【プレプリント:井田隆「耐火物」第 65 巻 第 8 号 348–353(2013 年 8 月) 】 X線粉末解析の最新技術−1 名古屋工業大学 井田隆 Advanced Methods for Powder X-ray Diffraction Analysis – 1 Takashi Ida 1 はじめに 天然の鉱物や金属,耐火物を含むセラミックスなどの実用材料の多くは,小さい結晶の粒が凝集した かたまり(多結晶体)の構造をとる。粉末X線回折法は多結晶体あるいは結晶性の粉末試料における結 晶相の同定/定性分析を主な目的として,広く用いられる実験方法である。 X線ビームを結晶性の物質に照射しながら写真を撮影すると,物質によって異なる図形が写真の上に 現れる。その図形は,原子によってX線が散乱され,干渉を起こす現象に基づいており,物質の中で原 子がどのように配列しているかで決まる。特に微細な結晶性粉末を試料として用いた場合に,同じ物質 では必ず共通の図形が現れる。この現象を利用して物質中の原子の配列を推定する方法(粉末回折法) は,1915 年にオランダ出身の物理学者デバイとスイスの物理学者シェラーにより考案された。 当初は銀塩写真により回折図形が撮影されていたが,20 世紀中期からはX線検出器を用いて回折強 度を精密に測定する回折計の利用が一般的になった。近年ではシンクロトロン軌道放射光や中性子ビー ムなどの新しい線源の利用,一次元・二次元検出器の利用など粉末回折測定の新しい実験技術も普及し つつある。 ソフトウェア技術を含む計算機技術の急速な進歩と普及により,粉末回折データを解析する技術に関 しても,既にかなり高度化されたものになっている。粉末X線回折測定の主な用途は同定/定性分析で あるが,各相の分率を数値化する定量分析,原子配列を推定する結晶構造解析,結晶粒の大きさや配向 性などの組織構造を評価する目的で粉末X線回折測定が利用される比率が最近では増加する傾向にあ る。 以下,本稿では粉末回折データの解析技術の現状について解説する。 2 同定と定性分析 1930 年代に米国ダウ社の研究者を中心として広範な物質の粉末回折図形に関する調査の結果が発表 され 1),相同定の手段としての粉末X線回折測定の有効性が広く認められるようになった。多くの物質 の粉末回折パターン(回折ピークの位置と強度のデータ)がデータベース化され,現在では米国に本拠 地を置く国際回折データセンター (ICDD; International Centre for Diffraction Data) の粉末回折ファイル (PDF; Powder Diffraction File) として引き継がれている。 同定と定性分析が,試料について観測された粉末回折パターンを,データベースと比較することによ り実現されること自体は,粉末回折データベースの編纂が始まった当初から基本的には変わっていない。 しかし,20 世紀後半から開始したデータベースの電子化にともない,現在の利用形態は,印刷体とし て配付された伝統的なデータベースの利用のしかたとはかなり異なるものになった。 また,現在の ICDD PDF データベースに収録されている粉末回折パターンのうち相当の部分は,単 結晶試料を用いて決定された結晶構造データに基づいて計算されたものとなっている。粉末回折データ のみから正しい結晶構造を導くのは困難な場合も多いが,逆に正しい結晶構造から粉末回折パターンを 計算することは容易である。粉末試料には,常に不純物の混入や組成の不均一性,試料粉砕の際に導入 されうる予期せぬ構造変化をともなう危険があるので,純物質の回折強度図形を参照するためには,単 結晶構造解析の結果の方がむしろ安心して利用できる面がある。 2-1 電子化されたデータベース ICDD は 2013 年の時点で 62 巻からなる印刷体としての粉末回折データベースも販売しているが, 電子化されたデータベースとしては,無機物質約 30 万件が収録された PDF-4+ データベースが DVD 一枚,有機物質約 50 万件が収録された PDF-4/Organics データベースが DVD 二枚で提供される。教育 的な目的は別として,印刷体として粉末回折データベースを利用することはもはや稀な状況となってい る。 ICDD-PDF データベースは,ICDD が独自に収集した粉末回折データだけでなく,ドイツのカールス ルーエ専門情報センター (FIZ; Fachinformationszentrum Karlsruhe) および米国標準技術研究所 (NIST; National Institute for Standards and Technology) から提供される無機結晶構造データベース (ICSD; Inorganic Crystal Structure Database),英国ケンブリッジ結晶学データセンター (CCDC; Cambridge Crystallographic Data Centre) から提供されるケンブリッジ結晶構造データベース (CSD; Cambridge Structural Database),スイスの MPDS (Materials Phases Data System) 社から提供されるライナス・ポーリ ング・ファイル (LPF; Linus Pauling File) に記載された内容をも包括したものとなっている。