鵜殿さんちの氏長君∼目指せ譜代大名∼

鵜殿さんちの氏長君∼目指せ譜代大名∼
ベニヤ板
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︻小説タイトル︼
鵜殿さんちの氏長君∼目指せ譜代大名∼
︻Nコード︼
N1022BM
︻作者名︼
ベニヤ板
︻あらすじ︼
戦国時代に生まれ変わった主人公が、現代の知識その他諸々を駆
使して立身出世を企むお話。
※作中でいかにもなキャラが出てきますが、主人公以外の転生者は
出ません。
1
戦国時代にようこそ︵前書き︶
とりあえず執筆に挑戦してみました。
初投稿なので至らぬところもあると思いますが、批評よろしくお願
い致します。
12/1/05⋮⋮サブタイトルを変更
2
戦国時代にようこそ
室町幕府八代将軍・足利義政の後継者争いに端を発した応仁の乱
は、日本全土に戦乱の炎をばらまいた。
もともと平穏とは程遠い政治を行ってきた室町幕府は、十年に渡
る戦闘によって権威と求心力のほとんどを喪失、京都周辺に僅かな
影響力を残すだけの一政権と成り果ててしまう。 京の都は灰塵と化し、街中が死骸と悪臭で満ち溢れ、高貴な宮人
たちがみすぼらしいなりで都落ちするさまは、古来よりこの国を成
り立たせていた身分秩序が完全に崩壊したことをあらわにしていた。
京を中心として発生したこの戦乱は、中央のみならず地方にも深
刻な影響をもたらした。幕府という頭を事実上失った各地の守護大
名や豪族は、自らの繁栄を求めて戦火を広げ、結果として地方にお
ける中央の権威は完全に失われる。 守護・探題と言った幕府の権威を拠り所にした役職は、何の力も
持たない名目上の肩書きと成り果て、替わって台頭した己の力のみ
を拠り所にした存在に徐々に侵食され、やがては排除されていく。 その様はまるで、朝廷の没落によって権力基盤が公家から武家へ
と移り変わった源平時代の焼き回しのようであった。
解き放たれた戦乱と言う名の獣は、元凶である応仁の乱が終結し
ても止まることを知らず、暴虐と混乱をもって日の本を喰らいはじ
める。
法も治もなく、血を血で洗い、力をもって力を制する混沌とした
時代へと移り変わろうとしていた。
3
後世に言う﹁戦国時代﹂の幕開けである。
これから始まる物語は、そんな時代に放り込まれたとある″異物
″のお話。
明日も知れない戦乱の時代を、ただひたすらに駆け抜けようとす
る物語。︵予定︶
戦乱の中で果てるのか、最後まで生き残り、乱世の終わりを見届
けることができるのか。
それはまだ、誰にもわからない。
ただひとつ言えることは、東照大権現の心労が増える、というこ
とだけである。
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
4
弘治三︵一五五七︶年初夏。
さんさんと照りつける日差しによって野山が深緑に染まり、家々
の軒陰に空蝉が目立ちはじめる頃。ここ駿府の街は、足利将軍家の
傍流にして駿遠三の太守・今川義元のお膝元として、戦乱の世とは
程遠い平穏と繁栄を享受していた。 そんな町であるから、応仁の乱によって焼け野原と化した京都か
ら多数の公家や文化人が移り住んだことで都の文化が伝えられ、広
められたのである。
もとより代々の今川家当主が心血を注いで造り上げた駿府の街で
ある。
和歌や茶の湯といった都の文化が好まれるのは、ある意味当然の
ことだったのだろう。
結果として駿府の文化度は鰻登りに上昇。
現在では﹁東の都﹂と称され、後世において﹁今川文化﹂と呼ば
れる独自の文化を築き上げるまでの大発展を遂げていた。
この背景には数年前に結ばれた、今川、武田、北条三家による俗
に言う甲相駿三国同盟の存在も大きいのかもしれない。
合戦なんて経験したことのない、元現代人の俺としては有り難い
限りである。
とはいえ、一歩国外に目を向けると、まだまだ余談を許さない状
況が続いていた。
応仁の乱を皮切りに始まった諸大名による天下取りレースは、乱
の終結から七十年以上が経過してもとどまるところを知らず、むし
5
ろ過激さを増している。
駿河から遠江を挟んで西側、今川家が統治する三河国では、隣国
尾張の統一に王手をかけた織田上総介信長が侵略の魔の手を伸ばし、
今川方の小領主たちと小競り合いを繰り返していた。
さらに尾張の北、美濃国では、下剋上の代名詞、美濃の蝮の異名
をとった斎藤山城守道三が息子・左京太夫義龍との相剋の果てに敗
れて敗死するという、この時代を象徴するような事件が起きている。
また、甲信越では三国同盟の一角である甲斐武田家が、越後長尾
家︵後の上杉家︶と北信濃の領有を巡って川中島で三回目の激戦を
行い。
関東においては、これまた三国同盟の一角である後北条氏が同地方
における覇権を求めて、佐竹・里見・長野・太田といった関東の小
大名たちと一進一退の攻防を繰り広げている。
さらに遠く山陽では、謀聖・毛利右馬頭元就の前に、名門・大内
家が滅亡寸前まで追い込まれているとか。
俺が戦国時代に産まれ、早幾年。
今川家の重臣にして、三河上ノ郷城主・鵜殿藤太郎長照の嫡男、
鵜殿新七郎。
それが、この時代での俺の名である。
生まれた当初は、目が覚めたら戦国時代で、﹁オギャー﹂という
鳴き声をあげていたというショッキングな現象に驚愕し、なぜ俺が
こんな目にだとか、どうしてこうなったとか、まるで意味がわから
6
んぞだとか、散々悩んだものだが、起きてしまったことは仕方がな
いし、何よりも住めば都という言葉どおり、生まれて時間の経った
現在では、微妙な戦国ライフをそれなりに楽しんでいたりする。
正直に言えば、今でも我が身に起こったことが信じられないし、
まさか自分がネット小説宜しく憑依やら転生やらと呼ばれる話の主
人公のような境遇になろうとは夢にも思わなかった。確率としては
先攻エクゾ○ィアを遥かに下回るであろう。本当に驚きである。
別に現代で死んだ覚えは全くないし、変な神様に飛ばされてきた
とか、妙な幻を見たという覚えもないのだが⋮⋮。
話がそれた。
ぶっちゃけ戦国時代とはいっても、日本であることには変わりな
いし、住んでいる人々も自分と同じ人間であるわけで、ファンタジ
ー小説よろしく怪物やら魔法やらが存在するわけでもない。人間の
適応力が凄いのか、はたまた俺が図太いだけなのか。馴れさえして
しまえば、現代と殆ど変わりないペースで生活が送れるのである。 勿論戦乱の世の中だけあって、人の命が現代日本に比べてはるか
に安いとか、謀反の嫌疑をかけられれば高確率で首がかっとビング
するだとか、色々とヤバい面もあるが、それはアフリカとか中東の
紛争地域だって同じことだろう。気にするだけ無駄だと思う。
他にも色々と問題は存在するが、重ねこの駿河は非常に居心地が
良い。元からの文化水準の高さと、今川家現当主・治部大輔義元公
の見事な政治手腕も相まって、生活しやすいことこの上ない。
7
とりあえず住み慣れた故郷・三河上ノ郷を離れ、留学と言う名の
人質として駿河にやって来た時はどうなることかと思ったが、今で
は生まれ故郷以上に気に入っている。
今川義元と言えば、一般的には貴族被れで軟弱なイメージがあり、
桶狭間の戦いにおいて、勢力の劣る織田信長の前に敗れた噛ませ犬
という印象が非常に強いが、実際には文武両道に優れ、特に内政面
に傑出した人物だったらしい。
その敏腕のほどは、この駿府の繁栄ぶりを見ればおのずと理解で
きるものである。
俺もこちらに来たときに一度だけ会ったことがあるが、その外見
は某ゲームのようなでっぷりとした公家公家しい姿ではなく、太り
ぎみながらも、戦国武将らしさを醸し出す立派な風体であった。
かつて大河ドラマで今川義元を演じた俳優は、﹁桶狭間で討ち取
られたという結果だけが強調されている﹂と語ったらしいが、まさ
にその通りだろう。
歴史は勝者の観点から見られるものだから、仕方がないと言えば
仕方がないが。
蘊蓄尾張。
この快適な生活も、史実通りに行けば、あと三年足らずで終わり
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を告げる。
永禄三︵一五六〇︶年、桶狭間の戦いにおける今川義元の戦死と、
それに伴う今川氏の衰退。そして武田家の駿河進攻と、三国同盟の
崩壊。
これらの事件を経て、これだけ栄えた駿府の街も荒廃していくの
だろう。住み慣れたこの街が焼け落ちていくのを見るのは悲しいが、
歴史を大きく歪めるのは、俺一人の力では到底不可能だし、﹁形あ
るものはやがて滅びる﹂という言葉もある。割りきるしかない。
寧ろこういった残りそうにないものを、しっかりと記憶して後世
に伝えること。
それが俺の役割じゃないだろうか。
史実通りに生きれば、﹁鵜殿新七郎﹂は江戸幕府の旗本という武
家としては今一ぱっとしない身分で一生を終えることになるだろう
が、せっかく戦国時代に来たのだ。大名と呼ばれる身分にはなって
みたいし、何よりも俺がこの時代に生きた証というか、記録という
か。そういったものを残すという夢がある。
具体的に言うなら﹁戦国時代をどうにかして生き延び、この時代
合戦や文化について詳細な記録を残す﹂こと。
桶狭間は年齢的に無理だが、長篠や小牧長久手なら生きていれば
楽勝で参戦できるし、史実どおり徳川家につくことができれば、関
ヶ原や大阪の陣に参戦することも夢ではないはずだ。途中で死ぬか
もしれないが、その時はその時。
自分に乱世を生き延びるだけの力がなかったってことでさっぱり
諦めるしかない。
9
ついでに譜代大名として大領を得られれば言うことなしなのだが、
それは高望みすぎるだろう。
さて、思い立ったら行動を起こさなければ。彦五郎様と次郎三兄
貴に協力してもらって、今川家の詳しい合戦記録でも作るとします
か。
10
戦国時代にようこそ︵後書き︶
役に立たない用語解説
駿河⋮⋮現在の静岡県中部から東部
遠江⋮⋮現在の静岡県西部。浜名湖あたり。
三河⋮⋮現在の愛知県東部
尾張⋮⋮現在の愛知県西部
美濃⋮⋮現在の岐阜県南部
信濃⋮⋮現在の長野県
甲斐⋮⋮現在の山梨県
相模⋮⋮現在の神奈川県
駿府⋮⋮現在の静岡県静岡市
三河上ノ郷⋮⋮現在の愛知県蒲郡市あたり
守護⋮⋮室町幕府が国単位で設置した、
軍事指揮、行政指導のための役職
探題⋮⋮幕府における、政務において重要な採決を行う役職。また、
九州や東北など地方において、広範囲にわたる執行権をもつ役職
家忠日記⋮⋮三河深溝城主・松平家忠の日記。1575年から15
94年まで、何があったかを簡潔に書き綴ったもの。歴史資料とし
てはこれ以上ないほどに優秀。最古の将棋譜面とか人魚の絵で有名
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先攻エクゾ〇ィア⋮⋮某カードゲームにおける﹁五枚揃えたら勝ち﹂
なアレをゲーム開始直後に揃えること。起こる確率は639730
分の1以下
12
今川家の人々︵前書き︶
会話文がおかしい部分があるかもしれませんが、ご容赦願います。
13
今川家の人々
自宅を飛び出して、駿府の町を中を駆け抜ける。
京の都をモデルにして造られたこの町は、戦国時代の町にしては
ハイレベルな区画整理が行き届いている。京都同様碁盤の目のよう
に整備された道路の脇に、侍屋敷をはじめとした町屋が計画的に配
置された様は、見た目美しい町並みを形成していた。
それと同時に今川氏の本拠地である今川館も、軍事拠点というよ
りも政庁・御所としての色合いが濃く、茶室、庭園と言った文化施
設が設けられ、﹁東の都﹂の中心地にふさわしい威厳を誇っている
のだ。
規模と文化でこの町に匹敵するのは、京都を除けば越前朝倉氏の
一乗谷、大内氏の山口城下ぐらいだろう。
もちろん、戦国大名の本拠地としては些か守りが薄いと言わざる
を得ないが、もともとこのあたり一帯は、北に富士山・南アルプス
の山並み、南に駿河湾、東に箱根、西に大井川・安倍川・天竜川と
いった天然の守りに囲まれた、攻めにくく守りやすい土地である。
さらに駿府の町が存在する辺りから、甲斐・相模の国境にかけて、
大量の城砦による防衛ラインも構築されている。こうした事情も相
まって、よ︵・︶ほ︵・︶ど︵・︶の︵・︶こ︵・︶と︵・︶がな
い限り、駿府の町自体が敵の攻勢にさらされることはないと考えら
れているのだろう。
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そんなことを考えているうちに、目的の屋敷が見えてきた。
それほど大きくないとはいえ、周りをぐるりと築地塀で囲まれ、
立派な棟門まで設置された屋敷である。初めてきた人間ならば、間
違いなく気後れしてしまうだろうが、幸いなことにここに来るのは
初めてではない。
とりあえず塀に沿って棟門の前まで歩を進める。門番に挨拶し、
そのまま中に入ろうとしたが、それと同時に何者かに呼び止められ
た。
﹁新七郎様ではございませんか。殿に何か御用ですかな?﹂
どうやら俺のことを知っているようだ。
返答に答えるべく振り向くと、そこにいたのはやはりというか顔
見知りであった。
背がかなり高く、全体的にやせ気味という印象を受ける若侍。年
齢は20歳ぐらいだろうか。
﹁ああ、彦右衛門殿。実は兄貴に頼みがありまして。取り次ぎを頼
んでもよろしいですか?﹂
﹁承知いたしました。どうぞ中へお入りください﹂
鳥居彦右衛門尉元忠。
見た目では頼りなさそうに見えるが、史実では後世において無二
の忠臣・勇将として評価を受ける人物である。
﹁ところで彦右衛門殿、兄貴と奥方の仲はどうですか?﹂
﹁殿が尻に敷かれております﹂
元忠殿と世間話をしつつ、畳と木の香りが濃い屋敷の中へと入っ
15
ていく。
この屋敷自体は建造されてから時間が経っている筈だが、森の香
りが仄かにするのは、数か月前にこの屋敷の主の婚姻に伴って増改
築したからだろう。ところどころ材木が新しくなっている。
しばらくして、前を歩いている元忠殿が畳の臭いの濃い部屋の前
で静止した。
どうやらここで待てということらしい。
﹁殿に声をかけてまいります。ここでお待ちを﹂
そう言うや否や、元忠殿はもの凄い勢いで部屋を出ていってしま
った。あの分だと取次にはそこまで時間がかからないだろう。
彼が戻ってくるまでの間、通された部屋をのんびり眺める。
そこまで広くはないが、畳がしっかりと敷き詰められ、棚に付書
院、押板がついた、典型的な室町時代後期の書院造の座敷である。
壁には怪しい掛軸がかけられ、押板の前机にはしっかりと香炉・
花瓶・燭台の三具足が置いてある。もともとは会所︵客間︶だった
のかもしれない。
待つこと数分。元忠殿が戻ってきた。
何故か緊張しているようだ。何かあったのだろうか。
﹁お待たせいたしました。ご案内いたします﹂
﹁お願いします﹂
彼の様子に首をかしげながら、書院造の部屋を出て、この屋敷の
主が待つという部屋へ向かう。
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あの人と会うのは今年初めの婚礼の儀以来だか、元気にしている
だろうか。
同じ人質の身でも、今川家の一門で重臣の嫡男である俺とは違っ
て、次郎三兄貴には家中の風当たりが強い。今の奥方︵義元公の姪︶
と婚礼をあげた後は、それも多少は和らいだらしいが、それでも含
むものはあるのだろう。駿府の町を探索していると、今川譜代の家
臣たちが陰口を叩いているのがたまーに聞こえてくる。
特に酷いのが、この屋敷の目前に住む孕石主水で、奴は兄貴の身
分が低い︵と勘違いしている︶のをいいことに、顔を合わせるたび
に嫌味や罵倒を繰り出し、不満のはけ口にしているらしかった。
⋮⋮戦国時代にもいじめはあったのだ。
ちなみにこいつは史実では今川家が衰退すると真っ先に武田家に
寝返り、最終的にかつていじめていた兄貴自身の手によって引導を
渡されているが、それはまた別の話。
どうやら到着したようだ。
元忠殿が平伏し、俺もそれに倣って平伏する。
﹁新七郎殿をお連れいたしました﹂
﹁うむ、入ってよいぞ﹂
聞こえたのは兄貴の声ではなく、別人のものだった。それもどこ
かで聞いたことのある声。
屋敷の主である兄貴に代わって返事をするのだから、かなり高位
の人物であることには間違いない。
元忠殿が青ざめるのも理解できる。平伏していて正解だった。
閉じられていた襖が、スーッという音を立てて開かれる。
その中から現れた人物を見て、俺は驚愕することになる。
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∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
﹁二人とも顔をあげてよいぞ﹂
威厳たっぷりの声に導かれ、元忠殿と二人で頭を上げる。
顔を上げた直後に見えたのは、数人の男女。全員見たことのある
顔だった。
その中でもっとも上座に坐した、公家のような男が真っ先に声を
あげた。
﹁久しいな、新七郎。変わりはないかな?﹂
﹁はっ、治部大輔様のご尽力により、何一つ不自由なき生活を送っ
ておりまする。﹂
頭に烏帽子、顔に薄化粧と殿上眉をつけ︵お歯黒も塗っている︶、
多少太り気味ともとれる男性。絢爛豪華な着物を着用しているが、
全身から醸し出す高貴な気配によって、いやらしさは全く感じない。
それどころか、逆に高貴さを際立たせているように感じられる。
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一見公家に見えるこの方こそ、駿河・遠江・三河の三国守護にし
て、今川本家の現当主。今川治部大輔義元公である。
この方が俺のことを覚えているとは思わなかった。ちょくちょく
見かける機会があったとはいえ、直接会話したのは三年ちょっと前、
駿府にやってきた直後に一度だけであるし、その時もお互いに儀礼
的な挨拶をしただけだった。
﹁ふふふ、不思議な顔をしておるな。なぜわしが一度言葉を交わし
ただけのそなたのことを覚えておるのか、疑問に思っておるのだろ
う?﹂
⋮⋮!
まずい。放心していたようだ。あわてて返事をする。
﹁はっ、驚きのあまり放心しておりました。無礼のほど、どうかご
容赦願います﹂
﹁よいよい、気にするでない。﹃これ﹄を目にしたものは、みな同
じような顔をするからのぅ﹂
義元様は笑って言った。しかし﹃これ﹄とは俺を驚かせたことだ
ろうか。ひょっとして義元様には、人を驚かせて楽しむ趣味がある
んじゃないだろうかと、邪推する。
﹁失礼な奴だな。考えが顔に出ておるぞ。わしにそんな趣味などな
い。ただ、一度覚えた人間の顔は忘れんようにしておるだけだ﹂
﹁なるほど合点がいきました﹂
主君たるもの、下々の人のことまで云々というやつである。頭が
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下がる。
﹁そんなことよりも、そんな遠くでは話しづらかろう。近う寄れ﹂
義元様が手招きしている。一瞬招き猫みたいだ、という失礼な考
えが浮かんだ。
﹁失礼いたします﹂
正直無礼をするのが恐ろしいので近寄りたくないないが、断るの
も当然無礼である。床に座ったまま、のそりのそりと亀のように移
動する。
上座から見て正面、人の輪の端っこまで移動すると、義元様が再
び語りかけてきた。
﹁うむ。素直でよろしい。ところで今日は次郎三郎に用があるよう
だな。わしらのことは気にせずに話すがよい﹂
﹁ははっ﹂
義元様に返事を返し、下座に追いやられているこの屋敷本来の主
の方に向きなおり、語りかける。
﹁お久しぶりです、次郎三郎様。ご機嫌いかかですか?﹂
﹁あ、ああ。くるしゅーないぞ。ははは⋮⋮﹂
どうやら、突然話を振られたことで驚いているようだ。明らかに
動揺している。不意打ちに弱いのは相変わらずのようだ。後ろに控
える奥方︵新婚ほやほや︶も、釣り目をたれ下げて呆れている。
ちなみに義元様をちらりと見ると、大爆笑していた。あんた、絶
対わかってやってるだろう⋮⋮。
20
︵おい、落ち着け次郎三。話を振られた程度で動揺してどうする︶
次郎三兄貴の隣に座っていた若い侍が突っ込みを入れた。まるで
漫才である。 ︵すまん、次郎右衛門殿。助かった︶
ちなみにこの二人、周りには気づかれていないつもりなのだろう
が、バレバレである。
義元様大爆笑。
なんだか情けない登場の仕方になってしまったが、この人こそ松
平次郎三郎元康。
のちの徳川家康その人である。
俺とこの人が知り合ったのは、もう三年も前になる。
例によって孕石にいじめられていた兄貴を俺と父上が見つけ二人
で援護に入った、という本当に偶然としか言えない出来事があった。
もともと我が鵜殿家と松平家は領地が近いこともあり、あまり仲
が良くなかったのだが、それでも助けに入ったのは、同じ三河武士
としてなにか感じるところがあったのからなのかももしれない。
そして、父上は俺を一人駿府に残すのが不安だったのだろう。
普段は上之郷にいる自分の代わりに俺の面倒を見ることを兄貴に
頼み、兄貴も助けられた例として快く引き受けた。
それ以来三年あまりに渡って、兄弟のような関係が続いているの
である。
ちなみにどうでもいいが、兄貴に突っ込みを入れた若い侍は岡部
次郎右衛門尉正綱という。一応、今川家譜代の重臣家の当主である。
21
やがて落ち着きを取り戻し、お茶をがぶ飲みした兄貴が、今度こ
そまともに返事を返してきた。
﹁改めて久しぶりだな。新七郎。元気だったか?﹂
いまさら取り繕ってももう遅いと思うが、顔には出さず返事を返
す。
﹁はい。お久しぶりです。次郎三郎殿。今日はお願いがあって参り
ました﹂
﹁おれとおぬしの中だ。できる限りの頼みは聞こう﹂
﹁はい。松平家の歴史について教えていただきたいのです。このた
び、御本家︵今川家︶の繁栄を後世に伝えるために、書を綴ろうと
思いまして﹂
﹁ほう﹂
今のは義元様である。何やら考え込んでいるが、とりあえず無視
しておく。
﹁相変わらず年に似合わぬ難しいことを考えるな、おぬしは。だが、
御本家の書物になぜ松平の歴史を綴るのだ?﹂
﹁拙者が纏めたいのは、今川家に関わるすべての歴史や戦史です。
ですから当然、今川家の客将となっている松平家の歴史もまとめて
おきたいのです﹂
﹁⋮⋮さようか。承知した。だが、流石に今からは無理だぞ。見て
の通り大殿を迎えての茶会の最中であるゆえ﹂
﹁はい。いつでも構わないです﹂
とりあえず言質はとれた。明日にでもまた聞きに来れば良い。
22
さて、用事もこれで終わりだ。流石に招かれざる客である俺が長
居をするわけにはいかないし、茶会の作法なんて殆ど分からない。
さっさと退室するにかぎる。
義元様の方を向き、挨拶を告げる。
﹁大殿、用も済みましたゆえ、これにて失礼いたします。お楽しみ
のところ、余計な時間を使わせて申し訳ございませんでした﹂
﹁まあ、待て﹂
そそくさと退室しようとしたが、義元様に呼び止められる。
なんだろうな、と思いつつ耳を傾けるが、彼の口から飛び出した
のは、驚愕の一言だった。
﹁当家の歴史を綴るというのなら、当主の話を聞くのが一番よかろ
う。お主さえよければ、今ここで話してしんぜるが。どうかな?﹂
正直願ってもいない一言である。今川本家の歴史については、後
で若様にでも尋ねようと思っていたのだが、まさか義元様の口から
聞くことができるとは。
深々と頭を下げて、返事を口にする。
﹁ありがたき幸せ。ぜひお願いいたします。ですが、お茶会のほう
はよろしいのですか?﹂
﹁気にするでないぞよ。茶会という名の雑談でおじゃったからのう。
父上も有意義な話ができて嬉しいのじゃろう﹂
義元様に代わって返事をしたのは、なんと若様だった。
部屋の中にいることに全く気が付かなかった。
しっかりと武将らしい雰囲気を醸し出す義元様と違い、この人は
見た目も中身も完全に公家被れのバカ殿様である。一応、塚原卜伝
23
に剣術を習っているらしく、剣術もそこそこの腕前があると言う噂
だが、生憎俺は一度も見たことはない。
﹁相変わらずよくわからぬことを考えておじゃるのぅ。新七郎。禿
げるぞよ﹂
﹁⋮⋮﹂
自分の台詞を取られた義元様が若様をにらんでいるが、そんなこ
とに気づかないKYな若様はマシンガントークを繰り出し続けてい
る。
曰く、時代は蹴鞠だ、蹴鞠の良さが分からないのは人間じゃない、
蹴鞠が広まれば日ノ本は平和になる云々。流石は戦国のファンタジ
スタ今川氏真といった所だが、その情熱を別のところに使えと言い
たい。
若様がしゃべり続けること数分。
ぶつりと何かがキレる音がした。
﹁彦五郎、少し黙れ﹂
ごちん。
へなちょこ若様に明らかなオーバーキル拳骨を食らわせのは、案
の定義元様だった。顔が真っ赤になり、頭には井の字が浮かんでい
る。滅多に怒ることはない人らしいが、バカ息子に対しては別、と
いうことだろうか。
﹁ひどい、あんまりでおじゃる。麿はただ、蹴鞠を楽しみたいだけ
でおじゃるのに。いてて、いていてて⋮⋮暴力反対!父上、やめて
24
くだしゃれ﹂
ボカボカと殴られながら、若様はまだ騒いでいる。
この騒動が終わるのに、まだまだ時間がかかりそうであった。
しばらくして、若様に対するお仕置きを終えた義元様が、上座に
戻りつつ喋りだした。
﹁⋮⋮気を取り直して、まずは今川家のおこりから話すとするかの
ぅ﹂
﹁お願いします、大殿﹂
部屋の隅では、義元様に蹴鞠禁止令を言い渡された若様が地面に
のの字を書きながら蹲っているが、誰も気にしていない。哀れであ
る。
﹁うむ。我が今川家は上様の御一門・吉良家の分家である、と言う
ことは既に存じておろうが、その始まりは、足利義氏公の孫にあた
る国氏公が義氏公の長子・長氏公の養子となって三河国今川荘を継
ぎ、姓を今川と改めたことに始まる。もっとも、その頃は僅か数村
を有するだけの一武家にすぎなかったがの﹂
足利義氏。足利本家︵将軍家︶の第三代当主で、鎌倉幕府中期の
功臣。足利氏中興の祖ともいうべき人物である。ちなみのこの時代
にも同名の人が存在している。
25
﹁ところで、長氏公には既に実子・満氏公が存在していた。この満
氏公こそ、吉良家の祖。つまり、今川家と吉良家はいわば兄弟のよ
うなものだな。ちなみに、長氏公は、義氏公の庶長子での。母が側
室であったことから、足利本家の家督を継げなかったそうだ。吉良・
今川両家が足利本家の相続権をもっておるのは、このあたりの事情
が関係しておるのかもしれんのう﹂
そういうと義元様は、どこか遠い目をして部屋の外を眺めた。
あまり表にはださないが、この人も腹違いの兄を倒して家督を継
いでいるのだ。気にならない訳が無いのだろう。
﹁当家が飛躍するきっかけを作ったのが、国氏公の子・基氏公だ。
基氏公は安達泰盛の乱において戦功をあげ、遠江引馬に所領を与え
られて移り住んだという。﹂ ﹁⋮⋮わたくしの実家である関口家は、基氏公の次男・常氏公の末
裔だと聞き及んでおりますわ﹂
いままで無言だった兄貴の奥方である瀬名様が、初めて口を開い
た。
いかにも名門のお嬢様といった感じの見た目である瀬名様は、と
んでもない美人である。こんな嫁さんを貰えた兄貴は爆発しろ。
名門意識が強いゆえに、実家に関係する話題に黙っていられなく
なったのだろうか。
彼女の言う通り、関口家は今川家の縁戚であり、家中での序列も
かなり高いほうである。
﹁これ瀬名、控えぬか。大殿の話に口を挟むとは、いくらお前でも
26
無礼すぎるぞ﹂
﹁あら、旦那様こそ。主君のまえで狼狽するのは、無礼以前の問題
ではありませぬか﹂
兄貴が慌てて咎めるが、瀬名様には全く効いていない。
⋮⋮元忠殿のいう通り、尻に敷かれているようだ。桶狭間後に仲
が悪くなるのもある意味当然かもしれない。
二人のしょうもない口論は、この後義元様が止めに入るまで続い
た。
﹁⋮⋮話を進めてもよいかの?﹂
﹃失礼いたしました︵わ︶﹄
義元様に怒られた兄貴と瀬名様が、小さくなって自らの席に戻る。
ついでにどうにか立ち直った若様も、自分の席に戻っていた。
三人が戻ったことを確認すると、義元様は再び講釈を始めた。
﹁さて、当家の飛躍の話だったかの。先ほどの基氏公には五人の子
がおった。建武の新政のおり、出家していた四男を除く四人は全員
が足利尊氏様の配下として北条時行の軍勢と戦い、末子・範国公を
残して戦死してしまった。この忠勇に報いるべく、尊氏様は範国公
を駿河・遠江両国の守護に任じられたのだ。ここ駿府に今川館が設
けられたのもこの範国公の時代のことだな﹂
﹁つまり、今の繁栄の元を作ったのは範国公だということですか?﹂
そういって声をあげたのは、ほぼ空気になりかけていた岡部正綱
27
殿だった。
﹁そういっても間違いはないが、正確には異なるな﹂
﹁建武の新政が失敗して、南北朝の動乱が始まると、範国公は当然、
北朝︵足利尊氏側︶について活躍した。その功績がもとで、範国公
は室町幕府開府の際に引付頭人に任じられ、京都に在住することが
多くなった。代わって両国の統治を担当したのが、範国公の子・範
氏公だった。この駿府に館を造ったのも、実際は範氏公であったと
いわれておる。よって、当家発展に関して言えば、範氏公の功績の
ほうが大きいのだな﹂
義元様の説明が終わると、正綱殿は納得した様子で引き下がって
いった。
﹁さて、この時代の当家の歴史において欠かすことの出来ないのが、
九州探題を務め、歌人で知られた今川了俊貞世様だな。了俊様は引
付頭人から九州探題に抜擢され、九州平定を果たした英傑だった。
最終的には大内義弘が引き起こした乱に巻き込まれて失脚してしま
うが、その活躍は、今川家の名声を引き上げるのに大いに貢献した
と言えるだろう﹂
﹁父上。了俊様の歌はどのようなものだったのでおじゃりましょう﹂
歌人と聞いて若様がアップを始めたようだ。普段では絶対に聞き
もしないようなことを聞いている。
﹁うむ。作品自体は詳しく伝わっておらぬゆえ、詳細はわからぬ。
だが、紀行文を著していたり、一説には徒然草の編纂にも関わった
と伝えられておるぞ。これで了俊様の話は終わりじゃ﹂
28
﹁話がそれたな。範氏公のあと、五代泰範公、六代範政公、七代範
忠公と続き、八代義忠公のころに応仁の大乱が起こる。当時遠江の
守護職を斯波家に奪われていた当家は、西軍に属したかの家に対抗
するために東軍についた。そして、京都より駿河に帰還した義忠公
は、遠江奪還を目指して合戦を繰り返したが、志半ばで戦死してし
まう。順当にいけば、義忠公の御子息が家督を継ぐのが妥当ではあ
るが、残された義忠公の遺児・竜王丸様は当時まだ6つと幼く、当
然政務がとれる訳が無かった。そうなると、当然対抗馬が出てくる
わけだ。対抗馬になったのは、今川家庶流で武勇に優れるという評
判の高かった・小鹿範満だった。﹂
小鹿範満。確か義忠公の従兄弟だった筈だ。詳しくは覚えていな
いが。
﹁当然、家臣団も二つに割れた。もう解決したことゆえ、どの家が
どちらについたかは省くことにするが、とにかく今川家の存亡が掛
った大事件になった訳だな。結局この事件は、竜王丸様の母方の叔
父、伊勢新九郎の仲裁によって﹃竜王丸様が元服するまで、小鹿範
満が家督を代行する﹄という条件で解決を見た。ところが当の範満
本人は家督を返すつもりがなかったようだ。竜王丸様が元服する年
齢に達しても、家督を返そうとしなかった﹂
﹁流石に痺れを切らせた竜王丸様と伊勢新九郎は、駿府館に範満を
攻め、無理やり家督を返上させた。そしてそのまま元服。彦五郎氏
親と名乗ることになる。⋮⋮わしの父上だな。ちなみにこの後、伊
勢新九郎は、今川家の支援の元、関東に進出して﹃北条﹄を名乗る
ことになる。⋮⋮今の北条家の祖になった訳じゃ﹂
29
現代でも有名なエピソードではあるが、さすがに当事者ともいえ
る人物から話を聞くと重みが違う。
父親の話が出てきて嬉しいのか、義元様の講義はヒートアップし
ていく。
﹁氏親様の当主としての力量は、歴代当主たちの中でも、特にずば
抜けていた。外征においては憎き斯波義達を尾張に追放して遠江を
奪還。さらに三河の松平長親や甲斐の武田信虎といった、名高い武
将たちとも互角に戦った。内政面においては当家の分国法・今川仮
名目録を成立させておる。阿部金山の開発や、遠江の検地といった
活動も、氏親様の代に行われ始めたことだな。もちろん伊勢新九郎
めの補佐もあったが、奴が真面目に補佐を行っていたのは氏親様ご
統治の前半期だけだ﹂
いつの間にか独立を果たした北条氏に対して含むところがあるの
だろうか。そういう義元様の言葉には、怒りがこもっているように
も聞こえた。
﹁そんな氏親様もやがて亡くなり、今川本家の家督は我が兄・氏輝
様が継いだ。氏輝様は中央との関係強化に努めたが、生来病弱だっ
たこともあって、僅か二十四歳の若さで亡くなってしまう。当然後
継者がおらず、僧籍に入っていた氏輝様の弟二人が後継者候補とし
て挙がった。花倉の玄広恵探と、善徳寺の栴岳承芳。つまりわしだ
な﹂
そういう義元様の目には、薄らと涙が浮かんでいる。お家のため
に仕方がなかったこととはいえ、やはり血の繋がった兄を自害に追
い込んだことを気にしているのだろうか。先ほどと比べて、声も落
ちてしまっている。
30
﹁大殿。もうおやめ下され。お辛いのでしょう﹂
﹁いや、大丈夫だ。今川家の歴史を語るには、決して避けて通れぬ
道。お主たちにも話しておかねば、わしの気が済まぬ﹂
その変化に気づいた正綱殿が止めに入るが、義元様はそれを振り
払い、自身の経験した花倉の乱を淡々と語り始めた。
﹁当時仏門にあったわしは、京都での修行を切り上げて、雪斎とと
もに駿河に帰ってきておった。そんな時だったな。氏輝様︱︱兄上
が亡くなられたのは﹂
俺たちに語りながら、義元様は当時を思い出しているのだろう。
顔を上に向けて目を瞑っている。
﹁兄上が亡くなられたという急報を受け取った雪斎は、直ちに政治
工作を開始しおった。母上や重臣達を通じて還俗の準備を整え、さ
らに兄上の遺した中央への繋がりと、自らの持っていた高僧人脈を
駆使して、上様からは偏諱を賜り、わし自身でも知らぬうちに﹁義
元﹂と名を改めることに相成った。玄広恵探が挙兵したのはその直
後のことだったよ﹂
﹁流石は雪斎和尚でございますな。ですが、そこまで準備が整って
いながらなぜ花倉殿︵※玄広恵探のこと︶は挙兵なされたのですか
?重臣方の殆どが賛成していらっしゃれば、どう足掻いても勝ち目
などありますまい﹂
次郎三兄貴が、この場にいる全員︵若様除く︶が思っているであ
ろう疑問を口にした。
兄貴のいう通り、継承権を主張して挙兵するにしてはタイミング
が遅すぎる。将軍家の偏諱を貰っていたということは、当時義元様
が今川家の次期当主として幕府にほぼ認められていたということを
31
示している。その時点での挙兵は、中央にとっては家督争いではな
く、ただの謀反としてとられてしまうだろう。リスクがでかすぎる。
もちろん雪斎和尚の迅速な政治工作を恵探側が察知していなかった
という理由も十分に考えられるが、義元様の口調ではその可能性は
低い。なにか絶対に負けないという根拠があったのだろうか。
﹁うむ。そなたの疑問はもっともだ。当時の恵探には強力な後ろ盾
がついておった。福島家という、当時の甲斐・遠江方面で軍事を司
っておった有力家臣でな。あまり知られておらぬが、恵探の母親は
福島氏の出での、おそらく奴らは恵探を傀儡とすることで、当家の
実権を握ろうと企んだのだろうな。現に母上が福島家優遇を条件に
説得を試みるも、見事に失敗しておる﹂
なるほど。合点がいった。一国の司令官ともなれば影響力はそれ
なりにあるだろうし、これに同調する勢力も現れるだろう。なにせ
恵探側が勝利すれば、家中の勢力図は一編するのだ。義元様を支持
した樹慶尼様︵義元様の母︶と譜代の重臣たちは排除されるか、影
響力を著しく低下させ、家中の運営に口を出すことはほぼできなく
なる。そしてそれに取って代わるのは、不利な政治状況のなか恵探
を支持した自分たち﹃忠臣﹄である。
﹁話を戻すぞ。とにかく玄広恵探は挙兵し、この今川館に攻め寄せ
た﹂
﹁結果はどうなったのでおじゃ?﹂
若様が言葉を発した。滅多に聞くことの出来ない父親の武勇伝に、
少々興奮しているみたいだ。
﹁⋮⋮わしらが負けておったら、お主は生まれておらぬわ。奴らに
とっては不幸なことに、相手が悪すぎた。何せ指揮をとったのがあ
32
の雪斎だったからのぅ。かの織田備後守を相手取って圧勝する男じ
ゃ。福島如きでは相手になるまいよ﹂
﹁なるほど﹂
ここにいる全員がうんうんと首を縦に振った。
義元様の師であり、次郎三兄貴の師でもある雪斎和尚の凄さは、
家中どころか国外まで鳴り響いている。いまさら驚くまでもないの
だろう。
﹁そうして襲撃に失敗した恵探一党は、自らの本拠である花倉・上
の方城まで引いて、徹底抗戦の構えをみせた。挙兵の情報を察知し
たのか、遠江や駿河の一部でも奴らに同調する勢力が現れた。もっ
ともその殆どは碌に連携もできない烏合の衆だったせいか、あっと
いう間に鎮圧されていったがの。﹂
義元様はなおも話を続ける。
﹁戦局がこちらに傾いたのは、翌月のことだった。福島一党が籠る
上の方城を、岡部左京進︱︱次郎右衛門の父だな︱︱が陥落させた
のだ﹂
自分の父親の名前が出てくるとは思わなかったのか、正綱殿本人
は拍子抜けした顔をした。それに突っ込みを入れたのが兄貴。さっ
きとは逆のパターンである。
﹁それに勢いづいたわしらは、花倉城を一斉に攻めたてた。初めの
頃こそ持ちこたえていた恵探も、徐々に支えきれなくなり逃亡。こ
こに家督争いは実質の決着を見たといってよい。恵探めが自害した、
という報せが入ったのは、その後すぐであったよ﹂
33
﹁これで、花倉の話はすべて終わりじゃ。わしが家督をついでから
の出来事は説明するまでもないだろう。﹂
義元様が目頭を押さえつつ言う。おそらくもう泣きかけているの
だろう。こちらまで悲しくなってきてしまう。
﹁のう、新七郎﹂
﹁はい﹂
﹁このたび話したこと。書に綴るときは一つの間違いもなく綴るの
だぞ。花倉においてわしが恵探を討ったこと。決して書洩らしては
ならぬ﹂
﹁承知いたしました。此度の御講釈、一つの違いなく記すことをお
約束いたしましょう﹂
﹁うむ。それを聞いて安心した。わしは兄を殺したことは後悔して
はおらぬ。後悔すれば、わしを支持して戦ってくれたすべての家臣
たちに対して申し訳が立たぬからの。だが、決して正しいとも思わ
ぬ。よいか、新七郎。彼の人物の存在を歴史から消してはならぬ。
玄広恵探という男が存在し、今川義元と争ったということ。間違い
なく後世に伝えるのだぞ﹂
そういうや否や、義元様はうつむいてお茶を飲み始めた。
一気に話して疲れたのだろう。うつらうつらとしているようにも
見える。
せっかくお茶を出してもらったことだし、俺も少し飲むとします
か。
34
次郎三兄貴や若様とお茶を飲みながら話していると、こんこんと
襖が叩かれる音がした。どうやら先に退室していた元忠殿が戻って
きたようだ。
﹁うむ。入ってよいぞ﹂
どうにか復活した義元様が、返事をする。
扉が開けられると、外にいたのは元忠殿と、ぜえぜえと荒い息を
立てる中年の侍だった。跪いているため表情は伺い知れないが、ど
う見ても焦っている。
﹁おや、源五郎ではないか。どうした。ずいぶんと慌てているよう
だが、何かあったのか?﹂
義元様もどこか焦っている様子である。
言葉に動揺が見て取れた。
﹁はっ、先ほど岡部五郎兵衛殿より危急の使者と書状が届きました
故、お持ちいたしました。どうぞご確認ください﹂
そういって、その源五郎と呼ばれた侍は義元様にボロボロの書状
を差し出す。
何が書いてあるかは分らないが、緊急の報告であることには間違
いないであろう。
﹁弟から⋮⋮?﹂
35
俺の隣では、正綱殿も焦り始めている。彼の弟である岡部五郎兵
衛元信殿は、今川領の最前線、尾張鳴海城の在番を務めている。そ
んな彼から緊急の書状が届くということは、国境で有事が起こった
ことを示していた。
織田家の攻撃か、それとも何か別の問題だろうか。
書状を読む義元様の顔が、どんどん青ざめていく。どうやら、状
況はかなり深刻らしい。
﹁彦五郎、館に帰るぞ。至急対策をとらねばならぬ。次郎三郎、今
日はこれでしまいにしよう。いきなり訪れて悪かったな。﹂
書状を読み終わるや否や、義元様と若様はそういって帰る準備を
始めた。
今日はこれで終わりらしい。
﹁新七郎も済まぬな﹂
﹁いえ、こちらこそ。いくら礼を言っても言い足りませぬ﹂
義元様はそういうと、若様と源五郎殿を引きずってもの凄いスピ
ードで部屋を出て行ってしまった。
﹁では兄貴、俺もそろそろ失礼します。大殿の話を忘れぬうちに書
き留めたい思っていますから﹂
﹁うむ。またいつでも来るがよい。お主ならば歓迎しよう。元忠、
屋敷まで送って行ってやれ﹂
﹁ははっ﹂ そういったやり取りを背後に、元忠殿に付き添われこの屋敷を後
にする。
さあ、義元様の願いを叶える為にも、早く帰ってまとめなければ。
36
これから先、とても忙しくなりそうな初夏の話であった。
37
今川家の人々︵後書き︶
気が付いたらお気に入り登録数が凄いことに。感謝致します。
ご意見・ご感想もお待ちしています。
38
出陣後ティータイム︵前書き︶
展開が少々強引かもしれません。
39
出陣後ティータイム
永禄元︵一五五八︶年新春。
日ノ本全土に寒気が満ち、あらゆる命に冷気を浴びせる季節。
紅葉によって最後の輝きを終えた木の葉が大地に堕ち、富士の銀
当然、夏ごろにはおいおいと茂っていた庭木の葉もすでに落
嶺より吹き下ろす冷風によって、まるで人形のように踊り狂ってい
る。
ちて、残っているのは新芽の息吹が出かけた裸木だけである。少し
寂しい気がする。
俺がこちらに生まれて九年目、駿河にやってきて四年目である。
先年夏、俺が松平邸を訪れた日に起こった、今川家の国境を揺る
がしかねない大事件は、つい先日一応の終わりを迎えた。
そもそもの始まりは、岡部元信殿が入手した一通の密書︱︱松平
邸で義元様に手渡されたボロボロのアレ︱︱であった。
俺は直接確認していないのでわからないが、どうもあの書状の中
身は、嘗て織田家から今川家に寝返り、その後も尾張の調略におい
て一線で活動していた山口左馬助教継と、その子九郎二郎教吉の織
田方への再度寝返りを約束する書状であったらしい。
それを手にした義元様は、すぐに今川館へと戻ると、事実関係を
調べ始めた。寝返りが事実だった場合、すぐに対策を講じなければ、
あの辺一体における力関係が逆転してしまう。義元様としても焦る
思いだったのだろう。
調査の結果、書状の筆跡が教継本人のものであることが確実視さ
40
れ、ほぼ同時期の駿河において、義元様の妹婿にして尾張戸部城主・
戸部新左衛門政直の不穏な動きが噂として流れ始める。そして、そ
れに連動するかのように、三河寺部城主・鈴木日向守重辰が織田方
に寝返ると、義元様は決断を下した。
︱︱山口親子の叛意は明らかである。処断すべし、と。
こうして﹁今までの忠勤を称する﹂という理由でまんまと駿河に
おびき寄せられた山口親子、および戸部政直は、駿府外れにあるボ
ロ寺で切腹させられてしまう。返り忠を繰り返そうとした人間の悲
惨な最期であった。
さて、この時期おける織田信長の動きに詳しい読者諸兄は、当然
この一件についてもご存じだろう。
そしてこう思った筈だ。
これって信長の謀略じゃねーの、と。
後世に伝わる話では、山口親子に手を焼いた信長が、自らの右筆
に山口教継の筆跡を真似させた偽の書状を作り、それをあえて今川
方に漏らすことで、自らの手を下さずに山口親子と戸部政直を始末
したとされる。
もちろんその可能性は非常に高い。
41
だがこの時期、太原雪斎の死によって三河の土豪たちに動揺が生
じており、昨年には三河国内の反今川勢力が一斉に蜂起、結果とし
て織田信長につけ入る隙を与えてしまっていた。
当然それは、尾張国内において今川に属する武将たちの動揺も誘
うことになる。なぜなら西三河が織田家の勢力圏に収まれば、自分
たちは今川家との連携が取れず、敵地のど真ん中に孤立する。もと
もと織田家から今川家に寝返った連中が過半数を占める彼らは、信
長に許される可能性は低い。仮に許されたとしても、間違いなく領
地大幅削減の上一生にわたって冷遇されるだろう。そうなると、早
めに織田方に通じておいたほうが良いと考える奴らも現れる。たと
えそれが、寝返り後の寝返りというあまりにも恥知らずな方法であ
っても。
よって、山口親子がそうした連中の一部であっても、なんら不思
議はないのである。
ついでに言うなら山口親子、並びに戸部政直は今川家にとってみ
れば信用のおけない外様である。
義元様は、何時寝返るかわからない彼らよりも、岡部元信殿をは
じめとする信頼のおける譜代家臣を国境線に配備したほうが良い、
と判断したのだろう。山口親子がいなくなった後の鳴海城には正式
に岡部元信殿が城主として入り、戸部政直が治めていた戸部城周辺
には、政直と同じく義元様の妹婿である浅井政敏殿が入っている。
冤罪ならば相当悲惨な話ではあるが、こんな時代である。運が悪
かった、とあきらめてもらうしかない。
ちなみに三河の方の動乱は、義元様が直接三河統治に手を出すこ
とで一応の解決を見た。先年、次郎三兄貴に瀬名様を娶せたのも、
42
松平宗家を今川家の一門に迎えることで、三河統治を円滑にすると
いう目的があったのはほぼ間違いないだろう。もちろん兄貴の器量
を義元様が買っていたから、という理由も強いだろうが。
閑話休題。
俺の歴史編纂活動は、正直のところあまり進んではいない。
というのも、先年の秋、鵜殿家︵ついでに今川家︶にとって、と
ても悲しい事件が起こったからである。
我が祖父・鵜殿長門守長持の死去。
義元様の妹婿であり、今川家にとっても、太原雪斎と並ぶ三河統
治の柱石であった彼の人物の死は、大きな痛手となったであろう。
それなりに勢力を持っていたとは言え、もともと三河の一豪族にす
ぎなかった鵜殿家を、今川家の重臣に列するまでの家格に引き上げ
たのは、ひとえにこの人の働きによるところが大きい。
おじい様のことはあまりよくは知らない。せいぜい趣味が連歌だ
ったと知っているぐらいである。
だが、戦国時代に生まれ変わったという事実が受け入れられずに
混乱して泣きわめいていた俺を、よくあやしてくれていたという記
憶ははっきりと残っている。泣き続ける俺に、趣味の連歌を披露し
てくれたこともあった。結果としてこの時代に馴れるきっかけを作
ってくれた人物だっただけに、死去を伝えられたときは大きく動揺
43
し、思わず納戸に引きこもって大泣きしてしまった。
葬儀にはそこそこ大勢の人が参加した。例の騒動の解決のために
偶然三河を訪れていた義元様と次郎三兄貴、それにおじい様と親交
のあった連歌師たち。当然俺も参列したが、落ち込んでいたせいで
あまり覚えてはいない。
そして葬儀の後、我が父・藤太郎長照は義元様から家督継承を認
められ、鵜殿家代々の名乗りである﹁長門守﹂を名乗ることになる。
ついでに俺も正式に鵜殿家の嫡子と認められた。万歳。
ちなみに兄貴は何故か鵜殿一門の娘︱︱おじい様の末娘で、父上
の妹。俺にとっては叔母にあたる︱︱と仲良くなっていた。
義元様から聞いた今川氏の歴史は、﹁治部大輔様御講釈﹂として
一冊の本に纏めることができたが、それ以外では、兄貴に松平家の
歴史をちょろっと聞いたぐらいである。それも大半が兄貴の祖父・
清康公に関わることで、松平家の歴史についてはあまり聞けていな
い。というか、聞いてもはぐらかされるあたり、兄貴本人も詳しく
は知らないのだろう。こうなると、のちの徳川家が新田氏の末裔と
いう話も怪しくなってくる。
このままでは進みも悪いし、どうにかして聞けないか、というこ
とで再び松平邸を訪れたわけであるが、なんと兄貴は出陣する間際
だったらしい。一言俺にあやまると、ドタバタとあわただしい音を
たてて出て行ってしまった。初陣がどうのとか騒いでいたことから、
おそらく三河寺部城を攻めるのだろう。
徳川家康の初陣として後世に残る、寺部城攻めである。
44
∼鵜殿さん家の氏長君・目指せ譜代大名∼
どうしたものかと松平邸の前で思案していると、瀬名様に声をか
けられた。
お茶でも飲んでいかないかとのことらしい。流石に自宅を飛び出
してきてすぐに帰っては、使用人達に示しがつかない︵追い出され
たと思われかねない︶ので、お言葉に甘えて休んでいくことにする。
瀬名様に連れられて、屋敷の中を歩く。どこか閑散としているの
は、主だった家臣は兄貴と一緒に出陣してしまっているためだろう。
現在屋敷に残っているのは女中さんや小姓ばかりである。
﹁さあどうぞ。少し散らばっていますが﹂
﹁失礼します﹂ そういって瀬名様に通されたのは、以前義元様と謁見した会所で
あった。
以前は詳しく見る余裕がなかったが、落ち着いて見てみるとなか
なか広い。中庭に面しているらしく、縁側がある。以前元忠殿に通
された部屋と同じく、壁には怪しい掛軸が掛っているが、あちらと
は違って日当たりがいいため胡散臭さは殆ど感じられない。
﹁お茶の用意をしてまいりますゆえ、しばらくお寛ぎ下さい﹂
45
そういって瀬名様は部屋を出ていった。
中庭を眺めながら思うが、瀬名様はとんでもない美人である。
腰まで届かんとする黒髪は、日の光を受けて艶やかな光沢を放っ
ている。着ている振袖の華美さも相まって、道を行く男どもなら間
違いなく振り返るであろう美しさを持っているのだ。
若様も見た目はあれだが、それなりに美形であることを考えると、
今川家は織田家並みに美男美女が生まれやすい家系なのかもしれな
い。
ちなみに今川家の血を引いているはずの俺は、残念なことに超平
凡な容姿である。
将来的こんな美人な嫁さんを謀殺することになる兄貴は男の恥だ
ろう。
どうにかして信康謀反事件を回避できないものか⋮⋮。
﹁お待たせいたしましたわ﹂
そんなことを考えていると、瀬名様が戻ってきた。
見ると小姓っぽい子供を二人連れており、どうやら二人にお茶と
お菓子を持たせているようだ。
ちょくちょく見る顔である。喋ったことはほとんどないが、松平
家重臣の子なのだろうか。
二人とも似たような背格好だが、俺から見て右側、お菓子を持っ
ている小姓のほうが若干背が高い。
﹁新七郎様、どうぞ﹂
﹁どうも﹂
46
お茶とお菓子を差し出された。手を出して受け取る。お菓子は饅
頭だろう。
もぐもぐ。うんおいしい。当然ながら和菓子であるが、食べてみ
たところ砂糖が使われている様子はない。砂糖が一般的に広まった
のは、江戸時代中期以降であるため、当然といえば当然であるが。
﹁御馳走様です﹂
﹁ふふっ。大人びていてもまだまだ子供ですわね、新七郎様は﹂
そういって頭をなでられてしまった。恥ずかしいからやめてくだ
さい。
﹁顔を真っ赤にして仰っても、説得力がありませんわよ﹂
むぅ⋮⋮。どうやらあちらのほうが何枚も上手のようである。
ならば話をすり替えてやる。
﹁そちらのお二人は、何度か見かけたことがありますが。いままで
喋ったことはありませんでしたね。俺は鵜殿新七郎と申します﹂
まさか自分たちに話しかけてくるとは思ってもみなかったのだろ
う。
突然話かけられた二人はたいそう驚いていたが、どっかの誰かみ
たいに狼狽することなく、立派な返事を返してきた。
﹁お目にかかれて光栄です。おれは松平家臣・本多忠高が嫡男・鍋
之助ともうします﹂
﹁おなじく松平家臣・榊原亀丸です﹂
47
まさかの超有名人。驚いて唖然としてしまう。
はたから見れば、今の俺は驚いた顔文字そのままの顔をしている
だろう。想像するだけで滑稽である。
本多鍋之助は後の本多忠勝、榊原亀丸は後の榊原康政で、二人と
も徳川四天王に数えられる忠臣だ。
ちなみに背の高いほうが本多鍋之助。
﹁い、いかがなされましたか⋮⋮﹂
﹁何かごぶれいでも⋮⋮﹂
俺の唖然ぶりを見ている二人は軽く混乱していたが、見事に謝罪
してきた。とても年齢一桁を超えたばかりの子供とは思えない。
﹁いえ、お二人が大人びていたため驚いておりました。混乱させて
しまってすみません﹂
﹁あなたのほうがこの二人よりも年下ですわよね。二人とも今年で
十を超えたところですから﹂
瀬名様が相変わらず俺の頭を撫でながら突っ込みをいれた。そう
いやそうだった。
この二人はともに天文十七︵一五四八︶年生まれ。つまり数えで
十一歳。一方俺は天文十八︵一五四九︶年生まれの十歳である。
それを聞いた二人は噴出して驚いている。
信じられないだの、そんな馬鹿なだの。
このままでは埒が明きそうにないので、何か話を振ってみよう。
48
﹁驚くのは勝手ですが⋮⋮。聞こえてますよ?﹂
﹁も⋮申し訳ございません﹂
二人そろって頭を下げてきた。面白い奴らである。
﹁これから長い付き合いになると思いますから、友人になりません
か?﹂
﹃!?﹄
おーおー、驚いていらっしゃる。そりゃそうだ。今川家重臣家の
嫡男が、陪臣で、しかも小姓にすぎない自分たちに﹁友達になろう﹂
と言ってきたのだ。目に見えるぐらいに狼狽し、目を白黒させてい
る。面白い。
身分的に考えれば、恐れ多くてとてもではないが首を縦に振れな
いだろう。かといって断れば、こちらの好意を踏みにじったことに
もなる。まさに崖っぷちである。
﹁お、お方様⋮⋮﹂
﹁どうすれば⋮⋮﹂
﹁あら、わたくしは気にしませんわよ?お二人の好きなようになさ
い。ふふっ﹂
二人は瀬名様に助けを求めるも、瀬名様はそれをニコニコと笑い
ながらあしらってしまった。瀬名様がどう考えているか不明だが、
あの笑顔では賛成なのだろう。
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
49
どうもひそひそ話を始めたようだ。友人になることで生じるメリ
ットとデメリットでも考えているのだろうか。
とりあえず答えが出るまでお茶でも飲みながら待っているとしま
しょうか。
暫くして、どうも受け入れることに決めたようだ。二人が頭を下
げてきた。
﹁うん、よろしく。二人とも。もう友人なんだから、これから私的
な時には敬語はなしでお願い﹂
﹁⋮⋮うん﹂
﹁こっちこそよろしく﹂
﹁ありがとう。駿河だと、あんまり同年代の子がいなくてね。でも、
これで寂しくなくて済みそうだよ﹂
﹁ははは⋮⋮﹂
本音をいえば、歴史的有名人物と友人になれるチャンスを逃した
くなかったからだが、それでもこれは偽らざる気持ちでもある。兄
貴︵とその家臣︶や岡部正綱殿以外では、まともに喋る相手がいな
かったのだ。ほかに喋ると言えば、ここ松平邸にひょっこり現れる
若様ぐらいだし。
﹁では、わたくしは退室すると致しましょうか。あとは子供同士、
ゆっくりとね﹂
50
そういった瀬名様が、笑顔で部屋をでていった。まったく読めな
いひとである。
さて、この二人にもいろいろと聞きたいことがあるし、うまくい
けば引き抜けるかもしれない。瀬名様が置いて行った和菓子を食べ
つつ、俺たちは喋りだすのだった。
結果としてやはりというか、引き抜きには失敗した。
だが、3人でちょくちょくと遊ぶうちに、はじめはギクシャクし
ていた仲も次第に打ち解けていき、兄貴が見事に寺部城を落として
帰ってくるときには、普通に呼び捨てで呼び合う仲になることがで
きた。
ちなみに兄貴は、俺が二人と庭ではしゃいでるのを見てたいそう
驚いたとか。
この駿河で培った友情は、後々何度も俺を救うことになる。
51
出陣後ティータイム︵後書き︶
ご意見・ご感想をお待ちしております。
52
げんぷく!︵前書き︶
鵜殿家の歴史に触れてみました。
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げんぷく!
三河鵜殿家。我が実家にして、三河西郡︵蒲郡︶一帯に勢力を誇
る豪族。
熊野別当︵紀伊熊野大社のトップ︶湛増の末裔と伝わる、三河で
も有数の名族である。本姓は藤原氏。﹁鵜殿﹂という姓は、紀伊新
宮の鵜殿村に住んだことからとられているらしい。
その歴史は古く、鎌倉時代初期から三河蒲郡一体を治めていた家
であるようで、古く﹃吾妻鏡﹄にも鵜殿家とみられる記録が存在す
るという。
おそらく、鎌倉時代初期に当時熊野山領であった蒲郡に移住した
のだろう。現在でもこのあたり一帯には熊野との関わりを示す神社
が大量に存在している。
︵中略︶
そんな当家が勢力を広げたのが、鵜殿長善公の時代だろう。長善
公は長男・藤太郎長将公を上ノ郷に、三男・又三郎長存公を下ノ郷
に配置し支配力を強化した。ちなみに又三郎長存公は当家の菩提寺
である長存寺を建立している。
さらに次代・長将公の時代になると、三河に進出した今川家に仕
え、嫡男・長門守長持公は今川義元公の妹婿になるなど、非常に重
用された。不相・柏原などの分家が現れたのもこの頃である。
長持公は連歌の愛好者としてもしられ、当時名高かった宗長・宗
牧といった連歌師とも親交があったという。
そんな長持公も弘治三年十月に亡くなり、家督は我が父・長門守
54
長照が継ぐ。
﹁﹃これから先、我が鵜殿家は、どんな歴史歩むことになるのだろ
うか。流石に未来のことを記す訳にもいかないので、今はここで筆
を置くことにする⋮⋮﹄っと。よし、こんなものかな﹂
﹁よく調べたな、新七郎。父としても鼻が高いぞ﹂
そういって声をかけてきたのは、父上であった。今年で三十一に
なる。十二の子供がいる父親にしては若いと思うが、この時代では
これで普通である。
中肉中背の目立たない人で、容姿も俺に似てド平凡である。ひど
い言い方をするなら、そのへんの道端で寝転がっていても、城主だ
とは気づかれずにスルーされるだろう。そんな見た目である。
だが、その細い目から発せられる鋭い眼光は恐ろしい。これでも
三河の反今川家勢力を抑えるのに一役買ってきた人である。ただの
平凡なおっさんなわけがない。
﹁ありがとう、父上。でもまだ足りない。これから鵜殿家が歩む歴
史、それもしっかりと残しておかないと﹂
﹁うむ、そうだな。我が家はこれからも今川一門として、御本家を
支えていかなければならぬのだからな。もちろん松平家も共にな﹂
﹁はい﹂
﹁⋮⋮﹂
父上がともにいた次郎三兄貴に声をかける。兄貴は困ったような
笑顔で返事を返した。﹁未来﹂を知っている俺としては、非常に辛
い会話。この二人︱︱というよりも松平家と鵜殿家︱︱が敵対する
ことになった時、俺はどうすれば良いのだろうか。
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父上を説得して松平家に鞍替えさせる?
