時の流れの違う道。

奈良
・若草山
暗峠
・
生駒山
摂津
大阪
群山
大和
斑鳩
・
信貴山
柏原
河内
【奈良街道】
くらがりとうげ
大坂の高麗橋を起点にして、
くらがりごえ
生駒山の 暗 峠 を越え奈良に向かう。
暗越奈良街道とも呼ばれる。
生駒山・信貴山を挟んだ南のコース。
大坂の天王寺から柏原を経て、
大和川沿いに斑鳩の里から郡山、
奈良に向かう道も奈良街道と呼ばれた。
もちろん、それ(法隆寺)は、飛鳥
時代の建造物だということは「教わっ
うことをいつしか見失っていく。
昨日という日にも。
大正時代にも。そして、もしかすると
く」手を加えているからだ。それは奈
石上神宮の裏手にある「山の辺の道」。
時の流れの違う道。奈良街道をゆく。
いう気になってくる。建造物や遺産の
て」いる。だが、どんな物体も永遠の
万葉の調べを残す街道がある。写真は
第三十一回
「歴史的価値」のことを言っているの
「命」が与えられているわけではなく、
奈良の歴史のなかには、信仰や統治
の歴史だけではなく、この「修復」の
良時代にも平安時代にも江戸時代にも
ではない。それは「時」の話だ。私が
いつの日か朽ち果てる。にもかかわら
法隆寺の境内に佇んでいると、ふと、
私はいったい何を見ているんだろうと
今見ているものは、いったいいつの時
歴史がある。私はクルマのハンドルを
奈良・興福寺の周辺から斑鳩まで、
奈良街道を旅した。時の流れがここだ
け違う。それは、ゆったりと重層的で、
綻びを知らない。
写真などを加工・修正するソフトに
「レイヤー」という機能がある。二次
元の絵の全体にトレーシングペーパー
を 重 ね て い く よ う に、
「加工の段階」
を組み合わせ、すべてを透かして見た
上で全体の絵として完成させていくと
いう機能である。
親切なデジタル表示が常設されてい
るアプリケーションならそんなことは
起きないが、アナログなレイヤーが漂
うこの世の中では、時として人々の感
覚 は 時 空 を 彷 徨 う。 あ る「 場 」 に は、
いつかの事実の「刷り込み」が漂い、
また、ある場には人々の関心や思いの
「濃淡」が見える。これは、私がこの
連載を通じて、全国各地の景勝地、観
光地、遺跡、神社仏閣などを訪れなが
ら感じていることの一番大きなことだ
と思っている。
古代より日本の中心であった奈良には
Squid Squid Photo
写真
握りながら、ふとそんなことを思った。
材協力・墨運堂
ず、それがなんとか「全体像」を保っ
料館「墨の資料館」取
ているのは、人間が丁寧に「それらし
事に併設されている資
代のものなのか、それが何年の時を経
こうらん
左の写真は実家の墨工
て今私の目の前に現れているのかとい
す だ ゆ み こ
須田祐三子さん
奈良出身の彼女は紅鸞の雅号を持つ
書道家である。実家は地元で有名な墨屋さん。
お祖父さんも高名な書道家
(佐々木泰南氏)
で、
小さい頃から書に親しむ環境で育った。
現在はご主人と東京・世田谷で「さばの湯」という
「いい湯加減」のライブスペースを運営する。
各地の美味しい食べ物やお酒、
昭和を懐かしむイベントや書の世界、
落語や各種音楽などをユーモラスに楽しんでいる。
冒頭で私が法隆寺で感じたような「時
して、その修復の概念が未消化な時、
この考え方に寄り添うようにして生
まれてくるのが「修復」の概念だ。そ
このことがいったい何
を意味するのか。
学説が出てきたのである。
た の で は な い か、 と す る
本来は合掌していなかっ
年 研 究 が 進 み、 こ の 像 は
空の喪失」に陥るのだと思う。
評価を与える行為に他ならない。それ
モノに対して私たちの時代なりの価値
そうした修理の歴史の末端に連なり、
