口蓋アンカレッジを応用した 歯の近心移動による上顎空隙閉鎖 Modern

Modern
Orthodontics
BENEFIT SYSTEMによる臨床—4
口蓋アンカレッジを応用した
歯の近心移動による上顎空隙閉鎖
山口修二1)、Benedict Wilmes1)、安香譲治2)、Manuel Nienkemper1)、Dieter Drescher1)
(デュッセルドルフ大学矯正歯科1)/ドイツ、せきど矯正歯科2))
美的に十分な満足が得られないこともある。さら
1. はじめに
に考慮すべき問題として、近年広く臨床応用され
るようになったデンタルインプラントの長期的な
上顎歯列において永久歯萌出後にう蝕、歯周疾
予後が挙げられる1、2)。デンタルインプラント周囲
患や外傷などの理由により抜歯を余儀なくされる
組織の破壊やそれに伴う審美的な障害が生じた場
ケースは日常の矯正歯科臨床でよく遭遇する。ま
合は、軟組織・骨の造成やインプラント体の撤去
た、上顎側切歯や第二小臼歯の先天性欠損や歯列
が必要となることもある。
内への移動が困難であると考えられるような著し
一方、矯正的なアプローチによる空隙閉鎖は、
い転位歯や埋伏歯も比較的よくみられる。このよ
矯正治療単独で成長期に治療を完結することがで
うなケースでは、審美と機能の両面を考慮し、欠
き、歯や歯周組織の長期的な安定が得られるなど
損部に対する適切な治療方針を長期的な視点で立
のメリットをもつ3)。上顎側切歯の先天性欠損部の
案することが必要である。
空隙を閉鎖した症例と欠損部に補綴処置を行った
本稿では、Benefit-System(PSM Medical Solution,
Tuttlingen, Germany)を応用した歯の近心移動によ
る上顎歯列欠損部の空隙閉鎖について報告する。
症例とを比較した結果、両者の間に審美的、機能
的に大差はみられなかったという報告もある4、5)。
また、上顎側切歯の先天性欠損の空隙閉鎖を行
う症例では、空隙閉鎖後に犬歯と小臼歯の形態や
2. 欠損部の治療オプション
歯軸の修正、咬合調整、場合によってはコンポジ
ットレジンやポーセレンラミネートベニア等の審
欠損部の治療における選択肢のひとつとして、
美修復で、審美と機能の向上が期待できる6)。さら
将来的に予定されているブリッジやデンタルイン
に上顎埋伏智歯が存在するケースでは、上顎歯列
プラント等による補綴処置のための欠損部の維持
の空隙を閉鎖することで埋伏智歯を歯列内に移動、
や拡大が考えられる。しかし、補綴治療は健全な
整列させ、智歯を有効利用することも可能である。
隣在歯の切削や支台歯への負担荷重、補綴物辺縁
部の清掃性の問題、歯肉退縮時の審美的障害など
3. 歯の近心移動による上顎空隙閉鎖
のデメリットを有する。また、上顎前歯部におい
て欠損部周囲組織の状態が好ましくない場合、審
矯正治療による上顎歯列の空隙閉鎖において、ア
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ンカレッジは最も重要な因子である。特に側方歯
の近心移動による前歯部の空隙閉鎖、正中の偏位
を伴う非対称性の空隙の閉鎖や、大臼歯の片側お
よび両側の近心移動による空隙閉鎖などを行うケ
ースでは最大固定が必要となる。顎外のアンカレ
ッジとしてフェイシャルマスクを使用し、上顎歯
列に対して矯正力を前方に作用させることができ
るが、両側に矯正力が適用されるため、非対称性
の空隙が存在するケースにおいては応用が難しい。
さらに、フェイシャルマスクは審美的な問題、取
り扱いの煩雑さや装着時の不快感などの理由から、
患者のコンプライアンスの問題が出ることがある。
図1 T-Bow
Beneplateに溶接されている0.8mmのステンレススチ
ールワイヤーを口腔内形態にあわせて屈曲して作製さ
れる。
また、口腔内のアンカレッジとして顎間ゴムを使
用することができるが、下顎前歯の舌側傾斜や下
して適していると考えられる13〜15)。
顎の後方移動が生じる可能性がある。ゆえに、ア
ンカレッジは上顎内に存在し、患者のコンプライ
4. T-Bow
アンスに依存しない装置が望ましい。
これまで患者のコンプライアンスに依存しない
上顎側切歯の先天性欠損などで側方歯の近心移
矯正用インプラントや、矯正用ミニプレートをは
動による空隙閉鎖を行うケースで、上顎中切歯が