いや、無理だろう。父上の母は今川義元様の妹。つまり父上は正
真正銘今川家の一門だ。︵勿論俺も︶
本人もそのことにプライドを持っている節があるし、何よりも史
実では分家や他の親類にさんざん説得されても首を縦に振らなかっ
た人だ。俺もその時になったら一応説得はしてみるつもりだが、ま
ず同意することはないだろう。むしろ一歩間違えれば不忠者扱いさ
れてぶったぎられる恐れもある。
かといって、俺一人だけが出奔して松平につく、ということはで
きない。この家に愛着はあるし、何よりも俺は今川家が好きだ。少
なくとも、上ノ郷落城までは今川家に属していたい。
本当に前途多難だ。
﹁また難しい顔をしておるな。どうしたのだ?﹂
﹁⋮⋮﹃未来﹄について考えておりました。この先、この日ノ本は
どうなっていくのか、と﹂
﹁なに、心配はいらぬだろう。大殿が上様を助け、天下を平らげる
に決まっておる。近いうちに上洛の軍を起こす、という話もあるゆ
えな﹂
﹁そうだぞ新七郎。若様ではないが、若いうちから変な悩みを繰り
返すと禿るぞ﹂
﹁⋮⋮そうですね。難しく考えすぎていたようです。父上も兄貴も
ありがとうございます。少しは悩みが薄れました﹂
﹁うむ、本日はお主の元服の日なのだ。明るくなくてはな﹂
そういってワッハッハ、と明るく笑う父上。
起きてもいないことに悩んでも仕方がないのかもしれない。とり
56
あえず肩の荷がおりた気がした。
︱︱こうして、運命の永禄三︵一五六〇︶年が幕を開ける。新七
郎の悩みは杞憂と化すのか。それとも︱︱
∼鵜殿さん家の氏長君・目指せ譜代大名∼
元服という行事がある。
奈良時代より今に至るまで、日本全土で行われている、武家や公
家の子供が大人の世界に迎え入れられるための通過儀礼、現代でい
うところの成人式である。
﹁元服﹂という語には﹁頭に冠をつける﹂という意味があり、武家
の場合は﹁烏帽子﹂をかぶり、それまで名乗っていた幼名を捨てて、
新たに成人用の名前である諱を付ける、といったやり取りが行われ
る。
俺は詳しく知らないが、公家や宮司ではいろいろと異なるのかも
しれない。
57
永禄三︵一五六〇︶年某日。
今日は俺の元服の日である。
俺に元服の話を持ち込んだのは、当然父上である。
去年の暮れに聞かされた時は驚いたが、今年で数え一二歳。そろ
そろ元服してもおかしくない時期なのだろう。
烏帽子親の委嘱も済んでいるというから、断るに断れなかった。
ちなみにその烏帽子親はなんと﹁あの﹂若様であるらしい。
ちなみに烏帽子親というのは、元服の儀において、新しく成人を
迎える人間の頭に烏帽子を乗せる役のこと。乗せられるほうは烏帽
子子という。この時代の武家社会においては、血縁関係なみに重要
なこととされた。
さらに言うと、諱は烏帽子親からの偏諱︵目上の人から名前の一
字をもらうこと︶からつけられるのが通例であるため、なし崩しで
若様の名から一字もらうことが確定してしまった。これでもう今川
家からは逃げられない。
そんなこんなで、現在父上に兄貴、それに兄貴に追従する鍋之助
と亀丸、そのほか数名で今川館に向かっているのである。
﹁新七郎は先に元服か。うらやましいなあ﹂
﹁お前らももうすぐでしょ⋮⋮﹂
鍋之助たちと軽口をたたきあいながら、今川館に入っていく。松
平邸も大きいが、こっちはその数倍はでかい。何気にここに来るの
は数年ぶりだったりする。
入り口にいた人に刀を預け、案内役に連れられつつ、しばらく歩
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くと若様が待っているという部屋にたどり着いた。緊張である。
﹁ほっほ、ようやくお出ましか﹂
そういって声をあげたのは、若様だった。喋り方こそ何時もと同
じだが、表情が違う。バカ殿丸出しの普段と違って、今日は顔面全
体が引き締まっている。
﹁なに、烏帽子親は初めてだからのう。気合が入っておるのでおじ
ゃる﹂
そうですか。
﹁うむ。当人も来たことであるし、早速始めるとしようかの﹂
若様と同じく最上座に座っていた義元様が、開始を宣言した。
元服の儀の始まりである。
そこからは終わりまで、一直線であった。
みずらと呼ばれる子供の髪型を大人用に編み直す髪結いの儀から
始まり、烏帽子親が冠をつける加冠の儀へ進む。そして最後には新
たな名前を付ける段階へと進んでいく。
この日を境に、俺は﹁鵜殿新七郎﹂から﹁鵜殿三郎氏長﹂と名を
改めることになる。
まず通称の三郎。これは次郎三兄貴から頂いた。特に意味はなく、
ただ真っ先に思い付いたのがこれだったから、という理由。
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次に諱の氏長だが、﹁氏﹂の字は今川氏の代々の通字︵先祖代々
諱につける文字︶であり、若様からの偏諱。﹁長﹂は鵜殿家代々の
通字。父上︵長照︶やおじい様︵長持︶と違って、長の字が下に来
るのは、偏諱でもらった字を下につけるわけにはいかなかったため
である。
さて、元服の儀も終わり、なぜか宴会が始まった。
正直騒ぎすぎだとは思うが、宴会好きの若様や義元様がいる以上、
仕方がないのかもしれない。
﹁さ、三郎殿も一杯﹂
そういって徳利を差し出してきたのは、白髪でいっぱいの壮年の
男性であった。年齢は五十過ぎだろう。
﹁ありがとうございます。えーっと⋮⋮﹂
ヤバい名前が分からない。
﹁ああ、失礼。名乗りがまだでしたな。それがし、井伊信濃守直盛
と申します﹂
井伊直盛だったのね。マジか。
60
井伊直盛。現代においての知名度は皆無であるが、かの赤備え・
井伊直政の祖父である。今年に起こるはずの桶狭間の戦いで今川本
隊の先鋒大将を務め、雷雨の奇襲の中、奮戦して果てる人物でもあ
る。
桶狭間を心配する俺の前にこの人が現れるとは。流石に今からは
無理だが、先鋒の大将に奇襲が起こる可能性を伝えることができれ
ば、義元様が討ち取られる可能性は減少するだろう。
今のうちに仲良くなっておいたほうがいいかもしれない。情報を
流すにしても、顔見知りでなければ信じてもらえないだろう。
﹁三郎殿は素晴らしい器量の持ち主という噂。どうですかな、我が
娘婿に﹂
俺がそんな打算をめぐらしていると直盛殿が父上に何やら話して
いる。直盛殿の娘っていうとアレだよな。THE嫁き遅れ、女地頭
様。
⋮⋮流石に年が離れすぎだろう。あちらから見ていまだ子供にす
ぎない俺に縁談を進めてくるということは、本人は相当焦っている
のかもしれない。
年上の女性は嫌いじゃないが、流石に十以上離れている人を嫁に
するのは勘弁である。仲良くなるのにこれ以上良い機会はない思う
のだが⋮⋮。
﹁それはちょっと﹂
流石に父上も苦笑いして拒否っている。縁談が成立することはこ
れでないだろう。一安心である。直盛殿は肩を落としているが。慰
めてあげよう。
﹁信濃守殿、お返ししますよ﹂
61
そういって直盛殿に献酌する。
﹁おお、すみませぬ﹂
﹁気を落とさないでくだされ。いつか娘さんにはいい縁談が見つか
りますよ﹂
﹁そうだとよいのですがのう。縁談が出るたびに何故かご破算にな
るもので⋮⋮。特に気が強いとか、不美人というわけではないと思
いますがのう﹂
﹁心中お察しします⋮⋮﹂
﹁三郎殿さえよければ、またいつか井伊谷に来て下され。歓迎しま
すぞ﹂
﹁⋮⋮考えておきます﹂
その後、しばらく直盛殿と話していると、いろんな人が献酌に現
れた。ある意味主役であるから、仕方がないと思うが。
当然断るわけにもいかず、飲み続けてべろべろによってしまった
のでありました。
62
げんぷく!︵後書き︶
この作品における元服の儀の進め方は完全に作者の創作です。
ついでに元服の後の宴会も作者の想像です。
63
桶狭間の胎動︵前書き︶
まさかの日刊ランキング入り。
これもすべて読者の皆様のおかげです。感謝いたします。
今後とも応援宜しくお願い致します。
64
桶狭間の胎動
永禄三︵一五六〇︶年
国内の敵対勢力をすべて排除して尾張統一を果たした織田信長は、
尾張・三河の国境地帯を今川家より取り戻すべく、国内の余剰戦力
をすべて対今川戦線に投入。
嘗て山口親子によって奪われ、現在でも今川方の軍事拠点として
機能する鳴海・大高城を標的に定め、攻勢をかけ始めた。
手始めに鳴海城に対しては丹下・中島・善照寺の三砦を、同城を
囲むように築いて包囲戦を仕掛け、その南方にある大高城に対して
は、鳴海への連絡を遮断するように丸根・鷲津の両砦を築き、圧迫
する。
これに対して、今川方の対応は大いに遅れた。
鳴海城の岡部元信は織田方の完全な包囲によって籠城を余儀なく
され、大高城の朝比奈輝勝は包囲を破るべく丸根砦に攻撃を仕掛け
るも、守将・佐久間盛重の前に敗北、逆に大高城を織田軍に囲まれ
てしまう。
こうした失敗の結果、両城間と三河方面への連絡は完全に絶たれ、
両城は敵陣深くに孤立してしまった。
特に大高城は兵糧の備蓄は殆どなく、非常に危険な状態であった。
辛うじて鵜殿長照が大高城救援に赴き、一時的に織田方の包囲を
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破って入城を果すも、数日後には包囲網を再構築され、返って窮地
に陥るという有様だった。
こうした今川方諸城の相次ぐ危機に、ついに今川義元自らが動く。
駿河・遠江・三河の三国すべてに動員令をかけ、自らは駿府で軍
勢の集結を待つ。
鳴海・大高両城の危機を救い、織田信長に引導を渡すために。
つわもの
∼鵜殿さん家の氏長君・目指せ譜代大名∼
四月末。
今川領各地の兵たちが続々と駿府に集う中、俺は毎度のごとく松
平邸にお邪魔していた。
父上が尾張に出陣したため、俺は城主不在になった上ノ郷城の城
番を正式に義元様から命じられ、明後日には駿河を発たなければな
らないのだ。
今日訪れたのは、別れの挨拶の為であった。ついでに来月には尾
張に向かって出陣するという、兄貴たち松平党の面々の様子を見て
おきたかった、というのもある。
66
﹁そうか、お前らも初陣か﹂
﹁ああ、元服はお前に先を越されてしまったが、戦場を経験するの
は俺たちの方が先のようだな﹂
﹁せいぜい上ノ郷で、俺たちの活躍を聞いて悔しがっているがいい
さ。ハハハ﹂
﹁調子に乗って織田方に遅れを取るなよ⋮⋮﹂
鍋之助、亀丸は、二人とも初陣を迎えるらしく、非常に張り切っ
ている。大将首を取るだとか、一番槍をつけるだとか。
張り切りすぎて暴走気味だ。
この二人が死ぬことはまず無いだろうが、見てるこっちは非常に
不安である。 ﹁おい、与七郎。今回の戦で勲功をあげれば、本当に三河に戻して
貰えるんだろうな、俺たちは﹂
﹁義元様はそうおっしゃたそうだが。どこまで信じてよいのやら⋮
⋮﹂
すぐ側では松平家駿府同行組の家臣たちの中でも最年長の酒井左
衛門尉忠次殿が、同じく年長組の石川与七郎数正殿と何やら喋って
いる。
殆ど忘れかけていたが、兄貴たち松平党は今川家に保護という名
の隷属を強いられている立場にあるのだ。
本来ならば自分たちの治めているべき土地を他者に乗っ取られ、
あまつさえ主君はその余所者の家臣同然の扱いだ。表向きは平然と
しているとはいえ、彼らの心中は悔しさと涙でいっぱいだろう。
さらに言うなら、国元︵三河︶に残った他の家臣の生活は非常に
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苦しいものらしい。今川家の岡崎城代が義元様の命令を無視して三
河衆をこき使い、彼らの生活は困窮してしまっている。
見かねた父上が極秘に援助を回したりしているが、それも焼け石
に水だという。
義元様亡きあと、僅か数年で三河が松平家の手に戻ったのも当た
り前のことなのかもしれない。
若様がバカ殿だとか、そういう問題ではなく、それだけ今川家の
三河支配には無理があったのだ。
菅沼・奥平・戸田・牧野・吉良。
数ある三河の有力豪族たちの中でも、最後まで今川家についたの
が鵜殿本家だけだった、ということも今なら理解できる。
彼らにとって今川家は、単なる侵略者でしかなかったのだ。
今川家の一門に迎えられ、それ以降も忠誠を尽し続けた鵜殿家だ
けが例外だった。
⋮⋮悲しい話である。
﹁おーい、三郎。景気付けに孕石の屋敷に馬糞を投げにいこーぜ!﹂
﹁やめときなさい﹂
鍋之助がバカなことを言っている。いくら孕石が嫌いだからって、
そんな失礼な事しちゃいけません。
﹁そんなこと言って、お前だってあいつのこと嫌いなんだろ?﹂
﹁確かに嫌いだけどね。流石に失礼だと思うよ﹂
﹁そうだ鍋之助、汚いだろう。それに、もし俺らがやったとばれて
68
みろ。殿に迷惑がかかるぞ﹂
﹁むぅ﹂
亀丸が説得してくれるようだ。任せてもよいだろう。
駄々をこねる鍋之助と、それを宥める亀丸のもとを後にしつつ、
屋敷の中をうろつく。
今まであまり気にしてこなかったが、この屋敷には様々な人がい
る。普段は皆出払っていたり、長屋に引き籠っていたりして顔を合
わせることは少ないが、流石に今川家総力をあげての出陣の前にな
ると、続々と集まってくるものだ。
先にあった鳥居元忠殿をはじめとして、平岩親吉、植村家存、内
藤信成といった後世において徳川十六神将や二十八神将に数えられ
る武将たちが揃っている。一人ぐらい引き抜きたい。
﹁おぎゃー、おぎゃー﹂
﹁ああ、またお漏らしを⋮⋮﹂
昨年生まれたという兄貴の嫡男・竹千代君︵後の徳川信康︶の泣
き声を聞きながら暫く散策を続けていると、兄貴を見つけた。何や
ら考え込んでいるようだ。
﹁兄貴、どうかしたの?﹂
﹁ああ、三郎か。三河のことで少し、な﹂
やっぱりか。
義元様が領土返還を約束してくれたといっても、やはり不安なの
だろう。顔にしわが増えるほど悩んでいるようだ。
﹁義元様が岡崎城を松平に返還する、と仰ったのでしょう?﹂
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﹁確かにそうだが、﹃戦功次第﹄だ。どんな大功を挙げても、約束
を反故にされる可能性もある。お前も知っているだろう、山口親子
の末路を﹂
兄貴は働くだけ働いてポイ捨てされることを警戒しているのだろ
う。山口親子という先例が存在するだけに、気が気では無いのかも
しれない。
﹁今の兄貴は、かの太原雪斎の教えを受け、義元様の姪御を嫁と婚
礼をあげた立派な今川一門です。外様で寝返り組だった山口親子と
は違います。重用されることはあれど、始末されることは殆どない
と思いますが﹂
﹁だとよいがな。治部大輔様や雪斎師匠には大きな恩を感じておる
が、このことだけは別だ。早く三河を返してもらわねば⋮⋮﹂
そういって兄貴は自らの拳を強く握りしめた。
﹃史実通り﹄に行けば、桶狭間の後、兄貴は無事に岡崎城を取り戻
すだろう。ただ、それが本当に兄貴の望んだ﹁奪還﹂だったのかは、
この時代に生きていても分かりそうになかった。
﹁かなり時間がたってしまったようだな。愚痴を聴かせて悪かった
な、三郎﹂
﹁いえ。気分が晴れたなら、よかったです﹂
﹁では、左衛門尉たちのところに戻るとするか﹂
70
兄貴とともに鍋之助たちのところに戻ると、二人が何やらこそこ
そと動き回っていた。
亀丸がうまく説得してくれたと思うが、また何か企んでいるのだ
ろうか。
﹁二人とも、何をやっているんだ?﹂
兄貴も気になったらしい。鍋之助に何事か問いただしている。
﹁孕石殿の屋敷にゴミを投げ込もうと思いまして﹂
うん。説得を他人任せにした俺が馬鹿だった。
﹁おい、亀丸、説得はどうなった!﹂
﹁こいつを止めるのが難しいのは、お前だって理解しているだろう。
汚物を投げ込まないようにさせるだけで精一杯だった⋮⋮﹂
﹁どうせ駿河にはもう帰ってこないんだ。最後ぐらい今までの鬱憤
を晴らしたって良いだろう!﹂
﹁いいわけあるか!兄貴も何か言ってやってください。﹂
俺たちでは手が付けられないので、最後の頼みの綱である兄貴に
説得のバトンを渡す。やんちゃな鍋之助も、主君の命令には忠実な
のだ。
ところが、兄貴の口からでたのはとんでもない言葉だった。
﹁楽しそうだな!俺も混ぜてくれよ﹂
そう言った兄貴の顔は、悪だくみを思いついた子供のような顔で
あった。
71
﹁何言ってるんですか⋮⋮。見つかったらまーた嫌味を言われます
よ?﹂
﹁止めてくれるな、三郎。あいつには俺も腹が立ってたんだ。毎度
毎度俺の顔を見る度に怒鳴りやがって﹂
孕石主水と兄貴の因縁は、兄貴が鷹狩で逃がした鷹が孕石の邸内
に入り込んだことから始まった。これを取りに行った兄貴は、偶然
奴に遭遇。邸内に入る許可を取っていたにも拘らず、何故か逆ギレ
されてしまう。それ以後、孕石は兄貴やその家臣を顔を見る度に暴
言を吐くという。
さらにその矛先は、かつて兄貴をかばったことのある俺や岡部正
綱殿にも向けられた。流石に兄貴たちのように暴言を吐かれる事は
ないが、顔を合わせる度にネチネチと嫌味を言われる。
⋮⋮思い出したら腹が立ってきた。
﹁兄貴、俺も行きます。思い出したら腹が立ってきました。一発ぎ
ゃふんと言わせてやりましょう﹂
﹁よしきた。これを持て﹂
そう言って兄貴が取り出したのは、明らかに腐っている木桶だっ
た。一見清潔に見えるこの屋敷の何処にこんな物があったのだろう
か。
聞いてみると、以前孕石が押し付けてきた物らしい。
﹁本当に最悪ですね。アレは﹂
﹁だろう。俺はこれを正当な所有者の元に戻すだけだからな。﹁嫌
がらせ﹂ではないんだよ﹂
兄貴の手の内には同じくボロボロの木桶が存在していた。さらに
72
鍋之助や亀丸も同じような物を持っている。
最終的に集められたゴミは、なんと荷車一台分。
おそらく、すべて孕石に押し付けられたものなのだろう。こんな
仕打ちをされて、今までよく耐えてきたものだ。
流石は忍耐の人、だろうか。
というか、よく瀬名様がブチギレなかったな。あの人のことだ。
腹の中にいろいろと溜め込んでそうで怖い。
﹁よし、全員準備が出来たな。では、出陣﹂
﹃応っ!﹄
そうして松平邸の門を出た俺たちは、目前にある孕石邸へと移動
した。
松平邸や鵜殿邸ほどの大きさではなく、他にも見る所の無いあま
りぱっとしない屋敷である。土壁は黒ずみ、破損個所が修繕されず
にそのままになっているあたり、この屋敷の主の人格がある程度透
けて見える。
兄貴の話では、屋敷の裏手に大きく破損している個所があり、そ
こからゴミを投げ込むのが今回の作戦らしい。
荷車を引っ張り、屋敷の裏手へと移動する。そこで見たものは、
余りにも酷い土壁の惨状だった。大穴が開き、所々崩れているのが
遠目で見ても確認できる。さらにその上に乗っていたであろう瓦が
散乱し放題になっている。ここだけ台風が来たのかと思いたくなっ
た。
﹁伝令。邸内に孕石主水の姿は確認できず。攻撃の機会かと存ずる﹂
﹁承知。全軍、戦闘用意﹂
﹁はっ﹂
73
そして、いつの間にか隊列に紛れ込んでいた岡部正綱殿の報告で、
孕石が屋敷内にいないという判断を下した俺たちは、一斉に攻撃と
言う名の不法投棄を開始した。
当然周りに人はいない。
がちゃがちゃという静かな音を立て、腐敗物が土壁の向こうに堆
積していく。
溜まっていた何かを吐き出すように、鍋之助と亀丸、それに正綱
殿は怒涛の勢いで放り投げている。
俺と兄貴も負けじと投げるが、三人の勢いには勝てそうにもない。
三人の活躍もあって、ものの数分で荷車一杯分もあった腐敗物は
なくなってしまった。
﹁いやー、すっきりしたな﹂
﹁そんなことよりも、なぜ次郎右衛門が紛れ込んでおられるのです
か?﹂
﹁偶然通りかかったら、お前たちが孕石邸のほうに走って行くのが
見えたものでな。後をつけて来た﹂
そういうと正綱殿はワハハ、と笑った。この人も今までの鬱憤が
溜まっていたのだろう。いい笑顔である。
﹁よし、目的は達した。速やかに退却するぞ﹂
﹁応っ﹂
そうして無事裏手を抜け、松平邸前に戻ってきた訳であるが、そ
こで会いたくないを見かけてしまう。
孕石主水祐元泰本人である。
予想外の登場に、全員が言葉では言いあらわせないような顔をす
る。たぶん俺も似たような顔をしているのだろう。
74
﹁⋮⋮見つからないうちに屋敷に入ろうぜ。見つかると何を言われ
るかわからん﹂
正綱殿の言葉に、全員がうなずいた。
ところが、孕石の行動は思いの他早かった。
奴は俺たちを視界の隅にでも認識したのか、もの凄い早足で近づ
いてきて、何やら喚きはじめたのである。
﹁また三河の小倅かッ!まったく、誉ある出陣の前にこやつの顔を
見ることになろうとはッ!﹂
本人を目の前にしてよくそんなことが言えたものだ。意味もなく
大声で叫んでいる所がまた嫌味たらしい。まだ三十代のはずだが、
ガリガリに痩せ細った体。さらに顔は小じわに覆われ、頭髪には白
髪が目立っている。
典型的な﹁嫌味で神経質な人間﹂である。
﹁邪魔だッ!失せろッ!﹂
近づいて来たのはそっちだろう、という正綱殿の突っ込みを無視
して孕石は何処かへ行ってしまった。
本当に嫌な奴である。
﹁鍋之助落ち着け。奴の顔を見るのも今日で最後だ﹂
﹁︵ギリギリ︶﹂
俺の後ろでは亀丸が、今にも爆発して斬りかかりそうな鍋之助を
必死に押さえていた。
75
﹁とにかく戻りましょう。また奴の顔を見なくてはいけなくなるか
もしれません﹂
﹁そうだな⋮⋮﹂
兄貴も完全に疲れ果てているようだ。一言そう頷くと、黙りこく
ってしまった。
俺たち全員が松平邸に無事帰還した後、目前の屋敷からもの凄い
叫び声が聞こえてきたが、それはまた別の話である。
俺の駿府での生活はひとまずこれで終わりである。
まつりごと
今川本隊の出陣に先立って上ノ郷に帰還し、城番の任を果たすつ
いでに、父上がいない間、鵜殿家の次期当主として領内の政を行わ
なければならない。ここで現代知識を活用して、後世に名を遺して
やる。
さあ、忙しくなりそうだ。
76
永禄三︵一五六〇︶年五月十二日。
今川義元は四五〇〇〇とも二五〇〇〇とも言われる大軍を率いて
駿府を出陣。一路尾張を目指して、東海道を西進する。
足利将軍家より特別に認められた蒔絵装飾の輿に乗り、赤地の錦
の陣羽織を着用、今川家代々の名刀を腰に帯びて采配を振るうその
姿は、﹁海道一の弓取り﹂の名にふさわしい威厳を誇っていた。
三国同盟によって、後顧の憂いも無い。
さらに井伊直盛、松井宗信、朝比奈泰朝、松平元康、飯尾乗連と
いった有力家臣の殆どが従軍。その規模は、これまでに無いほどに
大規模かつ荘厳であった。
︱︱こうして、歴史という名の歯車は廻り始めた。
時代の勝者を定めるべく、静かな音を立てて。
77
桶狭間の胎動︵後書き︶
桶狭間の展開には独自解釈が含まれます。ご了承ください。
ご意見・ご感想お待ちしております。
78
帰郷︵前書き︶
ご意見・ご感想をお待ちしております。
79
帰郷
さて、無事に駿府を出発した俺は、従者一同を連れて東海道を西
進している最中である。現在、遠江真ん中あたり。
どこまでも続く青い空の下、後ろに富士山、前にお茶畑の眺め。
絶景と言うほどでもないが、なかなか見ごたえがある。
時たま駿府に向かうであろう小勢とすれ違うこともあるが、皆出
陣前とは思えない程のんびりとした足取りであった。
﹁ですが、見事な茶畑でございますなあ﹂
﹁だね。流石はお茶の産地﹂
従者の一人である大竹藤兵衛が、無限に続くと思われるお茶畑の
眺めに感嘆の声を上げた。
静岡︵遠江︶といえばお茶である。南北朝時代には既に栽培を開
始していたらしいそれらは、現在ではすっかりこの辺りの名産に収
まっている。
それはともかく、結局、井伊直盛殿に織田軍の奇襲のことを伝え
ることはできなかった。
これで、桶狭間で義元様が討たれるのはほぼ確実だろう。
仕方がない、といえば仕方がない。分っていた事ではあるし、そ
もそも義元様と俺はそこまで仲が良いと言う訳でも無い。せいぜい、
主君と臣下の関係を出るものではないと思っている。
それに、桶狭間で義元様が生き残ってしまえば、譜代大名を目指
80
すという俺の夢がパーになる可能性が高くなるし、史実の知識も全
︵⋮⋮︶していただいたほうが都合がよいのだ。
く役に立たなくなってしまう。薄情ではあると思うが、義元様には
桶狭間で退場
勿論、鵜殿家と松平家が争うという事態を回避するのには、義元
様が生き残るのが一番良いが、そうすると、今後は歴史の流れが殆
ど読めなくなってしまう。最悪、勢いを取り戻した今川家によって、
織田家が滅ぼされかねない。桶狭間の奇跡は二度も起きないだろう。
そうなってしまえば歴史はめちゃくちゃ。天下人が現れるかどうか
も怪しくなり、最悪、この国が西洋列強の植民地になりかねない。
それだけは死んでもごめんである。
それに比べて、鵜殿家と松平家が争うのを回避したところで、歴
史の本流に与える影響はほとんどない。
せいぜい、松平家による三河統一が数か月早まる、と言うだけだ。
変な恐怖はない。
⋮⋮理屈をいろいろと並べてみたが、結局のところ、俺は歴史を
大きく変えるのが怖いだけなのだろう。我ながら情けなさ過ぎて涙
が出てくる。
﹁此度の戦、今川様の勝利は確実でしょう。そうなれば、大高城守
備という功のある殿も、きっと加増されるに違いありませんな﹂
暗い顔をしている俺を見かねたのか、藤兵衛が励まそうとしてく
れている。彼は今川方の勝利を疑ってはいないようだ。
藤兵衛は40歳くらいのおじさんで、代々鵜殿家に仕えている大
竹家の現当主。俺が駿河に送られたときから付き従ってくれている。
﹁そうだといいけどね。終わってみるまで分からないよ。河越の戦
81
のおり、数万の大軍を揃えた関東管領は、わずか八千の北条軍の前
に完全敗北した。そういう事が起こらないとも限らない﹂
﹁まさか。相手は相模の獅子・北条左京大夫様ではなく、尾張の大
うつけですぞ?﹂
﹁⋮⋮本当に大うつけなら、父が果たせなかった尾張統一を果たせ
るとは思えないけど﹂
﹁!﹂
そんなことを喋りながら進んでいると、前から大規模な軍団がや
ってくるようだ。邪魔にならないように脇による。
ぞろぞろと俺たちの横を通って行くその軍団は、結構な威容を誇
っていた。流石に駿河で見た今川軍ほどではないが、適度に整えら
れた兵装を見るに、かなり統率の行き届いた軍勢であるようだ。
三河か西遠江あたりの有力な豪族の軍隊なのかもしれない。確認
してみよう。
こういった軍勢の出所を確認するには、兵が背負う旗指物を見れ
ばよい。たいていの場合、その軍隊が所属する家の家紋が書いてあ
るのだ。
確認できた家紋は、今川家の家紋である足利二つ引両と、白い円
枠の中に団扇のような植物の書かれた家紋。今川家の家紋はわかる
が、植物の家紋はどこの家だろうか。
﹁おお、三郎殿ではございませんか。奇遇ですな﹂
突然、馬上の侍に声をかけられた。面頬をしているため顔は見え
ないが、最近聞いた声である。着ている具足は少し古めだが、兜に
は鹿の角を模した立派な前立が取り付けられている。
脇に馬印を持っている武士がいるのを見るに、彼がこの軍勢の大
将なのだろう。
82
﹁失礼。これでは顔が分かりませぬな﹂
そういって、その侍は面頬を外した。
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
軍勢の主の正体は、なんと井伊直盛殿であった。相変わらず温和
そうな雰囲気の老人ではあるが、これから起こる戦に興奮している
のか、声の抑揚が強くなっている感じがする。
奇襲を伝えられなくて悩んでいた矢先の登場だけに、少し驚いて
いる。
﹁これは信濃守殿。立派ないでたちの備故、どちらの名家の兵であ
ろうかと考察しておりましたが、なるほど、井伊家の軍勢でしたか。
納得がいきました﹂
﹁お褒めに預かり光栄ですな﹂
遠江井伊谷を治める井伊家は、藤原北家、あるいは二十六代の帝・
継体天皇の末裔ともされる、遠江でも有力な豪族の一つである。
代々斯波氏に属して今川家とは対立を続けてきたが、今川氏親公
83
が遠江守護の座を勝ち取ってからは、一貫して今川家に属している。
史実においては徳川四天王のひとりに数えられ、赤備えで有名な
井伊直政や、幕末に安政の大獄を引き起こした井伊直弼が有名だろ
う。
かの井伊直政を排出した家ならば、これだけ統率が行き渡ってい
るのも納得がいく。
﹁ところで、三郎殿はご帰郷の最中ですかな?﹂
﹁はい。父上が尾張に出陣なされたので、大殿から直々に帰郷のご
指示を頂きまして﹂
﹁左様ですか。聞くところによれば、長門守殿は大高城にあって織
田方の包囲に苦しめられているとか。ですが、心配は無用ですぞ﹂
直盛殿は俺を励ましてくれるようだ。確かに、父上の様子は非常
に気になる。織田方の徹底的な包囲によって、もともと少なかった
兵糧がそろそろ底を尽きる頃だ。織田方に降る、と言うことはない
にしても、朝比奈輝勝の如く無謀な出撃をしないとも限らない。
﹁追い詰められて、無謀な野戦を仕掛けなければよいのですが⋮⋮﹂
﹁長門守殿は冷静なお方じゃ。そんなことはありますまい﹂
﹁実は此度の戦で、本隊の先鋒を申し付かっておりましてな。我が
名のもとに、必ず長門守殿をお救いいたしましょう。もっとも、先
鋒部隊は松平殿ゆえ、其方に取られるかもしれませぬが﹂
﹁ありがとうございます。ご武運を﹂
﹁うむ。尾張を平らげた暁には、是非わが娘を貰って下され﹂
﹁あはは、考えておきます⋮⋮﹂
﹁では、先を急ぐ故、この辺りで﹂
84
そういうと、直盛殿は面頬を付け直し、まえを向いた。
ヤバい、このままでは伝え損なってしまう。とりあえず、直盛殿
を呼び止めなければ。
﹁お待ちください、信濃守殿﹂
﹁どうされましたかな?﹂
直盛殿は怪訝な表情を俺に向けてきた。いきなり呼び止めたのだ。
驚きはするだろう。
﹁沓掛から大高、鳴海にかけて、桶狭間と呼ばれる入り組んだ地が
あると聞いております。そこで奇襲を受ければ、幾ら精兵といえど
も一溜りもないでしょう。どうか、御一考くだされ﹂
﹁なんと、何処でその情報を?﹂
﹁はい。父上が以前申しておりました﹂
ちなみに嘘ではない。
もうかなり前の話だが、父上が﹁あの辺りの地形は∼﹂と唸って
いるのを聞いた覚えがある。
﹁なるほど。礼を言いますぞ、三郎殿﹂
﹁はい。皆様にもよろしくお伝えください﹂ ﹁では、今度こそ失礼いたします。全軍出発!﹂
そういって直盛殿とその軍勢は去って行く。
俺はその姿を見送りながら、心の中で薄れ行く罪悪感にほっとす
るのであった。
伝えることは伝えた。直盛殿が義元様に伝えるかどうか、あるい
85
はこの情報を義元様が活用できるかどうかは分からないが、さすが
にこれ以上の行動は俺には無理である。
父上に連絡を取ろうにも、包囲されている状況では使者もまとも
に通れないであろう。
やれることはやった。後は結果を待つだけだ。
これで史実と変わらないならば仕方がない。義元様は天下人の器
ではなかった、と言うことだ。
﹁悩みは晴れたようですね。若﹂
﹁うん。ありがとう、藤兵衛。これでなんとかなるといいけど⋮⋮﹂
﹁では、我らも行くと致しましょう。上ノ郷がまっておりますぞ﹂
﹁うん﹂
そういって、俺たちも三河方面に歩き始めた。
浜名湖を越え、吉田を越え、上ノ郷に向かう。
思ったよりも時間はかからなかったが、やはり疲れるものである。
馬に乗っているとはいえ、体力を労費することには変わりはない。
五月の初旬に上ノ郷城に到着した時には、俺も藤兵衛もボロボロ
になっていたのであった。
三河国上ノ郷城。別名﹁鵜殿城﹂とも呼ばれる、百年以上の歴史
を誇る鵜殿家の本拠地である。
この城の始まりは定かではない。鎌倉時代、鵜殿家がこの地に入
植した際に築城されたとも、戦国の世に入ってから築城されたとも
言われている。
土塁に空堀といったものを主な構造にした、典型的な戦国期の城
86
郭であり、南方に三河湾を一望することのできる丘陵の頂上を本丸
として、南側を向く形で郭が多く配置されている。
さらに城の東側を北から南へ流れる兼京川は天然の堀としての役
割を果たし、そこから引いた水を利用して城の外縁部には水堀も存
在していた。
そこまで難攻不落と言う訳ではないが、鵜殿家自慢の城郭だ。
ちなみに城と言っても、現代人が真っ先に想像するような、壮麗
な天守閣を擁するような大規模なものではなく、少し大きな砦のよ
うなものだ。
高層建造物も、せいぜい櫓ぐらいしか存在しない。
イメージとしては、ファンタジーアニメ等に出てくるような山賊
の砦だろうか。流石にあそこまでみすぼらしくはないが。
⋮⋮ここに戻ってくるのは、おじい様の葬儀以来のことだが、皆
元気にしているだろうか。
﹁若様のご帰還、開門!﹂
俺の前に立っていた藤兵衛が叫ぶと、ぎぎぎと言う音を鳴らして、
木製の櫓門が開かれた。
番兵さんに声をかけながら、城郭南方に存在する虎口と呼ばれる
城の入り口から、幾多の郭を抜けて本丸へ向けての曲がりくねった
登城道をのぼっていく。
入り口から直接本丸に道を繋げないのは、当然防衛のためである。
本丸が陥落してしまえば、城はおしまいだからだ。
ちなみに郭と言うのは、城内を分ける区画のことで、この郭の配
置や数によって城の形式は様々に変化する。
たとえば、外側に設けられた郭が、内側の郭を囲むような配置を
した輪郭式。
87
郭と郭を並列に配置する連郭式。
本丸を海や絶壁に面した場所に配置し、その周りに郭を配置して
いく梯郭式。といった具合に。
ちなみに上ノ郷城は、段郭式と呼ばれる、郭を段々畑のように配
置していく形式である。この形式が使われるのは、主に地形を利用
した城だったらしい。
ついでにこの城の主な郭が南を向いているのは、海から侵入して
くる敵に備えた為であろうか。
本丸にたどり着くと、母上と叔父上、そして弟が出迎えてくれた。
﹁よく無事に帰ってきてくれましたね、新七郎。いえ、今は三郎で
したか。藤兵衛も長い間、ご苦労様でした﹂
﹁只今戻りました、母上。長らく留守にして申し訳ありませんでし
た﹂
﹁ありがたきお言葉でございます﹂
﹁あにうえ、おかえりなさいませ﹂
﹁藤千代も、寂しかっただろう。お土産を持ってきたから、あとで
一緒に遊ぼうか﹂
﹁うんっ﹂
母上は父上より年下の二十七歳。素性はよく知らないが、その立
ち振る舞いから結構な名家の出なのだろう。三河の有力豪族か、あ
るいは今川氏の縁者なのかもしれない。
俺が駿河に行った年に生まれた弟・藤千代は、今年で七歳。遊び
盛りな年頃なのか、俺の顔を見るなり抱きついてきた。
﹁ようやく帰ってきたか三郎。お前がいなければ政務が進まん。早
く取り掛かってくれ﹂
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こちらは叔父・鵜殿長忠である。父上によく似た背格好だが、や
や身長が低い。
先代・長持公の弟、長祐殿の養子となり、分家の一つである柏原
鵜殿家を継いだ。
どうやら柏原の城を出て、こちらの手伝いをしてくれていたらし
い。
﹁叔父上、お忙しい中、御助力感謝いたします﹂
﹁なに、柏原の方も暇だからな。俺で良ければ、いつでも力になろ
う﹂
そういうと叔父上は俺の頭をぐしぐしと撫でてきた。
﹁さ、外はまだ冷えますからね。中へどうぞ﹂
﹁覚悟しろよ、三郎。政務は大変だぞ﹂
母上と叔父上に連れられ、本丸に建てられた屋敷の中へ入ってい
く。本丸の中でも見晴らしの一番いい場所に建てられたこの屋敷か
らは、三河湾の漣が一望できる。広さもかなりあり、鵜殿家の当主
の館としては申し分ないだろう。
久々のマイホームに落ち着いていると、執務室へ案内された。こ
れから父上がこの城に戻ってくるまでの間、当主代行として、領内
の様々な問題を見なければならない。忙しくなりそうである。
叔父上がどさり、と俺の目の前に大量の書類を置いた。
﹁これだけ全部、早いうちに片づけてくれ﹂
﹁これ、全部ですか?﹂
﹁やることはたくさんあるぞ。領民からの陳情、上ノ郷城の増築費
用の捻出、軍備の確認。あげたらきりがない。ついでに柏原城の改
修予算の捻出も頼む﹂
89
﹁⋮⋮﹂
すまん、藤千代。今日は遊んでやれそうに無い⋮⋮。
さりげなく自分の要求も混ぜる叔父上を半目で睨みながら、俺は
書類との戦闘を開始したのであった。
※※※※※※※※※※※※
さて、氏長君が上ノ郷で大量の書類と格闘戦を演じている頃、大
高城に籠城する鵜殿長照ら今川勢は、いよいよ追い詰められていた。
兵糧は殆ど底をつき、織田軍の包囲は日が増すごとに厳重になる
ばかり。一か八か討って出ようにも、城兵の士気はほぼ皆無である。
まとも動ける訳がない。仮に動けたとしても、たちまちのうちに追
い散らされてしまうだろう。
そうなれば落城は必死である。
この状況を作り上げた元凶でもある朝比奈筑前守輝勝は一人悩み
回っていた。
大高城の兵をもって織田軍の包囲を切り崩し、大殿から戦功第一
として称賛されるはずだったのが、数が劣るはずの佐久間盛重隊に
ボコボコに叩かれ、今では敗軍の将ギリギリの状態である。
たとえ今川本隊が救援に駆けつけて織田軍を追い散らしても、自
分に対する加増は皆無であろう。それどころか、大高城を危険にさ
らした責任を取らされて更迭されかねない。
90
﹁どうしてこうなった⋮⋮﹂
そうブツブツと独り言を呟きながら、残り少ない糧秣の納められ
た米蔵の前をうろうろぐるぐると歩き回っていると、鵜殿長照がや
ってきた。
﹁筑前殿。いったいどうなさった﹂
﹁長門守殿か、ほおっておいてくだされ。わしゃあ、もうだめだ﹂
﹁⋮⋮大殿が領国すべてに大号令をおかけなされた、と言う報せが
来ております。もうしばらくの辛抱ですぞ。さすれば、大殿は必ず
や筑前殿の功に報いて下さいましょう﹂
長照は輝勝をそう言って励ますが、輝勝の表情は一向に良くなら
ず、うろうろとした足取りも止まらない。
﹁じゃが、わしのせいでこうなったのも同然だ。責められこそすれ、
褒められることはありますまい⋮⋮﹂
﹁ならば、本隊の到来と同時に討って出て、織田軍を蹴散らせばよ
ろしい。大殿の御前で大功を挙げれば、それまでの失敗なぞ吹き飛
びましょう﹂
﹁それも、兵糧あってのこと。たったこれだけでは、兵どもの士気
を上げることさえできますまい﹂
そう言って、輝勝は米蔵の中を指差した。当然長照も知っている
通り、その中には米俵は全くと言っていいほど無く、目立つのは土
壁と梁だけである。
それを見た長照は顎に手をあてて考え込み、輝勝の方は再び独り
言を言いながら歩き回り始めた。
﹁どうしようどうしようどうしようどうしよう﹂
91
もはや落ち着いて考えられないのだろう。目の焦点はあっておら
ず、足取りは徐々にふらついてきている。途中から奇怪な踊りを踊
り始めるあたり、誰が見ても末期状態である。
そんな状態が小一時間ほど続き、長照が突如声をあげた。
﹁食べれるものは、何も米だけではありますまい。なんとかなるか
もしれませんぞ﹂
﹁何?﹂
﹁とにかく筑前殿も協力してくだされ﹂
﹁う、うむ。この状況を打開できるなら、なんでもしますぞ﹂
長照の説明はこうであった。城内や城の近くにある野山から、木
の実や野草など、食べれると思わしきものは何でも持って帰ってく
る。
それをすり潰して粉にし、その粉を水と混ぜて団子状の食物とし
て糧秣の代わりとする。
﹁もちろん米に比べれば味も量も遥かに落ちますが、何もないより
はマシかと﹂
﹁なるほど。幸い水の手は絶たれておらぬ。早速、人をやって集め
させよう﹂
追い詰められた人間は、時としてとんでもない発想を生む。
長照の生み出した臨時兵糧は、空腹であった兵たちには山海の美
味のように感じられたのだろう。
そのおかげか、鵜殿長照と朝比奈輝勝、および大高城の兵たちは、
この後、援軍到来までの間、ひと月近くに渡る地獄の籠城戦を生き
残ることか出来たのである。
92
93
帰郷︵後書き︶
氏長君の弟の幼名その他は完全な創作です。
94
桶狭間の躍動︵前書き︶
感想が欲しいです。
何卒よろしくお願い致します。
95
桶狭間の躍動
五月十二日に駿府を発した今川軍は、電光石火の速さで駿河・遠
江・三河を通過。十八日明朝には尾張沓掛城に到着する。
沓掛城主・近藤景春の出迎えを受けた今川義元は、城内に入ると
すぐに全軍の将を集め、軍評定を行った。鳴海・大高救援、及び尾
張攻略の調整を行うためである。
﹁では、評定を行うとしようかの﹂
そういって、今川義元は評定の間に居並ぶ家臣たちに声をかけた。
つい先ごろまで静寂を保っていた室内は、今や今川軍の将たちで
ごった返していた。
今川家を代々に渡って支えてきた重臣たちが一同に会して居並ぶ
光景は、中々に壮観である。
あるものはこれから起こるであろう織田家との決戦に思いを馳せ
て武者震いを震わせ、またあるものは、敵中に取り残された味方の
身を案じて不安そうな顔をしている。
三者三様、様々な表情を見せているが、誰も今川家の勝利を疑っ
てはいないのだろう。室内からは戦前にありがちな緊迫した雰囲気
はあまり感じられない。
ちなみに松平元康は大高城救援の為に一足先に沓掛城を出陣して
おり、この場にはいない。
﹁信濃、大高・鳴海の様子は?﹂
96
﹁本隊に先だって遣わした物見の報告によりますと、両城の包囲は
厳しく、今すぐにでも救援が必要な状態かと﹂
井伊直盛がそういって義元に報告する。
その報告を聞いた義元は、目前に配された地図を見ながら、更に
質問を続けた。
﹁大高と鳴海の間、この二つの砦、邪魔だのう。ここにはどのくら
い兵がおる﹂
﹁はっ、北方の鷲津砦には織田玄蕃以下四百名ほど、南方の丸根砦
には佐久間大学以下七百名ほどが籠っております﹂
﹁ふむ、ならばそこまで兵は要らぬか。朝比奈備中、井伊信濃。そ
なたらに兵二千を預ける。次郎三郎が大高城に兵糧を入れたのち、
彼と談合して両砦を攻略せよ。﹂
﹁御意﹂
命令を受けたのは井伊直盛と、朝比奈備中守泰朝という二十代前
半の年若い武将。
松平勢に遅れをとりたくないのだろう。その瞳には戦功を求める
貪欲な光が灯っている。
その返事を確認した義元は軽く頷くと、再び地図に目を向けた。
﹁鳴海にも抑えは必要か。葛山備中、そなたは兵五千を率いて星崎
方面に向かえ。織田軍の動きを見張るのだ﹂
﹁了解いたしました﹂
﹁浅井小四郎、近藤九十郎は千五百の兵をもって沓掛に留まれ﹂
﹁ははっ﹂
﹁緒川、刈谷にも兵を向ける。挟撃されては叶わんからの﹂
そういって、義元は命令を待つ家臣たちに指示を出していく。
97
自らの判断に何一つとして疑いを持たず、矢継早に命令を下すそ
の姿は、﹃海道一の弓取り﹄と呼ばれるのに相応しい。
命令を下された家臣たちも、義元の命に何一つとして疑問を持た
ず、次々に頷いていった。
﹁こんなものかの。何か意見のあるものはおるか?﹂
暫くのち、すべての命令を出し終わった義元は、家臣達にそう言
葉を向けた。
当然、誰一人として異論を挟むものはいない。それだけ、自らの
主君の戦略眼を信頼しているのだろう。
﹁大殿。異論ではございませぬが、一つ申し上げたき事がございま
す﹂
そんな空気の中、言葉を発したものが一人。
井伊直盛であった。
﹁信濃か。申してみよ﹂
﹁はっ、この沓掛から鳴海・大高にかけて、桶狭間と呼ばれる複雑
な丘陵地帯があると聞き及んでおります。仮に⋮⋮﹂
言葉を続けようとした直盛を、義元は手を挙げて制した。
﹁ほっほ、なるほどの。そなたは織田軍の伏兵を警戒しておるわけ
じゃな﹂
﹁はっ、左様にござります﹂
﹁織田方に伏兵を配する余裕などないだろう。何せ、大高・鳴海の
包囲だけで手一杯の様だからのう。仮に罠があったとしても、索敵
を怠るつもりは微塵もない。大丈夫じゃ﹂
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﹁⋮⋮はっ。余計な口出しをして、申し訳ありませぬ﹂
﹁よいよい、そのような複雑な地形を事前に知れただけでも幸運じ
ゃ。感謝するぞ、信濃﹂
﹁ありがたきお言葉﹂
そういって、直盛は引き下がる。当面の不安は薄れたが、彼の心
中には蟠りが残る。
大殿は油断し過ぎではないか、と。
︱︱何事も無ければ良いのだが︱︱
直盛は心中でそう呟く。
勿論、義元の采配能力を疑うわけではないが、古来より兵力で勝
る側が劣る側の奇襲によって敗れた例など幾らでもある。
桶狭間という土地が実際にはどのような所なのかは分らないが、
こういう場所はただ複雑なだけの地形では無い、と昔から相場が決
まっているようなものだ。
仮に桶狭間が想像を絶するような難所で、今川全軍が行軍に行き
詰まり、そこを織田軍に襲撃された時には⋮⋮。
そこまで考えて、彼は考えをやめた。
これ以上悪い方向に考えては、彼自身の采配に影響が出るかもし
れない。
それに、大殿ならきっと大丈夫だ。織田の若僧ごときに遅れをと
るお方ではない。
そう強く思い、沈んでいた表情を元に戻した。
直盛が部屋内の様子をみると、幾人かの家臣と義元の問答が終わ
ったところだった。
評定も終わりだろう。
99
﹁他には何もないようだな。此度の評定はこれまでとする。皆の者、
大高・鳴海の危機を救い、清州に当家の旗を立てるのだ!﹂
﹃ははっ﹄
﹁では解散!﹂
義元がそう言い終わるや否や、出陣の命令を受けていた将たちは、
一斉に頭を下げて部屋から飛び出していく。
最後まで残ったのは、本隊に属して行軍する者たちだけである。
その将たちに対して、義元は最後の指示を出した。
﹁本隊の出発は、明日の朝とする。それまで休息をとるとよい﹂
﹁御意﹂
家臣たちの返事を確認した義元は重い腰を上げ、部屋の外へと出
て行った。
本人も翌日の出陣に備えて休息を取るのだろう。
主の退室を確認すると、残った家臣たちも徐々にばらけて部屋を
出て行った。
そして、評定の間には不気味なほどの静寂が戻る。
まるで、権勢を誇った名門が没落した後のように、部屋の中には
誰も残っていなかった。
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
100
その頃、一足先に沓掛城を出陣した松平元康ら三河勢は、大高城
へ行軍中であった。
大量の米俵を抱えているため、行軍速度はどうしても遅くなって
しまう。このままいけば、大高に接近するのは夕刻ごろ。
ただ、あまり早く近づいても織田軍の攻撃を受けてしまうため、
其方のほうが彼らにとっては都合が良いとも言えるのだが。
そんな彼らのもとへ、朝比奈泰朝からの伝令が届く。
曰く﹁大高への兵糧入れが終わった後、丸根砦の攻略を頼む﹂と。
それを聞いた元康は承知した、と短く返答。ここに両砦攻略の手
筈は整った。
﹁大殿も人使いが荒いですな。兵糧入れだけではなく、砦攻略にま
で我らをこき使おうとは﹂
﹁わしとしては、ありがたい限りじゃがな。我らが功を挙げれば挙
げるほど、竹千代さまが岡崎に戻れる可能性が増える。今まで岡崎
で燻っていたのだ。せいぜい大暴れしてやるわ﹂
元康の側にいた武将︱︱酒井左衛門尉忠次が、去ってゆく伝令を
見ながらそう嘆いた。
それに対して返答したのは、長坂信政。﹁血鑓九郎﹂の異名をと
る、松平軍最強の勇士である。
出陣に先立ち、松平元康は、駿河に同行してきた家臣の他、国元
に残った者たちも手勢に加えることを許され、岡崎で参戦を願う家
臣たちを根こそぎ連れてきたのである。
そのおかげか、三河勢の士気は天を衝くほどに上昇。見ている側
からは、対峙する織田軍が哀れに思えてくるほどの熱気を放ってい
た。
101
﹁九郎、もう幼名で呼ぶのはやめてくれ。元服は済んだ。俺には次
郎三郎元康と言う立派な名があるんだ﹂
そういって、元康は信政に返す。
彼は元康の祖父・清康の代から仕えており、元康に従う家臣の中
でもかなりの高齢なのだ。
彼の頭の中では、元康はいまだ竹千代と呼ばれる子供のままなの
かもしれない。
﹁おっと、失礼いたしました。﹂
平謝り。敬意は殆ど籠っていないように聞こえるが、三河武士と
はそういうものである。
﹁九郎殿、暴れるのはよいが、若い奴らにも手柄を譲ってやってく
だされよ﹂
酒井忠次が、武器を振り回している鍋之助と亀丸を見ながら言っ
た。
彼らは彼らで、武勲を挙げようと必死なのである。
﹁はっはっは。できればな﹂
︵不安だ⋮⋮︶
一方、噂されているとは露程にも知らず、当の鍋之助と亀丸は暢
気なものである。
元康の側で、ぺちゃくちゃとお喋りを続けている。
﹁絶対に大将首をとるんだ。殿と武勲を挙げたら元服させて貰うっ
102
ていう約束をしたからな!﹂
と、鍋之助。
﹁そう簡単に大将首が取れるか、アホ。まずは兵糧入れを成功させ
なければ話にならんぞ。与えられた主命をきっちり果すのも武勲の
うちだ﹂
それを諌めるのは、いつもの通り亀丸である。
﹁全く、お前もずいぶん丸くなっちまったよなあ。昔は俺と大して
変わらなかったのに。三郎の堅物が移ったんじゃないのか?﹂
﹁否定はせん。あいつが俺たちに与えた影響は大きいからな。大し
て変わらない年齢の筈なのに、学者顔負けの知識を持つ。影響を受
けるな、と言う方が難しいだろう﹂
﹁全く、俺たちにもいろいろと押し付けやがって。なんだよ、あの
﹃すーがく﹄っていうのは。武士が銭の計算なんかして役に立つか
っての﹂
﹁あいつはあいつで、俺たちの将来を考えてくれているのだろう。
活躍次第では、俺たちだって知行地を与えられるのかもしれないの
だからな。そうなった時に、あいつの言う﹃数学﹄とやらは助けに
なるだろうな﹂
﹁そんなもんなのか?﹂
﹁そういうものだ﹂
鍋之助は唸っている。一通り唸り終えると、声を張り上げた。
﹁とにかく、学問ではあいつに勝てねーからな。意地でも合戦で活
躍して、ぎゃふんと言わせてやる。待ってろよ、三郎!﹂
﹁やれやれ﹂
103
そんなやり取りを加えながら、松平軍は大高城への道のりを進ん
でいく。
元康は家臣たちのやり取りを聞きながら、自分には過ぎたる者た
ちだ、と思うのだった。
※※※※※※※※※※※※※
松平軍が大高城を囲む織田軍を視認できる高台まで移動したのは、
大方の予想通り夕刻少し前の事であった。
日はとうに傾き、織田方の陣営ではかなりの量の篝火が炊かれて
始めている。それほど兵は多くないが、包囲には隙はない。
そんな敵陣を遠くに眺めながら、元康は作戦を練り始めた。
︵今から攻撃を仕掛けてもよいが、まだ干潮。清州方面からの救援
が到来する恐れがある。満潮になるまで待って、救援の可能性を絶
ってから攻めかかるとしようか︶
大高城の背後数百メートル先には、この時代、高大な干潟が広が
っていた。
この干潟が存在しているうちは、清州方面から大高辺りまで、案
外楽に移動できてしまうのである。
幾ら今川全軍が大軍とはいっても、松平元康に預けられている兵
104
は二千ほど。
織田軍が大高城救援にどれほどの兵力を投入してくるか分らない
以上、満潮で干潟が消えるのを待って攻撃するのは当然の判断であ
る。
﹁朝比奈殿に早馬を出せ。攻撃は満潮になってから、とな﹂
﹁御意﹂
﹁彦右衛門、少し出る。ともを頼む﹂
﹁承知﹂
近くに控えていた近習に指示を出すと、満潮までの暇潰しなのだ
ろうか、自らは鳥居元忠を引き連れ、散策に出掛けた。
その散策の最中、元康は元忠に話しかける。
﹁彦右衛門、此度の戦、どちらが勝つと思う?﹂
﹁それはもちろん我が方でしょう。いかんせん兵力差がありすぎま
す﹂
﹁そうか、やはり皆そう思うのか⋮⋮﹂
﹁何か不安がおありなのですか?﹂
元忠は疑問を投げかけた。自らの主の不安の訳が分からないのだ
ろう。
当然だ。
今のところ、今川軍に敗北する要素は全くない。
﹁これが、普通の戦であれば気にならなかっただろうな。だが、今
回の相手は織田上総介殿だ﹂
﹁織田殿になにかあるのですか?﹂
﹁ああ。俺が戸田弾正によって尾張に売り飛ばされた話はお前にも
したことがあったよな?﹂
105
﹁はい。以前お聞きしました﹂
﹁その時にな、上総介殿に何度かあったことがある。﹂
後世においても非常に有名な話である。
天文十六︵一五四七︶年、松平家が今川家に従属することになっ
たおり、駿河に人質として送られる予定であった元康︵当時は竹千
代︶は、その護衛役だった戸田康光の裏切りによって、尾張の織田
信秀︵信長の父︶のもとに売り飛ばされてしまう。
その際に、当時﹁大うつけ﹂として有名であった織田信長と知り
合い、お互いに夢を語り合うほどの仲になったという。
後に太原雪斎が捕えた織田信広︵信長の庶兄︶との人質交換によ
って尾張を離れるまで、二人は友人であり続けたのだ。
﹁上総介殿はな、自分は天下を取るまでは死ねぬ、と何度も申して
おられた。そんな方がこの戦で斃れるとは、俺にはどうしても思え
ん。何か、何かあるのではないかと慎重になってしまう﹂
﹁⋮⋮﹂
鳥居元忠は絶句する。何か言葉をかけようにも、それが出てこな
い。
当時尾張一国の主ですらなかった織田信長が、そんな大層な夢を
持っていたとは思ってもみなかった。それも、自らの主君に語って
いたとは。
当然、大うつけの虚言だ、と言ってしまえばそれまでだが、織田
信長は尾張の虎と呼ばれた父・信秀ですら果たせなかった尾張統一
を成し遂げ、先年には十三代将軍・足利義輝との謁見を果たしたの
だという。天下の夢を語れるだけの実力は持っていたということに
なる。
そんな人物を直接知っている元康が慎重になってしまうのも、今
106
の元忠には理解できる。
自分も同じ思いだからだ。
そう思うと、今まで楽観視していた自分の中に、何か得体のしれ
ない不安が湧き上がってくるのが感じられた。
元忠の表情がしだいに青ざめていく。
それに気付いたのか、元康が元忠に再び声をかけた。
﹁すまん、彦右衛門。驚かせてしまったな。そろそろ満潮だ、戻ろ
う﹂
﹁は⋮はい﹂
二人は踵を返す。
この二人の不安が現実のものになるかどうか、それはまだ不明で
ある。
松平勢のもとに戻った元康は、満潮になり、干潟が消滅している
ことを確認すると、すぐさま進軍を開始した。
﹁かかれっ!織田軍を蹴散らし、大高に兵糧を入れるぞ!﹂
元康の指令が飛び、総勢二千の松平軍は大高城を囲む織田軍に対
して一斉に駆け出した。
対する織田軍は、少ない兵力を松平軍の正面に集結させて迎え撃
つ。
瞬く間に大高城下は、白刃の飛び交う戦場と化した。
両軍の馬の嘶きと蹄音が反響し、周囲に凄まじい轟音を撒き散ら
す。
107
弓矢が飛び交い、時折銃声が聞こえる混戦の中に、単騎で突入す
る男が一人。
長坂信政である。
松平清康に持つことを許されたという、家中随一の武勇の証であ
る﹁皆朱の槍﹂を振り回し、織田兵を貫き通していく。
白色の目立つ頭髪は一部が返り血によって赤く染まり、本人の放
つ威圧感によってまるで鬼神の様である。
﹁織田の弱兵!この白髪首、とれるものならとってみよ!﹂
そう怒鳴りながら織田兵を威圧し、松平軍の進む道を切り開いて
いく。
﹁すげぇ!あれが﹃血鑓九郎﹄か!亀丸、俺らも負けてられねーぞ﹂
﹁おい、無茶はするなよ﹂
彼の働きに乗せられたのか、鍋之助と亀丸も織田兵にかかり、次
その他、酒井忠次、鳥居元忠といった元康側近も活躍し、戦
々とそれを討ち取っていく。
闘開始から僅かで、戦況は松平軍に大きく傾いた。
だが、対する織田軍も粘りに粘る。
がっちりと守りを固め、松平勢によって崩された陣形をちまちま
と修復する。
満潮のせいで清州からの増援は期待できないが、丸根・鷲津から
の援軍が来ることは大いにありうる。
丸根の佐久間盛重が松平勢の背後を突けば、形勢は逆転するから
108
だ。
だが、援軍到来を前に織田軍は壊滅することになる。
︱︱大高城兵、出陣。
松平勢と織田軍の戦闘開始に大高城内で最も早く気が付いたのは、
織田軍の包囲を四六時中睨みつけていた朝比奈輝勝だった。
彼は織田軍の旗の動きから戦闘中であることを察すると、すぐさ
ま鵜殿長照のもとへ駆け出した。
﹁長門守殿、援軍が到来しましたぞ!三つ葉葵の紋、松平勢でござ
る!﹂
﹁なに、誠でござるか﹂
﹁誠の誠。城外で戦闘中ですぞ﹂
﹁よし、では今すぐに出陣の用意を﹂
﹁長門守殿、此度はわしに任せて貰いたい。奴らにはさんざん泡を
吹かされて参った。一度目に物を見せてやらねば気が済まぬ﹂
そういって、輝勝は土下座する。地面に顔を擦り付け、何度も何
度も頭を下げる。
普段のプライドを投げ捨てんが如し焼き土下座に、当然長照は驚
き、返答を返した。
﹁ち、筑前殿。どうか頭をお上げくだされ。この長照、筑前殿の覚
悟、確かに見届けました。此度の出陣、お任せいたします﹂
109
﹁かたじけない⋮⋮﹂
もう一度深々と頭を下げると、輝勝はもの凄い速さでその場を去
って行った。具足に着替えるのだろう。
﹁やれやれ、筑前殿もずいぶんと溜め込んでおられたようだ。これ
なら、以前のように敵に遅れをとることもあるまいよ﹂
そういって、長照は輝勝の駆け出した方を眺めるのだった。
その後雷霆の如し動きで出陣の用意を整えた輝勝以下百名ほどの
城兵は、大高城の大手門を解放。松平勢との交戦に夢中な織田軍へ
と襲い掛かった。
﹁進め、進め!者ども、今までの恨みを晴らす時ぞっ!﹂
輝勝の天地を揺るがすような怒声が響く。今までの恨みを晴らせ
るとあって、彼の勢いはこれ以上にないほどに高まっている。
大将の熱気に当てられたのか、彼の指揮下の城兵たちも、凄まじ
い勢いをもって織田軍に突撃していく。
﹁食い物の恨みだ、覚悟ッ!﹂
﹁いままでの仕打ち、数倍にして返してやる!﹂
﹁嘘だろ⋮⋮、なんでこいつら、こんなに強いんだよ﹂
﹁畜生!兵糧が無いんじゃ無かったのか!﹂
前方の松平勢ばかりに気を取られていたのが仇となった。ほぼ無
防備であった背後から襲い掛かられた織田軍は、陣形崩壊を引き起
110
こした。敵に背後を見せて逃げ出した兵は、勢い盛んな城兵によっ
て次々と討ち取られていく。
特に大将であるはずの輝勝は獅子奮迅の活躍を見せ、すでに敵方
の大将であると思われる立派な兜首を討ち取っていた。
これに驚いたのは織田軍ばかりではない。松平勢も同様であった。
今にも死にそうな思いをしていた筈の大高城兵が、自分たちと同
じような勢い、いやそれ以上の勢いで織田兵を斬り倒していくので
ある。
さしもの長坂信政も目を丸くして立ち止まり、元康も信じられな
いような顔つきをして、崩れ行く織田軍とそれを追う城兵を見つめ
ている。
﹁お、大高城兵に負けるな、三河武士の力を見せろっ!﹂
暫くして我に返った元康が采配を振るうが、時すでに遅し。
織田軍は徹底的に叩かれ、その殆どが討ち取られるか、既に逃げ
出した後だった。
﹁いやあ、まさかそのような方法で飢えを凌いでおられたとは。あ
の勢いにも納得です﹂
数刻後。織田軍を蹴散らし、無事に大高城内に兵糧を届けた元康
たち三河勢は、城内の一角で炊事をしつつ、長照ら守将陣と歓談を
楽しんでいた。
﹁わしも驚きましたぞ、まさか有り余るもので、このような美味い
111
賄いを造るとは﹂
そういった輝勝が長照の生み出した雑草団子を取り出して見せた。
﹁ですが、やはり米が一番ですな。うむ、おいしい﹂
長照はそれを見て恥ずかしげに頷き、米を貪っている。
久しぶりの米食である。雑草団子ばかり食べていた彼にとっては、
新鮮なのだろう。
こんな感じで歓談を繰り広げていると、何処からか鍋之介と鳥居
元忠があらわれ、元康のもとに跪いた。
﹁殿、殿。元服させてくれるという約束はどうなりましたか?﹂
﹁殿、拙者からもお願い申し上げます、此度の鍋之介の働き、贔屓
を無くしても称賛に値するかと﹂
﹁うむ。見事であった鍋之介。元服を許そう﹂
﹁ありがたき幸せ。﹂
鍋之介は深々と頭を下げた。彼にとっては念願となる元服である。
﹁だが、名はどうする?﹂
﹁はっ、今は亡き父上と同じく平八郎を名乗りとうございます﹂
鍋之介の父・本多忠高は、十二年前に織田軍と戦って討ち死にし
ている。
﹁諱は?﹂
﹁本多家代々の通し字・忠と、戦勝を記念して﹁勝﹂という字で、
忠勝と名乗りとうございます﹂
﹁本多平八郎忠勝か。良い響きじゃ。うむ、名乗りを許可する。鍋
112
之助、いや平八郎。今後とも我が家に忠義を尽くしてくれ。頼むぞ﹂
﹁ははっ!﹂
こうして、本多鍋之助改め、本多平八郎忠勝は元服の儀を終えた。
後年﹁家康に過ぎたるもの﹂と称賛される、最強三河武士の登場
である。
﹁しかし﹃忠勝﹄か。まるでわしの活躍を見て名乗ったようじゃの。
わははははは﹂
﹁⋮⋮﹂
勝手に舞い上がって大笑いしている輝勝を、その場にいる全員が
白い目で見たのだった。
※※※※※※※※※※※※※
再び数刻後。大高城内で十分の休息をとった松平勢は、丸根砦攻
略のために大高城城門前に集結していた。
兵力は二千五百程。元からいた二千程の松平勢に、朝比奈輝勝率
いる大高城の守兵五百人を合わせた数字である。
朝比奈輝勝が同行するのは、本人が執拗に願ったため。
どうやら佐久間盛重にリベンジ戦を仕掛ける為らしかった。
113
﹁わはは、大学め覚悟しろ。以前の様にはいかんぞ!﹂
そういう輝勝の背後には、メラメラと燃える闘志が幻視できる。
以前の敗北はよほど堪えたらしい。
︵長門守殿、大丈夫でしょうか⋮⋮︶
︵まあ、心配なかろう。一応以前に比べて成長しておるみたいだか
らな、彼も⋮⋮︶
後ろでは元康と長照がひそひそ話をしているが、幸い輝勝はそれ
に気づいていないようだ。
そうしているうちに、二千五百人全員が集結した。
﹁次郎三郎殿、筑前殿、ご武運をお祈りいたす﹂
﹁感謝いたします。では、出陣!﹂
﹃応!﹄
鬨の声とともに、城門が鈍い音を立てて開かれ、丸根砦を滅ぼす
べく、松平勢︵+朝比奈勢︶がぞろぞろと出ていく。
暗闇の中を松明を持って行軍するその姿は、まるで巨大な蛇の様
だった。
114
同時刻。鷲津砦南東。今川軍先鋒隊、井伊信濃守直盛及び朝比奈
備中守泰朝の陣。
暗闇の中に大量の篝火が焚かれ、星空と陣所を照らし出している。
そんな幻想的な雰囲気のなか、佇む一人の青年武将。
朝比奈備中守泰朝。遠江掛川城主にして、この部隊の大将の片割
れの一人である。
今年二十三になる彼は、今川家中では次世代を担う若手の代表格
とされている。
次期当主・彦五郎氏真の同年の生まれであり、個人的にも親友と
もいえる間柄である彼は、これから攻める鷲津砦を遠目に見つつ、
物思いに耽っていた。
三年前、父・泰能の死によって家督を継承したばかりである彼は、
どうにかして武功を挙げようと躍起になっている。
朝比奈家は今川家臣団の中でも筆頭ともいえる古い家柄だが、最
近では鵜殿や松平といった家がじわじわと家中での発言力を高めて
いる。
このままいけば、筆頭家臣の座から転落しかねない。
本来ならば、両砦の攻略も自分だけの手で果たしたいところなの
だ。
だが、主君である義元に井伊及び松平との共闘を命ぜられてしま
った以上、従う他はない。
﹁まったく、難儀なものだ﹂
泰朝はそういって歯噛みする。
115
勿論、彼自身には松平や井伊に対して含むところは何もない。そ
れどころか、頼もしい味方だと思っている。
だが、同じ戦場に立つとは言え、彼らは出世競争のライバルだ。
何かと意識はしてしまうのだろう。
どうにかして彼らと連携を取りつつも出し抜き大功を挙げ、朝比
奈家の発言力をより高めなければならぬ。代々筆頭の座にあった朝
比奈家を、自分の代でその座から降ろす訳にはいかぬ。
泰朝は空に浮かぶ月を見ながら、そう決意した。
﹁備中殿。松平殿から伝令が届きましたぞ﹂
﹁通してくだされ﹂
決意を新たにした直後、井伊直盛が泰朝に声をかける。
松平元康よりの伝令らしかった。おそらく、丸根砦攻撃の準備が
整ったのだろう。
泰朝の言葉によって通されたのは、二人の武者だった。
片方は相当に若い。彼の知る鵜殿家の嫡男程の年齢である。
両方とも、槍を背負っているあたり、それの名手なのかもしれな
い。
﹁お目通り感謝いたします。それがし、松平次郎三郎が家臣・本多
忠真。こちらは我が甥・忠勝﹂
﹁お役目ご苦労。次郎三郎殿はなんと?﹂
本多忠真と名乗った武者のほうが口を開いた。
﹁はっ、我が主・元康は丑の刻︵午前二時︶前に大高を出陣いたし
116
ます。朝比奈様におかれましては、同時刻ほどに鷲津に攻撃を仕掛
けていただければ、とのことです﹂
﹁ふむ、両砦の連携を絶つか。承知した。すぐに準備にかかろう﹂
﹁聞き届けいただき感謝いたします﹂
ここで、泰朝の脳内にある計略が思い浮かんだ。
大したことではないが、上手く行けば松平勢の武勲を減らしつつ、
自軍の武勲を水増しできるかもしれない。
そう思った泰朝は、二人に提案を持ちかけた。
﹁二人とも、どうだ。次郎三郎殿には私から使者を出す故、そなた
なにゆえ
たちはこの戦だけでも我が陣に加わっては頂けぬか?﹂
﹁何故でございますか﹂
案の定、二人は目を白黒させて驚くが、泰朝は間髪入れず、さら
なる説得を叩きこむ。
﹁井伊殿の軍はともかく、我が陣には武勇の士が不足しておってな。
いろいろと不安なのだよ。聞くところによれば、鷲津の守将・織田
玄蕃及び飯尾定宗は、老齢なれどかなりの猛者と聞く。そなたたち
ほどの勇士がこちらについてくれれば、安心して攻め込めるという
ものだ﹂
﹁我が主君の許可を得なければなんとも言えませぬ﹂
﹁⋮⋮次郎三郎殿には早馬を出すついでに聞いておこう﹂
そういうと泰朝は元康の陣に使者を送る。
暫くのち、返ってきた答えは﹃是非﹄というものであった。
﹁というわけで、よろしく頼むぞ。二人とも︵やった、ぼろ儲け︶﹂
﹁此方こそ、お頼み申します﹂
117
忠真と泰朝が話している中、なし崩しに朝比奈勢への加勢が決ま
った忠勝は、首をかしげるのであった。
五月十九日。午前三時前。
﹁大学様、今川軍です⋮⋮﹂
﹁ついに来おったか﹂
大高城を出陣した今川軍がひたひたと迫る中、丸根砦の守将・佐
久間大学盛重は、部下の報告に対してそう漏らした。
篝火の数を見るに、敵は最低でも二千は下らない。夜空に翻って
いる旗指物からは、三河松平党であることが確認できる。
僅か数百の味方では、砦にこもっても相手にならぬだろう。
﹁かくなる上は討って出て、華々しく散ろうぞ。異論のあるものは
去っても構わん﹂
盛重はそういって部下たちを見まわす。
だが、部下たちは誰一人として去ろうとはしなかった。
﹁大学様、我々もお供いたします﹂
118
﹁すまんな、お前たち。今川軍に我らの散り際、見せてくれようぞ﹂
そういった盛重の目は、潤んでいるようにも見えた。
﹁門を開け!突撃だ!﹂
﹁おおーっ﹂
丸根砦の門から、数百名余りの織田兵が討って出た。
突然のことに松平勢は一瞬怯むが、すぐに体勢を立て直し、織田
兵を迎え撃つ。
﹁数で劣る筈なのに⋮⋮。正気かッ!?﹂
﹁佐久間大学とはそういう男だ!わしにも覚えがある!﹂
部隊後方で指揮をとる元康が驚きの声を上げる。
二人の予想では兵力差を前に籠城するであろう、と言う推測がさ
れていたことから、盛重の出撃は不意打ちだった。
並みの将であれば驚くあまり取り乱すだろうが、元康は名将であ
る。
以前盛重と交戦した経験のある輝勝がいたこともあって、素早い
対応を取ることができたのだろう。
始めのうちは押していた織田兵も、松平勢の勢いの前に徐々に徐
々に押し返されていく。
それでもなお崩れないのは、死兵となっているからだろう。
お互いにかなりの数の死傷者を出しながら、砦の前の攻防戦は夜
が明けても続く。
丸根砦を落とし、軍功を挙げて三河を取り戻そうとする松平勢。
一方、死兵と化して最後に武士の意地を見せようとする佐久間盛
119
重以下織田勢。
両者の決着がついたのは、朝になってからであった。
﹁見つけたぞ!あれが佐久間だ!﹂
﹁くそっ、朝比奈か﹂
因縁の決着をつけるべく前線に出張っていた輝勝が、織田兵の陣
奥で采配を握る盛重を発見する。
その姿を発見した輝勝は、兵達に指示を出しつつ、自らも弓を持
って盛重を狙う。
﹁佐久間大学、その首、朝比奈筑前が貰い受ける。覚悟!﹂
﹁⋮⋮!﹂
そういって、輝勝は構えた弓を大学に向けて放つ。
弦より放たれた矢が、馬上で太刀を振るう盛重の肩口に深々と突
き刺さった。
﹁がはっ⋮⋮。まだだ、まだっ﹂
それでも盛重は諦めようとしない。
執念で太刀を振るいながら、松平兵を薙ぎ払っていく。
それを目にした輝勝は、再び兵に指示を出した。
﹁弓隊、これ以上やつを暴れさせるな。放てっ﹂
大量の矢じりが、鋭い音をたてて、盛重とその愛馬に突き刺さっ
120
た。
︱︱佐久間大学盛重、戦死。
﹁だ、大学様ぁ﹂
﹁もうだめだ﹂
盛重の戦死によって戦意を喪失した織田兵は、松平兵によって次
々と討ち取られていく。
丸根砦か完全に陥落したのは、午前七時頃の事であった。
一方、朝比奈泰朝、井伊直盛が攻撃を仕掛けた鷲津砦は、籠城戦
を展開。
清州からの援軍の望みが薄い中、織田玄蕃以下数百名の将兵は粘
ったが、丸根砦よりも早くに陥落した。
なお、この戦闘で本多忠勝が討ち取られかけるが、叔父の助太刀
によって九死に一生を得ている。
﹁案外、あっけなく終わりましたな﹂
﹁そうですな﹂
未だに戦後の片づけが終わらない鷲津砦で、泰朝が直盛に声をか
121
けた。
両者とも未だに疲れが取れないが、無事に義元からの命を果たせ
てほっとしているようだ。
﹁織田軍は強かったが、それ以上にわが軍が強かった、と言うこと
ですな備中殿﹂
﹁うむ。これで、われらの勝利は間違いないでしょう。論功行賞が
楽しみで仕方ありません﹂
二人はしばらく雑談に花を咲かせたが、直盛が報告のため本隊に
戻ると言い出したため、途中でお開きとなった。
﹁では、それがしはこれで。本隊に戻らなければならないので﹂
﹁助太刀感謝いたします、信濃殿﹂
﹁ははは、それがしの助太刀がお役に立ったのならば光栄ですな﹂
そういって、直盛は井伊兵を連れて鷲津砦を後にする。
あとに残された泰朝は、これからどう動こうかと一人思案するの
であった。
※※※※※※※※※※※※※
122
時刻は少し遡り、五月一八日夜中。
沓掛城に宿泊する今川義元は、悪夢に魘されていた。
自らが討った筈の玄広恵探が夢に現れ、駿河に帰れと叫んでいる。
義元は恵探に対して叫ぶ。
﹁敵であるお前のいう事など、聞けるはずがない﹂と
恵探は言う
﹁私は当家が滅び去るのを心配しているのだ﹂と
﹁滅びるとはどういう事だ!﹂
義元が叫んだ瞬間、偶然、あるいは必然と言うべきか、彼の眼は
醒めて、恵探の姿は掻き消える。
﹁⋮⋮夢か﹂
﹁大殿、いかがなさいました!?﹂
﹁なんでもない﹂
叫び声を聞いて飛び込んできた家臣にそう答えつつ、義元は夢の
意味を深く考えるのだった。
︱︱三者三様の思惑を孕み、尾張国内に散らばる歴史の欠片は、
様々な軌跡を辿り、運命の場所へと集っていく
123
決戦の時は近い
124
桶狭間の躍動︵後書き︶
桶狭間ももう終盤ですね。
125
桶狭間の慟哭︵前書き︶
ご感想ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。
126
桶狭間の慟哭
五月一九日、午前。
沓掛城を出発した義元率いる今川軍本隊は、丸根・鷲津の方角よ
り昇る黒煙を見ながら、南西に向かって歩を進めていた。
これまでのところ、作戦は須らく順調に進んでいる。
今日の朝早くには、先遣隊として遣わした松平・朝比奈・井伊の
三将が丸根と鷲津の両砦を落とし、大高・鳴海の両城を陥落の危機
から救い、緒川・刈谷の織田方も、抑えに派遣した数千の軍勢によ
って身動きが取れずにいる。
このままいけば、明日の朝には鳴海城を救援できるだろう。守将・
岡部元信は本隊の到着を首を長くして待っている筈だ。早く行って、
安心させてやらねばならぬ。
義元は自らが乗った輿の上でそう考える。
今朝方、自慢の愛馬が突然暴れだし、紆余曲折を経て乗馬を諦め、
今まで通り輿で移動することになった時はどうなることかと思った
が、杞憂だったのだろう。
青毛をもった自慢の愛馬で行軍出来ない事は非常に無念であるが、
その馬はしっかりと連れてきている。いつでも乗換えることができ
る。
127
一部の家臣は縁起を担いで出兵を見合わせるべきだと進言してき
たが、義元はそれを拒否した。
馬が暴れだすなど多々あることだ。一々気にしていてはきりが無
い。
ついでに言えば、昨夜の夢も気にはなるが、所詮夢だ。我が悲願
を果すためには、何の障害にもなるまい。 嘗て我が家が守護を務
め、現在は織田なる成り上がり者に簒奪されている尾張国をこの手
で取り戻し、今川家の歴史に新たな一項目を加えるのだ。
そうやって当主が決意を新たにしている頃、長蛇の列をなして進
む今川軍は、起伏の激しい丘陵地帯へと差し掛かった。
桶狭間。桶廻間とも書かれる。
尾張有松近辺を流れる手越川に沿って形成された深い谷の事であ
る。
﹁それ﹂を目にした義元は、僅かに頷いた。
確かにあの直盛が心配するの頷ける。この凹凸の激しい丘陵地帯
は、確かに兵を伏せるのにはもってこいだ。
あの谷間に軍勢を誘導されれば、大軍であればあるほど身動きが
取れずに立ち往生してしまう。そこを敵兵に襲撃されれば、いかな
る精兵であっても一溜りもない。
128
だが﹁それだけ﹂である。谷間に誘導されなければよいのだし、
伏兵にしてもあらかじめ高所に陣取ってしまえばよいのである。歴
戦の直観が義元にそう告げていた。
︵あの山が良いかの︶
義元が目を付けたのは、桶狭間を遡ったところにある、周りの丘
よりも一回り程高い山。
此処ならば周りの様子も一望でき、万が一織田兵が伏せていても
簡単に対応できそうである。
兵に指示を出し、進路をその山に変更させる。これから丘陵地帯
を行軍することだし、陣を張って休息しつつ敵襲に備えるのも良い
のかもしれない。
かくして、義元を中心とした今川軍本隊は、その山を中心とした
一帯に陣を張り始めた。
織田軍の奇襲を防ぎ、自軍の勝利を完全なものとするために。
その山の名を地元の民はこう呼ぶ。
︱︱おけはざま山と
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
129
今川軍本隊が桶狭間付近の丘陵地帯に差し掛かっている頃、義元
に戦勝の報を届けるべく本隊を目指して行軍する井伊直盛は、自ら
に付き従う寄騎︵与力︶・近藤康用にくだらない相談を振っていた。
﹁のう、平右衛門﹂
﹁何でございましょう﹂
﹁次郎法師︵井伊直虎の事︶の結婚相手、どうしたら見つかるかの
う⋮⋮﹂
結局それか、と康用は内心で呆れつつも、老人の愚痴に付き合う
形で返答を返す。
﹁どうしたらも何も、此方から積極的にお声を懸けるしかあります
まい。鵜殿長門守殿のご嫡男との縁談はどうなったので?﹂
﹁やんわりと断られてしまったわい﹂
﹁左様ですか﹂
そりゃあそうだろうな、と康用は内心で愚痴る。
次郎法師は今年で二十四。一方の鵜殿家嫡男・三郎氏長は未だ十
二。
いくらなんでも年齢差がありすぎる。
この年の差で縁談を受ける人間がいるなら、よほどの物好きか奇
人変人の類だろう。
次郎法師を擁護すると、決して不美人と言う訳でも、性格に重大
130
な問題がある、と言う訳ではない。
逆に性格や器量はこれ以上ないという位に良いし、康用の目から
見ても美人と言える容姿なのだ。
直盛の言う通り、婿が見つからないのが不思議なぐらいである。
もしも彼に妻子がいなかったら、正室に貰っていたことだろう。
寄騎の身で寄親の娘を側室にするわけには行かないため、今はさ
っぱりとあきらめているが。
﹁肥後との婚期を逃して以来、一向に縁談が纏まらぬ。早くしなけ
れば、尼になるしかなくなってしまうわい﹂
﹁いずれ見つかるとは思いますが﹂
ここでいう肥後とは、直盛の従兄弟・直親の事である。
もともと一人娘しかいなかった直盛は、彼を直虎の婿として井伊
家の家督を継がせる、と言う約束をしていたのだ。
ところが、それを嫌った家臣の讒言によって謀反の疑いをかけら
れてしまったため、直親はやむなく信濃に逃亡。
のちに彼は疑いが晴れて今川家に帰参を果たすも、その頃には既
に正室を迎えてしまっていたため、結果として直虎は婚期してしま
っていた。
﹁わしも今年で五十三じゃ。人間五〇年と言う。死ぬ前には孫の顔
が見たいのう﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁この戦が終わったら、意地でも婿を見つけなけらばならぬな。手
伝ってくれ、平右衛門﹂
﹁承知いたしました﹂
一通り愚痴り終えて満足した直盛は、一帯に広がる丘陵地帯を見
回しはじめた。
131
起伏が激しいこの辺りの地形は、確かに大軍が行軍するのには余
り適さない。少し西側にはいかにもな谷間も見える。
義元が采配を誤るとは思えないが、万が一のこともある。急いだ
方が良いかもしれない。
有事に備えるために、本陣の兵力は少しでも多いほうがいいだろ
う。
そう思うと直盛はせっせと馬を駆る。
突然早駆けを始めた直盛に驚きながら、近藤康用以下井伊谷の兵
はひぃひぃ言いながらその後を追うのだった。
﹁織田上総介本隊が前線に出張ってきた、とな﹂
﹁はい。斥候から報告です。中島砦付近で上総介の旗印を見た、と﹂
﹁むぅ⋮⋮﹂
正午。
無事におけはざま山の頂上付近に着陣した義元は、同所でのんび
りと休息中であった。
当然、油断しているわけではない。
設陣は完全に終わっていないため、鳴海の方角には瀬名氏俊の部
隊を配置して敵襲に備えている。この効果は覿面であり、設陣開始
直後に突撃をかけてきた織田軍の小勢を見事返り討ちにしていた。
そんな中届けられたのは、織田信長の本隊が前線に出陣してきた
132
らしいという情報。
義元は大いに悩む。この状況で出陣してきた信長の意図が理解で
きない。丸根・鷲津の救援のために出てきたのだろうか。それにし
ては遅すぎる。 既に両砦が陥落したことは信長の耳にも入ってい
るだろうし、奪還が目的だとしてもあの辺りに展開する兵力は万に
近い。
聞くところによれば織田本隊の兵は僅か三千程度だという。その
程度の兵でどうにかなるものでもない。
この本陣を襲撃してくる可能性もないことはないが、それはもっ
と無謀である。
︵あの男の事だ。何かあるのだろう︶
義元の目から見た織田信長は、決して世間で言われているほどの
大うつけではない。
本当にうつけならば、自分のライバルとも言うべき存在だったそ
の父・備後守信秀が一生かけて果たせなかった尾張統一を、家督継
承後十年足らずで果せるとは思えないからだ。
それに、彼のことをうつけだと見下していたならば、鳴海・大高
両城の危機を救うためだけにわざわざこれだけの大軍を用意しない。
せいぜい元康や泰朝といった武将に一万程度の軍を持たせて派遣す
るだけだっただろう。
少なくとも今川義元は、織田信長のことを自らが出陣しても倒す
べき強敵だと認識していたのである。
それ故に彼は今の信長の行動に対して大いに悩んでいた。
うんうんと心の中で彼がうめき声をあげていると、側近達が何や
ら大量の地酒をもって現れた。
怪訝に思い尋ねる。
133
﹁なんじゃ、それは﹂
﹁大殿。この辺りの百姓たちがわが軍の戦勝祝いにと献上してきた
地酒にございます。この通り休息中でございますから、兵たちに振
る舞っては如何でしょうか﹂
それを聞いた義元の頭の中を閃光が走った。
これだ。これがあの男の目的だ。
﹁ならぬ、戦勝祝いはまだ早い。今は控えておれ。かわりに鳴海に
入ってからゆっくりと振る舞おうぞ﹂
﹁承知いたしました﹂
そういって地酒を抱えて出ていく側近たち。
その姿を見ながら、義元は閃いたある仮説を心の中で思い起こす。
おそらく、信長は百姓をつかってわが軍に地酒を献上させ、その
酒を飲んで兵が酔っている所を奇襲しようとしたのだろう。
やはり、あの男は恐ろしい。それに、奴はわが軍が休息中という
情報を掴んでいたことになる。油断していなくて本当に良かった。
もしも兵に酒を振る舞っていたらと思うと、身震いがしてくる。
だが、自分はその策を見破った。
︱︱ふふふ。どうやらわしの方が一枚上手だった様だの︱︱
そう思いつつ、北東から攻めかかってくるであろう織田軍に対応
するべく義元は陣図を見直す。
信長の本隊が確認されたという中島砦はこの山の真正面、桶狭間
を下った先に位置する。つまり、桶狭間の出口に兵を置いて塞いで
しまえば良いのだ。
義元は地理を確認するとすぐさま兵たち命じ、陣を北西に展開し
134
直させる。
ついでに瀬名氏俊隊を斥候に向かわせた。
襲撃路はふさいだ。もう何も怖くない。 後は策が成ったと思っ
て突っ込んでくる織田軍を返り討ちにするだけだ。
﹁織田上総介。桶狭間がそなたの墓場ぞ﹂
義元は自信満々に、織田軍がやって来るであろう北西の方角を睨
んだ。
午後一時過ぎ。
無事に今川軍本陣に到着し義元に正式な戦勝報告を終えた直盛は、
同僚であり友人でもある遠江二俣城主・松井宗信と喋っていた。
宗信は今年四十六歳。嘗て竹千代を織田方に売り渡した主犯であ
る戸田康光の居城・田原城攻めで奮戦し、義元より﹁粉骨無比類﹂
と称された忠勇の士である。
そんな人物のもとに直盛が訪れたのは、やはり自分の胸の内にあ
る不安を誰かに打ち明けておきたかったからだろう。
﹁はっはっは、いくらなんでも心配性でござるよ。信濃殿は﹂
直盛から胸の内を暴露された宗信は、そういって彼の心配を一笑
に付した。
もちろん織田方を舐めている訳でも、油断している訳でも無い。
本陣の隣に陣取る彼は義元が織田方の策を破った︵と思っている︶
135
ことを知っていたのだろう。
﹁どう足掻いても織田方に勝ち目はないでござるよ。只今も織田上
総介が出張ってきたと聞いて、義元様が陣替えを命ぜられた所でご
ざった﹂
﹁なんと、上総介自らが出てきておるのか﹂
﹁左様。なんでも中島砦にて、かの者の﹃永楽銭﹄の旗印が確認さ
れたとか﹂
﹁ふむ⋮⋮﹂
直盛は考える。
確かに中島砦に信長がいるとすれば、奴は間違いなく桶狭間を通
って本陣に強襲をかけるだろう。
桶狭間方面に陣を展開した義元の采配に間違いはない。
大丈夫だ、問題ない。
直盛は再三思い直すが、彼の心の中には暗雲が立ち込めたままだ。
原因は分からない。ただ、自分に桶狭間の情報を伝えた時の氏長
の悲痛そうな表情が妙に心に残っている。
もやもやを振り払えないまま、直盛は礼を言う。
﹁宗信殿。相談に乗って下さって感謝致します。それがしの考えす
ぎだったようじゃ﹂
﹁結構でござるよ。此度の戦⋮⋮おや、雨でござるか﹂
宗信が言葉を続けようとしたその時、ぽつぽつと雨粒が落ち始め
た。空を見ると、いつの間にか灰色の雨雲が頭上を埋め尽くしてい
る。
そして、雨は幾分もしないうちに強くなってきた。
136
始めは気にせずに会話を続けていた二人も、これにはたまらず幕
屋の中に退避する。
﹁突然のことでござるな﹂
﹁まったく。天の気まぐれとは恐ろしいものじゃのう﹂
二人が会話しているうちにも雨風は強くなってくる。凄まじい音
とともに風が吹き、今川軍の陣幕、軍旗、槍、鉄砲などなど。種類
を問わず突風によって吹き飛ばされ、地面に散乱していく。
それと同時に雨も大粒の豪雨と化し、幕が飛ばされて身を守るも
のが無くなった二人に撃ちかかる。
どうやら他の陣でも似たような状況のようだ。あちらこちらから
悲鳴が聞こえる。
﹁うおおおお﹂
﹁こ、これは酷い﹂
直盛と宗信はお互いに雨風に耐える。
そんな体勢の中、直盛は雨と風の轟音に交じって明らかに違和感
のある地響きのような音を聞く。
﹁それ﹂は北東の方角から聞こえてきている。それに伴って彼の心
臓がドクドクと激しく脈打ち始めた。
両者の響きは徐々に大きくなる。隣で丸くなって耐えている宗信
にも聞こえたらしく、彼は丸っこい顔を直盛の方に向けた。
﹁な、なんでござるか﹂
﹁⋮⋮﹂
地響きと直盛の心臓の鼓動の区別が突かなくなった時、ついに彼
はその音の正体、そして自分の心を覆っていた暗雲の正体に気が付
137
いた。
︱︱織田軍の風雨に紛れた奇襲だ!︱︱
突風が止み、危機感が心に目覚めた直盛は義元の本陣に向けて走
り出した。大殿が危ない。
宗信もあとを追う。それを見た松井家の兵たちも二人を追いかけ
る。
義元がここで討ち取られてしまっては、今川家の未来はない。
若様に当主としての力量が足りないとは言わないが、今回の敗戦
そして当主の戦死という事態は今川家の勢力を大きく低下させるだ
ろう。
そうなれば、現在同盟を結んでいる武田・北条もどう動くか分ら
ない。
さらに、三河ではいまだに反今川勢力が水面下で活動を続けてい
る。それを抑え込んでいる義元がいなくなれば、間違いなく奴らは
蜂起する。そうなれば、危険に晒されるのは三河に隣接する井伊谷
だ。娘の身にも危険が迫る。
︱︱わが身にかえてでも大殿は守ってみせる︱︱
悲壮な決意を胸に、喧騒が強くなる陣中をドタバタと走る直盛、
ついでに宗信とその一党。
既に間に合わないのではないか。
心中に押し寄せるそんな不安を振り払いながら、直盛はただ一点
本陣を目指して走り続けた。
138
やがて空が晴れる。だが、運命の急転は止まらない。
﹁それ、かかれかかれっ!﹂
空が晴れると同時に怒声が響いた。
義元の指示によって陣替えを行っていた前衛部隊は、突然のこと
に対応が遅れ混乱状態に陥った。
突風によって武具防具その他が悉く飛ばされ、さらに陣の設営中
であったことも相まってほぼ全員が土木作業の途中であった事が災
いした。
抵抗らしい抵抗もできず、織田兵と思わしき軽装の兵たちに次々
と斃されていく。
当然、まともに戦おうとせず逃げ出す兵も現れた。むしろそれが
当然である。
だが、逃げた方向が悪すぎた。逃げ出した兵は後ろに控える陣に
押し寄せる。大量の兵が飛び込んで着た事によって、突然の嵐によ
って混乱していた陣営はさらに混乱。次々と連鎖崩壊を引き起こし、
あっという間に全ての前衛部隊は織田軍によって蹴散らされてしま
う。
ある程度の抵抗を見せる部隊もいたが、勢いが違った。川下りの
激流の如し織田軍の勢いは止まらず、ものの数分も支えきれず崩れ
ていく。
139
そして、前衛部隊を突破した織田軍は、ついにおけはざま山の今
川軍本陣に到達した。
義元直下の旗本が必死に抵抗するが焼け石に水。次々と討ち取ら
れていく。
その光景を見ながら、義元は唖然と立ち呆けていた。
なぜだ、なぜこうなった。
自分の采配は完璧だった。それは間違いない。織田方の策も読み
切った筈だ。なにが、なにがいけなかったのだ。
嵐さえ起きなければ。豪雨さえ起きなければ。
天の一差しによって、人の知恵はこうも簡単に覆されてしまうの
か。
いや、こんな偶然がそうそう起きるとも思えない。
そうなれば、先ほどの嵐は織田上総介が引き起こしたものか。あ
