「生きてよかった」と思いたい 人生は終わりなき旅 反省はするが後悔はし

Series 企業 Report
関東情報株式会社 代表取締役常務:押久保 欣久
トップに聞く
Vol.24
押久保 欣久(おしくぼ よしひさ))
1965年11月11日宇都宮市に生まれる。43歳。血液型はB。
3人兄弟の長男。高校卒業後、現代アートに魅せられニューヨー
クに半年間留学。帰国後、文化服装学院でディスプレイデザイン
を学び、映像制作の世界に入り実績を重ね、都内にて自らの会
社を立ち上げる。2001年12月、関東情報
(株)
の代表取締役常
務に就任。現在もクリエイティブワークと経営業の両立を図る。
自分の仕事が名刺代わり
Profile
いわゆる鍵っ子として、
自営の両親の苦労
を肌で感じて育った押久保氏は、
早くから自
立した考えを持ち、
自分なりの物差しで人
生を選択してきた。
4歳から父親に合気道を教わり、
6歳で
1月3日早朝の
﹁みそぎ﹂
に最年少で参加。
小学生の頃父親が道場を開くと、
実践を通
し、
師として多くのことを学ぶ。中でも心身
統一の教えから
﹁落ち着く﹂
術
︵すべ︶
が身につ
き
﹁何事にも焦らないでのぞめるように
なった﹂
とか。
まさに、
人間としての根っ
こが培われていく。
中学、高校はサッカーにのめり込
む。﹁入試の日も試験の後、
グランド
でボールを蹴って来た。授業をサボっ
ても練習はさぼらなかった﹂と笑
う。﹁いよいよユニホームをたたむ時、
ぷち家出をしましてね⋮﹂。所持
金3万円で2泊3日の北海道へのドンコウ
の旅は、
将来何をしたいのかを見すえるため
のものだった。﹁行きたいところへ行こう﹂
と
決意し、
現代アートを学ぶために、
高校卒業
後ニューヨークへ留学。﹁過去の前例に囚われ
たくない﹂
という思いは、
サブカルチャーの世
界に身をおくことを選択させた。
﹁ 損はさせませんから﹂と面接で自己ア
ピールした通り、
映像制作の世界で頭角を現
す。﹁ノーと言えない人生﹂
と自己分析する
が、
引き受けた後で猛勉強するタイプ。﹁自
分が納得するために時間は惜しまない。脳み
そがちぎれるくらい密度濃く考えて決断す
る。その結果については、
反省するけど後悔
はしない﹂
という潔さ。
そして
﹁自分の仕事が
名刺代わりになる﹂
という確固たる信条。
自分にとって当たり前のことをする
転機は、
2001年 月。﹁クリエイティ
ブな発想を新たに生かす挑戦として、
家業
を継ぐ決心をした﹂。以降ドコモショップの
運営に携わるが、過去に培ってきたものが
ハード・ソフト両面にいかんなく活かされてい
る。
生活にオン・オフの切り替えがなく、﹁仕
事もプライベートも全てが自分の生き方﹂
ととらえる。﹁興味のあるものに集中し、
自
分にとって当たり前のことをする﹂
と、
いたっ
てシンプルな考え。
ストレスや落ち込んだ時
は、
ウィスキーを片手に星や月をながめて
﹁悪いエネルギー
を 良 いエ ネ ル
ギーにかえる ﹂
時を過ごす。そ
の姿に、長い夜
道をひとりぽっ
ちで帰る幼い少
年 が、だぶって
見えた。
12
会社は第二の学校
白沢街道沿いに大谷石と孟宗竹で新感
覚の佇まいを見せているのは、絵になるま
ちの風景に贈られる
﹁まちなみ景観賞﹂を
受賞したドコモショップ宇都宮北店。関東
情報株式会社が運営する店舗としては宇
都宮上戸祭店に次ぐ2店舗目として昨
年オープンさせたショップである。
﹁他人
︵ひと︶
に奪われない価値を作りた
い﹂と情熱をもって指揮を執るのは、若き
押久保欣久常務。
﹁ 会 社は第二の
学 校 ﹂と 考
え 、社 会 の
中で 感 受 性
豊 かに 生 き
られる人づく
りをめざし 、
結 果 と し てソ
フト面でも上質
なサービスを 提
供している。そして昨年、満を持して新店
の創設を着手。地元のものを活かすこと
で地域に根ざし、地域活性化にも貢献す
る。その姿勢は、
社員の仕事に対する情熱
とプライドを育んでいる。
一度しかない人生
人生は終わりなき旅
「生き
てよかった」
と思いたい
反省はするが後悔は
しない。