じめとするさまざまなスケレタルアンカレッジシ
適切な位置にあり、かつ適切なトルクやアンギュ
。特に矯正
レーションを持つ場合には、口蓋部のアンカース
用アンカースクリューは埋入時や除去時の外科的
クリューを中切歯とワイヤーで連結固定すること
侵襲が少なく、埋入直後から固定源として使用で
によりインダイレクトアンカレッジテクニックを
きる、低コストである等の理由から近年注目され
利用することができる。
ステムが開発、臨床応用されてきた
7〜9)
。側方歯の近心移動により上
Benefit-SystemのT-Bowを使用することで前歯部
顎歯列の空隙閉鎖を行うケースでは、アンカース
のインダイレクトアンカレッジを確実、シンプル
クリューの埋入部位として上顎歯槽骨の歯根間部
に行うことができる16〜18)。T-Bowは、0.8mmのステ
は好ましくないこともある。アンカースクリュー
ンレススチールワイヤーがレーザー溶接されてい
埋入時に近接する歯根へ損傷を与えるリスクはも
るBeneplateから作製される(図1)。口蓋前方部に埋
とより、歯の近心移動時にアンカースクリュー自
入された2本のBenefit mini-implant頭部に印象用キャ
体が歯の移動を阻害する可能性がある。一方、口
ップを取り付け、印象採得を行う。印象内に残っ
蓋前方部はそのようなリスクがほとんどなく、よ
た印象用キャップに技工用アナログを挿入し、石
り良好な骨質と付着歯肉をもつため、埋入部位と
膏を流し作業模型を作製する。作業模型上で対合
るようになった
10〜12)
60—矯正臨床ジャーナル 8月号
口蓋アンカレッジを応用した歯の近心移動による上顎空隙閉鎖
A
B
図2 A:空隙閉鎖前 B:空隙閉鎖後
T-Bowで前歯部のインダイレクトアンカレッジ確立後、マルチブラケット装置とエラスティックチェーンを使用して後方
歯を近心移動させ空隙閉鎖を行うことができる。
A
B
図3 Mesialslider装置
A:口腔内に装着した状態 B:Mesialslider装置のシェーマ
歯の咬合干渉が生じないように、ワイヤー部を上
コイルスプリングを矯正力とするスライディング
顎前歯の口蓋側歯頚部歯面に適合するようにT状に
メカニクスを応用した、側方歯の近心移動による
屈曲する。完成したT-Bowは、口腔内で2本のアン
空隙閉鎖を行うことができる(図2)。
カースクリュー頭部にBeneplate部を固定用スクリ
ューで連結し、前方のT状のワイヤー部を歯面にコ
5. Mesialslider装置
ンポジットレジンで接着固定する。
T-Bowによる前歯部の確実なインダイレクトアン
Benefit-SystemのMesialslider装置は、上顎大臼歯
カレッジとマルチブラケット装置を使用すること
の近心移動装置である(図3)16〜18)。基本的なデザ
により、エラスティックチェーンやクロージング
インは上顎大臼歯の遠心移動装置であるBeneslider
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図4 Mesialslider装置の側方面観のシェーマ
ガイド用ワイヤーを上顎大臼歯の抵抗中心とほぼ同じ
高さに設定することにより、近心方向への歯体移動が
可能となる。
図5 Mesialslider装置の活性化エレメント
移動させる歯の抵抗中心の高さに通るように設定
することで、歯体移動を効果的に行うことができ
る(図4)。活性化エレメントは、可動性調整用ロッ
ク、Benetubeとニッケルチタンコイルスプリングか
ら構成される(図5)。調整用ロックとBenetubeはガ
イド用ワイヤーに通して取り付けられ、大臼歯用
バンドの口蓋側に溶接されたシース内にBenetubeの
フックが遠心側から挿入される。
クロージングコイルスプリングの両端は、リガ
図6 T-BowとMesialslider装置のコンビネーションにより、
上顎中切歯の位置や歯軸の変化を生じることなく効率
よく空隙を閉鎖することができる。
チャーワイヤーを使用して調整用ロックとBenetube
に掛ける。装置を活性化するために調整用ロック
を近心方向にスライドさせ、活性化スクリュード
装置と似ている
。口蓋前方部に埋入された2本
ライバーを使用して調整用ロック内に組み込まれ
のBenefit mini-implantの頭部にMesialslider装置の一
