本能と煩悩 - 東海大学出版会

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本能と煩悩 (全 12 回)
第 11 回 親 心
浦野明央(北海道大学名誉教授)
第 7 回 恋心で,「有性生殖によって子孫を残すための行動,すなわち生殖行
動は,性行動と親による子の世話からなると考えられる」と書いた.オックス
フォード動物行動学事典(マクファーランド,1993)によれば,「親による子
の世話(parental care)は,自分の子または近縁の者の子の保護と扶養に関す
る動物の行動のすべてを含む.〈中略〉両性生殖の場合は,親による子の世話
は通常,受精のときにはじまり,巣づくり,母体の循環系をへての栄養分の移
送,産室の用意のような異なった形のエネルギー消費を含んでいる.」という.
親による子の世話というと,すぐに胎生の哺乳類の子育てを思い浮かべるで
あろうが,一般に,無脊椎動物,脊椎動物を問わず,大多数の動物は卵生であ
る.とくに,ほとんどの水生動物は,水中における放卵と放精によって受精を
行うが,受精卵の世話をする種はそれほど多くない.しかし,陸生か水生かに
関わりなく,卵が,親の身体の中も含めて,保護された場所,あるいは巣の中
に産み落とされることがある.また,受精卵が孵化するまで保護する,あるい
は孵化した幼生が自立するまで保護する,といったこともある.
上に述べた卵生か胎生か,水生か陸生か,といった違いに加えて,世話をす
るのが雌か雄かという違いが,親による子の世話を多様にしているが,その根
底には「親心」とでも呼ぶべき本能があると考えられる.最近になって,哺乳
類,とくにラットやマウスでは,視床下部の神経内分泌系が重要な役割を担っ
ていることが,分かってきた.本稿では,まず親による子の世話のパターンを
概観してから,視床下部によるその制御機構を見ることにしたい.
親による子の世話のパターン:無脊椎動物
親による子の世話は,両性生殖をする動物のすべてのグループ,それぞれに
おいて,独立に進化したとされている(マクファーランド,1993;Dulac et
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表 1 親による子の世話のパターン(子の世話を雄と雌,どちらがするのか)
分類群
単親・雌
二親
単親・雄
軟体動物・腹足類
○
節足動物・甲殻類
○
節足動物・昆虫類
○
○
○
脊索動物
○
脊椎動物・魚類
○
○
○
脊椎動物・両生類
○
○
○
脊椎動物・爬虫類
○
○
脊椎動物・鳥類
○
○
脊椎動物・哺乳類
○
○
○
al, 2014).いずれのグループでも,子の世話に雌雄両方の性が関わり得るが,
多くの種では,雌の方により大きな負担がかかっているという(表 1).
軟体動物: 無脊椎動物でも脊椎動物でも,原始的な子の世話は,受精卵を安
全な場所に産みつける,あるいは産み落とすというものであるが,軟体動物で
は,より進んだパターンとして,受精卵を積極的に保護する,あるいは卵胎生
によって効率よく繁殖するといったことが,多くのグループに見られる.例え
ば,よく知られているように,軟体動物・頭足類のタコの仲閒の雌は,交尾後
2 ∼ 3 週間たつと,岩棚の下や穴の中に卵を産みつける.そして,卵が孵化す
るまでの数週間,酸素を供給するとともに泥やゴミがつかないようにするため,
巣を離れることなく,漏斗から新鮮な海水を送り続ける.しかも,外敵が近づ
いてくればそれを追い払おうとする.驚くべきことに,水温が低く代謝速度が
遅い深海性のタコ
では,この保護期間が 4 年にも及
ぶことが報告されている(Robison et al, 2014).
同じ頭足類でもイカの仲閒は卵の保護をしないとされていたが,最近,知床
周辺に生息する半深海性のササキテカギイカが,冬に産卵した卵を足の間に抱
え込んで数ヶ月間も保護し続け,春から初夏にかけて表層に上昇して孵化した
稚イカを放出することが示された(Bower et al, 2012).なお,他のテカギイ
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カ属の仲間でも同様の現象が報告されているという.
一方,腹足類のタニシ類すべておよびタマキビ類の一部などは卵胎生 1)で,
親と同じような貝殻をもった稚貝が,母親の胎内から這い出してきて,成長し
成熟する.タマキビ類の一部と書いたのは,この仲閒が厳しい環境の磯の干潮
帯に生息しているためであろうか,それぞれの種が個性的な繁殖戦略をとって
おり,浮遊卵を放出している種もいれば,付着卵を産む種もいるためである.
