第 18号 - SS応援団 堺市セカンドステージ応援団

こだ わり
(しめ縄作り)
かりだ。
ばきにほれぼれと見入るば
のだ。
ワラまでモチモチしている
知人らからも頼まれるよう
だけ作っていたのが近所や
るのがうれしくて止めるわ
「みなさんが喜んでくださ
の 夏祭 り の ク ラ イ
大阪 ・ 住 吉 大 社
マ ック ス が 、 大 和
号 の「 絵 に な る 風
輿渡御。小紙第
川 を勇 壮 に 渡 る 神
う。もちろん無償奉仕だが
景 」で 紹 介 し た そ
けにはいきません」と、そ
「おかげで元気に過ごせて
の日が来るのが待ち遠しそ
ダイダイや 裏白、紙 垂
います」と奥さんも満足そ
個配る予
作柄がよくなかったためワ
(しで)は大晦日が近づい
になり、今年は
ラの質も悪く、豊作だった
てから飾り付けるが、すで
うだった。
定です」と大上さん。
今はしめ縄を作ることがで
昨年のようにはきれいなも
に和紙を切りそろえて表裏
猛暑が続いた今年は米の
きる人はほとんどいない。
のは出来ないそうだが、倉
と折り返しながら形を整え
農家が多い豊田地区でも
大上さんも会社勤めをして
庫には、しっかり出来上がっ
市社会福祉協議会が行っ
せを。利用料は1回当たり
の時のかけ声が「べーら、
ベーら」だった。堺に多い
布団太鼓も「べーら、べー
千円(生活保護受給者は無
工藤宮司に尋ねると、諸説
広報室員が百舌鳥八幡宮の
一体べーらとは何ぞや?▼
ら、べらしょっしょい」。
料)。相談料は無料となっ
上茂 )
ている。
の人生を明るく、平和に、
楽じゃ、べいらくじゃ」と
社に伝わるかけ声に「太平
あるがとの前提で、住吉大
私は目標を持って生きる。
つも充実した内容で、特に
連 載 が 楽 し み ( 北区 南
花田町、西野信一さん)い
投稿してみました。
な人生があることを知り、
情報ひろばを読んで色々
さ」「そいや」など数多く、
しょい」「えっさ」「ほい
はない。掛け声は他に「わっ
の、とする説もあり決定打
は「米良」つまり良い米が
えられる、と▼別の資料に
の部分が強調されたとも考
大上 (おおうえ)岩夫さん(
)
いたが、お父さんがしめ縄
たしめ縄が積み上げられて
ている日常生活自立支援事
(文・松浦 三津子、 写真・井
年ほど前まで
る紙垂は出来上がっていた。
が得意で、
大仙公園に隣接する市緑化
いた。「はじめは自宅用に
んの引退後、毎年年末には
業をご存知ですか?。
在宅生活を支援します
センターでしめ縄作り講座
の講師を引き受けていた。
その後継者として勤めの傍
緑化センターで講師を務め
ら手ほどきを受け、お父さ
るようになった。参加者は
お便りコーナー
怖が消えた。主人が急に亡
連載ものを楽しみにしてい
わっしょいは「和し背負え」
増え続ける認知症や若く
くなったからである。
ます。今後とも頑張ってく
じりが多く、練り歩くより
女性が多く、縄をなう経験
私は結婚するまでは最高
ださい。
走ることが多いため、曳く
人生は山あり谷ありですね。 いうのががあり、べいらく
例えば▼年金や福祉手当
に幸せで、経済、家族愛に
川流楽しいですね。二宮金
側はテンポよく「そーりゃ、
ても障害などにより判断能
の受領に必要な手続き▼病
も恵まれていた。両親は会
次郎も楽しく読ませていた
れる舵取りの掛け声は一瞬
力が十分でない方々が、近
寧に干し、緑が残ったのを
院への医療費支払いの手続
中尉、中隊長までいった。
の乱れもないよう「おいさ」
がない人にはなかなか難し
選んで使うほど美しく仕上
き▼税金や社会保険料、電
私は学校からたのまれて教
だいています。
と短く声を出す▼土地によ
く、文字どおり手とり足と
くワラをたたいて