たスクリューを締めて固定する。通常、4〜6週間
部となるアバットメントであるBeneplateを連結固
ごとに活性化を行う。Mesialsider装置はBenefit-
定することにより、上顎の歯の近心移動に必要な
Systemの他の装置同様に印象用キャップや技工用ア
安定したダイレクトアンカレッジを応用すること
ナログを利用して、ラボで精確に作製することが
ができる。
可能である。
19〜21)
Beneplateに溶接されている1.1mmのステンレスス
上顎歯列内に片側性の欠損部がある症例では、
チールワイヤーは後方へ屈曲し、歯の近心移動の
活性化エレメントが欠損側のみにあるMesialsider装
ためのガイドになる。また、ガイド用ワイヤーを
置を使用することができる。また、上顎両側切歯
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口蓋アンカレッジを応用した歯の近心移動による上顎空隙閉鎖
A
B
E
C
D
図7 A:上顎正中の著しい右側偏位がみられる。
B:パノラマレントゲン上で上顎右側犬歯の埋伏.が確認され、矯正装置装着前に抜歯された。
C:口腔内に装着されたMesial-Distalslider装置
D:移動後。上顎歯列右側の近心移動と上顎歯列左側の遠心移動により上顎正中が左側に移動された。
E:上顎正中の偏位が改善された。
の欠損症例では、T-BowとMesialslider装置を組み合
歯周炎がみられた。上顎右側第一大臼歯は予後不
わせることにより、犬歯・小臼歯と大臼歯の2つの
良と判断し抜歯後、Mesialslider装置による上顎両側
セクションに分けて矯正力を与え、中切歯の位置
第二大臼歯の近心移動を行い、欠損部の空隙を閉
や歯軸を変化させないで両セクションを同時に効
鎖することとした(図8)。近心移動の開始10カ月後
率よく近心移動を行うことができる(図6)。さらに、
に空隙が閉鎖され、上顎両側第三大臼歯が歯列内
上顎前歯正中の偏位を伴う非対称性の空隙をもつ
に萌出した(図9)。近心移動後にオーバージェット
症例等では、Mesialslider装置と上顎大臼歯遠心移動
とオーバーバイトの増加が若干認められたが、骨
のためのBeneslider( Distalslider)装置のコンビネー
格的な変化はほぼみられなかった(SNA:77.1°→
ションにより、上顎正中偏位の改善と空隙閉鎖を
77.7°、SNB:74.7°→75.5°、ML-NL:24.9°→
同時に行うダイナミックな治療が可能になる
(図7)。
24.8°)。スケレタルアンカレッジの優れた安定性
Mesialslider装置を使用した実際の臨床ケースを示
と、Mesialslider装置の強固なガイドによる近心方向
す。17歳2カ月、女性。骨格性I級。上顎左側第一
への歯体移動により、骨格に対する垂直的な影響
大臼歯の欠損と上顎右側第一大臼歯の口蓋根尖性
を与えにくいと考えられる。
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図8 Mesialslider装置を装着し、近心移動を行う前
図9 Mesialslider装置を使用した、上顎両側第二大臼歯の近心移動による空隙閉鎖後
Benefit-Systemは、2本の矯正用アンカースクリュー
6. まとめ
を口蓋前方部に埋入しミニプレートで連結固定す
ることで、患者協力に左右されない安定したアン
上顎歯列欠損部の治療において、矯正歯科的な
カレッジを確立することができる。側切歯の先天
アプローチによる空隙閉鎖は、長期的な予後の観
性欠損症例等では、T-Bowによるインダイレクトア
点から有効な治療方法のひとつであると考えられ
ンカレッジテクニックとスライディングメカ二ク
る。上顎歯列内の欠損部を歯の近心移動により閉
スを利用して、側方歯の近心への移動による空隙
鎖するケースでは強固なアンレッジが必要となる。
閉鎖が可能になる。また、Mesialslider装置の使用に
64—矯正臨床ジャーナル 8月号
口蓋アンカレッジを応用した歯の近心移動による上顎空隙閉鎖
より、ダイレクトアンカレッジテクニックを応用
した大臼歯の近心への歯体移動による空隙閉鎖を
効果的に行うことができる。
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