有機化学Ⅰ 講義資料 第2回「酸と塩基」 第2回「酸と塩基」 本格的な有機化学に進む前に、最も基本的な化学反応である酸・塩基反応についてお さらいしておこう。「酸性・アルカリ性」という性質は小学校の時からなじみ深いもの だが、現代の化学では酸・塩基の概念を大きく拡張し、かつ定量的に取り扱う。有機化 学の極性反応(前回学んだ)では、酸または塩基が反応に関わることが非常に多い。従 って、酸・塩基反応を詳しく理解することは、有機反応のよりよい理解に直結する。 1. Brønsted–Lowry による酸・塩基の定義 酸・塩基の定義はいろいろ考えられる。「水に溶かしてリトマス紙につけると赤くな るものが酸、青くなるものが塩基」というのは最も単純な定義である。現代の化学では、 もう少し精密な定義を使う(現代といっても提唱されたのは 1923 年だが、今でも通用 する優れた定義である)。すなわち、 「酸とは H+を供与するものである。塩基とは H+を受け取るものである。」 これが Brønsted–Lowry(ブレンステッド・ローリー)の酸・塩基の定義である。単 に Brønsted の定義と呼ぶことも多い。Lowry さん損してるね。なお、Brønsted はオ ランダの化学者(1879-1947)、Lowry はイギリスの化学者(1874-1936)である。 H+はもちろん水素の陽イオンを表している。これは「プロトン」と読んでいただき たい。物理学では「プロトン」は素粒子としての「陽子」の意味だが、化学では水素の 陽イオンのことを指す。もちろん、「水素原子=陽子+電子」であることを考えれば、 H+を「プロトン」と呼ぶのは何の不思議もないだろう。 注1:実は化学者が使う「プロトン」という用語は少し厄介である。化学者は溶液中の化学反応 を考えることが多く、溶液中では H+はたいてい何かとくっついた状態になっている。たとえば 水溶液中では、単独の H+が存在することはなく、必ず H2O とくっついた H3O+という形で存在 している。化学者は、水中の化学反応では H+と H3O+を同一視して、H3O+のことを「プロトン」 と呼ぶことがある。慣れてしまえばこの方が便利なのだが、最初はルーズさに戸惑うかもしれな い。また、 「酸性条件で水と反応させる」ことを表すために、わざわざ H3O+と書くこともある。 代表的な酸・塩基反応を下に示す。 Cl– + H3O+ HCl + H2O HCl が H+を供与しているから酸、H2O が H+を受け取っているから塩基である。酸 が H+を供与したあとに残る化学種を共役塩基 conjugate base と呼び、塩基が H+を受 –1– 名城大学理工学部応用化学科 有機化学Ⅰ 講義資料 第2回「酸と塩基」 け取ってできる化学種を共役酸 conjugate acid と呼ぶ。HCl の共役塩基は Cl–で、H2O の共役酸は H3O+である。共役は「きょうやく」と読む。 「きょうえき」ではないので注 意すること。 もう一つ、代表的な酸・塩基反応を示す。 NH4+ + HO– NH3 + H2O この場合は、H2O が H+を供与しているから酸、NH3 が H+を受け取っているから塩 基である。H2O の共役塩基は HO–、NH3 の共役酸は NH4+となる。H2O は相手によっ て、酸としても塩基としても働くことに注意しよう。H2O だけでなく、非常に多くの 物質が相手によって酸・塩基の両方の働きをすることができる。 2. 酸・塩基反応はどのように進行するか 前回は、分子の中の電子がどのように配置しているかを学んだ。また、極性を持つ結 合やローンペアが反応に関与しやすいことを学んだ。今回は、酸・塩基反応について、 電子がどのように反応に関わっているかを見てみよう。 NH3 と H2O の反応を考えてみる。単に原子の数を合わせるだけではなく、「どの結 合が切断されて、どの結合が生成するのか」を意識することが重要である。最初に、前 回学んだ内容で、この反応に関係ありそうなことを思い出してみよう。