新しい街は 隣人を傷つけていた? ﹁サバイディー!﹂ 元 気 な あ い さ つ と と も に 登 場 し た 男 性 を 興 味 津 々 な 表 情 で 見 つ め る の は、 沖縄県 浦 添 市 に あ る 沖 縄 県 立 陽 明 高 等 学 校 の2、3年生。 ﹁ラオス語で〝こん せい にちは〟という意味なんですよ﹂ 。青年 分 ほ ど のJ 海 外 協 力 隊 O B の 神 田 青 さ ん が、優 し く教えてくれた。 こ の 日、高 校 か ら 車 で ICA沖 縄 を 訪 問 し た 高 校 生 た ち。6 つに分かれたグループごとに手渡され た の は 2 枚 の 紙。1 枚 に は 真 ん 中 に 青 い池が、もう1枚には家や学校、工場、 畑などが描かれている。 し戸惑いながらも、作業に取り掛かる。 つくってみましょう﹂ 。突然の指示に少 ﹁それを使って、グループごとに街を か も し れ な い。2 年 生 の 友 利 健 人 さ ん れが別の地域の人に迷惑をかけていた を 家 の 近 く に 置 い た り し た け れ ど、そ 施 設 を 開 き、経 営 者 に な り た い﹂と 夢 ﹁将来は、貧しい子どもたちのための な授業づくりに奔走している。 アフリカを身近に感じてもらえるよう た こ と を ふ ん だ ん に 盛 り 込 み な が ら、 を 通 じ て バ ン グ ラ デ シ ュ を 訪 問。協 力 業﹁お き な わ 国 際 協 力 人 材 育 成 事 業﹂ おなさんは、 JICAと沖縄県の連携事 を 語 る 高 校 生 も い る。2 年 生 の 島 袋 り と 城 間 有 貴 さ ん は﹁自 分 た ち の こ と し 分。そ の 後、各 グ ル ー よ う﹂と、思 う が ま ま に 新 し い 街 を つ くり始めた。 作 業 時 間 は れたものだった。 外から人を呼びたい﹂ 。どれも夢にあふ ィ ー と 名 付 け ま し た﹂ ﹁観 光 地 に し て、 ジ ン が 特 産 物 だ か ら、キ ャ ロ ッ ト シ テ の構想を発表することになった。 ﹁ニン 年 ほ ど 前。赴 任 し た ば か り の こ ろ、開 ん な 思 い を 持 ち 始 め た の は、今 か ら5 自 分 の 足 元 か ら 行 動 し て ほ し い ︱。そ 子 先 生 だ。物 事 を グ ロ ー バ ル に 考 え、 今 回 の 訪 問 学 習 の 仕 掛 け 人、友 寄 美 恵 モ ッ ト ー だ。こ の 授 業 を 担 当 す る の が ﹁ Think globally, Act locally ﹂ 。陽 明 高 校 の 選 択 科 目﹁国 際 理 解﹂の 授 業 の ん な 気 持 ち で 今 日 も、日 本 の 教 室 か ら 道も見えてくるはず﹂ 。友寄先生は、そ こ と、自 分 の 立 ち 位 置 を 知 れ ば、進 む 要 は な い の で す。授 業 を 通 じ て 世 界 の ﹁生徒全員が、将来海外で活躍する必 けた。 設 な ど を 見 て 回 り、人 生 の 目 標 を 見 つ 隊 の 活 動 や 日 本 人 が 運 営 す るNGO施 全 て の 発 表 が 終 わ っ た 後、何 や ら 険 世界に思いをはせる。 プ の 代 表 が〝市 長 〟と し て、そ れ ぞ れ し い 顔 で 絵 を 並 べ 始 め た 神 田 さ ん。6 発 途 上 国 を 含 む 世 界1 0 0 カ 国 で 同 時 に暮らしていたカンボジアやタイの 人 々 の 生 活 が 豊 か に な っ た 一 方、下 流 流に造ったダムによって周辺地域の 語 り 始 め た。ラ オ ス で は メ コ ン 川 の 上 す﹂ 。神田さんは、隊員時代の出来事を ﹁実は、この池はつながっていたんで の大きな川になった。 て欧米の文化を伝えることはあっても、 て い ま し た。そ れ ま で 英 語 の 教 員 と し 状を教え子たちに話さなければと思っ た ち が 働 い て い る の を 見 て、世 界 の 現 ア や 南 米 を 旅 行 し た と き、幼 い 子 ど も 加し、開発教育の存在を知った。 ﹁アジ 開 催 さ れ る﹁世 界 一 大 き な 授 業﹂に 参 でJICA沖 縄 の プ ロ グ ラ ム を フ ル 活 途上国に触れる機会はほとんどなかっ 用。2 0 1 2 年 か ら 2 年 間 は、沖 縄 県 人 々 の 生 活 は、水 が 枯 れ、立 ち 行 か な てほしいと思います﹂ 。 の 国 際 理 解 教 育 研 究 指 定 校 に な っ た。 たんです﹂ 。 何げない気持ちで始めたまちづくり。 友 寄 先 生 もJICAの 教 師 海 外 研 修 で くなってしまった。 ﹁目で見える範囲の 神 田 さ ん の 話 を 聞 い て、シ ョ ッ ク を 隠 ザ ン ビ ア を 訪 問 し、帰 国 後 は 現 地 で 見 そ こ で 2 0 0 9 年 か ら、学 校 ぐ る み し 切 れ な い 表 情 を 見 せ る 子 も。工 場 を 外にある物事も想像できるようになっ ともよせ 枚 を 横 に つ な げ て み る と、な ん と 一 本 世界に目を向ければ 進む道も見えてくる か 考 え て い な か っ た の か も﹂と 話 し て 「国際理解」の授業を実施している沖縄県立陽明高等学校。 家の絵を切り取って池の右端に貼った 世界に目を向け広い視野を持てる人材を育てようと、 りしながら、 ﹁学校と病院は家から近い 足元を見つめ、 未来につながる授業を いた。 6グループがつくった “街” を並べてみると… 方がいいよ﹂ ﹁工場は住宅地から遠ざけ 主体的に行動できる生徒を育てている。 「畑は郊外かな」 「浄水場も 必要だよね」。神田さんが準 備した紙を使って建物や施 設の配置を考える JICAの出前講座や教師海外研修などを活用しながら、 22 February 2015 February 2015 23 世界 と つながる 教室 住 宅 か ら 遠 ざ け た り、欲 し い も の だ け 南太平洋地域出身のJICA研修員と交流 JICA沖縄主催で毎年行われる「おきなわ国際協力・交流フェスティバル」 では、授業で学んだことを発表 ザンビアの食文化について伝える友寄先生。 「貧困や感染症といった深刻な問 題ばかりでなく、沖縄との共通点や魅力的な文化があることを伝えたい」 ザンビアの子どもたちへ送るメッセージを考える陽明高校の生徒たち。離れていて も、 つながることができる方法を知った 20 10
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