自己免疫疾患領域情報 重症筋無力症のエキスパートへの道標 第7回 新しい重症筋無力症の診断基準案の ピットホールと治療方針 札幌医科大学 保健医療学部 教授 / 附属病院 神経内科 今井 富裕 先生 ―はじめに札幌医科大学附属病院 神経内科の診療状況についてお聞かせください。 今井先生: しもはま 当院の神経内科は診療科長の下濱 俊 教授を中心に外来診療が行われており、外来患者数は年間約10,000名(再診を含む延数)です。 私が受け持つ1日の外来患者数は新規の紹介患者を含めて25~35名程度です。重症筋無力症(MG)で定期診療を受けている方は神経内科全体で 年間90名位になります。紹介患者も含め、道内ではMG患者数の多い施設になると思います。 MGの診断について ―「重症筋無力症診療ガイドライン2014」では新しい診断基準案(表)が示されましたが、 改訂の背景について教えてください。 今井先生: 以前のMGの診断基準には、筋特異的受容体型チロシンキナーゼ(MuSK)抗体の記載がなく、また、アセチルコリン受容体(AChR)抗体、MuSK抗体共に 陰性の症例では、MGと診断されない症例がありました。このため、新しい診断基準案ではMG患者を見逃さず、underdiagnosis(過小診断)をなくすことを 前提に改訂案を作成しています。 大きな変更点としては、 1.自覚症状や身体所見としてあげられていた項目を症状として1つに集約 2.病原性自己抗体の項にMuSK抗体を追加 3.神経筋接合部障害の項に眼瞼の易疲労性試験やアイスパック試験、単線維筋電図での診断を追加 になります。またMGと診断する判定条件は、 (1)MG症状が1つ以上あり、かつAChR抗体あるいはMuSK抗体のいずれかが陽性である場合 (2)MG症状が1つ以上あり、かつ神経筋接合部障害の試験のいずれかが陽性で、他の疾患が鑑別できる場合 のどちらかになります。 表 重症筋無力症診断基準案2013 A.症状 (1)眼瞼下垂 (2)眼球運動障害 (3)顔面筋力低下 (4)構音障害 (5)嚥下障害 (6)咀嚼障害 (7)頸部筋力低下 (8)四肢筋力低下 (9)呼吸障害 〈補足〉上記症状は易疲労性や日内変動を呈する B.病原性自己抗体 (1)アセチルコリン受容体(AChR)抗体陽性 (2)筋特異的受容体型チロシンキナーゼ(MuSK)抗体陽性 C.神経筋接合部障害 (1)眼瞼の易疲労性試験陽性 (2)アイスパック試験陽性 (3)塩酸エドロホニウム(テンシロン)試験陽性 (4)反復刺激試験陽性 (5)単線維筋電図でジッターの増大 D.判定 以下のいずれかの場合、重症筋無力症と診断する。 (1)Aの1つ以上があり、かつBのいずれかが認められる。 (2)Aの1つ以上があり、かつCのいずれかが認められ、他の疾患が鑑別できる。 重症筋無力症診療ガイドライン作成委員会編集:重症筋無力症診療ガイドライン2014(日本神経学会監修), p.11, 2014, 南江堂 より許諾を得て転載 . ―新しく追加された診断法ですが、まず易疲労性試験、アイスパック試験について教えていただけますでしょうか? 今井先生: 易疲労性試験は、患者に上方視を最大約1分程度続けさせ、眼瞼下垂が出現または増悪すれば陽性と判断します。アイスパック試験は、冷凍したア イスパックをガーゼなどに包み、3~5分間上眼瞼に押し当てることにより、眼瞼下垂が改善すれば陽性と判定する試験です。易疲労性試験の感度は 80%、特異度は63%、アイスパック試験の感度は80~92%、特異度は25~100%と、いずれも感度は高めですが特異度にばらつきがあり、これらの試 験だけではMGを誤診する可能性があります。 ―次に単線維筋電図での診断について教えてください。 今井先生: 測定部位やMGの病型で多少異なりますが、単線維筋電図のジッターの増大の感度はおおむね95%以上で、反復刺激試験では捉えることが難しい神 経筋接合部の異常を捉えることができ、シナプスの伝達効率が低下していることを検出できる最も鋭敏な検査といえます。極めて高感度な単線維筋電 図ですが、技術の習得が難しく、個々の検査医師の技量が結果にも影響してしまうことが難点です。そのためMG専門医であっても経験のある医師が 少なく、限られた施設でのみ行われているのが現状です。 ―MGを実際に診断する際の注意ポイントを教えてください。 今井先生: 新しい診断基準案を用いてMGの診断を行う際、神経筋接合部障害を検出する検査所見のうち、単線維筋電図以外は感度が必ずしも高いとはいえず、 20~30%程度の患者はMGと判定できません。