しかし,雌雄同体はあっても,軟体動物には,雌と雄が共同して,あるいは雄
だけが子の世話にあたるという例は,今のところ,見当たらない.
節足動物: 節足動物の中の大きなグループは甲殻類と昆虫類であるが,その
うち甲殻類の十脚目・エビ亜目の動物の多くは,水生であることもあってか,
受精卵を雌の腹脚に付着させ,抱くように保護している.そのため,このグル
ープは抱卵亜目とも呼ばれている.
一方,昆虫は,表 1 に示したように,雌が単独で,雌と雄が共同で,あるい
は雄が子の世話に携わっているが,多くの場合,孵化した幼虫の成長を助ける
ように雌が産卵している.チョウの仲閒(鱗翅目)の多くは,孵化したばかり
の幼虫が食べる食草 2)に産卵するし,ファーブルの『昆虫記』に登場するス
カラベ(
和名はタマオシコガネ,コガネムシの仲閒)は,地中に穴
を掘り,そこで哺乳類の糞で作った団子に 1 つの卵を産みつける.団子の中で
孵化した幼虫は,その内側を食べて成長する.また,10 万種以上いるとされ
ている寄生性のハチの中には,雌親が,用意しておいた巣穴に,麻酔した宿主
の昆虫を運び込み,卵を産みつけるものがいる 3).
カリヤコマユバチは,イネ科植物の害虫であるアワヨトウの幼虫に卵を産み
つける寄生バチであるが,孵化した幼虫は,宿主が成長し蛹になってしまうと
脱出できなる.それを防ぐため,カリヤコマユバチの雌親は,宿主であるアワ
ヨトウ幼虫の内分泌系を制御して,蛹への変態(蛹化変態)を阻止する寄生戦
略をとるという(早川洋一,1998).昆虫の蛹化変態は,幼虫が最終令に達し
た時の,体液中の幼若ホルモン濃度の低下と脱皮ホルモン濃度の上昇によって
引き起こされる.寄生されたアワヨトウ幼虫の場合は,脂肪体で合成され体液
中に分泌される発育阻害ペプチドの濃度が上昇して,体液中のドーパミン濃度
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を上昇させ,蛹化に関わる神経内分泌系の機能を抑えているそうである.
親による子の世話のパターン:脊椎動物
脊椎動物による子の世話は,無脊椎動物の軟体動物や節足動物と基本的には
よく似ており,ほとんど世話をしないものから,手の込んだ世話をするものま
で,さまざまなパターンが見られるが,それらの得失は,繁殖成功率を指標に
した適応度によって計られる.
魚類: 無顎類も含めて多くの魚類は体外受精をするが,その中にはヤツメウ
ナギやサケマス類の雌のように川底に産卵床を掘るもの,イトヨの雄のように
水草の切れ端で巣を作りそこに雌を誘引するものなど,受精卵を保護するもの
がいる.もっと複雑な行動を見せてくれるのはカワスズメ(モザンビークティ
ラピア,学名
)で,産卵期になるとまず雄が水底に産
卵床を作り,雌を呼び込む.そこで産卵と授精が行われるので,雌はすぐに受
精卵を口にいれ,口中で 3 ∼ 5 日ほど孵卵する.孵化した仔魚は,さらに 10
日ほど,卵黄を吸収し終わるまで口内で暮らしてから外に出てきて餌を摂るよ
うになるが,その後もしばらくは周辺を泳ぎ回り,危険がせまると母親の口の
中に逃げ込む.
変わった習性を見せるのは,雄が子育てのすべてを引き受けるヨウジウオ科
のヨウジウオやタツノオトシゴである.これらの仲閒の雄の腹部には育児嚢が
あり,雌が産卵する時にはその開口部が開いている.産卵された卵は,開口部
で受精して育児嚢に入るが,やがて発生が進んで仔魚になると,外界に出てき
て自力で餌を探し始める.
子の世話の最も進化したパターンは,体内で受精した卵を母体内で保護し栄
養分を補給する胎生であるとされている.軟骨魚類の中には胎盤を通して仔魚
に栄養分を供給する真の胎生が見られるものがあるが,肉鰭類のシーラカンス,
メダカ目カダヤシ科のグッピーやカダヤシ,カサゴ目メバル科のカサゴやメバ
ル,スズキ目ウミタナゴ科のウミタナゴなどでは,卵胎生が見られる.
