( 19 ) 肥料科学,第35号,19∼33(2013) 水田土壌の脱窒微生物研究の新たな展開 ―現象の発見から一世紀を経て見えてきたその姿― 妹尾 啓史* 目 次 1. はじめに 2. 水田土壌で機能する脱窒細菌群集の土壌 DNA・RNA に基づく特定 2.1 Stable Isotope Probing(SIP)法による脱窒細菌群集構造解析 2.2 16S rDNA 大量シーケンスによる脱窒細菌群集構造解析 2.3 , 解析による脱窒細菌の多様性と変動ならびに発現解析 3. Functional Single-Cell(FSC)分離法による水田土壌からの脱窒細菌 の単離・同定 4. メタゲノム解析法による水田土壌脱窒微生物へのアプローチ 5. 農地からの N2O 発生削減への応用 6. おわりに * 東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻土壌圏科学研究室教授 ( 20 ) 水田土壌の脱窒微生物研究の新たな展開 1. は じ め に 脱窒は,硝酸や亜硝酸が微生物の呼吸の電子受容体として用いられ,一酸 ,窒素ガス(N2)に還元され 化窒素ガス(NO) ,一酸化二窒素ガス(N2O) る反応であり,環境中の窒素循環の重要な部分を担っている。水田土壌は脱 窒反応が活発に起こっている環境の一つである。水田の脱窒現象は古くから 知られており,大工原銀太郎により著され大正5年(1916年)に発行された 1) には大工原らによる実験結果を含めた脱窒に関する記述がす 「土壌学講義」 でになされている。その後1930年代に,塩入と青峰は肥料や土壌有機物に由 来するアンモニアの一部が土壌表層の酸化層において硝化反応により硝酸 イオンに変換され,続いて酸化層直下の還元層において脱窒反応により N2 に変換され大気へ放出されるという「水田土壌の硝化−脱窒現象」を発見 した2)。当時の研究は,窒素養分の動態という観点からなされたものであり, 硝化−脱窒による窒素の損失を防ぐために,窒素肥料を土壌の表面にではな く作土層全層に施用する事を塩入は推奨し,水稲の増産に大きく貢献したこ とはあまりにも有名である。一方,水田は畑土壌と比較して,地下水汚染に つながる硝酸イオンの溶脱3) や温室効果ガス N2O の発生4) が極めて少ない ことが知られている。これは脱窒反応による硝酸の除去,N2 への還元に由 来するものであり,水田の脱窒反応は環境保全型食糧生産に貢献していると 言うことができる。 脱窒は微生物による反応である。脱窒能を示す微生物として,60以上の属 に分類される多様な細菌が知られているほか,古細菌,真菌の一部にも脱窒 能が見出されている5)。しかし,水田の脱窒現象が発見されてから1世紀近 くになるが,水田土壌の脱窒微生物に関してはこれまで一般的な培養法によ る限られた知見しか得られていなかった。そこで我々は,培養に依存しない 複数の分子生態学的解析手法,新規に開発した分離法を用いた解析手法,さ らにはメタゲノム解析法により,水田土壌の脱窒を担っている微生物群を明 らかにすることを試みた。 2 水田土壌で機能する脱窒細菌群集の土壌 DNA・RNA に基づく特定 ( 21 ) 2. 水田土壌で機能する脱窒細菌群集の土壌 DNA・RNA に基づく特定 2.1 Stable Isotope Probing(SIP)法 に よ る 脱 窒 細 菌 群 集 構 造 解 析6) SIP 法(安定同位体標識法)は,13C,15N,18O などの安定同位体で標識 した基質を土壌などの試料に添加して培養を行い,安定同位体を取り込んだ DNA や RNA を分離回収して解析することにより,添加した基質を資化し た微生物群集を明らかにしようとする手法である7)。 東京大学大学院農学生命科学研究科附属生態調和農学機構(西東京市)の 水田圃場から土壌(黒ボク土)を採取し,風乾細土として保存した。この土 壌を用いて,再現性の高い実験室内モデル水田を作製した。