るいはこうなることを読んでいたのか。
奴は鬼か魔か。それとも⋮⋮。
そんな思考が義元の全身を支配する。もはや立って居られず、へ
なへなと萎れてしゃがみ込んでしまう。
そこには海道一の弓取りと言われた人物の威厳はない。
﹁大殿っ!ご無事ですか!﹂
そこへ現れたのは、ここまで休まずに走ってきた直盛と宗信、そ
してその一党二百人ばかりであった。
彼らは義元の惨状をみて驚愕する。
140
完全に衰弱しきっておりもはや生気が感じられない。ただの抜け
殻と化しつつあり非常に危険な状態であった。このままでは本当に
討ち取られてしまう。
﹁大殿、しっかりなさってください。ここで大殿が果てられては、
今川家はどうなりまするか!﹂
﹁時間なら我々が稼ぎます。どうか、お逃げください﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁大殿っ!﹂
直盛が怒鳴った。織田軍の手は徐々にこの場に迫りつつある。
義元はようやく立ち上がると、二人に命を下した。
しんがり
﹁信濃、五郎八郎。殿軍を頼む⋮⋮﹂
﹁ははっ﹂
﹁大殿、お願いがございます﹂
直盛が義元にいった。
﹁申してみよ﹂
﹁はっ、大殿ご愛用の鎧と兜、どうぞこの直盛に御賜りとうござい
ます﹂
﹁⋮⋮よかろう﹂
そういって義元は自らの鎧と兜を脱ぎ、直盛に着せた。
直盛は影武者となって時間を稼ぐつもりなのだろう。
さらに義元は、自らの愛刀である左文字の刀も直盛に渡した。
﹁信濃、五郎八郎。死ぬな。生きてもう一度駿河で会おうぞ﹂
﹁ありがたきお言葉。この左文字の名刀、必ず駿府にてお返しいた
141
しまする﹂
﹁退却じゃ⋮⋮。法螺貝を⋮⋮﹂
そういって、義元は自らの愛馬である青毛の馬にまたがると平伏
する直盛・宗信の二名に深々と頭を下げ、旗本に守られつつ戦場を
離脱していった。
このまま沓掛に向かうのだろう。
義元が離脱したことを確認した二名はお互いに笑いあう。
﹁これで、今川家も安泰でござるな﹂
﹁うむ。孫の顔が見れぬのは寂しいが、娘の相手は平右衛門が探し
てくれるじゃろう﹂
近藤康用は今頃戦場を離脱しているだろう。
自分が返ってこなかったら、井伊谷兵を連れて退却するように指
示してある。
﹁さて、五郎八。もう少しわしの愚痴におつきあい願うぞ﹂
﹁良いでしょう。どこまでもお供いたしますぞ﹂
やがて、織田軍が二人がいる場所になだれ込んで来た。
先ほど法螺が鳴ったことで、義元を逃がしたと思っているのだろ
う。目が血走っている。
﹁いたぞ!治部大輔だっ!﹂
﹁逃がすな!討ち取れ!﹂
﹁ふん、下郎が。我が首を討てると思っているのか?﹂
次々と場に現れる織田兵を見て、直盛は不敵に笑う。
142
こうすれば、ますます敵は自分を義元本人だと思うことだろう。
義元から賜った左文字の刀を抜き、宗信と二人で構えを取る。
﹁当家伝来の左文字の切れ味、その身で味わうがよい!行くぞ﹂
﹁うおおおおっ!﹂
※※※※※※※※※※
桶狭間における今川軍と織田軍の決戦は、織田方の圧勝に終わっ
た。
今川軍は大損害を受け、井伊直盛・松井宗信・瀬名氏俊・由比正
信・飯尾乗連といった有力家臣の殆どを失い、本隊にいた8千近い
兵も、無事に沓掛に辿り着くことができたのはその半分程度だった。
当主・義元こそ無事だったものの、その精神的衰弱は大きく、失
った活力を取り戻すのにはかなりの時間を要するだろう。
一方の織田方は今川の大軍を打ち破ったことで、その名声は大幅
に上昇した。
当主・信長は﹁大うつけ﹂の名を名実ともに返上し、天下を奪い
合う争いに名乗りを上げる。
143
︱︱こうして歴史は一つの山を越え、新たな時代に向かってその
歩みを進めていく
史実から離れたその先にあるのは輝かしい未来
か、それとも︱︱
144
桶狭間の慟哭︵後書き︶
義元公生存。歴史はどうなる。
145
桶狭間の残滓︵前書き︶
なんとか今日中に間に合った。
146
桶狭間の残滓
︱︱今川軍本隊壊滅︱︱
その知らせを受けた鷲津砦の朝比奈泰朝は我を疑った。
ありえない。
仮に本陣が織田軍の襲撃を受けたとしても、三千にも満たない兵
など簡単に撃退できるはずである。
そして、相手は尾張のおおうつけ。﹃海道一の弓取り﹄といわれ
た義元がそんな小物に敗れるなど、彼には想像もつかなかった。
だが、現実として情報は陣中にばら撒かれ、兵たちに酷い動揺が
広がってしまっている。中には既に逃げ出した者もいるようだ。
さらに一部では義元が討ち取られたという情報も流れ、上級武者
には失神して倒れてしまうものまで出る有様だった。
︵誤報だ、そうに違いない︶
そうやって自らの脳内に強く言い聞かせても、それを肯定できる
要素は何もない。
織田方の策略である可能性はもちろん考えたが、この情報を持っ
さいさく
てきた伝令は自分と顔見知りの人物。間違いなく今川家の者だ。
織田家の細作︱︱たとえば滝川や梁田あたりの︱︱でないことは
間違いない。
つまり、どれほど信じたくなくても、彼に考えうるすべての要素
147
が、今川本隊の敗走が真実であることを裏付けていた。
そう結論づけた泰朝の行動は早かった。
丸根砦の松平元康と大高城の鵜殿長照に伝令を送り、至急沓掛に
撤退する準備を整える。
せっかく救援した大高城は放棄することになってしまうが、下手
にこの場に踏みとどまっても、動揺が広がり浮足立った部隊では本
隊を倒して勢いづく織田軍の前では歯が立たないに決まっている。
無駄な被害を出す前にとっとと逃げ出した方がいい。
自分は一軍の大将だ。兵たちの命を預かる身なのだ。迂闊な決断
はできない。
救援を待ち望む鳴海城を事実上見捨てることになる罪悪感をそう
誤魔化しながら、泰朝は残った兵をまとめると鷲津砦を放棄して逃
げ出した。
途中で松平元康、鵜殿長照の両将と合流した泰朝は、織田家の本
拠・尾張清洲の方角を睨みつつ、沓掛への短い敗走を始める。
鵜殿・朝比奈両隊は、出陣してきたときの整然さをまるで保って
いなかった。
足軽たちの目は沈み、今にも死にそうな顔をして沓掛城への道を
ひたすらに走っている。彼らを先導する騎馬武者も同様の雰囲気で
ある。
唯一、出陣時と同様の姿を保っているのは松平元康の兵だけ。だ
が、彼らの表情を見る限り内心は鵜殿・朝比奈両隊と変わらないの
だろう。
見る者の哀愁を誘い、落ち武者狩りがあれば真っ先に狙われそう
な悲惨な姿に泰朝の心は大きく傷つく。
148
︵常勝の筈の今川軍が、どうしてこんな目にっ⋮⋮!︶
彼はそんな光景を見ながら、いつの日か織田家への雪辱を晴らす
ことを誓うのだった。
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
沓掛城評定の間。
一昨日、この部屋に集った家臣たちの過半数が桶狭間に果てるな
どと誰が予想したであろうか。
がらがらになってしまった部屋の上座で、今川義元は一人自我亡
失として座り呆けていた。
生ける屍。
今の彼は、正にそのような状態にあった
顔はあり得ないほどに窶れ、表情には疲れしか見えない。昨日ま
での威厳は彼方へと消え去り、もはや生きる望みすら失ってしまっ
たかのように見えた。
心配した家臣の殆どが励まそうと声を懸けるが、彼は無言で頷く
ばかり。﹃海道一の弓取り﹄と呼ばれたその威厳と風貌を取り戻す
149
ことは二度と出来ないかのようにも思えてしまう。
﹁大殿!大殿はご無事かっ!﹂
﹁ただ今戻りましたぞ﹂
そこへ大高城からの撤退を終えた泰朝・長照・元康、おまけに朝
比奈輝勝が飛び込んできた。
義元の身を案じるあまり、彼らはドタバタと慌ただしい音を立て
て評定の間になだれ込む。
その場にいたその他の家臣は騒がしさに辟易とするが、彼らの心
中も泰朝らと同じである。苦みの籠った視線を向けはしても、咎め
ることはしなかった。
そして、彼らは義元の惨状を一目見て残らず絶句した。
﹁お、大殿﹂
﹁なんということじゃ﹂
﹁おいたわしいお姿を⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
あの義元がこのような姿になるなど信じられない。否、信じたく
ないのだろう。
全員が全員、愕然とした表情で目を見開き義元の方を見つめてい
る。
一人たりとも言葉を発することはできない。
ただ義元の独り言だけが、静けさを保つ部屋の中に響いている。
﹁⋮⋮よく戻ったの、四人とも。信濃と五郎八郎はおらぬかの﹂
150
暫くして、義元がようやく我に返ったのか目の前で唖然としてい
る四将に声を懸けた。
力が籠っておらず、震えてしまっている声。
先日この部屋で発した、威厳に満ちたそれと同じ口から発せられ
たとは思えないほどの弱弱しい声だった。
﹁⋮⋮われら、沓掛に至るまで当家の敗残兵をできる限り回収して
参りましたが、お二人の姿は確認できませんでした﹂
﹁⋮⋮左様か﹂
何とか平常心を保っていた元康が答えるが、義元は一言だけ頷く
と再び蹲ってしまう。
それを見た長照は内心で激しい不安に駆られる。 このままではまずい。何とかしなければ。せっかく大殿は生き延
びることができたのだ。この調子では埒が明かない。
桶狭間の大敗によって戦力を失った今川家は、今後大きな危機に
直面するだろう。
織田家の逆襲。国内の反今川勢力の一斉蜂起。
いまだ経験の薄い若様では、これらに適切に対応できるとは思わ
ない。
そして、対処法を間違えれば、間違いなく当家の力は大幅に後退
する。
勢力の均衡が崩れれば、同盟を結んでいるとはいえ武田・北条が
どう動くかわからない。特に武田などは盟約破りの常習犯だ。少し
でも隙を見せれば、間違いなく甲斐から駿河になだれ込むだろう。
そうならないためにも、大殿には無理にでも立ち直って貰わなけ
ればならぬ。
長照は決心すると、義元の説得を開始する。骨折り損になるとわ
151
かっていても、彼にはやるしかないのだ。
﹁大殿﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁大殿のお気持ちも痛いほど理解できます。ですが、ここで大殿が
斃れられたら誰が当家を支えるのですか﹂
﹁⋮⋮﹂
義元は微動だにしない。それでも長照は諦めずに言葉を続けてい
く。
﹁真に失礼ながら、未だ経験の薄い若様ではこの乱世を生き延びる
ことは出来ませぬ。織田や武田に攻め込まれ、当家は消え去ってし
まうでしょう﹂
﹁長門殿ッ!言葉が過ぎるぞッ!﹂
長照の話に野次を飛ばしたのは、この部屋の片隅で丸まっていた
孕石主水であった。
彼はその細い体を存分に震わせ怒声を放つ。長照に対して遺恨の
ある彼はこの機会に恨みをすべてぶつける心算なのだろう。
﹁数百年の歴史を持った我が家が織田や武田などという得体のしれ
ぬ家に滅ぼされるだとッ!?今川家の一門に迎えられたぐらいでい
い気になりおってッ!三河の田舎者の分際で。恥を知れ、痴れ者ッ
!﹂
確かに長照の言葉は臣下としては行き過ぎたものだ。
だが、それは義元を立ち直らせようとしての諫言だということは
この場にいる主水以外の全ての人間は理解していたし、だからこそ
主水以外の人間は長照の言葉を咎めなかったのだ。
152
﹁各々方、どうなされたッ!この無礼者に何か言ってやりなされッ
!﹂
﹁⋮⋮﹂
室内の人間から凄まじい形相で睨まれていることにも気づかず、
主水は一人で激高し聞くに堪えない罵声を散らしていく。
そして、その罵詈雑言が一区切りした時の事だった。
﹁いい加減にしろ、主水﹂
いか
いままで無言だった泰朝が怒った。
能面のような表情で罵声の元凶を見つめている。その表情に気圧
された主水は、内心で怖れながらも彼に反論を始めた。
﹁び、備中殿はこの不忠者の肩を持つのかッ!見損ないましたぞッ
!﹂
﹁⋮⋮﹂
呆れた。
前々から了見が狭く器の小さい男だったが、まさかここまでだっ
たとは。
不忠とも取れる発言をせざるを得なかった長照の心中をまるで理
解していない。
いや、仮にも一門である元康や長照にたいしてこうも簡単に暴言
を吐ける人間なのだ。この男には思慮深さと言うものがまるでない
のかもしれない。
泰朝は内心でやり場のない怒りを溜め込む。
だが、直後にそれは爆発することにる。
153
﹁ふん、言葉も出ないようですなッ!だいたい貴殿は親の七光りで
この場にいるようなものであろう。軽々しく口を挟むでない。だい
たい、朝比奈家も朝比奈家じゃ。功臣だか何だか知らぬが、代々で
かい顔をしおってッ!﹂
主水は自分が優位に立ったと勘違いしたのか、今度は泰朝や朝比
奈家に対する暴言を吐き始めたのである。
泰朝にとってこれは看過できるものではなかった。自分だけが非
難されるのならまだ我慢できる。悔しいが、主水の言う通り自分は
まだ若造だ。
だが、先祖代々の忠勤と一族そのものを侮辱されたことは彼にと
って、そしてここにいる朝比奈輝勝にとっては耐え難い侮辱だった。
泰朝、そして輝勝が鬼のような形相を主水に向ける。
だが、主水はそれにも気づかない。自分の罵声という名の演説に
聞き惚れているのか、朝比奈家への侮辱をやめることなく続けてい
く。
﹁黙れ、貴様如きに言われる筋合いは無いわ!長門守殿の心中も知
らずに!これ以上その汚い口を開いてみよ!叩っ斬るぞ!﹂
﹁ひッ﹂
ついに泰朝の怒りが爆発した。普段冷静な彼からは想像できない
ような大声で主水を怒鳴りつける。
突然怒鳴られた主水は怯む。だが、泰朝に対する罵詈雑言をやめ
ようとはしなかった。
﹁若造に何を言われようとも恐ろしくとも何ともないわッ!わしは
貴様が元服する以前から忠勤に励んでおったのだッ!﹂
﹁ふん。仮にも御一門である長門守殿や次郎三郎殿に易々と暴言を
154
吐ける貴様に忠誠心があるとは思えぬな﹂
﹁なにいッ!﹂
お互いに掛け言葉受け言葉。
評定の間、しかも主君の目の前であるにも関わらず二人は怒鳴り
あっている。
長照は二人の論争をその耳で聞きながら、義元に必死に訴えかけ
る。
﹁大殿、どうぞお助け下され。我ら大殿の目が届かぬだけでこの有
様でございます﹂
﹁⋮⋮﹂
義元は何も言わない。何か考えているようにも見える。
じっと床を見つめ、膝の上で握った拳がぴくぴくと動いている。
畳み掛けるなら今しかない。
﹁大殿が何時までもこのような姿では、家臣たちは皆悲しみます。
桶狭間に散った家臣たちの仇は一体誰がとるのですか!大殿以外に
考えられませぬ﹂
﹁⋮⋮!﹂
義元が反応した。手を顎に当て考える姿勢を取り出した。
背後では相変わらず二人の怒声が響いているが、長照にはもはや
気にならない。
義元が自らに指示を出すのを今か今かと待っている。隣にいる元
康は何を考えているのかよく分らないが、彼も期待に満ちた目で義
元を眺めている。
﹁長門。鳴海城はどうなっておる⋮⋮﹂
155
ついに義元は言葉を発した。相変わらず弱弱しい声ではあるが、
確かに長照には聞こえた。
﹁はっ、未だ落城してはおりませぬ﹂
﹁⋮⋮左様か﹂
義元はそういうと、未だに怒鳴りあう二人に顔を向ける。
一括して黙らせるつもりなのだろう。
顔はやつれたままだが、その表情には力が籠っている。
﹁⋮⋮両者ともやめよ。こんなところで争ってどうする。織田方に
利するだけだ﹂
﹃!﹄
二人ははっとして自らの主君の方に向き直った。
おそらくすっかり忘れていたのだろうが、主君の目前であったの
だ。とんでもない無礼である。
慌てて平伏する。
泰朝の方はそうでもないが、主水の方はがたがたと震え、今にも
気絶してしまいそうである。
﹁申し訳ありませぬ、大殿﹂
﹁ッ!﹂
﹁⋮⋮両者ともこの場は矛を収めよ。不満があれば、あとでわしが
裁可いたす﹂
﹃はっ﹄
﹁うむ﹂
両者が引き下がったのを確認した義元は評定の間を見回し、居並
156
ぶ家臣たちに堂々とした口調で声をかけた。
しわがれてしまっており疲れも見える声だが、はっきりと聞こえ
る。
﹁⋮⋮皆、心配をかけたの。だが、何とか大丈夫じゃ﹂
﹁大殿⋮⋮﹂
﹁⋮⋮わが軍の士気ではこれ以上の継戦は不可能。すぐに駿府に引
き返す﹂
﹁な、鳴海はどうなされますか﹂
﹁⋮⋮織田方に停戦を請う使者を出す。五郎兵衛を見捨てるわけに
はいかぬ﹂
そういった義元の表情には悔しさが見て取れる。
決戦ともいうべき戦で負けている以上、此方が大幅に譲歩しなけ
ればならないのは確実だ。
仮に講和がなったとしても、尾張国内における今川氏の影響力は
ほぼゼロになってしまう。
何十年もかけて得たものを失うのは流石の義元でも辛いのだろう。
﹁美作、頼めるか﹂
﹁はっ。この之政、大役を仰せつかったからには、一命に変えてで
も成し遂げまする﹂
織田方の使者に任じられたのは、庵原美作守之政。桶狭間参戦武
将で数少ない生き残りである。
﹁条件その他はすべてそなたに一任する﹂
﹁ははっ。武者震いがしますな﹂
﹁次郎三郎﹂
157
﹁⋮⋮はっ﹂
続いて義元は長照の隣に坐す元康に声をかけた。元康の方は何と
も言えない表情をしている。
事実上の負け戦である以上、戦功が評される可能性は低い。三河
を返してもらえる訳が無い。
ところが、義元の口から飛び出したのは彼の予想とは真逆の言葉
であった。
﹁⋮⋮大高城への兵糧入れ及び、丸根砦の攻略見事であった。そな
たは岡崎に返り、織田軍に備えるが良い﹂
﹁!あ、ありがたき幸せにございます﹂
元康は平伏する。流石の彼にも予想外の出来事だったのだろう。
声は嬉しさに張りあがり、今にも泣きそうな表情をしている。
﹁⋮⋮なに、約束だったからの﹂
勿論、義元も完全な善意というわけではない。
元康はここ数年、将として目覚ましい才覚を持っていることを数
々の戦功によって証明してきた。
今川方の最前線とも言うべき岡崎で、織田軍を食い止められるの
は彼しかいないと判断したのだろう。それに、もともと岡崎は彼ら
の本拠地である。地の利のある人間の方が防衛しやすいに決まって
いる。
勿論織田方に寝返る可能性も無いわけではないが、一敗地マミれ
たとはいえ織田軍と今川軍ではまだ総戦力では今川の方が上だ。そ
れをまともに判断できない元康ではあるまい。
﹁岡崎に戻り次第、軍備を整えて織田軍に備えまする﹂
158
﹁⋮⋮うむ。次は﹂
﹁お待ちくださいっ!﹂
義元がそう言いかけた時だった。異を唱える者が一人。ガリガリ
に痩せ細った体に、目立つ白髪。
致命的に空気の読めない男・孕石主水祐元泰である。
﹁その男、三河岡崎に戻せば織田家に寝返りますぞッ!ご再考を﹂
﹁⋮⋮主水。わしは次郎三郎の忠誠を疑ってはおらぬ﹂
﹁ですがッ!拙者の予感はそう告げておりまするッ!どうかッ、ご
再考をッ!﹂
﹁⋮⋮﹂
義元が否定したにも関わらず、主水はしつこく食い下がる。
その執着ぶりに、ついに義元が怒った。
﹁いい加減にせよ、主水!確たる証拠があるわけでもなく、己の感
だけで次郎三郎の忠節を疑うとは言語道断じゃ!﹂
﹁し、しかしッ!﹂
﹁しかしも案山子もない。先ほどもそうじゃ。貴様はわしを気遣っ
た長門の諫言にすら暴言を向けたな。そればかりか、朝比奈家の功
にすら暴言を吐きおった﹂
まわりの家臣たちが一斉に主水に対して冷ややかな視線を向ける。
それに居た堪れなくなったのか、主水は骨ばった背を丸めた。
だが。
﹁⋮⋮まだ話は終わっておらぬぞ。とにかく、貴様の態度増長も甚
だしい。今すぐにここから出て行け。駿府に帰って謹慎しておれ。
正式な沙汰はおって致す﹂
159
﹁ぐおおおおオオオッ﹂
その裁可にショックを受けたのだろう。主水は背を丸めたまま、
ものすごい勢いで部屋を飛び出していってしまった。
﹁⋮⋮﹂
それを確認した義元は、再び家臣たちを見回した。
﹁奴には厳しい処分を下す。長門、改めて礼を申すぞ﹂
﹁もったいなきお言葉にございます﹂
﹁⋮⋮さて、桶狭間で散った者たちの遺族にも何かを用意してやら
ねばならぬな。だが、まずは駿府に帰らねば。評定はこれで終わり
じゃ。皆の者、撤退の準備をいたせ﹂
﹃はっ﹄
その言葉を聞いた家臣たちは、ぞろぞろと部屋を出て行った。
残っているのは義元だけである。
﹁⋮⋮わしももう長くはないかもしれぬな﹂
上座に一人残った彼は、一言そう呟いた。
家臣たちの前では平常を装っていたが、未だに精神的ショックか
らは立ち直っていない。
評定中もボロを出さないようにするのに必死だったのだ。これか
ら先、いつどこでどんなミスをするか分らない。
今回の敗戦で失ったものは大きすぎた。当家の威信、将、兵、領
地、そして自らの健康。
自分がいつ倒れてもいいように家中の体制を万全なものにしてお
かなければならぬ。国外出兵はしばらくお預けだ。
160
そのためには氏真を鍛え上げなければならぬな。
義元はそう決意すると、これからの苦難を思い、軽くため息を吐
いたのだった。
数日後。
鳴海・大高・沓掛三城の引き渡しと、尾張国内からの今川軍完全
撤退を条件に織田家との間でひとまずの講和が実現する。
だが、今川方の織田家に対する復讐心は強く、また織田家の側も
今川家を警戒し続けている。
この講和がいつまで続くものなのか。
それは未来の知識を持った氏長にも予想できそうにないことだっ
た。
161
桶狭間の残滓︵後書き︶
展開が強引かもしれませんね
162
歴史よさらば︵前書き︶
お気に入りが千件突破!ありがとうございます。
これからも精進してまいりますので、何卒応援宜しくお願い致しま
す。
ご意見・ご感想もお待ちしております。
163
歴史よさらば
岡崎城に入城した松平元康は、譜代の家臣たちを集めて評定を開
き、これまで今川家城代による圧政の中、松平家に忠誠を誓ってき
た彼らに深く感謝し謝辞を述べた。
﹁皆の者、今までご苦労であった。そしてこれからも俺に力を貸し
てくれ。この元康、お主たちの主君として恥ずかしくない人間にな
るよう努力する所存じゃ﹂
﹁殿、勿体無きお言葉にございます﹂
﹁苦節十年。殿のご帰還は我等の悲願でございました﹂
皺や白髪が目立つ老臣たちが子供のように泣きじゃくる姿は中々
に可笑しいものであるが、そんな姿を恥かしげもなく見せるほどの
歓びなのだろう。
特に家臣たちの中で最も上座に位置する鳥居忠吉︵鳥居元忠の父︶
などは、床に臥せってわんわんと大声を挙げて泣いている。
そんな彼を見て、元康が笑顔と共に声をかける。
﹁伊賀、泣くな泣くな。他の者どもが見ておろう。家臣筆頭である
お前がそんな姿では、皆辟易してしまうわ﹂
﹁はっ⋮⋮﹂
﹁お前が苦しい生活の中、松平家の為に尽くしてくれたこと、この
元康一生忘れぬ。改めて礼を申すぞ﹂
﹁ありがたきお言葉⋮⋮﹂
164
元康が嘗て父の墓参りのために岡崎城を訪れたころ、今川家城代
の圧政によって松平家臣団の生活は非常に苦しいものだった。
そんな中でも忠吉は家康が帰還した時のために、自らの生活費を
削ってまで軍資金や兵糧米の備蓄に励んでいたのだ。
そんな彼の苦労を元康が忘れるわけがなかった。
そんな彼の姿は、ほかの家臣達にも多大な影響を与え、松平党は
彼の下に結束したのであった。
現代まで残る﹁三河武士﹂の武勇伝の大本を築き上げたのは、彼
であったと言えるのかもしれない。
元康は駿府で悶々とした生活を送る中で、ひと時も彼らのことを
思わない時は無く、また国元に残された家臣たちも元康が帰還した
時のために様々な準備を整えてきた。
桶狭間において松平軍が二千もの兵を集めることができたのは、
彼らの不断の努力の賜物といってもよいのだろう。
美しき主君と家臣の関係である。
ちなみにすべての元凶である城代・糟屋善兵衛は、松平党を圧迫
していたという事実を知って激怒した義元によって駿府に連行され
ていった。
二度と三河に戻ってくることは無いだろう。
﹁これから如何なさいますか?﹂
元康と忠吉の会話が終わると、酒井忠次が元康に言った。
松平家の実務全般を担当することになるであろう彼にとっては、
早いとこ主君の方針を確認しておきたいのだろう。
﹁此度の敗戦によって力の衰えた今川家を見限り、織田方につくと
165
いうのも一つの手ではあると思いますが﹂
元康が言葉を発する前に、石川数正が喋った。
外交に秀でる彼は、様々な状況を分析しているのだろう。
あくまでも一つの手、と強調して進言する。
﹁ですが、今川の大殿にあれ程頭を下げられては⋮⋮﹂
それに反論したのは鳥居元忠だった。
駿河への帰還途中で岡崎に立ち寄った義元は今までの城代の非礼・
圧政を深く詫びると、ひき続き今川家への協力を依頼すると同時に、
彼らへの最大限の援助を約束した。
一国の主が実質的に陪臣に過ぎない彼らに頭を下げるとは異常な
事態である。
それほどまでに三河において松平党の力を必要としているのか、
それとも主君と離れていても忠義を尽くし続けた彼らの姿に、桶狭
間で散った井伊直盛と松井宗信の姿を重ね合わせたのか。
詳しいことは義元本人にでも聞かなければ分らないが、桶狭間の
敗戦が彼に与えた影響は大きかったのかもしれない。
とにかく、彼のような無骨な三河武士にとっては、例え恨みがあ
るとしてもここまでされて織田方につくと言う訳にもいかないのだ
ろう。
やがて元康が決定を下した。
﹁今のところは今川家に従っておく。わしにとっては治部大輔様に
恩義があるゆえな。虐げられてきたそなた達には申し訳が立たぬが
⋮⋮﹂
﹁いえ。先日治部大輔様が我等に詫びを入れて下さったお蔭で、我
等の今川家に対する恨みは多少なりとも薄れております。問題あり
166
ませぬ﹂
﹁左様か⋮⋮﹂
数正の言葉に元康は俯いて答えた。そして、家臣たちに方針を伝
え指示を出していく。
流石というべきか、元康の指示は迅速かつ巧妙であった。師匠で
ある太原雪斎の教えを的確に当て嵌めて、家臣たちに命を下してい
く。
﹁長門守殿や吉良家と連携して織田家に対する防備を整えなければ
ならぬ。甚四郎、九郎。そなたたちは安翔城に入って織田家の侵攻
に備えよ﹂
﹁了解いたしました。生まれたばかりの八男に聞かせる武勇伝が増
えますな﹂
﹁この九郎、先々代から賜った皆朱槍にかけて織田軍を一兵たりと
も三河の地に入れぬと誓いましょう﹂
﹁うむ﹂
命令を受けた大久保忠員と長坂信政が平伏する。両名とも元康の
祖父・清康の時代から仕える勇士である。
先日の丸根攻略戦で活躍した﹃血鑓九郎﹄信政は無論のこと、甚
四郎こと大久保忠員もそれに劣らず、天文二四︵一五五五︶年の尾
張蟹江城攻めで活躍し﹃蟹江七本槍﹄の一人に数えられた勇将であ
った。 そして、今年生まれたばかりというの彼の八男こそ、後世
に三河武士の活躍を遺した﹃三河物語﹄の著者・大久保彦左衛門で
ある。
松平家の殆ど前線に存在する安翔城を守るのに、これ以上の人材
はいないと思われる。
﹁与七郎、そなたは西条︵西尾︶と上ノ郷に赴いて吉良殿と長門守
167
殿に当家に協力を要請して参れ。ついでに平八郎、そなたも行け。
三郎の様子を見てきてくれ﹂
﹁ははっ﹂
二人が返答をした。
石川数正︵与七郎︶は前述の通り外交に秀でている。使者にはも
ってこいの人物なのだろう。
﹁あとは桜井めの動きに注意を払わねば﹂
﹁⋮⋮﹂
松平家の分家の一つである桜井松平家は、何代にも渡って本家と
対立を繰り返してきた家であった。
現にこの場にも病気を理由として姿を現していない。
﹁今川家の勢力が後退した今、彼らは再び織田家と通じて岡崎に牙
を?くかもしれん。以前のようになってしまったら流石にまずい﹂
嘗て先々代・清康が亡くなった際、当時の桜井家当主・松平信定
は本家簒奪を企み、織田家の援助を得て岡崎城を占拠したという過
去がある。
あの時は今川家の援助と家臣たちの助力があって信定を追い返す
ことに成功したが、今度も上手く奪還できるという保証はない。
せっかく取り戻した岡崎を再び他人に奪われるのは御免だ。
それを防ぐためには、岡崎城の改築・支城の築城など防衛力の強
化にも力を入れなければならない。
時間はいくらあっても足りない。
敵は織田家だけではないのだ。
168
三河国内に存在する反今川勢力、さらにこの地に強い影響力をも
つ一向衆寺院も場合によっては敵になるかもしれない。
利用できるものは何でも利用しなければ。
そう決心した元康の瞳には、決意の灯が輝いていた。
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
永禄三︵一五六〇︶年七月某日。
上ノ郷城代の職務を何とかこなしていた俺は、先日引き起こった
とんでもない出来事に頭を抱えていた。
桶狭間の合戦における今川義元戦死の回避。
これが歴史に及ぼす影響は計り知れない。
義元様の采配のよって岡崎に帰ったとは言え、兄貴が今川家から
独立する可能性はほぼ無くなったと言える。
松平家が今川家より独立しなければ、清州同盟は成立せず、今後
信長・家康︵元康︶の同盟を中心に回っていく筈だった歴史がどう
動くのか、全く予想がつかなくなってしまう。
史実において信長が美濃攻めに集中できたのは、松平︵徳川︶家
169
との同盟によって、背後を気にする必要が全く無かったという理由
が大きい。
この同盟が時空の彼方に消え去ってしまった以上、信長が美濃を
攻略できる可能性は低くなる。
信長が美濃を手に入れられなければ、彼の天下統一事業は全く進
まず、本能寺の変も起らないだろう。
本能寺の変が起こらなければ、秀吉がその後を継いで天下を取る
こともなく、関ヶ原も起こらない。
当然、その後の徳川幕府開幕も無くなってしまう訳である。
⋮⋮日本の歴史が滅茶苦茶である。
﹁まずい。これはまずい﹂
悩んだところでもうどうしようもないのは分かっているが、悩ま
ずにはいられない。
歴史が変わったせいで、俺の持つ史実の知識という情報アドバン
テージはほぼ零になってしまった。
これから先、何が起こるか全く予想できない。
幸か不幸か、織田家とは停戦が成立したらしく、信長が美濃では
なく三河に進出する可能性は今のところ薄く、今川家も今回の敗戦
で失った戦力を取り戻すのにかなりの時間を要するであろうことか
ら、俺が懸念していた﹁今川家に織田家が滅ぼされる﹂という事態
は避けられそうではある。
とはいえ、関ヶ原その他大戦に参加するという俺の夢が、こうも
あっさり崩れ去るとは思わなかった。
徳川幕府が成立しなくなる可能性が高い以上、譜代大名として後
世に家と名を遺すというおまけの目標も全てパーである。
170
反面、鵜殿家と松平家が争うことがほぼ無くなったと安心してい
る自分もいる。
いくら戦国時代とはいえ、友人である兄貴や鍋之助達と戦うのは
嫌だったし、父上も死なずに済む。
ついでに言えば、義元様が生きておられる限り、今川家が滅びる
こともないだろう。
こう考えれば、決して悪い事ばかりではない筈である。
﹁よしっ。悩むのはこれまでだ。なるようになればいい﹂
とにかく、今は史実云々について悩んでいるよりも、やれること
に全力で取り込んだ方がいいに決まっている。
気持ちを切り替えて、目の前に積まれた書類に目を通していく。
やりたいことは山ほどある。
上ノ郷城の改築、軍備の増強などなど。
前述の通り織田家との大戦は当分ないだろうが、奥三河がキナ臭
い事になっているらしい。
もともとあの辺りの豪族は独立心が強い。数年前にも反乱を起こ
して義元様に叩き潰されているのだ。
今川家の戦力が低下している今のうちに、遺恨を晴らそうと何か
企んでもおかしくは無い。
それに、あの辺りは信濃との国境地帯に位置する。
信濃と言えば武田、武田と言えば一方的な同盟破棄⇒攻め込むの
171
コンボである。
義元様が生きているうちに同盟破棄してくることはまずないだろ
うが、調略を仕掛けてくる可能性は十分にあり得る。
その調略に乗った奥三河の豪族が、以前のように一斉に蜂起しな
いとも限らない。
そうなれば、鎮圧のために鵜殿家も兵を出さなければならなくな
る。
その時の為にも、しっかり軍備を整えておかなければならないの
だ。
今すぐにでも始めたいところである。
といっても、正式な城主でない以上やれることは非常に限られて
くる。
せいぜい訓練を行ったり、防衛のために他城主と連絡を取り合っ
たりするだけだ。
こんな地道な活動ではあるが、兵隊の訓練が行き届いてなければ
戦場で敵に遅れをとってしまいかねないし、防衛網の体制がしっか
りしていなければ、有事の際に敵に先制されてしまう。
非常に大切なのである。
あとは領内の治安維持。今川軍の大敗北によって、領内には目に
見えない所で動揺が広がっているだろう。
そんなところに野盗の群れや敵の間者が忍び込めば、何が起こる
か分ったものではない。
領内の集落を藤兵衛をはじめとした家臣に巡回させ、なにか有事
があればすぐさま兵を率いて対応できるようにしている。
そして、俺自身も暇を見つければ領内の集落を訪れている。
こうすれば民の声に直接耳を傾けることができるし、領民と仲良
くなれば、鵜殿家がなにか改革を行おうとしたときに、賛同を得ら
れやすいかもしれないからだ。
172
なによりも、こうした姿勢をアピールすることで、鵜殿家は領民
思いという認識を周りに植えつけ、敵の間者が付け込み難くするこ
とができる。ついでに領民からの人気もうなぎ上り。一石二鳥であ
る。
本来ならば検地や戸籍造りといった近代っぽいこともやってみた
かったりするが、急激な改革は絶対に反感を生む。地道なことから
やっていくしかない。
鵜殿本家の当主ならば多少の無理は通るが、生憎未だ世継ぎの身
だ。駿府に出張に行った父上が戻ってくるまで、留守を守ることだ
けを考えよう。
他にも鵜殿家の拡大のために色々と考えていることがあるが、全
て父上の許可が無ければ始められない事ばかりである。
今のうちに腹案を整理して、書き出しておくことにする。今度父
上が帰ってきたときに、それを見せながら説明すればよい。許可が
貰えるかどうかは分からないが。
やってみる価値はある。
﹁⋮⋮その前にこの書類の山を何とかしないと﹂
そんなことよりも、まずは自分に振られた仕事を片づけなければ
ならない。いろいろメモるのはその後だ。
そんなことを考えながら、俺は書類とのながーい戦闘に突入した
のだった。
その日の夕方。
夕焼けによって赤く染まった空を、どす黒い色の鴉がカアカアと
173
鳴き声をあげて飛び回っている。
そんな空の下の上ノ郷城の館内で、俺は石川数正殿、そしてくっ
ついて来たという鍋之助改め本多忠勝殿と面会していた。
二人が上ノ郷を訪れた理由は、対織田戦線の為の協力要請だった。
当然、此方から断る理由はない。有事の際には全面的に協力するこ
とを約束し、近いうちに兄貴と直接会って詳しい取り決めを行うこ
とを確認する。
そして、一通りこの連携に関する話が終わりを迎えると、数正殿
が何やら気になる情報を持ち出した。
﹁実は我等はこちらに来る前、西条︵西尾︶にも立ち寄り、吉良家
に協力を要請したのですが、やんわりと断られてしまいました﹂
﹁へぇ⋮⋮。吉良殿はなんと?﹂
﹁織田如きへ対応するのは松平殿の力だけで十分だろう、と。我ら
が出張っても、足手まといにしかならぬとも申しておりました﹂
﹁それはまた。なんというか怪しいですね﹂
今川家を破った織田家は日の出の勢いだ。
自分たちにそんな家に対抗する力はないと卑屈になっているとも
取れるが、だからこそ、松平家との連携を断るのはおかしい。
彼らの領地も、織田家と隣接していないとは言えないのだ。攻め
られない可能性が無いわけではない。
勿論、吉良家が今川家の本家筋であるという名族意識からくるプ
ライドが、今川家の従属勢力に過ぎない松平党との連携を拒否して
いるとも考えられるが⋮⋮。
﹁ひょっとして彼らは、この隙に今川家から離反しようとしている
のでは?以前も単独で織田家と講和して、大殿から大目玉を喰らっ
た事がありましたよね?﹂
174
﹁それは私も考えて少し探りを入れてみましたが、他家と連絡を取
り合ったような形跡はありませんでした﹂
今川家の本家であるとはいえ、現在の吉良家は二十一世紀でいう
ところの愛知県西尾市周辺を収めるだけの少勢力に過ぎない。
他家の援助なしに、まともに今川家とやりあえるとも思えなかっ
た。
﹁左様ですか。むむむ⋮⋮﹂
﹁とにかく、彼らの監視は怠らぬことにします。三郎殿も、もしも
の時はお頼み申します﹂
﹁任せてください﹂
お互いに吉良家の行動に目を光らせることを約束すると、話は雑
談へと移り変わって行った。
﹁鍋之助⋮⋮じゃなかった、平八郎はいつの間にか元服していたん
だな。まるで知らなかったよ﹂
﹁へへん、大高城での働きが認められて、元服を許されたのさ。今
川の大殿からは記念に槍を貰ったんだ。羨ましいだろう!﹂
そういって、忠勝は部屋の隅に丁重に置かれた槍を指差した。
若年用なのか普通の槍よりは短い。どうやら通常の槍よりも長か
ったと伝わる忠勝愛用の槍・蜻蛉切ではなさそうである。
﹁ちょっと見てもいい?﹂
﹁いいぜ、ほら﹂
そういって忠勝は槍を掴み、差し出してきた。
見た目からして非常に高価そうな槍である。
175
柄には奇麗な装飾が施され、刃の部分にも何やら刻まれている。
生憎と武器の良しあしは分からないが、結構な名工の作であること
は見て取れる。
さすが義元様よりの槍、といった所である。
﹁ありがとう。うらやましい﹂
﹁だろう、やらんぞ!﹂
﹁いや、別に欲しいとは言ってないじゃん﹂
馬鹿話をしつつ、三人でどうでもいい歓談を続ける。
先ほどの深刻な話に比べれば此方の方が良い。気が楽になる。
﹁そうだ、平八郎。前にも聞いたが、うちに来るつもりはないか?
厚遇するぞ?﹂
﹁無理だって。俺は一生殿についていくつもりだ﹂
﹁むむむ、残念だ﹂
﹁三郎殿、堂々と引き抜きをかけないでください⋮⋮﹂
﹁申し訳ない。当家も人不足なもので。松平党の中に職にあぶれた
侍がいたら、是非とも我が家に紹介して欲しいですね﹂
﹁ははは。とりあえず殿には伝えておきます﹂
松平党の三河武士たちは皆有能である。
一人ぐらい此方に来てもらえれば、非常に助かるのだ。
﹁お願いします。それと、今日はもう遅いので城に泊まって行って
ください。大したお持て成しは出来ませんが﹂
﹁ありがとうございます﹂
こうして、その日は過ぎて行った。
176
その夜は母上や叔父上も含めての宴会となった。
三河湾でとれた海の幸を囲み、皆でワイワイ騒ぐ。
忠勝や数正殿の武勇伝を聞いたり、岡崎の近況に耳を傾けたり。
途中で酔っ払った数正殿が忠勝の槍を持って走り出すという滅多
にみられないような珍事も起った。
こんな良好な関係が続けばいいなと思いつつ、俺自身も三河湾産
の魚介に舌鼓を打ったのだった。
177
歴史よさらば︵後書き︶
そろそろヒロインが欲しくなってきた⋮⋮。
178
知らない間に︵前書き︶
ご意見・ご感想をお待ちしております。
179
知らない間に
数正殿と平八郎が訪れた日より少し経ち、いつものように大量の
書類と格闘していると、何やらごつい雰囲気の侍が上ノ郷城に押し
掛けてきたという報告が入った。
なんとその侍は兄貴の紹介状を持っているという。
俺が数正殿に頼んだ、仕官斡旋の依頼。その結果がもう出てきた
のだろうか。
⋮⋮少々早すぎるような気もするが。
紹介状を持っているのなら、粗略に扱う訳にはいかない。俺自身
が面会する必要がある。
藤兵衛を連れて、侍が待っているという城下の屋敷へ向かう。
たどり着いた屋敷にいた人物は、いかにも﹁無骨者﹂といった感
じの人物であった。
がっしりとした体格に、日焼けして浅黒く変色した肌。
鷹を彷彿させる目に、しっかり切りそろえられた髪の毛。
年齢は三十くらいだろう。
一体どんな人物なのだろうか。
見た目の通り、武闘派の武将であることは間違いないと思うが。
﹁お初にお目にかかります、三郎様。それがし、米津小太夫政信と
申します。三郎様が人をお探しと聞き、馳せ参じて参りました。ど
うぞ、臣下にお加え頂きますよう﹂
180
﹁米津⋮⋮。ひょっとして米津三十郎殿の身内の方ですか﹂
﹁はい。三十郎常春は兄にあたります﹂
米津三十郎常春は、後世において徳川十六神将の一人に数えられ
る武将である。この三河においては、現在でもかなり名の通った人
物だ。
そして、米津家自体も松平家に代々仕える譜代の家臣。
当主では無いとは言え、この政信という人もそこの一員だ。
そんな人物が﹁職にあぶれた﹂武士であるとは到底思えない。
﹁失礼ながら、松平家譜代の家の、それも御当主の弟であるお方が
何故我が家に来て下さるのですか?﹂
﹁ははは、ごもっとも。ですが、それは三郎様ならば理解できるの
ではありませぬか?﹂
譜代の臣を他家に派遣する理由。兄貴が俺を気遣って、有力武将
を回してくれたとか⋮⋮?
いや、それはない。
これから先、松平家も色々と困難に直面するはずだ。信用でき、
かつ実力のある武将はなるべく手元に置いておいた方が良い。
まさか、家中で問題を起こして追い出された、と言う訳でもある
まい。
と、すると。
﹁当家と松平との繋ぎ役ですか?﹂
﹁御名答﹂
有事の際の連絡係、といったところか。俺以外にも松平に関わり
181
を持つ人間がこちら︵鵜殿家側︶にいた方が、連携もスムーズにい
く。
兄貴はその辺を考えてこの人を派遣してきたのだろう。
鵜殿家に近い、というのであれば、俺と親交のある駿府随行組の
面々の方が良いだろうが、彼らは未だに若い。ある程度経験のある
武将でなければダメだったのだろう。
﹁それに、我が武芸が松平以外で通じるのか、自分の腕を試して見
たくなりましてな﹂
﹁成程、それで招聘に応じて下さった、と﹂
﹁はい。ついでに殿からは三郎様を助けてくれ、と頼まれておりま
す﹂
﹁兄貴が⋮⋮﹂
どうやら、兄貴が俺を気遣ってくれた、というのも間違いではな
かったらしい。
今度会ったときにお礼を言わねば。
﹁藤兵衛、雇っても良いよね?﹂
﹁問題は無いかと﹂
﹁小太夫。これからよろしく頼む﹂
﹁ははっ。誠心誠意お仕え致しますので、何卒よろしくお願いいた
します﹂
こうして、鵜殿家に米津政信という頼もしい人物が加わった。
今後、彼は護衛役として俺と行動を共にすることになる。
182
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
父上が駿府より戻ってきたのは、翌月の事であった。
駿府・今川館で行われた大評定で、今後数年間は外征を行わず先
の戦で失った戦力を取戻す、という方針が伝えられたらしい。
それと同時に義元様から若様へ、ある程度の当主権限の譲渡が行
われた。
隠居と言う訳ではないが、若様に国内統治の経験を積ませるため
の措置なのだろう。
義元様はまだ四十を過ぎたばかりだが、今後何が起っても良いよ
うに体制を整えておくことにした、と言った所か。
更に、今川領内における軍制の見直しが行われた。
まずは三河。
西三河一帯の統治・軍権は地元に詳しく影響力の強い松平元康に
一任。
彼は今後、松平党その他西三河の国人たちを率いて織田家への抑
えにあたる事になる。
また、吉田︵豊橋︶城代・小原肥前守鎮実の権限を強化して、東
三河及び奥三河一帯の豪族・国人の統率・監視にあたらせる。
小原鎮実は智将として知られ、義元様の評価が高い人物である。
183
ちなみに鵜殿家は一門衆として両者の補佐を命じられたらしい。
遠江においては、一国人に過ぎなかった井伊家の地位が向上。現
当主・肥後守直親殿は駿河で奉行職に任じられている。
これは、義元様の影武者として討ち死にしたという直盛殿の功に
報いるためだと思われる。
駿河についてはよく分らないが、何やら細かい所で変更があった
らしい。
孕石主水が全役職を解任された上長期の謹慎処分になった、とい
う話も聞いた。噂によれば、桶狭間直後に何かやらかしたとのこと。
大方兄貴や父上に食って掛かり、義元様に激怒されたのだろう。
自業自得だ。
こんな感じで編成し直された今川家。
史実から外れた歴史が、どのように動いていくのか。
流石にもう分らないが、俺は一家臣として今川家に尽くしていく
心算である。
﹁ははは、貴殿が三郎殿ですか。なかなかの面構えですな﹂
﹁はぁ⋮⋮﹂
上ノ郷城本丸・城主館。
俺は現在、父上と共にやってきた馬顔のお爺さんと喋っている最
中である。父上から正式に仕官を認められた米津政信も同席してい
184
る。
朝比奈筑前守輝勝。
元大高城主であり、先の合戦の元凶を作ったとも言える人物であ
る。
本来ならば責任を取らされてもおかしくは無いのだが、丸根砦に
おける奮戦と、織田方から大高城を一応守り抜いた功を称されて、
逆に加増されたらしい。
今回上之郷城にやってきたのは、義元様から鵜殿家への与力を命
ぜられたから、とのこと。
﹁三河がキナ臭くなっておりますが、儂が来たからにはもう安泰で
すぞ。わはは﹂
︵大丈夫でしょうか⋮⋮︶
︵さあ?︶
政信と二人で、ひそひそと囁きあう。
どうやら、彼も色々と不安なようだ。
信頼できそうな人柄ではあるが、自信過剰な性格が透けて見える。
大丈夫だろうか。
父上が言うには、これでも昔に比べてマシになったとのことだが。
﹁お近づきの印に、これでもどうぞ。小太夫殿もどうかな?﹂
﹁⋮⋮いただきます﹂
﹁これはご丁寧に﹂
輝勝殿が何処からか取り出したのは、手のひらよりも小さいサイ
ズの、オレンジ色の皮に包まれた円形の果物。
185
﹁みかんですか﹂
﹁おや、御存じじゃったか。この甘酸っぱい味が大好きでしてな﹂
蜜柑。
日本を代表する柑橘類の果物である。
この歴史は案外に古く、貿易港として発展していた肥後八代︵熊
本県八代市︶に中国から伝わり、それを現地の人間が育て始めたの
が日本における蜜柑の始まりとされている。
古代には朝廷にも献上されていたとか。
ちなみに、この時代における蜜柑は、現代日本人が一般的に食す
る温州ミカンではなく、キシュウミカンと呼ばれる小型の蜜柑。紀
伊国屋文左衛門の逸話で有名なアレである。
この名前の由来は、文字通り紀伊国︵紀州︶で大量栽培されてい
ることからついたそうだ。
果皮をめくり、中から現れた果肉を頬張る。
現代日本で食べて以来、十数年ぶりの甘さと酸っぱさの混じった
濃い味が口の中にじわりと広がっていく。
嗚呼、懐かしい。
温州ミカンではないのが残念だが、あれは種子が出ないことから
武士の間では不吉とされ、全く広まっていないのである。
﹁輝勝殿は、何処でこれを?﹂
﹁二十年程前、紀州からやってきたという商船から購入しましてな。
一口食べて気に入ってしまった故、種を貰って育てていたのじゃよ﹂
紀州みかんが育てられ始めたのは、ちょうど戦国期初めの事だっ
たりする。宣伝のために行商を行っていたのだろうか。
186
﹁⋮⋮筑前殿、是非とも種をお譲りいただきたい。上ノ郷でも育て
て見たくなりました﹂
﹁別に構わぬが。育てるのは難しいぞ?わしも何度も失敗した﹂
﹁構いません。やれるだけやってみます。失敗したら、その時はそ
の時です﹂
﹁そうか。ならば早速、植えられる場所を探すとしよう﹂
﹁はい。小太夫も手伝ってね﹂
﹁承知いたしました﹂
そういって、ぞろぞろと三人で上ノ郷城内を探索する。
途中で興味を持った父上や藤三郎も一行に加わり、その日は城内
総出で畑探しの日になったのであった。
栽培に成功した暁には、これが上ノ郷名物になるのかも知れなか
った。
そうなった場合、﹁上ノ郷みかん﹂として大々的に売り出そうと
思う。売れるかどうかは知らないが。
﹁結婚ですか?﹂
﹁⋮⋮。大殿が是非、お前に嫁をとな﹂
翌日。
俺は父上にとんでもない爆弾を投下されていた。なんでも、義元
様が縁談を強く勧めてきたらしい。
年齢を考えてもまだまだ早いと思うが、あの方の事だ。色々と事
情があるのかもしれない。
たとえば、今川一門との縁談を強く望む有力家臣がいるとか、是
187
非とも取り込んでおきたい有能な武将がいるとか。
または、お公家様から縁談を持ちかけられた可能性もある。
元服している有力な一門衆で正室がいないのは、今のところ俺ぐ
らいしかいない。
上記のような理由だった場合、お鉢が回ってくるのは当然と言え
てしまう。
⋮⋮正直言って断りたいが、義元様の勧めである以上、余程の理
由が無い限り拒否することは出来ないだろう。
下手をすると今川家の政略にも関わってくる話だ。
﹁⋮⋮お相手は誰なんですか?﹂
﹁⋮⋮﹂
父上が神妙な顔をして固まっている。
思わず笑ってしまいそうな顔だが、これは絶対になにかある。よ
ほど高貴な家の娘さんか、或いは⋮⋮。
﹁⋮⋮何か言ってください﹂
﹁⋮⋮﹂
このままでは埒が明かない。何とかして父上を再起動させなけれ
ばならない。
こういう場合に一番手っ取り早いのは、俺自身が縁談を受け入れ
る覚悟があることを伝えること。
恐らく父上は、俺が縁談を断って逃げ出すことを予想しているの
だろう。こちらが受け入れることを示せば、どうにかして正気を取
り戻してくれるはずだ。
﹁父上、俺は相手がだれであろうとも、縁談を受け入れる覚悟はで
188
きていますよ。大殿の勧めを断ったとあっては、今川一門の恥です
から。教えてください﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁父上﹂
﹁⋮⋮殿だ﹂
よく聞こえない。
﹁⋮⋮次郎法師殿だ。井伊信濃殿の御息女の﹂
﹁⋮⋮マジですか﹂
﹁マジだ﹂
そんな事だろうと思ったよ。
しかし、縁談は以前父上が断った筈だが。
﹁大殿が信濃殿にしてやれる最後の﹃御恩﹄だと仰ってな。断るに
断りきれなかった﹂
﹁そうですか⋮⋮﹂
井伊直盛殿は、桶狭間の戦いにおいて、義元様の影武者となって
壮絶な戦死を遂げたという。
その直盛殿が、生前唯一と言って言い程心配しておられたのが、
次郎法師⋮⋮井伊直虎殿の嫁ぎ先だった。
恐らく義元様は恩を返すべく、必死になって次郎法師殿を嫁がせ
るのに相応しい家を探したのだろう。
そしてついこの間、直盛殿が俺に縁談を持ちかけたことを知って、
ダメもとで父上に再び縁談を持ちかけたのだと思われる。
上ノ郷鵜殿家は正真正銘今川家の一門。忠臣の娘の嫁ぎ先にして
は、これほど良い家は無い。
189
﹁次郎法師殿って、今年で何歳でしたっけ?﹂
﹁⋮⋮二十四だ﹂
俺よりも十二歳年上なわけか。年上すぎて実感がわかない。
母上が二十七だからなぁ⋮⋮。
﹁とにかく、受けると言ってしまった以上受けるしかありますまい。
大殿には感謝する、と伝えてください﹂
﹁すまん。俺が不甲斐ないせいで﹂
﹁構いません。武士とはこういうものでしょう﹂
口ではこう言っているが、次郎法師殿に会うのは結構楽しみだっ
たりする。
直盛殿曰くなかなかの美人らしいし、悪い噂も全くと言っていい
程聞かない。
実は、もの凄い良縁なのかもしれない。
﹁婚礼は来年の初めに駿府で行うそうだ。早めに井伊谷に挨拶にい
っておいた方が良いな﹂
﹁⋮⋮そうですね﹂
﹁準備を整えておきましょう﹂
いつのまにか同席していた藤兵衛が、そそくさと出て行った。
こうも早く、再び駿府に出向くことになるとは思わなかったが、
仲人は義元様なのだろうか。
気になる。
190
こうして、自分でもよく知らないうちに縁談を進められてしまっ
ていた俺は、父上に連れられて、一路井伊谷に向かう。
井伊直虎︱︱今は次郎法師か︱︱果たして、どんな女性なのだろ
うか。
191
知らない間に︵後書き︶
年上ヒロインって珍しいんじゃなかろうか。
192
次郎法師さん︵前書き︶
ご意見・ご感想をお待ちしております。
193
井伊谷。
いいのや
次郎法師さん
遠江
遠江井伊氏の本貫の地であり、同時に遠江と三河の国境に位置す
る交通の要衝でもある。
この地を治める井伊氏は、藤原北家の末裔とも、継体天皇の末裔
とも言われる家系で、五百年以上の長きに渡って支配を続け、南北
朝の動乱や斯波家対今川家の遠江攻防戦にも深く関わっている。
そんな井伊氏の歴史を聞きながら、のんびりとこの地の中枢であ
るという井伊谷城へ向かう。
直盛殿にいつでも来てくれと誘われていたが、結局彼の存命中に
訪れることは出来なかった。申し訳なく思えてくる。
今、俺たちに同行して井伊谷について熱く語っているのは、直盛
殿の与力だったという近藤平右衛門康用殿だ。
彼は桶狭間の戦いで直盛殿に従軍。彼の遺命を帯びて、井伊谷に
落ち延びてきたという。
﹁信濃守様は、次郎法師様の行く末を最後まで心配されておりまし
た。ですが、これでもう安泰ですな。この康用、思い残すところは
何もございません﹂
﹁早まられるなよ、平右衛門殿。信濃守殿がそなたに託したのは次
郎法師殿の事だけではあるまい﹂
なにやら物騒な台詞を言っている康用殿を、父上が咎めている。
直盛殿の後を追って殉死しかねないと思ったのだろう。
この時代、恩義のある主君の死の後を追って自害するのは、決し
て珍しい事ではない。
194
﹁ううっ、それにしても寒い﹂
﹁早く屋内へ入りたいですな﹂
既に霜月︵十一月︶を迎え、つい一か月ほど前まで紅く染まって
いた山々はすでに越冬モードに入ったようで、こうして移動してい
る間にも突風に飛ばされた枯葉がひらひらと舞い降りてくる。
そして、非常に寒い。
防寒しているとはいえ、北風が肌を刺す度に、痛みのような寒さ
が全身を覆う。
その度にガタガタぶるぶると体が震え、余りの寒さに情けない声
をあげてしまう。
手は悴み、手綱を握っているのも辛い位だ。
だが、他の面々も似たような感じである。
護衛役としてくっついてきた政信は、余りの寒さに耐えかねて馬
上で丸くなっているし、父上と康用殿も同じように馬の上で震えて
いる。
落馬しなきゃよいが。
﹁おお、ようやく到着ですな﹂
暫く移動して正面に見えてきたのは中規模程度の山城、井伊氏五
百年の本城・井伊谷城。
井伊谷川と神宮寺川二つの川の合流地点の北に建てられた山城で、
平安時代中期の築城とされる非常に歴史の古い城である。
195
むねよししんのう
南北朝時代においては当時の当主・井伊道政が後醍醐天皇の皇子・
宗良親王を保護して北朝と戦い、また同皇子の御所としての役割も
果たしたという。
夕暮れは湊もそことしらすげの
入海かけてかすむ松原
はるばると朝みつしおの湊船
こぎ出るかたは猶かすみつつ
宗良親王のこんな和歌が残されているぐらいだ。
彼にとっては非常に居心地の良い場所だったのだろう。
この城の後方に三岳城という難攻不落の要害が存在する辺り、こ
こは城と言うよりは館と言った方が良いのかもしれない。
康用殿に先導されて城門をくぐり、山道と同じような登場道を昇
って行く。
﹁山っぽい何か﹂である上ノ郷とは違い、この城は正真正銘の山城
だ。その分傾斜もきつい。
そう簡単にばてはしないが、寒気で体力を奪われている分、なか
なかハードな運動だったりする。
﹁若殿、なかなか辛い運動ですな﹂
そういう政信は全く辛そうではない。やはり、基礎体力が違うの
だろう。
少し羨ましい。
﹁⋮⋮そういう小太夫は全然辛そうじゃないね﹂
196
﹁ははは、普段から鍛えておりますからな。武辺者としてこのくら
いでへばっては名折れです﹂
そんな会話を交わしながら、えっちらおっちらと山道を昇りよう
やく郭と思わしき広場に辿りついた。
ごしょまる
﹁ここは御所丸と申しまして、南北朝の動乱期において宗良親王が
お使いになったと伝わる郭です。しばしの間、ここでお待ちくださ
れ﹂
俺たちが通されたのは、皇子の御所だったと言われても何ら不思
議はないほどの立派な館であった。その御所の一室を占領しつつ、
次郎法師殿とその曽祖父であるという井伊直平殿が現れるのを待つ。
現当主である肥後守直親殿が挨拶に来ないのは、駿府に出張して
いるためだと思われる。先日の大評定で奉行職に任じられた彼は、
当分井伊谷に戻っては来られないだろう。
﹁緊張するか、三郎?﹂
﹁はい﹂
そういって声をかけてきた父上は、なんだかせわしない様に見え
た。
思いがけず、若くして舅になるのだから俺と同じように緊張して
いるのだろう。
次郎法師・井伊直虎。
歴史に名を遺す女傑だけに、どんな女性なのか楽しみである。
197
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
﹁わたしのことはお姉ちゃんって呼びなさい!﹂
出会って早々、どかーん!と言う擬音が聞こえそうな勢いでとん
でもない一言を言い放ったこの人こそ、井伊直盛殿の娘・次郎法師
さんらしい。
目鼻立ちの整った、確実に美人と言える顔立ちに、透き通るよう
な白い肌。
肩の部分まで届く長い黒髪を、頭の後ろで縛ったポニーテール。
碧い瞳に浮かぶニコニコとした笑顔が眩しい。
﹁こ、これっ。申し訳ありません、三郎殿。縁談が決まってからと
言うもの、ずっとこの調子で⋮⋮﹂
これは直平殿である。
次郎法師さんの奇天烈すぎる物言いに困惑している模様。
﹁じーっ﹂
﹁な、なんでしょうか⋮⋮﹂
次郎法師さんに顔を近づけられたうえ、じろじろと眺められて気
198
恥ずかしい気持ちだ。
余りの恥ずかしさに、顔に血が上り火照って行くのがわかる。
助けを求めて父上や直平殿に目配せするが、何故か皆席を立とう
としている。
﹁どうやら、二人きりにした方が良さそうですな﹂
﹁我々は空気を読んで、退散することにいたしましょうか﹂
﹁そうじゃな﹂
こんなのあんまりだよ!
いくら年上のお姉ちゃんとはいえ、まだ出会って間もない女の人
と二人きりにされるのはご勘弁願いたい。
気恥ずかしさで倒れてしまいそうだ。
お願いだから、出ていかないでくれええええええ!
そんな心の叫びとは裏腹に、父上たち大人組はあっという間に部
屋の外へ出て行ってしまった。
ただっぴろい部屋の中に残されたのは、俺と次郎法師さんだけ。
﹁だけど驚いたな。噂には聞いていたけど、本当にまだ子供だった
なんて。お姉ちゃんびっくりだよ﹂
俺がどうやってこの人と話を繋いでいこうかと悩んでいると、あ
ちらから声をかけてきてくれた。
子供扱いされるのは気に入らないが仕方がない。次郎法師さんか
ら、見れば俺はようやく自らの年齢の半分に達したばかりだ。
﹁一応、元服は済ませています。ですから、子供ではないです。ハ
イ﹂
﹁わたしから見れば、まだまだ子供だよ?﹂
199
ですよねー⋮⋮。
がくり、と項垂れてしまう。
それだけ年齢の差が大きいのだ。
というか、この人もよく俺みたいな子供相手の縁談を了解したな。
恥ずかしくは無かったのだろうか。
﹁失礼ですが、次郎法師殿﹁お姉ちゃん!あと敬語禁止!﹂⋮⋮お
姉ちゃんは恥ずかしくないの?俺みたいな子供を旦那にするなんて﹂
疑問を率直にぶつけてみた。デリカシーが無いかもしれないが、
遅くとも来年には夫婦になるというのに下手な疑問を作ったままな
のは不味い。
次郎法師さん︱︱いや、お姉ちゃんは少し考え込んだが、全く嫌
な顔を見せずに答えてくれた。
﹁恥かしくないって言ったら嘘になるかな。やっぱり年齢の近い人
と結婚したかったし﹂
そういう彼女の表情には、少し寂しさ見える。
やはり、最初の婚約者に婚約を事実上破棄され、その後も持ち込
まれた縁談が次々と破談になって行ったことを気にしない訳がない。
見た目こそ明るく振る舞っているものの、その内心に刻まれた傷
は、俺ではわかりそうにもない。
﹁でも、嫌ではないかな。これで尼にならなくても済みそうだし﹂
﹁出家嫌なんだね﹂
﹁当然よ。せっかく世の中には面白い事が溢れてるのに、寺に押し
込められて堪るものですか﹂
200
最初の発言もそうだが、なんというかとんでもなくアグレッシブ
な女の人だ。まさに女傑。
史実でも跡継ぎがいなくなったから、と言う理由で元服して井伊
家の家督を継いでしまう人だ。
井伊直政が大活躍したのも、この人が色々と叩き込んだからかも
しれないな。
俺が上ノ郷にこの人を連れて行ってしまう以上、彼女が直政の養
母になることはもうないのだろう。
井伊家の将来が不安になってしまうが、直盛殿の忠義によって、
この家は今川家から絶大な信頼を得ている。
史実のように、直親殿が粛清されるということはまず起らない。
大丈夫だ。
そういえば、直盛殿が亡くなられたのにお姉ちゃんは全く動じて
いない感じがする。
達観しているのか、それとも⋮⋮。
﹁お姉ちゃん、信濃守殿のことは⋮⋮﹂
﹁大丈夫、心配しないで。武士として立派な最期を遂げたわけだし、
わたしが悲しんでも父上は喜ばないと思うから﹂
そういって、彼女はピンと立たせた人差し指を俺の口元に当てて
発言を制した。
その碧の瞳には涙が潤んでいるようにも見えるが、あえて黙って
おくことにする。
﹁それにしても、三郎君は歳に見合わず大人びているよねぇ。旦那
様と言うよりは弟って感じがしてたんだけど、認識を改めなきゃい
けないかな﹂
201
﹁三郎君って⋮⋮﹂
﹁およ、呼び方がご不満かい?﹃さぶちゃん﹄とか﹃弟君﹄の方が
良かったかな?﹂
﹁その呼び名でいいです⋮⋮﹂
なでなで。なでなで。
頭を優しく撫でられながら、そんな他愛無い話を続ける。
余りにも気持ちよすぎて、瞼がとろりとろりと軽い下降運動を繰
り返している。
眠くなってきてしまった。
﹁そういえば、お姉ちゃんに趣味とかある?﹂
﹁うーん。趣味と言えるほどの事でもないけど、アレかな?﹂
彼女が指差したのは、部屋の隅に置かれた四角い木箱のようなも
の。
大きめの木箱に、マス目の書かれた遊技台。
﹁⋮⋮将棋?﹂
﹁うん。三郎君はやれる?﹂
﹁まあ、一応は﹂
﹁そっか。それじゃあ一局指しましょう﹂
お姉ちゃんは俺の頭から手を離すと、がさごそと将棋台の横に置
いてあった箱から駒を取り出し、馴れた手つきで並べ始めた。
手伝おうと思ったのも束の間のこと、あっという間に準備は整っ
てしまう。
﹁趣味と言うほどではない﹂と言っていたが、絶対に強い。勝てる
気がしなくなってきた。
202
﹁さあ、どうぞ﹂
﹁あ、ありがとう﹂
日本における将棋の歴史は古い。
六世紀ごろ、中国を経由してインド辺りから伝わったとされ、少
なくとも平安時代には、一般的な盤上遊戯として普及していたらし
い。
二十一世紀の日本人が知る本将棋は、この時代に生み出された﹁
平安大将棋﹂と呼ばれる非常に複雑な形態を簡略化したものである。
この形になった時期には諸説あるが、戦国時代中期ごろには完成
していたらしい。
事実、今俺が指しているものは現在の本将棋と全く同じものであ
る。
閑話休題。
ぱちり。ぱちり。
駒が盤上におかれる音が部屋の中に響く。
気が付いたら追い詰められていた。お姉ちゃん、滅茶苦茶強い。
此方の攻撃は見事に避けられ、駒同士の連携が途絶えたところを
的確に攻めてくる。
あっという間に歩兵の壁を突き抜けられ、あとは蹂躙されるだけ
である。
陣形崩壊。
﹁はい、詰み﹂
﹁参りました⋮⋮﹂
203
ちなみにこれで六回目だったりする。
結果?当然俺の全敗ですが何か?
﹁お姉ちゃん、強すぎ。手加減してよ⋮⋮﹂
﹁あはは、ごめんごめん。久しぶりの対戦だから、少し熱くなっち
ゃった﹂
﹁ふわーぁ﹂
余りにも集中し過ぎて、眠気を忘れていた。
どっと疲れが押し寄せてきた。思わずあくびをしてしまう。
﹁流石に疲れたよね。はい、ここ﹂
﹁⋮⋮﹂
とんとんと自分の膝を叩くお姉ちゃん。
あれか、膝枕で寝ろってことですか?
﹁恥かしい⋮⋮。遠慮しておきます﹂
﹁駄目。年上のいう事は素直に聞く!﹂
﹁ぺぎゃ﹂
首筋をむんず、と掴まれ、そのまま膝の上へ。
柔らかい感触が顔の横を覆う。どうやら横向き、耳を上にした状
態で寝かせられたようだ。
⋮⋮ああ、極楽。
顔は真っ赤だろうが。
﹁耳垢がすごいね﹂
﹁⋮⋮﹂
204
何やら竹の匙のようなものを取り出したかと思うと、そのまま耳
の中に突っ込んできた。
﹁動かないでね。怪我すると危ないから﹂
﹁⋮⋮﹂
がさがさ。がさがさ。
耳穴の中を堀り起こす音。
竹匙が耳壁にこびり付いた垢を剥がしていく。
その度に、ちくりと言う感触が耳の中を覆う。
気持ちいい。
﹁大きいの発見﹂
﹁⋮⋮﹂
ああ、ヤバい。瞼重くなってきた。
耳の中を穿り返される音を聞きながら、その日はお姉ちゃんの膝
の上で眠りについてしまったのでありました。
翌年一月。
今川義元様の仲人によって、俺と次郎法師殿の婚姻が成立。
駿府・今川館にて盛大に婚礼の儀が執り行われた。
205
桶狭間で大敗した今川家にとっては久々に明るい出来事であるだ
けに、一門・重臣の殆どが参列。
姿を見せなかったのは、三河で激務に追われている兄貴と小原鎮
実殿、そして長期間の謹慎を言い渡されている孕石主水だけであっ
た。
孕石はどうでもよいが、兄貴が参列できなかったのは悲しい。
かわりに代理人として石川数正殿を送ってきてくれたが、是非本
人に来て頂きたかっただけに非常に残念だ。
﹁本当にありがとね。嫁ぎ遅れたわたしを貰ってくれて﹂
﹁此方こそ、光栄です。貴女みたいな人にお嫁に来てもらえるなん
て、考えられなかったですから﹂
となりで真赤になっているお姉ちゃんとそんな話を交えつつ、お
互いに甘酒を酌み交わす。
これも婚礼の儀の一端である。
﹁三郎、今後とも当家に尽くしてくれることを期待しておるぞよ﹂
﹁お任せください﹂
義元様のスパルタ教育によってげっそりと痩せ細った若様に返事
を返しつつ、新婚生活のことを考えて、にやけるのであった。
※※※※※※※※※※※※
206
氏長君が駿府で婚姻を祝われている頃、彼の故郷・三河ではとん
でもない事件が起ころうとしていた。
︱︱吉良家に謀反の動き。挙母︵豊田︶城の中条氏、及び桜井松
平家にも同調の気配あり。
そして、これに対応すべく松平元康は三河衆︵松平党︶を岡崎城
に集結させる。
桶狭間に伴う混乱は終わりを告げて、新たな歴史を紡ぐべく、時
代の歯車は動き始めた。
これを鎮めるのは西三河で指揮をとる元康か、それとも⋮⋮。
207
次郎法師さん︵後書き︶
主人公よりも強いヒロイン。
208
動乱の階︵前書き︶
主人公の初陣もそろそろですね。
209
動乱の階
吉良義昭は三河国西条・東条を領する名門・吉良家の現当主であ
る。
彼は西条城内の自らの居館で、深い苛立ちに包まれていた。
かつて織田家に協力し、今川家によって吉良家の家督を追われた
兄・義安の後を継いで当主になったは良いが、本来は分家であるは
ずの今川家の風下に立たされてばかり。
数年前、織田家と和を結んだだけで今川義元に激怒され、公衆の
面前で恥をかかされたことに対しても未だに怒りが収まらない。
先日など、松平風情の使者が訪れ、身の程知らずにも﹁織田家と
の戦に協力しろ﹂とのたまう始末。
当家の力を借りるならば、当主自らが地べたに這いつくばって助
けを請うべきだ。
当家をなんだと心得るのだ。
恐れ多くも上様の御一門・吉良家であるぞ。
義昭はボロボロになった親指の爪を噛み砕き、内心で怒りをぶち
まける。
どれもこれも今川が悪い。本家を凌ぐ力を得たぐらいで、大きな
顔をしおって。
分家ならば本家に従うのが道理というものであろう。本来ならば、
今川家が得ている駿遠三の領地を無条件で我が家に献上すべきなの
だ。
210
それなのに、あの分家の屑どもは⋮⋮!
もはや怒りを堪えられないのだろう。
がたがたと貧乏ゆすりをしながら小さな目をあり得ないほどに見
開いて、ぎょろぎょろと虚空を睨みつけている。
顔面は茹蛸のように赤く膨れ、今にも破裂してしまいそうだ。
幸い、この部屋には彼以外の人間はいない。
だが、その姿を見たものがいたならば、きっと彼のことをこう言
い表すだろう。
︱︱温泉に浸かる山猿、と。
﹁はぁ、はぁ﹂
暫くして怒りつかれた彼は、これから成就するであろう自らの壮
大な野望を思い描きつつ表情を元に戻した。
桶狭間の大敗によって今川家の勢力は後退した。
これまでは恥を忍んで面従腹背の姿勢を取り続けてきたが、もう
その必要はない。
今ならば奴らを三河から追い出すことができる。
分家風情に奪われている領国をすべて取り戻し、東海道のあるべ
き姿をこの手で取り戻すのだ。
その直後、彼は突然笑い出す。
げらげらひいひいと狂ったように高笑いを挙げ、腹を抱えて達磨
のように転げ回る。
狐憑き。
211
正にその言葉が似合う彼は、自らの妄想に浸っているのだ。
駿遠三が自らの足元にひれ伏し、今川家を滅亡に追いやるその瞬
間を。
家老の富永忠元や有力分家である荒川義広などは頑なに反対して
いるが、何を怖気づくことがあろうか。
名門である我が家が一度兵を挙げれば、三河の諸将は次々と我が
二つ引きの紋の前に馬を繋ぐに決まっている。
逆らうのは義元子飼いの松平と、今川の縁戚・鵜殿。そして、東
三河で今川寄りの態度を崩さない牧野ぐらいなものだろう。
実際、挙母の中条常隆や桜井松平家の松平家次は、長年に渡る今
川家の圧迫に反感を持ち臣従を申し出てきている。
兵は十分に集まりつつある。
あとは挙兵まで今川方に気取られなければよい。
昨年来た松平の使者は、当家が織田と通じているのではないかと
疑っていたようだが、そんな愚かなことがあるものか。
我は吉良家の当主なるぞ。
何故織田と言う得体の知れぬ者どもに助力を請わねばならんのだ。
他家の助けなど無くとも、我が家だけで大望は成就できる。北条
や武田と結ばねば碌に国外進出もできぬ今川とは違う。
当家ならば、上様の一門という名だけで諸国を圧倒できるわ。
こうした高貴な考えに至らぬ下卑た者たちなど恐るるに足りぬ。
あのような者を重用する松平元康の器も、たかが知れるというも
の。
212
ああ、そういえば駿府に連れて行かれた兄は元気でやっているだ
ろうか。
我が立てば奴は真っ先に殺されるだろうが、分家に負ける男など
我が一門とは思わん。
せいぜい、駿府で果てるがよい。
今に見ておれ。
我ら足利一門こそ、この日ノ本を治めるのに選ばれた家。
有象無象の輩は黙って我らに従っておればよいのだ。
余りにも時代錯誤の考え。
各地でしのぎを削る大名たちが聞いたならば、皆一笑に附すだろ
う。
だが、名門特有の思想に凝り固まった彼は気づかない。
︱︱吉良家内部に潜む影の姿にも。
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
﹁アホか、あいつは﹂
213
義昭の野心を耳にした元康は、自らの岳父である関口親永にそう
呟いた。
実のところ、吉良義昭の考えはすべて今川方に筒抜けであった。
彼の無謀な野心に嫌気がさした荒川義広が数日前に元康のもとを
極秘で訪れ、彼の考えと計画、更に軍備その他諸々の情報を盛大に
ぶちまけたのである。
元康はおくびも隠さず、内心でため息を吐く。
名門が聞いて呆れる。
吉良家が衰退したのは自らの行いのせいだろう。
今川家が南北朝から始まった動乱の世の中を生き延びようと、当
主・家臣が一丸となって切磋琢磨している頃、彼らは一族同士で無
駄な争いを続けてきたのだ。
力の差がつくのも当然と言えた。
﹁かの者には、時流と言うものが見えぬと存じます。もはや足利一
門には何の力もなく、諸大名への影響力も皆無。血筋だけで世を束
ねる時代はもはや過ぎ去ったと言うのに⋮⋮﹂
元康の発言に、関口親永が同意した。
瀬名姫と竹千代を駿府より岡崎に送り届けにやってきた彼は、義
広が駆け込んできた日、偶然その場に居合わせたのである。
﹁駿府の大殿には報告いたしましたぞ﹂
﹁して、大殿はなんと?﹂
﹁兄弟分であり本家筋でもある吉良家を攻めるのは忍びないが、あ
ちらが悪意を持って刃を向けようとしている以上、先手を打つのも
止むを得ず、と﹂
214
﹁左様ですか。大殿は本家を潰す決心をつけられたか﹂
﹁その様ですな﹂
﹁そうなると、上野介殿の身の上はどうなりまするか⋮⋮﹂
元康は必死の形相で親永に迫る。
駿府にて人質になっている吉良上野介義安は、元康が元服の際の
理髪役を務めた人物で、友人ともいうべき人物なのだ。
吉良家が敵になれば、その身もただでは済まされないだろう。
彼が心配するのも至極当然である。
﹁それはご心配ありますまい。大殿は義昭めを排除した後、吉良の
家督を上野介様に返還させられる予定であるとのこと。嘗てと違い、
今ではすっかり当家贔屓になっておりますからな。あの御仁は﹂
﹁ははは、それはよう御座います﹂
義安の安全を確認した元康はひとまず安心すると、現在松平家を
取り巻く環境を頭の中で整理し始めた。
織田家との国境線は不気味なほどに静寂を保っている。
恐らく、信長が美濃攻略に集中しているのが原因だろう。
先日、国主・斉藤義龍が死去した美濃国内は非常に混乱している
と聞く。
後を継いだ斉藤龍興が未だ若年であり、家中を掌握しきれていな
い為らしい。
信長は松平党ががっちりと守っている三河よりも、其方に手を出
した方が楽だと判断したのかもしれなかった。
とにかく、これは又と無い好機である。
信長の目がこちらを向く前に、さっさと吉良家の叛乱を片づけて
しまうに限る。
215
幸い、既に松平党の招集は済んでいる。あと数日もしないうちに
出陣できるだろう。
何処から攻めればよいか。
戦争の天才ともいうべき元康の頭脳が回転を始め、彼はうんうん
と唸りだした。
親永は黙ってそれを見つめる。娘婿の実力をその目で見ようとし
ているのだろう。
彼の眼は見定めるような光を放って元康の方を向いている。
やがて元康が唸るのを止め、側に控えている近習に家臣たちを集
めるように指示を出す。
出陣先が決定したらしかった。
﹁どうやら、何か思いついたようですな。聞かせて頂けますか?﹂
親永が聞いた。
﹁織田家の目がこちらを向く前に、挙母の中条氏を撃滅します。か
の地は織田領に近い。上総ノ介の手が及ぶ前に我が方で切り取らね
ば、後々に禍根を残しましょう﹂
さらに、中条氏の治める挙母城は、岡崎から見て北に位置する。
先に此方を叩いておかなければ、南に位置する桜井・吉良領を安
心して攻撃できない、という理由もあったりする。
﹁だが、桜井・吉良に対する抑えは如何いたしますかな?桜井はと
もかく、吉良家の方は中々に厄介ですぞ﹂
﹁富永伴五郎ですか。分っております﹂
216
吉良家家老・富永忠元は智勇に優れた将として名の知れた人物で
あった。
合戦になった際には、必ず最前線に出て吉良軍の采配を取るだろ
う。
傲慢とは言え、当主・義昭も無能と言う訳ではない。少なくとも、
富永忠元に全軍の指揮を任せるだけの器量はあると思われる。
﹁吉良義昭だけならば楽なのですが⋮⋮﹂
﹁何とか調略できぬものですかな?﹂
﹁無理でしょうな。荒川殿も申しておられましたが、かの家は代々
に渡って吉良家に忠誠を尽くしてきた家。いまさら寝返るとも思え
ませぬ﹂
古代貴族・伴氏の末裔と伝わる富永氏は、代々吉良家の前線拠点・
室城を預かる譜代の重臣だ。
幾ら無謀な挙兵と言えども、裏切るとは到底思えなかった。
﹁嘗て我が家は、かの家に窮地を救われたことがあると聞きます。
何とかしたいとは思っておりますが⋮⋮﹂
今から二十年以上前の話。
桜井松平家によって岡崎城が乗っ取られ、逃亡を余儀なくされた
元康の父・広忠を救ったのが、富永忠元の父・忠安だったのである。
彼は行き場を無くした広忠を自らの居城に迎え入れ、桜井の軍勢
と戦ってくれたという。
﹁諦めるしかありますまい。婿殿、時にはあきらめも肝心ですぞ﹂
﹁⋮⋮仕方ありませんな﹂
217
親永の一押しによって、元康は忠元と戦うことを決める。
当家にとっては恩人ともいうべき人の息子だが、敵になる以上容
赦はしない。
松平党の力を存分に見せてくれる。
﹁例え富永が相手だとしても、松平党は遅れをとりませぬ。幸い、
東条の城の東には深溝松平家の深溝城があります。彼らに命じて、
吉良家を監視させましょう﹂
﹁桜井はどういたす?﹂
﹁奴らの本拠・桜井城の正面には安翔城があります。彼らの戦力で
はあそこを突破できますまい﹂
﹁見事ですな。流石は雪斎殿の教えを受けられた方だ﹂
﹁拙者など、まだまだですよ﹂
元康は謙遜するが、親永はどんどんと持ち上げる。
自慢の娘を三河の田舎者の嫁に出せ、と言う命令を受けた時は血
の気が引き、切腹も考えたほどであったが、この人物の器を見てみ
ると義元の判断は間違っていなかったと確信できる。
まったく、岳父としても鼻が高い。
今でも今川譜代の臣の中には、元康のことを悪しざまに言う家臣
たちもいるが、彼らは嫉妬しているだけだ。
元康の今川への貢献は本物である。無駄な嫉妬は家中の不和を招
きかねない。
︵今度見つけたら、ガツンと言ってやらねばならぬな︶
親永は照れている元康を見ながら、心の中でそう決めた。
218
﹁岳父殿。大殿への報告、お任せしてもよろしいですか?﹂
﹁うむ。任せなされ﹂
翌日。
駿府に帰るために岡崎を後にする親永に義元への報告を任せると、
自らは家臣一同を集めて昨日親永にしたのと同じ作戦を説明する。
一部では謀反人である桜井を先に潰すべきではという意見が出る
も、織田に挙母を盗られては岡崎が危機に晒される、と元康は却下
した。
信長は情報を重視する男だ。
何時三河の内乱に気づき、手を出してくるか分ったものではない。
幸いと言うべきか、他家の介入を嫌った義昭が中条や桜井にも織
田方への要請を禁止しているらしく、これらの家が独断で織田と結
んだ形跡はほぼゼロであった。
織田家の影が見えない今のうちに挙母城を落としてしまうに限る。
桜井はいつでも潰せる。
先に岡崎の安全を確保しなければ、安心して眠れない。
家臣にそう力説する。
﹁分り申した。ですが、吉良に対する抑えはもう少し必要かと。深
溝城だけでは抑えきれますまい﹂
﹁おう﹂
酒井忠次の意見に対して、元康は短く返した。
219
抑えに適任な将を選び出しているのだろう。
その後の熟考と相談の結果、酒井忠尚・本多広孝を深溝城の援護
に回し、さらに鵜殿家にも援軍を要請するということで決着がつい
た。
彼らが吉良・桜井を抑えている間に、本隊は高速で挙母城を落と
す、という作戦である。
﹁いざ、出陣だ﹂
﹃おーっ﹄
岡崎城の大手門から、松平党の兵士たちがぞろぞろと出ていく。
彼らがあげる鬨の声が、新しい年を迎えたばかりの三河の空に響
く。
永禄四︵一五六一︶年。
この年を境に、三河の国そして今川家は新たなる歴史への道を進
み始めたのである。
220
動乱の階︵後書き︶
ご意見・ご感想を宜しくお願いします。
221
下市場の合戦︵前書き︶
感想を頂けると、作者のやる気がグングン上がります。
何卒、よろしくお願いいたします。
222
下市場の合戦
松平軍の出陣を知った挙母城主・中条常隆は驚きつつも、被官で
ある鈴木重直とその軍勢を引き連れて城外の下市場に布陣。迎撃準
備を整えた。
︵侵攻が早すぎる。我らの謀は漏れたか︶
中条常隆は自らの本陣で思案する。
松平家が義昭の計画に気が付くのは、早くとも今年の夏頃であろ
うという意見が大半を占めていたのだ。
寝耳に水。
辛うじて迎撃体制を整えることに成功したものの、完全に整って
いない軍備では、精兵と名高い松平党とまともにやりあえるかどう
かすら不安であった。
吉良家の救援は絶望的だ。
恐らく吉良義昭はこの事態に何の動きもとるまい。
いや、謀が漏れたことにも気がついておらぬかもしれぬ。
だが、戦わない訳にはいかない。
勢力は小さいが、中条家は幕府において守護職を務めたこともあ
る鎌倉以来の名門だ。
戦わずして膝を屈するなど、武門の恥である。
最後の一兵まで戦い抜いて、意地を見せる⋮⋮!
223
﹁殿、松平党です!﹂
﹁ついに来たか﹂
鈴木重直の報告に、常隆は顔色を変える。
南より現れたのは、ドドドという地響きを鳴らして迫りくる軍勢。
三つ葉葵の御紋が描かれた軍旗が空に翻り、激しい土煙を巻き上
げて此方へと徐々に迫ってきている。
当然、此方の存在にも気づいているのだろう。
遠目から見ても、その勢いと威圧感には気押される。
常隆は今からでも挙母城に引き返したい気分に駆られるが、落城
までに援軍が到来する望みはほぼ無い。
それに、挙兵に備えて改築中の挙母城では、籠城したところで松
平党を防ぎきれるとは到底思えない。 どちらにしろ、ここで迎え
撃つしかないのだ。
﹁矢掛けの準備を﹂
﹁はっ﹂
彼は重直に指示を出す。
勇猛な松平党相手ではどこまで効果が出るか分らないが、やらな
いよりはましだ。
そして、両軍が間近まで接近する。
﹁かかれ、かかれ!﹂
﹁挙母を余所者に渡すな、迎え撃て!﹂
224
両軍の大将の大声と法螺の音によって、戦いの火蓋が切って落と
された。
兵士達の叫び声が戦場一帯に木霊する。﹃下市場の戦い﹄の幕開
けである。
先手を取ったのは中条方。
鈴木重直率いる前備が、一直線に突っ込んでくる松平勢先鋒に対
して矢を降らせる。
﹁矢を射かけよ!﹂
﹁怯むな、突っ込め﹂
ひゅんひゅんという音を立てて飛んでくる矢を華麗に捌きながら、
先鋒隊に加わっている本多忠真が叫ぶ。
当然そばには忠勝の姿もある。
﹁今回こそ兜首をとってやるぜ!﹂
﹁鷲津の時のようになるなよ!今度は助けられるかどうか分らんか
らな!﹂
今川義元より拝領した名槍を構え、矢雨が降り注ぐ中を怯むこと
なく突撃していく。
桶狭間では取れなかった大将首を取るつもりらしい。
﹁どけえええええ!﹂
﹁ひいっ﹂
﹁うわあああ﹂
群がる雑兵足軽をものともせず、忠勝は敵陣の中央めがけて突き
進む。
225
忠真はその姿に呆れながらも、可愛い甥っ子を守るべくその後を
追うのであった。
﹁全く、あの一家は。自重と言うものを知らんのか﹂
﹁ははは。平八郎も殿のために、と頑張ろうとしているのでしょう﹂
本多家が最前線で大暴れしている頃、松平党の先鋒の指揮を執る
酒井忠次は、軍監として同行している石川数正に話しかけていた。
﹁彼らの働き、軍監として是非とも殿にご報告しなければなります
まい﹂
﹁頼むぞ。働きが評価されぬと、わしが文句を言われそうだからな﹂
軍監というのは戦場において軍律違反が無いかどうかを確認した
り、手柄を挙げた武士を記録する役目をおった、いわば現場監督で
あった。
武将たちの論功行賞において絶大な権限を握る代わりに、非常に
恨まれやすい立場でもあるのだ。
﹁彼らの大活躍のおかげで、敵軍は激しく押されております。総崩
れになるのも近いかもしれませんな﹂
﹁だとよいがな﹂
忠次は、前方で挙がる乱戦の音を聞きながら無意識のうちに考察
に浸る。
松平党には血の気の強い人間が多い。長坂九郎しかり、本多一族
しかり。
合戦においては頼もしいことこの上ない。
226
その一方で政略に強い人間が多いかと言われると、答えはノーだ。
せいぜい石川数正と鳥居忠吉、そして主君である元康ぐらいだ。
ずば抜けた才があると言えるのは。
一応自分も才はあると自負している方だが、彼らに比べるとどう
しても見劣りする。
︵今のままではまずいかもしれんな︶
それに、家中において内政家や外交家は批判される傾向にある。
以前石川数正が外交政策を評定で進言した時も、彼を軟弱者扱い
して非難するものが続出したという。
確かに侍である以上、武力至上主義の考え理解できる。
だが、このままではだめだ。
自分たちが今川傘下の一勢力であるうちはまだ良いかもしれない。
だがもしも今川家と決別し、松平家が大名として独立した場合、
内政に強い人間が非難されてしまう現状では領国経営は無理だ。確
実に破綻する。
そうならないためにも家中の雰囲気を改め、人材の発掘を行わな
ければならない。
︵今度、殿に進言してみよう︶
忠次はそう決めると、再び戦場に目を戻したのだった。
227
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
酒井忠次が松平家のこれからについて悩んでいる頃。
前線で戦う忠真は、それなりに身分のあると思われる侍と戦闘中
であった。
﹁どうした。その程度ではわしの首はとれんぞ?﹂
凄腕という訳ではないが、歴戦の侍であることは間違いない。
彼が繰り出す槍の一手一手を上手く受け流し、反撃を繰り出す。
対する忠真もそれを楽々と捌きながら、侍が隙を見せる瞬間を狙
う。
かきり、かきりとお互いの槍が交差し、金属音を鳴らす。
周りでは雑兵たちが乱闘を繰り広げているが、お互いに気にして
はいない。
そして、何合が打ち合った時だった。
がくり、という小さな音。
﹁隙あり!﹂
疲労か困憊か。
侍の体勢が崩れた。それを見逃さず、忠真は強い一撃を繰り出す。
228
体勢の崩れかかった侍では決して防ぐことができない、疾風の如
き一撃。
その一撃は侍の胴丸をいとも簡単に破り、見事に心の臓を貫いた。
﹁み、みごとっ⋮⋮﹂
そういって侍は仰向けに倒れ、動かなくなる。
既にこと切れているのだろう。
﹁何とかなったか﹂
なかなかの使い手であった。
生憎名前を聞き忘れたが、それなりに有名な者なのだろう。
︵⋮⋮平八郎の初首に丁度いいかもしれんな︶
この場で忠勝に手柄を立てさせておけば、今後無茶をすることは
無くなるだろう。
忠勝は彼が一騎打ちをしている間、周りで雑兵の相手をしていた
のだ。
そのおかげでこの侍との対決に集中できたともいえる。忠勝の功
績が無いわけではない。
そう思った忠真は、未だに雑兵を蹴散らしていた忠勝を呼び、声
をかけた。
﹁平八郎、この首をお前やろう。初首としては丁度良い﹂
﹁やなこった。自分でとってこそ武功だろ﹂
229
そっぽを向いて一言。
顔に皺を寄せて、いかにもいやそうな顔をしている。
なにやら暴発しそうな雰囲気だ。
﹁⋮⋮余計なお世話だったか﹂
﹁ふんだ。一人でとりに行くぜ﹂
なんと忠勝は、忠真の返答を待つまでもなく、突然敵陣に向かっ
て駆け出してしまった。
慌てた忠真が後を追おうとするが、敵の雑兵に囲まれてなかなか
前に進めない。
﹁くそっ、またか。あいつに何かあったら、兄上に申し訳が立たん。
頼むから無事でいてくれよっ﹂
忠真は忠勝が駆けて行った方を見ながら、彼の無事を祈るのであ
った。
﹁ほら、ちゃんととってきたぜ﹂
﹁なんと﹂
その少し後。
忠真のもとに戻ってきた忠勝の手には、いかにも身分の高そうな
武将の首がぶら下がっていた。
それを見た忠真は驚愕する。
あの乱戦の中を無事に潜り抜けてきただけでなく、敵将の首まで
持って帰って来るとは。
230
しかも、この首には見覚えがある。
﹁す、鈴木越後守⋮⋮﹂
忠勝が討ち取ってきた首級は、先鋒部隊の大将である鈴木重直の
ものだったのである。
﹁へ、平八郎。こ、これをどこで﹂
﹁ああ、あのまんまつっ走って行ったら、立派な格好をした侍と鉢
合わせしてな。そいつを倒してきた﹂
﹁⋮⋮﹂
予想外の出来事に、忠真をはじめ、その場に居合わせた者たちは
硬直してしまう。
︱︱まさか初首が城主格の人間のものだとは。これはとんでもな
い化け物になるかもしれんぞ。
その場にいた全ての人間の頭を、こんな考えがよぎった。
﹁なあ、叔父上﹂
﹁な、なんだ?﹂
﹁この首、ひょっとしたら大物なのか?なんかそいつの周りにうじ
ゃうじゃ兵がいたからさ﹂
︱︱気づいてないのかよ!