まず、O–H 結 合は分極している。水素よりも酸素の方が電気陰性度が高いので、水素は正、酸素は負 の電荷を帯びているはずである。また、NH3 の窒素原子はローンペアを持っている。 ローンペアは1つの原子上に2つの電子が集中しているので、電子豊富な部分であると 言える。従って、正の電荷を帯びた O–H 結合の H と、N のローンペアが互いに引き合 って、反応を起こすと考えられる。 !+ !– 引き合う ローンペア (電子豊富) このことを念頭において、次の図をよく見てほしい。この図は、NH3 と H2O が出会 った時に起きる変化を表したものである。O–H 結合が次第に長くなり、同時に N–H の 距離が次第に短くなる。ついには O–H 結合が切断され、代わりに N–H 結合が生成す –2– 名城大学理工学部応用化学科 有機化学Ⅰ 講義資料 第2回「酸と塩基」 ることがわかる。 NH3 H2O NH4+ OH– 次に、この反応における電子の流れをもう少し詳しく見てみよう。まず、N のローン ペアに注目してみる。前回学んだように、NH3 のローンペアは sp3(に近い)混成軌道 に入っている。これに H 原子が近づくと、ローブがふくらんで H 原子を包み込み、最 終的に N–Hσ結合を形成する。N 上のローンペアだった2つの電子が、反応後は N–H の σ 結合の電子になっている。 スタート Nローンペア ローンペアのローブが Hに向かってふくらむ ローブがH原子核を とりこむ (H 1s軌道の 成分が増え始める) N‒Hσ結合の完成 N–H σ結合 では、切断される O–H 結合の電子はどうなるのだろうか。O–H 結合は、O の原子 軌道(ほぼ sp3 軌道)と H の 1s 軌道が混ざり合ってできており、2つの電子はσ結合 –3– 名城大学理工学部応用化学科 有機化学Ⅰ 講義資料 第2回「酸と塩基」 性軌道に入っている。O–H 原子間の距離が大きくなると、σ結合のローブはだんだん と細長くなり、やがてちぎれて、O 原子の上に戻ってしまう。最終的には2個の電子が O 原子上に残り、ローンペアとなる。O–H のσ結合を形成していた2つの電子が、反 応後は O 上のローンペアになっている。 スタート O–H σ結合 σ結合のローブが Nに向かってふくらむ H原子がローブから はみだす ローブがO原子上に 戻ってローンペアになる Oローンペア 以上のような結合の生成・切断と、それに伴う電子の動きは、多くの酸・塩基反応に 共通している。一般的には、次のように記述することができる。「酸 HY から塩基 Z に プロトンが移動するとき、塩基 Z 上のローンペアの電子は H と共有されて新しい σ 結 合を作る。また、酸の H–Y 結合を作っていた2個の σ 電子は Y 原子上にローンペアと して残る。」 3. Kekulé 式を使った分子の表記 前節のように、軌道のローブ(お団子)を明記した図は、電子の分布を一目で示すこ とができる。しかし、反応が起きるたびにお団子の図を描くのはあまりにも煩雑である。 そこで、分子中の電子がどこにあるかを簡単に図示する方法が広く使われている。われ われもその方法を学ぶことにしよう。 まず、共有結合を1本の線で表す。1本の線は必ず2個の電子に対応する。そして、 ローンペアがある場合は、原子のそばに2つの点「:」を打つ。NH3 の場合、N–H の σ結合が3本あり、ローンペアが N 上に一つあるので、下のようになる。 –4– 名城大学理工学部応用化学科 有機化学Ⅰ 講義資料 第2回「酸と塩基」 H N H H 結合の角度はどう向いていてもよい。また、ローンペアの2つの点も、縦向き・横向 き・斜め向きのどれであっても構わない。しかし、なるべく分子の本当の立体構造を反 映する書き方をするように心がけよう。このように、共有結合の2個の電子を1本の線 で表す表記法を Kekulé(ケクレ)式という。 なお、一般的な Kekulé 式では、ローンペアは必ずしも書く必要はない。むしろ、特 に必要な場合以外は明記しない方が普通である。