木村宏﹁諸著志記載﹁新星漢﹂の位置と東西洋考記載の﹁呂蓬﹂ 0 │ 東 南 ア ジ ア 東 部 島 唄 地 域 の 歴 史 地 理 学 的 研 究 理iLQ尽都外国語大 別刷) (﹁聖霊女子短期大 在庫バックナンバーのお知らせ 、 六O O円 、 七O O円 、 一 一 、 六O O円 000円 紀要と会報のバックナンバーは左記の通タです 紀要 日集 000円 、 一 一 、 三O O円 二 、 五O O円 O O円 Q 12 各号二O O円 000円 、 一 一 、 七O O円 000円 Z 、 一 5678901235678 8.8.8.8.8.9.9.9.9.9.9.9.9 一そ一二 集 集 集 1 二九一 B I B B 二七五七) へ、会報は学会事務局 マヤ遺跡の踏査から帰ると高知大名誉教授の谷 F島 田 ( 松 本 ) 豊 寿 君 去 る 十 五 日 急 逝 致 し ま し た 。 そ H の報告をうけ 年 上 で あ っ た が 、 君 は 高 知 師 範 卒 業 後 、 笈 を 負 う て 京 都K 私をたず た。島田君l否 私 に は 松 本 君 の 方 が な つ か し い が ー は 、 私 よ り 一 つ 旅 行 を さ れ た 位 で し た の K、 惜 し い 友 を 失 い ま し た を患らいましたが、近頃は元気になり、この七月には奥様と北海道 の夜T Vを見ていて突然倒れたそうです。・::・同君は数年前K大病 湖梅亀氏から 夏休みのインヵ、 島田豊寿教授を想う 古 今 書 院 ( 電 話O 一 二 O 紀 要 の 問 い 合 せ は ﹁ 一 O 一 東 京 都 千 代 田 区 神 田 駿 河 台 二l 一 ※会報・紀要とも送料は実費負担。売切れの節はど容赦下さい o 会報 20 1 7 14 集 集 集 集 学内。∞冨同の﹀謡ョ 。﹁地理﹂二三巻七号 。三浦鉄郎﹁天王砂丘 (秋田県) の新田開発﹂ (﹁日本工業大学研究報告﹂ 一 O 号別刷) 13 10 集 集 19 集 学紀要﹂六号別刷) 竹内淳彦﹁大都市の産業地域社会﹂ 0 七巻一号別刷) L 米 国 厳 ﹁ 大 西 洋 縁 辺 地 帯 の 農 業 景 観ωlク ル ト 地 域 の 農 地 組 織 と (﹁東京大学教養部教養学科紀要 正 0 集落をめぐって│﹂ 大将軍 紀要二O 号 掲 載 の ﹁ 都 城 的 集 落 の 機 能 と 象 徴 ﹂ の 訂 正 大軍将 その反対 F¥ 紙 O 碑 一三五頁七行自 一三八頁二二行自 一三八頁一五行自 一三八頁一六行自 一三九頁九行自 一四O 頁八行自 日 正 一四四頁二三行呂 没 し 冬至の日出 の. て 年 誤 一四九頁五行自 え - 没・そ の 冬・冬・冬・基 至至至準 K 一日 九没 →・の 七 日没の 至九 の七 日一 出年 夏・夏・夏・基 の・の 至 至 至 準 方・反 K 位・対 し で・カ2 ・ て 、大・ 北J¥ こ・体・ の・冬・ 日至・ 没の・ の日・ 夏 ・ 至- 訂 ね、私の住んでいる北白川付近で小学校教員をつとめ乍ら、 立命館 〒 104 東京都中央区新富 1-2-12 ついで同大学地理学科を昭和 振替口座番号(東京 ) 4 - 8 1 3 6 2 大学専門部歴史地理科を昭和十九年、 二 二 年 九 月K卒 業 せ ら れ た 。 学 部 時 代 は 今 は な き 岩 根 教 授 退 職 直 後 でもあり、私は同君の高知平野の先史地理を取扱った卒論を審査し 一人こつこつ、当時公開せられた長宗我部 価 人に 200円 { た 。 すC れた篤学者であり、 土 佐 人 特 有 の イ ゴ ツ ソ ウ 精 神 を も っ て 、 hy TEL553-9837 ヱン J ェ ノ レ プ リ y トショッフ。内 卒 業 後 君 は 土 佐K 帰 地検帖の分析をはじめられた。君は年下の私には教師としてではな 社 営 研 ぐ 、 あ く ま で 学 問 の 競 争 相 手 と し て 対 せ ら れ 、 遂 に 今 日 K 至った。 あの名著﹁城下町の虚史地理学的研究﹂が出る前、 プリント版をい 会 ζら ぜ た こ と も あ こ の ﹁ 地 検 制 ﹂ を 最 初K 注 目 さ れ た 放 内 田 寛 一 先 生 ただい円た折、語学の弱い君の序説を批判して、 った。帰郷後、 ι の 流 れ を 汲 む 浅 香 一幸雄教授の指導比一よって、 あ の が っ ち り し た 書 物 を学位論文にせられたのである。その後私が京大で教えた小林健太 郎 君 K一も継承され、昨今小林教授ま,た独自な領域を展開させている。 0 4 4 - 9 1 1ー 7 1 3 1 (内線) 6 6 TEL 菊地利夫 代表者 A ' " " -r 品会 主 要 士 也 史 歴 編集発行 有限会社 届J I E D 第 99 号 歴史地理学会会報 私 が 旧 制 高 知 高 校 の 学 生 だ っ た 頃 、 町中で三野輿土口氏の地形学原論 を求めた話をしたら、彼もその頃同様だったといっていた。私、 ヘ藤岡謙二郎) 判氏とも酒の友達でもあり、 土 佐 の 国 府 を 一 緒 に 調 査 し た 日 も あ っ た。既往を哩想し、 御冥福を祈る。 谷 昭和 53年 9 月 1日発行 千 214 川崎市多摩区生田 4764 専修大学文学部地理学研究室内
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