心の中の突っ込みを無視して、忠真は首の正体を告げる。
﹁その首は鈴木越後守重直殿といってな。足助城の城主だよ⋮⋮﹂
﹁嘘だろ?﹂
231
﹁真だ﹂
それから数刻後。
鈴木重直の戦死と、それに伴う前備の壊滅によって中条軍は総崩
れに陥り、撤退を開始した。
あるものは戦線から離脱し、またあるものは殿を果たすべく松平
軍に突撃を敢行して果てていく。
そんな状況の中、挙母城に逃げ込んだ中条常隆は必死に籠城戦の
指揮を執るも、兵力と士気の差はどうしようもなく、挙母城は即日
陥落して常隆は降伏。
ここに鎌倉以来挙母を支配していた中条氏の歴史は幕を閉じた。
それと同時に、当主を失った真弓山城の足助鈴木氏も松平に臣従を
誓う。
こうして三河北部を手中に収めた元康は、戦後処理のために挙母
城に酒井忠次を入れると、残る吉良家・桜井家と決着をつけるため
に一路岡崎を目指す。
そしてその裏側で、我らが主人公・氏長君も援軍の一員として深
溝城に入城していた。
︱︱次回、主人公初陣。
232
233
下市場の合戦︵後書き︶
遠い未来への伏線。
234
初陣︵前書き︶
ご意見・ご感想宜しくお願い致します。
235
初陣
ぬかたぐん ふこうず
三河国額田郡深溝。
俺は今、ここを治める深溝松平家への援軍の一員としてこの地に
赴いてきている。
﹁挙母を攻める間、深溝家だけでは吉良家の動きを抑えるのは難し
い。是非とも鵜殿家の力を貸していただきたい﹂
俺がこの場に派遣されることになった切っ掛けは、兄貴から派遣
された援軍を請う使者であった。
今年の初めに発覚したという吉良家の謀反計画をぶっ壊すべく、
兄貴は挙母に出陣。
その間の吉良家に対する抑えとして、うちの助力を必要としたの
だった。
松平党の戦闘力ならば、残留戦力だけで吉良家を抑え込めると思
わないでもないが、奴らの身内には富永忠元という厄介極まりない
将がいる。
万全を期すに越したことは無い、という兄貴の判断だろう。
流石は﹃石橋を叩いて渡る﹄を地で行く人だ。
それはともかく、その要請を受けた父上はすぐに援軍の派遣を決
定。叔父・長忠に兵五百を付属して深溝に派遣する。
この援軍の中に、晴れて初陣を迎えさせられることになった俺も
無理やりねじ込まれたのである。
236
﹁三郎、お前ももう戦に出れる歳だ。今回の派兵で初陣を飾るがよ
い﹂
次郎法師さんとの新婚生活︱︱といっても、毎日将棋や囲碁をや
ってゴロゴロしているだけ︱︱を満喫していた俺に、父上がいい笑
顔でその一言を言い放った時の衝撃は今でも忘れられない。
ついにこの時が来たか。
俺も今年で十三歳だ。もう戦に出ても良い年なのかもしれない。
一応この時に備えて政信に武芸を教わったり、兵法を学んだりと
鍛錬は欠かさなかったつもりだが、やはり緊張するものだ。
﹁こら、嫌そうな顔をするな。元服して嫁も迎えたとは言え、武士
たる者、戦を経験せずして一人前とは言えぬ﹂
﹁嫌じゃないですけど。突然すぎませんか?﹂
﹁相手は吉良家。名門とは言え、半ば落ちぶれた家だ。次郎三郎殿
が負けることはあり得まい。箔をつけるのには丁度良い﹂
﹁兄貴の武功のおこぼれに預かれってことですね、わかります﹂
﹁そういうことだ。さっさと具足をつけなさい﹂
﹁はい﹂
父上と問答を繰り返しながら、運ばれてきた鎧を家人に手伝って
貰いつつ身に着け始める。
越中式褌の上から薄い色の袴を着て、さらに腰を下ろして脛当て
をつける。
237
それに伴って、体が重くなる感覚がするが、まだまだ序の口。
脛当てをつけ終わると、今度は籠手をとりつける。
現代でいうならば、長い手袋をつける感覚だろうか。だが、薄い
皮のあれとは違ってこっちは鋼鉄だ。
ぎちぎちと腕が締め付けられるような触感に見舞われる。
﹁きつい⋮⋮﹂
﹁我慢しなさい﹂
籠手の装着が終わると、いよいよ鎧本体を身に着け始める。
ガチャガチャという鈍い音をたてて、鋼の要塞が自分の体に纏わ
りついていく。
よろいきぞめ
亀にでもなった感じである。
以前、鎧着初という行事の時に着た事があるとはいえ、やはり馴
れない。
﹁おー。なかなか似合ってるじゃん﹂
いつの間にかこの部屋に入ってきていた次郎法師さんが声を挙げ
た。
その手には大きめの鏡が握られている。
﹁はいこれ。確認してみなよ﹂
﹁ありがとう﹂
鏡を手渡され、鎧を纏って武士っぽくなった自分の姿をそれ越し
に見る。
確かに似合ってはいるのだが、いまいち冴えない姿である。
238
なんというか、細長いサツマイモが鎧を着ているみたいな⋮⋮。
色が赤茶色一色だからだろうか。
俺が来ている甲冑は、有名な戦国武将が着用していた様な立派な
ものではない。
量産品のような形をした、よく言えば無骨、悪く言えば地味な鎧
である。
一応申し訳程度に装飾が施されてはいるが、まるで目立っていな
い。
﹁俺、一応嫡男なんだけど。こんなんでいいのかなぁ⋮⋮﹂
﹁気にするな。お前のおじい様も、この鎧で初陣を果たしたのだ。
かあさま
地味な見た目は、派手な活躍で払拭すれば良い﹂
﹁そうそう。義母様が仰っていたけど、この鎧には見た目じゃなく
て、武功で目立てって意味があるんだって﹂
父上と次郎法師さんの解説を受けてしまった。
﹁努力します﹂
﹁うむ﹂
こんなやり取りをした翌日、俺は叔父上に連れられて上ノ郷を出
陣。
その日の午後には、深溝に到着したのだった。
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
239
﹁まさか、三郎様の初陣の相手が吉良家になろうとは。世の中何が
起こるか分らんものですな﹂
﹁俺もビックリだよ。吉良右兵衛佐義昭。こんな無茶な行動を起こ
す人間だとは思えないんだけどなぁ﹂
﹁大方、今川家の力が弱まったと思い博打を打ったのでしょう。他
家の援助もなしに、よくここまで大それた行動を起こす気になった
ものですな﹂
﹁まったく﹂
長い回想を終えて、初陣の介添え役として今回の出兵に同行して
きた政信と話す。
現在俺たちがいるのは、深溝城最西端の郭内。物見の兵に交じっ
て、敵さんの城がある方角を眺めているのだ。
この城の正面に広がる山々が邪魔で吉良領内を直接眺めることは
できないが、幸い空は快晴。怪しげな狼煙等が上がれば、すぐに発
見することができる。
﹁今のところ吉良方に目立った動きはないようですな。次郎三郎様
が挙母を攻めようとしていることに気づいておらぬのかもしれませ
ぬ﹂
﹁案外、荒川甲斐守が裏切ったことにも気づいていないのかも﹂
﹁⋮⋮あり得ますな﹂
義昭の計画をばらした八面城主・荒川甲斐守義広は、富永忠元と
並ぶ吉良家最高幹部ともいうべき人物だ。
叛乱計画がそんな人間の手によって暴露されているなど、義昭は
240
考えもしないだろう。
吉良家の名に絶対の自信を持つ彼は、それだけで家中を完璧に従
えていると思い込んでいるらしかった。
﹁吉良右兵衛佐は﹃三河において、吉良家でなければ人ではない﹄
と申したという噂も広まっております﹂
﹁なんじゃそりゃ。平家かよ﹂
裸の王様。
最早その名は何の力も持たないものになっていることにも気づか
ず、崇められて当然と考え、周りの人間に害悪を撒き散らす。
本人はそれが当然だと思っているのだから、尚更性質が悪い。
﹁流石にこれは誇張でしょうが、名門意識に少々傲慢になっている
のは間違いないでしょう﹂
家柄﹁だけ﹂で世が治まるならば、三管領︵細川・斯波・畠山︶
家や土岐家・大内家などは、今頃天下に覇を唱えていたことだろう。
そもそも、この戦乱の時代が訪れることは無かったはずである。
﹁彼の目には、激変する時代が見えないんだろうね﹂
応仁の乱以降、それまで室町幕府を支えてきた家柄重視による統
率は完全に成り立たなくなった。
三管領、四職などと呼ばれる代々幕府の要職を務めた名門大名た
ちは軒並み没落し、いまでは僅かに命脈を保つのみ。
将軍家ですらボロボロになり、有力大名を頼らなければ幕府の維
持すらできぬ有様である。
吉良義昭には、その時代の流れが見えていないようであった。
241
﹁言うなれば、御器被りですな。あの男は﹂
﹁ははは。確かにそうかも﹂
台所の汚い閃光、黒光りするあれである。
退治するには無駄な労力を使い、かと言って放っておけば、食品
その他に様々な悪影響を及ぼす。
今の吉良義昭は今川家にとってのG虫だ。
﹁まあ、吉良右兵衛佐はどうでもいいよ。それよりも厄介なのは富
永だね﹂
富永伴五郎忠元。
二一世紀においては全く知られていない人物だが、史実において、
彼は一度だけとはいえ旗揚げ当時の徳川軍を散々に打ち破っている
のだ。︵善明堤の戦い︶
しかも、それは今年︵一五六一年︶のことである。
吉良家との戦いにおいて最も注意すべき人物であり、もっとも攻
略するべき人物でもある。
﹁何とかして奴を討てる方法は無いものか﹂
﹁正面から撃破するしかありますまい。かの者には小細工はほぼ通
じませぬ故﹂
﹁やっぱりか。くそ、右兵衛佐だけなら楽なのに﹂
それからしばらく、俺と政信は対富永を肴にして雑談を続けるの
であった。
242
その日の午後。
どたばたと城内が騒がしくなってきた。
伝令役と思わしき武者がドタバタと走り回り、そこら中から叫び
声が上がっている。
吉良家に動きがあったのだろうか。だが。特に連絡は受けていな
い。
慌ただしい城内を眺めていると、軍議で席を外していた叔父上が
帰ってきた。
表情は暗い。軍議でなにかあったのだろうか
﹁叔父上、この騒ぎはなんですか﹂
﹁ああ、三郎か。今しがた軍議が終わってな、此方から吉良家に対
して攻勢を仕掛けることになった﹂
攻撃?
それって命令違反なんじゃ⋮⋮
﹁⋮⋮ここの軍勢は抑えが任務ではないのですか?﹂
﹁ああ、酒井将監殿が強硬に出撃を主張なされてな。東条城を包囲
するらしい﹂
﹁⋮⋮止めなかったんですか?﹂
﹁俺も本多殿も何とか思い留まらせようとしたさ。だがなぁ、どう
にも焦っているらしい﹂
酒井将監忠尚殿は、酒井忠次殿の叔父にあたり現在は酒井一族の
筆頭とも言える立場にいる。
三河武士には珍しい我欲が非常に強い人物であり、忠次殿が兄貴
の側近として着実と地位を固めて行っていることに焦っているらし
243
い。
一族筆頭の座をとられるのが嫌なのかもしれない。
﹁大丈夫でしょうか﹂
﹁わからん⋮⋮﹂
叔父上の顔はどんよりと不安に沈んでいる。
﹁我らも出るのですか?﹂
﹁いや、我々は留守番だ。出撃するのは酒井殿と本多殿、それに深
溝殿だ﹂
﹁ようは松平軍ほぼすべてですか⋮⋮﹂
﹁そうなるな。一応、ここの守りは主殿助殿が担当することになっ
ている。我らが留守役なのは彼と親戚だからだろう﹂
ぬいどのすけこれただ
深溝松平家の嫡男である主殿助伊忠殿の妻はおじい様の娘。つま
り俺にとっては義理の叔父にあたるのだ。
一回も会ったことないけど。
今年で二十五歳の若武者らしい。
﹁俺はこれから主殿助殿と会って、いろいろと決めなければいけな
いことがある。三郎、軍は任せたぞ﹂
﹁分りました﹂
そして、その日の夜。
ぶおー。ぶおー。
244
緊迫感を持った法螺貝の音が城内に響き渡る。
出陣の合図だ。
それと同時に深溝城の門が開かれ、騎馬武者や足軽たちが列をな
して城を後にしていく。
どうやら、夜のうちに吉良領内に侵入してしまうらしい。
朝早くには東条城を囲むつもりなのかもしれない。
暗い夜空に浮かぶ月を見ながら、一人物思いにふける。
史実において、松平軍は富永忠元の前に連戦連敗であった。
よしかげ
特に今年行われるはずであった善明堤の戦いにおいては、深溝家
の当主・松平好景以下かなりの数の将兵を失う手痛い敗北を喫して
いる。
歴史の流れが違ってきているため、流石にこの戦いが起ることは
無いだろうが、どうにも嫌な予感がぬぐえない。
⋮⋮酒井忠尚という獅子心中の虫もいる。
あの男なら、出世競争のために邪魔になりそうな味方をわざと死
に追いやるという、非道な真似を平気でしかねない。
家中においては大身であるため、今回の総大将を任されたらしい
が、兄貴も内心では警戒しているらしい。
お目付け役ともとれる本多広孝殿が一緒のうちは、下手な行動を
とるとも思えないが。
ともかく、何が起こってもいい様に心の準備を整えておこう。
最悪、鵜殿軍を動かす必要も出てくるかもしれない。
︱︱叔父上に相談しなければならないな。
245
そう思うと、室内へと踵を返した。
※※※※※※※※※※※※
翌朝。
﹁三郎様、一大事ですぞ!﹂
﹁むにゃむにゃ⋮⋮。もう少し﹂
﹁寝ている場合ではございませぬ、起きて下され!早く外へ!﹂
ぐっすりと寝ていたところを政信に無理矢理叩き起こされた。
足元がフラフラする⋮⋮。
まだ寝ていたいが、激しい剣幕で早く早くとせかす政信は、布団
に戻ることを許さないだろう。
﹁何かあったの?﹂
﹁何かどころではありませぬ。昨夜出陣した軍勢が、散々に打ち負
かされて敗走して参りました﹂
﹁⋮⋮!﹂
驚いて完全に目が覚めた。
悪い予感は見事に的中してしまったらしい。
顔が険しくなり、早足になっているのが自分でもわかる。
246
﹁敗残兵はどこに?﹂
﹁虎口︵城門︶です﹂
﹁わかった。急ごう﹂
焦る思いで城門のある郭に辿りついた俺が見たものは、想像を超
える敗残兵の姿だった。
全員が全員、皆どこかを負傷しており、無事な者などいないとい
う有様だ。
いたる所で挙がる呻き声が、悲惨さをより強調している。
幾人か見覚えのある顔が混ざっているので、昨夜出陣していった
者たちで間違い無いのだろう。
﹁急いで手当をしてやれ!﹂
叔父上が残留役だった兵に指示を出している。
俺も動いた方が良いだろう。
﹁叔父上、俺も手伝います!﹂
﹁おお、三郎か。今すぐに動けそうな者をまとめて集めてきてくれ。
人手が足らん﹂
﹁分りました﹂
城内を走り回り、老若男女を問わず声を掛けて城門に向かわせる。
傷の手当てができるのならば誰でもよい。
﹁手の空いている方は、城門で兵の救護をお願いいたします!﹂
一通り声をかけ終わると、相変わらずくっ付いてきている政信に
247
話しかける。
こんな惨状になった
﹁敗因は?﹂
﹁吉良領内に侵入して少しした後、敵方の奇襲を受けたとか﹂
迅速な奇襲。恐らく伏兵でも張っていたのだろう。
どうやら吉良方は此方の動きを読んでいたらしかった。
こんな芸当ができるのは奴しかいない。
﹁富永か⋮⋮﹂
﹁はい。生き残った兵の話では、あの男が采配を振るっていたとの
こと﹂
﹁味方の損害は?﹂
﹁かなり酷い、としか聞いておりませぬ﹂
﹁そうか﹂
しかし、何故此処まで酷い損害を受けたのだろうか。
それが気になって仕方がない。
桶狭間の時みたいに、楽勝ムードの中奇襲を受けたのならまだわ
かるが、松平軍にはそんな雰囲気は微塵も無かった。
それどころか、昨日の出陣前に酒井忠尚殿が富永に注意しろ、と
諸将の前で警告を発したばかりなのだ。
その警告が無意味なほどの将なのだろうか、富永忠元は。
﹁勢いに乗って、吉良家が深溝に攻め寄せてくるかもしれませんな﹂
﹁あり得ない話じゃないよなぁ⋮⋮﹂
そんな会話をしながら城門に戻ると、被害状況が明確になってき
たようだった。
248
陰鬱な顔をした叔父上が頭を抱えていた。
おおいのすけ
﹁どうかしましたか⋮⋮?﹂
﹁大炊助殿が討ち死になされたそうだ⋮⋮﹂
﹁!﹂
衝撃。思わず倒れそうになってしまう。
大炊助とは、松平好景のことである。
善明堤の戦いが起らなかったことによって戦死を免れた筈の彼が、
今回の敗戦で斃れてしまった⋮⋮。
歴史とは残酷なものだ。
﹁大炊助殿はな、崩れる味方を逃がそうと、たった十騎ばかりで吉
良軍の前に立ち塞がったそうだ。その場を見た者の話では、真に三
河者らしき最期であったと﹂
﹁左様でございますか⋮⋮﹂
政信が俺の後ろで涙ぐんでいる。
彼も三河武士の一員として、胸が熱くなっているのかもしれない。
﹁そういえば、吉良軍はどのような手を使ったのですか?ただの奇
襲でここまで損害が出るとは思えないのですが﹂
﹁ああ、それなら⋮⋮﹂
叔父上の話を纏めるとこうだ。
富永忠元は、自らが僅かな共を連れて松平軍の正面に立ち塞がる
ことで彼らの注意を引き付け、周囲への警戒が薄くなったところを、
伏兵に攻撃させると言う大胆不敵な戦法を取ったらしい。
正面ばかりに気を取られていた松平軍は、予想外の攻撃に大混乱。
総大将の酒井忠尚は何とか体勢を立て直そうとするも、上手く行か
249
ずにやがて敗走。
総大将の敗走によって完全に統率を失った兵たちは、あっという
間に崩れ次々と吉良兵に討たれてしまった。
これが先の戦いの真相らしい。
﹁僅か数十騎で千近い軍勢の前に立ち塞がるって⋮⋮﹂
﹁正に怪物、ですな﹂
富永忠元。とんでもない強敵らしい。
﹁聞いたところでは、吉良軍がこの深溝に向かってくるそうだ。三
郎、覚悟しておけよ﹂
﹁⋮⋮承知しました。ところで叔父上、俺に一つ策があるのですが﹂
﹁よし、聞こう﹂
※※※※※※※※※※※※
﹁深溝城の者ども、きけーい!我は吉良家臣、尾崎修理である。今
すぐに城を開いて、名門たるわれらの足元に跪くがよい!﹂
﹁その言葉、そっくりそのままお返しいたす。我らが主君は松平の
250
みである!﹂
ついに吉良軍が攻めてきた。兵力は千といった所だ。
現在、吉良方の大将と思わしき尾崎某という人間と、酒井忠尚殿
が舌戦を行っている。
てっきり富永忠元が出てくると思っていたのだが。
﹁我らの背後を突く、という可能性もございますぞ﹂
﹁うん﹂
政信も不信に思っているようだ。
何処か釈然としない様子で語りかけてきた。
﹁言葉は語りつくした。後は弓矢を持って語るべし!﹂
﹁我らが温情を跳ね除けるとは、天に背く行い。その身に思い知ら
せてくれる。攻撃開始!﹂
傲慢とも取れる台詞を吐いて、尾崎某が手に持った采配を高く掲
げた。
ついに俺の初陣の始まりである。
怖い。
だが、近くに政信という歴戦の猛者がいるお陰か、驚くほど冷静
を保てている。
﹁三郎様の背後は拙者がお守りいたします。どうぞご安心を﹂
政信に声をかけられながら、敵兵が迫ってくる城門の方を向いた。
わーっという声を挙げて、吉良兵が俺たちの守っている城門に向
251
けて突撃してくる。
深溝城の大手門を守るのは、鵜殿家の兵五百名。先の敗戦で戦力
の減った松平党では、敵兵の勢いを殺せないかもしれないからだ。
それに、彼らには大事な仕事がある。
意地でも城門を守らなければ、彼らの出番に繋ぐ事が出来ないの
だ。
﹁まだだ、まだ射るなよ。もっと引き付けてからだ﹂
叔父上の指示を聞きながら、弓の弦を引く。
敵はじりじりと城門に迫ってきている。
城門の前には空堀やら土塁やらが存在しているが、不安だ。
﹁今だ、放てっ﹂
俺も含めた兵たちが、一斉に弓の弦を放した。
鋭い風切音が空気を裂き、放たれた矢が敵兵に向けて降り注いで
いく。
それを受けて、矢じりが急所に突き刺さったと思わしき兵がばた
りばたりと斃れる。
だが、敵兵の勢いは止まらない。
何人かの兵がハリネズミのようになりながらも如何にか土塁・空
堀を越えて丸太を城門に向かって放り投げ、それがぶつかるたびに
門はぎしぎしという鈍い悲鳴をあげる。
その後ろでは、此方と同じく弓を持った兵が、城内に向かって矢
を撃ち掛けてきている。
此方の弓と同じような音が鳴り、味方の頭上に矢の雨が降る。銃
弾が飛んでこないだけましだ。
252
﹁うわっ、掠った﹂
﹁おお、中々上手い身のこなしですな﹂
そんなことをいう政信は、ひょいひょいと降り注ぐ矢を躱してい
る。
流石は歴戦の武者。
﹁もう一発、射てーっ﹂
すかさずに弦を引き、もう一発。
再び敵陣に矢の雨が降る。
以下、それの繰り返し。
何度も死にかけ、矢が突き刺さりそうにもなるが、その度にギリ
ギリのところで回避する。
敵兵も粘る。だが、やはり城という拠点があるのと無いのでは大
きな差がある。
土塁・空堀を中々越えられず、その身に矢を受けてバタバタと倒
れていく吉良兵。
同じように攻められている場所に目を向けるが、他も皆同じよう
な状況である。
﹁そろそろだろうな﹂
叔父上が呟いた。
策がなるのはそろそろだろう。
253
﹃うおおおおおおっ﹄
そう思った次の瞬間。敵陣の後方で、強い鬨の声が上がった。
敵の背後に回り込んだ、本多広孝殿率いる松平党の奇襲である。
俺が叔父上に進言した策は、別働隊を利用した挟撃作戦。
まさか採用されるとは思わなかったが、どうやら先に同じような
作戦を立てた人物がいたらしい。
其方の策を採用したのだろう。
﹁我こそは本多彦三郎広孝なりっ!吉良の者ども、大炊助殿の仇を
うたせてもらうぞぉ﹂
雄たけびをあげて、広孝殿が叫ぶのが聞こえる。
好景殿に守られたという広孝殿は、吉良軍を討ち、仇をとろうと
必死なのだ。
この別働隊の大将にも、自ら志願したという。
﹁松平党に負けるな。我らも出陣!﹂
﹁おう﹂
深溝城の城門が開き、槍をもった足軽たちが崩れ始めた吉良軍に
追撃をかける。
城兵と別働隊、両方からの挟撃を受ける形となった吉良軍は完全
に崩壊。陣形を保てずに退却と言う名の敗走を開始した。
﹁我らも出ましょうぞ﹂
﹁うん﹂
弓から槍に武器を持ちかえ、俺と政信も城門を飛び出して逃げ遅
254
れた敵を倒していく。
城門の前に、もう敵は殆どいないが。
﹁尾崎修理、本多彦三郎が討ち取ったり⋮⋮﹂
⋮⋮敵将が討たれてしまったようだ。
戦ももう終わりだろう。
﹁あっけない終わりでしたな﹂
﹁怖かったけど﹂
﹁なんの、すぐ馴れますぞ﹂
これから先、この国は大きな騒乱に見舞われるだろう。
一向一揆、東三河の乱、そして場合によっては武田家。
︱︱俺は生き残れるだろうか。
一抹の不安が脳裏をよぎるが、弱気になってはだめだ。
世は弱肉強食。
少しでも弱みを見せれば、すぐさま倒されてしまうだろう。
﹁鵜殿氏長﹂の歴史は幕を開けたばかりなのだから。
せめて後世に残る活躍をするまでは、死んでも死にきれない。
︱︱意地でもこの戦乱の時代で名を遺してやる!
初陣を飾った直後に、俺はそう決意するのだった。
255
深溝城の攻防戦は、松平︵今川︶方の大勝利に終わった。
敵将・尾崎をはじめとする兜首が幾つも上がり、討ち取った兵も
数知れず。
別働隊を率いて勝利に貢献した本多広孝は戦功第一と讃えられ、
ついでに挟撃作戦を進言した氏長もそれなりに称された。
富永忠元の不在と言う謎を残しながらも、深溝城は勝利に沸いた。
そして、数日後。
挙母を抑えた松平元康が深溝城に入城する。
吉良家の叛乱に伴う西三河一帯の騒乱は、節目を迎えようとして
いた。
256
初陣︵後書き︶
富永忠元が不在だった理由は次回。
13/02/01ご指摘を受けて、少し修正いたしました。
257
さあ進め︵前書き︶
合戦描写が上手くいかない⋮⋮。
258
さあ進め
大勝利からしばらくたち、兄貴を迎え入れた深溝城内は吉良領へ
の侵攻準備で大忙しである。
八割がた準備は完了しているが、最後の大詰めなのだろう。
ドタバタと城内を走り回る人間の足音が響き渡り、少々耳触りだ。
叔父上は今この場にはいない。
兄貴や先日駿河からやってきた援軍の将・庵原之政殿も交えて、
吉良領攻略の為の軍議の真っ最中。
なんでも、軍勢を二手に分けて行軍するとかで、そのための調整
を行っているらしい。
吉良家領内には西条城と東条城という二つの大きな拠点が存在す
る。
先の勝利と援軍到着の勢いを持って、この二つをいっぺんに攻略
してしまう腹積もりなのだろう。
﹁戻ったぞ﹂
﹁お帰りなさい﹂
叔父上が戻ってきた。
軍議は順調に進んだようで、その顔には満足そうな表情が浮かん
でいる。
﹁我らは西条を攻めることになった。出陣の用意を﹂
﹁はい﹂
259
叔父上の口から、出陣先が告げられる。
指示を受けた鵜殿家の兵たちが、ドタバタと慌ただしい音を立て
て出陣の準備を始めた。
西条城。二十一世紀においては西尾城として知られる城。
そこが、俺たちの攻撃目標らしい。
﹁西条を攻めるのは我らだけですか?それとも⋮⋮﹂
﹁酒井雅楽助殿の軍も一緒だ﹂
酒井雅楽助正親殿は、清康公の代から仕える家臣の一人で、鳥居
忠吉殿に並ぶ忠臣である。
同族である筈の酒井忠尚とはとんでもなく仲が悪く、先代・広忠
公の代には彼と争いを繰り広げたとか。
取り立てて戦上手という訳ではないが、中々に実績のある人物で
あり、友軍としては頼りになるだろう。
何をしでかすか分らない酒井忠尚に比べれば遥かに信頼がおける。
﹁それは心強うございますな﹂
﹁うむ﹂
その後も叔父上の話を聞くところ、松平の本隊と今川家からの援
軍は吉良義昭と富永忠元が籠る東条城の攻略に全力を注ぐらしかっ
た。
富永忠元は強敵だが、兄貴と庵原殿ならば負けることは絶対に無
い。
それに、ここ数日の間に別働隊を率いた本多広孝殿が、吉良側の
小城や砦を次々と攻め落とし、彼らの戦力は激減している。
東条側はまともな抵抗をするだけでも精一杯だろう。
戦が終わった後、彼らの武勇伝を聞くのが楽しみである。
260
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
﹁富永伴五郎の相手が出来ずに残念でございますなぁ﹂
﹁楽でいいじゃん﹂
深溝城を出陣した俺たちは、酒井正親殿の軍とともに西条城に向
けての行軍の最中である。
俺の隣で、政信が何やら愚痴っている。
生粋の武人である彼としては、富永という強敵と戦えなかったこ
とが残念なのだろう。
前回、深溝城攻防戦において富永忠元が現れなかった理由は非常
に単純であった。
降伏した吉良兵が語ったところによれば、彼は深追いは禁物と慎
重論を語ったせいで家中の顰蹙を買い、何者かの讒言にあって大将
の任を外されてしまっていたらしい。
どうやら吉良家中には忠元がこれ以上武功を挙げるのが気に入ら
ない人間がいるようであった。
﹁富永伴五郎を大将から外すとは。吉良家も終わりですな﹂
261
政信が、遠い目をして語る。
流石に今回の戦では彼が大将として出てくると思うが、最早士気
と兵力の差は明確。
以前のように、大胆不敵な奇襲を仕掛けると言う訳にもいかない
だろう。
案外、吉良義昭諸共あっさりと降伏してくるかもしれない。
﹁吉良右兵衛佐は無能では無いかもしれないけど、傲慢すぎた﹂
﹁まったく﹂
そんな会話をしながら行軍を続ける。
田畑と野山が遠々と続く光景に、思わずため息が出る。
今は三月。春を迎えるか迎えないかという時期である。
空気は未だひんやりとしているが、風もほとんどなく、地面にち
らりと目を向けると若草色の雑草がぽつぽつと現れ始めている。
一面新緑色と言う訳ではないが、まるで緑の絨毯が敷き詰められ
ているような、そんな風景である。
その中を行軍する千五百の軍勢。中々趣があるかもしれない。
﹁見えてまいりましたな﹂
﹁あれが西条城⋮⋮﹂
鎌倉時代中期、足利義氏によって築城されて以来、二百年以上に
渡ってこの地に存在し続けてきた城が、鵜殿軍の前に姿を現した。
西条城。二一世紀で言う所の西尾城。 室町時代初期に西条・東条の二家に分かれ、つい二十年ほど前に
統一されるまで、骨肉の争いを繰り返してきた吉良氏。 その一方、西条吉良家の本拠がここ西条城なのである。
262
﹁流石は吉良氏二百五十年の地。中々に壮観でございますなぁ﹂
それほど大規模ではないが、大小たくさんの櫓が連ねられ、城郭
の殆どを木製の塀や柵に囲われた巨大な砦のような城。
辺りよりも小高い丘の上に立てられた数々の建造物が、攻め手で
ある俺たちを見下ろしている。
攻めるのには中々骨が折れそうだ。
一族間で争いを繰り返してきた名残りであろうか。
ちなみに、江戸時代以降の西尾と言えば三河三都のうちの一つ︵
残りは岡崎と豊橋︶としてそれなりに有名ではあるが、この時代に
おいてはその繁栄の影はあまり見られない。
一応、幡豆郡の中心地としてある程度の発展は見せているが、こ
の地が近世都市として本格的に発展するのは、安土桃山時代末期、
田中吉政が三河半国の主としてやって来てからのことである。
﹁さてと、どう攻めるか﹂
﹁なかなか骨が折れそうですな﹂
所かわってここは本陣。
叔父上と正親殿が、あらかじめ用意してあった縄張り図を基に作
戦を練っている。
実はこの城、以前今川家に属していたことがあり、内部の構造は
ほぼ判明しているのである。
263
おびくるわ
俺の目の前に存在する縄張り図を見る限り、見た目に反してあま
り大規模な城郭ではない。
せいぜい本丸と二の丸、それに付随する帯郭が存在しているだけ
だ。
だが、小高い丘の上にあるせいで、攻めのぼるには一苦労しそう
である。
﹁幸い、吉良衆の殆ど東条に詰めているせいか、城内に兵は余りお
らぬ模様。ここは正面から攻めても問題ないものと思われます﹂
﹁それしかないな。損害を恐れて時間をかけすぎるのはよろしくな
い﹂
丁寧な口調で喋っている方が正親殿だ。今年四十を越えたばかり
の中年の武将である。
兄貴が人質として駿府に在住していたころ、何度か駿府の松平邸
を訪れて来られたことがあり、俺とは顔なじみである。
﹁よし、攻撃準備だ﹂
﹁承知﹂
どうやら正面から攻める、という作戦で行くらしい。
本陣から隊長クラスの侍が飛び出していく。
﹁叔父上﹂
﹁なんだ?﹂
﹁西条城内には、今川家の宝刀が納められたという御剣八幡宮がご
ざいます。今回の戦でここが焼失でもしようものなら当家の名折れ
と存じます。是非とも行って守りとうございます、御許可を﹂
以前若様に聞いたことがあるのだが、西条城内に存在する御剣八
264
幡宮には、源義家から伝わったとされる名刀二振が納められている
らしい。
吉良方の雑兵足軽が、敗走時に持ち逃げしないとも限らない。
﹁別に構わん。だが、そこに辿りつくためには城門を破らねば話に
ならんぞ﹂
﹁承知しております﹂
それからしばらくして、西条城攻略戦の火蓋が切って落とされた。
城兵の放つ矢玉をものともせず、松平・鵜殿の兵たちは正面から
大手門に向かって突撃していく。
もともと数百人程度の城兵では、千を超える軍勢の一斉攻撃に耐
えきれるはずもなく、あっという間に大手門は突破され、そこを切
り口にして味方の波はドバドバと西条城に侵入していった。
そんな中、俺と政信とその他数名の足軽は、目的の場所を目指し
て郭の中を走っている。
落城までに抑えなければ、何が起こるか分ったもんじゃない。
最悪、焼失してしまう。
たまに出くわす吉良兵をばったばったとなぎ倒し、ひたすらに御
剣八幡宮を目指して移動する。
そしてようやくたどり着いた。
とある郭の片隅に、ぽつんと存在している社。
古ぼけた社殿は、今川家が勃興した数百年前より変わらずに立ち
265
つづけているらしく、時代を感じさせる。
辺りには誰もいない。この辺りを守っていた兵は、主戦場となっ
ている本丸方面に移動してしまったらしい。
静かすぎて逆に恐ろしい位だ。
そのまま社殿に近づき、内部を確認する。
荒らされてはいないようだ。
﹁どうにか間に合ったようですな﹂
﹁よかったよかった﹂
俺と一緒に来た政信や兵たちも安堵のため息を漏らしている。
﹁しかし、随分と古い社ですな。ここに今川家の宝刀が?﹂
﹁若様曰く、源氏の祖・足利義家公より伝わった友切丸・龍丸の二
振りが納められているとか。実際はどうだか分らないけど﹂
﹁⋮⋮﹂
政信は黙ってしまった。
伝説の真偽について考え込んでいるようである。
足利義氏が吉良長氏に託し、長氏の手から吉良・今川両家に伝え
られたという宝刀。
見れるものなら見てみたいが、勝手に本殿を開けるわけにもいく
まい。
﹁それはともかく、吉良の敗残兵が逃げ込んでこないとも限りませ
ぬ。警戒を強めなければなりませんな﹂
﹁うん。⋮⋮おや?﹂
ふと本丸の方を向くと、味方の旗が揚がっている。どうやら陥落
直前か、もう攻め落としたのだろう。
266
攻城戦は終了だろう。
﹁今回もあっけなく終わってしまいましたな﹂
﹁まあ、ね。もともと大した戦じゃなかったし﹂
そんな会話を交えながら、叔父上がやって来るまでの間、俺たち
は神社の警備を続けたのだった。
267
さあ進め︵後書き︶
次回は元康サイドです。
268
勇者伴五郎︵前書き︶
ご意見・ご感想お待ちしております。
269
勇者伴五郎
深溝城を出陣した松平元康・庵原之政の率いる4千名余りの軍勢
は、以前奇襲を受けた地で松平好景をはじめとする戦没者の供養を
行った後、吉良領内深くに侵入。
手始めに東条城の詰めの城である茶臼山城を攻め落とすと、そこ
を本陣と定めて東条攻略戦を開始した。
兵力では松平勢が優勢。対する東条城の兵力はその半分の2千程。
さらにここ数日の連戦連敗によって彼らの士気は下がり気味であり、
落城は時間の問題かと思われた。
だが、追い詰められてやけになったのか吉良義昭が覚醒した。
義昭は地の利と東条城の防御設備を最大限に生かして攻め手を悉
く跳ね除け、またある時は自ら討って出て松平党に打撃を与える。
そんな彼の豹変、有利である筈の松平党は驚いて一時的に攻撃を
中断してしまう。
﹁うーむ、吉良右兵衛左。ただ傲慢なだけの男かと思っていたが、
中々やる﹂
﹁ここは一旦攻撃を中止して、作戦を練り直しましょう﹂
その翌日から松平党の猛攻はぴたりと止んだ。小競り合いこそ起
こるが、以前に比べれば微々たるものである。
そして、その隙を見逃すことのない男が一人。
櫓上からその様子を伺っていた富永忠元は、松平家中の戦意が僅
かながらに低下していることを見抜いてしまう。
270
︵逆転の機会は今しかない!︶
思うや否や、彼は士気高揚のために城内を巡回していた義昭を捕
まえて、討って出ることを進言する。
﹁現在松平家中には油断がある模様です。今反撃を仕掛ければ、勝
てはせずとも一時的に引かせる事ぐらいは出来るでしょう﹂
﹁よし、やるぞ。作戦はお前に一任する﹂
﹁ご期待に応えて見せましょう﹂
義昭の許可を得て、彼は東条城兵のほぼ全軍を率いて夜討ちを仕
掛けるという作戦を考案。
自らの居城・室城とも極秘に連絡を取り合い、実行の準備を整え
始めた。
富永伴五郎が再び松平党にその智勇を見せつけるまで、あと少し。
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
﹁いくぞぉぉぉ!ものどもぉぉぉ!﹂
﹃おぉぉぉ!﹄
271
数日後の夜。
忠元とそれに従う兵たちの咆哮が東条城に木霊する。
つい先日まで下降の一途を辿っていた士気は跳ね上がり、兵一人
一人が凄まじい気勢を孕んで松平勢を睨みつけている。
︱︱これならば行ける!
忠元はその光景を眺めて思う。
松平党のみならず、今川軍まで加わった敵勢に太刀打ちできるも
のとは思えず、せめて一矢報いる事が出来たならと挑んだ今回の戦
だが、ここへきて思わぬ好機が転がってきた。
これだけ士気が高ければ敵兵を追い払うどころか、以前のように
大勝することもできるかもしれない。
﹁開門!﹂
﹁ははっ﹂
直後。
東条城の大手門が開かれ、忠元率いる城兵の一団が、目下に陣取
る松平勢目掛けて猛進を開始した。
大将である忠元自らが先頭に立ち、大きな槍を振り回しながら雄
たけびをあげて松平党の中に突撃していく。
それを迎え撃つのは松平の先鋒を預かる松井忠次隊。
﹁ここで夜襲かよ﹂
﹁とにかく迎え撃て﹂
この先鋒隊に参加していた忠勝と亀丸が、攻め寄せる吉良兵に対
応する。
272
この夜襲をある程度予測していたこともあって、陣中における混
乱は余りない。
だが動揺はしてしまう。
先日までは攻める側だったのが、今は一転して守る側だ。
それに、忠元によって率いられた吉良兵の戦意は高い。
兵の練度や個々の強さこそ松平党に劣るが、それを忠元の見事な
采配と天を衝かんとする勢いで補っている。
戦慣れしてきたばかりである忠勝や亀丸にとっては明らかに強敵
であった。
﹁くそっ。吉良兵なんかにここまで押し込まれるなんて﹂
﹁﹃なんか﹄とはなんだ!⋮⋮ぐえっ﹂
彼らを含めた松平党は善戦するも、余りの勢いに押され、徐々に
城の包囲陣から遠ざかっていった。
対する吉良兵の勢いは戦闘開始から数刻たっても止まらない。
大将である忠元が自ら槍をふるい、彼の前に立ち塞がった松平党
の勇士たちを次々と斃している。
さらにそれに感化されたのか、彼に付き従う兵士たちも、彼らよ
りも強い筈の松平家の武士に臆することなく向かっていく。
戦場のあちこちで鍔迫り合いの火花が飛び、一人また一人と敵味
方問わずに力尽きて、屍を地に晒す。
文字通りの乱戦になった戦場で、忠勝と亀丸はひたすらに敵兵と
打ち合いを続けていた。
自らの持つ武器と敵兵の武器がぶつかり合い、激しい金属音を打
ち鳴らす。
敵兵たちは動き続けて体力がすり減っているはずだが、動きはま
るで衰えない。
273
﹁このままでは埒が明かんな﹂
﹁首の取り放題だが流石にきつくなってきたぜ!﹂
二人とも軽口を叩いているが、そろそろ体力的に限界なのだろう。
顔には大量の汗が浮かび、疲労の表情が見える。
﹁どりゃああああ!﹂
﹁おっと﹂
その隙をついて一人の吉良侍が飛びかかって来るが、忠勝はひら
りと身を躱すと無防備になったその背中に名槍を突き立てた。
ぐしゃり、と何かが潰れる音と紅き雫が飛び散り、侍はばたりと
倒れて動かなくなる。
﹁きりが無いな﹂
﹁ああ﹂
そういった直後のことだった。
︱︱ドドドドドド
馬蹄の音が響きはじめ、東の方角からなにかが二人のいる戦場目
掛けて近づいてくる。
それらがもつ松明の数を見る限りかなりの数だ。
敵の増援か⋮⋮?
亀丸がそう思うのも無理はない。
だが、その予測はいい意味で裏切られた。
﹁庵原美作守見参!﹂
274
今川軍の到来。
茶臼山本陣の元康が、包囲軍の危機を聞きつけ送り込んだ援軍で
ある。
自らと同等の勢いをもつ新手の襲来に、さしもの吉良兵も逆に押
し返され始める。
﹁ここまでか。引き金を鳴らせ﹂
その様子を見ていた忠元は、これ以上の継戦は味方に無駄な血を
流すだけと判断し、撤退の指示を出した。
混沌としていた戦場に、濁った鐘の音が響く。
それを聞いた吉良兵たちはすぐさま戦闘を中断し、東条城へと引
き返し始める。
見事な退却。それを追う余力は松平党にはない。
︵⋮⋮︶
忠元は無言で唸る。
室城の軍勢は間に合わなかったか。
本来ならば、室城のある北東の方角に押し込み、同城から討って
出た兵と挟撃してあわよくば壊滅させる作戦だったのだ。
それが松平勢の思いのほかの奮戦で予定の半分も押し込めず、逆
に今川勢の救援によって此方が撤退しなければならなくなってしま
った。
だが、彼らに痛手を与えたことは確か。これで一時的に包囲は解
けるであろう。
そうすれば、光明も見えてくるはずだ。
忠元は東条城に向けて馬首を返しながら、松平党とそれに合流し
た今川軍を睨みつけたのだった。
275
﹁あれが富永か﹂
そんな彼を眺める男が一人。
庵原之政である。
今川家重臣であり、桶狭間の激戦で生き残った経験をもつ彼は、
見事な采配で夜襲を行った忠元を心の中で絶賛していた。
︱︱落ちぶれた吉良家にもまだあのような将がいたか。是非とも
戦場でお手合わせ願いたい!
﹁武者震いがするのぅ﹂ 彼は湧き上がる身震いを何とかして抑えつつ、来るべき東条城攻
城戦で忠元と対決することを夢見る。
それが実現するかどうかは、流石に分らない事であったが。
﹁先鋒を命じられておきながらこの失態。腹を切ってお詫びいたし
ます⋮⋮﹂
﹁まて、早まるな﹂
翌朝。
兵の疲労困憊によってこれ以上の包囲は不可能と判断した松井忠
次は一度包囲を解き、全ての軍勢を茶臼山の本陣に引き上げた。
責任感の強い彼は、主命を最後まで果たすことの出来なかったこ
とから切腹を考えるも、元康の必死の説得によって何とか思い留ま
276
る。
だがそれでは本人の気が済まなかったのか、自主的に謹慎を申し
出ると、元康の返事も聞かずに自領である幡豆郡小山田村に単身で
戻ってしまった。
﹁やれやれ、あの頑固者にも困ったものだ﹂
元康は呆れつつも残された松井勢の指揮を彼の弟である松井光次
に任せると、新たな作戦を練り直し始めた。
幸いと言うべきか敵の挟撃作戦は失敗に終わり、昨夜の合戦にお
ける味方の損害は予想よりも少ない。城主級の武将で討たれたもの
もいないそうだ。
今川軍の援護もあり、如何にか滞陣を続けられそうである。
﹁しかし、富永伴五郎。あいつを討たねば東条の城は落ちまい﹂
噂に違わぬ富永忠元の活躍ぶりに、元康はうんうんと唸る。
奴を如何にかしなければ、東条城を落城させるのは難しい。おま
けに吉良義昭も名門を鼻にかける傲慢な人間とは思えないほどに手
ごわく、彼らの連携の良さも相まって東条城は鉄壁の守りになりつ
つあった。
かといって、忠元ほどの名将を野戦に釣り出すのは難しいだろう。
誘い出すために下手に隙を見せれば、昨夜のような襲撃を受けかね
ない。
⋮⋮いっそのこと、相手にしなければよいか。
こまき
かすづか
散々悩んだ挙句、元康は力攻めを諦め、包囲による持久戦に方針
つのひら
を切り替えた。
津平・小牧・糟塚に砦を構築して東条城を包囲、補給路を完全に
277
寸断。さらに好景の仇討ちに燃える本多広孝・松平伊忠︵好景嫡男︶
に軍勢を与えて忠元の居城・室城を攻撃させる。
ついでに幡豆郡南方に残る吉良方の諸城にも兵を向けて、東条城
への救援を行わせないようにする。
時が立てば立つほど東条城は困窮し、戦意も落ちていくことだろ
う。こうなれば、いかに戦上手の忠元でもどうすることも出来ない。
焦って吉良軍が出撃して来れば、この茶臼山城から大軍を出撃さ
せ、奴らを悉く討ち果たせばよいだけである。
背後の桜井が気にならないでもないが、先日安翔城に攻め寄せた
彼らの軍勢を大久保忠員と長坂信政が撃退し、桜井城の戦力はガタ
落ちしているという。
彼らがこの陣の背後をつける可能性はほぼ無い。
仮に動けたとしても、西尾城には千を超える軍勢がいる。それを
突破することは彼らの戦力では不可能だ。
﹁彦右衛門、評定だ。皆を集めてくれ﹂
﹁御意﹂
相変わらずそばにいた元忠に指示を出すと、元康は作戦の最終調
整に移った。
今のところ、策に問題は無いように思える。
包囲のために戦力を分散させなければならないのがネックだが、
3つ砦の位置は比較的近い。何処か一つが攻められても、すぐに救
援を出す事が出来るだろう。
とにかく実効あるのみ。
彼はそう意気込むと、家臣たちがやって来るのを待つのだった。
278
松平軍の包囲網構築、それに伴う味方諸城との連絡途絶。これに
もっとも焦ったのは、吉良義昭であった。
まあ、当たり前のことだろう。もともとメンタルの強くない彼か
らすれば、籠城しているだけでも神経が磨り減らされていく気分を
味わったというのに、城ごとじりじりと追い詰められていけば精神
に異常をきたしてしまうのだろう。
東条城・城主の間。
吉良義昭はここの片隅に蹲り、がたがたと震えていた。当然武者
震いなどではない。恐怖心からくる精神的パニックによる震えであ
る。
もともとは名門らしい立派な黒色をしていた頭髪は灰色に染まり、
顔は青ざめ、血の気も無くなってしまっている。
更にもう何日も食事にも手をつけていないのか、ガリガリに痩せ
細りつつあった。
どうにか自我を保っているが、それがいつ崩壊してもおかしくな
い。
﹁殿。富永伴五郎、お召しにより参上いたしました﹂
そこへ富永忠元が入室してきた。こちらはこちらであまり元気が
ないようである。
もともと挙兵準備の途中で攻め込まれたため、城内に兵糧の蓄え
は殆どない。
それをどうにかして持たせるべく、彼は自分の分の食事を削り兵
たちに回しているのであった。
﹁こ、こここの城ののの、ほほほ包囲をををを、ききき切り崩すに
279
ははは、どどうしたらよよ良いいいい﹂
﹁⋮⋮﹂
氏長が見れば﹁壊れた蓄音機﹂と表現するような、ガタガタと震
えた声をあげて義昭が忠元に問う。
︱︱哀れな。
それを聞いた忠元は内心で自らの主君にこれ以上ない侮蔑と憐れ
みを向けた。
名門としての自信と誇りに満ち溢れていた筈の表情にはもはやそ
の面影もなく、今では恐怖に震えるのみ。
荒川義広と自分が散々忠告したのにも拘らず、無謀で無策な挙兵
を行った挙句かこの様である。侮辱はしても同情など起こる筈もな
かった。
はっきりいって、彼は仕える主君を間違えたとしか言いようがな
い。
だが、どれだけ目の前の主君が情けない人間でも、彼は裏切るわ
けにはいかないのだ。
名門吉良家の筆頭家老・富永家の現当主として、この家の末路ま
で見届けるのが自身の役割だ。
それに妥協は許されない。
﹁⋮⋮﹂
義昭は何かにすがるような瞳で彼を見つめる。
忠元は無言で見つめ返す。
﹁ばばば伴ごご五ろろろ郎うう﹂
﹁⋮⋮﹂
280
しばらく意味の無い見つめあいが続いた後、やがて忠元は返答を
発した。
﹁この城を囲む3つの砦のうち、最も近い小牧砦を狙います。上手
く行けば、包囲を切り崩し、室城との連携を回復することができる
でしょう。どうぞご許可を﹂
﹁よよよし、やれれれ﹂
策の成功率を考えることもなく、義昭は即答した。
その返事を確認した忠元は短く返答を返すと足早に城主の間を立
ち去る。
この愚か者とこれ以上同じ屋根の下に居たくないのかもしれなか
った。
忠元は歩きながら思う。
恐らく、これが俺の最後の出陣になる。
松平党の3つの砦の連携は完璧だ。此方が攻め落とすよりも早く
救援部隊が到着する。
そうなれば、軍は3方向から襲撃を受けて間違いなく壊滅してし
まう。
それに義昭の前ではああいったが、既に室城をはじめとする吉良
方の諸城は殆どが陥落するか降伏している。
今更砦の一つや二つを攻め落としたところで、もうどうにもなら
ないだろう。
ついでにいえば、目標である小牧砦を守るのは庵原之政率いる今
川軍の精兵だ。士気の下がった吉良兵では到底攻め落とせるとは思
えない。
だが、やるしかない。
281
この策以外に包囲を破る手段など思いつかないし、城の兵糧も底
を突きつつある。
敵に降れば話は別だが、あんな状態になっても名門としての無駄
なプライドをもっている愚かな主君は、絶対に降伏などしないだろ
う。
︱︱兵には無駄なことをさせてしまうな⋮⋮。
忠元はそう思いつつ、城内に向かって叫び声をあげる。
﹁きけえぃ。これより富永伴五郎、松平勢に最後の攻撃を仕掛ける
!命の惜しくないものは我に続けえええぃ!﹂
数刻後。
東条城を出陣した忠元率いる数百名の決死隊は庵原之政守る小牧
砦に猛攻を仕掛ける。
初めの方こそその勢いの強さで今川兵を押していた吉良軍であっ
たが、やがて残る二つの砦から援軍が駆けつけるとあっという間に
形勢は逆転。
また一人、また一人と討ち倒されて、遂には彼を含めた数十騎だ
けとなってしまう。
東条への退路は全て塞がれ、辺りには松平の兵が集まりつつある。
もはやこれまでだ。
忠元は自らが追い詰められた川の畔で、生き残った兵の顔を眺め
282
つつ今までの人生を回想した。
彼の脳裏に、走馬灯が溢れる。
室城に生まれ、父親の戦死と共に家督と吉良家の筆頭家老の座を
継いだこと。
五年前の三河の乱に吉良軍を率いて出征したこと。
そして、今川家に対して無謀な叛乱を企む義昭を諌めるも、叶わ
なかったこと。
二五年の短い人生であったが、富永家の使命を果たすことができ
たのだ。悔いはない。
回想を終えた忠元は、自らに付き従ってきてくれた兵に頭を下げ
ると、彼らに松平勢への降伏を進めた。
﹁俺の無謀な出撃につきあわせてしまって済まなかった。お前たち
は松平に降伏するといい。次郎三郎殿は誠実なお方。決して無為に
は扱うまい﹂
﹁いえ、我々も覚悟のうちでしたから。最後までお供いたします﹂
﹁すまん﹂
忠元の目に僅かながらに赤みがかかる。
それを気取られないように、彼はそっと頬当てをつけた。
﹁では、行くとするか﹂
﹁ははっ﹂
最期の会話を終えると、忠元と残りの兵たちは川の流れを背後に、
並み居る松平勢に対して最期の突撃を敢行する。
﹁我こそは吉良家筆頭家老・富永伴五郎忠元なり!我が首を手柄と
283
したいものは、かかって来るがよい﹂
︱︱一五六一︵永禄四︶年五月一二日。富永伴五郎忠元、三河国
幡豆郡鎧ヶ淵にて討死。享年二五。
彼を討ち取ったのは、以前から松平好景の仇討を遂げると息巻い
ていた本多広孝とその手勢だったという。
そして、富永忠元という要を失った吉良義昭は、彼の死後から数
日後に無謀な出撃を行い、東条城下で討死。
ここに、西三河を少しだけ揺るがした﹁吉良家の乱﹂は終息した。
それに伴って、抵抗を続けていた松平家次も桜井城を開城して降伏
する。
吉良家自体は義昭の実兄・義安が継ぐことでどうにか滅亡を免れ
たが、その領地は大幅に削減され、僅かに幡豆郡のごく一部を支配
するだけの弱小勢力になってしまった。
もっとも、支配欲の薄い義安からすれば、そんなことはどうでも
よい事なのかもしれなかったが。
それからしばらく後。
忠元の戦死を惜しむ人たちによって、彼が討死にしたその場所に、
彼を祀る﹁伴五郎塚﹂が築かれる。
284
富永忠元。
彼は死してなおも、彼と戦った人々の心に強敵として残されるの
であった。
285
勇者伴五郎︵後書き︶
ようやく終わった⋮⋮。
次回はようやく日常パートです。
286
空のキセキ︵前書き︶
何故か松平家のお話に。
主人公の出番の筈だったのに⋮⋮。
どうしてこうなった。
287
空のキセキ
吉良家の乱を無事に平定した元康は、開城した桜井松平家の桜井
城を接収しつつ、岡崎に帰還する。
岡崎城への道程には、そんな彼らの勇姿を一目見ようと大勢の領
民や家臣の家族たちが集まり、人垣の山ができ始めていた。
﹁次郎三郎様ばんざーい!﹂
﹁松平家ばんざーい!﹂
打ち鳴らされる歓声と喝采を聞きながら、元康たち松平党は岡崎
城への道をのんびりと行軍していく。
兵たちの中には沿道に集まった民に対して手を振ったり、謎のパ
フォーマンスをしている者もいる。
﹁いやあ、気恥ずかしいですな﹂
﹁全くだな。だが、民が当家を信頼しているという証拠だ。為政者
としてこれほど嬉しい事は無い﹂
﹁左様﹂
鳥居元忠と元康が、状況に戸惑いながらもいつも通りの主従の会
話を行う。
三河の民たちが松平家に寄せる信頼は二人が思っていた以上に厚
い。
松平家の歴代当主たちは領内に善政を敷き、敵対勢力に勝利し続
けた三河の英雄なのだ。その血を濃く受け継ぐ元康やその家臣団の
人気が出ない訳が無かった。
それに、元康は今回の戦で当主の器を存分に示した。領民たちの
288
信頼を勝ち得るのに十分な実績である。
﹁彼らの期待を裏切らぬようにせねば。不当な搾取は絶対に許さん
ぞ﹂
﹁はい。家臣たちにも徹底させましょう﹂
これからの統治方針を明確にしつつ、彼らは岡崎城への凱旋を果
たす。
梅雨を迎えたはずの空はどこまでも蒼く澄み渡り、流れる雲は白
の軌跡を描く。その光景はまるで彼らの帰還を天が祝福しているか
のようであった。
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
岡崎城内に入った元康を迎え入れたのは、なんと今川義元であっ
た。
彼は査察のために領内を度々巡回しており、今回は丁度岡崎にや
って来ていたのだ。吉良家の叛乱の後始末をする、という目的もあ
るのかもしれない。 ちなみに駿河の内政は氏真に一任してある。彼も当主としての経
験を積み、一人前になってきたのだろうか。
289
﹁乱の鎮圧、ご苦労であったの。次郎三郎﹂
﹁勿体無きお言葉でございます﹂
唐突に現れた義元に驚きつつも、元康は返事を返す。対する義元
はうんうんと頷くと、雑談を振り始めた。
この室内には二人以外の人間はいない。
﹁瀬名とは仲良くやっているか?﹂
﹁まぁ、何とか﹂
微妙な顔をしながら元康はそう答えた。彼女との間には長男・竹
千代と長女・亀姫を授かってはいるが、決して仲が良いとは言えな
い。
彼女からは事あるごとに今川家の一門としての自覚が足りぬ云々
と文句を言われ、些細な事でも口論になってしまうのだ。
﹁すまんのぅ。あれも悪気はないと思うのじゃが、どうも余計な誇
りを持っているようだな。まったく、誰に似たのか﹂
あんたじゃないのか、という突っ込みを元康は心の中で行う。
少なくとも今川家一族としての高すぎる自覚は、義元の教育の賜
物だろう。
﹁ははは、余り気にしておりませぬ。むしろ、家臣たちにとっては
拙者に喝を入れる心強い存在なのでしょう﹂
﹁重ね重ねすまぬのぅ⋮⋮。さて本題じゃ﹂
義元はそういうと、緩んでいた表情を引き締めた。今までののび
のびとした私人としての顔では無く、戦国大名・今川家当主として
の顔。桶狭間の大敗に続く様々な激務と諸問題で以前に比べて痩せ
290
てしまってはいるが、それは紛れもなく元康の知る英傑・今川義元
のものである。
﹁松平元康、此度の吉良家平定、誠にご苦労であった。その功績を
称して、そなたが切り取った挙母・西条を正式に与える﹂
﹁ありがたき幸せ。謹んで拝領いたしまする﹂
元康はがばりという音をたててひれ伏した。
東条城は省かれてしまったが、あれはもともと吉良家の本拠地だ。
家督に復帰することになった義安が領するのだろう。まぁ、仕方が
ない。
新たに加えられた土地をどのように治めるか。義元が目の前にい
るのも忘れて、その考察が元康の頭の中をぐるぐるとまわる。
挙母はともかく、西条は吉良家の影響が非常に強い土地だ。此処
を治めるのは中々苦労することだろう。以前忠次が言っていたが、
家中には内政に力を発揮する人材が少なすぎる。現在西条にいる酒
井正親をとりあえず城主に任じて人心の慰撫にあたらせる事にする
か。
﹁⋮⋮悩むのは後でな﹂
﹁し、失礼いたしました﹂
上の空状態の元康に呆れた義元が声をかけ、彼は我に返った。
その後も義元と元康は今後の三河における政略を話し合う。東三
河の情勢、国境侵犯をしてきそうな武田や織田の動き等々。長い談
義の末、西三河の経営が軌道に乗ったところで、東三河の有事の際
には松平家も力を貸すという方針を決める。
それがひと段落すると義元は再び私人の顔に戻り、話し始める。
﹁のぅ、次郎三郎。改姓するつもりはないか?﹂
291
﹁は?改姓ですか?﹂
﹁うむ。そなたの家を悪く言うつもりは全くないが、松平は分家も
全て松平じゃ。分りづらいことこの上ない。この間は竹谷と形原を
間違えそうになった﹂
﹁痛いところを突かないで下され⋮⋮﹂
義元の言う通り、松平家の分家は非常に多い。
三代当主である信光の時代に台頭し始めた松平家は、西三河にお
ける勢力を広げる過程で、血縁者をいたる所に封じて分家を創設。
それによる支配力拡大を図った。
今回の戦で敵に回った桜井松平もその内の一つである。
そして、初めは数家であったそれらの分家は僅か数十年の間に次
々と増殖し、現在では十八を数えるまでに至っている。
これだけでも異常だが、松平家には他には見られない特徴がある。
吉良家から別れた今川家、そこから派生した関口家や瀬名家がそ
うであるように、分家の人間は、本家との区別をつけるために苗字
を変えるのが一般的。だが、松平家にはそれが無い。
本家も松平。分家も松平。
これだけの数の分家があり、それら一つ一つが有力豪族とも言え
る勢力を保持している状態でこの有様ではややこしいことこの上な
い。義元が混乱するのも至極当然である。
おまけに彼らは領地同士が隣りあわせであることも多く、それが
混乱の原因になってしまっているのかも知れなかった。
現に、義元の口から出た竹谷家と形原家の二家は隣接している。
﹁ややこしい分家の方はどうしようもない。せめて本家の方だけで
も変えることは出来ぬかの?﹂
﹁むむむ、先祖代々の名乗りを軽々しく変えるわけには⋮⋮﹂
292
元康は悩む。
今のままでは、義元の言う通り問題が生じることも考えられる。
だが、先祖代々の姓を変えることも彼には出来そうにない。
かといって分家の方を改姓させるわけにもいかないだろう。如何
せん数が多すぎる。
それに、彼らは彼らで松平姓に誇りを持っていると考えられる。
無理に改姓を強行させれば、それこそ将来に禍根を残しかねない。
ぐぐぐという呻きっぽい声が元康の口から洩れる。
それを見た義元は一言。
﹁変える、ではなく戻るならばどうじゃ?﹂
﹁なんですと﹂
義元の提案に、元康は軽く驚いて声を挙げた。
先祖の名乗り、と言うのは一応聞いたことがある。だが、あれは
そう簡単に名乗れるものではない筈だ。そもそも、真実であるかど
うかも疑わしい。
﹁確かにあることはありますが、大殿はどこでそれを?﹂
﹁少し調べただけじゃ﹂
松平家の遠祖と伝わるのは、鎌倉時代初期に活躍した新田義重の
四男・四朗義遠。
その人物の子孫とされる時宗の僧侶が三河松平郷に流れ着き、当
時その地を治めていた松平氏の娘婿となって松平親氏を名乗った⋮
⋮というのが、松平家の出自を伝える口伝である。
もっとも、これは酒宴の席でとうの親氏本人が家臣たちに語った
こととされ、実際のところは不明であるし、代々の当主・家臣たち
にも、これを本気にしたものは一人もいない。
293
現に、今までの松平氏全般は源氏では無く賀茂氏を称し、使用す
る家紋もそこ由来の葵である。
そして元康自身も、これを全く信じてはいなかった。
その証拠に、以前氏長に松平家の出自を聞かれた際も適当にはぐ
らかしている。
﹁ねつ造になってしまいます﹂
﹁はっはっは。律義者らしい悩みじゃの。だがな、この戦乱の世の
中、出自のはっきりとしたものなどほとんどおらぬ。いても一握り
じゃ。そなたが源氏由来の姓を名乗ったとしても、咎める者など誰
もおらぬ。それに、今のそなたは今川家の一門。源氏を称しても問
題はあるまい﹂
﹁⋮⋮家臣たちと相談してみます﹂
﹁うむ。それとな⋮⋮﹂
義元は遠い目をして語る。
どこか哀愁を漂わせるような表情。
それを敏感に察知した元康は、崩れかけていた姿勢をピシリと正
すと義元の方に向き直った。
﹁なんでしょうか﹂
﹁わしに何かあった時は、彦五郎をよろしく頼む﹂
﹁大殿は四十を過ぎたばかり。弱気になられまするな﹂
普段の義元からは考えられないような弱気な発言に、元康は軽く
動揺する。
義元は今年四二歳。まだまだ現役を続けられる年齢だ。
﹁心配をかけさせて済まぬ。だが、桶狭間のような予想外の事が今
後起こらぬとも限らぬからの。どうにも心配性になってしまう。そ
294
れに、あのうつけのことじゃ。わしの監視が無くなれば、和歌に蹴
鞠にと精を出して、領内を顧みなくなるにきまっておる﹂
﹁御心中お察しいたします。ですが、幾ら若様でもそこまでアホで
はありますまい﹂
﹁だとよいがの。だが、そなたや備中︵朝比奈泰朝︶が補佐につい
てくれれば、安心と言うものじゃ﹂
﹁ご期待に添えるかどうかは分りませぬが、この元康、全力を尽く
させていただきます﹂
﹁⋮⋮頼んだぞ﹂
そして、義元は最後にとんでもない爆弾を投下する。
﹁もしも彦五郎が仕えるに値しないのならば⋮⋮。いや、流石にこ
れは止めておこう﹂
﹁⋮⋮それがようございます﹂
元康は義元が言おうとしたことを半ば予想するが、それを考える
のは流石に憚られた。
下手をすれば、駿遠三がひっくり返りかねない爆弾である。
それに彼自身、氏真を裏切ろうなどと思うことは今のところ無い。
彼とは幼いころからの友人であるし、義元にも恩はある。
少なくともその恩をすべて返し終わるまでは、彼は今川家にとっ
ての忠臣であり続けようとしているのだ。
﹁さて、話はこれくらいにして、次郎三郎、領内を案内してはくれ
ぬか?﹂
﹁承知いたしました。我が自慢の三河国内、とくと御検分なされま
せ﹂
295
数日後。
家臣たちと改姓についての議を行った元康は、それを行うことを
決断する。
義元の勧め通り、先祖とされる人物の名乗っていた姓を新たな名
乗りに設定。同時に今まで賀茂氏であった本姓を、其方由来の源氏
に改める。
ただし、改姓の理由は﹁分家と同じでややこしいから﹂という情
けない理由ではなく﹁松平宗家を分家とは別格の扱いとする﹂ため
に変更された。
松平家の遠祖・新田四朗義遠。
そして、その別性﹁徳川︵得川︶﹂
これが、元康の新たな姓。
それと同時に、通称を次郎三郎から蔵人佐へと改める。
︱︱松平次郎三郎元康改め、徳川蔵人佐元康。
史実において徳川幕府を開くことになる徳川氏が歴史に姿を現し
た瞬間であった。
296
空のキセキ︵後書き︶
次回こそは主人公サイドの日常をやります⋮⋮。
というかそろそろ出さないと本当にヤバい⋮⋮。
297
幕間・これからのこと︵前書き︶
幕間だけあって、非常に短いです。
普段の半分もない⋮⋮。
298
幕間・これからのこと
どうにか初陣を終わらせ、上ノ郷城に帰還した俺を待っていたの
は、家族からの暖かい出迎えであった。
﹁三郎、よく無事に帰ってきてくれたな﹂
﹁お帰りなさい、三郎君﹂
﹁只今帰りました﹂
父上と次郎法師さんが館に入った俺を出迎えてくれた。
二人とも出陣前から何も変わっていない。まあ、一か月も経って
いないから当たり前だが。
﹁弟に委細は聞いている。見事に初陣を飾ったようだな﹂
﹁ありがとうございます。ですが、際立った武功を挙げることは出
来ませんでした﹂
﹁なに、気にするな。初陣だからと言って大功を挙げなければいけ
ないと言う訳では無い。生きて帰ってくることも武功の一つだ﹂
父上が上機嫌な表情で言った。
戦上手ではあるが、ガチガチの武断派と言う訳では無い父上は、
面子に対するこだわりはあまり無いのかもしれない。
鵜殿家自体、武断派と言うよりは文治派に近い感じの家風だし。
﹁今日は三郎の初陣成功を祝って宴だな﹂
﹁楽しみです﹂
299
その日の宴会は、相当な規模のものになった。
分家である下ノ郷家当主・仙厳殿や与力である朝比奈輝勝殿、そ
れに政信たち家臣団まで巻き込んで無礼講の酒宴を行い、べろべろ
に酔っ払って夜遅くまでバカ騒ぎ。寝所に潜り込んだのは日付が回
ってからのことであった。
二日酔いに悩まされたのは言うまでもない。
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
﹁頭が痛い⋮⋮﹂
﹁あんな馬鹿騒ぎをするからでしょ。自業自得!﹂
翌日。
二日酔いに悩まされている俺を、優しく膝枕で介抱してくれてい
るのは次郎法師さんである。
柔らかくて気持ちが良いが、その感触を感じ取る余裕は今の俺に
は余りないのである。無念。
ちなみにこの人はお酒を余り飲まない主義らしく、昨日も早めに
切り上げて自室に戻ってしまっている。
⋮⋮一緒に引き上げておけば良かったかもしれない。
﹁うう⋮⋮﹂
300
﹁はいはい、動かない動かない。さっきみたいに吐いちゃうよ∼﹂
前頭部を優しく包み込むように動く、ひんやりとした手の感触が
何度も通り過ぎ、それと同時にぞわりという鳥肌の立つ感覚が体中
を襲う。
ああ、気持ちいい。
まるで飼い主に撫でられる猫や犬の感覚である。
というか、結婚してこの方、俺はこの人にペット扱いされている
気がしてならない。
夜な夜な抱き枕の代わりにされることといい、色々と弄られるこ
とといい。
駄目だ。
思い出したら一人の男として見られたことが殆どない。
﹁ねえ、お姉ちゃん﹂
﹁なあに?﹂
﹁俺のこと、飼い犬か何かだと思ってない?﹂
首を上向きに傾け、俺の顔を覗き込んでいる碧色の瞳を見つめな
がら、この疑問をぶつける。
﹁ふふふ、さあどうかな?﹂
﹁⋮⋮﹂
悪戯っぽい笑みを向けて、彼女はそう言った。
これは確信犯ですね。
まあ、あちらから見れば12歳も年下なわけだし、その扱いも仕
方がないのかもしれないが。
⋮⋮気恥ずかしい。
301
それはともかくとして、これからのことを次郎法師さんの膝の上
で考える。
史実通り、徳川家と吉良家の合戦は起った。
このままいけば、間違いなく一向一揆も発生するだろう。ある程
度ずれはあるだろうが、おそらく今後数年以内に三河国内に散らば
る火種は確実に爆発する。
信じられないほど簡単に武装蜂起を行う連中なのだ。一向宗とい
うのは。
別の宗派が勢力を伸ばすのが気に入らない、大名の介入がムカつ
く、さらなる権益が欲しい、その他諸共。
民百姓を唆して統治者に刃を向けさせる分、そこらのならず者以
上に性質が悪い。しかも、それを率いるのは世俗を捨て去って殺生
厳禁の筈の坊主である。
仏様が泣くぞ⋮⋮。
それに、一向宗が西三河一帯に持つ権益と勢力は、三河に勢力を
広げ、安定した統治を行おうとする徳川家と、その主家である今川
家にとっては目の上のたんこぶだ。
織田信長が天下統一を進める過程で石山本願寺と全面戦争を繰り
広げたように、富国強兵の真っ最中であり、領国内における統治力
を強化しようとしている今川家とは必ず衝突する。
上ノ郷城のある額田郡を含む東三河は一向宗よりも曹洞宗の影響
力が強いため、この辺りまで一揆の余波が及ぶ心配は余りないが、
いざ一揆が起これば、我が家も無関係という訳にはいかないだろう。
倒しても倒しても沸いてくるようなイメージのある一揆兵の相手
302
などしたくないが、こればかりは仕方がない。信長をはじめ、戦国
武将の殆どはこういった寺社勢力との戦闘を経験している。
いつもの通り割り切るしかない。
家康の三大危機と言われ、徳川家臣や分家の一部が敵対した三河
一向一揆であるが、独力でそれらと戦うことになった史実と違って
今川家の援護を得ている以上、そこまでの危機に陥るとは考えられ
ない。 何よりも一向宗が全面的に此方に牙を?けたとなれば、義
元様もそれ相応の対応をとるだろう。余計な心配は逆に彼らに失礼
だ。
さらに、一向一揆が引き起こる前にやっておきたいことがある。
︱︱板倉勝重のスカウト。
それが今、俺が最大の目標にしていることである。
吉良家との戦で思い出したのだが、善明堤の合戦が起こらず、彼
の父親・板倉好重は戦死しなかった。これは確認したので間違いな
い。
この時期には出家しており、この戦で親が戦死したことによって
還俗したと言われる彼だが、その機会が潰された以上、このまま彼
が世に出ることは無いかもしれない。
史実では江戸幕府の町奉行、京都所司代などを歴任し、かの大岡
越前が登場するまで名奉行と言えば彼のことを指す、と言われるほ
どの人物。
坊主のままにしておくのには非常にもったいない。ぜひとも身内
に引き入れたい。
それに彼がいれば、領内の統治が素晴らしく円滑になるかもしれ
ないのだ。三顧の礼を用いてでも登用する価値はある。
303
今何処にいるかは流石に分らないが、岡崎・幸田辺りの寺を手当
たり次第に探せば絶対に見つかるはずだ。最悪、板倉好景のもとを
訪れて聞けばよい。
意地でも見つけ出してやる。
︱︱俄然やる気がでてきた。ぐったりしている場合じゃない!
﹁二日酔いを治してからね﹂
﹁はい⋮⋮﹂ 頭痛がするのも忘れて膝の上から跳ね起きた俺を、次郎法師さん
は優しく宥めた。
304
幕間・これからのこと︵後書き︶
しばらくは内政パートです。
305
僧籍のマドリガル︵前書き︶
有能な人材はヘットハンティングするべし。
306
僧籍のマドリガル
主殿助
とのものすけ
伊忠だ。以後よろしく﹂
これただ
﹁初めまして、主殿助殿。鵜殿三郎氏長です﹂
﹁おう、松平
決意から数日後。
板倉勝重の在住する寺の在り処を、彼の父である好景殿に聞くた
めに深溝を訪れてた俺は、ここの城主・松平主殿助伊忠殿に招かれ
ていた。
以前の合戦で戦死した父親に代わって家督を継いだばかりのこの
人物は、今年で二十五歳。次郎法師さんや富永忠元と同い年である。
父・好景殿と同様に中々の将才として西三河一帯では名が通って
おり、その証拠と言うべきか、先日の吉良家の乱では見事に富永忠
元の居城・室城を攻め落とし、見事仇討をなしとげている。
今後も徳川軍の一翼を担う将として史実同様活躍していくのだろ
う。
﹁今日は良く参られたな。八右衛門︵板倉好重︶が来るまで、のん
びりと話でもしようじゃないか﹂
見るからに好青年そうな雰囲気に、キラキラと輝いて見える表情。
⋮⋮俗にいう﹁イケメン﹂である。爆発してしまえ。
ちなみにこの人の正室は父上の妹、俺にとっては義理の叔父にあ
たる。
﹁深溝を訪れるのは先の戦以来ですが、随分と落ち着いていますね﹂
307
﹁まあな。戦が無ければこんなものだ﹂
数か月ぶりに訪れた深溝城は、戦時中であった以前とは全く異な
り、ゆったりとした空気に包まれている。好景殿の葬儀も無事に終
わり、今は新当主の元、新たな時代を生き残るために色々と準備を
している最中なのかもしれない。自然豊かな辺りの情景も相まって、
体を休ませるのにはちょうど良い雰囲気だ。
未来にそっくりそのまま残っていれば、間違いなく森林浴の名ス
ポットとして脚光を浴びたことだろう。それだけに、二十世紀後半
の大規模開発によって遺構が丸ごと潰されてしまったことは残念で
ならない。
⋮⋮某大手自動車メーカーの罪は重い!