すなわち,湛水 状態,室温で1週間前培養した土壌をバイアル瓶に入れ,脱窒菌の基質・電 子供与体としてコハク酸を,電子受容体として硝酸を添加し,気相を ArC2H2 混合ガスで置換して30℃でインキュベートするものである8)。この条件 下では,脱窒活性が18∼24時間で高まることをあらかじめ確認した。 SIP 法を実施するために 13C でラベルしたコハク酸を用いて同様に土壌の インキュベーションを行った。30℃で24時間のインキュベート後の土壌から 土壌 DNA を抽出し,塩化セシウム密度勾配超遠心により,12C-DNA を中 図1 超遠心による12C-DNA と13C-DNA 画分の分離ならびに DGGE 解析 左図:超遠心分離によって,12C-DNA を中心とする軽い DNA 画分(L画分) ,13C-DNA を中心と する重い DNA 画分(H画分),またその中間のM画分を分離した。 右図:PCR-DGGEL 画分,M画分,H画分では異なった細菌群集構造が見られた。H画分に特徴的 なバンド(A∼G)を切り出して塩基配列を解読した。 ( 22 ) 水田土壌の脱窒微生物研究の新たな展開 心とする軽い DNA 画分(L画分)と 13C-DNA を中心とする重い DNA 画 分(H画分),またその中間の画分(M画分)を分離した(図1左) 。まず, 一般細菌の16S rRNA 遺伝子をターゲットとした PCR-DGGE 法により,そ れぞれの画分の細菌群集構造を比較した。H画分に特異的に見られるバンド をゲルから切り出し,DNA 塩基配列を解読して,由来する細菌分類群を特 定した。H 画分については,16S rRNA 遺伝子および亜硝酸還元酵素( , )を対象としたクローンライブラリ解析も行った。 16S rDNA を鋳型とした PCR-DGGE 法により,L画分,H画分,ならび にM画分では異なった細菌群集構造が見られた(図1右) 。H画分に特徴的な DGGE バンドは Burkholderiales, Rhodocyclales,ならびに Rhodospirillales に近縁であった。16S rDNA を対象としたクローンライブラリ法によっても 同様の結果が得られ,Rhodocyclales に近縁な新規のグループが優占してい た。脱窒の亜硝酸還元酵素遺伝子を標的としたクローンライブラリ法では, Burkholderiales および Rhodocyclales 由来の の および Rhizobiales 由来 に近縁な遺伝子が同定された。 以 上 の 結 果 か ら, 硝 酸 お よ び コ ハ ク 酸 を 添 加 し た 水 田 土 壌 で は Burkholderiales, Rhodocyclales. Rhodospirillales に属する細菌群,ならびに Rhodocyclales に近縁な新規のグループが脱窒活性を高めた条件下でコハク 酸を取り込んでいる主要な細菌群であることが明らかとなった。 一方,脱窒の電子受容体として N2O を添加した同様の実験系により, や がコハク酸を取り込んで N2O 還元を行って いる主要な細菌群であることも明らかになった9)。 2.2 16S rDNA 大 量 シ ー ケ ン ス に よ る 脱 窒 細 菌 群 集 構 造 解 析10) 脱窒が活発に起こる土壌と活発でない土壌の微生物群集構造を比較解析 することによって脱窒条件で増えてくる細菌群を特定することを目的とし た。2.1と同様の実験室内モデル水田を用いた。硝酸およびコハク酸を添加 して脱窒活性を高めた土壌(TSNS)ならびに,対照として硝酸のみ添加 (TSNI) ,コハク酸のみ添加(TSSU),両者無添加でそれぞれ培養した土 2 水田土壌で機能する脱窒細菌群集の土壌 DNA・RNA に基づく特定 ( 23 ) 壌(TSCO),さらに培養前の土壌(TSBA)を用意した。これら5つの土 壌サンプルから DNA を抽出し,16S rRNA 遺伝子の V3 領域を対象とした PCR-DGGE 法により,5種類のサンプル間で群集構造に差があるか判断し た。