単線維筋電図のジッターの増大は極めて高感度ですが、感度が良過ぎるがゆえに、特異度には問題が あり、MG以外の他の疾患の初期症状をMGと捉えてしまう可能性があります。病原性自己抗体が陽性であれば問題はありませんが、陰性の場合、他 の疾患の鑑別が極めて重要になります。そのため、診断基準案では「他の疾患が鑑別できる」という条件を付けた上で、MGと判定するよう記載してい ます。免疫グロブリン静注療法(IVIg)や血液浄化療法などの免疫治療が無効な場合は、MGではない可能性が高く、診断自体を見直す必要があります。 MGの治療方針について ―MG治療でステロイドは標準的な治療法として広く用いられてきました。 ステロイド治療の歴史について簡単に教えてください。 今井先生: 1672年にMGが初めて報告されたのですが、当時は死亡率の高い難病といった認識であり、1960年代から始まったステロイド治療によって、重症例、 死亡例は減少し、生命予後が改善しました1)。PascuzziらはMG患者116例を対象に、高用量経口ステロイド治療(60~80mg/日)を行い、症状改善後に 減量を行った患者のうち、初期増悪を認めた患者が48%、著明な改善までの期間は1.5週~18ヵ月、最大の改善までの期間は2週~6年と報告して います2)。つまり、高用量経口ステロイド治療では症状は改善するものの、治療に年月を要し、初期増悪を高率に認めるということになります。 その後、漸増漸減法による高用量経口ステロイド治療が普及し、初期増悪や症状の再増悪は減少しました。ただ効果の発現が遅く、ステロイド抵抗例 や離脱困難例では抑うつや満月様顔貌など患者のQOLを低下させる副作用が問題となり、ステロイドの投与量については検討課題となっていました3)-5)。 1) Grob D et al.: Muscle Nerve 37(2) : 141-149, 2008 2) Pascuzzi RM et al.: Ann Neurol 15(3) : 291-298, 1984 3) Suzuki Y et al.: BMJ Open 2011. 1(2): e000313. doi: 10.1136/bmjopen-2011-000313, 2011 4) Masuda M et al.: Muscle Nerve 46(2) : 166-173, 2012 5) Utsugisawa K et al.: Muscle Nerve 50(4) : 493-500, 2014 ―「重症筋無力症診療ガイドライン2014」では成人発症MGの治療到達目標として「経口プレドニゾロン(PSL)5mg/日以下で minimal manifestations(MM;軽微症状)レベル」を早期に達成することを掲げています。 現在、MGの治療方針はどのような考え方に変わってきているのでしょうか? 今井先生: ステロイド量を治療到達目標としてPSL5mg/日以下に維持するためには、以前のように高用量経口ステロイド治療では目標とする用量まで漸減するの に期間を要しますし、時間をかけても目標とする用量まで減量できない例もあります。そのため、開始時から少量の経口ステロイドで治療する方法とし て、早期からのカルシニューリン阻害薬の積極的な併用や、速効性のある、IVIg、血液浄化療法、ステロイドパルス療法を組み合わせた治療方法が提 案されています(図)。 図 これまでの治療と今後の治療方法 ―先生ご自身のMGの治療方針を教えていただけますか。 今井先生: 我々の多施設共同研究6)で、患者背景の異なるMG患者472例を対象に、現在PSL5mg/日以下でMMを維持できている患者群(MM達成群)の治療法を レトロスペクティブに検討した結果、独立した因子は、 (1) PSL最高用量時にMMを達成できた患者群(odds ratio 12.25; p<0.0001) (2) PSL投与時にIVIgまたは血液浄化療法を併用した患者群(1.92; p=0.04) (3)治療期間の総PSL量が少ない患者群(0.17; p=0.03) の3つでした(多変量ロジスティック回帰モデル)。またMM達成群では、PSL10mg/日以上を服用している期間がMM未達群と比べ有意に短いことが示さ れました(Mann-Whitney U test 及びPearson chi-square test, p=0.01)。 各群の患者背景を比較すると、MM達成群、MM未達群のPSL最高用量はいずれも30mg/日前後で、ステロイドの効果と投与量及び投与期間との間に 相関は認められませんでした(多変量ロジスティック回帰モデル)。