がる。稲穂が実る前に、米
師をめざし楽しかった。特
オ キシ ト シン 参 考に
し た い (南 区 御 池 台 、 秀
り歴史によって多種多様。
ラは雨に濡らさないよう丁
宅生活を支援する事業。
ていけない。一緒に生きて
手のこと、周りのことを考
えると言うことは、実は相
に気付く。自分のことを考
なかった問題を見つける可
ということではなく、見え
なる。でもそれはマイナス
そうな関係になってしまう。
になってはなおさらかわい
てもらっているという関係
ティアしてあげている、し
気の毒なことだが、ボラン
和と自由がきた。それに恐
だという説もある▼泉州と
言えば岸和田を筆頭にだん
そーりゃ」。後梃子と呼ば
行く仕組みやルールを作る
能性があるということ。被
)
必要がある。社会保障制度
えることになる。私の考え
毅
や自治会、各種支援団体な
災地へ行って地元の人が当
生きているということはあ
でも、何かおかしいなと気
たり前と思っているルール
何か新しい繋がりが得られ
れないような実感が得られ、
でいい。日常生活では得ら
はなくて誰でもできる活動
のだと思う。難しい活動で
れが新しい繋がりとか絆な
作って行くということ。こ
重要なのは水平的な関係を
るボランティアはまず素人
学生たちに聞くとボランティ
づくことがある。素人だか
がAという専門領域にBと
る意味専門家で、主婦も主
いう専門領域の人が入ると、 出来ることをやればいい。
アを初めは自己満足でやる
でも実際やってみると相手
その人は素人ということに
てもしない」と言った人が
れなくてもするが、いわれ
ら何もできないのではなく、 る。「ボランティアはいわ
が満足しているときに自分
いるが、みなさんも自分に
合ったボランティア、自分
でつくったボランティアを
(美原区黒山 )
めざしていただきたい。
黒姫山古墳復元石室
いう状況はもちろん大変お
思ってはいけない。被災と
の人とかかわいそうだとか
言うのだが、被災者を特別
被災地へ行く学生によく
も満足しているということ
ものだと思っていたという。 婦業と言う専門家。ところ
相手の満足が自分の満足
ボランティアは素人でいい
に求められているのは何か。 であるということ。自分が
どがそうだ。そこで私たち
られていないという。
年ぶりに平
柔らかくし、3本
を無駄にしてでも刈り取っ
に問題児は皆引き受けた。
芙佐子さん)(前号掲載
払い▼日常の生活費 食
(費、 社経営をし、兄は頭が良く、 川柳が楽 しい (北区黒
日 用 用 品、 家 賃 等 の
) 支払 軍隊では三年間で近衛兵、 土町、西川さかえ子さん)
気、ガス、水道料金等の支
しかし結婚は失敗。大変
の)藤田教授のドーパミン
祭りには目のない身には興
私達親子に
にまとめた束を、
い▼預貯金の出し入れ、解
な人と一緒になった。主人
とオキシトシンの記事、と
や っ と 春 が 来 た (堺区
安井町 早坂博子さん)
左ねじりの三つ編
て緑のしめ縄を作る業者も
日常的金銭管理を、生活支
は自分だけを大事にする人
ても良い内容でした。参考
くに身寄りがなくても自立
みにして針金や細
め縄を締める細い縄は、も
い縄で縛っていく。 いるほどだという。またし
援員が自宅を訪問して支援
で、子供につらい思いをさ
して生活ができるように在
見ている間に1本
する制度で一般には余り知
があってよく締まるらしい。 約など。こうした手続きや
ち米のワラで作る方が粘り
希望者は社協の自立支援
せてしまった。でもやっと
下準備がまた大変で、ワ
出来上がった。巧
係072(232)777
味が尽きない。 鶴
(
穫れますようにと願ったも
みな手さばき腕さ
1または(232)542
にします。