さらに,16S rRNA 遺伝子の全長を対象に PCR を行い,クローニング の後,各サンプルにつき1000クローン以上を目標にサンガー法でシーケンス を行い,比較解析した。その結果,多様な門に属する細菌分類群が見出され, そのなかでも Firmicutes が5つのサンプルで共通して優占していた(図2 左) 。主成分分析の結果,硝酸およびコハク酸を添加して培養して脱窒活性 を高めた土壌は,他の土壌と比較してユニークな細菌群集構造を有していた (図2右)。パターンマッチ解析によりこの土壌に特異的に出現したクローン が特定でき,相同性解析から, ,特に が特 異的に増加していることが明らかになった。これらの細菌は脱窒が活発に行 われる条件で特異的に増殖したものと推定された。この結果は2.1の Stable Isotope Probing により得られた結果と一致する。 この研究および上記の SIP 法による研究では脱窒活性を高めた条件下で 増殖する細菌群集を特定したが,それらが実際に脱窒を行うかどうかは16S rDNA 解析からだけでは特定できない。それは脱窒能が多様な細菌種に散 図2 TSNS サンプル(脱窒活性を高めた土壌)の特異な群集構造 左図:全サンプルにおいて Firmicutes が優占していたが,TSNS サンプルにおいては,Proteobacteria の占める割合が他のサンプルに比べて多かった。 右図:UniFrac 解析に基づく主成分分析,TSNS サンプルは他のサンプルと比べて特殊な群集構造 を有していることがわかった。 ( 24 ) 水田土壌の脱窒微生物研究の新たな展開 在しており,また同一の属でも脱窒能を持つものと持たないものが存在する からである。本研究で特定した細菌が脱窒能を持つことを最終的に確認する ためには,単離株の取得と解析が必要である。それについては3. で述べる。 2.3 , 現解析 解析による脱窒細菌の多様性と変動ならびに発 11) , 21),22) 脱窒菌の多様性を解析するための遺伝子マーカーとして,亜硝酸還元酵素 (NirS,nirK)の遺伝子( ,n )を用いた。NirS および NirK はとも に亜硝酸を一酸化窒素に還元する反応を触媒するが,NirS はシトクローム 型,NirK は銅型である5)。脱窒菌は NirS または NirK のいずれかを保有し, 脱窒菌以外のものはこれらの酵素を持っていない。 東大生態調和農学機構の水田圃場から湛水直前,湛水2週間後,湛水1 ヶ月後,湛水2ヶ月後の土壌をサンプリングし,土壌 DNA を抽出して解 析に用いた。定量的 PCR の結果,フィールド土壌中の の遺伝子量 は に比べ多いことが明らかになった。また,湛水2週間後のサンプル で のコピー数は最大になった。また, および を対象とし たクローンライブラリを作成し定性的解析も行った結果,Burkholderiales, Rhodocyclales,Rhizobiales に属する既知の脱窒細菌由来の Nir に近縁なク ローンおよび既知の脱窒細菌の Nir とは近縁でないクローンが見出された。 図3に NirK の例を示した。これらの結果から,東大生態調和農学機構の水 田土壌には新規なグループを含む極めて多様な脱窒菌が存在していること, それら多様な脱窒菌の分布には時期的変動があること,この水田圃場では 保有脱窒細菌が 保有脱窒細菌に比べて優占していることが示唆さ れた。 次に,土壌で実際に活動している脱窒菌を直接的に明らかにするために, 土壌 RNA を解析対象とし,脱窒機能遺伝子を発現している微生物の特定を 試みた。新潟県農業総合研究所の水田圃場から経時的に採取した土壌に由 来する DNA ならびに,RNA から調製した cDNA の試料から,脱窒活性ポ テンシャルが高い湛水2週間後および5週間後の2つの時期の DNA 試料 2 水田土壌で機能する脱窒細菌群集の土壌 DNA・RNA に基づく特定 ( 25 ) と,脱窒活性ポテンシャルが低い湛水前を加えた3つの時期の cDNA 試料 を選び, , を標的としたクローンライブラリ解析を行った。