ただし ICDD-PDF とは独立なデータベースとして,カナダの Toth Information Systems 社が制作する金属結晶構 造データベース (CRYSTMET) がある。日本国内では,ICSD, CSD, CRYSTMET のいずれも (社) 化学 情報協会から購入できる。無料のデータベースとして,日本の物質・材料研究機構が 2010 年から公開 している AtomWork がある。AtomWork の利用にはユーザー登録が必要であるが,典型的な無機物質 の多くが収録され,無料で利用することができるので,有効に活用されることを推奨する。 表1に各種の粉末回折/結晶構造データベースの概要を示す。 2-2 粉末回折データの検索 データベースの電子化は,占有する空間を節約できることだけでも意味があるが,ユーザーにとっては コンピューターを利用した自動検索を利用できることが最大のメリットになる。例えば,リガク社の提 供する粉末回折データ解析システム PDXL のように,粉末X線回折計のオプションとして提供されるソ フトウェアを用いれば,粉末X線回折測定に引き続いて同定/定性分析を実施する作業を,パソコンの ディスプレイ上に表示される回折図形を参照しながらスムーズに進めることができる。なお,PDXL そ のものはデータベースを含んでおらず,ICDD PDF-2 または PDF-4+,CRYSTMET などと組み合わせて 使用される。 ICDD PDF-4+ データベースを個別に購入する場合,DDView+という名称の検索ソフトウェアが附属 し,伝統的な手法による主成分の同定の作業はこの附属ソフトウェアでも遂行できる。副成分の同定(定 性分析)を支援するソフトウェア Sieve+ は別売りとして提供されている。 ICDD-PDF は,高圧実験や高温/低温実験,計算機シミュレーションに関わらず,ある程度信頼しう る粉末回折データあるいは結晶構造データが発表されれば,漏れなく収録することを基本的な編集方針 としており,結果として内容がかなり重複するデータが複数含まれる。多様なユーザーの要求に対応で きる一方で,標準的なユーザーにとっては,膨大なデータベースから必要な情報を抽出するために,あ る程度の知識が必要となる。結晶学に関する基礎的な知識を中心として,目的に応じて無機/有機/物 理化学,物性物理学,鉱物学,金属,セラミックスなど各分野での専門的な知識や,元素分析/電子顕 微鏡観察など補助的な実験の結果は,すべてデータベースを利用して粉末回折データを解釈する為の助 けになる。具体的には (1) 検索対象の絞り込み,(2) 検索結果表示の優先順位の指定の仕方によって, 全体の作業効率が大きく変化する。 典型的な物質の場合,常温常圧 (ambient) 以外の条件で測定されたデータも多く含まれているので, 常温常圧で測定されたデータを調べるために “ambient” 指定をすると良い。また ICDD-PDF データは カテゴリーごとにサブファイル(鉱物,金属,セラミックス,誘電体,超伝導体など)として分類され ており,目的のカテゴリーと合致するサブファイルが存在すれば,これを指定することも効果的である。 元素分析の結果が得られている場合には,含まれる元素を指定して検索対象を絞り込むことが基本とな る。ただし元素分析の数値は誤差をともない,現実の試料では組成にむらがある場合もあるので,化学 組成には許容誤差範囲を指定した方が良い場合も多い。 ICDD-PDF のデータには品質記号 (QM; Quality Mark) が付けられており,その中で高品質とされてい るのが * 記号 (Star Quality) の付けられたものである。検索結果に複数の類似するデータが含まれる場 合には,品質記号順に表示順位を変更し,上位のデータから順に検討することにすれば効率が良くなる。 ICDD-PDF-4+ には結晶構造(原子座標)データが記載されているものと記載されていないものとが 含まれる。原子座標データが記載されているかは,リスト表示のデフォルト設定では表示項目に含まれ ていないが,後述するリートベルト解析を実施する場合には原子座標データが必要なので,この項目も 表示し,表示順位に反映させると良い。 