りして完成となる。
17
春がきた、これからこの子
の講話があった
後、関西学院大
学社会学部の関
嘉寛教授が「入
門講座」として
次のように話し
た。
日本の 社会は
戦後、個人が自
分の人生を自由
に決めるのが望
ましいというこ
とをめざしてき
た。伝統や因習
にもとづく不合
理な仕組みをな
くし、人権に配
慮した合理的社会をめざし
てきた。しかし社会や経済
て効率的な仕組みを作る、
50
私の美学
南 区豊 田
泉北 ニ ュー タ
ウ ンに 近 い南 区
豊 田の お 宅は 、
昭 和初 期 に建 っ
た とい う 堂々 た
る 構え 。 その 庭
先 で、 笑 顔を 絶
や さな い 大上 さ
ん にし め 縄作 り
を 見せ て いた だ
いた(写真右)。
年齢 を を感 じ
さ せな い 太く て
力 強い 腕 や指 。
見 事に 日 焼け し
た 肌。 木 槌で ト
70
0(代表)までお問い合わ
いきいき堺市民大学
代まで
つまり専門化するというこ
入門講座
人で第5期スタート
代から
の仕組みを合理的にすると
設立5年目を迎えたいき
と。家族で言えば大家族か
いうことは、役割分担をし
いき堺市民大学(市主催、
受講者年齢幅広く
大阪府立大共催)の開講式
ら核家族になり、祖父母同
居の大家族なら要らなかっ
月4 日 、 府立 大 学 中
が
た保育園が、数多く必要に
割分担が進むと「隣は何を
なってきた。このように役
人 で、 年 齢 別 に
、女性
百舌鳥キャンパスで行われ
た。
の計
受 講 生は 男 性
する人ぞ」で、役割間の連
れる時代になってきた。
けるもの)の弱体化が叫ば
紐帯(ちゅうたい=結びつ
携がうまく取れず、社会的
人、
代 も各 1 人 な ど
代 が 最 も 多く
代と
開講式では主催、共催側
たのが今期の特徴。
出番を待つしめ縄
ss
30
一方、人は一人では生き
穴の列が、五線譜に並ぶ音符のよう。傍にたたず
めば、私たちのはるか祖先・古墳時代の人たちの
歌や呟きが聞こえてきそうだ。
ここから出土した甲冑は「市立みはら歴史博物
館」に展示されている。(梅原兼興)
開講式に出席の受講生の皆さん。円内は講話する澤井学長
近所や知人に届ける「正月」
発行 堺市セカンドステージ(SS)応援団運営協議会 事務局・堺市高齢施策推進課、電話072-228-8347
編集室 〒590-0021 堺区北三国ヶ丘町1-1-37「SSひろば堺東」 電話(FAX)072-232-0029
e-mail: [email protected]
83
の挨拶と澤井勝市民大学長
講演する関教授
黒姫山古墳は5世紀中頃の築造と考えられる前
方後円墳。国の史跡に指定されている。1992
年、歴史の広場として整備され、古墳の東側には
前方部の竪穴式石室と円筒埴輪(はにわ)列の一
部が実物大で復元展示されている=写真。
埴輪に刻まれた「突帯(とったい)」と呼ばれ
る数条の粘土の帯と、「透かし」と呼ばれる丸い
80
ン トン と 手際 よ
うお手伝いします。
20
幅広い年齢層から応募があっ
は
51
54
S S情報ひろば
て! S S応 援 団 はそ ん
な毎日を過ごせるよ
86
86
80
セカンドステージ
第2の人生を明るく
楽しくやりがいを持っ
10
35
60
20
4
URL http://ss-ouendan.jp
SS情報ひろば(季刊)
2013年(平成25)12月1日(第18号)
URL http://ss-ouendan.jp
SS情報ひろば(季刊)
2013年(平成25)12月1日(第18号)
1
「オリジナルカレー」につ
たかな、火加減は?と苦労
をおこし、水加減はどうやっ
話も出来上がっていた
