No.1699 2015.3.8

て疑
、の
予場
算で
枠新
が年
1度
億予
2算
千の
万前
円倒
とし
拡と
大し
写真と記事は直接関係ありません。
う
。
ま
た
、
上
越
地
域
に
お
い
て
は
病
在
宅
医
療
を
担
っ
て
い
る
こ
と
だ
と
思
進供
展を
に柱
伴と
いし
、な
需が
要ら
が、
高超
ま高
っ齢
て社
い会
るの
の
提
供
と
回
復
期
、
慢
性
期
医
療
の
提
り
つ
け
病
院
と
し
て
の
質
の
高
い
医
療
の
病
院
の
果
た
す
べ
き
役
割
は
、
か
か
取
り
組
ん
で
き
て
い
る
」
「
今
後
、
こ
等訪
、問
在看
宅護
医事
療業
の、
充訪
実問
にリ
もハ
積ビ
極リ
的事
に業
足
し
て
い
る
医
療
の
取
組
と
合
わ
せ
、
緩
和
医
療
の
提
供
な
ど
上
越
地
域
に
不
る
回
復
期
や
終
末
期
に
あ
る
患
者
へ
の
ビ
リ
を
必
要
と
す
る
患
者
を
受
け
入
れ
か
か
わ
っ
て
き
た
監
査
請
求
で
非
公
開
会
は
公
開
が
原
則
だ
。
私
が
こ
れ
ま
で
住
の請
斎求
藤者
裕の
弁代
護理
士人
はで
、あ
「る
こ新
う潟
い市
う在
聴
に
お
い
で
に
な
り
ま
し
た
。
し
、
こ
の
こ
と
を
知
ら
な
い
市
民
が
傍
開
に
方
針
変
更
を
し
ま
し
た
。
し
か
2
日
ほ
ど
前
に
当
初
の
公
開
か
ら
非
公
可
能監
性査
が委
あ員
る側
こは
と会
な社
ど名
をな
理ど
由が
に出
、る
述監
の査
場請
が求
設に
け伴
ら
れい
ま、
し2
た月
。 28
日
、
陳
に
お
け
る
談
合
疑
惑
に
か
か
わ
る
住
民
上
越
市
ガ
ス
水
道
局
の
本
支
管
工
事
監査委員側をきびしく追及する齋藤弁護士
日
本
共
産
党
議
員
団
で
は
、
総
括
質
病わ
院れ
かた
ら市
脳長
卒は
中、
や「
骨同
折病
な院
どは
で急
リ性
ハ期
象%
)(
を消
補費
助税
し込
まみ
す
。 20
万
円
以
上
が
対
民
病
院
と
し
て
の
あ
る
べ
き
姿
」
を
問
は
1
2
0
0
件
。
対
象
工
事
費
の
20
5
月
18
日
(
月
)
ま
で
。
予
定
件
数
れ
受ま
付す
期。
間
は
4
月
20
日
(
月
)
~
しよ後
総たりの上
括。も問越
一題地
質
歩で域
疑
踏村医
で
、
み山療
近
込市セ
藤
ん長ン
だはタ
議
発、ー
員
言こ病
か
をれ院
ら
「
しまの
市
まで今
請
ガ求
ス人
水の
道陳
局述
談は
合 14
疑日
惑に
い
く
」
と
答
え
ま
し
た
。
病こ
院と
のか
経ら
営、
状 27
況
の年
分度
析に
調お
査い
をて
しは
て、
で 14
行日
う(
こ土
と)
と午
な
前
り
ま9
し時
たか
。ら
市
役
所
マ
ス
コ
ミ
な
ど
へ
の
周
知
の
関
係
も
あ
行
う
こ
と
で
一
致
し
ま
し
た
。
市
民
や
り
、
こ
の
日
は
陳
述
が
行
わ
れ
ず
、
後
の
病
院
経
営
に
も
大
き
く
影
響
す
る
ど
の
課
題
の
整
理
が
必
要
で
あ
り
、
今
る質
が問
、の
具中
体で
名具
が体
出名
るを
ま出
です
はこ
公と
開に
でな
で
陳
述
を
行
う
、
監
査
委
員
側
か
ら
の
起
・
生
活
支
援
型
)
を
活
用
し
て
行
わ
め域
ざ経
し済
まの
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。性
今化
回と
の住
事環
業境
にの
つ改
い善
てを
フ
ォ
ー
ム
工
事
を
対
象
に
補
助
し
、
地
の