しかし、本講義では、反応中の電子の 動きを図示することを重視しているので、多くの場合に Kekulé 式にローンペアを明示 してある。 すべてのローンペアを明記した Kekulé 式では、ある原子のまわりのローンペアと結 合電子による電子数の合計は、必ずその原子の価電子数と一致する。結合電子は他の原 子と共有しているので、1つの原子あたり1個と数える。NH3 の場合、N 上にはロー ンペア(電子2個)と結合3本(電子1個 3=3個)があり、その合計は5で、N の 価電子数と一致する。 【価電子の数え方】 H N H H ローンペア (電子2個) 結合3本 (電子3個) 合計5個 =Nの価電子数と一致 また、ある原子のまわりの最外殻電子の数(共有している電子を2個と数えた電子数) も簡単に読み取ることができる。結合1個あたり電子2個、ローンペアの電子を2個と 数えて合計すればよい。第2周期元素の多くの化合物では、最外殻電子数は8になる。 これをオクテット則と呼ぶ。 【最外殻電子の数え方】 H N H H ローンペア (電子2個) 結合3本 (電子6個) 最外殻電子数=8個 (オクテット則成立) 注2:オクテット則が成り立つのは、L 殻が 2s 軌道と3つの 2p 軌道から成っており、これら が混じり合ってできた4つの分子軌道のすべてに電子が2個ずつ入った状態が最も安定だから である。しかしながら、有機化学で重要な物質の中には、オクテット則を満たさないものも多く 存在する。これは後で学ぶことにする。 繰り返すが、結合の線を書くとき、「ここに2個の共有電子がある」ことを必ず意識 すること。有機化学反応を理解するためには、「どの電子がどこに動くか」を理解する –5– 名城大学理工学部応用化学科 有機化学Ⅰ 講義資料 第2回「酸と塩基」 ことが最も重要である。 先ほどの NH3 と H2O の反応では、アンモニウムイオン NH4+が生成していた。この ように電荷を持つ物質は Kekulé 式ではどう示せばよいだろうか。「全体が電荷を持っ ている」と考えて、下のように示すこともできる。 H H N 注3:構造式を一まとめにすると きは角カッコ [ ] を使う。 H H しかしながら、Kekulé 式表記の一貫性を保つためには、もう少し厳密な取り扱いを することが望ましい。このため、形式電荷という考え方を導入する。形式電荷とは、原 子に与えられた正または負の整数値で、その数に対応する分だけ価電子を増減させるこ とを意味する。電子は負の電荷を持っているため、正の形式電荷は価電子を減らすこと、 負の形式電荷は価電子を増やすことを意味する。なお、分子内の形式電荷の総和は、そ の分子が持つ電荷と等しい。 形式電荷を使うと、NH4+の Kekulé 式は下のように示される。 H H N H H N 上に+の形式電荷があるため、この N の価電子は5個ではなく4個と考える。す ると、N 上には4本の結合があるため、価電子数とちょうど一致することがわかる。ま た、N 上の最外殻電子は8個となり、オクテット則も満たしている。 形式電荷は、結合の極性とは一致しないこともある。たとえば、上の NH4+の Kekulé 式で、+の形式電荷が N 上にあるが、N–H の結合は N がδ–、H がδ+に分極してい る。形式電荷は電子の数を正しく数えるために導入されたものなので、結合内の電子の 偏りまで表現することはできない。最初は混乱しがちであるが、なるべく多くの正しい 実例に触れて、表記に慣れておいてほしい。 例題:H2O、HO–の Kekulé 式を書きなさい。ローンペアをすべて明記すること。 考え方:O 上のローンペアの数え方がポイント。O は価電子が6個である。H2O では そのうち2つが H との共有結合に使われ、残りの4個が2組のローンペアになる。HO– では、O 上に負の形式電荷を置き、価電子を7個として考える。1つが H との共有結 合に使われ、残りの6個が3組のローンペアになる。 