﹁だが、落ち着いていられるのも今だけだろうな。元康様から家督
継承を認められ、新たな知行地を賜ったばかりだ。その御恩に応え
るためにも、身を粉にして本家のために働かなければなるまい﹂
﹁素晴らしい心がけだと思います﹂
三河武士や松平分家に忠臣が多いのは周知のとおりだが、その中
でも深溝家の忠誠は群を抜いている。
忠勝たち四天王や、鳥居元忠殿の影に隠れて目立たないが、この
家の戦功は彼らにも匹敵する。
史実の話だが、先代・好景殿は善明堤の戦いで奮戦して戦死、俺
の目の前にいる伊忠殿は長篠の合戦で武田信実︵信玄の弟︶を討ち
取る軍功を立てるが戦死、そしてその子である家忠︵現在七歳。俺
の従兄弟︶は、関ヶ原直前、鳥居元忠殿と伏見城に籠城して戦死、
とくがわじゅうろくしんしょう
と代々が徳川家のために尽して戦場で果てているのだ。
正直、この中に徳川十六神将に含まれる人物が誰一人としていな
いことが不思議でならない。
やはり途中で退場した人物が多いからだろうか。
308
﹁むむむ﹂
﹁なにがむむむだ﹂
⋮⋮どうやら知らない間に口に出ていたようだ。某馬超のような
突っ込みを受けてしまった。
表の歴史に殆ど残らない彼らのような人物の活躍を後世に伝える
為にも、何らかの形で現在の三河のあり方を伝えなければならない。
目の前で怪訝な表情を向ける伊忠殿を見ながら、そう思ったので
あった。
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
﹁失礼いたします﹂
伊忠殿と弾む話を繰り広げること一時間程度。
俺たちのいる和室に現れたのは、ごつい顔面に似合わぬ優しそう
なつぶらな瞳が特徴的な、中年の侍だった。
その侍は伊忠殿の前に移動して跪くと挨拶を始める。
﹁殿におかれましてはご機嫌麗しゅうございます。板倉八右衛門好
重、お召しにより参上いたしました﹂
309
﹁うむ。ご苦労﹂
平伏から挨拶の最後に至るまで、こういう事には素人である俺が
見ても完璧といえる動作。流石は名奉行・板倉勝重の父親である。
﹁殿からお話は伺っております。三郎殿。我が次男を幕下に迎え入
れたいとか﹂
﹁はい。何か不都合があるのならば、さっぱり諦める心算でありま
すが﹂
既に伊忠殿から話が言っていたらしい。
どうやって切り出そうか悩んでいただけに、幸先の良いスタート
である。
あちらさんがそれを許すかどうかは、まだ分らないが。
﹁拙者としては、是非といった所でございます。本人の意向を無視
して、無理やり僧籍に入れてしまったようなものですので﹂
こうよそうてつ
好景殿が語った事情は、この時代にはありがちな事だった。
板倉勝重⋮⋮出家名・香誉宗哲は、幼少期から名奉行としての才
覚をあらわしていたらしい。そして、兄・板倉忠重はそんな彼の才
能を非常に恐れた。彼は好重殿が知らないのを良い事に悲惨な苛め
を続け、挙句の果てには事故に見せかけた殺害まで企んだという。
十中八九、継嗣の座を奪われることを恐れての行動だろう。
戦国時代らしく、ドロドロした話だ。
家禄が僅かしかない板倉家には、有力豪族のように分家を出す余
裕はない。かといって忠重を廃嫡するのはもってのほかだ。そんな
ことをすれば、長子相続のルールに反するとして、世間から顰蹙を
310
買ってしまう。
結局、好重殿が宗哲を忠重の魔の手から救うには、武士になりた
いと言う本人の希望を無視して僧にするしか道は無かった。宗家に
出仕させると言うことも考えたらしいが、当時の兄貴は遠く駿河に
いたため、断念せざるを得なかったとか。
﹁我が家のことながら、誠に情けない話にございますが。恐らく宗
哲は中島の永安寺で悶々とした日々を送っていることでしょう。ど
うぞ、三郎殿の手で彼の才を役立てていただきたい。我が子ながら、
あのまま埋もれてしまうのは余りにも悲しい話でございますゆえ﹂
本来ならば、俺みたいな他者の前で身内の争いを話すような真似
をすることはまずない。家の恥だからだ。だが、それを忍んで全て
話したということは、好重殿は宗哲の行く末を心から案じていたと
いうことだろう。江戸町奉行として、訴訟の処理に見事な手腕を見
せた彼の源泉が見えた気がした。
﹁なるほど。事情は理解いたしました。そうなると、還俗した宗哲
殿には改姓して貰ったほうが良いでしょうか。後々無駄な諍いを引
き起こしかねませんので﹂
もくえもん
﹁いや、その必要はありますまい。宗哲は分家として正式に独立さ
せます。杢右衛門︵忠重︶には文句を言わせませぬ。拙者の面子に
かけてあ奴の不満は抑え込んで見せます﹂
﹁⋮⋮お心遣いに感謝いたします﹂
その後、二人との歓談を暫く楽しんだ後、俺は好重殿を伴って深
溝城を後にする。香誉宗哲がいるという中島村の永安寺を訪れるた
めである。
初めは俺一人で行こうとしたのだが、好重殿が言うには忠重の妨
害を受けるかもしれない、とのこと。どうやら彼は宗哲が寺から出
311
るのを絶対に認めない心算らしかった。
ついでに見ず知らずの俺が行っても、宗哲をはじめとする寺の人
間は信じないだろう。彼が同行してくれるのは、此方としても非常
にありがたい。
﹁では、参りましょうか﹂
﹁よろしくお願いします﹂
深溝城を後にして、一時永安寺への道を進む。
これから向かう中島村は、先の戦の功によって深溝家の領地に加
えられた所である。元々は板倉弾正という人物が治めていた土地な
のだが、彼は吉良家に加担したことが発覚して追放されてしまった。
ちなみにこの弾正と勝重の板倉家との関係はよく分らない。好重
殿が言うには﹁遠い親戚かもしれない﹂とのこと。
暫くして、中島村の集落が見えてきた。戦国時代の農村らしく小
さな堀のようなものがめぐらされてはいるが、特に大規模と言う訳
では無い。同じ三河だからか、上ノ郷近辺に存在する村落と似たよ
うな雰囲気である。村の奥手に木々に囲まれた建築物が見えるが、
あそこが永安寺なのだろう。
田畑に囲まれた凸凹道を進み、寺の方角に歩を進めていく。どう
やらこの辺りの農民達と好重殿は知り合いらしく、ちょくちょくと
歩みを止めては挨拶を交わしたり、俺を含めて雑談をしたりしてい
る。
江戸時代のような厳しい身分制度を知っている現代人の感覚から
すると意外に感じられるかもしれないが、この時代においては農民
と武士間の距離はそこまで離れていると言う訳では無い。流石に大
名・城主級になると話は別だが、中級以下の武士では半士半農とい
った感じである場合が殆どだ。二一世紀で当て嵌めるのなら、自営
業もやっている議会員といった感じだろうか。ついでに各地にある
312
城も、巨大な軍事施設というものは案外少なく、屋敷や居住スペー
スであるという事が多い。
そんな感じで道を行き、ようやく永安寺に到着した。
装飾が施された寺の正門をくぐり、境内へと入っていく。小高い
木々に囲まれた、田舎によくある寺といった雰囲気である。宗派は
浄土真宗︵一向宗︶。
ただ、安城の本証寺︵一向一揆の拠点・武装している︶などとは
違い、ごくごく普通のお寺みたいだ。
ちなみに﹁龍雲の松﹂で有名な安城の永安寺とは別物である。こ
こは岡崎だ。
﹁これはこれは八右衛門様。今日は如何なされましたかな﹂
﹁久しぶりですな、和尚。宗哲を還俗させることに相成りまして、
迎えに上がりました﹂
﹁それはまた急なお話で﹂
本堂らしき建物の方からやってきた、僧服を着込んだヨボヨボの
お爺さんと好景殿がしゃべっている。どうやら彼がこのお寺の住職
さんらしい。
﹁此方のお方が、宗哲が仕えることになる鵜殿三郎殿です﹂
﹁ほうほう⋮⋮﹂
和尚のしわしわの顔が、俺に向けられる。
何かを値踏みするような視線。
⋮⋮そりゃあ愛弟子を還俗させて武士にする訳だから、仕官先が
気になるのはわかるが、そこまでじろじろと見られは気後れしてし
まう。
313
﹁始めまして、鵜殿三郎氏長です﹂
﹁これはこれは、ご丁寧に。わしが永安寺の住職・大誉ですじゃ﹂
もう相当な年齢なのだろう。声がしわがれていてうまく聞き取れ
ない。
﹁挨拶はこの辺で。和尚、宗哲は何処に?﹂
﹁少し使いに出しております。もうすぐ帰ってくるはずじゃが⋮⋮﹂
﹁待たせていただきます﹂
境内に生え並ぶ松を見て答える。樹齢何年にもなるであろうそれ
らは、相当な見栄えの良さを誇る。御神木と言う訳では無いだろう
が、見るものに感動を与えるようなものである。
陽光と共に松と松の間を通り過ぎた風が境内中に吹き付け、ひん
やりとした空気を流す。
全体的に日陰になっていることも相まって、初夏とは思えない涼
しさである。
﹁和尚、只今帰りました⋮⋮父上?﹂
﹁おお、宗哲。帰ったか﹂
噂の宗哲が帰ってきたようだ。みたところ、若僧といった感じの
少年である。当然俺より年上だが。
事前の連絡なしで現れた好重殿にたいそう驚いているらしく、あ
んぐりと口をあけて呆け立ちしている。
﹁突然だが、お前には還俗してもらう﹂
﹁げ、還俗!?侍になれるのでございますか!?﹂
﹁うむ﹂
314
立ち呆けていた彼に、好重殿が爆弾を投下した。
それを聞いた宗哲は、見ているこっちが恥かしくなるほどに飛び
上がって喜び、いまにも昇天してしまいそうだ。
よほど侍になりたかったのだろうか。
﹁しかし、兄上が⋮⋮﹂
﹁心配無用。お前には分家を立てて、別の家に仕えてもらう。お前
の才を評価してくれる人物が現れてな﹂
﹁!﹂
﹁初めまして、宗哲殿。それがし、鵜殿三郎氏長と申します﹂
本日何度目か分らない“初めまして”
だが、第一印象が大切だ。此処で悪印象を与えてしまえば、いく
ら本人が武士になりたいと言っても、あいつにだけは仕えたくない
と言うことになりかねない。
⋮⋮それだけは死んでもごめんだ。
﹁お、お初にお目にかかります。拙僧は香誉宗哲と申しまして、こ
このお寺で修行中の僧でございます﹂
丁寧な声で、宗哲殿は返答をくれた。第一印象で嫌われると言う
最悪の事態は免れたようで一安心。
﹁突然で申し訳ありませんが、貴殿には我が家臣になって頂きたい。
まつりごと
我が家は人手不足なもので、一人でも多く有能な人材を集めておき
たいのです。聞けば宗哲殿は幼少時より政の才をあらわしていたと
か。今の我が家に必要なのはそういった人材です﹂
﹁拙僧の才を買ってくださるのは感謝してもしきれません。ですが、
本当によろしいのですか?拙僧は﹃厄病才﹄ですぞ⋮⋮﹂
﹁宗哲⋮⋮﹂
315
喜んでいた筈の宗哲に、どす黒い暗雲が立ち込める。
厄病才などという言葉は聞いたことが無い。恐らく、兄・忠重に
幼いころから言われ続けてきてトラウマになっているのだろう。
自らの才能は何の役にも立たないと思い込んでいるのかもしれな
い。
その言葉を聞いた和尚さんも、悲痛な表情をしている。
⋮⋮なんとかしないとな。
﹁三河の戦乱は近いうちに治まります。あに⋮⋮徳川殿の采配なら
ば、これは確実です。戦乱が過ぎ去って、一通りの平和が来たとき、
必ずや貴殿のような才をもった人が必要になります。ですから、ど
うかそれがしに力を貸して頂きたい﹂
誠心誠意、これでもかというほどに頭を下げて仕官を頼む。
それを受けた宗哲殿は戸惑い、和尚さんに相談を持ちかけている。
﹁和尚様⋮⋮﹂
﹁わしには何も言えぬよ。じゃがな、侍になるのはそなたの夢だっ
たのであろう?散々蔑まれてきた才を、高く買ってくれるお人が現
れたのじゃ。これに乗らぬ手は無いと思うがのぅ﹂
何も言えぬとかいいつつ、ちゃっかりアドバイスを出している和
尚さん。しわしわの顔からは表情が読み取れないが、還俗に賛成で
あることは間違いない。
宗哲殿は好重殿にも振ったが、返ってきたのは和尚さんと同じく
﹁お前に任せる﹂という返答だった。
﹁ゆっくりと考えてください。それがしはしばらくこの辺りに滞在
する予定なので﹂
316
﹁はい⋮⋮﹂
うんうんと唸って悩んでいる宗哲殿に、声をかけた。
俺がどれだけ仕官を勧めても、結局最後に決めるのは本人だ。
決意が定まらないうちに武士になっても、きっと碌なことにはな
らない。
ゆっくりと悩んで貰って、自分の進む道を決めてもらいたい。僧
籍に残ると言うのなら、それはそれで歓迎すべきことだ。
この時代、坊主が内政に協力してはいけないというルールは無い。
毛利の外交僧・安国寺恵瓊や、江戸幕府初期における天海や崇伝の
ように、外部のブレーンとして協力を要請することもできる。
仕官を拒否られても、俺自身が嫌われているのではない限り、彼
を引き込む道はある筈だ。
悩み続ける宗哲殿を尻目に、俺と好重殿は境内を後にした。
︱︱宗哲殿が、仕官の勧めを受けるという返答をくれたのは、翌
日のことであった。
317
僧籍のマドリガル︵後書き︶
板倉家の家族関係は作者の創作です。
318
氏長の不完全内政教室︵前書き︶
まともな内政パート。
色々とおかしいところがあると思いますが、ご容赦願います。
319
氏長の不完全内政教室
永禄四︵一五六二︶年、一月。
結婚に初陣、板倉勝重の勧誘と、俺にとって転機となった一年が
終わりを迎え、新たなる年の幕開けである。
普段は温暖な気候である三河西郡︵蒲郡︶も、流石に冬になれば
冷え込む。空は分厚い雪雲に覆われて陽光を遮り、大地には霜が降
り注いで三河湾までの陸地は白色に染め上げてられている。城内の
みかん畑にも霜柱ができてしまっていた。
﹁父上、行ってらっしゃい﹂
﹁おう﹂
俺は今、家族や家臣団と共に、今川家の宿老に任命されて駿府へ
単身赴任に出かける父上の見送りに出ている最中だ。
三浦義就や一宮宗是といった統治経験豊富な家臣団の大半が桶狭
間で果てたせいで、駿府の今川本家は義元様が過労で倒れるほどの
深刻な人手不足に陥っているらしい。その穴を埋める為なのか、こ
の度父上に宿老のお鉢が回ってきたのである。
今更と言う感も否めないが、昨年は吉良家の乱のせいで父上は三
河を離れる訳にはいかなかったため、任命時期がずれ込んだだけか
もしれない。
﹁三郎、改革を行うのは構わんが、長忠や仙厳殿の意見をよく聞く
320
ようにな。小太夫も、こやつを頼むぞ﹂
﹁分りました﹂
﹁お任せ下され﹂
しばらくは上ノ郷に戻って来られないであろう父上にかわって、
この地の政務は俺が見る事になっている。それに伴って、父上が持
っていた上ノ郷における権限が、俺に正式に依託された。ついでに
ないせい
以前提案した改革案の大半を実行に移す許可を得たので、遠慮なく
NAISEIを行う事が出来る。
⋮⋮そう上手くいくとは思えないが、幸いこういう時に反発して
くるであろう権益に固執する人間は鵜殿家中には存在しない。領民
レベルでは分らないが。
﹁三郎﹂
﹁はい﹂
政信ら家臣たちと話していた父上がこちらに向き直り、声をかけ
てきた。
それに短い返事で答え、顔を正面に向けた。
﹁上ノ郷のこと、よろしく頼むぞ。統治にあたって、民の声を聞き
逃してはならぬ。煩わしいと思える事もあるかもしれんが、彼らを
敵に回しては元も子も無くなってしまうからな﹂
﹁存じております。民の声を疎かにしては領主失格ですからね﹂
﹁分ってるのならばよい。それから、定期的に連絡を寄越せよ﹂
自領を離れるにあたって、やはり色々と不安なのだろう。父上は
色々と細かな連絡事項を伝えてくる。
駿府に定期的な連絡を行うこと、対処できない問題が発生した時
は、遠慮せずに今川家や自分に相談を持ち込むこと。有事の際は、
321
徳川家や東三河の小原鎮実との連携を怠らないこと。その他諸々。
﹁では。行ってくる﹂
﹁道中、何があるか分りません。どうか、お気お付けて﹂
﹁ちちうえ、おみやげよろしくおねがいします!﹂
全ての要件を伝え終ると、父上とそれに従って駿府に赴く藤兵衛
ら家臣たちは俺たちに背を向けて、東に歩を進め始めた。弟もそれ
を無邪気に見送っている。
それを見ながら、俺は内心で悩み声をあげる。
吉良家は片付いたとはいえ、三河には一向宗という厄介なものが
残っている。史実では来年に三河一向一揆が起っているだけに、な
んだかんだで戦上手である父上がここを離れてしまうのは激しく不
安である。
だが、どうも宿老に任じられるのは父上の夢だったらしく、引き
留めることは俺にはできなかった。
⋮⋮史実と違い、徳川家という援護もあり、義元様も健在だ。何
とかなるだろう。上ノ郷には朝比奈輝勝殿もいるし。
﹁小太夫、帰ったら早速会議だ。これからの統治の方針を明確にし
ないと﹂
﹁承知いたしました﹂
だんだんと遠くなる父上たちの姿を遠くに見ながら、俺は上ノ郷
領主としての第一歩を踏み出したのだった。
322
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
﹁お金があんまりないなぁ⋮⋮﹂
張り切って動こうとしたは良いものの、案の定壁にぶち当たって
しまった。
政治家の永遠の敵・金欠である。
正確に言えば、鵜殿家の財政は別に悪くはなく、上ノ郷とその周
辺を治めるだけならば余裕があると言えるほどだ。だが、新しい事
を始めるには、少しお金が足りない。
領内整備やその他のためにかかる費用が、俺や家臣たちの予想を
圧倒的に上回っているのだ。いくらあっても足りないと言う訳では
無いが、今のままでは手を出し辛い。
折角、家中一同が張り切って取り組もうとしていた蒲郡港を発展
させるという計画も、このままでは頓挫してしまう。
﹁まさか、ここまで金がかかるとは思わなかったな﹂
﹁ほんとどうしましょう﹂
補佐役になった叔父上も、うんうんと頭を抱えて唸っている。
ちなみに、今まで叔父上が担当していた領内の訴訟云々は、還俗
して板倉八右衛門勝重と名を変えた宗哲に押し付けてある。どうも
彼はこういったことが大好きらしく、仕事を押し付けられるや否や
嬉々とした表情で書類の山を切り崩しにかかっていた。
⋮⋮流石は名奉行。
323
﹁いっそのこと順序を逆にしますか?﹂
﹁ほう﹂
港をある程度整備した後に船舶を呼び込むというのが本来の計画
だったが、この際贅沢は言っていられない。今のままでも一応使用
に耐えうるため、何とかなるだろう。
﹁とりあえず蒲郡にやってくる船舶から入港税はとらない方針で﹂
﹁うむ。人を集めるのだったな﹂
入港時に金をとらないことで、蒲郡港に人と船を呼び込み、ここ
を三河湾における物流拠点及び中継点として発展させる。それが俺
と鵜殿家の方針である。
人や船が集まれば、自然と経済は活性化して、それに伴う税収の
増幅も狙える。
いわば港版楽市楽座といったところか。
三河湾東部に位置し、二一世紀において﹁三河港﹂と呼ばれる、
蒲郡・豊川︵御津︶・吉田︵豊橋︶・田原の四港の内、吉田は今川
家の軍港、田原は国外向けの貿易港としての役割が強い。残る御津
にはこの時期まともな港が無く、良い条件さえ整えてやれば、蒲郡
港は中継地として絶対に発展すると言えるのだ。 港を拡張するのはそれからでよい。
この政策を行うにあたって、家中からは入港税を零にしてしまっ
ては仮に発展しても収入が減るのではないかと言う懸念の声も出た
が、今川家の成功を例に出して沈黙させた。
今川家では今から十五年ほど前に駿河・遠江のほぼすべての港の
使用料を無料にし、その結果として大規模な発展と多大な税収を得
ることに成功している。
この計画もそれを参考に考えたものだ。
324
港が栄えれば、次は陸。
もともと東三河から西三河、ひいては尾張方面に向かうには、鵜
殿家の領地を通って幡豆に抜けるか、蒲郡から見て北にある長沢を
抜けるしか道は無い。長沢の方が軍事拠点化していて、まともな宿
場が殆ど無い現状、蒲郡一帯の街道を整備して城下町をコツコツと
建設、その中に港も含めて、陸海両方の交通の便を良くしていけば、
三河最大規模の町として発展できる可能性を秘めているのだ。この
蒲郡という土地は。都合の良い事に温泉も存在しているため、平和
になれば湯治場としても売り出せるかもしれない。
ああ、夢が広がる。
開発途中に攻められてしまっては全てがパーだが、鵜殿家の領地
はその殆どを松平の分家に囲まれている。この松平ガードのおかげ
で、少なくとも徳川が今川に従っているうちは北と西からは攻めら
れる可能性がほぼゼロなのである。
今まで鵜殿家の拡大を阻害してきた松平分家の連中には、宿場町・
上ノ郷を守る盾として働いてもらおう。
唯一気がかりなのが東だが、こっちを治める岩瀬氏の領土との境
には不相城という前衛が存在しているので、まあ大丈夫だ。
﹁という訳で頼みましたよ。又八郎殿﹂
﹁承知いたしました。当家の命運が掛っていると言っても過言では
ありませんからな。全力で取り組ませていただきます﹂
開発の総責任者には、海沿いに領地を持ち、そのあたりの地理や
事情にも詳しい分家・下ノ郷家の当主・又八郎仙厳殿にお任せした。
史実ではいち早く徳川家についてしまった彼だが、徳川家が独立
325
していない以上、裏切られる心配は全くない。
平伏して部屋を出ていく仙厳殿を見ながら、俺は上ノ郷が発達し
た時のためにとらぬ狸の皮算用を始めるのであった。
﹁領内に伝馬駅とかも作りたいですね﹂
﹁確かにあれば便利だと思うが﹂
てんませい
仙厳殿を見送った少し後、俺は叔父上と領内の整備について話し
合っていた。
その中で真っ先に議題に上がったのが﹁伝馬制﹂である。
︱︱伝馬制。
古代よりみられる情報やものを伝達するための手段であり、この
時代においても国内の情報・流通を統制する手段として重要なもの
である。
これを戦国大名ではじめて領内統治の手段として実用化したのが
今川家であるが、その殆どは数十年に渡って安定が続いた駿河・遠
江国内に集中しており、長く戦乱が続いた三河には作る余裕がなか
ったのか、吉田・岡崎をはじめとする東海道沿いにちらほらとある
だけだ。
この辺りは東海道沿いからはやや外れてしまっているため、そん
な便利なものはない。これから一向一揆や武田家との争いが予想さ
れる三河において、情報網が整備されていないと言うのは非常に不
味い。
それに伝馬制の交通網を上ノ郷に引き込むことができれば、それ
に便乗して経済効果も高まるはずだ。今川家に干渉されやすくなる
326
というデメリットはあるが、逆に有事の際に救援要請を出しやすい
というメリットにもなる。
﹁だが、公用伝馬を勝手に作るわけにもいくまい﹂
﹁父上を通じて大殿に相談してみましょう。ひょっとすると許可が
出るかもしれません﹂
今度の定期報告に伝馬駅︵伝馬の拠点︶設置許可を求める書簡を
同封することを叔父上と確認しつつ、新しい話題に移っていく。
﹁あとは検地・人口調査ですね﹂
検地で領内の石高を、人口調査に基づく戸籍造りで人口を確定す
ることによって、だいたいの国力というものが見えてくる。今川家
や北条家といった家が勢力を拡大したのも、これを行ったからとい
う理由が強い。
統治者としてはやって当然のことである。それに戸籍を作ってお
けば、人口増加に伴って他国の間者が入り込むと言った問題が起こ
った時も対処しやすくなるはずだ。
﹁それならば問題ない。俺が既に人員を準備してある。後はお前の
指示を待つだけだ﹂
﹁おお、手際がようございますなぁ。そうだ、ついでに八右衛門を
連れて行った下され。彼はこういう事に才能があるらしいので﹂
﹁承知した﹂
叔父上の準備の良さに驚きつつも、書類仕事に没頭しているであ
ろう勝重を呼ぶように小間遣いに指示を出す。
流石に終わったなんてことは無いだろうが、終わってからで構わ
ない。土地は逃げないし、そこにいる農民も滅多な事では逃げ出さ
327
ない。
﹁板倉八右衛門、お召しにより参上いたしました﹂
やがて勝重がやってきた。
数か月前までピカピカだった頭には髪の毛が目立ち始め、あどけ
なさが残っている顔も、数か月の武士生活で凄味が出たのか、だん
だんと引き締まりつつある。
﹁来たか、八右衛門。書類仕事が終わり次第、叔父上と共に検地を
行いに行ってくれ﹂
﹁はぁ⋮⋮﹂
何故か怪訝な表情を向ける勝重。
おかしいな、喜ぶと思ったんだが。
﹁嫌か?こういうのが好きだと思っていたんだが﹂
﹁いえ、書類仕事ならとっくに片づけたので⋮⋮﹂
﹁ほぁ!?﹂
思わず情けない声が出てしまった。あの山をもう片づけたのか?
流石は天下の名奉行⋮⋮いやいや、あり得ないだろう。普通なら
三日はかかる量だぞ!?
﹁嘘つくなよ。俺や三郎なら数日はかかるぞ﹂
﹁嘘じゃないですよ!筑前様に聞いてみて下さい﹂
﹁確認するまでもない﹂
叔父上も勝重の言葉を信じていないのか、当たり前の疑問をぶつ
けている。
328
それに対して勝重も、監督役だった朝比奈輝勝殿に確認するよう
に凄い勢いで食い下がっている。
﹁二人とも落ち着いてください。八右衛門がこういっている以上、
確認するのが筋と言うものです﹂
﹁むむむ、だが嘘だったら⋮⋮﹂
﹁その時は男らしく、どんな処罰でも受ける所存です﹂
﹁いったな。覚悟しておけよ!﹂
そんな会話を交えながら、勝重と輝勝殿が書類仕事をしていた部
屋に移動する。
冬の三河湾を望める、絶景の部屋である。
﹁おお、皆様方。どうかなされましたかな?﹂
三河湾を眺めつつみかんを頬張っていた輝勝殿がこちらに気づき、
声をかけてきた。
それに対して、真っ先に答えたのは叔父上。
﹁筑前殿。勝重が書類の山を片づけたというのは誠ですか?﹂
﹁誠ですぞ。半日もしないうちに大半の書類を片づけておりました
な。この童は。いやいや、わしの出番なぞ全くありませんでしたな﹂
それを聞いて、ほれ見た事かと胸を張る勝重としょんぼりとする
叔父上。
⋮⋮恐ろしきは勝重の能力である。
﹁八右衛門、疑って済まなかった⋮⋮﹂
﹁いえ、此方こそとんだ御無礼を致しました﹂
329
そんな叔父上の情けない謝罪の言葉と、勝重の逆謝罪を聞きなが
ら、俺は良い拾い物をした、と内心でガッツポーズを行ったのであ
った。
330
氏長の不完全内政教室︵後書き︶
松平分家のせいで開発が進まないかも⋮⋮。
331
行列のできない法律解説書︵前書き︶
また短めです。幕間ポイかも。
332
行列のできない法律解説書
﹁うーん、難しい﹂
﹁何読んでるの?﹂
とある日の夜。
上ノ郷城内自室にて、月光と蝋燭を頼りにとある本を読みふけっ
ていた俺に、寝巻姿の次郎法師さんが声をかけてきた。
彼女は興味津々といった感じで此方を覗き込んでいる。
﹁今川仮名目録?﹂
﹁うん。今川家の分国法﹂
﹁それは知ってるけど。どうしたの、突然?﹂
﹁色々と思うことがあってね⋮⋮﹂
俺が読んでいたのは今川仮名目録と呼ばれる、今川家の分国法で
ある。
分国法と言うのは、戦国大名が領内統治のために独自に制定した
法律のことで、朝廷や幕府が定める諸法度とは似て異なるものだ。
有名なものだと、この今川仮名目録をはじめ、武田氏の甲州諸法
度、伊達氏の塵芥集あたりだろうか。
大名ごとに差異はあるが、その殆どが家中の統制、相続、軍役な
どを定めている。
先々代・氏親公が死の間際に定めた三十三ヶ条と、義元様が十年
程前に追加した二十一ヶ条からなる﹃今川仮名目録﹄には、今川領
内における武士の訴訟基準や刑事罰則規定などが事細かに記されて
333
いる。
今回俺がこれを読みふけっていたのは、この法令を参考にして鵜
殿領内における領民向けの法律もどきを作ろうとしている為だ。
領民同士の争いが起きたりしたときに、こういう基準になるもの
があると作業が便利であるし、なによりも予め裁定を定めて公表し
ておくことで、訴訟の円滑化と公正化が進み、領民の不満が堪り難
くなるのではないか⋮⋮というのが、この政策を考え出した勝重の
言い分である。
実際には領内の不文律を明文化する程度に治まるだろうが、それ
でも一々確認する手間が省けるという利点はある。
正直、一家臣の身で勝手に法律もどきを作って大丈夫なのかとも
思うが、父上経由で義元様に相談したところ、是非とも作るように
と指示を受けた。
俺が今読んでいるのも、義元様が参考にするようにと送ってきて
くれた写本である。
どうも義元様は、鵜殿家での法律施行が上手く行った場合、今川
家の直轄領内にも似たようなものを導入する腹積もりらしい。
仮名目録の存在はどうしたんだ、とも思うかもしれないが、あれ
はその大多数が今川家臣である武士︵一部寺社︶用の法律である。
﹁えーっと第十五条、用水の設置に関して。⋮⋮用水は他人の知行
地を通るので、その知行地の持ち主には使用料を払いなさい﹂
﹁随分と細かいんだねぇ﹂
頭の中でどうでもいいことを考えながら、写本を読み進めていく。
流石今川家の法律と言うべきか、ずいぶんと細かいことまで定め
られている。
家臣同士の訴訟規定から始まり、逃げ出した家臣の扱い、果ては
334
漂着物の扱いまで。
仮に問題になった場合、騒ぎが大きくなるであろう事柄に対して
はしっかりと基準が示されているのだ。
ここまで細かいところまで制定されているのは、作られた背景が
関係しているのだろう。
﹃今川仮名目録﹄が制定されたのは氏親公の死の直前のこと。彼の
死後、未だに若年であった次代・氏輝公が安定して家中を治められ
るようにと、この法律は制定されたのだと思われる。
多分、義元様の母君である妖怪ババア︵若様談︶こと、寿桂尼様
の意向も反映されているのだろう。
﹁第十六条⋮⋮って、なんじゃこりゃ﹂
﹁なになに?﹂
更に読み進めていくと、わけのわからない記述を見つけた。
︱︱第十六条、他人の知行地︵領地︶を勝手に売り払ってはなら
ない。
これである。
﹁他人の知行地って⋮⋮﹂
﹁なんでこんな一文が﹂
全くもって理解に苦しむ条文だが、ここに載せられているという
ことは、以前に問題になったことがあるということだ。
まあ、戦乱の世の中だし、当主の戦死などで後継者の絶えた領地
を近隣の国人が勝手に売り捌く、というようなこともあるのかもし
れない。いくらなんでも酷すぎる話だが。
335
実はこれ以外にも、面白い条文があったりする。
・古文書を持ち出して、他人の領地の所有権を主張するのは見苦
しいからやめろ
・借金の期限は六年。それを過ぎても返さない場合、実力行使も
止む無し
・流木の所有権
・評定や催し物の際の席順は特に決めない。早い者勝ち、または
くじ引き。ただし、一部の重臣に関しては特例を認める
・幕府なんて知るか。連中からの命令は断固無視
等々。
この中で応用できそうなものもあるため、単なるネタには留まら
ない事がこの法律の凄いところである。
﹁紙とってください﹂
﹁はい﹂
﹁えーっと、領内の農村の立場は皆平等。名主の出自や村落の伝統
は関係ない、田畑を売り払うのは原則禁止⋮⋮﹂
次郎法師さんに差し出された紙きれに、思いついたことをメモし
ていく。
ここで思いついたものをどれだけ実用化できるかは分らないが、
何もしないよりましだ。
﹁精が出るねぇ﹂
﹁うん⋮⋮。よし、終わったーっ﹂
﹁じゃあ寝よっか﹂
メモを終えた直後、蝋燭の明かりが消えた。
336
どうやら次郎法師さんが吹き消してしまったらしい。月明かりに
照らされる室内の中に、僅かながら白い煙が流れているのが確認で
きる。
﹁いきなり消さないでよ⋮⋮びっくりした﹂
﹁ふふふ、ごめんなさい﹂
まーた怪しい笑みを浮かべて此方を眺めるこの人。
⋮⋮絶対なにか企んでるな。
﹁そーれ、ぎゅーっと﹂
﹁苦しい苦しい。離して﹂
こちらの警戒を意にも介さず、軽い助走をつけて抱きついてきた
次郎法師さんに、フェイスロックをかけられたような体勢で布団に
押し倒されてしまう。
柔らかい布団の上でじたばたと腕ふり足振り。必死で抵抗するが、
がっちりとホールドされて抜け出せそうにない。
﹁動かな∼い﹂
此方の抵抗をものともせず、ホールドはどんどんときつくなって
行く。
それに伴って女性特有の甘い臭いが鼻腔をくすぐり、何か柔らか
いものが俺の首筋にあたる。
自分の体温が急上昇していくのが感じられるが、そんなことはこ
の際どうでも良い。
このままでは、今日も抱き枕兼ペットルート一直線だ!
何とかしなければ、人としての威厳が無くなってしまう!
337
﹁お願いしますから離してください。色々と恥ずかしすぎます﹂
﹁⋮⋮こうでもしないと、すぐに働き始めるでしょ?最近あんまり
寝てないみたいだし、少しは休まないと体壊しちゃうよ﹂
﹁⋮⋮﹂
勝重が来てくれたお蔭で書類仕事が減ったとは言え、当主代行と
ないせい
しての仕事はそれ以上に多い。
改革にNAISEIにと張り切りすぎたせいか睡眠時間も減って
しまい、毎朝頭痛や吐き気でフラフラなのである。
周りに心配をかけないために何もない振りをしていたつもりなの
だが、お姉ちゃんの目は誤魔化せなかったらしい。
﹁だから、少し休んでください。時間ならたっぷりあるんだから﹂
﹁はい⋮⋮﹂
少々深刻な顔をしてしまっている。
⋮⋮心配かけてしまったかな。
﹁心配かけてしまってごめん﹂
﹁ふふ、分ればよろしい。今日はこのまま寝なさい。わたしももう
寝るから﹂
そういって、ホールドを解いて俺の横に潜り込み、ニコニコと笑
顔を向ける次郎法師さん。
⋮⋮今夜も抱き枕にされるは確定のようであった。
338
339
行列のできない法律解説書︵後書き︶
内政の続きをやる筈だったのに、どうしてこうなった⋮⋮。
340
海の檻歌︵前書き︶
あんまりぱっとしないNAISEI。
正直粗が目立ちます。
341
海の檻歌
﹁春になったとはいえ、この時期の海岸はまだまだ冷え込みますね﹂
﹁まったく﹂
港振興のために新たな特産品開発を企む俺と勝重は、小規模の塩
田がある宝飯郡塩津村を訪れるべく、海岸に沿って移動中であった。
季節は冬を越えて春に巡り、桜の花がそろそろ開くか開かないか
という時期。
冬の大しけを乗り越えた三河湾の水面は穏やかに揺れ、静かなさ
ざ波の音と鴎の鳴き声と思わしきものが耳に入ってくる。それと同
時に潮風が海岸線を吹き抜け、浜の波うち際に立つ俺たちの鼻にも、
潮の香りを嗅がせていた。
﹁しかし、雄大な光景ですね。三河湾をここまで間近で見たのは初
めてですが、成程。鵜殿家の方々が自慢なさるのも理解できます﹂
﹁ありがとう﹂
俺たちの目の前に広がる三河湾は、普段上ノ郷城から見下ろすそ
れよりもはるかに雄大に見える。
内海だけあって﹁どこまでも碧が広がる﹂と言うほどではないが、
エメラルドグリーンっぽい色が延々と続いていく南国のような光景
は、見事としか言いようがない。
二十一世紀において、生活廃水等によって汚染されているのと同
じ海とは思えない美しさである。
今日は天候にも恵まれ、渥美や知多の半島だけでなく、遠く伊勢
の鈴鹿山脈も視界に確認することができる。
342
﹁夏ではないのが残念でございますなぁ⋮⋮﹂
そんな光景を眺め続けて、勝重が感想を漏らす。
お寺暮らしが長かった彼は、今まで海と言うものを間近で見たこ
とは無かったらしい。想像以上の感動っぷりである。
一面の青を目に納めれば、そんな感想が漏れるのも当たり前だが。
かくいう俺も、三河湾をここまで間近で見るのは久しぶりだ。
幼い時に一度、今は亡きおじい様に連れられてきて以来かもしれ
ない。
駿府暮らしが長く、此方に戻ってきて以降も海に近づく用事が特
になかったため、蒲郡に暮らしていながらあまり海の事は知らない
のだ。というか、以前訪れた時には落ちるのが怖くておじい様の裾
にしがみついてばかりで景色を楽しむ余裕がなかったため、今回が
初めてと言えるかもしれない。
そんな海を見ながら、現在の鵜殿領の開発状況について思いを巡
らす。
港の開発と法令の制定は今のところ順調に進んでいる。
入港税を無料にしたことで蒲郡港を訪れる船舶の数は昨年の今頃
に比べて増加傾向にあるし、それに伴って蒲郡港の知名度も上がり
つつある。あと数年もすれば規模の拡大が期待できるはずだ。
つい先日発布した例の法律もどきも、特に反発を受けることなく
まほうのことば
領民に受け入れられた。流石に此方に関しては資料不足などでまだ
まだ裁定が定まらないものも多いが、そこは﹁調整中﹂で誤魔化し
てある。⋮⋮いつかは決める心算だが。
検地の方は余り進んではいないが、小豪族レベルの鵜殿家では太
閤検地のような規格の定まった立派なものができるわけないし、時
343
間もかかるのも承知の上だ。のんびりと進めていけばいい。
ちなみに、やっぱり存在していた隠し田は、食用だけに使うと言
う条件で存在を黙認することにした。こちらでとれた米の余剰分を
各村落に貯蓄させて、災害時の備えとする⋮⋮、というのが俺の方
針である。
流石に大規模ならば問題だが、せいぜい家庭菜園のような規模で
しか無いことは確認が取れている。そんなところに税をかけるのも
気が引けるので、年貢用の田んぼの耕作を怠らない限り、特に目く
じらを立てる必要はないだろう。⋮⋮約定違反をやらかした場合は
容赦しないが。
というか、領主が存在を知っている隠し田は、はたしてそれと呼
べるのか甚だ疑問である。
﹁さてと、感慨に浸るのもこのくらいにして。塩津の名主のところ
に行こう﹂
﹁はい﹂
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
﹁これはこれは。ようこそいらっしゃいました。塩浜以外に何もな
いところですが、どうぞごゆっくり﹂
﹁出迎え感謝する﹂
344
俺たちを迎え入れたのは、海沿いの農民らしく土と潮の臭いのが
たけのや
する、五十を越えたばかりと思わしき年齢の名主であった。
塩津村。
二十一世紀で言う所の愛知県蒲郡市竹谷町。蒲郡競艇場がある辺
りである。
﹁竹谷﹂という地名からも分かるが、この村の目と鼻の先には松平
分家の一つである﹁竹谷松平家﹂の本拠地である竹谷城が存在して
いる。
いぬ
本来ならばこの塩津村も竹谷家の領地なのだろうが、何故かこの
辺りは鵜殿家の領内である。嘗ての合戦で分捕ったらしかった。
かいみなと
ちなみに竹谷家の領内には、蒲郡港発展のライバルとなりえた犬
飼湊というものがあるが、度重なる戦乱によって今は衰退してしま
っている。
﹁お殿様、本日はどのようなご用件で?﹂
﹁率直に言う。塩田を本格的に開発したい﹂
いりはましき
俺が企んでいるのは、江戸時代初期に開発された入浜式と呼ばれ
る製法を先取りした塩の大量生産である。
これは潮の満ち引きを利用して塩田内に海水を引き入れるという
あげはましき
方法で、この時代において一般的である海水を人力で引き上げなけ
ればならない﹁揚浜式﹂よりも、効率良く塩を製造することができ
る。
﹁⋮⋮詳しく聞かせていただいても?﹂
いまいち釈然としない顔で俺に質問を振った名主に﹁入浜式塩田﹂
の解説を行う。
345
名前だけ聞くとややこしいものに思えるが、ようは塩田全体を堤
防で囲み、大きなプールのようなものにして、そこに海水を流し込
むだけである。
基本的な塩の製造方法は﹁揚浜式塩田﹂と全く同じなため、この
貯蓄プールと潮位差さえ何とかすれば、特に問題なく実行出来る筈
であった。
隣国︵特に織田家︶にパクられるのが怖いが、うちのバックには
今川家がいるし、軍事技術でもないので特に問題はない⋮⋮筈。
﹁お話は理解できましたが、果たして上手く行くでしょうか⋮⋮﹂
﹁まあ、失敗しても大丈夫だよ。あくまでも試行錯誤の段階だから﹂
勿論、最初っから上手く行くなんて俺も思っていない。
こういうものは初めは絶対に失敗すると決まっているし、上手く
行かなかったら行かなかったで、揚浜式の規模を拡大すれば良いだ
けだ。
何時の時代も塩の需要は腐るほどある。製造する量を増やせば、
コストも増えるがその分儲けも上がっていく。
幸い父上や今川家を介して駿府商人と言う心強い流通経路は確保
してあるため、作ったものが地元で腐ると言うことは考えられない。
﹁費用は全部鵜殿家が負担するから、心配しないでもよし﹂
﹁おお、それはありがたや﹂
港の改築費用は足りなかったが、小規模の堤防を作るだけの余裕
はある。
これから先、港の収入も増えていくだろうし、この程度ならばそ
こまで心配する必要はない。
346
この﹁入浜式塩田﹂でとれた塩は、高品質な塩として江戸時代で
は非常に重宝されたと言う。
いっけんまえ
量産化に成功した暁には、蒲郡の特産品として大いに役立ってく
れるはずである。
そうなれば、江戸時代における大手塩業者﹁一軒前﹂のように、
ボロ儲けできるようになる可能性だってある。
ああ、楽しみだ。
﹁とりあえず、様子見のためにちょくちょくこの村を訪問するつも
りなので﹂
﹁左様ですか。何もないところですが、その時は歓迎させていただ
きます﹂
﹁よろしく﹂
そういって、名主は深々と頭を下げた。
内心ではどう思われているのか不明だが、少なくとも堤防造りに
手を抜かれると言うことはないだろう。
俺も監督に来るつもりだし、そのあたりの心配はしなくても良い
かもしれない。
﹁八右衛門、早速上ノ郷に戻って人員を手配するぞ。委細は任せる﹂
﹁承知いたしました。私にお任せあれ﹂
こうして始まった俺の塩田改造計画は、潮位差不足や堤防の決壊
といった数々のアクシデントに悩まされつつも、何度かの失敗を経
て数か月後には如何にか一通りの成功を収めるに至る。
特産品として売り出すにはまだまだ完成度が足りないが、それは
これからじっくりと高めて行けば良い事だ。
347
名主や村の人たちも、入浜式を導入した方がはるかに楽であると
理解したらしく、規模の拡大には積極的になってくれている。
この塩田整備にあたって、最も大きな力となってくれたのはやは
り勝重であった。
専門外であることもあって塩田の構築には直接手を出してこなか
ったが、人員・資材の確保、資金の捻出など絶対に目立たないよう
な裏方で見事な手腕を発揮。家中からは救世主と呼ばれるようにな
る。
そして、今では塩田以外にも、港湾整備や街道整備といった鵜殿
家改革の中核をなす業務の殆どに彼が関わっており、最早彼なしで
政務を行うことなど考えられない程だ。
本来ならば彼のような有能な新参者は叩かれるはずなのだが、本
人の性格の良さも相まってか、そのような事態にはなっていない。
つくづく素晴らしい人材である。寺からひっぱり出してきて本当
に正解だった。
⋮⋮今度父上にお願いして、勝重の給料を上げてもらおう。
流石に今の安俸禄でこき使っていることがばれたら、鵜殿家はブ
︻働いたら死ぬ︼
ラック企業と言うレッテルを貼られかねない。
︻安俸禄︼ブラック鵜殿家part2
唯でさえ人手が足りないと言うのに、こんな噂を立てられたら、
鵜殿家存亡の危機になってしまう。
勝重の昇給の話を真っ先に入れることを脳内に深く刻み込み、俺
は駿府への定期報告書を書きはじめる用意をするのであった。
348
349
海の檻歌︵後書き︶
次回は軍事関連⋮⋮かな?
350
軍事的ななにか︵前書き︶
軍事関連といっても大したことはしていません⋮⋮。
351
軍事的ななにか
﹁以前御注文成なされたもの、確かにお届けいたしましたぞ﹂
﹁ご苦労様。城下に休息所を設けておきましたので、少しお休みに
なってから戻られるように﹂
﹁お心遣いに感謝いたします﹂
上ノ郷城内にぞろぞろとやってきた人足の代表が俺に頭を下げる。
彼を含めた人足の群れが運んできたものは、それなりの量の武器。
俺が以前、三河宝飯郡の鍛冶・真木氏に製作を依頼したとある兵
器。それがつい先日完成し、上ノ郷に届けられたのである。
﹁ほほう、長槍ですかな﹂
﹁はい﹂
それらを運び込んだ先の城内の武器庫で、輝勝殿が驚いたような
声を挙げた。
彼の目の前にずらりと並んでいるのは長槍。これだけならば特に
驚くこともないが、彼が驚いているのはその長さだ。通常の長槍は
二間︵三m六〇cm︶ほどであるのに対して、これらの槍は三間半
︵六m︶ほどもあり、普通の槍よりも長い。
さんけんはんやり
何を隠そう、これこそが俺が鵜殿家で新たに採用しようとしてい
る新兵器・三間半槍である。
武器のリーチが長ければ長いほど敵兵と正面から激突した時に当
352
然有利であるし、これらを持った部隊を密集させ陣形を組ませて運
用することで、疑似的なスペイン方陣のようなものを作る事が出来
るかもしれない。
本来ならばもう少し長くしたかったのだが、余り長くしすぎても
柄が曲がってしまったり、乱戦になった際に手際よく対応できなく
なってしまう。三間半という長さは、そういったことが起こらない
絶妙な数字なのである。
⋮⋮この長さにしたのは、信長が作り出した長槍がだいたいこの
位であることを覚えていた為、というのもあるのだが。ようは彼の
パクリである。
﹁ちょっと拝借⋮⋮。むむむ、少し重いですな﹂
﹁雑兵用の槍ですから。我ら将には不向きかと﹂
長槍を持ち上げた輝勝殿は、予想外の重さに少々戸惑っている。
やはり、これを兵が上手く扱えるようになるにはしっかりとした
訓練が必要だろう。
幾ら構えて突撃するだけとは言え、まともに持てなかったのでは
お話にならない。
﹁やはりこれは例の連中に?﹂
﹁一応、そう考えていますが。何かご意見がおありですか?﹂
﹁いやいや、意見と言うほどでもないが。いっそのこと全軍に配備
してみては如何かな?﹂
﹁うーん。あくまでも実験段階ですので。それは実戦での活躍を見
てから、ですね﹂
まき
大量に注文するだけの資金と余力が無かったことはあえて黙って
おく。
宝飯郡の真木氏といえば、百年以上前から鍛冶家業に従事してい
353
る、三河では名の通った鍛冶集団なのだ。当然、お値段の方もかな
り高めに設定されている。貧乏な鵜殿家では、一度にドドンと注文
できる訳が無い。今回注文した量が限界ギリギリである。
何故領内の鍛冶屋を使わないのかって?
初めは領内の鍛冶屋に注文しようと考えたのだが、鵜殿領内には
殆ど鍛冶屋がおらず、その腕も高々しれている。そんな状態では、
多少値が張るとはいえ、有名な鍛冶集団に頼んだ方が良いに決まっ
ている。
やまがさ
それに、今回彼らと繋がりを持つことができたお蔭で、色々と不
透明だった奥三河の現状が見えてきた。
んぽうしゅう
すがぬまどうきさいさだなお
人足達にそれとなく聞いたところでは、奥三河に勢力を持つ山家
たみねすがぬま
ながしの
三方衆の一家・田峯菅沼氏の筆頭家老、菅沼道喜斎定直が、真木氏
おくだいら
設楽郡内の奥平・田峯菅沼・長篠
したら
に武具の製造を半ば強引に依頼してきたとか。
⋮⋮絶対に何か企んでいる。
すがぬま
山家三方衆というのは三河国
菅沼の各家のことで、それぞれが同郡内に多大な影響力を持ち、独
立心が非常に強いのが特徴だ。今川家が充電モードに入っている今、
怪しい動きをしない訳が無い。
この時代にしては珍しく、強い団結力を持つ彼らのことだ。その
うちの一家でも謀反を起こせば、残る二家も必ず同調する。そして、
彼ら全てが敵対すれば、彼らの影響下にある奥三河の豪族たちも雪
崩を打って今川家から離れていくだろう。
そうなれば混乱は必至である。
⋮⋮真木氏の主君である牧野氏からも報告が行っているとは思う
354
が、ここは父上に報告しておいた方が良いかもしれない。
勿論、俺の推測が杞憂でただ単に軍備を強化しているだけとも取
れるが、数年前に田峯菅沼氏が謀反を起こして義元様に叩き潰され、
史実においても連中は今川、徳川、武田、また徳川と転属を繰り返
しているだけに不安がぬぐえない。
︵一波乱あるかもしれないなぁ⋮⋮︶
荷物を全て降ろし終わり、上ノ郷城内から退散していく人足軍団
を見ながら、俺はそう呟いたのだった。
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
上ノ郷城内・練兵場。
夏の太陽が燦々と輝き頭上を照らす。その感覚は、まるでこの場
の全てを焼き尽くすかのようである。
深緑に染まった山々からはみんみんというセミの大合唱が、暑さ
を堪える人間の耳に絶えず響き渡り凄まじい不快感を与える。
最早、暑いとかいうレベルではない。
大地から込み上げる熱気も相まって、この練兵場は炎に焼かれる
窯のような有様だ。
355
そんな過酷な環境の中で、軽装の鎧を纏った十代後半の若者たち
が、爽やかな汗を散らしながら訓練を行っていた。
彼らこそが、我が鵜殿家の新戦力。農家や武家の次男坊三男坊そ
の他をかき集めて編成した、いわば常備軍もどきである。全部で百
人程度の小さな隊だが、その士気は非常に高い。
実家ではただ働きさせられてきたのが、此方では立派な戦力とし
て扱われ、安いが給料も出る。士気と忠誠心が上がらない訳がなか
った。
﹁よーし、長槍構え。突撃ッ!﹂
﹁おーっ﹂
上ノ郷城に納入された、百本前後の三間半槍。その全てが彼らの
手に渡っている。
本来ならば輝勝殿のいう通り全軍に配備したかったのだが、新し
いものを突然取り入れようとしても上手く行かない。
前述の通りお金が無かったことも相まって、叔父上との相談の上
とりあえずはこの部隊で様子見ということに相成ったのであった。
再び彼らに目を向ける。
﹁やあ﹂
﹁とう﹂
三間半という彼らの手には大きめの槍を一生懸命に振りかぶり、
ひたすら﹁上に持ち上げて振り下ろす﹂いう行為を繰り返す。はた
から見れば暑さを振り払うべくひたすらに打ち込んでいるかのよう
だが、これも列記とした訓練の一環。このほかにも、陣形の構築、
刀剣術、弓術、その他諸々と、スケジュールのハードさなら勝重以
上かもしれない。
356
結成からさほど時間は経っていないが、我武者羅に鍛錬を繰り返
し、着実に実力をつけて行っている。頼もしい限りである。
﹁おお、これは三郎様。暑苦しいところに良くいらっしゃいました﹂
﹁訓練は順調みたいだね﹂
﹁はっ。まだまだでございますが、この調子で鍛錬を続ければ年内
には使い物になるかと﹂
﹁それは楽しみ﹂
俺に声をかけてきたのは、この部隊の隊長を任せている鵜殿新平
という武士。年齢は三十を軽く越えていて、この中では最年長。丸
太を軽々と抱えてしまうほどの力の持ち主であり、鵜殿家への忠誠
心も高い。隊長を任せるのにこれ以上の人材はいないと言うのが、
抜擢した叔父上の言い分である。俺個人としても信頼できると思う
ので問題はない。
彼の苗字からは鵜殿家の親戚であることがはっきりと分るが、詳
しいつながりは不明だ。恐らく、遠い先祖の時代に別たれた分家の
後裔なのだろう。
﹁例の陣形の方は?﹂
﹁一応訓練を行ってはおりますが、まだ完成には程遠いかと﹂
俺の質問に対して、新平は微妙な声をあげた。
例の陣形。
長槍兵を密集させた槍衾を作って敵の攻撃に対する備えとし、そ
の両翌に配置した弓兵でちまちまと攻撃を加える、いわばスペイン
方陣・テルシオの極小版である。大規模で小回りがきき辛いあちら
と違って、こっちは少人数であるために簡単に陣形の切り替えがで
きる。その分影響力も限りなく薄いのだが、この構想自体は色々と
応用ができるし、長槍の防御力は周知のとおりだ。
357
輝勝殿にも意見を貰っている。
日本用に改良を重ねていけば、きっと役に立つ日が来るだろう。
﹁本当は弓だけじゃなくて鉄砲も欲しかったんだけどなぁ⋮⋮﹂
﹁数が少ないですからな﹂
鉄砲伝来から今年で二十年。
既に大名家では標準装備となっているそれであるが、三河の一豪
族に過ぎない鵜殿家にはそれほどの数は無い。真木氏にしても、鉄
砲の製造は殆ど行っていない。
蒲郡港が発展し、国外の鉄砲が手に入れやすくなるまで、少し辛
抱が必要なようだ。
此方で鉄砲鍛冶を招聘し、俺の持つ未来知識を使って魔改造を施
こち
しても良いのだが、お隣には鉄砲戦術の天才・信長がいるし、下手
ら
な技術革新を行ってその技術が彼の手に渡ることがあっては、今川
家の命取りになりかねない。
ほんと、彼が味方ならこれほど心強いことは無かったと言うのに
⋮⋮。
今川家と織田家が同盟を結ぶ可能性は余程の事がない限りありえ
ない為、これに関してはさっぱりと諦めるしかない。
そもそも鍛冶屋を招聘して発展させるほどの余裕は今の鵜殿家に
は無いしね⋮⋮。
﹁と言う訳で、これからも訓練を怠らないように﹂
﹁ははっ﹂
平伏して訓練に戻る新平を見ながら、俺もまた練兵場を後にする
のであった。
358
﹁三郎殿。本日は良くいらっしゃった﹂
﹁お久しぶりです。大叔父上﹂
その数日後。
へいぞうながなり
うどの
俺は不相鵜殿氏の居城・不相城を訪れていた。現在の城主は鵜殿
平蔵長成。おじい様の弟で、俺にとっては大叔父にあたる。
今、俺と喋っている壮年の人物がそれである。
﹁今のところ、軍備に問題はないと思います﹂
﹁ふぉふぉふぉ。日ごろから備えておりますからな﹂
今回訪れたのは、東三河の有事の時の為、あらかじめ此処と連携
を強化しておく必要があったからだ。
鵜殿領東端に位置するこの城は、仮に東三河一帯が戦場になった
場合、鵜殿領、ひいては蒲郡港を守る盾として存分に働いてもらわ
なければならない。
当主代理である俺がここの状況を知っておかなければ、的確な指
示を出す事が出来ないし、城側も実情を知らない人間のいう事なん
て絶対に聞かないだろう。
﹁⋮⋮もしもの場合、この城には西郡︵蒲郡︶の民を守る壁となっ
て頂かなければなりませぬ﹂
﹁承知しておりますぞ。儂が築いたこの不相城、命に代えてでも守
り抜いて﹂
大叔父上の言葉を聞きながら、不相城の立地に目を向ける。
竹島を望むことのできる丘陵に築かれたこの城は、海に突き出る
半島のような形でその殆どを海に囲まれており、規模はそれほど大
359
きくはないが、防御力は相当に高いものだと思われる。
彼の自信満々な発言にはどことなく不安を覚えるが、頼もしいこ
とには代わりがない。
大叔父上に絶対に守り抜いてくだされと強くお願いすると、話は
東三河の情勢へと移って行った。
﹁今のところ、大塚︵蒲郡市大塚︶の岩瀬氏には不穏な動きは無い
ようですね﹂
﹁ふぁふぁふぁ。かの家の盟主・牧野家は今川家に対して忠誠を誓
っているも同然じゃからな。此方に牙を向けることはまずあり得ん
よ﹂
いわせかわちのかみいえひさ
鵜殿領の東隣、大塚を治める大塚城主・岩瀬河内守家久は、牛久
保を治める大豪族・牧野氏の重臣、牛久保六騎の一・岩瀬雅楽助の
しんじろうなりさだ
主家にあたり、自らも半ば従属していると言える牧野氏の現当主・
新次郎成定が今川家に対して臣従を続けている以上、どう間違って
もこちらに攻め寄せてくることは無いと言えた。
もっとも戦国の世である以上、牧野氏の臣従もどこまで続くか分
ったものではないが。
﹁東よりも、問題は奥三河じゃな﹂
﹁存じております。なんでも田峯の菅沼家が不穏な動きをいている
とか﹂
﹁ほう、御存じじゃったか。だが、それだけでは無いぞ。儂が放っ
た間者からの知らせではな、作手城にありえない量の武器弾薬が運
び込まれたという噂もあるらしい﹂
俺もついこの間知ったことだが、大叔父上は鵜殿家の諜報を担当
しているらしい。
360
その範囲は三河一帯に限定されていて精度もあまり高くは無いが、
特別な諜報部隊のいない鵜殿家にとっては貴重な情報元だ。
﹁それじゃあ、連中は⋮⋮﹂
﹁あくまでも噂じゃからな。断言は出来ぬが、何らかの企みを持っ
ておることは間違いないであろうな。三郎殿、藤太郎に知らせてお
いてくだされよ﹂
﹁はい。俺も田峯の件を報告するつもりでしたので、まとめて報告
しておきます﹂
﹁頼んだ﹂
その後、有事の際に有効な狼煙台の設置や、最近鵜殿領内にも取
り入れられた公用伝馬を利用した伝令などの細かい取り決めを行う。
ここが戦場にならなくても、吉田城代・小原鎮実の要請に応じて、
すぐにでも援軍を送れるようにしておかなければならない。
ちくはくのこう
有事に素早く対応することができれば、鵜殿家の評価は今以上に
上昇する。勢力拡大、竹帛之功を目指す俺としては、予め準備して
おくことに越したことは無いのである。
その日は遅くまで調整を行い、上ノ郷城に帰還したのは翌日の夕
暮れだった。
次郎法師さんに怒鳴られたのは言うまでもありません。
361
軍事的ななにか︵後書き︶
そろそろ日常も終わり⋮⋮。
362
記憶の在り処︵前書き︶
あの人が久々に登場。
363
記憶の在り処
﹁踊れ∼踊れ∼﹂
塩津塩田の視察から帰ってきた俺の耳に、そんな台詞が飛び込ん
できた。
ひょろっとした感じがする、割と甲高い声。
何処かで聞いたことがある︱︱というか、駿府にいた頃によく聞
いていた声である。
⋮⋮何故あの人が上ノ郷にやって来ているのだろうか。全く持っ
て謎だ。
義元様のスパルタ教育から逃げてきたのだろうか、それとも何か
政治的・軍事的な意図があっての事なのだろうか。
﹁考える人﹂のような体勢をとり、ひたすら悩み続けるが一向に答
えは出ない。
⋮⋮駄目だ。考えすぎで眩暈がしてきた。
まあ、奇特な言動で辺りを混乱させるのが得意なお人だ。深く考
えても無駄なのかもしれない。
﹁⋮⋮早く行きませぬと、色々と不味いのではありませぬか?﹂
﹁そうだね⋮⋮﹂
政信の声によって悩みの深淵から意識を戻した俺は、その声の本
丸の方に向かってドタバタと駆け出したのであった。
364
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
﹁踊れ踊りゃ∼、おじゃおじゃ∼﹂
﹁いい加減に止めにしましょう。三郎殿に見られたらまた突っ込ま
れますよ⋮⋮﹂
﹁もう手遅れです⋮⋮﹂
みうらびんごのかみまさとし
館に辿りついた俺を待っていたのは、思った通り若様であった。
側近である三浦備後守正俊殿が止めるのも聞かず、今川家の﹁二
引両﹂の家紋がデデンと描かれた扇子を持って踊り狂っている。
その姿を見るのは昨年の結婚式以来一年半ぶりだが、以前まで見
られた無駄な贅肉は削ぎ落ち、顔つきが多少なりとも立派になった
ように感じられる。
噂に聞いたところによると、義元様の厳しい教育によって着々と
次期当主として経験を積んでいっているとか。顔が引き締まって見
えるのもそのせいかもしれない。
⋮⋮行動は相変わらずだが。
﹁おお三郎。久しぶりでおじゃるな﹂
﹁お久しぶりです⋮⋮﹂
俺に気づいた若様が、踊りを止めて声をかけてきた。
こうしてまともに会話をするのは二年ぶり位である。
昨年の結婚式の時は殆ど喋れなかったし⋮⋮。
365
いやー懐かしい。
﹁どうじゃ、そなたも踊らんか?﹂
﹁遠慮しておきます⋮⋮﹂
﹁なんじゃ、相変わらず遠慮がちでおじゃるのぅ﹂
俺の返事を聞くや否や、再び踊りだす若様。それを見る正俊殿は
両生類のような奇妙な顔をしている。
⋮⋮顔芸?
﹁うんたん、うんたん﹂
わけのわからない拍子を発して踊る若様と、絶賛顔芸中の正俊殿
を交互に見ながら、物思いに耽る。
若様の踊りは見事だ。
こんな意味不明な即席踊りでも、動き一つ一つが繊細さが出てい
て非常に美しい。
文化とは程遠い俺のような素人が一目見ても、上手いと言えるレ
ベルなのだ。流石この時代随一の文化人・今川氏真。
しかし、踊りで出迎えられるとは思わなかったなぁ。
てっきり庭で蹴鞠をやっているものだと思っていたのだが。
﹁備後殿、最近の若様は⋮⋮﹂
﹁御覧の通りです⋮⋮﹂
そんな感想を胸にしまい、俺の隣で茫然としている正俊殿に声を
もりやく
かける。
彼は傅役として義元様より幼少期の若様に付けられた人物であり、
366
彼が元服した現在では側近筆頭という立場にある。
ようは若様の﹁じい﹂である。
若様の権限が上昇するに伴って、家中における彼の重要度も増し
てきており、最近では直接政務にも関わるようになって中々の有能
さを見せているらしい。
三浦家自体が今川家中でも重臣といえる家柄であることも相まっ
て、若様が正式に当主に就任した暁には、朝比奈家を差し置いて筆
頭家老になるのではないかという噂もあるほどだ。
﹁でも昔からでしたよね。最近は良い評判しか聞きませんし、若様
もご成長なされたと言えるのでは?﹂
﹁あの奔放さをどうにかしていただかない事には、なんとも申せま
せんな⋮⋮﹂
﹁甲陽軍鑑﹂などでは、彼が今川家を滅ぼす元凶を作った奸臣であ
るかのような書き方をされているが、実際に会ってみてそのイメー
ジはすべて吹き飛んだ。
若様の奔放な行動に対して苦言を呈し、正しい方向へ導こうとす
るその姿は﹁苦労人のじい﹂そのものだ。
織田信長に対する平手政秀のような存在だろうか。
その能力、行動力、忠誠心、どれをとっても若様に必要不可欠な
人であることには間違いない。
﹁ところで、本日はなぜ上ノ郷に?﹂
﹁突然お邪魔して申し訳ありませぬ。若様がどうしても行きたいと
仰せられましてな⋮⋮﹂
上ノ郷に現れた理由を聞いてみると、どうも若様の気まぐれらし
かった。
367
案外俺の顔を見に来たとか、領内検分にきた、ということかもし
れない。
あるいは、最近不安定になっている東三河の情勢を直々に視察に
きたのか。
とにかく、具体的な意図は若様に直接聞かなければわかるまい。
俺は未だに体を動かしている若様に向かって質問をぶつけた。
﹁若様、本日は上ノ郷にどのようなご用件でいらっしゃいましたか
?﹂
﹁よいよい∼っと、三河の視察でおじゃるよ。色々きな臭くなって
きておるでおじゃろう?﹂
此方の質問に対して、若様は踊りを止めて丁寧に答えてくれた。
今川本家の方でも当然奥三河の不穏な状況を掴んでいたらしく、
義元様の命令で若様直々に視察に来ることになったとか。上ノ郷に
立ち寄ったのはそのついで。どちらかというと息抜きらしい。
﹁三郎の顔を見に来たと言うのもあるがのぅ﹂
﹁お気遣いいただき、ありがたき幸せでございます﹂ 若様も義元
様同様、結構細かいことに気を配るお人だったりする。
家臣が病気になれば直々に見舞いに訪れ、士卒領民にも分け隔て
なく接する。
このお蔭か、若様に対する領民や家臣団からの人望は非常に厚い
のだ。
史実において、正室・早川殿が一生に渡って付き従い、朝比奈泰
朝とそれに従う将兵が最後まで守り抜こうとしたのも納得がいく。
﹁さて、三郎。領内の発展具合はどうでおじゃるか?聞けば色々真
新しい事をしておるとか?﹂
﹁は、はい。じわじわと成長している、といえます。当然上手く行
368
かない事も多いですが⋮⋮﹂
突然振られた政略の話に驚き、どもってしまうが、どうにか答え
を返す。
今川家を潰したことで低評価されがちだが、この今川氏真という
人物は、信長に先だって楽市楽座を行う政治的先見性を持っている
のだ。
ついでに和歌連歌蹴鞠その他文化に精通し、塚原卜伝直伝の剣術
の腕を持っていることも考えると、戦国大名としてはともかく、政
治家、そして一個人としてはこれ以上ないほどにインチキスペック
の持ち主である。
﹁税を取らずに、港に船を集めて経済の活性化と発展を図る⋮⋮。
これは陸にも応用できそうでおじゃるな﹂
﹁おお、いい考えでございますな。座の連中が煩そうですが、そこ
は如何にでもなるでしょう﹂
どうも若様は自力で楽市楽座に気づいたようだ。いずれ提案しよ
うと思っていただけに、功績を持っていかれてしまった感じがする。
少し残念である。
﹁どうじゃな、三郎。麿が援助する故、上ノ郷でやってみぬか。も
ちろん長門守にも話を通しておく﹂
﹁お言葉に甘えさせていただきます﹂
例の法律もどきといい、最近上ノ郷が実験場になりつつあると思
えるこの頃。
だが、今川家公認のもとで楽市その他を行えるのは非常にありが
たい。鵜殿家だけでは資金的・規模的に限界があるし、大規模な貿
易などは今川家の援助が無ければ到底行えないだろう。
369
援助を受けるという返事を返した俺は、その後若様や鵜殿家臣も
交えて今後の方針を話し合った。
これで、仮に犬飼湊が息を吹き返しても蒲郡があちらに負けると
いうことはほぼなくなった。
思わぬ収穫にほくほく笑顔である。
﹁しかし、懐かしいでおじゃるな。こうやって三郎とのんびりと話
をするのはいつ以来か﹂
﹁二年ぶりですな。大殿の尾張出征直前、次郎三郎︱︱今は蔵人佐
殿でしたか︱︱や上野介殿、助五郎様とお茶会をして以来、ですね﹂
若様がどこか寂しそうな表情をして語った。
現在、若様は趣味である蹴鞠をやる時間もないほどの多忙な日々
を送っていると言う。
ゆったりとしていた昔を懐かしんでいるのかもしれない。
先ほどまで笑顔で踊り狂っていた人と同じ人物であるとは思えな
いほど、シリアスな表情だ。
﹁本当に懐かしいのぅ⋮⋮。この三人に加えて、次郎右衛門も一緒
になって騒いでいたでおじゃるな﹂
﹁ははは。懐かしくて涙が出そうです﹂
﹁はい、旦那様。お茶とお菓子を置いておきますね﹂
﹁ありがとう﹂
﹁済まないでおじゃるな、次郎法師殿﹂
次郎法師さんがもってきたお菓子をほうばりながら、若様と雑談
を繰り広げる。
370
ほうじょ
未だに数年しか経っていない筈だが、俺と同じく人質として駿府
ううじのり
にやって来ていた吉良義安︵上野介︶殿や北条助五郎様︵後の北条
氏規︶や若様たちと馬鹿騒ぎして、その度に正俊殿に怒られていた
ことが、もう何十年も昔の事に感じられる。桶狭間に始まるこの二
年で色々とありすぎた。
﹁憶えていますか?助五郎様が﹁甲虫だーっ﹂と言って、御器被り
を捕まえてきたのを﹂
﹁ああ、そんなこともあったでおじゃるな。いやあ、あれには爆笑
したでおじゃるよ﹂
若様がその時のことを思い出したのか、表情を崩して笑い始めて
いる。
それをみた正俊殿も、いつの間にか笑顔になっていた。
﹁また皆を集めてお茶会、というのも良いかもしれませんね﹂
﹁おお、賛成でおじゃる。助五郎と次郎右衛門以外とは中々会えず
にさびしい思いをしておった所じゃ﹂
先に上げた人々の内、徳川元康は岡崎に帰還、吉良義安殿は吉良
の家督を継いで現在は東条城に、俺も上ノ郷に入ってからは一度し
か駿府に行っていないため、若様が会えるのは必然的に岡部正綱殿
と北条氏規様だけ、ということになってしまう。
⋮⋮寂しかっただろうなぁ。
現代人の感覚からすれば、仲の良い親友に何年もあっていないよ
うな感覚だろう。
﹁⋮⋮それがしも混ぜて貰ってもよろしいですかな?皆様方だけに
すると、何をやらかすか分ったものではありませんので﹂
﹁⋮⋮昔みたいなことは出来ないと思いますけど﹂
371
﹁まあ、良いでおじゃるよ。備後が居らねば、意味がないでおじゃ
るからな﹂
こんな感じで止まらなくなった雑談は、その日の夜分、若様が眠
気でダウンするまで続いたのであった。
︱︱少年時代の思い出よ。いつまでも永遠に
372
記憶の在り処︵後書き︶
そろそろ子供を⋮⋮
373
とある隣国の蠢動︵前書き︶
今まで触れなかった諸国の動きです。
374
とある隣国の蠢動
﹁ふーん、武田がねぇ。もぐもぐ⋮⋮﹂
蜜柑を頬張りながら、手元にある書類に目を通す。
これに記されているのは、他国の動きや情勢などの大まかな情報。
上ノ郷を訪れた商人たちの話や、早馬に紛れて聞こえてくる風聞
をまとめたものだ。
あくまでも噂レベルであるため信憑性にはクエスチョンマークが
つくが、火のないとこには煙は立たぬともいう。詳細はどうであれ、
ここに書かれているような事が実際に起こったということに違いは
ないだろう。
今後のことを大雑把に考察するには、十分に役に立つ代物だ。
⋮⋮え?こんなものいつ纏めたかって?
勝重がぱぱっと纏めてくれました。
見やすい上にわかり易い、重要と思える項がはっきりと示してあ
る等々、資料としてはかなりの出来だ。
成り行きで命じたこととは言え、ここまで完璧にこなしてくれる
とは思わなかった。
鵜殿家が本格的な諜報組織を造った暁には、彼をそこのトップに
任じるのも良いかもしれない。
⋮⋮内政と兼任というのは中々酷かもしれないが。
375
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
さて、話を武田の動きに戻そう。
つい二月ほど前︱︱今が一五六三︵永禄五︶年十月だから、八月
とおやまやまとのかみかげとお
いわむらじょう
のことか︱︱、南信濃に駐屯する武田氏の軍勢が、東美濃の有力国
人・遠山大和守景任の居城である岩村城に攻撃を加えたらしい。
が、結果は惨敗。
天険に位置する岩村城がそう簡単に落城する訳もなく、地の利と
城の防御効果を生かした岩村城兵にボコボコにされた挙句、大した
戦果も挙げられないまま信濃に帰って行ったとか。
この攻撃が信玄の意を受けてのことか、それとも南信濃を差配す
る家臣の独断かは情報が少なすぎて判断できないが、武田家中に東
美濃を攻略しようとする意志があることは間違いない。
そうなると、史実よりも圧倒的に早く織田家と衝突する可能性も
出てくる。
上洛を目指す信玄は、北と南をそれぞれ上杉謙信&今川義元とい
う自らと互角の英傑に抑えられている以上、美濃を抜けるしか道は
無いし、それが︵地形等を考慮しなければ︶最短距離でもある。つ
いでに鉱山資源が豊富とはいえ、基本的に貧乏な連中の目には、肥
沃な美濃国はさぞかし魅力的に映る事だろうし、美濃を抑えれば、
一国で五十七万石という化け物じみた国力を持ち、熱田・津島とい
う東海道最大規模の交易都市を有する尾張を攻略する事も可能にな
376
るのだ。狙わない理由がない。
だが、信長がそれを黙って見過ごす訳が無い。
なにせ、彼の目標は美濃全土の攻略。
現在は斉藤氏の力が強い西美濃よりも、独立性が比較的高い東美
濃を攻略しようとしている最中なのだ。彼としてはそこを武田に持
っていかれるのは我慢ならないだろうし、美濃の一部でも奴らの手
に落ちれば、本国・尾張が危機に晒されることになる。
もりさんざえもんよしなり
彼にとっては、武田の美濃進出など絶対に認めるわけにはいかな
いのだ。
きのしたとうきちろう
配下の木下藤吉郎や森三左衛門可成を派遣して熱心に東濃諸豪族
の取り込みを行っているというのも、武田に先んじて彼らを支配下
に納めようと躍起になっているからだろう。
現にその効果は表れており、今回武田が攻撃を加えた遠山景任に
は信長の叔母・おつやの方が輿入れしているし、遠山総領家である
岩村遠山氏が信長傘下に入ったことで、遠山七家と呼ばれる分家集
団も、すべてが織田氏に従属の姿勢を示しているらしい。
⋮⋮信長が斉藤氏の重要拠点・関城を既に落としたことも関係し
ているのだろうか。
いやいや、待て待て。
遠山氏が信長に従属しているってことは、既に両者は交戦状態に
突入しているともいえてしまうじゃないか!
史実では信長が東美濃攻略に手を出すのは一五六五年ごろ、織田・
武田両家の衝突は信長包囲網の出来上がった後の一五七二年ごろだ
ったことを考えると、やはり早すぎる気がするが⋮⋮。
377
︱︱これも桶狭間で義元様が生き残った影響だろうか。
信長が東美濃攻略に史実より早く手を出しているのは、桶狭間直
後の停戦条約が名目上は今も生きていることと、義元様という強豪
が存命しているせいで三河に手が出せず︵史実において信長は桶狭
間直後、三河松平党と小競り合いを起こしている︶美濃攻略に集中
する過程で、東濃の独立性の高さに早く気づいたせいと取れるし、
武田が美濃に手を出したのも、信長の切り崩しが早く進んだせいで
斉藤氏の弱体化があらわになったから、と取る事が出来る。
経緯はどうあれ、両者の勢力圏が重なり、今後の情勢次第では大
合戦に及ぶ可能性もあることには変わりはない。
そうなってくると重要なのは今川家の出方。
織田・武田両家にとって、お互いの背後にでーんと構える大国今
川家はある種の鬼門だ。
今のところはうちと同盟を結んでいる武田家有利といった所だが、
現状の今川家には、他家の争いに構っている余裕がないのは周知の
通り。
働きすぎが祟ったのか、義元様の体調が思わしくないらしいし、
敗戦の痛手からも立ち直ったとは言い難い。
仮に武田家から援軍要請が来ても、ほぼ確実にスルーすることに
なるだろう。
そうなると武田の反応が怖いなぁ。今川恐るるに足りずとかいっ
て、そのまま信濃から三河、あるいは甲斐から駿河に攻撃を加えな
いとも限らない。
義元様自らが指揮をとるであろう駿河の方はともかく、三河のほ
うは防ぎきれるかどうか怪しい。
もしそうなった場合、迎撃の任に当たるのは吉田城の小原鎮実だ
が、あの人は智将とは言え、少々人格に問題があるというかなんと
378
いうか⋮⋮。
未来の戦術をいろいろ知っている俺が出張るにしても、武田の騎
馬隊にそれが通じるかどうかは甚だ疑問な訳で⋮⋮。
一般的な武将相手ならともかく、高坂とか山県相手なら生き残る
のすら危なくなるレベルだろうし。
もちろん鉄砲をはじめとする重火器が大量にあれば話は別だが、
生憎そんなものは無い。
かといって、宿敵ともいえる織田家と結ぶのは論外だろうし⋮⋮。
みずののぶもと
いや、戦国の世だから決してないとは言えないか。
尾張・三河国境を領する水野信元が何やら積極的に動き回ってい
るようだし、案外織田家の方からアプローチを掛けてくることがあ
るかもしれない。
三国同盟の手前、連中の味方をすることは無いにしても、中立を
保つと言うのはありうるのか⋮⋮?
駄目だ。考えても分からん。
︱︱全ては義元様、もしくは若様の腹次第といった所か。
うーむ、だれか良い献策をしてくれる人がいると良いのだが⋮⋮。
折角若様が﹁今川家の直臣ならば、家柄にかかわらず献策を受け
付ける﹂という法令を出したのだ。
一つぐらい良い案が入ってそうではあるが、もしもに備えて、俺
も色々と考えておくか。
何もしなくて後悔するのは絶対にごめんだからな。
しかし、まさか武田が美濃の方に手を出すとは思わなかったなぁ。
てっきり三河を狙ってくるとばかり思っていたのだが⋮⋮。
流石の武田信玄も四方八方を敵に回して無事でいられるとは思わ
379
ないから、これでひとまず安心⋮⋮?
いや、奥三河の動きは明らかに怪しいし、油断は禁物か。
今後も連中の動きには、細心の注意を払った方が良さそうである。
﹁やっぱり、まともな情報収集組織がいるよなぁ⋮⋮﹂
﹁情報は重要、だっけ?はい、蜜柑﹂
﹁ありがとう﹂
いつの間にかそばにやって来ていた次郎法師さんが差し出した蜜
柑を受け取りながら考える。
大叔父上の諜報網だけでは今後厳しくなって来るだろう。情報収
すっぱ
集精度もそこまで高いと言う訳では無いし、何よりもあの程度の防
諜能力では、武田の透波︵忍者のこと︶から上ノ郷の機密を守りき
れるとは思えない。一応、歩き巫女︵武田家の利用する、偽巫女さ
ん。奴らの情報収集の手段︶対策に、領内に入り込んだ怪しい神職
には監視をつけることにしているが、何処まで効果がある事やら⋮
⋮。
﹁やっぱり、本格的な忍者集団を雇うべきなのかなぁ﹂
﹁そんな余裕ないんだよね?﹂
﹁うん⋮⋮﹂
一人二人ならともかく、他国の情報まで集める集団を組織するに
は、当然かなりの費用がかかる。
そんなものを用意するだけの財力は今の鵜殿家には無い。
まあ、小原鎮実殿も忍者を使って防諜に力を入れているらしいし、
そこまで焦らなくても大丈夫だろう。
それに、他国の情報は噂レベルで十分だ。
この纏め報告書にも、畿内を牛耳る三好家が衰退気味であること
380
まつながだんじょうひさひで
や、その家臣である松永弾正久秀が勢力を伸ばしている、といった
ことが書かれている。
この辺に手を入れるのはまだまだ先のことになりそうであった。
︱︱蒲郡よ、早く発展してくれ⋮⋮。
そんな思いを胸にしながら、その日は暮れて行った。
︱︱翌年の正月。
氏長や元康、そして義元でさえも読み切れなかった衝撃の事態が
三河を襲う。
ひと時の休息を終え、鵜殿さんちの氏長君は再び戦乱と混沌へと
巻き込まれていくことになる。
次回、三河動乱編開始。
381
とある隣国の蠢動︵後書き︶
今回で日常編は終わり。
382
言毒︵前書き︶
混乱の始まり。
383
言毒
かもごう
長かった一五六三年も終わりに近づき、寒さが厳しくなってきた
と感じられる十一月半ば。
やなぐん
牛久保六騎が一、三河山本氏の治めるここ八名郡賀茂郷も越冬の
準備で大忙しである。
自然の移り変わりとは早いもので、紅葉で賑っていた山々の木々
は吹き荒れる寒風によって丸裸になり、つい先ごろまではちょくち
ょくと姿を見せていた野の動物たちも、冬籠りを始めたのか、最近
ではてっきり姿を見せなくなっている。また、それと同時に湿田の
水も所々凍りつき、朝夜になれば激しい寒さが襲うことを、その身
をもって証明していた。
そんな何とも言えない寂しさと過酷さを伴う光景は、否が応でも
冬の訪れを実感させる。
そして、大自然はもとより、人間の方も大忙しだ。
既に豊穣の秋は終わりを告げて、これからやって来るのは厳寒の
冬。まともな準備をしていなければ、あっという間に凍え死んでし
まうだろう。手抜きは許されない。
そんな脅迫概念に駆られたのか。
老若男女、武士も農民も関係なく寒々とした風景の中を走り回っ
て薪を集め、村じゅうの倉庫には越冬のための食糧その他が次々と
積み重ねられていく。
身分や立場など関係なく、新たな年を迎えるため一種の連帯感を
もって働く彼らの機械的な動き。
384
それを寂しいと評するか、美しいと評するかは各人の直感次第で
あろう。
そんな慌ただしい空気の中、緑が無くなった田んぼ道を歩く者が
いた。
袈裟に鈴懸、錫杖、頭巾。そして、全身を覆う真っ黒な外套。
一見すると修験者のような恰好をしたその人物は、村人が訝しん
で眺めるのも意に介さず、ざくりざくりという不安定な足音を立て
て、郷の中央部へ進んで行く。
時折吹きつける強風によって外套が靡き、時折見える口元には﹁
ひげ﹂が見えるあたり、男性なのだろう。
やがて、郷中で一番大きな屋敷の前に辿りついた彼は、門衛の面
前に立つとこう告げた。
やまもとかんぞうのぶとも
﹁私はここのご領主一門に連なるもので、名を山本勘蔵信共と申す
者。此処の御領主様にお目通り願いたい﹂
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
やまもとみつゆき
その﹁珍客﹂の来訪を聞いた山本家当主・山本光幸は、越冬の準
備で多忙な時期に何事かとため息を吐きつつも、その人物が待つと
385
言う屋敷の一室に移動を開始した。
﹁山本勘蔵﹂なる人物は聞いたことが無い。
通称のよく似た人間なら弟にいるが、三十年近く前に家を飛び出
して他国に渡って行き、その後は全くの音信不通だ。さる大名家に
仕えて重用されていると言う話も聞く。彼が戻ってきたと言うこと
はまず無いだろう。
だとすると、此処の一族を祖に持つ浪人が旧縁を辿り、今川家に
対する仕官の口利きを頼みに来たか、或いは落ち延びて来たのかも
しれない。
後者ならばともかく、前者だった場合は少々扱いに困るが、とり
あえず会ってみなければ始まらない。
光幸はそんなことを考えながら、彼が待機している部屋に入って
いき、どかりと腰を下ろしてその場で平伏している人物に声をかけ
た。
﹁そなたが山本勘蔵なる者か。面をあげい﹂
平伏していた人間の頭が、ゆっくりと上げられた。
そして、その人物の顔をみて光幸は驚愕する。
・ ・ ・
﹁お初にお目にかかります。叔父上﹂
﹁⋮⋮!﹂
やまもとかんすけ
彼の目の前に現れたのは、自らの弟、山本勘介の若いころに瓜二
つな顔。
若かりし頃の彼のように片目が不自由と言う訳では無いが、目つ
き鼻つきその他諸々勘介本人がやってきたと言われても信じられる
程に似通っているのである。
光幸は混乱する頭をどうにか押さえつけ、目の前の勘介二号とも
386
取れる人間に動揺した声で話しかけた。
﹁儂を叔父、と呼ぶ⋮⋮。そなた、勘介の子か﹂
﹁はい﹂
やおびくに
彼の予想は当たったようである。
八百比丘尼でもない限り年を取らないなどとと言うことは絶対に
ありえないため、当然なのだが。
勘蔵の仕草一つ一つにも若き日の勘介の姿を重ねた光幸は、ふと
勘介の現状を確認するべく疑問を投げかけた。
ほぼ縁の切れかけた二人ではあるが、離れていても肉親。やはり、
所在が気になるのだろう。
﹁勘介は息災か?もう数十年も会っておらぬが﹂
﹁父は少し前、上杉との戦で⋮⋮﹂
﹁⋮⋮左様か﹂
半ば予想していたとは言え、帰ってきた言葉は光幸にとっても衝
撃的なものであった。
川中島の合戦で討ち死にしてしま
かわなかじま
勘介と過ごした幼い日の記憶が頭を流れ、思わず目頭を抑え俯く。
山本勘介は二年前の第四次
っていたのだ。
もう、この世にはいない。
その事実に気づいた光幸は、声を挙げず静かに泣き始めた。
勘蔵は黙ってそれを眺めるのみ。声をかけたくても掛けられない
のかもしれない。
そんな叔父甥の一幕は、この後暫く続いた。
387
﹁それで、今日はどうした?見たところ、生活に困って銭を集りに
来た、と言う訳ではあるまい?﹂
﹁⋮⋮﹂
暫くして、悲しみと感慨も収まり幾分か頭がスッとした光幸が、
勘蔵に今日ここにやってきた理由を尋ねた。
だが、勘蔵は黙して答えようとせず、只々光幸の方を向くのみ。
﹁まさか、勘介の訃報を伝えに来ただけか?﹂
﹁⋮⋮叔父上、叔父上は現在の三河をどう思いまするか?﹂
開いた勘蔵の口から飛び出したのは、質問を質問で返すという、
何とも可笑しなものであった。
だが、威圧感とも言えるその表情に気押された光幸は、それを咎
めるのも忘れて思わず返答してしまう。
その声というもの、ひょろりとした聞こえで何とも情けない事で
あった。
﹁⋮⋮特に何とも思わぬな。治部大輔様の見事なご手腕で、丸く治
まっていると言えるだろう﹂
﹁果してそうでございましょうか。﹂
光幸の返答にそう切り返した勘蔵は、企んだような笑みを彼に向
けた。
確かに何もない、と言えば嘘になる。
奥三河の山家三方衆と、その影響下にある豪族たちの動きは相変
わらず不透明であるし、つい先日には西三河で徳川家の将兵と一向
宗門徒との間で一悶着あったという噂もある。
甥の言う﹁そう﹂とは、間違いなくこのことを指していると思わ
388
れる。
だが、これと甥の笑顔の関連が分からない。
一瞬、今川家と対立している家から調略のために派遣されてきた、
とも考えたのだが、現状で今川と敵対関係にあると言えば織田家位
だ。美濃攻略に集中しているあの家が、わざわざ東三河くんだりま
で調略にやって来るとは思えない。
だとすると⋮⋮。
そんな悩みを始めた光幸の内心を知ってか知らずか、勘蔵はさら
に言葉を続ける。
﹁間もなく、この三河は混乱に見舞われまする。桶狭間の負けによ
って力の衰えた今川家では、とても収めきれる者ではありますまい
⋮⋮﹂
﹁何⋮⋮?﹂
この甥は何を言っている。
確かに前述の奥三河や一向宗をはじめ、不安要素は盛り沢山だ。
だが、それが近々爆発するなどとなぜ分かるのだろうか。そして、
今川家の手に余るものだと断言できるのも何故だ。
まるで、それを全て知っているかのような発言。 さらに混迷を深める光幸を傍に見て、勘蔵は満足そうに薄ら笑い
を浮かべた。
だが、悩み続ける光幸はそれに気づかない。いや、気づけない。
彼の思考は完全に困惑の海に沈み、最早些細な変化を気にしなく
なっている。
勘蔵はなおも続ける。
﹁更に、最近の今川家は彦五郎殿のもと色々と新しきことに取り組
んでおられると聞きます。これが三河全土に及んだ暁には、邪魔な
ものは排除されてしまうかもしれませぬなぁ⋮⋮﹂
389
﹁⋮⋮!﹂
確かに勘蔵のいう通り、現在の今川家は次期当主・彦五郎氏真の
もと急速な革新を行い始めている。
領内の再検地、港の開発、新たな税制の導入。最近では領民から
直接意見を聞く﹁目安箱﹂なるものを設置したという。これを利用
した民の直言によって、知行地内の悪政が表沙汰になった孕石主水
は、その領地をすべて没収され功臣の地位から転落してしまったと
か。流石にこれは奴の自業自得だろうが、これが三河にも設置され
るようになれば、些細な事でもお家の大事になりかねない。
さらにここ一年の間に、今川本家が上ノ郷領内の政治にまで口を
出すようになっているという。
⋮⋮国人による統治という形態をとっている三河にしては、これ
は半ば異常な事である。
︱︱もしや、今川家は我ら三河の国人を取り潰し、その領土をも
って桶狭間敗戦の補てんとするのではないか︱︱
そんな疑念が、光幸の内心を支配する。
鵜殿領内で成功を収めたことに味を占めた氏真が三河に対する干
渉を強めれば、この国の諸豪族が持つ僅かな権益の殆どが掻っ攫わ
れていくことになる。
ただでさえ石高が低く、色々と弁が悪い三河だ。そんなことをさ
れれば、自分達は破滅への道を一直線に進んでいくことになるだろ
う。嘗て今川家に支配されていた岡崎・松平党の困窮をなまじ知っ
ているだけに、今度は自分たちがそんな目に合うのではないか。
彼の心に押し寄せた疑惑の蠢きは、じわりじわりとその内心を蝕
んでいく。
そして、頃合いと見た勘蔵は、自らの持つ最大級の爆弾を投下す
390
る。
﹁此処だけの話でございます。拙者が聞いたところによれば、西三
河の一向宗どもが徳川蔵人の横暴に怒り、蜂起の準備をしていると
か。一向衆の一揆と奥三河の叛乱。この二つが同時に起きれば、い
かに徳川や小原が名将と言えど、太刀打ちできますまい⋮⋮﹂
﹁⋮⋮!﹂
光幸の中で、何かが弾けた。
顔面は青白くなり、見るも無残な情けない表情で目を白黒させる。
疑惑を煽る勘蔵の言毒と、今川家の衰退に不安を感じる光幸の心。
この二つが融合し、同調し、理性を超越する。
﹁か、勘蔵。わしはどうすれば良い⋮⋮﹂
﹁そのお言葉を待っておりました。お耳を拝借⋮⋮﹂
﹁ば、ばかな。わしに今川家を裏切れと。それにそなたの主家は!﹂
﹁今は戦乱の世。盟⋮など在って無き物でございます。ククク⋮⋮﹂
光幸の返答に満足した笑みを浮かべた勘蔵は、彼の耳元でそっと
呟いた。
まさに言毒。脳髄に染み渡り、破滅を齎すモノ。
﹁ああ、そうそう。この話、他の六騎の方々にも伝えて構いませぬ。
叔父上も味方が多いほうが心強くありましょう﹂
﹁わ、わしは同意するとは言っておらぬぞっ!それに、吉田︵豊橋︶
には娘を人質に出しておる⋮⋮。そんなことをすれば、間違いなく
⋮⋮﹂
﹁ほう、ならば家を滅ぼしても良い、と。父上が聞けば悲しみまし
ょう⋮⋮﹂
391
余りにも無礼な物言いだが、勘蔵のペースに乗せられた光幸には、
それを咎める余力は無い。
見えない何かにきりきりと締め付けられた彼は、もはや理性の限
界であった。
﹁勘蔵⋮⋮。今日はもう帰ってくれ。わしは疲れた﹂
﹁御答えは?﹂
﹁⋮⋮いずれ返す﹂
﹁ククク、お早めに﹂
﹁ああ⋮⋮﹂
そんな末期のようなやり取りを終えて、勘蔵は賀茂郷から退出し
ていく。
後に残された光幸が感じたことは、途方もない虚無感と絶望だけ
であった。
翌、一五六四︵永禄七︶年正月。
吉田城代・小原鎮実は、不穏な動きを見せる奥三河国衆に対する
龍拈寺において独断で処刑。
りゅうねんじ
見せしめのため、彼らと、そして東三河の国衆から預かっていた人
質十数人を吉田城下
︱︱そして、その中には今年十四になる山本光幸の娘も含まれて
いたのである。
392
言毒︵後書き︶
山本勘蔵は史実では一五五六年生まれと伝わっていますが、この作
品ではもう少し早く生まれています。
393
虚無虚臣虚構虚実︵前書き︶
少し遅くなってしまいました。
申し訳ありません。
394
虚無虚臣虚構虚実
小原鎮実の凶行は、時を経たずして三河全土に知れ渡った。
無残にも人質を殺害された東三河、及び奥三河の国衆たちは激し
い怒りと慟哭に駆られ、一斉に反今川の兵を挙げる。
松平清康に始まり、太原雪斎、今川義元、徳川元康らが心血を注
いで来た三河の安寧は、小原鎮実という愚者の暴走によって無に帰
した。
時は一五六五︵永禄七︶年。
三河は嘗てない混乱と戦火に見舞われる。その騒乱の果てにある
のは破滅か、それとも⋮⋮。
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
折角新年を迎えた上ノ郷城だが、それを祝っている余裕は全く無
い。
小原鎮実の凶行を発端とする東三河国衆の一斉蜂起によって、三
河国では類を見ないような混乱が勃発。うちをはじめとするこの国
の親今川勢力はその対応に追われて休む間もないほどだからだ。
本来ならば、今頃は家臣も含めて年明けを祝う大宴会を行ってい
る筈だったのだが、こんな厳戒態勢の中ではそんな暢気な事を行っ
395
ていられるわけもない。顔面蒼白になった叔父上をはじめとする家
臣団と共に、軍の準備を整えている最中である。
﹁うう、眠い⋮⋮﹂
﹁随分と眠たそうですなぁ﹂
﹁ああ、新平か。全く寝てないからね⋮⋮﹂
武具を持って走り回る長槍部隊の面々を見ながら、大あくびを一
つ。
大塚の岩瀬氏が叛乱に参加するらしいという報告が届いてからと
いうもの、彼らの襲撃を警戒して一睡もできない状態が続いている
のだ。眠たくて眠たくて正気を失ってしまいそうである。
かといって、家臣が頑張っているのに俺が眠るわけにもいかない。
まぁ、出陣前には少し休めるだろうが、おかげで次郎法師さんに
も毎日のように心配をかけまくっている次第。折角彼女のお腹に赤
ちゃんがいることが分かったばかりなのだ。本当は休暇を取って三
谷温泉にでも出掛け、のんびりと過ごした方が良いのかもしれない
が⋮⋮。
中々上手く行かないものである。
︱︱どれもこれも全部小原鎮実のせいだ!