1
億
2
1
8
6
万
円
で
す
。
住
宅
リ
今
回
の
事
業
費
は
こ
れ
ま
で
で
最
大
はセ
経ン
営タ
状ー
況
分病
析院
、
新
年
度
ひい
再る
検切
討実
しな
て願
ほい
しに
い応
もえ
のた
でも
すの
。、
ぜ
が
、
質
疑
は
関
係
者
か
ら
寄
せ
ら
れ
て
適
当
と
判
断
し
た
」
と
答
え
ま
し
た
際
、
病
院
の
収
支
計
画
や
財
源
確
保
な
室
を
設
置
し
、
体
制
を
拡
充
し
く
り
推
進
課
内
に
地
域
医
療
推
進
協
議
の
結
果
、
会
社
名
を
出
さ
な
い
活
等
緊
急
支
援
交
付
金
(
地
域
消
費
喚
は
、
国
の
地
域
活
性
化
・
地
域
住
民
生
い
て
検
討
す
る
必
要
が
あ
る
。
そ
の
の
改
築
も
含
め
た
今
後
の
あ
り
方
に
つ
老た
朽」
化「
し同
て病
い院
るの
こ建
と物
もや
あ設
り備
、は
施
設
き
だ
」
と
激
し
く
迫
り
ま
し
た
。
公
開
に
す
る
の
か
。
傍
聴
を
認
め
る
べ
と
い
う
ケ
ー
ス
は
初
め
て
だ
。
な
ぜ
非
明
ら
か
に
し
ま
し
た
。
事予補
業定正
をし予
前て算
倒いの
した説
し住明
て宅で
取リ平
りフ成
組ォ
む ー 27
こム年
と促度
を進に
上
越
市
は
平
成
26
年
度
一
般
会
計
た
。
市
長
は
、
「
現
状
の
制
度
設
計
が
る
べ
き
で
は
な
か
っ
た
か
と
問
い
ま
し
しに
ては
、、
補検
助討
率す
、べ
補き
助要
上素
限も
額あ
をる
上」
げと
も
に
、
「
よ
り
効
果
的
に
活
用
さ
れ
る
さ
れ
た
こ
と
に
つ
い
て
評
価
す
る
と
と
推
進
に
向
け
、
新
年
度
、
健
康
づ
る
こ
と
か
ら
、
こ
れ
ら
の
取
組
の
携充
の実
必に
要向
性け
がた
高介
ま護
っ福
て祉
きと
ての
い連
携
の
一
層
の
推
進
や
在
宅
医
療
の
院
や
診
療
所
な
ど
の
地
域
医
療
連
【朝市にマンサク、ネコヤナギ】3月
に入り、いよいよ春らしくなってき
ました。朝市ではマンサクやネコヤ
ナギも出始めています。写真は三八
市で撮りました。
No.1699 2015.3.8
発行・編集 日本共産党上越市議 橋爪のりかず
℡ 025-548-3628 吉川有線 4867
通じないときは 090-5392-1961
E-mail [email protected]
URL http://www.hose1.jp/
ブログ
「ホーセの見
てある記」は
← こちら
橋爪法一
検 索
上頭
増、
田上
のが
Mら
さん
んか
もっ
いた
たが
しど
、…
助…
か。
っ一
た時
」は
とど
言う
っな
てる
微か
笑と
み思
まっ
した
たけ
。ど
、
運
よ
く
看
護
師
や
っ
て
い
る
よてせ
さ
らば
告ろいん告れ「
新ち
別したで別、え聞ゃ
式くおし式そっ配ん
かおばたがのと達が
ら願あ。終た」をい
四いち今わびとして
日しゃ度っにいてく
後まんはて参う頑れ
、すで次、列言張て
Y」し男喪者葉っホ
さとたの主のがてッ
ん、のTの心出いと
宅しでさ挨をるたし
をっ、ん拶打たねた
訪か少がのちび…も
ねりし父とまに…の
るし早親きし、」で
とたかのがたハ
す
、口っ代や。ル
。
イ
Y調たわっ
え
さ
さでのりて
っ
ん
んのでをき
と
に
はべす務ま
、
関
起まがめし
そ
す
きし…また
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る
たた…し。
か
い
ら
ば。。たや
く
こ。は
、
か
つ
れ「り
お
り
か
か百、
ば