答: H O O H H –6– 名城大学理工学部応用化学科 有機化学Ⅰ 講義資料 第2回「酸と塩基」 4. Kekulé 式と巻き矢印を使った反応の表記 先ほどの NH3 と H2O の反応に戻ろう。H2O から NH3 へプロトンが移動するとき、 N 上のローンペアの電子は H と共有されて新しい σ 結合を作り、また H–O 結合を作っ ていた2個の σ 電子は O 上にローンペアとして残るのだった。この2組の電子の動き を、次のように表記する。 H H H N + H H O H H N H + O H H 反応式の左辺に、曲がった矢印が2本ある。これを巻き矢印と呼ぶ。巻き矢印は、電 子の対(つまり2個の電子)が移動していることを表す。 2本の巻き矢印が表す意味を、1本ずつ読み解いてみよう。まず、1つ目の巻き矢印 は、下のように描かれている。 H H N + H H O H 巻き矢印の出発点は N 上のローンペアである。また、巻き矢印の到達点は H2O の H 原子である。この巻き矢印は、 「N 上のローンペアの2つの電子が N–H 結合のσ電子に なる」ということを意味している。前にローブの図を使って説明した電子の動きが、巻 き矢印1本で表されている。 2つ目の巻き矢印は、下のように描かれている。 H O H 巻き矢印の出発点は O–H 結合である。また、巻き矢印の到達点は O 原子である。こ の巻き矢印は、 「O–H 結合の σ 電子が O 上のローンペアになる」ことを意味している。 これも、前にローブの図を使って説明した通りである。 例題:H2O + HCl → H3O+ + Cl– の反応を巻き矢印を使って図示しなさい。 考え方:まず、それぞれの物質の Kekulé 式を書く。ローンペアの数は、それぞれの価 電子の数から推測すること。「(価電子の数共有結合の数) 2」がローンペアの数と –7– 名城大学理工学部応用化学科 有機化学Ⅰ 講義資料 第2回「酸と塩基」 なる。 H H O H + H Cl H O H + Cl 次に、反応前後で「消滅する結合・ローンペア、新しく生成する結合・ローンペア」を 探す。この反応では、消滅するのは O 上のローンペア1つと H–Cl 結合、生成するの は O–H 結合と Cl 上のローンペア1つである。 H H O H + H Cl H O H + Cl 両辺を見比べると、「O 上のローンペアが O–H 結合の共有電子対になる」「H–Cl 結合 の共有電子対が Cl 上のローンペアになる」ことがわかる。これを巻き矢印で表すと、 次のようになる。 H H O H + H Cl H O H + Cl 巻き矢印は、有機反応での結合の切断・生成を理解するために非常に有用なツールで ある。ぜひマスターしていただきたい。 なお、巻き矢印の先の書き方に注意。下の図の一番左が正しく、それ以外は誤りであ る。巻き矢印に限らず、有機化学では矢印の形に意味を持たせることがよくあるので、 教科書を注意深く見て、正しい書き方を身につけること。 ○ また、巻き矢印を使って反応を表記するとき、両辺で変化しないローンペアは省略す ることもある。たとえば、上の H2O + HCl の反応は次のように書いてもよい。 H H O H + H Cl H O H + Cl O 上のローンペア1対と、Cl 上のローンペア3対は、反応前後で変化しないので、 省略してある。左辺の O 上のローンペア1対と、右辺の Cl 上のローンペア1対は、反 応前後で変化するので、省略してはならない。 –8– 名城大学理工学部応用化学科 有機化学Ⅰ 講義資料 第2回「酸と塩基」 5. 酸の強さ 酸とは H+を供与するものである(Brønsted 酸)と学んだ。しかし、水素を含むすべ ての物質を「H+を供与できるか、できないか」の2つに分類するのは好ましくない。 むしろ、 「水素を含むあらゆる物質は(理論的には)H+を供与することができるが、供 与する度合いが異なる」と考える方が、よりよく化学反応を理解することができる。あ る物質が H+を供与する度合いのことを、酸の強さと呼ぶ。