湛水 後の土壌の cDNA から得られた , クローンの多様性指数は DNA から得られた両クローンの多様性指数よりも小さかった。土壌中に存在 図3 水田土壌における NirK の多様性 Rhizobiales の NirK に近縁なクローンが多く検出された(クラスターI,II,III)。新規の NirK 配 列も見出された(クラスターIV,V) ( 26 ) している 水田土壌の脱窒微生物研究の新たな展開 , 保有微生物のうち,実際にそれらの遺伝子を発現し ている微生物は一部であることが示された。湛水期には, 属, や,既知の微生物の 属の とは近縁でない に近縁な 属, 保有脱窒菌 保有脱窒菌が脱窒に活発に機能 していることが示唆された。 3. Functional Single-Cell(FSC)分 離 法 に よ る 水 田 土 壌 か ら の 脱 窒 細 菌 の 単 離・同 定9),12),13) 脱窒微生物の解析には上述のような , などの機能遺伝子に基づ く培養非依存的手法が多く使われてきたが,この手法の弱点は機能遺伝子 解析だけでは持ち主を特定できないことである。一方で,先に述べた16S rDNA に基づく解析だけでは脱窒能の有無を確定することはできない。こ こでは Functional Single-Cell(FSC)分離法により,機能遺伝子( )と持ち主(16S rDNA)をリンクさせる試みを紹介する。 図4 Functional Single-Cell 分離法による水田土壌からの脱窒細菌の分離 , 3 Functional Single-Cell(FSC)分離法による水田土壌からの脱窒細菌の単離・同定 ( 27 ) 土壌や海水などの環境試料に酵母エキス等の基質と細胞分裂阻害剤を添加 して,増殖・分裂しようとする細菌細胞を伸長させ,それを顕微鏡下で計数 することにより,試料中の生菌数を計測する Direct Viable Count(DVC) 法15) が環境微生物研究に用いられてきた。目的とする機能を有する細菌 細胞のみが増殖する土壌条件を設定して DVC を行うことも可能である16)。 DVC 法と,細菌細胞を生きたまま染色する蛍光染色法,ならびにマイクロ マニピュレーションを組み合わせて,目的とする細菌細胞を個別に分離する 方法を我々は確立し,Functional Single-Cell 分離法と名付けた。個別分離 を行うことにより,土壌に存在している細菌群集の一部を,通常の培養分離 法につきものの「セレクション」をかけることなく,いわば「そっくりその まま」手に入れる事ができるのがこの手法の大きな特徴である。この FSC 分離法を土壌からの脱窒細菌の分離に適用し,上記2. で見出されてきた活 発に脱窒を行っていると考えられる細菌や,3. で存在が示された 遺伝 子保有脱窒菌を実際に分離する事を試みた。 上述の水田土壌モデル実験系を用いて FSC 分離法を実施した(図4)。こ のモデル実験系で土壌をインキュベートする際に,土壌に細胞分裂阻害剤ナ リジクス酸,ピロミド酸,ピペミド酸を添加した。これにより脱窒を活発に 行って増殖しようとする細菌細胞を伸長させた。土壌を蛍光染色剤 CFDAAM で処理し,蛍光顕微鏡下で伸長細胞をマイクロマニピュレーターにより 単離した17)。なお,今回用いた細胞分裂阻害剤と蛍光染色剤は菌株保存施設 から入手した8目10属に属する11種の脱窒菌保存菌株の全てを伸長・蛍光染 色することを確認しており,幅広い種類の脱窒菌に有効であると考えられる。 まず131の伸長細胞を分離し LB 培地に植え継いだところ,82サンプル で増殖が見られた。純化とアセチレンブロック法による脱窒能の検定を経 て56株が脱窒菌の候補となり,脱窒能検定において N2O ガス発生の少ない 菌株を除いた36株を脱窒菌とした。16S rDNA の塩基配列に基づいて,菌 株の多くが 属と 属, 属 に 分 類 さ れ, そ の ほ か に 属, 属, 属が見出され ( 28 ) 水田土壌の脱窒微生物研究の新たな展開 た。 