み うるま市地名 いけ 散歩 ○ な か やま けんこう 名嘉山 兼宏 わったであろう港に思いをはせると何 てエンジンの音も高く出船入船で賑 ては返すさざ波の音を聞きながらかつ 体意味をもたないが、伊計を指す「池」 栄野比とか喜屋武のようにその漢字自 沖 縄 の 地 名 は 一 般 的 に 当 て 字 が 多 く、 いは「伊計見」と表記される筈である。 されているが、とすれば「池見」、ある ろは岸辺ではあるが周囲より水深が深 定置網の張られるフカシというとこ ンタやカーミーも入っていたという。 な 種 類 の 魚 を 捕 獲 し た。 た ま に は カ マ 置して金武湾を回遊してきたいろいろ 置 し、 約 百 五 十 M に も お よ ぶ 袖 網 を 設 3 とも表現しがたい思いにかられる。 は と も か く と し て「 味 」 よ り は「 見 」 い た め そ の よ う に 呼 ば れ た か、 ま た こ 池 味 の 夕 暮 れ 時、 湾 岸 に 佇 ん で 寄 せ 戦 前 の 池 味 の 産 業 に つ い て『 与 那 城 のほうが漢字も簡単で「伊計が見える」 こには岩があるが島と岩を海水が吹き 人 口 の 少 な い 字 で あ る。 本 島 か ら 海 中 二十二年二月末)のうるま市内で一番 る 人 口 一 一 五 人、 五 十 九 世 帯( 平 成 池 味 は、 宮 城 島 の 北 東 部 に 位 置 す 馬も農作業やサトウグルマを引く役に 家 で 数 頭 飼 い、 牛 の 飼 育 も 多 か っ た。 て 行 っ て 売 っ た。 畜 産 は 豚・ 山 羊 を 各 利用し、時には近隣の離島や国頭に持っ い も は、 主 食 や 家 畜 の 飼 料 と し て 主 に 大 部 分 は 売 り に 出 し 換 金 し た。 さ つ ま 盛 ん で あ っ た。 さ と う き び は 製 糖 し て とうきびやさつまいもの栽培や畜産が る。 宮 古 島 の 池 間 港 も 池 味 港 と 同 様 な があるところ」という意味も考えられ こ と か ら 池 味 の 意 味 は「 池 の よ う な 湾 と こ ろ も イ ケ と 表 現 し た よ う だ。 こ の ていて池のように海水が溜まっている る 池 の こ と で は な く、 古 く は 湾 に な っ イケの意味は必ずしも水の溜まってい う な こ と が 考 え ら れ る だ ろ う か。 ま ず で は、 い っ た い 池 味 の 意 味 は ど の よ 3 村立宮城小学校創立九十周年・記念誌』 という地名の意味を表す。 道路を通り、 平安座から宮城島に渡り、 使 う た め 飼 わ れ て い た。 畜 産 物 の 牛 の 形状をしている。 と とが考えられる。 は バ ふ ゆう 沖縄考』。 ば 「漁場」としている『伊波普猷全集・ ナ ※伊波普猷によれば那覇の語源は い ことで「泊の漁場」のことか。 船 の 停 泊 地、 ナ ハ は 同 じ く 漁 場 の 二、 ト ゥ ン は、 ト ム・ ト マ リ( 泊 ) で 「湾の角のところの漁場」の意味か。 ころでナハはナバで漁場のことで な 一、 ト ゥ ン は 門 で 網 を 張 る 湾 の 門 の と かど トゥハンナの意味については次のこ 抜ける意味でフカシと呼んだか。 は「 戦 前 は 農 業 が 中 心 で そ の 中 で も さ 桃 原 か ら 迂 回 す る よ う に 島 を 登 り、 ぬ す べ て と 豚・ 山 羊 の 大 部 分 は 島 外 に 売 池 味 (イチミ) ちマースの工場を過ぎて北に下ってい り、 残 り は 自 家 利 用 し、 豚 は 旧 正 月 に 池味の自然と今昔 く と や が て 池 味 に 到 達 す る。 集 落 は 池 は、 殆 ど 各 家 庭 で 一 頭 屠 殺 し た 」 と 記 と さつ 味湾を見下ろすように池味湾を見下ろ している。 池味と伊計大橋との間にある小字で トゥンナハとアムジ すように丘陵上に立地している。 池味港の後方、北側にトゥンナハビー ア ム ジ( 阿 武 地 ) と 呼 ば れ る と こ ろ が じ かつては水が豊かだった池味では米 チ が あ る。 こ こ の 海 岸 は 白 い 砂 浜 が 続 あ る。 こ こ に は「 ア ム ジ ガ マ 」 と 呼 ば む 池味は主に首里や名護方面からの移 作りも盛んだったようだが現在は殆ど き、 夏 は 海 水 浴 客 で 賑 わ い を 見 せ る。 れ る 奥 行 き 百 M ほ ど の 洞 窟 が あ り、 地 あ 住者で形成された宮城の屋取集落で が サ ト ウ キ ビ 畑 に 変 わ り、 と こ ろ ど こ ここからは金武湾の向こう側に山原の や どり あ っ た が、 そ の 後、 大 正 五 年 に 宮 城 か ろに野菜が栽培されている。 元 の 信 仰 の 場 と し て 崇 め ら れ、 戦 争 中 けいしょう 山々が競うようにその姿を見せる景勝 ま た、 こ こ は 魚 群 の 回 遊 す る 海 域 で で、 ジ は 地 で、 そ の 意 味 は「 洞 窟 の あ は洞窟を意味するアブの転訛した語 は 避 難 洞 窟 と し て 住 民 を 守 っ た。 ア ム 「トゥンナハの定置網漁法」として知ら るところ」と解される。 の地でもある。 池 味 の 地 名 に つ い て は、 以 前 か ら 疑 れ て い る。 浜 の 北 東 に フ カ シ と 呼 ば れ 池味の語源と意味 ら 分 離 し た。 集 落 の 前 方 に 池 味 漁 港 (メーンミ)がある。池味漁港は戦前戦 後にかけて周辺離島や国頭方面とを結 な っ て い た が、 海 中 道 路 や 伊 計 大 橋 な 問 に 思 っ て い る こ と が あ る。 通 説 で は る と こ ろ が あ り、 そ こ に 袋 状 に 網 を 設 ぶ天然の良港として表玄関の役割をに どの完成により現在は漁港として利用 「伊計島が見えるから池味になった」と されるようになった。 5 広報うるま 2015 3月号 24
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