検索ソフトウェアではその他多様な指定が可能であり,使用経験を重ねることにより検索の正確さと 効率が向上することになるであろう。 3 定量分析 天然鉱物の品位や実用材料の品質を評価する目的で粉末X線回折測定に基づく定量分析は極めて重 要な意味を持つ。元素分析が重要であることも当然であるが,炭素の同素体であるグラファイトとダイ ヤモンド,フラーレン,カーボンナノチューブがまったく異なる性質を示すことからも明らかなように, 最終的にはX線回折を用いた相組成分析が必要になる。 3・1 リートベルト法による定量分析 複数の相が均一に混合した粉体あるいは多結晶体の場合,各相に由来する回折ピークの強度は,概ね各 相の質量分率に比例すると考えて良い。X線回折ピークの強度比から各相の質量分率を求める解析を定 量分析と呼ぶ。粉末試料に既知の標準試料を一定量添加して測定された回折強度データを解析すること により,回折ピークの現れるすべての結晶相の分率を求め,残りを非晶質の分率として求める方法も知 られている 2)。 しかし,比較的複雑な回折パターンを示す物質の場合,副成分に由来する回折ピークが,主成分や他 の副成分に由来する回折ピークと重なってしまうことが珍しくない。この場合でも後述するリートベル ト法 3)を利用すれば,重畳ピークも含めた解析により定量分析を実現することが可能である。リートベ ルト法の利用される例は増えているが,そのうちのかなりの部分は,必ずしも新規物質の結晶構造を決 定する目的ではなく,既知物質の相組成を評価する定量分析を目的としていると言われる。 3・2 X線回折測定による定量分析の問題点 X線回折測定に基づく相組成定量分析の重要性は広く認められている一方で,正確な相組成比を得る ことが困難な場合が多く,10 % 以内の相対誤差が保証される例は稀である。この主な原因は,結晶粒 によってX線が吸収される効果を正しく考慮した解析を実施することが困難であることによると考え られる 4)–6)。 固体中に侵入したX線の強度は指数関数的に減衰し,強度が入射光強度の 1/e (e は自然対数の底) になる深さを侵入深さと呼ぶ。各相に由来する回折強度が質量分率に比例することが保証されるのは, すべての結晶粒の大きさが,X線の侵入深さより充分に小さい試料の場合に限られる。結晶粒の大きさ が侵入深さより大きくなると,結晶粒の体積のうち一部しか回折に寄与できないことになり,その相に ついて観測される回折強度は,重量比から計算される強度より小さくなる。 この傾向は実験的にも確認されており,微小吸収効果と呼ばれる場合がある。微小吸収効果を補正す る方法として Taylor と Matulis により提案された方法があるが 7),これはすべての相の結晶粒径をた とえば直径 10 µm に揃えることができる場合にのみ成立する方法であり,とても実用的なものとは言 いがたい。 また,X線の侵入深さが結晶粒径と同程度であるということは,試料表面付近に位置する「ひとつぶ 分の厚さ」の中に含まれる結晶粒しか観測される回折に寄与し得ないということを意味する。後述する ように,実際に観測される回折強度に寄与できるのは,X線が照射された結晶粒のうち偶然回折条件を 満たす方位を向いたごく少数の結晶粒だけなので,観測される回折強度の統計的な変動が著しく大きく なり,これが定量分析値における統計的な誤差の主要因となる。 粉末X線回折測定に基づく定量分析の精度を保証することは現在でも困難であるが,吸収が強く結晶 粒径が大きい場合に特に顕著な問題として現れるということについては,共通の認識が持たれるように なっていると思われる。 4 結晶構造解析と電子密度推定 4・1 リートベルト法による結晶構造解析 1969 年オランダの結晶学者リートベルトが,原子炉から放射される中性子をX線のかわりに利用し て測定された粉末回折強度データに最小二乗法と呼ばれる解析手法を適用して結晶構造を推定する方 法を提案した 3)。従来の方法では,粉末回折データから結晶構造を推定しうるのは単純な構造を持つ物 質に限られていたが,この方法(リートベルト法)を用いれば,かなり複雑な構造を持つ化合物の中の 原子配列を粉末回折データから推定できる。リートベルト法は多くの研究者により改良が加えられ,中 性子を使って測定された粉末回折データだけでなく,X線を使って測定された粉末回折データを解析す るためにも用いられるようになった。1980 年代以降コンピューター技術の進歩と普及にともなって急 速に利用が拡大し,現在はX線あるいは中性子を使って測定された粉末回折データの解析法として中心 的な役割を担うものとなっている。 従来の結晶構造解析法は,単結晶法と粉末法のいずれの場合についても,観測された回折パターンか ら大まかな構造を推定し,各回折ピークの強度を抽出,抽出された回折強度に基づく構造モデルの精密 化の操作の多段階に分けて実施されるものであった。