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の
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あ
し
エ
もまさ
ち
た
ピ
。
残でん
ゃ
ソ
「
さ生の
ん
ー
さ
れき姿
は
ド
っ
たるは
朝
が
き
家とあ
早
紹
ま
族言り
く
で
をっま
か
介
ら
ので
かが
「で
、
「
ま
で
し
正
、
学原でずすた直ら
でメ
校稿はは。。言すモ
かも、弔
喪っ。が
らなK辞
主て
見
家しさを
が、
つ
ににんの
い告
か
帰いかべ
な別
っ
っきらた
い式
た
たな弔三
なが
こ
とり辞男
かそ
と
き、をの
、の
は
、「」K
Y後
す
おおとさ
さど
ぐ
父ば言ん
んう
に
さあわ。
のな
わ
んちれ長
息る
か
もゃ、野
子か
り
おんハ県
さ心
ま
母」ルの
ん配
し
さとイ養
たし
た
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ちた
。
もをん酒
S
がの
仕出の製
子
見で
事し遺造
さ
事す
では影で
ん
にが
留じの働
や、
の
守め前い
ホ
るそ
でたにて
ッ
べれ
しの出い
と
きは
たでてま
し
こま
。すいす
た
とっ
そ。き。
様
をた
ん
子
やく
ま進
な
が
し行
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顔
と
て計
た役
に
くな
。の
き
出
そ人
れこ
、
た
たと
お
こか
かた
手知一直
メ
な。おをっ緒感一モ
り喪連借たにし瞬ら
時主れりのなま、し
間に合てでっし何き
が代い別すたたがも
かわの室がと。起の
かっSへ、きじきを
りて子行喪につて見
ま挨さき主もはいて
し拶ん、の、、る、
たすと横Y体昨の話
。る息にさ調年かを
遠に子なんをだわし
くしのっは崩っかて
でてTてふしたらい
見もさいら、かなた
て、んたふ動、かの
い挨がとらけ一っで
た拶話いしな昨たす
だのをうてく年の。
けメしこ座なだで
でモてとっっっす
、がいでてたたが
交必たしいこか、
わ要のたらと、Y
すでは。れが代さ
言す喪
なあ石ん
葉。主
くっのの
はその
なた池体
聞の挨
りかや調
こメ拶
、ら農に
えモを
式で道異
てがど
場す等変
こ見う
の。のが
なつす
係後草起
いかる
りで刈き
のるか
の聞作た
でまで
人い業な
すでし
のてでと
人が参加、にぎやかな会となりまし
た。
オープニングでは、新潟明吟会吉
川支部のみなさんが詩吟を、吉川あ
ゆみ会のみなさんが花舞などの踊り
を披露、大きな拍手を浴びまし
上越地域各消防署における
た。
空間放射線量測定結果
小池杜氏がますます腕に磨き
測 定 は 毎 日 午 前 9 時。数 値 は マ イ ク ロ をかけ、おいしい酒をつくって
シーベルト。1時間当たりの測定量です。
くれました。新酒は昨年10月に
消防署によると、通常は1時間当たり
仕込んだものだそうです。すっ
0.016~0.16μSv(マイクロシーベルト)だ
きり、さっぱりした味に出来上
とのことです。
がったと言います。郷土料理、
2月25日(水) 3月4日(水)
コンニャクなどおいしいものが
上越南消防署
0.036
0.046 いくつも並びましたが、私は、
上越北消防署
0.057
0.040 フキノトウの料理が一番気に入
新井消防署
0.050
0.050 りました。
会では、久しぶりに再会した
頸北消防署
0.057
0.060
人が何人もいて、「もうすぐだ
頸南消防署
0.047
0.050
ね。がんばってくんない」と激
東頸消防署
0.040
0.040 励されました。私のブログやレ
高士分遣所
0.040
0.040 ポートを読んでいてくださる方
名立分遣所
0.060
0.053 が何人かいて、「楽しみにして
びとう
は時
しイ
っなつハ霊半二、さ
くっらプ峰か月喪ん