これらの結果から、ステロイド治療の効果は個々の患者のステロイド感受性によると 推測され、ステロイド抵抗例に対しては漫然とステロイドを増量するのではなく、早期に減量し他の治療法に変更する必要があると考えられました。 最近、Sandersらは経口ステロイドを漸増ではなく高用量(50~60mg/日)で開始し、球症状がある場合は、ステロイド開始以前または同時に血液浄化療 法を行うプロトコールを行った結果、効果の発現が早く速やかにステロイドを減量できるが、初期増悪を約30%に認めたとの報告を行っています7)。前 述のPascuzziら2)の高用量経口ステロイド治療とは異なる治療法であり、ステロイド治療の有効性や副作用については今後さらなる検証が待たれるとこ ろです。 6) Imai T et al.: Muscle Nerve: doi: 10.1002/mus.24438, 2015(in press) 7) Sanders DB, Evoli A : Autoimmunity 43(5-6) : 428-435, 2010 IVIg治療の実際 ―札幌医科大学附属病院での実際のMG治療についてお聞かせください。 今井先生: 我々は、ガイドラインで推奨されている治療法(図)をベースに治療を行っております。ただ、「少量の経口ステロイド療法」という表現については、解釈の 難しいところで個々の施設や患者において幅があるかと思います。患者の重症度にもよりますが、当科では経験上、PSL10mg/日未満を少量と考えて おります。早期からカルシニューリン阻害薬を併用し、PSL10〜20mg/日を投与しても反応がない場合は、PSLの増量ではなく、IVIg、血液浄化療法ある いはステロイドパルス療法を併用し、ステロイドの最高用量時にMMを達成するように治療を行っています。 多施設共同研究でも示された通り、IVIgなどを併用しながら、経口ステロイド量をなるべく少量に抑え、早期にMMを達成できる治療戦略を立てることが 治療ポイントなのではないかと思います。 ―IVIgの適する患者像について教えていただけますでしょうか? 今井先生: 当科において、2003年1月~2011年12月の間、IVIgあるいは血液浄化療法を行った患者の背景因子をレトロスペクティブに比較検討した結果、 (1)性差 (2)自己抗体 (3)有効性及び有害事象の発現率 に差は認められませんでした。 各治療法が選択される傾向を検証した結果、血液浄化療法は、 (1)重症の持続 (2)クリーゼ の場合が多く、一方IVIg療法では、 (1)高齢者 (2)特発性血小板減少性紫斑病(ITP)などIVIgが有効な基礎疾患を有する患者 (3)糖尿病が悪化しているなど、ステロイドを増量しにくい背景を有する患者 (4)胸腺摘除術前投与 (5)定期的にIVIgを投与している患者 で選択される傾向が高くなりました。 術前IVIg投与の有効性については既に海外でも報告8)-10)されていますが、実際に当科で術前にIVIgを投与した症例では術後経過はいずれも良好でした。 8) Juel VC : Semin Neurol 24(1) : 75-81, 2004 9) Kernstine KH : Thorac Surg Clin 15(2) : 287-295, 2005 10) Jensen P, Bril V : J Clin Neuromuscul Dis 9(3) : 352-355, 2008 ―最後に先生のMG診療全般に関するお考えをお聞かせください。 今井先生: 新しい診断基準案を用いてMGと診断し、免疫治療を行い治療に反応しなかった場合には、MG以外の疾患を疑い、 診断を見直してみることが重要です。 また、治療到達目標として「PSL5mg/日以下でMMレベル」とガイドラインに明示されていますが、それを達成するた めには初期治療が非常に重要で、初期治療はその後の治療反応性に大きな影響を及ぼします。 我々の多施設共同研究の結果からも、経口ステロイドは必ずしも用量依存性に症状を改善する治療ではないこと が示されました。これからのMG治療は、効果発現の速いIVIg、血液浄化療法、ステロイドパルス療法などを併用し、 少量の経口ステロイド量で早期にMMを達成できるような治療法を選択していただきたいと思います。
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