リートベルト解析でも,あらかじめ構造モデルが 必要となることには変わりがないが,ピーク強度の抽出と構造モデルの精密化を最小二乗カーブフィッ ティング(曲線あてはめ)により同時に進行する。計算によってピーク形状を再現するために適切なピ ーク形状モデル関数を用いることが要点となる。 結晶構造解析(精密化)を遂行するためには,実測の回折ピーク形状を再現して強度を抽出できさえ すれば良いので,経験的に実測のピーク形状と良く合うモデル関数を使えば良いという考え方も成立す る 8)。しかし,実測の回折ピーク形状が装置収差による変形の影響をどのように受けているかを明示的 に含んだモデル関数を用いれば,装置収差の影響を少数の固定パラメータでモデル化できるのでフィッ ティングも容易になり,ピーク位置のシフトも自動的に修正される。経験的なピーク形状モデル関数や ピークシフトモデル関数を用いる場合には,最小二乗フィッティングをするたびに本質的ではないパラ メータを再調整するという不毛な手続きを踏まなければいけない。先験的な方法で装置の影響をモデル 化したピーク形状関数を用いれば,結晶子サイズ効果や歪みの効果に由来する試料固有の本質的な回折 ピーク形状を観測回折ピーク形状から抽出しうることも利点となる。 このような発想に基づくピーク形状関数モデルとして,はじめて提案されたものは中性子回折計に適 用できるものであった 9)。実験室の粉末X線回折計で測定された強度データに適用できる形式には,筆 者が発表した形式 10)と Cheary と Coelho が発表した形式 11)とがある。Cheary & Coelho の形式は現在 リートベルト解析プログラム TOPAS(Bruker 社)に実装され,現在では広く利用されるようになって いる。 4・2 最尤推定法による結晶構造解析 粉末 X 線回折法によって再現性のある実験データを得るためには,典型的な物質/測定条件の場合 であっても試料粉末を 5 µm 程度以下という微細な粉末にまで粉砕する必要があるということが,1948 年に米国の科学者 Alexander らにより指摘されていた 12)。この条件を満たさない場合には,実測回折強 度に寄与する結晶粒の数が有限であることによる統計的な変動が顕著になり,この強度変動は「粒子統 計誤差」と呼ばれる 13)。実際に,再現性のある粉末X線回折測定をするためには,多くの場合に試料を 細かく粉砕する必要があることは経験的にも知られていた。しかし,物質によっては,過度の粉砕によ り結晶構造が変化してしまったり,結晶中に歪みが導入されることなどが深刻な問題となる。また,最 近の先端的な粉末X線回折研究においては,シンクロトロン軌道放射光などの高輝度 X 線源の利用が 拡大するとともに,CCD(電荷結合素子)やピクセル型 CMOS 素子を用いた高感度のX線検出器が実 用化され,高速に高精度な粉末回折データを収集することが可能になる一方で,リートベルト法の適用 を正当化する為には,従来よりさらに微細な粉末を試料として用いることが要求される傾向がある。 筆者は,粒子統計に関する一般性の高い理論を独自に構築し,特殊な実験方法により粉末回折法にお ける粒子統計の効果を定量的に評価しうることを実験的にも証明した 14)。また,最小二乗法の上位概念 にあたる最尤法(さいゆうほう)と呼ばれる解析理論を適用すれば,通常の実験方法で測定された粉末 回折データから粒子統計誤差を推定しうるという着想を得て,この発想を実現するために新しい解析手 法を開発した 15)。この方法では (1) 実測の強度と計算強度の「ずれ」の詳細な解析による統計変動の 推定と (2) この誤差を織り込んだ構造モデルの修正を繰り返す。 この解析法の有効性は,リートベルト解析のための標準データとして公開されているフッ素アパタイ ト Ca5(PO4)3F および硫酸鉛 PbSO4, 硫酸バリウム BaSO4 の粉末X線回折強度データを用いて検証さ れた。これらのデータはいずれも細かい粉末状の結晶性試料について測定が実施されたものであり,従 来はリートベルト法でも概ね正しい構造が推定されるとみなされていたものである。各データに対して, リートベルト解析の結果から出発し,新しい解析法を適用して構造モデルと統計モデルの修正を施す作 業を繰り返すと,2〜3 回の繰り返し計算で解が収束したが,この方法で求められた構造とリートベル ト法で推定された構造との間には有意な差が認められた。さらに,過去の単結晶構造解析の報告例と比 較すると,新しい解析法で推定された構造は,リートベルト解析の結果より,むしろ単結晶法で解析さ れた結晶構造に近いことが判明した。 