たとえば、HCl は強い酸で あり、H2O は弱い酸であり、NH3 は一層弱い酸であり、CH4 は極端に弱い酸である。 酸が強いとは、どういうことだろうか。 「強い」 「弱い」というのは相対的な概念であ る。つまり、2つの物質を比較して、「酸としてどちらの方が強いか」を判断する必要 がある。具体的な例として、次の反応を考える。 Cl– + H–OH H–Cl + –OH この反応式を「左から右」の向きで見ると、これは「酸である HCl が塩基である–OH に H+を与える反応」である。一方、 「右から左」の向きで見ると、 「酸である H–OH (H2O) が塩基である Cl– に H+を与える反応」である。そして、この場合は HCl の方が強い酸 なので、反応は右向きに進もうとする。もう少し正確な言葉を使うと、平衡が右にかた よる。 この考え方は、2つの酸の強さを比べる時に一般的に適用できる。つまり、2つの酸 が互いに相手に H+を与える反応で、平衡が右にかたよるなら左側にある酸の方が強く、 平衡が左にかたよるなら右側の酸が強い。 H–A + B– A– + H–B H–A 平衡が右にかたよる= の方が強い酸 〃 左 〃 = 〃 H–B 平衡の考え方を使うと、酸の強さを定量化することができる(定量化とは「数値で表 す」ことである)。ある基準物質を決めて、ある酸がその基準物質と比べてどの程度強 いかを数値で表すことにしよう。基準物質としては、通常 H3O+を用いる。つまり、下 の平衡を考えることになる。 A– + H3O+ H–A + H2O 平衡反応の一般的な性質として、右辺の物質の濃度の積と、左辺の物質の濃度の積の 比は、常に一定である(化学平衡の法則 law of mass action)。この平衡の場合は、下 のような式になる。角カッコ [ ] で化学式を囲んだものは、その化学種の濃度を示す。 –9– 名城大学理工学部応用化学科 有機化学Ⅰ 講義資料 第2回「酸と塩基」 [A–][H3O+] [H–A][H2O] = 一定 注4: 「化学平衡の法則」を、英語の直訳である「質量作用の法則」と呼ぶことがある。しかし、 この法則は「質量」に関するものではなく、英語名自体も古い用語に基づいているため、この名 を使うことは勧められない。 注5:角カッコ [ ] で化学式を囲んだものは、厳密にはその化学種の「活量」である。希薄溶液 の場合は、活量と濃度は一致する(理想溶液)。 この平衡が希薄水溶液中で起きるものとすると、H2O は大過剰に存在しているため、 反応がどちら向きに進行しても H2O の濃度はほとんど変化しない。そこで、[H2O]を定 数として右辺に移すと、下のような式が得られる。右辺は定数になるので、これを Ka と書き、酸解離定数 acid dissociation constant と呼ぶ。 [A–][H3O+] [H–A] = 一定 [H2O] = Ka Ka は物質に固有の値である。Ka が大きい物質は、A–と H3O+の濃度が高くなるため、 強い酸であると言える。2つの酸の強さを比べるには、Ka の値を比べればよいことが わかる。しかし、一つ不便な点がある。Ka の値は、物質によって極端にケタが違う。 たとえば、HCl、H2CO3 の Ka はそれぞれ 107、4 10–7 である。こんなに幅の広い値を 取り扱うのは不便なので、普通は pKa という値を使う。pKa の定義は次の通り。 pKa = – log10Ka この定義を使うと、HCl の pKa は –7、H2CO3 の pKa は 6.4 となり、扱いやすい値に なる。Log の前にマイナスがついているため、大きさの順序は Ka と逆になる。すなわ ち、pKa の値が小さいほど強い酸である。 HI > pKa –10 pKa HBr –9 HF > H2O 3.2 15.7 > HCl –7 > NH3 36 > HF 3.2 > CH4 60 代表的な物質の pKa の値は、実測されて公開されている。教科書にも記載されてい るので、一度目を通しておくこと。 