りたうニ米らの主の
し段つン山と下の葬
ま階らグのな旬席儀
しでしが雄りでをの
た気て起姿まし離時
。づいきがしたれも
そきたた見た。てそ
しまののえ。こ別う
てしではま天の室で
、たす告し気日でし
隣。が別たはは安た
に見、式。晴市静。
座る喪が
れ内に喪
っと主始
、でせ主
告葬ざを
て、とま
い喪そっ
別儀る務
式がをめ
た主のて
がい得て
おで家ま
族も
行くない
連
わつくた
れあがな
れもなY
合る座く
たあっさ
いYっで
虹りたん
のさてし
の、のが
Sんいた
ホハで告
子のた。
ールす別
さ姿場私
ルイ。式
んは所は
おさ
とあでこ
の
おん
息りざの
途
がの
子まわ日
中
た告
、
させざも
の別
急
んんわ寝
駐式
に
の。し不
車は
体
Tこた足
場午
され雰の
調
か後
を
んに囲た
ら一
崩
がは気め
ど
ん
な
と
こ
ろ
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も
思
い
が
け
な
い
こ
と
が
起
き
る
こ
と
が
あ
り
ま
す
。
Y
さ
ん
の
母
親
で
あ
る
ハ
ル
第
三
四
七
回
ハ
プ
ニ
ン
グ
先月の28日、私の母校であったス
カイトピア遊ランドで8回目の「新
酒と郷土料理を楽しむ会」がありま
し た。新 酒 は「よ し か わ 杜 氏 の 郷
㈱」の酒です。体育館いっぱいの140
いる。今度は何を書くのか」「茨城
県阿見町の親戚のものがブログをよ
く読んでいて、おれ以上に吉川のこ
とが詳しい」などと声をかけていた
だきました。うれしかったですね。
いで
る頭
上、
増上
田が
のら
Mん
さか
んっ
もた
いが
たど
し…
、…
助。
か一
っ時
たは
」ど
とう
言な
っる
てか
微と
笑思
みっ
また
しけ
たど
。、
運
よ
く
看
護
師
や
っ
て
家言ま
介「くお
告族っせ告さえかば
別をてん別れっらち
新ゃ
式よいで式、
かろたしがそと聞ん
配
らしおた終の」
と達が
四くば。わた
い
日おあ今っびいをて
後願ち度てにうしく
、いゃは、参言てれ
Yしん次喪列葉頑て
さまで男主者が張ホ
んすしののの出っッ
宅」たT挨心るてと
をとのさ拶をたいし
訪、でんの打びたた
ねし、がとちにねも
るっ少父きま、…の
とかし親がしハ…で
、り早のやたル」す
Yしか代っ。イ
。
さ
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ま
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「そ
こ
た
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ま
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正
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「ずのし直出す
校、ではで
た言たが
か原は弔す。っか、
ら稿、辞。喪てらメ
家もKを
主、でモ
になさの
が告すが
帰しんべ
い別。見
っにかた
な式
つ
たいら三
いが
か
とき弔男
なそ
っ
きな辞の
かの
た
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、後
こ
お、」さ
Yど
と
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さう
は
さお言。
んな
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のる
ぐ
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息か
に
おち、県
子心
わ
母ゃハの
さ配
か
さんル養
んし
り