LB 培地で増殖が見られなかったサンプルが多くあったことから,新たに 伸長細胞を分離し硝酸およびコハク酸添加をした1/100NB 培地に植え継い だところ,すべてのサンプルで増殖が見られた。純化と脱窒能の検定を経て, 脱窒菌62株を得た。 そのほかに 属と 属, 属が優占していた。 属, 属, 属, 属, 属等が見出された。 さらに,脱窒の電子受容体として N2O を添加した同様の実験系により, や がコハク酸を取り込んで N2O 還元を行って いる主要な細菌群であることも明らかになった9)。また,日本各地の水田土 壌から FSC 分離法により単離した脱窒菌の解析から,各地の水田土壌に共 通して存在する脱窒菌の分類群と,ある土壌に固有の分類群とが存在するこ と23) や,脱窒の最終産物ガスに含まれる N2 と N2O の組成は脱窒菌により 異なり,N2O 発生の少ない水田にも N2O 生成型の脱窒菌が存在することも 明らかになった18)。 FSC 分離法により水田土壌で機能する脱窒細菌群集構造を明らかにし, 多様な分類群に属する幅広い脱窒菌を培養菌株として取得することができた。 特筆すべき点は,上述の土壌 DNA に基づく手法によって特定してきたユニ ークな脱窒菌群も分離し,培養菌株として取得できたことである。具体的に は SIP 法で検出された Rhodocyclales に近縁な新規の脱窒菌,16S rDNA 大 量シーケンスで検出した ーンライブラリ法で検出した新規 に近縁な脱窒菌,SIP 法や および クロ の持ち主,などである。 土壌の細菌群集の一部を「そっくりそのまま」分離できる本手法の特徴が発 揮された結果と言えるであろう。 4. メ タ ゲ ノ ム 解 析 法 に よ る 水 田 土 壌 脱 窒 微 生 物 へ の ア プ ロ ー チ19, 24) 土壌には膨大な数の多種多様な微生物が生息して土壌微生物叢(マイクロ 4 メタゲノム解析法による水田土壌脱窒微生物へのアプローチ ( 29 ) バイオーム)を形成している。土壌マイクロバイオームは土壌の炭素・窒素 代謝や物質変換反応を駆動するとともに植物への様々な作用を行っている。 それらのプロセスに関わっている微生物について,これまで分離・培養法や 分子生態学的な手法により追究がなされてきたが,その全体像の解明は十分 なものではなかった。その理由は,土壌微生物叢がこれまでの解析手法で解 明するには複雑すぎるからである。 この状況の打開を可能にしたのが,近年開発された「メタゲノミクス」の 手法である20)。これは,次世代シーケンス技術を用いて環境微生物叢のゲノ 表1 水田土壌において優占度が高い微生物(属レベル) 黒色ハイライトは Deltaproteobacteria ( 30 ) 水田土壌の脱窒微生物研究の新たな展開 ム情報(メタゲノム)や発現している遺伝子情報(メタトランスクリプトー ム)を丸ごと解析するものである。この新しいゲノム科学の手法により,従 来法をはるかに凌駕する定性的・定量的解像度で塩基配列情報が取得でき, 土壌微生物群集構造解析の飛躍的な高度化や,機能遺伝子群の格段に詳細な 全体像把握,新たな微生物生態系機能の発掘が可能となった。そこでメタゲ ノム解析法を用いて,水田土壌微生物の群集構造と機能の網羅的解明を行い, 脱窒に関わる微生物についての新たな知見を獲得することを試みた。 湛水前ならびに還元状態が十分に進んだ湛水6週間後の2つの土壌試料を メタゲノム解析の対象とした。それぞれの土壌から調製した DNA を,PCR を介さず直接,パイロシーケンサー(GS-FLX titanium(Roche) )に供し たところ,平均解読長が約440bp の塩基配列がそれぞれ786,517リードお よび938,731リード得られた。得られた塩基配列の相同性検索を GenBank データベースに対して行い,他環境由来のメタゲノムデータと比較した結 果,本研究で供試した水田土壌においては Deltaproteobacteria 綱,特に 属や 属細菌が優占していることが明らかとな った(表1)。 また,水田土壌において進行する各還元反応に関与する鍵酵素の遺伝子群 の構造を明らかにし,各機能微生物群集の構造を明らかにした。