俺は内心でそう愚痴る。
奴がこんな行動を起こさなければ、事態はここまで深刻にはなら
なかっただけに、恨みは余計に大きい。
今回の凶行を咎めるべく送りつけた詰問状に対する返答も、俺の
怒りを増幅させている理由だ。
﹁彼ら︵国衆︶の叛心は明らか。それを知っていて放置したのでは、
東三河を任されたものとしての名折れである。見せしめに人質を弑
396
すれば、彼らは恐ろしさに震えあがり当家に逆らおうとは思わなく
なるであろう。今回のように反乱を起こしたのは、忠誠より人質の
ほうが大事だと言う愚かな考えを抱いていたからである。そのよう
な不忠者など必要ない。滅びてしまえば良いのだ︵以下略﹂
これが奴からの返答である。呆れて言葉も出ない。
元々不穏な動きをしていた奥三河の連中はまあ仕方がないのかも
しれないが、全く関係のない東三河の豪族からの人質まで処刑する
のはやりすぎだ。
そんなことをすれば逆に今川家の信望が低下してしまう。
最悪徳川家ですら敵に回りかねないんだぞ!
紛いなりにも半国を預かる司令官としては明らかに短慮軽率で理
解不能な行動だが、これは間違いなく奴のもつ歪んだ忠誠心が暴走
を起こした結果だろう。
りゅうぞうじたかのぶ
この返答からも分かる通り、小原鎮実という人間は忠誠を他者に
強要し、少しでも疑わしきは罰せという竜造寺隆信をより過激にし
たような性格の持ち主だ。そんな奴にとっては、今回のこれも踏み
絵のようなものだったのかもしれない。
確かに今川家臣としてそういった忠誠心を持つのは間違っていな
いのだろうが、それは小原家のような譜代家臣だけだ。
外様国衆のような者達にとってはまず家を保つことが第一であり、
忠誠心は二の次。戦国大名もそれをわかっているからこそ寝返り防
止のために人質を取るのであって、特に行動を起こしていないうち
に殺されてしまっては反乱を起こすに決まっているし、それでは人
質の意味が無い。
今回の事件は、ある意味譜代と国衆との認識の差が引き起こして
しまった悲劇とも言えるのかもしれない。
まあ、預かっている人質を勝手に処刑する時点で小原鎮実は譜代
397
家臣失格なのだが。
義元様もなんでこんな奴を城代に⋮⋮いや、さすがにそれは言っ
てはいけないことだろう。
少なくともこいつが城代に任じられたころには歪んでいなかった
のかもしれないし、こんな暴走を読み切るなんてことは人間には不
可能だ。
そもそも義元様は何度も奴に書状を送って性格を改めるように諌
めていたらしいから、結局のところそれを全く改善しなかった小原
鎮実が一番悪いのである。
怒りは収まってきた。現状確認をしよう。
奥三河の山家三方衆とその分家及び豪族は殆どが離反。これは当
初予想通りなので問題はない。
東三河の牧野本家に謀反の動きは見られないが、その与力、牛久
保六騎は完全にバラバラになってしまっている。賀茂の山本氏、稲
垣氏、能勢氏。そして牧野本家の分家である牧野山城守家が一斉に
挙兵。
今川方に残ったのは例の鍛冶集団を抱える真木氏と、大塚岩瀬氏
の分家である岩瀬雅楽助だけ。はっきり言って、これはかなりきつ
い状態だ。
牛久保六騎の殆どが雪崩を打って今川家に敵対した以上、彼らを
取り巻く他の弱小豪族は殆どが敵に回る。その一つ一つの勢力は大
したことが無いだろうが、塵も積もれば山となる。奥三河との連合
が出来上がれば、それは今川家を脅かせるだけの兵力を持ちかねな
いのだ。
ほいぐん
ついでに、連中が存在している場所も問題である。
彼らの影響力の強い八名郡は三河と遠江の国境、宝飯郡西部は東
398
海道を要する交通の要所だ。これらの大半が謀反軍の手に落ちてし
まうと、今川家の本国である駿河・遠江との連絡が取り辛くなって
しまう。この両群と遠江を結ぶ位置にある吉田城を今川家が抑えて
いるうちは連絡が完全に遮断されると言うことはないと思うが、東
三河最重要拠点ともいえるこの城には全ての元凶・小原鎮実がいる
のだ。真っ先に猛攻に晒されるであろうことは想像に難くない。
腐っても智将である奴ならば多少は持ちこたえられるだろうが、
吉田城内の人間ですら今回の凶行には疑問を抱いていると言う。最
悪、内応者が出て落城しかねない。そうなった場合三河は孤立し、
援軍が早期に到着する望みはなくなる。一応遠州灘から渥美半島に
上陸、その後田原を経由して三河湾、というルートがあるため絶望
的ではないが、船の調達に整備と時間がかかることは間違いない。
そして、そんな状況に陥ってしまえば、次に狙われるのは間違い
なく上ノ郷だ。
鵜殿家は今川家の一門。今川憎しで動く彼らにとっては絶好の標
的だろうし、目前には岩瀬氏の本拠・大塚城がある。前線拠点を準
備する必要もなく、鵜殿家単体で用意できる戦力はせいぜい千を越
えるか越えないかだ。山家三方衆とその与党、及び織田家や一向宗
の動きを警戒している徳川家からの援軍もあまり望めない現状、吉
田を落として勢いに乗る奴らにとっては、当主代行が俺という若年
武将であることも相まって、さぞかし簡単に勝てる相手だと思われ
ることだろう。
⋮⋮絶対に負けてなるものか。折角蒲郡の経営が軌道に乗り始め
たところなのだ。そう簡単にこれらを失う訳にはいかない。
本来ならば上ノ郷城下が攻撃に晒されるのを防ぐために此方から
攻撃を仕掛けたいところだが、未だ軍備は整わないし、何よりも義
元様が最後の説得を行っているらしく、それが終わるまでは攻め込
むわけにはいかない。
とりあえず評定を行って今後の方針を決めることを内心で確認す
399
ると、新平に家臣たちを集めるようにと指示を出した。
しかし、何かおかしな感じがするのは気のせいか。
予め準備をしていたであろう山家三方衆はともかく、何故牛久保
六騎をはじめとする東三河の国人の足並みがこうも揃っているのだ
ろうか。今回の事件は、間違いなく連中にとっても予想外の出来事
だっただろうし、当然軍備もあまり整っていなかった筈。いや、軍
備に関しては奥三河の叛乱に備えていたものを流用したということ
で説明はつくだろうが、この連携の良さは如何も納得がいかないの
だ。
︱︱まるで見えない糸で手繰り寄せられ、繋がっているかのよう
な感覚。
連中を背後で煽っている﹃黒幕﹄がいるのかもしれない。
そうなると一番怪しいのは武田かな。
狡猾な信玄のことだ。直接喧嘩を売ってくることは無いにしろ、
三河国内を混乱させ、その直後に﹃同盟国﹄の窮地を理由に軍を進
めてそのまま占領⋮⋮なんてことを考えていないとも言い切れない。
最近三河各地で出自不明の怪しい神職が多数目撃されていること
も相まって、連中が何か裏工作を仕掛けている可能性は非常に高い。
小原鎮実が人質を処刑したのも、案外伊賀者︵忍者︶を通じてこう
した情報を掴んでいたからなのかもしれない。
⋮⋮かといって、奴のやらかしたことを擁護する気にはなれない
が。
400
あと気になることと言えば、既に一五六三年を過ぎているのにも
関わらず、一向一揆が起こっていない。流石に国衆の叛乱と連携す
るために一揆を遅らせたと言うことは無いだろうが⋮⋮。
うーむ。
徳川家との仲が致命的に悪くなっていないのが一揆が起こらない
最大の要因なのか?
以前起こった徳川家の武士と一向宗門徒の衝突も、兄貴が直接介
入することで丸く収まったと言うし。
まあ、起こらないなら起こらないに越したことはない。現状で一
揆なんて起こされてしまったら、三河は完全に詰んでしまう。
ああ、せめて織田家と正式な講和が結べていれば⋮⋮。
どこぞの略奪者と違って信長は軍神並みに律儀者だ。
なにせ、史実において信長の方から盟約を破ったことは一度もな
いのだから。一度背後を任せてしまえば、これほど頼りになる同盟
相手もいない。織田家の戦力では援軍を貰うのは厳しいが、不戦と
言うだけでも背後を気にする必要は無くなり、徳川家は全力で三河
国内の乱鎮圧に臨む事が出来る。
⋮⋮こちらから働きかけてみようか。でも、流石にそれは越権行
為だろうしなぁ。
今のところは、水野信元の工作が上手く行く事を願うしかない、
か。
現状ではそれ以外に今川家が持つ織田家との外交チャンネルは無
いわけだし。同盟まではいかずとも、不戦条約ぐらい結んでくれれ
ば御の字である。
そんな悩みを抱えながら評定を行い、駿河から命令が来次第大塚
城に攻撃を仕掛けるという方針を決定する。兵力は鵜殿家が動員で
401
きる最大規模である千名程。
ごいまつだいら
今回の出陣にあたって、深溝松平家、五井松平家に援軍を要請、
無事に承諾される。
これは非常にありがたい。
﹁うちの命運がかかった戦だ。絶対に負けるわけにはいかない。各
自健闘を祈る﹂
﹁ははっ﹂
じょうぐうじ
はりざきしょうまんじ
わしづかほんそうじ
決起評定を終えた俺たちのもとに、駿河から叛乱鎮圧命令が飛び
込んできたのは翌日のことであった。
ささき
そして、信じがたい凶報も同時に。
のでら ほんしょうじ
︱︱野寺本証寺・佐々木上宮寺・針崎勝鬘寺・鷲塚本宗寺を拠点
として、一向宗門徒蜂起。
402
虚無虚臣虚構虚実︵後書き︶
謀略って難しいです⋮⋮。
403
坊主繚乱︵前書き︶
若狭武田氏の武田義統に憑依、という電波を受信しました⋮⋮。
404
坊主繚乱
徳川家臣・酒井正親が、本證寺に逃げ込んだ犯罪者を逮捕するた
しゅごふかいにゅう
めに捕縛史を立ち入らせたこと。
これが一向宗がもつ守護不介入︱︱いわば治外法権︱︱の特権侵
害にあたるとして、本證寺の反発を受けたのが始まりであったのか
もしれない。
この当初は元康本人の介入で丸く収まったものの、一向宗寺院そ
して僧侶や門徒たちの間に一度生まれた反徳川、反今川の感情は消
えることなく、水面下で徐々に広がって行く。
︱︱今川氏真の改革によって、既得権益を減らされることを恐れ
る世俗にまみれたもの。
︱︱今川家の支配・統治に不満を抱くもの。
︱︱単純に一向宗弾圧を恐れるもの。
様々な疑惑と疑念が絡み合い、初めは大したことのなかったそれ
らの感情は、時が立つに連れて拡大・伝搬していった。
そして迎えた一五六四年一月。
外部から﹃火種﹄が投下されるに及び、ついに彼らの一方的な不
満と恐怖は爆発の時を迎えたのである。
405
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
﹁親愛なる門徒諸君。良く集まった!﹂
くうせい
寒風吹き荒れる三河本證寺の境内で、僧侶・空誓は居並ぶ僧侶門
徒に向かって声を張り上げた。僧籍にある者が身に着けるとは思え
れんにょ
ぬ黒鉄色の鎧に身を包み、手に持つ薙刀を天高く掲げて反徳川・反
今川の激を飛ばす。本證寺住職にして一向宗中興の祖・蓮如の孫に
あたる彼は、以前の酒井正親の横暴︵一向宗視点︶にもっとも怒る
まつだいらひろただ
ポーズを見せた人物であり、今回の挙兵を計画した中心人物でもあ
った。
おうせいどうかん
﹁松平家先代・応政道幹様︵松平広忠・元康の父︶︶がお決めにな
られた三寺不介入の特権を意図も容易く破り、悪びれもしない徳川
家に御仏の裁きを与える時が来たのだ!﹂
自らの頭で乱反射する陽を後光として、空誓は熱弁を奮う。
その源は世俗の権欲か、それとも真の信仰か。聞こえだけでは判
断できるわけもない。
伝わってくるのは徳川家に対する殆ど一方的な恨みだけである。
元はと言えば、それと知りつつ境内に犯罪者を迎え入れた彼らの側
にも問題はあるのだから。
﹁今川家もそうだ!古来より我らが拠り所とするこの三河に土足で
406
踏み入り、剰え統治などと称してあれこれ口を出してくる始末。こ
のような卑劣な行い、公方が許しても御仏が許す訳もない!今この
時より、今川家は仏敵じゃ!﹂
仏敵。
それはその名の通り仏教の敵。仏の教えに対して害をなすモノ。
今は亡き太原雪斎が聞けば激怒しそうな、根拠の全くない言いが
かりに等しいことであるが、興奮の絶頂にある門徒どもの頭にはそ
れを思考する理性は無い。それどころか一揆の正当性を得て狂喜乱
舞し、空誓同様声を張り上げて﹁仏敵滅ぼすべし﹂と叫び続ける有
様だ。
そんな門徒たちの状態に満足した空誓は更に激励と言う名の煽り
をさらに続ける。
﹁この度の義挙に参加するのは我ら門徒だけではない!不甲斐なく
も今川に従い続ける主君に痺れを切らした上野城の酒井将監様をは
じめ、徳川家に属する同胞たちも極秘裏に挙兵の準備を進めている
欣求浄土!御仏の御加護は我らにこそ
ごんぐじょうど
のだ!家臣を満足に統率できず、愛想を尽かされる徳川元康など恐
おんりえど
るるに足りず!厭離穢土!
あり!門徒たちよ、今こそ立ち上がり、この三河に我らの暮らす楽
ごんぐじょうど
園を築くのだ!﹂
おんりえど
欣求浄土!﹂
ごんぐじょうど
﹁厭離穢土!
欣求浄土!﹂
おんりえど
﹁厭離穢土!
門徒たちから発せられた復唱は、怒号となって天に響く。
進めば極楽、引けば地獄。
一度正気を忘れた門徒たちは、死ぬまで動きを止めない狂気の死
兵となって敵対者に襲い掛かる。混沌と暴虐が西三河全土に溢れか
407
しざんけつが
えり、屍山血河を築く前触れ。
一歩間違えば制御不能に陥り、暴走する危険を孕んだ﹃一揆﹄は
間違いなく、そして確実にこの地に破滅を齎そうとしていた。
﹁⋮⋮﹂
そんな光景を静かに見つめる侍と思わしき男が一人。
ほんだやはちろうまさのぶ
ナマズのようなひょろ髭を生やした以外にはこれと言って特徴の
無く、無愛想な表情を浮かべたその男の名は、本多弥八郎正信とい
う。
彼はもともと徳川元康に鷹匠として仕え、駿府に同行するなどそ
れなりに重用されていた男だ。そんな人物がなぜこの一揆に参加し
たのか。
まさ
答えは簡単。自らの持つ忠誠心と信仰心を天秤にかけた結果、後
者が前者に勝ったからである。
そして、そんな判断を下したのは彼だけでは無かった。
渡辺守綱、蜂屋貞次、内藤清長、大草松平昌久、夏目吉信、鳥居
忠広その他諸々。
後世において﹁犬のように忠実﹂と評され、戦国最強軍団の一角
を占めることとなる松平党三河衆も、この時ばかりは敵味方に二分
して血みどろの争いを繰り広げたのである。それだけ、この当時の
三河において一向宗の影響力が領民・武士問わず大きかったことの
証左であろう。
ただし、一揆に参加したは良いものの、主君との忠誠との間で苦
悩している武士は多かったとも伝わる。敵味方に別れたとしても、
つい先日までは同じ釜の飯を食べたとも言える同僚と戦うのである。
408
よほどの戦闘狂か不忠者でもない限り、悩まない方がどうかしてい
るだろう。
そして、本多正信もそんな武士たちの一人であった。
暴走ともいえる程に怒声を張り上げる門徒軍団をその目で眺めて、
彼も悩み続けた。信仰を理由として元康のもとを離れ、一揆に参加
したは良いが、自らの目に映るのはどう考えてもまともな僧侶・信
徒とは思えぬ者たちの姿。仏法に沿って抗議活動を行うのならばい
ざ知らず、あの空誓の口から発せられたのは、まるで侍が戦に赴く
直前のような演説である。
︱︱これでは、平穏を乱す無法者と何ら変わらないではないか!
正信の思考に、一筋の疑惑が差しこんだ。
嘗て駿府の松平邸を訪れた、﹁人を導くのも宗教なら、狂わすの
も宗教﹂という元康の弟分の言葉が脳裏を回る。
本当に自分の判断が正しかったのか。今更ながら疑問に思い、後
悔もするがもう遅い。堂々と離反を明かした自分が、のこのこと元
康のもとに帰れるわけもない。
冬場とは思えぬ熱気を放つ本證寺の境内で、彼はどうしようもな
いという独り言を漏らしたのだった。
﹁これでよろしかったのですかな?﹂
﹁はい。上出来でございます⋮⋮﹂
演説を終えた空誓は、暗がりに蝋燭が炊かれた部屋で自らの客人
409
である﹁男﹂と会話していた。
修験者か山伏のような恰好をしたその人物は、空誓が初めて会っ
た時と同様不気味な笑みを浮かべている。
﹁それで、今川家を三河から追い出し、貴殿の主家が治める事にな
った暁には、約束通り⋮⋮﹂
﹁はい。当家は一向宗寺院の権益について一切の口出しをいたしま
せぬ。我らは、慣例をいとも簡単に破る今川家とは違います﹂
﹁左様でございますか⋮⋮。ふ、ふははははは﹂
その返答を聞いた空誓は、目の前に客がいるのにも関わらず狂っ
たように高笑いを始めた。
結局は彼もまた利権に執着する欲にまみれた人間だったらしい。
︵腐れ坊主が⋮⋮︶
その光景を直接目にした﹁男﹂は、内心で空誓を見下す。かの蓮
如の孫と聞き、会うのを楽しみにやって来てみればこの俗物。蓮如
上人、そして親鸞上人が見れば、さぞかし嘆き悲しむことであろう。
本来ならばこの場で殴り倒してやりたい気分である。
だが、コレの機嫌を損ねて一向一揆が取りやめになってしまうよ
うな事態は避けたい。
三河調略を命じた主君の目標達成、そして﹁男﹂自身の野心の為
には、この目の前の坊主の力が必要不可欠なのである。
﹁男﹂の描いたプランはこうだ。
元々独立心の強い山家三方衆をはじめとする奥三河の豪族を唆し、
今川家に対して反旗を翻させる。
それに乗じて主家の軍団が徐々に三河に侵入し、奥三河一帯を制
圧。その後、その主家と領地が接することになった東三河の豪族を
410
徐々に取り込んでいき、最後まで今川方に残るであろう西三河では
一向一揆を起こしてその勢力を壊滅させる。
三国同盟は事実上の崩壊を迎えるだろうが、戦国の世は弱肉強食。
桶狭間で弱体化した今川家が悪いのだ。
﹃策が成り、三河が当家の勢力圏に収まった暁には、三河賀茂郡一
帯を与える﹄という﹁男﹂の主君が発行した朱印状も現実になりつ
つある。
小原鎮実の暴走は流石に想定外だったが、結果として東三河の有
力国衆の殆どを戦わずして此方に引き込むことが出来た。棚から牡
丹餅とはこのことを言うのだろう。
最後の一押しである一向宗を焚き付けることにも成功し、あとは
彼らと奥三河・東三河の国衆がこの国を蹂躙するのを待って、控え
た主家の部隊を侵入させるだけである。計画の成功は間違いなし。
以前準備していた︵といっても唆しただけだが︶吉良義昭という
駒は、徳川元康の見事な采配によって呆気なく潰されてしまったが、
今回ばかりは流石の奴とも言えどそう簡単に対処は出来ない筈だ。
隣国・尾張の織田信長の介入が怖いが、奴に対しては別の手を用意
して目を三河から逸らしてある。こちらに手を出される心配はない。
全ては父祖伝来の地に返り咲くため。そして、自らの父を故郷よ
り追い出した今川家への復讐の為。
やまもとかんぞうのぶとも
﹁男﹂︱︱山本勘蔵信供は、高笑いを続ける空誓を尻目に、自らも
その笑みをより一層強めたのだった。
411
だが、この時の彼は知る由もなかった。
遠大な計略の一部が、鵜殿氏長の手によって既に崩されかけてい
ることを。
412
坊主繚乱︵後書き︶
そろそろ主人公大活躍の予感。
413
大塚城攻防戦︵前書き︶
私、盛大な勘違いをしておりました。
以前作中では大塚城の岩瀬氏を﹁牛久保六騎﹂と解説していました
が、牛久保六騎だったのはここの分家でした。
大塚城の岩瀬氏は﹁本家﹂で、牧野氏の家臣では無かったようです。
間違った情報をばら撒いてしまったことに深くお詫び申し上げます。
本当に申し訳ありません。
今後はこのような事がないように心掛けて参りますので、今後とも
応援の程、宜しくお願い致します。
414
大塚城攻防戦
おおつか
いわせじぶざえもんただいえ
鵜殿領の東隣、宝飯郡大塚を治める岩瀬氏は奥州二階堂氏の出身
と言われ、この地に土着したのは、岩瀬治部左衛門尉忠家が大塚中
いわせただなり
島城を築いた十五世紀頃だと伝わる。牛久保六騎の一家に数えられ、
幕末に岩瀬忠震を排出する岩瀬氏はここの支流である。
元々今川氏に仕え、三河国内に知行地を与えられるなど、同氏と
関係の深かった彼らだが、この度の小原鎮実の暴走によって、差し
出していた人質を殺害され完全に離反。
上ノ郷その他今川方の拠点を狙う動きを見せているのであった。
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
﹁速攻で大塚城を落とし、さらにこれに同心する竹本氏の竹本城に
も攻撃を加えます﹂
﹁承知した。だが、此方の兵だけで大塚を落とせますかな?﹂
﹁それにはご心配及びますまい、筑前殿。儂の調べによれば、大塚
の兵は多くても五百程度とのこと﹂
上ノ郷城内。大塚城攻略のための軍議は大詰めを迎えていた。
415
鎧姿の武者たちが、木台の上に広げられた地図を眺めながらワイ
ワイと意見を交わし合っている。
大叔父上、叔父上、朝比奈輝勝殿、米津政信、鵜殿新平。
一応の大将である俺も、当然この中に交じって意見を出している
訳だが、あんまり役に立っていないような気がする。
まあ、実際戦の経験は殆どないわけだし、それはそれで仕方がな
いとも思うが。
﹁しかし、徳川家からの援軍が無いのは少々厳しいですな⋮⋮﹂
﹁仕方ありますまい。あちらはあちらで、一向宗への対応で精一杯
でしょうから﹂
﹁我ら、本家の分まで働きますぞ。以前の援軍の御恩、未だ返して
はおらぬので﹂
ぎく
ため息をつきながら疑懼する台詞を漏らした輝勝殿に、叔父上と
松平伊忠殿が返した。
先日引き起こった一向一揆のせいで、徳川家、及びそれに近い徳
川家臣を含む諸家は他方に構っている余裕はとてもではないが無い
のだ。
史実と違い、吉良家、そして荒川義広が一向一揆に加わっていな
いため、一揆の規模は史実のそれと比べてまだ小さい方だが、代わ
りに北東部を領する奥平氏の存在があり、織田家とは敵対状態が続
いている以上、親戚である水野家の表だった援護も期待できないだ
ろう。
⋮⋮風の噂では徳川家臣の中でも一揆に参加したものがいると言
う。
はっきり言って手詰まり感が強いが、兄貴︱︱徳川元康もまた名
将。
勢いはあるとはいえ、烏合の衆である一揆勢に遅れをとるとは思
416
わないし、大草家を除く分家も本家に従う立場を明白にしていて、
今の岡崎城には彼らから齎された援軍が続々とつめかけていると言
う。
流石は三河武士団といった所か。
この分ならば、そう簡単に酷い窮地に陥ると言うことも無いだろ
う。
⋮⋮俺や義元様の援軍があちらに到着するまで、是非とも持ちこ
たえていて欲しいものである。
﹁主殿助殿。援軍感謝いたします。本来ならば岡崎に⋮⋮﹂
﹁大丈夫だ。岡崎の殿の御指示だからな﹂
本来ならば深溝・五井からやって来ている援軍も、他の分家同様
岡崎に向かわなければならないのだろうが、どうも本家から此方︵
鵜殿︶の手助けをするよう差配を受けたらしく、上ノ郷に留まって
いてくれている。伊忠殿曰く、吉良家の時の恩返しと東から西に至
るルートの確保のためらしい。
⋮⋮本当にありがたい限りである。
さて、今は軍議に集中した方が良いだろう。国人たちの連携が整
わぬうちに、奴らの勢力をできる限り切り崩しておきたい。岩瀬氏
の大塚城さえ落としてしまえば、上ノ郷の安全はとりあえず確保で
きるし、この城を拠点として更に東にも遠征できるようになる。
本国からの援軍を迎え入れ、西三河への橋渡しとするためにも、
大塚城、そして三河湾沿岸沿いの確保は絶対に必要なのである。
﹁先陣は筑前殿にお任せいたします﹂
﹁承知した﹂
﹁新平率いる長槍部隊は俺の指揮下に﹂
﹁ははっ﹂
417
そなえ
暫く細かい戦術や戦略について話し合った後、備の構成を決めて、
軍議は終了する。
︱︱俺が大将して初めて指揮を執る戦の幕開けである。
五百年後の未来には、ラ〇ーナ蒲郡ができるであろう海を右に見
つつ、岩瀬領内に侵入した鵜殿家の軍勢は大塚城への道を行軍して
いく。
今のところ、先行する輝勝殿の部隊からは、敵兵と鉢合わせした
ほしごえとうげ
と言う報告も無ければ、大塚城に動きがあったとも伝わってこない。
一応の難所である星越峠も既に越えたので、伏兵に襲われる心配も
あまりないだろう。
﹁どうやら敵は常道通り籠城するようですな﹂
﹁そうみたいだね﹂
相変わらず護衛役である政信と喋りながら、俺の周りを守るよう
に歩く例の長槍部隊の面々を眺める。
彼らの頭には、俺が士気高揚のために渡した橙色の鉢巻が巻かれ
ている。このように﹃部隊に何かしらの特徴を与えて将兵のやる気
ごしきそな
を上げる﹄という行為は、古来から見られるものだ。
有名なものだと武田・井伊の赤備えや北条家の五色備え、信長・
秀吉の母衣衆なんかがあるだろうか。
どれもこれも、戦国時代において精強さを持って知られた部隊だ。
今回俺が準備したこの鉢巻も、彼らのような戦果を上げることを
期待しての事だったりする。
418
色が橙なのは⋮⋮うん、特に意味はない。
強いて言うなら、みかんと同じ色だからだろうか。
俺の頭の中には鵜殿家=蒲郡=みかんという謎の方程式が出来上
すすきだかねすけ
がっているのだ。今回の出陣のために作った馬印もみかんだし⋮⋮。
部隊名を考えるなら﹃橙陣﹄といった所か。薄田兼相みたいで何
か嫌だが、他に思い浮かばない。流石に﹃みかん部隊﹄じゃかっこ
悪すぎるだろう。
かりた
﹁しかし、籠城されるとなると此方への被害が気になりますな﹂
﹁だよなぁ⋮⋮。冬だから刈田と言う訳にもいかないだろうし﹂
いにしえ
古より、兵の立て籠もった城を攻め落とすには、守り手の三倍は
兵力を用意しなければならないという考え方があるのだ。俗にいう
﹃攻撃三倍の法則﹄という奴である。
みつあかね
うちの兵は松平家からの援軍を含めて千五百程。一方の岩瀬方は、
たけもと
たけもとなりひさ
本隊こそ五百程度なものの、その影響下にある御津赤根の今泉氏や
竹本城の竹本成久等、周りの弱小土豪からの援兵も合わせると、七
百程度までは膨れ上がる。
大塚城自体は小規模な平々凡々の平城、其処を守る敵将・岩瀬家
久も特に戦上手という評判を聞くわけでもない普通の将であるのだ
が、この数が守る拠点を攻め落とすには、中々苦労しそうである。
兵力差もせいぜい二倍ほどで、法則の条件を満たしていない。
一応二十世紀の研究で、攻防戦に関して特に法則性は認められな
いという結果は出ているものの、かの孫子も﹃城攻めは下策﹄と言
っていることだ。何かうまい策は無いものか⋮⋮。
適当な村に放火して城兵を釣り出すという手もあるのだけれど、
それは最後の手段だ。これからの統治を考えると、あまりやりたく
は無い。
うーん、難しい。
419
夏場なら刈田︵田んぼ荒らし︶と言う手が仕えたのだが、生憎今
は一月。冬場真っ盛りだ。
挑発しておびき出そうにも、野戦ではあちらの勝ち目は殆どない
兵力差だ。そう簡単に出てきてくれないだろう。
﹁政信、なんか上手い手はないかなぁ﹂
﹁そういうのは専門外ですな﹂
そうだよなぁ。
基本政信︱︱というか、うちの武将たちの殆ど︱︱は﹃武﹄の人
で、細かい策を考えるのは得意ではないのだ。
⋮⋮俺の未来知識を活用すれば、軍師系の人間がいなくても如何
にかなるものだと思っていたのだが、現実はそう甘くなかったよう
だ。
﹁仕方がない。防御力の高い長槍部隊を前に出してできる限り挑発
してみよう。多少は効果があるかも﹂
﹁それしかありますまい﹂
ああ、軍師が欲しい。
どこぞの今孔明を勧誘に行ってみようか。そんな暇があれば、だ
が。
﹁三郎様、大塚城が見えて参りましたぞ﹂
そんなことを考えていると、政信が報告を一つ。
彼の声で意識を現実に戻し、正面に目を凝らす。その先見えたの
は、武家屋敷を魔改造したと思わしき砦のような建築物。
以前攻めた事のある西条城程の規模では当然無く、上ノ郷のよう
な本格的な中世城郭でもない、城と砦の中間くらいの平城だ。
420
﹁おや、三郎殿。思ったよりもお早い御着陣ですな﹂
﹁筑前殿ですか。敵の動きは?﹂
﹁今のところは特にありませんぬな。竹本の軍勢も未だ到着してい
ないようなので﹂
大塚城から少し離れていた位置に陣を張り始めていた輝勝殿と、
情報収集も兼ねて話をする。
彼の言によると、今泉某は既に大塚に入っているものの、竹本成
久の入城は確認できないらしい。それに伴って、兵もあまり増えて
はいないとのこと。
⋮⋮攻め落とすには、今がチャンスかもしれない!
﹁筑前殿、少々試したいことがあります。お耳を拝借⋮⋮﹂
﹁ふむふむ⋮⋮﹂
例の挑発作戦を輝勝殿に説明して了承を得ると、俺たちはすぐに
動き始めるのだった。
この挑発、そして反撃が成功するかどうかは、テルシオもどきの
防御力にかかっている。
頼んだぞ、新平!
﹃岩瀬家久の腰抜け∼っ﹄
﹃役立たず∼﹄
﹃鈍臭くて城下まで攻め込まれてやんの∼﹄
﹁⋮⋮﹂
421
大塚城の目の前に放り込まれた長槍部隊の面子が発する罵詈雑言
は、俺たちの陣にまで響いてきている。
策の成功率を上げるため、彼らの周りに他の味方の部隊はいない。
本隊を含めた全部隊は後方に下がり、釣り出しの成功をかたずを飲
んで見守っているのだ。
﹃××××!﹄
﹃△#&%@$!?﹄
延々と続く汚い罵り言葉に眉をしかめる。
よくもまあ、あんなに語彙があるものだ。思わず感心してしまう。
中には放送禁止用語に入りそうなとんでもないモノも混ざってい
る辺り、訓練その他によって発生した鬱憤をこの機会に晴らしてい
るのかもしれない。
いや、そう考えて間違いない。
﹃悔しいでしょうねぇ!﹄
﹃悔しいでしょうねぇ!﹄
さて、仮に討って出てくると言うのなら、そろそろ飛び出してく
る頃だ。
釣り出せなければ、当初の予定通り力攻めに切り替えればよい。
俺は目を外すこと無く、じーっ、と彼ら、そして城門の動きを見
据えた。
︱︱ばたり。
422
やがて静かな音を発して、城門が開かれた。
そこから飛び出した三百名余りの岩瀬家の兵は、未だに罵詈雑言
を放ち続けるテルシオもどきに向けて一心不乱に突撃を開始する。
だが、それを当初から予期していた新平は、冷静に反撃の準備を
整えると大声で叫んだ。
﹁それっ、かかれかかれ﹂
﹃おおおおおっ﹄
新平の指揮のもと、激しい雄たけびをあげて、鵜殿家のテルシオ
もどきを構成する百名余りの兵が、大塚城より討って出た敵兵に向
かって前進する。
長槍部隊の脇より放たれた矢が、敵兵をチクチクと射し、その命
を奪っていく。
それと同時に長槍を持つ兵も槍衾を構えて立ち塞がり、突撃の勢
いを殺す。
幾ら小規模とは言え、三倍の兵相手に互角に戦っていると言う事
実は、彼ら﹃橙陣﹄の士気を大いに上げた。
︱︱一年以上に渡る地獄の訓練は、決して無駄ではなかったのだ。
長槍兵、弓兵、そして本当に僅かに混じっている鉄砲兵は、皆一
様にそうした気持ちを抱いた。
武器を持つ手に力を込めて、岩瀬家の兵を次々と討ち果たしてい
く。
訓練の成果を、後方の陣で眺めているであろう、自らの主君に見
せつけるように。
一方焦ったのは岩瀬兵を指揮する今泉某の方である。
城門目前に屯した雑魚を蹴散らすだけの簡単なお仕事だったはず
423
が、防御力の高い方陣と大量に配備された長槍のせいで攻めるに攻
めきれず、時間だけが過ぎて行く。
ちまちまと攻撃を加えることで何とか数を減らしつつあるが、そ
れでも進みが遅すぎる。
これが自分たちを釣り出す罠であることは確実である以上、早く
殲滅しなければ後方に控えた本隊と思わしき部隊がやって来てしま
う。戦果を上げられぬまま引き上げるのは武士の名折れだ。
コレが罠だと分っていながら出陣してきたのも、あの侮辱に耐え
かねた為だ。
とてもではないが逃げるわけにはいかない。
﹁やれっ、攻め手を緩めるなっ!あの侮辱を忘れるな!﹂
今泉某の指示にも自然と力が入る。それに触発された兵たちも、
力を強めて攻撃を加える。
お互いに一歩も引かぬ激闘が続いた。
弓が舞い、槍が飛び、鉛玉が撃ちつけられる。
激しい喧騒と怒声、怒号が飛び交い、朱い雫が舞う。
数十分が過ぎて、有利に立ち始めたのは岩瀬方の方であった。
テルシオもどきは時間が経つにつれて徐々に崩されて、橙色の鉢
巻を巻いた兵たちは一人一人と倒されていく。
やはり、兵力差は大きかったのであろう。
﹃橙陣﹄の兵たちは、新平の指揮のもと抗戦を維持しようとするが、
疲れも溜まり思うように反撃できない。
それでも、彼らは後詰の到着を待って戦い続ける。
︱︱このままでは!
新平がそう叫んだ直後のことだった。
424
﹁朝比奈輝勝見参!﹂
戦場にやってきた朝比奈輝勝率いる先鋒部隊が、岩瀬兵の横っ腹
を突いた。
目前の﹃橙陣﹄殲滅に気を取られすぎていた彼らに、この一撃は
致命傷であった。
先ほどまで追い詰めていたのとは逆に、どんどんとその数を減ら
されていく。
そして、完全にタイムリミットがやってきたことを悟った今泉某
は、全兵に指示を出した。
﹁駄目だ。退却⋮⋮﹂
今泉のその言葉を皮切りに、岩瀬家の兵はいっせいに踵を返し始
めた。
だが、一度背を向けた部隊を崩すのは容易きこと。
テルシオ部隊を救援し、何とか撤退する敵兵の最後尾に追いつい
た鵜殿家、そして松平家の将兵は、城への一番乗りを求めて岩瀬兵
を追撃し、大塚城に密着。
今泉某を討ち取った勢いもあってか、そのまま城の柵堀を乗り越
えると、いともたやすく城内に突入してしまった。
そして、城内に雪崩れ込んだ兵は時間をかけずに各郭に浸透して
行き、突入から僅か数時間後には城主・家久を始めとする主だった
将は軒並み討ち死に。ここに大塚城は陥落した。
竹本成久の竹本城も松平伊忠率いる部隊があっという間に攻め落
とし、この辺りの安全はひとまず確保されたのである。
︱︱だが、予断を許さぬ状況は続く。
425
鵜殿家が大塚城を攻め落とした頃、奥・東三河の国人連合軍もま
た、吉田城・牛久保両城に攻撃を加えるべく、進軍を開始していた
のである。
426
大塚城攻防戦︵後書き︶
戦略等が拙いかもしれませんが、ご容赦願います⋮⋮。
427
転身転進︵前書き︶
ご意見・ご感想お待ちしております。
428
転身転進
﹁各々方、この度は誠にご苦労でありました。お陰様で、大塚・竹
本両城を無事に落とし、西郡の安全を確保することができました﹂
主の入れ替わった大塚城で、俺は今回の戦に従ってくれた全将に
声をかけた。
大塚・竹本を落としたことで、三河湾沿いを安全に行軍すること
が可能となり、西と東の連絡が絶たれる危険は回避することができ
た。一重にここにいるみんなのお蔭である。
感謝をこめて、深々と礼をする。
﹁いやいや、すべては三郎殿の迅速な判断があったからこそ、未だ
に体制も整わぬ相手を潰せたのでございましょう。礼には及びませ
ぬよ﹂
﹁左様ですな﹂
﹁ありがとうございます﹂
⋮⋮色々と褒め言葉をかけられた。
正直言って、彼らの言程に活躍したとは思えないが、この場はそ
れを受け取っておくとする。
そうしないと、戦って散っていた兵たちに失礼だと思うし。
﹁新平もご苦労様。おかげで長槍部隊の有用性を実証することが出
来た。後で﹃橙陣﹄の面子と共に褒美を取らせる﹂
﹁ははっ。ありがたき幸せ⋮⋮﹂
さて、大雑把な論功が終わったところで本題に入らなければなら
429
ない。
題は﹁鵜殿家の今後の動き﹂である。
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
﹁さて、西郡の危機はこうして過ぎ去った訳だが、この後はいかが
致す?﹂
﹁徳川家の救援に赴くか、それとも吉田に向かうか⋮⋮﹂
﹁北の長沢を経由して奥平を攻める、という手もありますな!﹂
俺が一通り挨拶を終えると、皆一斉に次の手について意見を口に
し始めた。
鵜殿家が今川家から受けたのは、西と東の問題に対応する遊撃軍
たらん、とする指示だ。
形式的には西三河の徳川元康、東三河の小原鎮実、どちらの指揮
下にも属していないことになる。
︱︱陥落の危険がある吉田城に向かい、これを救援するか。
︱︱絶望的な状況にある徳川家を助け、一向一揆を潰すために動
くか。
︱︱北の長沢城を経由して、奥三河に繋がる萩城の奥平氏を攻め
る、という常道から外れた道をいくのか。
430
当主である父上が三河にいない以上、全ては俺の裁量に委ねられ
ていることになる。
何処を救援して、何処を攻めるか。責任は重大なのだ。
叔父上や輝勝殿といった将の意見を参考にして、頭の中で戦略を
組み立てていく。
﹁普通に考えれば、此処からそんなに離れていない吉田城を救援す
るというのが最善の手なのじゃろうが⋮⋮﹂
﹃⋮⋮﹄
吉田城救援を唱えた大叔父上の発言に、この部屋に集まった全員
が微妙な顔をした。
吉田城の守将はあの﹁小原鎮実﹂である。すべての元凶ともいえ
る奴を助けに行くのに、皆どこかで抵抗心を抱いているのかもしれ
ない。
かといって、みすみす味方の危機を見過ごすと言うのもどうかと
思うし⋮⋮。
﹁⋮⋮政信。一向一揆の方はどうなっている?﹂
﹁はい。一揆勢は碧海・額田両群で暴れまわり、手が付けられない
勢いだとか。正直に申し上げまして、かなり危険な状態かと﹂
俺の護衛役としての仕事に箔がついてきているが、政信は元々徳
川・鵜殿間の連絡役として出向してきている武士なのだ。こういっ
た情報には精通している。
﹁そうか。此方も此方で放っておくわけにはいくまいな﹂
﹁はい﹂
431
目を瞑り、考える。
吉田と岡崎。距離的に近いのは当然吉田だが、此方は遠江方面か
らの救援が望め、南側の渥美半島は安全地帯と言ってもよい。すぐ
近くに伊奈本多氏という味方もいることだ。守将はアレだが、吉田
あさひなひぜんのかみもととも
あまのあきのかみ
の城自体は決して四面楚歌と言う訳では無い。それに小原がまた馬
かげつら
鹿なことをやらかせば、田原城の朝比奈肥前守元智殿・天野安芸守
景貫殿が、奴を拘禁するなりして対策を打つだろうし⋮⋮。
そういう事情も踏まえて、救援先は吉田ではなく岡崎にした方が
良いのかもしれない。
吉田城と違って、此方は本当の意味で四面楚歌。辺り一面敵だら
けだ。
北には奥平、南には一向宗の寺院、そして東には動きの読めない
織田家。とにかくヤバい勢力に囲まれている。辛うじて西は安全そ
うに見えるが、一揆軍団がどこから沸いてくるか分らない以上、全
く油断は出来ないのだ。
おまけに戦争相手は狂信者の集団、一向一揆。倒しても倒しても
沸いてくるゾンビのような連中だ。
そんな化け物集団を相手に、いくら松平党と言えども何の援助も
なしに戦い続けられるとは思えない。
⋮⋮よしっ、決めた。
﹁皆、聞いてください。我が鵜殿家は岡崎へ向かいます﹂
﹁理由を伺っても宜しいですかな﹂
﹁はい。遠江方面に繋がる吉田城よりも、本国と事実上分断されて
しまっている岡崎の方が、優先度は高いと判断しました。異論があ
る方はいますか?﹂
432
そういって部屋中を見渡すが、皆頷いており特に反論は無い。
このまま進めてしまっても良いだろう。
﹁叔父上、大塚周辺の守りはお任せいたします﹂
﹁承知した。我が身に変えてでも守り切って見せよう﹂
﹁大叔父上。一足先に、岡崎に連絡をお願いします﹂
﹁わかったぞい﹂
控える将へ指示を出し、援軍の準備を整えていく。
これから鵜殿家の軍勢は上ノ郷に引き返し、深溝を経由して岡崎
に向かい、そのまま徳川家と共に西三河の平定を開始する。
︱︱相手はゾンビ軍団一向一揆。
正直、戦うのは怖い。
上杉謙信・織田信長・朝倉宗滴・三好元長その他諸々の将星達を
苦戦させ、剰え何度も窮地死地に追いやってきた戦国時代最悪の反
体制組織、そして暴走集団だ。
鵜殿家だけでは到底戦うことはできなかっただろう。
だが、此方には松平党という心強い味方がいる。さらに史実とは
違い、吉良吉安・荒川義広も徳川︵いや、今川か︶方に残っている。
もう何も怖くないとまではいかないが、独力で戦うよりは遥かに
安心して合戦に臨むことができる。
目指すは岡崎城、西三河。
俺の戦いは、まだまだ始まったばかりである。
433
︱︱かくして、吉田救援よりも岡崎救援を優先すべきだと判断し
た鵜殿氏長は、抵抗を続けていた森城の佐竹氏を吹き飛ばし、軍勢
を岡崎へと向かわせる。
ひょうりひきょう
この判断が良と出るか悪と出るか。それはまだ、誰にも分らぬ事
であった。
だが、この時の彼は知る由も無かった。
とだやすみつ
頼みとしていた田原城に、とんでもない表裏比興が潜んでいるこ
とを⋮⋮。
あつみぐん たはらじょう
渥美郡田原城。
嘗て竹千代誘拐犯・戸田康光が領し、現在は今川家の直轄地とな
っている城である。
戦乱の中心とは少し離れた、渥美半島の中頃に存在するこの城に
も、騒乱の影響は訪れていた。
普段は三河湾を往来する船舶の乗員や商人たちで賑う城下には、
彼らのかわりに渥美半島中からかき集められた雑兵足軽で埋め尽く
され、町の蔵々には積み荷のかわりに大量の武器弾薬が押し込めら
れている。町の隅々では今川家の将兵が目玉をぎょろぎょろと回し、
鼠一匹見逃さないような剣幕で監視を続け、ぱちぱちと篝火の音が
響く現状は、町一つが巨大な監獄に早変わりしてしまっているかの
ようだ。
港町特有の活気や喧騒は、将兵の放つ殺気や閉塞感に成り果て、
434
言葉では表せないほどの重々しい空気を漂わせる。
そんな中を歩行する、山伏姿の男が一人。
明らかに怪しい人間だが、特に咎められることもなく、のそりの
そりと亀のような歩みを進めていく。
ぐるり。ぐるい。
篝火の焚かれている街角を曲がり続けること幾何か。
城下のメインストリートから外れた屋敷の前に辿りついた男は、
素早い動きでその裏手に回ると、壊れかけの木戸を音もなく開けて
内部に侵入した。
そして、その来訪を待ち侘びていたかのように男の目前に現れた、
この屋敷の下男と思わしきよぼよぼの老人に声をかける。
﹁ご老人、天野様のお屋敷はここでよろしかったかな?﹂
﹁おお、貴方が﹃山伏殿﹄ですな。どうぞ、お上がりください。主
人がお待ちです﹂
男は老人の案内によって、日の殆ど当たらない暗がりの屋敷に上
がって行く。
その中で待つという、とある人物と接触を持つこと。
それが、男が田原を訪れた最大の理由である。
やがて、老人の足がボロボロの障子の前で止まった。
それに釣られ、男もまた歩みを止める。
﹁⋮⋮旦那様、﹃山伏殿﹄をお連れいたしました﹂
﹁通してくれ﹂
﹁どうぞ﹂
老人が開いた障子を跨ぎ、男はその中へ侵入していった。
435
僅かな蝋燭の灯が見えるだけの、薄暗い部屋。木材の腐ったよう
な臭いが充満し、普通の人間ならば間違いなく卒倒してしまいそう
な場所である。
その中にいたのは、年四十ほどの、丸芋のような丸い体型をした
男。
顔面には﹁にきび﹂が不規則に、そして醜くあらわれ、いかにも
陰湿で狡猾そうな性格を露骨に表している。
﹁そなたが山本勘蔵とやらか﹂
﹁お初にお目にかかります。山本勘蔵と申します。以後、お見知り
おきを⋮⋮﹂
男︱︱勘蔵は頭を下げる。
目の前のこの芋は、今川家の衰退を見て、自らの仕える家に鞍替
えするという男なのだ。気を損ねてはまずい。
幸い武将としてはかなりの実績と経験をもつ男であるため、空誓
の時とは違い、頭を下げることに嫌悪感は沸かないが。
あまの あきのかみ かげつら
︱︱天野安芸守景貫
それが、この男の名である。
今川義元に長年に渡って仕え、田原城代の片割れという重職にあ
るこの人物が、何故勘蔵に通じているのか。
それは、彼もまた己の栄華を企む群雄、野心家だと言う事だろう。
予定ではこの男と接触するのはもう少し後の筈であった。
だが、鵜殿氏長が大塚城を攻め落とし、計略の一端が崩れた現状、
田原の軍勢に動かれては、吉田城は陥落しなくなってしまう。
そんな事態を避けるためにも、この男には動いて貰わなければな
436
らぬのである。
⋮⋮田原の軍勢を、この地より一歩も動かさぬために。
この場に勘蔵が訪れたのも、その要請の為であった。
今にも崩れそうなこの屋敷も、こうした密談をするにはうってつ
けなのだ。
﹁安芸守様、この度は⋮⋮﹂
﹁おっと。それより先は﹃また今度﹄な﹂
﹁はっ﹂
﹃寝返り﹄と口に出しそうになった勘蔵を、景貫は制する。
未だに表沙汰になっていない事実だけに、自らの口からその言葉
を発するのは憚られたのだろうか。
﹁しかし、案外容易いものですなぁ⋮⋮。﹃岡部内々の者﹄である
ことを表すと言うこの紋を見せただけで、疑われることもなくここ
まで来る事が出来ました⋮⋮﹂
﹁所詮、今川家はその程度だと言う事じゃろう。そなたの家ではこ
うはいくまい﹂
お
﹁左様で。透波に戸隠、歩き巫女と、色々と揃っておりますゆえ﹂
勘蔵と景貫は密談をする傍ら、雑談にも花を咲かせる。
かべてるただ
岡部内々の者とは、この田原に詰め、諜報の任に当たっている岡
部輝忠のことである。
勘蔵は岡部家の家紋である﹃左三つ巴﹄の描かれた印籠を兵に見
せることで、その追及を躱してきたのであった。
ついでに言えば、コレは景貫にとっても身の守りとなる。城代で
ある彼が、密偵と密会しても何もおかしくは無いからだ。
437
﹁しかし、鵜殿の動きには驚きました。まさかここまで早く大塚を
落とされるとは。あの塩や西郡の急速な発展といい、かの家には何
か革変があったのですかな?﹂
﹁一昨年のことだったか。あの家の当主・長門守が宿老として駿河
に召されてな。それ以後、長門守の嫡男が家政を担っているようだ。
十中八九、その嫡男のせいだろうな﹂
﹁ほう⋮⋮﹂
さいぐんはくえん
勘蔵と景貫は、ここ最近の鵜殿家の動きについて邪推を巡らす。
氏長が開発した入浜式塩田を利用した塩は﹃西郡白塩﹄と呼ばれ、
高値がつく高級塩として周辺諸国に出回っていたのである。
当然勘蔵の主君もそれに目をつけており、今回の三河侵略はその
塩田を確保するため、という狙いもあった。
⋮⋮知らぬは本人ばかりである。
﹁聞けばいまだ十五、十六程度の少年だとか。そんな者が、何故こ
のようなものを作りだすことができたのか。大変興味がありますな﹂
﹁⋮⋮かの嫡男は徳川蔵人の弟分、ついでに今川の若とも仲が良い。
大方この二人から何か学んだのであろう﹂
﹁ふーむ。歩き巫女にでも依頼して、調べてみますかな﹂
歩き巫女。
もちづきちよめ
勘蔵の主家が用いている、いわばくの一である。
信濃巫とも呼ばれる彼女らは、その頭領・望月千代女の手によっ
て育成・派遣され、主家の情報戦略の一端を担っているのだ。
一応は諏訪社その他諸々の神職という立場であるため妨害も受け
にくく、孤児や捨て子であるため忠誠心にも期待できる。
勧進や祈祷などを表向きの理由として周辺諸国を旅し、酷い時に
はハニートラップまで用いて細かい情報収集にあたる。
438
勘蔵の主君が重用するのも無理はない万能っぷりであった。
﹁⋮⋮情報が手に入るとよいな﹂
﹁はい⋮⋮。さて、そろそろ﹂
そういって、勘蔵は立ち上がった。
どうやら、屋敷を出ていくようである。
当然、景貫に釘を指すのを忘れない。
﹁ああ、そなたとの約束通り、田原の軍勢はわしが止めてみせるよ。
くっくっく⋮⋮﹂
﹁感謝いたします。⋮⋮ふふふ﹂
聞くものが居らず、だれの目も届かぬ空間。
策謀と野心に生きる二人の男の笑いが響いた。
439
転身転進︵後書き︶
さて、そろそろ奴ら本隊が動き出す⋮⋮
440
良かれと思って只今参上︵前書き︶
一向宗ハザード
441
良かれと思って只今参上
ゾンビども
上ノ郷を経由して西に向かう俺たち鵜殿家と深溝・五井の両家の
兵は、ちょくちょくと現れる一向宗門徒の小勢を返り討ちにしつつ、
岡崎への道を急ぐ。
途中通行の邪魔になる寺院を幾つか攻め落としているが、大した
犠牲は出ていない。むしろ、逆に士気を高めるのに貢献して頂いた。
ゾンビ
大した規模の無い末端の寺だったため、当たり前と言えば当たり
前なのだが、これで一向宗の勢いが多少なりとも弱まり、徳川にと
って追い風となってくれれば幸いである。
﹁しかし、思ったより簡単に勝てましたな。一向一揆も大したこと
が無い﹂
﹁末寺だったからでしょう。三寺の本隊は途方もなく強大であると
聞き及びます﹂
三河三ヶ寺︱︱野寺本証寺・佐々木
みかわさんかじ
余裕綽々な台詞を口にした輝勝殿を軽く咎める。
今回の一揆の中心である
上宮寺・針崎勝鬘寺の三寺︱︱は、蓮如直々の布教によって本願寺
ゾンビ
に転属した、三河における一向宗の最大拠点であり、いわば聖地で
もある。そんな連中であるから、当然抱える門徒の数も多く、その
総数は数千にも及ぶ。
当然徳川家臣にも連中の門徒であるという人は多く、今回大量の
家臣が一向宗側に流れたのもそれが最大の原因だったりする。
﹁守るべき主を守らず、よりにもよって刃を向けるとは。不忠これ
に極まれり、ですな﹂
442
﹁⋮⋮﹂
輝勝殿が、そんな家臣たちを馬鹿にするように吐き捨てた。
それを聞いた政信は何とも辛そうな顔をしている。
最近忘れがちだが、彼も一応徳川家の人間。流石に元同僚とは刃
を交えたくは無いのだろうか。あるいは、彼らの不忠に言葉になら
ない感情を抱いているのかもしれない。
﹁小太夫、大丈夫か?﹂
﹁⋮⋮はい。御心配をおかけして申し訳ありませぬ。少々思う所が
ございまして﹂
﹁⋮⋮小太夫殿、わしの発言が気に障ったのなら謝ろう。曲りなり
にも、お主と奴らは同僚であったな。少々配慮が足りなかったよう
じゃ。済まぬ﹂
﹁いえ、筑前守殿のせいではございませぬ。実は、一揆の中には気
心の知れた者も混ざっておりまして。色々と悩んでおりました⋮⋮﹂
政信は項垂れる。
⋮⋮成程ね。後世においても﹃徳川家を二分した﹄なんて言われ
る一向一揆だ。そりゃあ親友と敵味方に別れて争う、などと言うこ
ともあり得るだろう。現に俺が駿府時代に知り合った家臣の何人か
は一揆に加わったらしいし。
正信とか正信とか正信とか。
俺も忠勝や康政︵亀丸のこと。元服した︶と戦う事になったらさ
ぞ悩むことだろう⋮⋮。
はちや
まあ、幸いこの二人は一揆発生に伴って別の宗派に改宗したらし
いので、その心配はないが。
さだつぐ
なつめよしのぶ
しかし誰なんだろうか。特に根拠がある訳でも無いのだが、蜂屋
貞次や夏目吉信辺りか?
443
きしまごじろうのりあき
﹁その者の名を聞いてもいいかな?﹂
﹁はい。三河長良の住人で、岸孫次郎教明と申す者にございます。
拙者とは大変古い付き合いでございまして⋮⋮﹂
うーん。聞かない名だ。
大身旗本や譜代大名にはそんな名前の家は無かった筈だ。
だとすると⋮⋮一揆で没落したか、幕府成立までに継承者が絶え
たかのか。
改姓した、ということも考えられるが⋮⋮。
うーむ。わからん。
二一世紀にいた頃、もう少し勉強しておけばよかった、と今更な
がらに後悔。
一応、歴史ヲタクを名乗ってはいたが、どうやら知識に歯抜けが
あったらしい。忘れているだけかもしれないが⋮⋮。
﹁まったく、折角美人の嫁さんを貰って、息子まで生まれたと言う
のに⋮⋮﹂
﹁ふーむ﹂
俺の愚考とは裏腹に、政信と輝勝殿の世間話は続いている。
昔の思い出話やら、岸教明という人物の人となりについて、色々
と語っているようだ。
﹁烏賊のような兜を被っておりましてな。その由来と言うのがまた
⋮⋮﹂
﹁ほうほう。それはまた面白い﹂
この二人、中々馬が合うのである。よく上ノ郷城内で手合せして
いるのを見かけるし、宴会等では大体席が隣同士だ。年齢でいえば
輝勝殿の方が一回り程上なのだが、お互いに武人として通じるとこ
444
とがあるのだろうか。
何にせよ、上に立つ身としては、仲が良いのはありがたい事だ。
家中の火種について心配しなくても良いわけだし、戦場での連携も
上手く行き易い。
うん、満足満足。
それにしても、おっさん二人が馬上で世間話をしているというこ
の光景は、中々シュールなものだ。
﹁さて、そろそろ岡崎も近い。物見が戻ってくる頃ですな﹂
輝勝殿がそう言った直後のことだった。
御注進、御注進と大きな声を挙げて、先に放っていた物見が戻っ
て来る。
何やら大変慌てている様子だが⋮⋮。
﹁ぜぇ、ぜぇ⋮⋮﹂
﹁どうした!﹂
﹁も、申し上げます。お、岡崎城が、お、岡崎が⋮⋮﹂
!?
まさか落ちたか?
いや、そんなことはない筈だ。あってたまるか!
﹁敵の軍勢に囲まれておりまするっ!﹂
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
445
岡崎城。
言わずと知れた徳川家康生誕の城にして、徳川家の本拠、そして
三河の中心地である。
ゾンビども
そんな城を囲む一向宗門徒の軍勢を見て、内心で静かな恐怖を抱
く。
退者無間地獄﹄というフレーズが書かれた軍旗。
戦国史を調べた事がある人ならば、一度は聞いたことがあるだろ
う﹃進者往生極楽
よく分らないお経の旗。鍬を振り上げる農民兵と思わしき者たち。
その他諸々。
俺が以前戦った雑魚一揆とは違う。
古の黄巾の乱もかくあれり、という雰囲気で、数多の戦国武将た
ちを苦しめた、本物の一向一揆が、そこ
には存在していた。
︱︱此処まで窮地に追い詰められていたとは思わなかった!
確かに史実において、一揆勢は徳川軍を何度も追い詰め、一時は
岡崎城ギリギリのところまで迫っている。だが、それは一進一退の
攻防の途中だった筈だ。一揆発生から未だひと月経つか経たないか、
という時期に岡崎が攻められているというのは、流石に予想外の事
態だ。
何か問題でも起こったか?
﹁あの旗印は酒井将監のものですな﹂
446
﹁あの我欲男か﹂
どうもこの軍勢の将は、強欲男こと酒井将監忠尚であるらしい。
⋮⋮大将があいつと言うことは、何故岡崎が攻撃されたのか。理
解できるような気がする。
こいつの本拠・上野城と岡崎城は案外近い。元々筆頭に近い家臣
だったこともあり、城内の構造を知り尽くしているとも考えられる。
︵少なくとも忠尚にとっては︶攻めやすい、と考えられられたのか
もしれない。
そして、その動機の方もほぼはっきりしている。
酒井忠次殿に、酒井家総領の座を事実上奪われたことに対する不
満。自身を重用しない兄貴への不満。
元々野心家で強欲なあの男のことだ。
大方、この機会に徳川本家を排除して、自身が西三河の国主にな
ろうと企んだのだろう。
そもそも、信仰によって一揆についた他の家臣たちとは異なり、
こいつは我欲で行動しているのが丸分りなのだ。一揆に加わった松
平家の元家臣たちは、戦闘に参加する以外では目立った行動を起こ
していないのだが、こいつは開始当初から精力的に徳川家の直轄地
や岡崎方の家臣の知行地を攻めまくり、次から次に自身の領地に加
えているらしい。ようは合戦と言う名の横領を繰り返しているので
ある。
⋮⋮野心?き出しで動機バレバレな事この上ない。
﹁さて、いかがなさいますか。三郎殿。いずれ、わが軍が接近して
いることにも気づかれてしまうでしょう。できれば、存在が知られ
ぬうちに何とかしたい所でありますが⋮⋮﹂
﹁できれば城方と挟撃を行いたいですな﹂
447
岡崎城を囲む兵の数は、実はそれほど多くは無い。
うちの援軍と城内の兵を合わせれば、撃退できない数ではないの
だ。
むしろ問題はどうやって援軍が来ていることを知らせるか、だ。
狼煙を挙げれば敵にも存在がばれてしまうだろうし、かといって
伝令を放り込む余裕はない様に見受けられる。
ゾンビども
包囲を強行突破するのも手だろうが、それをやれば犠牲が大きく
なってしまう。これから一向宗門徒との死闘が待ち構えている以上、
無駄な損害は避けたいのだ。
﹁⋮⋮夜陰に乗じて、城に使者を送りますか﹂
﹁ですが、それが出来る人は限られてきますな。松平殿か、あるい
は三郎殿か。御両者共に御大将であることを考えると、おいそれと
手が出せるものではございませぬな﹂
﹁ここは、拙者にお任せ下され!﹂
そう言って叫び声を上げたのは、政信であった。
﹁お忘れかも知れませぬが、拙者はこういう時のために徳川様より
遣わされたもの。今働かずして、いつ働きましょうぞ﹂
﹁だが、大丈夫か?あの敵中をほぼ一人だけで突破しなければなら
ないんだぞ?﹂
政信の武勇の程は身近でそれを見てきた俺が一番よく知っている
が、それでもあれを突破するのは流石にきついと思われる。
﹁武勇には自信がありまする。それに、何も戦わなくても良いでし
ょう。ようは城側に接触できれば良いのですから﹂
448
﹁⋮⋮﹂
﹁何卒、何卒ご許可を﹂
政信が頭を必死で下げる。
⋮⋮覚悟はできているのだろう。
正直、彼を失うことになったら、と思うと気が気ではならないが、
ここで足踏みしていても何も始まらない。
よし。
ゾ
﹁分った。行くがよい。ただし、無理だと悟ったらすぐに引き返し
てくれ。こんなところで武勇の士を失いたくはないからな﹂
﹁感謝いたします!﹂
その日の夜。
ンビ
小さな松明の明かりと薄い月の光によって照らされる敵陣を、一
揆兵に変装した政信は歩いていた。陣中は静まり返り、聞こえてく
るのは夜番の兵の僅かな喋り声と、北風の音だけ。
そんな一種の寂しささえ感じる陣中を、彼はひたすらに外に向か
って進んで行く。
氏長からは、決して命を粗末にするなという命令を受けている。
それゆえ、目指すのは全く気取られず、この陣を突破すること。難
題である。
歩くこと数刻。陣の最外までたどり着き、突破しようとした政信
は、その出入り口を守っていると思わしき、二人組の番兵に呼び止
められた。
449
﹁なんだ、あんた。抜け駆けは厳禁だべ﹂
﹁んだんだ。もう少し待っててくんろ﹂
﹁なに。敵方の動きを見てくるだけだ。通してくれないか?﹂
﹁そうはいってもなぁ⋮⋮﹂
農民と思わしき見張りの兵は、思いのほか固い。
一瞬強行突破も考えるが、それでは氏長の命令を果たせる確率は
低くなってしまう。
︵仕方がない。出まかせを⋮⋮︶
﹁酒井様のご命令でな。都合の良い攻略口を探しに行くのだ。だか
ら、道を開けてくれ﹂
﹁こんな夜にだべか?﹂
﹁夜の方がわかり易いものもある。これが証拠だ﹂
そういって政信が取り出したのは、偽の命令書。ただ、その筆跡
と花押は間違いなく酒井忠尚のものであった。一体いつの間に用意
したと言いたくなるが、松平伊忠がこういった事態を想定してあら
かじめ渡しておいたものである。これの原型になったのは、以前吉
良家との戦の際に利用され、その後も深溝城内に保存されていた忠
尚直筆の書状。
見る者が見れば命令書で無い事が丸分りだが、ただの農民相手に
それを求めるのは酷だ。
﹁うーん。それじゃあ仕方がないべ﹂
農民兵は命令書を見せられて抵抗を諦めたのか。
それが偽物だとは全く知らず、あっさりと道を開けた。
450
﹁おお、すまんな﹂
﹁いえいえ。お疲れ様だべ﹂
︵おや、あれは⋮⋮︶
政信が彼ら門番の横を通り抜けようとしたその時、彼の視界に見
覚えのある烏賊の頭の形をした兜が映った。
そう、彼の友人・岸教明所有の兜である。
政信は動揺する。この兜の持ち主をこのまま拉致して岡崎城内に
引き摺っていきたいが、今は任務が優先。この門番たちに詳細を聞
いても良いが、下手な事をすればボロが出る可能性もある。諦める
しかない。
︵孫次郎⋮⋮︶
結局、内心で彼がここにいることを確認するに留めた政信は、そ
のまま包囲陣を抜けて岡崎城の元康に接触。
挟撃作戦を行う方針を取り決めると、帰りも無事に敵陣を突き抜
け、氏長に報告することに成功する。
氏長は両手を挙げて彼の無事を喜んだという。
そしてその翌日。
岡崎城、そして鵜殿家・深溝・五井の軍勢の猛攻によって、岡崎
城を包囲していた一揆勢はなすすべなく敗走。
ここに、岡崎城は危機から救われたのである。
451
良かれと思って只今参上︵後書き︶
13/04/17
加藤教明は三河時代には岸姓を名乗っていたというご指摘を受けま
して、少々訂正。
以後﹁岸教明﹂と表記いたします。
452
良からぬことを始めようじゃないか︵前書き︶
最近更新が滞り気味だ⋮⋮。
何とかしなければ。
453
良からぬことを始めようじゃないか
﹁よく来てくれたな三郎。礼を申すぞ﹂
﹁こちらこそ。徳川家の援護あっての勝利です。我々だけではとて
も奴らに勝つことは出来ませんでした﹂
岡崎城内。
一揆勢を追い入城を果たした俺は、久々の兄貴との再開を喜んで
いた。
文通はちょくちょくとしていたのだが、直接会うのは本当に久し
ぶりだ。
以前に会ったのは吉良家との戦が終った直後。岡崎城で宴会もど
きを行ったときの話だから、かれこれ二年ぶり位である。
見たところ、体調体格器量その他諸々に特に変わりが無いようで、
相変わらずの中肉中背なごくごく平凡な御容姿の人であった。
﹁お元気でしたか?﹂
﹁なんとかな。積もる話もあるが、今は一揆への対応が急務だな﹂
﹁そうですね。とりあえず一揆勢は追い払えましたが、奴らの勢い
が落ちたわけではないので⋮⋮﹂
﹁うむ。すぐに軍議を開こうか。三寺と鷲塚をどうにかしなければ、
一揆は収まるまい﹂
﹁はい﹂
色々と話したいこともあるが、何時一揆勢が攻め込んでくるか分
らないため、先に対策を考えておかなければならない。
454
お互いに事務的な話を少し交わした後、評定が行われると言う部
屋に向けて歩きはじめた。
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
広間に並んだ数十にも及ぶ徳川家臣。ちょくちょくと見慣れた顔
が混ざっているのは、まあ当然だろう。忠勝も康政もいる。ついで
に元忠殿や、松平分家の連中もいる。
かなりの数の家臣が一揆に流れて、悲壮感が漂っているかと思っ
ていたのだが、どうやらそうでもないらしい。此処にいる家臣、特
に忠勝をはじめとする﹁武辺者﹂と呼ばれる連中は、この一向一揆
という未曽有の危機を前にしても危機感を募らせるどころか、逆に
興奮しているのである。
あれか、戦闘狂というやつだろうか。
殿様が部屋の中にやって来ているのにもかかわらず、ワイワイワ
イワイと騒ぎたて、まるで周りを見ていない。壮年の老将︵恐らく
鳥居忠吉殿︶が静めにかかるが逆効果で、むしろ話に取り込まれて、
一緒になって騒いでいる。
まるで修学旅行で騒ぐ学生そのままだ。俺も学生時代はあんな感
じだったからよく分る。
ああ、他家の事の筈なのに頭が痛くなってきたぞ⋮⋮。
455
﹁賑やかな評定ですね⋮⋮﹂
﹁すまん⋮⋮﹂
みお
そんな彼らを見下ろしながら、兄貴と二人でそう会話する。
俺の立場は当然徳川の家臣よりも高く、この軍議の席では兄貴に
次いで上座に座っているのだ。この騒ぎ爆弾共の会話や動きが手に
取るようにわかるのである。聖徳太子ではないので、誰が何を言っ
ているかは流石に分らないが。
ただ、忠勝が同族である弥八郎正信を非難しているのははっきり
と聞き取れた。
てっきり幕府成立後の正信の所業によって、忠勝が彼を﹁同じ性
だが、奴のことは親戚とは思わない﹂と言うほどまでに嫌うように
なった、と思っていたのだが。どうやらこの頃からその火種は撒か
れていたらしい。
⋮⋮機会があれば仲裁してみようか。無駄な争いの種を知って、
そのままにしておくのは寝覚めが悪いし。
﹁いい加減にしろよ、お前ら!軍議が始められないだろうが!﹂
﹁申し訳ございません⋮⋮﹂
色々と思案を巡らせていると、遂に兄貴が怒り始める。
そんな彼の怒声によって、ようやく家臣たちはお喋りを止め静ま
り返った。全く敬意を持っていないように感じられても、流石は三
いっきについたやつ
河武士。主君の命令には絶対服従である。
一部例外もいるが。
﹁戦の後始末も終らぬところを良く集まってくれたな。一揆につい
ての対策を考えるとしよう。皆、遠慮せずに意見を述べるといい﹂
﹁ははっ﹂
456
家臣たち一斉に平伏する。
先ほどまで騒いでた連中だとは思えない程、その動きはぴしゃり
としていた。
さて、色々と献策してみるか。この場で東三河の情勢に最も詳し
いのは多分俺だろうし、奥三河の動も非常に気になる。この辺りの
動きを見ない事には、まともに戦略なんて立てられないだろう。
﹁まずは拙者が現状を確認させていただきます﹂
﹁うむ。許可する﹂
一番初めに発言したのは、徳川家の長老格である鳥居忠吉殿だ。
元忠殿の父親である彼は、今川家の城代に圧迫されていた時代にも
とりいしろうざえも
忠勤に励み、現在の三河武士の精神基盤を作った人として今川家中
では名が売れていたりする。
んただひろ
凄く憂鬱そうな顔をしているのは、彼の四男である鳥居四郎左衛
門忠広が、親兄弟の静止を振り切って一揆についてしまったからだ
ろう。
その心中はいかばかりか。俺には到底理解できそうにない。
﹁岡崎城に攻撃を加えてきた酒井忠尚とその指揮下にある一揆勢は
追い払うことが出来ましたが、三寺の一揆本隊は殆ど無傷かと思わ
れます。安翔城の大久保殿らがちょくちょくと奴らを攻撃してはお
りますが⋮⋮﹂
﹁とても損害を与えたと言える規模では無い、ということか﹂
﹁左様でございます⋮⋮﹂
三河三寺・野寺本証寺と、大久保一族が詰めているという安翔城
は近い。当然、連中の攻撃を受けやすいわけであるが、そこは勇将・
大久保一族と長坂信政。
連中の攻撃を悉く跳ね返し、逆侵攻を行っているとか。頼もしい
457
限りである。
だが、彼らの働きや、今回のような局地戦では殆ど完勝ともいえ
る成果を叩きだしているのにも関わらず、戦況は相変わらず徳川方
が不利、防戦一方だ。勿論、決して彼らが力不足とかそういう訳で
ゾンビ
は無い。
一揆勢の数が多すぎるのである。
門徒だけではなく、酒井忠尚のような文字通りの謀反人、一向宗
の生み出す権益に癒着するものたち。そういった小物俗物が蠢きあ
い、力を紡いで現在の形になったのが﹃三河一向一揆﹄と言う名の
妖怪だ。
それを指導する人間の心には信仰という高尚なものは殆ど無く、
意地汚い人間の欲。そんな連中の事だから、自らの権益を固守しよ
うと、今まで散々蓄えた銭を放出して軍備にいそしみ、意地でも敗
れまいと只でさえ厚い面の皮を益々分厚くして抗戦する。勿論、中
には本当に信仰心から動いている人も存在するだろうが、それはご
く少数だ。そもそも、奴らを構成する兵力の中には、坊主どもに地
獄云々をネタに脅されて無理矢理従わされている善良な領民だって
含まれているのだ。
本当にこの時代の坊主は碌な事をしない。
ええい、一向宗なんて幻想入りしてしまえ!
そして二度と戻って来るな!
余計な争いの種をばら撒きやがって。信長が意地でも連中を潰そ
うとしたのも頷ける。
一揆が片付いたら、何か対策を練らなければならない。最悪禁教
令を出すことも視野に入れなければならないだろう。こんな連中に
鵜殿領内で蜂起されたら、今までの苦労が全てパーになってしまう。
仮に鎮圧しても残党が潜り込んでよからぬ企みをしないとも限ら
ないし⋮⋮。
はあ、今から頭が痛くなってきた。
458
﹁とてもではないが、やつらの勢いが落ちるのを待っている余裕は
無いな。ここは討って出て、連中の拠点を潰すべきか﹂
﹁その方がようございますなあ。幸い今回の勝利で敵には隙が出来
たでありましょう。三寺の一つ位は攻略できるやもしれませぬ﹂
色々と悩み続けていると、何やら出撃という方向に話が移って行
った。
三寺の一つを落とすことが出来れば、一揆の勢いも弱まるだろう。
徳川家康といえば﹃待﹄の人だが、どうやら今回はその戦法をと
っている余裕はないと判断したようであった。
﹁殿、少々よろしいでしょうか﹂
﹁おう、左衛門尉か。何なりと申して見よ﹂
﹁拙者としましては三寺よりも将監の方を如何にかすべきかと存じ
ます。アレを放っておいては当家の沽券に関わることかと愚考いた
しますゆえ﹂
﹁うーむ、御もっとも。奴の上野城は岡崎の北。左衛門尉殿の申す
通り、放置するのは確かに危険でございますな﹂
酒井忠次殿の献策に、忠吉殿が同意の声を上げた。
酒井将監忠尚は前述の通り、文字通りの謀反人。忠次殿としては
絶対に放っておくことは出来ないのだろう。献策が受け入れられる
かどうかはともかく、同じ酒井家でも、彼個人は変わらぬ忠誠心を
持っていることを行動で示そうとしているのかもしれない。
﹁上野の方を、か⋮⋮﹂
兄貴は悩む。
北を攻めれば南の一揆勢に背後を衝かれる可能性がある。上宮寺
459
と勝鬘寺は、岡崎城からそこまで離れていると言う訳では無いのだ。
連中を無視して北を攻めるのは少々危険と判断しているのかもしれ
ない。
当然兵力を分けるという手も考えられるが⋮⋮。
﹁三郎。奥三河と東三河はどうなっている?﹂
⋮⋮何故か話を振られた。
両方の情勢を判断して攻撃対象を選択する、ということだろうか。
まあ、とにかく答えなければ。
バカ
﹁はい。小原鎮実の暴走によって敵に回った東三河・奥三河の国人
集団︱︱これから先、国人連合と称します︱︱は、今川方の各拠点
に攻撃を加えつつ、一路吉田城を目指して南下中とのこと。これが
拙者が上ノ郷を発つ直前の話でございます。﹂
﹁一応、その辺りは理解している。その国人連合の内訳や兵力はわ
かるか?﹂
﹁そうですね。吉田に近い岩瀬氏は既に我が手で討ち果たしました
が、他の連中はほぼ手つかずかと存じます。具体的に言うなら、真
木氏と岩瀬分家以外の牛久保六騎、西郷、戸田、奥三河の三方衆、
設楽、野田菅沼、伊藤、後藤、奥山その他あの辺の豪族。以上、全
部敵です。今川方に残ったのは伊奈城の本多家と牛久保の牧野本家、
真木と岩瀬雅楽助ぐらいですね﹂
﹁⋮⋮﹂
俺の話を聞いた徳川家臣団の顔面が、面白い様に青白くなってい
く。
話で聞く限りでは、辺り一面敵だらけでどうしようもない様に感
じられるだろう。
実際その通りなのだが。
460
﹁ただ、田原、そして長沢もございます故、四面楚歌と言う訳でも
無いでしょう。いざとなれば、遠江からの援兵も望めますので﹂
﹁うーむ。そういえば、一路吉田にと言ったな。牛久保はどうなっ
たのだ?まさか、もう落ちたか⋮⋮﹂
バカ
﹁いえ、どうも﹃鬼岩瀬﹄の反撃にあって、連中は攻略を諦めたよ
うです。一致団結している牛久保よりは、小原鎮実のせいでぐらつ
いている吉田の方が落とし易く、尚且つ国内に与える影響も大きい
と判断したのでしょう。あの城はご存じの通り、今川家の東三河支
配の中心地ですから﹂
﹁流石は鬼岩瀬か⋮⋮﹂
いわせうたのすけうじまさ
鬼岩瀬こと岩瀬雅楽助氏政は、以前俺が攻め落とした大塚岩瀬氏
の分家にあたり、その異名の通りの猛将だ。今川氏に対する忠誠心
も厚く、今回牧野本家が敵に回らなかったのは、彼が必死に牧野成
定を引きとめたからだともっぱらの噂である。
本家がしっかりと反逆したのに、忠誠を保つのは中々度胸がいる
ことだと思うが⋮⋮。あんまり有名では無いとは言え、彼もめんど
くさい三河武士の一員だったと言う事だろう。
﹁ということは。奥平が岡崎にやって来る可能性は低いか﹂
﹁そうなります。出てきても極少数でしょう﹂
作手の奥平氏の勢力圏は、岡崎の北辺りまで伸びてきているのだ。
どうやら兄貴は奥平の来襲を警戒していたらしい。
東三河の情勢を聞いてきたのは、それが一番の理由だろう。
或いは、酒井忠尚が奴らと連絡を取り合っている可能性も考えて
いたのかもしれない。
﹁よし、上野を攻める。色々と悩んだが、まずは北を平定して一揆
461
との対決に臨めるようにする。それが第一の方針である!﹂
﹁ははっ﹂
確かに一揆の団体様を相手にとるよりも、まだ小勢である酒井を
潰した方が楽だろう。
﹁一揆の方はいかがいたしますか﹂
﹁勿論対策はする。三郎、それに主殿助。岡崎残ってくれるか?﹂
﹁承知いたしました。留守はお任せください﹂
伊忠殿と二人で平伏する。
上野を攻めるのに、どちらかというと地馴れている徳川勢の方が
戦いやすい。まあ、いつぞやと同じく留守番になってしまったが、
これはこれで重要な役目である。
本城の留守を預けるということは、それだけ信頼されているとい
うことだし。
悪い気はしない。
﹁安翔の方は現状のままで良いとして、鷲塚の方は⋮⋮﹂
﹁此方も今まで通り、西尾城の雅楽助殿と彦三郎殿に任せるしかあ
りますまい。幸い吉良家もおりますし﹂
﹁だな⋮⋮。いくらなんでも距離が離れすぎている。二人には悪い
が、このまま耐えて貰う他は無い﹂
鷲塚御坊︵本宗寺︶は碧海郡の最南端に位置する。一向一揆の主
要拠点のうち岡崎からは最も遠く、おまけに辺り一面海に囲まれた
要塞と言うこともあって、ここを攻略するのは最後になる事だろう。
﹁まあ、こんな所か。では皆の者、明日以降の健闘を祈り、今回の
評定はこれまでとする﹂
462
その後は語るまでもない細々とした陣容やその他の取り決めを行
うと、評定はお開きとなった。
﹁では、解散!﹂
﹃はっ﹄
その後、家に帰る途中の服部半蔵を捕まえて、以前から考えてい
た諜報組織設立のために忍者の紹介をお願いすると、俺もまた宛が
われた部屋に入って体を休めたのだった。
さあ、明日から留守番だ。
﹁そういえば、献策できなかったな⋮⋮﹂
まあ、いいか。
463
良からぬことを始めようじゃないか︵後書き︶
会議ばかりやっている気がする⋮⋮。
464
ゾンビと忍者︵前書き︶
ご意見・ご感想をお待ちしております。
465
ゾンビと忍者
﹁よう、平八郎。お前も上野攻めに加わるんだって?﹂
﹁ああ。当然だぜ!﹂
評定を終えた翌朝。
ドタバタと騒がしい朝を迎えた岡崎城内で、俺は忠勝&康政のお
なじみコンビと会話中であった。
この二人に直接会うのは数年ぶりである。両者ともに元気そうで
何より。
﹁しかし、三郎。お前の武才も中々捨てたものでは無いな。まさか
一日で大塚城を落としてくれるとは﹂
﹁おうおう。てっきり軍略の方はからっきしかと思ったら、そうで
もなかったみたいだな!﹂
﹁買いかぶりすぎだよ、それは。相手の準備が整ってなかっただけ
だって﹂
うーむ。褒められて悪い気はしないが、いかんせん相手が相手で
ある。
こいつらに比べたら俺なんて井の中の蛙。自転車と新幹線くらい
の差がある。
なにせリアル戦国無双と十万石の賞金首だ。
事実、今でも忠勝に武芸では一度も勝ったことは無いし、軍学兵
法では康政には殆ど勝てない。
悔しいが才能の差というやつだろう。
こっちには未来知識というインチキがあるからお互い様とも言え
466
るが。
﹁そもそも、たった数百人で何万の大軍を止めるなんて芸当、俺に
は無理だ⋮⋮﹂
﹁なんか言ったか?﹂
﹁ううん。何も﹂
独り言を聞かれてしまったようだ。
二十年後くらいに起りうることだと言っても信じるわけないので
黙っておく。
そういえば、忠勝の蜻蛉切りってどうなってるんだろうね。今は
まだ例の義元様の名槍を使っているみたいだし、鹿の兜もまだ被っ
ていないようだ。
うーむ。早く彼のトレードマークとも言えるこの二つを見てみた
いが、俺たちは未だに十五、十六の若輩者。
それらが揃うのには、まだまだ時間がかかりそうである。残念。
あ、そういえば。康政にまだ元服のお祝いを言ってなかったな。
一応引き出物は郵送したが、あれだけでは不十分だろうし、何よ
り直接祝いの言葉を掛けてやりたい。
﹁小平太︵康政の通称︶、元服おめでとう。随分と遅くなってしま
ったが⋮⋮﹂
﹁ああ、感謝する。兄上の体調が芳しくない時期での元服だったの
が残念だがな﹂
﹁⋮⋮﹂
まごじゅうろうきよまさ
康政の兄・孫十郎清政殿は徳川家の侍大将ながら生まれついて体
が病弱であり、寝込んで戦に出れないと言うことが多いのだ。康政
の元服が予定より早めに行われたのも、彼の陣代を務める為だった
467
とも言える。元々酒井忠尚の一陪臣に過ぎない榊原家には、こうい
った場合に兵を預ける老臣みたいな存在がいない。彼以外には、陣
代を務めるのに相応しい人材がいなかったのだろう。
だが、結果としてそれが榊原家を飛躍させる直接の要因になると
は歴史とは不思議なものである。
ちなみに、榊原家を酒井忠尚配下から直臣に抜擢したのはほかな
らぬ兄貴だ。
流石は後の天下人と言うべきか。人を見る目は確かである。
ぐっどじょぶ
仮に直臣に抜擢していなかったとしたら、俺たちは今回の一揆で
敵味方に別れて争う羽目になっていた。本当にGJと言わざるを得
ない。
﹁そういえば、三郎ってあんまり功を誇らないよな﹂
﹁む、確かにそうだな﹂
暫く雑談を続けていると、二人がそんな質問を振ってきた。
確かにあんまり武功と言うものを誇ったことはない気がする。
この二人にとってはそれが意外なのだろう。
なにせ三河武士徳川家は武辺者の集まりであるため、ちょっとし
た行動でも武功として宣伝する癖があるのだ。
まあ、俺に誇れるほどの武功なんてないが。
﹁そもそも誇れるほどの武功が⋮⋮﹂
﹁いやいや、十分にあると思うけどな﹂
﹁大塚城の速攻攻略、初陣での献策、西尾城攻城戦⋮⋮、ぱっと思
いつくだけでもこれだけある﹂
逆に言えばそれだけだよ!
