平成27年度(前期) 前期日程 講演者 まなびの森 講演プログラム(演題・講演概要) 所属等 演題 放送大学徳島SC&徳島県立図書館主催 講演概要 交通安全のテーマをシルバー世代としたのは、高齢者の交 通事故死者の比率が大きいことにある。交通安全術とは道路 交通の場で当たり前の行動、安全運転をすれば良い。困難な 技法や心構えを強制するものではない。 高齢者共通の弱点、視力の減退、反応動作の衰退から説 き、安全運転の見地から運転の基本である安全運転義務、特 1 4月25日 河野壽一郎 とくしま学博士 シルバー世代の交通安全術 に事故惹起の前方不注意を具体的事故例として示し、わき見 運転、動静不注意、シール目運転の3態様を説明する。他方、 交通弱者である歩行者の心得として”高齢者交通安全3則”を 説明する。交通アレルギーを解消するため、交通戦争、信号 機の変遷など交通安全の歴史を導入口として、講演内容へと 及ぶ。 阿波三盆糖(和三盆)は、独特の伝統的技法によりつくられ、 高級和菓子には欠くことのできない上質な白砂糖であり、一種 独特の風味は「味覚の芸術品」とまで称されています。 江戸時代の後半から明治にかけての阿波三盆糖の主な産 地は引野村(現在の上板町)でした。この地域は水利に恵まれ 阿波三盆糖を考える~阿波三盆 ないため稲作や藍作には適しておらず、芋類や粟、大豆など 2 5月16日 小笠 泰史 四国大学准教授 糖の祖 謎多き人物「丸山徳弥」 の他にはこれといったふさわしい作物が育たないため、村人た ~ ちの生活は大変きびしいものでした。そのやせた土地にサトウ キビの栽培を持ち込み、苦労に苦労を重ねて三盆糖の精製法 を確立した人物、それが丸山徳弥です。その丸山徳弥に焦点 をあて、阿波糖業の盛衰について考えてみるとともに、最近ま で謎に包まれていた徳弥の人間像に迫ります。 阿波踊りは徳島が世界に誇れる大変魅力的なお祭りです。 その根底に流れるリズムを「ぞめき」と言います。「ざわめき」が 転じた言葉ですが、その女房の役目をするのがゆったりと流 れる「阿波よしこの」。そのルーツや、徳島に昔から伝わる「徳 島見物」、「阿波風景」、鳴門市が出来た時に作られた「鳴門 節」、小松島の民謡と言われる「せきぞろ」など、徳島の歴史を 3 6月20日 安藤 正絵 千代の会 会主 阿波よしこのに魅せられて 紐解く唄の数々を生演奏で聞いて頂いて阿波の更なる伝統文 化を体感してみませんか? 私の師匠でありましたお鯉先生との思い出なども一緒にお話 させていただきたいと思っております。富田町は、「富街(ふう がい)」と言われていたほど、芸事の盛んな町でした。その頃 の雰囲気を少しでも感じて頂ければ幸いです。 皆さんは、「男性ホルモン」「女性ホルモン」についてどのよう なイメージをお持ちでしょうか。おそらく、男らしさや女らしさ、生 殖機能と関係したホルモンを想像されるでしょう。確かにその ような働きもありますが、実は生活習慣病を始めとする様々な 病気から私たちの体を守ってくれる働きも持っています。年を 徳島大学大学院 男性ホルモン・女性ホルモンを 4 7月18日 安井 敏之 ヘルスバイオサイ とって、これらのホルモンが低下してしまうとどうなるのでしょう 知って健康に エンス研究部教授 か?骨や血管を始めとして全身の臓器に影響してきます。ま た、精神的にも様々な問題がでてきます。 この講演では、これらのホルモンの大切さを知ってもらい、元 気でいきいきと生活していくためにはどのようにしたらいいの かを参加者の皆さんと一緒に考えてみたいと思います。 南海トラフの巨大地震では大津波の危険性が指摘されてい ますが,脅威は津波だけではなく,建物やインフラも大きな被 害を受けることが予想されています。建物やインフラの被害に はその足元にある地盤の影響が少なくありません。例えば,平 徳島大学大学院 野部では地盤の液状化によって,住宅の沈下・傾斜,堤防の 5 8月29日 渦岡 良介 ソシオテクノサイエ 南海トラフの巨大地震と地盤災害 沈下,道路の陥没やマンホールの浮き上がりなどの被害が発 ンス研究部教授 生します。また,山間部では土砂崩れによって,道路の寸断, 河道閉塞などが発生します。 講演では,このような平野部や山間部での地震による地盤 災害について解説します。 江戸時代末期、阿波藩出身の漁師「天毛政吉」の波乱に満 ちた生涯について講演する。 1856年11月、天毛政吉は漁に出ていて遭難漂流、5ヶ月後 アメリカの捕鯨船に救助される。その後ハワイで横浜に向かう アメリカ海軍測量船 フェニモア・クーパー号に移乗し、香港、種 子島、下田を経由し横浜へ送還される。当時日本は鎖国中で 6 9月19日 木嶋 隆夫 とくしま学博士 WHO IS 阿波のジョン万次郎? 漂流者は罪人扱いをされ帰国は原則として認められていな かったが、ブルック船長の働きで帰国が認められた。帰国後、 船での経験を活かし、また通訳としても活躍し、阿波藩から1 介の漁師であるにも関わらず武士として取り立てられた。船長 の曾孫から頂いた船長の「太平洋航海日記」と天毛政吉の御 子孫で小豆島在住の天毛雄義氏より頂いた政吉の「漂流日 記」が大いに参考になっている。
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