Double Helix(二重らせん)」を預ける
自分のオフイスの机に堆く積まれた論文のコ
のと一緒に、Watson 博士へ次の中国訪問の
ピーを示しながら、自分の考えを支持する文
機会に是非長崎に立ち寄って学生を前に講演
献は全てが米国以外から出ているが、自分は
して欲しいとの伝言もお願いした。
そう信じていると言う。そして昨年 5 月の二
そしてその後の何回かメールの遣り取りを
回目の訪問時に最近、総説を書いたから読ん
しているうちに Maoyen 先生がアメリカの
でみてくれと別刷にサインを付けて渡された
Cold Spring Harbor 研 究 所 を 訪 問 中 に
のが 2 型糖尿病と癌などについて書かれてあ
Watson 博士との面会を取り計らってくれる
る論文であった。以下はその論文の要約であ
ことになったのである。2012年 7 月27日、私
るが所々に私の説明を加えている。この論文
は片峰学長からの長崎大学への招待状を持っ
は Lancet に投稿するつもりだと話してくれ
てニューヨーク郊外のロングアイランドにあ
た。
る Cold Spring Harbor 研究所に Watson 博士
を訪ねた。Watson 博士と話していて驚いた
2 型糖尿病はレドックス病である
のは彼の興味の中心は DNA そのものではな
く癌の臨床応用に向いているということで
“ 私が糖尿病の重症度と細胞内の還元状態の
あった。私はてっきり DNA の複製機構に関
程度に興味を持ち出したのはビタミン C とビ
する話がでるものと思っていただけに、癌の
タミン E といった抗酸化サプリメントの摂取
シグナル研究ででてくる STAT 3 という言葉
を続けると、せっかく運動をしてもその血糖
をいきなり彼の口から聞いた時にはことさら
降下作用がなくなるという報告を読んでから
奇異に感じた。しかし、考えてみれば1965年
である。運動が糖尿病に良いというのは古く
に出版された彼の最初の教科書である「遺伝
から知られているので、この報告は糖尿病が
子の分子生物学」第 1 版ではそのほとんどの
起こるのは実は活性酸素が少なくなっている
ページが大腸菌の分子生物学について割かれ
ためではないかと考え始めた。
ているにも関わらず癌については別に章を立
細胞内活性酸素はミトコンドリアの電子伝
てて記述してあるほどなので彼の中には癌研
達系で ATP を作ることによって効率よく作
究がずっと中心にあったということである。
られることが知られている。運動によって
実際に1971年に当時のニクソン大統領にアメ
ATP が大量に必要になると電子伝達系はよ
リカの国家戦略としての「がんとの闘い」を
り多くの活性酸素を作る。普通の生活時には
提言したのは彼であるし、1990年からのヒト
活性酸素のレベルは低く抑えられ、活性酸素
ゲノム計画の責任者としてヒトの全ゲノムの
による細胞へのアポトーシス誘導が起こらな
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(Watson 博士の論文要約)
生涯教育シリーズ
いようにする一方で、血糖レベルをコント
の Ero 1 も通常は還元状態にあり電子伝達系
ロールするのに必要な分子の酸化のために十
の活性化の過程で酸化されて PDI への酸化活
分量の活性酸素が保たれるようにしているは
性を持つようになる。では、この二つの酵素
ずである。
の機能は 2 型糖尿病でどのようになっている
では活性酸素によって酸化を受ける標的分
か、これはまだ研究が始まったばかりである
子は何か、実は細胞内タンパク質分子のⅠ
が、ハンガリーの研究グループが 2 型糖尿病
/ 3 がジスルフィド結合(タンパク質の所々
モデルラットでは PDI 分子がより多く還元状
に含まれるシステイン残基同士で結合するこ
態にあることを見出している。
と、つまりシステイン分子が酸化されること
インスリンは中枢神経系でも重要である。
による結合)によって高次構造を作っている。
単に摂食中枢やエネルギー代謝へ働くだけで
特に細胞膜、あるいは細胞外に分泌される分
なく学習や記憶にも影響を及ぼすと考えられ
子がジスルフィド結合による高次構造形成を
ている。そのようなことから 1 型、 2 型糖尿
必要としているところから、この結合は細胞
病患者が晩年にアルツハイマー病に罹患しや
外という厳しい環境下での機能の発揮のため
すいのは驚くべきことではない。アルツハイ
に必要ではないかと考えられる。そしてジス
マー病の進行に従って海馬小胞体では還元状
ルフィド結合を必要とする分子の一つがイン
態のタンパク質が蓄積し、それがついには海
スリンである。糖尿病モデルラットの細胞内
馬のアポトーシスへ結びつくのではないだろ
の小胞体ではより多くの還元状態のインスリ
うか。しかし予兆(特に記憶力の低下)を早
ン(ジスルフィド結合を作っていないインス
期に見出せれば、日常的な運動によって進行
リン)が蓄積されていることが知られている。
を遅らせることが出来るかもしれない。私は