468
﹁うーん。あんまり活躍したという感覚は無いんだけどなぁ。初陣
とその後の戦は叔父上のおまけ、大塚城は援軍や家臣のお蔭だし﹂
﹁殿みたいな考えだなぁ⋮⋮﹂
忠勝がそんなことを言った。
駿府時代は結構な時間を松平邸で過ごしたため、案外兄貴の人と
なりが移ってしまったのかもしれない。
腹黒いイメージばかりが先行してしまい、二十一世紀では古狸キ
ャラが定着してしまっている徳川家康という人だが、実際には律義
者であり、それと同時に家臣思いで思い上がる事の少ない人なので
ある。事実というべきか、三河時代からの家臣うち、一向一揆終結
後に裏切ったり他家に走った家臣はほぼ皆無だ。唯一と言っていい
例は小牧・長久手の後に秀吉の元に出奔した石川数正だが、彼の出
奔には色々謎が付きまとっているので例外とする。
﹁それに、孕石みたいにはなりたくないしね⋮⋮﹂
﹁思い出させないでくれ⋮⋮﹂
アレの傍若無人っぷりを思い出したのか。
俺の返事を聞いた康政が青ざめた顔をして、納得するような拍子
で頷いた。
こいつらの耳にも孕石の悪行悪評は当然届いていることだろうし、
何よりも一番の被害者だ。俺があんな風になりたくないというのも
理解できるのだろう。
というか、理解していて欲しい⋮⋮。
﹁一瞬孕石みたいになった三郎を想像してしまった⋮⋮﹂
﹁忘れて、頼むから﹂
469
流石にアレと一緒にされるのは俺としても勘弁してもらいたい所
である。
﹁だが、あんまり誇らないのも厭味ったらしく聞こえるぞ﹂
﹁以後気をつけます⋮⋮﹂
加減が難しい。
下手に武功を誇れば嫌われ、かといって引きすぎれば康政の言う
通り嫌味にしか聞こえないだろう。
人付き合いって難しいね!
﹁孕石云々はともかく、お前ら気をつけろよ。相手はゾンビ⋮⋮じ
ゃなかった、妖怪一向宗だからな﹂
﹁勿論だ﹂
﹁なんだよ、ぞんびって⋮⋮﹂
﹁ああいう倒しても倒しても向かってくるようなイカれた死人のよ
うな奴らを、南蛮の連中がそう呼んでいるらしい。俺も詳しくは知
らないが﹂
我ながらいい加減な説明である。
ゾンビと言うのは、本来はアフリカあたりの伝承が発生源だった
はずだ。
﹁生きる屍﹂をゾンビというようになったのは二十世紀に入ってか
ら、創作などで広まった結果である。
当然この時代にそんな言葉を知っている西洋人︵南蛮人︶がいる
筈無い。
よって、この説明はほぼ俺の創作である。真っ赤なウソと言う訳
でも無いかもしれないが。
﹁ふぅん。だけど﹃ぞんび﹄っていうのは呼びやすいな!いつまで
470
も一揆勢一揆勢じゃめんどくさいし。小平太、今度から奴らのこと
はこう呼ぼうぜ!﹂
﹁確かにいいかもしれないな。殿に提案してみるか﹂
﹁そうと決まれば行動だ!じゃあな、三郎。留守番頼んだぜ!﹂
﹁武功を期待しているぞ﹂
﹁そ、そっちもな﹂
叫び声をあげてドタバタと走って行く忠勝たち。
ああ、また胃が痛くなってきた。
すぐ悪乗りする兄貴のことだ。絶対に即採用!とか言うに決まっ
ている。
忠勝の言う通り、確かにいつまでも﹃一揆勢﹄じゃ長ったらしい
うえに発音するのも大変だから一理あるんだけど。
﹁なんだかなぁ⋮⋮﹂
俺は誰かに悟られないように、ため息を一つ吐いたのだった。
結局、忠勝たちの提案は通ってしまったらしい。
以後、徳川家中では一揆兵のことを﹃ぞんび﹄と呼称するように
なってしまう。おまけに﹃蠶人﹄とかいうよく分らない漢字まで当
てて。
史実よりも数百年早い、日本におけるぞんびの誕生であった⋮⋮。
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
471
徳川軍本隊の岡崎城出陣から暫く後。
はんぞうまさなり
いがさんじょうにん
はっとり
氏長に﹁忍者を紹介してくれ﹂という無茶を吹っ掛けられた服部
はんぞうやすなが
半蔵正成は、自らの父親にして伊賀三上忍が一・服部家の当主であ
る半三保長に相談を持ちかけていた。
﹁⋮⋮というわけでありまして、鵜殿様からは是非にと﹂
﹁中々面白そうな話じゃな﹂
仙人のような白い顎髭をもさもさと利き腕で弄りつつ、息子の話
を聞く保長。
その瞼は閉じられ、傍から見れば正成の声をバックミュージック
に気持ちよくうたたねをしている様にも見える。
しっかりと反応している分そんなことは無いのだろうが、見る者
が見れば本当に忍者かと突っ込みたくなる光景であった。
﹁鵜殿の若は中々面白い御仁のようじゃな﹂
﹁左様ですなぁ。忍びの正規雇用ですか﹂
この時代、忍者の待遇はとてもではないが良いとは言えるもので
はない。
殆どの大名家では、大体が雑兵足軽と同じかそれ以下の扱いであ
る。
︱︱忍者を正式な家臣として取り立てる。
472
その氏長からの提案に、彼らが驚くのは無理はない。
事実、保長にとっても、忍者の紹介を依頼されたことはあっても、
家臣として迎えるために推薦して欲しいといわれたことは皆無であ
ったからだ。
武士として仕官に成功したという話は偶に聞くが、そんな例は自
分を含めても本当に僅かだ。
﹁本国で食いつくものは多そうですなぁ﹂
﹁だが、時期が悪すぎる。今は少々人手不足だからのぅ﹂
三好長慶の死去に伴う三好政権の混乱や、六角・浅井の抗争、松
永久秀を原因とする大和の動乱等々が原因で。彼らの本国・伊賀に
もひっきりなしに派遣依頼が届き、国内はがらんどうとしていると
か。
そんな状況では、推薦したくても推薦できない。なにせ人がいな
い。
﹁いっそ甲賀を頼ってみますか?﹂
﹁むう。どうせなら伊賀者を推薦したいんじゃがのぅ。徳川と言え
ば伊賀者じゃろうて﹂
﹁その理屈はどこから来るのですか⋮⋮﹂
近江甲賀。
伊賀の北に位置する忍者の名産地である。
﹁伊賀と甲賀は対立していた﹂と各種創作で刷り込まれている現代
人には意外にとられるかもしれないが、実はこの両者、戦国時代に
はすこぶる仲が良く一種の協力関係にあったのである。
物語の本筋からは外れてしまうが、その仲の良さを証明する出来
事として、史実において家康配下の伊賀忍者の要請で、甲賀忍者二
百人が上ノ郷城に工作を仕掛けて見事成功させた、という記録が残
473
っている。
たておか
おとわ
﹁諦めて下さい、父上。ないものを振っても仕方がありませぬ﹂
﹁むむむ⋮⋮仕方がないのぅ。楯岡や音羽あたりを送り込みたかっ
たのじゃが⋮⋮﹂
﹁大人しく諦めましょう。そもそも、あいつらがこの話乗ってくれ
るが分らないでしょうに﹂
﹁むぐぅ。しかしなぁ⋮⋮﹂
﹁では、依頼書を書いておきますね﹂
﹁頼んだ﹂
甲賀に向けた依頼書をしたため始めた正成を尻目に、保長は目を
閉じ物思いに耽る。
︵忍優遇、若年で当主として成功を収める、身分にこだわらない性
格。亡き大殿を思い出してしまったわい︶
まつだいらきよやす
閉じられた瞼に映るのは、嘗て自分を三河に引き摺って行った男
︱︱松平清康の姿なのだろうか。
彼はそのまま眠ってしまいそうな姿勢で一昔前への回想へと意識
を伸ばした。
※※※※※※※
474
保長が松平清康と出会ったのは一五三十年、応仁の乱の残り火が
未だに燻る京の都でのことであった。
貧乏な伊賀を離れて足利将軍家に仕えてみたはいいものの、忍び
出身という理由で全く用いられず、おまけに相次ぐ権力闘争で幕府
内はボロボロ。毎日場末の酒場でおバカな将軍や幕府高官に対する
愚痴を語り続けても、状況は良くならなるわけもない。
鬱憤が溜まりに溜まり、いっそのこと伊賀に引き籠っていた方が
良かったのではないかと、思えてならない日々に飽き飽きとして、
放浪の旅にでも出ようとしていた時のことだった。
彼の前に、その男が現れたのは。
﹁いい面構えだな!よし、俺の家臣になれ!﹂
ボロボロの自宅で酒を暴飲していた保長の前に現れたその男は、
開口一番そんな台詞を言い放った。
突然の来訪者の破天荒な物言いと、その風格溢れる見た目に、困
惑したのは保長の方である。
その華著な身なりからして、どこか有力な大名家に連なる者なの
だろう。
年は自分よりも一回り下の二十前後と言ったところ。既に三十路
を越えた保長からみれば、未だ子供の域を出ない年齢ではあるが、
見た目からはとてもそうは思えない。
逆に自分が年下で、この青年に恐喝されていると言われても不思
議はないだろう。
小鷹に優る鋭い目を持ち、その小柄な体躯からは覇気という覇気
475
があふれ出て、まるで神話に登場する伝説の英雄ような神秘的な雰
囲気を持った青年。
ドラ息子が精一杯背伸びして演技しているのではないかとも考え
たが、冷遇されているとはいえ、幕府の直臣を引き抜こうとする胆
力、伴の一人も連れずに他家の家臣のもとに訪れる謎の度胸。
どっからどう考えても偽物や演技の類とは思えない。
﹁いや、突然そんなことを言われましても。拙者は上様の直臣でご
ざいますぞ⋮⋮﹂
額から冷汗を流しながら、不法侵入に文句を言うのも忘れて彼は
目の前の闖入者にそう答えた。
目の前の青年は保長を値踏みすようるなよく分らない目つきで彼
を眺めている。
時折ふむふむという頷きを発する以外は、特に変わった動きはな
い。
やがて考えを終えたのか、青年が質問を始めた。
﹁将軍家がお前に何をしてくれた?﹂
﹁一応、禄を頂いておりまする﹂
﹁それで、恩が出来たと言えるのか?﹂
﹁⋮⋮禄を頂いている以上、忠義を尽くすのは人の世の常かと存じ
上げまする﹂
質疑応答。
武士の忠義から最近の生活状況まで、いまいち主旨を理解しかね
る質問と答えの応酬が続く。
青年はふむふむという相槌を打ちつつ、彼の答えを聞いていく。
やがて質疑応答がひと段落し、保長の出自や現状への不満が全て
476
吐き出されたところで、彼は切り出した。
﹁どうだ、一度武士を志したのだ。俺のもとで出世を目指してみな
いか?﹂
﹁誰に仕えても、今の状況は変わりますまい。せめて忍びの有用性
を最大限に理解してくださる方が現れなければ⋮⋮﹂
﹁ほうほう、ならばそなたの目にかなうものがおるのか?将軍家や
ししき
さんかんれい
それに近いものが駄目ならば、選択肢は限られてくると思うが⋮⋮﹂
保長は悩む。
将軍家に近い家、すなわち四職・三管領とよばれるような名家で
は駄目だ。彼らは古くからの血縁や家柄にとらわれて、在野の者を
絶対に重用しようとはしないから。かといって余裕のない弱小勢力
では将来性が無いし、朝倉や尼子といった古くからの名家ではない
が、それなりに安定している家では活躍できる幅が少ない。
そうなると、最近もっとも勢いがあるといわれる﹁あの家﹂位し
かない。
﹁うーむ。最近話題の﹃海道一の弓取り﹄松平二郎三郎様にならば
仕えても面白そうでございますなぁ。丁度都にやって来ているとい
う噂がありますし、伝手があれば是非ともご紹介いただきたいです
な﹂
﹁それは俺だぜ?﹂
それを聞いた青年は、少々驚いた顔をしてそう言った。
﹁またまた御冗談を。松平様がこんなボロ屋に現れる訳があります
まい﹂
477
保長が彼を信じないのも無理はない。
この当時、若年で三河を事実上統一した清康は﹃海道一の弓取り﹄
として、その名声を高めていたのである。当然、幕臣である保長が
その噂を知らない筈がない。
清康という超有名人にして今をときめく戦国大名がこんな町はず
れのボロ屋敷に現れるとも思わないし、まさか自分のような零細似
非武士を家臣にしたがっているとは夢にも思わないだろう。
﹁やっぱりそうなるか⋮⋮。証拠があっても信じないか?﹂
﹁ほうほう、あるならば是非とも見せて欲しいですな﹂
﹁ならば、この紋所が⋮⋮﹂
いんろう
そういって、清康が懐から松平の家紋が描かれた印籠を取り出そ
うとした時のことだった。
ばたんという音とともに、服部家の扉が勢いよく開かれた。ギシ
ギシと、屋敷の木材が悲鳴を上げ、それと同時に顔を真っ赤にして
扉をこじ開けた侍の姿も視界に捕えることができた。
︱︱さては押し入り強盗か!
とっさの判断で懐から脇差を取り出した保長は、印籠を出そうと
したまま硬直している清康の前に、彼を守るように立ち塞がった。
その間、僅か数秒。
流石は現役忍者というべきか、その動き一つ一つに無駄は無い。
だが、そんな彼の動きを見ても、強盗と思わしき侍の突撃は止ま
らなかった。
︱︱狼藉者、名を名乗れっ。
いよいよ危機感を覚えた保長がそう叫ぼうとした直後のことであ
478
った。
突撃してきた侍が止まり、清康の方を向くと、怒りの表情で怒鳴
り始めたのである。
﹁こちらにおられましたか!大殿!﹂
﹁伊賀⋮⋮﹂
下手をすれば鼓膜が破壊されかねないような大声に、唖然として
いた清康が我に返り何やら口にした。
どうやら、曲者だと思われたこの突撃侍は目の前の青年の知り合
いだったらしい。伊賀、というのはこの人物の通称か何かだろう。
そんな考えを抱き、ひとまず危機は去ったと判断した保長は構え
を崩した。
彼の目の前では客と突撃侍がなにやら言い合っている。
﹁松平家の当主ともあろうものが何時も何時もふら付き回って。本
日は上様と会談の予定でしょう!送れたら如何なさるおつもりでし
たかっ!﹂
﹁すまんすまん。どうも、不遇を囲っている忍びがいるという噂を
聞いてな﹂
﹁しかしもかかしもございませぬ。宿舎を抜け出すだけならいざ知
らず、よそ様に迷惑をかけるなど言語道断。今後はこんなことのな
い様にしっかりと監視させていただきますぞ!﹂
とりいいがのかみただよし
﹁ひぃぃぃ⋮⋮。勘弁してくれ﹂
﹁なりませぬ。この鳥居伊賀守忠吉、家老の役割を放り出す訳には
参りませぬ故﹂
﹁ひぃぃぃ⋮⋮﹂
成程。
やはりこの青年は大名か、それに類するものだったようだ。
479
しかも将軍と会話できるとなると、かなりの高位、或いは名家の
人物である。
しかし松平。つい先ほど聞いたことのある家名だ。
松平、松平⋮⋮。
ここまで考えて、保長は目の前の青年が本物であったことによう
やく気付くのであった。
※※※※※※※
時は再び現代に戻る。
︵思えばあれから色々なことがあったものだ。︶
清康と出会った当時と比べて大いに衰えた自分の姿を瞼の裏に映
しながら、保長は走馬灯のような回想を続ける。
清康に仕えた自分を、彼は言葉の通り重用してくれた。
情報収集から破壊工作、そして流言・内応勧誘といった調略まで。
織田家を始めとする外部勢力との戦いにおいて、自分が関わらなか
った戦は無かったと言っても良いほどだ。案外貧乏な三河ゆえ、そ
れほど給料が高いとは言えなかったが、幕府に仕えていたころより
だいぶマシであった。
480
彼が今でも生きていれば、今頃松平はどこまで成長していたであ
ろうか。
織田を倒し、遠江あたりで今川と小競り合っていたかもしれない。
美濃に進出していたのかもしれない。
だが、全ては遠い夢の話。
森山崩れにおいて清康の命が消えた時、保長のその夢もまた覚め
あべまさとよ
てしまったのである。
尾張守山において阿部正豊の凶刃から清康を守り抜く事が出来な
かったのが、今でも無念で無念で仕方がない。
彼が殺害されたその時、保長は丁度陣中を離れていたのである。
あの時、もう少し陣中に滞在していれば。織田方の謀略を警戒す
るだけでなく、警備を強化しておけば。
そんな後悔からか、清康の死後彼は気力を失い、事実上の隠居状
態に陥ってしまう。
松平家があっけなく今川家に吸収されてしまったの時も彼は動か
なかった。いや、動けなかった。
なぜなら、彼は文字通り﹁生ける屍﹂のような姿になってしまっ
たいたから。
そして、下手をすれば死ぬまでそのままだったかもしれない。
だが、人生の最終盤とも言える今、保長は清康を継ぐと思わしき
人間を発見することができた。
勿論、彼の主君は松平家改め徳川家であり彼ではない。
せらだじろうさぶろう
だが、どうしてもその人物に重ねて見てしまうのである。
在りし日の世良田次郎三郎︱︱松平清康の姿を。
﹁鵜殿三郎の行く末、興味があるの⋮⋮。彼が大成するまで、儂の
命が持てばよいのだが﹂
481
誰にも聞こえぬ保長の嘆きは、冬の木枯らしの音に紛れて遠くへ
と消えて行った。
徳川本隊が上野を落とすために岡崎を出陣したその日。
駿府で時を待っていた今川本隊がついに躍動を開始した。
勲功稼ぎに燃える井伊直親と、娘婿の身を案じる関口親永を先鋒
として、一万を超える兵を動員。
采配を握るのは勿論今川治部大輔義元自身。
今川家にとっては、桶狭間以来となる大出征であった。
︱︱そして、この軍勢の中には、織田家の使者として一揆発生直
前に駿府を訪れ、新年を駿府で明かす羽目になっていた水野信元も
含まれていたのである。
482
ゾンビと忍者︵後書き︶
サブヒロインを投入しようか迷っています。
架空の人物でもありなんでしょうか。
483
愚者の末路︵前書き︶
架空人物に関しての御意見、感謝いたします。
いろいろ悩んだ結果、﹁歴史的資料をもとにして作者が造り上げた
人物﹂をサブヒロインにすることにいたしました。
登場はしばらく先になりそうですが、どうぞ応援宜しくお願い致し
ます。
484
愚者の末路
とりいしろうざえもん
﹁拝啓、鳥居四郎左衛門︵忠広︶殿。一揆の冬、どのようにお過ご
なつめじろうざえもん
しでしょうか⋮⋮﹂
﹁夏目次郎左衛門︵吉信︶殿、蔵人様︵元康のこと︶が、貴殿の顔
が見られないと嘆いておられました﹂
徳川軍が出陣して人気の少なくなった岡崎城の館内で、俺はお手
紙を書いている最中である。
宛先は鳥居元忠殿の弟・忠広殿他、一揆側についた徳川家臣の内
で、俺と面識のある者たち。
ただ留守番をしているだけというのもアレなので、忠誠心と信仰
との狭間でぎこちなくなっている彼らに対して此方から揺さぶりを
かけ、調略してしまおうと言う訳である。
流石に俺の手紙だけでは無意味かもしれないが、今回はそれに加
えて、それぞれの親兄弟や友人からの手紙も同封して送りつけるこ
とになっている。兄貴から﹁今回の謀反の罪は問わない。悪いのは
扇動した坊主共である﹂という史実同様の裁定を得ていることもあ
り、効果が出ることを期待したい。
史実でも一揆側から徳川方に寝返った人物は存在している。今回
も大暴れして帰って来るであろう忠勝達に武功で負けない為にも、
上手く行ってほしいものである。
⋮⋮そろそろ知略面での活躍もしてみたいし。
﹁えーっと。鳥居忠広、夏目吉信、渡辺守綱、蜂屋貞次⋮⋮こんな
ものか?﹂
485
書き終えた手紙を、宛先ごとに分別していく。
書洩らしは多分無いと思うが⋮⋮。
ああ、そういえばあのナマズ髭とその弟を忘れていた。
鷹匠⋮⋮っとこれでよし﹂
たかじょう
後々徳川家の参謀として大活躍する筈の男だが、この時代では影
が薄いのだ。
﹁さっさと戻ってきやがれ鯰髭
うん。これで終わり。
あとは各武将に向けて発送するだけだ。
流石に彼ら全員の居場所は詳しく分らないが、その辺りは半蔵率
いる伊賀者軍団が探し出してくれるはずである。
まあ、殆どの武将は三河三寺や鷲塚に詰めているのだろうが。
﹁三郎!三郎はいるか!﹂
書き終わった手紙を纏め終わって一息吐いていると、ドタバタと
言う騒がしい足音を立てて伊忠殿が駆け込んできた。
何やら興奮しているようで、顔面に赤みがかかり、凄まじい鼻息
を立てている。
折角のイケメンが台無しである。
﹁おう。ここにいたか!ゾンビどもに動きがあった。奴ら、懲りず
に此処︵岡崎︶に攻め込んでくるらしい﹂
﹁やっぱりきましたか。それで兵の方は?﹂
﹁ああ、招集はかけておいた。すぐに集まるだろう⋮⋮っと、こん
なのんびり喋っている場合じゃなかったな﹂
﹁はい。直ぐに動きましょう﹂
急いで鎧に着替え、兵が集まっている大手門の前に向かう。
486
そこにたむろしていた徳川家臣の話を聞いて、一揆勢の詳しい動
きが掴めてきた。
予想通りと言うべきか、此処から南すぐにある勝鬘寺の一揆勢が
岡崎を狙う動きをしているらしい。
﹁本隊がいなくなった隙をついて﹂というやつだろう。
軍の規模はそれほど大規模ではない、という話を聞く辺り、連中
は十中八九油断している。
﹁全く、舐められたものですな﹂
俺と同じく話を聞いていた新平が、そんな愚痴を漏らした。
俺も同意見である。
徳川本隊には劣るだろうが、俺ら鵜殿兵の強さも舐めてもらって
は困る。
こういう時のために、一丸となって訓練やら何やらを繰り返して
きたのだ。
寄せ集めのゾンビ如きに負けて堪るか。
﹁よしっ、出陣だ。ゾンビどもなど恐るるに足りぬ。我らの強さ、
奴らに思い知らせてやろう!﹂
﹃おーっ!﹄
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
487
徳川本隊が上野城を果敢に攻め立て、氏長達留守番部隊が岡崎城
近辺で一揆勢との戦闘を行っている頃、国人連合数千の兵に包囲さ
とだしげさだ
れている吉田城は、いよいよ陥落の危機に立たされていた。
有事の際に出城として機能するはずだった二連木城の戸田重貞が
敵に回ったお蔭で、吉田城はほぼ完全に孤立。城兵の必死の抵抗も
むなしく、呆気なく包囲陣を構築されてしまう。
さらにその陣を拠点にした猛攻によって城内の士気・兵力は順調
に低下。防衛戦略の一環を担っていた豊川と朝倉川の守りも、諸城
との連携を経たれて完全に包囲された今となっては邪魔でしかない。
おはらしげむね
更に、本来ならば真っ先に救援に動くはずの田原城は守りに徹し
て動かず、伊奈城の本多氏、長沢城の小原鎮宗は奥平氏の軍勢と交
戦中、敵襲を撃退したばかりの牧野・真木の両家には他者を援護す
る余裕などない。
夢も希望もない悲惨な日々が続き、既に防衛線は壊滅状態であっ
た。
本来ならば今川家の重要拠点であり、様々な防御設備に守られた
この城が、僅かひと月程度でこれほどまでの危機に陥ることなどあ
りえない。
ここまで追い詰められたのは、突然の敵襲でまともに兵が用意で
きなかった、先の敗戦で戦力が低下していた等の理由が考えられる
が、やはり最大の原因は小原鎮実であろう。
この男を激しく憎み、今にも討ち取らんとして気炎を上げ続ける
国人衆とその郎党達にとっては、土塁城壁や櫓程度の防衛システム
など、無きに等しいものなのである。
そして、鎮実の人望の無さは、敵ばかりでは無く味方にも深刻な
488
影響を及ぼした。
彼の指揮下で戦死することを嫌った一部の兵たちが、連合側に投
降を始めたのである。
ここまで来ると、最早城側の崩壊は止められない。
次々と現れる内応者・投降者によって城の無防備な部分が暴露さ
れ、次々と郭が陥落、それに伴って戦死したり、逃げ出したりする
兵も増殖した。
負が連鎖し、次から次に爆発。今川方を目に見える速度で追い詰
めていく。
そして、ここまで追い詰められた小原鎮実は、再び愚行を繰り返
した。
遠江方面に来ているであろう本隊に駆け込み、救援を要請すると
いう名目を恥かしげもなく掲げ、吉田城からの単身逃走を図ったの
である。勿論、味方には無断で。
⋮⋮だが、天は彼に味方しなかった。
山本光幸の陣を夜陰に紛れて抜けようとしている最中、光幸本人
りゅうたんじ
に発見された彼は呆気なく捕えられ、その翌朝、仇討に燃える国人
衆一同によって、嘗て彼自身が人質を処刑した龍枯寺の境内で斬殺
されてしまった。
誇りはおろか、職務すら投げ捨てて逃走した男の、まことに呆気
ない最期であった。
その死を聞いた城兵が漏らした言葉は﹁ざまあみろ﹂の一言だっ
たと言う。
⋮⋮田原や牧野氏の軍勢が動かず、氏長が吉田城を事実上見捨て
たのも、武田の調略や三河の情勢とは関係なしに、すべてはこの男
の愚かさが原因だったのかもしれない。
489
だが、彼の死は逆に吉田城の結束を高める結果となった。
いながきうじとし
嫌な上司が消えたことで一発奮起した城兵は、鎮実の副将格であ
った稲垣氏俊を臨時の大将に据えて徹底抗戦。氏俊自身の見事な采
配も相まって、鎮実が守将であった時と同じ軍勢とは思えないほど
の動きを見せた。
この点に関してだけ言えば、連合軍の行動は裏目に出てしまった、
と言っても良いだろう。
最終的に、吉田城は守将こそ失ったものの、半月後には二連木城
を落とした今川義元自身を迎えることに成功したのである。仇敵で
あった鎮実を討ったことで連合軍の方も士気が上がっていたが、救
援を信じて戦い続けた吉田城兵の粘り勝ちといった所だろう。
そして、今川本隊の三河着陣とほぼ同時期に、徳川本隊は上野城
とそれに隣接する諸城の殆ど攻め落とし、岡崎から挙母にかけての
とだただつぐ
とりいただひろ
西三河北部をどうにか平定することに成功する。そして、氏長の調
略によって戸田忠次・鳥居忠広両将を始めとする一部の武士が一揆
を見限って徳川方に戻り、僅かながら、情勢は今川有利に傾き始め
たのである。
だが、彼ら今川家の人間は気づいていなかった。
今回の騒動の背後にいる、巨大な黒幕の存在に。
︱︱甲斐の虎・武田信玄が三河に牙を?くまで、あと少し。
490
愚者の末路︵後書き︶
この作品では散々な扱いの鎮実ですが、史実では国人衆に負けるこ
となく大活躍しております。
491
反撃の狼煙︵前書き︶
ご意見・ご感想お待ちしています
492
反撃の狼煙
吉田城救援に成功した今川軍本隊は、余勢を駆って撤収する国人
連合を追撃。
大物の首こそ殆ど上がらなかったものの、彼らの軍勢に少なくな
い打撃を与え、渥美郡内から追い払うことに成功する。
遠征初戦を見事な勝利で飾った義元他本隊の面々は、拍手喝采に
包まれながら、吉田城への入城を果たしたのである。
まごろくろう
﹁よくぞ吉田を守り通してくれたな、孫六郎︵稲垣氏俊︶。この義
元、そなたの忠義と采配に感動致した﹂
﹁は、ははっ。ありがたきお言葉⋮⋮﹂
嘗て小原鎮実が居座っていた吉田城の主殿で、義元は吉田城を守
り通した功労者である稲垣氏俊を称賛した。
彼がいなければ、今頃吉田は国人連合の手に落ち今川家の東三河
支配は揺らいでしまっていたことだろう。義元が手放しに称賛する
のも至極当然と言えた。
自らが信頼していた小原鎮実があのような失態をしでかした直後
のことであった為、今回の勝利は彼の耳にはより良いものとして響
いたに違いない。
﹁うむ。褒美として二連木城を与える。知っての通り、あの城は吉
田城の前線じゃ。そなたの力をこれからも当家のために生かしてく
れ﹂
﹁ははっ。この孫六郎、全力を尽くさせて頂きます﹂
稲垣氏俊、齢五十を越えての大出世である。
493
その後ちょこまかとした論功行賞を終えると、会議は東三河の新
体制作りに移行した。
﹁死んだ小原の代わりに、吉田城代には庵原将監︵之政︶を任じる﹂
﹁ははっ﹂
討たれた小原鎮実の代わりに、先代から忠誠を尽くしてきている
庵原之政に城代を任せる。
最盛期に比べれば痩せ細ってしまっているものの、義元を包む覇
気と将才は健在。
次々と指示を出して、東三河の体制を固めて行く。
氏長が見れば感動して卒倒するだろう。
それだけ見事な指示であった。
﹁先鋒は変わらず井伊肥後に申しつける﹂
﹁ははっ﹂
義元から指名された三十歳前後の武将が、強い感情の籠った声と
いいひごのかみなおちか
共に平伏した。
井伊肥後守直親。
次郎法師の元婚約者であり、最近今川家中で頭角を現してきた新
鋭である。
彼は養父の働きによって一国人から譜代家臣への事実上の昇格を
果たした井伊家の家格をさらに引き上げようと燃え上がり、不断の
努力を重ねていたところなのである。
事実、今回の遠征においては近藤康用や菅沼忠久といった家臣・
与力一同を引き連れ、桶狭間で養父・直盛が率いた軍勢よりも大規
模なそれを率いて参戦。何処の家臣よりも早く、駿府今川館に駆け
つけたのであった。
今回先鋒に任命されたのは、そんな彼の努力が義元の目に留まっ
494
たからなのかもしれない。
﹁何時でも出られるように準備をしておいてくれ﹂
﹁承知いたしました﹂
﹁関口刑部︵親永︶は、岡部次郎右衛門尉それに水野殿を連れて岡
崎に向かうがよい。婿の顔も久しく見ていないであろう?﹂
﹁お心遣い感謝いたします。ご命令、しかと承りました。しかし、
正式な使者とはいえ、仮にも敵である水野殿を軍勢に同行させると
言うのは⋮⋮﹂
元康への増援命令を受けた関口親永が、義元の指示に首を傾げた。
敵である水野信元を自らの軍勢に同行させるのは機密漏れになる
のではないかと危惧しているようだ。
﹁⋮⋮使者殿が謀反人の手で殺害されたとあっては、我が家の名折
れじゃ。安全の為にはやむをえまい﹂
﹁しかたありませぬか。なんとか機密を守りつつ、水野殿を岡崎に
輸送いたしましょう﹂
﹁そなたには苦労を掛けるな⋮⋮﹂
ちなみに噂の水野信元本人は此処にはいない。
どさくさに紛れて主殿内に入ろうとしたのを義元近習に見つかり、
そのまま屋外に追い出されてしまったのである。いくら使者とはい
え、流石に敵国の人間に軍議を見せるわけにはいかないからだ。
﹁田原の天野・朝比奈両将も此方に呼び戻寄せろ。彼らの軍勢も手
勢に加えて、国人連合を追撃する﹂
﹁一つ、気になる事がございます﹂
﹁次郎右衛門か。申して見よ﹂
495
田原城の軍勢を呼び戻そうとする義元に水を指すような意見をし
たのは、元康の親友にして先ほど関口隊に付属された岡部正綱であ
る。
﹁ははっ、僭越ながら申し上げます。田原城の動き、どうも怪しゅ
うございます。聞けば天野殿、朝比奈殿ともに出陣の準備はされど
も、全く動く気配がないとか。事実上小原殿を見捨てたとも言える
この行為、拙者としては、敵と通じているのではないかと疑いを向
けざるを得ませぬ﹂
﹁それはわしもおかしいと思っておった。だが、守りを固めていた
だけとも取れる故な。今の段階でどうこうするわけにもいかん﹂
﹁左様でございますか﹂
今ここで小原鎮実を見捨てた事を理由に、天野・朝比奈両将を更
迭し、別人を城主に任命するのも不可能ではないが、両者ともに何
年にも渡って田原を指揮してきた人間である。この不安定な時期に
突然司令官を変更してしまえば、間違いなく指揮系統に異常をきた
す。義元としては下手に弄るわけにはいかないのだろう。
結局、両者への処分は本人たちの弁を聞いてからという結論を出
した義元は、田原へと伝令を飛ばした。
そして、義元は今まで誰も話題に出さなかったタブーへと踏み込
む。
﹁⋮⋮肥前︵小原鎮実のこと︶に殺害された人質たちをしっかりと
弔わねばならぬ﹂
﹁はい。聞けば御遺体は小原殿によって纏めて埋められてしまった
とか。しっかりと改葬を行わなければなりませぬな⋮⋮﹂
義元の言葉と庵原之政の返答を聞いた家臣たちが、一斉に苦しそ
うな顔をした。
496
敵味方入れ替わりの激しい戦国時代といえども、彼らもまた人の
子である。無残な殺され方をした人質たちには同情してもしきれな
いのだろう。中には今回殺害された人質と個人的に親交のあった家
臣もおり、声には出さないもののすすり泣いている人物もいた。井
伊直親の与力、近藤康用などその代表である。
﹁肥前の遺領は全て没収、家名は断絶じゃな。あれだけのことをし
でかして、本人は死んだから何も無しというわけにはいかん﹂
妥当な処分だろう。
その他の家臣たちも、異を唱えることはない。
駿府に送られるはずであった人質を勝手に殺害して叛乱を誘発、
最終的に任務すら放棄して逃走した人間に対して同情する家臣は皆
無であった。
義元の下した処分は翌日には駿府の氏真に伝えられ、ここに今川
重臣であった小原氏嫡流の家名は途絶えることとなる。
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
﹁お疲れさん﹂
﹁戦功は上げたぜ?﹂
497
徳川本隊が岡崎に帰還した翌日のこと。
俺は忠勝と康政から、上野城攻略戦の詳細を聞きだしていた。
なんでも忠勝・康政ともに大活躍をしたらしく、二人とも楽しそ
うに語ってくれている。
数正殿が調略で活躍しただとか、忠次殿が敵の伏兵を見破っただ
とか。
忠勝本人は上野城で城内一番乗りを果たしたらしい。康政も派手
な活躍こそ無かったものの、しっかりと兜首を挙げ、感状を頂戴し
ているらしい。
そんな彼らの話の中でも、気になることが一つだけあった。
﹁忠尚には逃げられたのか⋮⋮﹂
﹁ああ。どうもあらかじめ逃走の準備をしていたらしい。俺たちが
城内に突入した時には、城内に奴の姿は無かった﹂
これ。
酒井忠尚が戦死するでも降伏するのでもなく、逃走したというこ
とだ。
康政の話を聞く限りでは、落城直前まで上野城内にいたのは間違
いなさそうだが⋮⋮。
奴め。随分と準備の良い奴だな。
まあ、史実でも徳川に敗れて駿河方面に逃走したという話だから、
予想できないことは無いのだが。
駿河に逃げられない現状ではどこに逃げたのか分らないが、大方
一揆のもとに逃げ込みでもしたのだろう。
まーた面倒くさいことにならなきゃよいが⋮⋮。
﹁全く、城を枕に討ち死にくらいしろっての!﹂
忠勝が一人で怒り、ぶんぶんと槍を振り回している。
498
連日連戦のお蔭でそれなりに疲労がたまっていると思うのだが、
全くそんなそぶりは見せない。
山城の昇り降りで全く疲れを見せなかった政信といい、三河武士
は基礎体力が違うらしい。
﹁そんなことよりも、お前の怪我は大丈夫なのか?﹂
康政が俺の右腕に巻かれた包帯を見て言った。
これは、先日の一揆との合戦で負ってしまった傷である。
どうも敵兵の中にかなりの弓上手がいたらしく、知らない間に狙
撃のターゲットにされていたらしい。
幸い直前で気付いてガードに成功したが、もう少し遅れていたら
確実に首辺りに突き刺さっていた。
死ぬかと思った。
矢じりは深く刺さっていなかったため命に別状は無かったが、こ
んな目にあいたくないと言うのが本音だ。
余り前に出過ぎないほうが良いのかもしれない。
大将たるもの軽率な行動は云々と政信に怒られたことだし、少々
自重した方が良さそうである。
﹁とりあえず大丈夫かな。浅く刺さっただけだし﹂
﹁そうか、ひとまずよかった﹂
﹁無茶するなよ!一応大将なんだろう?﹂
﹁⋮⋮﹂
無茶ばっかりしているこいつ︵忠勝︶だけには言われたくなかっ
たが⋮⋮。
まあ、仕方がないか。
﹁上野城が落ちて、今川の本隊も三河入りした。そろそろゾンビど
499
も決着をつける時期だろうな﹂
﹁ああ。こいつの調略も上手く行ってるみたいだしな!早く奴らの
本拠を攻め落としたいぜ!﹂
話は進み、一揆勢との決戦の話に進んでいく。
この二人の言う通り、そろそろ決戦を挑む頃なのかもしれない。
相変わらず勢いは落ちておらず、本隊と安翔城の軍勢以外の徳川
軍は苦戦を強いられているが、一揆本隊との決戦に勝利し、その余
勢を駆って三寺のうち一つでも攻め落としてしまえば、今川本隊の
増援も含めて形勢は此方側に傾く。
戸田忠次&鳥居忠広という一揆の内情に詳しい人も岡崎に来てい
るし、一度進言してみるべきだろうか。
うーむ。
とりあえずほかの徳川家臣たちからも話を聞いて、兄貴のところ
に話を持っていくとしようか。
そんな悩みを抱えながら、友人との歓談は過ぎて行ったのである。
それから数日後。
関口親永、岡部正綱の援軍を迎えて勢いに乗った徳川軍は、一向
一揆を攻撃するべく意気揚々と岡崎城を出陣する。
兵力は数千に膨れ上がり、先日の連勝によって士気も高い。
決戦を挑むには又とない好機であった。
だが、勝利の女神は徳川軍には微笑まなかった。
出陣直後に飛び込んで来た急報によって、撤退を余儀なくされて
しまったから。
500
﹁武田菱の旗を掲げた軍勢が北方より接近中!動きから見て、狙い
は岡崎だと思われます!﹂
501
反撃の狼煙︵後書き︶
ああ、文才が欲しい⋮⋮。
502
三国同盟破れたり!︵前書き︶
前回の投稿から早一か月⋮⋮。
大変遅くなってしまい申し訳ありません。
503
三国同盟破れたり!
﹁くそっ、ここで武田か!三国同盟はどうしたっ!﹂
﹁むむむ、不覚でしたな。まさか使者の一つも送らずに敵対行動を
起こすとは!﹂
﹁強欲な信玄坊主の考えそうなことです!﹂
兄貴や、それを支える重臣たちの悲鳴が陣中に響く。
さもありならん。
同盟を結んでいた筈の武田家の旗をもった兵が、突如として奥平
領から現れた。
これが意味するところは一つだけ。
︱︱甲駿越三国同盟の事実上の崩壊。
︱︱そして、今回の叛乱の裏で武田家が糸を引いていたと言う真
実。
俗に言う善徳寺の会盟によってこの同盟が結ばれてから十年あま
り。
名軍師・太原雪斎がその全力を注いで築き上げた同盟は、武田信
玄と言う斜め上男の陰謀によりあっけない崩壊の時を迎えてしまっ
た。
戦国時代の盟約としては中々長期間働いていたものだと思うが、
やはり﹃あの﹄武田信玄を抑え込むには少々力不足であったようだ。
﹁今川の大殿にはっ!?﹂
504
﹁早馬は飛ばしましたが⋮⋮﹂
先ほどから忠次殿やら元忠殿やら、経験豊富である筈の武将が顔
面を蒼白にして押し問答を繰り広げている。彼らも未だに混乱が収
まっていないのだろう。
本来ならば陣中の将をまとめなければならない筈の人たちが何を
やっているんだ、と突っ込みたくなってくるが、俺も人のことは言
えない。
面にこそ出していないものの、内心では冷や汗だらだら。
今からすぐにでもこの陣を引き払って上ノ郷に引き上げたいくら
いだ。
もと現代人である俺にとっては、武田と言えば戦国最強、すなわ
ち死亡フラグである。
三河人、そして今川家や徳川家に所属する立場である以上、何れ
戦わなければならない相手だと言うことは分かっていたが、こんな
とくえいけんしんげん
に早く交戦の機会が巡ってこようとは流石に思わなかった。
ドン
甲斐・信濃両国を治める武田家、そしてそこの首領・徳栄軒信玄。
言わずと知れた戦国時代を代表する英傑にして戦国大名。
﹃風林火山﹄の軍旗を用い、無敵の武田騎馬軍団を率いて敵対者を
蹂躙しつくした通称・甲斐の虎、武田信玄。
そして、新羅三郎義光を祖とする甲斐源氏の棟梁として、鎌倉以
来甲斐に土着し続けてきた武田氏とその家臣団。
飯富・山県の赤備え、小山田の投石部隊、真田忍軍、戦国三弾正
やら二十四将やら四名臣やら。
どいつもこいつも、この時代一流の能力と戦力を持った集団だ。
ああ、某ゲームで信玄軍団のチート能力とインチキ効果に泣かさ
れた記憶がよみがえる。
505
一撃で一万人近くも兵を削るとか人間業じゃないだろう、アレは
⋮⋮。
﹁帰参してよかった帰参してよかった帰参してよかった⋮⋮﹂
ただひろ
そんな未来の記憶の欠片︵しかも架空︶はさておき、俺の隣でブ
ツブツと独り言をぼやいている青年が一人。
調略によって徳川家に帰参してきた鳥居元忠殿の弟、忠広殿であ
る。
なんでも親族︵父と兄︶が徳川方にいることで、一揆主導者たる
坊主共からは腫物扱いされていたらしい。
そんな状況に嫌気が差し、何よりも主家との忠誠心と信仰の狭間
で揺れていた彼は、同じく徳川家の縁戚で坊主共に疎まれていた戸
田忠次殿と進退を計り、俺や家族からの手紙を受け取ったこともあ
って、自らと忠次殿の手勢数百人と共に、無事に帰参を果たしたの
であった。
﹁あとわずかな間でも一揆側に留まっておれば、主家の危機を放っ
ていた男として末代まで恥を残すところでございました。三郎殿、
機会を与えて下さった事に感謝いたしますぞ⋮⋮﹂
俺が隣にやってきたことに気づいた忠広殿が、神妙な顔をしなが
ら深々と頭を下げる。
彼の顔面には、忠吉殿と元忠殿に食らったらしき鉄拳制裁の跡が
痛々しく残っていた。
﹁⋮⋮此度の件で拙者も目が覚め申しました。あの坊主共、信仰云
々と大それたことを言っておきながら、自分たちは何もしませぬ。
それどころか、平門徒同士の対立を煽るようなことまでやっており
ました﹂
506
THE生臭坊主。
今は亡き蓮如さんが見たらブチギレること間違いなし。
恐らく三河一向宗のトップに立つ坊主共は、寺が直接差配する権
益を拡大するために、邪魔になりそうな武士や豪農といった有力者
たちに争いの火種をばら撒き、消耗させたところを﹃御仏の慈悲﹄
とか言って彼らの財産や権力その他を完全に教団の管理下に置いて
しまう心算なのだろう。
醜悪ここに極まれり、という奴である。
﹁このまま坊主共の醜態が続けば、何れ一向宗は内部から崩れ始め
るかも知れませぬ。その時が、奴らに引導を渡す最大の機会でござ
いましょうな。勿論、一人の門徒としては悲しくはありますが⋮⋮﹂
忠広殿は俯きながら、大きなため息を吐いた。
俺では彼の悲痛を計り知ることは出来ないが、彼が一揆に加担し
た理由は、正真正銘信仰心からだったと聞いている。前述のような
俗世にまみれた坊主の悪行を目にして、彼の信仰心は急激に低下し
てしまったのかもしれない。いや、門徒云々と言っているあたり、
仏様自体、そして親鸞上人への信仰心は残っているのだろう。だが、
三河の一向宗、そして本願寺教団自体に対する畏怖の念は間違いな
く消え去っている。
少々不謹慎かもしれないが、このまま坊主共の暗黒面が累々暴露
され、彼のような人物が大量発生してくれることを願うばかりであ
る。
⋮⋮というか、皮肉だよな。
坊主共が己の利益に固執して、陰謀を巡らせば巡らすほど、その
偽善と言う本質に気付いた理性ある人物が一揆を離れていくことに
507
なろうとは。
まあ、史実でも一向一揆︵と本願寺︶なんて内乱ばかり起こして
いるものだから、当たり前といえば当たり前なのだが。
だいしょういっき
加賀一向一揆の内乱である大小一揆しかり、越前一向宗の内乱し
かり。
きょうろく
さくらん
蓮如上人の血を引く兄弟たちが、教団内の利権分配に不満を漏ら
して争ったという享禄の錯乱。
そして極めつけに、東西両本願寺への分裂。
此処まで来れば、もはや宗教ではなく一つの政治勢力と言っても
よい。
しかも、教団内だけで争うならいざ知らず、こいつらの場合は無
関係な大名家まで巻き込んで戦火を拡大するので尚更性質が悪い。
おまけにその原因が分裂・分派といった宗教的なものでは全くな
く、お寺の権益に関わるようなものばかりだと言うのもまた凄まじ
い。
﹁一向宗の安心は弥陀如来の本願にすがり一心に極楽往生を信ずる
ことにある﹂とか言ったところで、それを率先して行わなければな
らない筈の坊主は、結局目先の利益に囚われ過ぎているということ
だろう。
あー、だめだ。また愚痴っぽくなってきてしまった。
それはさておき、こういった一揆内の情けない事情も踏まえて、
再び調略の手を伸ばしてみるのも良いかもしれない。
武田家と今川家が事実上の敵対状態に陥ったことは、あちら側の
三河武士にもいずれ伝わる事だろうし、それに危機感を覚えた彼ら
が少しでもこちらに戻って来てくれるかもしれない。
主にもともと忠誠心が厚いっぽい奴ら、夏目吉信だとか渡辺半蔵
508
とか。あの辺りが。
寝耳に水だった武田の侵攻だが、それによって一揆に加担した松
平家臣団がこちら側に戻ってくると考えれば、不幸中の幸いと言え
るだろう。
⋮⋮そういえば、一揆リーダーの人となりとか、あんまり聞いた
ことが無いんだよなぁ。
空誓とかいう坊主だってことは知ってるけど、こいつの実績とか
人格とかまるで噂にならない。
ついでに聞いてみようか。
﹁ふむ、空誓どのについてですか。蓮如上人の孫という話を聞いた
ことがありますな。最も、本当かどうかは分りませぬが﹂
蓮如の孫ね。
本願寺教団の中では崇められる立場の人間なのだろうが、一揆の
内情を耳にした身としては、何の感慨も抱かない。只の俗物坊主だ
ろう。
問題なのは、やつらが国外の勢力とつながっているかどうか、だ。
空誓自体は威張り散らす以外には何のとりえもない坊主だとして
も、こいつが持っていると思われる人脈は、どれだけ警戒しても足
りない。
最悪、国外︱︱特に織田家や武田家︱︱から援助を受けている可
能性も視野に入れなければならないのだ。
﹁四郎左衛門︵忠広の通称︶殿。その空誓の一揆前の動き、わかる
範囲で良いので教えていただきたいです﹂
﹁うーむ、難しいですな。あまり表に出ず、人付き合いの薄い方故、
詳しい事は存じ上げませぬが。噂程度で良いのなら⋮⋮﹂
﹁お願いします﹂
509
やまもと
﹁承知いたしました。少し前のこと、それこそ蜂起直後のことです
が、山本と名乗る山伏が寺院内を徘徊していたことがあったそうで
してな。不信に思った同僚が問い質したところ﹃自分は空誓の客人
で、しっかりと滞在許可を得ている。だから問題ない﹄と申したそ
うで。厳戒態勢の寺に怪しい山伏、しかも前述の通り、空清殿は余
り人を寄せ付けぬお方故、何故こんなのがいるのかと皆不思議に思
っていたそうでございますよ。もっとも、拙者はその場には居らな
かった故詳しいことは分りませぬが﹂
﹁⋮⋮﹂
山本?
山本さんなんて日本各地を巡ればそこらじゅうにいるが、三河で
山本、それも一揆のリーダーと直接会話できる存在といえば、牛久
保六騎の山本家くらいしか出てこない。
平安時代中期の鎮守府将軍・源満政を祖とし、現当主・光幸から
やま
数えて数代前に駿河に土着、今川家に仕えて三河賀茂郡内に所領を
与えられたという歴史を辿った家である。
もとたてわきよしみち
日本の歴史上で有名な人物と言えば、幕末の越後長岡藩家老・山
本帯刀義路、昭和の連合艦隊司令長官・山本五十六︵ただし養子︶
あたりだろう。
⋮⋮そういえば昔大河ドラマで見たような気がするが、あそこっ
て、確か山本勘介の生家だっけ?
ま さ か
やられたっ!
一向一揆と武田はグルだっ!
510
﹁三郎、殿は任せたぞ﹂
﹁お任せください﹂
しんがり
勝蔓寺近くの陣を引き払い、岡崎に向かう徳川本隊に別れを告げ
る。
でんぐん
今回の撤退戦における俺の役割。それは﹃殿﹄である。
殿。殿軍ともいう、早い話が軍隊の最後尾だ。
進軍時ならば大して危険な役割でもないが、撤退時ともなると話
は別。
敵の追撃を防ぎつつ、味方の後退をサポート。尚且つ自らも戦い
ながら後退という難易度の高い指揮をとらなければならず、合戦に
おいて最大の危険度を持つ任務と呼ばれているほどだ。
その難易度の高さから無事に生還できればこれ以上ないほどの名
誉・戦功とされるものの、当然生還率は非常に低い。
ん?なんでそんな危ない役割を引き受けたかって?
本当に武田軍が接近していた場合、連中の相手は徳川軍の精鋭部
隊じゃないと難しいと考えたのだ。
つまり、俺がここでゾンビ共を相手にして時間を稼いでいるうち
に、兄貴たち徳川本隊に武田軍を撃退してもらう、という寸法であ
る。
俺の肩には荷が重すぎると思わないでもないが、幸い徳川家から
のサポートも付き、未来知識を元にした策もいくつか考えてある。
岡崎城とも離れていない︵直線距離で5キロ程︶ので、何とかなる
と信じたい。
﹁三郎には苦労ばかりかけてる気がするが。済まんな⋮⋮﹂
511
﹁いえ、お気になさらずに。本多一家と小平太もいます。何とかな
るでしょう﹂
そんな謝罪を繰り返す兄貴を岡崎に送り出し、今回の殿を共にす
ることになったお馴染みの面々と簡易軍議を行うために、俺はその
場を後にする。
ほんと、どうなる事やら⋮⋮。
512
おい、合戦しろよ︵前書き︶
お待たせして申し訳ありません。
色々悩んだり唸ったりして更新が遅れてしまいました。
三か月も遅れたことに心からお詫び申し上げます。
終盤までの大まかな流れはとりあえず思いついたので、更新速度を
上げられると思います。
513
おい、合戦しろよ
﹁それで、どうなさるおつもりで?﹂
﹁敵は数千、此方は八百。下手をすれば壊滅ですぞ﹂
夜空を照らす程の篝火と、それに負けじと煌く星空の下、木製の
テーブルを囲む数人の武将。
徳川&鵜殿家が率いる、ゾンビ討伐軍の本陣である。
鵜殿家からは大将である俺と、鵜殿家部隊の現場指揮官である新
平、護衛役の政信、それと居候︵寄騎︶である輝勝殿。
援軍として残って貰った徳川家臣からは、忠勝・康政の四天王コ
ンビと、今回も力を貸してくれるらしい伊忠殿。そして、忠勝の後
見人である本多忠真殿の四人が参加している。
﹁はじめまして、肥後守殿。平八郎から御高名を伺っております﹂
﹁こちらこそ、はじめまして﹂
忠勝からちょくちょくと話は聞いていたが、忠真殿と直接会うの
は今回が初めて。
本多肥後守忠真。
平八郎忠勝の叔父にあたり、彼にとっては恩人とも呼べる人であ
る。
幼いころに父親を亡くした忠勝を自らの居城に保護し、読み書き
から武士の心得、槍の扱いにいたるまで丁寧に教え、彼が元服した
後は後見人として共に戦場を駆けているという。
後世における知名度は忠勝や同じく本多一族であるインチキ参謀
正信、その息子釣り天井正純に比べれば大したことがないが、彼の
教育成果は忠勝の生き様に見事に表れているといってよいだろう。
514
後に彼が﹁家康に過ぎたるもの﹂と唄われるのも、すべてはこの
本多忠真という人物のお蔭なのだ。
彼がいなければ四天王・本多忠勝はこの世に存在しなかったかも
しれない。
﹁平八郎がいつもお世話になっております﹂
﹁ははは。昔からの付き合いですからね﹂
一時は徳川家と敵対することも覚悟していた俺にとっては、こう
して彼らと肩を並べて戦えることは存外に嬉しかったりする。
史実なら今頃三河を追い出されて、遠江二俣に居候してた筈だし
ね⋮⋮。
﹁短い間でしょうが、力をお貸しください﹂
﹁喜んで。お世話になっている分働かせてもらいますぞ﹂
忠真殿は笑って答えた。
この人も実兄︵忠勝の父︶が戦死、その後の今川家の三河乗っ取
りで相当苦労していた筈だが、こうやって暗い部分を全く見せない
のは、三河武士としての芯の強さ故か。
﹁挨拶はこれくらいにして。本隊の撤退は既に始まっております。
後は我々が無事に帰還できればよいのですが⋮⋮﹂
﹁幸い、敵は寄せ集めのゾンビ共。少なくとも、逃げる分には問題
ないものかと存じ上げます﹂
﹁じゃが、折角の殿軍じゃ。一戦も交えずにただ逃げるのみ、とい
うのは如何なものか﹂
口ぐちに、それぞれの意見を言い合う諸将たち。
忠真殿はこの後の展開における不安を、伊忠殿は撤退に肯定的な
515
意見を、輝勝殿は良く言えば無骨ものらしい合戦至上主義な意見を、
それぞれ口にする。
論戦、舌戦。
これも﹁合戦﹂の一部に入るということだろうか。
そして、忠勝と康政は手練れの武士たちの雰囲気に飲まれ押し黙
ってしまっている。
それなり戦場を経験し、場数を踏んだとはいえ、彼らはまだまだ
青い若造だということだろう。
そして、それは当然俺にも当てはまる。
特にこの二人と違い戦線で殴り合った経験が殆どない俺にとって
は、正直この気迫を受けただけで逃げ出したい気分だ。
勿論、名目上とはいえ大将が逃げ腰でいるわけにもいかない為、
この場を離れるわけにはいかないのだが。
これは、精進しろという内心からの警告だろうか。
今度鳥居忠吉殿辺りにでも三河武士としての薫陶を授けてもらう
おうか。
﹁三郎殿、貴殿はどうお考えですかな?﹂
﹁何もせずに退却するのか、それともこの場に留まるのか﹂
﹁お考えをお聞かせ願いたい﹂
話を振られてしまった。
おっさん三人が雁首そろえて此方をまじまじと見つめてくると言
うのはシュールすぎる。
﹁そうですね⋮⋮。敵は烏合の衆であるとはいえ大軍、まともに相
手はしない方が良いでしょう。いかに此方が精鋭とはいえ、正面か
らぶつかれば数の勢いに呑まれかねません﹂
とのものすけ
﹁そうなると⋮⋮﹂
﹁はい。主殿助︵伊忠︶殿の申される通り、本隊の退却が完了し次
516
第、さっさと陣を引き払ってしまったほうが良いかと思われます﹂
結局のところ、これが最善の案だと思われる。
敵は指揮系統がはっきりしない一揆集団。本格的な軍隊のように、
規律をもって統率されている訳では無いのは今までの戦闘から分り
きっている。
俺たちが突くのはそこだ。逆に言えば、そこしかない。
敵の行動が鈍い所を衝き、素早く撤収を完了させる。
武士や一人の男としては、敵前逃亡とも言える行為を行うのは少
々悔しいが⋮⋮。
﹁筑前殿、申し訳ございませんが今は抑えて下され。いずれ、あの
ゾンビどもには鉄槌を下してやりましょう﹂
﹁むむむ。しかたありませぬな﹂
流石にこの戦力だけで、要塞と化しているお寺を攻めるのは無理
がある。
納得のいかぬ顔をしている輝勝殿を何とかして説得し、しっかり
と計画を練るために軍議は続く。
﹁幸い岡崎城は近いので、逃げ込んでしまえば此方の勝ちです﹂
﹁ですが、敵もバカではありません。此方が兵を退くと分れば、す
ぐにでも襲い掛かって来るのでは?いや、既にばれているのやも⋮
⋮﹂
ここで、今まで黙っていた康政が疑問を呈する。
彼の心配は尤もだろう。
﹁一応、策というか考えていたことがあります。新平、あれをここ
へ﹂
517
﹁ははっ﹂
ドタバタという騒がしい音をたてて、新平が退席。
そして、すぐさま何やら大きなものを抱えて戻ってきた。
﹁三郎殿、これは一体⋮⋮﹂
﹁ボロ人形﹂
﹁いや、それはそうですが⋮⋮﹂
新平と、それに連れられた橙陣の足軽が持ってきたのは、藁や木
ヒトガタ
の枝、枯草などで組み上げられ、申し訳程度に鎧のようなものを取
り付けられた、顔面に仮名文字のようなものが書かれた人型。
惑うことなき﹃案山子﹄である。
顔面の文字はお馴染みのへのへのもへじだが、この時代に読める
人はいない。
﹁何時の間にこんなものを⋮⋮﹂
﹁急ごしらえです。酷い出来ですが、一時的に誤魔化すには十分か
と。それと、ついでに本隊には軍旗を可能な限り置いて行って貰い
ました。この軍旗の下に人形を上手く配置しておけば、より偽装度
は高くなると思います﹂
﹁やけに本隊の方が寂しいと思ったら、そういうことですか。てっ
きり撤収に邪魔な荷物を置いていっただけと思っておりました﹂
正式名称は偽兵の計ともいう、軍記ものではお馴染みの﹁敵の目
を欺こう﹂作戦である。
三國志演義で諸葛亮が使ったものが有名だろう。
レーダーどころか広角レンズもない時代、索敵・斥候を行うのに
頼りになるのは人間の眼だけだ。
そして、どんな熟練した物見であっても、それが人間である以上、
518
絶対にミスを犯す。
大した量の無い碁石を沢山あるかのように錯覚したり、目の前の
違和感に全く気が付かなかったり。
こんなできの悪い案山子でも、遠くから見れば兵に見えるだろう
し、何よりも前述の大量の軍旗のお蔭で本隊とその兵は未だ陣に留
まっていると誤魔化すことができる。
敵の目がこれに釘付けになっている間に、俺たちは出来る限りの
軽装で陣を引き上げてしまえば良いのだ。
勿論、敵に見つからないように真夜中に行動しなければならない
だろうが。
ああ、寝不足が捗る⋮⋮。
﹁バレたら?﹂
﹁その時は全力で応戦して逃げる、ということで﹂
我ながら投げやりだな、と思う。
だが、実際問題最悪の場合には、これ以外に手が無いのも事実な
のだ。
寄せ集めのゾンビ集団でも、その勢いだけは本物だ。一度策を崩
されて、部隊を立て直す自信はない。
本当にきわどい勝負だ。
⋮⋮武田の侵略で勢いに乗った連中が、討って出てこないことを
願うだけである。
﹁ふむ、こんなところでしょうな。あとは⋮⋮﹂
﹁ええ、退却用意が出来次第、引き上げてしまいましょう。長居は
したくない﹂
開始から数時間、軍議が終った。
後は誤魔化し作戦に従って、各部隊ごとに撤収の準備、人形の配
519
置や最悪の場合の迎撃準備を行う手はずだ。
というよりも、早い所ではもう準備を進めている。
うちの橙陣の奴らとか、本多家の部隊とか⋮⋮。
﹁では、各々方。ご武運を。生きて岡崎に帰りましょう﹂
﹁御意﹂
∼鵜殿さんちの氏長君・目指せ譜代大名∼
﹁おーい、三郎。夜襲に行こうぜ!﹂
﹁⋮⋮﹂
軍議解散後。
俺が新平や政信を指揮して退却準備を進めていると、完全武装の
忠勝とその従卒と思わしき数名の足軽が、突然現れてそんなことを
のたまった。
本当にこいつは。
そんな遊びに行くような感覚で戦争に行こうなんて言っちゃいけ
ません!
﹁あのなぁ。軍議でも行ったけど、そんな余裕は殆ど無いんだよ。
少しでも隙を見せると拙いんだ⋮⋮﹂
520
﹁そうは言うけどさぁ⋮⋮﹂
⋮⋮果たしてこいつは本当に軍議を聞いていたのだろうか。
そういえば、こいつ軍議中には全く発言しなかったよな。
まさか寝ていたんじゃなかろうか⋮⋮。
﹁∼♪﹂
俺がそんな疑問を漏らすと、突然口笛を吹き始めて目を逸らす忠
勝。
駄目だこりゃ。
﹁肥後殿⋮⋮﹂
﹁申し訳ない。いつものことです﹂
いつの間にかその場にいた忠真殿に助けを求めるも、肩をすくめ
るだけで取り合って貰えない。
この人もフル武装なだけに、こうなった忠勝の説得は不可能だと
諦めているのかもしれない。
﹁気分や戦況はともかく、此方の手を見透かされないためにも夜襲
を行って誤魔化す、というのは良いかもしれませぬな﹂
輝勝殿が言った。
確かにそれには一理あるが、何せ戦況が戦況だ。
﹁ですが、流石にあの要塞と化した寺に突撃するのは無謀です。死
にますよ?﹂
﹁外縁部に守りが薄い陣がございます。其方を狙おうかと﹂
521
うーむ⋮⋮。
﹁責任が全てわしがとります。どうか、出撃の御沙汰を﹂
﹁頼む、三郎。このまま逃げるだけじゃ武士の恥だ﹂ ぺこぺこと頭を下げて出撃許可を取る二人組。
仕方がない。
忠真殿ではないが、こうなったこいつらは梃子でも動かないだろ
う。
﹁わかりました。ただし俺も出ます﹂
手綱は握らせてもらう!
大高城の時のようになったら、悲惨じゃすまないからな!
同時刻。
朝比奈輝勝や本多一族を始めとした狂戦士軍団に狙われていると
も露知らず、勝蔓寺の外縁部に陣を張るゾンビ集団は、誠に暢気な
ものであった。
勿体無いという理由で篝火すらまともに焚かず、雑兵どもは見張
りすら投げ出して酒盛りや猥談に力を入れる始末。それを監督しな
ければならない筈の坊主共も、めんどくさいやらどうでもいいと言
う理由で投げやり、自らも酒盛りを始める有様。
一応、武士出身の門徒が独自に付け焼き刃の警戒網を敷いている
のだが、如何せん数が足りな過ぎる。
彼らが上司である坊主に守りの薄さを進言してみても、武士の功
522
績が増えるのを嫌った彼らは全く耳をかさず、農民兵を唆して防衛
線を敷こうにも、坊主が動かないのを良い事に前述の醜態をさらす。
彼らにとってみれば、もはや手詰まりの状態であった。
流石にここまでの醜態を晒せば、いい加減坊主の偽善に気づく者
も出始める。
だが、いまさら徳川家に戻るのは彼らの誇りが許さない。氏長か
らの調略を黙殺した武士たちも、そんな矛盾した感情を抱えていた
のだろう。
そして、そんな哀れとも自業自得とも取れる状況に陥っている者
の中には、米津政信の親友である岸教明の姿もあった。
﹁心配は御最も。ですが、御仏の加護がある我々に負けは無いので
す。分ったらさっさと持ち場に戻りなされ﹂
﹁⋮⋮﹂
これで何度目か。
岸教明は盛大なため息を吐いた。
上司である坊主に進言を繰り返し、散々この惰性の危機感を訴え
ても帰ってくるのは定型文のような言葉ばかり。最早決起時にあっ
た信仰心など欠片もなく、彼の心にあるのは坊主への失望と、なぜ
一揆側についたという深い後悔だけである。
夜空に浮かぶ星々を見ながら、教明は思う。
徳川家に残ってさえいれば、このような悲惨な目にあう事も無か
った。今頃は殿の御側で槍をふるい、一揆を薙ぎ払っていたことだ
ろう。
そんな栄光を逃し、武功なしどころか謀反人にまで身を落とした
のは、全ては自分の不徳、完全な自業自得だ。故郷の者や親類縁者
親友の反対を押し切り、一揆についてこの様。このままでは生まれ
たばかりの息子と嫁、そして最期まで引き留めようとしてくれた親
友に申し訳が立たない。
523
⋮⋮そういえば、彼は元気でやっているだろうか。以前鵜殿家に
出張に行って以来殆ど会っていないが、もしかするとあの鵜殿家の
陣中にいるのかもしれない。戦いたくはないが、これも因果応報。
先日の投降を進める書簡に何も返事を出さなかった以上、あちらが
手加減をしてくれるとは思えない。
︱︱今会えば、雌雄を決さざるを得ないだろう
無論こちらも手加減をするつもりは毛頭なく、
と、これから来るであろう親友との対決を考えた、その時のこと
だった。
ぶるり、と空気が揺れた。
何か、得体の痴れない敵意のようなものが教明の全身を撫で、否
応にも彼の意識を現実へと引き戻す。
︵何かが来る⋮⋮!︶
危機感、そして陣を守らなければならぬという使命感に駆られた
教明は槍を掴むと、辺りも顧みずに駆け出した。
﹁ふははははっ!粉砕玉砕大喝采!﹂
﹁どーけーよーどけーよーどーけーどーけー﹂
﹁なんで俺まで⋮⋮﹂
高らかにミュージックホーン︵違︶を鳴らしながら、敵の真った
524
だ中に飛び込む忠勝と、それに追従をよぎなくされる康政。一応の
大将である筈の輝勝殿は、真っ先に槍やら弓やらを器用に構えて敵
陣に突撃している。
対する一揆勢は、なんというか本当にグダグダ、やる気が微塵に
感じられない。
辺り一面真っ暗だと言うのに照明となる物が月明かり以外に何も
ない所為か、此方が手を下すまでもなく、同士討ちを引き起こして
バタバタと倒れていく。何とかその魔の手を逃れ、必死で抵抗を試
みる兵︵恐らく元徳川家の武士だろう︶もいるのだが、焼け石に水。
混乱と動揺で身動きが取れず、勢いのある徳川軍に呑まれ、あっと
いう間に地面に躯を晒す。
ちなみに、当然此方の視界もとんでもなく悪いが、頭に橙色の鉢
巻を撒いているおかげで同士討ちなんて起っていなかったりする。
﹁拍子抜け。一揆ってこんなに弱かったっけ?﹂
﹁恐らく、攻め込まれるとは微塵も思っておらなかったのでしょう
な﹂
突撃する自軍と、それに蹂躙される一揆勢を見ながら、政信と喋
る。
奇襲があまりにも上手く行ったのに拍子抜けしたのか、顔にいつ
もの張り︱︱合戦を前にして高ぶる三河武士特有の表情︱︱が見ら
れない。
﹁うぉぉぉっ!貴様が大将かっ!﹂
﹃!?﹄
その直後の事だった。
響く怒声、振り返る俺と政信。
そこに見えたものは、身の丈よりも少し短い槍を持ち、黒光りす
525
るイカのような鎧を纏った武者だった。怒り狂ったイノシシのよう
な払い鼻息を吹き出し、頬当ての隙間から僅かに見える顔が茹蛸の
ように赤く腫れ上がっている。目が血走っているのは想像に難くな
い。
めんどくさい
まさか単騎突入してくる奴がいるとは。どうも油断したようだ。
いや、ゾンビとはいえ、敵も勇猛な三河武士である以上、全く予想
していなかったわけではないのだが。その証拠に、政信は攻撃に参
加させずに手元に残しておいたわけだし。
﹁三郎様!お下がりください!﹂
﹁ああ⋮⋮﹂
驚いて一瞬硬直してしまった俺を尻目に、政信は自らの得物を構
えてイカ武者向けて相対した。
両者の距離はもう殆どない。お互いに有り余らんばかりの闘志を
むき出しにして、目の前の﹃敵﹄と対峙する。
﹁やはり、孫次郎だったか。久しいな﹂
﹁⋮⋮小太夫か。敵として対峙した以上、言葉は無用だ﹂
対峙したイカ武者と、小太夫は知り合いらしい。
それも、ただの知り合いと言う訳では無く、気の知れた仲間、竹
馬の友といった雰囲気がある。
﹁小太夫、知り合いか?﹂
まみ
﹁以前お話したことのある岸孫次郎教明でございます。まさかここ
で会い見えることになろうとは⋮⋮﹂
﹁ああ、あの最近結婚して云々と言っていた人か﹂
イカっぽい鎧に、物の槍。以前政信に聞いたことのある﹁岸教明﹂
526
その人の特徴と一致する。解遁時と同様に目の血走りは収まらず、
未だに鼻息を荒らげてはいるが、その姿は政信同様に立派な無骨者
そのものだ。もっとも、暗くてよく見えないのだが。
﹁勝負だっ、孫次郎!三郎様には触れさせん!﹂
﹁望むところだっ!お前を討って、そっちの大将殿も討つとしよう
!﹂
俺の観察を余所に、一騎打ちを始める両者。仕掛けたのは予想外
に政信の方であった。
いや、それはいいのだが、勝手に人の命を賭けるのは止めて貰え
ませんかね?
なんかこう、自分が宝くじの景品にされているようなむず痒い感
覚がする⋮⋮。
﹁腕は相変わらずか!﹂
﹁主家に背いたとて、武士を止めたわけではない!鍛錬は欠かさぬ
ものよ!﹂
打っては躱し、打っては防ぎ。
まさしく一騎打ち。両者精錬された流れるような槍捌きと、それ
を受け流す技量。俺には何年たっても辿りつけそうにない境地であ
ろう。
この場に居合わせた鵜殿兵が助太刀に入ろうとするが、白熱して
いる両者は何者も寄せ付けないような熱気を放ち、他者の介入を頑
なに拒む。
﹁そこだっ⋮⋮!﹂
﹁しまった!﹂
527
一瞬のことだった。政信が教明殿の攻撃を躱した、本当に僅かな
隙。そこにできた小さな綻びを、教明殿は見逃さなかった。
バランスを崩した政信に、一際強烈な勢いを持って打ちかかる。
政信は何とかそれを防ぎきるが、先ほどとは違い圧倒的に不利な状
況に追い込まれてしまう。
﹁小太夫!助太刀を!﹂
俺や周りの兵たちが何とかして救援に入ろうとするが、やはり介
入する場所が見つからない⋮⋮!
こうしておどおどしている刹那にも、政信は次々と不利な状況に
追い詰められていく!