打ちつつ賑やかな仲間の会
ンプはとても楽しかったし、
大学に入りました。デイキャ
市民大学5期生の第2講
ク姿などで元気よく集まっ
の羽衣青少年センターにリュッ
渡され、買い出しからスター なべでのカレーの煮込み、
ト。シーフードに凝ったり、 サラダの準備など、動きが
らグループの予算五千円が
小 西 正 明 さ ん ( 中 区 深 阪)
何か新しい出会いを求めて受
講しました。カレーづくりは
男ばかりのグループでしたが
手 際 良 く お い し く で き ま し た。
三木いさ子さん(堺区大浜
りでもよくつくる。でも薪で
料理歴はかなりあるし、山登
櫻 井 幸 彦 さ ん ( 南 区 鴨 谷 台)
ごいと思いました。
楽しかった。カレーの力はす
学で色々勉強したい。今日は
山田清さん(中区福田)大
します。
これからもいい出会いを期待
いてみっちり作戦をねって
しながら炊飯を進めた。
義は恒例のデイキャンプ。
て来た参加者は69名。市
カレールーをミックスした
南 町 ) 仕 事 を や め て 2 、 3 年。
ご飯を炊くのは初めて。仲間
ことは、毎日の廻村で全農家の状 けば働くだけ手元に残るのだ。
る。また桜町領に来てまずやった 余剰の一部は農民の手に残る。働
もすべて売り払って得た資金であ ままに据え置くから、そこで出た
家で居眠りばかりしていたの
畑は501町歩だった。しかし、
尊徳の仕事の中心は 、 沼、物井、横田3村の4千石、田
況を把握するとともに、出精の者
レーが出来上がり、「いた
元禄期には443軒、人口191
作りも料理もうまくいって楽
農家 経 営 の 再 建 に よ っ
5人だったものが、文政期には1
の表彰を行い、鍬や鎌を与えるこ もとで農民を豊かにするほとんど
で、これはあかんと思い市民
て、 農 民 か ら の 年 貢 に
とだった。出精の者を選ぶのは、 唯一の方法であった。他方では、
地となっていた。
財政再建をすることだ 。 減っている。その田畑も
尊徳 に よ る 財 政 再 建 の
この土地の正味の生産力の測定だっ
一般の百姓たちの「入れ札」によっ 水路の整備や金肥の投入によって
良い道具を揃えるなど生活と働く
環境を整える。また老若男女を通
から文政までの
じた表彰などによって、農民のや
納高の中間、2039俵を大体の
農地改良事業に
手元資金によったようだ。
尊徳が桜町領でまず行ったのが、 た。この資金もまずはこの尊徳の 土地の生産力を上げ、家を修理し
(ぶ ん ど ) の 確 立 」 で
た。その結果、元禄から享保まで
最大 の 手 法 は 、 「 分 度
ある。
の分 限 や 収 入 に 応 じ て
目安とした。すなわち、財政再建
力があがり収納高が3千俵になっ く)
る気を引き出す。分度が立てられ
支出 に 一 定 の 限 度 を 設
中は、この2039俵の半分(5
ても、領主の年貢は1005俵の
年間の年平均収
け、 そ の 範 囲 内 で 生 活
公5民)の1005俵を、宇津家
年間の年平均収納高と、文化
をし 、 そ こ に 余 剰 の あ
の分度として、領主の生活をその
の
る生 活 を 営 む こ と が 尊
範囲に収めることを求めた。これ
=筆者 は奈良女 子大学名 誉教授
しかった。
( 右 )食 材 さば きも 全 員参 加 で
(右 ) う ま い! ウ チ の グ ルー プ
が一 番 や
(左) 食べ 終 わっ たこ ろ には す っ
さを長期間保ちます。(写
かり 打 ち解 けて 記 念撮 影
を楽しんだ。観光ボランティ
真左参照)
明石 海 峡で 獲 れた のが
時
時 ~ 正午 。 材 料
日 土
( 午)前
塾 ご案内
月
時 半「 人 はな ぜ 旅 に