小胞体では分子は酸化されやすい状態にある
それどころか、運動によって活性酸素を作ら
にも関わらずである。当然ながら還元状態の
せることで正常な高次構造を持ったタンパク
インスリンは正常に機能を発揮できないはず
質(インスリンを含む)が出来る結果、細胞
であり、それが糖尿病の種々の病態に繋がる
死へ向かっている海馬を正常に戻すことが出
と予想できる。また膵臓のβ細胞の疲弊、枯
来るとまで思っている。
渇も機能を発揮できないインスリンを作り続
初期の 2 型糖尿病、そしてアルツハイマー
けた結果に起こると考えられる。
病のコントロールに有効なのはメトフォルミ
ではどのようにして小胞体でジスルフィド
ンである。メトフォルミンの作用機序として
結合が作られるか、そこには二つのチオール
提唱されているのが細胞内のエネルギー代謝
基酸化還元酵素が必要であることが判ってい
のマスター調節因子である AMPK の間接的
る。タンパク質分子に直接働きかけて正し
な活性化である。つまりメトフォルミンは電
いジスルフィド結合形成(システイン残基
子伝達系の複合体に作用して ATP 産生を低
の酸化)を促すのは PDI(protein disulfide
下させ、その結果ミトコンドリアの AMP レ
isomerase)と呼ばれる酵素である。PDI は
ベルが上昇し、その上昇を感知した AMPKK
通常は還元状態にあり、必要時に Ero 1 と呼
(がん抑制遺伝子タンパク質の一種 LKB 1 を
ばれる酵素によって酸化され、ジスルフィ
含む複合体)が AMPK を活性化するとされ
ド形成機能を発揮するようになっている。こ
る。
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驚くべきことはこの 5 年の間に抗糖尿病薬
のようになっているのか?この点についての
であるメトフォルミン服用 2 型糖尿病患者で
研究はまだない。考えられるのはメトフォル
は他の抗糖尿病薬服用の患者に比べて癌の発
ミンが活性酸素の上昇につながる経路を活性
生率が少ないとの報告が次々に出てきたこと
化する、あるいは抗酸化物質の転写活性化を
である。最初の報告は大腸癌であったが、今
担っている Nrf 2 活性の抑制する作用を持っ
では膵癌、肺癌、乳癌での効果も知られるよ
ている可能性である。癌の幹細胞は細胞質内
うになった。同じころ別の研究機関で行われ
により多くの抗酸化物質を有して活性酸素に
た既存の1000種に亘る種々の薬剤の抗腫瘍効
抵抗性であることが知られているが、メト
果を調べた研究からはメトフォルミンに最も
フォルミンがその Nfr 2 活性を抑制して抗癌
強力な作用があることが見出されている。
作用を発揮している可能性もある。
ではメトフォルミンがどのようにして癌細
糖尿病やアルツハイマー病が何故増加して
胞に働いているのか?上記の AMPK の元々
いるのかについてファーストフードやコーラ
の作用は細胞が飢餓状態になった時に細胞内
による肥満が挙げられているが、原因はそれ
のエネルギーを合成系から分解系へ振り分け
だけではないだろう。最近の抗酸化サプリメ
て、飢餓によって枯渇する ATP を産生しよ
ント摂取の流行も原因ではないだろうか?ビ
うとするものである。一方、急速に増殖する
タミン C、ビタミン E の毎日の摂取によって、
癌細胞は次々に供給されるエネルギーが必須
せっかくの運動による血糖降下作用がなくな
である。ミトコンドリアからのエネルギー供
るという報告は書いたとおりであるが、ビタ
給が少ない状況になると癌細胞は AMPK の
ミン C の信奉者であった Linus Pauling 博士
活性化に依存せざるをえない。実際にメト
が常用量をはるかに越える12mg のビタミン
フォルミンが癌細胞に効率よく働くのは癌細
C を毎日摂りつづけていたにも関わらず前立
胞が LKB の機能不全によって AMPK が活性
腺癌で亡くなったことも示唆的である。
化できないとき、あるいは AMPK そのもの
これらの栄養学的な観点からのデータを得
が機能不全になっているときである。すなわ
るには多くの研究が必要である。そして同様
ちメトフォルミンによって通常の電子伝達系
に注目されるべきは運動の効用である。私は
に よ る ATP 産 経 路 が 遮 断 さ れ、 生 存 が
運動の効果を信じて若いレッスンプロ相手に
AMPK 依存性になったものの、AMPK の活
テニスを20年間続けてきた。そのお蔭で、も
性化がおこらないときである。がん抑制遺伝
ちろん両親から受け継いだ遺伝的なバックグ
子である p53は多くの癌で機能喪失している
ラウンドもあるだろうが、85歳の今でも研究
こ と が 知 ら れ て い る が、 上 記 の よ う に
も第一線に立って仕事をしている。”
AMPK の経路が遮断されている場合、エネ
ルギーの供給がないまま細胞増殖を続ける結
果、最終的にはアポトーシス・細胞増殖抑制
に陥ってしまうと考えられる。この点から将