例題:硝酸、硫酸、酢酸、リン酸を酸性の強い順に並べなさい。 考え方:教科書付録Ⅱの「pKa 値」の表を参照する。硝酸は HNO3 (–1.3)、硫酸は H2SO4 – 10 – 名城大学理工学部応用化学科 有機化学Ⅰ 講義資料 第2回「酸と塩基」 (–5)、酢酸は CH3COOH (4.8)、リン酸は H3PO4 (2.1) である。 解答:硫酸>硝酸>リン酸>酢酸。 6. 酸の強さは何で決まるのか 4種類のハロゲン化水素の酸の強さについて考えてみよう。pKa の値によれば HI > HBr > HCl > HF となるが、これを合理的に説明することはできるだろうか? そもそ も、酸の強さは何で決まっているのだろうか? pKa を定義する時に使った平衡反応をもう一度見てみよう。 A– + H3O+ H–A + H2O 平衡がどちらに偏るかは、反応式の右辺と左辺のエネルギー差で決まる。右辺のエネ ルギーの方が低ければ平衡は右に偏るし、逆に左辺のエネルギーの方が低ければ平衡は 左に偏る。このエネルギー差を求めるため、次のような熱化学方程式を立ててみる (Hess の法則を利用する)。 H–A A• + e– H• = H• + A• – HーAの結合エネルギー EBDE(H–A) = A– + A−のイオン化エネルギー EIP(A–) = H+ + e– – 水素原子のイオン化エネルギー EIP(H•) H3O+ + 水のプロトン化反応熱 A– + H3O+ + (–EBDE(H–A) + EAff(A•) – EIP(H•) + E(H2O)) H2O + H+ = H–A + H2O = E(H2O) 注6:A•, H•など化学式に「・」がついているのは、1個の不対電子を持つ物質であることを 示している。ラジカル反応の時に学ぶので、今は気にしなくてよい。 注7:イオン化エネルギー ionization energy とは「電子を1つ放出するために必要なエネルギ ー」である。上の2番目の式は、 「A•が電子を1つ受け入れる」反応だが、これは「A–が電子を 1つ放出する」反応の逆反応であるため、A–のイオン化エネルギーに等しいエネルギーが発生 することになる。 最後の式から、両辺のエネルギー差は4つの項の和となるが、最後の2項は酸の種類 によらず一定である。結局、平衡がどちらに偏るかは、次の2つの要因によって決まる ことがわかる。 ・ H–A の結合エネルギー。これが小さいほど H+を放出しやすいので、強い酸である。 ・ A–のイオン化エネルギー。これが大きいほど A–の状態が安定になるので、強い酸 である。 2番目の「イオン化エネルギー」という要因がわかりにくいので、少し説明を付け加 – 11 – 名城大学理工学部応用化学科 有機化学Ⅰ 講義資料 第2回「酸と塩基」 える。上の熱化学方程式で、H–A が関係する部分を抜き出して図示すると、次のよう になる。(熱化学方程式では、発熱反応が正、吸熱反応が負の符号で表されることに注 意。) H+ + e– + A• H• + A• EBDE(H–A) EIP(H•) –EIP(A–) H–A H+ + A– H+ + A– EIP(A–) が大きい =A−状態がより安定 このエネルギー図から、A–のイオン化エネルギーが大きい場合に、反応の右辺のエネ ルギーがより低くなる(右向きの反応がより発熱的になる)ことがわかる。 一般には、上記の2つの要因が同時に変化するため、2つの酸のどちらが強い酸かを 判断することは簡単ではない。しかし、特別な場合には、一方の要因が支配的になるこ とがある。それは、以下のような場合である。 1. 周期表の同じ族(同じ縦の列)の化合物の場合、下に行くほど強い酸である。 この場合は、第1の要因が支配的になる。これは、高周期(周期表の下の方)の元素 では、結合に使われる原子軌道が大きくなり、H の 1s 軌道との重なりが弱くなるため である。例えば4種類のハロゲン化水素では、H–X の結合エネルギーが H–F > H–Cl > H–Br > H–I の順に小さくなるため、酸の強さは HF < HCl < HBr < HI の順になる。 