硝酸還元を 触媒する酵素の遺伝子( , 触媒する酵素の遺伝子( ) ,脱窒反応の一部の一酸化窒素(NO)還元 を触媒する酵素の遺伝子( 子( ) ,アンモニア生成型の亜硝酸還元を ) ,および N2O 還元を触媒する酵素の遺伝 )は,Deltaproteobacteria 綱由来のものが多く検出された。これ まで Deltaproteobacteria 綱細菌について鉄還元や硫酸還元を担うことが明 らかにされてきたが,本研究により水田土壌において窒素循環にも深く関与 している可能性が示唆された。 これまで亜硝酸→ NO → N2O → N2 といった一連の脱窒反応に関与する鍵 酵素の遺伝子の塩基配列は,脱窒菌由来のものが多く見出されてきた。し かしながら,本研究のメタゲノム解析から脱窒菌由来のものよりも,脱窒 5 農地からの N2O 発生削減への応用 ( 31 ) 菌ではない細菌(亜硝酸を還元してアンモニアを生成する菌)に由来する NO 還元酵素遺伝子や N2O 還元酵素遺伝子( に 属細菌由来の )が多数検出された。特 は本研究の PCR を介さないメタゲ ノム解析によりはじめて環境中から検出され,従来の PCR に依存した方法 では全く検出されていなかった。水田土壌の脱窒過程において,脱窒菌では ない細菌が部分的(NO,N2O 還元)に関与している可能性が示唆された。 5. 農 地 か ら の N2O 発 生 削 減 へ の 応 用 農用地土壌は日本の人為的 N2O 発生源の約4分の1を占めており,農地 からの N2O 発生削減は地球温暖化防止の重要課題である。我々は現在,上 記3. で得られた脱窒細菌のうち N2O を N2 に還元する能力の高い菌株を 利用して,農地からの N2O 発生を削減する微生物技術の確立を試みている。 土壌に施用されると N2O を発生する有機質肥料にこれらの菌株を添加して おくことにより N2O 発生を低減化できる可能性が見出された。菌株のゲノ ム解読25, 26)や接種試験から植物生育を促進する菌株も見出しており,N2O 発 生削減と植物生育促進の両効果を示す微生物資材の開発を目指している27)。 6. お わ り に 水田土壌学は日本が世界をリードする学問・研究分野である。水田の微生 物機能に着目した研究をさらに展開して,水田土壌学の発展と持続的水稲生 産に貢献していきたい。今後とも関係各位のご協力を頂ければ幸いである。 謝辞 本研究は次の多くの方々と共に進めたものであり,右代表で報告させてい ただいた。 斉藤貴之,山本倫大,早野禎一,芦田直明,大野浩季,坪井雅敬,上井佑介, 全愛花,甲斐文彬,正木勝也(敬称略,東京大学土壌圏科学研究室の学生・ 院生) ( 32 ) 水田土壌の脱窒微生物研究の新たな展開 西山雅也博士(現 長崎大学) ,大塚重人博士,石井聡博士(現 北海道大学) , 多胡香奈子博士(現 農環研) ,西澤智康博士(現 茨城大学),磯部一夫博士, 伊藤英臣博士(現 産総研) ,吉田愛美博士(東京大学土壌圏科学研究室のス タッフ・ポスドク) 辻尭博士,吉村義隆博士(玉川大学) 服部正平博士,大島健志朗博士,菊池真実博士(東京大学新領域創成科学研 究科) 白鳥豊博士(新潟県農業総合研究所) 東京大学大学院農学生命科学研究科附属生態調和農学機構,新潟県農業総 合研究所,山形県農業総合研究センター,熊本県農業研究センターには水田 土壌採取にあたり御協力いただいた。 本研究は生研センター基礎研究推進事業,学術振興会科学研究費補助金, 農業環境技術研究所 eDNA プロジェクト,生研センターイノベーション創 出基礎的研究推進事業の支援を受けた。 文 献 1) 大工原銀太郎,土壌学講義,上巻,p. 368,裳華房(1916) 2) 塩入松三郎,日本土壌肥料学雑誌,16⑶ , 104(1942) 3) 小川吉雄,農業技術体系,土壌施肥編3,土壌と活用Ⅳ,16の2(1992) 4) S. 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