そして、ついに政信が大きく崩れた。
﹁貰った!﹂ ﹁⋮⋮!﹂
教明殿の叫びと、声にならない悲鳴。誰のものかは分らない。
ただ一つ言えることは、政信が負けたと言う事だけだった。
﹁それはどうかなっ!﹂
﹁なにっ!?﹂
その瞬間。狙ったかのようなタイミングで現れた康政が、いっぱ
いに引き絞られた弦を弾き、矢を放った。
ひゅんという乾いた風切音を立てて放たれたそれは、まるで何か
528
に誘導されるような軌跡を描き、教明殿の肩口に深々と突き刺さる。
その結果、政信に攻撃することだけに全力を傾けていた彼は、見事
にバランスを崩して落馬、政信の代わりに、大地に攻撃を繰り出す
羽目になってしまった。おまけにその時の衝撃が大きかったのか、
教明殿は地面で蹲ってしまう。かなり衝撃が大きかったようで、も
う立ち上がることは不可能だろう。彼にとっては不本意な結果に終
わってしまっただろうが、勝負ありだ。逆転勝訴。
﹁む、無念!﹂
﹁小平太、いつの間に?﹂
﹁色々とあってな⋮⋮。戻ってきたらあのやり合いだ。流石に不味
いと思って助太刀させてもらった。小太夫殿、差し出がましい真似
をして申し訳ございません﹂
﹁いやいや、危ない所を助けていただいて礼を言うぞ、榊原殿﹂
色々ねぇ。何があった。
ゾンビ
そんな表情を向けると、無言で暗闇の向こうを指差す康政。その
先から聞こえるのは、一揆兵の悲鳴と思しき阿鼻叫喚と、その原因
となっているであろう味方の高笑い&怒声。その殆どが良く聞き覚
えのあるものである。
あいつら
﹁本多一族にはつき合いきれん⋮⋮﹂
﹁⋮⋮御愁傷様です。っと、それはともかく。小太夫、岸殿をとっ
捕まえてくれ。流石に一番の家臣の親友を討つのは忍びない﹂
﹁御意。敵になったとは言え、もとは同じ徳川の武士でございます
からなぁ﹂
﹁むむむ。縄目の恥を受けるとは⋮⋮﹂
﹁死に早まってはいけません。とりあえず、岡崎で小太夫や蔵人殿
とお話なされ﹂
529
地面に突っ伏してのびている教明殿をとりあえずとっ捕まえると、
真っ暗な中、暴れ回る味方を一睨。
そろそろ引き上げても良いころだろう。夜襲を始めて暫く立つ。
そろそろ敵の本隊に気づかれて、増援がやって来てもおかしくはな
い。
﹁よしっ、もう十分だろう。何時敵の増援が来るか分らん。小太夫、
撤退の合図を﹂
﹁ははっ﹂
こうして無事に夜襲を成功させ、悠々と味方の陣に帰還した俺た
ちは、最悪の場合に備えて待機していた深溝家の軍勢と合流、数刻
も立たないうちにすべての陣を放棄して岡崎に撤収した。そしてそ
の翌日。岡崎城北東に迫った奥平家と武田らしき軍勢を松平本隊が
撃破し、ひとまずの危機を脱したのであった。
ゾンビども
ちなみに一揆勢が陣が空だということに気が付いたのは、俺たち
が撤収した翌日のことだったらしい。がらんどうの陣に並べられた
大量の案山子とへのへのもへじを見て、あちらさんの大将坊主はと
んでもない金切声をあげて発狂したそうな。めでたしめでたし。
530
おい、合戦しろよ︵後書き︶
三か月もお待たせしてこのクオリティ⋮⋮。
申し訳ありません⋮⋮。
531
白き魔女︵前書き︶
半年以上も放置していてごめんなさい。
﹁早く書こう早く書こう﹂と思うと、どうしても書けなくなってし
まいます。
いっそ気にしない方がいいんでしょうか⋮⋮。
532
白き魔女
一五六四年春先。
今川軍本隊の猛攻によって渥美郡内から叩き出された国人連合は、
武田軍が三河国内に現れたという情報を入手すると、これと連携し
て吉田城を再び奪取するために進軍を開始した。
対する今川義元は、遅れてやってきた田原城の天野・朝比奈両将
しもじ
ふなまち
及び伊奈本多氏の軍勢を吸収すると、井伊直親を先鋒としてすぐさ
ま吉田城を出陣。豊川淵の下地・船町でこれと戦い、大破すること
に成功する。
徳川家を始めとした西三河の諸将が苦戦を強いられているのとは
対照的に、義元本人の出陣による士気高揚と諸将の采配にも恵まれ
て、文字通りの敵なしであった。
だが、犠牲が全く出なかった訳では無い。
いくら敵が烏合の衆であろうが、味方が数で優れていようが、大
将の采配が優れていようが、戦は戦。
度重なる城攻めと野戦で将兵の疲労は目立たぬものの間違いなく
蓄積していたし、名の通った武士でも、やはり負傷や討ち死にを遂
げたものもいる。井伊直親の負傷や稲垣氏俊の戦死など、その最た
る例なのであった。
︱︱吉田城。
533
せなげんごろうのぶてる
国人連合をひとまず撃退し、吉田城に凱旋を果たした今川義元は、
自らの近習である瀬名源五郎信輝から、武田家の三河侵攻と、それ
を撃退した徳川家の活躍について聞き及んでいた。
彼の語る事の顛末はこうであった。
作手奥平家と、それに助力したと思わしき武田菱を掲げた軍勢が
岡崎城北に接近すると、徳川元康は一揆攻めを中断して反転する。
そして、城に戻ると間髪を置かずに出陣。北東に迫った奥平勢を
迎え撃った。
先鋒は酒井忠次、言わずと知れた元康股肱の臣である。
ひととき
彼を中心とした徳川家臣団と、今川家からの援軍であった岡部正
綱らの猛攻と奮戦で、戦闘は僅か一時ほどで終了。奥平軍は壊走し
た。
余りの呆気ない終わり方に、天下に名だたる武田軍はいかほどの
ものかと意気込んで戦に臨んだ徳川家一同は拍子抜けしたに違いな
い。
けれども、これは当然の結果である。奇襲を前提としていたらし
い奥平軍は、援軍の武田勢を合わせても千を越える程度の小勢でし
かなかったのだから。
数千の軍勢と、地の利をもって迎え撃った徳川軍の敵ではなかっ
たのである。
ちなみに最も活躍目覚ましかったのは、一揆より帰参を果たした
ばかりの戸田忠次であったという。
﹁とまあ、こんなところでございますな。戸田殿の遭遇した敵将は
下条某と名乗ったとか﹂
﹁下条⋮⋮?だれじゃ、それは。肥後︵井伊直親︶、存じておるか
?﹂
534
話を聞き終えて、武田方の大将に聞き覚えのなかった義元は、井
伊直親に話を振った。
彼はかつて信濃に亡命していたことがあり、此処に居合わせる今
しもじょうひょうぶのすけ
川家臣団の中では尤も其処の情勢に詳しいのだろう。
いなよしおか
しも
﹁恐らくは伊那吉岡の下条兵部助殿か、その身内であるかと存じま
す﹂
じょうのぶうじ
義元の話を聞いた直親は、敵将の正体が信濃の伊奈吉岡城主・下
条信氏ではないかと推測する。
信玄の妹婿であるこの人物は、度々武田家の先兵として三河・信
あきやまのぶとも
濃国境地帯で色々とやらかしているのである。信玄本人、或いはそ
の配下で伊那地方の経略を担当する秋山信友からなんらかの指示を
受けていてもおかしくはないのであった。
﹁武田と手切れた以上、儂がこの場に長居するわけにもいかぬ。信
玄坊主が駿河に雪崩れ込めば、勝てる者はまずおるまい﹂
家臣たちは無念を隠さずに頭を下げる。
残念だが、義元の言っていることは真実である。
彼は駿河残留組の能力に疑問を持っている訳では無い。
だが、いかに駿河本国を守る氏真と朝比奈泰朝・鵜殿長照両将の
能力が高くとも、軍の主力が三河に出張している以上、全力で攻め
込んでくるであろう信玄とその配下である騎馬軍団には勝ち目は薄
い。
もっとも、この時期武田家も色々と問題を抱えており、信玄直々
に兵を率いて現れる可能性は薄いのであるが、今此処にいる彼らに
それを知る術はない。
﹁ですが、此方もこのまま放置するわけには⋮⋮﹂
535
﹁分っておる。指揮は将監︵庵原之政︶に任せる。井伊・朝比奈両
将は行明城の守備を、安芸︵天野景貫︶は田原に戻って後詰に徹せ
よ﹂
現状を心配する家臣の言に、義元は素早く人事を考え指示を出す。
ぎょうめい
東三河平定軍全体の指揮は庵原之政に継がせ、井伊直親に一連の
合戦で新たに奪った行明城の守備を正式に任じる。
遅参に対する義元の追究を見事な自己弁護で捌ききった天野景貫
は、再び田原に送り返されることになった。
一方で相棒の朝比奈元智は吉田に残留である。
義元も彼が完全に白とは思っていないのだろう。
此処では口にしないが、未だ田原で諜報にあたっている岡部輝忠
には、景貫の身辺を調査するようにという極秘任務が伝わることに
なっている。
天野景貫の内通は、アッサリとばれるかもしれなかった。
﹁以上じゃ。各々自分の持ち場に戻るがよい﹂
﹃御意﹄
そして、指示を終えた義元が、腰を上げて退出の準備を始める。
だが、その直後。
﹁むぐ⋮⋮!?﹂
歩行を始めた義元の体が大きく傾き、くぐもった唸りを上げて、
まるで巨人が斃れるかの如く、ばたりとその場に倒れ込んだ。
再び立ち上がる気配はない。
﹁お、大殿!﹂
﹁しっかりしてくだされ!﹂
536
何の前触れもない、余りにも突然で突拍子もない出来事に唖然と
なる家臣一同。
of
Sengoku
Kaino
K
先ほどまで静寂としていた室内に凄まじい怒号と悲鳴が響き渡る
Legend
まで、あまり時間を要さなかった。
The
iseki
今川家の治める駿河より北、富士の高嶺を飛び越えた先に、甲斐
と言う国がある。
古代律令制を由来とする東海道と東山道の交差地点、京と鎌倉の
中間点とも言える場所に位置するこの国は、古来より軍事・行政・
すれちが
交通全てにおいて人や物資が絶えず行きかう要衝であった。
その重要度たるや﹁甲斐﹂と言う国名の由来も﹁交ひ﹂を由来と
するという説もあるほどで、まさに日本の中心ともとも言える立地
である。
︱︱だが、そんな重要度や華やかさとは裏腹に、住人の生活は悲
惨なものであった。
東西南北を富士や日本アルプスを始めとする天険に囲まれている
537
せいで国内は山地ばかりであり、稲作や牧畜に向くような土地は殆
どなく。僅かに存在する平野も、毎年のように起こる笛吹川と釜無
川の氾濫に代表される水害に見舞われる甲府盆地だけでは、まとも
な稲作など出来るはずもない。
山国だけあってか金山を始めとする鉱物資源にこそ恵まれていた
ものの、中世以前の技術では採掘は上手く行かず、国を潤す程の財
を生み出すことは出来なかったのである。
さらに、下手に交通の要所であったせいで、東︵鎌倉︶と西︵京︶
に分かれて争うことの多かった中世武士の政権に防衛・侵略の拠点
として目をつけられ、両者の対立がおこる度にそれを発端とする戦
乱に巻き込まれる破目になってしまう。
中先代の乱や上杉禅秀の乱などその典型的な例である。
特に後者の与えた影響は凄まじく、守護家が没落して統治者不在
たけだのぶとら
となった国内は、中小様々な勢力が争いを繰り広げる草刈り場とな
ってしまったのだ。
戦国時代に入り、ようやく武田信虎という英傑が出て、これらの
内乱はひとまず治められたものの、彼は民の生活に目を向けること
は殆ど無く。むしろ対外戦争を繰り広げた挙句、苛烈な税を取り立
てて民を苦しめたのであった。
たけだたろうはるのぶ
そんな甲斐の状況を劇的に変えた男がいる。
男の名を武田太郎晴信。守護大名・武田信虎の嫡男である。
彼は重臣の協力を取り付けて苛政を行う父親を駿河へと追放する
と、大名権力を拡大して家中を完全に掌握、独自の統治を開始する。
分国法や軍制を制定して国内の安定化に努め、躑躅ヶ崎館を中心
とする城下町整備、検地の実施や棟別諸役の確立。
さらに黒川・湯之奥の金山に南蛮由来の精錬技術や掘削法を取り
入れてこれら鉱山の産出量を大幅に増大させ、次はそれらを元手に
信玄堤に代表される甲府盆地の治水を行って新田開発を積極的に行
538
う。
これら晴信の精力的な内政の甲斐があり、民の生活は向上したの
である。
正に名君であった。
それでも、甲斐の国全てが救われたという訳では無かったようで
ある。
それ故、晴信はそれら全てを救うために、他国へ戦火を広げると
いう、大嫌いな父親と同じ手段を用いなければならなかった。
彼も色々と悩んだのかもしれない。父親と同じ穴の貉になりたく
はないだとか、必要以上の戦は甲斐の民を苦しめることにならない
か、だとか。
だが、先代とは違い、今は甲州金山の生み出す豊富な金のお蔭で、
民に負担をかけることは余り無いと知った時、彼は決断を下す。
︱︱父親の方針を受け継ぐ、と。
そして、他国に侵入した晴信が行ったのは、父・信虎を彷彿させ
る行動だった。
しんりゃくすることひのごとし
内政では名君でも、対外には鬼、虎の子だったと言うことだろう。
侵掠如火。
彼が掲げた﹃風林火山﹄の一文のように、その侵略は苛烈を極め
た。
だまし討ち、略奪、放火、人身売買などなど何でもアリ。敵にと
って不利益になり、自分たちにとって利益になることは何でもする。
その姿は、正に嘗て甲斐を苦しめた侵略者そのものであった。
だが、その姿を自覚したとしても晴信は止まらない。
どれだけ卑怯者と罵られようが、悪逆非道と恐れられようが、全
ては自分を慕う甲斐の民を救うため、お国の為なのだ。愛国無罪。
539
そんな手段で瞬く間に勢力を拡大した晴信改め信玄は、侵略の矛
先を桶狭間の敗戦で衰退した盟友・今川家へと向けたのであった。
そんな甲斐国・武田領内の小さな小さな山里。
その里中をのそのそと歩く人影が一つ。
頭には頭襟、右手には錫杖、袈裟に鈴懸。胡散臭い山伏もどきで
あった。
毎度おなじみの山本勘蔵である。
彼は水を湛えた水田や緑色に染まる畦道をわき目に見ながら錫杖
をつき、人目につかない里外れに向かって不安定な足を一歩一歩と
進めていく。里人は訝しむような視線を彼に向けるが、本人はどこ
吹く風といったようで、まるで気にする様子はない。
やがて、勘蔵の足が止まった。
深緑の木々に覆われた山中に佇む、小さな草庵の前である。
誰がこんなところに住むんだとも言えるような立地ではあるが、
庵に覆いかぶさる木々がしっかりと剪定されているあたり、確かに
何者かが潜んでいるのは確かだろう。
﹁勘蔵でござる﹂
﹁どうぞ。開いていますよ﹂
勘蔵が庵に向かって声をかけると、中から返答が返ってきた。
こんな山奥には似合わぬほどの、可愛らしい声。
どうやら庵の主は女性のようである。
勘蔵はその声に従って、庵の扉を開けた。
540
﹁お久しぶりですね、勘蔵殿。相変わらず胡散臭い風貌で何よりで
す﹂
扉を開けた先、庵の中にいたのは年齢が十を越えるか越えないか
という程度の幼気な女の子であった。
絹糸の如く細く艶やかな黒髪を肩口で切りそろえ、真っ白な肌を
同じように純白色の小袖に通したその少女の容姿は、年齢的に考え
て妖艶だとか清楚だとかといった評価を下すのは無理があるものの、
あと数年もすればそれはもう立派な大和撫子に育つと自信をもって
言えるような可憐さである。
ロリコン
このような美少女を前にしてか、普段は胡散臭い笑み以外を浮か
べることのない勘蔵の顔も綻ぶ。
彼の名誉のために付け加えておくが、彼は決して幼女性愛者と言
う訳では無い。
ただ、目の前の少女の持つ天性の純真さというか清楚感というか、
そういったものが自然と対する者の敵愾心を和らげるのである。
まさに﹁白き魔女﹂といったところだ。
ちよめ
﹁其方も相変わらずだな。千代女嬢﹂
﹁わたしは二代目ですけどね﹂
もちづき ちよめ
そんな彼女の名を、望月千代女という。
武田家に仕えた信濃の豪族・望月盛時の娘で、以前勘蔵と天野景
貫の話に少しだけ登場した武田家のくノ一集団﹃歩き巫女﹄の頭領
である。
ちなみに二代目と言うのは彼女の母親も同じ名前を名乗っていた
からであり、其方は既に現役を退き、歩き巫女の本拠地である信濃
祢津村で後進の指導にあたっている。
541
﹁まぁ、再開を祝すのはほどほどにして。その様子ですと三河の調
略は上手く行っているみたいですね﹂
﹁そこまででもない。国人衆はともかく、坊主共はまるで役に立た
ぬし。あの三河武士共、思った以上に手古摺らせてくれる﹂
勘蔵は三河調略の状況をかいつまんで説明する。
予定通り内乱状態に陥れることには成功したものの、今川家とそ
れに与する諸勢力にここまで抵抗され、目論みの半分も成果が出せ
ていないのは流石に遺憾である。勿論彼も三河武士が弱いとは思っ
ておらず、彼らの抵抗に遭うことなど当然予想通りではあるのだが、
それ以上に手駒の出来が酷過ぎた。
当初の計画では吉田城に味方を装った兵を入れて内部から崩壊さ
せるという謀略で攻め落とし、三河国内の今川方を恐慌させた後、
ゆっくりと戦乱状態に陥った三河を一揆諸共踏み潰す手筈であった
のに。
それが小原鎮実の暴走で国人衆が我を忘れたかのように一斉に蜂
起し、一揆は一揆で身内同士足を引っ張り合ってほぼ各個撃破され
る大失態を演じる始末だ。これでは上手く行くはずがない。
予定通りに進んでいれば、今頃は長篠辺りまでは勢力下に収める
事が出来ていただろうに。本当に腹立たしい。
更にとどめを刺すように、体調不良で出陣できる状態ではないと
ぶがいしゃ
言われていた今川義元が思いがけない大軍を率いてやってくるわ、
なぜか水野信元の姿がちらついているわで散々である。
まったく駿河本国にいる、とある内通者も役に立たぬ事この上な
い。
まあ、しょせん﹁アレ﹂は空誓も裸足で逃げ出すような小物であ
るため、彼も最初から当てになどしていないのだが。それにしては
ヘボすぎると言うものである。せめて情報くらいまともに寄越せ。
勘蔵は泣きたくなった。
542
﹁しかし、小原鎮実とやらもどうしようもなく情けないですね。や
るなら串刺しくらいやってくれないと。見ているこっちもつまらな
いですよ!﹂
﹁いやいや﹂
突っ込みどころはそこじゃないだろと勘蔵は思った。
この幼女、見た目とは裏腹に性格は極めて悪辣なのだ。他人の不
幸は蜜の味、好物は他者の破滅苦痛と公言して憚らず、趣味は他人
に苦痛を与えること、破滅させることと来ている。
幾らなんでも度がすぎる。
こんな性格であるから、周りからの扱いも推して知るべし。
同僚部下である歩き巫女たちはもとより、母親をはじめとする肉
親、挙句の果てには直接関わりのない筈の武田家の武将たちからも
忌避されているのである。
諜報集団の長ともあろうものが、武田家の本拠・躑躅ヶ崎や歩き
巫女の拠点である信濃祢津村におらず、こんな山奥のボロ屋でたっ
た一人暮らしているというのも、母親である先代から事実上の勘当
を喰らっているからなのであった。
﹁全く。戯れもほどほどにして貰いたいものだな。お主の満足でき
ることなんぞ、普通の人間にそうそう思いつくわけがあるまい﹂
﹁そうでしょうか? 考えれば幾らでも思いつくものですよ。例え
ば鮎の塩焼きみたいに、お尻の穴からお口まで槍を通して城門の前
に晒すとか。ああ、それに油をかけて火をつけると言うのも良いで
すね。松明の代わりにもなりそうですし、人間松明って憧れますよ
ね!﹂
燃え上がれーティヒヒヒヒと訳の分らないジェスチャーを始め、
一人で盛り上がっている千代女に対して、勘蔵は冷めた視線を送る
543
のと同時に得体の知れぬ恐怖を感じた。
以前から知っていたことではあるが、何故この幼女はこんな考え
るのも憚られるようなことを平然と口にできるのだろうか。それも
笑いながら。
もはや性格が悪いだとか、残酷だとか、未だ幼いからだとか、そ
ういった単純な言葉で表現できる次元を越えているような気がして
ならない。何か人として大切なものがすっぽりと抜けている、或い
は初めからそんなもの存在していないといわんばかりである。
そもそもこんな残虐無比な方法をさらっと思いつくだけでも異常
である。董卓や紂王のような、伝説上の暴君ではあるまいし。いや、
一応の目的があって残虐行為に及んでいただけ、彼らの方がまだま
しかもしれない。この幼女がそんな行動をとるのは、全てが自分の
楽しみのため、もしくは暇潰しのためというまるで理解不能な理由
なのだから。
彼女の母親、先代の望月千代女が彼女を遠ざけるのも理解できる。
﹁⋮⋮人の死を愚弄するのは流石に頂けぬな﹂
いかに冷酷な謀略家と言えども、勘蔵とて一人の人間である。
そりゃあ計略破綻の原因を作った国人連中には文句の一つも言っ
てやりたい気はあるが、かといってストレス発散のためにその身内
の死をネタにして大笑いするほど落ちぶれてはいない。
むしろ、その一点に関しては同情さえしているほどだ。殺された
者の中には、彼の血縁者も混ざっていたのだから。
﹁勘蔵だけに、それはいかんぞう? なーんちゃって﹂
﹁帰らせていただく﹂
﹁わっわっ、冗談ですよ! 臍を曲げないでください﹂
流石に呆れて退出しようとした勘蔵を、慌てて千代女は引き留め
544
た。
勘蔵がやってきた理由には大方予想がついている彼女ではあるが、
まともな会話一つしていない状態で数少ない﹁友人﹂に逃げられて
は、流石の悪辣幼女も堪えると言うことなのだろうか。
尤も、彼女が勘蔵をそう評価しているかどうかは未知数なのだが。
﹁それで、今日は何か用がおありなのですか? まあ。大方の予想
はつきますけど。どうせ三河の調査をしろとか仰るんでしょうけど﹂
﹁分っているのならなぜ止めた⋮⋮﹂
﹁だってだって、つまらないじゃないですか。こんな山奥に引き籠
っていてもやることなんて何もないんですから。珍しーいお客さん
を簡単に逃がす訳にはいかないのです!﹂
この草庵に、尋ね人がやって来ることは殆どない。
ここを訪れる人間といえば、数少ない千代女の友人と事務的要因
でやってくる麓の村人、あとは幹部クラスの部下などだけで、その
数は片手の指で足りてしまうほどだ。おまけに、彼女はそれら僅か
な人々にも避けられている。部下達は結果報告など必要最低限の行
動だけでさっさと帰ってしまうことが殆どだし、それは村人とて同
じことだ。友人に至っては勘蔵以外にいるかどうかすら怪しいもの
である。
いかに敵愾心を和らげるなどと言う美しい見た目を持つとは言え、
しょせん上辺だけのもの、見せかけだ。別に人間の中身が嫌われな
いと言う訳では無い。
勿論それは殆ど自業自得であるので、本人もそんなことを気にす
るそぶりを見せることはまずないのだが、勘蔵を引き留めた辺り案
外気にしているのかもしれない。
彼女の本性を知りつつも、まともな付き合いをしてくれる人間は
貴重なのだ。
545
﹁まあ、わたしも三河にいくつもりでしたから。ついでに鵜殿家に
ついても調べておきましょう﹂
﹁まだ何も言っておらぬというのに⋮⋮﹂
ちなみに勘蔵の依頼と言うのは、以前天野景貫との会話の中で登
場した﹁鵜殿家を中心とする三河の勢力及び各重要人物の人間関係
の調査﹂であった。先を千代女に制された以上、彼の口からそれが
飛び出ることはもう二度とないだろうが。つくづく異常な幼女であ
る。
それにしても頭領が直々に動くとは珍しい。
﹁まあ、事実上の後継者である四郎様に色々と頼まれては、ねぇ⋮
⋮。それに、あの国には前々から興味を持っていましたから。“鵜
殿さんちの氏長君”とやらにも、一度会ってみたいことですし﹂
ああ、そういうことかと勘蔵は納得した。
この手の人間にありがちなことに、千代女もまた未知に対する興
味が強い。
おそらく、例の塩その他諸々が目の前の幼女の気を引いてしまっ
たのだろう。
勘蔵は、標的にされた某少年当主に敵ながら同情する。
自分の策を一部崩された恨みはあれども、勝敗は兵家の常ともい
う。
流石にこんな化け物を送りつけるほど憎んでいると言う訳では無
いのだ。
︱︱いや、そんな事よりも重大な事がある。
まだ見ぬ敵将に内心で憐情を送る傍ら、勘蔵は目の前の千代女と
自分の認識が違うある部分に気が付いた。
546
︱︱先ほど、この幼女は何と言った?
しろう かつより
︱︱武田家の後継者が四郎様?
話がおかしい。
たろう よしのぶ
武田家の後継者は庶出の四郎勝頼ではなく、嫡男である太郎義信
であるはずだ。
﹁その顔では、まだご存じないようですね?﹂
認識の剥離を理解して、ぽかんと間抜け面を晒していた勘蔵に千
代女が声をかけた。
どうやら、彼の内心に渦巻く疑問を表情だけで完全に読み切った
らしい。
﹁⋮⋮つい先ほど甲斐についたばかりでな。躑躅ヶ崎にはまだ帰っ
ておらぬ﹂
﹁そうでしたか。では、耳の穴かっぽじってよく聞いてください。
一度しか言いませんからね?﹂
﹁ジャンジャジャーン! 今明かされる衝撃の真実! 太郎様はお
館様に散々逆らったあげく、廃嫡されてブチ殺されてしまいました
547
ー!﹂
ティヒヒヒヒと一際甲高い狂ったような笑い声を上げ、千代女は
文字通り爆弾を放り投げた。
それを聞いた勘蔵の顔が見る見るうちに青く染まり、今にも眼球
が飛び出しそうな、そんな異形の表情に変わる。さらにそれにつら
れたかのように、足腰は沸騰したやかんのようにガタガタと震え、
同時に頬筋も上下運動をはじめた。歯がぶつかり合うガチガチとい
う不協音が、静かな草庵に響き渡る。
惑うことなき狼狽。
青天の霹靂、驚天動地。
爆弾は強烈であった。
旅行に出かけて帰ってきたら、家が跡形もなく無くなっていまし
た。そんな状況である。
驚かない方がおかしい。
さらに、その中身もまた勘蔵の混乱に拍車をかけた。
廃嫡、つまり意図的な後継者の交代である。
そして、追い打ちをかけるようなその殺害である。
いかに暗殺謀殺略奪強奪政権転覆なんでもありの乱世といえども、
これらはそう簡単におこることではないのだ。
後継者が余りにも無能だとか、叛乱を企んだとか。そういった理
由があるならまだしも、勘蔵の知る限りそのような事実はないのだ。
548
せいぜい義信が妻の実家︵義信の正室は義元の娘︶である今川家へ
の攻撃に難色を示していたと言う程度である。だが、そのくらいな
らばよくあることだ。廃嫡などという大げさな話になるわけもない。
勘蔵は狼狽する傍ら、何とかコトを理解しようと僅かに残された
正常な思考をフル回転させる。
だが、どれだけ考えても答えは出ない。
思考が鈍っているのは勿論のこと、彼には情報が不足し過ぎてい
るのだ。
いかに優秀な軍師・策略家といえども、予想の範疇を大きく超え
た突発的な事態には対応できないのである。
﹁⋮⋮ぶっ壊れてますね。まあ、そのまま話を聞いてください﹂
そんな勘蔵を尻目に、千代女は愉悦の笑みを向けながら話を続け
る。
元々信玄のやり方にあまり良い印象を抱いていなかった義信は、
今川家攻撃が家中で決定されると、﹁信義に反する完全な裏切りで
ある﹂と声高に叫び、真っ向からこれに反発。複数の家臣や国衆を
巻き込んで反対活動を展開したのである。
当然、信玄としては面白くない。
彼は義信の抗弁を聞きながら、こう思った筈である。
︵今川家の豊かな領国、そして駿河という海国を比較的楽に攻め取
れるのは今しかないと言うのに︶
海国の領有は、武田家の悲願である。
武田家の領国である甲斐や信濃は山国だ。よって、人間の生存に
549
必要な塩を殆ど採ることが出来ず、他国からの輸入に頼るしかない。
そして、それは武田家の致命的な弱点なのである。
仮に周辺諸国が一致団結して塩の荷止めや値段の釣り上げを行い
でもされたら、甲斐の領民は彼らの言いなりになるしかなくなる。
そうなれば、武田家の破滅である。
だが、無事に今川家に属する海国を奪い取ることが出来れば、こ
れらの不安に脅かされることも、実際に問題が起こって悩まされる
ことも無くなるのだ。
勿論、他の国、例えば越後や相模でも駄目と言うことは無い。
だが、これらの国を攻め取るのはほぼ不可能だ。
越後は信玄の宿敵・上杉謙信の本拠地であるし、相模を治める北
条家は武田家以上に強大だ。
さりとて越中のような甲斐信濃に隣接しない国では遠すぎ、仮に
支配下に収めたとしても維持が大変なのである。
よって、この機会を逃してしまえば、待っているのは血みどろな
死闘、或いは民の負担を増大させる無駄な遠征だけだ。義だの信だ
のという不明瞭な言葉で惑わされ、千載一遇のチャンスを逃す訳に
はいかないのである。
信玄は溢れる怒りを押し隠し、義信をはじめとする侵略反対派に
この理由を説明した。
だが、彼らもそうは易々とは納得しない。
今まで盟友・縁戚として付き合っていたにも関わらず、弱体化し
た途端に手のひら返しをするのは幾らなんでも酷い裏切りである。
せめて暫く時を置いてからにするべきだ等と反論した。
いくら理由があるとはいえ、こんな方法では、仮に侵略が成功し
たとしても、末代まで卑怯者裏切り者と罵られる羽目になりかねな
いことが目に見えているからだ。
信玄は引かない。義信も引かない。
550
親子は対立した。
現状を危惧した傅役・飯富虎昌が義信を諌めたが、彼は耳を貸さ
なかった。
彼にしてみれば、信玄に不満を持つ理由は何もこれだけでは無か
ったのだ。
異母弟・勝頼に対する過剰な優遇、川中島合戦における顛末等々。
思い出せば出すほどに、鬱憤が溜まっていったのかもしれない。
始めのうちはせいぜい口論討論をする程度だったのが、やがて活
動が目に余るほど大々的になり、信玄暗殺計画まで噂されるように
なると、相克は頂点に達して爆ぜた。
先手を打ったのは信玄であった。
暗殺計画、すなわち謀反を企んだとして、仲間と密談を繰り広げ
ていた義信を取り押さえ、甲府東光寺に軟禁。それと同時に義信与
党の徹底的な身辺調査を行い、何らかの計画の有無、噂の真偽を確
かめさせたのである。
一大騒動になった。
なにせ若殿の謀反疑惑である。当然それに与したと噂される人間
も、とある重臣の子だとか一門の誰かだとか、家中ではそれなり以
上の地位にある者ばかりである。
調査を命じられた武将たちは何か間違いがあってはならぬと極端
に慎重になり、まるで進展が無いという事態に陥ってしまう。信玄
が呆れたのは言うまでもない。
そして、結果だけを言えば、義信の謀反を示す証拠は何一つとし
て見つからなかった。
所詮噂は噂。悪質なデマだったのである。
少なくとも義信が暗殺計画を企んでいたという疑いは完全に晴れ
た。
551
だが、信玄が彼の幽閉を解くことは無かった。
不埒な噂が発生するような義信の行動にも問題があるとして、そ
の処遇が決まるまでの間、謹慎を命ぜられてしまったのである。
そして、既にこの時点で、彼の運命は決定してしまっていたのか
もしれない。
﹁人の上に立つものとしての器量があるとは到底言えない。よって
廃嫡とする﹂
数日の謹慎の後、義信に下された裁きは廃嫡であった。
確かに真っ向から当主に刃向い、家中に混乱の種を撒いたのは事
実だ。
更に、明らかに﹁何か企んでいます﹂というような密談を繰り返
したのにも問題があるのだろう。
だが、かといってそれらが廃嫡すると言うほどに重い罪なのかと
言われると、それもまた疑問である。
信玄のこの裁定に、武田家中は大いに荒れた。
あるものはお館様の決定だからと納得し、あるものはどうしてこ
うなったと悲しみ、あるものは事態の大きさについていけず唖然と
なった。極僅かに喜んだものもいた。
三者三様に溢れ出した千差万別の感情が、まるで出鱈目に結んだ
糸のように複雑に絡み合って、家中を重苦しいどんよりとした雰囲
気に変える。
人間の心は強くはない。そんな空気が充満してしまえば、人々の
心に不安の火が灯るのは至極当然だ。
あの人はこうではないか、この人はそう思っているのではないか
等と憶測や邪推が繰り広げられ、疑心暗鬼が広がって行く。 下手を打てば、自分たちも巻き込まれて破滅しかねないような事
態なのである。慎重になりすぎて困ることは何もないのだ。
552
そして、ついに事件は起こった。
義信の家臣たちで﹁義信衆﹂と呼ばれていた新鋭の若手武将たち
が、信玄打倒と義信擁立を掲げ、義信が軟禁されていた東光寺を襲
撃しようとしたのである。
その数八十騎。
彼らは人知れず怒りと焦りを感じていたのだ。
当然である。
自分の主君が謹慎させられた挙句一方的に廃嫡され、寺に押し込
められてしまったのだから、こんな理不尽な仕打ちを受けて、黙っ
てなどいられるはずがない。
それに、このまま義信に何かあれば彼らとて無事では済まない可
能性が高いのだ。
義信の側近として家中で扱われていた以上、間違いなく自分たち
も連座して何らかの処分を受ける。出自の貴賤や家格の良し悪しは
あるとはいえ、彼らの殆どが義信に恩を受けた人間なのである。座
してその時を待つよりは、最期に今までの恩義に報いて潔く散るべ
デマ
きだと考え、義信の救出と、そして諸悪の根源とみなされた信玄を
排除すると言う行動に出ても何一つとして不思議では無かった。
皮肉なことに、義信とその周りが謀反を企んだという悪意ある噂
が現実となってしまったのである。
しかし、そんな計画が実行に移されることは無かった。
いざ襲撃を実行しようとした矢先、あらかじめ動きを察知してい
た信玄によって、彼らが拠点としていた甲府の某寺を包囲され、刀
折れ弓矢尽きる抵抗の末、全員が討ち死にしてしまったのだから。
あまりにも悲惨で、そして悲しい出来事であった。
そして、そんな事件が起こってから数日後。
553
・ ・
義信は、幽閉されていた東光寺でその一生をひっそりと終えた。
死因は自害。
後継者から外されたことに対する悲嘆からなのか、父親には及ば
なかった自分への呵責からなのか、今川家に対するせめてもの謝罪
のつもりなのか。
理由は分らない。
ただ、はっきりと言えることは、義信の死によって今川家と武田
家の縁戚関係が途切れ、義信室であった義元の娘が駿河に送り返さ
れること。そして、彼の死そのものに、武田信玄本人はまるで無関
係だと言うことである。
︱︱これが千代女の語った、通称﹁義信事件﹂のあらましであっ
た。
﹁馬鹿な⋮⋮。拙者が甲斐を発つ頃には、そのような噂などまるで
なかったと言うのに﹂
ようやく再起動した勘蔵が、そんなことを言った。
﹁物事は不変ではないと言うことですね。どれだけ安泰、平穏に見
える事でも、ちょっとした変化で根本から崩れ去ってしまうという
こともあるのですよ﹂
盛者必衰、おごれる人も久しからず。
どれだけ栄華を誇り、栄え狂っていれども、失われる時は一瞬で
ある。かつての平家のように。
554
世の中には不変なものなど何もないのだ。どんなに頑丈に積み上
げられたものでも、致命的な綻びが生じれば、そこから雪崩を打つ
ように、ちゃぶ台をひっくり返されるように容赦なく崩れ去ってし
まう。
そして、それは武田家も同じだということに、千代女は気づいて
いる。
いつ
なんどき
いかに精強な兵卒、強力な軍備、優秀な人材に支えられていよう
とも、何時何時それらが泡沫のように跡形もなく消え去ってしまう
かわからない。しかも、それが﹁家﹂という曖昧な範疇で括られて
いるものなら尚更である。
それでも、当主信玄という柱が健在で、彼によって家中がしっか
りと纏められているうちは大丈夫だと断言できる。
だが、もし彼の身になにかあれば?
どれだけ統治者、大名として人並外れた力を持っていても、彼も
また人間である。いつまでも武田の支配者として君臨できるわけで
はないのだ。
長男である義信が死に、次男が出家、三男が天逝してしまってい
る以上、次の後継者は間違いなく四男である勝頼になるだろう。
しかし厄介なことに、信濃の豪族である諏訪家に現在進行形で養
子入りしている彼は、重臣たちからは武田一門ではなく、外様家臣
同然の扱いを受けているのである。
仮に信玄の死後、勝頼が当主となったとして、自分と同格、ある
いはそれ以下だと見做していたものに上に立たれるということを、
その重臣たちが認めるとは到底思えない。
信玄が自分の死の前に、勝頼を次期当主とする体制を作り上げて
じゅうしん
くれれば、別にこのままでも問題はないかもしれない。
いくら勝頼を見下している老害達でも、表立って信玄の遺命に逆
らうことは出来ないだろうから。
555
だが、それはおそらく望めまい。
この手の英雄にありがちな事に、信玄もまた、自分と自分の造り
上げた軍団の力を絶対視して、後継者をまともに決めずにぽっくり
と逝ってしまう可能性が高いのだ。
つまり、信玄が死去した時点で武田は詰んだも同然である。
そして、その後は悲惨であろう。
じゅうしん
自動的に新当主になった勝頼を老害たちは若造であることや力不
足を理由として認めず、両者は対立。 じゅうしん
彼はそんな汚名を返上するために我武者羅に働いて功績を上げる
が、老害はそれすらも認めないどころか﹁信玄様はこうだった、信
玄様ならああした﹂と既に過去の物となった人間の栄光を引き摺り
讃え、さも勝頼が間違っているかのように振る舞うのだ。
後世で言うところの、ダブルスタンダードという奴である。
やがて、本当に追い詰められた勝頼が致命的なミス︱︱あくまで
も例えだが、倍以上の兵力を持ち、鉄砲や大砲などの近代兵器で完
全武装した敵軍に突っ込んで大敗。兵の半分以上を失う︱︱を犯し、
そのまま立て直しが不可能な状態で大勢力の侵略を招いて武田家は
滅亡⋮⋮。
お先真っ暗である。
そんな未来を危惧していても、千代女がそれを口に出すことは絶
対に無い。
自分の主家の苦境や滅亡ですら、この性悪幼女にとっては自分の
舌を楽しませる甘ったるい水菓子、乾いた喉を潤す爽やかな飲料で
しかないのだから。そんな豪華なものを味わえる機会を、自分から
556
ふいにするようなことをする訳がなかった。
﹁それはともかく。もうこんな時間ですね。戯れはこのくらいにし
て、わたしは色々と準備をしなければなりませんので。本日はこれ
で﹂
突然話を変えた幼女である。
自分から勘蔵を引き留めておいた癖に、用事が済むと一方的に追
い出そうとするのは如何なものか。
﹁⋮⋮くれぐれも夜盗の類には気をつけておけよ﹂
失礼なと思いつつも、勘蔵はバカンス気分で鼻歌を鳴らす千代女
に警告を告げる。
中身はともかく見た目だけは良い幼女である。人攫いの類に目を
つけられて、悲惨な目に遭わされないとも限らない。
﹁そんなものに私が遅れを取るわけないですよ。五体をバラバラに
解体して、首を?ぎ取って蹴鞠にしてやります。ああ、捕まったフ
リをしてうしろから襲い掛かるというのも面白いかもしれませんね
! 人は希望を与えられ、それを奪われるときに一番奇麗な顔をす
るって、聞いたことがありますから!﹂
どうも心配は不要だったらしい。
狂気の少女は嘲笑うかのような笑顔を向けて、ただ一人の友人に
そう騙る。
彼女の目に光は無い。
557
まるで亡霊のような、感情の籠っていない瞳を勘蔵に向ける。
そして、一言。
﹁ぐちゃぐちゃに掻きまわしてやるのが私の楽しみなんですから。
⋮⋮邪魔しないでくださいね?﹂
こおるよう
にげだした
!
天真爛漫な笑顔を向けて、﹁千代女﹂は微笑んだ。
かんぞうは
こうして、様々な不安と期待︵笑︶をばら撒きながら、頭の螺子
のは外れた幼女が甲斐を発つ。
彼女の手によって齎されるものは何なのか。
それを知る者はまだ誰もいない。
さて、ここで残った最大の疑問がある。
義信失脚の原因となった暗殺計画のガセネタをばら撒いた者。
いわば黒幕、或いは元凶と言うべき存在は、一体誰だったのだろ
うか。
558
そして、本当に義信の死因は﹁ただ﹂の自害だったのだろうか。
くだん
これらの疑問を件の幼女にぶつけてみれば、きっと彼女は笑顔で
こう言うだろう。
﹁⋮⋮世の中には知らない方が良いこともあるのですよ﹂
つまりは、そういうことである。
559
白き魔女︵後書き︶
文章力が足りない。
本格的に勉強しようかな⋮⋮?
560
秋霧の夢︵前書き︶
電波を受信したおかげで書きたくなった。
サブタイ通りです。
是非最後まで見て下さい。
561
秋霧の夢
︱︱慶長五︵一六〇〇︶年。
天下人・豊臣秀吉。そして、それに次ぐ五大老・前田利家。
両者の死によって抑える者のいなくなった豊臣家の武断派と文治
派の対立は、遂に臨界点を突破。全く関係のない諸大名や武将、果
ては公家や浪人まで巻き込んで、小田原征伐以来十年ぶりとなる大
戦の熱を呼び覚ました。
文治派の専制に業を煮やしていた武断派は、天下一の実力者と囁
かれる五大老筆頭・徳川家康を味方に引き込んで挙兵。
一方の文治派はそんな彼らを謀反と断じ、五奉行筆頭・石田三成
を中心とする徳川征伐軍を結成。
両者ともに様々な経緯と経過、紆余曲折と権謀術数を経て、美濃
国関ヶ原で相見えたのである。
︱︱攻めるは徳川家康率いる東軍・約八万
︱︱迎え撃つは石田三成を中心とする西軍・約九万。
太閤秀吉の死より僅か二年。
後世にいう関ヶ原の戦いが、いま正に幕を開けようとしていた。
562
ふわぐん
関ヶ原。
せきがはら
鵜殿さんちの氏長君∼目指せ譜代大名∼
みののくに
美濃国不破郡
美濃国最西部、近江国との国境に位置する小盆地である。
おおあま
おおとも
後世において﹃天下分け目の関ヶ原﹄として名高いこの地の歴史
は、存外に古く長い。
今を遡ること九百余年前、天智天皇の逝去に伴い大海人と大友の
二人が皇位を巡って争った壬申の乱。この内乱の主要な舞台の一つ
として選ばれたことを皮切りに、乱終結後にはその後百年に渡って
畿内防衛のために重大な役割を果たす古代三関の一つ・不破関がお
かれ、更に中世においては物流の活発化と武士政権の到来に伴って
東山道野上宿・中山宿という宿場町が発展。そして戦国時代には浅
井長政による近江国境の要衝・松尾山城の築城。
飛鳥時代末期から今現在まで、およそ九百年余りに渡って途方も
無いほどの長い時間と年代を重ねて、東山道交通の要所としての地
位を築いてきたのであった。
僅か数キロ四方の、それも地方の小さな盆地にこれ程の歴史が詰
まっているというのは中々珍しい話ではあるが、それはこの地が全
国に名を及ぼせるだけの影響力と特異性を秘めた要衝であるという
証左である。現実として、この後二百数十年に渡る長い江戸の泰平
の世においても、関ヶ原はその価値を全く失わずに宿場として栄え、
二十一世紀に及んでなお東海道本線や新幹線、高速道路が通る交通
の要衝として扱われているのだから。
壬申の乱と関ヶ原の戦い。
563
二つの大戦争の決戦場に選ばれたということも、この地の持つ特
異性と重要性を顧みれば特に愕きに値することでもないのかもしれ
ない。
さて、ここまで長々と関ヶ原に関する薀蓄を並べて、一体何如何
したのかと言うと⋮⋮。
俺は今、徳川家康率いる東軍の一員としてこの歴史情緒溢れる土
地にお邪魔している最中なのである。
それもただの武将としてではなく、最前線部隊を率いる将の一人
として。
⋮⋮どうしてこうなった。
いいなおまさ
予定では徳川本隊所属の一武将として参戦する筈だったのに、我
が義理の甥にして先陣厨赤備男、人斬り兵部こと井伊直政が先陣を
引き受けたせいでこのザマである。
いい加減、彼のストッパー役として俺を引っ張り出すのは止めて
頂きたいものだが、一応後見人という立場にいて、尚且つ負けず嫌
いで怒りがちな直政の性格を知っている以上、放置しておくという
564
のも寝覚めが悪い。実際、史実では関ヶ原で受けた傷がもとで死去
している訳だし、色々と心配をしておいて損はないのである。
それに、突撃が原因で戦死しましたなどという事態になれば、今
は亡き次郎法師さんに対して申し訳が立たないのだ。
そして、俺自身も彼には天寿を全うしてほしいと思っている。
直接の血の繋がりは無いとは言え、息子を除けばほぼ唯一俺に残
された肉親だ。そんな彼が避ける事のできる傷病が原因で斃れるな
ど、どうして看過することができようか。
まあ、そんな心配は本人にとっては余計なお世話でしかなく、も
し仮に今考えていることが直政に伝われば、間違いなく彼は﹁何時
までも子供扱いしないでください﹂と言うだろう。
もちろんそんなことを言われた所で子供扱いを止める心算は毛頭
ない。
赤ん坊の頃から彼を知っている身としては、彼は未だに子供であ
る。
⋮⋮こんなことを考えるあたり、自分も相当に老いたものだと愚
考する。
つい先日まで少年の身で、三河の一向一揆と戦っていたと思った
ら、あっという間に時代は流れに流れて人間五十年という節目を迎
え、天下分け目の関ヶ原を迎えてしまった。
参戦が叶い大歓喜した姉川や小牧長久手に、死にかけた三方ヶ原。
あれだけ苦労した伊賀越え。そして色々な意味で記憶に残った天目
山。
今では遠い記憶の片隅、或いは屋敷の隅に追いやられた自作歴史
書の中の出来事だ。
565
いわみのかみ
︱︱鵜殿三郎氏長改め鵜殿石見守氏長、今年で数え五十二歳。
既に息子も成人し、遂に孫も産まれそうという年齢である。
時間の進みとは残酷で容赦がない。
そこに身を置く人間がどれだけ止まれ静まれと願っても、時の流
れはさながら水の尽きない大河のように滑り、あっという間に過去
という名の大海に流れ出てしまうのである。
人間如きが刃向える筈も無いのだ。
さて、そんな本筋に関係なさそうな年齢の話はさておき。
後世の記録に残る通り、旧暦九月一五日︵=今日︶の関ヶ原は濃
い霧に包まれて、辺り一面真っ白である。時節は既に晩秋を迎え、
本来ならば紅葉に染まった山々や、古葉が風に乗って踊るさまが見
られるのだろうが、残念ながら視界に映るのは火災現場もかくやと
言う程の白い霞だけで、そんな風雅で瀟洒なものが見えるはずもな
い。おまけにそれだけならまだしも、隣の味方、さらには敵陣の様
子まで分らないのは流石に達が悪い。お蔭で敵が前方にいる事が分
かっていながら、二時間ほどの膠着状態が続いているのである。
﹁本当に何も見えない⋮⋮﹂
﹁見事に一面真っ白でございますなぁ﹂
566
ぼそりと現状を呟いた俺に、隣で見ていた輝勝殿が反応した。
思えば、この人との付き合いもとんでもなく長い。
桶狭間直後に居候としてうちに現れてから既に四十年。
敵の大将である石田三成の年齢と同じだけ、俺はこの人と共に戦
ってきたということになる。
嗚呼、数年だけの付き合いになるから云々と思った昔が懐かしい。
三河時代はただの寄騎で実質的な部外者だった彼も、いつの間に
か正式な家臣となって今や鵜殿家の筆頭家老。軍にも内政にもなく
てはならない存在になってしまった。
その活躍に比例して御歳の方も相当逝っている筈なのだが、まる
で衰えを見せずに寧ろ老いて尚益々盛んと言わんばかりの働きであ
る。
⋮⋮本当に何歳なのだろうか。
今まで一度も年齢を聞こうとしなかったことが不思議でならない。
少し妄想をしてみると、この人の﹁輝﹂の字は間違いなく今川氏
輝公からの偏倚の筈なので、元服した歳は氏輝公が今川家当主を務
めていた大永六︵一五二六︶年から天文五︵一五三六︶年までの間
であることは間違いない。その当時の年齢を十代前半だったと仮定
すると、生年は一五二〇年前後で、今現在輝勝殿の年齢は八十過ぎ
どうかしましたかな?﹂
と言うことになる。
﹁おや?
﹁いえ、特に﹂
うーむ。
流石に今更年齢を教えてくださいなどとアホな事を言う訳にはい
かないので、輝勝殿のツッコミを軽くスルーする。
どうせなら、このままチート爺こと竜造寺家兼︵享年九十三︶や
大島光義︵現役。現在九十三歳!︶に追いつけ追い越せという勢い
で、大阪夏の陣まで生きて現役を貫いて欲しいものである。
567
﹁殿﹂
﹁なんですか?﹂
﹁我が軍だけでも攻撃を行うことは出来ませぬか?
深ければ福島殿に見つかることもありますまい﹂
これだけ霧が
余りの進展の無さに痺れを切らしたのか、ついに輝勝殿がそんな
ことを言った。
この脳筋っぷりも相変わらずである。
確かに折角最前線にいるのだから、先陣を切って大暴れしてみた
いと言う彼の気持ちは分かる。だが、既に先陣は福島正則が務める
ということに決まっているのだ。
抜け駆けして攻撃を仕掛ける訳にはいかない。
幾ら﹃大功を挙げれば抜け駆けも問題ない﹄という不文律がある
とはいえ、流石に軍律違反を進んでやりたいとは思わない。
﹁少し落ち着いてくだされ。福島殿が戦闘を始めてからでも十分に
間に合うでしょう。それに、我が陣の位置的に敵から仕掛けられる
と言うことも十分に考えられます﹂
﹁むぐぐ。流石に抜け駆けはアレですな﹂
俺が布陣しているのは、関ヶ原本道︵中山道︶と北国街道の分岐
点から西に少し進んだ辺り、井伊直政・松平忠吉隊から見て南西方
向に位置する場所である。ここは東軍諸隊の中でもほぼ最前線に近
く、これより前にいる味方は南西の福島正則隊と北西の田中吉政隊
だけであり、あとは全て敵部隊だ。
つまり直線方向︵正面︶には味方はおらず、敵さんがそのまま攻
撃を仕掛けてきた場合、我が部隊はそれを真正面から受け止めるこ
とができるのである。
⋮⋮正面にいる敵部隊というのが、十倍近い兵力を有する宇喜多
568
秀家隊というのは考えないことにする。
﹁しかし、鶴翼の陣に対して正面から突っ込むことになろうとは⋮
⋮。これだけ見れば我が方の完敗でございますなぁ﹂
﹁見た目だけならですが。﹃翼﹄の部分にあたる諸将の殆どが内通
しているとは、石田治部では思いもしますまい﹂
﹁ほほぅ。ということは、毛利も小早川もやはり?﹂
﹁はい﹂
輝勝殿の言う通り、西軍は翼を広げたような陣形、つまり鶴翼の
陣で東軍を包囲しており、俯瞰しただけでは此方が圧倒的に不利で
ある。
だが、史実同様﹁松尾山のアレ﹂だとか﹁南宮山のアイツ﹂と言
った一番重要な包囲陣の﹃翼﹄部分を構成する武将たちは、布陣の
段階で既に東軍に内応している身なのである。
悲しいかな、既に戦闘前の諜報戦の段階で西軍は東軍に劣ってい
たと言わざるを得ない。
そもそも西軍が関ヶ原に布陣する破目になったのも、事実上東軍
に誘い込まれたようなものである。
決して戦下手でも凡庸でも無いとは言え、基本文官である石田三
成に大軍の指揮は荷が重すぎたということだろうか。
もっとも敵である以上、同情するつもりは更々ないのだが。
もうそう
そんな考察からしばらくして。
辺りが突然騒がしくなってきた。
何処からか馬の嘶きやガチャガチャと言う甲冑が震える様な音が
聞こえてくるのである。
福島隊が動き始めたのかとも思ったが、明らかにうちの軍隊のす
ぐ側から聞こえてきているのだ。
どう考えても福島隊ではあるまい。
569
⋮⋮視界の隅に赤色の甲冑を纏った兵隊がちらちらと見えている
以上、答えは一つしかないのだが。
﹁筑前殿筑前殿﹂
﹁如何いたしましたかな?﹂
﹁なぜか視界に赤備えが見えるのですが、気のせいでしょうか?﹂
﹁残念ながら拙者の目にもしっかりと映っております故、気のせい
ではないかと存じます﹂
⋮⋮どうやら直政の奴が案の定抜け駆けをしようと企んでいるよ
うである。
これは止めに入らなければならないだろうなぁ。
の
い
は
こ
れ
か
ら
だ
!
アレの性格上引き留めるのは無理だろうが、ポーズだけでも示さ
ち
戦
ないと色々とまずいだろう。
た
︱︱︱︱さあ、行こう。
︱︱︱︱俺
570
﹁⋮⋮なんだ、夢か﹂
うーんという情けない声を挙げて、俺こと鵜殿氏長は目を覚まし
た。
一向一揆の暴露本を書いている途中で寝てしまったようである。
しかし、不思議なこともあるものだ。
史実とは歴史がかけ離れてしまったお蔭で、起こることは殆ど無
いだろうと参戦を諦めていた天下分け目の関ヶ原。
それを夢と言う曖昧な形であれど仰ぎ見ることができたのは純粋
に嬉しい。
⋮⋮だが。
夢と言うのは人の未練や願望、希望を表すと云う。
俺は今まで、現代にいた頃のような歴史マニア的思考は全て捨て
て、完全にこの時代の人間、一人の戦国武将として生きる覚悟を決
めたと思い込んでいた。
しかし、今回このような夢を見たということは。
恐らく心のどこか奥深くでは未だ未来人、現代人としての未練や
感覚を捨てきれていなかったのかもしれない。
今回のこの夢は、自分の脳が与えた一種の警告、啓発として受け
取った方が良い。
幾ら俺がこの時代には無い絶対的なアドバンテージを持っている
としても、それに頼り切ってしまえば確実に足元を掬われる。
最早役に立たない歴史そのものの知識は言うに及ばず、後世で確
定していた人物の評価でさえも当てになるかどうか怪しいものがあ
る。
例えば、史実では忠臣とされた人間が呆気無く裏切るかもしれな
い。
571
超有能だとされた武将が、実は大したことがないということがあ
るかもしれない。
不義理で冷酷、悪逆だと称された人物が、実は超善人だったと言
うこともあり得るかもしれない。
結局のところ、最後に役に立つのは曖昧な知識などでは無く己の
実力だということだろう。
そう結論付けた俺は、とりあえず実力をつけるための英気を養う
べく狸寝入りを始めるのであった。
しかし、橙陣の連中の鼾が煩いな⋮⋮。
グーガーだのスーピーだの、夜中に派手な音を建てられても困る
のである。
こんなことなら大物ぶって﹁兵と寝食を共にするのは将の務め︵
キリッ﹂とか大物ぶって馴れない事をするんじゃなかった。
後悔先に立たず、なのであった。
︱︱︱︱今日の覚悟が、決して間違っていなかったと思い知らさ
れることになるのはその翌日のことである。
572
秋霧の夢︵後書き︶
似たような話を昔やった気がする⋮⋮。
573
火事場泥棒あらわる︵前書き︶
思ったよりも遅くなってしまった。
574
火事場泥棒あらわる
四月である。
春である。
世が世なら、桜の季節が来た、門出の春がやってきたと狂喜乱舞
し、やれ花見だやれ入学祝いだのと、何かにつけては酒宴に饗応と
バカ騒ぎをする時節であるのだが。残念ながら今現在、三河は絶賛
内乱中。
一揆に武田に国人衆にと、続々と現れる敵勢力の対応に追われ、
常在戦場を強いられている三河松平党とその悲惨な仲間たちにとっ
ては、そんな快楽など何処か遠い世界の事。
まるで現実味を帯びない夢物語のようである。
何せ折角の春だというのに、暖かな陽光では無く冷え切った敵意
を身に浴び、薄桃色の桜の代わりに真っ赤な血飛沫を見、新芽で溢
れる野山を向こうに人の生首を鑑賞するという、その辺の三流ホラ
ー映画程度では相手にならない程の混沌とした状況なのだから、そ
んな気分に浸っている暇が無いのは当然である。仮にそんな余力が
あるならば、ムカつく一揆勢を一人でも多く討つべく攻勢を繰り返
しているだろう。
それに、こういったことはまるで気にしないタイプの三河武士の
ことだから、そもそも春が来たという事実に気づいているかどうか
すら怪しいところである。
まあ、仮にそれを伝えたところで、せいぜい今年の田植えはどう
575
なるかなーだとか、今年は例年にも増してひもじい思いをさせられ
るなー︵三河国は元来貧乏である︶等と言う至極真っ当な煩悩と苦
悩が只々蓄積するだけであろうから、それは言わぬが花というやつ
である。
さて、そんな松平党の本拠地・岡崎城である。
松平清康・広忠の早すぎる死と、その後の混乱によって衰退して
いたこの城とその城下町も、徳川元康の帰還とその後の善政で往時
の繁栄を幾何か取戻し、今では徳川家今川家鵜殿家他、万に近い軍
勢が詰めかける西三河の一大軍事拠点として不死鳥のごとく復権を
遂げていた。
そんな立派なお城の中。幾重にも張られた曲輪の一つ、風呂谷丸。
その土塁と深堀に囲まれた区画の中で、師走の如き慌ただしさを
見せている者たちがいる。
丸に三石を紋とする旗指物と、無味乾燥な鎧。 最近御無沙汰であった鵜殿家の雑兵たちである。
﹁急げ急げ﹂
﹁急がば回れ﹂
﹁これはこっちだ﹂
﹁ああ間違えた﹂
兵員各々が武具や小箱を抱えてせせこましく走り回り、塵を舞い
上げ、曲輪中を駆ける。
ただ、その表情が疲労の色に染まってるのは決して気のせいでは
ないだろう。
彼らは新年早々出兵に駆り出され、今の今までほぼ休みなしで戦
わされ続けてきたのだから。
576
一所懸命に作業を行う傍ら、やっと帰れるのか、もう無理などと
愚痴を零すのも致し方の無いことである。
そんな光景を見ながら、彼らの指揮を執らされている鵜殿新平は
一人大きく溜息を吐いた。
本来ならば、この兵たち達の監督をするのは主君である氏長や与
力である朝比奈輝勝の役割の筈だ。
だが、今彼らは誰一人として此処にはいない。
今朝方上ノ郷からやってきた急使を迎え、その話を聞いたと思い
きや、皆酷く狼狽した表情をして主殿︵城主のいるところ︶に走っ
て行ってしまったのである。
アクシデントが重なって、一人残される羽目になった新平に指示
を残して。
余程、風雲急を告げる知らせだったのだろう。
或いは危急存亡に関わる問題か。
少なくとも、他のことを考える余裕が消滅するような重大な事項
であることは間違いない。
でなければ、幾ら当主一族の血を引き、精鋭の隊長を任されてる
とは言え、ただの足軽頭程度の存在である彼に、全軍の指揮という
分不相応な役目を押し付ける訳が無い。
︵ああ、気が重い︶
新平は心に染み渡るような心細さと不安を感じる。
急使の報告もさることながら、兵卒たちが最期まで服従してくれ
るだろうか。
途中で何か深刻な問題が起きないだろうか。
577
頭の中をぐるぐると感情が回る。
ついでに胃も痛くなってくる。
辛い。 もしも彼が明確な﹃将﹄であったならば、このような心配に駆ら
れることは無かっただろう。
だが、今現在の新平は足軽に毛が生えたようなだけの存在である。
付き合いが長く、明確な指揮系統が存在している橙陣の連中なら
ともかく、兵卒たちの大半は新平に縁もゆかりもない普通の人間で
ある。
今のところ異議無く従っているように見えても、自分達と対して
立場の変わらない人間に采配されることに反感を持ち、途中でボイ
コットを始めないとも限らないのだ。
勿論、別にそうなったからと言って新平に不利な要素があると言
う訳では無いし、仮に武力的な叛乱を起されても、彼程の膂力の持
ち主ならば容易く制圧できてしまう。
つまり普通ならば余計な心配をする必要は無く、下手な戦なんか
よりも余程楽が出来るはずなのだが、今回ばかりは話が違った。 人というものは多かれ少なかれ予想外の出来事には弱いものだ。
こういうトラブルが大好きだ、解決する自信に満ち溢れていると
いう人間ならともかく、新平の問題処理能力は至って普通である。
あることないこと色々と妄想し、精神的不安定に陥って軽い混乱
お前ら帰るのか?﹂
状態になっていたとしても彼を責めることは出来ないだろう。
﹁あれっ?
さて、そんな危うい状態に陥り続けている新平の耳に、そんな声
が飛び込んできた。
快活ではきはきとした、明るい若武者の声である。
578
﹁これは平八郎様﹂
本多忠勝である。
最近戦場を共にすることが多くなり、ある程度気心の分っている
相手とはいえ、その突然の登場に新平は驚いた。 どうも、彼は鵜殿家の軍勢が帰り支度をしていることを訝しんで
いるらしい。
それはそうだ。
今回の撤退準備は突然のもの。
当然、徳川家や他家の軍勢に正式に連絡したわけではない。
曲りなりにも友軍だと思ってる人々が、何の報せもなしに退却の
準備をしていれば、表に現さなくても不快に思うことは間違いない。
そんな誤解を解くべく、新平は喋る。
用
﹁いや、べつにそういう訳では御座いませんよ。ただ、国許に何か
起こった時の為にと殿が申されまして﹂
﹁ふーん。まあ、それはいいや。ところで、三郎はいないか?
があるんだけど﹂ ﹁それが、今朝方主殿に行かれて以来まるで戻ってこられないので
すよ﹂ ﹁んー⋮⋮﹂
何か引っかかるところがあるのだろうか。
忠勝は珍しく腕を組み、深く考えるそぶりを見せる。
﹁此方にいらっしゃったのも、何か意味がありそうですね﹂
﹁ああ、別に大したことじゃあないんだけどな。今日の朝、殿から
叔父上﹃だけ﹄に召集がかかってなぁ﹂
﹁ふむ、それはまた⋮⋮﹂
579
新平も忠勝同様、顎に手を当てて考える動作を始めた。 一応若年であるとはいえ、正式な本多家の当主である忠勝を省き、
その後見人である忠真だけを呼んで評定を行うのはおかしい。
忠勝本人もその事に疑問を抱き、何か事情を知っていそうな氏長
に相談しに来たとのことだった。
﹁あと、叔父上を呼びに来た与七郎殿︵石川数正︶がやけに焦って
いたな。珍しい﹂
﹁⋮⋮﹂
石川数正の人となりを、新平は良く知らない。
だが、氏長が評して曰く﹁三河武士には珍しく、冷静で文治に優
れた人﹂とのことである。
そんな人物が焦っていたというのだから、忠勝でなくとも疑問に
思う筈であった。
﹁そういやあの人、他の重臣にも知らせに行くとか言っていたなぁ
⋮⋮﹂
再び、忠勝が思い出したように呟いた。
ただでさえ怪しいのに、此処へ来て重臣限定の評定である。
なにか、自分たちの想像をはるかに超えるような事態がおきてい
るのではないか?
彼らは悩む。 朝、上ノ郷からやってきた急使。一向に戻ってこない氏長。
そして、徳川元康によって集められたという、本多忠真をはじめ
とする重臣達。
恐らく徳川家の重臣たちに伝えられた報告というのは、上ノ郷か
らやってきたもの同様、相当に重い案件なのは間違いない。
580
あるいは、両者共に同じモノなのかもしれない。
﹁今川家に何かあったのかもしれませんな。最近、今川の大殿は体
調を崩しがちだと聞きました故﹂
﹁あー。確かにそれはあり得そうだなぁ﹂
新平が自分の推測を語り、忠勝も肯定の意を返した。
今川義元の体調がここのところ崩れやすかったというのは、結構
有名な話である。
だがしかし、それでも確証には至らない。
せめて上ノ郷からの報告の内容が分かればまた違ったのだろうが、
残念ながらやってきた急使も氏長達について行ってしまった為、今
の新平にその中身を知る術は無いのだ。
ちなみに新平が報告の中身を知らないのは、別にハブられたとか
無視されたとかでは無く、単純に聞くタイミングを逃したせいであ
る。
まさか、自分が厠に行っている間に、そんな重大な情報を持った
急使が飛び込んでくるなどとは夢にも思うまい。
痛恨のミスである。
﹁まあ、いずれ我らにも伝達があるかと思いますゆえ、今は悩んで
も仕方ありますまい。気長に待つのが得策かと﹂
﹁まあ、それもそうだな。ところで新平、何か手伝えるようなこと
はあるか?
叔父上たちが返って来るまで暇そうだからな。手伝うぜ?﹂
﹁おお、それはありがたい﹂ 結局、新平たちは今の段階でうだうだ悩んでも仕方がないという
結論に達した。
分らないことをいつまでも考えていても仕方がない。
581
時間が立てば、おのずと答えが分かることである。
今は目の前の出来事に全力で取り組むに限る。
新平はそう思考すると、再び雑兵の監督へと意識を向けるのだっ
た。
⋮⋮本多忠勝のオマケつきで。
鵜殿さんちの氏長君∼目指せ譜代大名∼
﹁三郎、どうした。こんな朝早くに﹂
﹁少しお耳に入れたいことがありまして﹂
事の発端は、早朝にやってきた上ノ郷からの使者であった。
その人物によって齎された急報を聞いて仰天した俺は、偶然その
場にいた輝勝殿を伴って、鵜殿家に宛がわれた兵舎のある風呂谷曲
輪を飛び出し、本丸にある主殿まで全力で走ってきた訳である。
春が訪れて暖かくなって来たとは言え、四月の空気はまだまだ冷
たい。
現在、午前六時。
こんな早朝に突然押し掛けても、追い返すどころか快く会ってく
れる兄貴に感謝である。
582
﹁⋮⋮眠い﹂
大あくびをしながら、兄貴はそんなことを言う。
どうも、こんな早朝に俺がやってきたせいで、近習に叩き起こさ
れたらしい。
悪いことしたかなぁ⋮⋮。
﹁なんかすみません。無理矢理起こしてしまったみたいで﹂
﹁ああ。気にするな気にするな。相当やばい案件なんだろ?﹂
﹁ええ。よく分りますね﹂
﹁⋮⋮酷い顔だからな﹂
兄貴に一言だけ謝罪を行い、そんな問答を行う。
どうも俺たちの顔は、ぱっと見て分かるほどに焦燥し切っている
らしい。
急使からの報告に愕然として落ち着く暇も無く、文字通り大慌て
でこの主殿まで一目散に駆けて来たせいか。
兄貴を待っている間に多少は落ち着いたと思っていたのだが、ど
うもそうでは無かったらしい。
﹁まあ、それはともかく。報告を聞かせてくれ﹂
﹁はい。上ノ郷城が竹谷松平家の軍勢に攻撃を受けたそうです﹂
その瞬間、未だに眠気が消えず朦朧としていた兄貴の瞼が持ち上
がり、その内側の瞳孔が、きりりという音を立てそうなくらい強く
見開かれた。
浮かぶのは驚愕、衝撃そして困惑といった感情だろう。
さもありならん。
何もかもが突拍子も無く、一聞してあり得ないような事なのだか
ら。 583
﹁⋮⋮すまん、もう一度頼む﹂
﹁上ノ郷が、竹谷家の攻撃を受けました﹂
報告を繰り返す。
兄貴の眼は大きく開かれたまま、その表情も動かない。
まるで、彼に流れる時間という概念が何処かへと消え去り、生命
活動を全く停止してしまったような。そんな異常で奇妙な感覚に襲
われる。
同時に、辺りが静寂に包まれた。
聞こえるはずの外からの雑音も、この部屋が奥まった場所にある
せいで聞こえない。
いま、この部屋を支配するのは時間だけである。 どこからか、カチカチカチカチ⋮⋮と、秒針が時を刻む幻聴が聞
こえた。
﹁⋮⋮間違いは、無いんだな?﹂
﹁残念ながら。上ノ郷からの使者を連れてきておりますが、話をお
聞きになられますか?﹂
やがて再起動を始めた兄貴が、俺に尋ねた。
答えはイエスである。其方しかありえない。
﹁ああ、頼む﹂
こうして、兄貴は上ノ郷の使者からの詳しい報告を聞き、すぐさ
ま重臣と援軍の将を集めた評定を開くことを決定。
そして、重臣達の到着を待っていた正にそのタイミングで吉田城
から遣わされた急使がこの岡崎城主殿へと。
584
︱︱︱︱義元様の卒倒という、悪夢のような知らせを携えて。
﹁皆、よく集まってくれた﹂
主殿に集まった徳川家の家臣達、そして援軍の将達を前にして兄
貴はそう言った。
いまこの場に呼ばれている徳川家臣たちは、家臣団の中でも重臣
中の重臣と呼べる立場であったり、経験豊富な歴戦の将と名の通っ
ている人物ばかりである。
毎度おなじみの忠勝や康政は、未だ若年な為かお声はかからなか
ったらしい。
少し寂しい気もする。
﹁既に話は伝わっていると思うが、鵜殿領が一揆に通じた竹谷家の
軍勢によって攻撃を受けたそうだ﹂
﹁⋮⋮﹂
俺に向けられる徳川家臣団の驚いたような視線が痛々しい。
恐らく、その報告を信じていない者、或いは敵の計略だと思って
いる者もいるかもしれない。
なにせ竹谷松平家というのは松平諸家の中では最も古く、代々宗
家当主に対して忠勤に励んできたいわば分家の筆頭格。
今更離反するような理由も問題も特に思い浮かばないのだ。
﹁まあ、疑問はあるだろうが今は置いておいてくれ。
そして、もう一つ。⋮⋮大殿がお倒れになられた﹂
585
﹃!﹄
諸将が一斉に息を呑む音が聞こえた。
そして、その後に訪れる静かな慟哭と沈黙。
援軍の将である関口親永殿と岡部正綱殿が、がくりと肩をついて
項垂れているのが見えた。
﹁⋮⋮大殿は未だに目を覚まされぬようです﹂
そんな悲壮な空気が充満した部屋の中で、始めに口を開いたのは
正綱殿だった。
何時もの明るい彼からは想像もつかない程に、声のトーンが低い。
察するに、彼らは義元様が倒れたという事実を知っていたのだろ
う。
そして、それを知りながらも自分達ではどうすることも出来ない、
何の解決策も打ち出すことができないというある種の壁にぶち当っ
た苦しみは、一体どれ程までに辛いものなのか。
正に身を削られる重いであろう。
その心中を窺い知ることは、俺なんぞにはとても出来そうになか
った。
﹁⋮⋮悪いことは重なるものですな﹂
﹁⋮⋮そうですね﹂
そんな合間を縫って話しかけてきた数正殿に返事をする。
武田に一揆に国人衆。此処へ来て竹谷松平氏の謀反に、義元様の
卒倒である。
良い事の後には悪いことがあると良く言われる。
だが、今の我々にこの例えを当て嵌めるのは少々無理がありそう
だ。
586
⋮⋮沈黙が重い。
恐らく正綱殿はこの空気を何とかする為に口を開いたのだろうが、
義元様の容体が重いことが暴露され、益々陰鬱な状態になってしま
う。
踏んだり蹴ったりである。
﹁⋮⋮重苦しいママでは如何しようもありますまい。我らが為すべ
きは、身に降りかかった不幸を嘆くことでは無くどのように動くか
考える事でありましょう﹂
そんな重苦しい空気を跳ね除けるように話し始めたのは鳥居忠吉
殿である。
そうだと分かっていても、雰囲気のせいで口に出来なかったこと
を喋ってくれた。
流石は最古参の長老。
先代当主の死や今川家の三河占領時代など、今より遙かに難しい
状況を潜り抜け、松平家のリーダーシップを取り続けてきた人なの
だから、こういう場合に如何したら良いか全て理解しているのかも
しれない。
﹁⋮⋮そうだな﹂
普通ならば、そんなこと言われなくても分っている、だからなん
しわが
だなどと要らぬ反感を買うだけということもあり得るだろう。
だが、そこは長老。
彼の口から紡がれる嗄れつつも厚みのある声には、そのような反
発心を自然と消滅させるような、筆舌しがたい重みがあるのだ。
みち
流石、人生の大半を苦労と忍耐で彩られてきただけのことはある。
正に﹃老いたる馬は路を忘れず﹄という格言の通りである。 587
そして、諸将が再起動を始める。
忠吉殿の言葉どおり、大事なのはこれからどうするかということ。
勝機は己の手で攫むものだ。何時までもクヨクヨしていても仕方
がない。
悲嘆と言う名の現実逃避に溺れていては、勝てる戦にも勝てなく
なってしまうのだから。
それが出来ない程、この場の武将たちはアホではない。
多少なりとも焦りがある中、皆千思万考、或いは沈思黙考して、
様々な議論を巡らせる。
﹁織田家が動かぬのが不気味ですなぁ﹂
﹁まあ、あちらさんも斉藤家とやり合っていて余裕がないのだろう。
それと、水野殿の工作が聞いているのかもしれぬな﹂
織田家との同
﹁ああ、そういえば停戦がどうとか言っておりましたな。藤四郎︵
水野信元︶殿は﹂
﹁まてまてまてまて。拙者は断じて認めませぬぞ!
盟など﹂
﹁落ち着かれよ。同盟では無く停戦だ﹂
数正殿と忠次殿が織田家とについて話し合っている所に、忠真殿
が乱入したり。
﹁最悪北条を頼るというのは⋮⋮﹂
﹁それが連中、上総の里見とやり合っているらしくてな。逆に援軍
をくれと言われてしまう﹂
﹁北条は北条で敵が多いのですね⋮⋮﹂
﹁まあ、お家柄というものだろうな﹂
関口殿と正綱殿は、主に関東方面について語っているようだ。
588
﹁時に三郎どの﹂
そんな中、忠吉殿が俺に声をかけてきた。
間違いなく竹谷の件だろう。
﹁何か?﹂
﹁上ノ郷からの伝令は本物だと断言できますかな?﹂
﹁ええ、それは間違いないかと。使者となった人物は、私と顔見知
りでしたから﹂
﹁成程﹂
岡崎城にやってきた伝令は、我が家に代々仕えている本多家︵当
然徳川家臣とは別系統︶の者だ。
恐らく忠吉殿は敵が用意した偽報ではないかと疑っているのだろ
うが、その可能性はありえない。
﹁ふーむ。竹谷家の離反は確実と言うことですかな﹂
﹁残念ながら。本当に一揆と通じたかはともかく、うちの領内を攻
撃したというのは間違いないでしょうね﹂
ちなみに一揆と通じて云々というのは、あくまでも推測である。
だが、岡崎で膠着状態が続き、俺達が動けない最中に離反された
となると、一向一揆に通じていないと考える訳にはいかないのだ。
個人的には杞憂であってほしいのだが⋮⋮。
﹁となると、鵜殿家は上ノ郷に戻らねばなりませんな﹂
﹁そうなりますね。途中離脱のような形になってしまって申し訳あ
りません﹂
﹁いや、気になされるな。お家の一大事なら致し方ありますまい﹂
589
一言だけ誤る。
竹谷家の領地は鵜殿家の隣。つまり鵜殿家の存亡の危機である。
﹁三郎、兵は足りるのか?﹂
﹁ええ。少し辛いですが、なんとかしてみます﹂
いつの間にか他の人たちに話を聞かれていたようだ。
援軍の必要性を聞いてきた兄貴の言葉に、やんわりと否定を返す。
一揆の主力と対峙する徳川家には、どれだけ兵がいても足りない。
ここで要らぬ気遣いをさせて兵力不足に陥り、窮地に立たされる
羽目になりました。となっては流石に申し訳が立たないのだ。
それに、最初から援軍を当てにしていては、情けないと言うか武
士の面目が立たないような気がしたのである。あくまでも自己論だ
が。
そんな俺の内心を察したのか。
兄貴は一言そうかとだけ答えると、再び他人の話に耳を傾け始め、
俺も忠吉殿との会話に戻るのだった。
そして、軍議は終わる。
決意を新たに。もとい、色々と危機的状況への対処を考えた諸将
たちは自らの持ち場に戻り、割り当てられた行動を行い始める。
ある者は攻城へ。ある者は伝令へ。また、ある者は敵に回った同
僚への調略を。
そして、俺達鵜殿家の軍勢は、竹谷松平家と戦い、本領の危機を
救うべく、一路上ノ郷を目指すのであった。
590
591
火事場泥棒あらわる︵後書き︶
ご意見ご感想お待ちしています。
592
ご注文はたぬきですか?︵前書き︶
久しぶりのような気がします。
もうちょっと早くしたいなぁ。
593
ご注文はたぬきですか?
たけのやまつだいら
竹谷松平氏。
のぶみつ
もりいえ
﹁松平﹂の名が示す通り、歴とした徳川氏の庶流である。
宗家三代当主・松平信光の長男・守家を祖とし、戦乱の世が幕を
開けた文明︵一四六九∼一四八六︶年間頃より、宝飯郡竹谷を根拠
地として三河に割拠。或いは宗家に従ってその勢力拡大に貢献して
きた一族である。
その歴史たるや四代百年を数え、俗に言う十八松平の中でも最古
参にあたると言う。
古来より諸勢力の興亡治乱が激しい三河国で、吹けば飛ぶほどの
力しか持たない小勢力がこれだけ長く生き長らえるというのは中々
に凄いことである。
この家が勢力を保ってきた原因は色々と考えられるが、真っ先に
もりちか
上げられる理由として、当時は三河湾交通の要衝であった犬飼湊を
抑えたこと。そして、二代当主・与二郎守親の時代に今川氏に接近
したことがあげられる。
その時代に撒かれた火種が、竹谷家の発展と葛藤、ひいては今回
の離反の原因に繋がって来るのだ。
少々長いお話になるが、御付き合い願いたい。
594
時を遡ること六十年程前。松平宗家の当主で言えば五代・長親の
時代、鵜殿家で言えば氏長の曽祖父である長将の時代のことである。
当時の三河国内は、応仁の乱によって守護一色氏が弱体化し、ま
た名門吉良家も内訌を繰り返していたとあって、統治者たる大名が
存在せず、調子づいた諸豪族が互いに骨肉の争いを演じ、血を血で
洗う戦乱の真っ只中であった。
そんな状況なのだから、うちが治めてやろうと今川家が侵略の魔
の手を伸ばしてきても文句は言えまい。
時の当主・今川氏親は三河の平定を決断。
この国に楔を打ち込むべく、手駒となりうる存在を探し始めたの
である。
ここで白羽の矢を立てられたのが、竹谷松平という家であった。 ある意味松平嫡流とも言え、一種の独立状態にあった竹谷家の存
在は、彼らにとって非常に都合の良いものであったに違いない。
後の鵜殿家同様、三河の東西を繋ぐ重要な位置に所領を持ってい
もりちか
た彼らを取り込んで三河進出の足掛かりとするべく、氏親は策を練
った。
ちかよし
守家の子に偏倚を与えて守親と名乗らせ、その息子には自分の娘
を嫁がせ親善と名乗らせる。 系譜上は松平家の嫡流である竹谷松平家を一門に取り込み、氏親
がその後ろ盾となることで、今川家が三河侵略と支配を慣行する上
での大義名分を得ようとしたのである。
もちろん﹁政略結婚をした程度で分家が、それも偏屈者の三河武
士が寝返るか﹂と問われれば、確かにそれは否と言わざるを得ない。
だがこの当時、宗家の跡継ぎである信忠の暗愚さを巡って松平党
は揉めていたのである。
この時の宗家当主・松平長親は傑物であった。
文にあっては和歌や連歌の教養に通じ、武にあっては今川家の大
595
軍を寡兵で破るという大戦果を上げる。
当然家臣や領民にも慕われた。
しかし、いかに慕う主君の指名であろうとも、当主に収まれば碌
な事にならないと分りきっている人間を次代の殿様と仰ぐことがで
きるだろうか。
詰まる所、松平信忠とはそういう人物だったらしい。
暗愚なのが罪というわけではない。
三国志の劉禅しかり、イギリスのジョン欠地王しかり、後世の人
間からダメ君主、暗君と揶揄されながらも、周りの人間に支えられ
て立派に元首を務めていた例は過去に幾らでも存在する。
バカ殿ならば家臣たちが支え、盛り立てていけばよいのだ。
だが信忠の場合、その家臣たちの気力を消し飛ばしてしまうよう
な性格の持ち主であったのだ。
宗家の当主として備えるべき武勇・情愛・慈悲の何れも持たず、
暗愚で薄情、粗暴。家臣はおろか民百姓にすら嫌われ、誰一人とし
て心服するものはいないなどと語られる、どう考えても当主の器た
る人物ではなかった。
そんな人間だったのだから、﹁優秀な弟や他の一門衆を次期当主
に﹂という動きが起こってもおかしくはない。
そして竹谷家もまた、他の例に漏れずそんな信忠と宗家に不満を
抱く存在だったのである。
長子である自分たちを差し置いて宗家になった安城松平氏に対し
て含むところがあったのか、それともこの大混乱に嫌気が差して、
独立心を持ち始めていたのか。
当時の彼らの心境を知る術は最早存在しないが、少なくともこの
今川家からの調略をなんらかの機会と捉えたのは事実であるらしい。
結果的に、氏親の懐柔策は功を奏した。
大した時を置かずして、竹谷家は今川家に急接近を始めた。
596
初めに今川氏と密になって重用されたのは、鵜殿家でも牧野家で
も無くこの竹谷松平氏であったのだ。
ともかく、これが原因で三河国内における彼らの影響力は拡大し
た。
お家騒動で疲弊する宗家とその家臣団を後目に勢力を保ち、今川
家の後ろ盾を得て、オマケに親戚として扱われていたのだから。
松平親善と氏親の娘の間に一子︵後の松平清善︶が生まれると、
その傾向はさらに顕著になった。
表現が大げさかもしれないが、まさにこの当時、彼らは繁栄の絶
頂に至ったのである。
だがその直後。
氏親が死に、氏輝が跡目を継ぐと三河の状況は激変してしまう。
後の世に海道一の弓取りと称され、徳川家康生涯の目標となった
英傑。
︽善徳公︾松平次郎三郎清康の登場である。
しかし、彼の活躍を語る前に、先のお家騒動の結末から語らねば
なるまい。
あの騒動のさなか、松平長親は混乱の責任を取ると称して隠居す
る。
三河に覇を唱えた英傑のあまりにも早すぎる引退である。 そしてその後、宗家の家督を継いだのは信忠であった。
あれだけ揉めに揉め、長親自身も弟の信定を寵愛していたにも関
わらず、結局最後まで後継者は変わらなかった。
単純に親心からくる行動であったかもしれないし、一度決めた後
継者を変えることによって起こり得る禍根を恐れたのかもしれない。
その変わり、自身が隠居して信忠の後見となり、その手綱を握る
597
ことで暴走を抑えるとともに、家臣たちの不安を和らげようとした
のだろう。
ところが、事態は長親の予想の上を行った。
まつりごと
信忠は当主になるや否や、長親や家臣の諌めを無視して傍若無人
な政を始めたのである。
家臣たちの苛立ちと不満は更に高まった。
しかも、今度は信忠だけではなく、背後にいて何もしない︵よう
にも見えた︶長親に対しても。
もはや、松平宗家に対する彼らの信用はゼロを超えてマイナスに
振り切れつつあったのだ。
もともと松平党というのは、めんどくさい三河武士の集団を松平
家の棟梁がその器量で束ねていたようなものだ。
その当主が人望を失うどころか、彼らを怒らせるようなことを行
えばどういう事態になるか。
ご想像の通りである。 信忠のめちゃくちゃな統治は、めんどくさい三河武士の尻に火を
つけ、言葉が聞かぬなら行動で示せとばかりに過激な抗議活動が展
開され始めたのである。
出仕拒否、命令無視は当たり前。
挙句に謀反の輩まで現れたというのだから始末に負えない。 松平家は統治者としての機能を喪失し、空中分解の危機に陥った。
ここへ来て、動いたのは如何にかして冷静さを保っていた一部重
臣と一門衆であった。
彼らは隠遁していた長親を巻き込んで協議を行うと、信忠を無理
矢理隠居させ、その子・竹千代に当主の座を譲らせるという解決策
⋮⋮⋮⋮⋮⋮と思いきや、あっさりと
を考案。信忠の元を訪れ、それを受け入れるようにと迫ったのであ
る。
それに対して信忠は激怒
要求を受け入れた。
598
彼は早々と竹千代に当主の座を明け渡すと、自身は碧海郡大浜に
隠居所を用意して引き籠ってしまったのである。
﹁最悪一戦交えてでも信忠を排除する﹂という悲壮な決意を抱いて
安祥にやってきた重臣たちは、それはもう狐に包まれたような感覚
に捕われたに違いない。
あれだけ強情で強権的であった彼が、あっさりと引っ込んでしま
ったのだから。
君子豹変。その言葉が相応しい、見事な引きっぷりであった。
それはともかく。
きらもちきよ
こうして僅か十三歳にして家督を継ぐことになった竹千代は、名
きよたか
きよやす
門吉良家の当主・吉良持清から偏倚を受けて元服。
清孝、のちに清康と名乗るようになる。
松平清康、別名・世良田二郎三郎はこうして世の中に登場した。
時に西暦一五二三年、大永三年のことである。
松平清康という人物を一言で表すなら、﹁徳﹂という言葉が相応
しい。
身分の上下なく誰に対しても分け隔てなく接し、士卒を憐み、慈
愛に満ち、家臣領民の意見をよく聞き、そして誰よりも勇敢であっ
た。
後世︽善徳公︾と称された人格は紛れもなく本物であったのだ。
この人徳、この武威は多くの人々に慕われた。
それは、お家騒動で荒れていた三河武士とて例外ではなかった。
清康の当主としての誠実さや善良さは、確かに彼らの心を掴み取
り、再び集うための大きな動機となったのである。
そして、彼の元に再び集った三河武士たちは、数代前からの悲願
であった三河統一を果たすべく、東奔西走の戦いを開始する。
清康が家督を継いだ翌年には岡崎の西郷信貞を攻めて降伏させ、
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本拠を安祥からこちらに移す。
さらにその翌年には西三河奥地に兵を進めて足助の鈴木氏を降伏
させる。 有名な﹁葵の御紋﹂が家紋となり、さらに新田氏の末裔と称する
ようになったのもこの時代のことだ。
家督を継いで僅か二、三年。
たったそれだけの期間で、清康は松平家を三河随一の大勢力に育
て上げたのである。
松平党は信忠という冬を乗り越え、清康という春を迎えて飛躍の
時を迎えたのであった。
これに慌てたのは三河の諸将。特に松平家の騒動に伴って、事実
上離反していた連中だ。
つい先日まで内部争いを続けていた勢力がいつの間にか纏まって
大きくなり、自分たちを飲み込まんとその矛先を向けてきたのだか
ら。
彼らの心中は揺れに揺れた。
ただ何もせずに降伏すれば武家の名折れ、かといってまともに戦
っても勝ち目はなく、頼みの今川家は充電期間中で援軍は当てにで
きない。
反松平で同盟するというのもこの時代では数々の因縁からありえ
なかった。
混乱を治めた松平家と入れ替わるかのように、今度は彼らが激し
い混乱に襲われたのだ。
そしていざ松平党と対峙すると、その選択は四散した。
武士らしく戦って果てるもの、あっさりと降伏して傘下に入るも
の。そして城も領地も投げ出して遁走する恥知らず。
竹谷松平家もまた、彼らと同じように選択を迫られた。
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このまま今川方に属して宗家と戦うか、今川家から離れて再び宗
家の側につくか。
いかに独立勢力と化していても、竹谷家は松平の一門。それも最
古参だ。このまま従うのが筋というものだろう。
しかし、現状は今川家に属する身。
この当時の当主・親善にとってこの家はただの主家というだけで
はなく、妻の実家でもあったのだ。
三河の勢力比率が変わったからと言って、そう易々と縁を切れる
相手ではなかった。
宗家との縁、今川家との縁。
その両者を天秤に掛けて、どちらを取り、どちらを捨てるか。
親善は悩みに悩んだ。
一歩間違えれば、自分の身どころかお家そのものを滅ぼしかねな
い選択なのだ。
そのどちらを取ろうとも、決して後悔だけはしないように。
自身にそう言い聞かせながら。
そして、彼は散々悩み抜いた結果、宗家の側に舞い戻るという決
断を下した。
たとえ宗家に不満があろうが、他者と遠戚になろうが、結局は親
善も本質は松平の人間。
一揆勢についた徳川家臣が悩み続けていたように、やはり身内と
戦うことに抵抗が存在したのだろう。 或いは他の者たちがそうで
あったように、彼もまた清康の人柄にほれ込んだのかもしれない。
親善は妻であった氏親の娘を離縁すると、今川家に対して明確な
敵意を表し始めるのであった。
これに激怒したのは今川氏輝である。
たとえ小さな存在とはいえ、父親の代にあっさりと従った勢力が、
自分に代替わりした途端に敵に回ったのだ。嘗められていると考え、
屈辱に感じるのも無理はないことだろう。
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だが、小勢力の所属先が変わるというのは戦国時代ならよくある
こと。
それ自体は特に責められることではないし、氏輝もある程度は予
想していたことだろう。
むしろ氏輝の怒りに火をつけたのは、竹谷家が婚姻関係を何の通
達もなしに突然解消し、敵対する関係に回ったということであった。
のちに松平広忠も似たようなことをやっているが、小勢力同士の
婚姻であったあちらの場合と異なり、こちらは小勢力側が一方的に
遠戚関係を解消し、剰え敵に回ったのだから、大国今川家としては
面子を潰された形になったのだ。
氏輝は本気で竹谷家を潰してやろうかと考えた。
しかし、氏親の死によって動揺する駿遠二州を放り出して三河に
軍勢を向ける程の余裕は、流石の今川家にもなかった。
だが、氏輝としてもこのまま放置というわけにもいかない。
自身の面子のこともあるし、何よりも父親の悲願であった三河進
出を諦める訳にはいかないのである。
ならばどうするか。
こういう時こそ政略の出番である。
どうやら今川氏輝という人物は、こういった感覚に優れた人物だ
ったらしい。
対した苦労をすることなく、自分に靡き都合よく動いてくれそう
な勢力を見つけ出してきたのである。
それが鵜殿家であった。
竹谷家の隣に領地を持ち、同家と何かといがみ合っていた鵜殿家
の存在は、今川家の影響力を三河に確保し裏切り者を如何にかする
という目的の点で非常に合致した存在であったに違いない。
おまけに、元々は他国の人間であった鵜殿家には、他の三河国人
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たちが抱えているような厄介な政治的しがらみは存在しなかった。
取り込もうとする点で、これほど便利な勢力はなかなか存在するま
い。 こうした事情からか、氏輝もまた氏親と同じような手を使って鵜
殿家を取り込むべく策動した。
毎度お馴染み政略結婚である。
丁度この頃、鵜殿家には長持という将来有望な若者が当主を継い
だばかりであり、ついでに彼は未婚であった。氏輝はここに目を付
けたのだ。
しかし、そう都合よく今川家に適齢期のお姫様がいるとは限らな
い。
数年前ならいざ知らず、家督を継いだばかりであった氏輝には、
まだ跡継ぎである男子もいなかったのだから。
だが彼は、この窮地を裏技とも言えるやり方を使って突破した。
大永八︵一五二八︶年。
氏輝は、松平親善に離縁され実家に戻っていた自身の姉妹を、長
持に輿入れさせたのである。
⋮⋮幾らなんでも歳が離れすぎだろうと思った方は正解である。
この時、鵜殿長持は十五、六歳。そして、氏輝の姉妹の方は少な
く見積もっても三十六、七歳。
正に﹁この祖父にしてあの孫あり﹂といったところであった。
政略結婚である以上、多少の年齢の違いはやむを得ない事ではあ
るのだが。流石にこれは行き過ぎである。
養女をとるだとか、次世代同士の許婚を使うだとか、色々とやり
ようはあったと思われる中で、氏輝がこの手段を使ったのは、ほぼ
確実に竹谷家への嫌がらせのためだと断言できる。
⋮⋮離縁した自身の正室が、仲の悪い隣の領地に嫁いでくる。
松平親善にとって、これは何にも代えがたい屈辱となったに違い
ない。
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氏輝にしてみれば、面目を正面から潰された復讐のようなものだ
ったのかもしれないが、重い別離を経験して尚、政略の駒、嫌がら
せの道具として利用されたこの女性の内心は果たしてどのようなも
のだったのだろうか。
命令されるがままに自分の子より一回りも年下︵親善との間の子・
清善は一五〇五年生まれ︶の少年に嫁がされ、元夫と息子の所領を
目と鼻の先に見ながら暮らす。
正直生きた心地がしなかったことだろう。
結婚の翌年には嫡男・長照が生まれていることから、夫婦仲が良
好だったと思われることが彼女の唯一の救いになっただろうか。
だが、長持とその正室。両者既に亡き今となっては、最早確かめ
ようのないことである。
こうして、鵜殿家と竹谷家の決裂は決定的なものとなった。
守山崩れで清康が斃れ、松平党による三河支配が終焉を迎えると、
両者の対立は頂点に達し、遂には合戦に及んだ。
塩津村、即ち氏長が塩田に魔改造した村落が竹谷家から鵜殿家の
手に渡り、犬飼湊が再起不能な程のダメージを受けたのは、全てこ
の頃の出来事である。
この合戦自体は周辺勢力の調停や松平宗家が今川家に従ったこと
でやがて治まり、表面上は敵意も消え失せた。
だが、両者の内側に宿った憎悪の焔は消えずに残り続け、静かに
燻り続けたのであった。
そして、時は流れ。
三河の内乱と一向一揆、武田の調略という導火線がぶら下げられ
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た時、その焔はそれに飛び移りやがて爆ぜた。
狙いは、小規模ながらも有名になりつつあった塩津の塩田と、同
じく発展の兆しを見せていた上ノ郷そのもの。
当代の当主・松平清善はこれが竹谷家のかつての繁栄を取り戻す
最大の好機と考え、鵜殿家が一揆や国人衆の鎮圧に手を焼いている
間に、それらを横から掠めとる計画を立てたのである。
彼は気に入らなかったのだ。
元々自分たちの領地であった塩津村を塩田に改造し、富を生みだ
していることが。
そこから生み出されるものは、本来ならば自分たちに帰するべき
もの。
曲がり間違っても他者の手に渡っていてよいものではない。
蒲郡の湊もそうだ。
あれは、衰退した犬飼湊に代わって三河湾の中継拠点として作り
上げられたと聞いている。
ならば、その犬飼湊を擁している自分たちこそが治めるのにふさ
わしい。
鵜殿家では力不足、分不相応だ。
それに、かつての合戦の仇を返す機会でもある。
やられたらやり返せ。
かつての我らが味わった屈辱をそっくりそのまま倍返しにして味
あわせてやる!
一歩間違えれば、宗家に対する謀反になりかねないことには目を
瞑り、あくまでも鵜殿家と竹谷家の私闘であると、自分に強く言い
聞かせながら。
松平清善は、上ノ郷に向かって兵を進めたのである。
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ご注文はたぬきですか?︵後書き︶
解説だけでこれだけかかるとは思わなかった。
話が進まない︵涙
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n1022bm/
鵜殿さんちの氏長君∼目指せ譜代大名∼
2014年12月28日22時13分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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