H–X 結合を作る原子軌道とその重なりの様子の図を下に示す。高周期になるにつれて、 ハロゲンの原子軌道の広がりが大きくなり、H の 1s 軌道と重なる部分が減っているこ とがわかる。 – 12 – 名城大学理工学部応用化学科 有機化学Ⅰ 講義資料 第2回「酸と塩基」 H 1s F 2s+2p HF + H 1s Cl 3s+3p HCl + H 1s Br 4s+4p HBr + H 1s I 5s+5p + HI 2. 周期表で同周期(同じ行)の化合物の場合、右に行くほど強い酸である。 この場合は、第2の要因が支配的になる。同周期の元素では原子軌道の大きさは同程 度であるため、H–A の結合エネルギーの差は小さい。一方、右に行くほど電気陰性度 が高くなるため、A–が電子をより強く引きつける、つまりイオン化エネルギーが大きく なる。従って,右に行くほど酸としては強くなる。第2周期元素の水素化合物の酸の強 さが HF > H2O > NH3 > CH4 の順になるのはこのためである。 CH3– 電気陰性度 NH2– OH– 低い 高い 大きい イオン化エネルギー 小さい A−状態の安定度 高い 低い H–CH3 酸の強さ F– 弱い H–NH2 H–OH H–F 強い 3. H が同種の元素に結合している酸の場合、共役塩基が安定化されている方が強い酸 である。 これは2つの要因の両方によるが、共役塩基が安定化していることにより、平衡が共 役塩基側(つまり、H+を放出した側)に偏るため、強い酸になるというものである。 例えば、エタノールと酢酸では酢酸の方が強い酸である。これは、酢酸の場合に共役塩 – 13 – 名城大学理工学部応用化学科 有機化学Ⅰ 講義資料 第2回「酸と塩基」 基が「共鳴」によって安定化しているため、下の平衡がより右側に偏るためである。 「共 鳴」については、あとで詳しく学ぶことにする。 H CH3CH2O–H + H O CH3CH2 H O + H O O CH3 C + O O– H H O H H + CH3 C H O H O H 「共鳴」による安定化 =平衡が右にかたよる この「共役塩基が安定化されているかどうか」という基準は、さまざまな有機化合物 の酸性度を判断するのに非常に重要である。今後多くの例が出てくるので、理解を深め ていただきたい。 7. まとめ ・Brønsted–Lowry の定義によると、酸とは H+を供与するものであり、塩基とは H+を 受け取るものである。 ・ 酸が H+を供与したあとに残る化学種をその酸の共役塩基と呼ぶ。また、塩基が H+ を受けてできる化学種をその塩基の共役酸と呼ぶ。 ・ 酸と塩基の反応では、酸の H–X 結合を作る2個の結合電子が X 上に残ってローンペ アとなり、塩基が持つローンペアの電子が H と共有されて H–Y 結合を作る。 ・ 共有結合を1本の線で表し、ローンペアを2つの点で表す化学構造の表記を Kekulé 式と呼ぶ。 ・ 電荷を持つ分子の Kekulé 式では、原子に形式電荷を与え、価電子の数を増減して記 述する。 ・ 化学反応に伴う結合電子の移動は巻き矢印で表記する。 ・ 酸の強さは pKa という指標で表す。pKa が小さいほど強い酸である。 ・ 酸 H–A の強さは、H–A の結合エネルギーと A–のイオン化エネルギーによって決ま る。ハロゲン化水素の酸性度が HI > HBr > HCl > HF の順なのは、この順に H–A の 結合エネルギーが大きくなるためである。また、第2周期元素の水素化合物の酸性度 が HF > H2O > NH3 > CH4 の順なのは、この順に A–のイオン化エネルギーが小さく なるためである。 ・ 水素が同じ元素に結合した酸では、共役塩基が安定であるほど強い酸である。 – 14 – 名城大学理工学部応用化学科
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