両生類と爬虫類: 両生類の繁殖には水のある所が必要なので,それを満足さ
せるために,サンショウウオによる発生初期の保護,モリアオガエルによる泡
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の中への産卵,背中の皮膚に卵を埋めて運ぶコモリガエル(ピパ)など,多様
な子の世話が発達した.一方,陸上生活に適応した爬虫類では,体内受精が普
遍的なので,卵胎生や胎生の種が少なくないという.ウミガメが生まれた砂浜
に回帰し,陸に上がって産卵するのは,卵胎生を獲得できなかったことからく
る宿命なのかもしれない.卵胎生のウミヘビは水中での生活に完全に適応して
いて,陸に上がる必要がないのである.なお,ワニ類では,親による子の世話
が発達しており,ナイルワニの雌が,陸上の巣の中で孵化した子ワニを,口に
くわえて水辺に運ぶ話はよく知られている,
鳥類: 空を飛ぶという制約のため,すべて卵生で,胎生を発達させたものは
いないという.子の世話,すなわち卵を暖めている抱卵期と餌を与え保護して
いる後孵化期は,ほぼ普遍的で,ひなが成熟するまで続く.しかも 90% の種(多
くはスズメ目)で,雌と雄の両性が,巣作り,抱卵,子の保護および給餌とい
った責任を分かちあっているという(Dulac et al, 2014).例えばハトは,雌
雄とも,素嚢の内壁から栄養価の高い素嚢乳を分泌し,ひなに与えている(哺
乳類では雌だけが授乳している).とは言っても,産卵後に主として雄が子の
世話に関わる種がいないわけではない.ダチョウ類,レア類,ヒクイドリ,シ
ギダチョウでは,雌が産卵したあと,雄が子の世話の大部分に責任をもってい
る.また,雌が求愛するミフウズラ類やレンカク類,一妻多夫のタマシギ類で
は雄だけが抱卵とひなの世話を担っている.
哺乳類: 雌の胎生と授乳という生理機能のため,子の世話に携わるのは主と
して雌で,雄が家族単位に含まれることはあまりないという.すべての哺乳類
の中で,雌と雄が一対一のつがいを作っているのは 4%程度だと言われている.
親による子の世話の神経内分泌学
ラットやマウスの研究から,「親による子の世話」の制御には,生殖行動の
一環である「恋心」の制御にも関わっている視床下部の内側視索前野(medial
preoptic area, MPOA)と呼ばれる部位が重要であると考えられている(第 7
回 恋心 参照).この部位のニューロン(以下,MPOA ニューロン)は,神経
系と内分泌系からの情報を統合して,本能行動である子の世話を動機づけ,そ
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図 1 ヒト妊娠時の血中のホルモン濃度の変化.説明は本文.hCG, ヒト絨毛性生殖腺刺激ホルモン;
hPL, ヒト胎盤性ラクトゲン;E,エストロゲン;P,プロゲステロン.(Norris and Carr, 2013 を
改変)
のスイッチを入れているという(Rilling and Young, 2014).
妊娠と出産にともなう血中ホルモンの変動: 哺乳類の雌では,種によってパ
ターンこそ違うが,妊娠の経過とともに卵巣や胎盤から分泌されるエストロゲ
ンとプロゲステロンおよび胎盤性ラクトゲンの血中濃度が,分娩時に向けて
徐々に上昇するが,分娩直前に急減する(図 1).妊娠後期には下垂体からの
プロラクチン分泌量も増加し,母乳の合成が促進される.これらの血中ホルモ
ン濃度の変化が,MPOA ニューロンに,胎児の状態や分娩されたかという情
報を伝えるとともに,オキシトシン受容体およびプロラクチン受容体 4)の合
成を高め,それぞれのホルモンに対する感度を高めている.
ホルモン受容体の発現: 第 9 回 性的二型性でふれたように,脊椎動物の脳
内では,MPOA にステロイドホルモン受容体が発現しているので,上に述べ
たエストロゲンやプロゲステロンの血中濃度の変化を感知して,ニューロンが
その変化に見合った活動を示すことが考えられる.もちろん,オキシトシンを
含めたさまざまな神経ペプチドや伝達物質の受容体も存在することが古くから
知られている.