でるのか」元高校教諭・ふ
~
▼
費1000円
日 午前
日 時2 0 1 4 年1 月
アの案内で、近江商人魂の
ら古い町並みをゆっくりと
すごさなど歴史を聞きなが
散策した。紅葉が始まった
人 が参 加
して近江八幡へバス旅行に
釣り道具の一つ
や東京駅の外壁に
大阪 ・ 中之 島 の公 会堂
せることで色鮮やかな美し
を抜き、特殊な染料を吸わ
作ります。花のうちに色素
プリザーブドフラワーを
手づくり家
大変好評だった。
みも美しく、参加者からは
然が残り、整備された町並
ばかりの近江路は多くの自
行き、さわやかな秋の一日
月8日、
STW会
この分度によって、土地の生産 領主経済再建の鍵なのだ。(つづ
るかどうかが、農家経済ひいては
徳の 教 え で あ る が 、 そ
を受け入れなければ、再建作業は
旧した。尊徳の作った資金とは、
自己財産処分金充てる
の生 活 基 準 を 分 度 と い
〈「分度」とは、そ
この年貢の制限は、封建制度の
武士の家政整理を行い 、 45軒、730人へと3分の1に
よっ て 成 り 立 っ て い る
% が荒
だきまーす」の声。舌鼓を
1時には工夫を凝らしたカ
以下は参加者の声。
野外炊飯場へ。スタッフを
グループのメンバーと絆を
社会福祉協議会職員の進行
り、サラダにデザート付き
今年もデイキャンプで親睦
市民大学5期生 浜寺公園で
買い出し班が到着すると、
築き、講座終了後に主体的
で、体験講座を共にする8
までアイデアが満載。炊事
含め1人500円の会費か
に市民活動に参加・参画し
グループに分かれて自己紹
担当はこの間にかまどの火
皮をむいて材料を刻み、大
ていく仲間づくりが目標。
介に 耳を傾け、 チームの
日、浜 寺公園内
一段と激しくなった。午後
このカレーづくりで一気に
打ち解け『カレーの会』と
していまだに交流している
月
1期生のグループもある。
人 前後の グ
( 右 )キ ャ ン プ の 前に 目 的 や 注
意点を 聞く(左 )
ル ープ に 分か れ作 り 方の 作 戦
う〉。これは京都大学教授で歴史
引き受けないのだ。
し、干鰯などの金肥を購入して農
作った資金とで、農家の家を修繕
残 りの 1 00 0 俵 余 と 、 尊 徳 が
学者であった奈良本辰也さんの定
義である。
旗本家領地の財政再建
家に与えた。また農業用水路を新
小田原から桜町に引っ越すとき、
たに設け、畦道を直し、荒地を復
たとえば桜町領は、小田原大久
再興した二宮家の田畑も家財道具
領主にも生活切詰め迫る
保家の分家で旗本である宇津家の
松 田洋 子 )
した親しみを感じた。 (同 ・
岩田明子 選
使い易く、軽く、アームの
いき粋川柳の会
工夫等に取り組んでいると
た明るさを感じた。どれも、 いう、高齢者の生活に密着
領地で、表高(おもてだか)は東
幸和製作所
福祉用具
メーカー
堺区海山町3丁に本社がある日本有数の福祉
用具メーカー。中でも「シルバーカー」と呼ば
万台、国内
%以上を占める。紙おむつを除く介護
れる歩行補助車の販売台数は年間
需要の
関係アイテムは800種を上回る。
いう、この
業界では老
舗。事業を
支えるのは、
堺の伝統産
業パイプの
題詠「不安」
元気でね気楽に言うがまず自分
しょうこ
自由句
まだ読めぬ妻の心と顔色は
寛永
題詠「疲れる」
妙薬は孫の電話の弾む声
和介
自由句
好きなこと疲れていても参加する
和温
自由句
予備の品切らさず賞味期限切れ
和温
たものです
い くら 寒い か らと 言 っ
3来年は甲午(きのえう
ま)
てそんなに重ねては…
ち らり と話 を はさ む の
4昔の女房詞(ことば)
でお金のこと
るさと堺塾主宰北村修治さ
は?