来、AMPK を標的とした薬剤の開発が期待
できる。
ではメトフォルミンと活性酸素の関係はど
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追記
26日夕方には中部講堂で満員の聴衆を前に
Watson 博士が提唱している抗酸化サプリ
“60 Years of DNA” というタイトルで DNA
メントの摂取の弊害であるが、最近になって
二重らせんの発見とそれからを巡る話につい
JAMA 誌に抗酸化サプリメントを飲み続け
て講演を行った。そして結びに、自分が書い
ることによりかえって寿命を縮める可能性が
たエクササイズと糖尿病に関した論文がもう
報告されたことは注目に値する。特にベー
直ぐ Lancet に載ることになったが、こうし
タ・カロテンとビタミン E のサプリメントで
て第一線に立ってサイエンスにかかわること
は総死亡率がかえって高くなるという。結論
が出来たのは素晴らしい人生だった。皆さん
としては先進国では抗酸化作用のあるサプリ
へは最後にこの言葉を贈りたいといって話を
メントはむしろ健康に害を及ぼす可能性があ
終わった。
り、抗酸化物質の摂取は食物からだけに限る
“Just try and use your life to do something
3)
べきだということである 。
that does change the world”6)
一方、アルツハイマー病へのメトフォルミ
聞いていた学生の一人から、本当に感動し
ンの効果については痴呆の進行を止めるとい
たのでスタンディングオベーションをした
う報告がある一方で、むしろその服用によっ
かったのだが前に座っている先生方が立たれ
て罹患の頻度がわずかながら高くなると言う
なかったのでできなかったと言われた。確か
4)
報告があることも付け加えておきたい 。
に 1 時間半にも亘る講演を立ったままで行っ
またメトフォルミンの作用は AMPK だけ
てくれた Watson 博士へのお礼として私たち
を介しているのではないことが AMPK ノッ
が率先してそうすべきであったと反省するこ
クアウトマウスの実験から明らかにされてい
としきりである。
る。すなわち AMPK がない環境下でもメト
フォルミンは血糖降下作用を示したのであ
る。当然、抗癌作用においても AMPK 非依
存的な経路で作用を及ぼしている可能性があ
るわけである。最近、メトフォルミンの抗癌
作用としてここで説明したような癌細胞への
直接作用に加えて CD 8 T 細胞を介した作用
があるとの画期的な報告がなされた5)。この
研究を主導しているのは長崎大学医学部出身
で私の前任の珠玖洋教授の元で腫瘍免疫学を
修めた鵜殿平一郎教授(岡山大学大学院免疫
学講座)である。残念ながら本原稿の締め切
りまでにこの仕事は論文掲載には至らなかっ
たので、詳しくは別の機会に鵜殿教授から直
接記してもらえればと期待している。
なお Watson 博士は片峰学長の招待を受け
入れて昨年奥様とともに長崎を訪れた。11月
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生涯教育シリーズ
参考文献・参考 URL
1) MITOPENCOURSEWARE
http://ocw.mit.edu/courses/biology/7012-introduction-to-biology-fall-2004/
video-lectures/lecture-1-introduction/
2) The Molecular Wars
https://www.msu.edu/course/lbs/333/
fall/wilson.html
3) Antioxidant Supplements to Prevent
Mortality. JAMA. 2013;310 (11) :11781179
4) Metformin, Other Antidiabetic Drugs,
and Risk of Alzheimer's Disease
J Am Geriatr Soc. 2012;60 (5) :916-921.
5) M e t f o r m i n - i n d u c e d r e v e r s i o n o f
immune-exhausted tumor infiltrating
CD8+ T lymphocytes leads to sustained
anti-tumor immunity. 2013日本免疫学会
総会・学術集会記録 p97.
6) Watson 博士の長崎大学での講演動画は
YouTubeにアップされています。Google
でワトソン、長崎大学、youtube で検索
可能です。是非ご覧になってください。
https://www.youtube.com/watch?v=Z
QRfWe7Q8pw&feature=youtu.be
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