問題は下垂体のタンパク質ホルモンであるプロラクチンの受容体があるかど
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図 2 雌ラットによる子の世話(母性行動)の神経ネットワーク.性ステロイドホルモンの影響下に,
室傍核(PVN)の神経分泌ニューロンが放出するオキシトシン(OXT)および下垂体から放出さ
れるプロラクチン(PRL)が,MPOA ニューロンの活動を活性化する.詳しい説明は本文.AMY,
扁桃核;AOB,副嗅球;AP,下垂体前葉;BNST,分界条床核;LC,青斑核;LS,外側中隔;
MPOA,内側視索前野;NAc,側座核;NH,下垂体神経葉;PAG,中脳水道周囲灰白質;PFC,
前頭前皮質;VP,淡蒼球;VTA,腹側被蓋野;DA,ドーパミン;GABA,γ- アミノ酪酸(Dulac
et al, 2014 および Rilling and Young, 2014 を参考に作図)
うかであるが,受容体遺伝子の発現部位を調べた研究から,MPOA にプロラ
クチン遺伝子が発現していることが確認されている.すなわち,プロラクチン
受容体には,構成アミノ酸が長いものと短いものがあるが,ラットの脳内では
長いほうがより多く発現している.また,その脳内における発現の分布は,脈
絡叢>内側視索前野(MPOA)>後内側分界条床核>視床下部弓状核>腹内側
核=海馬歯状回=室傍核の順に多く発現していたのである.
なお,エストロゲンやプロゲステロン,あるいはプロラクチンを投与する行
動実験や,受容体遺伝子のノックアウト実験によって,これらのホルモンが子
の世話に関わる行動を引き起こすことが確認されている(Dulac et al., 2014;
Rilling and Young, 2014).哺乳類以外の魚類や鳥類でも,プロラクチンが「親
による子の世話」を促進しているが,アンドロゲンは抑制的に働く.
ネットワーク: 雌親あるいは雄親は,複数の感覚を用いて子の存在を感知し
MPOA や隣接する分界条床核から子の世話に関わる運動信号を送り出す.ラ
ットにおけるそのネットワークの概略を図 2 に示しておいた.図中にはないが,
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このネットワーク内にある多くの部位で,エストロゲンとプロゲステロンが働
いている.
これまで何回かにわたって生殖行動とそれを制御するメカニズムを見てきた
が,その根底には性ステロイドホルモンによる転写調節があった.親による子
の世話を制御する機構に関しても,ステロイドホルモンに加えて,プロラクチ
ンとオキシトシンの役割が,分子レベルで解明され始めた.今後,プロラクチ
ンの過剰分泌と育児ノイローゼとの関係,あるいは親子関係の分子生物学とい
ったことについても,理解が深まることが期待できる.
註
1) 卵胎生は,哺乳類以外の動物で,受精卵の発育が母体内で進行し,出産する場合をいう.
なお,卵生は,有性生殖によって生じる新しい動物の個体が,卵に含まれる栄養のみで摂
食可能な段階まで到達する発生様式.また,胎生は,胚がある時期以降母体から栄養など
の補給を受けるようになる発生様式.(生物教育用語集より)
2) 鱗翅目の昆虫(チョウ目ともいう)の多くは限られた植物に産卵する.例えばギフチョウ
はカンアオイに,アゲハは柑橘類に,モンシロチョウはキャベツなどアブラナ科に,渡り
で知られるアサギマダラはガガイモに,ジャノメチョウはススキやチガヤに卵を産みつける.
3) ほとんどの場合,幼虫が成長に必要な栄養分を摂取して成虫になった時に,宿主が殺され
てしまうので,このような寄生を捕食寄生という.
4) プロラクチンとオキシトシンは,乳腺に作用して授乳を促進するが,前者は乳汁の合成に,
後者は射乳(筋収縮により乳汁を乳管から押し出す作用)に関わる.
参考文献
日本動物学会/日本植物学会[編]:生物教育用語集.東京大学出版会(1998)
早川洋一:昆虫の寄生戦略とホルモン.日本比較内分泌学会[編]:ホルモンの分子生物学 8
無脊椎動物のホルモン pp.177-198.学会出版センター(1998)
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マクファーランド,D[編],木村武二[監訳]:オックスフォード動物行動学事典、どうぶつ
社(1993)
Bower J.R., Seki K., Kubodera T., Yamamoto J., Nobetsu T.: Brooding in a gonatid squid off
northern Japan. Biol Bull 223: 259-262(2012)
Dulac C., O Connell L.A., Wu Z.: Neuronal control of maternal and paternal behaviors.
Science 345: 765-770(2014)
Norris D.O., Carr J.A.: Vertebrate Endocrinology, 5th Ed. Academic Press(2013)
Rilling J.K., Young L.J.: The biology of mammalian parenting and its effect on offspring social
development. Science 345: 771-776(2014)
Robison B., Seibel B., Drazen J.: Deep-sea octopus(Graneledone boreopacifica)conducts the
longest-known egg-brooding period of any animal. PLos ONE 9(7): e103437(2014)
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