て補われたものだという。ところが近
治 年から 年に行われた修理によっ
手前腕部がもともと欠損していて、明
の合掌する複数の手のうちの第一手右
されている。興福寺の阿修羅像は、そ
理の早い段階である明治期に修理を施
筆者によると、名品としてよく知ら
れている彫刻作品の多くは、文化財修
本のなかである研究者が、興福寺・
阿修羅像についての報告をしている。
チしている。
化財学」という学問の形でアプロー
この本は、私のモヤモヤと考えて
いた時空の重なりの話に対して、
「文
出版)に出会ったからだ。
(
『文化財学の構想』三輪嘉六編、勉誠
たまりのまま。いろいろ小難しいこと
し、気にしなければあいまいなひとか
くすんだ古代ときらびやかな今。時
は意識をすればざわざわと蘇ってくる
た高価なレプリカが展示されている。
「木で造られた仏像などというもの
は、放っておけばすぐに失われてしま
こう綴る。
題である「文化財学の構想」に関して
はできないと著者は言う。さらに、標
で あ り、 簡 単 に 壊 す こ と
の人に知られたイメージ
賞上の重要なポイントに
しているような印象を与
かたくなな真摯さを表現
は、 い か に も 若 さ ゆ え の
詰めたような表情」と「肘
多くの評者が指摘する
よ う に、 こ の 像 の「 思 い
版テーマパークのような風情だった。
流れを巡っていくさまは、まるで古代
い階段で山肌を登りながら信仰と時の
旅の最後は生駒山にある宝山寺に
行った。真言律宗の大本山である。狭
の辺の道」なども巡った。
んにち我々が行う修理というものも、
うという努力が連綿と続けられたから
め、何とかしてその価値を存続させよ
うものであって、それにある価値を認
私がこんなことを執拗に思ったの
は、この旅の出発前に、ある一冊の本
ならば私たちの時代において保存され
を考えてみたが、時とは案外そんなも
参道を出たあたりには、今はもう寂れ
な っ て い る。 そ れ は 多 く
え、 そ れ は 阿 修 羅 像 の 鑑
を強く張った腕の構え」
るべき価値はどのようなものであるか
のなのかもしれない。参道脇の喫茶店
てしまったが、遊郭の跡が感じられる
ディープなエリアがある。
「不易流行」
。これは、松尾芭蕉が
る旅ではいろいろな場所を見て回っ
の本質である。奈良街道とは、まさ
け っ し て 変 わ る こ と の な い「 不 易 」
おおみわ
た。予備日には街道を少し外れ、県南
いそのかみ
にそんな道だ。
東大寺、興福寺、春日大社、西大寺、 元禄二年から説き始めた俳諧の理念
唐招提寺、法隆寺。この奈良街道を巡 だ。変化を重ねていく
「流行」
こそが、
ながら、そんなことを考えた。
こそ、それが今に伝えられてきた。こ
が議論されなければならない」
。
で洒落た容器に入れられた珈琲を飲み
篤志家によって玉虫の羽まで再現され
から微かな囁きを伝える。すぐ脇には
と儚げな存在感がガラスケースのなか
今、斑鳩の里に降り立ち、法隆寺の
玉虫厨子の前に立つ。くすんだ色合い
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日本最古の神社とされる奈良の
大神神社。本殿のない原初的な
スタイルに風格さえ漂う。
部・飛鳥地方の石 上神宮、大神神社、「山
(写真上)法隆寺のある斑鳩の
里。まさに時の流れの重奏を
感じる地だ。(写真下)大阪と
の境にそびえる生駒山には真
言 宗 の 寺 院・ 宝 山 寺 が あ る。
荘厳さと賑やかさ。信仰の古
代版テーマパークのような風
情を感じる。
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