リートベルト法とまったく同一の実験データを用いているのにも関わらず,新しい解析法により常に 単結晶構造解析に近い構造が導かれたことは,従来標準的な方法として認知されていたリートベルト法 では不正確な結果しか得られない場合が少なくないこと,さらに,より正確で信頼性の高い結果が得ら れる新しい構造解析法が発見されたことを意味する。 4・3 電子密度推定 X線回折は,主に物質中の電子によるX線の散乱に由来するので,原理的には「原子」を見ているの ではなく, 「電子密度」を見ているのだと言える。したがって,X線回折測定の結果から物質中の電子 密度を推定できると考えるのは自然である。ただし,ある程度以上原子番号の大きい元素では,電子の 大部分は原子核近くの空間に集中して存在する内殻電子であり,原子の周縁部に存在する価電子の数は, 全体のうち一部でしかないために,化学結合によるX線回折強度の変化はわずかなものになる。 粉末X線回折測定の結果について,適切な構造モデルとピーク形状関数を用いれば,正しい回折強度 を抽出することが期待できる。正しい回折強度が得られることを前提として,電子密度を推定する方法 の一つとして最大エントロピー法と呼ばれる方法がある 16)。この方法は必ずしも論理的な基盤が明確に されているわけではないが,従来用いられてきたフーリエ合成と異なり,推定される電子密度が負にな ることがないので,推定された結果が受け入れられやすい面があることは確かである。 5 結晶粒径の評価 5・1 ピーク形状分析による結晶粒径分布評価 結晶性粉末の中の粒の大きさが 100 nm 程度以下の細かさになると,観測される回折ピークの線幅に明 確な広がり(ブロードニング)が現れる。この線幅広がりの大きさから結晶粒のサイズを見積もること ができることは古くから知られていた。しかし現実の結晶粒サイズは分布を持つことが明らかであるの に対して,分布の違いがどのように回折ピーク形状に影響を及ぼすかが明確に意識されるようになって きたのは,比較的最近のことである。 基本的に回折線幅は平均的な結晶粒径によって支配され,回折線幅の解析からは平均的な結晶粒径し か求めることができない。結晶粒径の分布の広がりは,回折ピーク形状の「尖り度」にしか影響を与え ない。図 1 に結晶粒サイズ分布と対応する理論回折ピーク形状を示す。結晶サイズ分布が広いと尖っ た回折ピーク形状が現れる傾向がある。ただし,実際に観測される回折ピーク形状は装置のせいで必ず ぼやけたものになるので,本来の回折ピーク形状の尖り度を実験的に評価することは困難であった。 しかし 4・1 節で述べたように,装置によるぼやけの影響を数学的に正しくモデル化したピーク形 状モデル関数を利用することが可能になってきた。このようなピーク形状モデル関数は装置収差による ぼやけを再現することができるので,試料固有の本質的な回折ピーク形状を抽出し,形状解析から結晶 粒径分布評価をすることが可能になっている。 5・2 粒子統計解析による結晶粒径評価 観測されるX線回折ピーク形状は装置収差の影響を受けてぼやけたものになるので,適切なピーク形 状モデル関数が利用できたとしても,通常の粉末X線回折計で測定された回折ピーク形状の解析から求 められる結晶粒径は概ね 100 nm 以下のサイズに限られ,200 nm 以上のサイズを正しく評価すること は技術的に困難である。100 nm と 200 nm とでは,粒子の体積に換算すると一桁に近い違いがあるこ とに注意されたい。 一方で,通常の粉末X線回折測定の手順では,結晶粒の大きさを数 µm 程度以下の大きさにまで細か く粉砕しないと,観測される回折強度に寄与する結晶粒の数が少なくなり,観測される回折ピーク強度 に統計的な変動が現れるということは 4・2 節で述べた通りである。 筆者は 2009 年に,観測される回折強度の統計的な変動から逆に結晶粒の粗さを評価することができ ることを見出した 14)。観測される回折強度の統計的な変動は,装置によるぼやけや結晶粒径分布,X線 の吸収の効果などを受けるが,これらを考慮したモデルは極端に複雑なものにはならない。実験室型粉 末X線回折計を改造した装置を用い,数 µm〜数十 µm の結晶粒径を評価することが可能であり,軌道 放射光粉末回折測定を応用すれば結晶粒径分布評価まで可能であることが示されている 19)。 6 まとめ 本解説記事では,粉末X線回折測定に基づく相同定/定性分析,定量分析,結晶構造解析/電子密度 推定,結晶粒径評価に関する解析技術の現状について述べた。解析技術の基となる理論的な枠組みの多 くは 20 世紀半ばまでに既に提案されていたものばかりであるが,コンピューターを利用する技術が 徐々に洗練され,実験データを正しく解析することにより,本質的な物理描像に近づくことが可能にな ってきていると思われる。 文献 1) J. 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