ん」イ命
たた
ま
もとさ酒
ちの
し
仕声ん製
がで
た
事をの造
見す
。
で出遺で
事が
S
留し影働
に、
子
守はのい
やそ
さ
でじ前て
るれ
ん
しめにい
べは
の
たた出ま
きま
ホ
。のてす
こっ
ッ
そでい。
とた
と
んすき進
をく
し
な。ま行
や余
た
と
し役
っ計
様
き
たの
てな
子
、
。人
くこ
が
まし
り聞業と
さ
でたおのいで直一ん
か。連人て一感瞬が
な喪れの知緒し、メ
り主合手っにま何モ
時にいをたなしがら
間代の借のった起し
がわSりでた。きき
かっ子てすとじても
かてさ別がきついの
り挨ん室、にはるを
ま拶とへ喪も、の見
しす息行主、昨かて
たる子きの体年わ、
。にの、Y調だか話
遠しT横さをっらを
くてさにん崩たなし
でもんなはしかかて
見、がっふ、、っい
て挨話てら動一たた
い拶をいふけ昨のの
たのしたらな年でで
だメてとしくだすす
けモいいてなっが。
でがたう座った、
、必のこったかY
交要はとてこ、さ
わで喪でいと代ん
すす主しらが石の
言。のたれあの体
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に基づく特別委員会を設置したらど
またしても100条委員会設 うかという提案は4日の各派代表者会
議で話し合われましたが、反対が多
置ならず
残念です。前回の各派代表者会議 く、実りませんでした。日本共産党
で市民クラブから出されていたガス 議員団と無所属の石平議員だけが賛
水道局所管の本支管工事における談 成、新政、創風、みらい、公明など
合疑惑解明のために地方自治法100条 は反対でした。
反対した会派からは、「100条調査
にそぐわない」「公取委は通知
上越地域各消防署における
から4年経ってから動いたことが
空間放射線量測定結果 ある。待つべきだ」「設置して
測 定 は 毎 日 午 前 9 時。数 値 は マ イ ク ロ も 有 効 に 機 能 す る か 不 安 だ」
シーベルト。1時間当たりの測定量です。
「はじめから疑惑ありきではい
消防署によると、通常は1時間当たり
0.016~0.16μSv(マイクロシーベルト)だ けない。100条委設置はアクセル
の踏み過ぎだ」などという声が
とのことです。
上がりました。ちょっとひどす
2月25日(水) 3月4日(水)
ぎますね。なお、日本共産党議
上越南消防署
0.036
0.046
員団は談合疑惑で私が一般質問
上越北消防署
0.057
0.040 してからまもなく、100条委設置
新井消防署
0.050
0.050 を議長に申し入れていました。
頸北消防署
0.057
0.060
頸南消防署
0.047
0.050
東頸消防署
0.040
0.040
高士分遣所
0.040
0.040
名立分遣所
0.060
0.053
新酒を楽しむ会に140人
先月の28日、私の母校であっ
たスカイトピア遊ランドで8回目
の「新 酒 と 郷 土 料 理 を 楽 し む
会」がありました。新酒は「よ
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三
四
七
回
ハ
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ニ
ン
グ
しかわ杜氏の郷㈱」の酒です。体育
館いっぱいの140人が参加、にぎやか
な会となりました。
オープニングでは、新潟明吟会吉
川支部のみなさんが詩吟を、吉川あ
ゆみ会のみなさんが花舞などの踊り
を披露、大きな拍手を浴びました。
小池杜氏がますます腕に磨きをか
け、おいしい酒をつくってくれまし
た。新酒は昨年10月に仕込んだもの
だそうです。すっきり、さっぱりし
た味に出来上がったと言います。郷
土料理、コンニャクなどおいしいも
のがいくつも並びましたが、私は、
フキノトウの料理が一番気に入りま
した。何人もの懐かしい人と再会し
ました。