畳に床の間と言えば
日 土
( 時
) 間同。
一番とされる
で す。
日(土)時間同。
ひろば堺
参加費と して当日 2百円が 必要
番号は1 面題字下 にありま す。
東」へ。 住所、電 話(FA X)
以 上ご 希 望の 方は 「
理事柿澤和代さん。場所同
ランティア協会事業部長兼
れ!」NPO法人堺観光ボ
「紙芝居で巡る堺のあれこ
▼2月
つえさん。場所同
キング協会専門講師仲井か
キング入門」(社)日本ウォー
「楽しい!シニア・ウォー
▼1月
ん。場所・市総合福祉会館。
妻や夫の妹
さが世界中に知られた
東日 本 大震 災 でそ の怖
五、七、五、七、七
ペアのこと
10
曲げ加工だ。
頑張れ、堺
の元気産業
(同・井上茂)
タテヨコのカギをヒン
トにカナでマスを埋めた
後、A~Gのマスに入っ
た7文字を順に並べてで
き た こ と ば が 答 え です。
6蚊もハエもゴキブリも、
これでプシューっと
8方向を示す記号
9昔はこれで鉛筆を削っ
ヨコのカギ
1付け加える必要がない
23
10
お年寄り
が古い乳母
車を杖代わ
タテのカギ
1初詣ではこれを引きたい
りにしてい
ヒントになったという。体
堺区錦陵町の「文化保
育園」入り口横に立つ。
1968年建立と比較
的新しい。御影石製で高さ約80センチ。
顔立ちも体型もかわいくできている。園
児たちにはお兄ちゃんのようだ。
SS
るのを見た
重をかけても前に倒れない
12
のがシルバー
堺にも業界№1の頼もし
日牟禮(ひむれ)八幡宮で
17 16
21
45
のに…
【
応募方法】
は が き に答 え と 〒 住所、
3人間の一番爽やかな表
氏名、電話番号をお書きの
情
上 月 末 日ま で に「 〒5
5お客さんのこと
90‐0021堺区北三国ヶ
7一時的に外で生活する
丘 町 1 ‐1 ‐ 、 ひ ろ
こと。小紙今号にも
ば堺東」へ。正解者の中か
ら抽選で5名に記念品をお
「デー○○」が
贈りします。発表は当選者
9讃岐うどんの身上は
への発送をもって代えさせ
満 歳 以 上 の 日 本 国 民 ていただきます。前号の正
ならだれでも立候補で
解は「防災訓練」で、南区
庭 代 台 の 梅 本 博 寛 さ んら
にお送りしました。
37
13
15
11
10
2相手は聞きたくないだ
ろうが敢えて言うこと
い会社があると知った。使
など、細部への心配りがに
9
18
ss
11
30
カー製作の
う人の身になって日々改良
バーカーが並べられていて、
展示部屋に、沢山のシル
くい。 ( 同 ・梅 原 兼興 )
杖等の介護用品も陳列され
B
E
25
22
されているそうなので、自
と思うととても心強い。カ
分も将来利用する身になる
ラフルな杖やシルバーカー
A
11 12
67
15
14 12
澤井勝・いきいき堺市民大学学長
ていたが介護用品店とは違っ
17
16
18
二宮金次郎2つの肖像(3)
を見せてもらって、いつま
でもおしゃれが楽しめる時
応援 団 広報 室 員 ・松 浦 三 津
6
5
17 16
きる地方の首長
SS
F
G
D
14
13
12
代になったことを実感した。
(
8
7
子)
年と
同社門前で好みのシルバー
カーに座る広報室員
4
3
2
1
11
乳母車メーカーからの転
11
10
ss倶楽部だより
クロスワードパズル
10
50
10
C
40
杖代わりにも椅子にもなるシルバーカー。デザインも豊富だ
10
SS探訪記
ss
身 だそ う で、 創 業
48
10
2
URL http://ss-ouendan.jp
SS情報ひろば(季刊)
2013年(平成25)12月1日(第18号)
URL http://ss-ouendan.jp
SS情報ひろば(季刊)
2013年(平成25)12月1日(第18号)
3